廻天

 

序、マーメイドは如何に来たるか

 

シェルターの奧で、話をする。

マーメイドについてのことだ。

マーメイドは明らかにあのヒカルという存在について知っていた。更に、他にも不可解な事が多すぎる。

そもそも強すぎるのだ。

百戦を経て地獄で戦い続けて来た秀。

同じく百戦を経て結界と神降ろしについて極めている霊夢。

それらの猛者よりも更に格上。

しかもただのマーメイドが、だ。

あまりにもおかしすぎる話である。それについては、僕も言われて見ればそうだとしか言えない。

しかもあのヒカルは、これでもマーメイドが弱体化していると言っていた。

「では、話してくれるか」

「ええ。 秀さんは良いの?」

「彼奴も外でイヤホンを使って聞いている」

殿がその辺りは抜かりもないか。

此処にいるのはフジワラとツギハギ。それに僕ら。後は英傑の皆。それ以外は、席を外して貰っている。

咳払いすると、マーメイドは言う。

「世界にはたくさん平行世界というものがあるの」

「そういえばマンセマットがそんなことを言っていたな」

「ええ。 高位の悪魔になると、平行世界を観測したりできるのよ。 そんな平行世界は幾つもあって、そして大まかな流れにそって更に大きく別れるの。 川をイメージして貰えるとわかりやすいかも知れない。 この世界には、同じような出来事が起きている平行世界がたくさんあって、それとは別に同じ世界から派生したけれど、全然違う歴史になっている世界もある。 私が来たのは、東京だけが滅んでしまった世界」

「東京だけが」

フジワラが絶句。

ツギハギもそれでうむと、頷いていた。

僕はちょっとそれはどういう世界なのか想像ができない。ただ、それはそれで悲しい出来事だったのだと思う。

実際問題、東京には大戦前に一千万人が住んでいたと聞いている。

それがいきなり消え果てたのだ。

この世界のように、その一千万人以外全てが死んだみたいな酷い世界ではないのだろうけれども。

酷い事が起きた事に代わりは無い。

思わず黙り込んでしまう僕に、更にマーメイドは言う。

「その世界では、明けの明星が最終的に勝利したの。 四文字の神様は明けの明星に追われて倒された。 私の大事な人は、その結果出現した存在。 神様と融合して、神様の真の力を引き出す世界を変えうる者。 ナホビノと言われていたわ」

「それはまた凄まじい規模の話であるな……」

「ナホビノは強かったわ。 あらゆる全てを撃ち倒して、世界を平穏に戻した。 私はナホビノと一緒に何処までも行った。 ある世界では四文字の神が蘇ったり、ある世界では神々が世界を自由にそれぞれの決まりで分けた。 ある世界では人間だけが残って、神々は介入できなくなったり。 ある世界では、そもそもそれまで世界を動かしていた座というものが砕かれた。 別の世界では、世界そのものが全て滅ぼされて最初から始まったり、別の世界では誰もの努力が公正に報われる素敵な世界になった。 ナホビノはそれら全てを試してから、努力が報われる世界が望ましいと思ったらしいの。 それで、自分が介入できる全ての世界をその世界に切り替えて行った」

なる程な。

いずれにしても、それは正しい世界だと思う。

ナホビノという存在は僕から聞いても超越者だろうし、努力なんて報われる方がいいに決まっている。

僕も武芸の修行の過程で、徒労に終わる経験は何度もして来た。

自分がやってみた工夫が、とっくに編み出されたものだったり。その先はどん詰まりだったり。

そんな事は幾度も経験した。

神に等しい……いやもっと凄い力か。

そんなものがあるのなら、それを使って世界をよくするべきだ。

それは僕も同意できる。

ただ、マーメイドはどうしてその世界から此方に来たかが分からない。

殿もそれについて確認する。

「なるほどな、それは神としては正しい姿であろう。 そなたはそれでどうして別の世界へ来た」

「……ナホビノは更に広い世界を観測出来る力を手に入れた。 その結果理解したのは、座というものの不完全性。 それに何よりも、現在座についている四文字の神。 それが全ての悪の根元だと言う事。 元はそんな神様ではなかったらしいの。 だけれども、自分だけが絶対正義、自分以外は全て悪という思想は、偉大な神様ですら歪ませる。 ただ、その神様を倒すだけではなんら解決にはならない。 そこで……神様を倒すのに一番近い場所にいるもの。 明けの明星に、神様を倒した時に得られる知恵を渡すようにと頼まれたの」

「ふむ……」

座につくことで、神々の知恵を得られ。

座の仕組みと、それで出来る事を理解する。

マーメイドがいた世界の明けの明星は、神を倒してその知恵を得た。

だが、神を倒して知恵を得て、「事象」にまで昇格したものの。あくまで神を倒しただけに過ぎず、その存在は世界を変えるには至らなかった。

何よりも、この知恵を得ていない世界の明けの明星は、無意味に混乱と争いを繰り返すだけである。

だから。それを止めさせなければならない。

四文字の神を撃ち倒さなければならないのは、それはそう。

だが、倒すだけでは駄目なのだ。

「ナホビノは無口だけれど優しい人だった。 だから、この不完全な仕組みで苦しむ人も、それ以外の存在も少しでも減らしたいと考えたの。 そもそもこの世界は人間や神々の私物じゃない。 世界には色々な生物たちがいて、それら全てがこの世界の住人であって、神々の玩具でもないし、人間が好き勝手に鏖殺を重ねて良いものじゃない。 そうナホビノは、色々な世界が劫火に包まれる様子を見て心を痛めていたわ」

「ふむ、戦国の世を勝ち残った身としては返す言葉もないな」

「確かに、俺たちだけで世界を好きかってしていい訳はないわな。 それに四文字の神とやらの所業や大天使どもの行動を見ていると、色々と俺も考えを改めなければならねえなとは思う」

ワルターもそうぼやく。

まあ、そうだろうな。

力至上主義に近かったワルターだが、英傑達と接する過程で確実に変わってきている。

変わってきているのは、ヨナタンもだが。

「確かにそのようなものがあって神がその座についているのであれば、世界が不公正で不平等で、愚かしい争いが絶えないのも納得出来る。 しかも現状では明らかにそれを加速しているということか。 この世界にだって寿命はあるだろう。 それを人間と神々の私物として、食い荒らして良い筈は確かにない。 僕もそれは感じるよ」

「そうね、あたしとしては肉も酒も大好きだけれども、流石に他の者から全部奪い取って、自分だけで独占しようとは思わないわ。 何かしらまっとうに世が動く理があるのなら、それを見てみたいわね」

「同感だ。 私も世界の不条理が人生そのものだった。 少しは私のような目にあうものが減るといい。 それは願いではある」

イヤホンの向こうから秀もいう。

ドクターヘルはふっと鼻を鳴らした。

「欲のままに全てをねじ伏せたいという気持ちは確かにある。 だが、わしの手に抱えきれるものは限られているし、抱え込んだだけで腐らせるだけよ。 わしが例えば、それを出来るシステムを手に入れたり、或いは力を持ったのならまだ話はわかるのだがな。 残念ながら、今の話を聞く限り、それは無為よな。 ま、歴史に名を刻み込んでやろうとは思うが」

「わたくしは、漫画などの文化にある多様性の熱量には圧倒されっぱなしでしたわ。 今の東のミカド国が大天使の……神の考える理想郷だったとしたら、あれはあり得ないものですわね。 わたくしはもうあのような場所で生きるのは御免ですわよ」

イザボーも言う。

僕も、最後に言わせて貰った。

「僕は、僕の手で救えない人をたくさん見てきた。 それが少しでもマシになるなら、少しでも努力をしたい。 それが神の手によって意図的に仕組まれた無駄で、その無駄で命が散るというなら許せない。 もしこんな世界にした神がいるというなら、殴ってでもその座から蹴り落とすよ」

「殿、貴方は?」

「わしか? わしはわしに出来る範囲で出来る事をするだけよ。 これほど大きな話になるとは思わなかったが、それでも出来る範囲で責任を持ってやれることはやる。 努力という観点ではわしはこの中の誰よりもしてきたであろうな。 そして今後の者達の無駄な努力を減らせるのであれば、少しでも骨を折ろう」

「私は、こんな酷い世界を作った人がいるなら、その人に神様の資格はないと思う。 そんな神様に居場所を降りて貰うのなら、手伝います」

銀髪の子も言う。

そうか、意見は少しずつ違っていても、目指す所は同じか。

マーメイドは良かったと言った。

とても深い憂いと哀しみが宿っているようだった。

「座に入るには、幾つか方法があるのだけれども、私が知っている方法をこの世界でするのは無理でしょうね。 強引に神の座がある至高天にいくしかないと思うの。 それはちょっと私も方法は分からない」

「かまわん。 解析してやる。 出来るだけの情報をくれ」

「ええ」

とりあえず、マーメイドが専門的な話を始める。

霊夢とドクターヘルが解析してくれるが。殿は腕組みしてしばらく考え込んでいた。

僕はちょっと頭を冷やしたいと思った。

いきなり聞かされた話。

あまりにも大きな話だった。

即答は出来た。

だが、もしもこの世界のルール全てを決めた上で堕落した神様にこれから喧嘩を売るのだとしたら。

それはきっと、大事だ。

それでもやらなければならない。

手を見る。

僕はあの日本武尊とも渡り合った。普通の人よりも、普通のサムライよりも、出来る事は多くなっている。

あまり頭が良くないから、方向性については考えないといけないが。それでも出来る範囲でやれることはやるべきだ。

守れる人は前よりずっと多くなっている。

斃せる悪もまたしかり。

マーメイドが嘘をついている可能性は。それは多分ない。

あの異常な力、それくらいでないと説得力がないからだ。

霊夢が話を終えると、必殺の霊的国防兵器を復活させるために、神田明神に出向く。立ち会いのために僕もついていくことにする。

ツギハギは先にターミナルから戻った。

フジワラに、移動中に連絡を入れられる。

「少しいいかい」

「どうしました」

「気になっていることがある。 縮退炉で出くわしたクリシュナについてだ」

「……はい」

確かにあいつは危険な臭いを感じた。

なんというか、手段を選ばない存在というか。それでいながら、いわゆる邪悪というのとも雰囲気が違う。

或いはだが、世界を守るために、どんなことでもする輩なのかも知れない。

「クリシュナはヴィシュヌという神の化身とされている存在だ。 そしてヴィシュヌはあらゆるとんちで世界の困難を解決する事を専門にしている「維持神」だ。 もしも維持のために悪やズルが必要だと判断すれば幾らでもする。 それだけは念頭に置いておいてほしい」

「分かりました。 気を付けます」

「それに、近々来ると言っていた。 その来ると言うのも、試し……それも力試しである可能性が決して低くない。 くれぐれも気を付けて欲しい」

通信を切る。

バスで移動しながら、そういえば結構東のミカド国では日数が経過していそうだな、と思う。

だが、残念ながら此方での優先度が高い案件が続いている。

向こうに戻る余裕が無い。

イザボーが僕に頭を預けてうつらうつらしているので、そのまま寝かせておく。ヨナタンとワルターも死にかけだ。二人も相当無理が続いている。

出来れば時間の流れが違う東のミカド国でゆっくり休みたいところだが。

そうもいかないか。

神田明神に到着。

さて、此処からだ。

霊夢は汗を拭うと、気合いを入れて護摩段に歩いて行く。僕達も行く。回復が使える悪魔を出来るだけ出す。

大国主命やタケミカヅチも、神社の境内に友好的な悪魔が入る事は嫌がらなくなっていた。

この周囲には、人間に友好的な悪魔が増えてきている。

勿論人間側も接し方を気を付けなければならないが、明確に安全になっていることもあって。

今後は更に人が移り住むことが想定され。

既に殿とフジワラで話し合いをして、手を打っているようだった。

「そなたら、神楽舞だ! 巫女の負担を減らせ!」

タケミカヅチが声を掛けると、下級の雑多な神々が舞いを始める。八百万の神々に分類される、名前もないような神様達らしい。

一神教徒は理解出来ない存在だということだが。

姿は様々で、道具に手足が生えたような存在や、人間の子供と殆ど変わらない姿をしたものもいた。

こういった存在を「悪魔」と呼んで否定し、迫害する事になんの意味があるのだろうと、僕は神楽舞を見ながら思う。

こういう祭りを焼き払うことに、大天使達は何の正義があったのだろうと、僕は憤りを感じる。

霊夢が神楽舞を自身でも始める。

それで負担を可能な限り減らして。

更に大綿津見神を降ろし、それで悪魔合体で作り出せる悪魔の力の上限をあげるのである。

僕は、僕達は見ている事しか出来ない。

霊夢の負担が少しずつ減っていくことを祈るしかない。

周囲が荘厳な力に包まれる。

神田明神そのものが青白く輝いているようだ。

ひょっとして、一神教も。

自分だけが正義なんてほざき出す前は、こう言う事ができていたのではあるまいか。

そう思うと、絶対の正義なんて事を言い出すのは、やはりおかしいのだと思う。

勿論タヤマみたいな絶対悪は存在している。

だが、その範囲を一神教は拡げすぎたのではないのか。

だからマーメイドが言うナホビノは、各地に悲劇を抑えるために。マーメイド達を派遣したのではないのか。

霊夢が大綿津見神を降ろす。

相変わらず凄まじい力を感じる。

ただ、霊夢自身は以前に比べて、力の制御が出来ているようだ。見た感じ、意識も霊夢のままのようである。

スマホを操作して、悪魔合体を始める霊夢。

そうして、まずはオモイカネが呼び出される。

オモイカネは相変わらず巨大な脳みそといった姿だったが、それでも知恵の神らしい荘厳さがあって。

以前の必殺の霊的国防兵器として相対した時のまがまがしさは失せていた。

「おお、オモイカネ様!」

「我等の知恵の神だ!」

「オモイカネ様、来たれり!」

この儀式の前に霊夢に聞いたが、オモイカネはかなり古い神格らしく、日本神話で一番偉い三柱の神よりも世代的には古い存在らしい。

だとすると、神々が敬意を払っているのも納得出来る。

霊夢の消耗も小さい様子だ。

このまま、更にもう一柱。

僕らを即死トラップと錯乱トラップで苦しめた、八十禍津日神を呼び出す霊夢。

此方を見ると、神々が逆に戦慄していた。

この人間味のある姿は、逆に愛嬌すら感じる。

霊夢がいうには、日本では古くから邪神ですら祀る事で、人々を守る存在へと変えていった歴史があるという。

例えば貧乏と禍をもたらす「貧乏神」ですら、祀った神社が存在していたそうなのだ。

確かに一神教の思想では考えられない話だし。

そっちでは悪魔呼ばわりで終わっていただろう。

それすらに手をさしのべる。

素晴らしい事ではないかと、僕は思う。

八十禍津日神は巨大な頭部に短い手足というユーモラスな姿をしていて、戦闘中も「八十禍津日神」としか喋らなかった。

あの時は必死だったが、無害化した今はとてもユーモラスな姿に思えて来る。

霊夢が即座に神事に取りかかり、八十禍津日神をそのまま奉じる作業を開始。

神社にて受け入れられるように、その場にいるタケミカヅチや大国主命に伺いを立て。神社を預かっている主神であるタケミカヅチや大国主命がそれを許可することによって。神社に神が住まう事が許される。

オモイカネのような上位神格の場合は特に必要がない事らしいのだが。

僕から見ていても、何だか人間が引っ越すときのような作業だなと思った。

ヨナタンが考え込んでいた。

「どうしたよヨナタン」

「ワルター。 あの不思議な信仰に、天使達も混ざることは可能なのだろうか。 一神教の神……我等を一つの正義とそれ以外の悪で縛る事を法だと定義した存在を倒せば、天使達も自由になれるのだろうか」

「難しい事は俺にはわからんが、なるんじゃねえのか。 元々一神教の天使だって、余所から持って来た思想だったんだろ。 それをおかしな形でねじ曲げたから、今みたいになったんじゃねえのか」

「ああ、それは分かっている。 神々が受け入れてくれるのかなと思ってな」

イザボーもじっと荘厳な神事を見ている。

やがて受け入れが完了して。

八十禍津日神は、嬉しそうに跳び上がると、神々の列に加わるのだった。

更に霊夢は作業を続ける。

大丈夫か心配になったが、コノハナサクヤビメが回復の魔術を掛けながら言う。

「思ったよりも巫女殿の力が上がっているようです。 ここのところ無理をした分、強くなっているようですね」

「しかし無理はさせられませんわ」

「はい。 一旦は次で切り上げて貰いましょう」

イザボーとコノハナサクヤビメはすっかり意気投合しているようだ。

霊夢はしばし神楽舞を続けた後、呼び出す。

菅原道真公。

激しい雷を伴って呼び出された姿だが。穏やかな文官という姿をした、優しそうな人に姿も変わっていた。

この辺りは元々雷神としての側面を強調して必殺の霊的国防兵器とされていたのかも知れない。

だとすれば、やはり本人も辛かったのだろうな。

何が必殺の霊的国防兵器か。日本武尊が非人道的な方法で作り出されたと言っていたが。ろくでもないやり口で無理矢理こんなことをしたのは、今の穏やかそうな菅原道真公を見て分かった。

「道真、此処に。 ようやく元の姿に戻る事ができました。 以降は我が力により、学問を広め、この神社に在りましょう」

「お願いします道真公。 他の神々と仲良くしていただけますか」

「はい。 神々の末席に加われるのは光栄ですらあります」

慇懃に礼をする道真公。この人が三大怨霊などと言われて怖れられたのは嘘だとしか思えない。

霊夢が儀式を切り上げて戻ってくる。シェルターまで護送して、次は。

いよいよ天使達をどうにかする番だった。

 

1、クリシュナの狙い

 

疲労困憊の霊夢とともに戻る。

霊夢は以前ほど疲弊してはいないようだが、それでもスポーツドリンクをがぶ飲みしていて、機嫌も悪そうだ。

こういう負担を掛ける作業ばかりさせてしまって、本当に申し訳がないと思う。

今回呼び出した三柱の元必殺の霊的国防兵器の神々に関しては、神田明神から加護をしてもらう事だけに集中してもらうそうだ。

またオモイカネは、素戔嗚尊と天照大神の所在に心当たりがあるという。

ただそれを確定させるために、少し時間がいるという話だ。

いずれにしても休憩を、と思ったところなのだが。

シェルターの前でバスから降りて、秀と合流した瞬間。

あたりがずしんと、強烈な気配に包まれていた。

この気配は覚えがある。

マーメイドが明けの明星と呼んだ存在。ヒカルとともにあの炉の前に現れた者。

クリシュナだ。

クリシュナは此方に歩いて来る。

僕らが霊夢を庇って武器を取り。秀も刀を抜く。

マーメイドもぷかりと地面から浮かび上がってきた。すぐに殿も、シェルターに詰めているフジワラも出て来てくれるだろう。

僕が槍を向けて、まずは問う。

「クリシュナだったね。 なんの用?」

「言った通り、話をしに来たよ」

「……話って何さ」

「ま、役者がそろうまで待とうか。 大丈夫、何もしないさ。 僕はこう見えて、悪知恵が取り柄だ。 此処で君らとやりあっても意味がないことは僕自身が一番分かっているから、そう構えなくてもいいよ」

余裕か。

まあそうだろうな。

此奴はヴィシュヌという凄い神様の化身らしい。そのヴィシュヌという神様の姿は大天使達に倒されてしまったそうだが。その化身としてのクリシュナですら、これほどの力があるということだ。

クリシュナは側に何やら美しい女性を呼び出すと、椅子を用意させる。

そしてその椅子に、足なんか組んで座った。

両性具有だとか聞いているが、なんかちょっと無駄に色っぽい座り方で、僕はなんだかげんなりした。

程なく殿が憑いている銀髪の子と、フジワラが姿を見せる。ドクターヘルは確か炉と此処を行き来しているから、たまたまいなかったというところか。

クリシュナはふっと笑っていた。

「人外ハンターの長は君だね、フジワラ。 その超世の英傑が出てこなければ、東京をどうにも出来なかった老いた英雄。 君の不甲斐なさには苦笑していたよ」

「そうだね、私は何もできなかった。 大天使達を東のミカド国に追い払うときにアキラを失い、それ以降はずっと現状維持をするしか出来なかったし、阿修羅会を撃ち払うことも出来なかった。 それは自覚しているよ」

「無能を自覚できているなら結構。 其処の娘に憑いている貴方はそれで、何者か」

「クリシュナであったな。 まあ、この場には聞かれて困る者もいないからいいだろう。 わしの名は徳川家康。 この江戸の地を世界都市に育て上げたものだ」

徳川家康。

その名前を聞くと。

なんだかぴりっと来た。

聞き覚えがとてもある。

だけれども、何処で聞いたのかは分からない。

いずれにしても、殿はそういう名前だったんだな。

そう思うと、なんだかしっくり来た。

「聞いた覚えがある。 中華という圧倒的な文化圏がありながら、其処に対して確固たる独立を構築し、三百年の平穏な王朝を構築した世界の歴史に残る英雄だな。 軍事に関しても政治に関しても世界の歴史の何処に出しても恥ずかしくない存在であるとか。 私ですら聞いたことがある」

「そうか、そう言って貰えると光栄だがな。 わし以上の軍略家などあの時代になんぼでもいたし、政治手腕に関してもわしは多くの側近の手を借りたに過ぎんよ」

「謙虚なことは素晴らしい。 世に大王多くあれど、どいつもこいつも自分は最も偉いと考えるような輩ばかりであったからな。 まあいい。 その名を知ることが出来ただけで充分だ。 其方の主要人物を集めてくれるか。 私としても、しっかり君達と利害の確認と調整をしておきたいのでな」

「……分かった。 良いだろう」

殿が指示したのだろう。

銀髪の子がハンドサインを出す。

内容は、いざという時は犠牲を躊躇わず此奴を討て、だ。

凄まじい力を感じるが、なんとかなるとは思う。ただし、この場にいる半分以上は死ぬだろうなとも思ったが。

それくらいの凄まじい相手だ。

今戦うべきではないと僕は感じる。霊夢も青ざめている。恐らく暴力的な勘が戦いを避けろと告げているのだろう。

シェルターの内部で、フジワラが会議をセッティングする。

シルキーが料理を出すと、クリシュナは驚いていた。テーブルマナーも完璧に、もくもくと食べる。

そして綺麗に食べ終えた後、嫌みなく絶賛していた。

「よくもこの太陽を失ったこの土地で、ここまでうまいものを出せるな。 この国の食に関する拘りの深さは知っていたつもりだったが。 これは大天使どもも、惜しい事をしたものだ」

「……」

シルキーはあまり嬉しくないようで、一礼だけすると退出する。

何となく分かる。

クリシュナはフジワラをバカにしきっている。

確かにフジワラは、殿が来る前は。文字通り何もできずに苦悩の日々を送っていたと聞いている。

だが、殿が現れて反撃を開始するための力と人材を温存できたのは、フジワラがいたからだろう。

もしも阿修羅会が今以上の力を持ち、東京の絶対支配者として君臨でもしていたら。

東京はもっと酷い事になっていたことは、疑いないだろう。

僕からしても、そういう意味でクリシュナの言動は腹が立つ。

鼻につくを通り越して、はっきりいって傲慢に思えた。

クリシュナは調べた。

ヴィシュヌの化身の中でももっとも偉大とされる存在で、歌や踊りを愛し、異性を魅了する存在だとか。

まあ僕ははっきりいって愛にはあんまり興味がないというのもあるのだが。

こいつに魅力はあんまり感じないし。

何よりも不快感の方が目立つ。

程なくテレビ会議の準備が整い、ツギハギとドクターヘルが画面越しに揃う。クリシュナはやあとか人なつっこい笑みを浮かべたが。

二人とも無言のままだった。

「それで利害って何」

皆黙っているので、僕が先に声を掛ける。クリシュナはふっと笑う。何となくイザボーが、以前ヒカルに対して敵意を感じていたのを理解しはじめて来た。

こいつのいちいち送ってくる流し目。

はっきりいって、それで女ならなんでもイチコロみたいなブン舐めた感情を透けて感じるのだ。

それが此奴に対する不快感の正体。

要するに此奴、僕を初めとした人間を舐め腐っているのである。

「では話そう。 僕の目的は、ズバリ傲慢な四文字の神をその王座から引きずり降ろすことだ。 それについて、協調できると判断して此処に話をしに来た」

「具体的にどうするつもりかね」

「四文字の神は、現在至高天という上位時空にいる。 其処にはこの世界の法と神々の王座が存在していて、其処に奴はついている。 本来だったら、其処に入るには三つの鍵と、神と合一した人間が必要であるんだが。 鍵はともかく、後者はよほど強引な手段でも採らない限り、四文字の神の法が許していなくてね」

クリシュナは続ける。

マーメイドが話していた事と一致するから、嘘をついている訳ではなさそうだ。

クリシュナは最初、東京がこのまま千々に乱れるようだったら。東京の人間を食い尽くして、それを贄にして原初の龍王を呼び出すつもりであったらしい。

その名前はアナンタ。

シェーシャとも呼ばれる、太古の龍王にて。世界を作りあげたという伝承を持つ存在であるという。

蛇の神の系譜の頂点に近い存在なんだろうな。

僕はそう思ったが、いずれにしてもクリシュナのやろうとしていたことは許される事ではない。

此奴は世界の維持のためならなんでもする。

その話の通りだった訳だ。

「だが、君達の活躍を見ていて、その戦略を放棄するか悩んでいてね」

「どういうこと? どっちにしても絶対にやらせないけどそんなこと」

「話を聞きたまえ。 既に衰えた三英傑の残り二人だけだったら、人間が盛り返す可能性は皆無だった。 だが、其処に英雄達が集まった。 英雄達は東京のガンになっていた阿修羅会を撃ち倒し、それどころか様々な神々の信望すら集めつつある。 これならば、無茶をして残り少ない人々をシェーシャの贄にしなくても、大天使どもの国を打ち破って、至高天への道を作れるかもしれない。 そう僕は判断した」

何が判断しただ。

やっぱりこいつ気にくわないな。

結局人間を道具としか見ていない。

霊夢に話は何度か聞いた。

神々は信仰によって左右される。信仰は人々が作り出す。

神々にすがるのは、世界があまりに過酷だから。それは僕も同意できる。

だが、神は人より上か。

神は人の信仰あっての存在ではないのか。だとしたら、人は神に祈り、神は人に応える義務があるのではないのか。

神は絶対などと言う思想が間違っているのは。其処から派生したものとしては良く理解出来る事だ。

だが、クリシュナは。

四文字の神を打倒するために、人間を皆殺しにしてもいい。そんな事を考えているのは、明白。

咳払いしたのは霊夢だった。

「あんた、結局人間を見下しきってるのね。 それで見下しきった人間に、何を囀りに来たのかしら?」

「まあそう怖い顔をしなさるなお嬢さん。 私としても可能な限り穏健な策を取りたいのも事実。 四文字の神に対抗するために集まった私の同志達も、考えは違うが、君達に一目おいているものも多い。 それに、私も目的を達成出来れば、私自身が座につこうとは思わない」

「それは貴方が維持神だから?」

「そうだ。 私はあくまで維持の神格であって創造の神格ではない。 シヴァが座につくのはそれはそれでいいのだろうが、あやつは基本的に性格が苛烈すぎて、世界の維持よりも破壊を先に考えるからな」

クリシュナは言う。

未来をどうしたいか聞かせろ、と。

何のことだと思ったが。

何となく見当がついた。

マーメイドが言っていた、ナホビノの試行錯誤の話だ。

僕には残念ながら思いつかない。

この世界は人間だけのものではないし。この世界の資源も有限で、人間だって可能性が無限にあるわけでもない。

そんなことは分かっている。

だが、絶対の善悪があるなんてルールは間違っている。

ただ、ならばどうすればいいかなんて結論は簡単には出てこないのもまた事実なのである。

「シヴァが倒れた今、ルドラの秘法でこの世界を消し飛ばす事もできないから、このままだとこの世界は四文字の神の思惑通りになる。 奴の望む「純粋な人間」が神の奴隷として生きる世界だ。 それでいいのかね?」

「いい訳がないだろ、このすかし野郎!」

「この場で結論を出すのは難しいだろうな」

ワルターが掴み掛かろうとするのを、秀が片手だけで止める。まだまだ僕らより全然強いな。

そう思いながら、僕は銀髪の子を見る。

殿は、しばし考え込んだ後、言うのだった。

「わしの専門は地に足のついた政にすぎんのでな。 世界の法則を好き勝手にするなんて事は専門外よ」

「まあそうだろうな。 貴方はあくまで人類史に残る軍略家で政治家であっても、それ以上の存在ではない」

「クリシュナとやら、そなたとぶつかりあうのは本位では無い。 此方としては、何らかの結論を出すが、それは今ではない。 いずれにしても、今は幾つか先にやる事があるのでな」

「ふむ……」

クリシュナは考え込んだ後。

鈴をテーブルの上に置いた。

ダグザの竪琴と同じようなものだろうな。

そう思ったが、違っていた。

「一つ譲歩しよう。 四天王寺の結界は私が……正確には私の同志である弥勒菩薩が弄くって変更した。 それをこの鈴で解除できる。 荒神となっている四天王もそれで大人しくなるだろう」

「どうしてそのような事をした」

「大天使どもを侮っていまいか。 あいつらはまだまだ此方に戦力を派遣することがその気になったら出来る。 以前四大天使を破った人間がいるから控えていただけだ。 大天使どもの力を考えると、そのままの東京の守りではまだ足りぬ」

「!」

そうだったのか。

ちょっと相手の力を過小評価していたかも知れない。

ガブリエルも僕らに指示するだけで自身は動こうとしなかったが。あれはその力がなかったからではなかったのか。

ただ、それで分かった事がある。

クリシュナは全てを知っている訳ではないようだ。此方が四大天使のうち三柱をもとの姿に戻しうる手段を手にしている事は、少なくともクリシュナには知られていない。

だがそうなると、たびたび情報が漏れていた事はどこから来ている。

スパイはいないと見て良い。

だとすると、何が起きているのか。

「いずれにしても此方もすぐには動けんよ。 情報が足りぬでな」

「情報だったら此方で提供できる」

「ほう?」

「滅びてしまった平行世界へいけるように出来る。 そこで何がまずかったのか、見てきてはどうか」

僕は顔を上げる。

クリシュナは何でも出来るわけではないようだが、そんな手も持っていたのか。ちょっとこれは侮れない。

ただこのクリシュナという神。

維持神という割りには、どうにも不快感がある。

ただの感触だから、それを元に何かしらの判断をするわけにはいかないが。いずれにしても、全面的な信頼は出来ないか。

「分かった。 いずれにしてもしばし待って貰えるか。 此方も総力戦の後で態勢を立て直さなければならない」

「……まあいいだろう。 阿修羅会等という愚か者を東京から排除した手腕に関しては此方でも確認している。 しばしは待とう」

クリシュナが席を立つ。

僕は入口まで送るが、クリシュナはふっと鼻を鳴らす。まあ、見送りなんていいものじゃない。

悪さをしないようにするための監視である事は、クリシュナだって分かっているだろうから。

「人ならぬ英雄達と違って、君は人として図抜けた英雄のようだな。 それも何かしらの神の加護を得ているわけでも、その転生体と言う訳でも無さそうだ。 君は一体何者なのだ?」

「僕はフリン。 サムライ衆の一人。 それ以上でも以下でもないよ」

「そうか。 だが、そういう存在こそが、この世界のどん詰まりを回避できるのかも知れないな」

帽子を被り直すと、クリシュナはふっと消える。

一緒に来ていたワルターが、唾を吐き捨てようとしたが、やめた。

今の時点で事を構えるのはよろしくない。

阿修羅会との戦闘が終わったばかりで、まだ混乱もダメージも残っている。霊夢は万全には程遠いし。僕だってまだちょっと休憩が足りていない。連戦の最前線にいた秀だって、あまり戦いたくはないだろう。

この状態で、下手をすると必殺の霊的国防兵器を有している阿修羅会以上かも知れない戦力を有する相手と即時で事を構えるのは悪手だ。

ヨナタンが嘆息。

「休む暇もないな」

「うん。 あのクリシュナって奴、相当な食わせ物だ。 譲歩してきていると見せて、何を企んでいるのか……」

「あの殿方も、どうにも好きにはなれませんわね」

「同感だ」

ワルターは分かりやすい。

ともかく、休憩をいれないとまずい状態だ。

市ヶ谷の戦闘での疲弊は思った以上に皆に影を落としている。それをどうにかするには、まず休む事からだった。

 

クリシュナは拠点に戻ると、ムチャリンダが戻って来ていた。

指示を出していたのだが。

あまり結果は芳しくなかったようである。

「その様子だと、かのスラブの主神どのは首を縦に振らなかったようだね」

「はい。 ペルーン様は我等との連携を拒否なさいました」

「まあそうだろうな。 このような状況では、連携をとること事態がリスクになりうる。 そもそも私もカルキの姿を取る事を検討したほどだからな……」

「……」

ムチャリンダは一礼するとさがる。

まあいい。

幹部を集める。

少し前にオーディンを発見したが、力を根こそぎ奪われ、それで北欧神話系の残党の神々が復活のために苦労しているようだった。

オーディンは狡猾な上に上昇志向が強いため、同志に誘った場合、この多神連合の長であればいいとか言い出しかねない。

その上北欧系の神々の面倒なところは、あの最強の雷神トールが健在なところで。

トールも大天使達との戦いで深手は負ったものの、それでもかなりの戦力をいまだに有している。

それを考えると、極めて厄介だった。

「この地には太陽が戻りつつある。 余はこの地の太陽神を呼び戻した者達と連携していくべきだと思うがな」

そう開口一番に言ったのは、穏健派筆頭のケツアルコアトルだ。

本来は慈悲の太陽神であるこの神は、余程の事でもない限りは強硬手段を選ばない。本来は多神連合に誘えたのがおかしいくらいの存在なのだ。それほどこの状況が絶望的であり。

四文字たる神による世界の破滅が、目前に迫っていると言う事だ。

肩をすくめてみせるのは、そのケツアルコアトルのアンチ存在であるテスカポリトカである。

「それで俺たちは日本の神々の下につくってか?」

「別にそうは言っておらぬ。 天使共を撃ち払い、四文字の神を倒し、それで新しい法が世界に満ちれば、その時は人は世界にまた満ちる。 その新しい世界で、世界に拡がる過程で余に従う者達を加護して行けば良い。 目先の利益だけを求めるのは神のありようではない」

「相変わらずご立派なことで。 そんなことだから、ピサロだのコルテスだのいうチンピラに全て奪われたんじゃねえのかよ」

「そうだな、余があの時は甘かったことは否めぬ」

痛烈なテスカポリトカの皮肉に、素直に自身の過去の失策。南米に来た侵略者達が来た頃には、南米の主要文明は腐敗しきっていて。それで少数の敵に侵略を許してしまった歴史を素直に反省してみせるケツアルコアトル。

主神であるだけあって、流石に懐が深い。

ショウキがそれに同調する。

彼もまた、病魔退散と言う観点で、善神に近い存在だ。本来は乱暴な手段を採ったり、人をいたずらに殺す神格ではない。

「あのサムライなる若者達、かなりの使い手だ。 我等と連携すれば、明けの明星が率いるガイア教団を抑え込み、更には天使共を塵に帰す事も不可能ではあるまい」

「そうですね。 我の目的はあくまで衆生の救済。 死後の救済を目的としても良いのですが、それはそうとして。 生きているときに救えるのであれば、それに越したことはありません」

弥勒菩薩もそういう。

だが、反対意見もある。

この間ダグザに破れ。

今もなんとかボロボロの姿で実体化だけ出来ている神。バアルである。

散々な姿だが、元々信仰されていたカナンの主神バアルは既にその信仰も失われ。そもそもユダヤ教と争っていた頃には様々な神がバアルと呼ばれていて。その神が曲解された挙げ句、今ではこのような有様になっている。

一時期は座にいた神とは思えぬほどの悲しい姿だが。

それでも今は戦力として必要だ。

だから破れてアティルト界に叩き落とされたところを、クリシュナが手をさしのべたのである。

「お前等はともかくとして、余はどうせ世界に光が戻ったところで信仰など得られぬ。 余の一人負けなど御免被る!」

「人々にあわせて信仰を変えれば良いだろう」

ずばり指摘したのは弥勒菩薩だ。

まあそういう言葉も出るか。

此処にいる弥勒菩薩は大乗仏教で信仰された存在。複雑な仏教の思想をとにかく簡単にして、誰でも信仰しやすい形にした状態のご本尊だ。本来の弥勒菩薩とはだいぶ違う。

そのため他の仏に比べると、極めて柔軟な姿勢を取れる。

これは観音菩薩なども同じなのだが。

あちらは残念ながら、この連合に乗ってはくれなかった。

「余は神々の王だぞ! 王が民に膝を屈しろというのか!」

「王は国家第一の奴隷でありましょう。 そのような考えでまだいるから、身を千々に別たれ、悪魔とされても、誰も同情しないのでは。 いや、経緯が逆か。 いずれにしても貴方は、一神教で貶められた存在として、精神を蝕まれているようですな」

貴様、と吠えたバアルだが。

残念ながらその姿は無様に揺らぐばかりだ。

呻くバアル。

古くは座にいた神とは思えぬ哀れさだが。しかし、まあそれも仕方がないだろう。

同じく座にいた経験があるアメン・ラーや、同じくマルドゥークも、今ではすっかり神々の主流からは外れてしまっている。

そうなれば。歪むのは仕方が無い事なのだ。

「いずれにしても賛成多数ということで。 それにバアル殿、意地を張るのは結構ですが、我等の仮想敵にて、倒さなければならない存在は、人間ではない。 大天使どもであることをお忘れなく」

「ぐっ……。 そうだな。 わかった」

「それに、あの者達が今勢いがあるといっても、世界をどうするか決められるか、それがよりよき世界になるかはまた別の話。 いずれにしても、様子を見てからとしましょう」

クリシュナがまとめると、皆それぞれ散り散りに去って行った。

さて、此処からだ。

クリシュナ自身、そもそも人間共がちゃんと上手くやれるかは、まだ五分五分ていどだと思っている。

それに明けの明星がおかしな動きをしていると報告がある。ガイア教団に貼り付けていたベリアル等を引き上げさせているというのだ。

だとすると。

また、東京に大乱が始まる可能性も、低くはないのかも知れなかった。

 

2、敗残の者

 

トキが目を覚ますと、縛られたままシェルターの内部で転がされていた。ただ悪い事ばかりではなく。回復の魔術を掛けてくれていたようで、体は万全に近い。しかしながら縄は完璧で、悔しいが外せそうになかった。関節が極められているから、どうしようもないのだ。

側では悔しそうに俯いたまま縛られているハレルヤとやら。

回復の魔術を掛けてくれているのは、確かコノハナサクヤビメか。この国の神様だ。

いずれにしても、とにかく脱出が先だ。

そう思っていると、部屋に誰か入ってくる。

残念ながら隙はない。

あのフリンとやらだった。

「もう回復したみたいだね」

「私と其方で利害はないはずだが」

「そうだよ。 だから解放するために来た。 ただ解放するときに暴れられると面倒だから、僕が来た訳」

「ちっ……」

隙がないし、トキを担いだのはスプリガンだ。此奴を殺す事は可能だが、その次の瞬間にはフリンの槍で貫かれるだろう。

肌で感じる凄まじい武芸。

ガイア教団の誰よりも既に強い。

トキの師であるおばあさまたちよりも、既に。

二人がかりでも、既に勝てないだろうと冷静にトキは見ていた。

「そいつ、確か以前見た事があるような……」

「危ないよナナシ。 この子、暗殺の専門家だから」

「暗殺ねえ……」

おない年くらいの少年だ。ナナシというのか。その隣に、似たような年の女もいる。

格好はボロボロだが、それでも自分の身なりを気にする余裕があるのが分かる。つまり、このシェルターでの生活水準が向上していることを意味している。

それだけで、どれだけ不愉快か。

ガイア教徒は常に自分を追い込み続けている。

同期の子供達の中で生き延びたのはトキだけだ。

弱い奴は死ね。

その理屈に誰もがストイックに従うのがガイア教団だ。だが、そんな生き方をしているガイア教団よりも。

此奴らの方が、明らかに強い。

確かに才能が同じ場合、技術がものをいうと聞いたことがある。

だが、才能が違う場合、どうしても勝ち目は生じないと口酸っぱく言われた。

だから暗殺の技術を仕込まれたのだ。

そんなのは、強さではないのではないのか。そうトキは思った。

実際阿修羅会の生き残りの幹部達を市ヶ谷で狩っているとき。遭遇したあのアベという男は、明らかに勝ち目がなかった。

小手先の技が通じるのは人間までだ。

あいつは高位の悪魔だった。

そんな、人間にしか通じない暗殺技術なんて、なんの意味があるのだろう。

アベの強さを目の前にして総毛立ったトキは、そう感じたし。

今、全く隙が見えないフリンを目の前にしても、そう思う。

前は完全に背後を取っていたのに勘付かれたっけ。その時は霊夢という奴が相手だった。

いずれにしてもこのままでは。

トキは、こぢんまりとして終わってしまうのではあるまいか。

外に連れて行かれる。

ハレルヤと言う奴は、じっとフリンを殺意を込めて見つめていたが。あれは強力な結界で封じられていて、逃げるどころじゃない。

トキもまた、ハレルヤとやらをかまう余裕もなかった。

フリンがその気になれば、一瞬で首を落とされる。それが分かっていたからである。

「私を殺すのか」

「解放するってば。 そっちだって、僕達とやりあう理由はないでしょ」

「……そうだな」

「銀髪の子が君らを一瞬で気絶させたのは、戦いに巻き込まないためだよ。 まあ横槍を入れられるのも面倒だって思ったからもあるんだろうけれど」

それも分かっている。

そして、そんな判断をされたのは、弱いからだ。

興味薄そうに見ているナナシという奴と、現時点ではせいぜい互角か。そう思うと、口惜しかった。

こいつも年からして、東京で生き延びてきた子供だろう。

だが、周りの子供が全員死ぬ環境で必死に腕を磨いてきたトキよりも。

周りに恵まれて、大事に育てられているのが分かる此奴が同格。それがどうしても気にくわない。

それに、だ。

ある程度の成果を上げたとは言え、アベを倒したのは此奴らだ。

おばあさま達に言われたのだ。

阿修羅会の幹部共はお前で充分に倒せる。それらは多少は逃げられたり取りこぼされてもかまわない。

だが、アベだけは必ず殺せ。

あれは今負傷していて、好機の筈だ。

お前でも殺せる、な。

殺さずして戻るな。

それを思い出すと。このまま帰ったら、無事では済まないのかも知れない。だが、最後まで責任を取るのが仕事だと、トキは思っていた。

縄を解いて貰う。

縄は完璧で、外す余裕もなかった。

綺麗にされた鉈を返して貰う。ドワーフか何かが手入れしたのか、完璧に直されていて。

連戦でいたんでいた前よりも、更に良くなっているほどだった。

「さ、行きなよ」

「分かった。 それでお前達、これからガイア教団とも戦うのか」

「状況次第かな。 ただ、ユリコは殺す」

「……っ」

飄々としていたフリンだったが、ユリコ様の名前が出た瞬間、別人のような鋭い殺気が篭もった。

背筋が凍るかと思った。

此奴は戦士として既に超一流の域にいて、トキでは及びもつかない。それどころか、それでいながら頭も回る。

ガイア教団はこういう奴を欲しがるんだろうなと思って。トキは悔しくもなった。

そのまま、銀座に戻る。

今回の作戦では他に数名の暗殺専門のガイア教徒が出ていたのだが、戻ったのはトキだけだった。

恐らくはほとんどアベに倒されてしまったのだろう。

本殿に戻る途中、年上のガイア教徒に揶揄される。

「無事に戻れて良かったな。 色仕掛けでも使ったか?」

「黙れ」

「ふっ。 アベを倒したのは貴様ではなかったらしいな。 ミイ様とケイ様がどうお前を処するかな」

明らかににやついていて、トキの運命を楽しんでいる様子だ。

殺してやりたいと思ったが、無視。

本殿に出て、おばあさま達の部屋に。

浮いたまま座っているおばあさま達に跪くと、倒した阿修羅会の幹部の名前を列挙し。それと、アベとの戦いの覚えている範囲までの話をした。

「そうかそうか」

「まあネフィリムもどきが相手では、今のお前では荷が重かろう」

「申し訳ございません」

「言い訳なんぞどうでもええわ、この役立たずがっ!」

突然凄まじい罵声に切り替わる。

全身が恐怖で震え上がる。

空中に持ち上げられた。サイコキネシスによるものだ。手足を拡げられると、腹部に鈍痛が走る。

吐血するトキは、見る。

目を血走らせて、狂気の笑みを浮かべているおばあさま達を。

「アベを殺すどころか、慈悲掛けられてもどるたあどういう了見だ、このド阿呆!」

「お前みたいなつかえんのに時間を掛けた覚えはないわ! この役立たず! 低脳! ド無能! 今から折檻や、覚悟せい!」

「す、すみませ……」

言い切ることは出来なかった。

そのまま、数時間トキは激しい暴行を加えられた。サイコキネシスでトキを痛めつけながら、おばあさま達はもはや人とは思えない笑みを浮かべ続けていた。

ああ、この笑みだ。

他の子を殺した時も。トキが一発で課題をこなせなかったときも。

トキを痛めつけるとき、ずっとこんな風に笑っていた。

ナナシというあの少年を見て思った。

同じくらいの強さなのに、なんでこんなに環境が違うのだろうと。

涙なんかでない。

流そうものなら、惰弱と言われて更に数時間は折檻される。それで死んだらそれまでとおばあさま達は考えている。

しばらく徹底的にトキを痛めつけた後、おばあさま達はトキを水牢に入れた。

水を張られた牢で、立っていないと溺れる絶妙な深さまで水が入っている上、足には鎖と鉄球がつけられる。

つまり体の力を抜いて浮いているなどということは出来ない。

ずっと息をする努力を続けなければならず。しかも張られている水は不衛生な上に凍るほど冷たい。

それで死ぬならそれまで。

おばあさま達はそう考えている。

実際こうやって水牢に入れられて死んだ子供は何人もみた。死んだ子供は、悪魔のエサにされていた。

トキは、このまま死ぬのだろうか。

今回の折檻は、いつも以上に激しかった。何度も溺れそうになり、意識が飛ぶ度に溺れかけて。

そして体力が見る間に奪われていく。

どうにもならない。

ガイア教団しか、トキの居場所はない。

そう考えていると、不意に楽になった。

いつの間にか、布団に寝かされていた。不満そうなおばあさま達に、ベリアル様が諭している。

「あの娘は私が引き取ろう」

「ベリアル様がそう仰るのであれば……」

「しかしあれは策を失敗した上に、役に立たぬゴミにございます」

「策そのものが無謀だったのだ。 それにお前達、アベと相討ちになることを望んでいたのだろう」

おばあさま達が視線を逸らす。

ああ。

そうだったのか。

それで、なんだかぐっと何もかもやる気がなくなった。布団の中で、また意識を失う。疲れきり、体力もなくなった状態では。

ただ眠る事しか出来なかった。

 

ハレルヤはトキという暗殺者が連れ出されてから、しばらく床でもがき続けていた。何もできない。

何もできなかった。

今、床に結界が貼られている。

ハレルヤはいずれ兄貴を超えると言われていた。兄貴……実際には父さんだった事は、最後に知った。

ハレルヤも知らなかったのだ。

一瞬で眠らされて、それで。気がつくと、全ての力を抑え込まれた結界に閉じ込められていた。

悔しい。

兄貴が殺された事は力不足だった。それに、兄貴はサムライ達や此処にいる良く分からない超強い奴と殺し合いをしていた。だから、殺された事そのものに怒りは感じない。というか、そんな怒りを感じる資格なんてない。

ハレルヤだって阿修羅会にいたのだ。

どれだけ勝手な理屈で阿修羅会がやりたい放題をして来たのか。多くの命を奪い去り、消えていくのを見て笑っていたのかを知っている。

阿修羅会に殺されそうになった人間を、こっそり逃がした事は何回かある。

それを兄貴は知っていたようだったが。

責める事はしなかった。

ほんの僅かだけ、兄貴みたいに仁義ってやつを持っているのもいて。そういう奴も、阿修羅会の行動には心を痛めているようだったけれど。

ただそれはあくまで一部も一部。

東京の人々から武器も戦う術もインフラすらも奪い。

悪魔にただ鏖殺される状況を作ったのは阿修羅会だ。

そんな阿修羅会だったハレルヤに、兄貴を殺された仇がどうのという資格はない。

怒りはただ、無力な自分に向いていた。

部屋に誰かが来る。

縛られたままだが、分かる。

最後にハレルヤを気絶させた銀髪の女の子だ。全体的に真っ白という印象を受ける子で、全身から淡く光まで放っていた。

大戦の前くらいまでは、美しい女の事を天使の様だとかいう事があったらしいけれど。

それとはまた印象が違う。

それに、幼いのに、ハレルヤなんかとは別次元の修羅場を潜っているのが一発で分かった。

勝てる相手ではないことも。

一緒にフリンとかいうサムライや、その仲魔も来る。

側でラハムという邪神が見下ろしていて。どの道、もはや抵抗する術すら残されていなかった。

「それでどうするんですの? この子、アベの遺言によると、人として恥ずかしい事はさせなかったと言う話ですけれど」

「このままだと多分自死するよ。 誰かしらが話をしないと駄目だろうね」

「ッ! 兄貴を殺したんだな!」

「そうだ。 俺たちが殺した」

ワルターとかいう奴がいうが。

フリンが咳払い。

この様子だと、事情がありそうだ。

フリンが丁寧に話してくれる。兄貴がどうやって死んで行ったのかを。最後まで戦士として立派に戦った。

タヤマを守るために。

タヤマには兄貴は恩があった。

訳ありのどうしようもない女だったハレルヤの母さんに、兄貴は恋をした。その恋はどこからも許されないものだった。あれは今思えば、兄貴は恋をしたからではなく、そもそもハレルヤの親だったから必死だったのだ。

ハレルヤを守るために、傷ついた兄貴。

母さんもろとも兄貴とハレルヤを庇ってくれたのが、タヤマだった。

タヤマの目は覚えている。

こいつは良い手駒だ。

そう告げていた。

タヤマはハレルヤから見ても、ろくでもない典型的な反社だった。だから、相手を利益になるかどうかで見ていた。

体が治ってから、兄貴はそんなタヤマに献身的に尽くした。

大戦が一段落して、阿修羅会が東京の覇権を握った頃には、すっかり兄貴はタヤマの右腕になっていた。

それもそうだろう。タヤマに長としての力量が不足しているのはハレルヤから見ても明らかすぎる程だった。

だけれども、兄貴はそれでも仁義を尽くした。

真面目で、立派な人だったんだ。

悪魔だった事は知っていた。でも、兄貴は、あの残忍な大天使達よりも、よっぽど人間らしかった。

それにタヤマもほだされたのだろう。

いつの間にか、兄貴を信頼していた。兄貴だけは信頼していた。兄貴もそんなタヤマが弱い人間なのを理解した上で、支えていた。

だからこそ。

タヤマを討ち取りに来た相手には、命を張った。

母さんがろくでもない死に方……自業自得だったが。その時も、タヤマは葬式を開いてくれた。兄貴はそれに対して、無言で感謝の意を示していた。

タヤマはカスだったが。

それでも兄貴にとっては、身を張って守る価値があったのだ。

感情がぐちゃぐちゃになって整理できない。

此奴らを恨むのは筋違いだ。それは分かっている。タヤマも阿修羅会も、許されない事をし続けていたのだ。

ハレルヤだって同じ。

阿修羅会を支えていた兄貴だって同罪だ。

だが、それでも怒りはどうしても抑えきれない。

フリンはじっと此方を見ていたが。やがて、提案をしてきた。

「アベは命がけで君を守った。 でも、その様子だと君は自暴自棄になって暴れて、その後に自死するだろうね」

「っ! ぐうっ!」

「相手をしてあげるよ。 ワルター、その子を外に。 その子のナイフも持って来て」

「おいおい、本気か?」

呆れるワルターだが、フリンは本気のようだった。

結界から出される。そのまま飛びかかろうとするが、ワルターという奴の力はとんでもなく、まるで動けなかった。

シェルターの外に出る。

外で、放り出された。縄をとかれて、ナイフも側に投げられる。

ハレルヤは、性格的に戦いに向いていない。

それは兄貴に何度も言われた。

実際、悪魔相手に身を守ることは出来たけれど。それくらい。人を能動的に傷つける事はついに出来なかった。

あの最後の時だって、トキという暗殺者を相手に、その気になれば殺せた筈なのに。どうしてもそうできなかった。

フリンがオテギネだとかいう槍を振るう。

ブンと、もの凄い音がしていた。

あの槍がとんでもない業物なのは、一発で分かる。それでも、ハレルヤは、ナイフを手に取ると。

全ての感情を喉から吐き出しながら、躍りかかっていた。

がつんと音がして、一瞬でナイフを叩き落とされる。それどころか、体が泳いだところに蹴りを叩き込まれ。

蹴り上げられて、空に浮く。

背中から地面に叩き付けられて、しばらく息を出来ず。ナイフも手放してしまっていた。

転げ回って、必死に息を吐く。荒く息をつきながらぐっと顔を上げる。槍を構えたままのフリンが見えた。

「気が済むまで暴をぶつけてきなよ。 相手になる」

「う、うあああああああっ!」

ナイフを手に取ると、再び飛びかかろうとするが。

今度は目にも見えない速さで顎を下からたたき上げられて、一瞬で気絶していた。

目を覚まして、なんだ今のはと思う。

今のは、石突きで顎を弾きあげられたのか。

駄目だ、戦力が違う。

短時間で強くなっていると兄貴は言っていたが。これはあの悪魔としての力を解放した兄貴でも勝てるかどうか。

駄目だ、頭がまだ冷えない。

ナイフを手に、襲いかかる。

今度は近付く前に、腹に鈍痛。そのまま、くの字に体をへし折られ、吹っ飛んでいた。

倒れて、しばしもがく。

フリンが槍を回したことだけは分かった。石突きで腹を一撃されたのか。

早すぎて見えなかった。

何をされたのかは何となく分かるが、それで対応できるかは話が別だ。ずっとフリンは待っている。

さあ、うってこい。

懸かってこい。

そう言わんばかりに。

まだだ。まだこの怒り、収まるはずがない。ナイフを手に、立ち上がる。もう膝が笑っている。

兄貴は言っていた。いずれハレルヤは俺を超える。だから、戦いへの恐怖を的確にもって、自分を律しろ。

それでいずれ、自分の足で歩けるようになる。

そんな風に、優しい目で言っていた。

ナイフを構える。

今までみたいに、獣みたいに躍りかかるのではなくて、ステップを取りながら、間合いを計る。

それで分かったが。

棒立ちのままのフリンには、隙が皆無だ。

今まではそれすら分かっていなかった。

左右のステップを駆使して、間合いを詰めていくが。フリンはまったく身動きせず、それどころか、相手の間合いに入った瞬間、横殴りに吹っ飛ばされていた。

あんなに遠くまで伸びてくるのか。

歯を食いしばって立ち上がる。

そして、必死に身を起こす。

「そんなもんか。 少しは冷静になったと思ったら、その程度か。 悪魔の力を繰り出してみろ。 そうしないと勝てないよ」

「言われなくても!」

分かっている。

でも、そんな力、繰り出せた覚えがない。たまに体の奥に熱い力を感じる事はあったけれど。

それが言う事を聞いてくれたことなどない。

スマホを投げ寄越される。

ぐっと歯を噛んで、悪魔を呼び出す。日本の北海道の狐が神格化された存在。チロンヌプ。

単体ではそれほどの力は出せないが、数で懸かれば。

チロンヌプが一斉にフリンに襲いかかるが。しかし。

槍の一薙ぎで、全部消し飛ばされていた。

だが。その隙に、背後に回り込む。

貰った。ナイフを構えて、躍りかかるが。槍をそのまま旋回させたフリンは、後ろに目がついているかのように、ハレルヤを石突きで吹き飛ばしていた。

吹っ飛ばされて、転がる。

駄目だ。

涙さえ流れてきた。

フリンがワルターと呼んで。ワルターという奴に掴まれ、武装解除される。

「いつでも相手になる。 だから死んでは駄目だよ」

「……なんで俺は、悪魔の力を引き出せないんだ」

「多分単純に経験不足かな。 腕力とかはナナシと殆ど変わらないと思うよ。 体が耐えられないから、悪魔の力が表に出てこないんだと思う。 動きを見て分かったけれど、君って戦闘向きの性格じゃない。 戦闘以外で出来る事があるんじゃないのかな」

「……」

また結界に連れ戻される。

それから食事も貰った。阿修羅会では、兄貴は敢えて贅沢を避けていた。それにハレルヤも従っていた。

だから、新鮮な野菜や卵が出て来て、本当に驚いたし。

食べて見て美味しいので、本当に驚かされていた。

やがて、フジワラが来る。

ハレルヤでも知っているほどの大物。阿修羅会全盛期ですら。タヤマが怖れていたほどの存在だ。

「君についての聴取が取れた。 人を殺すどころか、隠れて多くの人を逃がしてくれていたそうだね。 君に助けられた人から証言が幾つも出て来た。 阿修羅会では人も殺せない奴だとか侮られていたらしいけれども、それは殺せないのではなく殺さなかったんだ。 立派だよ、君は」

「俺は、兄貴を守れなかったんです」

「そうか。 タヤマを守ろうとアベは仁義に殉じた。 私はアベではないから、アベが何を考えていたかまでは分からない。 だがアベは、恐らくタヤマだけではなく、君も守ろうとしていた。 それだけは事実ではないのかな」

そうだ。

それは分かっている。

そして兄貴は、自身の罪を自覚していた。

だから、ハレルヤの死だって望んではいない筈だ。敢えてフリン達に、ハレルヤが人として恥ずかしい事をさせなかったなんて事を言っていたらしいのだから。

「阿修羅会の面子の中で、比較的罪が軽いものを集めて、これから工場で仕事をさせるつもりでいる。 君には、彼等の指揮を取ってほしい」

「……」

「いやかね」

「いえ、誰ももう頼れる相手がいない意気地なしの集団には頭が必要です。 俺なんかでいいんだったら、やります」

フリンは、いつでも相手になってくれるそうだ。

だったら、いつかは。

いや、その前に。

阿修羅会が散々やらかした罪を、少しでも償わなければならないのかも知れない。

もしも決着を付けるとしたら、それからだ。

それからでも、遅くはないはずだった。

 

3、素戔嗚尊と天照大神

 

一度東のミカド国に戻り、休憩を取る。数日かけてじっくり休憩を取ったが。それはそれとして、既に僕達の後の三回目の成人の儀が行われた後だった。

流石に前回の成人の儀で今までの取りこぼしを回収したからか、今回は六人だけだったらしいが。それでもフリン達の時よりも多いし。三回の成人の儀で、最近命を落としたり引退したサムライ衆の欠損人員は補完できたらしい。人数だけは。

その上ラグジュアリティーズというだけで偉そうにしていたサムライ衆はあらかたいなくなり。

実力のみで選抜されたサムライ衆に鍛え上げられたようだが。

これはホープ隊長がしっかり鍛えたのもあるだろうが。

あのギャビーが目を光らせていたのもあるのだろう。

悔しいが、そういった手腕に関しては本物と言う事だ。

しっかり休憩を取り、ヨナタンから報告書も出して貰う。

その後、ホープ隊長を交えて、地下で話をする。状況を説明すると、ホープ隊長は呻いていた。

「大アバドンか。 それがもし悪用されていたら……」

「過去の話ではありません。 今から悪用されることも大いに警戒しないと」

「そうだな。 このまま行動は任せる。 其方での時間と此方での時間は違っている。 それを理由に、私もあの怪物めを引き留めておく」

怪物か。

ガブリエルという天使は、本来一神教の天使の中では慈愛に満ちあふれた存在であるらしいのだが。

今、東のミカド国を壟断しているガブリエルは、ただの怪物だ。

ホープ隊長の言葉も納得が行く。

そして、疲れを充分に取ってから東京に戻る。

霊夢が起きだしてきていたが。神降ろしをする前に、市ヶ谷から回収してきた情報で、驚くべきものがあったというのだ。

素戔嗚尊と天照大神。

この国の三柱の一番偉い神の内二柱。

一柱、月夜見は今霊夢の故郷にいると言う話だが。素戔嗚尊と天照大神は行方も分かっていなかったし、天照大神に至っては千々に砕かれたなんて話まであったそうだ。

だが、それも話が変わってきた。

市ヶ谷の地下、縮退炉のある階層に、封じられた間がある。

それはとんでもない強固な結界で封じられていて。三種の神器。剣、鏡、勾玉でないと開けられないらしいのだが。

その奧に、少なくとも素戔嗚尊に関する手がかりがあるらしい事が分かったのだ。

「情報が散逸してしまっていて其処で何が行われていたのかはよく分かっていないが、少なくとも最高国家機密であったことは確かなようだ。 天使共もタヤマも、そこはどうやってもこじ開けられなかったらしい」

「このままだと大綿津見神を神降ろしして作業を行うことになるけれど、ミカエルらを元の姿に転生させるには力不足かも知れない」

霊夢が指摘。

つまり、賛成と言う事だ。

ドクターヘルもいう。

「仮に駄目だった場合は、駄目だったという結果が得られる。 無駄に彼方此方を探し廻るよりも其方の方が有益であろうよ」

「決まりだね」

「私も賛成だ」

秀も賛成。

マーメイドは既に目的を果たしたからだろうか。要所で声を掛けて欲しいとだけ言って、こういう所ではほぼ何も意見を言わない。

元々は、あまりこういった場で会話するのも苦手なのかも知れない。

殿が決断した。

「よし。 まずは草薙の剣だな。 霊夢よ、さっそく日本武尊の悪魔合体に取りかかってくれるか」

「なんとかギリギリと言う所よ」

「かまわん。 呼び出せさえすれば、此方の味方として活躍してくれよう」

「……そうね」

霊夢の声は重い。

幻想郷という場所を大天使に蹂躙された時。

あのオモイカネの本体が其処にはいたらしいが。それでも半殺しにされた。瞬間再生レベルの不老不死能力を持っていたにもかかわらずだ。

四大天使の内三体を失っても、天使達の力は侮れない。クリシュナの指摘で、僕もそれを思い知らされていた。

敵を侮っていたのだ。

日本武尊が復活したところで、もしも東のミカド国の天使達が総攻撃を掛けて来たら、もう東京は保たないかも知れない。

それくらいの状況を想定して、動かなければならないのだろう。

まずは神田明神に移動。

かなり活気がある。

神々は人々に姿を見せていて、鳥居の側にいる武神らしい神が、どうすればいいかの指導を他の文化圏の神や、加護を願いに来た人々に説明している。

僕も霊夢に言われて、二礼二拍手というのをやって、神社に敬意を払う。

僕は一神教徒だったのだろうけれど。

大天使達や四文字の神の言動を見る限り、その下にいるつもりはない。

心配なのはヨナタンだが。

ヨナタンは異文化であろうと敬意を払うべきと判断したのか、とくに抵抗もなく神社に敬意を示していた。

そのまま霊夢が神降ろしを始める。

まだまだ神降ろしが必要だ。

その度に霊夢の消耗も激しい。

霊夢の力が上がってきているとは言え、それでもこう立て続けだと厳しいし、霊夢程の手練れが戦線から外れるのは大きいのだ。

ほどなくして、霊夢が大綿津見神を降ろす。

そして、悪魔合体を開始するが。

今までで一番凄まじいスパークがスマホから走っている。これはあのスマホ、壊れるかも知れないな。

そう思いながら、僕は周囲を警戒。

神社にいる神々が霊夢に回復の術をかけ続けているから、負担は減っているはず。そう信じて、様子を見る。

勿論狙撃とか、奇襲とか。

そういったものにも備えなければならなかった。

ごっと、風が吹き荒れる。

雷が落ちたかと思った。

凄まじい音が収まると、其処には。

縮退炉の前にいた、仮面をつけた武人が立っていた。どうやら、成功したようだった。

「日本武尊、ここに。 軛から外れた今、この国の未来の為に戦おう」

「日本武尊どのだ!」

「人界の英雄ぞ!」

「頼もしき話だ!」

神々が口々に言っている。

霊夢は冷や汗を拭って、それからスポーツドリンクを口にしていた。とりあえず、まずは此処からだ。

草薙の剣についての話。

更には市ヶ谷の奧に封じられている可能性がある素戔嗚尊と天照大神について。霊夢が確認すると、日本武尊は険しい顔をしていた。

「それをどこから聞いた」

「データが残っていたそうよ」

「そうか。 ……まあ良いだろう。 そなた等の拠点で話そう。 此処で話すのは色々と面倒な事でな」

「分かったわ。 また移動か……」

霊夢がぼやく。

まあ、霊夢の負担を考えると仕方がない。日本武尊は、以前戦った時よりもプレッシャーが小さい。

これはあの時の戦いを経て、膨大なマグネタイトを吸収して僕が力を上げたからかも知れないが。

それについても、過信は出来ないだろう。

一旦シェルターに。

シェルターで、物珍しそうに周囲を見ている日本武尊を囲んで、早速話を聞く。日本武尊は。疲れきっている様子の霊夢を見て心配そうにしたが、咳払いして話してくれた。

「実はこれは神々でも上位の存在しか知られていない事で、私も草薙の剣を貸し与えられてそれで知った事なのだがな。 この国の三貴神は、分霊体という仕組みを用いて、この国のために力を分散したのだ」

「力を分散?」

「そうだ。 神造魔人などと言ってな。 特に素戔嗚尊は歴史の要所で姿を現し、異国の神と戦ったと聞く。 ただ大戦で各地に散ったところを、それぞれが各個撃破されてしまったそうだが」

「なんということだ……」

殿がぼやく。

初めて聞いたことだったのだろう。

まあ、それもまた仕方がない。殿の正体についてはこの間名前を聞いたが、僕としてもまだあまりぴんと来ていない。

「待ってくださいまし。 それでは千々に砕かれたというのは」

「文字通りの意味だ。 天照大神にしてもそう。 月夜見にしても分霊体から作りあげた神造魔人は倒されて、それっきりらしい」

「じゃあ天照大神を復活させる事はできないのですか」

「いや、そうでもない」

フジワラの言葉に、日本武尊は言う。

なんでも分霊体が砕かれても、信仰は残っているし、何より最後のセーフティとして三種の神器が神々にたくされている。

それが揃った今。

少なくとも天照大神を復活させる事は可能だそうだ。

ただ、それには膨大な力が必要になるそうだが。

「現状の大綿津見神を神降ろしした程度では無理かしら」

「いや、力量はそれで足りるだろう。 天照大神は必ずしも神として暴威を振るう存在ではなく、太陽の恵みそのものを示す神だ。 問題はそなたの力ではなく、竜脈から得る体の方。 そなた等のいうマグネタイトというものだな」

「天海」

「はっ!」

殿が呼び出すと、その場に南光坊天海が姿を見せる。

きっとこの人は、人間時代の殿に仕えていたのだろう。

「今の話は聞いていたな。 何かしらの策はないか。 わしは霊的云々の事はようわからんでな」

「まず四天王寺を元に戻し、その結界から生じる力を正常化すれば、東京には竜脈が戻ります。 それによって各地で欠乏していたマグネタイトが足りるだけではなく、悪魔の凶暴化も沈静するでしょう」

「今まで手が足りずに出来ずにいたが、それをしておくべきか」

「はっ。 ただ……」

南光坊天海がいうには、それをやったら確定で大天使達に気付かれると。

大天使達も何もせず見張っているわけでもなく、負けて東のミカド国で大人しくしている訳でもないのだと。

その言葉については、クリシュナが言っていたのと同じだ。

「だとすると、先に今捕らえてあるミカエル等を一神教の影響を受けていない神格に戻す方が良いかしら?」

「それなんだがね……」

フジワラが咳払いして、説明してくれる。

今の時点で解析した結果、ミカエルらのうち、ウリエルとラファエルについては、大綿津見神の神降ろし併用でなんとか出来そうだと言うことだ。

問題はミカエルである。

ミカエルは祖を辿るとマルドゥークにまで辿りつくというのだ。

この神については以前聞いている。

ラハムの母親だというティアマト神。

それを倒して、神々の王となった存在。

典型的な暴風神であり。非常に猛々しく強力な神だと言う事だ。

「マルドゥークは恐らくだが、今の霊夢くんでも賭けになるだろうね。 より強力な神を神降ろしして、底力を上げられれば話は変わってくるかも知れないが。 それに、ミカエルらを元の姿に戻した場合、確定でガブリエルは気付く」

「そうなると順番を考えないといけないですね」

ヨナタンが提案。

まず、三種の神器を持って市ヶ谷地下を訪れてはどうかと。

それで状態を見て、その状況次第で次善の策に移っては、というのである。

なるほど。確かに現実的な策だ。僕としても反対する理由がない。

それにそもそもとして、ヨナタンは東のミカド国を救う覚悟を既に決めている。王になる覚悟をだ。

ただしそれも、まずは大天使を悉く叩き潰さないと無理だろう。

予想以上に大天使達の力が高いことを知った今となっては。それも順番を考えないと上手く行かないはずだ。

皆が銀髪の子を見る。

やがて殿が決断していた。

「よし、今回はヨナタンの提案を受ける。 いずれにしてもこのままでは手詰まりなのは事実だ。 ガイア教団も、クリシュナの動きもよく分からない以上、此方が力をつけて手数を増やすのは必須だ。 最大の仮想敵である四文字の神と大天使達を相手にする前に、出来る事を全てやっておこう」

「分かりました。 僕はすぐに出られますが」

「霊夢よ、大丈夫か」

「戦闘は無理だけれど、行って調べるのはなんとか」

此処で言う戦闘は無理というのは、空を飛んで大物悪魔と正面からやりあうような戦闘という意味だ。

実際市ヶ谷の戦いでも、疲弊が激しい中霊夢は支援に徹して良い活躍をしてくれた。

決まれば後はすぐだ。

僕達と霊夢、それに殿とドクターヘルで現地を調べる。

残りの面子は各地の要所を固める。

神田明神は生半可な戦力ではもはや落とせないだろうが、それでも一人は誰かを漬けておくべきだろう。

なお、日本武尊にも来て貰う。

知識のある存在に来て貰わないと、どんな罠があるかわかった者ではないからだ。

時間が加速しているような錯覚すら感じる。

とにかくやる事が多い。

ワルターが六本木のターミナルから出ると、一つずつ指を折って数えていた。

「ええと、まずは大天使三体を神の手下ではなくす。 四天王寺ってのを元に戻す。 その二つの前に、より強いこの国の神様を呼び戻す。 対外関係は、ガイア教団の動きに注意する。 クリシュナの行動を注意する。 だー、やることが多い!」

「一つずつ整理するのは正しい行動だよ。 まずはその「より強いこの国の神様」を呼び出しに行く行動だね」

「ああ、分かってるよ。 それにしてもガイア教団の連中はずっと黙りだな。 この辺りでなんか仕掛けてこないだろうな」

「君達」

出迎えに来たのは、小沢さんだ。

敬礼して話をする。

元に戻った市ヶ谷の内部を案内して貰うために呼んだのだ。志村さんは、ニッカリさんと連携して阿修羅会から解放された六本木を初めとする彼方此方の街を調べ。阿修羅会が出していたような依頼は全て取り下げさせているという。

また残党狩りについてもやってくれているそうだ。

アベが倒れた以上まともに動ける残党なんていないだろうが。

それでも、先手先手を打っていくのは正しい行動だろうと僕も思う。

六本木から少し歩いて、市ヶ谷に。

途中で悪魔は出るには出たが、この間の大規模会戦を経た影響か、露骨すぎる位に数は減っていた。

大物は特にそうだ。

代わりに雑魚が増えていて、カタキウラワが死肉を漁っているのを見かける。カタキウラワは此方を見ると、そそくさといなくなる。

「まだ豚肉はでまわらないんスか、小沢さん」

「子豚を育てているところで、まだしばらく先かな。 鶏の方はそろそろ鶏肉を出荷できるかも知れないという話が出ているよ。 そういう意味では、まだまだカタキウラワを狩る事を専任にしている人外ハンターもいるし、肉としても重要だね。 だけれども、それが終わろうとしているかな」

「それはありがてえな。 他人事になっちまうけど」

「いや、君達のおかげだ。 私も各地のスカウト以外に出来る事が増えてきた。 今回も、古巣の案内がそんなことにつながるとは思っていなかったよ」

小沢さんは幹部自衛官と言う奴だったらしいから、市ヶ谷の奧になんかあるらしいという話は聞かされていたそうだ。

市ヶ谷まで大した相手もいない。

何回かそれなりの悪魔は出たが、全て蹴散らす。霊夢が出るまでもない。そもそも日本武尊の視線を受けて、それで逃げてしまう悪魔も多かった。

市ヶ谷に到着。

此処では甲賀三郎がいつも常駐していて、人外ハンターも交代で見張りについている状態である。

霊夢も結界を展開している事もあり。悪魔が入り込んでも、人間が入り込んでも、すぐにばれる。

入口辺りは突入時に粉砕されたが。

それも修理が終わり、内部では色々と作業が行われていた。戦車が並んでいる。どれもまだ壊れているようだが。

「思ったよりもたくさん戦車があるんですね」

「どれも壊れてしまっているから、これから少しずつ直さなければならんがな。 共食い整備で使ってしまうものも多そうだが、思ったよりは状態がいいものも多い。 今後大天使を相手にするのなら、このままの戦車では力不足なのが問題よのう」

「エイブラムスが三両あって、状態がいいのが救いですかね」

「まあそうだな。 戦車を作るのは生半可な技術では無理だから、一から作って増やせるようになるのは、下手すると数十年先かもな」

小沢さんの言葉に、ドクターヘルが冷静に返す。

色々作ってくれるドクターヘルだから、余計に色々と説得力がある。

それくらい大変な破壊が行われた。

それが分かってしまうし。

文化なんてそう簡単に再生出来ないのも、思い知らされる。

「この棟ですね。 縮退炉のある場所とは若干違う通路から奧へ行くのですが、その先に幾つかセキュリティがかかった扉があって、其処が問題の場所のようです」

「縮退炉のある場所からいけないのか?」

「この辺りはセキュリティの観点から、別にしていたんでしょう。 私も幹部自衛官だったのですが、もっと上位の幹部しか奧には入れませんでしたし、どんなトラップがあるか分かりません、 悪魔を前衛にした方が良いかも知れません」

「お任せを」

ヨナタンの天使達が出る。

いずれにしても、今はもうセキュリティのかかった扉も生きてはいないので、罠にだけ気を付ければいい。

棟に入ると、内部にはかなりあらした跡があった。

書類が散らばっているのを見て、小沢さんが嘆く。

「この棟を守るのにどれだけ犠牲を出したか分からない程なのに、最上層部の人間は最後は放り捨てて逃げた。 許しがたい話です」

「もう繰り返させないようにしましょう」

僕が小沢さんをフォローする。

さあ、この先だ。

扉はどれも死んでいるから、普通に開く。元はカードとか必要で、それも厳重な手続きも必要だったらしいが、それらも今は意味がない。扉自体にも仕掛けが色々あったらしいが、それらも全て手動で開く。

扉を開くと通路があったが、それも直線。

これは或いはだが、本来は色々罠があって、直線で充分だったのかも知れない。

天使達が先に行くが、予想されていた罠もほぼ生きていなかった。

一応そういうのに詳しそうなドクターヘルがいるし、なんなら最悪の場合強行突破するために備えてもいたのだが。

こういったものは使う人間次第。

それを思い知らされるように、僕も拍子抜けするくらい最深部まで簡単に通る事が出来ていた。

一応後方を南光坊天海が見張って、罠の類が発動したときに備えていたのだが。その心配もなかった。

天井が落ちてきたりとか壁が迫ってきたりとか岩が転がってきたりとか。トゲトゲの生えた落とし穴とか。

そういうのもなかった。

「私が聞いた話によるとレーザーによるトラップは配置されていたらしいのですが」

「それならわしが無力化しておいた。 レーザーに出力が送られていたのを見つけたのでな」

ドクターヘルが当然のようにいうので、小沢さんがちょっと困惑していたが。

まあこの国のそういうセキュリティは昔からザルで有名だったらしく。小沢さんも仕方がないのかなと諦め気味である。

やがて、最深部につく。

流石に最深部にはごっつい扉があって、取っ手とかが色々ついていた。

日本武尊が前に出て、操作を始める。

此処の事は知っていたらしい。

今までは此処までの通路を通る間は悪魔召喚プログラムの中にいて。此処で草薙の剣を出して作業をすることはあったらしいのだが。

それ以外では、作業はなかったそうだ。

複雑に取っ手を動かして操作していく様子を見て、霊夢が何かしらの呪術に基づいた手順だと言っていたが。

僕には分からなかった。

いずれにしても、扉はガコンと音を立て開いて。

その扉が開くと、祭壇がある。

まず日本武尊が草薙の剣をおくと、霊夢が神降ろしをして、鏡と勾玉をおく。これは神と半分一体化しているらしく、神田明神から神降ろしで一時的に呼び出すことで、出来るそうだった。

祭壇が反応。

床に沈み込むと、右側の扉が開く。

草薙の剣を回収すると、日本武尊が此方だと言って案内してくれる。

奥に入ると広い部屋があって、なんらかの液体が溜まった穴が三つ。そして、意外に文明的な……ドクターヘルが作るような装置が色々並んでいる部屋に出た。

「此処だ。 此処で三貴神の分霊体を作成して、国難の時などにはこの国で活用していたようだ。 ただこの国の支配者でも簡単に入る事は許されず、独自の組織と何よりも神々が厳重に管理していたようだがな」

「わしもこんな場所は初めて見る。 まあわしの時には国難は既に去っていたから、それもそうかも知れぬが」

「それはそうと、ちょっとまずいわよ」

霊夢がハンカチで額の汗を拭っていたが、前に出て穴を覗く。

僕には分からないが。

霊夢には分かるのだろう。

「天照大神の方は殆ど力が残っていない。 素戔嗚尊もごく僅かね。 月夜見は幻想郷に本体がいるから良いとしても……」

「そうなると、やはり四天王寺の復興が優先か」

「……ちょっと待って」

霊夢が周囲を調べ始める。

ドクターヘルもPCのコンソールとキーボードを見つけて、操作し始めた。ドクターヘルの指が超高速で動いて、何やら出て来たデータを追っているようだ。

「霊夢よ。 面白い事が分かってきたぞ」

「何かしら」

「残量のデータがある。 それによると天照大神は1.5、素戔嗚尊は8、月夜見は6だそうだ。 ふむふむ、神造魔人を作り出すには10の残量がいるそうだが。 最悪の場合は、1を用いて神を呼び出すべしとある。 信仰心を得ればこれは徐々に溜まっていくそうで、1をためるのに100年かかるとか。 それも三千万の人間がいてやっとの話だそうだがな」

「三千万!」

ちょっと絶望的な数字だ。

僕でも今の東京の三百倍の人間だと即座に計算できるし。

霊夢は考え込みながら歩いていたが、やがて結論を出していた。

「四天王寺を開放する前に、三貴神を具現化させるべきね。 ただ、特に天照大神を復活させると、神田明神まで護衛しなければならないわ。 散々色々な神々が狙って来るでしょうしね」

「それって、要するに弱体化した状態で復活してもらって、その後四天王寺をどうにかして竜脈を解放して、それで力を取り戻して貰うって感じ?」

「そうなるわ」

なるほど、分かってきた。

まあ、それなら僕達も仕事ができたと言うことだ。

ワルターが、心配げに言う。

「それよりあんた、体力は大丈夫か?」

「なんとかなるわ。 此処でやることは神降ろしではなくて、神の残滓を集めるだけだからね。 三貴神は分霊体として管理しやすいように自らをしたのでしょうよ。 此処まで大胆な事をするのはちょっと神としても珍しいけれど」

「いずれにしても、僕達が総力を挙げて帰路を守らなければならない、ということだね」

「ええ」

霊夢が準備を始める。

床に何やら模様を描き始めたので、僕達は部屋を見回る。市ヶ谷駐屯地は甲賀三郎と南光坊天海が目を光らせてくれているが、それでも手が足りないかも知れない。

直後、殿に言われて、僕は外に出る。恐らく既に勘が鋭い奴は気付くだろうと言う話だったからだ。

そして、すぐにその言葉は現実になっていた。

隣に、残像を作って甲賀三郎が来る。

それはそうだ。

空から、無数の悪魔が出現したのだ。

いずれも堕天使のようだが、此処を目指している。市ヶ谷の乱戦で人外ハンター達が必死に追い払った連中の残党か、或いは。

「これは骨が折れそうだ……」

「わしは通路で侵入してくる敵を迎え撃つ。 フジワラ、敵襲だ。 増援を出来るだけ送ってくれ」

「分かりました。 秀さんに向かって貰います」

「うむ……」

さて、やるか。

僕が最前列でオテギネを構える。ヨナタンとイザボーが後列に、僕がワルターと前衛を担当する。

悪魔達もありったけ出す。

人外ハンター達も敵襲と叫んで、彼方此方で戦闘配置に。

堕天使達は、まずは雑多な悪魔を多数、上空からけしかけてきた。敵は今回はかなり本気のようだ。

余程天照大神が蘇るとまずいのだろう。

だけれども、だ。

こいつらを削りきれば、東京で人に害なす悪魔をそれだけ削る事ができる。人間とともにあろうとしてくれる悪魔だったら、いてほしい。

だが存在が害にしかならない悪魔は、悪いが倒させて貰う。それだけだ。

大量の妖鳥が、まず先頭になって突っ込んでくる。一緒に出て来た小沢さんが、人外ハンター達とともに銃撃で弾幕を張る。僕の仲間達も、一斉に魔術を空中に投射。まだまだ小手調べだ。

数を減らす。

炸裂する魔術と銃撃が、大量の妖鳥を叩き落として行くが。第二波、第三波と次々来る。それだけじゃない。

徐々に強いのが出始める。

もの凄い大きさのが飛んでくる。

「凶鳥フレスベルグよ。 北欧神話の世界樹の頂点にいて、世界を見下ろしている巨鳥だわ」

「あれはおおきいね……」

「他にも凄いのがいる!」

「あっちは鵬よ。 糞が村一つを潰したという伝承がある巨鳥ね」

まあいい、こっちも大きいのを出すだけだ。

それに、一匹だってここから先は通さない。

ラハムが放った呪いの術が、まとめて多数の妖鳥の息の根を止める。ムスペルが上空に吠えて、放った溶岩隗が、まとめて多数の敵を叩き落とす。アナーヒターの清浄な水が、邪悪な悪魔達を溶かすようにして浄化する。

ヨナタンの天使部隊は重厚な陣形を組んでいて、飛来する雑魚悪魔を全く寄せ付けない。

また前衛にいるワルターの悪魔達は、いずれも力強く、迫る悪魔達をものともしてなかった。

特にギリメカラは鼻を振るって迫る悪魔を片っ端から千切っては投げている。

とても頼もしい限りである。

ぶつかりあうフレスベルグと甲賀三郎。

激しい斬撃を浴びせる甲賀三郎に、フレスベルグが巨体を生かして冷気を浴びせ続ける。

だが、そのフレスベルグを、横から飛来した槍が貫いていた。投擲したのは、ここの守りについているケルトの戦士達だ。

人外ハンター達も、自慢らしい悪魔達を展開して、敵を防ぐ。

鵬が叩き落とされる。

南光坊天海が、凄まじい体術で、巨大な鳥を文字通り拉げさせたのだ。凄い力だ。今更ながら、よく勝てたものだと感心する。

前に躍り出たイザボーが、光の壁を展開。

空から飛来した、超火力の魔術をそのまま跳ね返していた。

魔術返し。

最近手持ちから覚えた切り札らしい。

跳ね返された魔術を避けると、突っ込んでくるのは大物の堕天使だ。

「堕天使アガレスよ。 ソロモン王72柱の筆頭とされている大堕天使ね。 戦闘力はベリアルに劣るようだけれど」

「あれ、乗ってるのは何?」

「ワニという生物ね。 今は此方では見る事が出来ない生物で、生存しているかも分からないわ」

「そう……」

見えてくる。ワニに乗ったお爺さんという感じの堕天使だが、いずれにしても叩き落とさせてもらう。

ラハムに視線を送ると、そのまま蛇の髪を束ねてくれる。僕はそれに乗ると、全力で撃ちだして貰った。

まさか飛んでくるとは思わなかったのか、魔術をぶっ放そうとしていたアガレスが、呆然とするのがみるみる迫ってくる。

そのまますれ違い様に、首を叩き落とす。

下で、風の魔術でクッションを用意してくれたので、そこに降りる。風の魔術を使ってくれたのは、ティターニアだった。

「相変わらず無茶苦茶ですわね……」

「イザボーも、さっきの魔術返し凄かったよ!」

「ま、まあ消耗が大きいから、あまり使えませんけれど」

ちょっとイザボーも嬉しそう。

堕天使達はアガレスが鎧柚一触されても戦意が衰えていない。だが、幾らでも来い。

阿修羅会同様、この東京を私物化して無茶苦茶しようというのであれば。

全部まとめて、薙ぎ払ってやる。

 

4、太陽神復帰

 

上で派手に戦っているのが分かる。霊夢は神楽舞をしながらも、集中して祝詞を唱え続ける。

天照大神か。

月で戦った時。

神降ろしのスペシャリストで、今の霊夢よりも更に技量が上の神と戦った。勝てなかった。

その時、天照大神が呼び出されるのを見たが。

幻想郷でも屈指の使い手が、文字通りひねり潰された。

信仰を現役で得ているというのは、それだけ凄い事なのだ。霊夢もそいつには勝てなかったし。

今、天照大神の力を呼び出せるのであれば、それはそれでいい。

ドクターヘルが言う。

「儀式をしながらでいいから聞いておいてくれるか」

「……」

「大戦の時、此処に蓄えられていた力はあらかた使い尽くされたそうだがな。 そもそもとして天照大神はそれ以前に、この国に襲来した魔とやりあって、大きな消耗をしていたそうだ」

魔、か。

それがどのくらいの時期かは分からない。

幻想郷は時間の流れが違っている。

幻想郷に後から来た人間は何人かいたが。同世代に思えたのに、明らかに文化の世代が違っていた。

だからその魔が現れた時。

霊夢が月で戦ったときの前か後か分からない。

もしも後だったとしたら。

その前に戦ってなくて良かったとしかいえない。

力を浴びたあいつは、ひねり潰されるどころか蒸発してしまっていただろう。

「この国では豊富な信仰心を狙って、明治維新の頃から異神に脅かされてきたという歴史があったそうだ。 一神教の神々は、この国で異神が力をつけることをあまりよく思っていなかったようだな」

そうか。

その割りには、世界全てを滅ぼして、この国で東のミカド国なんてものを作った。その理屈がよく分からない。

いずれにしても、掴んだ。

後は、引っ張り挙げるだけだ。

光が満ちてくる。

もの凄い力で、おおとドクターヘルが声を上げていた。

霊夢は拍手して。

荘厳な空間に、それが具現化していた。

今、霊夢が、立ち会ってくれている日本武尊の草薙の剣とともに、鏡と勾玉を揃えた。それが、この偉大な神の再臨を招いたのだ。

勿論、かなり弱体化した状態だが。

それでも、この国最高の太陽神。

天照大神。

羽衣を纏った威厳のある女性だ。

男性説なんてものもあるらしいが、少なくともこの場に呼び出された天照大神は。常に光を纏っている、女性の姿だった。

「偉大なる巫女よ。 妾の復活を助けてくれて感謝している」

「それはどうも。 それよりも、この国の状況について分かっていらっしゃいますよね」

「分かっておる。 まずは外で戦っている悪魔共を片付けなければなるまい」

「いや、それはわしらでやる。 貴方は民のための光としてあってほしい」

殿がいつの間にか来ていた。

天照大神同じく光を纏う銀髪の子。

そういえば、殿が予想通り徳川家康だったのはそれはそれでいい。だが、この子は結局何なのだろう。

「ふうむ、異国の巫女のようだな。 ただし巫女としてのあり方が違うか」

「この娘は神降ろしよりも人の力を引き出すことに長けておる。 神降ろしは其方の本職が専門よ」

「まあよい。 外の敵は、そなた等でどうにでもできるというのだな」

「無論」

殿が行く。

まあ、勝てるだろう。恐らく秀かマーメイドも来てくれる。今のフリン達の戦力も、既に霊夢が信頼出来る次元にまで来ている。

この程度の敵の群れなど。

今更怖れるに値しない。

霊夢は座り込むと、持ち込んでいたスポーツドリンクを飲み干す。ドクターヘルは情報を引き出し終えると、持ち込んでいたポータブルHDDとやらに吸い出していた。後でシェルターで解析するのだろう。

「これで一段落か霊夢よ」

「ええ。 アンタの方は?」

「縮退炉の整備については問題はない。 後は大天使どもが攻めてきた時に備えて、悪さが出来ないようにプログラムを書き換えておく必要があるな」

そう。

大天使が狙うとしたら、縮退炉の暴走。

それを用いて、この東京を悪魔や神々もろとも消し去る事だ。

そうすれば東のミカド国だけが残り、後は愚民を用いて四文字の神への信仰心だけをじっくり熟成させればいい。

四文字の神への信仰だけが残る。

奴らには最良の結果だろう。

この恐るべきもくろみについては、霊夢だけではなくフジワラが看破していた。

それに、だ。

縮退炉に現れたクリシュナと明けの明星。

あいつらも気になる。

だから、悪さを出来ないようにしておく。

それが必須なのだ。

勿論ドクターヘルもどちらかというとダークサイドの人間だ。だが、ブラックホールに飲み込まれて自殺なんかはしたくはないだろう。

此処では利害が一致しているのである。

「少し休んだら、上での戦闘に加勢するわ」

「ではわしも行くかのう」

「貴方、何か仕込んだわね」

「市ヶ谷の防衛システムをちょっとな。 悪魔共をあっといわせてやるわ」

そうか、頼もしいことだ。

天照大神には、傅いている日本武尊がいる。あいつは生半可な悪魔が手に負える存在ではない。

ここの霊的防御の厚さから言っても、簡単に突破もできない。

ならば任せて大丈夫だ。

さて、行くか。

霊夢はにっと笑うと、戦場に出向く。

神降ろしの負担が減ってきている。後は大天使どもを一神教の影響以前の姿にまで戻せば。

その後は、どちらかと言えば霊夢が好きな。

攻撃的な戦闘に復帰できるというものだった。

 

(続)