翼折れし鳥

 

序、絶望的戦力差

 

ミミは絶望に心臓を鷲づかみにされていた。セトとやりあった時でさえ、これほどの恐怖は感じなかった。

トトリが、強くなっているのは分かっていた。

貪欲に強さを求めた自分よりも。ずっと先に行っているのは、理解しているつもりでいた。

だが、これほどとは、流石に思っていなかった。

側に倒れているジーノは、既に戦闘力を喪失。身動きできない。

シェリは何度も魔術を展開しているが、その度に、かき消されている。

トトリは流石に味方を殺す気にはなれないのか。包囲している悪魔族に手を出してはいないけれど。

ミミには、一切容赦をしなかった。

岩を背にへたり込んだミミは。内臓が痺れているのを感じて、何度も血を吐き戻す。掌底一発で、完全に壊された。

強いなんてものじゃない。

あの子は、昔は戦闘力に恵まれなかった。道具を使って補助をするのが精一杯。どれだけ棒術に取り組んでも芽が出なかった。

それなのに、人間を止めた途端どうだ。

あの戦闘力、神々の域に達しているではないか。

経験が豊富で。

体がそれにやっとついてきただけ。

そして、錬金術の秘奥を究めたトトリは、あらゆる道具で武装している。あの時間を止める反則攻撃もその一つだろう。

間違いない。

今のトトリは、国家軍事力級戦士の一人だ。

遅咲きにもほどがあるけれど。

悔しいけれど、認める。

ランク10冒険者としては、戦闘力が足りない。そう言われていたトトリは、もはや。戦闘力の観点からも、ランク10冒険者として、ふさわしい存在だ。

「どうしても、通してはくれないと?」

「くどい」

ゼウスが、拳を叩き込む。

筋肉質な老人は、巨躯にふさわしい豪腕を振るうが。トトリはゆらり、ひらりとよけ続ける。

それでありながら、バイラス他悪魔族の精鋭戦士達が放つ拘束の魔術を、片っ端から打ち砕いているのだ。

もはや、生半可な戦力では、どうにもならない。

だから、ミミは。

メルル姫から受け取っている切り札を使う。

ネクタルを。

それも、かなり濃く作ってあるものを。メリキシル剤などと名付けているらしい、特殊なブレンドを、飲み干した。

ミミには、足りなかった。

覚悟が。

人ではなくなったとしても。

トトリを止めようと、本気でしていたか。

心を理解しようとでもしたか。

そうトトリは言った。

その通りだ。

狂気に落ちたトトリの罪悪感を、ミミは何処か、ただ拒絶するだけで。本気で向き合おうと思っていなかった。

勿論本気で向き合えば、よわい心であれば、瞬く間に闇へと引きずり込まれてしまっただろうけれど。

それでも、今は。

力が欲しいのだ。

トトリが振り返る。

ミミが立ち上がったのに、気付いたのだろう。

少しだけ。

メルル姫と。それにあのロロナが来るまで、もてばいい。どうせミミはハイランカーの中では平凡な力量。

他のハイランカー達がいる以上。

此処で倒れてしまっても、問題なんて無い。

火山の方では、超絶の戦が始まっている。あれでは、援軍を此方に回す余裕などとても無いだろう。

やるしかない。

他に誰もいないなら、ミミが。

「本気でやり合うのは、初めてだったかしらね」

「そうだったっけ」

目の前に、もういる。

だけれど、即時反応。

槍を振るい上げる。

即座にトトリに槍を掴まれた。そして、すっとミミの首に手を伸ばすトトリ。まずい、触れられたら、きっと、落とされる。

必死に飛び退く。

後ろ。

もう回り込まれている。

蹴りを叩き込むゼウス。軽く受け流しながら、トトリは、笑顔を崩さない。ミミは、もう気付いている。

槍を連続で繰り出す。

あらゆる槍の技を叩き込みながら、叫ぶ。

「貴方、本気じゃ無いわね!」

「そうかなあ」

「そうよ! もし貴方が本気だったら、もうとっくに、みんな死んで、ゼウスしか残っていないわ!」

ふうと、トトリが呆れたように肩をすくめる。

かんに障る。

だけれど。恐らくは。

トトリはずっと、ミミに求めていたのでは無いのか。自分を罰して欲しいと。それこそ、絶望の更に絶望の底で。

罪悪感で、全身を焼きながら。

ミミはそれにさえ気付いていなかった。

気付いたとしても、理解できなかった。トトリに罪は無いと信じていたし。事実そうなのだから。

だが、今は分かる。

ラッシュを掛けながら、トトリに叫ぶ。

「どうすれば貴方に対する罰になる!? やれるなら、やってやるわよ!」

「そう。 じゃあ、この世で最も苦しい殺し方をしてくれるかな。 それも、ゆっくり、ゆっくり時間を掛けて」

「っ!」

出来る訳が無い。

そんなこと、トトリに。

出来る訳が。

強化した身体能力が、追いつかなくなりはじめる。

トトリが徐々に、遊びから本気になりはじめているのに対し、ミミは無理に本来以上の実力を出しているつけが回ってきているのだ。

ゼウスが雷撃を放つが。

トトリは事もあろうに、素手でそれを握りつぶした。

煙が上がる手を振るいながら。

トトリは、ずっと同じ笑みを浮かべていた。

「そろそろ、眠って貰おうかな」

シェリが、恐らく、今までで最大の術式を放つ。

十重もの拘束を行う、光の輪を、連続でうち込む術だ。だが、トトリは、それをよけさえしない。

紙くずのように引きちぎってしまう。

シェリはそれでも諦めていない。

時間さえ稼げば。

それで勝ちだと、確信しているからだろう。

ゼウスが肉弾戦を挑みに掛かる。

凄まじいラッシュ。

だが、トトリは、豪腕から繰り出される拳も。的確にうち込まれる蹴りも。悉くいなして見せる。

ミミも死角からラッシュを放つが。

それでも同じだ。

唇を噛む。

そして、決めた。

「御使いの……」

以前、ジオ王から授かったアインツェルカンプを更に自分流にアレンジした、御使いの雄叫び。通称エンゼルホルン。

これを浴びて、無事だった敵は今だ存在しない。

トトリに使うのは本当に心苦しいけれど。

やるしかない。

だが、初手の一撃を。トトリは、強引に刃を握ることで止めてしまう。

「それで?」

余裕に満ちたトトリの表情。

其処には、確実な失望があった。

ゼウスの方を見もせずに、ラッシュを捌きながら。トトリは言う。手からは、血さえも流れていない。

「迷いすぎだよミミちゃん。 必殺の殺気をやっとひねり出したと思ったらこの弱々しさだし、悲しくなってくる」

「トトリ……!」

「本気で私を殺そうとしてくれないかな。 これじゃ、子供の遊びにも劣るよ」

額に。何か貼られた。

悲鳴を上げながら、ミミはそれを剥がそうとするが。

時既に遅し。

完全にコントロールを乗っ取られる。

雄叫びを上げながら、トトリに襲いかかる。

ああ、嫌だ。

こんなのは、嫌だ。

トトリを罰する。

そんな事、本当にできる筈なんてない。例え何があっても、トトリはずっとずっと。私にとって、ただ一人の。

たった一人の。

拳が動く。

トトリに叩き込むけれど。

その時、トトリの表情から、笑顔が消えた。

本気の失望が、其処にあった。

「ミミちゃん。 理性をどうして取っ払わないの? 此処までお膳立てしているのに、まだ私を殺そうとはしてくれないんだね」

「う、うぐ、あああああ、う……!」

「駄目だよ、そんなことじゃ」

雄叫びを上げると。

ゼウスが、渾身の一撃を込めた拳をトトリに叩き込むけれど。

トトリは左手一本でそれを止めた。

地面にひびが入る。

彼方此方から、温泉が噴き出した。

それだけ、とんでも無い一撃だった、という事だ。

それにもかかわらず。

棒立ちで、腕一本で受けてみせるトトリ。

一体どれだけの、魔としか言いようが無い道具で、武装したというのか。

「シェリさんも、殺意が足りないよ」

「貴方を殺せる訳がない! 例え俺が死のうと、絶対に時間稼ぎをしてみせる!」

「アニーちゃんが死んだから?」

「察しの通りだ。 もう、無為に目の前で、大事な者を死なせるものか!」

地面に叩き付けられて。

意識が飛ぶミミ。

トトリは、一瞬だけ。

ゴミでも見るような目で、ミミを見た。

それだけで。

トトリがどれだけの鬱屈をため込んで。罪悪感の泥沼の中で生きていたのかが。ミミには理解できてしまう。

前から知っていても。

ミミにこんな目を向ける時点で。

トトリはもう、取り返しがつかない所に行っているのだ。

いや、まて。

本当に、本当にそうなのか。

だとしたらどうして。

ミミは、シェリは。ジーノは。まだ殺されていない。今のトトリが本気になったら、今頃全員首をもがれてしまっている。

トトリは、その言葉の通り。

自分を罰してくれることだけを期待していて。だからミミに強化まで施したのではないのか。

ゼウスの腹に、手を当てるトトリ。

飛び退こうとするゼウスだが。

トトリの方が早い。

というよりも。

また、時を止めて。背後に回り込んだようだった。

衝撃波が、ゼウスを吹っ飛ばし、結界に叩き付ける。周囲で結界を展開している悪魔族達が、恐怖の声を上げた。

「駄目だ、もたない!」

「お前達、思い出せ! トトリ殿が世界のために、どれだけ尽力してきたか! 今は錯乱しているだけだ! 今、トトリ殿を食い止めてこそ、本人のため! 報恩の意があるのなら、踏みとどまれ!」

バイラスが叫ぶ。

そうだ。

ミミは、まだ、終われない。

例え、このからだが壊れようとも。

トトリを止めなくてはならないのだ。

足を掴む。

トトリが、此方を見た。

「蹴り折られたい?」

「いいわよ、好きにすれば。 でもね、これを見ても、そう言えるかしら」

懐から取り出したのは、トトリ式のドナーストーン。

例えどれだけ桁外れの力があっても。

自爆覚悟で、至近距離からこれを喰らえば。何しろ作ったのはトトリ。そして使い方も熟知している。

「捕まえたっ!」

多分、死ぬだろう。

それを理解した上で。

ミミは、ドナーストーンを起爆した。

 

1、到着

 

閃光が爆裂する。

あれは、間違いなくドナーストーン。トトリ先生が使ったのか、それとも誰か他の人なのか。

ロロナさんは、機が熟すれば、すぐに来てくれるはず。

ギゼラさんは、もう少しで到着するはず。

現実が変わった事を見てくれれば。

トトリ先生の心に、つけいる隙だって生じる。その筈だ。

2319さんの背中から降りる。

そして、メルルは見る。

意識を失い。

そればかりか、黒焦げになって倒れているミミさん。岩に叩き付けられて、そのまま意識を失っているジーノさん。

必死に効かない魔術を展開し続けているシェリさん。

ゼウスさんさえボロボロ。

バイラスさんを一とする悪魔族精鋭部隊も、既に魔力が枯渇し始めている。

そんな状況で。

トトリ先生は、殆ど無傷。

平然と、あの恐ろしい笑顔を浮かべたまま、立ち尽くしていた。

「やっぱり、無理か」

その言葉は。

トトリ先生の口から放たれた。

メルルが歩み寄ると。

寂しそうに眉を下げる。

「トトリ先生……止めに来ました」

「そんなボロボロの体で?」

「あと少しだけ、時間をくれませんか」

「ロロナ先生を元に戻したって話? それとも、お母さんでも呼んでいるのかな」

その通りだ。

この人の心にくさびを打ち込む方法だ。

トトリ先生は、ずっと耐えてきた。

親友はいた。

だけれども、トトリ先生の哀しみは。同格の錬金術師にしか理解し得ないものだっただろう。

どうしても侵食してくる狂気。

肉体を半分以上ホムンクルスにしてしまった事による拒絶反応。それによる、精神の汚染。

今なら、メルルだって分かる。

この人は、メルルが抱えて来た狂気なんか比べものにならない地獄の沼の中で。ずっと一人、耐えてきたのだ。

「メルル……姫……」

ミミさん。

今の様子では、ドナーストーンは、ミミさんが使ったのか。

自爆同然に。

そして、それでも。

トトリ先生には、通じなかった。

駆け寄る。

トトリ先生は何もしない。

ゼウスが立ちふさがって、何があっても止めるという態勢を取ってくれているからだ。ケイナとライアス。2111さんと2319さん。セダンさんとザガルトスさんも、それに続いて、トトリ先生を包囲した。

既にミミさんに実力的にはかなり近くなっている六人だ。

だが、それでも。

今のトトリ先生には、正直及ぶ気がしない。

錬金術の道具類もそうだが。

今の先生は妄執によって、極限まで強化されている。己がどうなろうと構わずに、強くなり続けた結果だ。

思うにあの生首の群れも。

何か、それに関与しているのかも知れない。

今は、とにかく時間稼ぎだ。

ギゼラさんが来れば、国家軍事力級戦士が二人になる。単純な戦力で言っても、押さえ込める確率は上がる。

ミミさんを抱き起こし、口元に耳を寄せる。

すぐにミミさんは意図を察して。話をしてくれた。

「トトリは、罰を受けたがってる。 それも、世界で最も罪深い者だと、自分を評している。 その罪にふさわしい罰を、受けようと、している」

「分かりました。 後は何とかします」

「お願い……」

そうか。

そうだったのか。

トトリ先生が、世界を滅ぼしかねないことは分かっていた。

だけれども、それでようやく合点がいった。

トトリ先生が滅ぼしたいのは。

多分世界よりも、むしろ自分。

そして、自殺なんかでは無くて。

それこそ、極限の苦痛を永遠に味わうような死に方を、願っている、ということだ。

トトリ先生が、何をしたのか。

そんな罰を受ける必要なんてない。

でも、今の先生に、そんな言葉は通じない。言葉なんて、無力だ。分かっている。今まで、散々思い知らされた。

現実を変えるためには、ピースがまだ揃わない。

兎に角、時間を、稼がなければならないのだ。

「時間、止めるだけしか出来ないと思ってる?」

ぞくりとした。トトリ先生が、世にも恐ろしい事を言ったからだ。

まさか。

巻き戻すことも出来るのか。

いや、流石にそれは不可能だ。いくら何でも、そのような事が出来たら。錬金術どころか、神の領域だ。

ロロナちゃんでも無理だろう。

「ふふ、冗談。 幾ら何でも、時間を巻き戻すことまではできないよ」

「トトリ先生、一つだけ、聞かせてください」

「なあに」

「ミミさんを、こんな目に遭わせて、心穏やかですか?」

トトリ先生が、目を細める。

周囲を囲んでいた全員が、思わず跳び離れた。

メルルは敢えて逆鱗に触れる。

分かっている。

トトリ先生は、心がまだ残っている。厄介なことに、だからこそに、際限なく狂っているのだけれど。

「感情を抑えないとね」

「抑えなくても良い!」

シェリさんが、血を吐くような叫び。

メルルも同意だ。

だが、言葉では。トトリ先生には届かないのだ。

「貴方は罪人でもない! どうして貴方のような賢者が、己の感情が罪悪の根元だなどと言う妄執に囚われてしまったのか! 貴方は悪魔族の長老でも滅多にいないほどの賢者だと言うのに!」

「それが事実だからだよ」

「シェリさん……」

そう、事実なのだ。

感情に関する出来事は、所詮主観の世界の事。

トトリ先生にとっては。

感情を乱したことによって。何もかもが壊れたと言うことが、主観的事実なのだ。だから、言葉は逆効果。

あと少し。

時間を稼ぐ。

ミミさんに治療を施しながら、メルルは、トトリ先生を見据える。

もう少し、大人しくしていてくれ。

頼む。

だけれど、トトリ先生は。

嘆息すると、いつのまにか。

結界の外にいる。

忘れたように、結界が壊れる。

悪魔族達が、愕然として、外を見た。

時間を稼ぐどころか。

一瞬さえも、食い止められなかったというのか。

いや、違う。

時間を止めて、その間に喰い破ったのだ。

そうでなければ、族長級の悪魔族がいる包囲陣を、このようにして打ち破れる筈などないのだ。

「行かせるな!」

「邪魔するんだったら仕方が無いよね。 火口から、直接一なる五人を叩きに行くだけだよ」

「防げっ!」

シェリさんが叫ぶ。

そして、自身も。

トトリ先生を、包囲に掛かった。

だが、見る間に囲んだ者達が、叩き伏せられていく。

奇襲を仕掛けたセダンさんは、そのままくるりと投げられて、地面に激突。

背後から躍りかかったケイナは、柔らかくおなかに触られて。そのまま遙か遠くまで吹っ飛ばされ。

ザガルトスさんの双剣を、指で挟むように止め。

ライアスのバンカーに到っては。きゅっと握りこまれただけで、動かなくなった。

「デリケートな機械だね。 何度か動くのを見たけれど、もうそれだけで構造は完璧に把握したよ。 構造を把握すれば、対処は簡単」

「く、くそっ!」

「はいおしまい」

左右に、振り回され。

地面に叩き付けられるライアス。

2111さんが突き込む。

2319さんが、振りかぶる。

トトリ先生は、殆どその場所から動かず、軽く左右に手を広げる。たったそれだけ。それだけなのに。

もう達人級の実力を持つ二人が同時に、吹っ飛ばされて。

そして、ゼウスさんさえもが、膝を突く中。

トトリ先生は、息さえ乱していない。

これは、いくら何でも、異常だ。

何となく分かる。

この人は、今。

体内でエリキシル剤を、その能力で生成し続けているのではないのか。だから爆発的な力を発揮し、それを維持できている。

だがそれは。

自爆覚悟も同然。

体がその内崩壊してしまう。

幾ら今のトトリ先生でも無謀すぎる。

だけれども、もはや。

トトリ先生を止められるものは、いない。

いるけれど、後一手、足りない。

「だめだなあ。 また私、罰を受けられないよ」

天を仰ぐ。

トトリ先生は、本当に苦しみ続けて。そして、もはやその心には、誰も手が届かない。だから、あと少しだけ。

時間を稼がなければならない。

死屍累々の中。

メルルは、トトリ先生に立ちふさがる。

そして、人間破城槌の構えを取る。

「うふふ、効くと思ってる?」

「行きます」

「どうぞ」

トトリ先生は、敢えて無防備なまま、手を広げて見せる。

メルルは、残った力を総動員して。

人間破城槌の一撃を、叩き込んでいた。

見る間に、トトリ先生が迫ってくる。

そしてトトリ先生は。

気付く。

右手でメルルの一撃を受け止めた。

地盤が砕ける。

それだけの火力を押さえ込んでなお、棒立ちでいられるのだ。

更に、トトリ先生は、左手だけで。

飛来した、無数の火球を全て捌ききってみせる。

周囲の悪魔族が、メルルの指示で、一斉攻撃に出たのだ。メルルを巻き込むことは気にするなとも指示していた。

メルルにも、数発が着弾するが、関係無い。

トトリ先生は目を細めると、メルルに蹴りをうち込もうとするが。

その瞬間を、待っていた。

今までに無い強固な拘束魔術が、トトリ先生の体を掴む。

始めて、トトリ先生の顔に、焦りが浮かんだ。

「……っ!?」

「今です!」

悪魔族全員とシェリさんが、周囲からありったけの拘束魔術を掛ける。トトリ先生を、縛り上げに掛かる。

流石にこれはどうしようもない。

空から舞い降りてきた影。

アニーちゃんにそっくりだけれど。ディアエレメントさんにもよく似ている。

そう。

彼女こそが。

シェリさんが見届けた、悪魔族になったアニーちゃん。胸はある程度膨らんでいるけれど、生殖器はないし、性別も厳密には無い。

そして何より。

アニーちゃんの記憶も、無い。

ただし、ディアエレメントさんの計らいで。アニーちゃんに関する出来るだけの記録を埋め込まれ。

言葉は理解でき、意思疎通も可能な状態にまで仕上げて貰っている。

何より、悪魔族化したことで。

今や悪魔族の族長クラスと同等、或いはそれ以上の魔力も得ていた。

だが、アニーちゃんでは無い。

ダークエレメント、とでも呼ぶべきだろう。

「拘束完了。 更に強化」

「トトリ先生っ!」

メルルは叫ぶと、用意しておいた切り札を発動。

全力で能力を強化して、投げつける。

それは、普通のレヘルンだが。

今のメルルが、フルパワーで強化すれば。

一瞬で、巨大な岩山と見まごうばかりの氷の塊が、その場に出来。トトリ先生を、完全に閉じ込めていた。

「可能な限り外から徹底的に、封印を施せ!」

バイラスさんが吼える。

メルルは血を吐きながらも。

これで、どうにかなったと、安堵した。

ここに来る前。

アストリッドさんに聞いたのだ。

もし相手が時間を止める場合、どう対処すれば良いか。

その応えは、実にシンプルだった。

そもそも時間を止めるという行為に、強烈な負荷が掛かるという。多分そのためだけにトトリ先生はエリキシル剤を使っている。

更に難しい関門がある。

壁だ。

時間を止めてしまうと、周囲の空気そのものが、非常に強固な壁になる。だから、それを突破するのだけでさえ、相当な力が必要になる。

つまり、空気より強固なもので覆ってしまえば。

時間を止めて、突破などという事は、出来なくなるのだ。

トトリ先生は、凍らせたくらいでは死なない。

「今のうちに手当を!」

「応っ!」

悪魔族が動く。

倒れている皆に、治療を施し始める。

遠くでは戦闘音。

既に、アーランド軍は敵と戦っている。そして、此処では、戦力を消耗する訳にはいかないのだ。

メルルは、何度も吐血して。

そのたびに、体の中がおかしくなっている事に気付く。エリキシル剤の時と同じ。如何に成分を弱めているとしても。

同じものを大量に摂取すれば。

爆発的な力を出せても。

おかしくなるのは、当たり前だ。

トトリ先生は、氷漬けにされた状態でも、まだ余裕の姿勢を崩していない。まだ十人以上の悪魔族が、連続して封印を重ねがけし続けているにもかかわらず、である。何か、脱出の手立てがあるのか。

肩を叩かれた。

ダークエレメントだ。

アニーちゃんと同じ顔をしているけれど。背中にある黒い翼や。全裸だけれど、性別が無い事が分かる体。それに、手足の先が毛に覆われている事からも。別人だと言う事がわかるのだった。

何より。性格が決定的に違う。

「貴方も治療します。 メルル姫ですね」

「他の人を先に……」

「良いから、回復します。 問答している時間はありません」

回復の魔術が、メルルの身を包む。非常に強力な回復術で、ネクタルと同等かも知れない。

眉をひそめたダークエレメント。

「どうして此処までひどい状態になるまで戦って、なお戦おうとするのですか。 理解できません」

「そうだね。 みんなそう言うと思うよ」

「治療を続けます」

「……」

回復魔術では。この肉体を全快にまで持っていくことは出来ない。傷を治すことは出来るが、それだけだ。

人ではなくなった体を。

人には戻せない。

その拒絶反応は、止める事が出来ないのだ。

周囲では、救助が続いている。

ミミさんも、どうにか意識を取り戻したようだが。

まだ、ギゼラさんが到着していない。

である以上。

まったく油断は出来ない状況だ。

そして、その時は。

唐突に来た。

トトリ先生を封じていた氷壁が、真っ二つにされたのである。勿論、内側からの攻撃だ。

封印ごと、である。

氷の塊は。

既に溶け始めていた。

「何……! あれだけ重ね掛けした封印を!」

「空間ごと切り裂いただけだよ。 アーランドの国家軍事力級戦士にも、技として使いこなすことが出来る人がいるくらいなんだし、私に出来ても不思議じゃ無いよね?」

「ダークエレメント、少し離れていて」

「まだ治療が」

良いからと、少し乱暴に振り払う。

アニーちゃんの顔をした別人だ。情けないことだが、目を見て話して、理性を保てる自信が無い。

レヘルンで封じるのは、もう駄目だ。

トトリ先生は、既に逃げ腰になっている悪魔族達を一瞥。まだ戦う気力を残しているシェリさんにほほえみかけると。

メルルに背中を向けて、歩いて行こうとした。

その時だ。

「待ちな」

飛来する、何かとてつもなく巨大な鉄塊。

流石のトトリ先生も、回避。地面に突き刺さったその鉄塊が、家ほどもある剣だと悟って、メルルも気付く。

ようやく、間に合ったか。

少し遅れて着地したのは、非常に大柄な女性だった。長身の男性よりも更に背が高い。全身筋肉質で。家ほどもある剣を使いこなせるのも、納得の肉体をしていた。

見た目の特徴から明らかだ。

この人こそ。

トトリ先生の母上。

ギゼラ=ヘルモルト。

アーランドの国家軍事力級戦士にて。

西大陸での戦いを支えていた、最強の戦士の一人である。

「頑張ったね。 後は任せな」

メルルの頭に手を置くと(サイズが凄すぎて、頭を包みかねない手だった)、ギゼラさんは剣を無造作に引き抜く。

トトリ先生は、笑顔を崩さないまま。

そして、ギゼラさんが来たから、だろう。

少し遅れて、着地したその人は。

ロロナちゃん。

いや、表情からして、ロロナさんだった。

ここからが、本番だ。

時間はない。

この二人を前線から引き抜いてまで、トトリ先生を止めるべく、動いたのだ。前線では、訳が分からない強さの敵が、散々暴れ狂っている。残りの国家軍事力級戦士だけではない。アーランドの総力が、敵を押さえ込みに掛かっている状況。

もたついていたら。

一なる五人への路を確保するどころか。

この世界が滅ぶ。

しかも、力押しによってだ。

ギゼラさんは。

ゆっくりトトリ先生に歩み寄る。

その声は、巨体にふさわしい、低くて威圧感に満ちたものだった。

「トトリ、馬鹿な事を考えたもんだね。 あんたが優しい子だって事は、あたしにとっては誇りだったんだけどね」

「お母さん。 私はね」

「罰を受けたい、か。 錬金術師としてのあんたの功績を考えれば、罰なんて帳消しどころか、あの世まで飛んでいくと思うが、それはあんたが望む応えじゃ無いんだろう?」

「……」

笑顔は、すなわち肯定。

恐らくこれは、包囲していた悪魔族が、伝令に走って伝えたのだろう。或いは通信装置によるものか。

ミミさん達は、数刻もトトリ先生とやりあっていた。上手くすれば、伝達は出来たはずだ。

ロロナさんは、前に出ると。

何か、得体が知れない道具を取り出した。瓶に入れられた、どどめ色の液体。

分かる。

あれは、恐らく。

超一級の危険物だ。

此方も同じように情報を得て。加速の道具を使って、完成させたに違いない。理論的には、難しくないものだったのだろうか。

「もう寿命が事実上無いし、精神崩壊もしないトトリちゃんには、これも大丈夫だろうと思って、作っておいたよ。 使い路なんて、本当は無い方が良かったのだけれど」

「まさか、ロロナ先生、ですか」

「そうだよ」

ほろ苦い表情を浮かべるロロナさん。

空間に、罅が入ったかと思った。

トトリ先生の表情が、本当の意味で無になる。

アストリッドさんの時と同じだ。

トトリ先生の心に、本当の意味で、くさびが打ち込まれる。

トトリ先生をおかしくしていた現実が、変わった。

だから、こうして。言葉が届く状況になった。

言葉はどれだけ重ねても無駄。

今此処に。

ロロナちゃんの中で、自我を取り戻した。ロロナ先生が戻ってきている、という事に、意味があるのだ。

トトリ先生が立ち尽くしたまま、涙を流し始める。

周囲の皆が驚愕しているのが分かった。

首狩りの魔王。

そう呼んでいる者もいるほどの魔人と化していたトトリ先生だ。鉄壁だった心に罅が入ったとき。

本当の意味での人間の心が。戻ってきた。

それは魔人などでは無く。

トトリ先生が、狂気に濯がれて、完全に壊れてしまった「ヒト」だという事を示していた。

ロロナさんは、本当に苦しそうに。

だけれども、淡々と。

その超危険薬物の説明を続ける。

「体感時間の増幅薬だよ。 それに、痛覚を倍増させるお薬も混ぜてある。 倍率は原液で十万倍くらい」

「ロロナ先生……」

「もう良いんだよ、トトリちゃん。 それが精算になるのなら、地獄への路だって、私は用意するから。 行っておいで」

「馬鹿な子だね、本当に……私が側についていてやる。 だから、地獄へだか知らないが、安心して行ってきな。 帰りは待っているから」

ギゼラさんが、顎でしゃくる。

そして、トトリ先生は。

何の躊躇も無く。

自分に。それも一番痛みがひどいだろう場所に向けて、何カ所もナイフを降り下ろしていた。

鮮血が噴き出す。

メルルは思わず、口を手で押さえていた。

この後トトリ先生が、あの薬。体感時間と痛覚を極限まで増幅する薬を飲むのは止められない。それは神話の時代の地獄を、その場で何の寸分の狂いも無く、体験すると言う事を意味している。

トトリ先生は、地獄行きを躊躇無く選ぶ。

そして、今。

あの人がそうすることを、止めることは。世界の誰にだって、許されないのだ。

「ロロナ先生。 感情を完全に消すお薬はありませんか。 もう、二度と過ちを、繰り返さないために」

「それは駄目。 もしも地獄から戻ってこられたら。 その時は、私や師匠と一緒に、狂気とつきあって行く方法を考えよう?」

「誰にだって、つきあって行かなければならない負の側面くらいあるからね。 あたしも側で支えてやるから安心しな」

ミミさんが、飛び出す。

そして、何か言おうとしたけれど。

トトリ先生は一言だけ呟くと。

ロロナさんが用意したお薬を。一息に、飲み干したのだった。

そしてその場で倒れる。

地獄は、どういう所なのだろう。

メルルには分からないけれど。トトリ先生が満足できる罰が。今、確実に用意されて。そして執行されたことだけは、よく分かった。

それが、よその人間からどう見えるかはどうでもいい。

トトリ先生は。

これで、自分に対して。

満足する行動に出ることが出来た。やっと、だ。

ロロナさんは、顔を上げると。もう何も言わなかった。あの薬、恐らくはメルルがトトリ先生の状態を話した後。トトリ先生の狂気の正体を、幾つか予想して。中間生成物を調合していたのだろう。だからこそ、迅速に調合できた。如何に加速を使用したとしても、である。

当代の旅の人だ。それくらいのことは出来ても不思議では無い。

それに、今のロロナさんは。

いや、止めておく。

此処からは。

戦いに勝つことだけを、考えなければならなかった。

 

2、火山の戦い

 

ヴェルス山は、アールズ北西部にある休火山。休火山と言っても、数百年の間隔で定期的に噴火しており、麓には温泉も湧いている。温泉の質は悪くは無いのだけれど、何しろアールズの民には、何度かの噴火における惨禍が伝承として受け継がれており、近寄りたがる者はいない。

現在、総力戦が開始されたこの山の中腹へ。

メルルは、酷く痛む全身を引きずりながら、到着した。

トトリ先生の事は、ギゼラさんに任せた。

恐らく、常人なら一瞬で発狂するような痛みを、それこそ体感時間で数十年以上は味わう事になるだろうに。

それでも、トトリ先生は。

穏やかな顔で、倒れていた。

ミミさんも、トトリ先生の手を握ったまま、その場で離れないと言った。自分は、トトリを此処まで追い詰めたのに、どうにも出来なかったから。ミミさんが語った言葉。それが理由であるらしい。

貴重な戦力を失うのは痛いけれど。

今は。

世界の滅亡を回避するために。

フラクタル氷爆弾を発動させるべく、動かなければならなかった。

ロロナさんは、既にロロナちゃんに戻り。ゼウスさんと一緒に最前線に。見たところ、力はまるで衰えていない。

ただ、戦い方が。若干優しくなったかも知れない。

敵の前衛と味方は、ガチンコの激しい勝負を繰り広げている。最前線にはステルクさんが立っているのだけれど。

まるで敵に遅れを取っていない。

同格の相手が複数でも、確実に凌ぎながら、削っていく。

その有様は、正に不動の守護神だ。

ジオ王も戦っている。

アストリッドさんも、既に拘束は外されていた。若干不安ではあるけれど。2999さんの前で誓わされたらしい。

この戦いで、裏切る事はしないと。

卑怯だと本人は憤慨していたが。

しかし、アストリッドさんは、これで裏切れなくなった。それでいい。卑怯で勝てるのなら、卑怯になるべきだ。

ましてや世界が滅ぶのを回避できるのなら。

メルルは悪鬼にでも邪神にでもなろう。

ダークエレメントが回復術をずっと掛けてくれている。というよりも、悪魔族になった事で、多分リミッターが外れたのだ。体を変化させる過程でディアエレメントさんが魔術をすり込んだらしいのだけれど。その中には、広域回復魔術もある。

今、ダークエレメントの周囲は、そういうわけで。

臨時の医療施設と化していた。

前線から戻ってきた人達が、医療魔術師に治療を受けているのだけれど。この回復フィールドが極めて強力で。皆が活用しているのだ。

メルルの傷も回復してきてはいる。

だが、傷が回復しても。

人間では無くなる事を、回復は出来ない。

自明の理だ。

メルルはもう恐らく。この戦いが終わった頃には、完全に人間では無くなっている事だろう。

ケイナには謝る言葉も無い。

だが、人間ではなくなったとしても。

心まで、人間である事を、放棄するつもりはない。

「さて、そろそろ行くわよ」

「らじゃ!」

少し戻って回復していたクーデリアさんが腰を上げる。ロロナちゃんが、嬉しそうに応じた。

ロロナさんは、今日はもう出てこられないだろう。

無言でゼウスさんが二人に従い、攻勢に出る。

前線を少しずつ、押し戻し始める。

各国の戦士達も。アールズの兵士達も。皆、勇敢な戦いぶりを見せていて。そして、作戦に向け、着実に動いていた。

目指すは火口。其処で、フラクタル氷爆弾を炸裂させるのである。

だが、前線は押し込み始めているとは言え、今だ強固。

メルル達が動くには、まだ前線が少しばかり足りない。しかももたついていると、一なる五人が何をしでかすか、知れたものではない。

敵には最低でも六体の国家軍事力級がいて。

それに近い敵が十二体。

雑兵の数も多い。

今までの洗脳モンスターでは無くて。

どうやら、一なる五人の分身か何からしい。意識からして存在せず、おぞましいまでにただ強い。

前線から戻ってきた戦士達も、疲弊が目立った。

メルルは、まだ動けない。

この脆いフラクタル氷爆弾は。

達人の攻撃の余波だけで、分解してしまうだろう。

皆にも、作戦は伝えてある。

火山を丸ごと凍らせると聞いて。

流石に唖然とする者も多かった。

ジーノさんは、作戦に参加してくれると言うけれど。

今の時点では、前線に行っている。

トトリ先生の事があったからか。

普段とは違って、陽気な様子は見られず。

ひたすら寡黙で。

ただ、戦闘だけに集中している様子だった。

ダークエレメントは、周囲の空気に気付いているのだろう。会話をすることは、何ら問題は無い。

それに、彼女には、何も責任が無い。

最初にダークエレメントに話しかけたのは。

セダンさんだった。

「ええと、ダークエレメントちゃんって呼べば良いかな」

「はい。 お好きにお呼びください」

「何だか調子狂うよ。 アニーちゃんの声で顔で、まったく性格違うんだもん」

ずばり正面から踏み抜きに行く。

流石にケイナが顔を上げたくらいである。今日ずっと膝を抱えて座り込んでいたのに、である。

「アニーちゃんの事は、記憶にあるんだっけ?」

「正確には、知識として与えられています。 勇敢に病魔と闘って、多くの人を救ったと聞いています」

「……そうだよ。 戦ったら死ぬって分かってたのに。 そういうことをするのは、私達みたいな戦士だけで良いのに」

セダンさんの言葉で。

皆が、また視線をそらす。

ダークエレメントも、言葉が無いようだった。

戦場では、誰かが死ぬのは、日常茶飯事だ。

2999さんのようなケースは、本当に希。死者が何かしらの形で戻ってくるような事は、まずあり得ないとも聞いている。

2999さんの場合は、自分とまったく同じからだがあったから、起きた奇蹟だったのだろう。

そしてダークエレメントの場合は。

厳密には、蘇りでさえなく。

既存の肉を使って。新しい命を作っただけだ。

同じ顔でも、別人なのである。

「メルル姫、そろそろ前線に出られるのでは無いのか」

「……そうですね」

ザガルトスさんが、助け船を出してくれた。

無言で皆が立ち上がったのは。

きっとこの空気に耐えられなかったからだろう。

装備を確認。

ずっと黙っているケイナに、ライアスが声を掛けていたけれど。そっぽを向かれていた。もうケイナは気付いているのだろう。

メルルが、既に。

取り返しがつかない状態になっている事に。

 

クーデリアは跳ぶ。

そして、眼前にいる巨大な百足の頭に、クロスノヴァを叩き込んで爆砕。その爆発を突き抜けて躍り出たロロナが。空中でセンに掴まると。

真下に向けて、砲撃一発。

敵集団を、根こそぎ吹き飛ばした。

だが、敵は火山の彼方此方にある穴から、次々湧き出してくる。殲滅しても殲滅してもきりが無い。

強めの相手は、ジオ王とエスティ、それにステルクにまかせて。

クーデリアはロロナと一緒に、雑魚の掃討に注力していたが。これは、正直な話、雑魚の掃討でも厳しい。

ドラゴンまで姿を見せる。

以前も戦場に、改造されたドラゴンが姿を見せたことがあったし。別にもはや驚くことは無いが。

一なる五人は、今回本気だ。

全力で、此方を防ぎに掛かっている。

それが故に分かるのだ。

敵も必死になっていると。

着地。

襲いかかってくる敵を、拳数十発を瞬時に叩き込んで吹っ飛ばしながら、ロロナに呼びかける。

隣に降り立ったロロナに、顎をしゃくった。

火口までの経路を確保しなければならない。

恐らくそろそろ、メルル姫達が動くはずだ。

敵はまだ、フラクタル氷爆弾に気付いていない。

メルル姫を火口に行くまで守り抜き。

そして、火口での作業を終わるまで、護衛しきれば。

一なる五人への路を作れる。

それには、突破が必要。

メルル姫の負担が酷い事はわかりきっているが。

それでも今は。やるしかない。

そしてメルル姫は、ロロナを短時間でも、現実に戻れるようにしてくれた。その恩くらいは、返さなければならない。

「突破するわよ」

「おっけえ!」

前に出る。

防ごうと飛び出してくる敵を、片端から打ち抜く。

敵の質は高いけれど。

それでも、ステルクやジオ王と交戦して、かなり弱っている状況だ。無理矢理に引きちぎりながら驀進。

ロロナの砲撃で、敵の防御陣地を粉砕し。

活性化しつつある火山を、押し通っていく。

殆どついてくる奴はいない。

前線で戦うのが精一杯なのだ。

躍り出てきたのは、八本腕の魔人。戦闘タイプのホムンクルスだろう。クーデリアの射撃を、片っ端から防いで見せるが、顔面に膝蹴り。更に顔を掴んで、中空で旋回、後頭部に膝を叩き込む。

そして背中に、射撃をぶち込んで黙らせると。

その隙に四方八方から踊り込んできた敵の群れを、回転しながら、連射して、黙らせる。

だが、死に損なった奴が、剣を槍を繰り出してきて。

体は少なからず傷つく。

返す刀で敵を粉砕しながら、クーデリアは舌打ち。

強い。

今までの戦場の、何処にいた敵よりも。

消耗が見る間にひどくなる。

「ロロナ!」

叫んだのは、砲撃態勢に入ったロロナの後ろに、回り込んだ奴がいるからだ。速度に特化した奴だろう。

クーデリアが射撃。

重力弾を叩き込むが、一瞬遅れる。

ロロナが神速自在帯を使って逃れたが、

派手に脇を切り裂かれていた。

重力弾の乱射で、滅茶苦茶に押し潰したときは。

ロロナは後退に入っていた。舌打ちすると、クーデリアも下がりはじめる。まだ、火口への突破は出来ていない。

まずい。

敵は更に増援を投入してくる模様だ。

このままだと、突破どころではなくなる。ロロナとクーデリアのコンビでも、突破出来ない前線だ。

メルル姫に、突破など出来るはずもない。

その時。

空から、炎の石が降り注いだ。

火山の側面を直撃。

無数の敵が吹き飛ぶ。

いや、あれは隕石では無い。

対空爆雷であるメテオールの改良版だろう。

一端中空に留まった後、火力の全てを、隕石のように降り注がせる。普通は横と上に拡がる爆発の威力を、ピンポイントで制御して敵に叩き付ける。それも、かなりの長時間、継続して。

見る間に面制圧が行われていく。

凄い。

悔しいけれど、アレをやったのが誰かはわかりきっている。アストリッドだ。錬金術師としても、世界最高レベルの存在である事は知っているが。それでも本気で味方になって動いてくれると、こうも頼もしいか。

更に、である。

火山の一部が、崩落。

敵の群れが、溶岩に飲まれていった。

あっちは重力操作。アストリッドが用いている固有能力による攻撃だろう。

手綱さえ取れれば。

こうも彼奴は強い。

悔しいけれど、まだクーデリアでは及ばない。

だが、敵がこれで崩れた。

ハンドサインを出す。

「ロロナ、治療しなさい!」

勿論、ロロナ自身の負傷を回復するように、という意味だ。

それだけで通じる。

例えヒトの外に精神が行ってしまっても。ロロナとクーデリアは、それこそ人生を共有した半身。

これくらいの連携は朝飯前。

今クーデリアがやる事は、前線の維持。

そして、ロロナが戻り次第、押し込むことだ。

大きく息を吐くと。

クーデリアは、自分も本気を出すことに決める。

一なる五人を屠るのは、他の戦士でも大丈夫だ。そして、今は。敵の中央を突破し、火口への路を。

誰かが、無理をしてでも。

確保しなければいけないのである。

ロロナが、砲撃。

クーデリアの側を、灼熱の光が通り過ぎていく。溶岩の路を作りながら、火口へと驀進していく。

クーデリアも突撃。

四方八方に群れる敵を、片端から打ち抜く。

敵の反撃も凄まじい。

今の全力状態のクーデリアに対して、雑兵でさえ攻撃をねじ込んでくる。矢が突き刺さり、魔術が至近で爆裂する。

雷光が直撃し。

爆発に突っ込む。

見る間に血だらけになるが、まだまだ。

拳で敵の頭を拉げさせ。

蹴りで地平の果てまで吹き飛ばし。

クロスノヴァで、殺到する敵を蹴散らし。

火焔弾と重力弾をばらまいて周囲を地獄に変えながら、クーデリアは走る。消耗が、見る間に増していく。

飲み干したのは、ネクタル。

かなり濃く作ってあるが。

それでも消耗を回復しきれない。

それほどダメージがひどい。

だが、行く。

ロロナが救われた。

その希望が、体を動かしてくれる。

まだ、クーデリアに。力をくれるのだ。

万の言葉も意味を成さない狂気の壁を、メルル姫は力によってぶち抜いてくれた。クーデリアには出来ない事だった。2999との協力態勢をこぎ着け。アストリッドを元に戻さなければ、到底たどり着けないことだった。

そしてメルル姫は、トトリさえも救った。

ならば今は。

世界を救えるかも知れない一筋の希望を。

クーデリアが補強する。

例え、この命を散らそうとも。

ロロナが追いついてきた。

味方のホムンクルス部隊も善戦している。かなり前線が押し上がって来た。敵は火山の中にもいるだろうし、何より一なる五人と。その側には、相当に強力な護衛がいる筈だ。だが、クーデリアは下がらない。

血を吐く。

短時間で消耗しすぎたか。

だが、幼い頃から、ヒトならぬ身だ。

そして、その人ならぬ身を。

徹底的に鍛え上げて。極限まで力を絞り出せるように調整してある。

負けるものか。

下がるものか。

雄叫びを上げると。

火口に立ちふさがっている、巨大な人影へ、クーデリアは突貫。その隣に、ロロナが並んだ。

分かる。

神としてのロロナでは無く。

ヒトとしてのロロナだ。

「行こう、くーちゃん」

「ええ。 私達が世界最強のコンビだって、見せつけてやりましょう」

「うん!」

火口に立ちふさがる巨大な人影が、凄まじい数の魔術を同時展開する。三十、いや四十を超えているだろう。

人影はもう、形状だけしか人間では無い。体中に無数の顔があり、手足にも多数の目があった。

神の名を冠するホムンクルスだろう。

降り注ぐ無数の魔術。

瞬く間に地獄になる周囲だが。

残念ながら、相手が悪い。今のクーデリアは負ける気がしない。

雄叫びを上げると、クロスノヴァで、飛来する巨石を迎撃、粉砕。敵の直衛を、多数の傷を受けながらも撃砕しつつ、突貫した。

無数の槍が繰り出されてくる。

敢えて避けず、それを片端から迎撃。

体に突き刺さる槍。抜かない。更に迎撃。刺さる。刺さる。刺さる。刺さる。見る間に、矢が槍が、全身に突き刺さっていく。急所だけは避ける。動ければそれだけで良い。クーデリアは、笑みを浮かべていた。

敵の頭上に、ロロナが回り込む。

そして、渾身の砲撃を叩き込んだ。

悲鳴を上げる巨人。

クーデリアは、突進。

全身に突き刺さった無数の槍など無視。

二十六回のクロスノヴァを発動。巨神に向けて、叩き付ける。ロロナも、センに支えられながら、砲撃を連射。

敵を、火力の雨の中に、鎮めていった。

着地。

敵は、存在しない。

周囲から一掃されていた。

だが、その代償も大きい。

体に突き刺さった槍を引き抜きながら、クーデリアは見る。ロロナも全身血だるまになっている。

立ち往生も悪くないか。

だが、ロロナが戻ってきたのだ。

まだ、死ねない。

エスティが来るのが見えた。前線を無理に突破したことで、ついに前線が火口とつながったのだ。

「敵を可能な限り近づかせるな!」

エスティが叫び、どっと配下がなだれ込んでくる。

エスティも必ずしも万全とは言えない状態だが、これで行けるはずだ。ゼウスも来る。そして雷撃で、周囲の敵を薙ぎ払い始めた。

勿論敵も黙っていないが。

それこそ、体を張って、エスティが防ぐ。

前線は一瞬ごとに形を変え。

そして、クーデリアは座ると。本格的な治療を、黙々と始めた。

 

3、突破戦

 

火山は怒り狂っているようだった。

全体から炎を噴き上げ、上で暴れている愚か者達を地震で振り落とそうとしているようにさえ見えた。

だが、我慢して貰う。

世界が滅びてしまう。

それだけは避けなければならないからだ。

狼煙が上がる。

火口制圧完了の合図だ。

思ったより早かった。

火口付近での閃光を見る限り、クーデリアさんが突破口を無理矢理ねじ開けたのだろう。それは直接見ずとも、大体想像は出来た。

そして火口付近では。いや全前線では、まだ死闘が続いている。

これ以上、味方の損害を増やすわけにはいかない。

勝ちに行く。

「シェリさんは、フラクタル氷爆弾を死守! 残り全員で突破口を開きます!」

「応っ!」

「私も行きます」

ダークエレメントが挙手するけれど、メルルは首を横に振る。

駄目だ。

彼女とは、連携が上手く行くはずが無い。

皆が負い目を抱えてしまっているし。

何よりも、生まれたばかりの精神だ。凄惨な戦場で、十全な力を発揮することは出来ないだろう。

更に言えば、此処で回復フィールドを展開していることが、味方に大きな助けになっている。

難民達のキャンプも騒然としているが。

一部の難民は。

医療活動を手伝うことを申し出ていた。主に西大陸で医師をしていた者や、その関係者達。

そしてその中には。

以前文化の壁を痛感させられたリリハルスさんもいる。

彼女は、必死に此方の文化に馴染もうとしてくれている。そして、西大陸の民との橋渡しをしようと必死になってくれている。

今も、彼女は。

すぐ側で、神域の戦いが繰り広げられているにも関わらず。

必死の医療活動を続けてくれていた。

「彼女たちを守ってください。 お願いします」

「分かりました。 しかし、其方の守りは充分ですか?」

「任せておけ。 お前の分も、俺が働くだけだ」

シェリさんがうそぶく。

トトリ先生との戦いで受けたダメージは、既に回復している。

今ならば。

通常時と同じく、戦える筈だ。

皆はそれで良い。

問題はメルルである。

体がふわついている。そして体温が下がらない。人間だったら、触ったら火傷するくらいの熱が、常時発せられている。

これは恐らく、人ではなくなりつつある体の、拒絶反応。

トトリ先生も体の殆どを改造しているようだったけれど。

この戦いが終わる頃には。

メルルは完全に人ではなくなる。ヒトとしての要素は、少なくとも肉体面からは消滅するだろう。

急激に強くなったツケだ。

メリキシル剤は、体の負担が小さくなるように、調整したものだけれど。

此処からの戦いでは、そればかり使ってもいられない。

荷車を一瞥。

原液に近いエリキシル剤も乗せられている。

アレを使うしか無いだろう。

そしてアレを使ったとき。

もう戻る事は、絶対に不可能になる。

それでも構わない。

メルルは王族である。

人々を導くのが仕事で。そしてその責任がある。今まで、多くのものを人々に貰ってきた。

豊かな生活も、チャンスも。

親友達も。

民が愚かなら、導く。

それが、メルルの責任であり。

世界を守れるというのなら。

人としての体なんて、それこそもはやどうでも良かった。

心まで、魂まで、人を捨てたわけでは無い。

それで良いと、メルルは考えている。

全員の準備が整う。

メルルは、新しい戦槍杖を振りかざすと。太陽の光のようなその刃を振るい下ろした。

「突撃開始!」

わっと声を上げると。

全員が、荷車を中心に、突貫を開始した。

普段だったら、先頭に立つのはミミさんだけれど。彼女は今、トトリ先生の側についている。

殺しても動かないだろう。

だから、その分は。

メルルが働く。

突撃。

人間破城槌を、最初から全力でぶっ放す。

敵は相当に質が高い。

今までメルルが見たどの敵軍よりも強い。少し前までのメルルの人間破城鎚だったら、止められてしまっただろう。

だが、それも今なら。

ましてや、メリキシル剤でブーストアップしている状況だ。

「おああああああああああっ!」

雄叫びを上げながら、躍りかかり。

敵を粉砕し、ミンチにしながら押し通る。防ごうと防御魔術を展開しようとするものもいるが。

それさえ、真っ向からぶち抜いていく。

蹴散らし、叩き潰す。

勿論反撃も凄まじい。

だけれど、その度にケイナがライアスが出て、防ぐ。2111さんが、的確に警告を跳ばしてきて。ザガルトスさんが躍りかかると、魔術を展開しようとした敵の首を、一瞬早く刎ね飛ばす。

セダンさんが、気配を完全に消して。

魔術を放とうとした敵の頭を、真後ろからメイスで粉砕した。

血と内臓がぶちまけられる中。

メルルは吼えながら、一つの殺戮兵器と化して。ハンドミキサーで敵を粉々にしていくがごとく、暴威を振るって突き進む。

いきなり足を止めると、向きを変えて。

横に逃れようとしていた敵を蹴散らし。また進路に戻る。その過程で、少なからず矢を受け、槍を受ける。

だが、全身が熱い。

もう、痛覚が無い。

メルルの体は、事実上人としては死んでいる。

内臓も動いている感触が無いし。

恐らくは、もう人間としての仕組みでは無くて。別の存在の仕組みとして動いていると見るべきだ。

叫ぶ。

そして、真正面から。巨大なベヒモスを、真っ二つに斬り下げた。

大量の血を浴びて、真っ赤になったまま、メルルは走る。

ライアスが吼え、周囲の敵を可能な限り引きつけてくれる。

ケイナが奇襲を繰り返し。めぼしい敵を次々に潰してくれる。

背後に回った敵は、ジーノさんがまったく寄せ付けない。

国家軍事力級の敵に当たってしまえばアウトだが。

そいつらは、ステルクさんやジオ王が、引きつけてくれている。此方に手を回す余裕など、ない。

地面を突き破って、無数の蛇が姿を見せる。

それぞれが、丸太どころか、巨木のようなサイズだ。

何となく悟る。

これら全てが、同じ生物だと。

同時に襲いかかってくる蛇の群れ。

メルルは躊躇無く。

フルパワーで、道具の威力を強化。

そして、投げ上げた。

「シェリさん!」

「応っ!」

全力で防御術を展開するシェリさん。

そして、対空爆雷、メテオールが炸裂した。

蛇の頭が、まとめて薙ぎ払われる。

今のメルルが極限まで火力を強化すればこの通りだ。しかし、蛇の怪物は、頭を瞬時に再生させる。

そう簡単には行かないか。

ジーノさんが、行くように促す。

あれは引き受けるというのだろう。

剣に魔力を纏わせると、再生した首を、一刀両断に斬り伏せるジーノさん。メルルは頷くと、後を任せて、走る。

メリキシル剤を飲み干して、瓶を荷車の中に捨てた。

まだだ。

意識が先ほどから、少しずつ曖昧になっているけれど。まだ、人のままでいなければならない。

フラクタル氷爆弾を使う際の余力だって、残しておかなければ。

トトリ先生の一件が片付いてから、既に四刻。

もう、どれだけ時間が残っているのかも、分からないのだから。

味方が必死にネジ開けてくれている路を、驀進。

途中を防ぐ敵を蹴散らす。味方の支援にもなる。味方は、前線を維持できているとは言い難い。

それほど、今回沸いて出ている敵は強いのだ。

セダンさんが、真横から跳んできた、丸太のようなサイズの矢の直撃を受けて、吹っ飛ばされる。

だけれど、それは残像。

矢を放ったのは、上半身が異常に巨大化したホムンクルスだが。

即座にケイナが後ろに回ると。

鞄で頭を叩き潰した。

しかし、かわしたと言っても、セダンさんは肩で息をついている。

シェリさんの防御魔術も。

ひっきりなしに飛んでくる攻撃魔術で。もう長くは保たない事が明白だ。

メルルは、覚悟を決める。

少しばかり早いが、エリキシル剤を入れるか。今のメルルがエリキシル剤を飲み干せば、国家軍事力級戦士並の実力をえられるはずだ。

代償は大きいが。

此処を突破出来るなら。

不意に、目の前を。

閃光が打ち抜く。

火口からだ。

ロロナちゃんの支援砲撃である。前を塞いでいた強力な敵が、根こそぎ消し飛ぶ。そうか、もう此処まで来ていたのか。

ハンドサイン。

一丸となって、突撃。

全員が、叫ぶ。

そして、目の前に残った敵を蹴散らす。

敵の群れが、一斉に矢を放ってくる。ライアスが多数の矢を受けながらも、突入。弓隊を蹴散らし、叩き潰していく。

ザガルトスさんも限界が近いのが見えた。

荷車の速度が落ちる。

2319さんが。必死に押してくれているが。

その彼女も、頭から血を流し。肩には、小型の投擲斧が突き刺さったままだ。

無理か。

火口でも、死闘が続いている。

これでは、突破出来ない。

口惜しい。

ここまで来て、駄目だなんて。

2111さんが飛び出す。

そして、2319さんと並んで、荷車を一気に押し始めた。敵がまだ前にいるのに。無理矢理突破する態勢だ。

そうか。

ならば、メルルもやらなければならないだろう。

態勢を低くすると。

戦槍杖の力を、フルパワーで引き出す。

「死にたくなければ、私の前からどきなさい!」

突入。

体が、浮くかのようだった。

突撃の破壊力が、自分でも驚くほどである。敵どころか、地面まで蹴散らしながら、メルルは突撃する。

いや、蹴散らしているのは。

恐らく空気さえもだ。

矢も槍も飛来するが、それらも全て、突撃の衝撃波で弾いてしまう。

叫びながら。

立ちふさがろうとした巨大な敵を、一瞬で大穴を開けて突破。倒れるそいつには目もくれず、ついに火口に到達した。

全身が熱いのは最初からだが。

既に煙が上がり始めている。

呼吸を整える。

不思議だ。

煙が上がるほど体を酷使しているのに。何故か、動けなくなる、と言うことが無い。

荷車が追いついてくる。

ひどく負傷しているクーデリアさんが、メルルを見て絶句。だけれども、すぐに頭を切り換えたようだった。

「すぐに作戦通りに!」

「はいっ!」

GOGOGO。叫ぶと、荷車と一緒に、皆を集める。

火口は、それこそ火神が今にも怒りを爆発させんばかりに、煮えたぎった溶岩が溢れようとしていた。

シェリさんが、魔術をぶっ放し。

その一部を、無理矢理氷結させる。

それでも凄まじい熱だ。

メルルも幾つかのレヘルンを投擲するが、そう長くはもたない。

フラクタル氷爆弾を、荷車から降ろす。

周囲の敵は、ライアスとケイナ。セダンさんとザガルトスさん。それに先に来ているハイランカー達と、クーデリアさんとロロナちゃんに任せる。国家軍事力級も含めて、凄まじい実力の敵がわらわらと溢れてきているようだが。クーデリアさんとロロナちゃんは、それを相手に一歩も引いていない。だが、いつ流れ弾が飛んできても不思議では無いだろう。

時間は、ない。

「チェック開始!」

フラクタル氷爆弾のチェックを行う。

一つずつ、問題ない事を確認していく。三十に渡るチェック項目があるが。それは、この兵器が、それだけ凶悪な性能を秘めているからだ。凶悪兵器ほど、運用には繊細を期するものなのである。

2111さんとメルルでチェックする間に。

2319さんが、メルルの体に突き刺さったまま残っている槍や矢を、手早く抜き去ってくれていた。

その際も、痛みは無い。

無いのだ。痛みが。

シェリさんが、必死に防御術を展開。流れ弾を弾く。

メルルは、視界の隅で。ライアスが、巨大なハンマーの直撃を受けて、吹っ飛ばされるのを見た。

セダンさんが地面に倒れたまま動けないでいる。

ザガルトスさんが、血だるまになったまま、必死に格上の敵と渡り合っている。それでも、戦況は好転しない。

「第27項目、エラー!」

悲痛な声が上がった。

メルルがチェックすると、確かに駄目だ。激しい戦いの中、ゼッテルの一枚が破損してしまったのだ。

即座に替えのゼッテルを取り出すと、魔法陣を描き始める。

あまり時間がないが。

やるしかない。

手は凄く速く動くが。

正確性は、どうしても若干劣る。

至近。

皆の守りを突破した、巨大なダツの様な、空飛ぶ魚が、迫っているのが見えた。避けている暇は無い。

ダツが、三枚に下ろされ。

瞬時に頭から尻尾まで、十六に分割されて、地面に散らばる。

エスティさんだ。

彼女も傷だらけだが。

にこりとほほえむと、また乱戦に戻っていった。

魔法陣を書き上げる。

そして、部品を交換。

更にチェック。

第二十九チェックでも異常確認。一部が緩んでしまっている。これは恐らく、熱を防ぐ魔術さえ、今の火山の熱を遮断しきれなかったのが原因だろう。樹氷石にダメージが行っているのだ。

これは交換できない。

「シェリさん、応急処置を!」

「応っ!」

飛び込んできたシェリさんが、氷結の魔術で、メルルと一緒に応急処置を開始。その間、2111さんと2319さんが、体を張って流れ弾を防ぐ。シェリさんが、全身から冷や汗を流しているのが見えた。

メルルは体から煙を上げながらも、ハンマーを振るう。

力加減を間違えられない、繊細な作業だ。

「よし、クリア!」

「最後の項目……」

2111さんが、倒れている。

腹に、バリスタのものらしい巨大な矢を受けて、地面で動けないでいた。まずい。彼女がいないと、項目をチェックできない。

飛ばすか。

いや、それは無理だ。

シェリさんが、顔を上げる。

「項目内容を! 俺がやる!」

頷くと、頼む。

そして、二人で、最終チェックを行う。

小さく息を呑む。

今までで一番大きな傷があった。

今までの戦いが。

そして火山を駆け上がってくることが。

これだけ、この精密な爆弾に、ダメージを与えていたのだ。

即座に修復に入る。

2319さんが、一人で必死に流れ弾を防いでくれている状況だ。時間はもう掛けられない。

一部を切開さえして、調整を実施。

煙と同時に、嫌な臭いの霧も上がっている。汗が出る度に、その端から蒸発しているという事だ。

煙が、赤黒くなりはじめている。

血液が沸騰している、という事だろう。

もう完全に人間では無いな。

メルルは、自嘲していた。

「よし、内側には問題なし!」

「ガワの修正を開始!」

「応っ!」

予備の樹氷石を、その場で加工。

すぐに貼り付けて、魔術で定着させる。

全て、クリア。

シェリさんが、顔を上げる。そして、言う。

「生きて帰るぞ。 全員で!」

「分かっています!」

火口に作った氷の橋は、もう崩壊寸前だ。メルルは、後ろを守ってくれている2319さんと。

乱戦の中敵を潰して廻ってくれている皆を信じて。

フラクタル氷爆弾を抱えて走る。

設置地点に到達。

煮えたぎるマグマの上で。メルルは、全ての力を、フラクタル氷爆弾へと、注ぎ込んでいく。

シェリさんが、呻く。

防御魔術を貫通され、矢を喰らったのだ。

だが、歴戦の悪魔は、それでも屈せず、守りを固め続けてくれている。メルルはその苦心を、無駄には出来ない。

フルパワーだ。

そして、フラクタル氷爆弾の潜在力を、限界を超えて引き出す。

火口に、投下。

同時に、氷の橋が崩壊した。

 

ケイナは、そのあまりにも凄まじい光景を見た。

ヴェルス山の火口から、白い光が迸ったかと思うと。

火山の内側から噴き出すようにして、凄まじい氷が、山全体を内側から吹き飛ばしたのである。

そうとしか言いようが無い光景だった。

溶岩なんて、もはや笑いぐさでしかない。

其処にあったのは。

完全に凍結した山。

火口は、さながら剣山のように、氷が突きだしていた。

敵が明らかに、動きを鈍らせる。

間違いない。

一なる五人の操作が、通らなくなったと見て良い。

火口から飛び出してくる人影。

メルルを背負ったシェリさんだ。

着地したシェリさんは、血だるまになっていたが。此方を見て、にやりと笑う。すでに戦いは、殲滅戦に移行していた。

力を失った敵を、片端から処理していく中。

シェリさんは、メルルを降ろす。

呻いたケイナは。涙が零れそうになった。

全身は赤黒く染まり。

煙が上がっている。

前にセトと戦った時より、更にひどい状況だ。さっきも煙が上がっていたが、此処まで凄まじくなかった。

あのフラクタル氷爆弾の奇蹟を見た時、悟った。メルルはあんなものをフルパワーで発動して、無事で済む筈が無いと。

その結果がこれだった。

「ケイナ……」

「喋っては駄目です!」

「矢、まだ刺さってるよ……」

自分に刺さった矢を、乱暴に引き抜きながら、ケイナは叫ぼうとしたけれど。言葉が出てこなかった。

メルルは、やり遂げたのだ。

此方に掛けて来たのは、医療魔術師だろうか。誰が来たのかも、茫洋として、よく分からなかった。

回復術を掛け始めるけれど。

メルルは、それを拒否。

震える手で、エリキシル剤を手に取った。

駄目だ。

今の体で、そんなものを飲んだら。

絶対に助からない。

だが、シェリさんが、ケイナの手を止めた。

「もう、好きなようにさせてやれ」

「でも、メルルが」

「既に……分かっているのだろう。 メルル姫が人間に戻ることは、もうない」

言葉も無かった。

メルルはエリキシル剤を飲み干す。そして、その体の傷は、見る間に修復されていく。そして、更に取り返しがつかない事になっていく。

味方は誰もが満身創痍だが。

既に動いている敵はいない。

この火山を守っていた、一なる五人の守兵は壊滅だ。

味方のダメージも凄まじいが。

それでも、勝ったのだ。

だが、一なる五人はこれでも死んでいない可能性が高い。もしも奴が切り札を発動させたら、世界は終わってしまう。

作戦は、次の段階に入る。

メルルが立ち上がる。

その目に、光はなく。

ある意味。

ロロナちゃんを思わせた。

嗚呼。

もはや人では無い。

それが、一目で分かってしまう。

だけれども、メルルは。自分の体の状態を確認しながら言う。凄まじい乱戦の中、熱と。何よりも戦闘のために。服が駄目になってしまっていた。

「ケイナ、新しい服」

「はい」

荷車から取り出した、替えの服。

無言でメルルは脱ぐと、そのまま無造作に着替えた。

自分の体さえ、道具として見ている状況だ。完全に精神が、人間の状態をぶっちぎってしまっている。

火口に集まってくる、アーランドの主力部隊。

国家軍事力級戦士が全員揃っている。

皆手酷く傷を受けているが。

その中で、比較的傷が浅いアストリッドさんが、薬を皆に配っていた。ふと気付く。へらへら笑っているあれは、パラケルスス。

ほとんど無傷だ。

最凶のホムンクルスという話だが。

どういうことだろう。

「これより、火口に砲撃を叩き込み、一なる五人を引きずり出す。 全員、負傷者を後送せよ」

ジオ王が指示し、此処に上がって来たホムンクルス達が、てきぱきと作業。2111さんは、バリスタを引き抜くと。無理矢理回復薬で傷を塞いで、その場に残った。いや、メルルのチーム全員が、その場に残る。

少し遅れて到着したジーノさんも。

戦う事に、異存はないようだった。

応急処置が終わると。

剣を地面についたまま、ジオ王が言う。

「ロロナ、砲撃せよ」

「その必要はない」

不意に。

声が轟く。

そして、凍り付いた火口を吹き飛ばしながら。

世にも醜い肉の塊が、その姿を見せた。

それは、あまりにも巨大で。

あまりにも複雑。

全身が触手で編み込まれていて。無数の顔面が、体の表皮に浮かんでいる。聞かされた。一なる五人は、こういう形態で、戦場に現れたと。

奴が、此処に出てきたと言うことは。

ついに戦いが大詰めだという事だ。

「よくもまあ、此処まであがくものだな、肉人形共」

声を聞くだけで、ケイナにも分かる。

此奴の実力は。

あの無限書庫にいた邪神と同等。

万全な状態なら兎も角。

消耗しきった今のアーランド最精鋭で、どうにかなるのか。メルルは、立ち尽くしたまま、一なる五人を、じっと見ている。

そして、語りかけた。

「貴方の目的は、世界を滅ぼすことですね」

「だからどうした」

「その理由は、世界を完全な管理下に置くため。 違いますか」

「良く分かっているでは無いか」

一なる五人は、けらけらと、楽しそうに笑った。

既に最終決戦は始まっている。

それは、ケイナにも。嫌と言うほど、分かっていた。

 

4、終焉の魔

 

リリハルスは見た。

これが世界の終焉なのだと、理解した。

いきなり火山が凍り付き。

そしてその火口から、あまりにも巨大で。醜すぎる化け物が姿を見せる。一なる五人。誰かが、畏怖の声を上げた。

そうか。

あの薄汚い化け物が。

あらゆる大陸を恐怖のどん底に叩き落とした。スピアの首領。

絶望の権化にて。

恐怖の象徴なのか。

どうしてだろう。

リリハルスには、あれがちっとも怖くなかった。むしろ、なんと無しに、理解できてしまったのだ。

あれはむしろ、哀れな存在だと。

回りの難民達は、滑稽なほど取り乱しているが。

リリハルスは顔を叩くと、一緒に治療していたアーランドの魔術師に言う。

「続きをやりましょう。 指示を」

「西大陸の出身者にしては、肝が据わっていますね。 あの化け物が、怖くは無いのですか?」

「怖くありませんよ、あんな哀れな存在」

「……」

目を細めると。

魔術師は、縫合を指示してきたので。その通りにする。

一なる五人は、あの様子では。

力を求めて、人を捨てた。

いや、元から、もう人を捨てていたのが、それにふさわしい姿に変わった、と言うべきなのだろう。

深淵を覗いているとき。

深淵もまた此方を覗いているのだ。

古い時代の小説家の言葉だ。

それは全くの事実。

一なる五人は天才だったのだろう。だけれども、それが故に、深淵を誰よりも真摯に覗き込み。

そしてあのような姿になった。

心までもが。

深淵に汚染されつくし。

あのような姿を動かすに、ふさわしい代物になった。

深淵は化け物。

人の世界の深奥は、狂気に満ちている。

歴史がそれを証明していることくらいは、リリハルスだって知っている。そしてその狂気は。人が歴史を重ねれば重ねるほど、深く強くなって行ったのだ。

大量虐殺と、絶滅作戦。

それによって、殺しつくした後に。

自分の世界を作ろうとした。

自分だけの世界を。

それが理解できたから。

リリハルスには、もう一なる五人は怖くなかった。あれは人間という最凶の闇に耐えられなかった。哀れな存在の末路。

そして誰もがなりうる。

恐怖の結末なのだから。

理解できないのは怖いから。

そして理解したとき。

それは、恐怖では無くなる。

 

セトは気付く。

一なる五人が、全力での戦闘モードに入ったことに。アーランドの戦士達が、やったということだろう。

好機は今しか無い。

「全員、制御装置を外せ! 今しかチャンスは無いぞ!」

部下達へと、声を張り上げる。

頭の中にある爆弾を、手術で取り除く。既に準備は整えてあったとは言え、それほど長い時間は掛けられない。

何しろ一なる五人は。

自分たちが死んだ場合も、爆弾を作動させるように仕込んでいたからだ。

悪辣すぎる彼奴らだが。

全力で戦闘するとなれば、流石にもはや此方に構ってなどはいられない。この時を逃したら。

もはやくびきから逃れる事は出来ないのだ。

セト自身の手術も終わる。

部下達も。

洗脳されていた部下達も、制御装置が外れると。徐々に正気を取り戻し始める。そして、手術の手伝いに加わっていった。

一なる五人との戦いは、そう長くは続かないだろう。

頭に入っていた爆弾を一瞥。そして腹に入れられていた病原菌カプセルを、魔術で焼き尽くすと。

セトは服を着替え治して。

同じように手術を終えたバロールに言う。

「後は任せる」

「一なる五人を、倒しに行くのですね」

「ああ。 借りは返さなくてはならない」

セトだけの借りでは無い。

奴に造り出され、もてあそばれた、全てのホムンクルス達の。洗脳され、使い潰されていった、全てのモンスター達の。

命の借りを。

奴らに返して貰う。

転送装置に入ると、ヴェルス山の近くに出る。

アーランド戦士達と出くわすと面倒だ。後は気配を極限まで消すと、セトは走り始めた。

不意の一撃を叩き込めば。

恐らくは、一なる五人に、決定打を与える事が出来る。

そして一なる五人を倒した後は。

もはや世界に行く場も無い、皆を守らなければならない。

人間は納得などしないだろう。

洗脳されていた。

脳に爆弾を埋め込まれていた。

だからといって許せるか。

許せるはずが無い。

だから、人がもういない島なり、或いは地底の世界なりを探すつもりだ。まずは旧スピアに引き上げて。其処から、何処かに皆と一緒に行く事を考える事になるだろう。

アーランドでは、スピアを抜けたホムンクルスが、ある程度市民権を得ているという話もある。

人に近い姿の者は。

引き取って貰うと言う手も、あるのかも知れなかった。

間もなく、到着する。

火口付近では、もはや神域と言うも生やさしい、おぞましいレベルの戦いが繰り広げられている様子だ。

文字通り天が割れ地が砕ける戦い。

ヴェルス山が、丸ごと無くなるかも知れないな。

そう、セトは自嘲する。

いずれにしても、あのアーランド国家軍事力級戦士達でも、苦戦を免れることは無いだろう。

最終決戦に助力することで、少しは恩を売る。

勿論その計算もある。

皆を救うためであれば。

セトは、いかなる事でもするつもりだった。

 

ずっと膝枕をして待っていた。だから、トトリが、目を覚ましたとき。

ミミは、気付いた。

ようやくトトリが、帰ってきてくれたことを。

「ミミちゃん、どうしたの」

「貴方がねぼすけだから、疲れて眠くなったのよ」

目を擦る。

十万倍に増幅された時間の中。極限まで増幅された痛みを味わい続けたトトリ。しかも、八刻以上。

体感時間で言うと、何十年、いやそれ以上だろう。百年以上かも知れない。ミミは其処まで頭が良くないから、どれくらいかは計算できない。

だが、トトリの表情から、はっきり分かる。

罰は受けた。

納得、したのだ。

「起きたかい」

側で腰を上げる、国家軍事力級戦士、ギゼラ=ヘルモルト。相も変わらず、凄まじい威圧感を受ける巨人だ。

トトリは、静かにほほえむ。

あの張り付いたような笑みでは無い。

昔の、優しいトトリと同じ表情だ。

やっぱり、駄目だ。

泣いてしまう。

きっとトトリも、全て元に戻ったわけでは無い。でも、これで、トトリは己の罪を精算したと思ってくれたはず。

自分の感情を敵視することには代わりは無いかも知れない。

だけれども、以前よりは。

人間に近い精神になってくれるはずだ。

「ミミちゃん、ありがとう。 側にいてくれたんだね」

「貴方が、罰を受けたいとか、馬鹿な事を言うからでしょう。 貴方に罪は無いわ。 だから、私も一緒に」

「理屈になっていないよ」

トトリは立ち上がると、火口を見上げる。

皆苦戦しているのは確実だ。

ならば参戦しなければならないだろう。

「お母さん。 少し手伝ってくれる?」

「あの醜い肉塊をぶっ潰すんだね」

「少し違うけれど、まあそんなところ。 ミミちゃんも、手伝いをお願いしてもいいかな」

「良いわよ。 あんな幼稚な独善主義の塊みたいな魔王、好き勝手にのさばらせていて良いものですか」

トトリは、どうしてだろう。

そう言うと、少し寂しそうにほほえむ。

何となく理解できた。

トトリは恐らく、一なる五人の心理状態を、完璧に理解している。だから、なのだろう。

深淵を覗いた者同士。

其処には拒絶では無くて。

むしろ同情があるのかも知れなかった。

 

(続)