双眸

 

序、現れたもう一つの顔

 

心は、自分でも驚くほど静かだった。今、足下に転がっている敵を、情けも容赦もなく肉塊にしたのに。

手を見る。

相手の頭を掴んで。握りつぶした。

青ざめているケイナが、声を震わせた。

「メルル……?」

「リハビリには丁度良かったかな」

手を振るって、血を落とす。

足下に転がっている、スピアの戦闘用ホムンクルス。それも、辺境のベテラン戦士並みの実力がある相手だったのだけれど。

今のメルルに不意を打たれたのは、運が悪かった。

そして、メルルは。

これだけ無慈悲で徹底的な暴力の塊と化したのに。心が異常なほど静かなことを、不思議だと思っていた。

だけれども、すぐに、その正体に気付く。

そうだ、己の中に巣くった狂気。

どうやら、戦闘を特に嗜好して、顔を出すようだった。そして静かにただひたすら暴虐を振るい。

敵をミンチに変えて。

そして、主導権を返す。

主導権が移っても、特に感慨は無い。ケイナが怖がっているのは、ちょっと残念だったが。

ライアスが戻ってくる。

2319さんと一緒に、同じくらいの強さの敵を葬ってきた様子だ。だが、ぎょっとして立ち止まる。

青ざめたケイナと。

それ以上に平然としているメルル。

何より、残骸と化した敵の。肉塊を見て。

「お前が、やったのか……」

「そうだよ?」

「……そうか」

ライアスは、大きく。

深く悲しそうに、息を絞り出した。

既にアールズのベテラン戦士の中でも上位に食い込む力を得ているライアスでも、この間の戦いでは。なすすべがなかった。

セト。

あの圧倒的な相手を前に。

ミミさんやジーノさんでさえも手も足も出せず。ライアスもケイナも、時間稼ぎしか出来なかった。

2111さんが来る。

ミンチになった敵を見て、一瞬だけ逡巡したが。

メルルの目を見て、安心したのだろう。

何もメルルだって。

無差別に殺す気は無い。

ただ、殺したい。

その衝動は、確実に体の中に巣くっていたが。

「敵の小隊はこれで全滅ですね」

「遺跡から、偵察しか出さなくなったな」

「そのようで」

ライアスに、2111さんが応える。咳払いした2319さん。皆が顔を上げると、丁度トトリ先生が来るところだった。

いつもと同じ張り付いた笑みそのものだけれど。

メルルには分かる。

妙に機嫌が良い。

きっと、メルルが同類になったからだ。

トトリ先生が話してくれたけれど。先生の体は、もう八割方置き換わっているという。元々戦闘がそれほど得意ではなかったトトリ先生だけれど。おかげで今では、爆発的な戦闘力を発揮できる。

ただ、トトリ先生は、元々戦闘経験値に関しては、豊富に積み上げていた。

この強さは。

単に肉体を強化したから、ではない。

圧倒的な戦闘経験値が、それに合わさったから、なのだ。

路の神と呼ばれるほどである。

世界の各地を歩き回り。

多くの敵と戦った。ドラゴンや、それに近い実力のモンスターとも、幾度となく戦ったという。

強いのは当たり前の話だ。

「セトがいたよ」

「!」

顔を上げる。

敵に隙が無くなったのは、やはり奴が前面に出てきたからか。

この間の苛烈極まりない包囲戦を行い。凄まじい戦闘力で皆を血祭りに上げていった。敵兵達も、洗脳されているのだろうけれど。それ以上に、セトへは忠義を誓っているのが分かる。

兎に角強い。

そして、何処か悲しい目もしている相手だ。

その一方で、殺したくて報復したくてうずうずしている自分もいる。これほど好戦的な自分が狂気の底に潜んでいたのは。

正直メルルとしても、想定外だった。

「どうする? 戦って見る?」

「ご冗談を。 この戦力では、袋だたきにされるだけです」

「同意。 今は偵察を処理するだけにとどめるべきかと」

「そうだね」

笑顔のまま、トトリ先生は機嫌を損ねた風でもなくいう。ただ煽っているだけだと、メルルも知っていた。

この人は、あまりにも鬱屈がひどくて。

だからこそ、こういうときは楽しくて仕方が無いのかも知れない。そしてメルルには、それを責める気は無い。

狂気の連鎖がどれだけ人を苦しめて。

そして今。

自分も狂気の中にいて、分かるのだ。

周囲の恐怖。

絶望。

そして、何よりも。自分自身を許せないという心が、どれだけ炎のように熱いか。その炎は、ただ暗く。熱量だけが高い。

火山の中にある溶岩のように潜んでいて。

そして、己を徹底的にむしばんでいくのだ。

初めてメルルは。

相手の立場で。狂気に浸されるという事が、どういう意味を持つのか理解できた。そして、だからこそ、なお言う。

救わなければならない。

このような状態に。

他の人を、していてはならないのだ。

静かに。ただあくまでも静かに。メルルは殺戮の刃を振るうようになってしまった。殺戮の際に顔を見せる過剰な凶暴性も。日常ではなりをひそめ。その代わり、敵への攻撃は苛烈を極める。

じっと手を見る。

2111さんが挙手した。

「一度、撤退するべきかと思います」

「うん、分かっているよ」

それを聞いて。

周囲の皆が、トトリ先生を除いて。心底ほっとしたのが、メルルには分かった。

 

モディスの側にあるアーランド軍の拠点にお世話になる。以前からの不戦条約もあるし、もうモディスに軍として立ち入るのは避けるべきだと、メルルは判断していた。アーランド軍もその辺りの事を考慮して、幾つかの前線基地を公開してくれている。その中の一つ。

砦と言うには少し小さく。

民家と言うには少し大きいところにお邪魔になる。

屋根もあって、雨露はしのげるし。

何より、温かい食べ物も用意されている。

ケイナが料理をしてくれているので、しばし待つ。ライアスはしばらく黙りこくっていたが。

トトリ先生がいなくなるのを見計らって、口を開いた。

「壊れちまったんだな」

「どうやら、そうみたい」

「畜生……」

静かに。

だけれども、高い熱量を込めたまま、ライアスは言う。ケイナも悲しんでいたが。ライアスも然り。

だが、メルルは。

思ったほど、自分の境遇を悪いとは思っていなかった。

以前感じていた限界が。

無くなっているからだ。

勿論、今の体になってからも。限界はあるだろう。

ホムンクルスは無限に強くなる訳ではない。あの邪神でさえ、強さにはそれぞれの限界がある。

体を弄った。

それだけで。

世界の全てを超えられるはずが無い。

トトリ先生が良い例ではないか。あの人は国家軍事力級戦士に及んでいない。もの凄く強いけれど、まだ届いていないのだ。

もし体を弄れば最強になるのなら。

メルルは、そうなっているはずだ。

しかしながら、以前感じていた限界よりも、遙かに力が上昇する確信がある。天井が再び見えなくなった。

そしてその事は。メルルが人ではなくなったことを、厳密には意味しているとも言えた。

「何とか、ならないのか」

「棲み分けていくつもり」

「棲み分け……?」

「私の中の狂気は、もう完全に根を張って、心の中の一部を占めてしまっている。 きっと、体を治したときの影響、なんだろうね」

だけれども。

全てを明け渡すつもりはない。

というよりも、だ。

トトリ先生やロロナちゃん。何より、あのアストリッドさんでさえ。心の全てを、狂気にゆだねたりはしていないだろう。

まだ戦える。

メルルは、そう確信していた。

そして、狂気は、つきあって行くことが出来る。

上手に使う場所さえ考えれば。

日常生活だって可能だ。

おかしな話だけれど。

頭の中に、二人住んでいると思えば良い。戦闘時は、狂気に体を明け渡す。どのみち、戦闘とは殺し合いなのだ。

だから、相手を殺すまでは。

狂気に全て任せてしまう。

しかし、日常生活を譲るつもりは無い。

この線引きは、まだ曖昧だ。完全に切り替えることが出来ているかというと、否と言うのが応えになるだろう。

そういうものだ。

だから、補助が欲しい。

「ライアス、ケイナには前にもう言ってあるんだけれど。 日常生活は、これから少し変わる」

「どう、変わるって言うんだよ」

「住み着いた殺意を、押さえ込みながら生きる事になる」

殺意は、狂気から生まれて出てきている。

普段は抑えられる。

だけれども。

ちょっと油断すると、簡単に箍が外れてしまうだろう。

だから、押さえ込むための手段が必要になってくる。それは、長年一緒に暮らしてきていて。

腹心である二人にしか頼めない。

「ごめん。 でも、私も。 強くなって、錬金術の深奥に迫るためには、他に手が無かったから」

「それに、あの時は、他に手も無かった、か」

「うん。 でも、いずれこの時は、来ていたと思う」

「分かったよ……」

本当に口惜しそうに、ライアスは言う。

痛々しいまでに焦燥していた。

だけれども、それはメルルを思ってのことだ。だから、何もそれについては、言えなかった。

ケイナが持ってきたのは、鹿鍋だ。

鍋を囲むと、皆で食事にする。

温かい。

そして、一口で、メルルは気付いた。

味が違う。

そうじゃあない。

味の感じ方が、違っている。

恐らくは、舌を交換したから、なのだろう。

エリキシル剤で死の境に到達したメルルは、体の大半を交換したのだと、トトリ先生に聞かされた。

筋肉や内臓もそう。

そして、舌も。

味の感じ方が変わるのは、当然なのかも知れない。

正確には。

おおざっぱだった味覚が。昔とは比較にならないほど、細かいものも分かるようになっている。

かといって、繊細になった訳ではない。

どうしてか。

非常なほどに、その細かい味の数々をも、楽しめるようになっていた。

「おいしいよ、ケイナ。 新しい調味料入れた?」

「はい。 基地にいる方から、胡椒を分けて貰いました。 でも、良く気付きましたね、鍋に一振りしかしていないのに」

「本当だ。 前は結構どばどば入れてた調味料にも気付かなかったのにな」

「……そうだね」

トトリ先生は、先に戻ったらしい。

だから、此処で。

メルル達は五人で、一度休んでから、アールズ王都に戻る事にする。

リハビリは、もう充分。

メルルだけでは無く、皆もそうだ。

敵が今までとは比較にならないほど厳しい態勢で待ち受けているのは分かった。これから、本格的に攻略のための策を練らなければならないだろう。それには、前線で偵察狩りをしている場合では無い。

食事が終わると、皆を促して、王都に戻る。

途中、王都北東部の荒くれ達の様子を見に行ったけれど。荒くれ達は、もはやメルルを、ヒトの一種として認識していないようだった。

恐怖に駆られて、直ちにひれ伏す姿は。

まるで一種の昆虫を思わせた。

それでいい。

この様子なら。

もはや、悪さをする事はないだろう。後は、必要な物資を、必要な分だけ生産してくれれば。

それで良い。

メルルとしては、何も言うことは無かった。

 

1、壊れてしまった水晶

 

2111は、見た。

登城したケイナ様が。

誰もいない所で、何度も涙を拭っているのを。

気持ちは大いに分かる。

ケイナ様にとっては、メルル姫は世界の全てといっても良いほどの存在だ。経歴も聞いている。

幼い頃から側にいて。

酸いも甘いも知り尽くしている間柄。

メルル姫のために訓練も受けた。

影武者になり。

拷問を受けても耐え。

戦いでは盾にも矛にもなるように。

それらを成し遂げられたのは。

本当にメルル姫が大好きで。メルル姫こそが、この国の長になるのに、ふさわしいと考えているから。

この国が無くなるとしても、顔役となるメルル姫の側から離れるつもりは、毛頭ないだろう。

ケイナ様に取って、メルル姫は。

それだけ大きな存在なのだ。

だからこそ。

完璧に壊れてしまった様子を見れば、悲しくもなる。止められなかった事を、悔やみもする。

自分がもっと強ければ。

そう思いもするだろう。

だけれど、2111から見て、ケイナ様は充分に強い。最近では、戦闘力でも完全に並ばれた。

もうそろそろ、達人と呼ばれる者達の仲間入りをするだろう。

それだけ良質の戦闘経験に恵まれてきたし。様々な師匠から、良い教えを受けてきた、という事である。

それなのに、報われない。

世の中は、なんと。

不公平なことか。

嘆息すると、最初の目的を果たすべく、城の奥へ。

この国の宰相がルーフェスなら。

メルル姫の秘書官は、2111だ。

これについては、誰にも譲る気は無い。

作戦参謀として活躍するだけではなくて。自分が仕えるに値すると判断したメルル姫のために。

2111はあらゆる全てをしたい。

その思いは。

ケイナ様やライアス様に負けないと自負している。

きっと自分自身の歴史が浅くて。

だからこそに。生きた証が欲しい、という事もあるのだろう。

執務室に入ると、一礼。

ルーフェス様が、書類をたくさん用意して待っていた。と言っても、殆どがスクロールだが。

「此方を姫様に。 決済の方法は、姫様が知っています」

「分かりました」

受け取りながら、順番に書類の説明を受ける。

その場で全て覚えて。

一礼すると、執務室を出た。会話はほぼすることがない。ルーフェス様は寡黙な男で、必要なこと以外は喋らない。というよりも、行動もそうだ。不要なことは、何一つしない雰囲気である。

城を出ると。

待ってくれていた2319と合流。

「幾つか持ちましょうか」

「いいえ。 護衛をお願いします」

「はい」

2319とは、近衛との仕事を分担している。2111としても手は足りない。ケイナ様は参謀にはなり得ないし、ライアス様もしかり。

近衛の仕事だって、2319だけでは手が足りない。

連携していくためには。

2111が頭脳活動をする必要がある。

書類を鞄に入れて、しっかりロック。

鞄そのものの蓋を閉じるだけではなくて、魔術によるガードも施す。2111自身は魔術が使えないけれど。

事前に準備しておいた、魔法陣を組み込んだゼッテルを貼り付けた。

これで、ハンマーで殴った程度では、鞄は壊れない。

2319が周囲を警戒する中。

急いで、アトリエに。

メルル姫は、外で鍛錬していた。

分かる。

禍々しいまでの魔力が、全身から吹き上がっている。

身体能力も、前より段違いに上がっていた。

まだまだ国家軍事力級戦士には及ばないけれど。それでも既に達人級には確実になっている。

人間破城槌の火力も上がっているはずだ。

当て所によっては。

国家軍事力級戦士に、致命打を与えられるかも知れない。

「マスター」

「2111さん。 書類仕事かな」

「はい」

頷くと。

幾つかの型を流れるようにこなしていたメルル姫は。スムーズにそれを終えると。最小限の動きで停止。

残心までをこなした。

残心をすると、辺りを覆っていた禍々しい気配が消える。それだけ、強烈な気が周囲に漏れていたのだ。

それも、明らかに狂気に満ちた。

戦いの際。

もはやメルル姫は、野獣と化すだろう。

この間の戦いのように。

2319が、目を伏せた。

アトリエに入ると、順番に書類について説明。

以前とは理解速度が違う。どうやらメルル姫は、頭も弄られているようだった。

「では、サインを」

「ん」

躊躇なく親指を傷つけると、サインを押していくメルル姫。

ぽんぽんぽん、とリズミカルに。

それでいながら、作業にミスは無い。

傷はもう塞がっている。

「二人に聞きたいことがあるの」

「我々に応えられることなら、なんなりと」

「アストリッドさんのことなんだけれど。 ちょっと考えたんだ」

聞かされる、計画。

これはまた、随分と大規模な内容だ。

多分アールズが声を掛けるだけでは、どうにもならないだろう。アーランドが主体になって動かないと無理だ。

だけれども。

もし達成できれば。

一なる五人戦で最悪のジョーカーになり得るアストリッド様が、黙る可能性も高いし。何より、其処から派生して、ロロナ様が元に戻る糸口が、見つかるかも知れないのである。確かにやってみる価値はある。

多くの戦士が前線に来ていることで。

アールズと周辺各国は。

今までに無い結びつきが出来ている。

事実上のアールズの支配者になりつつあるメルル姫が、号令を掛ければ、決して不可能では無いはずだ。

2999様だって。

協力は。惜しまないだろうから。

「良い作戦だと思います」

「ん。 では、ルーフェスにこれを渡してきて」

「承りました」

深々と頭を下げると。

決済が終わった書類を抱え。それに一つスクロールを加えて。帰路につく。

こういった雑用をこなすことで、少しでもメルル姫の負担を減らしておきたいのだ。

その帰路。

不意に、ライアス様が前に出てくる。

非常に険しい顔だった。

「お前達、いいか」

「緊急事態ですか?」

「そうじゃあないんだが。 メルルの事だ」

周囲を見回して、ライアス様は言う。2111は頷くが。しかし、後だと言った。公式書類を抱えているのだ。

それを説明すると、ライアス様は、待っているからすぐに処置を終えてくれと応えた。

連携は最初からするつもりだったのだ。

頷くと、その場を離れる。2319を促して、城に急ぐ。

「鍛冶屋から音がしませんね」

「……本当ですね」

途中、不意に2319がいうので。

鍛冶屋を通りがかりに見てみると。

あの豪放なハゲル氏が、すっかり意気消沈した様子で、酒を飲んでいるのが見えた。看板には、今日は休みである事が書かれている。

普段、滅多な事では休日など取らないのに。

少し気になったけれど。

今はもうそれどころではない。

嘆息すると、城に急ぐ。

色々と、解決しなければならないことが、山積みなのだ。

 

ルーフェス様に書類を引き継ぐ。

説明は受けていたので、そのまま伝えると。ルーフェス様は、難しそうに、腕組みをして応えた。

「無茶な事を仰る」

「最終決戦での不安要素を消すためには、どうしても必要なことです」

「……まず、そもそも各国の王族を納得させるのが大変なのです。 確かに姫様が言うとおりなのですが、それでもこの世界では、利害が絡んでくる。 どのように利があるかを、丁寧に説明していかないと。 とてもではないが、人の心は動きませんし。 何よりあくまで陛下や姫様が特別なのであって。 世襲で王族になっているような人々は、多くの場合傲慢で、弱者など見下しこそすれ手をさしのべようとはしないものです」

意外な王族観だ。

2111は、少しばかりルーフェスを見くびっていたかも知れない。この男は、有能だけれど、この国の番犬だと思っていた。

これは違う。

むしろ、意図的につながれてはいるけれど。むしろ狼が近いのかも知れなかった。

「姫様のお心は分かりました。 此方で対処はいたします」

「お願いします」

「あなた方も、少し休憩をお取りください。 まだ、傷は全快ではないのでしょう」

「お心遣いには感謝しますが、ほぼ治りがけです。 次の無限書庫攻略戦までには治します」

一礼すると、その場を離れる。

そして、ライアス様の所へ向かった。

 

ライアス様は、ケイナ様と一緒に待っていた。

二人とも、メルル姫の忠臣だ。

幼い頃からずっと一緒にいて。

無二の親友でもある。

古い時代。

王族の未来の側近を、こういう形で育てた例は幾つもあったそうである。そして上手く行けば、強い忠誠心を持った近衛の部隊として活躍したそうだ。

二人がメルル姫を裏切る事は考えられないし。

今でも、メルル姫の事を誰よりも考えている。

後からとはいえ、メルル姫の配下になった2111としては羨ましい事だ。スタート地点が違うのだから。

「お待たせいたしました」

「場所を移動します」

ケイナ様が促したので、2111は、2319と一緒についていく。歩きながら、ライアス様は、相当な苛立ちを言葉に乗せて撒いていた。

「ゆるせねえ」

「何が、ですか」

「何もかもに決まってるだろ! 確かに戦争に勝つためには仕方が無い事なんだろうけれどな。 どうしてメルルがあんな目にあわなけりゃあなんねえんだよ」

「ライアス」

ケイナ様の静かで、重い制止を受けて。

ライアス様は、黙り込む。

この人は、臆病だ。

それを2111は知っている。だから二人のやりとりには、口を挟まない。

それに、臆病とは言っても。敵の群れに飛び込んで、注意を引きつけ、そしていなし続ける。今では確立できたその戦闘スタイルは凄いと思うし。

その過程でどれだけの恐怖をねじ伏せたかと思うと。

この人は、忠義をモチベーションにして。

此処まで力を伸ばしてきた、立派な人だ。

こういう点でも、スタートラインは違っている。

2111も2319も、最初から戦闘力を備えていた。それも、辺境戦士のベテランクラスの、である。

力の伸びも緩やかだ。

二桁台の名前を持つ先輩には、アーランドのハイランカー達と互角に渡り合える人達もいるけれど。

2111と2319は、やっと達人と呼ばれる領域に踏み込んだばかり。

今後は、どんどん離される。

分かっているから、其処も羨ましかった。

「この辺で良いですかね」

ケイナ様が止まったのは。

お城の裏手だ。

頷くと、2111は遮音の結界を展開。これで、周囲に会話の内容が漏れることは無い。勿論2111が魔術を使ったのでは無くて、魔法陣が仕込まれたゼッテルを使用したのである。

「俺もケイナも共通の認識だが。 メルルを元に戻したい」

「どのような意味で、ですか」

「なんだ、どういうことだ」

「恐らくですが、この間の戦いで致命打を受けたメルル姫の体は、もはやあの時点で大半が死んでいました。 今は培養した強化肉体を継ぎ足すことで、生きています。 勿論以前よりも遙かに丈夫にはなりました。 しかし以前の肉体に戻す事は、物理的な意味でも不可能でしょう」

淡々と2111が告げると。

ライアス様は吼える。

いつになく、気が短くなっているようだった。

「んなことは分かってるんだよ! それでもメルルを戻す方法が無いか、情報交換をしたいって言ってるんだ!」

「ライアス!」

「うっせえ! 冷静ぶってんじゃねえよケイ!」

おや、名前を短縮して読んだ。

或いは、昔は普段から、そうしていたのかも知れない。ケイナ様も、怒る様子が無かったからだ。

しばらく言い合いをしていた二人だけれど。

肩で息をつきながら、黙り込む。

2319が、割って入ったからだ。

二人に、いきなり井戸水をぶっかけたのである。

「少しは、冷静になりましたか」

「……」

「メルル姫の事が大事で、どうにかしたいと思っているのが、貴方たちだけだとでも思っているんですか?」

2319の声は。

今までに聞いたことが無いほどに冷ややかだ。

本気で怒っている。

というか、2111も、2319が本気で怒るのは、はじめて見た。

「だったら建設的に話をしましょう」

「……そうだな、悪かった」

「すみません、その通りですね」

「では、話の続きを。 メルル姫の精神には、鬼が住み着いてしまっています。 これは、他の錬金術師達と、同じ系統のものでしょう」

そう。

その鬼の名前は。

狂気。

皆を守るために、メルル姫は人を捨てる覚悟で、エリキシル剤を飲んだ。その結果、体には致命的なダメージが入った。

今では、そのままでは絶対に生きていけなかった所を。強化肉体で補助している状況なのである。

そして、それが。

トトリ様のような、狂気が心に住み着いてしまう結果を招いてしまった。恐らく今、メルル姫は。

半分人で。

もう半分はホムンクルス。

その肉体的な齟齬が、精神を狂わせる要因となっている。もはや、その狂気は、体そのものに宿ってしまっているのだ。

同じように。

ロロナ様やトトリ様も、体の段階から狂気にむしばまれている。

元々、人工の体と。元の体を混ぜ合わせることに、無理があるのだ。錬金術で実現したそれも。

やはり一皮剥けば、無理が出てくるはず。

だけれども。

希望の光もある。

本来皆、とても強い精神を持ち合わせているという事。

メルル姫は言うまでも無く、とても強い精神力で、本来は負担が大きい王族としての責務をこなしてきている。

最初は面倒くさがってもいたようだけれど。

今はすっかり自覚も身について。

どこの国に出しても恥ずかしくない王族へと成長していると、客観的に見ても2111は思う。

直接昔のトトリ様に接したことは無いけれど。

色々なホムンクルスに話を聞く限り、昔は違った。少なくとも、良識を持ち合わせ。強さも持っている人だった。

どんな苦境に追い込まれても。

それでも立ち上がって、戦う人だったと聞いている。

「もう何年も前。 アーランドでのことです。 トトリ様は、敵の重囲の中、味方の負傷者を引き連れて、豪雨の中逃げ。 必死に敵の追撃を振り切りながら味方の拠点まで辿り着きました。 其処も既に重囲に落ちて、凄まじい攻撃に晒されていたそうですが」

「メルルと同じような目にあっていたんですね」

「其処で諦めなかったのも同じです。 必死に味方と合流して、そして援軍が来るまで持ちこたえて。 物資が足りなければ錬金術で造り。 負傷者を癒やし。 大けがをしたままで、大きく勝利に貢献したとか」

「あの首狩りの化け物が、そんなに立派な人だったのかよ。 戦士としても錬金術師としても凄いとは思ってたが、それ以外はそれこそ鬼みたいな女だとしか思っていなかった」

ライアスが呻く。

化け物、か。

今は確かにそうだ。だけれどあの人は。

昔は、違ったのだ。

そうでなければ、どうして多くのホムンクルス達に慕われ。ちむ達に慕われ。亜人種達との交渉を、成功させていったのか。

あの人が本当に小娘だった頃に、多くのネゴシエイトを成功させ。人間と亜人種の間に、大きなコネクションが作られた。

それが今の戦いをどれだけ有利に進めるのに役だったか。

2111も調べて、何度も驚かされた。

歴史的な偉人なのだ。

掛け値無しに。

「ロロナ様の事はトトリ様の事ほど良くは知りません。 しかし境遇が似ているセンさんから、昔の話は聞かされています。 やはりとても慈愛に満ちた人で。 どんな敵にも屈しない強さを持ち合わせていて。 ひどい任務を知恵を絞って戦い抜いて。 そして最後までやりきった、強い人だったのだとか」

「……」

ケイナ様が眉をひそめる。

信じられないというのだろう。

でも、本当にそうか。

メルル姫という実例が、その前にいるでは無いか。

「きっと、皆狂気と戦っているのだと思います。 そして、それならば。 きっと、共存することも可能ではないでしょうか」

「……狂気とつきあって生きていく、って事か?」

「勿論、ある程度薄める必要はあると思います。 しかし、メルル姫の場合は、恐らくは、皆が補助していけば、日常生活くらいは支障なく過ごせるはずです」

「思えば、私達はメルルに何もかも押しつけすぎていたのかもしれない」

ケイナ様が悔しそうに唇を噛む。

そして、2111は思う。

親友達がいるから。

まだ、トトリ様もロロナ様も。人間の中で暮らして行けているのだと思う。

それならば、狂気とどうにかして共存できれば。

メルル姫は、名君として。

いや、この国は無くなるのだから。この土地の歴史に名を残す偉人として。皆の中で生きていけるのではないだろうか。

「私は、メルル姫と出会えて、本当に良かった。 主君として仕えたい本物の王に出会えたからです。 人と生まれが違えても、人としてあの人の助けとなりたいと、思っています」

「俺だって同じだ」

ライアス様は言う。

幼い頃、兎に角気が弱かった。メルル姫とケイナ様にいつも泣かされていた。どうしてこんな怖い目にばかり会うのだろうと、外に連れ出されては、いつもびくびくしていた。だけれども。

もしもメルル姫の側近にならなかったら。

きっと、強さの下地さえ、作る事が出来なかった。

兄貴にずっとくっついていたら。

きっと、今では、もっと情けない奴になっていただろうと。

「俺は、メルルのためならなんだってするぞ」

「それは、私だって同じです」

ケイナ様が、負けじと言う。

一番最初から、メルル姫に仕えていたのは、この人だ。

知っている。

手が焼けるような熱だった。この間、エリキシル剤を飲んで全力を出し、人間を止めたメルル姫が。反動で倒れた後だ。焼けた鉄のような熱を発していたメルル姫を、手が焼けるのも厭わずに助け出して。

落盤の被害がない場所にまで引きずり込んだのは、ケイナ様だ。

その忠誠心は、アールズ一だろう。

メルル姫は元から民に愛されている存在だけれども。

この人は、忠義という点では。他の誰にも負けていない。

「私は、あの人に仕えて。 初めて他の誰でもない自分になれました」

さっき、怒りの感情を初めて見せた2319は、そう言う。

2111とはつきあいが長いけれど。

それでも、分かる。

昔より、ずっと表情が豊かになったと。

激しい戦いの中、あの人と一緒に地獄をくぐり抜けてきた。その中で見えてきたのは。あの人が、本物の王族だと言う事。

偉いのが当たり前だと考える、勘違いした愚か者では無い。

民を導くから、託されているのだと。

理解している本物の王族だ。

だから、あの人のためなら。

2111は、死ねる。

皆も同じだろう。

「で、これから具体的にどうする」

「メルル姫は、恐らくは今後。 先輩錬金術師達の狂気の根元を取り除き始めると思います」

「出来るんですか」

「……難しいです」

安請け合いは出来ない。

何しろ、皆狂気の泥沼の中で、地獄の鬼も裸足で逃げ出す狂気に包まれてきた人達なのだ。

その狂気の根元を取り除くのだとしたら。生半可な事で、出来るはずがない。

親友だっていた。

ロロナ様には、クーデリア様が。アーランドでも屈指の使い手で、権力者で。参謀としても政治家としても一流の人だ。あんな人が側にいても、助けられなかった。トトリ様には、ミミ様が。

多少ぶっきらぼうでも、トトリ様のためなら何だってする、本物の親友だ。

それでも、狂気からは、救い出せなかった。

だけれども。

メルル姫を、皆で支えれば。

何とか出来るかも知れない。

そう信じさせるものが、確かにある。

「我々は、メルル姫がこれ以上狂気に汚染されそうになったら、手を引いて沼から引きずり出す役割を担うべきです。 例え傷つくとしても」

「私は、メルルのためだったら、腕の一本や二本、どうなったって構いません」

ケイナ様の言葉は本物だ。

ライアス様も頷く。

2319は、静かに。決意を目に宿していた。

決まりだ。

具体的な話を決める。これから、メルル姫が外に出るときは、必ずこの中の一人か二人が側につく。

そして同士も集める。

セダン様は有望だ。ザガルトス様やシェリ様も。

皆で支えれば。

あの人は、きっと狂気の運命に打ち勝てる。

ただ、押しつけがましい行為に出るのは駄目だ。困っているときに、手をさしのべる、くらいでないと駄目だろう。

合い言葉と、今後も定期的に会合を持つ事を決める。

2111は知っている。

実は、ロロナ様の周囲で、同じような目的で動いている人達がいる。その中にはステルク様やクーデリア様も含まれる。

あの人達も、味方に引き込めれば。

いや、規模が違いすぎるから、味方になれば、か。

きっと、もっと上手く行くはずだ。

多少政治的な駆け引きになってくるが、この辺りは仕方が無い。

頬を叩くと。2111は、気合いを入れ直した。

あの人を救う。自分の知的活動の価値を認めてくれた、あの人を。そのためなら、何でも出来る。

そう。

造物主に抵抗する事だって。

人を殺せないようには作られている。

逆らう事だって難しい。

だけれども。2111にとっては。もはやメルル姫だけが、唯一絶対の主君だった。

 

2、進む準備

 

順番に、一つずつ詰めていく。

一手でもミスしたらまずい。だからこそに。メルルは、詳細をルーフェスに任せたのである。

書状が戻ってくる。

他はどうでも良いが。

この書状だけは、絶対。

これが失敗してしまったら、他も全てが台無しになるのだ。

だから上手く行かなかったら。何度でも膝を詰めて、話を行く覚悟を、メルルはしていたのだが。

書状の内容を見る限り。

連絡を取った相手。

つまりジオ王は、その程度なら良いだろうと、うそぶいていた。

そうか、その程度か。

まあ、そういう認識だろう。

人は人次第で視点が違ってくる。

小国の王族であるメルルと。

大陸南半分を実質支配しているジオ王では。当然、背中に乗っている重みと。見ているものが違う。

その状況で、見ているものが同じだったら。

問題は、むしろメルルの方が感じてしまうだろう。

準備は、一週間と少し後に、全てが行えるように整っている。全方位に一斉に手配したから。

流石に天才だろうが何だろうが、気付くはずは無い。

巨大な蜘蛛の巣の上で。

メルルは、ルーフェスを使って、糸を引く。

実行については、前々から考えていたし。計画そのものは、既に存在もしていたのだけれど。

実際に動かすとなると。

一つの賭けになる。

今、一なる五人と。

無限書庫の邪神は、揃って動けない。

だからこその好機なのだ。この好機を逃すと、恐らく。一なる五人を葬った後の造反は、避けられない。

勿論ジオ王は対策をしているだろうけれど。

それでも、世界の危機が未然に防げるのなら。

やっておくべきだ。

作業が一段落し。

後は動くだけだとなったので。錬金術に移る。

エリキシル剤を調査。

参考書に目を通して、内容について、徹底的に精査する。その結果、面白い事が分かってきた。

自分なりのやり方だが。

改良が出来るかもしれない。

勿論簡単にはいかない。

これ以上効果を強くするのでは無い。むしろ効果を弱めて、長時間持続し。なおかつ、フィードバックダメージが減るようにするのだ。

そうすることで医療品としての性質を強くし。

なおかつ、戦闘でも、より安全な切り札として活用できる。

エリキシル剤が、幾つかの悲劇を生んだことを考えると。

これは必須の作業だ。

トトリ先生は、更に濃度を上げて。安定生産。この方向で、エリキシル剤を改良していったようだけれど。

メルルは逆方向からアプローチをして見る。

そしてこれが上手く行けば。

戦場の医療が、更に劇的に改善するはずだ。

しばし、無言で釜の前に立ち、作業を続けると。

ケイナが、咳払いした。

「メルル、そろそろ」

「ん」

手を適当な所で止めると、今日は一端終了。

頭が冴えに冴えているので、今までと同じ時間の作業でも、倍以上の効率で、成果を出すことが出来るようになっている。

強くなったのは体だけではない。

頭もだ。

だが、精神が強くなったわけではない。

よく分かるのだ。単純にステータスが上がった所で、精神が強靱になる訳では無いという事実が。

実際問題、人は強くなっても、心が鍛えられるわけではない。

心技体揃った一撃というのは確かにあるが。

精神強度とモラルは関係しないことが多いのだ。

「銭湯に行ってくるね」

「え?」

「食事、温めておいて。 それほど時間は掛からないから」

ケイナが驚いたようだった。

今まではなかった習慣だから、だろう。食事を終えてから銭湯に行く方が、普通だったのだ。

色々な方向から効率を検討した結果。

今は。食事前に銭湯に行くようにしている。

銭湯に行くのは。

体のメンテナンスも兼ねているからだ。

風呂に入ると、体のパーツを、一つずつチェック。

少し前までは、失った腕などに、やはり異常が出ることがあった。いきなり破裂したりはしないが。

非常に痛みが強かったり。

腕の中を虫が這い回っているような感覚に襲われたりと。

人には言えない苦しみがあった。

体が異常に熱くなることもあった。

異性が欲しいと感じるのではなくて。

体温が単純に異常上昇するのである。

見た目は変わらないのだけれど。

恐らくこれは、何度か体温を異常上昇させた結果だろう。体の方に、妙な後遺症が残ってしまったのだ。

そしてそれは。

これからずっと、時間を掛けて。

つきあって行かなければならない。

機能を確認し。効率よく体を洗う。そして湯船に浸かると、リフレッシュを時間を計測しながら行う。

隣にセダンさんが入ってきた。

不安そうにしている彼女は。メルルがいつもと変わらない笑みを浮かべると、安心したようだった。

ちなみにセダンさんの入浴マナーは、随分向上していた。

「メルル姫、体は大丈夫ですか?」

「問題ありません。 身体能力は、むしろ向上しているほどです」

「そうですか……」

少し言葉を切ってから。

湯船で身を縮めるようにして、言う。

「あの奇襲でセトを仕留められていれば、此処までのダメージは無かったのに」

「むしろあの奇襲があったから、勝つことができました。 セダンさんの腕は上昇していますし、助かりました」

「……ありがとう」

その感謝は。

恐らくは、哀しみを伴っていた。

セダンさんも知っているのだろう。もうメルルが、半分以上人間では無くなってしまったことは。

風呂から上がると。

アトリエに。

書状が来ていたので、軽く目を通して、決済。

本を読むのも、以前よりずっと正確で、なおかつ速くなっていた。そして記憶力も向上している。

脳のスペックが。

根本的に増しているのだ。

トトリ先生も、人間を止めたとき、こんな感覚を味わったのだろうか。だとすると、感想はどうだったのだろう。

嬉しかったのだろうか。

それとも。

狂気に沈み込んでいく自分を感じて。毎日、哀しみの涙で、枕をぬらしていたのだろうか。

 

翌朝。

複数の書状が来る。

いずれもが、想定した応えを返してきていた。

難民を受け入れる代わりに、軍を出す。辺境諸国とアールズの取り決めだ。そして同時に。難民達が生産した食糧その他の物資を、提供する代わりに、様々な稀少な品や人材を此方に渡す。

周辺諸国には。アールズの真似をして、難民達を制御しようと試みた国もあるようなのだけれど。

いずれもが上手く行かず。

失敗して手痛い打撃を被り。

結局、アールズに難民を押しつける事にした国も多い。

それらに対しては、しっかりと恩を与えた事になる。勿論、恩を仇で返す人間は多いし。国家間となると、それも顕著だけれど。

そうはさせない。

アーランドという更に巨大な監視組織があるのだ。その監視下で行われた取引で、不正をする事は許されない。

そしてアーランドは、賄賂の類が通じない。

ジオ王は恐ろしい人だけれども。

金品に目がくらむような俗物で無い事だけは確かなのだ。

そして上から腐るのが組織である。

色々な意味で脳筋だからが故に。

腐敗は、今のところ、アーランドとは無縁だ。

だからこそ、アーランドに押し潰されたロロナちゃんもトトリ先生も。アストリッドさんも。

より、深みに填まっていて。

救う手段が少ないのだろうが。

一通り、修練と錬金術の研究を終える。エメスの生産は、現時点では充分。農場北部の荒野は、ようやく緑化が板につき始め。家についても、十分に確保され始めた。西大陸からの難民も多少は落ち着いてきていて、飽和状態はどうにか解消された。

恐らく、このまま戦況が推移すれば。

一なる五人を倒すまでは、充分に難民の受け入れは可能だ。

そうでない場合は世界が滅ぶだけ。

考えてみれば。

難民の流入という問題は、この時点で一段落したというか。解決したと言っても過言ではない。

問題は治安だ。

「ケイナ、出かけるよ」

「はい、準備します」

昼少し後。

食事を終えてから、出かけることにする。

脳の性能も上がったから。

研究をしても、この時間には終わるようになったのだ。後は移動しながら、アイデアを出していけば言い。

物資の生産は、ホムさんとホムくんに任せる。

二人は指示した仕事を黙々とやってくれるので、助かる。

ちなみに少し前に聞かされたのだけれど。

ホムさんは少し前に求婚されたそうだ。

断る意味もないので、結婚もする気らしい。ただし、二年後くらいの話になる。今は忙しくて、それどころでは無い、というのが理由だそうだ。

ホムくんに関しても、同じような噂があるけれど。

今の時点では、相手が誰かは不明だ。

結婚した後は、流石に別のホムンクルスを、手伝いに廻して貰う事になるだろうが。

ケイナが手配してくれたので。

王都の入り口で、既に2111さんと2319さん、それにライアスが待っていた。今日は、アニーちゃんも一緒に行く。

荷車を使おうかと思ったけれど。アニーちゃんは、驚くべき事を言った。

「歩く」

「大丈夫?」

「シェリさんに心配させたくない」

そうか、いじらしいことだ。

熱が出るのは避けられないから、お薬は持っていくけれど。アニーちゃんも丈夫になって来ている。何とかなるだろう。

今日は少し足を伸ばして。

高原に行く。

風車は安定して粉を挽いてくれているが。それでも時々メンテナンスが必要になるし、替えの物資もいる。

少しずつ移住する難民も増やしているが。

時々様子を見に行かないといけない。

どうしても遠い事もあって、他の耕作地に比べて足が遠のきがちだけれど。メルル自身が足を運んで視察することには、大きな意味がある。

洞窟を抜けて。

高原に出る。美しい花畑が、何処までも拡がっていた。緑化の成果だ。そして花畑の辺縁は、鬱蒼とした森になっている。

兎族の戦士が来たので、話を聞いておく。

向かって右側の森を兎族が。

左側の森をリス族が。

それぞれ担当してくれている。

忘れられがちだけれども、リス族も大陸北部からの難民がかなり多いのである。森の保全に関してはエキスパートである彼らは。昔とは打って変わって、今ではどこでも引っ張りだこだが。

「何か困ったことはありませんか」

「問題は無い。 麓の難民は問題ばかり起こしていると聞くが、此処にいる連中は、皆勤勉で、作るパンもうまい」

「パンを配ってくれるんですか」

「ああ、たまにナイショでな」

そうかそうか。

怒るつもりは無い。ただ、それだけ良好な関係が構築されていると聞いたのは、収穫だった。

皆を促して、更に高地へ。風車が回って、独特のリズムで音を立て続けている。あの中には大きな臼があって、ずっと穀物を挽いているのだ。粉にした穀物は、様々な活用法がある。

大人しい品種の牛が飼われている。

羊もいた。山羊も。

獰猛な大型雑食種では無くて、どれも家畜に向いた品種だ。ただし人間が保護していないと、すぐにモンスターに喰われてしまう。

見張りをしているホムンクルス達とエメス達。

上空を舞っているアードラも、隙が無くて手が出せない様子だった。

「戦士が、一段と減りましたね」

「……」

分かっている。

皆前線に行ったのだ。エメス達が増えれば増えるほど、人は前線に出向く。ホムンクルス達も。

ただ、最低限の数は残る。

戦士としては二線級だったり、或いは既に引退を控えている者。だから、管理者は老人が多かった。

此処の管理をしているのは、とても背が高い老人だ。細くて、何だか枯れ木のようである。

ちなみに魔術師としては有名人で、メルルもその活躍の一端は聞いた事がある。細長くてしわくちゃのお婆さんである。

「おやおや、メルル姫。 良く来てくれたねえ」

「イシュタムさん、お久しぶりです。 お元気でしたか」

「おお、おかげさまでね。 むしろ国にいた頃よりも、元気になっているくらいだよ」

この人は、国では不遇を託っていた。

辺境には、特殊な風習が残っている場所がある。ある種の能力者が迫害されるような土地があるのだ。

アーランドにも、そういった国から逃れてきた人がいるらしいのだけれど。詳しくはしらない。

イシュタムさんは、そもそも非常に不吉な神の名を与えられたとかで。国では石を投げられて育ち。若い頃は随分荒れたそうである。

しかし、更正してからは各地で優れた魔術師として活躍。

丁度、ジオ王の親くらいの世代の話である。

今ではすっかり活躍が認められて、ただし故郷も離れて。各国で顧問魔術師をしていたらしいのだけれど。

招聘に応じて、此処の管理をしてくれている。

悪魔族も舌を巻くほどの魔術の専門家と言う事もあって。この高地をガッチリ守ってくれているイシュタムさんには、メルルもいつも感謝していた。

薬と後は風車の部品などの注文を受ける。

頷くと、エメスの一人を呼んで伝令にした。最近は、伝令もこなせるエメスが出てきているのだ。

「ありがとうね、助かるよ」

「いえ。 それでは失礼します」

頭を下げると、その場を離れる。

山を下りて。そのまま、モディスへ向かう。これから行く先は、ジオ王の所だ。丁度高原を視察したかったので通ったのだけれど。

何も此処を通る必然性など無かった。

アニーちゃんを時々ケイナが気遣っているけれど。思ったよりも随分と健脚だ。それでも、山を下りる途中で、辛そうにしていたが。

「大丈夫?」

「平気。 シェリさんと鍛えてるから」

「そう。 それは良かった」

前はあんなにぐうたらだったのに。

やっぱりモチベーションがあると人は変わる。それに出会ってからもう随分と時も経つ。背も伸びたし、手足も。

周囲への辛辣な態度も、少しずつ引っ込み始めて。

年長者には丁寧に接するようにもなりはじめていた。

アニーちゃんは多分そんなに背は伸びないだろうけれど。魔術の腕前に関しては、既に玄人はだしだ。

あのシェリさんも最近は太鼓判を押す腕前。

きっとアールズのためになってくれる。

それに、未来に。あの遺跡にいる人達が、出てくる事が出来るようになったら。彼らの先頭に立って、導く事も出来るだろう。

途中で、座る。

見晴らしが良い場所とは言え、普通キャンプスペースでもないのに。こんな事はしない。

馬鹿なモンスターがいたら、誘き寄せるためだ。

笑顔で、水を持ってきたケイナに言う。

「ね、この辺にモンスターいない?」

「今の時点では、見かけませんね。 リザードマン族が、移動路にいるモンスターを遠ざけてくれていますから」

「そっか。 殺したいのにな」

さらりと。

口から出てくる殺意。

実際、今。

メルルは、殺しがしたくてうずうずしていた。

王として民を導く義務があると同時に。今は狂気と同居も始めている身である。モンスターじゃなくてもいい。

スピアのホムンクルスでも、何でも。

こうやって、手を伸ばして。

頭を掴んで、握りつぶす。

思わず歓喜の声が漏れる。あまりにもそれは、甘美で。蠱惑的なひとときだ。

「偵察に出てくる」

ライアスがその場から離れる。

キャンプスペースはもうすぐ。

だけれども。

もう少し此処にいたいと思った。

 

二日ほど掛けて、モディスに到着。前は敵の勢力圏だったこともあって、とにかく大変だったけれど。

今は此方の勢力圏だ。

軍で移動しているわけでは無いから、リザードマン族との約定にも反しない。途中、姿を見せたリザードマン族の戦士には話をして、しっかり縄張りに入らないことも約束しておいた。

霧が出てくる。

もう少しで、ベヒモスの群生地だが。何も足を踏み入れる事はないだろう。

遺跡の軍勢にも、ベヒモスを狩りにでてくる余裕は無いはずで。気にすることはない。

霧の中、複数の巨影が歩き回っている様子は圧巻だし。出来ればこれから踏み込んで一二匹殺したいところだが。

ケイナに止められたし。

何よりも、する事がある。

モディスはメルルが復旧したときに比べて、格段に立派になっている。無限書庫を潰すための前線基地として重要なのだから当然だ。かなりの数の戦士が詰めていて。その中には、近隣でも有名な猛者がうようよいた。

人間だけではなく、悪魔族やペンギン族もいる。

モディスは今や、小さな街ほどの活気もあるようだ。勿論、商売を始めている者達もいる様子だ。

メルルが歩み出ると。

皆、様々な視線を向けてきた。

知っているのだろう。

ただ、敵意はあまり感じない。既にベテランを通り超えて、達人級の実力になった事を、見て皆悟ったに違いない。

もっとも、このパワーアップは。

半分事故に寄るようなものだが。

歩いていると、34さんが来る。久しぶりだ。彼女はまた少し、雰囲気が落ち着いたようだった。

「どうなさいました、メルル姫」

「ジオ陛下には会えますか」

「今、手配します。 しばしお待ちを」

すぐに、要塞の中に入っていく34さん。メルルは要塞と。その周辺に建ち並ぶ天幕の群れを見ながら。

どう話を進めるか。

順番に、頭の中で反芻していく。

既に草稿は練ってある。トトリ先生に相談はしていないけれど多分どうにかなるはずだ。ジオ王も、あの人には、困っていたはずなのだから。絶対にエサには飛びついてくる。メリットよりも、デメリットが大きい。

解決策があるのなら。

やっておいて、損はないのだ。

前は、軍事用の設備しかなかったモディスだが。今では来客をもてなすためのスペースが作られている。一種の別館だ。

防御能力は低いので。モディスが戦場になった場合は、多分陥落してしまうだろうけれど。内部の重要施設とはつながっていないので、問題は無い。

今回は、此処を使う。

軍事施設は、リザードマン族に任せているので。出来るだけ足を踏み入れないようにしているのだ。この辺りは、政治的配慮である。

中はこぎれいに整っている。

エメス達が、隅々まで綺麗にしているのだ。まだエメスを不気味がる者達もいて、それには少し頭も来るけれど。

だけれども、認めてくれる人も増えている。

それがメルルには、嬉しい。

34さんが戻ってきた。

手配をするので、その間は応接にいて欲しいと言う。

アールズの王城に比べると、かなり巨大な要塞の中を歩いて、応接室に通される。高級な調度品が並べられていて。

リザードマン族の戦士達が、外で見張りをしていた。

敬礼をされたので、応じる。

彼らは、メルルを、悪く思っていない。

何度か力を見せたから、なのだろう。

それにメルルとリザードマン族は、利害関係がないというのも大きい。立ち会いのもと、正々堂々と決闘をして。堂々と相手をまかし。相手の尊厳を損なうような真似だってしなかった。

それもまた、リザードマン族達には好印象だったのだろう。

ぬっと姿を見せたのは。

族長だ。

「久方ぶりだな」

「お久しぶりです」

「書状は見た。 儂も話には参加したい」

「お願いします」

応接にはソファが幾つかあり。それぞれに座る。

貴人が座っているので、他の皆は立ちっぱなしだ。アニーちゃんは文句の一つも言わない。

この辺り、凄く成長したのだなと、見ていて分かる。

エメスがお茶を淹れてくれた。

口に入れてみると、ほのかに甘くて、香りも悪くない。

「良いお茶だね」

「荒野で栽培しているものです」

「!」

そうか。

緑化だけでは無くて、こういうものも、軌道に乗り始めたか。栽培を始めているのは知っていたが。

中々にこれは良い。

名物になるかも知れない。

族長は猫舌らしく、ふうふうと冷ましてからお茶を口に入れていた。また口の構造上、お茶を飲みづらい様子だ。

メルルは気を利かせて、肉を焼いて持ってきて貰う。

そして自分から、手づかみで口にした。

族長も喜んだ様子で、肉を口にする。

「ふむ、若干軟弱だが、柔らかくて旨みがあるな」

「高原で育てた牛の肉です」

「ほう、これが……」

ひょっとすると、「この」牛を食べるのは始めてかも知れない。

牛は一頭で、人間の十倍を超える体重にまで成長する。つまり、それだけ膨大な肉が採れるのだ。

勿論育てるにはノウハウもいるし、簡単にはいかない。

人間の庇護下で無いと、生きていく事さえ出来ない軟弱な生き物だ。

更に、この牛には。

秘密もある。

少し前から、ディアエレメントさんと、鉱山のダブル禿頭が連動して動いているのだ。その一環として。

地上への先発隊として、動物を何種類か。ダブル禿頭が出してきて。ディアエレメントさんのアドバイスを受けながら飼育しているのである。この牛もその一種。半分ほどは、たちまち病気でやられて死んでしまったのだけれど。何度かダブル禿頭が、耐性をバージョンアップしたものを出してきていて。それと交配することで、かなり強くなってきている。

食べてみると分かるが、確かに味そのものは悪くない。

数ヶ月前から流通していたし。

モディスに卸すように決済もしていたので。メルルも、この肉の正体は、知っていたのである。

「いにしえの時代の牛も、悪くないものだ」

「輸出しましょうか」

「そうさな。 状況が落ち着いたら頼もう」

「分かりました」

皆にも肉を振る舞う。

しばし、肉汁滴るごちそうをほおばっていると。

ジオ王が来た。

食事の手を止めて、挨拶。

鷹揚に頷くと。ジオ王は、自分も席に着き。まだ温かい牛肉を、口に入れた。

「うむ、悪くないな」

 社交辞令を済ませる。

自分でも驚くほどに、メルルは落ち着いていた。

「では、早速本題に入りましょうか」

「そうさな」

「アストリッドさんの事です」

書類を拡げる。

そして、説明した。

かなりの人員が必要とされる大規模なものだ。勿論、アーランドの関係者にも、手を貸して貰う事になる。

と言うよりも。

あまりこういうことは言いたくないのだが。アストリッドさんに関しては、アーランドが責任を取るべきだ。最も重い形で。

急がないと手遅れになる。

精神的な問題では無い。

2999さんと接したことで、あの人の怒りは、もはや暴走状態というのも生やさしい所にあるはずだ。

以前、少し話してみて分かったけれど。

本当に世界を滅ぼしかねない。

一なる五人を倒せたとしても。

まるごとその場所にアストリッドさんが座ってしまったら、何の意味もないし。決戦後に疲弊しているところを後ろから刺されでもしたら、どうにもならない。実力で言うと、恐らくは、ジオ王に匹敵するほどの存在なのだ。

勿論ジオ王も手札を用意しているだろうけれど。

それも、無効化する手段を用意してきている可能性が、極めて高かった。

「なるほど。 本来は絶対にあり得ぬ事を、我等が共同で起こす、という事だな」

「そもそも、アストリッドさんをどうにかするには、現実そのものを変えないと不可能です」

「ふむ……」

精神論は忌むべきものだと、メルルは考えている。

勿論、精神は重要だ。

だが、どんなことでも心の持ちようだなどというのは、身勝手な話に過ぎない。実際問題、アストリッドさんは、大事な。それも、普通の親よりもむしろずっと大事な家族を。迫害で失っているのである。

その事実を、ひっくり返さなければならない。

過去に遡って、悲劇を止めることは不可能だ。

それならば。

今を変える。

そして何よりもだ。

書状には書いていないし、口にも出していないが。

皆の悲劇の源泉は、アストリッドさんにある。ロロナちゃんもトトリ先生も、元をたどれば、アストリッドさんから流れ出た狂気の川に飲み込まれていったようなものなのだ。

それならば。

川をせき止めなければならない。

メルル自身も、狂気に浸されてしまっている。

もはや、心をむしばんだ狂気は、自分そのものと言って良いほどになっている。

しかし、皆が補助してくれれば、生きていける。

抑えることは完全には無理でも。

理解してくれる皆が。

メルルが生きていく事の、助けになってくれているのだ。

「かなりの金が掛かる作業になる」

「分かっています。 しかし、世界の滅亡と天秤に掛けるなら、安いもののはずですが」

「その通りだな。 そして既にメルル姫。 動いているようだな」

「はい。 後はアーランドさえ協力してくれれば」

強かなことだ。

からからと、ジオ王は笑う。

そして、腰を上げた。

「良いだろう。 それであのアストリッドが大人しくなるのであれば、余としてはなんら異存もない。 重要な戦力として活用できてはいたが、部下達からの不満も大きいし、常に監視をつけなければならないという点では、無駄もあった。 何より指摘の通り、最後の最後で牙を剥く可能性が非常に高かったからな。 もしそれを事前に封じられるのなら、協力しよう」

「有難うございます」

頭を下げる。

そして、ジオ王が応接を出て行くと。

族長が、嘆息した。

「大した度胸だ。 途中何度か、面白半分に殺気をぶつけられていたことに、気付いていたか」

「ええ」

「ならば何も言うまい。 リザードマン族は協力を惜しまない、とだけ言っておく」

実際問題。

知られていない、ということが、悲劇の源泉だったのだ。

今は、メルルは権力を持っていて。

無理矢理に知らしめることも出来るし。

感謝するように、厳命することだって出来る。

当然の話だが、これは強制だ。

そして強制だからこそ、意味があるのだ。

モディスを出る。

うずうずと来た。また殺意が首をもたげている。2111さんが、慌てて側に来た。何となく分かるらしい。

「大丈夫。 帰り道、採集がてらに、ハルト砦近くの荒野に行きましょう。 最近モンスターが多く、駆除の依頼が出ていたはずです」

「……楽しみ」

「はい、楽しみですね」

頭を抑える。

爆発しそうな狂気が。

頭の中で、けたけたと笑い続けていた。

 

3、祭

 

顔を上げたアストリッド。ずっと調合に没頭していたのに。普段調合中のアストリッドは。他人が来ても、完全に無視するのに。

気付いたのだ。異常に。

薄暗いアトリエを出る。喧しいことが、アストリッドは何より嫌いだ。特に昼寝を邪魔された場合、原因を徹底的に破壊して、完膚無きまでに叩き潰すことが多い。こうやって、半殺しにした相手は、今まで十指に余る。

外に出たアストリッドは。

なにやら、厳粛な行列が出来ているのに気付いた。

何だこれは。

此処はアールズ王都。

人口だって、多くは無い。

王都の住民だけでは無い。他の国の人間が多数いる。それも、だ。王族や大貴族など、錚々たる面子ばかりである。

皆が花を持って、行列に並び。少しずつ進んでいる。

祭などには興味は無いが。

ただ、この光景が異常だと言うことは、一瞬でアストリッドにも理解できた。

「失礼します」

不意に、何人かの二桁ナンバーホムンクルスが、周囲に。そして、その内二人が、前後から抱きついてくる。

此奴らの身体能力は分かっている。もしもふりほどくつもりなら、殺さなければ無理だろう。

アストリッドには、それが出来ない。

「何の真似だ」

「これからマスターは取り乱すかと思われます。 だからこうします」

「何だと……」

此奴らは知っている。

敵のものなら兎も角。

アストリッドは、アーランドのホムンクルスを殺せない。当たり前だ。師匠と同じに作っているのだから。実験の過程で失敗作を処分したことはあるが、それはそれ。既に命を得た完成品は、絶対に殺す事が出来ない。

ロロナの時に、思い知った。

アレなどは混じっているだけだったのに。

結局殺せなかったほどなのだ。

此方へと、言われて。案内される。行列の中には、なんとアーランドの幹部も散見された。

広場に出る。

其処では。アストリッドが愕然とする光景が広がっていた。

師匠が、アールズ王都の中心にある小さな広場に席を用意され。各国の錚々たる面子が頭を垂れ。

花を渡し。

礼を言って、次へと代わっているのだ。

アーランドの同盟国の王が来た。

師匠へ、躊躇無く頭を下げる。

「まさか幾度も我が国を救ってくれたホムンクルス達が、貴方がいなければ存在し得なかったとは。 この余も知らなかった。 改めて礼を言いたい」

「いえ。 今は皆が手を取り合うときです。 一緒に戦い、災厄を打ち払いましょう」

握手。

頭を下げる方も、深々と感謝を捧げている。

そして、師匠も。

笑顔で、それに応じている。

馬鹿な。

あり得る事では無い。

左腕を失っている戦士が来た。大柄で、髭だらけの男性だ。

「あんたがホムンクルス達を作ってくれたんだってな。 俺の村は、ホムンクルス達の増援が無かったら、スピアのクソ共に丸焼きにされて、皆殺しにされていた。 本当に心から礼を言うぜ」

「此方こそ、有難う。 あの子達と仲良くしてあげてくださいね」

「おうよ。 最初は無口で無表情で取っつきにくかったが、何しろ命の恩人だからな!」

男が離れていく。

嘘だ。

何度も呟いてしまう。

師匠が、愚民共に認められているだと。そればかりか、各国の錚々たる面子が、頭を下げて。感謝の言葉を。

夢か。

目の前が、ぐらりと歪む。

こんな事、あり得ない。あり得るはずがない。

意味を成さないうめき声が、口から漏れる。これは私をたぶらかそうとする幻覚か何かか。

見覚えがある奴が来た。

師匠を無能無能と罵っていた、近くの老夫婦だ。

忘れもしない。

どうにかして殺してやりたいと、ずっと思っていた奴らなのだ。師匠への悪評をばらまくことを、ずっと止めなかった。

どれだけ殺してやろうと思い続けていたか。

「ごめんなさい。 貴方の業績を今更ながら知らされて、馬車で来ました。 本当に、謝罪の言葉もありません」

「良いんですよ。 私の研究は、決して分かり易いものではありませんでした。 むしろ今、世界のためにともに戦えることは幸いです」

何故だ。

どうして許す。

貴方には怒る権利がある。自分の発明を認めず、無能と罵った愚民共を、滅ぼす権利があるではないか。

「っ!」

体ごとアストリッドを止めていたホムンクルスの一人が、苦痛の声を漏らす。

思わずアストリッドは、下を見ていた。

凄まじい力が、いつの間にかこもっていたようで。骨が折れたらしい。すぐにもう一人が交代する。

行列は続く。

トラベルゲートでも使ったのか。アーランドで見かけた奴も多い。アレは緑化作業で知られるジェームズか。

常日頃から師匠を無能無能と言っていた奴だ。殺してやりたかった。彼奴まで、師匠に頭を下げている。

ホムンクルス達もいる。

「貴方は完全な奴隷としての機械生命ではなく、血の通った命として、人と争わない心を私にくれました。 感謝しています」

「ありがとう。 アストリッドに良くしてあげてくださいね」

「はい」

声が漏れる。

悲鳴に近かった。

そんな。

こんな事が、あるはずが無い。

いつの間にか。

哀れむように、目の前に立っていたのは、ステルクだった。

「き、きさま、きさまか! この茶番を仕込んだのは!」

「もう二人抑えろ」

「はい」

二桁ナンバーのホムンクルス達が、もう二人、アストリッドを抑える。うめき声が漏れた。

行列は粛々と続いている。

ステルクの側にいるのは。子供を産んで、すっかり落ち着きを得たリオネラだ。消音の魔術を使って、列に混乱が生じないようにしていたのか。恐らく、向こうの声は届いて、此方は遮断される高度な術だろう。

だが、普段なら児戯に等しい。

そんな事にも、気付けなかったのか。

混乱して、何が起きているのか分からない。

天才を自負するアストリッドが。

今は、何よりも。誰よりも、取り乱していた。

「師匠を、洗脳したのか!? そ、それであんなおぞましい茶番に、巻き込んだというのか、ゆ、ゆるせん! ゆるせんぞ貴様らっ!」

「嘘をつくな!」

「何が嘘だ!」

「分かっている筈だ。 あの人が、洗脳などされてもいなければ、心にも無い事を言っていない事くらいは! お前なら、一目で分かるだろう! あの人のことを、誰よりも慕っていたお前なら!」

声が、出なくなる。

ステルクがどいて、更に光景を見せつける。アストリッドは目を背けることも出来ず。そして、頭が拒否するにもかかわらず。

それが、現実だと、思い知らされる。

「こうしないとお前は錯乱して、アールズ王都を滅ぼしかねなかったからな。 いや、そのままでもいずれお前は、世界を滅ぼそうとしていただろう」

ステルクの声は。冷えていた。

その通りだ。

こんな小さな国、滅ぼすことなど、何とも思っていない。錯乱するアストリッドを嘲笑うように。

粛々と。

儀式は行われていった。

感謝。

謝罪。

師匠が生きている間得られなかったもの全てが。

どういうわけか、新しく生を得た師匠が受け取っている。静かにほほえんでいる師匠は、昔の。

親に捨てられたことを悟り。

自暴自棄になっていたアストリッドを認めず。

側に置いてくれて。

世間一般の親以上に接してくれた。あの優しい、師匠のままだった。

ついに涙が零れてくる。

分からない。

わからないわからないわからないわからないわからないわからない!何が起きている!こんな事、起きるはずがない!起きるはずが、ある筈もない!

叫ぶ。

そして、気付いた。

可能か。

師匠が誰かに話して。

そいつが、馬鹿馬鹿しいほどの労力をつぎ込んで。国ぐるみで協力すれば、という条件がつくが。

そして、そいつの心当たりが、アストリッドには、一人しかいない。

「あの、小娘かああああああっ!」

「……」

ステルクが、周囲に促す。

同時に。恐らく、ロロナやトトリが作り上げただろう、結界作成の魔術が発動。アストリッドを全方位から縛り上げた。そうしないと、押さえ込めないと思ったからだろう。

もはや、完全な混沌に落ちたアストリッドは。

だが、それでも。

師匠と同じ顔をしていて。自分を抑えるために必死になっているホムンクルス達を殺す事が出来ず。

結果、結界を破壊できなかった。

 

都合、八時間ほど。

それを見せつけられた後。拘束されて、アトリエに連れて行かれた。呆然としているのが分かる。

頭はまだ混乱していて。

何が起きたのかも、分かっていなかった。

分かっているのは。

師匠が、決して嫌々協力していたのでは無いという事だ。そして、こんな事をするために。アールズどころか、アーランドまで、国を挙げたのだ。

ぼんやりとしていると。

桃色の髪を持つ、この国の姫が来た。

アストリッドは飛びかかりたかったが、何重にも魔術による拘束を掛けられ、動けない。ましてや今は、側に厳しく口を引き結んだステルクが控えたまま。

他の使い手ならば兎も角、ステルクが如何にこういうとき、隙を作らないかは。昔恋人だったこともあるアストリッドが一番良く知っている。

流石にこの状況では、アストリッドでもお手上げだ。

「何を、しにきた」

「現実を変えました」

「……なんだと」

「アストリッドさんの怒りの根元は、理不尽だったはずです。 その理不尽を、権力と財力の暴力で砕きました」

何を言っている。此奴は、何をほざいているのだ。アストリッドの逆鱗を、フルスイングで殴っておいて、何をぬかしているのか。

のど笛に噛みつこうと、暴れるが。

拘束は凄まじく。とても剥がれるものではなかった。

メルル姫は、冷静だ。

そして、その目を見て。

ふと、アストリッドも。心が冷えるのを感じた。

壊れたとは聞いていた。

だが、その目には。狂気と理性が、同居している。

こんな行動、頭がまともなうちは、思いつくわけがない。ただ一人の名誉を回復するために、周辺国家の首脳部全てまで巻き込んで、祭まで起こした。それだけじゃあない。起こす時期だって、完璧だ。

今、スピアもアーランドも、軍を動かせない。

だからこそ、今ならば。

動けるのだ。

勿論、普段だったら現実的な話では無い。予算だって相応に掛かる。コネをフル活用しても。各国の王だって、わざわざ足を運ぶだろうか。

ジオ王が号令を掛ければそうするだろう。

だが、どいつもこいつも、昔話に出てくるタヌキ以上の腹黒達。そいつらをどう納得させたのか。

確かに、どの国も。

ホムンクルス達の活躍で、スピアの猛攻を防ぎ。多くの命が救われている。

だが、それでも。

大半の人間には、所詮作り物の命にしか見えていないはずだ。それを、どうして。

分かっている。

権力をフル活用して、ごり押ししたのだ。

頭がまともなら、思いつくはずもない事だ。そして、だからこそ。アストリッドでさえ、選択肢から外していたのだ。

こんな事が起きるはずは無いと。

しかし、権力を暴力的に用いて。

この女は。

実現してしまった。

「し、師匠、は」

「アストリッドさんをとても心配しています。 しばらくは取り乱しているだろうから、厳重に見張るようにとも言われています」

「……」

そうだ。

師匠なら、そう言うだろう。

そしてこのアトリエの事は、アストリッドが誰よりも知っている。此処でいかなる爆発が起きても、耐え抜くほどの構造だ。

弟子達の今の実力も。

この拘束。

完全にはまってしまった現在。

どうにもならないだろう。

「私は、許さないぞ……許すものか……!」

「迫害を受けた本人に、世界そのものが謝罪し。 なおかつ、本人が受け入れた」

「それは……!」

「勿論これは、本来では起こりえない奇蹟の出来事です。 でも、その奇蹟を起こしたのは、錬金術です」

錬金術で本人の肉体をベースに、2999さんが造り出されなければ。アストリッドさんのお師匠様は、この世に舞い戻ることなど無かっただろう。

無数の自分の体があったから。

あの人は、帰ってくる事が出来たのだ。

そして、記憶を取り戻してしまえさえすれば。

もはやどうにもならなかったアストリッドさんの地獄に。蜘蛛の糸を垂らすことが、可能になったのだ。

錬金術が、あったからこそ。

この人は、救われたのだ。

「しばらくは、拘束させて貰います。 2999さん、後は手はず通りにお願いします」

すっと、姿を見せたのは。

師匠。

2999というホムンクルスに宿った。一つしか芸がなかった、世間に嘲笑され、排除され続けた人。

だけれどもその一つが。

いにしえの技術でも不可能だった、人間と共存可能なAIを造り出すのに、どうしても必要で。

その応用で。今、世界を救うために必要不可欠な、ホムンクルスやちむ達を造り出す原動力になった人。

そして師匠は。

何のためらいも無く。

側にある鎖を、右手首に結びつけた。長い鎖だけれど。術式が仕込まれたゼッテルが、無数に貼り付けられている。

アストリッドが無理に脱出しようとすれば。

師匠が爆死する造りだ。

「何故だ……どうして許せる……! どうしてなんだ……!」

アストリッドは、頭を地面に叩き付けた。

どうしても、理解できない。

師匠が、いつまででも側にいると言ってくれていても。

長年培われた狂気は。

アストリッドの知能を持ってしても。現実を、正確に理解させてはくれなかった。

 

4、一つ目の階

 

メルルは、驚くほど心が冷えているのを感じた。

権力は、こう使う。

いや、本来はこう使うべきだ。

アストリッドさんは言っていた。

彼奴らは愚民だと。

はっきり言うが。メルルも、2999さんを迫害した人達については、愚かだったと同意できる。

だけれども。民は本来、判断力も決断力も、どうしても劣るものだ。

全ての民が優れた判断力と決断力を持つ社会が到来したら、それはそれで凄いのだろうけれど。

どれだけ教育を浸透させても。

民は民だ。

能力にはむらがある。勿論王族より優秀な者だっているだろう。だけれども、一人一人が社会を動かす事は、どうしても難しい。

だから代表が必要だ。

色々な制度があるけれど。国を動かすのは、結局民の代表だと言う事に、今も昔も変わらない。

だからこそ。

愚民がいるのなら。

王が導くべき。

つまり、権力を使って。

目を覚まさせるのだ。

今回は、アストリッドさんという、最悪の鬼札になりかねない存在があった。一なる五人との戦いで、不意に後ろから刺されたら、どうにもならない現実があった。

もう一人。

恐らくは、トトリ先生も、今は鬼札とカウントするべきだろう。

だが、トトリ先生は。

今回の件で、くさびを入れられる。

そしてアストリッドさんは。

最終決戦までに、戻ってきてくれれば、それでいい。

誰よりも大事な人が。

壊れてしまった心が。動けるくらいに戻るまでは、側にいてくれるのだ。それできっと、大丈夫だろう。

お城に出向くと、ルーフェスが、早速書類にサインを求めて来た。

今回の件に掛かった予算である。

アーランドが支援してくれるとは言え。本来はこの国の国家予算の十年分くらいの金が、一日のために消し飛んだ。

それはそうだろう。

各国に使者を出し。

ホムンクルスが如何にして誕生したかを懇切丁寧に説明し。それに対する感謝を求めた。

最初、どこの国の王も、だからどうすればいいのかと困惑したけれど。

告げたのだ。

そのせいで、この世界が滅びようとしていると。

一なる五人を倒す事は、或いは出来るかもしれない。だけれども、その後に、さらなる強力な悪夢が、地獄から現れる。それは恐らく、アストリッドさんだ。あの人なら、一なる五人が世界を滅ぼそうとしている手段を奪い取って、自分が使うことくらい、平然とやってみせるだろう。

だから、そもそもさせない。

そのための投資であれば。

安いものだ。

何より、今は。

難民達が生産した食糧が、完全に黒字になっている。周辺国に売ることで、国家予算の助けになっている。

このくらいの金なら、無理をすれば出す事も出来た。

何より、メルル自身も。

ホムンクルス達が如何に勇敢に戦い。

それでいながら、人とも交じり合い。

この世界のために命を賭けてきたか、知っている。

彼女らに対する感謝が。

今、あっても良い筈なのだ。

「姫様は、変わられましたな」

「おかしなものだね」

「何がでございましょう」

「私の狂気は、もうどうしようもないところまで、心をむしばんでいるのに。 だからこそ、今回の作戦は思いつくことが出来た。 もしもまともなままだったら、こんな事、考えつきもしなかったよ」

自嘲が零れる。

そもそもだ。

アストリッドさんをどうすれば救えるか。2999さんと話した後でも、漠然としか思いつかなかった。

今は違う。

金と権力を、箍が外れた使い方をすれば、どうにでもなると気付けた。

今までは、良識が枷になっていた。

しかし違うのだ。

もはや私は、思考の枷を自由に外せる。それは大変に危険なことだとも分かっているけれども。

それでも、そうしないと、どうにもならない問題もあるのだから。

「次はトトリ先生かロロナちゃんだけれども。 ロロナちゃんは、一なる五人を葬るまでは無理かな……」

「そうなると、トトリ殿ですか」

「ううん、先生も無理だね」

既に状況は分析出来ている。

トトリ先生が壊れた原因は、ロロナちゃんと、トトリ先生の母上に降りかかった不幸だ。それをどうにか解決しない限り、トトリ先生は元には戻らない。というよりも、何をしてももう元には戻らないだろう。

狂気と共存。

その状態に持っていくのが精一杯だ。

だけれども、それでさえ、どれだけの価値があるだろう。

トトリ先生は、今自分への罪悪感で完全に押し潰されて、狂気の沼の中から空を見上げている状況だ。

自分がそうなったからよく分かる。

それならば、まずは現実を力尽くで変えるしかない。

今回は権力を使ったけれど。

次は錬金術が必要になるだろう。

ロロナちゃんを元に戻す薬。

それに、噂に聞いている。世界からはじき出されてしまっているギゼラさんを、此方の世界に戻す手段。

どちらも、今のうちに、準備しておかなければならない。

このうち、ロロナちゃんを元に戻す薬については、実は宛てがある。ジオ王に聞いたのである。

レシピが存在すると。

ロロナちゃんを子供にして固定した薬のレシピだが。

解析すれば。

逆に、元に戻すことも可能なはずだ。

いや、どうせなら。

ロロナちゃんとは。人を超越した精神部分を、切り離してしまった方が良いかも知れない。

あの人の神の部分は、正直人間に制御出来る範囲の力を超えている。

展開する火力の凄まじさは、何度も目の前で見た。

あれは一人の人間がやっていいことではない。

ましてや、寿命も無く、あの姿のまま固定されてしまっているとなると。いずれロロナちゃんが辿り着くのは。

絶対なる神の位置。

そうなれば、もはや人に戻るのは不可能だろう。

時間は、あまりない。

つまり、一なる五人を。

可能な限り早く屠らなければならない。

「無限書庫攻略の準備は」

「まもなく整うと聞いています」

「一撃で勝負を決めるよ」

「御意……」

ルーフェスは一瞬だけ。

複雑そうな心中を吐露するように。表情を歪めていた。

 

(続)