強襲飛竜
序、手札
何度見ても、理解できない。
どうしてこんなに早くモディスが陥落したのか。
搦め手から敵が侵入して、防御システムを破壊。
更に、要塞そのものを、強力な爆弾で粉みじんに破壊した。
それは分かっている。
だが、此処までの鮮やかな作戦を実施したのが、あのメルルリンス姫だという事が、どうにも分からない。
一なる五人は。
思考を交換しながら、分析を続けていた。しかし、戦闘中。あのトゥトゥーリアは、中距離で待機。
後方を狙わせたワイバーンの迎撃に当たっていた。
指揮を支援する余裕などあったはずも無い。
ロロライナにしてもアストリッドにしても、前線で邪神の相手をするのに手一杯。あれは奴らが仮にジオと並ぶ使い手だったとしても、簡単に勝てる存在では無い。だというのに、一体何が起きたというのだろう。
侮りすぎていたか。
成長が早すぎたか。
どちらにしても。
メルルリンスは、抹殺対象としての、順位を上げなければならないだろう。
此処は無限書庫ではない。
計画の中心地だ。
既に、敵の中には、此方の最終作戦について、悟っている者がいるかも知れない。アストリッド辺りは、気付く可能性がある。
だが、それでも。
対応出来ないように、手札は多数用意してある。
不安は無いはずだ。
そもそも、此処にしたって。生半可な戦力で突破出来る場所では無い。何を不安視する必要があるというのか。
周囲は煮えたぎるマグマ。
そして、前には。
調整が終わったエアトシャッター。
この国を以前地獄に変え。
定期的に焼き払い。
そして今も、生を保つモンスターの中のモンスター。生半可な竜族など歯牙にも掛けない、凶暴な存在。
それが今。
一なる五人の、完全なコントロール下に置かれている。
だがこれの真骨頂は、強さなどではない。
もっと大事な任務を、これにはこなして貰うのだ。
「伝令にございます」
跪いたのは。
伝令に使っているホムンクルスの一人。
気まぐれに、兎に角醜く作った。
それでいながら、美男子で知られたアポロンの名を与えている。戦闘力は、ゼウスにはだいぶ及ばないが。
熱に強い事もあって、今のメルルリンスくらいには勝てる筈だ。
「如何したか」
「敵の調査部隊が、エントの周囲で確認されております」
「ほう……」
なるほど。
此方の手札を読んでいたか。
まあ、それくらいは想定内だ。勿論手札はエントだけではないし。これから使おうと思っていたものは、別の存在だ。
まあいい。
いずれにしても、少しばかり肝を冷やさせてやるのも良いだろう。
「ワイバーンを出せ。 狙いは……」
内容を聞くと、アポロンは下がる。
一なる五人の中で。五つの意識が、その間、意見を交換し合う。
「ちょっとまずいね。 敵の動き、早いよ」
「仕方が無いだろう。 向こうも必死、という事だな」
「肉人形共が、随分と粘りおるわ」
「……映像を出す」
皆が、触手で操作したモニタを見る。無限書庫近くの格納庫から出陣するワイバーンの姿が映し出されていた。
そして、ワイバーンは。
出撃するやいなや、まっすぐ西に飛ぶ。
すぐに音の速さを超え。
狙いに向けて、矢のように征く。
この方向は、アーランドの国家軍事力級どもも警戒していないはずだ。勿論前線にも抵触していない。そして、このまま西に進み。
火球を一発、放った。
直撃した地点で、派手な爆炎が上がる。
そのまま、ワイバーンは帰還させた。
「予定通り」
満足な展開である。
今の攻撃は、七里先から届いた。この距離から、音を超えた威力の火球が放てると悟ったら。
アールズは、対応のためにマンパワーを割かなければならなくなる。
トゥトゥーリアかロロライナを貼り付けざるを得ず。
その戦力低下は、目に見えるものになるのだ。
ワイバーンは悠々と無限書庫に帰還。
通信が、入る。
無限書庫にいる邪神達の長である、黒き永遠の女神からであった。此奴らは姿形がそっくりなのだが、能力はそれぞれ天地と言って良いほど違う。
この間殺されたのは、上から三番目の深淵の乙女だが。此奴とは、能力が比べものにならない。
特に黒き永遠の女神に到っては、利害が一致しなければ、一なる五人でも従えられたか怪しい相手だ。
「一なる五人。 飛行兵器の出撃を確認したが、何用か」
「牽制のためだ。 これで敵は戦略的な減衰を強いられる」
「だが、手札を開示することにならないか」
「捨て札だ。 問題ない」
納得したのか、通信を切られる。
まあ、どうでもいい。
最終的に、手札として活用できれば、それで良いのだから。
難民達がいる居住区の近くにて、突如爆撃。
悪魔族が展開した防御魔術を貫通するほどの火力で、一時周囲は騒然となったと言う。メルルも、夜中に叩き起こされ、報告を受けたくらいだ。
周囲が受けた衝撃は、想像にあまりある。
すぐに着替えて登城。
案の定、父上ももう起き出していた。
ルーフェスも、である。
すぐに、執務室で軽く話す。謁見の間で話さないのは、幹部が集まっていないからである。
父上が、まず最初に、ルーフェスに問いただす。
「情報が不足しすぎている。 何が起きているのか」
「現在確認中です」
「うむ……」
ルーフェスも、そうとしか言えない、という事だ。
伝令に来た悪魔族の戦士は、すぐに戻っていった。案の定、難民達がパニックになっているようで。
メルルとしても、放置出来ない。
せっかく、粗末な監視小屋を作り。見張り用の櫓を建て。分かり易い水源を造り。食料庫も分かるように作って見せ。
難民達が風雨にさらされないように天幕を立て。
悪魔族達が、魔術によって風雨を緩和した矢先の事である。共振器もどうにか作って、配置した。
それを見越したような、この攻撃。
とてもではないが、偶然だとは思えない。
追加の情報が来る。
難民に、火球による直接の被害は無し。胸をなで下ろす。だけれども、パニックになって逃げ回った難民の中に、負傷者が出ている。
難民達の中には、逃げだそうとして、モンスターに襲われそうになった者までいるそうだ。
即応したエメスの一機が体を張って助け、支援のホムンクルスの到着が間に合ったそうだが。
また、現時点で、攻撃がどこから放たれたのかは分からない。
ひょっとすると、無限書庫から、邪神が桁外れの魔術を使ったのかも知れない。もしそうだとすると、洒落にならなかった。
一通り人員が揃ったところで、メルルが現場を見に行くことにする。
此処でああだこうだと話していても仕方が無い。
現場で、何が起きているのかを、しっかり確認する必要がある。そう判断したからである。
父上も賛成はしてくれたが。
やはり、火山の方にメルルが行く事を、あまり良く想っていない様だった。
それは、もう仕方が無い。
2111さんと2319さん。ライアスとケイナが来てくれた。シェリさんとザガルトスさん、セダンさんは現地合流。
アニーちゃんはホムさん達に任せる。
流石に真夜中だ。
この時間に叩き起こすのは、良く出来た子であるアニーちゃんでも、流石に苦しいだろうし、出来ればやりたくない。
「お前を引きずり出すのが目的かも知れん。 気を付けるようにな」
「はい、父上」
一礼すると、城を出る。
流石に急ぎの案件だ。
ミミさんとジーノさんには、声を掛けられなかった。
それが少しだけ不安だけれど。
今は、行くしかないのだ。
最低限の物資だけ積み込むと。
現地に走る。
全力疾走なら、一日少しで到着できるはずだ。ましてや今は、街道も整備されているし、その左右には森もある。
リス族も警戒しているし。
敵も無理押しは出来ないだろう。
「メルル、話は聞きましたが……」
「大丈夫だよ、ケイナ」
不安そうにするケイナに、メルルは出来るだけ笑顔を作って応える。
今回のは、新型兵器のお披露目では無い。
恐らくは、デモンストレーション兼囮だ。
攻撃は、最低でも七里先から来ているというけれど。
そんな攻撃手段が実用化しているのなら、今頃敵は、アールズ王都へ無差別攻撃を繰り出していてもおかしくない。
つまり、これは。
モディスを落とした此方への牽制、と見て良いだろう。既存の高性能兵器を用いた、である。
夜通し駆けて。
途中のキャンプスペースで水と食糧だけ補給すると、また走る。
流石に皆、歴戦で鍛えられている。
文句を言う者は誰もいないし。
殆ど皆、息も切らしていない。
休憩も、最小限で済む。
それがありがたい所だ。
現地到着。
混乱は、まだ継続しているが。メルルが姿を見せると、悪魔族達は少しだけほっとしたようだった。
「来てくれると信じていたぞ」
「有難うございます。 状況を教えてくださいますか」
「ああ、ただちに」
案内される。
そして、その先の様子を見て、メルルは思わず呻いていた。
柵の一部が消し飛んでいる。
側にあった、粗末な天幕も、幾つか燃えてしまったようだった。悲しい話だが、この被害は本物だ。
だけれど、良く死者が出なかったものだ。
悪魔族が展開している防御魔術も、貫通されたと聞いているのに。
「重傷者は何名か出ています。 アールズに搬送して、回復をさせていますが、しかししばらくは守りが薄くなります」
「私から追加の人員を手配……」
「その必要はありません」
ひやりとした声。
背筋を悪寒が駆け巡った。
そこにいたのは、トトリ先生。彼女は。被害状況を確認後、火球が飛来した角度を計算。
そして、攻撃が。
七里以上離れた地点から為されたと、暗算で計算して見せた。
それにも驚かされるが。
何より、七里先からの精密爆撃。
これは、冗談では無い。
大変に危険な相手だ。
「まず、急いで難民達を落ち着かせて。 場合によっては、沈静の魔術を使っても構いません」
「分かった」
悪魔族が展開して。
騒いだり、逃げようとしている難民達を押さえ込む。
メルル自身は。
トトリ先生へと、向き直った。
「何か見当はつきませんか」
「ワイバーンかなあ」
「!」
例の、音をも超えて飛ぶモンスターか。
以前はジオ王でさえ、撃墜に苦労したという強豪モンスター。前回の総力戦では三体が姿を見せ。
その内二体がトトリ先生に撃墜されたとか。
それもまた、凄まじい話だが。
つまり残った一体の仕業、という事だろう。
だけれども。
トトリ先生は、くつくつと笑った。
「多分これ、従来のワイバーンの射程じゃないね」
「新型ですか」
「それも、長距離攻撃に特化した、だよ」
流石に、背筋が寒くなる。
そんなものを多数繰り出されでもしたら、一方的なアウトレンジ攻撃で、アールズ王都は灰にされてしまう。
常時達人が控えているハルト砦は良いが。
アールズ王都は、必ずしもそうではないのだ。
敵の狙いも、今では大まかにではなく、精密に理解できる。
こうして混乱させる事だけが、目的とみるべきなのだろう。理由は分からない。時間を稼ぐことだけが目的かも知れない。
しばらくは、トトリ先生がこの案件を引き継ぐという。
頷くと、任せる事にする。
こればかりは、仕方が無い。
師弟と言うには。トトリ先生とメルルの仲は、冷え切ってしまっているかも知れないけれど。メルルはトトリ先生の実力を良く知っているし。何より、彼女にはワイバーン撃墜の実績もある。
それならば、この作戦の指揮を執るにはうってつけだろう。
大体片付くと、どっと疲れが出た。
2319さんに先に帰ってもらって、伝令にする。王都も、此処ほどでは無いけれど。混乱しているからだ。
今のうちにしっかり対策していかないと。
いずれ、大変なことになる。
それにしても。
モディスで大敗した事なんて、敵にはなんら痛痒になっていないという事なのか。正直、洒落にならない。
ある程度落ち着いたら。
メルルも戻って、報告書を書かなければならない。
それ以上に。
怯えきっている難民達の様子が、どうにも何というか、腹立たしかった。もう少し落ち着いてほしいものである。
しばしして。
悪魔族の戦士が一人、来る。
「報告したいことがある」
「お願いします」
「数名の難民の行方が知れない。 スピアの間諜だったのかも知れない。 捜索するにも、手が足りない」
「分かりました。 此方で対応します」
メルルは、すぐに2111さんとケイナに声を掛けて、この場を離れる。
あまり良くない結果が。
容易に想像できてしまう。
どんな人が逃げたかは、報告を受けている。シェリさんがいれば、もっと効率が良いのだが。
後から合流する状況だ。
贅沢ばかりも言ってはいられないだろう。
容赦なく時間が過ぎる。
そして。
結果は、芳しいものとはならなかった。
1、飛竜狩り
見せつけるかのような性能誇示。
アールズ王都に攻撃すればいいものを、そうしなかったのは。報復を恐れるためではない。
いつでも攻撃が可能だと示すことで。
恐怖を煽るのが目的だ。
クーデリアには、それがすぐ分かった。
舌打ちしたくなる。
音を超えて飛ぶモンスター。
以前も現れ、大きな被害を出したバケモノである。アールズに直接姿を見せたのは、この間のモディス戦が初だが。その前にも、国家軍事力級戦士が対応に当たり、それでも中々倒せなかったほどの存在だ。
量産されていることは知っているが。この機能は正直厄介極まる。出来るだけ早く、撃墜してしまわなければならないだろう。
そして、その優先順位は。
相当に高い。
当たり前の話で、これを更に量産でもされたら。
アールズ王都どころか、前線が全て火の海になる。
アウトレンジによる攻撃は、気力を著しく削るものなのである。
敵が勢力を減じている今。
叩いてしまう他に、手は無いのだ。
何回かの戦闘で。
クーデリアは、それを思い知らされていた。
メルル姫からの伝令が来る。
難民キャンプの状況を知らせるもので。
数人の難民が、共振器を仕掛けた途端にどろどろに溶けてしまって、発見されたとも報告にある。
間違いない。
既に、間諜に改造されていたのだろう。
いたましい話だが。
こればかりはどうにもならない。
何しろ、今回の難民達は、そもそもスピアの工場で捕獲されていたり、加工されるのを冬眠状態で待っていた者達なのだ。
頭に何をされていても、不思議では無いだろう。
34が来た。
跪く彼女に、クーデリアは一瞥だけして指示。
「ワイバーンは何処に?」
「現時点では、無限書庫にいますが。 あの様子では、いつまた仕掛けてくる事か」
「対応はトトリにやらせる」
「分かりました」
一礼して下がる34。
クーデリアは嘆息すると。各地に書状を出す。防御魔術の強化を指示するものだ。少なくとも、今展開している防御魔術だと、遠距離からの攻撃で貫通されることが分かってしまった。
それに、更に良くない事もある。
防御魔術が展開できている地点については、まだいい。
あの速度から考えて、もしもクーデリアだったら。
移動中の難民を狙う。
勿論護衛もついているだろうが、音を超える速度で飛んでくる火球である。それも、キャンプに展開されている防御魔術を貫通するほどの火力だ。
そんなものを浴びて。
馬車如きが、耐え抜けるとも思えない。
何もかもが、状況が悪すぎるのである。
防御はトトリに任せるとして。
出来るだけ早く潰す必要がある。
今、メルル姫は、難民対策で手一杯だ。それに噂に聞いたのだが、トトリの事を調べ始めているという。
狂気を払うつもりか。
もしも、それをやるとなると。
トトリと殺し合いになる可能性さえある。
或いは、完全にミイラ取りがミイラになる可能性も、だ。
それを考えると。
これは、予想以上に悪い状況だ。
メルルまで狂気に墜ちたら。負の連鎖が、止められないことを意味している。錬金術は魔の学問というのはステルクの言葉だが。
それも実証されてしまうことになるだろう。
トトリは目を覆うばかりの悲惨な狂気の沼底にいる。
アレを救うのは、正直尋常では無い労苦が必要なはずで。
ワイバーンを相手させるのは厳しい。
そうなると、クーデリアとロロナでやるべきか。
しかしクーデリア達が下手に動くと、邪神も腰を上げるだろう。まだ無限書庫には三体の邪神が控えている。それも最強の奴は、今だ無傷で健在。現状、邪神とにらみ合っている国家軍事力級戦士を、外すわけにもいかなかった。
トトリ一人に任せるのも難だ。
此処は、やむを得ないだろう。
手を叩く。
姿を見せたホムンクルスに指示。
「トトリにこの書状を」
「は。 ワイバーンの監視に当たっているはずですが、指示の変更ですか」
「そうよ。 出来るだけ急いで」
「承知いたしました」
ちなみに、指示の内容は。
メルル姫と共同して。
ワイバーンを撃墜せよ。
以上だ。
アトリエに来たステルクさんが、メルルを見て呻く。目の下に隈でも出来ていたのだろうか。
或いは、何か別のものでも、感じ取ったのだろうか。
分からないけれど。
いずれにしても、前線を離れて大丈夫なのだろうかと、少しだけ不安になった。
「メルル姫、何かあったのですか」
「トトリ先生について調べています。 そうしたら、気が滅入る内容ばかりで」
「……」
ステルクさんが、大きく嘆息した。
何だろう。
何か、来るべき時が来てしまった、とでも言わんばかりの表情だ。
メルルも、今回のトトリ先生の一件については、覚悟を決めている。トトリ先生自身が、他人に土足で心に踏み込まれることを、良しとしていない。というよりも、下手なことを言えば、その場で殺しに来るだろう。
精神的な治療を得意とする医師さえ、匙を投げているという現状。
話に聞いているとおり。
根源的な原因を取り除かない限り。
トトリ先生は、此方には戻ってこない。
狂気そのものは否定しない。
だが、それは制御して、己に役立てるべきものの筈だ。狂気に呑まれっぱなしで、良い筈がない。
ミミさんは泣いていた。
メルルは、人々の先頭に立つ者として。
これを見過ごすわけには、いかなかった。
「あまり深入りはなさいますな。 人の深淵は、あまりにも深い闇です。 真正面から立ち向かうと、容易に飲まれてしまいます」
「分かっています。 それでも、トトリ先生をどうにかしたいというのは、切実な願いなんです」
「多くの者が、そう望みました。 しかし……」
ステルクさんの懸念は解る。
でも、トトリ先生が。
少なくともおかしくなる前は。
何の悪い事をしたというのか。
己の身を削って社会のために尽くし続けて、常人では到底無理な業績を上げ続けた。リス族やペンギン族と仲良くやれているのも、トトリ先生のおかげだ。各地で物流が盛んになっているのも。路に関して神とさえ呼ばれるトトリ先生の活躍があっての事だ。
砂漠にさえ、路を通しているのが、先生の実力。
だが、それに反比例するように。
トトリ先生が壊れてしまったのも、事実なのだろう。
「とにかく、トトリの闇に踏み込むことは、ドラゴンの顔面に泥玉を投げつけるのと同じだと理解してください。 いざという時、どうしてもトトリと対決する必要が生じたときは、私をお呼びください。 及ばずながら、盾となりましょう」
頷く。
しかし、実際には、どうなのだろう。
ステルクさんに来て貰ったとして。
本当に、トトリ先生と、腹を割った話し合いが出来るのだろうか。
あの人は、一対一で向かい合って。
邪魔が無い状況で話しあって。
ようやく、闇に触れられる気がする。
そのまま、闇に飲まれてしまうのを避けるためにも。
今、トトリ先生が味わった出来事の数々を、もっと詳しく知らなければならないのである。
ミミさんはトトリ先生と親しすぎた。主観による歪曲が入っている可能性がある。他にも、近しい人からの情報が欲しい。それで集めていたのだけれど。どちらにしても、陰鬱な内容ばかりだった。
ステルクさんに少し遅れて、伝令。
34さんだ。
強くなってきたから分かるが、この人の力量は高い。流石に国家軍事力級ほどでは無いけれど、多分アーランドのハイランカー並だ。多分だけれど、本気でメルルとやりあったら九分五厘はこの人が勝つだろう。
それほどの使い手が来たのだ。
かなりの重要案件である事は分かる。
そして、話を耳打ちされて。
なるほどと頷いた。
「如何なさいました」
「ワイバーンの討伐依頼です」
「!」
「トトリ先生が敵の出鼻は押さえ込んでいます。 私には、敵が足を止めた時を見計らって、撃墜するようにと指示が来ました」
同行しましょうと、ステルクさんがいうけれど。
メルルは首を横に振る。
駄目だ。
ステルクさんがいたら、流石にワイバーンも気付く。中途半端な実力であるからこそ、メルルが奇襲できるのである。
一度、ステルクさんには帰ってもらう。
いつものメンバーは、もう全員が戦闘可能な状態に復帰している。最後までリハビリに苦労していたセダンさんも、もう大丈夫な様子だ。
それならば、もう良いだろう。
ワイバーンを叩き落とす爆弾については、既に備蓄があると言う。でも、せっかくだから、レシピを見せてもらって、自分でも造る事にする。
そして、同時並行で。
モディスの地盤を修復する道具についても、作成中だ。
これについては、何種類かを試しているのだけれど。
魔法の石材を作る時に使ったノウハウを生かせば、何とかなりそうだという結論に達している。
結局の所。
こういうのを見ても、積み重ねなのだなと、思い知らされる。
昔、サボりがちだった事が。
今になって、ボディーブローのように効いてきているのだ。
二日後、レシピが届いた。
内容を見せてもらうが。
呻きが漏れた。
今まで手がけた爆弾とは、桁外れの作成難易度だ。
基本的には、対空爆雷であるメテオールと同じなのだけれど。メテオールと違うのは、超音速で子機を無差別にばらまいて、その全てが大規模な爆発を起こす、という事である。相手の動きが速ければ速いほど、その弾幕は効果が大きくなる。
ただし、音より速く動く相手を、
正確に捕捉し。
その進路にばらまければならない。
そういう意味でも、達人のサポートは必須だ。
投げるのは、ジーノさんよりも。
精密な作業が得意な、ミミさんの方が良いだろう。
それだけじゃない。
今回の作戦には、人手も必要だ。
何しろ、広い作戦範囲を持つ怪物だ。出来れば今回は、悪魔族の戦士複数か、リス族か、或いは兎族。
もし可能なら、リザードマン族に、協力を依頼したい。
登城。
ルーフェスに面会依頼だけ出すと。
リリハルスさんの様子を見に行く。
城のメイド達にはあまり良くして貰えていないようなのだけれど。それでも、少しずつ働き始めているようだ。
洗濯にしても、お料理にしても。
そもそもやったことがないため。
あまりにもお粗末な腕前のようだが。
それでも、覚えようとしているのは、大きいとメルルは思う。
彼女の様子を見た後、アトリエに戻る。
対空爆雷の調合は難事だ。
こんな難しいもの、誰が作ったのだろうと思ったら。ピアニャさんという名前が挙がってきた。
確かアーランドの守りについている、トトリ先生の弟子だ。
なるほど、メルルと同じような弟子でも。
此処まで凄いものを作っている先輩がいるというわけか。
素直に凄いなと思った。
メルルも負けてはいられない。
そしていうまでもないが。
レシピは作るまでが大変に苦労するのである。
実際にレシピ通りに作るのは、力量がかなり劣っていても出来る。ピアニャさんという人は。メルルよりもずっと腕の良い錬金術師だ。
それが分かっただけで。
現時点では、充分だとするべきだろう。
集中して、調合。
爆裂する子機の作成が、特に難しい。
これを六十個ほど内部に詰めて。
爆発させた中心点から更に広範囲に、爆発の衝撃波をばらまく。
実際に、今までにこれで三機以上のワイバーンを撃墜しているという。実績が、この複雑な兵器の威力を証明しているのだ。
夜中になるまで調合を続けて。
そして翌朝。
城から伝令。
あくびをしながら、ルーフェスの所に向かう。
ルーフェスも。
ワイバーンの脅威については、認知しているようだった。
「姫様、お体は大丈夫ですか」
「疲れが溜まっているけど、何とかね」
「……ワイバーンの件ですが、此方でも手練れと支援については、手配いたします。 それよりも、農場北部の難民達が、騒いでおりまして」
「うん、私も現場で見たから知っているよ。 いきなり人が溶けたら、それはびっくりするよね……」
共振器を仕掛けた途端の出来事だった。
気の毒に、としか言えない。
眠っている間に、無意識のうちに改造されてしまったのだろう。
非道などと言う言葉では表せない連中だ。一なる五人は。その独善的な言動にも怒りを感じる。
だが、其処まで一なる五人を追い込んだのは何なのだろう。
身勝手な名誉欲とかだったら、それこそ気持ちよくたたきのめせる。この世を好き勝手にした罰を受けてもらうだけだ。
だが、もしも。
トトリ先生や。
ロロナちゃんのように。
狂気に囚われているのだとしたら。
錬金術を勉強すればするほど、その狂気が深く強く感じられるメルルである。恐らく、世界の根底に、錬金術はつながっていて。
深淵を直接のぞき込み続けているのが原因なのでは無いのだろうか。
そんな事さえ、最近は考えるようになっていた。
考え過ぎなら、それはそれでいいのだけれど。
とてもそうだとは思えないのである。
「彼らは、私が行ってどうにかしたいけれど……」
「姫様は、まずはワイバーン撃退のための道具、それにモディス復旧のための道具の作成をお急ぎください。 難民達を落ち着かせる方は、私がどうにかします」
「何か妙案があるの?」
「手はあります」
話を聞いて、そんなやり方があったのかと、メルルは驚かされた。
確かに凶悪なモンスターにはなすすべがない人達なのだ。そんな状況になれば、確かに言うことを聞かざるを得ない。
使者としては、ルーフェスが直接出向くという。
それならば、あの人も話を聞いてくれるはずだ。
少しずつ、先が見えてきた。
後は、まずはワイバーンを撃墜する事。そして、その後に。モディス修復の、足がかりを造る事だ。
地面に流し込む。
しばらく見ていると、しっかり固まった。
よし。
幾つかのレシピを見て、強力な接着剤だと言うことは分かっていた。これで、どうにか出来る。
古き時代には、これが彼方此方の路を覆っていて。
頑強に舗装していたらしいのだけれど。
今は、大量生産する資材もないし。ノウハウも失われている。
ただ、モディスの地盤を修復するくらいは、出来るだろう。
現在の破壊された建物部分を撤去して。その後に、壊れた地盤にこの強力な接着剤を流し込む。
後は、その上に土をかぶせれば終わりだ。
地盤が復活して、強固になる。
勿論ただ土をかぶせるだけではない。
粉砕した岩を混ぜ込んで、地盤そのものを強固にして。その上に、城塞を再建するのである。
流石に城塞の構築はリザードマン族自身にやってもらうしかないけれど。
これくらいは、友好の架け橋としてやってもいいだろう。
それに、アーランドが仲立ちになって不可侵条約を結び。戦士のルールに従って決闘を行った以上。
辺境戦士の誇りがリザードマン族にもある以上。
彼らは、無体な行動には出られない。
モディスの要塞が復活して、リザードマン族が支配することに懸念を示す人もいたのだけれど。
メルルがそう説得して。
納得して貰った。
それにしても、である。
地面を何度か叩くが、面白い接着剤だ。順番を守って混ぜると、それによって強烈な強度を得る。
問題はいずれ劣化したときだけれど。
その時に備えて、上の地盤を徹底的に固めておくのだ。
もしもこの接着剤で補強した地盤が駄目になるような時は。恐らくは、モディスに再建した要塞も駄目になっているだろう。
だから、気にする必要はない。
一応、何度か確かめる。
少しばかり毒性がある接着剤だ。周囲にも流出が多少はあるだろう。
だが、今の時代。
そんな毒程度でやられる生物はいない。
だから気にしなくても良いところは、メルルとしては幸いだ。
問題は量産だが。
これについては、幾つかの過程を経て、中間生成物を作って、順番にやっていかなければならない。
これがかなり難しい。
いにしえの時代には、いくらでもあったかも知れないけれど。
今は違うのだから。
兎に角、中間生成薬を、パメラさんの所に持っていく。これを増やしてもらって、その間に対ワイバーン用の対空爆雷を作る。
子機が難しいけれど。
どうにか、二十を超えるところまでは作った。
この子機が、一つ爆発すると、他も誘爆するので、兎に角大変だ。保管場所にも、方法にも気を遣う。
一つずつを魔法陣を描いたゼッテルで包んで。
誘爆しないように処置をしながら、作る。
だから、一日当たり、十作るのが限界。
しかも今はエメスも生産しているので、余計手間も取られる。幸い、接着剤が完成したので、その分はどうにかなるが。
もっとも、ワイバーンは連日出撃しては、適当に此方に攻撃をうち込んで撤退していく。しかも、圧倒的なアウトレンジからだ。
今では被害も出ないが。
移動中の難民を狙ってくる事が多く、トトリ先生はずっと張り付いている状況だ。アーランドから持ち込んだ対空爆雷が有限であり、いずれ使えば尽きてしまう現状。
メルルがどうにかするしかない。
黙々と作業を続けて。
今日分が出来上がる。
後三日ほど全力投球すれば、どうにか子機は出来上がるが。
問題は、これを拡散する親機だ。
一斉に、周囲に等間隔に子機をばらまかなければならない。この制御が、かなり難しい。
子機を作り終わった後。
相当に頭を使わなければならない。
レシピはある。
だが、非常に緻密なのだ。ほんのわずかなミスも許されない。
何度もレシピを精査して。
起動させるための部分や。
炸裂時に用いる火薬などを、何度もチェック。
これでも、それなりの数の爆弾は作ってきた。
通常の対空爆雷であるメテオールについても、作成はした。
それでも、これは。
本当に、触れば触るほど、桁外れの難しさだと、肌で分かってしまうのだ。
ピアニャさんが、如何に精魂込めて作り上げたか分かる。真似をするだけなのが精一杯なのが苦しい。
錬金術師として。
メルルはまだまだなのだと、思い知らされる。
一人前にはなったつもりではいたのだけれど。
それでも高みは、まだ遙か先だ。
「……」
ケイナの作ってくれた夕食を口に入れながらも、無言。
ずっとメルルは。
錬金術について、考え続けていた。
2、落風
四回の失敗の末。
対飛龍対空爆雷の中枢部分が、どうにか完成。
流石にフラフラだったけれど。
後は、子機を組み込むだけ。
組み込んで完成させたときは、既に夜中。
起爆ワードを使わないと、爆発はしない仕組みだけれど。もし起爆した場合、かなりの広範囲に衝撃波が襲いかかることになる。
それも、音速に耐える飛竜の翼をへし折るほどの衝撃波だ。
その圧倒的破壊力は、爆心地近くの人間の生存を許さないだろう。辺境戦士であっても、同じ事だ。
だから、念入りに魔術でガードして。
丁寧に保管する。
戦場に持っていく際も、要注意だ。
これを誤爆でもしたら、その瞬間にメルルと周辺にいる戦士達は全滅することになってしまう。
ワイバーンを倒すためには。
それだけの準備が必要なのだ。
流石に完成させた後は、泥のように眠って。
朝。起き出すと。
すぐに作戦に出るべく、皆に連絡を取る。ルーフェスが完成予想日時を見計らって手配を先回りでしてくれていたので。
すぐに、ミミさんとジーノさんも来てくれた。
ミミさんは視線で告げてくるけれど。
メルルは謝るしかない。
今は、まだ。
嘆息するミミさん。
時間が掛かることは分かっているのだけれど。
それでも、出来れば一刻も早く。
それが彼女の願いなのだから、当然だろう。
「いよいよワイバーンと戦えるのか!」
「強力な対空爆雷を使うそうね」
楽しそうなジーノさんと対照的に、ミミさんは冷静だ。
メルルが出したのは。
筒状の対空爆雷だ。
何種類かの木材を組み合わせて、筒状の外殻を形成。
その中に、円系の本体を造り、六十の子機が格納されている。
筒状の外殻の先端部は尖っており、これは打ち上げるためである。
基底部分には、強力な風の魔術を発生させる魔法陣を組み込んだゼッテルを、複数枚貼り付けてある。
反対に、先端部分には。
ワイバーンを捕捉すると、その進路に向けて誘導する魔術が仕込まれている。
しかしながら、これの肝は。
ワイバーンに追いつくことでは無い。
その進路状を、衝撃波で塞ぐことだ。
ワイバーンは音以上の速度で飛ぶ。
だから、衝撃波に突っ込むと、まず間違いなく翼を折る。だからこそに、ワイバーンは、危険を感じると、動きを止める。
其処を叩き落とす。
爆雷は、ワイバーンの足を止めるものであって。
叩き落とすためのものではない。
実際問題、モディスの戦いでも、ワイバーンを落としたのは、トトリ先生が連れていった魔術師達の雷撃魔術。
対空爆雷そのものでは、ワイバーンは墜ちていないのだ。
「何だか凄い仕掛けだなあ」
「そもそもワイバーン自体が、いにしえの時代の恐ろしい空中兵器に対抗できるものをと開発された存在らしいです。 それを考えると、この程度の仕組みの爆雷でないと、対抗は難しいかと」
「分かってるけどよ、何だかな。 力で勝負したいんだよなあ」
おいおい、皆が集まってくる。
2319さんを手招きすると、作戦について話す。
彼女と。
後は、ミミさんが。
実際にワイバーンを落とす際には、主力になる。保険として、ジーノさんも。
足さえ止めてしまえば、ピッチングで充分だ。
ましてや2319さんは、高品質のグナーデリングで、身体能力をぐんと引き上げている。
彼女の投擲する石は、生半可な装甲くらいだったら、軽く貫通する火力を持っている。投げるときに、空気との摩擦で火花が出るほどなのだ。
「よし、じゃあ準備は大丈夫だな」
「少し待ってください」
「おいおい、何だよ」
「少しは落ち着け」
咳払いすると、ザガルトスさんが、言葉短くジーノさんをたしなめる。
ザガルトスさんはあまり喋らない分、こういうときに言葉は強い拘束力を持っている。実力的には兎も角、経験でも経歴でも上の相手だ。ジーノさんも、素直に言うことを聞くほどだ。
多分、言葉少なく、それでいながら確実に相手を動かす。
その効果について。
この強面のベテラン戦士は、理解しきっているのだろう。
頼もしい話だ。
少し待っていると、ルーフェスからの使者が来た。
若いメイドだ。
以前も使者として来た、城で働く最年少のメイドである。彼女から受け取った書状には、上手く行ったと書かれている。
これでよし。
後は、後顧の憂いなく、戦いに赴くことが出来る。
作戦としては、単純だ。
出撃したワイバーンはどんどん大胆になって来ている。近々、難民達を運んでくる馬車を、直接狙ってくるのでは無いかと言われていたけれど。トトリ先生が即応していつも進路を塞いでくるので、果たせずにいる。
しかし、トトリ先生がいなければどうか。
罠を悟るだろう。
相手だってバカじゃあない。
自律思考しているかどうかは分からないけれど。いつも守りに出てくるトトリ先生がいなければ。
それは罠だと判断して、警戒するはずだ。
そのタイミングを見計らい。対空爆雷を叩き込む。
そして、動きが止まった所で。
ミミさん、2319さん、それにジーノさん。
ピッチングで、ワイバーンを撃墜する。
保険として、シェリさんに、風の魔術で、ワイバーンの退路に壁も作ってもらうつもりである。
これだけ揃えば、足止めは可能だろう。
そして足さえ止めれば。
音速を超えるワイバーンは、逆にデリケートな精密構造の塊だ。辺境戦士のピッチングで、充分にたたき落とせる。
勿論、メルル達が先に発見されると面倒だ。
難民達の車列と、ワイバーンがいつも出撃してくる無限書庫。
その間の森に隠れて、敵の動きをしっかり見る。
偵察には、34さんが出てくれていて。
ワイバーンが出れば、照明弾を打ち上げてくれる。
アニーちゃんが広域探知の魔術を掛けているので。
その後の、大まかな動きは、把握が難しくない。
たたき落としてしまえば。
ドラゴンなどとは比較にならない程度の力しか持っていない存在に過ぎない。火力は大きいけれど、それだけだ。
飛竜は、文字通り。
飛ぶことに特化した存在なのである。
それが本当の竜ではないにしても、だ。
配置につく。
いざという時には、トトリ先生が難民達の車列に潜んでいるので、対応してくれるそうだけれど。
ただし失敗したら、ワイバーンは警戒度を更に上げて、簡単には迎撃できなくなるだろう。
森の中にはリス族もいるので、守備に関しては気にしなくても良い。
また、近くの森には、念のために兎族の戦士達も潜んでくれている。スピアにメルルの位置が察知された場合。
彼らが、しっかりガードをしてくれるはず。
また、援軍についても、要請してくれるはずだ。
頼もしい。
全員、配置につく。
ワイバーンが出撃したという照明弾が上がったのは、直後。
だが。
其処から、風向きがおかしくなった。
「此方に来ないよ」
アニーちゃんが呻く。
すぐに飛びついて、探知魔術の様子を見るけれど。
確かに、どうしたのだろう。
出撃した無限書庫の上空を、旋回している。
此方に気付いたのか。
いや、いくら何でも早すぎる。
それに、此処からだと、無限書庫上空は遠いし。撃墜したところで、敵にワイバーンを守られてしまうだろう。
そして、その位置から。
いきなり、ワイバーンは火球を吐いた。
超長距離からのアウトレンジ攻撃が出来る事は分かっていたが。
火球が着弾したのは、モディスの工事現場だ。
破壊された要塞の残骸を運び出しているエメス達の中に直撃した火球は。リザードマン族の戦士達を庇ったエメス達数機を、無惨に吹き飛ばしていた。
思わず声が出そうになる。
すぐにモディス側でも、防御魔術の使い手が出てくるが。
わかりきっていたといわんばかりに、ワイバーンは攻撃を停止。
メルルは、思わず頭に血が上るのを感じた。
「許せない……!」
「落ち着いてください」
ケイナにたしなめられる。
分かっている。
人的被害は零。
エメスは、皆を庇って、誇り高くその責務を果たした。壊れてしまったけれど。それはエメス達にとって本望の筈。
あれだけ粉々になってしまうと、もう再生は無理だけれど。
彼らの犠牲がなかったら、リザードマン族の戦士達にも、死者が出ていたのだ。それを考えると、立派な働きだ。
だからこそ。
メルルは、許せない。
挑発のためだけに、無為な行為をした敵が、である。
「マスター、深呼吸を」
冷静な2111さんの声。
頷くと、何度か深呼吸をして。
落ち着くことを試みる。
上手く行かない。
その内に、またしても、事態が変わる。
「あれ、引っ込んじゃった」
アニーちゃんの言葉通りだ。
すぐに木の枝に上がっていたミミさんから、声が降ってくる。
「本当よ。 ワイバーンは着地して、住処に戻っていったわ」
「根比べって言うわけですね……」
此方には、時間などいくらでもある。
ワイバーンはそう言って、せせら笑っているかのようだった。実際問題、奴を攻略する方法を、現時点では思いつかない。補給を済ませたら、すぐにまた無限書庫から出撃してきて。
その周囲を旋回しながら、射程距離内の何かに攻撃してくるのだろうか。
面倒極まりない。
どうやって、引きずり出す。
2111さんが、少し考えた後に。提案してくれた。
「マスター。 不興を買う覚悟で申し上げます」
「策があるの?」
「はい。 試してみる価値はあるかと」
問題は、その内容だ。
聞いている内に。
みるみる、眉間に皺が寄るのを自覚できた。
確かに、現実的な策ではある。
だけれども。
メルルの前で、その策を提示するか。
2111さんが良かれと想ってやっていることは分かっている。それに、彼女の策以上のものも思いつかない。
だが、これは。
殺意さえ感じる内容だ。
「少し、一人にして」
「あまり長くは駄目よ」
「分かっています」
ミミさんに釘を刺されたけれど。
メルルは、怒りで臓腑が煮えたぎりそうだった。2111さんに対する信頼は、微塵も揺らいでいない。
怒りは。
こんな事でもしないと、ワイバーンを引っ張り出せない、自分に対するものだ。
頬を叩く。
それで、少しは冷静になった。
まだ不快感が胃の辺りをきりきりと締め付けているけれど。
それはそれだ。
どうにかして、この状況を脱するには。
少なくとも、あのワイバーンを、撃墜するのが第一歩なのだから。
気持ちを切り替えて。
そして、皆の所に戻る。
「2319さん」
「はい」
「伝令をお願い」
「分かりました」
書状はすぐに作る。
抑えとして動いてくれているトトリ先生と。それに、農場と鉱山に対してだ。これで、どうにか、敵をおびき出せるはず。
もし、出てこないようなら、その時はその時。
また別の策を考えれば良い。
2111さんは、犠牲が出来るだけ出ない策を考えてくれたのだ。そして、上手く行けば、一気にワイバーンを叩き落とすことが出来る。
上手く行きさえすれば。
味方の被害は、零で済ませることが出来る。
2111さんは何ら間違っていない。
メルルが、感情さえ抑え込めば、それで良いだけの話だ。
それが難しいから、苦労している訳だが。
半日ほどで。
2319さんが戻ってくる。
メルルの参謀になろうと努力してくれている2111さんに対抗して、だろう。2319さんは、身体能力を伸ばすことに血道を上げてくれている。だからか、戻るのは、予想よりもかなり早かった。
「ただいま戻りました」
「返事は?」
「トトリ様によると、作戦開始までに、準備を含めて二日ほどかかります。 それまではハルト砦に戻って、英気を養うべきかと」
「……そうだね。 ありがとう」
此処で燻っていても仕方が無い。
メルルは、その提案を入れることにした。
そのまま、ハルト砦に戻る。
また一つ、どしんと揺れ。
どうやら、モディスにまた攻撃があったらしい。悪魔族が今度は防ぎ抜いてくれたようだけれど。
帰路にいるメルルの耳にも届くほどだ。
さぞやおぞましい火力だったことだろう。
ハルト砦に戻ると、最低限の報告だけ聞いて。後は、少し前に仕留めたという猪の肉を食べる事にする。
無心のまま、肉にかぶりつく。
恐らく、体の方も。
精をつけないとまずいと、判断していたのだろう。
3、撃墜
翌日の夕刻。
休憩を入れて後、ハルト砦を出る。恐らく現地。奇襲を仕掛ける地点に到達するのは、朝だろう。
もしその前に着いたとしても、しばらくふせて、作戦の最終確認が必要になるだろう。
失敗は許されない。
音以上の速さで飛び回るモンスターだ。
もしも駆除に失敗したら。
アールズは、下手をすると、無差別攻撃に晒される危険さえあるのだ。
一匹くらいなら、即座に撃墜できる。
そう敵に示さないと。
調子づかせる可能性も高い。
夜間の行軍を続けて。
早朝少し前に、現地に到着。
鬱蒼とした森で。
奇襲を仕掛けるには、丁度良い場所だ。
木々の影に隠れるようにして、周囲を確認。邪魔を入れてきそうなモンスターは、幸い周囲にはいない。
後は、ワイバーンだが。
木に登って手をかざしていたミミさんが、言う。
「いるわね。 どうやら、エサに食いついたようよ」
「そのまま、動向の監視をお願いいたします」
「分かったわ」
エサ、か。
大規模難民の隊列。
それらが、少なめの護衛で、アールズに向かっている。
トトリ先生は中途にいるけれど。何しろ数が多すぎる。全てをガードするのは不可能だ。
そう思わせる。
それが、この作戦の骨子だ。
勿論安全には万全をつくす。
隊列を構成しているのは、殆どがエメスだ。フードをかぶせて歩かせることで、人相を消している。
ちなみに本当に難民で構成された隊列もあるけれど。
それには、悪魔族が厳重に護衛をしてくれている。もし此方が攻撃を受けても、耐え抜くことは難しくない。
ワイバーンは、しばし首を伸ばして、隊列を見ていたが。
やがて、ついと視線を背ける。
失敗かと、メルルもひやりとしたが。そうではなかった。東に向けて、飛び去ったのである。
なるほど。
敢えて迂回路を取ることで、興味なさそうに見せながら。実際はその中枢を奇襲する、と言うわけだ。
だが、それも想定済み。
トトリ先生の攻撃範囲をかわして行くには、それでもルートが幾つか限られてくるのである。
その全てをカバーすることは出来ないが。
往復を考えると出来る。
ワイバーンも、巣に戻らなければならない。
今までの行動パターンを見ていると、いずれも用心深く、同じルートは通らずに戻っている。
それが徒となるのだ。
ワイバーンは、エサに食いついた。
やはり大きく迂回しながら、モディスの北を抜けて西に。トトリ先生の守備範囲を避けるように、今度は南下。
予想のコースと違う。
悔しいけれど。
復路を待つしかない。
火球を放つワイバーン。
悪魔族が即応して、難民達の列を守る。凄まじい轟音。それだけ、遠距離攻撃でありながら、火力が高いと言うことだ。
そして、二発目。
ふつりと、理性が飛びそうになる。
正確に、エメス達の。
守りが薄い隊列を狙ってきたのだ。
吹っ飛ばされるエメス達。
ヒトの形をして。
人の身代わりをする事を仕事としている、尊き者達が。
粉々にされる。
メルルの子供達も同じエメスだ。
悔しくない筈もない。
ほどなく。
ワイバーンは、満足したのだろうか。まあ、隊列を一つ消し飛ばして、エメス達を壊滅させたのだからそうだろう。
帰路につく。
そして、メルルは。
待ちに待った瞬間で、対ワイバーン用の対空爆雷を、起動した。
ぽんと、軽い音がして、打ち上げられたそれは。
ワイバーンの眼前に。
気配を消した暗殺タイプの戦士のように、飛んでいく。
そして、ワイバーンが気付いたときには、もう遅い。
斜め下から忍び寄った死神が。
ワイバーンの至近で、炸裂。
そして、多数の子機が。
一斉に、空中に膨大な衝撃波をぶちまけたのである。
ぎゃっと、悲鳴を上げるのが。メルルの所からも見える気がした。ざまあみろと思ったけれど。それは口にしない。
これは戦いだ。
それを忘れていないか。
2111さんの提案を採用したのはメルルだ。
だから、エメスに被害が出るのを、最初から想定していたではないか。それなのに、このように恨むのは、間違っている。
必死に感情を殺しながら、手を振るって、攻撃開始の指示。
ワイバーンが必死に足を止めたところに。
予定通り、ピッチングが集中。
翼をへし折る事に成功。
叩き落とされたワイバーンは、悲鳴を上げながら墜ちていった。
全員で、一斉に墜落したワイバーンへと殺到する。
眼前。
シェリさんが飛び出すと、フルパワーで防御魔術を展開。更に、アニーちゃんも、それに加勢。
一瞬、至近が真っ赤になった。
ワイバーンが、反撃してきたのだ。
森が燃えるのも関係無しに、である。
許せない。
怒りが、更にふくれあがるけれど。
だけれども、冷静にならなければ、勝てない相手だ。例え、地上に叩き落として、二度と飛べないとしても、である。
ワイバーンとしても、決死の抵抗というわけだろう。
水平射撃で、本来得意でもない地上戦を、こなそうとしたというわけだ。それはそれとして、天晴れと認めるべきだろう。
例えメルルが。
立場的に相手を許せないとしてもだ。
走る。
更に、火球がもう一発。
シェリさんが呻く。
「火力が予想を遙かに超えて大きい! もう何度も防げないぞ!」
「大丈夫、見えました!」
森を突破すると、荒野にふせているワイバーンが見える。翼をやられて、不時着したのだろう。
見るとドラゴンと言うよりは、トカゲに近い造形だ。
二本の腕はそのまま翼になっていて。
一般的なドラゴンとは、かなり姿が違っている。
体色も灰色で。
何より、目に知性の光がない。
何かしらの知能を持っているのが普通のドラゴンとは、そういう意味でも、似ているとは言い難かった。
だが、それは動物だと言う事であって、侮る理由にはならない。ましてや、馬鹿にする理由にもだ。
一瞬で決める。
相手の火力は大きい。反撃を許すと、被害が拡大する可能性が高いからだ。
再び、火球を吐こうと、ために入るワイバーン。
魔力が収束していく、
凄まじい。
ベテランの魔術師でも、フルパワーで此処までの魔力を出せるとは思えない。それだけこの生物兵器が、強い力を持っている、という事だ。
だが、撃たせなければ、良いだけの事。
ミミさんが仕掛ける。
喉を刺し貫く。
真横からだから浅い。
だが、それでも、鮮血が噴き出す。
悲鳴を上げたワイバーンが、振り払おうとするけれど。
今度は跳躍したジーノさんが、魔力を纏わせた剣をフルスイングして、頭上から叩き付ける。
ばきんと、凄い音がしたが。
一刀両断とは行かない。
吼えるワイバーン。
ミミさんが、振り回されるワイバーンの腕を避けて跳び下がる。
思ったより、頑丈かも知れない。
だが、既に動けない相手を取り囲んでいる。火球を吐こうとするワイバーンだが、そも機動力を武器にしている存在だ。
こうなると、勝ち目などない。
ハンドサイン。
ジーノさんの、今のをもう一発行けるか聞いてみる。
しばらくは無理と返答。
その間も、ライアスとザガルトスさんが、激しい攻撃を仕掛けている。だが、ワイバーンは、確実に魔力をため込み、周囲に火球をぶちまける気だ。
ならば。
シェリさんとアニーちゃんにハンドサイン。
そしてメルル自身は、突進。
此方に向き直るワイバーン。
その頭上から、渾身の一撃を叩き込むセダンさん。
奇襲のタイミングは相変わらず完璧。
頭蓋骨が陥没したらしく、ワイバーンがのけぞる。
其処に、2319さんが、フルパワーで蹴りを叩き込んだ。ふせていたワイバーンがぐらりと傾き、その隙に喉を抉るようにして、2111さんがのど元を走り抜けながら切り裂く。
しかし、ワイバーンはまだそれでも屈しない。
尻尾を振り回し、周囲に何かばらまく。
メルルも慌てて足を止めると、飛び退いた。
周囲の地面が溶けていく。
酸か。
いや、毒だ。
「野郎っ!」
シェリさんが、珍しく感情を剥き出しに怒る。悪魔族であるから、だろう。大地を蘇らせるのが如何に大変か、知り尽くしているからだ。
それなのにこの飛竜は、森を焼くわ地面を毒で汚染するわで、やりたい放題。
我慢の限度を超えるのも理解できる。
メルルはハンドサインを出しながら、発破を放る。
火球を吐こうとしたタイミングに、至近で発破が炸裂して、ワイバーンも流石に慌てて口を閉じる。
其処へ、タイミングを合わせ。
左からケイナが鞄を顔面に叩き込み。
無理矢理、口をこじ開けさせる。
口を閉じたところに、こじ開けさせたことで、無理矢理息をさせたのだ。
此処だ。
総攻撃。
火球を吐こうとするにも、今息を吐いたばかり。
慌てて一度息を吸おうとするけれど。
その時には、既にミミさんがワイバーンの尻尾を、数十回の斬撃で切りおとし。
ジーノさんが、頭上からザガルトスさんと一緒に、背中を折り砕くような蹴りを叩き込んでいた。
ブレスなんぞもう吐かせるか。
そう、メルルの指揮から殺意を感じ取ったのだろう。
頭に血が上ったワイバーンが、全身から魔力を放出。周囲の全員を吹き飛ばし。そして、体に負担が掛かるのを承知で、ブレスの態勢に入る。
それが、致命的なミスだと気付いたのは、多分。
ブレスを吐いた瞬間だ。
その時には、シェリさんとアニーちゃんの防御魔術が完成していた。
ちなみに、展開したのは、ワイバーンの真正面。
至近距離である。
爆裂。
防御魔術も吹っ飛ぶが。
七里以上先から届く火力のブレスが、至近距離からワイバーンを直撃した。悲鳴を上げながらのたうち廻るワイバーンが最後に見たのは。
今度こそ本気での人間破城槌をたたき込みに来た、メルルの姿だっただろう。
メルルが着地。
ワイバーンの首の半ばが消し飛び。
メルルが着地するのに少し遅れて、ワイバーンの頭が。口先から地面に突き刺さるようにして、墜ちる。
噴水のように鮮血をまき散らしながら、ワイバーンの巨体が倒れ込むと。
辺りには、焦げた土と、肉と。
猛毒の据えた臭いが、漂っていた。
ワイバーンの死体を、荷車に積み上げて、帰路につく。今回は、そもそもそこそこに大規模な作戦行動だった。支援部隊もいたし、これくらいは全て回収できる。それに、ワイバーンは解剖して、調べなければならない。
あんな長距離精密砲撃を繰り返されたら、たまったものではない。
対策をするためには、相手を知る必要がある。
なお、ワイバーンを解体した後、貴重な材料が採れたら、メルルにくれるそうだ。トトリ先生は、この辺りしっかりしている。
どれだけ狂気に染まっていても、である。
帰路をいく。
今回は、いつもほどやられなかったからだろうか。多少余裕があって。
それが故に、悔しい気持ちも強い。
エメスは何機やられたのだろう。
今から報告を聞くのが、気が重い。
だけれども、これも王族の義務だ。
それに、今回の戦いで分かったが、まだメルルは弱い。地面に叩き落としたワイバーンなんて、トトリ先生ならそれこそ瞬殺して見せただろう。道具込みで、という条件がつくだろうが。
難民達の列にすれ違う。
西大陸の難民だ。
メルルを見ると、皆が小さな悲鳴を上げる。子供は、露骨に怯えきって、近くのものに隠れた。
別にそれでいい。
彼らとは、親友のようになろうとは思わない。
少し接してみて分かったが、彼らは別の世界の住人だ。
それなら、過干渉せず、接していけば良いのである。互いにギブアンドテイクの関係が構築できればそれで良い。
むしろ、相手には。
侮らないという意味で、此方を怖れてくれれば丁度良いくらいだ。
ワイバーンを引きずっていくと、更に恐怖の声が大きくなる。
あれを食べるつもりなんだろう。
俺たちも喰われるんじゃ無いのか。
恐怖が会話になって飛び交っている。
メルルは、くすりと、笑みを浮かべてしまった。
何だか彼らが滑稽で仕方が無かったからだ。
「逆らわなければ」
びくりと。
メルルが発した声に、難民達がすくみ上がる。
そして、メルルは。
敢えて、分かった上で言う。
「食べたりはしませんよ。 ただし、逆らった場合は、生きたまま食べる事も視野に入れます。 苦しみ抜きながら死ぬ事になりますよ。 覚悟しなさい」
その場で失禁するものまでいた。
それでいい。
メルルは、彼らには恐怖の対象で構わない。
アーランドの戦士達には、先頭に立つ者として接して貰えれば良いし。違う世界に住む西大陸の難民達にとっては、恐怖そのもので構わないのだ。
ずたずたのぐちゃぐちゃになっているワイバーンの死骸を見せつけるようにして、街道を南下。
流石に、ケイナが、難民がいなくなってから苦言を呈した。
「やりすぎです」
「そうでしょうか」
意外に、2111さんは賛成のようだ。
むっとした様子のケイナに、2111さんは理性的な。いや、感情が希薄な目を向ける。
「メルル姫が悪く言われることを怒っていますか? しかし、彼らには、「ドラゴン」でも勝てない相手と印象づけさせる方が効果的です。 反乱を起こそうなどとは考えなくなるでしょう。 後は反乱を起こす要素になり得る、食糧の不足、治安の悪化、命の危険などを、周囲から取り除けば良い」
「しかし、納得できません」
「……」
ミミさんが、目を伏せる。
何となく分かる。
トトリ先生が壊れていったとき、ミミさんは何も出来なかったのだろう。そして、メルルに、トトリ先生を救ってくれるなら、臣従するとまで言ったミミさんだ。
もしも、メルルまで壊れたら。
希望が全て失われることになる。
そして、トトリ先生が壊れていったときの言動が。
恐らくは、今の2111さんに似ているのではないか。
何となく気配で分かってきたのだけれど。
今のトトリ先生は。
恐らく体を弄っている。
それも、ホムンクルス寄りに。
思考回路がホムンクルスに似てきているのは、それが原因かも知れない。
東大陸の邪神と戦った後、決定的に人柄が変わったという話を聞いている。勿論感情を全否定する経緯については、しっかり覚えているけれど。
その後、考え方まで歪んで行ったのは。
やはり、体の方が、ヒトではなくなった、ということもあるのではないだろうか。
だが、それでも決定的では無いはず。
理由は簡単。
2111さんも、2319さんも、心があるから。
それに、エメス達だってそうだ。
ヒトとホムンクルスが混じったところで、其処で決定的に壊れる訳ではない。それは、一因に過ぎない筈だ。
原因を取り除かなければならない。
そして、メルルも。
足首まで掴んできている狂気を。
むしろ、自分のものへと変えていかなければならないのだ。
アトリエにつく。
王都では、父上が出迎えてくれた。連日のワイバーンによる攻撃は、それなりに脅威として認識されていたのだ。
戦闘状態が続いていて、緊張状態が緩和できなかった、というのもあるだろう。
ワイバーンの亡骸を見て、王都の民は、みな喜んでくれた。
この辺りが、西大陸や、それに大なり小なり似ているが、北部列強の民との決定的な差だ。
老いた引退戦士は、涙を流して喜ぶ。
「姫様が、これほどのモンスターを倒してくる日が来るとは、生きていて良かったわい」
「後は跡継ぎじゃのう」
「この国がアーランドに吸収合併されるとしても、顔役として王家は残るのだし、姫様には良縁があると良いのじゃが」
年寄り達が、好き勝手な事を言っている。
まあ、メルルとしても、分からないでもない。
ただ、結婚したとしても、当面は子供どころではないだろう。何より、まずは、である。スピアを打ち払わなければ、人類そのものがもたないのだから。
傷だらけだけれど。
そのまま、パメラさんのお店に行く。
ワイバーンは、受け取りに来たアストリッドさんにそのまま引き渡し。彼女は相変わらず、地獄のような瘴気を身に纏っていたけれど。
もはや、何も言うことは無かった。
大体、解体と解析はトトリ先生がやると聞いているのだ。アストリッドさんと、今話す事はないだろう。
パメラさんのお店に行く。
地盤修復用の接着剤の中間薬剤が、予定通りの量出来ていた。請求金額を見て、メルルも流石に呻く。
これはアーランドに支払って貰うとしても。
やはり、相当な代金である。
ジオ王が剛腹な人物でも。
流石に苦笑いするだろう。
「結構お金掛かりますね」
「ちむちゃん達ね、これで結構グルメなの。 いいものを量産するとね、トトリちゃんやロロナちゃんが作ったパイくらいのものじゃないと、満足してくれなくてね」
「ああ、それは……」
実は、最近パメラさんのお店の隣で、パイ屋が出来たのだけれど。
良いパイは、早朝に殆ど買い占められてしまっている。
アーランドから来た腕が良い職人が作ってくれているのだけれど、故に民は皆残念がっていた。
理由は言うまでも無い。
そもそも、パイ屋がわざわざ作られた理由も、だ。
ちなみに小麦は難民達の耕作地で作られて、高原で加工されているものを使用している。
「納入はしておくわ。 それと、少し休んだ方がいいのじゃないのかしら?」
メルルも、苦笑い。
でも、休む暇が。
今は、作れない。
そう、地盤修復を見届けたら、或いは。
パメラさんのお店を出て、お城に。ルーフェスが、今頃モディスの方の状況、それにエメス達の被害をまとめてくれているはずだ。
溜息が零れる。
一なる五人は、許せない。
そして、無力な自分も。
心が闇と病みにむしばまれるのを感じる。
だけれども。
負ける訳には、まだまだいかなかった。
4、モディスの残光
殆ど休日無しのまま、モディスに出向く。
ルーフェスは申し訳ありませんと言っていたけれど。
今は皆が大事な時期だ。
ルーフェスに到っては、年単位で休日を取っていないだろう。そういう状況なのである。
兵士達は、休みを廻すようにしている。
むしろメルルは。
出かける際に、野営地で眠ることくらいしか、休みがない状態が続いていた。致し方がないが。
「荷車を運んでください!」
メルルが手を振って指示して。
馬車から降ろされた中間薬剤が、順番に並べられていく。間違わないように、丁寧に、である。
モディスがあった辺りは。
既に盆地とかしていて。
地面はひび割れが縦横に入り。
危険極まりない状況だった。
一応、建物の残骸は、取り除いてくれている。
これは、ワイバーンを駆除している最中に、必死の作業を続けてくれた結果である。メルルも、それに応えなければならない。
どれだけ危険だったかは。
このモディスの残骸の有様を見れば、明らかなのだから。
まずは、幾つかある、周囲の土山を崩す。
これは、建物の残骸を崩すときに出来たものだ。
建物の中には、壊れてしまってはいるけれど。基礎部分を地下に延ばしていたものもあった。
それらを砕いて運び出したとき。
当然、土も掘り返したのである。
悪魔族が浄化してくれているが。それに関しては、少し心苦しい。
また、悪魔族には。
これから使う地盤の接着剤が、毒性をある程度持っている事は、事前に説明済みである。こればかりは仕方が無い。
悪魔族も、周辺を緑化する際には、毒素に強い植物を厳選すると約束してくれたので、それで構わない。
同時に、激しいクレバスになっている盆地へ。
順番に、中間生成液を混ぜ。
固まる寸前に、流し込んでいく作業を行う。
このタイミングが難しい。
何度か練習したのだけれど。
もたついていると、そのまま接着剤が固まってしまうのだ。かといって早すぎると、うまく固まらない。
使いやすい反面。
色々と気むずかしい道具なのである。
だから、実用化に際しても。
かなりの回数、試行と失敗を重ねた。
何でもかんでもそうだけれど。
特に前例がない道具の場合。
ぶっつけ本番で上手く行くなんて事はまずあり得ない。錬金術の資料の一つに、面白い言葉が書かれていた。
失敗の屍が積み重ねられた上に、成功が芽吹く。
錬金術師として一人前になってきた今ならば。
この言葉の重みが、メルルにもよく分かる。
そろそろいいだろう。
「はい、流し込んで!」
「そーれっ!」
力自慢の戦士達や、リザードマン族の戦士階級達が。かけ声とともに、容器を傾けて、接着剤を流し込む。
身軽な戦士が、先に渡してあるヘラを使って、容器に残った接着剤を、器用に掻き出して。
クレバスに、全て落とし込んでいく。
盆地の底が、灰色に少しずつ満ちていく。
次の容器だ。
同じようにして、かき混ぜていたものを、順番に流し込む。戦士達も、その重さに、辟易しているようだった。
「凄まじい重さだな」
「本当にこれで地盤が元に戻るのか」
「だが、錬金術の力は目にしているだろう。 信じてやってみよう」
「それもそうか」
リザードマン族が話をしているのが聞こえる。
メルルとしても。
信じてもらうほかない。
四つ目の容器がカラに。
次を準備してもらう。
その間、中間生成液を、メルルはチェック。一つも行程を零してはいけないので、色々と大変だ。
そろそろ、第一陣が固まるタイミングだろう。
メルル自身が、2111さんと2319さん、それにミミさんと一緒に、盆地の底に降りる。
そして、軽く接着剤で埋まったクレバスを踏んでみるが。
なるほど。
本当に、跳ね返るような堅さだ。
前に実験はして、どうなるかは分かっていたのだけれど。
これは中々に凄い。
相当な重量にも耐えるのだから、大したものである。
「問題なし!」
手を振って、上に、
盆地の坂が崩れやすくて、降りるのも登るのも大変だけれど。
まあそれは仕方が無い。
盆地を出ると、次の接着剤を流し込む。恐らくは、数日はこの作業を続けなければならないだろう。
作業をしている皆には、解毒剤も配る。
毒性が強い液体を扱うのだ。
当たり前の処置である。
まあ、流石にこの辺りで暮らしている民は、この程度の毒性にやられるほどヤワではないけれど。
ただ、もろに頭から被ったりしたら、どうなるか分からない。
あくまで保険としての処置である。
「次、流し込んでください!」
「そーれっ!」
続いて、流し込みに掛かる。
リザードマン族の戦士階級達は、実に力強く作業をこなしてくれる。指揮をしていると、リザードマン族の族長が来た。
軽く社交辞令を交わした後。
族長に、直接説明。
前に会議で説明はしているのだけれど。
実物を見せると、流石に唸る。
「なるほど、あれで地盤を修復するのか」
「降りて確かめてみますか」
「そうだな。 そうしよう」
第二陣を流し込んだ後、リザードマン族の護衛達も加えて、盆地の底に降りる。そして、踏んで確かめる。
跳ね返るような強度。
「これはすごい」
「この上に土をかぶせて、正式に土壌とするのだな」
「はい。 現時点では崩落などが怖いので、この接着剤を徹底的に流し込んで、崩落を防ぐ処置を執ります」
「うむ……」
族長も満足してくれる。
良かった。
メルルとしても、難しい立場の相手だ。話が通じているのは、嬉しい。ましてや、数年前までは、殺し合っていた間柄だ。
此方を良く想っていないリザードマン族の戦士は、まだ多いのである。
「モディスを修復したら、永遠の友好のシンボルとしたい所だが、一族を説得するのは骨が折れそうだ」
「アーランドも協力してくれますから、どうにかなるでしょう。 それにもう二年経たずに、この地方はアーランドの州の一つになります」
「そうなると、我等は同じアーランドの民と言うことだな」
「そうなりますね」
複雑そうに口をつぐむ戦士もいる中。
メルルと族長は談笑する。
そして、盆地から出ると。既に夕方。今日の作業は此処まで。中間生成液をチェックすると、異物が入らないよう蓋をして。後は周囲を護衛してもらいつつ、明日以降の作業を打ち合わせして。なおかつ、休憩に入った。
「メルル」
ケイナに、少し強く呼び止められた。
まだ働こうとしていたのだけれど。
結構怖い目で此方を見ている。
休め、と言っているのだ。
「俺も賛成だ」
ライアスも言う。
メルルはしばし黙り込んだ後。頷いた。
二人は、メルルにとって最高の忠臣であると同時に。幼い頃から側にいてくれる大親友である。
二人を失うわけにはいかない。
絶対にだ。
二人が諌言してくれるのは、メルルのため。
分かっているから、二人の言葉には、素直に従うようにもしている。
「分かった、休むよ」
「良かった。 最近はどれだけ無理をしても、平気な顔をしているのだから、却って心配なんです。 みんな心配しています」
「それに、俺から見ても、少し言動がおかしいぞ」
「ライアス!」
ケイナが気色ばむけれど、ライアスは引かない。
余程腹に据えかねていたのだろう。
「疲れてるんだよ。 さっさと休め」
「分かってる。 じゃあ、何か用事があったときだけ起こして」
「ああ……」
ライアスも、言い過ぎて済まなかったと言ってくれる。
そういえば、ライアスは。
まだ兄へのコンプレックスから逃れられないのだろうか。
既にアールズでもベテランとして認められる戦士になっていて。もう少しで、達人に手が届く所まで来ている。
彼奴は出来る奴だ。
そう周囲からも、見られるようになって来た。
昔は、メルルの腰巾着だの小姓だのと、陰口をたたかれることもあったらしい。血族集団だからこそ、陰口は陰湿にもなる。
ライアスは、どちらかと言えば繊細な心で。
それと良く戦って来た。
背が幼い頃から比べて、ぐんと伸びて。
気弱で、いつも泣いていた頃のライアスを知っているメルルとしては、心配にもなる。ライアスこそ、無理をしていないだろうかと。
ルーフェスの地位は不動。
この国での、事実上での宰相。
それに変わりはない。
それに対して、まだまだライアスは良い戦士止まり。
天幕に入る。
側で、2111さんと2319さんが護衛についてくれる。二人とも、まだまだメルルより強い。
安心して休む事が出来る。
二人がやられるような相手なら、どのみちメルルも勝てないし。その場合は、諦めるしか無い。
それに、この陣地には。
今、クーデリアさんも来ている。
モディスに睨みを利かせるためだけれど。
彼女がいる状態で、忍び込んでくる事が出来る者はいないだろう。ましてや、作ったばかりの共振器も設置してあるのだから。
寝袋に入ると。
やはり、ケイナが言ったとおり、疲れていたのだろう。
すぐに眠りに落ちる。
そして、朝まで。
目が覚めることはなかった。
翌朝。
早朝から作業を再開。
地盤が、見る間に補強されていく。クレバスも、どんどん埋め立てられていく。良い調子だ。
様子を見に来たクーデリアさんが。地盤の状態を確認。
彼女も、満足してくれた。
「これならば、大量の土砂を支える事が可能ね。 充分な出来よ」
「有難うございます」
「そろそろ、もっと難しい仕事を廻しても良さそうね。 トトリの負担を減らすことも出来そうだわ」
「頑張ります」
そうか、もう其処まで腕が上がっていたのか。
嬉しい反面、不安もあるけれど。
ただ、錬金術を極めることが、どういう意味かはわかっている。そして、どうすれば、トトリ先生を救えるのかは、まだ分からない。
周囲に人がいなくなった。
だから、聞いてみることにする。
「クーデリアさん」
「何?」
「ロロナちゃんについて、聞かせてくれませんか? 昔は、どういう人だったんですか」
口をつぐむクーデリアさん。
下手をすると、一軍に匹敵する戦闘力を持つこの人の逆鱗を、ピックで殴る事になる。それは分かっているのだけれど。
トトリ先生を救うには。
少しでも多くの情報が必要なのだ。
「そうね。 バカだったけれど、昔の情報を引っ張り出して、自分なりにアレンジするのがとても上手だったわ。 だから当代の旅の人って言われて、アーランドの国力を何倍にも増すほどの錬金術の産物を作り出せたのだけれど。 ただ思考回路はいわゆる天才のそれで、一般人には理解できない飛び飛びの思考をする悪癖があったわね」
「はい、錬金術師としてのロロナちゃんについては、その。 書かれた参考書で、何となくどういう人かは分かります」
「個人としてのロロナについて聞きたいの?」
「はい……」
ずしりと。
周囲の空気が重くなる。
分かる。
間違いなく今、クーデリアさんの逆鱗に触れていると。
だけれども、怯むわけにはいかない。
「あの子は私が独占できなかったけれど。 でも、私にとっての唯一の親友よ。 私にとっては……太陽だったわ」
「……」
何だろう。
強い罪悪感を、言葉から受け取れる。
何かあったのか。
それも、とてつもなく致命的な事が。
それに、クーデリアさんが関わっているのか。致命的なレベルで。何となく、それは理解できるし。
だとしたら、怒るのも納得だ。
「ごめんなさい。 もしも、話してくれる気になったら、お願いします」
「……そうね。 考えておくわ」
クーデリアさんは、今やアーランドの重鎮。この大陸でも、トップクラスの権力者の一人だ。
解決できる事なら、大体自力でやっているはず。
どうにもならないというなら。
ロロナちゃんの心の闇は、それほど深い、という事なのだろう。錬金術師が連鎖して囚われていく心の闇は。
狂気と密接につながっていて。
そして、周囲の誰をも巻き込んでいく。
その動きに容赦はなく。
慈悲も無い。
成形されていく地盤を、盆地の上から見直して、メルルは思うのだ。
このクレバスだらけの大地が修復されていくように。
人の心も直せるなら。
どれだけ楽だろう、と。
クレバスがあらかた埋まったのは、一週間ほど後。
これから、分厚くまんべんなく、接着剤を流し込んで、それが固まった後、土をかぶせる。
そうすることで、新生モディスを支える地盤が完成だ。
色々と手間は掛かったけれど。
後は、メルルの仕事ではない。
一度アールズ王都に戻って、今後の対策について、考える事が出来るだろう。スピアの主力をアールズからたたき出すためにも、どうにかして無限書庫を攻略する方法についても、考えなければならないし。
その時には、邪神三体という空前の戦力を、どうやってか無力化しなければならない。
いずれにしても。
策を完成させるには、時間が必要だし。
何より、エメス達はこの間の戦いで、二十七機も失われた。
最低でも、損失分の補填はして欲しい。
そう言われている。
メルルとしては、エメス達をもの扱いはしたくないのだけれど。しかし、現実的な観点からしても。
確かに、それくらいは補填しないと、今後の後が続かないのだ。
接着剤の流し込みが終わる。
後は乾燥させて、それから土を戻せば良い。
石造りの要塞くらいなら、簡単に支える強度が得られているはずだ。
族長が来たので、握手する。
「助かったぞ、メルルリンス姫。 これで我等は、悲願を達成できる」
「モディスを大事にしてください」
「ああ。 そして可能な限りの友好を誓おう」
堅い握手。
メルルとしても嬉しいし。
今後を考えると、戦略的意義も大きい。
山積している問題を考えると。
これからは、リザードマン族との連携は、必要不可欠だ。それには、直接リザードマン族に恨みがないメルルは、適任とも言える。
後の作業はアーランドとリザードマン族に引き渡して、メルルは帰る。
その途中。
セダンさんに言われる。
「少し考えたんですけれど。 しばらくこの国に、正式に籍を移そうと思っています」
「あれ、故郷のご両親は大丈夫ですか?」
「跡継ぎなら兄上がいますから」
あ。
そういうことだったのか。
セダンさんについては、あまり話をした事がなかった。突っ込んだことを聞いていなかったとも言えるのだが。
それで、合点がいってしまった。
ライアスも、気まずそうに視線をそらしている。
なるほど、セダンさんも必死になる訳だ。
「強敵に恵まれて、ぐんぐん腕も上がっています。 しばらく此処で鍛えれば、きっと兄上も両親も見返せますから。 お願いできますか」
「ええ、ルーフェスを紹介するので、手続きをお願いします」
「分かりました。 何だか、肩の荷が下りた気分です」
実際、そうだったのだろう。
随分と、セダンさんはすっきりした顔をしていた。
色々な人に、それぞれの事情がある。
だとすれば。
その糸を解きほぐすのも、また大変だ。
メルルが取り返しがつかない所に踏み込んでしまった場合。誰か、助けられる人はいるのだろうか。
手をさしのべる。
そんな事は、トトリ先生だって、ロロナちゃんだって。
それに、あのアストリッドさんだって。
してくれた人がいたはずだ。
つまり、言葉も行動も。
狂気を打ち払う役には立たない。
そうなると、恐らくは。
事実。
それそのものを変えなければ駄目だ。
セダンさんを見ていて、一つ思いついた事がある。
試すには実地試験が必要だけれど。
試す価値はある。
そう、メルルは判断した。
アールズ王都に戻ると、アトリエに直行。後は、即座に研究に入る。
狂気との戦い。
それは今。
本当の意味で、幕を開けた
(続)
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