人蟻の群れ

 

序、滅びから逃れて

 

ほんの数年前まで。

世界の中心だとさえ考えていた。軍事力においても、北方列強の中で屈指。南部の蛮族など歯牙にも掛けぬと自負して、何処かで驕っていた。

マルカス=パーミリオンは、今年で四十七歳になる技術者である。国家に仕事を依頼され、鉱山を開発するのが任務で。

古き時代の遺跡から開発した機械類を使って、鉱山を露天掘りする技術に関しては、並ぶもの無しと自負していた。

強い愛国心は、強国の民であると言う誇りに支えられ。

南部に住まう、文明を知らない蛮族共を徹底的に軽蔑し。そして、人間ですらないリス族や悪魔族、ペンギン族らに到っては、禽獣としか考えていなかった。

しかし。

その思考は。文字通り、一瞬で粉砕されることになった。

あまりにも凄まじいスピア連邦の猛攻。連携を取り損ねた列強諸国は各個撃破されていった。

中でもマルカスの故国は、真っ先にスピアに落とされた。

燃える首都。

無敵を誇った軍の、あまりにも無惨すぎる姿。

戦闘用モンスターに食い荒らされる、力なき民。

これは戦争でさえない。

兵士は時々害獣と化し、民を虐げることはある。だがそれはあくまで人間の範囲内。スピアが率いていた戦闘用ホムンクルスとモンスター達は、それこそ人間を肉塊としか扱わなかった。

虐殺とさえ言えなかったかも知れない。

収穫であり、駆除でしか無く。

捕らえられれば、何をされるかわかりきっていた。

前線から、或いは他の国からの報告は、マルカスの所にも来ていた。その凄まじい有様に、戦慄したマルカスは。

自分が知っている世界が、既にこの世に無く。

地獄が顕現したことを、思い知らされたのである。

見る間に前線が迫ってくる中。

マルカスは既に動けなくなっていた老父母とともに国を脱出。二人は荷車で揺られている内に、精神を病んでしまい、命を落とした。

息子は軍にいたが、消息不明。

将来を嘱望された士官だったのだけれど。この様子では、生きている筈もない。せめて楽に死ぬ事が出来たことを、祈るほか無かった。

必死に幾つかの国を点々としながら、見る。

自分がしていたように。

難民が、逃げ込んだ国から、差別されている有様を。

蛮族と言われていたアーランドが、急激に戦力を拡大。スピアと真っ向から戦いはじめ、列強がようやく体勢を立て直した有様を。

自分が信じていたものは何だったのか。

50近くになって、マルカスは思い知らされ。そして、打ちのめされた。

列強はどうにか大連合を組んでスピアに立ち向かったが、しかし内部では未だに頭が花畑の連中が、陰惨なもめ事を繰り返しており。

ある意味究極一枚岩のスピアに勝てる訳が無い事は、マルカスも理解していた。

だから、出来るだけ急いで、前線を離れるべく、他の難民にも言い。自分も、疲弊しきった足を動かして、必死に逃れた。

何度か、敵軍に追いつかれた。

その度に巻き起こる凄まじい虐殺。

スピアのモンスターやホムンクルスは、老若男女関係なしに殺戮した。手当たり次第に殺していくその有様は、神話に聞く古代文明の終わりを思わせるものだった。地獄がこの世に現れている。その認識は、間違っていなかった。

その度に、遅滞戦術を行っていたアーランドの戦士が、救援に来て。

モンスターを蹴散らしてくれた。

凄まじい強さで、軍人達が噂していたとおりだった。

アーランド人が敵にいたら、逃げろ。

アーランド人がたくさん敵にいたら、逆らわずに降参しろ。

外貨や物資を稼ぐために、各国で怖れられたアーランド戦士の実力は本物で、十倍二十倍のモンスターにも臆せず、むしろ圧倒するほど。

何度も何度も難民キャンプを蹂躙されながら。

マルカスは必死に逃れ。

そして、南部辺境諸国に足を踏み入れた。

今まで自分たちが、無邪気に差別していた相手が。それをどう感じていたのか。足を踏み入れて、ようやく理解する事になった。

当たり前の話だ。

文明が、文化が違うだけだったのに。

蛮族と呼ばれて、気分が良いものなどいるだろうか。列強の中には、南部の辺境を侵略するべく牙を研いでいた国だって多かった。

南部辺境の価値観である自然の保護など、北部列強の民には、ちゃんちゃらおかしい寝言でしか無かった。

それらの理屈が。

此処ではきちんと根付いていた。

しかも、近年では、長年の課題だった亜人種との和解まで、急ピッチで進めている有様だ。

何名かの英雄的な錬金術師の手柄だと聞いて。

マルカスは。自分の技術者としての経歴が。長年誇りにしてきたものが、恥ずかしくなるのを覚えた。

南部諸国の領内に入ってからは、敵に追われることは無くなった。当然だろう。スピアの軍は、食い止められているのだから。

しかし過酷な自然に、好意的とは言えない南部諸国の民。そして、モンスターによる襲撃は、難民の心を容赦なく削り取っていった。

病に冒され、その場で崩れ落ちるように死んでしまったもの。南部辺境の医療など受けられるかと叫んで、そのまま朽ちるように倒れてしまった老人。モンスターの襲撃で、笑いながらモンスターに飛び込んで行って、自殺同然の死を遂げた若者。思えば、発狂してしまっていたのだろう。

数多くの地獄を経て。

どうして自分のような老人が、無意味に生きているのだろうと思い。何度も悔し涙を流した。

もっと生きているべきものは、他にいたはずだ。例えば、息子とか。息子は生きている筈も無く。絶望しか無かった。

何もかも、捨ててきた。

故郷から持ち出したものもあったけれど。逃げ回る内に、殆どを紛失してしまった。妻の遺髪さえ。

そして、ぼろぼろの服を着たまま。

マルカスは、アールズへと、足を踏み入れた。

 

アールズに入ってからは、何もかもが霞が掛かったようだった。思うにマルカスも、殆ど発狂寸前にまで追い込まれていたのだろう。

老齢に入ってから何もかも失った。

財産だけでは無い。

家族さえも。

価値観までも。

そうなって、誰が無事でいられるだろうか。

言われるままに、作業をこなす。周囲には悪魔族やアールズの兵士がいたが。動きが遅いマルカスを見て、何度かチェックをしていた。今まで土いじりなんて、した事もない。食事はくれるし、清潔な衣服もくれた。

家まで提供してくれた。

だけれども、何もかもが灰色だった。

難民の中では、裏で連携を取ろうと画策している者達もいた。中には、アールズを乗っ取ろうと考えているものまでいるようだった。愚かしいと思ったけれど。それを口に出す気力さえなかった。

何度かそう言う過激派が声を掛けてきたけれど。

マルカスの様子を見て、失望したように去って行った。無理もない。

驚くべき事に。

治安は今までいたどの難民キャンプよりも良かった。それどころか、実のところあの夢の向こうに消えてしまった故国より良かったかも知れない。

周囲には魔術による探知が掛かっていて。

窃盗や喧嘩が起きれば、すぐに悪魔族が飛んでくるのだ。仲裁もその場で鎮圧という形を取っていて。

悪事など、しようが無い状態だった。

これを支配だ抑圧だと叫ぶものもいたけれど。

かといって、こうしなかったら、此処は蛆虫でさえ避けて通る、今までの難民キャンプ同様の地獄と化していただろう。

かといって、今が灰色である事には代わりは無い。

マルカスがぼんやりとしていると。

ある時。

不意に、目の前に。薄桃色の髪をした女がいた。女と言うには若すぎる。自慢の息子にもし娘がいたら、こんな感じだっただろう。

あれは、軍での仕事が忙しくて。最後まで結婚どころでは無かったようだが。

「マルカスさんですね」

「あんたは……」

「アールズの王女、メルルリンスです」

「……」

嘘だろう。

そう思ったけれど。

よく見ると、絹の上物を身につけているし。手にしている杖はプラティーン製だ。技術者だから、それくらいは分かる。

気品とかがあるかは分からないが。

少なくとも、枯れきった老人という、自分と全く違う相手に対して、一切物怖じしていないのは確かだ。

顔を上げると。

笑顔を浮かべたまま。メルルリンス王女とやらは言う。

気付いたが、その左右には、護衛らしいホムンクルスが二人ついていて。此方の一挙一動に、油断無く目を光らせていた。

「パドラ共和国で鉱山技師をしていたと聞いていますが、本当ですか?」

「ああ……」

「良かった。 貴方に鉱山技師として、また活躍して欲しいのですけれど。 かまいませんか?」

鉱山技師。

まさか、そんな単語が出てくるなんて。

今更気付く。

どうやら昨晩は、支給された酒を飲んでいる内に眠ってしまっていたらしい。今日は休みの日だから、と油断もしていたのだろう。

ベッドから半分落ちかけている自分。

情けない話だ。

ようやく身を起こして、わずかに身繕いする。枯れきった体では、弱々しくしか動けなかったが。

「こんな老いぼれでは、役に立たんよ」

「鉱山に関する専門知識の持ち主でしょう?」

「それは……そうだが。 機械もないし、どんな鉱山かも」

「機械よりも遙かにパワーがある我々がいます」

そういえば。

此奴らの戦闘力は、北部列強の兵士が束になっても蹴散らすほどだった。噂に聞くアーランドの戦士ほどではないとも聞いているが、それでも相当だ。

特にホムンクルスを活用するとなると。

悪魔族もいるのだ。

機械が無いなどと言うハンデは、ないに等しいだろう。

「働いて貰えませんか?」

「此処でこうしていても仕方が無い。 ……どうすれば、いいのかね」

「良かった。 彼方で同じような技術者達が集まっています。 少し待っていてください」

メルルリンス王女に指図された場所は、耕作地の隅っこの方。

そして自分が。

家の外で寝ていたことに、今更ながら気付いた。ベッドだと思っていたのは、支給された家の外にある土盛りだった。

もう、言葉も無い。

もそもそと起き出して、家の中で歯を磨いたりして、軽く身繕いする。もたもたと動いていたけれど。

少しずつ、頭の霞が晴れ始めた。

鉱山技師。

まさか、今更そんな分野で、必要とされるなんて。しかも、王女というのは本当か。

いや、噂に聞いている。

アールズの王女が、話を聞きに来る事があると。どんな内容でも怒らずに、最後まで聞いてくれると。

ただしあまり勝手な事を言っていると、最後に怒ることもあるらしい。

王女は美しくも無ければ、派手でもなく。

それでいながら。不思議と話をすると、強い印象が残るという。

そういえば、特徴が一致している。

王族が、一介の技術者に会いに来て、しかも仕事を依頼していく。考えられない事だけれど。

このアールズは、聞いた話によると、人口数百人という、国家とはとても思えない規模だそうでは無いか。

だとすれば。そういう国の王族ならば、フットワークが軽いのも頷ける。

集まっている連中と合流。

ホムンクルスの一人が、鉱山技師は此方と、何カ国語かで書いた黒板を持っていたので、すぐに分かった。

驚かされたのは、集まっている面子だ。

「マルカス部長!」

「エンゼラ、生きていたのか……」

その中に、昔の部下がいるではないか。前は太っていたのに、今では気の毒なくらいやせ衰えていたが。

いや、骨と皮だけでは無くて、きちんと健康的な体つきになっていると言うべきなのかも知れない。

それだけではない。

他の国の、名を知られた技術者もいる。

「あんた、パドラのマルカスか!?」

「そう言うあんたは、ウォーバルト連合のインジバル!?」

「まさか生きていたのか……」

「本当にな……」

少しずつ、話が弾む。ひょっとすると、お互いに。すぐ側で畑を耕していても、気づきさえしなかったのかも知れない。

雑談を、ホムンクルスは止めない。

何を話そうと、どうでも良い様子だ。

「一体何でしょうね、鉱山技術者を集めたりして。 噂だと、難民を食肉加工しているとかいうものもあるようですが」

「ありえないだろ」

インジバルが、エンゼラの言葉を遮る。

実は、マルカスも同意だ。

そんな事をしても益が無い、というのが理由である。

まだ、何人か集まってくる。名が知れた技術者も、少なくなかった。意外に生きているものだなと、他人事のように思う。

でも、人が良さそうだった奴も。

地獄を見てきたのが丸わかりなほどに、容姿が変わっていたが。

「まさかお前が生きているとは思わなかったよ」

「部長こそ。 ご両親と息子さんは?」

「両親は、すぐに体調を崩して死んだよ。 息子は……生きてはいないだろうな。 軍人である事を誇りにしていたし、最後まで最前線に残るつもりだったようだ」

「私が生きていたくらいです。 或いは」

頭を振る。

生きている筈が無いし。

生きていたとしても、どの面を下げて会えば良いのか。最前線に残り続けた息子に、どんな声を掛ければ良いのか。

分からない。

メルルリンス王女が来る。笑顔のまま、手をぱんぱんと叩いた。

「はい、注目。 馬車に分乗して、これから鉱山に向かって貰います」

「これから!?」

「……」

不安そうに顔を見合わせる周囲。

馬車に乗れと言われれば乗るしかない。だが、鉱山に行くには、すぐ北に拡がっていて、恐ろしい巨大魚がたくさん住み着いている湖をぐるっと回っていかなければならないはずなのだが。

しかし、馬車は西に進み始める。

其方は、ドラゴンが住んでいると噂の湿原では無いか。

殺されるのか。

冷や汗が流れるけれど。馬車に併走しているメルルリンス王女は、平然と一緒に歩いているし。

護衛らしい連中もしかり。

護衛の中には悪魔族さえいる。

恐ろしい悪魔族を、信服させているのか。いや、盟友のように振る舞っているではないか。

何者だ、この王女は。

恐怖という感情がないのだろうか。

「湿原が……」

顔を上げると。

あの恐ろしい湿原が無くなっていた。南に巨大な壁。その内側が、すっかり干拓されて、耕作地にする準備が始まっている。そればかりか、北側は植林されていて。リス族が、管理を開始している様子だ。

一体いつの間に。

そういえば、一時期土嚢ばかり造らされた。

大量の土嚢を、運んでいくホムンクルス達を、ぼんやり見ていたような気がする。これが、その成果なのか。

しばし行くと、鉱山らしき山が見えてきた。

メルルリンス王女と目が合う。

にこりと笑みを浮かべて返してくる王女は。何一つ、怖いものなど無いように見えた。

 

1、鉱山の錬金術

 

具体的な人員集めと計画については、ルーフェスに一任した。鉱山の麓に、キャンプスペースと、小型の集落が完成したので、後は作業を軌道に乗せるだけ、と判断したからである。

メルルは、作業に参加して貰う技術者に、自ら会いに行って。彼らを集めて、実際に鉱山に連れて行く。

彼らの中には、魂が抜けてしまっているような人や。

完全に正気を失いかけている人もいた。

無理もない。

地獄をくぐってきたのだ。

文字通りの、悪夢をそのまま、目にしてきたのだ。

ルーフェスに引き渡しをした後、ケイナにため息をつく。

「ひどい状態だったね」

「無理もありません」

「うん……」

心が壊れてしまっていて、もうメルルの言葉に反応しない人もいた。少しずつ、正気が戻ってきている人もいたけれど。

列強から逃げてくる過程で。家族や財産を全て失ってしまって。

正気でいられるとは思えない。

家族ごと逃げてこられれば、それは幸運すぎるくらい。

大半の人は、地獄の中。

一人で生き残るのが、精一杯。

それも、アーランドの精鋭が遅滞戦術で敵の侵攻を遅らせてくれたからで。捨て身の作戦が無ければ、被害はもっと増えていただろう。つまり、生きて此処にさえたどり着けなかった、という事だ。

地獄が重なる中。

生き残るという幸運を得ても。

それで心が壊れないという保証は無い。それくらいの、地獄の逃避行だったのだ。

辺境の民は、幼い頃からモンスターと背中合わせの生活をしている。メルルだって、最初に戦闘を経験したのは、それこそ幼い頃だ。

かなりさぼっていたから、戦闘経験は積み上げられなかったけれど。

それでも、命のやりとりくらいは、幼い頃に済ませている。

前線で指揮を執ったとき、物怖じせずに済んだのも、それが理由。だが、辺境と列強では、考え方が違いすぎるのだ。

トトリ先生が来た。

予定通りだ。

「鉱山、軌道に乗せるんだって?」

「はい。 それで、邪神と話をしに行こうと思います」

「付き添いね」

言わなくても理解してくれるのが嬉しい。

そのまま、鉱山に潜る。

坑道は多分、使わなくなるだろう。途中に魔術による監視システムが、設置されている。不用意に踏み込むと、即座に捕縛される仕組みだ。

メルルは生体認証されているから大丈夫だけれど。

難民達が、遺跡目当てで忍び込んだら、その場で捕まる。

最深部まで潜るけれど、監視がしっかりしていて、モンスターはいない。一応襲撃を警戒しながら動いていたが。

その恐れも無さそうだ。

「しかし、いちいち面倒ですね」

「仕方が無いよ。 邪神の戦闘力については、前も話したよね。 殺し合いにならないだけ、マシだと思って」

「……」

外で、ケイナと一緒に待って貰っているアニーちゃんの事を思い出す。

熱はやはり、時々出す。

その度にかなり苦しそうにしていて、胸が痛む。体が弱くて熱を出しているのでは無い。外の世界で、今寝ている人達が生きるために。スケープゴートにされているのだ。

そんな事が許せるか。

許すしかない。

あのダブル禿頭を敵に回すと、それこそアールズの全軍を動員しなければならないくらいの騒ぎになる。

今、そんな事をしている余裕は無い。

大半の戦士は前線で。

残りも、各地の監視で手が足りない状況だ。

王族は、民を導く立場にある。だけれども、万能でも全能でもない。アニーちゃんに対しては。お薬を的確に挙げて。熱の苦しみを和らげて。彼女が不幸にならないように、してあげるしかない。

それしか出来ない事を思うと。

メルルは、胸が苦しくもなる。

「それで、トトリ先生。 今日は、技術提供を提案するとか」

「そうだよ」

勿論、提供して貰う側だ。

アニーちゃんを此方であずかったことで、邪神の方にとっても、便利なデータが行っているはず。

此方にも有益なデータを提供して貰うのは、ありだろう。

勿論、鉱山の扱いについては。今まで通り、相談しながら決めていく。鉱物資源さえ全て取ってしまえば、元の形に戻すのさえありだ。

邪神に取ってみれば。

内部にいる人々が、外で暮らせる環境を作る事だけが善。

それ以外の事には興味も無いようだし。

交渉次第によっては、古代の貴重な技術を引き出せる可能性が高い。

今は、どんな出でもいい。

実用的な道具が、幾らでも欲しい。技術に関しても、それは同じ。必要なデータは、いくらでもある。

最深部に到達。

トトリ先生が戸に手を触れると。

すぐに邪神は反応した。

「如何したか、錬金術師」

「アニーちゃんからの情報はどうですか?」

「有益なデータが次々に集まっている。 感謝の言葉も無いほどだ」

「それでは、対価として。 鉱山開発に有用そうな技術を幾つか提供いただけませんか?」

しばし、黙り込む邪神。

メルルは後ろで見ているだけだ。

というのも、此奴には、冷静でいないと、どんな言葉を浴びせかけるか、自分でも自信が無いのである。

「ふむ、良いだろう。 現時点でアニーによる情報収集は順調で、代わりを起動する必要も生じていない。 データ提供にロスタイムがない以上、此方としても提案に答えるのが筋だろう」

「よろしくお願いします」

何か、聞き取れない言葉が流されるが。

トトリ先生は、それを火が出そうな勢いで、ゼッテルに書き取っている。凄いと言うよりも、完全に人間を超えている。

しばし時間がして。

トトリ先生は頷いた。

「なるほど、有用なデータですね」

「気に入って貰えたようで何よりだ」

「メルルちゃん、帰ろう」

「はい」

不愉快だけれど。

従うしかない。

帰り道、機嫌が悪いメルルに、トトリ先生は気付いていたようだけれど、何も言わない。途中で、先ほどの技術について、後で書物に起こすと言っていた。その中で、メルルにも作れそうなものについても、まとめてくれるのだとか。

「時に、新しい杖を作っているんだって?」

「はい。 プラティーンが準備できましたから」

ハゲルさんの方でも、設計が済んでいる。

メルルとしても、今の杖では正直軽くなってきているのが事実だ。そろそろもう二回りくらい重い武器を手にして、それで戦ってみたいのである。

鉱山を出る。

外では、ルーフェスが指揮をして、作業を始めていた。

まず山の斜面などに生えていた植物を、移植する。移植する先はいくらでもある。というよりも、そもそも干拓した沼沢地がその第一候補だ。次々に荷車に乗せ、移動していく植物。

枯れ木もある。

それらは斬り倒して、様々に活用する。

作業が終わったら、露天掘り開始だ。

実際、ホムンクルス達の身体能力でなら、北部列強で使っていた機械類と同等以上の効率で、露天掘りを実施できる。

向こうでは、古代の機械を使って、文字通り山を削り取りながら掘っていたそうなのだけれど。

同じ事が可能だ。

作業の進捗は悪くない。

何よりも、沼沢地の干拓が成功した事によって、人手がかなり回るようになったのだ。働いている十名ほどのホムンクルスは、皆PTSDで前線を離れた者達。いずれも、並外れた身体能力を発揮して、土を掘り返している。

技術者達は、細かい指導をしているけれど。

この様子なら、メルルが口を出す必要はないだろう。

悪魔族も数名いて、汚染された土が出てこないか監視している。

また上空にいて、モンスターの襲撃に備えてくれてもいるようだ。

皆と合流して、一度アールズに戻る。

アニーちゃんが咳をしていた。

熱っぽいのかと思ったけれど。単に埃っぽいだけだったらしくて、安心する。山を丸ごと切り崩しているのだ。

埃っぽくなるのも、また致し方がない。

 

アトリエに戻ると、トトリ先生は自室に籠もる。執筆に全力を尽くすのだというけれど。前線は大丈夫なのだろうか。

少し不安になるけれど。

最近は、前線の夜が真っ赤になる事態も減っている。

その代わり、前線から送られてくる負傷者は、却って増えていた。つまり今までは、負傷者を戻してくる余裕さえ無かったのだ。

静養して、また前線に向かう。

そのために戻ってくる負傷者が大半だ。

ホムンクルスの中には、手酷い傷を受けていて、そのままアーランドに戻る子もいる。手足を失っている子も多い。

いたましい。

はやく、敵を押し返すための力を準備しないと。

そのためにも、各国の力を削いでいる難民達を、どんどん引き受けないと行けない。実際、難民を引き受けた国からは、援軍が優先的に来ている。大半は前線に向かって。一部は、難民の管理のために廻してくれている。

いずれにしても、メルルが頑張れば頑張るほど。

状況は良くなる。

そう考えて、行動を続けているが。

アニーちゃんの事を思うと、胸が痛い。どうやら咳は大丈夫だったらしいのだけれど。帰る途中、沼沢地跡で何か病気を貰ったらしく。今はまた熱を出して、投薬後はずっと眠っていた。

普段眠ってばかりなのも。

こうやっていつ熱を出すか分からないから、体力をセーブするため。

そう考えるとしっくりもくる。

また、アンニュイな言動に関しても。自分が課せられた運命を思えば、仕方が無いのかも知れない。

いずれにしても、メルルには、出来る事も限られている。

部屋から、トトリ先生が出てきた。

戸棚に、何冊かの本を入れる。

その内の一つ。

鉱山に使えそうな道具類をピックアップした本を、渡してくれた。

「はい、メルルちゃん」

「これが、その、例の」

「うん。 よく読んで、作って見て。 今のメルルちゃんなら何とかなりそうなものを揃えてみたよ」

「分かりましたっ!」

トトリ先生は、そのままふらりとアトリエを出て行く。

34さんが向かえに来ていたから、多分前線に行くのだろう。そしてこの人が死んだり怪我したりする所なんて、想像も出来ない。

死ぬときは、あるのだろう。

でも、今のトトリ先生は。

そう言うことが想像も出来ないくらい、人間離れしてしまっていた。

ため息一つ。

気分を落ち着かせると、参考書に向かう。

中を見ると、今までとは比較にならないほど難しい。そして、ついにこれが来たか、とメルルは思った。

エンチャント。

生無きものに、命を与える技術。

それを利用して、様々なものをつくる。

例えばこの参考書には、生きている縄。普段は縄として待機していて、危険があった場合オートで対応して、周囲の人間を助ける道具。

トトリ先生に、聞いた事がある。

スピアの大軍勢に包囲されて、脱出するために酷い目にあった事があるらしいのだけれど。

その時荷車に生きている縄をたくさんつけて。

どうにか全員生きて脱出に成功したのだという。

現在、北部列強の残存戦力をまとめて、前線で指揮を執っているガウェイン公女と知り合ったのもその時らしい。

トトリ先生は異常に顔が広いけれど。

こういう道具を使って、周囲を助け。自分も生き延びてきたからこそ、顔が広くなっているのだろう。

他にも、ある。

ホムンクルスの作り方。

とはいっても、2111さんや2319さんのような、生まれが違うだけの人間、ではない。

本当に、土塊を固めて体をつくり。

其処に命を与えたものだ。

生きている縄の延長で、知性もそれほど高くは無い。ただ言われた事を、反射的に行うだけ。

見かけは可愛らしい子供の姿をしているけれど。

表情も動かない。

だから、名前は生きている人形。

これについても、北部列強から逃れてきた民のヘルプをしてもらう。モンスターに襲われたら、身を挺して守り。

力作業については、代行してあげる、というものである。

生きているつるはしもある。

これに関しては、動力部分が存在していて。それの上にくっついたつるはしが、自動で振るわれる、というものだ。

動力部分は多脚型で、どんな危険な山道でも平然と越えていく。

指定した地点の土を、効率よく掘り返してくれるが。ただこれに関しては、ホムンクルスの手が足りない場合に、ヘルプで入るくらいだろう。

それと、灯り。

自動で周囲の魔力を集めて、その時の反応を生かして光るもの。ちなみに集まった魔力は、光ると同時に周囲にまた散らばるので、壊れるまで半永久的に灯りがつく。

便利な道具だけれど、ちょっとお高い。

正直油で使うカンテラの方が、ずっとコスト的にはいい。

ただこれの利点は、放置しておくだけでずっと灯りが付き続ける、ということ。

モルゲン練金灯という名前があるが。

多分これが、一番難易度的には上だ。今のメルルでは、ちょっと練習を重ねないと、手が届かない。生きている人形は、今回はパス。多分造るのは無理。もっと技術がついてから、着手することにする。

一通り見た後。

まずは生きている縄から作る事にする。

墓地はアールズにもある。

縄を造った後、悪霊を定着しやすいようにする。そして、悪霊に、縄を体だと錯覚させる。

そうすることによって、悪霊は縄を動かす事が出来るようになるのだ。

問題は、悪霊に言うことを聞かせることだけれど。

本を読む限り、幾つもの対処策がある。要するに、縄に入り込んだ悪霊は、自分がしたい欲望を忘れて。最初の指示通りに、周囲を助ける行動を繰り返すようになっていくのである。

そして、ある程度行動すると。

欲や恨みそのものが発散され。

縄はもう動かなくなる。

生きている縄が動かなくなるという事は。中に入っていた悪霊が、天に帰った事を意味している。

生きているつるはしについても同じ。

これは多脚の部分が難しいだけで、根本的な思想については、まったく代わることがないのである。

生きている人形もそうだ。

中に入れるのは、基本的に悪霊だ。

だから、動かしてみて、ちゃんと稼働するか確認はしなければならない。初期の頃の錬金術師は、生きている道具に逆襲されて酷い目に会うことも多かったらしい。トトリ先生は、徹底的に注意点を書いてくれている。これに従って、丁寧にやっていけば大丈夫だろう。

まずは、生きている縄からだ。

干し草は、たくさんストックがある。丁度良いので、ひとっ走りして、貰ってくる。これを編みながら、幾つかの薬剤を調合。

中間液も十種類以上あって、かなり難しいけれど。

参考書を見る限り、生きている道具類のベースになる液体だ。

たくさん作って置いて、損は無いだろう。

ケイナが、寝室から出てくる。

「アニーちゃんは大丈夫?」

「容体は安定しています。 熱も下がりはじめました」

「良かった。 まだ調合は掛かるから、晩ご飯の準備は待ってくれる?」

「はい」

ケイナを待たせてしまうのも何だ。

出来るところは、全て済ませてしまうべきだろう。

魔法陣を書いて、その上に中間生成液の一つを置く。このアトリエは魔力が集まる地点に造られているので、すぐに中間生成液は変質を始める。

用意した中和剤を使って、順番に生成液を混ぜ込んでいく。

一つずつ丁寧に反応を見ながら。

作業を続行。

一段落した頃を見計らって、ケイナが晩ご飯を作り始める。後は、反応が進むのを待ってから、次の作業だ。

「ねえ、ケイナ」

「何ですか、メルル」

「私、みんなの役に立ててるかな」

「大丈夫、凄く役に立っています。 ルーフェス様の補助があってこそですけれど、それでもメルルがいなければ、この国はもっと状態が悪くなっていましたよ」

そうか。

ケイナは嘘をついたりしないし、本当にそう思ってくれている、という事だ。すこしばかりこっぱずかしいけれど、嬉しくもある。

夕ご飯は、温かいシチュー。

おなかいっぱいになるまで食べると。

後は、寝るまで。

調合を続けた。

 

墓場に仕掛けた縄を回収に行く。

錬金術で作り上げた液に縄を浸して。墓場に一晩放置。それで、悪霊が定着するのだ。さて、動くかな。

床に、ばらりとほうきをばらまく。

「それじゃあ、このほうきを縛ってまとめて」

「ええっ!?」

ケイナが吃驚して飛び退いた。

縄が自動で動いて、ほうきを全てまとめたからだ。動きは蛇そのもの。

蛇を怖がるほど、ケイナも柔では無いけれど。

いきなり動いたので、びっくりしたのだろう。

アニーちゃんが起きて来た。もう熱は大丈夫なのかと思ったけれど。ぼんやりした様子である。

蛇のように蠢いている縄を見て、そのまま歩み寄っていく。

「面白いね、これ。 縄なのに蛇みたい」

「確かに凄いね」

参考書を見ると。

犯罪者の捕縛などでも、有用だという。

金庫の側などに仕掛けておいて、知らない人間が来たら捕まえるように指示しておく。そうすると蛇のように動いて、泥棒を捕まえてくれるという事だ。セキュリティ強化にはもってこいである。

流石にベテラン以上の辺境戦士には通用しないだろうが。

「はい、ほどいて」

生きている縄がするすると、巻戻る。

ほうきはその場に、雑多に散らばっていた。外に出て、幾つかの作業をやって貰う。中々に生きが良い縄で、ちゃんと動いてくれる。蛇のようでもあるけれど。噛みついたりはしない。

「メルル、何ですか、その気味が悪いもの」

「生きている縄だよ」

「……」

やっぱりケイナは嫌なようで、扉の影からこわごわ此方を見ている。

蛇なんかは平気なのに、不思議な話だ。

「蛇は時々料理してるのに、これは駄目なんだね」

「何だか得体が知れなくて怖いです」

「悪霊を定着させているんでしょ?」

思わず無言になる。

アニーちゃんが此方を見上げるけれど。なんと答えたら良いのか分からない。確かにその通りなのだけれど。

教えたか、そんな事。

どうして分かった。

得体が知れないと、怖い。

それについて、何となく分かった気がした。今、ちょっとどうして良いか、分からなかったからである。

アニーちゃんは縄を手づかみすると、持ち上げたり引っ張ったりしていたが、その内飽きたようで放り出す。

縄は、動く事が分かった。

問題は現地で使えるか、だ。

いきなり現地で暴れ出したりしたら、色々と問題も多い。参考書には、仕込んだ悪霊がしっかり言うことを聞くか、ちゃんと制御下にあるか、見極める方法も記載されている。

それらを順番に試していく。

ちなみに夜でなくてもちゃんと動かせる。

メルル以外が指示を出しても、簡単な命令はきちんとこなしていく。

これらの要件を満たせなければ、自動で動く道具なんて、危なくて前線には出す事が出来ない。

三セット造って、一段落。

続いて、更に高度な道具の作成に移る。

次からは、生きている縄とは難易度が段違いだ。実際、まずは生きている縄を量産して、現地で使って貰うのが良いだろう。

マニュアルも並行で作成。

悪霊を定着させる液体も、増やしておく。

続いて、生きているつるはしを作成に掛かるけれど。

台車部分は良い。これに関しては、別にハゲルさんにでも作ってもらえばいいのだから。問題は、可動部分である。

危険域に人間がいるとき動かない。

作業時に、効率よく動く。

人間を傷つけないようにする。

様々なセーフティロックをつけなければならない。

試行錯誤しながら、作業をしていると。トトリ先生が戻ってきた。多分前線から直帰でアトリエに来たのだろう。

手は生首でも掴んでいたのか、血みどろのままだった。

「どう、メルルちゃん」

「はい、生きている縄は大丈夫です。 生きているつるはしは、ちょっと難しいですけれど」

涼しい顔のまま、トトリ先生が手を洗い始める。

勿論、笑顔は一瞬たりとて崩さない。

適当に手の汚れを取った後、トトリ先生が完成品を見てくれる。生きている縄については、合格を貰った。

良かった。

だけれど、生きているつるはしは別だ。

今、台車と組み合わせたつるはしを動かしてみているのだけれど。どうしても悪霊が言うことを聞いてくれないのである。

言うことを聞いてくれるように調整すると、今度はパワーが足りなくなる。

岩ぐらい砕けるようでないと、現場に投入する意味がない。

「どうしましょう。 言うことを聞くとパワー不足。 パワーを充分にすると、言うことを聞かなくなる」

「ふむ……。 動かして見せてくれる?」

「はい」

早速指示をして、作業をさせる。

笑顔を保ったまま様子を見ていたトトリ先生が、あるタイミングでストップと声を掛けてくる。

そして、しばらく無言で、生きているつるはしを見ていた。

問題があるのは分かる。

だが、何処が問題なのだろう。

しばし待っていると。トトリ先生は、つるはしを本体から外して。可動部分を、分解していった。

「此処が良くないかな」

「ええと、どういうことですか」

「簡単に説明すると、ちゃんと動力が伝わっていないんだよ」

説明してくれる。

機械がかっちり組み合っていないため、どれだけ悪霊が頑張っても、しっかり動くようになっていないのだという。

メルルも言われたとおりに手を動かしてみて、それで納得した。

これでは確かに力が伝わらない。

「困った、どうしよう」

「設計図」

「はい!」

すぐにトトリ先生が書いた参考書を持ってくる。それには精密な設計図も載せられている。

今回は、ハゲルさんに頼むほどの精密部品では無いと思ったので、自分で工作してみたのだけれど。

しかし、それがまずかった様子だ。

結局生きているつるはしについては、駄目出しを貰ってしまった。

「これは、錬金術師と言うよりは鍛冶士の領分だから。 ハゲルさんにインゴットを渡して、造るのを頼んでくるようにね」

「はい、ごめんなさい……」

流石に凹む。

ちょっとは腕が上がってきたと思ったのに。どうしてこういう所で、凡ミスをしてしまうのか。

すぐに、参考書を持って、ハゲルさんの所に行く。

ハゲルさんは赤々と燃え上がる炉に向かい合って、プラティーンのインゴットを加工している所だった。

仕事しているときのハゲルさんは。

戦闘時と同じく。おどけた様子は全く無い、職人としての顔だけを周囲に向けて、仕事に全力を注ぎ込んでいる。

だからこそ、この人は。

アーランドでも屈指の鍛冶士として、名をはせたのだろう。

「ちょっと待っていろ!」

「はい!」

幸い。待合の人はいなかったので、席について待つ。

しばしして、作業が一段落したハゲルさんが、此方を見に来る、ぐっしょり全身に汗を掻いていて、とても暑そうだった。

「ああ、何だ。 姫嬢ちゃんか。 乱暴に声を掛けて済まなかったな」

「いいえ。 ちょっと造って欲しい部品があって」

「どれ」

トトリ先生が書いた本を見せる。

そうすると。

ハゲルさんは、トトリ先生と同じ事を言った。

「これは鍛冶士の領分だな。 見かけよりずっと難しい作業が必要になるから、自分でやろうとか間違っても思うなよ」

「あー、そう、なんですね、やっぱり」

「特に円をしっかり造る作業は、熟練の鍛冶士でないと無理なんだよ。 ひょっとして、もう手を出したのか?」

「はい。 それで、上手く動かなくて」

当たり前だと、ハゲルさんが厳しい口調で言ったので、メルルは思わず首をすくめていた。

確かに、実際に動かなかったことを考えると、トトリ先生の言葉は正論だし。メルルはものを分かっていなかったことになる。

それはよく分かった。

「それで、これはどういう道具なんだ」

「難民達でも使える、自動で何でもやってくれるつるはしです。 生きているつるはしって名前です」

「そのままだな」

「奇をてらっても仕方がありませんから」

部品は数日掛かると言われたので、そのまま材料だけ渡して引き揚げる。それにしても、やはり技術と知識の不足が、こういうときに目立ってしまう。

アトリエに戻ると、ため息。

前向きに考えよう。

そう決めているメルルだって。こう何度も失敗がかさめば、凹む。ただ、これは成功のために必要な失敗でもあったので。仕方がない失敗だったのだと自分に言い聞かせて、どうにか精神的な体調を立て直した。

それから、二度改良を重ねて。

生きている縄百本。

生きているつるはし十台を鉱山に派遣したのが、翌月のこと。モルゲン練金灯も、ほぼ同じタイミングで納品することが出来た。

何はともあれ。

ようやく一段落である。

だけれども、造るだけで錬金術は終わりでは無い。特にメルルの立場の場合。現場で役に立っているかを、しっかり確認しなければならない。当然の義務である。

納品後、数日おいて、様子を見に行く。

其処までセットで考えての、仕事である。

また、今回の視察メニューには、現地で働いている技術者に話を聞くものもある。当然のことながら、北部の常識で事を進められては困る。

メルルとしては、目を光らせなければならない部分だ。

面倒な事にならないといいのだけれど。

準備を終えたメルルは、そう漠然と嫌な予感を覚えた。

根拠は無いのだけれど。

何故か、不意に気になったのだった。

 

2、削り取るもの

 

元湿地帯に足を踏み入れた頃には、遠くに鉱山が見えていた。既に露天掘りを始めているという事だけれど。

それほど、目に見えて山の形は変わっていない。

ただし山裾からは、かなり煙が上がっている。既に用意した鉱山の加工炉が、動いている、ということだろう。

「あんまり山、形変わっていないね」

「ホムンクルス十名が入っているので、もっと派手に削り取っているのかと思ったのですが」

2111さんの言葉に、メルルも同意だ。

ケイナが、意外な事を言い出す。

「それが、やっぱり技術者と監視をしている戦士達の間でもめ事が絶えないらしくて、ホムンクルス達は辟易しているとか」

「えっ!? そうなの?」

「現地から戻ってきたリブリーおじさまから聞きました。 恐らくは、ルーフェス様も知っているかと」

「それでか……」

様子を見てくるとメルルが言った時、ルーフェスが嬉しそうにしたのである。

メルルは最近、少しずつコネの構築に力を入れている。とはいっても、政治的な話をしているのでは無く。

難民やリス族、兎族と言った、今までアールズ人が嫌悪していた人々と、積極的に接触している、と言う話である。

それが、色々な波紋を引き起こしている。

裏切りものだとか、媚を売っているとか。

そういう声は、少なくとも身内からは、今の時点では幸いない。この国が小さくて、メルルの事が知れ渡っているから、だろう。

ただし、身内以外は違う。

あの姫は、何かおかしいのでは無いのか。そういう声は、どうしても出てきているのだそうだ。

人間種族に対する裏切りもの。

そう罵るものも、いるのだとか。

勿論、具体的に誰かは分からないけれど。恐らく難民や亜人種に対して、非常に強い不満を持つものだろう事は容易に想像できる。

事実、そういった不満を固めた論をメルルにぶつけて来る人はいるのだから。

しかしメルルは素知らぬ顔。

その結果、波紋はどうしても、揺らいでいるのだとか。

ルーフェスは今後を考えて、もっとメルルに経験を積んで欲しいのだろう。メルルもそれは分かっているから。何も言わない。

ただ、何というか。

あまり気分が良くない事もあるのは確かだ。

でも、これもメルルのためをして思っていること。だから、前向きに考えて、悪い気分を打ち消す。

鉱山をもう一度見やるけれど。

もしも現場の監督と技術者達の間が上手く行っていないのであれば、話もしっかり聞いておかないとまずい。

今はマンパワーを浪費できない。

現場の監督をしている戦士は、ベテランだが。適性がないのなら、仕事は他にいくらでもあるのだ。遊ばせておくのはもったいないし。効率が悪い作業をさせている余裕は、もはやこの国にも、この世界にもない。

今回は荷車で膝を抱えているアニーちゃんを除くと、2111さんと2319さん、ライアスとケイナの四人だけを護衛につけてきているのだけれど。

それは、鉱山までの安全経路が確保されているから。

もしも現場監督が暴れ出すと、この四人とメルルで止められるかは、正直な話、かなり微妙な所だ。

勿論、力尽くで逆らうようなことはしないと思ってはいるが。

それでも、若干。

歩きながら、ほんの時々だけ、不安を覚えはした。

沼地だった辺りを抜ける。

街道が続いているが、見晴らしが良い上に、リス族が常駐している森がすぐ側にある。リス族とは契約をしっかり結んでいて、安全度は極めて高い。森の管理を譲渡する引き替えに、側を通る人間を護衛することが条件なのだから、当然だ。生半可な人間よりも、群れになったリス族の戦士の方が、遙かに強い。森の中での戦闘となると、その差は更に開くのである。

街道まで出ると、蜘蛛のモンスターと狙撃戦をした鉱山が、もう間近だ。

そしてこの場所からは。

作業をしている様子が、かなり鮮明に見えてきていた。

既に緑は鉱山の表皮から完全に引きはがされ、茶色い土が露出している。その土も、表面部分は完全に取り去られていた。

当然の話だ。

栄養がたくさん含まれていて、廃棄するには惜しいからである。その辺りの緑化作業をする際に、幾らでも活用できる、宝のような土だ。

表皮を剥がしてしまうと、ごつごつした砂利と岩だけの姿になる。

それを、順番に上から皮を剥ぐようにして、むしっていく。

そうすることで、露天掘りを実現するのだ。

麓にある小さな集落では、ずっと煙が上がり続けている。火事では無い証拠に、どの煙も、炉がある煙突から伸びていた。

煙が多すぎると、かなり害が大きくなる。

だから、集落を一定規模以上に出来ないのが問題だが。まあその辺りは、工夫でどうにでも出来る。

いずれにしても、あまり急いで鉱山の採掘はできないのだ。

キャンプスペースを経て、集落に。ライアスが露骨に口元を抑えた。

「ひどい臭いだな」

「鉱石を砕いて、成分を抽出していると、こういう臭いが出るんだよ。 火薬の材料も少し掘ることが出来るから、それもあるんだろうね」

「メルル、煙を浴びないように気を付けて。 絹服に、臭いが残ります」

「そのくらいは後でどうにでもなるよ。 それよりも」

作業の様子を確認しておく方が良いだろう。

ハンマーを降り下ろす音。

砕く音。

聞いている限り、怒号の類は無い。現場監督に会いに行こうと思って周囲を見回すけれど、それらしい人はいない。

勿論メルルは顔を知っている。

見つかれば、その場で分かるのだが。

鉱山の方に行っているのだろう。

山を登り始める前に、まずは現場で働いているチームの人間に伝言が来ているか、確認もしたい。

ルーフェスのことだ。

メルルが行く事くらいは伝言させているはずだけれど。

忙しい場所だと、それがきちんと伝わっていない可能性もある。

現場で、足踏みさせられるのは面倒だ。

ホムンクルスを一人見つけた。

左腕が肘の辺りからない。戦闘で大きな怪我をして、PTSDを煩ったのだろうか。しかし、アーランドに戻れば、再生手術を受けられるはず。

いや、前線の状態が厳しくて。

その余裕も無いのか。

声を掛ける。

1940さんという彼女は。

メルルを見ると、目を細めた。

「なるほど、現場監督を探しているのですね」

「案内してくれますか?」

「しばしお待ちを」

右手だけで槍を持っていた彼女は、その場からかき消える。

しばしして、手を振りながら近づいてきたのは。

顔中に髭があるベテラン兵士。

此処の現場監督だ。

ずんぐりむっくりした体型で、遠くから見るだけでよく分かる。メルルも、幼い頃、随分とよく遊んで貰った。

基本的には気がいい人なのだけれど。

そう言う人が、差別に囚われるケースを、メルルはここ一年で、嫌と言うほどみてきた。

「これは姫様。 こんな汚いところに、ご足労にございます」

「大丈夫だよ。 それよりも、私が送った道具、活用してる?」

「はい、とても便利で助かっております」

使っている所を見たいと言うと。

すぐに案内してくれた。

山を上がりながら、隣を歩くベテラン兵士に話を聞いていく。今の時点で、予定通りには採掘をこなせているという。

予定通りには。

だがその予定は、確かルーフェスが組んだ、最低限のもののはず。前線を離れているとは言え、ホムンクルスを十名に。難民の技術者達、労働者達をいれて、達成している数字としてはささやかだ。

掘り返す音が近づいている。

「作業は順調、と見て良いのかな?」

「トラブルは多いのですが、どうにか予定通りには」

「ふうん……」

まあ、それはいい。

実際問題、ルーフェスも予定通りに採掘をしているのであれば、文句を言うことは出来ないのだろうから。

しかし元々彼は戦士で。

まだまだ、前線にいられる実力の持ち主。

辺境の戦士としても、かなり上位に食い込んでくる力を持っている。だから、こんな後方で、燻っているのは。本人としても、あまり気分が良くないのかも知れない。今日は、それをしっかり聞き出す。

働いているホムンクルス達が見えてきた。

山を削り取りながら、砕いた鉱石をその辺に積んでいる。

すぐ側で、荷車を運んでいる労働者達。いや、彼らは難民だ。

生きている縄が活躍している。

荷物を自動で縛って。

時々、労働者達の補助もしていた。

「見ての通り、生きている縄はあのように、便利に動いております。 本当に蛇のようで、不思議な代物ですな」

「うん。 生きているつるはしは?」

「彼方に」

苦労の結晶だ。

無駄にされていないか不安だったのだけれど。

見ていると、きちんと動いている。

ホムンクルス達に混じって、比較的柔らかい鉱脈を、自動で掘り進めている様子だ。もっとも、山ごと、丸ごとだけれど。

ホムンクルス達も、強力な力が必要な作業以外は、生きているつるはしに任せている様子だ。

モルゲン練金灯は。

見回すと、ある。

どうしても灯りが必要な場所に置かれている。

暗がりになってしまうところで。それでも灯りが必要な所は、こういった所には、存在している。

それを何とかするための灯りだ。

きちんと活用されている様子で、何より。

荷車を引いて、労働者が山を下りていく。荷車はそれなりに重そうだけれど。生きている縄が鉱石をしっかり固定しているし、危険は小さいだろう。

「此方に」

「うん」

案内されて、頂上付近に。

その辺りはすっかり削り取られて、何も無くなっていた。蜘蛛のモンスターが縄張りにしていたと思うと、世の無常を感じる。

「見ての通り、予定の地点は既に掘り返し完了し、鉱石は下の集落に輸送済みです。 後は何を視察なさいますか?

「次は、現場で働いている人に、順番で話を聞きたいな。 勿論働いている最中の人は連れてこなくても大丈夫だよ。 待つから」

「……」

そのために、あえて仕事が終わる時間寸前を選んできているのだ。

ベテラン兵士も、それは分かっているのだろう。

メルルは案内されるまま、一度山を下りる。その途中。しっかり道具が活用されていることを、もう一度横目に見た。

メルルが来た時だけ使っている。

その可能性も、否定出来ないからだ。

 

以前メルルが声を掛けた技術者も、何名かいる。集落の隅。労働者と技術者が住み込んでいる家屋が並んでいる地域の端で。

メルルは、関係者を集めて、順番に話を聞いていた。

仕事が終わったホムンクルスにも話を聞く。

1940さんも来ていたので、その辺りも、しっかりぬかりなく。

やはり話によると、1940さんはPTSDで前線を離れて。今此処で、状況の改善を図っているそうだ。

ちなみに、アーランドまで戻らなくても、今は手の再生手術を受けられるという。彼方此方にホムンクルスの設備が作られていて。其処でノウハウを吸収した技術者が、処置に当たってくれるそうなのだ。

しかし、其処へ行く余裕も無いし。

復帰出来るなら、片腕でも戦場に来て欲しい。

PTSDが比較的軽かった1940さんは、悩んだ末に、此処への配属を依頼した。モンスターから労働者と技術者を守るくらいのことは出来るし。PTSDの症状が緩和されれば、すぐに前線にでも戻れるからだ。

だが、予想とは裏腹に。

失った腕の肘を見る度に、PTSDは重くなる一方。

近々申請を出して、再生手術を受けに戻る予定だそうである。

「いずれにしても、このままでは戦場への復帰など、望むべくもありません。 再生手術を受ける権利は、ホムンクルスの基礎的なものとして備わっていますので、近々行くつもりです」

「そうなんですね。 一刻も早い快癒を祈ります」

彼女自身の話を聞いた後は。

現場のことも聞く。

周囲を見回した後。

1940さんは、言う。

話を聞いてくれた礼だそうである。

「メルル様の言うとおり、対立はあります。 特に労働者の中でも、一部の技術者は、メルル様の造った道具類を快く思っていないようです」

「具体的に誰?」

「私が知る限り……」

六人の名が上がった。

聞き覚えがある名前もある。

直接メルルが話を聞いて。鉱山で仕事をして貰うべくルーフェスが集めて。そして、今仕事をしてくれている人達だ。

「どうして便利な道具に不満があるの?」

「流石にそれは分かりかねます」

「なるほど。 話を聞いてみるしか、なさそうですね」

次の人に話を聞く。

ちなみにこういうとき、まとめて話を聞くのは愚の骨頂だ。絶対に周囲の意見に引きずられる人が出てくるし。余計な事を言ったとして、後で碌な事が起きない。それは分かっているので、一人ずつ。消音の魔術が掛かっている擬似的な結界に入って貰って、話を聞いているのだ。

ホムンクルス三人に順番を聞いていく。

三人が三人。

現場監督と、技術者の口論を聞いていた。

ちなみに内容は、メルルが造った道具類とは関係がない。

「山にある木々や雑草を、焼き払ってから作業をしようとしたので、現場監督が剣を抜いて、騒ぎになりました」

「それは、怒るだろうね」

「その後、両者ともしばらく口を利かなかったようです。 作業は相応にしていたようなのですが……」

蛮人め。

技術者達は、そう罵っていたとか。

しかし、これに関しては、ベテラン兵士の方が正しいだろう。実際、辺境での自然の大事さや。栄養豊かな土がどれだけ貴重かを考えると。それを考慮していない技術者達の方が悪い。

そもそもこの状況で。

自分たち流のやり方をごり押ししようとする方が間違っているだろう。しかし、それを怒鳴って言い聞かせても、決して相互理解にはつながらない。

ベテラン兵士の気持ちも分かるだけに、複雑だ。

「他に何かトラブルはありましたか?」

「モンスターの襲撃が何度か。 いずれもアードラで、即座に撃退しましたが、やはり技術者達は恐怖に顔を歪めていました。 このような恐ろしい場所で、仕事が出来るかと、吐き捨てていた技術者も」

「恐ろしい場所、か」

それに関しては否定しない。

だけれど、其処で仕事を出来るようにするまでお膳立てをしたメルルの事も、少しは気に掛けて欲しいものだ。

辺境は、危険が隣り合わせにある場所。

だからこそ、野性的な生命力が満ちているし。

繁茂を取り戻そうという緑にも力がある。

続けて、働いている悪魔族の戦士達にも来て貰う。彼らの中で、メルルの評判は上々のようで。

比較的、好意的に接してくれる戦士が多かった。

悪魔族は裏表が少なく。

話していると、とても気分が楽だ。話しやすい、と言うべきなのだろうか。まあ、彼らの出自を考えると、無理もない。

「なるほど、緑化作業そのものに理解を示さない技術者が多いと」

「度しがたい阿呆共だ」

口調は激しいが。

彼らの怒りももっともである。

そして、最後に。技術者達を順番に呼ぶ。

メルルの道具について、不満を口にしていた技術者は。北部列強の出身者にしては恰幅も良い。

メルルに対して、恐れを抱いている様子も無かった。

「難民として我等を受け入れ、仕事も与えてくれたことには感謝しています。 しかし此処の環境は劣悪すぎる。 まずはモンスター共は皆殺しにし、あの悪魔族も追い払って、見苦しい雑草や雑木林も、全て焼き払うべきでしょう」

「……」

呆れた。

あまりにも、想定通り過ぎる応えだ。

そして、自分の考えが間違っていると、思っていない。

これは骨が折れそうだ。

「そもそも、あれだけの森があるのなら、全て切って耕作地にするべきです。 土地を遊ばせておくようなものでしょうに」

「本気で、言っていますね?」

「勿論。 貴方が、言うに値する相手だと思っているからこそです」

「そうですか。 ならば、この土地がどれだけの苦労の末に、ようやく活力を取り戻し、森と植物を育てるのにどれだけの労力が必要だったかも分かっていますか?」

そんなものは、勝手に生えてくる。

そう言い放ったので、側で見ていたケイナでさえ、思わず気色ばんだほどである。メルルはため息をつくと、頭を掻きながら。

順番に話を進めて行った。

他の技術者達も。

多かれ少なかれ、不満を口にしていく。

その多くが。

森なんか全部切り開いて、畑にするべき。悪魔族も亜人種も、みんな追い払うのが、人間のためだ。

そう口にしていた。

「聞いている此方が、頭に来ます」

何人目かの技術者を送り出した後、ケイナがぷんぷん怒りながら言う。メルルも実は同感だ。

多分、生活に余裕が出てきたから、だろう。

耕作地で、魂が抜けたようになっていた技術者達だけれど。生活に余裕が出てくると、周囲に文句を言う余力も出てくる。

そして此方も、言動で相手を殺すような真似はしていない。

自由もある程度認めている。

だからこそ、あんな風なことを口にする。

調子に乗っていると言うよりも。

むしろ全体的に見て、辺境の文化をみくだしている、と判断する方が正しいのだろう。

いにしえの時代。

人間は、この世界にたくさんいて、今とは比較にならない安全な環境で、豊かな生活をしていた。

だからこそ。その生活をある程度再現していた北部列強の出身者達にしてみれば。いにしえとは違う環境に身を置こうとしている辺境の民が、理解しがたい存在に映る、というわけだ。

最後に技術者を呼ぶ。

マルカスという人だ。

かなりの高齢だが、実際には年齢よりも相当に老け込んでいる様子だ。経歴を見ると、軍人だった息子さんをスピアとの戦いで失い。家財道具も、家族の遺品さえも戦場において逃げ。

文字通りボロの衣服だけで、辺境に逃げ込んできた。

初めて会ったときには、気の毒なくらい憔悴していたのだけれど。今はある程度、体調も戻しているようだった。

話を聞いているが。

随分と、他の技術者とは違った。

「此処は何もかもが故郷とは違いますが、それでいいと個人的には思っております。 確かに恐ろしい目にも会いますし、文化が違うとも思いますが。 私はそれで問題があるとは感じません」

「不満などはありませんか? 可能な限り改善しますが」

「今の時点では、生きて食事が出来るだけで大丈夫です」

はて。

他の、北部列強の思考こそ至上、といった考え方をする人達とは、明らかに異質だ。

勿論。理性的な人だと感心することも出来るのだけれど。

他の難民と接してきたメルルは、其処まで楽観的には考えられなかった。

前向きには解釈するけれど。

そういった言葉を発しておいて、メルルに取り入るつもり、という可能性もある。それも想定しなければならない、という事だ。

「他の技術者達については、どう思いますか?」

「皆、故国では名が知れた技術者ばかりでした。 私の部下だったものもいます」

「ふむ」

「しかし、此処に溶け込もうという気は無いように思えます。 皆には、少しで良いから、相互理解を心がけて欲しいものなのですが」

ある程度話したところで、切り上げる。

側で見ていたケイナに聞いてみるのだけれど。彼女も難色を示した。

「どう思った?」

「素直に言葉だけを信じれば、此方に理解を持とうとしているいい人です」

「そうなんだよね」

素直に信じるには。

他の難民を見過ぎている。

勿論、今後よく観察して、状況次第ではもっと良い仕事をして貰うのもありだろう。此方を理解しようとしてくれる、北方の民は希なのだ。そう言う意味では、非常に重要な存在でもある。

前向きに。

誰かの言葉が、脳裏をよぎる。

メルルは嘆息した。

嫌な子になってきているような気がする。そもそも民を導くのが王族だ。相手に何かしら邪な魂胆があったとして。いや、邪な魂胆があるのは、人間には普通のことだ。今更目くじらを立てるようなことでもない。

「ケイナ、今の人、メモしておいて」

「はい」

まずは、相手を見極める事だ。

綺麗な言葉で飾っていても、内部が腐りきっている人間だって多い。

あの人は、どうなのか。

 

翌日。

視察二日目。

運ばれて行く鉱石。メルルも作業を手伝うけれど、やはり身体能力には歴然の差がある。メルルがつるはしを振るって、鉱石を砕いている速度は。となりで技術者が同じ事をするのの、六倍以上だ。

「こんなもんかな」

「……」

やはり、化け物でも見るような目。

身体能力が違いすぎるのだから、仕方が無い。しかもメルルは、決して戦士としての力量が高くもないし、身体能力が高い方でも無い。

ベテラン兵士が来る。

「体を動かすのは、きもちようございますな」

「うん。 鉱石の品質はどう?」

「やはり、奥へ掘り進むほど良くなっているようです。 しかしこの山の下には邪神がいる事を考えると、中々大胆にはでられませんな」

今度は邪神のせいにしだしたか。

何処まで掘って良いかは、既にガイドラインを渡しているはず。今日は大人しくしているベテラン兵士だが。

複数のホムンクルスから、技術者と口論していたという証言が出ている。

技術者としても、無意味に殺されないと理解すれば、ある程度洒落臭い口も利きたくなるのだろう。

何処かで引き締めが必要かも知れない。

「メルル」

ライアスが来た。

気配を消して技術者達の話を聞いて来たという。

やはりメルルを侮る発言をしていたそうだ。

所詮蛮族の姫。

北部列強の民が築いてきた技術の偉大さを理解し得ぬ存在だ。

そういって笑っていたらしい。

ちなみに周囲のホムンクルス達も、全員聞こえているのだが。小声なら大丈夫と錯覚しているのだろう。

或いは聞こえていると分かっていた上で、ばかげた口を利いているのかも知れない。

ため息が漏れる。

侮られるのは問題だ。勿論侮られないようにメルルも振る舞う必要があるけれど。彼らの場合は、此方がさしのべた手に泥を塗った。これを黙っているのは、あまりよろしくない行為だ。

人として生きる権利は保障するべきだが。

まさか、此処まで勝手な考えを、未だに持っているとは。北部列強がどういう運命をたどったか、その目で見てきただろうに。

スピアが滅ぼさなくても、いずれ破綻した。

この衰えきった世界から、更に搾取しようというのなら。

もはや世界に、人類を養う余裕など無い。

メルルだけでは無い。

辺境の民、皆が知っている事だ。

「人員の入れ替えをするしかないかな」

「ルーフェス様が言っていた、人員のローテーションですね」

「そうだよ」

集まるから、愚かしい考えも生まれる。

いっそのこと、別の場所で働いて貰う方が、彼らには良いかもしれない。しばらく髪を掻き回していたが。メルルは決断した。

 

アトリエに戻った後。

採取してきた鉱石をコンテナに入れて。すぐにメルルは、ルーフェスの所に出向いた。予約を取るつもりだったけれど。今日は人がいなかったので、そのまま面会して貰う事にする。

ルーフェスは珍しく焦燥していた。

手元にある書類の山。

アーランドからは膨大な支援が出ているが。勿論無意味にジャブジャブ資材を突っ込んでいるわけでもない。

支援には相応の理由が必要なわけで。

当然、書類による決裁が必要になる。

ルーフェスがミスをするとも思えないけれど。それでも、この書類の処理は、手間と言える。

ちなみに父上も精査はしているけれど。

今の時点で、年に一度書類ミスがあれば多い方、だろうだ。それだけルーフェスが、真面目に作業をしている、という事である。

「如何でしたか、姫様」

「まずいね。 みんな此方を舐め始めてる」

「やはりそうでしたか」

これでは、軋轢が深まるのも当然だ。

ちなみにメルルの悪口を言っていたことは伏せる。多分ルーフェスは激怒するだろうからだ。

というか、多分もう知っている。

この反応からして、ルーフェスは、鉱山の現状を、しっかり理解したはずだ。

「問題行動を起こしている人は、リストアップしておいたよ」

「どれ。 なるほど、私のリストと一致します」

「……そう」

意外だ。

あのマルカスさんという人は、リストに載せていなかったのか。まあおなかの中で何を考えているかは分からないけれど。

「ローテーションを早い内に行います」

「何処へ配置するつもり?」

「少し後に、北部の水源地帯から、水を引く予定が出ています。 水を引くことによって、アールズの北東部に、広大な耕作地帯を作る予定です」

アールズの北東部は、言うまでも無く、湖の東側。

あの辺りは高台になっていて、今まで湖から逆に水を引くことも出来ず。また川から支流を引っ張ってくる余裕も無く。放置されていた。

其処か。

確かに耕作地のスタートアップ作業には、技術者は必要だろう。鉱山技術に関しても、活用の場はありそうだ。

何しろ、整地のためには。

様々な技術が必要なのだから。

アードラなんて雑魚じゃない、もっと強力なモンスターを間近にして、辺境がどういう場所なのか、理解して貰うのもいい。

あの人達は。

有り体に言うと、今の世界を舐めすぎている。

元々舐めすぎていたのだろう。いわゆるエリートだったり、北部の列強で、世界の現実を見ないで済む生活をしていたのだろう。

難民になって、彼方此方をさまよいながら、現実を見た筈なのに。

結局今では、元に戻ってしまっている。

しかし、どんなに愚かでも。

民を導くのは、王族の務め。

メルルに、彼らを見捨てることは許されない。

「分かった。 ルーフェスに任せるよ」

「光栄です」

「私としては、鉱山の道具の開発を進めるからね。 作業を出来るだけ急いで進展させて」

幸いにも。

メルルが造った道具類は、ホムンクルス達からも便利だと好評だ。それはつまるところ、実際に使えることを意味している。

いずれにしても、はっきりしているのは。

難民達には、現実をはっきり理解して貰う必要がある。

それだけだった。

もしもその上で、南部辺境の理屈を受け入れられないというのであれば。考え方を、変えるしかない。

粛正は現時点では考えていないけれど。

もしもこのまま悪化が続くならば。

いや、それはだめだ。

そのような手に出たら、スピアと代わらない。話を聞く限り、スピアの支配者である一なる五人がやっているのは、文字通り世界レベルでの粛正だ。

今は、ルーフェスに任せよう。

そう決めて、メルルは王宮を出た。

鉱山の作業は、暗礁に乗り上げ掛けている。

別に舐めた態度を取っていても、実績を上げられるのなら構わないのだけれど。実際に軋轢を引き起こし。

問題を発生させるのなら。

メルルは王族として、確固たる処置を考えなければならない。

 

3、蹂躙

 

連れ出されたとき。

鉱山の技術者達は、最初笑っていた。しかし、どんどん進んでいく内に。周囲が露骨にモンスターの気配に満ち始めてからは。

彼らの笑顔は、消え始めた。

メルルは今回、いつものメンバーに加えて、護衛の戦力としてホムンクルスを三名追加で連れてきている。

ちなみにこの三人は、鉱山の作業要員だ。

彼女らを削ってでも、今鉱山で問題を起こしている技術者達を移動させることに意味がある。そう、ルーフェスは考え、メルルも同意した。

ミミさんとジーノさん、それにトトリ先生はいない。

ハイランカーの手を煩わせる間でもない。

馬車も使わない。

ちなみにアニーちゃんも来ているけれど、シェリさんの背中に乗って貰って、あえて距離を置いている。

理由は、わかりきったことなので、周囲には説明しない。

隣を歩いているホムンクルスに。技術者の一人が食ってかかる。

「おい、何処まで行くんだ!」

「目的地に移動中です」

「ふざけるな、このデク人形!」

流石に2111さんが眉をひそめたが、メルルが制止。

ちなみに今回、メルルの手には。ハゲルさんが造ってくれた戦槍がある。ついに完成したのだ。

大きさは今までの杖よりぐっと大きく、先端部分には大きめの刃がついている。矛よりも更に大きくて。巨大で強烈な三角形をしていた。

三日ほど手になじませるためにこれで訓練し。

問題なく使えると判断したので、今日持ってきたのである。

「メルル、現地での受け入れ態勢は」

「大丈夫。 ルーフェスによると、スタートアップの段階から、作業に参加して貰うつもりらしいから」

「ああ、そういう」

ケイナも納得してくれた。

ライアスは、暴言を繰り返す技術者達を、苛立ちながら見ていたが。それも、もう終わる。

この辺りは、農場の南。

つまり、リス族が監視を開始した森の辺りだ。馬車を使い、護衛をつけるなら、比較的安心だけれど。

徒歩で難民が歩いていれば、どうなるか。

さも自然に、茂みを割って、姿を見せたのは。

それこそ、難民の技術者なんて、ひとのみにしそうなサイズのドナーン。しばし立ち尽くしていた技術者だけれど。

悲鳴を上げる前に、飛びかかった2111さんが、ぐさりとハルバードでドナーンの首筋を貫き。

更にケイナが鞄で脳天に一撃を叩き込む。

鋼板入りの鞄だ。

それも、頑強な鋼板に切り替えて。重さも意図的に増やしている。武器を変えたのは、メルルだけではないのだ。

間近で大量の鮮血が飛び散って、悲鳴を上げる技術者達。

ちなみに連れてきた三人は。

彼らが逃げないようにするための要員だ。戦闘だけなら、シェリさんとザガルトスさんがいる今、問題は無い。

「捌くから、手伝ってくれる、ケイナ」

「はい」

キャンプスペースに、ドナーンの死骸を担いだまま運び込む。

今日は荷車も持ってきていない。

アニーちゃんはシェリさんが肩車して飛んでいる。まあ、それくらいのハンデがあっても、現状なら大丈夫、という事だ。

メルルが軽々とドナーンを担いでいるのを見て、技術者達は青ざめるけれど。

此処からだ。

彼らを呼び集める。

「手伝って貰いますよ」

「こ、こんな野蛮な!」

「貴方たちが朝食べた肉、何だと思っていますか? このドナーンの尻尾の肉ですよ」

完全に沈黙。

吐きそうな顔をしている。

えらそうなことを言っておいて。此処までヤワだったとは。流石にメルルも、少しばかり呆れてしまう。

他の冒険者や兵士や戦士が見ている中。

メルルはひょいひょいと、ドナーンをつり下げて、捌き始める。

ケイナも手慣れた様子で、作業を手伝う。

棒立ちしている技術者達に、促す。

「其処の桶を取ってください」

「急いで!」

メルルが叱責すると、慌てて取ってくる技術者。メルルの倍も年を取っているのに、及び腰で情けない。

ドナーンの首筋を切って、血を流す。

頭がブランブランしているのを見て、技術者の一人が吐いた。

「もったいない。 栄養を得るために、どれだけの苦労があるか、分かっていますか?」

「な、なんというおぞましい、残虐な……」

「貴方たちが今まで食べたお肉が、残虐でない方法で得られていたと、本気で思っていますか?」

いや、違う。

家畜などを育てる工場が、北部の列強には存在していたと聞いているけれど。それでも同じだ。

殺すときは同じ。

その後も。

つり下げて。血を抜いて。内臓を取り出して。皮を剥いで。肉を骨と切り離して。

お店には、加工された段階でだけ、並んでいたのだろう。

実際にはこの通り。

鉈を持って貰って、肉を切り離す作業をして貰う。

何度も戻す技術者達。

内臓を取り出すと、中身を洗う。

肉については、今キャンプスペースにいる戦士や冒険者達に配る。笑顔で、彼ら彼女らは受け取りに来る。

一番若い子は、メルル姫と同じくらいの年だ。

まだやっと素人を抜けた程度、という実力に関しても、多分似ている。笑顔が可愛い子だ。

「有り難うございます、アールズの姫様!」

「皆を支えられる強い戦士に、早くなってくださいね」

「はい!」

めいめい肉を焼き、食べ始める辺境の戦士達を見て、青ざめたまま立ち尽くす技術者達は、何とも情けない。

勿論たくさんお肉は余る。

それを、燻製にして、処置していく。

「こうやって煙でいぶすことによって、肉はながもちします。 辺境の人間なら、誰でも出来る事です。 勿論王族でもね」

「く、くるってる……」

「狂っている? 本当に?」

手を洗いながら、メルルは問いかける。

色々と、知っている筈の彼らに。

「どんなに技術が進んでも、文明が洗練されても、代わらないことはあります。 どうやって動物の肉が食べられる状態になるのかも、その一つ。 貴方たちは、見たくないものを見ないで過ごしてきた。 ただそれだけの事では無いのですか?」

現実は、この通りだ。

優れた文明が保全されている世界に生まれ育っても。知識があるわけでもない。実際彼らは、動物がどうやって捌かれて。そのお肉を食べられる状態になるのかも、知らなかったのだ。

翌日からも、歩いてもらう。

げっそりした彼らは、フラフラだったけれど。

時々耐久糧食を渡して、無理矢理体力を回復して貰う。流石にこれを食べると、ある程度はしゃっきりする。

ライアスが、小声で聞いて来た。

「な、なあ、此処までする必要あるのか? もうほっとけばいいんじゃねえか」

「一つはこの戦槍杖の試運転」

「ああ、それな」

「もう一つは、彼らは難民達の中でも技術持ちだって事で、注目されている人物だって事かな」

そんな彼らを放置していて。

他の難民達を、制御出来るだろうか。

農場からかなり東に出た。この辺りは街道もない。すなわち、モンスターから丸見え、ということだ。

「来たぞ!」

ザガルトスさんが叫ぶ。

遠くから、唸り声。

走ってくる姿が見える。ウォルフだ。数は十体以上。

丁度良い。

力をつけてきたメルル達には、都合の良い相手だ。ウォルフ達は、群れで一斉に攻撃して、難民の技術者だけかっさらっていくつもりだろう。

だけれど、そうは行かない。

メルルがバックパックから取り出したのは、改良を重ねているフラム。

点火して、放り投げ。

群れの中心で、爆破する。

吹っ飛んだウォルフの体が、千切れて宙に舞う。

響く悲鳴。

それでも突進してくるウォルフを見据えて、メルルは叫ぶ。

「迎撃! 一匹も通さないで!」

「応っ!」

戦闘が始まる。

 

戦槍に串刺しになったウォルフの死骸を、技術者の前に差し出す。

完全に腰が抜けている技術者達に、頬に飛んだ返り血を拭いながら、メルルは言う。

「抜いてください。 はやく」

「ひ、ひいっ!」

固まって震えている技術者達。

あまりにも見苦しい光景だが。メルルは表情を崩さない。周囲では、既にウォルフの解体作業が始まっている。

これくらいのサイズの獲物なら、さほどかさばることもないからだ。

ちなみに六頭は仕留めた。

後は逃げ散った。

「早く!」

メルルが急かすと、震えながら、技術者達がウォルフの死骸を掴む。三人がかりで引っ張ってもびくともしない。

嘆息すると、メルルは戦槍を振るい、遠心力でウォルフをすっぽぬいた。

彼らの眼前に落ちてくる死骸の腹と背中には、当然ながら大穴がある。

ユニコーンチャージは試せなかったけれど。

実際に使って見ると、かなり戦える。火力に関しては、今までとは比べものにならない。取り回しも悪くない。

これは最後に飛びかかってきたウォルフを、迎撃がてらに貫いたものだ。実際に其処まで取り回せるか、確認したのだが。

予想よりも精密に取り回すことが出来た。

かなり良い感じである。

「さあ、捌いて」

「し、しかし」

「貴方たちが食べている肉です。 貴方たちは技術者として立派な知識を持っているかも知れない。 しかし、これくらいの事が出来ないと、そもそも本来は生きる権利さえ此処では与えられません。 分かっていますか?」

メルルでさえ出来る事だ。

倍も生きている人間が出来ないのでは、辺境では話にならない。

怯えきった技術者達に、少し哀れみを覚えてしまう。

彼らの此方をバカにしきった態度は、一体何だったのだろう。

今頃、彼らも気付いた様子だ。

自分が虎の尾の上で、タップダンスをしていた事に。

そのまま、東に。

ちなみに道中の食糧は、体力を回復させる以外は、基本的には野草と仕留めた獣の肉である。

ウォルフもアードラも。

それに、最初に仕留めたドナーンの肉もある。

最初は、青ざめていた彼らも。数日するうちに、流石に飢餓に負けたのか、口にするようになって行った。

だいたい今までは食べていたのだ。

生きているときの姿を見て食べられなくなると言うのも、またおかしな話だった。

「明日には、次の仕事場に着きます」

ちなみに荷物はまとめて、とっくの昔に現場に届けて貰ってある。

青ざめている彼らに、告げる。

「今回のお仕事は、家を造るところからやって貰います」

「……」

返す言葉も無いようだった。

むしろ、これでいいのかも知れない。

彼らが暮らしている世界がどのような場所で。どのように生きているかを知って貰えただけで。

今までとは、違ってくるはずなのだから。

焚き火を囲んで、周囲を警戒。

わざわざ焚き火に寄ってくるようなモンスターもいるけれど、それは余程に実力があるか、それとも平和な世界で生きてきた阿呆か、どちらかである。

ザガルトスさんが、今日は料理当番。

厳つい彼も、料理には相当にこだわっているようで。何処かから見つけてきた野草を細かくきざんで、鍋の味を丁寧に調整していた。

湧水の杯は持ってきていないので。水は近くの川から汲んでくるしかない。勿論、沸かさないと飲めない。

これも、技術者達にやらせる。

「沸かす作業を手伝ってください」

近くにもう一つ焚き火を造って、其処で鍋を使って煮沸水を造る。

怪我なども、これで対応する。

勿論、体を拭くのも同じだ。

技術者達は、既に死んだ魚の目をしていた。だけれど、手心を加える気は無い。誰もがこれをしていて。

だから食べて行けている。

それを理解するまでは、どれだけでもやってもらう。

天幕を張って、その中しかプライベートの空間は無い。もちろんの事ながら、性別が同じ人間で共有する。

「だいぶ参ってきたようですね」

「何、明日からはあれが普通だから」

ケイナが苦言を流石に呈してきたけれど。

メルルとしても、これ以上は手心を加える気は無い。

明日には、開発予定の高原に到着する。

今の時点では、手が空いた人員に護衛して貰って、少しずつ緑化作業を進めている場所だ。

うまく耕地化に成功すると、更に万を超える人間を追加で養えるようになるという。

実に喜ばしい。

見張りを交代でしながら、夜を過ごす。

もうメルルは。

初心者ではない。

充分に、外で生きて行く事が出来る。

ちなみに最近、やっと生体魔力を振動させて、寝ている間に寄ってくる虫を追い払えるようになった。

これも先人の技術を取り込んだ成果だ。

あの人達も、技術を持っているのだから。

如何に技術を得るのが大変で。そしてそれを生かすことが難しいのか、理解してくれれば良いのに。

東の空が燃えている。

また、大きな戦いがあったのだろう。

前線が喰い破られないと良いのだけれど。

そう思っているうちに、夜は終わり。

やがて、最後の日が来た。

引きずるようにして、技術者達を連れていく。

粗末な柵で覆われたその場所は、まだ茶色が地面に目立つ。開拓が、あまり進んでいないと言う事だ。

ジェームズさんがいたので、手を振る。

向こうも、手を振り返してきた。

「おう、姫様。 元気そうで何よりだ。 シェリもいっしょか」

「久しぶりですね」

握手を交わす。

この人も技術者だが。今連れてきた彼らとは、年期も気合いの入り方も違う。勿論戦士としても、まだメルルよりは戦えるくらいの実力はある。

「どうですか、状況は」

「そうだなあ。 まあ当面はちまちまやっていくさ。 ただ彼処に見える森」

ジェームズさんが一本しかない腕を伸ばして指さした先にある森は。

アールズでも有数の水源だ。

非常に美しい水が流れている土地で、ただしモンスターも強力。

「彼処をもうちょっと整備して、水がしっかり流れるようにしないとダメだろうな」

「分かりました。 ルーフェスには申告しておきますね」

「ああ、頼むぜ」

その後、死んだ魚の目をしている技術者達を紹介。

こき使ってやってくださいと言うと。彼らは最後のうめき声を発した。

「なんだこの若造共。 まあいい、どうせ北部の技術者だろ。 だが見た感じ、まだまだひよっこだな。 俺がみっちり鍛えてやるよ」

「お願いします」

「わ、われわれは、北部で名が知れた……」

「鉱山技師だってんだろ。 だがな、此処では鉱山技師だろうが何だろうが、最低限自然とのつきあい方を知らないと、生きていけないんだよ。 豊かなこの国だって、見てのとおり荒野だらけだ。 俺たちの阿呆な先祖が好き勝手やって、自然から搾取しつくした結果がこれだって、分からないような奴は、この国じゃひよっこだ。 だから徹底的に鍛えてやる」

慈悲を。

呻く技術者だが。

降り立った数名の悪魔族が、慈悲無く引きずっていった。

これでいい。

彼らが、他の難民達に、現実を叩き込んでくれるだろう。それに難民達のリーダーも、皆前線の有様を見てからは、沈黙しているという。

メルルとしては、これでいい。

出来る事はしたのだから。

 

4、駆ける翼

 

技術者達にヤキを入れるのは充分だと判断したので、アールズ王都へ戻る。

王都につくと、幾つかの報告が上がっていた。

マルカスという鉱山に残した技術者。少なくとも表向きは熱心に働いて、鉱山の作業効率を露骨に上げてくれているという。

追加で派遣したのは、まだわかい難民達。

皆、北部の豊かな生活は、おぼろげにしか覚えていない人達だ。だから、なのだろう。鉱山での労働にも、馴染んでいる様子だ。

勿論、無茶な作業はさせていない。

これについては、何度も確認を取っている。

勿論、マルカスについても要注意だ。おかしな行動をしていないか、しばらくは監視していく必要がある。

でも、鉱山の効率が上がったのは事実。

以降はそれほど注目しなくても。定期的に有用な鉱物資源を、此方に向けて供給してくれるだろう。

前線がかなり助かる。

ルーフェスに話を聞く限り、今の時点では、前線も喰い破られていない。しかし、そろそろ限界が見えてきているという。

「ハルト砦の話?」

「はい。 前線基地として活用してきましたが、敵の攻撃が凄まじく、そろそろ医療施設や防御設備としても、改装しないと厳しいという話が出てきています」

やはりそう来たか。

それならば、メルルもそろそろ、前線で本格的に動かなければならないだろう。実際、あの剥き出しの野戦陣地では、苦労する事も多いだろう。それは見ていれば、一発で分かる。

「姫様、お願いできますか」

「分かってる。 でも、私の力だけだと、厳しいかも知れない。 後方の引き締めは、しっかりやれる?」

「問題ありません。 トトリ殿はしばらく最前線に張り付くと聞いていますので、力も借りやすくなると思います」

そうか。

メルルとしても、今の状況が推移するのは歓迎だ。流入する難民も、しっかり捌けているし。

彼らにも、それほど悲惨な思いはさせていない。

時々出てくる悪い芽さえちゃんと摘み取れば。

彼らはしっかり、アールズに馴染んでいけるはずだ。

「それじゃあ、準備する。 必要な資材や、やらなければならない計画をまとめるように、ね」

「分かりました」

頭を下げるルーフェス。

さて、ここからが。

メルルとしても、正念場だ。

 

前線を見回っていると。クーデリアさんが、トトリに声を掛けてきた。重要な案件だという。

日に日に被害が増えている。

この状況を打開する話だろうとは思っていたが。内容は、予想外のものだった。

「近々、陛下がこの砦に来るわ」

「遊撃を止めるんですか?」

「かなり厳しいようね」

何でも、前線に非常にすばしっこい敵が現れたとか。空からヒットアンドアウェイの攻撃を延々としてくるとかで。対処が難しいらしい。

今、対策の兵器を作っているのだけれど。

それも今の時点では、足止めが精一杯。

「其処で、この砦を強化して、防衛拠点として使えるようにする。 それと……」

「分かっています。 ロロナ先生ですね」

「分かっているならいいわ」

ジオ陛下と一緒に行動しているのだ。

ロロナ先生だけが、戻ってこない、という事もないだろう。

本当に変わり果てた姿になってしまったロロナ先生。今では、もうトトリとも、以前のように接してはくれない。

全ては、トトリのせいだ。

だからこそ、何とかしなければならない。

「まだ計画は進めないわ。 分かっているわね」

釘を刺すと、クーデリアさんは前線に戻っていく。

既に、展開している敵の数は六万を超えている。本当にスピアは、此処を実力行使で突破するつもりなのだと、あの数を見るだけで分かる。

殆ど不眠不休でクーデリアさんが撃退を続けてくれているけれど。

それでもいずれ間に合わなくなるだろう。

空を仰ぐ。

何もかも、戦でおかしくなったとか、逃避できればどれだけ楽だろう。

トトリは今。

自分が正念場に立たされていることを理解していたが。

それでも動けないのが。

もどかしくて、仕方が無かった。

 

(続)