深奥の水源

 

序、発火

 

スピア連邦の戦闘用ホムンクルス、八本腕。アーランドのベテラン冒険者相応の実力を持ち、現在アールズでの指揮を任されている一人である。実際には、八本腕でさえ、現在派遣されている人員と。

洗脳を成功させた相手のことは、完全には把握していない。

意図的に指揮系統を複雑化することで。

一なる五人は、芋づるの摘発を避けているのだ。

奴だからこそ出来る事。

あまりにも凄まじい知能と頭脳容量があるからこそ出来るのであって。人間が真似しようとしても、出来ることではない。

フードを被り、容姿を隠した八本腕がアジトに戻ってくると。

同僚である翼が。既に戻っていた。

アジトと言っても。ただの洞窟だが。

「ひひっ、八本腕、戻ったか」

「ああ。 状況は」

「色目がやられた。 通信が途切れたし、生きている可能性はないな」

舌打ちして、隣に座る。

周囲には、表情が無い戦闘向けホムンクルス達。アーランドの戦闘向けに比べるとかなり個性があるが。

戦闘力では、及びもつかない。

色目は、その中では、かなり使える奴だったのだが。

アールズ王都近辺にいて、行方が知れなくなっていた。敵が造り出した対抗装置の発動に、巻き込まれたと見て良い。

指揮官タイプのホムンクルスは。

一なる五人と連絡が取れなくなった場合、その場で死ぬように設計されている。

戦闘で死ぬことさえなかったか。

何だか、もの悲しいことだった。

「例の暴徒共は」

「暴れているさ。 何人かが、都合良いことを吹き込んでいるから、調子に乗りまくっているようだな」

「……馬鹿な連中だ」

「全くだ」

ひひひと、翼が笑う。

高い空戦能力を持つ翼は、有能な戦士だ。頭はすっかりおかしくなってしまっているが、埋め込まれた装置のせいだろう。

脳に悪影響を与えているのは確実だが。

ホムンクルスは使い捨て。

アーランドでは、ホムンクルスは戦えなくなれば、後方任務に廻されると聞いている。どうして、スピアに生まれてしまったのだろう。

先輩達の中には。スピアを裏切って、アーランドに逃げ込んだ者も多かったと聞いている。

人間と見分けがつかない者の中には。

そのまま、人間として帰化した者までいるそうだ。

心底から羨ましいと思う。

だが、生きるためには。もはやどうしようも無い事を、嘆いていても仕方が無かった。使い捨てだとしても。

最後まで、生きあがいてやる。

それが、八本腕の矜恃だ。

「アールズがまた新しい対抗装置を作ってくるまで、時間もそうないだろうな。 さて、どうするか、だが」

「もうそのまま、手当たり次第に暴れさせるしかないだろ。 どうせ脳みそなんてからっぽな奴らだ」

「……そうだな」

今。アールズ王都の北東部にある耕作地で暴れている連中は、長い間掛けて仕込んだ。連中が、アールズに来る前からだ。

各地に侵入しているスピアの間諜と連携して。

難民に爆弾を仕込んでいった。

この爆弾と言うのは、文字通りの意味では無い。

スピアに降伏すれば、助けて貰える。

だから、その国を混乱させろ。

そう言う指示だ。

実際には。

スピアに蹂躙された国の人間が、皆殺しの憂き目に会っていることなんて。それこそ人間ではない上に、スピアから離れて活動している八本腕でさえ知っている周知の事実だ。というか、おそらく殆どの人間が知っているだろう。

だけれども、である。

過酷な逃避行で。

現実逃避をしたくなった人間は。

あっさり甘言に乗る。

ある者はタチが悪い淫祠邪教にのめり込み。

ある者は過激思想に入り込む。

そんな連中を少しずつ増やして。来るべき日に備えてきたのだ。道具として、活用するために。

ため息が漏れる。

一なる五人は自分たちを道具として使っているけれど。

この愚かな暴徒達も。

道具として、扱われている。

あの存在。一なる五人にとっては、全てが道具だ。何をもくろんで、此処までの蹂躙をしているのかは分からないが。

ただ、道具は。道具として、使い切らなければならない。

そうしなければ、粛正される。

慈悲など、存在しない。

あの一なる五人は。

恐らく、この世で最も冷酷な存在だ。

弱肉強食の理が支配している野獣の世界よりも更に残虐なもの。

それこそ、あの。

八本腕達にとっての、神なのだ。

「恐らく数日以内には、例の対抗装置が来る。 そうなると、一なる五人が対策を考えるまでは、我々にはお手上げだ」

「で、どうする」

「連中は一旦黙らせるか、或いは……」

いっそのこと、強硬手段に出させるか。

アールズのメルル姫は、醜聞にもかかわらず、相変わらず人気が高い。ばらまいた醜聞に乗ってこない難民が多いのだ。

不義の子、と言う程度ではインパクト不足だったか。

それとも、メルル姫の行動で、実際に救われている人間が、多数いるからか。

どちらかはよく分からない。双方が原因かも知れない。

また、デジエ王もそうだ。

露骨な挑発にも乗らない。武闘派だったと聞いているが。反乱を武力鎮圧しようともしていない。

他の場所の難民は小康状態。

最近では他国にも、アールズで難民がかなりよくして貰っているという噂もあり。最初から大人しい難民までいる様子だ。

不意に、アジトに誰か入ってきた。

知らない奴だ。

腰を浮かせかけるが。

敵ではないと、即座に判断できた。

目深にフードを被ったそいつは。恐らくは、新型のホムンクルスだ。

「手間取っているようだな」

「ひひひっ、しかたねえだろ。 相手はあのアーランドのバケモノどもだ。 搦め手で行くしかねえし、そうするにしても手が足りないんだからよ。 毎日蠅みたいに仲間が殺されていくしな」

翼が笑いながら、その何者かに答えると。

何者かは、くすりと笑ったようだった。

声は中性的で。

フードで全身を隠しているから、どんな容姿かも分からない。ただ人間では無いし。アーランドの関係者で無い事も分かる。

そういうものだ。

「翼が言うとおりだ。 メルル姫も強くなりはじめている今、現有戦力で強硬手段はもう採れないだろう。 貴様がどれほどの使い手かは分からないが」

「洗脳しておいた連中が、まとめて洗脳解除されたと聞いているが、それも原因か」

「ああ。 アーランドの錬金術師どもが、対策をしたのだろう」

「……まあいい。 これからは、指揮を私がとる」

フードをとったその姿。

思わず、八本腕も、呻くほどのものだった。

無数の触手が絡まっていて。その中央に巨大な目玉がある。触手は一つ一つに口がついていて。鋭い牙が並んでいた。

何となく、理解できた。

無数の個体を集合させることで。

ダメージコントロールを容易にするタイプだ。

色々な戦闘タイプのホムンクルスを見てきた。それこそ、神が粘土細工をこねくり回すように。

一なる五人は、様々な戦闘タイプを造ってきたが。

その中でも、此奴は。

とびきりの異形だ。

「今、此方の配下を殺して回っているのは、アーランドの誰だ」

「恐らくはロロライナだろう。 超長距離からの精密射撃、他に出来る奴がいるとは思えないからな。 発見されたら、その瞬間に死ぬ。 それほどの使い手だ」

「ふむ、人を超越した様子だと聞いているが、なるほど。 それならば、頷ける話だな、だが」

ロロライナを押さえ込むという。

無理だと即答した八本腕だが。

触手の塊は、鼻で笑う。

「私に任せておけ」

「相手は国家軍事力級戦士の中でも、最強の火力の持ち主だぞ。 あのジオ王でさえ、火力では及ばない。 それでも勝てると」

「勝つのでは無い。 足止めさえ出来れば充分だ」

「……そうかそうか」

つきあいきれない。

勝手にしろと思ったが。

恐らく此奴は最新型で、一なる五人の墨付きで来ている。何が出来るのかは知ったことではないが。

まあ、お手並み拝見と行くとしよう。

「お前達は、完全に封鎖される前に、できる限り暴徒共を煽っておけ。 可能な限りの不和の種をまくのだ」

「了解、と」

翼を促して、アジトを出る。

もしもロロライナだけでも押さえ込めるなら。

確かに動きやすくなる。

ブッ殺されるのなら、そこまで。この触手の塊は鬱陶しいし、正直殺されたところで、どうとも思わない。

何より仲間の死は、呆れかえるほど見てきた。

今更誰が死のうと、何も感じない。

自分さえ死ななければ良い。

そう考えるようにしなければ。

心など、保てない。

「ひひっ、自殺行為だな」

「俺もそう思うが、しかしあの妙な自信は何だ。 彼奴、それほど圧倒的な戦闘力は感じ取れなかったが」

「そうだな。 俺たちと大差ないように思えたな。 ひひっ!」

「……嫌な予感がするな」

何か、とんでも無くえげつない策でも持っているのかも知れない。あの一なる五人が造った新型だ。

あり得る事だ。

すぐに、アールズ北東の耕作地に向かう。

現地に待機していた部下と接触。数日以内。下手をすると、今日中にはもう、アールズ王都と同じ処置が来る事を告げて。可能な限り、暴徒にアールズへの憎悪と、都合が良いスピアへの思想を埋め込むように指示。

部下は頷くと、散っていった。

罠に何人か掛かるだろうし。

警戒している敵戦士に、殺されもするだろう。

だから、一人でも、動ければそれでいい。

八本腕も、本質的には一なる五人と同じ事をしている。だが、それでも。生き残るためには、仕方が無いと自分に言い聞かせて動く。

顔を上げる。

何かが、降ってきた。

慌てて飛び退く。

ローブを派手に切り裂かれた。

姿を露出させる八本腕。飛び退く翼。

周囲を囲まれる。

相手も、同じように、ローブで姿を隠していたが。何となく分かる。此奴ら、敵に寝返ったスピアホムンクルスだ。

「ほう。 流石に腕が立つな」

「貴様は」

「ロロナ様の部下、セン」

「……そうか」

羨ましい事だ。

一なる五人の下を、離れる事が出来たのだから。

他のローブ達もそうだろう。

戦力差は。

絶望的だ。敵の方が強い。

さぞや徹底的に体を鍛えているのだろう。

「血路を開いて逃げるぞ」

「了解。 ひひっ!」

閃光弾を地面に叩き付けると。翼に掴まって、空に逃れる。

追撃のナイフが飛んでくるが、全て叩き落とす。それくらいは簡単だが、問題はその後だった。

遠くで見える。

大威力の、魔術砲撃。

まさか、本気でロロライナに喧嘩を売りに行ったのか。彼奴の戦闘能力は、今アールズに潜んでいる間諜が束になっても、蹴散らされるレベル。あの圧倒的な強さを持つトトゥーリアと比べても、遙かに凄まじいほどなのだが。

しかし、まともに戦っているという事は。

何をしたのだろう。

時間は稼げている。

それは事実なのだろうか。

雲の中に逃れ、敵の追跡を振り切る。翼が、忌々しげに言う。

「なんであのバケモンとまともにやり合えるんだよ」

「さてな……」

アジトに戻る。

そして、夕刻。報告を受けた。

アールズ北東部の耕作地で、例の対策装置が発動したと。潜んでいた部下は全滅。洗脳していた連中も、全て掌握下を離れたそうである。

だが。

夜。

触手の塊が、アジトに戻ってきた。

ロロライナとまともにやり合って、生きて帰ったのか。どうやって。戦慄する八本腕に。触手の塊は、中性的な声で笑いかけてくる。

「どうした。 時間は稼ぐと言っただろう」

「ど、どうやって」

「秘密だ」

次の指示を出すと、触手の塊は言う。

戦慄しながらも。

八本腕は、それに従うしか無かった。

 

1、割拠の地

 

アールズには高地が幾つかあり、その中には水源が複数存在している。アールズでも確認しているその一つは。大規模でありながら、複雑な経路の川に流れ込んでしまっていて、かなりの水量が、無駄になっていることで知られていた。

水そのものは、大変に清らかで。

流域の汚染も、あまりない。

もしも自由に出来たら。

かなり、アールズにとって、有用な存在の筈だ。

メルルは、ルーフェスにそう報告を受けた。

調査をして欲しいとも。

「今まで、本格的な調査隊が出ていなかったの?」

「人手が足りませんでしたから」

「なら、仕方が無いね」

詳しく事情を聞くまでも無い。

具体的な場所が発覚したのは、つい最近の事なのだろう。

ただ、メルルもその泉の存在と。周囲が強豪モンスターの巣になっていることは知っている。

有名なベヒモスも住み着いているはずで。

簡単に突破出来るほど楽な場所では無いだろう。

「調査には、当然だけれど、人手がいるよ。 ミミさんとジーノさんには、参加して欲しいのだけれど」

「手配はしておきます」

「よろしく」

執務室を出る。

ルーフェスに話がある人達が、列を作っていた。ハルト砦が完成したから、ではないだろう。

各地の難民達を収容している場所で。

問題が多発しているのが原因だ。

少し前に、トトリ先生が造った共振器が。北東部の耕作地帯に設置された。

それで、身内の、洗脳されている者達は、無事に解放することが出来たのだけれど。やはり、分かっていたが。暴徒化した難民達は、態度を変えていない。

雷鳴と父上が、粘り強く交渉しているけれど。

二人はしばらく、その場を離れられないだろう。

メルルは、農場、鉱山、アールズ南部の耕作地と順番に回って、視察。難民達の様子を見てきたが。

其処でも、空気はぴりぴりしていた。

トトリ先生が、順番に共振器を造ってくれている。

それの効果を信じて、動くしか無い。

少なくとも、洗脳された身内だけでも解放できれば。

今後の戦闘は、大いに有利になるのだから。

城門に出る。

ライアスと。他にも数人の兵士が来た。

「アトリエまで護衛します」

「え、いいよそんなにしなくても」

「ルーフェス様のご命令です」

むすっとしたまま、ライアスは何も言わない。

他の兵士達は、てこでも動きそうに無い。この間の、街中での襲撃。それを考えると、無理もないのだけれど。

ちょっと過保護に感じてしまった。

「共振器もあるし、大丈夫じゃ無いかな」

「その油断が、大けがを産むのです」

「む……」

「姫様は我等の希望です。 無為に失うわけにはいきません」

兵士達の言葉は嬉しいけれど。

これでは、落ち着かない。

街を歩いていて。民の声に耳を傾けることも出来ない。それは少しばかり問題だろう。

ルーフェスの所に、嘆願を一本化するのもありかも知れないけれど。

親しみやすいと言って。メルルに直接依頼を持ち込んでくる民は、決して少なくないのである。

彼らの声が、届かなくなると。

アールズとしては問題だ。

アトリエに到着。

兵士達が戻っていくのを見て、嘆息。やはり、ちょっと過保護だ。何か対策した方が良いだろう。

アトリエでは、ミミさんが、壁に背中を預けて。凄まじい速度で調合をしているトトリ先生と、話をしていた。

「あのロロナが、敵を取り逃したそうじゃないの。 対策をしなくて平気なの?」

「ロロナ先生だから、自分で対策は出来るよ。 私がわざわざ出なくても、本人が言い出していないんだから、大丈夫じゃないかな」

「妙に楽観的ね」

「それはそうだよ。 ロロナ先生はまだまだ私より、あらゆる面で上だからね」

さらりと、とんでも無い事を言うトトリ先生。

メルルももろに聞いてしまった。

青ざめてしまうけれど。咳払い。二人に、帰っていることを告げる。ミミさんは、顎をしゃくると、外に出るよう促してきた。

ライアスも外で待っている。

稽古だ。

「近々、アールズ北部の水源を調査しに行きます」

「調査と言うよりも、安全経路の確保ね」

「はい」

「貴方も力をつけてきたし、前よりは安心できるのではないのかしら?」

まずは、ライアスから。

ライアスはミミさんより頭一つ半背が高いけれど。しかし、向かい合ってみると。小さい方のミミさんが、圧倒的というか、一方的に強いのが一目で分かってしまう。戦士としての力量が桁外れだ。

まだまだ。勝てる相手では無い。

順番に、組み手をしていく。

ミミさんは、とてもその後の流れが丁寧だ。

ゆっくりと双方の動きを、分かり易く見せてくれる。そして、何処で何がまずかったのかを、一つずつ教えてくれるのだ。

この辺りは、トトリ先生とかなり違う。

トトリ先生も論理的な教え方をしてくれるのだけれど。

ミミさんは、丁寧に実演をいれてくれることで、より分かり易く示してくれるのだ。

何となく、分かる。

この人。

自分自身が、無茶苦茶に苦労してきたから。

どうやって覚えるのかを、嫌と言うほど身に刻み込んでいるのだ。

一通り指導を受けた後は、身体能力を高めるべく、トレーニングをする。実戦が一番だとミミさんは言うけれど。

流石に、年がら年中、モンスターと戦うわけにも行かない。

それに、モンスターを殺しすぎるのも問題だ。

不要な殺戮は避けなければならない。

「はい、今日はここまで」

「有り難うございました!」

頭を下げて、礼。アトリエに戻る。

ライアスも、お茶を振る舞う。今日は先に稽古をつけて貰っていたケイナが。奥で準備をしてくれていたので。

お茶もお茶菓子も、スムーズに出す事が出来た。

ちなみにミミさんも誘ったのだけれど。

彼女は少しだけ寂しそうにほほえんで、断ると戻っていった。

トトリ先生を見て、悲しそうにしているけれど。

それが原因だろうか。

「この菓子、悪くないな」

「アニーちゃんが焼いたんだよ」

「そうだ」

ぶっきらぼうに、アニーちゃんが言う。

面倒くさかったと、余計な事も付け加えた。

体を鍛えることには前向きになってくれた。シェリさんに、色々言われたのが、相当にこたえたのだろう。

でも、普段は怠け者な部分は変わっていない。

態度も、どこかぶっきらぼうで。毒舌である。

「相変わらずだな。 だけど、真面目に鍛えるようになったんだろ」

「その分熱が多くなってね」

「分かってたことだ。 それに、シェリさんに嫌われるのやだ。 今後も、鍛える」

アニーちゃんは席に着くと、自分の分のお菓子をぱくつく。

甘いもの食べても嬉しそうにしないのは。

やはり、この子らしいと言うか何というか。

いずれにしても。あのダブル禿頭が課した過酷な運命に、打ち克って欲しい。メルルは、本気でそう思う。

トトリ先生が来る。

ひょいとお菓子をつまむ。美味しいと笑顔で言うけれど。

メルルには、笑っているようには、思えなかった。

「調合はどうですか、トトリ先生」

「三機目がそろそろできるよ。 次の配置は、ハルト砦かな」

「私も立ち会って良いですか?」

「良いよ」

どうせ、ミミさんとジーノさんの都合がつくまで、しばらく掛かる。場所が分かっているだけの上、強豪モンスターだらけの土地。調査は一発勝負では終わらないだろうし、腰を据えていくしか無い。

ハルト砦関連の作業は終わったけれど。

各地の警備強化のための、生きている罠の生産。

労働力兼警備としての、生きている人形、つまりエメス達の増産。

メルルには、する事がいくらでもある。

それに、各地を定期的に見回らないと、難民達の不満も大きくなる一方だ。ただでさえ、武装蜂起が起きた直後なのだ。

念入りすぎるくらいに、メルルが見て回らないといけないだろう。

トトリ先生が、調合に戻った直後。

不意に、地面が揺れる。

トトリ先生が、珍しく手を止めて、窓から外を見る。メルルは、揺れ方で、すぐに事態を理解した

エントだ。

「これは?」

「エントですよ」

「へえ、これが」

トトリ先生は、まだ直接は見ていなかったか。

アトリエの屋根に上がる。

其処からなら、よく見える。

「今回は近いですね」

移動してくる、山のような巨体。

アールズに住まう、世界でも屈指の巨体を誇るモンスター、エント。その姿は、まんま巨大な木。

それも、森を従えている、だ。

エントは無害と言うよりも、人間に無関心で。多いときは年に一度くらい。大人しいときは、数年に一度。移動する。

移動先は基本的に別の荒野で。

人間の住まうところには近づかない事が多いけれど。進路にいる人は、当然蹂躙されてしまうので。移動中は注意が必要だ。

移動してくるエントは、やがて止まる。

アールズ南東の、荒野の真ん中に根を下ろしたようだった。

手をかざして見ていたトトリ先生だけれど。いつもの笑顔を、最後まで崩さなかった。面白そうと呟く。

まあ、実際に、直接手を出さなければ無害な存在だ。

放置しておいても、問題は無い。

「今度、調べに行ってこようかな」

「大丈夫ですか? エントの戦闘力は、大陸に住むモンスターでも、トップクラスって話ですよ」

「大丈夫大丈夫」

アトリエの中に戻りながら、トトリ先生は楽天的に言うけれど。

この人がそんな風に言っているという事は。勝算があるのだろう。

それからは、メルルも作業に入る。

一通り調合を終えた後。お薬と、発破類を準備。

これからの調査は厳しくなる。

どれだけ備えていても、備えすぎという事は無いだろう。

「ケイナ、買い物行くから、つきあってくれる?」

「はい、メルル」

二人で、外に出る。

行き先はパメラさんの所だ。

耐久糧食を生産しているので、其処で幾らか仕入れに行く。今回の探索先は、この間の沼地の王の島に近い危険度を誇る場所だ。

どれだけ準備しても、しすぎではないだろう。

現地に行く前から。

戦いは、既に始まっている。

準備をしすぎていても。損はしない。

それが、戦いというものだと、メルルは既に知っていた。

 

ハルト砦で、共振器の設置に立ち会う。

設置するのは砦の中。それも、厳重に魔術の結界で守られた一室だ。起動には、ジオ王も立ち会っていた。

やはり、外では。

倒れる人が、何人も出る。

洗脳されていた人達。それに、紛れ込んでいた、スピアのホムンクルスも、なのだろう。ホムンクルスは、倒れると同時に死んでしまう人もいるようで、それは少しばかり気の毒だったが。

「ふむ、効果絶大だな」

「しかし、永遠に持続するとは思わない方が良いでしょうね」

「分かっているさ」

トトリ先生に、気さくにジオ王は応えている。

まだ、アールズ王都北東の耕作地が落ち着かない状況だ。

誰もが、余裕が無い現状。

少しでも戦略的に優位に立てる手を打てるのなら、やるだけやるのが筋というものなのだろう。

外でクーデリアさんが待っていたので、話をしていく。

最近のスピアの動きと。

ロロナちゃんについてだ。

「最近、スピアが潜入させてきた間諜の中に、やたら強いのがいるわ。 気を付けなさい」

「少しだけ聞きましたが、ロロナちゃんの攻勢に耐え抜いたとか」

「ええ。 今は解析中よ。 ロロナの話によると、其処までの戦闘力は感じられなかったそうなのだけれど、ね。 それにしては、大陸最強の火力を誇るロロナの攻撃に耐え抜いた」

妙だと、クーデリアさんは言う。

メルルも思う。

つまり、どのようなトリックを使ったのかが判明するまでは、迂闊な戦いは仕掛けない方が良い、という事だ。

軽く、戦いの経緯についても聞く。

ロロナちゃんは、その敵を見つけ次第、長距離からいきなり砲撃を叩き込んだらしい。子供らしいと言う域を超えた残忍さを、ロロナちゃんからは時々感じるのだけれど。それらしい行動だ。

しかし、である。

ホーミング性能のある砲撃をまともに食らっても、そいつは死ななかった。

続けて、ロロナちゃんは。

加速する装置を使って、一気に距離を詰め、様々な種類の発破で、飽和攻撃を仕掛けたという。

それも、全て防ぎ抜かれた。

いや、そもそも当たったのかさえも分からない。

高笑いしながら、そいつは逃げていった。

ロロナちゃんは追ったのだけれど。

どのような手段でか。いつの間にか、見失ってしまっていたそうだ。

「ロロナちゃんほどの使い手が、ですか?」

「そうよ。 今、エスティが調査をしているけれど。 誰が戦いをしても同じだったでしょうね。 勿論、私でも」

「……」

国家軍事力級。

その称号は伊達では無い。このクーデリアさんも、それこそ数千の敵と真正面から渡り合う実力者だ。ロロナちゃんだって同じ。

それだけ、超絶の使い手なのである。

それが、逃げられた。

一体敵は、どのような詐術を使ったのか。

いずれにしても、はっきりするまでは、此方からは仕掛けられないだろう。メルル程度では、無為に命を散らすことになる。

「最悪の場合は、この信号弾を打ち上げて。 エスティか、私が駆けつけるわ」

「分かりました!」

受け取った信号弾を懐にしまい込む。

そして、今日は。このまま、西に。

アールズ王都北東にある耕作地を見て。父上に話を聞いてから。更に北上して、直接水源を調査しに向かう事になる。

得体が知れない敵がいるかも知れないけれど。

それでも、メルルは行かなければならない。

今回は、ミミさんとジーノさんが、揃って護衛に来てくれたのだ。この機会は、出来るだけ逃したくない。

今回は、アニーちゃんを置いてきている。

トトリ先生が、しばらくはアトリエにいるというので、言葉に甘えたのだ。今日はいないけれど。

その代わり、家にロロナちゃんがいる。

メイドも何人か来て貰っているので、それで大丈夫だろう。

ハルト砦を出る所で。

クーデリアさんが手配してくれたホムンクルスの一分隊と合流。

これで、一応の戦力は整った。

「今回は実戦を可能な限り経験するわよ」

「おっ!? やる気か?」

「あんたは可能な限り手を出さないようにね」

「何だよ、つまんねーなー」

ジーノさんが口をとがらす。

メルルは、この人が根っからの戦闘狂だと知っているので。あまり笑う気分にはなれなかった。

 

2、深淵への路

 

街道が無くなる。

整備されている路が、存在しなくなった。

この辺りは、人が住んでいるどころか。

そもそも、滅多に来る事が無い。

拡がった赤茶けた荒野。

黙々と流れている河。

汚染がひどくて、草が生えてこないのだ。だから、どれだけ清浄な水が流れていても。荒野に緑は無い。

シェリさんが鼻を鳴らす。

「緑化したい」

「我慢してください」

「分かっているさ。 世界的に見れば、まだまだ荒野の方が遙かに多いし、手当たり次第に作業をするわけにも行かない」

口惜しそうにシェリさんがいう。

前に小耳に挟んだけれど。

シェリさん達は、環境浄化に命を賭けている一族だと言う事だった。恐ろしい容姿と、長年人類と敵対してきたこと。

だから彼らは悪魔族と呼ばれてきたが。

本当にその呼び名が、真実に近いものなのかは。正直メルルには、分からない。恐らくは違っているのだろうけれど。

今更呼び名を変えたとして。

世間に受け入れられるだろうか。

「モンスターの気配」

ミミさんが言う。

全員、即座に口を閉じた。

此処からは、ハンドサインで意思伝達しながら行動だ。持ち込んでいる二両の荷車を中心に置きながら。

しずしずと、前進。

いつ敵に襲われても不思議では無い緊張感の中。

メルルは、気付く。

何かが此方を、遠巻きに伺っている。

荒野の中で、群れを成しているのは、ドナーンの群れ。かなりの数だ。三十頭はくだらないだろう。

此方が弱っていれば、即座に襲ってくるだろうけれど。

ミミさんとジーノさんがいる。

ザガルトスさんとシェリさんも。

ホムンクルスも六名。

メルル達だけだったら、確実に仕掛けてきたドナーン達も。静かに見守るだけで、動こうとしない。

油断はせず、移動。

森が、見えてきた。

川の数も増えてくる。

一つずつの水量は減っているのだけれど。川そのものはあって、荒野であっても、必ずしも地面は乾燥していない。

地形が、変わり始める。

傾斜がきつくなって来始めた。

この辺りから、かなり急勾配の場所も出てくる。山に入り込むのだ。水源はだいたいの場合、山中にある。

此処も、その例外では無い。

山肌に、木々や草、苔が目立ちはじめる。

少しずつ、森になってくる。

汚染が弱くなっているのだろうか。モンスターの気配が薄い洞窟を見つけたので、其処で野営。

入り口に、シェリさんが防音の魔術を展開。

そして奥も調査。

昔、モンスターが使っていたらしく。エサになったらしいモンスターの骨や皮の残骸が散らばっていたけれど。

それ以上のものは、見当たらなかった。

「此処で野営ね」

「分かりました」

ミミさんが指示をてきぱきと出して、天幕を広げる。洞窟の中だけれど、天幕を作って損は無い。

虫除けも周囲に撒く。

もうメルルも、生体魔力を振動させて寝ているときに虫を追い払うくらいのことは出来るけれど。

それでも、戦闘があればどうなるか分からない。

備えは、徹底的にしておくべきだ。

ミミさんが、指揮をバトンタッチしてくれたので、メルルは手を叩く。戦闘の指揮はミミさんが採るにしても。

それ以外は、メルルがリーダーシップを取っておきたい。

「交代で睡眠を取ります」

「シフトは」

メルルが編成を口にすると、皆が納得して別れてくれた。戦力が偏らないようにしたのだけれど、それを理解してくれたのだろう。

休める班は、すぐに休みはじめる。この辺りは、もう皆手慣れている。ジーノさんは、外に偵察に行ってくれた。ザガルトスさんは、入り口近辺で、2111さんと協力して、罠を作ってくれている。

ジーノさんが帰ってくるとき引っかかると面倒だけれど。まあ、その辺りは流石に大丈夫だろう。

メルル自身は。

地図を広げて、ミミさんと相談だ。

「ここまで来ましたね」

「問題は此処からよ」

地図上を見ると。

水源は近いように見える。

あくまで錯覚だ。

此処からは立体的な地形が続く上に、モンスターが激増する。油断すれば即死だ。その上、メルルは。

可能な限り安全な経路を、探し出さなければならないのである。

農場の時も似たような事をしたけれど。

あの時とは、在来モンスターの戦闘力が桁外れだ。

実際、周囲から、時々強い気配を感じる。前はろくに感じられなかった気配だけれど。今は、結構遠くまで察知できる。

「戦闘は避けられないわよ。 しかも、余力を残しながらいかないとまずい」

「弱ると、更に集まってくるから、ですね」

「そう」

元々、水源を発見できたのも偶然。それも、土地勘のある手練れが準備をした上で出向いて、その結果だ。

モンスターの数が多い中。

戦闘を出来るだけ避ける。

かなり難しいけれど。しかしながら、出来ない事ではないだろう。

それに、錬金術師だからこその汎用性もある。

トトリ先生は、しばらくアトリエから動けないし、ロロナちゃんは間諜の狩り出しに忙しいだろう。リベンジもしたいに違いない。

そうなってくると。

メルルがやるしかないのだ。

日が暮れてきた。

ジーノさんが戻ってくる。血を浴びているところを見ると、数度戦闘をこなしたのだろう。

勿論、入り口の罠なんて踏まない。

「戻ったぞー」

「どうでしたか」

「水源の辺りまで、一応見てきたけど、きっついぞこれ。 安全に行く路なんて、多分ないんじゃないのかな」

頭を掻くジーノさん。

地図を広げて、行った路を示して貰う。結構な距離を歩いて、確認しているようなのだけれど。

目だった強いモンスターだけで。

十体。

しかも、この人が強いというレベルのモンスターだ。

以前鉱山で戦った蜘蛛のモンスターは、地の利を得ていた。自分の巣とも言える場所で、此方を迎え撃ってきた。

だからミミさんとジーノさんが揃っていても、大苦戦することになった。相手の実力以上の状態で、戦う事になったのだ。

しかし今回は、あれほど複雑な地形でもない。

つまり、単純な意味で、強いと言えるのだ。

更に、最悪な事に。

強い敵との戦闘が避けられない場合。

連鎖的に多数のモンスターを誘き寄せる可能性がある。

最悪なのは、其処をスピアの間諜に狙われた場合だ。

戦闘をするにしても、迅速に。

なおかつ、徹底的にやる必要がある。

「避けられそうに無い相手はいますか」

「正直、どいつも避けられそうに無いんだが、水源に居座っている彼奴だけは絶対に無理だろうな。 ベヒモスだよ。 それもかなりでけえ」

「リーダーになっているようなモンスターは」

「いねえな」

つまり、強豪達が、拮抗した状態で覇を競っている、という事になる。ただ、モンスター同士で、捕食を絡めた場合以外で、争っているとはあまり思えない。エサを殆ど必要としないモンスターも多いのだ。

敵の配置を見る。

確かに、回避は難しそう。

森になっている部分もあるけれど。

確かこの辺りは、リス族でも危険すぎると言って、即座の入植を拒否した地域だ。

「面倒だし、強いのを一匹ずつ釣って狩ろうぜ」

「此方に有利な場所へ、引きずり出す、という事ですね」

「そうなるな」

例えば、発破などで、遠隔爆破する手もある。

ただ、大きな音を立てると、他のモンスターまで刺激する可能性が高いし。何よりも、そこまでたくさんの発破は準備していない。

勿論、今回だけで、突破するつもりはなかったけれど。

これは想像以上に厳しいかも知れない。

挙手したのは、シェリさんだ。

「この水源は諦める、という手は」

「他にいい場所がありません」

此処の水源さえコントロール出来れば。

アールズ王都北東の耕作地をはじめとする何カ所かでの水事情を、著しく改善することが出来る。

今火種になっているアールズ北東の耕作地だけれども。

将来の拡張性を考えると。

絶対にやっておかなければならない事だ。

更に、この水源からの暴れ川を制御するためにも。

どうしても、この水源の制圧は必要になってくる。

メルルにしか出来ない。

だから、やるしかないのである。

「なるほど、分かった。 どうやら、他に手も無さそうだ」

「仕方がない。 数体のモンスターを間引きましょう。 水源に住んでいるベヒモスを倒すためには、周囲を戦力の空白地にする必要があります」

ケイナとライアスは、不安そうに此方を見ている。

分かっている。

今までに無いほど、厳しい戦闘をするほどの戦略的意味が、即座に理解できないというのだろう。

だけれども。

この水源は、しっかり制圧しておけば。

スピアとの戦いが終わった後にも、大きな力を発揮してくれる。

まだ、制圧もしていない今は、皮算用にすぎないけれど。それも、制圧に成功すれば、俄然真実味を帯びてくるのだ。

迷いがあっては、剣先も鈍る。

二人にも含め。

今回の作戦行動の、戦略的意義について、丁寧に話して。その日は、終えた。一日無駄になったけれど。それでも、しっかり納得して貰った方が良いと、メルルは思ったからである。

一日、過ごしてから。

外に出る。

その間も、ジーノさんは何度か偵察に出てくれたけれど。

幸い、縄張りの配置図は変わっていない。

モンスターは、生息域を変えていない、という事だ。

高い知能を持つモンスターなら、沼地の王のように、会話して戦闘を避けられるのだろうけれど。

ジーノさんが見たところ、ここに住んでいるのは、いずれも強い力を持つだけの獣たちにすぎない。

会話での戦闘回避は、不可能だと判断するしか無い。

まず、外に出ると。

一旦、山を下りる。

周囲に比較的モンスターが少ない場所にまで移動。

見晴らしがいい荒野だ。

此処に強いモンスターをつり出して。

一体一体、確実に片付けていく。

ミミさんが、釣り役を担当。

足が速い上に、判断力にも優れているので、当然だ。話によると、こういった釣りは、以前も経験があるとか。

ならばなおさら頼もしい。

地図を確認して、最初の一体。

縄張りの一番外側にいる一体から、片付けに入る。

メルルは戦闘態勢を整えたまま、待つ。

ジーノさんは手をかざして見ていた。

失敗したら、いつでも支援に行く構えだ。実際、複数のモンスターが、同時に釣られてくる可能性は、低くないのだ。

最悪の場合、脇目を振らず逃げる。

そう言う選択を、しらなければならないだろう。

「釣ったぞ」

ジーノさんの言葉で。

全員が、一気に緊張するのが分かった。

メルルは息を大きく吐くと。

戦いに備えて、荷車を一瞥。

物資も戦力も充分。

戦力を抑えることは考えず。

出来るだけ、最初から全力で行く。

これは実力を抑えて勝ちに行けるような腕が、まだメルルやケイナ、ライアスにはないということ。

そして、むしろ全力で行った方が、敵を速攻で潰せるから。その結果、被害も減るという、簡単な話である。

周囲の岩陰に、皆が潜む。

雄叫び。

聞こえてきた。

ミミさんが何度か挑発しながら、此方に引きずってきたのは。

巨大な鋏飛び虫だ。

色からして違っている。

分厚い甲殻を持ち。

空を飛ぶ百足のような姿をしたそれは。普通の種類は、大体赤黒い姿をしているのだけれど。

そいつは、白銀色。

言うまでも無く、非常に目立つ色だが。

逆に、目立つ色でも、生存には何ら問題が無いことを意味もしている。恐らくは、鋏飛び虫の、支配者階級に相当する存在なのだろう。

体の長さも。メルルの背丈の十倍くらいはありそう。

魔術の光。

上級のモンスターになると、魔術を使う奴くらいは、当たり前だ。下級でも、使う奴は使うのである。

知能が低くても。

魔術を使う奴は、多い。

あれもそうなのだろう。

流石に、鋏飛び虫といっても。この混乱の世界の中で揉まれて、強くなって行った種族達の長なのだ。

近づいてくる、

そして、その気配の強さが分かってきた。

確かに、並の相手じゃ無い。

こんなのを、最悪で十体、相手にしなければならないのか。

周囲の気配が強くなる。

戦いが始まることを、敏感に察知したのだろう。

負けた方の肉を食いに来た。

早い話が。

おこぼれにあずかろうというのだろう。自然の摂理としては、ごく当たり前の話であるし、何とも思わない。

浅ましいなどと言うのは。

あくまで、人の視点から見た話だ。

「そろそろ来るぞ。 備えろ」

「では、予定通りに」

「ああ」

ジーノさんが、ゆっくりと岩陰から出て、剣を構える。

釣り出されたことを分かっているのだろうけれど。鋏飛び虫の王は、下がろうとするたびにミミさんの苛烈な攻撃を受けて、流石に頭に来ているらしい。実際、浅くも無い傷が、全身に見える。

「おら、来いっ!」

ジーノさんを見て、鋏飛び虫が、態勢を低くして突貫。

ミミさんが跳び離れる中。

口から、光線状になっているブレスを、複数投射、辺りが爆裂する。

凄まじい。

だけれど、ジーノさんは間一髪上空に逃れ。其処から剣を振るって、衝撃波を放ち。今の一瞬を避けたミミさんも、矛を振るって突きかかる。

此処が、仕掛けるタイミングだ。

GO。

叫ぶと、メルルは飛び出し。

他の全員が、それに続いた。

気配から、分かっていたのだろうけれど。それでも、此処につり出されることを避けられなかった鋏飛び虫は。

口惜しそうに、唸り声を上げた。

辺りに、ブレスをブチ撒け。

苛烈な攻撃を、魔術の防壁ではじき返す。

メルルが真下に到達。

跳躍しながら、チャージを叩き込む。

驚くべき事に。

魔術の防壁で、防ぎきってみせる鋏飛び虫。

だけれども。

間髪いれず、唐竹に降り下ろされたジーノさんの一撃で動きを止め。

更に、シェリさんの魔術が、動きを拘束。

ホムンクルス達の連携で、滅多矢鱈に攻撃を叩き込まれ。ザガルトスさんの剣で、胴体の関節を切り離されたことが、勝負の決め手となった。

しばらく地面に落ちてもがいていた鋏飛び虫だけれど。

やがて、動かなくなる。

呼吸を整えながら、メルルは被害確認。

けが人が何名か出ていた。

すぐに手当に掛かる、あれだけの巨体だ。倒す過程で、ちょっと掠っただけでも、怪我になり得る。

「きっついな……」

ジーノさんが呻く。

かなり今の戦いで、消耗したのだ。まああの光ブレスを、真正面から喰らったのだし、仕方がない。

結果として、全身に傷がかなり増えている。

傷薬を渡すと、サンキュと言って、塗り込み始めた。動きは手慣れていて、メルルが手伝う必要もなさそうだった。

ミミさんは。

体力の消耗が小さくないようで、すぐに耐久糧食を口にしている。消耗をメルルも確認。出し惜しみできる相手ではない。

消耗は、致し方がない事だった。

死体を解体して、肉を取り出し、火を通す。

かなり大きな寄生虫が目だったけれど。

火さえしっかり通してしまえば大丈夫だ。

甲殻は切り分ける。

これは、かなり強力な素材として活用できるかも知れない。昆虫の甲殻はかなり固いのだけれど。

それに似た種族である鋏飛び虫の甲殻は。

ざっと見ただけで、この重さは、恐らく金属を含んでいる。

魔術で練り上げ、金属も含んだこの装甲。

強いわけである。

解体と処理が終わった時点で、一旦、耕作地まで戻る。其処で物資を控えているホムンクルス達に手渡して、アトリエに輸送して貰った。これは事前に、ルーフェスが手配してくれていた支援態勢だ。

巨大な鋏飛び虫の甲殻を見て、暴動を起こしてまだ父上と対峙している難民達は、戦慄したようだ。

これでいい。

勿論、この効果も。狙っての事である。

此処がどういう土地で。

こういうモンスターを倒せる人間でも、スピアの軍勢を圧倒することは出来ない。そう言う現実を、難民達に見せる必要がある。

連日彼方此方で発火している小規模の暴動だが。

スピアの間諜に煽られている部分も。元々頭が悪い連中が、ただ暴れたいという場合もあるだろう。

共振装置で洗脳を解除できる場合はいい。

元からおかしい場合は。

こうやって、頭に冷や水をぶっかけてやる必要があるのだ。

逆に言えば。

スピアでも、簡単にアールズとアーランドには勝てない。

そう思わせる意味も、この行動には期待出来る。

軽く用意されていた物資を補充。

状況を雷鳴に伝達して、拠点にしている洞窟に戻る。ジーノさんは、再偵察。

メルルは、手を叩いて、皆に休憩を促した。

 

外側から、少しずつ削っていく。

モンスターを皆殺しにするわけにはいかない。モンスターが死に絶えるのは、生態系にとって大きなダメージとなる。

モンスターがいる弊害よりも。

その方が、遙かに大きい。

「二匹目、来るぞ!」

岩陰で、ジーノさんがささやくように言う。

メルルも身を乗り出して、それを確認した。

今度は巨大な猪だ。

豚の仲間は見かけより遙かにパワーがある生物だけれど。あの猪は、見かけからして強そうである。

全身はずんぐりした楕円形で。

メルルの背丈の五倍はある体長。背丈にしても、メルルの二倍はある。四つ足なのに、である。

恐ろしいのは。

猪というのは、突進するしかできない猛獣などでは断じてないと言うことだ。

四つ足は非常に強力なブレーキが利くだけで無く、高速で走り周りながらも、曲がったり止まったりするのも容易にこなす。

猪武者という言葉があるが。

実際の豚の仲間は、技巧に関しても優れているのである。

しかも此奴らは、人間をどうすれば殺せるかも良く知っている。

足の間に顔を突っ込んで、勢いよく跳ね上げるのである。そうすることで、頭から地面に落ちるように仕向けるのだ。

強烈な猪のパワーでそれをされた場合、辺境の戦士達でも、無事では済まない事もある。

ましてや、今ミミさんが引っ張って来たのは。

辺境のモンスター達としのぎを削って来た、バケモノのようなサイズの、巨大猪なのである。

だが。

今回は、此方にアドバンテージがある。

猪だと言う事を、事前に知っていた、という事だ。

ミミさんが、合図を出す。

同時に、メルルが起爆ワードを唱えた。

仕掛けておいた発破が炸裂。

巨大な落とし穴が出来る。

ミミさんと猪が、殆ど同時に跳躍。

驚くべき身軽さだけれども。

しかし。それが命取りだ。

地面に伏せるほど低い態勢を取ったメルルは。其処から、全力でダッシュを仕掛ける。

「はあああああっ!」

低い態勢から、加速。更に加速。スピードを、パワーに変えていく。

一瞬速く着地したミミさんが、側を通り抜ける。

猪は、気付いた。

だが、空中で機動は出来ない。

それでも、魔術詠唱。壁を造ってみせる。このクラスのモンスターになると、猪でさえこれか。

しかしながら、それすらも計算済みだ。

全火力を、戦槍杖に乗せたメルルは、跳躍。

少し前から開発していた、突撃蹂躙型の人間破城槌。今回は、その初お披露目だ。

激突。

猪の巨体を、押し返す。

凄まじい火花。

魔術の壁と、全火力を乗せたメルルの突撃が、ぶつかり合う。壁を、簡単に突破はできないが。

シェリさんが放った中和魔術が、敵の壁を弱めたこともある。

壁を、抜く。

「おおおおおっ!」

押し込む。

暴れる猪の、額に。空中で弾き、腹に。一気に、落とし穴の向こうへと、猪を押し返していく。

猪は、悟っただろう。

己の運命を。

其処には、既に皆が。

手ぐすね引いて、待ち構えていて。

そしてメルルの攻撃に対応するあまり、自分は何一つ出来ていない。もがき、吼えるのが、最後の抵抗。

地面に、激突。

腹を貫通は出来なかったが。

メルルは、相手を押さえ込むようにして、着地。

殺到したジーノさんとザガルトスさんの剣が、猪に突き刺さり。ホムンクルス達六名の武器も、わずかに遅れてそれに続いた。ライアスとケイナも、相手の頭へと、何度も打撃を叩き込む。

凄まじい絶叫が上がる。

ひっくり返ったままもがく猪だけれど。

メルルは跳躍すると。

シェリさんが展開した魔術の防壁を蹴って、其処から逆落としに、地面に向けて人間破城槌を仕掛ける。

もはや、避けるすべなど無い。

今穿った傷に。

更に、直上から。

内臓を押し潰すべく、一撃を叩き込んでいた。

大量の鮮血が、吹き出し。

猪が、口から噴水のように、血を吐き出していた。

飛び退く。

猪が、もがいていたけれど。ほどなく、動かなくなる。呼吸を整えながら、真っ赤に染まった自分の全身を確認。

作戦を練ったのは、メルル自身。

何回かミミさんから修正を受けたけれど。

綺麗に成功した。

最後だけは、アドリブだったけれど。

地面からの奇襲では無く。

空中からのとどめ。

事前に考えていた人間破城槌のパターンでは無くて。とっさに出したものが、先に実戦投入されるというのも。不思議な気分だ。

「解体するぞ」

ザガルトスさんが、大きな丸太を持ってくる。

今回のために準備しておいた、解体用の道具の一つ。組み合わせて、獲物をこれから吊すのだ。

喉を切って血を出し。

潰れた内臓も切り分ける。

猪の肉は、かなりの美味。その場で皆に分ける。

「燻製にして、アトリエの皆にも、お土産にしましょう」

「そうだね」

「でもメルルは、こっちへ」

全員の中でも、一番手酷く血を浴びたメルルだ。

今回は最初の戦いと違って、殆どけが人は出なかった。敵が弱かったわけでも、戦術が洗練されていたわけでも無い。

ただ、準備をしっかりしていたからだ。

先に岩陰に張っておいた天幕に入ると。

一旦絹服を脱いで、準備しておいたぬれタオルで体を拭く。少し冷たいけれど、ほてった体には丁度良い。

「もう少し、人間破城槌のバージョン、増やせそうだね」

「そうですね。 ただ、今の状態だと、味方の支援がないと、とても敵には当てられそうに無いですけれど」

「う、それを言われると、つらい」

「大丈夫、私やライアスも、他の皆も、支援しますから」

さて、これで二匹。

だけれども。

恐らくは、一番大変なのは、此処からだろう。

楽になど、いつまでも突破出来るはずはない。

撤退は、常に視野に入れておかなければならなかった。

 

3、初めての苦杯

 

水源への路を確保していく過程で、強豪モンスターとの戦いは避けられない。三体目を倒した時に、それははっきりした。

空白の縄張りに、他の強豪モンスターが、足を伸ばしていることが、確認されたからだ。ジーノさんが偵察してくれた結果である。

地図を軽く書き換えた後。

ジーノさんがぼやいた。

「分かってはいたが、やっぱりこうなるよなあ」

「でも、恐らくは、勢力のバランスが崩れるはずです」

「強豪同士の諍いで、消耗したところを狙う、か」

「はい」

えげつない策略にも見えるけれど。

これは殺しあいだ。

どのような手を使ってでも、勝ちに行くのは当たり前。負けた方は、下手をすれば死ぬのである。メルルも、この程度の頭の切り替えは出来る。

「それで、どうするの」

「次も、順番に処理していきます」

「メルル」

ケイナが袖を引く。

物資が、かなり減ってきている。

恐らく、出来て後一体か二体が限界だろう。

耕作地で補給できる物資は、内容が限られている。発破や、他の錬金術の道具類は、どうしようもない。

今回は、良い実戦経験の場だと言う事で、ミミさんとジーノさんは、積極的にメルル達に、戦術の応用を試す場を設けてくれているけれど。

逆に言えば、それで。

物資の消耗も、激しくなっているのだ。

「次は、此奴を狙うよ」

「此奴は……」

ライアスが呻く。

知っているのか。

そういえば、ジーノさんが特徴を報告してきたときにも、軽く眉をひそめていたような気がする。

話を促すと、ライアスは頷く。

「先輩達から聞いたんだが、この辺りに凄く頭が良い奴がいるって話だ。 多分、特徴から言って、此奴に間違いないと思う」

「頭が良い、ねえ」

ミミさんが小首を捻る。

今、ターゲットになっているモンスターは、サンショウウオだ。言うまでも無く、水陸両用の生物。水棲の傾向が強いけれど、陸上での活動も問題なくこなす。

ここに住んでいるサンショウウオは、全長がメルルの背丈の六倍前後と、非常に巨大なサイズで。

肌も強固な鎧のよう。

勿論当然のように、全身から毒液を分泌し。

強力なモンスターの例に違わず、魔術も使いこなす。

しかし、だ。

本来知能が高い筈は無いモンスターでもある。城で噂になるほどということは、何かの突然変異だろうか。

「それに、懸念が一つある」

シェリさんが挙手。

発言を促すと、彼は頷いた。

「そろそろスピアが勘付くはずだ。 どのような横やりが入るか分からんぞ」

「そうだな……」

ザガルトスさんも腕組みした。

いずれにしても。

そろそろ、潮時だろう。これを倒せば、四体目。今回の成果としては、充分すぎるはずだ。

メルルは決断した。

「よし、次のモンスターを撃破したら、一度アトリエに戻ります。 今回の成果は、これで充分です」

「そうね、賛成だわ」

ミミさんが、賛意を示してくれると。

他の皆も、反対意見は出さなかった。

2111さんが、声を掛けてきた。

「外に気配があります」

「!」

慌てて、洞窟の入り口に殺到。

ミミさんが手をかざして、相手を確認。

水源の近くに縄張りがある、強力なアードラだ。かなり上空を旋回している。縄張りが乱れているのは本当なのだろう。

こんな所まで、出てきているのだから。

いずれにしても、様子見には丁度良い。

と、思った、次の瞬間だった。

アードラが、いきなり射撃されたのである。

むしろ部外者であるメルルが愕然としている間に、連射を受けるアードラ。一撃ごとに、重苦しい音がしている。慌てて体勢を立て直したアードラが、低空飛行に移り、射撃から逃れる。その間、相当に傷ついたようだった。

「何だ、あれ……」

ライアスが呻く。

言われなくても分かる。

恐らく、生息している強豪モンスターの一体が、縄張りを見に来たアードラに、きつい灸を据えたと見て良い。

攻撃の正体は、何だ。

魔術では無かったような気がする。

これから争う可能性が高い相手が、未知の攻撃を繰り出しているのを見るのは、良い気分ではない。

対策を考えるのにも、アレが何だったのか。一瞬の事過ぎて、分からなかった。

「偵察に出てくる」

ジーノさんが、もう一度外に。

恐らくは、今のはかなり脅威度が高いと判断したのだろう。今から攻略しようとしている四体目だったら。

今回は、一度撤退するべきかも知れない。

 

二刻ほどして。

ジーノさんが戻ってくる。

冷や汗たらたらだったのだろう。かなり疲れていて、洞窟に入るやいなや、耐久糧食を頬張り始めた。

「やべえぞ。 明らかに手を抜いてやがったんだ。 俺たちを脅威と認識した途端、本気を出したと見て良いだろうな。 勝率は極めて低いぞ。 撤退するべきだ」

ジーノさんは、分かり易く結論を口にした。

「今まで偵察したときは、まったく感じなかった殺気だ。 多分、他のモンスターとは格が違う」

「そんなに……!?」

「ああ。 これは引くべきだ。 最低でも、徹底的な準備がいる」

むしろ戦闘狂の傾向があるジーノさんが、躊躇無く言う。

これは、確かにまずいかも知れない。

まず、敵の位置から。

やはり予想通り。

サンショウウオのモンスターがいるという場所を中心としている。多分あの上空への射撃も、同じモンスターによる攻撃だろう。

洒落になっていない。

「まず奴だが、気配の探知能力がかなり高い。 俺が縄張りギリギリを歩いていても、確実に反応して来やがった」

その度に、謎の射撃が飛んできたという。

火力はかなり高く。

弱めのドラゴンくらいの火力はあるという事だった。

「それが連射されるんだ。 下手をすると、ドラゴンを撃退できるかもしれないレベルのモンスターだぞ」

「厄介ですね」

「厄介なのは、それだけじゃねえ」

見せてくれたのは。

すっぱり斬られた木の枝。

射線上にあったものだそうだ。

一撃で、まるでやすりでもかけたかのような切り口が出来ている。しかもこの切り口を見る限り。

焦げていない。

つまり、火を使ったタイプの攻撃ではない、という事だ。

魔術を使う場合も、遠距離攻撃は、熱を利用する場合が多い。ロロナちゃんがその典型で。遠距離から、地面ごと相手が蒸発するような火力投射で、一軍を瞬く間に全滅させるのだとか。

しかし、この攻撃を見る限り。

敵は風か、或いは。

モンスターの中には、水を高圧で発射して、敵を薙ぎ払う者がいると聞いている。それを、常識外の遠距離から、飛ばしてきていることになる。

「生半可な相手じゃねえぞ。 トトリを連れてくるか、それとも……」

国家軍事力級戦士の助けを頼むか。

勿論、彼らなら。

一瞬で勝負を決める事が出来るだろうと、ジーノさんは言った。

だけれども、今アーランドの国家軍事力級戦士達は、皆前線に出っ張りだ。此方に力を割く余力など無いだろう。

敵の圧力も強くなる一方。

中途半端な力のモンスターを相手に、彼らの助力を借りるのは、難しい。

そうなると、トトリ先生か。

確かに、トトリ先生が加わってくれれば、勝ち目もある。しかし。

「今、トトリ先生は、スピアの間諜をあぶり出す道具を、全力で作成中です。 まだしばらく掛かります」

「ああ、アールズ王都の周辺の間諜を根こそぎにしたってあれか」

「はい。 だからトトリ先生は動けません」

ロロナは。

そう呼び捨てにしたミミさん。

2111さんと2319さんが、咎めるような目をしたけれど。しらん振りである。

この人は、こういう所で、若干おおざっぱだ。

「ロロナちゃんも、恐らくは無理だと思います。 今はアールズ中を飛び回って、間諜狩りをしているようですから」

「……」

何だろう。

ジーノさんとミミさんが、変わり果てた姿になった友人をみた人みたいな目をした。理由は分からないけれど。

ロロナちゃんが、トトリ先生に、先生と呼ばれているのと、関係しているだろう。それは、分かる。

アールズにさえ知れ渡る当代の旅の人にしては。

いくら何でもあれはおかしいと、メルルでも分かる。

「いずれにしても、この戦力で仕掛けるのは自殺行為だ」

「分かりました。 余力がある内に撤退します」

腰を上げるメルル。

しかし、である。

そう上手くは行かないと、すぐに悟らされる事になった。

 

外の様子が、一変していた。

気配という意味で、である。

強豪モンスターの縄張りの、ど真ん中に飛び込んでしまったような雰囲気だ。既にお日様は出ているというのに。

寒気すら感じるほどである。

朝まで待って、外に出た瞬間これだ。

何があったのかは分からない。

即座に洞窟の中に撤退を指示。

ミミさんとジーノさんが殿軍になる。シェリさんも、魔術で、洞窟の入り口に、防壁を展開した。

洞窟の中に逃げ込む。

何が起きたのか、まずは分析しないと。あの時、即座に逃げ出すべきだったのかも知れない。

外。すぐ近くに、強いモンスターがいる。

幸い、気配はあの鋏飛び虫や猪と同格程度だ。ジーノさんが、桁外れと言ったサンショウウオではないだろう。

見ると、丘の上に。

赤黒い毛皮を纏ったウォルフがいる。

ウォルフは同じ種族とは思えないほど、希に個体能力値が高くなる。これは人間と同じだ。

弱いウォルフは、駆け出しの戦士にも劣る程度の力しか無いけれど。

強い奴になると。

それこそ、ベテラン戦士が数人がかりで、命の覚悟をして挑まなければならなくなるほどだとか。

大きな群れを統率していたり。

周辺地域のモンスターの長に収まる個体もいるとかで。

ウォルフを専門に研究している学者は、少なくないそうだ。性質も人間に似ているため、研究をして損は無いらしい。

いずれにしても。

それらは、外から見ていれば、へえと感心できることであって。

強い方のウォルフが、いきなり縄張りを移動して。

しかも、其処がメルルの潜んでいた洞窟の側になっていると言うのは、悪夢以外の何物でもない。

当然、ウォルフは此方に気付いている。

戦力がどれくらいか、見定めている様子で。

即座に仕掛けてくる気配はないけれど。

はっきりしている事がある。

交戦せず、突破することは不可能だ。

「他の強豪モンスターの気配はありますか?」

「近くにはいないわね」

「ジーノさん、あの狼は、どの辺りに昨日いましたか」

「地図見せてくれ」

慌ただしく、戦いの準備をする。

メルルは戦略的な判断をするべく、情報を集めていくけれど。ジーノさんが指さした地点は。

サンショウウオのモンスターの、東隣。

此処から、決して近くない位置だ。

昨日の夜の内に、あのウォルフは。相当な距離を移動して、長年住み慣れただろう縄張りを捨てたことになる。

ウォルフ自身も、ぴりぴりしているのが分かる。

何か、とんでもない事があったと見て良い。

「こんな風に、縄張りを押し出されたとか、では」

2111さんが、地図上で、指を動かした。

普段、自主的に喋ることは滅多に無い彼女だ。皆が驚く。メルルも驚かされたけれど、続けてとくれと依頼。頷くと、2111さんは、持論を展開した。

そもそもだ。

サンショウウオが陣取っている縄張りは、川が二つも流れ込んでいる場所で。水が豊富。動く理由が無い。

しかし、短時間で三体の強力なモンスターが、近くに陣取っているとしたらどうだ。

戦力を消耗させ、仕留めるためには。

「自分以外の」戦力をぶつけて、更に消耗させる必要があるのではないだろうか。

それも、失敗した場合でも、ほぼ間違いなく撤退に追い込めると判断しているのであれば。

厄介などと言う次元では無い。

「最悪の予想を集めてみましたが、どうでしょうか」

「うん、有り難う。 間違っているとは言わない。 そのくらい、起きていても不思議では無いと思う」

「此方こそ、話を聞いていただき、有り難いです」

「……」

複雑そうな表情のミミさん。

いずれにしても、はっきりしている事がある。

「サンショウウオの気配は感じませんか?」

「近くにはいないが、どうして」

「横やりが入る可能性があります。 あのウォルフ、戦っていて、手を抜ける相手ではありません。 其処に、昨日見せられた精密射撃を、横殴りに浴びせられたりしたら」

もしも、メルルだったら、そうする。

普通其処までモンスターは知能は回らない。

今回の件だって、単なる状況証拠から、推察しているに過ぎない。

しかし、現に最悪の状況が到来している。

人間並みに考えられる奴だと判断して動くべきだろう。ただでさえ、足下をすくわれているのだ。

これ以上足下をすくわれるのは、勘弁して欲しいし。

戦略的に先手を打たれすぎると、それこそ身動きが取れなくなる。最悪、全滅の状況さえ、視野に入れなければならない。

全員、生きて帰る。

それが必須の条件だ。

「すぐに仕掛けるか?」

「いいえ。 ジーノさん、しばらくは一騎打ちをお願いできますか」

「俺が防いでいる間に、主力を逃がすのか」

「それもあるんですけれど」

シェリさんには、魔術によるシールドの展開。シールドを使えば、あの狙撃を、一発や二発なら防げるだろう。

荷車を守りながら。

連日モンスターを釣って、叩き潰したあの荒野へと、ウォルフを誘導。

簡単には乗ってこないだろうが。

それでもやるしかない。

その間、ミミさんはサンショウウオの位置を特定。

高台から、一方的に狙撃でもされたら困る。もしも、ウォルフとの死闘を高みの見物でもしているなら、それで構わない。

最悪なのは、更にモンスターを退路に押し込まれている場合だ。

サンショウウオが洞窟を把握している可能性は高く。

その場合は、消耗を覚悟で、退路に回っているモンスターを、叩き潰す他ないだろう。

それにしても、部下でもないモンスターを利用して、此方の消耗を測ってくるなんて。思考回路が人間並の悪辣さだ。どれだけの戦闘経験を積み上げればこうなるのか。空恐ろしい。

「ホムンクルスさんたちは、周囲を最大限に警戒。 ケイナ、攻撃がどうしても届く場合は、ガードをお願い。 ライアスはもう出し惜しみしないで、奇襲を受けた場合はいきなりバンカーでの全力攻撃を」

「分かった。 いいんだな」

「というか、出し惜しみしていたら、死者が出るよ」

口をつぐむライアス。

もう一度、立ち上がる。

外では、ウォルフが臨戦態勢のまま。メルルは発破を取り出すと、ヒモをつけて、そして振り回し始める。

3,2,1,0

カウントしながら。

着火したそれを、投擲。

うなりを上げて飛んだ発破が。

ウォルフの眼前まで飛び。

そして、炸裂した。

慌てることも無く、しなやかに体を動かして、飛び退くウォルフ。

だがその眼前には、既にジーノさん。

振るわれる剣。

空中に逃れるウォルフ。

しかも、魔術で空中に足場を造ると、ジグザグに飛んで、ジーノさんを翻弄に掛かる。その隙に。全員、脱兎のごとく走り出す。一人だけ、ホムンクルスの、アールズ北東の耕作地から合流している2562さんが長弓を引いて、ひょうと放つ。矢の一撃には、魔力も乗っている。ウォルフは、ジーノさんの攻撃をかわした直後にそれを受け。慌てて飛び退いて、どうにか直撃は避けた。

「おらおら、余裕だなっ!」

ジーノさんは、実に楽しそうな様子で、ウォルフとの戦闘にいそしんでいる。ウォルフはというと、実に冷静なヒットアンドアウェイを繰り返し、ジーノさんを消耗させてから、叩くつもりのようだ。

どちらも、まだ本気を出していない。

ミミさんが、叫ぶ。

「気配よ!」

「サンショウウオですか!?」

「……! 間違いない、奴ね」

顎をしゃくられる。

予想通り。

左手の高台に、それはいた。

非常に巨大なサンショウウオだ。全身は青黒く、その毒々しさは異常だ。動きは速そうではないけれど。

その周囲には、複数の魔法陣が展開されているのが見える。

魔術を多重起動しているのだ。

あの水鉄砲の一撃は。

こうやってブーストして、放たれているのだろう。

それだけじゃない。絶妙な位置に陣取っている。どう逃げようと、一方的に射撃を受ける事になる場所だ。

殺せるようなら殺し。

そうで無い場合も、徹底的に恐怖を叩き込んで、二度と近づけないようにする。

そんな強烈な悪意を、メルルは感じた。

シェリさんのシールドに。

射撃が叩き込まれる。

ガインと、凄まじい重い音。

本当に水の音か。

シールドは、一撃浴びただけで、損耗がひどい。

サンショウウオの周囲の魔法陣が光る。光っていないものもある。周囲を警戒する魔術も、同時に展開しているのか。

どういうサンショウウオだ。モンスターといえど、此処まで魔術が達者だと、頭が良いとかそう言う問題ではなく、異常だ。

「走って!」

幸い、サンショウウオそのものの動きは、やはりさほど速くない。後方では、ジーノさんとウォルフの死闘の音。

実力はややジーノさんが上か。身体能力はウォルフが上だが、技術と経験でジーノさんが勝っている様子だ。

逆に言えば。ジーノさんに近い実力を持っているウォルフだ。

メルルが発破を投擲。

爆破して、サンショウウオの視界を塞ごうとしたのだけれど。

即座に対応される。

爆裂。

中途な位置で炸裂した発破は、当然視界を塞ぐ役には立たなかった。当然、お返しとばかりに、射撃を叩き込んでくる。

シェリさんのシールドが、もうもたない。

「彼処に逃げ込んで……」

足を止めるミミさん。

意図は察した。

殿軍になるつもりだ。

この様子では、更に罠があるかも知れない。それならば、サンショウウオが対応せざるを得ないようにするしかない。

そのまま、サンショウウオの方へ、ジグザグに走りながら、突貫するミミさんだが。

サンショウウオは、彼女ほどの強者が突進してきても、余裕綽々。そればかりか、次の一撃で、シェリさんのシールドをぶち抜いていた。

走れ。

シェリさんが、新しいシールドを張ろうと、冷や汗を流しながら魔術を詠唱しているけれど、間に合うはずも無い。

続いて閃く一撃。

ケイナが、飛び出して鞄で受けるけれど。

一発で、中の鋼版をへし折られたらしい。ケイナ自身も吹っ飛ばされて、飛び出した2319さんが回収。

ミミさんが、サンショウウオに到達したのは、その時だった。

閃光のような、矛での乱打を浴びせるけれど。

サンショウウオは涼しい顔で、その全てを防ぎ抜いている。その場から、動く様子もない。

魔法陣の大半は、防御魔術を展開しているためのものだったらしい。

遠距離には狙撃。

近距離に回れば鉄壁。

攻略の糸口が見えない相手だ。

下がっていたジーノさんを追撃していたウォルフが、ぴたりと足を止める。挑発しているジーノさんだが。

ウォルフは座り込んだまま、黙っている。

石を投げようと、知らん顔。それどころか、残像を造りながら移動し、縄張りの中心地点まで戻ってしまった。

サンショウウオはというと。

複数の魔法陣を更に起動。

空中に浮き上がると、後退を開始。

しかし、その過程で。

ミミさんの攻撃を防ぎつつも、此方に狙撃の雨を降らせてきていた。

ダメだ、勝てない。

距離が離れてきたからか、狙撃の精度は落ちてきたけれど。

肩を撃ち抜かれ足を切り裂かれ。

負傷者が、見る間に増えていく。

追撃を撒くまでに。

無事な者は、いなくなっていた。

 

ジーノさんと、ミミさんが戻ってくる。

街道にまで到達して。キャンプスペースに逃げ込んだ。メルル自身も手酷いダメージを受けていたけれど。

深刻なのは、2319さんだ。

左腕の手首から先を吹き飛ばされている。

すぐにアストリッドさんが造ったホムンクルスの回復施設に入って、治療を受ける予定だそうだ。

腕を押さえて、眉をずっとひそめている彼女は。痛々しい。

メルルの護衛をする事を、自ら選んでくれた二人だけれど。それ故に、メルルの判断ミスで此処までの手傷を負わせてしまったのは、口惜しくてならなかった。

太股をざっくりやられた2111さんも痛々しい。

お薬を使う暇も無かった。

リネンも、すぐに底をつきそうだ。

「耕作地に……」

「ダメ。 このまま、アールズ王都に戻ります」

シェリさんの言葉を遮る。

そのシェリさんも、ざっくり何カ所か、体を切り裂かれていた。既に地力で、傷は塞いだようだが。

こんな姿を、今蜂起中の難民達に見せたら、ますます侮られることになる。そうなれば、父上の足を引っ張ることになってしまう。

そのような事態だけは。

避けなければならない。

「問題は、スピアの間諜ね」

ミミさんが、耐久糧食の残りを口に入れながら言う。

それだけ、なりふり構っていられない、という事だ。

キャンプスペースにいる戦士達も、此方を見て不安そうにしている。一体何が出たのか、というのだろう。

トトリ先生に出馬を願えないにしても。

攻略は。本腰を入れないと無理だ。

アトリエに戻り次第、相談することになるだろう。

そして、スピアの間諜に襲われることを想定するとなると。

「ミミさん、ジーノさん。 出来るだけ、残った食糧を食べてしまってください。 負傷者はそれで空いた荷車に」

「一気に、アールズ王都まで駆け抜けるつもり!?」

「はい。 皆、負傷が酷いですが、ゆえに二人には力を戻して貰います。 そうすれば、何とかスピアの間諜による襲撃も、防ぎきれる筈です」

ケイナは、自慢の鞄を切り裂かれ。鋼板もへし曲げられてしまっている。今まで小型のベヒモスの頭を殴っても無事な鞄だったのに。傷口から見えている鋼板の鈍い輝きが、むしろ痛々しい。

ライアスは、手にあるバンカーを打ち砕かれてしまっていた。

直撃が入って、機構が壊されてしまったのだ。

本当に悲しそうにしているので、茶化す気になどなれない。

「お待ちください」

また、2111さんだ。一緒にいつもいる2319さんを気遣いながらも、声を掛けてくる。

どうしたのだろう。

今回は、妙なくらいに積極的だ。

「今、無理にアールズ王都まで駆け抜けるのは愚策だと思います」

「理由は」

「私がスピアの間諜なら、もうメルル様がモンスターに敗れたことを、アールズ北東の耕作地を始める紛争地点に噂として流しています。 彼らが勢いづくのは当然で、更にボロボロの我々が、アールズに逃げ帰ったりしたら」

「……」

確かに、そうだ。

しかし、そうなると。

「地図を、もう一度見せて」

ミミさんが、挙手。

地図を広げる。狼が潜んでいた地点。それに、メルル達が潜んでいた洞窟。見比べていく。何か、策が無いか。

ふと、気付く。

狼が押し出されたとなると。

ある地点にいるモンスターが、ひょっとすると。

顔を上げる。

転んでも、ただでは起きない。

少なくとも、悪い噂が流れて、アールズの形勢が悪化することだけは避ける。それには、少しばかり体を張る必要がある。

説明をしていくと。

まだ余力があるジーノさんとミミさんは頷いてくれた。

ライアスは戦えない。ケイナも。

シェリさんとザガルトスさんは、どうにか。

ホムンクルス達は、横やりを防ぐために頑張って貰うのがいいだろう。

キャンプスペースにいる冒険者達に声を掛ける。皆、顔を知っている者達ばかりだ。このキャンプスペースは、魔境とかしている北部水源に近い位置ということもあって、手練れが多い。

説明して、助力を求める。

一人、挙手したのは。

髪の毛がぼさぼさの女戦士だ。背もあまり高くない。

多分、皆の中では、一番力が劣りそうだ。でも、挙手してくれたのは、彼女だけだった。

「セダンといいます。 よろしくお願いします」

手にしているのは、メイスだ。

先頭が球形になっていて、打撃力を増すタイプである。撲殺するためだけに造られている形状とも言える。

セダンさんは、隣のヒスト女王国から来てくれた戦士だ。実力はまだまだだけれど、何でも親が両方とも有名な戦士だとかで、武勲を立てる機会を欲しがっているらしい。実力は、メルルとどっこいくらいか。

新米同士、丁度良いとも言える。

「此方こそ、お願いします」

メルルが握手を求めると、青い髪のセダンさんは、ちょっと恥ずかしそうにはにかんだ。

皆を集めて、説明。

短期決戦だ。

やるなら、一撃必殺。

そして、迅雷のように帰る。

転んでもただでは起きない。

メルルは、常に。そう、前向きでありたかった。

 

4、困惑の渦

 

デジエ王が鼻を鳴らしたのは、露骨に交渉中の難民達が活気づいたからだ。何かあったと見て良いだろう。

色々な方法で揺さぶっているし。

既にスピアの間諜は入れないようにしているはずなのだが。

彼らは、どうやらスピアの間諜と、何かしらの方法で連絡を取り合っているらしいのだ。可能性があるとすれば、光通信か。

いや、恐らくは。

洗脳されていない内通者がいて。

それが矢文などの手段で、情報のやりとりをしている、とみるべきだろう。

雷鳴と相談した。

此処は粘り強く行くしか無い。

何か、相手に有利な情報が入ったとしても。此処であっさり引き下がったら、絶対に良い結果を生まない。

程なく。

情報が入ってくる。難民達の声を、魔術で拾った悪魔族の戦士が、集計してくれたのだ。それによると。どうやら北部の水源を探索に行ったメルルが、モンスターに手酷い敗北を喫して。無惨な姿で、間もなくアールズ王都に逃げ帰ってくる、というものだった。

メルルは結構勝率が高いが、それでも百戦全勝とはいかないだろう。

別に負けても、次に勝てば良いのだ。負けたとしても、死ななければ良い。当然の話である。

人材がどうしても少ない今。

一度負けたくらいで殺していたら、人材などあっという間に枯渇してしまう。

ましてやメルルは、錬金術師として、成長している。どんどん成果も上げている。トトリ殿があまりにも凄いので目立たないが、充分に水準から言えば、立派な錬金術師になりつつある。

各国の錬金術師の実態や。

身近に、本物がいたデジエとしては。

メルルの技量が、年の割には充分に優れている事を、良く知っていた。

雷鳴はそれを聞くと、鼻を鳴らす。

「唾棄すべき連中ですな。 人が負けたことを喜び、調子づく。 自分の力でもないくせに」

「確かに。 しかしながら、調子に乗った彼らが暴れ出すと、面白くありません。 数が数です」

「少しばかり、警備を強化しましょう」

だが。

翌朝。

デジエが予想していたこととは、真逆の事態になる。

メルルが、アールズ王都に戻らず。

この耕作地に直接来たのである。

ここしばらく、北部水源の開拓がてらに、しとめた巨大なモンスターの屍を持ち帰ってきていた。

それが、難民達の中の過激派を掣肘するための行為だというのは分かっていたが。

まさか、今それをやるとは。

メルルが運んできたのは。巨大な蛇の死骸だった。

胴体をざっくり切り裂かれて、既に息絶えている。四つに切り分けられた死体は、出来るだけ原型が分かるように、そのまま運ばれて来ていた。

メルルから、水源までの経路に十体の強豪モンスターがいて、切り崩さないと進めないとは聞いていたが。

間違いなく、その一体と見て良いだろう。

凄まじいのは、メルル達の格好だ。

全員が、例外なく全身に血を浴びている。

ふと気付く。

普段ガントレットを填めていないホムンクルスの一人が、今日はどういうわけか。ガントレットを身につけている。

見慣れない戦士も一人いた。

格好からして、ヒスト女王国の戦士だろうか。彼女も、全身に血を浴びていた。

「父上!」

元気いっぱいの様子で、手を振って来るメルル。

勿論、たっぷり返り血を浴びて。

そして、近づきながら、気付く。

メルルは、満身創痍だ。

他の皆も。

なるほど、そういうことか。

元から此処に間諜が、メルルが敗れたという情報を流し。蜂起を活発化させると読んだのだ。

だから、無事どころか。

モンスターを仕留めて、平然と戻ってきた様子を見せれば。

むしろ、スピアの間諜の方が、面目を丸潰されにされる。

そして血だらけならば。

傷にも気付かれない。

「見てください、おっきな蛇です! みんなで食べましょう!」

本当に嬉しそうに言うメルル。

分かっている。

空元気だ。

多分、此処を離れたら、アールズまで殆ど余力無しの状態で行くことになるだろう。雷鳴も呆れていた。

策は即座に理解できたのだろうが。

まさか此処までやるとは思わなかったのだろう。

メルルは前向きに考える娘だ。あれの影響で。

だから、だろう。

転んでも、ただでは起きなかった。

勝てるモンスターを見繕って奇襲を仕掛け、全力で潰した。そして、難民達にもよく分かるように、出来るだけ原形を保って持ち込んだ、と言うわけだ。

ミミやジーノも、隠してはいるが、疲弊しきっている。

雷鳴が、その場を離れた。

恐らくは、アールズまでの護衛として、手練れを見繕ってくれるのだろう。

デジエも、演技に乗る。

それに、蛇肉は美味だ。

「うむ、では皆に振る舞うとしよう。 そなたらもどうかな。 我が娘が仕留めてきた大蛇だ。 珍味である事は保証するぞ」

言葉も無い様子で立ち尽くしている難民達。

これで、メルル姫がコテンパンに伸されて、悲鳴を上げながらアールズ王都まで逃げたとか噂していた奴は、面目を失う。

こんな見るからに危険そうなモンスターを叩き殺し。

「平然と」凱旋してくるのを見てしまったのだから。

蜂起している過激派の結束は崩れる。

良い策だと、デジエは感心した。

声を落とすと、メルルに耳打ち。

「帰ったらすぐに血を落とせ。 流石に満身創痍の状態で、不衛生を続けると、病気になるぞ」

「大丈夫、殺した後、全員で傷の処置を済ませてから、血を浴びて来たから」

「……そうか」

娘は。

戦士としても。

王族としても。

何より、前向きな錬金術師として成長している。実に頼もしい。

この娘なら。

デジエが関わった者全てに降りかかった呪い。錬金術が産み出した、負の連鎖を、断ち切ってくれるかも知れない。

蛇肉が焼かれ始める。

良い匂いだ。

すぐに皆に振る舞われる。食べきれない分は燻製に。骨や一部の内臓は、処置をした後肥料にする。

「適当な所で引き揚げなさい。 後は私がやっておくから」

「……はい」

流石に、メルルの顔に疲れが浮かぶ。

だけれど、メルルはやりきった。

適当な所で切り上げ、アールズに引き揚げて行くメルル。誰もが、それを凱旋として判断するだろう。

雷鳴がつけてくれた手練れも護衛している。スピアの間諜に、仕掛ける隙は無い。

さて。

デジエも、自分の仕事をしなければならない。

ここからが。

敵の結束に罅が入ったここからが。勝負だ。

 

(続)