闇の蜘蛛王

 

序、縦横の罠

 

事前に確認はしてある。

しかし、視覚情報で示されると、鉱山周辺を覆っている魔力網の凄まじさが、メルルにもよく分かった。

此処は、鉱山から死角になる森の中。

周囲にいるのは。

現在、連れてくることが出来る、可能な限りの最大戦力だ。

この間から、アールズに来てくれたミミさんとジーノさん。この二人だけで、敵は充分蹴散らせるかと思ったのだけれど。

どうも二人の話を聞く限り、そう簡単には行きそうに無い。

上空でシェリさんが魔術を展開し、相手の縄張りを慎重に量っている。

禿頭の強面戦士ザガルトスさんは、少し離れて、周囲を警戒中。2111さんと2319さんは、更に少し距離を取って、遊撃の態勢を取ってくれていた。

メルルは、ミミさんに、説明して貰いながら、鉱山の方を遠めがねで見る。

「一見すると無秩序に張られているように見える網だけれど、実際には違うわ。 ほら、此処を見て。 通ろうとすると、必ず踏むようになっている」

「考え抜かれている罠、という事ですか」

「そうよ。 非常に頭の良いモンスターだわ」

無秩序な罠に見せかけているのも、相手の油断を誘うため、というわけだ。ジーノさんは木に登って、手をかざして向こうを観察中。

素で見えているのだろう。

恐ろしい身体能力である。

今回、荷車は二つ連結するタイプのものを持ってきている。前をメルルが引いて、後ろをライアスに押して貰ったのだけれど。

一度ジーノさんに代わって貰ったら、すいすい運ぶので、ちょっとげんなりしてしまった。鍛え方が違えすぎるのだ。

一体どれだけの修羅場をくぐったら、こんなに強くなるのか。

ジーノさんもミミさんも、トトリ先生と一緒に仕事をしたのが主な理由で、無茶苦茶強くなったらしいのだけれど。

トトリ先生が、どのような仕事をしていたのか。聞いてみたいような、聞いてみたくないような。

ただ、メルルだって。

いずれはそういった過酷な仕事をしていかなければならないのも、事実だ。

この国を守るだけにしても。

今のメルルは、力が足りなさすぎるからである。

「いるな」

「!」

ジーノさんが呟いたので、ミミさんがすぐに顔を上げる。

木陰に張り付いて、向こうを伺う。

「上から二番目の洞窟入り口だ。 恐らく気付いてるぜ」

「そのようね」

「どうする? いっそ俺が特攻してブッ殺してきてもいいんだけどよ」

「止めなさい。 鉱山ごと潰す気? 前もそうやって、山一つ滅茶苦茶にして、怒られたの忘れた?」

とんでも無い話が飛び交っている気がするのだけれど。流石にケイナも青ざめて、固まっている。

此処にいる二人は。

それぞれ、災害レベルの破壊力を引き起こせる、アーランドにおける上位の戦闘力の持ち主なのだ。

恐ろしい事に、彼女らでさえ最強では無いのが、アーランドの凄まじさだが。

「相手の土俵で戦う必要はないし、何より鉱山の保全を考えなければならないわよ」

「あー、そうだっけ。 面倒だな」

「ジーノさん、誘き寄せるのは、できそうですか?」

「無理だな。 ありゃ乗ってこねえよ」

「同感ね」

即答である。

ミミさんも、同じ答えを返してきた。

「こっちの総合力が、向こうをだいぶ上回っていることを知っていやがる。 多分奇襲だって仕掛けてこねえな。 ……相手の土俵の外ではな」

「鉱山に入らないと、そもそも戦いにならないって事よ」

ジーノさんが降りてきて、棒を取ると、地面に線を書き始める。

非常に下手な絵だけれども。

何となく、分かった。

「こんな形だぜ」

「コホン。 貸しなさい」

「何だよ、分かるだろ」

「いいから!」

なぜだかキレ気味のミミさんが棒をジーノさんから引ったくると、地面にさらさらと書き始める。

此方は普通にうまい。

全体的には、蜘蛛に似ている。蜘蛛のモンスターは世界的にも珍しくないのだけれど、どちらかというと下位に属することが多い。どれだけ大型でも、強く強く進化した人類の前には、歯が立たないからだ。

百足型や、いわゆる鋏飛び虫の仲間には、超がつくほどに巨大化するタイプがいるらしいのだけれど。

蜘蛛型には、今のところその類の例は確認されていないそうだ。

いちいち話が参考になる。

ライアスが、挙手。

「それで、この蜘蛛の巣に踏み込まないといけないのか」

「そういうこったな。 相手にとってはホームグラウンドで、そこら中に罠がある中へ、踏み込まないといけなくて。 しかも相手は好き勝手に奇襲も撤退もやりたい放題、ってわけだ」

「しかも、よ」

ミミさんが、深刻そうな顔で言葉を遮る。

彼女の話によると。

もっと強い気配を感じる、というのだ。

「下手をすると、あの蜘蛛のモンスターは、ただの番犬に過ぎないかも知れない」

「もっと強力なモンスターがいるって事ですか!?」

「そうなるわ」

ひえっと、思わず声が漏れていた。

今回は、トトリ先生の指導で、色々な爆弾を造ってきた。フラムの火力は上がっているし、坑道を封鎖するくらいのことは出来る。

つまり、やりようによっては、相手を生き埋めにだって出来るのだ。

鉱山で意図的に爆発事故を起こすことも、或いは出来るかも知れない。鉱山における爆発事故の悲惨さについては、トトリ先生にレクチュアされて知っている。それに巻き込まれたら、相当な強豪モンスターでも、ひとたまりもないだろう。

だけれども。

ハイランカー相当の実力を持つルーフェスが、討伐に出向くと口にしたほどのモンスターを、番犬にするような奴がいるとして。

そいつに通用するかは分からない。

いずれにしても、まずは番犬代わりの蜘蛛モンスターだ。状況証拠から言っても、かなり高度な知能を持ち、魔術を使いこなす。単純な戦闘力も、低いわけがない。

「少し下がって、街道側にキャンプスペースを造るべきよ」

ミミさんが提案してくる。

つまりそれは。

長期戦になるのが、ほぼ確実、という事だ。

 

少し下がって、街道に。

蜘蛛モンスターは、此方が下がったことを理解しているはず。しかし、ジーノさんがいうように、仕掛けてくる可能性は低いだろう。

外でなら、充分に勝ち目はある。

それでも油断したら死人が出ると脅されたけれど。その程度の事は、メルルだって重々承知だ。

火を焚いた後。

柵を作り、周囲を覆っていく。

魔術で防護壁を補充。虫除けも周囲に張り巡らせていく。

キャンプスペースは、小さな砦だ。

モンスターに追われた旅人が逃げ込んだり、食糧を補給できたりもする。アーランドが積極的に広めているこの仕組みはとても便利で。

街道の安全度を、何割も上げる。

アールズでも、もっと増やしていきたいけれど。

残念ながら欠点として、維持に人数がいる。場所によっては、ベヒモスなどに代表される強力なモンスターの襲撃も警戒する必要がある。

つまり、今のアールズでは、増やすのは難しい、ということだ。

しかもアールズは、辺境でも知られている、強豪モンスターの密集地域だ。キャンプスペースの守りは、他よりも固めなければならないだろう。

ただ、此処にキャンプスペースを造れば。

鉱山の安全を確保した場合の、中継地点として使える。

荷車から取り出したのは、湧水の杯。

トトリ先生の師匠が改良した品で、美味しくは無いけれど、清潔なお水が幾らでも出てくるという便利な品だ。水が其処に存在する可能性を操作しているという話なのだけれど、あまりにも高度すぎてメルルにはよく分からなかった。アーランドの重要な輸出品として、要所にだけ配置されているという、貴重な品。

今回は鉱山の中での長期的作業が予想されるため。

トトリ先生が作ってくれたのである。

此処は湖から少し離れている上、川の支流も遠い。

もしキャンプスペースを造るなら、いずれにしても、湧水の杯は必須だっただろう。

こんこんと水が湧いてくる杯は、いつ見ても不思議だ。

「作戦会議を行います」

2111さんと2319さんが席を外して、見張りに立ってくれた。ザガルトスさんも、これに加わる。

残りのメンバーと一緒にたき火を囲みながら、メルルは地図を出す。

一つは、鉱山周辺の地図。

これは元からあるものに、目測で変化を加えたものなのだけれど。問題は、見かけ通りの地形になっているはずが無い、という事だ。

あれだけ巧みに罠を張り巡らせている蜘蛛モンスターである。

たとえば、落とし穴。

ブービートラップ。

爆発する地面。

様々な罠を、えげつなく仕掛けていても、まったく不思議では無い。少なくとも、メルルは驚かない。

「固まっていると、一発で全滅する可能性があります」

「俺が先行しようか?」

「それは頼みたいのですけど……」

メルルは思わず苦笑い。

というのも、トトリ先生に聞かされたのだ。

罠の中には、最初の一人が来ても無視して。後から安心して大勢が来たところで、爆発するようなものもあるのだと。

古代の人々が造った武器には、そう言うものが多く。

如何に効率よく敵を殺戮するか、頭を絞って作り上げた、ある意味芸術的な品なのだという。

勿論、現在の魔術にも、似たようなものはある。

あの蜘蛛モンスターが、似たような事をしていないと、誰が言い切れようか。

「何グループかに別れて行動する必要があると思います」

「まあ、そうだな。 俺とミミの所は、少数だけつけてくれれば良いぜ」

「そうですね……」

ジーノさんの所には、ライアスをつけて貰う。

これは先陣を切るため、敵の注意を引きつけやすくするためだ。ライアスの危険は増えるが、ジーノさんが側にいる。

今は、信頼をするしか無い。

中軍には、ミミさんとメルル。ケイナもここに入る。

後方はシェリさんとザガルトスさん。

2111さんと2319さんは、柔軟に居場所を移す。伝令の役割も兼ねて貰う。最初は先陣に2111さん、中軍に2319さんが入って貰う。

本当は、もう一人か二人、ホムンクルスの戦士を呼んで貰いたかったのだけれど。

何でも今、前線が非常にややこしいことになっていると言う。具体的には、リザードマン族との紛争が一段落したためか、敵の動きが苛烈になっていると言うのだ。

だから、2111さんと、2319さんしか、此処にはつれてこられなかった。

「三チームに分かれて、どうするんだ。 三カ所から、同時に探索するのか?」

「いえ、一つずつ、確実に坑道を潰して行きましょう」

山の斜面にあるトラップ類を、まずは完全に掃除。

その後、坑道を一つずつ、潰す。

フラムは充分に用意してある。他にも、周囲に幾つかの大岩があるので、これをジーノさんやザガルトスさんに動かして貰って、坑道を塞ぐ。坑道を大岩で塞いでしまえば、蜘蛛モンスターも、流石にすぐにそれを除去できない。

問題は、わかりにくい坑道の出口。

あるのだ。

さっき、シェリさんが上空から確認してくれたのだけれど、最低でも三カ所に、そういった坑がある。

つまり、油断していると、いきなり後方から奇襲を喰らう可能性がある。

数日がかりで、徹底的に斜面を探索して。

何処に入り口があるかは、確認していかなければならないだろう。

それらを説明してから、周囲を見回す。

質問は無いか、と。

挙手したのはミミさんだ。

「今回の探索で、鉱山を全て探索しつくすつもりかしら?」

「いいえ、状況を見次第切り上げます。 敵の戦力の見極めと、可能なら排除。 それが今回の目的です」

「つまり威力偵察ね」

「そうなります」

いずれにしても、長期戦だ。

そして、状況次第で。すぐに引き揚げる。たとえば、ひどい負傷をする者が出る。薬が切れる。

或いは、発破が無くなる。

そういった事例が発生したら、引き上げは早めに行う。

ただでさえ危険な場所なのだ。

周辺の森の危険レベルも、農場への道の比では無い。実際、来る途中に、とんでもない大型のぷにぷにを何度も見かけた。

「作戦開始は、明日です」

メルルの判断に。

今のところ、異は出ていない。

 

1、異界の山

 

先行するジーノさんとライアス、2111さんが山に踏み込んだ瞬間。周囲の空気が、露骨すぎるくらいに変わった。

殺気が満ちた。

それも、メルルが今まで感じたこともないほどに強烈な奴である。

あの中級グリフォンでも、これほどの殺気は放っていなかった。敵意と殺意、悪意とが一体となって。

全身に降りかかるようである。

やばい。

即座に、此処を離れないと危ない。いや、離れたとしても追ってくるかも知れない。恐怖が、全身を包む。

正直、メルルとライアス、ケイナだけだったら。

即座にモンスターは、姿を見せて、捕食に掛かって来ただろう。それくらいの、凄まじい気配だ。

いる。

それを隠そうともしていない。

おぞましいことに、この強烈な気配を、心理戦に使う知恵を、相手は持っている。つまり、どこから見ているかを悟らせず。それでいながら見ている事を誇示することで、神経を削りに来ているのだ。

「現在、敵影無し」

前方から、ライアスがハンドサインを送ってくる。

頷くと。

まずは麓から、順番に潰して行くべしと、返した。

予定通りだ。

ちなみにジーノさんは、普通に魔力が見えるらしい。魔術の罠があったら、察知することが可能だそうだ。

それでも、万全は期したい。

「そろそろ相手の懐に入るわよ」

「はい」

息を呑むと、メルルは踏み出す。

中軍も、敵の縄張りに侵入。前衛に続いて、山の探索を開始。

もしも此処で、相手が姿を見せて、襲いかかってくるようだったら、話は早い。むしろ簡単に片付けられる。

怖いのは、奇襲で一人ずつさらっていくようなやり方だ。

さらわれたらまず助かる見込みなどない。だから、各班にベテランをいれて、防ぐための工夫をしているのだ。

ジーノさんが、手を振っている。

どうやら、隠し坑を見つけたらしい。

すぐに大岩を動かして塞ぎ、上空に跳び上がると、踵落としを叩き込む。

凄まじい音と共に、岩が坑にめり込んだ。

あれは、簡単に外すことは出来ないだろう。もしやるとしたら、後で発破を仕掛けて、吹き飛ばすくらいはしないとダメだ。

乱暴だけれど、凄いやり方だ。

手としては有りだなと、メルルは思った。

順番に、山を麓から潰して行く。

後方から、ハンドサイン。

これより縄張りに入ると言うものだ。OKと、返事。じっくり、確実に。少しずつ、敵の行動範囲を潰して行く。

ミミさんが、右手を出して、行く先を遮る。

何かある、という事だ。

ミミさんが矛を構えて、振るう。何度か閃光が瞬いたかと思うと、地面が連続で抉り取られて。

其処には、巨大な坑と。

棘だらけの、地獄のような入り口が姿を見せていた。

落とし穴だ。

それも、あまりにも分かり易い。しかしながら、入り口の偽装は完璧。これはメルルだけだったら、確実に踏み込んで、串刺しになっていただろう。恐ろしすぎる。

ミミさんは無言で近くの岩を持ってくると、放り込む。

棘が全部砕け折れるのが見えた。そして上空に出たミミさんが、ジーノさんと同じように、岩に蹴りを叩き込む。

岩が地面にめり込み。

落とし穴の危険性は、消滅した。

ふうと、一息つく。

分かっている。こんなものは小手調べだ。此処からブービートラップが、どんどん凶悪になって行くことは、一目瞭然。

相手側も、出方をうかがっているだけ。

とてもではないが、この程度で、相手の力量など、測れるはずもない。

それから、半日ほど歩いて、一旦撤退する。山裾を丁寧に探して、その合間で錬金術の素材を多少採取もした。

途中あった罠や抜け道は全て潰したが。

それでも、見落としがあるかも知れない。

少なくとも、敵はずっと此方の動きを監視していた。それだけは、絶対に間違いが無い。あの強烈な殺気。生半可な実力で出せるものではない。

一度下山。

キャンプスペースまで戻ると、どっと疲れが出た。

「きっつう……」

へたり込んでしまうメルル。ケイナはもっとつかれているようで、うつらうつらとしていた。

ライアスは、黙々と、燻製肉を炙って口に入れている。

皆がキャンプスペースに入るのを見届けると。

ジーノさんは、一人で出て行った。

「あれ? ジーノさん?」

「ちょっと相手の出方を見てくる。 何、仕掛けてこない限り戦わねえよ」

「でも」

「放っておきなさい」

ミミさんに言われる。雰囲気からして、よくある事なのだろう。

ケイナはつかれている体に鞭打って、食事を作り始めてくれる。鍋が煮立つのを横目に、ミミさんが説明してくれた。

「わざと力を抑えて、モンスターに勝てるかも知れないって錯覚させて、縄張りの周辺をうろつく。 そして出てきたところを斬る。 彼奴の常套手段よ」

「荒々しいやり方ですね」

「そうね。 でもそれで、ドラゴンを含む十体以上の、賞金が掛かっているモンスターを殺してきたのも事実よ」

ただし、当然のように失敗と怪我も多いと言う。

それはそうだろう。

モンスターだって、力を抑えている状況だと見抜いているかも知れない。そうなれば、当然ギリギリのラインでの不意打ちになってくる。

分かった上での。

決死線上での駆け引き。

イカレてるとしか言いようが無い。度胸が据わっていると言えばそうなのだけれど。本当に、心底から戦闘が好きで無ければ、出来ない事だ。

もしもこれで、相手が乗ってきたら、一瞬で勝負がつく。

番犬さえ潰してしまえば。

鉱山の奥に潜んでいる飼い主だって、姿を見せざるを得ないだろう。大幅に、時間を短縮できる。

だが。

蜘蛛のモンスターは、想像以上に頭が切れた。或いは、冷静だった。

その晩、結局。

蜘蛛のモンスターは、姿を見せなかった。

 

翌朝。

早くから、戦略そのものを切り替える。

相手の縄張りに入り込む事は事実だ。だが。まずは、相手の縄張りの探知用魔術を、打ち消すことから開始する。

これはシェリさんにやってもらう。

つまり、昨日とは、陣列を変える。

先陣にシェリさんとザガルトスさんに出て貰うのだ。そして、進む度に、蜘蛛の巣のように張り巡らされている魔術を消し。

逆に此方の探知魔術で上書きしていく。

当然消耗は大きいし、何より隙が小さくない。

そのため、2111さんに、前衛に張り付いて貰う。

また、これには意図的に前衛の戦力を小さくして、攻撃を誘うという意味もある。距離を保っているのは。ミミさんが、いざというときは、即応できるようにするため。ミミさんの速度なら。

現在、前衛と中軍の間に保たれている距離を。

瞬きをする間に移動できる。

それだけの使い手なのだ。

まず、麓から順番に消していく。そして、その間に、見落としている坑道への入り口が無いかも確認していく。

地面も棒で突き刺しながら、念入りにチェック。

罠や、隠し入り口が無いか。徹底的に調べていった。

さて、どうでる。

此処からは根比べだ。

音を上げた方が、相手の奇襲を受ける事になる。ただ、メルルも分かっている。待ち伏せ型の狩りをするモンスターの場合、待ちの戦いは得意中の得意。ましてや相手は、最初から強力な殺気をぶつけて心理戦を挑んできているような相手だ。

こういう戦いについては、得手だろう。

それでも、手がない。

まさか、これも相手の掌の上か。まあ、蜘蛛の掌の上というのも妙な話だけれど。それを一瞬だけ想像してしまったメルルだけれど。

此方には、正面戦闘なら、ねじ伏せられるだけの戦力が揃っている。

あえてこっちが罠に乗ってみせるのも、ありだろう。

「罠発見。 かなり危険。 離れろ」

「了解」

シェリさんがハンドサインを送ってきたので、すぐに距離を取る。同時に2319さんが前衛に合流。

周囲に対して、最大限の警戒。

中軍と後列も合流して、敵の奇襲に備える。

しばしして。

シェリさんが、これから罠を爆破すると、ハンドサインを出してきた。頷いて、更に距離を取って。

予定通り爆破。

巨大な岩が、転がり落ちてくる。

その岩に、無数の魔術が掛かっているのは、メルルにも見えた。メルルも、あまり強くは無いけれど、魔力を当然持っている。固有魔術もあるらしいのだけれど、まだまだ使いこなせるような状態には無い。

岩が多数。麓に転がり落ちて、ずしんずしんと激しい音を立てて。

斜面が削れているというか。

えぐれているのが見えた。

「罠解除完了。 奇襲を警戒せよ」

「了……」

ハンドサインを、出そうとした瞬間だった。

ミミさんが、即応。

飛んできた何かを、即座に斬り払った。

「敵よ!」

見ると、すぐ側の地面に、鳥もちのようなものと。それにつながる糸が。風圧で、これをはじき飛ばしたのか。

もし、はじき飛ばしていなかったら。

ケイナに鳥もちがひっついて、一瞬で引っさらわれていたかも知れない。

ジーノさんが、即座に飛びつくけれど。

既に敵影は無し。

まだ探索していない鉱山への入り口から、狙撃されたのだ。ケイナは青ざめて、ぎゅっと鞄を握りしめていた。

格上のモンスターに、巣に引きずり込まれて。万が一でも、助かる可能性なんて、あるわけが無い。

ましてや蜘蛛のモンスターだ。

消化液を注入されて、一瞬でドロドロにされてしまうだろう。肉ジュースにされて飲み干されると思うと、怖いのは当然だ。

メルルは。

意外なくらい、落ち着いていた。

「大丈夫、ケイナ」

「は、はい。 メルルは……」

「私は平気。 周囲を警戒して!」

今のは一種のブービートラップで、本体は何処かから忍び寄ってきている、という可能性もある。

此処は相手のホームグラウンドなのだ。

シェリさんが戻ってきた。

「一度降りよう」

ハンドサインを受けて、頷く。

そして、麓まで降りた。

キャンプスペースまで戻るまで、油断は一切出来ない。探知魔術をガチガチに掛けてあるキャンプスペース周辺まで来て、シェリさんがしっかりそれを調べて。蜘蛛モンスターが近寄っていないことを確認。

「恐らく魔術が見えているな。 此処に近づくと危ないって事を知っていやがる」

ザガルトスさんが、忌々しげに言う。

メルルも同意見だ。

ひょっとすると、いやひょっとしなくても。山を探索している間中、この重圧に耐えなければならない。

そう思うと、ぞっとする。

だけれども。

メルルは、驚くくらい冷静な自分に気付いて、そして不思議だとも思った。

地図を広げて、敵の探知魔術を消した地点を確認。そして、敵が狙撃した位置と、距離についても確認した。

狙撃距離は、五百歩ほど。

投擲してきた鳥もちは、既に回収している。調べて見ると、かなり固い。というか、空気に触れると、瞬間的に固まるのだろう。

何より、重い。

飛んできた時の速度を考えると、これの直撃を喰らった場合、メルルやケイナ、ライアスは殆ど一瞬で戦闘不能になる。

つまり、なすすべ無く敵のエサだ。

場合によっては、意識があるまま溶かされて、貪り喰われることになるだろう。だけれど、ケイナもそれは分かっているだろうし、わざわざ口に出しては言わない。

シェリさんが、淡々と言う。

「現時点で、敵は探知魔術を上書きされた地点に触ろうとしていない。 解析さえしていないな」

「余程自信があるんでしょうか」

「……そうかも知れないが」

どうにもシェリさんにも即断は出来ないらしい。こんなに厄介で狡猾なモンスターとは、中々遭遇しないのだろう。

メルルは不幸であり。

ある意味幸運かも知れない。

これほど強烈な敵との知恵比べを早い段階から出来るのだ。

「先に言っておくけれど」

「はい」

「恐らく本番は、坑道に入ってからよ」

ミミさんの言葉が、全員を戦慄させる。

ホームグラウンド中のホームグラウンド。完全に知り尽くしているだろう場所こそ。この狡猾な敵の、主戦場。

いっそのこと、発破で山ごと吹き飛ばすか、崩落させるのもありかも知れない。

手持ちのフラムを、仕掛ける地点によっては、可能なはず。

何しろ、この山は。

一度徹底的に掘り返して、坑だらけになっているのだから。

その強度は著しく落ちている。仕掛ける地点を考えれば、一気に全体を押し潰すことだって。

その場合、鉱山は露天掘りにする必要が生じてくるだろう。

多少、普通に穴を掘って鉱石を取り出すよりも、手間が増えるかも知れないけれど。それはそれだ。

明日からも、同じ方針で行く事に決める。

そして夜は。

奇襲を避けるために、徹底的に警戒を続けた。

 

早朝。

いきなり、探知魔術に反応。

慌てて起き出すと、探知範囲内に、糸でぐるぐるにされて、しかも麻酔毒を注射されたウォルフが転がされていた。

瀕死というか、もう助からない状態だ。

見かねてとどめを刺す。

その間、シェリさんとミミさん、ザガルトスさんが三人で。どこから投げ入れられたかを確認。

結論は。

なんと、山の中腹から、だった。

「夜の間に、探査魔術の外側からあの糸を投擲して、ウォルフを捕獲。 此方の嫌がらせのためだけに、起きてくる寸前に探知魔術の範囲内に投げ込みやがったって事だな」

「ひえ……」

思わずメルルは声を漏らす。

軽いウォルフだったから良かったけれども。下手をすると、岩などを、寝ているところに投げ込んでくる可能性さえ否定出来ない。

ひょっとすると。

向こうは此方の生活サイクルさえ観察しているのかも知れない。想像以上に更に手強い相手だ。

単純な戦闘力もそうだが。

今の時点で、知恵比べでは相手が上を完全に行っている。蜘蛛のモンスターとは思えないほど頭が良い敵。

「補強しておくわ」

ミミさんが、相手の投擲力を考慮して、キャンプスペースの一角に、壁を作り始める。木の板を張った後、防御魔術を掛けるのだ。

これにより、岩が当たった後、自壊する形で、その威力を消す。

視界が減るが、それは別にどうでも良い。

探知魔術で補えば良いだけの話。

そして今の時点で、山の周辺は探知魔術で包囲している。角度的に考えて、就寝中の皆をあの鳥もちで捕獲することは不可能だ。

「これは訓練を付けるどころじゃないわね」

ミミさんが呻く。

ミミさんやジーノさんが本気で掛からないと危ないレベルの敵、という事だ。しかも、番犬の時点で、である。

勿論、番犬の飼い主が、より優れた使い手であるという保証は無い。ただ魔術が得意なだけの小物かも知れない。

陽が出てから、昨日と同じ作業を続ける。

狙撃地点をしっかり確認して、潰して。そして、探知魔術も、全て上書きしていく。シェリさんも相当に緊張しているはずだが。殆ど失敗せず、黙々と作業をしていくのは流石歴戦の戦士だ。

そして、夕方近く。

また狙撃がある。

今度は前衛。2111さんを狙ったものだった。

2111さんは即応して、かろうじて鳥もちを弾いたけれど。射出の瞬間は、メルルにも見えた。

かなりの巨体だ。

それなのに、あまりにも静かすぎる。巨体なのに、意外なほど小さな坑から、するりと出てきて。

鳥もちを射出するまで、ほんの一瞬。

着弾までも、同じく。

すぐにミミさんが仕掛けるけれど、これまた余裕を見せながら、坑道の中に入り込んでしまう。

シェリさんが、手を振っていた。

ハンドサインを出してくる。

引き揚げる、というものだ。

一度、山裾まで降りて、そして気付く。2111さんが、腕を負傷している。恐らく距離がまずかったのだ。弾くときに、ダメージを受けた。それくらい、強烈な狙撃だった、ということである。

戦慄が背中を駆け抜ける。

分かっていても、自分やケイナ、ライアスでは、どうにもならない。

そして、敵は。

確実に此方の対応能力を、学習してきている。

「先手を打たないと、いつかやられるぞ」

ザガルトスさんが、冷然と事実を指摘。

分かっている。

このままだと、下手をすると。

山を調べ終えるどころか、坑道に入る前に、死者を出す事になる。

敵は悪質すぎるスナイパーだ。しかも一度狙撃した後は、自由自在に位置を変えている上に、頭も回る。

勿論、スナイパータイプの能力者は人間にも多いけれど。

これは、その相当な手練れを相手にしていると考えて、動くべきかも知れない。

「ちょっとスペックがおかしいわね」

キャンプスペースに戻ると、ミミさんが開口一番に言う。ジーノさんは興味がなさそうで、またふらっと一人で出かけていった。敵を誘い出すための行動だろう。

メルルは、ケイナと一緒に、2111さんの手当。

腕をねんざしているけれど。

これなら、お薬で、一晩で良くなるだろう。最近はそれだけ、メルルのお薬も、性能が上がってきている。

もっとも、ただトトリ先生が造ったレシピを、模倣しただけだが。

「あまりにも強すぎる、ということか」

「いいえ。 特化しすぎているという事よ」

「……そうだな」

ミミさんと、シェリさんが話をしている。

ザガルトスさんは席を立つと、見張りに立ってくれた。2319さんも、2111さんを少し心配そうに見ていたけれど、それに倣ってくれる。

「蜘蛛のモンスターは、各地で賞金が掛かったモンスターを討伐したり、スピアの軍勢と戦ってきた過程で何度もぶつかったし、中には人と半分融合しているような姿の奴もいたわ。 大半は使役されていたり周囲に住み着いている雑魚ばかりだったけれどね。 ごくまれに強いのもいた。 ただ、強いのは、殆どが現住のモンスターでは無くて、スピアに改造されたものばかりだったわ。 もしスピアの改造モンスターにしても、今回戦っているあの蜘蛛は、知能にしても動きにしても異常よ。 拠点防衛用の特化型としか思えないわ」

「そうなると、スピアが」

「可能性はあるわね。 しかし、こんな山奥に、スピアがどうして精鋭とも言えるモンスターを、何年も前から張り付かせていたのかしら。 それだけが解せないし、スピアでは無いとすると……」

「良いですか?」

2111さんの手当が終わったので、メルルも加わる。

ケイナは少し疲れているようなので、料理が終わった時点で、先に休ませた。メルルはまだ余裕があるので、しっかりこういった話し合いには加わっておきたい。

「ひょっとして、鉱山に住み着いた何者かが、元から住んでいた蜘蛛のモンスターを操作しているという可能性は」

「おそらく無いわ」

「理由をお願いします」

「あの反応速度よ。 いわゆる外から操作している状況だと、あの反応速度は不自然すぎるわね」

なるほど。

確かに二人羽織状態では、あのような即応は無理だろう。何にしても、あまりにも動きが速すぎる。

「元から住んでいたモンスターを改造した可能性は」

「忠実な番犬かつ、強力なガーディアンとして?」

「はい」

「難しいだろうな……」

シェリさんが腕組みする。

何でもシェリさんの話によると、モンスターは進化がかなり早い反面、自分の意図的にそうさせることは難しいのだという。

悪魔族でも、古くから研究はしているらしいのだけれど。

それでも、成功例は少ないのだとか。

「仮に此処に閉じこもっているのが、古い時代から生きていて、未だに人間を嫌っている強力な悪魔族だとしても。 それでも、容易なことでは無いだろうな」

「かといって、自然進化するにしては、おかしな事も多すぎる」

消去法で、スピアがどうしても浮上してくる。

しかし、やはりどうしてこのような鉱山に、という現実がどうしても出てくるのだ。

この鉱山に、強力なモンスターが住み着いたという噂は、結構前からある。

あの蜘蛛のモンスターが古くからいたかは分からないけれど。最低でも、三年、いや四年前からいたはずだ。

そうなってくると、まだスピアは大陸の北半分を支配できていない状況で、あの蜘蛛を送り込んできたという事になる。

それはそれで、おかしいように思えてならない。

この鉱山で、そんなに貴重な素材が採れたって話は聞いたことが無い。ましてや、戦略的に重要な地点かと言われると、小首をかしげざるを得ないのだ。何より、これほど強力なモンスターを、隠密で送り込むのは、難しいだろう。

やはりスピアは違うとみるべきなのか。

しかしそうなると、ますます相手の正体が分からない。

「とにかく、先手を取らないと、話にならないわ」

「……何か良案はありませんか」

「そうね。 最初にあえて駄目な案を出すけれど、誰かがわざと鳥もちに引っかかるってのは論外でしょうね」

それは、メルルも同感だ。

あの強烈な重量と速度、喰らっただけで身動きが取れなくなる。距離が近いと、あのホムンクルス達でさえ、怪我をするほどの鳥もちだ。喰らったらメルルやケイナ、ライアスでは、一瞬で気絶する。

トトリ先生が来てくれれば、少しは良案は浮かぶのかも知れないけれど。

「明日は、探索を中止して、一日休みましょう」

「その心は?」

「心理戦には心理戦です」

相手がじらし戦術を使ってくるのなら。

此方も、それをあえて逆手に取るだけだ。

 

翌日から、行動を切り替える。

シェリさんの張った探知魔術を維持したまま、しばらく距離を取って様子だけを見ることにした。

ミミさんが言うには、時々移動しながら、相手は此方を伺っているという。ただし、あくまで鉱山の範囲内からだ。

その間、ジーノさんは、周辺を見回り。

鉱山から地下を抜けて、此方に出る抜け道が無いかを調べて貰う。もしもそういった抜け道があった場合、背後から奇襲を受ける可能性があるからである。

メルルは天幕の中で、ザガルトスさんとシェリさんから、どのような実戦を経験したか、ケイナとライアスと一緒に話を聞く。

座学だ。

自分でも戦の知識はある。

さぼっていたとはいえ、それでも英才教育を受けてはいたからだ。帝王教育を最優先されていたとは言え。相応の戦闘知識はある。

それに、実戦での出来事を聞くことによって。

実際に使える知識と、そうでないものを、振り分けておくのだ。

意外に、定石とされているものが使い物にならないという話も出てくるし。

逆に邪道とされているものが、実戦ではよく使われる、という話も出てくる。実際に戦場に出なければ、分からないものはあるものだ。

座学の後は、修練を実施。

ミミさんが見張ってくれているから、今の時点では問題なし。

ちなみに一度、ミミさんが石によるピッチングで蜘蛛モンスターを狙撃してくれたのだけれど。

一瞬早く逃げられた。

千歩ほど離れているこの位置から、投石を直撃させるミミさんは凄まじいけれど。アーランドのハイランカーの中では、腕力は最弱クラスというのだから恐れ入る。

ちなみに踏み込んだ足跡は、地面にくっきり罅ごと残っていた。

それほどの脚力で踏み込んだという事である。

「歩法がかなり上達したな」

シェリさんが褒めてくれる。

素直に嬉しいけれど、実際に組み手をしてみると、まだとうてい及ばない。軽く捻られてしまうのが実情だ。

もう少し修練を重ねて、ベテランの戦士くらいの実力は身につけたいけれど。まだ流石に無理だろう。

焦っても進歩はしない。

メルルはむしろ、かなり進歩が早い方だと、シェリさんは教えてくれる。

「まずは基礎から積み上げていくことだ。 錬金術も、それは同じだろう」

「はい……」

「焦らずに基礎をやろう」

そういって、三人で基礎訓練をする。

棒は振るう。

歩法は繰り返す。

戦闘は数をこなす。

それらの全てが、明日の強さにつながる。当然の理屈だ。

努力をするというのは、早い話が目的に向けて行動することを意味している。神聖なものではないし、必ず報われるわけでもない。

だから、先任者の経験が重要になる。

しばし、黙々と訓練をしているうちに、夕方に。次は、明日だ。

ジーノさんがキャンプスペースに戻ってくる。

「姫様、流石だな。 あったぜ、怪しい坑」

「本当ですか」

「ああ。 だから潰しておいた」

勿論、蜘蛛モンスターも、それには気付いている筈だ。更に、ミミさんには、何度かピッチングでの狙撃をして貰う。

向こう側からして見ても、1000歩以上離れた地点から狙撃を正確にしてくる相手は脅威だろう。

実際、此方を伺ってはいても。

かなり行動が慎重になったと、ミミさんから報告が上がって来ていた。

「ミミさん、すみません」

そう言ってメルルは、栄養剤を出す。

とはいっても、土壌用のものではない。疲れを取るため、人間が飲むものだ。

「夜の間も観察をお願いします。 明日は休んでいただいて結構ですので」

「気を遣わないでも平気よ。 三日や四日の徹夜でへばるほど、柔な鍛え方はしていないわ」

ミミさんは笑顔のまま、たき火の側を立つ。

これからミミさんには、敵の動きを徹夜で観察して貰う。そしてその間。不規則に、此方を伺う蜘蛛モンスターに対して、狙撃をして貰うのだ。

 

二日目。

早朝、ミミさんに話を聞くと。夜の間、蜘蛛モンスターは動きを控えていた、という話になった。

「単純に眠っている様子ね。 勿論、此方の狙撃を警戒している、というのもあるでしょうけれど」

「次の段階に入ります」

心理戦を仕掛けてきたのだから。

此方もそれで返す。

今の時点で。まず、此方の土俵に、相手を引っ張り出すことに成功した。今日も、相手の陣地には踏み込まない。

ミミさんは、相変わらず柵側に張り付いて貰って、敵を観察。

隙を見て、ピッチングによる狙撃を続行。

ジーノさんは、探索範囲を広げて、後方からの奇襲を防ぐ。今日に関しても、方針は同じだ。

長期戦なのは、最初から覚悟の上。

メルル達は、シェリさんとザガルトスさんから、基礎訓練を受ける。魔力の練り方も教わる。

生体魔力が強い方では無いメルルだけれど。

魔力を見る事は出来るし。固有スキルもどうやらあるらしい。ただし、魔力が弱すぎて、発現できないだけ。

それを言うと。

シェリさんが、懐かしそうに目を細めた。

「トトリ殿も、同じであったそうだ」

「へっ!? トトリ先生が、ですか」

「そうだ。 トトリ殿は昔はとにかく弱かったそうでな、身体能力だけでは無く生体魔力にも恵まれなかったのだそうだ。 固有スキルも持っていたが、かなり魔力を練り上げて、やっと発動できるようになったらしい」

信じられない話だ。

トトリ先生の固有スキルは殆どインチキレベルの性能で、何より使い方が人間としては考えられない次元だと聞いた事がある。

燃費も最悪だけれど、それでもポンポン使いこなすとか。

でも、それを聞いて、少し希望が出てきたかも知れない。

メルルの固有スキルだって。使いこなせるようになれば、凶悪極まりないかも知れないのだ。

今から、魔力を鍛えておく価値はある。

黙々と訓練に励み。

そして夕刻。

皆でまた焚き火を囲む。

ジーノさんの話によると、周囲千歩四方は徹底的に調査して、抜け穴はもうないと判断できるという。

つまり、これで後方からの奇襲を警戒する必要はなくなった。

「ミミさん、蜘蛛モンスターはどうですか」

「動かないわね」

時々此方を伺ってはいるけれど。

ピッチングによる狙撃を時々している事もあってか。此方に対する警戒をかなり強めているという。

作戦を此処で切り替える。

「ジーノさん」

「おう」

「周囲の見回りはもう良いので、明日からミミさんの作業を引き継いでください」

「了解」

ミミさんには休んで貰う。

明後日からの作戦で、体力がいるからだ。まだ大丈夫だとミミさんはいうけれど、首を横に振る。

今、体力を温存することに意味があるのだ。

「ぶっちゃけ、石で殺しちまってもいいよな」

「勿論です。 出来るんなら是非」

「きししし、了解」

ミミさんに比べてジーノさんはスピードでは劣るけれど、その分パワーはかなり勝っている。

技術面では負けているが、当然のようにパワーで補っている。

つまりパワーの差で、技巧派の達人であるミミさんと、互角の境地にまで持ち込んでいる。

典型的なパワーファイターなのだ。

実際、ピッチングを一度見せてもらったけれど。

破壊力が段違いだ。

直撃地点で、爆発のように土煙が噴き上がるのが見えた。あれは、蜘蛛モンスターも更に警戒を強めなければならないだろう。

さて、どう出る。

このまま、相手を萎縮させていけば、明後日からやろうと思っている作戦が、上手く行くのだけれど。

少なくとも、相手を鉱山の中に完全に封じ込められれば。

作戦の第一段階は終えられる。

 

2、糸の城

 

手をかざして、鉱山の方を見る。

難しそうにジーノさんが見つめていた。敵はしばらく、姿を見せていない、というのである。

「視線は感じませんか」

「まったく」

「……」

それはまずい。

正直な話、敵が此方に対する監視を諦めたとは思えない。新しい作戦に出たと考えるべきだろう。

ミミさんには休んで貰っているのだけれど。

また敵に主導権を奪い返された、と見るのが正しい。

腕組みして考え込む。

兵法に関して、メルルは知識はあるけれど、専門家では無い。一流の軍師がいるのなら、そちらに任せてしまいたい位である。

今、最前線にいるクーデリアさんは、戦術家としても大陸屈指の実力者として名をはせているらしいのだけれど。

今度座学で良いので、少し教えて欲しい位だ。

さて、どうする。

「周辺の見回りをお願いできますか」

「分かった。 千歩四方でやっておく」

当然、敵が新しい奇襲路を作る事を警戒しての依頼だ。ジーノさんなら、おかしな動きがあれば即応してくれるだろう。

休んでいるとは言え、キャンプスペースにはミミさんもいる。

迂闊な奇襲は出来ないはず。

昼少し過ぎ。

警戒を続けているメルルは、相手がどういう手に出たのかを悟ることになる。それは、あまりにもいきなりだった。

ザガルトスさんが動いて、剣を振るう。

空中で衝撃波が、それを叩き落としていたけれど。

もしも直撃していたら、メルルは死んでいたかも知れなかった。

石だ。

更に、もう一撃。

狙いがかなりはずれて、キャンプスペースから離れた地点で、土煙が上がる。ジーノさんが、戻ってくる。

「何だ、何が起きた!」

「狙撃です!」

「……!」

山向こう。

どうやら、キャンプスペースから見て、稜線の向こう側に、敵が潜んでいるらしい。そして、そのギリギリのラインから。

恐らくは、鳥もち糸の遠心力を利用して、石を投擲してきているのだ。

何しろ位置が位置だから、狙いはどうしてもずれる。しかし、先ほどから投げてきている石は、既に十を超えている。

最初の一発のように。

一つでもラッキーパンチになれば、致命傷になり得るのだ。

「面倒なところに陣取りやがったな……」

ジーノさんがぼやく。

ザガルトスさんとシェリさんが柵際に。

迎撃の態勢を取る。

ジーノさんがピッチングを始めるけれど、やはり位置が悪い。稜線辺りで石が爆裂するのが見えるけれど。

敵はまるで怯まない。

ちょっと引っ込むだけで、絶対に当たらなくなることを知っているのだろう。

しかも、狙撃を一度行うごとに、位置を変えている。

「ちょっと外に出てくる」

業を煮やしたジーノさんが、押っ取り刀で飛び出していく。

此処から見て稜線の向こう側だというのなら。少し場所をずらせば、丸見えになると言う事だ。

だが。

蜘蛛モンスターも、それを把握していた。

ジーノさんがキャンプスペースを出ると、即座に引っ込み。

戻ってくると、また狙撃を開始する。

何度か直撃弾が命中しそうになり、その度にザガルトスさんが衝撃波で、或いはシェリさんが防御魔術で防ぐ。

「この野郎! 出てきやがれ!」

山裾で、激高したジーノさんが叫んでいるけれど、蜘蛛モンスターは黙り。色々語彙が豊かな罵声を浴びせているけれど、知らんぷり。

そして、キャンプスペースに戻ってくると同時に、狙撃再開。

ホムンクルス達二人も、不安そうにしていた。

「厄介ですね」

2319さんがいう。

2111さんが、一瞬で負傷させられたのを間近で見ているからだろう。メルルは、出来るだけ不安を表には出さないように接する。

此処で指揮をしているのはメルルだ。

指揮官が不安にしていたら、部下にもそれは伝染する。

部下と言うほど、高圧的に接しているつもりはないのだけれど。リーダーである以上、同じ事だ。

「大丈夫。 明日から、作戦を此方も切り替えるから」

ミミさんには、確認を取れている。

格闘戦に持ち込めれば、絶対に潰せると。

つまり、ミミさんの機動力をどう生かすかが、明日からの戦略上における重要課題になる。

そして、それには。

相手のこの狙撃戦を、逆利用するくらいの気持ちが必要になるだろう。

それから夜になったけれど。

夜の間も、散発的に敵は狙撃を続けてくる。見張りに立っているザガルトスさんとシェリさんも、いい加減うんざりしたようだったけれど。

それでも、耐え抜いてくれた。

 

早朝。

散発的に石が飛んで来る中、ガードのシェリさんだけに柵際に残って貰って、話を開始する。

反撃開始だ。

このために、ミミさんに休んで貰ったのである。

「で、どうするんだ?」

「まず、これを」

準備しておいた案山子を、キャンプスペースに立てる。

そして、ミミさんには。森の中に潜って貰う。タイミングは、狙撃と狙撃の間。実は、前は相手が始終監視しているので、この時間をどうやって作るのかが課題だったのだけれど。

今は、相手の方から、此方を見るタイミングの間に隙を作ってくれている。

確かに間断なく飛んでくる石は厄介だけれど。

これならば、逆用も難しくない。

そしてミミさんは、森を経由して、大回りに山を回り込む。そして、敵が狙撃のために、石をヒモにつけて、振り回し始めたら。

直線的に攻撃に出る。

距離さえ詰めてしまえば終わりだ。

動きから考えて、あの蜘蛛モンスターが複数いるとは考えづらい。ジーノさんにはその間。敵を引きつけるためにも、あえて効果が薄い狙撃戦を挑んで貰う。

「ちぇーっ、俺は貧乏くじかよ」

「これでとどめを刺せれば良いのですけれど、多分そうはならないと思います」

「……その場合は、俺の出番って訳か」

「はい」

問題は幾つかあるけれど。

ミミさんによる襲撃が失敗した場合だ。

最悪は、ミミさんが返り討ちにされる事だけれど、これについてはまず大丈夫だと太鼓判を押して貰っている。

今まで山にあったトラップは全部潰しているし。

遠隔で判断できるトラップの位置も、全て把握した。

ミミさんには地図を見てもらって、その全てを理解して貰っている。勿論まだ探し出せていない罠もあるだろう。

だがそれをピンポイントで踏む可能性は、決して高くないと判断した。

そして、ミミさんが仕掛けたタイミングで。

全員で、一気に山に行く。

交戦は長引かないだろうとミミさんは言っていたけれど。それでも、相手を混乱させる効果もある。

何より、もし何かトラブルが起きた場合、人数が多い方がカバーしやすい。

「これで行きましょう。 何か不安などはありますか?」

「いいえ、大丈夫だと思います」

「俺も賛成だ」

ケイナとライアスは賛成してくれる。

ライアスは結構厳しい意見を言う事も多いので、賛成してくれた、という事は。メルルの作戦を認めてくれたという事である。

素直に嬉しい。

ミミさんは頷くけれど。

唯一否定的な意見が出る。

2319さんだ。

「失敗した場合の撤退はどうしますか?」

「俺が殿軍になる」

即座にジーノさんが言うけれど。

2319さんは、納得しない様子だ。どうにも、少し臆病になっているように、メルルには見えた。

「今までの敵の戦闘力を見る限り、不安はぬぐえません。 もう少し確実な撤退の際の案が欲しいです」

「その場合は、なるようにするしかない」

ザガルトスさんが、それにフォローもした。

実際問題。

意図せぬトラブルは、作戦上に確実に起きると言っても良いものだ。勿論事前に対策を立てておけば、かなりの頻度でリカバリが可能だけれど。

どうしようも無いときは。

もう、諦めるしかない。

柔軟に動く事で、少しでも被害を減らす。それくらいしか、出来る事はないのだ。2319さんも、それは分かっている筈。

まさかとは、思うが。

「2319さん」

「メルル様?」

「ひょっとして、戦闘が怖くなりはじめてる?」

元々表情がない2319さんが、さっと青ざめるのが分かった。

図星か。

PTSDは、歴戦の武人でも掛かると聞いている。その切っ掛けは、わからないとも。

グリフォンとの戦いでも、廻りが負傷している中、2319さんの一撃は、敵を倒すための決定打になった。

彼女が弱いわけでは無い。

強い人でも、PTSDには掛かるのだ。

そして、治療には、専門家による長いケアが必要になる。

幸い、戦闘用ホムンクルス達は身体能力が高いし、PTSDになっても再就職先はある。それだけは救いだが。

メルルは。

アーランドから派遣されてきて、ずっと一緒に戦って来てくれている2111さんと2319さんを、戦友と思っている。

出来ればこれからも、ずっと一緒に戦いたいし。

一緒に腕を上げていきたい。

それを素直に伝えると。2319さんは、唇を噛んだ。

「2319さんを消耗品だとは考えないし、絶対にそうはさせないよ。 どうしても仕方が無い突発的なトラブル以外では、無理はさせない。 約束する」

「……私、は」

「大丈夫。 私は王族で。 責任を持つものだから。 美味しい食べ物を貰える特権も、この絹服も、プラティーンの杖も、この血肉だって、民衆の税金で出来てる。 だから、みんなを守る義務がある。 見捨てない。 絶対に」

しばしの沈黙の末。

2319さんは、有り難うと言って、顔を上げた。

決意が、目に宿っていた。

 

ミミは気配を完全に消すと、森の中に沈みこむ。

トトリがまともだった頃。

あんな風な優しさがあった。メルル姫は、普段だらしないところもあるけれど。芯では王族としての誇りを持っていると聞いていた。

その誇りは。

どうやらミミが知る王族の中で、最大級の輝きを秘めているらしい。

ならば、此処から。絶対に勝ちにつなげてみせるのが、ミミの仕事だ。接近戦に持ち込めれば、絶対に勝てる。

最悪でも。

石の投擲に使っている右の前足は切りおとす。それだけでも、戦闘力を相当に削り取ることが出来るだろう。

身を伏せたまま、機会をうかがう。

移動していくと。

斜面にふせた蜘蛛が、糸を器用に振るって、鳥もちに石をくくりつけ。

それを回転させ、投擲している様子が、ありありと見えた。隙はそれなりにあるけれど、蜘蛛の視界は相当に広い。

一瞬でも油断すれば、見つかって。

奇襲は失敗すると判断して良いだろう。

舌なめずりする。

今更、この程度のプレッシャーは何でもない。ミミは格上の戦士達に混じって、訳が分からないほど強い敵と散々戦ってきた。

アーランドでは、力量が劣る新人を死なせる事が恥だという風潮があって、仕事には滅多に連れていって貰えず。

トトリと一緒に、格上の敵と戦うことが、必然的に増えた。

トトリは正直格闘戦ではまったく頼りにならなかったけれど。どうしてか不思議と肝が据わっていたし、戦闘のセンスも今思えばあったのだろう。どれだけ絶望的な状況でも。時々心が折れそうになっていたけれど。それでも、必死に支え合って生き延びてきた。

その過程で、嫌でも強くなった。

そして今も、まっとうな人間でいるのはミミだけだ。

トトリは壊れてしまった。

たった一人の親友は、闇の深淵に沈んでしまった。

だが、まだ生きている。

だったら、必ず助け出せるはずだ。

絶対に取り戻す。そのためには、こんな所で、足踏みしている訳にはいかないのである。

投擲の瞬間。

最大の隙が出来ることを確認。更に、直後にジーノの狙撃があると、更に隙が大きくなることも分かった。

仕掛けるなら、このタイミングだ。

メルル姫達に、ハンドサインで、仕掛けるタイミングを伝達。許可が出た。

よし。

いくぞ。

自分に言い聞かせると、ミミは。ジーノの狙撃が着弾し、次の行動に蜘蛛が出ようとした瞬間。

動く。

気配を消したまま、最大限の速度で。気付かれた瞬間に、速度を更に上げるため。あえて速度を殺し、気配を消すことに注力する。

蜘蛛は、まだ気付かない。しかし、山に入った瞬間。どうやら複眼の一つが、ミミを捕らえたらしい。

狙撃を中止し、坑道へ逃げ込もうとする。

動きは、予想よりも、遙かに早かった。

焦らない。

罠に誘導している可能性もある。だから、そのまま、普段通りに加速。残像を造りながら、一気に距離を零に。

矛を振りかぶる。

そして、蜘蛛が逃れようとするところに、一撃を浴びせかけた。

投擲に使っていた前足を、半ばから切りおとす。飛びずさった蜘蛛が、残った前足で、地面を突き刺すと。

周囲が、光に包まれた。

上空に飛んで、確認する。

足下が、根こそぎ爆発で消し飛んでいた。

こんな罠を仕込んでいたのか。

逃れたけれど、かなり爆風で足下が傷ついた。ただし、動くのに支障は無い。この程度のダメージ、今更何でもない。

無言で、懐に入れていたナイフを投擲。複眼の一つに突き刺さる。更にもう一本。甲殻を貫いて、背中に突き刺さる。

悲鳴を上げて、必死に坑に逃げ込む蜘蛛。

着地と同時に、更にナイフを投擲。

背中に突き刺さるが、坑道の奥に、蜘蛛は消えていった。

呼吸を整える。

全速力でも、まだ彼奴。クーデリアにはとうてい及ばない。ミミは才能がどうしても平凡だ。

だから努力をしなければならないし。

今後も、自分以上に努力している周囲と競り合っていかなければならない。

「ミミさん!」

手を振って、メルルが此方に来る。

適当に手を挙げて返事をしながら、これで狙撃戦は制したと、ミミは判断した。これからは、坑道の中で。

奴を追い詰めていかなければならない。

それはこの狙撃戦よりも。

更に厳しい戦いになる事が、容易に予想できた。

 

3、墓穴

 

鉱山の周囲にある罠と探知魔術を全て取り除いて。

それで、その日は終わった。

一度キャンプスペースに戻る。

投擲に使っていた前足が失われたのだ。蜘蛛モンスターはもう狙撃戦には出ないだろうと思ったけれど。

念のため、シェリさんとザガルトスさんには、交代で見張りを続けて貰う。

案の定と言うべきか。

もうその晩では、狙撃は無かった。

ぐっすり眠って、翌日に備える。ミミさんは少し手傷を受けていたけれど。それでも、傷薬ですぐに回復した。

翌朝。

早朝に、さっそくミーティングをする。

既に山の表面は、完全に制圧。ただし、ここからが本番だ。それは此処にいる誰もが分かっている事だ。

何しろ相手は、ホームグラウンドに引っ込んだだけなのである。

「前衛は俺な」

ジーノさんがいう。

勿論、そのつもりだ。

速度が必要になるため、ミミさんには、今度は隊列の中央にいて貰う。敵による奇襲を防ぐためだ。即応できるミミさんが、一番遊撃としてのポジションに適している。

後衛はシェリさんとザガルトスさんで。

2111さんと2319さんが、それぞれミミさんを補助。

メルルは真ん中で、ケイナとライアスと一緒に、敵が出た場合、柔軟に対応する。ある程度行き当たりばったりになるのは仕方が無い。

まず皆に配るのは、油だ。

「まず、これで手当たり次第に糸を見かけ次第焼いてください」

「おう、任せとけ」

とはいっても。

最初にまず発破を放り込んで爆破する所からやろうと思っているので、使うのはかなり中に入り込んでからだ。

入り口付近で敵が待ち伏せていたら、これで片付けられる。

ただし、相手はモンスターであり、獣であるとまず考えるべきだろう。

つまり手傷を受けたのだから、安全な巣に一旦戻って、回復に努める。そして、其処を拠点に、反撃に出る。

最初の一撃は、まず保険。コレで倒せることは無いだろうが、念押しのために打っておく手だ。

敵が一番有利な地点で、迎え撃ってくる。

そう想定して動くのが、一番無難だ。

全員、コンディションは問題なし。

最大の懸念事項は、どうも蜘蛛モンスターの背後にいるらしい何者か、なのだけれども。それについては、情報が少なすぎて、何とも言えない。

出来れば、戦闘は想定したくないけれど。

そうもいかないだろう。

荷車も引いて行く。

最悪の事態に備えて。

補給のための物資は、肌身離さず、手にしておいた方が良いからだ。

話が決まったところで、動くのは即時。坑道に入ってしまうと、もう朝も夜も無くなる。最悪の事態に備えて、幾つか手は打つけれど。

それらの全てを使い果たしても、なおも敵を倒せなかった場合を想像するのは、今の時点では止めたい。

一度、キャンプスペースを放棄。

柵などは残すが。物資は全て引き揚げる。

湧水の杯も分解してしまった。これは、鉱山の中で孤立した場合、生命線になる可能性があるからだ。

残しておいた最後の坑を目指して、進軍開始。

狙撃を想定もして動くけれど。

今の時点では、敵は動く様子も無い。山に入り込んで、まっすぐ最短距離で、残しておいた坑道へ。

敵影は無し。

気配もなし。

恐らく、強力な使い手同士が戦闘していることを、周囲のモンスター達も察していたのだろう。

巻き添えになるのを避けるためか、辺りは異様なほど静かだ。

これで決着がつけば、何処に潜んでいたのだと思いたくなるくらい出てきて、負けた方の死骸を貪り始めるのだろうけれど。

山に入った時点で、ハンドサインに切り替え。

罠を踏まないように、慎重に進む。

シェリさんがハンドサインを出してくる。

敵が地上に出てきた形跡は無し。探知魔術には、触った痕跡がない。少なくとも、ミミさんとの交戦以降。

敵は外に出てきていない。

一刻も掛からず、比較的起伏に富んでいる山を突破し、坑道に到達。此処を残したのは、入り口が広くて、戦闘をしやすいからだ。

入り口の左右に展開。

まず、予定通りフラムを叩き込む。

爆裂。

爆風が入り口から拭きだしてきた。殆ど蝙蝠とかが騒ぐ様子が無い。強力な気配を感知しているから、近づかないのだろう。

しばしして、煙が収まった後。

ジーノさんは、堂々と踏み込む。

あまりにも堂々としすぎていて、傍若無人なほどだ。

ライアスが、側で小声で呟く。

「すげえな。 攻撃してくれって言っているようなもんだ」

「そう言っているんですよ」

ケイナが、同じく小声で返す。

メルルは、二人に対して、しっと口の前で指を立てた。今は、どんな小さな音でも、私語で会話するべきでは無い。

ジーノさんが戻ってくる。

わざと隙を見せて攻撃を誘っているのか。入り口に、背中を向けたまま、ハンドサインをいれてくる。

不意打ちを食らっても対応する自信がある。

だからこその、行動だ。

「敵影無し。 気配もなし」

「蜘蛛糸は」

「それもなし。 坑道の内部には、ひょっとすると糸を張っていないんじゃ無いのか」

そんな馬鹿な。

蜘蛛のモンスターは、糸を生命線にしている。振動で敵を察知して、強敵なら逃げるし、弱ければ襲いかかる。

待ち伏せ型のハンターであるタイプの蜘蛛にとっては、なおさらだ。

これがなければ、そもそも生活が出来ないのである。

坑道の中に糸を張り巡らせていないというのは、どういうことか。焼き払いながら進むため、相当な遅れが出ることも想定したのに。

入り口から入ると。

中は、非常に広くなっていた。

その上、四方八方に、別の方向へ通じた道がある。

城などでよく見られる、迎撃のための構造だ。守るために、これ以上都合が良い構造は、そうそうない。

すぐに手分けして、道を片っ端からふさぐ。

外から岩を持ってきて、塞いでいくのだ。

メインの、一番広くて奥に通じている坑道だけを残して、後は全て塞いでしまった後。ようやく、一息つけた。

相手の出方が分からない以上。

慎重すぎるくらいに動いた方が良い。

 

先行していたジーノさんが戻ってくる。

複雑な構造の鉱山だけれど。

要するに、蟻の巣と同じ。メインの大きな坑があって、それ以外は全て派生。そうしないと、放棄する前の主であった人間も。

今の主である蜘蛛も。

全容を把握できないのだろう。

サンプルとして、周囲にある鉱石を回収していく。色々な鉱石があるのだけれど、此処はウィスプストーンと呼ばれる貴重な鉱石がとれる。これはプラティーンと呼ばれる強力な金属の素材になるため、重宝するものなのだけれど。

しかしその一方で。

質そのものは、メルルから見ても良くないし。

何よりも、数が多くない。

この鉱山は、採掘が軌道に乗る前に放棄されてしまったのだ。

要因は、リザードマン族との紛争激化である。

マンパワーを割けなくなったアールズは、まだ採算が取れていなかったこの鉱山を放棄。そして、いつの間にか、モンスターに乗っ取られてしまった、というわけである。情けないやら、悲しいやら。

もっとも、この鉱山も。

全部人間が掘り返したわけでは無い。

今通っているのは、鍾乳洞に多少の手を加えた程度のものだ。鍾乳石などを全て切り出して外に出し。

通りやすいように、道にしている。

天井には鍾乳石が残っているし。

辺りも、天然洞窟だった頃の痕跡が、至る所にある。

鉱山を掘り返していた頃。

此処でモンスターの目撃例はなく。あったとしても、小さくて大した実力もない程度の存在だったらしいのだけれど。

今は、人間の方がよそ者だ。

ジーノさんはたびたび先行して、先を見てきてくれるけれど。

敵は、発見できない。

「敵影も蜘蛛糸も無し」

「妙ですね……」

「敵の気配は」

「それさえもない」

肩をすくめてみせるジーノさん。

何しろ、外のあの状況だ。今まで蜘蛛のモンスターに捕らえられて、山に引きずり込まれて喰われた動物は、たくさんいたはず。動物だけでは無く、モンスターだって、そうだろう。

だが、獲物の喰いカスや。

血の跡さえ残っていない。

「この坑道そのものを、奴が使っていないって可能性は?」

「それは、恐らくは無いかと思います」

「だろうなあ。 こんなに大きくて便利な坑があるのに。 他を使う理由がないもんな」

勿論、此処までは細かくハンドサインでやりとりは出来ない。

大体のニュアンスでの会話である。

もう少し、潜る。

ジーノさんには。もっと先行して、潜って貰う。

しばし、黙々と、荷車を引いて。

半日ほど、進んだ頃だろうか。

ジーノさんが、慌てた様子で戻ってきた。

「見つけたぞ。 すげえ有様だ」

 

充分に周囲を警戒しながら、進む。カンテラの光を失ったら、もう周囲は何も見えない。気配便りの戦いになる。

蜘蛛にしてみても、カンテラを真っ先に潰しに来るだろう。

だから今使っているのは、荷車に据え付けの、滅茶苦茶頑強な品だ。ここに来る前に、トトリ先生の手引きで、作ってきたのである。しかも灯りは魔術によるもので、壊れても周囲に引火しない。

トトリ先生のオリジナルの道具らしいのだけれど。

とにかく造るのに苦労した。

これだけで一週間以上掛かってしまったほどだ。

灯りはその分強烈で、勿論敵は此方に真っ先に気付く。当然奇襲は出来なくなるが、それは別に良い。

勿論、各自もポータブルカンテラを腰からぶら下げている。この辺りは、当然の装備である。

荷車を前に押し出すと。

巨大な空間に出る。

正確には、それを見下ろす坑道の出口に、だ。

其処は。

地獄だった。

膨大な蜘蛛糸が張り巡らされ。犠牲者の亡骸らしい白い繭が、彼方此方にある。人間の残骸があるかはわからない。この位置からでは、確認しようがないからだ。

「フラムを放り込んで、一度撤退します」

「空気が無くなるって奴だな」

「はい」

さて、問題は此処からだ。

ジーノさんは気配がないと言っている。つまり巣を放棄して、蜘蛛モンスターは何処かに行ったと言うことだ。

あれだけの心理戦を繰り広げてきた相手である。

単に負傷を癒やすために隠れている、などというのは、楽観が過ぎる。何か逆転の手を狙っている可能性は無いだろうか。

フラムを大量に放り込む。

魔術を使った時限式起爆装置を作動。

その瞬間。

シェリさんが、顔を上げた。

「奴が封鎖していた坑道の一角を破った!」

「!」

「どうやら力尽くで岩をどかしたらしい! そのまま高速で山頂へ向かって移動している!」

「何が目的だ……」

ジーノさんが言うのと。ザガルトスさんが、しまったと叫ぶのは、殆ど同時。

山そのものが、揺れ始める。

それで、メルルにも、何が起き始めているのかが分かった。

「早くこの場を離れて! シェリさん、後方に魔術のシールドを!」

「心得た!」

必死に走る。

だが、この様子では、恐らく間に合わない。ミミさんが一人飛び出して、残像を造りながら走るけれど。

しかし、それでさえ、遅かった。

入り口が、遠くで。

土砂に埋まるのが見える。更に、後方。蜘蛛の巣で、大爆発。山が更に揺れる。脆くなっている地盤が、とどめを刺される。

凄まじい揺れ。

この坑道は、人間が使えるように調整されているけれど。それでも生き埋めにされそうだ。

最悪の展開だ。

完全に、これで攻守逆転。

しかも、蜘蛛モンスターにとって、此方の今いる坑道はホームグラウンド。攻めるも守るも好き勝手に出来る。

「いかんな……」

シェリさんが呻く。

蜘蛛モンスターが此方の探知魔術を片っ端から剥がして、張り替え直しているという。奴が脱出した坑道については、大まかの位置は分かるそうなのだけれど。手元の地図を見ても、何処から行けるか分からない。

さらに、である。

先ほどの爆発で、鉱山内の空気が、一気に悪くなった。

当然の話だ。

「どうするんだ? 力尽くでぶち抜くか?」

ジーノさんが、崩れた土砂を顎でしゃくる。

メルルは、それもありかと思ったけれど。ザガルトスさんが、反対する。

恐らく、そのぶち抜いた瞬間を狙って。

あの蜘蛛は、狙撃してくるだろうと。

「これほどの土砂だ。 ぶち抜いた瞬間には、貴殿ほどの達人でも隙が出来る。 その状態であの鳥もちを喰らって、無事で済むか?」

「! 確かに、そうだな」

「かといって、この鉱山の一つだけの出口を調べていたら、絶対にあの蜘蛛モンスターの術中に填まるわよ」

「いや、それさえも許してくれないようだ」

シェリさんが、手元の立体映像を操作しながらぼやく。

どうやら、さきほど蜘蛛が脱出に使った坑道を、塞がれたらしい。間違いなく、蜘蛛の仕業と見て良い。

後は、此方の動きを鉱山の外側から確認しつつ。

弱ったところを襲って一網打尽、というつもりなのだろう。

戦略としては間違っていない。

頭に来るくらい鋭い蜘蛛だ。行動はいちいち的確だし、何より心理戦で追い詰めても巻き返してくる。

手元を確認。

荷車の中には、まだ発破がある。

八割方残っているこの発破を、全部使えば、或いは。

メルルは、シェリさん。ジーノさん。ザガルトスさんを、順番に見た。

「一か八かの勝負に出ます」

「聞かせてくれ」

不安そうにしているホムンクルス達。特に2319さんは、気の毒なくらい顔を青ざめさせていた。

だからこそ。

メルルが、此処で。やらなければならない。

「まだ体力が残っているうちに仕掛けます。 それに今なら、敵も負傷は癒えていません」

此処で、決着を付ける。

自分で穴を塞いだことを、今からあの蜘蛛モンスターに、後悔させてやるのだ。

 

ありったけの発破を、崩れた土砂に仕掛ける。

まだ起爆はしない。

シェリさんの話によると、蜘蛛モンスターは探知魔術を塗り替えながら、山を忙しく動き回っているという。

徹底的に此方を封じて。

弱ったところを叩くつもりなのだ。

だが、その手には載らない。

シェリさんは、時間を掛けて呪文を詠唱。そして、一刻ほど掛けて、ついに作り上げてくれる。

坑道を完璧に塞ぐ、超級の防御術だ。

「君達が魔王と呼ぶクラスの悪魔族なら、もっと素早く展開できたのだがな……」

「いえ、充分です」

更に、である。

ジーノさんとザガルトスさんが、全力で力を溜めている。タイミングは一瞬。失敗したらもう後がない。

側では、ミミさんが、息を吐いて。

恐らくトトリ先生に作ってもらったらしい、錬金術の道具に触れて、何かの魔術を発動していた。

防御か、加速か。

分からないけれど、両方かも知れない。

不安そうにしているケイナ。ライアスも、青ざめたまま一言も喋らない。

ホムンクルス達二人も。

此処からだ。

一瞬でも誰かがミスをしたら、全滅する。

数字を十から、順番に減らしていく。

3を切る。誰もが、緊張に顔を歪めた。だけれども、メルルは。不思議なくらい、落ち着いている自分に気付く。

メルル自身も、身をかがめた。

達人だけでも、素人だけでも出来ない作戦を、これから実施して。

そして、彼奴を倒して。

全員生還するのだ。

0。

同時に、起爆。

一瞬おいて、ジーノさんとザガルトスさんが、フルパワーでの一撃を、シェリさんの防御シールドにたたきつける。

発破の火力が飽和して、シールドをぶち抜いた瞬間。

それ以上の火力であるジーノさんとザガルトスさんの面攻撃が、押し返す。

威力は倍増。

灼熱の突風が、分厚い土砂の壁に叩き付けられて。その全てを、根こそぎ消し飛ばした。

ミミさんが、飛び出す。

遅れて、他の全員も。

ミミさんに、真横から、鳥もち糸が叩き付けられる。

完璧なタイミングだ。

そして空中にいるミミさんが、避けられる筈がない。矛で払うけれど、威力までは殺しきれず、吹っ飛んだ。

しかし、これで敵の位置は特定できた。

飛び出したジーノさんとザガルトスさんが、続けて衝撃波を放ち、振ってくる土砂を蹴散らし続ける中。

先頭をシェリさん。

そしてメルル、ケイナ、ライアスの合計四名が、真横に。

見える。

巨大な蜘蛛のモンスター。体長はメルルの三倍はある。そして全身に纏う強い魔力。確実に以前交戦したグリフォンより格上の強大なモンスターだ。

尻を持ち上げているのは。

鳥もち糸を発射する瞬間、ということである。

発射。

凄まじい閃光。シェリさんが、シールドではじき返したのだ。だけれど、シェリさん自身も、ミミさんと同じように吹っ飛ばされる。

だが、これで。

メルル達三人と蜘蛛の間に、障害物が無くなる。落ちてくる土砂は、ジーノさんとザガルトスさんが、剣撃で全て処理してくれる。

「おああああああああっ!」

ライアスが叫ぶ。

三人、誰を狙うか。

一瞬躊躇する蜘蛛モンスターだが。その狙いは、ライアスではなかった。

「メルル!」

叫んだケイナが、メルルを横に押す。

嫌にスローモーに。とっさに鞄を構えたケイナが、吹っ飛ばされ。岩に叩き付けられて、盛大に吐血するのが見えた。

ケイナ。

叫びながら、メルルはそれでも敵に向け走る。足が欠損している蜘蛛のモンスターは、冷静に動き。

ライアスの拳を軽々と受け止めると、空中で旋回させて、器用に放り投げる。

だが、その時。

左右から殺到した2111さんと2319さんが、クロスするようにして。

ハルバードとポールアックスで。

巨大な蜘蛛の体を、左右から貫く。

本命は、この二人。

目立つ正面からわざわざメルルが仕掛けて。その先頭に手練れのシェリさんが入ったのは、それが理由。

そうしないと、探査魔術を張り巡らせている蜘蛛の注意を、反らせなかったのだ。

悲鳴を上げてのけぞる蜘蛛が、それでも体を無理矢理持ち上げて、ホムンクルス二人を吹っ飛ばす。

やはり、防御は脆いか。

蜘蛛の目が、メルルを捕らえたときには。

メルルは既に、シェリさんに教わった「溜め」の歩法をこなし。

そして、ユニコーンチャージの体勢に入っていた。

「いいいっけええええええええええっ!」

「ギャアアアアアアアアッ!」

蜘蛛が、ラウンドシールド状の魔術シールドを展開。この一瞬で、自分の身を守る壁を、至近に作り上げたというのか。

かまわない。

全力で、一撃をぶち込む。

激しい競り合い。

だが、一瞬で造った盾だ。

更に、後ろから、ライアスが蜘蛛の背中に乗ると、其処からフルパワーでバンカーを叩き込む。

今の音、蜘蛛の体を貫通したはずだ。

その証拠に、シールドが砕け。

メルルのチャージが、蜘蛛の牙の間に、もろに直撃。そして、頭を貫通して、その中身を後方に吹っ飛ばした。

ライアスがそれを浴びたが、今は謝っている暇も時間もない。

両腕に、激痛。

口の中にチャージしたのも同然だ。当たり前だろう。

更に、吹っ飛ばされながらも体勢を立て直したホムンクルス二人が、左右から蜘蛛モンスターを滅多刺しにする。

吹き飛ぶ鮮血。

内臓。

メルルも杖を無理矢理引き抜くと。血まみれの腕で、振り上げる。

「これで!」

断末魔の一撃。蜘蛛が、牙を延ばして、メルルの脇腹と肩を貫く。凄まじい痛み。毒だ、恐らくは。

だが、回りきる前に。

殺る。

「終わりだあああああっ!」

フルスイングで、折れた前足の一つをへし折りつつ。蜘蛛の複眼がある辺りを、ぶち抜く。

頭を全て失った蜘蛛モンスター。

しばし、その巨体は、立ち尽くしていたけれど。

やがて、その場に、倒れ臥していた。

へたり込む。

呼吸を整える。

此方に走ってくるのは、ミミさんだ。荷車を回収して、持ってきてくれている。

「ケイナを……」

そう言うだけで、精一杯。

勝った。

でも、あまりにも。

苦しい戦いだった。

 

目が覚めると、キャンプスペース。手にも肩にも包帯が巻かれている。ぼんやりしているのは。まだ、解毒が出来きっていないからだろう。

隣を見ると、ケイナが寝かされていた。

覚えている。

派手に吐血していた。

あの距離から、超高速で射出される蜘蛛糸をもろに喰らったのだ。更に背中から、岩にサンドイッチされた。

息は、あるようだけれど。

一度裸にして、包帯を巻いたのだろう。痛々しいほど、体中がダメージを受けているのが分かった。

他に手は無かった。

でも、これは。

メルルの責任だ。

悔しくて、涙が出る。もっと強ければ、選択肢は他にあった。相手を動物だと判断して、結果として罠にはまった。まさか、獣が巣を完全に放棄して、此方を殺すためだけに全力で知恵を絞ってくるなんて。でも、柔軟に考えられなかったメルルの失敗である事に、違いは無い。

心理戦でも、終始上を行けなかった。

自分の武勇も、足りなかった。

もっと速く走れていたら、ケイナが吹っ飛ばされる前に、敵に到達して。一斉攻撃で、手早く仕留められていたはずなのに。

何もかもが足りない。

気付くと、ミミさんが見下ろしていた。

「痛むの?」

「傷なんて、何ともありません」

「……そうね。 でも、部下のために泣くことが出来る王族は、あまりいないし。 私としても、貴方に会うことが出来たのは嬉しいと思うわ」

不幸の中で、そう言って貰えると、嬉しい。ミミさんの笑顔も、少しだけ柔らかい印象を受けた。

ケイナは意識さえ失っているけれど。

受け身はかろうじてとれた様子で。内臓にダメージは大きくないという。

ケイナだって辺境戦士だ。

多少内臓にダメージを受けたくらいなら、治る。

2319さんが入ってきて、ケイナの手当を始める。メルルが造ったお薬で、傷は急速に回復している様子だ。ミミさんが言われて、リネンを持っていく。外では湧水の杯を組み直して、煮沸消毒しているらしい。

この辺り、ベテランが一緒にいると助かる。

「おーい、ちょっといいか?」

「!」

無遠慮に天幕に入ってこようとしたジーノさんを、ミミさんが殴りつけて、地面にめり込ませる。

慌てて裸だったケイナに毛布をかぶせた2319さん。

メルルも包帯だらけだけれど、ちょっと男の人に見られるのは嫌かも知れない。

側にある毛布を被る。

「何か用事ですか?」

「あー、すまん。 今裸だったな」

「良いから天幕の外から報告!」

「わーってるよ! 悪かったな!」

ぶつぶつ言いながら、ジーノさんが天幕を出る。

そして外で胡座を掻いて、それから報告してくれた。

鉱山の中を調べて見たところ。

奥に、未知の扉があると言う。非常に巨大で、現在の技術で作れるものではないそうだ。

「十中八九遺跡だぜあれ」

「遺跡というと、あの古代文明の?」

「そうなるな。 世界を破滅させた戦争の前に造られた、すげえ技術の産物。 で、あの様子だと、多分中はまだ調べられていないだろうな。 中には高確率で邪神がいるぜ」

「厄介ね……」

ミミさんが呻く。

邪神。

古代の遺跡に住まう遺産。その姿は一定しておらず、人間に友好的な場合も、極端に敵対的な場合もある。

そうか。

あの蜘蛛は、鉱山の奥にある遺跡の邪神が、番犬として繰り出してきたものだったのか。そうなると、以前鉱山を開発していたとき、襲われなかったのは。多分、遺跡が見つからなかったから、なのだろう。

何かしらの理由で、放棄した鉱山の中で、遺跡への入り口と坑道がつながって。

遺跡の邪神が、人間の気配を察知。

身を守るために、番犬を出した。

それならば、全ての話につじつまが合う。

「いずれにしても、邪神の戦闘力はこの面子だと話になんないぜ。 前は国家軍事力級二人と、それに匹敵する火力の持ち主一人、手練れ数十人にホムンクルス数十人で、やっと倒せたくらいだ」

「!」

「戦うにしてもそうじゃないにしても、トトリに出馬を頼むんだな、姫様」

頷くと、メルルは、まずは歩ける程度に傷を治すことにする。

案の定、手指もひどいダメージを受けていたけれど。

一週間ほどで回復。

その間に、2319さんと2111さんに、アールズ王都に、口述した書状を運んで貰った。

一旦の報告だ。

その後、ジーノさんとシェリさんが、鉱山全域に探査魔術を張り巡らせ。更に、遺跡の入り口は、防御魔術で念入りに固めた。

食糧はまだまだある。

ただし、一度戻る必要はあるだろう。あの蜘蛛モンスタークラスの敵がわらわら湧いてきたら、文字通り手に負えない。

トトリ先生がこのメンバーに加わるか、或いはクーデリアさんの出馬を願う事になるだろう。

いや、それでも厳しい。

さっきのジーノさんの話を聞く限り、邪神と戦う事になったら、それこそアールズが総力を挙げないと無理だ。前線の負担は増えるが、一瞬でも良いからとにかく隙を作って、その間に全力で潰すしかない。

とにかく、どういう邪神が遺跡にいるのか。

それを突き止めて。

交渉できるようなら、しなければならない。

トトリ先生と、何よりルーフェスとの相談が絶対に必須だ。メルルだけで決めて良いことではない。

既にケイナも目を覚ましている。ただメルルより重傷で、まだ少し歩くのがぎこちなかったが。

メルル自身はもう完治。

2111さんと2319さんが戻り次第、王都に急ぐ。

ライアスとケイナ、2111さんと2319さんにだけ、一緒に帰路はついて来て貰う。

ミミさん達四名は、このキャンプスペースで状況観察。ハトを渡してあるので、いざというときはそれを飛ばして貰う。

これは、また遺跡から、あの蜘蛛のモンスター級の敵が出てきたとき、対処して貰うためだ。

今回は此方に地の利があるので、前回のようには行かないだろう。しかも、既にミミさんもジーノさんも、あの蜘蛛のスペックは覚えたという。それならば、次は有利に戦える筈。

だけれども。ミミさんはいう。

下手をすると、あのクラスのモンスターが多数、遺跡の中に控えているかも知れないと。

戦うのは、出来れば避けたい。

今のアールズの状況では、戦闘できる相手では無い。

ホムンクルス達が戻ってきたので、一緒に帰路を行く。頼りになる先輩達には悪いけれど、補給がある。

勿論、それを済ませたら、真っ先に戻る予定だ。

鉱山の安全を確保できれば、アールズの資源はかなり安定する。問題は送り込む人員とその経路だけれども。

それはこれから解決していけば良い。まだ農場の経営が安定していないのだ。それからでも遅くは無いだろう。

「ごめん、ケイナ。 迷惑掛けたね」

「ううん、メルルを守りきれなくて、すみません」

「いいんだよ。 そんな事は」

ケイナは命がけでメルルを守ってくれた。

それはメルルがこの国を導く存在だからだ。だからこそ、メルルも彼女に恥じない王族にならなければならない。

荷車を引いて歩いていると、2319さんが言う。

「私も、今回は迷惑を掛けました」

「ううん、良いんだよ」

「今後は、貴方の下で専属の仕事を出来るように、2111と相談して、申請してきました。 クーデリア様が飲んでくだされば、受理されると思います」

思わず顔を見直す。

2319さんは、不器用に笑みを浮かべた。

「貴方なら、安心して命を預けられそうです」

嬉しかった。

王族として頼りない自分だけれど。こんな風に言ってくれる人が、国外から出てくるなんて。

今後も、メルルは、自分を高めていかなければならないだろう。

そうでなければ、他の人よりいいものをたべて。

いいものをきて。

税金で豊かな生活をする事が出来る。

そんな立場にいることは、許されないし。

こうやって、信頼してくれる人を。忠義をつくすことを決めてくれた人を。裏切る事になるのだから。

出来るだけ急いで鉱山に戻ろう。

トトリ先生を連れて行けば、何か案はあるはず。ルーフェスも、妙案を出してくれる可能性がある。

可能な限り速く問題を解決できれば。

それだけ、アールズが置かれている環境は、改善されるのだ。

 

(続)