最前線の街

 

プロローグ、押し寄せる潮

 

アールズ王国。辺境の中でも、特筆することがない小さな国。辺境の中でも緑は豊かだけれども。その代わり、亜人種の中でも特に好戦的で知られるリザードマン族が、北東部に居座り。

いにしえの災厄の生き残りとさえ言われる、生きた森エントが闊歩する魔境。

東の奥地には。

人ならぬ存在。邪神が、その城を築いているとも言われていた。

アールズの王女メルルリンスは、侍女のケイナに伴われて、丘に出る。ついに来たのだと言う。

それは、頼もしき味方では無い。

丘の上で、手をかざす。

見える。

その、あまりにも圧倒的な威容が。

恐怖の具現化たる、悪夢の兵士達が。

数は、実に万を超えている。

辺境でも特に人口が少ないアールズからみれば、総人口を遙かに上回る、悪夢のような数の敵だ。

味方も来てくれている。

辺境の盟主となり、既に大陸の南半分の勢力の長となっているアーランドから、精鋭が。

布陣している彼らは頼もしいけれど。

戦いになれば、アールズの民だって、血を流さなければならないだろう。

周囲には、点々と兵士達がいる。

逆に言うと。

陣を組むほどの兵士が、そもそもこの国にはいない。

小さな都市程度の規模しか無く。国家として成り立つために、血族として結びつくことを選んだ小国。

誰もが知り合いで。

王族でさえ、代表程度の扱いでしかない。

モンスターは凶暴で数も多く。辺境ではアーランドを除けば屈指の魔境と呼ばれるこのアールズは。これから、更なるカオスへと、向かおうとしている。

「ケイナ、お父様は?」

「既に武装して此方に向かっておいでです。 ルーフェスさまも、間もなくご到着なされるかと、思います」

「そう……」

メルルリンス。民からも家族からもメルルと呼ばれている王女は。視線をあげる。

気圧されるな。

先頭に立つのが王族の仕事。

兵士達も、非戦闘員も。この有様を見て、不安でいないものなどいない。そんなときに、メルルが怖れていたら。誰が、この事態に立ち向かおうとするだろうか。

戦え。抗え。

王族であるのだから。

勉強は嫌い。

将来、どんな風に国をまとめたいかも分からない。

漠然と生きてきたメルルだけれども。

その事だけは、身に叩き込んでいる。

王族は指標。

国家第一の使徒にして。

民全員の希望を背負う者。

民から税を受け取り、贅の限りを尽くすことが許されるのも。民の希望を背負い、先頭に立つから。

メルルが着ている服は、この国でも珍しい絹の上物。

手にしている杖は、近隣でも滅多に出回らないプラティーン製の特注品。代々引き継がれてきた国宝で、父から受け継いだ大事なものだ。

「ケイナ、大丈夫。 アーランドの軍隊が、森に布陣してる。 あれなら、絶対に押し返せるよ」

「そう、でしょうか。 北方の列強は、既に壊滅状態だと聞いています。 難民の受け入れで、どこの国も大変に苦労しているとか。 アールズでも、これからどうなることか、不安でたまりません」

「困ったときはお互い様だよ。 それに国の民が少なすぎるって、ずっとみんな困っていたでしょ。 難民でも何でも、受け入れて。 みんなで頑張ってやっていこう」

そうでなければ。

今、メルルが目にしているあの圧倒的な軍勢など、押し返せるはずがない。

ルーフェスから聞いて知っている。

あの軍勢に、心は無い。

人間の軍勢も、時に蛮行に手を染める。民を虐げ、殺戮に酔う。でも、あの軍勢。スピア連邦を仕切る一なる五人が繰り出した軍隊は。心も何も無く。生きとし生けるもの全てを殺戮しながら、進んでいると言うでは無いか。

食い止めなければ、みんな死ぬ。

死ぬのだ。

「メルル」

声がした。

振り返ると、国王。メルルの父であるデジエがいた。

アールズに今、王族は二人しかいない。もっとも、血族集団であるアールズは、昔からの民は何処かしらで王族と血を同じくしている。だから此処で二人が死のうとも、問題は起きない。

心置きなく、戦える。

父は昔に比べ少し痩せた。髪も白いものが混じり始めている。この大陸でも一線級に立てる戦士だったというのだけれども。ある事件が起きてからは剣を抜くこともなくなり。今では、ルーフェスにあらゆる全てを任せてしまっている。

勿論、戦場では最前線に立つ。

でも、此処では。恐らく、メルルが旗印とならなければならない。

「状況は」

「はい、お父様。 見ての通り、敵の数は数えきれません。 最低でも、万に達すると思われます」

「うむ、恐るべき軍勢だな。 アーランドの援軍が来てくれているが、任せきりともいかないだろう。 何しろ、これはアールズの土地における戦いだ。 我等も戦わなければなるまい。 ルーフェス」

「は」

恭しく、大げさな礼をするルーフェス。

執事と言われているが。

事実上、アールズの宰相をしている怜悧な男が前に出る。長い黒髪と整った容姿。しかしながら、その体格が戦士であることを告げている。動きにも無駄がなく、その実力の高さは折り紙付きだ。

今の時代、一線級の戦士は、武器を手にすることは必須だが、その一方で防具は滅多な事では身につけない。衣服を着て、そのまま戦場に出ることが多い。

人間の戦闘能力が、道具や兵器を明らかに凌いでいる時代だから、である。

兵士達の中には、鎧を着ている者もいるが、それはあくまで気休め。これから戦場に行くデジエ王も、ルーフェスも。他の数名の一線級の戦士達も。みな、鎧などは身につけていない。

ルーフェスが手を叩くと、兵士達が集まってくる。

今までは話を聞いている、という状態だったのだが。

戦闘態勢に、心身を切り替えたのだ。

この国を事実上動かしているのが、このルーフェスだと、誰もが知っている。指揮も委託されている。それを知っているから、兵士達も、そう動いている。王も、そう動くように、最初から命令しているのだ。

本当だったら、この国を私物化されていてもおかしくない状況だが。

幸い、彼には野心がなく。メルルや王に対して、絶対の忠義を誓ってくれている。この国が、小さいながらもやっていけている理由が、其処にある。

メルルと同じ上物の絹服を着ている事が。ルーフェスが如何に特別な存在として、アールズに寄与しているかを示していると言えるだろう。

まだ若いのに。この国の柱石は、間違いなく彼だ。

「これより前線に出て、アーランドの精鋭と合流します。 アーランドの部隊は、ホムンクルスの戦士が大多数。 それに、ハイランカーの冒険者が加わっている様子です。 敵の数は、現時点で受けている報告によると一万二千から三千。 味方の増援は五百ほどですが、来ている冒険者の中には、アーランドの最高ランカーが含まれています。 恐らく、戦いは苦も無く味方が勝つでしょう」

「おおっ!」

「ただし、敵は指揮も何も無く、軍勢一つで一匹の怪物、という風情の存在です。 油断もしなければ、怖れて逃げる事も無いと聞いています。 くれぐれも、油断だけはしないように」

兵士達が、隊列を整える。

合計で二十名ほど。

ケイナも戦う。

アールズ人として。元々辺境民族らしく戦闘力は備えているケイナだが、それでも、周囲に比べると決して強い戦士では無い。むしろ弱い方にはいる。

だが、ケイナは、メルルの側近だ。

幼い頃からずっと一緒にいてくれて、何でも腹を割って話せる存在。側にいると、どれだけ心強いか分からない。

もう一人、メルルには側近がいるのだけれど。

彼は遊撃部隊で別行動だ。

敵の規模が規模だから、アールズを空にも出来ない。向こうには、老人や子供も、大勢いるのだ。

「陛下、進軍の準備が整いました」

「ささやかな軍だが、それでも我等は辺境の戦士だ。 アーランドの戦士達に負けぬ活躍を見せつけてやろう!」

「アールズっ! アールズっ!」

喚声が上がる。

メルルは頷くと、先頭に立って歩く。

まだ、実際の戦士としての力量は半人前。それでも此処は、先頭に立って、進まなければならない。

街道に出て、東へ。遠くでは、喚声が響きはじめている。

アーランドから来てくれた戦士達が、敵と戦いはじめているのだ。

閃光が奔る。

轟音。

ハイランカーの魔術師がいるのだろうか。いや、アーランドのハイランカー戦士の中には、魔術を当たり前のように使うものが多いと聞く。

もとより、敵は対応能力を見る為に来て。

隙さえあれば、この国を落とそうとするつもりだったのだろうけれど。そうはさせない。

最前線の砦に到着。

砦と言うには、あまりにもお粗末な石の構造物だが。

周囲には、天幕が多数張られ。

医療魔術師が、せっせと働いていた。

砦の向こうは地獄だ。

大量の死体が、山と積み上げられている。

残像さえ造りながら、暴れ回っている戦士がいる。小柄な女性だけれど。銃を片手に暴れ回っているその凄まじさは、此処からでもよく分かる。単独で敵の半分は相手にしているようにさえ見える。

聞いた事がある。

アーランドの国家軍事力級戦士。

この大陸でも、頂点に立つ者達。その一人だろう。

気圧されてもいられない。

森から敵を押し出しつつある状況でも。

まだ、出来る事はある。

メルルは、声を張り上げた。

「アールズより援軍として来ました! この部隊の代表者は!?」

「私です」

感情の無い声。

此方に来るのは、他にも同じような姿がたくさんいる女性。美しいけれど、表情に乏しい、メイドルックの女性だ。前線から戻ってきたばかりらしく、両手にあるトンファーには鮮血が滴っている。

「34と申します。 アールズからの援軍ということで、心強いことです。 今、左翼部隊が、敵の攻勢を受けています。 支援に向かっていただけますでしょうか」

34は戦場だからか、軽く礼をすると、指す。

森の一角。

一進一退の攻防が行われている場所がある。

34と名乗った彼女と同じような姿をした戦士達が、十倍以上の敵と渡り合っている。押されているようには見えないが。楽勝ともいかないだろう。

ルーフェスを見る。

頷かれた。

つまり、行くべきだということだ。

「陛下は此処にお残りください。 姫様は私とケイナにてお守りいたします」

「うむ。 期待しておるぞ」

「ははっ……」

大仰な礼。

父王は、上着を脱ぐと、早速負傷者の手当を始める。元々戦場にいた人なのだ。応急処置は得意分野だし、かなり高位の回復魔術も使える。アールズにいた強力なモンスターの内、エントや邪神などのどうしようもない存在は抜きにしても、森の中で人々を脅かしていたかなりの数を、倒した実績もある。

前線を退いても、その経験は多くの人を救えるのだ。

父王の側には、一人だけ侍女が残る。

ケイナの先輩で、医療魔術師としてこの国に長年仕えている人だ。年齢は親子ほども違うが。その分、医療魔術師としての技量は一流。どこの国に出しても恥ずかしくない実力だと聞いている。

二人がてきぱきと負傷者を手当てしていくのを見て、安心。

これなら、心置きなく、前線に出られる。

「行くよ、みんなっ!」

臆さず、メルルが言うと。

二十名弱の戦士達は、もう一つ喚声を挙げた。

 

前線は、地獄だ。

戦闘に加わって、メルルも戦ったけれど。敵は様々な種類のモンスター。それが噂に聞いているとおり、一糸の乱れもなく。怖れる事も油断することもなく。一匹の巨大な怪物として、襲いかかってくる。

34さんとそっくりな戦士達がたくさん。

人間の戦士。アーランド人だけではなく、他の辺境から来た戦士達も、多数いるようだが。彼らは皆強い。

だがその彼らを持ってしても。

十倍以上の、完璧な統率で攻めてくるモンスターが相手になると、油断は出来ない様子だった。

瞬時に、乱戦に巻き込まれた。

陣形も何も無い。

凄まじい魔法と技が飛び交う地獄。

メルル程度の実力で、入って良い場所では無い。でも、アールズの王族が、前線に出ていると言うことそのものに意味がある。

兵士達は奮い立つ。

逃げれば、確実にメルルが死ぬ事になる。

アールズの王族は、国民全体の家族で代表。大きな国では、国民との距離もあるだろう。だが、血族集団であるアールズでは、それもない。

家族を死なせるわけにはいかない。

だから、全員が雄叫びを上げる。

勿論、メルルだって負けてはいない。

さぼりぎみだったけれど。それでも、会得しているアールズ流の杖術を使って、必死に戦う。

杖を振るって、必死に狼のモンスターを殴り倒す。

飛びかかってきた蛇のモンスターの口の中に棒を突っ込むと、放物線を書いて放り投げる。

一瞬後、周囲の兵士達が、それらを仕留める。

他の兵士達も、皆必死だ。

ルーフェスは、アーランドの一線級戦士にも負けない戦いぶりを見せているが。他の戦士達は、メルルよりもましだけれども。とてもではないが、一騎当千とは、とうていいかない。

一人が、狼のモンスターに食いつかれ、振り回される。

その兵士の名を叫びながら、メルルが杖を叩き込み、一瞬だけ怯むモンスター。

一斉に数人が槍を突き刺して、モンスターを黙らせるが。手酷い負傷を受けた兵士は、もう動けない。

「すぐに後方へ下げて!」

「姫様!」

「!」

ケイナの絶叫に振り返ると。

少し離れた所にいた数体のモンスターが、メルルに向けて、火球を一斉に放ってくる所だった。

動けない。

飛び込んできたケイナが、いつも手にしている大きな鞄を盾にしようとするけれど、そんなもので防げる筈がない。兵士達だって、間に合わない。

しかし。此処で動ける者がいた。

即応したルーフェスが、全ての火球を空中で吹き飛ばす。拳圧で、火球を横殴りの一撃を浴びせて消し飛ばしたのだ。

だが、それは陽動だった。

突進してきた巨大なトカゲのようなモンスターであるドナーンが、メルルの盾になろうとしたケイナを首を振るって、情け容赦なく吹っ飛ばし、更にメルルに迫ってくる。

ケイナが、遠くの地面に叩き付けられて、数度転がって、動かなくなる。

杖を盾にして防ごうとするが、パワーが違いすぎる。

一瞬おいて。

メルルにも、巨大ドナーンは、その頭を叩き付けてきた。

吹っ飛ばされて、地面に撃ちつけられ。

何度かバウンドして、一瞬意識が飛ぶ。

立ち上がろうとしたところに、口を開けたドナーンが、食らいついてくる。数人の兵士が、その全身に槍を突き立てているが、突進が止まらない。

立ち上がろうとするメルルに、容赦なくかぶりついてくる、巨大な口。

口の中には、よだれに塗れた無数の牙が並んでいて。

如何にメルルが頑丈な辺境戦士の肉体を持っているとは言え。あれに、食いつかれたら。

「はっ!」

その時。

気合いとともに突き出された杖が。

柔らかく、ドナーンの真横から突き込まれたと見えたのに。一瞬後には、冗談のようにドナーンの巨体を吹っ飛ばしていた。

メルルにも分かる。

力が強いのでは無い。

桁外れの技だ。

そして、この技は、見覚えがある。最近無理矢理弟子入りした、凄い錬金術師。

「大丈夫だった?」

戦場でも柔らかくほほえむ彼女は。銀色の美しい髪を持つ、妙齢の女性。トゥトゥーリア=ヘルモルト。

アーランドを代表する錬金術師の一人。

そして、アーランドの東海上に巣くっていた巨大なドラゴンを葬ったドラゴンスレイヤーであり。東の大陸にて人々を苦しめ続けた邪神を倒した神殺しの戦士でもある。

この大陸でも、上位に食い込んでくる戦士でもあるし。最上位に食い込む錬金術師でもあるのだ。

そのまま、トゥトゥーリア、通称トトリ先生は、動き続ける。

激しく動いているようには見えないのに。

するすると乱戦の中を動き回り。

無造作に杖を突き出しては、味方に襲いかかっているモンスターを、片っ端から吹っ飛ばしている。

まるで、何か玉突きか何かのような光景。

トトリ先生は、力なんて入れていない。

相手の力を利用し。

技を駆使し。

敵を吹き飛ばす。

あるドナーンは、中空に吹っ飛ばされ。

洗脳されたらしいリザードマンは、味方を巻き込みながら、激しく回転しながら飛んでいき、地面に頭から突き刺さった。

見る間に、周囲に安全圏が確保されていく。

無双の暴れぶりとは、このことか。

凄い。

アールズ最強の戦士の一人であるルーフェスだって、此処までは無理だ。

味方が攻勢に出る。ルーフェスに火線の乱打を浴びせていた敵を、蹴散らしに掛かる。余裕が出来たルーフェスが、こっちに走り来た。

「姫様!」

「私は平気! だから、敵を!」

「いえ、後退を。 そろそろ、作戦の時間です」

トトリ先生が、意識がもうろうとしている様子のケイナを助け起こしながら、柔らかくほほえむ。それを見て、どうしてだろう。

メルルは、背筋が凍るかと思った。

何かを察したのだろう。ルーフェスが皆を急かす。負傷者も抱え、下がる。その隙に、敵が態勢を立て直そうとするけれど。トトリ先生がその場に踏みとどまり。追いすがってくる相手を、杖を廻して上空に吹っ飛ばし、火球を素手ではねのけ、その間笑顔一つ崩さない。

そして、それは。

唐突に来た。

陣形を整え直した敵を。

横殴りに、光の束が襲ったのだ。

トトリ先生が下がれというわけだ。これを、最初から、アーランド軍は狙っていた。敵を直線上に釘付けにするべく、あえて不利を装って、戦線を膠着させていたのだ。

光の束。

いや、もはや殲滅の一撃は、敵をまるごと焼き尽くし。瞬時に千、いや二千以上が蒸発。はるか右の方で、鼓膜が破れそうな大音響。思わず耳を塞ぐ。

トトリ先生は。

平然としている。目の前至近を、破滅と殺戮の光が、蹂躙したというのに。

敵の二割以上が、一瞬で中核の部隊ごと消滅。

あり得る事では無い。

顔を上げたメルルは、見る。

溶岩化している。

敵を蒸発させた一撃だ。地面が溶岩化して、遠くまで続いている。森に被害が出なかったことだけは幸いだが。荒野が、文字通り溶けたのだ。

「ロロナ先生、容赦ないなあ」

笑みを浮かべたまま。

トトリ先生が、知らない人の事を口にする。殆ど感情を感じ取れないトトリ先生なのに。

どうしてか、その言葉には。

強い憂いが籠もっていた。

戦闘どころでは無い。

敵は主力を文字通り溶かされた。アーランド軍は追撃をしない。半壊した敵は、アールズ領からたたき出され、這々の体で陣形を整えながら後退を開始。もはや、追撃をする意味もないというのが、事実だろう。

傷だらけのメルルが、トトリ先生の側に並ぶと。

彼女は。いつものように。

メルルには分かる。何一つ感情が見とれない。でも、造作だけなら完璧な笑みを浮かべていた。

「ようこそ、錬金術の世界に」

戦慄する。

そして、分かっている。これからアールズに。いや、この世界に降りかかる多数の苦難を乗り越えるためには。

このおぞましいまでの力と向き合い。自分のものとして。

そして、敵との戦いに用いる、刃としていかなければならないのだと。

無理矢理弟子入りして。

忙しくて、今日まで、ろくに錬金術の勉強は教わっていなかった。だけれども、これからは違う。

戦後処理は、父やルーフェスの仕事。

メルルは、これより。

この恐ろしい破壊をもたらす学問を身につけて。アールズのために、戦っていかなければならない。

それが、王族としての義務。

民の先頭に立ち。その希望を引き受ける者としての、責務だ。

「メルルちゃん、これから負傷者の手当をするから、手伝って。 お薬の使い方と種類についても、教えてあげるね」

「はい!」

これから、トトリ先生は。

路の神とまで言われる奇蹟の技を使って、多くの人を助けてくれる。メルルは、その技を覚える。

そうすることで、たくさんの人が助かる。

怖いと思う部分は、確かにある。でも、アールズの王族として。国民を救えるのなら。何だって利用したい。

それが、メルルの覚悟であり。

そして、やっていかなければ、ならない事なのだった。

 

1、退屈な日々の終わり

 

生まれて始めての、大規模な戦い。

それが終わって、父が事後処理で指揮をしているのを横目に、ようやく王城に帰ってきたメルルは。

自分と同じように疲れ果てている侍女であり、側近。文字通り竹馬の友であるケイナと一緒に、自室で身繕いして。それから、城の屋上に上がった。

疲れてはいたし。

酷い目にあって体中痛かったけれど。

だからこそ、お気に入りのこの場所に来るのだ。

城と言っても、二階建て。屋上に上がるには、長くもない階段を通るだけ。ただし、屋上に出ると。

其処から見える景色は、絶品。

昼も夜も、とにかく素晴らしい。

美しい緑が拡がる土地。

守りきる事が出来たのだと思うと、喜ばしい。

他の辺境国群と何も変わることがない、小さくて貧しいアールズ。辺境最大の人口と武力を誇るアーランドの北西に位置し、比較的豊かな水と深林に恵まれた土地。世界から緑が著しく失われた時代であるのに、豊かな森林資源を誇る国だ。辺境には森林資源が豊富な国が幾つかあるが、それでもアールズの森は稀少である。それは少し前に、アーランドに出かけて、思い知らされた。

今の時代は、森そのものが貴重な存在。

宝石などより余程価値があり。

多くの豊かな実りをもたらしてくれる、奇蹟の場所なのだ。

アールズもそれは例外では無く。王都(といっても、アーランドなどの国から見ると、精々小都市程度の規模だけれども)周辺の豊かな森と。巨大なる不可侵モンスター、エントが移動する周囲に生じる森を除くと。残りは全て汚染された荒野で。

また、森が多いだけに。

人類以外の人類。亜人種も、多数が住み着いている。

過疎の国でもあるアールズは。エントによる蹂躙や、北部にある火山の度重なる噴火などに対するのに、ある方法を採った。

国民を、血縁にて団結させたのだ。

つまり、アールズは、殆ど全員が、何かしらの形で血がつながっている国家なのである。いうならば、一大血族集団、と言うべきだろう。

人口がとても少ないから、出来る事でもあるのだが。

王族であるアールズ家は、優秀であれば積極的に国民から妻を夫を受け入れてきたし。逆に、優秀な民に王族が嫁ぐことも珍しくなく。

五代遡れば、誰もが王族に連なる。

そんな特異な環境がアールズを造り出し。その不思議な環境からも、アールズは独自の強い団結力を得てきた。

歴史の勉強が嫌いなメルルでも、それは知っている。

側にいるケイナだって、三代前は王族だ。

幼い頃からの友だから、二人きりの時は、名前を呼び捨てしあう関係でもある。

「メルル、戦いでは、本当に冷や冷やしました」

「私もだよ。 ケイナったら、弱いのに私の盾になろうとして」

「だって、メルルが傷つくのなんて、耐えられません。 私はどうでも良いですけれど、メルルが吹っ飛ばされたときは、心臓が止まるかと思いました」

「もう、大丈夫だって。 私がどれだけ頑丈か、知ってるでしょ?」

にへへへと、笑ってみせる。

タフなことだけは、メルルの自慢だ。

だけれども、本当にそれしか取り柄が無くて、少し前まで、随分悩んでいた。たまたま、アーランドに出かける機会があって。退屈なハンコ仕事を終えた後、ケイナと一緒に見に行ったのが。トトリ先生の錬金術教室。

二人の弟子と一緒に、トトリ先生が行っている錬金術の実演を見て。

びびっときたのだ。

これだ。

これをアールズに持ち帰りたいと。

ケイナはよく分かっていないようだったけれど。メルルには分かった。これを習得できれば、きっとアールズは良くなると。

ただでさえ、辺境の、発展とは無縁だった国。

更に、世界情勢の悪化で。辺境は連合としてまとまり。その多くがアーランド共和国の州として編入され続けている。アールズも、数年後には、そうなる可能性がある。というよりも、誰も言わないけれど、ほぼ確定事項だろう。

そして、大陸北から攻めてくる膨大なスピア連邦の悪夢の軍勢と。

追われて逃げてきている、哀れな難民達。

膨大な数の難民が流れ込むのは確実で。アーランド主導で難民を各国に振り分けている現在だけれど。無計画に難民を受け入れれば、国が破綻してしまう。

ルーフェスが如何に優秀だって、それは回避できない。

錬金術講座が終わった後。

メルルは、トトリ先生の所に直接行って、直談判。弟子にして欲しいと、頭を下げた。王族だからといって、頭を下げないというような文化はアールズには無い。国民と血族であるアールズだからこそ、王族がこんな事を出来たのだとも言える。

トトリ先生は、快諾してくれた。

そして、アールズに帰還して、色々している内に戦争が始まって。

終わって、今にいたる。

アーランドからは、アールズに増援が来てくれているし、これからも増える予定だ。

この間、挨拶に来た人達の顔と名前は、もう覚えた。

緑化計画のプロフェッショナルであるジェームズさん。かなりの高齢で、戦災で片腕を失っているけれども。

膨大な土地を緑化してきた、このみちに人生を掛けて来たプロフェッショナルだ。

シェリさんという悪魔族の戦士も来ている。

この人も、同じように緑化に一族の全てを賭けている人だ。近年、アーランド主導で、悪魔族と人類の関係は急速に改善しているのだけれども。シェリさんも、そうやって造られた同盟に従い、この世界のために働いてくれている一人。

メルルも少し前にあったけれど。寡黙だけれども、思いやりのある人だ。トトリ先生には、あえて下の立場を取っている。昔、色々とあって、尊敬しているのだと、聞かされている。

悪魔族は人間とは見かけがかなり違う。背中に翼が生えていて、紫色の肌をしていて。人間より小柄で、比較にならないほど魔力が強くて。

性別がない。

どうしてそのような姿をしているのか、トトリ先生は知っているようだけれど。メルルには、その内教えてくれると言う事だった。

メルルにはまだよく分からない事が、たくさんある。

他にも、これからスペシャリストが何名か、アールズに来てくれる予定だ。アールズが、これからのスピアとの戦争で、要石とも言える場所になるから、というのが理由らしい。此処を一気に発展させて、最終決戦の時に拠点とする。

そのためにも。

錬金術師となったメルルの役割は、計り知れないほどに重要なのだ。

デジエ王。父上は、メルルが錬金術師になりたいと言うのを聞いて、苦虫をかみつぶしたような顔をした。

面白くないと思ったのは、確実だけれども。

最終的には、好きなようにするようにと、言ってくれた。

もとより国賓のトトリ先生は、アールズ王都の隅に、アトリエをもう渡されている。メルルも今日から、其処に住み込む。

ケイナも、家事手伝いのために、一緒に来てくれる予定だ。

流石に知らない人と一緒にいきなり暮らすのは、少し心細くもあったし。トトリ先生が時々見せる、何の感情もない行動も実を言うと少し怖かったから、これはとても心強いのだった。

王族は、できるだけ弱みを見せられない。

弱音を吐ける人が側にいるというのは、とても幸せなことなのだ。

「そろそろ行こうか、ケイナ」

「はい、メルル。 でも、ルーフェス様に挨拶をしていかないと」

「あ、そうか……」

一気にやる気がしぼむ。

ルーフェスは苦手だ。

殆どの勉強の先生であるルーフェスは、とにかく杓子定規で、あらゆる全てにガチガチな人だ。高い武力をもつこの国を代表する戦士であり。この国随一の頭脳を持つ宰相という、文字通り最高の能力の持ち主で。

女子達が黄色い声を上げる美貌の持ち主だけれども。

笑顔など浮かべることは見たことが無く。口は横一文字に、いつも引き結ばれている。そして、怒ると、無言でメルルを見つめる。

それがとにかく怖いのである。

事実上の宰相でもあるルーフェスは、誰もが認めるこの国の重鎮であり、メルルも尊敬はしているけれど。

苦手なものは苦手なのだ。

屋上から降りて、城内に。

城内は、ケイナをはじめとするメイド達がぴかぴかに磨き上げてくれている。質素で小さなお城だけれども。

誰もが大好きで。

国民の誰もが、入る事が出来る。

今まで、狼藉をするものが出なかったから、という事情もあるのだけれど。血族集団だから、という理由もあるのだろう。

ルーフェスの執務室に入ると、凄まじい勢いではねペンを動かして、書類を処理しているところだった。最終的にハンコは父上が押すのだけれども。書類をあらかた造っているのが、ルーフェスだ。

「姫様、そろそろトトリ様の所へ向かわれますか」

「うん。 戦争で色々あったけれど、今日から住み込みで先生の所にお世話になるつもりだよ」

「分かりました。 陛下が戻るのが、四日後になります。 その際には、必ず城に戻るようにしてください」

「分かってる」

今、この城の代表は。

名目上は、メルルなのだ。唯一の王族なのだから、当たり前だろう。

それを無理を言って、今日からトトリ先生のアトリエに住み込むと言っているのである。城の中にアトリエを造るという案もあったのだけれど。それには、メルル自身が反対した。

アーランドでアトリエを見てきたのだけれど、様々な設備が必要になる。

つまり、お城の空き部屋で出来るような事では無い。

このお城は、アールズの象徴であり、皆に愛されてきたものだ。よそ者であるトトリ先生の事は、凄い錬金術師であると知れ渡っているけれど。皆が愛してきたお城を、アトリエを造るために一部壊すなんて言って、喜ぶ民がいるだろうか。来たばかりのトトリ先生が、嫌われるようなことがあってはいけない。メルルは、この国の民が大好きだし。錬金術にも、真摯に取り組みたいのだ。

だから、トトリ先生のアトリエは、王都の外れ。

美しい小川と、うにのなる木が生えた側。小さいけれど可愛くて素敵な家を改装して、使って貰う事になった。

トトリ先生の弟子だという女性が少し前まで手入れしていたけれど、もう住み込むことが出来る筈。

それに、メルルは。

このお城から、たまには出て生活したかったのだ。

アーランドに出向いたとき、その大きさに圧倒された。人の数にも。文明にも。そして、錬金術にも。

アールズから、メルルは出る事が出来ない。

この国に王族は父上しかいない。

勿論、いざというときには、血縁者を王族に据える手もあるけれど。それには色々な手続きがいる。

メルル一人の我が儘で、して良いことではない。

だから、せめて。

このお城からは一旦離れて。しかしいざというときには、すぐ戻れる場所で、一度生活をしてみたい。

ルーフェスも、それが妥協点だと判断したのだろう。

何より、トトリ先生の事は、ルーフェスも知っている。以前アーランドでお仕事を何度か一緒にしたとかで、信頼出来る人だと太鼓判を押していた。

執務室を出ると、ケイナが既に準備を終えていた。

とりあえずの着替えと、生活用品。

トトリ先生の方でも準備はしてくれているはずなので、バッグに入るくらいで充分だろう。

「半分持つよ、ちょうだい」

「大丈夫です。 これは私の仕事ですから」

「えー?」

「ほら、行きましょう」

言われるままに、城を出る。

ケイナの他にもう一人竹馬の友がいるのだけれど。彼は戦場に出向いて、まだ事後処理をしている父上と一緒にいる。遊撃部隊として戦闘に参加しなかったので、その分事後処理をしっかりするつもりらしい。

彼はとにかく昔は臆病で。ケイナとメルルと一緒に遊んでいると、いつも怖がって泣き出すのは決まって彼だった。大人しいケイナでさえ泣かないような事でも泣いていたので、男の子として大丈夫なのだろうかと、当初は思われていたのだけれど。

思春期を過ぎて背が伸び始めてからは、ぐんぐん変わった。

戦士としての力量は悪くないし、今では期待されている兵士の一人なのだけれど。でも、本当はまだ臆病なのを、メルルは知っている。

そういえば、戦場で、泣かなかっただろうか。

彼にも見送りはして欲しかったな。

そう、城の前の路を歩きながら、メルルは思った。

彼は、能力がまるで違うとは言え。あのルーフェスの弟なのだから。

 

街を歩いていると、民が声を掛けてくる。

王族は血族国家アールズにとって、代表であり、困ったことがあれば何でもすぐに申告して良い相手だ。

メルルは街に出ることが多いから、問題事を持ち込まれることが多い。

勿論、メルルがすぐに解決できる事ならそうするけれど。無理そうなことは、ルーフェスに持ち込んで、父上が判断する。

それが、国の仕組みで。

如何に親しみやすいと思ってくれることが嬉しくても。メルルがしてはいけない、一線だ。

国の歴史の勉強とか、礼儀作法の勉強とかは、退屈で大嫌いだけれど。

この辺りの、王族としての心得だけは、徹底的に、みっちりと仕込まれた。だから、嫌でも覚えた。

ケイナと一緒に歩いていると、皆が挨拶をしてくる。

全員の顔と名前を、勿論覚えている。

メルルは背もあまり高くないし、体もそれほど豊満では無いけれど。それでも、好意は周囲から集められるらしい。

美人でもないし、ちんちくりんと言われる事もある。

だけれど好かれるのは、きっと何かしら、容姿以外の理由があるから、なのだろう。

そしてメルル自身も。

その期待には、答えたいと思っていた。

歩いていると、声が掛かる。

既に七十を超えているお爺さん。畑の一つを管理して、今は孫一家と暮らしている、アッセムさんだ。

もう少し幼い頃は、背もしっかり伸びていたのだけれど。

今は衰えがひどくて、咳も出るようになっている。悲しいけれど、アールズにある医療技術では、どうにもならない。医療魔術師は優秀な人がいるけれど、病気の中には、それだけではどうにもならないものがある。

アッセムさんの病気は、そのどうにもならないものだと、話を聞いていた。

「ああ、メルル姫、少し良いかな」

「どうしたの、アッセムおじいちゃん」

「今度の戦争で、敵を倒したのはいいのだが、良くない噂があってなあ」

「まさか、敵の一部が潜伏してるとか?」

そうなると一大事だ。

勿論、森の中を今、アーランドからの増援部隊と、アールズの兵士達が徹底的に洗っているけれど。

それでも、いわゆるレンジャー技能に特化したモンスターが潜んでいる可能性だってある。

見るからにモンスターという敵ばかりではない。

人間型をしたのもいると、メルルは聞かされている。

「いいや、違うよ。 今度の戦の勝利で、北方列強の人間が逃げ込んでくるそうだが、本当かね」

「……!」

そうか、もう噂が知れ渡っているのか。

アールズでも、最終的には、五万の民を受け入れる事が決まっているという噂がある。それも、最低限の話だ。

何しろ小さな国だ。

噂が広まるのも速いのだろう。

正式に決まっているかは分からないけれど。多分本当だろうと、メルルは思っていた。

「列強の連中は、わしらを蛮族と馬鹿にしていると聞いているし、好き勝手なことをされて、もめ事になっている国もあるらしいなあ。 たくさんよそ者が来て、この国は大丈夫なのかね」

「大丈夫だよ、どうにかするから。 どうにかするために、アーランドから凄い錬金術の先生も来てくれたし、私も頑張るんだから」

「そうかい、そうかい。 メルル姫が頑張ってくれるのなら、わしも安心して孫達に財産をたくせるかのう」

「アッセムおじいちゃん、まだ元気でいてよ。 みんな幸せでいてくれるのが、私の願いなんだから」

手を振って、その場を離れる。

ケイナが少し躊躇った後、言う。

「私も、本当は不安です」

「うん……」

メルルだって、同じだ。

何しろ、噂通りなら、この国の民の、十倍以上の人数が流れ込んでくるのだ。何処の辺境国家も、今は大わらわだと聞いている。

アールズが難民受け入れについてあまり負担をしなくてよかったのは。これから最前線になるのが確定していた、かららしい。

ずっと北部列強の前線は下がり続けていて、アールズに接触したのがついこの間。

遅滞戦術というらしいのだけれど。とにかく敵の進軍を食い止め続けて、戦えない人や怪我をした人を、列強で助けられるように、時間を稼ぎ続けて。

それも限界が来て、とうとう此処まで敵が来てしまった。

本来は、この国は徹底的に要塞化して。何かしらの反攻作戦の要にする予定だったそうなのだけれど。

きっと、流れ込んでくる難民が、予想よりずっと多かったのだろう。

多くの難民は傷つき、財産を失い。心も荒んでいる。

対応を間違えてしまうと、大変なことになる。

辺境の民と、北部列強の民では、身体能力に差がありすぎる。此方がじゃれたつもりでも、向こうには致命傷、何てのはザラなのだ。

だから列強の民は、辺境の民を、蛮族と罵って、差別してきた。

勿論、辺境の民だって黙っていない。

戦争は何度も起きてきたけれど。

今は、それどころではなくなっている。共通の敵。文字通り、人類の敵が、南下を続けているからだ。

あまり長くもない路を抜けると、小さな林に出る。

林といってもブッシュは処理されていて、小さなお店が幾つかある、憩いの広場になっている所だ。

よその国から来た人は、まず此処で待たされて、色々と手続きをする。

彼方此方を渡り歩いている商人達が、ものを売り買いするのも、この辺りだ。本格的なお店は、お城の周囲に幾つかあるけれど。そういったお店を構えるには、まずは信用を得なければいけないのである。

バザーが開かれている。

幾つかのお店を覗くけれど、トトリ先生へのお土産になりそうなものはない。いつも優しそうな笑顔を浮かべているトトリ先生だけれど。時々、闇が見えるようで、ぞっとさせられる。

怒らせたくはないし。

何より、最初が肝心だ。快く指導を引き受けてくれて。この国の発展にも寄与してくれるというのだ。

アールズの代表の一人として。その気分を、害したくは無い。

「良いキノコ、ないかなあ」

見て回るけれど、どうも気に入らない。

キノコの目利きに関しては、メルルは自信がある。この国には、森の中にそれこそ数百種類を超えるキノコが存在していて。その大半は毒茸だ。食べられる茸はあまり多く無いし、美味しい茸は更に限られる。毒茸そっくりの、美味しい茸も存在している。

目利きが難しいので、毒茸が平然とバザーで売られていることも多いし。

誰かが毒に当たって、大騒ぎになる事もある。

アールズにとっては数少ない名産が茸で。王族にとっても、それは身近なのだ。

ため息。

いい茸はなし。

まあ、ルーフェスが手土産を持たせてくれたから、それでも良いだろう。林を抜けると、小川に出て。

小さな橋を越えると、もう城壁が見えてきた。

あまり高いとは言えない城壁だけれども。

此処から内側が人間の領域で。

外側が、出歩く場合、命の危険がある場所。その境界線という意味で、重要な存在だ。長い年月を掛けて建造されてきていて。百年ほど前に、アールズ王都をすっかり囲む形で完成した。

もっとも城壁としては低いので、大型モンスターを防ぐのはちょっと心細い。結局、今の時代、何処でもそうだけれど。

強い戦士を出来るだけたくさん抱えるのが、辺境国家としては当たり前のたしなみだ。そうすれば、最終的には城壁なんか無くったって、国を守れるのだから。

「そろそろですね、メルル」

「うん」

顔を叩いて、気合いを入れ直した。

素敵なおうち。

あの中で、錬金術の修行をしながら、この国のためになるように、力をつける。この国を支える、国家第一の使徒として。

ドアの前に、ついた。

家の中に、気配は一つだけ。

それにしても、随分改装が進んでいる。煙突が増えているし、家自体もぐっと大きくなっている。

家の壁はとても綺麗に整備されていて。

この家を、錬金術のアトリエに作り替えた人が、とても几帳面である事が、メルルにはうかがえた。

ノックする。

「おはようございます!」

ちょっと大きな声が出た。咳払いして、もう一度。

ドアが、開く。

どうやら、うたた寝をしていたらしい。少しだけ、眠そうなトトリ先生が、ドアの奥で、ほほえんでいた。

「今日からお世話になります、トトリ先生!」

ばしっと頭を下げる。

ケイナも、一緒に。

トトリ先生は笑みを。

そう、目の奥に、何処か闇がちらついている笑みを浮かべると。アトリエに入ってと、柔らかい口調で、言ってくれた。

 

2、王女というもの

 

勉強は苦手だけれど。

応用をするには、基礎をしっかり固めなければいけない事くらいは、メルルだって知っている。

だから、眠いのを我慢しながら、最初の二日は、トトリ先生の座学を受ける。トトリ先生は教え方がとても上手で、正直ルーフェスの授業よりは、眠くなかった。

ルーフェスは、頭が良すぎるのだろう。

どうしてこんな事も覚えられないのだろう。

理解するのに時間が掛かりすぎる。

いつも、そんな顔をする。

メルルは、だから眠くなるし。いつしかルーフェスの授業が苦手になっていった。ルーフェス自身は、自覚は無いのかも知れないけれど。頭の出来があまり良くないと言うのも、大変なのだ。

「それでは、錬金術を大陸に広げたのは、旅の人という存在なんですね」

「そうだよ。 正体には諸説あるんだけれど、アーランド王都の側にある巨大な遺跡、オルトガラクセンから機械と文明を持ちだしたのも、旅の人なの。 そして私の師匠のロロナ先生は、偉大な業績から、当代の旅の人と呼ばれているんだよ」

「凄いですね!」

「うん。 私は、才能ではロロナ先生にはまったくかなわないから。 でも、色々幸運に恵まれて、今の地位に就けたの」

そう言うトトリ先生だけれど。

路を造るエキスパートとして、今ではこの大陸でも知らない人がいないほどの有名人だと、ルーフェスに聞かされている。

砂漠に路を通し。

どんな戦士でも尻込みする魔境に挑んで、地図を造り。

色々な種族と仲良くなって。

そして、多くの人が安全に通れる路を造っていった。

業績だけで言えば、当代の旅の人とまで呼ばれているロロナという人に次ぐほどの存在だとか。

凄い偉人に教わっている。

そう思うと、気合いだって入る。何とか眠気を振り払って、座学の続きをする。

ちなみにケイナは、お洗濯とお片付けだ。アトリエの器具類には絶対に触らないようにと言われているので、生活スペースの掃除しかさせて貰えないのだけれど。

トトリ先生は、笑顔で続ける。

流れるような教え方は、とても分かり易い。

「錬金術の最大の特徴は、魔術と違って、理論さえ実施すれば誰にでも出来る、ってことなんだよ。 勿論、魔力が必要になる道具もあるし、錬金術そのものの才能はあるけれど、それは主に新しいものを造り出すときに必要とされるの。 一人が技術を造り出すと、同じ筋道を通って、誰もがそれを再現できる。 それが錬金術の強みなんだよ」

「はい! 覚えるのが楽しみです!」

「良い返事だね。 それでは、次に行こうか」

眠いのを察したのだろうか。

トトリ先生は、外に。

ケイナがお料理をしている音が聞こえる。台所に関しては、ケイナは任せて欲しいと言っていて。

トトリ先生も、反対はしなかった。

外に出ると、訓練用の棒を手に取る。

「座学も退屈になって来ただろうし、此処から軽く棒術の実習をしようか」

「え? 棒術ですか?」

「ルーフェスさんに聞いているよ。 メルルちゃんの杖、この国の宝で、それを幼い頃から使いこなせるようにって、棒術を習っているんでしょう? 今のメルルちゃんの実力を見ておきたいな」

冷や汗が、背中を流れる。

棒術の授業に関しては、正直あまり熱心では無かった。でも、ここしばらくの座学で、分かってきたことがある。

錬金術には、どうしても体力がいる。

外に出て、色々な素材を集めてこなければならないし。

その過程で、多くのモンスターとも遭遇する。

倒せなければ、ごはんにされてしまうだけ。

王族であっても、辺境で生きているメルルは、その厳しさを、良く知っていた。

トトリ先生は、まずはハンデをたくさんつける、という。

足下に円を。それも小さな円を描くと、その中に入る。円を描くときの手慣れた様子は、まるで機械のよう。

向かい合うだけで分かる。

勝てっこない。

戦場で見た。巨大なドナーンを、技だけで文字通り子犬のようにぶっ飛ばして見せた。あの技量は、尋常では無い。

アーランドでは最強クラスの戦士を国家軍事力級とかいうそうだけれど。多分、それに近い実力だ。

メルルとでは、文字通り。

蟻とドラゴンくらいの力の差がある。

「じゃ、メルルちゃん。 後ろからでも何でも良いから、一撃いれてみて。 私に一撃いれるか、この円から出すのが、当面の目標だよ」

「はいっ!」

でも、負けてはいられない。

突き込む。

トトリ先生はその場から動かず、ひょいと棒を掴むと、くるんと廻す。

それだけで、空中に放り出されるメルル。

小さな悲鳴を上げてしまうけれど。

あっさりキャッチされた。

勿論お姫様抱っこなどではなくて。子犬か何かをつまむかのように。そして、当然、トトリ先生は円から出ていない。

「もう一回」

「はいっ! 行きます!」

今度は、真後ろからじゃ無くて。少し斜めにずれつつ、突き込む。

教わってきた型とか、動きとか。

もっとしっかりやっておけばよかった。

そう後悔したのは、七回ほど、トトリ先生に放り投げられてから。一度などは、屋根より高く放り上げられて、心臓が止まるかと思った。

でも、トトリ先生は優しいのだろう。

メルルが地面に顔から突っ込んだりしないように。円から出ないようにしながら、毎回受け止めてくれた。

「此処まで。 今のメルルちゃんの実力は大体分かったかな」

「はい、面目ありません」

「ううん、私もね、最初はとても弱かったの。 村で一番弱くて、その辺のお魚より弱いって言われていたんだよ。 だから気にしないで、これから強くなって行こうね」

「……」

乾いた笑いが漏れてきた。

確か、アーランドで「その辺のお魚」というと、メルルの背の倍くらいの大きさがあって、水場から陸上に上がり、馬よりも速く走り周り、目につく生物全てに噛みつくような、獰猛な奴だったはず。少なくとも、北方の列強の人々だったら、文字通りゴミのように蹴散らして、ランチにしてしまうような凶暴な生物だ。

トトリ先生がどこで生まれたのかは知らないけれど。

多分アールズよりも、ずっと厳しい環境にいたはず。其処で一番弱かったと言われても、多分今のメルルよりはずっとずっと強かっただろう。

さぼりすぎていた。

今、後悔がせり上がってくるけれど。どうしようもない。

「まずは型からだね。 体力をつけるためにも、棒術はとてもいいよ。 でも、メルルちゃんの動きは、棒術よりも槍術に近いかな」

「ええと、アールズ流武術ってのがありまして、棒術はその一つです。 お父様は確か剣術で、ルーフェスは体術だったはず。 指南書を見れば、或いは……」

「うん、それで型は再現できる?」

「はい、一応全部覚えています」

分かっているが。覚えていると、スムーズに動けるのは、まったく別の話だ。

そして、トトリ先生に言われるまでも無い。

型は効率が良い動きの集大成。

まず型をこなせなければ、実践にそれを生かすことだって出来ない。この間の戦いのような、無様を曝すことになる。

逆にトトリ先生のように、技を極限まで極めれば。

巨大なドナーンを空中に冗談みたいに放り投げたり。一瞬で敵を絶息させる事だって、可能なはずだ。

「それじゃ、これからは毎朝起きて、型稽古だね」

「ひえー、厳しい……」

「大丈夫、メルルちゃんくらいの年だと、覚えるのは一番速いから。 分からない事があったら、力になるから、すぐに言ってね」

丁度ケイナが呼んでいる。

お菓子が出来たらしい。

小休止にしようか。トトリ先生は笑っているけれど。その笑みの奥にある感情は、メルルにはまったく分からなかった。

 

四日目。

ルーフェスに言われていた日だ。

朝から、外の走り込み。それに棒術の型稽古。それに、トトリ先生と一緒に座学。まだ、錬金釜には触らせて貰っていない。

ただし、トトリ先生も。お師匠様に、釜に触らせて貰ったのは、一週間以上経ってから、だそうである。

危ないから、しっかりまずは基礎を覚えようね。

そうトトリ先生は言っていた。

勿論メルルは天才なんかじゃない。だから、走り込みをしたって、すぐに体力がつくわけでは無いし。

棒の型を続けても、すぐに成果なんてでない。

住み込みで働き始めて四日目。まだまだ、始めたばかりだ。分かっているから、頑張る。

釜に触ることが出来るようになれば、また気分も変わるはずだ。

幼い頃から、お外で遊ぶことはずっとしていたから、基礎体力だけはある。どちらかというと男の子が好きそうな遊びの方がメルルは好きだったし、いつもどろんこになって夜まで遊んでいたから、土台の方はしっかりしている。

ただ、やっぱりルーフェスの授業をしっかり受けていなかった。

それは、今になって、響いているような気がする。

トトリ先生は、軽く座学をした後、お出かけしていった。何しろ多忙の身だ。すごい錬金術の道具を使ってアーランドに飛んだり、この国でお仕事をする場合にしても、顧問として色々な事をしているらしい。

メルルはまったく関わらせて貰えない。

当たり前の話で。

半人前どころか、まだ卵にもなっていないのだから。

ケイナに促されて、身繕いしてから、お城に。

親子とは言え、父上は国王だ。会うときは、最低限の礼節をわきまえなくてはならない。

特に、プライベートで会うのでは無く。

今日は、小さいとは言え、謁見の間で会うのだ。

なおさらである。

王族が礼節を守らないのに、誰が守るというのか。その程度の理屈は、メルルにだって分かる。

お城への路を歩く。

ケイナが側にいてくれると、心強い。戦闘力という観点ではとても頼りない子だけれども。メルルの側のことを何でも出来る侍女だし、弱音も言える相手だ。口が堅くて、ケイナから周囲に秘密が漏れたことは、一度だってない。

「私のお部屋、どうなってるかなあ。 片付けちゃったかな」

「いいえ、私が時々お城に行って、掃除しています。 塵一つ積もってはいないですよ」

「そっかあ」

元々あまり大きなお城では無い。メルルの部屋も、元は誰か別の王族の部屋だった。書架もある。

だけれども、書架の本を触ったことは、殆ど無い。

前にあの部屋を使っていた人は、とても勉強家だったのだろう。誰だかは知らされていないけれど、或いは父上だったのかも知れない。

お城に着く。

兵士の数がかなり少ない。

おひげがすごい近衛隊長も、いない。

父上は帰ってきているという話だけれど、きっとまだ前線での事後処理は終わっていないのだろう。

戦争をすればお金がとても掛かるし、人だって傷つく。

今回は、被害を最小限に抑えられたという事だけれども。メルルの目の前で、手酷い怪我をした兵士だってたくさんいた。

話は聞いていないけれど。

命を落とした兵士だっていただろう。

父上も、お城に戻っては来たけれど。当面は忙しいはずだ。

ケイナに黙礼だけして、謁見の間に。

この城は分かり易い構造をしていて、正門からまっすぐいって一番奥に謁見の間が造られている。

つまり、このお城の力で戦う事を想定していない。

実のところ、どこの辺境国家も、似たようなものだとルーフェスに聞かされた事がある。兵器より人間の方が強い今の時代。お城の構造を凝っても仕方が無いのだとか。頷ける話ではある。

謁見の間の守りを固めている兵士達に、メルルリンス着到、と声を掛ける。

少し堅苦しいけれど。

これも儀礼だ。

謁見の間の扉は、正門ほどでは無いけれど大きい。高さでも、メルルの背の二倍近くはある。

兵士達が二人がかりで左右から開けるのは、見た目を重視してのことだけれど。

こういう所で、威厳とかを造らなければならないのも、ちょっと滑稽ではあった。

決して広くもない謁見の間。

奥には少し高い位置に玉座があり。数名の兵士が、いざというときの護衛のために控えている。

今日は、父上だけだ。

ルーフェスもいる事が多いのだけれど。

何しろ会うのがメルルだし、書類仕事が忙しいのだろう。それに父上は四日ぶりの帰還だ。

並外れた身体能力を持つとは言え、ハンコ仕事もかなり溜まっているはず。

それに、面会の人も、メルル以外にいても不思議では無い。

玉座の七歩前で跪く。

面を上げよ。

声が掛かってから。顔を上げる。

王族は、国家の先導。

兵士達が見ている中。自分たちが法を守らなければ、誰が守るというのか。儀礼と法に従って、きっちり動く。

社交辞令を幾つか繰り返してから。

父上は、切り出した。

「錬金術は順調か」

「はい。 おかげさまで」

「それでは、一つ目標を提示する」

目標。

顔を上げると。父上は、凄く厳しい顔をしていた。

知っている。メルルが錬金術をすると言い出したとき。父上は、もの凄く反対した。内心、ハラワタが煮えくりかえっていたようでもあった。珍しく、とても感情的になっているのを見た。普段はとても穏やかな父上なのに。

錬金術を学ぶことを許してくれたのは、アーランド側から、トトリ先生が派遣される話があったから、だとも聞いている。

何しろ、現在世界でも有数の錬金術師で。多くの国で凄い業績を上げている人なのだ。この寂れたアールズに来てくれて。しかも、未曾有の危機に対処してくれるというのだから、父上の心だって動く。

それでも、内心は面白く思っていないのだろう。

感情を国の利益に優先させてはいけない。

王族なら、当然知っていてしかるべきこと。父上も、当たり前のように、そうやって判断したのだ。

「そろそろ、お前には言っておこう。 アールズは五年後、アーランドに併合される」

「!」

兵士達は、表情を動かさない。

つまり、知っていた、という事だ。

メルルも噂は聞いていた。それも、かなり確度が高い噂を、である。

恐らく、大陸の南半分は、アーランド連邦共和国とその同盟国として、まとまることだろう。北部のスピア連邦と言う特級の脅威が存在する以上、当たり前の話だ。

体力がある国は、同盟国として。

小国や体力がない国は、アーランドに取り込まれて、その仕組みの中で今後は生きて行く事になる。

ましてやアールズは、今や最前線。

これからもっと多くの敵が押し寄せてきて。

国力をつけなければ、あっという間に蹂躙されてしまうだろう。

単独での対処は不可能。

アーランドの一部になってしまうのが、一番手っ取り早い。

「その時に、この国が無様であるわけにはいかん。 アーランドの州の一つになるとしても、それまでに滅びてしまうわけにもいかん。 故に、お前には、これからこの国の力を高めて貰う」

「はい」

「難民が、この国に押し寄せてくる。 彼らを捌くための準備が必要になる。 準備ができ次第、順次受け入れていく予定だが。 トトリ殿には、別の仕事がある。 お前が、先頭に立って。 ルーフェスの支援を受けながら、錬金術で対応するのだ」

それは。

つまり、ひよっこである事さえ、許さない。

すぐに一人前になれ、ということか。

いきなりとんでもない高さの壁が、目の前に立ちはだかってきた。メルルは生唾を飲み込みそうになる。

父上は、眼鏡を掛けた細面に、笑みの一つも浮かべていない。

出来ないなら、お前は錬金術を止めるように。

最後に、それだけ、言われた。

 

謁見の間を出る。

ぐっと疲れた。

私人として接してくれる父上と。国王として接してくる父上は、まったく別の存在だ。頭の中で何か切り替えているとしか思えない。メルルも切り替えはしているのだけれど、彼処まで徹底的には出来ない。

ケイナは、外で待ってくれていた。

あまり気が強い女の子では無いけれど。ケイナはメルルのことを、いつも第一に考えてくれている。

それが信頼につながる。

「どうでした、メルル」

「どうもこうもないよ」

久しぶりに、自室に。

ベッドは確かに柔らかいまま。しっかり手入れもされていた。ベッドにダイブして、ごろごろする。

落ち着く。

やっぱり此処が、本質的にはメルルのお部屋なのだろう。

鏡を見る。

桃色のウェーブが掛かった髪の毛。色はきれいだけれど、髪質はそんなによくもない。美人とは言えない顔。体つきだって其処までメリハリが無いし、背だってそんなに高くない。

それでも、皆がメルルを慕ってくれるのは。

王族だからだ。

責務をしっかり果たしている王族だからなのだ。

そうでなければ、メルルなんて。良く言って、普通の娘。裕福である理由さえない、平凡な存在。

アールズで無くてもそうだが、貧しい人は、婚期がとても早くなる傾向がある。今のメルルは、とっくに結婚して、子供を産んでいてもおかしくない年だ。そうなれば、忙しすぎて。

とてもではないけれど、錬金術がどうのとは、言っていられないだろう。

あらゆる意味で、自分は恵まれている。

だから、自分が不幸だとか、嘆いていたら、廻りから怒られるだろう。ケイナでさえ、口を利いてくれなくなるかも知れない。

分かっている。

だからこそに、愚痴りたくもなる。

「いきなり壁が高いよ、ケイナー」

「はい。 でも、今辺境の諸国は、何処も滅亡の危機に直面していると聞いていますし、アールズは最前線になりつつあります。 メルルは今までお勉強をさぼっていましたし、仕方が無いのでは」

「ケイナまでそんな事いうー」

「うふふ、でも良い先生が来てくれたし、これからですよ」

お茶を淹れてくれたので、少しだけゆっくりする。

そうしている内に、否定的な思考は飛んでいく。

前向きに生きよう。

誰だろう。

昔、誰かに教わった言葉。

その人はとても優しい笑顔を浮かべていて。でも、お母さんでは無かったような気がする。

その人がいたときには、父上は。

今よりも、もっとずっと。

優しい笑顔を浮かべていた気がする。

誰だろう。

どうしても、思い出せない。

でも、気分が好転したのは事実。この部屋で、あの人の。もう、名前も分からない誰かのことを思い出すと。

ぐっと気分が良くなるのも事実だ。

気分が良くなってくれば、お茶だってお菓子だって美味しくなる。辺境の小さな国で、こんな贅沢が許されている意味。

それをしっかり自覚して、楽しむ。

それから、お城を出た。

もう此処は、メルルの家じゃない。そう考えて気持ちを切り替えておかないと、いつまでもずるずると居続けてしまうからだ。

「まず、具体的に何をするかは、ルーフェスが整理してくれるはず。 それまでに、トトリ先生の所で、少しでも力をつけないとね」

「はい。 それでこそ、メルルです」

街の人達も。今の時点では、メルルに好意的な笑顔を向けてくれている。

その好意を裏切らないためにも。

メルルは、後ろ向きに考えて何て、いられないのだ。

 

3、小国の憂鬱

 

アールズ国王、デジエは。

玉座で嘆息するしか無かった。

メルルはある程度の事情を理解はしている。王族としては、最低限の自覚も持っている。既に亡くなったあれ。

妻では無い。この国の柱石だった、あやつが。かわいがりながらも、しっかり王族としての自覚を叩き込んで行ってくれたからだ。

本当に幼い頃だから、メルルは覚えていないかも知れないが。

それでも、あやつの教育が良かったから。最低限の王族としての自覚を、メルルは持ち続けていられる。

本来、絶対にあり得なかった、その出来事。

錬金術の奇蹟とも。或いは執念とも言える出来事。

何しろ、メルルが生まれたときには、あやつは既に。

妻はそれを、ずっと面白くないという顔で見ていた。だが、最終的に、アレで良かったのだ。

ルーフェスとの相性は、結局良くなかったメルルである。

多分原体験がなければ、芯に王族としての責務を抱く事も無ければ。前向きになる事だって、無かったかも知れない。

謁見の間に、ルーフェスが来る。

今日の仕事の報告を受けた後、軽く聞く。

「時にアーランドはなんといっている」

「今回の損害については、想定内だと。 予定通り、事を進める、ということです」

「ジオバンニは相変わらずだな」

飄々とした楽隠居。

周囲にはそう見せているアーランドの現国主は。共和国になってからも、その姿勢を変えていない。

実際にはあれは抜き身の刃で。

若い頃、何度か旅をしたことがあったが。その頃から、陽気で愉快なおじさまという風情でありながら。

実際には、化け物同然の武勇と。

内部に秘めた冷酷さと合理主義。

何度も側にいて、身震いさせられたものである。

幸い、ジオバンニは、デジエをまだ評価している様子だ。だから、最前線になったアールズを強制的に併合せず。今も、独立国にしてくれているのだろう。

その気になれば、アーランドの実力だったら、一日でアールズを併呑し。その前線基地に仕立て上げることが出来る。

それでいながら、アールズを尊重しながら、前線基地としての存在へと変えようとしているその姿勢は。

若い頃に、デジエの実力を評価していたから。

それ以外の理由が、思いつかないのだ。

今回の戦いでも、アーランド自慢の精鋭が来て。アールズから見れば無視し得ない、だがアーランドから見ればあくまで過小な損害で、敵を追い払う事が出来た。凄まじい強さに、デジエは戦慄させられた。

だからこそ、思うのだ。

ジオバンニと若い頃に旅していて良かったと。

あれの本性を知っていなければ。

今頃、素直に好意だと思ってしまっていたかも知れない。

それに、理由はもう一つある。

アーランドが数年前調査に来て、まだ若いメルルの側で、何かをしていった。

手を加えた様子は無かった。

きっと、才覚を調べていったのだろう。

そして、白羽の矢が立った。

「錬金術……か」

何もかも、錬金術。

玉座でデジエは、面白くないと、苦虫をまとめてかみつぶした。

あやつが死んだのも。

そして今、世界がおかしくなっているのも。

全て錬金術が原因。

だからこそ、メルルには。才能があると分かっていても。錬金術は、やらせたくなどなかったのに。

アールズには選択肢などない。

メルルには、教えたくない事実だった。

「どうだ、それで。 お前の目から見て」

「そうですね。 私は錬金術の専門家ではありません。 しかし、トトリ殿の実力が本物で。 しかも、人を見る目がある事に関しては、保証できます。 「路の神」と呼ばれているだけのことはある。 そう確信できました」

「その路の神が評価をしているのだから、メルルには才能がある、という事だな」

「恐れながら」

ルーフェスは嘘を言わない。

このまだ年若いのに、この国の柱石になってくれている存在は。デジエに対する絶対的な忠義に関しては揺るぎない。

もしもそうしろと言えば。

苦言を述べた末で、であろうけれど。アーランドの軍勢や、もしくはスピアの軍勢に特攻して、死ぬ事だって厭わないだろう。

「具体的な計画は立てられそうか」

「まずは、近隣にある拠点を整備して、受け入れられる難民の生活基盤を造り、それから前線の砦を並行で強化します」

「ふむ、それで」

「メルル姫には、錬金術でそれらに対応していただきます。 まずは、初歩の錬金術で出来そうな案件から、一つずつやっていくしかない。 そう思いますが」

計画案を出される。

まず三年で、人口三万をクリア。

此処で言う三万というのは、無論地面から生えてくる人数では無い。北部の列強領地から、逃れてきた難民達だ。

前線がアールズに接触した今。既に旧北部列強には、力など残されていない。軍は辺境各国に吸収され。必死の遅滞戦術で守ってきた民達も、しかり。しかし、どこの国も、受け入れには青息吐息だ。

アールズには、そもそも今の時点では、五千の人間を受け入れる余裕さえ無い。

食糧も、水も。

土地も。

何もかもが足りないのだ。

辺境の民が暮らしていける土地では無い。

北部の辺境から来た、ヤワな民が。死なずに生きていける土地。ちょっと水が汚染されているだけで腹を下したり。ごく弱いモンスターでも、遭遇すると致命的な民が。死なずに生きられるような環境。

それを、五万人分。

最低でも確保しなければならないのである。

ジオバンニはさらっとこの数字を提示してきたが。デジエとしては、無理を言うなと絶叫したいくらいだった。

ちなみに、この五万という数字をオーバーすればするほど、周囲の国の負担は減る。

スピアという未曾有の脅威が迫っている現状。

火山の噴火どころでは無い悪夢が間近にある以上。

デジエも、腰を上げなければならないのは、事実だ。

「あれの素質を潰してしまっては意味がない。 無理だけはさせてくれるなよ、ルーフェス」

「御意」

下がるルーフェスの後ろ姿を見つめながら。

玉座でもう一つ。

デジエは、嘆息した。

 

翌日。

朝から、幾つかの来客を捌く。前線に来ているアーランドの精鋭部隊の指揮を執っている、クーデリアという女性が、最初の客だった。

小柄な。子供と同様の背丈しかない小柄な女性だが。アーランドにおいては国家軍事力級と呼ばれる最大戦力の一人。

全盛期の自分でも及ばないだろうと言う事は、一目でも分かる

デジエも昔は戦士だったのだから。

軽く話をした後、報告書を受け取る。現在、敵がどのように展開しているか。防ぐにはどれだけの戦力がいるか。

アーランドと周辺国の連合軍五百が、老朽化した砦に来てくれている。それに対して、敵は邪神が住まう遺跡を中心に、およそ八千が健在。この数は、今後増える事はあっても、減ることは絶対に無いと言う。

北部の列強諸国が壊滅した今。

敵は前線を、どんどん此方に向けて南下させている。

そして敵は、戦略面でも容赦がない。抑えの兵力だけ置く戦線と。機動軍を投入して、一気に突破に掛かる戦線を。はっきり分けている。

敵の主力部隊が来たら。

最低でも五万。

いや、それ以上の数が、アールズに現れるかも知れないと言う話さえ聞かされていた。

そうなったら、アーランドの援軍が無ければ、文字通りひとたまりも無く、この国など滅ぼされてしまうだろう。

前線指揮官として有能な上、対抗できる戦力を引っ張ってこられるクーデリアは。

アールズにとっては、今最大級の敬意を払って接しなければならないVIPでもあるのだ。

「すまないな。 貴殿ほどの戦士が来てくれているのに、贅を尽くした歓待も出来ぬ」

「いえ、お気になさらず。 私の事よりも、国内の整備をお急ぎください」

「うむ……」

一礼だけすると、クーデリアは城を出て行く。

あの戦士、色々と難しい状況にあると言う噂を聞いているが。まるで刃だ。若い頃のジオバンニを思い出す。

アーランドでも顔役にあり。豊富な資金と、強固な人脈を持っているとも聞いている。今後、更に無視できない存在になるだろう。例え、アールズを離れたとしても、である。

幸い、デジエに対して、今は敬意を払ってくれているが。

それも状況次第では、どうなることか。

続いてきたのは、隣国の大臣である。

太った男で、汗を何度もハンカチで拭っている。辺境には幾つもの小国があるが。国力はどこもどっこいどっこい。

置かれている状況も同じ。

ただ、この大臣がいる国は、アールズから見て南西。

つまり、前線からは遠い事になる。

その代わり、既に難民の受け入れを始めていて。それには、アーランドから輸入された技術と、顧問が参画していた。

ちなみに、物資輸送のための経路や、その安全には。

あのトトリという錬金術師が関わっている。

アレは化け物だ。

周囲から噂は聞いていたが、本当だと思い知らされた。

アールズとずっと争っていたリス族やペンギン族との軋轢をあっという間に解決し、なおかつ道の安全を確保。

緑化政策のプロを手配し、既に難民の受け入れは軌道に乗っているという。

元々、亜人種に顔が利くと言う話は聞いていたが。先神やら青き鳥やら言われ、彼らに敬意を払われているのを遠くから見て、戦慄した。

本当に、人間以上の存在として、敬意を払われているのが分かったからだ。

実績は聞いていたが、噂以上。

あれが牙を剥いたら、アールズはひとたまりもない。国内の亜人種全てを敵に回したら、こんな小さな国、一晩ともたないのだから。

大臣は恭しく礼をすると。

社交辞令の後、切り出す。

「少し前に、大戦があったと聞いております。 しかしこの様子では、損害は大きくはなかったようですな」

「アーランドの援軍があったからだ。 そうでなければ、この国は今頃、命無き地獄と化していただろう」

「分かっております。 そうなったときは、次は我等の国でしたからな」

だから、ここに来た。

様子を見に。

分かってはいるが、怒ることも出来ない。明日は我が身だと、どこの国も、不安視しているのだから。

「我が国王からも、援軍の申し出があれば、いつでも受けると伝言を承っております」

「うむ、感謝する。 今の時点では、必要はない。 だが、必要となれば、すぐに使者を飛ばさせてもらおう。 ベニエリア女王には、デジエが感謝をしていたと伝えておいてくれ」

「分かりました」

隣国の長は女王だが、実際にはまだ七歳で、実権を握るにはほど遠い。

実権を握っているのは叔父だが、この男が少しばかり能力が足りておらず。最近はアーランドから派遣されてきた文官が、好き勝手やっているとも聞いている。

そうはならないようにも。

この国を、しっかり引き締めなければならないのである。

次の客は。

トトリだ。

まだ若いのに、その恐ろしいほどの実績。亜人種達に、文字通り神に次ぐと慕われる人望。

あの恐ろしい上に誇り高い悪魔族の戦士達が。

この者に対しては、女神のごとくひれ伏しているのを、デジエは見た事がある。実際に、島ほどもあるドラゴンを打ち倒し、異大陸にて邪神を屠ったという話である。この国は今、単独で周辺国のパワーバランスを蹂躙しかねない化け物を抱え込んでいるのだ。

デジエには分かる。

トトリの体を巡る魔力は、明らかに常人とは異なっている。

同じような異常魔力を持つ存在を、以前に見た事があるが。

正直、この娘がどうしてこのような状態になっているのかは、考えたくも無いし。詮索する気も無い。

社交辞令の後。

トトリは切り出す。

「メルル姫はとても優秀な素質がありますが、飽きっぽいところが欠点です。 これから予定通りびしびしと鍛えていきますが、構いませんか?」

「ああ、頼むぞ。 あれは今まで、少しばかり放任しすぎてきた」

「分かりました」

聞いている。

既に、戦闘訓練も施しているという。メルルが住み込んでいるアトリエの周囲の住民が、ぽんぽん空にメルル姫が飛ばされているが、アレは何をしているのだと、通報をして来たくらいである。

流石に、アーランドの国家軍事力級戦士と比べると、肉弾戦では一歩譲るようだけれども。

トトリというこの娘。充分すぎる位の使い手だ。多分今謁見の間にいる戦士全員とデジエが束になって掛かっても、かなわないだろう。

「貴殿がしている仕事の方はどうだ」

「幸い、ルーフェスさんの支援もあって、動きはスムーズです。 国からのバックアップをいただけると、色々と動きやすいですね」

「此方とも他人事では無いからな。 だが、国力も無限では無い。 出来るだけ急いで、片付けて欲しい」

「はい」

一礼。

トトリは、ずっと笑みを浮かべていたが。

謁見の間を出るまで、一切の感情を表に出さなかった。というよりも、感情に揺れが、全く無かった。

あのクーデリアでさえ。ポーカーフェイスの奥に、燃えさかるような憎悪と怨念を湛えていたというのに。

感情が無いのか、それとも。

完璧に制御しているのか。

どちらにしても、恐ろしい娘だ。表面は完璧に取り繕っている辺りが、なおさらである。メルルをあの錬金術師の所に置くのは、はっきりいって不安だ。あれがその気になったら、メルルは早晩この世から消え失せるだろう。それだけの実力を持っていて。なおかつそう思ったら、この国ではルーフェスくらいしか対応出来ず。ルーフェスでさえ、恐らく足止めが精一杯。

戦慄は、やはり消えない。

小休止の後、次の客が来る。

其処からは、重要度が落ちる客ばかりだ。軽く応対して、書類のやりとりをして、今日の面会は終了。

執務室に籠もると、ハンコを押して、それで終わり。

書類は相応にあるけれど、デジエも昔は大陸に名を響かせた戦士だったのだ。この程度の書類、あっという間に目を通して、ハンコを押すくらいは、朝飯前である。

それも終わると、後は時間が出来る。

帯剣したまま、外に。

ルーフェスが用事を聞いて来たので、前線を見てくるとだけ告げると。街を出た。

 

街道を歩く。

アールズは、人口が少ない国だ。この街道も、草が生え放題。彼方此方に、豊かな森があるけれど。

その中で、ひときわ目立っているのが、小山のような森。

生きた森、エント。

この国における災厄の象徴であり。大陸でもトップクラスの、今だ不可侵となっている魔物だ。

その実力は圧倒的で、歴代のアールズ王が、幾度もどうにかしようとしてきたけれど。結局何ともならなかった。

若い頃、ジオバンニと一緒に挑んでいたら、話は分からなかったが。

あの事件が起きてしまって、それどころではなくなった。

通り過ぎる民が、デジエに挨拶していく。軽く返礼しながら、砦に。時々加速して、距離を詰める。

その気になれば、デジエの身体能力なら、二刻ほどで前線の砦にまで行き来することが出来るし。

全力なら、もっと時間を短縮できる。

逆に言うと。

味方の前線は、それほどまでに近い、という事だ。

前線では、アールズの兵士達と。それに二十倍するアーランドの軍勢がいた。アーランドの軍勢と言っても、主核になっているのは、同じような顔をした娘達。数は三百ほど。彼女らはホムンクルスというらしい。

錬金術で量産された戦士達で。

いずれもが、アーランドのベテラン並みの実力を持つ。それ以上の実力者もいる様子だ。

部隊の指揮を執っている34というホムンクルスに到っては、若い頃のデジエに匹敵するほどの実力を持っている。

残りの二百ほどは、周辺国からの援軍や、アーランドから来た冒険者。

皆、戦闘慣れしている、強者揃い。

この五百がその気になれば、アールズは一日で陥落する。そしてアーランドからは、更に増援が来るそうだ。

34が気付いて此方に来る。

表情はないが、応対は丁寧だ。

感情も、トトリよりはあるように感じられる。

「これはデジエ陛下。 前線の視察ですか?」

「うむ。 何か困っていることなどはないか」

「砦の補修が急務です。 しかし、今はアールズも大変な状況。 我等としても野営の準備はしてきていますので、急いでくれとは言いません」

砦、か。

此処は昔は、相応に立派な砦だった。

リザードマン族と、激しい内戦を行っていたからだ。彼らは優秀な戦士で、アールズの人間達を敵視していた。実際、昔から激しい殺し合いが何度も起き。勢力圏は一進一退。人間もリザードマン族も、多くが死んだ。

この砦で、何年も過ごした王もいたという。

砦からは、しとめたリザードマン族の尾や生首をぶら下げて、示威行動をしていたが。それはリザードマン族を怖れさせるどころか、怒らせるだけの結果に終わり。リザードマン族も反撃を強め。殺した人間の首や手足を、砦の前に投げ捨てていくという、血なまぐさい泥沼の紛争が続いた。

そんな事が続けば、何が起きるかは目に見えている。

八十年ほど前に。

アールズとリザードマン族の間で、正面決戦が行われた。

結果は引き分け。

どちらも大きな損害を受けて。この砦は此処まで破壊された。当時の王は、その時の傷が元で命を落とした。

それから補修をこつこつして来たのだけれども。

今は、砦と言うよりも、廃墟という有様だ。補修など、している余裕が、アールズにはなかったのである。

此処から東は、アールズだが。

事実上、もはやアールズの勢力圏では無い。

アールズの兵士達にも話を聞く。

此処を任せているのは、近衛の長であるゲオルグだ。先代から使えている熟練した武人で、年齢はデジエより六歳上である。

既に力には衰えも出始めているが。

頭脳の方はまだしっかりしていて、この国のささやかな軍隊を支えるのには、彼以外の人材はいない。

「砦の資材さえあれば、補修は始められます。 実際、砦にいるのに野営かよと、アーランドの兵士達が言う度に、悔しい思いをしています。 食糧だけは届いているのは、救いですが」

「うむ、すまぬな……。 迷惑を掛ける」

「いえ。 メルル姫様が、これからこの国を錬金術で豊かにしてくれると兵士達が噂しております。 私も、それを信じておりますので」

頷くと、砦を後にする。

やらなければならないことは山積している。アーランドも、この砦の補修を申し出てはいるのだけれど、今の時点では受けていない。

あの数の戦力が駐屯しているだけで、相当な借りを作っているのだ。

これ以上造ると、文字通り国政を乗っ取られかねない。

最終的には、仕方がない部分もあるが。

今の時点では、まだ必須では無いのだ。安易に便利だからと言って力を借りていたら、後でどうなることか。

夕方の少し前には、アールズ王都に到着。

執務室に入って剣を置くと。待っていたように、ルーフェスが来た。

「陛下、お戻りの所、申し訳ありません」

「うむ、如何したか」

「近々、アールズ西にて、大規模な会戦が行われる模様です。 メルル姫様には負担を掛けぬよう、私が精鋭を連れて加勢に向かいますが、万が一の事もございます。 引き継ぎは書類にして残してあります故、目を通して置いてくだされば」

「そうか。 だが、必ずや生きて戻れ。 アールズは、そなたがいなければ立ちゆかぬでな」

頭を下げると、ルーフェスは執務室を出て行く。

小国には、あまりにも荷が重すぎる出来事の数々。

今日も、明日も。

デジエの憂鬱は、晴れそうにもない。

 

4、最初の錬金術

 

トトリ先生のアトリエに来てから十日目。

朝は一緒に走り込んで、棒を振るって体力をつけて。それから座学で、錬金術の基礎を叩きこまれて。

空いた時間は、殆ど無くて。

ぐったりして休んでいて。

そして、時間があっという間に過ぎていった。

「メルル、起きてください」

「んー」

揺さぶられる。

目が覚めて、気付く。昨日はかなりハードな棒術の訓練をして。気がついたら、今だった。

服は、着替えさせられているけれど、少し汗臭い。

流石に裸にして、タオルで拭うまではしてくれなかった、ということだ。

ケイナが温めたぬれタオルを用意してくれていたので、それですぐに体を拭く。てきぱきとすませながら、聞いてみる。

「ごめん、ひょっとして、かなり起きる時間オーバーしてる?」

「今日は大丈夫です。 トトリ先生は用事があるとかで、お昼くらいに戻ってこられるのだとか」

「そっか」

「だから、その間、ちゃんと訓練をするように見張れって言われました。 さ、起きてください」

ケイナは、てきぱきと準備を終える。

メルルはちょっと気が進まなかったけれど。

それでも、外に出た。

走り込みをして、棒を振るって。

ケイナと一緒に、訓練をする。

ケイナは単純な武術については、鞄を用いたものを使う。鞄といっても、内部に鉄板を仕込んでいるもので。色々なお薬などをいれられるのと同時に、防具としても武器としても活用できるものだ。

ケイナの母君は、これの達人で。前線で、多くの人達と一緒にリザードマン族と戦ったそうなのだけれど。

残念ながらケイナ自身は才能に恵まれないとかで、あまり強くない。

鞄を使うのにも、色々型がある。

四角い厚みのある武器というのは珍しい。アールズ流武術の中には、変わったものもあるけれど。

鞄を使う戦闘術は、その中でもとびきりの変わり種だ。

訓練用の鞄を使って、二人で軽く組み手をする。ケイナもトトリ先生にしごかれていたからだろう。

目に見えて動きが良くなっていた。

「あれー? ケイナ強くなった?」

「何だか、トトリ先生にコツを教わったら、少しずつ勘が掴めるようになったというのか、その……」

「いいなあ−!」

素直に感想が出る。

でも、メルルだって、同じ先生についているのだ。きっと、すぐに強くなれるはずだ。ケイナの長足の進歩には驚かされたけれど。

ただ、ケイナは嬉しそう。

この間の戦いでも、ドナーンの攻撃から、メルルを守る事が出来ず、吹っ飛ばされた。その時の事を、ずっと悔やんでいた様子だ。

ケイナは、メルルにとって大事な家族。

喜んでいるのを見るのは、とてもメルルにとっても幸せなことだ。

訓練を終えた後、宿題があったので、やる。

かなり難しい。

ただ、今まで読んだ参考書を好きに見て良いと言うので、しっかり見ながらやっていくことにする。

ケイナがお茶を出してくれたので、口に入れて。

しばらく考え込んでいると、良い匂いがしてきた。

台所を見ると、ケイナが料理をしている。

そうか、もうお昼近い。

という事は、トトリ先生が帰ってくる、という事だ。

問題はかろうじて解けたけれど、見直している余裕が無い。そして、食事を急いで食べ終えると、丁度ドアが開いた。

トトリ先生だ。

体が少しすすけている。

あれ。

何か、戦いでもしてきたのだろうか。

血の臭いもした。

ただ、多分トトリ先生の血では無いだろう。何度か手の甲で顔を擦っていたトトリ先生だけれども。

その間も、笑顔は崩さなかった。

「ん、メルルちゃん、宿題はどう?」

「は、はいっ! 終わりました!」

「うん、見せて」

ひょいと、宿題のノートを取り上げるトトリ先生。

気付く。

側で、青ざめているケイナ。

ケイナは、正直な話、あまり鋭くない。メルルのことをいつも第一に考えていて、他の事は疎かになりがち。

トトリ先生の事も、メルルにしっかり教えてくれる良い先生、位にしか考えていなかった様子だ。

だから、やっと気付いたのだろう。

トトリ先生の周囲にある、異常な空気に。

「うん、出来ているね。 これだったら、そろそろ錬金術を始めても良いかな」

「ほんとですか! やった!」

嬉しい、それは本当だ。

だけれども、メルルは気付いている。トトリ先生は、恐らく殺し合いをしてきたのだ。何処かでまた、戦争があったのかも知れない。

其処でトトリ先生は、敵を容赦なく殺戮して廻り。

何ら感情を乱さず、戻ってきた。

全部返り血。

そして、恐らくは。

「まずは中和剤から始めようね」

笑顔は、まったく変わらない。

錬金釜の前に立つと、まずはどう棒を持つか、この釜はどういう役割を持っているかを、教えられる。

前に何度か聞いているけれど。

噛んで含めるように、とても丁寧に。

「錬金釜だけで、錬金術を行うのではないの。 このアトリエにある設備だけで言っても、その炉や、魔法陣、それに遠心分離器や、そのほかの器具も使うんだよ。 でも、一番多く使うのは、錬金釜かな。 だから、メルルちゃんには、これの扱いを、まず最初に覚えて貰うよ」

「はいっ!」

材料に関しては、トトリ先生が準備してくれている。今回は、材料の加工は飛ばして、まずは中和剤を造るところから、らしい。

頷くと、言われるままに始める。

不意に、トトリ先生が、ケイナに声を掛けた。

「ケイナちゃん」

「はい!」

「メルルちゃんの汗が釜に落ちないように、気を付けて見ていてね。 まだメルルちゃんは、其処まで注意できないと思うから。 釜に汗が落ちたりしたら、調合は全部台無しだからね」

「分かりました!」

ケイナの声が上擦っているのが分かる。

当然だろう。

トトリ先生が、どれだけ怖い人か、ようやく認識したばかりなのだから。でも、凄い先生である事に代わりは無い。

「いい、此処はゆっくり、もう少しゆっくり廻して。 材料は調えてあるから、後は温度を保ちながら、魔力が籠もった素材が、水に馴染むようにしていけばいいの。 急いで廻すと、失敗しちゃうからね」

「はいっ!」

回す手にも、力がこもる。

やがて、トトリ先生が、手を止めるように指示。

息を呑む。

釜の中には、強い魔力が、保たれている液体。

これが、中和剤か。

メルルは魔力を見る事が出来るから、分かる。とはいっても、それほど強くは無いから、あまりはっきりとは分からないけれど。

成功、だろうか。

トトリ先生が釜を横から覗き込んで、そして笑みを浮かべた。

「うん、成功だね」

「やった!」

喜びもひとしおだ。

最初の一歩は、上手く行った。

でも、トトリ先生は。笑顔を浮かべたまま、少しずつ、ハードルをあげてくる。

まず、次は素材の確保。

素材の加工。

そして、その素材を使って、中和剤を造る。

今みたいに混ぜるだけでは無い。

混ぜるまでの準備を、自分一人で、全部出来るようになって、始めてその調合をこなしたことになるのだという。

「一番簡単な一つである中和剤だから、この程度の手間で済むの。 慣れてきたら、もっともっと難しい調合を、今の十倍くらいの速度でこなさないといけないからね」

「ひゃあ、大変だ……」

「大丈夫、メルルちゃんなら、すぐに出来るようになるから」

ぽんと肩を叩くと。

トトリ先生は、準備をしてくると言って、アトリエを出た。

 

今回の生け贄は。

可愛い子だ。

優しいし、前向きだし。

それに何より、頭があまり良くない。うっすら自分を取り巻く環境に気付いていても。それが如何に致命的か分かっていない。

羨ましいな。

そうトトリは思うけれど。

感情はもはや、完璧にコントロール出来ている。思うだけで、感情が動くことは、一切ない。

外に出ると、軽くお薬を服用。

半分ホムンクルスになっている自分の体を維持するために、幾つかの処置がいる。戦った後は、なおさらだ。

今回の会戦で、トトリは複製、デュプリケイトの能力を使って、敵陣に爆弾の雨を降らせた。

その副作用で、体に小さくないダメージが出ている。

回復させるには、手間も必要だ。

そういうものなのだから、仕方が無い。

苦いお薬を飲んだ後、体をパーツとして認識して、反応を確認。安定している。問題なし。

ふと、顔を上げると。

其処には、此処にいるはずのない人がいた。

「弟子二号。 どうだ、状況は」

「順調です」

「そうか。 どうだ、三人目の弟子を持った気分は」

「そうですね。 前の二人は、出来が良すぎて手も掛かりませんでしたし。 メルルちゃんは手が掛かる分可愛いです。 それに、私がいた環境よりは、ましなところで、勉強させてあげたいですね」

言葉の意味に気付いただろうか。

当然だろう。

その人。ロロナ先生を、あんな目に遭わせた元凶である錬金術師。この大陸でも最高の錬金術師である魔人アストリッドは。

鼻を鳴らすと、言う。

近々、此処に越してくると。

アーランドの方は、戦況が完全に膠着。色々な手段で、敵の機動部隊についても捕捉している。

アストリッドはこれより、最前線にいるクーデリアを、後方から支える任務に入ると言うのだ。

ロロナ先生とステルクさんも来ると聞いている。

そうなると、アーランドの一線級の人材の内、相当数がアールズに来る。

つまり、此処で。

史上空前規模の会戦が行われる、ということだ。

それも一度や二度では済まないだろう。

アールズが焦土になる前に、メルルちゃんをしっかり鍛え抜かなければならない。そうしなければ、あの子は、死ぬ。

あの子の家族も、みんな死ぬ。

この国は、何一つ残さず、消え去る。

でも、それでも。

感情は動かない。

感情を制御出来なかったから、ロロナ先生はあんなことになった。感情を制御出来なかったから、お母さんはあんな事になった。

トトリにとって。

自分の感情は、敵だ。

「しばらくしたらまた来る。 それまでに、精々あのピンクのちんまいのを鍛えておくのだな」

無言のまま見送る。

トトリにとって。メルルちゃんは、何なのだろう。可愛い弟子である事は確かだ。だけれども。

目を擦る。

もう涙も流れなくなった目は。

近くの小川に移してみると。

まるでドブのように濁っていて。

感情の一つも映していない。

それでいい。

笑顔を取り繕うと、アトリエに戻る。まだまだ、メルルちゃんに教えなければならないことは、いくらでもあるのだから。

 

(続)