血泥の現実

 

序、難民

 

一度、難民の現実を見た方が良い。

そうルーフェスに言われて。メルルはケイナとライアスと一緒に、湿地帯の耕作地帯に向かっていた。

ライアスはかなりぴりぴりしている。

街道は、時々馬車が通る以外に妙に静かで。何か、得体が知れないものが。街道の左右にある森から、此方を伺っているような怖さがあった。

「分かってると思うが、気を付けろよ」

「何が?」

「難民、かなり殺気立ってるって話だ。 知らない土地に連れてこられて、周囲はモンスターのいる森と湿地帯。 見張ってるのは同じ顔をした女達と悪魔。 その上、力の差がありすぎて、逆らえない。 そんな状況で、心静かにいられるかって言われたら、な」

「うーん、確かにそうだけれど」

アールズは、確かに強豪モンスターの本場だ。エントなどは、大陸でもかなり有名な存在で。森の中にはベヒモスもたくさんいるし、ドラゴンだって領内に複数が確認されている。

でも、メルルは、それらを怖いと思った事は無い。

勿論、相対すれば戦わなければならないし。

今までの開拓者達が、彼らと競り合いながら、国を造ってきたのも事実なのだ。だけれども、必要以上に怖れていると、むしろその方が現実と乖離して、いざ戦う時に怪我をしたり殺されたりするのではあるまいか。

「ケイナもな」

「分かっています」

大人しそうなケイナである。

殺気だったおじさんたちにしてみれば、絡むのに最適な相手かも知れない。もっとも、北部列強のおじさんなんて、メルルでも数人まとめて軽くひねれる程度の存在だ。ましてや上空に悪魔族の戦士達がいて、見張りを続けている。

勿論、油断する気は無いけれど。

其処まで怖がる事もないのではあるまいか。

ライアスは、ひょっとして。

臆病なところは、前と変わっていないのか。

でも、それはそれで嬉しい。思春期を過ぎた頃から、ライアスが何だか分からなくなった部分もあったのだけれど。

もしも自分が知っている幼い頃のライアスが生きているのだとすれば。

「時にこれ、何だ」

「改良中のお薬。 お店に売るのは出来ないけれど、傷薬はどれだけあっても足りない状態なんだって」

「何だそれ、そんなに過酷な仕事場なのか」

「そうじゃなくて、今まで彼方此方にいた難民達は、傷も治らないまま辺境に逃げ込んできたみたいで。 それで、まずは手当って事が多いみたい。 栄養が足りないから、傷も治らないとか、泥沼みたいだよ」

ちなみに、お店には売れないとトトリ先生には言われているけれど。

それは、トトリ先生のお薬と同じような効果が出ないので、アーランドブランドの名を貸すには足りないという意味だ。

傷薬としては、充分に使えると太鼓判を貰ったし。

何よりこの間。ケイナの怪我を治すのに、役だった。あの時より更に改良したのだから、きっと役に立つはずだ。

それと、消毒用のアルコール。

リネン類。

荷車に積んでいる分は、ルーフェスに貰った。

後は生産用の機械類。糸を紡ぐための車とか、編み物用の道具とか。食糧生産だけではなくて。インフラの整備や、生活用品の生産も、ちょくちょくとやっていく予定らしい。

耕作地に到着。

見張りをしているのが、悪魔族の戦士じゃない。恐らくアーランドから来た冒険者だろう。まだ若いけれど、かなり強いのが分かる。ただ、多分威厳を出すためなのだろう。無理に髭を生やそうとして、汚くなってしまっているのはいただけない。剃る方がかっこよくなる筈だと、メルルは思う。

というか、柵がかなり立派になり。見張り小屋も造られているし。

柵の向こうには、家屋らしきものも見受けられた。

恐らく木造では無くて、煉瓦を利用したものだろう。複数の人が住むことが出来るブロック式の住居を、順番に造っている様子だ。

手を伸ばしてみていると、此方に見張りが来る。

「何者か」

「あ、すみません。 アールズの王女、メルルリンスです。 此方、書状です」

「……これは失礼しました。 どうぞ」

まだ若いからか、ちょっとへりくだり方が大げさだ。

苦笑いするメルルだけれど。若い戦士が中に入れてくれて。柵の内側に出ると、驚かされた。

前は畑しかなかったのに。

急ピッチに、難民受け入れ用の設備が整ってきている。

ルーフェスもいるが、それより驚かされるのは。前に見た戦闘タイプのホムンクルスとは違う、幼い容姿のホムンクルスがたくさんいることだ。

彼女らも、見かけ以上に力が強いらしく、石材や木材をひょいひょいと運んでいる。元々のパワーが違うのだろう。さくさくと建築が進み。

次々に、ハコ状の住居が造られていく。

天幕もある。

まだ、住居が間に合っていない、という事か。でも、あの天幕はそれほど悪い質ではない。

アールズとしては。

できる限りの事をしていると言えるだろう。

ルーフェスが此方に気付いた。

「姫様、ご視察痛み入ります」

「うん。 それより、難民の人達は」

「彼方にございます」

見ると。

畑の方で、一列になって働いている。悪魔族の戦士が見張っているのは、内も外も、だ。畑の方に魔術が掛かっているのは、恐らくは監視のためだろう。

暴動を疑うわけではないが。

一概に放置も出来ない、と言う所か。

見たところ、其処まで過酷な労働を強いているようには見えないけれど。それでも、やはり。

色々と、不安は小さくない様子だ。

ぴりぴりした空気を感じる。

「ルーフェス、お薬と、道具類、持ってきたよ」

「有り難うございます。 どうしても私自身が運ぶことが出来ないタイミングでありましたので」

「……」

ライアスが複雑そうに、ルーフェスを見ていた。

ルーフェスも、ライアスを見る様子が無い。

やはりこの二人、仲が悪いのだろうか。

バイラスさんが降りてくる。

手を振るメルル。すぐにお薬を引き渡すと、バイラスさんは喜んでくれた。

「トトリ殿に使えると言われている薬か。 これは有り難い」

「足りないようなら、遠慮無く言ってね」

「分かっている。 ルーフェス殿に目録を渡している故、メルル姫は調合に集中していただければ大丈夫だ。 どうしても急ぎで必要なものがあるときだけ、メルル姫に直接連絡させていただく」

「ありがとう。 よろしくね」

バイラスさんは、ホムンクルス達の指揮も任されているらしい。数人のホムンクルス。多分前にシェリさんが言っていたように。PTSDを煩って、戦場を離れた者達なのだろう。

労働者の方を見に行く。

若い人から中年くらいまで、男女を問わず働いている。見ると確かに、身体能力が辺境の民とは比較にならないほど低い。

老人や子供もいた。

奥の方のキャンプで、この線から出ないようにと言われて。其処で大人しくしている様子だ。

医療魔術師がいる。

ひどい怪我をしている人がいるのだろう。さっそく、メルルの造ったお薬が、役に立つと良いのだが。

労働者が、此方を見る。

あまり良い視線では無い。

見定めているというか、なんというか。

身なりからして、メルルが王族である事は、すぐに理解したのかも知れない。

働いている人達の衣服は粗末では無かった。多分、衣服の提供については、間に合ったのだろう。ただ皆似た様なデザインで、大量生産された安物であるのは確実だったが。

異臭に気付く。

小山のような量の何かが、積み上げられ。その一部が、悪魔族の監視の下、燃やされている。

燃やしているのは。

ボロ布のような服。

積み上げられているのは。

血みどろだったり、ずたずただったりして。ひどい臭いがしている服。

恐らく、難民達が、着た切り雀にしていた服だ。衛生面でも、そのまま放置は出来ないのだろう。

燃やしている側にいる一人は見知った顔。アールズの戦士だ。

メルルより一世代上の女性戦士で、確かライアスの訓練を以前見ていた事があった気がする。

歩いて行って、声を掛ける。

「おはようございます、アデラさん」

「お、姫様、おはようっす!」

快活な返事。とても気持ちが良い。笑顔もまぶしい。

アデラさんは金髪を三つ編みにして眼鏡を掛けているけれど。きちんと皮鎧を着ていて、見かけは戦士っぽい。中肉中背の彼女は、格闘戦の使い手で、特に投げ技が得意だ。

実は昔から、他の戦士と同じような衣服だと、文官だと間違われることが多いとかで。今は誰も着ていない皮鎧(とはいっても胸部分だけを覆うプレスト型だが)をわざわざ家の倉庫から引っ張り出して着込んでいるのだとか。

舐められるのは嫌だ。

そう言っている彼女は、アールズでも一線級の戦士の一人。此処で仕事をしているという事は。

つまり、アールズとしても、信頼出来る戦士を此処に置いておきたい、という事なのだろう。

見かけが柔なのに、言動は体育会系なのも、意識してのことらしいアデラさんは。困ったことがないかを聞いてみると。

笑顔をぴたりと止めた。

「新しい服を用意したときさ、難民の怯えた顔に拍車が掛かってね」

「え……」

「服を脱がせて殺すつもりじゃないかって、顔に書いてあったよ。 何でも悪魔族のエサにするために此処に連れてきたとかって噂があったらしくてさ。 泣き出す子供とか、逃げ出そうとする老人が転んだりとか……」

沈静化の魔術を掛けて。

そして、その場に新しい服を持ってきて。消毒液を含ませたぬれタオルを配って。

衛生面に問題があるから、怪我をしていない人もまず体を拭って、それから着替えるように指示。

フロも準備はしてある。

湿地帯の一部から、水を引き込んで。トトリ先生が用意した熱源で湧かした、天然のお風呂だ。

だけれども、それも難民達を恐怖させたらしい。

此処で煮て喰うつもりなんじゃないかと。

メルルは、笑い飛ばせなかった。

働いている難民達は、この世の終わりみたいな顔をしている。実際、今まで暮らしていたところから、悪意の具現化みたいなスピアの軍勢に追い立てられて、彼方此方をたらい回しにされて、ここに来たのだ。

此処で殺されると考えても、不思議では無いのだろう。

さっき、働いている難民達の目を見て、それが理解できた。

「悪魔族の戦士達が良い奴らだって分かったのは嬉しかった。 比較的元気な子供は、もう悪魔族の背中に乗せて貰って、空を飛んだりして黄色い声あげたりもしてるけどね」

「その、難民達に娯楽とかは、必要ですか」

「大人用に酒はある程度配っているけれどね。 そうだね……労働時間の合間に休みはきちんと確保しているから、その間に楽しめるようなものがいるかな。 木棋盤とか、余っていない?」

「分かりました、探してみます」

木棋というのは。この辺りの国々に拡がる机上遊戯で、簡単なルールでなおかつ遊びやすいので人気だ。魔術師などの中には、これの圧倒的な強さを持つチャンピオンもいるのだとか。

ちなみにメルルは滅茶苦茶弱くて、ケイナが駒落ちしてくれても全然勝てない。トトリ先生はそのケイナにかなりの数駒落ちして、それでも圧勝していたのだから、オツムの出来の差を理解して凹んでしまう。

ちなみに、盤も駒も、造るのは難しくないかも知れない。

ライアスは、ずっと周囲を見ていた。

引かれた線の端。

じっと、不思議そうに此方を見ている、難民の女の子。近づこうかと思ったら、アデラさんに止められた。

「まだダメだよ、姫様」

「でも、話くらいなら」

「悪魔族がぴりぴりしてるんだ。 難民達が色々騒いだし、まずは対応のマニュアルを作りたいみたいだな。 この辺りの緑化作業をするためにも必要とは分かっていても、やっぱり難民の面倒を見るのなんて嫌だって、愚痴をこぼしている奴らもいてな。 だから、今は悪魔族の神経を逆なですることは避けて欲しい。 トトリ先生が説得して、やっと納得してくれたこともあったんだ」

そう言われると、引き下がるしかない。

しかし、寂しそうな目をした子だった。

難民達は。

まだ、人間らしい生活をしているとは、言えないのではないのだろうか。

「ライアス、悪いんだけれど、今日ここに泊まるよ」

「おいおい、またかよ……」

「そう言うと思って、着替え一式は用意してあります」

「ありがとう、ケイナ」

ケイナは笑顔のままだが。

多分、あまり内心は良く想っていない。なんとなく、それが分かった。

 

夕方少し前に、労働が一旦切り上げられる。

食事が配られていた。

料理をしているのは、ホムンクルス達。材料は、どこから造っているのだろう。見ていると、パイを焼いている。

そして、あの小さいホムンクルス達。

「え……」

驚かされる。

肉が、ホムンクルス達の手の中で、増やされている。ライアスも、顎が外れたような顔をしていた。

「何、あれ」

「錬金術師のお前に分からないのかよ」

「んっと、ちょっとまってね。 ひょっとして固有スキルか何かかも」

「そうだよ」

不意に後ろから声。

見ると、トトリ先生だった。数人のホムンクルス戦士を連れている。血を被っているという事は。

湿地帯の方で、お仕事をして。

戻ってきたという事だろう。

「あれはちむちゃん。 ちむちゃんたちは、複製の固有スキルを持っていて、ああやってパイを食べる代わりに、ものを増やせるの。 アーランドで前に私が戦艦を造ったときには、随分手伝って貰ったんだよ」

「戦艦……」

「難民の生活を見に来たの?」

「は、はいっ!」

邪魔にならないようにね。

そう言い残すと、トトリ先生はバイラスさんと、ルーフェスの所に行く。状況を二人と話す必要がある、という事だ。

「魔女だ……」

低い、畏怖の声が上がる。

難民達の間からだ。

酒を飲んでいた手が止まっている。トトリ先生の方へ、その視線は注がれていた。

「……」

ライアスが、複雑な表情をしている。

トトリ先生を怖れていたのは、ライアスも同じだ。難民達の間では、トトリ先生が、どういう風に噂されているのだろう。

悲しくなるけれど。

すぐに解決できる問題では無い。

あまり多くもない酒を飲み干してしまうと、難民達は天幕や、造られたばかりの簡易住宅に入っていく。

静かになる。

何だろう。無性に、此処にいるのがつらくなる。メルルは、まだ。想像以上に、此処で何も出来ていない。

それが、現実なのだ。

 

1、何が出来るのか

 

アトリエに戻ると、メルルはまず、何が必要なのかを確認。

古くなったり、余ったりしている娯楽の品。あればきっと役に立つだろう。いっそのこと、自分で造ってしまってもいい。

それに、お薬も。

幾らでもいると、はっきりバイラスさんは言っていた。それが例え、トトリ先生のものより、質が劣るとしても、である。

あの小さなホムンクルスの子達は、ものを増やせると言っていたけれど。

多分能力には制限もある筈。

造って、損は無い。

その筈だ。

考え込んでいると、ケイナが来る。

心配そうに、此方を見つめていた。どうしたのかと聞いてみると、少しだけ躊躇した後、言う。

「メルル、大丈夫ですか?」

「うん、平気だよ。 ただ、あまりにも何というか。 立場の違いというか、視線の違いというか。 そういうのを感じて、ちょっと凹んでるだけ」

「無理に前向きになろうとしていませんか」

「大丈夫だよ。 でもね、ちょっと今回は凹んだかも」

確かに、現実は見ておくべきだった。

彼らが。難民達が此方を信頼してくれるようになるまで、かなり時間だって掛かるはずだ。畑のお仕事だって、そうして貰わなければ、多分効率も悪くなる。かといって、たくさんすぎる食糧や安全すぎる環境を手配できるのか。

応えはノーだ。

前線だって、幾らでも物資を必要としているのだから。

千人が落ち着けば、更に千人。

住居の様子からして、恐らくあの場所で、万を超える難民の面倒を見ると、メルルは判断した。

それはつまり。

今後も、もっと状態が悪化する、という事だ。

年内には五千人程度という予定らしいけれど。畑などで食糧増産の目処が立った場合、前倒しで難民をいれるという話もある。

ちなみにこれらは、ルーフェスに少し前に聞かされた。

つまり噂では無く、本当だと言う事だ。

「他の国は、どうなってるんだろう」

「大変、だそうですよ」

「だろうね……」

アーランドのような大国はまだ良い。

元から難民受け入れのマニュアルなどがあるらしいし、手も足りている。正確には、足りてはいないだろうけれど、用意は出来る。

トトリ先生が奔走した結果、色々な亜人種と同盟も締結できて。

今では、国内もかなりまとまっているそうだ。

アールズはどうだ。

小国だからと言って、少し外部からの流入があっただけでこれだ。今後、立ちゆくのだろうか。

他の国々だってそう。

自分の国だけで精一杯、と言う所も少なくないはず。其処へ、スピアの圧力だ。今は、どうにか保たれているこの平穏も。

明日には無い可能性が、高いのだ。

とにかく。

気分を入れ直して、調合。

一段落したら、フィリーさんの所に行く。ルーフェスが言っていた通り、雑作業を頼まれることが多いのだ。

今、メルルは。

一つずつ、やっていくしかない。

自分で出来るようになっていくのは、まだ先で。

もどかしいし、口惜しいし。

それに何より、無力感がひどかった。

 

昼少し前に、トトリ先生が戻ってくる。どうやらアールズの北端まで。つまり、前線まで行ってきたそうだ。

「クーデリアさんが厳しくてね。 今日も色々怒られちゃった」

「トトリ先生ほどの人が、ですか?」

「うん、でも全部正論だからね。 ごめんなさいって謝って、それで幾つかお仕事を引き受けてきたよ」

腹が立っている風でもなくそう言うトトリ先生。

それにしても、これくらい出来る人に、どんなミスがあったのだろう。むしろそれを知りたいくらいだ。

アトリエには、メルルの釜と、トトリ先生の釜がある。

だからその気になれば、並行で作業が出来るのだけれど。今のところ、トトリ先生と二人がかりでやらなければならないような仕事は無い。

あくびをしながら寝室に消えるトトリ先生。

相当に疲れたのだろう。

メルルも、それを責める気にはなれなかった。毎日いつ休んでいるのか分からないくらい働いているのだし、当然だ。

お薬を作って見るけれど。

チェックポイントを丁寧に設定しているにもかかわらず、根本的な品質が上がらない。

素材の品質が原因かとも最初は思ったのだけれど。トトリ先生は、同じ素材を使って、それ以上のものを造り出しているのだ。

試行錯誤するしかない。

失敗を重ねてうまくなれ。

トトリ先生は、以前そう言っていた。だから、素材を無駄にするとしても、やっていくしかないのだ。

あわせて、大きめの木片を買ってくる。

二つに割った後、削って、駒を造る。駒はそれほど美しくなくてもいいだろう。ただ、予備は必要になるかも知れない。

「木棋ですか?」

「うん。 三セットと、後は予備の駒が四つずつ、くらいかな」

「確か駒が双方あわせて三十だったから、九十。 駒の種類が十だから、予備が四十、ですね」

「ん、ちょっと多いかな。 でも、後から盤と駒を追加して持っていけば、それの予備にもなるし」

まず、薪の要領で割って。

その後、面を磨く。

側面を切り出し。余った木片を、細かく切り分ける。

その後、ニスを塗り。

盤を軽くナイフで切って、黒いインクを流し込む。このインクも、いずれは錬金術で造りたいものだ。

更に、ここからが錬金術。

盤に中和剤を塗り、更に保存剤を定着させる。保存剤に関しては、やっとトトリ先生に教えて貰って、覚えた。

こうすることで。

盤がちょっとやそっとでは痛まなくなるのだ。

更に、これを軽く火を通して、定着させることで、より頑強になる。あまり難しい作業はしていないけれど。

それで、みんなが長く遊べる盤が出来れば、何よりだ。

かどを削っておくのは、怪我をしないように。

駒は長方形。

一通り仕上げて、満足。字がちょっと下手なのが問題だけれど。まあそれは、仕方が無いだろう。

「よし、一セットできた」

「そういえばこれ、どうするんですか?」

「フィリーさんに話をつけて、納品して貰う事になってるから、酒場に行けば大丈夫だよ」

「そうですか、良かった……」

ケイナと目があった。

ケイナとしても、やはり怖かったのか、それとも。

話して。

そう言うと、ケイナは言う。

「きっと私が弱そうにみえたから、何でしょうけれど。 ずっと視線がお胸やおしりに向けられていて……ちょっとつらかったです」

「そっかあ」

勿論、あまり紳士的な行為とは言えない。かといって、彼らとしても、楽しみの一つも無いのだろう。

少しでも環境が改善すれば、不満だって消える。

そう信じて、今は動くしかない。

盤と駒が仕上がったので、フィリーさんの所に持っていく。既に夕方だったけれど。三セットの遊戯盤を見て、フィリーさんは驚いていた。

「わ、こんな立派なものをくれるの?」

「気晴らしになれば良いと思って」

「ありがとう! きっとみんな喜ぶよ」

無邪気に、フィリーさんは喜んでくれているけれど。

本当にそうだろうか。

疑念はあるけれど。

今はあえて、そうは思わず、自分が出来る事だけをこなす。

更に、造ったお薬も納品。

傷薬。化膿止め。強壮剤。それに病気の薬を何種類か。いずれもトトリ先生に教わって、品質を上げている途中のお薬だ。きちんと効くことは確認済み。

「ええと、必要な資材は、これで揃いそう、かな」

「良かった。 すぐに届けてあげてください」

「うん!」

フィリーさんは、戦士であるはずなのに。

こんな天真爛漫な様子では、色々と周囲も気を揉むだろう。メルルよりだいぶ年上の筈なのに。

何というか。同年代の友達みたいだ。

「そういえば、フィリーさん。 クーデリアさんのいる前線には、何か届けなくてもいいんですか?」

露骨に固まるフィリーさん。

一気に顔色が青ざめていくのが、メルルにも露骨すぎるくらいに分かった。

「く、クーデリアさんは、お、おお、お姉ちゃんと同じくらい怖い人なの! だからできるだけ、思い出させないで」

「え? は、はい」

まあ、何となく見当がつく。

あの厳しそうなクーデリアさんが、フィリーさんの上司だった場合。どんな風に接するかは、わざわざ見なくても分かるからだ。

さぞや怖い思いをしたのだろう。

とにかく、納品はこれで問題ない。ルーフェスがメルルに近々新しいお仕事を持って来るという話だから。それに備えて、今は力をつければ良いだろう。

アトリエに戻る。

ケイナが出かけているからか、中には誰もいない。

トトリ先生も、いつの間にか、出かけていた。

しんとした空間の中。

メルルは、どうしてだろう。急に、強烈な不安感に、胸を締め付けられるような思いを味わっていた。

無言で、寝室に急ぐ。

こういうときが、たまにある。

錬金術をしているとき。

外にいるとき。

誰かがいる場合。

そういうときは、起きない。

起きるのは、一人でいるとき。特に、寝室で眠ろうとする時。

前は、かなりの頻度で起きた。今は、滅多な事では起きない。でも、今日のは、かなり強烈だ。

ベッドに入り込むと、目を閉じる。

震えが止まらない。

何かが、外でメルルを見ているような気さえする。その何かは、当然メルルに害意を持っていて。

殺してやろう。喰ってやろうと。

狙っているのだ。

気付く。

いつの間にか、眠ってしまっていた様子だ。すっかり夜になっている。アトリエには、人の気配があった。

良かった。

不安感は、もう消えている。

アトリエに出ると、ケイナがいた。台所から、丁度料理を持って出てきたところらしい。トトリ先生は、いない。

メルルが寝ているのに気付いて、料理を造ってくれていた、という事だろう。

「ケイナ、いつ戻ったの?」

「ついさっきですよ。 メルルは?」

「うん、何だかフィリーさんの所から戻ったら、どっと疲れが出ちゃって、その」

「大丈夫、今日はパイです。 新鮮なお魚が手に入ったので、骨を取って、切り身をたくさんいれましたよ」

それは良かった。

錬金術で造る以外のパイも、食べたいと思っていた所だ。

ケイナが作ってくれたパイはとても美味しい。これならケイナは、いつでもお嫁さんに行けるだろう。

そうメルルが言うと、少し寂しそうにケイナは目を伏せた。

「ん? お嫁さん、なりたくないの?」

「メルルはどうなんです?」

「私? 私は当面それどころじゃないよ。 まずこの五年を生きて乗り切ったら、その後考える、くらいかな」

でも、正直な話。

メルルは、錬金術師として本格的にやっていく場合、結婚はかなり遅くなるかも知れない。

それにアールズがアーランドに合併されるのなら。

メルルが無理に子孫を残さなくても良いだろう。

勿論、いい人が出来たら、話は別だろうけれど。今の時点では、そう思える人は、周囲にいない。

それにしても、先の不安感が嘘のよう。

ケイナが側にいるだけで、これほど気が晴れるのは不思議だ。ケイナがいなくても、他の誰かがいれば。あんなに怖くなることは無い。

ちなみに、これを誰かに言ったことは無い。

言うべき事では無いだろうし。

何か、単に気まぐれか何かだろうと思うからだ。

パイを食べ終えると、軽く錬金術の勉強をして、それで今日はもう一度寝ることにする。ここのところ忙しかったし、少しくらいはさぼっても良いだろう。勿論、明日その分は取り返す。

それでも、怠け者を脱したいという意識からか。

寝る寸前まで、メルルは参考書を、しっかり読み込んだ。

メルルも。

いつまでも、小娘ではいたくないし。出来るだけ早く、トトリ先生のような、立派な錬金術師に、なりたいのだ。

 

夢を見る。

とても優しい手が、頭に触れている。

これは、母上。

白くて綺麗な。

いや、違う。この手は、母上では無い。透き通っていて。そう、まるで空に溶けるように。

あ。

気付く。

手が、本当に透けているのだ。

当時は気づきもしなかった。

でも、不思議と怖くない。まだ幼いメルルに、その透き通った人は、優しく語りかけてくる。

メルル。

父上を、困らせないようにね。

腕白ばかりしていると、きっと父上が困るのだから。

笑顔で、はいと答える。この頃から、メルルは。誰にでも、とてもフランクに接していたような気がする。

部屋に入ってきたのは、まだ幼いケイナを連れた、母上。

母上に、一礼すると、すっと透明な人は消えた。母上は、ずっと表情を強ばらせていて。まるで親の敵でも見るように。あの透明な人に、視線を送っていた。

亡霊が、いつまでもこの世に居着いて。

母上の言葉は、憎悪と怒りに満ちていた。

そして、メルルにも。

優しい笑顔が、向けられることはなかった。

お前は、あの亡霊にそっくりよ。

私の子とはとても思えない。

その言葉は。どんなことがあっても、前向きに考えようと思っていたメルルの心に突き刺さり。

力任せに、引き裂くような強さがあって。

そして、メルルが手を伸ばしても。

母上は嫌悪に満ちた表情で、それを払うのだった。

咳き込む母上。

侍女達が、母上を連れて、部屋を出て行く。ぽつんと膝を抱えて座っていたメルルは。自分がいつの間にか。

闇より深い孤独にいることに、気がついてしまった。

恐怖が、せり上がってくる。

もはやどうしようもない絶望とともに。動悸が苦しくなる。メルルは一体、どうしたら良いのだろう。

気付くと、母上のお葬式だった。

お城の皆が参列している。

父上は沈痛な面持ちで、一言も喋らない。

死因は、病。

元々体が弱い人だったのだ。北部列強から嫁いできたという話も聞いたことがあったような、なかったような。

「メルル様がおかわいそう」

「我々でもり立てていかなければなるまい。 あのように愛らしいお方を、悲しませてばかりではいかぬ」

「それにしても王妃さま、最後まで薄情だったわね」

「メルル様には笑顔一つ向けないで、デジエ様にはひたすら罵倒を繰り返して。 心を病んでいたのかしら」

参列者の声が聞こえる。

喪服を着ていたメルルは、居場所がなくて、じっと身をかがめていることしか出来なかった。口惜しいを通り越して、悲しい。

あの優しい人は。

何処にもいない。

姿を見せてくれることもなかった。

父上が、ケイナとライアスを連れてきてくれていたから、少しは気も晴れた。二人には、ひたすらに。自分が悲しくて、つらいことを、告げることが出来たから。

ケイナは一緒になって悲しんでくれたし。

ライアスも、同じようにわんわん泣いていてくれた。

たっぷり泣いたから、だろうか。

いずれメルルは。

うすらぼんやりとした記憶のはこの中に。全てを閉じ込めることに、成功して。今では。母上の顔さえ、ぼんやりとした過去の記憶の底に、閉じ込めることが出来ていた。

それは、良いことなのか、悪い事なのか。

あの時、何が起きていたのか。

今でもよく分からないけれど。

はっきりしているのは、メルルは周りの人、全員に愛されて育ったのでは無かった。ということくらい、だろうか。

目が覚めたので、むくりと起き上がる。

いやにリアルな夢で。

全身、ぐっしょりと嫌な汗で濡れていた。お風呂に入ってきたいくらいだ。でも、流石に銭湯にこの時間行くのは、気が進まない。

アーランドだとお風呂が大好きな人が多いし、いつでもお風呂に行く習慣があるけれど。

やはりメルルはアールズの人間だ。其処までお風呂に入りたいとは思わないのである。

ぬれタオルを造って、体を拭く。

しばらく無心に汗を拭い、体を綺麗にしていると。ケイナが来た。

「どうしたんですか、メルル」

「うん、ちょっと嫌な夢、みたの」

「怖かったのですか」

「……凄く」

ケイナはベッドの横に腰掛けると、ずっと此処にいるので、安心してくださいと言う。本当にそう言って貰えると嬉しい。

体を拭き終えると、服を着替える。

ケイナが来てくれた事もある。

少しずつ、考えが。

前向きになりはじめていた。

でも、分かる。

メルルの心には。やはり今でも。

クレバスめいた、大きな傷が、はっきり残っていたのだ。

 

2、地固め

 

アーランドから技術者が来ているという事で、メルルは会いに行くように、ルーフェスに言われた。

かなり腕の良い技術者で。

これからメルルの役に立ってくれるはずだ、とも。

何となく、場所は見当がつく。

いつも通る待ちの大通りで。改装していた家があったのだ。老夫婦が亡くなってから空き家になっていたその家が、妙に騒がしくなっていたので、印象に残っている。ルーフェスが言うと言う事は。

恐らくは、人を迎える準備が出来た、という事なのだろう。

早速、ケイナを連れて出向く。

大きな煙突が造られていて。

重厚な煉瓦の外観は。

元の家よりも、二回りは大きくなったように思えてならなかった。

ドアは開いていた。営業中と書かれているので、入ってしまって構わないだろう。メルルが先頭になって中に入ると。

たくましい体つきの、禿頭の男性が。

大きなハンマーを振るって、赤く焼けた鉄を叩いているところだった。

「客か? 今手が離せなくてな、ちょっとその辺の椅子にでも座って待っていてくれ!」

「分かりました!」

ケイナと一緒に、入り口近くに用意されている椅子に座って、改めてお店を見直す。

かなり広い空間。恐らく複数あった部屋を全てつなげたのだろう。地下室への入り口も見える。

プライベートスペースは、多分地下にあるとみた。

壁には、無数の剣。槍。斧。その他様々な、雑多とした武器。中には、とても巨大なものもあった。

防具もあるけれど、盾くらいまで。

やはり今の時代。

鎧を好きこのんで着たがる人は、少数派なのだ。

ほどなく、作業が一段落したらしい。立派に仕上がった槍の穂先を見て、禿頭の男性は満足した様子で。

奥に持っていって、片付けてきた。

そして改めて、此方に向き直る。

太い眉毛と厳つい顔。

何処か愛嬌はあるけれど。とにかく非常に立派な禿頭が目立つ。磨き抜かれていて、光を反射するほどだ。

「よう、待たせてすまねえな。 ん? その格好、ひょっとして、この国の姫様か?」

「はい! メルルリンスです。 メルルとお呼びください」

「おう、じゃあそうさせて貰うぜ。 メルル姫様よ。 俺はハゲルってもんだ。 アーランドから、技術者というか、鍛冶士としてこっちにきた。 金属の扱いなら誰よりも長けてるつもりだから、何でも言ってくれ」

アトリエにも炉はあるけれど。

ハゲル氏の後ろにある炉は、更に立派で。非常に複雑な構造をしているのが、ちょっと見ただけでも分かる。

これは確かに。

金属加工関連のお仕事は、ハゲル氏に任せてしまった方が良さそうだ。

「ケイナ、何か手直しするものはある?」

「そうですね。 フライパンが一つ傷んでいます。 そろそろ直すか買い換えたい所なのですが」

「おう、任せておいてくれ」

すぐに痛んでいる方のフライパンを、ケイナが持ってくる。そして、ハゲルさんは、二日ほどで治ると言ってくれた。

頭を下げると、お店を出る。

実は、もう一人。

技術者が来ているという。

こっちはかなり変わった性格をしていて、初対面の時は気を付けるようにと言われていた。

気むずかしい人なのだろうか。

ちょっと緊張するけれど。

多分大丈夫、何とかなると自分で思い直す。最初から尻込みしてしまっていては、出来る事だって出来なくなる。

少し奥まった所。

此処も、空き家になっている。前の家主が、リザードマン族との戦いで死んでから、ずっとだ。

ただ、見たところ、草ボウボウだった家は綺麗になり。

今では、誰が入っても問題無さそうな、オシャレで可愛い家になっている。これなら、入る事を躊躇せずとも済むだろう。

ケイナと一緒に、お店に入る。

なかはがらんとしていて。棚などにも、札が置かれているだけ。書かれているお値段は、相当に高い。

商売をするつもりがあるのだろうかと、疑うレベルである。

すっと、カウンターに、いきなり人影が現れる。

しかも、その人影は、浮いている上に、微妙に透けているのだ。

どうみても、幽霊である。

本物が出ると言う噂は幾らでも聞いた事があるけれど。しかし、実際に現物を見るのは、多分これが初めてだ。

初めての筈なのに、妙に既視感があると言うか。

ケイナがきゃっと可愛い悲鳴を上げて、メルルにしがみついた。メルルはどうしてだろう。まったく怖くない。

「あらー、お客さんなのね」

「はい。 アールズの王女、メルルリンスです。 メルルとお呼びください」

「あらー、まあまあまあ。 可愛いお姫様だわ!」

嬉しそうに目を細めるその人。

やはり、間違いない。この人は、幽霊とか、そういう類の存在だ。足はないし、そればかりか影も。

体も透けていて。とてもではないけれど、魔術の類とは思えなかった。

すっと、近くに転がされていた人形の中に、その人が溶け消える。

同時に。

どうにも姿がはっきりしなかったその人が。紫色の髪の毛が腰までウェーブした、何ともおっとりした雰囲気の人へと代わったのだった。

「これで大丈夫でしょう?」

「……」

ケイナはどうしてか。

メルルにしがみついて、ずっと青ざめて震えている。この子、怪談話の類はむしろ好きで、色々なバリエーションの語りを得意としたはずなのだが。街などでも、年下の子供達に、聞かせてやっているのを、何度となく見た事がある。

「ええと、貴方は……幽霊さん、ですか?」

「うふふ、正確には少し違うのだけれど、そのようなものよ。 パメラ=イービスです」

「よろしくお願いします、パメラさん」

「まあ、礼儀正しい上に可愛らしい! 持って帰って剥製にして飾りたいくらい! お高くとまったお姫様ばかり最近見てきたし、癒やされるわあ」

多分、純粋な好意の表れなのだろう。

聞いていた他の人が色めきだちそうなことを、パメラさんはいう。でも、冗談だと分かっていたから、メルルは何も思わなかった。

咳払いすると、パメラさんは教えてくれる。

此処は、広い地下空間とつながっていて、今後は一種の工場として機能するのだと言う。

工場。

どうにもぴんと来ないのだけれど。

パメラさんの後ろから、大荷物を抱えて現れたのは、あの小型のホムンクルスだ。そして荷物は木箱で。

その中には、多数のお薬が入っているのが見えた。それも、どれもこれもが、アーランドブランド。

以前ライアスが、畏怖とともに語っていた、凶悪な効果を誇る医薬品ばかりである。

「お薬の工場、ですか?」

「ううん、ちょっと違うのだけれど。 少なくとも私が直接指揮を執るくらい、此処は重視されているみたいなの」

まだ戸棚に品物はならんでいないけれど。

錬金術にとって有用な道具類や、お薬を並べる予定なのだと、パメラさんは笑うのだった。

はて、この笑顔。

何だか、トトリ先生と、雰囲気が似ているような。

特に人形に入ってから、特に似ている。

でも、あえてそれは口にしない。

藪を突いて大蛇を出すような気もするし。何よりこの人は、ちょっと不思議な雰囲気だけれど、多分悪い人では無いと、メルルは思うからだ。

「まだ開店前だというのに、ごめんなさい。 そうだ、ケイナ」

「あ、はい」

ケイナが取り出したのは、彼女が焼いたパイだ。

小さなホムンクルス達が、途端に目を輝かせる。感情が見えないホムンクルス達なのに、面白い光景だ。

パイが好物なのだろうか。

ちなみに、先ほどハゲルさんにも同じものを渡してある。あちらも喜んでくれた。

「ありがとう。 嬉しいわあ」

此方に熱視線を送ってきている小さなホムンクルス。

それも一人では無い。

妙に気にはなるけれど、別に構わない。いずれにしても、此処で錬金術関連の道具類を売ってくれるというのであれば、それは大歓迎。

メルルとしても、彼方此方に素材を探しに行かなくても、良くなる場合も、多いのだから。

 

二つのお店をみて回った後。

街を見て歩く。

見知ったお店が無くなっているようなことはない。アールズのいつもの光景は、今も健在だ。

誰もが知り合いばかり。

だけれども、時々。

やはり、知らない人が混じっている。

露骨に人相が悪い人も、中にはいた。

周囲に人がいるのを確認した上で、メルルはそう言う人に声を掛ける。アーランドから来ている人なら、ちゃんと許可証を貰っているはずだから、だ。

声を掛けたのは、もの凄く怖そうで、大柄な男性。

躊躇のないメルルの行動を見て、ケイナは目を白黒させていた。

「アールズは初めてですか」

「うん? ああ、この間来たばかりだ。 少し滞在したら帰るつもりだよ」

その人は、体中が向かい傷だらけで。手には巨大な鎖付きの鉄球を持っている。明らかに冒険者。

それも、アーランドから来た腕利きと見て良いだろう。

ベイヴと名乗ったその人は、入国に必要な許可証を見せてくれる。話を聞くと、何でも難民達を護衛して国に来て。これから二日後にはとんぼ返りして、また難民キャンプの警護にあたらなければならないそうだ。

「大変ですね」

「こればっかりはしゃあねえよ。 トトリの嬢ちゃんを護衛して彼方此方見に行った時からの腐れ縁だ。 それに、俺みたいなぶっ壊すことしか能がないおっさんが、ある程度好き勝手しながら、彼方此方見て回れるってのも幸運だしな」

「トトリ先生とは、長いつきあいなんですか?」

「前にトトリの嬢ちゃんが造ったお船で、ちいさな島に乗り込んで、島中を滅茶苦茶にしてたスピアの化け物共を皆殺しにしてからの縁だな。 それから東の大陸に行ったり、そこにいた邪神と戦ったり、アーランドに戻ってからは一緒に戦争に出て、逃げ遅れた仲間を助けに奔走したり、大忙しだったよ」

わははははと、何とも楽しそうに笑う。

その目は、どうにも楽しい思い出を語る子供みたいで。この人が、いわゆる図体が大きな子供、みたいな人である事は、明白だった。

「この国は良いな。 王様も気さくだし、お姫様もみんなのことを考えてるし、国民全員の顔と名前が一致してる。 ちいと周囲はモンスターだらけだが、現役を引退したら、この国に住みたいくらいだぜ」

「そう言ってくれると、嬉しいです」

「おう、その時は頼むぜ、姫様」

一礼をすると、機嫌良さそうに、ベイヴさんはいく。

後に聞く所によると。

あの人が、難民移送の指揮をしてくれている人、なのだそうだ。

ケイナが力尽きたようにぐったりした顔で嘆息。

どうやら、一番苦手なタイプらしい。

「ああいう無責任で子供っぽいおじさまは、どうしても苦手で……」

「でも、悪い人じゃ無さそうだったよ」

「メルルが怖いもの知らずすぎるんです! あの人が怒ったら、私が命がけでもとても止められませんでした。 足止めにも……」

「心配しすぎだってば。 そんなに危ない人だったら、見ればすぐに分かるしね」

促すと。今度は郊外に。

城壁の近くで、お店では無いけれど。暇なときがあったら、見てくるようにと言われている人が、仕事をしているはずなのだ。

前に顔を合わせた、禿頭の老人。

ジェームズさんだ。

アーランドでも最高齢、つまり最高ベテランの緑化作業のエキスパートだという。今回も、湿地帯の耕作地帯をある程度ものにしたのは。まずはジェームズさんをリーダーとするスタートアップチームだという。悪魔達にも尊敬されているほどの技術者だとかで、アールズに来てくれたのは幸運だったそうだ。メルルも来てくれたときに挨拶したのだけれど、その時は其処までの人だとは知らなかった。

城壁側に家はあるのだけれど、不在。

そうなると、城壁の何処かか。見て回るにしても、それほど時間が掛かるような、巨大な街では無い。

壁に沿って見て回っていると。

悪魔族の戦士数名と一緒に、ジェームズさんがいた。

どうにも、物騒な話をしている。

「壊すとしたら、この辺りだな」

「うむ。 ジェームズ殿、どのようにするべきだと思う」

「まず煉瓦をどけてから、土を耕し直して、空気を入れる。 土を軟らかくしてから、腐葉土を撒いて、虫たちに任せ。 それから、草を植えていく。 栄養剤は……見たところ、必要は無さそうだな」

「ジェームズさん!」

手を振りながら声を掛けると。

ジェームズさんは振り返る。

悪魔族の戦士達も、此方を見たけれど。ジェームズさんが表情を和らげたのを見て、警戒を解いた。

「おお、メルル姫。 どうしたのだ」

「少し余裕が出来たので、皆の仕事ぶりを見て回っています。 ジェームズさんは、この辺りを緑化するんですか?」

「おう、そうなるな」

一瞥した先は、城壁。

決して高くもないアールズの城壁は。多分そのままだと、あまり役に立つことは無いだろう。

民の安心感を買うためのものなのだ。

実際スピアの軍勢が攻めこんできたら、こんな脆い城壁なんて、一日どころか一刻だってもちはしないだろう。

「基礎も掘り返して、城壁は大幅に外側に作り直す。 それで、城壁の内側を緑化する予定だ」

「父上のご指示ですか?」

「いや、これから許可を貰うつもりだ」

なるほど。

要するに、この王都の中にも緑を作る事で、最悪の場合は籠城をする際にも役立つのだろうし。

何より、実際には、この役にも立たない城壁の内側を、色々と活用したいのだろう。城壁そのものは、正直な話あった方が良いのだけれど。

「城壁を取り払うことは出来ないかな」

「無理ですね。 この国はモンスターも強いですし、住んでいる人達だって不安に思いますから。 それに出来ればアーランドの優れた技術を導入して、城壁を突破されたらすぐに通報が行くようにしたり、或いは魔術で防御力を強化したり、できないでしょうか」

「そうさな……」

確かに城壁を取り払うことによるメリットは大きい。

だけれども、住んでいる人達にとっては、あった方がマシ、という安心感を与えられるものでもある。

革新的な考えが、必ずしもみなを平和にするとは限らない。

ましてや、この城壁は、勢力圏を示す指標にもなっているのだ。

「それについては、アーランドの腕利きに相談してみるとするが。 城壁を外側に拡張することは許可してもらえないかね」

「父上に相談していただけると助かります」

「まあ、そうだろうな」

意外にしっかりしている。

そう、ジェームズさんは顔に書いていた。まあ、メルルだって、その程度の判断は出来るし。

最高権力者は、一応表向きには父上なのだ。

「父上に相談する時は、城壁を外側に拡大するときの利点についても、併せて申請してください。 そうすれば、申請も通りやすくなると思います」

「ありがとう、メルル姫。 小さな国だが、此処の民がみんな王族を信頼している理由が分かるような気がするよ」

「え?」

「ううん、何でもない。 よし、今度はあちらを見に行くとしよう」

悪魔族達を促して、ジェームズさんが歩き出す。

かなりの高齢に見えるけれど、結構しっかりした歩き方をしている。実際、健康面では、問題も無さそうだ。

同行して良いかと聞くと、良いと言われる。

ケイナは影の長さを見て、耳打ちしてきた。

あまり長居は出来ないと。

メルルも頷く。

それは分かっているけれど。この国に来ている緑化のエキスパートの仕事だ。見ておくのは損も無いはず。

今後、荒れ地を開拓する作業はどうしても出てくる。

あのトトリ先生だって、やったという話なのだ。メルルだって、当然同じような作業に従事することになるだろう。

それならば、最高ランクの専門家が働いている様子を見るのは、損にはならない筈である。

「この辺りの土は、良いな」

「うむ、汚染されている様子も無い」

「本当にこの近辺は、元零ポイントなのか。 あまりにも汚染が浄化されていて、信じがたい。 モンスターは強力だが……」

「余程有能な同胞がいたのかも知れないな」

口々に話しているが、メルルには分からない単語も出てくる。

ジェームズさんは土を軽く掘り返して、状態を確認もしている様子だ。湿り気などを見たり。どんな虫が住んでいて、どんな草が生えているか確認したり。

城壁の周辺も、住民達が綺麗に掃除をしている。草むしりもして。むしった草は燃やして、或いはサイロで堆肥にして、土に埋めて肥料にする。

そうして、アールズは世代を超えて、緑を維持してきたのだ。

「アールズ王都周辺の土地に関してはまったく問題ないな。 太鼓判を押しても良いくらいだ」

「シェリのグループと合流後、北部の調査に向かう準備をしておこう」

「ああ、そうするか」

一緒についていっただけだけれど。

仕事ぶりについては、随分と参考になった。歩くジェームズさんにならぶと、どんな仕事をしていたのか、聞き取ることが出来た単語の意味は。色々と聞いていく。ジェームズさんはこの年数十年のベテランらしく、丁寧に答えてくれた。ちょっと分かりづらい言葉もあったけれど。

「ありがとうございます! 参考になりました!」

「最初は少し不安だったが、姫様は錬金術師だな」

「え?」

「これまで、二人の偉大な錬金術師と一緒に仕事をしてきたが、その二人ともが、知識に強い敬意を払って、新しい知識には目を輝かせていたよ。 姫様もその二人と同じ臭いがする」

きっとその二人というのは。

少なくとも一人はトトリ先生。確証は無いけれど、もう一人は、きっとトトリ先生のお師匠様、ロロナという人だろう。

そんな風に言って貰えると、嬉しい。

「ありがとうございます!」

「俺も正直、アーランドで引退するつもりだったが、老骨が役に立つと聞いてこの国に来た。 この国でなら、俺の最後の花道を飾ることが出来そうだ」

「人の寿命は短いな。 貴殿の技術は、悪魔族に是非伝授して欲しい。 末代まで伝承するぞ」

「ははは、まだ流石に死なんよ。 それに、技術については、あの王様に言われてまとめているからな。 死んだときは、誰でも見られるように公開する手はずだ。 その時は、期待しておいてくれ」

達観だ。

死を怖れていないし。

これから来る規定事項として、素直に受け入れてもいる。この人は凄い技術者で。そんな人が認めてくれたのは、とても名誉なことだ。

メルルはとても嬉しくなった。

そして、この人が活躍できるように。最大限の努力をしていこう。

そう思った。

 

アトリエに戻ると、ポストに手紙が来ていた。

メルルの所に直接来ると言うことは、難題なのだろう。まずはケイナが見る。毒殺対策である。

拷問に対抗する訓練を受けたとき、ケイナは毒を感知する訓練も受けたらしい。これはいざというとき、毒味役をするためだ。

勿論メルルは其処までしなくても良いと思っているのだけれど。

ケイナはそう言う度に、寂しそうにほほえむので。今は、何も言わないようにしている。ケイナが自分の意思で。そうしたいと思っているのが、分かるからだ。

どうしても考える事が時々分からないライアスと違って。

ケイナは性別が同じだからか、こういうときに、シンパシィを抱きやすいし。考える事も、時には分かる。

もっとも、それはずっと一緒に暮らしてきた、幼なじみで大親友だから、なのだろうけれども。

「メルル、どうぞ」

「うん、どれどれ」

見ると、お仕事の依頼のメールでは無い。

耕作地の悪魔族。それも、バイラスさんからだ。バイラスさんがあの巨体で、ちまちま手紙を書いたとは思えないから、代筆して貰ったのだろう。

「メルル姫、大変助かった。 既に畑の状態は理想的で、非力な難民達でも畑仕事が出来ている状況だ。 二毛作に適した作物は順当に育っている。 水も申し分なく供給され、この様子なら最初の収穫で、充分な作物が取れるだろう」

「良かった!」

思わず、歓喜の声が漏れる。

難民達の様子についても書いてある。

やはり、まだ色々と問題が多い様子だ。トトリ先生を魔女と呼んでいたように、やはりアーランド人や、悪魔族については、相当な偏見があるらしい。仕事を指示したりすると、非常に怯えられることもあるそうだ。

家屋の提供は着実に進んでいて、老人や女性、家族を優先しているそうだけれども。

やはり、難民達の中には、おびえが消えないそうだ。

供給した木棋については、とても好評だという。

昼休みは、強い棋士同士が対局をして、やんややんやと喝采が上がるそうだ。実は、悪魔族の戦士が、請われて対局をする事もあるらしいのだが。こればかりは、難民達の中にいる何名かの名人が圧倒的に強いらしい。

「彼らも自信をつける事が出来ているようで、何よりだ。 いずれにしても、デジエ王にも伝えているが、状況は順調。 健康状態も改善してきているし、難民達の環境は改善に向かっている」

それは、本当に良かった。

とりあえず、急ぎの内容でもないだろう。

手紙に返事を書くか、それとも直接会いに行って話すか。少し悩んだけれど、お手紙を書くことにした。

バイラスさんは、この間の作業でも、随分と対応を真摯にしてくれて、メルルとしても好感を持てる。

勿論、悪魔族みんながあんなに立派だとは、メルルだって思ってはいない。

だけれども、あの人が指揮を執って、この国に来てくれたのは。本当に幸運だし、名誉なことだとも思った。

だから当面顔を合わせることがない以上。

丁寧にお手紙で返事をした方が良いだろう。

勿論、何か間違いがあってはいけないので、来た手紙と、出す手紙は、ルーフェスに見せるつもりだが。

文章の書き方は、学んで知っている。

帝王教育の一環だ。

勉強はさぼっていたけれど、それでも一通りのことだけは出来る。もっと勉強しておけば、もっとすてきなお手紙を書けたのだろうけれど。

心を込めて、返事を書いて。

それで、今日の作業はおしまいだ。

後は軽くトトリ先生のくれた参考書に沿って勉強して、幾つかの調合を試す。

もうそろそろ、次の仕事が来てもおかしくないタイミングである。次のお仕事に備えて、勉強は幾らしていても、足りないだろう。

トトリ先生の影響を、良い方面で受けているのが分かる。

勉強が、好きになりはじめていた。

まだまだ、メルルの錬金術は稚拙だけれど。

少しずつ進歩しているのは実感できるし。そしてその進歩が、皆を幸せに出来る事も。今回の一件で、理解できた。

錬金術を正しく使う。

それが、今のメルルの。目標になりつつある。

 

3、逆巻く海

 

トトリの所に、手紙が来る。お姉ちゃんからの手紙だ。

今、お姉ちゃんは。

お父さんとお母さんと。それにメルお姉ちゃんと一緒に、西の大陸に出向いている。言うまでも無く、一なる五人によって滅茶苦茶にされているからだ。可能な限り、状況を把握し。

場合によっては、敵の拠点を叩け。

それがジオ陛下の勅命。

国家軍事力級戦士であるお母さんを中心に、船のエキスパートであるお父さん。それに戦士としても高い実力を持つお姉ちゃんと、メルお姉ちゃんがいるのだ。生半可な相手には遅れなど取らない。

その筈なのだが。

手紙には、ひどい苦戦をしていると書かれていた。

「戦闘は泥沼、西の大陸には、もう人がいないのでは無いかと思えるときもあるわ」

手紙には、血さえにじんでいる。

苦労しながら、一なる五人の手に落ちた遺跡を一つずつ潰しているようなのだけれども。伝わってくる状況は、言語を絶している。

一なる五人が、無尽蔵に戦力を投入できるわけである。

西の大陸では、既に膨大な数のモンスターが、大陸中を蹂躙。そもそも、以前から、世界が破滅したときの影響を最大限に受けていた西の大陸では、人が極めて少なく。その勢力も、小さかったそうなのだが。

一なる五人が手を伸ばしたことで、その勢力はさらなる地獄へと向かった。

なんとか保護できた人々を、ホープ号を使ってピストン輸送しているが。それでも、幾つかの拠点を守るのが精一杯。

今後は、西大陸から逃れてきた人を、アールズで受け入れて欲しいとも、手紙には書かれていた。

無理を言う。

トトリはそう思うけれど。

しかし、話に聞く西大陸の戦況を考える限り、もはや其処での戦線維持は不可能だ。クーデリアさんが其方に向かうという話もある様子だが。それも、実現するかどうか。辺境諸国がまとまった今とは言え、まだアーランドの戦力は不足気味で。此方でも、戦線を維持するのがやっと。

一なる五人を探してはいるけれど。

それも本当に見つかるかどうか。

見つけたところで。戦って倒せるのかどうか。

課題は山積している。

ロロナ先生が大暴れしているとはいえ。いくら何でも、大陸全土の勢力図をひっくり返すのは無理だ。

鏡を見る。

笑顔は消えていない。

感情は完璧に消せるようになったので、それは喜ばしい。これ以上、感情で失敗をするわけにはいかないからだ。

お姉ちゃんに手紙を書く。

そして、ちむちゃんに渡すと。アトリエを出た。

外は既に夜。

メルルちゃんとケイナちゃんはもう眠っている。トトリが帰ってきたときには、二人ともベッドで白河夜船だった。

伸びをすると、棒を手に取り。軽く振るう。

しばらく体を動かしていると、問題点を解消できる。この体は、既に人とは言いがたい。故に気むずかしくも有り。逆に言えば、調整も容易だ。ロロナ先生が命を救うために施してくれた処置。

それが今は、有り難くも有り。

煩わしくもあった。

アトリエに戻ると、書類仕事を済ませておく。これから、メルルちゃんに付き添って、アールズの北部にある湖周辺を調査する。特にトトリは、路の確保が急務になる。湖周辺の荒れ地の開拓、キャンプスペースの設置。荒れ果てている街道の整備。それに、何より。現在予定されて、スタートアップが始まっている、農場の手入れ。

農場の発展については、メルルちゃんに任せる予定になっているのだけれど。

その周辺の安全確保に関しては、トトリの仕事だ。

恐らくかなり強力なモンスターがいる。

当然の話だ。

その農場の北部にある火山の地下には。

この大陸でも最強最悪クラスの存在が眠っているのだから。

アールズは今でこそ安定しているが、移動する森エントをはじめとして、大陸有数の凶悪なモンスターが生息する魔境である。

こんな所で進化してきた民だから。

今回の、地獄のような戦略変化にも、めげずに頑張って行けているのだろう。王族の教育がとてもしっかりしているのも、この過酷すぎる環境が影響しているのは、疑いの無い所だ。

メルルちゃんに出していた宿題を確認。

まだかなりミスが多い。

お薬もチェック。

雑だ。

傷は治るだろうけれど、まだ合格点はあげられない。

アーランドブランドのお薬は、ロロナ先生とトトリが改良して、文字通り珠玉の品に仕上がっている。だからハードルは高いけれど。

メルルちゃんは、いずれそのハードルを越えられる。

トトリは、そう信じていた。

採点を済ませると、自身の調合を済ませる。ベルを鳴らすと、ちむちゃんが来たので、サンプルを幾つか渡して、パメラさんの所に持っていくように指示。

そして、メルルちゃんのために。

必要な参考書を、書き記す。

今はもう、筆を速く動かしすぎて、ゼッテルを発火させるようなこともない。

黙々と作業を進めて、状況をチェック。

二刻ほど眠れる。

睡眠導入剤を測ってから、口に入れて。ソファに横になる。ベッドに横になるのなんて、贅沢だ。

メルルちゃんには教えていないのだが。このアトリエで貰っている自室のベッドは、ほぼ使っていない。その側にあるソファを、使用する事にしている。

自分のせいで、お母さんとロロナ先生は。

だから。

あれから、トトリは色々と、自分に制約を課している。そして、全てが解決するまで。制約を解くつもりは無い。

罪は、償わなければならない。

 

朝。

起きて来たメルルちゃんが、外に出て来て。トトリを見て驚いた。

「トトリ先生!?」

「おはよう。 気持ちよく眠れた?」

「はい!」

軽くジョギングにつきあう。錬金術の勉強について聞かれたので、一つずつ、丁寧に答えていった。

ロロナ先生は、感覚的に教える人だった。

それはロロナ先生が、図抜けた天才だったからだ。天才になった経緯は、ともかくとして、である。

一足飛びで結論に辿り着く思考能力。

それは、常人には理解しがたいし。むしろバカだと勘違いされることもある。トトリはそれを良く知っているから。

メルルちゃんには、一つずつ、筋道を立てて教えるようにしている。

「トトリ先生の授業、分かり易いです!」

「そう、嬉しいよ」

これでも、トトリは。

既に二人の弟子を持った身だ。メルルちゃんは三人目だし、一応のノウハウは分かっている。前の二人に比べて覚えるのは少しばかり遅いけれど、多分伸びしろは三人の中で一番の筈。

アトリエに戻った後、棒を手にとる。

地面に円を描いた。

ケイナちゃんも呼ぶ。

今日もいつも通りの訓練。二人がかりで、当てられるか。それとも、円から出す事が出来れば、合格。

二人とも進歩してきているけれど。

まだまだ、トトリ一人で、寝ていても相手できる程度の実力でしかない。実は少し前から、意図的にパワーをセーブしているのだけれども。それでも、まだ少し足りないかも知れない。

突き込んできたメルルちゃん。

一撃を軽くいなすと、棒を取り落とすメルルちゃん。そのまま尻餅をつく。

振り返りながら、杖を振るい上げて。ケイナちゃんの顎を下から突き抜く。意識が飛んだケイナちゃんが、地面に倒れ込みそうになるのを、助け起こした。

活を入れて、意識を戻す。

「まだまだだね。 もう少し、攻撃の際に出来る隙を意識するようにして。 前よりずっと強くなってきているけれど、これだと円から私を出せるようになるまで、まだ半年は掛かるよ」

「ふえー、厳しいなあ」

「メルル、大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫。 トトリ先生が上手に転ばしてくれたから」

もう一本、行く。

二人で前後に回って、トトリに同時に仕掛けてくるのはいい。問題はとにかく遅い、ということだ。

ましてや、実戦では、トトリのように、棒立ちなんてしている敵はいない。

これはそろそろ、他の戦線で転戦しているミミちゃんを呼ぶ頃かも知れない。ミミちゃんは最近、新兵の訓練で頭角を現していて。非常に評価が高くなってきている。アールズでは、若手の優秀な戦士が少ない。

ミミちゃんと。

それにジーノ君辺りを呼んで、鍛えて貰うのが良いだろう。

六本訓練をいれるけれど。

まだまだ。

へばった二人を促して、アトリエに。この分だと、ライアスくんも含めて、三人がかりでも良いかもしれない。

それでも一本をいれさせてやるつもりは無いけれど。

錬金術の調合を見る。

メルルちゃんはかなり上手になってきたけれど、やはりむらが多い。怒っても治らないので、何処がダメなのか、毎回丁寧に説明していく。そうすると、不思議な事に。ちょっとずつ、確実にメルルちゃんは進歩するのだ。

お薬もまだ合格点はとうていあげられないけれど。

それでも、戦地に持っていけば、喜ばれる程度の品質にはなっている。

ドアがノックされた。

トトリが出ると、ホムンクルスの一人だ。2000番台の、まだ若い子である。

「トトリ様、ルーフェス様がお呼びです」

「うん、すぐに行くね」

「お待ちしております」

メルルちゃんに、出かけて来ることを告げると。

すぐに、トトリは外に出た。

 

ルーフェスさんは、気むずかしい顔で待っていた。南部の耕作地帯での作業がようやく一段落して。

難民との軋轢が、多少は収まってきた時期に。問題がまた発生したというのだから、当然だろう。

トトリも、悪魔族に慕われていること。それに奇蹟の技を見せている事から。難民達には、魔女と呼ばれている。

別にどうでも良い。

実際トトリは、二人の大事な人を、最悪の不幸に落としている。

魔女と呼ばれても、仕方が無い存在なのだから。

「トトリ殿、お早い対応、有り難うございます。 湿地帯のモンスターは、完璧に耕作地帯周辺から姿を消しました。 もはや柵にちょっかいを出してくる小物さえいない状態です」

「はい。 それで次の仕事ですけれど、何でしょう」

「流石に仕事熱心ですね。 此方をご覧ください」

違う。

ルーフェスさんは勘違いしている。

トトリが世界のために働いているのは、熱心だからでは無い。少しでもそうすることで、償えるからだ。

トトリの人生は、あの時。

感情にまかせて、致命的な失敗をして。誇りを地面に投げ捨ててから。償いの連鎖になっている。

少なくとも、お母さんとロロナ先生が元に戻らない限り。トトリの償いは、終わることがないだろう。

ルーフェスさんが出してきた地図。

それは、此処と東の砦跡地を結ぶ街道だ。

此処は補給線があるため、幾つかの強力な部隊を配置している。クーデリアさんが手抜きをする筈も無いので、つけいる隙は無いはずだ。

「この街道なのですが、姫様をアールズ王都北部の湖周辺調査に向かう前に、多少で良いので整備して欲しいのです」

「今の時点で、護衛の数は充分だと聞いていますが」

「はい、補給線に関しては問題ありません。 ただ、今後補給部隊を、労働者階級の軍出身者に一部任せる案が出ておりまして」

なるほど。

それは現時点では不可能だけれども。時間を空ければ、或いは可能になるかも知れない。まずやるとしたら、周辺の森の安全を確保。

その後、難民の中からリス族に声を掛けて、森の護衛をして貰う。

更にキャンプスペースの強化。

この三つをこなす必要があるだろう。

路の整備など二の次どころか、三の次だ。今の時点で馬車が通れるのは確認しているし、多少のでこぼこくらいはどうにでもなる。最終的には舗装したいけれど、それも後回しで別に問題は無い。

ルーフェスさんにそれを説明。そして、指を立てて、順番に説明していく。

「モンスターの駆除は、今日から私が実施します。 ホムンクルスの34さんと、一小隊を借りて動きますね」

「分かりました。 お願いいたします」

「次にキャンプスペースですが、これに関しては納品済みの湧水の杯を利用して、更に常駐要員を確保する必要があります。 当然、近場でモンスターの襲撃があった場合、対応出来る実力者です」

ふむと、ルーフェスさんが腕組みした。

今、アールズは決定的にベテランの手が足りない状況だ。腕利きは前線や、耕作地帯に出払っている。

もしも手を確保するとしたら。

「今、南にあるヒスト女王国が、難民との軋轢に相当苦労しています。 ヒスト女王国が抱え込んでいる難民はおよそ千七百。 この千七百名全員を此方で引き受ける代わりに、腕利きを十名ほど貸して貰えないか、交渉して見ます」

「ヒスト女王国の戦士の実力は、充分ですか?」

「ヒスト女王国には、通称女王十懐剣と呼ばれる戦士達がいて、彼らの実力はアーランドのハイランカー冒険者にも引けを取らないと聞いています。 彼らの一人と、それと中堅を九名派遣して貰えれば、或いは」

なるほど、それならば当座はしのげる。

問題は、千七百人。それに加えて、周辺国から三百人を引き受けるとして、二千人。現在の千人が馴染んだ後、続けて千人という予定だったのだけれども、大幅に予定を早めることになる。

食糧と物資は大丈夫。

この時のために、事前にアーランドが支援してくれている。最前線になっているこの国だ。ちむちゃん達によって量産した物資は、当然のように、優先度を上げて廻してくれている。

問題は、軋轢。

最初の千人に加えて、二千人。

悪魔族の戦士達は優秀だし、まだ耕作地帯はこれからどんどん拡大できる。今後は状況に応じて、ペンギン族の助けも来る予定だ。だがペンギン族の増援はまだ当面先の予定で、現時点では今いる戦力だけで、難民達の管理をしなければならない。

食糧。

医療。

娯楽。

いずれも、難民達には、今までに無い厚遇をしている。住居だって与えているし、仕事だって過酷にはさせていない。

しかし難民達は、元々ある程度文明が残っていた、北部列強から此処まで逃げてきたのである。

彼らにしてみれば、南部の辺境の民は、蛮族。

そして亜人種などは、人間では無い。

侮りと恐怖が同居しているのだから、簡単に偏見などなくなるはずもない。実際にここしばらく、難民と接してきて。

トトリは、それを良く知っている。

性根が純粋なリス族やペンギン族はまだいい。彼らは幸運もあったけれど、親身に接したトトリに、心を開いてくれたし。それ以降も良い関係を構築できている。

社会が複雑な人間はそうはいかない。

彼らを認めさせるのには。

まだまだ多くの時間が必要になるだろう。

「それともう一つ。 トトリ殿にしか出来ぬ仕事をお頼みしたく」

「お聞かせください」

「リザードマン族と、不戦条約の締結に動いていただきたいのです」

やはり、そう来たか。

少し前に、クーデリアさんが、リザードマン族の現状について、レポートを出してきていた。

リザードマン族は、アールズと血で血を洗う抗争を続けてきた亜人種だ。アールズも残虐行為を行い。リザードマン族も報復をして。

そして、今ではぬぐえない溝が両者の間に出来ている。

同盟は、無理だろう。

だが、秘密裏の、不戦条約なら。

「アールズ人が彼らと交渉をするのは不可能です。 しかし幾多の亜人種と友好関係を構築し、その上アーランド人である貴方であれば、或いは」

「分かりました。 ついでに、彼らと接触してきます」

「幾つもの無理難題をこなしていただき、感謝の言葉もありません」

「いえ、今は世界の危機ですから」

アールズが落ちれば、南部の辺境諸国は、体勢が整わないところを圧倒的暴力的戦力によって、一気に蹂躙されるだろう。

トトリの仕事は、それを防ぐこと。

そのためには、目の前にある幾つもの事を、一つ一つ解決していかなければならないのだ。

城を出ると、トトリはアトリエに戻り。その途中で、34さんに声を掛ける。

これから、仕事だと。

 

アールズ王都を出て、北東に。

既に真っ暗だけれども。

今のトトリには、あまり関係無い。不意を打たれて不覚を取るほど、生半可な戦力で出てきていないからだ。

手練れの中の手練れである34さんと、ホムンクルス一個小隊。それにトトリ自身。

ドラゴンに不意を打たれても返り討ちに出来る戦力だ。

ミミちゃんがいれば更に心強いのだけれど。

まあ、それは仕方が無いだろう。彼女も今は、彼方此方を転戦して、地獄と血しぶきの中にいるのだから。

街道の左右には、森があったり無かったり。シェリさんが調査を進めてくれているけれど。やはり王都から離れれば離れるほど、人の手が入っていない様子だ。モンスターに襲撃されることも多いと言う。

先行していた34さんが戻ってくる。

「森の中に大物の気配が複数。 やはり、日中帯に、行き来する馬車を見定めていると考えて良さそうです」

「それじゃあ、駆除を開始しようか」

「了解……」

さっと、ホムンクルス達が戦闘態勢に。

駆除といっても、皆殺しという訳では無い。

人間が如何に恐ろしいかを思い知らせて、縄張りを遠ざければ良い。

勿論、森の中にモンスターは必要だ。生息していないと、むしろ困る。だが、あまりにも強力なモンスターに居着かれると、それはそれで困るのである。

荷車を一分隊に任せると、トトリは先頭に立って森に飛び込む。残像を造りながら移動。最初に目にしたのは、小型のベヒモスだ。

流石にいきなり姿を見せたトトリに、面食らったようだけれど。

その眼前。

鼻先に、爆発寸前の爆弾を置き去りにされ。

トトリが着地した時には。

その頭は消し飛んでいた。

鮮血をまき散らしながら、倒れるベヒモス。すぐに解体して、肉や内臓を切り分けて、運ばせる。

前線に送って、兵糧にするのだ。

「鮮やかですね」

「私はもう、半分人じゃないから」

「……」

34さんまで、悲しそうに眉をひそめる。

これは自業自得の結果だ。だから、トトリは何とも思っていない。それに、相手が大物のベヒモスだったら、こうは行かないだろう。

12名のホムンクルス達が、見る間に解体を終わらせる。

骨や、一部の貴重な素材は、アールズ王都に運ばせる。

そして、パメラさんのお店の地下に運び込んだ。

此処は、メルルちゃんには知らせてはいないけれど。空間の位相をずらして、一大生産工場にしている。

貴重な素材などは、前から此処に持ち帰って、様々な錬金術の道具の材料にしているのだが。

まあ、前のトトリと同じように。

いずれメルルちゃんにも、使わせてあげる機会が来るだろう。

さて、次だ。

今晩中に、砦への街道付近にいる大物を、全て処理し。なおかつ、大物が縄張りを近場に設定しないように、処置をする。

多少は忙しいけれど、まあ仕方が無い事だ。湿地帯に比べれば、住んでいるモンスターもそう強くは無い。

問題は、エントが来たとき。

今、エントはアーランドの北東部、前線近くにいる。スピアの軍勢も近づく端から薙ぎ払っているとかで、現時点で気にする必要はないが。奴は年に何度か、移動するのだ。纏っている森ごと。

ここ数十年は、人里にはあまり近づいてきていないという事だが。

それもいつまで続くか。

再び、夜闇の森に出る。今度は大きめのドナーンが、ベヒモスの血の臭いを嗅いでいるのを確認。

34さんたちが飛び出すと。

滅多打ちにして、瞬く間に息の根を止めてしまった。

大きめといっても、正直どうと言うことの無いサイズだ。殺してしまったのは、少し可哀想だったかも知れない。

荷車に積み込み、丸ごと持っていかせる。

解体はパメラさんの店の地下でやればいいだろう。丸ごと活用できるし、肉もそんなには取れないだろうから。

次。

順番に。

むしろ機械的にさえある。

片付けていく。

そして夜が明けた頃には。

十三回の戦闘をこなし。トトリは結構な返り血を浴びたが。反撃は一度も貰わず。必要量のモンスターを、間引き終えていた。

 

34さん以外のホムンクルス達には戻って貰い。

前線の砦に出向く。

クーデリアさんがいたので、挨拶。彼女は不機嫌そうに耐久糧食を囓っていたが。リザードマン族との不戦条約を結びに来たと言うと、眉をひそめた。

「まあ、あんたなら大丈夫だろうし、心配はしていないけれど。 念のために気は付けなさい」

「はい、有り難うございます。 前線はどうですか?」

「どうもこうもね。 あたしが時々敵を削ってはいるけれど、無尽蔵に湧いてくるわ」

「そうでしょうね」

西大陸の状況は、クーデリアさんも知っている筈だ。

あのお母さんが苦戦を余儀なくされているのだ。どれほど絶望的な状況かは、想像するにあまりある。

リザードマン族の集落は、クーデリアさんも場所を正確には把握していないという。

地下にある、というのは確からしいのだけれど。

此処から東にある古いお城は、既にスピアに制圧されていて。リザードマン族は追い払われてしまったそうだ。

もしもリザードマン族を探すのなら。

地道にやるしかない。

「医療魔術師は誰がいますか?」

「あんたの知り合いのカテローゼがいるわよ。 ただし、連れていくのはリザードマン族とコンタクトがとれてから」

「はい。 その時はお借りしますね」

「しっかり生きたまま帰しなさい」

軽口を叩きながらも。クーデリアさんは、どの辺でリザードマン族をよく見かけるか、教えてくれた。

さて、此処からだ。

34さんと一緒に、森に踏み込む。周囲のモンスターの気配が、一気に濃くなる。管理されていない森は、文字通りの魔境だ。

生半可な実力者では、踏み込むのは自殺行為である。

モンスターの気配も、夜の間に相手していた連中とは格が違う。この辺りに住んでいるモンスターの中で、はぐれ者が、街道の周囲にはじき出されてきていたのだろう。そう断言できるほどだ。

気配を消して。

森の中を、二人で歩く。

34さんとは、ハンドサインで会話。

時々大物のすぐ近くを通るが、気配は察知させない。もし悟られた場合も、その場で瞬殺して切り抜ける。

今のトトリにはそれが出来るし。

34さんもしかり。

もっとも、この森のモンスターの気配は危険だ。アーランド北東部の魔境ほどでは無いけれど。

此処で鍛えられているのなら。

リザードマン族が、アールズの戦士達と互角に渡り合っていたというのも、納得できる話である。

一刻ほど、周囲を探し廻った頃だろうか。

見つけた。

数名のリザードマン族が、仕留めたらしい大猪を担いでいる。その同数ほどが、見張りに当たっていた。

ハンドサインで、軽く打ち合わせ。

正面から行くとトトリが言うと。34さんは難色を示したけれど。それでも、トトリの実力を信頼してくれているのだろう。

最終的には同意してくれた。

消していた気配を現すと。

リザードマン族の戦士達は、流石に一斉に此方を見た。茂みにふせていたトトリは、立ち上がり、歩きながら近づいていく。

巨大なモーニングスターを向けてきたのは、白い鱗のリザードマンだ。

聞いている。彼らの世界では、指揮官クラスになると、白く体を塗装するらしいと。他のリザードマン達は、皆鱗が緑のままだ。

流ちょうな言葉で、警告してくる。

「止まれ、何者だ!」

「アーランドの錬金術師、トゥトゥーリア=ヘルモルトです」

「! 噂には聞いているぞ。 砂漠に路を通し、リス族からは先神、ペンギン族からは青き鳥と呼ばれている凄腕の錬金術師だな。 交易をしているリス族から、存在については聞かされていた」

名乗るように、無言で促すと。

白いリザードマンの戦士は、赤き谷の戦士、オズワルドと名乗った。

しかし、興味深い話だ。

リス族を経由すれば、或いは。突破口が開けるかも知れない。

だが、それはまだ後。

まずは、順番に攻めていく。

「アーランドと貴方たちには利害関係がありません。 今回は、少しばかり話をしたいと思って来ました」

「人間と話すことなどない!」

「待て」

オズワルドが、部下を制止。

やはり、長年のアールズとの争いで、近辺のリザードマン族は、人間に対して強烈な敵意を抱いているというのは本当らしい。

「貴殿は路の神と呼ばれる凄腕だそうだな。 やはり、我等との不戦条約とやらのために来たのか」

「はい。 まずは族長と話をしたいと思いまして」

「巫山戯るな! 人間と我等が族長を、会わせるはずが無いだろう!」

「ハマーン、落ち着け。 貴殿ほどの錬金術師に来ていただいて悪いのだが、我等にとって、やはり人類は警戒すべき相手なのだ」

「見たところ、食糧は兎も角、医薬品についてはかなり不足しているのでは?」

ずばりと、図星に切り込む。

一なる五人の軍勢とやりあっていて、無事で済む筈がない。ましてやこの近辺のリザードマン族は、孤立無援の状況だ。

黙り込むオズワルドさん。

トトリは、専門家であると、最初に告げて。それから、順番に、相手の内側に切り込んでいく。

「瀕死の負傷者は? 私であれば、助けられる可能性がありますよ」

「お前達に助けられるくらいなら、死んだ方がマシだ!」

「ハマーン!」

オズワルドが、おしゃべりな部下を一喝。

それから、少し黙り込んだ後。

本当かと、聞き返してくる。

此処からだ。

「絶対とは言えませんが、負傷なら高確率で治療できます」

「……他に誰もいないな」

「私と34さんだけです」

「ハマーン、シャルカとバーニィを連れてこい。 急げ!」

信頼は、最初からあるものではない。

忠誠心と同じ。

必要な行動を積み上げて、作り上げていくものだ。

トトリは、粘り強くやっていくことの意味を、良く知っている。まずは手近な所から始めて。

そして心臓をわしづかみに行く。

究極的には、アールズ人とリザードマン族が和解する必要などない。アーランドと同盟を結べれば、それでいいのだ。

担架に乗せて運ばれて来たのは、見るからに助かりそうにないけが人。

一人は袈裟に斬られて、傷が腐敗し始めている。もう一人は左腕を失い、傷口が腐って蛆が湧いていた。

こんな状態になるまで放置していたという事は。

つまり、医薬品も不足しているし。

下手をすると、医療魔術師もいない。

「34さん、すぐにカテローゼさんを呼んできて」

「わかりました」

残像を造ってかき消える34さん。リザードマン族の戦士が、流石に驚いたようだった。だが、トトリは、関係無い。

まず二人に、ネクタルを飲ませる。

続けて、傷口を消毒。蛆を取り除くと、ひどい状態の傷口を確認し、まずは焼く。じゅっと、凄い音がした。

身じろぎするが、暴れる力も残っていない。

ネクタルで体力を急激に回復させつつ、傷の処置を進めていく。袈裟に斬られた方は、内臓にまで傷が達していて。良く生きていたものだと、トトリは感心してしまった。

傷口の処置をてきぱきと進めていく。

ハマーンというリザードマンの戦士は、トトリを親の敵のような目で見ていたが。やがて、応急処置が終わると。目を背けた。

手が血だらけのトトリは。

煮沸消毒しておいた桶で、手を洗う。

敗血症も起こしている。

このままだと、本当に半日保たなかっただろう。

もう少しネクタルを飲ませると。順番に処置を進めていく。カテローゼさんが到着したのは、間もなく。

状態を説明して、後は代わる。

必要な投薬は済ませた。

回復の、優しい魔術の光が、二人の戦士を包む。

そして、傷口が、見る間に回復していく。

おおと、リザードマン達が声を上げる。失ってしまった腕はどうしようもないが。確かリザードマン族は、時間さえ掛ければ手足さえ再生出来るはずだ。

かなり楽そうになった。

ただし、すぐに歩いて戦えるようにはならないだろう。

「峠は越えました。 後は食事をきちんと与えながら、二月ほど静養すれば大丈夫でしょう」

「嘘だろ……」

医療魔術もそうだが。

トトリの処置に、彼らは驚愕していた。

それでいい。

スキルを持っているのだから、最大限に活用する。カテローゼさんが、後処理をしていくのを尻目に、トトリはオズワルドさんに言う。

「他に負傷者は?」

「ほ、本当に、奇蹟の技……なのだな」

「いいえ、錬金術です」

「……まだ五人ばかり、人事不詳になっている。 皆、助けて貰いたい。 全員がベテランの戦士で、一族には無くてはならない存在なのだ」

口惜しそうだけれど。

オズワルドさんが、言う。

カテローゼさんは、34さんに言った。

「これから言うだけのリネンと医薬品を。 私はしばらく、彼らの所に常駐します。 できれば看護要員も」

「分かりました」

さて、突破口は開いた。

後は、此処から、どうやって対応を進めていくか、だ。

 

4、新たなるお仕事

 

ルーフェスに呼ばれてメルルが城に出向くと。城の方で、兵士達が、あまり良くない噂をしていた。

リザードマン族に裏切った者がいる、というのだ。

この国で、リザードマン族はタブーである。何しろ、長年血で血を洗う戦いをしてきた相手だ。

悪い事=リザードマン族とする風潮さえある。

国民の多くが、家族をリザードマン族との争いで亡くしていた時期もあった。

「みんな、どうしたの?」

「姫様、それが」

「リザードマン族と、同盟を結ぼうなんて動きがあるらしくて。 皆が不安に思っているんです」

兵士達がそう言う。

なるほど、そうか。

メルルにも、分かる。今、リザードマン族と争っている場合では無い。リザードマン族は知性もあり、不幸な歴史を重ねては来たが、少なくとも会話は出来る。

問題は、スピアだ。

あちらはもはや知能も何も無い生物兵器の群れを海のごとく繰り出してくる、会話も交渉も出来ない相手だ。殲滅することしか考えていない敵と、交渉など出来ない。

今は、リザードマン族と争っている場合では無い。

同盟は無理でも。

少なくとも、不戦条約は結ぶべきだろう。

「同盟は難しいだろうね」

「そうですよね、姫様」

「でも、リザードマン族と争っている場合でも無いよ。 誰かが、リザードマン族と戦うのを、一度止めようって考えて、それが悪い噂になっているのかも知れないね」

「……」

兵士達の顔には、露骨な不満がある。

メルルに対する失望にまでは発展していない様子だけれど。しかし、それだけ。リザードマン族は。この国では、敵意の対象なのだ。

「とにかく、今は内輪もめをしている場合じゃないよ。 タダでさえ手が足りないのに、争ったりしてたら、この国は一日で潰れちゃう」

「それは分かっていますが……」

「大丈夫、私が何とかするから」

そういうと、兵士達の顔から、さっと不安が晴れる。

現金なものだ。

でも、メルルも思う。

これは少しばかり、まずいかも知れない、と。

ルーフェスの所に行くと、咳払いをされた。

「姫様、兵士達と話していたようですが……」

「何となく事情は分かるよ。 でも、これはきっと、何世代も掛けて解決しなければならない問題なんだろうね」

「その通りです。 私も叔父をリザードマン族との戦いで失っています。 彼らの気持ちは、分からないでもないのです」

不戦条約。

もしも達成できても、すぐに憎しみは消えない。何世代も互いの間の交渉を断って。双方に、被害者がいなくなってから。

改めて、同盟に動く。

それくらいの時間と手間が必要だろう。

お互いに殺し合いすぎたのだ。

咳払いするルーフェス。

「新しい仕事の話をしましょう。 姫様は、予定通りアールズ北の湖周辺の調査を進めていただきます。 現在予定している農場への、安定した街道を確保するのが目的です」

「うん、準備はしてきているよ」

「頼もしい限りです。 今回はトトリ殿に、顧問として同道していただく予定ですが、なにぶんお忙しい方ですので、全ての調査に同道できるとは限りません。 ケイナとライアスをお連れください。 戦闘を想定した装備で、出ていただきたく」

そうか、ついに来たか。

頷くと、メルルは執務室を出る。兵士達だけではなくて、侍女も噂しているのが、聞こえてしまう。

あんなおぞましい禽獣と同盟するくらいなら、死んだ方がマシ。

そう言っていた人は、夫をリザードマン族との戦闘で失っているのを、メルルは知っている。

嘆きたいけれど。

それも許されない。

幸い、皆はメルルを信頼してくれている。いずれ、メルルがどうにかして、この問題を解決したい。

アトリエに戻ると、ケイナが待っていた。

出るのは、明日からだ。

それを告げると、ケイナは、少し緊張した面持ちで頷く。

「トトリ先生が一緒に来てくれるとは言え、危ない場面もあると思う。 でも、大丈夫、みんなしっかり鍛えてきたから」

「はい!」

メルルがそう断言すると、ケイナの緊張が、一気に和らぐのが分かった。

さあ、此処からだ。

明日からは、メルルにとって、初めての本格的な冒険が、始まる。

 

(続)