後方の目
序、軌道に乗る工事
一部の壁には、屋根ができはじめた。戦士達は皆、それを喜んでいた。流石に天幕での暮らしが年単位で続くのは、ぞっとしない。それが理由だろう。
屋根ができると同時に、風呂も造られ始める。
水は湧水の杯があるからどうにかなる。前線には何かと水が入り用なので、幾つか確保してあるのだ。
クーデリア自身も、たまに烏の行水で、アールズ王都にある銭湯を利用していたのだけれど。
これからは、砦で済ませることが出来そうだ。
何より風呂は疲労回復に抜群の効果がある。
期待してもいいだろう。
鉱山で力仕事をしていた、退役ホムンクルスが二名、前線に戻ってくる。メルル姫が造った、例の生きている人形のおかげだ。力仕事だけなら、ホムンクルス並みに働ける。それが現在、十機、鉱山で働いている。つまり護衛のホムンクルス達だけを考えれば良くなったので、手がすいたのだ。
前線に戦力を集めろ。
口を酸っぱくして言ってくるジオ王の事を考えると。
これは有り難い。
クーデリアとしても、戦力が増えるのは、嬉しい事だ。
急ピッチで進む基礎工事。
既に準備されている石材が並べられ、地面を強固にするべく、うち込まれていく。何度か踏んでみたが、足場としては充分だ。
勿論国家軍事力級戦士が全力でぶっ壊そうとしたらどうにもならないけれど。それは他の砦でも同じ事。
メルル姫は、よくやってくれている。
この基礎は、充分。
更に、後方では人手不足も、順次解決してくれている。退役ホムンクルスばかりではなくて。
後方で力仕事を手伝うことになり、不満を抱えていた戦士も、複数が前線に来ている。彼らは一様に喜んでいた。
メルル姫の評判は良い。
特に、生きている人形が難民を身を挺して救ったとかで。
今までは馬鹿にする声もあったのだが。
それが一転して、高評価につながりつつあるようだった。
前線から戻ってきたジオ王が、鼻を鳴らす。
好意的な意味で、である。
「かなり出来てきたな」
「此処にも、生きている人形を複数投入する予定です」
「うむ……」
現在、三十機を生産した生きている人形だが。
予想外に有用だと言う事がわかったので、更に増やすことが決定。現在も、前線に五機を配備する予定だ。
名前は単なる数字のホムンクルスと微妙に違い。
どうやら、エメスという名前に、番号を割り振っているらしい。
起動ワードの一種らしいのだけれど。
なにやら古代では別の意味もあった様子で。
それにこだわりがあるのだろう。
ジオ王と、砦の中を歩いて回る。
「うむ、天井が出来てきたのはありがたいな。 支柱もしっかりしているし、なかなかに頑強な砦ではないか」
「元の砦の設計図に、修正を加えているようです」
「どのような理由であろうとかまわんさ。 頑強であればよい。 この辺りは、武器と同じだな」
「御意……」
此奴の場合。
武器だけでは無く、人だって同じように考えているはずだ。そうでなければ、ロロナをあんな目に遭わせるはずがない。
情が全く無い、というわけではないだろう。だが、計算が、情を常に上回る、というだけだ。
そしてその考えが。
クーデリアの比翼を奪った。
殺意が湧く。
だが我慢だ。
まだ今のクーデリアでは、此奴には勝てない。齢六十にしてなお、この大陸、いや恐らくは世界にて最強。
化け物の中の化け物。
今は、此奴を倒すために、牙を研ぐ時だ。
満足した様子でジオ王が前線に戻っていくのを見届けると、手を叩く。来たのは34である。
ホムンクルスの中でも手練れである彼女は。
最近、クーデリアの指示で、独自に動いていた。
「様子は?」
「良くないですね。 かなり数が増えています」
「トトリに狩らせているのだけれどね……」
「内偵もしていますが、きりがありません」
呻くようにいう34。
無理もない。
スピアの間諜の入り込み方が、尋常ではない。難民に混じって潜り込んだり、前線を抜けたり。手段は色々だが、とにかく数が多すぎるのだ。
幸い、戦闘力という点では、大した使い手はいないのだけれど。
恐らくは、レオンハルトのノウハウを生かしているのだろう。
洗脳や扇動、催眠や変装。
あらゆる搦め手を使って、攪乱工作を繰り返している。
毎日数人はトトリが殺しているのだけれど。今アールズだけで、恐らく八十人超の間諜がいる。
その中で、純粋にスピアが送り込んできたのは七割ほど。
残りはほぼ間違いなく、洗脳されたか、或いはマインドコントロールされた普通の人間達だ。
だからこそ、タチが悪い。
内偵で洗い出しはしているし。摘発も進めているのだけれど。
それでもなお。
敵が増える方が、早い。
アーランドでスピアと戦っていたときのことを思い出す。レオンハルトが健在だった頃も大変だったが。
今も、戦略的な意味では、著しく不利である事に変化は無い。
レオンハルトは。
死んでもなお、クーデリアの前に立ちはだかってくる。
彼奴の分身と最初に戦った時のことを思い出すと、憂鬱になる。危うくロロナを死なせるところだった。
頭を振る。
昔も今も。
クーデリアは、あまりにもロロナの事を、守れていない。
これは、現在進行形で、だ。
世界最強に後何年かで手が届く所まで鍛え上げた今でも、である。
この世は地獄。
それはわかりきっているのに。どうして、今も悲しいのだろう。
「この砦の周辺は」
「現時点では、流石に入り込まれていません。 しかしメルル姫が進めている、難民の技術者をいれる計画が進んだ場合、どうなることか」
「そうね」
メルル姫は良い子だ。
今回の計画も、悪くは無い。実際、難民達は確実に、態度を軟化させてきている。一番面倒だと思われる連中の受け入れも始まっているけれど。それも、目だった事件にはなっていない。
だが、それはあくまで今までは、だ。
実際難民の中には、現実が見えておらず、アールズを乗っ取ろうと画策しているものもいるのだ。
当然メルル姫はそれを把握しているだろう。
だが既に、流入した難民は二万を超えていて。アールズの人間だけでは、対処できなくなってきている。
もしも、何かしらの理由で反乱が起き。
その時、敵の大攻勢があったら。
ぞっとする話だ。
「続けてスピアの間諜の狩り出しを続行」
「根本的な対策を打たないと、焼け石に水だと思われますが」
「その通りよ。 でも、その手を打ちようが無い」
状況を、メルル姫は頑張って改善している。
その努力はめざましい。
ロロナやトトリを思わせる活躍だ。流石に、世界レベルの変革をもたらしたロロナやトトリに比べると、まだまだ小粒だが。
それでも、この国を少しずつ、確実に改善している。
故に。
二人の悲劇を、メルル姫にまでは、引き継がせたくない。今度こそ、クーデリアが体を張ってでも。
悲劇の発生は、食い止めなければ。
34が行くと、ため息が零れる。
砦の建設は順調だ。
信頼出来る労働力が、もっとあれば。
なおも順調になる。
翌朝。前線で戦いがあったが。戦闘指揮をジオ王が引き継いでから、クーデリアの負担は減った。
勿論クーデリアも前線に出向いたが。
文字通り、一戦士としての活躍に終始できるので。色々と、気苦労も小さいのである。何より、エスティも来ているのが大きい。
リザードマン族と協力して、数カ所で攻勢を実施。
更に敵の前線を押し下げる。
もうすぐ、モディス城を奪還する所を視野に入れられる。ただし、敵の数は増強され続けていて、前線で確認できるだけで五万を超えているが。更に後方には、倍以上が控えていてもおかしくない。
敵の回復力はほぼ無限。
それに対して味方は。
いつまでも、物量には対抗しきれない。
それが分かっているから。明らかに数だけの兵を、一なる五人は幾らでも繰り出してくるのだろう。
戦闘が一段落。
規模が小さいと言うこともあって、今日は幸い死者は出なかった。負傷者を後送。この負傷者に対する医療設備も、砦ができはじめているため、野ざらしでは無くなっているのが嬉しい。
伝令が来たので、報告を受ける。
ジオ王は、敵を追撃中。
今日だけでも、後千体は斬りたいとうそぶいていたが。実施するつもりだろう。つきあわされるエスティも大変だ。
「西大陸からの報告です」
「! 話してくれるかしら」
「はい。 西大陸では、苦戦の末、ギゼラが敵の生産施設を一つ陥落させました」
「……朗報ね」
下がるように、ホムンクルスの伝令に指示。
頷くと、彼女は無言で砦に戻っていった。
一なる五人の、兵士の畑と化している西大陸だが。派遣した数隻のプラティーン装甲艦と精鋭は、ひどい苦戦の中、どうにか頑張ってくれている。
向こうで必死の抵抗を続けている人間達と、ギゼラは連携して。非戦闘員を此方に逃がし。そして自身は敵をたたき続けているが。
ついに大きな成果が出たか。
だが、一なる五人は余裕を崩しているようには見えない。やはり、首魁を叩かない限り、この戦いは終わらない。
昼少し前に、ジオ王が前線から戻ってくる。
報告はしておく。
今、対立するわけにはいかないからだ。
話を聞いていたジオ王は、腕組みして。
そして、小首をかしげる。
「妙だな」
「何か気になる点がございますか」
「うむ。 東大陸とは状況が違う。 如何にギゼラとはいえど、よくも陥落を許したものだと思ってな」
「非常な苦戦の末です。 おかしな事だとは思いませんが」
戦闘経験で言うと、ジオ王はクーデリアとは比較にならない。戦略的な判断でも、異なる結論が出ることが多い。
気になるというなら。
楽観はせずにいた方が良いだろう。
「それよりもだ。 敵にあの高速で空を飛ぶモンスターが現れた。 前線への浸透を一旦停止する」
「前線に出てきましたか」
「ああ。 これから先は、再び持久戦だ」
音よりも速く飛ぶ、スピアにとっての最高戦力。
そうか、ついに前線に出てきたか。そうなると、しばらくは押して押して敵をたたくと言うわけにも行かなくなる。
ピアニャが造った対空兵器が届くまでは、しばらくは前線を下げた方が良いだろう。一旦は平穏が来ると見て良い。
ふと、嫌な予感がする。
タイミングが合いすぎるのだ。
モンスターの生産施設の陥落と。敵の切り札投入。
ジオ王には撃破の実績があるが。それでも、容易な相手では無かったことが分かっている。
ましてや、敵が大量に、間諜を送り込んでいる今だ。
何が起きても不思議では無い。
砦に戻ると、腹心達を集める。
ホムンクルスの手練れ数名。ジーノを含むハイランカー数名達は。クーデリアがわざわざ呼び出したのを見て、すぐにただ事では無いと悟ったようだった。
「これからしばらく、前線は膠着するわ。 貴方たちはトトリに協力して、敵の狩り出しに全力で対応して」
「はっ!」
敬礼すると、皆散る。
さて、此処からだ。
敵に先手を取らせたくは無い。どう出るか、見極めなければならない。
1、後方の懸念
メルルは早朝からルーフェスに叩き起こされた。勿論アトリエでの話である。ルーフェスがこんな時間にわざわざアトリエに来るのは、それこそ尋常なことでは無い。事情を聞いて、納得もした。緊急事態だ。
すぐに着替えて、登城する。
現場では、騒ぎになっていた。
父上の寝所に、暗殺者が忍び込もうとしたらしい。それも一人や二人ではない。
寝所に直接忍び込んだ一人は、父上が返り討ちにした。
他はその途中で、血まみれになって、彼方此方で点々と倒れていた。いずれも同じ顔をしていて、スピアのホムンクルスである事は間違いなかった。
ちなみに父上が殺した一人以外を返り討ちにしたのは、トトリ先生である。他の警備が駆けつけたときには、既に戦闘は終了していたそうだ。
特に城の屋上には。
十体以上の暗殺者が、原形を残さない肉塊になって、散らばっていた。
どれも首をもぎ取られている。或いは、首をねじ切られていた。体の方はばらばらでも、恐らく脳が必要なのだろう。
顔を潰しても、後頭部は無事に残している辺り。トトリ先生らしい、熟練戦士の仕業だと分かる。
それにしても血の臭いが凄まじい。
淡々とトトリ先生は、千切った首を荷車に集めていた。メイドや兵士達は、それを黙々と手伝っている。
皆、アールズの民だ。
噂に聞くと、難民の中には、血を見るだけで気絶するような環境に生活していたものまでいるようだが。
常に戦に曝されている辺境の民だ。
その程度、どうでもない。
ただ、動揺はしている様子だ。
まさか王城にまで侵入を許すというのは、信じがたい事態だった。
父上の所に行く。
寝所では、父上が斬った敵の血が、壁から床に掛けて、ぶちまけられていた。不機嫌そうな顔をした母上の肖像画にも、血は掛かってしまっている。
複雑な気分だ。
亡くなる前まで、母上はずっと父上を罵っていた。父上だけではなくメルルも、である。
夫婦の仲の悪さは有名だったが。
父上は特に母上を咎めたりもしなかったし。
亡くなったときは、国葬もした。
それ以降、再婚もしていない。
壁に掛かっている肖像画だって。もし父上が母上を嫌っていたのなら。とうに外していただろう。
「メルルか。 お前は大丈夫か」
「はい。 父上こそ」
「何、この程度の輩に遅れを取るほど、まだもうろくしてはいないさ」
眼鏡を掛け直しながら、線が細い様子の父上は、静かにほほえむ。
この人は、昔相当な実力を誇る戦士だったのだ。今でも衰えたとは言え、メルルでも倒せる程度のホムンクルスなら、苦戦はしないだろう。
トトリ先生が来る。
錬金術師の正装には大量の返り血。手は腑分け場にでもいたように、血に染まったままだ。
「失礼します」
「トトリ殿か。 獅子奮迅の活躍、頼もしかったぞ。 兵士達が殆ど手を出すまでも無かった」
「あの程度は余技ですよ。 それよりも、内通者がいますね」
「ああ。 兵士達の警備をかいくぐったのが証拠だ。 だが、私は、忠勇な兵士達を疑いたくはない」
トトリ先生は笑顔のまま。
冷然と、事実を指摘する。
父上も、それを認めた。
感情論では無く。客観的に、そう判断するのが、この状況では当たり前だ。メルルだって、同じ判断をする。
「恐らくは、裏切りの自覚は本人には無いでしょうね。 洗脳された結果だと思います」
「……そうか」
「悪いようにはしません。 兵士達を一人ずつ、私の所に。 私の師匠が開発した催眠装置がありますので、それを使います」
本来それは、いない動物がいるようにみせる、遊興用の道具だそうだ。
だが、今では。
催眠を上手に掛けて。
相手から情報を引き出すための、尋問用の道具となっている。メルルも見せてもらったが、面白い仕組みだ。
棒を二つ立て、片方の根元にゼンマイつきの機械。ゼンマイを撒くと、棒が廻りながら、巻かれているゼッテルを巻き取っていく。
狭い部屋の中では、アロマになった幻覚剤が充満し。
ゼッテルに書かれた絵を見つめていると。
その内、其処に書かれた動物が、生きているように見えて。そしてゼッテルから飛び出してくるように錯覚するのだ。
本来は、幻覚剤は、後遺症が残らない、非常に弱いものを使うそうで。あくまで導入として用いるのだとか。
だが今回は。
遊興用のものではなくて、尋問用のものだ。
飛び出してくるのは動物などでは無い。
深層意識に訴えかける、複雑な術式である。
一人ずつ、トトリ先生が呼び出して、尋問を行う。実に効率的な作業で、四半刻も作業には掛からない。
その合間にトトリ先生は手を洗い。
ホムさんが持ってきた、新しいお服に着替え終えていた。
十人ほど、尋問が終わった後。
ついに、一人目の黒が出る。
城に長年使えていたメイドだ。
彼女も昔は戦士で。近接戦闘に関しては芽が出なかったけれど、それを補ってあまりある卓越した魔術の腕前もあって、城では重宝されていた。
忠誠心も高く、夫も父上に紹介されている。家庭だって円満だ。
それが裏切るはずがない。
つまり、何処かで悪意を植え込まれたのである。一体何処で。それが、トトリ先生の、尋問の焦点となった。
メルルより倍も年上のメイドは。
尋問室の外の壁際で、声を聞いているメルルに気付いてもいないだろう。
抑揚の無い声で。
情報を、垂れ流していた。
「四日ほど前……城から帰るときに。 酒場の近くで、おかしな男に出会いました。 目が光っていて、そして言われました……」
言われた内容は意味不明だったけれど。
四半刻ほど聞かされた言葉は。
強烈な催眠効果を持っていた様子だ。
魔術を応用しているのか、あるいは。
単純な、精神操作技術かも知れない。そのおかしな男の風体について、メイドはしっかり覚えていた。
しかも、である。
その男。
煉瓦職人として、町外れで暮らしている男は、すぐに捕らえられて、連れてこられたけれど。
彼もが、同じようにして、催眠を受けて、洗脳されていたことが分かったのだ。
ため息が零れる。
最悪だ。
メルルにも、それは分かる。
古い昔話に。バンパイアと呼ばれる化け物がいる。血を好む化け物なのだけれど。これに血を吸われると。同じくバンパイアになってしまうのだ。
現実には生息していない化け物で、モンスターに類例の存在はいないのだけれど。
その昔話のバンパイアを思わせる事態だ。
伝染していく敵の間諜。
勿論、伝染の過程は、誰かしらがコントロールしているのだろう。複数人を経由して、情報を引き出すには、それだけ念入りな準備が必要だ。
しかし。それにしても。
これは、動揺がとても広がるはずだ。
事態が分かった頃には。父上は謁見の間で、玉座につき。
その隣で、メルルは状況を見ているだけで良かった。
平伏している、「犯人」二人。
父上は、トトリ先生に、依頼。
「トトリ殿、この催眠の感染を防ぐ方法を、一刻も早く開発していただけるか」
「分かりました。 すぐに着手します」
一礼すると、トトリ先生はアトリエに戻る。
そして平伏している二人に対して。父上は言い渡した。
「そなた達には何の罪も無い。 しかしながら、体面というものがある。 暗殺者を手引きするきっかけを作ったのだ。 分かっておるな」
「はい」
「うむ。 それでは、一週間、地下牢に入るように。 それ以上の責任を問うこともないだろう」
二人が、礼をすると。
兵士に促されるまでもなく、自主的に地下牢に向かった。
メルルも、納得だ。
死刑だとか言い出したら、絶対に止めたけれど。責任のない二人に死を強要しても意味がない。
悪い連中は、既に死んだ。
ただし、黒幕が死んだとは、とても思えない。
そいつにはいずれ、どうにかして罰を与えたい。その罰は、死以外にはあり得ないだろう。
メルルに出来るかは分からない。
だが、絶対にやらなければならないことだった。出来るだけ、メルルも実現に力を尽くしたい。
「分かっていると思うが、箝口令を敷く。 事実は広言しないように。 では、この件は解決とする」
父上が立ち上がり、そういうと。
皆で敬礼して、解散。
どうにか、これ以上の死者は出ずに済んだか。
ケイナはアトリエにロロナちゃんと残っている。守りは充分すぎるほどで、アニーちゃんの危険もない。アトリエの方は問題ないだろう。
城の廊下や壁の彼方此方には、飛び散った血や、ぶちまけられた臓物がまだ残っている。これを片付けるメイド達は大変だ。
メルルも手伝おうかと思ったけれど。
メイド達の長が、咳払いした。
「姫様、これは我等の落ち度でもあります。 せめて、この片付けは、我等が」
「そう。 それなら、よろしくね」
「はい。 姫様も、お忙しい中すみません」
既に頭に白いものが混じり始めているメイド長に言われると、メルルも引き下がらざるをえない。
彼女は責務に誇りを持っているし。
今回の件に、責任も感じている。
ただ、現実問題として。
警備を増強するだけでは限界がある。
アトリエに戻りながら、メルルは考える。そして、決めた。
生きている道具類を。
警備に活用する。
城に夕刻出向く。
ルーフェスは幸いすぐに面会が出来たので、話をする。持ち込んだのは、生きている縄だ。
この件は、ルーフェスにしか話さない。
「まず、警備が薄くなりがちの場所に、これを仕掛けるよ」
「自動で動く、意思を持つ縄とはそれのことですね」
「うん。 ちょっと試運転してみせるね」
縄を地面に垂らした後、幾つかの指示。
蛇のように動く縄を見て、流石にルーフェスも驚いたようだった。
「これは、手妻のようだ。 信じがたい……」
「文字通り、生きているからね」
「姫様の作る物です。 疑いはしていませんでしたが、目の当たりにすると凄まじい」
感心してくれるルーフェス。
後は、幾つか。
敵の侵入が疑われる場所をピックアップ。順番に、仕掛けていくことにする。十本ほどの縄を仕掛けた後。
ルーフェスは言う。
「これを量産できますか?」
「生きている縄だったら簡単だけれど、どうして」
「耕作地や鉱山、それに農場、新しく造る耕作地。 それに、砦。 それらに仕掛けると、警備の兵士の負担を減らせるはずです」
「! そういえば……」
盲点だった。
例えば、見張りをする戦士は幾らでもいる。だけれども、どうしても目を離さなければならないタイミングは存在する。
その時、自動で侵入者に反応する縄があったら。
侵入者の死角に仕掛けてあったら。
確かに、省力化が出来るし。
省力化をしないにしても、警備態勢を更に強化出来る。
警備に使う事は考えていた。
ただ、そこまで大々的に使う事は正直考えていなかった。
頭があまり良くないことを、こういうときに痛感してしまう。
「同じようにして、案山子か何かにしか見えない、生きている人形も作る事が出来ませんか?」
「犯罪者が来た時だけ動いて反応する、みたいなやつ?」
「それもそうなのですが、難民の間でトラブルが起きたとき、どうしても警備の手を煩わせることになります。 恐らく、敵が間諜を送り込んできている場合。 アクションを起こすときには、その手を確実に用いるかと」
「……そうだね」
確かにそうだ。
ならば、メルルとしても、吝かでは無い。
パメラさんの所に頼めば、生きている縄を増やすことも出来る筈。いのちまでコピーできるとは思えないから、それだけはメルルがやらなければならない。
幸い、古戦場は。
幾らでもその辺にある。
生きている縄を造るために必須となる悪霊なら、集め放題だ。
「分かった、すぐに動くよ」
「お願いいたします」
まず、砦に持ち込んだ生きている縄を仕掛ける。これで、万全とまではいかないだろうけれども。
警備の死角をつかれることはなくなるはずだ。実際、メルルとルーフェスしか、仕掛けたことは知らないのだから。
ちなみにルーフェスはある程度魔術も使える。
執務室にはしっかり周囲からの防音の魔術が仕込んであるので、これが他人に聞かれる事はない。
もしも、生きている縄の警戒網をくぐって敵が侵入したとなれば。
それは、ルーフェスが犯人と言う事だ。
そしてルーフェスがどれだけ強い忠誠心を持っているか、メルルは良く知っている。苦手であっても、それを疑うことはない。
作業が全て終わったのは夜中。
肩を叩きながら、アトリエに戻る。ライアスがつきあって残ってくれていた。アトリエまで送るという。
「大丈夫だっての」
「陛下が殺され掛けたんだぞ」
「まあ、そうだけれど」
「兄貴に言われたんだよ。 出来るだけ、一人になるタイミングは造るなってな。 トトリさんが尋問して、幾つか分かってきたらしいんだがな。 どうも一人でいるタイミングで催眠を掛けられると、防ぎようがないらしいんだ」
なるほど、確かにそれは考えられる。
いずれにしても。
スピアの間諜は、少しばかりやり過ぎた。
今度こそ先手を打ち。
敵の動揺を誘って、殲滅しなければならないだろう。
翌朝から。
すぐに、メルルは生きている縄の量産に取りかかった。勿論、インゴットの作成と、生きている人形の増産も忘れない。
近いうちに。
砦も、現物を見に行きたいところだった。
ケイナが、生きている縄を量産しているメルルを見て、どんびき。
生きている縄達は、とぐろを巻いたり、辺りでするする動き回っている。完全に蛇そのものだ。
アニーちゃんがおもしろがって縄を掴んで見せると、ケイナが悲鳴を上げて部屋に引っ込む。
蛇は平気なのに。
普段、ダラダラしているのを怒られている腹いせか。アニーちゃんは、くしししと、悪ガキっぽい笑みを浮かべていた。
まあ、戯れている分にはどうでもいい。
ただの縄を造った後、パメラさんの所に持ち込む。生きている縄は、ある程度自由自在に作れるようになった。品質も安定しているし、トトリ先生に聞いた安全確認チェックも全てクリアできる。
ベース部分さえパメラさんのところで量産さえしてもらえれば、後はメルルの手で加工するだけだ。
更に、縄製品を作っている職人の所にも行く。
此処では、特別に強い縄を注文する。
アールズで、縄職人は一人しかいない。それだけ、需要が少ない、という事だ。ただし、あまり裕福とも言えない。
腕はいい人なので。
今回は、頼らせて貰う。
流石に、五百本という注文を聞いて、縄職人は唖然としたが。
勿論すぐに納品しろ、と言うわけでは無い。
それに、報酬金は、それなりに準備する。
国家は相応に潤っているのだ。縄五百本程度の出費なんて、それこそ何でもない。
「月あたり、どれくらい作れそう?」
「そうですね、月単位で良いのなら、百本ほど……」
「それなら、十本出来る度に、アトリエまで納品しに来て。 お願いね」
「分かりました」
小首をかしげる縄職人だけれど。
腕は信頼出来る人物だ。こういうとき、小さい国は便利。メルルだって、国民の全員を把握しているのだから。
アトリエに戻る。
ざっと行程を確認。
生きている人形は、既に耕作地、鉱山へは配置が完了。どちらも十人ずつ。エメス22までを送り出してある。
更に農場に五人。スタートアップして、周辺環境を整えている、北東の耕作地にも五人を送る。
これで三十人。
更に、砦でも欲しいと言ってきている。
此方は二十人は欲しいそうだ。
力仕事をさせるだけでは無い。
休まない警備の兵士としても活用できるし。
何より、忠勇な所が評価されているらしい。
それに、何となく分かる。
本音では、間諜が紛れ込んでいる危険性が大きい難民を、前線の労働力としては使いたくないのだろう。
トトリ先生には、洗脳を防ぐ手段を早めに開発して欲しいのだけれど。
それまでは、メルルが頑張るしかない。
幾ら手慣れてきたとはいっても、生きている人形二十人となると。部品の大半をホムくんとホムさんに作ってもらったとしても、かなりの時間が掛かる。
幸い、インゴットの生産と、それによる生きている大砲の生産は、ほぼ完了している。それだけが救いか。
アトリエに戻ると、ため息一つ。
問題は山積みだ。
この間から、ドラゴンが動きを活性化させていることもある。沼地の方の防備も、増やさなければならないかも知れない。
此方を、先に片付けるべきだろうか。
しばし考えた後。
メルルは、調合が一段落したところで。
トトリ先生の部屋の、戸を叩いた。
トトリ先生の部屋では、ロロナちゃんがベッドで眠っていた。寝顔は大変に愛らしいけれど。
中身は、子供じゃない。
分かっていても可愛いのが、悔しいところだ。
「どうしたの、メルルちゃん」
「はい。 色々な種族と交渉して、同盟を締結する原動力になったトトリ先生に聞きたいことがあります」
「なあに?」
「ドラゴンと交渉は、出来ますか?」
これが、結論だ。
耕作地の南西。
まだ残っている沼地の中の深林地帯に住まうドラゴンと、強力なモンスター達。その中でも、ボス格のドラゴンは、アールズの潜在的脅威だ。
しかし、逆に言えば。
このドラゴンさえ大人しくなれば。
備えている戦力を、かなり抑えることが出来るようになる。
トトリ先生は少し考え込んだ後に答えてくれた。
「彼処に住んでいるドラゴンは、少し前に接触したのだけれど、人間をとても憎んでいるよ」
「やっぱり……」
「ん、多分メルルちゃんの想像とは違う意味でかな」
トトリ先生は、座るように促して。
言われたまま、ベッドに腰掛ける。
順番に、論理的に、トトリ先生は続ける。
「今、仕事の片手間に、ドラゴンのことも調べているのだけれど。 元々あのドラゴンは、今の砦がある辺りに巣を作っていたらしいの」
「え?」
初耳だ。
元々モンスターが多いアールズである。ドラゴンがどこに住んでいても不思議では無いのは分かっているけれど。
まさか、砦の辺りが元の根城だったとは。
ということは。
アールズが、彼の住処を奪ったのか。彼女かも知れないが。
「二百年と少し前に、アールズの当時の王様が、あのドラゴンを追い払って、ハルト砦の基礎を造ったらしいよ。 最もその後すぐにリザードマン族に奪われたり色々あって、今のハルト砦の原型が出来たのは、かなり最近らしいけれど」
「そうだったんですか……」
「ふふ、歴史はあまり勉強していないんだね」
「ごめんなさい」
確かに、歴史の勉強はさぼっていた。
そして、こんな所で、それがボディーブローのように効いてくるなんて。猛省したいところだ。
二百年。
人にとっては十世代だけれど。
ドラゴンにとっては、それこそつい最近の事かも知れない。同じ時間の感覚で、相手を測ってはならない。
そういえば、ドラゴンが恨めしそうに耕作地の方を見ていたという報告もある。
納得できる話だ。今の話が、全て真実だとすれば。
「ドラゴンと戦って、勝てるでしょうか」
「勝てるよ。 私とロロナ先生がいけば。 多分森ごと消し飛ばす事も難しくないと思うな」
「……」
確かにそれは簡単そうだけれど。
しかし。
今メルルは。
ドラゴンを、戦力として使えないか考えている。交渉は、してみたいのだ。実際、あのドラゴンが、敵では無いにしても中立勢力になったら。状況はまるでと言って良いレベルで代わってくる。
少なくとも、スピアの間諜にだけ備えれば良くなる。
これは大きな違いだ。
そして専門家のトトリ先生がアドバイスをしてくれるなら。それも実施できる気がするのだ。
ただし、トトリ先生とロロナちゃんは、今とても忙しい。
「トトリ先生とロロナちゃんを除くとして。 あのドラゴンに勝てる戦力は、どれくらいでしょう」
「そうだね、最低でもミミちゃんとジーノ君は連れて行って。 二人がかりなら、どうにかなるかも知れないよ」
「……分かりました。 手配します」
それに加えて、いつものメンバー全員。
それならば、交渉の場にはつけるはず。
戦力がある程度あるとないとでは、交渉が出来るか出来ないかが違ってくる。例えば、大半の人間は、蟻に交渉を持ち込まれたとして、イエスと言うだろうか。言うわけが無い。あくまで交渉には、相応の実力がいるし。その交渉を蹴る場合は、当然相応のリスクが生じる。
もしも交渉で不義理を働けば。
次からの交渉は、行われる可能性も減るし。相手が交渉でどんな手を使っても、文句を言う資格も無くなる。
とりあえず、まずはドラゴンと接する。
この過酷な環境。
改善するには。一つずつ解決していくしかない。そしてメルルには、それをする力が、備わりつつある。
ならば使うのは、当然のことだ。
すぐに手紙を書くと、ルーフェスの所に、ケイナに持っていって貰う。ミミさんとジーノさんのスケジュール調整をして貰うためである。二人ともアーランドのハイランカー。いきなりアポ無しで仕事に誘うことは、まず無理。
ケイナが使いをしてくれているその間も、メルルは調合三昧だ。
ドラゴンが相手になると、手札は何枚あっても足りない。
爆弾類に、身につける装備類。
錬金術で、作れるものは、いくらでもあるのだ。そして準備をしておいた方が、戦いでは勝つ確率も上がる。
戦闘に関しては。
やっと一人前として認められ始めたメルル。
この機に、後方の懸念は。
全て排除したい。自分に出来る範囲で。
2、赤竜の巣
ミミさんとジーノさんの都合がついたのは、メルルがドラゴンとの関係性をしっかり決めるべきだと判断した、一週間後。
それまでにメルルは四人の生きている人形を作って送り出し。
事前に、下調べをしておいた。
歴史の勉強を本当にさぼっていたのだと。そして、歴史の勉強をすることが、何処でどう役に立つのか分からないのだと。その時、思い知らされた。
アールズとドラゴンの関係は長い。歴史にかなりの影響を及ぼしている。言うまでも無いが、これは、負の歴史、という意味で、である。
確かにトトリ先生がいうように。
ドラゴンは古い時代、現在ハルト砦がある付近にずっと住んでいた。
その辺りは古くから戦略的な要地であり。アールズの民とドラゴンの諍いは絶えなかった。
その時代には面白い事に。
エントはまだ移動するモンスターでは無く。アールズの王都は、今よりも規模が大きかったそうだ。
何度かの諍いの結果。
当時の王は、ドラゴンの討伐を決意。
これは仕方が無い事だったかも知れない。実際、ドラゴンとの諍いで、死者が出ていた。人の理屈としては、ドラゴンを討伐するのが、当然であったのだから。
そして王自ら率いる手練れがドラゴンを討伐。
「全てを」殺すまでにはいたらなかった。
そう。
当時ドラゴンは、数頭まとまって、住んでいたのである。
ハルト砦周辺は、昔はドラゴン丘と呼ばれていた。つまり、ドラゴンの王国とも言える場所だったのだ。
戦いの結果は人間の勝利に終わり。その王国は終わりを告げた。
だが、何もかもが終わったわけではない。
ドラゴンの内生き延びた一頭だけが。当時からアールズが手を出せなかった、南西の湿地帯に逃げ込んだ。
以降は、手を出せない地域に陣取ったドラゴンは、アールズにとって潜在的な脅威となり。
現在まで、一種の怪談のようになって怖れられている。
交渉の内容について考える。
上から目線で話すのはダメだ。ドラゴンには、当然ドラゴンなりの理屈がある。彼にしてみれば、人との戦いはただ身を守っただけだ。勿論当時の人間を責めるわけにもいかない。
そうなると、利害関係だろう。
ドラゴンに対して、どんな利益があるのか。
利益が、感情を上回るように、話を進めて行けば良い。勿論感情がどうしても上回るようなら、戦うしかないけれど。
ベヒモスをはじめとする強力なモンスターが闊歩する魔の森だ。
ドラゴンに辿り着くまで、体力を温存しなければならないのは、やはり骨だろう。
ミミさんとジーノさんがいても、それに変わりは無い。
しばし考え込んだ後。
メルルは、トトリ先生に原稿を見せる。
当然駄目出しが返ってきたので、修正してまた見せて。何度かそれを繰り返す。
トトリ先生は。
今のメルルより年若い頃には、こういった交渉を何度も間近で見ていたという。これはトトリ先生に聞いたのでは無くて、ミミさんに聞いた事だ。第三者の言葉だから、信頼出来る。
路の神。
そう言われるだけの経歴を積んでいる本物のプロだ。だからこそ、その言葉には、大きな意味がある。
十度目の原稿で、やっと許可を貰う。
どちらにも玉虫色の結論というのは、難しい。
そしてトトリ先生は。
貸すだけだと言って、小型の機械を渡してくれた。
「これは?」
「通信装置だよ。 かなり貴重なものだけれど、貸してあげる」
トトリ先生の話によると、一日一度しか使えないそうなのだけれど。遠くの人間と、そのまま話す事が出来るという。
アドバイスはする。
ただし、いざという時まで、自分一人でやるように。
そう、トトリ先生は念押しした。
頭を下げる。
此処までお膳立てをしてくれたのだ。
何よりメルルは王族。
王族ではなくなるにしても、この地の顔役として、四年後以降も散々交渉ごとはしていかなければならない。
相手がドラゴンであっても、交渉するのは経験として役立つ。
むしろ、理屈が自分と違う相手と交渉するのは、当然のことだ。それくらいできて、やっと交渉の基礎が出来ると思うべきだろう。
準備が出来たところで、早めにベッドに潜り込む。
明日は、早い。
そして、交渉が上手く行く保証も無い以上。万全の態勢を整えなければならなかった。
早朝。
アールズ王都の南門に集合。
ケイナは耐久糧食をはじめとして、保ちが良い食糧を幾つも持ってきてくれた。アニーちゃんは置いていこうかと思ったのだけれど、トトリ先生とロロナちゃんは、早朝にはもういなかったので、連れていく他ない。
今回は長丁場になる可能性がある。
錬金術師不在の状態で、長時間アニーちゃんをメイドに預けておく訳にはいかないだろう。
今でもかなり熱を出すのだから。
ライアスは、ザガルトスさんと来る。
何でもザガルトスさんは、訓練所でかなり仕事をしているらしく。最近は、ライアスと訓練所にいる事が多いらしい。
このままアールズに移住して、お城に務めるのもありかも知れない。
ザガルトスさんは、そんな話をしていた。
元々ザガルトスさんは、故郷に家族もいないらしい。必要としてくれる場所で、腰を落ち着けるのも悪くないという事だった。
シェリさんは、ミミさんと一緒に来る。
どうやら同じ場所で仕事をしていた様子だ。
最初に来ていた2111さんと2319さんが、周囲を確認しているのは、ジーノさんが遅れているから。
二人とも、不機嫌そうにしている。
表情には、ほぼ出ていなかったが。
「大丈夫、ちゃんと来るよ」
「そうでしょうか」
「大丈夫よ。 遅刻は日常茶飯事だけれどね」
ミミさんが太鼓判を押すと、やっと2111さんは納得してくれた。
そういえば、彼女のハルバード。刃がプラティーン製になっている。最近鉱山から取り出した鉱石で、インゴットを量産しているのだけれど。その一部が大砲では無く、武具に転用されている。
つまり兵卒扱いの2111さん達にも、プラティーンの刃が行き渡るようになって来ている、という事だ。
鉱山の開発には苦労したけれど。
大きな成果が出ているのが、目に見えて分かるのは嬉しい。
半刻ほど予定から遅れて、やっとジーノさんが来る。
流石にいつもはヘラヘラしているジーノさんだけれど。開口一番に謝った。
「すまん、遅れた」
「何か急用でしたか?」
「実はちょっとな。 来る途中で、難民達がもめ事を起こしていてな」
ジーノさんはここしばらく、北東の耕作地の方に行っていたらしいのだけれど。やはり、かなり柄が悪い難民達が、問題を起こすことが多いと言う。
今まではメルルの所まで問題は上がってこなかったけれど。
ジーノさんが手間取るとなると。
一度視察した方が良いだろう。
「解決はしましたか?」
「ああ、何とかな。 武装蜂起なんて考えてる奴もいるみたいだし、結構面倒だぞ」
「鎮圧する場合、手間ですね」
2319さんがぼやく。
そう。
鎮圧は、難しくない。
問題は、人手が足りないことだ。
殺すだけなら幾らでも出来るだろう。だがそうなると、難民達とせっかく構築してきた信頼関係が、全部水の泡だ。
ようやく最近は、難民達にも、メルルに信頼を寄せてくれる人が現れてきたのだが。
それが台無しになったりしたら、言葉も無い。
「時間がもったいないわ」
「ん、そうですね。 出発します」
シェリさんが、アニーちゃんを肩車。
そのまま浮き上がると、周囲への警戒を開始。
父上が襲撃された直後だ。
この程度の警戒は当然だろう。
「周囲に敵影なし」
「移動開始します」
この後、南の耕作地で、ホムンクルス一個分隊と合流する。油断さえしなければ、ドラゴンの所まではたどり着けるはずだ。
後は、途中でのダメージを抑えて。
そして、ドラゴンとの対面にまで、どう持ち込むか。
第一段階の壁も、決して薄くも低くもない。
荷車を引いて歩きながら、ケイナに持ち込んだ物資を確認して貰う。爆弾類は問題なし。食糧も大丈夫。
お薬もある。
端の方に乗せているのは、南の耕作地に持ち込む薬品類だ。
医薬品でも、特定の疾患に効く薬が必要になったので。少し前に、参考書片手に作ったのである。
かなり複雑な過程を有するお薬だったけれど。
何とか出来た。
メルルの腕も上がっているのだと分かって嬉しい。だが、この程度で満足していてはダメだ。
現地の難民の中には、医療関係者もいる。
彼らも、最近は活躍して貰っていた。
耕作地に到着。
家屋がかなり増えている。規則的に建てられた家屋。怒号は聞こえない。働いている難民達は、しっかり規律を守っているようだった。
メルルに対する好意的な視線も多い。
現地の統括をしているバイラスさんが来る。彼も、怖い顔だけれど。それほど非好意的では無いと、メルルにも表情が読めるようになって来た。
「いつも迅速な対応すまないな、メルル姫」
「いいえ。 これが約束のお薬です」
「うむ……ありがとう」
すぐに引き渡しを住ませると、生きている人形達の様子を見る。
難民には出来ないレベルの力仕事をせっせとこなしている彼らは。難民達からも信頼されている様子だ。
命を賭けて、守った。
それが、喧伝された結果だろう。
「働き者で、実に助かっている。 真面目な上に、難民達の喧嘩も仲裁してくれる」
「え?」
「危険感値能力の故だろう。 喧嘩が始まると、即座に割り込んで、此方が来るまで対立を抑止してくれる。 随分と手間が減って有り難い事だ」
盲点だった。そんな事までしてくれているのか。
バイラスさんに、他に問題は無いか聞いて。幾つかをメモしていく。対応については、返ってから、ルーフェスに話す事になる。
紛れ込んでいる可能性が高い間諜についてだけれど。
腕組みして、バイラスさんは考え込んだ後。対策を一つしてくれるという。
元々耕作地周辺は強力な魔術で守られている。悪魔族の手によるものだ。
これに工夫を加えて、異常な魔術の発生を即時検知する仕組みをつけてくれるという。ただしかなりシステムが複雑なので、構築に一月以上は掛かるそうだ。
「それで多少は緩和できるだろう。 既に洗脳されてしまっている者は、どうにもならないが」
「いいえ、充分です」
「少しでも力になれれば嬉しい。 出来る事があったら、何でも言ってくれ」
礼をすると、合流した四名のホムンクルスとともに、耕作地を離れる。
さて。
ここからが、本番だ。
沼地に入り込むと。
周囲が、一気に殺気に満ちた。
泥の中に潜んでいるモンスター達が、此方を狙っているのだ。隙さえあれば、何時でも襲いかかってくるだろう。
ミミさんが前衛。ジーノさんが後衛につき。
周囲に警戒をする。
二人とも、既に私語は消えている。
メルルも、以降はハンドサインで会話する事を、周囲に告げていた。事実、きりきりするこの空気。
無駄に喋っている余裕は無い。
こんな所で大声で喋っているような阿呆は、辺境にはいない。
アニーちゃんさえ、普段の飄々とした態度と違って、黙り込んでいる。シェリさんも、心なしか少し高めを飛んでいた。
「前方、モンスター6。 警戒」
「迂回しましょう」
「了解」
ハンドサインで、ミミさんと会話。
かなりモンスターが多い。
だが、ハイランカーとして恥ずかしくない実力を持つミミさんが的確に場所を見抜いて、確実に進んでいく。
モンスター側も緊張しているのが分かる。
このくらいの実力者になってくると、むしろ楽だ。弱いモンスターと違って、実力差があれば仕掛けてこないだけの知能がある場合が多い。
勿論、単なる待ち伏せ型の捕食者もいる。
そういうモンスターには、近寄らない方が良いだろう。
沼地だから、進むのも一苦労。
だが、荷車を引くのは、どうしてだろう。
昔ほど苦では無かった。
それだけ、力がついてきているのだろう。
足下がしっかりしだす。
同時に。周囲に、草木が茂り始めた。
ずんと、殺気が押し掛かってくる。
これは、強烈だ。生唾を飲み込む。いつ、モンスターが仕掛けてきても、おかしくはないだろう。
陣形を保ったまま、進む。
ミミさんが、ハンドサイン。
ドラゴン。
此方に気付いたようだ。
ただし、向こうは現時点では、間合いを計っている状況だという。そうなると、まだ、大丈夫だろう。
胸に手を当てて、内心で呟く。
落ち着け。
何度も読み返した原稿を反芻。
前向きに。
そうすれば、路はきっと開けるはずだ。誰かの、思い出せない顔。言葉だけを、何度も繰り返して。そして、落ち着く。
深呼吸。
ひどい臭いだけれど、それでも落ち着く。
森は、思ったよりかなり広い。モンスターの密度も高い。
「止まって」
ミミさんが、手を横に出す。
全員が停止し、周囲を警戒。殺気が多すぎて、メルルにはどのモンスターがどれだけいるのかは、まだ分からない。
「きついぞこれ」
ジーノさんがハンドサインを送ってくる。
囲まれているようだった。
「周囲には、ベヒモス6体をはじめとして、かなりの強力なモンスターがいるわ」
ミミさんも返してくる。
ベヒモスが六体。
それは、一瞬でも気を抜けば、確実に死者が出る。しかし、どうにも敵の出足が鈍いのは。
やはり、アニーちゃんがいるから、だろう。
ゆっくり。
慎重に。
声を出さず。
ハンドサインで綿密に状況を確認しながら進む。
音は出来るだけ立てない。
何を刺激するか、分からないからだ。
囲んでいるモンスターも、しずしずと移動してきている。向こうから見ても、ミミさんとジーノさんを有している此方は、安易に仕掛けられない強敵、という事だ。二人がいなかったら、即座に仕掛けてきていただろう。
それに、此処のモンスター達。
やはりドラゴンを王としてまとまっているのだろう。
統率を感じる。
「近いわよ」
ミミさんのハンドサイン。
一度深呼吸すると。
メルルは、声を張り上げた。
「この地に住まうドラゴンよ! アールズの王族であるメルルリンスが、交渉をしに来ました! 姿を見せてください!」
いきなり声を出したので、ケイナやライアスも驚いたようだったけれど。
最初からこうするつもりだった。
周囲の殺気が更に濃くなる。
冷や汗ものだけれど。
しかし、今は、耐えるときだ。シェリさんが、不安そうに此方を見た。大丈夫なのかと、視線が告げている。
ほどなく。
唸り声のような音。
そして。
重苦しい人間の言葉で、此方に語りかけてくる。
「侵入者がよくも囀るものだ。 何を交渉しようというのか」
「まずは貴方の所に向かいたい! 兵卒を下げていただきますか」
「良かろう……ただし私を罠に掛けようと思うのなら無駄なことだ。 その程度の戦力に遅れを取る私では無い。 どのような手を用いようともな」
大した自信だ。
ミミさんが鼻を鳴らすけれど、今は穏便に。
メルルも、やりあって負けるとは思わない。ただし、ドラゴンが話を聞く体勢になったのには。
此方をなめていない事を意味している。
つまり、交渉の糸口は、開かれたという事だ。
そのまま無音を保って、移動。ミミさんが促して、その方向へ。途中、泥沼になっている場所があったので、回避。
荷車が填まると。
その瞬間、奇襲を受ける可能性があった。
周囲の殺気はいささかも衰えていない。これは、ドラゴンの配下のモンスター達も、納得していないことを意味している。
ドラゴンが交渉に乗るつもりだから、そのままでいるだけ。
もしも隙を見せたら。
一斉に襲いかかってくるだろう。
「見えたわ」
ミミさんがハンドサイン。
大きな洞穴だ。
沼地の中の、浮島のような大地の中。その穴は、ぽっかりと口を開けている。恐らくは自然のものではない。
ドラゴンが、長年掘り進めた巣だろう。
つまり、ドラゴンにとって、都合が良い構造になっているはずだ。迂闊に踏み込むのは自殺行為だが。
此処は、あえて行く。
洞窟の中からは、強い臭気がある。
ドラゴンが住んでいるのだ。当たり前だろう。嗅いでいるだけで、この場を逃げ出したくなるほどの威圧感。
これは当然だが。
人間としての本能が、メルルに警告してきているのだ。
トトリ先生とロロナちゃんなら、確実に勝てる。
トトリ先生は、そう言っていた。
メルルは分かる。
今のメルルでは、絶対に勝てない。
それだけの実力差が、あると言う事だ。
でも、全員がかりなら。
トトリ先生は、ミミさんとジーノさんがいれば、と言っていた。今は、本能よりも。この世界で屈指の実力を持つ錬金術師である、トトリ先生を信じる。
それでいい。
人間は、知恵の生き物だと、前向きに考えて。
進む。
洞窟の中はひんやりとしていたが。
明かな殺気が、前から叩き付けられている。
そして、メルルは咳払いをした。
他の皆には、口を出さないように言ってある。当たり前の話で、交渉をしているときに横やりが入るのは、論外だ。
相手を怒らせる原因にもなる。
それをもう一度思い出して貰うために、咳払いをしたのだ。
やがて、広い空洞に。
坂道も終わった。
此処が、ドラゴンの巣だ。前には、目を煌々と光らせたドラゴン。洞窟の入り口付近には、既にモンスター達が展開している。
袋の鼠というわけだ。
もっとも、ドラゴンを倒してしまえば。後ろのモンスター達は、戦意を失うだろうけれど。
ドラゴンは、巨体だ。
当たり前だが。
全身は赤い鱗に覆われ、直立した巨大なトカゲのような体躯。頭は一つ。翼は一対。この辺りは、ベーシックなドラゴンである。
少し変わっているのは、後頭部から生えている角が六本もあること。これは、一対である事が多い。
そして尻尾が、四本に別れていることだろうか。
「気を付けて、メルル」
「うん。 大丈夫」
ケイナが心配して声を掛けてくるけれど。笑顔で返す。
此処で不安を見せたら、皆が不安になるだけだ。
前に出る。
ドラゴンは、じっとしたまま。メルルがする事を、見つめていた。
「ドラゴン。 どうお呼びすればよろしいか」
「好きに呼べ」
「それでは沼地の王と呼びます。 それで構いませんか」
「ふむ、良いだろう」
この呼び方、実は少し前から、半公式化しているものだ。
事実に即してもいる。
沼地に君臨していたのは、このドラゴンだし。それをアールズでは潜在的脅威と見なしていた。
「それで、交渉とは」
「アールズと貴方で、不可侵条約を結びたいと考えています」
「何……」
「まず、アールズは、民も含め、以降この沼地の森には、踏入りません。 踏みいった者は、容赦なく罰していただいて構いません」
まずは、相手に有利な条件を提示。
ドラゴンは、口を半開きにしたまま、話を聞いていた。
「生殺与奪の権利を渡すというのか」
「はい。 勿論、私達が交渉を終えて退去してから、ですが」
「そのような言葉を信じろと」
「此方を」
見せるのはスクロールだ。
広げて見せる。
父上の印鑑を押してある。つまりこれは、アールズが対外的に示す公式文書、という事になる。
ドラゴンもその意味は理解しているはずだ。
「その代わり、貴方もその配下も、アールズ領内の民から奪わず、殺さず、虐げず。 この条件を守っていただきたい」
「虫が良い話だな」
「貴方にとっては、得になる筈です。 沼地が大幅に削られて、領土を失った今となっては、なおさら」
「……」
ドラゴンが黙り込む。
分かっている筈だ。
此処でメルルを殺す事は、或いは出来るかもしれない。しかしその場合、今度はアールズの大人達が来る。
ベテラン揃いで。
本気で殲滅を測ってくる集団だ。
勿論、事実としてはない。そんな戦力を、此方に割く余裕は無いのだから。
しかしドラゴンに見えているのは、沼地の北部に展開している人間の広大なコロニー。つまり耕作地。
そこにいる上級悪魔。バイラスさん。
ホムンクルスの戦士達。
混乱を考慮しなくても良いのなら。此処にいる戦力を全てぶつければ、沼地の王を滅ぼすことは、出来る。
つまり、メルルが知っている現実と。ドラゴンに見えている現実の差異を利用して、交渉を進めるのだ。
沼地の王は、決して知能が劣悪では無いけれど。
知っている事には限度がある。
ましてや配下のモンスターは、力が強いだけの粗暴な連中ばかりだ。参謀もいないだろう。
此処だけは、メルルの方が勝っている。
その勝っている部分を、最大限に使って。この交渉を、勝ちに行くのだ。
「なるほど、私にとっての得は理解できた。 それで、お前達の得は」
「少し前、貴方を捕縛するために此処に入り込んだ者達がいたはずです」
「いたな、そんな愚か者共が。 返り討ちにしてやったが」
「我等はその愚か者達と戦争をしています。 彼らを屠るために、少しでも戦力を動かしたいのです」
ドラゴン、沼地の王は。
やはり、また少し考え込む。
憎んでいるはずだ。人間を。
恨んでいるはずだ。アールズを。
しかし、彼にしてみれば。今の生活は平穏だ。そして、北部すぐ近くに住み着いている人間は、潜在的脅威。
アールズが沼地の王をそう見なしている以上に。
圧倒的脅威以外ではあり得ない。そうでなければ、たびたびエサを求めて我が物顔に飛来してきては、人間を引っさらって喰っていっただろう。彼がそうしなかったのは。殺されるからだ。
ドラゴンは地上最強のモンスターだが。
人間の実力はそれを上回っている。
それだけの話。
そして人間側としても、今はドラゴンの駆除のための戦力を出すのが惜しい。
だから、利害の一致を見て。
戦いを手打ちにしたい。
それだけのことだ。
「沼地はどうする」
「中立地帯としたいのですが、何か意見があるのであれば可能な限りあわせます」
「……中立地帯か。 つまりお前達が配下に襲われも文句を言わず。 此方が配下を殺されても文句を言わない、という事だな」
「そうなります」
沈黙が続く。
ドラゴンは一言一言を考えてから発言している。粗暴な巨竜に見えるが。実はかなり考えているという良い証拠だ。
「分かった、良いだろう。 交渉に乗ろう。 今の三箇条を、条約として締結する」
「有り難うございます」
「ただし、貴様らが条約を破り、軍を持ってこの森に侵攻してきた場合は、私も黙ってはおらぬ。 この身に換えても、可能な限りの人間を道連れにしてくれるわ」
「アールズ王家の誇りにかけて、条約を此方から破る事はないと宣言します」
上手く行ったか。
話が分かるドラゴンで良かった。
その後、念入りに、条約について確認。この作業が長引く。しかしながら、最初に決めたことを譲歩もしないし曲げもしない。
そうするだけで、充分だ。
途中、トトリ先生に通信をいれる。そして内容を説明。向こうからも、大丈夫だとお墨付きを貰った。
交渉が完全にまとまる。
その間、ミミさんとジーノさんは、油断なく武器に手を掛けていたし。後方にも気を配ってくれていた。
勿論、沼地の王は、メルルをよく思ってなどいない。不愉快だけれど、利害が一致するから、話を聞いた。
それだけだ。
今回は、此方の軍事力が、ドラゴンを上回っているから、できた交渉で。
心が通じたとか。
誠意が通じたとか。
そんなことは断じてない。
でもそれでいい。
はっきりいって、利害できちんと計算できる相手の方が。交渉は楽なのだと、この間のトトリ先生の交渉を見ていても思ったし。今回、練りに練ってきた原稿を何度も読み返しながらも、思った。
それにしてもトトリ先生の駄目出しは正確だった。
本当に、トトリ先生の予想通りになったのだ。ドラゴンとしても、まず自分の安全を保証したのが、大きかったのだろう。
スクロールを開いた後。
親指を噛んで血を出し、血判を押す。
ドラゴンは魔術を唱えると。
恐らく自分の鱗の形らしい焼き印を、スクロールに植え付けた。一目で分かる特徴的な形だし、これで騙される者はいないだろう。
「では、条約の履行は、お前達が沼地を出て、アールズの領地に戻ってからにする」
「お願いいたします」
「配下達はその間だけ、お前達には手を出さぬように告げておこう。 ただし、それ以降は、どうなっても知らぬぞ」
「分かっています」
頭を下げると。
ドラゴン、沼地の王は。
本当に不愉快そうに。鼻を鳴らしたのだった。
3、這い寄る手
勿論不満たらたらなのだろうけれど。
それでも、沼地の王の配下達は。王の命令には逆らえないとばかりに、帰路を開けてはくれた。
ただ、それだけだ。
もし此方が戦うそぶりを見せたら、即座に襲いかかってきただろう。
沼地の王にしても、メルルが即座に蹴散らせる程度の戦力しか連れていなかったら。つまりミミさんとジーノさんがいなかったら。交渉になど乗るはずもない。
メルルが今回二人を連れて行ったのは。
道中の護衛という理由もあるけれど。
ドラゴン沼地の王に、こんな使い手がアールズにはたくさんいるぞと、示すための、一種のディスプレイ行動である。
全てが交渉のためのお膳立てだったのだ。
この辺りは、トトリ先生の指示を受けるまでもなかったけれど。
肝心の交渉内容に関しては、トトリ先生の指示を受けなければ、危なかった。実際、初期案だったら。沼地の王は、話を途中で切り上げて、襲いかかってきただろう。
沼地を抜けるまで、気は抜けなかったけれど。
メルルが監督をして作り上げた壁を越えると。ようやく、一息つくことが出来た。
一気に気が抜けて。
腰が抜けそうになる。
今更、心臓がばくばく言い始めたので、メルルは自分に苦笑してしまった。
「よく頑張ったわ」
ミミさんが言ってくれるので、嬉しい。
もっとも、トトリ先生は、更に肝が据わっていたらしいけれど。あの人は、自分が特別製だと知らない特別製だったのだろう。
はっきりいって、怖かった。
前に邪神との交渉を側で見ているときは、何ともなかったのに。
今回交渉してみて、そのプレッシャーの凄まじさを、肌で感じてしまった。なるほど、トトリ先生が路の神と言われるわけだ。
そして、アーランドの対外交渉を、一手に任される訳である。
「少し休んで、その後解散とします。 アールズ王都へは、いつものメンバーだけで戻ります」
「はあ。 いつもいつもよくやるよ」
ぼそりと呟いたのはアニーちゃん。
流石に咎めるような視線を向けたのはシェリさんだ。
「お前は相変わらずだな」
「シェリさんも、どうしてこんなに頑張るのさ」
「俺たち悪魔族は、汚染されきった世界を浄化するために命を賭けている一族だ。 だが俺はそれだけでは無くて、生きる意味が欲しいと思えるようにもなっている。 生きている意味を、トトリ殿の側で知って。 今は生きている事によって生まれる価値を、側で見るのが生き甲斐だ」
「分からないなあ」
何だか、不可解な会話だ。
でも、分からなくても仕方が無いし。
メルルは怒ったりしない。
大きくなる頃には、分かってくれれば良いのだから。
ホムンクルス達四人も、周囲をよく固めてくれた。彼女らも、此処で解散して、持ち場に戻って貰う。
後は、アトリエに帰るだけだけれど。
どうしてだろう。
何だか、嫌な予感がした。
ただ、嫌な予感だけで、どうこうするわけにもいかない。それに耕作地の側にある森は、今はリス族が抑えていて、モンスターであれスピアの間諜であれ、街道に簡単に侵入はできないはず。
強力なモンスターや。
父上を襲撃したような、大規模な暗殺者の集団が、襲ってくるとは考えにくい。
だが、何しろ王城に二十人からなる暗殺団が、手引きした者がいたとは言え、侵入したのだ。
万が一は、想定しなければならないだろう。
「ザガルトスさん、シェリさん」
「うん?」
「どうかしたか、メルル姫」
「街道での警戒を密にします」
ライアスとケイナが顔を見合わせる。
2111さんと2319さんは、最初から油断しないだろう。だから手練れの二人に、警戒を促しておく。
そもそもだ。
今回は、入念に準備したとは言え、上手く行きすぎている。
もしも何か起きるとしたら。これからだと見て良い。
耕作地を横切る。
途中、何か無いか見回る。此方に敵意を向けてくる難民は少ない。労働も、過剰には課していないし。不公平にもしてない。
清潔な環境。
娯楽もある。
故郷には及ばないかも知れないけれど、安全な状況を造っているはずだ。だが、聞こえてきている。
襲撃があったらしい。
王城に暗殺者が忍び込んだそうだ。
恐ろしいねえ。
暗殺者は返り討ちにされたそうだが、スピアの手の者らしい。
何処に潜んでいるか、分からないとか。
思わず眉をひそめる。
難民達は聞こえてきていないと思っているだろうが、メルル達辺境の民はそもそもの身体能力が違う。
ケイナもライアスも、当然聞こえている。
メルルは、思わずぼやいていた。
「いくら何でも、早すぎる……」
「スピアの間諜の仕業だろう」
「……そうですね」
シェリさんが即答。確かにそれ以外には考えられない。そしてこういう噂を流すという事は。
彼らは。
恐らく次は、難民達による武装蜂起を、後押しするはずだ。
次の手は、先手を取りたいけれど。
上手く行くだろうか。
そうとは、思えない。
街道に出る。悪魔族達は、今の時点ではさほど問題は起きていないという。ただ噂の伝播は彼らも把握していて、困惑しているそうだ。
どうやって情報共有しているのか。
それを知らないと危ない。
そして、街道に出て。
耕作地から、四半刻ほど歩き。周囲に人気がなくなった瞬間。予想してはいたが、それは仕掛けてきた。
横殴りに飛んでくる矢。
飛び出したケイナとザガルトスさんが、全てを鞄で受け止め、或いは剣で叩き落とす。シェリさんが、警告の声を張り上げた。
「気を付けろ、強いのがいる!」
その警告は、遅すぎた。
躍りかかった翼ある影が、シェリさんの展開した防壁と激突。空を押し、一気に遠くへと弾き飛ばしたのだ。自身も、シェリさんに密着したまま。
まずい。
アニーちゃんを肩車している上、シェリさんは空の目だ。無くなるのは厳しすぎる。
森の中から、複数が飛び出してくる。いずれもが、体をローブで隠していて、人型という事しか分からないが。
その中の一体が、八本もある腕をローブの中から伸ばすと。全てに握った剣で、ザガルトスさんに猛攻を仕掛ける。
何しろ手数が凄まじい。
ベテランの戦士であるザガルトスさんも、流石に本気で応戦せざるをえない。
支援をしようとする2111さんと2319さんにも、それぞれ二体ずつが飛びついて、剣やら槍やらで、猛攻を仕掛け始めた。
平均的なホムンクルスが、どれくらいの数で抑えられるか、知っている。
此奴らは、以前メルルに仕掛けてきている。
どれだけの戦力が周囲にいるか、理解した上で、今度は来たのだ。強いのを揃えてくるのは、当たり前だ。
当然、主力は、弱点を突きにかかってくる。
つまり、メルルとケイナとライアス。
荷車を守って、下がろうとするメルルだけれど。
ケイナが、鞄で立て続けに矢を受け止める。
鋭い音。
鋼版に、突き刺さっているのは明白だ。矢を放っている奴も、侮れる相手では無い。数だけで押してくる相手では無い、ということだ。
それに、まだ強い気配がある。
「メルル、下がって!」
ケイナが叫ぶ。
荷車を盾にして少しずつ後退するけれど、それでも限度がある。フラムを取り出して、投擲しようとして、ぐっとこらえる。
森を傷つける行為は、御法度だ。
リス族を敵に廻す事にもなる。
これだけの規模の襲撃だ。あまり長く、敵だって仕掛けてはいられないだろう。敵の数と規模が、ちょっと以前とは桁外れだ。間断なく飛んでくる矢をケイナが防ぎ続けているけれど。
鞄は既に針の山。
そして、満を持して。
強いのが出てきた。
森を飛び出してきたそれは、かなりの巨体。小型のベヒモスを改造したものだろう。小型とは言っても、メルルの背丈の三倍はある。メルルと一緒に、敵に備えていたライアスが飛び出すが、拳の一撃を、軽く左腕を挙げただけで防いでみせる。
そして、返しの右腕の一撃で、吹っ飛ばした。
地面に叩き付けられて、バウンドするライアス。
しかも、其処へ数本の矢が集中。
突き刺さる。
森の中には、最低でも十人は刺客がいる。
シェリさん。ザガルトスさんは。
それぞれ、同格の相手と死闘。特に、アニーちゃんを背負ったままのシェリさんは、支援どころでは無い。
2111さんと2319さんは、むしろ押され気味。
ケイナには、間断なく降り注ぐ矢。対応だけで手一杯。
つまり。
メルルは孤立した。
跳躍したベヒモスの巨体。
咆哮と共に、拳を叩き付けてくる。
だけれども。
森から出たのだ。
無言で、フラムを投げつけて、爆破。
顔面の至近で爆破した事で、相手の視界を塞ぐ。そして、荷車を動かしながら、もう一つ発破を手に取り。
肩に矢が。
脇腹にも。
呻く。
毒が塗られているのは確実だ。だが。
煙を突破して来たベヒモスが、拳を地面に叩き付ける。だが、その時、メルルはいないし、荷車も。
既に荷車を旋回させて、遠心力を利用して動いたメルルは。
今度はフラムを、森の至近へと投げ込んでいた。
爆発。
煙幕が、狙撃手の視界を遮る。
それだけでいい。
一瞬の隙。
迫ってきたベヒモスが、頭突きをかましてくる。避ける余裕は無い。メルルは戦槍杖を盾にして防ぐけれど。
勢いは殺しきれず、飛ばされた。
地面に叩き付けられたとき。
刺さった矢が折れて、体の中で嫌な音がするのが分かった。
バウンドして、更に転がる。
ベヒモスが更に来る。
長い爪が生えた手を振るい上げて。殺気を全開にして、躍りかかってくる。あれで引き裂かれたら、終わりだ。
だが。
その横っ面を。
ケイナが、矢だらけになった鞄で張り倒す。
ふらついた其処へ。
逆側から。数本の矢を受けながらも立ち上がったライアスが組み付き。
脇腹に、バンカーの一撃を、至近距離から叩き込む。
ライアスが吹っ飛ばされるのが見えた。
バンカーの反動によるものだ。
だが、脇腹から血をしぶくベヒモスが。
首筋に纏わり付いたケイナを掴んで、必死に振り回す鞄を鬱陶しそうに避けるのが見えた時。
メルルは、勝機を悟る。
立ち上がる。
そして、歩法を駆使して、ベヒモスの至近に潜り込む。
ベヒモスが、ケイナを放り投げて、地面に叩き付けたとき。ようやく気付く。力をため込んだメルルが。
突貫の態勢を、至近の。逃れようが無い位置で、取っている事に。
煙幕が薄れ。
飛んできた矢が、もう一本肩に突き刺さるが、どうでもいい。
「はあああああっ!」
「グオアアアアアアアアッ!」
二つの叫びが、重なる。
破城槌のイメージ。
破城鎚になれ。
突貫。
ライアスのつけた傷に、ぶち抜くつもりで、突撃。ベヒモスの巨体が、冗談のように揺れる。
貫通にはいたらない。
だが、尻餅をついたベヒモスの体には、大きな傷が穿たれ。
メルルは間髪いれず。
しびれた手を鞭打って。
傷口に、火がついたままのフラムを押し込む。傷口を抉られたと思ったらしいベヒモスが、喚きながら、拳を振り回し。
メルルに直撃。
一瞬、意識が飛んだメルルは。
上空高く吹っ飛ばされ。
地面に激突。
受け身もとれず、転がることになった。
そして、見る。
ベヒモスが、気付く。悲鳴を上げながら、発破を引っこ抜こうとするが、もう遅い。内部からの爆裂に、耐えられるものか。
吹っ飛ぶ。
上半身が消し飛んだベヒモスが、前のめりに倒れる。
そして、森からは。
リス族達の、戦いの雄叫びが聞こえてきた。
矢が止む。
逃れてきた間諜が、リス族達に追いすがられ、見る間に槍で滅多刺しにされて、肉塊に変えられる。
リス族達は数の暴力で、2111さんと2319さんに群がっていた敵にも躍りかかり、見る間に殺戮。
それを見て、形勢不利を悟ったのだろう。
ザガルトスさんに襲いかかっていた八本腕と。
シェリさんに対して押し気味に戦っていた空中戦が得意そうな奴は。身を翻して、逃げていった。
呼吸を整える。
刺さった矢は三本。
クリーンヒットは二回。
毒が、周りはじめている。
ケイナが、来る。
毒消しを無理矢理飲まされた。ケイナはほほえむと、その場で崩れ落ちる。メルルは、必死にリス族に声を張り上げる。
「これを、同じものを、荷車から出して、其処の二人に、飲ませて」
「承知した!」
意識が飛びそうだが、耐える。
精神力で出来る事は、実際にはあまり多く無い。今は、その多く無い一つの事だ。我慢してどうにか出来る事なら、どうにでもする。
此方に来たシェリさんが、冷静に矢を引き抜いた。鏃が一つ、体の中に残ってしまっているらしい。
口に、布を突っ込まれた。
「痛むぞ。 歯を食いしばれ」
「ぐうっ!?」
どうしたのか分からないけれど。
鏃を無理に摘出したらしい。今まで経験した中で、最低最悪の痛みだった。血だらけの鏃を、シェリさんが放り捨てる。
見ると、シェリさんも血だらけ。
アニーちゃんは無傷。
アニーちゃんはシェリさんから自分で降りるが。その辺を歩くなと、叱咤された。
「毒矢が散らばっている! 踏んだら二次災害だ。 そのまま其処で座っていろ!」
今までに無い激しいシェリさんの叱責に、アニーちゃんも驚いたようで。その場でぺたりと座り込む。
メルルは、ゆっくり身を起こそうとするが、失敗。
だけれども、解毒剤が効いてきた。体が死から、生に引き戻されてくるのが分かる。ケイナとライアスの手当も始まっている。
ライアスは渾身の一撃を受けたけれど、それでもまだ余裕がありそうだ。諸肌を脱いで、自分で手当を受けている。
ケイナは。
六本も毒矢を受けて。手足も傷だらけ。
メルルの盾になり続けたのだから、当然だろう。それでも、歩法と鞄を駆使して、矢の大半を防ぎきったのは凄い。
ただ、意識が無い。
リス族の中の医療術者が、回復術を掛けている。更に、2111さんが王都へひとっ走り。支援を呼びに行ってくれた。
てきぱきと、ザガルトスさんが、処置を手伝ってくれたので、どうにか一息つける。だけれども、動けるかどうかは別問題。担架が来たので、乗せられる。
「荷車を、お願いします。 沼地の王との契約書が入っています」
「分かっている。 まずは自分の心配をしろ、メルル姫」
「私より、ケイナを。 多分、まだ安心できないと思います。 私は、多分死なないです、し」
「……」
苦々しげに、ザガルトスさんが顔を背ける。
何か、まずい事を言っただろうか。
意識が混濁してきた。
しばらく、無言になる。
ケイナは大丈夫だろうか。
それだけ考えていた。
頭の中が、ぐちゃぐちゃだ。あれだけもろに攻撃を食らって、地面に叩き付けられたのだ。
脳がおかしくなったのかも知れない。
思い出す。
あの人の優しい手。前向きに考えなさい。そう言われたこと。
母上の、厳しい叱責。
お前なんて。
私の子じゃ無い。
取り替えっ子に違いない。
私の子を返して。
あれ。
母上は、何を言っているのだろう。
気付く。恐らく、アトリエについたのだろう。ベッドに寝かされていた。此処ならお薬も本格的なのがあるし、トトリ先生もロロナちゃんもいる。
隣で、ケイナが寝かされていた。
まだ意識が戻っていないけれど。息はあるようだった。
「起きた?」
「はい、トトリ先生」
側に、トトリ先生が座っていることに、今更気付く。
アニーちゃんが来る。
桶を抱えていた。
そして、ホムさんの言葉に従いながら、ケイナの包帯を取り替え始める。包帯は血で汚れていたけれど。
既に傷は塞がっているらしく。
新しい包帯には、血はにじんでいかなかった。
「手酷くやられたね」
「耕作地に、恐らく敵の間諜がいました。 完璧なタイミングで、最大の戦力で、襲撃してきましたから」
「どこにでもいるよ。 私が駆除して回ってるけど」
トトリ先生は、笑顔を崩さない。
そして、お薬をくれた。体の回復力を上げる薬らしい。無言でお薬をいただく。今後は、護衛の戦力を増やして。
なおかつ、メルルの実力も、もっと高める必要がある。
あんな小型のベヒモスくらい。
ユニコーンチャージ改め、人間破城鎚の一撃で、木っ端みじんに出来るくらいになれば。そもそも、ケイナもライアスも、彼処まで酷い目にはあわなかったのだ。特にケイナは、まだ意識も戻っていない。
「沼地の王との条約が締結できたのは良かったですけれど……これでは、各地の警備は減らせませんね」
「そうだね。 でも、一つ、良い知らせもあるよ」
「ええと、何ですか」
「今回のメルルちゃんを襲撃した部隊は、アールズに潜入しているスピアの実働部隊の主力で、私が追っていた連中だったって事。 壊滅した事で、今後の戦いは、少しは楽になるかな」
そうか。
確かにそれなら、少しは楽になるのかも知れない。
でも、洗脳されている人達が、何処にどれだけいるかも分からない現状。
そして前線のハルト砦が、まだ修復途上な現状。
一体どれだけ、それで安心して良いのか。
もう一つ、今回はっきりしたことがある。
アニーちゃんは。
少なくとも、自分で身を潜める努力くらいは、して貰わないとまずい。今後は、滞在が短い場合は、お城のメイドに預ける事も、考えなければならないだろう。
何もかも、問題が山積している中。
今回も、どうにか生き延びた。
それだけは。
不幸中の幸いだと、メルルにも思えていた。
4、闇人
八本腕のホムンクルスは。
翼持つホムンクルスとともに、戦場を離れた。二人とも名前は無い。だから便宜的に、八本腕、翼と、互いを呼び合っていた。
頭に仕込まれている複数の機械で、一なる五人には逆らえない。
昔は、大勢逆らう者が出て。それらは、アーランドや周辺国に逃亡して、敵戦力を増やす結果に終わった。
だから一なる五人は。
大半を道具としてのみ造り、思考能力を与えず。
少数には思考能力を与えたけれど。
絶対に逆らえないように、機械を取り出せば致命傷になる位置に、複数埋め込む処置を執った。
その結果思考能力も落ちたけれど。
逆らって逃亡する者は、いなくなった。
逆らった瞬間殺されるようになったのも、大きいかも知れない。
八本腕は。
仲間達が潜んでいる、山間の洞窟に逃げ込むと。壁に背中を預けて、大きなため息をついた。
「何とか生き延びたな」
「ひひひひっ、そうだな」
いつも翼は、神経質な笑い声を立てる。
現実逃避の一環だと知っているから、それについては何も言わない。こんな状況だ。現実逃避くらい、したくなる。
改造ベヒモスをはじめとして、襲撃に参加した他の部下は全滅。
リス族の援軍のえげつない攻撃からは、誰も逃れられなかった。さすがは森の住人。それに奴らは、スピアの軍を徹底的に憎んでいる。ジェノサイドを受けたのだから、まあ当たり前とも言えるが。
「八本腕様」
「何だ」
洞窟に、配下の一人が来る。
此奴は、襲撃に参加した部下では無い。武闘派では無く、戦闘力も低い。
しゃべり方は機械的だ。当たり前の話で、ほぼ思考力が与えられていないのだから。
量産型ホムンクルスは。
たどたどしく言う。
「メルルリンスについて、面白い事が分かりました」
「面白い事、ねえ」
「そう情報提供者は言っていました」
「続けろ」
ひひひと、翼が笑っている。
此奴は戦闘以外では使い物にならない。だから、八本腕は、生き延びるために、あらゆる全てを、自分で考えなければならないのだ。
生きたい。
少しでも、長く。
それが、八本腕の夢なのである。
「メルルリンスは母親と上手く言っていなかった様子です。 何でも、取り替えっこと呼ばれていたとか」
「それは確か、伝説だな」
モンスターの一種には、人間の子供を、自分の子供と入れ替えるという伝説があるらしい。その入れ替えられた子供を、取り替えっこと呼ぶ。
頭に埋め込まれた知識だ。
モンスターでは無く、リス族などの亜人種がそれをするという伝説の派生もあるそうだけれど。
いずれにしても、伝説以上でも以下でもない。
メルルリンスも、デジエとその母親の娘の筈だ。
「どうもメルルリンスの母親は、メルルリンスが自分の子だとは、思えなくなっていたようなのです」
「ほう……?」
「何でも、自分が一番嫌いな人物と、そっくりだったから、だとか」
「ふむ、興味深いな」
そういえば。
以前にも、情報があった。
確かメルルリンスの叔母に当たる人物。錬金術師で、この地方にいる強力なモンスターと相打ちになって果てたとか。
容姿は、メルルリンスによく似ていたと聞く。
まてよ。
ひょっとして、そのヒステリーの原因は。
デジエに関する情報の数々を総合すると、何となく見えてきた気がする。アールズ王家の、ドロドロの内幕が。
勿論、それは実情の無いものだろう。
調べはついている。確かにメルルリンスは、デジエと王妃の娘だ。しかし、どうして王妃は。そんなヒステリーに落ちたのだろう。寿命を縮めるほどの、ヒステリーに。
上手く行くと。
強烈な醜聞になって、アールズを揺さぶれるかも知れない。
近々計画している、難民共の一斉武装蜂起を後押しできる可能性も大きい。上手く行けば、一気に戦況を改善出来る。
「そのまま情報収集を続けろ」
「はい」
部下が消える。
さて、此処からだ。
情報は、使い方次第で、どうとでもなる。
奥にある通信装置で、一なる五人に報告。そして、援軍を要請。
メルルリンスを仕留めるには、今の戦力では足りない。今回正確に戦力を測ることが出来たので、その数値も伝える。
勿論、伸び盛りの年頃だ。
次に戦う時は、更に強くなっているとみるべきだろう。
二つ返事で、一なる五人は援軍を了承。
まずは、一段落か。
我等とて、生きるためにはあらゆる全てをつくさなければならない。生まれがどれだけ悪くても。生きているのは事実。
そして、生き続けるために。
手を汚さなければならないのなら。
フードを取る。
其処には。
目が多数。肥大した頭。
八本の腕を操るために、施された処置だ。
悲しむ前に。
戦い続けることを。八本腕は、運命に強要されていた。
(続)
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