絡まる草

 

序、血雲

 

呼吸を整えると、メルルは最初から順番に調合していく。まず、近くの林で取れた薬草類。これをすり鉢で丁寧にすりつぶして、不純物を取り除く。

三種類、似たようなものをつくったあと。

フラスコを火に掛けて。

ゆっくり熱を加えていく。

その間に、釜には、魔法陣の上に置いて魔力をたっぷり吸わせた水。これをベースにして、中和剤を造るのだ。

いずれの作業も、トトリ先生の指示で実施したのだけれど。全部を通しでやると、難易度が全然違う。

何度か呼吸を整えて。

順番に、中間液を混ぜていく。

ケイナが額の汗を拭いてくれたけれど。お礼を言う余裕も無かった。

最後に、釜に投入。

急ぎすぎず。

遅すぎず。

ゆっくり、混ぜていく。

しばしして、色が変わってきた。これで上手く行けば。クリーム色になって、固定されるはず。

トトリ先生が来る。

釜を見ていたけれど。

すぐに、よそへ行ってしまった。

ダメ、という事だろうか。焦る。でも、必死に、ペースを保ったまま、混ぜ続けて。そして。

色が、固定された。

思い切り、息が漏れた。

中和剤を作る事には、少し前に成功していた。

そして今度は。

それを使った、お薬。

アーランド印の錬金術薬は、今や辺境にたくさん出回っているけれど。高級品で、貧しいアールズにはあまり入ってこない。でも、自分で造ってしまえば、その境遇だって改善出来る。

火を止めて。

釜をじっくり確認。トトリ先生に言われていたチェックポイントを、一つずつ、確認していく。

やがて、結論。

出来ている。

「や……」

やった。思わず声が出た。ケイナと抱き合って大喜びするけれど。戻ってきたトトリ先生が、笑顔のまま、水を差した。

まずは、効力を試してみよう。

その通りだ。

慌てて、少し前にすりむいた傷口に塗り込む。これはトトリ先生が、師匠であるロロナという人から受け継いだというお薬。何度も何度も改良を重ねて、生半可な傷薬では及びもつかないほど、効果が上がっている品だと言う。

その分難しいけれど。

これを作れるようになると、色々と一気に便利になる。

傷口に痛みは無し。

メルルの手を取って、トトリ先生は傷口を確認。そして、駄目出しをした。

「うん、最初の一歩としては、こんなものかな」

「ええと、それは……」

「まだ売り物になるお薬じゃないよ。 でも、始めてちゃんと最後まで通して出来たから、それは凄いかな。 次は、もっと品質を上げるようにしよう」

「ふえ……はいい……」

一気に地の底まで突き落とされた気分だけれども。

でも、それでも、最初の成功だ。まだ売り物にはならないと言われても、成功には違いないのだ。

一つずつ、講評を受ける。

トトリ先生、何もしていないように見えて、調合を全部見ていたらしい。凄く細かく、説明された。

「まず、薬草をすりつぶすのがちょっと雑。 もう少し不純物を綺麗に取らないと、薬効成分がだめになっちゃうの。 水に籠もった魔力は良かったのだけれど、混ぜるときに少し温度が高すぎたね。 もう少し温度計に目を配らないとダメだよ」

「はい!」

「じゃ、もう一回やってみよう。 私は見てるから」

ソファに腰掛けると、トトリ先生は、編み物を始める。

誰のものなのだろう。

恋人だろうか。

いや、そう言う噂は聞いていない。それにトトリ先生は、もの凄く忙しい。見ていると、此処にいないときは、それこそこの大陸の何処にいても不思議では無い、というくらい、彼方此方に出張っている様子なのだ。

そんな忙しい人が、先生をしてくれている。

幸運だと思って、作業を続けた。

しばしして、二回目。

今度も、全ての状態をクリア。品質は。前よりはマシになった様子だけれども。傷口に塗ってみても、目に見えて治るほどでは無い。

トトリ先生の話によると、このお薬は。

傷口に塗ると、見る間に傷が治っていくほどに強力なのだとか。

「あ、でも! 見てください、傷が」

「赤みが引いてきているね!」

「効いていますよ」

「うん……」

でも、まだまだだ。

もう一回。トトリ先生が、笑顔のまま、指を立てる。こうなったら、合格するまで、何十回でもやってやる。

時間は確実に過ぎていく。

達人になると、このお薬を、一日で数十セット作ってしまうと言う。嘘だろうと流石に思ったのだけれど。実際にトトリ先生が、一刻掛からず十セット造ってみせるのを、先ほど見せられたので、黙らざるを得ない。

トトリ先生は別格だとしても。

せめて売り物になるものは、造りたい。

だけれども。

五回目で、一旦中止を指示された。

「うん、今日はここまで。 材料がもったいないし、一旦終了。 造ったお薬は今度自分で材料を採取しに行くときに使おうね」

「はいー」

「大丈夫、私も最初は上手に出来なかったから。 試行錯誤しながら、上手になっていこうね」

そう笑顔で言うトトリ先生だけれど。

話は聞いてしまっている。

この人、十三歳。つまり今のメルルより年下の段階で、大人の理屈が横行する地獄に放り込まれて、最前線で活躍していたそうではないか。しかも、メルルみたいに、経済や周囲のみんなのバックアップが無い状況で、である。

才能がないなんてあり得ない。

この人のお師匠様は、更に凄い才能の持ち主だと言うし。何というか、住んでいる世界が、メルルとは違うのだ。

きっと目線も違っている筈。

何だか色々へこむけれど。メルルが凄く良い先生について習っているのは、変わらない事実なのだ。

「メルル、そろそろ」

「あ、そうだった」

「ルーフェスさんに呼ばれているの?」

「はい! ちょっと行ってきます!」

ケイナが、後片付けをしてくれるという。何でもトトリ先生にやり方を教わって、器具類の片付けとお掃除だけはやっていいことになったそうだ。その内錬金術も教わるのでは無いかと、不安である。

だけれども、今はそれどころじゃあない。

昨日のことだ。

ルーフェスが派遣した兵士が、アトリエにポストを造っていった。何でも、此処に誰でも投函して良い、という事らしい。

幾つかの国では、目安箱という制度を採用している。

何でも不満があるなら書いて匿名で投函できる仕組みで。それが機能している国もあるし、形だけの国もある。そもそも、殆どの民が、文字を書く事が出来ないような国では、意味がない。

この国の場合、何時でも話を受け付けるメルルが走り回っていたので、今まではいらなかったのだが。

アトリエに籠もることが増えた今では。

確かに、必要かも知れない。

そのポストに、早速手紙が入っていたのだ。それで、昨日の夜にお城に届けたら。朝早くに、ルーフェスから使者が来たのである。

いずれにしても、いかないとルーフェスは怒るだろうし。

何より、手紙の内容も気になる。

勿論手紙は、着た時点で目を通している。どうも、アーランドから来たシェリさんからの手紙であるらしかった。内容については凄く難しくちょっと理解し得ない部分もあったのだけれど。

大まかには、内容も分かった。

ただ、ルーフェスが何を指示してくるかは分からない。つまり、出来るだけ早い内に、行った方が良い、ということだ。

外に出ると、夕方。

朝に出たきりだ。

城へと走る。

見ると、馬車が来ている。それも三両も。恐らく、アーランドに戻る冒険者と。新しく来た冒険者だろう。

現時点でも、前線には五百人が駐屯している。

砦の改装は急務だという話はメルルも聞いている。だけれども、今のメルルの実力では、それどころじゃない。

噂は耳にしていて。

たとえば、兵士の中には、メルルがこの国を錬金術で良くしてくれると、信じてくれている人もたくさんいるそうだ。

とても重荷だ。

でも、それだけ期待されているという事でもある。

だから、メルルは頑張る。

王族が期待されなくなったり、国民を食い物にするようになったらおしまいだ。メルルの絹服も、今来ているトトリ先生も。メルルの王族としての責務が故に、側にあるものなのだ。

走っていると、声を掛けてくる人がいる。

手を振って返しながら、お城へ。

そういえば、城門には。

まだ、ケイナと並ぶ、メルルの竹馬の友の姿はない。いつも不機嫌そうに城門を守っている彼がいないのは、少し張り合いが無かった。

城内に入る頃には、夕日が山の向こうに沈みかけていたけれど。

多分ルーフェスは、ここからが本番だ。

何だろう。

頭を随分と調合で消費したはずなのに。それほど疲れていない。ずっと、勉強で頭を使って、鍛えていたから、だろうか。

「姫様、呼び出しにはもう少し速くお答えください」

「ごめん、調合してて。 やっと先生に、釜を触って良いって言われて、私も張り合いが出てきてて」

「分かっております。 早速ですが、今回の手紙の件です」

背筋が、思わず伸びる。

冷徹なルーフェスの視線に射すくめられるようだ。

「モヨリの森については知っておられますね」

「もちろんだよ」

当然だ。

モヨリの森。アールズ王都から、南東に少し行ったところにある小さな森だ。現在兵士達がシェリさんと入って、内部の森林資源について調査している。

街のすぐ近くにある森などは、今まで散々アールズで調査してきたのだけれど。もとよりアールズでは森林資源が豊富で、国が厳密に管理してきた。ただし、それは王都のすぐ側に限った。

手が回らないのだ。

モンスターも生息している。それほど強いモンスターはおらず、昔はケイナともう一人を連れて、探検にいったものだ。

ただし、あの頃は、恐らく影から兵士の中でも手練れが守ってくれていたはず。実際問題、探検をたっぷり楽しむ事はあっても。危ない目に会うことは殆ど無かった。メルルの先回りをして、兵士が危ない相手は片付けてくれていたのだろう。

いずれにしても、手がほぼ入っていない森である事は事実。

今回は、専門家であるシェリさんが、見てくれている。

つまり、其処で何か対応できる事がある、という事だ。手紙は専門的すぎて、ちょっとメルルには分からない事が多かったのだが。

「シェリ氏は土地の汚染除去を専門とする悪魔族の出身者です。 彼としては、この土地をもう少し豊かにするためには、少し多すぎる在来種を間引く必要があると考えている様子です」

「在来種?」

「プレイン草です」

「あ、そうか」

言われて見れば、納得だ。

プレイン草は、アールズの何処でも見られる、いわゆる雑草だ。繁殖力が強く、どんなにひどい土地にも根付く。

その一方で栄養価は無く、食べても美味しくないし、何より独特の渋みがあって、口に入れられたものではない。

「まずは、サンプルを採取して、それをトトリ殿と調査してください。 同時に、調査隊への食糧供給もお願いいたします」

「分かった、やってみるね!」

いきなりちょっとハードルが高いような気もするけれど、それは最初からだ。今更ぶつくさ文句も言っていられない。

すぐにアトリエに飛んで帰る。

城を出ると、既に日は沈んで、周囲は真っ暗。虫たちが鳴いていて、とても雰囲気がある。

お空は星がたくさん出ていて、まるで宝石を撒いたかのよう。

アーランドだと、夜も多くの家が灯りをつけていて、夜空が暗かったので、驚いたのだけれど。

アールズでは、夜になると、殆どの家が灯りをつけない。

だから、星明かりが、こんなにも凄い。

まずは、食糧。

調査部隊は十名ほどと聞いているから、運ぶのに荷車がいるだろう。食糧と言っても、なまものはダメだ。

アーランドから最近どんどん輸入されている耐久糧食が一番良いのだろうけれど、あれはちょっとお高い。確かにどんな場所でももつし、美味しいし、ちょっとだけ食べるだけでも力が出るけれど。

残念ながら、今のメルルに造る技術力は無い。

アーランドでは量産されているらしいけれど。

いつか、アールズでも量産したいものだ。

アトリエに戻ると、もう片付けは終わり。ケイナが夕食の準備を始めてくれていた。トトリ先生は待ってくれていたので、話をする。

「シェリさんとは長いつきあいだよ」

「そんなに古いつきあいなんですか?」

「うん。 一緒に色々なところで戦ったし、緑化作業のお手伝いもしたんだよ。 最初に一緒に戦った時は、まだ私もひよっこでね。 その時はシェリさんも私を信用してくれていなくて、それで仕事も大変だったなあ……」

「へえ……」

その戦った「色々なところ」と言うのが、恐ろしい地獄のような場所だと言うのは、メルルにも容易に想像が出来た。

トトリ先生の強さを見れば、一目瞭然である。

「まずは、お料理からだね。 参考書を渡すから、良さそうなのを見繕ってくれる?」

「はい! すぐに」

初級の参考書を貰う。

まだお薬も、市販レベルでは作れないメルルだけれども。ざっと見る限り、其処まで難しい料理は載っていない。

パイはどうだろう。

勿論普通のパイでは無い。錬金術を使うパイだ。その過程で殺菌もするので、かなり日持ちする。

お外に置いておいても、数日はへっちゃら、というくらいだ。今から作っても、調査班が飢えないくらいの量は作れるだろう。

幸い、中和剤の素材にする水と、薬草は揃っている。

後は小麦粉だけれど、それも充分に備えがある。以前から、錬金術に使うと聞いて、ケイナが買いそろえてくれていたのだ。

トトリ先生に話をすると。

笑顔のまま、指で丸を作ってくれた。何でも、トトリ先生にとっても、パイは思い出深い料理らしい。

お師匠様の得意料理で。

なんとあの耐久糧食も、そもそもお師匠様が作り出した料理なのだとか。

「ロロナ先生が作ったり改良したりした錬金術の道具で、周辺国に大きな影響を与えているものはたくさんあるんだよ」

そうトトリ先生は、笑顔で言うけれど。

どうしてだろう。

メルルにも、分かる。

その人の話をするとき。トトリ先生の目の奥には、隠しきれない闇が宿る。それは、おそらく。哀しみと一緒にあるように、メルルには思えていた。

 

1、最初の挑戦

 

錬金術での料理は、普通のものとは少し違ってくる。

基本的に、中和剤を使って、様々な反応を早くしたり。魔力を料理に上乗せするという過程が生じるのだ。

これによって、料理そのものの難易度は上がるけれど。その代わり、料理が傷みにくくなったり。食べると凄く元気になったりするように、調整することが出来るのだ。

魔術を使って、同じような事も出来るのだけれど。

その場合は、ほぼ固有スキルになってくるので、個々の素質頼みになる。それでは、本末転倒だ。

錬金術は。

手順さえ踏めば、誰にでも出来る事が、強みなのだから。

中和剤を作る事は、メルルにも出来るようになってきている。今回使うのは、水に小麦を溶いたもの。

魔力を浸透させて。

パイそのものが痛まないようにするのだ。

更に、魔力を直接取り込むことで、体にも元気が出るようにする。

炉は、温めてある。

練って形を整えて。お野菜と、あらかじめ火を通したお肉を練り込んでから、炉に。

炉の温度は重要だ。

高すぎると、炭になってしまう。

低すぎると生焼けになる。

何度か温度計を確認して、問題ない事を確認。砂時計を倒すと、パイを中に入れた。

「最初の一つは、実験品ね」

つまり、今日の夕ご飯という事だ。トトリ先生の宣告は、結構えげつない。失敗しても、残さず食べなさい、という事なのだから。

ほどなく、パイが焼き上がる。

普通に料理するよりも、ずっと早く仕上がるのは、嬉しい事だ。

炉から引っ張り出す。

じゅうじゅうと音を立てている分厚いパイは、とても美味しそう。プレーンでは無いけれど。ほぼそれに近い、素朴な品だ。お塩もちょっとだけ入れてある。お塩は、内陸国のアールズでは貴重品なのだけれども。

今回パイを差し入れする相手は、アールズのためによそから来てくれているお客様でもあるのだ。

早速分割して、皆で食べてみる。

味の方は。

いきなりは、完璧には出来なかった。

ちょっとまだ生っぽい。

ただ、お肉や野菜は、事前に火を通してある。原因があるとすれば、炉か、それとも製造過程だろう。

「トトリ先生、ちょっと生っぽい、ですね」

「うん。 何処がまずかったのだと思う?」

「ええと、炉でしょうか」

トトリ先生が、指で×を造る。

後は自分で考えるようにと言うと。トトリ先生は、まずいと文句を言うことも無く。自分のパイを平らげて、寝室へと向かう。もうこれ以上は、ヒントはくれない、ということだ。

何でも過保護にする先生が良いとは思わない。

これはトトリ先生の、愛の鞭という奴である。

もう一度参考書を確認。

しばらく見ていて、気付く。

ひょっとすると。

もう一度小麦粉を出して、練る。

加える中和剤を、少し多めにしてみる。若干柔らかくなるけれど。どうせ水分は、炉の中で飛んでしまうのだ。

注意するのは、中和剤が零れないようにすること。

「メルル、それ、少し柔らかくなりそうですね」

「うん。 でもね、お料理でパイを作るのとは、やり方が違うと思うんだ。 錬金術だと、ほら。 参考書を見ると、この中和剤の魔力で、焼き加減を調整するってあるから。 さっきはパイを作る容量で水を入れたから、きっとそれで反応が進みきらなかったんだと思う」

「なるほど……」

こくこく頷くケイナの前で、メルルはパイを炉に入れる。

今度はどうだろう。

焼き上がったパイは、ちょっと心持ち堅めだ。やっぱり、炉の中で、中和剤が反応を促進させている。

それは、メルルが思うより、ずっと激烈な反応であるらしい。

ひょっとすると、これは。トトリ先生が、あえてこの仕事が最初に来るように、手を回したのかも知れない。

中和剤をしっかり使いこなせるようになる事は、錬金術の基本だと聞いている。

反応を促進したり、普段だったら混ざらない素材を合成したりするには、中和剤がないと始まらないという話なのだ。

パイを切り分けて食べる。

しっかり火が通っている。ちょっと固いけれど、味は悪くない。これなら、或いは。

だが、もう一つが、流石に限界だろう。

おなかに入る、と言う意味で、である。実際ケイナは、ちょっと青ざめている。今回が失敗だというのは、分かっていたから、だろう。つまり最低でも、もう一セットは造らなければならないのだ。

「ごめん、ケイナ。 でも、材料を無駄には出来ないから」

「大丈夫です。 最近はお外でメルルと一緒に鍛錬していますし」

「うん……」

分かっている。

もとより小食なケイナには、あまり食べさせるのは酷だ。気を遣ってくれているのだから、こちらだって。

次は、失敗できない。

慎重に計量して。更に、丁寧に中和剤を加える。

ほんの少しだけ、先より減らして。

しっかり練り込む。

料理をまったくやった事が無いわけではなく。ケイナと一緒に台所で楽しくお料理をした事はあった。

「上手く行ってよ……」

呟くと、炉にパイを投入。

砂時計を倒した。

 

朝。

起きて来たトトリ先生に、早速完成品を食べて貰う。昨晩食べたときは、とても美味しかった。

堅さも申し分なく。

お肉も野菜も、パイにしっかり。いや、予想より遙かに馴染んでいる。これはきっと、中和剤による効果だろう。

「ん、おいしいね」

「有り難うございます!」

「それじゃ、朝練が終わったら、量産しようか。 ケイナちゃんは、私と一緒にお買い物ね」

「はい!」

良かった。

昨晩、三度目の正直が上手く行ったとき、本当にほっとしたのだ。一晩経っても美味しい事が分かったのは、とても嬉しかった。

外に出ると。

意外な人が、立っていた。

「よう」

「あ、ライアス!」

すらっと背が高い黒髪の青年。目つきは鋭く、あまり愛嬌もない。

彼こそが。

ケイナと並ぶ竹馬の友。メルルの側近である、ライアスだ。

ルーフェスの弟であるライアスは、幼い頃からの親友で、いわゆる幼なじみである。とにかく昔は臆病で、メルルがちょっと怖そうな遊びに連れて行くと、すぐに泣き出すので、ケイナと一緒になだめていたものだ。

背が伸び始めてからは、何だか態度もちょっとぶっきらぼうになったけれど。

本心では心配してくれていると信じているし。

何より、兵士としては悪くない腕だと言われている。

「帰ってたんだ!」

「兄貴から、お前の護衛と訓練につきあうようにって言われてな。 何だか朝から真面目に棒振ってんだろ? 相手になるよ」

「ありがとう、助かるよ!」

随分とぶっきらぼうな言葉遣いだが。

それが許されるのは、側に身内しかいないからだ。もしも他の人が周囲にいる場合は、ライアスもしっかり態度を改める。というか、そうして貰わないと困る。ライアスもそれは良く分かっている。

トトリ先生がドアを出てくる。

ケイナもライアスに気付いた。

「あ、ライアス。 戻っていたんですね」

「ああ。 メルルの朝練の相手は俺がしておくよ。 買い物があるんなら、頼むぜ」

「はい。 よろしくお願いしますね」

ケイナが、荷車を引いて、先に出る。この荷車も、実戦投入する日が来た、というわけだ。

まずはお買い物で。

そして、予定している午後からの、モヨリの森遠征で。

ちょっと緊張する。

トトリ先生が、ライアスと軽く話している。ライアスは根本的に臆病なところは治っていない。基本的には人見知りなので、トトリ先生の事は内心で怖がっているようだ。

いや、或いは。

時々メルルもぞっとさせられる闇に、気付いているのかも知れない。

トトリ先生が行くと。

ライアスは、大きく嘆息した。

「おっかない先生だな」

「そうだね。 ライアスも分かる?」

「ああ。 あの人の笑顔の奥、地獄があるんじゃねえのかって思ったよ」

「……」

一体。どんな地獄が、トトリ先生をあんな風にしたんだろう。

咳払いすると、棒を振るって、構えを取る。

頷くと、ライアスも、両手にトンファーを構えた。

ライアスが使うのは、実際にはこのトンファーに爆薬を仕込んだものだ。昔から若干非力だったので、それを補うために、使い始めたのである。勿論爆薬は安くは無いので、戦闘では切り札としてしか使えない。

普段はトンファーとしての戦闘を行い。

実践では、切り札として、一撃必殺の爆薬による殴打を行う。そう言う戦闘スタイルだ。

ちなみに、ライアスは、一番武術に触れるのが遅かった。

とにかく怖がって泣くので、師匠が匙を投げたのだ。

でも、メルルもケイナも、あまり上達しないながらも武術を始めたのを見て、色々と思うところがあったのだろう。

最近はすっかり腕前でも追い越されて。

前はメルルが守っていた位なのに。逆に守られる立場になっている、かも知れない。

軽く立ち会ってみて、分かる。

更に腕が上がっている。

「わ、ライアス、強くなったね!」

「ああ、いつまでも泣き虫じゃいられないからな」

「頼もしいよ」

そう言うと、どうしてだろう。

ライアスは、ついと顔を背ける。横顔はルーフェスにそっくりなのに。言動は正反対だ。もっと現実主義を身につけて欲しいと、ルーフェスは時々メルルに零している。一方で、ライアスは時々兄貴にはついて行けないとぼやいていた。合理主義の塊みたいな人だし、仕方が無いのかも知れない。

「もう一本行こうぜ」

「うん! 容赦しないよ!」

「こっちの台詞だ」

棒をしごいて、突きかかる。

トンファーで弾きながら、カウンターを狙ってくるので、棒で受け流し。うち込む。上段、中段、下段、順番に。

激しくぶつかり合いながら、気付く。

少し、自分も。

強くなってきているかも知れない。

 

ケイナが帰ってくると、ライアスも戻っていった。元々兵士としての仕事もある。城門の警備は、それなりに重要だ。今の時点では、如何にアールズ内部に侵入者がいないといえど。

前線では、敵とアーランド軍、それにアールズの兵士の一部が、にらみ合いをしているのだから。

「ライアスってば、凄く強くなってたよ!」

「この間の会戦でも、敵を討ち取ったそうですよ」

「わ、すごいね!」

「ええ。 負けてはいられません」

すぐに準備をする。また、容器に水を入れて、魔法陣の中心に置く。中和剤は、今後幾らあっても足りないのだ。

中和剤を造っておくことは、習慣化するように。

トトリ先生に、そう言われていた。そしてここ数日で、そうするように、体も慣らしていた。

まだケイナに言われないと、忘れてしまう事もあるけれど。

習慣化すれば、いずれ忘れないようになるという。

作業が終わると、早速パイ作りだ。

失敗する量も考えて、少し多めに造る。こればかりは、仕方が無い。まだ一回成功しただけなのだ。

早めに造り始めて。

時間に余裕も造る。

一枚目。

昨日の成功例を思い出しながら、しっかり焼き上げる。パイを切った感触からすると、良く出来ている。

断面も確認。

お肉も火が通っているし。これは良い出来だ。

すぐに油紙で包んで、荷車に。流石に虫が集ってしまうと食べられなくなってしまうから、こういう措置をするのだ。

続いて、二枚目。

十人の調査チームが、数日作業を出来るだけのパイを作る。

簡単なように見えて、結構大変だ。

実際、モヨリの森とは距離も微妙に離れている。兵士を派遣して食糧を運ばせるのも、色々と手間が掛かる。

まずは、メルルが個々でお仕事をして。

そして、耐久食の作成ノウハウを造れば。いずれ、もっと遠い場所にいる兵士達にも、食糧事情で苦労させることもなくなるだろう。

二つ目が焼き上がる。

パイカッターを通して見ると。ちょっとだけ、柔らかいかも知れない。少し悩んだ後、保留。

計量が甘かったのだ。

「メルル」

「大丈夫。 時間も材料も、少し多めに取ってあるから」

それでも、パイの代金が予算から出ていることを忘れてはならない。無駄遣いすると言う事は。国のお金を台無しにする、という事なのだ。

三枚目。

これは、完璧だ。パイカッターを通して、すぐに分かった。思わず笑みがこぼれるほどの会心の出来。

調子が上がって来た。

勿論、今後はもっと工夫しなければならないだろう。トトリ先生は、少し前にお出かけして、アトリエには戻ってきていない。夕方には帰ってくると言う話だけれども。つまり納品まで、メルルがやらなければならない、という事だ。

七つ目のパイが焼き上がる。

かなりコツが分かってきた気がする。

しかし、こういうときこそ、気を引き締め直さなければならないだろう。少し休憩をして、それから作業に戻る。

昼を、少し過ぎた。

さっきちょっとだけ失敗したパイを、ケイナと一緒に食べる。失敗したかと思ったのだけれど、案外悪くない。

少し柔らかいけれど。

火が通っていないと言う事は無かった。ただ、売り物になるかと言えば、ちょっと微妙だろうか。

今日焼いているパイは、昨日のよりかなり大きくて、分厚い。

パイ一枚で、大の大人四食分にはなる。だから、ちょっとおなかいっぱいだけれども。まだまだ、全然目標数には足りない以上、仕事は続けなければならない。

少しだけ、作業速度も上がってくる。

流石に分厚いパイなので、二つ同時に焼くのは無理だが。それでも、明らかに、作業効率が上がってきている。

十三枚目。

十五枚目。

失敗もなくなった。

流石に店で売ることが出来るかというと微妙だけれど。先ほどの失敗作を食べてみても、それほど悪くは無かったのだ。

これなら、少なくとも。

兵糧の役には立つだろう。

予定時間の少し前に、二十三枚目が焼き上がる。

これで、十人の、三日分の兵糧にはなる。これくらいで充分だと判断して良いだろう。実地で仕事をしているのだ。一日三食が基本である。

荷車に、パイを詰め込む。

下の方のパイが潰れないように、無理をしないようにして積まなければならない。ケイナと一緒に、工夫しながら重ねる。元々かなり厚みがあるタイプのパイだし、焼きもしっかりしている。

簡単には潰れないけれど。

それでも、注意が必要だ。

「さ、行こうか」

「メルル、私はライアスを呼んできますね」

「ん、じゃあ、東の城門で合流ね」

「はい」

アトリエを出る。ケイナの機転がなければ二人で出かけることになっていたかも知れない。

街道は。まだ、メルルがケイナと二人だけで歩くには危ないかも知れない。

そう考えると。

もう現役の兵士になっているライアスと一緒に行く方が、心強かった。

 

2、気むずかしい悪魔の戦士

 

街道に出ると、急ぐ。少し急がないと、モヨリの森とアールズ王都を往復する頃には、夜中になってしまう。

夜中の街道を行くのは、流石に無謀だ。

ある程度熟練した戦士だったらいいだろうけれども。今のメルルとケイナ。ライアスもいるけれど。

いずれにしても、自殺行為だ。

この辺りにも、モンスターは出るし。

たまにリザードマン族の斥候も出てきている。

リザードマン族は戦士としての素質が高く、多分今のメルルでは、単独では勝てないと見て良いだろう。

それに、リザードマン族は、過去のいきさつから、人間を非常に恨んでいる。アールズの姫君であるメルルなんて見つけたら、容赦するはずがない。

最悪の場合は、モヨリの森の調査部隊に守って貰って、夜を過ごすしかないだろう。それも視野に入れなければならない。

街道を急いで行くと、馬車とすれ違う。

最近かなり増えてきている。

ちなみに馬車には、冒険者が満載。それも、辺境で活躍している腕利きばかり。あれなら、何に襲われても大丈夫だろう。

メルルが荷車を引いて、ケイナが押す。

側を走るライアスは、何がいつ出てきても対応出来るようにしている。横目で何度か見るけれど。本当に頼もしくなった。

昔はメルルより背も低くて。

体力もなかったのに。

「もう少しで着くぞ」

「うん。 もうちょっと急ごうか」

「まったく、体力だけは昔からありあまってるな」

「そんなことないよ。 ここのところ、毎日走り込んで、鍛えてるからだよ。 体力が随分ついてきたってわかるし、いいね、朝練。 少しずつ、好きになって、来たかも」

森が見えてくる。

街道の左右には、整備された森が拡がっているし。所々には水路もある。話によると、こういった森は、先祖達が時間を掛けて育ててきたものらしい。

何処の辺境国家でもそうだが。

森は宝なのだ。

街道もそう。

この辺りはまだ整備されているけれど。砦の近くまで行くと、もういけない。かなりガタが来てしまっている。

いずれ、整備しないと。

街道を整備すれば、行き来もスムーズになる。

アーランドでは、街道にキャンプスペースを設けて、旅がとてもしやすくなっていた。旅人の安全も確保されていた。

さすがは辺境の盟主と、感心したものだけれど。

今は、なすすべが無い。

走り込むようにして、森に到着。

流石に少し息が切れている。後ろのケイナに到っては、しばらく話しかけない方が良いだろう。

しばらく呼吸を整えてから、森の中に呼びかける。

確かシェリさんが来ている筈だ。

前に何度か会ったことがある。寡黙で思いやりがあるけれど。その一方で、かなり戦士としての誇りも強そうな人だった。

「シェリさん! メルルです、いらっしゃいますかー!?」

「……」

「返事がないね」

小首をかしげるが。

ライアスが、慌ててメルルを庇う。メルルが顔を上げると、其処には。翼を羽ばたかせ、舞い降りてくる人影。

背そのものはメルルよりだいぶ低いけれど。

青紫の肌と。

何より、人間とは根本的に違う体のつくりが、ライアスの恐怖を煽ったのかも知れない。

彼が、シェリさん。

アーランドから支援のために来てくれている、悪魔族の戦士だ。昔は裸で行動していたらしいのだけれど。今はトトリ先生に送られたというローブっぽい服を着込んで、サンダルを履いている。

これは人間と接するための妥協としての姿らしい。

アーランドでも昔はかなり軋轢があって。人間と同盟が成立するまでは戦争もしたらしいのだけれど。

今はスピアという世界共通の難敵もあるし。

何より、悪魔族の緑化技術、汚染除去技術は、世界中で高い評価を受けている。

敬礼をされた。

一応、賓客に対するものだ。メルルも、それを受ける。

アールズ式の敬礼にしようかと思ったのだけれど、少し考えてから、アーランド式にする。そうすると、配慮を理解したのか、シェリさんは少しトリのように尖っている口元を開いた。

顔はもの凄く怖いが、しゃべり方は理知的だ。

「久しぶりだ、メルル姫。 今、仕事をしていたところなのだが、何用か」

「補給物資を持ってきました」

「ほう。 耐久糧食はうまいが、少し飽きてきていたところだ。 助かる」

「すぐに納品したいのですが、よろしいですか?」

頷くと、シェリさんが森の奥へ案内してくれる。

敬礼をしたとき以外、ずっと空中に浮いているのは、恐らく何か理由があるのだろう。翼を殆ど動かさなくても浮いているので、恐らくは魔力によるものだというのは、容易に想像できる。

森の中。

少し開けた土地に、キャンプが造られていた。森を傷つけないように、小川に沿った形で、である。

周囲では、調査作業が進められている様子で。

働いているのは、人ばかりでは無い。

戦場で見かけた、同じような容姿の女性。二人ほどいる。ちょっと雰囲気が違う。

「彼女たちは護衛ですか?」

「ああ。 PTSDで前線にいられなくなって、此方に来ている。 戦闘をさせるのは酷だから、力仕事をして貰っている」

「う……」

「戦争はきれい事じゃない。 だが、彼女たちは戦闘力だけではなく、優れた身体能力と生真面目さも持っている。 だから、戦争が出来なくなっても、他に出来る事はいくらでもあるのだ」

人間の冒険者や、技術者らしい人達もいる。

土を採取しては、調べている様子だ。

遠くで、此方を伺っているウォルフが数体。悪魔族の戦士が、一瞥するだけで逃げていく。

リス族もいる。

リス族は森の中で生活している小柄な亜人種で、毛が非常に豊富で、背がメルルの半分くらいしかない。

その一方で力は強く、戦闘ではものを投げて攻撃してくることがあり。かなり大きなものを、相当な距離まで投げてくるので、脅威になっていた。勿論石によるピッチングも使いこなす。

更に彼らは知能もかなり高く、独自の言語と文化形態を持っている。元々亜人種は、みんな人間から分岐したという話もあるのだけれど。彼らやそれに並ぶほど繁栄しているペンギン族を見ていると、それも納得だ。

少し前まで、アールズでは、リス族と人間が森の中でかなりひどい争いをしていた。森という豊かな恵みは、どうしても奪い合いになる。今の時代は、森そのものが、決定的に足りないからだ。

リス族は、アールズ人であるメルルを見ると、やはりあまり良い感情が無い様子だ。

メルルも一礼するけれど。

相手の返礼には、冷気が籠もっていた。

咳払いするシェリさん。今は争っている場合では無いと、暗に告げているのだ。メルルは元々、リス族に誰かを殺されたこともないし、恨みもない。ただ、アールズ人の中には、争いの中で家族を殺された人も多い。勿論リス族も、アールズ人に家族を殺されたものが少なくない。

負の連鎖はこういう所にもある。

そして、簡単に解消なんてできない。

ただ、アーランド人とリス族はかなり友好的に接している様子だ。見ていると、普通に会話もしているし、積極的に協調もしている。

ああなりたいものである。

「混成部隊、ですね」

「ああ。 それぞれに得意分野がある。 リス族は森を管理することに関しては、我等より遙かに優れている。 人間は技術力に関して革新的な発想が出来るし、ホムンクルス達は単純に能力が高い。 我等は汚染除去の技術に関して、何処の誰にも負けぬ」

シェリさんが手を叩いて、食事が来たことを告げる。

荷車からパイを出して配る。

「三日分造ってきています。 出来るだけ早めに食べてしまってください」

「うむ、有り難い」

「味は思ったほど悪くないな」

「おい」

リス族の一人がそっぽを向く。

シェリさんは舌打ちしたけれど、それ以上文句を言うことは無かった。彼らも複雑だから、だろう。

「すまぬな、メルル姫」

「いいえ。 それに、悪くないって言って貰って良かったです。 また兵糧を準備してきましょうか?」

「そうだな。 次はもう少し保ちが良いものを頼む。 これもかなり保ちそうだが、獲物が入ると、そちらが優先になる事が多いのだ」

「分かりました」

一礼。

シェリさんに、プレイン草についても聞いておく。頷くと、すぐに生えている箇所へと、案内してくれた。

プレイン草は、繁殖力の強い雑草だ。ただし、植物の中には、凶悪に育ちすぎると魔物になったり、肉食に変わったりするものもある。

これはさほど危険な植物では無い。

案内されたのは、森の中の、光が差し込んでいる場所。池があって、その周囲に、木立が連なっている。

中々に気持ちが良いところだ。

ただし、池の周辺は草ぼうぼう。

葉がかなり鋭い。

これがプレイン草だ。

育つと、メルルの背丈くらいまで伸びる。葉を無理に引っ張ると、辺境の民の体でも傷がつくことも多い。それだけ頑強な草なのだ。

緑の葉は池に向けて伸びていて。

その上には、せっせと葉を食む芋虫や。それを狙う小さな蜘蛛もいた。

「プレイン草が邪魔になっているのは、池の周辺だけですか?」

「いや、彼方此方でかなり繁殖していて、焼き払うのに手間取っている。 根があるとすぐに生えてくる強靱な植物で、有用な作物を圧迫しているのが確認されている。 日差しが強くても強くなくても良く生える。 きちんと対処しないと、農園や畑を作ったとき、作物が荒らされるだろうな」

「んー、やっぱりサンプルを回収して、調べて見るしかなさそうですね」

「頼む。 俺のいた所には、この植物はなかったからな。 やはり現地の人間に聞いてみるのが一番良いだろう。 後はトトリ殿を頼ると良いかもしれないが」

やはり、かなり尊敬しているらしい。

トトリ先生の事を口にすると、シェリさんは心なしか嬉しそうだ。一緒に戦って来たというだけではなくて、彼ほどの戦士を尊敬させるものが、トトリ先生にはあると言う事なのだろう。

「ケイナ、ライアス、手伝って」

「おう。 でも、これ、引っこ抜くのか?」

「うん。 危ないから気を付けてね」

パイを卸して身軽になった荷車を横に着けると、適当なプレイン草を引っこ抜く。除草剤で駆除、というのが出来れば速いのだけれど。そう上手くは行かないだろう。

サンプルはどうすればいいか。

一応、出る前にトトリ先生に聞かされている。

まず、根までしっかり取ってくることが重要だとか。

葉なども、残した方が良いという。

つまり、土ごと。引っこ抜いて、出来るだけ傷つけないようにして、サンプルを確保する必要がある、という事だ。

手袋をつけて、何株か抜く。

どれも大きくて。

油断すると、手袋をしていても、怪我をしそうだ。

ケイナがスコップを鞄から取り出すと、根元を掘り始める。結構大きなプレイン草の株があるので、それを抜きに掛かったのだ。

ライアスと一緒に、力を入れて引っ張る。

かなり苦戦したけれど。

途中まで行くと、後は一気に抜けた。

「これくらいでいいか?」

「うん、大丈夫。 ライアス、力強くなったね! 最初会った頃なんて、私に腕相撲で負けてたのに」

「うるせ」

そっぽを向くライアス。

何だかちょっと他人行儀だ。昔はもう少し、ケイナと一緒に、メルルの遊びにつきあってくれたのに。

シェリさんは少し離れて見張ってくれていた。

やはり、モンスターがいるのだ。

そして、モンスターは、ある程度は存在している必要がある。戦士の質を保つためには、どうしても森にモンスターがいないと困るのだ。

この辺りの森にいるモンスターは、ひよっこ戦士の相手としては丁度良いし。

何より、緊張感が保たれる。

平和は勿論大事だけれど。

ある程度の危険がないと、人間はどうしても弱体化する。最低限の危険がないと、森はその存在をなせない。

「メルル!」

「!」

ライアスが、すぐに割って入る。

かなり近くまで、大きなウォルフが来ていたのだ。三人で、ゆっくり下がる。六頭ほどの群れで、遠巻きに包囲している。

此方が群れからはぐれたのだと思ったらしい。

「下がるよ」

「……分かった」

ライアスは戦いたそうにしていたけれど、此処は戦う意味もない。一旦下がって貰う。ケイナを庇いながら、ゆっくりシェリさん達の方へ。

狼たちは距離を保って包囲を続けていたけれど。シェリさんの射程範囲に入ったと判断したのだろう。

ある程度で足を止めると、森の奥に戻っていった。

ため息が出る。

殺し合いになれば、相応に覚悟しなければならなかった。一応それなりに評価されているライアスがいるとはいっても、此処にいるのは半人前三人。

もし戦いになれば。

苦戦は免れなかっただろう。

シェリさんが来る。

人間の冒険者も二人。

一応、様子は見ていたらしい。メルルのためと思って、あえて危なくなるまで手を出さなかったのだろう。

或いは、トトリ先生に、そう言われていたのかも知れない。

「良い判断だった。 訓練をしに来たのなら兎も角、無意味に戦っても仕方が無い」

「意外だな」

「うん?」

「あんた達悪魔族は、もっと好戦的だと思っていた。 その、俺たちが聞いていた話だと、悪魔族は俺たち人間以上に血に飢えて戦闘を好んでいるって話だったから、な」

ケイナがあわわと口を押さえたけれど。シェリさんは、ライアスの言葉に、気を悪くする様子も無い。

むしろ、微かに笑ったようだった。

「だが、違うと言うことを、今理解してくれた。 それで俺は構わない」

「……すまない」

「腕を上げたら、戦場でともに戦おう。 今は修練を積むといい」

何だろう。

不思議な友情が生まれたようで、ライアスとシェリさんが、握手を交わしている。メルルは何だか、羨ましいなと思った。

 

森を出る。

日が暮れ始めていた。

既に路は真っ赤に染まっていて。このまま一気に闇に落ちるだろう。

判断のし時だ。

森で一晩休んでから、朝になって安全を確保し次第戻るか。それとも此処から走ってアールズ王都へ急ぐか。

急ぐ場合は、当然時間のロスをかなり減らせる。

メルルは、今までダラダラ過ごしてきた事を後悔し始めている。トトリ先生の所で学ぶようになって、それがよく分かったのだ。

でも。

後ろにいるケイナとライアスを見る。

二人を危険にさらすわけにはいかない。

王族というのは、指導者の頂点だ。

たった二人の国民。

ましてや、自分にとっての真の友とも言える二人を守れなくて、何が王族か。自分の都合で、二人を失ったりしたら。

それこそ、メルルは今まで何のために生きてきたのか、という事になるだろう。

判断を決める。

「野宿するよ、モヨリの森で」

「て、いいのかよ」

「うん。 もっとすぐ終わると思ってた私の見通しが甘かったの。 夜になると、前線で戦ってる今、街道で何が起きるか分からないでしょ。 弱めのぷにぷにや狼くらいならどうにか出来るかもしれないけれど、リザードマンやスピアの兵隊が出てきたら……」

「前線が喰い破られることはねえよ。 お前、ちょっとしか見てないんだろ。 化け物がチビって逃げ出すくらいの凄い戦士が来てるんだ。 彼奴がやられるくらいの敵が来てたら、どのみち終わりだよ」

多分それは。少しだけ見た、アーランドの小柄な女戦士だろう。銃を使って戦っていたので、印象に残っている。

万を超える敵の半数近くを単独で引きつけていたほどの使い手だ。

此処にいる三人なんて、死んだと認識する前に、数十回は殺せるほどの使い手に間違いなかった。

「でも、それでも危険を避けるの。 ほら、一度森に戻るよ」

「分かった」

ライアスは、無理にでも帰ってしまうべきだと思っているようだけれど。メルルがそういうなら、もうてこでも動かないと悟っているのだろう。

どのみちプレイン草は、半日程度で痛むほど柔では無い。根の方は油紙で包んであるし、土の湿り気も保たれている。

些細な事で。

危険を冒すのは、愚か者のすることだ。

 

森に戻って。

キャンプに入ると、シェリさんは頷く。多分、王都に戻るのを遅らせる判断は正しいと考えているのだろう。

たき火が造られて、肉が炙られていた。

すぐ食べるのでは無く、燻製にするのだろう。ある程度で火から下ろすと、今度は煙が充満した木組みの中に移す。

作業をしているのは、リス族の戦士。槍を背負っている。

手伝って良いかと聞くと。

少しメルルの顔を見つめた後、頷いた。

やり方を教えて貰って、順番に肉を移動させる。火が通った肉を、煙でいぶすことによって、ずっとながもちするようにするのだ。

肉は、かなり美味しそう。何というか、独特の霜が走っている。

何の肉かと聞くと。

野生馬だという。

そういえば、この辺りには、人間に懐きづらい野生馬がいる。とはいっても、実際には牛に近い種族らしくて、しかも雑食。

純粋な意味での馬は、今は人間の都市でしか生きられない、ひ弱な生物なのだけれども。

アールズで野生馬と呼ばれている生物は、モンスターが住む森の中でもしのぎを削っていける、たくましい生物で。厳密には馬でさえないのだ。上位のものになると、魔術を使いこなす品種もいるのだとか。

魔術を使えるらしい冒険者が、皆に虫除けの魔術を掛けていく。

メルルも掛けて貰った。

蚊の中には、恐ろしい病気を媒介する者もいるし。地べたで寝ていると、耳や口の中に虫が入ってくることもある。

歴戦の冒険者や、或いは優れた魔術師になると。生体魔力を常に震動させて、虫を追い払うなんて芸当が出来るらしいけれど。

メルルにはまだまだ無理。

ただ、野宿の経験はある。

これでも、辺境の出身者なのだ。

「見張りを決めるぞ」

シェリさんが、主なメンバーを集めて、割り振りを始める。

ライアスが挙手したけれど、シェリさんは首を横に振った。

「ライアス。 メルル姫やケイナ嬢、それに君は俺と手合わせをして貰う。 疲れた状態で見張りをすると、異変を見逃しやすい」

「手合わせ、か。 望むところだ」

「良い返事だ。 新兵と一緒に仕事をした場合、出来るだけ鍛えてくれと、アールズ側に言われているからな。 俺としても、仕事はしておきたい」

「分かった。 胸を貸してくれ」

着地したシェリさんが、軽く足を開いて、腰を落として立つ。

魔術と体術をあわせた戦闘スタイルらしい。

「メルル姫、ケイナ嬢も。 順番に訓練をしよう。 帰る時間を遅らせたのだ。 せめて有意義に処理すべきだ」

「はいっ! お願いします!」

「……」

「良い返事だ」

ライアスは、メルルの快活な返事を見て、あまりいい顔をしなかった。

やっぱり、本心では、まだシェリさんを信頼しきっていないのかも知れない。

見張りが周囲に散る。

たき火の側。

影がゆらゆらと揺れる中。距離を置いて向かい合ったライアスとシェリさん。一目で分かる。

とてもではないが、勝てっこない。

トトリ先生とメルルほどの力の差では無いのだけれど。それでも、見るだけで分かるほどの差があるのは確実だ。

果敢に攻めるライアス。

踏み込み、両手の棍を連続して叩き付ける。

しかし、シェリさんはゆらりゆらりと、不思議な動きでかわしつつ、軽く足を払ってライアスを転ばせた。

流れるようにスムーズで。

正座して見ているメルルも、思わずおおと声を漏らしていた。

「な、何だよそれ! 幻術か!?」

「違う。 体術の一種だ。 歩法を工夫すると、相手を幻惑できる。 下がったように見せて進み、進んだように見せながら下がる。 戦場では使える技だぞ」

「くそっ! もう一回だ!」

勇敢に立ち向かうライアスだけれども。

正面からじゃ無理だ。

吹っ飛ばされ。

転ばされ。

くるっと回って、地面に尻餅をつかされる。

此処で、やっとメルルも気付く。魔術の本家とも言える悪魔族のシェリさんなのに、まだ魔術を一度も使っていない。

それだけの差があると言う事だ。

「よし、此処までだ」

向かい合うと、礼。

ライアスは下がると、悔しそうに座って。でも、シェリさんの動きを分析しようと、じっと見つめている。

今度はケイナが立ち会う。

鞄を使って戦う武術に、シェリさんは興味を示したようだった。

「面白いな。 個性的な武術だ」

「い、行きます!」

「ああ、来い」

やはり、シェリさんは幻惑するような足捌きで、見事にケイナをいなす。というよりも、ライアスよりだいぶ弱いケイナである。勝てる訳がない。

途中から、シェリさんは指導訓練に移った。

これは対戦型の実践形式では無くて、どう動くべきか、側で懇切丁寧に指導していくもので。

実力に相当な差がないとやるべきではないとされているものだ。

歩法の指導は、ライアスも目を皿のようにして見ていたし。

メルルもそれは同じ。

凄く参考になる。

シェリさんは、多分達人にはちょっと届かないくらいの実力で、中堅の上位くらいだろうとメルルは見ているけれど。

それでもこれくらいの技は持っている、という事だ。

「メルル姫」

「はいっ!」

立ち上がる。

今の歩法、モノにしたい。時間を少し無駄にしてしまったのだ。転んでも、ただでは起きないくらい図太くありたい。

そうでなければ。

厳しい状況が続くのが確実な現状を、乗り切ることなど出来ないだろう。

 

気持ちよく、朝まで眠れた。

コテンパンにたたきのめされて。凄く運動したから、だろう。シェリさんは回復の魔術も掛けてくれたけれど、まだ体が痛い。

寝袋にくるまって、朝になって起き出して。

顔を洗って、朝ご飯を食べる。

自分で焼いてきたパイを食べるのも何だし、リス族の戦士が狩りで仕留めたという野ウサギを分けて貰った。

肉を焼いて、ケイナとライアスと、分けて食べる。

野ウサギくらいはメルルも捌けるけれど。

ケイナが自分でやりたいというので、やって貰う。そんなに過保護にしなくてもいいのに。

「はい、メルル。 どうぞ」

「うん。 ケイナも食べて」

「大丈夫、いただきますから」

まずはメルルが食べてから。そう言うルールが暗黙としてある。実はこれは、ライアスも従っている。

だから、まず食べる。

それから、落ち着いて、皆が食事を始めた。

今日は、朝練はいらないだろう。どうせこれから街道を走って帰るのだから、ジョギング代わりになる。

それに、朝の訓練分は、昨日シェリさんにつけて貰った。

歩法については、仕組みは覚えた。

モノに出来れば、かなり強くなれるはずだ。

アールズ流武術にも、歩法はある。ただし、昨日見たのは、師匠になった戦士達が見せてくれたのとはまるで別物。

よその世界で培われた技術だ。

当然、アールズの戦士でも、強い人は対抗できるだろう。

でも、今のメルル達は。

どんな戦術でも、貪欲に取り込んでいきたいくらいなのである。

立ち上がる。

ライアスは、ずっと無口になっていた。多分歩法を頭の中でずっと試していたのだろう。声を掛けて、森を出る。

出る前に、もう一度。シェリさんにお礼を言った。

「正しく使えば、錬金術は偉大な学問だ。 トトリ殿のように、偉大な錬金術師になって、このおかしくなってしまった世界を、正しく導いてくれ」

「はいっ! 努力します!」

何となく、分かる。

シェリさんも、きっと。

トトリ先生がおかしくなってしまっていることは、理解している。

その上で、彼が言ったことを思うと。何だか、少し切なかった。

 

3、初めての調査

 

アールズに到着。

走って街道を帰ってきたけれど。結局、陽が出てから、かなり時間が経過してから、アトリエに到着した。

トトリ先生は、既に帰ってきていて。

アトリエの前で、ライアスと別れる。ライアスは、そのままお城に戻って、状況を報告する様子だ。

当然、レポートも提出しなければならないのだろう。

兵士は意外に、仕事が多いのである。

トトリ先生に、プレイン草を見せる。

サンプルを確認すると。トトリ先生が出してきたのは。だいぶ小ぶりなプレイン草だった。

「これはね、アールズ王都の方で採取できたプレイン草だよ」

「だいぶ小ぶりですね。 そういえば、モヨリ森のプレイン草、凄く良く育ってる……」

「何か理由があるんだよ。 それを突き止めて、効率よく駆除する事が、最初のメルルちゃんのお仕事って事になるね」

やはり、いきなりハードルが高い。

立ち尽くすメルルに。

笑顔のまま、トトリ先生は言う。

「まず、難しく考えないで、順番に進めていこうか」

「でも、どうすれば」

「まず、プレイン草を取り除くには、どうしたら良いと思う?」

「そうですね、たくさん人を連れて行って、みんなで一斉に草むしりをしたら……どうでしょう」

トトリ先生は笑顔のまま。

でも、それが正解だとは、とても思えない。ケイナは無言のまま奥に行って、台所で作業を始めていた。

リス族の人にちょっと貰った燻製肉を、処置しているのだ。

夕ご飯には美味しい燻製肉が並びそうである。

「うん、究極的にはそうなるだろうね。 でも、現実問題として、他の森にもプレイン草はあって、しかも取り除かないといけない」

「難題ですね」

「まずは、どうやったら手間を減らせるか、考えて行こう?」

「はい!」

何とかなる。

そう考えられる事が、メルルの取り柄だ。

いきなり、除草剤を造る。それも、プレイン草に特化したお薬を、というのは無謀だろう。

ようやく錬金術で、初歩的なものを作れるようになったメルルである。

そんなに高いハードルは越えられない。

「まずは、プレイン草について、調べて見ようか」

その通りだ。言われるまま、戸棚を漁る。植物関連の参考書を出してきて、一つずつ、見ていく。

プレイン草は、この辺りの固有種だと、シェリさんは言っていた。

確かに、アーランドなどで発行された本では、殆ど記述がない。順番に見ていくと。アールズで書き記されたらしい、手書きの小さな本に、プレイン草の記載があった。

誰だろう、これを書いたのは。

優しい感じの字だ。

それも、あまり古い本では無い。何より、この国で本などを書く余裕がある人は、そうはいない。

直系の王族か。

それとも、よその国とやりとりをしているような立場の人か。いずれにしても、この本の古さでは、ルーフェスではないだろう。父上かとも思ったのだけれども、それも違いそうだ。

とにかく、プレイン草だ。

結構細かく書かれている。

日差しに関係無く生えてくる植物。水辺に多く見られるけれど。頑丈な土壌でもきちんと育つ生命力の強い雑草。

活用方法は少ない。食用にするには食べる所がないし、何より独特の苦みがあって、美味しくない。この辺りは、メルルも知っている。というよりも、アールズ人なら誰もが知っているだろう。

薬効成分もない。

天敵の昆虫もいるけれど、葉を食べるくらいで、枯らすまでにはいたらない。他の植物に積極的に攻撃を仕掛けて、追い払ってしまう、繁殖力の強さも持ち合わせている。

でも、どうしてか。

アールズ中が、プレイン草で覆い尽くされることは無い。

そういえば。言われて見て、始めて気付いた。

森の中でも、繁殖はしているという話だったけれど。全域では見かけなかった。もしもそんなに危険な繁殖力を持つのなら、全域で繁殖が確認されていても不思議では無いのだけれど。

街道にも、見当たらなかった。

シェリさんの言葉だけでは無い。この参考書にも、何処にでも生えてくると書かれている。

それなのに、どうして実際には、何処にでも生えていないのだろう。

何か理由がある筈だ。

もう少し、資料がいる。

 

トトリ先生と一緒に、街の中を回る。アールズ王都にも、プレイン草は生えている。そして、その株は、高さも大きさもまちまちだ。

小川の側には、かなり多くが群生しているけれど。

他の植物もある。

状況を一カ所ずつメモ。一日で、できる限りの数を見て回りたい。実際問題、何年も掛けていられるほど、時間はないのだから。

五年後にこの国は併合される。

そして、その間に。

敵は容赦なく攻めこんでくる。

国力を上げなければならない。

父上やルーフェスは、現状維持の実務で手一杯だ。国力の底上げは、メルルが錬金術でやる事になる。

森の管理や。

将来増やす畑のためにも。

プレイン草を排除する方法は、どうしても必要になる。

畑の方に行く。

老人達が、此方を見た。もう農民としては働いていない人もいる。それでも畑が好きで、見に来ているという人もいるのだ。

彼らに聞いてみる。

「プレイン草? ああ、何処にでも生えてくるなあ」

「どうやって排除しているの?」

「そりゃあ、全部手作業でな。 芽の内に」

「ううーん」

確かに、農民であれば。一日中畑に張り付いて作業をするのだから、そうやって丁寧に処理も出来るかもしれない。

しかし、今のアールズには、決定的にマンパワーが足りない。

そもそも、これから人を養えるように、態勢を整え直すのだ。固有種の雑草くらい、簡単に処理できないと。

焦るけれど、それではダメだと思い直して、顔を叩く。

皆に話を聞いていくと。

一人、興味深い事を言う老人がいた。

「姫様や、確かな、プレイン草が生えなくなる方法があるんだよ」

「えっ! 何、教えて」

「灰を撒くのさ」

あれ。

確かそれ、何処かで聞いた事があるような。

そうだ。参考書。あの古い参考書の一角に、そんな事が書かれていた。まさかとはおもったが。

「昔は皆知っていたよ。 だがな、プレイン草は灰を撒いたところには、当面生えてこなくなるからな。 いつしかみんな忘れてしまったんだよ」

「ジョンギじい、ありがとう! 助かったよ!」

「ああ、役に立つといいのう」

すぐに、アトリエに飛んで帰る。

灰。

何の灰でも良いのか、それとも。参考書を見ると、灰、としか書かれていない。そもそも、どういうことなのだろう。

トトリ先生は、本を指さして、笑みを浮かべている。

つまり、何かヒントがある、という事だろう。

頷いて、本を読む。

丸一日、この作業で費やすことになった。

 

夕方を少し過ぎた頃。

面白い記述が見つかった。植物の中には、土の性質の変化に、極めて弱いものがあるというのだ。

更に、である。

アールズから見て、王都の西側には、殆どプレイン草は生えていない。

ぴんと来た。

よく見ると、アールズの北西には、休火山がある。ひょっとして、火山灰が原因なのだろうか。

参考書をめくる。

植物の神秘という、アーランドから持ち込まれたものに、記載があった。

植物の中には、特殊な条件での育成を避ける品種があると言う。それは恐らく、事前に危険だと判断しているから。植物は知能など無いけれど、仕組みとして、危険な場所を知っている、というのである。

プレイン草の場合は。

ひょっとしたら、火山の噴火を避けているのでは無いのだろうか。

故に灰が降ると、其処での繁殖を諦める。

アールズの内部であまりプレイン草が見られないのは、昔灰を撒いていったから、だとして。

そうなると、灰を準備すれば。

しかし、ただの灰で大丈夫なのか。メルルの読みが正しければ、火山灰の方が良いはず。性質がまったく同じとは思えない。

とにかく、結論は出た。

プレイン草には可哀想だけれど、灰を撒く。

灰に関しては、別にいくらでもある。人間が生活していれば、どうしても火が必要になり。

結果として灰が出るからだ。

問題は、その灰を火山灰に近づける必要があるのか、そうではないのか。そもそも、効果が本当にあるのか、検証しなくてはならない。

準備を進めていると。

城から使者。

ルーフェスだ。

何かあったと見て良いだろう。

すぐに出向く。今回は、メルルがしっかり働いているのを知っているからだろうか。ルーフェスの機嫌は悪くなかった。もっとも、いつも通りの仏頂面で、笑ってもいなかったが。

「姫様、調査の状況は」

「サンプルを仕入れて、調べ始めて。 どうも灰が効果的だって事が分かってきたけれど」

「ふむ、灰、ですか」

「うん。 老人の世代は知っている人もいる、くらいなの。 多分効果がてきめんすぎて、誰も後に引き継がなかったんだね」

おかしな話だ。

もしもメルルが此処で見つけていなかったら、一から試行錯誤のしなおしだったのだろうか。

人間の英知を、こんなに簡単に失ってしまうのは、色々ともったいない。

「とりあえず、少し研究をするから。 トトリ先生も協力してくれるって言うから、二ヶ月はかからないと思う」

「一月でお願いします」

「え……」

「既に、新しい畑の計画が始まっています。 場所は此処です」

さっと、地図を広げるルーフェス。

アールズ王都南部。

湿地帯が拡がっている地域がある。非常に危険な地域で、強力なモンスターの巣窟にもなっている。

嫌な予感がする。

「最終的には、この湿地帯を全て活用します」

「ちょっと、嘘でしょ! 彼処、ドラゴンもいるって聞いてるんだけど!」

「本当です。 まずは湿地帯の水を引いて、五千人規模の食糧を生産できる畑に切り替えます」

確かに、彼処なら。小規模な畑が今でもあるけれど。それでも、経験が浅い戦士は立ち入りが禁止されているとも聞いている。

筋金入りの危険地帯なのだ。

「危険地帯の管理はどうするの? アールズには、前線に割く兵士だって、満足にいないんだよ!? 其処に列強の人なんて入れたら、みんなモンスターのご飯にされちゃうよ!」

「ご心配なく。 そのために、専門家が来ているのです」

「え、だれ」

「トトリ殿ですよ」

あ。

そう、か。

そういえば、聞かされていた。トトリ先生は、路を作成するエキスパートであると。更に、危険地帯の開拓に関しても、この大陸随一の存在。錬金術師としてもそうだけれど。路を確保し、つなげる。

つまり人類の安全圏を広げるという事に関して、右に出る者がいないエキスパート、という事だ。

「トトリ殿には、姫様より遙かに難しい仕事を担当していただいております。 湿地帯のモンスターをホムンクルスの戦士達と退治し、安全圏の見極めを行い、治水に関しても対応して貰っております」

「すごい、ね」

「そうです。 だから姫様も」

「分かった、分かったよ。 一月だね」

早足で帰る。

そうか。トトリ先生が、仕事をしているとは聞いていたのだけれど。スタートダッシュに取りかかっていたのか。

そして、メルルでは、及びもつかない難易度の仕事を。

今、せかせかと、こなしてくれている。

そう思うと、俄然やる気も出てきた。

帰る前に、お城の図書館に出向く。とはいっても、小さめの書斎だ。ひょっとすると、良い本があるかも知れない、くらいの感覚である。

流石にそううまい話はない。

見た感じ、役に立ちそうな本はなく。

幾つかを見繕った後、侍女を呼んできて、目録に記載。どれも分厚い辞典ばかりで、すぐに役立つとは思えなかったけれど。それでも、見ておくと損はしないかも知れない、くらいのものだ。今は役に立たなくても、国の大事な財産。使ったら戻さなければならない。

アトリエに到着。

ケイナに言われて、軽くアトリエの掃除。ケイナはアトリエの掃除はしないようにと言われている。トトリ先生がいつもはしているのだけれど。これくらいは、メルルもやりたい。

特にトラブルなく終了。掃除はあまり得意ではないので、ちょっとほっとした。

雑作業を手早く済ませて。

まず、裏庭に。プレイン草を植え込んだ。

其処に、何種類かの灰を撒く。撒かない地点も造る。

それで、プレイン草がどう変わるか。

一日や二日では終わらないだろう。その間、だらけているつもりもない。体を鍛えて、錬金術の勉強もする。

トトリ先生が戻ってきた。

多分、ルーフェスが言っていた、湿原に行っていたのだろう。やはり、体中から、血の臭いがした。戦闘があったのは、間違いなさそうだ。それも、かなり苛烈な。

「どう、メルルちゃん。 お仕事は順調?」

「はい! 実験を早速始めてみました!」

「どれどれ」

トトリ先生は、服の血の臭いなど気にもしてないようで、そのままプレイン草を見ていく。

灰についても説明。

頷くと、とんでも無い事を言われた。

「実はね。 畑の準備地が、凄いプレイン草だらけになってるの。 急いで対策しないと、きっと畑を支える作業そのものが、頓挫しちゃうだろうね。 ルーフェスさんに、急ぐように言われたでしょ」

「そんなに、危ない状況だったんですか!?」

「というよりも、ルーフェスさんが慧眼なんだと思う。 多分、何か危ない事があれば、何となく分かるんだろうね」

そうか、やっぱりルーフェスは出来る奴なんだなと、メルルは納得する。まあ、見ていれば、分かる事だが。

トトリ先生に、お風呂に入ってきたらどうかと勧める。

この辺りだと、銭湯は一軒しかない。城の近くにある銭湯で、王族も使うことがある。銭湯というか、湯浴みをしない場合は、ぬれタオルで体を拭いて過ごすのが主流だ。冬などは、それも大変になる。

だから銭湯は寂れているようで、結構繁盛している。

国民の数が少なすぎるのだ。

トトリ先生は、お風呂が好きなのか、或いは何か思うところがあったのか。言われるままに、銭湯に行く。

見送ってから、メルルも作業を再開。

「これでよし、と」

それぞれ、灰の量。

プレイン草の種類。

色々と立て看板を立てて、状態を確認。

更に、トトリ先生に、灰を定着させる方法を教わる。やはり中和剤と、更に灰の成分を強くする薬剤を混ぜ込む。

とはいっても、其処まで難しい調合じゃあない。

ひょっとすると、灰をいちいち持っていって撒かなくても。灰の成分をいれるだけで、プレイン草は駆除できるかも知れない。

教わりながら、灰の成分を抽出して、強い魔力を込める方法を、順番にやっていく。錬金炭と呼ばれるものを、造るのと似たような行程だ。

「この分だと、間に合うでしょうか」

「んー、分からないね。 とにかく、私はヒントはきちんと出してあげるから。 メルルちゃんが、試行錯誤していくんだよ。 そうすることで、というよりもいっぱい失敗することで、覚えていくからね」

「……はい」

やはり、すぐにはうまく何て行かない。

パイと中和剤がやっと作れて。お薬も、まだ市販に出すには厳しい程度のものしか作れていない。

そんな技術しかないメルルには。

この、目の前に立ちふさがった壁は、あまりにも分厚すぎるように思えていた。

 

4、壁は遠く長く

 

大きなため息が出そうになる。

メルルの前で。

元気なプレイン草の姿が、青々としているからだ。灰はまったく効果がない。本当に、昔はこれで、上手く行ったのだろうか。

既に四日目だ。

ひょっとすると、普通の灰ではやはりだめで。火山灰か何かを使う必要があるのだろうか。

プレイン草を新たに植える。

そして、トトリ先生におそわった、錬金術で効果を強くした炭を、その側の土に埋め込んだ。

ケイナにも作業は手伝って貰っていたのだけれど。

彼女も、首を横に振った。

「枯れそうにもないです」

「……」

嘘だったとは思えない。

それに、実際おじいさんの話では、昔やっていた方法だと言う事だ。何が足りないのか、或いは違うのか。

アトリエに戻る。

調合は、まだまだ練習がいっぱい必要だ。無心になって釜を掻き回していると、分量を派手に間違えそうになった。

頬を叩く。

大丈夫。

メルルのことを、民は信じてくれている。嘘なんてつかないだろうし、そうだったとしても、悪意があってのことじゃないはずだ。

気分転換をするべきだろうか。

畑を作っている地区は、アールズ王都から出て、南に二日ほど行った地域。その辺りに実験的に水路を引いて、畑にし始めているという。これはライアスから聞いたのだ。働いているのは悪魔族が中心で、まだ形になっていないという。

話通り、畑にしようと耕した土地が、プレイン草だらけになっているというのだ。

一月は、すぐ先だ。

分かっている。錬金術を始めて、もう三週間以上が経過していて、それが今までに無いほど濃い時間で。

濃い時間はあっという間に過ぎてしまう。

外に出る。

焦るな。大丈夫。絶対にどうにかなる。

自分に言い聞かせて、プレイン草をもう一度チェック。

ふと、気付く。

「あれ……?」

「どうしたんですか、メルル」

「見て、ケイナ」

図鑑を照らし合わせる。

プレイン草は、地下茎を使って繁殖するタイプの草だ。勿論花をつけて種も出すのだけれど、それはあくまで最後の手段になる。

それなのに。

どういうことか。

一斉に、つぼみができはじめているのだ。

それも、若い株も、老いた株も関係無い。

気になったので、図鑑を確認。

「え……」

思わず、変な声が漏れた。

もし、花が咲いて種を作る場合、ずっと季節としては先になる。今は春だけれど、冬の前くらいになる、と図鑑にはあるのだ。

それに、この一斉の変化。

ひょっとして、だけれども。何か起きているのかも知れない。

でも、妙なことだ。

灰をかぶせなかったプレイン草も、灰の濃度をかなり強めにしたプレイン草も。関係無く、実をつけ始めているのである。

腕組みして考えていると、トトリ先生が来た。

「ああ、これはやっちゃったね」

「えっ!? どうしたんですか」

「うん。 こういう現象、錬金術だと時々あるんだよ。 一カ所で反応が始まると、周囲で一斉に同じ事が起き始めるの。 もっとも、狙って起こすのは、まず無理なんだけど」

「ひええ……」

分かったことがある。つまり、何処かで。プレイン草に何か変化を起こすことを、メルルが行って。

周囲のプレイン草全てに、それが伝染した、ということだ。

ましてや、相手はいきもの。

何かしらの理由で、その反応を、周囲に伝えたのかも知れない。

「失敗ですかね、これ」

「ううん、どうだろうね。 少し待ってみて、二日か三日くらい。 それで、結論が出ると思うよ」

「トトリ先生、何か思い当たる節があるんですか?」

「うん」

それだけ言うと、トトリ先生は。

前に前線で見かけた34という人に、軽く手を振って、其方に歩いて行った。34さんが来ているという事は、またお仕事、という事だろう。

34さんも、此方に一礼。そのまま、二人で、アールズ王都の出口に向けて歩いて行く。砦の方は別の人に任せて、トトリ先生の補助に回っているのだろうか。かなりの手練れのようだし、強いと言ってもトトリ先生はどちらかといえば後衛に位置するのが普通だ。優秀な前衛が側にいると、心強いだろう。

少し、気は楽になった。

常に前向きでいようと思っていても、どうしても落ち込むことはある。気楽に行こうとしていても、そうはなれない事だってある。

アトリエに戻ると、後は錬金術の練習。

その日は、トトリ先生は帰ってこず。

そして、二日目。

先生の言葉の意味が、分かった。

朝、出ると。

嘘のように、あの頑強なプレイン草が、枯れ始めていたのだ。何があったのか。図鑑を、確認する。

確かに、プレイン草は、種を残すと枯れるとある。

だけれども、普段は地下茎を延ばして、周囲に繁殖する植物なのだ。どうしてこの時期に、種を残して、枯れたのか。

とにかく、種は全部回収しておく。

どうして、プレイン草はこんな急激な変化を起こしたのだろう。どうにもよく分からない。メルルの頭は、そんなに良く出来てはいないのだ。

図鑑を、ケイナと一緒に見る。

そして、夕方に、それを見つけた。

耐久種。

一部の植物は、そう呼ばれる種をつけるという。環境が極端に変化する前触れなどを察知すると。

多少の環境変動ではびくともしない頑強な種を作り。それに新しい世代の命をたくす、というのだ。

今のプレイン草は。

恐らく、その行動に出たのだろう。

しかし、灰で何故。やはり火山に関連したものか。

そうなると、生息地を避けるのでは無くて、よりアクティブにプレイン草は環境の変化を待っている、という事だ。たくましい植物である。

分からないのは、どの段階の灰に反応したか、だ。一番メルルが自信がある灰。つまり、錬金炭の要領でつくったものか。だとすれば分かり易いのだけれども。世の中はそんなに甘くは無いだろう。

今は、やってみるしか無い。

それに、耐久種さえ間引いておけば、もうプレイン草は当分生えてこないだろう。結果的には、それで問題ない。

「……ケイナ、ライアス呼んできてくれる?」

「はい。 何処かに出かけるのですか?」

「モヨリの森に行ってみる」

悪影響があるとは思えない。

だけれども。

もし実験するなら、まずは彼処だ。何か良くない事が起きたとしても、恐らく取り返しがつくからだ。

ライアスは、すぐに来た。

メルルが荷車に、錬金炭の要領で固めた灰を積み込んでいるのを見て、眉をひそめた。

「何だそれ、それが錬金術の道具か?」

「そうだよ。 ほら、それ見て」

「……」

プレイン草が枯れているのを見て、ライアスも何度か不安そうに視線を動かしている。本当に、こんな得体が知れないもので。そう思っているのだと、視線が言葉以上に雄弁に告げていた。

とにかく、行くなら今すぐだ。

シェリさんも、まだ駐屯しているだろう。

そのまま、鳥みたいに。メルルは、荷車を引いて。アールズ王都を飛び出した。

 

トトリが。城壁の上から見ていると、メルルちゃんが走っていく。凄い勢いだ。元気で、何もかもが活力溢れている。

ロロナ先生とも、トトリとも、違うタイプの錬金術師。

頭の出来は兎も角。

その違いは、確かだ。

「トトリ殿」

後ろから来たのは、ルーフェスさんだ。

一礼すると、報告をする。

「メルルちゃんは、どうやら正解に辿り着いたようですよ」

「しかしながら、トトリ殿。 姫様は、その正解に辿り着けた理由を、理解していないのでしょう。 違いますか」

「その通りです」

「危険すぎる」

ルーフェスさんの顔には、憂いが濃い。

トトリには分かる。

メルルちゃんの事が、本当に心配なのだ。親と言うよりも、兄のような心境なのだろう。そして、メルルちゃんの側にいる、弟の事も。

「これで、湿地帯の近くにある畑は、大丈夫ですよ」

「それにしても、灰がプレイン草に効くとは……どのような理屈なのです」

「恐らくは、プレイン草は知っているんです。 この地方を、定期的に災厄が襲うことを、ね。 だから災厄の予兆を感じると、耐久種を作って、悪夢が去るのを待つ」

「っ! だから、灰、ですか」

「恐らくは」

そうやって、この地方で生き残ってきたのが、あのプレイン草なのだろう。

もっとも、えらそうに言っているトトリも。

灰で起きた反応を見て、ようやくそれを理解したのだけれども。生き物というのは、存外良く出来ているものなのだ。

「湿地帯の方に行ってきます」

「分かりました。 其方はよろしくお願いいたします」

礼をかわすと、すぐにその場を離れる。

南門で、34さんと合流。

他に七人のホムンクルスがいる。つまり、二個分隊を連れていく、という事だ。

装備は充分。

無い場合も、自分の身を削れば補充できる。その程度の備えくらいは、している。

「今日は何と戦いますか」

「うん、湿地帯の大物はあらかた片付けたから、今日からは新しく現れた大物が此方に近寄れないようにしていく作業を開始するよ」

「一種のマーキングですね」

「そうなるかな」

34さんとは、前にも何度も一緒に戦っている。だからかなりやりやすい。

結局アーランドは、勢力拡大に伴って、ホムンクルスの増員を決めた。各国の兵士や冒険者を戦力として取り込んだけれど、それでもまるで足りなかったからだ。

今も、此処には八人いるけれど。

その中には、既に二千番台の子達が増えている。

いずれも、一番若い世代だが、性能に関しては古い世代の方がいい。これは単純に経験の差だ。

ホムンクルスを実用化したのは、あのアストリッド。

つまり最初から、ほぼ完成形で、ホムンクルス達は世に出た、という事である。

南に急ぐ。

昔なら兎も角。今のトトリは、上位の冒険者。ランク8前後の戦闘タイプ冒険者に一対一で競り勝てる程度の実力がある。街道を急げば、馬車の五倍程度の速度で行く事も出来る。

ホムンクルス達も同様だが。

まだ新人の子達は、其処まで速度を出せていない。だから少し速度を落として、陣形を維持して進む。

アールズは、小さな国だ。

人口も少ない。

だから、八人の手練れとなると、アールズにはまず準備できない戦力となる。兵士というか、戦士でさえ100人に届かないという国なのだ。辺境の中にある、小さな国の一つ。

こんな国が、最前線になってしまったのは不幸きわまりない事。アーランドとしても、即座に併合したい位なのだろうけれど。

そうは行かない理由も多いのだ。ランク10冒険者になり、国政に関わるようになってから。トトリもそれを思い知らされた。

メルルちゃんはトトリから見ても可愛いが。残念ながら、残忍な世界の理屈は、そんな事で彼女を許しはしない。

彼女が今回の生け贄という決定は覆らないし。

そして、戦って未来を勝ち取るのは、彼女の腕だ。トトリがどうやったって、メルルちゃんの運命は、メルルちゃん本人しか覆せない。

現地に到着。

既に畑がかなりの広さ、拡がっている。

荒野の汚染を除去し、水路を引き。そして緑化する地域と、畑にする地域を分けてある。かなり広い荒野で、完璧に活用できれば、相当な広さの畑を作れる。五千人分どころか、一万五千人の食糧を生産できるかも知れない、という試算も出ていた。

ただし今は、土にプレイン草が大繁茂していて。

とてもではないが、畑にする余裕が無い。

焼くだけではダメだ。

メルルちゃんは、灰の成分をぎゅっと凝縮した炭を持っていったけれど。それを複数地面に埋め込めば、一斉に反応を起こしてプレイン草は耐久種を残し、休眠状態に入るはず。其処を駆除してしまえば良い。

湿地は。

水をかなり引いたが。水そのものが、相当に汚染されている。

この湿地帯の上流には、古代遺跡がある。その中は、既に確認した。以前、二週間ほど前。丁度ミミちゃんがいたので、ホムンクルスの一小隊と、ミミちゃんと一緒に乗り込んだのである。

邪神は死んでいたけれど。

汚染がひどく。原液の汚水を飲んだら、アーランド人でも危ないくらい、ひどい状態になっていた。

此処の水は、その汚水が流れ込んでいる。応急処置はその時したけれど、まだ低濃度とはいえ、危険な状態なのである。

つまり、まずは浄化する必要がある。

最低でも、北部列強で暮らしていた軟弱な人達が、飲んでも死なない程度には。

なおかつ、遺跡の周辺に住み着いているモンスターも駆除する必要があった。まあ、駆除については進めて、大物はあらかた刈り取ったが。まだ他の地域から、縄張りを埋めようとして大物が来る可能性もあるし。

今後この畑で、北部列強から流れ込んできた難民が働くことになると。彼らを襲う可能性もある。

護衛のために、多くの兵は出せない。

つまり、ここから先は、君達の土地ではないと。示さなければならないのだ。

湿地帯に入り込む前に、悪魔族の戦士達に敬礼。

軽く話を聞く。

アールズには、悪魔族でもロード級の戦士が来ている。彼はバイラスという名前で、上級悪魔らしい、威厳のある巨人のような姿をしていた。背中には翼が有り、黒い肌で、全身には赤黒い模様が巻き付くようにして走っている。

そして他の悪魔達と同じように、性別は無い。

それでも人間に合わせて、腰の辺りに布を巻き付けている。

戦士としての実力は、トトリ以上の人だけれども。

この人は、恐らくシェリさんや、他の人からトトリの評判を聞いているのだろう。それに、此処での仕事を円滑にするためだろう。

トトリに、低姿勢に出てくれていて。

それで、周囲の悪魔族も、互いの位置関係を理解しやすいようだった。

「大物は現れていません。 今の時点では、汚染はかなり弱まってきています。 上流の遺跡で行った処置が効果を示したのでしょう」

「ならばよいのですが」

「此方での作業は、我等でどうにでもなります。 根本の抑えに関しては、トトリ殿。 貴方が頼りです」

「有り難うございます。 鋭意努力します」

軽く状況確認を終えると、湿地帯に入り込む。

そして、其処で。

ベヒモスをはじめとする、この湿地帯に生息している大物の、警戒フェロモンを圧縮したものを、ばらまく。

これにより、彼らに危険であると知らせる事が出来る。

更に、幾つかの魔法陣を込めたゼッテルを詰め込んだ、プラティーンの球体を取り出して、セット。

これは一種の警戒装置。

大物のモンスターが近づいたとき、魔法陣が反応して、知らせてくれる。対岸には見張り小屋と柵を作る予定なのだけれども。其処で反応してブザーが鳴れば、対応する戦士も、即座に行動に出られる。

問題は、大物の魔物が複数出た場合だが。

それに関しても、考えてある。

ただ、今はまだ設置する必要がない。

必要なのは、畑のプレイン草を駆除して。この辺りに、難民の第一陣、千名ほどが到着してからだ。

彼らは、この近辺の国でもてあましている難民で。

飢えているし、何より荒んでいる。

対応を間違うと、自暴自棄になりかねない。彼らは南部辺境諸国の民を蛮族と見下しているけれど。

その蛮族がいなければ死んでいたし。

蛮族がその気になれば、あっという間に皆殺しにされてしまうと、知っている。

自暴自棄になると、人間は愚かな行動に走りやすい。

彼らをしっかり制御出来るようになったら、順次畑を管理する人員を、周辺諸国から受け入れていく予定だ。

三年で、最低三万。

出来る事なら、最初の年の段階で、一万は受け入れできる態勢を整えたい。それがジオ王の考えで。

ルーフェスさんも、苦虫をかみつぶしながら、トトリに実現に向けての努力を依頼してきている。

ちなみに、アーランドからかなりの食糧が、援助されることも決まっているが。それも、自給自足が整うまでだ。

アールズの状況は厳しい。

トトリが、今まで放り込まれてきた、地獄と同じように。

メルルちゃんはそれに気付いていない。

それは、とても幸せなことなのだと思う。

一通り、湿原での作業が終わる。

プラティーンの球体は、そのまま魔術でしっかり固定。これは盗難対策だ。貴重な金属で作られているし、モンスターの中には知能が高い者もいる。

更に、作業を進めていく。

セキュリティの相互監視システムを作成。

これも、プラティーンの球体に詰め込んだゼッテルに、魔法陣を書き込んで造ってあるのだけれど。

問題は、この球体は、非常にセキュリティレベルが高く。下手に触ると爆発する、ということだ。

つまり、近づくだけで警告音を発し。

触れたら爆発する。

それを避けるためにも、かなり地下深くに埋めなければならない。

湿地帯の柔らかい土の深くに埋めるのは大変だけれど、専用の道具は持ってきてある。荷車から降ろして、組み立てる。

杭を打ち付けていく仕組みになっていて、杭が沈むごとに、球体を地面の奥へと押し込んでいく仕組みだ。

まだ、この段階では、触ると爆発するようにはなっていない。

パイルバンカーという装置だけれど。

これは、マークさんが造ってくれた。今回の話を聞いて、必要になるだろうと、持たされたのだ。

だから、有効活用している。

「トトリ様!」

不意に、周囲を警戒していたホムンクルスの一人が、声を上げる。

見ると、湿地帯の奥。

森の中から、此方を見ている影。

一目で分かる。

ドラゴンだ。

中型の、それほど危険なタイプでは無いけれど。それでも縄張り意識は強い。これ以上湿地帯に入り込めば、恐らく戦いになるだろう。

今は、戦いを避ける。

出来れば、今後も避けたいが。

それは、相手次第だ。

ドラゴンは忌々しそうにトトリを見ていたが、やがて森の中に引っ込む。更に奥地にあると言う、巣穴に戻ったのだろう。

「作業、続けよう」

皆に言うと、トトリは嘆息する。

メルルちゃんにとっての最初の正念場が、来ようとしている。

 

(続)