鉄壁の足下

 

序、完成まであと少し

 

メルルが様子を見に行くと、既にハルト砦の外観は、完成と言って良い状態にまで仕上がっていた。

分厚く、頑強で、威圧的な城壁。

ずらりと並んだ生きている大砲の銃座。

魔術による強固な防御。

堀も巡らされている。完全に、全盛期の威容を取り戻した。いや、今こそが、全盛期と言って良いだろう。

周囲では、まだエメス達が働いている。

その中の一人。

かなり重そうな土嚢を運んでいたエメス36が、メルルに気付いた。そして、声を掛けてくる。

声は機械的だけれど。

思考能力が備わっていることは、会話していると分かる。

「メルル様。 よくぞおいでくださいました」

「うん。 順調みたいだね」

「はい。 おかげさまで、予定通り工事が進んでいます」

良い情報ばかりでは無い。

メルルやケイナは、少し前に死にかけたばかり。

ジオ王も敵の頑強な抵抗を抜けず、モディス近辺で足踏み。敵の数は増える一方。少し前の大勝利で削った数を、完全に取り戻したらしい。

由々しきことだが。

メルルが焦っても仕方が無いし。

何より、脅威となっていた沼地の王との、不可侵条約の締結に成功。かなりの戦力を、前線に廻す事が出来るようになった。

荷物を運び終えたエメス36に案内して貰う。

ローブを目深に被ったエメス36は、表情を動かす事も出来ない。顔はメルルが描いただけ。目はガラス玉を埋め込んでいるけれど。

実際には魔術によって周囲を把握している。

顔は笑顔にして、少しでも親しまれるようにしたが。

それでも、嫌われる事や、怖れられることは多いそうだ。

裏門の辺りは、まだ工事が続いている。複数のエメスがいたので、軽く手を挙げて挨拶。みんな頑張っている。

エメスの周囲で働いている人間を見ると。

対応が対極的だ。

難民達は、こわごわながらも、比較的親密に接している。これはエメス1とエメス2が、命を賭けて彼らを守った事が原因だろう。機械的な反応をするエメス達だけれど。誰よりも誠実でもある。

だから、受け入れられた。

一方、辺境戦士達は。

嫌ってはいないけれど。好いてもいないようだ。働き者だと評価はしているのだろうけれど。

ホムンクルスの方が便利だと感じているのかも知れない。

「みんなは元気?」

「一緒にここに来た生きている人形達は、皆健在です。 仕事も、重要なものを任せて貰えるようになりました」

「良かった。 頑張ってね」

「はい。 ありがとうございます」

抑揚の無い声。

メルルは手を振ると。

姿が見えたクーデリアさんの方へ歩く。ここに来たのは他でも無い。戦略的な話をする意味もある。

父上は先に来ている。

もっとも、父上の方は、姿を隠してのお忍びだが。

「おはようございます、クーデリアさん」

「予定通りの時間ね」

「いえ。 ケイナのおかげです」

側に控えているケイナが一礼する。

長い廊下。

しかも複雑な構造で。

攻め入った敵を迷わせるために作られている。

目の錯覚も利用して、敵を幻惑したり。所々には、鉄格子を落とす仕掛けもあるようだ。なかなか、凝った造りである。

ルーフェスが、色々頑張ったのだろう。

一旦、一緒に来てくれたケイナ、ライアス、それに2111さんと2319さんとは、此処で別れる。

ここから先は、アールズの幹部と、アーランドの高官の会議だ。

万が一にも、護衛がしゃしゃり出るような事があってはいけない。

メルルも、今回は王族としての正装できている。

国宝の絹服に身を包んでいるのは、それが故だ。歩きづらくて嫌なので、会議が終わったら、錬金術の正装に戻すつもりだが。

廊下を抜けると。

会議室。

錚々たる面子が集まっている。

アーランドの国家元首、ジオ王。共和国になった今も、国家元首は彼であり、地位が揺らぐ気配はない。

これは圧倒的な強さを持つ大陸最強の戦士であり。

対スピアにて、絶大な戦績を挙げているから、というのが理由になる。一度や二度負けた程度で、彼の戦績は揺らぎもしないだろう。

その隣には、腹心と言われているエスティさん。

短髪の女性戦士で、背丈は平均的。

アーランド人の戦士らしく、鎧の類は身につけておらず。スーツを着こなしている。これは言うまでも無いが、鎧など意味がないからだ。むしろ少しでも速度を上げるために、動きやすさを重視しているのである。

実際問題、ケイナが鞄に入れている鋼版は分厚く、魔術も掛かっている。

それでも矢は突き刺さるのだ。

矢を防げるように鎧を造ったら、それこそ動きをどれだけ阻害することか。重さなどはどうでもいい。関節部などで、人間が動ける代物ではなくなってしまう。

エスティさんは、メルルに気付くと、勝ち気な笑みを浮かべた。

この間、ようやく少し挨拶をした。

既に四十路になっているらしいが若々しい。これは子を産んでいない辺境戦士には共通したことだ。

彼女は双剣の使い手で、速さに関しては大陸随一。強さは兎も角、速さではジオ王でさえ一歩譲ると言うほどの使い手だ。だから有名人であり、メルルも一度会ってみたいと思っていた。

本人は結婚願望があるらしいけれど。

戦士を引退すれば、幾らでも夫のなり手がいるだろう。

強さを美徳とするアーランド人だ。彼女ほどの使い手を、放置しておくはずもない。

トトリ先生と、ロロナちゃんも来ている。

ロロナちゃんは子供らしい笑顔を浮かべているけれど。

視線の先にいるアストリッドさんは、無表情のまま。

クーデリアさんとメルル。

それにこの砦の指揮をしているらしい雷鳴という老戦士。アールズ人が指揮を執るのが筋だと反発する人もいるが。雷鳴は野心が無く、周囲に人当たりが良いことで有名で、人望が高い。

たくさんの弟子を持つ、育成の達人でもあるそうだ。

いずれ、メルルも教えを請いたいものである。

他にもハイランカーが何人か席に着くと。会議が始まる。ジオ陛下が顎をしゃくると、すぐにトトリ先生が、地図を広げた。

駒が並べられる。

敵軍の配置図だ。

国境付近に、敵の拠点が複数。

それらに点在している敵は。

およそ五万五千。

とんでも無い数だ。

アールズがこの一連の会戦までで見た事がある敵の数としても、最大級。それこそ、なだれ込んできたら、即座に辺境諸国の一つや二つ、消し飛ぶだろう。

しかもこれだけではない。

後方の敵拠点には、更に倍から三倍の敵が控えている事が、ほぼ確実。

少し前に、六万近く殺したのに。

まだ敵は、これだけの余力を抱えている、と言うわけだ。

「続いて、後方の状況を」

トトリ先生が、一つずつ駒を置いていく。

敵を殺した位置だ。

アールズ王城。

それに、アールズ南の街道。

これらで、合計四十。

トトリ先生と父上が殺した分と。メルル達が、どうにか殺した分だ。二人だけ、逃がしてしまったのは口惜しいが。

「敵の実働部隊は消滅しました。 また、敵の催眠による無意識のまま操られる人間を、正気に戻す仕組みを、開発中です」

「急ぐように」

「はい」

メルルも、それについては聞いている。

何でも特定の力を周囲に流すものだとかで、それで精神に作用している催眠を打ち消すのだとか。

特に難しい作業は必要なく。

その仕組みを、人が集まる真ん中に置けば良いそうだ。

悪魔族の代表として来ているバイラスさんが挙手。

魔術による催眠伝播の防御システムの構築が始まっていることを告げてくれた。あと半月ほどで完成するという。

何しろバイラスさんは巨体なので。

窮屈そうに、部屋の中で身を縮めての参加だ。

それに対してリス族の代表、兎族の代表には、椅子が大きすぎるようだが。

「同盟者として、過分なほどの働きをしてくれて、頭が下がる。 これからも鋭意努力を続けてくれ」

「心得ている」

ジオ王は、傲岸不遜では無いところが。

周囲の人望を集めるところなのだろう。

大国の主で。

最強の武力の持ち主だが。

それでも、同盟者や他国の人間には、慇懃に振る舞うことも出来る。

それから、幾つかの報告が上がる。

どれもこれもが戦闘に関するもので。中には、メルルが襲撃されたものもあった。

最後に、メルルに話が振られる。

注目される中。

メルルは立ち上がると。

アールズ王都の南部に住み着き、潜在的脅威となり続けていたドラゴンとの不可侵条約成立に成功したと告げた。

勿論、皆知っていたのだろう。

だが、ジオ王は、褒めてくれた。

「うむ、成長したな、メルル姫。 デジエ王、父として鼻が高いのでは無いか」

「そうだな……」

父上の顔は浮かない。

今回、議題には上がらない事で。面倒な醜聞が、流れ始めているからだ。恐らく此処でメルルを褒めると、やぶ蛇になると考えているのだろう。

リザードマン族の代表が挙手。

「我等の拠点にも、このような備えが欲しい。 アーランドは支援してくれないだろうか」「構わぬが、地上に構造物を造ると、集落が丸見えにならないか」

「地下に、敵を迷わせる部分を造りたいのだ」

「なるほど、それなら頷ける。 今度技術者を派遣する」

リザードマン族の代表は、トトリ先生を指名。

トトリ先生も、頷いて。話が成立した。

後は、雑多な話が続き。適当な所で会議が切り上げられる。

自分の肩を叩きながら、メルルが立ち上がると。他の皆は、そそくさと、会議が行われた部屋を出て行く。

バイラスさんが苦労しながら出ていたので。メルルは付き添った。

「大丈夫ですか?」

「うむ、助かる」

「魔術の構築は、後で参考にさせてください。 アールズ王都や、農場、鉱山、それに新しい耕作地にも造りたい」

「トトリ殿が対策装置を作るのではないのか」

勿論、トトリ先生の装置は、最大限に信用している。

しかしそれはそれ、これはこれだ。

備えを何重にもしておいて、損は無いだろう。ただでさえ、難民の一部が、きな臭い動きをしているのだ。

一番面倒くさそうな連中を、新しく立ち上げた、アールズ北東の耕作地に集めておいて良かったと、メルルは思う。

これから帰りに、シェリさんとザガルトスさんと合流。

現地に様子を見に行くつもりだ。

「それにしても、おかしな醜聞が流行っているようだな」

「スピアの仕業でしょう」

「我等は、メルル姫を信じている。 気にするでないぞ」

「有り難うございます」

本当に嬉しい。

これは、事実だ。

醜聞とは、他でも無い。

メルルは、父上と。叔母上の、不義の子、というものだ。

叔母上。誰だかまったく分からない。父上も、口を閉ざして、話そうとしないからである。

そういう血縁者がいたとは聞いている。

だが、会った覚えはないし。

どうにも、誰もが口にしようとはしないのだ。

おばさまと聞いて、皆が口をつぐむのを見て。父上が箝口令を敷いているのは、ほぼ間違いないだろうと判断は出来る。

ライアスもケイナも、詳しくは知らないと言っていた。ケイナは聞いた事があるようだけれど、少なくとも人目がある所では話してくれていない。

つまり、若い世代まで、情報が降りてきていないのである。

それにしても、近親相姦による不義の子、だなんて。

複数のメイドから、証言は得ている。メルルは父上と母上の子だと。メルルが生まれたときは、父上と母上は良好な関係だった。

おかしくなったのは、それから数年後らしい。

何があったのかは分からない。

だが、その頃に、とんでも無い出来事があったのは、事実なのだろう。

砦を出ると。

バイラスさんが、やっと立ち上がる事が出来て、やれやれと周囲を見回した。悪魔族の護衛が数名来ている。

エメス33が、道中にと、焼き菓子を持ってきた。バイラスさんは、おうと嬉しそうな声を上げる。

この人が甘党なのだと、最近知った。

「ありがとう。 部下達と帰路で舌鼓を打つことにする」

「喜んでいただければ幸いです」

帰る人には、全員に配られる。

メルルにもだ。

「メルル様、此方をどうぞ。 お口に合うと嬉しいのですが」

「大丈夫。 エメス達の造ってくれたものなら、何でも嬉しいよ」

「ありがとうございます」

バイラスさんが、数名の悪魔族と一緒に飛び去っていく。

メルルは砦から少し西にずれて。リス族が守る街道を油断無く進みながら、新しい耕作地に。

途中で、焼き菓子を口にする。

とても甘みが強い。

恐らくは、果実を練り込んでいるのだろう。

砦の中には、かなり本格的な厨房もある。其処でエメス達が造ったのか、或いは。

いずれにしても、疲れが取れるのは、嬉しい。

雑談は、出来るだけ避ける。

この間の襲撃のことを考えると。

とても、どんな場所でも。油断は出来なかった。

 

1、混沌の壺

 

例の噂。メルル姫は、不義の子らしいというもの。

そう言う噂が流れていることを聞いて、メルルは最初呆れたが。良く調べ、なおかつ詳しく聞いてみると。その噂には、根拠がある事が分かってきた。

まずメルルの両親が、異常な不仲だったこと。

最初はそうでは無かった。

だが。

メルルが生まれて数年後。それは顕在化した。

メルルも覚えている。母上が、メルルを罵る様子を。メイド達が、なだめながら部屋を連れ出していく有様を。

母上は他国から嫁いできた人で。どうしてもアールズにはなじめなかった。

父上はとても優しくしていたらしいのだけれど。

それでも、風習の違いは、どうにもならない。

父上の愛情で、それでも数年はもったのだろう。だが、愛情には、永遠は無い。どうしても愛情は尽きる。

そうなれば。

自分に合わない土地で、地獄を見る。

その現実だけが待っている。

そして、もう一つの根拠。

メルルは、母上に似ていない。

むしろ、叔母上。あった事もないし、どんな姿かも分からない。その人と、生き写しだというのだ。

メルルが叔母上に似てくるのを見て、母上の疑念が大きくなったらしいのだ。

自分で産んだ子だというのに。

取り替えっこだと、母上は叫んでいた。それについては、おぼろげながらに覚えている。取り替えっこなら。取り替えられた、本物の子供がいるはず。

だから返せ。

半狂乱になった母上は。

死ぬ寸前まで、そう錯乱し続けていたという。

これが醜聞となって広まっているのだ。

何となくだけれど。

パズルのピースが組み合わさっていく気がする。記憶の中の幾つかの出来事が、これにつながっていくのだ。

勿論、父上を疑うつもりはない。

如何に仲が良かったと言っても、妹に手を出すような人では無い。そんな人でなしの筈はないと、メルルは父上を信頼している。

ただし、今回は出来事が出来事だ。

父上に話を聞くつもりだけれど。

まずは視察だ。

この間、ジーノさんが言っていた。難民同士の諍いが絶えないと。ジェームズさんも、苦労しているだろう。

耕作地が見えてくる。

水が引かれ。

荒野からは、茶が消え。緑が移り変わりつつある。土地の一部は耕され、作業は始まっている様子だ。

規律は、きちんととれているようだが。

人相の悪い難民が目立つ。

監視をしているホムンクルス達。そして力仕事をしているエメス達。

上空には悪魔族の戦士数名。

いずれもが、緊張した様子で作業を見守っていた。

「てめえ! 肩に触りやがったな!」

怒号。

しかも、怒鳴られた相手は、間髪いれずに相手を殴る。畝を耕していた隣同士で、喧嘩が始まったのだ。

だが、本格化する前に。

悪魔族が、麻痺の魔術を放ち。

二人を捕らえると、連れていった。

ジェームズさんが気付いて、此方に来る。

「おう、メルル姫。 息災か?」

「どうにか。 状況は……良くない様子ですね」

「ああ、こればっかりはな」

苦笑いするジェームズさん。一触即発の空気が、難民達の間に漂っている。いずれも、血の気が多そうな者ばかりだ。

ただ、はっきりいって。

大した使い手はいない。

問題は数が多いこと。しかも、見ていると。

此方がしている以外の組織化を、どうもしているようなのだ。

武装蜂起の噂は、本当かも知れない。

そう言うことを企んでいる奴がいて。裏側で組織化をしていても、不思議とはいえないだろう。

ましてや、それにスピアが接触したら。

二つが結びつくと。

極めて面倒な事になる。

周囲を見てまわる。

水が少し足りない様子だ。川から水を引きすぎると、用水に問題が出てくる。かといって、上流の水源は、強力なモンスターの巣だ。かなり間引かないと、安全に水路を造る工事は出来ないだろう。

行き当たりばったりの行動では無理。

綿密に計画を練らないとならない。

必要なものを聞いて、メモ。

メルルに造れるものは多い。

側にいたエメスが反応。別に反応することも無かったのだけれど。アニーちゃんに飛んできた石を、受け止めていた。

メルルが頷くと。

即座に2111さんが、石を投げた奴を捕縛。

一瞬の出来事だ。

「何しやがる、てめえ!」

わめき散らすのは、顔に入れ墨を入れている大男。ガタイでいえばザガルトスさん以上だが。

これは、ザガルトスさんなら、指一本で勝てる相手だ。

「子供に石を投げるってのは、どういうことですか?」

「ああん!? 俺がやったって証拠でもあんのか、ゴルァ!」

「シェリさん」

「応」

シェリさんが、立体映像を魔術で出してくれる。とはいっても、石がどのように飛んだかを、再現するだけのものだ。周囲全てを立体映像化する魔術なんて、魔王と呼ばれるような悪魔族。

例えば、バイラスさんクラスにならないと使えない。

石の飛んできた角度から、間違いないと断定すると。

大男は、口から泡を吹きながら喚く。

「舐めやがって、魔術だか何だかしらねえが、犯すぞこのアマが!」

次の瞬間。

ケイナが、男の顎を蹴り砕いていた。

悶絶した男を、嘆息したジェームズさんが、騒ぎを聞いて駆けつけてきた悪魔族に連れていかせる。

矯正処分だと、ジェームズさんがぼやく。

王族に対する最上級の冒涜だ。当然の罰則である。メルルも王族である事を鼻に掛ける気は無いが、暴行を宣言したり、更にはそれ以上の事を恐喝したのだから。国によっては死刑である。

で、実際の処置は。洗脳ほどでは無いけれど、精神から凶暴性を除去する魔術をしばらく掛けるのだ。当面は、別人のように大人しくなる。

もっとも、辺境戦士にはまず効かない。

列強の民だから効くのだ。

辺境戦士に同じ罰を与える場合は、別に方法があるのだけれど。それは今はどうでもいい。

「意外に気が短いんだな、メイドの嬢ちゃん」

「そりゃそうだ。 ケイナが手を出さなかったら、俺がやってたよ」

ライアスがうそぶく。

此方をニヤニヤしながら見ていた連中が、青ざめて黙り込んでいる。辺境戦士の実力を、改めて思い知らされたからだろう。

ケイナみたいな、やっと一人前になった女の子でこれだ。

例えば、ザガルトスさんなら。

今此方を見ている連中を、全員まとめて瞬く間に肉塊に出来る。

そういうものだ。

周囲を見てまわって。

幾つか問題点を聞く。

一通り見終えた後に、街道に。ジェームズさんは、まだまだ若いものには負けないとうそぶいていた。

確かにこの人なら。

生涯現役でいられそうだ。

街道に出る。周囲を警戒するシェリさん。アニーちゃんは、今日は歩いている。というか、少し前から。出来るだけ歩くようにしている。

この間の出来事以来。

シェリさんとしっかり話をしたらしい。

アニーちゃんは賢い子だ。

自分のせいで、死人が出かけたことは、すぐに理解したのだろう。

更にシェリさんに、防壁の魔術も習っている。まだ使いこなすまでにはいたらないけれど。

筋が良いと、シェリさんが褒めていた。

恐らく半年以内に、矢くらいなら防げる防壁を張れるようになるそうだ。

「それにしても、想像以上に治安が悪いですね」

「最初の内は、警備に突っかかる奴が絶えなかったそうだ。 徹底的にたたきのめされて、矯正処置をされてからは、静かになったそうだが」

ケイナに、ザガルトスさんが答える。

冒険者同士の横のつながりで、そう言う話を聞いているのだろう。

頭が痛い問題だ。

結局、ハルト砦にも、難民の労働者はいれたけれど。少数しかいれられなかった。外側の、見せても問題ない部分の労働だけ。

内部は機密があるから仕方が無いとはいえ。

もっと難民達には、アールズのためといわず。世界のために、頑張って欲しいとメルルは思うのである。

アールズを乗っ取るなんて事をしているよりも。

そんな力があるのなら。

スピアと戦おうと思わないのだろうか。

その辺りが、メルルの理解を超えている。

王都が見えてきた。

シェリさんが、周囲に敵影無しと告げてくる。そろそろ夕方だ。前よりも、移動速度は、ずっと速くなっている。

アニーちゃんは時々荷車に乗せてあげているけれど。

それでも、半分以上は、自分の足で歩いていた。

怠け者の彼女も。

きっと、肩車をせがむくらい仲が良いシェリさんに怒られて。きっと、何か思うところがあったのだろう。

 

城門で解散。

そして、メルルは、ケイナとライアスだけ連れて、王城に。言うまでも無いけれど。父上に話を聞くためだ。

既に夕方を少し過ぎて、陽は稜線の向こうに沈んでしまった。

父上の公務は終わっている。

私室に向かうと。父上は、なにやら難しそうな本を読んでいた。

「どうした。 私の部屋に来るのは珍しいな」

「うん。 ちょっと聞きたいことがあって」

「……話してみなさい」

二人きりだからか、父上の一人称も自然に柔らかい。公務の時は、余と口にすることもあるのだけれど。

メルルの前では。

この人は、普通の厳しい父親だ。

「嫌な噂が流れているの、知ってる?」

「お前が不義の子とかいうあれか」

「うん。 違うって分かっているけれど。 何か、母上との仲がおかしくなる出来事があったの?」

「親子とは言え、立ち入ってはいけない事がある。 それを学びなさい」

拒絶。

意外だ。

つまり、何かがあった、と父上は言っているようなものだ。それも、メルルにも知らせたくない事が。

咳払いして、父上は付け加える。

「不義の子など、あり得ないさ。 お前は、私と妻の子だ。 それは狂気に囚われる前なら、あれもそうだと言っただろう」

視線で、父上が指したのは。

この間、盛大に暗殺者の血を浴びた、母上の肖像画。

分かっている。

だけれど。父上の声から、真相を聞きたかった。でも、こうなると、父上は絶対に口を開かない。

分かっているから、メルルは。

引き下がざるを得なかった。

城門で、ケイナと合流。ライアスとは此処で別れる。ライアスは更に身体能力を上げたいらしく。

最近は、色々なアーランドの冒険者に話を聞きに行っているそうだ。トレーニングを自主的にしているという。

ただ、それでもやはり成長は遅い。

ライアスは晩成型だ。

本人でもそれは分かっているのだろうけれど。

それでも、認めたくは無いのだろう。

ケイナと一緒に歩きながら、星空を見る。勿論、周囲に対しての、油断は欠かしてなどいない。

「ケイナ、どう思う?」

「実は……メイド達の間では、昔から噂がありました。 デジエ様と、ソフラ様は、あまりにも仲が良すぎたと」

「ソフラ……? それが叔母上の名前?」

「はい」

異常な話だ。

叔母の名前も、メルルには知らされていなかった。何となく、思い出してくる。その名を口にすると、母が烈火のごとく怒り狂ったのだと。

だから、タブーになっていた。

もしも、だが。

メルルの記憶にある、あの人が。

前向きに生きることを教えてくれた人が、ソフラさん、つまりは叔母上だったのだとすれば。

メルルが物心ついたときには。

あの人は。幽霊となっていたのか。

何があったのだろう。

アールズ王家は、父上とメルルしか生き残りがいない。もっとも、血縁者だらけのアールズだ。ある程度血縁を遡れば、王族「関係者」は幾らでもいる。しかし、だからこそに。異常さが際立つのだ。

アトリエについた。

美味しいものを造ると言って、ケイナは台所に。

部屋から出てきたアニーは、自主的にそれを手伝い始めた。

メルルは、復習がてらに、工程表にある作業を進める。順番に作業を進めていきながら、思う。

一体、昔。

アールズの王家で、何があったのだろう。

インゴットを一つ仕上げた頃には。

ケイナが料理を出してくれた。

この地方の名物の一つである大型のキノコを、大胆にソテーにしたものである。子供の頭ほどもある巨大なキノコで。

味も濃厚である。

ただし、猛毒のキノコにそっくりなものがあるので。

見分けるには、熟練の知識が必要になる。それに、性質故に、完全なものは流出しない。

一部を切り取って、毒味をしてから売るのが義務づけられている。これは名物であるこのキノコを好む人が多く。

逆に言えば、毒茸で大きな被害が出たから、である。

「冷めないうちにいただきましょう」

メルルを気遣ってか、ケイナは笑顔で言う。

頷くと、ソテーを口に入れる。添え物の野草も、かなり美味しく調理されている。充分すぎる位に、美味しい夕ご飯だ。

アニーちゃんは先に眠って貰って。

メルルは、ケイナと一緒に、寝室で少し話す。

ソフラという名前について、何か知らないか。ケイナは、首を横に振るばかりだ。

「メイドとして仕えていますが、この名前を聞いたのは二度だけです。 それもベテランの先輩が、ぼそりと口にしたことだけ。 貴方のような業績を残した人が、どうして陰に追いやられなければならなかったのかと、嘆いていました」

「……何があったんだろう」

「分かりません。 本当に、何があったのか……」

叔母のことは、存在したという事以外は、本当に分からないのだ。

それに、どうにも。

メルルの記憶の中にいる叔母は。

既に幽霊のような気がしてならない。

しかし、幽霊が、彼処まで真っ昼間から、実体を保てるものなのか。それ以上に、である。

そもそもこの世に未練がないのに、どうして現れるのか。

あの人は。

いつも、満ち足りた笑顔をしていた。

それに間違いは無い。

ならばどうして。

「先輩達に聞き込みをしますか?」

「いや、ダメ」

「どうして」

「父上がね、叔母上の話をしたとたん、拒絶したから。 父上が本気で怒ることになると思う」

ケイナも、それで異常さを理解してくれた。

本当に、どうかしているのだ。

醜聞が広まりつつある今、何か手を打たなければならないのに。

結局、ルーフェスに相談するしか無いか。

ため息が零れた。

前線のハルト砦はもう完成しようとしているのに。

何故、このように。

問題ばかり、次から次へと。

スピアの仕業だというのはわかりきっているけれど。どうしてこう、醜聞のネタなど探し出してこられるのか。

早めに休んで。

起き出してからは、自主的にトレーニング。

歩法。

棒術。

今後、チャージのバージョンを増やそうとメルルは思っている。自主的に考えた後、みなにアドバイスを貰いながら、色々試しているのだ。

至近からの突進もいいのだけれど。

長距離を駆け抜けてパワーを増し。

至近で一気に踏み込んで、跳躍しつつ、敵をぶち抜く。

そんな強烈な突撃蹂躙型の人間破城槌も、実用に移したい。ただしこれをやるには、多少の攻撃を受けても平気なタフさと。

何よりも、進路の敵を皆蹴散らすだけのパワーがいる。

今のメルルには。

どちらもない。

技の訓練は、他にもある。

チャージに見せかけて。

踏み込みと同時に、戦槍杖を、振り上げ。

敵を顎から唐竹に斬り割るものだ。

あえて斜め下向きに戦槍杖を構えて突貫。地面を抉って加速しつつ、敵の顎を斬るものとなる。

負担が大きいし、奇襲技。

その上、放った後の隙は、他のどのチャージより大きい。

だけれども。

これが完成したら、相手を確実に殺せる。

北部の人間や、それに類する程度の相手なら兎も角。

この地に住まう強力なモンスタークラスが相手になってくると。

何とも今のメルルは、力不足。

一人前になった程度というのは、そのくらいの実力なのだ。

身体能力を強化する錬金術の道具類。

それらも身につけているけれど。

なおもまだ、チャージの火力が、根本的に足りない。

後は身体能力を鍛え抜いていくしかない。

型を順番にこなしていく。

呼吸を工夫して。

魔力が全身を巡るようにしていく。

身体能力だけではなく。魔力も、かなり強くなってきているけれど。それでも、まだまだ、だ。

ベテランのアールズの兵士は。

誰もがメルルよりも強い。

ケイナが起きて来たので、後は一緒にトレーニングする。

二人とも、シェリさんに教わった歩法は、かなりマスターしてきた。シェリさんは、ライアスに、いずれ自分など及びもつかない使い手になれると、いつだったか言っていたのだけれど。

メルル達はどうなのだろう。

体を動かすと、頭を空っぽに出来る。

醜悪な噂が流れていることも忘れられる。

だけれども。

現実逃避は、此処までだ。

登城して、ルーフェスに会いに行く。

場合によっては。ルーフェスに、事情を聞かなければならないだろう。

難民達の間に拡がっている醜聞は。

可能な限り。

早い内に、芽を摘まなければ、ならなかった。

 

2、霧の向こう

 

幼い頃の記憶は。

あくまで霧の向こうにあるもの。

断片的に覚えていても。その全てを把握している者など、滅多にいるものではないのが普通だ。

酒場に出向くと。

フィリーさんが、メルルを見て、咳払いした。

何か妄想していたな。

分かっているから、別に何も言わない。妄想しようが何だろうが、実害さえなければそれでいいのだ。

「メルルちゃん、納品かな」

「話を聞きに来ました」

「へっ!?」

「此処は酒場です。 冒険者達の噂は、耳に入っていますよね?」

いつもに無く、厳しい表情。

冒険者達が、困惑したようにメルルを見た。

カウンターに着くと、料理を注文。

アールズだけでは無く、辺境諸国では。酒場で話を聞く時は、料理を注文するのが、当たり前のマナーだ。

しばらく黙っていたけれど。

フィリーさんは、口を開いた。

「例の、不義の噂のこと?」

「はい。 知っているだけ、出来るだけ詳しく」

「……つらい話だよ」

「覚悟は出来ています」

そうでなければ、ここに来るものか。

ルーフェスでさえ、叔母上のことは口を閉ざしたのだ。行程について進捗を話した後、口にしたのだけれど。

あの様子では、余程のことがあったのだろう。

その真相については。

当事者達が黙っている以上、知るすべが無い。

だからこそ。

今は、噂を食い止めることが、必要だ。

「デジエ様とその妹様が、とても仲が良かったって噂は、前からあったの。 でも、いつのまにか。 メルルちゃんが、二人の子供だって噂が流れ始めて」

「バカみたいです」

「メルルちゃん?」

「これだけは断言できますが、私は父上と母上の子です」

少し大きな声で言う。

冒険者達に、聞こえるように、である。

「これについては、私が生まれるところに立ち会った複数の人間の証言が出ていますから、間違いありません」

「そう、なんだね」

「まずは、フィリーさんの誤解を解いておきたかった。 それだけです」

続きを順番に聞いていく。

噂話には、バージョンが少ない。

ただ、あの快活なメルル姫が、とか。

真面目そうなデジエ王が、とか。

意外性のあるゴシップとして、受け入れられているそうだ。

ゴシップか。

人の口に城壁は作れないと良く言うけれど。

それにしても、当人達がどう思うか。少しは考えられないのだろうか。

「複数の、私の出産に立ち会った人間が、それはあり得ないと証言しています。 真相の拡散をお願いします」

「うん……あまり効果は無いかも知れないけれど」

「お願いします」

「分かってる。 メルルちゃん、少しずつ貫禄ついてきたね」

この人は。元々気が弱くて、戦士としては実力があるのに、前線ではまったく活躍できなかったそうだ。

今もメルルの気迫に押されているようで。

ちょっと、戦士としての適性が無い事が分かってしまって、悲しい。実力はあっても、武勲を立てられない人はいる。

この人が、その実例だ。

もう一皿注文すると。

さっさと平らげて、店を出る。

それにしても、何処の誰か。いや、わかりきっている。スピアの間諜に決まっている。

家に着くと。

トトリ先生が、調合をしていた。

それも、久しぶりに見る、非常に難しい調合である。機械と組み合わさった錬金術の道具で、装置は霧吹きというか噴水というか、そういうものの中でも、かなり大きい代物の様子だ。

「お帰り、メルルちゃん」

「ただいま。 トトリ先生、それ、凄い機械ですね」

「共振装置だよ」

小首をかしげるメルルに、説明してくれる。

要するに、催眠阻害装置だという。

特定の周波を遮断し。

催眠の継続も。催眠を掛けられている人間の遠隔操作も、不可能にするものだという。理論は簡単だけれど、装置の構造がとんでもなく複雑だ。無数の部品を組み合わせて。様々な薬品を練り合わせて。

中枢部分には、生きている部品を使っている様子で。

メルルには、まだまだ当面手に負えない。

分かるのは、これがハルト砦の会議で言っていた装置の実物と言う事。トトリ先生が理論から何から組んで、本気で造った代物、ということだ。

それならば、凄いに決まっている。

「まずは北東部の耕作地で実験して、それから鉱山、農場、南の耕作地、ハルト砦、アールズ王都の順番に設置していく予定だよ」

「計画的ですね」

「うん。 まあ、結果を見ないと何とも言えないけれどね」

上手く行けば、アールズに潜んでいる催眠を受けた間諜を、一網打尽に出来ると言う。確かにそれはとても美味しい。

片手間に、幾つかアドバイスを貰う。

エメスの性能を上げたいと言うと。幾つかコツを教えて貰ったので、その通りにしてみる。

後は応用。

少しずつエメスは性能が上がっているけれど。

トトリ先生の言ったコツをいれると。更に能力が上がった気がする。それは、とても嬉しいことだ。

もっと頑強ならば。

スピアの間諜の襲撃で。

あんな悲しい結末にはならなかったのだから。

ただ、エメスは戦士では無い。頑強にはするし、抵抗能力は上げるけれど。それでも、純粋な戦闘タイプを造るつもりは無い。

複雑な気分だ。

迷いは晴れない。

 

翌朝。

久々に、トトリ先生に修練を見てもらう。

トトリ先生は素手。

メルルは戦槍杖。

流石に、もう小さな円の中から動かないトトリ先生に、一発当てるだけ、という条件ではなくなったが。

それでも圧倒的な力の差は、目に見えるほどだった。

歩法をどれだけ駆使しても。

手を抜いていることが見え見えのトトリ先生の、懐に飛び込めない。

破城鎚なんてとても繰り出せない。

あれは大物狙いの技だ。

小技も幾つか試してみるけれど。

もろにはいったと思った次の瞬間には。

トトリ先生は、残像を造って後ろにいる。ひょいと膝を後ろからつかれて。態勢を崩したところを。鼻をつままれた。

「はい、隙だらけ」

言葉も無い。

幾つかアドバイスを受けるけれど。

経験値。

身体能力。

技術。

その全てが足りていない。

それだけだ。

だから、修練をもっともっとやる。修羅場を更にくぐる。死ぬような思いをしていく。それしか、強くなる方法は無い。

頭を下げて、トトリ先生にお礼を言う。

ケイナが、少しフォローしてくれた。

「前は、小さな円の中にいるトトリ先生に手も足も出なかったんです。 凄い進歩ですよ、メルル」

「でも、錬金術師になって、もうそろそろ二年になるんだよ」

少しへこむ。

難民は数を増す一方。既に三万を超えている。一応、予定を遙かに上回るペースで、この分なら、「数だけなら」問題ない。

むしろ。他の国の支援を、もっともっと要求しても良いくらいだ。

「それよりも……」

アールズ王家の醜聞。

それに、砦の完成。

この二つが今は重要だ。

アールズ王家の醜聞は、予想外の速度で拡がっている。ルーフェスにも話をして、対策はして貰っているけれど。

それでも、まだ成果は出ていないのが実情だ。

「北東部の耕作地からは、援軍要請です。 やはり武装蜂起の動きが、露骨になって来たようでして」

今朝、ルーフェスに聞かされて、愕然とした。

そしてこのまま行くと。

前線で膠着していた戦線が、押し戻される結果になりかねない。もう少しで、モディスを抑えているスピアの主力に、痛打を浴びせられたというのに。

「もっとたくさんエメス達を造るしか無いのかな」

「でも、私、エメスちゃん達の優しい所、好きです。 彼らが戦わなければならないのは、悲しい事だと感じます」

「……そっか」

ケイナがそう言ってくれると。

エメス達の親であるメルルとしては、嬉しい。

あくまで真面目な力持ち。

エメスには、そうであって欲しい。

生きている縄をたくさん配布して、これが防犯にはかなり役立っているとは聞いている。少なくとも、既に数体のスピアの間諜を捕縛することに成功。彼らの動きを掣肘できてもいるそうだ。

敵の侵入を防げるのは大きい。

少なくとも今後、城に勝手に入り込まれるようなことは防げるだろう。

エメス達も。

労働だけではない。喧嘩の仲裁もしてくれている。

でも、彼らを戦わせるのは。

あまり気が進まないのだ。

親の勝手なエゴだろうか。

いや、そもそもエメスは、戦うために生まれてきたのでは無いのだ。戦えるようにするのはありかも知れないけれど。

戦うためだけの存在にはしたくなかった。

そもそもメルルは戦士だ。戦う事を否定しない。エメスを戦わせたくないのは、親だから、ではないだろう。

「もう少し仕事を進めておかないとね」

独りごちて、アトリエに戻る。

ハルト砦は、もうすぐ出来る。

そうなったら、働いているエメス達は割り振りだ。その中の出来るだけ多くを、北東部の耕作地に送るべきだろう。

そうすることで、少しでも喧嘩の仲裁を出来るようにして。

働いている荒くれ難民達を。

押さえ込まなければならない。

メルルに出来る事は。確実に増えてきている。それならばしなければならない。ドラゴン沼地の王との不可侵条約締結で、味方の戦力も、前より柔軟に動けるようになってきたのだ。

それに、力仕事が出来る存在としても、エメス達は貴重だ。

幾らいても、足りると言う事はないだろう。

働く。

無心に。

勿論、途中で休みはいれる。ケイナが時々、絶妙のタイミングで、メルルに休憩を促してくれる。

働きながら、思う。

メルルが少しでも多く働く事で。

それだけ多くの人が救われるのなら。

もっと作業の効率を上げて。

更に、周囲の状況を改善出来るのでは無いかと。

働いていると。近づいてくる気配に気付く。顔を上げると、城のメイドだ。普段、彼女がアトリエに来ることは無い。

「どうしたの?」

「急いで来るようにと、ルーフェス様が」

「! 分かった」

ルーフェス自身が来ていないということは、其処までの緊急事態では無いということだ。それだけは確信できる。

問題は、何か起きた、という事。

そして、メルル自身に、出来る事がある、という事だ。

アニーちゃんはケイナに任せる。

ロロナちゃんが丁度アトリエにいるので、大丈夫だろう。アニーちゃんは最近はメルルと一緒に鍛錬もしたりするようになって来て。しかし、相変わらず熱を出す比率は変わらない。

前に言っていたとおり。体が頑強になっても。その分病気を抱え込む体質に造られたから、なのだろう。

城門へ走る。

街の人達に挨拶されて、その度に返しながら。

ふと気付く。

何か妙だ。

足を止める。

周囲の空気が、完全に変わったのは、次の瞬間だった。

飛来したダークを、とっさに戦槍杖ではじき返す。最近は護身用に、絶対に手放さないようにしているのだ。

ダークを投擲したのは。

目の焦点が合っていない。先ほどのメイド。

まずい。

彼女は、ベテランの戦士。今のメルルよりも、格上の実力者だ。催眠で洗脳されていたと見て良いだろう。

しかも、地理を知り尽くしているから。

人気が無い地点での奇襲を、完璧に成功させるべく。完全なタイミングで仕掛けてきたことになる。

ナイフを両手に持つと。

メイドが低い態勢から突貫してきた。

メルルは下がりつつ、戦槍杖を旋回させる。その穂先が、廃屋を擦った瞬間、加速。空気を切り裂くようにして、メイドを襲う。

だが、斬ったのは残像のみ。

上空に舞い上がったメイドが、十本以上のダークを、即座に投擲してくる。

数本、防ぎきれない。

致命傷は避けるけれど。

飛び下がりながら距離を取ろうとして、失敗。

至近。

ナイフを、切り上げてくるメイド。

だけれども。

石突きで、ナイフを受け止めて、一撃を弾く。

そして体を反旋回させて、腰当て。パワーは、ほぼ互角。弾きあう。しかし、スピードは、相手が格上。

一瞬隙を作れても。

逃れるヒマなんてくれない。

「姫様、ご覚悟を」

「いやだよ。 それに、貴方だって見捨てない!」

「死ね」

返答は、あまりにも短い。そして確実な殺意。

突貫してくるメイド。

残像を造りながら、左右にステップして、見る間に距離を詰めてきた。まずい。ナイフ数本を喰らって、まだ抜けてもいない。

その上、確実に急所を刺しに来るだろう。

ならば。

むしろ、前に飛び出す。

そして、相手がナイフを繰り出すタイミングをずらさせ。

胸に突き刺さった瞬間、刃を掴んで。

心臓に到達するのを防ぐ。

勢いよく血が噴き出すけれど。

気にしないで、刃をへし折る。

次の瞬間、強烈な膝蹴りを叩き込まれて、吹っ飛ぶ。戦いでは、勝てる訳が無い。だけれども、殺されるのは避けた。

だから、勝負には勝った。

「姫様!」

メイドが振り返ると同時に、数名の兵士達が、彼女を取り押さえる。

間に合ったか。

流石に奇襲に最適な地点を選ぶとしても。戦っていれば、辺境戦士だったら気がつく。そして彼らだって、このメイドに劣らないベテランなのだ。

すぐに傷薬を出す。

メルルが造ったヒーリングサルブも、最近は即効性が強くなってきていて。塗ると、少しの傷ならすぐに消える。

体力を回復させるために、薄くしたネクタルを口にして。

嘆息。

どうにか、一息つけたか。ナイフも引き抜いて、処置。痛いけれど、この程度なら平気。毒も塗られてはいなかった。

恐らくは、用意できなかったのだろう。

この間トトリ先生が、城にいる関係者の洗い出しをした。だからこのメイドは、その後に洗脳されたことになる。

詳しくはルーフェスとトトリ先生に調べて貰うとして。

まず、やらなければならないことは。

共振器とやらの設置について。

今、一番危険な北東部の耕作地を、最初の設置地点にする予定だった。だが、これを変えなければならない。

アールズ王都を、最初にして貰わなければ。

この様子では。

今度は身内が、父上を暗殺しにきかねない。

生きている縄は散々仕掛けたのに。

どうやって洗脳したのか。

しかも、ベテランの域に入るメイドをである。

城の内部に敵が侵入したのでは無いのだろう。外に出た隙を突いたのは間違いない。悔しいけれど、簡単に敵の尻尾は掴めない。

一度、アトリエに戻る。

敵が、手応えが無い向こう側から、不意に襲ってくる。それが、じわじわと効いて来ている感触だ。

このままでは。

消耗戦に、突入しかねない。

敵は何処にいる。

まったくそれが分からない状況。いつしか、アールズの兵士達や。勇敢な辺境戦士達でさえ。このままでは、疑心暗鬼の虜になってしまうだろう。

ケイナはアトリエに戻ると、真っ先にメルルの所に駆け寄ってきた。

「襲撃されたと聞きました! 大丈夫ですか、メルル」

「へっちゃらだよ。 胸刺されたけど、心臓に刺さる前に受け止めたし」

「もう、無茶苦茶です」

「大丈夫だって」

傷ももう残っていない。

それよりも、皆の疑心暗鬼の方が心配だ。

もう少しで、ハルト砦が、完成する。それについては、心配はしていない。

しかし。

メルルは、それ以上に大事なものが。

このままでは国内で失われる。そう確信していた。

 

3、武装蜂起

 

トトリ先生が、ついに共振器を完成させる。そして、ルーフェスの進言もあってか。まずは試作機を、北東の耕作地では無くて。アールズ王都に仕掛けた。

やはり噴水のような形をしたそれは。

複雑な機械がたくさん組み合わさった形状をしていて。

トトリ先生が、一角にきざまれた文字列に触れると。発光。噴水の、水を出す部分に似た形状を持つ一部が回転を開始。

一瞬だけ、きいんと。

鋭い金属音がした。

メルルも、起動に立ち会う。

周囲で、声が上がった。数人、倒れた者が出たらしい。やはり、まだ洗脳されたものが、いたと言う事だ。

「すぐに倒れた者を搬送してください」

トトリ先生が、お城の方に歩きながら言う。

きっと、トトリ先生なら。

悪いようにはしないだろう。

周囲を見てまわる。一番最辺で倒れた人は、城壁の外にいたそうだ。それも、かなり離れた場所に。

つまり、アールズ王都どころか。その近くにも、洗脳された戦士は、近づけなくなった、という事である。

さすがはトトリ先生だ。

だけれども。

メルルだって、いずれは追いついてみせる。今は難しすぎて何ともならないけれど。同じものを、コピーする事なら、きっとできるはずだ。

登城すると。

洗脳を受けていた戦士達が、既に意識を回復していた。

ここ数日のことを、覚えていないという。

地下牢に入っていたメイドにも会いに行く。

彼女も、メルルを刺したことを、まったく覚えていなかった。

「私が姫様を刺した!?  ご冗談を!」

真っ青になって、彼女は叫ぶ。

そして、気付く。牢に入れられていて。周囲の視線が、それが本当だと、告げている事を。

見る間に泣きそうになる彼女。

だけれど。メルルは、怒ってなどいない。

彼女がどれほどよく今まで仕えてくれたかなんて、メルルが一番良く知っていることなのだ。

「大丈夫。 しっかり洗脳が解けたって分かったら、牢屋から出してあげる」

「わ、私、私、なんて、ことを……」

「気にしないで。 貴方のせいじゃない」

勿論、父上にも取りなしに行くつもりだ。

許せないのは、彼女じゃ無い。

スピアの鬼畜達だ。

謁見の間、つまり父上の所に行くと。トトリ先生が、勲章を貰っていた。ルーフェスが、出来るだけ急いで、他の人々がいる地点にも、共振器を仕掛けて欲しいと依頼。トトリ先生は、二つ返事で引き受けていた。

だけれど、あの複雑な機械だ。

恐らくインゴットの加工をハゲルさんに頼んだりして、或いはパメラさんの所で頑張って貰うとして。部品を量産しても、かなり時間が掛かるだろう。

アールズ王都の手駒が全滅したことを、すぐにスピアも気付くはず。

対抗はしてくるはずだ。

相手は案山子じゃ無い。

こっちの策が、何もかも素通りするわけもないのだ。

「これで、アールズ王都では、もう複数人同時で歩き回らなくても大丈夫そうだね」

「陛下!」

いきなり、謁見の間に飛び込んできた伝令。

皆の注目が集まる中。

もう一人、伝令が飛び込んでくる。

「順番に報告せよ」

「ははっ、それでは。 兵士の一人、家に潜伏していたスピアの間諜を、全員捕縛しました。 今捕らえた間諜を、此処に連れてくる所です」

「あの男が!?」

父上も驚く。

名を挙げられた兵士は、忠勇で知られた男で。アールズでも上位に食い込んでくる戦士なのだ。

無理もないだろう。

つまり、彼の住居を根城に、スピアの間諜は活動していた、という事だ。

爪を噛みたくなる。

彼ほどの戦士が洗脳されてかくまっていたのだとすれば。

それは短時間で、洗脳される人間が複数出るわけである。

メルルのスケジュールが割れていたのも、無理はない。

だけれども。

父上が襲撃された後、当然彼も洗脳解除を受けているはずだ。つまりその後に、洗脳されたことになる。

これは由々しき事態だ。

もう一人の伝令が、続いての報告を受ける。

「北東部耕作地で、ついに武装蜂起が発生しました! カーレイという男を旗頭に、二千人以上が参加しています! 複数名が爆弾を体にくくりつけており、自爆も怖れない様子です」

「ついに来たか」

父上が立ち上がる。

そして、数名の兵士に声を掛けた。

「一緒に来るように。 トトリ殿、すまぬが突貫工事で、北部の耕作地用の共振器を作成してくれるか」

「一週間ほどはかかりますが」

「それでかまわない。 報酬は倍出す。 短縮できるようなら、どんな手を使ってもいい」

「分かりました」

トトリ先生が、残像を造ってかき消える。

最大速度でアトリエに戻った、という事だ。

「父上、私も」

「お前はトトリ殿を手伝い、共振器の完成を急げ」

「すぐにも」

なるほど、確かにその方が効率が良くなるはずだ。

後は、ルーフェスが請け負う。

父上が手練れ数名を連れて、北部の耕作地に向かうと同時に、メルルもアトリエに戻る。先手を取られた。口惜しいけれど。

そして、何となく気付く。

敵は恐らく。

時間を稼ぐ。それだけのために。

メルルを襲わせたのだ。

大事な手駒が消耗することなんて、何とも思っていない。メルルが襲われた、それもアールズ王都の中で、である以上。

切り札になる共振器は、アールズ王都を最優先に設置せざるを得ない。

今回はメルルで済んだけれど。

二度目の父上襲撃があったら。

次に発生する危機は、前の比ではない。

切り札になる道具を造っていることを察知していたら、メルルだってそうしていただろう。

敵は教本通りに動いている。

それが故に。

食い止める方法が無い。

悔しいけれど、陰謀戦では、敵の方が何枚も上手だ。

父上も言っていたように、ほぼ間違いなく、北部の耕作地での反乱にも、スピアが関わっていると見て良い。

共振器を設置して。

その後反乱勢力を黙らせれば、一気に敵の攻勢をそげると見て良いだろう。

いや、まて。

本当にそうか。

国内で、反乱が起きて、一番手に終えない場所。

それは一番難民がたくさんいる、南部の耕作地では無いのか。彼処には、既に一万五千を超える難民がいる。

もし全員が一斉蜂起でもしたら。

背筋が凍りそうになる。

最悪の予想が、現実になるかも知れない。此方が共振器の設置を始めたと知ったら。

敵は、絶対に躊躇なく、動くだろう。

まずい。

一旦お城にとんぼ返りすると、ルーフェスに今の事を伝える。ルーフェスは慌ただしい中、頷いてくれた。

「なるほど、戦略的見地から考えれば、あり得ることです」

「対策を」

「分かりました。 厳しい状態ですが、何とかします」

「お願いね」

再び、アトリエに飛んで戻る。

既にアトリエでは。

トトリ先生が、共振器の準備を始めていた。メルルが手伝うと言うと。少しだけ考えた後。トトリ先生は言う。

「それなら、まずはハルト砦の仕上げを、全力でお願い」

「しかし、良いんですか」

「一番私が懸念しているのは、ハルト砦の方なんだよ。 勿論向こうは国家軍事力級を含めた複数の手練れがいるけれど、それでも敵が攻勢を掛けてきた瞬間に、洗脳された戦士達が牙を剥いたらどうなると思う?」

「考えたくもありません」

額を、軽く人差し指で突かれる。

びっくりしたメルルに、笑顔のままトトリ先生は続けた。

「それを考えるのが、メルルちゃんのお仕事なんだよ」

「……」

「まずは、ハルト砦を完璧にしよう。 それから、私のお仕事を手伝って。 合計で、最低でもあと五つ。 共振器を造らなければならないからね」

「はいっ!」

頬を叩く。

メルルにするべき事は、今別にある。

工程表を確認。

もう少しで、メルルの作業は終わる。ハルト砦も、そろそろ仕上がる寸前まで行っているのだ。

此処からは、徹夜が続く。

ケイナにそれを告げて。

ホムさんとホムくんにも言う。

そうすると、ホムさんが、眉をひそめた。

「マスターが若い頃、連続した徹夜をしたときに、親友の皆さんが無理矢理眠らせたことがありました。 同じような処置を執りましょうか」

「そう、だね。 あまりにも無理が過ぎると判断したらお願い」

「分かりました」

ロロナちゃんはというと。

外に出かけていって、それっきり。

多分、スピアの間諜を潰しに行ったのだ。それはそれで、必要な作業である。やってもらわないと困る。

メルルも、作業を進める。

石材が終わっていたのはラッキーだった。

後は、頼まれている雑作業を、片っ端から処理していく。ケイナが行程表の終了部分を把握して、潰して行ってくれるのが地味に助かる。

ここからが地獄だ。

自分に言い聞かせ。

メルルは、調合を続けた。

 

翌日、ライアスが来る。

手を動かしたまま、メルルは話を聞く。

今は、正直な話。

手を止める時間も惜しいのだ。

「北東部の耕作地帯、反乱勢力とのにらみ合いが続いているらしいぞ」

「どんな様子?」

「何だか、相手が無茶苦茶な要求を突きつけてきているらしい。 アールズを俺たちによこせ、アーランドの連中を追い出せってな」

「はあ!?」

そんな事になれば。

一瞬でスピアの軍勢がなだれ込んでくる。

この国の民は皆殺し。

勿論難民達だって、同じ運命をたどるだろう。

それさえ分からない阿呆が、反乱勢力を率いているのか。

議論の余地は無い気がする。

「父上は?」

「粘り強く状況を説明して、降伏を促しているそうだ」

「父上、優しいな……」

「そうだな。 俺だったら、その要求聞いた瞬間にキレてるぜ」

ライアスは、それだけ報告すると戻った。

トトリ先生が、組み立てを続けながら、ぼそりと言う。

「なんで私が、スピアの間諜の脳を集めていたか、教えておこうかな」

「はい、是非」

「この共振器を完成させるためだよ。 組み込んでいる中に、一なる五人からの伝達をはじめとする、複数の波長を阻害する「波」があるの。 例の間諜をかくまっていた兵士の家から、間諜達が見つかって、あっさり捕まったのも。 それが理由だよ」

「なるほど……」

無意味に首をもいでいたわけでは無いだろうと思っていたけれど。

そう言う理由があった訳か。

行程の最後の一つが完成。

ケイナに、フィリーさんを呼んできて貰う。すぐに来たフィリーさんは、目録をチェック。

護衛らしいホムンクルスと一緒に、特急便でハルト砦に、物資を運んで行ってくれた。

これでメルルが関与した分の物資は完了。

すぐにルーフェスの所に行く。

案の定ルーフェスは、徹夜をしているようだ。

火が出る寸前の速度で羽根ペンを動かしながら、書類を作成して。側に控えているメイド達に渡している。

顔も上げずに、ルーフェスは言う。

「姫様、無礼を承知で失礼します」

「気にしないで」

「用事をお願いいたします」

「ハルト砦の物資納入、終わったよ」

それは良かったと、手を止めないまま、ルーフェスが言う。後は、物資をルーフェスが手配してくれるそうだ。

ただし、一つ問題が起きていると言う。

「砦に使う部品類が、南部の耕作地から届いていない様子です。 向こうでも混乱が起きているようでして」

「分かった、ひとっ走り行ってくる」

「お願いいたします」

城を飛び出すと、ライアスに声を掛ける。ザガルトスさんと、シェリさんを呼んできて欲しいと。

アトリエに戻ると、ケイナにも声を掛けた。

2111さんと2319さんを呼んできて欲しいと。

アニーちゃんは。

トトリ先生を見ると。凄まじい動きで共振器を組み上げながら、答えてくれる。

「いいよ、私がみておくから」

「お願いします」

「完成には、予定通り一週間かかるからね」

「……お願いします」

トトリ先生は、錬金術の権威だ。この大陸最強、とまでいかなくても、である。

である以上、その言葉は動かないだろう。

メルルにやる事を、今するだけだ。

南門に集合。

全員が揃っていた。ケイナもライアスも、急いで動いてくれたのだ。メルルも、最低限の物資だけ積んだ荷車を引いてきた。

「行くよ!」

頷くと、南門を飛び出す。

今は、手が足りないこの国のために。

メルルが出来る事を、一つでも多く、するだけだ。

街道を急ぐ。

この間、襲撃があったばかり。シェリさんは、いつも以上に警戒を強くしてくれている。

リス族が、森の中を巡回しているのが見えた。

この間は、彼らの増援に助けられた。

走りながら、手を振る。

リス族も、振り返してきた。

「姫様、彼ら、頼りになりますね」

「紛争を解決できて良かったよ」

「ええ……」

数年前までは。

リス族とも、対立していた。

それを考えると、本当にトトリ先生の到来は、この国にとって転機だったのだ。トトリ先生が来なければ。

今でもアールズは亜人種達と争いを続け。

そして、ひとたまりも無く、スピアに喰われてしまっただろう。

今、まがりなりにも、スピアとやり合えているのは。

アーランドの助力があるからなのだ。

耕作地に到着。

悪魔族の戦士が、メルルが来たのを見て、すぐにバイラスさんを呼びに行ってくれる。耕作地は、騒然としていた。

騒ぎが起きている。

難民の一部が、わいわいと騒いでいるのだ。

「何事!?」

「おう、メルル姫」

駆け寄ってきたバイラスさん。

巨体なだけに、走ってくると大迫力だ。

「どうしたの?」

「それが、不意に徒党を組んで、労働を拒否してな。 今主張を聞いているのだが、どうにも要領をえん」

「物資が届いていないのも、そのせい?」

「ああ、すまない。 ホムンクルスやエメス達さえ手が足りない状況でな」

バイラスさんに責任は無い。

既に魔術による結界は構築完了しているという話だから。前から潜んでいた、洗脳された連中が暴れていると見て良いだろう。

「私が交渉します」

「メルル!?」

「大丈夫。 話を聞くだけだから」

不安そうにするケイナ。

バイラスさんは、腕組みしたまま、無理をしないようにと言ってくれた。頷くと、メルルは前に出る。

騒いでいる難民達。

その中には、メルルを見ると。

明らかに怯む者もいた。

メルルが救った者は、少なくない。

お薬も、メルルがかなり造っていることを、彼らは知らないはずも無いのだ。

ここに来て、人間らしい生活が出来るようになったと、感謝している人もいた。

彼らの中には。

争乱の空気に流されていても。

メルルの事を、無視はできない人も多いのだろう。

「メルル姫だ……」

「あの噂、本当なのかよ。 今の王が、妹に手出して出来た子供だって」

「それは分からないけど、俺あの姫様の薬で、死なずに済んだんだ。 俺の女房と子供達もだ。 エメスだって、見かけは少し気持ち悪いけど、優しいし力仕事代わりにしてくれるし……」

「俺、姫には逆らいたくないよ。 今の環境、充分にいいしなあ」

話が聞こえてくる。

メルルの事は、さほど嫌われていないらしい。それだけは、僥倖だ。此処で言う僥倖というのは。

交渉がしやすくなる、ということだ。

この間の、沼地の王との交渉で学んだ。

利害は、感情を上回る。

勿論逆のケースもあるだろう。

今回の場合は後者。判断は、この間の経験もあって、すぐに出来るようになっていた。

「アールズの王女、メルルリンスです。 代表者、話を聞かせてください」

「帰れ!」

いきなり鋭い声。

しかし、その時だ。

周囲から、反発が起きた。

「巫山戯るな! 俺たちによくしてくれたメルル姫に、失礼なこと言ってんじゃねえ!」

「て、てめえ、この国のイヌに成り下がる気か! 強制収容所に入れられてるも同じだって……」

「家もあるし、労働も適切、メシだってある! 病気だって治してくれるし、娯楽まで準備してくれてる! これの何処が強制収容所だ! 風邪を引いたときは、労働を免除もしてくれるし、医師までいるんだぞ! モンスターだって対処してくれるし、危ない目にもあわない! 治安まで確保された此処は、故郷と同じか、それ以上に良いだろうが!」

「難民キャンプの時のことを忘れたか! メルル姫がどれだけ俺たちを物理的な意味で救ってくれたか、分かってるのか!?」

あれ。

これは意外に、交渉するまでもないかも知れない。

エメス達が飛び出す。

喧嘩をしようとした数人を、手際よく取り押さえたのだ。

ほほえみを顔面に文字通り貼り付けているエメス達は。声を荒げるでもなく。彼らに言い聞かせる。

「乱暴はいけません」

「危害を加えたくありません。 大人しくしてください」

「ち、畜生っ!」

騒ぎが、沈静化していく。

やはり、煽っていたのは数人か。

咳払いすると。メルルは、バイラスさんに言う。

「多分ですけれど、騒ぎを起こしているのは数名だけです。 後でお城で、直接話を聞きます。 調べて捕縛をしてください」

「分かった。 それだけでいいのだな」

「乱暴は、くれぐれもしないようにお願いします」

「……そうか。 甘いとは、この光景を見ていると、とても言えぬな」

メルルが手を叩くと。

群衆が、静かになる。

明らかに動揺しているのが数人。争乱を煽っている連中だろう。

「今回の騒乱に参加したことを、私は咎めません。 騒乱を主導した人々は、少しばかり尋問しますが。 拷問はしないと約束します」

「……」

武器、といっても農具だが。

それを地面に置く者が出始めると。

誰が言い出すまでも無く、自然に皆がそれに従い始めた。多分おかしな空気に流されただけだったのだ。

まずは、一段落か。

てきぱきとホムンクルス達が動く。おかしな動きをしていた数人を、その場で取り押さえて、連れていく。

騒ぎに参加していた難民の一人が、メルルに謝る。

「すまない。 空気に流されて。 あんたにどれだけ助けて貰ったか、数え切れないほどなのに」

「困ったときはお互い様です。 それに群衆の空気に流されない人の方が珍しいくらいですし、気にしてはいません。 出来れば次は貴方たちが、私を助けてください」

「……ありがとう」

深々と頭を下げられる。

メルルとしても。

それには、悪い気分はしなかった。

何より、此処は強制収容所じゃないことを、難民達自身が告げてくれたのだ。そうならないように、ずっと注意し続けていたけれど。認めてくれたことが分かって、本当に嬉しかった。

すぐに物資を、前線に届けて貰う。

これで、ハルト砦の方は解決だ。

メルルは皆と一緒に、アールズ王都に戻る。ケイナがその途中。側を走りながら、言ってくれる。

「積み重ねが、効いてきましたね」

「だといいんだけれどね」

あの程度で、スピアが引き下がるとは思えない。考えられないほど狡猾に動いている間諜達だ。

次はどんな手に出てくるか。

油断は、一切出来なかった。

 

4、暗雲の砦

 

ミミが言われたまま、アールズ王都北部の耕作地に急行。

到着すると。デジエ王が、自ら迎えに来てくれた。

跪いて、儀礼的な挨拶をする。

社交辞令を終えると、すぐに向こうは、楽にしてくれて良いと言ってくれた。頷いて、立ち上がる。

前に何度か顔を合わせたが、線が細そうな外見と裏腹に、かなりの武闘派だ。そして礼儀正しく。ミミにも敬意を払ってくれる。

王として有能かは分からないが。

王族が持つべき自覚はしっかり備えていて。

それを誇りにしている。

国民が慕うのも当然と言える、立派な王様だ。もっとも、有能な宰相が、実質的には国政を取り仕切っているようだが。

「いつもメルルが世話になっている」

「いえ、此方こそ。 護衛に参りました」

「心強い。 貴殿ほどの使い手がいれば、滅多な相手には遅れなど取らないだろう」

デジエ王も、まだまだかなり強いのだ。

そんな事を言うのを聞くと、少し謙遜してしまう。

何より、実際は護衛では無い。

状況の観察と。場合によっては、デジエ王の腹を探るのも目的となる。

こういうダーティワークは嫌いだけれど。

若手の双璧と呼ばれているジーノが、この手の作業を極端に苦手としているので。ミミがやらざるを得ないのである。

耕作地では。

一部に反乱者達が集まって、ぎゃあぎゃあと声を上げていた。人相が悪い者達が非常に目立つ。

彼らの要求が滅茶苦茶だと言う事は、事前にミミも聞かされている。

「制圧は簡単ですが……」

「いや、もう少し話してみるつもりだ」

デジエ王が行くと。

難民達から、ヤジが飛ぶ。

「出たな、淫乱野郎!」

「妹の味はどうだった、この下衆!」

「……!」

聞いているミミの方が、思わず熱くなりそうだ。

平然としているデジエ王は、大した人物である。

ミミ同様、デジエ王の部下達も、頭に来ている様子だ。下手をすると、全面衝突になるだろう。

そうなれば、此方が確実に勝てるが。

難民達との関係は、決定的に破断する。それこそが、スピアの狙いと言う事がわかっている以上。

迂闊な動きは出来ない。

「代表者、前に。 話を聞こう」

「うるせえ、話なんか決まってる! 俺たちにこの国を明け渡して、アーランドの連中を追っ払え! それだけだ!」

「それで君達は生きていけるのかな」

「スピアの軍隊なんか、この数なら一ひねりなんだよ!」

どっと笑う連中。

ミミは唖然とする。

おかしい。

此奴らも、難民として、スピアのモンスター達に追い回されてきたはずだ。その恐ろしさは、骨身に染みているはず。

ましてや、辺境に来てからは。

生息しているモンスター達の凄まじい強さを目にしている筈で。こんな強気な発言、出てくるはずも無い。

デジエ王が指を鳴らすと。

兵士達が引っ張ってくるのは。ウォルフだ。唸り声を上げている。

群衆が、露骨に動揺した。

思い出したのだろう。モンスターの恐怖を。

強さを。

国によっては、難民キャンプにモンスターが乱入することもあったと聞いている。難民の態度が悪い場合、扱いに匙を投げて。そう言うことも起きたそうだ。それに、彼方此方を移動中。スピア以外でも、モンスターの襲撃は、どうしても受けたはず。

そして思い知らされたはずだ。

絶望的な、力の差を。

「ならばこれを倒してみたまえ。 このウォルフは、辺境でも最下位にいるモンスターの一種だ」

「おい、巫山戯るなよ」

「此奴に勝てないようでは、スピアの軍勢を撃退するなど到底不可能だ。 しかも、単独で勝てる程度で無ければな。 スピアの軍勢は、君達より遙かに多いのだぞ」

兵士が、縄のつけたウォルフを連れて行く。

引っ張られていたウォルフだが。

露骨に弱いエサがたくさんいるのを見て、不意に静かになる。そして、一瞬置くと。

凄まじい勢いで、飛びかかった。

悲鳴を上げて、後ずさる群衆。

ぴんと、縄が張って。

彼らの寸前で、ウォルフが、竿立ちになる。兵士が、片手で、ウォルフがつながれた縄を抑えていた。

「どうした。 一ひねりなのだろう」

「巫山戯るなっ!」

喚いた一人。

無謀にも、農具でウォルフに殴りかかる。

だが。

農具に噛みついたウォルフが、一瞬でそれをかみ砕いてしまうのを見て。腰を抜かして、這いながら逃げ出す。

そしてデジエ王は。

暴れているウォルフに近づくと、手刀を一発。速い。今のミミが見ても、見事な一撃だと思う。戦士として引退していると聞くが、この人は充分以上に、現役をやれる実力を維持している。

当然の結果だが。

白目を剥いて、ウォルフは即死した。

一言ずつ。

かみ砕くようにして、デジエ王は、黙り込んでいる群衆に告げる。

「さて、先ほどの言葉、もう一度言えるかな。 スピアの軍勢は、この、君達が束になっても殺すどころではなかったウォルフより強いモンスターが、無数に集まっていると考えるべき相手だぞ」

「……」

「頭を冷やすといいだろう。 しばらくしたら、また来る」

デジエ王と一緒に歩きながら、話す。

どうして制圧しないのかと。

首を横に振るデジエ王。

「彼らは愚かだが、操られているだけの部分も多い。 トトリ殿が共振器を作成して持ってくるまで、一週間と少し。 激発が起きないよう、時間さえ稼げば良い」

「しかし、彼らは貴方を」

「侮辱など気にしないさ。 そも、妹に手を出すわけが無かろう。 だがな。 ……妹を、ソフラを死なせたのは、私だ」

息を呑む。

其処には、厳然とした拒絶があった。

細かい経緯は話してはくれないだろう。

だが。

この人が、言い返さない理由が分かった。

強い罪悪感を、未だに抱えているのだろう。そしてそれは。他人には、どうしようもできないことだ。

「すまないが、聞き苦しい罵声に耐えて貰う事になる。 君のような偉大な戦士にそのような事しか出来ない連中と接するのは苦痛だろうが、耐えて欲しい」

「いえ、慣れていますから」

「そうか……」

デジエ王は色々と事情を察したのか、寂しげに笑った。

ミミだって。

幼い頃は、散々辛酸を舐めてきた。

アーランドでは、戦士の基準は強さ。どんなに優しくても、強くなければ評価はされない。

母が何ら実態の無い爵位だけを誇りにして。

ミミが、それを引き継いだのも。

戦士の楽園とも言えるアーランドの、厳然として存在している闇が原因だ。

その日は。

もう以降は、難民達は大人しくしていた。だが油断など出来るはずもない。またいつ暴れ出すか。

悪魔族達が、侵入を察知するための魔術による結界を張り。

メルル姫が造った生きている縄が、彼方此方に防犯用として仕掛けられているようだけれども。

それでも、侵入を防ぎきれるわけでは無いだろう。

ミミだってレオンハルトの恐ろしさは知っている。そのスキルとノウハウを敵が受け継いでいるのだ。

どれだけ備えても。

備え過ぎでは無いだろう。

緊張の中、夜が過ぎ。

翌日。

代わりに雷鳴が来る。砦の指揮は、別のハイランカーに引き継いだらしい。逆に言えば。ジオ王が、この耕作地での騒ぎを、余程重視している、という事だ。戦士として実力があると言うよりも、人望厚く統率に向いている雷鳴を廻してきた位なのだから。

状況の引き継ぎをすると、雷鳴は眉をひそめた。

「そうか。 あの誠実そうなデジエ王が、妙な噂を立てられると思ったら」

「後はお願いいたします」

「うむ……」

そのまま、ミミはハルト砦にとんぼ返り。

雷鳴から連絡を受けたのだが。

ついに完成したのだ。

落成式には、ミミに立ち会って欲しいと言うことなので。そうする。

要するに、式典などの経験を積め、という事らしい。雷鳴は元々、アーランドでも古株中の古株だ。

デジエ王は此処から動けないし、代わりにメルル姫が来る。

彼女を帰路護衛しろ。

それが、命令だった。実際、少し前も。ミミ達が側を離れた瞬間、メルル姫が襲われるという事態が発生している。有能な錬金術師として育ち続けているメルル姫を失うのは、被害として大きすぎる。

ハルト砦へ急ぐ。

完成と行っても、もう九割五分は出来ていたのだ。

改めて見ても、それほど変わる事はない。

内部を信頼が出来る職人に造らせたり。或いは、そもそも機密という観点でこれ以上が無いエメス達に造らせたり。

後は、外部の壊れても構わない備えに着手させたり。

そういった部分が、終わっただけだ。

行く途中、モンスターとの遭遇は無し。

街道は、リス族が各地に配置され、森を守るようになってから、飛躍的に安全になった。既に護衛の戦士がいらないと判断されている街道さえある。

ましてや、ミミに好きこのんで仕掛けてくる奴なんて、そうはいないだろう。

それに、敵の間諜の主力は消失したと聞いている。

もし仕掛けてくるとしたら。

それは、洗脳された戦士くらいの筈だ。

それならば、余計に、砦で襲われる可能性は低いだろう。人口密度が高すぎて、取り押さえられる可能性が高いからだ。

砦に到着。

彼方此方に、見張りが立っている。

ミミが身分証を見せて、奥に。

メルル姫を探すと、いた。

いつもかなり高級な服を着ているが。今日は恐らく儀礼用のものなのだろう。更に見栄えが良い絹服だ。

国宝かも知れない。

歩み寄ると、気さくな姫は、花が咲くような笑みを浮かべる。

普段は脳天気でがさつな部分もあるけれど。

こういう表情も出来るのだ。

「ミミさん、お疲れ様です」

「何か危険は無かった?」

「平気です。 そろそろ式典が始まりますから、見て行ってください」

「ええ」

メルル姫は、ジオ王と一緒に、式典の壇上に。周囲には、クーデリアをはじめとする、精鋭中の精鋭。

更に悪魔族が展開した防爆の結界。

足下でロロナが全力の砲撃でもぶっ放さない限り、貫くのは不可能だろう。つまり暗殺の可能性は零だ。

全盛期のレオンハルトがいても、匙を投げる。

そんな警備態勢だ。

「これより、ハルト砦の新生式典を執り行う」

司会はメルル姫だ。

まあ、この国の王族なのだから、当然だろう。口調も普段と違って、厳かだ。

見ると、式典には。

リザードマン族まで出席している。

流石にこの間条約を結んだばかりの沼地の王は、参加していないようだが。

「皆の力によって、この勇壮なる砦を建造することが出来た事を誇りに思う。 古くは不幸な歴史の連鎖によって血塗られたこの砦だが。 今後は邪悪の権化たるスピアの軍を防ぐための拠点として、未来のために活用していきたい所存だ」

拍手が起きる。

祝砲が打ち鳴らされ。

何人かは、びくりと身を竦ませた。

リザードマン族達も、メルル姫は悪く思っていない様子だ。他の人間はあまりいい目で見ていなかったが。

拍手は惜しんでいない。

その後、酒が配られる。

ミミの所に、リザードマン族の族長が来た。黒い鱗は、非常に威圧的で。とにかく強そうである。

「一献いかがか、アーランドの強き戦士」

「いただきましょう」

「うむ……」

口に含むと、かなり度の強い酒だ。

味からして、見当がつく。

魚の酒だ。

アーランドが交易しているホウワイの特産。トトリがレシピを開発した、魚の旨みを凝縮し、臭みを抜いた不思議なお酒。

今では珍味として、各地で飲まれている。

レシピも改良され、これは強烈に蒸留された、強めのものだ。

「不思議な味だ。 魚かこれは。 旨みが凝縮されていて、何とも言えぬ美味よ」

「私の親友、錬金術師トトリがレシピを開発したものです」

「おう。 錬金術師とは、優れた存在だな。 それが故に、一なる五人とやらの悪行が憎くてならぬ」

「必ずや諸悪の根元である奴らを討ち取りましょう」

頷きあうと、酒杯を空にする。

族長はこの酒がたいそう気に入ったようなので。ミミからプレゼントとして手配することを約束。

これでもハイランカーだ。

それくらいの事は出来る。

族長は嬉しそうに礼を言うと、更に一杯を、くっと飲み干した。

少し体が温まった所で、メルル姫のそばに。

ケイナもライアスも、心配してか。

周囲を徹底的に警戒していた。

ミミが来ると、二人とも、少しだけ気を緩めたようだ。その外側で見張りをしている2111と2319は、相変わらず仏頂面だが。

「帰りは護衛するわ」

「お願いします、ミミさん。 お酒、飲んだんですか」

「つきあいで少しね。 でも気持ちが良い酒だったわ」

「? 適当な所で切り上げましょう」

メルル姫は、時間がどれだけあっても足りない身だ。今も、スピアの洗脳を解除する道具を量産しているトトリの手伝いでてんてこ舞いだと言うではないか。

事情はジオ王も知っている。

だから、ミミに早めに護衛して帰らせろと、告げてくる位なのだ。

メルル姫が、普段の動きやすい服に替えてきて。

すぐに帰ることにする。

ジオ王も事情を知っているからか。帰るように促しているくらいだ。帰る事自体には、何ら問題も無い。

帰路を急ぐ。

周囲を警戒するミミ。

他の皆も、同じようにしていた。

「あまり暴徒化した難民達、状況が良くないようね」

「急いで共振器を開発して、催眠解除をしないと危ないと思います」

「そうね……」

ミミから見ても。

この国における難民の扱いは理想的だ。

食事もあり、労働も適切。医療も確保され、娯楽や家まで。

戦士階級とは切り離されているが。

少なくとも子供が餓死することも。

凶悪なモンスターに襲われることだって無い。

先進的な文明を持っていた、北部の列強の暮らしと比べると、それは違うかも知れないけれど。

だからといって。

最大限の事をしてくれているアールズを恨むのは筋違いだ。

アールズ王都北東の耕作地にいる連中はどうしようもないとしても。他の難民は、どうにかならないのか。

地雷原が周囲に幾らでも埋まっている。

今は、そういう状況だ。

それに、メルル姫も理解しているはず。特にアールズ王都北東にある耕作地の連中は。催眠解除でも、大人しくなるか分からない。

正真正銘の愚民。暴力だけもてあましている連中。

言葉は厳しくなるが、今の時点では、そうとしか評価できない。メルル姫は、彼奴らのような野獣でも鼻白む連中に、どう対応するのだろう。

「ミミさん」

不意に、ケイナが声を掛けてくる。

珍しい。

滅多に、自分から話をしてくることは無いのに。

「ヒマを見て、稽古をつけてくれませんか。 私だけでは無くて、ライアスにも」

「……そうね」

そろそろ、良いだろう。

シェリを見ると、頷いてくる。

つまり、それだけの実力がついてきた、という事だ。

「基礎能力の上げ方は分かってきたようだし、後はスキルを磨き抜くだけね。 基礎的な歩法についてはシェリに教わったことを反復していくだけで充分。 後は戦闘スキルについて、私が見ていけばいいわ」

「俺も少し手伝おう」

ぼそりと、ザガルトスがいう。

ミミとしても、願ったりだ。

この男はベテランとして恥ずかしくない力の持ち主。丁度今の三人には、適切なレベルの師匠だろう。

アールズに到着。

すぐにアトリエに入ると、作業に取りかかる。

トトリはミミに気付いてにこりとほほえんだけれど。会話をする余裕は無い。手すきのケイナとライアスに、アトリエの外に出て貰う。

実践形式が良いだろう。

まず二人の型を見て。

それから、技を一つずつ見せてもらう。

ミミはそれから、順番に、指摘をして。そして自分で動いて見せて、見本とする。

後は、繰り返し。

実戦が一番良いのだけれど。

基礎が無い応用は、ちょっとしたことで簡単に崩れるものだ。

後で、余裕を見て、メルル姫の訓練も見よう。

ハルト砦が完成。

後方のドラゴンが黙らされた。

戦略的見れば。まだまだ不利だけれど。不安要素は、一つずつ消滅して行っている。今ならば、或いは。

メルル姫が、そろそろ一皮むけるのに、丁度良い時期なのかも知れない。

 

(続)