雪解け水

 

序、風

 

吹き下ろしてくる風が凄まじい。これを利用して、風車を動かすのだと思うと。確かにその効率にも納得できる。

メルルは、どうにか経路だけは確保できた。

この高原に、人が来る事が出来るようになったのだ。ただし、まだ周囲は強豪モンスターの巣。

この辺りには、亜人種も住んでいない。

まずは無人の風車を造り。

それを防衛し。

なおかつ、ある程度緑化が進んできたら、労働する難民を入れて行く、という形式を採らなければならないだろう。

勿論護衛もいる。

この辺りのモンスターの戦闘力は、王都周辺の比では無いのだ。常にベテランクラスが張り付いていなければならない。

しかし、はっきり分かったこともある。

メルルは、手を振って、皆を呼ぶ。

顎をしゃくって、促した先には。

此方を無言で見つめている、三つ首の巨大な蛇がいた。踏み込んでこない。あれは、在来のモンスターだ。

「やっぱり、入ってこない」

「メルル、これは……」

「前にトトリ先生が言っていた事があったの。 ひょっとすると、野生のモンスターは生息域を決めていて、其処からは出ないのかも知れないって。 スピアの走狗となっているモンスターは、洗脳されていて、相当に本来の性質から歪められている可能性が高いんだって」

「え……」

ケイナが驚く。

というよりも、最初に聞いたときは、メルルの方が驚いた。モンスターについては、ずっと一緒に暮らしてきたはずの辺境戦士が、知らない事が多いのである。メルルもそれについては例外ではない。

勿論、森に住むモンスターもいる。

かなり手強い奴も少なくない。

だけれども。

森で暮らしていたモンスターが荒野に移ったり。荒野にいたモンスターが、逆に森に住み着くケースはあまり多くない、という。

ましてや人間が植林した場所には、モンスターは非常に少なくなるのだとか。リス族が、植林後の森にモンスターをわざわざ連れてくるそうである。生態系の保持をするために、だ。

それに、である。

アニーちゃんを促す。

面倒くさそうにため息をついた彼女が歩き出すと。

三つ首の蛇は、下がりながら、威嚇音を出した。ミミさんが、構えを取る。いつ攻撃してきても、対応出来るように。

しかし、アニーちゃんとの距離が縮まると。

蛇は、すっと離れて。

威嚇するように口だけ開けると。

後は、するすると逃げていった。

アニーちゃんを恐れているわけがない。

何か、理由があるとしか思えない。

「これでいい?」

「うん、上出来」

「前から、モンスターがアニーを避けているのは皆が見ていたな。 一体どういうからくりなんだ」

「さてね……」

メルルは、前に。トトリ先生から仮説は聞いているし。他の皆も、さわり程度には話しているはずだが。

やっぱり、納得できないのだろう。

メルルだって納得できない。

辺境戦士の歴史は、モンスターとの戦いの歴史と言っても良い。メルルだって、それは同じだ。

恐らく亜人種達だって同じ事。

しかし、アニーちゃんに。

モンスターは手出ししない。

もっとも、モンスターの中でも、生物としての性質が強い者は別だ。過信は厳禁だが。

「アニーに此処に住んで貰うのは?」

「嫌だよ。 シェリさん、メルル姫と一緒に行くでしょ」

「それはそうだ」

「だったらヤダ。 こんな所でお留守番なんてごめんだね」

余計な事を言ったザガルトスさんの脇を、ケイナが肘で小突く。申し訳なさそうにザガルトスさんが頭を掻く。

遮音の結界を張っているとは言え。

少しばかり、緩みすぎかも知れない。

咳払いすると、メルルは皆を促して、野営陣地に戻り。

其処で、これからの方針について、話す。

「もう気付いていると思うけれど。 今回の件は、戦略的な優位を動かすための作戦行動なの」

「だろうな」

ジーノさんが、退屈そうに言う。

ミミさんは、身を乗り出した。

「ひょっとして、迂回路の開発かしら」

「その通りです」

「どういうことだよ」

「モディスを奇襲して、敵に決定打を与える作戦があるって聞いているのだけれど、それでしょう」

その通りだ。

ルーフェスに聞かされたときは、正気かと思ったけれど。しかし、敵の防衛網を突破して、後方に奇襲を掛けられれば。

想定外の戦力で、敵を潰せるかも知れない。

勿論、敵も高原への動きは察知しているはず。

動き次第で敵を掣肘できるし。

場合によっては、前線の兵力を目減りさせることも可能だ。

今、スピアの軍勢は、相当に数を減らしていて、回復の見込みもない。二万に減った敵軍は、まだ二万三千程度にしか回復しておらず。後方にも、予備戦力がいないと言う報告も上がっている様子だ。

モディスそのものはガチガチに固めているようだけれど。

それでも、間違いなく、史上屈指の好機。

クーデリアさんは、既に起き上がって、指揮を始めているし。

ステルクさんは、敵陣に切り込むつもりでいる。

此処が、勝負所。

メルルがどれだけ早くこの経路を切り開くかで、戦闘の行方が左右されるのだ。そして、敵がモディスを喪失すれば。

本丸と見込まれている無限書庫へと、王手を掛けられる。

勿論、それが本当かまでは、メルルには分からない。まだ首脳部では、敵の間諜を警戒している様子で。

直前まで、本当の作戦を伝達してこないことも多いのだ。

案内のリザードマン族と一緒に、周囲を更に探索して、地図を埋めていく。強力なモンスターが多くて一秒でも気を抜けないけれど。

逆に言えば。

モンスターがいる地点はほぼ固定されていて。

其処さえ突破出来れば、わりとどうにかなる。

モンスターの縄張りに関する執着は大きく。

縄張りから外れていると、襲ってこない例も、珍しくはないのだ。モンスターというのは、そういう存在なのである。

もっとも、縄張りが非常に広く、徘徊する範囲が明らかに人間の生活地域に掛かるモンスターは要警戒だ。

例えばベヒモス。それに、アードラなどの空を舞うモンスターである。

辺境戦士の場合、熊程度は問題にもならないので。こういった生物の性質をもっと調べておけば。或いは、戦闘を避ける切っ掛けになる。

ただし、元住んでいた場所を追われたモンスターが、別の地域に住み着いたり。

或いは、彼方此方を転々とする例外的なモンスターもいるようなので、全てを同じく括りに入れるのは危険だが。

周辺地図を埋め終わる。

高原だけれど、彼方此方に複数の泉がある。今はダメだけれど、うまくまとめていけば、小川くらいにはなるかも知れない。

上手に処理が進めば。

このあたりに入植する人間の喉を潤す水くらいは確保可能だろうか。

湧水の杯を当初は使う予定だったので。

これはうれしい誤算だといえる。

あれはどれだけ改良を進めても。

安全な水を出すことができても、その水がまずいという事実は、変えられないのである。それだけは、トトリ先生にも、どうにもならないようだった。

手をかざしてみるのは。

山の、最頂部。

まだ未知が確保できていないけれど。

彼処を抑えることが出来れば。

モディスを完全に視界に捉えることが出来るだろう。

皆を促して、急ぐ。

此処でやっておかなければならない事は。

かなり多いのだ。

 

ゼウスは、距離を取ってメルルを見ていた。一なる五人が、指示を送ってくる。

「攻撃のタイミングを計っているのか」

「はい」

「慎重なのも結構だが、目的を忘れないようにな」

嫌み付きの通信が終わる。

嘆息すると、ゼウスは。

試しに、トトリに渡されたボタンを押してみる。周囲に、ノイズが走る。やはり、これは、本物と見て良いだろう。わずわらしい一なる五人の声が、聞こえなくなる。今、奴らには。

ゼウスが、真面目に仕事をしているように、見えているはずだ。

例の阻害装置を、一なる五人の側に置いてきた。

その結果。

ゼウスは、トトリの協力で、こうやって自由時間を確保できるようになっていた。自由時間である。

今までは、概念さえ存在しないものだった。

だが、満喫ともいかない。

出来るだけ急いで脳の爆弾を取り除いてしまわなければ。最終的には、どうあっても死が待っているのだから。

しばし、その場で立ち尽くしていると。

トトリが、姿を見せる。

いつもの護衛を連れていたが。

正直な話。

今では、此奴単独で、ゼウスを相手取れるのでは無いかと、思い始めていた。

「どうした、何用か」

「この間調べた頭の中の図が出来ました。 かなりしつこく爆弾が食い込んでいますけれど、摘出は可能です」

「……!」

「実施までは少し準備が掛かります」

ぬか喜びは、したくない。

具体的な時期について聞く。

トトリは、今まで誠実な交渉をしてきている女だ。嘘をつくことはないだろう。いにしえの時代、一部の政治家は、嘘をつくことを仕事とか吹いていたらしいのだけれど。今の時代は、それでは回らない。

「それで、実施時期は」

「慌てています?」

「当然だ」

「メルルちゃんが、あの山地を越えてから」

何だそれは。

つまり、要するに。

ゼウスは人質を取られていると同じ、という事か。

トトリの笑顔は、そうではないと告げているようにも思えたし。そうだと肯定しているようにも見えた。

冷や汗が流れる。

此奴は底が知れない。

恐怖をストレートに感じることも、珍しくなかった。

「出来るだけ、急いでくれ」

「尽力はします」

「……」

頼むとまでは、言えなかった。

プライドが邪魔をしたし。

これ以上譲歩すると、相手に対して奴隷になるも同じだと考えたからだ。誇り高い戦士になりたいと考えている以上。

そのような真似だけは、避けたかった。

山を降りる。

しばしして。

一なる五人から、通信が入った。

「あんなにトゥトゥーリアがやるとはな……」

「奇襲を受けていたが、損害は?」

「いえ、特には問題ありません」

「そうか。 ならば戻ってこい」

例え手足を失っていたとしても、悲しんだり苦しんだり、そんな反応はしないはずだ。此奴らにとってゼウスは道具。

それ以上でも以下でもない。

分かっているからこそ、造反した。

そして出来る事なら。

一なる五人だけを殺して。

スピアの軍勢は可能な限り救いたいところだ。

山道を降りる。

険しい山道だが、別に何でもない。石を踏もうがサソリに刺されようが、今のゼウスには大したダメージにはならないのである。

モディスに出る。

モンスター達は、ゼウスを見ると敬礼。

とはいっても、此奴らは、捕縛したり殺した北部列強の兵士達を改造したものであって、今や意思は無い。

機械的に返事をすると。

モディスの中に。

古い時代の砦だったらしい此処も。

今では内部をすっかり改造されて。強力な装備を多数備えた。近代的な要塞へと生まれ変わっている。

あてがわれている自室は。

地下の、更に深く。

厳重な監視が為されている場所で。

此処でなければ、寝ることを許されていない。

しかも、寝る時は、一なる五人が夢まで監視している。プライバシーなど、存在するはずもない。

ベッドに横になると、ぼんやりと考える。

さて、此処からどうしてくれよう、と。

具体的な相手のことは思い浮かべない。

粛正されかねないからだ。

目を閉じていても。

容赦なく、一なる五人は語りかけてくる。

というよりもそれは、一方的な通告だ。何となく分かってきているけれど。一なる五人は自分達以外にはなんら興味も無いし。

人権など、ましてや認めてさえいなかった。

「ゼウスよ」

「如何なさいましたか」

「モディスの警備に当たっている兵の一部が、消息を絶った。 恐らくは土着モンスターの仕業だ。 調べてきて、場合によっては殺せ」

「イエッサ」

呟くと、部屋を出る。

今、休みはじめたばかりだという恨み言は口にしない。そして外には、確かに強めの気配があった。

砦の屋上に出ると、見つける。

虎の尾に蛇をつけ。

背中から山羊を生やしたような生物だ。

キメラという。

いにしえの時代にも記述がある存在だけれど。ただ神話や物語の中だけの存在だった当時と違って。

今は、キメラは現実に存在する恐怖だ。

ノーモーションで雷撃を放つ。

あのステルクの雷撃さえ上回る破壊力。地面が一瞬開く染まり、その後爆発した。

もろにキメラは巻き込まれたけれど。

舌打ちする。

煙が張れてくると、キメラの死骸は無い。

つまり生き延びた、という事だ。

「追え」

「はい」

一なる五人の指示。

屋上から、風となって走る。

まだキメラの気配は捕捉している。

そう苦労せずに、追いつけるはずだ。

城壁を飛び越え。

荒野に。

必死に逃げているキメラは、そう遠くない。無言で走って、距離を詰めていく。ほどなく、見えてきた。

同時に、周囲にわき上がる気配。

キメラだ。

それも、十頭以上はいるだろう。

周囲を改めて見回す。

スピアの兵士の亡骸が、多数散らばっている。同じようにして、多数を屠ってきたのだろう。

一なる五人が、直接命じてくるわけだ。

これは、他の兵士には、対応出来ない。

 

しばしして。

黒焦げになった幾つかの死体を部下に片付けさせながら、ゼウスは舌打ちしていた。

何カ所か噛まれた。

此処にいたキメラ共の戦闘力は、それだけ高かった、という事である。

致命傷などは流石に許してはいないけれど。

それでもこれは。

褒められた結果ではない。

強いと言っても、ただ生物として生きているだけの、知性も無い雑兵だ。それにこれだけの苦戦をしたと言う事が、ゼウスのプライドをいたく傷つけていた。

「ゼウス」

「如何なさいましたか」

「次の命令だ」

舌打ちしそうになるが、こらえる。

出来るだけ、急いでくれよ、アールズの姫君。

ゼウスは指示のまま。

近くにある森の中へと、身を躍らせた。

 

1、メルルの杖

 

ハンマーが振るわれ。

火花が散る。

ハゲルさんは無言だ。仕事中、ハゲルさんがずっと黙りなのを、メルルは知っているから、椅子に座って待つ。

今日も、まだ完成する様子が無い。

渡したのだ。

死者の騎士達の怨念が籠もったハルモニウムを。

そして今。加工してくれている。

何をどう加工しているかは、正直メルルにはよく分からないのだけれど。

今までの戦槍杖を渡せと言われて。

そして結果がこれである。

作業が終わるまで、外出も出来ない。何しろ、メルルにとってのメインウェポンを預けているのだから。

元々、戦槍杖そのものが、今やアールズの国宝であり。メルルにとっては手放せない護身の神だ。

丸腰で外を歩くなんて、余程腕がある魔術師でさえ考えられないのが辺境である。

だから、今は。

ハゲルさんの技を盗むべく。

じっと、見つめていた。

程なく。

ハゲルさんは、不可思議な形に延ばした金属を、丁寧に叩いて、形を整え始める。赤熱したハルモニウムは。

見るからに、真っ赤を通り越して、炭色になっていく。

だけれど、それでいいとも聞いている。だから、何も口出しはしない。最強の、メルルのための武具。

本気でそれを造ってくれている。

そう信じて、待つ。

ハゲルさんは、少し前から寝る暇も無いほどの忙しさだ。大会戦で多数の戦士が死に、その武器が戦場から回収されたからである。

形見の品は、それはそれでいい。

少し手直しするだけだ。

問題は、国が支給していた、強力な武具。

これらに関しては。

一度鋳つぶしたり、或いは修理して、国に再度納品しなければならない。そういうものなのである。

「ちむ!」

気付くと、足下にちむちゃんがいた。

手紙を手にしている。

どうやら、ホムさんからのものらしい。アトリエで黙々と調合を続けて、メルルの支援をしてくれているホムンクルスは。普段は貰った家で静かに過ごしていて。調合が終わると、さっさと家に帰っていく。

渡しているスケジュールを完璧にこなしてくれるので。

メルルとしても、助かっていた。

「あっと、材料切れか……」

「ちーむ!」

戦闘向けではないちむちゃんだけれど。

ホムさん達戦闘タイプホムンクルスとは、これはこれで仲が良いらしく。このようにお使いをしていたり。

或いは、仲が良さそうに喋ったりもしている。

もっとも、端から見ている分には、何を言っているのかさっぱり理解できない事も多いのだが。

席を立つと。

メルルは、外に。

近場の森だから、あまり大人数でなくても良いだろう。

ホムくんは元々、少し遠くで採集を続けていて。しばらく帰ってこない。此処はメルルがやるしかない。

本来は考えられない事だが。特例だ。危険が少ない、街のすぐ側の森だったら、何とかなるだろう。

ケイナとライアスは。

いない。

2111さんと2319さんは。

いた。セダンさんと話し込んでいる。

セダンさんはずっと悩みっぱなしで。

色々な人と話しては、武術の向上に、全力で取り組んでいる様子だ。前の大会戦以降、ずっとそうである。

このままだと、すぐにメルルより遙か達人の極みに行ってしまいそうで。

何だか、辺境戦士らしいなあと。感心してしまう。

声を掛けると、三人振り向く。

用事と事情を告げると。

すぐに同意して、荷車を引っ張り出してくれた。

近場の森は、リス族がガードしていることもあって、ほぼ安全だけれど。以前スピアの間諜達に襲われた事もある。

念入りに警戒しながら踏み込むと。

すぐに姿を見せたリス族に事情を説明。

リス族は、大きく頷いた。

「うむ、以前の失態は二度と見せぬ。 安心して採取を行われよ。 ただし、生態系を損なわない程度に、だ」

「ありがとうございます」

荷車を引いて歩きながら、確認。基本的に森の中だから、ハンドサインで意思疎通を行う。

採取の際が一番危ないから、しっかり周りを見ていてもらう。

必要な素材を集めて、適当な所で切り上げ。

リス族の戦士を帰りにも見かけたので、手を振って礼を言う。この辺りは、もはやスピアの間諜でも、簡単に入り込むことなど出来ないだろう。

「草とか木の実とか、どうするんですか?」

「錬金術の材料ですよ」

「!」

「見ていきますか?」

セダンさんは少し悩んだ末、頷く。

メルルも頷き返すと、アトリエに誘う。

アトリエでは、ホムさんが待っていた。指定があった材料を渡した後、メルルも作業に取りかかる。

今日から、少し特殊なものに挑戦する。

錬金術の産物としてもかなり珍しいものである。

まず、手に入れた木の実を一つずつ割る。虫が出てくるものもあるので、それは仕方が無い。

全て割った後、砕いて。

乳鉢ですりつぶす。

セダンさんには、窓際にあるソファに座って貰って、作業を見てもらう。

此処からだ。

地下から出してきた中和剤。混ぜ合わせた複数の木の実を、中和剤に、少しずつ入れながら、温めていく。

ある程度の分量になったところで釜に移し。

火力を丁寧に調節しながら、少しずつ中間生成物を追加。

かなり、ひどい臭いがしてきた。

あれほど美味しそうな木の実だったのだけれど。これは仕方がない。この作業は、有益な腐らせ方をするものだ。

しばし煮詰めた後。

中和剤を追加。

更に火を入れて、温度を上げていく。

その過程で、先にすりつぶしておいた魚のすり身と。羊肉のすり身を、混ぜる。臭いが、更にひどくなる。

しかし、ある一点で。

不意に、臭いが消えた。

そして、良い香りに代わり始める。

此処からだ。

もう少し。

ゆっくりとかき混ぜながら、温度を調整。ちょっと間違えると、全てがすぐに台無しになってしまう。

気を付けなければならない。

額の汗を拭いながら、最後の温度調節。炉に入れている薪を少し増やして。そして、一気に仕上げた。

釜から、青白い塊を取り出す。

ペンチで掴んでいるそれは。

とても硬度が高い。

それでいながら。

なんと、食べる事が出来るのだ。

「何ですか、それ」

「見ていてください」

砕いて、小さな欠片にすると。

水を、垂らす。

すると、一気に膨らんで、一抱えもあるもこもこになった。しかも、良い香りが、一気に辺りに拡がる。

これぞ、耐久糧食の新型である。

新世界レーションとでも名付けるつもりだ。

「食べてみて」

もこもこを千切って、自分でも口に入れながら、セダンさんに渡す。最初おっかなびっくりだったセダンさんだけれど。

食べてみて、吃驚したように顔を上げた。

「不思議な触感……」

「やっぱり耐久糧食は傑作と言える兵糧なんですけれど、此方はかさばらないという事に特化しています」

食べるときは、入れ物から取り出して、水を掛けるだけ。

見る間にもこもこに膨らんで。

しかも、とても美味しい。

欠点もある。

まず水を防がないと話にならないので、昔生産されていた缶詰などにいれる必要が生じてくる。

水そのものが必要だと言うことも問題だ。

ただし、普段は耐久糧食の十分の一の体積であると言う利点が大きい。

しかしながら、耐久糧食のように、ネクタルが詰まっているわけではない。腹を満たすことは出来るけれど、力は耐久糧食ほどでないし。食べると喉が渇いてしまうのも、また事実だ。

つまりこれは。

難民用の、兵糧である。

「戦士用ではない、んですか」

「はい。 長距離移動する上、水に困らない状況を想定しています。 食べるとどうしても喉が渇きますから」

「……」

セダンさんが、少しばつが悪そうに視線をそらした。

少し前に、メルルがした話。

難民の女の子が、逃げる途中にどのような目に会ったか、を思い出したのだろう。メルルとしても、それを想定している。

今後の話だ。

難民達にも、色々と難しい状況に立ち会って貰う事になる。

その時には、こういった兵糧が必要だ。パンだの燻製肉だのでは、どうしてもかさばってしまう。

そういったものは美味しいけれど。

平時の食べ物なのだ。

これは水さえつけなければ半永久的に保つ上に、美味しい。耐久糧食とは一長一短だけれど。

それそのものが戦士のための食糧である耐久糧食と。

この新世界レーションでは。

それぞれに一長一短があり、そしてそれが故に生産する意味があるのだ。

ホムくんが帰ってきた。

顔を合わせるのは久しぶりかも知れない。

セダンさんとは、初めての筈だ。

「ただいま戻りました、ピコマスター」

「戦利品はどうだった?」

「相応です」

そう言うけれど。

かなり貴重な品を、色々と油紙から出してくるホムくん。前から助けられているけれど。今回の収集品も、どれも役立ちそうだ。

礼を言うと、早速中身を吟味。

セダンさんは、不思議そうに、その光景を見ていた。

 

夕方、セダンさんを送った後。

鍛冶屋に、様子を見に行く。

そろそろ出来る頃ではないかなと思ったのだ。

ハルモニウムによって強化されたとなると。メルルの戦槍杖も、どう変化したか見物だろう。

メルルとしても、楽しみである。

鍛冶屋からは、金属加工の音がしない。

疲れてハゲルさんは眠ってしまったのかなと思ったけれど。あの屈強な親父さんが、そんなへまをするとも思えない。

鍛冶屋を覗き込むと。

ハゲルさんは、腕組みして考え込んでいた。

その足下には。

恐らく、メルルの新しい武器。

一回り大きくなり。

鈍い炉の輝きを帯びた、戦槍杖があった。

「お邪魔します」

「入りな」

ハゲルさんは難しい顔だ。

何が気に入らないのかよく分からない。メルルには、遠くから見ているだけで、悪くなく思えるのだけれど。

近づくと。

腕組みしていたハゲルさんは、何度も小首を捻った。

「あの、失敗作、ですか?」

「いや、良く仕上がったよ」

「ならば、どうして?」

「あんまり良い気分がしなくてな。 少し前にロロナの嬢ちゃんが杖を持ってきたんだが、散々酷使したのが見え見えでな」

それでいながら。

杖を大事にするそぶりもないと言う。

若い頃は違ったと、ハゲルさんは悲しげだ。

「昔のロロナの嬢ちゃんは思いやりが深くてな。 ひどい境遇にある親友のために、何でもするくらい良い奴だったんだが……」

ひどい境遇の親友。

ロロナちゃんの親友というと、クーデリアさんだろうか。

あの人は、アーランドでも珍しい、ちゃんと財力を持つ貴族だったと聞いている。何か、ろくでもない事情があるのだろうか。アーランドでの財力持ちというと、アールズの王族より遙かに大きな力を持っているはずだ。

だけれども、力を持った家に生まれることが、必ずしも幸せとは限らない。

重い事情があるのかも知れない。

メルルには分からないけれど。

いずれにしても、ハゲルさんの表情は、沈痛そのもの。とてもではないが、茶化して良い雰囲気ではない。

メルルが、そんな風に。

新しい武器を扱うのでは無いかと、危惧しているのだろうか。

「大丈夫、大事にします。 この武具に籠もった想いの深さは、理解しているつもりですから」

「そうか。 俺の知る錬金術師は、みんなそう言っていたんだよな……」

思わず、言葉を失う。

錬金術は魔の学問。

トトリ先生が見せてくれた、闇の深淵。

そして、ロロナちゃんの壊れた心。アストリッドさんの、もはやどうして良いか分からない悪夢のような状態。

メルルも、その闇に飲まれると。

ハゲルさんは危惧しているのだろう。

アトリエに戻る。

まだ最終調整があるとかで、武具は受け取れなかった。明日、完成するそうである。少し持たせて貰ったけれど。

手になじむ。

恐ろしいほど、しっくりと。

以前に比べて、倍近く重くなっているのに。それだけ、メルルの腕力が増している、という事である。

メルルの杖。

自分だけの武器。

この武具に恥ずかしくない自分になりたい。そう思わせるだけのものがある、最強の杖だった。

ベッドに転がると、何度か天井に向けて手を伸ばして。

握ったり閉じたりする。

実は、父上にも、同じハルモニウムから、剣を造って進呈するらしい。メルルの武具が国宝なのに、父上の剣がそれより格下であると、色々問題だから、というのが理由であるそうだけれど。

父上には、あのハルモニウムがどういう代物なのかは。しっかり説明した。

きっと悪いようには、扱わないだろう。

狂気。

闇。

飲まれないように。今後も、前向きに。そして、あの武具も使いこなして。出来れば。闇に落ちてしまった先輩達を、どうにかする方法を考えたい。

欲張りだろうか。

でも。メルルには、地位と責任がある。

成し遂げなければならない。

その覚悟を。

今日、メルルは。

新たにしたのだった。

 

早朝。

戦槍杖改・メルルの杖を受け取る。名前はこれ以外にはあり得ないという事だったので、そのままにする。

実際問題、確かにその通りだ。

少し試運転。

ミミさんが来てくれたので、つきあって貰う。

達人なら、まだまだメルルの人間破城槌を、真正面から受け止めることが余裕で出来るし、それで怪我をさせたりはしないだろうから。

少し距離を置いて向き合うと。

フルパワーで、人間破城槌を叩き込む。

ミミさんは巧みに得物を旋回させて、一撃の威力を殺しつつ、メルルを止めてみせるのだけれど。

少しだけ、手応えがあった。

ミミさんの後ろの地面が、激しくひび割れる。

「ん……」

眉をひそめるミミさん。

一瞬だけ心配したけれど。大丈夫そうだ。

「まずかったですか?」

「いいえ、威力もタイミングもばっちりよ。 これならば、そろそろ実力的にベテランの仲間入りね」

「! やった……」

「当たり前よ。 どれだけ良い師匠について貰っていると思っているの」

ミミさんが少し呆れたように言う。

勿論此処で言う良い師匠には、彼女「も」入っているのだろう。それがミミさんの面白いところだ。

もっとも、基礎や歩法はシェリさんに習ったし。

ほかの達人達にこそ、メルルは鍛えて貰ったような気もする。

ただやはりだけれど。

今になって、響いてくる。

錬金術師になって三年。

幼い頃から、怠け者で、基礎をさぼっていたツケが、どうしても響いている。もっとしっかり勉強していればと、どれだけ後悔したか分からない。

つまらないと思った勉強や。

何に役立つのだろうと思った事が。

役に立ってから、初めて価値が分かるという事が、どれだけあった事か。メルルは、子供が出来てから、それを教えていきたいけれど。

あまりに親が厳しすぎると、子供はまた怠け者になると聞いている。

どうすれば良いか、さじ加減は難しそうだ。

「工夫すべき点はありますか?」

「そうね。 やっぱり、味方の支援無しでも即興で使えて敵に致命打を浴びせられるバージョンを、もっと鍛えるべきね」

「分かりました! 有難うございます」

「此処からは、もう誰かに教わるのではなくて、自分で鍛えていく段階よ。 頑張りなさい」

ミミさんは、ケイナについても、少し前に同じ事を言ったらしい。

ライアスも、そろそろベテランの仲間入りが出来るそうだ。

豊富な実戦と、格上の敵との死闘。

それが、こういう所で、生きてきている。

ミミさんが帰った後、アトリエに戻って、メルルの杖を磨く。変形するギミックについては魔術のワードを使わないと、使用できないようにロックを掛けてある。というよりも、そもそも変形のギミックが、強度を下げてしまうので。

変形後固定する事で、それを補っているのだ。

その後、魔術師を何名か呼んで。

攻撃魔術を、真正面からぶち抜く練習をしてみる。

その際には、敵の魔術を緩和する、錬金術の道具を身につける。勿論相手にも攻撃は掛けない。

あくまで検証作業だ。

炎や冷気は、真正面から蹴散らせる。

かなりの火力までなら、正面突破して、敵をそのまま貫くことが可能そうだ。それだけ、ハルモニウムという金属が強靱なのである。

問題は電気。

この間の死者の騎士戦でも分かったのだけれど。

電気での攻撃は、もろに全身に来る。

恐らく金属で杖を作っているためだろう。

こればかりは、防ぐ方法がない。

ちなみに、城から様子を見に来たステルクさんに、最小火力に抑えた雷撃を見せてもらったのだけれど。

それでも、ダメージが尋常では無かった。

ちょっと工夫する必要がありそうだ。

敵が格上になると。

恐らく、雷撃を人間破城槌への返し技として使われた場合、致命打になる。まともに食らったら、即死の可能性もあった。

「大丈夫ですか、メルル姫」

「……ステルクさん、何か対抗策は思い当たりませんか?」

「そうですね。 雷撃は元々固有能力としては稀少で、モンスターや魔術師の中に使うものもいますが、かなり数は少ないです。 これに対する対策を練るのも良いですが、もういっそのこと、ガードは他の戦士に任せるというのも有りかも知れません」

「なるほど……参考になります」

ステルクさんは、少しだけ嬉しそうにする。

城から此方に来たとき、不機嫌そうだったのだ。

ルーフェスと対立したらしい。

この国で騎士団を創設するべきだという意見を、蹴られたのだそうだ。

ステルクさんの話によると、兵士を横並びで運営しているアールズでは、どうしても戦時に円滑な動きをさせづらい、というのである。

だから、エリートである騎士を育成し。

それらを集めて、精鋭部隊である騎士団を造るべきだ、というのが、ステルクさんの意見。

育成には、自分が参加しても良いとステルクさんは言ったそうなのだけれど。

ルーフェスは断ったそうだ。

何となく、理由は分かる。

アールズは結局の所、血族集団で、あまり規模も大きくない。大量の難民と、多くの戦士達が入ってきて拡大したようにも見えるけれど。やはり「アールズ」としては、変わっていない部分も多いのだ。

近年は失った戦士達を補うように、ベビーブームも起きているが。

幼子達が一人前の戦士になるのは、まだまだ時間だって掛かる。

騎士団を造る余裕は無いし。

何より、騎士団が大国における親衛隊のような。戦闘力を有していない上に、実際にやるのは権力闘争、などというような連中になってしまうのを、ルーフェスは危惧しているのだろう。

「あの男は、戦場における星の輝きの力を、理解していません」

「……」

メルルは苦笑いしてしまう。

騎士は、その背中で、味方を鼓舞するものだと、ステルクさんは熱弁。きっと彼は、冒険者制度が導入されて。騎士では無くなったとき、とても悲しかったのだろう。アーランドどころか、この大陸でも最強クラスの戦士となった今でも。きっと、騎士へのこだわりは、残り続けているのだ。

「メルル姫は、どう思われます」

「まずはアールズの国力を高めて、この土地に骨を埋めたいって人を増やしていくのが先ですね……」

「なるほど、其処までお考えでしたか」

「ええ。 国家百年の計と言いますけれど、今はまず、手元にあって出来る事から、順番に処理したいと、私は思います」

ステルクさんは、どうしてだろう。

ルーフェスの言うことには反発しても、メルルの言葉は聞いてくれる。

後は、ケイナとライアスと一緒に、軽く訓練を見てもらう。

でも、ミミさんが言ったように。

そろそろメルル達は、自力で力を伸ばす段階らしい。ステルクさんも、メルルにベタベタ甘くするばかりではなく。それについては、ミミさんと同じ事を、ぴしゃりと言い切った。

ステルクさんが帰った後。

杖を磨いて、そして片付ける。

次の戦いが、メルルの杖の初陣となる。

それまでは。

今回の、高原攻略に集中して。錬金術でも、幾つか成果を上げておかなければならなかった。

 

2、崖

 

二つ目の課題に、メルルは取りかかる。

新世界レーションが、予想外に上手く行ったので、少しばかり油断していたのだけれど。この二つ目が、とても難しいのだ。

まだ、上手く行かない。

この辺りになると、参考書も非常に難しい。トトリ先生の書いた参考書も、ロロナちゃんが昔書いた本も。

それだけではない。アストリッドさんが書いたという参考書まで取り寄せているのだけれど。

いずれも癖がある。

トトリ先生が書いた参考書は、基本的に非常にわかりやすいのだけれど。難易度が段階的に上がっていって。気がつくと、容赦のない難易度になっている。そして引き返せなくなる。

ロロナちゃんの昔の参考書はとにかく感覚的。

何度も何度も直した形跡があるけれど。それでも、どうしても感覚で書いているというのが、読んでいて理解できてしまうのだ。

変な擬音とかが入ってくることも多くて。

その度に、理解が難しくて、頭を抱えてしまう。

アストリッドさんの参考書が、最難関。

基本的に、頭が良い相手が読むことしか考えていない上に。本そのものが、暗号文のようになっているケースも多い。

この人は、元からの頭の出来が違う反面。

多分、頭が悪い相手のことは、理解できないのだなと、メルルは何となく分かった。

ちなみにメルルはと言うと。

読んでいて、どうにか理解できる、という程度。

必死に食らいついていくけれど。

まだまだ壁が高くて、先輩錬金術師達のつくりあげた技術と、その偉大なる業績に、圧倒されるばかりである。

メルルも自力で作り上げた道具はあるけれど。

まだまだ、先輩達の造った道具に比べれば、全然。

実際、エメスや魔法の石材も。

時々トトリ先生が、見ただけでアドバイスをくれて。

それを受け入れると。あっさり改良できることが多いのである。まだまだ、先生達との壁は高い。

崖のように。

今造っているのは、素材だ。

軽くて頑強。

そして、何より、量産できる。

これは、風車の羽に使うもので。高原への経路を確保した後、この素材を使って、一気に多数の風車を造る。

魔法の石材も必要だけれど。

それはまあ、今まで散々造ったので、後回しで大丈夫だ。

もう一つ注文をつけられているのは。

生物由来の素材にしないこと。

虫や何かに囓られて痛んでしまう事を、避けるためには、必要な処置なのだと、ルーフェスは言っていた。

勿論、風雨に耐えるのは絶対条件。

幾つもの難題の先に。

要求される物資がある。

素材そのものが、軽くて頑強というのが、まずハードルが高いのだ。その上、金属だと重すぎる。

少し悩んだ後。

布で作って、それに塗料を塗ることで対処したいと考える。布はどうしても生物由来の素材になるけれど、塗料でカバーするのだ。

ただし、塗料そのものも、かなり重い。

タール状の塗料となってくると、ずっしりと重みが来て、風車が回らない事態も想定された。

幾つかの失敗を経て、順番に出来ない事を潰して行く。

虫除けの塗料については出来た。

これは、元々染料として造ったものに、魔術を仕込んだものだ。虫除けの魔術はそれこそ類例がいくらでもあるので、これに関してはクリアは難しくない。問題は、染料の重さと剥落しづらさだったのだけれど。

油を混ぜ込むことでクリア。

雨もはじける。

続いて、素体だけれども。

布を何種類か吟味したのだけれど。布は、それ自体が害虫の餌食になりやすい。ましてや高原では、なおさらだろう。

塗料は、ある程度割り切るべきか。

例えば、定期的に納入して、塗り直す。

そうすることで、消耗品として考える。

一度ノウハウさえ造ってしまえば。材料そのものは、難民達に作ってもらう事も出来るのである。

実際、生きている縄は。

今は、かなり難民達に、素材を作ってもらっているし。

医薬品もそう。

中間生成物に関しては、特にそうだ。

作成のノウハウさえ造れば、かなり楽になる。自分でそう言い聞かせながら、作業作業作業。

しばし試行錯誤していると。

ルーフェスから使いのメイドが来た。

すぐに来て欲しい、というのである。

何か起きたという事だ。

前線では、まだ兵力が回復していない。何が起きても、まったく不思議では無い状況である。

メルルも高原への経路を確保は出来たが。

其処を完全に安全な場所へは変えられていない。特に難民を通すつもりなら、途中に安全地帯となる森をかなり作らなければならないだろう。

適当な所で切り上げて、ルーフェスの所に出向く。多分、碌な用事ではないだろう事は、想定がつく。

そして、予想は当たった。

ルーフェスは、非常に不機嫌そうで。

メルルが出向くと、顔を上げて。いつものような無表情のまま言う。

「姫様、一大事にございます」

「うん。 何が起きたの」

「西大陸からの難民七千の、第一陣が到着いたしました」

「!」

早すぎる。

確か、予定ではもう少し遅れるはずだったのだが。メルルもそれに備えて、準備をしていた。

いずれにしても、いきなり七千だ。

既に五万を超えている難民に、七千が加わるのである。今回は第一陣という事で、数は五百ほどらしいのだけれど。

人を其処まで入れる余地があるのか。

「どうしたの、早すぎるよ」

「それが……」

苦々しげに、ルーフェスは言う。

何でも、この間の大会戦の結果、スピアが前線を各地で後退させ。その結果、難民が通れる経路が増えたのだという。

その中には、アールズに向けてかなり道程を短縮できるものもあり。

結果として、第一陣が、予想以上に早く到着してしまった、という事らしい。

勿論、物資には余裕がある。

問題は、受け入れを行う場所だ。

「南の耕作地は」

「現在調整を続けていて、先発隊はどうにでもなります。 しかし七千全てが来ると、二千ほどがあまります。 更に悪い知らせなのですが」

「……続けて」

「西大陸からの難民が、更に増えています。 どうやら、西大陸での戦闘も、味方が攻勢に出た様子でして」

各地で捕まっていた人々が解放されたり。

包囲されていた街を、奪回したり。

そういったことが重なった結果。

どうしても、西大陸では受け入れられない人員が、此方に来る事になっている、という事らしい。

味方が勝っているのは、大いに結構なのだが。

そもそもこの間の会戦では、主力も壊滅的な打撃を受けているし。アールズには余力も無い。

敵は主力を失い、戦線を後退させているけれど。

ひょっとしてダメージを受けているのは、むしろアールズの方なのではないのか。メルルは、一瞬そう勘ぐってしまった。

「それで、追加分の難民は」

「アールズで引き受けを検討しているのは、およそ五千」

「併せて一万二千」

「そうなります」

ため息が零れた。

分かっている。

もはや行く場所もないし。何より、難民の扱いに関しては、アールズが大きな成果を上げている。

今、ルーフェスが言っているように。

当初の予定だけでも、二千オーバー。これは、場所をそもそも現時点では、確保できていないからだ。

農場と鉱山に割り振る準備を進めるとしても。

それでどうなるか。

試算は出ているという。

「まだ足りません」

「現時点で、南の耕作地にいる人達を農場か鉱山に割り振るのは」

「希望者を既に募っていますが、中々難しく」

既に、この事業を始めて時も経っている。

そもそも、難民達が結託して問題を起こさないように、住居などもたびたび変えさせているし。仕事場の割り振りについても同じ。

そういう状況だ。

これ以上、難民達を色々と刺激すると、本当に大規模反乱に発展しかねない。そうなれば、もはやスピアとの戦どころではない。

かといって、高地にいきなり難民を廻すのはNGだ。あの地獄は、辺境戦士達でさえ、油断できない魔境なのである。

アールズ王都に難民を受け入れるのは。

これも無理。

そもそも、アールズ王都は人口にしても多くない。何千もの難民をいきなり受け入れたりしたら、パンクどころではすまない。

国政を乗っ取られる可能性さえある。

実際問題。

今、王都北東部の耕作地にいる難民達は、そういうことをしでかしてきた連中なのである。

スピアもこの機に、間諜を送り込もうとしてくるだろう。

各地で前線を後退させているとは言え、その戦闘力は充分。相変わらずこの大陸最強の軍事力を持っていることに、代わりは無いのだ。

「新しく、難民を受け入れる土地がいるね……」

「しかし、場所がありません」

「分かってる」

これは、コトだ。

勿論父上にも話は行っているし。アーランドの首脳部も、この問題については把握してくれている。

物資の援助については、メルルも不安視していない。

問題はそこではない。

安全に難民が生活できる土地がない。

これに尽きるのだ。

「とにかく、現状は受け入れを急いで」

「それならば、姫様に提案が」

「何?」

「エメスの生産数を増加させてください」

そうか、やはりそう来たか。

今、各地の難民を増やせない最大の理由は。

警備の戦力が足りない事だ。

例えば、アールズ南部の耕作地。此処は極めて広大だけれども。この間の会戦で多くのベテランが鬼籍に入った結果、殆ど不眠不休での警備をして。それでも人数が足りていない。

エメス達は、どの難民受け入れ地でも頑張ってくれている。

というか、大好評だ。

現時点で既に百二十三機を生産したけれど。

これを二百まで増やせないか、とルーフェスは言うのである。

エメスを、二百機。

少し、剛腹なメルルでも、考え込んでしまう。更に、高原の方の問題もある。此方も、もう時間がないのだ。

ホムさんとホムくんには、これまで調合補助と採集で仕事を分担して貰っていたのだけれど。

今後は、二人とも。

調合補助に回って貰うべきか。

「二百まで増やしたら、どうにかなる?」

「怪我人も復帰してきています。 或いは……」

「綱渡りか……」

「申し訳ございません」

ルーフェスは深々と頭を下げた。

メルルも其処までされると、引き下がれない。仕方が無い。此処からは、少しばかり手段を選んではいられなくなる。

「資金の支援できる?」

「何をなさるのですか」

「エメスの部品を発注する」

「!」

相手先は、パメラさんだ。

多分パメラさんなら、発注した部品を複製することも出来るだろう。ただし、お金が相応に掛かってくる。

残り八十機を造るとして。

国庫がどうなるか、少しばかり不安だ。

「中核の部品は私が作るよ。 でも、量産品を造れるのなら、そうして負担を減らさないとね」

「分かりました。 アーランドの方に、すぐに支援要請を行います」

「よろしく」

アーランドにしても、今はホムンクルス達の補充でてんやわんやの筈だ。トトリ先生の弟子が、メルルの他に二人いるらしいのだけれど。彼女たちも恐らくは、その作業に掛かりっきりだろう。

それに、である。

パメラさんだって、話に乗ってくれるかは分からない。

すぐに城を出ると。

まっすぐ、パメラさんの所に向かう。

今、アールズは。

戦い以外の理由で。

存亡の岐路に、立たされているのかも知れなかった。

 

パメラさんは、案の定難しい顔をしたけれど。要求金額と内容、それにメルルの持っていったサンプルパーツを見て、許可はしてくれた。

ただし、相応に時間は掛かる。

まあ当たり前の話だ。

その間に、メルルは。

研究を進めなければならない。

高原の開発には、戦略的に大きな意味がある。一念発起すると、メルルは一度、水源の方へ行く。

途中で、王都北東の耕作地に寄る事も忘れない。

メルルが定期的に出向くことで。

此処にいる荒くれ達も、相応に大人しくなるのだ。

メルルは彼らには、悪鬼羅刹のごとく怖れられている。それで良い。メルルも、悪い噂が流れるのを止めさせなかったし。

むしろ、積極的に怖い噂を流させた。

そして、仕留めたモンスターを運び込み。解体、食事の実演を行う事も、積極的にやっていった。

結果、彼らは。

メルルを今では、ある意味崇拝する状況になっている。

今、此処で指揮をしているのは、雷鳴の後を引き継いだ老戦士だ。バズルという名前で、アーランドでは雷鳴よりも更に一世代前の戦士。

現役としては最年長の戦士だが。

流石にもう衰えがひどく、前線の勤務は厳しいという事で、此方に回されてきている。まあ、それも仕方が無いだろう。

バズルはかなり髭が白く、髪も白いけれど。

難民達には侮られていない。

戦士として衰えたとはいっても、杖を突いて歩いているわけでもないし。仕事をさぼって寝てばかりいるわけでもない。

普段から見回りをし。

話を聞いて、問題に対処し。

時には、荒くれ達を自分で制圧もしている。

ただ、メルルは。バズルにあった時、悟ってしまった。もう、流石に若い戦士には勝てないと。

豪腕で知られたらしい頑強な肉体も。

八十を超えてしまうと、流石にもう限界近い。

此処が最後の土地になる事も、覚悟している様子だった。

「バズルさん、状況はどうですか」

「おう、問題はないさ。 あんたが時々来て目を光らせてくれるから、クソガキ共も大人しいしな」

「ふふ、それは良かったです。 足りない物資などはありませんか?」

「平気だ。 食い物だけは、きっちり自給できるしな」

ただし。

前にスピアに喰い破られた結界のせいで、まだモンスターの襲撃がたまにあるそうだ。悪魔族達が追い払っているけれど。早くホムンクルスの警備を廻して欲しいと、くどくど言われた。

エメス達は。

働いているけれど、戦闘でモンスターを追い払えるほどでは無い。

やはり、戦闘が出来る人員も欲しいのだろう。

戦えるエメスを造るべきなのか。

いや、それはダメだ。

エメスには、あくまでも。

守る存在で、いて欲しいのである。

軽く話した後、耕作地を離れて、水源に。そして、ディアエレメントさんと、面会をする。

水源の管理は完璧。

この間の戦いでも、荒らされることはなかった。

だから、だろうか。

ディアエレメントさんは、メルルを快く迎え入れてくれた。少なくとも、メルルに対する敵意は無い様子で。警戒もしていない。

古代のある意味生きた伝説にそうして貰うのは、嬉しい事だ。

少し前から、沼地の王も、メルルに対しては警戒を緩めてくれているようだし。こういう、人以外の理解者も、少しずつ増やしていきたい。

「どうした、アールズの姫。 問題か」

「はい。 古代の知恵を拝借いたしたく」

「ふむ、もうして見よ」

「実は……」

順番に、風車用の素材について、話していく。塗料についても、ベースになる布についても。

車軸や、内部の機構に関しては。

アールズの鍛冶や。

或いは難民達でも、対応出来るものがある。

しかし、染料や素材に関しては。古代の技術を、知識の一端にいれるのは、悪い事では無いだろう。

資料を見せてくれたので、メモを取っていく。

流石に、世界が一度滅ぶ前には。

凄い技術が、世界中にあったものだ。

どの技術の記録も、感心させられるものばかり。

どれもこれもが。

驚かされる知識ばかりだった。

その中で、必要なものだけをメモ。感心した様子で、ディアエレメントさんは、語りかけてくる。

「兵器には目もくれないな」

「今の時点には、必要ありませんから」

「そうかそうか」

「それよりも、此処ですが……」

分からないところがあったので、聞く。

それも解決できたので、此処まで。

何とか、技術を応用することで、開発は出来そうだ。ただし、一発で、とはいかないだろう。

此処からの試行錯誤を、少しだけ減らせた。

それだけである。

後は。アトリエにまっすぐ戻る。

この水源が危険地帯である事には変わりないし。今回は、ジーノさんもミミさんも来ていないのだ。

アトリエまで急いで戻り。

其処で、解散。

皆に給金を渡して。メルル自身は、アトリエのコンテナに素材を入れると、すぐに研究開始。

早速仕入れてきた知識を使って、幾つか調合してみる。

結果は見事だ。

進展する。

しかし、進展するだけ。

決定的な所は、自分でやらなければならない。

「メルル」

「あ、ごめん」

ケイナが怖い顔で見ていたので、適当な所で切り上げる。銭湯に二人で行って、汗を流した後。

ぼんやりと、今日のことを語り合った。

「ねえ、ケイナ」

「どうしたんですか」

「やっぱり、錬金術は、魔の学問なのかなあ」

「急に……」

ケイナは笑おうとして、失敗。メルルが真剣なことに、気付いたからだろう。

ステルクさんも言っていたけれど。

錬金術に関わった人は。特に大きな力を得た成功した錬金術師の場合は。心を壊してしまうことが多い。

地方の国にいる、薬もろくに作れないような、過去の偉人「旅の人」が作り上げた遺産の残りカスで細々とやっているような錬金術師は兎も角。真剣に世界の真理に挑んでいる錬金術師は。

皆、心に大きな闇を抱えてしまっている。

錬金術は、魔の学問。

ステルクさんが、そう嘆くのも、無理はないように、メルルには思え始めているのだ。

かといって、錬金術が必要なのは百も承知。

この国の力を上げているのは錬金術だし。

アーランドだってそう。

何より、錬金術の産物であるホムンクルス達がいなければ。とっくにこの世界は、一なる五人に滅ぼされてしまっていただろう。

ケイナは、悲しそうに首を横に振った。

分からない、と言うのだろう。

メルルにさえ分からない事だ。

分かるはずもない。

「トトリ様やロロナちゃんがおかしくなってしまっているのは、私にも何となくは分かりますけれど、錬金術を極めていくと、人が壊れてしまうかというと……」

「そうだよね、ごめん」

「良いんです。 メルルの力になれなくて、ごめんなさい」

「……うん。 もう、今日は寝よう」

切り上げて、長々と話していても仕方が無い。

この日は、もう寝る。

続きは明日だ。

ベッドに潜り込むと、よく眠れた。

だけれども。一度生じてしまった疑念は、容赦なく、メルルの心を、傷つけていくのが分かった。

 

荒い息を、整える。

此処は。

闇の中。

いや、違う。辺りには血が塗りたくられ。もはや人間という生物だったとしかいえない臓物と肉塊が散らばっている、地獄。

メルルが立っているのは。そんな悪夢の場所。

手にしているのは、爆弾。

目隠しをされ、猿ぐつわをされた男が運び込まれてくる。血の臭いで、異常だと気づいたのだろう。

悲鳴を上げようとするけれど。

猿ぐつわが、それさえ許されない。

「次の実験を始めるよ」

「はい」

悟りきった表情のケイナが、男を跪かせる。

震えている男の背中に、爆弾を乗せると。

メルルは、その場で起爆した。

出来るだけ、近くで結果を見たいからだ。魔術によって厳重に防御されているので平気。至近で、木っ端みじんになる人体を観察。

何の感慨もなく。

ミンチになる死体と。その状況を、メモ。

気付く。

あれ、私、一体何をしているんだろう。

でも、体が止まらない。

「次」

更に次の男が連れてこられる。

筋骨たくましいけれど。

所詮は列強出身者。

ケイナが一人で抑えることが余裕で出来る程度の身体能力しかない。無理矢理座らせると、次の爆弾を取り出す。

同じようにして、起爆。

座らせた男が、粉みじんに消し飛んだ。

「上々、と」

笑みさえ浮かべながら、メルルは、メモを取る。

違う。

こんな事、する筈がない。

絶対に、してはいけない。

私も、落ちてしまったのか。

闇へ。

地獄の底へ、足首を掴まれて、引きずり込まれてしまったのか。もしそうだとすると、私は、一体。

ふと、見る。

鏡に、メルルが映っている。

其処には。もはや人とは到底言い難い。いや、既存の生物だとさえ思えない、異常な肉の塊と、触手の群れが蠢いていた。

一なる五人が、戦場でこのような姿を晒していたと聞く。

メルルも。

錬金術を極め。

効率を高めるためだけに。このような姿に、なってしまったのか。悲鳴を上げそうになるけれど、出来ない。

なぜならば。

そこにいるメルルは。

むしろ、この効率的な姿のことを、喜んでいたからだ。

触手を振るって、死骸をかき集めると。縦に大きく裂けた口へと運ぶ。そしてむしゃり、むしゃりと。音を立てて食べていく。

嗚呼。

魔の学問を究めた結果。ついに、メルルも負けてしまったのか。そして、狂気に引きずり込まれてしまったのか。

これは。

きっと。

あり得る未来の夢なのだ。

目が覚める。

全身に、ぐっしょり汗を掻いていた。

呼吸を整える。

メルルは、分かっている。

手を見なくても、大丈夫だ。

今のが、夢だと言う事くらいはわかっているのだ。だけれども。これが、本当にあり得る未来だと言う事も、理解できている。

トトリ先生について、調べて見た。

昔はちょっと気弱で、しかしとても優しい女性だったという話である。今のように、敵を見つけ次第首を素手で引きちぎって。自分のアトリエでコレクションするような、魔人ではなかった。

ロロナちゃんだってそう。

昔だったら、竹馬の友であるクーデリアさんが、生死の境をさまよっているのに、平気な顔などしていなかっただろう。

ひょっとすると。

アストリッドさんさえ、そうなのかも知れない。

そうだとすると。

メルルは、一体。

将来、どうなってしまうのだろう。

恐怖に、心臓を鷲づかみにされるけれど。しかし、それでさえ、きっと序の口に過ぎないのだ。

これから、もっと深い狂気を。

錬金術を極めていけば、目にする事になる。

ベッドから降りる。

外に出ると、冷たい水で顔を洗った。何度も。ひんやりしていて、すぐに目は覚めたけれど。

其処は、いつもの見慣れた庭ではないようにさえ、メルルには思え始めていた。

 

3、移送

 

エメスのパーツが届いた。パメラさんのお店からだ。

そのまま組み立てを行って、コアを組み込むことによって、命を吹き込む。効率化は上手く行っている。

没個性にならないように、幾つかのパーツは手作りしているし。

性能にも、それぞれ差異を設けている。

みんな、可愛いメルルのエメス達だ。

自分の子供も同じ。

それなら全部同じにしないで。少しずつ、違うエメスにしてあげたいではないか。

届いたパーツの分、エメスは出来た。

とりあえず、十機。

すぐにフィリーさんに納入して、現地に送って貰う。というか、もうすぐに起動して、現地に歩いて行って貰う。

エメス達が歩いて行くのを見送ると。

メルルは。アトリエに戻る。

最終段階だ。

もう少しで、風車の羽に丁度良い素材が出来る。軽く丈夫で、虫に囓られることがなく、雨風にも強い。

同時に、緑化を五カ所で行う。

高原への途中で、どうしても危険な地帯が五カ所ある。

リザードマン族と二回。

探索を行って、精査をした結果だ。

此処でも作業を行うために、エメス達は生産している。今、コンテナで眠っている五機がそれだ。

最終的には、十五機に増やす。

勿論、ルーフェスが言っていた、足りない人手を補うためのエメス達とは、別の存在である。

つまり、それだけ多めに造らなければならない、という事だ。

色々と大変だけれど。

しかし、やり遂げなければならない。

試作品が出来た。

塗料を塗った、頑丈な布。重さは少しあるけれど、まあどうにかなるだろう。これを、外に作ってもらった、風車に設置する。

当然、辺境戦士の優れた身体能力を用いても、半日がかりの仕事になるけれど。

それは、メルル自身がやるのでは無くて。

アーランドから来ている技術者達に任せる。

その間、メルルは。

エメス達を組むのだ。

連絡が来た。

出来たと言う。

外に出ると。試験的に造られた風車が、真新しい姿をさらしていた。とても可愛らしくて、和む。

中も見せてもらう。

小麦を挽く仕組みがある。

臼なのだけれど。これを、風力で廻すのだ。そうすることで、労働力を更に有効活用することが出来る。問題は、高原へ小麦を運ぶコストなのだけれど。それは、緑化による安全確保で補う。

緑化することでできる森には、兎族やリス族に入って貰う。

少し手が足りないけれど。

これについては、ルーフェスが手配をしてくれている状況だ。

「風!」

何人か来ている魔術師が、魔術を使って、風を起こす。

しばし様子を見ていると。

風車の羽が周りはじめる。

技術者が、腕組みして唸った。

「悪くない挙動だ。 だが、高原の吹き下ろし風はもう少し強い。 風の力を上げてくれるか」

「了解」

まだ若い女性の魔術師が、更に火力を上げる。

風車に、びゅっと、凄い風が吹き付ける。メルルも見ているけれど。ぎしぎしと音がして、ちょっと不安だ。

保つのかこれ。

だが、耐え抜く。

風によって破れることも折れる事もなく。

風車の羽は、回り続けた。

「次は雨です」

「はい。 続けてください」

技術者が唸ると。

今度は魔術師達が、擬似的な雨を降らせ始める。魔術としては、それほど難しいものではない。

降り始める雨。

小さくて可愛い風車に。

容赦なく、雨が降り注いでいく。

高原でも、当然雨が降る。

それを考えると。

これは、仕方が無い措置だろう。見ていて、ちょっとばかり不安になってしまうのも、事実だし。

雨に濡れて風車が可哀想とも思う。

だけれど、黙っている。

子供は猫かわいがりすると、絶対に失敗する。時には厳しい状況において、様子を見守る事も必要だ。

風車が、しばらく雨に濡れ。

止める。

技術者がはしごを使って登り始め、羽の状態をチェック。

しばしして、降りてきた。

「悪くないですね」

「実用に移せますか」

「まあ、どうにかなるでしょう。 ただし、幾ら強いと言っても、モンスターの攻撃を受けるとどうにもなりません。 予備については、常に確保するようにしてください」

技術者が引き揚げて行く。

魔術師達も。

メルルは頷くと、ホムくんとホムさんに指示。

量産の体制だ。

レシピは既に渡してある。

後は、メルルが、実際に道の安全を確保していく。

緑化チームは、既にルーフェスの手で手配して貰っている。後は、現地で護衛と、作業をしてもらうしかない。

負傷から復帰したホムンクルス達が、前線に出始め。

アーランドからも到着して。

ようやく、前線では徹夜作業の日々が終わった様子だ。

これで、人員も確保できる。

とはいっても、連れて行けるのは、四名のみ。しかも、どのホムンクルスも、新人だけ。勿論新人ホムンクルスでも、ベテラン冒険者並の実力者はあるけれど。それでも、あらゆる経験が足りない。

その辺りは、どうにか工夫で補うしかない。

アトリエを出ると、ルーフェスに報告。

実験が成功。

量産体制が整ったことを言うと。ルーフェスは、ようやく安堵の息を漏らした。

「流石は姫様です。 想定よりもかなり早い」

「うん、まあ、ね……」

その代わり。

連日徹夜に近い状況だった。

ケイナが何度もメルルの事を怒り。それで、しぶしぶといった風情で、寝床に潜り込むことになった。

その成果だ。

失敗して貰っては困るのである。

「護衛と、それと緑化チームの手配はよろしく」

「分かっております。 準備が出来次第、お声をお掛けします」

「頼むよ」

少し足下がふらつくけれど。

何とか、自力でアトリエに戻る。

そして、ベッドに突っ伏す。

ぼんやりと、数刻を過ごす。

激しい疲弊が、全身を包んでいた。何よりも、精神的なダメージから、まだ回復し切れていない。

トトリ先生は慣れろと言うけれど。あの部屋を見た事によるダメージは、まだメルルを苦しめている。

というよりも。

自分でも、分かっている。

メルルは、認め始めてしまっている。

錬金術という学問が持つ狂気に。

有する悪夢の歴史に。

極論すれば、錬金術は力そのものだと考えられる。だとすると、やはり、人間をおかしくする要素があるのだろう。

武術も同じだ。

極めていくと、どうしても非人間的な存在へと変わっていく。ジオ王などは、その典型だろう。

メルルだって知っている。

あの人は、大陸最強の実力者ではあるけれど。

ひどく部下から恨まれている側面もある。

当然だろう。

あらゆるものを利用し、使いつくす。

そういった、冷酷な部分も存在していて。それはジオ王の中で、拭いきれぬ闇として、確固たる地位を確保しているのだから。

でも、メルルは。

それでも、狂気に呑まれたくはないと思う。

吐き気がひどい。

でも、どうにかこらえる。

此処からだ。

メルルは、準備ができ次第。

また高原に、出かけなければならない。

禍々しい輝きを放つ穂先を得た、メルルの杖。初陣になる行軍だ。ほぼ間違いなく、モンスターとの戦闘もあるだろう。

今回は、リス族の戦士が、十名ほど同行してくれる。

急ピッチで緑化をするので、そのためである。

緑化と言うよりも。

今回は、植林が近いかも知れない。

時間がない中。

無理矢理にでも安全を確保するための、賭だ。

一眠りするけれど。

眠ったつもりには、まったくなれなかった。気がつくと、目が覚めている。眠ったような気はするけれど。

体は、まったく休まっていなかった。

 

エメス達十機を送り出すと。

今回の作戦支援のために造り出したエメス達八機を起動させる。普段はエメスの後ろに番号をつけているのだけれど。

今回は特別。

1000番から、それ以降を振っている。他とは用途が違う意味である。

もっとも、このままエメス達を造り続けると、番号はすぐに追いつかれてしまいそうだけれども。

リス族の十名が合流するから、今回はかなりの大所帯だ。

荷車を確認。

今回の作戦では、新世界レーションの試運転もする。また、魔法の石材についても、運び込んでいる。

羽の素材も。

アーランドから来た、風車の技術者も二人。

彼らにも同行して貰う。

戦士としては、どうということのない実力者だ。アーランドで言う労働者階級なのだから、まあそれは仕方が無い。

逆に言えば。

彼ら二人を、守りきらなければならないのだ。

アールズ王都、東門で合流。

そのまま、現地へと向かう。現地ではリザードマン族とも合流する予定なので、更に所帯は膨らむ。

これはこれで。

中々に、面白い。

街道が途切れた辺りで、シェリさんが手をかざす。

何かに気付いたのだろうか。

アニーちゃんが、荷車の上で、手慣れてきた動作で詠唱、印を切る。遠視の魔術を使っているのだ。

しばしして、アニーちゃんが小首をかしげる。

「何もいないよ?」

「……だといいがな」

シェリさんは、厳しい表情のままだ。

確かに何もいないのであれば、文句を言う必要もない。不安視することもない。だけれど、メルルには。

ザガルトスさんも、同じような表情なのが気になる。

今回は、ミミさんとジーノさんが揃ってきてくれているのだけれど。ジーノさんは、血がにじんだ包帯をつけたまま。

どうやら国境付近での小競り合いの結果らしい。

「ジーノさん、怪我は大丈夫ですか?」

「平気平気。 ちょっと痛いくらいが、集中できていいんでな」

「貴方の場合は、生傷に慣れてるだけでしょう」

「そうともいうな」

ミミさんの指摘に、ジーノさんはけらけらと笑った。

それも、すぐに止む。

街道が終わると、モンスターの気配が濃くなる。此処でリス族が合流。皆若い戦士らしく、めいめい原始的な武器で武装していた。

森を拡げる。

しかも、その森には住んで良い。

そう言われて、彼らは俄然やる気になったそうだ。気持ちは良く分かるし。やる気を削ぐ気も無い。

ただ、功を焦って、死ぬような真似だけは避けて欲しいなと、思うだけだ。

最初の予定地点に到達。

シェリさんとリス族と話あって貰った後。すぐに緑化作業を開始して貰う。森の側の荒野だけれど。

此処を緑化すれば。

側にキャンプスペースを作れる。

冒険者の常駐は無理だが。

リス族と。

それに、移住を計画している兎族が入れば。

かなり安全なキャンプスペースになる事だろう。

野営陣地を構築。

エメス達は、リス族に任せる。そのまま、基礎作業をして貰う。と言うよりも、此処で一旦リス族とはお別れ。

エメス達ともだ。

リス族の戦士達は、本体も森の中に潜んでいるし、大丈夫だろう。

なお、少し遅れて、緑化チームも来る。

流石に二三日で、植林主体とはいえ緑化なんて出来る訳も無い。

つまり、此処から先は、露払いが目的だ。

かなり身軽になった状態で、先に進む。

洞窟の入り口が、見えてきた。

 

洞窟を出ると、既に標高がかなり上がっている。内部では、またたくさん貴重な鉱石が取れたので、メルルはほくほくである。

しかもこの洞窟。

どういうわけか、モンスターが入り込んでくるようなこともない。

かなり安全な経路だ。

シェリさんが、緑化地点に残ったので、戦力的にはかなり不安だけれど。その分、アニーちゃんが様々な魔術を使いこなして、支援に徹してくれている。とても助かる。

洞窟の入り口近く。

少し地形が険しいけれど、広くなっている荒野がある。

次の目的地は、此処だ。

野営陣地を張って、待っていると。

リザードマン族が来る。

そして、洞窟から。

護衛を伴って、ジェームズさんが、姿を見せた。

「おう、メルル姫。 久しぶりだな」

「ジェームズさん!」

「どれ、此処が新しい緑化候補地か」

プロの容赦ない目で、ジェームズさんが周囲を値踏み。そして、悪くないと、結論してくれた。

荷車から出すのは。

湧水の杯。

アーランドからの輸出品の目玉。これの提供による交渉で。アーランドは多くの国と同盟を結んだという。

つまり、水不足に困る国は、それだけ多いのだ。

早速ため池を造る。

其処から中心に。周囲の乾いた地面に、水を撒いていく。メルルが造った栄養剤も投入。

いきなり草花の種までは投入しない。一旦は地面をこうやって、植物が生えるのに適した土地へと変えるのだ。

その間にも。

ひっきりなしに、リス族の伝令が来て。

時には、ジェームズさんを連れていった。

その間、メルル達は。

ジーノさんとミミさんと一緒に、周囲の大物の駆除。とはいっても、この辺りのモンスターは、既に小物なんていないが。

キャンプに近寄りすぎているもの。

明らかに、人肉の味を覚えているもの。

こういう連中を。

率先して処理する。

そうすることで、緑化での危険を減らすのだ。

野営陣地も拡大。

ただしそれらは。下での作業が終わったと、エメス達が来てくれる。エメス達は力持ちの上に勤勉なので。

野営陣地の拡大については。

嬉々としてやってくれる。

そして、しかも正確だ。

「うーん。 エメスちゃん達は今日も可愛いね!」

普段、酷い事ばかり起きているからか。

メルルは、少しばかり。

今日は、無理矢理にでも明るく振る舞おうと決めていた。

 

今回の任務は長期戦だ。

それはミミさんにもジーノさんにも告げてある。野営陣地から少し上がったところに、風車を一つ造ったのが、今回の限界。

流石にアーランドから来た技術者だ。

魔法の石材を基礎にして。

殆ど何の問題もなく、風車を造って見せた。そして、当然のように、風車はきちんと動いたのである。

内部で、早速麦を挽いて貰う。

石臼が自動で回る、というのは大きい。

しかも吹き下ろしの風だから、基本的に止むことはない。だから、半永久的に、風車は回り続けるのだ。

メンテナンスのマニュアルも渡される。

一番危険なのは、いわゆるバードアタックだという。

「鳥が、ぶつかるんですか?」

若い技術者は頷く。

何でも、風車は普通自然界には無い動きをするもので。慣れてくると、鳥はおもしろがって近づいてくると言う。

そして、動きを見きれずに、ぶつかってしまう。

小鳥の場合は即死だ。

ちょっと可哀想だけれど。

風車へのダメージも、その場合には大きくなると言う。

あまり他人事では無い。

風車による利益は、アールズにとって大きなものとなる。難民達にも、分担して更に色々な仕事を任せられる。

それに、何より。

本当の作戦を隠すためにも。

風車に本気で取り組んでいるように見せるのは、絶対なのだ。

二機目の風車も造り。

その間。ずっと護衛を続ける。

やはりモンスターとしては、緑化作業よりも。その側にある風車の方に、興味が引かれるのだろう。

近づいてくる者は駆除してしまうが。

遠巻きに見ているモンスターは、かなり多い。

これはひょっとすると。

今後も、定期的に見張りをつけないと。何かの弾みで、風車が壊されてしまう可能性もある。

それに、である。

技術者達が、かなり離れた場所に風車を立てたいというので、指で×印を造る。トトリ先生の真似だ。

「ダメです」

「しかし、此処は風の効率が」

「とにかくダメです。 危険すぎて、護衛できません」

その地点は、本当に何の含みもなく、実際護衛をするのが難しすぎる。それも説明するが、納得したようには見えない。

だけれども、それはある意味当然。

人がたくさんいれば、意見が違うのは、当たり前の事だ。だからメルルが、折衝をしていく。

しばらく折衝を続けて。

ようやく納得してもらえた。

少し疲れたけれど、折衝が上手く行って、衝突しなかったのは良いことだ。この程度の交渉が出来なくて、王族がつとまるか。

しばし、周辺を見回る。

モンスターは多いけれど。

護衛が手強いと判断してくれたのだろう。手を出してくる回数は、減った。それでいい。しばらくはメルルが主力となって、此処に留まる。地面を造ったら、植林をして、一気に森にする。

リス族が移住を終わらせた頃には。

この辺りは、モンスターが簡単には近づけない、要塞のような場所になっている。実際問題、モンスターにとって、地形が変わるというのは、要塞と同じなのだ。

何となくだけれど。

メルルには。

モンスターという存在が何なのか、わかり始めている。

トトリ先生も。ロロナちゃんも。恐らくは知っている筈だ。知っているけれど、教えてくれないのだと見て良い。

世界の深淵は。

常に狂気に満ちている。

呼ばれたので、出向く。

アニーちゃんが、大きなバッタを見つけた。二の腕ほどもある。

美味しそうだねというと。

アニーちゃんは、苦笑いした。

 

4、傷跡

 

思った以上のダメージだった。

一なる五人は、前回の戦いで、端末を用いてジオを退けることに成功。それそのものは想定の範囲内だった。

だが。

端末がダメージを受けるときに。

経由して、本体までダメージが届いてしまったのである。

補助脳に使っている数千の生きた脳が一瞬で焼き切られて破砕し。本体へも、小さくないダメージが通ってしまった。

不覚である。

それに、何よりだ。

ゼウスの様子がおかしい。

奴に匹敵する手駒はまだ作成の最中だ。一なる五人といえども、ほいほいと強力なホムンクルスを作り出せるわけではない。

アレに裏切られると、困るのだ。

だが、それを承知の上で。

敵が動いたのだとすると。

恐らく相手は。

トゥトゥーリア=ヘルモルトだろう。

暗殺の対象にしたのは、実のところ。一なる五人が見たところ、単純な戦士としての力量はロロライナに劣るとしても。あれの方が、周囲に与える影響力と、戦略判断能力が上だと判断したからである。

実際、ゼウスに何か仕込んだとすると。

奴の判断は的確と言わざるを得ない。

通信が入る。

隣の大陸からだ。西大陸の戦況が最近悪化している。司令官においているホムンクルスは、泡を食っていた。

「どうした」

「人間共の勢いが増しております。 また、捕獲していた人間達の養殖施設を破壊され、多数のエサが脱走しました」

「それで?」

「!? そ、それだけにございます」

現地司令官は、青ざめたのだろう。そのまま通話を切った。一なる五人の中で、複数の言葉が飛び交う。

勿論。

西大陸の情勢なんて、どうでもいい。

エアトシャッターが覚醒し。

あれが完成するまで、もてばいいのだ。

問題は、それまで持たない可能性が出てきたことだ。この間の会戦での損害は、それほどに大きかったのである。

「ちょっとまずいんじゃないの。 どうせ使い捨てるつもりだったとはいえ、いくら何でも被害が大きすぎたよ」

「その上、本体にまでダメージが来た」

「少し早いが、書庫のあれを動かすか?」

あまり、賛成できないという意思が漂う。

しかし、最終的には。五人全員が合意した。

少し戦局をこちら側に傾ける必要がある。状況の最悪を想定すると、それくらいはしておかないと危ないのである。

すぐに、動く。

後は、本体へのダメージを回収し。

少しばかり、洗脳モンスターの増産を、多めにしておくべきか。前線の後退をもう少し遅らせた方が良いだろう。

いずれにしても。

今の状況は、一なる五人に取って、良いとはいえないものとなりつつあった。

 

報告を聞き終えたクーデリアは、病床から抜け出す。

まだ多少後遺症は残っているけれど。

戦う事に支障はない。

報告をしてきたトトリは止めない。

というよりも、此奴は。ロロナ同様に、もう他の人間が傷つくことそのものに、興味が無くなっているとみて良いだろう。

「ステルクは?」

「前線に。 メルルちゃんの事が気になっているようですが」

「……」

彼奴の気持ちは分かる。

錬金術は、魔の学問だ。そうたびたび口にしていた。錬金術で、人が変わり果てていく様子を、何度も見てしまったからだ。

このトトリにしても。

昔は高い理解力を持ってはいたが、優しい思いやりのある娘だった。しかし今では、感情を持つことそのものを忌避している有様だ。

だが、今は。

それより先に、やっておくべき事がある。

「攻勢を掛けるわよ」

トトリは無言で頷く。

今、一なる五人は相当な苦境に立たされている。此処で一気に前線を押し返せば、反撃の糸口を掴めないはずだ。

勝機である。

勿論、味方の損害も大きかった。

あまりにも大きすぎた。

だが、一人も国家軍事力級戦士を殺せなかった。それが、連中にとっての痛手だ。

此処で、勝負を付ける決定打を浴びせる。

そして、勝つ。

外に出ると、自分の装備一式を受け取る。そしてロロナに文を出すと。

クーデリアは。

自らも、最前線に戻るべく。ハルト砦を出て。

少し前まで、膨大な死体に覆われていた原野へ、歩き出したのだった。

 

(続)