砦の夕陽
序、大攻勢
敵が、前進を開始した。
その話を聞いて、クーデリアは飛び起きる。久々に二刻ほど眠れたと思ったのに、休ませてくれる気も、敵には無い様子だ。まあ当たり前だろう。クーデリアがスピアの指揮官でも、同じ手を取る。
砦には、アーランドの精鋭とホムンクルス部隊を中心に、各国からの援軍も加えて、現在千名ちょっとが常駐している。
周辺に展開している部隊を、即座に戻させる。これで千二百くらいにはなるだろう。だが、敵はおよそ六万。
その内五千ほどが、リザードマン族の集落に向かう。これは抑えだとわかりきっている。一応、伝令だけは出しておく。
「壮観よ」
隣で手をかざしたのは、アーランドのハイランカーの中でも、古参の一人である雷鳴。
わざわざここまで来たのは、クーデリアの抑えのためだろう。
ちなみに、クーデリアのたくさんいる師匠の一人でもある。今でも、時々老夫人の造るお菓子を楽しみに、彼の邸宅に遊びに行くほどだ。
勿論、アールズに来てからは、ご無沙汰であったが。
まさか本人から此方に来るとは、思ってもいなかった。
「師匠としては、どう思いますか?」
「何をいう。 戦力が揃ったから押し出してきた。 それ以外にあるまい」
「その通りです。 しかし、どうも気に掛かります」
雷鳴は、側に身内しかいないから、昔通りのしゃべり方でクーデリアに接してきている。それでいい。
問題は、クーデリアには。
どうにも敵の動きがおかしいように思えるのだ。
勝てると判断して出てきたのなら。
何故、もっと圧倒的な攻め方をしてこない。単に領域を広げようとしている。そうとしか見えない。
耐久糧食を口に含む。
一刻半ほどしか眠れなかったけれど、体調は相応に整えている。既に周辺では、戦を告げる銅鑼が鳴り響いていて、非番の者達も戦闘態勢を取りつつあった。
配置に、続々とハイランカー達がつく。
周辺国から来ている援軍の中でも、優れた使い手達が、前線で牙を研いでいるのが見えた。
「総指揮はよろしくお願いします」
「無茶はせぬように、な」
「……分かって、います」
銃の様子を確認。
さて、出るか。
最前線でクーデリアが暴れれば暴れるほど、他の味方の負担も減らせる。それに、六万なら、押し返せる。
試算は、既に出ている。
もっとも、此方もまともに戦ったら、被害が尋常ではなくなるだろう。それに、何だか嫌な予感がするのだ。
完全に機械同様に。
一糸の隙も無い陣形を組み、迫ってくる敵。
クーデリアは、躊躇無く真っ正面から其処に飛び込む。
勿論、意図しての行動だ。
敵が、防御魔術で、壁を造ったその瞬間。
敵陣の足下から、複数箇所で火花が上がり。それは即座にキノコ雲へと代わる。
トトリが仕掛けた爆弾である。
そして、勿論敵が備えていることも想定している。
今までトトリが仕掛けた爆弾によって、敵の被害がかなり出ているから、である。一旦敵は陣を縮小して、ガチガチに守りを固め。今の爆圧を耐えきった。此処までは、見事と言って良いだろう。
ここまでは、だ。
その瞬間。
敵の真ん中に、クーデリアが降り立っていた。
気付いていただろうか。
前にも下にも、防御の術式を展開すれば。その時、上はどうしようもなくがらあきになるのだと。
勿論防御術は展開されていたが。
クロスノヴァ一発でブチ抜ける程度のものに過ぎなかった。
さて、焼き尽くすか。
旋回しながら、四方八方に、最大火力での射撃を行う。内側からぶっ壊された結界を見て、味方が突入を開始。
一瞬の虚脱の後、クーデリアにも敵が殺到してくるが、別にどうでも良い。
堂々と再装填を済ませると。
以降、攻撃に転じた敵を、火力で押し潰しに掛かった。
一刻半。
戦闘はいまだ継続。敵の損害は、およそ一万五千。
だが味方の被害も決して小さくない。何より、敵には増援が、次から次へと、姿を見せている。
「また増援です! 一万以上!」
「くそっ! きりがねえ!」
味方の悪態が聞こえる。
クーデリアも、既に半分以上の力を使い果たし。それでも速度を生かして、敵陣の真ん中で暴れ回っていた。
だが、それもそろそろ厳しくなってきたか。
退路は最初から考えていない。
だが、砦は既に炎上。敵がそれだけ、前線に浸透してきているということだ。
味方も余力が無い中、彼方此方で死闘を繰り広げている状況。敵は負傷した戦力を次々に下げて、新手を繰り出す余裕があるのに。
まだか。
予定では、そろそろ来る筈だが。
飛びかかってきたベヒモスを、クロスノヴァで蒸発させる。だがその瞬間、感じ取る。四方八方から飛来する火焔弾を。
上空に飛んで、避けるが。
爆発は強かにクーデリアの全身を打ち据えていた。
舌打ちしながら、着地。
かなり今のは効いた。ネクタルを口に放り込みながら、殺到してくる敵を見据える。そろそろ、戦闘継続が厳しいが、大丈夫か。
此処を喰い破られると。
アールズ王都も、二刻も保たず陥落する。
作戦通りに此方へ進んでいれば、大丈夫の筈なのだが。
閃光が走る。
敵の増援の中心部で、爆裂。
立て続けに、三度。
敵の増援が、文字通り消し飛び。そして、味方が喚声を挙げた。
やっと来たか。
あの常識外れの火力、間違いなくロロナだ。という事は、ジオ王も来ている、という事になる。
それだけではない。
いきなり、多数の敵が空に浮き上がる。
そして、地面に叩き付けられた。見た事も無い技だが、あんな非常識な攻撃、出来る奴には限りがある。
ほぼ間違いなく、アストリッドだろう。
そして、必死に食い止めていた敵の主力が、閃光のように切り裂かれていく。閃光は二つ。
シールドを必死に張ろうとする敵だが。
その間には。
既にクーデリアが入り込んでいた。
「やらせるか」
立て続けに三度のクロスノヴァを発動。
手への負担が悲惨だが、それでも。結界を張ろうとしていた敵の中枢部分に、尋常ならざる損害を与え、結界の展開を阻害。
その間に入り込んだ二つの閃光が、徹底的に敵を蹂躙し、蹴散らす。
二つの閃光は。
言うまでも無いが、ジオ王と、エスティだ。
つまり。
アーランドが誇る国家軍事力級戦士が、追加で四人も来た、という事になる。敵は気の毒という他ない。
態勢を立て直せず、敵が後退を開始。
容赦なく追撃していくのは、エスティだけ。ロロナは高台に陣取ると、其処からアホみたいな火力の砲撃を、連続して行うのみ。其処から追撃をかけるつもりは、もうないようだった。
残敵の掃討は、味方に任せる。
クーデリアは一度後退。
体力の大半を使い果たしたし、乱戦の中で受けたダメージも、相当に大きかったから、である。
砦に辿り着く。
敵の死骸が、山と積み重なっている周囲。
雷鳴も、頭から血を流しながら、指揮をしていた。戦闘で、やはりこれほどの古豪も、無傷では済まなかったか。
「大勝利だな」
「……そうですね」
「どうした、腑に落ちぬか」
「ええ」
大勝利と喜ぶには、味方の損害が大きい。多分死者だけで百名以上は出ているはずだ。急いで補充しないといけないだろう。ホムンクルスも多く死に。何より周辺国からの援軍に、大きな被害が出ている。
アールズの兵士にも、死者が出ているようだった。
一刻ほどで、残敵の掃討が完了。敵の損害は最終的に五万八千を超えた。増援を含めると、十万以上の数が来ていたのだから、大損害だ。だが、全域で展開しているスピアの軍勢は、その総数がまだ知れない。回復力もだ。
だからこの程度の勝利など。
それこそ、何の気休めにならない可能性もあった。
エスティが戻ってきた頃には、戦闘は完全に終了。
リザードマン族の集落にも使者を出し。
其方も陥落していないことは確認した。クーデリア自身は、かなり濃度の高いネクタルを口にして。
椅子に座ったまま、戦後の処理を進める。
点呼を取り。
死者を確認。
遺体が残っている死者は全て回収。ごく少数ながら、行方不明者も出ていた。乱戦の中、モンスターに喰われたのか、それとも。
敵の死骸はまとめておく。
これから切り刻んで、味方の死骸が回収できるか確認するほか。
最終的には肥料にして、各地に輸送するのだ。土地を豊かにするためには、材料などこだわってはいられない。
何年か前のアーランドで行われた大会戦でも。
同じように、大量に殺したモンスターの死骸が、土地を豊かにするために、大変役に立ったのである。
ジオ王が来る。
無言で跪くクーデリアに、良いと言うと。
指揮官の座に、当然という風情で座る。
「見事な勝利だ。 余が来るまで、よく支えてくれたな」
「はい」
意図的に、来るのを遅らせたのでは無いのか。
そう疑念さえ抱いていたが。
今は、従っておく。此奴が来たおかげで、戦況が激変したのは事実なのだから。
ロロナはと聞くと。
トトリとメルルが運営しているアトリエに、アストリッドと一緒に向かったという。そうか。それもいいだろう。
クーデリアとは。時々通信で話している。
トトリとは、殆ど接点がない。
久々に、会いに行くことも、悪くは無いだろう。
「先ほどエスティに聞いたが、敵は無限書庫付近まで後退。 残存戦力は、およそ五万ということだ」
「あれだけ殺したのに……」
「何、この戦力がいるのに対して、たかが五万だ。 明日、余とエスティで、更に削り取ってきてやろうぞ」
ジオはそう言うが、敵の増援は恐らくまだ来るとクーデリアは見ている。それも、一万や二万では無い筈だ。
特にロロナがここに来たことは、相手も把握しているはずで。
更に大胆に、援軍をかき集めることが出来るだろう。
「時に、空を高速で移動する敵はどうなさいました」
「ピアニャが造った対空兵器で無理矢理足を止め、余が斬った」
「左様にございますか」
「だが手間取ってな。 多少は遅れた」
からからとジオは笑う。
笑い事か。
一匹出てきたと言うことは、量産される可能性もある。此奴とロロナが揃っていて苦戦するほどの化け物だ。
今後前線に出てきたとき、対応出来るのだろうか。
ジオ王が早速、エスティと一緒に、前線に追撃に行くというので、見送る。その後は、砦の状態を再確認。
既に炎上し。野戦陣地としても崩壊していたが。
改めて見ると、無惨な有様だ。
戦闘の結果とは言え、悲惨。その一言に尽きる。
備えは殆どが破壊され。
負傷者は野ざらしの中、手当を受けている。ネクタルの投与が早ければほぼ助かるのだけが救いだが。
失った手足まではどうにもならない。
ホムンクルスの中には、ひどい負傷を受けながらも、他者の治療を続けているものもいる。
そんな中、医療活動の指揮を執っているカテローゼは、つらそうに顔を歪めていた。
一体いつまでこんな戦いが続くのか。
顔にはそう書かれていたけれど。
クーデリアには、もはやどういうことも出来なかった。
1、師匠来る
戦況が思わしくない。
伝令が来て、メルルはいつ何があっても対応出来るようにと、アトリエで寝ずに備えていた。
普段は徹夜はしないのだけれど、流石に今日は例外だ。
アニーちゃんは先に寝かせて。メルルはライアスとケイナ。2111さんと2319さん。それに合流したシェリさんとザガルトスさんと一緒に、王城に。
城には、残っている数少ない兵士と。
父上とルーフェスがいた。
もしも前線を喰い破られた場合、戦わなければならない。農場や耕作地、鉱山。各地にいる護衛部隊とも連絡は取っている。
最悪の場合は、最速で集結して貰う。
此処で、敵を食い止める。
勿論、時間稼ぎしか出来ないだろう。その間に、周辺国に難民を逃がし、非戦闘員も。できるだけ、としか言えないのが、悲しいところだが。
誰もが無言。
遠くの前線から、阿鼻叫喚が聞こえるようだ。
既に前線には、六万以上の敵が集結していると、メルルも聞いていた。しかも敵は無尽蔵に増援を繰り出してきているとも。
これは危ないかも知れない。
父上も、ずっと静かにしていて。
それが兵士達を落ち着かせてはいた。
リス族と兎族の代表も来ている。
悪魔族は、各地での守りに残ってくれた。彼らは飛ぶことが出来るので、戦況判断も早い。
最悪の事態には、最速で対応してくれるはずだ。
「伝令!」
傷だらけの兵士が、飛び込んできた。深手を負っている。
メルルは目配せして、ケイナにネクタルを取りに行って貰う。アトリエから、お薬はほとんど此方に移してあって。その中には、ネクタルもある。
「味方に増援到着! 戦況は一変し、虚を突かれた敵はゴミのように蹴散らされています!」
「おおっ!」
味方が喚声を挙げた。
いや、恐らくそれは、安堵の声だ。
メルル自身も表情を変えず、父上の玉座の隣で、立ち尽くすけれど。内心は、喜びを表に出したかった。
「どうやら、勝てそうだな」
父上も、表情を緩める。
しかし、味方の伝令の傷は深い。
すぐにメルルが目配せして、医療魔術師とケイナに、伝令を手当てさせる。それに勝利の確報が出るまで、状況を変えるわけには行かないだろう。
しばしの沈黙が続くが。
ほどなく。追加で伝令が来た。
今度は左手を失い、乱暴に傷口を縛ったままのホムンクルスだ。彼女は、煤だらけの顔で、此方を見た。
「味方の勝利です。 既に掃討作戦が開始され、前線が突破される可能性はなくなりました」
「我等の加勢は不要か」
「はい。 最後の備えを有り難うございましたと、クーデリア様からの伝言です」
「そうか……」
やっと、父上が力を緩める。
そして、てきぱきと指示を出し始めた。
「負傷者を救護する必要がある。 メルルよ、すまぬがありったけの医療品と、そなたの側近や支援部隊を連れて、前線に行ってくれるか」
「分かりました!」
此処に立ち尽くしているくらいなら、まだ前線にいた方がマシだ。
内心はそう思っていたし、前線に行けという指示は、むしろ有り難かった。それに今、前線は地獄絵図だろう。
勝ったとしても。
楽に終わるはずがない。
実際、伝令の悲惨な様子を見ると、とてもではないが、楽観などは出来なかった。ホムンクルスの言葉だ。勝利に嘘は無いのだろうが。
すぐに外に出ると、荷車を引いて走る。
その途中で、皆には状況を説明。
シェリさんは、背中にアニーちゃんを乗せたまま、言う。今日は低空飛行だ。モンスターのまさかの襲撃があるかも知れないから、である。
「砦が燃えているな」
「やはり、完勝とはいかないですよね……」
「数が数だからな」
それにしても、増援とは。
アーランドから、本格的な数の味方が来たのだろうか。それとも、クーデリアさん以外の国家軍事力級戦士の支援か。
考えられるのは、後者だ。
まとまった数の戦士なんて、今更寄越す余裕も無いだろう。
少しでも薬とリネン類があるだけ、助かるはず。
そう信じて、メルルは走る。
そして、砦に到着。
惨状が、目の当たりになった。
医療魔術師数名と、ホムンクルス達が治療活動をしているが。いずれも負傷していない人はいない。
味方の大半は負傷していて。
砦はもはや、再建不可能なほどに破壊されていた。
それだけではない。
野戦陣地としての備えすら、既に残っていないではないか。これは、本当に、味方は勝利したのか。
いや、勝利したのだろう。
そうでなければ、既に敵が王都に殺到しているはず。この辺りにモンスターの気配はない。
スピアの魔軍は、既に退けられた後。
その事実だけが、勝利を雄弁に語っていた。
「医療品、持ってきました!」
「助かります、其処へお願いします!」
「何かする作業は」
「……クーデリアさんに声を掛けてください。 その後、許可が得られれば、指揮下に入ってください」
真面目そうな医療魔術師にそう言われて、確かにと頷く。勝手な行動を取っても、現場を混乱させるだけ。それならば、明らかに有能なクーデリアさんに、対応を仰ぐべきだろう。
ネクタルとリネン類を提供すると、すぐに運ばれて行った。しかし、負傷者の数を考えると。これでは、足りないかも知れない。
うめき声と悲鳴が、彼方此方から聞こえている。
戦闘が如何に悲惨だったか。
言うまでもなく、明らかだ。
負傷者。それも、手当が必要なレベルの重傷者が、ざっと三百以上はいる。いや、もっと多いだろう。
ひどい怪我をしながらも、治療に回っているホムンクルス達がいるくらいだ。これでは、死者も百人以上は出たのではあるまいか。
その中には、アールズの兵士達も、当然混じっているだろう。
クーデリアさんを見つけた。
両手が、手酷く負傷している。血がまだ滴っているくらいだ。背中にある何か楕円形の構造物が淡く輝いて、傷を回復させているようなのだけれども。それでも追いついていない様子である。
見た感じ、自分で受けた傷だ。
或いは、負担が大きい奥義か何かをぶっ放し。そのダメージが、回復しきっていないのかも知れなかった。
「メルル姫」
「クーデリアさん、ご無事ですか?」
「ごめんなさい。 勝利は勝利したけれど。アールズの兵士を何名か、死なせてしまったわ」
「……」
責める気には。
とてもなれなかった。
死者を読み上げられる。
皆、知っている兵士達だ。死者については、調査をしてから、アールズに引き渡すという。
そうか。
ここに来ていた全員が死んだわけではない。だが、やはり悲しかった。
「メルル姫に、お願いしたいことがあるのだけれど、良いかしら」
「はい、なんなりと」
「此処で治療を続けるよりも、アールズ王都のパメラの所から、お薬を受け取って此方に輸送して欲しいの。 頼めるかしらね」
「分かりました。 すぐに取りかかります。 医療の手伝いに、何名かおいていきましょうか?」
例えばケイナは、ある程度の医療技術を持っている。シェリさんも、同じ。力仕事なら、ザガルトスさんも。
2111さんと2319さんも、それは同じだ。
だが、クーデリアさんは、首を横に振る。
「いいえ、薬が確実に届かない方が怖いから、此方の手助けは不要よ。 護衛として彼らが機能する方が、私としては助かるわ」
「分かりました。 すぐに向かいます」
「よろしく……」
クーデリアさんの手は、相変わらずひどい状態で。
回復も進んでいないと言う事は、常人なら発狂するほどの激痛に苛まれているはずだ。平然としているけれど。それは、あくまで常在戦場を貫いた武人だから。
痛々しいことに、何ら代わりは無い。
すぐに皆を促して、アールズ王都に戻る。
その途中、空瓶になっているネクタルや。血に汚れたリネンも幾らか受け取った。向こうで洗濯補充してくれ、というのである。ゴミを置いている場所も惜しい、という理由もあるだろう。
さて、今日中に何度往復できるか。
往復するだけ、皆が助かる。
そう思えば、安い。
ひたすら、後は走った。王城でリネン類を預けて、お薬の空瓶はパメラさんに渡す。パメラさんからは、お薬を受け取る。生産したばかりの品なのだろう。まだほんのり瓶が温かい。
すぐに前線の砦に走る。
既に朝になっていたけれど。
今日は眠るどころでは無い。
前線に到着。
少し、重篤な負傷者が減っていた。ネクタルと、医療魔術による相乗効果だ。ただし、しばらくは動かせない。
重篤な負傷者と、症状が薄いものは、別の場所に隔離もしている様子だ。
同じように、お薬を引き渡し。
リネン類を受け取る。かなりひどい状態のリネン類が目だって、眉をひそめたくなるほどだ。
多分、お城の方でも、リネン類を今必死に洗濯してくれているだろう。
最後に煮沸消毒して、乾かして終わり。
乾かす作業は、今の時期でも半日はかかる。つまり、不衛生な布類を此処に置いておきたくない、という理由の方が強い。
「次、行ってきます」
「メルル姫様、無理をなさらずに。 今、既に峠を越えています」
「お薬の不足は」
「もう、大丈夫でしょう。 後は、リネン類を受け取って、殺菌消毒していただければ」
なるほど、其方が中心か。
頷くと、荷車に可能な限りのリネンを受け取って、城に戻る。
城では、既に父上が手を回して。侍女達が、作業のために待機してくれていた。リネン類を引き渡し、また前線に。
ごっそりまたリネンを受け取ると、とんぼ返り。
それを二回繰り返した頃には、夕方になっていた。
とりあえず、もう大丈夫。
そう言われたので、アトリエに戻る。
実際、前線の状況は、既に落ち着き始めていた。リネン類も、向こうで処理が追いつき始めていた様子だ。
最初に回収したリネン類は、洗濯も煮沸消毒も完了していたので、引き渡しておく。
有り難うございましたと、頭を下げてくれた医療魔術師。
彼女も手酷く怪我をしていたけれど。
もうそろそろ、休める様子で、それだけは安心した。
流石に徹夜は大丈夫でも、徹夜の後一日近く走り回ると、限界だ。メルルは城門で皆を解散させると、ふらふらになっているケイナと一緒にアトリエに。
ベッドに倒れ込んでからは、後の事は覚えていない。
正直な所。
体を拭く余裕さえ、なかった。
目が覚める。
夜明けだ。
どうやら、半日近く眠っていたらしい。ちょっと徹夜で動き回っただけなのに、まだ体力が無いなと、自嘲する。
あくびをしながら起き出した。
ベッドの横にはケイナが眠っていた。珍しく着替えてもいない。
それだけ疲れていた、ということだ。
メルルも体を拭くと、あくびをしながら外に。お城の方も、落ち着いている様子だ。もう厳戒態勢も解けているのだろう。
緊張感というか。
不安が醸し出すオーラが感じられないのである。
まあ、一段落と見て良いだろう。
外に出てから、軽く走る。
昨日、トトリ先生が戻ってきた痕跡があったのだけれど。今はいる様子も無かった。多分出かけているのだろう。
何しろ戦後処理もある。
色々と大変なのは、わかりきっている。
走り終えてから、戻ってきて。
この間実戦投入したばかりの戦槍杖を振るう。これを使って、戦場で暴れれば、少しは廻りの負担が減らせるはず。
勿論トトリ先生の負担も。
型を、順番にこなし。
歩法も、復習。
一つずつ処理していって。最後に残心。
一連の動きは、スムーズに処理できる。いずれも、特に問題は感じられない。やはり、継続して技を磨くことには大きな意味がある。
もっと身体能力も上げたいし。
技も磨き上げたい。
だが焦ると、絶対碌な事にはならない。
一つずつ順番に出来る事からこなしていく。それしか、今のメルルには、選択肢はないし。焦ればそれだけドツボにはまるだけだ。
アトリエに戻ると。
起き出したケイナが、食事を作り始めていた。
良い匂いだ。
「ケイナ、大丈夫?」
「はい、ごめんなさい。 見苦しい姿をお見せしました」
「私だってへばってたんだから一緒だよ。 何作ってるの?」
「今日は力をつけようと思って、燻製にしていたお肉をたくさんいれたシチューです」
それは楽しみだ。
かなり多めに、シチューが出てくる。そういえば、昨日は殆ど、耐久糧食しか口に入れていなかった。
アニーちゃんをケイナが起こしてきたので。
三人で食卓を囲む。
アニーちゃんは相変わらずアンニュイな様子だけれど。やる気が無さそうな見た目に反して、食べ物を零したりもしないし、口の周りも汚さない。とても綺麗に食べるので、ケイナも文句一つ言わない。
「おいしい?」
「おいしいけど、これが基準になりそう」
「?」
「他のメシが食べられなくなる」
褒めてるのか貶しているのかよく分からないのだけれど。まあ、褒めてくれているのだろう。
相変わらずつかみ所がない子だ。
額に手を当てるけれど。今日は熱を出していない。
「体、鍛えてみない? 熱出したときとか、随分楽になるよ」
「遠慮しとく」
「いいの? 体弱くて」
「鍛えたってこれはどうにもならない。 それに鍛えれば鍛えるほど、多分新しい病気をしろって言われる」
そうか。
あのダブル禿頭が。
そう言うことをさせているのか。
殺意が湧いてくるけれど、しかし必死に笑顔を作る。この子を怖がらせても、意味がないからである。
まあ、モンスターを目前にしても、平然としているような子だ。多分何を見ても、まず怖がらないだろうけれど。
食事後、ケイナと軽く組み手。
そうしたら、シェリさんが来たので、驚いた。
「シェリさん、どうしたんですか?」
「最近は俺が街中で歩いていても、文句を言われなくなってきたのでな。 街を散策しつつ、アトリエとやらを見に来た」
「わ、シェリ。 肩車して」
「後でな。 すまぬが、アトリエとやらを見てみたいが、良いだろうか」
勿論、大歓迎だ。
多分シェリさんは、恩人でもあり尊敬もしているトトリ先生の仕事場を見たいのだろう。長いつきあいだという話だし、無理もない。
中に入って貰って、案内する。
今日はそこそこ綺麗にしている。トトリ先生がいないのだけが、残念だが。
「なるほど、これが錬金釜か」
「はい、主に調合に使います」
「前に小さなアトリエでの作業を一時的に手伝った事があるのだが、これはかなり本格的だな」
「調合、見ていきますか?」
シェリさんは、首を横に振る。
そして、向かえに来たらしいザガルトスさんと連れだって、街外れに。訓練場に、顔を出すらしかった。
どうやらメルルを短時間で一人前にまで育てた手腕を買われたらしい。それに、ひよっこだけでは無く、ベテランでもあの歩法はきっと役に立つはずだ。
訓練場は、かなり人が来ていた。
後から遅れて、ライアスが来る。
シェリさんが来たかと聞かれたので、訓練所に言ったと答える。
頭を掻きながら、ライアスは嘆息した。
「兄貴が、一応面倒だから、側についていろってな。 シェリさん、色々興味津々で、結構受け入れられてきたとはいえ、冷や冷やするんだよ」
「そっか。 お目付役だね」
「ザガルトスさんが側にいるから大丈夫だとは思うけどな」
強面で寡黙なザガルトスさんは、見るからに迫力がある。ベテランの戦士でも、ちょっと凄まれると黙るくらいだ。実力もあるし、何というか、強さが分かり易いのである。
ライアスも、事実上一番色々教えてくれたシェリさんには、頭が上がらないのだろう。きちんとさん付けで呼んでいる。
それにシェリさんは、気が短い上に才覚に欠けるライアスにも、匙を投げずにきちんとつきあって教えている。
面倒見が良い相手だし。慕うのも、よく分かる。
それにしても、メルルが子供の頃には考えられない光景だ。悪魔族が、アールズの王都で、人と馴染んでいるなんて。
トトリ先生のお師匠様の功績らしいのだけれど。
ライアスが行ってしまうと、アニーちゃんがむくれた。
肩車。
そう呟くと、アトリエにもそもそと入って行ってしまう。拗ねると、しばらくは出てこない。
まあ、それも致し方ないか。
それにシェリさんが戻ってくれば、機嫌も戻るだろう。子供の機嫌は、そんな風な、気まぐれなものだ。
実際、昼過ぎにシェリさんが戻ってきたときには、すっかりアニーちゃんの機嫌は戻っていた。
そして、これが。
この日の平穏の、ラストだった。
夕方。
色々あった一日が終わりそうなタイミングで。大きな気配がアトリエに近づいてくるのが分かった。
メルルでも分かるくらいだ。
ケイナも慌てて、アトリエを飛び出す。
何者だろう。
メルルも、戦槍杖を手にとり、何とか戦闘態勢を整えて、アトリエを出た。
しかし、その時には。
もうアトリエの前に、気配の主が来ていた。
いつの間に。
一瞬で、これほどの距離を詰めたというのか。
ぞくりと、背筋を悪寒が走り抜ける。
目の前にいるそれは。女の形をした、暴力の塊だった。
年は二十前後だろう。眼光が異様に鋭くて、眼鏡の奥からも、此方を射殺しそうな雰囲気である。
錬金術師のローブを着ているのだけれど。
まさか、この人が。ロロナという人か。トトリ先生の師匠にしては、若すぎるような気もするが。
「ど、どなた、ですか」
「トトリはどうした」
「私なら此処です」
今度は後ろから。
いつの間にかそこにいたのか、トトリ先生が立っていた。手からは血が滴っている。何処かで、多分敵を殺してきたのだろう。
強い血の臭い。
手を振って、血を落とすと。トトリ先生は、メルルの前に出る。
「お久しぶりです、アストリッドさん」
「ふん……」
アストリッド。
この人が。
アーランドでも、最強の錬金術師。国家軍事力級戦士の一角でもあり、その力量は、大陸でも二番。
つまり、最強と謳われるジオ王に次ぐと呼ばれる人だ。
噂によると、既に四十の大台に乗っているという話だったけれど。
若々しいアーランド人にしても、いくら何でも異常すぎる。
十代かも知れないと、メルルは思ったほどだ。
「自分にも、禁断の秘術を実施したんですか」
「そうだ。 此奴でデータが取れたからな」
つまむようにして、影にいた子供を、前に突き出す。
可愛い子だが。
一目で分かった。
焼け付くような魔力が、全身から迸っている。錬金術師の格好をしているけれど、これは。
多分、人じゃない。
その領域には、当てはまらない存在だ。
「預けておく。 此奴と一緒にいるのは嫌なのでな」
「自分でそのような姿にしておいて、無責任な」
「十年単位のプロジェクトを実施しただけだ。 ジオ王主催のな」
「……」
いらないなら、此処で殺処分していくだけだが。
思わずメルルも、それを聞くと黙っておられず、前に出ようとする。しかし、トトリ先生に制止された。
トトリ先生は笑顔のまま。
だけれど。
わかる。
途方もない怒りのオーラが、全身から迸っている。殆ど感情を見せないトトリ先生だというのに。
壊れた心の隙間から。
まるで溶岩が噴き出すように。
怒りがわき出している。
「此方であずかります」
「あれ? お師匠様、いっちゃうの?」
小さな女の子が。
まるでものみたいにつり下げられていたその子が、初めて悲しそうに顔を歪めた。だけれど、アストリッドさんは、無言で手を放す。
トトリ先生が、女の子を受け止める。
そして、気がついたときには。
アストリッドさんは、もういなかった。
今更ながら。
冷や汗が噴き出してくる。
何だあれ。
戦場であれを相手にして、生き残れる敵がいるのだろうか。殺意の塊などと言うのは、まだ生やさしい表現だ。過酷な世界で生きてきた辺境の戦士達でさえ、見た瞬間に戦闘を避けることを考えるだろう。
化け物などと言う表現では、手ぬるすぎる。
ケイナは、腰を抜かしてしまっていた。
立てるかと聞くと、青ざめたまま、どうにか。
女の子は、何が起きたのか、よく分かっていないようだった。
この子もこの子で、異常極まりないが。
「トトリちゃん、どうしてお師匠様、さいきんいつもおこってるの?」
「ロロナ先生、大丈夫。 私が側にいます」
「本当!? 遊んで、遊んで!」
きゃっきゃっと黄色い声を上げる女の子。
聞き間違えで無ければ。
今、この子は。
ロロナと名乗ったか。
「トトリ先生、その子は」
「若返りの薬で、精神も肉体も退行させられて。 それで精神が神の領域に到達したことで、爆発的な力を得て、火力に関してはアーランドどころかこの大陸最強の存在になった、私のお師匠様。 ロロライナ=フリクセル先生だよ」
「……っ!」
今は、絶滅戦争が行われている。
手段を選んではいられないことは、分かっている。
だが、今聞かされた話は。
あまりにも邪悪。
そのような事が、許されて良いのか。人としての尊厳を、全力で投げ捨てる行為ではないのだろうか。
「私のせいだよ、すべては」
「えっ……」
「何でもない」
トトリ先生の顔から、一瞬だけ。
笑顔が消えた。
其処にあったのは、無表情などでは無い。そんな生やさしいものは、其処にはなかった。あったのは。
この世に具現化した地獄。
一瞬で、漏らしそうになった。
あらゆる負の連鎖が、このロロナという人をむしばんで。その周囲にいる全員を地獄に叩き落とした。
トトリ先生も。
おそらくは、あのアストリッドという人さえもだ。
あの人は、自分を慕っているロロナという人を、徹底的に毛嫌いしていた。それこそ、犬猫でも扱うような雰囲気だった。
勿論、人だなどと。
思ってさえもいなかった。
「しばらくは、ロロナ先生をあずかって、メルルちゃん」
「はい、それは構いませんが」
「人に対して、その力を振るう事は無いはずだよ」
気がつく。
トトリ先生の手から、また血が滴っている。
握り拳。
爪が皮膚を傷つけて。其処から、血が出ているのだ。それくらい、トトリ先生は。今の一瞬で。
精神に地獄を見ていた、という事なのだろう。
「ええと、ロロナちゃん、でいいのかな」
「うん!」
「……」
可愛い子だ。
しかし、でも実際には、メルルよりも倍は年上なのだろう。
それにしても、人生の私物化に等しい目に会って、それを気付かずに笑っていられるというのは。
きっと、それそのものが。
地獄なのだろうと、メルルは思った。
2、影の戦士達
ロロナちゃんを引き取ったは良いけれど。それからしばらく、トトリ先生は姿を見せなかった。
あくまでもロロナちゃんは愛くるしい。
年は七歳から八歳くらいだろうか。ブラウンの髪は短く切りそろえていて、子供だから、当然のように肌はすべすべ。
言葉をようやく使えるようになってきていて。世界の全てが物珍しいという風情だ。普通の子供みたいに見えるけれど。
それはあくまで、みかけだけ。
少し一緒にいるだけで、歪みは嫌と言うほど分かる。
まず、力が異常すぎる。
身体能力もそうなのだけれど、魔力が危険域どころじゃない。暴発すると、下手をするとアールズ王都が消し飛ぶレベルだ。
言動も、異様だ。
子供らしい事を言う一方。
錬金術に関しては、凄まじい知識を持っていて。メルルが調合をしていると。的確なアドバイスをくれたりする。
そうして作業をしていると。
上手く行ったりするのだから、驚きだ。
ただし、普段は子供のようにゴロゴロしていて。
アニーちゃんと、おままごとをしたり。アニーちゃんはうんざりした様子で、つきあっていたが。
こっちはこっちで、子供らしくない。
「パイが焼けましたよ」
「わーい、ロロナ、パイ大好き!」
本当に嬉しそうに、そう言ってパイを食べるので、ほっこりするけれど。でも、食べ終えると、急に雰囲気が変わる。
何かが足りなかったとか。
もう少し、こうすれば良いとか。
ぼそりと言うのだ。
しかもそれが的確だったりするので、ケイナも驚いている。かなりお料理上手のケイナだけれども。
それでも、的確な発言には、はっとさせられるようだった。
更には、厨房に立ち始める。
背が届かないから、台を用意して。パイを作ってもらうのだけれど。
凄まじい勢いで、パイを仕上げていく。
その時の表情は、子供のものじゃない。
ありとあらゆる全てが。
トトリ先生が漏らしたように、まともじゃなかった。実際、ロロナちゃんがメルルよりも倍も年上でも、驚かない。
「はい、出来たよ!」
そういって、満面の笑みで、ロロナちゃんがパイを炉から出す。
見るからに、美味しそうだ。
というよりも、お店でも充分に売り物になる代物である。見た瞬間、これは食べてみたいと思わせるほどの。
「すご。 おいしそ……」
「子供にされたという話は、本当のようですね」
実際食べてみると、完璧だ。
美味しいパイとして必要な要件を、全て満たしている。これはパイという食べ物を、完璧に知り尽くしていないと出来ない事だ。
これだけできながら。
ロロナちゃんの精神は、幼児そのもの。
異常性が、ますます際立つ。
見かけも幼児だし。精神も幼児なのに。
時々、熟練どころか、天才としかいいようがない才覚が、姿を見せるのだから。
こんなに可愛い子だ。
多分、大人になっても、可愛い女性だったのだろう。
トトリ先生が慕って、自慢の師匠だというくらいの。
一体何が、あったというのか。どうして、この人に、おぞましすぎる実験が行われてしまったのか。
夕刻。
外に出ると、不意に。
いつの間にか、前にローブを着た人物が現れていた。背丈は成人男性並。ただ、気配がおかしい。
人とは思えない。
「メルルリンス姫で、ございますな」
「誰……!?」
まずい。
格上の実力者だ。
しかも、今は丁度、城にいるルーフェスと話そうと思って軽装で出てきた。武器は持っているけれど。一人で此奴に勝てるだろうか。
一瞬の緊張。
だけれど、相手が、それを崩した。
跪いたのである。
「私はセン。 ロロナ様の近衛をしております」
「ロロナちゃんの?」
「ちゃん? ああ、今は幼児になってしまわれていますから、初対面の方には、そう見えるのかも知れませんね」
「貴方は……」
何となく、見当はつく。
ロロナちゃんの近衛という事は。大人だった頃に、何かしらの接点があって、相手を様付けで呼ぶほど慕った、という事だ。
「今は時間もありません。 我々は、ロロナ様に救われ、命を捨てることも惜しむことは無い者達である。 そうご認識ください」
「心配? ロロナちゃんが」
「有り体に言えば」
「大丈夫。 私とケイナが、ロロナちゃんはしっかり面倒を見ています。 トトリ先生もいるし、不安はありません」
しばしの沈黙。
目深に被っていたフードを、センと言う人が脱ぐ。
思わず、呻いていた。
其処にあったのは、人でさえない。
何処のモンスターとも違う。
異形の中の、異形だった。
形状だけは、人間の頭部に近い。しかし、その頭部らしき場所には、無数の目がついている。
しかも飾りでは無く。
その全てが、きちんと動いているようだった。
鼻や口は見当たらない。
別の場所に、存在しているのだろうか。
「……!」
「私は見ての通りホムンクルスです。 スピアに造られ、そして捨てられ。 ロロナ様に、精神支配から解放していただき。 そして以降は、一人の人間として、扱っていただきました」
もう一度、センさんは頭を下げる。
それは、切実な行為だった。
「普段は、我々近衛が、ロロナ様の面倒を見ておりました。 しかし、貴方が今後はその役割を引き継ぐようだ。 我等はトトリ殿の指揮下に移り、以降は其方でロロナ様を見守る事になります」
事情は、嫌と言うほど分かった。
あまりにも悲惨な異形と境遇。
この人が、ロロナちゃんを神のように崇めるようになった事を、責められるだろうか。メルルには、無理だ。
「ロロナ様を、お願いいたします。 我々も、出来るだけの事はいたしますので」
気配が、消える。
其処には、最初から誰もいなかったかのように。
誰も、いなくなっていた。
ため息をつく。
少しずつ、分かってきた。
あのトトリ先生の反応。
きっとトトリ先生が壊れたのは。あのロロナちゃんがうけた、悲惨すぎる境遇が、原因だと見て良い。
ロロナちゃんが大人だったときは。
トトリ先生も。あのセンさんも。
それこそ、全幅の信頼を預ける、偉大な人だったのだろう。おっちょこちょいとか、時々ぽーんと抜けていたりとか、したかも知れないけれど。
それでも、間違いなく。
偉人だったのだ。アーランドの歴史を変えた。
ジオ王は、メルルも知っている。幼い頃、何度か遊んで貰った記憶がある。アールズにも時々来ていて、様々な作業をしていたようだった。幼い頃のメルルは、無邪気にジオおじさまと呼んで慕っていた。
ロロナちゃんが人生を破壊されたのには。あのジオおじさまも関わっていると思うと、何もかもがやりきれない。
思わず井戸水を汲むと、頭から浴びる。
頭を冷やさないとまずい。
絶対に許せないというのを通り越して。怒りで臓腑が焼けそうだった。
「ふー」
呼吸を整えて、軽く型をこなす。
心を可能な限り無にして。
順番に、型を進めていく。
最後の一つを終えて、残心。
そうすると、だいぶ楽になった。
分かっている。
現実は、何一つ変わっていない。この世界で狂っているのは、スピアだけでは無い。きっと、恐らくは。
何もかもが、だ。
やりきれない。
世界は混沌の中にある。そして、それが改善する見込みは、おそらくない。
3、砦再建の糸口
ルーフェスから、正式に依頼が来た。
現在、アーランドは強力な援軍を受けて、敵を押している。かなりの距離後退させ、まだ攻勢に出続けているそうだ。
その間に、メルルには。
ハルト砦の修復を頼みたい、というのである。
実際、野戦陣地としてもあまりにも頼りない状況に、ハルト砦はなってしまっている。これをどうにかしないと、戦闘用の拠点としては、活用が難しいだろう。しかも、前線で戦っている戦士達の事を考えると。
彼らを土木作業につきあわせるわけにも行かない。
メルルが、渡された資材と、人員で。やるしかないのだ。
まず、現状のハルト砦の状況を確認する必要があるだろう。
この間の悲惨な戦いから、既に一週間が経過している。流石にもう落ち着いているだろうと判断。
その証拠に。
ふらりとトトリ先生が戻ってきたのである。
「ロロナ先生は私がみておくから、メルルちゃんはお仕事よろしくね」
「分かりました!」
見ておく、か。
言葉通りに取るほど、メルルだって子供じゃない。
恐らく任務に連れていくのだ。
ロロナちゃんは、トトリ先生が大好きなようで、側にいるといつも嬉しそうにしている。トトリ先生の笑顔も。ロロナ先生が側にいると。
いや、此方は代わらない。
むしろ、時々、おぞましいほどの怒りの情念が浮き上がってくるのが分かる。徹底的に抑えていても。溶岩は、時に大地の壁すらも突き破って、浮上してくるものなのだ。人の心も、それは同じ。
恐らくは、センさんという人や、その同僚達も、同じように接してくれている事だろう。
此方に関しては、心配いらない。
アニーちゃんの面倒はどうしようかと思ったけれど。
シェリの肩車が良いと言うので、一緒に連れて行く事にした。
だけれど、トトリ先生だけでなく。センさんやその仲間達がいるなら、任せてしまうのも、ありかも知れない。
ケイナとライアス、2111さんと2319さん。シェリさんとザガルトスさん。後はアニーちゃん。
皆で、砦に出向く。
昔と違って、もう今では、一日がかりなら、往復も可能だ。
それだけ、体が頑丈になって来たのである。
砦に到着。
ざっと見て回るけれど。
やはり、悲惨な状態だ。大きな戦いが此処であって。たくさんの命が失われた。それがよく分かる。
向こうでは、煙が上がっている。
殺したスピアの軍勢。洗脳モンスターやホムンクルスのしがいに火を通して肥料にする。その準備を進めているのだろう。
「これを、直すんですか……」
ケイナが、砦跡地を見て、ほろ苦い口調で言う。メルルも、内心では同感だ。これは、もう一から全部作り直した方が、早いかも知れない。
そのレベルの、悲惨な状況だ。
まず、砦の石材などの建築構造物は、全滅。
後から造られた見張り櫓なども、全焼してしまっている。
彼方此方にある天幕もぼろぼろ。
これは新しく天幕などを納入するよりも。
天幕がそもそも必要ない設備を作るべきだろう。
クーデリアさんが来た。
かなり疲れが溜まっているようだけれど。幸い、手のダメージは、既に消えているようだった。
あの痛々しい手は。見ていて悲しくて仕方が無かった。クーデリアさんがどれだけ無理をしたのかが、一目で分かる手だった。
「来てくれたのね。 助かるわ」
「戦況は、どうですか」
「かなり敵を押し返せたけれど。 敵は補給路を確保して、どんどん増援を送り込んできている。 そして補給路上空には、いにしえの時代の技術を応用したらしい、強力な飛行モンスターが確認されているわ。 今は有利だけれど、けっして余裕とは言えない状況ね」
それは、厄介だ。
何でもその飛行モンスターは、音よりも早く飛び、攻撃を仕掛けてくると言う。
撃墜の手段は、確保したそうだけれど。
前線を守るので精一杯。
敵陣に切り込むと、此奴の集中攻撃を浴びることになるのだとか。それは、かなり厳しい状況である。
まずは、この砦の再建が第一だ。
「リザードマン族は」
「大きな打撃を受けているけれど、どうにか守りきった様子よ。 もっとも、味方の援軍が無ければ、危なかったけれどね」
「……」
良かった。
それだけは、不幸中の幸いだ。
とにかく、である。
これから、砦を再建する。それをクーデリアさんに告げて、砦の縄張りを行う。まず地図と見比べて、現状を確認。
使えそうな石材などもチェック。
殆ど残っていないけれど。
あるのなら、使うのが良いだろう。
野ざらしや、天幕での生活は、どうしても戦士の心を痛めつける。やはり屋内にて休めるというのは、大きい。
それほど巨大な砦は作れないけれど。
今前線にいる千名程度が収容できる砦だったら、どうにかなる。その筈だ。
人員確保と、資材。
それに問題は、設計だが。
これは、リザードマン族との戦いで、破壊される前の砦の設計図が、役に立つかも知れない。
アールズの王城にまだある筈だ。
そして当時とは、財力も資材も、人員の数も違っている。造るのに、それほど時間は掛からないだろう。
「どうにかなりそう?」
「はい、何とかして見せます」
地盤そのものは、幸い緩んでいない。
これならば、どうにかなるはずだ。
問題は作業人員。
今、ただでさえ、前線で大きな被害を出したばかりなのである。
この状況で、追加の人員をアーランドに要求して、いれられるとは思えない。そうなると、どうにかして捻出しなければならない。
まず、この間メルルが開発した合成石材。トトリ先生に言われて、魔法の石材と呼ぶようにしているものだ。
基礎工事に、これがかなりの数必要になってくる。
ざっと見たところ、二十、いや四十はカウントしないといけないだろう。
それに、見たところ。
アーランドから持ち込んだらしい大砲類が、かなりダメになっていた。この大砲は、自動で動いて、敵を撃ってくれる上に、弾丸の装填までこなす優れものだ。かなり構造は複雑だけれど、ハゲルさんと協力すれば何とかなる。
それに加えて、お薬の備蓄。
パメラさんに協力して貰うにしても、かなり増やしておいた方が良いはず。それに、何よりだ。
医療設備を本格的に作れば、拠点としての能力が上がる。
地面を掘って、地下に造るのが良いだろう。
敵の攻撃で、簡単に貫通されないようにするべきだ。
そうなると、魔法の石材が更に追加で必要になる。地盤を強化するためには、どうしても数を増やさないといけない。
普通の石材についてもある程度いるけれど。
生きている縄も増やしておきたい。
彼方此方に張り巡らせて、構造強化をしたいのだ。いや、それならばいっそ。石材そのものを頑強にするか。
しかし、魔法の石材は、一つずつ造るのに、かなり手間暇が掛かるのだ。
全てを魔法の石材にしていたら、多分時間がどれだけあってもたりないだろう。
少し考え込む。
大砲。薬。それに基礎になる魔法の石材。
これらは絶対に必須。
そうなると、ここからは、工夫が必要になるだろう。
一通りみて回った後、皆を促して戻る。途中で話を聞いてみると。やはり懸念する声が多かった。
「もう一から作り直した方が早いんじゃねえか」
ライアスはそう言う。
ザガルトスさんも、それに同意したが。しかし、付け加えもする。
「しかし、戦略的に見て、砦に最適な場所なのも事実だ。 簡単に壊されない拠点を作る事には意味がある」
「野ざらしや天幕よりも、建物の中で休めるのはかなり大きい。 我々は外での生活が基本だが、お前達は家屋に住むのが普通だろうからな」
「その通りです」
シェリさんの言葉に、ケイナも頷く。
ケイナも野戦料理は出来るし、外で野営するときも文句は言わないけれど、やっぱり家の中の方が落ち着くとたびたび言っている。
アニーちゃんはシェリさんの背中であくび。
熱も出ていないし、今は特に構わなくても大丈夫だろう。
「石材については、鉱山の方から取り出しが出来るから、大丈夫だと思う。 後は細かいのを私が基礎として改造して、砦に運んで、組み立てないとね」
「それと、大砲がいるな」
「うん……」
あくまで今の時代、大砲は牽制兵器だ。
大物のモンスターは殺せない。小物だって、殺せるとは限らない。その程度の威力しかないのである。
しかし、一糸乱れぬ生きている大砲達による射撃は、敵をある程度怯ませることは出来るし。
それで味方が有利になるのなら、大いに意味がある。
人間の力が兵器を凌いでいるこの時代でも。
兵器は、使い道があるのだ。
「それにお薬を運ぶ必要があるね。 これはパメラさんにも手伝って貰うとして……」
「止まって」
不意に、2111さんが手を横に。
瞬時に戦闘態勢に切り替わった全員が、展開。備える。
しかし、意外な事に、敵ではなかった。
アーランドの戦闘タイプホムンクルスである。それも、非常に珍しい、男性のホムンクルスだ。もう一人、そっくりな顔立ちの女性のホムンクルスもいる。
「メルルリンス姫ですね」
「はい、貴方たちは」
「ホムと申します。 グランドマスターから、手伝いをするように言われ、アトリエに向かったのですが。 留守だったようですので、ご挨拶にと」
抑揚のないしゃべり方は、ホムンクルスそのものだ。
それにしても。アーランドの男性のホムンクルスは初めてだ。しかも、二人ともホムというのだそうである。
混乱するが。まあいい。
「グランドマスターって誰?」
「アストリッドと呼ばれています」
「!」
そうか。
トトリ先生にこの間聞いたのだけれど。直接会ったことは無いのだけれど、ロロナちゃんがホムというホムンクルスをお手伝いに使っていたという。そのホムさんが、アストリッドさんに連れられていなくなり。それきりだったとか。
特に敵意は無いだろう。
皆に戦闘態勢を解いて貰う。
歩きながら、話を聞くと。色々と、とんでも無い事を聞かされた。
男の子の方のホムさんは、なんと女の子の方のホムさんから、試験的に造り出された存在なのだとか。
しかも初めての成功例だという。
「生命力という点で安定しない男性は、女性に比べてホムンクルスの作成難易度が段違いに高いのです。 同一の生命情報ならなおさら。 グランドマスターの技術があって、初めて成し遂げた例だと言えます」
「噂には聞いていたのだけれど、凄い人ですね……」
「……」
ケイナが眉をひそめる。
技術力に関しては、大陸一。トトリ先生も認めるほどなのだ。それは恐らく、間違いないのだろう。
しかし、恐らく。
大陸一の危険人物という評価も、間違っていないだろう。
王都に到着。
まだ何人かは生活できる余裕がアトリエにはある。そのままホムさんたち二人には、アトリエで手伝って貰うことにする。
ちなみに流石にホムくんは、別の家を用意する。
女子ばかりの中に一人だけ男子を入れるのは、あまり好ましい事では無い。ホムンクルスが欲望を上手にコントロール出来るとしても、だ。
そうしたら、同じように別の家に住みたいと言われたので、ホムさんにもそうしてもらう。
手伝ってもらうと言っても、何も絶対に一緒に住まなければならない、なんてことはないだろうから。
空き家はあるので、問題ない。
アトリエについて、一段落。
大変なのは、此処からだ。
まず、必要な資材を用意する。これについては、ルーフェスが手を回してくれる。後は、ひたすら調合をする事になる。
鉱石がたくさんいる。
勿論大砲の材料だ。
ざっと見込みをつけて、ルーフェスの所に話に行ったところ。それだけでは足りないと言われた。
武器の補修依頼が、大量に来ている、というのである。
なるほど、当然と言えば当然だ。
あれだけ大きな戦があったのだから。破損する武器くらい、出るのが当たり前である。
「そうなると、大量のインゴットがいるね」
「材料は準備いたします。 出来るだけ高品質な金属を量産してください」
「分かった。 後は、砦の設計図だけれど」
「私の方で手を回します。 必要な素材量が判明し次第、姫様に連絡いたしますので」
頷くと、執務室を出る。
それで、充分だ。
メルルは錬金術師として自分にしか出来ない事をやる。人員の手配などは、ルーフェスにやって貰えば良いし、決済は父上に頼めば良い。
アトリエに戻ると。
早速、残っている鉱石を取り出す。
今のうちに、もう始めた方が良いだろう。魔法の石材についても、作れるだけ作った方が良さそうだ。
それもあるし。
ホムさん達二人に、手伝えるだけ手伝って貰いたい。
トトリ先生のお師匠様の手伝いをしていたというのだ。ある程度の実力はあるだろう。期待しても良いはずだ。
後は、メルルとしては。
更に新しい道具の開発や技術に、挑戦していきたい所だ。
三日後。
馬車が到着。膨大な鉱石と、石材の素材になりそうな様々な砂利などが届いた。アトリエの側に天幕を造ってあるので、其処に移して貰う。
その中で、鉱石だけはコンテナに入れる。錆びる可能性があるからだ。
砂利類は、多すぎてコンテナには入れられない。
さて、此処からだ。順番に、作業をしていく。
ホムさん達は、動いて貰って分かったのだけれど。基本的に、作業をトレースしてくれる感触だ。
教えたことは何でも出来るけれど。
逆に応用が利かない。
そのため、メルルでも完璧に理解したと判断した事で無ければ、任せられない、というのが実情だった。
一方で、外で採取してくる分には大変有能だ。
二人ともホムンクルスの中では最古参らしく、ナンバーがかなり若いホムンクルスと、同レベルの実力を有している。
つまり、アーランドのハイランカー並みの実力者、ということだ。
何度か調合をして貰って、それは理解した。
錬金釜は、トトリ先生の分も含めて、二つしかない。
つまりこれはメルルが独占するとして。
ホムさん達には、足りない素材の調達と。
それに、中間生成液の調合。それに炉の管理などをして貰うのがいい。それが、メルルの結論だった。
まだメルルの錬金術の腕前は未熟。
人に教えてみて、それがよく分かる。
他人に教えるのには、三倍の知識が必要だと言う話は聞いていたのだけれど。実践してみると、それが事実なのだと、理解できた。
「それにしても、ね」
「倍以上必要とは、流石に思いませんでしたね」
工程表を見て、メルルは早くもうんざりしていた。
必要な基礎、つまり魔法の石材。四十七基。
大砲、八十門。
それが、当座、必要な素材だ。
お薬については、構わない。パメラさんの所で、最大速度で量産して貰っている。時々メルルは要求されたものを造るだけ。それも、決して楽では無いのだけれど。
また、大砲についても。
前線から、使い物にならなくなった大砲が戻ってくるので、それを鋳つぶして、作り直していけば良い。
これについては、ハゲルさんがある程度引き受けてくれる。
勿論メルルの方でも、作業はしなければならないが。
石材の調達についても、一部はメルルがやって欲しいと言われた。
これは、ホムくんに頼むことにする。
ちなみにメルルは。二人にピコマスターと呼ばれた。よく分からないけれど。本来のマスターであるロロナちゃんの、弟子の弟子に当たるから、だとか。
本当によく分からない。
「石材一つ、上がり!」
「強度チェックします」
完成品のチェックは、炉の管理と中間生成液の管理と同様に、ホムさんに任せている。彼女は機械的に作業をこなしてくれるので、助かる。しばらくして、合格ですと、声が聞こえた。
家の裏に積んでおく。
五基出来上がったら、納品する。勿論納品先はフィリーさんだ。かなりの人員が、関わる作業となる。
魔法の石材は。今まで橋の建設や、訓練所の建設で、実績があるのが大きい。今まで納品したものが壊れたという話もない。
勿論技術の改善に伴って、少しずつ改良している。
その内、もっとこれを複数連結して、最強の地盤を上書きできるような代物を作り上げたい所だ。
ただ、そんなものを作るとなると。
相当な手間暇が掛かるだろうが。
「ケイナ、フィリーさん呼んできてくれる?」
「はい!」
ケイナが飛んでいって、フィリーさんを連れてくる。
朝の内に、パメラさんの所で回収してきたお薬とあわせて、魔法の石材五基を納品。これで残り四十二。三日前からこつこつ造っていて良かった。すぐに馬車を手配して、運んで行ってくれる。
「手際が良くなってきたね」
「有り難うございます」
正直、雑談している暇も無いくらい忙しい。
トトリ先生が手伝ってくれれば、少しはマシなのだろうけれど。先生は恐らく、もっと難しい研究をしている。
アトリエには戻ってきてくれるのだけれど。
ロロナちゃんと一緒に、奥の研究室に籠もりっきりだ。
時々アトリエに出てきて難しい調合をしているけれど。見ていても、理解できないほどに高度な内容だった。ロロナちゃんも子供っぽい表情を見せてはいるけれど、それに側からアドバイスをしていて、しかも時々自分で調合もしている。
その技量は。トトリ先生が師匠と呼ぶのに、ふさわしい代物で。メルルから見ても、まるで及びもつかないことが、一目瞭然だった。
子供になっても、記憶は消えていない。
そう聞いてはいたが。
間近にすると、その異常さが、よく分かる。
この人は、子供に見えても。
アーランドで二位。
世界的に見ても、偉人と呼ばれるレベルの錬金術師なのだ。
その日のうちに、石材をもう一基仕上げる。終わった頃には、既に夜中。ふらふらのメルルに、ケイナが銭湯に行くよう促した。
「疲れを取るには、銭湯が一番です。 明日からは更に厳しい行程が予想されますし、今のうちに」
「うん……」
ロロナちゃんやトトリ先生を誘おうかと思ったけれど、二人とも既におねむだ。というか、とんでも無い量の参考書を、凄まじい勢いで検索しながら、高速での調合を続けていたのだ。当たり前だろう。
ホムさんを誘おうかと思ったのだけれど、彼女は指定した調合が終わると、さっと自宅へ帰ってしまっている。
この辺りは、機械的だが。
間違ったことをしている訳でも無いので、責める理由は無かった。
銭湯に出向く。
前に比べると、かなり人数が増えていた。浴槽の脇に、棒を置いている人も多い。アーランドから来ている、という事だ。
何人か知り合いがいたので、声を掛ける。
いずれもキャンプスペースであった冒険者だ。傷が増えている人も、かなり多かった。話を聞くと、やはり少し前の会戦で、手傷を受けたのだという。
「ひどい戦いだったが、援軍が来てからは楽だったな。 やっぱり陛下は強い」
「ジオおじさまは、やはり大陸最強なんですね」
「恐らくは世界最強だろう」
そう、ベテランの、三十を少し過ぎた女性冒険者は言う。彼女はアーランドのハイランカーで、この間の会戦の後に知り合った。
とにかく手酷い傷を受けたとかで、戻ってきて療養していたのだけれど。
そろそろ前線に戻れるとか。
女性としての容姿は優れているとは言いがたい。顔も厳つくて、美女とはとても言えない。
しかしその強さは本物で、引退すれば婚姻相手もすぐに見つかるだろう。アーランドでは、強さが価値となるからだ。実際、引退後は、子供も産みたいそうである。
色々な立場の人から話を聞くのは、参考になる。
また、銭湯に関しては、アーランドの方が発達している。あまり入浴の習慣がないアールズだが。アーランド人がよく利用しているので、銭湯を増やすべきでは無いかと言う声も上がっていた。
最近は、城に用事で来た難民の代表者達も、一風呂浴びていくことがあるようだ。
「砦を今改装中です。 そうですね、数ヶ月以内には、天幕では無くて、お部屋で休む事が出来るようになると思います」
「それは助かる。 簡易寝台でも、寝袋よりかなり快適だ。 雨風に対しても、備えなくていいのは嬉しい」
「ふふ、期待していてくださいね」
「頼むぞ」
風呂を出ると、ベテラン女戦士と別れる。
そして、着替えを済ませて、アトリエに戻ると。どっと疲れも出たし、そのまま眠ってしまった。
その分、朝は気持ちよく目が覚める。
軽く自主練をした後。
工程表を確認。
コンテナに降りて、素材をチェック。
そして、後は。
無心に、魔法の石材を、生産し続けた。
壊れた大砲が、何門かアトリエに運ばれてくる。設計図を見たが、相当に複雑だ。ただ金属を大砲の形に加工しているのでは無い。二重構造になっていて、壊れた場合は、内側だけ直せば良い仕組みだ。
大砲そのものの、「生きている」仕組みは、まだ健在。
雨に濡れない物陰に、自動で入り込んでくれる賢さも持っている。前から概念はあったのだけれど。実用化のレベルまで改良したのは、ロロナちゃんだと聞いて。棒で地面にお絵かきしている後ろ姿を、思わず追ってしまった。
「あ、きゃのんちゃんだ!」
ロロナちゃんが嬉しそうに、生きている大砲に抱きつく。
しばらくほおずりしていたけれど。不意に離れて、悲しそうにした。
「すごくつかれてるみたい。 うちがわもこわれちゃってる」
「大丈夫、私が何とかします」
「おねがいね」
ロロナちゃんが、心底から言うので。メルルも、引くに引けなくなる。実際、記憶が残っているといっても。見た目は愛くるしい女の子そのものだ。アニーちゃんとも仲良くなったようだけれど。
二人して、何だかメルルではついて行けないレベルの難しい話をしていて、その点でも凹む。
アニーちゃんも、相当に頭が良いのだと、思い知らされるからだ。
メルルはそれに比べて平凡。
分かっている。
だけれど、何度も見せつけられると。流石にちょっと凹んでしまう。
気を取り直して。
残っている石材の処理に掛かる。
まだ十五基を納品しただけ。まだ三十二基も残っている。一日に二基から三基を造っているので、ペースとしては悪くない。
しかし、色々な用途のお薬や。
細かい品の注文が相次いでいる。
それらもこなしながらだと考えると。やはり、どうしても時間は掛かってしまう。石材は腐らないのだけが救いだ。
まだ、行程は三分の一も処理できていない。
石材を組んでいると。
城の方から、ルーフェスが来た。嫌な予感がしたけれど、それは直後に適中した。
「姫様」
「どうしたの?」
「悪い知らせです」
「!」
わざわざルーフェスが来るくらいだ。しかも、作業をしていると分かっているのに、である。
ろくでもない知らせが来たのは、ほぼ間違いない所だ。
「砦を建設する予定だった人員が確保できなくなりました。 現在確保に動いていますが、かなり厳しい状況です」
「何があったの?」
「それが……」
ルーフェスに連れられて行くと。空き家の一つが、大きくふくれあがるように改装されていた。
臭気がある。
間違いない。錬金術のアトリエだ。
トトリ先生は、メルルの所にいる。そうなると、アストリッドさんだろう。
「アトリエになる家を提供したんだ」
「はい。 正確には、ホムンクルスの治療施設です。 失った手足などを回復させる設備なのですが」
促されて、中に入る。
其処は、異様な光景が広がる魔境だった。
以前、鉱山地下の、邪神の遺跡に入ったときと、空気が似ている。
地下に拡がる巨大な空間。ふくれあがった地上の家部分は、所詮は本棚がたくさんあるだけ。
遺跡と同じように空間的におかしい地下が造られていて。
其処には、多数の巨大な円筒形のガラスが並べられ。中には液体が満たされて。裸のホムンクルス達が浮かんでいた。
手足が明らかにつぎはぎされた姿もあり。
回復作業の途中だという事が、よく分かる。
「何だ、入るならノックぐらいしろ」
不意に後ろから声。
すくみ上がる。
声には、明白な拒絶が籠もっていたからだ。振り返ると、アストリッドさんだ。眼鏡の奥の目には。明かな狂気が宿っていた。
ルーフェスが、慇懃に対応。
「来る時間は指定していたはずです。 貴方ほどの記憶力の持ち主なら、忘れるはずもないと判断しての行動ですが。 それに戸の鍵は開いていましたよ」
「……そうだったな。 それで」
「PTSDを強引に治療できるというのは、本当なのですか」
「本当だが?」
なるほど。
それで、何となく見当がついた。
恐らく、今後方で働いている、戦場から離れたホムンクルス達や。それに負傷がひどくて前線を離れたホムンクルス達を。
無理矢理治療して、前線にどんどん戻している、という事だろう。
そうなると、今まで力仕事をしてくれていたホムンクルス達が、ごっそり前線に引き戻されることになる。
そして人員は、特に前線では幾らでも必要だ。
「待ってください。 本当に戦闘に戻りたくないホムンクルスもいるはずです。 彼女たちも、無理矢理前線に戻すんですか!?」
「それがどうかしたか」
「……!」
返答は、すなわち肯定。
PTSDを受けたホムンクルス達は、立派に戦い、その結果心に傷を受けた。彼女たちは報われるべきだ。
それを、無理矢理治療して、前線に戻すのは。
あまり良い事だとは思えない。
「分かりました。 ジオおじさまに直談判します」
「姫様!?」
「ほう。 好きにするが良い」
「そうします」
労働力の確保など、どうでもいい。
正直な話、いっそのこと難民達から、労働者を募れば良いだけだ。勿論効率は落ちるだろうけれど。手としては、それが一番無難である。ルーフェスの手間は増えてしまうが、仕方が無い。
でも、ホムンクルス達も人だ。
生まれが少し違うだけ。
2111さんと2319さんと一緒に過ごして、それがよく分かった。彼女たちは仲間の負傷に動揺だってするし哀しみもした。メルルを認めてもくれた。
そんなホムンクルス達を、消耗品として扱うのは、堪忍の範囲外だ。
「悪いけれど、ルーフェス。 ちょっとこれからハルト砦行ってくる」
「アポ無しでジオバンニ陛下に会うつもりですか?」
「今、前線は落ち着いているって話だよ。 それに、アールズが今へそを曲げると、攻勢の維持どころでは無くなるって、ルーフェスも分かっているでしょ」
「……」
勿論、これは賭だ。
もしジオ王の逆鱗に触れたら、下手をするとその場で殺される。アールズを滅ぼしても、おつりが余裕で来るくらいの戦力が、今の前線にはあるのだ。
しかし、長期的に考えると、それは好ましくない筈。
ホムンクルス達の怪我が治るのは、良い事だ。
心の傷を払拭できるのも、いいだろう。
だけれど、立派に戦った末に戦場を離れたホムンクルスたちに無理強いをする事は許しがたい。
人々の先頭に立つものとして。
看過は出来ぬ事だ。
すぐに、アトリエに戻ると、出る準備。ルーフェスは少し悩んでいたが、自分も補佐として出ると申し出てきたので、同行を頼む。
ケイナは、話を聞くと、驚いていた。
「そんな、急ですね」
「だって、許せる?」
「許せないです」
ケイナも同意してくれる。
ただ、今回はスピード勝負だ。護衛はルーフェスだけで良い。アニーちゃんの事は任せる。
それに、何よりだ。
ジオ王は、何度か会ったこともある。計算で話が通じる相手である。幾つか、交渉の手札を準備しておく。
最低限のみなりだけ整えると。
ルーフェスと東門で合流、そのまま王都を出た。
出来るだけ、急ぐ。
ルーフェスは流石に、この国でも最強の戦士だ。全力で走っているメルルに、余裕でついてくる。
むしろ、途中で茶でも淹れられそうな余裕っぷりである。
「時に姫様」
「何?」
「ホムンクルス達の自主意思をある程度尊重するように要求するとします。 やはり戦場に戻りたいというホムンクルスが多い場合、労働力は足りなくなります。 その場合はどういたしますか」
「難民から労働者を募るか、後は……」
今度こそ。
前は断念した、生きている人形を作るか、だ。
これについては、いつかはやらなければならないことだった。トトリ先生にアドバイスも受けているし、技術もついてきた今なら。
しかし、それでも手が届くかは分からない。
いずれにしても、負担は大きくなる。
何より、だ。
アストリッドという人を、野放しにするのは、あまりにも危険すぎる。
砦が見えてきた。
「姫様、足もお速くなられた。 持久力もつきましたな」
「何、このくらい楽勝だよ」
砦の見張りのホムンクルス達は、メルルを見ると、すぐに通してくれた。何度か行き来しているし、何より。彼女たちにも普通に接していたので、感謝されているらしい。これはこの間、2319さんから聞いた事だ。やはりホムンクルスを相手に横柄に振る舞う人は、何処にでもいる、ということだ。
長年、ホムンクルスのおかげで助かっているアーランド戦士でさえそうなのだ。
他の人達だって、それは同じ、なのだろう。
砦に滑り込むと、クーデリアさんを見かけたので、声を掛ける。呼吸は、すぐに整った。
クーデリアさんも、流石に不意の来訪に、驚いたようだったけれど。
即座に居住まいを正してくれる。
「どうしたの? 石材は届いているけれど、まだ砦の復旧活動は本格的には始まっていないわよ」
「分かっています。 ジオ陛下にお会いできますか?」
「!」
「お願いします。 少し重要な案件です」
ルーフェスがいるのを見て、無視できないと判断したのだろう。アポ無しとは言え、アールズの王女と宰相が一緒に来ているのだ。
当たり前の話である。
ジオ陛下は。
いた。
既に残骸しかない砦の一角で、棒に刺した何かの肉を頬張っている。側で跪いて報告をしている女性は、誰だろう。
気配からして、尋常な戦士ではないが。
「それでは、私はこれで」
「うむ。 戦果を期待しているぞ」
女性がかき消える。
速い。下手をすると、クーデリアさんよりも。ひょっとすると、そうなると。彼女が、フィリーさんの姉君である、エスティ=エアハルトか。速さだけなら、大陸最強を謳われる、ジオ陛下より上だとさえいう。
ジオ陛下が、此方に向き直る。
既に六十近いのに、大陸最強の実力は揺るぎもしない、文字通り最強の戦士。上品な口ひげと、白いものが増えてきてはいるが、まだ後退はしていない頭の生え際。そして、上物の衣服。
手元にある剣は、間違いなく最強の金属であるハルモニウム製だろう。
近年では、アーランドのハイランカーには、一通りハルモニウム製の武器が出回っているらしいのだけれど。
この人は、アーランド共和国の国家元首だ。
手にしている武器が、他の戦士と同等以上なのは、当然の話である。
「おや、メルル姫か。 誰かが来たと思ったら」
「お久しぶりです、ジオおじさま」
「おお、美しくなったな。 数年で女性は見違えるほど成長する」
目を細めるジオ陛下。
紳士然とした言動だけれど。
この人の本質が、戦士であることはわかりきっている。それも、古代の気風を残す、獰猛な戦士だ。
「早速だが、何用かね。 その様子では、顔を見に来た、というわけでもあるまい」
「はい。 ホムンクルス達のPTSDを無理に治療して、そのまま有無を言わさず前線に戻す計画があると聞きました」
「ほう。 アストリッドに聞いたな」
「はい」
あいつはと、舌打ちするジオ陛下。
つまりそれは、本当だと言う事か。
そして、ジオ陛下も。
それに荷担している、という事になる。
何となく、見えてきたことがある。トトリ先生や、クーデリアさんほどの戦士が揃っていて。どうしてロロナちゃんの悲劇を防げなかったのか。
でも、それはあくまで推論。
まだ口には出来ない。
「私は、ここしばらくで、ホムンクルスにも人の心がある事を学びました。 彼女たちは、生まれこそ違えど、人であると私は考えています」
「ふむ、それで」
「負傷して、名誉の末に戦場を離れたものには、選択権が与えられるべきかと思うのです」
PTSDを治療するのはいい。
あんなもの、あっても得など何一つ無い、病気なのだから。
しかしその後。
PTSDが無くなったからと言って、戦場に強引に連れ戻すのはどうか。戻りたいというのなら、それもいいだろう。アーランド人だって、辺境の民だ。ホムンクルス達だって同じだろう。
根っから戦闘が好き。
そう言う人もいるはずだし。
メルルだって、戦闘そのものの呼び起こす興奮と歓喜については、理解しているつもりだ。
否定する気は無い。
だが、もし嫌だというなら。
戦士として立派に戦い、その末に戦場を離れたものには。
以降どうするか、決める権利がある筈だ。
「要するに、PTSDがあろうがなかろうが、今までの対応は堅守すべきです」
「なるほど。 確かに君の言う通りかもしれん」
「ならば」
「しかしな、現実問題として、戦力が足りん」
今、アールズには、大陸最強の戦士達が集っている。それでもなお、熱心に兵力をかき集めているスピアの軍勢は圧倒的。
先ほど出かけていったエスティさんも、敵を削る事に関しては相当な手腕を見せているし。敵の補給路や拠点を破壊工作もしてくれているけれど。それでもなお、とても手が足りないという。
「敵の戦力は無限に等しい状態だ。 何か回避策はあるのかね」
「今、難民の受け入れを加速させ、その分の援軍を周辺国から供出して貰っています」
「ほう」
「彼らも辺境戦士。 敵に遅れは取りません」
腕組みするジオ王。
此処で、更に兵力を、と考えたいところなのだろうけれど。メルルとしては、それには待ったを掛けたい。
今まで上手く行っていたものをねじ曲げれば。
きっとろくでもない事になる。
目先の利益に釣られていてはいけない。
そんなことでは。
いずれ、足下を掬われる事になるだろう。
「なるほど、更に難民の受け入れを加速する、か。 それで戦力不足を解消できる見込みもあるのだな」
「此方を」
ルーフェスが、資料を出す。
来る途中。その記憶力から引っ張り出し、走りながらゼッテルに記載した書類だ。事実上の宰相が書いたものである。きちんと国際的な交渉に使える品である。
しばしそれを見ていたが。
ジオ王は、頷いた。
「いいだろう。 計画は撤回する。 PTSDの治療については続行するが、その後戦場への復帰は、各自の判断に任せることにする」
「ありがとうございます、ジオおじさま」
「うむ……。 しかしホムンクルス達を大事に思ってくれているのだな。 我が国でも、消耗品としてしか考えぬものは多いのだが」
貴方がそれをいうか。
一瞬言いたくなったが。しかし、ジオ王の言葉が、理にかなっているのも、これまた事実なのだ。
実際問題、兵力が足りない事に、代わりはない。
そして一カ所でも前線を喰い破られれば、尋常ではない損害が生じるのである。
「それでは、ジオおじさま、これにて失礼いたします。 帰ろう、ルーフェス」
「はい。 それでは、これからも良きつきあいをお願いいたします」
握手を交わすと。
そのまま、帰路につく。
ルーフェスは、冷や冷やしたと、併走しながら言った。
メルルだって、分かっていた。
ジオ王が、立場を利用して、聞く耳を持たない行動に出る可能性だってあったことは。実際、何度か、ひやりとさせられる場もあった。
ジオ王は、針のように。
小分けにして、殺気をうち込んできていた。
メルルの反応を見る為だ。メルルは全て分かっていても、どうにか笑顔を保ち続ける事が出来た。
ジオ王は、いつでも。
多分斬ったとさえ理解できない間に、メルルを殺す事が出来た。多分ルーフェスごと、である。
それを理解して、なお交渉が出来るか。
試してきていたのだ。
重圧で、今更になって足が震えてくる。でも、メルルは耐え抜いた。耐え抜いたのだ。
色々問題は山積している。
今回の件で、労働力の問題が解決したとも思えない。そうなると、生きている人形の作成を、急がないとならないだろう。
「ルーフェス、計画の練り直しを急いで。 私は必要な物資を、急いで調合するから」
「分かりました。 直ちに」
さて、これからだ。
戦いは、ここからが本番だと。メルルは頬を叩いて。気合いを入れ直していた。
4、影と影
トトリの足下には、ボロぞうきんのようになった死骸。やはり、紛れ込んでいた。ヒトの形に偽装した、スピアの工作要員だ。
動きからして、レオンハルトから吸収した技術を詰め込んだのだろう。
それを大量生産して、送り込んできている。
厄介な話である。
少し前に、洗脳された戦士が問題を起こしたが。此奴らが多数アールズに潜んでいるとなると。洗い出しが大変である。
掴んでいた頭を、そのまま握りつぶす。
死骸の、首がない胴体は、まもなく痙攣を止めた。
振り返る。
ロロナ先生だ。笑顔のまま、もう一匹のしがいを引きずっていた。其方はと言うと、丸焼きになっている。
「トトリちゃん、おわった?」
「はい、ロロナ先生」
「このようすだと、まだたくさんいるね。 ころすの、めんどうくさいなあ」
「そうですね」
昔だったら。
絶対ロロナ先生は、そんな事は言わなかった。
だけれど、トトリは笑顔を崩さない。これは自分に与えられた罰なのだから。感情を抱く権利は、自分には無い。
押さえ込め。
言い聞かせて。
胸の奥にあるどす黒い闇を、力尽くで押し殺した。
センが来たので、死体の処理は任せてしまう。他のロロナの近衛達も、黙々と作業を開始した。
死体は回収して、アストリッドのラボに送る。
其処で、徹底的に調べるのだ。
二人で歩きながら、話をする。
さて、これからどうするか。何匹か、工作用ホムンクルスは発見して潰してきたけれど。それでも、まとめて処理しないと、今後は危ないだろう。
「センちゃん達と協力してもむりかな」
「そうですね。 少しばかり、手が足りないと思います。 発見も、容易ではありませんし」
「だとすると、うたがわしい相手を、みなごろしにする?」
「それもいい手ですが……」
いや、良くない。
そんなこと。
合理的に話をしているはずのロロナ先生の言葉が、ひどく心を痛めつける。トトリは、笑顔を保ったまま、答えた。
少し早いが、仕方が無い。
「私に考えがあります」
「うん」
「振動機を、使います」
振動機。
あまりにも漠然としたネーミングだが、これには意味がある。正体を悟らせないようにするためだ。
既にスピアの手は、アールズ内の不満分子の中にも紛れていると見て良い。しかも前線があのようになった後だ。
予想よりも遙かに多くの工作用ホムンクルスが、入り込んできているだろう。
「一なる五人からの指示を、ちゅうわするんだね」
「はい。 恐らく殆どの工作用ホムンクルスは、それで即死します」
「だけれど、次からはたいさくされる」
「はい」
その通りだ。
ロロナ先生は、当たった当たったと、きゃっきゃっと黄色い声を上げて大喜び。
だけれども。
不意に、冷酷な。
神としての思考が、表に出てくる。
「やろう。 対策されたら、此方も対策し返せばいい」
「しかし相手は、世界最高の頭脳が五連結した怪物です。 その上、リソースの強化に、恐らく万を超える脳を連結していると見て良いでしょう」
「だから何? 有象無象など、どれだけ集まっても、私とトトリちゃんの敵じゃないよ」
するりと、抜けたように。
ロロナ先生が、幼子の表情に戻る。
嗚呼。
嘆いても、もはやどうにもならない。
ロロナ先生は。
既に人ではないのだから。
アトリエにつく。メルルちゃんが、熱心に作業をしていた。必死の勢いで、魔法の石材を生産している。
まだまだ、とても足りないのだ。
「トトリ先生、お帰りですか?」
「うん。 何か分からない事、ある?」
「生命付与について、後でお願いします」
目を細める。
この間生産できなかった、生きている人形を、ついに作るつもりか。それもまた、良いだろう。
ロロナ先生には、先にアトリエの中に入って貰う。
トトリは。
メルルちゃんの作業を見て、一つずつアドバイスしていった。
才覚は無いが。
努力で埋め合わせているメルルちゃんは。腕を確実に伸ばしている。そして本人は気付いていない様子なのだけれど。
一度造ったものに関しては、以降は手際が抜群に良くなる。
これは普通そうなのだが。
メルルちゃんの場合、伸び幅が図抜けているのだ。
やはり、自分の目に、狂いは無かった。
手伝いをしながら、気付く。
うしろから、メルルちゃんの首に手を伸ばしかけていた自分に。すっと、手を引っ込めた。
何故だろう。
まぶしいメルルちゃんの光が。
一瞬どうしても、おぞましいまでに、疎ましく感じられた。
(続)
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