地獄の要塞

 

序、邪神の巣

 

メルルが面会に行くと。クーデリアさんは、自室に通してくれた。ベッドで横になっている彼女は、手酷く包帯だらけの体を横たえている。傷は、まだ治っていない。アーランドでも最高の薬を使っているだろうに。

邪神とは、かくも凄まじきものか。

メルルは、戦慄させられるけれど。

しかし、クーデリアさんは。そんなメルルが、更にすくみ上がるようなことを言う。

「あの邪神達、モディスから動けない訳ではないわね。 単純に、何かしらの理由で、動こうとしていないだけよ」

「え……」

「混乱させないための嘘。 元々アレは、無限書庫にいた邪神でしょうね」

意識が、一瞬で遠のきかける。

この人と、ロロナ先生を同時に相手にした、バケモノ。それと同格が更に三体。しかも、いつでも動ける。

何をどうしたら。

そんな敵に、対処できるというのか。

「落ち着きなさい。 逆に言えば、動かないというのには、それだけの理由がある、という事よ」

「でも、もし動き出したら」

「良いから。 そもそも、単独で数万の敵兵に匹敵するか、それ以上の相手が、どうしてわざわざ穴熊を決め込んでいるか。 戦って見て分かったけれど、あれは恐らく、無限書庫から遠くに行けば行くほど、消耗が激しくなると見て良いでしょうね」

「長期間は戦えない、という事ですか」

気付く。

それなのに、わざわざ巣から出てきている。

一なる五人にどうして使役されているかは分からないのだけれど。それほど重要な存在が、モディスにはある、という事だ。

探り出すべきだ。

メルルも、それは同意できる。

現時点で、敵は前面にいる国家軍事力級戦士と、ハイランカー達に最大の警戒をしている。

逆に言えば。

メルルが指示されている隠密任務は。

この時こそ、最大の効果を発揮できるのだ。

確かに、今こそ動くとき。そして敵の背面に回り込める高原地帯は、拠点を構築するのに、最適の場所だ。

メルルは他にも幾つかの指示を貰う。

クーデリアさんは、負傷を押して無理矢理戦って、こんな姿になった。逆に言えば、彼女とロロナちゃんだからこそ。病み上がりでも、邪神を相手にして生還し、そればかりか押し返せた、と言うべきなのかも知れない。

ハルト砦を出る。

そろそろ、ミミさん達が偵察を終えてくれているはずだ。外で待っていたケイナとライアス、2111さんと2319さんと合流。

ここしばらくは、この四名だけの護衛。つまり最小限の戦力だけで行動している。それだけ、メルルが実力をつけてきたと言う事もあるけれど。

少人数で動いているのは。他にも理由がある。

敵に動きを悟らせたくないのだ。

メルルは、恐らく狙われ始めていると見て良い。

少し前の高原防衛戦でも、指揮官がメルルだったことは既に敵にばれている筈だ。敵も警戒度を上げてくることが容易に予想されるし、何よりも。錬金術師として、そろそろ一人前だとも、トトリ先生に言われている。

つまり、敵にしてみれば。

錬金術師が増える事になる。

一なる五人は、錬金術師。

それも、それぞれが超一流の存在だったと聞いている。

だからこそに。

メルルが、錬金術師として一人前になる事を、あまり良くは想わないだろう。人数を絞って行動しているのも。的になるのを避けるため。的は小さい方が、当然のごとく当たりにくいのである。

アールズに帰宅。

パメラさんのお店に出向くと、物資を調達。

アトリエに戻って、ホムさんとホムくんから、お薬を受け取る。必要な物資を、荷車に積んでいく姿を見て。

ホムくんがいう。

「お急ぎですか、ピコマスター」

「うん?」

「お疲れのようですが」

「うん、うん。 大丈夫」

そうか、彼にも見抜かれてしまっていたか。

メルルも少し前から、疲れが取れなくなっている。寝ても、狂気に塗れた悪夢を見ることが増えたからか。

まだ若いというのに、体から疲れが取れない。

銭湯などに入ると、流石にその場は疲れが取れるのだけれど。アトリエで調合を続けていると、集中したせいか、一気に疲れがぶり返してくる。

結局の所。

元の木阿弥になるのだ。

高原に向かう準備が整ったので、後は二人に任せて、アトリエを出る。というか、高原にも新しくアトリエを作る予定だ。

銭湯も作るかも知れない。

ミミさん達は、それで士気が上がると言うし。

実際、お風呂は、少しではあっても疲労を取ってくれる。それについては、メルルも理解しているつもりだ。

アールズ王都を出ると。

しばし無言のまま歩く。

ライアスは、何も言わない。

最初に口を開いたのは、ケイナだった。まだ街道だから、おしゃべりくらいなら、別に構わないだろう。

「メルル、辛いですか?」

「正直、少しね」

「逃げても、良いですよ。 私とライアスなら、何処まででもついていきます。 メルルがどんな判断をしたって従います」

2111さんと2319さんも無言だ。

同じ意見、という事だろう。

二人はわざわざ、メルルの下に配属されることをアーランドに申請してくれた。そして、メルルの配下になった後は、忠臣として仕えてくれている。

だから、この四人は。

きっと、メルルの判断が如何に愚かでも。

何も言わず、ついてきてくれるだろう。

誘惑が、メルルの足首を掴む。

逃げてしまおうか。

だけれども。

誘惑は、振り切った。

そんな事は、出来ない。

「……駄目だよ。 この国の人達を見捨てて、どうして逃げられるの」

アールズは小さな国だ。

血族集団でもある。

だからこそ。メルルは身近に民を感じている。

別に、善人ばかりが集う国でも無い。

知れば知るほど、リザードマン族との軋轢の歴史は暗い。互いに残忍な行動を繰り返して対立が深まっていったが、その引き金に手を掛けたのはむしろアールズだ。

愚かな者だっているし。乱暴な者だっている。

だけれども。

メルルは彼らと接する努力を続けて。信頼を得て。メルル自身も、彼らを信じている。何よりも、だ。

王族と言うだけで、無力な自分に戻るのは。

あまりにも辛い。

力は恐ろしい邪悪な薬と同じように、心を乱すと言われるけれど。その一端を、メルルも感じ取ることが出来ている。

だが、それでも。

今は、それによって得られる力が必要なのだ。

街道を抜けると、後は一切無言。

リス族達は、既に森に溶け込んでいる。無理な植林だったけれど、どうにか成功したらしい。

既にリス族達の中でも、若者が中心に移り住み。

森の中には、小型の動物が、幾多見られるようになっていた。

生態系が安定した後、最上位捕食者として、モンスターも入れられる予定だ。そして、アールズの若い戦士達の訓練を兼ねて、モンスターの数もコントロールされることになるのである。

アーランドではずっと古くからやっている方法を。

リス族の手を借りることにより、更に効率的にやろうという試みだ。

また、専門的に果実を育てている農場ほどではないけれど、多くの実りも収穫する事が出来るのは大きい。

リス族が管理する範囲内の収穫とはいえ。

例えば乾燥させたり、塩漬けにしたり、逆に錬金術で造り出した砂糖に漬けたり。長期間保存させる方法を採ることによって、飢饉の際の緊急食糧にすることも可能である。単なる嗜好品としても楽しめる。

森は、それだけ有用な存在なのだ。

側を通り過ぎて、洞窟に。

入り口を守っていたホムンクルス達に敬礼。遮音の結界が張られているので、もうこの辺りでは、声を出しても大丈夫だ。

「何かありましたか」

「現時点で異常はありません。 不審者の影もありませんし、モンスターが仕掛けてくる事もありませんでした」

「上々ですね」

「少し退屈です」

ホムンクルスにも、こういうジョークを言う者がいる。メルルは苦笑いすると、警備を続けるように頼んで、その場を離れる。

洞窟の中では、常駐のための野営陣地が作られていて、洞窟の守備を行っている魔術を発生させるコアの一つを守っている。ちなみにこのコアは複数有り、野営陣地のが壊されると、厳重に隠されている他から通報が行く。

システムとしては古くからあるものだけれど。

悪魔族が、アーランドの魔術師達と相談して作っただけあって、極めて堅牢だ。

野営陣地で、セダンさんと合流。

彼女も確実に強くなってきているけれど。

どうやら、少しだけ成長速度はメルルの方が上らしい。或いは、其処まで強さに貪欲ではないのかも知れない。

「お待たせしました」

「メルル姫、その道具は?」

「ああ、新しい爆弾です」

少し前に。

崖の上から、岩を落として、爆弾をばらまいて、多数の敵を食い止める戦闘を行ったけれど。

その時に思ったのだ。

長時間、炎をまき散らし続ける爆弾があったら、更に敵への打撃を増すことが出来るのではないかと。

試行錯誤を繰り返した結果。

「炎」では無理だったのだけれど。

剣を使えば、出来た。

具体的には、生きている縄を使った罠と同じ原理だ。

古くなった剣をハゲルさんに打ち直して貰って、其処に悪霊を宿らせた。そして、起動ワードと同時に、周囲を滅茶苦茶に切り裂きながら大暴れする。

勿論、側にいると危ないから。

敵中に放り込んで使うのがデフォルトになる道具だ。

通称、たたかう魔剣。

こつこつ開発して、ついに試作品が出来た。ちなみに、空に浮かせることも出来る。敵に放り込むために、ある程度の推進力を与える事も可能だ。

要するに、発動時は。

宙に浮かせて、敵中に特攻させ。

其処で起動ワードを唱える。

後は、剣が手当たり次第に、敵を殺傷してくれる、と言うわけである。

「こわ……」

セダンさんが青ざめるけれど。

爆弾なんて考えてみれば、敵を木っ端みじんにするものだし。

殺戮とは、本来残虐で、非道なものだ。

今更取り繕っても仕方が無い。それならば、可能な限り効率が良い殺戮方法を考えた方が、むしろ被害は減る。

こういった話をすると、ケイナは眉をひそめるけれど。

ライアスは何も言わない。

ただ、メルルは、殺戮を楽しみたいとは思わない。

それについては、今も変わらない。

「もうすぐ、洞窟を出ます」

「風車、かなり増えましたよ」

知っている。

実際、脱穀の効率が非常に上がったと、ルーフェスが説明してくれたくらいである。馬車を使って、アールズまで運ばれた穀物は、今までは加工の手間がとにかく掛かっていたし。加工してから運ぶと、ちょっとした事故ですぐ駄目になった。

風車で加工して、運び直す事で。

労力も著しく減ったし。

何よりその分の労力で、難民達により高度な仕事をして貰えるのが嬉しい。

「それより、今日は」

「いよいよ、敵地に潜入です」

「!」

セダンさんも、うすうす気付いていたのだろう。

洞窟を出る。

ぱっと明るくなると。巨人の腕のような羽を回し続ける風車が、建ち並んでいる様子が見えた。

確かにかなり増えている。

メルルが作った魔法の石材を基礎にして。羽には塗料。今の時点で、交換が必要になったという話は聞いていない。

それだけ長持ちしている、という事だ。

無言で、移動。

この辺りは、緑化によって周囲のモンスターは遠ざけてはいるけれど。それでも、まだまだフレースヴェルグを一とする強豪モンスターが、時々様子を見に来る。その度に、追い払うのが大変だという報告も受けていた。

グリフォンも姿を見せるという。

今の時点では、縄張りを潰された事に対する腹いせ、くらいしかしてこないようだけれども。

もし戦う気なら、追い払わなければならないだろう。

巡回のホムンクルス達が来たので、一礼。

向こうも一礼すると。

そのまま、すれ違った。

頂上付近の野営陣地に到着すると、遮音の結界に入ったので、また声を出せる。既に、複数の建物が作られて。更には、温泉も、準備が始まっていた。

二つの建物が作られ。

側には、湧水の杯。

こんこんと水が出続けているそれは、銭湯に使う分以外の水は、小川として流されていて。

下流で、近くに幾つかある泉の水と合流する。

最終的には「小川」から「川」になって、緑化した地域を流れながら、山を降っていく。既に魚も放されていて、生態系も確実に管理されていた。

この過程で、森を通るので。

リス族達からは、評判も良い。

周囲にシェリさんとザガルトスさんはいない。

アニーちゃんが退屈そうに足をぶらつかせる側で、エメス達が数名、黙々と働き続けていた。

木材を運んで、設計図通りに建物を作っているのだ。

「あ、やっと来た」

「待った、アニーちゃん」

「別に?」

この子はシェリさんが大好きだからか、基本的にメルルには態度が素っ気ない。ただ、相応の感謝はしてくれているようで。時々、手当のお礼はきちんとしてくれる。

ミミさん達はまだ戻ってきていないようで。

辺りは非常に静かだ。

ホムンクルス達は基本的に、不要なことは口にしないし。

無駄だと判断した場合、行動さえしない。

だから無愛想だという人もいるけれど。

今や彼女たちがいなければ、戦線は支えられない。

それを無視して、ホムンクルスの配備に反対する阿呆もいたらしいけれど。怒濤の如きスピアの猛攻を前にして、意見は雲散霧消した。

銭湯は。

建物を覗くと、もうほぼ形になっていた。これならば、ミミさん達には、入って貰えるだろう。

アトリエにする建物も確認。

錬金釜は準備したし、これならいけるだろう。

拠点としては充分。

モディスを攻略するため。

しばらく、メルルは此処に常駐する事になる。

最後に、山頂に行って、見下ろす。

既に先の戦いで死んだ敵のモンスターは、死骸も見当たらない。少なくとも、見当たる範囲内には、骨も散らばっていなかった。

さあ、準備をしておこう。

これからメルルは、死地に入るのだから。

 

1、潜入

 

ぐっと気配が重くなるのが分かった。

敵の勢力圏に入ったのだ。

既に全員が無言。

メルルは、ミミさんとシェリさん、ケイナと。もう一チームは、ジーノさんが率いて、ライアス、ザガルトスさん、セダンさん。更に後方の待機チームとして、2111さんと2319さん、アニーちゃん。

この三チームで連携しながら、敵地の奥深くを目指す。

勿論、最終的には。

モディスに侵入して、敵がどうして此処に固執しているのかを、探り出すのが目的である。

それにしても、この気配の強烈さ。

アールズ北部の、水源を目指した時を思い出す。

あの時は、強豪モンスターだらけの土地をどう攻略するかに頭を捻ったのだけれど。今回は、見つかったらそもそも終わりだ。

見つかった場合、仲間を呼ばれる前に殺さなければならないけれど。

それも出来るかどうか。

ミミさんが、ハンドサイン。ツーマンセル、ツーセット。頷くと、二手に分かれて、岩陰に隠れる。

敵の斥候だ。

無言で動いている敵は、人型ばかり。

頭には機械を取り付けられていて。もはや意思は存在しないようだった。

斥候が行く。

見送ってから、ミミさんが合図を出してくる。合流して、更に敵地の奥へ。気配を消すためのマントを纏っているとは言え、生きた心地がしない場面が、何度もあった。正直、心臓に悪い。

此処は、モディスから東。

何も無い岩だらけの荒野である。

更に北上して、敵の警戒網を抜けた後、西に。大回りに、モディスの背後を目指すことになる。

モディスについては、分からない事も多い。

いにしえの要塞とも言われているのだけれど。

どうも、アールズに残っている伝承に、矛盾が多いのだ。

昔はアールズの領土だった、というものもあるけれど。

リザードマン族との確執を考えると、どうにも小首をかしげざるを得ない。実際、アールズの領土は、ハルト砦付近を維持するのがやっと。その程度の国力しか無いのに、モディスまで領地を伸ばせただろうか。

第二チームが、鏡を使って通信してくる。

敵の斥候と遭遇、撃破。

死体は処理したという。

一度後退だ。

当然、敵も斥候が消えたことには気付くだろう。在来のモンスターの仕業に見せかけているとは言え。それでも限界がある。

万全を期して。

一度後退して、経路を変えるのである。

第二チームと合流。

皆口に布を噛んでいるのは、いざという時に声を出さないため。頷くと、大きく東に迂回しながら南下。

支援チームと合流したときには、夜になっていた。

この辺りは、リザードマン族の縄張りに近い。

洞窟がたまたま見つかったので。

此処を拠点に、敵地を探索しているのだ。ちなみに、良質の鉱石がたくさん出てきたので、荷車に回収済みである。今後も来る度に、無駄にならない程度に、鉱石を集めていきたい所だ。

「状況を説明するわ」

地図を拡げて、ミミさんが順番に説明していく。

駄目だった経路には、×印。

敵の斥候の行動範囲が、また付け加えられた。敵は基本的に、十二人を一単位として行動している。

しばし話をした後。

ジーノさんが、腕組みした。

「この近辺はともかくとして、モディスそのものから強い気配は感じたか?」

「いいや」

シェリさんが即答。

魔術による探知も出来る彼の判断は、かなり正確だ。勿論、達人であるミミさんとジーノさんも、それと同等以上の精度で敵を察知できるが。

ザガルトスさんが腕組み。

「モディスには、最低でも四体の邪神がいると聞いている。 それにしては、敵の出方が大人しいな」

「制御出来ていないという可能性は?」

「あり得ないです」

ミミさんに、メルルが即答。

既に邪神との細かい戦闘経緯は、メルルの頭に入っている。戦闘の様子から考えると、邪神が独自判断をしていたとは考えにくい。

「消耗が大きくなって、無限書庫に戻ったのかな」

「楽観論は止しましょう」

アニーちゃんに、2111さんが釘を刺す。

確かに楽観論に傾くと、躓きやすい。

問題は、明日からの探索だ。或いは、今のうちに、この辺りを探索してしまっても構わないが。

夜陰に乗ずる、と言う奴である。

しばしああでもないこうでもないと意見を交わすけれど。

あまり、良い意見は出なかった。

一応、アーランド側でも、ステルクさんと、負傷からようやく復帰したエスティさんが連携して、陽動の攻撃をしてくれているけれど。

敵はあまり大きな動きを見せない。

かといって、敵は弱体化したわけでもなく。数こそ減っているが、援軍も各地から到着しているようだし。

何より、モディスの守りは恐ろしいほどに強固だ。

何か、攻める切っ掛けがあれば。

だが、どれだけ意見を交わしても。

その切っ掛けが見つからない。

「疲れた。 寝るわ」

恐らく、不毛だと考えたのだろう。

ジーノさんが、先に横になる。シフトでも、彼の休みは最初だと先に決めていたので、文句は誰も言わない。

それが切っ掛けになって、会議は解散。

2111さんが、ため息をつく。

リザードマン族からも情報は得ていて。大まかな形状は明らかになっているのだけれど。新しく調べれば調べるほど、その圧倒的な強固さが分かるばかりで。手の出しようが無いと結論が出てしまうのだ。

此処にいるのでさえ危ない。

モディスには、何の秘密があるのか。

とにかく、調べないと、始まらない。

翌日は、早朝から出る。

そして、今までに無いほど大回りに、リザードマン族の縄張りスレスレを移動しながら北上。

地図を確認。

深い霧に包まれた森がある。

気配が恐ろしく強い。

多分モンスターだ。しかも、恐らくは。ベヒモスだろう。この辺りに、繁殖地があるという噂は聞いていたが。

あるとしたら、此処に違いない。

踏み込むのは、流石に自殺行為である。

勿論迂回。

しかしながら、迂回に迂回を重ねていると、モディスからどんどん結果的に離れて行ってしまう。

本末転倒だ。

焦るな。

自分に言い聞かせながら、一歩一歩行く。

敵の斥候。

身を隠し、通り過ぎるのを待つ。意外に、斥候そのものは少ないけれど、かなり大胆に周回をしている。

この様子では、在来のモンスターに殺される兵も多いのではあるまいか。

 

数日掛けて、高原まで帰還。

理由は簡単。

食糧が尽きたからだ。

既に出来ていた銭湯に入る。しばらくゆっくりしていると、疲れが溶けていくようだけれど、錯覚だと言うことは分かっている。

起き出すと、体をほぐして、修練。

その後は。

今回の探索の成果をレポートにして、ホムンクルスの一人に手渡す。ルーフェスの所へ、持っていってもらうためだ。

単純な結論から言うと、既存の陸路で、モディスの背後に回るものは見つけられなかった。もう少し資料が欲しい。である。

メルルとしても、皆を危険にさらせない。

まさかベヒモスの繁殖地を突っ切るわけにも行かないし。

条約を破って、リザードマン族の領地に我が物顔で踏み込むわけにもいかない。

敵の斥候は深部に行けば行くほど活発で。

なおかつ、魔術による罠も増える。

簡単には攻略できない。

これこそ、正に要塞。

国家軍事力級戦士達が苦戦するわけである。エスティさんなどは、諜報の専門家だという話なのに。

此処への潜入は成功させていないらしい。

それほどまでに、強固と言うことだ。

かといって、アールズ北部の水源は、敵も精鋭を多数派遣している地域。あの辺りの前線の戦士から話を聞くと、とてもではないが突破は無理だという。

やはり、此方から行くしか無い。

いっそのこと、リザードマン族の縄張りさえも迂回してみるか。

いや、それも流石に無謀だ。

皆には適当に休んで貰いながら、メルルはアトリエに。次回の探索で使用する食糧が必要だ。生産しなければならない。

補給されている耐久糧食や。持ち込んでいる新世界レーションはいい。

10人以上のチームが移動するとなると、それなりの食糧が必要で。戦士である以上力も出ないと意味がない。

選択肢は限られてしまう。

それに、経路の見直し。

敵も警戒を強めているはずで。

次は、更に慎重にいかなければならない。しかも、次からは偵察に遭遇する確率も上がるはず。

あまりもたついていると。

敵地を探れる可能性そのものが、零になる。

しばらく悩んでいると。

後ろに気配。

振り返ると、ケイナだった。

「もう休みましょう、メルル」

「あ、ごめん」

「食事、作りました」

言われるまま、席について。

温かい魚のソテーを食べる。多分、メルルがそろそろギブアップすることに気付いていたのだろう。

この辺りは、竹馬の友だ。

ケイナとは、つきあいも長い。

幼い頃からずっと一緒。ライアスよりも、更につきあいが長い。だから、互いの事は知り尽くしている。

あまりにも変わったライアスと違って。

ケイナは昔のまま。

或いは、メルルを安心させるために、敢えてそうしているのかも知れないが。逆に言えば、それはメルルを知り尽くしているから、と言う理由もあるだろう。

食事を終えると、黙り込む。

ケイナは、笑顔のまま、メルルの言葉を待っていた。

「難しい」

「分かっています。 こんな難攻不落の要塞、落とせっこありません」

「でも、やらないと」

下手をすると。

人類が滅ぶ。

今でこそ、味方は攻勢に出ている。

だが、敵には邪神四体という桁外れの切り札がある事が分かってしまった以上、もたついていられない。

一刻も早く、敵が異常なこだわりを見せるモディスを陥落させないと。

そのためには、マークされていないメルル達の行動が、絶対に必須なのだ。

「気分転換しましょう」

「ん、分かってる」

「まずは寝ることです」

言われて、そのままフトンに。

温かくて、すぐに眠ることが出来たのだけれど。

問題は、起きても、何も解決しないこと。ただ、今晩に関しては、幸いと言うべきか、悪夢は見なかった。

翌朝には、準備が整う。

外で待っていた皆に告げる。

第二次遠征を開始すると。

誰も、文句は言わない。

だけれど、メルルには分かっている。皆が、さざ波のように、心に不安を抱えている事は。

故に、示さなければならない。

それこそが、王族の責務だ。

咳払いすると、メルルは皆を見回した。

「秘策はありません。 でも、探索は進展しています。 あまり敵の斥候に見つかると、好機を逃しますし、敵だっていつまでも此方の動きを見逃してはくれないでしょう」

敢えて当たり前の事を言った後。

告げる。

「故に、今回でどうにか、最低でも敵の搦め手への路は確保します」

荷車には、新世界レーションも積み込んだ。これがかさばらない、最高の意味での携帯食だと、自信があるからだ。

ただしこれには、使用するために水がいる。

だから、荷車も持っていく。搭載するのは湧水の杯。これによって、新世界レーションは、最高の携帯食になる。

逆転の発想だ。

民のための携帯食を。

欠点を解消した、幾らでも持ち運べる食事に変えたのである。

ただし、問題も多い。

これにはネクタルが耐久糧食ほど入っていない。つまりこれだけ食べていても、戦闘時に爆発的な力は出せない。

もう一つ問題がある。

湧水の杯の水は、まずい。

つまり、長期的な探索が出来るけれど。長期的になればなるほど、士気も削り取られていく、という事だ。

たかが士気、ではない。

士気が落ちれば、集中力だって落ちる。敵地で集中が切れればどうなるか、言うまでも無い事だ。

しかし、皆は理解してくれた。

持っていくものをみて、今回が背水の陣だと。

それでいい。

ハンドサインを確認した後、移動を開始。

山を降り。

そして、平原に。

この荒野が一番危ない。

遮蔽物が少ないからだ。

内部までは、侵入できないかも知れない。

だが、少なくとも、搦め手は発見する。

其処まで行かないと。もはや、残っている時間が、ないと判断するべき状況なのだ。

不退転の覚悟を決めると。

メルルは、皆に促す。

これより、敵地に向かうと。

 

2、滅びの土地

 

噂には聞いたことがある。

アールズ王都近くには存在しないけれど。アーランドや、他の辺境には。たくさんあるという。

生物が存在しない悪夢の土地。

いにしえの戦の名残。

通称、零ポイント。古き時代に、世界を焼き尽くした悪夢の兵器が、炸裂した跡である。

メルルの前に拡がっているのは、正にそれ。

側にいるシェリさんが、状態を確認。

円系にえぐれた土地の中央部分には水が溜まっていて。其処には、絶対に近づくなと、先に警告されていた。

ばしゃんと、水音。

その水場で、何かが跳ねたのだ。

それは魚とはとても呼べず。

触手が無数に折り重なり。体中に目がある、おぞましいまでに奇怪な存在だった。それが跳ねて、水に近づいた鳥を襲い、喰らったのだ。

戦慄する。

今のは、アールズ近くの湖に泳いでいる魚と同等か、それ以上のサイズがあった。しかも感じる気配がおぞましいまでに強い。

近づくなと言われるわけである。

「駄目だ、下がるぞ」

シェリさんに言われて下がる。

此処には踏み込めない。

踏み込めば、短時間で命を失う事になる。そういうことらしかった。

一旦後退して、近くの洞窟に退避。

既に皆集まっている。零ポイントがあると言う事は、周知の事実。シェリさんが探索の結果を告げると。

ミミさんが、渋い顔をした。

「まさかとは思うけれど」

「そのまさかだ」

地図を拡げる。

これで、四カ所目。

あまりにも多すぎる。

モディスの背後に、零ポイントがある。それも、どれもこれもが、入り込む事さえ無理と言うほど、重篤な奴だ。

これを知っていて、敵は守りを薄くしているのか。

挙手。

シェリさんが、頷く。

「分かる事であれば応えよう」

「あの中で、無事でいられる時間はどれほどですか?」

「別に健康を害したりはしない。 問題は住んでいる生物だ」

シェリさんの話によると。

古き時代にばらまかれた破壊の兵器は、大量の毒もまき散らした。それと同時に、以前話を聞かされた優勢主義者達がばらまいた最悪の毒。劣悪形質排除ナノマシンが、それに拍車を掛けた。

本来、破壊の兵器の毒だけだったら、さほどの害にはならなかったそうなのだけれど。

二つの相乗効果が、最悪の結果を招いた、という事らしいのだ。

「湖の奇怪な生物を見ただろう。 アレと同等レベルのモンスターが、あの中にはわんさといるぞ。 慣れた戦士でも、踏み込むと死を覚悟しなければならないだろう」

「それほどですか」

「だから緑化は命がけだ」

悪魔族の目的は、世界の復興。

そのためには、零ポイントの緑化は、絶対必須事項の一つ。

しかしながら。

今まで、それが上手く行った例は、ほぼないという。

ある零ポイントでは、緑化が出来はしたが、奇怪な植物が跋扈する、人外の森になってしまい。

別の場所では。土地が全て泥濘化し。しかもその泥濘は、強酸になっていたというのだ。まさに、おぞましいの一言である。

それだけ、過去の時代による汚染の破壊力は凄まじいのだ。

「あの零ポイントも同じだと見て良い」

「しかも遮蔽物が無い」

容赦なく、ジーノさんが追い打ちを掛ける。

これでは、敵が監視を置かないわけだ。

ある一点から。

不意に斥候と遭遇しなくなった。

おかしいと思って、調査を進めたらこれだ。必死に茨の道を抜けたら、その先でブレスを吐こうとするドラゴンが、複数待ち受けていたような気分である。

だが。

それにこそ勝機があると、メルルは判断した。

「他の零ポイントも調査します」

「まさか、押し通る気か」

「その通りです」

ザガルトスさんが呻く。

これこそ、好機だ。

敵が見張りを置いていないのは事実。そして、零ポイントは。場合によっては、弱体化する。

例えば、アールズ北の湖がそうだ。

大きなお魚こそ住んでいるけれど。

彼処の水は飲めるし美味しい。

魚だって食べられる。

つまり、毒性は無い。

勿論、辺境戦士だから平気だという部分もあるけれど。それでも弱体化している事に代わりは無いのだ。

つまり、同じようになっている場所もある。

そう仮定できるし。

その仮説は、あながち的外れでも無い筈。

あっさり突破出来ることが出来れば。敵の要塞の搦め手に迫る事も、そうそうは難しくないはずだ。

ため息をついたアニーちゃん。

「私は耐えられるかな」

「どうにかするよ」

「……分かった」

どのみち、この世界にある様々な毒や病気を経験していかなければならない身だから、だろうか。

アニーちゃんは諦めきった表情で、頷く。

後は、行動開始だ。

何カ所かで、サンプルを取得。それをシェリさんの方で調査する。サンプルの取得に関しては、メルルが作った気配を消すローブを皆で被って移動して、それぞれが手動で行っていく。

零ポイントはかなり広い。

一つ一つが巨大な円で、中心部に水が溜まっているものも多い。

一体どれだけ、この世界が昔偏執的に破壊されたのか、示すかのように。そしてシェリさんが言うように。

周囲には、奇怪な生物が、多数生息しているのだった。

勿論接触は極力避ける。

どんな能力を持っているか知れたものではないし。

何より、戦闘力が桁外れに高いことが、遠くから見るだけでも分かるからだ。

あれは人の業の結晶。

安易に近づいてはならない。

しばし、データを集める。

拠点にしている洞窟で、二日が過ぎて。

食糧も、消耗していった。

地図を埋めていく。

×印が、増えていく。

「此処も駄目だな」

シェリさんが、容赦なく×印を地図に入れた。もはや、地図は×印で埋まりつつある状況である。

零ポイントの汚染は凄まじい。

何より、内部に生息している生物たちの異常があまりにもおぞましい。足を安易に踏み入れるわけにはいかない。

だが。

どこか通れるところを見つけないと、まずい。

「此処は、どうですか」

メルルが指定したのは。

二つの零ポイントの間。しかし、シェリさんは、腕組みした。

「難しい。 データは調べて見ないと何とも言えないが、汚染されている可能性が極めて高い」

「メルル姫!」

ミミさんが戻ってくる。

新たに五カ所でサンプルを取ってきてくれた。

血の臭いがするのは。どうやら、斥候を斬ったためらしい。彼女の矛には、確かに曇りが出来ていた。

「もう時間が無いわよ」

「分かっています」

シェリさんに分析して貰い、地図を精査する。

ほどなく、ジーノさん達も帰還。

最終的に。

めぼしい結果は、出なかった。

決断するしか無い。

もう時間が無い中、撤退をして、全員を生還させるか。無謀な賭けに打って出るか。2111さんに妙案は無いかと振ってみるけれど。ここのところ、軍師としての頭角を現し始めている彼女も。首を横に振るばかりだった。

何か起死回生の手は無いか。

しばし沈思黙考する。

地図を見つめていて、×印の山を見ていると。

それだけで、メルルの全てが否定される様な気がしてならない。だけれども、そんな事はない。

ただ現実が、人間の業を示しているだけ。

ため息をつく。

「少し、気分転換をしてきます」

「……」

シェリさんは腕組みをしたまま。

危険地帯に皆を通すわけにはいかないと。

その視線が告げていた。

 

洞窟を出て。

遮音の結界が張られているギリギリまで出ると、木陰で座り込んだ。もう、どうしていいか、分からなかった。

錬金術は都合が良い学問ではない。

毎回膨大な資料から、使えそうなものを見繕って、何度も試行錯誤して、ようやく仕上げていく。

新しいものにしても、基本的な理論を組み合わせて、最終的に誰も思いつかなかったり、本格的に作らなかったものを、製造していくだけ。

ロロナちゃんはそれがずば抜けていた。トトリ先生は、理解力と観察力が常識外だった。だから、二人とも、凄い道具をどんどん造り出す事が出来た。

メルルは違う。

前向きに考える事くらいしか、取り柄が無い。

だから、新しい道具だって。

二人に比べて、著しく革新性に劣るものしか、作る事が出来ていない。

そんな事は分かっている。

でも、こういうときは。

自分の出来の悪さを実感して、凹む。前向きに考えようと言い聞かせても、どうしても現実が、壁になって立ちはだかってくる。

良い案など浮かばない。

どれだけ前向きに考えても。あり得ない危険生物の住処を、大して消せもしない気配を見せびらかしながら、進むだけになる。

かといって、もはや此処以外に、通る場所はない。

敵にしても、斥候を斬られている以上、そろそろ此方の存在に勘付いているはず。まだ偵察隊くらいに考えてくれている可能性もあるけれど。

最終的には、討伐部隊を繰り出してくるはずだ。

ふと、気付く。

気配がある。

ミミさんとジーノさんが飛び出してくる。

二人とも、真剣な表情で武器を構えていた。それで、メルルも気付かされる。顔を上げた先に。

恐らくは、ステルクさんと同格クラスの相手がいる事に。

「驚いたな。 こんな深部まで潜り込んできているとは」

「逃げなさい!」

ミミさんが、必死の形相で叫ぶ。

それだけ、無茶な相手、という事だ。

そしてこの気配、覚えがある。

目の前にいるのは、老人。筋骨たくましい、半裸の老人で、手には雷を模したらしい杖を手にしている。口には豊富な白い髭があり、圧倒的な威厳に溢れていた。

「案ずるな。 戦うつもりなら、とっくに殺している」

「その通りです、ミミさん、ジーノさん。 ……何用ですか、スピアの恐らくは頂点に立つホムンクルスの方」

「ゼウスだ」

「私はメルルリンス。 アールズの王女です」

名乗ったからには、名乗り返すのが筋というものだ。

ミミさんとジーノさんは、多少困惑していたようだけれど。確かに、メルルの方が正しいと判断したのだろう。

武器を収めて、半歩下がった。

それでも、警戒は緩めていないが。

「あのトゥトゥーリアの弟子なだけはある。 大した胆力だ」

「トトリ先生を知っているんですか」

「命の恩人でな」

頭を指さすゼウス。

此処に入れられていた爆弾を、取り除いてくれたという。以降は積極的にスピアの軍を殺さなくても良い、という条件で、協力関係を構築しているというのだ。

なるほど、これか。

トトリ先生が、何か隠し札があるような事を言っていたのを思い出した。ぽろっと言っただけだったのだけれど。

まさか、これほどの切り札だったとは。

「モディスの搦め手を探っているのか」

「はい。 どうしても見つからなくて、苦労していました」

「それはそうだろうさ。 零ポイントの汚染が重篤なことも、其処だけ監視していれば後方を気にする事はないことも、一なる五人は念入りに調べていたからな。 ようやく一人前になったばかりの錬金術師が探り回ったくらいで、突破出来る壁ではないわ」

「その通りですね」

悔しくて、苦笑いしてしまう。

ゼウスは咳払いすると、顎をしゃくる。

「搦め手を、どうしても探したいか」

「そもそも貴方はどうして此処に?」

「お前を見かけた場合協力しろと言われていてな。 昔の味方を殺す事だけはごめん被るが、知識を授けるくらいなら良いだろう」

杖を使って、ゼウスが指したのは。

小さな砦だ。

なんと無人化されていて、機械類だけを沈黙させれば、其処を通ることが出来るのだという。

そしてゼウスによると。

既に無力化もされているという。

「儂に協力できるのは此処までだ。 武運を祈るぞ」

「……」

何だろう。

複雑な感情だ。

ゼウスは恐らく、こういった行為さえ嫌なのだろう。だけれども、トトリ先生に助けて貰ったという話が本当なら。相当な泣き所まで抑えられているはず。苦労しているのだなと、同情してしまった。

だけれども、ああいう真面目そうな人が。

ダーティワークばかりさせられたり。

頭の中に爆弾を埋め込まれて、忠義を強制されたりするのは、間違いなく悪徳以外の何物でも無い。

彼は、苦悩の末。

悪しき存在を打ち倒すための、一助になってくれた。

それだけで、メルルとしては充分だ。

影のように、ゼウスが消える。

ミミさんが、咳払いした。

「信用するの?」

「まずは偵察をお願いします。 全てはそれからです」

「罠の可能性も低くないぞ」

「分かっています……」

でも、もう他に無い。

嫌な予感は、しない。

あれほどの使い手だ。もしもその気なら、問答無用でメルルを黒焦げにして、他の此処にいるメンバーも、残さず鏖殺することが出来ただろう。ミミさんとジーノさん、ザガルトスさんとシェリさんでも、変わらない結果だったはずだ。

それでも、彼はしなかった。

此処で罠を疑って、好機を逃す事は、文字通り愚行。

ミミさんは、それを理解してくれた。すぐに快速を生かして、偵察に行ってくれる。メルルは、思わず爪を噛みそうになって、やめた。

洞窟に戻る。

皆、中から様子を窺っていたようで、メルルが無事に戻ってきたのを見て、胸をなで下ろしたようだった。

ケイナが、開口一番に言う。

「内通者ですか」

「うん。 トトリ先生が、手配をしてくれていたみたいだね」

「……」

困惑は皆も同じ。

そして、裏切りを疑うのも、然り。

だけれども、もはや此処にしか、賭けるべきものはない。ミミさんが戻ってきた。本当に、確認できた拠点は無人で。機械類が生きているようにも見えなかったという。

好機だ。

すぐに全員に、気配を消すローブを被って貰う。

移動開始。

此処を逃すと、もはや敵の搦め手を発見する好機は、永遠に失われると見て良いだろう。自分の力で、全てを解決できなかったのは悔しいけれど。今はプライドに固執している場合ではない。

アールズだけではない。

人類の存亡が掛かっているのだ。

拠点に辿り着く。

念のため、各所に爆弾を設置。任意に爆破できるようにしておく。最悪の場合、これで追撃を断つためだ。此処を抜けた後爆破して、追撃部隊を巻き込み、敵を混乱させる。そのための布石である。

拠点を抜けると。

すぐ其処に、モディスがある。

ハルト砦よりも遙かに巨大で。

重厚な要塞。

壁は高く、金属で出来ていて。

空に伸びている光。空からの攻撃も、警戒しているのだろう。

壁の上には、無数の敵兵が見える。とはいっても、数は想定よりも遙かに少ない。視界もカバーできていないし、強いのもいない。

気配を消しながら接近。

そして、何カ所か。

潜入できそうな場所を、発見した。

舌なめずりする。

此処で欲を掻くのは駄目だ。一旦、此処までで切り上げるべきだろう。ジーノさんが、機先を制するように言う。

「どうする、潜入もするか」

「いいえ、此処までです」

「どうしてだよ。 此処で敵の内部を探れれば、後が一気に有利になるぜ」

「とにかく駄目です」

ここから先は。

国家軍事力級の味方戦力が、側にいないと無理だ。

罠だとは思わないけれど。

いくら何でも、さっきはあまりにもツキ過ぎていた。そんな幸運が、何度も継続する筈がない。

ましてや、ツキに頼っていたりしたら。

いざという時に、どうしようも無くなる。此処にいる戦力では、もしも邪神が現れた場合、対抗することさえ出来ないだろう。

ましてや、あの巨大要塞は。

ロロナちゃんの砲撃にも耐え抜いた。

よほどの火力がないと、内部で罠にはまった場合、突破することは出来ないとみるべきだろう。

撤退だ。

ミミさんも、その意見に同意。

此処までの路を確保できただけで、今回は充分。それに、斥候を何度か斬っている以上、そろそろ敵も気付く可能性がある。

そう、順番に説明していくと。

ジーノさんも、負けを認めて頭を掻いた。

「2111よ、どう思う」

「そもそも、運で勝負を決める不確定要素を持ち込むのは、感心できません。 此処は確実を期するべきだと思いますが」

「わったよ」

頷くと、撤退開始。

帰路も、粛々と。

無言のまま行く。

メルルにしてみれば、むしろこの方が楽だ。行きと違って、経路は全て確定しているのだから。

敵が帰路に待ち伏せしていると言う事もなく。

途中、何度かモンスターと遭遇したくらい。いずれも出会い頭に斬り倒して、死体を処理。

それで、全て終わった。

高原への路が見えてくる。

まだ、敵の追撃は無い。

皆を促して、登山を開始。この山を登り切ったら、味方の勢力圏だ。最後まで油断しないように。

そう、メルルは。

視線で告げて。真っ先に行動を開始した。

 

3、歪みの地獄

 

混濁した記憶の中。

それが、浮かび上がってくる。

昔、輝くような時間があった。

北方列強を代表する大国。

其処で、五人の錬金術師が。国に雇われて。国のために働いていた。皆善良で心優しく。周囲の人々にも慕われていた。

それぞれの名前は。

もはや覚えていない。

ただ、ずば抜けた天才が一人いて。

その女性が、他の錬金術師達の、リーダーを務めていた。少し気が強いその女性は。錬金術の中でも、光の部門になる、薬の専門家だった。多くの人々が、彼女の薬によって救われ。

特に戦場では。

多くの兵士達に感謝された。

列強同士の、資源と利権の奪い合い。

仁義無き殺し合いが続く、大陸北部。

辺境の蛮族共と違って、北部には多くの遺跡が有り。文明が保持されていた。だから、なのだろう。

兵の数も多くなるし。

資源の消耗も激しくなる。

だから奪い合いは過激化し。

列強同士の戦いは。いつ終わるかもまったく見通しがつかない中。延々と続いていたのだった。

そんな中、五人は。

自分たちに出来る事を、一つずつやっていった。

怪我をしている人がいれば助け。

困っている人がいれば、一緒に悩み。

国が指示をしてきた事業を精査して。錬金術で出来る事をして。結果、多くの人々に感謝された。

ダムを造る作業の時は。

労力を著しく削減したとして、国から感謝状を貰い。

ある村で疫病が流行った場合は、真っ先に駆けつけ。

医師達と連携して、多数の患者の命を救い上げた。

戦場でも。

直接戦う事はなくても。治療には積極的に参加。結果として、後方支援として最高の成果を上げ続けた。

多くの兵士達を救った報償で。

アトリエも新しくすることが出来た。

だが、決定的な事件が起きる。

まどろみの中。

その忌まわしい記憶が、浮かび上がってくるのを。

一なる五人は感じていた。

ある戦場だった。

凄まじい会戦の後で。多くの兵士が傷つき倒れ。野戦病院には、多数の負傷者が運ばれて来ていた。

助けられる人と、そうではない人。

一瞬で判断をしなければならない、過酷な場所。

如何に死者を蘇生させるとさえ言われるネクタルでも。本当にどうしようもない負傷者は、どうにも出来ない。

そんな事は、わかりきっていた。

助けてくれ。

何でもするから。

悲鳴が辺り中に響き渡る中。五人は頷きあう。そして、錬金術で作り上げた薬を用いて、負傷者を治療していく。

兵士の一人が、つかみかかってくる。

どうして、彼奴を見捨てたんだ。

助かる見込みがありませんでした。

そう答えたのは、五人の誰だったか。兵士が獣のように叫び、他の兵士達につかまれて、連れて行かれる。

此処は、地獄だ。

そう思ったけれど。

自分たちが頑張れば、少しは緩和できる。そう思って、皆が必死に、兵士達を救い続けた。

だが。

その苦労は、全てが徒労に終わる。

過酷な一週間をどうにか乗り切り。

アトリエに戻った五人を待っていたのは。今までとは掌を返した周囲の対応。そして、罵声の嵐だった。

敵国の兵士を、優先して救った。

あいつらは、英雄でも聖人でも無い。ただ金目当てに働いているだけの、畜生の集まりだ。

唖然とする内容の罵声の数々。

アトリエに投げ込まれる石。石を投げてくる人の中には。今まで重篤だった状況を救ったり。困っているところを一緒に悩んで、一緒に泣いた人まで含まれていた。

仲間の、幼い一人が、さめざめと泣く。

どうして、こんな酷い事を、平気で出来るの。

応えられない。

花壇は踏み荒らされ。

玄関には火をつけられた。

一日中罵声を浴びせられた後、国から、冷徹な目をした使者が派遣されてきた。それによると。

錬金術師達が、利敵行為を行ったことにより。

今までの勲章と名誉を、全て剥奪する、とかいう事だった。

もはや、表情が消えている五人。

誰もが、疑念を抱く。

これが、人間なのか。

人間がやる事が、これなのか。

アトリエには、ぱたりと人が来なくなった。頼ってきていた人も姿を見せなくなり。笑顔を見せてくれた通行人は、すれ違っても、誰もいないかのように無視した。生活必需品も、姿を隠さないと、手に入らなくなった。

外に採集に行く時さえも。

モンスターよりも、人間に襲われることを、警戒しなければならなかった。

程なく。一人が見つけてきた。

遺跡だ。

古い時代の遺跡。

国が調査して、失敗したという。潜入すれば、何か古い時代の記憶が得られるかも知れない。

そんなものを得て何になる。

年老いた一人が反論する。

酒に溺れて、顔が赤い。

幼い一人はしくしくと泣きはらした後は。隅で膝を抱えて座っていた。

リーダーである一人は。

決断した。

このままでは、みんな駄目になる。人間とは何なのか、せめて確かめて。それから、どうするか決めよう。

古い時代の遺跡には、人間に関して、根源的な知識がある可能性も高い。

国が苦戦している以上。

我々が潜り込むのは難しくない。

命がけの勝負になるだろうけれど。それでも、今のままでいれば、いずれは皆、このおかしくなった国の人々に殺されるだけだ。

説得に、皆が動く。

なけなしの武器屋道具類を持って、アトリエを出た。外から見ると、あの可愛くて綺麗で、皆の誇りだったアトリエは。

悲惨なほど破壊されて。

もう、言葉も出ない。

これが、今までの行為に対する結果。必死に皆を助けてきたことに対する、報いだというのなら。

この世界を支配している神は、何処で寝こけているのか。

どうして、このような悪夢に、人々を駆り立てるのか。

知らなければならない。

そうでなければ。

闇に足を突っ込みつつある我等は、納得が出来ない。納得が出来ないままでは、死んでも死にきれない。

遺跡に辿り着く。

軍が苦労していると言うだけあって。其処は、凶悪なガーディアンの巣窟。罠も容赦がなくて。何度も死にかけた。

だけれども。

五人の結束と勇気。何より今まで積み上げてきた経験が、道を切り開いていく。周囲に転々としてた兵士の死体もやがて見えなくなり。

機械で出来た遺跡の心臓部まで。

五人は、一人も欠けることなく、辿り着く事が出来ていた。

予想通り。

其処は、あらゆる知識の巣窟。

膨大な知識が、古い時代の奇蹟の技術によって、保存された場所。錬金術師にとっては、宝の泉と言っても良かった。

皆で手分けして、知識を貪り喰った。

人間とは何なのか。

世界とは何なのか。

知らなければならない。

興味深い資料を見つけると、声を掛け合って、すぐに皆で回し読みする。此処の邪神は、人間に危害を加える気は無く。むしろ我等に対して、積極的に資料提供をしてくれた。軍に対して攻撃を繰り返したのは。どうやら「正式な手続き」をせず、不法侵入を繰り返したから、というのが邪神の主張らしかった。

どうでもいい。

今は、とにかく。

知識だ。

この状況を打開するためにも。世界というものを、全て知り尽くしてしまう必要がどうしてもある。

知識が増えていく。

やがて。皆が、悟る。

昔、この世界で、何が起きたのか。

其処に住んでいた人間達が、如何に醜かったか。今の人間と同様であるか。あり得ない破壊を行い。世界を滅茶苦茶にしたというのに。人間は、何一つ変わっていないという事を。

嗚呼。

我等は、なんと愚かだったのか。

感謝の言葉など。

全てまやかしに過ぎなかった。

誰かを救うことなど。

何ら意味のないことだった。

人間に、そんな事をしても。何一つ意味などない。それは、此処にある、容赦が無いほど客観的な資料が、全て裏付けていた。

人間など、いない。

厳密な意味での人間など、古い時代からいなかったし。今の時代にも、ただの一人だっていない。

二足歩行で、殺戮と暴虐の限りを尽くし、エゴに従って世界を壊し続ける肉の機械だったら存在する。

そして、それは。

自分たちも、同じだ。

変わらなければならない。

せめて、自分たちだけでも、人間に。

そう、その名前は。

一なる五人。

一にして五。五にして一。

世界にただ唯一存在する人間にして。

この腐った世界を焼き尽くし。地上に跋扈する肉の機械共を全て駆除し。そればかりか、世界そのものを完璧なコントロールに置くべき存在。

それが、本来の。

人と言うべき種族の、あるべき形なのだ。

 

目が覚める。

古い記憶に身をゆだねていた。

まだ、五つの個性が、別々の体を持っていた頃。だけれども、今は違う。全員が完璧な意思疎通を可能にしている。

人間など、我等以外に存在しない。

断言できるようになるまで、随分苦労した。

持ち帰った知識で、研究を開始して。まずは肉体の改造から始めた。アトリエの周囲は強力な防御結界で守り、周囲の肉人形共から遠ざけた。

六年の時が掛かり。

皆が、肉人形ではなくなり。

人になる事が出来たとき。

どれだけ嬉しかっただろう。

そして、その時知ったのだ。人の可能性がどうのこうの。人の輝きがどうのこうの。寝言を並べ立て、二足歩行の肉人形共が行って来た愚行を全肯定し。世界をこれだけ破壊しつくしてもなおも反省などする気は微塵もなく。そればかりか、この壊れた世界でもエゴをばらまきながら、周囲に不幸を可能な限りまき散らしている。こんな肉人形を、救おうとか、感謝されようとか、名誉を貰おうとか。仲良くしようとか。考えていた自分たちが、どれだけ愚かしかったか。

五人全てが、その認識を共有し。

そして、涙を流した。

だが、そんな愚かな過去とも決別だ。

今や我等は、本来の人になる事が出来た。

肉人形では無い。

我等だけが人で。

我等以外に人はいないのだ。

其処からは、徹底的に冷酷になる事が出来た。肉人形など、どうしようと此方の勝手なのだから。

人権。人としてのあり方。

そんなものは、お笑いぐさだ。

人に対してなら兎も角、肉人形にそんな事をする理由が何処にある。この世界の何処に、自分達以外の知的生命体が存在するというのか。

知能も身体能力も、圧倒的に増した。

国を乗っ取るまで、そう時間も掛からず。

最強の暗殺者レオンハルトを膝下に組み伏せるのにも、大した手間を必要とはしなかった。

辺境でアーランドが勢力拡大を続けるのを尻目に、モンスターの洗脳技術。戦闘用ホムンクルスの開発を進展。

やがて、列強を自称するゴミクズ共を。

根こそぎ掃除に掛かった。

それさえも、陽動に過ぎない。

真の目的は。

この星そのものを、全て完璧なるコントロール下に置くこと。それには、あるものの存在が、絶対に不可欠だった。

それが辺境、アールズの側にある事は分かっていたが。

それを手に入れるまでには、まず肉人形共の数を、徹底的に減らしておく必要もあった。だから、削った。

そして、各地の遺跡から、補完のためにも知識を集め。

やがて、アーランドとの戦端を切ってしばらくした頃には。

全員が物理的に融合し。

完璧な意味でのコミュニケーションを取る。

更に完全な意味での人間になる事も、実現できていた。

「四女神を従えることが出来たのは僥倖だったな」

「何、エアトシャッターの覚醒に成功したからな。 連中は、知識の支配を司る存在であるようだし、我等を支配者と認めるのも、至極当然の事であろうよ」

「ふふっ、現金だよね」

「長時間は、戦場に連れ出せないのが玉に瑕だが」

皆が話し始める。

浮かび上がった五つの意識は。それぞれ、完全な意思疎通を行っている。肉人形共がコミュニケーションとか称している笑止なものとはまったく違う。文字通り、何もかも漏らさず、完全なる意思疎通が可能となっているのだ。

だから、無駄もない。

「問題は、辺境の連中だね」

「思った以上に食い下がってくるなあ。 どうするか」

「四女神を動員するにしても、長時間は暴れさせられぬ。 それだけがネックだ」

「もう少し戦力を削りたいなあ」

その通りだ。

しばらくは皆に話すに任せ。

自身は、発掘した知識をフォーマット。一段落した辺りで、それを提示する。無限書庫の深奥から見つけ出してきた、最強の切り札。

というよりも、鍵だ。

エアトシャッターは覚醒し。

現在、作業を進めさせている。

その後。

この星そのものと一体化するには、膨大な魔力をそそぎこんで、ある事をする必要があるのだが。

その儀式の手順を、更に簡略化できる。

おそらくは、後一年と少し。二年以内には。

この星を、全て自分たちと一体化し。地上に跋扈する肉人形共を、全て排除することが出来るだろう。

モディスは捨て石だ。

必死に守っているように見えるだろうが、エアトシャッターは別の場所にいるし。中核部分もしかり。

ただ、アーランドの国家軍事力級共は脅威だ。

出来れば、四女神とぶつけて、可能な限り確実に処理したいのだが。

この間の会戦で、予想外の被害を出してしまったこと。作り上げてきた肉体にまでダメージを受けてしまったこと。

この二つが痛手だ。

どうにかして挽回したいが。

いずれにしても、今は時間さえ稼げば良い。

時間さえ稼げば。

全てが終わるのだから。

「時にゼウスはどうする?」

「ああ、彼奴か。 急に大人しくなったよね」

「あれは裏切った可能性があるな。 我々をどう誤魔化したのかは分からんが、やったとすればトゥトゥーリアだろう」

「処分するか」

皆の意見がまとまりつつある中。

そのゼウスが姿を見せる。

跪くゼウスは、報告してきた。

「モディス前面に、敵が迫っております。 ジオとステルク、それにエスティのようです」

「放置」

「は……」

このモディスの防備は、現在最強と想定されるロロライナの超長時間詠唱砲撃にも耐え抜くほどのものだ。

五月蠅くなってきたら、四女神に対処させれば良い。

伊達に、時間を掛けて練り上げてきた防備では無い。

まて。

攻撃のタイミングがどうにも妙だ。こればかりは、膨大な経験値がものをいう。判断を誤ると、それだけ今後に響く。

まさか、この攻撃、陽動か。

だとすると、何か裏であるのか。

「周囲を徹底的に調査せよ。 正面攻撃については、自動防御システムに対応させよ」

頷くと、ゼウスが出て行く。

他の意識が語りかけてくる。

「いいの、あいつ放置しておいて」

「少なくとも、一度徹底的に調査するべきだと思うが」

「構わないよ、泳がせておこう」

「何か意図が?」

勿論ある。

それを告げると。

一瞬黙り込んだ後。周囲は皆、笑い始めた。

相変わらず悪辣な。だが、あの程度の輩には、それで充分だろう。皆がそう言う。

自分もそう思う。

だから、それでいい。

我等は一なる五人。

五つにして一つ。一つにして五つの存在。世界で唯一の人間。完璧に作り上げられた連携を崩せる者など、この世界の何処にもいない。

 

あの時。

人間の定義を知って。

そして、皆で大笑いした。最初絶望したのだけれど。その後、あまりにもおかしくなりすぎて、笑い。

それが皆に伝染した。

異常な笑い声が地底に満ちて。

そして、気付くと。

心の中は、混沌に塗りつぶされていた。

人間とは、生物的な定義ではない。

精神的な定義だ。

だが、その精神的な定義を満たす事が出来ていた人間など。この世界に、過去も、今も、そして未来も。

一人も存在しないし。

存在し得ない。

だからあらゆる愚かな肉塊を、人間と無理矢理定義づけ。その結果、世界は壊滅に落ちていくことになった。

何が可能性だ。

何が人の光だ。

そんなものを、本気で信じていた我等は、何だったのだ。我等の生きてきた意味は、何だったのか。

存在しないのなら。

作ってしまえばいい。

むしろ、我々が、その人間になってしまえば良いのだ。

五人では無く。一人の。

勿論、みんな一緒に。

それを私が提案すると。

皆、乗って来た。

それがいい。

この世界に生きている肉塊。愚かしいヒトガタの肉人形達に、存在する価値など一片も無い。

連中は消耗し、消費し、そして世界を食い荒らす寄生虫だ。一刻も早く駆除しなければならない。

そして、駆除の後は。

永久にこの世界を、完璧に統治していかなければならない。

ただ一人の、人間として。

皆で、その結論に同時に到った。何故なら、それが真理だからだ。誰もが見てみぬふりをしてきた現実。

世界には。

人と呼べる精神を持つ者など。

誰一人として、存在せず。これからも存在しないという、悪夢のような現実。

そしてそんな肉人形達に、無駄なことをして、一喜一憂していた。

世界の深淵に至り。

悪夢の根元を知ってしまったから。

我等は、戻りようが無い狂気の世界へと、踏み込んでしまったのかも知れなかった。

だが、それも構わない。

あのまま、使い殺されるくらいだったら。邪神をも超える究極の破壊者となり。その後に世界を再構築して、完璧な形で支配する。

それも悪くなかった。

 

4、確保されし経路

 

高原の野営陣地まで戻って。

書状を常駐のホムンクルスにたくすと。

その場で、崩れ落ちるように、強烈な疲れによって、メルルは全身を地面に叩き付けられそうになった。

勿論踏みとどまる。

ただし、ベッドへは直行。

体力と言うよりも。

極限状況で、苦渋の決断をしなければならなかったのが、とにかく厳しかった。最悪の状況が、続いたとも言える。

強力な敵地の中で、身を潜め。

出来もしない選択肢を、選ぶかどうか悩み続け。

結果として。

思わぬ結果に終わったものの。

戻ってきてみれば、いつ殺されてもおかしくない状況だったのだと、改めて思い知らされるばかり。

ベッドで意識が戻る。

半日以上、眠っていたのだった。

鍛錬の前に、銭湯に行く。

流石に時間が早朝と言うこともあって、がらがらだ。ちなみに管理はエメスがやってくれているので、いつでも誰でも入る事が出来る。

湯船に体を沈めていると。

その場で溶けて、眠ってしまいそうだ。

何とか耐え抜いて、外に。

やはり、腰砕けそうになる。

ここのところ、あまりにも疲弊がひどかった証拠だ。耐久糧食でも口にするべきか、それとも。

しばし悩んだ後。

此処は寝るべきだと判断。

メルルはまた、ベッドに直行した。

今は、膠着状態。

食糧以外の物資は、前回の探索ではほぼ消耗することが無かった。爆弾は仕掛けたけれど、それも何時でも使える品ばかり。

伝令が戻るまで、少し時間も掛かる。

今は、寝るべき。

寝て、体力も精神力も。

全てを、回復するべき時だった。

しばし、惰眠を貪る。

そして、夢を見た。

遠い異国、だろうか。

心優しい女の子に、メルルはなっていた。

蝶よ花よと育てられたわけでも。

温室栽培された訳でも無い。

世界の残酷さを知りながらも、それを包み込む強さを持った人。素敵な人だなと、メルルは思ったけれど。

何だろう。

軋むような、異様な気配がある。

世界そのものが、歪んでいるような。そんな感触だ。

これは夢だが。

恐らく他人の人生を追体験している。

それは、すぐに分かった。ここのところ、メルルは何度か、この経験をしているからである。

女の子は、皆と旅をした。

過酷な旅ばかりだった。

それでも笑顔を絶やさなかったのは。

人生には山も有り谷も有り。

きっと、いつか自分のしてきたことが報われるという、明るくて前向きな考えがあったから、に違いなかった。

何だろう。

この妙な違和感は。

軋む。

ガラスがすりあわされる音を聞かされるような不快感。明るくて、優しい女の子の記憶を見ているはずなのに。

何だろう。

この、嘔吐を誘われるような、異常さは。

ふと、気付く。

周囲の仲間達の顔はよく見えないけれど。

影が、おかしい。

明らかに人間では無い。

それだけではない。

自身の、影もだ。

まさかこれは、人の記憶では無い。いや、一瞬後には、人の影に戻っている。何だこれは。おかしな薬にでも、頭を冒されてしまった人の夢だろうか。いや、そうとは思えない。そうだとすると。

つじつまが。

あいすぎているからだ。

つまりこの夢には、嘘と現実が同居している。しかも、嘘は見えているものとか、そんな単純なものではない。

何が嘘になっている。

見ていると。

旅をしている女の子は。困っている人々を見ると。あらゆる困難に対して、親身に接していった。

そして、授ける。

困難に、対応出来る力を。

ある時は、水が出る道具を作り出し。

ある時は、荒野を緑に変えた。

時には、遺跡に潜って。一人で邪神を一とする無数の敵を、無造作に蹴散らし。其処で手に入れた機械を、持ち帰る。

皆を豊かに。

優しく。

そうすれば、きっとこの世界は、また穏やかな時を取り戻す。このような。終末のまま立ち直れない地獄からは、離れられるはずだ。

そう信じて歩き続ける。

あらゆる場所を。

だが、気付いてしまう。

自分がしていることは、無駄になっていないか。

困っていても。誰かが助けに来てくれると、誰もが堕落してしまっていないか、と。廻りのナカマ達に聞く。

そして、気付く。

彼らは、自分に都合が良いことしか、言わないのだと。

戦争が始まる。

良かれと思い、女の子が提供した技術を使って。ある王が隣国に攻めこんだのだ。その隣国にしても、女の子が授けた技術を使って、反撃。

一瞬にして。

あまりに多くの人命が失われた。

この荒れ果てた世界なのに。どうして人は、このような有様に陥っても、反省することが出来ない。

エゴのまま、世界を食い荒らそうとする。

頭に響く。

それが、雷鳴のように。

人は変わらぬ。

世界をこのようにしてまで、エゴを全てに優先する生物だ。人という種族が、代わることはあり得ぬ。

或いは個人は変わるだろう。

だが、それはあくまで個人の話に過ぎぬ。

お前も気付いている筈だ。

お前が助けてきた人間が。いずれも、都合が良いものを見る目で、お前を見ていた事を。お前が注いで来た無私の愛情が。

何もかも、霧散し。

誰もが、嘲弄していることを。

頭を抱える。

そんな筈は無い。しかし、あらゆる事象を思い直すと、その苛烈な指摘が、全て真実だと、自分でも分かってしまう。

意を決すると。

女の子は。

ヒトを止める事にした。

そして、せめて。錬金術を、決定的に間違った使い方をする者が現れた場合に備えて。もっとも危険な術式については、封印。

各地に残してきた、技術を伝えてきた人間に。

後の全てを、任せる事とした。

何故奪わなかったのか。

ヒトの可能性を、信じたからか。

いや、おそらくは違う。

自分がしてきたことを。

否定したくは、なかったからだ。

やがて女の子は。

何十年も同じ姿だった、その肉体を捨てて。世界の外側にある存在へと、移り変わった。それは、本当の意味での。

 

目が覚める。

何だ、今の夢は。

メルルは、混乱していた。

今のスケールが巨大な、巨大すぎるほどの夢は、一体何なのか。あんな存在、思い当たりさえしない。

いや、何となく分かる。

今のは。

この世界には、神話にも等しい歴史的実在人物がいる。世界の各地に錬金術を伝え、その後忽然と姿を消したもの。

アーランドに到っては、そのものが現れなければ。

近くの遺跡から、機械を得ることは出来ず。

文明化も出来ず。

未だに、戦闘力だけが頂点を決める方式のまま、血なまぐさい歴史を刻み続けていただろう。

恐らくは、だが。

今の夢の主は。

旅の人。

メルルでさえ知る。錬金術師が、最初に学ぶことになる名前。当たり前だ。あまりにも、その存在が偉大すぎるからである。

だが、どうして。

もし今の記憶が、旅の人のものだったとして。

何故にメルルが、それを見た。

何か、旅の人が直接関わるような、巨大な出来事が、近づいているというのか。そうだとしたら、メルルはどうすれば良いのか。

パジャマから着替えて、外に。

流石に丸一日眠ると、体力も回復している。こればかりは、メルルの若い肉体の特権だろう。

しばし、無心に鍛錬をした後。

アトリエに入る。

ケイナは既に起きていて、朝食を作ってくれていた。丸一日眠っていたと言うことは、その間食事をしていない、という事だ。

猛烈に腹が減っている。

すぐに、がっつくようにして、食事を開始した。

その間に。

ケイナが、聞いてくる。

「また、誰かの夢を見ていたんですか」

「うん」

「やっぱり。 随分うなされていました」

やはり、そうだったか。

メルルはすぐに食事を終えてしまうと、絞りたてのシャリオ山羊のミルクを一気に呷る。風車地帯では、既に牧畜が始まっていて。その成果も出ている。山羊のミルクは、すぐにその場では飲めないけれど。ちょっと手を入れて冷やすと、とても栄養豊富な、素晴らしい飲み物と化すのだ。

飲み干して、落ち着く。

やはり、あの夢は、旅の人だったというのか。だとすると、恐らくは、だけれども。旅の人が、この近くにいる。

それも、メルルに関わる形で。

だが、どうしても、思い当たらない。

一体誰だ。

もしくは、知らない誰かが、側で何かしらの因果を紡いでいるのか。しかし、それにさえ、どうにもぴんと来るものがなかった。

軽く錬金術をしてから。

もう一度、寝る。

まだ少し、疲れが残っている。

だらだらするくらいで良い。

今は兎に角。体に蓄積したダメージを、少しでも回復させなければならない。だが、体の方は良くても、精神はどうにもならない。

つらいのだ。

眠っていれば悪夢に遭遇するし。

起きていても、辛い判断を常に強いられる。

それが王族の責務とは言え。

辛いというのは、間違いの無い事実だ。

父上も、こんな環境に耐えてきたのだろう。

他の国の、ある程度まともな王族も、皆。

暴君になる者が多いのも、分かる気がする。ため込んできていた鬱屈が爆発したとき、周囲に止められる人間がいなければ。

それは、ヒトの形をした自然災害が、誕生するのと同義だからだ。

伝令が来る。

手紙への、返事だった。

なんとジオ王の直筆である。

「敵搦め手の発見、大変な偉業であったな。 近年みるみる力をつけているようで、デジエ王も鼻が高いだろう」

「……父上は」

その先に、言葉が続かない。

父上とは滅多に顔を合わせないし。

何よりだ。

メルルと会ったとき。父上が、あまり嬉しそうにしないことは、肌で感じている。メルル自身を嫌っているのでは無い。

錬金術師として、成長した結果。

人としての道から、足を踏み外しつつある事に、気づき始めているのだろう。だから、いつも険しい顔をしている。

きっと、今の話を聞いても。

喜ぶとは思えない。

苛立つか、或いは。

悲しんで、おばさまの墓に参るか。どちらかでは無いかと、メルルには予想できる。それも、手に取るように。

ジオ王からの手紙は、なおも続く。

「時は金なり。 兵は拙速を尊ぶ。 すぐに難攻不落の敵要塞モディスに対して、本格的な攻撃を仕掛ける。 メルル姫は、援軍と合流し次第、敵搦め手の攻撃に対して、参加していただきたい」

「援軍、か」

多分ステルクさんだろう。

なんと無しに、そう思う。

恐らく一番タフで、戦闘での生還率が高そうだからだ。邪神が複数出てきても、長時間耐え抜いて見せる気もする。

それに、だ。

一なる五人はずっと此処で何か計画を進めていたように思える。

もたついていると。

とんでも無い事態が来る可能性が高い。

そう、ジオ王は言う。

この辺りで、決定的な勝利が必要なのだ。もはや、各国の前線が、そのまま崩壊しかねないほどの、である。

それについては、分かる。

分かるからこそ。

メルルは、憂鬱だ。大きく嘆息する。

敵だって、黙っているはずが無い。

何処かで。

ロロナちゃんとクーデリアさんが二人がかりで対処しても押されたという邪神と、ぶつかる可能性が低くないのである。ステルクさんは、姫様は自分が守りますとか言いそうだけれど。

それは無理だ。敵要塞の中で、邪神と遭遇して。

邪神だけの相手で、済むだろうか。

それでも。

メルルはもう本能のように、準備を始める。物資については、既に蓄積が開始されているから、問題ない。

問題があるとすれば。

それは、士気、だろうか。

 

ステルクさんが、予想通り来た。

ちなみに援軍は彼だけである。とはいっても、ステルクさんが来てくれているだけで、正直戦力は最低でも五倍増しだが。

すぐに地図を拡げて、説明。

複雑な経路と、書き込まれた地図。

ステルクさんは、感心して頷いた。

「これは、よく調べられましたな」

「大変でしたよ」

「そうでございましょう」

まあ、阿諛追従はその程度でいい。

地図の上で、どう進むかを説明する。ステルクさんは、流石に国家軍事力級戦士と言うべきか。

戦いのことに関しては、頭の使い方が違うのだろう。

一つずつの事象を。

全て丁寧に。完璧に覚えて行ってくれた。

「それで、搦め手に着いたら、ですが」

「その時は、前面で行っている陽動攻撃に遭わせて、一気に後ろからモディスに最大火力の雷撃を叩き込みます」

それは、ちょっと。

ざっと見ただけでも、強烈な防御魔術で守られているモディスだ。

後方の隙がある場所とは言っても。

そんなに安易な方法で、突破出来るだろうか。

小首を捻るステルクさん。

悩んだ末に、今の結論について説明。そうすると、ステルクさんは、苦笑いしたようだった。

「あの結界は、展開までにタイムラグがあります。 自動で展開している様子なのですが、少なくとも魔術発動の兆候を見つけるまでは動きません。 ですので、結界の防護範囲内に近づいて、ズドンと一撃。 これで、問題なく、モディスに致命傷を与える事が出来るでしょう」

随分な自信だけれど。

この人の場合は、実力に応じた言葉である。不遜だとか、不敵だとか、そういう要素は感じられない。

とにかくだ。

兵は神速を尊ぶ。

勿論拙速の要素もあるが。それは、この際仕方が無いと言える。

「すぐに出撃します」

メルル自身も。

スピアとの戦いに、決定的な打撃を与えられるなら。

この攻撃には賛成だ。

皆を集めて意見を聞く。誰も、反対はしない。セダンさんさえも、である。

分かっている。

この戦いは、今までメルルが経験したもののなかでも、最も厳しいものとなるだろう。ほぼ間違いなく。

戦いそのものも厳しいだろうけれど。

その後が最悪だ。

もしも負けでもしたら、地獄の追撃戦が始まる。

勝ったとしても。

安易に敵陣に居座って、ゆっくり休む、などという方向に、話が進むはずも無かった。敵の本陣は、もっと後方にある可能性が高いのだ。

「ご安心を。 姫様は、私が必ず守ります」

ステルクさんは。

メルルの苦悩を知ってかしらずか。

そんな事を言うのだった。

 

(続)