深奥の光

 

序、戦端

 

時は満ちた。

一なる五人は、ついに解析が完了したことを確認して、大いに満足した。五つの意識が、意見を交換し合う。

不満は一つも無い。

「流石だ。 これでこの星のコアに、致命的な打撃を与えられる」

「この腐った肉人形どもの住まう星を、原初の炎の世界に変えられるんだね」

「そうだ。 あのゴミ共をついに完璧な形で駆逐できる」

「ついに、我等が。 この世界で初めての人間になる時が近づいたぞ」

歓喜の意識が。

五つ、爆発した。

この火山が、最適だった。何より、住み着いているモンスター、エアトシャッターの存在が有り難かった。

この世界における、上位十体に確実に食い込む強豪モンスター、エアトシャッター。これは熱をエサにする特殊なドラゴンの亜種なのだが。

本来、この星を滅ぼせる力など無い。

此奴を徹底的に改造して、コアまでへの通路にしたのは一なる五人だ。そしてその改造に、時間が掛かったのである。

この星を、原初に戻し。

そして全てを、作り直す。

その時、この星の愚かな生物は滅び去り。一なる五人による、完全な支配と管理の時代がやってくるのだ。

其処には、一なる五人だけがいて。

文字通りの神による統治が始まる。

人は神となり。

神が人間となる。

熱の惑星は一から環境を作り直され。

そして、この愚かな世界を作った肉の塊どもは、痕跡も残さず消滅するのだ。

奴らには、何一つ価値など無い。

存在も。

作り上げてきたものも。

全てを否定し。

抹消する。

それが一なる五人が、これまで生きてきた理由。そしてこれから、全てを賭けて為さなければならない事。

痕跡を全て消し去った後は。

あのような愚かしい存在が二度と出ぬように、完全なる管理をしていけばいいが。それは大丈夫だ。

完璧な意思疎通を実現し。

そして五人の意識が混ざり合った今。

一なる五人は。

この世における、唯一にして、完璧なる存在と言い切って過言ではない。他の肉人形どもとは、根本からして違っているのだ。

セトが来た。

笑いたくなる。

此奴が、何を考えているか。分かっていないと思っているのだろうか。

一なる五人に取っては、

この愚かしいホムンクルスも、使い潰せる手駒に過ぎない。そして、使い終わったら、消費するだけだ。

「お呼びにございますか」

「まだ少し時間を稼がねばならぬ」

「……分かりました」

セトは一礼だけすると、味方の陣に戻っていく。

愚かしい奴だ。

ただ戯れのためだけに。これからやろうとしていることが分かっていない。もはや、この状況下。

世界を滅ぼすことは。

何時でも出来る。

情報が入ってきた。

エスティ=エアハルトとその麾下の諜報部隊が、この火山に来ている。まあ、当然だろう。

アストリッドやトゥトゥーリア。それにロロライナは、此処のことを把握しているとみていた。

今までは、仕掛ける余裕も無かったが。

邪神が愚かしい自滅を遂げた今。

奴らは仕掛けてくる。

わかりきっていた事である。

迎撃でもするか。

戦力は、充分。

セトは知らないだろうが、この火山から星のコアに向けて手を伸ばしている最中。暇つぶしに、護衛用の戦力を作って置いたのだ。

それも戯れ。

そのようなもの無くとも、充分に全てを終わらせることが出来る。

だが、それでは気が済まない。

希望をちらつかせておいて。

その上で、砕いてやる。

それくらいはしなければ。

今まで受けて来た事に対する復讐などなせない。肉人形共によって、一なる五人がどれだけの苦悩を味あわされてきたか。

奴らにはそれを。

兆倍は増幅して返してやらなければならなかった。

ただ、足下を掬われては本末転倒。

このコアへの攻撃に関してだけは、絶対に失敗できない。その気になれば即座に出来るが。成功率を100%にまで上げておきたい。

しばし、様子を見ていると。

エスティは部下を率いて、撤退していく。

恐らくは確信したのだろう。

一なる五人がいると。

まあ、どうでもいい。

何時でも攻めてくれば良いのだ。

ふと、その時。

意識の一つが気付く。

「ちょっと待って」

「何か問題か」

「やられたかもしれない」

意識の伝達は、光速で行われる。

だから、直後に来た衝撃にも。

耐え抜くことが出来た。

火山の火口から叩き込まれた、恐らくロロライナによる砲撃が。フルパワーで、エアトシャッターを直撃していたのである。

 

直撃。

クーデリアは、良しと呟いていた。

休火山とは言え。

相手の座標を知るためには、二つの条件が必要だった。何しろ、奥には溶岩が煮えたぎっているのだ。

生物の気配など、消え去ってしまう。

条件の一つ。

敵の裏切りものによる、座標の発信。

もう一つは。

その座標を三角測量すること。

最初はセトが担った。

ゼウスを介して接したセトは。快いほどにまで、本来不名誉なはずのスパイの役割を引き受けてくれた。

これはゼウスによると。

セトの周辺にて。一なる五人が、下劣極まりない行為をしたのが理由らしい。

そして一なる五人は、セトが直接反旗を翻すと考えていた様子なのだ。どういうわけかは分からないが。

だから、ただ、一なる五人の側に行くだけ。

それだけの行為を見て、笑っていたことだろう。

二つ目の三角測量は。

エスティのチームにやってもらった。

そして此処は火山上空。

センらロロナの近衛の中で、空を舞うことが出来る者達に抱えられたロロナと、クーデリアは。

敵の正確な位置が判明し次第。

全力での攻撃を叩き込んだのである。

同時に火山が活性化した。

「ダメージは」

「ん、多分、致命傷」

「そう」

一なる五人は、恐らく自分に対しては、ロロナの砲撃でさえ防ぐような防御魔術を展開していたはずだ。

だが、エアトシャッターはどうか。

この作戦の前に、セトに話を聞いた限り。

恐らくは、展開していない可能性が高い。

ならば、エアトシャッターの方を狙えば、恐らくは。

もっとも、それでも敵は、奥の手を隠している可能性が高いと見て良いだろう。ここからが、本番なのだ。

一度火山を離れたエスティのチームが、再探索に入る。

同時にクーデリア達は着地。

一なる五人も、流石に慌てているだろう。

自分たちにとって一番大事な道具。

長い時間を掛けて作り上げた、世界滅亡のための矛が。

いきなり、ねじ曲げられたのだから。

それも、バカにしきっていた、道具の。それも、思わぬ形での裏切りによって。裏切りは想定していても。

ただ側に来るだけと言う行為が、致命的な裏切りになるとは。流石に予想していなかったらしかった。

伝令が来る。

「火山内部に、複数の強大な気配確認! それぞれが国家軍事力級の実力を有している模様!」

「来たわね……」

一つは一なる五人として。

残りは恐らく。

本来は、遊び同然に行動している一なる五人が、出す予定も無かっただろう切り札の筈だ。

つまり、それだけ本気で守りに入ってきた、ということである。

今の一撃で、敵のもくろみが瓦解した、とまでは、クーデリアだって考えない。其処まで楽観的ではないからだ。

だが、時間は稼ぐことは出来たはず。

エアトシャッターだったか。それの修復と再調整。

しかもそいつはドラゴンの亜種。

調整には、最低でも。

一月は必要なはずだ。

ロロナを一瞥。

その間に、全ての準備を整える。

トトリに関しても。

メルル姫が言っていたように。一なる五人の後がまに座ることだけは、どうしても防がなければならないのだ。

エスティの部下達が、必死に突入口を探している。

幾つか、火山内部に入れそうな場所はあるのだが。

それも、最深部に至れるかは分からない。

最悪の場合、爆弾を使って、爆破をしながら奥へ進まなければならない可能性も、低くはない。

その時の事を考えると。

決して、稼げた時間は、長くは無いのだ。

いずれにしても。

この戦いで、恐らく。一なる五人から、始めて先手を奪い返した。この優位を捨てることだけは、してはならない。

伝書鳩が来る。

ステルクからだ。

ロロナには見せられない内容である。

見ると、どうやら。

万が一の確率を。十分の一程度にまで引き上げられた、とある。

かなり危険な賭だが。

上手く行けば、ロロナの中に眠っている、本来の人格を目覚めさせられる。そうなれば、である。

今や制御不能の怪物と化しているトトリも。

黙らせることが可能になるだろう。

メルル姫には、あのアストリッドを黙らせた実績がある。

今回も上手くやってくれるはずだ。そうクーデリアは、既に信じる事にしている。

事実を変える。

クーデリアには、どうしても出来ない事だった。

錬金術師だからこそ、出来る。

それはきっと。

力そのものの学問であるから。

魔の要素も秘めているが。

使い方によっては、人だって救える。

それが、錬金術なのだ。

セン達に目配せ。

そして、ロロナに言う。

「一度後退するわよ」

「あれ、くーちゃん、いいの?」

「いいのよ」

突入路の確保は、エスティの仕事だ。これからまず、最悪の不安要素である、トトリを静かにさせなければならない。

あの優しかったトトリが、世界を滅ぼしかねない精神状態になっていると言うのも、業が深い話だが。

それはそれで仕方が無い。

一つずつ、不安要素を消す。

今のままでは。

勝っても、次の一なる五人が現れてしまうだけなのだから。

 

1、精神世界の歯車

 

アストリッドさんに会いに行く。

2999さんは、丁度アニーちゃんの後釜である、リーナちゃんという子を寝かしつけた所で。

メルルとアストリッドさんの話には、加わってくれなかった。

今回、メルルは。

既に結論を用意している。

アストリッドさんには、その理論で正しいか、結論を聞きに来た。

この件は。

トトリ先生にも、勿論ロロナちゃんにも、相談できないからだ。

「精神に直接潜る、だと」

「はい」

それが、メルルの結論だ。

ロロナちゃんの中に眠っているロロナさんの人格を目覚めさせ。「神」の人格を凌駕させるには、それしかない。

「神」の人格は、確かに戦闘能力において強大無比。

今までアーランドを何度も勝利に導いてきた立役者で。ジオ王が言うように、戦いにおける切り札。

人外の戦士が集うアーランドにおいても、最大の火力を持つ存在だ。

だが。

ロロナさんが壊れたことによって、トトリ先生は完全に闇に落ちた。そして、カウンセリングやらなにやらで、こちら側に引き戻すことは絶対に不可能だ。

復帰して貰うには。

事実を。トトリ先生の周囲を包む、おぞましい現実を変えるしかない。

その変えるべき事実こそが。

ロロナちゃんの中から。

ロロナさんの人格を、引っ張り出すことなのである。

多少子供っぽい所があったらしいけれど。

本当に優しい人だったらしいロロナさんだ。

今のトトリ先生を見て、絶対にそのままにはしておかないだろう。きっと、現実を変えてくれるはずだ。

そしてトトリ先生による、世界の滅亡を回避した後に。

ようやく、一なる五人との決戦を迎えられる。

少し前に。

一なる五人の正確な居場所を特定。

ロロナちゃんが、彼らが作り上げた、世界を滅ぼす兵器に対して一撃を叩き込んで、機能不全に追い込んだという。

つまり、今が好機。

時間がない。

ロロナちゃんを即座に元に戻して。

トトリ先生も、元に戻す。

それでやっと。

敵と戦えるのだ。

順番に、アストリッドさんに説明していく。無言のまま話を聞いていたアストリッドさんだが。

最後まで理論について話すと。

鼻を鳴らした。

「無論相手は抵抗してくるだろうな。 精神内部の戦いといえど、負ければ死ぬぞ。 それでもやれるんだな」

「やります」

「ふん、好きにするといい」

もう私には、関係がないことだ。

そう、アストリッドさんはうそぶく。

隣に、2999さんが戻ってきていた、というのもあるのだろう。この人の前で、アストリッドさんは、嘘をつけないのだ。

幾つか、アドバイスをくれる。

頷くと、それをメモ。

これで、更に確実にやれるはずだ。

問題は、トトリ先生だけれど。あの人は今、一なる五人との決戦に向けて動いている。少なくとも、表向きは。

だから、メルルの動きには。

今の時点では、気付けない。

気付いていたとしても。

手を出してくる余裕は無いだろう。

如何に、現時点で一番の危険人物だとしても。手さえ出せなければ、その後に無力化できるのだ。

それでいい。

アストリッドさんのアトリエを出る。

外は、あまり良い空気とは言えない。

地震が頻発しているからである。

一なる五人が、恐らくエアトシャッターの再構築に、総力を挙げているのだろう。そして一度油断でダメージを受けた以上。

二度は無い。

二度目は、準備が整い次第、問答無用で世界を滅ぼしに行くはずだ。

つまり、タイムリミットは。

もうそう先では無いのである。

自分のアトリエに入ると。

ハゲルさんが来ていた。

差し出されたのは、戦槍杖。メンテナンスと、強化を頼んでいたのである。ハルモニウムで強化している戦槍杖だが。それを、ジオ王の使っている合金ハルモニウムで、更に強化して貰ったのだ。

何度か一緒に戦った仲でもある。

ハゲルさんには信頼感があるのだけれど。

当のハゲルさんは、メルルを見ると悲しそうにした。

「どうしたんですか?」

「本当に人間止めちまったんだな」

「!」

そうか、気付くか。

そういえばこの人も、アーランドではそれなりの戦士だ。メルルの気配が露骨におかしい事は、分かるのだろう。

「まだ、完全にではないですよ」

「俺の知る錬金術師はなあ。 みんな最初は凄く良い奴で、それがどんどんおかしくなっていく。 あんたもそうだ。 本当に、どうしてなんだよ」

「力に直接触れるから、でしょうね」

「そうか。 ……もう時間がないんだろ」

「ごめんなさい。 そして、無駄にはしません」

頷くと、戦槍杖を受け取る。

大幅なパワーアップとはいかないが。それでも、これで更に突撃の破壊力を上げる事が出来るだろう。

何度か振るって、感触を確認。

満足して、思わず笑みを浮かべた。

さて、此処からだ。

このまま、アトリエを出ると。ふらりと外へ。アトリエは、ホムくんとホムさんに任せる。

また揺れる。

皆、民は不安がっているけれど。

メルルが平然と歩いているのを見ると、安心するようだった。

アーランドの冒険者達もそうだ。

セダンさんがこっちに気付く。丁度良い。今日は、ケイナとライアスを連れていくのは止そうと思っていたからだ。

「メルル姫! 何処か行くの?」

「ええ、ロロナちゃんの所へ」

「それってどこ?」

にこりと笑みだけ浮かべて、ついてくるように促す。不安そうに一瞬だけ首をかしげたセダンさんだけれど、結局ついてきた。

彼女は、相当無理をしている。

アニーちゃんの死が、それだけ応えたのだ。

周囲の人が死ぬのには慣れていただろうけれど。それでも、生意気な妹という関係性の相手が死んだのだ。

メルルにしてみれば。

自分の心も、人から離れて行っている良い証明となった事件だった。昔だったら、もっと違う反応をしていただろうに。

人を、救うか。

自分が化け物となって行くのに。

化け物となってしまった先輩を救う。

そして、その後、自分はどうなるのだろう。

ケイナは泣いていた。

人でいて欲しいと、哀訴された。

だが、メルルには分かるのだ。もうメルルは、そう長い時間。人では、いられないだろうと。

勿論、その後も、自棄になるつもりはない。

厳密には人ではないとしても。

それでも、この請け負った責任を放棄するつもりは毛頭ない。アールズという国家は無くなるが。それでもアールズはアーランドの州として残る。アールズ州の顔役として。この土地の発展に貢献する責任が、メルルにはある。

それに、まだ多数の事業が、一なる五人のせいで中断もしている。

しっかり終わらせないと気持ちが悪い。

ケイナとライアスは、メルルがアトリエを出たことに気付いただろうか。だけれども、ホムくんとホムさんに言ってある。

少し出かけるだけだから、心配するなと。

ジオ王と契約した。

ロロナちゃんの心の中に眠るロロナさんを目覚めさせる。

もし、それでロロナちゃんの戦闘力が落ちるのであれば。

その分を、メルルと。

この間、メルルに臣従を誓ってくれたゼウスさんが補う。

ミミさんは、メルルが順調に計画を進めているのを見て、何も言わない。ただ悲しそうに、じっと此方を見つめるだけ。

ジーノさんは。

戦い以外に興味もないのだろう。一切口出しをする事はなかった。

あの人は、トトリ先生の幼なじみらしいのだけれど。

トトリ先生が狂ってしまっても、あまり動揺していなかったと、証言を幾つか得ている。冷酷なのでは無くて、単純に戦闘にしか興味が無いのだと、最近はメルルにも分かるようになって来ていた。

森の中に進んで。

そして、其処で待っていた人と合流。

エスティさん。

2999さん。

そして、アストリッドさんだ。

ロロナちゃんもいる。

錚々たる面子だ。

少し離れた木に、背中を預けているクーデリアさん。不愉快そうに、アストリッドさんを見つめていた。

ちなみにアストリッドさんは。まだ手錠をつけられている状態だ。2999さんによると、不安定で、時々発作的に憎悪に心が塗りつぶされてしまうと言う。無理もない。この人が、どれだけ周囲との軋轢に苦しめられてきたかと思うと。簡単に、許すことなんてできる筈もないのだから。

ロロナちゃんは、遊んで貰えると思っているのだろう。嬉しそうに、花畑の真ん中に座っている。

メルルは2999さんと頷くと。

ある薬品を取り出した。

難しい原理の薬では無い。

作るのに苦労する代物でもない。

昔、ロロナちゃんが作ったという。任意の幻覚を見せる装置。その主軸となるお薬である。

一種のお香で、焚くことによって効果を示す。

どうして外でやるかというと。

この花畑が、昔は麻薬として使われた成分を込めているからだ。

周囲に衝立を造り。

クーデリアさんが、此方に歩いて来るのを見て、頷いた。

既に打ち合わせは出来ている。

これから。

ロロナちゃんの、精神世界に潜る。

まずは、衝立の周囲に魔術で結界を張る。この結界は、空気の流れを固定するものである。

そうすることで、幻覚剤の密度を一定に保ち。

そして、精神を同調させる。

昔の人間だったら、完全に中毒になっただろうけれど。今の時代の人間なら、この程度の幻覚剤、どうとでもなる。

そして、同じ映像を見ることで。

精神的な同調を強制的に保ち。

そして、ロロナちゃんの精神世界に潜入するのだ。

これを最初に提案したのは、2999さん。

アストリッドさんを救ったことで、実績が出来たので。メルルを信頼してくれたらしい。精神に関する数式に関しては、恐らく世界最高の専門家。ホムンクルス達の心を作り上げた、この世界でも有数の偉人である。

それしか出来ないと本人は言っているけれど。

今、問題なのは。

その精神に、巨大な闇を抱えてしまった人を、どうにかして救う事なのだ。

アストリッドさんには、薬の成分や、魔術の組み方でアドバイスを貰った。そして実際に作り上げる事も出来た。

アーランドでは、このお薬と道具類を、賓客への遊興や、時には尋問にも使っていたらしい。

だから使い慣れているエスティさんにも、万が一に備えて来て貰っているのである。

言うまでもない話だが。

エスティさんは、アーランドの闇を一手に担う人だ。当然、この手のお薬の使用方法については、エキスパートなのである。

幸い、ロロナちゃんは。恐らく見立てでは、一番闇が浅い。獰猛で凶暴な闇に支配されてはいるけれど。

それでも、元の人格は、消えてはいないはずだ。

だけれど、クーデリアさんは難色を示した。

本当に上手く行くのだろうかと。

どうもおかしいと。

そもそもだ。

ロロナちゃんは、神となるべく、何年も掛けて調整されてきたのだという。文字通り体を弄られて、だ。

幼児にされたのは、その結実点。

実際、ロロナちゃんは、人間を完全に超えた、地上最強の火力を展開できる魔術師となった。

そして、アーランドの主砲として、猛威を振るい続けた。

だが、それにしても、ロロナちゃんの変貌はおかしいと、クーデリアさんは言うのだ。

コミュニケーションは成立する。

クーデリアさんとのコンビネーション戦闘は息ぴったりで、二人がかりならジオ王以上という評価も、メルルは同意できる。

だが、だからこそ、なのだろう。

違和感があると言うクーデリアさんの言葉は、慎重に受け止めなければならない。

ロロナちゃんを、誰よりも知っている彼女の言葉は、信頼出来る。

「やはり、私が行くべきかしらね?」

「いいえ。 此処はクーデリアさんだと、恐らく冷静を保てないと思います。 近すぎる人だと、却って駄目です」

「そうですよ、クーデリアさん」

「……分かったわ」

事前の説明通り、2999さんの言葉に、クーデリアさんは嘆息する。

ロロナ「さん」を救うためなら、それこそどんなことでもするだろう。この人にとって、ロロナさんはそれこそ比翼。竹馬の友というよりも、半身というのがふさわしい言葉。

だからこそだ。

故に、この場で、ロロナちゃんの心に潜らせるわけにはいかないのだ。

2999さんは言う。恐らく、完全に元に戻ることは無い。最良の結果でも、毎日数時間、主人格が交代するだけだろうと。

だが、それでも良い。

トトリ先生の心の闇を晴らすためには。

ロロナちゃんではなくて。

ロロナさんが、そこにいる必要があるのだ。

可能性を、まず見せなければならない。

メルルが此処までするのは、ミミさんとの約束もあるが。当然、この世界のためでもある。

そして、もはや。

一刻の猶予も、ないのだ。

「始めてください」

ロロナちゃんの隣に座る。

2999さんがいて。

アストリッドさんが協力するという条件が無ければ、この場を造り出す事は出来なかった。

この奇蹟。

メルルは、無駄には出来なかった。

 

ちかちかと瞬く光。

強烈な幻覚剤の作用の中。ロロナちゃんと同じものを見る。

それは、強烈すぎるくらいの。

舞い踊る人影。

古い時代。

人類の信仰には、歌と踊りが欠かせなかった。

簡単に催眠状態を造り出す事が出来るからだ。

集団トランスを引き起こし。

そして、強烈な一体感を造り出す事で。宗教行事は行われた。その際に、薬物が用いられることも多かった。

皮肉な話であり。

歴史は繰り返す。

踊っているのは、誰だろう。

白くて、ちかちかしているそれは。全裸のようにも見えたし。美しい服を身に纏っているようにも見えた。

意識が、朦朧としてくる。

ぎゅんと、音がする。

ああ、始まったな。

メルルがそう思った時には。もう、その意識は。

今まで見ていた幻覚とは、別のものの前にいた。同調の魔術が成功したのだと、メルルは悟った。

其処は、コールタールの海とでも言うべき、まくろき場所。

おぞましい臭気が立ちこめ。

何処までも、何処までも拡がっている。

遠くに人影。

メルルは頷くと、走り出す。

精神世界に侵入したからといって、裸というようなことはなく。きちんと絹服を着込んでいた。

あれ。この絹服は。

この間、セトと殺し合ったとき、燃やしてしまったものだ。

この辺りはやはり、精神世界だから、なのだろう。

走る。

近づいていくと、分かった。

それは、幼い頃の。

本当の意味での子供だった頃の、ロロナちゃんだ。手をつないでいるのは、これまた幼児のクーデリアさん。

そして、二人は。

根本的に雰囲気が違っていた。

ロロナちゃんは、服装こそ今の彼女を想像させるものだけれど。体中に生傷が絶えなくて、男の子みたいな笑みを浮かべていたし。

クーデリアさんは深窓の令嬢としか言いようが無い。

とにかく弱々しくて。ちょっと驚いただけですぐ泣きそうだった。

これが、深層心理の二人か。

クーデリアさんの手を引いて、ロロナちゃんが走る。

「あの頃は、良かったなあ」

声が響いた。

聞いたことが無いトーンだ。ロロナちゃんと同じだけれど、ぐっと大人っぽい。間違いない。これは恐らく、ロロナさんの声だ。

気付く。

周囲が変わっている。

倒れているクーデリアさん。ロロナちゃん。

頭から血を流している二人。

けらけらと笑っている、上半身だけのヨロイ。手にしている剣には、二人の血が塗りたくられ。

そして、有象無象のモンスターが、十重二十重に囲んでいた。

瀕死の二人に。

モンスター達の主らしいヨロイが、けしかける。

「もう情報は採取しました。 喰らってしまって構いませんよ」

歓喜を爆発させたモンスター達が。

傷ついた子供二人に、怒濤のように襲いかかり。

そのまま、食いちぎり始める。

止めろ。

叫ぶけれど、どうにもならない。

見る間にずたずたにされて、食い荒らされていく二人の子供を前に。メルルは、何も出来なかった。

殴ろうが蹴ろうが、モンスターには干渉できないのである。

また、いきなり周囲が暗転。

光景が変わる。

二人並んで、硝子瓶の中に入れられているロロナちゃんとクーデリアさん。いや、正確には、そうだったもの。

嗚呼。

そうだったのか。

二人は、最初から。正確には、幼い頃から。

人ではなかったのか。

二人が体を弄っていることは知っていた。だが、まさか此処まで幼い頃だったとは思ってもみなかった。

先に目を覚ましたのは、クーデリアさん。

悲惨すぎる状態の体に気付いて、悲鳴を上げようとしたようだけれど。

妙な液体が満たされたガラスの中では。

ごぼごぼと泡が出るだけだった。

歩いてきたのは。

既に闇に落ちていたらしいアストリッドさん。

彼女は、冷徹に二人を見ると。

世にもおぞましい人体実験を。むしろ嬉々として開始していた。

また、光景が変わる。

ロロナちゃんが。いや、もうロロナさんだろう。

錬金術師になった彼女は、へらへらと締まりがない笑みを浮かべていて。昔の、男の子みたいな雰囲気とは、正反対になっている。

一方クーデリアさんは。

非常に険しい目つきになっていた。

メルルは、悟る。

この二人。多分、友人としての一線を踏み越えて、半身としか言いようが無い存在になったのは、恐らくこの時だ。

そしてそれは、友情だとか、そういうものだけではない。

恐らくは。

肉体的な意味でさえ。

彼女たちは。

アーランドのホムンクルス技術の、実践の基礎となったのだ。

如何に天才だろうと、アストリッドさん一人で、彼処まで多数のホムンクルスを、量産できるはずもない。

少し年齢を計算してみて、納得。

戦闘用ホムンクルスが量産されはじめた頃には。

アストリッドさんは、充分なデータを蓄積していた、という事だ。

手をつないで。

身を寄せ合って、座っている二人。

誰よりも互いを理解し合っている二人は。

静かに何て、暮らすことは許されなかった。

メルルは、何処までも拡がる黒いタールの沼の中で、見ている。

何となく。

そして、確実に。

メルルが何をすればいいのか、わかり始めた。

また、どうしてクーデリアさんでは駄目なのかも。

「ロロナさん!」

呼びかける。

二人に、ではない。

沼にだ。

最初は、返事などない。

だが根気強く、何度も呼びかけていくと。やがて、ごぼごぼと。コールタールの沼地に、泡立ちが生じる。

膨大な触手が、沼地から伸び始めた。

メルルを取り囲むように蠢いていたそれは。

此方を窺うように。

ゆっくり、周囲を回りはじめる。

獲物を窺う動きでは無い。これは恐らく。土足で踏み込んできた侵入者を、追い出そうとしている動きだ。

「トトリさんが、苦しんでいます」

「だから、なに」

声が聞こえた。

恐ろしいほどに、冷え込んだ声が。

だが、怯むわけにはいかない。

この人が、子供に戻されたときの事。

それらしき夢は見た。

メルルは、他人の人生を夢に見ることがある。だから、少しだけでも。苦しみは、理解できるつもりだ。

「戻りましょう、ロロナさん。 誰よりも貴方を大好きなクーデリアさんも。 貴方の大事な一番弟子も。 心配して、苦しみ続けています」

「くーちゃんの事は大好きだよ。 トトリちゃんの事も。 でも、もう疲れたの。 放っておいて」

「アストリッドさんの事ですか?」

「そうだね。 お師匠様は、いつまで苦しみ続けなければならないんだろう」

そうか、やはりそうだったのか。

この人は、アストリッドさんに、幼児にされたときも。

恨んでいるようには見えなかった。

本当だったら、殺意の塊になっても良かっただろうに。

だけれども、この人は。

むしろ負い目さえも感じていた。

不意に、見える。

皆に囲まれて、祝福されるロロナさん。

しかし、誰もの顔が虚ろ。

そして、アストリッドさんは。

それこそ、鬼の形相で、ロロナさんを見ていた。

きっとこれが、アストリッドさんが壊れるきっかけとなった事件だ。わかりにくいものだったにも関わらず。ロロナさんの研究成果が認められ。それなのに、今の2999さんの研究は。

再評価など、されなかった。

この世は不公平だ。

アストリッドさんはそれから、比較的心を開いてくれていたロロナさんに対しても。完全に心を閉ざした。

ロロナさんの心に、罅が入ったのは、この時。

アストリッドさんの逆鱗に触れたことに気づき。

何よりも。

民が、本当は。

愚民としか呼べない存在だと、心の奥底で、気付いてしまったから。

いい人ばかりの世界。

そんなもの、あるはずも無い。

其処にあったのは、地獄。

無数の亡者が蠢き。互いの足を引っ張り合い。

これだけ荒廃した世界にもかかわらず。

なおも殺し合いと富の収奪を続けようと画策する列強と。

偏屈な思想に支配され。

あぶれ者を徹底的に排斥する辺境。

いにしえの時代から、人は何一つ変わっておらず。自分がどれだけ頑張っても。変える事はできなかった。

そうか、そうだったのだ。

ロロナさんはずっと無理をしてきていた。

そして、幼児にされたときに、壊れたのは。

単にきっかけだったに過ぎなかったのだ。

「くーちゃんも、あんなに頑張ってたのに、どうにもならなかった。 世界はどうしたら、少しはマシになるんだろう」

嘆きの声。

メルルは、分かる。

世界は、マシに何てならない。

人間を変えるには。それこそ世界レベルでの洗脳でもするしかない。これだけ強くなっても変わらない人間だ。

一体どうすれば、マシになるというのか。

一なる五人に同調するつもりはないが。

連中の考えが、一つの結論であるのは事実だ。

結局の所、ロロナちゃんは。神としての人格として力を持っている以上に。ロロナさんから、体を明け渡されている、ということだ。

それを理解しているから、クーデリアさんとの連携も上手く行くし。

錬金術師としての力も。

落ちていないのだ。

本当だったら、今頃ロロナちゃんは。

ただの戦闘マシーンになっていた可能性が高いと、クーデリアさんに聞かされている。しかし、この人は。

この状況でも、まだ錬金術師ロロナとして、高い力量を保持している。

そういう、ことなのだ。

タールの沼が、更に深くなる。

今まで、見ようとしないでいたことが。

目の先に、突きつけられる。

ロロナさんは。恐らくこの沼の中。それも最も深い所にいるはず。この闇の深さ。恐らく、トトリ先生と、そう変わらない。

あの人も、決定的に壊れてしまったけれど。

それは、ロロナさんも、同じなのだ。

そして、恐らくは。

メルルも。

いずれは、こうなる。

狂気とつきあって生きていくというのは。

そういうことなのだ。

「ロロナさん!」

呼びかける。

返事は無い。

ただ、時々。タールの沼のあちこちで、ごぽごぽと泡立つ。それは、此方を拒む息づかいにも思えた。

メルルは諦めない。

この人をどうにかしないと、トトリ先生を救えないのだ。トトリ先生の母君は、此方に向かってくれているけれど。

それだけでは無理だ。

今のトトリ先生は、道具込みなら、国家軍事力級戦士に匹敵するとさえ言われる使い手である。

押さえ込むことさえ、出来ないかも知れない。

何度も、呼びかける。

声がかれようと、構うものか。

メルルは、アールズの王族で。

祖国と民を守るためなら、なんだってする。

それが、例え。

愚民であっても、だ。

「……」

反応はない。

名前を呼ぶだけでは駄目か。

だったら、方法を変える。メルルは少し大きめに息を吸うと、叫ぶ。

「アストリッドさんは、正気に戻りつつあります!」

あくまで、戻りつつある、それだけだ。

まだあの人が、危険な存在である事に代わりは無い。隙を見せれば、一なる五人の計画を乗っ取って、魔王になろうとするかも知れない。

だが、あの人の心には、くさびが入った。

人々は、あの人の師匠に対する態度を改めた。

それを強引にでも見せられたことで。

アストリッドさんは、変わらざるを得なかった。今はまだ怒りが心を満たしているとしても、である。

ひねくれ者だし、どうしようもなく狂っているけれど。

師匠、2999さんの前では、嘘をつけない。

そういう人なのだ。

「ロロナさんの事も、きっと許してくれます! だから、少しだけで良い、私と話をしてください!」

「……つき」

「えっ!?」

「嘘つき……!」

二度目は、はっきり聞こえた。

拒絶の声。

ロロナさんは、本気で怒っている。

でも、それでいい。

無反応より、ずっとマシだ。

メルルは、更に声を張り上げる。反応をしているのならば。きっと、此方にも興味を持っているのだ。

「お師匠様が帰ってきたんです! 2999さんの中に! それがきっかけになって、アストリッドさんの心に、くさびを打ち込むチャンスが出来ました! 後は、無理矢理に国家予算を使って、いろんな国の偉い人達を集めて! アストリッドさんのお師匠様を馬鹿にした人達も呼んで! 謝罪させました! それを見たアストリッドさんは、今まで通り、憎悪で心を満たして、自分の世界に閉じこもれなくなったんです!」

「うそ……うそだ!」

「本当です! 私が、ロロナちゃん……ロロナさんに、嘘をついたりしましたか!?」

「しんじられない!」

声が、徐々に大きくなってくる。

そして、それが。

姿を見せた。

真っ黒い泥をかき分けるようにして。巨大な人影が、姿を現す。それは全身が白銀で。まるで機械で出来ているかのよう。

何処かロロナちゃんに似ているそれは。

背中に、鋭利な八枚の翼を持ち。

そして、無機質な目に。

確実な哀しみを宿していた。

強いていうならば。

機械の神。

マシーナオブゴッドとでもいうべきだろうか。

全体的には、中性的な造形だ。だから、ガデス(女神)というには、少しばかり無理がある。

気付く。

その背中の翼は、剣だ。

「ねえ、どうして嘘をつくの? どうして世界がこんなに酷い事になっているのに、仲良く出来ないの?」

ずっと見てきたと、機械の神と化したロロナさんは言う。

いや、違う。

この人は、恐らく。

本当に見たのだ。

既に人の領域を踏み外しているこの人は、世界「そのもの」にアクセスした。そして、人間が本当は何を考えているか。

直に見てしまったのだろう。

ひょっとすると。

最初の内なら、まだ人としての彼女に、引き戻せたのかも知れない。

だけれども、優しい事が禍した。

本当に優しい人だからこそ。

人間が秘めている邪悪の根元に直に触れてしまって、無事ではいられなかった。神と呼ばれるほどの力を得た今。

彼女は。此処で。

現世にも干渉できる、万能の存在にさえなれるのだ。

「センさん達も待っています」

「あの子達は不幸だったよ。 私が手をさしのべなければ、のたれ死にするか、自棄になって死んでいただろうね」

「だったら、会いに行きましょう! あの人達の忠義は本物だと、私が保証します」

「そうだね。 いい人だって世の中にはいる。 でもね」

メルルは悟る。

何かが押し潰そうとしている。

そうだ、これは。

ロロナさんが見てきた地獄。その記憶だけで。物理的圧力さえ伴って。共有幻覚の中とはいえ。

メルルを押し潰そうとしている。

膝を突く。

駄目だ。

動けない。

「私は、もうこの世界を離れようと思う」

ロロナさんは、静かに。悲しそうに目を伏せた。だけれど、彼女だって、分かっている筈だ。

この世界を離れた所で。

何が変わるだろう。

どんな世界だって。

人間は愚劣に決まっている。

「クーデリアさんは、どうするんですか! 貴方のために、あんなに奔走してくれた、本当の友達なのに!」

「くーちゃんか。 私のせいで泣かせちゃったなあ。 くーちゃんってば、本当に小さいとき以外、私の前以外では絶対に泣かなかったのに」

「少しで良いんです! ほんの少しでいい! だから、戻ってきてください!」

完全に戻す事は無理。

それはメルルももう理解した。

ロロナさんは、既に世界の理と半分以上一体化している。つまり、肉体よりも先に、精神が本物の神と化そうとしている。

だけれども、だからこそ。

この人の中には、まだヒトの要素が残っている。

幼い頃、体の大半を失い。

既に人では無かった。

だけれども、その精神は、誰よりもヒトだった。

それはクーデリアさんだって同じ。

だったら。

此処から帰ってくる事だって、できる筈。全部が戻ってこられなくても、少しなら。そして、少しだけでも戻ってくる事が出来れば。

どれだけ必死になっても。

相手が動じていないのが分かる。

親友の名前を出しても。

大事な部下を挙げても。

和解が不可能だとしか思えなかったアストリッドさんの名を挙げても。

あまりにも。

人ではなくなってしまったロロナさんの精神は強固だった。

それでも、メルルは屈しない。

まだ、ヒトの要素が、残っていると信じる。

ひとかけらでもいい。

心を、持ち帰るのだ。

吹っ飛ばされる。

相手が、強烈な、拒否の意思を示している。機械の神は、此方に手を向けて、ほんの少しだけ、魔力を放出したのだ。

共有幻覚の中とは言え。

全身を粉々にされるような痛みが走る。

タールの沼の上を何度もバウンドし。

黒い水面にたたきつけられた。

全身真っ黒になりながら、必死に立ち上がろうとすると。

メルルの全身に剣が突き刺さる。

あの、翼になっている、巨大な剣に間違いない。悲鳴を押し殺すメルルは、這いつくばったまま。

もう、これでは。

立ち上がる事は、無理だ。

だが、これは幻覚の中。

どんなに無理でも、やれる。

ふるえる手を伸ばして、剣を引き抜き、放り捨てた。傷に、黒いタールがしみこんでくる。凄まじい痛みだ。

だが、それでも。

今まで戦いで培ってきたのだ。

錬金術でも。

忍耐力は、負けない。

また、体を貫通していた剣を引き抜く。

本当だったら、如何に人間を止めてしまったメルルでも、致命傷は免れない一撃だっただろうけれど。

それでも、引き抜く。

引き抜いた血だらけの剣は、放り捨てると。

黒いタールの沼に、沈んでいく。

空中に浮いている、白銀の神は。

メルルを見て、何も言わない。

メルルは剣を全て引き抜くと。

全身から流れ出る血を一瞥もせず、立ち上がる。酷い痛みだ。そう、あの時。セトと殺し合って。

全身が焼けてしまった時のような。

だが、あの時と違って。

憎悪はなかった。

「ロロナさん」

すっと、機械の神が、手を横に振る。

メルルの左腕が。肘の辺りから、吹っ飛んだ。

呻く。流石にこれはひどく痛む。腕だけではすまず、胴体も、半分くらいは切れ目を入れられていた。

続けて、機械の神が、縦に手を振る。

袈裟に切り裂かれ。

沼地に叩き付けられる。

勿論真っ二つ。

内臓が全て体を出て行ってしまう。

心臓さえも。

共有幻覚だと分かっていても。恐怖で、全身が震えそうだ。いや、震える全身さえも、ないか。

「かえりなさい」

「いや、です!」

「強情者」

「お互い様です!」

ずしりと、痛み。

ああ、首を切りおとされたなと、メルルは他人事のように思った。

頭を掴まれて、放り捨てられる。

胴体が、ずっと遠くに見えた。

本当だったら、一瞬で意識を失って、そのままおだぶつだろうに。此処は共有幻覚の世界だ。

まだだ。

こんな程度で、屈するか。

イメージ。最も強くて便利な肉体を。

醜くてもいい。

強くて強くて強くて強くて、ただひたすらに強い体を。そうだ、力と美は関係無い。どれだけ人間離れした姿でも。私は、強くあればいい。前向きに考えろ。醜かろうが何だろうが。

救えれば、それでいい。

呻きながら、再構成する。

「……!」

無数の触手が伸びる。

巨大に体が膨らんでいく。

嗚呼。

一なる五人もそういう姿になっていると聞くけれど。やはりこれが、攻防の展開力でも、再生力でも、一番か。

無数に増えた目で。立体的に機械の神を見据える。

縦に裂け、膨大な牙が生えた口で、語りかける。

「帰りますよ、みんなのところに」

「いや」

「だったら、力尽くでも!」

触手を伸ばす。機械の神を捉えるために。

空から降り注いだ無数の剣が。触手も、メルルの体も。全てを一瞬にして、ズタズタに切り裂く。

だが。これは幻覚の世界。

即座に全身を再生させると。

四方八方から、触手による飽和攻撃を仕掛ける。

機械の神が手を振るうだけで、メルルの触手が全てはじけ飛び、鮮血をぶちまけるけれど。その先から再生させる。

この人を、連れ帰る。

人間があらかた愚民だというのは分かっている。

だからこそ、メルルがいる。王族として導くのは。民が賢いからでは無くて、愚かだからだ。

導くだけでは無い。

愚かな民に苦しめられている人がいるならば。

救わなければならない。

それこそが、導く者の責務。先頭に立つ者が果たさなければならない、最低限の事なのだ。

機械の神に触手が絡みつく。

締め上げる。

そのはしから吹き飛ばされ、粉々にされるが、メルルは屈しない。ほんの少しだけでもいい。

この荒涼たる悪夢から。

ロロナさんを、救い出すことが出来れば。

幻覚の外に出たとしても。

その成果は上がるはずだ。

うめき声を上げながら。

無数の触手で、ついに完全に、ロロナさんを拘束する。

もはや数も知れぬ剣で、メルルの全身は貫かれていたし。全身を焼きながら引きちぎるような痛みに襲われてもいたけれど。

もう、痛みには。

慣れていた。

引っ張りこむ。

ぶちぶちと、何か音がした。多分機械仕掛けの神をつなぎ止めている糸か何かが、切れているのだ。

その間にも、ありとあらゆる魔術を叩き込まれる。まるでずっと、機械の神だけが動き続けているようなサイクル。数百にも達する同時展開。こんなもの、神話の神々でさえ逃げ出す攻撃だ。

だけれども。メルルは、それでも逃げない。

焼かれようが裂かれようが、凍らされようが、切り刻まれようが。逃げない。

「みんな、わたしが、まもって、あげ、る、から」

メルル自身も、もう何を言っているか、よく分からない。

分かっているのは。

メルルがするべき事を。

今、していて。

そして痛み程度では、負けてはいけない、という事だ。

「AAAAAAGAAAAAAAA!」

吼える。

これは、自分の声か。

縦に裂けた口からの声だ。もはや、ヒトのそれに聞こえなくても、それは当然とも言えた。

ロロナさんが、極太の光の柱を出現させ。

メルルに直撃させる。

爆裂。タールの沼が、消し飛ぶ。

だが、灼熱の中。

それでも瞬時に再構成を果たしたメルルは、見る。ロロナさんが、此方に。手を伸ばしている光景を。

ヒトとしてのロロナさん。きっと、最後の、ヒトとしての未練。

メルル自身も、いつの間にか。

人の姿に、戻っていた。

手を、取る。

向こうには、機械の神も見える。

手を伸ばしているロロナさんは、体中彼方此方欠損していて、とても完全とはいえないけれど。

それでも、一部だけでも。

メルルは、連れて帰る。

帰るのだ。

 

2、ついに揃うもの

 

目が覚める。

メルルの全身からは、煙が上がっていた。

酷い痛みだ。

共有幻覚の世界で、何が起きていたかは覚えている。超格上の相手に対して、肉弾戦を挑み続け。

そしてその一部をもぎ千切った。

現実世界の自分だって、無事で済む筈がない。

周囲で誰かが叫んでいる。

ああ、あの時の。セトと戦った時のようだ。

意識が途切れ。

何度か、戻っては、また途切れた。

そして気付いたときには、ベッドに寝かされていた。

体の痛みは、セトの時ほど酷くない。ガラス瓶に入れられていない所から見ても、ダメージも前に比べればマシだった、という事だろう。それでも、痛い事に代わりは無いのだが。

呻くメルルに、差し出された小さな手。ネクタルの入った瓶。

飲み干す。

少しだけ、楽になった。

呼吸を整えながら、顔を上げると。

其処には、いつもと少しだけ違う表情の、ロロナちゃんがいた。

何となく分かる。

これは、ロロナちゃんではなくて。ロロナさんの方だ。

同じ顔でも、表情が違うと、随分雰囲気が変わるものだと、メルルは思った。

ロロナさんは、優しい声で言う。これも、ロロナちゃんとは随分違っていた。

「ありがとう。 戻ってくる事が出来たよ」

「良かった……」

「でも、時間がないの。 私の精神の大半は、やっぱり神としての存在に置き換わってしまっているから。 一日に一刻も、外に出てこられれば良い方かな」

苦笑いするロロナさん。

でも、それでも、どれだけいいだろう。

此処は。

メルルのアトリエだ。

ベッドに寝かされている。恐らく、あれからあまり時間は経過していないだろう。幻覚世界の中では、何日も戦ったような記憶があるけれど。薬の抜け掛け具合からして。多分実際に戦っていた時間は、ほんの一瞬。

もう一度、お薬を飲まされる。

これは、メルルが調合した、効果を落として使いやすくしたエリキシル剤。メリキシル剤と名付けたあれか。

自分で使って見ると。

確かにネクタルより効果は強いが。

全身が一気に人外と変わってしまうほどではない。

「クーデリアさんに、会えましたか」

「うん。 ありがとう。 意識は今までもあって、くーちゃんとはずっと会ってはいたんだけれどね。 この心で、くーちゃんと話すのは久しぶりだったから。 何だか、懐かしい気持ちだったよ。 また、くーちゃんを泣かせちゃった。 親友失格だね、私」

「良かった……」

「後は、トトリちゃんだね」

頷く。

其処で、時間が切れたようだった。

ロロナさんは、ロロナちゃんに戻り。あくびしながら、退屈そうにメルルの部屋を出て行く。

メルルはベッドから起き上がると。

さて、次はと。独り言を呟いていた。痛みはあるが、動ける。休んでなどいられはしない。

言うまでも無い。

次はトトリ先生だ。

ロロナさんは、ほんのわずかだけでも、此方に戻ってくる事が出来た。ただし、一日一刻が限度。

しかも、だ。

メルルは共有幻覚の世界で、ロロナさんの中の神と話した。

恐らく神は近々、ロロナさんと分離して。別の世界に行ってしまうだろう。それはつまり、精神の大半が、強制的に分離させられることを意味する。

廃人になる、程度で済めば良い方だろう。

一体どうなるか、見当もつかない。

だけれど、今までだったら、恐らくロロナさんそのものが、この世界から姿を消していたはずだ。

そして、である。

時間そのものがない。一なる五人は、もうそう遠くない先に、世界を滅ぼすための行動を開始するはずだ。

ロロナちゃんが神として、この世界と分離する前でないと勝ち目が無いし。

更に言うと、その時トトリ先生がおかしいままだと、多分後ろから刺される。

ベッドから起き出すと。

ケイナが慌てて飛び出してきた。

「メルル!」

「ケイナ、お願いがあるの」

「……」

「私の、杖になってくれる?」

無言のまま、よそ行きに着替えて。そして外に出る。荷車を、ライアスが引いてきた。そういえば、これに乗るのはいつもアニーちゃんだった。今はもう、いないけれど。

トトリ先生は何処にいるのだろう。

2111さんと2319さんが来たので、聞いてみる。2111さんは、首を横に振った。

「王都には気配がありません。 2319やライアス様も察知していないようです」

「参ったな……」

既に、アーランド軍は、ヴェルス山に進撃を開始している。セトへの抑えは、わずかな軍勢だけ。

それ以外は、全てがヴェルス山に。

どういうわけか、セトは動きを見せていないという。

ひょっとすると、裏切ったのかも知れない。

一なる五人は酷薄極まりない主君だ。

好機さえあれば、裏切る事を考えても、おかしくは無い。ただ、脳に仕掛けをされているはずで。どうやってそれを克服したのかは気になるが。

アストリッドさんは既にアトリエにいない。

2999さんは、リーナちゃんと一緒に、アトリエに残ると言う事だった。

今回は、最後の力を結集しての戦いだ。

本当に、アーランドの主力と。アールズの動ける戦士。それに辺境からの援軍が全て、あの火山に向かっている。

一なる五人が潜伏していることは、既に確認されているという。

ひょっとすると。

トトリ先生は、先行しているのか。

まずい。

もしもトトリ先生に、何かしらの切り札があって。一なる五人とその配下をまとめて制圧できるのだとしたら。

もう黙っている理由がない。

「皆を集めて。 すぐにヴェルス山に出立する」

「それなのですが」

スクロールを渡された。

メルルがさっと目を通すと、それはエスティさんの調査報告書だった。

火山の内部は、凄まじい熱が満ちていて、とても通れる状況ではないという。一度はピンポイント砲撃で敵を叩くことが出来た。だがそれも、二度は通じない。

そうなると、火山を冷やすか。

熱に耐える道具を作るしかない。

今できるのは、前者だ。

スクロールには、レシピが挟まれている。

ロロナさんが作ったものらしい、レヘルンの強化型。

これに、アストリッドさんの技術を加える。

トトリ先生から教わった知識も。

それだけではない。

メルルは分かる。

メルルの、道具の力を最大限まで引き出す力をこれに加えれば。きっと、火山を、短時間なら完全に凍らせることが出来るだろう。

フラクタル氷爆弾とでもいうべきこれは。

今のメルルなら。

上手く行けば、作る事が出来るかも知れない。

頷く。

やる事は、決まった。

「ケイナ、ごめん。 私の手伝いをお願い」

「はい」

「調合はホムくんとホムさんに頼むから、パメラさんの所に行って、これを短時間で可能な限り増やしてもらって」

そういって、コンテナから出してきたのは、レヘルンだ。

氷爆弾である。

これの能力を、ロロナさんの理論で、極限まで強化して。更に爆発の威力を、アストリッドさんの理論で、極限まで延ばす。

これに、トトリ先生の理論で、効果の延長をつける。

時間に関する技術になるが。

どうにかできる筈だ。

恐らく、丸一日はかかるだろうけれど。

今は、その一日を使うしか無い。

「他の皆は、いつものチームを組むよ。 全戦力を、明日までに集結させてくれる?」

「まて、シェリさんがいない」

ライアスが言う。

そうだ。

だけれども。2319さんが申し出てくれた。

「私が呼んできます」

「お願い。 他の皆は、火山の麓に集結。 もしもトトリ先生を見つけられたら、絶対に取り押さえて」

「無茶を言うなよ……」

呻いたライアスの脇を、2111さんが肘で小突いた。

気持ちは分かるが、今はあの人が最悪のジョーカーになりかねない状況だ。もしもがあったら、その時点で全てが終わるのである。

すぐに、解散。

ちなみにお城はもう空。

父上からルーフェスまで、動ける全員が火山に向かったそうである。まあそれはそうだろう。

これが本当の、スピアとの最後の戦なのだから。

メルルはアトリエに戻ると、レシピを見る。

見れば見るほど、難しい。

湧水の杯などに見られる、存在する確率を操作する技術を、氷爆弾に用いる事で。ものが凍っている確率を上げるのだ。

それによって、溶岩を瞬間的に凍結させる。

本来、溶岩は焚き火の炎などとは比較にもならない熱を持つ。ドラゴンのブレスに匹敵するという話さえある。

その熱さえ、鎮めなければならないのだ。

難しい調合だ。

ケイナが戻ってくる。メルルは、ありったけのレヘルンがいつ来るかを計算。本体となる、起爆装置の制作に取りかかった。

残る時間は、多くない。

体は滅茶苦茶。

手酷く痛んでいるけれど。

それでも、今は休めない。

トトリ先生は、いつから完全に壊れたのだろう。今は、トトリ先生を、人に引き戻せる条件が揃っているのに。

それから逃れるようにして。

メルルの手が届かない場所へ行ってしまう。

もう時間がない。

いつ、一なる五人が動き出しても、おかしくない。

だが、調合を焦っては駄目だ。

これが作れなければ。一なる五人の所に、攻めこむことが出来ない。そして、攻めこんでも、あまり長い時間は、戦う事も出来ないだろう。

一なる五人との戦いは、恐らく総力戦となる。

全力を尽くして。しかも、そう長時間は続けられない。一手でもミスを出来ない勝負になるだろう。

その時、不安要素があってはならない。

レヘルンが届き始める。

起爆装置を組みながら、メルルは思うのだ。これによって、火山を凍結させて、成長したことを見せれば。

おばさまは、喜んでくれるだろうか。

そうに違いない。

分かっている。本当は、もはや人ではなくなりつつあるメルルを見て、喜ぶはずがない。だけれども、それでも。

喜んでくれるはずだと、自分に言い聞かせる。

メリキシル剤をぐっと呷る。

ホムさんが、不安そうに眉をひそめた。

「良いのですか、それは劇物だと思われるのですが」

「この戦いが終わるまでもてばいいよ」

「そのように破滅的な……」

「戦いに負ければ、全てが破滅するんだよ」

流石にホムさんも口をつぐむ。

恐らく既にヴェルス山では、前哨戦が始まっているはず。一なる五人の事だ。軍が根こそぎ裏切っても対応出来るくらいの戦力は残しているはずだ。奴らにしてみれば、あとほんの少しだけ、耐えれば良いのだから。

レヘルンをくみ上げていく。

起爆装置の内側に、幾つかの仕組みを投入。

まず、起爆装置といっても、そのまま爆破するわけではない。

レヘルンにも使っている、樹氷石と呼ばれる強烈な冷気を発する石を砕いて、これを霧状に散布。

その後、爆破する。

こうすることで、一気に爆破の規模と火力を上げるのだ。

その次に、組み込むのは。

金属の球体。

ひんやりとしたそれは。

正円系ではない。

歪んだ楕円になっているのだが。

これは、湧水の杯と同じ。

存在する確率を操作する湧水の杯と同じように。

ものが凍っている確率を上げるためのもの。これを組み込まなければ、起爆装置の周辺が凍るだけで。それも短時間で溶けてしまうだろう。

起爆装置の四隅に、球体を。

それも一抱えもあるものを組み込み。

設計図を見ながら、慎重にレヘルンを並べていく。

この並べ方次第で、爆破がきちんと出来るか決まるからだ。精密に並べられたと判断したところで、接着剤とロープで固定。

戦場では何があるか分からない。

だから、起爆ワードは三重にする。

ワードの内、一つ目と二つ目は起爆のキーになるのだが。二つ目は、このフラクタル氷爆弾に掛かっている、防御魔術を解除するためのものだ。

こうすることで、抜群に安定性を高められる。

汗を拭いながら、順番に機構を組み込んでいく。

ガワも、準備。

これはホム君とホムさんに頼む。

ガワは特殊な魔術を使って固定した、樹氷石そのものを用いる。非常に贅沢な仕様だけれども。

これは国運どころか、世界の命運が掛かっているのだ。

はっきり言って、この程度なら安いとしか言えない。

くみ上げる形状も、図面を見る限り、非常に複雑。なお、防御魔術は、この樹氷石の固定を、更に強化する意味もある。

メルルの方は。

ケイナに手伝って貰いながら、起爆機構を何度かチェック。

テストは出来ないけれど。

流石に散々爆弾を作ってきたのだ。

どう動くか位は、しっかりチェックすれば分かる。

そういうものだ。

「ケイナ、耐久糧食ちょうだい」

「はい」

ケイナは悲しそうな目で応じてくれる。メルルが今までに無いほど無理をしていて。そして、自分の言葉が届いていないことを感じているからだろう。

ごめんと、呟く。

ロロナさんは、クーデリアさんを泣かせていたことを悲しんでいたが。

メルルにも、その気持ちが良く分かる。

耐久糧食を頬張りながら、作業を進める。頭を無理矢理活性化させているけれど。これは、メルルも。

戦いが終わった後、強烈な後遺症が出るのは防げないだろう。

「ケイナ、お願いがあるの」

「何でしょうか」

「私、調合が終わると同時に、その場で倒れちゃうと思うから。 荷車に乗せて、ヴェルス山に運んでくれる?」

「分かりました。 それがメルルの願いなら」

本当に、ごめん。心中で呟くけれど。

ケイナの心に届いているかは分からない。

レヘルンをくみ上げて、格子状にする。

これを全て固定し。

霧状の樹氷石を噴き出す仕組みを、一番内側に。ちょっと振ったくらいでは、壊れないように出来た。

骨組みは木材だが。

頑丈すぎても脆すぎても駄目だ。

この辺りは、さじ加減がとても難しい。

「ガワを」

「此方です」

ホムさんとホムくんは、言われたとおりにくみ上げてくれていた。だが、チェックして、ミスを確認。

設計図の方のミスだ。

多分ロロナさんも急いで書いたのだろう。

一カ所、分かりにくいところがあって。

それが歪みにつながってしまっていた。

理論はメルルの頭の中に入っている。

だから、こういうミスも発見できる。

二人を責めるわけにはいかない。勿論、少ない時間で無理に作ってくれたロロナさんだって、責められない。

何より。

チェックは、ミスをリカバーするために行うのだ。

「此処を抑えて」

手袋をして、二人が樹氷石のガワを抑えている状況で。メルルはハンマーを振るって、歪みを治す。

力のいれ加減を間違えると、ガワを壊してしまう。

何より、魔術による固定をしているとは言え。

このガワそのものは、とても脆いのだ。

ハンマーを振るう度に、冷や汗が流れる思いだ。

だけれど、どうしてだろう。

冷気を殆ど感じない。

メルルの体が。

確実におかしくなっているのだと分かって。何だか、不思議な気分だった。悲しいとは思わない。

静かな気分で。

どこか、ふわついてさえいた。

「よし、これで良いはず」

「組み立てますか」

「うん!」

ガワをホムンクルス二人で支えて貰い。起爆機構をその内側に。そして、起爆機構に作ってある出っ張りを、上手くガワと組み合わせる。

木材を組み合わせるとき。

互いに削って、それを合致させることで。非常に強固な組み合わせを実現できるのだけれど。

その仕組みを利用している。

左側のガワと、起爆機構がセット。今度は右側をセットする。

緊張の一瞬だ。

いびつな円系が、左右から組み合わさり。

そして、ぴったり閉じたとき。

思わず拍手をしたくなった。

生きている縄をすぐに動かし、固定。そして、上下に向けて走っている切り込みに対して、特殊な接着剤を流し込む。

これで、切り札は出来た。

後は、これの能力をフルに発動して。

火山を丸ごと凍らせてしまえば良い。

現状でも、火山の四割くらいを、一瞬だけなら凍結できるはず。

だけれど、メルルが道具の力をフルに引き出せば。恐らくは、半日程度なら、火山全域を凍結させることができる筈だ。

一なる五人との勝負は、その間に付けなければならない。

すぐにフラクタル氷爆弾を外に出すと、荷車に乗せる。この時も、慎重に、慎重に作業した。

王都に残っていた魔術師を呼んで、念入りに処置する。

姿勢制御に、衝撃態勢。

何重にも魔術を掛ける。

途中で壊れたりしたら最悪だからだ。

更に、布をかぶせて、フラクタル氷爆弾そのものを覆ってしまう。それによって、途中で不慮の事故を起こして、溶けてしまったりするような事態を避けるのだ。

更に、荷車には。

最悪の時に備えて、予備のパーツを入れておく。

準備、完了。

足下がふらつく。

メリキシル剤を飲んだ影響だ。

如何に薄めているとは言え、生半可なネクタルとは比較にならないほどの濃度なのである。

幾つか副作用を緩和する成分も入れているが。

それでも、隠しきれないダメージが体に出る。

荷車に横になると。

ケイナが、ホムさん達に声を掛けた。

「ヴェルス山まで、全速力で走ります」

「お任せを」

「行きましょう」

二人も、頷いていた。

メルルは、向こうに着くまでは、眠ることにする。

少しだけでも眠っておけば。

ダメージを回復できる。

ケイナには言っていないけれど。

既に全身に、罅が入っているような痛みが続いている。それでも眠くなるほどに、体中のダメージがひどいのだ。

後は。

トトリ先生を捕まえられれば。

勝利のための最後のピースが、まだ手元にない。

不安要素は。

心の中で、黒い染みのようにして、広がり続けていた。

 

3、首狩りの神

 

トトリが足を止める。

ヴェルス山の裏手。

先に見つけておいた、裏口だ。

セト達が侵入するために用いていたもので。今は塞がれているが、強引にこじ開けるつもりだった。

だけれども。

トトリを阻むように立ちふさがったその人をどうにかしないと、出来そうに無かった。

その人は、戦友。何度も何度も一緒に死線をくぐった仲。

有能な悪魔族の戦士で、とても信頼している相手だ。

「シェリさん」

「貴方をこんな風に足止めしなければならないのは、残念でならんよ」

「ふふ、修道院の時は、大変でしたね」

「ああ。 あの時の貴方は、本当に皆の希望だった。 最後に折れ掛けた時も、仲間の叱責で立ち上がった。 本当に凄いと思った。 錬金術が狂気と表裏の関係にある事は知っていたが、貴方だけは、こんな風にはならないと思っていたよ」

買いかぶりだ。

トトリは、首を横に振った。

シェリさんの側には、誰もいない。一人きりで、トトリを防ぐ気か。アニーちゃんを変化させ、誕生させた悪魔族はいないのだろうか。

まあ、流石に脳が赤ん坊と同じ状況の筈だ。

戦闘なんてさせられないだろう。

「それで、どうします」

「ロロナ殿が此方に戻ってきた」

「……!」

意味が分からない。

ロロナ先生は、狂気の世界に沈んだと言うよりも。むしろ神々の一部になったと言うのが正しい状況だ。

人の心なんて。

戻るはずがない。

「間もなく、ギゼラ殿も到着するはずだ。 それまででいい。 待ってくれないか」

「待つと思いますか」

「頼む。 俺はあんたとは戦いたくない。 俺の中では、あんたはこの世で一番偉大な、路の神なんだよ」

シェリさんの言葉は血を吐くようだったけれど。

トトリには、どうしても届かない。

心は既に冷え切っている。

この世界のおぞましさは。

トトリ自身の心を、徹底的に壊すには、充分すぎたのだ。

「私が許せないもの、何だか分かる? ミミちゃん」

後ろから、姿を見せたのは、ミミちゃん。

そしてジーノ君。

今のトトリなら、別に振り返らなくても、二人だと言う事くらいはわかった。

「自分、でしょう」

「正解。 では、どうして許せないと思う?」

「分からないわよ……!」

ミミちゃんが激高する。

だから、ミミちゃんは、其処までなのだ。親友だと思っている。ミミちゃんにとって、トトリだけが友達であることだって知っている。それを悪いとは思わない。だけれども、ミミちゃんは。

トトリを一度でも理解したか。

後ろに回る。

一瞬も時を費やさず。

流石に凍り付いた様子のミミちゃんの首に、後ろから触れる。そして、傷が出来ては治り、治っては傷ついた首を撫でた。ミミちゃんは天才とはいえなかったし、戦いにも本来はあまり向いていなかった。それなのに場数を踏んだから、いつも生傷が絶えなかった。

「それはね。 私がたくさんの人を傷つけてしまったにもかかわらず、感情を未だに封印できないこと。 どうしてなんだろうね。 この間メルルちゃんが「こっち側」に来た時なんて、ずっとはしゃいじゃって。 許せなくて、自分の首を後でもぎたくなったよ」

ミミちゃんは、恐怖で動けない。

怖い物知らずのジーノ君も。

シェリさんは、その場を離れたら、トトリに突破されると思っているのだろう。冷や汗を掻きながらも、その場に留まっていた。

良い判断だ。

「私の感情は災厄の根元。 それをいつまで経っても殺せない私は、自殺なんて生やさしい罰じゃ許されないと思うの。 ミミちゃんは、どうしてそれを分かってくれないのだろう」

首を、その気になったら、いつでももげる。

それが確実だから。

ミミちゃんは、動かない。

この子はそういえば、昔から臆病だった。それなのに必死に身を奮い立たせて。戦って来た。

最初はお母さんの名誉のため。

でも今は、違っている。

ミミちゃんにとっては、例え周囲となじめなくても、世界そのものが大事になっている。だからトトリを邪魔するというのなら。

「邪神を潰したときに使った手品ね。 流石に、震えが止まらないわ」

「ふふ、具体的な理論は言っても仕方が無いから教えてあげない。 それよりも、そうだ、ミミちゃん。 私に、死より重い罰をくれないかな」

「わけがわかんねーな、オイ!」

ジーノ君が苛立った声を上げたけれど。

彼にも、言いたいことは山ほどある。

「ジーノ君。 戦士としての本能に流されるばかりで、とうとう私をちょっとでも理解しようとは思わなかったね」

「わからねーんだよ他人の心なんて! ああ、お前の言うとおりだよ! 俺は戦いが大好きだからな! だから、色々取りこぼした! お前が其処までおかしくなったのに、どうにもできなかった!」

「それだけは分かってるんだね」

すっと、ミミちゃんから離れる。

また、時を掛けずに。

シェリさんと、また向かい合っているトトリ。

慌てたように、シェリさんが姿勢を正した。

そういえば、まだ周囲に気配がある。

奇襲なんてさせはしないけれど。

まあ、アーランドの全軍が、この山を囲もうとしている状況だ。気配くらい、あって当然か。

「シェリさんはどう? 私に罰を与えてくれないかな」

「断る」

「ふーん?」

「心を乱したことで、ロロナ殿が狂った事が事実だとしても、貴方はもう充分に罰を受けている。 ましてや貴方の母君の件には、貴方が感情を乱したことは何一つ関与していないではないか!」

それは。

恐らく、トトリの心に、一番刺さる言葉だ。

勿論不快感という意味で。

感情を抑えろ。

また、起こすつもりか。

同時に、後ろから二人。ミミちゃんとジーノ君が、躍りかかってくる。トトリを押さえ込むつもりなのだろう。

ほほえましい。

シェリさんの魔術展開も速いけれど。

指を鳴らす。

魔術が、消し飛ぶ。

「魔術の正体を知っていると、これくらいは容易いんだよ」

「な……!」

ミミちゃんの槍が、トトリの影を抉る。

時を止めるまでも無い。更に、ラッシュを叩き込んでくるミミちゃん。流石、メルルちゃんと一緒に戦っていただけのことはある。かなり前より強くなっている。あの子の立たされた戦場が如何に過酷だったか、このミミちゃんの攻撃だけでもよく分かる。

でも。指二本で、ミミちゃんの槍を抑える。

更に、振りかぶって叩き込んできたジーノ君の剣も。軽く掴んで止めた。

これくらい、なんでもない。

「手加減できる相手ではないわね!」

「ね、いっそ思い切り苦しめて殺してくれないかな。 私だと、どうしても、思いつく悲惨な死に方には限界があるの」

「お前……っ」

「例えば、一なる五人の技術を奪った後。 世界が滅ぶとする。 その時の滅びのダメージを、全て私に集中させたら、どうなるだろう。 それも、体感時間を、百万倍くらいにして」

世界など、滅びてしまえ。

そうトトリは思う。

それは、このような愚かしい罪人に、罰を与えないからだ。

自殺何ぞ絶対に許さない。

そんな楽な死に方で、トトリは許されるべきでは無い。

ミミちゃんが、槍を手放すと、蹴りを叩き込んでくる。流れるような、美しい動きだ。だけれど、すっとおなかに触って、衝撃波をうち込む。

地面に叩き付けられたミミちゃんが、血を吐く。

更にジーノ君のおでこを、指先で一打ち。

ジーノ君は剣を手放して、吹っ飛んだ。

愕然としているシェリさん。

トトリがどうして此処まで強くなっているか、分からないから、だろう。

当然だ。

一なる五人を実力でぶっ潰すために、あらゆる手札を用意した。時間を止める技術もその一つ。

そして、身体能力も。

戦闘経験値も。

徹底的に磨き上げた。

「国家軍事力級戦士でも連れてこないと、私は止められないよ?」

「そうか、ならばどうしてもいやだったが、仕方が無い。 メルル姫が到着するまで、本当は俺達だけで足止めするつもりだったが、切り札を切るしか無いか」

「!」

気付く。

そして、跳び離れる。

横殴りに叩き付けられた雷撃。

間一髪でかわすが、直撃を受けていたら、危なかったかも知れない。

埃を払いながら、ミミちゃんを助け起こすシェリさんと。自力で立ち上がるジーノ君。それに、ゼウスを見た。

そうか、メルルちゃんに従ったと聞いたけれど。

こういうことも、してくるか。

「すまんな。 トトリ殿にも恩は深い。 むしろメルル姫と同じレベルでの恩を受けているのだが。 それが故に見ていられぬ」

「頭から、爆弾を取り除いてあげたのにね」

「本当にそうだ。 恩を仇で返すようで心苦しい。 だが、トトリ殿。 貴殿を救えるのなら、敢えて泥も被ろう」

「更に、もう一枚」

シェリさんの言葉とともに、不意に、周囲に出現する光の輪。

それが縮まって、トトリを拘束する。

眉をひそめた。

この魔術は、ロロナ先生じゃあない。アストリッドさんとも、波長のパターンが違っている。

となると。

姿を見せたのは、バイラスさんを一とする、無数の悪魔族。

まさか。

此処までの戦力を動員していたのか。

メルルちゃんには高い政治力が備わっていることは分かっていた。だが、短時間でこれだけの事をしてのけるとは。

面白い。

少しばかり、トトリも本気を出す必要がありそうだ。

即座に、拘束を破壊。

バイラスさんも、愕然とした様子だ。

「この数の拘束を破るだと……」

「絶対に包囲を抜けさせるな!」

シェリさんが声を上げる。

周囲をドーム状の結界が覆った。

トトリは嘆息すると。両手を拡げて。無数の道具を、空中から出現させた。

邪魔をするなら。

蹴散らして通るだけだ。

 

4、決戦迫る

 

酷く痛む全身。

決戦の場になるヴェルス山に辿り着いたとき。メルルは、少しばかり遅かったかも知れないと悟った。

トトリ先生の気配がある。

移動している。

シェリさんが、居場所に心当たりがあると言っていた。だから途中でバイラスさんに声を掛けて、先行してもらっていたのだ。ついでに、ゼウスさんにも。

だけれど、これでは。

荷車から降りる。

全身が痛むが、歩くのには支障ない。

フラクタル氷爆弾は完成した。本当なら試験したいけれど、それどころじゃあない。ジオ王が来たので、状況を説明。

そういえば、とジオ王も言う。

「トトリとは連絡が取れなくなっていてな」

「恐らく先生は、世界を滅ぼすつもりです。 一なる五人の力を乗っ取った上で」

「それは前から聞いていた。 だが、具体的にはどうやって」

「トトリ先生は恐らく、ジオ王の想像より遙かに強くなっていると思います。 下手をすると、単独で一なる五人を仕留めてしまうかも」

それほどかと、ジオ王は呻く。

想像できないのだろう。

確かにトトリ先生は、国家軍事力級に一歩届かない、という実力だった。ロロナちゃんと比べれば火力の差は歴然だったし。クーデリアさんやエスティさんのような、猛々しい戦いも出来ない。

ステルクさんのような強靱さも無ければ、ジオ王のような全方位に隙の無い強さでもない。

道具さえあわせれば、国家軍事力級と言えたかも知れないが。

それでも、道具が無いと、色々厳しいとも言い換えられる。

逆に言えば。

今のトトリ先生は、それだけ桁外れな装備に身を包んでいるのだ。

「ギゼラさんは」

「到着まで後数刻は掛かるだろうな」

「厳しいですね……」

ロロナちゃんは、陣地の方で、火山を見てにこにこ笑っていた。あの様子では、ロロナさんは本当に、最後のタイミングで無いと呼び出せないだろう。無駄に呼び出しても、トトリ先生を説得できない。

いや、説得は無理と考えるべきか。

どうにかして取り押さえて。

そして、人としての部分を引きずり出すしかない。

ロロナちゃんに対して行った事と、同じレベルの荒療治になる。

いや、今のトトリ先生の気配を考えると。

更に危険かも知れなかった。

「メルル姫!」

2111さんと、クーデリアさんが来る。

2319さんと、ケイナとライアス。セダンさんと、ザガルトスさん。皆がこれで揃った。アニーちゃんは、いない。それが、とても心苦しい。

シェリさんは、ミミさんとジーノさんと一緒に、トトリ先生を必死に抑えてくれているはず。

ゼウスさんもいるだろうけれど。

かなりの苦戦が予想された。

最悪なのは、トトリ先生が火山の中に入ってしまった場合だ。

どうしても、それだけは防がなければならない。

フラクタル氷爆弾を使った後、この火山は地獄になる。決戦は恐らく、氷が溶ける前には勝負がつくと見て良い。

トトリ先生に横やりを入れられたら、その瞬間に世界滅亡確定だ。

「ごめん、誰か背負って。 トトリ先生を、どうあっても止める」

「私が行きましょうか?」

「いや、無理だ。 見ろ」

クーデリアさんが提案してくれるけれど。ジオ王が、顎をしゃくる。

火山の中腹から。

ぞろぞろと、モンスターが姿を見せる。どいつもこいつも、洒落にならない実力だと、一目で分かる。

一なる五人が繰り出してきたのだろう。

「あれは我々で迎撃する。 戦力は裂けん。 頼むぞ、メルル姫」

「……はい」

まだだ。

一手でも間違えれば、即座に詰む状況は変わっていない。

トトリ先生をおかしくしているのは、罪悪感と、人間では無くなってしまった体。そして、何よりも。

世界そのもの。

今度も、世界そのものを、変えるしかない。

説得で人が変わったら、どれだけ楽か。

世界最高のネゴシエーターでも、トトリ先生を止めるのは無理だろう。現実をまず変えないと、あの人は止まらない。

2319が、メルルを背負った。

周囲の皆が、戦闘態勢を取る。

その時。

思わぬ影が、側に舞い降りる。

その姿は。

メルルが知る、ある人に。とてもよく似ていた。

 

(続)