最初の地盤
序、繁茂する悪草
アーランドの国家軍事力級戦士クーデリアが軽い仕事を終え、アールズ前線の拠点にしている砦跡地に戻ってくると、ホムンクルス達が片付けを行っていた。
文字通りの意味である。
殺した敵を燃やし。放置されたままにしている砦を片付け。使えそうな石材は積み上げて。
土嚢を積んでバンカーを造り。
補給部隊が入れる、周囲に遮蔽を造った空き地を用意している。
現時点で、補給部隊はアールズを通って、敵の前線と接触しない位置から来ている。主にアーランドに最近編入されたり、同盟を組んだ国が、物資を送ってくれているのだが。あまり質の良くない兵糧も混じっているので、ホムンクルス達でさえ、食事がまずいと文句を言いに来る事があった。
今までホムンクルス部隊の指揮をしていた34が、トトリに連れられて、南に出向いている。
南には湿地帯が有り。
アールズを強力な前線拠点にするための準備が、其処で行われているのだ。まだ、軌道には乗っていないが。
ただ、幾つもの不可能を可能にしてきたトトリだ。
このくらいの任務なら、さほど苦労せずこなしてみせるだろう。
ホムンクルス部隊の指揮を執っているのは、9。
あまり面識は無いが、数少ない生き残りの一桁ナンバーホムンクルスだ。顔には凄い向かい傷があり、左腕は二回失ってその度作り直したらしい。寿命も縮んだが、本人は覚悟の上だと受け入れているそうである。
敬礼をかわす。
巨大なバトルアックスを手にしたまま、9は報告をしてくる。
「敵部隊は、着実に増強されています。 現時点で、また一万を突破した模様です」
「恐らく敵の目的は、注意をそらして、本命の機動部隊を投入する事よ。 機動部隊に張り付いているエスティからの連絡は」
「今の時点では、アーランド北部に敵の主力機動部隊がいる模様ですが、それ以外の事は分かっていないようです」
「……仕方が無いか」
頷くと、9は前衛に戻っていった。
ホムンクルスの戦士達は、三百名ほど。これから、更に二百名ほどが増員されることが決まっている。
人間の冒険者などの戦士が合計二百ほど。
殆どはアーランドの戦士に、他の辺境国家の戦士達が加わってきたものだ。悪魔族の戦士も少数いる。
後方で各地の整備に協力して欲しいと要請したのだが。
どうしても、最前線に配置して欲しいと申請してきた戦士が何名かいて。彼らが、この場で守りについているのだ。
昔、此処は。
アールズとリザードマン族が激しくぶつかり合った最前線だったそうだが。
今ではその戦いの結果、砦も崩壊し。
ただの野戦陣地があるだけの場所となっている。
奥の天幕に入ると、通信をいれる。
ロロナの。
幼すぎる声が、聞こえてきた。
「あれ、くーちゃん、おしごとおわったの?」
「ええ。 其方はどうなっているの?」
「ええとね、おうさまと一緒に、てきをたくさんころしたよ! たぶん、今日はロロナのほうが、おうさまよりたくさんころしたと思う!」
「そう、それは良かったわ」
本当に嬉しそうな、ロロナの。
変わり果てた声。
あの時の誓いが、この声を聞く度に、強く強く蘇る。
おぞましい計画が実行されたのだ。
ロロナを子供に作り直すことで、爆発的な潜在能力を開花させ、神へと進化させる。
そうすることで、一なる五人を屠り去る最大戦力とする。元は北部列強諸国に対する切り札として考えられていたらしいのだが。それを遙かに超える一なる五人の脅威がある今となっては、過去の計画を利用した、と言う形だろうか。
今、ロロナは本来だったら二十代後半だ。
もとより発育が悪かったし、子供っぽい見かけだったけれど。もはや、完全に。本当に、子供にされてしまった。
「くーちゃん、ロロナをほめてくれる?」
「ええ。 いつも助かっているわ」
「やったあ! あ、おうさまが、パイをくれるって!」
通信が切れた。
大きなため息が零れる。ロロナの周囲には、彼女を慕うホムンクルス達が固めているけれど。最終的にはジオ王には逆らえない。
それにロロナ自身も。
精神が幼児退行していても、周囲の人間の事は分かっている。下手に逆らうとどうなるかは分かっているのだ。
精神は幼児退行しても、記憶は残っている。
非常に不安定な状態で。
それが故に、あの爆発的な力を出せるのだろう。
今のロロナが発揮できる魔力は、恐らく人類史上屈指のレベル。もはやロロナが人間かは正直分からないとしか言いようが無いが。その火力は、アーランドにいる戦士達の中でも、間違いなく最強。
一撃で千以上の敵を蒸発させる大威力砲撃魔術を、乱射するほどの実力だ。敵もロロナがいるから、大規模な合戦を挑んではこれない、というジレンマがある。密集したところに叩き込まれると、もはや防ぎようがないから、である。機動軍がこの辺りでの作戦に二の足を踏み、エスティらに足止めを喰らっているのも、それが原因となっているのは確実だろう。
問題は、ロロナでも止められないほどの数を一度に動員された場合だが。
そうはさせない。
アールズの準備が整い次第、反攻作戦に出る。
一なる五人は、確実に国境付近にいる。これについては、複数の証拠が、その存在を示唆している。
見つけ次第、殺す。
奴らさえ消せば、ロロナをこの呪われた運命から解放できる。そしてこの小さな国も。尻に火がついた状態で、走り回らなくても良くなるだろう。
その後、世界が良くなるかどうかは、正直分からないとしか言えないけれど。
ホムンクルスの伝令が一人来る。
「伝令っ!」
「ん」
手渡された書状を確認。
そうか、トトリはとりあえず、最初の関門をクリアしたか。アールズが数万の人間を養うことが出来るようになれば、軍とそのバックアップ要員を、問題なく此処に置くことが出来る。
次の関門については。
目を通していくと、もうメルル姫にやらせるようだ。
やる気が有り余っているけれど、どうにもオツムの方は若干足りない。それが聞かされた評価だけれど。
下手に知恵がついて不幸になるよりも。
何も考えずに驀進して、全てを強引にねじ伏せるくらいの方が、幸せになれるのかも知れない。
小さくあくびをすると、クーデリアは書状に印を押す。
「支援は大丈夫?」
「はい。 トトリ様の戦闘力であれば、あの辺りの湿地帯にいるモンスターには、不意を打たれる事もありませんし、不意を打たれたところで何とでもなります」
「そう。 ただ、ドラゴンがいるという噂もあるから、油断だけはしないようにして」
「分かりました」
伝令のホムンクルスが戻っていく。
クーデリアは、天幕の中で足を組み直すと。書状を書き直し始めていた。
前線には、昼も夜もない。
勿論あるが、常に警戒していなければならない、という事だ。
クーデリア自身が、単独で敵の前線に出向く。隙を見せた敵を間引きながら、拠点に接近。
地面に半ば埋まった城のようなそれは。この辺りでは、無限書庫と呼ばれているらしい。昔は、中に入ることも出来たし、生還者もあったとか。
もっとも、リザードマン族との紛争が本格化してから、この辺りは完全に放棄されたそうだが。
かなり大きな遺跡だ。
オルトガラクセンにも規模的に負けないかも知れない。
リザードマン族の戦士がいる。
敵に与しているのかと思ったが、おそらくは違う。物陰に隠れ、何かを話し合っている様子だ。
不意に、側に移動。
単純に超加速しただけである。
大きなトカゲと人を混ぜたような姿をしたリザードマン族は、亜人種の中でも屈指の武闘派だ。戦闘力は悪魔族に近いほどだろう。向こうが魔術に偏るのに対して、リザードマン族は肉体の頑健さにみるべきものがあるが。
彼らの数は三人。
クーデリアの事は知っているのだろう。武器を構えるが、いきなり仕掛けてくる事は無い。
「最近この国に来て、奴らと戦っている人間だな」
「クーデリア=フォン=フォイエルバッハよ。 よろしく」
「……」
人間は信用できない。
リザードマン族の戦士達は、答えないけれど、目には拒絶の光が宿っていた。だが、名乗った以上、返事はして貰う。この辺りは、亜人種の中でも、マナーとしてあるし。何よりリザードマン族は武勇を貴ぶ一族だ。クーデリアを無視はできないだろう。顎をしゃくると。リーダーらしい戦士が、気は進まない様子だが、返事をする。
「赤き谷の戦士、オズワルドだ。 此方はハマーンとシャーラール」
「小隊長!」
「奴らは俺たちにとっても敵だ。 モディス城の屈辱を忘れたか。 そしてこの戦士は、アールズ人ではない。 人間の全てが敵ではないこと位は、お前達だって分かっている筈だ」
悔しそうな下級戦士達に言い聞かせるオズワルド。彼は白い鱗に身を覆っているが。どうやら塗装しているらしい。
手には、鉄球付きのフレイル。
一方、下級の戦士達は、どちらも鱗が緑だ。これは恐らく、地の色だろう。近くで見ると分かるが、塗装している様子が無いのである。
下の二人は、手に棍棒を持っている。
どちらも打撃武器なのは、恐らくは分厚い鱗が、一族同士の争いの時、刃物を寄せ付けなかった、と言うのがあるのだろう。
基本的に、同族同士での争いをするのは、人間の業。
同族内で仲良くしている亜人種もいるが。リザードマン族は、そうではないと見て良さそうだ。
「あんたはアールズの連中とは違う地域から来たのだろう」
「ええ。 アーランド出身よ」
「アーランドというと、今大陸の南半分を支配しつつある国だな。 この国も、征服するつもりか」
「武力による征服をするつもりはないわよ。 そもそも、あの連中がいるから、そんな事をしているヒマもないわ」
顎をしゃくった先には。
無限書庫の入り口付近に、分厚く布陣している敵軍。勿論構成しているのは、洗脳されたモンスターと、恐らくもはや思考回路もつけられていないホムンクルス。亜人種の姿もあるが、どれも目に意思の光がない。
彼らを救う方法は、ない。
脳を壊され、機械化されてしまっているからだ。
文字通り生ける屍。
死だけが、彼らを救済する方法なのである。
人間の姿もあるが、殆どは改造されていて。見るもおぞましい姿へ変えられている。
「あいつらは、全ての生物の敵よ。 出来れば、協力態勢を構築したいのだけれど」
「無理を言うな。 今、此処で此奴ら、跳ねっ返り達を抑えることだけで、どれほど難しいのか、見て分かるだろう」
「……対応が遅れると、下手をすると貴方たちの一族全員が、ああなるわよ」
「脅すつもりか!」
大きな声を上げ掛けたハマーンを、オズワルドが抑える。
声からは判断がつかないのだが、どうやらハマーンは女戦士らしい。トカゲそのものの身体構造だから、多分人間からは見分けがつかないだろう。何となくクーデリアがそうだと判断したのは、雰囲気から、だ。
だから外れているかも知れない。
「アーランドは交渉のチャンネルを開いているわ。 戻ったら族長に知らせて」
「分かった。 だが、すぐに交渉を持つのは無理だろう。 今も、貴様のことを、全面的に信用したわけでは無い」
「そうでしょうね。 ただ分かっているでしょう。 もたもたしていると、本当に取り返しがつかない事になるわよ」
その場を離れる。
無限書庫の内部にも潜入できればと思ったが、この警備だと無理だ。入り口を見つからずに突破するのは不可能に近い。
内部に殴り込みをするにも、戦力が足りない。
ロロナがいれば、或いはどうにかなるが。
ロロナは今、遊撃としておくことで、最大の戦果を獲得できる。戦略的に見ても、此処に投入するのは無理だ。
敵の数を削る事だけだったら出来るが。
今は、それも効率的に出来そうにない。
一度下がる。
野戦陣地まで戻り、状況を説明。指揮官クラスの一人であるアールズ人。近衛隊長をしている男が、眉をひそめた。
「リザードマン族と接触した!?」
「ええ。 恐らく敵の配下に落ちてはいないと見て良いでしょうね。 孤立して、かなり不安なはずよ。 上手く行くと、味方に引き込めるかも知れない。 現在、予測されるリザードマン族の数は?」
「知りません! そもそも、奴らのような禽獣と同盟など」
「……」
かなりの手練れの戦士に見えるが、だからといって、割り切ることは難しい様子だ。余程深い恨みをリザードマン族に抱いているのだろう。家族を殺されたか、恋人を殺されたのか。分からないが、そんな理由に違いない。
長い間紛争が続いたのだ。
殺しに殺し、殺されに殺された。
この破壊されつくした砦を見ても、その惨禍は明らか。双方エスカレートして、疲弊しきるまで残虐行為を応酬したとも聞いている。アールズ人とリザードマン族はそんな間柄だ。クーデリアが何か言っても、心に届くことは無さそうだ。
だが、それでも。
此処では、話をしなければならない。
「今は、共通の敵と戦うべき時よ。 同盟を結んで一緒に戦う、とまで行かないにしても、不戦条約を結ぶくらいはした方が良いでしょうね。 あの数の敵を見ていて、まだ危機感が募らないの? 一手でも間違えれば、この陣地も一日で陥落して、敵はアールズ王都に殺到し、殺戮と破壊の限りを尽くすわよ」
「分かってはいます、しかし」
「クーデリア殿」
不意に、低い声。
近衛隊長よりも、更に年上の老魔術師だ。非常に豊富な口ひげを蓄えた、見るからに「魔法使い」という風貌の男性である。
アーランドの出身者では無く、今回は援軍として来ている。辺境にその人有りとまで言われる大魔術師、バルガルードだ。ロロナほどの魔力はないけれど、とにかく豊富な魔術を使いこなすため、非常に重宝している。
「今は、その話は横に置いて。 それよりも、まず敵を防ぐことを考えましょう」
「……そうね。 それでは、まずは野戦陣地の構築状況、補給物資の蓄積状況から」
話を進めても、亀裂が生まれる未来しかなかったかも知れない。
正しい事が、相手の心を動かす訳でも無いし。
微力とは言え、アールズにそっぽを向かれると、色々と面倒も増える。此処はクーデリアが引くべきだろう。
会議が終わった後、バルガルードに礼を言う。
老魔術師は、目を細めて笑う。
「何、儂のような枯れ果てたじじいめが、貴殿のような英雄とともに戦えるだけで光栄でな。 ましてや助けになれるというなら、これ以上の喜びもない」
「ご謙遜を。 今後も、お願いするわ」
とにかく、今は引き締めが重要か。
クーデリアも意識を切り替えると。
これからどうやって、敵を防いでいくか。その、最も大きな命題に、思いを寄せた。
1、根切り
メルルは、どうやら間違いないと判断した。
プレイン草が、見事に枯れ始めている。メルルが植え込んだ錬金炭を利用した灰の塊は、確かにプレイン草に、耐久種を作らせ、そして枯れさせている。近くに埋めるだけで、周辺のプレイン草が、皆連鎖的に、同じ行動を始める。
これは、便利だ。
シェリさんに礼を言って、アトリエにとんぼ返り。
これならば、ルーフェスも満足するだろう。すぐに錬金炭もとい、錬金灰とでもいうべきこれを量産して、南の湿地帯近辺の耕作予定地にばらまく。それだけで、猛威を振るっているプレイン草を、静かにさせられる。
一ヶ月以内に解決しろと言われたけれど。灰を量産するのをあわせても、後一週間以上残っている。
これならば、多分どうにかなるだろう。
アトリエに到着したのは、昼少し前。
トトリ先生は、ソファで横になって眠っていた。可愛い寝顔だと思ったけれど、血の臭いがしている。
また何処かで戦って来たのだろう。
トトリ先生を起こさないようにして、モヨリ森で貰ってきた木の実や薬草を、コンテナに移す。
シェリさんの話では、そろそろ調査も終盤。
他の森に移って、同じようにして順番に調べていくことになるそうだ。
コンテナに入ると、いつもひやっとしている。
体が凍るほどでは無いのだけれど。地下に作っているとは言え、明らかに雰囲気が違うのだ。
おかしな魔力の流れもある。
魔術の理論も、錬金術も使って。此処の環境は安定させているという話なのだけれど、何ともいえない怖さもある。
ケイナに手伝って貰って、必要以上にてきぱきと棚に戦利品を入れていくのは。
単純に怖いから、と言うのもあるかも知れない。
作業完了。
地下室を出ると、トトリ先生が起き出していた。もうとっくに起きていたのに、寝たふりをしていたのかも知れないが。
「トトリ先生、五月蠅かったですか?」
「ううん、大丈夫。 それで、結果は?」
「はい! プレイン草、ばっちり反応してました! やっぱり灰で、耐久種を作って、枯れてしまうみたいですね」
「そっか。 じゃあ、まずは此方に来て」
ソファの前にテーブルを置くと。
トトリ先生は、どこから出したのか、地図を広げる。アールズ周辺の、かなり精密な地図だ。
多分これは、アールズから供出されたものだろう。
王都の周辺だけしか精密では無いのが、ちょっと悲しい。その辺りが、アールズという国の限界と実力をよく示しているとも言えた。
トトリ先生の指が、アールズ王都から南へ滑って。その辺りの湿地帯で止まる。広さはそこそこだ。
錬金灰を造るのは、それほど難しくない。
問題は、撒いた錬金灰を埋め込む手間。それに、どれくらいの広さまで枯れるか、という事だ。
多分枯れることに関しては、あまり気にしなくても良いとメルルは思っている。足りなければ追加すれば良いだけのことだ。
「メルルちゃん、おおざっぱだね」
「えへへー、良く言われます」
トトリ先生は多分褒めてないのだけれど、笑顔で応じてしまう。この辺り、メルルは多分、何処かネジが取れているのだろう。
自分自身でもそう思うくらいなのだから、周囲からはもっと色々厳しい目も向けられているかも知れない。
この辺りに今回は畑を作るのだけれど。
全部が全部、いきなり畑にする、と言うわけでは無いらしい。トトリ先生の話では、水路を引いた、全体の四分の一ほどを、今回はまず畑にして。
それから、悪魔族が指揮を執りつつ、環境を浄化。
同時に、多数の難民を、連れてくるのだとか。
「まず予定で千人。 この千人に、どう馴染んで貰うかが、最初の壁になると思うよ」
「……千人」
その時点で、既にアールズの人口より多い。
勿論、戦闘力や体力という点では、辺境の民と北方列強の民は比べものにならないので、帳尻は取れているが。
「居住用の家屋なんかは、私の方でどうにかするから。 メルルちゃんは、今はプレイン草の駆除を、最優先の課題にして」
「分かりましたっ!」
すぐに、作業に取りかかる。
ケイナは一度お城に。恐らくは、今回の件を、ルーフェスに報告してくれるのだろう。助かる。
ただ、ルーフェスから、ケイナが手紙をあずかってくる可能性もある。
調合を、始める。
メルルはどうも、じっくりやっていかないと上手にならないタイプのようで。錬金灰も作れるようになったとはいえ。まだまだ、品質にはかなりのばらつきがある。
これに加えて、彼方此方から集めた灰も、念のために地面に撒く。最終的には栄養になるので、これも無駄にはならない行動だ。
トトリ先生は、ふらっとアトリエを出て、その日は結局帰らず。
ケイナも色々と用事があったのだろう。夕方までは、戻ってこなかった。
夕方、ケイナが戻ってきて。鞄に、たくさんいれていた。殆どは生活用品だ。
「メルル、この借りていた本、返してきますね」
「あ、お願いね。 ちょっと手を離せないから」
「うふふ、分かっています」
ケイナが行くと、息を一旦止めて、集中。そして、更に作業をする。
まだまだ、実力が根本的に足りないのだ。
だから練習練習。
それを兼ねて、実物を造る。
ケイナがもう一度戻ってくるまでに、もう二セット仕上げた。寝る前になって、出来たものを数える。
多少質が低くても良い。
まずは、数を揃えるのが大事だ。そして効果があるようなら、湿地帯全域のプレイン草を駆除。
畑を作れないし。
何より、他の植物も侵害するというのなら、仕方が無い。耐久種は何処かにとって置いて、いずれ焼いてしまうか、或いは別の用途を考えるしか無いだろう。
「メルル、夕食出来ましたよ」
「うん……」
流石に疲れた。
一緒に食事をする。今日はキノコ鍋だ。普通に茸を使うだけでは無くて、モヨリ森で取れた獣脂を使い、味にコクを出している。
見た感じ、茸も全部大丈夫だ。
いただきます。
二人でテーブルを出して、向かい合って食べる。そういえば、ルーフェスに、何か言われなかったか。
聞いてみると、ケイナは笑顔で答えてくる。
「明日、返答をするそうです」
「うわー、あのルーフェスが即答しないって、相当面倒な事なんじゃないのかな……」
「そうかも知れませんね。 でも、メルルは、プレイン草をどうにか出来そうじゃないですか」
最初は、途方に暮れてしまったけれど。
言われて見れば、確かにどうにかなった。
勿論トトリ先生の指示が良かった、というのが一番大きいだろう。
ケイナがキノコ鍋をわざわざ造ってくれたのも、多分メルルを元気づけようとしたから、なのだろう。
作業も一段落したし、何より壁をどうにか乗り越えられたのだ。
食事後は、二人で銭湯に行く。
しばらく銭湯に入らず、ぬれタオルで済ませていたので、お湯につかれるのは嬉しい。ふと、気付く。知らない人が、銭湯に入っている。
目があったので、礼をすると、礼を返された。
何だか気弱そうな人だけれど。
それと裏腹に、戦士としての力量は、決して低く無さそうだった。
「こんにちわ。 アールズ、初めてですか?」
「えっ? どうしてよその人間だって分かったの?」
「そりゃあ、そうです。 アールズの人なら、全員顔と名前が一致しますよ」
「ふえー、すごいなあ」
何だかのんびりというか、ふんわりというか。
接していて、威圧感は無い。
向こうは、まだメルルを警戒しているようだけれど。お風呂の中だし、気は緩くなりがちだ。
「私は、メルルリンスって言います。 メルルと呼んでください」
「えっ!? おひめさま!!」
「ええと、一応そうですけれど、堅苦しくなくても大丈夫ですよ」
「……」
やっぱり、警戒している。
何だか森の中にいるリスみたいだ。警戒して、中々近づいてこない。まあ、普通の国だったら。
王族はもっと威張っていて、失礼なことを言ったら打ち首、何てこともあるのかも知れないけれど。
「ええと、私はフィリーです。 フィリー=エアハルト」
「フィリーさんですか。 よろしくお願いします!」
「此方こそ! それで、フィリーさんは、何をしにアールズへ?」
「私はアーランドでお仕事をしていたのだけれど、強くて怖くておっかないお姉ちゃんが、お前も経験を積めとかいって、アーランドからこんなに離れた所に派遣したんです」
よよよと泣くふり。
あれ。エアハルトって、何処かで聞いたような。
そう思っていたら、ケイナが耳打ちしてくる。
「恐らく、世界最速と噂の」
「ああ!」
そうだそうだ。アーランドの国家軍事力級戦士の一人に、世界最速とか噂がある女性戦士がいた。
確かその人の姓がエアハルトだ。
今は確か、スピアの軍隊に対して遅滞戦術を仕掛けているという話だけれど。関係者だろうか。
そうだろう。
怖くて恐ろしくて強い(順番はどうだったか思い出せないが)お姉ちゃんというと、多分当たりの筈だ。
そうか。
そんな伝説的な戦士の妹さんが、こんなに楽しそうでふんわりした人だというのも面白い。
「しばらくは、雑事の受付作業をする事になると思います。 メルル姫にも、お仕事は廻すと思うので、よろしくね」
「ええと……」
「明日、説明があると思います」
そうか、ケイナは知っていたのか。
何だかよく分からないけれど、作業は更に増えそう。それは、理解しておく必要がありそうだった。
お風呂で汗を流したからか。
それからは、久しぶりにゆっくりぐっすり眠ることが出来た。勿論それだけでは無くて、ここのところがかなり忙しかった、というのもあるだろう。
ぐっすり眠って、起きて。
気分は爽快。
外に出ると、調練始め。軽く走り込んでから、鍛錬をする。ライアスを見かけたのだけれど、城の兵士と訓練をしていたので、流す。帰った後、ケイナと訓練をしよう。そう思って、アトリエに帰宅。
ケイナと軽く組み手をする。
ケイナはかなり強くなってきている。少し前にモヨリ森に行った時も、シェリさんが進歩を認めて褒めていた位だ。
メルルが攻めこむけれど、中々打ち込めない。
そればかりか、気を抜くと、カウンターで腰当てをいれられたり。或いは踏み込んでの掌底を受けたり。
いい汗を掻いた。
それから、少し休んで、朝食に。
朝食を終えて、調合を始めたタイミングで、トトリ先生が戻ってきた。今日は珍しく、戦闘後では無いのか、血の臭いはなかった。
「お帰りなさい、トトリ先生」
「うん。 ちょっと悪いけれど、奥ですぐに眠るね」
「はい」
そのまま、あくびをしながら奥に消えるトトリ先生。まあ、先生だって人間だろうし、体力に限界はあるだろう。
そのまま、錬金灰の調合を続ける。
今日分の調合が終わったら、湿地帯に一度届けて、それで様子を見る。もしも量が足りないようなら、増やす。それに埋めた灰は、そのまま活用できるだろうけれど。一度プレイン草を枯らしたら、そのまま掘り出して、別の所に放り込めば、また活用できるかも知れない。
適当に調合を終えて。
其処で、ケイナに言われた。
「メルル、そろそろ」
「うん、お城だね。 分かってる」
切りが良いので、此処までだ。
そのままお城へ。小走りで城まで行くけれど。途中、二人に声を掛けられた。
二人とも、大した用事ではなかったので、その場で内容を聞いておく。これなら、錬金術を使っても使わなくても、メルルが一人で解決できるだろう。
お城に到着。
中から、誰か出てきた。非常に気むずかしそうな小柄な女性。
見覚えがある。
遠目に見ただけだけれど、恐らくこの人が、今アーランドの援軍を指揮している人だろう。
前線を離れるというのは、結構重い用事だろうか。
「ん、貴方は、メルルリンス姫ね」
「はい。 ええと、アーランドの指揮官の方、ですよね」
「名前を聞いていなかったのね。 私はクーデリア=フォン=フォイエルバッハ。 貴方の言葉通りの職に就いているわ」
何だか堂々とした人だ。
子供のように小柄だけれど、背丈のハンディキャップをまったく感じ取れない。この人の戦闘力は、文字通りの超一級品。
アーランドの国家軍事力級戦士と言えば、大陸全土に響き渡る威名で。近くにいるだけで、それが嘘では無いと分かるのだ。
「悪いけれど、急いでいるので、本格的な挨拶はまた今度でいいかしら」
「はい! また今度、色々話しましょう」
「ええ、その時はよろしく」
文字通り、クーデリアさんがかき消える。
残像も出来ないほどの速度で、移動していったのだろうと言うことは分かるけれど。凄いものである。
しかも、彼女はアーランド最速では無いはずだ。確かエアハルト姓の人が最速だということだから。
世の中、凄い人はたくさんいる。
素直にメルルは感動してしまった。
お城に入って、ルーフェスの所に行く。まず、クーデリアさんと会ったことを話すと、釘を刺された。
「とても気むずかしい方なので、お気をつけください。 彼女がいなければ、アールズは一日だって保たないと言うことをお忘れなく」
「分かってるよ。 でも、其処まで怖い人って印象はなかったけど」
「そうですか。 私はいつも、あの方の前に出ると、心臓をわしづかみにされるような圧迫感を覚えますが」
すました顔で言うので、メルルの方が驚いた。
ルーフェスがそんな風なことを言うなんて、何というか、驚きだ。この世に怖れるものなどないという風情なのに。
それに、そう言っているときも、ルーフェスは真顔だった。
嘘をついているとは、とても思えない。
とにかく、だ。
要件について聞き直すと。ルーフェスは頷く。
「昨晩、フィリーというアーランドから来た女性に出会っていると思いますが、これから朝には、フィリー殿の所へ必ず出向くようにしてください」
「え? どうして?」
「これより姫様には、確実に増える国の課題の内、私が目を通すまでもないものにも、着手していただくから、です」
錬金術師は、奇蹟の技の持ち主。
たとえば薬にしても、他の魔術師などが量産しようがない品質のものを造り出していけるし。
戦闘力に関しても、前衛のサポートさえあれば、強力なモンスターとも戦っていくことが出来る。
錬金術師に出来る事は、多いのだ。
「勿論、依頼に対しての対応内容では、我が国の評判が直に傷つくことになるでしょうから、対応に関してはお気をつけください」
「うん、分かってるけど……」
いや、泣き言は後だ。
困っている人が、これからぐんと増える。
それを見越して、ルーフェスはメルルに、こんな仕事を廻してきた、という事だ。それはまず間違いない。
困っている人を助けるのは、当たり前の事。
メルルは今までずっとそうしてきた。勿論、これからだって。助けを求められたら、いつでも駆けつけるつもりだ。
前向きに切り替えると。
「分かった。 良いよ」
「それでこそ、姫様です。 もう一つ。 プレイン草の駆除の件ですが、ケイナより話は聞いております。 いつ頃、湿地帯で作業を出来そうですか」
「明日には出るつもりだよ。 どれくらい効果が出るかは、一旦試しておこうって思ってるから」
「それではこれを。 作業を行っている耕作予定地へ入るための書状です」
ルーフェスが書類を造ってくれたので、受け取る。
どうやら、湿地帯で活動するためのものらしい。ただし、湿地帯の内、柵が張られている向こう側には絶対に行かないようにと念を押された。
まだ、トトリ先生が、作業中で。
今のメルルが踏み込むと、命の保証は出来ないという。
そうだろう。
何しろ、歴戦の兵士でも、踏み込むには覚悟がいる場所だ。それを正面から踏破しているトトリ先生がおかしいのであって。今のメルルには、遠い場所なのだ。
「結果はどれほどで出ますか」
「モヨリ森で試したときは、四日くらいで全部枯れたよ。 恐らく今回も、同じくらいで大丈夫な筈」
「分かりました。 どうやら、当初の予定通りの期日には、全て片付きそうですね」
「うん!」
本当だろうか。
多分、自分でも分かっている。本当に上手く行くかは分からない。かなり微妙だろうとも。
でも、人の前では、前向きでいたい。
誰に教わったことだったのだろう。
思い出せない。
翌朝。
朝練を済ませると、ケイナにライアスを連れてきて貰う。当面は、この三人で動き回る事になるだろう。
ライアスはルーフェスから、メルルの護衛を命じられているし、連れていく大義名分はある。それに、メルルだけではなくて、複数で行動した方が、危険を避ける役には立ちやすい筈だ。
マンパワーが足りない今。
人を引き抜いていくのは、あまり良いことではない。
だから、効率を重視する。
ライアスには護衛もして貰っているし、朝練にもつきあって貰っているけれど、仕事を押しつけはしない。
可能なときだけ、来て貰う。
しかしそうなると、いずれ恐らくは、メルルの側で手が足りなくなってくるはずだ。
その時に備える必要は、いずれ出てくるだろう。
他の護衛というと。
アールズの一線級とも言える戦士は、殆どが重要な仕事に就いているか、前線に出払っている。
そうなると、やはり。
アーランドから来た人に頼むしかないだろう。
いずれ、アーランドとの交流はもっと増えるはず。
その時に、ルーフェスに相談すればいい。
ライアスが来たので、今回の仕事を説明。頷くと、ライアスは、荷車に積んでいる錬金灰を一瞥した。
「それ、例の除草剤だよな」
「除草って言っても、プレイン草限定だよ。 他にも効く植物があるかも知れないけれど、ちょっとそれは分からないかな」
「ああ、それはいいんだ。 やっぱり、湿地帯の方で、作業するのか」
「そうだよ。 トトリ先生が、モンスターは近づかないようにしてくれているらしいから、其処まで心配しないでも大丈夫だと思うけど」
ライアスは、何を不安視しているのだろう。
南門から出る。
この辺りは、街道もあまり太くない。整備は一応されている。というか、見たところ、最近丁寧に整備した跡がある。
トトリ先生かも知れない。
どうやったのかは、よく分からないけれど。
「出来るだけ急ごう」
畑を作り始めている辺りでは、悪魔族の戦士達と。前線でも見た、ホムンクルス達が、働いているという。
最終的にはシェリさんも、此方に合流する予定らしい。
だから、モンスターも、余程のことがなければ仕掛けては来ないだろう。ドラゴンでも躊躇する布陣だからだ。
更に今は、トトリ先生が良く来ている。
モンスターにしてみれば、悪夢だろう。彼らにしてみれば、どうしようもない圧倒的な捕食者が、なわばりを我が物顔に暴れているのだから。
街道を南下。
かなり急いでいるのだけれど、やはり体力がついてきたのだろう。前よりも、疲れなくなっている。
ケイナとライアスを見る。
ライアスは全然余裕。
現役の兵士として鍛えているし、実戦経験もあるのだから当たり前だ。メルルも実戦経験はあるけれど、あれはおんぶに抱っこも等しかった。
ケイナを見ると、少し疲れが出てきているけれど。まだ全然平気だ。
途中、街道の横に、何かある。
数名のホムンクルスが駐屯している。たき火やキャンプなどもある。ひょっとすると、あれは。
アーランドに行った時、見た。
街道の左右。
特に森の近くなどに、よく見かけた。キャンプスペースだ。国が森を管理したり、街道の安全を確保するために、造っているのだ。
帰りが遅くなりそうだったら、泊まっていくのも有りだ。
森の中で野宿するよりも、遙かに簡単だろう。
「街道が綺麗で、荷車揺れないね!」
「ああ」
「メルル、前をちゃんと見てください!」
「おっと!」
前から馬車が来る。
ちゃんと回避したけれど。あれと真正面からぶつかっていたら、ちょっと危なかったかも知れない。
乗っていたのは、見えなかった。
一瞬だけ、禿頭の筋骨たくましい男性が見えたようだったけれど、まあそれはどうでもいい。
禿頭の男性なんて、アールズにもたくさんたくさんいるのだから。
走り続けて、予定の地点に到着。
思ったよりだいぶ早い。
だけれども、早く到着するのは、悪い事では無い。呼吸を整えながら、様子を確認。確かに、柵でぐるっと覆われている。柵そのものは粗末だけれども、魔術が掛けられていて、何かあったらすぐにアラームが鳴る仕掛けの様子だ。
「誰だ!」
上から声が飛んでくる。
槍を構えた複数の人影。
どうやら、守備の悪魔族らしい。メルルは、すぐにルーフェスが造ってくれた書類を見せる。
「アールズの王女、メルルリンスです! 此方に、プレイン草の駆除作業に来ました!」
「む、しばし待て」
降り立ったのは、何処か雰囲気がシェリさんに似ている悪魔族の戦士。シェリさんより顔がより鳥に似ている。ただし肌の色が赤紫で、翼はもっと大きかった。
見たところ、感じる気配はシェリさんより弱い。
多分戦士としては、シェリさんの方が格上だろうと、メルルは内心で思ったけれど、口には出さなかった。
「本物のようだ。 失礼した。 皆殺気立っているのだ。 非礼は許して欲しい」
「何かあったんですか」
「大した問題では無い。 だが今朝になってから、柵に何回もちょっかいを出してくるモンスターがいてな。 侮られると厄介だ。 今、総出で警戒に当たっている」
柵の中に入れてくれた悪魔族の戦士が、鈴を渡してくれる。
どうやら、魔術が掛かっていて、振るだけで連絡できるものらしい。魔術に関しては、流石にエキスパートというわけだ。
「作業が終わったら振ってくれ。 モンスターが現れた場合も、振ってくれれば、すぐに駆けつける」
「分かりました! 頼りにしています!」
「うむ……」
少し不思議そうに、悪魔族は警戒に戻った。
やはり、色々な理由で争いになっていただけで、根本的にはそもそも好戦的な種族ではないのだろう。
ただ、人間に強い嫌悪と敵意を示す悪魔族もいると、トトリ先生に聞いている。
だから、いきなり相手を全て信用するのは、危険だとも。
世の中には、まだメルルが知らない事がたくさんある。
「ライアス、作業中、警戒してくれる?」
「分かった。 油断はするなよ。 何かあったら、すぐに鈴を振るんだ」
「うん、分かってる」
貰った鈴は三つ。全員、それぞれすぐに取り出せる位置につける。ケイナには、作業を手伝って貰う。
畑の予定地に出た。
耕され、栄養を注がれた土から。無軌道にプレイン草が生えている。これでは確かに、畑どころでは無い。
というか、見かけは、プレイン草の畑だ。
ちょっとおかしくなる。
大まじめに国のためにと努力したら、ひどい大失敗。そして、対応を協議する間に、更にプレイン草は大繁殖。
そんな光景を、空想してしまったからだ。
ただ、それを笑っていられる立場では無い。
メルルは今、プレイン草を駆除するために来ているのだから。
何度も扱って、それでもプレイン草が油断すると手を切るくらい葉が鋭いことは理解している。
革手袋をして。
ブーツも履いて。
準備万端。
周囲を見張っているライアスを尻目に、作業を始めた。
まず、たくさん用意してきた灰。これはケイナと一緒に家々を回って、余っている灰を貰ってきたのだ。
まずこれを、地面に撒いていく。
適当に撒くと、プレイン草にばかり掛かってしまうので、撒く際は地面の近くで灰をいれている袋を広げて、其処から丁寧にやっていく。結構時間が掛かる作業だ。適当に撒いてしまえば時間は短縮できるだろうけれど。現状は、正直な話。徹底的に丁寧にやらないと、プレイン草を駆除できる気がしないのである。
本当に効いているのは何か。
分からないのが原因だ。
多分錬金灰で良いと思うのだけれど。
更に、メルルは。
固形化している錬金灰を、一定間隔で、人差し指くらいの深さに埋め始める。少し土をスコップで掘ると、すぐにプレイン草の地下茎にぶつかる。それも頑強にかみあっている。これでは、せっかく地面にいれた栄養が、全部持って行かれてしまう。ルーフェスがすぐにというのもよく分かる。
現場に来れば、状況は分かる。
メルルが思っていたより、状況は悪いのかも知れない。
太陽が直上に来た頃には。
ケイナと手分けして、散布作業、埋め込み作業は、予定の三割ほど終わった。少し疲れたけれど、半分まで行ってから休みたい。
ライアスは、集中力が途切れてきたのか、時々汗を拭っている姿が目だった。
「ライアスー! 平気−?」
「ああ! 大丈夫だ!」
「そっかあー」
作業中だから、だろうか。
何だか声が間延びしてしまって、メルルは我ながら間抜けだなと思った。腰を落として、作業を続ける。
用意してきた錬金灰は足りる。
ケイナを見ると、少し疲れてはいるようだけれど、着実に灰を撒いてくれている。土が軟らかい。だから、移動すると、思った以上に疲れる様子だ。
一度、マニュアルさえ確保できれば。
後は、これなら。北部列強からの難民でも、対応は出来る筈。ただ、最初については、メルルがしっかり最後まで面倒を見て、結果まで確認しないといけないだろう。それが作業者の義務だ。
半分を少し過ぎて、ケイナが呼んでくる。
「そろそろ、休憩にしませんか?」
「ん、そう、だね」
作業の進捗を確認。
残りは半分。
帰りの道に、キャンプスペースがあった。あれを鑑みると、多少は気分も楽だ。途中で日が暮れてしまったら、アレを使う。
というよりも。
此処での作業中に日が暮れてしまう可能性もあった。その場合は、悪魔族の使っているキャンプを間借りするしかない。
今の時刻を、影の長さと方角、太陽の位置から確認。
これなら、間に合うだろう。
物資の備蓄も確認。
大丈夫だ。
「食事にしよう」
「みんなで食べるのは危険だな」
「じゃ、ライアス、先に食べて。 見張ってるから。 その後、私達が食べるよ」
「ああ、そうする」
悪魔族の戦士が、飛び回っている。戦闘音は聞こえないから、まだ「不埒な」モンスターは見つかっていないのだろう。
そうなると、奇襲を受ける可能性も、微小ながらある。
ケイナがお弁当を出す間、メルルは見張りを続行。
メニューは、朝造ってくれたものだ。
この地方の名物である、キノコをたくさんいれたパン。それに、少量だけれど。輸入された耐久糧食も。
これは食べると力が湧くため。
力仕事である事を想定して、持ってきているのである。
要は兵糧だ。
「こんな所に難民いれて大丈夫なのかよ」
ライアスが、巡回を続ける悪魔族を見てぼやく。
メルルだって不安だ。まだ安全を、完璧に確保できていないというのが丸わかりだからだ。
多分大物対策は終わっているのだろう。
でも、この辺りは。元からモンスターが多いのだ。
悪魔族の一人。
とびきり大柄で。
見るからに強そうな人が降りてきた。
背丈はメルルの何倍もある。背中にある翼は大きく。体を覆う古傷は多く深く。見るからに歴戦の猛者という印象である。それに、一目で分かるけれど、実際にとんでも無く強い。三人がかりでも、手もなく捻られてしまうだろう。
顔も強面で、非常に厳つい。
ただ、口を開いてみると。
やはり、しゃべり方は随分と理知的だった。
「アールズの姫君。 挨拶も出来ずに申し訳ない。 この地方に展開している同胞の指揮官をしている、バイラスだ。 今後ともよろしく頼む」
「いえいえ、此方こそ。 メルルリンスです。 メルルとお呼びください」
「うむ、ではメルル姫。 この作業は、どれくらいで効果が出るのか」
「ざっと四日ほどです。 その頃に見に来ますので」
不可思議そうに、作業の跡を見ているバイラスさん。
彼から見ても、これでプレイン草が本当に枯れるとは、驚くべき事象なのだろう。
幾つか、注意事項を言い渡される。
どうやら、この近辺で悪さをしているのは、兎族のはぐれ者らしい。
兎族は、リス族よりも更に小柄な亜人種で、半地底生活をする。リス族同様に腕力が強く、素手で穴を掘ることが出来るほどだ。
「大した相手では無いと思うが、気を付けてくれ」
「分かりました!」
兎族も、リス族同様に、アールズと対立していた。戦いと誤解が重なった結果、憎しみの連鎖が未だに消えない。
恐らく、そんな連鎖に囚われた一人なのだろう。
悲しい話だ。
バイラスさんが指さしたのは、川の方。
ひときわ厳重に、柵が植え込まれている。多分、あれは辺境の戦士でないと、超えるのは無理だろう。
「あの辺りには近づかないようにしてくれ。 トトリ殿が安全にするために動いてくれているが、まだ時々モンスターが近づいてくる。 アラームも厳重にしているし、我等も無用な手間は増やしたくない」
「ひえ、やっぱり」
「だが、それもじきに片付く」
安心させるためなのだろう。楽観論を言うバイラスさんを見て、メルルは苦笑いしてしまう。
しかし、一瞬後に理解が変わる。
バイラスさんの目には、強い信頼がある。本気でトトリ先生が、どうにかしてくれると考えているのだ。
噂に聞いたことがある。
絶対的な信頼を抱かせる人がいるのだと。
一歩間違うと狂信に変わってしまう、その危うさは。魅力ともカリスマとも言うそうだけれど。
少なくともバイラスさん。それに、シェリさんもなのだろう。
トトリ先生は、絶対的な信頼を得ることに成功している。
「一つ、聞いても良いですか?」
「何か」
「トトリ先生が凄い人だってのは分かります。 どうして、その。 其処までの絶対的な信頼をしているのかな、って思って」
「実力があるからだ。 我等悪魔族は、苦難の歴史を歩んできた。 だから、皆が実力がある存在を、素直に尊敬する思考を持つようになっている。 トトリ殿は、英傑と呼ぶに相応しい存在だ。 今までに仕事をした回数は多くないし、戦士としての実力は私には劣るが。 そのほかの能力が非常に高い。 だから皆も敬意を払う」
英傑。
きっと、アールズという枠組みでは考えられない範囲で動いているこの人が。そういう風に断言する。
それならば、間違いないのだろう。
先生が凄い人なのは、メルルもしっかり理解している。だけれども。
ひょっとすると、その範囲が。
予想を遙かに超えているのでは無いのだろうか。
休憩後、作業を進める。
一度、警報が鳴った。恐らくは、例の兎族の悪戯だろう。一応作業を一旦停止して、顔を上げて周囲を確認。
警報はすぐに止まって。
巡回していた悪魔族も、散開していった。
「殺気だってやがる」
「そりゃそうだよ。 ケイナ、続けよう」
「はい」
黙々と、作業に戻る。
これならば、夕方の少し手前には、作業は完了できるはず。多分走って戻れば、アールズ王都に陽が沈む前には到達できるだろう。
声を掛け合って、進捗を確認。
ライアスにも声を掛ける。
見張りをしっかり出来ているか、確認する必要があるからだ。
ケイナが小さな悲鳴を上げる。
虫か何かかと思ったら、股の辺りをプレイン草で切っていた。すぐに薬を取り出して、応急処置。
「やっぱり危ないね、プレイン草」
「すみません……」
「次はズボンで作業しよう。 これは、肌を露出してると、どんなに注意していても、怪我を絶対にしちゃうよ」
額の汗を拭う。
流石に少し疲れてきたか。
悪魔族の巡回は、落ち着いてきた。今の時点では、警報も鳴っていない。ひょっとすると、悪戯兎族を捕まえたのかも知れない。
と思ったら、違った。
トトリ先生が来たのだ。
バイラスさんが降りてきて、早速話をしている。凄く丁寧な応対をしている様子からして、本当に尊敬しているのが一目で分かる。
バイラスさん、どう見ても、普通の人間とは寿命の尺度が違うだろうに。
ずっと年下の、普通だったら小娘と言われる年齢のトトリ先生に、彼処まで丁寧に接することが出来るのは、すごい。
アーランドやアールズにも、実力主義の風潮はあるけれど。
更に徹底している印象だ。
「トトリ先生、すごいんだね」
「ああ。 だが俺は、ちょっと怖いな」
ライアスは、素直に本音を言う。
その気持ちも。メルルは理解できた。
トトリ先生は、此方に軽く手だけ振ると、すぐにホムンクルスの護衛とともに、何処かへ行ってしまう。
多分兎族の処置だけでは無く、全体的な警備状況の見直しなのだろう。
「作業、進めるよ」
声を掛けて、意識を引き締め直す。
予定通りに、夕方少し前には、作業が終わる。
此処のプレイン草がしっかり枯れるように、最後まで見届けたいのだけれども。しかし、そうもいかないだろう。
今の状況なら、走ればアールズ王都に間に合う。
柵の入り口に出ると。
悪魔族の戦士が、通してくれた。
「作業が終わりましたので、帰ります。 結果が出るのは四日ほど後になります。 ええと、トトリ先生は?」
「今、作業中だ。 恐らくは、今晩は其方には戻れないそうだ」
「分かりました。 では」
そうか、しっかり伝言も残してくれていたのか。
ケイナの足を確認。
傷は。
しっかり回復している。どうやらメルルの傷薬も、かなり進歩してきているらしい。ちょっとだけ安心した。
「おい、足の傷、もう治ったのか!?」
「トトリ先生の造る奴みたいに、見ている横から治る、ってほどじゃないけどね」
「アーランドブランドの薬は、常軌を逸してる効果があるって話は聞いていたが……本当に凄まじいな」
ライアスがぼやく。
ケイナは、その様子を見て、苦笑いしていた。
さて、アールズまで走る。
それから、念のために、灰を集めて。錬金灰をたくさん用意しておく。今回は予定地の四分の一に撒いたけれど。上手く行けば、更に広範囲に撒くことになるのだ。それに、予定地も、今後は更に拡大するのが確実。
あの程度の広さでは、五万の人は養えない。
他にも農場や牧場を造る予定を立てているようだけれども。
メルルから見ても、今後計画が複雑の一途をたどるのは確実。ルーフェスでも、捌ききれるかどうか。
日が暮れてきた。
思ったより、早いかも知れない。
荷車を引く手に力が入る。
結局、日暮れと同時に、アールズに飛び込む。ケイナがかなりつらそうにしているけれど。
呼吸を整えながら、メルルは後ろを見る。
何だか嫌な気配がしていたのだ。
ずっと追跡してきていたような気もする。
街道とは言え、モンスターに襲われることも多い場所だ。ライアスがいてくれて、本当に良かった。
水筒を渡すと、ケイナは一気に飲み干す。
回し飲みでメルルも飲もうと思ったけれど。残っていなかった。
「あ、ごめんなさい、メルル」
「ううん、いいよ。 井戸まですぐだしね」
「じゃあ、俺は此処で良いか?」
「うん、有り難う、ライアス」
ぶっきらぼうに頷くと、ライアスは夜闇に沈みつつある王都へ消えていく。
そういえば。
ルーフェスが、護衛としてライアスをつけてくれたのは、多分竹馬の友である信頼出来る側近をおいてくれたから、だと思うのだけれど。
仕事の時、殆どルーフェスはライアスの話をしない。
あの兄弟、上手く行っているのだろうか。
少しメルルは心配になった。
2、混濁
夢を見た。
母上が、父上と喧嘩をしている夢だ。母上は、よその国から嫁いできた人。決して悪い人では無かったのだけれど。
あまり体は強くなかったし。
晩年は、どうしてか、とても怒りっぽくなっていた。
どうして、あの亡霊の言う事ばかり聞くのです。
そんなに妹が大事ですか。
ヒステリックに病床で叫ぶ母上の目には。メルルは疫病神か何かのように見えているようだった。
貴方は、男の子を産めなかったことを責めているに違いない。
だから私に冷たく当たるのでしょう。
そんな悲しい言葉にも。
父上は、決して反論せず。母上のかんしゃくが収まるまで、黙っているのだった。
昔は、優しい母上だったのに。
自分の命が長くないと悟ってから、変わってしまった気がする。今まで蓄えていた不満が爆発して。
そして。
それにしても、妹。
亡霊。
一体誰のことなのだろう。
起きなさい、メルル。
そんな優しい声が、聞こえた気がして。
気がつくと、ベッドの上で。フトンに抱きついて、ぼんやりしていた。
そろそろ、陽が出る時間だ。
起き出さないと。
ベッドから降りて、すぐに着替えて、外に。井戸水で顔を洗っていると。既に起きていたらしいケイナが、水を汲みに出てきた。
「おはようございます、メルル」
「おはよう、ケイナ。 朝練、早めに済ませようか」
「そうですね。 朝ご飯の下ごしらえをしてから、でいいですか?」
「勿論!」
ケイナが戻ってくる前に、メルルはストレッチをして、軽く走り込んでおく。
棒を振るっておくと、ケイナが出てきた。一緒にランニングをしてから、手合わせ。足の様子は、問題ないようだ。
ライアスが来たので、一緒に訓練をする。
「そろそろ、また強い人に稽古をつけて貰いたいね」
「まだあの歩法、マスターできてないからな。 出来ればあれを覚えてからにしたいんだが」
「中途でも良いから見せて?」
メルルも、ライアスがどれくらい進歩したかは興味がある。
頷くと、ライアスが見せてくれた。歩法の肝は、体の正中線付近をコントロールすることで、進んでいるように見せながら下がったり。その逆をすることで、相手に動きを読ませない事にある。
ライアスはまだへたっぴだ。メルルから見ても。
一方。
ケイナは、かなりスムーズに、歩法をこなして見せた。ライアスが驚く。
「お、おい! どうやったんだ、今」
「ええとですね……」
コツを教えてくれる。
メルルもやってみるけれど、確かにかなりやりやすくなった。ライアスも、である。
「くそっ、門番しているときに一人でかなり練習したんだが……」
「多分、相性の差だよ。 ケイナにはこの歩法、向いていたんだと思う」
実際にはそれだけではない。
多分ライアスは、自習が苦手なタイプだ。同じ事を無意味に繰り返してしまって、進歩しづらい。
こういう人は、師匠にマンツーマンで教えて貰うと、伸びるのが早くなる傾向があるらしい。
一方で、ケイナはその真逆。
多分、自習で一番実力を伸ばせるタイプなのだろう。
凹んでいるライアスに、ケイナが懇切丁寧にコツを教えている。そうすると、ライアスもきっと出来るようになる。
次に会うとき、シェリさんは喜んでくれるだろうか。
勿論まだまだ付け焼き刃の技術とは言え、少しは身につけたのだ。きっと、喜んでくれるに、違いなかった。
前向きに解釈。少し気分も良くなる。
朝ご飯にした後、調合をひたすらする。
トトリ先生が、戻ってきたのは、昼の少し後。靴が泥まみれだ。湿地帯に、それもかなり奥へ行ってきたのだろう。
そして、とんでも無い事を聞かされる。
「プレイン草、枯れ始めていたよ」
「えっ!?」
「予定より一日早いね」
笑顔で言うトトリ先生だけれど。あれは耐久種を残すのだ。放置しているわけにもいかないだろう。
耐久種は、当然地面に撒かれる。
いきなり芽が出るようなことは無いだろうけれども。それが何年か後に一斉に芽吹きでもしたら、大きな被害が出かねない。
枯れ始めている、ということは、タイムリミットは遅くても明日。
今から出向くのが、むしろ良いだろう。
「ケイナ、準備して! 向こうに泊まり込むかも!」
「分かりました!」
「え、ええと、食事と、錬金灰の出来上がっている分と、集めておいた灰を一式、それにライアスに声を掛けて、いや、それは私がやる!」
慌ててしまうけれど、ケイナはてきぱきと順番にそれをこなしてくれている。
調合を一旦切りが良いところでストップ。
釜を急いで洗うと、外に飛び出して、ライアスを自分で呼びに行く。途中、ポストに手紙が入っているのが見えた。
何か、お仕事が来ている、という事だ。
急ブレーキで無理矢理止まると、手紙を出す。慌てているのは分かるけれど、お城に持っていかないといけないだろう。
こんな時に、なんで一片に来るのだろう。
理不尽だと思いながらも、走る。
城門で、周囲を見回す。ライアスはいた。他の兵士達と、稽古をしている。どうやら、あの歩法をケイナが先にかなり身につけていたので、プライドを刺激されたらしい。最近は、男の子らしいプライドも身につけている、という事だ。嬉しいのかどうなのか、ちょっとむずむずする。
「ライアス!」
「!」
兵士達が、一歩引く。
メルルの護衛にライアスが当たっていること。それにメルルの用事が優先されることは、彼らも知っている。
「すぐに出る準備して。 プレイン草の反応が予想よりずっと早いみたいで、処置しないといけないから」
「! 分かった」
「ごめん、みんな。 ライアス借りるね」
「いえ、姫様こそ、我等などお気になさらず」
手を振ると、すぐに城に飛び込む。兵士達は、敬礼で送ってくれる。申し訳ないと思う。王族として、人手を引っこ抜いているのだから、強権発動だ。
執務室に飛び込む。
呼吸を整えながら、顔を上げたルーフェスの前に、手紙を。ちょっと力強く握ったので、くしゃくしゃになっていた。
「ポストに来ていたの。 見てくれる?」
「ふむ……」
即座に目を通すルーフェスだが、凄く気むずかしい顔だ。これは、多分ろくでもない案件だと見て良いだろう。
しばし沈黙。
その間に、メルルは、呼吸を整えた。慌てて飛び出してきたので、息も乱れていたのである。
「分かりました、姫様がお戻りになられるまでに、対応をまとめておきます」
「あれ? 私が出かけるって知ってるの?」
「先にトトリ殿から報告を受けております」
「へー……」
まあ、指揮系統的にはそうだろう。
すぐに、アトリエにとんぼ返り。ケイナは既に準備を終えてくれていた。トトリ先生は、戸締まりをしている。
つまり、すぐに出かける、という事か。
「トトリ先生、何処かにお出かけですか?」
「うん。 ちょっと前線の方で問題が起きたみたいで、見てくるね」
「お願いします!」
「メルルちゃんも、無理をしないようにね。 まずは行動する前に深呼吸だよ」
トトリ先生に釘を刺される。
頷くと、メルルは。準備を終えて此方に小走りで来るライアスを見て、手を振った。
アールズ王都を飛び出す。
既に昼をかなりすぎている。現地、南部の湿地帯に到着する頃には、夕方だろう。陽が沈む前にたどり着けるかどうか。
面倒なタイミングで、プレイン草が枯れ始めてしまった。
荷車を引っ張って爆走しながら、メルルは順番に説明する。
「プレイン草は、枯れるときにとても頑丈な種を残すの。 それこそ、何があっても生き残れるくらいに。 耐久種っていうんだけれど、それがばらまかれると厄介だから、でき次第収穫する必要があって」
「おいおい、なんでそんな事、今更」
「こんなに早く枯れるとは思わなかったから! 今までのケースより、明らかに一日以上早いんだもん!」
「メルル、落ち着いて、前々!」
ケイナに言われて、慌てて馬車を回避。
まただ。
深呼吸しようにも、出来ない。
キャンプスペースを爆走して通り越す。荷車をライアスとケイナがしっかり左右から抑えてくれていなければ、今ので横転していたかも知れない。
ごめん。叫ぶと、更に加速。
見えたからだ。陽が沈み始めている。
爆走といっても、メルルが出来る範囲内で。多分トトリ先生だったら、この何倍もの速度で、安定して走れるだろう。
今は、修行をさぼってきた自分の事が口惜しい。
もっとあの時、サボらず頑張っていれば。
地面が赤く染まっている。書状は持ってきているだろうか。不意に不安になったのだけれど、ケイナが叫ぶ。
「湿地帯に入れる書状は持ってきています!」
「ありがと!」
「おいおい、綱渡りだな!」
「仕方が無いよ! 急だったんだから!」
見えてきた。
柵の前で、構えている悪魔族の戦士二人。爆走する荷車を見て、何事かと思ったのだろう。少し上空で、攻撃魔術の準備までしている。
「待って! メルルです!」
「メルル姫!? 手前にて止まられよ!」
「……!!」
無理矢理ブレーキを掛け、ウィリーして、三回転したあげくに止まる。
ケイナが目を回して、後ろの地面にへばっていた。ライアスが抱えているのは、そのまま街道脇の木に突っ込みそうになっていたから、だろう。
困惑した様子で、悪魔族の戦士二人が降りてくる。
「どうしたのだ。 此処で野宿をするつもりで来たのか」
「いや、トトリ様からの伝言があっただろう」
「急いでくるとは聞いていたが、まさかこんな」
とにかく、開けて中に入れて貰う。
周囲の安全を確保してから、悪魔族の戦士達が、書状を確認。その間、更に二人の悪魔族戦士が、周囲の見張りをしてくれた。
「サーチ魔術問題なし。 以前登録したメルル姫と全てのパターン一致」
「良かった。 もしもスピアの外道共が、何かの罠を仕掛けていたらと思ったら、冷や汗が出た」
「巡回に戻ります」
二人の悪魔族戦士が、空に浮き上がると、任務に戻っていく。
くれぐれも、無茶はしないように。
そう言いながら、悪魔族の戦士は、泊まるスペースと。食糧がある備蓄庫をそれぞれ示してくれた。
カンテラに火を入れる。
「端から確認していくよ! 種ができはじめていたら、すぐに言って! 明日、悪魔族の人達にも、手伝って貰うかも」
「おいおい、本当に急ぎだな」
見ると、ケイナがいそいそと取り出し始めているのは。手袋に、ズボン。それに長いブーツ。
前回の反省を生かしての装備だ。
「メルル、着替えましょう」
「ライアスは、大丈夫だね」
「ああ。 端から見ていけば良いのか」
「サンプルを持ってきています」
ケイナが優秀で助かる。既に種をつけている状態で、切り出して干したプレイン草の株。こうなっているかどうかを、見極めれば良い。
ライアスは頷くと、先に植えた方から見てみると言って、飛び出していく。
メルルはケイナと一緒に、いそいそと着替え。
それから、畑に飛び出して、状態確認開始。
カンテラをつけたのは、状況を見たいから。見ると、一番後に植えた方は、まだ枯れ始めているだけ。
だけれども。
「メルル、やばいぞ! 凄く種がついてる! 落ちる寸前だ!」
「!」
ケイナにこっちは見てもらって、ライアスの方に行く。
見ると。
確かにまずい。
完熟した種が、びっしり茎についている。これはいつ落ち始めても、おかしくないだろう。
手伝って貰うしか、ない。
すぐに、そばの空き地を確認。
「あの空き地を掃除して、ライアス。 急いで」
「分かった!」
「バイラスさん!」
手を振って、此方を見ていた悪魔族の顔役を呼ぶ。
すぐに降りてきた巨体の悪魔族は、既にただならぬ状況だと理解していたようだった。
「手が必要か、メルル姫」
「はい! 見ての通り、既に枯れたプレイン草が、大量の種をつけ始めています。 これは耐久種という状態で、すぐに芽吹くようなことは無いのですが、もしもばらまかれた場合、何年か何十年か後に、一斉に芽吹きかねません」
「それは、厄介だな。 収穫、というよりも駆除だな、作業に手を貸せば良いか」
「出来るだけ急いで! 警備に忙しいところ、申し訳ありません! 本当はもっと遅く枯れ始めるはずだったのに、どうしてか予想が外れて!」
ばしっと頭を下げる。
本当は、明日から来て、ゆっくり刈り取っていくつもりだったのだけれど。
反応が早すぎる。
端の方の畑予定地で、状況を見ていたケイナが、悲鳴を上げていた。
「メルル、こっちでも、見る間に種が出来てきています!」
「徹夜になるね……」
「お前達、すぐに手を集めろ! 今何人いる!」
バイラスさんが動いてくれる。
メルルは感謝しながら、手袋を引き締め直した。そして、荷車から鎌を出して、ケイナとライアスに渡す。自分でも鎌を手にとる。
悪魔族の戦士達四人が加勢してくれることになった。彼らは風の魔術を手に纏って、それでスパスパと収穫を始めてくれる。根元近くから切り出して、穂を空き地に積んでくれと指示をすると、それだけで動き始めてくれた。もの凄く統率が取れている。きっと厳しい環境で生きてきて。様々な逆境に曝されて。それで鍛え抜かれてきたのだろうと思うと、メルルはあまり素直に彼らのすごさを喜べなかった。
作業を進めていく。
見る間に山になって行くプレイン草。
「地下茎は切らなくていいのか!?」
「それは後で大丈夫です! プレイン草は、耐久種を作るのに、全ての力を使い切ってしまうようなので、後で切っておけば自然に土に帰ります!」
「了解した」
黙々と、皆が動いていく。陽が完全に沈んだ後。此方に来たバイラスさんが、魔術を展開。
中空に、光を放つ球体が出現した。
「少しは助けになるかな」
「ありがとうございます!」
「うむ……」
バイラスさんが、皆の所に戻っていく。
多分、モンスターにしても、此処に悪意を持つ存在にしても。仕掛けてくるなら、混乱しているこのタイミングだ。
バイラスさんは、中核になって、全体を見通さなければならない。
難しい状況だと言えるだろう。
半分くらいを刈り取り終えたところで、状況を確認。悪魔族の戦士達は、流石に作業が早い。
残った部分は、これなら行けるか。
「二人、警備に戻っていただいて大丈夫です!」
「分かった。 問題が起きたら、すぐに呼んでくれ!
「はい!」
自分でも作業をしながら、全体を見る。
これが、こんなに難しい事だとは、思わなかった。
空に灯りの魔術があるから、大変作業がやりやすい。穂を大量に抱えて、よいしょ、よいしょと歩く。
積み上げた穂は、燃やしてしまっても良いだろう。
いずれにしても、処置はまだ。少なくとも、明日陽が出てきてから、だ。
「種を取りこぼさないように気を付けて!」
「分かってる!」
声を掛け合いながら、作業を進める。
畑の向こうまで刈り取ったら、戻って作業再開。
腕がしびれるほど疲れてきたけれど。まだまだやれる。メルルは額の汗を拭うと、あと少しと自分に言い聞かせる。
最後の列に来たのは、既に夜半過ぎ。
徹夜までは行かなかったが。
それに近い状態だ。
流石にくらっとくる。ケイナはふらふらになっていたので、先に休ませた。ライアスも疲れが色濃い。
悪魔族の二人は、まだ余裕があるようだけれど。
一人がケイナを送っていくとき、ライアスが不安そうにした。
だけれども、気付いたのだろう。
そもそも、悪魔族は、性別がない。
「よし、これで終わりだ!」
悪魔族の戦士が、せっせと穂を運び終えて、積み上げる。
小山のようなプレイン草の穂が、積み重なっていた。風は無いから飛んでいく恐れは無いのが救いか。
でも、耕していないとはいえ、地面に直置きしているのだ。
明日処置してから、どうするか本気で考えないといけないだろう。
「後は大丈夫です、任務に戻ってください」
「未来の大錬金術師殿の役に立てて光栄だ。 次からもまた声を掛けて欲しい」
「有り難うございます」
敬礼して、二人の悪魔族の戦士が、巡回任務に戻っていく。
流石にたくましい。疲れている様子は無い。勿論体力が無限にある、ということはないのだろうけれど。
この程度の任務なら、いつもしている、という雰囲気だった。
悪魔族は、ライアスほどでは無いけれど、少し怖いと思っていた。今は彼らが誇り高い戦士で、真面目に働くことも分かった。出来るだけ今後、偏見が拡がらないように、メルルが先頭に立って、積極的に拡散していきたい所だ。
「俺たちも休もうぜ、メルル」
「先に休んでて。 ちょっと見ていきたいから」
「おいおい……」
「耐久種が落ちてないか、ね。 刈ってるときは大丈夫だと思ったんだけど、ひょっとすると、あるかも知れない」
嘆息すると、ライアスは、作業につきあうと言った。
考えてみれば。
護衛できている以上、メルルを一人にはさせられない、と言う判断か。
そう言われると、自分の立場を思い出してしまう。
「分かった。 今日はもう休むよ」
メルルが先に上がらないと、休むに休めない。
ライアスは無言だったので。
その行動に対してどう思ったのかは、最後までよく分からなかった。
3、狼煙
積み上げた膨大なプレイン草の枯れ穂。
メルルは備蓄倉庫にあった油を掛けると、燃やすことにした。勿論周囲に燃え移る恐れがないように、準備をしてから、である。
ケイナには、いざというときの消火用水を準備して貰い。
最悪の事態に備えて、消火関連に使えそうな魔術を持つ悪魔族の戦士二人にも、立ち会って貰う事にした。
火をつける。
乾燥していること。
それに油が掛かっている事もあって。一気に燃え上がる枯れ穂。凄まじい勢いで、火が吹き上がる。
少し下がった方が良いだろう。
熱気が凄まじい。
「すげえな」
ライアスが、素直な言葉を口にする。
メルルも同じ気分だけれども。
「ケイナ、服が燃えないように気を付けてね」
「はい」
火は、朝早くにつけてから。昼少し前まで燃え続けて。その間、ずっと長い火掻き棒を使って、処置を続けて。昼少し前、鎮火。膨大な灰が出た。
その間、メルルは畑の予定地を確認。
耐久種が落ちていないかチェック。
やはり、予想通りというか。
特に、最初に刈り始めた辺りは、それなりの数が落ちていた。全部拾い集めるけれど。
これは、定期的に、灰を撒く方が良いかもしれない。
燃え尽きた灰もチェック。
驚くべき事に。
灰の中から、耐久種が、ほとんど無事な状態で出てくる。割ってみると、中身は炭化していない。
みずみずしいままだ。
「凄い。 こんなに火に強いなんて」
「驚異的ですね……」
「とりあえず、耐久種は全部回収しよう。 処置方法については、トトリ先生に相談しないと」
適当に投棄したりしたら。其処でプレイン草が大繁殖しかねない。そういった無責任な行動を取ってはいけない。
当たり前の話だ。
灰を掻いて、耐久種を全部取り出す。一つ一つは小指の第一関節くらいの大きさしかないけれど。
これだけの数があると、処置は骨だ。
その間、悪魔族の戦士達に、畑の予定地も確認して貰う。
「地下茎は枯れている。 これならば、全部切っておけば、後はミミズや小虫たちが全て処理してくれるだろう」
「分かりました! お願いします!」
良かった。
最初の壁がとにかく高くて厚くて冷や冷やしたけれど。これでどうにか第一関門突破、と言う所か。
見ると、馬車が来ている。
運ばれて来ているのは、資材。それに食糧。
間違いない。
此処で働く難民達のものだ。最初は千人くらいに働いて貰う予定らしいけれど。恐らく、アーランドをはじめとする周辺諸国からの支援物資だろう。難民を引き受けることに対する対価という意味もあるはずだ。
とにかく。
プレイン草の処置は、何とか終わった。
これで凱旋できる。
アトリエに戻ると、ぐったりと寝込んでしまう。その前に、城によって。どうにかプレイン草の駆除が終わったと、ルーフェスに告げるのが精一杯だった。
父上に呼ばれたので、謁見室に出向いて。
最初の仕事が終わったことを告げると。
父上は決して喜んではいなかったようだけれども。大義であると、一言だけ答えてくれた。
本当に、どうしてなのだろう。
とにかく、それで限界。
手も足も頭も痛いので、そのまま寝込んで。起きたら、もう朝だった。
薬瓶が、枕元に置かれていて。
派手におなかが鳴る。
トトリ先生からの差し入れらしい。栄養を豊富に詰めたお薬らしくて、一錠で元気になるそうだ。
早速口に入れて。
そして、確かにおなかがぽっぽと温まるような感触。
これは、嬉しいかも知れない。
ケイナは。
ベッドで、ぐっすり。いつもメルルより早く起きているのだ。どれだけ疲れていたか、一目瞭然である。
昔は、同じベッドで寝ていたりもしたのだけれど。
10歳くらいになった頃。
ライアスとケイナは、父上に呼ばれた。多分何かその時に、しっかり教育を受けたのだろう。
それからもメルルの親友で側近ではいてくれているのだけれど。
何処かで、一線を引いて対応してくれている。
ケイナはメルルの影武者になり、拷問に対抗も出来る特殊な訓練を受けたらしい。拷問をされても口を割らないようにするのは、影武者としても絶対条件。ちょっと悲しいけれど、王族の側につくのなら、仕方が無い事なのだろう。ケイナは粛々と訓練を受けて、しっかりスキルを身につけてきた。今ではその気になれば、魔術で調整された特殊なウィッグを使ってメルルにいつでもなりきれるそうだ。
ライアスは、そのころから、誘わないと遊びに来てくれなくなったし。
何より性格が少し変わった。
訓練にまともに対応するようになったし。少しずつ、泣き虫が治って行った。十三を超えた頃からは、ライアスの泣き顔は一切見なくなった。
ケイナが起き出す。
メルルがもう起きているのを見て、慌てた様子だが。
「メルル! やだ、私ったら、もう」
「ごめん。 いつも私より早起きのケイナが、こんなに遅く起きるって、それだけ疲れてたって事だよね」
「そんな。 体力がない私が悪いのに」
「いいの。 王族として、臣民のことを考えるのは第一だから。 だから、謝らせて」
外に出る。
そして、棒を振るった。
じっくり休んだからか、かなり動きやすい。何だか、体の中から、力がわき上がるようだった。
ケイナが起きて来てから、二人でジョギングする。
凄く毎日が忙しくなったけれど。
力が、少しずつついてきているのが、実感できる。
それが、ひたすらに嬉しい。
怠け者だった自分とはさようなら。
これからは、王族として。更にこの国を支える錬金術師として、皆のために働いていける。
働くことそのものよりも。
錬金術として、成し遂げられると気付いたことの方が、嬉しかった。
さて、次だ。
調練が終わった後、ルーフェスの所に行く。
手紙のことを確認。
どうやら、幾つか王都周辺の地域を、トトリ先生が調べてきて。先遣隊から、報告が上がっている様子だった。
「まず、王都北にある湖の北部に、農場を建設する予定が出てきています。 牧場を兼ね、湿地帯以上の生産能力を持つ穀倉地帯に仕上げる予定です」
「凄いね!」
「初年度は、湿地帯の南の畑は、二毛作で作物を生産し、出来れば黒字にしたい所なのですが、それはトトリ殿の活動次第。 これらの初期開発に、姫様にも関わっていただく予定です」
そうか。
今度は、農場の開発。
わくわくする。
それだけではない。
「他にも幾つか連絡が来ています。 現時点で有望なのは、アールズ西にある鉱山。 既に放棄された鉱山なのですが、悪魔族の戦士が見たところ、まだ貴重な鉱石を採掘する余地がある様子です。 いずれ姫様には調査いただくかも知れません」
「鉱山かー」
「他にも、幾つかの候補地がありますが、それらについては、私の方でまとめます。 今は、トトリ殿の指導を受けながら、次の仕事に備え、腕をお磨きください」
そっか。
色々と、プロジェクトが動き出しているのか。
近々、メルルには、湿地帯に造られた畑について、確認に言って欲しいとの指示も受けた。難民を受け入れた後、労働状態、生活環境が、どうなるか。しっかり王族として見て欲しい、ということだ。
責任重大だけれど。
今回の仕事を、しっかり達成したのが大きいのだろう。
予定よりも、時間も余っている。
今後もこうやって、前倒しで作業をしていきたいものだ。
アトリエに戻ると。
山積みになっていた耐久種を前に、トトリ先生が考え込んでいた。メルルが行くと、笑みを浮かべるトトリ先生。
いや、違う。
多分ずっと笑みを浮かべていて。此方に振り返っただけだ。
「メルルちゃん、お帰り」
「はい、トトリ先生。 その耐久種、どうするんですか?」
「最初は薬品で処理しようかなって思ったんだけれど、メルルちゃんに一つずつ潰して貰おうかなって思ってる」
「えっ!?」
何でも。
この耐久種、割ってみると、内部には豊富な栄養が詰まっているそうだ。直に食べるのには向かないそうだけれど。
調合して、その栄養を取り出せば。
かなり強力なお薬に変えられるという。
「メルルちゃん、不器用だもの」
「はい、それは分かっています」
「うん。 じゃ、体を制御する訓練にもなるから、この種を全部割ろうね」
笑顔のままのトトリ先生が怖い。有無を言わさぬ空気が、其処には厳然としてある。
何だかこの人の出す課題は、優しいように見えて、鬼畜の様な気がしてきた。でも、確かに。
メルルが修練を重ねるには、丁度良いのだろう。
種を割るために、用意して貰ったのは、小型のペンチとハンマー。ナイフでちまちまやってもいいのだけれど。怪我をしやすいし、細かい作業を覚えるには此方の方が良いという事だった。一瞬小首を捻りかけたけれど、確かにやってみると分かる。集中力がいるし、かなり繊細な力加減も必要なのだ。
ペンチで種を掴んで。
ハンマーで割る。
手に肉刺が出来そうだけれど。それでも、これから錬金術をやって行くには、細かい作業を嫌と言うほどこなさなければならないのだし。今から慣れておくことに、損は無い。それにどのみち、この種は処分しなければならなかったのだ。誰かが、何かしらの方法で、である。
それならば、無駄にするよりも。
こうやって命を活用した方が良い。
種の中には、クリーム色の身が入っているけれど。
口に入れると、確かに著しくおいしくない。
順番に取り出して、百個ほど終えると、調合についてトトリ先生が教えてくれるというので、アトリエに入る。
少しずつ、難しい調合を教えて貰うけれど。
全てを一発ではこなせない。
だけれども、これからだ。
メルルは、錬金術師として、始めたばかりなのだから。
「はい、今日はここまで。 残った時間で、気分転換しようか」
「分かりました!」
夕方に、一通り終わる。
外に出ると、トトリ先生が円を描いて、その中に入った。ケイナも一緒に呼ばれる。
「二人がかりで良いから、どこからでも掛かっておいで。 戦闘訓練は、私に二人がかりで一発でもいれるか、それとも円から出せば合格だよ。 今の二人の攻撃だったら、何されても死なないから、本気で殺すつもりで掛かって来ていいからね」
「はいっ!」
ケイナと頷きあう。
そして左右に分かれて、同時に仕掛けた。
これは訓練。
無茶が出来るのも、訓練で。しかも相手が、達人のトトリ先生だから。遠慮無く、本気で仕掛けて、いろんな技を試せる。
それから日が暮れるまで。
トトリ先生に訓練を見てもらって。
今日も結局合格を貰えなかったけれど。それでも、前よりも、ずっと手応えがあるように、メルルには思えていた。
4、先鋒
デジエ王が、謁見の間を出ると。ルーフェスが跪いて待っていた。
頷くと、厩舎から馬を出させ、跨がる。本当は歩いた方が良いのだけれど、これは形式というものだ。
国境に急ぐ。
メルルは今頃、アトリエで厳しくトトリ殿にしごかれているだろう。厳しい教師に、徹底的に鍛えられることは、メルルのためになる。
デジエとしても、有り難い話なのだが。
どうしても錬金術には、苦い思い出から、素直にはなれない。
妻を晩年不幸にしてしまったことも。
何より、あの化け物に。
錬金術のせいでないことは、デジエにも分かっているのだが。どうしても、心の整理はつかない。
愛する者を失う事件に。
どうしても、錬金術が絡んできていた不運。
それが今でも、デジエを苦しめ続けていた。
「難民の様子は」
「予定通り、千名を少し超えるほどです。 南アルマシア王国から百名、西バル共和国から二百名、ヒスト女王国から五十名、アーランド連邦共和国の各州から七百名弱となっております」
ルーフェスが淡々と説明してくれるので、頷く。
二十名ほどの兵士と、それにほぼ同数の、アーランドから派遣されているホムンクルス達。和解を果たしたリス族十名。それに悪魔族十名。
途中で合流したバイラスは、昔戦う際には、死者を出すことを覚悟しなければならなかったロード級悪魔だ。
今は、心強い同盟者として、デジエと一緒に働いてくれる。
前線は、しっかりクーデリア殿が支えてくれているし、それが足りないときはトトリ殿も加わってくれる。
更に各地の戦線が安定してからは、アーランドの国家軍事力級戦士が更に追加で、アールズに来る予定だ。
盤石とは言えない。
それでも、敵が主力を投入してきたら、国境線は一瞬で喰い破られる可能性があるほど、今の状況は危ういのだ。
だがそれでも、デジエが強く振る舞い。
恐れもせず、堂々とある事で。
どれだけその姿を見る人が、勇気づけられるだろうか。
絹服を着て。
良いものを食べているのは、税金を受け取っているから。
その分は働くのが当たり前。
王族は国家第一の使徒で有り。
この国のために、その魂を捧げる存在でもあるのだ。
国境線に到着。
アーランドの戦士である、鉄球使いのベテランが、護衛部隊の指揮を執っていた。向こうの護衛部隊にはなんとペンギン族もいる。
トトリ殿が同盟を成立させ、積極的に今は関係改善をしていると言う話だが。まさか純粋なと言って良いほどの戦闘民族である彼らと、同盟して動くなど。昔では、想像も出来なかった。
馬を下りて、敬礼をかわす。
「アーランドの冒険者、ベイヴだ。 よろしく頼む、デジエ王」
「デジエ=ホルストナ=アールズである。 世界のために戦う同志よ。 貴殿の力を貸してくれたこと、感謝する」
すぐに、難民達の移送を始める。
彼らは貧しい身なりで。
目をぎらつかせ。
あまり食糧もたくさん得られていない様子だ。何より、此方を露骨に警戒しているのが一目で分かる。
耳が良いので、会話もどうしても聞こえてくる。
「俺たち、どうなるんだろうな」
「畑で農作業をやるとか言う話だが、どうだか。 言うことを聞かないと、殺されて悪魔族のエサにされるって言うぜ」
「こええ……」
「逃げだそうにしても、この辺りは有名な強豪モンスターの生息地だ。 ひとたまりもなく喰われておしまいだな」
露骨なマイナスの言葉しか聞こえない。
不満そうにしている兵士達を一瞥。
大丈夫だと、示す。
馬車もいる。
負傷している者や。わずかだか含まれている子供や女性、老人を乗せて移動させているものだ。
単純に体力がないのもあるが。
それ以上に、モンスターに狙われやすいのである。
御者にはベテランの冒険者がついている。目があったのか、敬礼された。勿論即座に敬礼を返す。
難民は多いが。
ただ、千名程度だ。アールズの民に比べれば多いが、どうと言うことは無い事くらいは、若い頃列強に行った事のあるデジエも知っている。
すぐに列は途切れ。最後尾を守りながら、歩き出す。
「ベイヴ殿、途中、モンスターの襲撃はなかったか」
「大丈夫だ。 何回かあったが、皆蹴散らしたぜ」
「流石だな」
「あんたも、見れば分かるが強いんだろう? 王様ってのは大変らしいが、それでも技を其処まで磨き抜いたのはたいしたもんだ」
ベイヴは、ルーフェスが先ほど耳打ちに教えてくれたところ、冒険者ランクは上位の下、というところになる7だが。それでも実力はかなり高い。
ランク7で、これだけの仕事を任されているのは、伊達では無いと言うことだ。
森の中が騒がしい。
数名の兵士を、斥候に出す。
すぐに彼らは戻ってきた。
「大型のぷにぷにが、此方を狙っておりました。 すぐに駆除いたしましたので、問題ありません。 此方の被害はなし」
「うむ……生命力の強いぷにぷには厄介だ。 念のために焼き払っておくように」
「ははっ!」
後処理に向かう兵士達。忠実で勇敢な彼らをしっかり激励するのも、デジエの仕事だ。後で少し報償を出す必要があるだろう。
柵で囲まれた、開発予定地に到着。
最後の一人まで入るのを確認してから。二十名の兵士を、順番に戻らせる。そして、難民達を集めると。
演説を軽くした。
「アールズへようこそ。 苦難の道を歩いてきた諸君らにアールズでは食糧と衣服、生活を保障する。 仕事に関しても、君達が出来るものを用意しているし、安全に関しても、最大限注意を払う予定だ」
トトリ殿の作業は間に合い。
ドラゴンは既に湿地帯には近づかなくなっているし。近隣の強豪モンスターは、この辺りから縄張りを移した。
それでも、完全に安全では無い。
「知っての通り、アールズは現在、諸君を故国から追ったスピア連邦の脅威に直面している。 諸君を受け入れたのは、包み隠さず言えば、食糧生産を担って貰う事により、この世界を人外の悪夢から守る一助となって貰うためだ。 この終わりなき絶望の連鎖を断ち切るために、是非諸君らの力を借りたい。 以上だ」
拍手はささやか。
代わってルーフェスが壇上に。てきぱきと組み分けと、仕事の切り分けをしていく。
見ると、畑の予定地は、綺麗に畝が出来ていて。メルルの作業が間に合ったことを示している。
柵の向こうには、この難民達が入るには危険すぎる湿地帯があるが。
悪魔族の戦士達の監視は万全だ。
これも何度かのトラブルを超えて、マニュアルを整備したから、だろう。
千人をきっちり捌ききると、作業が始まる。
ホムンクルス達に促され、歩いて行く難民達。彼らの目には、まだ色濃い不信が宿っている。
蛮族の土地と彼らが怖れる場所で。
蛮族の生活を強いられるのだから、無理もない。
だが、彼らを特別扱いも出来ない。
戦いに勝つためには、皆の力が、必要なのだ。
ルーフェスが来る。
「此処での様子を見ながら、来月には更に千名の難民を追加します。 周辺諸国では、もてあましている国も多く。 アールズで引き受けることで、大きな政治的貸しを作ることが可能です」
「うむ……」
「アーランドからは、想定通りの物資も届いています。 現時点では、気にする必要もないでしょう」
元々軍人だった者達には、警備の仕事から始めさせるという。勿論戦闘力は問題にならないが、警笛を鳴らして、警戒を促すことくらいは出来る。
問題は。
此処から彼らが、出ようが無いと言う現状。
アールズを発展させていく過程で、娯楽施設や、気晴らしになる設備は必要になってくるだろう。
炊き出しが始まる。
見た感じ、問題の無い量が支給されている。不満顔の者はいない様子だ。
まだ体を洗うための水は若干足りていないが、これも支給態勢はすぐに造られる。新しい衣服を着ず、ボロを着ている者も目立つ。
ルーフェスに、管理を徹底させる。
彼らの幸福度が下がるようでは、最悪後方に爆弾を抱えることになるのだから。
一通り視察が終わったところで、アールズに帰還。
その途中、ルーフェスに聞かされる。
「次はメルル姫に、北部の湖の周辺調査をしていただく予定です」
「トトリ殿が同行するというあれだな」
「はい。 専門家中の専門家が先導していただけるので、大きな危険はないとは思いますが。 ただ、姫様にはそろそろ実戦を相応の回数、少なくとも身を守れる程度まで腕を上げるくらいには経験していただきたいのも事実です。 いずれにしても、この状況が落ち着いてから、になります」
「うむ、任せる」
後は、特に会話もない。
王都に戻った後、ルーフェスはまたとんぼ返りで、難民居住区に戻っていく。城に戻ったデジエは、書状が来ていると聞いて頷いた。
書状は。
ジオからのものだ。
近況について尋ねる内容だったので、一安心。適当に返事を書いて、書状をもってきた使者に託す。
嘆息したのは、これで一段落だからだ。
デジエの仕事は、今ではもうそう多くは無いし。出来れば早いところ、メルルに跡を継いで欲しい。この国がなくなったとしても、少なくとも州になったこの地域の顔役としてアールズ王家は残る。その時メルルがしっかりしていないと、色々と混乱が起きるのは確実だ。
メルルは、どうにか錬金術師としての一歩を踏み出した。
後は、あの悲劇を繰り返さぬよう。
皆で見守っていかなければならない。
錬金術が生み出す悲劇の連鎖は。
デジエが断ち切らなければならなかった。
(続)
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