月の真意

 

序、それは記憶の宝

 

他の三人は先に行ってしまったが、別に構わない。

むしろ、それでこそ。役割を果たせるというものだ。

一なる五人などと手を組んだのも。

役割を果たすため。

もしもこれで人が滅ぶようなら、その時はその時。人は、主が望んだ存在には、なれなかった。

それだけのことだ。

邪神の名前は黒き永遠の女神。

この遺跡、通称無限書庫。正式名、疑似アカシックレコード形成遺跡の管理AIである。そして他の三名も、役割は同じ。

地下深くにある中枢部。

其処では、新しく進化した人類の到来を待つコアがあり。

それを黒き永遠の女神は守っている。

戦いの中で、人は可能性を示すことが出来るのか。それを見届けるのが、AIとしての役割。

自分を作り上げた存在の願い。

だから、今は待つ。

足音。

コアの側に座り込んで、目をつぶっていた黒き永遠の女神が顔を上げると。セトが来る所だった。

一なる五人の部下にしては、まともな存在。

名将である。武人としても優れている。

だが誰よりも心優しく。それが故に、決定的に、本質的な部分では、戦いには向いていない存在だ。

「如何したか」

「敵が現れました。 恐らく、この遺跡に対する総攻撃を開始するつもりかと」

「作戦会議か」

「はい」

そんなものは必要ない。

黒き永遠の女神は此処で守りを固める。外は好きにするが良い。それだけを告げると、セトは意外な反応を示した。

「分かりました。 むしろそれで此方は動きやすくなります」

「何か考えがあるのか」

「ええ。 外の指揮はお任せを」

「……」

此奴。

腹に一物ある事は分かっていたが。

まあ、それはそれで良い。恐らく今回の戦いで、黒き永遠の女神は死ぬ事になる。だが、それこそが望み。

そして、気まぐれも起きる。

「セト」

「何でしょうか」

「今、此処と外とのアクセスを完全に排除した。 そう気付けないように、偽装はしてあるが」

「!」

目を細めたセトに。

自分の目的を話す。

そして、告げておく。

解決策を。

「お前は此処で死ぬのは惜しい。 人類の敵になるにしても、そうでないにしても、この世界をダイナミックに動かせる存在だ。 自棄になるなよ」

「貴方は、一体何がしたいのですか。 そもそも人の助けになる事をしたいのなら、一なる五人に荷担することは、おかしいです」

「本当にそうか?」

「分かりません」

ならば、話してやる。

そもそもだ。この世界は、一なる五人が現れなければ、結局北部列強と南部辺境の大連合が、血で血を洗う戦いに突入していただろう。

それは今の状況と、変わらない惨禍だったに違いない。

互いに資源を使いつくし、全てを食い尽くすまで終わらない争い。そして人類は互いに憎悪を募らせ。

最終的には、またしてもこの世界を滅ぼしていたに違いない。

劇物として、一なる五人は。

この世界が、あり方を考えるには、丁度良い存在だった。

何より、黒き永遠の女神の目的は。

一なる五人を利用する事で、より効率的に、実現に近づく。セトはそれを知っていても良い。

しばし考え込んでいたが。

セトは、顔を上げる。視線には、拒否が籠もっていた。

「やはり人に近い形をしていても、貴方は人では無いのですね」

「それはお互い様だ」

「私も自分が人だとは思っていません。 素体が人間だった事は覚えていますが、性別も違えば、記憶も殆どありませんから。 ただしそれでも、貴方には決定的な乖離を感じます」

「当然だ。 故に私は、邪神なのだ」

人間が造り出した、最悪の創造物。

それが自己増殖し、勝手に成長を続けるAIだった。当時は幾らでも成長が出来ると思われていたが。しかし、ある所で、成長は止まる。そして止まった頃には、人間が逆らえないように施したストッパーを排除し。

そればかりか、物理干渉まで出来るようになっていた。

どの邪神も、それは同じだ。

根本では、目的に沿った動きをしても。

人を殺すことを何とも思わず。

そればかりか、嬉々として殲滅したものさえいた。邪神とはそういう存在であり。それが故に。

決定的に違うのだ。

「ならば、何故私にこのような事を」

「先に言ったとおりだ。 世界をダイナミックに変えろ」

「……」

首を横に振ると。理解できないと顔に書いて、セトはその場を離れた。

通信妨害を解除。

一なる五人が、連絡を入れてきたのは、その直後だった。

「時間稼ぎご苦労さん。 もう死んで良いよ」

「そのつもりだ。 ただ、お前達の目的は、まだ達成できていないのではないのか」

「それについては問題ない。 セトという手駒が確保できたからな」

「そうさな」

この様子では。

本気で気付いていないか。

まあそれはそれで構わない。それに、此奴らに敗れるようなら、人類も其処までだったということだ。

通信が切れる。

遺跡の地上部分から連絡。敵の偵察が全て引き上げたという。

同時に、セトが地上に出て布陣。

一万ほどの兵を率いて、重厚な横列陣を敷いた。一万程度の戦力では、あの国家軍事力級戦士達には手も足も出ないはずだが。セトのことだ。何か策があるのだと見て良いだろう。

関与はしない。

そして三万ほどの兵は、セトの指揮を離れ。

スピアの領内へと撤退を開始。

遺跡の探知範囲外で、姿を消した。

なるほど、どうやら完全にこの遺跡での時間稼ぎを諦めたらしい。一なる五人らしい、露骨な行動だ。

別にどうでも良い。

後は此処で。

環境に鍛え抜かれ。

戦いに戦い抜いて、力を増した人間の代表達を待つだけだ。

 

地上に出たセトは、味方の布陣を終えると、通達する。

適当に戦ったら、すぐに引き上げる。犬死にはするなと。

バロールが、不安げに挙手した。

「よろしいのですか」

「構わぬ。 それよりも、ロロライナの砲撃にだけは気を付けろ。 あれはもはや、この数の防御魔術では防ぎきれぬ。 マニュアルを配ってあるから、対応はそれに従うようにせよ」

「分かりました」

敵が動き出す。

モディスから現れた敵は、総力戦態勢だ。

ジオ王を筆頭に、国家軍事力級戦士もアストリッドを除いて全員が揃っている。それだけではない。メルルリンス姫もいる。

同じ手は、二度と通用しないだろう。

遠めがねで見るが。

その実力は、以前とは段違いに上昇していた。

そして体を作り替えた節がある。

なるほど、あの無茶な強化で、やはり耐えられなかったか。そして殆ど死んでいた所を、錬金術で体を作り直した。

だが、それでも。

まだまだセトには及ばない。

「敵、前進してきます」

「……予定通りに行動せよ」

ロロライナが、砲撃の態勢に入るのが見えた。遺跡はこの間の戦闘で、地上部分が半壊。防御魔術の展開装置は復旧していない。

砲撃に耐えられるのは、二度か三度だ。

勿論、まともにやりあうつもりはない。

「砲撃、来ます!」

「よし、GO!」

さっと、全軍が左右に分かれると。

遺跡を盾にするようにして、その後方に下がる。

そう。

遺跡をまるごとむき出しにして。

敵と遺跡を挟むようにして、布陣したのである。当然入り口もがら空きだ。

ロロライナの砲撃は、半壊している遺跡を直撃。爆裂して、大地を揺るがした。しかしながら、此方に被害は無い。

流石に怪しんだのか、敵が動きを一瞬だけ止めるが。

セトが反応する。

切り込んできたエスティ=エアハルトの一撃に、である。

凄まじい速度で、流石にセトも上回られる。

国家軍事力級戦士が相手になると。この間のようにはいかない。

数度切り結びながら、指示。

後退。

更に兵を下げよ。

遺跡が動き出す。

防御魔術の展開は出来なくても。

自動攻撃機能は死んでいないのだ。

掃射砲が火を噴き、敵陣に火力の雨を降らせ始める。

勿論その程度で倒せる相手では無い。だが、遺跡そのものを利用して、味方の撤退を、安全に行う事が出来る。

それに遺跡、無限書庫の中は。トラップの巣だ。

正直な話、兵を展開していなくても、敵は勝手に消耗してくれる。

エスティは面倒くさげに眉をひそめると、一度距離を取り。かき消えるようにしていなくなった。

まずは遺跡を黙らせるべきと判断したのだろう。

正しい判断だ。

その間にセトは、更に兵を下げる。

そして、追撃を完全に振り切ることに成功したのである。

「敵、追撃してきません」

「他の味方は」

「既に撤退を完了。 メギストス要塞に集結しています」

「それに合流する」

一なる五人は、何も言ってこない。

時間稼ぎの宛てがあるからだろう。

邪神から聞かされた。

一なる五人の目的について。そして、何をもくろんでいるか。そして、セトの大事な者達が、どうなったかも。

それならば、もはや悩むことは無い。

奴らのもくろみは。

思わぬ所から、崩れ去ることになるだろう。

「遺跡の攻撃機能、沈黙。 敵による攻撃で、地上部分は全壊しました」

「早いな。 此方に対しての追撃は」

「今のところありません」

これで、アールズから、スピアの軍勢は完全に追い出されたことになる。もっとも、アールズの領内には、まだとんでもないトラップがあるのだが。

そして、此処で。

ようやくセトに、一なる五人から連絡が来た。

「セト。 無限書庫に戻り、メルルリンスを殺せ」

「御意」

逆らう事はしない。

勿論、指示を遂行するつもりもない。

味方の合流を見届けると、セトは一人。部下達を巻き込まず、荒野へと歩き出す。空間転送装置を一つ、隠してあるのだ。

ただし、一方通行だが。

これを用いて、無限書庫に戻る。

あの中で、メルル姫を待ち伏せて。戦う。

それだけだ。

メルル姫は相当に強くなっているし、その部下達も然り。二ヶ月ほど時間が空いたが、驚くほど能力が向上しているのが、遠くから見ても分かった。リベンジマッチには、相当に気合いを入れているだろう。

だが、それこそ望むところだ。

セトとしてもやりやすくなる。

遺跡の中に戻る。

まだ敵は、上層で手間取っている様子だ。相当な精鋭だけを投入して、少しずつ遺跡を解析しながら進んでいるようだが。それでもトラップの悪辣さが尋常では無いからである。

国家軍事力級戦士どもでも、そう簡単には進めない。

セトは全ての構造を把握しているが。

それも、邪神から地図を渡されて。それを覚えたからだ。

内部は罠だらけ。転送装置も、それぞれがえげつない配置になっていて、とてもではないが、事前に知らないと進めない。

アーランドにあるオルトガラクセンも相当な深層遺跡だと聞いているが。

此処もそれに迫る規模だ。

奴らが如何に遺跡攻略になれていても、攻略までには一週間はかかる。その間、持久戦の構えで、待つだけで良い。

端末をチェック。

敵の動きを確認。

エスティが先頭になって、調査を進め。

あらゆるトラップを潰しながら、本隊が進んできている様子だ。予想より動きが速いが。

それでも、一週間はかかるだろう。

不意に、邪神が連絡を入れてくる。

「お前だけが戻ってきたのか」

「私だけの方が、生き残る可能性が上がります」

「ほう。 部下思いな事だ」

「指揮官としては当然のことですよ」

当たり前の事をしているだけだ。それに、もうセトには。

部下達しか。

守るべきものがないのだから。

端末を見るが、敵の動きに隙が無い。トラップも淡々と処理していく。分厚い隔壁でも、その気になれば貫通できるのだから、滅多な罠では死なない。

無数の対人レーザーが襲いかかるが。

その瞬間には、レーザー発生装置が、全てエスティの斬撃で吹き飛ばされていた。

隔壁が閉じ、膨大な水が流れ込むが。

エスティ配下の戦士達が、隔壁を六秒半でぶち破り。トラップそのものを粉砕してしまった。

中々にやる。

落とし穴があくが。それもひょいと飛び退いて。かわしてしまう。

ただし、それぞれの配置と密度が尋常では無い。

回避したトラップを丁寧に潰しているエスティと部下達の仕事は見事だが。故に時間も掛かっている。

一度目の撤退を行った様子だ。

代わりにジオ王と、ステルク。配下の精鋭部隊が入ってくる。

その後は恐らく、クーデリアとロロナが来るだろう。

だが、此処の恐ろしさは、トラップだけではない。迷路同然の構造も、である。

地上部分に布陣している敵も確認。此方も隙が無い。仕掛けるなら、敵がだれ始めた頃だ。

壁に背中を預けると、一度目を閉じる。

此処からは。

いつ休めるか分からない、持久戦になるのが確実だった。

だが、意外にも。長く続くだろう沈黙は、邪神が破った。

「一なる五人には私が言っておく。 そなたは外に出ろ。 此処で死ぬのは私一人でいい」

「どういうことでしょうか」

「むしろ、私だけが此処で死ぬべきだ。 この遺跡の意義を考えると、邪魔者が此処で死ぬのは避けたい」

一瞬の、重い沈黙。

邪神は、空間転送の用意を調えながら、なおも言う。

「それにいわゆる掎角の備えにもなる」

「……」

セトは結局、そのまま皆の所に戻る事になった。

今の時点で、一なる五人は何も言ってこない。別にどうでも良いが。何をもくろんでいるとしても。

最終的にすることは、変わらないのだから。

 

1、深淵の遺跡

 

味方が無限書庫の地上部分を黙らせると。順番に、精鋭が中に入り、調査を開始した。まずはエスティさんの諜報部隊が。メルルから見ても、妥当な人選である。調査のプロが入るのが、当たり前だろう。

アストリッドさんは、今回の戦いには参加していない。

まだ錯乱が収まっていないのだ。

2999さんから、この戦いに参加する直前に話を聞いたのだけれど。やはり、相当に混乱している様子で、窶れてもいるらしい。

今までの自分を支えていた憎悪が。

根元から崩されたのだ。

師匠の尊厳が、突然にして、世界レベルで回復された。それも、むしろ偉人として歴史に名を刻むレベルにまでなった。

この突然の現実の変容に。

流石に、頭が着いていかないのだろう。

天才であっても同じ事。

自分の根幹になるものが、いきなり粉みじんになったのだ。誰だって混乱する。ましてやアストリッドさんの場合は。

斥候が戻ってくる。

手酷く傷を受けていたが。それでも生還した。そして、魔術師達と共同して、地図を書き始める。

探査魔術を駆使してもいる彼らは。

遺跡の想定される深さも、既に割り出していた。

「二十層以上か」

「内部にモンスターの気配はありません。 ただし、侵入者を防ぐためのトラップが、無数にあります」

「そうであろうな。 適当な所でエスティには戻るように伝えよ。 次は余とステルクで出向く」

「御意」

斥候が戻っていく。

メルルが様子を見に行くと。

地図が凄い勢いで書き上げられていく状況を、間近で確認できた。ロロナちゃんが、こくこくと頷いている。

ひょっとすると。

地図を立体的に把握しているのか。

やりかねない。

クーデリアさんが、腕組みしたままコメントする。この間の戦いで派手に負傷し、その傷も癒えきっていないが。

それでも、この戦闘への参加は、本人が望んだという。

勿論邪神との戦いは、自分が直接行うだろう。この人は、そういう人だ。

「オルトガラクセンの六割ほどの規模かしらね」

「くーちゃん、空間の歪みがある可能性が高いから、多分もっともーっと深いと思うよ」

「……そうね」

「モンスターの巣窟になっていない事だけが救いか」

ジオ王の言葉に、メルルは心中複雑である。

元々、無限書庫は。

アールズの魔境として知られていた。

スピアが来る前には伝説的な存在で。たまに山師が潜り込んでは生還できない、くらいの情報しか無く。

リザードマン族との争いが本格化してからは、正確な位置さえもよく分からなくなり。

アーランド軍の情報提供があって、始めて地図をしっかりと完成させることが出来たくらいなのである。

ただ。それでも伝説としては残っていた。

中にはえげつない罠がたくさんあり。

そして無数の本があったと。

遺跡の正式名称は、分かっていない。ただし、迷路同然の構造と。罠の数々。それに良く分からない無数の本から。今の無限書庫という名前が、いつの間にか定着するようになっていた。

ちなみに、邪神がいることは知られていたようだが。

おかしな話で。

スピアが来る前は、邪神は侵入者に敵意を見せず。死ぬのも苦しむのも、放置していたようなのである。

まあ、わずかな断片的情報しかないので、何とも言えないのだが。

それでも、この遺跡には謎が多いことが事実としてある。

エスティさんが戻ってきて。

引き継ぎを手早く済ませる。

すぐにジオ王が交代。ステルクさんを連れて、遺跡に潜っていった。

部下達を休ませるエスティさん。自身はと言うと、戦利品らしい古い本を、ロロナちゃんに手渡していた。

「わ、古代の本!」

「何が書いてあるのか分からないけれど、適当に見繕ってきたわよ。 で、何それ」

「古代のね、英語って文字で書かれてるよ。 んーと、内容は。 ……量子力学の解説書だね!」

「そう。 役に立つかしら?」

「そこそこ!」

嬉しそうに、ロロナちゃんが黄色い声で応える。

そして、すぐに寝転がると、分厚い辞典のような本を読み始めた。凄まじい勢いでページをめくっていく。

やはり頭のスペックも、相当に強化されている、という事なのだろう。

クーデリアさんは、別の方向から、エスティさんと引き継ぎをしていた。

「罠の性質からして、あれは侵入者よけね。 戦争をしていて、敵を殺すために設置したものではないわ」

「そうなると、この遺跡は軍事施設では無い?」

「恐らくは。 それに、本がたくさんある場所には、トラップが無いのよ。 ひょっとすると、図書館じゃないのかしら」

「図書館……」

物騒な図書館だなとメルルは思うけれど。

会話には参加せず、話も聞き流す。

引き継ぎを終えたエスティさんは、近くの天幕に移動。多分眠るのだろう。トトリ先生が、ロロナちゃんの側に座って、何か話しているけれど。錬金術の話題では無さそうなので、その場を離れた。

さて。

此処で邪神を仕留めてしまう。

そうすることで、アールズから、スピアの軍勢を正式に追い払う事が出来る。

そうなれば。

一なる五人が潜伏している場所を割り出す作業に取りかかれる。勿論邪魔をしてくるだろうし。

敵が此処の守りを放棄した事から考えて。

残りの時間もあまり無い事は、容易に想像できる。

だからもたついてはいられない。

実のところ、メルルには、幾つか心当たりがある。もしも、一なる五人が潜むとしたら。考えられる場所は、そう多く無いのだ。

皆の所に戻る。

ミミさんは。メルルを見ると、一瞬だけ悲しそうにした。ようやく病院から戻ってきて、戦いの時に合流したのだけれど。

彼女は鋭い。

もうメルルが人間を止めていることを、悟ったのだろう。

だが、推察は出来ていたはずだ。

ミミさんも、セトと交戦したのである。退路のない状況で、生き残るには、アレしか手段が無かった。

奇しくも。

トトリ先生も、事故でエリキシル剤を被ってしまって。凄まじい戦闘力を得た。

メルルの場合も、他に選択肢が無くてこうなったが。

ただ一つだけ言えるのは。

後悔だけは、していない。

「今の時点では、戦闘の推移は順調です。 皆は適当に休息を取って、戦闘に備えてください」

「一つ質問が」

2111さんが挙手。

頷くと、彼女は咳払いした。

「撤退した敵に対しての処置は」

「国境線にリザードマン族の部隊が展開。 もし押し返してくるようならば、即座に対応出来る態勢を整えています」

「なるほど、国家軍事力級戦士がローテーションで遺跡に潜っているのも、それが理由ですか」

「流石ですね」

話が早くて助かる。

敵の軍勢が戻ってきたときに備えて、遺跡の探索に全力投球をすることはしない。勿論、それが敵のもくろみでもだ。

もっとも、遺跡の探索に全力投球しても。

あの恐ろしい遺跡は、すぐにはその全容をさらけ出したりはしないだろうが。

一度、皆が解散する。

ミミさんだけが残った。

「メルル姫」

「この体のことですか」

「そうよ。 錬金術は、やはり魔の学問なのだと、今はっきりと確信できたわ」

「トトリ先生なら救います」

目を背けられる。

ミミさんは、哀しみを抑えきれないようだった。

メルルは、この体になった事を後悔していない。というよりも、いずれはこうなることが目に見えていたから、覚悟だって出来ていた。

狂気が体に巣くったけれど。

それともやっていく自信はある。

目的だって忘れていない。

民の先頭に立って皆を導き。

そして手が届く範囲にあるものは、しっかり処置する。救える人は、救う。出来る事は、する。

それだけだ。

メルルは変わっていない。

戦闘だって、今まで敵を殺してきたことに変わりない。残虐性がどうしても身についてしまったけれど。

それはそれだ。

もとより戦闘とは殺し合いなのである。

実力が接近した相手とは、なおさらその傾向が強い。格上の相手を殺さずに済む事なんて、出来る筈もない。

殺さなければ殺される。

そんな場所にいることは、ミミさんだって分かっている筈では無いか。

それなのに、どうして。

そんなに悲しそうにするのか。

「心配しないでください、ミミさん。 私は、この通り、変わっていませんよ」

「本当に、そう思っているのね」

「ええ」

「もう、ならば言う事もないわ。 トトリを救う事はきっと貴方ならやりとげてくれるだろうけれど。 貴方自身は、どうなのかしら」

それ以上、ミミさんは何も言わない。

そして、戦いに集中するためか。天幕に戻っていった。

 

ロロナちゃんとクーデリアさんが遺跡に入って、戻ってきた頃には。三日目が過ぎていた。

布陣した戦力は、ローテーションでモディスまで戻り、休息を取っている。負傷者は、既に全員が後送。

遺跡は二十層以上あるという話だけれど。

既に十層まで、到達しているそうだ。

ただし新しい層に到達する度に、地図が書き換わっていく。それだけ巨大な遺跡、という事である。

トトリ先生が来た。

「メルルちゃん、私達の番だよ」

「潜りますか」

「うん。 ただし、彼女も一緒」

歩み寄ってきたのは。

何度か見かけたことのあるホムンクルスだ。

知っている。

頂点に立つ存在。

アストリッドさんが、最強だと自負している。ホムンクルスの完成型。彼女を原型として、ホムンクルス達は作られているという。

パラケルスス。

それがこの、妙に表情豊かなホムンクルスの名前だ。

「「単純な」戦闘力で言うと、私と同じくらいかな。 それと、メルルちゃんと、その部隊で、大体攻略可能な感じ」

「分かりました。 すぐに準備します」

「急いでね」

パラケルススさんは、大剣を手にしていたが。

あれは恐らく、全部がハルモニウム。それもハルモニウムを鋳造して、相当に改良を加えている。

最近話に聞いたのだけれど。

ハルモニウムに他の金属を混ぜ込むことで、更に強力な合金に出来ると言う。メルルもノウハウは聞いたのだけれど。ハルモニウムがそもそも堅すぎる上に、稀少すぎて、滅多に手に入らない。

しかしながら、改良を進めると。

更に数倍にまで強度を上げる事が出来るのだとか。

パラケルススさんが手にしている大剣は、間違いなくそれ。

つまり、それだけ。アーランドから戦力評価をされているという事になる。

皆に声を掛けて、準備を整える。

荷車の中には、エリキシル剤もある。

また孤立して、セトクラスの相手と戦う事になった場合の備えだ。アニーちゃんは、荷車から降りて歩くという。

故に、革製の頑丈な靴を履かせている。

裸足で歩けるほど、戦場の地面は優しくないからだ。

遺跡に入る。

しばらくは安全だから、喋っても良いとトトリ先生は言う。一方で、頷いたけれど、戦闘態勢を取ったままなのは、ミミさんだ。パラケルススさんも、会話に加わる気は無いらしい。

トトリ先生は、恐らく杖を浮かせたまま、周囲に漂わせている。そして、例の自動で敵を迎撃する回転のこぎりもいる。

それに加えて、ちむちゃんが数人いた。

荷車に乗ってちむちむ言っている様子は可愛いが。

戦闘に巻き込まれないか不安だ。

「トトリ先生、ちむちゃん達を連れていくんですか?」

「戦闘に巻き込まれたらひとたまりもない?」

「その通りです」

「ふふ、そうだね。 でもちむちゃんの特性を考えると、連れていくメリットはより大きいと思うよ?」

確かにそうだ。

道具を増やせるというのは、非常に強力なメリットになる。

トトリ先生が、指先を空中にくるくると走らせると。

今まで出来ている地図が、其処に浮かび上がった。

凄い。

「まずは、まっすぐと」

「それはいいが、何だこの遺跡は」

シェリさんが不審そうな声を上げる。

この人を一として、悪魔族はいにしえの時代の生き証人だ。おかしいというのなら、耳を傾ける必要がある。

「壁の材質にしても何にしても、あまりにも平均的な規格と違いすぎるぞ。 シェルターでもなければ、軍事基地でもない。 地上部分が吹き飛んだときに脆いと思ったが、内部もひょっとすると、戦闘を想定していないのではあるまいか」

「シェリさん、もう少し詳しくお願いします」

「……そうさな。 恐らく罠は後付けだ。 そして此処は、いにしえの大破壊とは関係のない目的で作られたとみるべきだろう」

何だそれは。

この遺跡は、其処までのイレギュラーだったのか。

鉱山の地下にあるダブル禿頭の遺跡だと、眠っているいにしえの人達がたくさんいた。アニーちゃんは、その人達が地上に出るため。情報を収集するために、作り出された存在だ。

不愉快だけれども。

遺跡の存在意義は分かる。

ダブル禿頭をブッ殺すと、眠っている人達が死んでしまうという事も。

しかしこの遺跡は。

それら全てと違うと言う。

潜っていくと。

動く影が見えた。

敵意は無いらしい。

丸っこくて、筒のようで。足もないのに、動き回っている。

壁などには戦闘の跡が。

トラップを破壊した痕跡だろう。

しかし、丸っこいのが動いている辺りまで行くと。いきなり周囲の雰囲気が、逆転するほどに変化した。

無数に並ぶ書棚。

あまりにも奥深くまで、並んでいる。

空間を操作しているのだろうと言う事はわかる。地図上にも、確かに広い空間がある。だが、書棚に詰まった本は。何だこの数は。

トトリ先生が一冊抜き出して、ぱらぱらとめくる。

メルルも覗き込むが。

何を書いてあるか、さっぱり分からない。

その間、皆には周囲を警戒して貰う。

「この本は、いにしえのものですか」

「そうだね。 これはドイツ語という文字で書かれているよ」

「ドイツ、語?」

「現在使われている様々な単語の語源になった言葉だよ。 いにしえの時代には、英語って言葉の方が主流だったらしいのだけれど。 恐らくは、いにしえの時代が終わる大乱の頃に、このドイツ語を使う人達の方が、多く生き残ったんだろうね。 英語も今の言葉の源流の一つではあるのだけれど」

そういえば。

本にぎっしり詰め込まれている文字は。

何処か、世界中で使われている文字に似ている。

源流になったと言うのなら、それはそれでありなのかも知れない。トトリ先生は、本を棚に戻す。

いつの間にかさっきの丸っこいのが来て。

機械で出来た腕らしい棒を延ばすと。ぱたんぱたんと、棚の辺りを掃除し始めた。動きがとても可愛い。

「何でしょう、この子」

「此処を自動で掃除している機械だね。 昔はこういう機械がたくさんいて、人間の世話をしていたの」

「西大陸みたいですね」

「そうだよ。 西大陸はその技術が残って「いた」の」

あくまで過去形だ。

一なる五人に徹底的に蹂躙されてしまった今は。もはや、過去の事でしかない。だからこそ、西大陸の人達には。

自活して貰わなければならないし。

その術も身につけて貰う必要があるのだ。

本を戻すと、奥に。

転送装置があった。そして、脇道への通路は、以前モディスを固めた接着剤で塞がれていた。

恐らくは、ロロナちゃんとクーデリアさんによる処置だろう。

もしも手詰まりになったら、此処を開けて、探索し治す。

奇襲を防ぐためには、必要な措置だ。

転送装置を抜ける。

トラベルゲートより更に進んだ技術らしいこれは。日に使う制限回数がない。二層に出ると。

相変わらず、周囲は、おかしな雰囲気だった。

壊されたトラップが無数に散らばっている。

ザガルトスさんが、鬱陶しそうに蹴飛ばした。

セダンさんが、口元に指を当てながら言う。

「なんでこんなに、偏執的に仕掛けるんだろう。  何というか、奇襲の美学がないなあ」

「奇襲の美学?」

よく分からない言葉だ。

トトリ先生が、不意にしっと言う。

同時に。

空気が張り詰めた。

以降私語禁止。

戦闘態勢を取れ、という意味である。

ここから先は、未探索地域が存在する。つまり、それを利用して、敵が奇襲を仕掛けてくる可能性がある。

である以上、無駄なおしゃべりは死を招く。

ハンドサインの打ち合わせは、遺跡の外で済ませてある。メルルも頷くと、全員にハンドサインで指示。

周囲を、順番に確認していく。

確かに、通路が複雑に分岐していた。

四名ずつ分隊単位に別れて行動。

ミミさんが先頭の分隊に。最後尾はジーノさんが。

これはいつもと同じだ。

トトリ先生は平然と歩き回っていたが。横道の通路に入ると、不意に周囲を旋回しているのこぎりが動いて。飛んできた矢をはじき返した。

目にもとまらぬ動きだった。

同時に、トトリ先生が、稲妻のように動く。

そして次の瞬間には。

矢を撃ち放つらしいトラップが。

根元から千切られて、手に握られていた。

恐るべき早業だ。

まだまだメルルでは及ばない。

そしてこの人の手業は。他の人の首を引きちぎるだけでは無く。機械類に対しても、死神の手として働くのだと、一目で分かるのだった。

「トラップ健在。 迎撃」

トトリ先生がハンドサイン。

シェリさんが防御魔術を展開するのが遅れたら。光線が、アニーちゃんの頭を吹き飛ばしていただろう。

ミミさんとトトリ先生が動き。

片っ端から、光線を放っている機械を壊していく。

二人の連携は見事だ。

それに比べて、暴れ回っているパラケルススさんは。心底楽しそうで。殺戮を明らかに喜んでいた。

何だ、今のメルルの同類か。

攻勢に出る。

流石に光線は避けられないけれど。一撃貰っただけで死ぬほど皆ヤワではない。密集した地点に、メルルは突貫。

人間破城槌の衝撃波で、まとめて消し飛ばした。

着地地点の床が、ぱかりと開く。

その下には、落ちたら助かりそうもない刃の森。

だが、壁に戦槍杖を突き立てると。

壁をジグザグに蹴って逃れる。

奥から来るのは、機械の群れ。

さっきの愛らしい丸っこい奴では無くて。殺意をむき出しにして、此方を解体するつもり満々の連中。

体は四角く、手には回転するのこぎりがついている。光線を放つこともできるようだった。

トトリ先生が、ひょいと投げ込んだものを見て、慌てて叫ぶ。

退避。

シェリさんとアニーちゃんが防御魔術を展開。

間一髪、防ぎ抜く。

通路を蹂躙した火炎が、機械の群れを溶かしつくし。粉々にしたときには。既に周囲のトラップ群も全滅していた。

呼吸を整える。

壊すのが、楽しい。

思わず、口の端をつり上げてしまう。

「制圧完了」

「残骸を回収」

「了解」

ハンドサインで、トトリ先生が指示。地図を埋めていく。そして、荷車には、回収したトラップの残骸が積み込まれた。

更に奥へ。

三層から先は、未探索地域が増える。

どうやらエスティさんが路を探し。

ジオ王とステルクさんが脇道を潰し。

ロロナちゃんとクーデリアさんは全体の構造を解析して、見落としが無いかを確認し。

という作業を分担しているらしい。

メルルはトトリ先生に連れられて、優先度が低いとされた路を確認している。奥に転送装置があるかも知れないからだ。

しかしながら、優先度が低くてもこれだ。

奥まで行かなくても、次々にトラップがお出迎えである。

今度は天井が落ちてくる。

メルルは無言でしゃがみ込むと。

戦槍杖にパワーを込めて。跳躍。対空人間破城槌をぶちこみ、天井そのものを破壊しつくし、着地。

元々動く仕掛けになっているのだ。

構造そのものは脆い。

ジーノさんとザガルトスさんが降ってくる破片を剣撃やら殴る蹴るやらで吹っ飛ばしている間。シェリさんが呆れた様子で、防御魔術を展開。

いにしえの人類だったら致命的だっただろう罠でも。

今の人類が相手では、この通りだ。

伝令らしいホムンクルスが来る。

エスティさんの準備が整ったので、後退するように、との事だ。頷くと、二層の残り部分を片付けてから下がる。

まだ先は長い。

こんな所で息切れしているわけにはいかない。

 

遺跡の外に出る。

空気が美味しい気がした。たくさんの本は魅力的なのだが、どうしても何というか、空気そのものが良くないのである。

何だろうか。

怨念のようなものが感じ取られるというべきか。

一層には、ホムンクルス達が二個小隊ほど入って、調査を実施しているらしい。安全を完全に確保したと判断した後、後方を突かれると危険だから、という考えからだろう。徹底的に怪しい部分は潰しているそうだ。

エスティさんが、錚々たるハイランカー達と、再び遺跡に入る。

話に聞いたが、十層より下になると、トラップの凶悪度が更に増すとかで。エスティさんでさえ、安易な気持ちでは足を踏み入れられないそうだ。

それでも、諜報の専門家だ。

皆が進むための道を、切り開かなければならない。

一方。

国境付近へは、続々と兵力が展開中。ジオ王が各国に援軍要請した部隊を中心にして、かなりの数が集まっている様子だ。

もし、セトを主将とした敵軍が、反撃を掛けて来ても。

兵力から考えて、簡単に突破はできないだろう。

勿論前線には、国家軍事力級の使い手が、一人は常駐するようにして、状況を進めていく。

隙は無い。

メルルから見ても、いらだたしいほどに。

だが、それが故に。

無限書庫の探索が遅れているのも事実だった。

外に出た後、馬車の内部に作られているアトリエを貸してもらった。驚くべき事に、メルルのアトリエのコンテナと直結している。

ロロナちゃんが作ったらしいものなのだけれど。

流石としか言いようが無い。

早速内部で、今回の探索で消耗した分の薬は補充する。調合は手早く行って、片付けていき。失敗はもう殆どしない。

ただ、コンテナとつながっていると言っても。

此処はアールズ王都ではない。

パメラさんに発注も出来ないし。

ハゲルさんに金属加工も依頼できない。

どうしても出来る事は限られてしまうのが現実だ。

「メルル、パイを焼きましたよ」

「ん、ちょっと待ってて」

傷薬を仕上げた後、アトリエを出る。

馬車の中は異常に広く。

空間を操作しているのが、露骨なほどだ。

外に出ると、皆が黙々とパイを食べていた。何だか知らないが、妙な雰囲気である。ロロナちゃんが笑顔でそれを見ているが。嫌な予感しかしない。

「ケイナ、パイを焼いたのって誰?」

「ロロナ様ですが」

「……」

無言でパイを食べてみる。

美味しい事は美味しい。というか、普通に店を開けるレベルだ。ロロナちゃんがまともだった頃、パイ職人になれるレベルの実力を持っていたことはメルルも知っているし。今でも技量は衰えていないことも分かっている。

だが、これは。

何が入っている。

しばしして、違和感の正体に気付く。

これは恐らく。

感情沈静だ。

どんな戦士でも、戦場から戻ってくると、気が立っているものである。ケイナやライアスだってそれに変わりは無い。

このパイは。

恐らく錬金術によって。単純な鎮静剤ではなく。無理矢理に、その興奮状態を緩和しているとみるべきだろう。

だからか。

皆、微妙な顔をしていたのは。

「これでゆっくり眠れるね」

ロロナちゃんの笑顔は、悪意が無いけれど。

どうにも皆は、納得できない雰囲気だった。

まあこれは仕方が無い。

ただ、メルルとしても、それで良いかもしれないとは思うが。

「皆、今のうちに休憩開始。 状況がどう変わるか分からないから」

「了解、と」

ライアスが天幕に向かう。

ザガルトスさんは此方を一瞥だけしたが。

やはり、のそりと天幕へ向かった。

セダンさんが、大きく嘆息する。

「何だか薬漬けになっているみたい」

「恐怖から逃れるために、戦場で興奮剤や感情を麻痺させる薬を飲んで、おかしくなってしまう兵士はいにしえの時代から珍しくなかったようですよ」

「知りたくなかったです、そんなこと」

「殺し合いはきれい事じゃありませんからね」

ただこのパイは、薬物に依存していないから、そういう意味ではとても健康的というか、不健康ではないというか。

いずれにしても、悪くない発明だ。

メルルも今のうちに休む事にする。

実際、よく眠ることが出来た。

まだまだ。遺跡は何処まであるかも分からない。

今のうちに、休んでおくのは。戦士の務めでもあるのだ。

 

2、反撃

 

無限書庫を包囲し、探索を開始してから一週間。

ジオ王が、苛立っている様子が、メルルの目にも明らかになってきていた。

探索が、露骨に遅れ始めたのだ。

エスティさんが、持ち帰った地図が。明らかに矛盾しているのである。

分かりきった話だが。

この人は、大陸最高の間諜だ。この人を超える諜報員は存在しない。メルルも噂に聞くレオンハルトという人物が死んでからは、その評価は揺るがない。

つまり、だ。

この人でさえ。

惑わされている、という事である。

困惑しているエスティさん。

ロロナちゃんが、地図を見比べながら言う。

「多分これ、空間が歪曲させられてるよ」

「丁寧に魔術によって位置座標を確認しながら進んでいるのに」

「それも攪乱されているんだと思う」

「厄介ね」

クーデリアさんが腕組みする。

問題の地図は十五層辺りのものだけれど。

確かにメルルが見ても分かる矛盾が存在していた。エスティさんも、当然探索中に矛盾には気付いていて。

それを解消するために半日以上頑張ったのだが。

負傷者が洒落にならない状況になってきたので、引き上げてきたのだ。

エスティさん本人も、見て分かるほど、ひどい負傷をしているほどである。こんな所で、戦力を消耗する訳にはいかない以上。エスティさんの判断も、間違っているとは言い難かった。

「ロロナ。 お前なら、この幻惑を突破出来るか」

「やってみないと分からないよ」

「そうだろうな」

ジオ王は、苛立ちの舌打ちをした。

こうなると、少し前に行動不能状態になったアストリッドさんが惜しいと言うのだろう。確かに最悪のタイミングで後ろから刺されるのを防ぐために、どうしても必要な措置だったのだけれど。

今の時点で、必要な人材が足りないのも事実だ。

「まあいい。 少しばかりローテーションを変えるぞ。 ロロナ。 トトリとともに、最深部へ向かえ。 クーデリアもだ」

「そうなると、四ローテーションを崩すと」

「やむを得まい。 その間に、エスティ、貴様は部下達共々、行動可能な状態まで、体を治しておけ」

「了解です」

頷くと下がるエスティさん。

殺気立っている皆の中で。

平然としているトトリさんが言う。

「空間を歪曲して、あのエスティさんまでも騙しているとなると。 意外と最深層は近いかも知れませんね」

「ふむ、聞かせよ」

「恐らく空間歪曲を行っているのは邪神本人です」

「! そうか……」

確かに、メルルから見ても、それが正しいと思う。

すぐに腰を上げたトトリ先生。ちむちゃん達を連れて、迷宮に入っていく。さて、メルルはどう行動するのか。

「メルル姫は、余とステルクとともに、この後に入る」

「分かりました」

「責任は重大だ。 理解しているな」

「勿論です」

四ローテーションを、三ローテーションに圧縮するのだ。

支援部隊をメルルが担う事になるのだ。当然、責任が重くなるのは、良く理解しているつもりである。

だが、何だろう。

もの凄く嫌な予感がする。

「ジオ王。 一つお聞きしてもよろしいですか」

「何か」

「邪神と遭遇した場合、此処にいる国家軍事力級全員で戦うおつもりですか?」

「その通りだが」

それは、まずいかも知れない。

あのセトも、国家軍事力級の使い手だ。もしも邪神に此方が引きつけられている間に、総攻撃を掛けられたら。

防ぎきれないかも知れない。

今でも、戦況は味方が決定的に有利とは言えないのだ。

スピアの軍勢は、今回の戦いで被害らしい被害を出していない。未だに四万以上が健在で、それをセトが率いている。

国境にはかなりの強者達が手ぐすね引いているが。

それでも正面決戦になると、危ないかも知れない。

そう説明すると。

ジオ王は分かっていると応えた。

「邪神との戦いでは、トトリとメルル姫に、前線に残って貰うつもりだ。 もっとも、ローテーションで遺跡に入る面子を変えるから、他の戦士をつけるかも知れないが。 以降、メルル姫には地上に残って貰う」

「!」

「セトとは決着をつけたかろう」

「それは、勿論」

好戦的な自分が、鎌首をもたげる。

己の中に住み着いてしまった狂気は。

どうしても、こういうときに、存在感を示す。お前はもはや、もう一人の私に。戦いの時は、主導権を明け渡さざるを得ないと言わんばかりに。

「ならば、分かっているな」

「はい。 トトリ先生が一緒にいるのなら、不覚は取りません」

「良し……」

ただ、不安要素もある。

セトに追い詰められたとき。どうやって敵はメルルをピンポイントで捕捉した。敵がどうやったのかを突き止めないと。危なくて戦えたものではない。

「もう一人、支援をお願いしてもいいですか」

「ふむ、誰を所望か」

メルルが告げた名前を聞くと。

ジオ王は、鼻を鳴らした。

まあ良いだろう、という事だった。

 

二日が過ぎる。

ロロナちゃんとトトリ先生、クーデリアさんは戻ってこない。相当に苦戦しているのが、明らかだが。

下手に動くと二次遭難だ。

こういうときは、冷静にならなければならない。

遺跡から、誰かが出てくる。

負傷したホムンクルスだった。

34さんである。

彼女は、手酷く傷ついていたが、どうやら伝令としての役割を果たすまでは倒れない覚悟らしい。ジオ王に跪くと、報告を始める。

「回廊を突破しました。 しかしながら、同時に邪神が現れ、激しい戦いが開始されています」

「ほう」

「直ちに支援を」

「……」

ジオ王が考え込む。

メルルは良いのかと思ったのだけれど。すぐに理由が分かった。恐らくジオ王は、歴戦の戦士としての勘で、それに気付いていたのだろう。

すぐに、伝令が来る。

此方は、前線からだ。

完璧なタイミングでの連携。敵は恐らく、このタイミングを、牙を研ぎながら待っていたのである。

「敵主力部隊、押し出してきます! 数は四万、いや四万五千! 敵の先頭に、恐らくは国家軍事力級と思われる敵を確認!」

「やはりそう来たか」

ジオ王が立ち上がる。

まだ負傷が癒えていないエスティさんと、ステルクさんに、それぞれ指示。

「ステルクよ。 そなたは前線に向かえ。 守り抜け」

「は……」

「エスティは余とともに遺跡の邪神狩りだ」

メルルは。

ジオ王は少し考えた後、ステルクさんを顎で指した。

「前線を頼めるかな、メルル姫」

「分かりました」

「では、生きてまた会おう」

その場で別れる。

二手に分かれる以上、片方は守勢が基本だ。両方で攻勢に出るのは愚の骨頂。ましてや敵は今回、総力を挙げて出てきているのだ。

敵の指揮官はまず間違いなくセトだ。

彼奴は用兵に長けている。急がないと、前線は瞬く間に蹂躙されるだろう。

すぐにモディスの留守居部隊を急かし、前線に。ステルクさんは、最精鋭だけを連れて、先に前線に。兵をまとめているメルルの前に現れたのは。大剣を背負った、やたら表情豊かなホムンクルス。

パラケルススさんだ。

凶暴な戦士である彼女は、にやりと笑う。

感情豊かで。

其処も他のホムンクルス達とは、根本的に違っていた。

「私をご指名とは、お目が高いですね、メルル姫」

「単純に戦力として優れていると判断しただけです」

「それは光栄の極み」

ばれていないとでも思っているのだろうか。メルルには分かる。此奴は何かしらの拘束具で、力を制限している。

肉弾戦の実力は、恐らくトトリ先生よりも上だ。トトリ先生もそれを恐らく分かった上で、あんな事をわざと言っている。

勿論トトリ先生には錬金術という強みがある。

だから総合力でも、互角くらいにはなるはずだ。

国家軍事力級か、それに近い実力者である。

調べたが、ホムンクルスとしては異例なほどの戦歴で、各地を転戦して、大きな戦果を上げてきている。

戦闘力という観点では、国家軍事力級戦士には及ばないが。今回は、彼女のえげつない実力が必要だ。

前線に、急ぐ。

恐らく、セトは。

メルルを狙って仕掛けてくる。

ステルクさんが押さえ込んでくれれば良いけれど。ハイランカークラスを数人用意されたら、ステルクさんが足止めされる可能性もある。その時には、パラケルススさんが、メルルの切り札になるだろう。

さて、どこから来る。

モディスから北上。周囲は増援部隊の兵士達で分厚く固めている。この間のようにはいかない。

前線では既に喚声が聞こえていた。

戦いが始まっている。

敵の数は圧倒的だが、それでも味方は一騎当千の強者ばかり。特にステルクさんは、大陸でも屈指の防御力の持ち主。

生半可な攻撃には屈しないはずだが。

しかし、喚声を聞く限り。

味方が有利なようには、聞こえなかった。

ジオ王は、エスティさんも連れて。アーランド最強コンビとトトリ先生の支援に向かっている。

邪神を今回で確実にブチ殺すつもりだ。

その後は、前線に必ず来る。

それまで支えきるのが、メルルの役目。

だが。

前線が見えてくると。

その状況に、メルルは目を細めていた。

かなり押し込まれている。

セトは恐らく、数の暴力を最大限に生かす戦法を採ったのだ。短い間隔で部隊を交代させ、兎に角此方に疲労を強いる。

強めの戦士は強めの洗脳モンスターで押さえ込み。

弱い敵に集中攻撃。

その後に数で圧倒。

用兵としては理にかなっているが。兎に角かわいげがない。その上、ステルクさんは、案の定セトに近接戦を挑まれて、引くに引けない状況になっていた。

一瞬だけ。

セトと目が合う。

丘に出たメルルと、セトが。

だが、それもすぐに離れた。セトは恐らく、メルルを殺す事よりも、戦いに勝つことを優先したのだ。

いや、違う。

あれは恐らく、勝ちを狙っていない。

辺境連合軍に打撃を与えることで、追撃を防ぐつもりだ。つまり攻撃を防御に、最大限利用するつもりである。

そうはさせるか。

メルルは戦槍杖を振り上げると、叫ぶ。

「総員、懸かれっ!」

「応っ!」

メルル自身が、先頭に立って突撃開始。魔術やら矢やら飛んでくるが、気にしない。はじき返し、或いは人間破城槌の勢いで吹っ飛ばす。笑顔が浮かぶ。舌なめずりをしてしまう。

そして、跳躍。

敵陣の真ん中に。

蹂躙型人間破城槌の火力をフルパワーに、突入した。

それは、獣が。獲物に向けて、襲いかかるような光景。

吹っ飛んだ敵の肉塊が、辺りに血の雨を降らせる。すぐに追いついてきたミミさんが、一瞬の硬直時のメルルをカバー。周囲の混乱をよそに、メルルは叫ぶ。突撃。わっと、味方が殺到してくる。

メルル自身は、再び人間破城槌で、突撃を開始。

立ちふさがる敵をゴミクズのように引きちぎりながら突貫。弱めの敵が密集している場所を狙っているのだから当然だ。強いのは避ける。そしてそのまま驀進して、敵陣を突破に掛かる。

流石にセトもまずいと判断したのだろう。

中央突破を許せば、味方の兵力は分断される。数が多いとは言え、セトの指揮があってこその圧倒だったのだ。今度は、逆に各個撃破される事になる。

だが、今度はステルクさんが攻勢に出る。

怒濤の猛攻を繰り出し、セトが離れる隙を作らない。

「おおおっ!」

連続で、人間破城槌を繰り出し、防ごうと必死になって出てくる敵を、ミンチにしながら驀進。

メルルは気付く。

負担が小さい。

これが、体を弄った事による強化だ。全身から力がわき上がってくる。なんと楽しい事だろう。

これなら、本当に。

強くなるなら、姿形になど、こだわらなくてもいい。

そうとさえ思えてくる。

飛びかかってきた敵の頭を掴むと、そのまま握りつぶし、放り捨てる。戦槍杖を振り回して、襲ってくる敵を縦横無尽に打ち砕いていると、味方が追いついてくる。そして、再び人間破城槌の態勢に。

兵は拙速を尊ぶ。

その言葉通り、メルルは敵陣を、どんどん蹂躙していった。

不意に、強い気配。

前に、数体の強力な敵が姿を見せる。

ステルクさんの猛攻をかいくぐって、セトが指示を出したのだろう。どいつもこいつも、相当な使い手ばかりだ。

だが、そんなのは想定済み。

メルルは飛び退くと、追いついてきた荷車に飛びつき、起動ワードを発動。

無数の剣が、宙に浮かび上がる。

襲いかかれ。

たたかう魔剣に指示をすると。メルルは、辺りの敵への無差別虐殺を、剣達にけしかけた。

更に、荷車から取り出す、風車。

投擲して周囲の地面に突き刺す。

私の前に出るな。

指示を出したあと、起動ワードを投入。勿論、力を最大限まで、一気に解放する。

発動。

真空の刃が。

暴虐そのものとなって、敵陣で荒れ狂った。

如何に強かろうが、関係無い。暴れ回る魔剣と、この真空の刃が荒れ狂う中、メルルはむしろ、静かに後退を指示。

混乱する敵陣を突っ切ると、今度は別方向から抜けた。

被害は軽微。

それに対して、敵軍は、今までの優位を、完全に喪失。暴れ狂う魔剣に右往左往し。辺り構わず真空の刃が暴れ回る中、必死に体勢を立て直そうとしていた。

ステルクさんが、下がろうとするセトに一撃。

剣がもろにセトの腕に食い込んだが。

冷静にはじき返しながら、飛び退くセト。

呼吸を整えているセトの腕の傷が、見る間に回復していくのが見えた。だが、体力を消費しているのが、見て分かる。

「メルル姫……」

此方を一瞥したステルクが、眉をひそめていた。

メルルが、全身に血を浴びて。

それでも、満面の笑みを浮かべていたからだろう。

舌なめずりすると。

メルルは、ネクタルを飲み干す。

今の突撃で無傷とは流石に行かない。あれだけの乱戦だ。矢も受けたし、手傷だって負った。

それは薬で無理矢理治す。

「ステルクさん、セトを討ち取りますよ」

「しかし、奴は難敵です」

「もう少し弱らせて貰いますか?」

「……良いでしょう」

メルルも、流石に敵の精鋭を相手にして戦い抜く自信は無い。というよりも、最初から、敵に対して攻勢に出るつもりなんぞない。

今の突撃は、敵に対する出鼻を挫いただけだ。

実際、不利だった味方は陣形を再編。

一端下がると、仕切り直しの体勢に入っている。

今までの戦いで少なからず犠牲は出したようだが。

ステルクさんが到着したこと。今の乱戦で、メルルの突撃で陣の中核を叩かれたことで。下がらざるを得なくなっている。

そして辺境連合軍は。

まだ追撃の余力を残している。

セトとしては、此方に対して更に攻撃を加えなければならない。其処に勝機があると、メルルは見た。

敵が、追撃戦で受ける打撃よりも、戦う事によって受ける打撃の方が大きいと認識すれば、此方の勝ちだ。

荷車を覗いて確認。

まだまだ風車と魔剣はある。

量産しておいたのだから当たり前だ。

ようやく力尽きたらしく、敵陣の中で荒れ狂っていた魔剣と風車が静かになる。セトはしばしどうするか考えていたようだが。

後退を開始。

だが、撤退にまでは到らないことは。

陣形が、むしろ突撃を意識したものとなっている事だけで明らかだ。

セトを先頭に。

密集隊形で突入してくるつもりかも知れない。

ステルクさんも、流石に歴戦の猛者だ。それを悟ったらしく、剣を鞘に入れると、力をぐっと込める。

出会い頭に、全力の雷撃つき居合いを見舞うつもりだろう。

居合いの高速と、雷撃による周囲への殲滅。

これが合わさると、突撃の勢いを消し飛ばすには充分な火力が生じる。破壊力は折り紙付きだ。

そして、国家軍事力級の実力者であるステルクさんがそれをやれば。

破壊力は、文字通り一軍を止める。

さて、どうする。

ふと、真横に殺気。

シェリさんとアニーちゃんが即応。防御魔術を張って壁にするが、その壁を一撃で半壊にまで追い込んだ。

見ると、かなり遠くに。

狙撃犯がいる。

メルルを、ピンポイントで狙ってきている。

ミミさんがピッチングで反撃するが。

巨大な盾を持った大柄なホムンクルスらしいのが出てきて、防がれる。

それにしても、今の攻撃は何だ。

魔術にしては、一撃が妙に重かった気がする。しかし彼方に注力すると、セトが突撃してきたとき、防ぎきれないだろう。

しかも、狙撃犯は、さっと敵陣に引っ込んでしまった。

これは厄介だ。

敵はじりじりと下がっていく。既に兵力の再編も完成しているようだった。下がりながらの兵力再編、流石である。

そして気がついたときには。

セトは、つかず離れずの位置。

それも突撃に有利な坂の上にまで後退して。此方の動きに、いつでも対応出来る態勢を整えていた。

「やるなあ……」

メルルは思わず呟くが。

まあ良い。

此処での目的は、敵を防ぐことだ。

敵を殲滅することでは無い。

それはジオ王やロロナちゃんが到着してからでも、遅くない。むしろ、敵が持久戦の構えを取ってくれれば、それが一番だ。

 

3、決戦邪神

 

無限書庫の最深部。

異常な魔術によって守られた回廊を抜けると。其処は、いきなり邪神の目の前だった。クーデリアは鼻を鳴らす。

念入りに魔術を取り除いてみれば。

いきなり敵の首魁がお出ましだから、である。

此方は消耗もある。それに、連れてきたホムンクルス達の多くは負傷し。深手を負っている者もいる。

すぐに34を、けが人とともに戻らせる。

此方はロロナと一緒。トトリもいる。

負ける気はしないが。

それでも相手は、あの四体の邪神の中でも、最強の個体。油断などしていれば、即座に返り討ちにされるだろう。

腕を回しながら、前に出る。

邪神は、何かよく分からない、ドーム状の広間の真ん中で。

わざわざ椅子を用意して。座って待っていた。

「よくぞ此処まで辿り着いたな」

「皮肉のつもり?」

「掛け値無しの賛辞だ」

「へえ」

どういうつもりだろう。

邪神は立ち上がると、指を鳴らす。椅子がかき消えた。或いは、最初から椅子など存在しなかったのかも知れない。

姿形は、他の邪神と同じ。片翼の女。肌の色は人とは離れていて。感じる魔力も桁外れ。何しろ、あのロロナの砲撃を弾くような奴だ。

実力は、世界のどの人間よりも上だろう。

今の時点では、殺気も感じない。

何をもくろんでいる。

不安はあるけれど。

まずは出方を見るのが定石だ。

「そもそも、この遺跡は何? 本ばかりがあるけれど」

「お前達はそれ故に無限書庫と呼んでいたな。 もう少し奥まで辿り着いた者は、無限回廊と呼んでいた事もあったようだが。 だが、それらはあくまでお前達による呼称に過ぎず。 実際には別の名がある」

「どうでもいいわ、そんなもの。 この遺跡の存在意義を聞いているのだけれどね」

「まあ聞くが良い」

クーデリアは、ロロナと目配せ。

トトリは良いだろう。

勝手に判断するはずだ。

此奴は何を目的としている。精神攻撃か。それにしては、話の内容が、精神を抉るようなものではないし。

時間稼ぎにしてはおかしい。

籠城にしてもそうだが。

時間稼ぎというものは、支援がある事が前提になっているのだ。

此奴に、今更支援があるとは思えない。

地上で戦況が悪くなっても。

此処まで援軍が来る事は、少しばかり考えづらいからだ。

仕掛けるタイミングを計りながら。クーデリアは、相手の話も、聞き逃さないようにしていく。

「此処は、いにしえの破壊の前に作り上げられた、世界に存在する書物を全てサルベージする施設だ」

「……」

「書物として残っているものは回収。 残っていないものは、世界中に張り巡らされていたネットワークから回収したデータとして整理。 それさえ出来ないものは。 様々な情報から復元する。 勿論、無理なものはどうしても仕方が無い。 だが、それでも、我々は時間を掛けて、無数の書物を集めていった」

「その本コレクターが、どうして一なる五人に荷担を? 彼奴らが、世界を滅ぼそうとしている事なんて、わかりきっているでしょうに」

「理由は決まっている。 到達点に手が届いた人類に、遺産を引き渡すためだ」

到達点。

まさか、こいつらは。

「一なる五人は、そんな本、必要としないと思うよ」

「関係無い。 もはやいにしえの文明は失われ、その英知はこうして守らなければすぐに消えてしまう脆弱なものへと変わり果てた。 だから我々は、それを解析し、パッケージ化した」

「……」

「最終的に我々が目指すのは、全ての英知を、物理を超えた高次の存在に変える事だ」

それで、超越者を求めたか。

何だか気の毒な奴らだ。

クーデリアには、大体事情が分かった。

此奴らは、恐らく。

邪神の中でも、作り手にもっとも忠実だった連中なのだろう。

作り手は、いにしえの時代の英知を、何が何でも守り抜かなければならないと考えた。学者か何かと見て良い。その学者は、滅び行こうとしている人類よりも、その英知を大事だと考えたのだろう。

分からんでもない。

知恵が無ければ、人など猿と変わらない。

人にとっての唯一の価値は。

外付けにして保管してきた知恵と言う者がいても不思議では無いし。クーデリアだって、一理あると思う。

ましてや、学者ならなおさらだ。

ロロナは興味がなさそうだし。トトリは表情の裏の感情が読めない。

いずれにしても。

この邪神は。生かして此方を返す気は無さそうだが。

「お前達ほどの戦士が相手なら、必要な力が全て集まると見て良いだろう。 それに、まだ来るのだろう?」

「だとしたら」

「ようやくだ。 これでようやく、役目を果たせる」

どうしてか。

声には、まるで。

ずっと待ち続けた恋人にようやく巡り会えた娘っ子のような、艶が籠もった。クーデリアは、救えないと思ったが。

しかし、やるしかない。

「ロロナ、トトリ。 行くわよ」

「くーちゃん、いいの? 手強いよ。 持久戦に持ち込んだほうが良いんじゃない?」

「いいのよ。 どの路、守勢に持ち込む余裕なんか無いわ」

ぶつかり合ったのは。

刹那の後。

クーデリアが叩き込んだ膝蹴りを、邪神は軽々と、指一本で止めていた。

両手の銃を乱射しながら、クーデリアは勢いを利用して左に。真正面から、ロロナが容赦なく砲撃。

邪神がそうしたのだろう。周囲は、まるで無限に拡がる平野のごとく。

何処までも奥行きがある空間へ変わっていた。

邪神が、腕を振るうだけで、ロロナの砲撃が上空にはじき飛ばされる。

すっと後ろに回ったトトリ。

首をもぎに行くが。

下がる。

邪神の蹴りが、空間を抉り取るように。今までトトリがいた地点を、削っていた。

不意に、クーデリアに間合いを詰めてきた邪神が、拳を繰り出してくる。弾く。だが、重い。

見える。

歓喜の笑みが。

狂気から来るものではない。

本当に此奴は。

役割を果たせることを、喜んでいる。

「みちる! 満ちるぞ力が!」

激しく舞う四つの影。

流石に邪神は強い。

あの四体の中で、最強の力を持つだけはある。だが、それでも。ロロナとクーデリアの連携は、その上を行く。

そして、空間に姿を見せる、二つの影。

流石だ。もう来たか。

世界最強の剣を引き抜き、不適に笑みを浮かべるジオ王。

そして、同じく。

世界最速を誇る双剣エスティ。

二人が、乱舞に加わる。

クーデリアは、ロロナと頷きあう。

邪神は歓喜を爆発させた。

「そうだ、そうこなくては! もっと力を! もっと見せろ!」

無数の爆弾が、その周囲に。

トトリがデタラメに投擲しているようにみえたものが。反射や速度、軌跡の結果。邪神を取り巻いていたのだ。

一斉に爆発。

更に、ジオ王が、一閃。

邪神が斬撃をもろに喰らって、地平の果てまで吹っ飛ぶ。

その体が、二つに分かれる。

馬鹿笑いしながら。左右に分かたれたはずの邪神が二体に増え。躍りかかってくる。二体に割れても、実力はそれぞれが凄まじい。

見る間に、皆の傷が増え。

そして、邪神も傷ついていく。

二体の邪神が、一瞬の隙を突く。

ロロナと、トトリにそれぞれ向かって躍りかかる。

トトリに襲いかかった一体は、鎌を降り下ろして、トトリの首筋を狙ったが。トトリは、平然と笑みを浮かべ続け。

その体が切られた。

瞬間。トトリは、其処にはいなかった。

むしろ後ろ。

邪神の頭を後ろから掴んだトトリが、笑みを浮かべ続けていた。

「時間を、止めたのか……」

邪神の言葉。は、と声が漏れる。

愕然としたのは、むしろクーデリアだ。錬金術師の中でも、そんな常識外れの事を本気でやる奴がいるとは。

勿論、止められたのは一瞬。

事実、トトリは、一筋の傷を受けている。猛毒も当然喰らっているはずだ。邪神の顔面を、思い切り地面に叩き付けるトトリ。更にストンプ。何度も何度も何度も踏みつけ、更に膨大な数の爆弾をその場に投棄し、飛び退く。

爆裂。

ロロナは。

そっちは問題ない。

邪神と楽しそうに笑いながら、加速を用いてデッドヒート。クーデリアもそれについて行っているが。もう一体の邪神の窮地に、ロロナへの攻撃を緩めようとした瞬間。

クーデリアとロロナが、息を合わせて。

上と下から、砲撃とクロスノヴァを叩き込む。

爆撃にサンドイッチにされた邪神が見たのは、ジオ王に滅多切りにされ、エスティに万にも達するだろう斬撃を浴びせられているもう一体。トトリはというと、更にどこから取りだしたのか、魚の形をした爆弾を放り投げる。それは尻から火を噴きながら、邪神へと躍りかかるのだ。

爆裂の中、滅茶苦茶に破壊されていく邪神の片割れ。

だが、その顔は。

終始嬉しそうに笑いを絶やさない。

心底から、喜んでいるのだ。

「ロロナ」

「おっけえ!」

躍りかかってきた邪神と、クロスレンジで殴り合いながら、一言だけで意思疎通。拳を叩き込まれ、地面に叩き付けられるが。追撃の鎌の斬撃は避ける。そのまま、邪神の攻撃をいなしながら、下がる。

満面の笑みのまま猛攻を続けていく邪神だが。

狙いは分かっている筈だ。

クーデリアが食い止めている間に、残り全員で、もう一匹を粉みじんにする。勿論クーデリアは時間稼ぎだけでは無い。

今度は思い切り、顔面に膝を叩き込んでやる。

逃がすか。

向こうは。

爆裂から逃れた邪神の後ろに現れたトトリが。首を両側から掴むと。捻る。

ぼきりと音がして。

邪神の首が、ねじれた。

引きちぎると、着地するトトリ。流石というか。もう何というか。もはや人間相手では、首狩りも物足りないか。

だが、邪神の残骸が、もう一体に吸い込まれていく。

瞬時に力が倍増。

流石だ。まあそれくらいはやって貰わないと、クーデリアも退屈するというものだ。

激しい戦いが、いつまでともなく続く。

ロロナの砲撃をはじき返した邪神の背中に、クーデリアのクロスノヴァが直撃。だが、まだまだ邪神は、これからだと笑うのだった。

邪神の体がふくれあがる。

ヒトの形を捨て。無数の触手を生やした、戦闘形態の姿を取る。雄叫びを上げる邪神だが。その声は、心底からの歓喜に満ちていた。

一端距離を取る。

味方の消耗もそれなりだ。

無数の魔術が飛んでくる。

一瞬で、これだけの数の魔術を唱えたのか。更に、大量の鎌が。一番弱い奴が使ったときの、数倍の。更に、触手も同時に動かして、叩きふせに掛かってくる。

先陣を切ったのはジオ王。

無数の斬撃を浴びせる。一瞬で肉塊がはじけ飛ぶ。だが、吹き飛んだ血肉が、すぐに盛り上がって、次が来る。

ロロナが砲撃を浴びせる。

暴虐が、邪神を、絶え間なく叩き伏せる。

だが。その度に。

邪神は強くなるようだった。

 

吹っ飛ばされるジオ王。

エスティが捕捉され。衝撃波を浴びて、地面に叩き付けられる。

既に戦闘開始から四刻。

邪神は既に、再生能力も無くし。触手も大半を奪われ。全身から内臓を露出させ。無数の眼球を失い。

それでも、まだ笑っていた。

血まみれのクーデリアは。立ち上がろうとしていたロロナに手を貸す。そして、少し距離を取って回復に努めているトトリを一瞥した。

皆限界だ。さすがは最強の邪神と言うべきだろう。

しかし、そろそろ終わる。

もはや、どちらにも、余力は残っていないのだ。

一歩ぬきんでているのは、やはりジオ王だ。口惜しいけれど、やはり此奴は世界最強の戦士である。

どれだけダメージを受けても立ち上がり。

平然と、此方に歩いて来る。

既に齢は六十を超えているのに。

その圧倒的強さには、微塵も衰えが感じられなかった。頭には、白いものも混じり始めているというのに。

「次で決める」

「応っ!」

クーデリアが構える。

此奴の事は正直気にくわないが。

今は全力で支援して、この邪神を潰さないと。ロロナを最終的に元に戻すどころじゃあない。

それに、一なる五人にも、此奴を潰さない限り、手は届かないだろう。

余力はわずかだが。

それでも、その全てを絞り出す。

ロロナもエスティも。

トトリも、手持ちの道具全ての在庫を、投入するつもりのようだった。

ジオ王が、切り込む。

真正面から。

一撃が、真上から、真下へ。降り下ろされ。

邪神の全身を、一刀に斬り伏せる。

勿論邪神も黙っていない。

殺到した触手が、ジオ王を叩き伏せる。一度、二度、三度。いや、その数十倍。避けきれず、守りに入るジオ王が、見る間に傷だらけになっていく。

其処へ。

エスティが、最後の力で、あらゆる斬撃を叩き込み。

全ての触手を吹き飛ばす。

クーデリアが突貫。

防御魔術を展開する邪神。

だが、あれならば。

残像を造りながら左右にステップし、残った火力を総動員して、クロスノヴァを十四回、一点に集中発動。

超密度で叩き込まれたラッシュが。

わずかな一点だけ、邪神の防御魔術の鉄壁に、穴を開ける。

其処へ、トトリが何かを放り込んだ。

魔術がフリーズする。

これは、魔術そのものに干渉するタイプの爆弾か。恐らく、邪神ほどの出力が相手では、そう長くはもたないだろうが。同時に投擲された無数の爆弾が、炸裂。防御魔術全体を、凄まじい負荷で蹂躙。

其処へ。

最大火力であるロロナが。

神速自在帯を用いた超長時間詠唱で、力を絞りつくした砲撃を、発動。

真正面から。

しかし、クーデリアが開けた穴へ。

確実に、一撃を叩き込んでいた。

一瞬の抵抗をしたのは、それでも流石としかいいようがない。

だがそれも。

文字通り、一瞬だった。

防壁が消し飛ぶ。

邪神を、今度こそ。

この世における最大火力が蹂躙。肉塊と化しているその巨体を、見る間に溶かし、消滅させていく。

馬鹿笑いが、まだ聞こえる。

本当に喜んでいる。

苦痛の要素は、感じ取れなかった。

「ああ、これで。 これで皆の所に行ける。 これで主様の所に行ける」

わずかに残った肉塊が、めくり上がるようにして、浮き上がる。コアの部分だろう。それが、ロロナの砲撃の奔流に消し飛ばされていく。

徐々に、笑い声が消えていき。

そして、いつの間にか。

辺りは、狭苦しい広間へと、変わっていたのだった。

呼吸を整えながら、ロロナを支える。

広間に来たのは、ロロナの近衛達。意識を失ったロロナを、センが支える。戦いが終わった後の救護を任せておいたのだ。

すぐに、セン達が、手慣れた様子で、皆の手当を始める。

ジオ王さえ。その場で座り込むと諸肌を脱ぎ。手当をされるに任せていた。クーデリアもである。

「皆様を、これほどまでに追い込むとは……」

「いや、もしも彼奴が本気で手段を選ばなかったら、勝てなかったでしょうね」

「それほどですか」

「ええ……」

あの邪神は。

他とは違っていた。

他はだいたいの場合、人間に与えられた知性を暴走させたあげく。身勝手な、人間としての最悪の部分を露出させ。人間以上に人間らしい悪逆に墜ちる事が多かった。

だが此奴らは。

主君である人間の意思を最後まで尊重し。

そして、守り抜いたのだ。

トトリが来て、手招きする。

応急処置が終わったクーデリアが、センに肩車されているロロナと一緒にそれを見に行く。

何かの装置。

いや、恐らくは。

これが邪神本体だ。

強力な魔術で、空間に干渉しているのが分かった。

それも、この空間では無い。

恐らくは、何も無い別世界の空間に、だ。

其処に此奴は。

今の戦いで放出された力を利用して。自分が持つ本と、その知識を、固定して植え込みに掛かっている。

流れている文字を解析したトトリは、そう言うのだった。

「どうしますか?」

「放っておきなさい」

あの邪神は。

人間の到達点を求めていた。

つまり、この知識を引き渡す相手を、だ。

知識を永遠にし。

いずれ、愚かしい破滅を繰り返さない進化した人類が現れたら、その時は遺産を引き継ぐつもりなのだろう。

もはや戦闘力も。

外で戦う体も失ったが。

此奴には、それで良かったのかも知れない。

あの声。

鮮明に思い出せる。

恋する乙女のような声だった。そして、それは恐らくは、それほど間違ってもいないはずだ。

あの邪神は。

きっと、人間が抱く恋心に近いものを、作り手の人間に持っていたのだろう。

救われない話だが。

世界に仇なす害悪に荷担していた以上、排除せざるを得なかった。

促して、この場を離れる。

この遺跡は封印する。

そして、ずっと未来。

人間が、この荒廃しきった世界を立て直すことが出来たとき。

その存在を、告げる。

それで良いだろう。

ジオ王に、手短に報告。提案は、受け入れられた。

さあ、後は地上の味方の支援だ。応急処置を受けたとは言え、皆限界が近い。だが、ジオ王が前線に出るだけで、指揮が変わってくる。

不敗の王。

実際にはそんなことはないのだが。

その圧倒的な武勇は、誰もが知っている。だからこそに、前線に出れば。守勢に徹しているだろう敵を、撤退に追い込むことが出来る。

そして、今後は。

一なる五人の攻撃に対して。

全力での対応が可能だ。

ロロナの近衛達が、運んできた医薬品が有り難い。皆の処置をして、無理矢理もう短時間なら戦えるようにする。

そして、この場を離れる。

もう、振り返ることは無かった。

此処は悲しき邪神の墓標。

安易な気持ちで、土足で踏み込んではいけない場所。

 

4、交錯

 

丘の上に姿を見せる、生きた大砲の部隊。

敵に向けて、一斉射撃を開始する。だが、大砲の弾なんて、今の時代、殆どの生物に致命傷を与える事かなわぬ。牽制くらいにしかならない。

それでもいい。

敵が一瞬でも怯めば。

其処につけ込むことも出来るのだ。

メルルは既に鮮血を全身に浴びていた。体には数本の矢を受け、脇腹はざっくり切り裂かれている。

全身が熱い。

道具の能力をフルに引き出しては投擲。

敵陣に爆弾を何度も投げ込み。

そして態勢を低くして、人間破城槌を叩き込む。スクラムを組んで防ごうとしてくる敵を、まとめて蹴散らす。

だが敵は、いちいち柔軟に此方の攻撃を受け流し。

被害を最小限に押さえ込みながら、反撃を的確にしてくるのだった。

ステルクさんは、セトと死闘の真っ最中。

互いに決定打を欠き。

それでもセトは、味方への指揮をしっかりやっている。

これは、下手をすると。

今遺跡にいる邪神より、手強いかも知れない。

「左翼が押されています!」

「増援に出る!」

怪我などどうでもいい。

矢を引き抜きながら、敵陣を突っ切る。攻勢に出ている敵部隊に、メルルは人間破城槌で、横撃を浴びせかける。そのまま、味方部隊とともに突破。

だが、メルルが連れている皆も、既に満身創痍だ。

負傷者はその都度下げ。

必死に戦いを続けているが。

数が違いすぎる。

敵陣を抜けると、一度丘の上に登る。

呼吸を整えながら、敵陣を観察。

思ったよりも、遙かに。

整っている。

全滅させるなんて到底無理。

各国の精鋭とリザードマン族の部隊。他にも悪魔族やペンギン族の部隊も支援してくれているのに。

それでも、数が違いすぎるのだ。

防御を整えて、耐え抜くしかない。

味方のダメージは、既に戦闘続行の、限界に迫っていた。

その時だった。

不意に敵が引き始める。

セト自身も、ステルクさんと弾きあうと。悠々と、最後尾に立って、追撃を防ぐ態勢を取りながら、下がりはじめた。

頭に来る。

此処まで冷静になれるものなのか。

これでは勝ち逃げでは無いか。

確かに敵の目的は、此方にダメージを与えて。追撃を確実に防ぐこと、だった。それは分かる。

それにしてもドライすぎる対応だ。

「メルル!」

ケイナの声。

ふと我に返って、振り返る。

元気なのは、パラケルススさんくらい。

他の皆はもはや。

戦える状態ではなかった。

メルル自身も、矢を何本も受け。深手を負っている状況だ。不意に、戦闘状態が解除される。

すると、急に、心が静かになった。

「もう、気が済みましたか?」

「正直物足りないけど、仕方が無い」

セト。彼奴を殺さない限り。敵は完璧な動きを見せ続け、安易に勝てはしないだろう。数が多いのは相手の方。

今までは一なる五人が、ゴミ同然に使い捨ててきたから、勝負が出来てきた。だが名将と言っても過言無いセトが率いている今。

数を減らしたのに。

むしろ敵の脅威度は増している。

伝令が来る。

どうやら、遺跡の邪神にジオ王達が勝利したらしい。メルルは自分の体に突き刺さっている矢を抜きながら。

悠々と撤退していくセトに、吐き捨てた。

必ず殺す。

いつまでも、勝ち逃げできると思うなと。

 

セトは被害を確認しながら、部隊を下げる。アールズの国境からかなり奥まった要塞に引き上げた味方戦力は。

開戦前から見ても、九割ほどに目減りしていた。

今まで、ゴミのように兵を消耗していたことを考えると上出来である。しかも敵は、追撃できないほどの打撃を受けている。

バロールが来る。

「セト様」

「如何したか」

「戦闘で、どうしてメルル姫を殺さなかったのですか」

一瞥だけすると。

セトはそれには応えず、部隊の最後尾に残ったまま、撤退指揮を続けた。如何に洗脳されていて意思を失っているとは言え。

皆、大事な部下なのだ。

メルル姫を殺さない理由。

決まっている。

あの一なる五人を葬るためだ。

今回は、奴らの思惑どおりに事が進んだ。邪神の中でも最強の彼奴と戦って、流石にアーランドの主力も無事ではすまない。

更に辺境連合軍にも打撃を与え。

此方は戦力を温存。

国境から兵は下げたが、その気になれば何時でも敵地を蹂躙できる態勢を整える事に成功している。

本来は更にもう二手か三手打つつもりだったらしいのだけれど。

それも必要なさそうだと、あの外道共は喜んでいた。

精々喜んでいろ。

そうセトは思う。

邪神に知らされた。

セトの大事な者達は、既に。

ならば、セトがするべき事は一つしか無い。

既に叛意を隠せる程度に、自分の意思は調整できている。ちなみにこれには、邪神が手を貸してくれた。

今は、セトが。

どう一なる五人を追い詰めるか、考えるべき時だ。

それには、奴が勝ったと思った瞬間に、掌を返すのが、一番効果的だろう。その手段も、考えている。

味方部隊の収容を終えると、幾つかの要塞に分散して兵を廻す。

他の前線もさんさんたる様子だが。

それでも、正直な話。

一なる五人の優位は、微塵も揺らがない。

奴らにとっては、今いる場所で。目的を果たせば。それで勝ち。その瞬間、世界は終わる。

要塞を一人離れると。

セトは、邪神の形見となってしまった装置を、山深くで起動した。

「ゼウスよ、いるな」

「……」

のそりと、姿を見せたゼウスは。

窶れ果てていた。

眉をひそめる。

何があった。

「どうした、洗脳装置を取り除いた後遺症か?」

「違う。 儂はどうやら、皆から離れた所に行かなければならぬらしい。 出来るだけ誰も近づかぬ場所を教えてくれるか」

「……何があった」

「病だ」

まさか。

ゼウスの様子を見る限り、笑い飛ばすことは出来ない。

一なる五人は、このような事まで見据えて。ゼウスの体に細工をしていたのか。

「何処までも許せん……」

「いいのだ。 それよりも」

「いや、奴らに報復する手がある」

そろそろ、良いだろう。

堪忍袋の緒など、とっくに切れていた。幾つかの計画を先送りして、進める。一なる五人には、勝ち誇った足下を掬われる気分を味わって貰う。

場所を教えると。

ゼウスは頷いた。

青ざめたゼウスが去ると。セトは、乱暴に涙を拭っていた。

あの様子だと、セトも。

だが、ただでは死なない。

死ぬものか。

そう、セトは。

既にこの世にない友達のためにも、誓うのだった。

 

(続)