|
至高天の老神
序、最後の戦いへ
多神連合のクリシュナ達と、ベルゼバブ達がにらみ合っているが。咳払いして僕が前に出ると、それで両者引いた。
今は戦う時ではない。
戦う意味もない。
これから、至高天への道を開く。
元々それは何処かの決まった場所に開くものではない。本来は、三つの鍵とやらで戸を開けるものでもない。
最初座についた神は、観測出来る範囲では一番古いのがマルドゥーク。
つまりその前に、神々の主だったティアマトは座になどついていなかった。
或いはだが。
何とか理解したドクターヘルの説明によれば、あるいはその時代の人は、まだ座を認識できる程に世界を観測出来ていなかったのかもしれない。
座は巡り、やがて世界が滅びても、次の世界でまた座が作られる。
マーメイドが言っていたこのマントラの理は。
単純に様々な生物が興亡し。それらが座を認識するほどに栄え。やがて滅びていった過程を意味しているのでは無いのか。
そうドクターヘルは解釈していた。
人の前にも、世界の覇権を握った生き物はたくさんいた。
それらがそれぞれ座を認識し。
そして彼等なりの神を認識し。
それもやがて滅びていった。
それがマントラの理というのであれば、筋は通ると。
何よりも、世界全ての理を司るというのはあまりにも無理がある。たかが地球……この世界の事らしいが。地球にいる生き物ごときが、世界の全ての理を決めるのはとてもではないが無理なのだとも。
ドクターヘルにいわせると、この世界はもはや数えることすら出来ない程世界にある「星」の一つに過ぎないらしく。
世界は広ささえも、出来てから経過した年月すらも、不明なのだという。
諸説はあるが、いずれも反論が存在しているらしく。現時点で正解を割り出す科学技術は人間にはないそうだ。
平行世界が存在している事は分かったが。
それはそれとして、この世界はあくまで「この星」に限定した話。
文字通りの世界全てなど、「座」とやらが影響を及ぼすのは到底無理だろうとも、ドクターヘルは語っていた。
それほど世界は広く。
そして人間も神々も矮小なのだとすれば。
それは人間を愚民化して、真実を知らせないようにしたという天使達の行動にも納得がいく。
そうでもなければ、宇宙なんて全部支配できるわけがないだろと、子供でさえ気付く時代が来てしまう。
故に天使達は知恵を東のミカド国の民から奪った。
そういうこと、だったのだろう。
いずれにしても、その至高天にこれから赴く。
牽制し合っている二陣営に、殿が声を張り上げていた。
「これから恐らく座を狙う阿呆どもがわんさか押し寄せるであろうな。 それらを対処するようにな」
「分かっている」
「まあこやつ等に座を独占させなければそれでいい。 我等が主明けの明星は、座に興味は失ったが、ろくでもない存在が座につくことは望まれておらぬ」
「うむ……」
殿が促す。銀髪の娘……リリィが歩き出す。
座についての処置については、既に話し合いを終えている。時間を掛けて話をした。それで全員が納得するものが出来た。
後は、東京。
それに東のミカド国。
東のミカド国には、マルドゥーク達を残してきた。天使の残党が悪さをしようとしても、何もできない。それに、ラジエルを初めとする良識派の天使達も、人間を守ると誓いを立てた。
神にも悪魔にとっても契約は重要だ。
人間には契約の概念を理解出来ていない存在もいたらしいが、神や悪魔は人間よりそれはしっかりしている。
此方では、日本神話系の神々、ケルトの神々が、それぞれ市ヶ谷とシェルターを守ってくれている。
日本神話系の神々は素戔嗚尊が加わった事もある。
ほぼ主力の神々が揃った事で、戦力は充分。
もはや悪さをすることは不可能だろう。
それでも念の為に、ナナシ達は残り、守りにつく。皆を守って欲しい。そうワルターがいうと、ナナシは任せろと力強く応えていた。
さて、いよいよだ。
神田明神の近く。
天照大神が舞っている。
この国の最高神が、至高天への道を開くための切っ掛けを作る。それだけじゃない。
既に東のミカド国からマルドゥークが。
それに悪魔合体で作りあげた魔神アメン・ラーが。
そしてしぶしぶという表情で、どうにか蘇生できたらしい魔神バアルが。まあ、ダグザにぼっこぼこにされて懲りたのだろう。
それぞれ座についていた経験を持つ神が、力を送り込む。
鍵なんぞいらない。
実際問題、峻厳、均衡、慈悲だったか。そんなもの、マルドゥークは持ち合わせた覚えなどないと笑っていたし。
ラーやバアルだって、それぞれの考えは持っていただろうが、それらに慈悲があったかは極めて微妙だ。
それは四文字の神だって同じ。
こちらで残されていた旧約聖書とやらを軽く読んでみたが、四文字の神に慈悲なんぞあったか。
気にくわない人間は即座に殺し、自分以外の信仰は抹殺し、試しと称して気分次第に人間を殺して信仰を確かめる。
そんな存在に慈悲などあるか。
均衡などあるか。
どこが峻厳か。
いずれにしても、鍵はあくまで鍵。それも既にあの元大天使達と融合している。至高天への扉は、そのまま開けるだけだ。
光が迸り、それは柔らかい。
ドクターヘルが説明してくれる。
「例えば紙に書いた絵をその辺りで振り回すことが出来るように、二次元を三次元に持ち込む事は可能だ。 だが誰かの絵を描くことは簡単だが、絵の中に入る事など、とてもできない。 至高天とやらに入れないのはそれが理由だ。 下位の次元に簡単に足を踏み入れる事は極めて困難。 そういうことよ」
「大丈夫かそれ、入った途端にぺしゃんことかにならないよな」
「大丈夫だ。 一種の情報体としてこの先に臨むことになろうよ」
「生きて帰れるのかしらね」
霊夢がげんなりした様子で言う。
いずれにしても、ガツンと音がして、扉が固定化されたようだった。
さて、行くか。
もはや怖じ気づく理由などない。この先に至高天とやらがある。其処に座と、其処につく四文字の神がいて。
更には其処への到達を阻む存在がいる。
ならば、それらの全てを打ち砕いて進むだけ。
人とともに歩んでくれる神だったらいてもいいと思う。
そういう神様はむしろいてくれたら嬉しい。
人間の悪を糾弾する悪魔がいてくれればいいと思う。
法を笑って悪の限りを尽くすような人間を地獄に引きずり込んで相応の仕置きを与える存在。
そんな悪魔の存在は大歓迎だ。
だが、今いる神々は果たしてそうか。
悪魔はそうか。
ならば、変えなければならない。変える事に同意してくれている神々が主流なうちに、勝負を決める。
空間に出来た巨大な穴に、足を踏み入れる。
びりっと来て、そして内部に。
そこは、階段だった。
ただひたすら、何処までも続く階段。マーメイドが、此処には沈めないと言って、水で足場を作って、その上を進むようにしてついてくる。
「ナホビノとやらと数限りなくこれを踏破したのだろう。 案内は頼めるか」
「いえ、私の知っている至高天とは違うわ。 何が起きるか分からないから、気を付けて」
秀にそうマーメイドが応える。
凄まじい光が満ちていて。階段がただ続いている。
巨大な気配が一つや二つではない。
それらが必ずしも敵意を持っている訳ではないようだが。それでも、気を付けて進まなければならないだろう。
警戒しながら、一歩ずつ行く。
後方が見えなくなるほど階段を上ってきた。転げ落ちたら死ぬな。悪魔達にも、飛べる悪魔には気を付けるように促しておく。僕らは翼がある悪魔ほど、自在には飛ぶ事ができないのだ。
空に浮かんでいるのは、なんだろう。
球体だろうか。
いずれにしても、この奧に四文字の神がいる。この先に、昔は色々な神が、半身とともに挑んだということなのだろう。
しばし歩みを進めて。
やがて、足を止めていた。
あまりにも音もなく、気配もなく、それは現れていた。
三つの頭を持つ、赤い体の悪魔。翼を持ち、顔のそれぞれは人間だったり竜だったり。おぞましい迄の気配が感じ取れた。
「座を求めて来たか。 優れた英雄達の集まりのようだが、何を座に求める」
「貴方は」
「私はサタン。 敵対者の名を持ち、今では神の座を監視する存在」
「だとしたら仕事をしろや。 四文字の神とやらが全然仕事していないからこんな有様になっているんじゃねえのか?」
ワルターが凄む。
普段ならたしなめたい所だが、ヨナタンも同意のようだ。あの有様の東京は、まだ人が生きているだけマシというほどに酷い。
四文字の神の手下の大天使達が何をしたか。
人間を家畜牧場で飼い慣らしていた東のミカド国。
それ以外は全て核兵器とやらで何もかも焼き払い吹き飛ばした。
そのような凶行、何故止めなかったのか。
誰もが神の監視者がいるなら、糾弾したい所だ。
サタンは三つの顔についている目を全て閉じて、言う。
「そうだな。 私も世界の有様は見ていた。 だが、神のあり方を監視するのであっても、神の行動を抑止するのは私の仕事では無い。 それと、大いに勘違いをしていることがある」
「何を勘違いしていると?」
霊夢の冷えた声に、サタンは驚くべき……いや想定されていたことを言う。
それは、あの砂漠の平行世界を見た今なら、納得出来る話だった。
「四文字の神……YHVHは、そもそも他の神々にも悪魔にも天使にも興味を持たない。 あの大破壊は、YHVHの狂信者となった天使達が、その手下となっていた人間を操り、起こさせたことだ」
「なんですって……!」
「YHVHはただ座にあり、悪魔と天使の戦いを傍観しているにすぎぬのだ。 それが全肯定と全否定の理の真実。 自分のところまで上がって来た人間を愛でる。 それだけが目的だ。 昔は地に降りて気に入った人間と触れあう事もあったようだが、今ではすっかりそれも止めた。 その理由は、私にはわからぬ」
「いずれにしても、とんでもない奴だって事ははっきりしたね」
僕はため息をついた。
傍観、か。
たまに、僕が師事を請うた達人の中にいた。
力は悪戯に振るうものではない。圧倒的な力を持って、それをただ抑止にだけつかうのが理想だと。そう言う者が。
理想としては分からなくもない。
だが、仮に世界を改革し、良くする力を持っているのだとしたら。それを使うのが義務というものではないのか。
四文字の神は、悪魔にも天使にも興味がなく。
タダ見ているだけだった、というのか。
既にこの時点で、座から蹴り落とす事を決めていた相手だが。怒りのボルテージが上がり続けている。
サタンはそれを、敵対者という恐ろしい異名とは裏腹に。むしろ悲しそうな目で見ていた。
「その様子だと、平行世界を見てきたのだな。 遠くの平行世界から来たものもいるようだ。 凄まじい力を持つ、圧倒的な影響力を持つ超存在が平行世界を束ねているの私も感じ取っていた。 その尖兵か。 この世界も、同じようにマシにしようというのだな」
「ええ。 それがあの人の願い」
「良いだろう。 マントラの理は必ずしも永劫の理でもなんでもない。 それに……気付いているものもいるようだが、神々の認識している「宇宙」というのは、あくまでこの星の話に過ぎない。 輪廻というのは、この星での生物の興亡に過ぎない。 恐竜とそなたらが呼ぶ生物が世界を支配していた時代には、座は別の形で認識され、神々の形もまた違っていた。 ただ……お前達が滅びたときには、もうこの世界に先はないだろうな」
「資源が既に使い切られているからな。 人間という生物が再起する最後の好機が今であろうよ」
ドクターヘルが指摘。
ふっと、サタンは笑っていた。
そして、両手を拡げる。
それだけで、全身に武者震いが走っていた。
「まずは力を見せてもらおうか。 神々も悪魔の王も退けた勇者達よ。 私は此処からそなた達の戦いを見ていた。 だからこそ、そなた達の力を私の身で確認しておきたい。 そしてそなた達がこの先に行く事が相応しい力を備え、座に干渉するに相応しい存在だと判断したのであれば。 私は、その座の変革に立ち会おう」
「ま、そうなるわな」
「文字通りの魔王の中の魔王との戦いか。 腕が鳴る」
「いいよ。 力尽くでも此処は通るつもりだった!」
僕が蜻蛉切りをふっと構えると、サタンは周囲に多数の悪魔を出現させる。恐らくサタンの眷属……いや違う。
これは恐らくだが、アティルト界にいる様々な神々の写し身だ。
それらを自在に扱う事ができると言うことなのだろう。
「悪魔を操る力を与えられている。 そんな肩書きを持つ大天使が存在している。 マンセマットの事だ。 それの本家本元がこの力だ。 観測した先にある二次元世界……アティルト界。 其処にある力の全てが、私の操る存在と知れ!」
多数の神々、天使、悪魔。それぞれが、文字通り驟雨の如く襲いかかってくる。これは、最初から全力でやらないとダメだな。
僕はティアマトを呼び出すと、総力でのブレスを真っ向から叩き込んで貰う。それがサタンが召喚した悪魔や神々を消し飛ばす中、突貫。ワルターもそれに続く。秀は少し離れた。
戦いが、始まった。
至高天への道の周囲には、多数の魔的存在が集まり始めていた。
死者に取り憑いているような下等な悪魔から。
それこそ、明けの明星に不満を抱えていた大物の魔王まで。
それらとの戦いが始まっていた。
どけ。
座は私のものだ。
座を奪い取るのだ。
呻きながら、凄まじい数の悪魔が来る。多神連合とベルゼバブら明けの明星の側近達は、それら全てを相手取り、総力戦を開始する。
多神連合には結局行き場がなくなったトールも、嫌々ながら参加しているバアルもいる。
ベルゼバブ等の側には、ルキフグスや蚩尤を初めとする魔界の大重鎮達がいて、それぞれ接近する有象無象を薙ぎ払う。
クリシュナが舞うように迫る雑多な神々を斬り伏せながら、軽口を叩く。
「あの者達、サタンに勝てると思うかい? 蠅の王」
「勝てるだろうよ。 まあサタンが認めるかどうか、という戦いでならな」
「やれやれ。 それにしてもサタンごときが出世したものだな」
「よくある極大解釈だ。 ものごとを曲解し最大限まで都合良く解釈するのは人間の得意技であるからな。 皆、そうして得体が知れない能力を与えられ、そして人間に振り回されて来たのであろうが」
ベルゼバブの凄まじい呪い魔術が、殺到する悪魔を消し去る。呪いに耐性があろうが知った事ではない。
トールがミヨニヨルを投擲し、多数の神を打ち砕いた。
弥勒菩薩が光を放つと、浄化された悪魔がまとめて消え失せる。
ショウキは黙々とその剣腕を振るい。
ケツアルコアトルは太陽の光で、雑多な悪魔を寄せ付けもしない。
とにかく何処に潜んでいたのかと言う程の数の悪魔が寄せてくるが、それらはどれもこれも哀れな有様。
此処にいるような神々には、とても歯が立たない。
それでも無数に寄せてくるのは、座にそれだけ希望を見ているのだろう。
アティルト界からもはや簡単にアッシャー界には来られない。
天照大神が復活した事により、この国で魔が形を持つのは極めてハードルが高くなったからだ。
それに、である。
全肯定と全否定の理。
バカを支配するための最高の理屈をあの四文字の神が独占して。
それでこれほど世界を好きかって出来るというのであれば。
自分だって。
そう零落した神々は、考えるのかも知れない。
だが、それはもはや神々ではない。悪魔と言うのに相応しい。
古くは誇り高き神々だったのかも知れない。
だが、零落させられたにしても。
今、こうして至高天に向けて殺到してきている様子は、もはや悪魔と言う存在以外の何者でもありえなかった。
クリシュナに、ベルゼバブは皮肉混じりに言う。
「一歩間違えれば貴様もこうだったな。 特にあのフリンというものを自分の神殺しに仕立てようとでもしていれば、確定でこれらの同類となっていたであろうよ」
「ちっ……」
「お前もそもそもヴィシュヌではない別の神格であっただろうが。 それをヒンズーなどと言うカーストを肯定する愚かしい信仰に取り込まれ、ヴィシュヌのアバターとされて、それでいいのか」
「黙れ。 今はそれどころではない」
不愉快そうにベルゼバブの揶揄に、クリシュナが吐き捨てる。
実際、押し寄せる悪魔の群れは、まだまだ多数。
そこへ、横殴りに射撃が来る。
「ほう?」
つるべ打ちという奴だ。
並んだ戦車隊が、一斉に砲火を浴びせている。10式戦車とM1エイブラムスの連合部隊だ。
それが対悪魔用の榴弾を搭載して、そして一斉射撃を行っている。多数の悪魔が、見る間に撃ち減らされていく。
戦車隊に向かおうとした悪魔達は、人外ハンターが放った悪魔とぶつかり合うが、質が違う。
「どうやら、市ヶ谷やシェルターはもう守りが盤石なようだな」
「此方志村。 加勢する」
「おう、頼むぞ。 まあ加勢されなくても勝てるが、楽に勝てるならそれに越したことはないからな」
ベルゼバブが悪魔の群れを薙ぎ払う。
もう一度、クリシュナが舌打ち。大きく嘆息すると、クリシュナも意識を切り替えて。この場の死守に努めるのだった。
1、神霊の壁
突貫。
サタンに僕は突撃を入れる。サタンは余裕を持って受け止める。蜻蛉切りで絶技と言える技を次々と叩き込むが。
それでもサタンは、軽くあしらってくる。
とんでもない技量だな。
だが、それは単純なフィジカルに裏打ちされていると、僕は既に見抜いていた。故に、数々の搦め手を試す。
槍技は。そもそも剣術に比べると実用的だ。
剣はどうしても王権の象徴だったり、何より武人の魂扱いだったりしたものだ。だから世界中に様々な剣術が存在した。にもかかわらず、戦場の主力や弓と長柄だった。鉄砲が開発されてからは、それは鉄砲に切り替わった。
どんな英雄も、馬上で長柄を振るったものだ。
それが長柄、いわゆるポールウェポンが如何に実用的かを示している。そういうものなのである。
だから、その技術についても。
徹底的に研究され尽くしている。
サタンはあらゆる技を返してくるが、どれもこれも見た事があるが、理論上分かるものばかりだ。
人間は一万年……東のミカド国の千五百年はほぼ平和だったから考えなくて良いとして、それでも一万年、ずっと殺し合いばかりやってきた生物だ。それも、同族で、である。だからその槍の技は、神々の歴史とともにあると言ってもいい。
ドクターヘルがいったように。
神々は人が作り出したもの。
アティルト界に観測され形を持った神々は、所詮人間の映し鏡に過ぎない。だから、人間が全く知らない、接点もない神々など出現しない。
実際問題、人間以前に高度に発展した生物の神々など、全く姿を見せない。それらは、発展を終えた生物とともに滅び去ったのだ。
あのホワイトマンという平行世界の存在達は。勘違いしていた。
この世界は神々に好き放題玩弄されていたのではない。
そういう神々を人間が作り出し。そうして出現した神々が人間を玩弄した。そういう負の連鎖が起きていたのである。
この後人間が滅び去ったとして、その先に現れる生物がまた神々を作り出し、こういう至高天と言われるような世界をまた作り出し。座を作り出す。
それが分かっている以上。
不毛な戦いは、ここで終わらせなければならないのだ。
押され気味だった戦いが、徐々に拮抗していく。皆もサタンが呼びだした多数の悪魔の影を打ち砕いていく。
前線に躍り出たのは、アガートラームとダグザである。
それが、息を合わせてサタンに猛攻を加える。
サタンは流石に冷や汗を流し、腕を増やしそれぞれに武器を手にして攻撃を凌ごうとするが。
真横から突貫したギリメカラに、態勢を崩される。
そして、天使部隊が放った光の塊が直撃。
ぐっと呻いたときには、僕が真後ろに回っていた。
真後ろにも目がついている。
そしてサタンは更に腕を増やして対抗してくるが、残念だがもう体の構造上、僕の攻撃に対応できない。
一撃。
それで充分。
貫を入れて、ついにサタンを貫く。
サタンは明確に悲鳴を上げると、不意に戦意をかき消していた。
「降参だ。 どうやら私の見込み以上のようだ」
「……どうやら嘘はついていないようだね」
蜻蛉切りを引く。サタンは姿を縮めると、人間大程度の大きさにまでなっていた。皆で囲む。
消耗しすぎない程度に力試しをして来た、ということか。
ドクターヘルが何やら計測を続けている。
これも、今後に生かすのだろう。
「神を撃ち倒すとして、その後の展望はあると見た。 それならば、私は後方から加護だけを送ろう」
「あんたが四文字の神を倒すべきだったのでは無いの?」
霊夢が言うが。
サタンは苦笑い。明らかに、そうしたのがどうしてか分かった。
「すまぬな。 私はどちらかというと原天使とか神霊とかいわれる存在で、その役割に神への誅伐はあっても、神を滅ぼす事はないのだ。 今まで四文字の神には、変質を指摘し、誅伐を与えた事は幾度かあった。 だが既に、老いきった四文字の神には、それは無駄になってしまっている」
「そうか、ご退場願う時だって事だな」
「そういうことだ」
ワルターに、サタンは分かりやすい返事をした。
まあいい。
とりあえず、天使部隊に回復の魔術を使って貰う。僕らはドクターヘルの輜重部隊から物資を受け取って、回復に努める。
出来るだけ急いだ方が良い。
どんな問題が後方で起きるか、分かったものではないのだから。
それにこの先の四文字の神は、当然此方の侵入を察知しているはず。それであれば、守りを固めさせるわけにもいかないだろう。
手当てを終えて、先に進む。
ダグザがうきうきしているようだ。
「ついにあの四文字の神めを殴れる!」
「……なんというか、そのためだけに来たようですわね」
「どれだけの迫害を他の神々が受けて来たか、知らぬからそんな反応が出来るのだ」
「まあ、分からなくはないわよ。 四文字の神ではないけれど、あたし達も月の都の連中に散々酷い目にあわされたからね。 ただ、それももうなくなってしまったけれど」
階段を行く。
ずっとまっすぐ続いている階段。
ドクターヘルによると、これは上位次元どころか下位次元の事だそうだから。或いはだが。
人間が思い浮かぶ、神への道というのがこういうものであるのかも知れない。
天使部隊を先行させる必要もないだろう。
程なくして、足を止める。
どうやら、第二の壁が登場したようだ。
空から……というのも変か。
上から降り来るそれは、どちらかというと、巨大な球体が王冠を被っているように見えた。
殿がぼやく。
「おいでなすったな」
「神の座に近付こうという狼藉者どもよ。 これ以上進む事はまかりならぬ」
「貴方は」
「我は神の一つ。 神が別名の一つシャダイ」
イザボーが皆に頷く。シャダイに、もっとも分かりやすい疑問を投げかける。
これは、先にそうしろと言われていたからだ。
「確か貴方は唯一絶対の存在だという設定でしたわね。 それなのにどうして別名が幾つもあるのかしら? 他にもエロヒムやらツァバトやら。 神が神殿にある状態を示すシェキナーという名もあるそうですわね。 これらは要するに、貴方が唯一絶対の神などではない事を示しているのではありませんの?」
直球である。
イザボーは元々聡明だ。
知識欲も旺盛で、何よりもっとも大きいのは何かしら思考的なタブーを持たないと言う事である。
神学者達は矛盾だらけのバイブルにそれっぽい説明をつけることで、更に矛盾を拡大させてきたという歴史を持っている。
言った者勝ち。
そういう世界だから、どんどん歪みは大きくなっていくのだ。
そもそも神が絶対で唯一なら、名前なんぞ一つで良いだろう。その姿に関しても、である。
汎神論という、世界そのものを回している法則が神だという考え方もあるらしいのだけれども。
それもそれで、結局一神教の軛から逃れられていないだけの話だとも言える。
ましてや、神を否定する事が禁忌だとされていたような世界では。こういう質問は、それこそしてはいけないものだったのだろう。
「我に疑問を投げかけるとは笑止。 我は絶対にして唯一。 唯一にして犯されざるもの。 我に逆らう事は、文字通り消滅と知れ」
「やってみろ」
「ええ、やってみなさい。 不細工なその姿、神性を示すものとはとても思えないわね。 巨大な目は魔力の象徴、球体は完全性の象徴。 そして王冠は王権の象徴かしら。 俗悪な人間の「こうすれば偉い」という思想がそのまま現されているだけの存在でしかないわ」
「許されざる侮辱である。 滅びよ」
光を放ってくるシャダイ。
僕はまずは飛び退くと、その光の性質を見極める。天使部隊が壁になるが、それでも耐えきれない。
これは、無理矢理に浄化する力か。
霊夢が叫ぶ。
「目を閉じさせて。 まともに近付くのは自殺行為よ!」
「分かった!」
槍を持つ悪魔達が、一斉にそれを投擲する。それらも途中で光に溶かされてしまうが、しかし。
一人、剛弓を引き。
それをぶっ放した悪魔がいた。
ヴィシュヌの化身、ラーマ。
羅刹王ラーヴァナを倒した存在である。
興味があるとかで。イザボーが作っていたのだ。
神話では、最初はラーマはとてもか弱くて、周りから守られるばかりの存在であったらしいのだが。
やがて成長し、最後は不死身とも思われたラーヴァナを弓矢で射倒す存在にまで成長するという。
ラーマの放った矢が、シャダイの目の至近まで迫る。それを必死に溶かそうと、光を収束させるシャダイ。
其処に、ワルターが叫ぶ。
「どうした、万能で全能なんだったら、そんな矢なんぞ怖れる必要なんてないだろう! 力を収束させなくても効かない筈だ! そんな事をしている時点で、お前は万能でも全能でもない!」
「黙れ」
ラーマの放った矢が打ち消される。
だが、次の瞬間。
突貫した天使部隊が、シャダイの被っている王冠を、体当たりして叩き落としていた。階段を外れ、奈落の底へ落ちていく王冠。
シャダイが、青みがかった体を振るわせる。
おのれ。
怒りの声が放たれた。
それだけでずり下がる程の圧迫感。消し飛んでしまう悪魔もいる。
だが、僕らは意外と平気だ。霊夢が印を切ると、喝と叫ぶ。それで、更に緩和される。
突貫。
殿が叫び、リリィが前に出る。僕も遅れてはいられない。ワルターとともに前衛に躍り出る。
シャダイは王冠を失いながらも、立て続けに光の矢を目から放ってくる。
それを、多数の悪魔達が矢を放ち、目を狙う。攻撃を全て防ぎながらも、攻撃を同時には出来ないらしく。シャダイは此方への攻撃が疎かになる。
殿ではない。
リリィが叫ぶ。
「さっきから、貴方は自分の偉さを自慢するばかり。 東京の人達をどうして救おうとしなかったの? 全能で万能であるのなら、そんなことは簡単だった筈だよ」
「救う価値の無いものなど救う必要などなし」
「だったらそんな神様いらない」
「なんたる侮辱か! そなたらの魂には、無限の時に苦しみが与え続けられると知れ!」
光が立て続けに放たれるが、既に僕もワルターも、当然リリィも見切っている。それに、霊夢の反発する力が作用しているからか、明らかに遅い。
マーメイドが側面に躍り出る。
そして、冷気魔術を叩き込む。それは、明らかにシャダイの防御障壁を貫いていた。青い体の一部が、砕ける。
これで、完全を示す球も失われたか。
明らかに形が崩れ始めるシャダイ。
其処に、僕が目を狙って突貫。リリィは多数の不可視の弾丸を叩き込む。それでも、防御と攻撃を同時に叩き込んでくるシャダイ。
だが、跳躍したワルターが。
マーメイドが作りあげた傷に、大剣を叩き込んでいた。
火花散らしながら、大剣がシャダイの球体を更に砕く。勝機。叫ぶヨナタン。悪魔達が殺到する。
シャダイは明確に恐怖を目に浮かべる。
やはりこいつ、完全でもなんでもない。繰り出される光を右左にステップして回避しつつ、僕はシャダイの至近に迫ると。
同じように跳躍していた殿と同時に。
一撃を、奴の目に叩き込んでいた。
全力で守りに回ったシャダイが、光の壁を展開。至近で防がれる。だが、既に攻撃の余力なし。
殺到する悪魔達が、シャダイに組み付き、あらゆる攻撃を至近から叩き込む。それでも、分かる。
此奴は強い。
一瞬の油断で、逆転される可能性がまだまだある。
押し込む。蜻蛉切りを。
斥力が凄まじいが。
僕は今まで磨きに磨いた技と、それに蜻蛉切りを信じる。いかなる敵も倒してきて。最後まで本多平八郎忠勝とともにあった最強の槍。
だからこそ、絶対に勝てる。
リリィが不可視の質量体を連続して叩き付け、ついに光の壁をこじ開ける。そして、その隙間に。
僕が、総力での貫を叩き込む。
凄まじい絶叫とともに、シャダイの体が内側から光を放つ。逃げろ。ダグザが叫んで、悪魔達が我先に逃げ出す。
僕も、あわてて飛び退く。マーメイドが水でクッションを作って、更にアナーヒターとティターニアも、同じようにして受け止めてくれた。
シャダイが内側から砕けて行く。
目を貫かれ。
三つの神を代表する「完全性」を失ったシャダイが、ぼろぼろとその場に朽ちていった。
呼吸を整える。
短期決戦にしておいて良かった。
それに、此奴は四文字の神の分身の一つに過ぎない。まだまだこの先には、似たような奴がいると見て良い。
ドクターヘルが、回復を始めた皆に、声を掛ける。
「いいデータが測定できた」
「聞かせよ」
殿が言うと、頷くドクターヘル。
ドクターヘルによると、シャダイから感じ取れていた力は。イザボーの存在に対する疑問で大きく揺らぎ。
そして、更にはリリィによるその存在の拒絶で、更に大きく崩れたという。
「測定されるデータから見て、サタンに近い力だったシャダイの出力が、最初のイザボーの言葉で三分の一に、更にはリリィの言葉で更に二分の一にまでさがっておる。 これでなんとなく理解出来た事がある」
「分かる言葉で頼む」
秀がぼやく。
秀も戦闘中、ラーマと一緒に遠距離攻撃に徹してくれていた。次の戦闘では、前衛を張ってくれる。
僕だけが最前衛でつねに戦う訳にもいかないのだ。
まだ先は長いのだから。
「簡単に言うと、涜神はこの世界では大いに有効と言う事だ。 恐らく此処に以前四文字の神と一緒に来た人間は、それを知っていたのだろう。 一神教における涜神はあまりにも苛烈だが。 それが故に、他の神の力を相対的に落とし、四文字の神の力を絶対的最強へと押し上げたのであろうな」
「ばからしい。 そんなの自分が強くなった訳でも偉くなったわけでもないじゃんか」
僕の指摘に。
よくわかっておるではないかと、ドクターヘルが褒めてくれる。
あんまり良い気分はしない。
イザボーが持ち込まれている保存食。豚の燻製肉を上品に食べ終えると、確認する。
「要するに、神を否定すれば良いのかしら」
「そうではないな。 文句を言ったりするだけでは何の意味もなかろう。 矛盾を突け。 一神教など、所詮は他の信仰の寄せ集めであり。 多数の神の名があるのは、そのルーツが多数ある証拠に他ならぬ。 ましてや隣人愛と許しの思想だったものが、今では生まれながらに埋め込まれた原罪と罰の思想に変わり果てている。 其処を糾弾して、奴も分かっている矛盾を叩けば、奴はどんどん手が届く範囲まで力を落とすだろう」
座についても同じだという。
絶対の存在だと神々が考えているからそうなる。
そんなもの。ただ観測の果てにそうなると考えれば、誰でも座れるものになる。いっそのこと、何も座らないという選択肢すら出てくるだろう。
座につく存在については、既に議論の捨てに決めているのだが。
それも、誰かが生け贄にされることもなさそうである。
「それにしても本当に最初にここに来たとき、四文字の神はどんな存在だったんだろう」
ヨナタンがぼやく。
僕は、それについてはどうせ本人から聞けばいいと思った。
世界最大の信仰を集めた存在。
全肯定と全否定の思想を持って、世界中の人間のわかりやすさを刺激して。それで信者を集めた存在。
それによって救われた人だっていたのかも知れない。
だが結局は、それは最終的に人を支配する道具になり果てた。
王は国家第一の奴隷だとヨナタンは言っていた。
だとすれば、信仰は人間にとって、もっとも簡単に人間を支配できる道具であり。ある意味もっとも汚れた使い古しの道具であるのかも知れなかった。
休憩を入れてから、階段を進む。
後方ではフジワラが指揮をして、何が現れても対応してくれると思う。だから、後方は気にしない。
もしも雑多な悪魔達が乱入してきても、それはあのベルゼバブとクリシュナの防壁を抜いた連中だ。
戦力なんて残っていないだろう。
先に進む。
今度は大量の顔が連なった、光り輝く存在が降りて来た。
神霊ツァバト。
軍神としての四文字の神の側面。つまり、元々四文字の神は全知全能でもないし、唯一の存在でもない。
それを無理矢理まとめたから、こういう分霊体が出現する。
秀が前衛に、ワルターも。此奴の相手は二人が前衛になって、僕は後衛から支援する。こうやって少しずつ消耗を抑える。
「神の座を侵そうと近付く不届き者が。 この地をこれ以上進む事ができると思うな」
「貴方は全知全能の筈だ。 それならば何故多数の名前があり、多数の側面を持つ。 そもそも軍神としての側面など、全知全能であるのなら必要ないはずだ。 全知全能なら居ながらに勝利できるはず。 それが出来ないのは人間を試すつもりだとでもいうつもりか? 貴方はそうやって、結局自分が全知などではなく全能などではないことを煙に巻いているだけではないか」
ヨナタンの糾弾が入る。
イザボーの糾弾よりずっと苛烈だったので、僕はちょっと驚いていた。
恐らく法にもっとも忠実で、秩序のために身を削ろうと考えていたのはヨナタンだろう。そのあり方は極めて高潔であると僕も思う。
だとすれば、ヨナタンを裏切ったのは大天使達。
そしてその大天使達をしっかり教育しなかった神の責任だ。
試しなどと言うのはいいわけに過ぎない。
それは説得力のある糾弾だった。
「我に不遜なる物言い、許しがたし。 その身を千々に砕き、魂を全て焼き滅ぼしてくれようぞ」
「くだらんな。 世界の全てを敵にした私の叔父は、己の正義を暴走させた結果世界を地獄と化してしまった。 だがそれは最初は善意からだった。 貴様はただ盲目的に従い、盲目的に尽くす事だけを求めている。 慈悲、峻厳、公正はどこへやった。 もう貴様の中にはないのか」
秀が更に一喝。
なるほど、分かる。
シャダイと同等と思われた力が、更に衰えていく。うめき声を上げる連なった顔に、頷くと。
秀とワルターが、躍りかかる。
勿論凄まじい戦闘になる。
ツァバトの直衛とおもわれる多数の異形が襲いかかってくる。これらは恐らく、原初の信仰の天使達だろう。
軍神の兵というわけだ。
一体ずつがそれぞれかなり強いが、しかしながら大天使ほどではない。ただ数がとんでもなく多い。
これも短期決戦だな。
僕はティアマトを呼び出す。負担は予想よりもずっと小さい。
ワルターは召喚する。インドラジットを。
インドラジットが多数の矢を番え、一斉にツァバトに放つ。ティアマトが雄叫びとともに、光のブレスを叩き込む。
それでも砕けないのは流石だが。
ワルターが、更にとどめの一撃を入れる。
「そもそもなんだその顔たくさん連ねている有様。 全知全能だったら、そんな姿にしないで、もっとしゅっとした形にまとめられるんじゃねえのか!?」
ぎりぎりと、ワルターの大剣が頭の一つに食い込んでいく。
やはり、そうだ。
一神教はバイブルをとにかく全肯定することを続けて来た。これに関しては一神教の分派の聖典に関しても同じであるらしい。
古くはバイブルに書かれている神の所業は明らかに邪神のものではないのかと疑念を呈する人々もいたそうだ。
まあ実際問題、東京で見せられたバイブルに書かれている神の所業は、お世辞にも人間の味方などではあり得ないものばかりだった。
だが、それらは。
異端の名の下に抹殺された。
全知全能なら、異端すら許してこその全知全能ではないのか。
ワルターの言葉が、ツァバトを更に砕く。
其処に、秀が大上段から、顔を複数、まとめて両断すると。とんでもない悲鳴とともに、ツァバトの構造が根元から崩壊していく。
「わ、我は、神の力、神の軍勢……!」
「だったら大天使達に加勢してやれば良かっただろうが! あれらはあんたが指示しなかったからおかしくなったんだろう!」
ツァバトの放った直衛を片付ける。ツァバトは恨み事を述べ、崩壊しながらもまだ抗ってくる。
その凄まじい力だけは本物だ。
ずっと信仰を受け続けたのだから当たり前だと言える。
だが、信仰する人間を家畜化した時点で。
その信仰には、柔軟性などなくなった。だから老いたのだ。きっとこの神は、ずっと前から。
取り返しがつかないほどに老いていたのだと思う。
崩れ果てたツァバトの残骸を一瞥だけする。この神を老いさせたのは、統治に都合が良いから利用し果てた聖職者達だ。
屁理屈をこね回して、その言動全てを正当化した存在だ。
客観を失い、自己正当化をするようになると、神だろうが人だろうがこう成りはてる。
悲しい話だった。
2、発音出来ぬ者
階段を上がる。消耗が大きい。既に輜重は尽き掛けている。階段は果てしなく長い。神々だったら飛んでいけるのかも知れないが。
二度目の休憩。最悪の場合、一度引き返すことを想定しなければならない。判断をするのは殿だ。
殿を見る。
殿が憑いているリリィは、首を横に振るのだった。
「リリィも感じているようだが、この先にいる存在は弱ってきておる。 立て続けに分霊を失ったから、であろうな」
「……」
ツァバトの後。
エロヒムという神霊が現れた。
これはまるで燃えさかる火の玉だった。太陽神としての四文字の神の姿。そういうものであったらしい。
勿論手強い相手だった。
だが、それはあくまで手強いの範囲内だった。
やはり存在の矛盾を指摘すると、脆く崩れて行く。そして、最終的には撃ち倒されたのだった。
シェキナーという神霊も姿を見せた。
それは巨大な三つの顔が合わさっているような姿をしていた。
神殿に神がある状態を表すもの。
そういう意味で。四文字の神の分霊としてはもっとも強大な存在であったらしい。
だが。その姿が極めて女性的である事を僕は見抜いた。
それは恐らくだが、四文字の神に取り込まれた女神信仰の慣れの果てだったのだ。
唯一絶対の神というものを作りあげていく過程で。
一神教は、その材料になった神々をより強く否定したのかも知れない。何しろ、それらが残っていたら唯一絶対ではなくなるのだ。
だから、この古い時代の人々が「精神世界」とでも想像するような場所に実際に足を踏み入れてみれば。
その姿は滑稽で。
歪んでいて。
崩れていて。
そして、年老いていたのだろう。
ドクターヘルが、残りの物資が限界だと分かりきったことを告げる。ただ、とも言う。
「戻るのであれば、簡単であろうよ。 此処は人間の観測が決める世界だ。 すぐ後ろに退路があるとでも考えれば、すぐにもどれよう」
「でも、それは四文字の神に態勢を立て直すチャンスを作ってしまうよね」
「そう。 で、殿は前に進むべきというのであるな」
「そうだ。 此処で決着を付ける。 疾きこと風のごとし。 わしがもっとも尊敬した軍略家であり、わしの軍略の師の一人、武田信玄も好んだ言葉だ。 元は孫子の兵法の一節であるがな」
ただその言葉も、状況次第だとか。
殿の息子はそれを取り違え、早すぎる進軍をした結果、多くの兵士を脱落させるという醜態を演じたとか。
あれは軍才がなかった。
殿が嘆く。ドクターヘルは、じっと聞いていた。
「ひょっとすると、殿は分霊体を敢えて呼び出すように思念していたのか」
「そうよ。 各個撃破せねば斃せぬと考えたのでな」
「確かに戦略的には正しいが、おかげでもう後がないぞ」
「分かっておる。 ……ただ、これで終わりだ。 最後の戦いになるだろうな。 皆、気合を入れてくれ」
殿の言葉に、身が引き締まる。
後ろには、大勢の人達がいる。
人間はもう東京と東のミカド国にしかいない。正確には霊夢の故郷の幻想郷にもいるらしいが、数は僅かだろう。
戦いは終わりか。
殿はそういうが、この後四文字の神をしとめても、まだまだ先にやる事は幾らでも残っている。
楽隠居とはいかないだろう。
特にホープ隊長は僕を後継者に望んでいたようだ。
人をまとめるのはあまり得意じゃないけれども。
今後は、今までとは違う苦労がある可能性も高い。
まあその時はその時。
やれることをやっていくしかないだろうが。
それでも、殿が言う通り。
この先の戦いが、恐らく今までで最強の。それもぶっちぎりの実力を持つ相手との戦いになる。
何人生き残れるだろうか。
それはもう、仕方がないが。
だがそれでも、やるしかない。そして、生き残って、人々の命運をつなぐしかないのである。
人間は、大戦の前には破綻寸前のところにいた。
ドクターヘルだけではない。
フジワラも志村さんも、生き残りは皆同じ事を証言していた。最果ての時代に生きていたのである。
大戦の後はあの阿修羅会のせいで、さらなるどん底を経験する事になったが。
だが、だからこそ。
その先に、未来を作らなければならないのだ。
「事前に決めたとおり、最初は相手の矛盾を徹底的に突くわよ」
「ああ」
「僕もバイブルの問題点は頭に入れている。 任せてくれ」
「それにしても。 唯一絶対の神の分霊体は、どれもとても議論に弱かったですわね。 本当に全肯定と全否定に染まりきっている感じでしたわ」
僕もイザボーの言葉に同感だ。
実際問題、支配の道具として最適だから、人間によって使われてきた神、という要素がとても強いのだろう。
だとすると、この先にいる四文字の神も。
ある意味、もっとも悪辣な存在……。人々を救済しようと考えた者達の思想を横からかっさらい、支配と権力確保の道具にした連中の、被害者なのかも知れなかった。
階段を行く。
一際気配が強くなってくる。
光も。
多数の天の使いが舞っているように見える。
だがそれは、ただの光の粒子。
今まで散々倒して来た天使達は、もう姿を見せることは無い。それはそうだろう。全て敵対的な天使は倒してしまったのだから。
階段を上がる。
巨大な広間に出た。領域に入ったな。そう感じ取る。
周囲に、黄金の人面が大量に浮かび上がってきた。凄まじい数だ。これ全てが、唯一絶対の存在だというのか。
いや、違うな。
これは、完全性と、支配に都合がいい。その両者を兼ね備えた姿だ。だから唯一絶対の筈なのに、たくさんたくさんいる。
その全てが、各地で人間を支配するために用いられた側面。
人間は屁理屈を考える時に、最も頭が回ると聞いている。それを示すような、浅ましい姿だと言える。
「跪け」
「断る!」
一斉に皆が叫ぶ。此処では思念が力になる。敬虔な一神教徒がいれば、ひとたまりもなく平伏してしまっていただろう。
だが、そもそも大天使達の行動もある。
既に四文字の神を、漠然とした絶対神としてしか人間は認識していない。抵抗してこない家畜から搾取する以外の事を、出来なくなっている。
だから、反抗されれば、それだけで四文字の神はダメージを受ける。
悪魔はそれ相応に対応に苦慮する相手だろう。
だが四文字の神の理からとっくに外れているマーメイドは問題が無さそうだし。
異界から来ているリリィもまた、ダメージを受けている様子はなかった。
「貴方に問う!」
霊夢が先陣を切る。
最初から殴るのでは無意味だ。此処は精神世界と言われていたような場所に一番近い空間。
だからまずは、相手を否定する事で弱体化させる。
「バイブルでは貴方をひたすら唯一絶対の存在として崇め、その全てを聖職者達は肯定してきた! だが実際はどうなのかしら。 貴方は様々なミスをし、世界に悪魔をのさばらせ、それどころか貴方を純粋に信じてきた人々を救うどころか天使達に鏖殺までさせた! 世界の人間達が腐敗していたのは事実だろうけれどね。 だったら腐敗しないようにそもそもし、手を打てば良かったはず! 愛で世界を満たすと口にしながら、あんたの信者達はただ盲目的にあんたを信仰することだけを求められ、聖典に書かれている事を何もかも鵜呑みにすることだけを強いられた! 貴方はただの絶対的な独裁者よ! 神々にとっても、人間にとってもね! 他の神の像を崇めることを嫌悪する癖に、自身を崇めることを強制する! 街中に自分の像を建てさせるような愚かな独裁者と貴方の何処が違うのかしら!?」
最初っから飛ばしてるな。
霊夢の凄まじい糾弾に、明確に四文字の神はダメージを受けている。一目で分かるほど、呻きながら身をよじっている。多数の顔が。それで消し飛んでいた。
光あれ。
そう声が響くと、凄まじい圧力が掛かる。
だが、それをはねのけたのは、リリィだった。それだけじゃない。マーメイドも壁を作る。
リリィが次に言う。
「私の世界は滅びに瀕していた。 でも、誰もが必死に周りの誰かを助けようと、最後の最後まであがいた。 人を人ではなくしてしまう恐ろしい力を一人で引き受けて、皆を助けようとしたお母さんも、人々を恨んでなんかいなかった。 道具として作り出されて、不幸な目に会った私の姉妹達だって、誰も恨んで何ていなかったよ。 貴方は違う。 世界の滅びの中でも、気高く最後まであがいた人達と違い過ぎる。 たくさんたくさん人を殺して、言う事だけ聞く人を残して。 そんな行動を認めている時点で、貴方は私の故郷を滅ぼした死の雨と同じ。 貴方のような存在は、私は絶対に認めない」
リリィは滅びた故郷の全ての人々を弔った。
ただ一人生き残った彼女がやらなければならなかった。
それは殿に聞いた。
死者となった仲間達が、ずっと側にいつもいてくれた。だが、召喚元のリリィは、体を既に彼方此方異形に蝕まれ。この姿より数年加齢しているという。長くはないのかも知れない。
ただ、それでも分かる。
今の言葉を聞く限り。
確固たる信念。最後まで戦い抜く心。それに、何も恨んでいない。誰をも心から弔った。
僕が知る限り、最高の聖人。
それが、リリィという子の真実だと思う。
勿論それでも雑念やら弱い部分やらはあるだろう。
だが、少なくとも。
四文字の神を利用して、権力の担保と蓄財を行い、それでいながら聖者を自称していたような宗教家達を、どれだけでも否定する権利がある。
それもまた、確かだ。
そんな連中をのさばらせていた、自称絶対の神も。
また、多数の顔が消し飛ぶ。
明らかに苦しんでいる四文字の神。
更に、秀が出る。
「私の叔父は世界を不幸にしたが、それも最後は全て責任を取って地獄に自ら向かったよ。 最初は善意からだった。 人々と共にあろうとしていた。 貴様はどうだ。 最初は善意からだったのかもしれないな。 だが今の貴様は、自分でこの世界をこうした責任など取ろうとなどしていまい。 それどころか、大天使達に全ての責任を押しつけ、良い所だけ貪ろうとしている。 貴様は最悪の盗賊だ」
これはまた強烈な言葉だ。
盗賊と一刀両断された四文字の神が、悲鳴を上げながらもがく。
また顔が消えていく。
無数にあった顔が、どんどんなくなっていく。
「我は絶対! 絶対のものの声を聞け!」
感情が無かった声に、少しずつ感情が戻っていく。
分かっている。
今までは仮面をつけていただけだ。
無数の顔が、一斉に火力を投射してくる。だがそれらは、マーメイドが今までにないほどの凄まじい氷壁を作り出して、防ぎ切ってしまう。だが、長くは保たないだろう。分かっている。
続いて、ドクターヘルが言う。
「欧州も中東も、貴様はずっとエサ場にしていたな。 貴様を否定しようと考えていた者もいたが、いずれもを潰して信仰心を得るためのエサ場にして来た。 その結果がどうだ。 狂信者があふれかえるだけだったではないか。 今やそれらの全てが存在していない。 お前はただエサを食い尽くすだけの豚に過ぎんのう」
おお。
一神教文化圏の人間からの痛烈な言葉だ。
それにこの人だって、あまり褒められた人生を送っていないはずだが。ただ、それをいう資格はあるのだろう。
ナチというものについては僕も調べた。
それも結局、神を人種に置き換えただけで、全肯定全否定の理に基づくものだった。それどころじゃない。
そもそもとして、人間を「優秀」「劣等」と人間の主観で分別して。後者を片っ端から殺戮した時点で。
ナチとこの四文字の神は同列だと言う事だ。
凄まじい悲鳴を上げて、四文字の神が更に減っていく。
顔が次々に砕けて、奥に見えてきた。
一つの顔が。
それは一際大きくて、強烈な気配を放っている。あれが恐らく、四文字の神の本体なのだろう。
まだだ。
今度は、殿が出る。
彼奴にダメージを与えられるのは、人間だ。マーメイドは残念ながら同じ精神世界の住人である。
今は肉の体を得て具現化しているだけ。
だから、人間が。
例え幽霊であっても。
否定しなければならないのだ。
「わしは戦国の世に来た宣教師どもを見ているがな。 どいつもこいつも信者を増やして、そこで権力を如何に得るかを考えている連中ばかりであったわ。 奴らが何を持って権力者に売り込んだか。 戦争の知識、金、武器。 いずれも愛とはまったく無縁のものであったのう。 これだったら、各地の土地を耕し、人々に基礎的な知識を教え込み、ともにあった仏教の方がまだましであったかもな。 もっとも仏教も腐敗が酷かったのは同じだが、はっきりいってそもそも腐敗以前に金と暴力と支配しか考えていなかった宣教師どもよりはまだマシだ。 元からそうではなかったとでもいうつもりか? ユダヤ教の時点で、貴様の思想は全否定と全肯定であったろうが! 貴様の思想は、人間をバカに落として初めてなり立つものだ! そんな思想を有り難く掲げさせる時点で、貴様は最初から破綻していたのだ!」
「お、おのれ、おのれええええっ!」
殿も痛烈だな。
僕はちょっと困惑しながら、政治家としての殿の痛烈な弾劾を聞いていた。まあ、戦国を勝ち残り。
戦乱を終わらせた存在だからこそ。
一神教に対する痛烈な言葉も許されるのだろう。
殿については、後で調べた。
一神教については、結局弾圧をして、国の中で信仰を許さなかったらしい。
でもそれは、当時日本に来ていた一神教……イエズス会というそうだが。それらがあまりにも蛮行を重ねたというのも理由としてあるそうだ。
イエズス会は各地で信者を増やして金を得て権力を得ることを目的に動いていた。もとの思想がどうだったかは兎も角、そうしていた連中が多すぎた。実際、一神教に傾倒して、邪悪の限りを尽くした権力者もいたらしい。
それであれば、弾圧は。あまり褒められた事では無いが、やむを得なかったのかも知れない。
四文字の神の顔が砕けて行く。
ワルターが前に出る。
「俺は漁師町でろくでなしの両親の下で育ってな。 洟垂れのガキの頃から網引いて喧嘩して、それでイキリ散らかした挙げ句に、師匠になってくれた老サムライにぼこぼこにされて、弟子入りしたんだ。 その時教わった武芸が今の俺の依って立つものになってる。 俺は愛なんぞあんたから貰った覚えはない。 それに俺を立派に育ててくれた師匠は、最後は孤独の中で、病気を得て死んでいった。 愛だの公平だの。 少なくとも自然の中にあんたは感じなかったよ」
そうか。
ワルターも苦労してきたんだな。
イザボーも前に出る。
「大天使達と戦って分かりましたけれど、あなたのはただの独善ですわ。 結局のところ、信仰というのはバカに分かりやすくする事が一番信者を増やすのに良いのかも知れない。 同じリズムを繰り返した音楽などを用いたり、美しい神像を作り出したり、踊ったりとね。 そういう点では、貴方は他の神と何一つ代わりなどしない! それが貴方は、唯一絶対の神? 他の神々と何も差などありませんわ」
はっきり言うな、イザボーも。
まあそうだろうな。
そもそもイザボーは、漫画を愛する事で多様性を見てきたのだ。
それで結論出来るのは、多様性の中に唯一の真実なんてないと言う事であったらしい。
明らかに非人道的な行為の中にこそ解放があったり。
どれだけ善行を重ねても報われないこともある。
多様性というのはそういうものだ。
だが、最初から決まった善と決められている悪に分けられ。それで全てが決まっている世界よりも、どれだけマシだろう。
マーメイドの隣にいたナホビノという存在の作りあげた、努力が報われる世界というのはとても素晴らしい。
今まで、誰もそれを考えなかった。
修行をすれば強くなれるという思想を考えたものはいた。
だがそれは、ただ体を壊すような無茶をして、それで神々に忠誠を示すというものにすぎなかった。
それは結局のところ。神に対する狂信でしかない。
自律自尊でもなんでもないのだ。
まだ神の顔が多数砕ける。もう、あれほどあった顔が、殆ど残っていない。
前に出るヨナタン。
ヨナタンも、痛烈な弾劾を始めた。
「僕の人生は、常に周囲からの愚かしい視線を浴び続け、父の権力のエサになる事を求められるものだった。 司祭達の腐敗も間近で見てきた。 逆に、僕を真人間に育ててくれたのは、バイブルなどロクに知らない年老いた夫婦の使用人達だった。 老夫婦は言っていたよ。 ずっと差別されてきて、司祭からもゴミでも見るようにみられていたってね。 彼等に愛をどうして注がなかった! 彼等は子供達からも見捨てられた! 僕を真人間にしてくれた、あれほどいい人達だったのに! 顔が醜かったと言うのが原因か? そんな事であれほどむごい運命を強いるのが絶対神だというのなら、お前を僕は許さない!」
そうか。
ヨナタンの家の複雑な事情は聞いていた。
だからこそ、その言葉の意味がわかる。
ヨナタンは実の両親なんて、親だと思っていなかったんだな。だからこそ、逆にあれほど立派な志と自制の精神を持つに至っていた。
其処には、バイブルなんて関係無い。
ましてや、それを神の愛だのと、横から手柄をかっさらおうとするような詭弁など、許されてはいけないはずだ。
マーメイドが展開する壁が、砕かれる。
即座に回復の魔術をコノハナサクヤビメが使い始めるが、そろそろとどめを刺さないとまずいか。
僕が最後に出る。
「四文字の神! あんたを間近で見て確信したよ! そうだとは分かっていたけれどね! あんたは年老いた神の一柱! 絶対でも最高でもなんでもない! 最初はそうだったのかも知れない。 最初は気高かったかも知れない。 ケダモノ同然だった人々を律しようとして、苛烈な思想を決めたのかも知れない! だがあんたはそうして得られるようになったエサ(信仰)を貪るだけの豚と化した! それは結局のところ、アンタが腐敗した聖職者と同じである事を意味しているだけだろ! さっさと座から降りろ、老神! あんたはとっくに衰えきった、絶対でも万能でも全能でもない、ただの世界の病だ!」
致命的な亀裂が、空間に走る。
いつの間にか、顔は一つだけになっていた。その顔も、傷だらけになっている。
皆、悪魔を展開する。
顔が、苦痛に呻いていた。
「我は、唯一、絶対、至尊……!」
「壊れたようですわね」
「あ、あああああああ、うああああああああああああああ!」
見える。
領域が壊れた。光で満ちていた領域が粉々に。逆に、闇が押し寄せてくる。召喚したティアマトが、ばっと翼を拡げて皆を守る。殺到してくる闇は、あれは。
ドクターヘルが言う。
「なるほどな……」
「何が起きてるんだよ!」
「涜神の効果がありすぎたようじゃのう。 そもそも四文字の神は、絶対だのなんだの言いながら、バイブルでは明確に人格を持つ存在として描写されておる。 人格がある以上、その存在はどうしても人間に近い。 それが他の人格神を否定し涜神すると言う事は、最終的に自分に全部返ってくるということよ」
カカカと、ドクターヘルが笑う中。
闇の中、顔が歪んで、崩れて。そして膨れあがる。
無数の獣が、顔に生えてくる。
それは狐だったり蛇だったり、或いは豚だったり。
何となく分かる。バイブルでは罪を示す動物を指定しているとか聞く。それに何より、である。
禿頭だった頭に、角が生え始めている。
それはそうだろう。
霊夢が言っていた。
四文字の神は、牛の神の系譜。蛇の神の系統と同じくらいの勢力を持つ、牛の神の系譜に属しているのだと。
闇が、収まった。
苦しみながら悶えているそれは、もはや神々しさなどかけらも無い。あらゆる悪魔を合体させて、そして其処に降臨させたような姿だった。
領域も、闇に満ちている。
あれこそが、完全に闇に落ちた。
いや、今まで他の神にしてきた報いを受けた、四文字の神の姿。それもまた、仕方がないのだろう。
苦しみ悶えるその姿を、冷静にドクターヘルが分析していた。
「七つの大罪を代表する生物が全て融合した姿に、牛の神の系譜と。哀れだが、もとはあんな程度の存在だということが露呈しただけだな。 ……サタンを凌ぐ力を持つようだが、今なら手が届くだろう」
「さがっていてドクターヘル」
「おう、だが次にこう言う事があったとき対応できるように、データを採らせて貰うぞ。 カカカ、神などといっても、所詮は人間が観測した末に生じただけの存在。 絶対でも唯一でもなんでもなかったな」
皆が展開した悪魔に、神だったものが吠え猛る。
最後の相手だ。
僕は蜻蛉切りを構えると、先陣を切る。
「僕はサムライ衆の一人、フリン! 本性を現した四文字の神! 今、その存在を座から引きずり降ろす!」
「おのれ、おのれ下賤のものどもめ! 許されると思うなよ!」
わめき散らす老神に、一斉に皆が躍りかかっていた。
3、絶対は絶対ではなくなり
神だったものが吠える。
それは一瞬で強化魔術をかき消してくるが。かまわない。なんどでも掛け直すだけだ。そして、突貫する。
空から降り注いで来るのは、おぞましい光だ。
ヨナタンの天使部隊が壁になる。光を浴びて塩になってしまう。だが、その瞬間で、前に出る。
蜻蛉切りを叩き込む。
貫を浴びせても、それでも多少傷がつくくらいか。
それでも、傷はつく。
ヤギの頭に、立て続けに攻撃を入れていく。多数の首が生え、動物の特徴を得ているおぞましい姿。
それだけたくさんの神を否定し。
今、その報いを受けているのだ。
「往生際が悪いぜ爺さん!」
ワルターが、交代して前衛に出る。ワルターの悪魔達が、荒っぽい攻撃を仕掛ける中、僕は闇の中を走る。
ぐおんと唸ったのは、蛇の頭。頭上から、リリィを狙いに行くが。
それに横から、角のある蛇が突貫。
体に食いつき、蛇がうなりながら苦しんでいるのが分かった。其処に、秀が一刀を叩き込む。
火花を散らしながら。上から切り裂きに行く。
上空に躍り出た霊夢が、ばっと光を放つ。
恐らくは、天照大神を神降ろししたのだ。
先ほどまであれほど光に包まれていたというのに、四文字の神は明らかにそれを受けて苦しんでいる。
其処にリリィが、極太の光を叩き込み。神だった存在の体が揺れる。マーメイドが、冷気の渦を叩き込む。
悲鳴を上げながらも、体を再生させる四文字の神。
全身に鱗が生じる。
今度は魚か。確か、魚に対しても否定的なことを一神教では述べているのだったっけ。魚、美味しいのに。
感謝して、海の幸は食べなければならないだろうに。
巨大な手を振り下ろしてくる四文字の神。それだけで、悪魔達が叩き潰される。
尻尾が振るわれる。
文字通り、なぎ倒される悪魔達。
その中で、ギリメカラとクベーラがそれを受け止めて、必死に時間を稼ぐ。
神だったものの背中に蝙蝠の翼が生える。
膨れあがる。
どんどん逆流してくる涜神が、その体を滅茶苦茶に弄んでいる。
「他の神々にして来た事が、全て帰ってきているのじゃなあ」
「じいさん、もっとさがってろ!」
「いや、そうもいかんようだ」
レールガンを取りだすドクターヘル。そして、のけいと叫ぶと、それをぶっ放す。
レールガンの弾丸が、神だったものに突き刺さる。
全身に穴が開いていく。それも、塞がる気配がない。
悲鳴を上げながら、四文字の神が腕を振り回す。
それもたくさんの腕を。
がっと、ティアマトが前に出て。組み付く。あまり時間は稼げないだろう。一斉に攻撃を仕掛けていくしかない。
ワルターが大剣を振り下ろし。ヨナタンが、一斉に天使部隊に突撃を指示。イザボーがコンセントレイトからの大魔術を叩き込む。
走りながら、秀が大砲を叩き込み、霊夢は神降ろしで剛力神を降ろすと、体術を立て続けに叩き込む。
リリィが打ち込んだ質量体が、神だったものの頭の一つを打ち砕く。
だが、再生するよりも。新しく変化が生じている。
コレは、斃せるのか。
いや、違う。
「効いてる! 斃せる!」
「その通りだ!」
僕は突貫すると、巨大な毛むくじゃらの神だったものの足に、連続して槍技をありったけ叩き込む。
足が砕けて、骨が露出。態勢を崩した神だったものが、地面に押し倒される。其処に、ティアマトがブレスを叩き込む。炸裂するブレスが、神だったものを引き裂き、打ち砕く。だが、それでもまだ再生する。
触手が生えてきた。
あれは蛸のものか。
確か烏賊や蛸もあまり良く描いていないのだったっけ。美味しいのに。それで無理矢理体を起こすと、最早隠せていない牛の角を振るいながら、神だった者が吠える。
「人など我のエサに過ぎぬ! 跪け愚民共!」
「馬脚を現すとはこのことですわね」
「ああ。 こんな存在をどうして人々は崇めてしまったのだろうな」
「何も考えなくていいからだろ。 ずっと言っていた話だ」
秀が突貫。振り下ろされた腕を紙一重で回避すると、手首から両断していた。腕から鮮血をぶちまけながら、のけぞる神だったもの。
そこに、ティアマトが体当たりを仕掛ける。動きを封じたところに、魔術戦部隊が一斉に火力を叩き込み、近接戦組が仕掛ける。
その中で、躍り出たのがダグザである。
心底楽しそうに笑いながら、四文字の神の全身に拳を叩き込む。まあ、それを対価に契約したのだ。
拳の威力は凄まじく、明確に苦痛の悲鳴を上げる神だったもの。
「唯一絶対などと言う化けの皮を剥がしてしまえば、結局貴様も俺と同じ原始信仰神格ではないか! それを後の人間共が色々と設定を付け足して、偉そうな存在に仕立てたから無理が出る! 今の貴様の姿、見せてやる!」
拳を全力で叩き込むダグザ。
僕はとっさに気を利かせて、アナーヒターに水鏡を作らせる。霊夢も、光の術を使って、それが四文字の神だったものに見えるようにする。
絶叫する神だったもの。
それでも再生しつつ、立ち上がってくる。
流石だな。
サタンより更に上というのは聞いていたが、それでもなおも圧倒的。だが、斃せる。そう、斃せるのだ。
そう言い聞かせて、前に出る。
無数の魔術が降り注いで来る。其処に、スルトが躍り出て、炎の剣を突き立てる。全身を内側から焼かれて、神だったものが喚く。
手を振るって、スルトを弾き飛ばそうとする。
だが、させるか。
僕はスルトが気を引いてくれている間に、神の体を駆け上がりつつ、蜻蛉切りで滅多切りにしていく。
もがく神だったもの。
その、角の生えた頭至近に到達。
間近で見て、理解する。
目尻の深い皺。
顔中から失われている生気。
やはり、老いているんだ。
神でさえ老いる。これは様々な神話でも示されている真実。一神教の神だけその宿痾から解放される訳がない。
僕に、両目から光を放って来ようとする神。
だが、其処に横殴りに叩き付けられたのが、マーメイドの氷の杭。叩き込まれたそれが、神だったものを揺るがせ。
僕は神だったものの顔を蹴り、頭上に。
一文字に、その顔を、斬り下げていた。
「ぎぎゃあああああああっ!」
「痛いんだね。 完全な存在の筈が」
「お、おのれ、おのれええええっ!」
振り回される手。
だが。その手の直撃を受ける寸前。ヨナタンの天使が、僕を抱えて飛び離れる。
天使ですら、神だったものの醜態には眉をひそめている。まあ、そうだろうな。そして、顔についた傷は消えていない。
再び、上空から仕掛ける。
秒間数十の魔術を展開してくる神だったものだが、それも全て周りが防ぎ、徐々に押し返しつつある。
僕はもう一撃、神だったものの頭に槍を突き入れる。噴き出る血しぶき。もがいて、僕を振り払う神だったもの。
着地。滑りながら、態勢を整える。
クベーラが壁になって、飛んでくる魔術を防ぐ。ティターニアが回復の術を、アナーヒターが水の壁を展開してくれる。
スルトが凄まじい巨大な蛇を掴んで、だが逆に振り回された。しかしながら地面に叩き付けられながらも、スルトは炎の剣で蛇を串刺しに。
既に体にも炎の剣を受けている四文字の神が、喚きながらその苦痛から逃れようとする。着地したのは霊夢だ。
流石に疲弊が酷そうである。
「もうそろそろ斃せそうね」
「うん」
そう。
そうやって考える事で、明確にダメージを与えられている。
アティルト界が切り離されている間は違っただろう。
だが、今アティルト界で、至近で観測をぶつけている。だったら、観測でなり立つこの世界の住人。
それこそ、それで致命打を受けるのだ。
実際にドクターヘルがそれを観測し、立証してくれた。だったら、もうオカルトはオカルトじゃない。
理屈で対処できる現象だ。
「大技行くわよ。 貴方も、リリスを倒した技を」
「おっけい……!」
霊夢が魔法の言葉……日本語で詠唱を開始。僕は集中。ワルターとヨナタン、秀が前衛で激しい攻防を行い。
秀が鋭い大太刀を振るって、次々痛打を入れている。
天使達は神だったものが降り注がせてくる光から皆を守り、献身的に砕けて消えていく。それを無駄にしないと、神々や悪魔が、四文字の神だったものへと猛攻を叩き込んでいる。もうそう長くは保たない。
ちっと舌打ちしたドクターヘル。どうやらレールガンの弾が切れたらしい。
だが、サイクロプスを呼び出し、すごくでっかいレールガンを取りだす。何処にしまってたんだあんなの。
それを見て、明らかに神だったものが怯む。
そして、好機と判断した僕は、前衛に躍り出ていた。
神が吠える。
退け。
その言葉だけで、皆が吹っ飛ばされる。だが、僕はクベーラが壁になってくれたから、凌ぎきる。
完全に疲弊している神だったものは、全身から大量の血を噴き出し、汗も噴き出しながら、立っているのがやっとの有様だ。
もう少しで斃せる。
そう観測し続けたのが聞いて来ている。
何がアティルト界か。
偉そうな名前がついているが。此処は所詮人間が観測した世界。人間の前には、世界の主役だった生物が観測していただけの場所。偉くもなんともない。上位次元といいながら、その実態は下位次元。
外の世界に依存する世界どころか、世界ですらない。
世界の下敷きになっている、ただの狭間そのもの。
走る。
蜻蛉切り、今までありがとう。
そして、跳ぶ。
神だったものが全ての頭を向けて。一斉に僕を排斥する言葉を放とうとする。だが、ティアマトがその瞬間。神だったものに、ブレスを叩き込んでいた。神だったものが、ありったけの壁を展開する。
流石に座についているだけのことはある。
だが。
ティアマトのブレスが、壁を貫通する。そして、神だったものに直撃。悲鳴を上げながら、その体が溶け。
頭が吹っ飛んで落ちていく。角が生えた頭が。
其処からも、体が再生しようとしている。
だが、僕が既に前に出る。
そして、まずは叩き。
着地と同時に薙ぎ。
完全に動きが止まっているところに、貫く。
奥義、星落とし。今までで最高の一撃。完全に入る。
悲鳴を上げながら、渾身の一撃に吹っ飛ぶ角在る頭。其処に、天から光が降り注いでいた。
霊夢の神降ろし。
恐らくは、今の神だった者に対して特攻となる、清浄なる光。天照大神の渾身の光の一撃。
顔が溶けて行く。
四文字の神の顔が、砕けて行く。
いやだいやだ。
そう喚く様子は、もはや自分が誰だったか分からなくなった老人が、暴れているようですらあった。
僕はため息をつくと、突貫。
必死に触手を伸ばそうとする神だったものが、更に粉々に潰れていく中。
僕は、槍技の基本にして奥義。
貫を叩き込んでいた。
領域が砕ける。
同時に、神だったものの顔が完全に崩壊。悲鳴を上げながら、粒子となって消えていった。
へたり込む。
流石に限界だ。
皆、同じくらいダメージを受けている。苦笑い。苦笑いが帰って来る。
それでも、回復役の悪魔達が、回復術を掛けてくれる。座は、あれか。空になんだか浮かんでいるけれど。
少なくとも椅子ではないわけだ。
「私が知っている座とは形が違うわ」
「やはり、平行世界でもだいぶ違うんだね」
マーメイドに、僕はそう返す。
やがて、座と言われるものが降りて来た。球体だったが、やがてそれが椅子にと変わっていく。
これは分かりやすい座だ。
そして、此処で何をするかは、既に決めていた。
頷くと、リリィが進む。
元々無理をしてこの世界に召喚されていたのだ。その体は、この世界のものではないし。
そもそも本人が来ている訳でもない。
だけれども。僕は忘れない。
殿のよりしろとして奮戦してくれただけじゃない。
皆の最前衛で、常に恐ろしい悪魔と激戦を繰り広げてくれた。
霊夢に、リリィが手をさしのべる。頷くと、霊夢が手を採る。恐らくだけれども、殿を引き渡したのだ。
リリィは文字通り世界を救った存在。そして今まで、神とされた亡霊……殿のことだが。その存在と融合もしていた。
擬似的にナホビノとやらと同一の条件は満たしている。
だから、消える前にやっておくのだ。
「リリィ!」
皆から声が掛かる。
ふっと、優しい笑みを浮かべるリリィ。
「果ての国で、私は皆を埋葬することしか出来なかった。 皆の魂を背負って、これ以上世界が破綻しないようにするのが精一杯だった。 終わった後に残ったのは、滅びの雨が止んだ世界一大きなお墓だった。 でも、この世界は救えたよ。 だから、きっともとの私にも力になる。 もとの私に、新しい力を与えられる」
座につくとき。
既にリリィの姿は消え始めていた。
無理のある現界をしたのだ。
それはこうなるのも当然。実際に、もう長くはもたないと、既に会議で話をしてくれていたのである。
「ありがとう、みんな」
「此方こそ有難う!」
「あんた、凄かったぜ!」
「忘れませんわ!」
皆で手を振る。座に、リリィが理を刻む。
一つは、誰もの努力が公正に報われること。
そしてもう一つは。
人間が、常に客観を持つ事。
そして、座についた存在が、座と一体化しながら消える。これで、恐らくだが。人間が、この世界を出るまでは間に合うはずだ。
殿は言っていた。
世界にはもう資源が足りないと。
ドクターヘルもそれは言っていた。
同じように人間が世界で発展するのは最早不可能だ。人間はこの世界……地球をあまりにも痛めつけすぎた。
だから、星の海に出るしか活路は無い。
それをこれから全力で行う。
この星の観測者はいずれ人間から次の存在に切り替わるだろう。その観測者にとって都合がいい存在に。
だからこそ。
努力が報われる、に意味がある。
マーメイドが、皆に言う。
胸に手を当てて。
「これで私も役割を果たせた。 平行世界を救いに行くわ」
「あんた、平行世界を飛ぶ事で無茶苦茶消耗するんだろ。 大丈夫なのか?」
「平気よ。 あくまで強力な次元の壁が存在していたから消耗するくらい、遠い平行世界に来て消耗しただけ。 これから赴く先の平行世界は、弥勒菩薩に見せられた終わってしまった世界達。 その中で、まだ望みがある世界を、これから救っていくわ。 戦力もノウハウもある。 きっと上手く行くわ」
「帰って、大事な人に会えるといいね」
ふっと寂しそうに笑うと、マーメイドは恐らくこの至高天の仕組みを使ったのだろう。空間を転移したのか、消えていった。
霊夢が頭を掻きながら言う。
「あたしが使う空間転移とは次元違いだわ。 流石に平行世界にまでは跳びようがないわね」
「あんたも帰るのか?」
「いや、すぐには帰れないわ。 まず戻ったら将門公と話をしないと。 それに、神社仏閣、それに他の神々の神殿を復興して、分祀をしないとね。 後はやり方を出来る人に教えて、やれるようにしていかないといけない。 まあ一度二度幻想郷には戻るけれど、しばらくは此方にいることになりそうだわ」
ワルターに、霊夢がしんどそうにいう。
戦闘よりも魔術的、或いは神学的な支援で本当に骨を折ってくれたのだ。しんどそうにする権利くらいはあるだろう。
秀は、無言のまま、じっと遠くを見ていたが。
やがて言った。
「私はある程度落ち着いたら地獄に戻る」
「また地獄で亡者を斬り続けるのか」
「そうなる。 これほどまでに亡者で地獄が溢れてしまっている。 無念と罪を私が斬り、転生を促してやるのが役割だ。 閻魔が過労死しかねないような状態が続いている。 私がいかなければならないさ」
後は、殿とドクターヘルか。
殿はこれから、悪魔合体で肉体を作って現界するという。まあそれが妥当だろう。当面は殿がいないと厳しい。
ドクターヘルは皆と相談しながら、科学技術を復興。
特に「軌道エレベーター」というものを作るべく全力を注ぐそうである。
簡単に言うと、今まで人類はロケットというもので大気圏外に出る以外にこの世界を出る手段を持たず、それはとんでもなくハードルが高かったらしい。
だが軌道エレベーターを用いると、それとは比較にならないほど簡単に人類を大勢宇宙へ運べるのだとか。
今までは素材の強度などの問題、更には土地の所有者の利権調整などもあって上手く行かないのが確定の事業だったのだが。
それもこの状態だ。
利権もなにも、人がいない。
更には悪魔や神々も支援してくれる。
それならば、軌道エレベーターの作成は、不可能ではなくなっているはずだ。
それと。
倒れている存在は、明らかに年老いた、弱々しい神だった。
おそるおそる此方を見上げてくる老人に、イザボーが呼び出したガブリエルが跪いていた。
「主よ。 これからは唯一絶対ではありませんが、私は常に側にいます。 これからは他の神々とともに、人とのあり方を模索していきましょう」
「わ、私は……座で、不公正を排除したかったのだ」
皆冷たい目を向けているが。
最終的に四文字の神を座から蹴り落としたら、他の神々と同列にする事は既に決めてある。
座の法則は決まった。
そして座につく「最高神」など作らない事も決めた。
後は、座を監視するように、神々と悪魔が相互に振る舞って貰えば良い。
だが、どんな新しい理でも、いずれ劣化する。
だからそれまでには、この星を出る事を、人類は果たさなければならない。僕も人類の一人として、この星を食い潰した害虫で終わるのはいやだった。
「座から離れて、それで分かる。 あまりにも不公正な世界、暴力がまかり通る人間達の仕組み。 自分は正しいと考え、他を排除する愚かしい思考をする「知的生命体」。 私を信仰した者達の薄汚い野心に既に気付いていた私は、だから絶対の存在として、あまねく全てに公正でありたかった。 ただそれだけだったのだ」
「ああ、それは分かったぜ。 だがアンタは老いた」
ワルターの言葉に、神だった者は俯く。
最初はそういう強い信念があったのだろう。だがその絶対足る自分を保とうとした姿勢は、やがて傲慢へと変わっていった。
愚かな話だ。
七つの大罪最大の罪とされる傲慢を、神そのものが背負ってしまったのだから。
「分かっている。 私も此処まで至高天に流れ込む人間の思考が独善的で邪悪なことまでは予想できなかったのだ。 私が短時間で変わっていく事に眉をひそめていた者達もいた。 あの明けの明星もそうだった。 私は……これからは絶対の神などとは名乗らぬ。 公正の神に戻る。 それだけは、あり方を守らなければならぬ」
「他の神々と仲良くやろうという姿勢は敬意をもてます。 今まで座についておかした罪を償ってください。 それが貴方が神としてするべき事です」
ヨナタンも、多少当たりが柔らかくなった。神はすまない、すまないと涙をこぼしていた。
だがこの神を此処まで腐らせてしまったのは人間だ。
やはり人間は一刻も早く、この座とかいう代物から自立しなければならないだろう。それは、僕も良く理解した。
「帰ろう」
皆が頷く。
マーメイドとリリィはいなくなった。だが殿はこれから悪魔合体で肉を得て手伝って暮れる。
霊夢と秀もしばらく力を貸してくれる。
ドクターヘルは監視しないと危ないが、すぐに悪さをするようなこともないだろう。
今は、まず。
東京に凱旋して。
東京の人達が太陽を受けられるように。恐らく今のメンバーが集まってやれる、最後の仕事をしなければならなかった。
至高天の出口はすぐ側にあった。
そう観測したからだ。
どうやら、帰路は苦労せず済みそうだった。
至高天の出口では、あのヒカルという女が待っていた。分かっている。明けの明星である。
そして、ヒカルには混沌勢力勢の悪魔達が傅いている。
もう正体を隠す気はないということだ。
多神連合の神々は、穏やかな姿になったように心なしか感じる。座の仕組みが変わった結果だろうか。
クリシュナはまだ不服そうではあるのだが。
それでも他の神々は。
特に悪神ではない存在達は、ずっと神々しく。それでいて、都合がいい信仰対象ではなくなっているように僕には思えた。
俯いていた四文字の神を連れ出す。
それを見て、明けの明星は、全てを察したようだった。
「短時間で変わり果てた貴方を見て、私は悲しかった。 だが、独善的で権力欲に塗れた人間達の思念を受けて変質した貴方は、座から離れることで、本来の存在に戻る事ができたのだな」
「済まなかったなルシフェル。 今はルシファーと名乗っていたか。 そなたは私を最も愛していた存在であったのにな。 だからこそに堕天したのであろうに」
「今は謝ることよりも、世界を歪めて多くの存在を苦しめたことを反省し、今後償う事を考えて欲しい。 公正の神となり、他の神々と同列となった今の貴方を殺すつもりはない。 今後は公正を司り、自制と自律を司る神の一柱として、仕事を果たして欲しい」
「分かった。 そうさせて貰おう」
ガブリエルが付き添って、四文字の神を連れていく。
勿論怒りの視線を向ける神や悪魔もいたが。
既にリリィとマーメイドは去った。
それを告げて、至高天への入口を閉じて貰う。頷くと、座にあった神々はその作業をしてくれた。
すぐに閉じる。
元々下位次元への道だ。
何が高位次元か。
神々そのものが、観測で生じた人間の思念の産物だったのだ。だったら、人間に依存しているのが神々の方。
神々に依存しているのが人間ではない。
都合がいい利己的な行動を担保する思想的存在として、神々を作り出したのが人間である以上。
やはりドクターヘルが説明してくれた通り、それは観測の産物であるし。
人間の方が上だった。
神々が人間より上だという愚かしい考えを、支配と金のために広めていった結果。神々が不必要なほど力を増した。
神々は無言で側にいて。
本当に困ったとき、助けてくれる。困り果てて悩んでいるとき、最後の一押しをしてくれる。
それくらいの存在で、本来は良い筈なのだ。
全てが終わり、新しい座の仕組みが動き出したこと。
そして全肯定と全否定の法則が。努力と客観性の法則へ変わったこと。
今までも、過剰な修行を強いてしまうようなヒンズー教の思想など、努力を悪用する思想はあった。
其処に客観性が加わった事で、今後はそれを抑止できる。
勿論座は絶対などではなく。
どんどん歪んでいくことは分かっている。
だが、それは恐らくだが、人類が宇宙に出て、本当の意味での「知的生命体」に昇華したとき。
悪しき歴史は終わりを告げるだろう。
いずれにしても都合が良いときだけ人間は動物の一種だ等と抜かして蛮行を正当化し。
それでいながら自分に都合良く法を作って正義を主張するような愚かしい人間の本質は、今日から変わるし。
宇宙に出た頃には、もう少しはマシにしなければならない。
それが、この苛烈な時代を生き延びた。
皆の責任だ。
明けの明星が音頭を取る。
「我々は魔界に戻る。 今後我々の役割は、罪を犯して何ら反省せぬ人間に闇から懲罰を与える事だ」
「はっ!」
「これでやっと、本来の役割に集中できますな」
「ああ。 仏教では鬼は地獄の獄卒だったと聞いている。 我々も本来はそういった存在だった筈だ。 今後は天使とも連携していく必要が生じるだろう。 だが、それが正しいあり方である」
明けの明星は最後に此方を見ると。
本来の体の持ち主だったらしい女の素の表情と動作で、ありがとうと言った。
僕は、それを無言で受けるだけだった。
明けの明星は、混沌の思想を持ちながらも、その思想なりに人を守ってくれた。悪魔らしいところもあったが、明けの明星が暴走する悪魔達からかなりの人を助けてくれたのも事実なのだ。
明けの明星は、何処かでずっと神に諌言して果たせなかった頃の自分を捨てていなかったのかも知れない。
だとすれば、それがもとの姿に戻る事ができたのは、とてもよい事だったのだ。
神々も戻っていく。
これから神々はそれぞれがそれぞれにあった人々の守護を行う。結果としてただ寄り添うだけの存在になる。
人がこの世界から離れ。
むしろ食い荒らした地球という星を、元に戻すほどの技術と文明を手に入れた頃には、神々と悪魔が、観測の範囲の中で殺し合うような時代は終わるはずだ。
完全に滅した悪魔や神々が。アティルト界でやがて再生していくかも知れない。本来在るべき姿で。
霊夢が促す。
殿の声は、しばらくは霊夢にしか聞こえないようだ。
「銀座に向かうわよ」
「分かった。 行こう」
「将門公に、最後の伺いを立てなければならないな」
「やれやれ。 まだ面倒な仕事があるではないか」
ドクターヘルも流石に疲れたのか、珍しくぼやく。エネルギッシュな老人にも、限界はあるらしい。
フジワラに連絡を入れておく。
ミッションオールオーバー。確か、最後にそういうのだったか。
そう告げると。
通信の向こうで、歓喜の声が聞こえていた。
4、東京に光を
銀座にある巨大な岩の塊の前で、霊夢が護摩段を作って、祈りの言葉を捧げている。
凄まじい力を感じる。
日本神話系の神々が出張してきていて、霊夢の手伝いをしていた。
今や将門公は、日本神話系の重鎮達がそれだけのことをする程の存在にまで昇華していると言う事だ。
ばっと、霊夢が棒を振って、その度に汗が飛ぶ。
そして、程なくして。
威厳のある声が響いていた。地面の下から、全てを揺らすほどの迫力をそれは持っていた。
「我は平将門。 我を目覚めさせたのはそなた等か。 おお、この国の神々がおる。 それに、おお! 座の仕組みが変わっておる!」
「平将門公。 東京は救われたわ。 貴方に一つ。お願いがあるの」
「何か。 これほどの事を為してくれた存在に、何の文句を言おうか。 なんなりといってみるがいい」
「最早東京を守る必要はない。 しかし今、貴方の上で暮らしている人々もまたいる。 だから、貴方の一部を崩して、太陽の光を東京に入れたいの。 そして、望む者達を、東京の外へ出してあげたい」
しばし黙っていた将門公。
跪いていた僕は、ちょっとひやりとした。
この感じる凄まじい力。
明けの明星以上かも知れないからだ。
だが、将門公は、世界を揺らすほどの笑いを挙げていた。それが嘲笑でも怒りから来る笑いでもないことは、すぐに分かった。
「そのような事か。 良いだろう。 そもそもこの体は、危機に際して擬似的に構築した物に過ぎぬ。 勿論許可なく壊されたら我も怒りを覚えただろうが、そなた等ほどの英雄が、これほど丁寧に頼む上に、妥当な話だ。 なんなりと穴を開けるがいい。 ただし、上で暮らす者達、東京で暮らす者達。 ともに不幸にならぬように、細心の注意を払うようにな」
「ありがとうございます。 東京の守護者」
「我はまた眠りにつく。 それと、くれぐれも、戦などのために我を再び呼び起こすことなかれ。 我の制御札を焼き切ってしまってくれるか」
「はい」
霊夢はさっと手を動かすと、岩の塊の中にあったらしい札を手元に引き寄せ。そして、術で燃やしてしまった。
将門公の声が、それだけでぐっと穏やかになった。
「おお。 これで我は板東の守護に戻れる。 そなたとともにある、徳川家康に告げてくれ。 そなたこそ、もう一人の東京守護者。 見ていたぞその活躍。 今後も、しばらくは人を支えてくれるようにとな」
「ははっ」
それだけで、将門公は黙り込んだ。
二度と起こさないように気を付けなければならないだろう。
すぐに、先に調べておいた地点に出向く。
フジワラが。測量というのをやっていた人を連れてくる。それらの人と共同して、東京の東端の一角に出向く。
東のミカド国とも連携して、その場所から人を遠ざけて。
後は大型の悪魔を呼び出して、穴を掘っていく。
ティアマトのブレスは過剰すぎるだろう。
或いはだが。
クリシュナが使おうと思っていたらしいシェーシャという存在であったら、大穴を容易く開けられたかも知れない。
だが、そんな乱暴なことをすれば、大きな被害がまた出るだろう。
それはやってはいけないことだ。
スルトとティアマト、それに秀のだいだらぼっちなど、大型の悪魔達がそれぞれ力を振るう。
巨人達……ドクターヘルの使うサイクロプスや、ヨトゥンヘイムの霜の巨人。他にも様々な巨人の悪魔も、手伝いをする。それでも天蓋に比べると小人のようなサイズなのだから、将門公の凄まじい巨大さがよく分かる。
ホープ隊長は、東のミカド国の状態が安定したこともある。此方に既に何度か降りて来ていて、ターミナルに登録も済ませていた。
そして、此方と上を行き来しながら、それぞれで監督を続けてくれていた。
三日ほどの作業の末に。
ついに穴が開く。
東京の空を覆っていた天蓋が、破れたのだ。
光が入り込んでくる。
太陽光だ。
勿論、天蓋の全てを砕くわけにはいかない。
それに、視界の果てまで見えている森と原野を、以前の文明の時のように、考え無しに焼き払う事も避けた方が良いだろう。
座の仕組みが変わっても、悪人は出る。
それらを取り締まらなければならない。
だが。東京に光が差し込んだことによって。僕らがやるべき仕事は。概ねこれでかたがついたと見て良さそうだった。
「陽の光だ。 25年前に、アキラとともに見て以来だな、ツギハギ」
「ああ……」
フジワラとツギハギが、歓喜の涙を流している。
穴を巨人や巨大な悪魔達が慎重に拡げていく。土建屋の人達が指導して、大規模な崩落が起きないように、補強工事をはじめていた。将門公の体だ。安易に崩れるようなこともないだろうが。
それでも、穴を開けた以上、どんな風に崩落が波及するかは分からない。気を付けて、穴を維持しなければならないだろう。
光を見て、人々が市ヶ谷やシェルターで喚声を挙げている。
そうナナシから連絡が入った。
僕も目を細めて、光を見る。
太陽はこれで、誰もが浴びる権利を得たのだ。それは今後奪ってはいけないものだろう。
後は、殿のために悪魔合体で体を作って。
それで、東のミカド国を統治しながら、人々との交流を進めていく。
僕はサムライ衆の長になることが決まっているけれど。これからホープ隊長に引き継ぎを受けなければならない。
それとヨナタンは今までのような強権的な王になるつもりはないようだが。
それでも気軽に話せなくなるだろう。
隣でイザボーが涙を拭っている。
気丈な彼女でも、これほど感情を揺さぶられるのは、初めてなのかも知れない。
僕も、終わったんだと思うと。
たくさんの失われていった命を思って。ただ静かに、光を見つめるだけだった。
やがて雨が降り出す。
今、丁度外は梅雨であるらしい。
でも、雨すら東京にはなかったのだ。
それすらフジワラとツギハギは喜んでいる。
ドクターヘルが、空の動きを観測しながら言う。
「時間の流れの差はなくなったようじゃな。 これで、もはや東京と東のミカド国は、一つの地続きの場所であろうよ。 あらゆる意味でな」
全てが終わった。
そして。
全てがこれから始まる。
(続)
|