絶対包囲

 

序、陥穽に落つ

 

やられた。

メルルが気付いたときには、もうどうしようもなくなっていた。

敵拠点である遺跡、通称無限書庫近辺への偵察任務を開始して。

周囲には充分気を配って。

ミミさんもジーノさんも、油断なんてしていなくて。

それでも、罠に掛かってしまった。

気付くと、全員。

何処か知らない場所にいた。

洞窟の中らしいことは分かる。だが、それしか分からない。磁石はくるくると廻るだけ。そして、圧倒的な数の敵の気配。

まったく未知の場所で。

敵に包囲されているのだ。

あっと思った時には、もう接敵していた。

「防御円陣!」

指示を飛ばすと、ミミさんに叫ぶ。

周囲を探って欲しいと。

どっとなだれ込んできた敵を必死に食い止めながら、荷車を守って下がる。本当に一体、何が起きたのか。

矢が飛んでくる。

当然毒つき。

ケイナが鞄ではたき落とし。

2111さんが、叫んだ。

「此方です!」

広場から、通路状になっている場所へ移動。ジーノさんが前に出て、突っ込んでくる敵を斬り払いながら下がる。

だが、埒があかない。

そもそも、灯りをつける事が出来たことだけでも、僥倖なくらい。

襲ってきているモンスターは、スピアの洗脳モンスターだから。此処は無限書庫の近くだろう事は分かる。

それしか分からない。

通路なら、前後だけを守れば良い。

だけれど、血路を開こうにも、敵の数が多すぎる。それに、分かるのだ。奥の方に、強い気配が幾つもある。

下手をすると。

国家軍事力級かも知れない。

まだそんな強力なホムンクルスがいたのか。そしてそんなのがいたとして。メルルを潰すために、投入してきたのか。

邪神達に、アーランドの精鋭を任せたのだろうか。

分からない。

いずれにしても、まずは、落ち着くことだ。

飛び込んできたのは、蛇のような姿をしたモンスター。短い手足がついているのだけれど。天井も壁も関係無く、凄まじい速度で迫ってくる。

斬り伏せるけれど。

まるで矢のように、ひゅんと飛んでくる。何匹も、何匹も。

全て叩き落とすが、軌道が読みづらい。どんどん対応が難しくなる。

八匹目。

ついに、守りを抜かれる。

右腕に噛みつかれた。

すぐに斬り伏せたけれど。

やはり毒だ。かなり強めの。

すぐに毒消しを仕込むけれど、前線がいつまで保つか。アニーちゃんが防御魔術を展開しているが。それも破られるのは、遠い未来じゃあない。

手が痺れるけれど。

メルルは、発破を立て続けに投擲。

そして、気付く。

この洞窟、かなり脆い。

爆破すると、相当な量の土砂が降ってくる。まずい。下手をすると、生き埋めになりかねない。

或いは、かなり深度が浅い場所なのかも知れない。

この間。

アストリッドさんが使った道具を思い出す。別の場所とつなげるもの。トラベルゲートと言っていたか。

あれを罠に応用して。

メルルを、地下空間に飛ばしたのかも知れない。

もしそうだとすると、脱出路など、最初からない可能性さえある。一なる五人のことだ。メルルを殺すために、部下を洞窟に生き埋めにするくらい、平気でやるだろう。

慌てるな。

自分に言い聞かせる。

前向きに考えよう。

おばさまの言葉を胸に刻む。

敵だって、無限じゃあない。

そもそもだ。

無限書庫への総攻撃が開始されて。最前線では、ハイランカーや国家軍事力級戦士達が大暴れしている状況である。

邪神への対策手段も準備され。

今回は、今までのようには行かない。

敵も、此処にいつまでも大軍を送り込めないはずだ。そうして考えてみれば。決して活路がないわけでは、ない。

下がりながら、手を押さえる。

痛みは退いてきた。

更に狭い通路に、下がる。

「後ろはどうなっている!?」

「袋小路です!」

2111さんが叫ぶ。

そうか、袋小路か。だけれどもそれは、逆に言えば。前からしか、敵が来ないという事も意味している。

籠城だ。

脱出手段については、考えるしか無い。

「後方の部屋に拠点を構築! ジーノさん、時間を稼いで!」

「任せとけ!」

ジーノさんが前に出る。

ミミさんは戻ってこないけれど、今は彼女に任せるしかない。メルルも2319さんに続いて、奥の部屋に。

全員が入るくらいの広さはあるけれど。

此処に敵が乱入してきた時のことは、考えたくない。

まずはこの広くもない部屋に、荷車を突入させ。

罠がないかを、シェリさんに確認して貰う。

罠は無し。

そう判断した後、壁、床、天井。

全てに防御魔術を展開。

後は、順番に、負傷者に入って貰う。

ジーノさんは、相変わらず、もの凄い数の敵を防ぎ続けてくれているが。狭い通路だとはいえ。代わる代わる攻めこんでくる敵に、流石に辟易している様子だ。

敵の様子もおかしい。

やはり、此処には出口などなく。メルルを殺さなければ、出る事さえ許されないのかも知れない。

荷車からレヘルンを取り出すと。

敵の真ん中に放り込む。

凍結爆弾が炸裂し。

辺りを、一気に凍り付かせた。

そこへ、ドナーストーンを続けて投擲。敵陣で、紫電が荒れ狂う。発破が駄目でも、これならどうか。

流石に多数の敵をなぎ倒した雷撃だが。

敵は次から次へと姿を見せる。

アニーちゃんが、冷や汗を掻いているのが見えた。

矢を防ぐ魔術を使うだけでも、精一杯、と言う所だ。

それなのに敵は。

発狂したかのように、攻撃魔術を、次々と繰り出してくる。ジーノさんが剣圧で防ぐけれど。

それもいつまで保つか。

妙案はないか。

ザガルトスさんが飛び出して、ジーノさんの代わりに。

既に、此処に閉じ込められて。

一刻以上が、経過しようとしていた。

 

交代で敵を防ぎながら、必死に時間を稼ぐ。

その間にメルルは治療と、皆への物資の補給を進めた。ミミさんが戻ってこないのが不安だけれど。

正直な話。

今は、まずどう脱出するか、だ。

「この洞窟、出口がない可能性があります」

まず最初に。

絶望的な、その事実を告げなければならないのは、少しばかり心苦しい。しかしながら、それを前提に、話を進めなければならないのだ。

2111さんが頷く。

「私も、そう思います」

「冗談じゃない」

ぼやくのはセダンさん。

ケイナは、黙りこくったまま。鞄に突き刺さった矢を引き抜いていた。ライアスはと言うと、次の話を待ってくれている。

頷くと。

メルルは、続けた。

「敵がこうも必死なのは、私達を殺さない限り、外に出ることさえ出来ないのが大きな理由でしょう」

「卑劣なんて次元じゃねえな」

ザガルトスさんが呻く。

メルルも同感だ。

だが、今は。

その敵の卑劣さをどうにかして粉砕し。

生き残るために、あらゆる手管をつくさなければならない。

それにしても、メルルの居場所を、どうやって特定したのか。そして、どのようにして。あのようなピンポイントの罠に填めたのか。

内通者がいるとは、今更には考えにくい。

というのも、一なる五人に内通しても、最終的に殺されるのは、目に見えてしまっているからだ。

何より戦況は膠着状態。

洗脳されていたものも、あぶり出しが進んで。もはやいない。

少なくとも、メルルの居場所を正確に把握できるほどの、高位の人物に。裏切りものはまずいないと断言しても良いだろう。

そうなると。

敵は、メルルの何かしらの情報を、どのようにしてか入手したことになる。

生体魔力のパターンか、あるいは。

何か、もっと原始的な情報か。

もの凄く目が良い敵を配置して。

そいつによって、メルルを見つけ出した可能性もある。

とにかくだ。

まずは、此処を脱出するには。

恐らく、敵の群れを突破するよりも。

天井を見る。

彼処を、ぶち抜く方が、現実的だ。

「なるほど。 鉱山での戦いを思い出す」

「問題は、あの時と比べて、此処が狭すぎる、という事。 それに、恐らく上にある土砂が、桁外れ、ということだ」

ザガルトスさんに、シェリさんが返す。

メルルも頷く。

それで、幾つかの問題を、クリアしていかなければならない。

何より恐らくだけれども。

此処に閉じ込められ、指揮を執っている者の中には、国家軍事力級戦士並みの実力者がいると見て良い。

メルルも腕を上げたけれど。

それでも、全員がかりで。

しかもベストコンディションで。

倒せるかどうか。

いや、厳しいだろう。まだ届かない。

そうなると、そいつが前に出てくるより先。一気に、脱出路を確保しなければならない、という事だ。

「よろしいですか」

2111さんが挙手。

現在では、すっかり彼女は皆のブレインとして活躍してくれている。メルルも、その言葉を信用している。

だから、誰も異議を申し出なかった。

「妙案?」

「いえ。 もう一つ、いやな事が思い当たります」

「いやな、こと?」

「恐らくは、このままもたついていると。 窒息死します」

ぞくりと来た。

そうか、そうだった。

此処が密閉空間で。

多数の敵もいる。

メルル達だって、息をする。

そうすれば、いずれは。

体力のないアニーちゃんからまずは倒れて。他の皆も、順番に死んでいくことになるだろう。

勿論敵も全滅するだろうが。

そんな事は、一なる五人に取っては、それこそどうでも良いはずだ。

ミミさんが、戻ってくる。

全身傷だらけだ。

そして、メルルを見ると、苦笑いを浮かべて。

そのまま、前のめりに倒れてしまった。

慌てて助け起こす。

傷がかなりひどい。回復処置を執り始める。シェリさんが魔術を掛け、メルルが傷口に、薬を塗り込んでいくが。

この傷。

格上の相手から受けたと見える。

しばらくは、言葉を聞くことも出来ないだろう。

そして、はっきりした。

敵は。やはり相当な手練れを投入してきている。

ミミさんを一蹴するほどの相手がその中には、最低でも一人以上はいる、と言うわけだ。

それでもミミさんは、言葉を絞り出す。

「攻撃を見る事も出来なかったわ。 偵察としては、失格ね」

「少し休んで……」

首を横に振ると。

ミミさんは、最小限の手当だけを済ませて、出て行った。あの傷でだ。プライドが高い人だけれど。自殺行為。

しかし、止められなかった。

実際問題、その攻撃を見切るくらいはしないと。生存率が更に零に近づくのだ。

状況は、今だ経験したことがないほどに悪い。

これからどうやって脱出すれば良いのか。

それに、そもそもだ。

天井をぶち抜いた所で。

本当に脱出できるのか。

それさえもが、定かではなかった。

 

1、混乱

 

ジオ王は渋い顔をしていた。

無限書庫への総攻撃を開始したが、邪神が姿を見せないのである。強力な防御魔術を展開し、無数の雑魚敵ばかりが、陣形を緻密に組んで、此方の浸透を阻んでいる。数は三万程度。

想定されていた数より、一万程度足りない。今更無限書庫の守りに当てているとも思えないし、大規模な別働隊にしている可能性が高い。

何処に隠れているのか。

そして、報告も入ってきている。

別働隊として、まずは敵の動きを見に行ったメルル姫が。

忽然と、部隊ごと姿を消したというのだ。

魔術によるものなのか。

それとも錬金術によるものなのか。

分からない。

一瞬だけ、裏切りも考えたけれど、まずそれは無いだろう。というよりも、ジオ王もこの世界に生きてきて長い。

その程度は想定して、間者くらい側に付けている。

間者からの報告からして、メルル姫が精神的な体調を崩しはじめている事は分かっていたが。

それ以上に、強い志で体を支えていることも確かだ。

まず、一なる五人に屈したり、裏切ったりすることは無いだろう。

いずれにしても、邪神が現れる前に、戦力を消耗する訳にはいかない。ロロナが大火力砲撃を叩き込んでいるけれど。

まだ、敵の防御は敗れていないのだ。

この状況で下手に動くと。

アウトレンジから、一方的に攻撃を浴びることになる。流石に歴戦のアーランド戦士達も。

それでは、士気がだだ下がりするだろう。

トトリが来る。

促すと、状況についての見解を述べる。

「恐らくは、トラベルゲートの応用で、何処か別の場所に飛ばされたのでしょうね。 一なる五人なら、その程度の技術は持っていても不思議ではありません」

「場所の特定の方法は」

「既に始めています」

鷹揚に頷く。

此奴らに分からないのなら、もはや手に負えない。

確かトラベルゲートは、魔術とは微妙に違う手段で、別の場所への移動を可能とする技術だ。

日に何度も使えないのが難点だが。

それでも、こういうことをされると。非常に危険だ。

魔術師達も呼んで、メルル姫の生体魔力を探索させる。

敵に対しては押し込んでいるが。

それは、敵が今の時点では、通常兵力しか繰り出していないことが要因だ。邪神三体が姿を見せれば。

この程度の優勢。

文字通り、一瞬でひっくり返されるだろう。

「伝令!」

「如何したか」

苛立つジオ王の所に。

偵察に出ていたエスティの配下が来る。

それによると。

昨晩、おかしな動きをしている敵を発見していたという。無限書庫の上に陣取って、じっとしていたそうだ。

人型のホムンクルスらしいのだが。

どうにも動きが妙なので、知らせるように、との判断を。エスティがしたそうである。

「それは、今もいるのか」

「いえ、すでに姿を消しています」

「……ふむ」

何か怪しい。

まさかとは思うが。

今回、敵は。

メルル姫を殺すためだけに。現在姿が見えない敵の軍勢全てをつぎ込んだあげく。トラベルゲートまで使ったというのか。

いくら何でも、どうしてそこまで。

今までメルル姫は、敵の作戦を崩壊させる必殺の鏑矢として、何度も活躍してきたけれど。

実力としては、まだまだ国家軍事力級戦士には届かないのだ。

其処まで警戒する理由は何だ。

いずれにしても、出来る事は全てやっておくべきだろう。

「攻撃を強化。 敵を更に押し込め」

まだ戦力は温存しているが。

それでも、敵兵を削る事そのものには、損は無い。

それから二刻ほどは。

敵に対する苛烈な攻撃を続け。しかしながら、敵も堅陣を崩さず。大きな被害を与えることは出来なかった。

苛立ちが、少しずつ募る。

だが此処で焦っては、敵の思うつぼだ。

じっくり、慌てずに、敵の守りを、一枚ずつ剥がしていく。

恐らくは。

ロロナが敵の防御を貫通した所からが、本当の勝負だ。

七度目の砲撃。

蹂躙する閃光が。

ついに敵の防御魔術を貫通。

遺跡の上部に、凄まじい光と、破壊の雷が炸裂した。

地上に出ている遺跡部分はわずかだが、それでも赤熱しているのがわかる。あのロロナの砲撃でも、今まで破壊できなかった遺跡だが。

今、確実に赤熱して、ダメージを受けている。

よし。

これでいい。

今まで、一なる五人は、此方の手札を削ぐ形で、戦いを進めることを得意としてきた。だが、今回は、此方がその先を行く。

これで敵は。

邪神を繰り出してこざるを得ない。

「現れました!」

「まずは想定通りだな。 クーデリア」

「はい」

「予定通りだ。 押さえ込め」

色々と、言いたいことはあるだろうが。

それでも、クーデリアは。

勝利のために動く。ロロナと頷きあうと、前線に飛び出す。ジオ王も、剣を引き抜いた。量産に成功しているハルモニウム。それを更に鍛錬した金属で作り上げた、最強の剣である。

多分剣という武器の中では。

史上最強のものだろう。

それを現在大陸で最強の人間であるジオ王が使う。

正に必殺の態勢だ。

「一体は余が抑える。 残り全員、一体に集中攻撃せよ」

作戦通り、戦いを開始。

同時に敵も、通常兵力をどっと前に進めてきた。これらは、リザードマン族、アーランド戦士達。それに、辺境各国から派遣されてきた兵力で押さえ込む。

何度かの戦いで、邪神の戦闘力は見切った。

ジオ王と、クーデリアとロロナで二体を押さえ込み。

残り一体を、ステルク、アストリッド、エスティの三人がかりで叩き伏せる。トトリは遊撃として残す。

どんな切り札を敵が温存しているか分からないし。

本当は搦め手を突くはずだったメルル姫が、いきなり行方不明になったからだ。

切り札を此方が切るのは、まだ早い。

後方には、悪魔族とペンギン族の精鋭部隊が来ているが。

彼らも、まだ動かないでいて貰う。

突撃。

ジオ王が叫ぶと、戦士達が歓喜の声を上げた。

 

クーデリアは、つぎ直した腕の感触を確認しながら、前線に踊り込んだ。

敵の動きはもはや読んだ。

恐らくは、クーデリアだけでも、五分に近い状況にまでは、持ち込めるはずだ。だが、それでは駄目だ。

逃げられる可能性も高い。

それに何より。

何かしらの方法で、敵に情報が漏れている。

それもクーデリアは警戒していた。

だから土壇場で、作戦を切り替えた。自分しか考えていない戦略を、一気に全体へ浸透させる。

戦略面での判断で、大きな発言権を持つクーデリアだから出来る事で。

そして急にこれをやれば。

例え敵が何かしらの方法で此方をスパイしていたとしても、対応など出来る筈もないのである。

この手が有効なことは。

今までも証明されてきている。

だからジオ王は、クーデリアの提案を呑んだ。

もっとも、ジオ王一人で邪神を一体相手にする。それも、一番最強の奴を、だから。あまり時間は掛けられない。

残る一体を三人がかりで本気で潰しに行っているとしても、である。

敵の軍勢を蹂躙しながら、進む。

力は出し惜しみしない。

敵は兵力を増していて。

此方は削られている。

此処で決定的な打撃を与えておかないと。

ひっくり返される。

辺境諸国も、これ以上援軍は出せないと言ってきている。それだけ、消耗が大きいのである。

此処二回の、邪神との戦い。

エントをメルル姫が倒している間、別働隊として動いてきた邪神共を抑えるのには、少なくない犠牲が出た。

その前のモディスでの戦いでもそうだ。

今、ここで一なる五人に決定的な打撃を与えておかないと。

アールズの前線は維持できなくなる。

敵が何かしら訳が分からない悪事をもくろんでいるのは分かっているし。そもそも無限書庫に一なる五人の本体がないことも知っている。

ロロナは、おかしくなった今でも。

クーデリアには、全てを話してくれるからだ。

だが、それが故に。

此処で、無限書庫を、潰さなければならない。

再集結している敵の兵力も。

此処で徹底的に叩かなければ。

もはや後がないのだ。

西大陸の戦況が膠着していることも、既にクーデリアの耳には入っている。ギゼラを戻すのは当分無理だ。

切り札は幾つか用意しているが。

いずれも、まだ使いたくは無い。

凄まじい音を立てて、眼前を光の柱が薙ぎ払う。

きゃっきゃっと嬉しそうに笑いながら、ロロナが敵を殺戮しているのだ。洗脳されている敵の群れは、それでも怖れずに向かってくるが。

邪神が側に来ると。

流石に避けた。

クーデリアは銃弾を再装填しながら、呼びかける。

「久しぶりね」

「二人がかりなら、私に勝てるとでも思っているのか」

「その通りだけれど?」

「奢りと知れ、人間っ!」

此奴は、三体の中で一番弱い邪神だけれども。

それでも、国家軍事力級戦士以上の実力を持つ。もはや人間がどうにか出来る相手ではない。

人間が対抗するには。

いにしえの時代を生き抜いて、強く強くなった肉体と。

無数のモンスターに揉まれて、練りに練った戦術。

そして、錬金術の力。

全てをあわせるしか無いのだ。

人間は、古い時代。

万物の霊長と自称していたそうである。

それが滅びを経て、嘘に過ぎなかったことははっきりした。だが、それとは関係無く。今、此処で。

此奴を、上回らなければならない。

ロロナから聞いた。

もはや、世界は滅びにもう一度耐える体力を残していないと。

此処でもう一度の滅びを得たら。

この世界は、立ち直れず。

死だけの世界に変わるという。

人という概念から外れたロロナが言うのだ。それは間違いなく本当だろう。だからこそに。

一なる五人には。

これ以上、好き勝手はさせられないのだ。

鎌を振りかぶって、突入してくる片翼の邪神。クーデリアは、クロスノヴァを、その鼻先に叩き込む。

余裕の様子で避ける邪神だが。

その時には。

クーデリアが、真上に回り込んでいた。

上空から、叩き付ける無数の攻撃。

避けきれず、地面に叩き付けられる邪神に。

ロロナが完璧な連携で、砲撃を叩き込む。

敵陣を一直線に蹂躙して、邪神が吹っ飛び、赤熱している遺跡に叩き付けられ。クーデリアは弾丸を装填しながら、時々突っかかって来る敵を蹴散らしつつ、進む。

手を払うようにして、ロロナの砲撃を吹っ飛ばし。

邪神が、中空に躍り出ようとするが。

その眼前には、既にクーデリアがいる。

愕然とした様子の邪神の顔面に、膝蹴りを叩き込み。

更に踵落としで、地面に。

途中で持ちこたえた邪神だが、今度は真後ろから、クロスノヴァをぶち込んでやる。態勢を崩したところに。

ロロナが二射目の砲撃。

タイミングがわかりきっているから、避けるのは造作もない。

再び、遺跡の同じ位置に叩き付けられる邪神は。

顔を歪めた。

「人間如きが、私の動きを読んだのか」

「猿芝居は止めたら? もう読まれている事を、知っていたのでしょうに」

「……」

凄絶な笑みを、邪神が浮かべた、

再びロロナの砲撃を、片手ではじき飛ばす。遺跡を背にしたまま、膨大な魔力が、邪神の全身から吹き上がった。

此奴はどうにかなる。

さて、問題は。

残り二体だ。

側に降り立つロロナ。

この邪神との戦闘シミュレーションは、ロロナと一緒に、百回以上やった。必ず勝てる。問題はその次。

多分邪神は、一体が倒されたら、籠城戦に移行するはず。

二体に籠城されると面倒だ。

一度に二体、どうしても屠っておきたい。

三体の中で最弱と言っても。

その実力は、クーデリアより上だ。

だからこそに。

容赦なく、徹底的に潰す。

邪神が、周囲に稲妻をばらまく。辺りの敵兵力も巻き込んでいるが、一切気にしていない様子だ。

一なる五人にしても、自分の私兵を殺されようが、どうでも良いのだろう。

もう、それは分かっているから。

今更腹も立たない。

更に間髪入れず、邪神が大きく息を吸い込む。

ロロナが、印を切る。

破裂音。

周囲が、蹂躙される。

見えない何かが、辺りを抉り取っていったのだ。

音だ。

叫ぶだけで、辺り一帯を消し飛ばすほどの破壊を実現できる。最弱と言っても、これが邪神の実力である。

ロロナが展開した防御魔術も、一瞬で消し飛んだが。

それは囮。

その前に、クーデリアが地面に拳を叩き込み。逃れる穴を開けていた。既に退避していたから、損害は無し。

邪神は、次の手に出る。

鎌を振り上げると。

放り投げてきた。

それは途中で数十に分裂すると。

うなりを上げながら、回転しつつ、此方に迫ってくる。

前は見せなかった技だ。

だが、この程度の技なら。

想定済み。

ロロナに砲撃させる暇を与えないつもりだろうが、そうはいくか。

飛び出す。

邪神が指を鳴らすと。

地面がうなりを上げて、飛び出す。岩の壁が、幾重にもそそり立つ。

この辺りの、世界の法則にさえ関与しているかのような、超凶悪な魔術の数々は、流石に邪神と言わざるを得ない。

だが悲しいかな。

此奴とは、既に三回目の戦闘だ。

どの程度の事が出来るかは、クーデリアにもはっきり分かっている。二度、瀕死になりながら、徹底的に力を分析したのだ。

二度の苦渋が無駄では無かった事を、見せてやる。

無数に飛んでくる鎌を、或いは火焔弾で、重力弾で叩き落とし。

一直線に敵へ。

壁も、全て真っ正面からぶち抜く。

また、息を吸い込もうとする邪神だが。

其処へ、鎌の一つを蹴り返す。

鎌を受け取りつつ、また蹂躙ブレスを放つ邪神。

その瞬間。

クーデリアは、クロスノヴァを発動。

発動したのは、敵の眼前。

爆裂が、邪神を包む。

そんなものは効かないとでもいわんばかりに、邪神が放ったブレスだが。今のクロスノヴァの余波で、煙が拡散し。今ブレスが何処を通っているか丸わかりだ。そして音の速さ程度なら。

クーデリアなら充分対応出来る。

今のロロナでも、である。

邪神が繰り出した岩の壁を蹴り砕くと、盾にする。

それでも防ぎきれないが。

轟音。粉砕される壁。

抜けたとき、衝撃は、目に見えて衰えている。

充分に軽減は出来た。

一瞬後、衝撃波が全身を叩くが、この程度なら、まだまだ。

更に、鎌が連続で襲いかかってくるが。それもまだ充分。数度切り裂かれる。致命傷だけを避けて動く。

多分毒が混じっているのか、苦い痛み。

問題ない。

「どうした、口ほどにも……」

せせら笑う邪神が。

腹に開いた大穴に気付いたのは、いつだろう。

ブレスを放った瞬間には。

もうロロナは、後ろに回り込み始めていて。

前で派手に動いているクーデリアを見て、邪神が勝ち誇っている間に。

神速自在帯を使っての、超高速詠唱を終えていた。

そして接射。

零距離からのロロナの砲撃だ。

流石の邪神も、ひとたまりもない。

力を失って、地面に落ちる無数の鎌。其処へ突貫したクーデリアが。顔面に、拳を叩き込んでいた。

流石に悲鳴を上げる邪神。

上空に回り込んだロロナが。砲撃を真下に放つ。

地面に叩き付けられた邪神。今の一撃を、必死に防御魔術で防いだことだけは凄いと評価できるが。

其処までだ。

ホルスターに二挺とも銃をしまったクーデリアが、至近にいるのを見て。

邪神はもはや、己の運命を悟ったようだった。

叫ばせも、逃れさせもしない。

「おおおおおおおおっ……」

息を整えたクーデリアは。

ラッシュに掛かる。

邪神のありとあらゆる箇所に。

徹底的に拳を蹴りを叩き込む。

練りに練り上げた体術だ。

邪神に食い込み破壊し打ち砕き。その抵抗能力を奪っていく。全身を粉々に撃ち潰されながら、邪神が見る間に原型を失っていく。

真っ黒い血を吐く邪神が、体勢を立て直そうとするが。させない。鳩尾に拳を叩き込み、くの字に体を曲げたところに、頭突きをぶち込む。邪神の鼻がへし折れる。体格そのものは、人と変わらないのだ。

ラッシュを続けながら、遺跡に叩き込む。

それでも持ち直したのは流石か。

だが。

遺跡に背中を着けた邪神の顔面に、拳。

休む暇など与えない。

そのまま、千五百を超える拳を叩き込み。

邪神が防御魔術を展開しようとした瞬間。

クロスノヴァに切り替える。

銃を二丁とも抜く。

終わりだ。

そう、叫ぶまでもなかった。

二度の苦い負けを経て。相手の動きと、出来る事を読み切ったからこそ、今クーデリアは。

格上の此奴を圧倒している。

悪あがきか。

背中から、鎌が襲いかかってきた。

だが、それも残像を作ってかわし、邪神に蹴り込む。

己の武器が体に突き刺さるのを見て。

既に顔の形をしていない顔で。邪神は、呻く。

「ばか、な」

「嘘つき」

「……」

「これ以上アップデートできないのが、貴方の限界だったわね」

クロスノヴァ発動。

同時にロロナが、砲撃を開始。

二十六回のクロスノヴァと。ロロナによる八回の砲撃が終わったときには。

地上に出ている遺跡の四分の一が消滅し。

そして、アーランド軍を。

いや、人間を苦しめ続けた、無限書庫の邪神は。

三体から、二体へと減っていた。

クーデリアの消耗も激しい。鎌に籠もっていた毒が、かなり強烈だったのが、今更ながらに分かる。

ロロナが側に降り立つ。

此方も、魔力の消耗が、決して小さくなかった。

「くーちゃん、飲んで」

「……」

渡されたものを飲み干す。

恐らくは、エリキシル剤だ。濃度を調整して、全身に悪影響が出ないようにしているのだろうけれど。

それでも、凄まじい痛みが全身に走った。

いや、これは。

恐らくは、毒を無理矢理消しているのだろう。

転げ回りたくなるほどの痛みだが。

それでも耐え抜く。

見ると。

まだ、ステルク達は、邪神を仕留め切れていない。一体を潰して終わりでは無い。あっちも倒して、初めて今回の作戦は、意味を持ってくるのだ。

「予定通り行くわよ。 ロロナ、砲撃」

「任せて」

「よし……」

まだ、多少の余力はある。

死にかけるほどのダメージでは無いし。

後でフィードバックで、生死の境をさまよう事もないだろう。

手足にしびれがある。

今更だけれども。邪神の体に素手で触れたのはまずかったかも知れない。彼奴の体自体が、強烈な毒の塊だったのだろう。

それでも、倒しきった。

決してこの勝ちは、小さくないはずだ。

殺到してくる敵の群れ。

クロスノヴァを発動。惜しまず力を使って敵を蹴散らしながら、ロロナの時間を稼ぐ。遺跡の上に飛び乗ったロロナが。詠唱を開始。神速自在帯を何度発動したか分からないからだろうか。

その口には、血が伝っている。

例え人の領域を超えても。

限界は存在するのだ。

邪神が此方を見る。

ロロナの砲撃に気付く。

だから、蹴りを叩き込む。

遠くにいる邪神にではなく。

側にいたモンスターにだ。

思わぬ攻撃に驚く暇も無く屍と化したモンスターは、回転しながら邪神へと飛んでいく。これに虚を突かれた邪神は、死体をはねのける。

ステルクによる雷撃。

エスティによる無数のナイフ投擲。

いずれも、鎌を振り回して、絶倫の技量でかわす邪神だが。

続いての、あまりやる気が無さそうなアストリッドの重力操作で。完全に体を拘束される。

一瞬だけだが。

それで充分だ。

恐らく今日最大級の。

文字通り、雷神の槌としか言いようが無い一撃が。

中空を抉る。

ロロナによる、全魔力を投入しての砲撃だ。二番目に強い邪神は、愕然としながら、己に迫り来る砲撃を見て。

一瞬早く、アストリッドの拘束を解く。

だがその時には。

ステルクとエスティが動いていた。

左右から、それぞれの奥義を放つ二人。

空間ごと切り裂く、雷撃の究極を、ステルクがうち込み。

もう一方からは、空間全てを埋め尽くしかねない物量の斬撃。ナイフを投げるのではない。超高速で中空を切り裂く事によって生じた衝撃波を。文字通り、逃げ場がないほどに叩き込む絶技だ。

如何に、邪神といえども。

流石に国家軍事力級戦士二人分の奥義を同時に受けて。無事ではいられない。上に逃れようとするが。

その時、クーデリアが切って置いた切り札が。

姿を見せた。

上空に姿を見せたのは、赤い竜。

沼地の王だ。

沼地の王のブレスが、邪神を押し返す。

そして真下からは。

クーデリアが、残った力の大半を注ぎ込んだ、クロスノヴァを。

もはや、逃れる場所など、ない。

邪神が、鬼の形相で、何かを叫ぶが。もはやどうしようもない。

赤き竜のブレスによって押し返された邪神は、ステルクの斬撃も。エスティの衝撃波も。それに、クーデリアによるクロスノヴァも。

まとめて喰らう事になった。

全身が押し砕かれる邪神が、光の柱に消し潰される。

それでも、抵抗する邪神だけれども。

誰がどう見ようが、勝敗は決していた。どれだけの力を持っていても。この攻撃に、耐えられるわけがない。

悲鳴を上げながら、消え去っていく邪神。流石と言うべきだろう。邪神の原型は、随分長い事、光の中で崩れながら、視認できた。

それでも、終わりは終わり。

光の柱が、その奔流を収めたときには。

もはや、何も残っていなかった。

予定通りだ。

だが、クーデリアは、流石に膝を突く。

余力は無い。

血を盛大に吐いた。

無理に体を盛り返したところに、あんな大技をうち込んだのだ。クーデリアだって、無事で済む筈がない。

呼吸を整えようとするが、上手く行かない。

多分、エリキシル剤の分のダメージも、体に来ている。フィードバックが二重に来ているようなものだ。

ロロナは。無事か。

顔をそれでも、クーデリアは上げる。

見えた。

ロロナも力を使い果たしてへたり込んでいるが。その周囲には、首をもがれたモンスターが、多数散らばっている。

冷たい目をして、しかしいつもの笑顔のまま。周囲を睥睨しているトトリ。

その両手には。

今むしり取ったらしい生首が、多数ぶら下がっていた。

彼方は、大丈夫か。

トトリを予備に出しておいてよかった。

そう、クーデリアは思い。

意識を失った。

 

2、出口なき迷宮

 

天井が揺れ、土埃が降ってくる。

急いで食事を済ませるようにと、皆に指示をしたメルルは、思わず舌打ちしていた。袋小路に閉じ込められ、どうにか通路で敵を防いでいる状況だ。しかもこの様子では、本当に時間がない。

押し潰されて死ぬか。

敵に殺されるか。

どちらかを選ぶしかないのか。

駄目だ、そんな弱気では。

前向きに考えろ。

自分に言い聞かせる。

トトリ先生を闇の底から救い出すのだろう。ロロナちゃんだって。それにアストリッドさんだって。

2999さんの話を聞いて。

やっと光が見えてきたのだ。

こんな所で倒れてはいられない。

倒れてはいけないのだ。

敵はずっと攻撃を続けてきている。通路で激しい戦闘を繰り返しているジーノさんだけれども。

流石に疲弊の色が見え始めていた。

幾つか支援できる道具はあるけれど。

発破が使えないのは痛い。

ましてや、近くにとても強い気配がある。消耗が続くと、多分ひとたまりもなく、ひねり潰されてしまうだろう。

ミミさんもまだ戻らない。

それに、負傷者は、確実に増えている。

「少し休め」

アニーちゃんに、シェリさんが言い聞かせる。シェリさんが二人分働くというのだろう。

元々からだが強い方では無いアニーちゃんだ。無理をさせると、多分倒れてしまう。まだ熱を出すことだって多いのだ。

唇を噛む。

脱出の打開策が思い浮かばない。

このままだとじり貧だ。

籠城戦は、基本的に支援が来る事を前提に行うもので。

物資の量から考えて、そう長い時間は持ちこたえられない。だが今は、一瞬の全滅を先送りにする前にやっている。

つまり消極的対処で。

決して、褒められたものではない。

焦るな。

何度も自分に言い聞かせる。

だけれど名案など出てこない。

どうすればいい。

敵の大軍勢は間近。それも、通路を出れば、袋だたきにされるだけ。そして、今、セダンさんが気付く。

「穴掘る音がする!」

「!」

迂回路か。

確かに、通路一つだけなら防げるとしても。二つ目の通路を作られてしまったら、どうにもならない。

冷や汗が流れる中。

ザガルトスさんが言った。

「シェリ、凍結の魔術は使えるか」

「無理だな」

「メルル姫は」

「一応凍爆弾はありますが」

それしかないか。

頷くと、メルルは。

レヘルンを取り出す。

その時だった。

血だらけになっているミミさんが、通路に飛び込んでくる。ジーノさんに後ろを任せると、もはや後も無い様子で、逃げ込んできた。

そして、そのまま倒れてしまう。

2111さんが、慌てて助け起こすが。

ひどく傷ついていて。特に左腕の傷は、骨が見えているほど深かった。

一度目の時よりも、更に傷がひどい。

すぐに傷薬をと思ったが。

全身に二十カ所以上、似たような傷を受けている。

これは、本格的に手当てしないと危ない。

「メルル姫、聞いて」

それでも、ミミさんは、声を絞り出した。

今言っておかないと。

もう、意識が戻らないと思っているのかも知れない。頷くと、メルルは。手当を進めながら、好きなようにさせる。

腹も一文字に割かれていて。

内臓が露出していた。

この人が、これだけの傷を受ける相手と戦った、という事だ。

その言葉は。

聞き逃したら、即全滅につながる。

「確認したけれど、相手にもの凄いのがいる。 最初も、そいつの攻撃だったわ。 恐らくは、この作戦を考えたのもそいつよ。 ショートボブの女。 多分ホムンクルスで、武器は鉄爪」

「分かりました。 ほかには」

「恐らく、出口は……ないわ」

「……」

頷くと。

もう大丈夫と、静かに言う。

ミミさんは限界だったのだろう。それで意識を失った。呼吸を整え直すと、手当を進める。

メルルが遭遇した中で。

一番の絶望的状況かも知れない。

蜘蛛とやりあった時。

敵は単独だった。

最強のサンショウウオ。ディアエレメントさんの部下だったゼドナさんとの戦闘時は。

退路さえ切り開ければ、どうにかなった。

だが今回は。

まず退路がない。

そして敵の数は、殲滅しきれるものではない。

手の打ちようが無いのだ。

退路がないなら、作るしかない。

だが、此処が何処なのかさえ分からない。下手をすると、邪神達がいる遺跡の地下かも知れない。

穴を掘るにも空間が足りない。

土というのは、掘ってみれば分かるが、凄く膨らむのだ。それは空気を吸い込むからである。

余程地上が近くない限り。

多分、地上に届く前に、穴が埋まってしまう。

「メルル姫!」

ザガルトスさんに促されて。頷く。

ミミさんの手当は任せて。

レヘルンを取り出す。

能力を全解放して、通路に放り込み。向こうの広間ごと、通路を完全凍結させた。これで、少しは時間を稼げるはずだ。メルル自身の消耗は、やはり大きい。道具の能力をフルに引き出すと、消耗はどうしてもする。

ミミさんの容体は。

安定していない。

痛みになれたアーランドのハイランカーが。気絶するほどのダメージを受けているのだ。楽なはずがない。

氷に、激しい攻撃が繰り返される音がする。

広間にいた敵は全滅したが、それでも後続は幾らでもいる、ということだ。当然、そう遠くない未来。

敵は氷を崩して、此方に殺到してくるだろう。

シェリさんが、メンタルウォーターはないかと聞いてくる。

あるにはあるが。

メルルの腕前では、副作用が大きいものしか作れない。魔力を回復させるこの薬は製造難易度が高くて。トトリ先生も相当に苦労していたと聞いた事がある。ましてや、メルルでは。

それでも構わないと、シェリさんは荷車から、メンタルウォーターを取り出し、煽った。呻くのが聞こえたので、思わず下を向く。

「流石にきついな」

「今の内だ。 策を考えよう」

ザガルトスさんが促してくる。

2111さんを見た。

彼女は少し考え込んでいたが。順番に、指を立てていった。

「まずは、地上への脱出口を作る。 これは少なくとも、この場所にいる限り、現実的ではありません」

「そうだね。 次は」

「敵を殲滅する。 しかし、敵にはミミさんを此処までたたきのめす使い手が混じっています。 下手をすると、国家軍事力級の戦士に匹敵するかも知れません」

「……他には」

此処に転送された手段を逆用できないか。

提案されたけれど。

無理と即答。

そうだろうなと、2111さんは諦めきった顔で頷いた。

トラベルゲートは知っているけれど、技術的には意味不明なレベルだ。アストリッドさんでさえ、一日に一往復しか使えないというレベルの技術なのである。ロロナちゃんやトトリさんでも、作るのには苦労すると聞いている。

そもそも、理論が正直理解し切れていない。

ましてや逆用するなんて。

更に、2111さんが提案を続ける。

「援軍を待つという手もあります。 しかし、物資の消耗を見る限り、恐らく援軍の到着より敵に蹂躙される方が早いでしょう」

「穴掘る音、近づいてきてる!」

セダンさんが警告を飛ばしてくる。

この狭い通路に。

間もなく敵が乱入してくるという事だ。広間とは別方向から、敵が攻撃をもくろんでいたという事だろう

そして氷の方も、敵は突破を試みている。

時間がない。

「他に手は」

「援軍を待つの発展型ですが。 此処の場所を、どうにかして他の錬金術師達に知らせられないでしょうか」

「……!」

そうか、その手があったか。

トトリ先生なら、或いは。トラベルゲートを発見して、此処に救援に来てくれる可能性がある。

あの人が来てくれれば。

国家軍事力級の敵がいても、どうにかなる可能性がある。

トトリ先生は、今メルルに対して、あまり良い感情を抱いていないけれど。利害を考えれば、救助が妥当と判断してくれるはずだ。

しかし、どうやって。

一つ、手を思いつく。

だが、それをやると。

生き埋めの危険が、非常に高くなる。

そもそも、今の時点で。

空気がどれだけもつかも分からない状況なのだ。

荷車をチェック。

フラムを束にして取り出す。

やるならば。

少なくとも、かなり広い場所を、短時間でも構わない。確保する必要性がある。そしてこの空間を、維持する必要もある。

それを周囲に説明。

ザガルトスさんが、最初に言ってくれた。

「やるしかないだろうな」

「おっさん、そんな安請け合いして大丈夫かよ」

ジーノさんが、かなり近くなってきている、穴掘りの音に。剣に手を掛けながら言う。ジーノさん自身も、既に手傷を少なからず受けている状況だ。

だが、ザガルトスさんは、更に言ってくれる。

「今、2111が言っただろう。 他の手段はない」

「……そうだな」

渋々ながら、賛成してくれるジーノさん。

ケイナが、氷の方がまずいかも知れないと、警告してきた。あちらも、想像以上に、敵の動きが素早い。

今までと違う。

相当に優秀な指揮官が、敵にはいるのかも知れない。

一なる五人では無いだろう。

部下を使い捨てとしか考えないあの者達では。このような動きをさせることは出来ない筈だ。

ライアスが、腰を上げる。

「俺が、真っ先に突入する。 その間に前線を構築してくれ」

「分かった」

ザガルトスさんとシェリさんが頷く。

後方にもバリケードを作る必要があるだろう。それも、どうせ長く保つことはないだろうが。

ライアスは、命がけで突破口を作ってくれるつもりだ。

その心意気に応えなければ。

辺境で生きてきた者では無い。

「どれくらい、広い空間を制圧すれば良い」

「見てみないと何とも」

「ちっ、仕方が無いな……」

ザガルトスさんもジーノさんも、必死で戦ってくれるだろう。メルルは、其処に賭けるしかない。

2111さんも不安そうにしているけれど。

正直、彼女が出してくれた以上の案がない。

そして案を採用した以上。

メルルが責任を取るのは、自明の理だ。

土が吹っ飛んで。

壁が破られる。

其処へ、ライアスが突っ込むと。バンカーを叩き込み。姿を見せた大型の百足のようなモンスターの頭を、一撃粉砕。のたうち廻る敵を踏みにじると。突入しようとしてくる敵に、逆撃を敢行した。

更に、ジーノさんとザガルトスさんが続き。

2319さんが後詰めとなって突入する。

殿軍は2111さんに任せ。

メルルは荷車を守りながら。セダンさんとシェリさんに左右を任せ、突進。ケイナは遊撃のまま動いて貰う。

荷車には、意識のないミミさんと、アニーちゃんが乗ったまま。

呼吸を整えると。

メルルは、突撃の様子を確認。

元々今回は、普段より敵の質がかなり高い。士気も高いし、戦闘能力も高めに揃えられている。

だが、それでも。

血路を開かなければならないのだ。

敵が掘り進んできた穴を、逆に制圧。崩れやすく、長居するのは危険だ。穴から飛び出して、メルルは愕然とした。

広場に出たが、最悪の地形だ。

周囲には無数の穴があり、まるで網の目のようになっているのが一目で分かる。天井も少し高すぎる。

後方からは、当然敵も迫っている。

荷車から、まとめた発破を取り出す。

乱戦が始まっている中、メルルは息を吐き出すと。

跳躍。

対空人間破城槌の応用だ。

天井へと、そのまま。

全力で突き刺さった。

天井に、強烈な負荷が掛かり。岩が幾つか、うなりを上げながら落ちた。避けて。叫ぶけれど。

本当に皆、避けられただろうか。

無理矢理天井に発破を埋め込む。

以前、モディスの地盤を修復した際の接着剤を使う。少量だが、持ち込んでいたのだ。これが固定するまで、発破は発動できない。

複数の発破を天井に埋め込むと、着地。

同時に。

横殴りに、炎の魔術が、メルルを直撃した。

吹っ飛ばされるが。

もんどり打って転がり、受け身を取ってそのまま立ち上がる。

そして魔術を放った相手に、戦槍杖を投擲。

魔術を放ったホムンクルスが、串刺しになり、壁に突き刺さるのを見届けると。素手のまま突進。

立ちふさがろうとした猪のモンスターの頭を蹴って跳躍。

戦槍杖を手に取り。

振り返り様に、数体のモンスターを斬り伏せた。

「まだか!」

「死守!」

天井近くに跳び上がったシェリさんが、纏わり付いてくる大型の虫のモンスターを、或いは体術で、防御魔術による壁で打ち払いながら叫ぶ。

もう、ハンドサインを出している余裕も無い。

無数の穴から、次々に敵が殺到してくるからだ。

そして、メルル達が潜んでいた袋小路のつながる穴からも。

もう、氷の壁を破った、という事だろう。

荷車に飛びつくと。

レヘルンを取り出し。

無理矢理能力強化して、投擲。穴の一つを、突入してくる敵ごと凍結させる。魔術を使う敵が、積極的に天井を狙ってくる。

まずい。

此方の狙いを読んでいるのかは知らないが。

いずれにしても、発破は発動ワードで正確に爆破しないと、火力が著しく減衰するのである。

安全使用するための措置なのだけれど。

敵は恐らく、それを知っているのだ。

厄介極まりない。

シェリさんが必死に守ってくれる。

ケイナが、魔術を使っている敵達の間に不意に現れると。鞄を振るって、頭を粉砕する。そして気配を消して、次々と敵の喉をかっさばいた。

吹き上がる鮮血の中。

メルルは、見る。

穴の一つから、姿を見せる小柄な人影。

凄まじい気配だ。

間違いない。

あれが、指揮官だろう。

ジーノさんが、問答無用で向かっていく。

多数の敵を引きつけてくれているライアスが。次の瞬間。吹っ飛ばされて。バウンドして、壁に叩き付けられた。

唖然としたジーノさんが、慌てて急ブレーキ。

敵はいつのまにかライアスを片手でつり上げている。どう動いたのか、見切ることすらできなかった。

速すぎる。

ミミさんが、不覚を取るわけだ。

「くっ、この野郎っ!」

ライアスがバンカーを叩き込もうとした瞬間。

小柄な指揮官ホムンクルスは、地面にライアスを叩き付けていた。これも、一手早い。沈黙するライアス。

横殴りの蹴りを叩き込むジーノさんだけれども。

それを、振り向きもせず片手で受け止める敵。

パワーも桁外れか。

予想の最悪が適中したことを悟る。

この敵。

国家軍事力級戦士並の実力だ。

敵の雑兵が勢いづく。

全力でやりあっても、勝てるかどうか微妙な相手である。その上、此方はまだこの広間から撤退できない。

メルルは、無言でドナーストーンを投擲。

それが何か知っているのか。

指揮官ホムンクルスは、防御魔術を展開。受け止めることはせずに、中途でドナーストーンを止めた。

その隙に、ジーノさんが、ライアスを回収して離れる。

守りを固めてと叫ぼうとして。

メルルは、気付いた。

真後ろに。

回り込まれた。

「貴方がメルル姫だな」

想像を絶するほど濃い死の臭い。

今だって、ステルクさんやクーデリアさんとやり合って、勝てるとはとても思えない程度の力しか無いメルルである。

こんなバケモノ。やり合える筈がない。

「先ほどから何かを守っているな。 あの天井か」

「……っ!」

振り返り様に。

地面を抉りながら加速し、戦槍杖を叩き付ける。

背後の敵に対応した、人間破城槌の型の一つだ。自力で開発した。乱戦では、どうしても背後の敵に対応する必要が生じるからである。

しかし、柔らかく受け止められる。

「私はセト」

セトと名乗った敵の言葉は。

むしろ、柔らかく。

理知的だった。

恐らくは、完全に狂っている一なる五人よりも、余程理性がしっかりしていると見た。だけれども。

今はそれが、逆に恐ろしい。

最悪に最悪が上塗りされた今。

味方は、急速に滅びへと突き進んでいる。

敵雑兵は相変わらず、損害を顧みず突っ込んできている。そして接着剤が固まるまで、まだ時間が掛かる。

どうにかして此奴に。

一矢だけでも報いないと。

セダンさんが、完璧なタイミングで奇襲を仕掛ける。しかしセトは、片手だけ挙げて、それを防ぐ。

セトに受け止められている戦槍杖の刃を基点に。

回転しながら、後ろ回し蹴りを叩き込むが。

それも、するりと抜けられた。

そればかりか。

一撃で、セダンさんを地面に叩き付け、そして。

メルルの腹に、伸び上がるような、完璧なフォームで蹴りを叩き込んでくる。吹っ飛ばされて、壁に叩き付けられ。

そして吐血。

まずい。

強すぎる。

歩み寄ってくる敵。

それも、歩み寄ってきているだけなのに。

あまりにも早い。

立ちふさがるケイナ。

他の皆は、荷車と。

その周辺から動けない。

敵の重囲がひどすぎるのだ。セダンさんだって、必死に飛び起きると、負傷にもかかわらず、敵の群れを押し返してくれている。

メルルは、口の血を拭いながら、必死に頭を巡らせる。

考えろ。

どうすれば、この場を。

突破出来る。

 

3、起死回生

 

結論は一つ。

やるしかない。

後がどうなろうと知るか。

作戦そのものは伝えてある。

「ケイナ、五秒だけ稼いで」

ケイナが頷く。

気配を消すと、真後ろからセトに鞄をフルスイング。セトは軽々と片手で受け止めるが、既にその時ケイナはそこにいない。

前から、奇襲の鞄の振るい上げ。

無理矢理移動経路をずらして。

顎を狙っての、一撃必殺の技だ。

だが、それも。

するりと、セトはかわしてみせる。

相手の場慣れというよりも。

身体能力が違いすぎる。どんな達人の技だって、相手があまりにも速すぎれば、通用しないのは自明の理。

ましてやセトは。パワーに関しても、ジーノさんを軽々と上回るほどなのである。

メルルが取り出したのは。

何に使うか困っていたエリキシル剤。

原液にはまだ遠い、薄いものだけれど。

今は、これに賭けるしかなかった。

必死のラッシュを続けるケイナ。鞄でかろうじてセトの拳を受け止めると。気配を消して、四方八方から奇襲を仕掛ける。

その全てを防がれながらも。必死にセトの注意を引いてくれる。

此処まで、四秒。

エリキシル剤をメルルが飲み干すのと。

ケイナが、痛烈な蹴りを叩き込まれて。広場の向こう側の壁まで吹っ飛ばされ、土煙が上がるのは、同時。

立ち上がる。

メルルは、気付く。

なるほど、これは。原液を飲めば、体が爆発するわけだ。

全身が、内側から沸騰する。

辺境戦士達が強い理由。

幼い頃から、無数のモンスターに囲まれて。戦いを日常的に行っているから、というのもある。

いにしえの時代を終わらせた戦いの余波が今も残っていて。

無数の毒に耐え。

生き延びてきた者達の子孫だからと言う理由もある。

だが、ディアエレメントさんの所で聞かされ。そしてトトリ先生にも言われた事。

この世界では。

生物を強くするために。ネクタルが生産され。地面に流し込まれ。薄められたそれを飲んでいるから。人を一とする生物は強い。

強いのだ。

そして今、メルルは。原液ではないにしても、それに近いものを口にした。

セトが、振り返るよりも速く。

蹴りを叩き込む。

初めて顔に驚きを浮かべたセトが、かろうじて拳で受け止める。

受け止めるか。

というか、これだけ強化しても、まだ及ばないか。

「おおおおおおっ!」

叫ぶと。

メルルは、戦槍杖を振るい上げる。

残像を。そして、巻き込まれたモンスターを多数、紙くずのように切り裂く。飛び退いたセトへ。

メルルは文字通り、野獣のように躍りかかった。

頭は、冴えている。

異常に熱いのに。

それでいながら、冷え切っていた。

もう少しで、天井の接着剤が固まる。

そうすれば、この広場から撤退して、起動ワードを唱えて終わりだ。それまで、メルルの体が保てば良い。

人間破城槌。蹂躙型。

セトは全力で守勢に入ると。両手で、格上の敵さえ屠ってきたメルルの秘儀。人間破城槌での突貫を、受け止めて、ずり下がる。

辺りの地面が爆砕され。

巻き込まれたモンスターが、容赦なく消し飛ばされる。

血煙になるモンスターには目もくれない。

更に、立て続けの攻撃を叩き込む。

上段からの一撃。

頭を割ろうとしたそれを、セトは中途で刃を食い止め、防ぎ抜く。同時に横殴りに、ジーノさんが魔力剣を叩き込んでくれるが。それでも、セトは防いだ。だが、敵が掴んでいる戦槍杖を基点にした、メルルのドロップキックまでは防げない。

初めて、セトが吹っ飛ぶ。

セトに対する、最初のクリーンヒットだ。

だけれど、タフネスの方も、奴はずば抜けていた。壁に叩き付けられると同時に。受け身をとり。

その衝撃さえ逆利用して、前に出てくる。

強い。

今の、異常な力を、無理矢理引き出しているメルルよりも、恐らく。

だけれども、負けるわけにはいかない。

真正面からぶつかり合う。

懐から取り出したドナーストーンを、至近で爆裂させる。雷撃の嵐が、メルルごとセトを巻き込む。

それを、事もあろうか、魔力を纏った手で、無理矢理はじき飛ばすセトだが。

その対応は分かっていた。

大地を踏みしめる。

そして、短距離型の。

至近距離の相手に対して、決定的な一撃を叩き込む、人間破城槌の零距離型の体勢に入った。

踏み込んだ際。

地盤が砕ける。

それほどのパワーだ。

流石にセトも、止まると。

今まで見せなかった呪文詠唱を開始。肉体の能力だけでは無く、全力の魔術も使って防ぎに掛かると言う訳か。

だが。

その時、いつも以上の完璧さで。

セダンさんが、セトの背中から、メイスを叩き込んでいた。

「っ!」

セトが呻くと、頭から血を流しているセダンさんを殴り、吹っ飛ばす。そして振り返り様に。

伸び上がるように、零距離型人間破城槌を発動して、突貫したメルルを、受け止める。

防御魔術も不完全。

何より、態勢が悪いが。

それでも、セトは一撃を食い止めてみせる。

何たる強さか。

だが、その時には。

メルルは、セトに対してではなく。この戦いの勝ちを、どうにか拾えたことを、確信していた。

「撤退開始!」

「応っ!」

叫んだジーノさんが。

突入に利用した穴に、再び突撃。敵を蹴散らして、退路を確保してくれる。さて、セトさえどうにかすれば、撤退は出来たのだが。

それもどうにかなりそうだ。

はじき返す。

力尽くで、セトの守りを、こじ開けたのだ。

だが、それでも格上の使い手。

セトは態勢を一瞬で立て直すと。ラッシュを叩き込んでくる。蹴りの一撃が、メルルの全身を、文字通り壊すのが分かる。

だが、それでも。

メルルは更に次の態勢に入る。

エリキシル剤の爆発的な強化で、無理矢理再生能力も上げているのだ。壊された体も、瞬時に回復する。

後のダメージは、今は考えない。

ラッシュを浴びて、壊される横から回復する体に任せ。

そのまま。次の突撃態勢に入るメルルを見て、セトは思わず眉をひそめて、距離を取り。両手を開くようにして、詠唱開始。

攻撃魔術。

それも、撤退開始した荷車ごと、メルルを消し飛ばすつもりか。

広間の敵が、下がりはじめる。

大きく息を吐くと。

メルルは、腰を落とす。

やはり、人間破城槌は、距離を取り。

充分な距離を走って、加速してこそだ。

「かああああっ!」

叫ぶ。

唾に鮮血が混じっている。

内臓が熱い。

だが、もう。

どうでもいい。

殺す。ころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころす!目の前の敵を、確実に殺す。

叫びながら、メルルは突撃。

今までに無い、最大の出力での、人間破城槌。そして、突入しながら、メルルは、見た。

此方に向けて、攻撃魔術を放ってくるセト。

凄まじい炎だが。

それを真正面から、突破する。

全身が焼け焦げるが。

服がどれだけ剥がされようが、気にしない。そのまま全力で突貫。目を剥いたセトが、至近に。

笑いながら、人間破城槌をフルパワーで叩き込む。

攻撃から、セトが防御に廻る。

受け止められる。

セトの背後が、吹っ飛ぶ。

壁床に亀裂が走り。広間の崩壊が始まる。

もうそろそろだ。

メルルは、冷静に悟った。

こんな無茶な能力強化、長く保つはずもない。そして終わった後は、反作用で、メルルは瀕死になるだろう。

かまうものか。

喉を切り裂くような痛み。

もう叫ぶ事も出来ないが。

それでも、メルルは。

もう一押し。

半回転し、振り返りながら、当て身を叩き込む。

思わぬ攻撃の転換に、セトも流石に対応しきれない。崩壊する岩石の中に吹っ飛ばされ、そして消えた。

「メルル!」

顔を血だらけにしたケイナが飛び出してきて、メルルを掴む。

じゅっと凄い音がした。

ああ、そうか。

多分今のメルルの体、もの凄く熱いのだろうと、他人事のように思った。起爆ワードを唱える。

先の通路に、皆逃げ込んだか。

そう聞くと。

ケイナは、頷いたようだった。

「意識がない重傷者が何名かいます。 でも、全員生きています!」

「……」

応える力も無い。

急速に。

全身が、死んでいくのが分かった。

これは、ひょっとして。

持ちこたえられないかも知れない。

それはそうだ。無理矢理能力を上げるなんて、驚天の技を使ったのだ。反動が大きいのは当然だろう。こうなることは分かっていたし、覚悟だってしていた。だから今更、何とも思わない。

広場が崩壊していく。

更に其処へ、発破の爆裂が重なる。

これで。

地上に振動が伝わるはず。

本当はもう何カ所かに仕掛けたかったのだけれど。

これが限界だ。

先に、先ほど逃げ込んでいた袋小路を制圧してくれていたジーノさん達が見えた。ジーノさんも血まみれ。殆ど力は残っていない様子だけれど。

何とか、必死に敵を防ぎ続けてくれている。

メルルは横たえられて。

そして、シェリさんが、回復魔術を使おうとして。そして、口をつぐんだのが分かった。何となく、理由は分かる。

回復魔術が逆効果になると判断したのだろう。

見える。

右手が、ぼこぼこと音を立てて膨らんで。

破裂した。

最も無理をさせた場所だ。

骨が露出して、筋肉が裂けている。

自嘲してしまう。

これでは、この後。

戦い抜けるだろうか。

多くの人の先頭に立って、戦い抜くのが私の仕事だ。メルルはそううそぶくけれど。声に出せたかは分からない。

ふと、気付く。

其処には。

トトリ先生がいた。

 

セトは岩を押しのけると、どうにか這い出した。完全に崩壊した広間から脱出し、そして味方と合流する。

「作戦は失敗だ。 撤退する」

困惑し、顔を見合わせる部下達。

特に、メルル姫をピンポイントで発見し、トラベルゲートの罠に誘い込むことに成功したバロールは。挙手した。

「退路はないと聞いていましたが」

「その通りだ」

最初は、そうだった。

だけれども、戦闘中。

メルル姫が持ちこたえている間に。

偶然見つけた風を装って、作って置いたのだ。

それに、敵は少数。味方は一万。

激烈な死闘が行われたとは言え、まだ九割以上残っている。この戦力を投げ捨てるのは戦略的にも無駄。

そういえば。

飛ぶ首は、セトのものだけで済むかも知れない。

部下達を案内する。

そもそも此処は、決戦場となった無限書庫の近く。荒野の地下。昔の基準で言えば、七百メートルという所だ。

本来だったら、人もモンスターも入る可能性がない空間だが。

昔、水による浸食作用で偶然出来た空間を、測定で発見して。今回の戦いに使う事になった。

そして水が入り込むと言う事は。

穴だって開けられる、ということだ。

メルル姫達には、その手段がなかった。だから、恐らく。地上に助けを呼ぶために。土に埋め込んだ発破を用いて、味方を呼ぶ事にしたのだろう。

どちらにしても、広間は崩壊。

もう一つの通路は生きているが。敵が立ちふさがっている。

セトのダメージもあるし、敵を短時間で突破蹂躙するのは不可能になった。それに、何より。

大きな気配がある。

実力はセトに迫る。

アレは恐らく、能力から考えてトゥトゥーリアだろう。

邪神達との戦いでも能力を温存したと見て良い。最強の邪神が撤退した今、地上は既に予定通り、持久戦の構えに入ったはずで。

此処でトゥトゥーリアの様な超危険人物と雌雄を決する意味はないし。

何より、敵にしても、本気で此方を殲滅する理由もないだろう。

セト自身は良い。

この戦いに赴くとき、既に死を決めていた。

友人達を誰も守れず。

部下まで殺され。

何のために戦うというのか。

メルルを殺しても、結局部下達は、この地下に置き去り。だったら、メルルを殺せず、逃がしてしまったということにして。

自分だけ責任を取れば良い。

そういうことだ。

一部の岩盤を砕いて、穴を掘り進め。

そして外に出る。

部下達は、ぞろぞろと、死の穴蔵から出た。

すぐに、一なる五人が連絡を入れてくる。セトは、もはや、覚悟を決めていたから、どうにも思わない。

だが。

一なる五人は、予想外の事を言った。

「予想よりも良い戦果では無いか」

「……!? どういうことでしょうか」

「メルルリンスは行動不能。 敵の主力も、トゥトゥーリア以外は半壊状態。 邪神は二体失ったが、充分な時間稼ぎにはなった」

体勢を立て直すのに二ヶ月。

つまり、その間は。

無限書庫は安泰、という事だ。

けらけらと一なる五人は笑っている。それがおぞましいほどに不気味だ。黙り込むセトに、一なる五人は更に言う。

「お前は思ったより使えるな。 これから、メルルリンスを殺すために、専門で活動して貰うぞ。 ああ、断る権利は無い。 断った場合、それだけ部下を殺していくだけだ」

「……分かりました」

「素直でよろしい」

通信が切れる。

嘆息すると。困惑しきっている様子のバロールに。セトは撤退を告げた。

負傷者を救出しながら、無限書庫まで下がる。其処なら、負傷者を回復する設備も整っているはずだ。

時間さえ稼げれば良い。

そう一なる五人は言っていたが、そのためだけに、これだけの命をもてあそんだのだ。分かっていた。

そうだと知ってもいたが。

しかしそれが故に。

怒りも募る。

必死に抑える。一なる五人に察知されないように。絶対に、いつか。後ろから刺してやりたい。

だが、一なる五人は強大だ。

今はまだ。

手を出す手段さえなかった。

悔しい。

だけれども、こらえるしかない。

声を殺して、セトは泣く。これだけの力があっても。世界は、残虐に過ぎるのだと、思い知らされて。

 

4、純粋なる力

 

意識が飛び飛びだ。

気がつくと、訳が分からない液体が満たされた硝子ケースの中に裸で浮かんでいて。

また気がつくと、寝かされていて。

手がなかったりあったり。

体が熱かったり、そうでなかったり。

ああ、そうだ。エリキシル剤で無理矢理自分を強化して。その反動で、生死の境をさまよったのだ。

多分、今までで一番死に近づいた。

自分を掴んだケイナの手が、じゅっと音を立てていたくらいだ。それでもケイナは、メルルを絶対に離さなかったが。

最高の忠臣。

ライアスだってそうだ。メルルのために、命を張って、時間稼ぎをしてくれた。

2111さんだって2319さんだって。

メルルではどうにもできないタイミングで、策を提案してくれて。体を張って、戦線を維持してくれた。

ザガルトスさんは、年長者の強みで、意見をまとめてくれたし。

シェリさんとアニーちゃんが守ってくれなければ、発破は早々に破壊されてしまっただろう。

そして乱戦の中、ジーノさんとセダンさんが横やりを入れてくれたから。

メルルは、あの凶悪な敵を退けられた。

そうでなければ、エリキシル剤で無理矢理力を増強しても、押さえ込むことさえ出来なかっただろう。

少しずつ、意識がクリアになる。

トトリ先生が顔を覗き込んでいる。

メルルは、裸だ。

そういえば、セトと激しく戦っている時も。服はぼろぼろで、もう裸同然だったような気がする。

貴重な絹服で、高いもので。

国民の血税で得られたものだったのに。

酷い事をしてしまった。

「聞こえている?」

「はい」

「何が起きたかは分かっているね」

「はい」

それだけを、ゆっくり応えるのがやっと。

腕は。破裂した右腕は。

元に戻っていた。

再生したと言うよりも、少し前に見たように。新しく作って、継ぎ足したのだろうと、なんと無しに理解できた。

ゆっくり、手を動かしてみる。

その度に激痛が走った。

そうだそうだ。

言われていた。

確か、手足を継ぎ足す場合、激痛にしばらく苦しめられると。

トトリ先生が行った手術の助手をした。そして、その時に、説明を受けた。アストリッドさんが確立した、手足を完全再生させる技術だと。

ふるい時代にもあった技術で。

昔は、体全部を作って、その中からパーツを切り取っていたらしい。

でも、アストリッドさんが改良して。

必要なパーツだけを作れるようにした。

だけれども、簡単にできる話でもないし。世の中は、そんなにうまくも簡単にもできてはいない。

指を動かすだけでも鈍痛。

苦笑いするメルルは。服が欲しいと言ったけれど。

次の瞬間には、また意識が飛んで。硝子ケースの中で、ぼんやりとトトリ先生の話を聞かされていた。

「私もね。 以前格上の相手と戦う時に、同じ事をした事があるんだよ。 ただ私の場合は、偶然浴びてしまったのだけれど」

何となく分かる。

エリキシル剤のことだ。

そして聞かされた気がする。

トトリ先生は、前にエリキシル剤を浴びる事故を起こして。その時体を、弄ったと。

メルルも、既に弄られているはずだ。

あの時、体は。

多分殆ど駄目になっていたのだから。

セトと戦うには、それくらいのリスクが必要だった。全身が焼け付いて、壊れてしまうくらいの。

それでやっと戦えるレベルの相手だった。

ミミさんとジーノさんが束になっても一蹴されるレベルの。国家軍事力級戦士と並ぶほどの力の持ち主だ。

命を賭けないで、どうやって渡り合うことが出来ようか。

戦わなければ全滅していた。

だけれども、今になれば分かる。いずれ、このリスクは、どうしても到来した。メルルの成長速度では。どうあっても、現状の地獄を突破できない事は、わかりきっていたのだから。

手を伸ばしたことに後悔は無い。

そして今。その代償を払わされている。

だから不快感は無い。自業自得の結末なのだから。

「ねえメルルちゃん」

トトリ先生は、いつの間にか。

また裸で寝かされているメルルの上から、話しかけていた。

意識が飛んでいたらしい。そして、腕の痛みは、随分と和らいでいた。

気付かされる。多分、腕の方にばかりが意識が行っていたのだろう。

体の彼方此方が。

取り替えられている。

「人ならぬ者の世界にようこそ」

トトリ先生は。

目を半月にして、笑っている。本当に嬉しそうに。何となく分かる。自分に対して気にくわない言動をしていた不肖の弟子が。

同じになったからだ。

さあ、お前も。この絶望の中で、同じ事が言えるのか。

まだ人を救うなどと言う寝言を垂れ流せるのか。出来るものなら言ってみろ。

そう、トトリ先生は。

言葉には出さず、語っていた。

勿論勝ち誇ってなどいない。ただトトリ先生は、己と同じ存在が。生まれ出たことを、喜んでいる。

むしろ、メルルが自発的にそうなったことを。祝福さえしている。

狂気の笑みだ。

今まで深遠にいたトトリ先生の狂気が。

初めて今。

メルルの前で、本気の全力で牙を剥いていることが分かった。

狂気は感染する。

汚染される。

だけれども、メルルは。

ぎゅっと、拳を握り混む。

前向きに考えよう。

そうおばさまは、ずっと言ってくれた。

トトリ先生は、とても優しい人で。思いやりがあって。多くのホムンクルス達は、あの人のためなら死ねると言った。

ロロナちゃんは、天才で。

多くの錬金術の産物を改良して。この世界が一なる五人になすすべなく蹂躙されるのを防いでくれた。

あのアストリッドさんも。

ひねくれ者ではあっても。壊れた切っ掛けは、親しい人への、世間の仕打ちが切っ掛けだった。

だからメルルは。

壊れない。

壊れずに、前向きに、立ち向かう。

この狂気をはじき返すのでは無い。受け入れた上で。

正気を。

だが、あまりにも、狂気は強大だ。

ぐっと押し込まれる。

殺意に身をゆだねてしまえ。

人間破城槌で殺した敵はどうなった。

粉みじんだ。

内臓をぶちまけて死んでいった敵を、何度踏みにじった。

心の奥から声がする。

足首まで掴んでいた闇が。メルルの全身を包もうとしている。

いつの間にか、意識を失っていた。

気がついたときには、白衣を着せられ、ベッドに寝かされていて。そして、茫洋とした意識の中。己の中に、完全に住み着いた狂気に気付かされる。

混ざり合っていた。

メルルは抵抗して。

それで、狂気に全てが塗りつぶされるのを防いだのだろうか。

いや、違う。

元からいた暴悪が。己の表面にまで、ついに出てきただけ。抑えてきた前向きな考えが。それまでもが。

混ざり合っただけだ。

そうか。

私はついに。

落ちたのか。

でも、落ちていても。

其処から見上げる光はある。

蜘蛛の糸が垂らされるように。雲間から見える光を、手放してはいけない。例え、もはやどうしようもないほどまでに。

狂気が、心に住み着いてしまっていたとしても。

 

デジエは、ベッドに寝かされたまま、聞かされる。

ついに、メルルも。

そうかとだけ、デジエは応えた。

妹、ソフラもそうだった。

錬金術を極めれば極めるほど、心は闇に浸されていった。どうあっても、錬金術は、狂気と切り離せなかった。

前向きに考えよう。

王族としてのつとめを。

そう言い聞かせて、必死にソフラは抗っていたけれど。

いつまで保ったのだろう。

むしろ、ソフラがあれとの戦いで、命を賭けてまで封印を行ったのは。ひょっとすると、もう自分が壊れるのを、察知していたからかも知れない。

「完全にメルルは壊れたのか」

「いえ。 普段は代わりありません。 それ故に、心に巣くってしまった狂気のはけ口は、恐らく……」

「戦闘か」

「はい」

ルーフェスが頷く。

ちなみに、それらの話は。

「先駆者」であるトゥトゥーリア殿に聞かされたそうだ。

自分から人ではなくなったこと。如何に極限状態だったとは言え、それを自ら選択したこと。

それをトゥトゥーリア殿は、心底から祝福していたそうだ。

「本当に嬉しそうに笑っておられました。 感情を表に出さないようにしていると広言までしていて。 むしろ感情を悪だとして、封じてまでいるあの方が。 それほどに、歓喜が爆発していたのでしょう」

「恐ろしかっただろう」

「昔、まだ未熟な頃に。 単独で相対しなければならなかったベヒモスが、子猫のように思えるほどに」

「さもありなん」

この男ほどの戦士が、其処まで怖れる狂気の露出。

だが、デジエは信じたい。

メルルは、己の中に残った正気で、最後まで戦い抜いてみせると。狂気とつきあっていけるのだと。

手を伸ばす。

ソフラが残した本だ。

メルルに渡すように。

そう、ルーフェスに告げる。

今だ無限書庫は健在。邪神二体は潰したが、最強の存在がまだ籠城の構えを取っている。それに対して味方は被害も小さくない。体勢を立て直すまで、一月は余裕で掛かると見て良いだろう。攻撃に移れるのは、最低でも二ヶ月は後だ。

ルーフェスが寝室を出て行くと。

鈴を鳴らす。

メイドの一人を呼んだのだ。

一礼するベテランのメイドに。デジエは告げる。

「例の薬を」

「し、しかしあれは」

「良いのだ。 この時のために用意した。 それに、余ももう戦えぬ身だ。 最後に一度の機会は、どうせ近いうちに来るだろうしな」

その薬とは。

エリキシル剤。

ずっと前に。

トゥトゥーリア殿に頼んで、調合して貰ったものだ。

まだ、飲まない。

その時が来たら。

じっと薬瓶を見つめると。デジエは、封印を解いて。何時でも取り出せるようにメイドに命じた。

このメイドは、ルーフェスとは別系統で動いている腹心の一人。ルーフェスも、これに気付くことは無いだろう。

終末の日は。

意外に近そうだと。デジエは思った。

 

(続)