夕焼けの大地

 

序、進軍

 

二毛作の第一陣が収穫され始めた。メルルも耕作地帯へ向かって、その状況を確認する。

拡がった大地に。

黄金の稲穂が垂れ。

多くの人々が、収穫をしている。既に三千を超えている、受け入れた難民達だ。これからこの食糧は蓄えられ。更に流れ込んでくる難民達を支えるための食糧として機能していくのである。

難民達の状況はどうか。

護衛をしている悪魔族の戦士や、冒険者達に、メルルは話を聞く。悪魔族の指揮を執っているバイラスさんは、メルルの話を聞くと、腕組みして少し考え込んでから、答えた。

「必ずしも、難民が幸せな状況とは言いがたいな」

「聞かせてください」

「極限状況は変わっていないからだ。 確かに今までと違って、現地の住民から直接のけ者扱いされることも、食糧が足りずに餓死者が出ること、医薬品が足りずに死んでいく者、そういった悪意による淘汰は無くなった。 食糧は足り、娯楽もあり、周囲の危険からも保護されている。 だが、一歩この地域をでれば、外は抗いようがない悪夢のようなモンスターの群れと、前線が突破されれば皆殺しにされるしか無い状況には、なんら変わりが無い」

顎をしゃくられて、見る。

子供は子供で。

女性は女性で。

仕事をして貰っている。

アーランドやアールズでは、基本的に十四になれば一人前で。そうなる前から、実戦に連れていったり、様々な仕事をさせる。

そういえばトトリ先生は、十三で錬金術師としては一人前とされて、活躍をしていたそうである。

流石に、辺境で育った強靱な子供と同じ事はさせられない。

だが、たとえば糸巻きとか。

塵拾いとか。

荷車を使って、運ぶとか。そういった力をそれほど必要としない仕事を、様子を見ながらやってもらっている。

基本的に食糧は配給制だが。

仕事をこなした量によって、配給される食糧には色がつく。現時点で、その辺りでは、不満は出ていないと聞いていた。

だが。

バイラスさんがいうのも事実だ。

「それに、彼らにしてみれば、辺境の戦士達や我々は、絶対に逆らえない怪物で、その気になれば一瞬でミンチにされるしか無い相手でしかないからな」

「……」

分かっている。

此方としては、難民達の事を可能な限り考えて。

総力戦にどれだけ力を貸してもらうかを、考慮しながら仕事を進めている。住居も仕事も不足無く。

難民達の間から募って、子供達に教育もして貰っているし。

スキル持ちは優遇したり、或いは娯楽の充実も図っている。

だが、それはあくまで、籠の中の話。

スピアが現れてからでさえ、列強諸国と南部辺境諸国は犬猿の仲で。協力態勢が確立したのも、列強の重要人物、ガウェイン公女による奔走がゆえ。戦況が決定的になっても、列強諸国はアーランドが延ばした手を取ろうとさえしない国が多かった。

もしも、もう少しガウェイン公女の行動が遅れていれば、殺されていた難民の数は十倍になっていたとさえ言われている。

メルルも、それは知っている。

だから、このどうにもならない状況には、苦悩しか無かった。

顔を上げる。

前向きに考えよう。

そう思うことで。少しは状況を良く出来る。ましてやメルルは、ダイレクトに状況を改善出来る立場なのだ。

「出来るところから改善していきましょう。 何かあったら、すぐに連絡してください」

「うむ……」

バイラスさんが目を細める。

この巨躯の悪魔族戦士は。とても昔言われていたような、理性も無く人を喰らう怪物と同一存在とは思えない。

対立は、相手の姿を幾らでも歪める。

悪魔族が、戦士として荒々しくはあっても。一方で自然の回復に命を捧げ、理知的な側面もある事を、今のメルルは知っている。

耕作地を廻りながら、他の人にも話を聞く。

これから、更に千人。周辺諸国から難民が来る。耕作地での収穫が予想以上という事もあって、前倒しで計画を進めるのだそうだ。その話は、見回りをしている冒険者達も知っている。

彼らの中には、メルルに主体性が無い愚痴だけを言うケースもあった。

だけれども、それも構わない。

それだけ大きな不満が、彼らの中にあると言う、重要な証左なのだ。国家第一の使徒が王族である以上。

民の心を知らぬ事は、許されない。

難民に対する嫌悪が厳然とある。

それはメルルが知っておかなければならないことなのだ。

一通り話を聞いた後。

難民達の所に行く。

彼らの中には、まとめ役をしている人間もいる。列強諸国で政治家や王族をしていた人間や。

それに技術者だった者達だ。

医者や学生グループの長なども、まとめ役になりやすいようである。

ルーフェスから報告を受けている。

2111さんと2319さんと一緒に、報告を聞いて回る。何人かは、此方に腹を割って話してくれる様子は無かったけれど。

一人。

やたら目つきが鋭い男性が、印象に残った。

彼は医者でも学生でも、社会上層にいた人間でもない。難民が南部辺境諸国に逃げ込み始めてから、頭角を現した人間で、元々は貧しい特に取り柄もない人物だったのだという。

無精髭だらけの顔は。

意図的にそうしているようだった。

「アルパマさんですね」

「あんたが、噂に聞く錬金術師のメルル姫か」

「メルルリンスです。 よろしくお願いします」

「……」

握手をした後、不満等が無いかを聞いていく。

あるに決まっていると言われたので、何でも言ってくれと答えた。そうすると、遠慮無く。整理された問題点を言い始める。

面白い事に。

バイラスさんが言っていたことと、殆ど差がなかった。

「俺たちは籠に入れられた鶏だ。 あんた達は配慮はしてくれているが、所詮は鶏に対する配慮でしかない。 俺たちは家畜じゃねーんだよ」

「ならば、外のモンスターの脅威はどうします? 荒野に覆われた世界で、ようやく此処まで緑が戻ったのに、無秩序に食い荒らして、また地獄を呼び戻しますか?」

「それは正論として分かってる。 だがな、俺はあえて感情論を口にしてるんだ。 そして此処にいる連中はそれが全てなんだよ」

「ふむ……」

口調は荒々しいけれど。

参考になる。

メルルは怒っていないし、アルパマさんもしかり。むしろ、やきもきしているのは、一緒に来ているケイナとライアス。2111さんと2319さんは、感情的に見えて冷静に話をしているのを悟っているからか、何も言わず、黙ってやりとりを見守っている。

「参考にさせていただきます」

「ああ、頼む。 正直あんたとやり合おうって気は今のところはねえ。 だけれどなあ、この状況があまり長く続くと、多分火がつく。 そうなると、あんた達が如何に強くても、抑えられなくなるぜ」

ライアスが眉をひそめるけれど、メルルは笑顔のまま。

分かっている。そんな事は。

難民達が、自分たちを籠の鶏と考えていて。此方の気まぐれでいつ殺されても不思議では無いと思っているのは、良く理解できた。

そして辺境戦士達の中にも、難民に対する不満を抱えている者が多いことも、これではっきりした。

今は安定している。

しかし、その安定も、永遠では無いだろう。

耕作地をでる。

咳払いしたのは、ケイナだ。

「三千でももうこんなに大変なのに、更に千人以上を前倒しでこの国にいれるなんて」

「ケイナ、不満?」

「不満です。 あの人達の言う事もわかりますけれど」

お城の侍女の中にも、ケイナと同じような不満を口にする人は多いという。

更に、これはルーフェスから聞いたのだけれど。

難民の中にいる元軍人を募って、基地の後方支援作業をさせようという話も上がっているそうだ。

これは、難民達を守りながら敵と戦うと言う事に、不満を抱えている層が、口にした案で。

要するに自分たちでも危険を背負え、と言いたいのだろう。

だけれど、メルルはそれには反対だ。

彼らは元々、戦乱とは離れ。モンスターとも遠い世界で生きてきた民だ。それならば、相応の平和を此方で用意して、その代わりに生産作業に注力して欲しい。適材適所、と言う奴である。

どうやら感情論は、双方で根深く。

下手に刺激すると、恐らくトトリ先生が造ったフラムのように、大爆発しかねないだろう。

王都に入る。

既に拡大作業が開始されている。今の城壁の外側に新しく城壁を造り始めているのだ。とはいっても、些細な規模で。

見張りと、当面の敵の食い止め以外は考えていないものだが。

そのまま解散して、メルルはお城へ。

途中で、知らない人と結構すれ違う。難民達の代表もたまに王都に来るようだし、国家規模が大きくなっていくなら当然だ。

ルーフェスの執務室の前には、何人か並んでいた。

メルルは横入りせず、状況を確認。

少し待っていると。

流石にルーフェスの処理能力だ。すぐに待っていた人達は捌けた。

「姫様、外でお待ちだったのですか」

「そうだよ。 王族がルールを破ったら示しがつかないからね」

「それはそうですが。 分かりました、今後は予約制にします。 姫様は事前に、面会の時間をご指定ください」

大げさな。

ルーフェスは、現状の難民達の心理を、どれだけ把握しているのだろう。今日見てきたことを話すけれど。

そうすると、意外な言葉が返ってきた。

「人間の欲には際限がありません。 彼らへの譲歩は、ある程度の所で切り上げる事も重要かと思います」

「詳しく聞かせてくれる?」

「今、我々は可能な限りの譲歩をしています。 それでありながら、不満を口にするのは、彼らの身勝手でしかありません」

正論だ。

だが、今彼らの中に渦巻いているのは、感情論だ。

そして恐らく。

アールズの中で、難民に対する不信が渦巻いているとしたら、それも。

誰もが、本当は分かっている筈。

今は争っている場合では無い。スピアの魔軍はあまりにも強大。アーランドが南部諸国の盟主となり、強大な軍事力をひっさげて防いでくれているけれど。それも、本来だったら、あり得ない状況だっただろう。

あり得たのは。

とてつもない敵がいるからだ。

そしてそのとてつもない敵は、あらゆる手段で、此方を皆殺しに掛かってくる。彼らが通った跡は、文字通り雑草一株も生えない。

「ルーフェス、私もそれは正しいと思う。 でもね。 難民達の中で渦巻いている感情論をどうにかしないと、いつか爆発すると思う。 此方が譲歩する以外で、何かいい手は無いかな」

「まず、同じ難民を、一カ所にとどめないようにします」

なるほど。

悪事を共謀するには、集団が長時間同じ場所にいる必要がある、というわけだ。しかし、家族を引き離すのは気の毒だ。

それを説明すると、ルーフェスは微かに笑う。

「そのような野暮はいたしません。 現在、畑作業に従事する難民は、担当場所を毎日変えるようにしています。 愚痴を言い合うにしても、知らない人間同士では、そう盛り上がらないものです」

「ふむ……」

「それに加えて、問題行動を起こしている難民は既に全員がマークされています。 現時点では何もしませんが、問題が発生した場合には、措置を執ります」

それは、正直仕方が無いだろう。

実際に犯罪を引き起こす難民は珍しくない。

アールズの法で現時点では裁くことが決まっている。幸い、魔術師の中には、相手の心を覗ける者もいる。

危険な魔術なので、基本的には裁判の時くらいにしか使用は許可されないのだけれど。コレのおかげで、かなり裁判は簡略化できる。

今の時点では、死刑判決が出た難民はいないけれど。

手枷足枷をつけられて、隔離されている難民は、少数いる状況だ。

「それと、今回の農場への移送ですが。 これで千名ほどを動かして、様子を見ます」

「大丈夫、一辺にそんなに動かして」

「既に姫様のおかげで準備は整っております」

「……分かった。 ただ、何か問題があったら、すぐに知らせるようにね」

用事は済んだ。アトリエに戻る。

戻ると、メルルはベッドに懐く。何だか非常に面倒くさい事になっているような気がしてならない。

どうして、目の前に巨大な敵がいるのに。

感情論をぶつけ合っているのか。

一なる五人という存在が、高笑いしているかのように思える。

人間は、かくも愚かだと。

 

1、農場へ

 

トトリ先生が、メルルの所に、参考書を持ってきた。

栄養剤に関するものだ。

予想はしていた。だが、ついに来たか。

此処で言う栄養剤とは、土地を一時的に豊かにして、植物を育てるだけのものではない。大地に力を取り戻して、森を作り上げるためのものだ。

そのために、多くの先人達が苦労して。

更にトトリ先生の師匠であるロロナという人の尽力もあって。近年、飛躍的に栄養剤は進歩したという。

トトリ先生は緑化に関しても経験はあるそうだけれど。

やはりトトリ先生の師匠の手腕には及ばないと、自分でも認めているようだった。この人が及ばないと認めるその人が、どれだけの化け物なのか。錬金術をはじめてみて、その凄まじさがよく分かる。

「恐らく、当面は農場の地力を整備することに、注力して貰うと思う。 メルルちゃんがグリフォンを退治したことで、周辺の大物モンスターは縄張りを縮小して距離を取っているようだし、小物は現地に駐屯する戦士やホムンクルス達で充分に手に負える相手だからね」

「分かりました。 尽力します」

「時にメルルちゃん。 湖の南西部分だけれど、どうやって調査するの?」

来たか。

トトリ先生はソファに座ったまま、笑顔を浮かべている。メルルはそれに対して、しばらく悩んだ後、言う。

「今、つけて貰っている護衛の戦力だけだと、悔しいけれど足りません。 出来れば、もう何人か手練れが来て欲しいですけど」

「シェリさんに声を掛けようか?」

「! 出来るんですか」

「ルーフェスさんと相談だね。 後、メルルちゃんに興味を持って、護衛を申し出てきている戦士が何人かいるみたい」

それは、ありがたい。

あの湿地帯は魔境だ。

実は少し前に、ライアスとケイナを連れて、耕作地帯から見てきたのだ。そして、分かった。

現時点では、入り込んだら、まず生きて帰れない。

手練れのサポートがいる。

それに、できれば。

あの湿地帯の周辺の荒野を緑化する事も、今後は視野に入れたい。トトリ先生レベルの錬金術師の力が必要になるとは思うけれど。

緑化作業が成功すれば、リス族や兎族に入植して貰い、周辺の安全を確保するという手を打てる。

それはかなり大きな手だ。

とにかく、一つずつ進めていく。

まずは栄養剤について。

 

トトリ先生に、一つずつ教わっていく。

栄養といっても、土地に草が生えやすくするためだけのものではない。土地そのものを強くするもので、様々な錬金術的な措置を加え。更に言うならば、其処から色々な形状に分岐する。

液体として撒くもの。

固形物として地中に埋め、長期的に土地の力を高めていくもの。

この固形物タイプは、ブロック状になり。かなり大きな栄養剤として、十年単位で周辺の土地を豊かにしていくものもあるという。

教えて貰うけれど。

かなり難しい。

栄養を圧縮するのだけれど。

その栄養は、生き物なのだという。

「だから、熱を加えすぎたりすると、死んじゃうんだよ」

「それだと、調合の手段が限られてきますね」

「そう。 特定の薬品とかもいれると、一発でパーになることもある。 だから、細心の注意が必要だよ」

トトリ先生に、更に念押しされる。

頷くと、メルルは。

順番に、作業を始めた。

まずは一番簡単な栄養剤から。

順番に作業を進めるけれど。まず驚いたのは、釜の出力を極限までしぼらなければならない、ということだ。

材料も普段想像するものとは違う。

発酵をコントロールする作業もあるから、アトリエ内部の換気に気をつけるように言われた。

「いい、臭いがひどい、程度じゃ済まなくて。 場合によってはその場で失神して、あの世まで直行ってケースもあるからね」

「うわ、怖い、ですね」

「うん、怖い作業だよ。 でも慣れれば大丈夫だから」

トトリ先生は、笑顔のままだ。

そしてトトリ先生は、これをメルルよりずっと若い頃に、師匠もあまり手伝ってくれない状況でこなしていたのだ。

正直へこむ。

まず、順番に作業をこなして。

本当にひどい臭いがしてきたので、げんなりする。鼻が曲がりそうだけれど、それでも我慢。

換気については、ケイナに任せた。

「台所にひどい臭いがついてしまいそうです」

「ああ、それは大丈夫。 其処の装置を押して」

「これですか?」

ケイナがスイッチを押すと、外に空気が出て行く。

なにやら、自動で廻す装置らしい。換気を行うための仕組みだそうだ。これで、台所にひどい臭いは入らないのだとか。

でもこの機械は、トトリ先生が造ったものではなくて。

ハゲルさんが造ったものだそうだ。

動力部分は、トトリ先生が、擬似的に生命を与える仕組みを用いたそうだけれど。いずれにしても、凄い。

北部の列強では、まだ古い時代の機械が使われていたらしい、のだけれど。

こうしてみると、錬金術も捨てたものではない。

というか、むしろもっと凄い部分もある。

「発酵を促進した後、栄養を固定するの。 いれる中間液を、間違わないように、順番に分量を守って入れて行って」

「はい」

トトリ先生が、珍しくもの凄く細かく教えてくれる。

逆に言うと。

コレがそれだけ、とても重要な調合、という事だ。

一段落。

どろりとした、緑色の液体が出来る。コレを地面に垂らすことで、すぐに草がいっぱい生えてくる、とか。木がにょきにょき生長する、とか。そんな事はない。

まず土に栄養を与え。

悪魔族の手で毒素を取り去り。

何処でも生えるような強靱な草を植え込んで、基礎を造った後。虫や、他の栄養を入れて行く。

徐々に植える草の種類を増やし、動物をいれて。

低木にし。

最終的には、木々が緑為す森へと変えていくのだ。

勿論土地によってもやり方は変えなくてはならなくて。それはジェームズさんらの本職がすることになる。

トトリ先生が、たるを見せてくれた。

中には、今のみどりの液体がたっぷりである。

「臭いはあまりしませんね」

「発酵の段階で消えるんだよ。 ちなみに馬糞とかも材料には使ってる」

「えっ……」

「そのままでは使わないよ。 発酵させて、こなれさせてから、だけれど」

そのまま、荷車に積み込むトトリ先生。緑の液体がたっぷり入ったたるは、かなりメルル達辺境の人間から見ても重いのだけれど。

トトリ先生は、一人で三つ四つとかついで行きそうな勢いで。

次々と荷車に積み込んでいく。

こんな細い体で、どうしてこのようなパワーがでるのか、不思議でならないけれど。それもまたトトリ先生だ。

メルルも手伝って、たるを積み込む。

そして、トトリ先生は、東門で待機していた輸送部隊に引き渡していた。

「多分ルーフェスさんからお仕事が近々来ると思うけれど、メルルちゃんは、これから栄養剤をそうだね。 十たるくらいは作る事になると思う。 難しいのは私がやるから、一番簡単な奴から、ね」

「はい!」

十たるか。

かなり大変そうだけれど、それなりにやりがいもありそうだ。何より、メルルには、これから湖周辺の探索を完成させる仕事もある。

ルーフェスがどちらを優先しろと言ってくるかは分からないけれど。

それでも、忙しい日が来るのは、間違いない所だ。

後は、栄養剤をひたすらに勉強。

調合するけれど、やはり駄目出しを何度も貰う。チェックポイントを教えて貰って、後は自分でやるようにと言われて、其処まで。トトリ先生は、棒を手にして、外に出て行った。

また、戦うのだろう。

調合のしすぎで、頭がくらくらする。

特にひどい臭いが、はなについてしまっていた。ケイナを誘って、銭湯に行く。かなり人が入っていて、賑やかだ。

アーランドから来た人の中には、毎日銭湯に入る人もいると聞いている。

それならば、賑やかになるのも当然だろう。

そういえば。

トトリ先生も、アトリエの中にお風呂を造るとか言っていたか。銭湯まで行くのも億劫だ、というのがあるらしい。確かにトトリ先生、自分用の釜に向かっているときは、もの凄い速度で動き回っているし、それなりにつかれているらしい。

そういうものだ、ということだ。

つまり上級の調合になってくると。

トトリ先生ほどの人でも、疲れ果てると言う事なのだろう。

「メルル、適当な所で上がりましょう」

「うん。 ごめんね、ひどいにおいさせて」

「植物が、発酵させた排泄物を好むのは知っています。 我々とはあらゆる点で違う生き物なので、仕方が無いですよ」

「そうだね」

確かに、その通りだ。

そして今の世界は。

植物の助けが無ければ。復興などしない。

 

ルーフェスの所に出向く。今度は予約を取っておいたので、すっと話に入る事が出来た。

それにしても連日の激務だろうに。

この国を事実上廻している若き宰相は、疲れている様子も無い。

「ルーフェス、来たよ」

「姫様、まずは此方を」

ルーフェスが、早速示してきたのは、農場の少し南。以前メルルが発破で崩した辺りだ。補修が終わったらしい。

そして、此処から西を調べて欲しいと言うのだ。

「湖の西端付近に、現在使われていない鉱山があります。 其処への経路を、確立して欲しいのです」

「分かった、すぐに取りかかるね」

「しかし、姫様。 護衛の手は」

「あ、そうだった」

忘れていた。

ルーフェスが咳払いすると、手を叩く。入ってきたのは、アールズの兵士だ。どちらも中堅所で、城を守る仕事に就いている。ライアスの大先輩で、実力は二人とも、ライアスよりずっと上だ。

二人かと思ったのだけれど、違うと言う。

「我々が、これから東の森の調査に出向きます。 シェリ殿によると、そろそろ調査が完了するとかで、後は引き継ぎをすれば良いそうです。 我々は残ったメンバーの護衛に当たります」

「あ、そうなると」

「シェリ殿に護衛に当たって貰います。 知っての通り、彼は悪魔族。 人間とは違う部分も多いので、お気をつけください」

何度か稽古をつけて貰ったが。

まだまだシェリさんには及ばない。ただ、シェリさんの実力は、ハゲルさんより少し上くらいとみた。

もう一人くらい手が借りたい。

そう言うと。

ルーフェスは少し考え込んだ後、手配をどうにかしてみると言ってくれる。或いは、ホムンクルスの戦士かも知れない。

もう一人ホムンクルス戦士が来てくれれば、かなり楽になる。

「農場の方は良いの?」

「現時点では、トトリ殿にお任せしています。 ただ、姫様の納品なさる栄養剤次第では、どんどん姫様にお仕事をお任せしたい、とのことです」

「え、いいの」

「探索に行く際に、一緒に栄養剤を納品なさると良いでしょう。 恐らくそれで、かなり作業の時間を短縮できるはずです」

しかし、メルルが使っている荷車には、探索用の装備も積んでいく。そうなると、たるは三つか四つ、工夫しても五つしか乗せられない。要求されているのは十たるだから、半分しか持って行けない事になる。

やはり、事前にある程度作り置きして、納品しておいた方が良いだろう。

城を出ると、栄養剤の作成に掛かる。

すぐには無理だと分かっていても。

確実にスキルがついてきているのも、メルルは自覚している。そもそも、絶対に無理だと判断されていたから、今までは教えてくれなかったのだろう。それを教えてくれたのだ。力がついてきている証拠だ。

栄養剤の合間に、お薬も造る。

少しずつお薬の品質が上がっていて、出先で重宝するようになって来ている。今回も、ある程度持っていく。

今度の調査は。

いつもよりも、楽しくなりそうだ。

五たるの栄養剤が揃ったのが、七日後。トトリ先生に言われたチェックポイントは、一応クリアした。

最初に三たる分くらいの素材を無駄にしてしまったのがきついけれど。それでも、残りは無駄にならなかったし。

これからも、無駄にしない。

荷車にたるを積み込むとぎちぎちだ。今回は食糧に関しては、農場付近のキャンプスペースで受け取る手はずになっているので、ある程度節約できるけれど。それでも、ぎちぎちに代わりは無い。

ケイナとライアス。2111さんと2319さんに声を掛けて、外に。

農場で残りの二人とは合流する予定だ。

途中までは、大丈夫だろう。実際、以前とは違って、街道がはっきり見えている。それだけ多くの人が通っている、という事だ。

向こうから馬車が来たので、一礼。どうやら、農場と往復して、難民を輸送しているらしい。

難民を護衛するのにも、馬車が丁度良い、と言う判断だそうだ。

実際、御者をやっているのは、相当な手練れ。

通り際に、軽く一礼。

向こうも、メルルに気付いて、慌てて礼を返してきた。

「モンスターの気配はねえな」

周囲を油断無く伺いながら、ライアスが言う。

この間のグリフォン戦以来、ライアスもケイナも、メルルも、一皮むけた。まだベテランの戦士にはとうてい届かないけれど。それでも、同じグリフォンと戦ったら、かなり戦況が良くなるとは想う。

「油断はなさらずに。 巡回班が退治しているとは言え、移動中の馬車にまだモンスターが仕掛けてくるそうです」

「やっぱり。 でも、大丈夫でしょ?」

「はい。 今の時点では、巡回班だけで事足りています。 定期的な駆除も、役立っているようです」

それならば、良かった。

丘を上がっていく。途中、地面を削って、馬車が行きやすいように、坂をなだらかにしていた。

なるほど、これはいい。

黙々と荷車を引いて歩く。左右に展開しているホムンクルス達二人のこともある。滅多な事が無ければ、危ない事は無いだろう。

最初のキャンプスペースを横に、更に進む。

今日中に、二番目のキャンプスペースまで進みたいところだ。まだまだ、昼を少し過ぎたくらい。

充分に間に合うだろう。

この辺りの判断は。

以前と比べて、甘くなくなっている。

事実、夕方の少し前に、二番目のキャンプスペースに到着。キャンプスペースの守備をしている兵士に話しかけて、食糧を分けて貰った。食糧は、耐久糧食が半分と、少し前に周囲で捕れた鳥のお肉。

たき火を囲んで、黙々と食べる。

奥の方。

冒険者が数人固まっていた。

メルルは食事を終えると、其方に。慌てて2111さんがついてくる。

「こんばんわー」

「あんたは、メルルリンス姫か」

「はい、メルルリンスです。 お話を聞いても良いですか?」

「ああ、まあ」

驚いた様子の冒険者達。見たところ、近隣諸国から、難民を引き受けた代わりにと、派遣されてきた戦力だろう。

ざっと見た感じ、みんなメルルよりは強い。

だけれど、2111さんよりはだいぶ落ちる。

その程度の実力だ。

軽く話を聞く。

まず、状況。仕事は大変か。楽か。仕事が楽しいわけないだろと言ったのは、若々しい女性戦士だ。

この中で、一番若そうである。

「全部つらい、ですか?」

「つらくはねえよ。 何というか、仕事が楽しいと思った事は一度もないからな」

「みんなそうですか?」

「ああ、まあな」

意外だ。

アールズの兵士達は、結構みんな仕事にやりがいを感じているようなのに。このポニーテールにしている女性戦士は、それに周囲の仲間達は、みな仕事が楽しくないという。可能性があるとすれば。

難民の護衛だからか。

しかし聞いてみると。

故郷にいた頃から、同じように仕事は楽しくなかったという。其処での仕事は、難民の護衛と関係無いともいうから。

ひょっとすると、そういう気風なのかも知れない。

礼を言った後、その場を離れる。

国が上手く行っていないのかも知れない。

どの国も寿命は精々数百年と、メルルは聞いた事がある。何かしらの理由で腐敗が進行していくと、最終的にはどうしようもなく、潰れてしまう。王族だけは生き残るケースもあるようだけれど。

国としての仕組みを刷新しないと、最終的にはもたないのだそうだ。

勿論それは、アールズやアーランドだって、例外では無いだろう。

「何だか、色々鬱屈している様子だったね」

「メルル、無茶で大胆すぎです」

「分かってるって」

戻ると、開口一番にケイナに言われた。2111さんも、それに対しては、コメントをしなかった。

流石に少しばかり大胆すぎたか。

そのまま、見張りを分けて、眠ることにする。キャンプスペースだけれども。警護に当たっている冒険者や兵士の手伝いをすることで、少しでも経験を積んでおきたいのである。

ライアスも、それには賛成した。

 

翌日、川霧がでるけれど。

それほど濃くもない。

ただ、念のため。晴れるのを待つことにする。

噂が聞こえてきていた。

「前線の先だが、ずっと霧が出ている森があって、ベヒモスのたまり場になっているそうだ」

「おいおい、何だよその地獄みたいな森」

「前線のアーランドの指揮官が見つけたらしいんだがな。 ひょっとすると繁殖地じゃ無いかって話らしい」

「ぞっとしねえな。 ベヒモスの繁殖地なんて、大陸でも数カ所しか見つかってないらしいじゃねえか。 それがよりにもよってこの国にあるなんてな」

今の噂。

メルルも聞いたことが無い。

今度クーデリアさんが来たら、話を聞いておくのもありだろう。小さくあくびをしながら、天幕を這い出して、朝練を始める。

ケイナも起きて来たので、朝練につきあって貰った。

軽く組み手をした後、起きている冒険者がいたので、稽古をつけて貰う。

歩法やチャージなどは試したけれど。

やはり、いずれも通用しない。

まだまだ、メルルの腕前では、こんなものだろう。

霧が晴れる。

礼を言って、その場を離れた。そのまま、確保されている安全地域を行く。馬車に追いついた。河原を進んでいるだけあって、かなり速度を落としているらしい。轍は造られているのだが。

追いつくと。

不機嫌そうなベテランの冒険者が、手綱を握っていた。後ろの荷台には。二十名ほどの難民が乗っている。

皆、不安そうだった。

メルルが笑いかけても、相手は恐怖に顔を引きつらせて、視線をそらすだけ。今更傷つきはしないけれど。

何だか残念ではある。

「行きましょう」

「うん」

ケイナに促されて。先に。

馬車の左右には、護衛らしい戦士が数名、随伴していた。モンスターの襲撃が、まだあるからなのだろう。

ルーフェスによると、今のところ死者は出ていないらしいのだが。

今後は、もっと積極的に。

皆を無事に農場に届けようという意図で、行動をしていく必要があるだろう。そう、メルルは思った。

さて、此処からだ。

農場へ到着。

クレバスに掛かっている橋は名物になっていて。荷車を引いて昇り、進むのがとても楽しかった。

ぐっと体が反る感じで。

荷車の重さが、確かな実感として、体に加わるのだ。

何というか、今までに無い、面白い感覚である。

農場へ到着。

ジェームズさんがいて、何か悪魔族の戦士と話していた。見たところ、複数種類の、木になるほど大きな植物を植えて、実を収穫しようというのだろう。まだ低木ばかりで、これは時間が掛かる。

そして、アールズの王都でも育てているから、メルルも知っているが。

果物というのは、とにかく手が掛かる。

植物の世話は、動物の世話以上に手が掛かるケースが多いのである。この過酷な世界ではなおさらだ。

ルーフェスがいた。

メルルを先回りしていたのには少し驚いたけれど。

ルーフェスは基本的に、この国でも最高クラスの戦士だ。メルルよりも何倍も速く動く事も出来るし。

先回りして、ここに来ていても不思議では無いだろう。

「ルーフェス!」

「姫様、ご到着なさいましたか」

「うん。 栄養剤持ってきた」

「それなら、あちらに」

視線で指されたのは、今丁度まだ荒野になっている部分にて、作業をしている悪魔族の戦士達だ。

シェリさんもいる。

そしてもう一人いるのは。大柄で、見覚えがある戦士だった。とにかく顔が怖い男だったので、覚えている。

ザガルトスさん。

以前、グリフォン戦でのアドバイスをくれた人だ。

見ると、腰に剣を二振り帯びている。

つまり大柄な割りに、比較的小さな武器を二本使うという、技巧派なのだろう。小さいと言っても、小柄な戦士が使うものよりも、二回りも大きいものだが。ザガルトスさんが、基本的にかなり大柄なので、比較して剣が小さく見えるだけだ。

悪魔族に、栄養剤を渡す。

来たアーランドの技術者らしい中年男性が、栄養剤の品質を確認。見ると、ジェームズさんよりかなり若いけれど。

肩から、もの凄い傷が体に入っているのが見えた。

あれでは、アーランドの優れた医療技術でも、救うのに相当な苦労を要したことだろう。見た感じ、ジェームズさんの弟子だろうか。

栄養剤の品質は、問題ないという。

良かったと胸をなで下ろす。次はもっと質を上げて、此処に持ってこなければならないだろう。

やりとりが終わると。

シェリさんと、ザガルトスさんが来る。

今回は、この二人に、護衛を頼むのか。それならば、実に心強い。

「メルル姫。 今回は頼むぞ」

「此方こそ、お願いします」

「先に聞いて欲しいのだが、既に話を聞かせて貰った今回の開拓コースだが、途中にうさぷにが出るという噂がある。 その場合は、覚悟を決めて欲しい」

「はいっ!」

元気の良い返事に、ザガルトスさんの方が戸惑う。

何だかその光景は。

何処か、おかしかった。

 

2、西の未開地

 

アールズ北の湖は広大で、アールズの民の胃袋を満たすための様々な幸もおり。生活に欠かせない存在となっている。

しかし、アールズの民は少なく。

戦力も大きくなく。

今までは、探索が進んでこなかった。それもまた、事実だ。

地図はある。

だがこの地図は、強い戦士が一人で造った部分も多い。実際に歩きながら見てみると、違っている箇所がかなりあった。

湖の沿岸部については、飛び地のように詳しい場所もあるが。

これらは漁師の証言によって造られていて。

一カ所一カ所を調べていかないと、とてもではないが、沿岸部の全容は解明できない状況だ。

シェリさんは、少し後方に控えて、静かにしている。

それよりも。

前は寡黙で重厚な人だなと思ったザガルトスさんが、一番前列に出てきて、色々と話ながら、メルルの側を歩いていた。

「兎と交戦した経験はあるんですか?」

「ある」

喋るようになったとはいえ。

その言葉は、相変わらず最小限である。

基本的に、殆ど余計な事は喋らないのだろう。戦士としての誇りを持ち。戦士として戦って生きる事にしか、興味が無い様子だ。

兎について、聞く。

ザガルトスさんが戦った個体は、比較的小柄だったそうだけれども。それでも、草食獣の兎と似ているのは体の上部からでている二つの突起だけ。後、無理に強弁すれば、全体的に白っぽい体色に、二つの突起で。兎に見えないこともない。

だが、その戦闘力は本物。

激しい戦いの末に、全員満身創痍になりながら、倒したのだという。人肉の味を覚えてしまっていた個体で、殺す必要があったのだとか。

「今までで、一番激しい戦いだったな」

「そんなに、ですか」

「それだけ奴は強かった。 それも、兎としてはそれほど強い個体では無かった、と言う可能性もある」

ぞっとする話だ。

普通、ぷにぷには触手を多数振るって戦闘を行うが。兎の場合、その展開速度が、恐ろしく早いという。

つまり鞭としてだけではなく。

槍としても機能するというのだ。

生半可な使い手など、瞬きする間に腹を貫かれ。

そして、気がついたときには巨大な口に放り込まれて、ミンチにされてしまうと言う。

本体の動きも速い。

軟体を極めてスムーズに動かして、滑るように移動してくると言う。気がついたら、至近で大口を開けている、というケースもあるそうだ。

勿論回避できなければ。

その場で喰われてしまう。

「攻めは俺とホムンクルス二人、シェリ殿に任せて、三人は守に徹して欲しい。 もし遭遇してしまったら、死者が出ることを覚悟するしかない」

「分かりました」

メルルは、荷車につんできたフラムを一瞥。

うまく作戦を練らないと。

当てることさえ、ままならないだろう。

この間のグリフォンも難敵だったけれど。

うさぷにともし接敵してしまった場合、更にそれを凌ぐ可能性さえある。勿論、遭遇してしまったら、の場合だが。兎族の戦士達が駆除したと聞いているし、遭遇しない可能性も小さくない。

湖の周辺を、順番に調査していく。

不意に密林になる部分もあるけれど。兎族の戦士が先に調査をしてくれている場所もあって。

近づくと、姿を見せる。

そして、情報交換。

地図を見せて、何処がどうなっているか聞き。

場合によっては、案内して貰う。

一つずつ、順番にこなす必要がある。

何事も、一歩ずつ。

一足飛びに何でも出来ると思うほど、メルルはもう子供では無いし。幸い、この周辺は湿地帯も少ない。

比較的に安全に進む経路を考慮するだけなら。

特に、難しい経路を設定しなくても大丈夫だろう。順番に道を調べていって、そう感じさせられる。

下り坂にさしかかる。

リス族の戦士数名が見えた。兎族の戦士数名と、何かを話しあっている。

この二つの種族は近縁種で、交配も可能だとメルルは聞いた事がある。一部の民族は対立しているらしいのだけれど、アールズでは比較的穏健な仲らしい。

メルルが近づくと、一斉に此方を見る。

リス族の代表が、歩み寄ってきた。

「メルルリンス姫か」

「はい。 貴方は」

リス族は、それぞれ名乗る。

代表らしいリス族の戦士が、現在警戒中だと教えてくれた。一瞬、兎かと警戒したけれど、違うと言う。

「リザードマン族だ」

「!」

「偵察なのか何なのかは分からないが、白い鱗だったから指揮官クラスだな。 彼らの縄張りから離れ過ぎているし、行動の意図が読めん」

話を聞くと、リス族とリザードマン族は、敵対関係がないという。

一部で交易までしているそうだ。

しかし、それにしても、である。

人間の領域内。

それも、近年はリス族の縄張りとして認められている地域まで、こんなに突出している例はまずないとか。

「何処へ向かいましたか?」

「あちらだ」

リス族が指さしたのは、丘の中腹。

そして、姿は。

今でも見えた。

白い鱗。人間よりもずっと背丈がある。ザガルトスさんよりも、更に大柄だと見て良いだろう。

複数はいない。

単独だ。

これも、滅多にないことだという。

「リザードマン族の戦士は、基本的に白い指揮官を中心に、数名の緑の戦士がまとまって、一緒に行動する。 指揮官だけで単独で動く事は、まずあり得ない」

「ひょっとして、スピアの洗脳モンスター!?」

「可能性はある」

故に、遠巻きに観察していたのだろう。

シェリさんが、挙手。

「リザードマン族と俺たち悪魔族は、利害関係がない」

「見てきてくれるんですか?」

「出来れば、コミュニケーションも取ってこよう」

「危険です。 私達のどちらかが」

2111さんが提案するが、シェリさんは、首を横に振った。

何があるか分からないし、メルルの側にいろ、と言うのである。メルルの事を大事にしてくれるのは嬉しいが。

しかし、心配だ。

「シェリさん」

「む」

「くれぐれも気をつけてください。 スピアの洗脳モンスターの場合、最悪いきなり仕掛けてくる可能性もあるかと思います」

「案ずるな。 仮にそうだとしても、簡単に不覚を取りはしない」

歴戦の戦士らしい、安心感のある応えだ。

ザガルトスさんに言われて、位置をずらす。リス族と兎族の戦士達には、周囲に展開して貰った。

あれが囮で。

奇襲を仕掛けてくる可能性を考慮して、のことだ。

もしもスピアの洗脳モンスターだったら、どれだけえげつない作戦を仕掛けてきても、不思議では無い。

前線より遙かに離れた此処にいると言うことが、問題では無い。

今、実際に此処にいて。

対処しなければならない、というのが問題なのだ。

メルルの側についたケイナが、ライアスと一緒に、周囲を警戒してくれる中。メルルは、じっと事の推移を見守る。

シェリさんが、リザードマン戦士の側に降り立つ。

唸り声を上げながら、リザードマン戦士が振り返る。

「誇り高き尾の一族よ」

「悪魔族か」

「シェリという。 貴殿は」

「登る坂の主」

白い鱗のリザードマン族は、シェリさんへの警戒を崩していない。互いに利害関係は無い筈なのに。

それとも。

余程警戒しているのか。

「このような所で何をしている。 リザードマン族の縄張りから相当に離れていると見えるが」

「貴殿には関係のないことだ」

「関係はある。 今、スピアという凶悪な存在と、我々は戦っている。 多くの同胞が奴らに捕らえられ、物言えぬ戦闘兵器と変えられた。 奴らには勝たなければならないのに、後方で問題を起こしているわけにはいかない」

「それで人間共に与するというか!」

少しずつ、リザードマン族の戦士がヒートアップしていく。

話を聞く限り。

彼には理性がある。

スピアの洗脳モンスターではなさそうだ。

「命を賭けるべき場所を誤るな、誇り高き戦士。 このような所をふらついて、無駄死にすることは、誇り高き戦士がすることではあるまい」

「……」

「それとも、縄張りに戻れぬ理由でもあるのか」

シェリさんの言葉は、一つずつが丁寧で。

それが故に、分かり易くもある。

相手を挑発するでも無く。

静かに、諭すかのようだ。

悪魔族という言葉と。その名前にふさわしい、恐ろしげな容姿。

それと、この真逆な言動。

今は、この人が味方についてくれていることが、メルルにはとても有り難い。交渉ごとも、相応に出来るようだ。

「とにかく、縄張りに戻られよ。 もしも戻る方法が思い当たらないなら、俺が案内をしてもいい」

「……」

「急げ。 此処は既に発見されている。 あまり長い間、かばい立てはできぬぞ」

「俺には、もう戻る場所がない」

口惜しそうに、リザードマン族が言い。

やはり、そうかとシェリさんが返した。

腰を据えて話すつもりだろう。

いずれにしても、アールズにとっては、リザードマン族がうろついているというのは、致命的な事だ。

長い間血みどろの殺し合いを続けた種族で。

互いに互いを徹底的に憎み合っている。

リザードマン族の中で何があったのかは分からないけれど。あの白い鱗の戦士は、何か犯罪でも犯したか。

或いは、禁忌に触れたのかも知れない。

シェリさんが、交渉を続ける。隣国の、別のリザードマン族の集落に、案内しても良いと言うと。少し悩んだ後、リザードマンの戦士は、頼みたいと折れた。

シェリさんが、リザードマン族の戦士を連れて行く。

不可思議そうに、2319さんが小首をかしげた。

「不意を打って仕留めてしまえば良かったのでは」

「そうだね。 それが最善手だったように、私も思う」

「ならば何故です」

「私、リザードマン族を、知らなさすぎる」

遠くから、話を聞いていたが。

実に流ちょうな言葉を話すし。

怒ったり悲しんだり、感情だって豊かだ。

城の人達は言っていた。リザードマン族は禽獣だと。邪悪な、殺戮と破壊しか考えぬ、悪の権化だと。

長年の戦争で、殺しに殺し、殺されに殺されたのだ。

城の人達が、リザードマンを憎む理由は、嫌と言うほどメルルにだって分かる。実際、主体性が無い苦手意識は、メルルの中にだってある。リザードマン族が如何に恐ろしい存在か、聞かされ続けて育てば、当然そうなるだろう。

見晴らしが良い場所を見つけたので、其処にキャンプを張る。

ホムンクルス達とザガルトスさんが、交代で見張りをする事になる。メルルも加わりたいと言ったけれど、却下された。

「姫様は、他の仕事に、集中してくれ」

「ええ……」

「ライアス、ケイナ。 お前達には、見張りに加わって、ほしい」

「分かりました」

ケイナが頭を下げる。

ライアスは無言で頷く。

いずれにしても、メルルは蚊帳の外に置かれてしまった。ちょっと悔しいけれど。こればかりは仕方が無い。

最初は、2111さんとライアスが見張りにでる。

天幕の中で、メルルは地図を整理。

確認した地点だけで、相当に地図に彼方此方書き加えられている。何カ所か、非常に危険な場所もある。

南を見れば、湖が雄大な広がりを見せているというのに。

其処を突破して、王都に行くのは自殺行為だというのだから、悲しい話だ。いずれ、この湖をたくさんの難民が安全に渡る手段が確保されれば、いいのだろうけれど。そうもいかないだろう。

「この辺りの森には、兎族が住んでいるはずです」

「ならば、挨拶を済ませるべきだろう」

「その通りです」

苦手な相手だけれど。

いつまでも避けてはいられない。難民の護衛という点では、非常に重要な存在になるからだ。

だが、闇夜に光る赤い一対の目。

ローブの下から見える輝く赤い目。

今でも、身震いがする。

でも、少し距離を取れば、話す事は問題ない。メルルだって、いつまでも子供では無いのだ。

その後は、荷車に積んできた装備類を確認。

食糧。

発破。

お薬。

三種類とも、充分な備蓄がある。

続いて、やすりと砥石を取り出す。そして、それぞれの武器を、黙々と磨く。この時、他人の武器に手入れをするのは御法度だ。あくまで自分の武器にだけ、手を入れることになる。

アールズだけでは無く、辺境戦士の鉄則である。

たとえば、ケイナがメルルの武器を手入れするようなことも、あってはならない。

これは武器がそれぞれの戦士にとって、命綱になるからで。

自分以外の者が手入れした武器を使って死んだら、それこそ死んでも死にきれないから、である。

メルルが知る限り、国が上手く行っていない所でも。

どれだけ腐敗した王族でも。

これだけは、しっかりこなしている。

あくまで辺境の王族に限るが。

それでも、戦士としての最低限の行為に当たる訳で。コレをこなせない人間は、半人前以下と言う事になる。

メルルの杖の手入れ完了。

この間グリフォンに事実上の致命打を与えたこの杖は。

少しずつ馴染んでいるというか。

メルルの手に、しっくり来るようになっている。

とにかく戦闘では血を浴びることが多いので。順番に隅から隅まで整備して、汚れが無いように気を付ける。

プラティーン製と言うだけでは無い。

かなり凝った造りもしているし。

何より。戦闘に特化した、本物の兵器でもある。何カ所かはとても鋭くなっていて、そして重い。

北部列強の難民達には、持ち上げることも難しいと、メルルは聞いている。

ケイナは、鞄を開くと、鉄板を取り出す。

鉄板だけ鞄に入れているのでは無くて。必要な書類やリネンなどもいれている。鞄そのものが非常に頑強な造りで。

鉄板をいれて振り回しても、壊れる恐れは無い。

そればかりか、外側に鉄板をつけて補強もしている。これについては、ハゲルさんの所に持ち込んで、強化しているそうだ。

「ケイナ、鞄おっきくなった?」

「はい。 グリフォン戦で少し物足りなさを感じましたので、重い鉄板をいれて、鞄も大きくしました」

「訓練の時も、少し鞄大きいの使ってるよね」

「メルルのためにも、もっと強くなりますよ」

そういえば、グリフォン戦で。

ケイナが鉄板を縦にいれた鞄で何度もグリフォンの頭蓋骨をぶち抜こうとしていたけれど。グリフォンの頭を砕いたのは、結局ケイナでは無かった。勿論ダメージは与えていたはずだけれど。

それでも、後から考えると、ケイナも悔しかったのだろう。

2319さんが、ポールアックスを手入れしている。見ていると、ポールアックスは刃そのものがさほど鋭くも無く。代わりに、相手を叩き潰すことに特化している様子だった。使い込んだのが一目で分かる砥石を使っているけれど。恐らく、自分で入手して、使い込んだものなのだろう。手入れが終わると、大事そうにしまい込んでいる。ひょっとすると、2319さんの宝なのかも知れない。

ザガルトスさんは。

手慣れた様子で剣を手入れし終えると。後は天幕の外に出て、其処で座り込んでじっとしていた。

そして、食事の時間まで。

ずっと何も喋らず。

無駄は一切しなかった。

 

シェリさんが戻ってくる。

すぐにそれにあわせて探索を再開。

農場予定地から西に一日も行くと、もう危険地帯だ。ぐだぐだ話しながら歩いていたら、モンスターにダース単位で襲われるだろう。

シェリさんは少し高い位置から、周囲を警戒してくれている。翼は殆ど動いていない。つまり魔力で飛んでいる、という事だ。

「問題なし」

ハンドサインが来たので、ラジャ、と返す。

メルルもハンドサインは知っていたけれど、本格的に使うのは初めてだ。出る前にキャンプで、習ったのである。

ちなみにザガルトスさんや、ホムンクルス達は、常識だと言わんばかりに身につけていた。

ハンドサインには幾つかの形式があるらしいけれど、アーランド軍が使っている標準的なものを用いているらしい。これは分かり易いこともあって、今やスタンダードなハンドサインになっているそうだ。

この辺りも。

まだまだメルルがひよっこだという証左。今後は率先して身につけていかなければならないだろう。

ハンドサインでは複雑な会話は難しいが。

音を立てずに会話できるというのが、とても大きい。

音を立てなければ、奇襲を受ける可能性もぐっと減るわけで。逆に奇襲だって、容易になる。

平原を抜けて、森に。

周囲の気配が、一気に濃密になった。

巨大な花が、幾つも咲いている。

痛烈な臭いは虫をたくさん誘き寄せているだけでは無い。大型のドナーンが、花の側で時々ぱくり、ぱくりと口を動かしている。

飛んできた虫を、労せずして食べている、というわけだ。

ドナーンは巨体の持ち主だが、それでもいつも大物ばかり食べているわけでは無い。こうやって小さな虫を食べることで、小腹を満たす事もある、という事なのだろう。

近づかない方が無難だ。

ぷにぷにもいる。

触手を動かして、悠然と森の中を這っている。幸い、兎では無いし、強力なことで知られる黒でもない。

しかし、威圧感は強い。

森を抜けると、ほっと一息。この森は、出来れば入らない方が良いだろう。モンスターの密度は非常に高い。

今回は専門家が四人いたからどうにかなったけれど。

メルルとケイナとライアスだけでは、生きて帰れる気がしなかった。

「あのぷにぷに、大きかったね」

「耳ぷにだ」

ザガルトスさんが教えてくれる。

兎の亜種で、兎に比べると二回りほど弱いそうだけれど。それでも実力は高く、極めて凶暴。

戦闘時は、やはりかなり速く動くという。

戦って勝てるかと聞いてみると、勝てると言われた。ただし、メルル達三人では、半分は死んだだろうとも。

ぞっとするけれど。この人はただ事実を言っているだけ。それが分かっているから、何も答えられなかった。

森を抜けた後は、比較的安全な平原を、徹底的に調べていく。地図にない場所もあるし、森に入らずに済む抜け道もある。

今後、湖の西に、難民達が行く事を考えると。

調べておくのは、絶対に必要だ。

適当な所でキャンプを張る。

其処で初めて、シェリさんが、あのリザードマン族の戦士について、話してくれた。

「今、リザードマン族の中では、大きな派閥争いが起きていると言うことでな」

「派閥争い、ですか」

「アーランドを仲立ちに、アールズと不戦条約を結んでスピアと戦うか、アールズもスピアも皆殺しにするか。 そう言う考えで、一族が割れているそうだ」

物騒な話だけれど。

リザードマン族は、戦闘民族なのだと、シェリさんが付け加える。

彼らは戦う事を至上の価値とし。

戦士であることを誇りとする。

戦わなければ生きられなかった環境で、一族が生きてきたから。そういった価値観が生まれた。

だが、無為な戦いは、彼らも好むところでは無いと言う。

「実際、リザードマン族の中でも、幼い子供達の中では、どうしてアールズと戦わなければならないのかと、疑念を持つ者も生まれ始めているらしい。 今は、凄惨すぎる戦いの歴史が、リザードマン族の中に不和を産んでいる、というわけだな」

「悲しい話ですね」

「そうだ。 だからメルル姫。 貴方がその歴史を終わらせるのだ」

見張りを立て終えると。

火を焚いて、訓練を始める。

歩法を見てもらった。

シェリさんが、おうと、一声漏らす。

「進歩したな。 三人とも」

「本当ですか!?」

「実戦で使ったのか」

「はい。 この間、グリフォンとの戦いで、死角に潜り込むために」

詳しく話して欲しいと言われたので、経緯を話す。相手が此方を舐めているのを理解しているから、メルルは全力で幻惑の歩法を展開。相手の死角に潜り込み。其処で力を溜めて。ユニコーンのチャージを参考にした一撃を、絶対に避けられない状態から繰り出した。その結果、グリフォンに致命打を与える事が出来た。

ただし、メルルが全力での突きを叩き込んだときには、ライアスのバンカーによる一撃が、グリフォンの体に風穴を開けていた。

ひょっとすると、此処までしなくても、殺せたかも知れない。

しかし、グリフォンを倒した時の皆のダメージを考えると。ケイナとライアスは、殺されていたかも知れなくて。

そう考えると、無理をする意味はあった。

そう思いたい。

話を聞き終えると、シェリさんは考え込む。

「なるほど。 常に先頭に立ち、他の者のことを考える、か」

「はい。 未熟者ですが、その事だけは、常に守るようにしています」

「……そうだな」

稽古をつけてくれるという。

言われるままに立つと。後ろに立ったシェリさんが、細かく指導して、歩き方から補正してくれた。

そうすると、驚くほどに音が出ない。

気配も。

隣で、ケイナとライアスが驚いている。

「これは」

「いわゆる忍び足とよばれる技法の、更に一歩進んだものだ。 足が地面に接触する際の音を、最小限まで殺す。 徘徊型の肉食獣は、皆無意識にやっている技術だ」

「教えてください、お願いします!」

「ああ。 順番に教えていく」

シェリさんは、前よりもかなり丁寧に教えてくれた。

ハイドアタックと呼ばれる技術についても。

話は聞いたことがあったけれど。

メルルはどうやら、それを無意識的に身につけて、実行していたらしいのだ。つまり、こういった気配や音を消す技術を更に高めれば。

気配を消しての奇襲が、更にスムーズに行く。

「一日各三十回ずつ、試してみてくれ。 それで嫌でも上達する」

「はい!」

「よし、次。 ケイナ殿」

シェリさんは頷くと、ケイナを呼ぶ。

ライアスは俺も教えて欲しいと顔に書いてあったけれど。まあ、こればかりは順番だ。それにしても、良い技術だ。

これならば、敵に音もなく接近して。

発破を仕掛けて離れたり。

必殺のチャージを叩き込んで、致命打をぶち込むことが出来る。そうなれば、戦闘は更に楽になる。

ケイナはやはり飲み込みが早い。

ただ、ケイナの武器は鞄。コレは内部に鉄板を仕込んでいるという事もあるのだけれど、大ぶりになりがちで。ハイド技術とは相性が悪い。シェリさんは、ケイナに細かく立ち方、歩き方を指導しながら言う。

「攻撃を行う際に使うよりも、支援に使う方が良いだろう。 敵からして見れば、支援役が何処にいるか分からない方が、脅威度が大きい」

「なるほど」

「メルル姫との連携が必要だ。 その鞄に、回復薬などをいれて、使い方を聞いておくといいだろう。 相手に気付かれずに動き回って、支援を行えれば、戦略の幅は大きく拡がるはずだ」

「はいっ!」

ケイナも真剣に頷いている。

これは、凄い。

思ったよりも、シェリさんはずっと凄い戦士なのかも知れない。技術的には達人にちょっと届かないくらいかと思っていたのだけれど、訂正が必要そうだ。

この人は強い。

多分、単純な戦闘力もそうだけれど、修羅場のくぐり方が違うのだ。だから、持っている経験値が違っている。

続いて、ライアスが呼ばれる。

幾つかの歩法を見せる。かなりうまくなっている。以前伸び悩んでいたライアスだ。ケイナと一緒に、相当に練習したのだろう。

事実その甲斐あって、この間のグリフォン戦では、相手にバンカーでの致命打を直撃させることに成功している。ベテラン四人の支援があったとは言え、それでも前だったらとうてい無理な話だ。

だが。

シェリさんは、少し考え込む。

「忍び足の技術は、必要ないかも知れないな」

「どうしてだよ!」

「君はアタッカーとして、なおかつ壁としてメルル姫を守る立場だ。 むしろ相手に存在感を示した方が良い」

「!」

言われて見れば、そうだ。

勿論メルルも、ライアスを壁にしてのうのうとしているつもりはない。だけれども、そもそもライアスの持っている武器は一撃必殺の軽武器。機動力を主体にして、相手の隙を突いて叩くもの。

逆に言えば、機動力を駆使して相手を翻弄する場合。

相手に姿をアピールする必要がある。

もっとも、直撃を貰ってしまっても意味がない。今までの歩法は、充分に役に立つだろう。

シェリさんは、ライアスの後ろに立つと、細かく立ち方を指示。

深く踏み込んだ立ち方だ。

「これは?」

「順番に教えるから心配するな。 君は進歩が遅いようだが、きっと達人になれる」

「!」

ライアスが、悔しそうに顔を歪める。

あっさり看破されたことが悔しいのだろう。実際、歩法の習得も、他の誰よりも遅かったのだ。

ライアスの兄は、あのルーフェス。若くして様々な才覚を発揮して、今では事実上この国の宰相をしている人間。それなのに、ライアスは。揶揄する声は、メルルは聞いた事は無いけれど。

本人がコンプレックスを感じている事は知っている。俺は非力で非才だと、自虐する言葉を聞いたこともある。

「此処から、こう動く」

「ねじり混むような動きだな」

「そうだ。 こうやって、一点に火力を集中して、外に逃がさないようにする。 歩法はその手助けだ」

メルルは思わず、ぐっと見入ってしまった。

コレも習得したい。

あのチャージにこの技術を乗せれば、一撃必殺の突きを完成させられる。ライアスは頷くと、何度かやってみる。

その度に、シェリさんから修正された。

「くそっ! うまくいかねえ」

「焦るな。 君は覚えが遅いが、覚えればしっかり身につくタイプだ。 しっかり覚えていけば、いずれ俺など足下にも及ばぬ達人になれる」

「……分かった。 やってみる」

「そうだ。 順番にやっていけ」

何度も、ライアスが繰り返す。

シェリさんはその度に、丁寧に細かい指導を続けた。声を荒げることもないし、失敗しても怒らない。

正座してメルルはその様子を見ている。

人が努力する光景は。

やはり、尊い。

自分が見ていても、そう思う。

 

夜が更けてくる。

メルルが見張りをしていると、ライアスがきた。勿論メルル一人で見張りは危ないので、2111さんも一緒だが。

「だいぶしごかれたみたいだね」

「良いんだよ。 ……本当に強くなれるんだったら、何だってやってやる。 あの人、本当に強かったんだな。 絶対に技を盗んで、モノにしてやる」

「いい顔になって来たじゃない。 あんなに弱虫だったのに」

「抜かせ」

ライアスは、交代だと言って、メルルに休むよう促す。

頷くと、メルルはさっさと天幕に入った。

ケイナは寝息を立てている。才覚で言うと。ケイナは、メルルより上かも知れない。

ぼんやりと、外を見る。

結界が貼られていて虫は入ってこないけれど。風はどうにもならない。

外の星空は何処までも拡がっていて。此処が普段人の入らない土地だと言う事を、忘れさせてくれるほど美しい。

ケイナの横顔を見ていて、思い出す。

今回、出る前に。

ルーフェスに言われたのだ。

そろそろ、姫様も、知っておいた方が良いでしょうと。

ケイナは影武者になる訓練を受けた頃。戦士としても、命に代えてもメルルを守れるように、と。無理矢理才能を発揮できるように、幾つかの魔術的処置を受けたのだという。勿論、それほど強力なものではないし。露骨にでるものではないけれど。やはりじわじわと効いているのだろう。

今まではぴんと来なかったけれど。

言われて見れば確かにと思うし。

覚えが早いのも、多分それが故だ。

ライアスは、どうしてそうされなかったのかは分からない。

いずれにしても、ケイナは。メルルのために、文字通り体を張ってくれている。無駄には出来ない。

「メルル……?」

「あ、ごめんね。 起こしちゃった?」

「……」

反応無し。

寝言だったらしい。嘆息すると、メルルは自分もさっさと眠ることにする。

少なくとも、湖の西側は、今回の探索で、しっかり道を開拓しておきたい。いずれ、安全に通れるようにしなければならないのだから。

 

3、暗き穴

 

アールズ王都の東北にある丘のように。

かなり、急勾配の坂が続いている。

この辺りはもはや街道も殆ど消えてしまっていて。うっすらと草が生えた沃野が、何処までも続いていた。

手をかざして、遠くを見る。

西の方には大きな山。

山の中腹には、何カ所も穴が空いている。アレは恐らく、鉱山として掘られていた頃の跡だろう。

そしてあの鉱山には。

モンスターがいると聞いている。それも、今後確実に国を挙げて討伐しなければならない、相当に強力な。

シェリさんが、上空からハンドサインを出してくる。

周囲に敵影無し。

頷くと、メルルは西に進む。この辺りもキャンプスペースと見張り台一つで、充分にカバーできるだろう。

街道を造った後、定期的に見張りさえすれば、モンスターを遠ざけることも出来る筈だ。

歩いていると。

十名ほどの人影が、近づいてくるのが見えた。

兎族だ。

全員が、フードを被り、槍を手にしている。苦手意識はあるけれど、ここはしっかり話さなければならない。

「こんにちわ。 この辺りを調査に来ました、アールズの王女メルルリンスです」

「アールズの姫が来ることは聞いている。 私は大きな原の苺の芽。 今日は警告に来た」

兎族は小柄で。この人は何だか可愛い名前だけれど。

声は滅茶苦茶ドスが利いていて、戦士としていっぱしの存在だと言う事は、すぐにメルルにもわかった。

警告とは何か。

聞き返すと、苺の芽さんは言う。

「お前達が昔掘り返した穴の中に住まうモンスターが、凶暴化の兆しを見せている」

「!」

「中には絶対に入るな。 非常に強い魔力の持ち主で、様々な魔術も使いこなす上に、生物は全部エサだと考えている。 お前達の戦力なら……或いは倒せるかも知れないが、半分は死ぬ」

それは恐らく、単純な事実。

頷くと、今回は近づかないことにする。

兎族は隊列を整え直すと、東に消える。地図を聞いておこうかと思ったのだけれど、それどころではなかった。

ずっと無言でいたザガルトスさんが咳払い。

「それで、どうするんだ、姫様」

「坑道への経路だけは確認します」

「細心の注意を払わないと危ないぞ」

「分かっています」

シェリさんに呼びかけて、魔術探知を最大にして貰う。話を聞く限り、相手は蜘蛛のようなものだ。

探知範囲内に入らなければ、無害だろう。

逆に言うと、探知範囲に入ると、危険極まりないだろうが。

見晴らしが良い平原を行く。

ザガルトスさんは、なおも言う。

「縄張りを造るタイプのモンスターも、周囲に強力なライバルがいない場合、我が物顔に行動する場合がある。 察知されると、何処までも追撃してくる可能性があるから、気を付けろ」

「わかりました」

「いざというときは、俺が盾になる。 その間に、皆は救援を呼んできてくれ」

巌のようなザガルトスさんの顔には、いっぺんの迷いもない。みなの盾になることを決めているし。それで傷つくことを、なんとも思っていないのだ。

それが役割だから。

メルルが、王族の役割を果たそうとしているのと同じ。

プロとはこういうものかと思って、メルルは圧倒された。

気づかれると、危ない。

シェリさんが降りてきて、周囲に魔術の結界を張り始める。そして、メルルに、見るように促した。

此処からも見えている鉱山の入り口から。

周囲に、かなりの広さ、光の筋が走っている。

山の麓まで、その筋は達するほどだ。

「まさか、アレ全部、ですか」

「そうだ。 強いモンスターには縄張りをああして誇示し。 獲物に対しては、存在を察知する網にしている」

ぞっとする。

兎族達が警告してくれなければ、どうなっていたことか。

山の周囲を探索して、地図を造って、其処まで。

これ以上近づくのは危険すぎる。

戦力を増やしてからでないと、本当に死者を出す事になるだろう。

今回は、西に関しては此処までだ。もしこれ以上西の探索、つまりあの鉱山を探索するなら、戦力を倍増以上させないといけない。

山から離れると、湖の方に戻る。その間、念のため。シェリさんには、念入りに後方を確認して貰った。

湖に行き当たる。

高度差があった今までと違って、湖の縁にでる。波が行き来していて。魚を狙った鳥が、複数波間に浮かんでいるのが見えた。

時々水面から、巨大な魚影が姿を見せるが。

その度に、鳥たちはぱっと逃れる。

人間より遙かに大きなあの魚影は、辺境戦士なら笑って流せる程度の相手だけれど。難民達だったら、それこそひとたまりもない相手だ。

湖に沿って、南へ。

徐々に、地面がぬかるみ始める。

この辺りからが、本番だ。

だが、その認識さえもが、甘かった。

いつの間にか。

周囲は、全域が泥沼になっていた。

ずっと昔に造られたらしい木の桟橋があるけれど。それも半ば以上朽ちている。それ以上に。

ずっとザガルトスさんとシェリさん。

2111さんと2319さんは、気を張りっぱなし。

それはどういうことか。

わざわざ説明されなくても、わかりきっているほどだ。

周囲が、とんでも無いモンスターの巣で。どこからいつ襲いかかってきてもおかしくないと言うことである。

口数さえ減っている。

「出来ればすぐに撤退を」

ザガルトスさんが、ハンドサインを出してくるので、頷く。

幸い、影で、方向は分かる。出来るだけ音を立てないように撤退。桟橋の中には、新しいものもあるけれど。

あれはひょっとすると、トトリ先生が造ったのだろうか。

可能性は否定出来ない。

沼地から抜け出して、湖畔に戻ってくると、ため息が零れる。心臓がばくばく言いっ放しだ。

とんでも無い化け物が、幾らでもいる。

そんな場所に、足を踏み入れていて。

側にいるベテラン勢四人でさえ、油断すれば一瞬で死ぬ事態に陥っていた。そう思うと。乾いた笑いさえ漏れない。

「沼地に沿って探索しよう。 沼地を避けて、大回りで行けるかも知れない」

「いえ、姫様。 あちらを」

周囲が知り合いばかりでは無いからか、ケイナがそんな風に言う。

そして、言われて指さされた先は。

柵が植え込まれていた。

「バルド王国との国境線です。 この沼地は中立地帯で、その外側はバルド王国になります」

「あいた、そうだった……」

アールズの国土は相応だけれども。この沼地の広さは、そもそも想像以上なのだ。

そして、土地的にも価値が無く。

踏み込んでも危険すぎるこの沼沢地帯は。国境線の緩衝地域にうってつけ。

アールズは、人口が少ないが、過酷な環境の国だ。だから周辺国に比べても戦士の質が昔から高く。

故に、国境線が安定するまでは、細かい紛争が絶えなかった。

国内でリザードマン族との紛争が本格化するまでは、敵は他の国だったのだ。

「分かったと思うが、この沼地の探索は不可能だ。 もしやるつもりだったら、俺やザガルトス並の戦士が最低でも一個小隊。 或いはトトリ殿の同行が必要になるだろうな」

容赦なく、シェリさんに事実を突きつけられる。

しばらく悩んだ末。

メルルは、大きく嘆息した。

「撤退します」

 

大回りして、アールズに到着。なんだかんだ言っても、予定していた地域。湖南西部の湿地帯以外は、全てが地図に起こすことが出来た。

その中には、安全地帯もあるし。

以前、農場への道を探して四苦八苦したときに比べると、まったくというほど楽である。ただし、問題も幾つもある。

アールズ王都に到着したところで、皆を解散。

ケイナとライアスに荷車を任せて、メルルはそのままお城に直行。シェリさんとザガルトスさんは、帰りも稽古をつけてくれたし。途中何度かあった戦闘でも、敵を苦も無く蹴散らしてくれた。

その中には、大型のぷにぷにや、下級のグリフォンもいて。

その戦闘力の高さは折り紙付き。

また次の探索には、同行願いたい所である。

お城で手続きをすると、どうやら珍しくルーフェスはスケジュールが空いているらしい。すぐに面会をする。

ルーフェスは、また泥まみれになって戻ってきたメルルを見て、大きく嘆息した。

「また無理をなさいましたな」

「これくらいは平気だよ。 それよりも、良いニュースと悪いニュースが二つ」

「伺いましょう」

地図を広げて、説明。

まず良いニュースは、鉱山への道の確保の成功だ。これに関しては、今回だけで成功するとメルルは思っていなかった。多分、ルーフェスもそれは同じだろう。少し驚いたようだった。

勿論、リス族や兎族の助力や。

本格的に難民を通すならば、キャンプスペースの増設が必要になる。もっと戦力を廻して貰わないと厳しいだろう。

アーランドからホムンクルスの戦士を廻して貰うか。

それとも、周辺国から、難民を引き受ける代わりに、戦士を出して貰うか。そのどちらかになる。

「次は悪いニュース」

まずは鉱山の話だ。

凄まじい広さに縄張りを造っている強力なモンスター。探知魔術も凄まじい。まるで、巨大な蜘蛛の巣のような有様で、鉱山全域が奴の手に落ちていた。シェリさんの話によると、アールズの全力を挙げるか、アーランドからハイランカー級の冒険者を連れてこないと、話にならないレベルの相手だという。

メルルも、実際に見た。

あの無節操な巣の作り方。

余程に実力に自信があって、天敵など想像も出来ない実力、という事だ。

ただ、妙にも思える。

どうして其処まで強力な奴が、流れてきて住み着いたのだろう。

「なるほど。 鉱山のモンスターについては報告を受けていましたが、其処まで強大化していたとなると、無視もできないでしょう。 近々姫様には、そのモンスターを討伐する指揮を執って貰う事になるかと思います」

「それはいいけれど、人材はどうするの? 今回連れていったメンバーで仕掛ける事はできないよ」

「アーランドから、近々ハイランカーが二名来ます。 彼らが到着し次第、戦闘状態に入っていただくことになります」

「!」

ハイランカーが、二人も。

つまりトトリ先生クラスの戦闘力の持ち主が、二人同時に来ると言う事になる。それならば、凶悪なモンスターとも、渡り合える可能性が高い。

しかし、それまでにメルルも腕を磨かないと行けないだろう。

ケイナとライアスも。

足手まといにだけは、ならないために。

少なくとも、作戦指揮を執るために、前線には出る必要がある。

もう一つの悪いニュース。

湿地帯への侵入は、まず不可能という話だ。メルルの実力不足もあるけれど、あの湿地帯は危険すぎる。

難民が入り込んだら、何万いようが瞬く間に皆殺しにされてしまうだろう。

「トトリ殿が耕作地帯からモンスターを遠ざけた影響でしょうね。 強力なモンスターが、西側に寄っているとみるべきかと」

「そうだとすると、突破は難しいね……」

「それについては、現在協議中の案があります。 形になり次第、姫様に着手していただく予定です」

どんな案だろう。

もしもトトリ先生が何かを考えているのだとしたら。その一部を、今後メルルがやる事になるのだろう。

いずれにしても、それはまだ先の話だ。

後は軽く打ち合わせをした後、栄養剤の納品が残っていると言われたので、分かっていると返答。

勿論忘れていない。

後五たる。

だけれども、これに関しては、さほど悲観していない。

トトリ先生が担当していて。

メルルが担当できないことは。現時点では、それこそ山のようにある。

それらを。

少しでも減らしていくことが。

今、メルルがやっていくべきことなのだ。

 

4、動き始めるもの

 

栄養剤を運び込んだメルルは、まったくもって様変わりした農場を見て、息を呑んでいた。

殆ど畑と代わらなかったのに。

等間隔に、恐らくはアーランドや周辺諸国から提供された苗が植えられて。かなりの速度で育っている。

様々な作物を、これから実らせるのだろう。

悪魔族の戦士と、何人かの技術者が話し込んでいる。仲睦まじい様子で、悪魔族と人間の間にあった対立は、見ている限りは感じられなかった。

「おお、姫様」

近づいてきたのは、なんとシャバルさんだ。

前はとにかく人を近づけない雰囲気だったのに。戦士として引退すると宣言したあの時とは、別人のように雰囲気が柔らかくなっている。笑顔さえ浮かべているのは、メルルも驚いた。

荷車から、ひょいひょいとたるを降ろしながら、専門家を呼び。

栄養剤の品質を確認。

わいわいと来た専門家達は、それぞれ勝手な事を言う。

「これなら、あの地区の栄養剤としては充分な性能だ。 栄養剤は幾らでもいるし、もっとほしいな」

「追加で納品して貰えないだろうか」

「こら、この方は」

「いいんだよ、シャバルさん。 もう何たるくらい納品すれば良いですか?」

雰囲気で、技術者の人も、メルルが貴人だと言う事は理解したのだろう。慌てて謝罪すると、もう十たるは欲しいと言われた。

十たるとなると、二往復か。

ただ、今はかなり農場への経路が安定している。馬車も相当な数が往復しているので、これらに乗せて貰えば良いだろう。わざわざメルルが足を運ばなくても、大丈夫な筈だ。

メルルが栄養剤を造れば。

それだけトトリ先生の負担が減る。

そう思えば。この国のためにもなる。メルルが錬金術師としての腕をあげればあげるほど、この国はそれだけ楽になるのだ。

見ると、難民も働き始めている。

耕作地帯に来ている難民は、既に四千を超えていて。此方にも先陣として、二百五十ほどがいるらしい。

ざっと見る限り、難民用の家屋は、奥の方に造られていて。

無理な労働を強いられているようには見えない。

勿論、メルルとしては、確認をしておきたい。難民達の所に行くと。拒絶の視線を向けられるが。それでも、笑顔を保って、話しかける。

「アールズの王女、メルルリンスです。 話を聞かせて貰いたいのですが」

「何の話ですか……」

窶れた様子の女性が、恨みの籠もった視線を向けてくる。

恨む相手がいないのだ。

家を追ったスピアの化け物達は、前線の向こう。

そして慣れない土地で、恐怖に包まれながら生きている状況。モンスターを恨もうにも、遭遇してしまったら即アウト。そうなると、柔らかい物腰の相手くらいしか、恨みを吐く相手なんていない。

だからメルルは気にしない。

相手にも名乗って貰ったけれど、ハンナというだけ。名字は教えてくれなかった。或いは、無いのかも知れない。

「この農場の責任者は私です。 何か不満があったら、言って貰えますか」

「……モンスター共や亜人種共、それに悪魔共がおっかなくてならないよ。 いつ取って食われるか、しれたもんじゃない。 どうにかならないかね」

「悪魔族や兎族が、貴方たちに危害を一度でも加えましたか?」

「そうはいっていないけどさ……怖いんだよ」

そうか。やはり主体性が無い恐怖か。

他の人達も、此方を恨みが籠もった視線で見ている。ただ、栄養状態に関しては悪くないし。過剰な労働もしていない。

正直に、労働時間なども話して欲しいと聞くが。

やはり、指定した以上の労働はさせていない様子だ。

それならば、大丈夫だろう。

「彼らは、見かけこそ怖いですが、人と何も代わりません。 モンスターからも、往復の道で守ってくれたはずです」

「だったら家に帰しておくれ」

「スピアのモンスターは、まだ食い止めるのがやっとです」

「……」

悔しそうにうつむく。

もしもアールズの助力がなかったら、家に帰るどころか、モンスターのエサ。そうでなくても、スピアの魔軍に殺される。どちらかの運命しかない。

分かっているから、彼女は愚痴を言うしか無いのだ。

とはいっても、周囲で護衛に当たっている悪魔族や兎族、冒険者達も。難民の愚痴につきあう余裕は無いだろう。

彼らの中には、難民に敵意を抱いている者さえいるのだから。

とにかく、今は少しずつ誤解を解いていくしか無い。

「住居と食糧に関しては、不足はありませんか?」

「ああ、食べるものは充分だ。 家も、うちほどじゃあないけど、相応に快適だよ」

「それならば、我慢してください。 私達も、今は敵を食い止めるのがやっと。 そしてこの前線が破られると、この大陸そのものが危機に落ちるんですから」

メルルも、何処までも譲歩するわけでは無い。

周囲の人達も。

抜き差しならない状況だと言う事は理解できているのだろう。それ以上は、メルルが何も言わなくても、分かってくれたようだった。

他の人にも話は聞くけれど。

やはり、主体性の無い恐怖や感情的な反発はあっても、それ以上の具体的な危険は無い様子だ。

上手く行っていると判断して良いだろう。

難民達の話を聞き終えた後、シャバルさんの所に行く。

「現状はどうかな?」

「そうさな、難民を最終的にはこの農場だけで二千人ほど受け入れるという話だけれど、儂からいわせると、もっと多く受け入れられそうだねえ」

「ふむ、了解。 ルーフェスに相談してみるね」

「お願いするよ」

後、細かいものについて、幾つか足りないと聞いたので、それについてもメモを取っておく。

二千人、か。

今、耕作地帯で四千名。ただこれに関しては、まだ当分余裕があるので、まだまだ受け入れられる。

農場で二千人受け入れるとしても、もっと忙しくなる時期になってから。今二千人いれても、無駄になるだけだろう。

耕作地帯も、ここに来る前に見てきたけれど。

其方は、まだまだ拡大の最中。

畑を広げているから、仕事をする人は幾らでも必要だ。これから新しく難民を受け入れながら、ローテーションで此方に廻す事になるだろう。

それらの具体的な計画は、ルーフェスがする。

一度、戻る。

城で、幾つかしておきたい話がある。

 

お城に戻ると、面会の手続きをしておく。ルーフェスはかなり忙しい様子だ。明日までは、面会できないだろう。

アトリエに戻って、調合開始。

幸い、材料だけはルーフェスが手配してくれている。栄養剤は、何にも考えず、じゃんじゃん作っていけば良い。

トトリ先生が戻ってきたので、十たる更に欲しいと言われたと言っておく。勿論、今後のためを考えて、造っておく。もしもルーフェスがGOサインを出したら、納品するという形で話を進める。

ルール通りに動く。

王族だから、そうしなければならないのだ。

「どれ、栄養剤、見せてくれる?」

「はい、どうですか?」

「ふーん、そうだね。 荒野の緑化にはちょっとまだ足りないけれど、あの農場を豊かにする分には充分かな」

「わ、ありがとうございます!」

まだ全面的では無いけれど、褒めて貰ったというのは、素直に嬉しい。何しろトトリ先生は。色々と問題があるとは言え、大陸でも上位に食い込む超一流の錬金術師なのだ。トトリ先生が言う事は、それこそ錬金術師としては基幹になるほどの意味がある。

トトリ先生は、調合の様子を見ながら。

さらりと、とんでも無い事を言った。

「近々、リザードマン族の戦士と戦って貰いたいんだけれど、いいかな?」

「へっ!?」

「相手も、最強の戦士を出してくるつもりは無いみたい。 それにメルルちゃん、力不足を痛感していたでしょ? 私がちょっと本気で鍛えてあげるよ」

それは嬉しいけれど。

しかし、どうしてまた。

ふと、それで思い当たる。

リザードマン族の内部が今、二つに割れていると。まさかとは思うが。彼らが喜ぶような、脳筋丸出しの方法で、解決しようとしているのか。

その場合、メルルが負けると、面倒な事になる。

逆に言うと。

勝ちさえすれば、アールズは一気に、軍事力を倍に計上できる。リザードマン族の戦力は、組織力に裏打ちされたアールズに匹敵するのだ。

勿論傘下に収めることなどは、考えなくて良い。

不可侵条約を結んで、同盟さえ出来れば、それでいいのだから。

そうすることで、前線への圧迫を減らすことが出来る。そして、余剰人員を、キャンプスペースの護衛などに廻してもらえる筈だ。

「相手は、今の私に比べて、どれくらい強いですか?」

「二回りくらい」

「決戦の日時は」

「一月くらい後かな」

それならば、充分だ。

今回の栄養剤納品の際、シェリさんとザガルトスさんに鍛えて貰って、幾つかの技を実戦段階に引き上げた。

後はトトリ先生に鍛えて貰って、基礎能力を高めれば良い。

いずれにしても、今のままではダメだと言うことは、メルルだって分かっていた。もっと強くならなければならない。

遅かれ早かれ。

この時は、来ていたのだ。

すぐに訓練を始めて欲しい。

そう言うと、トトリ先生は、相変わらずの笑顔のまま、頷いた。

そして、外に出ると。

いつものように、地面に小さな円を描く。

「いよいよ、時が来たね。 今回の特訓で、私を此処から出すか、私に一撃いれるか、どちらかを達成して貰うよ。 最初はライアスくんとケイナちゃんも一緒で構わないからね」

「どんな手を使っても良いですか?」

「うん。 フラムから何から使っても構わないよ」

つまりそれは。

前にトトリ先生が言っていたように。今のメルルでは、何をしてもトトリ先生を殺せない、という事だ。

分かっている。

だけれども、少しはメルルも腕を上げたのだ。

まずは、この円からトトリ先生を出して。或いは、一撃をいれて見せて。成長した所を見せたい。

ケイナに、ライアスを呼んできて貰う。

そして三人がかりで、トトリ先生との訓練を始めた。

 

アールズ王都を見下ろす丘の上。

木に登って、ミミはその光景を見ていた。

少しばかり早く来てしまったけれど、まあいいだろう。早く来たら来たで、する事はいくらでもあるのだ。

今のミミは、アーランドのランク8冒険者で。そのランクにふさわしいハイランカーとしての確実な実力を手にしている。

悔しい事に、これ以上は無理だろうとも言われているけれど。

それでも、この位置から。トトリが弟子達に特訓をつけている様子は見えた。

容赦ない。

昔のトトリだったら、考えられないくらいに。

笑顔を浮かべたまま、遠慮も呵責もなく弟子達をたたきのめしている。その笑顔には、明かな闇が宿っていた。

一瞬、目が合う。

トトリも、此方に気付いているらしい。今のトトリの身体能力は、半分ホムンクルスと融合したことで、人外の域に達している。流石にランク10、つまり国家軍事力級の連中と比べると見劣りするけれど。ミミでも勝てるかどうかは微妙だろう。

ため息が零れる。

必死に運命に抗っていたトトリは、もういない。

壊れてしまった。

取り戻す事は出来るのだろうか。

分からない。

トトリが、強い罪悪感からああなったことは、ミミも何となく分かっている。しかし、その罪悪感を取り除く方法が、思い当たらないのだ。

少なくとも、スピアを倒さないことには、何一つ始まらない。

ミミは頭を振って雑念を追い払うと、まずはアールズ王都に出向くことにする。しばらくは。周辺で街道の安全確保だろう。潰して欲しいと事前に言われている大物モンスターが、何体かいるのだ。

残像を造って、その場を離れる。

遠くへ行ってしまったトトリを、少しでも此方に引き戻すために。

ミミは膝を抱えて泣いている訳にも。諦めているわけにも、いかなかった。

 

(続)