分裂の時代の終わり

 

序、凱旋神田明神

 

神田明神に到着。

市ヶ谷に押し寄せた悪魔を全部叩き潰した。こっちには必殺の霊的国防兵器もケルトの戦士達もいた。

いずれも大活躍してくれて、それで被害は最小限まで抑えられた。

それだけじゃない。

ヨナタンの連れていたドミニオンがソロネに転化した。

炎の車輪そのものの姿をした上級天使。上級三位の実力者。

神に対する忠義で熱く燃え上がっているらしいが。

いままで同様ヨナタンへの忠義を崩していない。

ただ、今後はヨナタンの直衛に移ると言う。その代わり、新しく転化したドミニオンに天使隊の指揮の座を交代した。

そして僕の仲魔も、ついにラハムが転化を感じ始めたという。

もう一段階転化すれば、恐らく。

いずれにしても、その時は近い。

ともかく、バスで降りる。霊夢は相当に参っているようだが、それでも以前のような顔色が真っ青な状態ではない。

力が上がってきていて。

余裕が出始めているのだ。

そして、日本武尊が側について。バスから降りて来た者達を見て、神田明神の神々がわき上がっていた。

「天照大神!」

「太陽が戻られたぞ!」

「おお、このような日が来るとは!」

感激の声が上がる。

同じ太陽神でも、八咫烏とは違う。最高神としての太陽神だ。その威光は、歩くだけで神社に轟くかのようである。

これでも弱体化しているというのだから驚きだが。

ともかく、これでやるべき事が出来たといえる。

ケルトの神々も、太陽の光が森に行き渡り始めた事を感じて、明らかに喜んでいるようである。

異教の神々でも同じようにやっていける。

異境でも。

霊夢が天照大神に傅く神々を見て言う。

「ある妖怪研究家が言っていた事があるのだけれどね」

「妖怪の研究家?」

「ええ、大戦の前の大戦に参加して、片腕を失いながらも漫画をずっと書き続けた偉大な人よ。 その人の言葉に、面白いものがあってね」

「それほど偉大な漫画家が!」

イザボーが反応。

まあそうだろうなと、ワルターが若干しらけ気味に見ていたが。まあ、それについては別にいい。

僕としては、その話に興味がある。

「世界中何処でも、同じ妖怪がいる。 名前は違うけれど、基本的にどこの国でも同じ妖怪がいるのだ、ってね」

「妖怪というとちょっと範囲は狭いけれど、それって悪魔や神々の事だよね多分」

「ええ。 日本でもっともその人に身近だったから、妖怪だと言っていたのでしょうね。 あたしもその人のことは後から知ったのだけれど。 世界中の伝承を調べて学んでいくうちに、すとんと腑に落ちたわ。 元々オリエントから発生した神々の概念が世界中に伝播した、としても。 それにしても、世界中であまりにも似たような概念の悪魔や神々が多すぎる。 これは文明のつながりを示すというよりも、むしろ人間の中には似たような考えが根底にあって、それが妖怪……悪魔や神々を作り出しているのでしょうね」

だから、それが良い方に作用すれば。

人外ハンターノゾミの側にいるダヌー神は、太陽神天照大神の光を目を細めて受け取っている。

荒々しいケルトの戦士達も、太陽の光が満ちているのを感じて、それで感謝しているようだ。

手を取り合えるのだ。

「それは良い事だと思う。 ただ、此処からは……」

「ええ、忙しくなるわね。 連続で幾つかこなさなければならない。 特に四天王寺の解放と、大天使達を元に戻すこと。 この二つは立て続けにやる必要があるわ。 確定で東のミカド国が仕掛けて来るでしょうし。 正確にはそこにいる大天使達がだけれど」

クリシュナが言った通り、大天使達の戦力は侮れない。

だから、その前にやっておくことがある。

クリシュナと話をつけること。

後ろを突かれないようにすること。

つまり、ガイア教団と同盟なり撃破なり、済まさなければならないということだ。

以前霊夢を圧倒したセトを初めとする強力な神々が背後についているガイア教団だが、それでも現時点の戦力だったら、負けるとは僕は思わない。

ただ、簡単に勝てるとも言えないだろう。

連絡が入る。

フジワラからだった。

「フリンくんか。 すぐにシェルターに来て欲しい」

「敵襲ですか」

「いや、ガイア教団のベリアルが来た。 それも、敵襲ではない形でだ」

「はあ」

ベリアルか。

銀座で見かけたような気がする。強力な堕天使だったはずだ。ともかく、すぐに戻る事にする。

素戔嗚尊を元に戻せなかったことは仕方がない。

今は時間がない。

ともかく天照大神の存在を、神田明神に迎え入れることで。この国の神々のパワーバランスが決定的に変わった。それが大きいのだ。

バスですぐに戻る。

霊夢は酒が欲しいと呟くと、無言になった。回復の魔術でも回復しきれないらしい。こればかりは仕方がないだろう。神降ろしによる驚天の技を何度も見ると、それはやむを得ないと感じてしまう。

ただ、僕らも力が上がってきている。

多数の堕天使を撃退した市ヶ谷の戦闘でも感じたのだが、立て続けに必殺の霊的国防兵器を倒したのがとても大きかったのだと分かる。

今なら、或いは。

今までは勝ち目などないと判断せざるを得なかった相手でも、どうにかなるかもしれないというのが本音である。

ただ、それは慢心かも知れない。

ともかく、技を磨かなければならなかった。

シェルターにつく。

そこでは、シェルター前で秀と向き合っている、赤い服を着た変なおじさんがいた。丸々と太っていて、鯰髭なんか生やしている。気が良さそうなおじさんだが、残念ながらあからさまに気配がおかしい。

秀が視線を送ってくる。

気を付けろ、という意味だ。

シェルターからフジワラが出て来て、此方を見て頭を掻く。

「頼まれてね。 以前此方で確保していたトキという暗殺者の子を預かったんだ。 酷い折檻を受けたらしくてね」

「折檻。 どうしてまた」

「捨て駒にされたんだよ。 元々ミイとケイはあの子を使ってアベと相討ちにさせるつもりだったらしい。 相討ちにならなくても、アベを弱らせれば御の字とね。 それが生きて帰ってきたから、気にくわなかったのだろうよ」

「……!」

イラッと来たが。この赤いおじさんに怒っても仕方がないか。

というか、なんとなく分かってきた。

この赤いおじさん、ベリアルか。

気付いた僕に対して、赤いおじさんはなんかウィンクしてきたので、思わず表情が凍り付く。

ちょっと苦手な相手かも知れない。

「馬鹿馬鹿しいと思ったから、こっちで引き取って貰う事にした。 後、わしらの主からの伝言も受け取っていたからね。 丁度良いからきたのさ」

「ともかく、それならば余計に中に入っていただけますかね。 立ち話もなんだ」

「いや、大戦の時に四大天使を倒した英雄の拠点に乗り込むほどわしは剛毅ではないのでね。 此処で話してしまうよ」

ベリアルの実力からして、今の僕らが総掛かりでどうにかという相手だが。

それでもこんな事を言うのは、余裕からか。

或いはなんの理由からか。

「閣下の伝言だ。 閣下は今回の件、静観だそうだ。 本来だったら閣下を倒して力を示すべしとでもいうところなのだろうが、そもそもその意味がなくなったとか」

「何それ。 どういうこと」

「恐らく、人間と融合して神を討ち取る意味を見いだせなくなったのでしょうね」

側に浮き上がったのはマーメイドだ。

マーメイドは寂しそうに笑った。

或いはこの子。

その神の半身としての人の悲劇を、色々見たのかも知れない。

明けの明星ルシファーの伝承は、僕も見た。

もしも、ルシファーがマーメイドがいったような、神が半身を得て完全体になる事の真似事をするなら。

選ぶ相手は。

多分ワルターかナナシだ。

そうなったら、僕はどっちかとやり合わなければならなかったのか。いずれにしても、ろくでもない話である。

マーメイドから聞いた話。世界のルールはマントラの理とかいうらしいが。

それに関してルシファーが自身での打開に興味を持てなくなったのだとすると。確かに身を引くのは、あるのかも知れなかった。

「ただ、それに納得がいかん連中が現在銀座に集まっている。 それらをお前等で始末してくれるか」

「どういうこと、仲魔でしょうに」

「皆が閣下の言う事を行儀良く聞いているわけではない。 魔界からはみ出してきて、血にだけ飢えているようなカスだっている。 君達に討ち取られたアドラメレクのような輩がそうだ。 あれの同類がまだまだ銀座にいて、隙さえあれば東のミカド国に乱入して大勢の人間を食い散らかそうとしているのさ。 わしには興味がない話だし、閣下もあまりそういうことはやらせたくないようでね」

「ようは自立の意思を見せている軍閥の処理か。 またくだらん仕事をなげてきよるわ」

殿がぼそりという。

もう正体は周知だし、周囲に聞かれて困る相手もいない。

意味はよく分からなかったが、汚れ仕事であるというのは分かった。

咳払いすると、霊夢は言う。

「それで、銀座にいる主要な大物は?」

「セトとアスラ王、それにわしの盟友であるネビロスは手を引くことに決めた。 その代わり、インド神話系の雑多な神々が集まっているな。 其奴らのまとめ役をしているのはラーヴァナだ」

「ということはインドラジットもいる?」

「今呼び出しているようだな」

霊夢の言葉に、ベリアルが即答。

厄介ねと、霊夢がぼやく。

バロウズが解説してくれた。

「羅刹王ラーヴァナ。 印度の神話に登場するランカー島の支配者で、ヴィシュヌの化身と激闘を繰り広げた文字通りの魔王よ。 その王子であり、透明化の能力を持った強力な……恐らく最強の羅刹がインドラジットことメーガナーダ。 インドラジットというのはインドラに勝利したものと言う意味の言葉で、神々の王であるインドラを倒したほどの強者よ」

「面白そうじゃねえか。 ここんところ大物との戦いで少しは自信が出てきたところだしな。 どれほど通じるか見せてもらうぜ」

「そうだな。 大天使達が相手の場合、どれほどやれるのか。 良い演習になるだろう」

ヨナタンも乗り気か。

咳払いすると、ベリアルはなおも言う。

「それと、リリスは残った。 ただし、リリスの後見をしていたサマエル……楽園の人間に知恵の実を与えた蛇は手を引くことにした。 閣下の忠実な下僕であるという以上に、今回の件での介入はこの機では無いと考えたのであろうな」

「そうなると……」

「東のミカド国ではリリスが色々と悪さをしたらしいな。 リリスを討ち取る好機だ。 リリス自身も、それで四文字の神を仕留められるのならと、お前達と戦うつもりのようだぞ」

そうか。

あいつは今でもやっぱり許せない。

あいつの理屈も何もかも。

ただ、あいつはあいつで筋を通していることだけは認める。今回は最終的な勝利のための捨て石を喜んでかって出たというわけだ。だからこそ、決着を付けなければならないだろう。

僕は乗る。

ただ、コレは僕だけの戦いじゃない。

「というわけで話は伝えた。 わしは戻る。 その子をよろしくな。 ガイア教団がこれ以上無茶をしないように、後は徹底的に躾けてやってくれ」

「それはあんたの仕事だったんじゃないの?」

「悪いがわしは中間管理職だ。 出来ない事も多いのさ」

霊夢の鋭い突っ込みに、ベリアルは肩をすくめて。しゅっと消えていた。

まあいい。

とりあえず話し合いだ。

確かに、天照大神の復活は、そう遠くない未来にガブリエルの耳に入るはずだ。

ただ、総攻撃をするにしても、大天使達にも準備がある。大天使達との開戦が、いつどこでになるかは分からないが。

それでも出来るだけ此方でコントロール出来た方が、被害も減らせるだろう。

またやるべき事が増えた。

だが、それは必要な事だ。

僕は頬を叩いて気合いを入れると。

さて、次にやるべき事はと考える。

それと、此処からしばらくは東のミカド国に戻るのは控えた方が良いだろう。ガブリエルがどう動くか分からない。

最終的にホープ隊長とは話はする。

ただそれも、事前に決めてある合図を用いて。

地下に来て貰って、話すつもりだった。

 

ベリアルは魔界に戻る。

魔界といっても、アティルト界の一部。

おかしな話で、実際には天界と地続きである。人間の精神の影響を強く受ける此処では、悪魔が神に、神が悪魔になることが珍しく無い事を示すように。

それだけ頻繁にあり方が変わってくる。

今でこそ悪趣味極まりない闇の世界である魔界だが。

いずれ花咲く美しい場所に変わるかも知れない。

それも人の心のあり方か。

ただ、そんな美しい心を人が持つことは、ベリアルが知る限りついぞなかった。

個人として、聖人と呼べるような存在は今まで存在した。

ベリアルも少数例だけ見た事があり。そういった存在には、如何に邪悪なベリアルでも敬意を払った。

だが、人間はどいつもこいつも。

敬意など払わなかった。

人間に対する敵意と不信感はベリアルの中にもある。

特にベリアルとネビロスが守ってきた、酷い運命に殺された女の子。アリスとともにあるようになってからは。

より人間への不審は強くなった。

まあ、それはいい。

今は、閣下への報告が先だ。

明けの明星である閣下は、城の最深部にいる。ベリアルが出向くと、途中で同じような魔界の重鎮達にあう。

既に方向転換は伝えられているようで、活発な議論が行われているようだった。

「人間共に丸投げするというのか?」

「いや、まずは様子見ということらしい。 閣下はどうも座についた神が独占してきた知恵の一部を得られたらしくてな」

「なんと……」

「それによると、今のままであると、座を奪ったところで意味がないらしい。 閣下がやっていた、人間と無理に合一しても至高天に入る事は出来ても、世界のあり方まで変えることは出来ないそうだ」

そんな事を話している。

困惑しているもの、混乱しているもの、様々だ。

「敵対者の動きが気になるが……」

「あれは問題ないそうだ。 恐らくだが、そもそも現時点での状況の変化には興味も見せないとか」

「それはそれで困るな。 全ての調停者であろうに」

「そうだな。 アッシャー界で敵対者とされた言葉が一人歩きした結果ではあるのだが……」

玉座の前に。

ベリアルが跪いた先には、ヒカルという女子学生の姿を取ったままの閣下が、椅子に行儀良く座っていた。

実はこの姿を解除すると、やはり他の悪魔と同じように、形が崩れてしまう。

それくらい現状では、人が減り。

悪のカリスマである閣下ですら、その偉大な姿を維持できない状態になってしまっている。

更に其処から人間と無理に合一なんてしようものなら。

或いは禿げた威厳のない大男とか。そういうとてもお労しい姿になってしまったかも知れない。

一通り報告をする。

閣下は頷くと、側にいた悪魔。堕天使ルキフグス。魔界の宰相とされる存在が、声を上げていた。

髭を蓄えた立派な老人の姿をしている悪魔だ。

魔界では穏健派で、マッカの管理をしているとても重要な地位にある。

「閣下、動揺が広がっております。 ラーヴァナ親子が先走るだけではこのままでは済むかどうか……」

「今回は、人間達の力を見る為の試しだと皆に告げておけ」

「試しでありますか」

「そうだ。 ラーヴァナと奴に同調した悪魔、それにリリス。 これら程度も斃せないような戦力では、どのみち大天使どもには勝てん。 大天使どもにはあのメタトロンも控えておろうしな」

「……」

メタトロン。

最強の天使と言われる存在にて、天界の掃除屋筆頭。

その残虐性から、サタンの天界における姿などとも言われ、四文字たる神が低次に身を置いたときの形などと言われることもある天使の中の天使。

その実力は閣下が信頼するベルゼバブを超えており、特に信仰心をほぼ天使共が独占している今は。閣下に並ぶかそれ以上だろう。

奴だけでも最悪だが。それを超える最悪だったのは、四大天使が揃った時。

いや、それはまだ可能性としてありうるか。

四大天使がもしも揃った場合、その力全てを集約し。神の力そのもの。神の戦車として知られるメルカバーと化身した可能性もあり。

その時は閣下ですら勝ち目はなかった。

「だが、もしもラーヴァナを自力で倒し、四天王寺で封印された竜脈を解放し、日本神話系の神々が加護を与えたのであれば。 ……もう一押し欲しいが、あの四文字の神に届くかもしれぬ」

「閣下は人間を愛しておいでですな」

「私が愛しているのはその可能性だ。 それに……神に好きなようにされたという点では、私が姿を借りる事を契約した人間達も同じ事であるからな」

ルキフグスが一礼すると、皆に話をしに行く。

ベリアルも退出しようとしたが、呼び止められた。

「クリシュナめが過激な手をとる可能性がある。 例えば無理な合一を計るとかな」

「は。 排除しますか」

「いや、今は監視に留めよ」

「御意……」

さて、此処からだ。

ベリアルにとっても面白い状況の到来。元々ベリアルも戦いは嫌いではない。それにあの四文字の神をたたき落とせるなら。それは、素晴らしい戦いになる筈なのだから。

 

1、思惑工作

 

東京駅は既に無人になっていた。これはガイア教団の方から、これから戦場になると手を回したらしい。

なんだかんだでガイア教団の方が心地が良い人間はいる。

そういう人間にまで、人外ハンターの庇護にはいるように強制するつもりはフジワラにはないようだ。

僕もそれは同じである。

ガイア教団は、あり方を改めなければならないだろう。とくに役立たずと見なした人間を殺すようなやり方は、絶対に続けさせてはならない。

だが、ガイア教団の基本的な思想。

力を貴ぶという事そのものは、それはそれでありだと思う。

過剰すぎるその思想は、結局無意味な世界を作り出してしまうだろうが。それでも、そういうコミュニティがあっても良い筈だ。

だから、ガイア教団を潰すつもりはフジワラにはないし。

僕もガイア教団のガンになっている様な連中。

例えばあの双子の老婆とか。

そういうのを排除すれば、同調は出来ると考えていた。

それに、リリスとも決着を付けなければならない。

前衛に立つ僕らと秀。

霊夢は疲れも溜まっているようだし、後衛に控えて貰っている。殿も少し前衛から後ろ。

他にマーメイドも前衛にいる。

これが総力戦だ。

かなりの数の悪魔が東京駅に群れている。

いずれもが、敵意を剥き出しにしてきいきいと声を上げていた。

皆、既に悪魔を展開済み。

だが、見た感じ、必殺の霊的国防兵器を連れてくるほどでもない。勿論侮れる相手ではないが。

勝てると、僕は判断していた。

ずんずんと歩いて行く僕。東京駅に布陣していた悪魔は威嚇の声をあげていたが。僕がムスペルを連れていて。

ムスペルが吠え猛るのを見ると、明らかに怯む。

それが。戦い開始の合図となった。

ワルターが従えている荒くれの悪魔達が、一斉に襲いかかる。特に先頭に立つギリメカラは、凄まじい勢いで突進していく。

象の悪魔は凄いな。

そう思いながら、僕は歩きつつ、近寄ってくる悪魔をオテギネで貫き、払い、叩き潰し。首を刎ね飛ばす。

敵陣を切り裂いていくと、上空にわっと悪魔の群れが出現するが。それはヨナタンの天使部隊が対応する。

市ヶ谷は必殺の霊的国防兵器達が。

シェルターはフジワラが守ってくれている。

怖れる事など、何も無い。

なお、流石に悪いと思ったので、カガはシェルターの守りに残って貰った。

東京の勢力をまとめるための戦いだ。

東のミカド国を壟断する大天使という共通の敵がいるとはいえ、ガイア教団には主導権を握れず不快感を示す悪魔もいるというのなら。

ガイア教団の者が納得するやり方で。

それを黙らせるだけである。

激しい乱戦の中、伝令に来たのはアサヒだ。

アサヒも既にこう言う仕事ができるようになってきている。

「フリンさん! 銀座まで飛ばしていた伝令の悪魔からの伝言です! 銀座の人達も避難して、一旦距離をとっていて、戦闘で巻き込む恐れなし! 存分に暴れてくれって!」

「結構! アサヒ、少し下がって。 しばらく乱戦が続くから、庇いきれないかもしれない!」

「はい!」

前衛で頑張っている人外ハンターには、鹿目と野田がいる。

野田は凄い悪魔を連れていると聞いていたが。フィンマックールというその騎士らしい人物は、苛烈な剣捌きで暴れまくっていた。

この騎士もケルトの関係者らしい。

ケルトの名のある戦士は、彼方此方にいるというか。

そもそもそれだけ荒々しい戦士を輩出するくらい、苛烈な戦闘が行われていた土地なのだろう。

躍りかかってきた大蛇を。上空に出て、一気に頭を唐竹に叩き割る。

それでももがく大蛇にムスペルが組み付き、一気に焼き払い、蒸発させてしまった。凄い熱量だ。

ムスペルが吠え猛ると、それだけで前にいる悪魔がさがる。

逃げようとした悪魔を斬り伏せたのは、好戦的な羅刹の群れだった。

「雑魚はただ進め! さがることはゆるさ……」

言い切ることはできなかった。

マーメイドが叩き付けた冷気魔術が、羅刹の群れをまとめて氷の像に変えたのだ。そして一瞬後には、ギリメカラが踏み砕いてしまった。

マーメイドが悲しそうにしている。

ああいう弱者を踏みにじって偉そうにしている奴が一番嫌いらしい。

それは何となく分かる。

秀が、城を呼び出す。

城そのものが悪魔になっている長壁姫という存在らしい。

それが触手を振るって、悪魔を薙ぎ払い始めると。雑魚はもうどうにもならなくなって、逃げ始める。

「緒戦は順調だな」

人外ハンター達はそんな事を言っているが。

僕はそう上手く行くとは思えない。

霊夢が強いと断言していたセトなどの悪魔が引き払ったという話だが、それでも前にガイア教団の聖堂に出向いたとき、ヤバイ気配が幾らでもあった。

続いて夜叉の群れが出てくる。

夜叉の群れも戦意が高く、倒されても倒されても前に出てくる。

イザボーの魔術が次々に炸裂して焼き払うが、それでも引くことをしない。徐々に此方も被害が増え始める。

「負傷者はすぐにさがれ!」

「交代だ! 俺が前に出る!」

前に出てきたのはナナシだ。そして、前衛に多数の鬼達を召喚して暴れさせる。その鬼達は、普通のものではなく、どれも転化していた。

なんでもあの鬼は仏教の獄卒であるらしく、本来はそれほど邪悪な存在ではない、という事実があるらしい。

まあ地獄の獄卒だし、亡者に舐められたら話にならないのだから。恐ろしい姿なのは当然ということだ。

そして地獄によって鬼の姿は違い。

時々霊夢が口にする最下層の地獄である阿鼻地獄には、世にも恐ろしい姿の鬼も存在するそうだ。

多分ナナシが呼び出したのは、そういう鬼達。

それらが、羅刹や夜叉と互角以上に戦い、戦線を立て直す。

ナナシはデザートイーグルというでっかい銃と大剣を手に。アクロバティックに飛び回りながら最前衛でトリッキーに戦っている。

もういっぱしの戦士だな。

そう舌なめずりしながら、僕もまた前衛で暴れ回る。

しばしして、東京駅の前面から悪魔の掃討は完了。

そして、後方に負傷者を下げる手伝いをしていたスプリガンが告げてくる。

「フリンさん、僕転化出来ると思う!」

「よし、お願い!」

光に包まれるスプリガン。

やがて、財宝を守る妖精は。

少し太めの体型の、棍棒を持った男性の神格に変貌していた。

バロウズが解説してくれる。

「財宝神クベーラね。 財宝を守る神格で、毘沙門天の元となった神よ」

「凄い力を感じる。 フリンさん、僕をずっと使ってくれてありがとう。 きっと役に立てる!」

「よろしく!」

さて、次だ。

負傷者の手当てを進め、補給を入れつつ、斥候を出す。

東京駅の内部には悪魔がすし詰め、ということもないようである。むしろ、銀座で迎え撃つつもりのようだ。

殿が前衛に来る。

それで、耳打ちされた。

まあ一般の人外ハンターには、まだ正体は明かしていないし、仕方がない。

「銀座での戦闘を奴らは避けるだろう。 銀座は富の集積地で、奴らにとっては力の象徴でもある。 何より将門公が眠っていて、下手に刺激をするのは避けたいのだろうな」

「そうなると、あの聖堂が」

「うむ。 もう一会戦あるだろう。 しかも今度はラーヴァナとインドラジットが出てくるだろうな。 インドラジットは透明化しての奇襲を得意としているそうだ。 毒による攻撃もな。 気を付けろ」

一度足を止めて、補給を入れる。

かなりの負傷者を出したが、それでも被害はそれほど多くは無いだろう。ただ、人材は今失う訳にはいかない。

ベリアルはああ言っていたが。

あの双子老婆は、それこそ人質作戦とかを平気で採るかも知れない。

とにかく今は、人死にをこれ以上無駄に出してはいけない。出来れば大将同士の一騎打ちで決められたら話は早いのだが。

態勢を整えてから、ヨナタンの天使部隊を先頭に、東京駅に入る。

連絡通路を抜けて、銀座の街に。

既に奇襲を警戒しているが、奇襲の様子はない。後方に対する奇襲が行われる様子もない。

恐らくだが、インドラジットは、堂々とやりあって勝てると考えているのだろう。

インドラジットの逸話は聞いたが、神々の王インドラを打ち破っただけではなく、ビシュヌの化身の一つラーマ率いる猿と呼ばれる種族の軍と戦い、一度の会戦で数十億を戦死させたという。

とんでも無い数字だが、それだけ強いということだ。

インド神話はこういう無体な数字が出てくると言う事だが。

それだけ圧倒的に強いと言う事の示唆でもあり。

侮る訳にもいかない。

銀座の街を抜けると、聖堂の前にいかにも強そうな悪魔の一団が布陣している。どうやらここからが本番だ。

多数の腕に武器を持ち、堂々と待ち受けているのが、あれがラーヴァナだろう。いかにも戦争が好きそうな、好戦的な顔をしている。

一般のハンター達には戻って貰ってある。

まず僕から名乗る。

「サムライ衆のフリン、見参! 羅刹王ラーヴァナ、一対一の勝負を所望する!」

「ほう、このわしを相手に一対一だと! しかし笑う事もできないな。 その力、わしと戦った神々に勝るとも劣らぬとみた! 中々に心が躍る戦いよ! 貴様等、手出しは不要ぞ!」

「ははっ!」

「インドラジットってのはいるか? 俺たち三人と、と……この銀髪の子が相手になってやる。 この子はとんでもなく強いぞ。 どうだ、怖くて出てこられないか!」

ワルターが啖呵を切ると。

すっと、側に巨大な気配が湧いて出る。

多数の首に腕。

恐らく此奴がインドラジットだろう。

ラーヴァナより一回り気配が大きい。しかも、姿を見せるまで、気配を感じ取れなかった。

本当に透明化しているんだと思って、戦慄する。

こいつは、必殺の霊的国防兵器と互角の相手と見て良いだろう。

「よういった人間。 あの猿ども……ヴァナラの軍勢を蹴散らした私が相手になってやろう。 くれぐれも簡単に死ぬなよ」

「こっちの台詞だぜ」

ワルターが前に出る。

そして、秀とマーメイドも、前に出ていた。

「他全ては私達二人で相手になってやる。 幾らでも懸かってこい」

「どうやら人間と混じっているようだが、たかが二体で我等ランカーの羅刹を相手にするだと! ふっふふふ……舐めてくれたものだな!」

バカな連中だな。

さっきまで戦っていた雑魚共よりは強いようだが、それでも秀とマーメイドの力は、此奴らよりも明らかに上だ。

さて、僕はこれで安心して背中を預けられる。

オテギネを構える僕の前に、堂々と降りてくるラーヴァナ。僕は仲魔達には、手出し不要と伝える。

此奴程度に勝てないなら。

リリスなんか、倒せる訳がない。

あの渡されたロザリオについても念の為に持って来てはある。

だがそれ以前に、まずは東京をまとめるためにも。

此奴は倒さなければならないのだ。

「行くよ」

「来い! この羅刹王ラーヴァナ、二度も人間に負ける事はない!」

地面を蹴る。ラーヴァナは驚くほど機敏に動きながら、僕の初撃を、複数の腕で交差させた武器で防ぐ。

地面を踏みしめながら、突きを立て続けに入れるが、火花が次々散り、弾き返される。逆に空いている腕で、ラーヴァナは立て続けに剣を槍を叩き込んでくる。それらを全て紙一重でかわしつつ。僕は丁寧に反撃を入れていく。

「面白し! わしと真正面から槍一本で渡り合うか!」

「……」

さがりつつ、丁寧に相手の動きを捌く。

そして、飛び退く。

足下から何かが伸びてきて、一瞬遅れていたら足首を掴まれていた。

周囲から気配。

飛び退いたのは、勘が磨かれているからだ。此奴、最初から何か仕込んでいたな。僕がじっと見据えると、ラーヴァナは笑う。

「わしはほぼ不死身の肉体を持っていてな! お前達が仕掛けて来る事は想定済だった故、仕掛けをしておいたわ! この辺りはわしの血を撒いてある! つまりわしの掌の上で戦っているのと同じだ!」

「そ。 つまらん戦い方をするんだね、魔王と言う割りに」

声が冷える。

勿論仲魔を集めるつもりもない。こんな小細工に頼り、そして僕相手に真正面からの交戦を放棄した。

この時点で、こいつの実力はもう見極めた。

明らかに興味を失った僕を見て、ラーヴァナが不愉快そうに顔をしかめると、わめき立てる。

同時に周囲全域の土から黒い何かが噴き上がって、全方位から掴み掛かってくる。

くだらない技だな。

僕はそれをラーヴァナが出してきた瞬間に動いていた。加速。加速加速。更に加速。支援魔術を掛けながら、更に速く。

ラーヴァナの操作がまるで追いついていない。

慌てた様子で、僕の一撃を受けるラーヴァナだけれども、ガツンと弾き飛ばされたのは今度はランカー島の羅刹王。

最初に腕一本で僕の攻撃をしのげていない時点で、こいつの剣腕と腕力は理解した。僕も最初は様子見。

そしてこんな小手先のくだらん技に力を更に削いでいる。

それは、体の操作が疎かになる事を意味している。

瞬く間に腕を二本叩き落とし、更に蹴りを叩き込む。吹っ飛んだラーヴァナが辺りの地面に働きかけようとするが、その時には間合いに入り、頭を叩き落とす。だが、即座に頭が生えてくる。

殆ど不死身と言う訳か。

そう。

だったら、粉々になるまで砕いてやる。

というか、何とか僕と距離を取ろうとしている時点で、近接戦で勝ち目がないと判断したのは目に見えている。

そのまま足を踏むと、股下から正中線を抉り切り上げる。ぎゃっと悲鳴を上げたラーヴァナを見て、羅刹や夜叉達が明らかに動揺していた。

「ラーヴァナ様が押されている!」

「くそっ! 手助けに……」

そうほざいていた連中が、次々に秀に斬り捨てられている。まさに風のように。

更にマーメイドの冷気魔術が辺りをまとめて凍り付かせる。とてもではないが、支援どころではない。

僕はラーヴァナを逃がさない。無表情で迫ってくる僕を見て、明らかにラーヴァナが恐怖に顔を歪める。

日本武尊との戦いの後だったから、楽に思えるのもあるのだろうが。

そのまま、全身にあらゆる槍技を叩き込んでいく。腕も足も、頭も。再生する端から斬り飛ばす。

大きく息を吐く。

手足を失って再生しようと必死にもがくラーヴァナの、核を見極める。

このまま体力を削りきっても斃せそうだ。

神話的にどんな逸話があっても、所詮はマグネタイトで実体化しているのだ。どれだけ強力な再生力があっても限界がある。

神話は所詮神話。

実際に四文字の神だって、唯一絶対でも、全知全能でも、なんでもないのだから。

だが、僕は此奴に完勝したい。

完勝することで。

「強い者」に夢を見ているバカな連中の、目を覚まさせたいのだ。

「お、おのれええっ!」

ラーヴァナが破れかぶれに全身を無理矢理復元させ、辺りを滅茶苦茶に薙ぎ払う。だが、その剣筋ははっきり言って稚拙。

パワーはあるが、それだけだ。

全て冷静に見切りつつ、次の瞬間には腕を全て叩き落とし、口から炎を吐こうとしたラーヴァナの頭上に出ると、頭全てを刎ね飛ばした。

それでも再生しようとするラーヴァナだが、着地と同時に、既に見切った核を背後から貫く。

ラーヴァナは胸の真ん中に大穴を開けられ。

そのまま、前のめりに倒れていた。

マグネタイトになって消えていく。

「手応えがないな……」

「お、おい! ラーヴァナ様が!」

「おのれえっ! 人間ふぜ……」

わめき散らした太めの羅刹が、後ろから秀に胴斬りにされる。

さてインドラジットは。

あっちもヨナタンとワルターの連携で動きを止められ、天使部隊の体を張った一糸乱れぬ攻撃で透明化も意味を為さず、完璧なタイミングでイザボーが大火力魔術を叩きこんでいることで、徐々に抑え込まれている。

更に殿が以前アベを倒した大技……銀髪の子の方か。巨大な異形を一瞬だけ出現させ、空間を抉り取る大技を叩き込んだ事で、インドラジットもまた体の半分を抉り取られ。其処にワルターが大剣で大上段からの一撃を叩き込み。更にはヨナタンのグラムが胸を貫いていた。

「インドラに勝利した私が! に、人間に……!」

「インドラジット様!」

「ぎゃあああっ!」

マーメイドの冷気魔術が、残った羅刹達を一網打尽に氷漬けにして、更には粉砕してしまう。

それを見て、戦意を無くしたらしい羅刹達が、ひっと声を上げると。武器を捨てて、降参していた。

遠めにそれを見ているガイア教徒達。

彼等は思い知った筈だ。

強いと言う事を理由に、好き勝ってしていた悪魔達が。

子供や老人を食い散らかして、それでガイア教徒達もそれが正しい摂理だと認めていた悪魔達が。

人間に圧倒され。

蹂躙されて滅び。

挙げ句の果てに、降参に走る有様を。

ワルターが無言で、並べと一喝。それから、ワルターとイザボーがそれぞれ契約して手持ちに変えていく。

後で人外ハンターに譲ってしまうつもりだろう。

マグネタイトになって消えてから、ラーヴァナとインドラジットのデータを得られたとバロウズが告げてくる。

いずれ悪魔合体で呼び出せるらしい。

さて、次だ。

殿が咳払いする。

勿論銀髪の子がやったので、とてもかわいい咳払いになっていたが。

「次はリリスだね。 ガイア教団の聖堂を陥落させて、このばかげた集団を屈服させるよ」

「そうだね。 力を貴ぶという思想は、東京の現在の状況から考えると、あってもいいのだろう。 だけれど、最低でもそれは自分だけにするべきだ。 子供や老人など、他者にまでそれを強要した挙げ句、悪魔の餌にするなんて論外にも程がある」

「俺はどっちかというと此処は居心地が良さそうなんだが、それでも確かに他人にそのあり方を強要するのはなしだな。 その点ではヨナタンと考えが一致するぜ」

「……それに、あの身勝手なリリスには、出来るだけしっかり決着を付けておきたいですものね」

イザボーもリリスの事は嫌いらしい。

秀が刀を鞘に収めながら言う。

「それは良いが気を付けろ。 大多数はいなくなったようだが、それでも聖堂の奧には強い気配がある」

「ええ。 今倒したインドラジット達と同格の存在のようだわ」

マーメイドも警告してくる。

ちょっと手強そうだ。

そして、僕は今の戦いで、背後を守ってくれていた仲魔達を見る。

その一人。

ラハムが、頷いていた。

僕とともに常に最前線で戦い続けて来たラハムが。ついに転化の時が来たようだった。

そうか、いよいよか。

ラハムが転化するとしたら、その存在は一つしか無い。

もしも今後、凄まじい力の神々を相手にしていくとしたら。その存在は絶対に必要不可欠だ。

霊夢にばかり大きな負担を掛けていたが、それも終わりに出来る可能性がある。

東のミカド国と事を構える前に、準備は僕も終わらせなければならない。

或いはだけれども。

明けの明星は、僕らのために不満分子をエサ代わりに用意してくれたのかも知れない。

そのエサを食い破れないなら僕らは其処まで。明けの明星が思うとおりに、好き勝手に東京や人間を利用して世界を滅茶苦茶にする。

だけれども、僕らが想定以上の活躍を見せるなら。

まあ、あくまで想像だが。

「バロウズ、聖堂内部のマッピングは大丈夫?」

「以前来た時に記録をしているわ」

「それは心強いな。 私はフリンの側につく」

秀が僕に。

ヨナタンの側に殿が。イザボーの側にマーメイドがつくようだ。

まあそれで大丈夫だろう。皆ガントレットを持っていて、それぞれでバロウズが情報を共有しているのだから。

聖堂に足を踏み入れる。内部はしんとしていて、迎撃の悪魔もいなかった。

ガイア教徒達もさっきまでは此処で見ていたようだが、何処かに離れたらしい。

あの妖怪みたいな双子の老婆の気配も、見当たらなかった。

 

2、因縁の終わり

 

ガイア教団の聖堂、深部まで行く。此処まで今までと変化はなし。ただ、聖堂の最深部は、既に領域になっていた。

辺りはかなり広くなっている。

しかも、これは。

無限と思える程の広さの原野だ。

辺りにはみずみずしい草花が幾らでも茂っていて。そこはあの原色のどぎついガイア教団の内部だとは思えなかった。

リリスがいる。

影のように揺らめいている姿。

分かっている。

ガブリエルから貰ったロザリオを使わないと、倒す機会は来ないかも知れない。僕はロザリオを取りだすと、ヨナタンに放る。

「ヨナタン。 もしも絶対に勝てないと思ったら、その時には」

「分かった。 まずは自力で戦いたいんだね」

「ふふ、あのガブリエルから秘密兵器を貰っているようね。 どうせ平行世界からの力の供与を防ぐためのものでしょう。 別にそんな小細工をするつもりはないのだけれどね。 こっちは堂々と、手札の全てを使う。 それだけよ」

穏やかな草原。

これはどうして、こう言う場所を選んだのだろう。

殿が言う。

「お前、これはひょっとして、人と言う種族が古くに暮らしていた風景か?」

「正解。 もしも人が「全肯定」と「全否定」という、せっかく手に入れた知恵を無駄にする悪辣なやり口を拡げ始めなければ、混沌ではあっても人の心はこれくらい穏やかだったでしょうね。 一神教はその極北。 連中は世界中で自身を全肯定して虐殺を繰り返し、自分達以外の全てを全否定し続けた。 私はアダムの最初の妻という神話的設定を得たとき、その時点で既に無理な全肯定と全否定に気付いていた。 だから、その前の原野の世界をこうして戦う時には展開するようにしている。 これこそが、人が本来はあった世界なのだから」

「そうか。 その言葉は立派だがな。 貴様がやってきた事は、結局その全肯定と全否定の愚かしい理の全否定に過ぎぬではないか。 だから貴様は、東のミカド国とやらで、無辜の民を虐殺することで悦に入っていたのだろう」

殿の痛烈な喝破。

それを聞いて、リリスは初めて怒りを声ににじませていた。

「淫売の言葉の代名詞とされ、ずっと貶められてきた私の何を理解出来る!」

「理解出来る。 わしもこの世界の、わしが死んだ後の歴史は見てきた。 結局人間は自我を肥大化させ、それぞれが好き勝手に振る舞う事を多様性だと勘違いした。 正確にはそう勘違いするように、愚かしい連中が扇動した。 その結果、自分の考えた多様性を他者に強要するという、本末転倒な事が起きたし。 せっかく多大な犠牲の末に勝ち取った平等を如何にして裏側からねじ曲げて搾取の構図にするかというばかげた事をやるようになった。 人間はそういう生物だ。 そして残念ながら、まだ人間はそれぞれ個人で其処から脱却するに至れぬ。 この星の資源を食い尽くすまでに脱却は厳しいかもしれないな。 お前は結局、そんな人間の同類だ。 人間の大半は、考えるのが面倒でならん。 英雄偉人に代わりに考えて欲しいと考える。 お前も結局、自分は淫売ではないという理屈を正当化しようとしているだけではないか。 そのためにどれだけの子と関係もない人間を犠牲にした!」

殿の言葉に、頷かされる。

僕もそうだ。

考える事は他人にどうしても任せてしまうところはある。

それが更に先に行ってしまうと、どうしてもいわゆる「愚民」になってしまうし。悪辣な連中には、人間が「愚民」であったほうが都合が良いのだろう事も分かる。

何しろタヤマが、それをやっていたのだから。

リリスが怒りに震えているのが分かる。

男を誘惑して堕落させる淫魔の祖が。

そして、いつの間にか、三体の悪魔が側に出現していた。

「警戒して。 強力な悪魔よ。 いずれもユダヤ神秘主義の上級悪魔だわ」

「ナアマ、エイシェト、アグラト。 我等の怒りを、この者達に叩き付ける。 ルシファー様は未来の礎となれと言われた。 私もそのつもりでいた。 だが、私は今、冷静さを欠こうとしている。 ただ怒りのまま、この者達を撃ち倒したい」

「あら珍しい。 私以上の激情をお姉様が見せるなんて」

ナアマと呼ばれた、顔半分が闇に閉ざされている女がいう。

顔が髑髏のようになっている恐ろしい女が、鋭く爪を伸ばした。こっちはエイシェトか。

「ふん、どんな存在も痛みからは逃れられぬ。 誰もが己の全てを肯定できるわけでもない。 結局全肯定とは逃げだ。 そういう意味では先の言葉は確かにありだとも思えるのだがな」

小柄な、僕らがイメージする魔女と思える姿のもの。

これがアグラトらしい。

箒に跨がって浮いているが、見ると手足は人形のもののようである。

「まあいいですわ。 出来れば穏便に済ませたいと考えていても、この状況、そうもいかないようですし」

そして、辺りを埋め尽くすほどの数。

現れるのは、リリムだ。これは千や二千じゃない。それこそ、天文学的な数のリリムである。

全員が、悪魔を総力で展開する。

「あの日の因縁に決着を付ける。 ヨナタン、使うかどうかは任せるよ」

「……分かった。 だが、あんなものは使わなくても勝てると僕は信じている!」

「そうだね」

ヨナタンは、ずっと悩み続けていた。

全肯定と全否定の極地。

絶対正義が存在するのではないかと。

それに身をゆだねるのが一番なのではないかと。

だが、僕らは阿修羅会にすら、アベのような存在がいたのを見ている。アベは悪魔だったが、それでも全否定されるような存在ではなかった。

恐らくだが、四文字の神の法は、全否定と全肯定の法なのだ。

それについては、今までの悪魔達の恨み事を聞いていて分かった。そしてそれらの神々も、全否定と全肯定の理から逃れられていなかった。四文字の神を全否定することに血道を上げていた。

それは悪しき輪廻そのもの。

マーメイドの大事な人であるナホビノという存在が、断とうと試みたもの。

だったら僕は、この世界で。

誰の助けも借りず、それを成し遂げるだけだ。

アグラトが、更に自身の分身を作り出す。

とにかく数で押すつもりだ。僕は、そこで、ラハムに頷いていた。

「転化の時だね。 いいよ、ラハム!」

「はい。 此処まで来られたのは貴方のおかげです。 そして、この先に進んでも、私はどうなろうと貴方の側にいます!」

元は末の子だったラハムが、転化を始める。

凄まじい光。

満ちる水の力。

ドンと、辺りに衝撃波が迸る。それを受けて、リリム達があからさま過ぎる程の恐怖の声を上げていた。

原野が塗り替えられていく。

凪の水が満ちた水面に。

そして、膨大な魔力の奔流が収まったその後には。

巨大な、原初の竜が存在していた。

「な……!」

「ティアマトだと!」

「我が名は祖なる竜ティアマト。 フリン様。 貴方の側にあり、貴方のために戦う者!」

「……消耗が凄まじいね。 流石に祖神の中の祖神だ。 長くはもたないと思う。 一気に決着を付けるよ!」

リリス達が驚愕する。

そう、ラハムはティアマトの子。

リリスとの縁を完全に絶ちきるなら、ラハムの縁を辿り、ティアマトに転化するしかない。

そしてティアマトの戦闘力は、腐っても祖の中の祖。

もっとも古い神話の、もっとも古い神だ。その力は文字通り、激甚だった。

ティアマトがその領域を、リリスのものから乗っ取ったことだけでも分かる。薙ぎ払った光のブレスが、辺りを一瞬にして壊滅させる。

必死に集まって防御の術を展開したリリスと三体の悪魔だけは必死に逃れたが、万どころかもっといそうだったリリムやアグラトの分身が、まとめて消し飛んでいた。

力が抜けるようだが、まだまだ。

僕は真っ先にリリスへと躍りかかる。

ティアマトは力を貯めはじめるが、それも何度もブレスはたたき込めないだろう。それにあの破壊力。

何発も撃ったら、今の僕でも干上がってしまう。

リリスは明らかに焦りの表情を見せるが、それでもオテギネをしごいて挑みかかった僕に対して、絶倫の体術で応じて来る。

これが、本気のリリスか。

オテギネが軋む。

三十合を瞬く間にかわし、踏み込んで切りあげ、突きを叩き込み、払い。叩く。その全てを手刀で防ぎながら、リリスはかっと叫んでいた。

これは、原初の欲求を解放させるものか。

語るに落ちたな。

リリスは淫売とされ続けたことを、あれほど憎んでいた。それでいながら、結局その逸話に頼って来たということか。

気合ではねのける。

悪いがこれでもずっと精神修養をしてきた。それだけでは耐えきれなかったかもしれないが。

東京で重ねて来た激戦が、更に僕の精神を練り上げた。

そんなもの、通用するか。

懐に潜り込むと、掌打を叩き込む。

吹っ飛んだリリス。

前に遊ばれたときとは違う。明確に痛打が入っていた。リリスの声が、凄まじい怒りに歪む。

「おのれガキみたいな姿の分際で!」

「淫売にされたのをあれほど嫌がっていた癖に、その無駄に色気マシマシの体と声を結局頼りにして誇りにしているわけ。 哀れな女だなあんた」

「黙れェッ!」

化けの皮が外れたリリスが、更にリリムを大量に召喚してくる。かまわない。ムキになればなるほど、此奴が得意な平行世界から力を集める力を忘れるし。仮に使ったとしても、ムキになって自身に力を集めるはず。

マーメイドは幾つもの世界を救った結果、ナホビノという存在が結論を出したと言っていた。

更にその後、出来る範囲にある世界は、自力で救ったとも。

つまり平行世界は無限でもなんでもない。

あんなロザリオ必要ない。

全てのリリスを平行世界からかき集めさせ。その全部をぶちのめす。

貫を入れる。その技はもう見たと言わんばかりに腕を回して回避しようとするリリスだが、あの時とは練度が違う。

回避しきれず、腹に大穴が空き、吐血するリリスに。

回し蹴りを叩き込み、吹っ飛ばしていた。

 

まだまだ立て続けに大量に湧いてくるリリムを天使達に任せつつ、ワルターは突貫する。

ナアマという女は無駄に色っぽいが、その性質は暴そのものだとワルターは看破していた。つまり自分向けの相手だ。

ヨナタンはアグラトに。イザボーはエイシェトに向かったようだ。

ワルターの側に、秀が残像を作って出現すると、跳躍する。

なるほど、連携戦か。

相手はかなり手強い。いずれにしても、足は引っ張れない。さっきは膨大な羅刹の群れを蹴散らして貰った。

今度はワルターの番だ。

なまはげを初めとする荒々しい悪魔達が、一斉にナアマに襲いかかるが。ナアマの側にいる透明な何かが、その悪魔達を薙ぎ払う。

吹っ飛ばされた悪魔達を見て、透明な何かがいると悟るが。

其処へ秀が、何かとんでもなく巨大な存在を呼び出していた。

「きませい、ダイダラボッチ!」

「おおおおおっ!」

突如、山のような巨人が姿を見せると、掌をその場に叩き付けていた。大慌てで離れるナアマ。

そして透明な何かは、その掌にたたきつぶされて、染みになったようだった。

ダイダラボッチが消える。

あわてて逃れようとするナアマに、秀が斬撃を叩き込む。くっと呻きながら、ナアマが光の刃を作り出し、一撃を受け止めるが。

その瞬間、速度が乗って来たギリメカラに飛び乗ったワルターが、ナアマとの距離を詰める。

分かっている。

あのティアマトとか言う凄い悪魔、フリンの力を滅茶苦茶削っている。明らかに今のフリンの力を超えた存在だからだ。

存在が存在だからフリンのことには絶対服従だろうが。

あのタフなフリンでも、長時間呼び出すのは無理だろう。

一瞬で勝負を付けなければならない。

ナアマが壮絶な表情を閃かせると、辺りの空気が変わった。これは、毒か。いや、毒だけじゃない。

有害な力が、辺り全てを満たしている。

秀が飛び退く。

そして、秀が呼び出した角の生えた蛇を、ナアマは飛んでかわすが。即座に秀が撃ったでっかい銃の弾の直撃を受けて、悲鳴を上げていた。

立て続けにそれを放つ秀。

毒の中に特攻するギリメカラ。足が鈍るが、此処まで近づいてくれれば充分だ。ワルターは跳躍。

ナアマが気付く。

だが。今度は大砲を喰らって、それを必死に防ぐので限界だ。

大剣を叩き込む。

ナアマごと、地面に突っ込んだ。

体に大剣が食い込んでも、まだナアマは押し返そうとして来るが、周囲の毒が消えて行っている。

淡々と歩いて来た秀が、ナアマに逆手に持った刀を突き刺していた。

悲鳴を上げてその刀を引き抜こうとするナアマだが、往生際が悪いと言わんばかりに、秀が刀を抉る。

それで断末魔の悲鳴を上げて、ナアマは消えていった。

「あんた、えぐいな……」

「正々堂々という相手でもなかったからな。 本人もああされて本望だっただろうよ」

「……」

ちょっと引いた。

冷酷さという点では、実は男性より女性の方が上なのではないか。そうワルターは思った。

ヨナタンとイザボーは、それぞれ殿とマーメイドと連携して、エイシェトとアグラトを追い詰めている。

ワルターは咳き込む。

ちょっと毒を吸ったか。

放られたのは毒消しらしい。丸薬を口に含むと、多少楽になった。秀は弓矢を取りだすと、それで射掛ける。アグラトの分身が次々にそれで射貫かれる。ワルターは足に来ているのを悟り、苦笑。

なまはげ達が集まってくる。

まだまだ多数のリリムが際限なく湧いてきているのだ。

油断など出来る状態ではない。

イザボーがエイシェトに、大火力の魔術を放つが。それが、老婆のような鋭い声を上げたエイシェトが展開した黒い壁にかき消される。

あいつ、痛みを操るようだが。

それを壁にして魔術を防ぐような真似をするのか。

アグラトはというと、細かい光の粒みたいなので、飽和攻撃を仕掛けている。ワルターの天使部隊は、リリムの大軍とそれを同時に相手にして、確実に消耗しているが。それも連発できるわけでもなく、天使部隊に対しての接近戦能力もないようで、分身を出しては接近を防いでいるようだ。

ワルターはギリメカラに跨がる。

ギリメカラは頷くと、突貫を開始。

狙うはアグラトだ。

後方から秀が射撃を次々に叩き込んで、確実に分身とリリムを処理してくれている。それを信じる。

それに、だ。

不意に躍り上がったマーメイドが、大火力の冷気の竜巻を作り出す。

凄まじい火力で、思わずエイシェトもアグラトもそれから逃れようとする。其処に跳び上がったギリメカラ。

巨体だから、大迫力である。

「ギリメカラ、押し潰せっ!」

「無粋」

アグラトが、大量の光の粒をギリメカラに叩き込む。それで消し飛ばされるギリメカラだが。

その時には、ワルターが跳躍。

大剣をたたき込みに懸かる。

既に分身は全滅。

アグラトは傘を振るって、ワルターの大剣を防ぐが、それが詰みだった。

天使達の背中を渡って接近していた銀髪の子が、通り抜け様に一刀両断を入れていたのである。

腕を叩き落とされたアグラトが、呆然とする中。

乱戦の中を生き延びていたドミニオンが、アグラトに剣を突き刺す。一体だけではなく、続いてパワーが数体。周囲からアグラトを串刺しにしていた。

ふっと笑みを浮かべつつ、消えていくアグラト。

それを見て、激高したのはエイシェトだが。その時には、イザボーの大火力魔術が、足下からエイシェトを包み込んでいた。

悲鳴を上げて飛び退くエイシェト。

だが、エイシェトの背後には、秀が回り込んでいた。

エイシェトの髑髏のような顔に、明らかに恐怖が浮かぶ。

「自分への痛みは怖いのか、魔女」

「おのれええっ!」

それでも長い爪を振るって反撃に出ようとするエイシェトだが。

その爪ごと、秀はエイシェトを一刀両断にしていた。

さて、残りはリリスだ。押し気味に戦っているフリンだが、こっちも割と満身創痍。それに、リリスには例の平行世界からの力の補給とか言うインチキがある。ワルターもどっちかというとダーティーな戦い方をする方だが。

それでも、あれは長期戦になると不利。

その時、ティアマトが飛ぶ。

リリムが群がろうとするが、仲魔を総出で出して、ティアマトを援護させる。ティアマトが飛ぶのは、フリンの方。

爆発が連鎖し、リリムが片っ端から叩き落とされていく。

天使達も、体を張ってリリムの群れを防ぐ。

イザボーが範囲攻撃型の大威力魔術を放って、数百のリリムをまとめて薙ぎ払う。それでも、空が黒くなるほどリリムが湧いてくる。

凪の水面になっている此処も、揺らいでいる。

これはティアマトが押されているのではなく、フリンの限界が近いと言う事だ。ワルターは立ち上がると、秀が手を横に。

どうやら、詰みのようだ。

 

僕は飛び退くと、オテギネを構え直す。

馬脚を現したと言っても、リリスはリリス。強い。オテギネも、そろそろ限界だろう。

このオテギネは本当に強い槍だが。

今だと分かる。

これじゃない。

僕には、更にあっている武器がある。だけれども、オテギネそのものには本当に世話になった。

だから、この戦いは。

オテギネと一緒に勝つ。

息を乱しながら、リリスは構えを取る。

これは次の交錯が最後になるな。気配からして、後方ではさっき出て来た悪魔達は全て敗れ去ったようだが。その代わり、空を埋め尽くすほどのリリムが出て来ているようだ。全力でリリスもこっちを殺しに来ている。

殿の言葉が、よほどブッ刺さったんだな。

そう思うと、痛快ではあった。

「随分とたくさん子供を産み捨てたんだねリリス。 だから今、子供に逆襲されることになる」

「それはあくまで神話での話だ! 私は誰かと肉欲のまま交わって、子供を産んだことなんぞない! あれらは力を分け与えて作り出しただけの子供だ!」

「そ。 それでも子供であることには変わりないだろうに。 実際母さんであるあんたを助けるために、今もあんなに死んで行っているのに。 それをただ道具としている時点で、あんたの性根は結局腐っていたんだよ」

「黙れぇえええええええっ!」

リリスが来る。

槍の奥義、今こそ出す時だ。

突き、払い、叩く。

その三つを、同時に叩き込む大技。

僕は前に出る。

驚くほど自然に、体が動いていた。

まずは叩く。槍を旋回させて、それで上から相手の動きを止める。

次に払う。

払い技は打撃技としても使えるが、これは動きを止めた相手の態勢を決定的に崩すためのものだ。

そして、最後に。

渾身の力で貫く。

それぞれの技に、今までの鍛えこんだ奥義を乗せる。それで、動きが止まるリリス。奴が、平行世界から力を集め、決定的に破損した体を修復しようとするより前に、僕はリリスを蹴り上げる。

上空に撃ち出されたリリスを守ろうと、リリムが大量に集まってくる。

其処に、ティアマトが、全力を集中させていく。

リリスが悲鳴を上げた。

分かってしまったのだろう。

ティアマトのあのブレス、光のように見えるが、そんなもんじゃない。この世界にある概念そのものにダメージを与えるものだ。

リリスという悪魔は、あまりにも強大で。それ自体がリリスという概念にまで昇華している。

だからこそ、僕が喚び出したとは言え。

祖神の中の祖神であるティアマトのそれは、文字通り。

一撃必殺なのだ。

「私は、私は、淫売などでは、淫売などでは……!」

「撃て」

ティアマトが、光のブレスを叩き込む。

それは盲目的にリリスを守ろうとしたリリムの群れごと。平行世界から自分をかき集めて自分を本能的に守ろうとしたリリスを、この世界から消滅させていた。

残っていたリリムが、悲鳴を上げて逃げ散ろうとするが。どれもがマグネタイトとなって消えていく。

そして、ティアマトが側に降り立っていた。

優しい目。

ラハムが転化したのだと分かる。

そして、悲しい目。

ついに決着を付けたが。母殺しをしたのに代わりは無いのだ。それを物語る、複雑な心境を込めた目だった。

「ありがとう。 これからも頼りにさせて貰うよ」

頷くと、ティアマトがガントレットに消える。

同時に僕は膝を突いていた。

領域が消える。

ヤバイ。意識が吹っ飛びそうだ。何とか戦時の昂奮で意識を支えていたが。限界が近いかも知れない。

すぐにイザボーとヨナタンが回復にかかってくれる。

肩を貸してくれたのは秀だ。

「ごめん。 ちょっと消耗しすぎた」

「いいから寝ていてくれ。 君は充分によくやった」

「あんなとんでもねえの召喚したんだ。 そりゃ無理だって出る」

「後はわたくしたちが殿と一緒にどうにかしますわ」

それを聞くと安心できる。

オテギネは、ちょっとこれは根本的に打ち直さないと駄目だな。最後のあの奥義。槍の奥義だから、なんと名付けよう。

ともかくあれを撃った時点で、オテギネは槍としては壊れた。

そして僕も、しばらくは眠らないと、動けそうになかった。

 

3、ガイア教団を麾下に

 

秀は意識を失ったフリンをそのまま担いで連れ出そうと思ったが。

周囲に現れるのは、ガイア教徒達だった。

ただ、あの双子の妖怪老婆はいない。

まあそうだろうな。

そう秀は苦笑していた。

ヨナタンが前に出る。

殿が側で見ている。徳川家康が。

ヨナタンは、今後東のミカド国と統治するにあたって、殿に色々話を聞いている。それで短時間で、深い見識を得ている。

秀は、自身の生きた歴史では、あまり徳川家康とは接点がなかった。

だが、接してみれば分かる。

徳川家康は、狸だの何だの言われているようだが、文字通りの英傑だ。戦国時代を統一したのは偶然じゃない。

嫌う者も多い存在ではあるだろう。

だが、その能力は、総合力に関しては戦国随一。

政治力に関しては、日本史中最高だろう。

世界史でも間違いなく上位に食い込んでくる存在だ。それから薫陶を得れば、それは成長する。

「ガイア教徒の皆。 リリスは倒れた。 ラーヴァナとインドラジットの親子も倒れた。 もう戦う理由はないのではないか」

「し、しかし我等はどうすればいいのか」

「僕は君達に行動を強制しない。 ただし、君達自身だけにだ。 君達一人一人が、混沌の理を守るというなら、好きにすればいい。 だが家族や君達の周りにいる存在にまで、それを押しつけるのは許さない。 後は好きにすればいい」

理想的な言葉だな。

秀も頷く。

ガイア教徒達は恐縮したように頭を下げるが。

だが、もう一言必要だ。

ガイア教徒達は、実の所混沌の理なんかに生きていない。力が全てを決めるというルールを口にしてはいるが、現実には「そういう正義」が欲しいだけの集団だ。

結局のところ、此奴らもそういう「全肯定」が欲しいだけなのだ。

人間の社会は思考停止できる全肯定と全否定を基本的に貴ぶ。

せっかく知能を得た生物が、その知能を投げ捨てにかかる。それはもう、戦国の業を見てきた秀も、嫌になる程理解できている事だ。

銀髪の子が、ヨナタンの袖を引く。

それで、ヨナタンも理解したようだった。

「これから我々は、四文字の神と、その軍勢を相手の戦いを準備する。 その後には、東京の外に出て、それぞれが好きに暮らせるコミュニティを作れるようにするつもりだ。 その戦いには君達も加わり、僕達の助けになって欲しい」

「おお……!」

「どうするかは君達が判断するんだ」

「いえ、決まっている! いや、決まっておりまする! 我等はこれより、あなた様の麾下に!」

こうなることが分かりきっていた。

だからこそ、先が見えていたあの狡猾な老婆二人は逃げたのだ。

カルトというのは、末端の信者は阿呆の集まりだが。教祖もそうである可能性が高いのだが。

それを裏から操っているような連中は違う。

あの老婆二人は、典型的なそれだったのだ。

ガイア教団は、そもそも今回の件で、明けの明星に見捨てられた。捨て石にされたと言っても良いかも知れない。

元々あったようなもっと強大な組織であったら、こうも脆い瓦解を起こさなかったかも知れないが。

しかしながら、現実はこうだ。

散々弱体化した挙げ句、構成人員も減った今だったからこそ。

こうも無様な壊滅を遂げてしまったのかも知れなかった。

ヨナタンがさっそく、ガイア教徒達に指示を出す。聖堂の罠を撤去し、今まで虐げられていた人間を全て解放する。

雑多な悪魔に関しても、既に好戦的な者達はラーヴァナに従った挙げ句に討たれた。後は野良の悪魔だが、それに関しては人外ハンターとともに駆除して行けば問題はないし。四天王寺とやらをどうにかして、竜脈というのを正常化すればだいぶ悪魔も大人しくなる筈。

実際秀も、あの苛烈な戦国の世で、妖怪を見るのは限られた場所だった。戦場や墓場、後は何らかの理由で妖怪だらけになるようなことをしでかした場所だけだった。

本来は悪魔はそれくらいの存在であって、今の東京がおかしすぎるのだ。

ヨナタンと、補助のためのイザボーが残る。

秀は殿とフリンとともに一度戻る。

マーメイドは用があると言って消えた。

多分もう隠している事はないだろうが、いずれにしてもマーメイドは強い。まだ何か、感じ取ったのかも知れない。

銀座でも急速な解体作業が始まっていた。

人外ハンターが入って、作業を始めている。街を解体するのではない。残っている街は、出来るだけ活用するべきだからだ。

地下に満ちている毒の道やら。

悪魔が好き放題に縄張りにしている場所やら。

彼方此方で好き勝手にしている破落戸やら。

そういうのを、片っ端から排除し始めたのだ。

既に聖堂は落ちている。

それを理解しているからか。目端が利く破落戸は逃げ始めているが、人外ハンターの方が動きが速い。

今回の会戦で動いていたのは、フリンや秀達だけではない。

フジワラも事前に準備をして。

制圧のための作戦を事前にしっかり立てていたのだ。

銀座を動かしていた金だけの理屈も、これで少しはマシになっていくと良いのだが。ともかく、伸びているフリンを担いで。ターミナルへ。

其処からシェルターについて。ようやく一段落していた。

シェルターにはサムライ衆が来ていた。

一部は東京駅での会戦に参加してくれていたらしい。フジワラがねぎらっている。フリンが力を使い切った様子で戻って来ているのを見て、それで絶句している者もいた。既にフリンの武勇は、知られていると言う事だ。

とりあえず医療班に任せる。

アサヒがすぐに手慣れた様子で回復の得意な悪魔達を出すのを見て、頼もしくなったなと目を細めたが。

それよりも先に、まずやっておくべき事がある。

フリンが回復の魔術を受けると、呻いて目を開ける。

休んでいた方が良いとアサヒが言うが、先にやらないといけないのだ。

「オテギネが限界だ。 ドワーフにどう頼む。 修理を頼むか。 それとも……」

「オテギネは、もうこれ以上はついていけないと思う。 だから……」

「分かった」

問題は、この先どういう方向で鍛えるか、だ。

オテギネは秀から見ても充分にいい槍だ。

結城家に伝わっていた名槍だったか。後に徳川家の所有に移ったのだが、最終的にこの歴史では戦禍に巻き込まれて消失した筈。

ただ天下三名槍というだけあって、その槍としての性能は破格。

秀としても、これほどの槍はそうそうないと思わされる程だった。

他の天下三名槍も知っている。

一つは福島正則が使っていた日本号。

ただこれは、そもそもとしてフリンとはあうまい。

フリンは無双の武人といっていい存在に今や成長しているが、ただ暴だけが先にあった福島とは違う。

あの福島とも、前の歴史では違う会い方をしたんだったな。

そう思うと、ちょっと懐かしい。

ただいずれにしても、日本号はフリンの手にはあわないだろう。

もう一つの天下三名槍は、知名度からしてもちょっと格が違う。だが、ひょっとするとだが。

フリンについては、前に聞いた。

合戦場に出ているような夢を見ると。

殿……徳川家康公を、以前から知っていたような気がすると。

だとすると。

ドワーフたちのところに、傷んだオテギネを持っていく。ドワーフの親方は、オテギネの痛み方を見て目を細めていた。

素人が雑に使って壊したのでは無い。

達人がそれ以上の相手と戦い。達人の力について行けなくなったのが明白だったからだろう。

「打ち直しだな。 それでどうして欲しいと」

「本人はこれ以上オテギネではついていけないといっていた。 それで……蜻蛉切りと呼ばれる槍に出来るか」

「蜻蛉切り? ふむ、なるほど……こういう槍か」

「そうだ。 私が見る限り、その槍こそフリンにとっては半身となるものだと思う」

蜻蛉切り。

それを使った武人の名は。

そしてフリンが、もしも徳川家康公を知っていて。その戦いを支えた最強の武将だったのだとすれば。

秀も前の世界ではその武将に会ったことがある。

妖術の類も使えないのに、凄まじい使い手だった。あれは確かに、「東国最強」といわれるだけのことはある。

なんでも後の世では徳川憎しの連中が、貶めるような言説をしていた事もあるらしいが。実際にあった秀がいう。

例え歴史が変わった今であっても。

あの者だったら、東国最強の名を冠するに相応しかったと。

「分かった。 グングニルやゲイボルグであったら新しく打つのは難しかっただろうが、その槍であれば。 そしてリリスを打ったというこのオテギネの残骸を利用して作り直せば。 最強の魔を討ち、神を倒す槍に化けるだろう」

「そうか。 頼むぞ」

「ああ、任せておけ。 職人の誇りに賭けて」

さて、とりあえずこれでいい。

霊夢の様子を見に行く。

まだ疲れが残っているようだが、既に準備を終えているようだ。だが、ガイア教団の後始末と。

それとフリンの回復をまず待ちたいのだろう。

それに動けるようになったといっても、まだ疲れは取れきっていないし。

これから天照大神を神降ろしするとなると。力が上がってきているという霊夢でも、簡単にはいかないだろうから。

「リリスだかを倒したらしいわね」

「ああ。 手強い相手だった。 私もともに戦ったが、既にフリンは私達に並ぶ使い手になっている」

「そう。 あたしも神降ろしによる状況の変化にだけではなくて、バリバリ最前線で戦いたいものだけれどね。 流石にこれだけ大物の神を立て続けに降ろすとなると、負担が尋常じゃ無いわ」

「それでも出来ているのだから大したものだ」

地獄に会いに来た霊夢のことは今でも覚えている。

閻魔に紹介されたといって、地獄の最深部で戦い続けていた秀に会いに来た。周りには浮かばれぬ亡者。業を抱えた極悪人の霊。それらを片っ端から斬り、少しでも業から逃れられるように。次はマシな奴になれるように。

そう、全てを狂わせてしまったことを嘆き、改心して自ら地獄へいった叔父のためもあって。

戦い続けていた秀の前に。

まるで怖れる事なく、霊夢は現れた。

襲いかかった妖怪に振り向きもせず札で爆散して、そして事情を説明する胆力。

大した奴だと、感心させられたっけ。

「ガイア教団を黙らせたことで、人間の勢力はまとまった。 後はクリシュナの動きが気になるところだが」

「随分と多弁になったわね」

「必要だからな」

「……クリシュナは恐らく、座につくのは自分でなくてもいいとは思っていても、ましな理屈を持つ存在が座についてほしいと思っているのでしょうね」

それはそうだろうな。

クリシュナ自身には、見た所座とやらに執念を燃やしているような印象はない。四文字の神を倒す事に執念を燃やしている様子はあったが、それ以上でも以下でもなかった。

それはクリシュナ以外の生き残っている神も悪魔も、みな同じなのだろう。

ただ、秀には結局クリシュナも、四文字の神に対する全否定、という。全肯定全否定の理に捕らわれているように見える。

結局のところ、神も魔も、そういう意味では座についてはマシな世界など作れないのだろうとも思う。

「とりあえず四天王寺とやらの復旧と、大天使どもを四文字の神から切り離す作業を同時にするとして……」

幾つかの話をしておく。

今のうちに、片付けられることは全てやっておく必要がある。

秀は今まで蓄えてきた力を全て出し切って、この世界を変えられるなら変える。以前、同じように世界を変えたときは、闇に墜ち果てた叔父を救うためだった。

今度は、闇に閉ざされた東京と。

飼い殺しにされている東のミカド国の民を救うため。

それだけで、大きく意味が違う結果になるはずだった。

 

低空飛行で飛ぶ双子の老婆。二人で互いの超能力を増幅し合い、最大の速度を出して銀座から離れる。

まさかラーヴァナとインドラジットがあれほど容易く破れるとは。

あれではリリスとその同類も勝てはしない。

それを理解したからこそ、双子の老婆は逃げている。

今はクリシュナに、ある手札を開示して、多神連合に加わる事を考えておきたいのだが。

それも断られた場合は地下に潜って、組織の再編からだろう。

老婆達はまだ諦めていない。

それは永く生きてきて。超能力で寿命すら操作してきたからこそ、生にしがみつく本能が強くなっているが故。

ガイア教団にいても、あのままでは確定で戦犯として殺される。

それを見抜いていたから、こうして逃げるのだ。

だが、強い気配が立ちふさがる。

老婆二人は、すっと空中で止まっていた。

「誰じゃい!」

「のかんかいわれえ! すっころすぞ!」

「酷い訛り。 それでは何をいっているか分からないわ」

地面から浮かび上がってきたのは、あのマーメイドだ。規格外すぎる力の持ち主。老婆二人は安心した。なぜなら、此奴はそれほど好戦的では無いと判断したからである。

老婆二人はある程度心を読める。

このマーメイドの心には哀しみと憐憫がある。

それはもっともつけ込みやすいものなのだと、ろくでもない生を送ってきた老婆は知り尽くしていた。

「あ、あんたさんか」

「見逃してつかあさい。 非力な年寄りでな」

「貴方たちが持っているそれ、九頭竜の封印ね。 それを渡してからいきなさい」

「!」

一瞬で見抜かれた。

九頭竜。

竜脈思想の奥義の一つ。竜脈を竜とみなした場合、九つの頭を持つ巨大な竜として認識できる。

そして日本にはその頭の一つがあり。

その思想がある以上、アティルト界からアッシャー界へと呼び出すことが出来る。その気になれば、この陰気な将門公が展開した天蓋を突き破って、東のミカド国を即座に消し飛ばす事も可能だ。

ただそれをやるには、百万単位の魂がいる。

そんな魂は現在は地獄にしかないが。

地獄では確か今、多数の亡者が並んでいて、処理が追いついていないと聞いている。それをかっさらってくれば、すぐに数など満ちる。

地獄の神々は怒るかも知れないが。

そんなもの、力に比べれば些細なものだ。

いずれにしても、これは切り札の中の切り札。

渡すわけにはいかない。

「かんにんや、かんにんや」

「これは生命線なんや。 だから、どうかみのがしてつかあさい」

「それを貴方たちみたいな存在がいい方向に使う事はあり得ない。 残しておいても禍しか産まない。 それを手放すなら……見逃してあげるわ」

「……クソッ! やむをえん!」

老婆達は知っている。

もう寿命が長くないことを。

だから後継を育てていたのだ。

実はこのからだすら、乗っ取ったものだ。本来は優れた力を持っていた双子の姉妹だったが。

それを乗っ取り、自分の体にした。

次の体が必要だった。

だが、死体として戻ってくれば良かったトキは、あろう事か生きて戻って来た。その上ベリアルは老婆達のもくろみを見抜いていたからか、出来るだけ苦しめて殺そうと考えたトキを逃がしてしまった。

怨念と苦痛をたくわえた死体が一番よりしろとして長持ちする。

この体のように、だ。

老婆が、二方向に飛んで逃げる。どっちかだけ生き残ればいい。この体は、それぞれ魂を分割していれているもの。

老婆はもとは双子だった。

だが、一つの体に同時にはいっていた時代もあり。今ではどっちがどっちかも分からなくなっていた。

だから、一つの魂になっても、其処から分割すればいい。

新鮮な死体さえ見つければ、そこから新しくやり直せる。時間さえ掛ければ、新しい死体を見つけて、乗り換えていけるのだ。

古い古い時代には対魔師だった。

だが、その心を忘れ、今はただの化け物となった老婆は必死に逃げ出すが。

その両者ともが、止まっていた。

動けない。

バカな。

超能力が発揮できない。地面に落ちて、そのままもがくだけ。ずるりずるりと引っ張られていく。

マーメイドに向けて。

老婆達の喉からひっと声が漏れた。

「色々な世界を旅してきたの。 九頭竜を兵器として使おうとする者ともあったし、貴方のように志を忘れて化け物になってしまった人も見た。 救えない存在は存在しているのを私はもう知っているの。 だから、ごめんなさい」

「ま、まてっ!」

ばきんと音がした。

懐に入れていた、一双の球。九頭竜の封印が、瞬時に冷凍され、砕かれていた。もはやただのゴミ。

これで老婆は、多少強いだけの妖怪ババアと化してしまった。

これでは、多神連合に売り込むどころでは無い。

それにだ。

哀れみを込めて見下ろしているマーメイドは至近。こいつは元々船乗りを死に誘う存在だ。

歌われたら、それで終わる。

恐怖が心臓を鷲づかみにする。絶望と恐怖が、既に人間として生きるには無理がありすぎる肉体に、致命的な負担を掛けていた。

老婆二人に宿っていた魂は、そのまま体を離れた。

死体は。死体は。

探すが、そんなものはない。

そして、地下から伸びてきた死神の手が。暴れる魂を掴むと、地獄に引きずり込んでいった。哀れな悲鳴を上げる魂だが。それはもう、どちらがどちらかすらも、自分で理解していなかった。

 

ダグザはガイア教団が瓦解していく様子を見つめて舌を巻いていた。まさかこんなにあっさり瓦解するとは。

クリシュナが変な風に動いているのと同時に、明けの明星も動いているのはダグザも確認していた。

ダグザも独自の方法であの四文字の神を撃ち倒す事を目論んでいたからだ。出来る範囲の事は全てしていたし。

クリシュナの勢力は邪魔になる可能性が高かったから、注視していた。

ガイア教団はクリシュナの麾下よりも更に強大な悪魔が揃っていたから、更に警戒していたのだが。

明けの明星が主力に手を引かせたとは言え。

まさか一日も経たずに瓦解するとは、本当に驚かされた。

特に最強硬派だったインド神話の魔族達。

ラーヴァナはともかく、インドラジットをあれほど容易く破るとは、今も信じがたい。インドは数学に秀でた文化圏と言う事もあって、その活躍は具体的な数字で示されて、途方もないインフレーションを起こしているのだが。

溜息をつくと、一旦距離を取る。

このまま人外ハンターと連携している神々に混じって、創世が行われるのを待つか。

今人間達は、明らかに天に攻め入る準備をしている。二十年ほど前にも同じ事をしようとして、三英傑がそれを為せずに帰還した。だが、今度は三英傑以上の人材が揃って、傲慢な天の座の主の家の戸を叩こうとしている。

天使共はダグザが見る所、うすうす気付いているようだが、圧倒的優位に胡座を掻いてこれは対応が後手に回る。

さて、どうするか。

フリンとやらは、凄まじい豪傑だった。

ダグザがやり込められた狡猾さと、強さを併せ持っていた。

オーディンの知恵とトールの力を併せ持った豪傑。そんな印象を受けた。ただ、その頭は創世のために使おうとしているようには思えなかったが。

かといって、他に人材は。

フリンと一緒にいた三人は、もうあり方が決まっている。たぶらかすのは無理だ。

英雄達は、あれはもうとっくにあり方を決めている存在。今更ダグザが何を吹き込んでも都合良く踊ることはないだろう。

いるかも知れないが、ダグザは多分好機を逃してしまったのだと思う。

元々ダグザは陰謀が得意な神格ではない。

戦闘は出来る。荒々しいケルトの神格だからだ。だが、それが限界。この世界の有様を見て、個からの解放という事を願ったけれども。それは本当に正しかったのかと、不安にさえなってくる。

腕組みして考え込んでいると。

クリシュナが姿を見せる。

「おや、随分悩んでいるようですなダグザどの」

「……消えろ。 俺は今少し機嫌が悪い」

「そのようですな。 ただ、このままだと貴方は出遅れる。 我々は次の段階に計画を移そうとしています」

「それをわざわざ俺に聞かせてどうするつもりだ」

苛立ちを感じるダグザが凄むが、勿論その程度で怖れるクリシュナではない。ダグザも相手が引くとは思っていなかった。

そもそも此奴は目的のためには手段を選ばない。

下手をすると、自身を生け贄にして、四文字の神を倒すような事を考えるかも知れないのだ。

「我々は次の段階で、戦力を温存します」

「ほう……」

「人間達に恩を売った。 ついでに明けの明星とその配下になっている神々は、恐らくは天の軍勢との全面戦闘にどうあっても巻き込まれる。 つまり……」

「消耗しあったところで漁夫の利か。 貴様が考えそうなことだ」

鼻で笑われる。

ダグザもいい加減苛ついてきたが、どうやらクリシュナの狙いは違うらしい。

「この間人間の根拠地を見てきましてね。 今一線で戦っている英雄達の後の世代に、四人ほど有望な子供がいる。 座をどうにかするには、どの道人と神の力が必要で。 恐らく今の段階だと天照大神と人間がそれを為すでしょうね。 それを貴方は受け入れるのか」

「今更。 もっと早い段階で神殺しを見つけていれば好機もあったがな。 人材の育成を始めるには遅すぎる」

「ふっ、そうでしょうか。 私は今回の座の獲得は諦めますが……」

今回は、か。

神々らしい思考だ。

なる程、分かってきた。

此奴は今回、多神教の世界を作らせるつもりだ。そもそもとして、この国は極端すぎるほど多神教で、余程横暴な真似をしない限りあらゆる信仰に寛容だった。良い例が八幡信仰で、この国でトップに近いほどの信仰を集めている神だが、正体はこの国の誰も知らないのである。

一神教がこの国に根付かなかったのは、あまりにも横暴な行動を取ったから。他の国でやってきたことが、この国では通用しなかったのだ。

ただ、ダグザは思うのだ。

そう簡単にいくだろうかと。

「まあいい。 お手並み拝見と行こう。 やはり俺は俺で好きなようにさせてもらう」

「……そうですか。 では」

クリシュナが消えた。

これは、わざとダグザをたき付けに来たな。ダグザがクリシュナの言葉で踊ることなどないと分かっていた筈。

そして神殺しになりうる乾いた魂もまたない。

それはダグザも、ある方法で人間の根拠地を見てきて既に知っているのだ。

そうなり得た者はいた。

だがその者は、戦士としてまっとうに育っている。

ダグザも戦士の文化の神だ。

だから、まっとうに育つ戦士を見れば、悪い気にはならない。そういうものなのである。この戦闘形態と言える姿になったとはいえ、ダグザも本来の性質を全て捨て去った訳ではないのだ。

いずれにしても、クリシュナの思うとおりになるのも癪だ。

幾つか手を打っておくことにする。

気は進まないが、人間の根拠地に向かう。既に天照大神が戻り、余裕が出来れば人間は素戔嗚尊も蘇らせるだろう。

まだ主神というには頼りない力のようだが、それでもこの地の主神だ。既に外来種に比べて力は圧倒的。

これで竜脈の力が戻れば、四文字の神がいる上位次元への扉をこじ開けることも可能になる筈だ。

クリシュナは今回は諦めるといっていた。

だが、そんなことをさせるくらいなら。

いっそのこと、座に神がつく仕組みそのものを終わらせてしまうのも手かも知れない。

何度か空間を跳んで、人間の根拠地近くに出る。

丁度いい。

外に出ていた銀髪の娘を見つける。

最近はその実力も知られているのか、外を一人で歩いている事も多い。悪魔が瞬殺される様子もよく見られるため、タチが悪い人外ハンターも怖れて近寄らないようだった。

目の前に出ると、銀髪の娘は足を止める。

むっとしたようだった。

「久しいな」

「別に呼んではいないが。 何用だ」

「俺単騎とお前単騎。 どちらが強いかな」

「あいにくだがこの娘は戦闘で更に力を取り戻している。 お前が相手でもそうそう遅れは取らん」

どうやらそのようだ。

辺りに人がいないこともあって、殿といわれているこの地の英雄が出て来ている。それはそれと、銀髪の娘は油断している様子もない。

「一つ取引がしたいと思ってな」

「言って見ろ。 暗躍されるよりはその方が良い。 もっともお前は条件が揃わないと、本来暗躍するような神格ではないようだがな」

「そうだな。 我ながら苦手な事をしている自覚はある。 どうせ座をどうするか考えるのはお前だろう。 俺から、今までの座がどうだったのか教えてやる」

「……」

ダグザは知っている。

最初に座についていたのは、ティアマトの前の神。

それは座にルールなど求めなかった。

続いてマルドゥークがティアマトを倒して座についた。

だがマルドゥークは移り気で、バアルが現れるとあっさりその座を手放した。

バアルはラーに座を奪われ。

ラーは四文字の神に座を奪われた。

それぞれルールは少しずつ違っていた。

いずれにしてもその違いは、人が獣から人へと変わっていくものだった。ただし、それがいつの間にか決定的に歪んだが。

特にラーの時代の、「神による人の統治」の時代がまずかった。近親交配で神を無理矢理作り出そうとするルールは、人間を極めて弱体化させた。エジプト王朝を何度も破滅が襲ったのはそれが故だ。

近親交配で最高の血統を作り出せるという妄想は、以降も人間を蝕み。近年でも優生論とかいう愚論になって現れている。

それを告げると、英雄はふむと鼻を鳴らしていた。

「つまり座の影響は、例え神が変わっても残り続けていると言う訳だな」

「そういうことだ。 理解が早いな」

「なるほど、貴様の思考は理解した。 貴様、この世界を終わらせる気だな」

「……!」

勘が鋭すぎるのも考え物か。いや、此奴の場合は勘ではないな。舌打ちしたダグザが飛び離れる。

英雄はいう。

「今わしの方でも座についての仕組みを勉強しているところだ。 どうやらくだらんルールでこの座の仕組みが作られ、少なくとも座にいる存在が変わるとこの星に関係する法が変わるということも。 その法は恐らくだが、世界に存在しているもっとも世界を動かしている生物に適応されることも。 量子力学による観測論に近いともあの爺めはいっていたな」

「座を科学で解き明かそうとするか貴様……」

「それが「在る」以上科学で解き明かせぬことなどないとあの爺めはいっておったよ。 わしも同感だ。 仮に座に何かがあるとしたら、何かを歪める理屈でもなく、その歪める理屈を容認するものでもない。 むしろわしはお前の何もかも無に帰すべしという思想を聞いて確信した。 どうせ座に存在する者が座をいつしか破壊し、その度にこの世界に住まう主流の生物は変わっていったのだろう。 たかが一つの星にある座だかで、138億年だかもっともっとだか続いている宇宙そのものが消し飛ぶというのも不自然な話だ。 シヴァ神が行うと言うルドラの秘法とやらも、宇宙といいながらこの星の生物に破滅的な影響を与えるものであろうよ」

そこまで理解していたか。

宇宙とは、古くは世界全ての事だった。現在人間が把握している宇宙全ての事では無い。

英雄が言う通りだ。

座の影響力はこの星にしか及ばない。

「ダグザよ。 大人しく呼び出すまで待っているのだな。 少なくとも座によって世界全てを一から作り直すような事は願わん。 それはお前が戦士達のあくなき殺し合いを見続けて到達した絶望から来たものではないのか? わしはあくなき殺し合いを終わらせたものだ。 お前とは考えが違うと知れ」

「……面白い、いいだろう。 確かにその点ではお前の方が上だ。 見届けてやろうではないか」

舌打ちしながらも、ダグザはやはりこの方法は自分には向かないと判断していた。

言われた通りだ。

ケルトの歴史はあくなき殺し合いとだましあい。ケルトに誕生した英国という国の外交における悪辣さがそれを示すように、人間でありながら人間性を極限まで嘲弄したのがケルトの最終的な到達点だ。ダグザは末がそれであることに絶望した。故に個からの解放を願ったのだが。

違う結論を出すものがいるのなら、それはそれでかまわない。

ダグザは、その結論を見守る事にする。

完全に言い負かされたが、それはもういい。ただ今は。すっきりした気持ちであった。

 

4、その手に半身を

 

僕はまた夢を見た。

やはり僕は背の高い武人になっていた。そして、戦いに勝ち、三人の優れた仲間と一緒に馬上で凱旋の途についていた。

少し年上のまとめ役。髭を蓄えた男性。先頭の馬に乗っている。

酒井忠次といわれている。

この男性が、ヨナタンに雰囲気が似ている。勿論似ても似つかないのだが、どうしてか同じ存在に思えるのだ。

少し遅れて続いているのは、榊原康政。

寡黙だが、あらゆる事に長け、政治でも軍事でも器用にこなす男だ。書物の作成から都市計画までなんでもやってみせる。

この男が、どこかイザボーに似ていると思った。

そして最後に続いているのが、皆より一回り若い勇士。

常に最前線に立ち、自分も部下も極限まで酷使する。戦場では常に深手を負いながらも戦い続け、武田の赤備えを任された最強の若き武士。

井伊直政。

悍馬のごとき気性で、部下に嫌われているが。それでも圧倒的な成果をたたき出す井伊の赤鬼。

この者が、どうしてかワルターに似ていると思うのだった。

目が覚める。

僕はじっと手を見る。

激しい戦いの後、意識を手放しで。その後も疲れが取れるまで、寝たり起きたりを繰り返していた。

そうか、殿を知っていたような気がするわけだ。

あくまで僕とは別人。

だけれども、多分魂が同じ存在であったのだろう。

輪廻転生というやつなのか。

本多平八郎忠勝。

それが、僕だった者。

だけれども、それはあくまで魂の縁という奴。その人生はその人生。僕にまで影響が出るのは妙だ。

或いはだけれども。

これほどの危機的な状態だからこそ、過去の生のあり方が僕に影響を与えているのだろうか。

可能性はある。

思い出してくる。

東国最強といわれていた。

西国無双と呼ばれる若者と並び称されていたように思う。その西国無双もまた素晴らしい戦士だったような気がするが。

それでも、最後まで殿とともにあり。

その苦しい戦いだらけの人生をともに支えた存在だった。

殿を知っているような気がしていたのは、それが故だろう。だけれども、前世なんてしょせん前世。

それに、本多忠勝だった事が、なんだというのか。

今の僕は、人間として。

この神と悪魔に弄ばれる世界をどうにかしたいと思っている。

気付くと、オテギネがない。

ガントレットから声がした。

ラハムからティアマトに変わっても、性格は変わっていない。ティアマトの声だ。

「フリンさん。 オテギネだったら、今ドワーフたちが打ち直しています」

「ありがとう。 取りに行くよ」

「私はついに母の……母として最悪の存在となったあの人の呪縛から逃れられました。 全て貴方のおかげです。 ずっと貴方の側にいて、貴方とともにあります。 世界の全てが敵に回ったとしても、貴方の味方です」

「大丈夫。 世界の全てなんて、敵に回さない」

平行世界の話をマーメイドがしていた。

あるいはそういう世界もあるのかも知れない。

僕が女性ですらなく男性だったりして。

英雄達もいなくて。

苛烈な運命と滅び行く人々を見て絶望して。全てを無に帰してしまうような世界だって、あっても不思議じゃない。

工場に出向くと、ドワーフの親方が来たか、と言って。

巨大な槍を手渡してくれた。

手に馴染む。

これ以上、手に馴染む武器はないだろう。

ありがとうオテギネ。

今まで、勝ってこられたのは君のおかげだ。

そして君から作られたこの槍は。輪廻を経て、僕の手に戻って来たという事だ。

前の生は前の生。

本多忠勝としての人生は、僕とは関係がない。

僕はフリンで、フリンは僕。

だが、それでも。

縁が残ったのは、今はとても良い事だと喜ぶべきなのかも知れない。

「帰ってきてくれたね、蜻蛉切り」

「何。 どうしてその槍の名を……」

「どうしてだろうね。 分かるんだ。 この穂先に止まった蜻蛉が真っ二つになってしまうほど鋭い最高の槍。 僕の相棒。 これが手にある限り、僕は誰にだって負ける気はしない」

ドワーフの親方に礼を言うと、外に出る。

幾つかの型を試すが、完璧に馴染む。

恐らく体格が違うから、本多平八郎忠勝が使っていた蜻蛉切りとは色々違っている筈だ。

それはドワーフの親方が僕の体のサイズから調整してくれたのだろう。

いずれにしても、これで僕は傲慢な四文字の神とやらに挑み。

この地に集まってくれた英雄達だけじゃない。

この地の人々。

東のミカド国の人々。

全てのために、四文字の神を撃ち倒す。

 

(続)