逆落とし
序、戦力分散
最初から、何となくメルルには分かっていた。だから、ステルクさんが辛そうにそれを伝えに来たときには。ああ、やはりとだけ思った。
今回の高原開発は。
陽動だ。
というよりも、明らかに敵は、高原開発に気がついている。当然、其方に経路が開拓されて。主力が逆落としを仕掛けてくる事を、想定している。しかしながら、敵はもはや、兵力を派遣して、先制攻撃をする余力も無い。
実際には、余力はあるらしいのだけれど。
トトリ先生が、それを潰したらしい。
どうやってかは、聞かせてはくれなかったが。
ひょっとすると、少し前に感じた、とても強い気配かも知れない。だとすると、トトリ先生が武闘派であることを、改めて思い知らされた形になる。アレは正直、ミミさんとジーノさんが二人がかりでも、手に負えるか分からないレベルの相手。以前戦った巨大なサンショウウオのモンスター、ゼドナよりも、更に格上だったかも知れないほどのバケモノだった。
単独で処理したとなると。
やはり、トトリ先生の実力は、メルルが思っているよりも、遙かに上と言う事なのだろう。
ステルクさんは、話を続ける。
此方に敵が注意を向け、兵力を裂いた今が好機。
国家軍事力級の戦士数人が、同時に攻撃。
敵の前線を打ち抜くというのだ。
「メルル姫には、陽動を兼ねて、兵力を率いて高原へ上がっていただきたい」
「分かりました。 それにしても、大丈夫ですか」
「私とロロナ、それにクーデリアが出向きます。 エスティは一旦後方に下がりましたし、陛下は後方待機中ですので」
「……」
敵の兵力は、現時点で二万五千ほどと聞いている。
本来国家軍事力級三人がかりであれば、突破は無理ではないのだけれど。何だろう。何か、とてつもなく嫌な予感がする。
相手に一なる五人がいると言うこともあるし。
二万程度の兵力で、前線を固めている敵の動きもおかしいような気がするのだ。
しかし、メルルよりも遙かに場数を踏んでいるクーデリアさんの判断だ。何よりこの人達は、百戦錬磨の猛者達。
不覚を取ったとしても。
最悪の事態には、常に備えているだろう。
それで、メルルも、多少は安心した。
「分かりました。 しかし、無理だけはしないでください」
「ありがとうございます、メルル姫」
「ええ……」
アトリエから戻るステルクさん。
大きく嘆息すると。
メルルは、すぐに城に向かうことにする。
此処まで情報が降りてきたと言うことは。
アーランド軍は、間もなく動き出すという事だ。ルーフェスに確認して、メルルの方に回る戦力についても、しっかり把握しておかなければならない。
ケイナやライアスへの負担だって増えるのだから。
城に出向くと。
アールズに来たばかりらしい、ホムンクルスの一小隊がいた。礼をして、ルーフェスの所に出向く。
事が事だ。
ルーフェスも既に手を回してくれていて。すぐに面会できた。
「既に話はお聞き及びかと思います」
「うん。 それで、此方の兵力は」
「ミミ殿とジーノ殿は確保できました。 そのほかに、先ほどすれ違ったかと思うのですが、ホムンクルスの一小隊を」
「!」
一小隊、十六名。
これは有り難い。
多分彼女たちはまだ実戦経験がないが、それでもベテラン冒険者並み。つまり今のメルルよりも同格かそれ以上の使い手ばかりだ。
これは、かなりの戦力として期待出来る。
「他には?」
「これだけです」
「うん、充分だよ。 後、私の方でこつこつ造っていたエメスを、十二機連れていくからね」
「エメスをですか」
眉をひそめるルーフェス。
メルルの方で用意していたことは、知らなかったのだろう。勿論戦闘目的ではない。皆にはフードを被って貰って、とっておきの予備兵力のように見せるのだ。こうすることによって、更に陽動の精度が上がる。
勿論、敵が主力を此方に向けてくる可能性もある。
多分無いだろうけれど。
その時のために、備えはしておく必要もあった。
いずれにしても、この戦いでモディスを奪還できれば、勝負は一気に此方に傾くと見て良いだろう。
各地の前線を喰い破ることが出来れば。
難民達を、故郷に帰してやることさえ、視野に入れることが出来る。そうなると、難民問題のある程度も解決できる。
ただし、それは今の段階では、ただの皮算用だ。
出来る事として考えてはいけないだろう。
そのほか、メルルは戦力として、幾つかの予備を持っていくことにする。リザードマン族や兎族は、今回前線で陽動任務。
リス族は、鉱山の途中にある緑化作業地点で出ずっぱり。
つまり、他に手を借りるとすると。
アトリエに戻ると、ケイナに耳打ち。すぐに外に出て貰う。合流は、鉱山の入り口だ。荷車を運んで貰ったのは、移動のためである。
さて、メルル自身も動く。
荷車に食糧と爆弾を積み込む。
出来るだけたくさん。
トトリ先生が来たので、挨拶。先生は、今日は、機嫌が良さそうに、笑みを浮かべていた。
あくまで見かけだけ。
この人がどれだけの闇を抱え込んでいるか、もうメルルは知っている。だから、表情をそのままには受け取れない。
「メルルちゃんは陽動任務だね」
「トトリ先生も出るんですか?」
「私はアストリッドさんと、その近衛と行動」
いつの間にか。
トトリ先生の側に、ホムンクルスがいた。
他と同じ顔なのに。なんと邪悪な雰囲気を放っていることか。感情も、とても豊かなようだった。
「パラケルススちゃんだよ」
「よろしく、アールズの姫様」
「よろしくね」
にやりと、艶然とした笑みを浮かべるパラケルススさん。
戦闘力は。
凄まじい。
ひょっとすると、ミミさんより上かも知れない。此処まで強い戦闘タイプホムンクルスは、はじめて見た。
「大敗しても、恐らく敵が押し返してくることはないだろうから、それは心配しなくてもいいよ」
「……だといいんですけれど」
「行ってくるね」
トトリ先生が、残像を造って消える。
溜息が一つ。
ミミさんが発したものに間違いなかった。
「あのパラケルススには気を付けなさい、メルル姫」
「恐ろしく強いように見えました」
「強いわ、桁外れに。 ホムンクルス達の頂点に立つという話は伊達では無くて、ドラゴンを単独で倒したこともあるらしいわよ。 それに何より、とにかく残虐な性格でね……」
それは恐ろしい。
というよりも、あの表情。
ホムンクルス達にも、感情がある事は分かっている。だが、いくら何でもあれは少しばかり異常だ。
元々ホムンクルス達の感情は、人間に比べると著しく薄いし、得た後も何というか、子供のように少しずつ積み上げていくものに感じる。
実際、ロロナちゃんの世話係として生を受けたらしいホムさんだって、その点は同じである。
自己主張はするけれど。
やはり感情がとても薄いのだ。
あのパラケルススというホムンクルス。残虐な性格を持ち合わせているとなると、とにかく規格外の存在だと見て良いだろう。
ひょっとすると、だけれど。
アーランドのダーティワークを、すべて任されているかも知れない。エスティさんが敵の攪乱を主体としているならば。
或いは、内部の反対派や過激派を。
彼女が処分している可能性も、考えられなくはないだろう。
おぞましい話だが。
大国が回るためには、必要な存在でもある。
メルルも、それそのものは否定しないし。
人間性が自分から見て歪んでいる奴は死ね、というような言論を持つ気だってない。そんな思想は、大量虐殺を正当化するだけだ。
ほどなく、準備が整う。
アニーちゃんにも、今日は来て貰う。
前回の大会戦で消耗したこともあり、アールズから今回兵士は出さない。とにかく、現役で戦える兵士が大勢戦死したのだ。
アーランド側も、今回無理して参戦はしなくて良いと言ってくれているし。
前線に出るのは、ハイランカー数名と、国家軍事力級戦士達だけ。そう考えると、敵の対応力を見る為の攻撃では無いか、とさえメルルは内心で思っていた。
ホムンクルス達と、出撃。
エメス達にも、ローブを被って貰う。
ホムンクルス達と背格好が似ているセダンさんと。それにアニーちゃんにも、ローブを被って、ホムンクルス達の間に交じって貰うけれど。
アニーちゃんはやはりまだまだこの長距離を歩くのは無理だ。
最近は、丈夫な革靴を造って、外を走り回ることも出来るようになっては来たのだけれど。
まだまだ、列強の大人に毛が生えたくらいの身体能力しか無い彼女に。
これから行く難所を、全て突破しろというのは、無理がありすぎる。その無理で、何かあったらと思うと。メルルは、とてもではないが、平静ではいられない。
2111さんと2319さんには、ホムンクルス部隊の指揮を任せたいと思ったのだけれど。
彼女たちは、首を横に振った。
「隊長がいます。 それも、1000番台の」
「彼女は実力的にも私達より上。 差し置いて指揮をするのは非礼です。 どうか今まで通り、マスターの護衛を命じてください」
「うーん、そう。 確かに正論。 分かったよ」
まあ、メルルとしても。
二人に護衛して貰うのは心強いし、それで良いとも思う。
王都東門を出る。
いつもよりかなり規模が大きい集団だ。ホムンクルス達に、エメス達。更に、ケイナとライアスは、これから東で合流することになる。
わざと見せつけるように進軍するが。
ひょっとすると、スピアが仕掛けてくるかも知れない。
ザガルトスさんが最後尾に。
先頭にミミさん。
そして、荷車の側には、ジーノさんがついて。アニーちゃんとシェリさんが、何時でも守りには入れるように、サポートの態勢を敷いていた。
見ると、ホムンクルス達は。
分隊単位四つに分かれ。
周囲を警戒するように、綺麗な方陣を敷いてくれている。
エメス達が、行軍というか。一糸乱れぬ三列縦隊を敷いているのとは、対照的だ。これもやはり、戦うために生まれたものと。そうでないものの違いなのだろう。
エメスをはじめて見るホムンクルスの中には、興味津々の者もいる。
メルルには、それも。
だいぶ分かるようになって来た。
勿論人間としての要素はかなり弱いのだけれど。それでも、感情はしっかりある。それが事実なのだ。
街道の切れ目で。
ケイナ達が待っていた。
フードを被った人影、合計二十五。
半数ほどはエメスだが。
残りの半分は違う。
さて、これで見せかけの兵力については、充分なものが整った。正直、今のアールズが用意できる「戦力」としては充分である。
「気配攪乱! 以降はハンドサインで行動!」
「了解!」
さっそく、シェリさんが魔術を展開。
更にアニーちゃんも、それを補佐に。同時に、荷車に乗り込んだ。既に十二名が荷車には乗り込んでいるが。
まあそれはどうでもいい。
移動開始。
モンスターは減っているが、それでもかなりいる。緑化地点まで到達。既に土だけ作って、其処に植林という形で、それ相応に見られる森が出来ていた。だが森としては、まだ不完全。
リス族達が手を振って来るが。
まだまだてんやわんやの様子だ。
これから森を、きちんとした生きた存在へ変える。
そう、彼らは言っていた。
この先は、護衛のホムンクルス部隊と、ジェームズさん達緑化のプロ達がいる。だが、その前に、まずは洞窟に。
洞窟の入り口と出口には、強力な魔術が掛かっていて。入ったもの出たものを、何時でも閲覧できるようにしてある。
シェリさんが、緑化の時に来てくれた魔術師達と相談し。連携した上で、展開した魔術によるものだ。
非常に強力な上、洞窟の深部にコアがあるため、簡単に壊す事は出来ないし。コアそのものも複数ある。
此処に入り込む事は、不可能だ。
中に入り、キャンプスペースに。
其処でようやく、声を出す事が出来た。
ただし、確認作業である。
「ハンドサイン確認!」
「応っ!」
全員が、てきぱきと動く。
メルルも自分でハンドサインを再確認。問題なしと頷いた後、次に移る。
フードを被っている者達。
ホムンクルス達一個小隊、エメス二十七名は問題ない。彼らはメルルによって造り出された可愛い生命体。
人を傷つけたりはしないし。
裏切りもしない。
問題は残りだ。
青ざめている彼らは。
アールズ北東部耕作地の。
荒くれ達だ。
その中でも、暴行などの罪で収監されていた者達。当然、魔術によって、動きは徹底的に拘束されている。
無論、モンスターに襲わせる気は無いし。
最悪の場合、囮にして逃げる、何て言うことだって、考えていない。彼らにとっては、災難極まりないだろう。
当然だ。
逃げたら殺すと、告げてあるからである。
逃げなくても死にそうな魔境に、これから出向くから、である。
メルルが率いている戦力の詳細がこれだ。
半数以上がフェイク。
しかし、敵はそれでも、見過ごすことが出来ない。それだけ、前線にいる兵力が減っているから、である。
準備が終わった後、また移動を開始する。
シェリさんによる熟練の攪乱にも、どうしても限界がある。だから、ミミさんとジーノさんには、常時敢えて強めに気配を展開して貰う。そうすることで、難民の犯罪者達の弱々しい気配を、隠すことが可能だ。
フードで隠れていて分からないが。
彼らは口に猿ぐつわをされている。
無意味な声を上げることも出来ない。予備戦力どころか、本当にいるだけの存在なのである。
そして、もう一つ、予備戦力があるのだけれど。
洞窟を出る。
彼らは、きちんといてくれた。
「センさん!」
「覚えていてくださいましたか。 光栄にございます」
深々と頭を下げる彼は。
ロロナちゃんの近衛。
スピアから逃れてきた、ホムンクルス達。ちなみに全体では二十名以上が存在するらしいのだけれど。
今回は、陽動任務で大半が動いていて。
その中の五名。
精鋭だけが、此方に来てくれている。
正直、メルルとしては、それで充分だが。
かなりの大所帯だ。
だがそれ故に。
敵も、ますます無視することは出来なくなる。
すぐに遮音の結界から出る。周囲は、全てが敵地だと考えて問題ない。風車は既に四機が造られ、急ピッチで緑化が進められているけれど。護衛のために裂く戦力が少なく働いているエメス達も、相当に大変そうだ。
メルルが姿を見せると。
技術者が来る。
遮音の結界をすぐにシェリさんが張り直してくれる。この辺りは、流石としかいいようがない。
ベテランらしく、状況をよく見ているのだ。
「メルル姫、大勢でどうしました」
「これから、この先まで行きます」
「それは、大変ですね。 お気をつけて」
「貴方たちも。 確実に風車を増やしていってください」
物資は充分に届いている。
風車を増やしていくのには、問題ない。メルルは会話を切り上げると。大集団となった皆を率いて。
まだ到達できていない、この高地の頂上を目指すべく、歩き始めたのだった。
1、山越え
山の、頂上に出た。
それこそ、長城のごとく連なる山脈の、その頂点である。少しばかり寒いけれど、この程度は、耐えられなければ辺境戦士では無い。
ちなみに連れてきている難民達は、みな真っ青になって震えている。
まあ、辺境出身者だし仕方が無い。
いわゆる高山病という奴だろう。対応出来なくても、こればかりはどうしようもないとしか言えなかった。
勿論、死なないように。対応したお薬は持ってきているし。
彼らに戦わせるつもりもない。
セダンさんやメルル。それにアニーちゃんでさえ平然としている状況だ。此処で身動きを取れなくなることは無い。
手をかざして、確認。
事前にリザードマン族に話は聞いているが、問題は無い。
真東は、彼らの領土だ。踏み込むことは許されない。
此処から北に行くと、霧が一面に広がる、広大な森。実はこの森、ベヒモスの一大繁殖地なのである。
それだけに、巨大で強力なベヒモスが、多数生息しているという噂も有り。
結局此処まで領土を拡げられなかったけれど。もしもアールズが此処へ到達していたら、一大駆除作戦が展開されていたかも知れない。
ただでさえアールズはベヒモスが多い土地柄で、街道から離れると即座に遭遇するとさえ、昔は言われた。
今は其処まではひどくなくて、メルルも野生のベヒモスと遭遇したのは、十回を超えない程度だけれど。
それでも、遭遇したいとは思わない。
あれは、生きた暴力のような存在なのだ。
辺境戦士達が撃退できるようになるまでは、ベヒモスは絶望の権化だったという話も聞いている。
旺盛な食欲。
広い縄張り。
何より、強靱極まりない肉体。
いずれもが、彼らが過酷な環境の中で暮らしている人々の、大いなる脅威となった。ベヒモスに関する恐ろしい伝承は山のように残っているけれど。それらは、あながち嘘でもないのだ。
そして、北西に目を向けると。
うっすらと見える。
モディス。
現在、スピアが前線基地にしている、巨大な要塞地帯だ。
どうやら、既に戦いは始まっているらしい。要塞前面で、無数の火線が交錯しているのが見えた。
ズドンと、凄い音。
ロロナちゃんだろう。
砲撃が、敵の守りを貫通して、一部に大穴を開ける。しかし驚いたことに。その大穴は、即座に塞がれる。
余程に強力な要塞なのだと見て良い。
今度は、横殴りに雷撃が走るが。雑魚モンスターを焼き払うことはあっても、モディスに近づくことさえ出来ないようだ。
それに、である。
モディス近辺の、気配の強い事。
凶悪なモンスターが。この高原に近いレベルで生息していると見て良い。生半可な場所ではないと覚悟はしていたが。
奇襲など。どだい無理だ。
地図を確認。
それでも、味方の負担を減らすために、やらなければならない。そうでなければ、とてもではないけれど。
味方は勝てないだろう。
リザードマン族に聞いたとおり、地図は修正してある。少し前に、ミミさんに軽く調べて貰ったのだけれど。その時は、少なくとも問題は無かった。
今は、どうか。
ミミさんが戻ってくる。
遮音の結界に入ると。彼女は、忌々しげに言った。
「見張りの櫓が造られてる。 しかも、しっかり敵兵が詰めているわ」
「数はどれくらいですか」
「そうね、ざっと全て見て五百。 勿論、麓にはそれ以上の数が待機していると見て良いでしょうね」
勿論、一つの櫓にその数がいるわけではない。
櫓という監視単位を中心に、敵が散開している、という事だ。
しかもミミさんの話によると、強いのが相応の数、混じっているという。
「陽動は成功よ」
「……」
そうだろうか。
メルルとしては、もっと敵の兵力を引きつけたい。そうすることで、少しでも正面攻撃部隊の負担を減らしたいのである。
五百なら。
今いる面子で、充分に蹴散らせる戦力だ。一斉に戦う事になったら、損害は出るだろうけれど。
無論奇襲を仕掛けて、損害は減らす。
センさんが、跪いて、提案をしてくる。
「我々が先行し、敵を混乱させましょうか」
「いや、此処は作戦のリスクを減らしましょう。 ミミさん、敵陣の詳しい配置について、見てきていただけましたか」
「勿論」
地図を拡げて、書き込む。
非常に手堅い布陣で、簡単に突き崩すのはまず無理だと言って良いだろう。迂闊に踏み込むと、文字通り蜂の巣だ。
だが、メルルには、今多数の支援戦力。
そして、メルル自身は。
メルルの杖を手にしている。
膨大な怨念をため込んだハルモニウムで作り上げたこの杖は。今はもう、メルルの体の一部と言うほどに馴染んでいる。
血を吸いたくてうずうずしているのが分かるほどだ。
だが、我慢して貰う。
この程度の狂気。
トトリ先生に見せられたアレに比べれば、何でもない。所詮死者の怨念など、生者の狂気に比べれば、どうということもないのだ。
「この地点から、仕掛けます」
「櫓を最初に潰すんだな」
「はい」
勿論、荷車も同時に移動。
予備兵力が、戦場から離れては、意味がないからだ。勿論、被害が最小限になるように、最大の努力はするが。
予定通りの場所に展開完了。
先頭はミミさんとジーノさん。それにセンさん達、ロロナちゃんの近衛五名。彼らの戦闘力はかなり高いし。此処で、暴れて貰うのが適任だ。
渡してあるのは。
大火力を誇る爆発物。
ミミさんが気配を消してこれを仕掛け。合図と同時に、メルルが起爆ワードを口にして、爆破。
櫓を潰す。
その後は、混乱している敵に突入。
ホムンクルス達の戦力。
ケイナとライアスに支援を受けて、メルルが突貫。
人間破城槌で敵将を討つ。
其処まで上手く行かなくても、ミミさんやジーノさんが敵将に遭遇していれば、其処で仕留めてくれているだろう。
シェリさんが、確認してくれているが。
少なくとも、とても強い敵が、将として配置されていると言うことは無い様子だ。恐らくは、そんな人材を廻す余裕が無いのだろう。
好機と言える。
此処さえ潰してしまえば。
後は、一気に敵軍を蹂躙できる。
麓まで行けるとは思わないけれど。数千単位の敵を此方に引きつける事が出来れば、作戦としては大成功。
水の手を断たれているわけでも無く。
山の上から敵を迎撃できるとなると、これはかなり有利な状況だ。つるべ打ちに、這い上がってくる敵をたたき伏せることが出来るのは爽快でさえあるだろう。
いずれにしても。
全て、上手く行ったら、の話に過ぎないが。
ミミさんが、他の六人とともに、敵陣に潜り込む。その際、ケイナが気配を消して忍び寄り。
敵の歩哨の喉を、横からかっきった。
気配を消す歩法は、もう充分なものとなっている。それに、新しい鞄には、刃が出るギミックも仕込まれている。小型のナイフほど融通はきかないが、鞄を扱う戦闘技術の中には、仕込み刃を用いるものもあるのだ。影のように動きながら、更に二人の喉を切り裂き、殺す。
こうして、見張りに穴が出来た。
ケイナとライアスが、殺した敵の死体を引きずって、此方に来る。
血の跡まではどうにもできないから、軽く水を掛けておいて誤魔化すが。それでも、あまり時間は稼げないだろう。
だが、ミミさん達なら。
平気だ。
ほどなく、敵陣に火柱が上がった。良しと、誰かが呟く。メルルも同じ気分である。敵陣が、大騒ぎに包まれる中。
立ち上がったメルルは、戦槍杖を展開。
突撃形態に切り替えた。
「全員、突貫っ!」
「おおっ!」
喚声を挙げながら、敵陣に突入。まずメルルは、何事かと姿を見せた敵に、問答無用で人間破城槌の洗礼を浴びせた。
一瞬で粉みじんになる敵兵。
大量の鮮血をぶちまけながら、メルルは走る。走る先にいる敵を、全て人間破城槌で蹴散らし、粉砕する。
走る。
加速。
更に加速。
大きめの敵発見。
勿論臆すること無く、突撃。
足下を、吹っ飛ばす。
左足を失い、倒れた敵を、ついてきた味方が、寄って集って切り刻むのを横目に、メルルは一度停止。
爆弾を周囲に放りながら、下がる。
敵の集結を待ち。
ある程度固まったところで、人間破城槌によって粉砕する。これが、必勝パターンだからだ。
ライアスが雄叫びを上げながら、暴れ回っている。
敵の注意を引きつけて。かなりの数を、捌いてくれている。
苦労の甲斐あって。
問題だった身体能力の貧弱さ脆弱さも、かなりクリアされてきている。とても良いことである。
ケイナはふらりふらりと周囲を漂うように歩きながら。
不意に敵の背後に現れると、突き刺す。
或いは、敵の前を横切るようにして、首筋をかっ斬る。
もしくは、鞄をフルスイングして、頭を打ち砕く。
影のように動き。
闇そのものの攻撃で敵を屠っていく様子は。隠密特化の戦闘スタイルだ。見ていてとても頼もしい。
ミミさん達は主力となって、大暴れして。敵の大半を引き受けてくれている。
この隙に。
敵の指揮官を探したい。
2111さんと2319さんが、メルルの側について、しっかり護衛してくれている。巨大な、複数の人間をつぎはぎしたらしいのが襲いかかってきたけれど。2319さんが片手で拳を止めると。そのまま放り投げて、地面に叩き付け。それで首をへし折ってくれた。
支給されたグナーデリングの威力。
流石である。
2111さんが、ハンドサインを出してくる。
敵の動きから見て。
指揮官がいる可能性が高い、という。
頷くと、メルルは走る。乱戦の中、ザガルトスさんが、周囲を蹴散らし。シェリさんが、上空から敵の位置を知らせてくれている。
セダンさんも、ついてきた。
彼女の手にあるメイスも、既に返り血で、べったりと赤く染まっていた。
「敵将発見!」
「分かりました!」
突撃開始。
猛火の中。
ためらいなく、メルルは突っ込む。燃えさかる炎を吹っ飛ばしながら突入。そして、見た。
槍衾の向こう。
神経質な文官という風情の、初老の男性がいる。
だが、どう見ても人では無い。
頭に、釘のような器具が、多数刺さっているからだ。
「防げ」
冷酷な声。
だが、メルルは悟る。
その声には、多分に怯えが籠もっている。
このまま、蹴散らす。
突貫。
槍衾を、真正面から、無理矢理にネジ開ける。前にいた数人が、文字通り消し飛ぶ中、メルルは左右から殺到してくる槍を味方に任せて、前進。
目の前に、いきなり穴が出来る。
落とし穴か。
だが。
加速して、跳躍。無理矢理に飛び越え。
そして、驚きに目を見張った初老の指揮官の下へ、殺到した。
接触。
次の瞬間には。
原型は無くなり、消し飛ぶ。
血の雨の中、メルルは呼吸を整えながら、周囲を見る。
まだ戦闘は続いているから、叫ぶ。
「敵司令官の首、アールズの王女メルルが取った!」
喚声が上がる。
実際は首どころか全身木っ端みじんだが、この場合は別に細かい事は良い。勢いをつける事が出来れば良いのである。
そして、敵が、逃走を開始した。
2、追撃陽動
敵の前線基地の蹂躙には成功。
だが負傷者も出たし。
物資も消耗した。
此処に前線基地があると、色々と面倒だ。だから、油を撒いて。全て痕跡も残さず焼いてしまうことにする。
少しばかり物資はもったいないが。
戦略的な意義を考えれば、仕方が無い事である。
敵は三百ほどの死体を残して逃走。
追撃はしない。
此方が大戦力。少なくとも、前衛基地を蹂躙できるだけの戦力がある事を、示さなければならない。
そのためには。
少しでも大げさに、此方の戦力を宣伝して貰う必要があるのだ。
死体の焼却が完了。
ミミさんが、来る。
多少の手傷を受けている様子だ。まあ、率先して突入したのだから、当然とも言えるだろう。
「偵察に行くわ」
「お願いします」
「……」
ケイナが不安そうにしているので、大丈夫と声を掛ける。
此処が前線基地だったとすると。当然ながら、兵力の大半が集まっていたはず。大会戦の前だったら、この四倍はいただろう。
だが、これが現実である。後は、ところてん式に敵を押し出しながら、叩き潰していけば良い。
そうすれば、敵が本腰を入れた頃には、相当数を屠ることが出来ているはずだ。少なくとも敵は、二千から三千。
此方に貼り付けなければならなくなる。
この厳しい状況で。
一割以上の兵力を、裂かなければならない、という事である。
それがどれだけ味方に有利になるか。
わざわざ、口にするまでも無いだろう。
負傷者の手当終わり。
荷車で、「予備兵力」は震えあがっているが。アニーちゃんの防御魔術は完璧で、負傷者も出していなかった。
丁度良い。
辺境で行われる戦闘がどういうものか、彼らにも見ていてもらうのが一番だろう。
敵陣を全て処理すると、前進開始
途中に見かけた敵は、全て屠る。
これは隠密任務では無い。
陽動任務だ。
敵を少しでも多く、此方に引きつける。それが主体となるのだから、当然だろう。山を下りていくと、露骨に敵が増えてくる。
片っ端から処理していくが。
ほどなく、ミミさんが戻ってきた。
「此処までよ」
どうやら、敵が思った以上に、大胆な兵力を集めてきたらしい。数字を聞かされて。メルルも愕然とした。
およそ五千。
まさか、こんな早い段階で。これほどの数を集めてくるとは、想定外だった。
すぐに撤退開始。
五千を此処に引きつけられただけで上等だ。敵の前衛の戦力が、それだけ目減りしていると言うことで。
遊兵になっている戦力が、五千も出る、という事なのだから。
それに、妙に出てくる敵が多いとも思った。
これは全て斥候だ。
反撃の兵ではなかった、という事になる。
「一度、山頂まで戻ります。 急いで!」
手を叩いて、味方を促す。
流石に五千とまともにやり合うことになると、非常に面倒な事になる。ましてや、本格的な追撃を受けながら山を登りでもする事になったら、最悪だ。全滅はしないにしても、大きな被害は避けられないだろう。
追いすがってくる敵の斥候やら前衛やらと渡り合い。その全てを蹴散らしながら、後退を続ける。
時には逆落としを掛けて。
敵の前衛を蹴散らし。
また駆け上がる。
消耗が、見る間にひどくなっていく。
敵は圧倒的な兵力を有していることを、理解しているからだろう。
まったく動じる様子も無く。
淡々と、陣を構えている様子だった。
一度、山頂まで退避完了。
負傷者が増えている。
ケイナに手当を急いで貰いながら、メルルは遠めがねを使って、相手の様子を確認。確かにミミさんが言うように大兵力だ。五千いるかどうかはすぐには分からなかったのだけれども。
しかし、どうして。
いくら何でも、このタイミングで、此処までの兵力を動かしてくると言うのは、どうにも妙だ。
一なる五人の指示だとして。
奴は何を考えているのか。
もしかして、何かしらの意図があって動いているのだろうか。そうなると、あまり考えたくないが。
罠に填められた可能性さえ、考慮していかなければならないだろう。
煩わしいが、仕方が無い。
いずれにしても、今いる此処が防衛線だ。
ホムンクルスの一人を、伝令に出す。
最悪の場合は、援軍を出して貰う事になる。まさか、無いとは思うけれど。
ちかちかと瞬いているのは。
恐らくは、ステルクさんの雷撃だろう。
渡り合っている相手も、雷撃を使っている様子だ。
ロロナちゃんも攻撃を仕掛けているはずなのに。敵はどうして、此方にこんな大兵力を出す余裕がある。
一なる五人が直接出てきて、前線にいるのか。
いや、それはそれで妙だ。
「敵が来ます」
「起爆!」
仕掛けておいた爆弾。
起爆すると、岩が吹っ飛び、敵を巻き込みながら転がっていく。其処へ、逆落としを掛けて、敵を蹴散らし。
すぐに引き上げる。
メルルとしては、人間破城槌を叩き込みたいところだけれど。
流石に無理だ。
ミミさんが、息を切らして戻ってくる。
危険を承知で。
敵の深くまで、偵察に出てくれていたのだ。かなり手傷が増えていた。
「まずいわ。 相当に強いのがいるわよ」
「ミミさんよりも、ですか」
「違う」
彼女が指さしたのは、眼下の大軍勢ではない。ステルクさん達が、戦っている方だ。彼方に、とんでもないのがいると言う事か。
それならば、この兵力を出せるのにも納得だが。
しかし、どうして。
何を、敵は隠していたのか。
敵がまた来る。
岩を爆破して、転がし落として、しばらくは凌ぐけれど。敵にしても、この辺境で生き抜ける実力を持つ生物兵器だ。
いつまでも、支え切れはしないだろう。
手が空いた間を使って、食事を済ませて。そして、すぐにまた迫ってくる敵を迎え撃つ。此処を抜かせるわけにはいかない。
ジーノさんが、剣に魔力を込め、降り下ろすと。
爆砕された岩が吹っ飛び、敵に流星群のごとく落ちていく。
ザガルトスさんが岩を運んできて、蹴落とす。
ローブを被っているホムンクルス達も、一糸乱れぬ連携で、見事に岩を運び続けてくれた。
エメス達も、である。
「敵は諦めないねえ」
「メルル、余裕がありますね」
ケイナが頼もしそうに言うけれど。彼女は、敢えてそう言っている。
分かっているのだ。
メルルには、余裕が無い事を。
周囲を勇気づけるために、メルルが敢えて飄々としている。それを悟っているから、強気でいる。
エメス達が運んでくる岩を、次々に落とし。
大物は、ジーノさんとミミさんに対処して貰う。
時には爆弾を投げ。
勢いが強い相手は、逆落としを掛けて粉砕する。
見る間に。
爆弾も薬も。
持ち込んだ量が、削り取られていく。敵だって、無抵抗で坂を上がってくる訳では無いのだ。
ひときわ大きな岩を、ホムンクルス達が数人がかりで、転がり落とす。
一気に敵の軍勢を巻き込んで落ちていくが。
それでも、決定打にはなり得ない。
呼吸を整えながら、次と、メルルは叫ぶ。
既に三刻以上。
猛攻が続いているけれど。
今の時点では、どうにか凌ぐことには成功していた。
伝令が戻ってくる。
結果は、予想通りだった。
「伝令っ!」
「結果は」
「余剰兵力無し! しばし耐えよとの事です!」
「やっぱり……」
メルルは呻く。
ミミさんの見立ては正しかった。
敵は。何かしらの切り札を切ってきたと見て良い。それも、国家軍事力級戦士を押し戻すほどの力を持つ奴を、である。
多分ジオ王やアストリッドさんも、前線に向かっているはず。
もしくは、一度は後退して。
敵との距離を取っているかも知れない。
「此方はしばらく、敵の攻勢を耐える!」
「応っ!」
そんな状況だ。
五千の敵兵を引きつけられているというのは大きい。そして、此方は実際にはギリギリだけれども。
相手にとって、突破出来そうだと見えているならば。
陽動としての役割は、完璧に果たせていると言うことにもなる。
実際には、本当に突破されそうなのだが。
だからこそ、敢えて余裕を見せる。
辺りにいる野生のモンスターは、様子見。アニーちゃんが睨みを利かせているというのもあるのだけれど。
恐らくは、潰して殺したスピアの軍勢の方に興味津々なのだろう。
血肉の臭いが周囲にはおぞましいまでに充満している。周辺に住んでいるモンスター達にとっては、ごちそうの香りに他ならない。
敵の攻勢が、止む。
大岩を散々叩き落とされて、流石にダメージが無視できるものではなくなってきた、ということだろう。
少し距離を取り。
陣を張り直して、体勢を立て直しに掛かった様子だ。
此方としては、それでも別に構わない。
対応するまでもない。
「交代して休憩を!」
「応!」
メルル自身も、耐久糧食を受け取って、口にする。
水を渡されたので、一気に煽った。
高原で風車の設置作業をしている者達の様子も確認。彼らも敵の攻勢がある事は理解しているようだが。
そのまま、作業を続けて貰った。
メルルの傷薬も、かなり進歩している。
目に見えるほどの速さで、傷が回復していくし。以前に比べて、体力の回復も、著しく早い。
だが、物資は。
いつまでも、続かない。
ホムンクルスの一分隊を戻す。
パメラさんのお店で、医薬品を提供して貰うためだ。勿論、無理な場合は、それはそれで仕方が無い。
今回は厳しい戦いになる。
それは理解して貰うにも、丁度良いだろう。
ミミさんが、ピッチング。
恐らく、此方を窺っていた敵の斥候を見つけたのだろう。そのまま正確無比な投石で、頭を打ち砕いた様子だ。
敵にしても。被害が多くて、辟易している筈。
だが、恐怖もなければ、下がることも考えないスピアの軍勢だ。
いざ全軍が押し出してきたら。
突破は許さないにしても、大きな被害が出ることは避けられない。
今のうちに、エメス達に、岩を運ばせておく。
後は、迂回路の確認。
ジーノさんに、周囲を見てまわって貰う。この辺りの地図は仕上げているつもりだけれども。敵はとんでもない迂回路を知っている可能性がある。こんな状況で後方でも突かれたら、文字通り終わりだ。
二刻ほどが過ぎる。
仮眠も皆には取って貰うけれど。
敵の動きは散発的。
どうにも嫌な予感が消えない。
その時。
伝令が来た。
「伝令っ!」
「如何したか!」
「ははっ!」
跪いたのは、アールズのベテラン兵士だ。
今回、前線にアールズの兵士は出さないという話になっていたのだが。流石に後方支援までは出さないというわけにもいかず。
彼のような手練れを数名、動かしている。
「モディス方面の戦線、後退を開始!」
「破れたのか」
「敵の防衛網を突破出来ず! ステルク殿、クーデリア殿が負傷! 敵も追撃をする余裕はなく、戦線は膠着!」
「……分かった。 ありがとう」
一礼すると、ベテラン兵士は戻っていく。
そして、メルルは。大きく嘆息した。
敵が切り札を切ったのは、これではっきりした。何が出てきたかは分からないけれど、国家軍事力級戦士三人を相手にして戦い二人を負傷させるほどの怪物だ。余程強力なモンスターか、或いは。
先ほどの伝令の様子からして。
まだ、正体はよく分からないのだろう。
そして、敵が膠着したのも分かった。
状況が推移したこともある。
此方に援軍が来ることも、想定しているのだろう。
生憎、援軍なんて多分来ない。
相手が撤退してくれるのを、待つだけである。
冷や汗が流れる。
涼しい高原だというのに。
周囲にいる在来モンスターが動き出す。崖の方に行くと、死んだスピアの軍勢にかじりつき、貪り喰らい始めた。
がつがつ、ばりばりと。
凄まじい音が聞こえ来る。
これが、敗者の末路。
それが分かっていても、いつ聞いても、あまり良い気分がしない音だった。
3、膠着の果て
続けての伝令が来たのは。
モンスター達が、すっかり死骸を食べ尽くした頃。
数百ほどは削ってやったけれど。四千数百の敵は健在。いつ此処を突破されてもおかしくない状況が続く中だった。
奇しくも。
前回と、同じ伝令である。
「伝令!」
「聞こう」
「ははっ。 状況が分かりました」
頷く。
その続きを話すようにと、促しているのだ。
メルルとしては、興味もある。それに何より、敵の動きに直結だってするのだ。放置は出来ない。
「当初、二万を切っている敵の防衛部隊に対して、ステルク殿達は優勢に戦いを進めておりました。 しかし、モディスから、二体の敵が現れたのです」
「たった二体!?」
「はい。 一体は、前回の大会戦でも暴れた、老人の戦闘タイプホムンクルスでありました。 問題は、もう一体です」
それは。
書庫の女神と、名乗ったという。
女神。
まさかと思うが、邪神か。
スピアが、邪神をも繰り出してきたというのか。
トトリ先生やロロナちゃんに、邪神の恐ろしさは、何度も聞かされている。アーランド近郊で交戦した邪神は、国家軍事力級戦士を総動員してようやく倒せたと言うほどの相手であったそうだし。
鉱山でアニーちゃんを引き渡してきたダブル禿頭にしても。
メルルが一目で分かるほど、高い戦闘力を有しているのが、明白だった。
あんな連中を繰り出してきたとなると。
正直、洒落にならない。
「クーデリア殿とロロナ殿が応戦するも、引き分けになるのがやっとという状況であったようです」
「文字通り、桁外れだな……」
「その様子で」
もしも、そいつが此方に来たら。
いや、考えたくない。
いずれにしても、味方が突破を断念して撤退したこと。敵も、損害がバカにならず、モディスに引き上げたことは事実のようだ。
そうなると。
ここに来ている敵兵も、恐らくは後退を開始する。
下手に追撃したりして、刺激しなければ大丈夫だろう。
伝令には、戻って貰い。
メルルは、手を叩く。
「これより、敵を追撃することを禁止とします」
「敵が撤退するのかしら」
「恐らくは」
あの三人が。
一方的に負けて逃げるだけとも思えない。
引き分けに持ち込んだとは言っても、敵の軍勢に大きな打撃を与えているはず。
そして敵の軍勢には。
もはや余力は無い。
此処で遊兵を造っている暇など無いだろう。
メルルの読みは当たる。
翌日から、目立って崖下の敵が減っていく。
勿論、追撃に対する、逆撃の態勢は整えているようだけれども。メルルとしては、最初から追撃する気が無い。
敵が撤退を完了するまで、そのまま放置。
しばし見つめていたが。
やがて、敵は陣地を引き払い。そして、この戦線から撤退した。
メルルが追撃する余裕が無いことを。
敵も知っていたのだ。
一度、高原の、風車地帯まで戻る。
物資を使って、敵を見下ろせる位置に複数の櫓を造った。出来れば野営陣地だけではなく、ある程度しっかりした拠点や、砦も造っておきたいのだけれど。
流石に其処までの余裕は無い。
物資という意味でも。
勿論、人員という意味でも、だ。
此方に来たホムンクルス小隊は、そのまま高原の守りに残って貰う。エメス達も、である。
エメス達には、櫓周辺の強化を指示。
柵を作り。
生きている縄を埋め込み。
そして、後から来る悪魔族の緑化技術者に、防御魔術を展開して貰う。ホムンクルスの小隊が駐留するのだし、簡単に抜かれることは無いだろう。
今回は、冷や冷やした。
敵にしても、本気で攻めて来ていれば、メルルの守りを突破することは不可能では無かったのだ。
勿論貴重な兵五千をドブに捨てることになっただろうが。
メルルを殺す事にこだわるなら、それもありだった筈。
つまり、それだけ危ない橋を渡っていたという事になる。
ましてや、相手はまともな思考回路を持ち合わせている存在などではない。一なる五人である。
どんな動きをするか。
分かったものではないのだ。
風車を造る技術者達と合流後。山頂には留守居の部隊を残して、周囲の要塞化を進めていく。
野営陣地を徹底的に強化。
持ち込んでいる湧水の杯を配置して、水を常に得られるようにする。
幾つかある泉も、地図上で確認。
てんでばらばらに流れているそれらを統合して、小川に変えてしまう。地面に吸わせてしまうのには、少しばかりもったいない。
この小川の水を、緑化にも生かす。
緑化技術者達が、高原まで上がって来たので。アドバイスを受けながら、作業を進め。メルル自身は、必要な物資についてメモ。
しばらくは此処を離れられないけれど。
それでも。しっかり必要物資については、把握しておくべきだと考えているので。無駄な作業にはならない筈だ。勿論、無駄な作業にするつもりもない。
「マスター」
2319さんが、天幕に飛び込んでくる。
丁度ミミさんと、地図を拡げて周辺の状況を精査している所だった。何か起きたということだろう。
「報告をお願いします」
「伝令です。 モディスの戦闘で、何が起きたか分かりました」
「すぐに此処へ」
「はい」
一礼すると、2319さんが通してきたのは。
まだ負傷が癒えていないホムンクルス。
ホムくんしか今まで男性ホムンクルスは見たことが無かったが。ホムくんではない別の男性ホムンクルスだ。
彼は跪くと。
説明を始めた。
モディス周辺に展開している敵軍に、まずロロナちゃんが砲撃を叩き込み。敵の守りを崩すところから、作戦は開始。
最初の砲撃は一定の成果を上げ。
敵の守りを、紙くずのように引き裂いたという。
最初にクーデリアさんが、突撃。
敵を蹴散らしながら、要塞化されているモディスに迫ったらしいのだが。
其処で、異変が生じた。
女神の登場である。
その話は、メルルも具体的にでは無いが、聞いた。遺跡の邪神を引っ張り出したのだとすると、一なる五人の仕業と見て良い。
女神は片翼で。
巨大な鎌を持ち。
そして、凄まじい。
ロロナちゃんに迫るほどの、魔力の持ち主で。
何より一なる五人に洗脳されているわけではなく。
自主的な意思で、従っている様子だったそうである。
とにかく、である。
この女神が。姿を見せ。
奥にも更に三体がいる様子だったという。
一体でも、クーデリアさんロロナちゃんと互角に戦うほどの怪物。いや、戦況は、互角まで届かなかったそうだ。
病み上がりと言う事もある。
何よりも、それだけ邪神という存在が、桁外れと言うことだ。
戦慄させられるが、現実は現実。
更に、この間の大会戦で姿を見せた、雷使いの戦闘用ホムンクルスの姿を見せ。加勢しようとしたステルクさんと戦闘開始。
一刻半ほど戦った後。
クーデリアさんは、撤退の判断をした。
陽動に出ていた味方の兵力も、全てが後退。
小競り合いでの損害は、最小限に済んだが。
クーデリアさんは、再び負傷。
またしばらく戦闘には出られない、そうである。
それに、万全の状態でも、「女神」には勝てたか分からない。それが、彼女の言葉だった。
「そんな隠し弾がまだあったとは、ね」
ミミさんが呻く。
国家軍事力級戦士が束になって、やっと戦える相手。邪神については、メルルもその桁外れの実力について聞かされていた。
だけれども。それが複数。
それも自主的に一なる五人に協力しているなんて。おぞましいなどと言う状況ではない。既にハルト砦にはジオ王が戻り。アストリッドさんも、守りを固めに戻っているという。もしも女神四体が先頭に、敵が押し出してきたら、とても防ぎきれない。そう判断しての事だろう。
高原の方も、このままで良いのか。
もし敵が、女神を一体でも派遣してきたら、どうなるか分からない。突破どころか、この戦線は壊滅だ。
いつでも、技術者達を逃がせるように、準備を。
それに国家軍事力級戦士の攻撃でも、短時間なら耐え抜けるように、備えもしておく必要があるだろう。
伝令を出して、物資を要求。
かなり厳しい状況だけれど。
メルルは一度、戻らないといけないだろう。
それも、大半の戦力は。
此処に残していかなければならない。
不安そうにしている予備兵力の者達。
つまり、アールズ北東部から連れて来た荒くれ達。彼らにも、予備兵力として、しばらくは振る舞って貰う。
何、戦闘は出来なくても。
軽い肉体労働くらいなら、できるだろう。
今は、文字通り、猫の手でも借りたいほどなのだから。
「一度戻ります」
皆に告げる。
ちなみに、伴うのは、ケイナとライアス。それに2111さんと2319さんだけ。殆どの戦力には、此処に残って、兵力の補填をして貰う。
ホムンクルスの部隊を、もう一個小隊くらい、要求するつもりだけれど。いずれにしても、この高原開発を行いながら、保持をするには、戦力が足りなさすぎる。
ステルクさん辺りに常駐して貰いたいくらいである。
そうでもしないと。
此処を守りきるのは、不可能に近い。
そうメルルは考えていた。
翌日、高原から降りる事にした。
風車は着実に増やされていて。牧畜のための家畜も、連れてこられ始めていた。山羊が中心だ。
山羊といっても、モンスターとして生息しているあれではない。
人間よりも小さくて。
草食である山羊だ。
羊もいいかと思ったのだけれど。
まずは、生活力のある山羊から。
また、山羊の場合。
逃げ出しても、すぐにモンスターのエサになってしまうため。生態系に悪い影響を与えない辺りも良い。
まずは三十頭が連れてこられて。
適切な緑化のためにも、雑草の処理を開始させられていた。
荒くれ達には、この山羊の世話を任せる。
もしも無駄に怪我をさせたり勝手に喰ったりしたら、ただではすまさない。そうメルルが脅すと。
荒くれ達は青ざめて。
絶対にそんな事はしないと誓う。
それでいい。
戦力の大半が残る事もある。
此処は。当面は大丈夫だろう。
風車は既に十機を超えていて、風を受けながら回っている。脱穀も順調。此処にアールズ南や北東で生産した麦などを持ち込んで、脱穀。
後は、様々な用途に加工できる。
色々と見届けてから。
後をミミさんとジーノさんに任せて、メルルは最小限の戦力で、高原を出来るだけ急いで離れた。
此処を襲撃されると厄介だし。
何より、実際問題として。
身軽な状況で、急がなければならないからだ。
休憩などしている悠長な時間は無い。
そのまま全力で。
崖を降る大山羊のように、駆け抜ける。
モンスターと遭遇もするけれど、出来るだけ無視。モンスターも、敢えてメルルと戦おうとはしない様子だった。
手を出せば、徹底的に反撃して来る。
それを理解してくれたのだろう。
洞窟を抜けて、入り口に。
かなり植林が進んでいて。リス族が、林の調整をしていた。土の状態を確認して、色々な虫を入れている。
長い時間を掛けないと、林は育たない。
それなのに、無理に林にしたのだ。
当然のことだが、しばらくは徹底的に面倒を見て。しっかりと、根付かせていかなければならないだろう。
走りながら、リス族に軽く挨拶。
向こうも片手を上げて挨拶をしてきた。
この辺りなら。
少なくとも、安易な間諜の侵入は許しをしないだろう。アニーちゃんは残してきたけれど。シェリさんもいるので、不満そうではなかった。
街道に出る。
王都は、あと少し。
走りながら、確認。
どう交渉を進めるか、今のうちに考えておく必要がある。
そして、出来れば。
トトリ先生に、交渉についても、相談しておきたかった。
そうこうしているうちに。
王都に到着。
一旦東門で解散。荷車については、ケイナに任せる。メルル自身は、王城へと直行。ルーフェスと話す事があるからだ。
そのまま王城に来たメルルだけれど。
やはり、騒然としている。
今回の作戦で、味方が押し返されたのが、余程にショックだったのだろう。誰もが不安で。恐怖してもいるようだった。
「邪神が四体も現れたんだろ」
「冗談じゃないぞ。 邪神っていったら、者によっては単独で大陸を滅ぼすほどだそうじゃないか」
「幾らアーランドの最精鋭でも……」
「今までに、邪神を何体も倒してきているらしいが、四体同時は……」
皆が、小声で噂をする中。
メルルは、執務室に。
ルーフェスは難しい表情のまま、幾つもの書類を、同時進行で並列に捌いているようだった。
勿論、作業に手を抜かないし。
ミスも極端に少ない。
ミスがあっても父上が見つけてしまう。
だから、この国で、書類のミスは殆ど発生しない。
「お戻りですか、姫様」
「話はもう聞いているね」
「はい。 姫様も、五千からなる敵の圧倒的大軍を支え続けていただき、戦略的に見事な活躍を為されました。 お見事にございます。 押し返されたとはいえ、敵の守兵はますます削り取られており、決して負けたわけではございませぬ」
「しかし、邪神が四体も姿を見せたのは事実でしょ」
頷くルーフェス。
これは、由々しき事態だ。
「鉱山の邪神はそれほど強い個体ではなかったみたいだけれど、あのトトリ先生が相当に強いって言っていたほどだよ。 ましてや戦闘タイプの邪神が四体も出てきたら、下手をしたら……」
「戦闘の経緯については、既に報告書が来ています」
頷くと、話を詳しく聞く。
殆どの情報は、既に仕入れたものばかりだったけれど。
一つだけ、違うものもあった。
どうやら、邪神はモディス近辺から、動く事が出来ないらしい。それは確認済みだそうで、それだけは幸いだ。
だが、それは同時に。
敵はまた、二万以上の機動部隊を、自由に出来るようになったことを意味している。しかも時間が経てば経つほど、その数は増えていくだろう。
味方有利などとは、とてもいえない。
一気に、敵と味方の戦力差の天秤が、ひっくり返されたと見て良い。
アーランドはホムンクルスの補充をしているし。辺境各国は攻勢に出たり、援軍を送ったりはしてきているけれど。
敵はそれにも勝る邪神四体という切り札を投入してきた。
死んだ戦士は蘇らないし。
何より、邪神という存在は、今だに各国では、恐怖の対象。事実、ドラゴンやベヒモスでさえ対抗策が出来ている現在さえ。どうしようもない相手であるのだ。アーランドの国家軍事力級戦士数人の手に余るほどの相手。それが四体である。
敵は、十万の援軍を得たに等しい。
それが現実だ。
「高原にも、援軍がいるよ」
「承知しております。 現在、アーランドは失った兵力の補填に躍起になっている状況でして、これ以上の兵力派遣は難しいでしょう。 其処で、アールズの兵士から、精鋭を見繕います」
「……うちの国から、か」
「状況が厳しいのは百も承知です」
言われなくても分かっている。
この間の大会戦で、多くの戦死者を出した。アールズのベテランも新人も、多くが鬼籍に入った。
手酷い負傷をした者も多い。
こんな事が続けば。
その内、アールズの兵士には、戦える者がいなくなる。
勝負を急がなければならないだろう。
それには、メルルの成長が必須だ。
しかし、である。
背筋に、悪寒が走る。
錬金術の高みは。
闇に墜ちる事と同義。
悪夢で見た、自分の姿。あれがありうる未来だとすれば。一体メルルは、何処へ行こうとしているのだろう。
呼吸を整える。
心の中の地獄は、まったく収まる気配もない。
「姫様?」
「何でもない。 手配を進めて」
「承知いたしました」
執務室を出る。
外では、ルーフェスとの面会に来た人達が、列を作り始めていた。思ったよりも、かなり長く話し込んでいたらしい。
一礼をすると、そそくさとその場を離れる。
そこら中に目があって。
メルルを見ているような気がした。
4、夢魔
ルーフェスが、余程無理を通したのだろうか。
いや、厳しすぎる台所事情を開かした上で。それでも、五名のベテランの派遣を決めたのが、大きかったのか。
とにかく、アーランドが。
ホムンクルスの一個小隊を、更に追加で派遣してくれることが決まった。いずれも、高原の守りに当たる部隊である。
更に、これに。
植林が進んでいる地域にリス族が五十名ほど。
アールズの兵士の中から、ベテランが五名、追加で派遣される。
いずれもメルルが開拓した高原への道を進んで、現地に。
メルル自身も、新世界レーションをたくさん造って、其方に輸送。また、同時に、魔法の石材と風車の材料となる布と塗料を、できる限り生産した。
エメスの生産も進める。
正直、寝る暇も無くなりそうな忙しさだけれども。
それでも、やるしかない。
ケイナに時々作業を止められなければ、何日でも徹夜をしていたかも知れない。それほど、状況は厳しかった。
高原に出向く。
道中の経路は、かなり安全になっている。
ケイナとライアス、2111さんと2319さんだけで大丈夫だ。ミミさんとジーノさんは、高原の守りに掛かりっきりと言うことで、アーランドが許可を出してくれたらしいので。
高原で合流すれば、なお安心である。
「メルル、これを」
「ん……」
ケイナに渡された、ひやりと冷たいぬれタオルで顔を拭く。井戸水で、冷やしておいてくれたらしい。
手鏡を渡されて。
自分を見る。
案の定と言うべきか。
目の下に、隈ができはじめていた。
「お前、休めよ……」
「ごめん、嬉しいけど無理」
ライアスの苦言にも、首を横に振るしか無い。銭湯に行ったり、ケイナに言われて眠ったりはしているのだけれど。
鍛錬も含めると、ゆっくりできる時間が殆ど無い。
もうベテラン相応の実力と言われて、自主的な鍛錬をはじめて見て、よく分かった。強さへの探求は、果てが無い。
ジオ王を一とする国家軍事力級戦士のレベルにまで自分を強くするには、どれほどの鍛錬が必要なのか。
はっきりいって、見当もつかないほどだ。
「そろそろ街道を出ます」
「全員、私語禁止」
2111さんに促されたので、以降はハンドサインで会話。
安全になっているとはいえ。
それでも、ベラベラ喋りながら街道でも無い場所を行くのは、自殺行為だ。弱めとはいえモンスターも出る。
奇襲を受ければ、決して面白くない。
皆が警戒する中。
メルルは、荷車を引く。
耐久糧食と、新世界レーション。
それに、塗料。
布と魔法の石材は、既にフィリーさんに納品して、其方から現地に輸送して貰っているので、問題は無いのだけれど。
これらについては、出来た分から、現地に届けておきたい。
洞窟に入る。
かなり足跡が目立つようになっていた。
エメスを残しているのは。
貴重な在来の生物に、手出しをする不埒者が出ないようにするためだ。
「異常は?」
「環境は安定しています」
「そう、有難う」
エメスは嘘をつかない。
メルルは礼を言うと、先に。
洞窟を抜けると。緑化作業がかなり進行して。荒野が緑に変わっている。麓から運んできた、成長が早い木も、かなり植え込まれている様子だ。そしてリス族も、その木が育つ段階から、手入れに入っているらしい。
この辺りに住むのだ。
重要な存在になる木の手入れくらい、したくなるのは当然だろう。
だが、それに伴って、緑化チームとの対立も生じているらしい。メルルは足を止めて、両者の言い分を聞く。
緑化チームは、安定した土壌と、環境をとにかく望んでいる。
それに対して、リス族は自分たちが住むことを想定した森を作るように、主張をしていた。
実際、難しい問題だ。
リス族と、一部の森には兎族に住んで貰って、守りの要となって貰う。そうすることで、モンスターを遠ざけられるからだ。
しかしながら、だからと言っても、彼らの好きに全てさせるわけにはいかない。
森で採れた恵みの一部は、アールズに納品されるように、話は既についているのだけれど。
それでも、管理の必要はある。
丸投げはまずいだろう。
「それでは、こうしましょう。 一旦は緑化チームの方針で、森を安定させます。 それから、リス族が住むに当たって、状況を報告しながら、緑を管理するようにしていってください」
「報告書が必要か、アールズの姫よ」
「口述でも平気です。 ただしできれば長老格の人に来て貰えますか。 それと、念のために、魔術で音声の記録もします」
「ふむ……」
その辺りが落としどころだと思ったのだろう。
リス族としても、住める森が増える事は大きな旨みなのだ。あまり文句ばかり言って、それを潰されてしまっても損なのである。
結局、話を飲んでくれたので。
メルルは胸をなで下ろした。
少し時間のロスは生じたけれど。
高原へ急ぐ。
風車が、かなり増えているのが、遠くからも見えた。
風を受けて。
無数の腕を持つ巨人のように、ゆっくりと動き続けている。もう少し安全性を高めたら、馬車なりエメスが荷車なりで構わないけれど。
脱穀した麦と。
それにこの周辺で育成した家畜の素材。
牛乳や、それに伴う製品。肉類。毛皮などを。アールズへ運び込み。周辺国に売ってお金に換えたり。生活必需品にする事も出来る。
そろそろ、高原の開発は、大丈夫と見て良いだろう。
開発を行っている技術者と。
彼らを護衛しているホムンクルス達が挨拶してくるので、メルルも軽くそれに応えると、視察を行う。
物資はきちんと使われている様子だ。
横流しなどもされていない。
アールズは小さい国だ。
横流しをすれば、すぐにばれてしまうという事情もあるし。ルーフェスがしっかり目を光らせてもいる。
それが大きい。
風車も見学させて貰う。
中では大きな石臼が回っていて。
高い効率で、麦を脱穀している。
脱穀の手間を考えると。
これは、とても便利な代物だ。
「中々に凄いですね」
「これだけ風が強いと、風車の稼働率も高めです。 ただしその分部品の消耗も早くなるので、早い段階から予備を揃えておく必要があります」
「分かりました」
技術者に、消耗が早い部品について、確認しておく。
ざっと見るが。
ハゲルさんなら、簡単に作れそうなものばかり。布や塗料については、当初から消耗品と考えているので、何の問題もない。
後、十五機の風車を作るというので、頷く。
まあ、具体的な折衝については、ルーフェスに任せる事になるだろう。
風車地帯を抜けて。
そして、野営地に到着。
櫓も増えて。
かなり本格的な陣地になっていた。
生きている大砲も、数機が運び込まれている。
また、敵に対して落とす岩も、数がかなり蓄えられていた。戦闘が開始されたら、敵に対して、岩の雨を降らせることが出来るだろう。こういった原始的な攻撃は、今の時代でも、大きな効果を期待出来る。下手な魔術よりも、転がした岩の方が、当然のごとく強いのである。
爆弾も備蓄は充分。
敵に投げつけるも良し。
崖崩れを起こすも良し。
爆弾には、色々な使い路がある。メルルが造った爆弾も、相当数がある。しけったりしていないか、確認。
大丈夫。
どれも、問題なく使用可能だ。
野営地の真ん中には、そこそこに大きな建物もある。石造りで、地下には倉庫も兼ねていた。
この野営地の指揮所だ。
もう少し拡げれば、負傷者を救護する施設にも出来るだろうと、メルルは判断。外に出て、周囲を確認。
広げる事は可能だと、確認した。
魔法の石材をもう少し運び込んだ後、改装するべきだろう。設計図も、準備しておくべきだ。
無計画に拡大すると、石造りの頑丈な建物でも、壊れてしまう可能性が高い。ちょっとやそっとの攻撃魔術ではびくともしない程度にしておけば、指揮所として安定する。
本棚や、デスクも欲しい。
軽く執務が出来るようにしておけば、長期間の滞在も容易になる。
ミミさんが来たので、状況を聞いておく。
「悪くはないわね。 敵も一度引き上げてから、この経路を使って、再侵攻を掛けてくる様子は無いわ」
「しかし、敵の戦力を考えると……」
「油断は出来ない、でしょう?」
その通りだ。
ミミさんとジーノさんには、しばらく此処に常駐となる。二人には辺境も辺境の此処に張り付いて貰う事になるが、それはもう仕方が無い。
二人に要望を聞くと。ミミさんが風呂が欲しいと言ったので、メルルは頷く。確かに、銭湯を以前より使うようになって。その便利さと、アーランドでの普及の理由もよく分かった。
水については、湧水の杯もあるし、この辺りの泉を統合して、小川にも変えている。現時点で不足は無い。他の兵士達も入れるように、男女別に二つお風呂を造っておけば、更に長期間の滞在が容易になるだろう。
指揮所の中を歩く。それほど広くも無いから、すぐに全て見回ってしまう。奥には医務室。ベッドがあって、アニーちゃんが寝かされていた。
少し熱を出していたので、メルルがすぐに診察。
問題がある場合は、すぐに此方に戻して欲しいとメルルは言っていたのだけれど。どうやら、今日がその日だったらしい。
すぐにお薬を投与して、処置。
熱が出ることだけは、変わらない。かなり体は丈夫になって来たのに。こればかりは、あのダブル禿頭を恨むほかない。
「苦しい……」
珍しく、アニーちゃんが弱音を吐く。
シェリさんが、大きく嘆息した。
「メルル姫、頼むぞ」
「はい。 側にいてあげれば、もっと喜ぶと思います」
「ああ、そうだな。 少しだけ外の空気を吸ってくるだけだ」
力の差が縮まってきた今も。
メルルは、シェリさんを尊敬している。様々な歩法と、戦闘の基礎を叩き込んでくれた師匠だ。
他にも、メルルに武術を教えてくれた人はたくさんいるけれど。
ベテラン相応の実力になった今。
結局の所、極めて堅実な教え方をしてくれたシェリさんのやり方が、一番正しかったのだと、肌で分かる。だから、何となく理解できる。この世界を破滅から引き上げ、元に戻す。
種族としての生き方を選んだのが、悪魔族だから。
シェリさんは、アニーちゃんが苦しんでいるのは。自分たちの力が足りないからだと、思ってもいるのだろう。
しばしして。
気分転換したシェリさんが戻ってきたので、アニーちゃんを引き継いでおく。お薬は投与したし、もう時間も掛からず元に戻るはずだ。
眠ってしまったようなので、聞いておく。
現在の仕上がりについてだ。
「魔術に関しては、攻撃以外はもういっぱしだ。 生半可な悪魔族よりも、使いこなせるほどだ。 特に防御系の魔術に関しては、みるべきものがある」
「やはり、攻撃はダメですか」
「致命的に才能が無い。 他の魔術に関しては、むしろ才能豊かだが」
となると、アタッカーとしては今後も期待出来ない、と言うわけだ。
まあ、それについては、仕方が無い。
シェリさんは、なおも言う。
「魔術を増幅する道具はないのか。 錬金術で作れるなら、是非アニーに渡してやって欲しいのだが」
「戦力強化のためにも有用そうですね」
「その通りだ。 魔力については、常人より遙かに多いくらいだ。 上手く行けば、俺がアタッカーに回れる」
そうなると、かなり便利だ。
シェリさんには、空からの目と、守りを担当して貰っているけれど。
アニーちゃんが強力な防御魔術を担当してくれれば。その分を攻撃に廻す事も可能になるだろう。
頷くと、検討することを約束。
一通り問題は、これでクリアできそうだ。守りに関しても、ホムンクルスの二個小隊と、アールズの兵士の中でも精鋭が五名常駐する事になる。
更に植林した場所には、リス族と兎族も入るから。
敵も無視できない拠点の完成だ。
しかも、攻めるのは極めて難しい。
高所の問題である水の手に関しても、切られる恐れはないし。守りについては、万全と言えるだろう。
だが。
メルルは、外に出ると。
崖下を見下ろす。
この間は陽動で終わったが。実は、隠密での作戦を、指示されている。
モディスへの第一次攻撃は失敗した。
邪神四体という非常識な戦力によって、敵が守りを固めてきたからだ。だが、それはある意味異常だ。
どうして、モディスに其処までこだわる。
何かあると、敵の方から教えてくれているようなものだ。
探り出せば、味方の力になる。
ただでさえ、敵は戦力をかなり目減りさせているし。各地の戦線で反転攻勢を受けて、身動きも取れなくなっている。
今こそ、攻めるとき。
メルルも、それは把握していた。
だからこそに。メルルが、ルーフェスを通じて受けた作戦。この高地を拠点に、モディスの背後を奇襲する作戦については、大きな意味がある。
もしもモディスを落とす事が出来れば。
一なる五人の野望は。
一気に後退することになるのだろうから。
ふと、振り向くと。
わいわいと騒ぎが起きている。
見に行く。
新しい風車だ。
今できたばかりである。しかも、他よりも、二回りも大きい。中を見ると、風を使って廻す仕組みを、脱穀以外にも用いている様子だ。
回転を自動でしてくれる。
それは、色々な分野に、応用可能なのである。
技術者に説明を受ける。
メルルは頷きながら、メモを取った。錬金術に、応用できるかも知れない。そう思ったからである。
昔は怠け者だった。
今でも、それによって後悔していることはとても多い。
少しでも穴埋めをするためにも。
今は貪欲すぎるくらいで、メルルは丁度良いのだった。
皆を集めると。
隠密作戦について話す。
今此処にいるのは、ずっと一緒に戦って来たメンバーばかり。ミミさんもジーノさんも、信頼出来る戦士だ。
セダンさんについても、メルルについて信頼を寄せてくれているのが分かる。
だから、話しておく。
「敵の後背に出る路を探す」
「はい。 もしもモディスの補給路を叩ければ、一気に味方が有利になります」
「しかし、邪神が」
「四体はいくら何でも異常よ。 本来は他の遺跡にいた邪神を、何かしらの理由で引っ張って来た可能性が高いわ」
ミミさんが断言。
実は、同じ事を話していた人がいる。
トトリ先生だ。
今回の作戦には、ステルクさんが同道する事になっている。もっとも、作戦が実際に動き出したら、だが。
「モディスさえ陥落させれば、アールズ領内での敵の拠点は、無限書庫だけになります」
「あの遺跡か……」
ジーノさんが呻く。
何度となく、偵察はしたという。
守りが堅すぎて、とても近づけたものではなかったそうだ。ジーノさんでさえそうである。
いや、確か、だが。
クーデリアさんも、何度も仕掛けて抜けなかったと聞いている。
通常戦力による守りだけでそれだ。
邪神四体がそれに加わったら、はっきり言って、何処まで凶悪な防御施設になるのか、知れたものではない。
「大勢では仕掛けない方が良いな」
ザガルトスさんが、短く言うと。
皆が同意。
此処に常駐してくれているホムンクルス達は、守に徹して貰うのが良いだろう。エメス達も、である。
ちなみに連れてきたアールズ北東部の荒くれ達は。
あれから、此処で普通に働いて貰っている。
そして結論したが、働ける。
外にモンスターの脅威が無い限りは、彼らを働かせる事は可能だ。
他に無いほど最前線に近いけれど。
むしろそれがいい。
いつ、強力なモンスターに襲われるか分からないし。
もめ事を起こせば、モンスターにつけ込まれる。
その緊張感もあって。
荒くれ達も、非常に大人しくしていた。
「陽動として、これからアールズ北東部から、難民を多数、この高地へと移動させます」
「コストは大丈夫かしら」
「大丈夫です。 護衛には私がつきますし、彼らへの命令も」
「それなら安心ね」
若干皮肉混じりに、ミミさんがいう。
彼女も知っているのだ。メルルが、アールズ北東部の荒くれ難民達が、メルルを鬼神の如き存在として畏怖していることは。
そして、メルルも、それを利用している。
敵も勿論この動きを察知するはずで。何か意図があるのだと判断して、間諜を出してくるだろう。
それが狙いだ。
まさか、この高原そのものを拠点にして、背後を窺ってくるとは思わないだろう。何しろ、難民を動かすだけで、相当な労力が掛かるからだ。
家屋についても、これから建造を検討する。
荒野になっている場所はまだまだたくさんあるので、どうにでもなる。家屋を造らせるくらいは、難民達にもやらせられる。
また、牧畜は力仕事だ。
専門家がついて指導するのは良い。
その後は、むしろ荒くれ達にやらせるのも、良いだろう。
コストが掛かる風車のメンテナンスについても、任せてしまってもいい。彼らが食べるものに直結するのだ。
仕事についても、真面目に取り組むようになるだろう。
彼らにも。働いて貰う。
最前線で。
しっかりした仕事をして貰って。仕事に対して、プロ意識を持って貰うのも、重要だろうからだ。
「細かい作戦についての立案は」
「偵察を派遣して、調べていくことになります。 幾つか、秘密の道具を準備してきています」
メルルが取り出したのは。
気配を消す外套だ。
とはいっても、完全には消せない。
少し弱くする、程度である。
トトリ先生が造り出した品を、メルルが参考書を見ながら造った。被る事で、生体魔力を利用して、周囲に同化する。
原理的にはそれほど難しくはない。
理論的に言えば錬金術では古くからある技術。ゼッテルに魔法陣を書き込むのと同じ要領で、布に魔法陣を織り込む。
魔法陣を織り込むのは相応に手間だけれど、その代わり気配をかなり消せるようになる。
ただし戦闘などで気を発すると、むしろ目立つようになってしまう。
完全な隠密任務用だ。
これを、フォーマンセル。一チーム用準備してきた。
ミミさんに、試作品をまず渡す。
ジーノさん、ザガルトスさん、シェリさんにも。
「まずは一チーム分です。 お願いします」
「分かったわ。 崖の下に可能な限り降りて、通れそうな路を探しておく」
「後は、守りですが」
エメス達もいるし、力仕事に関しては、問題ないだろう。そして此処では、敵を防ぐ武力よりも。
岩を運ぶ腕力が重要になる。
戦闘力は、ホムンクルス達に任せてしまって大丈夫だ。
ならば、問題はあらかたクリアできたと見て良い。敵の主力が突入でもしてこない限りは大丈夫だ。
これからは、しばらくは此処を拠点に。
敵の背中を完全に突ける地点を探していくことになるだろう。
それでも、分かっている。
かなり厳しい戦いが、これから続くことは。
出立していく四人を見送る。
此処からだ。
モディスを奪還できれば。
かなり、アールズは有利になる。もしも一なる五人を斃す事が出来れば。
その時は。
首を横に振った。
嫌な考えが、浮かんでしまったからだ。
錬金術の深淵は、狂気。
だったら。
その行き着く先は。
一なる五人と、同じではないのか。
そんな結論は、認めるわけにはいかなかった。
5、はじめのひと
寂しそうな目をした子供だった。
優秀すぎて、親に見捨てられたという。だから、自分が助けなければならないと思った。
幸いにもと言うべきか。
面倒を見るだけの地位は持ち合わせていた。だから、引き取ることも出来たし。それで周囲が白い目で自分を見ることもなかった。
子供は美しく聡明で。
ただし、親に忌避された事を、それ故に嫌と言うほど理解してしまっていたから。心が荒みきっていた。
親が欲しい。
その子供の本音を。自分が親身になる事でかなえることしか出来なかった。
聡明な子で、強かった。
戦闘力に関しては、修羅が集うアーランドでも屈指。重くする力を自由自在に使いこなす特殊能力まで持っていて、将来の国家軍事力級は確実とさえ言われる逸材だった。だからこそ、彼女の親達は。
娘である、その子を。
アストリッドを、怖れたのだ。
子供を怖れる心理は、何となく分かる。
自分の研究分野が、そうだからだ。
新しい知能の創造。
いにしえの時代。
人類が造り出した新しい知能は、AIと呼ばれた。現在もその残骸や遺品が、邪神と呼ばれ、各地に跋扈している。
自分の研究は、邪神にならない人工知能の開発。
人の奴隷ではなく。
かといって、人に反逆もしない、人工知能。
それが、自分が為すべきもの。錬金術師として、造り出すべきものだった。
目が覚める。
少しずつ、記憶が戻ってきている。
2999はもう知っている。自分が、現在のアーランド最高と呼ばれる錬金術師、アストリッドの師であったことを。
ホムンクルスに生を受けたのは、偶然ではない。
アストリッドは、自分にだけ心を開いていた。
そして、その死で。
決定的に壊れた。
アーランドにとって何よりも大事な研究。圧倒的な敵戦力に対抗できる命の創造に、自分の研究は必要不可欠だったのに。
それを理解できる者はおらず。
そればかりか、役立たずと嘲弄するばかり。
先見性もなければ。
ものの正しい価値も理解できない。
そんな民を、アストリッドは徹底的に憎悪した。まだ、その時は、良かったかも知れない。
最悪だったのは。人づてに聞いたその後の事。
アストリッドの弟子が。
自分と同じように、人に理解されづらい研究結果を出したというのに。周囲から認められてしまったという不平等。
世の中が理不尽まみれなのは分かっている。
だけれども。
その結果、アストリッドはもはや、魔女というのも生やさしい。邪神でさえ恐怖する、破綻と悪夢の精神の地獄へ落ちてしまった。
その弟子には。
心を開きかけていたのに。
からかいながらも。
愛情を注いでいたのに。
今では、不幸が連鎖を為して。その弟子の弟子までもが、狂気の悪夢に囚われてしまっている。
アストリッドに罪は無い。
自分が、もっと長生きできていれば良かったのだろうか。
錬金術師としては、才能が偏りすぎていて。周囲には認められづらかった自分に、責任があったのだろうか。
悲しくて、2999は。
ベッドの上で、涙を流した。何度も擦るけれど、涙は止まらなかった。
アストリッドとは、この体になってから面識が無い。
だけれど、徹底的に壊れてしまった弟子に。
どう声を掛ければ良いのか分からなかった。
溜息が零れる。
多少落ち着いてから、港に。
記憶が戻りはじめている事は、周囲には一切話さない。これ以上アストリッドがおかしくなったら、多分一なる五人より更に最悪の人類に対する災厄となりかねない。2999が見たところ、アストリッドはまだ実力を示しきっていない。戦闘力だけでもジオ王と互角。
その才覚に到っては。
恐らくは、一なる五人を併せたのと互角か、それ以上と見て良いだろう。
船が港に入ってくる。
難民を満載していた。
予想通り。
いや、それ以上の数だ。
アールズにいる姫君には苦労を掛ける。弟子の弟子の弟子の、更に弟子か。彼女は、狂気の連鎖から救いたい。
もしも、それをなしえるなら。
ステルクは、なんとなく。
自分の正体に気付いている節があった。
意を決すると、周囲に此処を任せて。2999はアトリエに戻る。
そして、ステルクに手紙を出すことにした。
あの子も、最初出会った時は、アストリッドと同じように、荒みきった目をしていた。だからこそに。
あの子には、アストリッドの哀しみが分かるはずなのだ。
自分もそうであるように。
手紙を書き終えると、天井を仰ぐ。
この狂気の連鎖は。
何があっても。
此処で、食い止めなければならなかった。
(続)
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