隘路沼沢

 

序、湖

 

アールズ北部には、巨大な湖が拡がっている。それはあまりにも綺麗な円型をしていて、中心部には小島が。

そして、その美しい水には。

外来種が川を経由して入り込むまで、殆ど魚が存在しなかった。

歴代のアールズ王家が彼方此方の水路を調整したり、川の流れが変わって直接水が注ぎ込まれた結果、今では安定した水が存在していて。アールズの民の喉を潤す貴重な水源となり。毎年大きな鮭が遡上してきては、此処や少し上流の川で繁殖して海に戻っていく。

勿論この鮭はアールズの民の貴重なタンパク源であり。

その卵もろともに、珍重される代物だ。

だけれども。

メルルは座学で聞かされる。この湖は、本来あり得ない存在なのだと。

「世界には、零ポイントって呼ばれる危険地帯がたくさんあるの。 アーランドにもたくさんあってね」

トトリ先生が、その特徴を示す。

メルルは、思わずあっと叫びそうになっていた。

まったくというほど。特徴が同じなのだ。

特に、この異常なほどの円型。

確かに、自然では発生し得ない地形だ。そして世界には、この零ポイントが、たくさんある。

そういえば。

悪魔族が、同じような事を言っていた。零ポイントとしては、あり得ないと。

本来、このアールズは。

人が住めるような場所では無かった、という事なのだろうか。

「でもね、重要なのは、あり得ない、ということじゃないの。 どうして今、アールズには人が住むことが出来ていて。 こんなにも豊かな自然があって。 人々と共存できているか、なんだよ」

「トトリ先生、それはやっぱり、自分で考えないといけない、ですか?」

「当然。 でもね、本当のところを言うと、専門家である悪魔族達でさえ、この件については仮説以上のものを出せていないらしいの。 私も仮説は幾つかあるのだけれど、証明するには資料が足りなくてね」

黒板を消すと。

チョークで、新しくトトリ先生が、図を書き込んでいく。

円や線を書く動きが、人間とは思えない。すらすら、どころではない。正確すぎて、目を見張らされる。

「メルルちゃんはどう思う?」

「ううんと、分かりません。 でも、ずっと昔から、アールズは緑豊かな国だったと聞いていますし……」

「その割りには、住んでいる人が少ないよね」

「! そういえば……」

辺境でも、最も豊かな森林資源がある国の一つ。それがアールズだ。他の辺境国家でも、緑は大事にするという点では、何処も共通している。森は豊かな恵みをもたらしてくれるからである。

それなのに、どうして。

アールズは、こうまでも、国家規模が小さいのか。

授業は此処まで。

宿題を幾つか出された。そして、実技に移行。メルルは、新しく爆弾の作り方を、教わることになった。

ついにこの時が来たか。

そう思うと、メルルも感慨深い。

火薬は、錬金術における基礎的なもののひとつ。

非常に強力な火と熱を放つ火薬は、錬金術師にとって切り札となる道具を造り出すための、貴重なものだ。

初心者向けのフラムと呼ばれる、筒状の扱いやすい爆弾を最初に教わる。これは奥が深く、作り方によっては、ベヒモスなどの大物を狩ることも出来ると言う。ただしそれはあくまで極めた場合。

まずは、基本から。

それがメルルの前にある、現実。

才能がある訳でも無いし。一足飛びに次に行けるわけでもない。少しずつ練習して、ちょっとずつうまくなっていくしかない。

そんな凡人が、こなしていかなければならないことだ。

「しばらくは、私がいるときしか、火薬は調合したらダメだからね」

「はい、トトリ先生」

一つずつ、順番に調合をこなす。

一つ一つではさほど危険でもない薬品が。

混ぜることによって、悪夢のような爆発力を産み出す。錬金術では、その火力を、更に上げるサポートを中和剤で行う。

今までとは、比較にならないほど、繊細さが求められる作業だ。

一瞬たりとて、気を抜くことは許されない。

二日がかりの練習の末に、ようやく一つ目のフラムが出来たけれど。実際に爆発させてみると。

敵を殺すどころか、吃驚させることが精一杯、という代物しかできなかった。

苦笑いするメルルに。

トトリ先生は、練習だねと、いつもの笑顔を向けるのだった。

 

トトリ先生が行った後。

自分なりに、どうしてダメだったのかを確認する時間が増えてきていた。これは体を鍛えることもそうだし。何より錬金術も、だ。

メルルとケイナが二人がかりでも、未だにトトリ先生を小さな円から出す事も、一撃を浴びせることも出来ないでいる。

何度かトトリ先生が、ベテランの兵士と組み手をするのをメルルも見たけれど。圧倒的だ。

機動力を駆使し、棒をまるで体の一部のように使いこなして、相手をたたきのめす。

これでもトトリ先生はアーランドの最強では無く。

錬金術師に限定しても、更に強い人がいるというではないか。

つまりトトリ先生は、持ち味である機動力を完全封殺した状態で、メルルに対してハンデ付きで圧勝しているという事になる。

凄いと思うけれど。

同時に悔しい。

どうすれば追いつけるのか。

改善出来るのか。

ここのところは、毎日そればかりを考えるようになっていた。ため息が漏れる回数も増えていたけれど。それは、自分の考えを切り替えることで、何とかする。前向きに考えよう。

そう言って。

自分の弱気を追い出す。

前向きに考えれば、何だって少しは成功の芽が出てくる。

その芽さえ掴めば。

多少のミスは、帳消しに出来るものなのだ。

ケイナが戻ってきた。そのまま台所で、夕食を作り始める。今日は、臭いからして、キノコのバター炒めか。

勿論茸だけではなくて、お野菜やお肉も入っている。

特にお肉は、貴重なベヒモスのベーコンだ。どうやら最近、大物が仕留められたらしくて。お裾分けだと言う事で、メルルのアトリエにも少し来たのである。

当然、モンスターの中でも最上位層に食い込んでくるベヒモスの実力は高く、肉はなかなか手に入るものではない。

そしてその肉は。

独特の苦みがあって、とても美味しいのである。

「メルル、すぐに出来ますからね」

「有り難う、ケイナ。 ちょっと勉強しているから、出来たら声を掛けてね」

「はい」

黒板に書かれていた事を思い出す。

そして、実際にトトリ先生がいないから、調合は手を動かしてみて、イメージトレーニングとして実行してみる。

何度やってみても、上手く行かない。

幾つかの薬剤を中和剤で親和させるのだけれど。

この過程が難しくて。

どうしても、尻込みしてしまう。

旧時代の人間だったら、ちょっと失敗しただけで指が飛ぶという話の、難しい調合である。

尻込みするのは仕方が無いのかも知れないけれど。

それはどうにもメルルらしくない。

頬を叩くと、資料にもう一度目を通す。少しでもそれについて知る事で。調合の技量を、根元から上げたい。

ケイナが料理を終えて、温かいキノコのバター炒めを運んでくる。

二人でしばらく食事にする。

流石にベヒモスのベーコンは美味しい。食べている間は、ずっと二人とも、無言になってしまった。

「そろそろ、湖の周辺調査に行くんですよね、メルル」

「うん。 今回はトトリ先生もついてきてくれるんだって」

「それなら安心ですね」

「そうでも無いんだよ……」

トトリ先生は、戦闘には参加してくれないという。本当に危ないとき以外は、手を出さないと明言さえしていた。

今は、メルルの技量を高める時。

戦闘に関しても、それは同じ。

トトリ先生はいつも優しい笑顔を浮かべているけれど。その奥に何か得体が知れない闇があるように。

どうにも、こういうとき。過剰に厳しいような気がする。

でも、トトリ先生が間違ったことを言った事は、今までにない。だったら、少しでも力をつけるために、練習を重ねるのが、メルルのやるべきことだ。

軽く外で棒を振って気分転換してから。

自分に出来る調合をこなす。

これにしても、まだトトリ先生から免許皆伝は貰えていないのである。練習練習。少しずつ品質は上がっているけれど。

それでも、アーランド印には届かない。

持っていくためのお薬を幾つか仕上げた後。

今日はもう休む事にする。

遠出に行く日が、近づいてきている。

無駄に体力を消耗することも、体調を崩すことも許されない。メルルは早めに床に入ると、明日に備えた。

 

1、街道の端

 

辺境の中でも、最辺縁。

それがアールズの立ち位置だ。アーランドも同じような言い方をされる事があるらしいけれど。

アーランドの場合は、人口と国力が、国家規模に見合っている。特に南部辺境諸国の盟主となりつつある今は。健在だった頃の北部列強の何処とやりあっても、確実に勝てるだろうとさえ言われていた。

アールズは違う。

王都を出て、東に。

荷車を引くのはメルル。

後ろを守ってくれているのがトトリ先生。左右には、油断しないように、ライアスとケイナが展開してくれていた。

東に行くと、すぐに街道が途切れる。

昔造られた街道もあるけれど。

獣道だったり。

殆ど草に隠れてしまっていたり。

もはや、意味を成していない事が、殆ど。今、湖の北に農場を造るべくでている調査班が苦労していると聞くけれど。

これでは、無理もない。

かといって、簡単に進める荒野を行けば、今度はモンスターに狙い撃ちにされる事になる。

基本的に荒野には。

モンスターが、少なからず住んでいる。

その割合は、森よりも更に多い。

よほど戦闘に自信が無ければ、いきなり荒野を通るというのは、自殺行為。辺境の誰もが知っているベーシックな理屈だ。

荷車が重い。

草を踏んでいるのだから当然だ。

幸い、湖がすぐ側にあるから、迷う恐れは無い。ただ湖の北側は少しばかり小高い丘になっている。

今後は、荷車を引きながら、坂を登っていかなければならない。それも、街道が殆ど潰れてしまっている坂を、である。

憂鬱だ。

モンスターが見えた。

遠くに、首を伸ばして周囲を警戒する大型のトカゲ。間違いなくドナーンだ。サイズとしてはさほどでもなく。此方に気付いているけれど、仕掛けてこようという気は無い様子だった。

人間が四人では勝てない。

そう判断する程度に、力のない個体、という事である。

「警戒を緩めないでね」

「はい、トトリ先生!」

遠くを見ると、飛ぶ長い影。

大型の肉食昆虫、ハサミ飛び虫。一人前の兵士が後れを取る相手ではないけれど、そこそこ大きいし、何よりすばしっこい。毒も強い。

群れになって飛んでいる様子を見ると、餌場をあさっているのかもしれない。

いずれにしても、近づく用事もない。

ライアスが不安そうにそちらを見ていたので、促して先に行く。坂がとにかく長くて、しんどくてならない。

四刻ほど、黙々と坂を上がって。

ようやく、見晴らしが良い場所に出た。

キャンプを作る事にする。トトリ先生が手を叩いて、注目を集める。

「はい、それでは今日は、此処でキャンプにします。 ライアスくん、兵士として、設営のやり方は訓練している?」

「もちろんだ」

「うん、それじゃあ、二人を指導してね」

トトリ先生はと言うと、少し離れて警戒に当たってくれている。モンスターに対する奇襲を防いでくれる、と言うわけだ。

手を出さないと言っていたけれど。

こういう所では、きちんと要所に入ってくれる。それがメルルには有り難いし。ライアスも、随分楽になるはずだ。

「まず、天幕を造る。 その後は虫除け。 見張りを決めて……」

多少ぶきっちょだけれど。

ライアスが動き始めて、メルルもケイナもそれを手伝う。杭を植え込んで、テントを立てて。

周囲に柵を作り。

たいまつを並べて、火を入れる準備。

これらは、周辺からの攻撃を警戒してのものだ。

基本的に動物は火を怖れるが、これは人間の攻撃があるからだ。人間が弱体化していたりする地域で育ったり。或いはあまりにも秘境で生まれ、人間の恐怖を知らないで育ったモンスターは、火に寄って来るかも知れないが。

そんなモンスターは、辺境では長生きできない。

最初は数人殺せるかも知れないが、後は徹底的に駆除されるだけの運命だ。

たき火には、相手の奇襲を警戒する意味もある。

更に、虫除けの煙を辺りに。

これは不快害虫などでは無くて、実際に病気などを媒介する虫を避けるための処置だ。虫除けの魔術が使える人がいる場合は、それを掛けて貰うし。ある程度の達人になると、生体魔力を振動させて、虫除けを地力で行う事が出来るのだけれど。生憎此処には、そのどの選択肢もない。

だから煙でいぶすことによって、虫が嫌がって近寄ってこないようにするのだ。

天幕は一つ。

中で雑魚寝することになる。

年頃の男女がどうのとは言っていられない。もう少し人数がいる場合は、天幕を分けることもあるのだけれど。

今の状況では、それも出来なかった。

トトリ先生が、手招きしている。

近くに行くと、思わず息を呑む羽目に陥った。

遠くで、此方を伺っているモンスター。

ウォルフだ。

十頭以上はいる。

ベーシックな狼であるウォルフは、街道などから離れると、襲ってくる事もある。それほど危険性が高いモンスターでは無いけれど。このメンバー(トトリ先生を除く)だったら、獲物に出来ると思ったのかも知れない。

トトリ先生は、一歩を退く。

最初からそう言う話なのだし、仕方が無い。

「背中は守ってあげるから。 頑張って」

「ケイナ、ライアス! 敵襲!」

メルルが叫ぶと、二人とも慌てて此方に来る。同時に、ウォルフの群れが、遠吠えをあげた。

突入してくる。

かなりの数がいるけれど。

動き自体は、それほど早くない。この間の戦場で、スピアの洗脳モンスターが見せた動きの方が、余程早い。

突貫。

メルルが叫ぶと、ライアスとケイナが、応と叫んだ。

メルルも態勢を低くして、敵に突進する。振りかぶった杖を、飛びかかってきたウォルフに、フルスイングで叩き付ける。

頭蓋骨に、直撃。

自分自身も旋回しながら、ウォルフが唾液をまき散らしつつ、空中で態勢を崩すのを見る。

二匹目。

真横から来る。

踏みとどまると、真下から杖を振るい上げる。

顎を跳ね上げられたウォルフが動きを止めたところに、逆手に持ち替えた杖を、脳天から叩き込んでやる。

鋭い悲鳴。

三匹目。後ろから。

振り返り、そして見る。ケイナが、真横から飛び膝蹴りを叩き込んで。更に、脳天に鉄板入りの鞄を叩き込む。あれは、大丈夫だ。

吹っ飛ばされた狼たちも、即死はしない。

吼えながら、次々と飛びかかってくる。

四度目。

足首を狙って、低い態勢から食いついてくる。

跳躍して、空中で杖を軸に、狼の上に。飛び越して後ろをとると、振り返った所に、フルスイングで杖を叩き込む。

悲鳴を上げて、坂の下に転がっていく狼。

あれは、しばらくは戻ってこないだろう。

杖を振るって、血を落とす。

「次っ! 来いっ!」

叫ぶと、狼がまた迫ってくる。

その内の一匹が、止せば良いのにトトリ先生に突っかかり。笑顔のままのトトリ先生が、デコピン一発で、赤い霧にしてしまった。

デコピンって、あんな威力が出るのか。

「メルル!」

「!」

振り返ったメルルは。

飛びかかってきた狼に、押し倒される。振り返り際に、杖を盾にして、喉に噛みついてくるのを防ぐ。そのまま無言で、腹に膝を叩き込み。一瞬怯んだところを、マウントから脱出。

ケイナも、ライアスも、立ち位置を工夫して頑張っている。

杖を構え直すと。

メルルは、息を大きくはいた。

飛びかかってくるウォルフ。

気迫を込めた一撃を、脳天から叩き込む。

気がつくと。

周囲には、三匹のウォルフの死骸と。血の跡が、点々と残されていた。

「誰か噛まれていない!?」

「俺は大丈夫だ」

「私は……」

つらそうにしているケイナ。足は大丈夫だが、左腕にもろに噛まれた跡が残っている。すぐに諸肌を脱いで貰って、消毒。薬をいれる。

念のために、体を丈夫にするお薬も飲んで貰う。

これで、狂犬病になることもないだろう。

「ごめんなさい、足を引っ張ってしまって」

「それにしても、凄かったな……」

此方を見ないよう背中を向けながら、ライアスが言う。

確かにトトリ先生。デコピン一発でウォルフを赤い霧に変えたのは、もの凄かった。あれがアーランドのハイランカー冒険者の実力だと言う事か。

「さ、仕留めた獲物を調理しよう」

トトリ先生が、手を叩く。

いつの間にか、トトリ先生は、近くの木に死んだウォルフを吊して、血抜きを始めている。動きが速い上に、手際が凄い。

メルルも捌くのは幼い頃から習っているから、出来る。

山刀を荷車から取り出すと。まずは血抜きを終えたウォルフの腹を縦一文字に割いて、消化器を取り出す。これは近くの水場で洗う。

他の内臓類は血抜きが終わった後に取り出す。

毛皮も剥ぐ。

「えいやっ!」

気合いとともに山刀を降り下ろして、ウォルフの関節を切り離し。

骨を一つずつ、肉と分解していく。骨は割って軟骨を取り出して、肉は火に掛けて、食べられるようにする。

火を通した後は、煙でいぶす。

そうすることで燻製にして、すぐには傷まないようにするのだ。

怪我をしたケイナは仕方が無い。ただし、メルルの腕も上がっているし、傷はそれほど時間を掛けずに治るはずだ。

ライアスが、作業を手伝ってくれる。

「ライアス、血は大丈夫?」

「大丈夫だよ」

「そっか。 最初こうやって動物捌くの見た時、泣き出してたから」

「昔は昔、今は今だ」

その通りだ。ライアスは随分背も伸びた。でも、臆病なのは隠していても分かっているし。それに、昔と変わっていないことが、嬉しい部分もあるのだ。

消化器を洗って持ち帰ってきた後は、他の内臓同様に火を通して、何時でも食べられるようにする。

その間に野草を集めておいて。

ケイナが、美味しい野戦料理を造ってくれた。

ウォルフの骨の内、食べられない部分は、徹底的に砕いて、たき火で焼いた後に地面に埋める。

そうすることでウォルフの骨は。

大事な栄養となって、大地を潤すのだ。

抜いた血は、処置を施して、後でソーセージの材料にする。

毛皮の方はとっておいて、なめす。そして、後でお城の方に持っていく。モンスターの毛皮の中でも、ウォルフのはそこそこに衣服に転用しやすい。全体的に物資が足りないアールズでは、貴重な資源だ。今メルルが使うわけでも無い資源は、お城にいれてしまうのが一番だろう。

赤い霧になってしまったウォルフはちょっともったいなかったけれど。

でも、あれで他のウォルフは逃げ腰になった。

自分が苛立ったドラゴンに喧嘩を売る子ネズミも同然だと理解できたから、なのだろう。どうしてあの場で、トトリ先生に喧嘩を売るのか。

まあ、彼処まで粉々になったら、処置しなくても大地に帰るだろう。それだけは救いかも知れない。

トトリ先生は。

メルルとライアスがウォルフを捌いている間、見張りをしていてくれた。ケイナの手当も、てきぱきとしてくれた。

それだけで、充分だ。

「トトリ先生、お料理できました!」

「うん、じゃあみんなで食べようね」

四人で、鍋を囲む。

小さな食器。大きめのとりわけで皆に分けた後。それぞれ、持ち寄っている木の食器を使う。

スプーンと呼ばれるこれは、最近普及し始めて。金属製の高級品もあるけれど。メルルは質感が好きなので、あえて木のものを使っている。

トトリ先生も同じだ。

食事を皆で終える。

肉の味がしみこんだ野草は美味しい。野戦料理はまずいイメージもあるのだけれど。取れたての幸がうまい具合に揃えば、とても美味しく出来る。

満腹で、気分が良い。

ちょっと前まで殺し合いをしていたとは思えない。それに、殺し合いの最中、やっぱり周囲がよく見えなくなっていた。

もっと強くなって。

戦場でも、できるだけ冷静に振る舞えるようになりたい。そうすれば、メルルがみんなを守る事だって、出来る筈だ。

川に行って、鍋を洗い。

煮沸消毒して、手も洗っておく。

タオルを煮沸消毒しておいて、体を拭いて。それで一段落。ようやくリラックスできた。

「結構この辺りのウォルフは好戦的ですね」

「人が来ないからだよ。 珍しい獲物、くらいにしか見えなかったんだろうね。 定期的に駆除しないと、また誰かが襲われるよ」

「分かりました。 今度ルーフェスに相談します」

地図を見ながら、ウォルフに襲われた地点を記録。

ケイナに傷を見せてもらうと。もう良くなっていた。さすがはトトリ先生に教わったお薬だ。

包帯を外して、川に洗いに行く。

勿論これも煮沸消毒して、後で使うのだ。

その後は、トトリ先生に言われるまま、周囲の薬草や有用やキノコ、鉱物などを無心に採取し続ける。

採取のコツまでは、トトリ先生は教えてくれるけれど。

実際に採取するところまでは、手を貸してくれない。

メルルには。それで充分だし。

それ以上を求めようとも、思わなかった。

 

見張りを決めてから、野営。

格上の戦士がたくさんいる場所で野営した経験はあるけれど。トトリ先生がいざというとき以外は助けてくれないと明言している現状。正直、メルルと大差ない使い手しかいない状況での野営は初めての経験だ。

疲れたのか、側で既にケイナが寝息を立て始めている。

フラムを使う暇が無かったなと、メルルは思ったけれど。正直な話、初日から使ってしまっては、意味もない。

この湖を周回して、状況をしっかり調査するつもりなのだ。

まだ、物資は、使いきらない方が良いだろう。

今日はウォルフを狩ることが出来て、お肉を増やせたけれど。今後はそううまく食糧を得られるとも思えない。

錬金術の素材は回収後、油紙で包んであるけれど。

最悪の場合。

食べられる野草は、手をつけなければならないことも、考えなければならないだろう。

ぼんやりと眠っていると。

女子三人のいる天幕で居心地が悪そうなライアスが、外に出るのが見えた。今はまだ、体力も余っているし、仕方が無い。

トトリ先生に言われたけれど。

じきに、意地を張る余裕も無くなってくる。

何となく、それが真実だと、メルルも分かる。ウォルフはモンスターとしてはかなり弱い方で。

今日は十頭に襲われたけれど。

本来なら、あれくらいは一人で撃退できなければ、話にならないのだから。

眠ることにする。

見張りに起こされたのは、明け方近く。

天幕から這い出すと。

地平の果てから、陽が上がり始めていた。

何度か見た光景だけれど。実に美しい。そして、南の方には、小さく発展途上のアールズ王都が見える。

遠くから見ると分かるし。此処が高台だから、という事もあるのだろう。

本当に小さな街だ。

苦笑いが漏れてしまう。

そして、北の方は、露骨に空気が違う。

砦の跡地がギリギリ見えるのだけれど、野戦陣地と化していて、数百人が動いているのが分かる。

馬車も見えた。

街道の周辺が整備され、かなりの数の補給物資が行き交っている様子だ。物資だけではなく、人員も、だろう。

湖は、ひたすらに雄大。

地平の果てまで拡がっている。これから、あの湖の端まで歩いて、湖の縁を調べ尽くすのだ。

そう思うと、大変だとも感じるし。

やる気も湧いてくる。

しばらくすると、全員起き出してくる。昨日の狼肉と野草を使って、また鍋を作って。それを食べ終えてから、出立だ。

キャンプを畳んで、荷車に乗せて。

それから、歩き出す。

この辺りは、昨日の長い長い坂に比べると、かなり歩きやすい。今後、路にすると。モンスターの脅威さえ排除できれば、観光名所に出来るかもしれなかった。もっとも、今はスピアの脅威がある。

そんな余裕がある人間など、いないだろうけれど。

そのまま北上を続けていくと。

川にさしかかる。

アールズ北の湖には、幾つもの川が流れ込んでいるが。この川はそれらの中でも最大規模で、流域に湿地帯を造っている。勿論南端は滝になっていて、其処から多くの水が湖へと流れ込んでいるのだ。

川の流れは速いけれど。

廃棄された橋が、幾つかまだ残っている。多分リザードマン族と本格的に戦争を始める前に、この辺りを整備しようとして造った石橋だろう。それに、川の本流は兎も角、支流は歩いてわたれる。

幾つか、中州がある地点も見受けられる。

ベテランの兵士だったら、この辺りをぽんぽんと跳んでいけるだろうけれど。これからは、そもそも農場を造るために、それほど戦闘力がない兵士でも、此処を通れるようにしなければならない。

最終的には。

難民達を農場にいれて、働いて貰う事になる。

つまりそれは、モンスターの襲撃を警戒しなくても良い状況にして。襲撃があった場合も、死者を出さず撃退できなければ意味がない。

周囲を見回して、少しずつプランを組み立てる。

橋を通す場所を決めて。

その周辺を、安全にする必要がある。

地図を確認。

少し上流に回り込むと、川の流れが緩やかな地点がある。其処をうまく通れば、川の中にいる危険なモンスターを警戒せずに、進むことが出来るだろう。石橋の補修についても急務だ。

丸一日掛けて、川をじっくり調査。

川岸にキャンプを張ったのは、夕方。地図と現状の地形を比べてみると、かなりの相違点がある。

石橋も、落ちてしまっているものが幾つかあった。

「川の流れが変わっていますね」

「川は生き物だからね」

「そうなんですか?」

「ほら、見て」

トトリ先生が、幾つかの石を見せてくれる。

フェストと呼ばれる、研磨剤に使用するものなのだけれど。ただの石と言うには、形状が露骨に違いすぎていた。

とげとげに尖っているものと。

丸くなっているもの。

「これはね、川で流されている間に、棘がとれたものなの。 この丸いフェストは、下流で採取したものなんだよ」

「へえ!」

「こっちは、あまり流されていない上流で採取したフェスト。 つまり、石さえも、川の中ではこんな風に代わってしまうの。 そして大水があったりすると、まるで川は生き物のようにその流れを変えるんだよ」

水害が起きる地域では。

それに対策して、堤防を造ったり、色々としなければならないという。勿論、トトリ先生も。

路を造る過程で、そういった事業には、何度も関わってきているそうだ。

「その、まだ湖の周囲を、半分も見てまわっていない今言うのも何なんですけれど……ほんとうに、どうしたらいいのか」

「まずは、地図をしっかり作り直そう」

「……はい」

やはり、そうなるか。

また見張りを決めて、早めに休む。

そして、その翌朝、川には霧が出た。それもかなり濃い。身動きするのは危険と判断し、その場に留まるしかなかった。

川霧。

噂には聞いていたけれど、実際に経験するのは初めてだ。トトリ先生が、外で見張りをすると行って、出て行ったのは。

多分今のメルル達では、モンスターに奇襲されたとき、対応出来ないと判断したからだろう。

悔しいけれど、それが現実だ。

外はミルクでもぶちまけたような白で、殆ど何も見えない。じっと天幕の中で、身を潜めているしかない。

「メルル、大丈夫でしょうか……」

「大丈夫。 でも、こんなに濃いとは思わなかったよ」

「これじゃあ助けを呼びにもいけねえな」

忌々しそうにライアスが言うけれど。助けを呼びに行くのは悪手だ。

というのも、別に此処はそれほどモンスターが強い地域でもない。むしろ無理に動き回ったり、戦力を分けた方が、事故が起きやすくなる。

それを説明すると。

ライアスは黙り込む。

「今はトトリ先生に頼るのじゃなくて、我々がするべき事をしよう。 とにかく、何が起きても大丈夫なように、気を張り続ける事。 それが最適解だと思う」

「分かってるさ、でもな」

「大丈夫、怖がらなくても平気だから。 それに、霧はそんなに長い間出ていないはずだよ。 最悪でも、昼前には晴れるから」

むしろ、今は落ち着くべきだろう。

しばらくすると。

やはり、予想通り、霧が晴れてくる。あまりにも強烈だった川霧だけれども。これならばどうにかなりそうだ。

慌てて動かなくて良かった。

この辺りは河原で、足場だって悪い。鼻や耳を頼りに狩りをするタイプのモンスターに、霧の中で奇襲されたら。

トトリ先生クラスの使い手なら何の問題も無いだろうけれど。今のメルル達なんて、それこそひとたまりもない。

トトリ先生が、戻ってくる。

「そろそろ出かけられるよ」

「はい、ありがとうございます!」

立ち上がると、外に。

霧はもうかなり薄くなり。昨日のうちに当たりをつけておいた橋から、渡ることが出来そうだった。

トトリ先生は、戦闘を行っていない様子だ。キャンプの周囲を確認すると、モンスターの足跡は残っているのに。

聞いてみようかと思ったけれど、止めておく。

この人くらい強いと。余程間抜けなモンスターでもない限り、戦闘は避けるだろう。或いは痕跡が残っていないだけで、殺されてしまったモンスターもいるのかも知れない。

川を渡る。

石橋はかなりがたついていたけれど。それでも、渡ることは出来た。しかし此処を荷駄が通るのは危ない。

橋が落ちでもしたら、死者が確実に出るだろう。

地図に書き加える。

安全に農場への路を通すには。まず、石橋の補修が必須。また、川霧をさけるために、本格的なキャンプスペースも必要になる。

人手が足りない。

「トトリ先生」

「どうしたの?」

「どう考えても、農場へのルートを安全化するのに、人手が足りないと思います。 何か良い案は……」

「ルーフェスさんに相談するのが良いと思うよ」

即答。

それはそうだ。

というよりも、トトリ先生としても、メルルには自分の頭を使って考えて欲しいのだろう。

頼るのは、出来るだけ無し。

何度も、自分に言い聞かせながら。

メルルは歩く。

 

2、黒い湿地

 

農場予定地まで、かなりまだ距離があるけれど。状況は正直な話、良いとは言いがたい。川から支流が出て。それにより、湿地帯になっている地域に突入したのだ。勿論、湿地帯からは、強力なモンスターの気配も漂ってきている。

踏み込むのは、別に構わない。

問題は、此処を護衛付きとは言え、難民の労働者が通るのは無理、という事で。どうにかして、対抗案を考えなければならない。

湿地帯を潰すわけにはいかない。

此処も有用な資源を、幾つも取れる場所になる可能性が高いからだ。それに、人間の都合でそのような事をしていたら、あらゆる場所が瞬く間に干上がってしまうだろう。

湿地帯に沿って、歩く。

崖に出たので、思わず声が出かけた。

かなり下に、湖が。そして湖の向こうには、小さくアールズ王都が見える。湖の真ん中にある島は、もう少し西。つまり、まだ湖の周囲を、半分も見て回れていない、ということである。

既に一週間が経過していて。

物資も、相当に減っている。時々襲ってくる小物のモンスターを解体してお肉にはしているけれど。

それでも、いつかは物資も尽きる。

お薬も減ってきた。

フラムも。

何度か使ったが、小型のモンスターを怯ませる位の火力はある。でも、それだけだ。モンスターを殺すには足りない。

今のメルルの錬金術では、その程度の事しか出来ない。

それを思い知らされて、少し凹むけれど。今はそれよりも。調査をどれだけ進められるかが、問題になってくる。

地図を書き直す。

本当なら、この辺りは緩やかな坂になっている筈なのだ。地図がかなり古い。下手をすると、死人が出る。

崖に沿って進みながら、声を掛け合う。

落ちたら一大事だ。

まず助からないと見て良い。

それに、確か。ルーフェスが言っていた、農場の予定地は、この近くの筈だ。危険地帯については、できるだけ割り出す方が良いだろう。この辺りには、柵を作って、危険を避けた方が良い。

それに、モンスターに此処で襲われると厄介だ。

多分、モンスターも弱い人を集中的に狙ってくるはず。護衛の手が回らなかった場合、万が一も、助かることは無いだろう。

色々と、問題が山積みだ。

気付いたものがある。

「トトリ先生、ちょっとこれを見て貰えますか?」

「なあに?」

笑顔のまま来たトトリ先生に、見せる。

地面に鋭い亀裂が走っている。これは、ひょっとすると。地盤そのものが、痛んでいるのかも知れない。

もしそうだとすると大変だ。

「これ、先に崩しましょうか」

「うーん、本当にそうしたい?」

「はい。 ここに誰か来て、崩れたりしたら大変です」

「そうだね。 でも、人為的に崩すと、何が起きるか分からないよ?」

トトリ先生はあくまで静かに。

そう、脅すように、含めるように言う。

確かに何が起きるか分からない現状。下手に崩すのは、失策かも知れない。でも、此処が崩れたりしたら、もっと災禍が大きい。

少し悩んだ末。

メルルは決める。

「やはり崩そうと思います」

「ん、それならこの辺りにフラムを仕掛けてみて」

「分かりました!」

どのみち、一度戻る予定だったのだ。手持ちのフラムを根こそぎ地割れの一部に仕掛けて、そして、着火。

爆裂。

強烈な揺れ。

地面が崩れて、土砂が流れていく。やはり、かなり地盤が痛んでいたらしい。理由は分からないけれど。長雨が原因かも知れない。

崩れた土砂を、ぼんやりと見つめる。

凄まじい勢い。巻き込まれたらアールズの精鋭でも危ない。メルル達では確実におだぶつだ。

しばらく離れて様子を見て。

土砂崩れが止まるのを見て、一安心。

トトリ先生が先に降りて、周囲を確認。これ以上崩落が起きないことを、確認してくれた。

更にトトリ先生が、フラムを取り出す。

メルルのものとは、まるで桁外れの破壊力がある事は、容易に想像できる。手を振ってきたので、慌ててケイナとライアスに叫ぶ。

「急いで下がって!」

慌てて走る。

その背後で、爆裂音。地震のように揺れて。小さく悲鳴が漏れそうになった。

後ろを見ると。

土砂の崩落は止まっている。

トトリ先生が、ひょいと飛び出してくると、埃を払う。どうやら、完全に崩落させるために、追加で発破を仕掛けたようだった。

「トトリ先生、どうですかー?」

「うん、崩落は止まったよ」

促されて、見に行く。

所々、水がしみ出していた。地盤が緩んでいたのは確実。そして、地下水までしみこんでいた。

これでは、いつ崩れても、不思議では無かっただろう。

「こんなに王都の近くなのだし、本来は気付いていても不思議では無いはずなのだけれどね……」

「ごめんなさい、トトリ先生。 アールズには、余裕が無いんです」

「大丈夫、これから何とかしていけば良いんだから」

こつんと、額を突かれた。

いずれにしても、フラムはこれで品切れだ。後は、農場の予定地まで見に行って、それで帰るだけ。

残り半分については、一旦戻って、補給を済ませてから確認する感じである。それも、ただでは終わらないだろうが。

アールズの国力が如何に小さいか、思い知らされて。

メルルとしても、あまり良い気分はしなかった。むしろ悲しくさえある。本来だったら、トトリ先生が言うように。こんな王都の近くで、このような事が起きていたら。気付いていて当然だというのに。

きっと王都でも、崩落を確認して、騒ぎになっているだろう。

これは良い薬になる。

ルーフェスに連絡したら、きっと良いアイデアを出してくれる。

一旦その場を離れる。周囲を確認していくと、どうやら街道の跡地らしいものを発見。とはいっても、草まみれで。

周囲は安全とほど遠い状況の上。

一部は湿地帯に飲み込まれてしまっていて、とでもそのまま使える状況では無かったのだが。

湿地帯の中を確認しようとして、トトリ先生に止められる。

「ストップ、メルルちゃん」

「トトリ先生、どうしたんですか?」

「強い気配があるよ。 多分大物がいるね」

「!」

すぐに飛び下がる。

大物か。

トトリ先生がそう言うという事は。恐らくは、今のメルル達の手に負える相手では無い、という事だろう。

トトリ先生の力を当てにすることは出来ない。どうしても仕方が無い場合はともかくとして、ただ頼るだけでは、何の意味もないし。トトリ先生だって、手伝って何てくれないだろう。

「メルル、一度離れましょう」

「うん……」

ケイナの声には、あまり嬉しそうでは無いどころか。少なからず恐怖も含まれていた。連戦による疲弊もある。

ライアスも無言で、頷く。

メルルだって、無駄に戦う事は、望んでいないし。このまま無理をすれば、怪我ではすまなくなる。

一度湿地を離れて。迂回しながら北上。

西の方に、密林がある。

かなり豊富に水が流れ込んでいるのだろう。森はとても元気に育っていて、当然内部にモンスターも多数いる様子だった。

これは、今のメルルでは、踏み込むのは自殺行為だろう。

ひょっとすると。

「兎」こと、うさぷにがいるかも知れない。

ぷにぷに族の中でも、かなり高位に存在する危険なモンスターで、全身が白っぽく、巨体の上部に一対の耳状器官がある事からそう呼ばれる。

動きが速い上に獰猛で、非常に凶悪な戦闘力を持つ。無数の触手を振り回し、辺りに暴威を振るう強力なモンスターだ。

勿論本物の兎とは何の関係もなく。

アーランドのハイランカー冒険者でも、此奴が現れると本腰を入れて退治に掛かる、と言う話だ。

北部の列強で現れると、相当に大きな被害を出し。

アールズでも、現れる度に騒ぎになる。

そして、王都から離れた森。

特にエントの付近には、相当数が生息している、と言う噂もあるのだった。

「密林は避けよう。 どっちにしても、今の私達の手には負えないよ」

「ああ。 いつか、俺がどうにかしてやりたいが……」

ライアスは、悔しそうに、それ以上は口をつぐんだ。

密林を避けながら、二日がかりで北上。

川の支流があったけれど。

幸い石橋が生きていて、そのまま通ることが出来た。ただし、川そのものがかなり勢いも強い。

下手をすると、大物のモンスターが、潜んでいるかも知れない。

この辺りも、要注意だ。

それに地図とかなり違っている。

トトリ先生が言うように、川は生き物で。

この辺りは、もう昔の地図を造った頃とは、別の場所になっていると判断するほか内だろう。

かなり迂回してきたけれど。

これで、どうにか目的地に到着できるはずだ。

念のため、キャンプを張って、翌日に目的地を確認することにする。まだ、メルルには。選択肢が、殆ど無い。

 

目的地に到着。川の近くだったけれど。川霧が出るようなことも無く。モンスターも、襲撃はしてこなかった。

目的地は、広い平原になっていて。

幾つかの支流が流れ込んでいて、何カ所かに小さな池がある。

そしてこの辺り。

あの厄介なプレイン草が、ほぼ見当たらない。

一部は林になっている。

そして、近づこうとしたメルルの足下に。いきなり、槍が突き刺さった。

ケイナとライアスが飛び出し、構える。メルル自身も、国宝であるプラティーンの杖を構えて、臨戦態勢に。

唯一平然としていたのは、トトリ先生で。

そのまま、まっすぐ林に歩いて行く。

聞き慣れない言葉で、トトリ先生が話しかけているのが分かる。ひょっとすると、これは。

林の中から、複数の影が姿を見せる。

そしてトトリ先生は。

メルル達に、口元に指先を持っていって、静かにするように促すと。林の中に、一人で入っていった。

しばし、警戒を続ける。

「逃げる準備はしておくぞ」

「そうだね。 もしもトトリ先生がどうにかなるようなことがあったら、とてもじゃないけれど、手に負えない。 奪還する事は考えるけれど……まずは第一に、逃げる事が優先だね」

「大丈夫でしょうか」

不安そうなケイナ。

周囲には、少なからずモンスターの影がある。小型のぷにぷにが這いずり回っているのが見えるが。此方には幸い興味が無い様子だ。

ウォルフもいる。

数体が固まって、地面に寝そべってくつろいでいる。

此方には興味も無いし。

近づかなければ、攻撃してくるつもりも無さそうだ。

今の時点では、大丈夫。

だけれども。

追い払うためのフラムも尽きているし。お薬だって、そう多くは無い。食糧も、それほど備蓄が残っていない。

今回は、来る事が出来ただけで、幸運だ。

本当は撤退するべきだったのかも知れないと、メルルは後悔さえしていた。判断が遅れたのは、否めないところだ。

ほどなく。

トトリ先生が戻ってくる。

連れているのは、小柄な種族。

近づかれたので、無意識のまま、身構えてしまう。

彼らは亜人種の一つ、兎族だ。

リス族より更に小柄で、アールズとは因縁が深い種族でもある。最近和解は果たしたのだけれども。

やはり、それでも警戒してしまう。

悪魔族と違って、メルルは幼い頃、この兎族に追い回されたことがあり。父上に助けて貰うまで、森の中で孤立して泣いていたことがある。あの時は、本当に怖かった。兎族達は、メルルに容赦するつもりも無かった様子で。殺す気満々だったのが、幼いメルルにも分かっていた。

兎族は、頭から布のようなものを被っていて、顔の上半分を隠している。この布が一種の民族衣装で、耳のように二つの突起が出ている。それ故に、兎族と呼ばれていて。彼ら自身も、兎を自身の「同胞」として扱っているという。

近づかれなければ、大丈夫だ。

話だって出来る。

だけれど、近づかれると。

どうしても、昔のトラウマが、表に出てきてしまうのだ。

「この森に住む兎族の代表、森に生える野草の主、さんだよ。 メルルちゃん、挨拶して」

「……よろしくお願いします。 アールズの王族、メルルリンスです。 メルルとお呼びください」

「この森の代表である森に生える野草の主だ。 いきなり攻撃をして悪かった。 アールズの使者が来ることは分かっていたが、少し前に南の方で大きな崖崩れがあってな。 皆、警戒していた」

「ごめんなさい、地盤が崩れていたので、私がやりました。 そのままだと、崩落に皆が巻き込まれる可能性があったので」

メルルの腰ほどまでしかない森に生える野草の主さんは、頷く。

多分トトリ先生に聞かされていたのだろう。

どうしてか、背中にいやな冷や汗が流れる。

兎族は、目が赤い。

一族に共通している事なのだけれど、かぶり物のしたから見える目はうっすら発光さえしていて、薄闇の森の中にいると、光が赤い糸を引く。これが怖い。目には強い魔力が籠もっていて、薄闇の中でも見通すための力になっているのは分かるのだけれど。理屈抜きに、恐怖を感じてしまうのだ。

ましてやメルルの場合は、幼い頃のトラウマにもつながっている。

だから、かぶりものの下から見える赤い目は、やっぱり何というか。今でも、苦手なのだ。

情けないと思うけれど。

生唾を飲み込んでいた。

「この近くに、農場を造るそうだな」

「はい。 この平原を開拓して、多くの食糧を生産する予定です」

「アールズのルーフェスという男から使者は来ている。 我々としても、農場の護衛としては役立つつもりだ。 今は北からくる奴らをどうにかするのが急務だからな」

「お願いします」

ぺこりと一礼。

そして、握手を求められたので。

腰を落として。

出来るだけ目を見ないようにしながら、相手の手を取った。しばし無言のまま手を握って。

そして、腰を上げる。

トトリ先生が、荷車から何かを出して、渡していた。兎族の長老らしい森に生える野草の主さんは、それを受け取ると、随分嬉しそうにしていた。

「これは、助かる」

「今後は良き関係を構築していきましょう」

「うむ……さすがはリス族に先神と呼ばれる錬金術師。 これからも頼りにさせて貰うぞ」

トトリ先生に促されて、平原を出る。

呼吸が、定まっていない。

足の震えを殺すのが、精一杯だった。

「お前、まだあの時の事引きずってるのか?」

「ほっといてよ」

メルルが口を引き結んで、視線をそらす。

ダメだ。

相手はむしろ友好的に接してくれた。最初は不幸な行き違いだったけれど。トトリ先生がフォローしてくれたとは言え。以降は無理難題を言う事も無く。トトリに対して、握手まで求めて来た。

メルルを追い回した兎族は、あの人じゃない。

その頃は、アールズでも兎族を相手に、かなり激しい戦いと争いをしていた。

それを水に流して、友好的に接してくれたというのに。どうしてメルルは、割り切れないのか。

分かっている。

人間の弱さだ。

王族としては。ねじ伏せなければならないものだ。

でも、怖い。

分かっているのに。どうにもならない。何とも情けなくて、涙さえ零れてくる。どうしようもない。

しばらく目を擦った後。

前向きに、前向きにと、口の中で呟く。あの兎族の長老は、むしろ大人の対応をしてくれた。

メルルも、大人の対応で返すのが筋だ。

筋を通さない行動をする人は世の中に多い。だからこそ、王族が行動に筋を通してみせることで。見本とならなければならない。

そんな事、帝王教育の最初に叩き込まれたことで。

メルルとしても、理解していなければならないことなのに。

気がつくと、ケイナが寄り添ってくれていた。メルルは空を仰ぐと、深呼吸する。そして、無理矢理。

恐怖をねじ伏せた。

「ごめん、ケイナ。 ありがとう、支えてくれて」

「行きましょう。 後は、一旦帰って、報告をまとめないと」

「うん……」

トトリ先生は、何も言わない。

分かっているのかも知れない。メルルが、兎族との関係で、どうにも仕方が無いトラウマを抱えてしまっていることは。

帰り道は、無言。

メルルは、自分でもどうにかしなければならないと分かっているのに。現実を直視してしまうと、やはり心に大きな傷を受けてしまう。

仲良くやっていかなければならない。

自分のトラウマなどで、せっかくうまく行きかけている関係を、台無しにするわけにはいかない。

それなのに。

自分の情けなさに、メルルは言葉も出なかった。

 

3、回帰

 

アールズにようやく到着して。

アトリエのコンテナに荷物をいれて。

ケイナに言われて、一緒に銭湯に行く。トトリ先生は、先にお城に行って、色々と報告することがあるようだった。

それはそうだ。

時々キャンプを抜け出して、トトリ先生なりの仕事をしていた様子なのである。その内容について、詮索する気は無い。

お風呂に入って、疲れを流す。

ぼんやりしていると、側に座っているケイナが話しかけてくる。

「兎族の事ですね」

「うん。 ダメだな、私……」

「誰にだって怖いものはあります。 ましてやメルルの場合……」

「ううん、それでも王族として、どうにかしなければならないの。 それが、税金で生活を支えて貰っている者の責務なの。 それなのに、どうして私、どうにもできないんだろう……。 情けなくて、言葉も出ないよ」

ご機嫌な様子で、誰かがお風呂に入ってくる。

ちょっとお湯がはねた。

凄く嬉しそうな鼻歌。

ああ、この声は聞き覚えがある。

「あれー? メルルちゃん?」

「ファナさん、お久しぶりです」

「おひさー!」

近づいてきたのは。メルルよりちょっと背が低い女性。交易をしている背が低い一族の出身者であるファナさんだ。

この辺りを縄張りにしている交易商で、自身で荷物を仕入れて、時々アールズ王都にもやってくる。

この一族は、あまり戦闘力がなくて。普段は、安全が確保されている地域しか通らないか。それとも冒険者を護衛に雇って、それでどうにかするの二択なのだけれど。

ファナさんは自衛のための戦闘力を有している数少ない例外で。

アールズの近辺でも、かなり手広くお仕事をしているそうだ。実際、王宮にいても、ファナさんが仕入れてくれたものを手にすることはかなり多かったし。アールズの王宮でも、色々貴重な品を仕入れてくれるファナさんは、重宝していた節があった。

だからメルルとも幼い頃から交友がある。

「どしたの? 珍しく凹んでるけど」

「ちょっと自分が情けなくなることがあって」

「そっか。 でも、メルルちゃんの活躍は聞いてるよ。 むしろ他の国の王族に比べて、頑張ってると思うけどな」

へらへらと笑う。

ファナさんは、実用一辺倒の姿だ。髪の毛は短く刈り込んでいるし、戦闘を想定した軽装。普段の生活も、実利一辺。荷車を常に持ち運んで、多くの品物を如何に売りさばくか、いつも計算をしているという。

だからだろうか。

こういったおどけた言動をすることで、バランスを取っているのだろう。

内心はどう思っているのか分からない。

本当におどけた人なのか。

それとも、実際には。

全て計算ずくなのかも知れない。

だからファナさんを嫌う人もいるけれど。メルルは、この人のことは、決して嫌いでは無かった。

「じゃ、もう上がるわ」

「もうですか?」

「お仕事、これでも忙しいからね」

けらけら笑いながら、ファナさんが銭湯を出て行く。メルルとしても、何だか羨ましいと思った。

あれくらいのバイタリティがあれば。

メルルだって、こんな風に凹むこともないだろうに。

 

一眠りして、体調を整えてから、ルーフェスの所に出向く。既にルーフェスには、農場予定地まで踏破したことが、トトリ先生経由で伝わっているはずだ。勿論今回は、それについての細かい説明である。

ルーフェスは執務室にいた。

メルルが出向くと、すぐに話を聞く体勢に入る。地図を広げて、相違点を順番に説明。

その全てを。その場でしっかり把握しているようだった。

やはりルーフェスは、基礎的なスペックからして違う。

「なるほど。 では順番に問題を解決していく必要がありそうですね」

「まず、街道の確保だけれど。 キャンプスペースを、何カ所かに造るしかないと思うのだけれど。 人手が足りないよ」

「それならば、何とか宛てが出来ています」

ルーフェスによると。

南にある国の一つ、ヒスト女王国が現在、非常に北部列強からの難民の扱いで苦労しているという。ヒスト女王国の難民を引き受けることで、十名の手練れを此方に呼ぶ事に成功しているらしいのだけれど。

これを、更に増やせる可能性が高いという。

「現在、前倒しで、ヒスト女王国からの難民受け入れを進めており、既に五百名ほどを受け入れています」

「そんなに!」

「現時点では、つつがなく進行しておりますので、ご安心を。 この件に関して、ヒスト女王国からは礼状が届いており。 うまく交渉すれば、更に二十名ほど、中堅程度の戦士を呼べるでしょう」

彼らに、キャンプスペースを守ってもらうと言う。

これに、アーランドから派遣して貰うホムンクルス数名を加える。彼女らは前線から離れた者達で、戦闘の補助ならばこなせるという人材だ。戦闘力そのものは高く、キャンプスペースの専守防衛には良いだろう。

ただ。

メルルが見たところ。

それでも少し足りないと思う。

「安全な経路が限られているし、蛇行するし、事故が起きやすいと思う。 何とかできないかな」

「農場そのものは、兎族との契約によって、護衛が恐らく確保できます」

顔を上げる。

ルーフェスが不思議そうに小首をかしげる。

そうか、或いは知らないのかもしれない。もしくは、メルルがとっくにトラウマを克服していると思っているのかもしれない。ひょっとすると、トラウマなど、どうとも考えていない可能性もある。

強い人間には。

弱い人間の気持ちは分からない。

「どうかなさいましたか?」

「ううん、いいよ。 続けて」

「はい。 確かに姫様の言うとおり、これから労働力として難民を農場へ導く際に、街道の安全確保が急務で。 現状では、恐らくそれが無理だというのも事実でしょう。 そこで、姫様には、もっと短い経路で、なおかつ安全に農場までたどり着けるルートの開拓をお願いいたします」

「分かった。 でも、ちょっと時間が掛かるかも知れないよ」

承知の上と、ルーフェスは言う

そうか、それならば、仕方が無い。

それと、崖崩れが起きたことも言っておく。当然、ルーフェスは把握していた。

「あれは姫様の仕業でしたか」

「でも、仕方が無かったんだよ。 地盤が緩んでて、いつ崩れてもおかしくない状況だったの。 だから、先に崩して、安全を確保したんだよ」

「分かっております。 現地には既に調査班を派遣して、地盤を固める処置について検討中です」

そうか。

怒られなかったのは良かった。実際、ルーフェスにしても。トトリ先生が側で見ている上で実施したというのは、分かっていたのだろう。

後は、幾つか細かい話をして。

それでおしまい。

引き続きメルルは、湖の周辺調査。それに加えて、農場へ如何に安全に行くか、それを考えなければならない。

キャンプスペースについても、専門家であるトトリ先生の意見を聞かなければならないだろう。

何しろトトリ先生は、砂漠に路を通したという、専門家中の専門家。今まで誰も出来なかった事を実現した人だ。

この程度の環境だったら。

何ら苦も無く、路を造ってみせるだろう。

でも、トトリ先生が造るのでは意味がない。トトリ先生はもっと難しい仕事をしているのだから。

メルルが、やるのだ。

やり方を教わって。

城を出る。

見張りの兵士が露骨に減っていた。彼方此方に出かけて、仕事をしているのだ。或いはルーフェスが言っていた、崖崩れの調査班もいるかも知れない。

ライアスは寂しそうにしていた。

いつも構ってくれて、稽古もつけてくれる先輩達がいないから、だろう。気を抜くわけにもいかないので、あくびも出来ないのはつらそうだが。

「ライアス、どう、見張りは」

「どうもこうもねえよ」

「そっか。 また近いうちに出るから、準備はしておいてね」

「分かってる」

少しずつ、精神的な体調は整えている。

このままではいけないことは分かっている。それに、メルル自身の双肩には。この国の人々の、未来が掛かっているのだ。

 

数日かけて、物資を補給。

フラムも再生産。更に、持っていく野営用の道具についても、トトリ先生の助言を受け手、整備した。

更に、今回から、手を少し増やすことにする。

トトリ先生が手配してくれたホムンクルスの戦士が、護衛として来てくれることになったのだ。

来てくれるのは二人。

2111さんと、2319さん。

ホムンクルスは名前を数字で呼ぶ事が多く。しかも2000番台は、かなり若いホムンクルスだそうだ。

ケイナは少し不安そうにしていたけれど。

メルルは心配していない。

南の耕作地帯の様子を見る限り、ホムンクルス達の仕事ぶりは本物だ。真面目だし責任感もあるし、何より強い。

その代わり、トトリ先生は来てくれない。

別の仕事が入ったそうである。

トトリ先生と比べると、流石にホムンクルス戦士二人では、つりあいがとれないのは、メルルでも分かる。

つまり戦力がかなり落ちた状況で、探索をしなければならない、ということだ。

フラムと食糧の準備が終わった所で、一度アトリエでミーティングを行う。

トトリ先生は見ているだけ。

メルルが、主導して、ミーティングは進める。ホムンクルス達二人は、まだ到着していない。

出発当日、合流の予定だ。

それだけ忙しい中、手を割いてくれているという事は。メルルにも、容易に想像できた。

「前回の探索では、比較的安全な場所を通った結果、かなり複雑な経路を進むことになったの。 でも、それだと、迷子にもなりやすいし、定点監視を行うキャンプスペースの数も多くなる。 二十名ほどの手練れを南のヒスト女王国が提供してくれるらしいから、逆に言うと多く見積もっても、四ヶ所しかキャンプスペースは作れない」

それでも、多く見積もりすぎなくらいだ。

そして、現状の経路では。

その倍手があっても、とても足りない。

つまり、経路の短縮が絶対に必要になってくる。メルルとしては、今回の探索で、ショートカットルートを見つけるつもりだ。

当然、前回とは探索の危険度が、比較にもならないだろう。

ライアスが提案する。

「いっそ、湖の西側から回り込むってのはどうだ?」

「無理」

即答してしまう。

そもそも、湖の西側は、複雑な沼沢地帯。しかも、トトリ先生が追い払ってくれたとは言え、強豪モンスターの巣窟だ。

トトリ先生だから生きて帰れていただけで。

迷路同然、膨大なモンスターがいる中を、難民達が抜けるのは不可能に近い。護衛をつけていても、相当数の死者が出ることは避けられないだろう。

一人だけたどり着ければ良いとか、そう言う話では無いのだ。

沼沢地帯を避けるとすると、かなり大回りになる。

それはそれで大変だ。

多分東から回り込むよりも、相当に距離が増える。そうなってしまうと、やはり手が足りない。

「ごめん、そういうこと。 何かこれらをクリアできる案はある?」

「いや、ないな」

「そっか」

でも、アイデアを出してくれたことには礼を言う。

ライアスは頷くと、別に気を悪くした雰囲気も無かった。実際、ただ適当に提案してみただけ、だったのだろう。

続いて、前回通ったコースを確認。

蛇行したり迂回したりで、非常に複雑なルートを行っている。これだと、そもそも農場に辿り着く前に、難民達の体力が保たない可能性も小さくない。モンスターも襲ってくるだろうし、現時点での経路は現実的では無い。

これをどうすればいいか。

幾つか、避けるべきポイントがある。

森と、川。

それに、川にある石橋の補修も、出来るだけしたい。幾つかの石橋が復活できれば、それだけでかなりの距離をショートカットできそうなのである。もっとも、川に住んでいるモンスターを、どうにかすることが、最低条件の一つだが。

川には知能が高いモンスターもいる。

アールズにはいないが、下半身が魚になっている亜人種が住んでいる地域もあるのだとか。

彼らは人肉を好むことで有名で、催眠効果がある歌で人間を川に引きずり込み、よってたかってズタズタにしてしまう。見かけは美しい女性が殆どだという話なのだが、それ故にタチが悪い。

悪魔族やリザードマン族以上に、人間との対立が激しい種族だと聞いている。

今は、アールズにはいない。

だが、スピアの手を逃れて、今までいなかった地域に、彼ら人魚族が進出してきているという話もある。

いずれにしても、川は鬼門だ。

できるだけ通過する場所は、石橋をしっかり固めて。その周辺を、通るようにして行きたい。

そうして考えると。

まず、キャンプスペースを置くべき必須のポイントが見えてきた。

川霧の問題もある。

川に、一カ所。

後は全体的な距離を考慮して。川までに一カ所。更にその後に、二カ所が必須になってくるだろう。

つまり、複雑に支流が絡んでいる川を、一度に見回せる地域に、監視所が必要になってくる。

それと、森だ。

貴重な資源をもたらしてくれる森だが、それはあくまで辺境の戦士達にとって、である。北部列強から逃れてきた難民達にとって、アールズの森は文字通り悪夢の具現化。入り込もうものならまず助からないし。中から襲ってくる魔物に関しては、充分以上の脅威になる。

「トトリ先生。 今、和解に成功したリス族が、彼方此方の森で街道警備を始めてくれていると聞いています。 湖北部の森は、どうでしょうか」

「まだちょっと手が足りてないんじゃないのかな。 元々アールズにいるリス族はそれほど多く無いからね。 いっそ、リス族の難民を受け入れるって手もあるよ」

「!」

それだ。

確か、スピアに圧迫されて、アーランドに逃げ込んできているリス族が、相当数いると聞いている。

彼らに、森を提供して。

その代わり、街道の警備をして貰えば。

かなり、移動経路を修正できるかも知れない。

「ルーフェスに相談してみます」

「そうだね。 元々リス族の難民は、人間の難民と違って、負傷さえ回復できればすぐにでも環境に適応できるから。 むしろ、アールズとしても、負担なく受け入れられて、メリットも大きいと思うよ」

「分かりました!」

勿論、いきなり明日からリス族が来てくれるわけではない。長期的な計画になる。だが、これで。

地図を見て。

移動経路を、大胆に修正する。

いっそのこと、丘になっている地域の周辺を、緑化してしまうと言うのも手の一つだろう。

そうすれば、其処をリス族に提供して。

街道そのものを、かなり安全にすることが可能だ。

幾つか、解決できる事も出てくる。

後は。

あまり気は進まないが、兎族に似たような事を頼むという手もある。リス族ほど徹底していないけれど、彼らもまた、森の民だ。

農場だけではなく。

うまくすれば、森から、街道の護衛もしてくれるかもしれない。

そうなれば、キャンプスペースの間隔は、更に減らすことが出来る。

ただし。

今までの案は、全てが皮算用だ。

リス族は少し前までアールズと対立していた。トトリ先生がどうにかしてくれたとはいえ、いきなり都合良くそんな要求を呑んでくれるとは思えない。特に地元のリス族はそうだろう。

それにリス族だって、どんな森だって良いと言うとは思えない。

強力すぎるモンスターが住んでいる森の管理を頼んでも、拒否される可能性は決して小さくない。

それに、石橋。

故障している石橋は、全て確認したけれど。

直すとしたら、相応に手間も予算も掛かる。専門家も必要だろう。

ハゲルさんはどうだろうか。

あの人は金属加工が専門っぽいのだが、或いは。頼めば、作業に手を貸してくれるかもしれない。

幾つかの案をまとめて、トトリ先生に聞いてみる。

トトリ先生は黙り込んでいたけれど。

ライアスとケイナに、意見を振ったので、少し驚いた。

「二人はどう思う?」

「少し都合が良すぎるような気がして、不安です」

はっきりケイナはそう言ってくれる。

メルルも、それは思う。

現実問題として、メルルが農場にたどり着けたのは、トトリ先生が一緒にいてくれたからだ。

そうでなければ、途中でモンスターのエサになっていた可能性は、極めて高いと見て良いだろう。

それに、橋の修理。

何が必要かも、よく分からない。

「ハゲルさんを、現場に連れて行く、くらいのことはしないとダメだと思います」

「んー、そう、だね」

「あのおっさん、実力はどうなんだろう」

「折り紙付きだよ。 少なくとも今の三人よりは何倍も強いから安心して」

トトリ先生がそういうなら、ハゲルさんを彼処に連れて行く事に関しては、大丈夫だろう。

食糧を少し増やせば良いだけだ。

後は、兎族、リス族との交渉。

できれば、トトリ先生に頼みたいけれど。

生唾を飲み込む。

リス族は大丈夫だ。

だが、兎族は。直接交渉しなければならないかと思うと、胃に穴が空きそうだった。

箇条書きで、するべき事をまとめていく。

トトリ先生に見てもらう。

考えている事は、よく分からなかったけれど。

トトリ先生は、駄目出しはしなかった。

すぐに、ルーフェスに見せに行く。

そして、幾つかの修正点付きで、許可を貰った。

 

準備が整ったので、出発する。

アールズ王都の東門。そこでは、二人のホムンクルスとハゲルさん。それにおじいさんが一人来ていた。

村の外れに住んでいる、偏屈なおじいさん。

シャバルさんと言う彼は。

周囲からも壁を造っていて。いつも黙々と、自分の畑を耕して、生活している人である。何をしているのかは、メルルも良く知らなかった。ルーフェスに聞くまでは。

彼こそが。

昔、あの石橋を造った張本人。

正確には、よその国から来て、石橋を造る作業に携わり。

そして、メンテナンスも兼ねて、この国に居着いてしまった、という人だ。

もっとも、それから国情の悪化もあって、メンテナンスどころではなくなり。国にはもとより家族も思い入れもなく。

ずるずるといついて、今に到るそうだが。

「今日から数日、よろしくお願いします!」

頭を下げると、ハゲルさんは驚いたようだった。王族に頭を下げられたのは、初らしい。シャバルさんは、鼻を鳴らす。

ハゲルさんと違って、王族と民が近い生活を長く続けているし。何より、自分の技術に自信もあるのだろう。

ただ見たところ、ハゲルさんは戦闘力が決して低くないのに対し、シャバルさんは流石にもう力に衰えが出てきている。

若い頃は相当な実力者だったらしいのだけれど。

今では、メルルよりマシ、という程度の実力しか有していない様子だ。

悲しい話だが。

これが、老い。

辺境戦士は老いも遅い。六十を超えて現役時代の力を保っている戦士は、珍しくもない。しかし、それが七十、八十となるとどうか。シャバルさんは名槍家として知られていたらしいのだけれど。気の毒な話、今では見る影もなかった。

ただ、それでも今回は。

戦力として、活用していくしかない。

メルルは、人数を率いて出た経験もある。今回はその中でも特に厄介な仕事だけれども。しかし、以前前線にアールズの戦士達を連れて出たときほどでも無い。スピアの軍勢に比べたら、この近辺の敵なんて、どうと言うことも無いのだ。

二人のホムンクルスは、ケイナと同じくメイドルックだが。手にしている武器がそれぞれ違う。

2111さんは、長大なハルバードを。

2319さんは、巨大なポールアックスを手にしている。

体に不釣り合いな大型武器だけれど。

見た感じ、動きに不安は無い様子だ。

殆ど同じ姿のホムンクルスで。支給されている制服も同じなのだけれど。その中で、彼らは違う武器を手にしたり。ちょっとした小物を身につけたりで。それぞれ、自分なりに個性を追求しているという。

実際に見ていると、確かにそうなのだと分かる。

ホムンクルス達にしても。

個性に埋没するのはいやなのだろう。

今回は、荷車を二つ連結したものを使う。

人数が増えたという事もあり。持っていかなければならない物資も、増えるから、である。

「戦闘が想定されます。 各自気を付けてください」

「おう、任せときな、姫嬢ちゃん」

「姫嬢ちゃん!?」

「これが一番言いやすそうだとおもってな。 気に入らないんなら変えるぜ?」

いや、個性的で面白い。

それにため口を普段は利いているライアスや、他の国民の例もある。この国のために来てくれている優れた技術者だ。

それはむしろ、親しみの結果と思えば、嬉しくもなる。

「メルル姫様、わしは何時でも行けるが」

「そうですね、行きましょう」

無言のまま、最前列に2111さんが。最後尾に2319さんがつく。2111さんは荷車も引いてくれる。

2111さんの少し右斜め後ろにメルルが。

荷車の左右前にケイナとライアス。

その後ろに、ハゲルさんとシャバルさん。

シャバルさんは立派な槍を手にしていたが、現役時代のつもりでいられると、怪我をしてしまうだろう。

昔は凄かった筋肉も。

今は見る影もないのだ。

「まずは、今回は此方のルートから行きます」

移動しながら、地図に触れる。

前は湖に沿うようにして移動して。却って面倒な路を通り、多くのモンスターにも襲われた。

今回は最初から大回りを予定。

そして、大回りしながら、前回探索できなかった地点を、中心的に見ていく。

そうすることで、地図の修正を、効率的に行うのだ。

北上すると、丘に出るけれど。

街道から外れているのに、むしろ坂は緩やかだ。ただ、この辺りは、見晴らしが良すぎる。人間が通っていると、モンスターに丸見えになるだろう。

「各自警戒!」

メルルは声を張り上げて、杖を握る手にも力を込めた。

この辺りはウォルフが集団で住み着いている。一種の営巣地だ。それほど強いウォルフはいないけれど。

それでも、時々とんでも無いのが姿を見せると、メルルも聞かされた事がある。中には、ベテラン戦士が数人がかりで、死者を出すことを覚悟しなければならないほどの相手もいるそうだ。

丘の上に、出る。

坂道としては、此方の方が緩やかだ。これなら定点監視地点、つまりキャンプスペースを造ってしまえば。むしろ、難民達は安全に移動できるかも知れない。

一旦キャンプを造ると。

其処を基点に、周囲をじっくり見てまわる。

ひょっとすると。

もっと楽なルートがあるかも知れないからだ。

岡の周辺を見て回ると、やはりなだらかな部分と、急な坂が混在している。ひどいところは崖のようにさえなっていて。

逆に楽なところは、今のメルルでも、容易く上れる。少し地面を削って整備したら、もっとらくになるだろう。

地図に状況を書き加える。

これは収穫だ。

昔の街道にばかりこだわっていないで、周囲をもっと丁寧に見れば、こんなにも楽なルートが見つかるのか。

湖に沿って移動するというのも、戦略としては悪くなかったのだが。考え方を少し柔軟にするだけで、こうも違うのか。

これは、今後の事を考えると。

身にきざんでおくべき事だろう。

一日がかりで、地図を整備。キャンプには、流石に今回は二人分の天幕を立てて、男女に分かれて使用する事にした。

日が傾いてきたので、今日の探索は打ち切り。

見張りを決めて。

そこから、たき火を囲んで、話を進める。

「この辺りの坂を削ると、丘の上まで上がるのに、かなり楽になると思います」

「そうだな。 問題は、モンスターの襲撃を、どう避けるかだ。 近くに森でもあれば、リス族を頼む手もあるんだが」

「それについては、別の地点で、既に手配しています」

「そうだろうな。 あのルーフェスのあんちゃんは、それだけ抜け目がない性格に見えたからな」

ハゲルさんの遠慮無いものいい。

ライアスは眉をひそめたけれど。

悪意がないのがわかりきっているからか、何も言わなかった。

「それで、これからどうするね」

シャバルさんは、一刻も早く、石橋の現状を見たい様子だ。壊れてしまっていることはもう告げてあるのだけれど。

それでも、造った人間としては。

どうなっているのか。確認して起きたいのだろう。

「明日から移動して、明後日には最悪でもつきます」

「問題は、あの辺りの主だな」

「主、ですか」

「ユニコーンと言って分かるか」

ユニコーン。

聞いた事がある。どちらかと言えば聖獣と呼ばれる、白い馬のモンスターだ。何でも伝説では純潔の乙女が大好きで、それ以外の生物は容赦なく殺傷しに掛かるとか。ちなみに嘘っぱちである。

実際のユニコーンは、人肉も食べる雑食性。純潔の乙女も、エサとして好むことがある、くらいで。手心なんて加えてくれはしないだろう。性質も獰猛で、モンスターとしては中堅所の実力があるという。

他の地域ではさほど多くは見かけられないけれど。

この近辺では、ただのユニコーンでは無く。相当に鍛えられた個体が、広めの縄張りを持っているという。

「橋を造ったときも、襲撃に随分悩まされた。 気を付けてくれ。 奴らの戦闘力は、相当に高い」

「ホムンクルス二人がいるこのメンバーでも危ないのか、シャバルの爺さん」

「油断だけはするなと言っている。 正面からやり合えば勝てるかも知れないが、相手も其処まで優しくは無い」

「……」

そう、だろうな。

ユニコーンは馬の形状をしているが、基本的に肉食性の強い雑食だと聞いた事がある。この辺りは他の馬型のモンスターと同じだが。魔術を使うなど、生半可な馬型のモンスターとは比較にならない、一線を画する実力持ちだそうだ。

奇襲を防ぐためにも、今後も念入りな行動が必要だろう。

頭を掻きながら、ハゲルさんが立ち上がる。

「そうなると、そこのホムンクルスの嬢ちゃん達と、俺とで、三連のシフトを組んで見張りに入るしかないな」

「え、でも」

「でももねえよ。 前はトトリの嬢ちゃんがいたんだろう? 彼奴の実力は、ユニコーン何ざ片手で数頭まとめてお手玉する位だぞ。 前回の探索だと、それでユニコーンも仕掛けてこなかったんだろう。 あまりにも化け物じみた気配があるから、ってことでな」

ハゲルさんは。

何を知っているのか、そういう。

そしてその口調には。

陽気でおどけているいつもと違い、メルルにもはっきり分かる、強い憂いが籠もっていた。

「あの、稽古、つけて貰ってもいいですか?」

「良いぜ。 今は少しでも強くなりたい時期だろうし、俺にもそんな時期があった。 ただ、俺はちょっとばかり、手荒く稽古するから、覚悟してくれな」

「はいっ!」

天幕を出る。

後は、順番に、ハゲルさんに稽古をつけて貰う。

探索は順調。

そして、恐らくは。

前回同様、順調に進むのは、此処まで。

此処からは、話に上がったユニコーンの脅威もあるだろう。油断は一切出来ない。

それは分かっていたのに。

メルルは、何処かで、油断していたのかも知れない。

 

4、瞬撃

 

丘周辺を徹底的に調べ尽くし。

地図も詳細に仕上げた。

何度か戦闘はあったけれど、二人のホムンクルスの戦闘力は圧倒的で、まったく敵を寄せ付けず。

メルルも勿論戦ったけれど。

前と違って押し倒されて喉を食いちぎられそうになるようなこともなく。

フルスイングで頭蓋を叩き、怯んだ敵をケイナとライアスが、二人がかりでとどめを刺すという感触で。ウォルフもドナーンも、アードラも。襲いかかってきた相手を、順調に叩き潰すことが出来ていた。

二日がかりで、丘周辺の調査を終えたので、次は川の方へ行く。

そして、前に湿地帯に出向いたとき。

足を踏みいれなかった、湿地帯の中に入ろうとした、その瞬間だった。

「ちょい待ちな」

ハゲルさんが制止してくる。

いつもとは違う。

重苦しくて、有無を言わさぬ声。

その声には、烈しい強制力が、確かにあった。

「姫嬢ちゃん、そっから先はまずい」

「えっ!? はい」

足を引っ込めようとした、その時。

聞き慣れない音と共に。

全身が、金縛りに遭う。

声も出せない。

何か、魔術を掛けられたのだと、メルルにも分かった。それも、これは恐らく、人間の魔術じゃない。

あまりにも展開が早すぎるし。

詠唱も聞こえなかった。

泥をはじき飛ばして。

地中から飛び出してくるそれは。

アールズ王都周辺にいるモンスター馬より、二回りも大きくがっしりしていて。泥まみれながらも、白い強烈な色合いの毛皮が目立ち。何よりも、頭には、相手を刺し殺そうと狙っている、ねじくれた角。

ユニコーンだ。

人間よりずっと大きいそれが。

獲物と見定めたメルルに対して、まっすぐ突っ込んでくる。

角で突き刺して、殺して、喰らうために。

あ。

死んだ。

メルルは、身動き一つ出来ない。

拘束を解除する魔術なんて使えないし、普段だったら多少は冷静に振る舞えただろうに、それもできなかった。

見る間に迫ってくる、殺意の具現化たる角。

縄張りを侵した相手を排除しようとしている、などという理由では無い。単純にエサが来たから喰おうとしている。

ユニコーンがメルルを殺そうとしているのは。

それ以上でも、以下でもない理屈で。

故に、対話も。

相互理解も。

不可能。

どずんと、凄まじい音が、眼前でした。

飛び込んできたハゲルさんが、ユニコーンの頭を小脇に抱えるようにして、突進を止めたのである。

メルルの、ほんの一寸前で。ユニコーンの角は止まっていた。

更に、左右から完璧な連携で、ホムンクルス二人が、ユニコーンに己の武器を叩き込む。

泥をはじき飛ばしながら、ユニコーンが暴れようとするけれど。

とどめを刺したのは、シャバルさんだった。

のど頸に、槍を突き立てる。衰えたとは言え、名槍家の意地を見せる一撃だった。

悲鳴を上げてもがくユニコーンだが。

槍の穂先は確実に、容赦なく。その白い喉へと、食い込んでいった。

不意に、メルルの拘束が解け。

駆け寄ってきたケイナに支えられる。ライアスはその頃、やっとメルルの前に、立ちふさがる。

二人とも、凄まじい殺気に押されて、身動きさえ出来なかったのだろう。大量の血を流しながらもがいているユニコーンの太い首を。

気合い一閃。

ハゲルさんが、へし折っていた。

それがとどめになった。

首をあらぬ方向に曲げたユニコーンが、横倒しになって、動かなくなる。そして、その時、始めて気付く。

ハゲルさんが、左腕と脇に、抉るような傷を受けている。

当たり前だ。

あんな突進を、真正面から受け止めたのだ。腹に大穴を開けられなかっただけ、幸運と言えただろう。

「ハゲルさん!」

「ふーっ、俺も衰えたな。 戦士として前線に出ないと、どうしても体がなまっちまうよなあ。 この程度のモンスターに、手傷を受けるなんてよ」

いつもより、ずっと荒々しい口調で、ハゲルさんが消毒薬をしみこませた布を取り出す。慌てて薬を出して、傷口に塗る。

痛いですかと聞くと。

当たり前だと、ハゲルさんは凄まじい声を張り上げた。

びくりと身を震わせるメルルに。

いつもの陽気でおどけた雰囲気とは、真逆の戦士としての顔で、ハゲルさんは一言一言を紡いだ。

「良いか、この怪我は、姫嬢ちゃんが造ったものだ。 今回は俺がいたから良かったが、そうでなければ、姫嬢ちゃんか、其処の二人のどちらかが、今頃串刺しにされて喰われていただろうよ」

「……!」

「力を早くつけるんだ。 一秒でも早く強くなれ。 危険な気配も読めないようじゃ、今の時代錬金術師はやっていけねえ。 姫嬢ちゃんの師匠も、その師匠も。 毎回血反吐吐きながら、いろんな所で強敵とやり合って、腕を上げていったんだ。 今回のことは、教訓にしな。 ……本当に、俺がいて良かったぜ」

自分はいい。ケイナやライアスが串刺しにされる光景を想像して。

メルルは吐き戻しそうになった。

でも、こらえる。

串刺しにされた場合。悠々と、獲物を得たユニコーンは泥沼の中に引き揚げて行って。

メルルに見せつけるようにして。

得た獲物を、頭から囓り始めるのだ。

嫌にクリアに想像できる。

それが、自然の摂理。

そして今回は。

メルル達が、自然の摂理を行使して。敵を倒し、肉を喰らう事になった。

そして、ハゲルさんは、なおも言う。

「この沼地、同じような気配が一つや二つじゃねえ。 トトリの嬢ちゃんだったら、昼寝しながらでも通れるだろうけどな。 今の姫嬢ちゃんだったら、十人いたって簡単に全滅するぞ。 難民なんか、入り込んだだけ全部喰われて死ぬだけだ。 いいから、避けて通れ。 他の路を探すんだ」

ホムンクルス二人が、ユニコーンの死骸を引きずって、木に吊し始める。

解体して、肉をとり。

そして、使えそうな臓器は、分けておくのだ。

特にその角。

非常に強力な薬効がある。煎じて飲むだけで、死人が生き返るという噂もある、曰く付きの品だ。

ネクタルという薬品も、同様の効果があるらしいけれど。ユニコーンの角は、天然物である。

そして、そのような噂があるにも関わらず。

ユニコーンという魔物が絶滅もしていないと言う事が。ユニコーンの高い戦闘力を、裏付けていた。

解体作業が終わる。

ユニコーンの肉は、筋張っていて、とてもではないけれど、美味しいなどとは言えなかった。

胃袋からは、正体を考えたくない未消化の肉がたくさん出てくる。

この辺りで死んだ人間や行方不明者は出ていないはずだから。人や亜人種のものではないと考えて良い筈だが。

それにしても、おぞましい話だ。

それでも、辺境に生きるもののルール。

倒したものの肉は。

毒でもない限り、食べる。

メルルは、一口一口を味わいながら、思う。

これは生の味だ。

一歩間違うと、ケイナとライアスを失っていた。そして、自分自身が、貪り喰われていた。

分かっていた。

その筈なのに。

メルルは、何処かで油断していたのだろう。

格上のモンスターがゴロゴロいる地域に今いて。

そして、一瞬の油断で、竹馬の友や、自分の命を奪われる。その恐怖を、今更ながら、メルルは思い出していた。

 

周辺を歩いて、沼地の地図を直していく。危険地帯と、しっかり地図には書いた。ユニコーンが複数いるのなら。

絶対に難民達は近寄らせられない。

それこそ、一度の突進で数人が串刺しにされ。

串焼きのように、十把一絡げに食いちぎられ、胃袋に収まってしまうだろう。そう言うレベルのモンスターだ。

辺境の戦士が苦戦するモンスターは、基本的に列強育ちの人間の手には負えない。うさぷにが入り込んだ街で、百人単位の死者が出たという事件さえあるそうだ。難民が辺境に逃れてきた際、スピアの軍勢に殺された数もそうだが、不用意に森などに入り込み、モンスターに捕食された数は相当数に登るという。

更に、である。

2111さんが指摘してくる。

「メルル様。 ご覧ください」

言われたままみると。

沼地の奥の方を歩いている巨影。

あれは、間違いない。恐らくは、成体のベヒモスだ。

まずい。

農場への路を確保するには、少なくとも。この近辺にいるユニコーンやベヒモスは、追い払う必要がある。もしくは、別の。彼らが縄張りにしていない路を、見つけ出す必要があるだろう。

ハゲルさんが言ったように。

今のメルルには、避けるしか手がない。

しかし、どうやって行くべきか。

湖を船で渡るのは論外だ。湖には、それこそ小舟だったらひとのみにするような、島魚が住み着いている。彼らは鮭と一緒に(というよりも、鮭を目当てに)入ってきた外来種で、陸上にも上がってくる。勿論、難民なんて小粋なおやつくらいにしかならない。

勿論鮭を捕りに行くアールズの漁師達や、或いは辺境の戦士達なら倒せるが。

難民達は、束になっても殺されて喰われるだけだ。

そもそも鮭を捕りに行くアールズの漁師達にしても、大型の専用船を使うくらいなのである。ピストン輸送でたくさんの難民を運ぶ事なんて不可能だ。

迂回するしか無い。

地図を直しながら、メルルは気付く。

「こっちは、どうだろう」

地図で、妙な空白がある。其処は、沼地の更に北。丘からは、沼を抜けないといけないけれど。

小川を遡っていけば、辿り着くのは難しくない。

そして小川にはモンスターもいるけれど。川の水深が浅い支流だったら、或いは。強力なモンスターはいない可能性もある。

行ってみる価値は、あるかも知れない。

メルルは、手を叩いて、皆を集める。

そして、話した。

川を上流に遡って、其処から西に行けば。地図の空白地帯を通ることが出来る。もしその過程で、強力なモンスターの縄張りが無ければ。

或いは。最小限の護衛で、難民達を、農場へ移送することが出来るかもしれない。

途中で壊れている石橋を直す事で、更にルートの選択肢を増やせる。シャバルさんとハゲルさんには、その辺りも見極めをつけて欲しい。

それを順番に話すと。

皆、納得してくれた。

「よし。 じゃあみんな、行くよ」

気落ちしている場合じゃない。

メルルは王族だ。いつまでも凹んでいて、先頭に立てるものか。皆の規範になるのが王族で。

メルルは、そのために。

多くの税金で、贅沢をさせて貰っているのだ。

可能性があるなら、やってみる。

メルルは。

一度や二度、死の恐怖を目前にしたくらいで。

諦めたくは無かった。

 

(続)