干拓円環

 

序、錬金術師二人

 

ロロナ、トトリ。そしてアストリッドが不在にしているアーランド共和国だが。錬金術師は、実はまだ一人残っている。

トトリによって一人前になるまで育てられた錬金術師がそうだ。

名前はピアニャ。

東大陸出身の錬金術師であり。現在冒険者ランクは7。師匠達ほどの信頼は得ていないけれど。

少なくとも、アーランドで薬や物資を生産するのには充分と判断され。今、ロロナやトトリが使っていたアトリエを任されている。二名のホムンクルスを補助につけて、今日も国から指定されたとおりに。

国家軍事力級戦士が使う武器や道具。

幾つかの港で生産されている戦闘艦の資材。

それに何より、前線や後方に送る薬のオリジナルを。

黙々と、レシピに沿って造っている。

まだ子供と言って良い年だけれど。天才と言われたピアニャは、既に一人前と見なされていて。

国からの仕事も受けるし、ある程度のカスタマイズも許されている。

東大陸とは交易が行われていて、「おばあさま」との手紙のやりとりもしている。

アーランドから輸出されたお薬で、誰もが助かっている。

それが分かっていても。

ピアニャの顔には。

あまり、笑顔がない。

「ピアニャくん。 いいかね」

アトリエにいきなり入ってきたのは、アーランドでも珍しい科学者。マークである。彼が造った機動兵器マクヴェリオンは彼方此方で大きな戦果を上げていて、戦略級の兵器として活躍している。

挨拶もなしに、無精髭だらけの壮年男性。しかも白衣はよれよれで汚れている、が入ってきても。

ピアニャは動じない。

日常茶飯事だからだ。

「どうなさいました、プロフェッサーマーク」

「君は相変わらず慇懃無礼だねえ。 トトリくんと連絡を取りたいのだが、できるかね」

「今、トトリ先生はアールズで敵の大軍と交戦中の筈です」

「そういえば、そうだったか」

少し前に、連絡が来た。

アーランドから、薬を大量に輸送する準備をするように。ホムンクルスを二百名ほど増員もすると。

それだけ、敵が加速度的に集結を早めているのだ。

前線の砦では、小競り合いの規模が拡大。

当然、被害も増えているという。

現時点では、クーデリアが食い止めているが、それもいつまで保つかどうか。かといって、アーランドにいる敵軍も決して少なくは無い。此処を手薄にして、アーランド本国を突かれては、本末転倒だ。

現在、かなりの数のハイランカーがアールズで戦闘実施中。

その中には、以前ピアニャをかわいがってくれたミミやジーノも含まれている。そして、ある日を境に人が変わったトトリも。

「何か、問題ですか?」

「いや何。 実はね、大きな発見があったんだよ」

「発見、ですか」

「ジュエルエレメント氏の所でデータを漁っていたらね。 アールズに、面白い遺跡がある事が分かったんだ。 かなり強力な防御能力を持っているから、ひょっとすると、まだ一なる五人の手に落ちていないかも知れない」

それは、素晴らしい話だ。

通信装置を、ホムンクルス達に持ってこさせる。通信をいれるけれど。かなり状況が悪い。

通信に出たのは。ホムンクルスの一兵卒だった。

「伝言だけ承ります。 現在、主力部隊が敵の大軍と交戦中。 幹部級のメンバーは、全員が前線に出払っています」

「それならば。 後でトトリ先生に、ピアニャが遺跡の件で重要な事が分かったと連絡をしてきた、とだけ」

「分かりました。 それでは」

激しい戦闘音が通信機の向こうでした。

ひょっとすると、砦近くまで攻めこまれているのかも知れない。

あれでは、大きな被害が出るだろう。

嘆息すると、ピアニャはマークから詳しい話だけ聞いて。書類を作成すると、自分はアーランドの王宮に出向く。

現在受付にいるのはホムンクルスの21さん。古参のホムンクルスだが。重度のPTSDで、既に前線に立てる状態ではない。顔から首筋に掛けて、もの凄い傷が走っているが、それだけでどのような戦場を生きてきたかが一目で分かる。

書類を其処で納品。

すぐに21さんは書類を受け取って、ジオ王へ伝達してくれると、約束してくれた。

これで、一旦仕事は終わり。

ピアニャの所に仕事が来るのは、基本的に王宮から。王宮で仕事をしている文官達が、前線からの報告を受けたり、或いは事前の予定通りに、仕事を廻してくる。もう一人いるトトリの弟子の錬金術師は、アールズより更に西の地区で、現在顧問として活動中。今後も、当面会う事はないだろう。

アトリエに戻ると、既にマークは引き揚げていた。

ホムンクルス達は、黙々と仕事を続けている。彼女たち二人も、PTSDで前線を離れた戦士。

外に素材を採集に行くときには手伝ってくれるけれど。

それ以外で、戦闘をする事はないし。

戦闘力も、期待していない。

調合もさせてはいない。実際には、時間が掛かる反応の確認をさせたり。力仕事などを担当させている。

アーランド人は気付いていない。

錬金術でも、東大陸の人間では無理な力仕事がかなりある事を。あのトトリでさえ、そうだった。

だからホムンクルスの補助は助かる。

忠実で、腕力も並外れているからだ。

錬金術を覚え始めたときは、楽しかった。

最初の頃は、気付かなかった。

トトリが、とうの昔に。取り返しがつかないくらい、壊れてしまっていたことは。気付いたときには、どうにもならなかった。

ロロナに到っては。

こわれる以前の問題になってしまっていた。

自分の無力を嘆いたけれど。それはもう、過去の話。今では、どうしようもない虚無が。ピアニャの心を覆っていた。

どうしてここに来てしまったのだろう。

そう後悔する日も多い。

しかし、今更東大陸に戻ろうとも思わない。彼処に戻っても、生け贄の村の、小娘になるだけだからだ。

出世した。

それは本当だ。

自分の力で、道を切り開く力を手に入れた。

これも本当だ。

唯一本意では無い事は。

道を切り開いてみても、天国なんかなかった、という事。

扉を開いてみたら。

其処に拡がっていたのは。モンスターに喰われるか、邪神のエサになるか。その二択しかない地獄よりも、更に苛烈な悪夢だった。

「ピアニャ様」

「どうしたの?」

「予定の薬品が揃いました。 納品してきます」

「うん……」

任せておいて、問題ない。彼女らの緻密な整理された頭脳に関しては、信頼している。だから、好きなようにさせておく。

釜の様子を確認して。

問題も無さそうなので、寝室に。

しばし眠る。

戦闘力がないピアニャは。前線に行かなくていい。それだけは、救いと言えるかも知れない。

もっとも最近は、ホムンクルスの護衛付きで。爆弾などの設置のために、前線に来るように求められることもあるのだが。

 

目が覚める。

時間が来たからでは無い。ホムンクルスが、戸をノックしているのに気付いたからだ。基本、余程のことがない限り、ホムンクルスは起こしに来ない。

「どうしたのー?」

「重要書類が届きました」

「んー」

ベッドから這い出す。

そして、アトリエに出ると。ホムンクルスが、蜜蝋付きのスクロールを手に待っていた。蜜蝋には、当然のように、王の印鑑が押されている。

共和国になっても、ジオ王はジオ王。

今でも、重要任務には、こうやってハンコを押してくる。前線にでずっぱりの王なのだけれども。

だからこそ。

逆に、この書類が如何に重要か、一目で分かるのだった。

すぐに封を解いて、スクロールの内容を確認。

思わず呻いていた。

超高速で空中を飛行するモンスターの足止めをするための道具を作成しろ。出来るだけ急いで。

そんなもの。

簡単にいってくれるなよ。

そうぼやきたくなる。

例えば、空中戦対応の発破としては、傑作としてメテオールがある。空中で強烈な衝撃波をまき散らし、空を舞う敵の翼をへし折ることで、地面に叩き落とす凶悪な代物である。アーランド軍ではかなりの数を採用していて、近年では前線に配備するのが普通になっているほどだ。

つまり、此処で言っているのは。

メテオール以上の性能を持ち。

更に高速で空を飛び回る敵の足を、どうにかして止めろ、という事だ。

多分これは、トトリやもう一人のトトリの弟子の所にも、同じ書状が行っているはず。しかもスクロールを確認した所、最優先命令だ。

薬の増産は、ちむたちにやらせればいい。

同じものを増やすだけなら、それで何ら問題ない。実際、それを目的とした工場さえ、各地にある。

問題は、新しいものを造り出す事。

こればかりは、錬金術師にしか出来ないのだ。

「これから研究に入るから、食糧をたくさん買い込んできて。 保ちが良い奴ね」

「分かりました」

ホムンクルス二人がアトリエを出て行く。

頭を抱えて、机に突っ伏した。

この仕事をして、思い知らされたのは。トトリやロロナが、如何に凄まじい才覚の持ち主だったか、ということだ。

天才などと言われて、ピアニャは一時期舞い上がっていたけれど。

今では思い知らされている。

早熟なだけだったと。

実際伸びしろも小さく、限界の到来も早かった。まだ若いというのに、自分がこれ以上伸びるという実感も湧かない。

アトリエにある参考書を、一通り引っ張り出してきて、確認。

対空爆雷については、現在使われているメテオールが至高だ。これ以上の改良となってくると、まったく最初から新しい発想をする、くらいの事を考えなければならない。

スクーロールをもう一度確認。

想定されている敵の性能が、異常すぎる。

こんなものを相手に、どう戦えというのか。あのロロナの砲撃でさえ、追いつけないほどの相手。

しばし考え込むけれど。

良い案は無い。

速いだけでは無く、状況判断も早い相手なのだ。攻撃の射程距離も長い。今の時点では、足止め程度でどうにかなっているのだけれど。

もしこれが量産された場合。

前線を軽く引っこ抜かれて、後方拠点が劫火に包まれかねない。

一なる五人は、またとんでも無い代物を造り出してきたものだ。或いは、過去の文明の遺産かも知れないが。

「食糧、買ってきました」

「その辺に積んでおいて」

「はい」

まず、甘いお菓子を口に入れる。

そういえば。

アーランドに来るまで、甘いお菓子なんて、食べたことも無かった。生け贄の村では、細々と身を寄せ合って暮らしていた。たまの楽しみでさえ、美味しくもない食べ物を、腹一杯口にするだけだった。

今では。

当時では考えられない美味しいものを。

無為に食べて。

頭を働かせるためだけに使っている。

頭を振る。

何だか自分が今いる場所。やっていることが。

とても不毛で。

無意味なものにさえ。

ピアニャには思え始めていた。

 

1、難攻不落

 

アールズ王都北に拡がる巨大な湖。

その南西部は、湿地帯が拡がっていて。凶悪なモンスターが山のように住み着いている。トトリ先生が耕作地帯近辺にいるモンスターを追い払った今でも、それに変わりは無い。メルルでは、足を踏み入れる事も不可能だ。

今までは、少なくともそうだった。

今回、メルルは。

トトリ先生による調査作業に、同道させて貰っている。一緒にミミさんとジーノさんも来ているけれど。

いつもメルルの護衛をしている2111さんや2319さん。ケイナやライアス、ザガルトスさんやシェリさんは、一緒にいない。

それだけ急ぎの仕事だ、という事である。

運んできている荷車も、最小限の物資しか搭載していない。

一部に木の橋が作られているけれど。それもトトリ先生が厳重に管理していなければ、すぐにでもモンスターに壊されてしまうだろう。

木の橋の上を難民が通ろうものなら。

即座にモンスターに引っさらわれて、その場で喰われてしまうだろう。

メルルだって、気を張りっぱなしだ。

ミミさんやジーノさんも口数が少ない。それくらいの危険地帯、という事である。実際気を張っていても。メルルでは、危機に対処できるかどうか。

腕を上げたのだ。

前に来たときとは違う。

自分に言い聞かせてはいるけれど。

それもむなしく感じてしまう。

この湿地帯の一角には、ドラゴンさえ住んでいる。それがどういう意味か、メルルにだって分かる。

アールズでも、段違いの危険地帯。

それが此処なのだ。

「メルルちゃん」

「はい!」

呼ばれて、其方に行く。

トトリ先生は、腰をかがめて。木の橋の上から、泥沼を覗き込んでいた。

湖が、トトリ先生が向いている方向には拡がっている。あの湖は湖で、アールズ人の漁師が専用の船を使って、渡るような場所だ。

難民を通せるような所では無い。

「どう思う?」

「ええと、この沼地、ですか」

「ううん、緑化するとしたら、どうする?」

「そうですね……」

緑化、か。

水はたくさんある。

土にも栄養は豊富なはずだ。

だけれども、専門家さえ、ここには入ることが出来ない。それくらいの危険地帯。まずは安全を確保することが、最優先だ。

「まず発破を仕掛けて、モンスターを全部退治するか、追い払わないとダメですね」

「うふふ、過激だ」

「すみません。 でも、そうでもしないと、緑化作業には着手できないと思います」

実際問題、以前ジェームズさんに話を聞いたとき。

そうやって沼地を緑化した事があると言う。

まずはモンスターを追い払い。

過剰な水をコントロールして、土地を乾かして。

それから、緑化に取りかかる。

ただ、問題なのは。以前ジェームズさんが緑化した沼地と此処では、住み着いているモンスターの力量が段違いだと言う事。

アーランドのハイランカーが三人もいて、なおも気を張り続けなければならないほどなのである。

緑化作業には。継続した安全の確保が必須だ。

「壁でも作って見ますか?」

「うん? 壁?」

「はい。 発破で敵を追い払った後、土嚢か何かを積んで、壁を造ります。 その後土地を乾かして、作業が出来るようにします」

この案には、幾つかの問題点がある。

第一が人手。

敵を追い払うのは、今此処にいるハイランカー三人でどうにかなると、メルルには思えている。

問題はその後。

かなりの長さに渡って、土嚢を積み上げる必要がある。その作業を、誰が行うのか、という事だ。

ホムンクルス達を動員するにしても。

緑化作業を安定して行えるほどの地域をカバーするには、相当数が必要。少なくとも、二人や三人では埒があかない。

第二が、人手の維持。

今、最前線が大変なことになっているのは、メルルだって分かっている。

ハイランカーを三人も前線から引きはがして、調査をするのでさえ、一苦労なのだ。三人が継続して前線を離れることは、今後かなり難しい。

前線で敵に画期的勝利でも収めれば話は別なのだろうけれど。

今、前線に展開している敵の数と。強固な守りを考えると。それはとても難しいし、簡単には出来ない。

そして、第三に。

モンスターだって、黙って作業を見ていてはくれないだろう。

まず、過剰に供給されている水。

これをストップするにしても、幾つかの小川を堰き止めたりと、色々と作業が必要になる。

この広大な沼地は。

出口がない小川が、無秩序に広がっている事が原因で出来ている。

逆に言うと。

無秩序に小川が拡がるくらいの豊富な水量を、堰き止めなければならないのである。計画的な作業が必要だ。

土嚢に関しては、耕作地帯から幾らでも土を引っ張ってこられるので、別に気にしなくても大丈夫。

ただし。

今まであげた三つの問題が、どうしても壁として立ちはだかってくるのだ。

トトリ先生が何度も調査に来るわけである。

「壁を造るってのはいいね。 実際、モンスターよけだけだと、そろそろ無理があるって私も思い始めていたから」

「本当ですか?」

「でも、今は人手が足りない」

ホムンクルスも悪魔族も。

勿論兎族も。

それぞれの仕事で、手一杯だ。農場への道を確保できて、今何とか作業が軌道に乗ったけれど。

それだけ。

今後更に増える受け入れ難民のこと。

更に前線で激しさを増している攻防。

これらを考えると、人手は幾らあっても、足りないのが実情だ。

「……少し考えてみます」

ルーフェスにも相談してみるけれど。

何か、何処かで見直しを行えないだろうか。前線で敵を突破するのは不可能だとしても、である。

そろそろ、メルルが錬金術師を始めて一年になる。

受け入れた難民の数は、予定をかなり前倒しして、そろそろ八千に届く。周辺諸国から派遣して貰った戦士達も、予定よりかなり多い。

もし、何処かで。

人員の削減が行えるのであれば。

この湿地帯を攻略する事が、可能になるかも知れない。

 

王都に戻る。

ちなみに、トトリ先生達とは、耕作地帯で別れた。その場で解散である。三人とも、相当に忙しいのだ。

軽くなった荷車を引いて、メルルはそのまま王都へ疾走。

夕方よりも、かなり余裕を持って到着。これでもしっかり一年鍛えたのだ。体力だって、前よりぐっとついている。

アトリエに入ると。

ケイナが、慌ただしくタオルを絞っていた。

「ただいま。 アニーちゃん、熱出したの?」

「はい」

そうか。

トトリ先生が言っていた通り、少し前から、アニーちゃんは熱を出すようになった。元からあまり外に出たがらない子だったのだけれど。外に出る度に熱を出すようになったので、ケイナの負担は増えている。

もっとも。熱は出しているが、命に関わるような体調悪化は、今のところない。トトリ先生に聞いていたとおりの調薬で、今の時点ではどうにでもなる。

元々、この世界にあって。いにしえの時代にない病気や毒を調査するために熱を出しているという事だ。

余程強烈な毒にでも接しない限りは、大丈夫なのだろう。

寝室に様子を見に行く。

顔を赤くしたアニーちゃんは眠っていた。

元々ベッドでゴロゴロしていることを好むアンニュイな子で、静かに寝ていても、普段とあまり差異は無い。

ぬれタオルを換えて。

体温を確認。

問題は無さそうだ。

「かなり熱も下がってきました。 後は一晩くらい眠っていれば、大丈夫です」

「そっか」

ケイナに後は任せると。

荷車から、回収してきた素材をコンテナに移動させ。そして、その足で、そのまま王宮に向かった。

幸い人はいなかったので。

ルーフェスとは、すぐに面会することも出来た。

人手について、相談する。

少し考え込んでいたルーフェスだけれども。地図を広げると、一点を指さす。それは、農場への道だ。

「現在、やはり一番人手を取られているのは、農場への人員護衛です。 現時点で耕作地帯に七千弱、農場に千二百名ほどの難民がいますが。 農場への人員護衛を一時見合わせれば、かなりの人数を見繕うことが出来ます」

「でも、それだと農場の方が破綻しない?」

「現時点では、問題ありません」

元々農場は時間が掛かることを覚悟していたと、ルーフェスは言う。実際見に行ったけれども。収穫できている木はほんの一部。

殆どの木は。

まだ当面、世話をする段階だ。

農場が一番忙しくなるのは、収穫期。現時点では、それに備えて人員を輸送しているのだけれども。

一月くらいは、それをストップしても、影響は出ないという。

ただし、あくまで大きな影響は、だ。

「湿地帯の緑化を進めることに成功すると、耕作地帯を更に拡大できます。 また、姫様が開拓してくださった鉱山への道についても、現時点ではリス族の難民受け入れが出来ていない以上、宙に浮いている状態です。 鉱山開発を本格化するためにも、湿地帯を突破するルートの完成は必要不可欠です」

「人員は確保できても、余裕は無い、ということだね」

「トトリ殿と、念入りな調整をした上で、作業を開始してくださいませ」

「分かった」

執務質を後にする。

そのまま、城の屋上へ。

王都の城壁の一角が既に取り払われて、訓練場の作成が始まっている。というか、既に完成間近だ。

メルルが基礎を造った建物は、もう九割方出来ていて、来月には完成する。

難民の中で、数少ない能力持ちや、戦闘力を持っている人間。それに増援として各国から廻されてきた戦士の中で、未熟な者達を、彼処で鍛え直すことによって。今後の戦力として計上できる。

或いは、メルルが利用させて貰うのも、ありかも知れない。

ただ、今は無理だ。

アトリエに戻る。

トトリ先生が戻ってくるのは、多分二日か三日後。人員を確保できたとして、その後にどうするか。

大まかな計画くらいは、立てておかなければならない。

トトリ先生は怒ったりはしないけれど。

同時に、アドバイス以上の事もしてくれない。

基本的なところは。

メルルが、やらなければならないのだ。

アトリエに戻ると、すぐに地図を引っ張り出す。

危険地帯である湿地帯をまっすぐに抜けるルートが出来ると、耕作地帯を広げるだけではない。

鉱山へも、難民を安全かつスピーディに輸送することが出来る。

農場から、更に鉱山への路を延ばすルートについても、今後は確保しておくとして。もしも湿地帯が開発できれば、此処へ人材を廻す事によって、更に開発を促進させることが出来るだろう。

来年には、アーランドからの食糧支援は必要なくなると言う試算も出ている。

上手く行けば。

敵を押し返すための、原動力として活用できる可能性もある。

黙々と作業をしていると。

いつの間にか、夜中になっていた。ケイナが、台所で作業をしている。気が抜けた途端、大きなあくびが出た。

「メルル、今夕食持っていきますね」

「ごめんね、ケイナ。 ずっと集中して、気付いてなかった」

「良いんですよ。 それにメルルの集中が切れるタイミングは、だいたい把握していますからね」

流石だ。

ケイナが持ってきたのは、大きな肉片を焼いたもの。ただし肉を上下に切り分けて、その間に野菜をたくさんいれている。

肉そのものも、丁寧に火を通していて。

肉汁が野菜にしみこんでいて、とても美味しい。

「ケイナ、いつでもお嫁に行けるね」

「ふふ、当分その予定はありませんけれど」

「こればっかりはね」

辺境では、仕事が出来る人間は。男女問わずに、行き遅れになりやすい。これは子育てをしている余裕が無いからだ。

メルルは仕事が出来る方かは分からないけれど、立場の問題がある。

ケイナも、そのメルルを支えると言う点で、重要なポジションにいる。だから、二人とも、当分結婚とは縁がない。

食事を終えると、外に。

軽くストレッチをした後、組み手をする。

以前とは。

トトリ先生に正式に弟子入りして、アトリエで暮らし始める前とは、動きが異次元になっているけれど。

それでも、まだベテランには一歩届かない、という程度の実力しかないのが事実だ。メルルの必殺技であるユニコーンチャージは、味方の支援が無ければ当てられる気がしないし。

ケイナだって、そこまで気配を消すのが上手じゃあない。

まだまだ、課題が山積みだ。

それを確認できただけでも、充分。

適当な所で切り上げて、礼。

一晩休んだ後。次の日は、朝練を終えると、すぐに計画について、詳細を詰めていった。

ケイナには、トトリ先生が戻った後、すぐに知らせて欲しいと連絡してある。だから、集中して作業が出来る。

まず最初にやるべきは。

栄養剤の確保。

これに関しては、恐らくどうにかなる。備蓄が無くても、後から造れば良いだけの事なのだ。

次にやる事は。

小川の堰き止め。

小川と行っても、無秩序に湿地帯に流れ込んでいる。これを堰き止めることによって、死滅する生物はいない。

また、流れ込む水を管理することによって、緑化作業も。

泥沼の調整も。

容易になるだろう。

次は、土塀の作成。これは、モンスターを防ぐために造るものではない。モンスターが隠密潜入してくるのを防ぐのと同時に。

彼らの縄張りでは無いと、示すためのものだ。

勿論、強力なモンスターが侵入してきたら、土塀なんて何の役にも立たないだろうけれど。此方には、相当に強い戦士が見張りにつく。

それに、土塀を完成させれば。

モンスターも、簡単には攻められないと判断して、仕掛けては来なくなるだろう。当面は、念入りな監視が必要になるが。

耕作地帯を完成させるときでさえ。

大きな手間と、大変な時間が必要になった。

今度はそのノウハウがあるとは言え。大変なことに代わりは無い。

気付くと。

ケイナが側にいた。

「メルル、そろそろお昼にしましょう」

「おっと、もうそんな……」

窓から外を見ると。

影は、昼をかなりすぎていることを示していた。

まさかケイナは、つきあって昼ご飯を食べずに待ってくれていたのか。頭を掻き回すと、メルルは素直に謝罪した。

「ごめん」

「良いんですよ。 さあ、パイを温めますから」

ケイナが台所に向かう。

一旦計画を考えるのをストップ。いずれにしても、どうするかを決めていても。それを具体的に実行できるかは、別の問題になる。それに人員を移動させるという点でも、かなり今回は大がかりな作業になってくる。

実際に着手できるのは。

早くても、来月だろう。

パイが来た。

今日のは、野菜を中心にしたパイだ。起き出してきたアニーちゃんが、向かいの席に座る。

もう熱は大丈夫なのかと聞くと。

無言で頷いた。

「この病気は解析が終わったからへいき」

「苦しくはなかった?」

「苦しいに決まってる」

即答である。

思わず真顔になってしまう。人工生命体を造るところまでは否定しない。しかしあのダブル禿頭はやっぱり許せない。

パイを多めにあげると。

アニーちゃんは不思議そうな顔をして、平らげた。

美味しいともまずいとも言わないけれど。

少なくとも、パイは嫌いでは無いらしい。

ケイナのパイは絶品だし。

食べやすいのは、確かなはずだ。

それから、また夜まで、計画について細部を詰める。軽く計算してみるけれど、土嚢を積むのは良いのだけれど。作業の護衛の人数が少しばかり足りないかも知れない。

ミミさんやジーノさん。何よりトトリ先生が、いつもいてくれるわけでは無いのだ。

そうなると。

可能性となり得る障害を、先に取り除かなければならない可能性も出てくる。

ただ、縄張りを守ろうとしているだけのモンスターを殺す。

そう言うことだ。

気が進まない。

ふと、トトリ先生が言っていたことを思い出す。生物が進化したタイプのもの以外は。モンスターは、アニーちゃんを攻撃しない。

そういえば、鉱山へ行き来する間にも。

何度か、不可解な事があった。

気は進まないけれど、アニーちゃんはどのみちメイド達には任せておけないのだ。連れていくとき、効果が分かるかも知れない。

ただし、最悪の場合には。

何があっても、逃がさなければならないけれど。

気がつくと、夜。

ケイナに言われる前に、自分で気付けた。

嘆息して、立ち上がる。

ろくでもない計算をしているようでダメだ。頬を叩いて、気合いを入れ直す。

メルルは王族で。

それは、王族だからえらいのでは無い。

皆の先頭に立ち、国を導くから。税金で贅沢をすることを許されているのだ。それを忘れてしまっては、どうしても勘違いをしてしまう。

頭を使ったからか。

とにかく、甘いものが食べたい。

トトリ先生が戻ってくる前に。

計画の骨子は、最低でも作り上げておかなければならなかった。

 

2、沼地へ

 

大型船を、湖に出す。

と言っても、普段漁師が使っているものだ。これに、大きな木の杭を、何本か搭載。そして往復することで、幾つかの小川を、堰き止める作業を行う。

メルルも、立ち会う。

作業の詳細は、こうだ。

まず、小川の入り口に移動。

杭を立てて。

其処に大岩を放り込む。

そして、流れが止まったところで、砂利をいれ。

最終的には土をいれて、完全に固めてしまう。こうすることによって、小川そのものをなくす。

湖から下流に向けて流れている河は幾つかあるけれど。

その中の、海にまで注いでいる川へ、流れが向かうように、調節しなければならない。だがこれにかんしては、小川さえ塞いでしまえば、自動で達成できるはず。水は、基本的に高地から低地へと流れて行くものだからだ。

小川の入り口に来た。

船から見ているだけで、巨大な魚が多数湖の中に見える。この湖では、メルルの背丈ほどもある大きさを持つ鮭も、小魚の一種に過ぎない。

それくらい、強烈な生態系が構成されている、という事だ。

幸い、小川の入り口は、それほど水深もない。

杭を打ち込む作業は、ザガルトスさんと、他の力持ち達にやってもらう。作業を進めている間。メルルは2111さんと2319さんと一緒に、見張り。ケイナとライアスは、作業管理。

シェリさんは船の上に滞空して、周囲の確認だ。

「二本目行くぞ!」

「二本目!」

声を張り上げる。

杭を打ち込み終えた後は、岩。

順番に作業を進めていく。

杭を打ち込んだ直後は、水の流れがかなり代わって、周辺に渦が出来たりもしたけれど。岩を放り込んで、完全に小川を止めた後は、それもなくなった。

元々、正円系の湖なのだ。

小川がなくなれば、他の場所から、水が低地に向かうだけである。

一つ目の小川を潰すだけで、丸一日かかった。

続けて、二つ目。

こうやって、四つほど。小川を潰して行かなければならない。これはかなり面倒な作業だけれど。

これをやっておかないと、そもそも湿地帯そのものがなくならないのだ。

勿論メルルも、岩や土砂の積み込みは行う。

シェリさんが、船の上から周囲を確認してくれているのだけれど。どうにも妙だと、一日目の作業が終わってから教えてくれる。

「気付いていたか。 今まで耕作地帯を作る時に散々ちょっかいを仕掛けてきたらしいモンスター達が、静観している」

「……」

側には、退屈そうにあくびしているアニーちゃん。勿論手伝って何てくれない。

本当に、そういうことなのか。

モンスターにも、人間にも、被害を出さなくてすむのなら、それが一番。もし、アニーちゃんがモンスターを遠ざけているのなら。

その果たしている役目は、計り知れない。

二日目、三日目と、大きなトラブルは無く、作業は進む。

そろそろ、土嚢と。

それを運ぶ人員。

護衛の人員。

いずれも、必要になってくるが。ルーフェスが手配してくれているはずだ。それを信頼し、作業を進めていく。

船を操作しているのは、ベテランの漁師。

船の移動に問題は無く。

酔うことも無かった。

四日目。

船に乗り込むと、違和感。運び込まれている杭が、少し大きい。こんなに大きい杭、頼んだろうか。

「ライアス、これから行く小川、今までのより大きかったっけ?」

「いや、変わらない筈だ」

「……? この杭、大きくない?」

言うまでも無い事だが、木材は貴重な資源だ。浪費することは絶対に許されない。嫌な予感がしたので、一旦船を出すのを中止。杭を手配したのはルーフェスだから、なおさら妙だ。

調べて見ると。

やはりおかしな事が分かった。

ライアスに使いっ走りをして貰って、ルーフェスに来て貰う。すぐに来たルーフェスは、杭を見て、確認。

「これは、私が手配したものではありません」

「ちょっと待て。 シェリさん、危険確認お願いします」

「応!」

シェリさんが確認してくれる。魔術は掛かっていないが。問題は、出所だった。

少し前に、植林したばかりの大きな木が、斬り倒される事件があったのだ。モンスターか何かの仕業かと思われたのだけれど。

これが、その木の末路だ。

北部列強の人々からは信じがたいかも知れないけれど、南部の辺境において、緑は何より大事な財産である。

それがこのような使われ方をしたと分かれば。

悪魔族も、リス族も、兎族も。誰もが黙っていない。

「すぐに調査いたします」

「普通、枯れ木を使うものなのに、重いし新しいし大きいしで、おかしいと思ったんだよ」

昔だったら、気付かなかったかも知れない。

錬金術で微細な作業を繰り返してきたから、細かい違いに敏感になったのである。更にタチが悪いことがすぐに分かる。

兎族の戦士が数名、此方に来るのが見えたのである。

かなり殺気立っている。

タイミングといい、できすぎだ。

「森から盗まれた木が、此処で使われているという通報があった!」

「今、此方も準備していた杭におかしなものがある事に気付いて、調査を開始したところです」

「何っ!? すぐに見せてくれ!」

兎族に、早速杭を見せる。

いたましいと、ベテランらしい戦士が呻いた。メルルも、どうしてこれが混入したのか分からない事を素直に説明。

兎族はしばし此方を見ていたけれど。

納得はしてくれた。

「貴殿はメルル姫だな。 今まで同胞から話を聞いているが、例え不利な内容であっても難しい話であっても、我等に素直に話をしてくれると評判だ。 もしもやましいところがあるのなら、さっさと離岸して、杭として使ったあげくに知らぬ存ぜぬと通しただろう」

「ありがとうございます。 それよりも、この件の犯人ですが」

「今、魔術で調査中だ。 どうにもおかしい。 元々この木は、貴殿らに提供された栄養剤を使いて、ようやく此処まで育ったものだ。 そもそもこのような事をするならば、どうして盗むのかという疑念もあった」

これは、今日は作業どころでは無いだろう。

一旦船を下りて、ルーフェスを待つ。

ルーフェスが戻ってきたのは、二刻後。荷車を兵士に引かせていて。其処には、本来此処に来る筈だったらしい杭があった。

「ルーフェス! 何処で見つけたの!?」

「農場の近くです。 そもそもこの杭は、二つの輸送経路を通じて送られてくるはずだったものでした。 森で大きめの枯れ木を現地の兎族から受け取り、加工後に輸送してくる予定だったのですが、その経路の一つで、何かトラブルがあった模様です」

「トラブルとは何か」

兎族の戦士が、ルーフェスに詰め寄る。ただし感情を剥き出しにしているのでは無く、事実を究明している雰囲気である。

ルーフェスが細かく説明していく。

この輸送の過程で、一度荷物の引き渡しが行われている。その時に、何か妙なことが起きたらしいのである。現在当事者を呼んで、事情聴取を行っているそうだ。

漁師に手伝って貰って、杭を全部降ろす。

今までの杭は、作業時に確認したから問題ない。

兎族とは、元々長い間争っていた仲なのだ。些細な事でも、今後関係にひびが入ることは、非常に危険。

分かっているからルーフェスも最初から自分が出て対応しているわけで。

兎族も、何かがおかしいと分かっているから、いきなり詰めかけて、話をしに来ている訳である。

「ごめん。 少なくとも、今日はもう作業できないと思う」

「気にすんな、姫様。 にしても、どこのバカだ。 森を傷つけて平然としてるなんて、多分アールズの人間じゃねえな」

「辺境の民でも、リス族や兎族の縄張りに踏み込んで好き勝手する無法者はいるって聞くけれど。 これはちょっと度を超してるね」

「だよなあ。 せっかく育てた木を切り倒すなんて、正気の沙汰じゃねえ」

漁師のおじさんも、相当に怒っていた。

仕事に戻るおじさんを見送ると、メルルは手を叩いて、皆に指示。

「2111さん、2319さん」

「はい、マスター」

二人とも、少し前にアーランドから辞令が来て、メルルの正式な部下になった。

だからメルルは相手をさんづけで呼ばなくても良いのだけれど。

まだちょっと上手に接することが出来ない。

一方相手は、既に此方をマスターと呼んでいる状況だ。

「周囲を警戒。 奇襲を受ける可能性があるから、気を付けて」

「分かりました」

「おい、どういうことだよ」

「ライアス、もしも犯人だったらどうする? 結果を見に来るんじゃない?」

ライアスは、あっと口に出した。本当に気付いていなかったのか。

続いてシェリさんとザガルトスさんにも動いて貰う。

辺りに不審な者がいないか、確認して貰うのだ。二人はすぐに動いてくれた。

今日、ミミさんが来ていれば、少しは作業も楽になったのだけれど。彼女はまた最前線に出ている状況。

漁船には、ベテランの兵士が三人もついてきていたので。

不要と判断したのだ。

その兵士達にも、シェリさん達についていって貰う。犯人がいるのなら、確実に近辺にいるはず。

いや、もしも近辺にいない場合。

相当な手練れと言う事になる。

馬鹿な愉快犯だったら、お仕置きをした後、兎族に突き出すだけ。まあ死刑になるような事はないだろう。当面奴隷同然にこき使われるだろうが。

で、そんな奴だったら、すぐに捕まるはず。

ケイナとライアスは、周囲に残って貰う。

ライアスが、不満そうにぶちまけた。

「言いたくないんだが、難民の過激派がやったんじゃねえのか」

「違うね」

「メルル、何か心当たりがあるのですか?」

「そもそも、難民に、あの森に入り込む勇気と戦闘力をもつ人はいないよ。 何より、兎族の目を誤魔化して、木を切り倒して、しかも取引用の杭とすり替えるなんて芸当、出来ると思う?」

それを指摘すると、ライアスは黙り込む。

そうか、ライアスもか。

難民に悪印象を持っているアールズ人は多いけれど。身内にもいると言う事が確認できたのは、大きな収穫だ。

後は、偏見を取り去るしかない。

「何かいたぞ!」

シェリさんの声。

すぐに駆けつけるけれど、いたのは徘徊癖がある難民の男性だった。しかも、耕作地帯からでていなかった。

悲惨な逃避行の間に、心が壊れてしまったらしく。

メルルを見て、頭を抱えて悲鳴を上げる男性に。

それ以上、何かすることは出来なかった。

 

調査はルーフェスに任せて、その日は仕切り直し。兎族は、今回の件について、犯人の引き渡しは要求しているが、アールズに対してそれ以上の要求はしてこなかった。メルルの誠実な対応が理由だと、ルーフェスに聞かされて、良かったとだけ思った。

分かっている。

政の世界は、魑魅魍魎が蠢く地獄絵図だ。

大きなお金が動くと、どうしてもろくでもない連中が集まってくる。お金を動かしているだけなのに。自分が強いとか、えらいとか、勘違いしてくる。そして、本当の意味での社会的弱者を踏みにじって、何とも思わないようになる。

どこの国でも同じ。

北部の列強はひどかったと聞いているけれど。南部の辺境でも同じだ。実際、醜聞の類は、スピアという大敵を控えた今の状況でも、メルルは聞かされている。目前に敵が迫っても、自分の欲望を優先したがる阿呆は何処の世界にもいるのだ。

この愚かしい事件の犯人捜しも、ルーフェスがしている。

今の時点では、犯人候補はあまり多く無いらしく。

数日以内に結論が出そうだ、ということだ。

メルルも聞いてみたのだけれど、やはり難民の線は無さそうだ、ということである。まあ、当然だろう。

そうなると、難民政策に不満を持つ辺境の人間。

もしくは兎族の過激派。

或いは、考えにくいけれど。スピアの工作。

この辺りが考えられる。

兎族もそれは分かっているらしく、内偵を進めてくれているそうだ。不満を持つ戦士は、たくさんいる。実際メルルも、今まで何人もの戦士から、不満をぶちまけられた。昨日に到っては、身内のライアスが不満を持っていることを思い知らされた。

そういう状況だ。

ルーフェスは数日で決着がつくといっていたけれど。

本当にそうだろうか。

小川の河口に到着。

杭を打ち込んで、岩を放り込み始める。

大きな魚が、物珍しそうに此方を伺っていたけれど。仕掛けては来ない。船に乗っている戦士達の力量を把握しているから、だろう。

やがて、小川の河口は、完全に塞がった。

「よし、これでまずは第一段階だね」

「沼地が乾燥するまで、どれくらい時間が掛かるのでしょうか」

「トトリ先生の話だと、数日って事だよ」

ちなみに。

近辺の沼地は、強力なモンスターの住処になっている事もあって、ほぼ生物はいない。残った生物に関しても、乾燥寸前に、開拓しない別の沼地へと可能な限り放つ予定だ。

ケイナは不安そうにしているが。

メルルはだからこそに、笑顔を保たなければならない。

勿論内心は不安だけれど。

それが先頭に立つものの責務だ。王族というのは、そう言う仕事である。

すぐに、ルーフェスに報告に行く。

これで第一段階はクリア。

話をしに行くと。なんとルーフェスは、もう犯人を特定したらしく。数名の手練れと一緒に、出る所だった。

「姫様、これから出かけて参ります。 河口を塞ぐ作業が終わったのですね」

「うん。 それよりも、早いね」

「単純な消去法です」

「ちなみに犯人は」

ルーフェスが挙げたのは。

隣国から来ている戦士の名前だった。ベテランで、難民対策に対する不満分子の急先鋒だったという。

しかし、妙な話も多いとか。

「半月ほど前から、人が変わったという話も聞いています。 その辺りも含めて、捕縛して調べる予定です」

「分かった。 相手はベテランだし、気を付けてね」

「勿論です。 お前達、行くぞ!」

ルーフェスが数人のベテランとともに、城を出る。

これでは、土嚢などの件については、明日以降だろう。いずれにしても、数日は沼地を乾燥させなければならないのだ。

アトリエに戻る。

ケイナは既に戻っていて、遅めのお昼ご飯の準備を始めていた。

アニーちゃんは熱も下がっているけれど。ベッドでごろごろしている。ケイナが料理を教えようかと最初四苦八苦していたのだけれど。

これがまあ、あっという間に覚えてしまって、教えがいがないという。

気力がないのもマイナスだ。

食事の際には、これでもきちんとマナーを守って食べているので、文句も言えない。

色々と何というか、面倒な子だ。

「お昼、出来ましたよ」

「んー」

メルルは、地図を広げて、今後の計画について確認。

少し遅れたけれど、数ヶ月単位で行う作業なのだ。どのみち、一日や二日の遅れで、騒ぐほどでもない。

食事をしながら、地図を確認。

土嚢を積んで壁にして。

それを絶対防壁にしていく作業は、かなり手間が掛かる。

また、難民達には、湖に近寄らないように周知を徹底しなければならない。湖には、陸に上がってきて、獲物を喰らうような凶暴な魚もたくさんいて。難民達では、束になってもかなわない。

片手間に食事をしながら、地図を確認。

いつの間にか。

夕方になっていた。

台所を見ると、ケイナがお皿を洗っている。今のタイミングで家事をしているという事は、誰か来客があったのだろうか。

ずっと集中していて、気付かなかった。

「どうしました、メルル」

「ごめん、誰か来てた?」

「ルーフェス様です」

「! どうだったって?」

手紙を渡される。

さっと目を通す限り、どうやら犯人らしき人物は、捕縛されたらしい。一安心、と言う所だろう。

ただし、ここからが大変だ。

聴取には、メルルも立ち会って欲しい、というのである。

今回の、沼地の開拓プロジェクトが、メルル主導という事もあるのだろう。ただ、拷問などはできるだけ使いたくない。

故に、自白剤などを用意できるのなら、して欲しい、という事だった。

自白剤か。

精神に干渉するお薬は、かなり危険ということもあって。今までは着手していなかったのだけれど。

作って良いとトトリ先生に言われた参考書の中に、確かラインナップがあった。

見ると、幻覚剤の中に、混じって存在していた。

飲ませるだけでは無くて、嗅がせるだけで充分なタイプだ。もっとも、飲ませる手段なんて、いくらでもあるけれど。

造るのも、そう難しくない。

材料については、コンテナを覗くと。あった。

いままで足を運んだ地域で採取した品だ。幻覚作用のある薬草と、茸類。それに、何種類かの、天然成分。

これらから成分を抽出して。

精神を直接侵す成分へと変えていく。

途中で中和剤を使って、成分を混ぜ合わせ。

普通だったら造れない成分へと換えていくのだ。

気を付けなければならないのは。

調合の途中で、換気を欠かさないようにすること。気を付けないと、自分が中毒になってしまう。

しばし黙々と調合を続ける。

今までやってきた調合に比べると、それほど難しくも無い。トトリ先生が、メルルに出来る限界というべき難易度の調合を、基本的に提示してきた、というのも原因の一つだろう。

夜には、一セット、自白剤完成。

とはいっても、効果があるかは分からない。

もし効果がなかったら、その場合は魔術なり、別の方法を試すことになるだろう。

換気をしっかりして、悪い成分を部屋から追い出して、作業完了。

あくびをしながら、自室に戻る。

ちょっと頭がくらくらするけれど、これは仕方が無い。ベッドに潜り込むと、先に眠っていたケイナの寝息が聞こえた。

そういえば、もう次の日か。

月の位置から確認するに、それはほぼ間違いない。

朝早くに起きるには、もう寝るべきだ。今日はどのみち、徹夜するような用事もないのだから。

 

起き出す。

少しばかり気が重いけれど、今日は尋問だ。トトリ先生は戻ってこないし、こればかりはケイナも立ち会わせられないだろう。

アニーちゃんを見ておくようにとケイナには指示。

不安そうに、ケイナは眉をひそめた。

「大丈夫ですか、メルル」

「平気だよ。 出来れば、これも使わないで済ませたいしね」

「……」

お城に出向く。

滅多に使わない地下牢へ。其処では、縛り上げられた戦士が。うめき声を上げていた。メルルを見ると、唸る。

恨みが、声には籠もっていた。

「姫様、この男にございます」

「誇り高いベルヘルムの戦士が、何故にかような陰謀に荷担しましたか」

「……」

帰ってくるのは、獣のような唸り声。

ルーフェスの手紙にあったのだけれど。

男は森の中に逃げ込んでいて、見つけたときには仕留めたらしいドナーンを、生で囓っていたという。

早めに気付いて良かった。

錯乱しているのだとすると、このくらいのレベルの戦士は、文字通り生体凶器だ。暴れ出すと、どれだけ死人が出ても不思議では無い。

「机を」

「はい」

ルーフェスが指示をすると。

男の前に、机が置かれる。男は足も縛り上げられているから、蹴飛ばすことは出来ない。しばらくもがいていた男の前に、ルーフェスが座る。

「最初から聞くぞ。 何故にこのような行動に出た」

「……」

「言葉が聞こえているのは分かっている。 無駄な抵抗は止せ」

「……!」

喚きながら、男が頭を机に打ち付けようとしたけれど。

拘束衣をつけられているので、そうもいかない。

この男は、以前キャンプスペースであった事がある。その時は、難民に対する扱いに不満こそ口にしてはいたけれど。

此処までおかしくはなかった。

これは完全に壊れてしまっているとみるべきなのだろうか。

嘆息すると、自白剤を出す。

アロマの形にしてあり、火を灯すことで、煙が出る。男の前で焚くと、流石に何かされると悟ったらしく、男が暴れようとして。

取り押さえられる。

煙が、男の周囲を漂う。

「吸わないように気を付けて」

「姫様、これは」

「自白剤だよ」

男を取り押さえている兵士達が、顔を歪ませた。

錬金術とは、かくも恐ろしいものか。

そう顔には書かれていた。

見る間に、暴れていた男が大人しくなる。目もとろんとしてきて。口からは、よだれが垂れ流され始めた。

「質問を繰り返すが、構わないな」

「どうぞ……」

一転して、男が素直になる。

気持ち悪いくらいの効き目だ。火を一旦消す。これくらい吸わせれば充分だろう。取り押さえている戦士達でさえ、鼻白んでいるのだ。あまり吸わせるのも、気分が良い行為では無い。

「まず、お前は何故このようなことをした」

「このような事とは」

「沼地干拓に使う杭を入れ替え、その過程で森の大事な木を切り倒したな。 そして杭に加工した上、本来用意されていた枯れ木から造り出した杭と入れ替え、それを兎族にばらすことで、アールズとの溝を造ろうと画策した」

「その通りだが、考えたのは、俺じゃない」

なるほど。

つまりこの男は、ただの実行犯、という事か。

「姫様、自白剤をもう少し強めに」

「どうして?」

「暗示を掛けられている可能性があります。 もしもそうだった場合は、偽りを口にする可能性があります」

「分かった。 気を付けてよ」

また、アロマに火を灯す。

男が、更に蕩けたような表情になって行く。

人の心を操作するというのは、良い気分では無いのだけれど。この男は、生半可な拷問程度には屈しないだろう。

辺境で生きてきた戦士なのだ。

ちょっとやそっとの拷問程度に屈する程度では、とてもではないが、この苛烈な世界を生き抜けない。

「お前は本当に、誰かに命じられてこのようなことをしたのか」

「そうだ」

「その誰かとは」

「知らない奴だ。 俺は、その日、一人で巡回をしていた。 違う。 巡回の途中に、立ち小便に行った。 その時だ。 そいつが現れた」

生々しい話だけれど。

そのまま、続けて貰う。

男によると、「そいつ」は、目が光っていて。背丈は男と同じくらいだったそうだ。呆然と立ち尽くす男に。そいつは言う。

難民共をどうして守らなければならない。

祖国の貴重な食糧を食い荒らして、土地を汚し、好き勝手なことばかりほざきながら。不満ばかり口にして、少しも祖国のためにならなかった。

そもそも、あいつらは。辺境の民を蛮族と呼び、見下して。隙あらば土地を奪おうともしていた奴らだ。

何故、守ってやらなければならない。

その言葉を聞いている内に。

男は、すっかり引き込まれてしまった、というのだ。

「今になってみれば、分からない。 確かに俺が思っていることを、あいつは代弁してくれていた。 だが、知らない奴の言う事をホイホイ聞くほど、俺は阿呆だったか」

「……続けろ」

「そいつは、俺に、詳しい作戦を告げた。 上手く行けば、全ての責任を難民に押しつけて、奴らを皆殺しに出来るといった」

「皆殺し……」

思わず唇を噛む。

そんなこと、絶対に許せない。

スピアと同じでは無いか。

メルルの怒りを感じてか、どうかは分からない。男は不意に笑い出した。薬が効きすぎたのか。

「ルーフェス、アロマを消して」

「いえ、もう少し続けましょう」

尋問を続ける。

男は、素直に答えた。

そして、一刻ほどで。尋問は完了。

非人道的な行為だったけれど。下手をすると、内乱が起きる状況だったのだ。それくらい、辺境では森が大事にされている、という事である。

ましてや兎族が管理している森だ。

彼らにしてみれば、同胞を斬り殺されたも同然なのだ。

「姫様、この男は兎族に引き渡します。 この男の故国であるベルヘルムへは、私が使者を出します」

「私が一筆添えようか?」

「いえ、デジエ陛下にお願いいたします」

「父上か。 ん、分かった」

それがいいだろう。メルルが出しゃばるよりも、国王である父上が一筆添える方が、今回は良いはずだ。

男が、兵士達に引きずられていく。

精神が完全に錯乱していたと言うよりも。その謎の男とやらに、洗脳されたとみるべきだろう。

辺境の戦士を、一瞬で洗脳。

どうやったのだろう。

勿論、魔術も飛び交う戦闘が、辺境では当たり前に行われている。精神干渉系のものだって、その中にはある。

この男は、ベテランと呼ばれるほどの使い手だ。当然今のメルルよりも、二回りくらいは強い。

それを一瞬で洗脳するなんて。

「この男は、私が兎族に引き渡してこようか?」

「分かりました。 その代わり、護衛はお伴いください」

「ん、分かってる」

今回はデリケートな問題だ。北部列強の人間だったら、たかが木一本と笑うかも知れないけれど。

そんな風に考えていたから、世界は一度滅んだ。

そう、メルルは思っている。

ため息が零れた。

これは、後々のためにも。しっかり解決しておかなければならない問題だ。

 

3、干拓開始

 

兎族の所に謝りに行って。

犯人の男を引き渡した。

幸い、ベルヘルムの方も。男の失態について聞いて、すぐに謝罪の文を寄越してきた。兎族に引き渡すことも、反対はしなかった。勿論、この返事が来てから、男を引き渡したのだけれど。

たった一人が起こした不祥事が。

大惨事につながりかねない。

それが、今回浮き彫りになった形である。

難民達も、此方で何かあったのには、気付いたのだろう。耕作地帯で作業をしている難民達が、此方を見てこそこそと何か喋っているのは分かった。ライアスが、不満げに眉をひそめる。

「何だ彼奴ら、舐めやがって」

「ライアス」

「わーってる!」

不機嫌そうにそっぽを向くライアス。

ちなみに、今日は。

トトリ先生が来てくれている。

本当はミミさんやジーノさんも来て欲しかったのだけれど。まあ、戦力面は我慢するしかないだろう。実際、トトリ先生がいるだけで、安心感は段違いだ。

悪魔族の中から、十名。

更に、耕作地帯で働いているホムンクルス達の中から十名が、此方に来てくれる。

積まれている土嚢。

そして、運ぶための台車。

更に、湿地帯が、乾いていることを確認。モンスターの姿も遠くに見えるけれど。流石に湿地帯の全てが乾いたわけでもない。それに、一度水はけが済んだら、また水を引き直すのだ。

台車もある。

「まず第一班は、残っている水たまりをさらって、生物がいたら全てこの地点の小川へと放してください。 水上で乾いて死にかけている生物がいても、同様の処置を。 死んでいる生物は、肥料にします。 此処に回収してください」

「了解!」

悪魔族五名で編成された第一班が動き出す。

トトリ先生が、手を叩いて、ホムンクルス達と悪魔達で半々に編成された第二班十名を呼ぶ。

これが、巡回チームだ。

「これから、予定干拓地点近辺を探って、モンスターが潜んでいないかを徹底的に確認するよ。 各自、くれぐれも油断しないようにね」

「了解!」

湿地帯の中には、飛び石的に森になっている場所もある。

ドラゴンが潜んでいるとされているのも、そういう飛び石森だ。ちなみに今回の干拓予定地には含まれていない。

更に、其処には今も小川が流れ込んでいる。

気にする必要は、ない。

干拓すると言っても、全体的に生物がほぼいない湿地帯を乾かして、水を入れ直し。森に換えて、なおかつ道と耕作地を造る、という順番だ。

森には、今後優先的にリス族に入って貰うし。

場合によっては、此処からの収穫も期待出来る。

残りのメンバーを前にして、メルルが手を叩く。

「はい、それでは土嚢を運びます。 台車はこれを使ってください」

このメンバーは、PTSDで戦場を離れたホムンクルス達が主体。更に、メルルと護衛達である。

土嚢には、後でトトリ先生と一緒に、モンスターよけの措置を行う。

モンスターの接近を知らせてくれる道具の設置。

いやがる臭いの散布。

更に、ここからが、モンスターの領域では無いと示すための措置。色々とあるけれど。いずれにしても、一ヶ月では終わらない作業だ。

土嚢を運び始める。

輸送するホムンクルス達は、一度に大人の体重の二十倍くらいの土嚢を、軽々と運んでいく。

一人ずつが、ベテラン戦士並みの実力者なのだ。

PTSDで戦えなくなっていても、身体能力は健在なのである。

それを見て、難民達がおののく。

化け物だと。

彼らから見れば、考えられない光景だろう。それも、無理をすれば、もっと重い土嚢だって運べるのだから。

用意された土嚢は。

耕作地から運び出されたり。

或いは、前線の砦から、邪魔と判断されてどけられたりしたもの。

これを規則的に積み上げて。

そして、錬金術で造った接着剤で固定していく。分厚く作る事によって、簡単に崩れない壁にする。

高さはメルルの背丈の五倍ほど。

もっと大きなモンスターもいるけれど。一旦はこの高さでいい。というか、大事なのは。ここから先は、モンスターの住処では無いと、示すことなのだ。

アニーちゃんも連れて来ているけれど。

あくびする彼女は、まったく怖れていない。

流石に素足で地面に降りるなとは言ってある。

どんな獰猛な生物がいても、おかしくはないからだ。

「本日分の予定、完了しました」

ホムンクルス達が申告してきたのは、昼少し後。かなり時間が余っている。

トトリ先生達は、まだ戻ってこない。第一班も、である。

「どうする、もう少し進めるか?」

ザガルトスさんも、途中からホムンクルス達に劣らない腕力を発揮して、土嚢を運んでくれていた。

作業は粛々と進み。

今の時点で、問題は発生していない。

「体力に余裕はありますか?」

問題なし、と答えが返ってくる。

それならば、少しだけ前倒しだ。ただし、労働を増加して、前倒しするのだから、報酬も増やす。

ホムンクルス達にも、きちんと給金は支払われている。

彼女たちは、それで個性を買う。

皆が違う武器を使っていたり、ちょっとした小物が違ったりするのだけれど。それらは、そうやって得られたお給金から来ているのだ。

勿論お金は地面から湧いてくるものではない。

アーランドからかなり資金面で支援を受けている。この中から、ホムンクルス達への追加請求分を払うことになる。

同意を得た上で、前倒し作業開始。

黙々と進めていく内に、夕方。

メルルもたくさん準備しておいた接着剤が、見る間に無くなっていくのをみて、苦笑いしてしまう。

今、パメラさんの工場で、同じ接着剤を作ってくれている。

それを、恐らくは。根こそぎ、この土嚢の固定化作業に廻す事になるだろう。

日が沈みかけたタイミングで、作業終了。

戻ってきたトトリ先生と、第一班と合流。ミーティングを行ってから、今日の作業は終了とする。

「トトリ先生の方はどうですか?」

「潜んでいるモンスターは、あらかた追い払ったよ。 奥の方にある森で、恨めしそうにドラゴンが此方を見ていたけど」

「ドラゴン……」

ケイナが呻く。

湿地帯に住むドラゴンは、エントほどでは無いけれど、アールズにとっては長年脅威になり続けた存在だ。

具体的にアールズ王都を襲撃したりはしてきていない。

だけれど、湿地帯に入り込んだ冒険者が襲われた例は、枚挙に暇が無い。戦を続けてきたリザードマン族が直接の脅威だとすると。

その場にいて、何をするか分からない、幽霊のような恐怖が、此処にいるドラゴンなのだ。

「第一班は」

「作業はあらかた終わりました。 湿地帯のサルベージ、完了しています」

「有り難うございます。 明日は念のためもう一日サルベージをして、明後日から予定通り此方に加わってください」

「了解」

第三班は。

みな、それほどつかれている様子は無い。これならば、明日以降も大丈夫だろう。勿論、しっかりメルルが目を配らなければならないが。

「皆、無理があったら、すぐに言ってね。 根性論や精神論で作業を進めると、絶対に取り返しがつかないミスが起きるから。 無理だと思ったら、すぐに休憩や回復手段を講じるからね」

「了解」

ホムンクルス達の返答は淡々としているけれど。

彼女たちもヒトだ。

生まれが違うだけ。

それだったら、同じように扱うだけ。

今日はこれで解散とする。明日からも、編成は兎も角。実際には耕作地の状況を見ながら、作業をしていく事になる。

ルーフェスがやりくりしてくれた結果、人員は確保できた。

耕作地では、巡回に今まで回っていた他国の戦士が、かなり働いている。退屈そうにしている戦士もいるけれど。

丁度出来上がった訓練場で、アーランドのハイランカーが指導をしてくれるという話をすると。

誰もが大喜びした。

皆、戦士なのだ。

名高いアーランドのハイランカーや、それに匹敵する実力者が指導してくれるとなれば、誰もが喜ぶ。

問題は、最前線の状況だが。

それについては、もはやクーデリアさん達、前線で戦っているメンバーに任せるしかない。

アトリエに戻った時は。既に夜中。

地図を見て、もう一度確認しようとしたけれど。ケイナにお盆で叩かれた。

しかも縦で。

「いた!」

「もう駄目です。 休んでください、メルル。 まだ初日なんですよ」

「分かったよ、もう」

ケイナを怒らせては元も子もない。いそいそと体をぬれタオルで拭いて、それからベッドに潜り込む。

そもそも、初日としては、まずまずの滑り出しなのだ。

これで耕作地を一気に拡大し。なおかつ鉱山への安全な道も確保できたら。

アールズにとっては、絶対に大きな収穫となる。

 

翌朝。

朝練を済ませて、現地に到着すると。今日はトトリ先生の代わりに、ミミさんとジーノさんが来ていた。

やる事は、昨日と同じだ。

ただ、午前が終わった頃には、第一班が合流してきたが。

「既にサルベージは出来る事もありません」

「分かりました。 これ以降は、合流して指示を受けてください」

「了解。 以降は指揮下に入ります」

第一班の半数は悪魔族。

つまり、上空から敵の接近を事前に察知できる、という事だ。ホムンクルス五名も、そのまま哨戒に当たってくれる。

それにしても、足下がしっかりしているという事が。

これほど、安全につながるとは、思わなかった。

ただ、地盤は軟らかい。

こればかりはどうしようもないので、土嚢はがっちりくみ上げないと行けない。時々、悪魔族の魔術師が、乾燥の魔術を使って、地盤を固めてくれる。

とはいっても、やはり積み方を工夫しないと、崩れてしまいそうだが。

「この辺りは、特に地盤が緩いですね」

「後回しにした方がいい」

シェリさんがいう。

何でも、まだ乾燥が十分ではなくて、土壌が固まっていないのだとか。なるほど、それでは積むのは後回しにするべきだ。

一旦その地域を避けて、別の場所に土嚢を積む。

土嚢の布は、難民達に作業して貰って造っているのと。土嚢に土を詰め込む作業そのものもやって貰っている。

難民達は、大量の土嚢をどうするのか、不安に駆られて見ているようだ。

城壁を作っているように見えるのかも知れない。

「不安を消すためにも、ルーフェスに説明して貰おうかな」

「配慮がきめ細かいですね」

「そりゃあそうだよ」

2111さんに、土嚢を一緒に運びながら答える。

体が鍛えられていい。

ライアスも、さっきから黙々と作業をしている。これだけの面子が守りを固めているのだ。最悪の事態でも、土嚢を捨てて構えるくらいのことは出来る、と判断しているのだろう。

「だって、色々と違うんだから。 育った文化も、体の強さも。 だから誤解は生じやすいし、それを取り払うのも大事でしょ」

「ええ、その通りなのでしょうね。 マスターはそのままでいてください」

「んー」

少しずつ、2111さんと2319さんに対して、敬語じゃなくて喋れるようになってきた。

土嚢を積み上げていく。

一度に大量に運んでくるホムンクルス達に指示して、さっさと積み上げを終え。そして適当に形になったところで、接着剤を使って固定。

途中から、効率が上がったこともあって、今日も少し作業を前倒しで進めることが出来た。

喜ばしい。

ミミさんとジーノさんが来る。

湖から流れ出ている川について、調査に行ってくれていた。

「思ったほど水かさは増えていないわ。 ただ、念のために、今後水量が増える時の対策をする必要がありそうね」

「後で、トトリ先生に相談してみます」

「それがいいわ」

「それよりよー。 モンスターと戦いてー」

ジーノさんがいうには。モンスターはいるにはいるのだけれど、殆どが乾燥した場所には近づいてこないという。

泥の中に隠れたり。

水を啜って力にしたり、出来ないから、なのだろう。

かなり前倒しで作業が進んでいると説明すると。ミミさんは、そうとだけ言った。ジーノさんも、興味がなさそうだった。

そして、翌日は雨。

朝からずっと降り続けて。

湿地帯は、また泥だらけになっていた。

二日間土壌を乾かして。

また現場を見に行く。

土嚢がどかされているようなことは無かったけれど。これで前倒しした分がパーだ。もっとも、雨が降る事を最初から想定していたので、別に全体的な行程に遅れは出ない。そこまできちきちにスケジュールを組んでいない。

すぐに、作業を再開。

土嚢を積み上げて、がっちりと壁を造っていく。

まだ乾いていない水たまりを確認。

悪魔族の戦士達が、一目見ただけで、制止してきた。

「近づいてはならぬ」

「モンスターですか!?」

「いや、汚染だ。 昨日の雨で、此処に水が流れ込んだ。 その結果、この土壌の汚染が、我々でも看過できぬレベルにまで高まっている」

「ひえ……」

距離を取るように指示。

五名の悪魔族を作業から抜いて、対処に当たって貰う。

似たようなホットスポットが、何カ所もあると言う。ぞっとしない話だ。だが、良い機会かも知れない。

緑化する過程で、どうしても汚染の浄化はしなければならないのだ。

雨によって汚染が集まってくれていたのなら、好都合だろう。

悪魔族の一人が、手首を切ると。

大量の鮮血が、水たまりに流れ込み始める。

体内で増やした、世界を滅ぼした毒を中和する成分を。こうやって流し込むのだ。勿論命がけの作業である。

その後、魔術を周囲の二名が使う。

作業の内容としては、泥と毒を中和する成分を混ぜ合わせているらしい。血を流し込んだ一人は、地面に横になって、回復の魔術を受けていた。残りの二人は、なにやら造っている。

どうやら、儀式に使う、儀礼的なもののようだった。

興味深い。

悪魔族は、大地を浄化することに一生を捧げている種族だと何度も聞かされた。実際にそれをやっているのを見るのは初めてだ。

もっとジェームズさん達による緑化作業に関わっていれば、見る機会もあったのだろうけれど。

やがて、水たまりの処置が終わったのだろう。

四名の悪魔族が、なにやら踊り始めた。

恐らくは彼らが信仰している存在に捧げる儀礼的な舞だ。何を信仰しているのかは、シェリさんも教えてはくれなかったが。

その間も、せっせと土嚢を運ぶ。

積み上げた土嚢の上で見張りをしてくれていたシェリさんが、警告の声を発してきた。

「モンスター確認! ベヒモスだ!」

「臨戦態勢!」

メルル自身は運んでいた土嚢を側に置くと、すぐにシェリさんの側に。

かなり体が軽い。

力がついてきている証拠だ。

手をかざすと、確かに向こうの森の方から、ベヒモスが此方を見ている。今の時点では、攻撃してくる気配はない。

ホムンクルスが五人、土嚢の壁の上にきた。ザガルトスさんも。

これで多分、撃退するには充分な戦力がいるはずだ。

「他の人は、作業継続!」

見ていると。

ベヒモスは、じっと此方を見ているだけ。少なくとも、仕掛けるつもりはないようだった。

やがて、森の中に、ベヒモスが消える。

「念のために、監視を強化した方が良いだろう」

「結構近づいてきていましたね」

「何処まで近づけるか、試しているんだ。 あまり舐められると、土嚢の壁を崩しに来る可能性もある」

「もう少し近づいてくるようなら、駆除しましょう」

シェリさんが頷く。

まだまだ、土嚢の積み上げには、時間が掛かる。

 

4、長城

 

かなり、形になった。

土嚢の壁が完成。その上に、更に土を盛って、内側には階段も作った。壁が完成した頃には、すっかり大地は乾燥していて。

一部、緑化作業も開始されていたほどだ。

周辺国に、難民としてきていたリス族も、ついにアールズに移動を開始。何カ所かの森に入って、周辺の護衛を開始してくれている。

勿論此処に造る森にも入って貰って。

森の管理と、周辺の護衛をして貰う予定だ。

予定より少し前倒ししているとはいえ、随分時間が掛かった。メルルが直接指揮を執った作業の中では、もっとも大変だっただろう。

これで、耕作地帯を広げる事が出来る上に。

直接鉱山へと移動することも出来る。街道の距離は半分以下。キャンプスペースは一個で充分だ。

何より、膨大な土地を安全圏として確保できたのが大きい。

何カ所かに、見張りの櫓を造り。

其処には、この街道が出来た事で、手が空いた戦士達に入って貰う。壁のすぐ外側が凶悪モンスターの生息地という事もある。

気を抜くものは、誰もいないだろう。

堰き止めた小川の一部は、既に解放。

水を引いて、緑化と耕作のために使っている。いずれにしても、これでもう作業に関しては、メルルの手を離れた。

二ヶ月以上掛かったけれど。

それ相応の成果は上がった。そう考えて良さそうだ。

土嚢の壁は、単純な防御力よりも。

むしろ、ここから先は人間の領域であると、モンスターに示すことが出来ると言うのが大きい。

実際、近づいてきたモンスターを駆除してからは。

此処に攻めてこようとするモンスターは、もういなくなった。

それでいい。

無用な争いを避けるのは、大事なことだ。

街道を造り、キャンプスペースも設置する。鉱山へは、これで安全に人を送り込むことも出来る。

鉱山の麓には、まずは小さな集落を造り。

鉱山から貴重な鉱物を入手できるようになってからは、それを街へと発展させていく予定だ。

ルーフェスと相談したのだけれど。

鉱山そのものは、露天掘りにすることにした。

地下の遺跡を守る土砂は必要だが、それより上の部分は、全て取り去ってしまうつもりである。

ちなみに、遺跡の邪神とも、それについては話がついている。

難民の中には、技術者もいる。既に鉱山については話もしてある。ただし、邪神と相談しながら作業をするという点に関しては、拒絶反応を示す技術者が何人かいた。これに関しては、メルルが直接話をして、納得して貰う予定だ。

いずれにしても。

土いじりや、単純作業ばかりして貰っていた難民達にも。

これからは、作業の選択に関する自由が出てくる。

最初は自己申告して貰うつもりだけれど。

その内、専門技術を任せる人間に関しては、ある程度経歴の調査だけでなく身辺調査も必要だろうと、メルルは考えていた。

土嚢の壁をチェック。

一部まだ土の覆いが出来ていない部分もあるけれど。城壁としては、ほぼ完成したと見て良い。

試算によると、この地域を耕作地帯に切り替え、緑化してリス族を護衛にいれることで、更に数万人分の食糧を生産できるという事だ。辺境諸国では、難民の受け入れが問題になっているが。

アールズで更に多くを引き受けることにより。

問題の一極化を図れる。

勿論、そのために護衛の戦力も派遣して貰う必要が出てくるけれど。その辺りは、ギブアンドテイク。

当然の話だ。

街道の方も視察に行く。

キャンプスペースは、既に出来ていた。かなり立派なもので、鉱山の麓でも、既に建物の構築が始まっている。

鉱山の辺りまで行くと、それほど強力なモンスターもいない。ただ、今はかなり勢力圏が拡大したことで、護衛の戦力が足りない。前線の状況も、一進一退である事を考えると、無闇に人を送り込むと、大きな事故になる可能性がある。

とにかく、問題は山積みだ。

鉱山への道は確保できた。

自分で確認したので、アールズに戻る。沼地の干拓作業の過程で、六回大きめの戦闘があったけれど。

そもそも周囲の戦力が充実していたので、被害も出なかった。

今後もこうやって、楽な戦闘が多いと良いのだけれど。

流石にそうも行かないだろう。

勿論、作業の合間に、シェリさんに修行も見てもらった。

そろそろ初心者卒業だろうとも言われていて。

素直に嬉しい。

だけれど、いずれにしても、まだベテランの端っこに足を掛けた、程度の実力でしかない。

慎まなければならないだろう。

アールズに到着。

既に訓練所はかなりの盛況ぶりだ。アーランドのハイランカーが来る日は、特に騒がしいらしい。

ライアスも時々足を運んで、各国の戦士と組み手をしているそうだ。

「何だか大繁盛だね」

「今日はアーランドのハイランカーが来てるからな」

「ライアス、予定が頭に入ってるの?」

「そうだよ。 一刻も早く強くならないといけねえしな」

城門で解散。

まだ昼少し過ぎだ。最終日という事で、かなり余裕がある行程になったのである。とはいっても、王都を出たのは日の出前だが。

それだけメルルも素早く移動できるようになったし。

皆も無理なくついてこられる、という事である。

ライアスはすぐに訓練場に。

荷車に乗ったままのアニーちゃんは、あくびを一つ。そして、ぼそりと呟いた。

「飽きもしないでよくやるよ」

「アニーちゃん、体鍛えるの、嫌い?」

「嫌い」

即答である。

まあ面倒なのは全部嫌いって言うくらいである。それに熱ばっかり出している状態から考えても。

あまり努力して、体を鍛えていくというのに、実感がもてないのかも知れない。

ケイナはかなり険しい顔をしている。

アニーちゃんの怠け癖と、継続してこつこつものをやっていくことを嫌う不真面目な性格が、どうにも許せないらしい。

メルルは其処までは考えない。

もっとも、自分が努力を怠ったせいで今苦労していることは反省している。かといって、他人に対してそれを諭そうとも思わない。

それだけだ。

他人を導く場合、もっと大きな部分で、導いていきたいのである。

例えば、アニーちゃんが努力を怠ったせいで成果を上げられなかったとする。それならば、どうして成果を上げられなかったかを考えて貰って。普段の怠惰が原因だと、気付いて貰えれば良い。

そうすれば、一度二度と失敗しても、いずれは正解にたどり着ける。

覚えが決して良くないメルルだってたどり着けたのだ。

元の頭の出来が良いアニーちゃんなら、そう苦労はしないだろう。

アトリエに到着。

「はい、じゃあ素材をコンテナに移すよ。 アニーちゃんも手伝って」

「姫様、今日は午後からどうなさいます?」

「そうだね」

自習には限界があるとも思っていた。

錬金術は、相応に実戦を重ねているが、体を鍛えている分の戦闘経験が欲しい所でもある。

訓練所に顔を出すのもありかも知れない。

コンテナに荷物を移し終えると、愛用の杖を手にして、訓練場に。

まだプラティーンが足りない事もあって、ハゲルさんに、新しい杖は作ってもらっていない。

どのみち、訓練場では訓練用の杖を使うのだけれど。

それはそれ。

丸腰で外を歩くと、馬鹿にされるのが辺境だ。王族が丸腰で外に出るのは、当然感心されない。

余程肉体を鍛え抜いているなら兎も角。

今のメルル程度の実力では、なおさらである。

コンテナに移し終えると、アニーちゃんと後の事をケイナに任せて、訓練場に。今日来ているハイランカーは誰だろうと思ったら、知らない人だ。前線から戻ってきて、肩慣らしなのだろう。

まだ若い女性で。

メルルとそう年も離れていないように見える。話によると、ランク7の冒険者と言う事で、ジーノさんやミミさんの一つランク下。

ただ、これ以上のハイランカーになると、国家レベルの業績を上げたりして、ようやく昇進することも多いとかで。

この若さでランク7ということは、相当な強者だ。

その割りには身ぎれいで、さらさらの金髪や、綺麗な曲線を描いたプレストプレートなど、いかにも上流階級出身者を臭わせる雰囲気がある。

アーランドでは、引退間際の戦士は、技を後進に伝える義務があるとか。書物に残された膨大な技術の山は、後進戦士達の実力向上に役立っているという。

確かにこの人。

見ていると、異様なほどに場慣れしている。

数人まとめて相手にして、まったく引けを取らないどころか。確実に一人ずつ片付けていくのが凄い。

ちなみに手にしている訓練武器は、槍だ。

旋回させ突き払い薙ぎ、縦横無尽の活用をしている。メルルの棒術は槍術よりだと言われていたけれど。

この人の槍術は、メルルとは逆パターン。棒術寄りの槍術だろう。

ライアスが行く。

他に中堅所の戦士二人と一緒に、彼女に挑みかかるけれど。

順番にぽんぽんぽんと倒されていく。

付け焼き刃の技では、勝ち目がない。ライアスも年単位で歩法を磨いて、体術を鍛えないと、とてもではないが勝てないだろう。

「はい、此処まで」

「有り難うございました!」

ライアスはこっちに気付いていたらしい。

メルルの側に座る。

周囲から、ひそひそと声が聞こえてきていた。

「スゲエ戦士だな」

「アーランドで、一番最近ハイランカーになった若者だってよ。 あれで出身は貧困層で、金が入るようになってからああいう格好をするようになったんだと」

「そうなるとダーティファイトも得意そうだな」

「ああ、あの涼しい顔はよそ行きだろうな」

聞いていて、あまり気分が良くない話もあるのだけれど。

多分聞こえているだろうに、あの女戦士は、顔色一つ変えない。メルルも組み手を頼む。

勿論、勝ち目などない。一瞬でのされて、おしまい。

でも、これくらい力の差があると、むしろすっきりする。どうして負けたのか、とか考える必要さえない。

力が足りない。

それだけだ。

途中から、指導に移る。

そうなると、ベテラン勢は皆引き揚げて行った。それはそうだろう。ベテランまで行くと、大体は自分の戦闘スタイルを確立していて、それをどう磨くか、という段階だ。指導が大きな意味を持つのは、素人まで。

まず、ライアスが指導を受ける。

やはり身体能力が足りないというのが、最初の指摘だった。

「もう少し肉を食べて、訓練をして、体を作るのが一番よろしいでしょう」

「有り難うございます!」

「よろしい。 続いて……」

何人かを間に挟んで、メルルの出番が来る。

メルルは、意外にも、身体能力のことは言われなかった。ひょっとしてライアスより腕力があるのかと思ったが、そんな事はないだろう。戦闘スタイルについても、見抜いた上で、女戦士は言っているに違いない。

「色々な技術を戦略的に磨いているようですし、それを継続なさるのが良ろしいかと思います。 いずれ成果が出ることでしょう」

「ありがとうございました!」

「そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ、メルルリンス姫」

おや、知っていたか。

或いは前線などで顔を見られていたかも知れない。

歩法を見せるが、悪くないと言われた。後は極めるだけだと。

確かにその通り。

場数を踏んで。

数をこなして。

鍛えていけば、強くなれる。そうシェリさんもいっていた。

この女戦士の実力は、多分シェリさんよりちょっと上くらいだろう。そう考えると、言葉には重みもある。

女戦士が切り上げたので、メルルもライアスと一緒に、同じタイミングで引き揚げることにする。

「アトリエで食べてく?」

「ああ、肉多めに頼む」

「貪欲だね」

「強くなるためだったら何だってする。 汚い手を使わなくて強くなれるんだったら、なおさらだ」

アトリエにつくと、訓練所で鍛えたことを想定して、だろう。すでにケイナが料理を造ってくれていた。

ライアスは言葉少なく礼を言うと、早速肉料理に取りかかる。

メルルも、今日はお肉が良い気分だ。

「良い訓練が受けられましたか?」

「ハイランカーの人が来ていて、助かったよ」

「あの女、クッソつええ。 だけど、いずれ絶対に超えてやる」

汚い言葉遣いをしないようにと、ライアスが怒られる。

アニーちゃんはどうしたかと聞くと、もう昼寝だという。本当によく寝る子だ。今更それを言っても仕方が無いが。

お肉を食べ終えた後、外で軽く三人で組み手をする。

今日の復習も兼ねる。

三人だと、実力が拮抗していて。だからこそ、色々と見えてくる欠点も分かり易い。やっぱりライアスは腕力が足りない。

というか。やってみて分かった。

メルルの方が、今腕力が上だ。

散々土嚢を担いで鍛えた、というのもあるだろう。見かけがムキムキになるような事はないけれど。インナーマッスルが鍛え抜かれたのだ。ライアスは護衛として気を張っていたから、それをしなかった。

ケイナはというと、やはり覚えが良い。

作業の合間にシェリさんに見てもらったことを、殆ど完璧にこなしている。とはいっても、メルルから見て、である。

トトリ先生やミミさんと比べてしまうと、実力差は歴然だが。

「まだ、まだだな」

「……そうだね」

そう、まだまだだ。

だからこそ、メルルは。

もっと色々と経験を積まなければならないし。この国のために、あらゆる全てをこなしていかなければならないのだ。

 

ルーフェスの所に出向いて、今回の件を報告。予定通りの時刻だ。

膨大な書類が、ルーフェスの机に載せられている。それを残像が出来るほどの速度で処理しながら、ルーフェスは言う。

「分かりました。 さすがは姫様です」

「ありがと。 それで、次は鉱山の周辺開発だね」

「既に技術者の目録は出来ています。 今後は土嚢の壁を作成した要領で、十名ほどの護衛をつけますので、同じようにして基礎的な集落の作成をお願いいたします。 物資については、此方で準備いたしますので」

用意が良い。

それで、現在の状況についても、確認しておく。

メルルが錬金術師としてアトリエに移り住んでから、一年少しが過ぎた。現時点で、アールズで引き受けた難民は一万を少し超え。護衛として周辺各国から来た戦士は、合計で二百五十名ほど。

また、難民の中には、三百名ほどのリス族が含まれている。このリス族は、最近ようやく受け入れたメンバーだ。ほぼ全てが、アールズ周辺の街道側にある森に移って貰っていて。今後も受け入れの数は増やす予定である。

「予想を遙かに上回るペースです。 トトリ殿の有能さもそうなのですが、姫様の努力も実を結んでいます」

「良かった。 このペースで行けば、前線の状況も、改善出来るかな」

無言になるルーフェス。

分かっている。言ってみただけだ。

難民を多数引き取り、問題を一極化することで、前線の状況を改善する。これについては、各国のどこもが理解してくれているだろう。

実際、前線の敵はあまりにも数が多すぎる。

クーデリアさんのような、不世出の豪傑が大暴れしていても、どうにもならない戦況なのだ。

前線が喰い破られる日は来ない、と信じたいが。

それに、あの洗脳された戦士。

暗躍している何者かもいる。出来るだけ急いで、洗い出しをしておきたい所だが。上手く行くだろうか。

「色々負担が増えるけど、ごめんルーフェス。 私も出来る事、少しずつ増やすようにするからね」

「此方こそ、申し訳ありません、姫様。 一刻も早い事態の改善を望みたいところですが」

「分かってる。 だから、一つずつ、こなしていこう」

戦いは、まだ始まったばかり。

鉱山経営を完全に軌道に乗せて、鉱物資源を確保できるようになってもなお、まだ此方にとって有利になるとはとうてい言えないだろう。

それに、沼地のモンスター達だって、いなくなったわけではない。

此方を不快そうに見ているドラゴンも、何度も目撃されている。

まだ、とうてい問題解決には、ほど遠い。

アトリエに戻りながら、メルルは考える。

ドラゴンを倒すか。

それとも、対話をすることは、出来ないだろうか。上級のドラゴンになると、会話が出来る個体もいると聞いている。

ひょっとすれば。

いずれにしても、トトリ先生と相談しなければならない。

前線の方の空が赤い。

ここのところ、夜はずっとこんな感じだ。

いつ前線が突破されるかもわからないこの状況。メルルは、出来る事を精一杯こなしていかなければならなかった。

 

(続)