地底の糸繭
序、その存在
古き時代。
優性主義者がばらまいた悪夢と、狂気の戦争によって、人類が一万分の一にまで減る、その前の時。
人は、己を補助するために、新しき知性を造り出した。
それがAI。
現在は、邪神と呼ばれているそれらは。
或いは現在の人に牙を剥き。
或いは自らを本物の神と錯覚して、傲慢に振る舞うようになり。
また別のものは、ただ己が置かれた場所を守るべく、血道を注ぎ。もしくは、ただ静かにその場にあり続け、主人の命令が来るのを待ち続けた。
それらに共通している事は。
既に、現在の人が失われた、多くの知識を持ち。
場合によっては、現在の人間ですらかなわないほどの力を持っている、という事。
ある邪神は、東の大陸の人類を、壊滅寸前にまで追い込み。現在も、東の大陸では、国家という単位まで人が回復していない。
歩きながら、トトリ先生が、それらを話してくれる。
メルルは、先生の話を聞きながら。なるほどと、メモを取るのが忙しかった。
ただ、これらの話は。
何処の書物にも記されていないこと。
すなわち、トトリ先生が直に聞いて。そして知ったこと、だそうである。
「邪神というのは、そのような古い存在、なんですね」
「古い? うーん、それはどうなんだろうね。 古い存在というのは、恐らく時代について行けなくなったものの事を言うのだと思う。 邪神は現在でも、世界のトップクラスに食いつけるほどの実力を持っていて、その気になればその地域のパワーバランスを一瞬でひっくり返す事が出来るほどの力の持ち主だよ。 それは古い存在と言うべきではないと、私は思うな」
淡々と言うトトリ先生。
ちなみに、今回の探索で、追加要員としてきてくれたのは、トトリ先生だけ。ホムンクルスを最低でも一小隊と申請したのだけれど。
前線の厳しい状況は継続しているらしく。
とてもではないけれど、無理と言われた。
まずはトトリ先生と一緒に、遺跡に赴き。
邪神がいるようなら、接触。
戦闘が避けられないようなら、一旦後退しろ。それが、アーランドの戦士達の指揮を執っている、クーデリアさんからの伝言。
ルーフェスも、それがいいだろうと判断した。
今回トトリ先生が来ているのは、メルルでは及びもつかない錬金術師であり。何より、アーランドから交渉権のグリーンライトを貰っている、ランク10冒険者。つまり国家の最重要幹部、というのが理由の一つである。
つまりトトリ先生が、邪神と交渉するのを側で見て勉強しろ。
それが、ルーフェスの真意だ。
ちなみにこれについては、部屋で実際に言われた。
最近メルルは、武芸の向上がめざましいし、錬金術についても確実に腕が上がってきている。
だが、王族としての力はどうか。
折衝や交渉に関しては、まだメルルは経験があまりにも足りなさすぎる。メルルくらいの頃の年には、クーデリアさんに任されて、様々な交渉ごとを行っていたというトトリ先生。
先生の側にいれば。
きっと、大きく、今後のためになる筈だ。
四年と少し後にアールズがなくなる事なんて、今は別に良い。その後、メルルが何をなせるのかは。
今後に掛かっている。
しっかり学んでおいた事が、もろに力になってくる。
キャンプスペースに到着。
道中で、トトリ先生は一度も笑顔を崩さなかったし。途中で遭遇したモンスターは、トトリ先生が前に立つだけで、それこそすっ転びそうな勢いで逃げていった。
ミミさんが、出迎えてくれる。
「遅かったわね」
「すみません。 アーランド側とも交渉が必要でした」
「それで、トトリだけ?」
「うん、私だけで充分ってクーデリアさんが判断したみたいなの。 ごめんね、ミミちゃん。 負担が増えるけど」
構わない。
そう言い残すと、ミミさんは手招きする。
既に、会議をする準備は整っている、らしい。
キャンプスペースの一角に、桶があって。そこに湯が入っている。どうやら、お風呂らしい。
男女別に布で囲って使えるようにしてある。
湧水の杯がある故の贅沢だ。
地図が準備されていたので、それを囲んで、座る。
2111さんと2319さんには、見張りをして貰った。二人にも会議に加わって貰おうかと思ったのだけれど。
2319さんは、静かな笑顔を浮かべて、首を横に振った。
信用してくれる、というのだ。
二人とも、メルルをこの間の戦い以降、主君と見なしたようで。マスターと呼んで良いかと聞かれた。
しかしメルルは断った。まだアーランドから、正式に許可が出ていないからだ。もしも彼女たちを部下にすると、政治的に面倒な事になる。
あくまで、きちんとした手続きが終わった後。
その後、マスターと呼んでくれれば、メルルとしても、嬉しい所だ。
席を囲むと。ミミさんが、鉱山の地図を指さしながら、話してくれる。地図には、かなり書き込みが増えていた。
「まず、遺跡だけれども。 新手の番犬を出してくる気配はないわ。 入り口については、魔術的な防御が掛かっている形跡も無く、開きそうよ」
「まだ触っていない?」
「大丈夫、其処まで彼奴も馬鹿じゃ無いわ」
ジーノさんが、分かってるじゃんかと、何故か嬉しそうに言う。ひょっとして、バカと言われないだけで嬉しいのだろうか。
よく分からない。
馬鹿にされている事に代わりは無いだろうに。ひょっとすると、本当に戦闘以外の事は、何でもどうでも良いのかも知れない。
「鉱山の掃除は終わってる?」
「それは問題ないわ。 中に入って、ザガルトスと私で、残った小物のモンスターは全て片付けてきた」
「そう。 それならば、すぐにでも行けるね」
トトリ先生が立ち上がる。
彼女は、いきなり、結論から入った。会議の場を設けているのに、既に他の人の意見を必要としていない様子だった。
だが、他の誰も、それを不平に思っていない。
恐らくは、トトリ先生の経験値を、それだけ信頼しているという事だ。
「邪神がいるとして、まずは会話をするからね。 目的と意思を確認して、もしも敵対するようなら一旦撤退。 殿軍は私とジーノ君で」
「おうよ」
「もしも交渉が可能なようなら、その場で交渉するよ。 そのために必要な物資は、此方で用意してきたから」
用意と言っても、何を、だろう。
いずれにしても、メルルには分からない。皆が立ち上がって、早速キャンプスペースを引き払い始める。
勿論柵や見張り台は残していくが。
「トトリ先生、良いんですか?」
「何が?」
「その、皆と対応を相談したり、しないで」
「いいんだよ。 邪神とはここ数年で、多分私が一番多く交渉を成功させているからね」
そうなのか。
だが、それにしても。
なんというか、有無を言わさぬ雰囲気だったのが気になる。確かにトトリ先生の判断は間違っていないだろうが。
不安が募る中、荷車の準備も整い。
メルルが引いて進み始めると。そのまま陣列を組んだまま、全員が歩き始める。トトリ先生が、手元から何かを地面に落とすと。
それはさも当然のように。
トトリ先生の周囲を、浮遊しながら旋回し始めた。
「あの、トトリ先生、それは?」
「これはね、フリーゲンゼーゲ。 自動で私の周囲を飛び回って、敵意がある存在を斬り伏せてくれる道具だよ」
「へ、へえ……」
「以前、私のお師匠様の友達から聞いて、それを参考にして造ったの。 医療魔術師として名をはせているリオネラさんって人なんだけれどね」
その人は、聞いた事がある。
確か医療魔術師として各地を歩いて回って、多くの人を救ってきたという。トトリ先生達、当代の錬金術師ほどの名声は無いけれど。アーランド人としては、かなり有名な存在の筈だ。
でも、こんな物騒な固有能力の持ち主なのか。
鉱山に到着。
まあ、キャンプスペースから見れば、すぐ側なのだから当然だ。ザガルトスさんとシェリさんが先に前に出て、魔術を調査。
探査魔術に、傷などはつけられていない。
「問題なし。 坑道の中にも、動く存在は確認できない」
「ふうん。 番犬を放つ位なのに、急に弱腰になった理由は何なのだろ」
「会ってみれば分かりますよ。 頼りにしていますよ、トトリ先生」
「うふふ」
トトリ先生は笑うけれど。
それには感情がまったくこもっていない。
どこか、冷え冷えとした笑みだ。
戦闘の跡が、彼方此方に残っている。蜘蛛の残骸は、片付けた後。彼奴は、本当に手強かった。
でも、今後は。
彼奴くらいは、簡単に仕留められるようでないと、話にならないだろう。
残してある坑道から、内部に。
内部はひんやりしていて。激しい戦いで傷ついたとは言え、もう坑道が崩れる事も無さそうだ。
ただ。これから労働者をいれるとなると。
少しばかり、痛みが激しいかも知れない。
今後は露天掘りに切り替えるのが一番のようにも、メルルには思えた。多少手間は掛かるけれど、その方が安全の筈だ。
それに露天掘りで出る土砂は、そのまま前線に持ち込んで、砦の建造に使う事も可能である。
ランタンの灯りが周囲を照らし。
足下に気を付けながら進む。
病み上がりのケイナを時々気遣いながら、メルルは行くけれど。考えてみれば、メルルも手指が大変なことになった直後だ。まだ右手の何本かの指には、軽いしびれが残っている。戦闘には支障はないが。
「蜘蛛のモンスターの巣を見せてくれる?」
「おいおい、寄り道かよ」
「いいから」
ジーノさんが文句を言うけれど。
トトリ先生は有無を言わせぬ口調。黙り込んだジーノさんが、案内を始める。力の差、だろうか。
いや、違う。
ジーノさんは陽気な人だけれど。
簡単に照らされている横顔には、どうしてだろう。いつもと違う、明かな憂いが宿っていた。
ミミさんは、さっきからずっと黙り。
トトリ先生と、親しく話すこともしない。
無二の親友だという話なのに。
「ついたぜ。 ふっとばしちまったから、何も残ってないがな」
「ちょっと調べるね」
「お、おい」
ジーノさんの制止も聞かず。
トトリ先生は、闇の中に軽々と身を躍らせ。そして、周囲を調べ始める。ひょいひょいと大きな石をどけていく様子は、細身だとは信じられない。
やがて、焼け焦げた繭のようなものが掘り出され。
それを力尽くでトトリ先生は引き裂く。引き裂く際に、気合いを入れるようなことも無く、無造作に。
中からは、焼け焦げた骨が出てくる。
骨の状態を確認していたトトリ先生は。
しばし無言で考え込んでいた。
すぐに戻ってくる。
ミミさんが其処で、トトリ先生に声を掛けた。何だか、この間一緒に仕事をしたときとは、声のトーンが少し違ったが。
「何か発見はあったかしら?」
「うん。 幾つか分かったことがあるよ」
「聞かせて」
「まずエサにした形跡が無いね。 溶かしただけ」
それは、妙だ。
ならば、どうしてわざわざ繭にして、巣の中で放置していたのか。それは習性だと、メルルの考えを見越したかのように、トトリ先生は言う。
「此処に巣くっていた蜘蛛のモンスターは、恐らく習性だけは残っていたけれど。 食事は邪神に貰っていたのだろうね。 ひょっとすると巣を躊躇無く放棄したのも、発達した知能が、邪神に反発を覚えていたから、かも知れない」
もしそうだとすると。
動物だというのに、躊躇無く巣を捨てたのは。
ひょっとして、邪神の支配から逃れて、別天地に行きたかったから、なのかも知れなかった。
そして、トトリ先生は。
いつの間にかしたという、蜘蛛のモンスターの解剖結果を話してくれる。
「サンプルを確認したけれど、おなかの中には一種類の栄養しか入っていなかった。 恐らくは、他の栄養は摂取できない体になっていたんだろうね」
「何だよそれ、モンスターどころか、生物ですらねえ」
ザガルトスさんが呻く。
メルルも、軽い怒りを感じた。
そんな事が出来るとして。するのだとしたら、それは。生命に対する冒涜としか言えない。
邪神とやらが、古い時代の生き残りで。今は失われた古代の凄まじい技術を、たくさん有しているとして。
だからといって、やって良い事と悪い事がある。
自分で倒したし、ケイナをあんなに大けがさせたのに。
今更ながら、メルルはあの蜘蛛に、同情し始めていた。
道を変えて、深部へと急ぐ。
その内、気付く。
壁から露出した鉱石が、淡く輝いている。強い魔力も帯びている様子だ。
「これは、ウィスプストーン?」
「そうだ」
シェリさんが頷くと、一つ鉱石を拾って、渡してくれる。
比較的純度が高そうなものだという。
これは嬉しい。後で集めるときのためだと言って、シェリさんが純度が高い鉱石の見分け方も教えてくれた。
「有り難うございます、シェリさん」
「別に構わないさ。 それよりも、この間の戦闘で、かなり見事に歩法を使いこなしていたな。 また皆に新しく色々と教えたいが、構わないか」
「是非お願いします!」
「うむ……」
鳥のようなシェリさんの顔が、少しだけ嬉しそうに歪んだ。
ちょっと怖い笑顔だけれど。
悪意は感じられない。
どうしてだろう。完璧に制御された今のトトリ先生の笑顔よりも。人間と造りが違っているシェリさんの不器用な笑顔の方が。余程好ましいと思えてしまう。
坑道が急勾配になって来て。
荷車を運ぶのに、苦労する。
此処をもし逃げる場合、駆け上がるのだと思うと、少しばかり憂鬱だけれども。まあ何とかなるだろう。
前向きに考えよう。
そうメルルは、自分に言い聞かせる。
ほどなく。
ジーノさん達が言っていた、巨大な扉に、到達した。
1、邪神の宮殿
百歩四方ほどの、広い空間。人の手が入っているとは思えないのに、石一つ落ちていない、とても静寂な場所。天井まで、非常に綺麗に磨き抜かれている。
信じがたい。
思わず辺りを見回すメルルだけれど。
トトリ先生はそれを気にする事も無く進み出て。扉の前に立つ。慌ててメルルも、それを追った。
「だ、大丈夫ですか?」
「平気だよ。 ふむふむ、なるほど……ね」
「何か分かったんですか?」
「ほら、此処を見て。 此処に古代文字で記載があるの」
トトリ先生は、古代文字もすらすら解読できるらしい。ただ、付け加えてくれたけれど。解読できるようになったのは、最近だそうだ。
古代文明の生き残りという人に、レクチュアを受けたのだという。
とにかく、説明をして貰うと。
どうやら此処には、避難をするための場所があった、というのだ。
「避難というと、古代文明を滅ぼしたという災厄から、ですか?」
「そうだよ。 古代文明では、それこそ山を吹き飛ばし、湖を干上がらせるような恐ろしい兵器が幾らでもあったからね。 現在の使い手でも出来る人は出来るけれど、そんなにたくさんの数はいない」
最終戦争の時。
生き延びるために、此処は造られた。
問題は、このような避難施設も、攻撃のターゲットとなる事。だから、古代文明では、多くの避難所を、偽装したか、或いは安全性を高めた。
此処の場合は、地下深くに作る事で。
安全性を、極限まで高めた、というわけだ。
涙ぐましい努力、というべきなのだろうか。
「ジーノ君、そっちの扉、開いてくれる? ミミちゃん、シェリさん、ザガルトスさん達は、中からモンスターが飛び出してきたときに備えて」
「分かったわ」
相変わらず、命令は一方的だけれども。
誰もトトリ先生には反発しない。
そして扉は、横にスライドすることで開いた。思わず驚いて、二度見してしまった。こんな形の扉が、こんな大きさで存在しているなんて。
やはり古代文明は、ただ者では無い。
扉の奥には、真っ暗な空間。
いや、違う。
壁も床も、全てが真っ黒なのだ。
それだというのに。奥の方は、どうしてか、ランタンの明かりが届いていない筈なのに、輪郭がくっきりしている。
進み出るトトリ先生。
罠の類は無いらしい。
そして、足音は。
嫌に高く響いた。
「此処は……」
「よく見て、メルルちゃん。 外と空間の様子がおかしいでしょ」
「本当だ。 明らかに、外から見えるものよりも、内部の方が広いですね!」
「空間を歪めて、広くしているの。 古代には、そういった技術もあったんだよ。 此処もそう。 元から狭い場所しか取れなかったから、空間をいじくって、内部を広くして対応しているの」
そうだったのか。
凄い技術だけれど。
それならば、どうして。どうして、愚かしい最終戦争などを、引き起こしてしまったのだろうか。
優れた技術を持っているのなら。多くの人が仲良くする技術や。戦争をしなくても良い方法を、造り出せば良かったのに。
隊列を組み直して、内部を進む。
殿軍にはジーノさん。
最前列はトトリ先生だ。罠にはまると、下手をすると一発で全滅する可能性があるから、少し隊列は意図的に延ばす。
延ばしすぎると、モンスターに奇襲を受けたとき対応出来ないから、その辺りはさじ加減が難しい。
通路は、何処までも続いている。
やはりトトリ先生が言うように、外とは空間的なスケールがおかしい。此処はまるで屋外だ。
鉱山の地下に、こんな広い場所を造って、気付かれないとは、とうてい思えなかった。
おかしなギミックも、幾つもある。
足下に、溝がきざまれている。
思わず、メルルは、トトリ先生に聞いていた。
「トトリ先生、変なものが床にあります。 これは何ですか?」
「隔壁だね。 此処が攻撃された場合、此処が壁になって、外からの攻撃の威力を削るんだよ」
「へ、へえ……」
どう動くのか、まったく見当もつかない。
古代の文明とは、凄まじい。メルルには、何もかもが、物珍しくて仕方が無かった。ひょっとすると危ないものなのかも知れないけれど。それでも、知的好奇心が刺激されてしまうのだ。
「止まって」
トトリ先生が立ち止まる。
どうやら、壁らしい。黒い壁がずっと立ちふさがっていて。その一角に、四角い溝が走っている。
しばらくトトリ先生が、その溝の一角を触り続けていたけれど。
程なく、甲高い音が鳴って。
その溝の一角が、消滅した。黒い四角い穴が、壁に開いている。思わず一歩退いてしまう。
「皆は此処で待機。 最悪の場合は、脇目を振らずに逃亡して。 扉が閉まろうとしていたら、ミミちゃん、ぶち抜いて」
「いいの? 護衛無しで」
「大丈夫。 メルルちゃんは来て」
「はい!」
なるほど、恐らくトトリ先生は、いざというときに被害を減らすつもりで、こんな事を言ったのだろう。
でも、その言葉に温情は無く。
単純に計算だけがある。
それが、メルルには分かった。
理由は簡単。
トトリ先生は、それを隠そうとさえしていないからだ。この人は、そう言う、超合理的な考えをする人である。
黒い穴をくぐって、中に。
トトリ先生は、笑顔を一切崩さず。ずんずん進んでいく。罠があろうが無かろうが、関係無い実力があるから、なのだろう。
「邪神は、まだでしょうか」
「もうすぐだよ」
トトリ先生が、顎をしゃくる。
いつの間にか、壁の様子が、一変していた。
硝子製か何かのシリンダの中。たくさんの裸の人間が浮かんでいる。その数は、千や二千ではない。
天井までの高さを考えると。
下手をすると、数万だ。
「……!」
「これが、避難してきた人達だよ。 遺跡によってやり方は違うけれど、地獄の時間が終わるのを、こうやって待っているの」
「待っている、ですか」
「そう、誰かが解決して、何もかもが平和になるのを、ね」
そんな勝手な。
メルルは思うけれど。
しかし、難民達の様子を思い出すと、そう言い切ることも出来ない。地獄の時代で、よわい人達は、ゴミのように死んでいく。
そういった人の中には、貴重な技術をたくさん持っていたり。或いは、たくさんの稀少な財産のありかを知っている人だっている。
無為に死んでいい人なんていない。
此処にいる人達だって、それは同じだ。
「多くの場合、邪神はこうやって保護している人達を、どう守るかを最優先に考えるんだよ。 例外もいるけれどね」
「例外、ですか」
「たとえば、人を管理するべきだって考え始めてしまった邪神とか。 アーランドの側にいる遺跡の主だった邪神がそうだったらしいね。 他にも、外にいる人達を、人間じゃないと判断して、攻撃を開始した邪神。 東の大陸にいたイビルフェイスって邪神が、そうだったよ」
「……」
何だろう。
それは、とても悲しい行き違いの結果に、メルルは思えた。しかし、多くの人がそれで亡くなっただろう事は、想像に難くない。
だから、安易なことは、とても口には出来なかった。
人は多くの罪業を積み重ね。
世界中を滅茶苦茶にして。
それでもまだ生きながらえている。
辺境の民は、まだ自然の環境を回復させようとしているから良いけれど。古代の遺産を使って、なおも安楽な生活をしていた北部の列強が崩壊したのは。スピアが現れなかったとしても。
時間の問題だった、のかもしれない。
そうトトリ先生は、締めくくった。
歩く。
ただひたすら、黙々と。
壁には、ずらっと人が入った硝子容器が並んでいる。縦に八段ずつ、奥行きもかなり広い。
見立てが一桁間違っていたかも知れない。
此処に眠っている人は、下手をすると十万以上、だろうか。そしてそんなたくさんの眠っている人々を、邪神は一人で守っている、という事なのだろうか。
孤独では無いのか。
トトリ先生が足を止めた。なにやら突起物が、床から生えている。それをトトリ先生が操作して。
そして、空中に。
突然、二つの顔が浮かび上がった。
「なるほど、人格を分裂させることにより、常時意識交換を行って、狂気の発現と意識の分割を防ぐ仕組みか……」
トトリ先生が呟く。
メルルは、何となくに悟った。
この二つの顔。青い顔と赤い顔。顔の大きさは、トトリの背丈の二倍ほどもある。これが、邪神なのだと。
「las;flh;lhfslc;nidhflvdhf」
不意に、音が響く。
トトリ先生は笑顔のまま。
相手に、メルルにも分かる言葉で、返していた。
「外で使われている言葉は分かるはずですよ。 この遺跡の邪神」
「……そうか、ならばあえて古き言葉で話す事もあるまい。 貴殿は我が尖兵が持ち帰った情報にある、現在の技術者か」
「錬金術師トトゥーリア=ヘルモルトです。 此方は弟子のメルルリンス」
「メルルリンスです。 よろしく」
しばしの沈黙。
邪神は、じっと此方を見ている。いや、恐らくは。此方のデータを、解析している、と見て良いだろう。
威厳があるかは分からない。
少なくとも、筺から現れた幽霊とでも言うべきこの双頭の邪神は。此方に、気を許してはいない。
「……我等に名はない。 強いていうならば、管理AI9544123というのが名になる。 それで汝らは、此処に何をしに来た。 我が尖兵と交戦したようだったが」
「この遺跡の保全については保証します。 その代わり、この遺跡の上にある鉱山を開発する事を許していただけませんか?」
「鉱山は偽装のために必要だ。 いつ熱核兵器が飛来するか分からぬ」
「その恐れはありませんよ。 既に熱核兵器を発射できる軍事基地は存在していません」
熱核兵器。
何だろう。
古代の恐ろしい武器だろうか。兵器というのだから、恐らくそれが一番正しい答えに近そうだ。
しばし、二つの顔が点滅する。
考え込んでいるのだろう。気持ちは分からないでもない。メルルだって、こんな事を急に言われたら、考え込む。
「攻撃の意図は、ないのだな」
「はい。 もしもどうしても戦いたいと言うのなら、お相手しますが」
「いや、我が使命は、外の環境安定を見越してから、眠れる民を解放することだ。 今はとても環境が安定しているとは言えぬ。 今だ蔓延する劣悪形質排除ナノマシン。 暴走した進化の果てに誕生した凶悪な生物たち。 その中には、本来人類を守るべく造られた生体兵器まで含まれているでは無いか。 故に、無為な戦いが避けられるのなら、そうしたい」
「交渉成立でしょうか。 我々は攻撃しない。 鉱山の開発については、許可をいただく、それでよろしいですね」
邪神の顔が、二つ同時に頷く。
胸をなで下ろしたメルルだけれども。
まだ、話は終わっていなかった。
「交渉成立のために、条件がある。 情報収集のために、端末を派遣したい」
「端末ですか?」
「我が保護する人間達の遺伝子から造り出した強化生命体だ。 この強化生命体が、外の環境データを我にくれる。 生半可な事で壊れるようには造っていないが、出来れば保護して欲しい」
奥から、何かが歩いて来る。
ひたり、ひたり。
素足で、金属を踏む音だ。
姿を見せたのは、黒髪の女の子。目には光がない。着込んでいるというのか、かぶせられているのは、リネンのような一枚の布だけ。下着もつけていないは明白だ。髪の毛は短くカットしていて、年は10歳前後だろうか。
「アニーという。 お前達が言うホムンクルスと似た人工生命体だ。 外のデータを集めるためにも、これを活動させることを許して欲しい」
「ふむ……ならば条件を追加します。 この子に人間を殺させないこと」
「大丈夫だ。 身を守る能力はあるが、お前達が言う「人間」を殺せないように、プロテクトは掛けてある」
「……分かりました。 ただし、その条件が破られた場合、交渉はやり直しとします」
二つの顔が頷く。
どうやら、玉虫色の解決に終わったらしい。
それほど難しい交渉をしていたようには、見えなかった。だけれども、恐らくは、だが。これだけのことを、すらすらと出来るようになること自体が、相当な経験蓄積の上にある事なのだろう。
アニーちゃんという子は、随分と可愛らしい。
2111さんや2319さんも顔が随分と整っているけれど。それとは違う方向。単純に、子供として可愛いのだ。
ただ人工生命体と言っていたのが気になる。
きっと、まともな人生なんておくれないだろう。
あくびをするアニーちゃん。
手を引くと、不思議そうにメルルを見上げた。腰を落として、視線の高さを合わせる。
「メルルよ。 よろしくね、アニーちゃん」
「よろしくお願いします……」
「良かった、言葉は喋れるんだね」
「喋れます。 何もかもが面倒くさいですけれど」
何ともアンニュイな子だ。
話し始めると、目も半眼になる。馬鹿にしているような雰囲気と言うよりも、本当に何もかもが面倒くさそうだ。
トトリ先生と一緒に、荷車を引いて引き返す。
その途中。
トトリ先生は、冷徹なことを言った。
「分かってると思うけれど。 場合によってはこの子を処分しなければならなくなるからね」
「……分かって、います。 でも、そんな場合が来ないことを、祈ります」
「そうだね。 でも祈っていても、良い未来なんて来ないんだよ」
古き時代も。
多くの祈りに満たされていたという。
しかし神がいるとしても。
その祈りは届くことはなく。
世界はやがて劫火に包まれ。全ての文明は、灰燼と帰した。其処から世界を立て直したのは。
灰燼と帰した世界の中、淘汰されつつも必死に生き延びてきた人間達と。他の生物たち。少なくとも、眠り続けていた人々では無い。
勿論、眠り続けていた人々に責任は無いだろうけれど。
故に、本来は神と呼ばれていただろう遺跡の主達は。やがて邪神と呼ばれるようになった。
トトリ先生の話は重苦しくて。
そして、とても胸が詰まる。
退屈そうにあくびをしているアニーちゃん。それこそ、側で話している内容なんて、どうでもいいのだろう。
髪の毛もぼっさぼさ。
外に出たら、切りそろえてあげたい。
そう、メルルは思った。
流石に素足のまま、鉱山の中を歩くのは感心できない。ましてや手を握って歩いてみて分かったけれど。アニーちゃんの身体能力は、北部列強の難民に毛が生えた程度だ。あちらの成人男性よりちょっと高い程度。
そんな貧弱さでは、アールズでは生きていけない。
荷車に乗って貰う。
その前に、周囲の男性陣から隠して、そそくさとまともな服を着せる。流石にヒラヒラ一枚だけでは、外を歩くと問題が多い。サイズのあった服は無いので、軽くケイナに余った布を裁縫して貰い、下着と。服のリデザインをして、どうにか着られるものにしあがった。
ちなみに、多少マシなだけ。
アールズに戻ったら、すぐにちゃんとした衣服を揃えるつもりだ。
不思議そうに、2111さんが、アニーちゃんを見て。メルルに聞いてくる。
「彼女もホムンクルスですか? 随分と脆弱なようですが……」
「きっと、造られた意図が違うんだと思うよ」
「はあ。 しかし、見たところ身体能力も低く、知能も高いようには見えません。 何のために、子供の姿で外界に放り出されたのでしょう」
トトリ先生は、いつの間にか冊子を手にしていた。
そういえば、邪神の前を離れるとき。説明を幾つか聞いていた。それを、メモにまとめているらしい。
歩きながらメモを火花が出そうな勢いで書いている様子は、見ていて凄いと思うのだけれど。
とりあえず、説明も欲しい。
鉱山を出る。
外の光は、ない。
いつの間にか、夜中になっていた。
戦闘が発生しなかったのは良かった。経験は積みたいけれど、それはそれだ。
「ああ、そうそう。 先に話しておくけれど」
「何ですか、トトリ先生」
「その子、しばらくは熱ばっかり出すから。 心配しなくても勝手に治るから、慌てないようにね」
「えっ……」
どういうことだろうか。
アニーちゃんは他人事のようにあくびをしているけれど。こんな小さな子が熱ばっかり出すというのは、正直いただけない。
あの禿頭二つは、何を考えて、この子を外に出したのだろう。
体が弱い子なら、それこそ大事に守らなければならないだろうに。人工生命体だというなら、どうして貧弱に造ったのか。今更ながら、ふつふつと怒りが湧いてきた。
「どういうことですか、トトリ先生」
「簡単に説明すると、この子は、あの人達が外に出るための実験台」
「実験台……!」
「要するに、今外の環境で蔓延している病気や、それに昔世界を滅ぼした劣悪形質排除ナノマシンって猛毒があるんだけれど、それの濃度を調べて吸収して、自分の体で解析するんだって。 その過程で死んじゃった場合は、次を用意するらしいよ」
あまりにも、さらりと。
トトリ先生は、笑顔を崩さずにいう。
流石に。
戻ってあの禿頭を二つとも殴りたくなってきたけれど、我慢する。そんな醜悪な手段しか、考えつかないのか。
それでは邪神と言われても仕方が無いでは無いか。
しかし、此処で本当に殴りに行ったら、せっかくの和平が水の泡だ。邪神と本気でやり合う場合、トトリ先生でも即時撤退だと言っていたほどなのである。少なくともあの蜘蛛とは、比較にもならない戦力だろう事は疑いない。
悔しいけれど。
どうにも出来ない。
「死んじゃった場合は、私が代わりを取りに行くから」
「そんなの看過できません!」
「そう、じゃあこの子が死なないように、しっかりとメルルちゃんが側で見ておかないとね。 お薬は普通の人間と同じように効くから、頑張ってみて」
怒りを、必死に収める。アニーちゃんだって何の話がされているか分かっている筈なのに、他人事のようにあくびをしているのが、余計悲しくてならなかった。
ケイナもライアスも、状況はある程度察したようだけれど。
何も言わない。
ホムンクルス達二人は、困惑して顔を見合わせていた。
唯一ザガルトスさんは、不愉快そうに、終始眉をひそめてくれていたけれど。シェリさんは、仕方が無いという表情だった。
キャンプスペースに到着。
後は、戻るだけだ。
これからメルルは、恐らく鉱山への安全経路の開拓をする事になる。今年いっぱいは、その作業で手一杯だろう。来年まで掛かるかも知れない。更に、農場への道の確保。耕作地帯への安全経路確保。
する事はいくらでもある。
アニーちゃんはお城のメイドにでも預けるしかないが。しかし、病気になりやすいと言うのが不安だ。
連れていくしかないだろう。
特に、最初の内は。
トトリ先生が、付け加えてくる。
「モンスターの中でも、自然の動物が進化したタイプじゃないものは、この子に絶対手出しをしないはずだよ」
「えっ!?」
「そう邪神が調整したと思ってくれればいいかな」
何だか、色々納得できない。
見張りにホムンクルス二人が立ってくれたので。気を紛らわせるためにも、シェリさんに稽古をつけて貰う。
この間、派手に蜘蛛に吹っ飛ばされたシェリさんだけれど。もう傷はまったく残っていない。
お薬の腕が上がったのは、こういうときに実感できて嬉しい。
「集中できていないな」
「! すみません」
「まず顔を洗ってくるといい。 冷たい水は幸いいくらでもある」
頷くと、顔を洗いに行く。
その間、ライアスとケイナが歩法を見てもらった。
ケイナは、この間の戦い。メルルを庇うために、隠密の歩法を解除して、全力でガードに来た。
実際、一瞬前まで、蜘蛛のモンスターは、ライアスを狙うかメルルを狙うか、迷っていた。
ライアスだったら死なない自信もあったし。
メルルだって、一撃だったらどうにか耐えきるつもりでもいた。
しかし、実際には。
蜘蛛は指揮を執っているメルルを見抜いて攻撃してきたし。ケイナが庇ってくれなければ、メルルはかなり危なかっただろう。
思い起こすと、本当に危ない橋ばかり渡った作戦だったのだ。
みんな、思うところがあったのだろう。
ケイナは、シェリさんから新しい歩法を習っていた。
「すぐに受け身につなげられる歩法だ。 体捌きを工夫することによって、うまくやればカウンターにもつなげられる」
「! 是非お願いします」
「うむ……」
ライアスも、正座して、熱心に見ている。
最前線で攻撃を受ける立場だ。
こういった体術をしっかり学んでおけば、ダメージを受けたときにも、応用をいれやすい。
しかし、ライアスには、シェリさんは新しい技術を教えなかった。
「何でだよ!」
「君はまず地の能力を上げろ。 新しい技を色々身につけるより、パワーとスピードを上げるのが一番良い」
「! そう、だな」
そう言って、ライアスの後ろに立つと、歩き方の矯正をしてくれる。ちょっと直すだけで、身体能力をそれだけ生かせる。
後は、基礎訓練がものをいう。
メルルが戻る。シェリさんが歩法を教えた後、ザガルトスさんが訓練を見てくれていた。
もう一度、歩法を見てもらいたいと言うと。
シェリさんは、頷いてくれた。
「よし、変な癖が少しついているから、微調整をしておこう」
「よろしくお願いします!」
「後、あのチャージ。 素晴らしい威力だが、少し撃ち方を調整した方が良いだろうな」
シェリさんによると、突撃が深すぎるのに、思い切りが足りないという。確かに、グリフォンの時も、蜘蛛の時も。相手に致命打を浴びたけれど、自身もそのカウンターをまずい形で受けてしまっている。
いっそのこと、相手を貫通して向こう側に抜けるくらいの方がいいのだとか。
「破城鎚をイメージするといいのではないのかな」
「……分かりました。 工夫してみます」
チャージの後。
威力を一点に集中して、向こう側に抜ける。
いっそ、敵に大穴を開けるつもりで。
しかし、そうなると。
この杖を、更に戦闘向きの形に、調整した方が良いかもしれない。だがこの杖は国宝なのだ。
メルルだけのものではないし。
今後、一族に引き継いでいかなければならない、大事な財産でもある。というよりも、国がなくなった後は、州の管理下に入るか。それとも、アーランドが管理する財産になると見て良い。
やるならば。
プラティーンを、自分で加工して。ハゲルさんの所に持ち込んで、相談しないと。
自分用のカスタマイズした杖が欲しいなら、それくらいはしないとダメだ。そして、メルルには。
それが出来る。
まだプラティーンの加工法は習っていないが、材料なら既に手にいれている。
今後錬金術師として戦っていくなら。
絶対に必要なことだ。
訓練を終えた後、全員で礼。
アニーちゃんも基礎訓練くらいはと思ったのだけれど。見ていると、どうにも興味が無いようで、隅っこの方であくびをしている。
無理強いしても、伸びはしないだろうし。
何よりとても体が弱いときている。
戦闘向けの基礎訓練では無くて。
まずは、体力をどう伸ばすかを考えるべきだろう。何かあった時に、耐えられるようにするために。
死んだら、代わりを取りに行く。
そうトトリ先生は言っていた。
その時、ミミさんが、一瞬だけ泣きそうな顔をしたのを、メルルは見ていた。そんなことを言う人では無かった、という事だ。
一旦アールズに戻る。
帰路については、徹底的に調査。
トトリ先生も、帰路の安全を調査することに関しては、何も言わず、手伝ってくれた。
2、鉱山開発への道
全ての出来事を説明すると。
ルーフェスは、気むずかしそうに腕組みした。しばし考えたいのだろう。メルルは、相手の反応を根気強く待つ。
頭の回転が速いルーフェスだ。それが、こうまで考えると言う事は。色々と、難しい事態に違いない。
「邪神との戦闘は避けられたし、向こうは鉱山の開発についても了承し来ているんだよ?」
「それはそうなのですが。 トトリ殿との条約を目にしている限り、そう単純な話でもありません」
「そういうと?」
鉱山の開発には許可を出すと言われているのだけれど。
邪神は、遺跡に人間が立ち入ることを許可していない。正確には、トトリ先生とメルル、それに自分が許可した人間以外の、をである。
遺跡があると、中には宝がある。
それは古き時代からの事実。
北部列強の中には、そうやって遺跡を荒らすことで、国が潤ってきた地域さえもあるのだとか。
つまり、絶対に馬鹿な事をしでかす輩が出る。
それをどう防ぐかが、重要になる。
「つまり、見張りが絶対に必要になります。 それも、我々から出さなければならないでしょうね」
「人員が足りない今、厳しいね」
「幸い、難民引き受けを前倒しした結果、各国からの増援も続々と到着しています。 耕作地帯での収穫が軌道に乗り、予想以上に収穫が進んだこともあって、難民達の食糧に関しては気にする必要はないでしょう。 上水、下水に関しても、現時点では充分な衛生を確保できています」
キャンプスペースの見張りは、これでどうにか出来る。
問題は、鉱山最深部の見張りだ。
これに関しては、此方も精鋭を派遣しなければならないだろう。アーランドからハイランカーを廻して貰うか、手練れのホムンクルスを出して貰うか。それも一人ではだめ。
元々鉱山の邪神は、蜘蛛のモンスターを出して、勢力圏を確実にしようとしたほどに、人間を信用していない。
トトリ先生がギブアンドテイクをまとめてくれたこと。
外の環境を知るのに丁度良い素材として(不快な話だが)アニーちゃんを出してきて、それを此方が受け入れる事を了承したことが、交渉成立の大きな要因である。
此方から約束を反故にしたら。
邪神は確実に、あの蜘蛛クラスのモンスターを山と繰り出し、大きな被害が出るだろう。前線の状況が思わしくない今。
それは致命的だ。
「少し前にアーランドから派遣された遺跡の専門家がいます。 彼女に頼んで、遺跡の入り口は封鎖して貰う予定です」
「そんな事が出来るの?」
「充分な実績持ちです。 東の大陸で、トトリ殿が邪神を滅ぼしたときも、彼女が遺跡の戸をこじ開けたのだとか」
それなら、安心は出来るか。
どのみち、安全な鉱山へのルートを確立するためにも、何度も足を運ばなければならないのだ。
メルルとしては、その人を護衛して鉱山まで行く事は、何ら不満は無い。
「すぐにでも出られる?」
「スケジュールの調整があります。 シェリ殿とザガルトス氏は問題ないにしても、ミミ殿とジーノ殿は、アーランドのハイランカーで、前線でも活躍中です。 彼女らのどちらかが手が空くまで、しばしお待ちください」
「ん……分かった」
しばらくは、アトリエで錬金術と武術の修行か。
スケジュールがどれだけ大事かは。メルルだって分かっている。無理を通せば、彼方此方でガタが来てしまう。
ましてや今は、一カ所の歯車のずれで、大変なことになってしまう時期だ。
先に、その遺跡の専門家の女性に会いに行く。
個性的な姿の人なので、気を付けるようにとルーフェスに言われた。まあ、アーランドから来る人は、みんな個性的だし、大丈夫だろう。
城を出ると、伸び。
何だか一段落して、少し気が楽になった。
城門で見張りをしているライアスに、一礼して、坂を下る。今は手が足りないのか、珍しく真面目に見張りをしていた。
城下町へ出て、まず最初にハゲルさんの所に。
まだ、材料は揃っていないのだけれど。
新しい杖について、相談しておきたかったのだ。
メルルが概要を説明すると。
ハゲルさんは唸る。
「杖として使えるが、いざというときには戦槍の役割も果たせるようにする、か」
「はい。 特に突進力を高めたいです。 相手の体に大穴を開けて、突進してそのまま抜けられるくらいがいい」
「まるで人間破城鎚だな」
からからと笑ったハゲルさん。
メルルも釣られて笑う。
少しデザインは考えなくてはならないと、ハゲルさんはいう。変形ギミックなどを盛り込むと、其処から壊れやすくなる、と言うのが理由らしい。つまり最初から、杖としても戦槍としても使えるようにする、というのが重要なのだそうだ。
その辺りは、専門家であるハゲルさんの独壇場で、メルルが口を出す場所では無い。お任せしますと言って、店を離れた。
続いて、ルーフェスが言っていたお店だ。というか、此処はパメラさんのお店だ。
錬金術の道具を売ってくれるので、少し前から重宝していたのだが。
まさかこの人が、遺跡の専門家だったのか。
中に入ると、小さなホムンクルス達が何名か働いている。相変わらず忙しそうで、メルルは目の保養だなと思った。
小さい子供は、これでも大好きだ。
「あら、メルルちゃん。 いらっしゃい」
「おはようございます、パメラさん」
「今日はお買い物?」
「いいえ、パメラさん自身に、お願いがあって来ました」
おっとりした雰囲気のパメラさんだけれど。
遺跡の入り口封鎖の話を聞くと、目を細めた。なるほど、この人も、こんな鋭いというか。妖艶というか。そういった表情が出来るのか。いつもほわほわしただけの人では無い、という事だ。
ちなみに、ケイナは相変わらずパメラさんが苦手なようで、此処での買い物は、出来るだけしたがらない。
一つずつ順番に説明。
パメラさんの助力が必要と締めくくると。パメラさんは、少し悲しげに、目を伏せるのだった。
「ねえ、メルルちゃん」
「はい? 何でしょうか」
「もしも遺跡から出てきたアニーって子の「実験」が上手く行って。 遺跡の中にいる人達が、みんな現在の環境に適応して外に出られるようになったとして。 メルルちゃんは、どうするの?」
「その時は、受け入れの準備をします。 勿論、古代と同じ生活はできないでしょうから、問題は起きます。 しかし古代の人々が持っている知識は、建設的に使えば、きっと役に立つはずです」
ただ、あの人数の受け入れは、いきなりは無理だ。
それに、現在の理屈に従って動いて貰う事になる。人間が支配者として好き勝手に振るまえるほど、もはや今の世界は豊かでは無いのだから。
それに、自然からは搾取するものだという考えも捨てて貰う。
それは、世界を一度滅ぼし。
人類以外の生物にも、多大な迷惑を掛けた愚かしい思想だ。
もう一度同じ事を繰り返そうというのなら。
メルルは、止めなければならないだろう。
「それだけの覚悟があるのならいいわ。 時間が出来たら、声を掛けてね」
「お願いします」
頭を下げる。
問題は、大きくなる一方だけれども。
決して絶望ばかりでは無いのが、せめてもの救い、なのだろう。
ジーノさんはしばらく前線で戦闘三昧。
ミミさんが次に此方に来てくれるのが、二週間後。
いずれもルーフェスが、クーデリアさんと交渉してくれた結果だ。二人ともアーランドのハイランカーだし、前線の状況が厳しい中、一人でも確保してくれたのは、本当に有り難い事である。
その間に、出来る事はしておかなければならない。
まず、メルルは。
トトリ先生に、金属加工について、習う。
今までもインゴットについては教わっていたのだけれど。硬度が高い金属の冶金技術は、かなり難しい。
一つずつ、順番に教えて貰う。
一回では出来ない。
何度でもトトリ先生は丁寧に教えてくれるけれど。
それでも、時々自分の不器用さが、嫌になる。
プラティーンのインゴットが出来た。
けれど、一週間もかかってしまった上に。
品質は、お世辞にも、まともとはいえなかった。
「ごめんなさい、トトリ先生……」
「大丈夫。 幸いインゴットは腐らないからね。 此処から、更にプラティーンの純度を上げていけば良いんだよ」
そう言うと。
トトリ先生は、更に細かく、作業を指導してくる。
熱の加え方。
酸を浴びせて、不純物となる金属を溶解させる。
一旦取り出して冷やし、そしてハンマーで延ばして、処置を加える。
そうすることで、インゴットは見る間に小さくなっていって。最終的に、最初に造ったものの半分にまで縮んでしまった。
その代わり、ようやくお店に出せる品質のものが出来たと言う。
良かった。
胸をなで下ろすメルルだけれど。
これは、第一歩だ。
続いて、湧水の杯についても習う。
アールズは幸い水が豊富なので、使う機会は少ないのだけれど。これがあるとないとでは、大違いだ。
探索などで道に迷ったとき。洞窟などの奥で孤立したとき。
これがあれば、ある程度命をつなぐことだって出来る。
ただ、仕組みは、さっぱり分からない。
「水が存在する確率を上げて、水を出すってのが、どうしても分からないんですけれど」
「今はそれで良いよ。 その内、詳しい理論書を見せてあげるから。 今のメルルちゃんの知識だと、無理に理解しても意味がないと思うからね」
「う……その通りです。 ごめんなさい」
他にも。
アーランドで造られている、耐久糧食。
これについても、作り方を習う。
耐久糧食は、今やアーランドどころか、大陸南部で広く普及して使われているもので。補給にはコレが欠かせない。
どんな荷駄でも扱っているほどで。
栄養価があり、喉が乾かず、美味しい上に満腹できると、何拍子も揃った傑作糧食だ。
しかしこれの元はパイで。
錬金術により圧縮して、しかも死者を蘇生させるとさえ言われる強力な回復薬、ネクタルが含まれていると聞かされて、びっくり。
しかも包み紙の工夫も凄い。
紙の中に魔法陣が仕込まれていて、過酷な環境にも耐え抜くようになっている上。なんと、パイ生地の中にまで魔法陣が入っているのだとか。
何処にでも持ち込めて。
ゴミを紙しか残さず、すぐに食べる事が出来て、おなかいっぱいになるうえ。紙も地面に埋めれば、勝手に分解される。
コレを作り上げたのが、トトリ先生の師匠であるロロナという人だと聞いて、また驚かされる。
凄い工夫だ。
こんなもの、何十人がかりで何年もかかりそうなのに。
先人の研究を自分だけで改良して、作り上げたと聞いて。メルルは、冗談抜きにめまいさえ覚えた。
人間か、その人は。
トトリ先生もたいがい凄まじいが、ロロナという人は更にその上を行っている。
「錬金術師の究極みたいな人ですね」
「ところがね、もっと凄い錬金術師もいるんだよ。 アーランドの国家軍事力級戦士で、ジオ陛下の次に強いって言われている、アストリッドさんって人」
ふと。
ぞわりと、背筋に悪寒が走った。
トトリ先生は、何も口調を変えずに、その名前を言ったのに。
理由は分からないけれど。途方もない闇を、一瞬感じたのだ。そのアストリッドさんは、確かホムンクルス関連の権威だと前に聞いた事があるけれど。やはりトトリ先生とは、何か因縁があるのかも知れない。
とにかく、だ。
先人が切り開いてくれた道を、まずは進む。
自分で工夫して、色々覚えていくのは、その後だ。
メルルはあくまで凡人。
錬金術にしても、戦士としての技量も、それは同じ。
天才なら、一足飛びに、様々な事が出来るかも知れないけれど。
凡人は、まず基礎を固めて。
それから、ようやく応用に取りかかれるのだ。
作った時間を利用して、徹底的に基礎を磨いて。新しい道具の作り方を覚えて。既存のものを改良する。
雑な性格も、少しずつ改善してきているらしい。
少なくとも、調合が失敗することは、かなり減ってきた。
お薬の品質も上がっている。
開いている時間と言っても。少なくとも、今までのように、ダラダラ過ごす時間では、ない。
あっというまに時間は過ぎて。
ミミさんが戻ってきた。
左腕を吊っている。そればかりか、顔にも大きな向かい傷を貰っていた。幾つかの傷は、回復している様子も無い。
戦闘の結果だ。
わざわざ聞くまでも無い。
前線が、相当厳しい状況なのは。圧倒的な戦闘力を誇るこの人が、こんな有様な事からも、よく分かった。
「出るつもりなら、急いでくれる?」
ミミさんは、あまり機嫌も良くない。
ちなみにトトリ先生は、昨日からお出かけだ。出かけている先は、恐らくはミミさんと入れ違いで、最前線だろう。
凄まじい暴れぶりで、敵に大きな打撃を与えていると聞いているが。まあデコピン一発でウォルフを赤い霧に変えたあの戦闘力を思い出せば、それも納得できる。
「明日には出られる準備をしています。 ミミさん、お薬を使いますね」
「……お願い」
ケイナに手伝って貰って、包帯を外し、添え木を取る。
どんな相手とやり合ったのかと聞くと、巨大なミミズだという。ミミズ。肉食の、それもとんでもなく大きな奴がいるという噂は聞いているけれど。
それを改造したモンスターだろうか。
「倒したんですか?」
「当然。 ただね、前線に連れていった難民の労働者達が、悲鳴を上げて逃げ散りそうになってね」
不満を持つ難民の代表達を、最前線に連れていって、現実を見せる。
少し前から、やっていることだ。メルルも二度ほど、その護衛に混じってついていったことがある。
砦の様子を見るにも、丁度良いからだ。
なるほど、敵の攻勢があったタイミングで、難民達が到着したのか。それはハプニングとして、苦労しただろう。
手当をケイナと一緒に、てきぱきと進める。
骨はもうくっつき掛けていたので、問題はなさそうだ。傷も、すぐに薬を塗り込む。これならば、美味しいものを食べて休んでいれば、明日には添え木をとれるだろう。ただ、三日くらいは、右手を戦闘で使うのは避けるべきだ。
ミミさんに念のために言うと。
わかっているとだけ答えられた。
後の作業はケイナに任せて、メルルはすぐにパメラさんの所に。そして、待機していた2111さんに、シェリさんとザガルトスさん、2319さんに声を掛けて貰う。
パメラさんは少し忙しそうにしていた。
なにやらお店の前に馬車が来ていて、其処へたくさんのお薬を積み込んでいたのだ。前線への傷薬かと思ったら、違うと言う。
耕作地帯に新しく来た難民五百人ほどだが。
前にいた難民キャンプが、凄まじい状況で。即座に薬が必要だと、守りを固めているバイラスさんから緊急で連絡が来たそうである。
「疫病の特効薬と、傷薬と、後は栄養剤。 何でも、難民キャンプの治安そのものが最悪で、内部で暴行事件や傷害事件が多数発生していた上に、定期的にモンスターの襲撃まで受けていたそうなの」
「ひどい、ですね」
どこの国だろう。
聞いてみて、納得だ。
バドラルト王国。アールズの南にある国で、アーランドに三年後に併合されることが決まっている国である。
今、王族が継承権を巡って暗闘をしているらしく、国が悲惨な状況だという。このため、併合を一年早めるという話まで出ているそうだ。たった二年しかもたない王権なのに、そんなに欲しいのだろうか。
この国でも、引き受けた難民への風当たりは強く。
しかも難民が、北部列強でも特に南部辺境への差別意識が強い国の出身者達だったので、火に油が注がれた。
王族がしっかり手綱を握っていれば、こんな悲劇は避けられたのかも知れない。
こうして、守るべき弱者を戦士達は守らず。内紛し、傷ついた人々が倒れていくのを見てみぬふりをする。
そういう、最悪の状況が到来した、というわけだ。
悲しいけれど、メルルには、バドラルトの戦士達を責められない。王族がしっかりしていないと。王族でないにしても、支配者階級の人間がそうでなければ、国はこうなってしまう。
それは恐らく、王国だろうと共和国だろうと、同じだろう。
メルルも、薬を運び込むのを手伝う。少しでも、薬が届くのが、速くなる方が良い。
小さなホムンクルス達は、力は強いようだけれど、とにかく背が低い。だからメルルが手伝うことには、大きな意味がある。
「状況が悪い難民から受け入れているそうだけれど、バドラルトはどうも交渉と契約が上手く行かなかったらしくてね。 アーランドが仲立ちをして、ようやく難民を引き取る代わりに、戦士十五名を派遣する、という約束を取り付けたそうなの」
「……」
そういえば。
ルーフェスに伝言を受けたケイナから聞いている。十五名ほど、追加で戦士を送って貰うのだと。
政治とは、彼方此方でつながっているものだ。
馬車が行く。
二台目が来た。
ライアスが来て、何をしているんだと呆れられたので、事情を話す。そうすると、ライアスも手伝ってくれる。
パメラさんのお店の地下は工場だと聞いていたけれど。お薬がたくさん出てくる。トトリ先生がつくったものらしいお薬も。メルルのものもある。アーランド印のお薬は、色々な種類が準備されていた。
リネン類も運び出されてくる。
馬車の方に来たのは、アーランドから来たらしい老婆の魔術師。医療の専門家だろう。戦闘力はあまり高く無さそうだ。
一礼すると、馬車に乗り込んでいく。
メルルはライアスと、ホムンクルス達と一緒に、お薬を運び込む。
二台目の馬車が動き出す。老魔術師が、頭を下げてくれた。急いで運び込んでくれて有り難う、というのだろう。
此方こそ。
無言で、手を振って馬車を送る。
「ありがとう。 随分とはやく作業が終わったわ」
「明日からの出征、お願いします」
「分かっているわ。 まあ、ミミちゃんがいるし、現地への安全も確保されているというのなら、大丈夫ね」
パメラさんは、何だかゆっくり、マイペースに喋る。
トトリ先生といいこの人といい。
あの熟練戦士ミミさんを、ちゃんづけで呼んでいるのは。何だか不思議で、とても新鮮だった。
ともかく、これで人員は揃った。
いずれにしても、鉱山への安全な道筋は開発しなければならないのだ。
それに、上手く行けば、湖南西部の、湿地帯を抜ける道も、開拓できるかも知れない。
ここからが勝負だ。
3、それぞれの糸玉
パメラさんは健脚というわけではなかったけれど。少なくとも、歩いていてすぐに疲れてしまうようなことも無かった。
体力は相応にある。
もしも体力に問題があるようなら、荷車に乗って貰おう。そうメルルは考えていたのだけれど。その必要はなさそうである。
パメラさんは、一人だけホムンクルスの護衛を連れている。
1026さんという人だ。
顔は2111さんや2319さんと殆ど同じなのだけれど。彼女らと同じ淡い色の髪を、サイドポニーに結んでいる。髪を伸ばしているホムンクルスは珍しい。殆どは、実用第一で短くしてしまうのに。
また、彼女が手にしている武器は、ホムンクルスとしては珍しい弓だ。
とはいっても、巨大な弓で、頑強なシールド部分もついている。いざという時には、至近での打撃戦も出来る仕様である。弦も強力で、攻城戦用クロスボウなみの火力も出せそうだ。
1026さんは、服装も少し違う。
他のホムンクルス達は、だいたいメイド服っぽいお揃いの戦闘服を着込んでいるのだけれど。
彼女はそれにアレンジをしていて。
胸元に、ピンク色の派手なリボンをしていた。
だからこそ、頬にある強烈な抉り取られた傷跡が目立つ。1026さんは、当然戦歴も長いはず。
2111さんや2319さんよりも、だいぶ先輩だと見て良いだろう。
「今日はよろしくお願いします」
「よろしく」
派手な見かけと裏腹に、他のホムンクルス同様の、感情希薄な返事だ。
パメラさんはにこにこしてやりとりを見守っている。
ひょっとするとこの人。パメラさんの護衛としてつけられて。パメラさんのオモチャにされているのか。
ホムンクルスは基本的に、人の言う事を嫌と言わないはず。作戦上で無駄死にするようなことは拒否するらしいけれど。
可能性は、ありそうだ。
粛々と、今まで切り開いた道を行く。農場南のキャンプスペースに到着。かなり急いできたのだけれど。
パメラさんは、特に疲れた様子も無かった。
キャンプスペースで、焚き火を囲む。
やはりまだ難民が馬車で輸送されているけれど。中継地点の此処で、休んでいる姿が見受けられる。
皆、不安そうだ。
後で話を聞きに行くとして。
今日はここで泊まるので、先に明日の打ち合わせをしておく。
「此処からは、かなり危険になります。 パメラさんは、戦闘の心得は」
「ないわよお」
「私が護衛しますので、問題ありません」
1026さんがぴしゃりと言う。
何となく、2111さんや2319さんに比べて、口調が鋭いというか、厳しい。ホムンクルスにも心があるのははっきり分かっているのだけれど。
性格差も、相応にあるのかも知れない。
「分かりました、お願いします」
「それよりも、あんな密林、手練れ無しだと抜けられないぞ。 難民を本当に通すつもりなのか?」
ライアスが、早速容赦のない意見。
今までは、手練れと一緒に、こそこそとスニークして、ようやく鉱山へと進んでいたのだけれど。
言われるまでもなく、ライアスの言うとおりだ。
今、農場に輸送しているように難民を移動させるとなると。もっと桁外れに安全にしなければならない。
其処で、今回は。
新しいルートを開発しつつ、鉱山に向かう。
今までに何回か鉱山に辿り着いたけれど。湖から、いずれも大きくは離れていなかった。
今回は兎族に、農場で話を聞いている。
安全なルートはないかと。
昔は敵対していたけれど。今では、兎族は立派な友好種族だ。彼らの話によると。かなり北側になるけれど。
平原があると言う。
遮蔽物がなく、遠くまで見通せる平原。
川も無く、木々も少なく。地形も安定している。其処の一部を道にすれば。見晴らしが良い中。安全に難民を移動させられる。
前に造ったキャンプスペースもあわせ。
十五名の増援があることを考えれば。今は農場周辺の駆逐作業をして貰うとしても。今後は三カ所ないし四ヶ所のキャンプスペースに、回って貰うのもありだろう。
それを説明すると。
ミミさんが、左手で挙手。
「分かっていると思うけれど、大回りになるわよ」
「最初から想定済みです。 此方を見てください」
地図を広げて、ミミさんにも見てもらう。
最初から今回は。
モンスターから身を隠すことは、想定しない。
強力なモンスターが縄張りにしている地域は流石に避けるけれど。そもそも、近辺の森にはリス族の難民に入って貰う予定もあるが。今の時点では、まだリス族の難民はかなり難しい状況で、此方に来られないらしい。来るのは早くても来年、という事である。つまりそれまでは。
森の近くは避ける方向で、ルートを開拓する。
モンスターに見つかっても、襲撃を防げるようにすればいいわけで。
馬車を武装するよりも。
周囲に手練れをつけるのが早い。
つまりベテランの戦士四ないし五名を護衛につけて、キャンプスペースの間を往復しながら、難民を運んでいく。
モンスターの数が多い場合は、信号弾を打ち上げて、周囲に増援を頼む。
最初の数回は、襲撃もかなりあるだろうけれど。
簡単に手を出せないと悟れば、モンスターも慎重になるはずだ。
そして、重要なのは此処からだ。
「この近辺は、農場近辺よりも遙かにモンスターが強力です。 つまり、それだけ賢いモンスターが多い、という事です」
「向こう見ずな攻撃には出てこない、というわけだな」
「はい」
シェリさんに頷く。
また鉱山でも、労働を行う場合、周辺に小さな街を造る必要も生じてくるだろう。
それを考えると。経営が軌道に乗るまでは、かなり時間も掛かる。多くの人がその分行き来しなければならないだろう。
しかしながら。
鉱山が本格的に動けば、それだけアールズの戦況は良くなる。資源を他の国から供出して貰わなくても、まかなえるからだ。
言うまでも無いが。アーランドの負担も、それで減らすことが出来るだろう。
説明を終えると。
今度はザガルトスさんが挙手。
「邪神は大丈夫だとして、その子供もずっと連れ回すのか」
荷車であくびをしているのは、言うまでも無くアニーちゃん。いつ熱を出してもおかしくないと言うことで、連れてきているのだ。
城のメイド達に任せる手もあったのだけれど。
錬金術のお薬の扱い方は分からないだろう。トトリ先生に、必要なお薬は貰っているし。作れる分は自分で何とかした。
出来れば、側にいて貰った方が、安心できる。
勿論戦闘の際は、荷車の中で大人しくていてもらうが。
何というか、アニーちゃんは無気力な子供で。戦闘で吃驚しても、逃げ回ったりはしそうにもない。
その点では、荷車だけ守り抜けば良いのだから、安全度は思ったより遙かに高い。ミミさんもいるし、ザガルトスさんもシェリさんもいる。
簡単に敵の攻撃なんて、通しはしない。あの蜘蛛モンスタークラスの相手なら兎も角。彼奴はミミさんによると、弱めのドラゴン一歩手前くらいの実力らしい。そんなものが、ホイホイ出てくるはずも無い。
勿論念には念を入れる。
幾つかの話し合いをした後、難民達の方に。
メルルを見ると。明確に怯える視線が目だった。
やはり、色々軋轢は大きくなっている。それが確実に分かるので、あまり良い気分はしない。
一人ずつ、話を聞いていく。
「なるほど、お薬は足りているし、怪我は治している。 住居も提供しているし、過剰労働もさせていないと」
「ああ、それは保証する。 悪魔族も、暴力を振るったりはしないよ」
「どうせ殺して食べるつもりなんでしょ」
ぼそりといったのは。
膝を抱えた幼い女の子。
栗色の髪の毛を伸ばし放題にしている。そして目には、強いこの世に対する恨みの念があった。
母親らしい中年女性が、生きた心地がしない様子で、必死に口を塞ぐ。
平謝りをされるので、メルルは困惑した。側にいるケイナも、眉をひそめている。
「大丈夫です、話を聞かせて貰えますか? ひょっとして、我々が、貴方たちを食肉にしようとしているという噂でもあるんですか?」
「だ、だって、そうでもしないと説明がつかないだろ!」
上擦った声。
無精髭だらけの男性が、メルルに、震えながら、指を突きつけてくる。
「確かに言うとおり、飯は食えるし、モンスターから守ってくれる! 労働条件に到っては、故郷よりいいくらいだ! でもな、あんた達みたいに、俺らなんかその気になれば瞬きする間にミンチに出来る奴らが、何でこんな風に接するんだよ! 太らせて食べるつもりなんだろ! そうだとしか思えないんだよ!」
「……」
「そ、それとも、あそこにいる悪魔族のエサにするつもりか!? 戦闘用に飼っているモンスターのエサにする気なのか!? スピアに渡して、交渉材料にするって噂もあるんだぞ!」
「何を馬鹿な……」
珍しく。
メルルは、自分の声が冷え切っているのを自覚していた。
流石にこれは。
いくら何でも、本気で怒った方が良いかもしれない。でも、怒鳴りつけても、逆効果だ。
順番に、問題は解消していった方が良いだろう。
「辺境諸国の代表格であるアーランドでも、今は奴隷制を廃止している時代です。 古い時代、蛮族と呼ばれていた頃には、倒した敵を殺して喰う習慣がある国も残っていましたけれど。 それでも、あくまで倒した敵の強さを取り込むためです。 食肉として、人間を食べる風習なんて、何処にもありませんよ」
そういったことをするサイコパスは確かにいるけれど。それはあくまで、例外的に現れるサイコパスで。
言うまでも無く、犯罪者だ。
「シェリさん!」
手招きする。
シェリさんが此方に来るのを見て、難民達はおののく。
人と違う顔。生えている角。背中には翼。
肌は青紫。
何もかもが、違う存在。そしてアーランドが同盟を組むまでは。人間にとって、もっとも強力な敵だった一族。
「どうした」
「話をお願いします。 はっきりわかりましたが、悪魔族と北部の人達は、いちどしっかり話をするべきだと思いますので」
「ふむ……」
どっかと胡座を組むと。
シェリさんは、順番に話していく。
そもそも悪魔族とは、どのような一族か。何をするべく、生きている存在なのか。
「我等の目的は、この世を破壊で包むことでも混沌に落とす事でもない。 乾ききった荒野が拡がるこの世界に、緑を取り戻す事だ」
「……」
流ちょうに喋っているシェリさんを見て、目を白黒させている難民達。
さっき、痛烈な言葉を口にした子が言う。
「悪魔族が、襲ってくるの、見た……」
「それはスピアに洗脳された同胞だ。 我等にとっても、スピアは敵。 多くの同胞をさらい、意思無き兵器へと作り替えた。 我等は、ともに奴らと戦う事が出来るはずだ」
手をさしのべるシェリさん。
その手はごつごつしていて。多くの戦いと、過酷な環境をくぐり抜けて、生きてきたのだと一目で分かるものだ。
しばし沈黙が流れた後。
子供が、手を取る。
母親が、小さな悲鳴を上げた。
握手が、かわされる。
「背中に乗れ。 空を飛んだことはあるまい」
「飛んでくれるの?」
「短い時間ならな」
栗色の髪の子を乗せて、シェリさんが空に舞い上がる。翼を使って飛んでいるのでは無くて。魔力で浮いているから出来る芸当だ。
しばし辺りを飛び回るシェリさんは。
とても穏やかな表情をしている。
子供が嫌いではないのかも知れない。
そういえば、以前聞かされた。悪魔族は魔術を使って子供を作り。そしてその子供の多くは、過酷な環境で生きていく内に、命を落としてしまうと。
悪魔族にとって、子供は宝なのかも知れない。
コレは、良いと、メルルは思った。
降りてきたシェリさんの背中から、栗色の髪の子が、たどたどしく降りる。随分と、シェリさんへの警戒が薄まった様子だ。
「他の悪魔族にも、背中に乗せて飛んでくれと頼んでみろ。 時間があれば、乗せてくれるだろう」
「本当?」
「本当だ」
少し考え込んだ後。
メルルは、鳩便を出す事にする。すぐに戻る訳にはいかないし、ルーフェスに知らせておけば、名案になるかもしれないからだ。
鉱山への道中を急ぐ。
荷車を引いて歩いていると、シェリさんに、パメラさんがいう。
「随分と子供好きなのね」
「子供は未来を作る。 我々にとっては、すぐに死んでしまう存在でもある。 健やかに子供が育つことは、我等悪魔族共通の願いだ」
やはり、昔とイメージがあまりにも違う。悪魔族は子煩悩。子供が好き。コレが分かったのは、大きな収穫だ。
勿論悪魔族の中にも、人間を未だに恨んでいる人はたくさんいるだろう。しかし、共通して子供が好きだというのなら。
それは、両者の間にある誤解を解き。
溝を埋める材料になる。
大人達がすぐには不安をぬぐえなくても。
悪魔族に遊んで貰って、始めて空を飛ぶ経験をした子供達は、きっとそれを感謝するだろう。
どのみち、スピアとの戦いは、すぐには終わらない。もし今すぐスピアを倒せたとしても。難民を北部に帰す事業は、十年単位でやっていかなければならない。きっと、大きな意味が出てくるはずだ。
ルーフェスへの手紙は、すぐに届く。
これをきっと、ルーフェスは活用してくれる。
そのくらいなら、信頼だってして良いだろう。このくらいなら、罰は当たらないはずだ。
キャンプスペースの予定地に到着。
ライアスとザガルトスさんに手伝って貰って、さくさくと柵を立てる。2111さんと2319さんは見張り。シェリさんは少し高い所に上がっているのだけれど。その背中にはアニーちゃん。
なんと。先ほどの光景を見ていて、自分も乗せて欲しいと頼んだのだ。袖を掴まれて頼まれると、理由もないのに断る気にはなれないのだろう。シェリさんは周囲を確認がてら、空に舞い上がっていた。
「周辺に敵影なし」
「有り難うございます! 適当な所で降りてきてください!」
「了解した」
アニーちゃんは降りてくると、相変わらず退屈そうな顔をしていたけれど。シェリさんに、また乗せてと、言葉少なに言っていた。
シェリさんも、良いだろうと答えている。
意外にこの二人。
良いコンビになるかも知れない。
キャンプスペースが形になる頃には、ケイナが鍋を作り終えていた。道中で仕留めた鹿のお肉を作ったものだ。栄養価が高いお野菜もたくさんいれてある。
温かいお鍋は、力になる。
これから、闇を具現化したような場所に潜るのだ。例え、邪神との話がついているとしても、である。
何より、戦闘も想定される。
力は、つけられる時に、つけておかなければならないだろう。
アニーちゃんは熱を出しやすいと聞いていたけれど。
今の時点では、平気だ。
食欲に関しても、おかしいところは無い。
何もかも。
今の時点では、順調だと言えた。
翌日。
地図を確認してから、キャンプスペースを出る。今回は大回りする代わりに、キャンプスペースを互いからギリギリに見える位置に設置していく。視界の極限、地平のぎりぎりにあれば、認識は出来る。
狼煙を上げれば。近い方のキャンプスペースから、支援が来る仕組みだ。
ただ、歩いていて、気付く。
兎族に教わった道を行っているのだが。途中、かなりの危険地帯に、近づく頻度が小さくない。
機動力が高い兎族は、気にしないのだろうけれど。
足が速いとは言いがたい馬車で此処を通るのは、あまり好ましい事だとは思えない。例えば今は右手に沼沢地帯が見えている。もう少し北にある川の支流から水が流れ込んでいるのだけれど。
当然、強いモンスターの気配が、少なくなかった。
ユニコーンくらい潜んでいても不思議では無い。
そうなると、奇襲を受けた場合、かなり面倒だろう。ちなみに森もかなり接近している上、沼沢地の地形が歪曲していて、まっすぐ急いで進むのは難しい。
「騙されたのでしょうか」
「ううん、そんなつもりは無いだろうと思う」
ケイナの不安そうな声に応える。
この近辺に住んでいる人間にしてみれば、まだ安全、という程度の道を教えただけでも、有り難く思って欲しいと考えているはずだ。
今の時点では、モンスターは仕掛けてこないけれど。
やはり強い気配がかなりあるらしい。
ミミさんは、ずっと気を張りっぱなしで。左手で矛を構えたまま、周囲に油断無く視線を飛ばしていた。
出来るだけ急いで、荷車を引く。
アニーちゃんには、荷車の中で静かにしているようにと、何度か念を押した。荷車から顔を出した瞬間、モンスターが延ばした舌やら触手やらに捕獲されるというケースさえ、想定しなければならないのだから。
危険地帯を抜けるまで、もう少し。
此処の森は、リス族に優先的に管理して貰わないと危ないだろう。管理が進めば、森のすぐ側を通ることで、比較的安全に行く事が出来るからだ。
何度か、周囲を警戒。
もしもメルルがモンスターだったら。
仕掛けるのは、危険地帯を抜けたと判断したその瞬間だ。
勿論廻りも、全員それを理解している。
だから、今が最大限の注意を、払う時間だった。
沼沢地が、遠くになりはじめる。
森とも離れ始める。
これで、少なくとも奇襲を受ける恐れは無い筈。ミミさんでも気配を察知できないくらい強いモンスターがいたら、アウトだが。
呼吸を整える。
しずしずと進んでいたのに。
全力疾走したよりも、疲れた。
完全に安全圏に逃れたと判断できたのは、坂の下まで降りきってから。あの坂の上に、見張り台を造る必要があるだろう。
資材については、ある。
まず此処にキャンプスペースを造り。
それから、余った資材を使って、坂の上に見張り台を立てる。当然の話だけれど、見張り台には最低でもベテラン以上の使い手が張り付かないとまずい。それも、常時二人以上だ。
少し考え込んでしまう。
追加で十五名戦士が来るという話だけれど。
足りないかも知れない。
「もう荷車からでてもいいー?」
「少し静かにしてろ」
アニーちゃんが、荷車から顔を出したので、ライアスが面倒くさそうに言う。気にしている様子も無く、アニーちゃんは引っ込む。
子供らしい所もあるのに。
遊びたいとか、遊んで欲しいとか。そういった欲求が、希薄なのだろうか。好奇心も強いようには見えない。
造った命。
やはり、普通の人間とは違って、いびつになるのも、仕方が無い事なのだろうか。だとすると、とても悲しい話だ。
柵を立て終わり、シェリさんが探知魔術を周囲に掛けていく。
鉱山は既に見えていて。
攻略拠点にしたキャンプスペースも、だ。
アーランドに、ホムンクルスの戦士を十名ほど貸してもらえば、多分休暇を考えても人員は足りる。
だが当面は維持管理。
鉱山は掘り返すにしても維持するにしても、相当なコストがいる。アーランド人の身体能力を駆使して露天掘りしてしまう手もあるのだけれど、そうすると多分遺跡の邪神が黙っていないだろう。
パメラさんが、手をかざす。
「あれが件の鉱山ね」
「はい。 一つだけ確保してある入り口から、最深部の遺跡まで、直通ルートを確保してあります」
「それはいいのだけれど……」
パメラさんはなにやら考え込んでいたけれど。
いきなり、場に爆弾を投下した。
「あれ、多分山じゃ無いわ」
「えっ!?」
「元からあった山だとすると、あまりにも形状が不自然すぎるの。 まるで後から作り上げたもののよう」
ひょっとすると。
山の地下に遺跡を造ったのでは無く。
遺跡の上に、防壁として山を造ったのかも知れないと、パメラさんはいうのだった。
そんな無茶苦茶な。
だが、あり得る話だ。
邪神は言っていた。
攻撃の意図はないのだなと。
鉱山に対する攻撃があったと判断したから、尖兵を派遣した、という可能性もある。そして尖兵によって。
今の時代、山を消し飛ばすような兵器は無いと、判断したのかも知れない。それが交渉があっさり成立した理由だとすると。
パメラさんの言葉にも、説得力が出てくる。
てきぱきと資材を組み立てて、キャンプスペースを構築。今回三つ運んできた荷車の内、二つは空っぽになった。この二つは備品として、此処に残していって問題ないだろう。風雨にさらされても大丈夫なように、縄を掛けて固定しておく。
後は、余った資材を使って。
坂の上に、見張り台を立てる。
これに関しては少し資材が足りないので、ミミさんが森の方に行って、枯れた木を伐採してきた。
すぐにその場で加工して、見張り台へと変える。
シェリさんが降りてきて、指さしたのは。鉱山の北の方。
アールズの北西部全域は、非常に手酷い荒野が拡がっているが。その裾野といって良い場所だ。
「あの辺りの緑化、着手はしないのか」
「ええと、あっちの山ですけれど。 活火山なんです」
「ふむ」
メルルも知っている事実だが。
アールズには、巨大な火山があるのだ。
通称、ヴェルス山。
地理的に見れば、確かにあの荒野は、発展させる価値がある。しかし百年に一度ほど噴火して、辺りを劫火で包むあの山がある以上、荒野に手をつけるのは、自殺行為なのである。
噂によると。
火山の地下には、アールズどころか、大陸でも最凶クラスに間違いなく属する獰猛なモンスターがいるというものもある。アールズの凶悪モンスターと言えばなんといってもエントだが、正体が知れない以上、それより更に実力が上かも知れない。
不思議そうに、パメラさんが小首をかしげた。
だけれども、理由については、教えてはくれなかった。
シェリさんは、それには構わず、話を続ける。
「いつ噴火するか分からぬ火山か。 そうなると、確かに緑化は避けた方が無難であろうな」
「溶岩もそうですが、何より火山から噴き出す毒ガスが怖いですからね」
「その通りだ」
火山からは噴火の際、溶岩や火山岩だけではない。灼熱の毒ガスが噴き出して、辺りを蹂躙する。
その凄まじさは尋常では無く。
此処の話では無いけれど。街一つが一瞬にして消滅したとか、森が全て数秒の内に灰燼に帰したとか。そんな話を聞かされる。アールズにも、似たような話があるあたり、与太話では無い筈だ。
そうこうする間にも、手を動かし続け。
見張り台、完成。
モンスターよけと、探知の魔術を掛けて、一旦引き揚げる。
今日は、最後のキャンプスペースまで移動して、其処で休む事にする。パメラさんの作業速度次第だけれど、明日一日は、鉱山の中に入りっぱなし、と考えた方が良いだろう。少し時間が遅い。もう夕方になりかけているけれど、今のうちに最後のキャンプスペースまで移動していくべきだ。
幸い、其処までは危険地帯らしいものはない。
森からも離れているし、周囲は見渡す限りの草原。
ミミさんもいるし、奇襲を受けることはまずないと判断して良いだろう。それでも、草原に強いモンスターがふせているかも知れないし。ミミさんにも気配を察知できない強豪が潜んでいた場合は、多分アウトだが。
弱めのモンスターを避けるものと、探知の魔術をそれぞれ掛けた後、キャンプスペースを後にする。
蜘蛛モンスターとの交戦に用いたキャンプスペースに到着したのは夕方。
ようやく一息。
モンスターに荒らされている気配もない。
しかも此処は、かなり長い時間ミミさんたちが警備してくれたのだ。既に見張りも柵も、実用に耐える段階にまで、整備が行われている。
休憩用の天幕も既に完備。
荷車を置くスペースも充分だ。馬車を置くスペースとして造られているのだから、当然だろう。
既に夕方。
もう間もなく、夜になる。
見張りを決めていると、不意に薄明かりの中、赤い光が糸を引く。思わず臨戦態勢になるメルルだけれど。ミミさんが制止した。
「兎族よ」
数名の兎族が、キャンプスペースの方に来る。
メルルが応対しなければならないだろう。それにしても、未だにトラウマは、消える様子もない。
一定距離を保って、相対する。
側には、ケイナがついてくれた。
「アーランドの姫君よ。 ここを拠点としていると聞いて、様子を見に来た」
「後、彼方にも拠点があります」
「妙なところに防衛拠点を構築しているな。 貴殿らなら、森の中を通る事さえ可能では無いのか。 随分と大回りしているように見えるが」
「私達だけでは無くて、北部列強の民も通ることを想定しています」
鼻を鳴らす兎族の戦士達。
馬鹿にしているのだ。
彼らは、農場で護衛をしてくれているが。やはり北部列強の民については、相当に良くない印象を抱いているらしい。
「あのようなものども、十把一絡げで働かせれば良いだろう」
「それは違います」
「ほう」
「今は、全ての人々が、力を合わせなければならない時です。 アールズだけでも、兎族リス族、悪魔族、そして今度はリザードマン族との戦闘さえ終えることが出来ましたし、そうしなければあのスピアには勝てません」
兎族達は、小声で何か話している。
彼らの言葉だから、聞き取ることは出来ないが。あまり好意的な会話内容では無い事は、想像できた。
「我等の所にも麦が送られてきた。 確かに充分にうまい。 だが、その麦の代償として、我が儘で勝手な連中を護衛するために、多くの人手が取られてしまっているように思えるが、それはどう考える」
「食糧無くして戦いは出来ません。 今後、他の前線、他の種族にも、此処で生産された食糧は配布されて、力になります。 そして難民の人達は、力が無い分、数で労働を優位にこなして貰う。 それだけです」
「アールズの姫君は優しいことだ。 他のアールズの戦士達でさえ、あの者達には鼻持ちならないと言っているのに」
兎族は、そういえばリザードマン族と違って。今ではすっかりアールズの戦士達とも、他の国から来た増援の戦士達とも、仲良しになっている印象がある。
真面目で着実なお仕事と。
何より、嘘をつかないという姿勢が大きいのだろう。
女性戦士の中には、小柄で兎(勿論最強のぷにぷにではなくほ乳類の方)を思わせる姿を、好ましいと思う人もいる様子だ。
「だが、貴殿が王族であれば、無為な争いは起きにくいようにも思えるな。 今後、貴殿の甘さ故に、不幸が起きぬ事を祈るぞ」
「はい。 努力します」
手を振って、兎族達は離れていく。
ため息が零れた。気付かれていないだろうか。やはり、緊張してしまう、という事は。
ケイナが側についてくれていたから良かったけれど。敵意も無い相手に緊張しているようでは、まだまだだ。
「明日は早いわ。 急いで寝なさい」
ミミさんが、咳払いする。
既に、見張りの順番は、決めてくれていた。
4、深淵の扉
アニーちゃんは一度寝始めると、絶対に起きず。朝までぐっすりだった。普段やる気はないけれど、基本的に大体の事は出来る。食事などの作法も、一度見れば覚えてしまう。頭が良いというよりも、むしろ要領が良いのだろう。
朝食を終えると。
周囲を確認。
此方を伺っているモンスターは無し。シェリさんとザガルトスさんが先行して、鉱山を確認。
侵入しているモンスターもいない。
ただし、蜘蛛モンスターがいなくなったから、だろうか。鉱山内に、蝙蝠が入り込み始めているそうだ。
まあその程度は別にどうでも良い。
実害はないし、最悪追い出せば良い。他の所に住んでいた蝙蝠達だ。それに、鉱山の中でも使っていない辺りに住み着くのなら、別に困らない。
シェリさんとザガルトスさんが戻ってきた所で、行動開始。
鉱山に向かう。
アニーちゃんは、荷車に乗って貰うけれど。出来るだけ態勢は低くして貰う。もっとも、かなり底が深い荷車なので、立ち上がらない限り頭は出ないけれど。荷物も固定されているから、走り回ったりしても圧死する恐れもない。
「パメラさん、最初に状況の分析をお願いします」
「大丈夫よ」
指でまるを造って見せてくるパメラさん。
茶目っ気があって可愛い人だ。
でも、なんだろう。
ケイナが怖がるような要素が、何処かにあるのだろうか。そういえば、ライアスも、何だか調子が悪そうである。
「どうしたの、ライアス」
「何だかここ数日、悪夢ばかり見てな……」
「ふーん」
ライアスは大した事じゃないと言うので、そうかとだけ思った。何だか分からないけれど。まあ悪夢は所詮悪夢だ。
命に関わるようなものでもない。
鉱山に踏み込む。
此処からは念のためにハンドサインだ。何があるか分からないし、待ち伏せしているモンスターがいる可能性もある。
ましてや今回はジーノさんがいないし、此方の戦力も落ちているのだから。
ただ、往復したこともあるし。
途中にカンテラをつけて、目印を作った事もある。
奥までの道筋は、そう苦労もしない。だからこそ、途中での奇襲については、最大限警戒もしなければならないのだが。
カンテラをつけて、通路ごとに確実に進む。
ザガルトスさんが、途中からアニーちゃんを背負った。アニーちゃんは肩の方が良いと言ったのだけれど。
そうすると背が高くなりすぎて、天井に頭をぶつける可能性が出てくるからダメだと言う。
口を尖らせるアニーちゃんだけれど。
一度鍾乳石が頭を擦りかけてからは、何も言わなくなる。
最深部まで、後は誰も何も喋らず。
ようやく、以前と同じ場所に到着。
パメラさんは、起伏が激しい通路を通ってきたにもかかわらず、特に疲労した様子も無かった。
「ふうん、なるほどね……」
パメラさんが進み出て。
扉に手を触れる。
しばらくそうしていると。
不意に、扉が青黒く光ったので、その場の全員が驚く。ミミさんさえ、驚いていた。
「驚いた。 大破壊前の生き残りがまだいたのか。 思念体とはいえ……」
「交渉をさせて貰いたいのだけれど、よろしいですか?」
「おお。 交渉も何も、あなた方は我等の主だ。 何なりと申しつけください」
「それではそうします。 此処にいるメルルちゃん。 それに以前貴方と交渉したトトリちゃん。 それにこの私と、そのアニーちゃん以外の人間は、此処を通れないように、ブロックをお願い」
分かりましたと声が帰ってくる。
あの双子の禿頭が。
まるで従順な子犬みたいに命令を聞いている。パメラさんはいつもふわふわしているのに。
ひょっとしたら、凄い人なのだろうか。
そう思えてくる。
「さあ、戻りましょうか」
「もう、交渉は終わりですか?」
「今の時点では、これで大丈夫よ。 現在の文明では、それこそ国家軍事力級の使い手の、総力攻撃でもない限り、この扉は破れないもの」
そうか、それならなおさら平気か。
鉱山に入る列強の難民程度では、それこそ傷一つだってつけられないだろう。
色々、問題は山積している。
それでも。
一つ、今日は確実に問題は片付いたし。
それにまだ完璧では無いとはいえ、此処への交通路も確保できた。
一つずつ、確実にやっていく。
それでいいのだと、メルルは思う。
少なくとも成果があがった。
今は、それで。
満足するべきだった。
(続)
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