難攻不落

 

序、水源へ

 

空気が、露骨に変わるのが、メルルにも分かった。此処が、水源なのだと。辿り着く事が出来たのだと。

理解できた。

あのサンショウウオを打ち倒してから、強力なモンスター達は、道を空けるようにして、メルル達から距離を取った。恐らくは、戦っても益無しと判断してくれたのだろう。嬉しい事である。

後は、安全な経路として此処を確保し。

水源へ抜けるだけ。

水源には、強力なベヒモスがいるという話だったのだけれど。しかし、今のところ、それらしき影は無い。

拍子抜けはしない。

この間。サンショウウオとの戦いで、奇襲がどれだけ危険か。戦略的な行動が、どれだけの危機を招くか。

身をもって思い知らされたメルルは。

もう、油断という行動は、一切しないように、心がけていた。

勿論気が緩むこともあるだろう。

しかし、此処は戦地だ。

だから、絶対に気は抜かない。どこから何が現れるか、分からないから、である。

上空にいたシェリさんが、ハンドサインを出してくる。

全員が戦闘態勢に、スムーズに移行。

円陣を組んで、敵の攻撃に備える。勿論、誰一人だって死なせるつもりは無い。メルルは息を吐くと。

清浄な空気の中。

辺りが血塗られる瞬間を待った。

だが。

意外な事に、その時は来なかった。

あまりにも自然に、それが姿を見せたから、である。

ベヒモスである。

しかし、違う事が分かった。少なくとも、知能を持たない暴れるだけのモンスターであるベヒモスでは無い。

「貴殿らか。 我等が同胞である、ゼドナを屠ったのは」

口を利くベヒモスなんて、初めてだ。

流石にジーノさんとミミさんが戦闘態勢を取るが。しかし、メルルは二人を制して、前に出る。

殺気が感じられない。

それに、トトリ先生は言った。

コミュニケーションが取れそうなら、そうしろと。サンショウウオとはとれなかった。それならば。

このベヒモスとは、取りたい。

勿論、油断はしない。

知能が高いモンスターの中には、人間の言葉を操って油断させ、襲ってくるものもいると聞いているからだ。

「ゼドナとは、ここに来る途中に縄張りを造っていた、巨大なサンショウウオですか」

「そうだ。 あれは我が同胞であった」

「同胞……」

やはり、間違いない。

遺跡のガーディアンかも知れないと言う話はあったのだ。あまりにも強力すぎる上に、知能も高かったからである。

戦略的に行動するあの姿。

粗暴なだけのモンスターでは無かった。

実力にしても圧倒的。

在来種のモンスターとしては、あまりにも出色だった。

「何故に、ここに来た」

「この水源は、アールズの国力を高めるために重要な存在です。 水源を抑えることで、大きな生産力に還元できます。 が……」

「が?」

「此処にいる生物には、出来るだけ迷惑を掛けないつもりです。 此処から流出する水をコントロール下において、様々な事に役立てる。 それが目的です」

「そうか。 少なくとも言葉の上は、粗暴ではないようだな」

ついてくるように。

そう、ベヒモスは言う。

メルルは頷くと。戦闘態勢を崩さないまま、後に続く。罠に誘われている可能性があるから、警戒は最大限にする必要がある。

ベヒモスは、歩きながら言う。

「永く生きすぎたゼドナは、元々知能に異常をきたしていた上に、少し前の戦いで脳をやられてな。 言葉を喋ることも出来なくなり、ただ戦闘兵器として、門番としての役割しか果たせなくなった」

「少し前の戦い、ですか。 相手は何だったんですか」

「スピアと貴殿らが呼ぶ狂気の軍勢だ」

「!」

やはり、そうか。

つまりこのベヒモスや、あの巨大サンショウウオは。スピアが攻めあぐねているという、遺跡のガーディアン。

水源が、無関係とは思えない。

勿論、それっぽい話をでっち上げている可能性もある。メルルはミミさんとジーノさんに、ハンドサイン。

二人は、後ろに続いているザガルトスさんとライアスに、目配せ。

2111さんと2319さん。それにケイナが、荷車をがっちり守り。メルルの少し後ろに、この間から同行してくれているセダンさんがついた。

皆、言葉を殆ど発しない中。

ベヒモスは、巨体を揺るがすようにして、歩く。

背中の筋肉が盛り上がっていて。

黙っていても、その戦闘力は、嫌と言うほど伝わってくる。しかもこのベヒモスは、人語を解するほどの知能まで有しているのである。

強い事は、わざわざ説明しなくても明らかだ。

「この辺りから、スピアの特殊部隊が現れる事が多くなる。 俺だけでも、戦う事既に二十七度。 何度撃退しても襲いかかってくる。 まったく、懲りない連中だ」

「ヴァイスハイド」

「ヴァレンザールか」

茂みを割って現れたのは。

此方も驚くべき事に、ドナーンである。それも、ベヒモスと殆ど同じぐらいの、圧倒的な巨体の持ち主だ。

しかも人語を当然のように扱っている。

会話からして、ベヒモスがヴァイスハイド。ドナーンがヴァレンザールだろうか。

「それが、ゼドナを倒した人間達か」

「ああ。 主が興味を持たれたので、連れてきた」

「……」

ドナーンは複雑そうな表情をする。

重量級のモンスター二体に囲まれているのだ。此方としては、気が気ではないのだけれど。

相手は恐らく相当な歴戦をかいくぐっていて、実力にも自信があるのだろう。

平然としていて。

その差が、露骨に出ていた。

ベヒモスが、何も無い空間に手を触れる。

しばしして。

周囲の光景が、切り替わっていた。

森の中だったのに。

金属の壁で囲まれた。薄暗い遺跡である。

鉱山の地下にあったものと、図らずもそれはよく似ていた。ひょっとすると、設計した人間が同じなのかも知れない。

そうなると。

この先にいるのは、邪神か。

「此方だ。 主がお待ちになられておる」

ヴァイスハイドが促す。

鉱山の邪神。あのダブル禿頭には、碌な印象が無い。アニーちゃんに過酷な運命を背負わせて、平然としていた連中。

あんな奴だったら。

正直、顔も見たくないというのが本音だけれど。

もしも水源に関係している邪神だったのなら。

話はしておかなければならないだろう。

ただし、交渉ごとは、次に持ち込みたい。出来ればトトリ先生のアドバイスが欲しいから、である。

出来ればトトリ先生本人にも来て欲しい。

そろそろ共振器の作成は、完了するはずだからだ。

歩く。

ずっと周囲から、機械音がしている。

何をしているのだろう。見ていると、動く床の上に、白いものがたくさん乗せられている。それが骨だと気付いて、戦慄した。

骨を砕いて。

一定の大きさにして。

何かの炉のようなものへと投じているのだ。

何をしているのだろう。

「あれは……?」

「攻め寄せたスピアの軍勢の成れの果てだ。 処置の末に、骨を取り出して、丁寧に洗浄し、他の成分と分離している」

「一体何をしているんですか」

「? これだけで分からないのか。 貴殿は錬金術師と見えるが……」

意味が分からないことを言われる。

やがて、ウォンウォン唸る機械の中に、骨は投じられていく。更に細かく砕かれて、熱されているようだ。

ミミさんに袖を引かれる。

「何か気付かれましたか」

「鉱山の遺跡と違うわ」

「そういえば……」

眠っている人達がいない。

前はガラスのケースに入った無数の人達がいた。いにしえの時代の惨禍を逃れるために、眠り続ける事を選んだ人達だった。

この遺跡には、そういった人達は、いないのだろうか。

スロープがあったので、降りていく。先を歩いているヴァイスハイドは、警戒する此方に対して理解があるのか。

いちいち、歩みを止めてくれていた。

「もう少しだ」

「はい」

応えて、歩く。

どんな罠があっても対応出来るように、ある程度拡がりながら。

黙々と進みながら、彼方此方を観察。

やはり、何かの機械が動き続けている。

というよりも。

この遺跡そのものが、その巨大な機械を動かすための仕組みのようにさえ、思えてきていた。

機械の中に入り込んでしまった。

そんな印象である。

生唾を飲み込む。

小人になってしまったような、おかしな印象を受ける。

メルルは、こんな経験は初めてだ。

前の遺跡は、機械の中ではあったのだろうけれど。そう言う印象は受けなかった。此処は、違う。

彼方此方にある操作装置には。

奇怪な生物たちが取りついて、作業を黙々と続けている。

歩いている此方には、見向きもしない。

彼らは、仕事にしか興味が無い様子だ。いずれもが、仕事のためだけに、産み出された生物なのだろう。ホムンクルスに近い存在というのが正しそうだ。

ひょっとすると。

先ほど外にいた、巨大なモンスター達も、そうなのか。

「この奥だ。 俺はここから先へ進むことを許されていない。 主は繊細な方だ。 失礼がないように、な」

「……分かりました。 案内、有り難うございます」

「主の命令だから、そうしただけだ」

ヴァイスハイドは、距離を取ると、後は微動だにしなくなる。

帰る時に。

見送りと称して、最後まで監視するつもりなのだろう。

メルルは皆に頷くと、まずは自分が一歩を踏み出す。その前に、シェリさんが周囲を魔術で調べて、トラップが無い事は確認してくれていた。

「戦わないのかよ」

ジーノさんがぼやく。

前回。

あのサンショウウオ。ヴァイスハイドが言う所のゼドナとの死闘の後。ジーノさんは疲れ果てていたけれど。

アールズに帰る頃には元気になっていて。

如何に楽しい戦いだったか、周囲に話していた。訓練場でも、その戦いについて話して、盛り上がっていたらしい。

達人級の奥義を二回も喰らって生きている奴と戦えたのは久しぶりだと、本当に嬉しそうに話していて。

見に行ったメルルは苦笑いして聞いていた。

この人は、本当に戦闘が好きなのだな、と。

きっと今回も。あのゼドナと同レベルの相手と戦えることを、期待していたのだろう。清浄な空気が満ちる森の中で。周囲が血塗られる中。激烈な死闘で、敵と命を燃やし合う。きっとそれは、夢にまで見た光景だったはずだ。

だが。その夢は消えた。

ジーノさんが不満そうにするのも分かるけれど。

むしろメルルは。

これから会う邪神の性質次第では、あまり気分が良くない結末だけが待っているように、思えてならなかった。

通路は非常に広かったけれど。

ある一点から、極端に狭くなる。

階段があるのだけれど。

道の脇にあって、明らかに人が通る用のサイズになっているのだ。

「これは……」

「シェリさん?」

「これは、我等の先祖が残した規格だ。 この遺跡、我等悪魔族の先祖が構築したものと見て良いだろう。 世界を再生するための仕組みに関わっていると見て良さそうだ」

それは、凄い遺跡だ。

だが、シェリさんは、同時に小首もかしげる。

「しかし、全体的な仕様でいうと、悪魔族のものとはかなり離れている。 一部に手が入っているだけ、のように見えるな」

「アーランド北東部の、あの遺跡みたいな?」

「! それだ」

「?」

分からない話を、ミミさんとシェリさんがしている。

メルルも聞きたいと思ったのだけれど。

ミミさんは口をつぐんで、話してくれなかった。場所から言って、トトリ先生と一緒に冒険した場所なのだろうか。

階段を下りるとき。

流石に、ジーノさんが前衛に立った。そうしないと、トラップに対応出来ないかも知れないからだ。

かなり長い間、螺旋階段を下りる。

そして、唐突に、その場に出た。

其処には。

生活臭があった。

他の場所は、機械の中のようだったけれど。

此処だけは違う。

生活のための仕組みがある。機械は動いているのだけれど、どうやら食糧を生産しているらしい。

洗濯をするための仕組みらしいものや。

なにやら、娯楽のための、雑多なものも散らばっていた。

それほど広い空間ではないし。

防犯のための仕組みもない。

誰かがいるのか。

そう思って、気付く。

いつの間にか。

それは、其処に立っていた。

ワンピースのような服を着ている、人のような姿。悪魔族に似ているけれど、少しばかり違う。

背中には、鳥のような翼。

手足にも、かなり分厚く毛が生えているし。

頭には、一対の、山羊のように丸まった角。

何より瞳は緑。

こんな瞳色の人間、見たことが無い。

「お前達が、ゼドナを屠った人間か」

「私は、アールズの王女、メルルリンス。 貴方はこの遺跡の邪神ですか?」

「現状の人間の定義にある邪神という存在とは少しばかり違う。 私の名は、ディアエレメント。 古き悪魔族の一人であり、このネクタル精製施設を守る者だ」

「やはり……」

ミミさんが呻く。

似たような場所。似たような人を、知っていると言うことなのか。

シェリさんも、それは同じらしく。

目を閉じて、頭を振っていた。

何か、とてつもない悲劇を目にしたかのように。

「ヴァイスハイドを通じて、話を聞いていた。 貴様らは、この遺跡を収奪して、ネクタルの精製を停止させるつもりではない、と判断して良いのだな」

「はい。 私達の目的は、アールズにとって戦略的に重要な水源を押さえて、管理することです。 それ以外の事には、干渉しません」

「水源の制圧か……」

ディアエレメントさんは、ゆっくりと振り返る。

おしりからは、尻尾も生えているのが見えたけれど。

やはり、悪魔族と言うよりは。

人に近い姿だ。

ただ、凄まじい魔力を感じ取ることが出来る。此処に人を通して、平然としているわけである。

いざという時は。地力で撃退できるという、圧倒的な自信があるから、なのだろう。

ヴァイスハイド氏は繊細な人だと言っていたのだけれど。それは、恐らくは。戦闘力という点では無いのだろう。

「情報によると、ロロライナとトゥトゥーリアという錬金術師が、近辺に来ていると聞いている。 錬金術師であると見受けるが、その者達の弟子か」

「はい。 私はトゥトゥーリア、通称トトリ先生の弟子です」

「ならば、師匠に聞くが良い。 そして一度戻り、まだ何かするべき事があるのなら、師匠を伴ってここに来るのだな。 お前と交渉しても別に構わないが、様々な点で齟齬が出るだろう。 此処の存在について理解していないお前では、まだ力も知識も不足しているのが目に見えている」

「……」

それ以上、ディアエレメントさんは、喋る気も無い様子で。

背中を向けたまま、黙り込んでしまった。

一礼すると、階段を上がって、引き揚げる。

何だか、とても釈然としない。

「シェリさん」

「これから帰還後、アトリエに伺いたい」

「!」

「トトリ殿も交えて、少しばかり重大な話がある。 我々悪魔族の事。 それにこの遺跡について、だ」

有無を言わさぬ口調。

ミミさんも、そうした方が良いと言う。

彼女も、何か知っていると言うことだ。そして、実際に経験もした、そう言うことなのだろう。

外で待っていたヴァイスハイドさんに、送り届けて貰う。

もう、このベヒモスと、戦う気はしなかった。

戦っても何の意味もないし。

益も無いと思ったからだ。

ベヒモスは、縄張りの外にまで送り届けてくれて。

そして、其処で言った。

「一つだけ、言っておく。 命が尽きるのも遠くなかったゼドナと、最後に死力を尽くした戦いをしてくれたことは礼を言う。 彼奴はスピアの鬼畜どもは嫌い抜いていたが、辺境の戦士達と手合わせすることは嫌いではなかった。 精神に異常をきたしていても、きっと最後の戦いは楽しんでいただろう」

「……」

「互いに力をぶつけ合う場所になっただけのことだ。 気にするな」

一礼だけすると。

メルルは、その場を後にする。

何だか、此処には。

しっかりと準備をしてからで無いと、足を踏み入れてはいけない気がした。

 

1、いにしえの力

 

アトリエに戻って最初にしたことは。

トトリ先生への現状報告。

短くまとめて、レポートを渡して。そして、話があると言うシェリさんを残して。メルル自身は、ルーフェスに会いに行く。

メルルはメルルで。

水源までの道を確保したことを、ルーフェスに告げなければならないからだ。

お城では、久しぶりに父上が戻ってきていた。

武装蜂起した難民達の切り崩しが一段落したから、というのが理由らしい。まだ抵抗している連中はいるのだけれど。雷鳴さんが残っていることもある。現状では、小康状態と判断したようだ。

メルルが報告をすると。

ルーフェスは腕組みをして、考え込む。

「古代の遺跡、それも超級の、ですか」

「レポートに詳細はまとめたよ」

「はい。 今、もう目を通し終えました」

一瞬でレポートを読み終えるルーフェス。

造るのに、随分時間が掛かったのに。ちょっとばかり、これは癪だけれど。まあ、それは仕方がない。

「実は、噂はありました。 水源には知恵ある獣たちが住まい、その実力は神々に届くというものです。 とにかく古い噂の上、実際に最近足を踏み入れた者が、ただのベヒモスがいたとだけ報告してきていたので、姫様には伝えなかったのですが」

「ん、まあ仕方がないよ」

「申し訳ございません」

「それよりも、ルーフェス」

水源には。

迂闊に踏み込まない方が良いと思う。

メルルが出した結論に、ルーフェスも頷く。

恐らく彼処には、スピアが何度も前線の監視をかいくぐって、精鋭を派遣してきていると見て良い。

勿論前線の所在があやふやで。

守りも足りていない場所だから出来る事だ、と言う理由もある。

だがそれ以上に。

メルルでも分かる事だが。

彼処には、とんでもなく重要なものがある。水源は戦略的に重要な場所だけれども。恐らくは、それ以上の機密となるものが、秘されているはずだ。

ディアエレメントさんも、会ってはくれたけれど。

遺跡の入り口などは、結局見せてくれなかった。

途中からの記憶は曖昧で。

経路はまだよく分かっていない。

つまり、それくらい重要だ、という事だ。

「トトリ先生を伴って、これからもう一度行ってくるけれど。 父上の親書も必要になると思うよ」

「そのようですね。 すぐに準備いたします」

「それと……」

シェリさんに鍛えられていたアニーちゃんは。

相変わらず熱を出すのだけれど。既に魔術に関しては、いっぱしの腕前にまで成長している。

特に防御魔術に関しては、大人顔負けの実力だ。

これはお城にいる魔術師が保証してくれている。

つまり、今後は。

辺境での生活を、実地で学んで貰いたいところだ。

今までも連れて行っていたけれど、今後はちょっとばかり違う。ゲストとしてではなくて。

戦力としてカウントする。

武器の使い方や。

身の守り方。

自然の中での生き方。

何よりも、辺境戦士として、守るべき事。

これらを、学んで貰おうと思っている。

ルーフェスには、アールズの民としての登録と、必要最小限の装備品を準備して欲しいのである。

メルルも勿論、自分で作れる分はどうにかするが。

「登録に関しては、此方でどうにかいたします」

「よろしく。 それで、難民の状況は」

「トトリ殿による共振器の設置が各地で終了。 目だって動きが大人しくはなりましたが、しかしやはり火種は消えていません」

「……」

魔術的な洗脳であれば。

共振器や、悪魔族の魔術でどうにか対応出来る。

問題はそうではない場合だ。

じっくり時間を掛けて、間諜として仕込まれていった難民。普段は善良な難民のフリをして周囲に紛れ込み。

植え込まれたスピアへの忠誠や。

或いは特殊な淫祠邪教じみた思想によって。

いざという時は、自爆も辞さない。

そういった、悪夢のようなやり口。

スピアがそれを使うことは、既に分かっている。アールズ王都北東部の耕作地で起きた武装蜂起。

何人か切り崩しの過程で捕縛した者を調査して。

念入りに、洗脳が行われている事が確認されたのだ。

これは厄介だ。

インスタントな魔術による洗脳とは、根本的に別物だからである。見つけ出すにも手間が掛かるし。

何より、何をされているか、本当の意味で分からない。

時間を掛けて行われている洗脳は。

精神の深奥にまで根を張っていて。

簡単には取り除く事が出来ないのである。

そして、そんな潜在的爆弾とでも呼ぶべき難民は。既に四万三千を超えている、アールズへの流入難民に。

何人混じっているか、知れたものではないのだ。

彼らは、特定の合図があれば。

井戸に毒を投げ込んだり。

或いは重要施設にて自爆をしたりと。

恐ろしい行動を、何らためらいなく実行してみせるだろう。洗脳とは、そういうおぞましく。

そして許しがたいものなのである。

「現在、怪しい者の洗い出しは進めています。 アーランドからも、専門家を招いて、意見を聞いている所です」

「成果は、出そう?」

「正直、厳しいでしょうね」

「……難しい所だけれど、お願いね」

後は、ミミさんとジーノさんのスケジュール調整。そしてトトリ先生のスケジュール調整も、併せて頼む。

最近は、ロロナちゃんはほぼアトリエにいないので。

ルーフェスがアーランドに申請して調整しないと、身動きが取れなくなる。

最近はライアスとケイナも力をつけてきているし。2111さんと2319さんも強くなってきている。

シェリさんとザガルトスさんも、更に腕を磨いてきている。

これにセダンさんも加わって、防御魔術だけなら一人前のアニーちゃんも追加。戦力は上がっている。

だけれども。

やはり、大物を相手にするには、少しばかり心細いのだ。

今後は、アールズ王都東にある高原も、戦略的要地として抑える必要が出てくるけれど。あの辺りは超凶悪なモンスターが住み着く魔境で。下手をすると、水源以上に厄介かも知れない。

ルーフェスには、苦労を掛けることになるだろう。

城を出る。

メイド達に軽く手を振りながら、アトリエに戻る。

色々と。

メルルも、する事が、これから山積している。

急いで戻ると、アトリエでは、トトリ先生とシェリさんが、膝をつき合わせて、真剣な表情で話をしていた。

とはいっても、トトリ先生は笑顔のまま。

真剣な雰囲気だけはあるけれど。

シェリさんだけが、表情をいつもより難しそうに強ばらせている。

此方に気付いたシェリさんが、メルルを手招きする。

「メルル姫。 併せて話をしておきたい」

「はい」

そのつもりだったのだ。

二人の対角に座る。ケイナがお茶を淹れてくれた。一緒に話を聞いておけとシェリさんが言うので、ケイナも頷くと。近くに座る。

「メルル姫は知っていても良い頃だろう。 王族としては自覚もあるし、錬金術師としての力量も伸びてきている。 この世界の真相について、触れておくのも、良い機会だと俺は思うが」

「そうですね。 私もそろそろ、良い頃かなって思っていました」

「世界の真相……」

「少しばかりつらい話になるよ」

トトリ先生は笑顔だけれど。

やはり、厳しい話なのか。

メルルは頷くと。一旦荷物を片付けてくる。

書類仕事などは、ルーフェスがやってくれる。スケジュール調整も、任せてしまって構わないだろう。

それだけで、メルルは恵まれている。

トトリ先生やロロナちゃんは。

昔は、自分でそれらもしなければならなかった。

国に申請して戦力を要求しても、なかなか通らなかったことも多かったそうで。苦労は絶えなかったのだとか。

メルルはくっとお茶を飲み干すと。

頷く。

「お願いします」

「まずは、世界が如何にして、一度滅んだか、からだな」

シェリさんは。

どうやら、この世界が一度終末を迎えた理由も知っていて。メルルは、その理由を、これから知る事になるようだった。

 

いにしえの時代。

世界は閉塞していた。

増えすぎた人類。

多様化と言えば美しくも思えるが。実際には、責任も何もなく、誰もが好き勝手なことをほざき合い。

信念や正義は嘲笑され。

真面目に生きる人間ほど、周囲から馬鹿にされた時代。

それが、一度結末を迎える前の、人類の世界だったのだと、トトリ先生は始めた。

そんな世界が、あったのか。

今でも、辺境は厳しい論理に包まれた世界だ。強さが貴ばれ、誰もが厳しい中生きていく技を学ばなければならない。

だが、その荒野で生きる方法を。

笑う者は、少なくとも辺境戦士の中にはいなかった。

北部の列強の民とは、衝突が絶えない。思想のぶつかり合いも、何度も何度も起きて来たし。

実際、辺境の民のやり方を笑う者とも、何度も出会った。

しかし、である。

少なくとも、同じ生活をしている者の中で。きちんと自然と向き合って生きて行く事を、嘲笑うものなど、いない。

それだけは、今と昔の違いなのだろう。

そうメルルは思う。

話は続く。

人間が増えすぎて。

社会は閉塞し、資源は枯渇し。多くの問題が噴出して、社会は終末に向けて、転がり落ちていく中。

ある者達が台頭した。

それこそが、忌まわしき。

優勢主義者。

或いは、優性主義者。

彼らは、自分たちが優秀だと盲信していた。

そして、世界は、優秀な自分たちが支配するべきだと、考えていた。

誰もが、周囲からの嘲笑を受ける時代。

彼らの指導者の言葉は。

末端の者達に、あまりにも甘美だったのである。

お前達は優秀だ。

必要な存在だ。

お前達以外の人間は全てがゴミだ。

必要ない。

皆殺しにして構わない。むしろそれこそが、この世界のためになる事だ。

そんな甘言に乗せられた者達が、多数集まっていき。やがて、世界は終末への、決定的な爆弾を炸裂させることになる。

一旦、此処までで、トトリ先生は話を切る。

メルルは、考え込んでしまった。

「世界規模で、淫祠邪教が蔓延してしまった、と言う状態だったんですね」

「中々理解が早いね」

「分かる気がします」

難民達の様子を見ていると。そして彼らに、直接触れあってみると。メルルは、色々と思うところがあるのだ。

絶望的な状況。

飢え。恐怖。閉塞。悪夢。何もかもが命を脅かす環境。弱い者からゴミのように死んでいく世界。

今まで豊かだったのに。

何もかもを奪われて。

そしてもはや、未来の欠片も見いだせない状況。

そんなとき、人は。ころっと転んでしまう。甘言に乗せられる。淫祠邪教に染まってしまう。

普段だったら絶対に落ちない罠に。あっさり落ちてしまう。弱い状態になると。人はあり得ないミスをするものなのだ。

恐らく、その優性だか優勢だかの主義者達のボスは。最初は、ただの金儲けが目的だったのではあるまいか。

だませる者達を集めて、お金をかき集めるため。

淫祠邪教を摘発してみると。

信者は兎も角。淫祠邪教を立ち上げた連中は、詐欺師であったり。或いは、金儲けが目的であったりする場合が極めて多いのだと、この間メルルは聞いた。ちなみに教えてくれたのは、国政にも深く関与してきたクーデリアさんである。

だけれども。トトリ先生の話を聞く限り。どうやら、ここからが、普通の淫祠邪教とは、違っていたのだ。

信者達が。

真面目に自分を優秀だと信じて、暴走を開始したのである。

「彼らは不幸なことに、技術を持ってしまっていたの。 数が多かったから、知識を持ったものもいた。 彼方此方に根を張った彼らは。 本気で、自分たち以外の、優秀では無い人間を、皆殺しにしようと考えたんだね」

全員が、狂ってしまった集団。

そして、皆が狂っていれば。

一人がそれに気付いても、もはやどうすることも出来ない。

二つの恐ろしい兵器が、世界中にばらまかれた。

一つは。今ではもはや存在しない武器。

世界を焼き尽くす、劫火の矢。

核兵器というそうだ。

これが、世界中に降り注ぎ。それこそ、今の世界に住まう人間の、何十倍という数を、一夜にして殺しつくしたという。

さらなる悪夢が、続く。

それこそが、劣悪形質排除ナノマシン。

文字通り、「優秀ではない者」を皆殺しにする悪夢の兵器だ。

世界にばらまかれたこの悪夢は、それこそ瞬く間に。世界中の生物を滅ぼしつくしていった。それ自体が勝手に増える性質を持っていて。ばらまくだけで、世界中を侵していく代物だったのだ。

優性主義者だとかは、既に自滅して、何も残らず。

人類は、必死に最後の力をかき集めて。世界を再生するために、二つの手段を講じたという。

一つが、人間を強くするための仕組み。

これについては、後述すると、トトリ先生は言う。

そしてもう一つが。

「我々だ」

シェリさんが、自分を指す。

悪魔族。

彼らこそ。

世界から、悪夢の毒を取り除き。自然を回復するために、毒を身に取り込み続ける宿命を背負った者達。

対抗するための別の毒を体の中に取り込み。

周囲から毒を受け入れつつ、荒野を緑に変えていく。

それこそが。悪魔族の使命。

「昔、生き残った人間達の一部が、決断したのだ。 例え異形になろうとも。 大半が毒で死に絶えるとしても。 人間が犯した罪を、償うのだと。 そして、処置をした」

悪魔族は、生殖して増える事さえないという。

シェリさんに性別がない事は知っている。

魔術で、新しい子供を作り出すのだ。

その子供も、大半は幼い内に、毒にやられて死んでしまう。成長した者達も、成長する内に、性別自体が無くなっていく。

だから、悪魔族には、人を憎む者も少なくない。

特に列強の民に対しては、怒りを隠せない者も多かった。

だけれど、ロロナちゃんや、その周辺の努力もあって。今では、同盟を結ぶことが出来ている。

シェリさんのように。

特定の人間に対して、強い信頼を感じてくれている人もいる。

「悪夢の時代を乗り越えて、人は生き延びたんですね」

「だが、世界の大半はまだ荒野だ。 本当は、スピアと戦争などしている場合ではないのだが、な」

「……」

シェリさんの表情はほろ苦い。

スピアの行動は。

あらゆる意味で、世界を害するものなのだと、メルルには分かる。

だけれども。不可思議なことが多すぎる。

スピアを支配しているという錬金術師、一なる五人は。どうしてこのような事をするのだろう。

咳払いしたのは、トトリ先生だ。

先ほどの続きを話すという。

「悪魔族とは別の一派が、世界に施した処置があるの。 それによって、人類をはじめとする生物たちは、みなとても強くなったんだよ」

「その処置というのは」

「ネクタル」

「えっ……」

意外すぎる言葉が出てきた。

ネクタルと言えば、死者さえ蘇生させるという万能のお薬だ。最近、やっとメルルも自作できるようになって来たけれど。それも、参考書を見ながら、作業をトレースするだけである。

トトリ先生は言う。

遺跡の幾つかは、このネクタルを生成しているものなのだという。

辺境戦士の中でも、特にアーランド戦士が強力なのは。

王都の近くに、このネクタル生成遺跡があって。今も稼働し続けているから、なのだとか。

「ネクタルはね。 体の中に蓄積されて、その生物を強化していく特性があるの。 すぐに強くなる訳ではなくて、あくまでゆっくりと、だけれどね。 そしてその強さは、世代をまたいでも受け継がれる」

「まさか、あの遺跡は」

「そうなるね」

つまり、だ。

あのディアエレメントさんがいた遺跡は、恐らく。

大地に、ネクタルを流し込む、現役で稼働しているシステム。

そして、水源の水は。

清らかなだけでは無い。

アールズに、力を与える。奇蹟の泉となる筈だ。

息を呑む。

これは、スピアが狙うはずだ。スピアとしては、真相に気付かれる前に、どうしたって遺跡を抑えるか、破壊するかしてしまいたい所だろう。

メルルだって、スピアの立場だったらそうする。

こうしては、いられない。

あの遺跡の戦力は、メルル自身が少しとは言え削ってしまったのだ。あのゼドナさん、巨大サンショウウオクラスのガーディアンモンスターが、まだ多数いるという話だったけれど。

出来るだけ、早く話をつけた方が良いだろう。

トトリ先生が手を叩くと。

34さんが、アトリエに入ってきた。

「34さん、先にこの間指定した水源に、精鋭とともに行ってくれるかな。 書類は今造って渡すから、遺跡側の守兵が出てきたら、手渡して」

「分かりました」

書類を受け取ると。34さんは、すぐに姿を消す。

多分これは、メルルがお城に行っている間。シェリさんと話しあった上で、決めていたことなのだろう。

これからは、アールズからも戦力を派遣して。

あの水源を守らなければならない。

国家戦略としてだけではない。

この世界のためでもある。

あの遺跡。どう考えても無傷で。完全な状態で稼働していた。つまり、世界でも非常に貴重な存在の筈だ。

失わせるわけにはいかない。

ましてや、一なる五人のような狂気の連中に手渡しでもしたら、どんな禍が起こるか、しれたものではなかった。

こうしては、いられない。

「トトリ先生、今の話、ルーフェスと父上にもお願いできますか」

「んー、どうしようかな。 ちょっとジオ陛下に許可を取らないとダメかな」

「えっ」

「メルルちゃんには、話して良いって許可をもう貰ってるんだよ。 タイミングは任されていたけれど」

裏でそんな事になっていたのか。

ちょっと苦虫を噛み潰してしまう。でも、今は、そんな事を言っている場合では無いだろう。

「アールズの支援を得るための、国家戦略を練る必要があります。 それには最低でも、二人が事実を知っている必要があります」

「そうだね。 少し待っていて」

トトリ先生が取り出したのは、いつぞやの通信機だ。

話し始めたのは、声からしてクーデリアさんだろう。そういえばトトリ先生。メルルくらいの年頃は、クーデリアさんのバックアップを受けながら、色々やっていたという話も聞く。

もっと難しい交渉の糸口を造ったり。

或いは交渉そのものをしたり。

多くの亜人種との同盟を実際に締結し、彼らから先神や青き鳥といった、最大級の称号を貰っているトトリ先生だ。

その過程で、クーデリアさんと造ったパイプは、太いという事だろう。

しばしして、トトリ先生が振り返る。

「返事は明日に来るから、それまで待っていて」

「……はい」

さて、此処からだ。

色々釈然としないことはある。

だけれども。メルルは知ってしまった。

それである以上。

もはや、引き返すことは、絶対に出来なかった。

 

3、奇蹟の泉

 

トトリ先生と出かけるのは久しぶりだ。トトリ先生ほどでは無いけれど。最近は留守番をずっとして貰っていたアニーちゃんも、しかり。ちなみに、出る前に実技を見せてもらったけれど。

はっきりいって、ウォルフくらいが相手なら、荷車を余裕で守りきれる。

荷車は様々な物資を積み込んでいる生命線だ。

守るための要員がいる意味は大きい。

今回は急ぎと言う事で、ジーノさんはスケジュールを調整できなかったけれど。トトリ先生とミミさんがいるので、戦力的には充分。

トトリ先生がいるのは、特に心強い。

この人の心が、色々とおかしくなってしまっているのはメルルにも分かるけれど。だが、実力は本物。

強くなればなるほど。

更に遠くになる気がするほどの実力差を、今でも感じているのだ。

「この辺りから、モンスターが強くなります」

「うん、分かってるよ」

トトリ先生が、事前に決めておいたハンドサインを反芻。完璧だ。この辺りは、さすがはトトリ先生。

ちなみにジーノさんは、結構失敗して。毎回覚えるのに時間が掛かる。

意外と早いのがライアス。

普段の不器用ぶりが冗談のように、ハンドサインをさっと覚えてくれる。この辺りも、大器晩成と周囲が言う理由の一つかも知れない。

シェリさんは上空に。

アニーちゃんがちょっと一瞬だけ寂しそうな顔をしたけれど。今では戦略的な役目が違っている。

こればかりは仕方が無い。

「先行して偵察してくる」

「了解」

ミミさんが、先に行く。

此処の守りは、トトリ先生もいるから充分だ。

気配は強くなるけれど。

この辺りの自然は豊かで。空気はも綺麗。心が豊かになる。トトリ先生が、手招き。土のサンプルを、何カ所かで取得。

その間は、周囲を固めて貰った。

「問題なし。 次」

「分かりました」

ハンドサインでの会話だから、単純になるけれど。

意思疎通が出来れば良いのだ。

実際、戦場での会話は、最小限。或いは気合いを入れるときだけに、儀式的に叫んだりするものばかりになる。

殆どはハンドサインか、短縮した合図で行う。

中には、他人から見れば意味不明な言葉を呟きながら戦う戦士もいる。

そういうものだ。

そして此処は戦場。

ダラダラ喋ったり、油断したりすれば。

歴戦の勇士でも、死ぬ。

そう言う場所だ。

無駄な戦闘を避けるためにも、余計な物音は立てないのが当たり前。ましてやダラダラ無意味な会話をするなんて論外だ。

そのために、ハンドサインは重要な技術になる。

何より、一瞬で意思疎通できるのが大きい。

「戻ったわ」

「状況は」

「前回と変化無し。 強力なモンスターは縄張りを広げる気配もなし。 通路は確保されているわ」

「了解。 進みましょう」

トトリ先生が指揮権を渡してくれるので、頷く。

そのまま、陣形を保ったまま前進。

程なく、森に。

洞窟を見つけたので、そこに入って一度小休止。防音の結界を張って、ようやく一息つけた。

ちなみに此処は。

以前拠点にした。苦い思い出の場所だ。

「土のサンプルって、やっぱりネクタルですか」

「そうだよ。 この辺りの土にどれくらいネクタルがしみこんでるか、確認しておかないとね」

「研究熱心ですね」

「違うよ」

トトリ先生は、不意に、口調を変える。

シェリさんは一瞥だけしたけれど。ザガルトスさんと一緒に、入り口の守りにつきに行く。

アニーちゃんも連れて行ったのは。

防御魔術で、入り口を固めさせるためだろう。

他の皆は、天幕の準備。

中はひんやりしていて、休むのにも丁度良い。

セダンさんが凄くてきぱきと天幕を造っていて感心。きっと名が知れた戦士だという両親に、みっちり仕込まれたのだろう。

「そもそも、ネクタルを流している施設だというのに、下流域が荒野だってのがおかしいの。 アーランドの遺跡周辺の場合、植物の根がうねうね動くくらい生命力が増しているんだよ」

「え……」

「気持ち悪いかも知れないけれど、この過酷な世界を復興するには、それくらい生命力を強化しなければならないってこと」

まだ世界には。

汚染がひどすぎて、辺境戦士でさえ入れない場所も多い。

零ポイントと呼ばれる場所などは、特にそうだ。

トトリ先生が言うのも、当然かも知れない。

「それで、調べて見るの。 恐らくね、下流の何処かで、スピアが悪さをしていると見て良いだろうね」

「対処しないとまずいですね」

「そうだね。 ただでさえ、ロロナ先生が仕留めきれない戦闘タイプホムンクルスがいるっていうのに……」

トトリ先生の笑顔は代わらないけれど。

話は深刻だ。

ほどなく、また偵察に出ていたミミさんが戻ってくる。水源に異常なし。ヴァイスハイドさんが現れて。トトリ先生を連れて来たことを告げると。主に連絡してくれると、返事が戻ってきたそうだ。

「喋るベヒモスか。 余程色々と弄ったんだろうなあ」

トトリ先生が物騒なことを言う。

その目が一瞬だけ寂しそうな光を宿したけれど。

メルルには、理由が分からなかった。

 

一晩休んで、疲れを取る。

これから何が起きるか分からないからだ。勿論見張りはしっかりつける。防御魔術を頑強に張り巡らせているとは言え。何が起きても不思議では無いから、である。

スピアの間諜も仕掛けてくるかも知れない。

こんな魔境に仕掛けてきているくらいだ。

もしその場合、死闘を覚悟しなければならないほどの精鋭が来るだろう。或いは数で押してくるかも知れない。

この辺りに、砦が欲しい。

常駐要員が必要だ。

そう思うけれど。

流石に手が足りない。

もっとエメス達を量産しないと、人手をカバーできない。それにエメス達には出来る事に限界もある。

結局の所。

過去の愚行のせいで。

今の世界には、人の手が足りなさすぎるのだ。

途中、34さんと、かなり手練れのホムンクルス三名が来る。

トトリ先生が指示を出して、先行してもらっていた精鋭だ。

皆、相当に強い。2111さんと2319さんと比べてみると、実力差が露骨すぎるくらいだ。

勿論、2111さんと2319さんも、メルルより遙かに強いし。戦闘ではとても頼りになるのだが。

「状況は?」

「後で簡単に説明します」

最小限で会話を切り上げると、四名は合流。

流石にハンドサインを打ち合わせていないから、この場で会話する事は出来ない。森が、深くなってくる中。

周囲の気配は、濃くなる一方だ。

不意に。

浮き上がるようにして、ヴァイスハイドさんが姿を見せる。

メルルが一礼すると。

寡黙に、巨大なる知性持つベヒモスは、頷いた。

気がつくと。

もう別の空間にいる。

いきなり、時間が消し飛んだような感触だ。

周囲を見回すけれど。

何が起きたのかは、やはりよく分からなかった。

「襲撃を警戒して静かにしていたのだな。 スピアの軍よりも遙かに高い練度で感心したぞ」

「いえ。 それよりも、此方が」

「分かっている。 路の神とも呼ばれる、トゥトゥーリア=ヘルモルトだな。 我等も情報収集は欠かしていない」

トトリ先生が前に出る。

そして、促された。

「メルルちゃんは一緒に来て。 ミミちゃん、此処で皆を守って。 いざという時は、大声を出してくれれば、すぐに向かうから」

「分かったわ」

「いこっか」

メルルは頷いて、トトリ先生について歩く。

途中、非常に専門的な会話を、トトリ先生とヴァイスハイドさんはしていた。話が成立しているのが凄い。

専門用語が飛び交っているのだが。

むしろ、ヴァイスハイドさんの方が、この場合は凄いのか。

「中々知識豊富ですね。 主に仕込まれましたか?」

「長い間主の話し相手を務めていればこうなる。 アールズの興亡も、この奥地からずっと見てきたが。 戦力的に精々平均的なメルル姫が、此処まで攻め上がって来たことは驚かされたよ」

「うふふ、メルルちゃん、ポテンシャル高いですからね」

「そのようだ。 主も評価していた」

ディアエレメントさんと会った部屋に到着。

ヴァイスハイドさんは、途中の通路でこの間と同じように引き返していく。トトリ先生に促され、一緒に部屋に入ると。既にディアエレメントさんは待っていた。

軽い社交辞令だけをかわして。

時間が惜しいのか、ディアエレメントさんは、早速本題に入る。

「ようこそ。 その様子だと、もうこの遺跡の意義は知っているようだな」

「ええ。 ネクタルの精製施設ですね」

「その通りだ」

「では聞きます。 貴方は一体何者ですか?」

さらりと、トトリ先生が切り出す。

苦笑いしたディアエレメントさん。容赦がないなと、顔に書いてある。

「以前、アーランドの遺跡で貴方のように過ごしている原始的な悪魔族のジュエルエレメントさんという方に会ったことがあります。 しかし貴方とは決定的に違う」

「アーランドに、同胞がいるという話は聞いている。 しかし、私とは、確かに接点がない」

メルル達二人に背中を向けると。

ディアエレメントさんは、言う。

「私はな。 最初期の悪魔族が、魔術で造り出した子供の一人だ」

「!」

「アーランドにいるジュエルエレメントとやらは、古き時代の人間が、悪魔族の技術で、身を変えたものだと聞いている。 私は、その後に誕生した。 この土地に流れてきた、最古参の悪魔族が。 既に生殖能力を失っていた彼らが、魔術で子供を作り出すために行った実験の生き残り。 それが、私なのだ」

何とも、重苦しい話だ。

悪魔族が、大変につらい宿命を背負っている種族だと言う事は、既にメルルだって知っている。

彼らが、自分たちでは、子孫を残せない状況である事も。

もっと古い時代は、違っていたのかも知れない。

しかし体に蓄積される毒が。

どんどん彼らを、新しい世代を自然には作れない存在へと、変えて行ってしまった。だから、魔術で子供を作り出すようになり。

そして、そんな高度な魔術だ。

ぽんと作り出せる筈も無かった、と言うわけである。

生き証人が、此処にいる。

ディアエレメントさんは、見た感じ、体型からして女性だ。着込んでいる白衣の下からは、どう見ても女性らしい丸い体型が自己主張している。

それに、力も強い。

多分彼女の実力は、アールズ南の耕作地を守ってくれているバイラスさんと、良い勝負が出来るほどだろう。更に上かも知れない。

「悪魔族を憎んでいますか?」

「いいや、まったく。 私はこうして生を受けたが、それは他と違うと言うだけの事だし、何より一族から、世界でも貴重なこの遺跡の守りを承った。 事故で防衛機能が全滅して、最初足を踏み入れたときは、内部は荒れ放題だったと聞いている。 此処は、誰かがどのみち一から立て直し。 守りにつかなければならなかったのだ。 悪魔族の使命とは違うとしても、な。 最終的に、ネクタルを造り出した一派と我々は、世界を再生したいという点で、同じ目標を持っている。 たまたま、私には。 その重要なポジションにつけるだけの力と知識があった。 それだけだ」

悪魔族の使命、か。

汚染の極みにある世界を浄化し。

過去の人類の罪業を精算する。

無論、辺境の民も、似たような事はしている。しかし悪魔族の場合は、更に壮絶な覚悟と。過酷な生活が確約されてしまっている。

ディアエレメントさんも、或いは。

むしろ此処の守兵として身を置くことが出来て、ほっとしているのではないのだろうか。

「事情は、ほぼ理解できました」

「それは何よりだ、路の神」

「それでは、此処からは、交渉を私の弟子にバトンタッチします」

ぽんと、肩を叩くと。

トトリ先生は、一歩下がる。

メルルは頷くと、前に出た。

まずは親書を手渡す。

ディアエレメントさんは、親書をまじまじと見ていたが。

やがて、しっかり受け取ってくれた。

王の印鑑も押されている、国家が出した最大級の親書だ。内容は、同盟を求めるものである。

場合によっては、援軍を出しても良い。

そう言う条件も記載されている。

内容については、トトリ先生とルーフェスが話し合い。

そして、父上が決済したもの。

メルルも頭に入れている。

内容に沿って、話を進めて行くだけだ。

「同盟、か」

「不幸ないきさつはありましたが、我々としてもこの水源を抑えることが出来れば、何ら不満はありません。 むしろこれほど強力なガーディアン達が常駐しているのであれば、同盟を組んで、互いに支援しあうことは、重要だと考えます」

「なるほどな。 理にかなう」

「お願いします」

ぺこりと、頭を下げる。

しかし。

ディアエレメントさんは、しばし考え込む。

何か、気になるところでもあるのだろうか。

不満があるのなら、口にして欲しい。

そう告げるけれど。

ディアエレメントさんは、少し考えさせて欲しいと言うと。すげなく会話を断ち切ってしまった。

トトリ先生に耳打ちする。

「どうしたんでしょう。 何か不手際がありましたか」

「大丈夫。 そう言う雰囲気じゃ無いよ」

「……」

トトリ先生が言うなら、そうなのだろうか。

しかし、不安だ。

不意に、ディアエレメントさんの手元の机がちかちかと光る。ディアエレメントさんが何か操作すると、いきなり声がした。ヴァイスハイドさんの声だ。

「スピアの攻撃部隊です。 数は二十ほど」

「油断せずに潰せ。 手に余るようなら、私に知らせよ」

「御意」

通信が切れる。

一緒に戦った方が良いかと思ったのだけれど。

ディアエレメントさんは、考え込んだまま。ずっとその思考回路を、フル活用しているようだった。

「……」

何かぶつぶつと呟いているけれど。

メルルの耳でも拾えない。

こんな近距離だというのに、である。

つまり、それはどういうことかというと。

十中八九、古い時代の言葉か。或いは、ただの繰り言、ということだろう。

考え事をしている最中に、無意味な言葉が口から零れる人は珍しくも無い。別に、メルルは、驚かなかった。

程なく、ディアエレメントさんは、向き直った。

「同盟の件、条件付きで受け入れよう」

「本当ですか!?」

「ああ、其方にとっても悪くない条件の筈だ」

そして、言われる。

トトリ先生が言っていたのと、同じ事を。

「下流の何処かで、ネクタルの浸透が止まってしまっている。 せっかくのネクタルが、行き渡っていないのはそのためだ。 下流の流域が荒野になっているのを見て、おかしいと思うだろう」

「原因を突き止めて、排除するのが、同盟の条件、ですか」

「そうなる。 そのために、世界でも屈指の錬金術師を呼んだのだ」

「……」

そういう、事だったのか。

勿論、メルルに現在の世界について、知識が無かったから、というのもあったのだろうけれど。

最初から同盟の話が出るのを読んで。

交換条件として、この話をするつもりだったのだろう。

「分かりました。 すぐに調査を開始します」

「配下のガーディアンには、お前達と戦闘はしないようにと通達をしておく。 ただしこの辺りは、在来のモンスターも手強い。 油断だけはしないようにな」

「はい、有り難うございます」

「原因を突き止め、排除できたら改めて交渉の場を持とう。 勿論、此方からも、条件を譲歩するつもりだ」

さらさらと紙束に何かを書くと。

ディアエレメントさんは、渡してくる。

それは、押印された、親書だ。

この小さな王国の主とも言えるディアエレメントさんが記載した書類で。彼女のハンコまである。

つまるところ、公文書として、拘束力を持つ、という事だ。

内容は、アールズおよびアーランドへの正式な支援依頼。

これさえきっちり受ければ。

アールズは、ネクタルを豊富に含んだ素晴らしい水を、かなり自由にする事が出来る上に。

此処に常駐させようと思っていた戦力を、四半減させることも出来るだろう。

その上、管理も容易になる。

あまりにもディアエレメントさんを疎かにするようなことがなければ。

この辺りを任せて。

なおかつ、アールズの戦線を、かなり安定させることも出来る。今でもハルト砦の北方の戦線は不安定で。

国家軍事力級戦士達は、皆前線に張り付きの状態なのだ。

「外に来ている敵、追い払いましょうか」

「配下達でも充分、だと言いたいところだが、そうだな。 少しばかり助力を頼むとしようか」

「分かりました。 それでは、下流のネクタルが浸透しない理由を確認後、また来ます」

「頼むぞ、未来のアールズの星よ」

一礼すると、部屋を出る。

急いで通路を歩きながら、トトリ先生と話をする。

「ごめんなさい、援軍を安請け合いして」

「ううん、戦略的に見れば正しい行動だし、問題は無いよ」

此処で恩を売っておくことに、損は無い。

それに、攻めてきているスピアの部隊の実力についても、これで把握することが出来る。今後の対策が、かなりやりやすくなると言い切っても良いだろう。

皆と合流。

今度現れたのは。

全身が真っ黒で。

目も鼻も口も無い。影のような、人型だった。

大きさも、人とほぼ変わらない。

「皆様を、入り口へとご案内いたします」

「有り難うございます。 貴方は?」

「名はありません。 ディアエレメント様が命をお与えくださった、最初の疑似生命体です。 戦う力はございません。 ディアエレメント様の話相手をし、お客様の案内をすることだけが、私の仕事にございます」

そうか。

此処に一人残ったディアエレメントさんも。

身を守るために、試行錯誤していく末に。

色々と迷走したり。

失敗作を、造り出してもしまったのだろう。

その辺り、錬金術で四苦八苦するメルルと同じ。何処かで、不思議な親近感を覚えてしまう自分に気付いて、メルルは苦笑いしていた。

歩きながら、皆に伝える。

眉をひそめたのは、34さんだ。

「此処にいるガーディアンの戦力は、皆様も知っている筈です。 あえて危険を受け入れる事なんて、無かったのではありませんか」

「どんな相手が攻めこんできているのかは知る必要があるし、何より同盟を組むのだから、これくらいは当然だよ」

トトリ先生が即答。

メルルも同感だ。

いつの間にか。

外に出ていた。

外では、濃厚な血の臭い。点々と倒れているのは、スピアのホムンクルスだろう。戦闘音は。

意外とすぐ近くだ。

ミミさんが反応。飛来したダークを、掴み取って捨てる。一瞬遅れれば、2111さんの顔に突き刺さるところだった。

周囲にわき上がる気配。

かなり強い。

今まで戦ったスピアの間諜とは、段違い。

桁外れの戦闘力を感じる。

なるほど、精鋭部隊を出してきているというのは、本当だったか。

不意に、側に巨大な気配が生じる。

リザードマン族だが。

腕が四本もあり。

その全てに、違う武器を持っている。

古い時代の軍神のような姿の戦士だ。

「パラダイムだ。 支援に来てくれたという事だが、相違ないか」

「はい。 よろしくお願いします」

「良い返事だ。 あの忌まわしい雑兵共を片付けるぞ!」

「応っ!」

皆が、気勢を上げる。

そして、乱戦の中で数を減らし。傷を受けてもいる敵に向けて。

全員で、躍りかかっていった。

 

戦いが終わったのは、一刻後。

ヴァイスハイドさんにも、多少の手傷はあるけれど。

全体的には、圧勝と言って良い。

流石の戦力だ。あれだけの敵精鋭を、ものともしていない。敵も色々と工夫して攻めこんできていたけれど。

はっきりいって、メルルが手を下すまでも無かった。

戦力としては多かったのだが。

そもそも、ヴァイスハイドさん達が強い。その上、連携も見事なまでに取れている。ミミさんとトトリ先生が大暴れして、敵を千切っては投げ千切っては投げていたけれど。勝利を決定づけたのは二人では無い。元々戦況は、有利だったのだ。

しかし、負傷者は出た。

薬を提供。

やはり、モンスターにも、薬は効く。

特にネクタルは、強力な薬効がある様子だ。

「有り難い。 助かる」

パラダイム氏は、ざっくりと袈裟に体を切り裂かれていたが。すぐに傷が塞がって、歩けるようになった。

人間よりも回復力が高いのは、当然という所か。

いずれにしても、役だって良かった。

手当をしていると。

パラダイム氏は言う。

「ゼドナのことは不幸な事故だった。 彼奴も脳をやられていなければ、其方とコミュニケーションを取ることを考えただろうに」

「いえ。 此方も、あまりにも殺す事に囚われすぎていた気がします。 少し、頭に血が上っていたのかも知れません」

「そうか。 彼奴は酒と踊りが好きでな。 戦いの後、俺やヴァイスハイドが舞うのを見て、いつも喜んでいたよ。 彼奴も最後に強い奴と戦えて、満足していると思う。 尊厳さえ踏みにじらないでくれれば、それでいいさ」

そもそも。

ゼドナというあのサンショウウオも、不覚を取らなければ。あのような状態にはならなかったのだろう。

これだけの強いモンスターがいても。

スピアの物量の前には不覚を取る。

手数が多いというのは、それだけの脅威なのだ。実際今回も、敵を全滅させることは出来なかった。

ただし、良いこともある。

敵は知っただろう。

アールズがこの遺跡の戦士達と接触し。

協力態勢に入ったことを。

戦略を切り替えてくることは、ほぼ間違いない。

それだけで、此方が先手を取れたことになる。実際に、敵は明らかに困惑していた。損害を増やすことになったのは、メルル達が、直接敵を斬ったからではないが。

「そろそろ引き上げるよ」

「はい、トトリ先生」

「今後は、常駐要員として、数名のホムンクルス戦士を残します。 何かがあった場合は、すぐに彼女らを使いに出してください」

「ああ。 主から聞いている」

トトリ先生の言葉に、パラダイム氏はよどみなく応えてくれる。

流石だ。連絡が早い。

良い組織は、末端まで情報が正確に伝わると聞いている。ディアエレメントさんは、このモンスター達に慕われ。組織としても上手に運営している、という事なのだろう。

だが、彼らの増援は期待出来ない。

此処を守るだけで精一杯だろうから、だ。

前線も見直す必要がある。

此処の守りを、こうも簡単に抜かれているというのは想定外だ。前線の図をメルルも何度か見ているが。

この辺りは、敵に浸透を許していないはずの場所だ。

こういう所から、敵の間諜が入り込んできているのだろう。帰り次第、ルーフェスに相談する必要がある。

しかし、前線に配置できる戦力はあるのか。

難民を引き取りながら、戦士を代わりに派遣して貰っているけれど。

それにも限界がある。

前線での戦闘以外は、やはり難民を起用するべきなのかも知れない。輸送や後方支援は、彼らにだって出来る筈だ。

食糧や、生活用品の生産だけではない。

もっと、難民達に動いて貰わないと。

この前線の実態が分かった今。戦いには勝てないかも知れないと、メルルには思え始めていた。

しかし、難民が武装蜂起していたり。

間諜が紛れ込んでいる現状。

そのまま武装化するのは危険すぎる。

どうやってこの問題を克服するべきなのか。

安全圏を抜けたので、思考を切り替え。すぐに戦闘隊形を取って、油断無く進む。森の中は、どうにか進めるようになった。近いうちにリス族に入って貰う計画も進めるべきだろう。

彼らが入れば、より使者を行き来させやすくなる。

洞窟に辿り着いて。

ため息が漏れる。

火を熾すのを、アニーちゃんがやっている。トトリ先生が、木の棒と灰で火を熾す方法を教えていたけれど。

飲み込みが早い。

すぐに火を熾せるようになった。

「手の皮剥けそう」

「アニーちゃんの身体強度なら大丈夫だよ」

「そっか」

何度か棒を見て、コツを掴んだらしいアニーちゃんは、感心したように頷いていた。一方、ため息をついていたのは、セダンさんだ。

年が近い事もあって、しかも立場が離れていないこともある。

ケイナの話し相手として丁度良いセダンさんは。時々、メルルには話せないことを、ケイナとやりとりしている様子だ。

勿論内容には興味があるけれど。

聞かないのは、当然のことだ。

「どうしました、セダンさん」

「メルル姫、何というか、その」

「?」

「私と同じくらいの年なのに、環境が凄すぎて。 戦士としてだけで無くて、錬金術師としてもしっかりやれてるの、分かる気がします。 私なんて、親が凄いだけの小娘って言われてムキになってましたけれど。 メルル姫は自然にプレッシャーをはねのけていて、どうにも差が凄くて、悔しいです」

苦笑いしてしまう。メルルが本来はぐうたらで、それを取り戻すために今必死になっているだけだと知ったら、この人はどんな顔をするだろう。

ザガルトスさんが、外から声を掛けてきた。

どうにもザガルトスさんが苦手らしくて、セダンさんがびくっとする。

「メルル姫、来て欲しい」

「どうしましたか」

「あれを」

ザガルトスさんが顎をしゃくる。

洞窟から手をかざして見ると。

どうやら、かなり面倒な事になったらしいと、メルルにもすぐに分かった。

アールズ王都北東の耕作地帯で。

出火していた。

 

4、爆発する種火

 

街道に飛び出す。

キャンプスペースは、案の定大混乱に陥っていた。

「メルル姫!」

戦士の一人が気付く。

アールズの冒険者らしい。実力としては、中堅所という所だろう。メルルは呼吸を整えながら、手を振る。

「状況を」

「見た感じでは、敵が攻め寄せたのではないようです。 一度大きな爆発があり、防御施設が燃えています」

「テロかしらね」

ミミさんが呻く。

トトリ先生は、メルルの方を一瞥すると。ミミさんに耳打ち。

ミミさんは頷いて、その場からかき消えた。先行してくれた、という事だろう。

トトリ先生には判断のグリーンライトがある。指揮権は渡してくれているけれど。それくらいは構わない。

「すぐに耕作地に向かいます。 貴方たちは周囲の警戒! 状況が落ち着くまで、攻撃に対して最大限の備えを!」

「応っ!」

「水と食糧を急いで補給! すぐに耕作地に向かいます!」

その場で全員に、耐久糧食や、燻製肉を口にして貰う。更に水分も補給する。セダンさんはへばっていたけれど。

メルルはどうやら、体力では彼女よりもあるらしい。へいきだ。

いや、ひょっとすると。

修羅場で動揺して、体力配分を誤ったのかも知れない。戦闘以外の修羅場をくぐった経験が少ないのだろうか。

シェリさんが降りてくる。

アニーちゃんを、久々に背中に乗せていた。

遠視の魔術をアニーちゃんが使って、様子を見たらしい。

「かなり燃えてる。 柵が相当に燃えてるし、見張り櫓ってのは幾つか全焼してるね」

「まずい……」

この煙。

アールズ王都からも見えるはずだ。

そしてこの規模の火事。

雷鳴さんが控えていて。歴戦の悪魔族が守っているあの耕作地で、起きるはずがない。

まだ問題がある難民しか受け入れていない土地での出来事だとしても。少しばかり、洒落にならなかった。

ザガルトスさんが声を張り上げる。

「食事、水分補給、完了!」

「2111さん、どう見ます」

「急いで行くべきでしょう。 メルル姫が駆けつけたという事が、大きな意味を持ちますが……」

「が?」

「私が敵なら、途中で待ち伏せします」

そうだ。

もしそうなると。メルルが焦っているところを、理想的な状況から、奇襲することが可能になる。

トトリ先生が咳払い。

そうか、ミミさんに先行してもらったのは、それが理由か。

「私も行ってくるね」

「お願いします、トトリ先生」

「うん。 いい、今の戦力だったら、生半可な相手に遅れは取らないから、焦らずに急ぐんだよ」

可愛らしく手を振ると。

張り付いたような笑顔を崩さないまま。

トトリ先生も、残像を造ってかき消える。

呼吸を整えると。

メルルは残ったみんなを見回した。

達人級はいない。

しかし、今なら。

ライアスもケイナも、既に一人前の実力に成長している。シェリさんもザガルトスさんも強い。

2111さんも2319さんも、ホムンクルスとして確実に戦闘経験を積んで強くなってきているし。

アニーちゃんも防御魔術が使えるようになって。色々と、他のスキルも、身につけ始めている。

セダンさんは戦闘経験はメルルと同じくらい積んでいるし。

メルルだって、何度も修羅場をくぐってきたのだ。

もう負けない。

「急ぐよ。 でも、奇襲には最大限の警戒を」

 

血だまりの中。

トトリは、今引きちぎった首を、無造作に袋に放り込んだ。その袋は、別の空間につながっているのだ。

周囲には、点々としている死骸。

まだ立っている敵もいるけれど。

明らかに、怯えが目に走っていた。

「2111ちゃんか。 いい軍師になるね、あの子」

「そうね」

背中合わせに立っているミミちゃんは、何処かいつも悲しそうだ。トトリが変わり果ててしまったと言うけれど。

これは必要な変化だ。

トトリが感情を制御出来なくなる度に。

多くの人達が不幸になった。

失敗を積み重ねて、ようやく悟ったのだ。

トトリには、感情は必要ない。

感情を完全に封じ込めなければならない。それはトトリの贖罪でもあるのだと。

ひゅうひゅうと音を立てて、周囲を旋回しているのこぎり。敵は遠巻きに包囲したまま、動けずにいる。

そこそこの手練れもいるけれど。

ロロナ先生の追撃を防ぎ抜いて、まだ逃げている例の敵は、いないようだった。だったら、もう手加減も様子見も必要ないだろう。

「まとめて片付けちゃおうか」

「……分かったわ」

二人、同時に仕掛ける。

戦闘と言うよりも、それは虐殺になる。

力の差が一方的だ。

強いホムンクルスは、近年めっきり減った。恐らく一なる五人が、数で押す戦略に切り替えたからだろう。

強い戦士でも、数で押し続ければ疲弊するし。

コストで言っても、雑魚を大量生産する方が良い。

そう判断したのだろうけれど。

故に、戦いは随分と楽だ。

最後の一人になるまで、ほんの少しの時間しかかからない。

数体は逃げたけれど。

どうでもいい。

メルルちゃんの方に行く筈だった戦力の大半は、此方で削り取った。甘い師匠だと自分でも思うけれど。

今、あの子に倒れられると困るのだ。

最後の一人。

没個性な、若い男性のホムンクルスだ。頭を掴んで、首を引きちぎりに掛かると。むなしい悲鳴を上げた。

「ま、待て、何でも喋る! だから許して!」

「いらないよ。 だって、頭に直接聞くからね」

「ひ……」

ぶちり。

首がもげた。

首を素手で引きちぎる技術は、随分と上がった。これをやる度に、ミミちゃんが悲しそうにするけれど。

一番合理的だ。

脳を傷つけないでも済むのがいいし。

簡単に殺せる。倒した後、相手が暴れて反撃してくる事も無い。

鮮血を噴水のようにまき散らしながら、倒れたホムンクルスの死骸。生首を袋に放り込んで、手を叩くと、34さんが姿を見せる。

彼女も、数人を屠ったらしく。返り血を浴びていた。

「死体の処理をお願いね。 首から下は水源に届けてあげて。 ネクタルの材料は、幾らでもいるから」

「分かりました」

数人のホムンクルスが現れて。

荷車に、死体を積み上げ始めた。一度の往復で充分だろう。トトリも、首を千切っていない死骸から、収穫を行っておく。

脳の調査は、それなりに時間が掛かるのだ。

戦闘が行われた茂みから出ると。

街道を見る。

メルルちゃんが、丁度人間破城槌の突撃で、敵を粉みじんにしている所だった。良い技だ。

後は、あの子だけで充分だろう。

何処でネクタルが止まってしまっているか。

その調査も、任せてしまって大丈夫。

トトリは、それを確認すると。手紙をしたため始めた。

そろそろ、頃合いだ。

スピアの軍勢は、アールズ近辺に集結しつつある。各地で転戦しているステルクさんを呼び寄せても良い頃だろう。

あの人が来れば。

決戦の準備は整う。

後は、この地でスピアがしようとしていること。

恐らく、何かしらの超弩級モンスターに、魔力を注ぎ込んで一体化し。この世界を灰燼に帰そうとしているのだろうけれど。

その存在が、何処にいるか、突き止める必要がある。

エントでは無いことは既に分かっている。

だとすると、一体何か。

それが問題だ。

「耕作地の方は良いのね」

「大丈夫。 多分、事前に洗脳しておいた難民に、自爆テロでもやらせただけだよ」

「やらせただけってね……」

「メルルちゃんの理解を超える出来事じゃ無いって意味。 ミミちゃん、あの子が「私みたいになる」事を心配しているの?」

図星を突かれたからか。

ミミちゃんが、蒼白に。

くつくつと、思わずトトリは、笑うフリをしてしまった。面白くも何ともなかったのだけれど。

「戻ってきなさいよ……」

「無理だね」

「貴方は、何も悪くないでしょう! ましてや、貴方の感情が全ての原因だなんて、どうして……!」

「事実だから仕方が無いよ。 多くの大事な人を不幸にした以上、私の感情は、呪いでしかないの」

立ち尽くしたまま、ミミちゃんが乱暴に涙を拭う。

何だか、おかしな話だ。

どうして、トトリなんかのために。

こんな良い子が、泣く必要があるのだろうか。

「どうして貴方は、そんなに頭が良いのに、バカなのよ!」

「私が優れているのは理解力だけだよ。 錬金術師としての才覚は、ロロナ先生の足下にも及ばない。 ましてやあのアストリッドさんにはね」

「違う、そう言う意味じゃない!」

「もう、不毛だと思うよ。 実際に私が贖罪をしなければならないのは、事実なんだから」

手を振ると、その場を離れる。

ミミちゃんには悪いけれど。

これ以上、この会話を続けて。

益があるとは、トトリには思えなかった。

 

途中、少数の待ち伏せはあった。

しかし、メルルが蹴散らせる数と戦力だったので、そのまま押し通った。負傷者も出ていない。

一気に駆け抜ける。

耕作地に到着。

息を整えながら、見上げる。

焼け落ちた見張りの櫓。

既に周囲では、被害の確認作業が始まっているようだった。

父上が、此処を離れた途端にこれだ。案の定、火が燃え移った一部の畑では、せっかくの収穫が台無しである。幸い、大半の畑や。何より、農作物の保存倉庫は無事なようだけれど。

難民達が、大騒ぎしていた。

「俺たちを焼き殺そうとしたな!」

「巫山戯るな! そのような事をして、我等にどんな益がある! 出火してから、右往左往していたお前達は、我等が消火活動をしていたのさえ、見ていなかったのか!」

「嘘をつくな、バケモノ!」

「誰がバケモノだ、お前達こそ、エゴの怪物だろうが!」

難民達が凄まじい形相で罵り。

それに、悪魔族が受けて立っている。

まだ火が消えていない場所もある。

メルルは手を叩いて、皆に指示。

「まずは消火活動を最優先。 2111さん、2319さん。 二人は、エメスたちと共同で、柵の外に難民達が出ないように監視」

「分かりました」

「私は雷鳴さんの所に行く。 他の皆は、消火活動を」

「応っ!」

全員が散る。

メルルを見ると、悪魔族の戦士達が、少しは冷静さを取り戻したようだった。ぎゃいぎゃい騒いでいる難民達は。

自分たちの仲間がこれをやったとは、思っていないのだろうか。

「自爆テロですね」

「ああ、恐らくは間違いない。 到着が早くて助かる」

「父上もすぐに来るはずです。 それまでは、私が雷鳴と共同で指揮を執ります」

「ありがとう」

雷鳴がいる場所を教えて貰ったので、其方に。

収穫した農作物の保存庫周囲で、精鋭とともに守りを固めていた。

当然だろう。

此処が、耕作地の生命線だ。

更に言うならば。

敵がさらなる自爆テロをするなら、此処以外にはあり得ない。

年老いたといっても、まだまだ一流の使い手である雷鳴である。実力はミミさんにそう劣らないだろう。

メルルが駆け寄ると。

厳しい表情をしていた雷鳴は、わずかにほほえむ。

「応、メルル姫か」

「状況の引き継ぎを」

「うむ」

軽く話をして、状況を確認。

既に鎮火しつつあるが。

しかし、おかしな動きをしていた難民が、事前にいなかった、というのが気になるのだという。

「不謹慎な話になるが、もし儂が自爆テロをさせる立場なら、難民達が密集している中でやるだろうな。 だが敵は、施設の破壊を目的として、自爆テロをさせた」

「名簿を見て、誰が自爆テロをしたかは確認できていますか」

「今、確認の最中だが、何しろ状況が混乱していてな」

「……」

とりあえず、まずは鎮火からだ。

メルルも、まだ燃えている場所に急ぐ。

荷車から取り出したレヘルンをありったけ。現場で、燃えさかっている柵に対して投擲し、凍らせる。

威力は絶大。

見る間に、火は小さくなっていく。

「おお!」

「さすがは錬金術師だ」

「ありがとうございます、後の消火はお願いします!」

急いで、次に。

松明のようになってしまっている見張り櫓。

これは、一人二人が自爆したのではないだろう。だが、こんな風に、施設の守りを潰して、どうするというのか。

嫌な予感がする。

此方は、爆発で消火した方が良いだろう。

フラムを取り出すと、数個束ねる。

そして紐をつけて、振り回して遠心力を高め。そして、放り投げて、起爆させた。

爆裂。

一気に、火が消し飛ぶ。

後は、悪魔族に任せる。

まだまだ、燃えている場所はある。時には、燃え移りそうな建物を先に引き倒してしまったり。

近くにあるため池の水を、魔術でくみ上げて。一気に放出する。

煤だらけになりながら、消火活動を続け。

二刻ほどで、全ての火が消えた。

呼吸を整えながら、状況を確認。

かなりの範囲の柵が焼けてしまっている。

それだけではない。

悪魔族が被害を確認して、報告してきた。

「非常にまずいぞ、メルル姫」

「内容をお願いします」

「防御の魔術が消し飛んでいる。 共振器は無事だったが、この火事は、恐らくは我等が念入りに構築した防御魔術を、この耕作地から奪い去るのが目的だったと見て良い」

「……」

確かに、それはまずい。

耕作地は広くなってきている。つまり、それはモンスターが、難民を襲おうとする可能性も考慮しなければならない。

洗脳解除の共振器がある以上、スピアのホムンクルスは近づけないだろうが。

ただのモンスターを大量にけしかけてくることは出来る筈。

そうなると、守りに人手が割かれ。

難民達の管理もおろそかになる。

エメス達が、集まってくる。

体が痛々しく焼けている子も目だった。彼らは猛火の中、必死の人命救助をしていたと、悪魔族が証言してくれる。

本当に、いとおしい子達だ。

「メルル様。 次は如何いたしましょう」

「後でメンテナンスをしてあげるからね。 今は少し休んでいて」

「分かりました。 回復作業に掛かります」

ため息が零れる。

彼らは、あんなに真面目で純心なのに。

どうして、もっと複雑に考えられる人間が。このような事になってしまっているのだろう。

勿論悪いのは、一なる五人だ。

だが、本当にそれだけだろうか。

人という生き物に、根本的な欠陥があるのは、どうしようもない事実なのだろうと、メルルは思う。

だから、それをどうにかしていかなければならない。

だが、どうやって。

天を仰ぐ。

まだ未熟なメルルには、思いつかない。

「メルル姫」

思考の海から。現実に引き戻される。

警護に当たっていたホムンクルスの一人だ。少し見て欲しいものがあるというのである。急行する。

柵際。

恐らく、自爆テロを行った犯人の残骸だろう。

手首から先だけしか残っていないけれど。何かを握り混んでいる。手を無理矢理開いてみると。

それは何かのシンボルらしきものだった。

ヒトの形では無い。

何かのシンボルとしか考えられない。十字の形をしていて。半ば焼け焦げていた。

「淫祠邪教のシンボルかな」

「分かりません。 このようなものがあるのでしょうか。 実用的な意味があるとは思えませんが」

「サンプルとして回収しておくね」

「お願いします」

後で、調べて見るのもいいだろう。

いそいそと懐にしまう。

鎮火したことで、後片付けが始まる。立て直し作業については、後だ。まずは騒いでいる難民を落ち着かせなければならない。

メルルが、騒いでいる難民達の前に出る。

まだ煤を被った状態だが。

それが逆に、すごみを増す演出になる。

「殺戮姫だ……」

怯えの声が走った。

一時期、強力なモンスターの死骸を、何度も此処に持ち込んだ。それが故に、難民達は、メルルを怖れている。

それを利用する。

「難民達。 聞きなさい」

彼らが、恐怖ですくみ上がる。

これで、話が出来る態勢になった。

「今回の件は、ずっと前からスピアに洗脳を受けていた者複数による同時自爆テロだと判別がつきました。 火をどう持ち込んだのかは分かりませんが、それはおいおい調査していきます」

或いは魔術かも知れないが。

それは黙っておく。

列強の民でも、魔術を使える者はいる。

スピアの間諜に習ったのかも知れない。

「貴方たちは、スピアの者達に、道具以上には思われていない! 使い潰されたくなければ、彼らの甘言に耳を傾けてはいけません。 こうなりたくなかったら、以後肝に銘じておきなさい」

そうして、見せるのは。

先ほどの、黒焦げになった手首だ。

悲鳴を上げて後ずさる難民達。

これ以上もなく、効果的だった様子だ。

悪魔族に、後を任せて。

メルルは、食糧倉庫の所に行く。

父上が、ルーフェスと一緒に到着したのは、直後だった。

雷鳴の所で、一緒に引き継ぎをする。鎮火後の対応について、話をする必要があるからである。

いずれにしても、後は父上に任せる。

これから、メルルは。

アトリエでやらなければならないことが、山のようにあるのだ。

 

耕作地を離れたのは、真夜中。

騒ぎはまだ続いているが。メルルが収めたせいで、どうにか致命的な激発には到らなかった様子だ。

問題は、この後。

スピアのことだ。

この一件を、喧伝して回るに違いない。

テロが起きた。

いつ何処で起きても、不思議では無いと。

実際、共振器で侵入を防いでいるのに、テロが起きたのだ。ずっと前から、洗脳済みだった者達が動いたとして。

どうやって指示を出したのか。

突き止めないと、何度でもテロを行われるだろう。

アトリエに到着。

既にその時には。王都城門で皆と解散したから。側には、アニーちゃんとケイナだけになっていた。

「メルル」

「ん、どうしたの」

「眉間に皺が寄りっぱなしですよ」

「ごめん。 ちょっとね……」

考えてしまう。

一人ずつ、催眠術などで調べていくのは良いだろう。だけれども、それでは手間が掛かりすぎる。

そうしている内に、またテロを起こされる可能性が高い。

トトリ先生も、ロロナちゃんも。

忙しくて、此方には手が回らないはずだ。

今、メルルがするべき事は。

水源から下流に沿って調査して、ネクタルを封じ込んでいるスピアの何かしらの装置なり魔術なりを処理すること。

他は手が回らないし。

別の人にやってもらうしかない。

ベッドに転がると。

大きなため息が零れた。

世界は不完全だ。

分かっていても、どうにもならない。

手は届かない。

分かっていても。

口惜しくて、仕方が無かった。

 

(続)