巨神驀進

 

序、止め得ぬもの

 

進軍してくる巨影。

エントだ。

あまりにも圧倒的なその存在感に。辺りの全てが小さく見えてしまう。既に抗戦は開始されているが。まともな戦いで、あれを食い止めるのは不可能だろう。

メルルの所には、ホムンクルスの一個小隊。それにアールズのベテラン戦士四名。それに加えて、いつものメンバー。

これが、全ての戦力だ。

既にステルクさんは、何名かのハイランカーを連れて、敵と戦っている。凄まじい雷鳴が光っているが。

エントが痛痒を覚えているようには思えない。

巨神は平然と歩を進め。

いつまでも、大地の揺れは止まらない。

「ステルクさん、大丈夫かな……」

思わずぼやく。

エントは既にステルクさんを敵対勢力と認識しているはずで。全力で排除に掛かっている筈だ。

ハイランカー数名が加わっているとは言え、その戦力差は決して小さくない。

それに、である。

モディスでも、今邪神三体が現れて、交戦中という報告が上がって来ている。どちらの戦線でも、負ければ一気にアールズは蹂躙されてしまう。そして、この国が墜ちれば、芋づるで他の国々も叩き潰されてしまうだろう。防衛線の再構築なんて、している余裕は無い。

人類には、想像以上に、後がないのだ。

それが分かった上で、一なる五人は手札を切ってきている。

だからこそ怖い。

本当の目的を突き止めるまでは、一瞬たりとも油断が出来ない。そもそも、エントを今使って来たのだって。

単に時間を稼いでいるのでは無いかと言う分析もあるくらいだ。

ちなみにこの分析はルーフェスである。

そうなると、一なる五人は、何か時間稼ぎをする必要があって。企みを実行に移そうとしているのかも知れない。

何を企んでいるかは知らないけれど。

どうせ碌な事では無い。

メルルは、そのまま最初の予定通り移動を続ける。

雷撃が炸裂し続けているのに。

エントは燃える気配もない。

既に空は曇り始め。嵐が来る予感だ。

ただでさえ、足場が悪い戦場だろうに。大雨の中戦う事になるだろうと思うと、気が重い。

だが、やらなければならない。

アールズ王都は蹂躙させない。

難民達だって。

メルルが守りきらなければならないのだ。

大きな枝が、粉砕されて。

落ちていくのが見えた。

ステルクさんではない。一緒に戦っているハイランカーの攻撃魔術だろう。なかなかの破壊力だ。

エスティさんが作ってくれた地図を見る。

エントの体を調べて、上れそうな所を見繕ってくれたのだ。

勿論中枢までは近づけなかったけれど。

これで途中までは行ける。

戦闘は可能な限り避けろ。

そう言われてもいる。

エントを引きつけてくれているのはステルクさんだ。それに誰も辿り着いた者がいない以上、エント中枢の戦闘力がどれくらいかはまったく分からない。強いかも知れない。弱いかも知れない。

はっきりしているのは。

隠密行動をしなければ、辿り着くのさえ難しい、という事だ。

嵐の中。走る。

アニーちゃんが展開してくれている消音の魔術で、殆ど周囲に音がしない。稲光。ステルクさんが放ったものではない。

それだけ天候が荒れているのだ。

雷がエントに落ちる。

その瞬間、防御結界が展開されるのが見えた。

恐ろしく強力な結界だ。

ロロナちゃんにぶち抜かれてから、再構成したのだろうけれど。しかしそれにしても凶悪極まりない。

内側に入り込めば大丈夫だろうか。

しかし、考えてみればあれだけの巨木だ。雷対策はしていても不思議では無い。

少し、思いついた事がある。

試してみる価値はあるだろう。

麓の森まで来る。

点呼。

ハンドサインの確認。

ミミさんが、矛を構えた。

「いつものように、先鋒は私が努めるわ」

「よろしくお願いします。 地図を確認してください」

「了解」

残像を作って、消えるミミさん。

頷くと、メルルは。周囲と確認をする。

兎に角此処からは隠密作戦だ。

敵に見つかってはならない。敵を発見したら、兎に角先制攻撃で消す。憐憫は不要。見敵確殺。

それが此処からの絶対条件だ。

何チームかに別れ、相互支援を行いながら進む。

後衛はジーノさんに頼む。

これは脱落した人を引き受けて貰う意味もある。中軍はメルルが引き受けるけれど。場合によっては前衛に出たい。

荷車は、負傷者の手当と、移動指揮所を兼ねる。

それに、物資も荷車に積んでいる以上、どうあっても守りきらなければならない。

風車も。

たたかう魔剣も。

発破も。

可能な限り積み込んできた。お薬も、である。

しばし、気配を消して潜む。

その間も、エントは移動を続けている。森がそのまま動いているのを、至近で見るのは、中々に凄い。

本当に森が動いているのだ。

「見てください」

2111さんが示してくる。

森が、地面の上を滑るように移動している。なるほど、本当にナメクジのように動いているのか。

地面が抉られていないわけだ。

しかし、そうなると、どうやって。

よく観察すると、森の木々の根元の地面も、動いていない。つまり、森の地面ごと動いている、という事だ。

移動速度はそれほどでもないけれど。

確実に移動していく。

だから、がっつり見ておかないと危ない。下手をすると、置いていかれてしまうだろう。同じ木にマーキング。

中の様子を、しばし静観する。

ミミさんが戻ってくる。

偵察をしてきただけだが。かなり疲弊しているようだ。

問答無用で、耐久糧食を口に入れるミミさん。しばし、言葉を発してくれるのを、待つ。

「地図は間違っていないわ。 ただね……」

「何か問題ですか」

「モンスターよ。 明らかに在来のものではない強力なのが、十や二十じゃないわ。 エントが異常をきたしたときに、逃げていったモンスター達の代わりでしょうね。 人型の、とんでも無く強い奴も数体いたわ」

「!」

そうか。

メリクリウスの事を思い出す。

強くて、悲しい戦士だった。

ゼウスはどうしているだろう。

無事にやれているだろうか。

そういった強豪達も、ステルクさんに任せるしかないだろう。やるとしたら、一瞬で殺すしかない。

派手な大技は厳禁だ。

ケイナと、セダンさんに目配せ。

二人に動きを止めて貰って。

後はメルルが、出来るだけ消音効率を上げた人間破城槌。もしくは、ミミさんによる多段攻撃で、仕留める。

どちらかしかない。

騒がれて、エントに気付かれでもしたら最悪だ。ステルクさんの奮闘が、全て無駄になってしまう。

また、移動する経路も気を付けなければならない。

ステルクさんは余裕も無いし、大技をバンバンぶっ放している。

あれに巻き込まれでもしたら。

今のアニーちゃんの防御魔術では、手も足も出ずに貫通されるだろう。それくらい凄まじい火力だ。

シェリさんが、呻く。

「やはりな……」

「何か、分かる事が」

「これは恐らく、ほぼ間違いない。 移動型の環境調整装置が暴走したものだろう」

環境調整装置。

何となく、意図は理解できる。

荒野だらけになったこの世界を、元に戻してきたのがシェリさん達悪魔族だ。己の体がいびつに変わることも厭わず。子孫を直接残すことも出来ないのに。それでも、世界を元に戻すことを選んだ一族。

だからこそ、理解できるのだろう。

同類だと。

「破壊しなければならないのは、心苦しいな」

「大丈夫。 黙らせた後は、普通の森になってもらいます。 そうしたら、きっと此処は、多くの生き物たちを支える基点になるはずです」

「そうだな。 そうなって欲しい」

「無駄にはしません」

もしも、これが人工の存在であるなら、なおさらだ。

気配を消す魔術を何重にも掛けて、森に入る。

メルルやケイナ、ライアスだけじゃない。

セダンさんだって、既に歴戦を重ねて、ベテランと呼べる実力になっている。つまり、全員がベテラン相応の実力を持つ精鋭部隊に変わっている。昔の、ひよっこをベテラン数人が引率していたへっぽこ部隊では無い。

ホムンクルス達だって、新人だとは言え。実力はベテラン相応。

それが彼女たちの強みだ。

隊形を保ったまま、森を行く。

至近距離を通っても、小物のモンスターは気付かない。それだけ、全員が気配を上手に消せている、という事だ。

時々、どうしても避けられない相手がいたが。

それは無言のまま、処理をした。

迷いもない。

一瞬で終わらせる。黙らせる。

それが何を意味しているか、分かっているから。

雷鳴が轟く。

頭上は既に真っ黒。渦巻く雲に覆われていて。雨は凄まじい濁流と化して、森全域を覆っている。

木の根が目立ちはじめた。

エントの体だ。

先行しているミミさんが、ハンドサインを出してくる。

どうやら、避けられない位置に、大物がいるらしい。敵も見張りを工夫している、という事だろう。

見ると、人型だ。多分スピアの人型ホムンクルスだろう。

槍を抱えるようにして、木の根に腰掛けている。雨は上にある枝でかなりしのげているけれど。

それでも、相当な水を浴びていた。

実力は、高い。

きっと、いにしえの神々の名を与えられたホムンクルスだろう。遠くから見る限り、中性的な容姿で。

恐らく、容姿はどうでも良いと判断されて。

名前も適当なのかも知れないが。

いずれにしても、実力は確かだ。

頷くと。

ケイナとセダンさんが、同時に出た。

ケイナが、まず仕掛ける。

後頭部に、フルスイングの一撃。

全戦力を乗せた、重量級の一撃が食い込み、ホムンクルスが中空に投げ出される。

そして、上空から。

セダンさんが、メイスの一撃を叩き込む。

背骨をへし折られたホムンクルス。

更に、下に躍り出たミミさんが、跳躍しながら、数十回の斬撃を叩き込む。おお。今度は。全ての斬撃を目で追うことが出来た。実力がついてきたのだと、実感できて嬉しいけれど。

それは同時に、どのように敵が殺戮されたか、目に焼き付けることも意味していた。

地面に、バラバラの肉塊となって墜ちるホムンクルス。

シェリさんが、周囲に結界を展開。

ザガルトスさんが、2111さんと一緒に確認。

「死亡確認」

「すぐに死体の処理を」

「了解」

いずれも、ハンドサインでのやりとりだ。

死体を物陰に移して。

メルルが用意してきた、処理用の液体を掛ける。とはいっても、ただの酸。それも、環境を汚染しないタイプのものだ。

死体は綺麗に溶けて消えていく。

それを見ながら、メルルは黙祷した。

ごめんね。

一なる五人に造り出されて、鬱屈した生活をしていただろうに。戦ってあげたかったけれど。

今の状況では、それさえ許されなかった。

遺品となる槍も、しっかり調査した上で回収。魔術の類も無いし、機械も埋め込まれていない。

移動再開。

確実に、エントへの距離を詰めていく。

所々、根が非常に露出していて。枝などで視界が守られていない場所が出て来始めた。しかし、これがもっと標高が上がってくると。複雑かつもっと視界が(此方にとって)悪い場所が出てくる。

場合によっては、クライミングまがいの行動が必要になる場所も出てくると、報告も来ていた。

手をかざすと、見える。

モディスの方で、凄まじい閃光が飛び交っている。

三体の邪神を相手にしているのだ。

それは死闘というのも生やさしい代物になるだろう。ちなみに父上とルーフェスは、彼方に参戦している。

生きて帰れるといいのだけれど。

溜息が零れた。

過酷な路を行く。

途中で、更に数体のモンスターを殺した。

雑に頭に洗脳用の装置を埋め込まれた者を見ると、悲しくなった。こんな装置をつけられて。意思とは違う戦いを強いられる生に、何の意味があるのだろう。こんな戦いをさせる一なる五人は、何を考えているのだろう。

それでも、殺さなければならない。

先に進まなければ。

全てが蹂躙されてしまうのだから。

 

1、混乱波及

 

アールズ北東部耕作地帯。ホムンクルスの2740が派遣された場所だ。ちなみにド新人というわけではなく、意識を持ってから、数度の戦闘を経験している。それで此処に廻されたという事は。

恐らくは、戦闘の適性がないと判断されたのだろう。

悔しいとは思わない。

戦闘適正があると判断された同胞が、どのような過酷な戦場で命を削っているか、知っているし。

戦闘適性がないと判断された同胞の中にも、人間の戦士に見初められて結婚。既に子を産んでいる者もいると知っている。

そういう同胞の中には、ナンバーを捨てて。人としての名を名乗っている者だっているのだ。

結婚して、子を産む。

それが必ずしも幸せだとは思わないけれど。

かといって、戦場で常に殺し合いを続けるのが、幸せだとも思えない。

人間を守る。

それは絶対の命令として、頭にきざまれていて。今まで、これに逆らった者は見たことが無いし。逆らおうとも思わないけれど。

かといって、消耗品にされるのだって、気分は良くない。

同胞の中でも。昔トトリ様と一緒に行動した者達は。皆、ああいう職場が続けば良いと、口にしていたそうだ。

今のトトリ様はすっかりおかしくなってしまったらしいけれど。

それでも、トトリ様の為なら命を捨てても良いと口にする同胞は珍しくもないと聞いている。

今だと、メルル様か。

同じように、あの方にだったら、命を捨てて仕えたいという同胞がいるという。実際、そうして近衛になったものもいるとか。

羨ましいと思う。

アールズにいるのだ。

せっかくだし、転属届けを出すのもありだろうか。

髪を拭う。

雨が徐々に激しくなってきていて。

うっとうしさがましている。

難民達が、勝手な事をほざいているのが聞こえた。

「また戦争してるんだろ。 スピアとアーランド。 アールズもいつものようにかり出されてるらしいな」

「どうせ殺戮姫が敵を皆殺しにして終わりだろ」

「悔しいけど、あのバケモノが負けるところが想像できねえよ」

「悪口言ったらどうなるか分からんぞ」

口をつぐむ。

おかしな話だ。

メルル様は、戦士としてはベテラン程度。まだ達人の域にも達していない。辺境では幾らでもいる程度の実力者に過ぎない。

しかし情報の操作が上手で。

此処に連れてこられたようなならず者達には、特に怖れられている。

逆らったら、何をされるか分からない。

人間を生きたまま喰うことさえある。

モンスターを目の前で、素手で殺して見せた。

そんな噂を、2740も聞いているけれど。

幾つかの噂は、メルル様が意図的に、大げさにして流したものらしいと後から聞かされて。分からなくなった。

悪く言われているのに、何も思わないのか。

というよりも。

悪く言われていることを、むしろ支配のために利用している、というのか。だとすると、凄まじい。

脳みそまで筋肉で出来ているような戦士が多いこの辺境で。

政治のことを考えている、という事だ。

雨の中、ベテランのホムンクルスが来る。

281。

かなり若い番号だけあって。ホムンクルスが普及し始めた頃からのベテランだ。顔にも体にも、傷が幾つもきざまれている。

消す事も出来るらしいのだけれど。

敢えて本人は、消さずに残しているらしかった。

「整列」

他の見張りと一緒に、整列する。

281は何というか、体育会系のノリで。基本的に重要な事を告げるときには、整列するよう告げてくる。

これは彼女が尊敬していて、既にこの世を去った戦士の癖だったらしい。

或いは、その戦士のことが好きだったのかも知れないが。

いずれにしても、もう分からない事だ。

「エントが接近している。 難民達が逃げ出さないように、警戒を最大にせよとの連絡が来ている」

「避難はさせないのですか」

「何処に避難させる」

確かに、その通りではある。

もしもエントが、今戦っている前線を突破した場合、防ぐ能力はもはやアーランドにもアールズにもない。

蹂躙されるだけだ。

難民はもはや行く場所もない。

後から押し寄せてくるスピアの軍勢に食い荒らされて、瞬く間に消滅していくことだろう。

傍若無人に振る舞う難民達を見ると。ある意味それでも良いかなと思ってしまう事もあるけれど。

だが、それでも。

人は守らなければならない。

エメス達が、声を上げる。

「最悪の場合は、避難をさせるべきでは、ないでしょうか」

「ギリギリまで待て」

「しかし」

「どのみち、前線を突破されたらどうにもならん。 むしろ難民達が彼方此方に逃げ散った方が、被害が増える」

確かにその通りだけれど。

兎に角、解散と声を掛けられると。

後は、どうにもならなかった。

無言で、見張りを続ける。

少しずつ。

エントが近づいてくるのが分かった。

それと同時に、見えてくる。

エントとまともに戦っている光。雷撃がうち込まれ。一閃して、エントを薙ぎ払う。しかし、巨神は。平然と進んでくる。

痛みなど感じないかのように。

いや、痛みなど、カットされているのかも知れない。

一なる五人に支配されてしまったというのなら。それは、当然の帰結だと言えるだろう。

「大きいですね」

隣にいる2785に言うと。

彼女も、無言で。無表情で。頷いた。

ホムンクルスにも個性がある。

武器選びにも個性が出るけれど。人間には分からないかも知れないが、性格も結構違う。

2785はホムンクルスの中でも特に無口で。自分から喋るところを見たことが無い。ホムンクルス同士だと、表情も読めたりするのだけれど。ホムンクルスである2740から見ても、彼女が何を考えているのかは分からない。

いずれにしても、これからが本番だ。

エントは更に近づいてくる。

簡単に倒せる相手ではない。

如何に、国家軍事力級戦士であるステルク氏が、戦闘しているとしても、だ。最悪の場合は、戦わなければならない。

雨程度で体調を崩すほど柔では無いけれど。

後で武器をメンテナンスしておこう。

ぼんやりと、そんな事を思った。

 

雨がひどくなってきた。

既に耕作地での労働は中断していて。皆、それぞれの家屋に入っている。お酒も配られていて、陽気に騒いでいる声も聞こえてきていた。

2740は物見櫓に移動。

外は、傘を片手にした、エメス達が見回っている。

また、周囲は強力な魔術結界が展開されていて。その様子も、時々アーランドの魔術師が、点検していた。

2740も、手をかざして、周囲を確認。

森の中では、リス族が、臨戦態勢のまま待機している。

彼らはメルル様にシンパシィを感じているらしく。エント戦で不利とみたら、駆けつける気満々の様子であった。

今までのアールズの王族と。

「メルル姫」は、明確に違う。

周囲に目を配り、差別意識も抱いていない。交渉もしやすいし、戦士としても大変に勇敢だ。

非の打ち所がない、是非つきあいを深めていくべき相手。

それが彼らの共通した認識らしい。

メルル様は確かに2740から見ても優秀な王族だが。此処まで来ると、入れ込み具合が少し怖いくらいだ。

小隊長である1643が来た。

難民達を見回ってくるようにと言われたので、頷く。

2740が使っている武器は、方天画戟と呼ばれる、大げさな武器だ。古代も古代、いにしえの時代の更に昔に一部の地域で使われていたらしいもので。ハルバードの変形版と言うべきだろうか。

使いこなすのは難しいが。

長柄の上に、斧としても槍としても使える優れものなので、重宝している。何度かの戦いも、これで乗り切った。

愛用の戟を手にすると。

櫓を飛び降りる。

見回りは、出来るだけ早く済ませた方が良い。当然の話だ。

豪雨の中、走る。

それにしても、だ。

エントがここまで来たら、どうするのだろう。

応戦するのか。

まあ、そうだろう。

難民達は、もはやどうしようもない。その場合は、エメス達に任せるしか無い。エントが辿り着くまで、あと一日以上はあると聞いているが。

それでも、言い方を変えれば。

後たった一日だ。

難民達は、大雨で外に出ることも出来ないから、だろう。

酒を飲んで騒いだり。

なにやら賭け事に興じているようだった。

雨の中だ。

流石の荒くれ達も、好き勝手に暴れるわけにもいかないのだろう。この辺りは、人間らしいと言うか、何というか。

一つずつ、見回っていく。

気配がない家もあるけれど。総合で見れば、いなくなっている人間はいない。あまり遠くには行かないように。行く場合には申請するように。

あまり目立つようなら。

メルル姫が仕置きに来る。

そう宣告してから。

こういう日に、おいたをする難民は皆無になった。

それだけメルル様は怖れられているのだ。そして、怖れさせる事を、戦略にしているのだろう。

一通り見回る。

問題は無し。

そう判断して帰ろうとした瞬間だった。

一人、雨の中、外に出る。手には、油紙に包んだ荷物。何だろう。このタイミングで、よその家にでも行くつもりか。

豪雨の中。

そいつはフードだけを被って、走り出す。

それも居住地とは別方向に、だ。

無言のまま跳躍。

そして、立ちふさがるようにして、降り立つ。

もはや、油断は欠片もしていない。

戟も、構えていた。

「!」

「止まりなさい。 怪しい行動は許しません」

「……」

下がろうとするフードの影。

ますます怪しい。

嘆息すると、もう一度だけ警告する。

そして、付け加えた。

「抵抗するようなら、首を落とします」

実際には出来ないけれど。

気を当てて気絶させることくらいは難しくないし。その気になったら、当て身で気絶させれば良い。

守るためだ、仕方が無い。

守ると言うことは、必ずしも相手に触れないという事を、意味はしないのだ。無力化の手段なんて、いくらでもある。ましてや、ホムンクルスは、辺境のベテラン戦士並みの実力を有している。

北部列強のならず者なんて。

虫と同じように、優しく扱う事が基本だ。

しばしして、身を翻して逃げようとする不審者。

一瞬で回り込んでみせると。

不審者は、小さな悲鳴を上げた。

体型からして子供か女性か。

此処に廻されるとは、どんな行動を途中でしてきたのか。難民の中でも、札付きだけがここに来るのだが。

「く、来るな!」

「不審者として無力化します」

「ひ……」

無言で、当て身。

気絶した不審者を抱えて。荷物も回収し。

そのまま、見張り小屋に移動。

不審者を抱えて来たというと。見張り小屋にいた魔術師は、即座に防爆の態勢を整えてくれた。

自爆による被害は、あまり人的被害は大きくは無いとしても。

以前やられて、施設にかなり打撃を喰らった事もある。

みな、神経をひりつかせているのだ。

「これは?」

フードを脱がせてみると、子供だ。

男の子ではあるようだけれど。この若さで此処に廻されるとは。

魔術で調査していた魔術師が。ナンバーを読み上げたので。すぐに資料を出してくる。なるほど、そうして分かった。

此処に廻されるわけだ。

難民番号22278。

難民キャンプでの窃盗155件。暴行事件194件。子供とは思えない凄まじい悪っぷりだ。

どうやら子供達を束ねた窃盗団のボスをしていたらしい。

そしてここに来てからも、散々悪さを重ねていたらしく。厳重注意をメルル姫に、直にもらったらしい。

ちなみにその時も。

お姫様だから与しやすいとでも思ったのか、反抗的な態度を取って。

デコピン一発で遙か遠くまで吹っ飛ばされ。

組み手で散々投げられて地面に叩き付けられ。

完全に心をへし折られて。

以降は、絶対に悪さをしないと誓った上。

悪さをすると、全身に痛みが走る魔術を掛けられて。今では荒くれの難民と混じって、作業をしているとか。

ちなみに、他の難民達も、似たような有様だけれど。

この子の場合は、まだあどけない状態で、好き勝手をしていたというのが違う。

たくましいなどと褒める阿呆もいるかも知れないが。

こういう状況で助け合えない人間は。

世界の滅亡に荷担するだけだ。

今は、人類が滅ぶかどうかの瀬戸際なのである。

この子のやっていることは、許されることでは無い。場合によっては、処分だって考えるレベルだろう。

見ると、荷物の中身は。

どうやら他の難民の私物らしい物資だった。

これは或いは。

物資を盗んで、最終的にお金に換えるつもりだったのかも知れない。

気合いを入れて、目を覚まさせる。

子供は。悲鳴を上げた。

容赦ない視線で見下ろされていたからだろう。

「窃盗ですね。 まだ懲りていなかったんですか」

「五月蠅い! 黙れデク人形!」

「黙るのは貴方です」

ショック発動。

痛みに、子供が絶叫して、跳ね回った。

体を押さえて痙攣している子供。この子供が盗んだ物は元の持ち主に返すように指示。エメスに作業は任せた。

魔術師が、おさえつけた子供の頭に手を触れて、記憶を引っ張り出す。

それによると。

どうやら、似たような感じで、酒を飲んで酔っ払った難民の部屋に忍び込んでは、窃盗を繰り返していたらしい。

そして持ちが良さそうなものばかりを盗んでは。

柵の近くに埋めて。

ほとぼりが冷めるのを待っていた、というわけだ。

しかもタチが悪いことに、あまり換金額が上がらなそうなものばかり盗んで。盗みがあったと申請させる方が面倒くさい、と認識させていたようだ。

タチが悪いと、2740も思った。

「これは、更正は無理ではないでしょうか」

「かといって、殺すわけにもいかないですね」

そういって、眼鏡を掛けた魔術師は言う。

彼女はかなりのベテランで、此処にも善意で来てくれている立派な医療魔術師である。とはいっても、辺境の出身。

此処にいる荒くれくらいは、素手で制圧できるが。

もっとも、非常にちんちくりんで弱々しい外見なので、難民達に舐められて大変らしい。色々と卑猥なことを言われたりして、困っていたりもするそうだ。その度に、雷を落として制裁しているそうだが。

「これは、姫様が戻ってきた後、ごちそうにして貰いましょうかね」

「ひっ! い、いやだ! あの殺戮姫に喰われるのだけは嫌だ! 生きたまま食いちぎられるんだろ! 絶対嫌だ!」

わめき始める子供。

敢えて何も言わない。

この子は、どうしようもないところまで非行が悪化している。そしてこの状況。この子だけに、構っているわけにはいかない。

改心して貰う。

それが出来ないなら、死ぬだけだ。

多くの難民だって、逃げてくる途中で、死んでいるのだ。

或いは、身勝手によって。

或いは理不尽によって。

それが、こんな良い場所にまで逃げ延びてきて。生命の安全まで保証されて。医療も充実していて。仕事も過酷では無くて。

それなのに、まだ不平不満を並べ立てる。

それが2740には理解できない。

他のホムンクルスのように、戦いの矢面に立つか。

それとも、命を賭けて何かをするか。

それもできないのに。

どうして、このように好き勝手が出来るのだろう。

「お前達大人が始めた戦争だろう! それに巻き込まれて、迷惑してるんだよ! せめて盗みくらい好きにさせろ!」

「これは戦争と言うよりも、絶滅とそれに対する抵抗です。 一なる五人が、人という種族そのものを滅ぼそうとしている事くらいは、知っているでしょう」

「知るか!」

「そうですか、それなら今知りなさい。 今、人類にはもう後がない状態です。 貴方のように、好き勝手な自由を求めて周囲を害する者を、勝手にさせている余裕はもう残っていません」

牢に入れておきなさい。

魔術師が言い。

更に痛みを追加。

悲鳴を上げる子供を、エメス達が連れていった。

嘆息すると、魔術師について、雨の中に出る。柵際に。記憶通りに、油紙に包まれた物資が埋められていた。

中身は。

あまり口には出せないようなものばかりだ。

禁制の薬物もある。

なるほど、これは巧みなやり方だ。

相手の弱みにもつけ込んでいるというわけだ。

平和な時代であれば。

ああいう子を主人公にした、悪漢浪漫とでもいうべき作品を書く者が現れて、人気が出たかも知れないけれど。

現実はこの通り。

ギリギリの総力戦をやっている状況で。

此処までの温情を無視して、好き勝手する子供に、もはや掛ける情けはないと言える。

兎に角、処置は相応に執る。

魔術師は、何度もため息をついていた。

「場合によっては、子供とは言え、処分はしなければなりませんね」

「殺しますか?」

「いえ、洗脳します」

ああいう、極端に犯罪が好きな子供は、頭に欠陥を抱えている事が多いらしい。本来は禁術なのだけれど。頭を操作する事で、その欠陥を排除することが可能になるそうだ。勿論、非常に難しい術の上に。失敗すると廃人になる。

だがあの子は。

そのままでは、処刑コースまっしぐらだ。

それ以外に手がないのなら。

他に、方法もないだろう。

見張りに戻る。

人とは、何なのだろう。

豪雨の中歩きながら、2740は思う。

こんな総力戦が続いていて。人が滅びるかどうかの瀬戸際だというのに、それでもエゴをむき出しにして、好き勝手をしている。

それも、あんな子供が。

子供だから抑えが効かない、という事もないだろう。

あれは、子供とは関係無い。あの人間としての悪性だ。

雨が、容赦なく降り注ぐ中。

2740は、分からないと思った。

 

2、忍び寄る刃

 

少しずつ、確実に。

エントのコアへと、距離を詰めていく。

枝の間を縫って走り。

少しずつ、森を抜けて。

ついに、エントの本体の麓にまで辿り着いた。

巨木と言うよりも。

本当に丘か何かだ。

そして此処からは、段違いに攻略の難易度が上がる。何しろ大雨で足場が最悪な上に、敵が何処にふせているか分からない。地形も、生半可なクライミングでは無い。しかも装備を放棄するわけにもいかないのだ。

雷が鳴る。

ステルクさんは先行して、敵の本体と交戦中。これほどの長時間やりあっているのは、流石にタフだ。

アーランドの国家軍事力級戦士の中でも、最大の防御力を誇ると聞いているけれど。タフネスに関しても同じなのだろう。

雷鳴が轟く。

幸い、今の時点で。

メルルは、敵に発見されていない。

行くなら、今だ。

ましてや今は時間がない。もたついていたら、エントが取り返しがつかない地点まで進軍してしまう。

周囲を確認。

気配を消していると言っても、もろに見られたらアウトだ。達人になると、見られても認識させないくらいになるらしいけれど。

残念だけれど、その域に達しているのは、ミミさんだけ。

ジーノさんは達人だけれど、隠密には特化していない。ケイナはもう少しでそのくらいまで行けるらしいけれど。今は残念だけれど無理で。今が無理というのが、全ての世界なのだ。

何人かずつ、別れて。

少しずつ、遮蔽物を利用して進む。

濁流のように、川の水が、エントを伝って降り注いでいる。

凄まじい大雨。

油紙をかぶせているとは言え。

荷車のお薬や、発破が心配だ。

「敵発見」

ミミさんがハンドサイン。

彼女が、少し悩んでから、もう一つハンドサインを出してきた。

「来て欲しい」

頷くと、メルルは2111さんを促して、二人で最前衛に。其処では、ケイナとザガルトスさんが、それぞれ木の陰に伏せ。

周囲を見回っている、一小隊ほどの敵を見据えていた。

いずれも洗脳されたモンスターのようで。かなりの秩序を保って動いている。面倒なのは、胸元にホイッスルがあることだ。それも、相当に大きな音を出せるタイプのものと見た。

今は豪雨で、雷がじゃんじゃか落ちているが。

それでも、周囲に響き渡るだろう。

軍用のホイッスルとなると、その強烈な音は、間近だと耳を塞がないと耐えられないほどなのだ。

ましてや訓練次第では、それこそ一瞬で吹かれる。

これだけ徹底的な統率を見せている以上。

洗脳されていると同時に、徹底的に訓練されているとも見て良いだろう。

一匹でも逃せば。

周囲の仲間を呼ばれる。

というか、小隊規模の敵を、一瞬で殲滅するのは厳しい。

メルルは少し悩んだ末に。

迂回路がないか、ミミさんに聞く。

無いと即答。

そもそも、あの小隊規模の敵は、此処が要所だと分かった上で、張っているらしい。さっきからずっとだ。

ミミさん一人なら、何とか気付かれずに突破も出来る。実際問題、さっきはそれで偵察を成功させたのだろう。

だが、全員で行くのは。

メルルは決断を迫られる。

だが、正直な所。

選択肢は、残っていなかった。

「展開。 一斉攻撃を仕掛ける」

ハンドサイン。

三チームに分かれて、周囲に展開。敵を視界に全部入れる。

勿論伏兵がいる可能性も高い。

だからその辺りは、ジーノさんにも、しっかり気配を探知して貰った。いないと判断して。

そして、動く。

一斉に襲いかかる。

一番強そうなのには、隠密任務に適したミミさんが対処して貰う。

後は、片端から排除。

反応させない。

勝負は一瞬でつく。

一匹だけ、此方に気付いたのがいたけれど。

それも、ケイナが一瞬で喉を掻ききった。

敵の小隊は全滅。

皆殺しだ。

完勝だというのに、どうしてか疲弊がひどい。何だか、敵をこの程度殺したとは思えないほど、疲労した気がする。

苦笑い。

そんな思考をするようになってしまっていたのか。

きっと、あの人が。

メルルに、前向きに生きるようにと、いつも言い聞かせてくれた人が見たら、悲しむだろうな。

そう思って、思考を切り替えた。

死体を引きずって、隠す。

処理も急いだ方が良い。

それに、敵の内部に潜入している以上、気付かれるのは時間の問題だ。敵はステルクさんの迎撃に全力を挙げつつも、こうやって要所に見張りを配置する程度には冷静なのだから。

そう長い時間は。

潜入を誤魔化せはしないだろう。

すぐに次へ。

荷車を動かしながら、潜入を続行。

非常に入り組んだ根。

張り巡らされた枝。

所々、周囲から丸見えになっている場所がある。そういう所は、ミミさんが先行して、見張りになっている敵を斬ったり。或いは、見張りをしている装置を破壊して、先に進めるように処理する。

ケイナとセダンさんにも、やり方を仕込んでくれている。

実戦で二人が、これくらいの隠密が出来るようになれば。

かなりアールズの将来に有用なはずだ。

セダンさんはずっとアールズに帰化してくれればいいのだけれど。

まあ、駄目でも。その卓越した奇襲の技だけでも、アールズの後進にしこんでくれれば何より。

少しずつ、高度が上がる。

尋常じゃ無い広さだ。

この間のモディス要塞の比では無い。

文字通り、小さな山そのものが敵になっているような状況。

考えてみれば、これくらいの苦戦は、最初から想定済みだったではないか。むしろ今は、敵が少ないくらい、なのかも知れない。

歴代のアールズ王が攻略できなかったのも当然だ。

外から見るよりも。

ずっとずっとエントは大きい。

「敵小隊発見。 此方に向かってる」

ミミさんがハンドサインを出してくる。

同時に。

後ろから、ジーノさんが。

同じように、小隊が迫っていると、ハンドサインを出してきた。

これは、気付かれたか。

だが、安易な行動は、ミスの元だ。

雷撃が空を走る。

ステルクさんが放った一撃だが。

エント上部の枝が不意に動くと。巨大な盾を作って防いだ。

あんな風に、柔軟に動く事も出来たのか。

まあ、それはそうだろう。

この巨体で移動するのだ。エントの中核に近い部分は、動く事が出来ても、何ら不思議ではない。

だが、もしそうだとすると。

戦闘は、より急いで済まさなければ、危ないだろう。

敵の背中の上で戦っているのも同じなのだ。状況次第では、一瞬で敵に絡め取られてしまうだろう。

つまり、最悪の場合。

コアも一瞬で破壊しつくさなければならないと言うことだ。

発破も、道具も。持ってきてはいる。

そして今後、紛失も許されない。

「どうする」

前からハンドサインが来た。

打って出るか、それとも耐えるか。

「相手は、此方の位置を把握していると見ますか」

「ほぼ確実」

「移動して、先手を打ちましょう」

「やるか」

ジーノさんが、嬉しそうにハンドサインを返してくる。

頷くと、メルルは。

まずは、前から来ている敵小隊を片付けることにした。

 

一度はっきりと交戦が始まると。

後は泥沼になる。

わかりきっていたが。

予想を超える泥仕合が開始されていた。

兎に角、どこからでも、幾らでも、敵が沸いてくる。

この短時間に、エントに潜んだ敵は。

洗脳されたモンスターは、どれほどの数なのか。

ステルクさんが主力を引き受けてくれていてこれだ。もしそうでなかったら、一体どんな有様になっていたのか。

敢えて言うまでも無いだろう。

歴代のアールズ王のように。

叩き返されて終わり。

それだけだったはずだ。

今は、歴代アールズ王が、エントを攻略したときと、だいぶ様子も状況も異なるのだけれど。

それでも、厳しい状況だ。

ホムンクルス達に、負傷者が増えてくる。

内側に庇いながら、交戦続行。

四方八方から仕掛けてくる敵は、命もまったく惜しくない様子で。それが、此方に被害を増やす。

小柄な敵が爆弾を抱えたまま特攻してくる。

シェリさんが魔術の障壁で食い止めて、その間に発破で誘爆させる。

だが、その有様は。

何だか無惨だった。

「血も涙もないな……」

ライアスが呻く。

言うまでも無く、一なる五人のやり口だ。

どうすれば人間を効率よく殺せるか。人間がどういう攻撃に躊躇して、神経を削られるか。

知った上でやっていると、悟ったからだろう。

そのライアスも、脇腹に大きな傷を貰っていた。血が流れ出ているのを、すぐに手当てする。

何名かのホムンクルスは、医療に注力して貰う。

メルルが作った薬だけでは無い。

少数だけれど、トトリ先生が作ったお薬や。ほんのちょっとだけ、ロロナちゃんが作ったお薬も持ってきている。

いずれも効果は凄まじく。

ちょっとした傷ぐらいなら、すぐに回復していく。

前方を、ミミさんがこじ開ける。

中軍ももみくちゃにされている状況だけれど、突破の好機とみた。

「姫様、行きなされ!」

参戦している最年長の戦士が吼える。

グレートアックスを振り回し、敵を叩き潰しながら。

既に数本の矢を受けているが。戦意は旺盛で、倒れる気配もない。

メルルは、叫び返す。

「今は全戦力を集中した方が得策! 最後尾はジーノさんに任せて、貴方たちも! 殿軍を置くタイミングではない!」

「応! そうであった!」

敵の死骸だらけの中を、走る。

メルルは、伏せるように態勢を下げると、突貫。

一気に、敵数体を粉みじんに消し飛ばした。

人間破城槌を少し撃ちにくい。

地形が悪いからだ。

だけれども、短距離なら、強引にでもぶち抜けば良い。

味方の被害が減らせるなら。

負担くらい、どうにでもなる。

「左!」

ケイナの声。

見る。

横からタックルしてきたのは、小柄なモンスター。口に咥えているのは、発破だ。無言のまま、蹴り挙げる。

上空に出た敵を、ケイナが鞄でフルスイング。

吹っ飛んだ敵が、向こうで爆裂するのを、呼吸を整えながら見守る。

人間破城槌の、発動後。

硬直のタイミングを狙ってきた。

まずい。

敵にマークされ始めている。

分かってはいたけれど。

今後は更に戦いづらくなる。

「前進っ! GOGOGO!」

叫びながら、敵を蹂躙する。

時々出てくる強いのは、ミミさんがどうにかしてくれるけれど。それでも、生半可な相手では無い場合も多い。

もうミミさんも、満身創痍だ。

ましてやこの状況。

敵に地の利があり。

数も圧倒的。

被害が出るのは、避けられない。

広い場所に出た。

最悪だ。

当然、四方八方から。

上からも下からも。

敵が来る。

とっさに円陣を組んで、突入してくる敵の真ん中に、発破を放り混む。アニーちゃんとシェリさんが、全力で防御術を展開。

広場を殺戮の爆風が覆った後。

見る。

砂塵を蹴散らすようにして、敵の第二陣が来る。

また発破で消し飛ばすけれど。

次々、きりが無い。

ましてや、起伏に富んだ地形だ。

発破で吹っ飛ばしても、全部は処理しきれない。ステルクさんも、此方の戦況は悟っているのだろう。

攻撃をより苛烈にしてくれているけれど。

向こうだって限界がある。

ずっとフルで戦い続けているのだ。いつまでも体力も魔力ももたないだろう。メルルがいる事は、敵も察知しているはずで。しかも先の様子からして、マークされている可能性が高い。

雄叫び。

空から舞い降りてきたのは、金色のグリフォンだ。

頭に洗脳装置がつけられている。

舌打ちしながら、シェリさんが出る。

「アニー、守りは任せるぞ」

「シェリさん!」

「上空から押さえ込む! 瞬殺してくれ!」

しかし、だ。

戦闘をしているのは、グリフォンだけじゃない。しかもあのグリフォン、どう見ても上位種だ。

ミミさんが出る。

メルルも、一瞬の迷いを振り切って、前に。

此処は多少無理をしてでも。

突っ切るしかない。

周囲で動けるのは。

皆、乱戦の中で、必死の戦闘をしている状況だ。

ミミさんがグリフォンに仕掛けているけれど。奴の魔力は凄まじく、シェリさんの押さえ込みを、力尽くで押し返そうとしている。

ミミさんは速いが、一撃が軽い。

だからだろうか。

斬っても斬っても、グリフォンは倒れない。急所に入れてもいるのだけれど。眼球一つとっても堅くて。とても貫通できない様子だ。

行くしか無い。

ネクタルを飲み干すと。

全力での人間破城槌の態勢に入る。

待ってましたとばかりに、数体のモンスターが飛びかかってくるが。ふせていたケイナが、半分を中途で撃墜。

残りを、側で戦っていた、年配の戦士が体で食い止めてくれた。

集中。

此処で集中を切らしたら、皆の頑張りが無駄になる。

目を見開き。

息を吐くと。

メルルは、戦槍杖の力をフルパワーで引き出し。

そして、突貫した。

ミミさんが離れると同時に。

メルルのチャージがグリフォンに直撃。数秒のせめぎ合い。グリフォンが、魔力を集中して、押し返そうとした瞬間。

その顔面を、横からセダンさんのメイスが、張り倒していた。

ぎゃっと声を上げるグリフォン。

多分、痛みからでは無い。

洗脳装置に、不具合が生じたのだろう。

完璧なタイミングの奇襲だ。いつも凄い。

そう思いながら、メルルは。

一気にグリフォンを貫く。

そして、降り立つと。残心。体に大穴を開け。横倒しになるグリフォンに対して、一言だけ呟いていた。

「ごめんね。 でも、止まれないから」

敵が、殺到してくる。

だけれども、グリフォンを倒したことで、シェリさんに余裕が出来て。飛び込んでくる。

防御術式が、敵をはじき返した瞬間。

味方が殺到。

敵を蹴散らして、戦力の空白地帯を作った。

広場を抜ける。

広場の出口に、ジーノさんが立ちふさがって、敵を蹴散らし続けてくれるが。これは、此処から着いてこられないかも知れない。だけれども、それだけで相当に助かる。

ミミさんがネクタルを飲み干すと、先行。

状況を確認しに行ってくれる。

メルルは叫んだ。

「皆、耐久糧食と水を口に入れて!」

最前衛で、ライアスと2319さんが敵を防いでくれている。狭い場所だから、出来る事だ。

その間に、皆に治療と回復と並行で進めて貰う。

呼吸が苦しそうな年配の戦士には、荷車に乗ることを進めたが、拒否された。

「この老いぼれ、姫様の足手まといになるくらいなら、死んだ方がましにございます」

「そんな事を言わないで。 これだけ戦える人は、老いぼれなんじゃないよ。 まだアールズの役に立てる。 だから、役に立つことを考えて」

「……」

顔をくしゃくしゃにする老戦士。

メルルも、ネクタルを飲み干すと。

体に刺さっている矢を、乱暴に引き抜いて。無理矢理手当てした。

かなり体が熱くなっている。

モディスの時と同じ。

オーバーヒートを起こしかけているのだ。

アニーちゃんも辛そうだ。

戦闘の継続時間が長すぎる。何か、一つで良い。味方に有利な出来事が起きて欲しい。このまま、力押しでの突破は厳しい。

だけれども、敵もそういう心理を読んでくる可能性が高い。

下手な事は、出来なかった。

口惜しいけれど。

今、一番冷静でいなければならないのは。

他ならぬメルルなのだ。

加速する戦い。

まだ、血塗られた宴は、終わる気配もない。

「軽傷者の手当完了!」

「重傷者は荷車に! 負傷が癒えきっていない者は内側に! 前進を開始!」

「突貫っ!」

皆が雄叫びを上げる。

戦歌を謳いだしたのは、年配の戦士の一人だ。だみ声で聞き惚れるとは言い難いけれど。こういうのは、元気が出ればそれでいいのだ。

突入。

ライアスと2319さんが食い止めてくれていた敵を、押し返す。そして、叩き潰しながら、前進した。

 

3、中枢

 

呼吸を整えながら、メルルは戦槍杖にこびりついた肉塊を振るって捨てた。既に全身に、モンスターの肉塊や臓物を浴びている。感覚も手からなくなりつつあるけれど。モディスの時よりは、長く戦えているような気がする。

だが、まだ本命はこの先だ。

ステルクさんも、かなり前線を押し上げてくれていた。

無理をしているのだろう。

それでも、進んでくれているのだ。

敵の主力を引きつけるために。

此処でメルルがもたついていたら。

ステルクさんの努力が、水泡に帰してしまう。それだけは、絶対に阻止しなければならない。

ホムンクルスの一人が、敵の奇襲をもろに喰らって、今は荷車に寝かされている。意識がない状態だ。

シェリさんが治療をしてくれている。

だけれども、するのは応急処置まで。

今は、戦える人間を回復させる方が優先だから、である。

死なない程度に回復させたら、どれだけ苦しんでいても放置。それが必要な処置であって。

心苦しいけれど。

今はそうして、前に進まないとならない。

「メルル姫!」

ミミさんが戻ってくる。

この先に、かなり強いのがいるという。ステルクさんが、敵の主力を引きつけてくれているけれど。

その引きつけられている主力から、戻ってきたのかもしれない。

それほどの強敵だそうだ。

「避けては通れないですか」

「無理ね」

裏拳一発。

飛びかかってきた敵を、吹っ飛ばしながら、ミミさんがいう。クーデリアさんだったら赤い霧にしていただろうけれど。ミミさんの場合は、パワーが足りないのだろう。吹っ飛んだ敵は原形を残したまま、崖のようになっている斜面を落ちていった。

既に相当な高さまで登ってきたはずだが。

まだ、敵の中枢には届かない。

メルルも、纏わり付いてくる敵を蹴散らしているが。周囲にいるアールズのベテラン勢も、疲労困憊。

内側に庇って休んで貰っているが。

それでも、厳しい状況だ。

アニーちゃんとシェリさんも交代しながら魔術の防壁を展開してくれているけれど。いつまで壁も持つか。

荷車を敵が襲ったら終わりだ。

物資をやられたら、もう継戦能力が喪失してしまう。

メルルは発破を取り出すと、上空に放って。

アードラを改造したらしいモンスターの群れを、薙ぎ払う。対空爆雷にやられて、翼を折られた鳥のモンスター達が。

煙にやられた蚊のように。

ばたばたと落ちていく。

何だか悲しい光景だ。

あのモンスター達だって、洗脳されなければ、普通に過ごしていただろうに。

周囲を見ながら戦うが。

この時点で、既に全員が、軽傷以上のダメージを受けている。包帯を急いで巻いているザガルトスさん。

先ほど、二回りも大きいモンスターとまともにやり合って。味方を少なからず庇いながら戦ったこともあって、手酷い傷を受けていた。

行けそうですか、とホムンクルスの一人が。手早く手当をしながら聞いているけれど。ザガルトスさんは無言。

つまり、そういうことだ。

主力の一人が沈黙したことになる。

後方では、ジーノさんが敵を一人で食い止めてくれている。この辺りは、噂に聞いたのだけれど。ステルクさんの一番弟子を名乗っているだけのことはある。大したタフネスである。

でも、それ以外は。

一人で、敵全ては食い止めきれない。

ミミさんは守りに決定的に向いていないし。

何よりも、そろそろ継戦能力が限界だ。

敵だって、エントを潰した後、のうのうと此方を帰して何てくれないだろう。帰路の分だって、考えなければならないのだ。

突入してきたベヒモス。

ホムンクルスが、一人。

その爪に掛かって、串刺しに。

一斉に躍りかかってベヒモスを肉塊にするが。

串刺しにされたホムンクルスは、意識もない。助かるかも分からない状況だ。被害が、確実に増えていく。

行くしか無い。

多少強引でも。

押し進んで、敵の守りをこじ開けなければ。

味方が壊滅するだけだ。

メルルは決断した。

そして吼える。

「総員突撃! 此処からは止まらず、敵の中枢まで駆け抜けます!」

「おおっ!」

この時。

一番嬉しそうに反応したのが。

ベテランのアールズ戦士達だったのは、何というか。後から考えると、苦笑いが浮かんでくる。

敵の攻勢を、真正面から撃砕。

メルルは感じ取っている。

体がオーバーヒートを起こしはじめている事を。

だが、それでもいい。

中枢を潰すまで保てば、後はどうにかなる。エントさえ食い止めてしまえば。最悪メルルが生還できなくても。

トトリ先生や、ロロナちゃんがどうにかしてくれる。

いや、駄目だ。

生還する。

ミミさんに頼まれたじゃないか。

トトリ先生を救うのだ。

そしてトトリ先生を救うには。狂気の連鎖を断ち切るしかない。それには、根元にある、一なる五人の悪意を、斬り伏せるしかないのだ。

敵が、突進してくる。

メルルは、全力で、戦槍杖のパワーを引き出すと。

突貫した。

「いっけえええええええっ!」

いきなり、此処まで強引な攻撃に出てくるとは、予想できなかったのだろう。慌てて逃れようとした敵だが。

容赦なく蹂躙し、消し飛ばす。

ミンチになった敵の一団の残骸を踏みしめる。凄まじい血の臭い。腐臭。腹の中のものだって、ぶちまけているのだ。当然だろう。

メルルは意識が遠のきかけるのを感じたけれど。

それでも引き戻す。

味方も突進してくる。

そして、被害を度外視して、敵を蹴散らしていく。

凄まじい血肉の撒き合いが始まる。

だが。

こうなると、味方が、押し始める。

見えた。

人型のホムンクルス。それも、多分神々の名前を与えられている奴。今日二体目だ。

中性的な容姿で、造形は整っているけれど。

異常なくらいに、存在感がない。

ぎざぎざになっている、のこぎりみたいな剣を抜きながら。人型ホムンクルスは名乗った。

「エリスだ」

「!」

その名前、聞いた事がある。

たしかいにしえの時代の神話の存在。

憎悪の女神だったような気がする。

女神にしては、中性的な容姿で。体も凹凸がない。多分、性別そのものを与えられていないのでは無いのか。

一なる五人の悪意が、こういった所でも感じられる。

「通しては、貰えませんね」

「頭を吹き飛ばされてしまうからな」

「……」

頭を振ると。

構える。

ミミさんが乱戦の中、飛び出して仕掛けるけれど。

横殴りに飛びかかってきた巨大な蛇のモンスターが、ミミさんにかぶりつく。

間一髪、矛で受け止めたミミさんだけれど。もつれ合うようにして、崖下に蛇もろとも消えていった。

大丈夫。

あの程度でどうにかなる人じゃない。

だけれども。

この神の名を持つホムンクルスとは、どうやら。

状況的に、メルル一人で戦わなければならないようだった。

ならば。遠慮も呵責も、する余裕は無い。というか、出来ない。実力は、相手の方が、上だと判断できたからだ。

だったら。

一瞬で決めるしかない。

放り投げたのは、雷撃を放つ発破。ドナーストーン。能力解放した状態だ。いきなり、辺りを紫電が蹂躙する。

だが、それを。

手を払うだけで、消し飛ばすエリス。

これは、魔術特化型か。

その間、メルルは次の発破を取り出しながら、敵へと間を詰め。そして、敵が詠唱をする暇を与えない。

次の発破投擲。

今度は敢えて至近、目の前に。

相手が不審そうに眉をひそめて、指を鳴らす。

爆発したフラムの火力が。

一瞬で圧縮された。

なるほど。そういう仕掛けか。

ならば。

今度は、更に大きなのを取り出す。

「猪か……」

呻きながら、下がろうとするエリス。

だけれども。

それこそが、待っていた瞬間だ。

投擲。

面倒くさそうに、顔面に向けて飛んできた発破をはじき返すエリス。気付いただろうか。着火していないことに。

もう一つ、発破を投げつつ。

はじき返された発破を、蹴り返す。

二つの発破が、自分の周囲に飛んできたことに、苛立ちながらも。エリスは、確実に一つの発破をはじき返し。もう一つを押さえ込もうとして。

ようやく悟る。

その時には、メルルは、懐に飛び込んでいた。

蹴りを叩き込む。

呻きながら、下がるエリス。

続けて、インファイトに持ち込む。やはり、魔術特化型。至近距離での戦闘には、向いていない。

此方も得物は長物だけれど。

しかし、である。

ぱんと音がして。

戦槍杖の、刃物部分が外れる。

愕然としたらしいエリスを。

単なるプラティーンと、一部ハルモニウムでガードした棒になった戦槍杖が、旋回しながら襲う。

上段。中段。突き。更に踏み込みながら、突きの連打。

嵐のようなラッシュに、呻きながら。

それでも、魔術で反撃しようとするエリスだが。

突貫。

人間破城槌の応用で、瞬時加速。

爆発的な魔力の放出で逃れようとしたエリスに追いつく。

「しつこい!」

「離されたら、勝負が決まりますから!」

「だったらこれでどうだ!」

エリスが、音を立てて、胸の前で手を合わせる。同時に、エリスを中心に、炎の柱が吹き上がる。

これで逃れるだろう。

そう思ったに違いない。

だけれども。

その時、勝負はついた。

炎で周囲を多うと言う事は。

一瞬、視界を塞ぐと言うことだ。

背中から、喉に向けて、エリスを貫通したのは。メルルの杖。柄の部分だけだけれど。竿立ちになったエリスの周囲から。炎が消える。

今の一瞬で。

もう一度の人間破城槌の応用で後ろに回り込んだメルルが。

更にもう一度。

足への負担を考慮せず。

串刺しにしたのだ。

「ごめんなさい」

一言だけ。

そして踏み込むと、上空に向けた突きの応用で。

エリスの首を、真下から千切り飛ばしていた。

地面に叩き付けられたエリスの首を、とどめとばかりに、踏み込みの要領で踏みつぶす。痛みもなかったはずだ。

性別が分からない相手の頭を踏みつぶすのは、あまり良い気分では無かったけれど。

胴体が動きを止め。

勝利したことが分かった。

全身の火傷がひどく痛む。

それに、足への負担も大きい。もう、長くは戦えないだろう。だが、本当の意味での切り札は温存した。

それに、だ。

どっと、なだれ込んでくる敵。

恐らくは、エリスの攻撃で、此方が疲弊した瞬間を狙っていたはずだ。あいにくだが、それを狙っていたのは此方も同じ。

荷車に、すっと指を向けて。

起動ワードを唱える。

「切り裂け……!」

同時に。

荷車に積み込まれていた、たたかう魔剣二十七本が、同時に空へと舞い上がる。拘束解除。

安全なように、油紙と布で分厚く包んでいたのだが。ベルトを火薬でパージしたのだ。突如現れた空飛ぶ剣の群れ。

そしてメルルは、攻撃ワードを唱えた。

「八つ裂きにしろ!」

自動で飛んでいく魔剣の群れ。

それぞれが魔力を帯びていて、殺傷力は生半可な剣の比では無い。しかもこれらは、いずれもが使い手を必要としない。

手足を引き裂き。頭を刎ね飛ばし。

そして合体して巨大な鉄の塊になって、敵の中に突入する。

しかもこれらには、メルルが能力解放のスキルを掛けて強化している。全身の力が吸い上げられていくようだけれど。

だが、何とか耐え抜ける。

吐血。

乱暴に口を拭う。そして、戦況を見て、満足した。

いきなり飛び込んできた上に、滅茶苦茶に暴れまくる剣の群れに。敵は泡を食って、足を止める。

メルルは、手を振って、味方を促した。

「後はジーノさんと魔剣達に任せて、此方へ!」

「メルル姫!」

ミミさんが、前の方で叫んでいる。もう敵を倒して戻ってきたのか。流石としか言いようが無い。

彼女も満身創痍だが。

ハンドサインを見て、頷く。

どうやら。

ついに、敵の中核に、到達したようだった。

 

エントの中枢部。

それは。エントの頂点部分にあった。

恐ろしいほどの魔力が集中した、何かの宝石のようなもの。その周囲には、無数の機械が埋め込まれている。

これが、操作装置だ。

強力な防御魔術でガードされているが。それだけだ。そして、それだけということは。充分だと言うことを意味している。

エントのコアである宝石状の何かには。

機械のコードらしきものが散々食い込んでいて。

もはや手遅れである事が。一目で分かるのだから。

無言でメルルは、風車を取り出す。

そして、投げる。

地面に、等間隔で突き刺さっていく風車。

これは徹底的に練習した。

風車は準備した全てを、能力解放した上で用いる。既にメルルの体からは水蒸気が上がり始めている。それくらいくらいひどいオーバーヒートをしている。だが、その程度の事が何だ。

後で酷い痛みに苦しむのは承知。

内臓にまでダメージが行っているのだから、当然だろう。

だけれども。

今酷い目に遭うことで。

多くの人々が救えるのなら。

一瞥。

もう、アールズ北東部の耕作地帯が見え始めている。もうすぐ、エントの攻撃は届いてしまうはずだ。

ステルクさんは、まだ敵の主力を引きつけて、頑張ってくれている。

ぱんと、頬をはたく。

そして、迷いを断ち切った。

周囲では、追撃の部隊を、味方が必死に食い止めてくれている。矢を何本も受けながら、老戦士が、狂ったように暴れている。ミミさんも、既に左腕は動かない状況の様子だが。それでも戦ってくれている。

シェリさんはガス欠の状態でも、無理矢理回復術を皆にかけてくれているし。アニーちゃんは、最後の力を必死に絞り出して、防御術を展開。

既に全員が満身創痍。

意識がない戦士だって多い。

メルルは、目を見開くと。

一斉に、風車の力を、解放した。

同時に、エントの防衛本能が働いたのだろう。

巨大な枝が、頭上から降ってくる。

2319さんとライアスが同時に跳躍。

残った力を、残らず叩き付けて、枝を粉砕。

メルルは詠唱続行。

この数の風車を同時に能力解放すると。やはり相応に時間が掛かる。

枝の残骸が降り注ぐ中。

今度は横殴りに枝が来る。

ライアスが無言で体当たりして、食い止め。

2319さんと2111さんが息を合わせて、根元を一息に断ち切った。

もう少し。

枝が、錐状になって、下から突きだしてくる。

血だらけになりながら、ライアスとケイナが、体で止めてくれる。遠くで、吹っ飛ばされたセダンさんが、地面に叩き付けられて、バウンドして。それでも無理矢理体勢を立て直すと、メイスをフルスイング。

吹っ飛ばしてくれた敵の頭を粉砕。

その後、崩れ落ちるのが見えた。

風車が、回りはじめる。

辺りの魔力を。

メルルの魔力を。

根こそぎ吸い上げながら。

そして、その回転が最高潮に達したとき。

既にライアスもケイナも。2319さんも2111さんも。周囲に転々と倒れ。アールズから来た精鋭達も。

立ち上がる力を残していなかった。

メルルもだ。

立っているのが不思議なくらいのダメージが、全身を侵している。

それでも、やる。

なぜなら、メルルは。

民の税金を受け取る代わりに贅沢をし。故に、先頭に立ち。民を守る者だからだ。

「GO!」

叫び、指さす。

同時に、風車全てが、向きを変えた。メルルが、指さした方に。悪霊による制御をしているのだから、これくらいは出来る。

そして、放たれた。真空の刃が。

膨大な魔力を持ったそれが、極限の破壊となって、渦を巻きながら、エントのコアに襲いかかる。

竜巻が、横殴りに。

エントのコアへと、叩き付けられるような光景。

巨人が竜巻を棍棒にして。

殴りつけたかのような、凄まじい有様だった。

機械類を守っていた防御魔術が、瞬時に消し飛ぶ。

数十の風車による相乗効果。

桁外れの破壊力は、最大級の発破にも、そう劣るものではない。メルル自身の全身も、血液が沸騰しそうなくらいに熱い。

だけれども。

立ち続ける。

「おおおおおおおおお、おおぉあああああああああっ!」

咆哮。

叩き付けられた真空の刃が、ついにコアを砕き始める。エントの無数の枝が、メルルを潰さんと、迫る。

だが。

その枝が、止まる。

「人間よ」

うっすらと、どこからか聞こえる声。

メルルは、真っ赤に染まった視界と。もはや薄れ始めている意識の何処かで、それを聞いていた。

威厳のある。

老人の声だった。

「ありがとう」

意識がなくなる。

だけれど、勝利を、メルルは悟っていた。

 

4、巨神の死

 

2740も、固唾を飲んで、迫るエントを見つめていた。

既に豪雨で雷鳴が轟いていても。

難民達が騒ぐのは、止められない。

エメス達と一緒に。必死に難民が逃げ散るのを食い止め。悪魔族の戦士達が、沈静の魔術や強制睡眠の魔術で難民を黙らせるのを、横目で見ていた。

「逃げさせろ! あんなの、勝てる訳がねえ!」

「殺される! 踏みつぶされる!」

「どけよ! 殺されるだろうが!」

ぎゃあぎゃあと喚く難民達。

数が多すぎる。

悪魔族がどんどん広範囲に魔術を展開して黙らせているが。動きを止めた同胞を踏みしだくようにして、次から次へと来る。

まるで、いにしえの神話に出てくる。

地獄の餓鬼の群れだ。

エメス達が、危険を知らせるサインを出してくる。

命に危険がある負傷者がいる、ということだ。

だが、この混乱の中だ。

下手にスクラムを崩せない。

誰か一人でも殺しでもしたら。

難民達は、更に凄まじい暴発をするだろう。

揺れはずっと止まらない。

エントがそれだけ、近いと言う事。

そして、エントの麓の森は。既に、荒野を侵略しながら、耕地の近くにまで迫りつつあった。

此処を任されている老ハイランカーが来る。

雷鳴の後釜をしている人物だ。

「戦闘準備を」

「しかし、難民は」

「こうなったら、もはや仕方が無い。 悪魔族の皆。 強制的に全員を眠らせることは可能か」

「可能だ。 だが、我等は魔力を使い切るだろう」

それしかない。

老ハイランカーは言う。

やるしかないのか。

恐らく、2740達が此処を離れれば、守りはなくなる。悪魔族による防御魔術だって、効果を示さなくなる。

モンスターがなだれ込んできて。

難民を手当たり次第に虐殺するだろう。

エメス達だけがそれを守ろうとする中。

此処の守備隊は、総力を挙げて、あのエントに対して。自殺的な突撃を仕掛けるという訳か。

狂っている。

作戦が、というよりも。

この状況がだ。

「他に手はありませんか」

「もうない。 国家軍事力級戦士が出向いている以上、味方に余剰戦力はないのだ。 此処で退くも死ぬも同じだ。 敵は人間では無いし、此方に対して慈悲も掛けない。 分かっているだろう」

「み、みろおっ!」

わめき散らした難民に釣られて、見る。

それほど、声には圧倒的な恐怖が籠もっていたのだ。

エントの頂上部分が、まるで鳥籠のように、形を変えはじめている。何かがあそこにいて、攻撃を受けている。

雷鳴は相変わらず迸りまくっている。頂上部分では無くて、別の場所で、だ。

という事は、あれは。

メルル姫だ。

姫様。

誰かが叫んだ。

エメスの一人だ。

そうか、やはりそうか。

祈りという行為が無為と言う事はわかっている。老ハイランカーが頷く。まだ、自殺にはならない。

突撃すれば。

戦っているメルル姫の助けに、少しでもなれるかもしれない。

「悪魔族の皆」

「応っ!」

屈強な悪魔族も、すぐに状況を察したのだろう。

豪雨が続く中。

途方もない威容を見せつけながら、なおも進んでくるエント。

だが。

その足が。

止まる。

そして、枝の動きも。

彼方此方で行われていた、戦いも。

目が良い仲間が、見張り櫓から叫ぶ。

「敵が撤退していきます!」

「おお……!」

「勝った! 姫様が、あのバケモノを倒したんだ!」

誰かが叫ぶ。

そうすると、歓喜が爆発した。逃げようとしていた難民達でさえ、大喜びしているではないか。

本当に。

あの巨大なエントを倒したのか。

どうせ無理なのではないか。

そう何処かで、2740は諦めていた。

だが、メルル姫は、諦めず。本当にあの巨大な移動する山を、倒してしまった。人の歴史に残る快挙だ。

雨は、止む気配もない。

エントは動きを完全に止め。

そして、放たれ続けていた雷撃も、もう止まっている。

戦いが終わったことを意味している。

そしてエントが止まった以上。

敵の勝ちは無い。

モディスの方でも、戦いは終わった様子だ。エントの停止を確認した邪神達が、撤退を開始したらしい。

腰が抜けそうになる。

だけれども、どうしてだろう。

くつくつと。

笑いが漏れ始めていた。

驚いたように、老ハイランカーが2740を見た。

「ホムンクルスが、そう分かり易く笑うのは、はじめて見た」

「び、びっくりして、しまって……」

「そうか」

老ハイランカーが指揮を執って、後始末をはじめさせる。

倒れている難民の救助。

医療活動の開始。

破壊された物資の確認。略奪なども起きていたようだが。それらも全て、実態を確認させる。

側の森を守っていたリス族も、兎族と一緒に応援に来てくれた。

心強い。

どうやら、この戦いは。

また、勝つことができたらしかった。

 

ハルト砦で目が覚める。

ぼんやりと天井を見ていたメルルは。やはり全身が酷く痛いなと思った。それはそうだ。あれだけ能力を過剰酷使して、全身がオーバーヒートしていたのだから。いうなれば、体中が生焼けになっていたようなものである。

目を覚ましてから、医療魔術師が来る。

相当なベテランらしく、処置をてきぱきと進めてくれた。

戦況を教えてくれと頼んだのだけれど、怒られてしまった。

「貴方は、自分の事だけを心配しなさい。 凄く痛いでしょう? それは体が、どれだけひどいダメージを受けているか、警告してくれているんです。 戦いが激しくて、貴方が無理をしなければ勝てなかったことは分かります。 しかしそれでも、その痛みは残して、反省の材料にしてください」

「……はい」

凄い剣幕だ。

この人は、カテローゼさんと言って。昔はとても穏やかな性格をしていたらしいのだけれど。

結婚を機に凄くたくましくなって。

今ではアーランドの名物医療魔術師だそうだ。医療魔術師で有りながら、ランク9冒険者として名をはせていることからも、その業績のすごさがよく分かる。

とにかく、しばらくは治療に専念。

ネクタルも投与された。

体のオーバーヒートによるダメージがひどいと、何回か説明されて。

内臓まで生焼けになっていたと、聞かされた。

分かっていた。

戦闘の最中に。

だけれども。

コアを砕くには、他に方法も無かった。

簡単に勝てるなら、それもまた良いだろう。実際、楽に勝てる方で、戦いを進めたいのは当然だ。

だが、身を切らなければ、勝てない場合はどうするか。

メルルは、ずっと民の税金で生きてきた身だ。

税金を受け取る代わり、民の先頭に立つことを要求される身でもある。最低限の義務は、果たさなければならない。

無茶も、その一つだ。

大丈夫。

辺境戦士として生まれ育ったメルルだ。

ちょっとくらいのダメージで、寿命が縮んだりするようなことは無い。この程度なら、まだまだ体も若いし回復する。

だけれど、今は眠りたい。

気付くと眠って。

夜になっていた。

まだ一人で立ち歩くのは、少しばかりつらいか。

ベルを鳴らすと、来てくれたのは、新米らしいホムンクルスだ。何となく見覚えがある。エント戦で、一緒に戦ってくれた子の一人か。

「トイレですか?」

「ごめん、まだちょっと歩くのが厳しくて」

「手伝います」

介護されるのもちょっと情けないけれど。

これも、力を使いすぎた代償だ。トイレまで連れていって貰う。

ハルト砦では、衛生を考慮して、川とつなげた水洗トイレを使っている。これはとても先進的なことだという。

水を豊富に使っている都市ではあるらしいのだけれど。

多くの辺境国家では、取り入れていない仕組みだ。

トイレを済ませた後、部屋に戻りながら聞く。

「ごめんね、この間の戦い、無理をさせて」

「いえ、あれだけの激しい戦いで、生き残ることが出来たのは、姫様のおかげです。 是非貴方の所で働きたいです」

「そっか……」

「私達も、死にたくないという点では、人と同じです。 人が少なすぎるから、造り出された存在だと言うことは分かっています。 それでも、使い捨てにされたくなんてありません。 姫様が使い捨てにせず、仲間として扱ってくれたことは、本当に嬉しかったです」

良かった。

2111さんや2319さんを見て知っていたけれど。

ホムンクルスにも、きちんと感情があるし、心だってある。新人のホムンクルスでもこれだけ心が豊かにあるのだ。

みんなそれは同じだろう。

自室に戻ると、眠る。

そして、体力を回復していく。

二日が過ぎる頃には、歩けるようになる。

医療魔術と、ネクタルなどの薬品を併用した治療。それに、辺境戦士の頑強な肉体があっての事だ。

古い時代の人間だと、そもそも死んでいたし。そうでなくても、一生後遺症が残るほどの傷で。歩く事さえもう無理だという。

そうか。

ダブル禿頭のことを考える。それに、西大陸の難民も。

今後は、そういった貧弱な人々とも、一緒にやっていかなければならない。そう思うと、少し思うところがあった。

五日が過ぎると。

外で鍛錬をしても良いと言われた。

軽く棒を振るうところから始める。

ケイナも同じくらいのタイミングで目を覚ましていたらしく。外で、鍛錬につきあって貰う。

二人とも技量が著しく向上していて。

簡単に仕掛けられない。

歩法を駆使しながら、気配を消し、隙をうかがい。

踏み込んで、仕掛ける。

軽く流される。

隙を突いて、鞄を叩き込んでくる。

此方も、流しながら離れる。

しばし技を見せ合いながら、組み手を続けて。そして、ケイナの技量が恐ろしく上がっているなと、再確認させられた。

暗殺タイプの戦士としては、そろそろベテランの領域を超えて、達人の領域に属するかも知れない。

幾つかの歩法については、シェリさんが自分より出来ると言っていたけれど、それも頷ける。

気付くと背後に、死角に回り込んで。

一撃必殺の技を繰り出してくる。

鞄による防御もこなしてくれるので、本当に助かる。

最初の頃の頼りないケイナはもういない。

今此処にいるのは。

歴戦で鍛えに鍛え抜かれた、アールズの誇りと言っても良い、熟練の戦士だ。

「おう、姫様。 ケイナ」

「ハル爺。 もう歩いて良いの?」

「何のこの程度。 姫様を見ていて、血が騒ぎましてな。 まだまだ現役からは離れられませんわい」

からからと笑うのは。

最前線で最後まで一緒に戦ってくれた。アールズのベテラン戦士の一人。

実力は、もうメルルの方が上かも知れない。

だけれども、最後の最後まで、粘り強い戦いを続けてくれたおかげで、随分と助かった。

軽くアドバイスを貰う。

流石に超がつくほどのベテランだ。参考になる部分が多い。流石に年齢から来る衰えはあるけれど。

それでも、技術には、吸収できるものもある。

ケイナもそれは同じだ。

「この老骨が産み出した技、是非使ってくだされ。 姫様になら、人生の結晶でもある技を、不安無く託せまする」

「ありがとう。 今後も、アールズは絶対に私が守るよ」

「頼もしきこと」

頭を下げると、老戦士は行く。

ああ言ってはいたけれど。多分この人は、もう数回の戦いで引退だろう。今回のダメージが、というよりも。

既に肉体面での限界が近いのだ。

手を見る。

トトリ先生は、体を弄ってから決定的におかしくなった。だけれども、こうも思うのだ。人であり続けることは、それほどに素晴らしい事か。

メルルは、まだまだ民の先頭に立たなければならない。

もしも、人間の肉が、ついていけなくなるのなら。

「メルル!」

不意に呼ばれて、顔を上げる。

ライアスだ。

ダメージからの回復が早くて、メルルより数日早く鍛錬を始めていたらしい。もう体の丈夫さで言うと、ライアスの方が上か。

前のなまっちょろい弱々しいライアスもいない。

ケイナ同様。既に、アールズの誇りと呼べる熟練の戦士だ。

「前線から知らせが来たぜ。 被害報告だ。 デジエ陛下が、負傷なされたようだ」

「詳細は」

目を通すと、呻く。

今後、戦士として生きるのは、致命的とある。

そうか。

何しろ、邪神三体との戦いだ。アールズのハイランカーも、何名か亡くなっている。その中で、負傷で済んだのだ。

むしろ父上は、運が良かったのかも知れない。

「ただ、民には伏せるそうだ」

「ますますメルルに掛かる負担が大きくなりますね」

「俺たちが支える」

「有難う、ライアス、ケイナ」

支えてくれるのは嬉しい。

だけれども、父上が戦えなくなる事は。二人の予想以上に影響が大きい。

此処はどう転んでも辺境。

王族は戦士であることを求められる。

戦えない辺境の民は、辺境の民としては、引退した者か子供だ。父上は、恐らく。数年以内に引退する事になるだろう。

そうなると、次はメルルが跡を継ぐ。

当然世継ぎも必要になるだろう。

アールズ王国は消滅するとしても、名家としてのアールズ王家はなくならない。地域の安定のためにも、メルルは粉骨砕身していかなければならない。

難しい所だ。

もう一度、手を見る。

いっそ、この手が、永遠に年老いなければ、

首を振って。

メルルは、次の戦いに備えるべく、心を切り替えた。

 

(続)