砂城瓦解

 

序、東京駅

 

東京駅。名前からすると、東京の中枢のようにも思えるが。東京の中枢と言われるかというと、実はそうでもない場所であるらしい。僕はそんな説明をバロウズから聞きながら、煉瓦らしいもので作られている建物へ足を踏み入れる。

この駅も、地下に人が住み着いているが。悪魔も平然と彷徨いている。

それなりに荒々しい性質のものも多そうだが、人間を見境なく襲うことはしていないようだ。

今回はニッカリさんが案内に来てくれている。

志村さんや小沢さんと並ぶ歴戦の戦士。

人外ハンターでも古株で、ナナシとアサヒの師匠だと聞くと、此方も敬意を自然に払う気持ちになれる。

「ここは今では銀座への関門となっていてな。 それもあって、ガイア教団が抑えているんだ」

「東京駅っていうから、東京の中枢かと思ったのだけれど、新宿駅の方が大きいみたいですね」

「ああ、そうだな。 此処も当初作られたときは、国の威信を賭けたずっと使える駅をという感じで作られたらしいんだが、どこが流通の中心になるかは読めないものでね。 いつの間にか新宿にそれは取って代わられたのさ。 ただ、駅としては世界的な規模で、とても大きなものなんだよ」

「ふーん、不思議なものだな」

線路図というのがあったので見るが、これは蚯蚓がたくさん並べられているのか。度肝を抜かれてしまう。

ヨナタンは見てなる程と唸っていたが、ちょっとすぐには覚えられそうにない。ヨナタンはよくこんなもの覚えられるなと感心してしまう。

「街としては小規模ですわね」

「此処は戦場になる可能性があるし、何よりガイア教団の膝元だからな。 力がない奴には何も与えないって組織だし、人も離れる。 何より悪魔とのトラブルも日常茶飯事。 つよい奴には良い場所なのかも知れないが、それも何処まで本人達が理解しているのか、疑問が残る」

血の跡が壁床にべったり。

悪魔に食われたのか、それとも誰か喧嘩して殺されたのか。

ちょっと僕もうんざりする。

これは、人間が生活する都市じゃない。

一応人外ハンターの支部もあるようだが、足を運ぶ気にはなれなかった。

途中、連絡が来る。

神田明神の近くで大規模戦闘があったらしいが、救援は求められなかった。現地にマーメイドが出ていた事もある。現地の人外ハンター達とサムライ衆で解決したらしい。かなりナバールも活躍していたそうで、そうかとだけ呟いた。これは今のナバールなら当然だろうという、信頼からだ。

ともかく、ニッカリの案内で「連絡通路」とやらに行く。

途中、行き場も無さそうにしている悪魔を見かけたので、声を掛ける。子供の姿をした悪魔だが、あっさり契約を受け入れていた。

そろそろハイピクシーが転化すると言っていたっけ。

ハイピクシーも最近は戦力になれていなかったのだが、転化すれば一線級になれるという。

非力な悪魔だって、転化すれば別物に変わる。

それを何度も間近で見ている僕としては。

弱い悪魔はいらないなんていうつもりはなかった。

通路で仁王立ちしているのは、筋骨隆々のガイア教徒だ。相変わらず傘みたいなのを被って、首から数珠というのか。最近知ったそれをぶら下げている。仏教徒という人達の姿に近いらしいのだが。

カガの話によると思想はその極北らしいので。

色々ややこしい話である。

向こうは此方を知っていた。

「おお! 覚えているぞ。 西王母を討ち取ったますらお達であるな。 あの時俺は白虎とやりあっていた。 西王母を倒し、力を示した者達には敬意を示さなければなるまい」

「褒めてくれているというのは分かるよ。 それで銀座に行きたいんだけれど、通してくれるかな」

「別にかまわぬが、彼処では命が飛ぶように安いぞ。 幹部であっても一瞬で死ぬ事もよくある。 活躍を聞く限り、貴殿は弱きを助け強気を挫くように動いていると聞く。 あまり良い気分にはならぬと思うが」

「仕事でね」

つれて来ている銀髪の子は、無表情でガイア教徒の男を見ていた。

これは、多分嫌っているな。

力が全てとかいう寝言で、この東京の人口を更に減らしている元凶でもあるのだから仕方がないか。

阿修羅会よりはマシではあるのだが。

「そういえば其処にいるはニッカリどのか。 なるほど、何かしら政治的な話でもするのかな」

「まあそんなところ」

「分かった、通られよ。 本来なら力試しをするのだが、西王母を屠った貴殿等にそれは不要であろう」

快く通してくれる。

そして、槍を持った武人らしい姿の悪魔を二体出して、見張りにつけていた。理由なく誰かを通す気はない。

そういう雰囲気だ。

「自分を律してはいるな。 池袋の連中よりはずっと好感が持てる。 ただ、いつ誰が死んでもおかしくない場所を好きこのんで作るのはやはり良くないんだろうな」

「その通りだ。 そんな場所では子供も育てず、結局衰退するだけだ」

「ガイア教団のやり口はスパルタに似ている。 古い時代ギリシャという場所にあった国なのだが……ガイア教団のようなやり方をしていた結果、最終的には滅びてしまった国だよ」

ニッカリがそう告げると。

そうかと、ワルターはぼやく。

実例があるのだ。

そういった実例に対して、脊髄反射で文句をいうような阿呆ではない。それはワルターの美点である。

連絡通路というのを黙々と行くが、途中で悪魔がそれなりの数湧いてくる。こっちを見ているが、隙さえあれば仕掛けて来るだろう。

銀髪の子に絡もうとしたのが一匹いたが、一瞬で叩き潰されて壁の染みになった。それを見て、さっと逃げ出す悪魔達。

今の、不可視の質量攻撃。

更に精度が上がっているな。

多分だけれど、殿の方じゃない。銀髪の子が、より力を使いこなせるようになっているんだ。

そう思うと、ちょっと頼もしいし、頑張ろうという気にもなれる。

しばらく黙って進むと、やがて街に出ていた。

「ここからが銀座だ。 古くは此処で銀を鋳造して、貨幣を造っていた。 以降は欲望の街として、東京の金持ち達が集った場所だよ」

「東のミカド国にもギンザ街はありますが、そういう語源だったんですね……」

ヨナタンが感心している。

周囲はぎらぎらとしていて、金の臭いが凄まじい。僕はうえと思わずぼやいていた。金は必要なだけあればいいと思う方だ。ワルターは貪欲に稼いでいるが、金を稼ぐこと自体に興味を持っているようには見えない。

悪魔も人も行き交っているが、空気はぴりついている。

そんな中、石の塊が、街のど真ん中に存在していた。

ニッカリが教えてくれる。

大戦の時。

空から核ミサイルが降り注ごうとした。それを、彼処で誰か……人外ハンターの戦士の一人が、将門公に祈り、自らを生け贄に捧げた。

ニッカリは直に見ていたわけではないが、そういう話を聞いたらしい。

祈りに答えた将門公は巨大な姿を現し、天蓋となって、核ミサイルとやらを全て防ぎ。代わりに東京は太陽を失った。

「将門公は大戦の前から祟り神として怖れられていてね。 日本三大怨霊なんて言われていたのさ。 事実この辺りのビルでは、背中を見せないようにと配慮もしていた」

「そんなに恐ろしい人だったんですか」

「史実を見る限り、気の毒な人だね。 悪い人達に騙されて、戦っている内に引くに引けなくなって、それで戦死した。 首を切りおとされて晒されたけれど、首は飛んでいって故郷に戻った。 その首が落ちたのが、首塚といわれる場所さ。 以降、首塚に不敬を働くと必ず祟りがあると言われて、実際に色々と起きたらしいね」

そうか。

でも、板東武者の祖だという話も聞く。

恐ろしい所もあったけれど、それはそれとして、尊敬もされる武人だったと言う事なのだろう。

行き交う人々も、石の塊には敬意を払っている。近くで話す者もいないし、礼をしているものも見かけた。

イザボーが、ぎんぎんぎらぎらの雰囲気を嫌ったのか、歩きながらニッカリに聞く。

「三大怨霊というと、他にも二人いるんですのね」

「ああ。 一人は菅原道真公といって、学問の神様として今は崇められている人だよ。 誠実な人だったらしいんだけれど、卑劣な政治的陰謀で悲劇的な死を遂げてね。 死後雷神になって復讐したって言われているんだ」

「雷神になって復讐って、それはまた気合が入ってるな」

「貴族の間では陰湿な陰謀合戦は日常茶飯事だ。 そういう風に仕返しをして、それが話題になるようになったら、少しは収まるのかも知れないが」

ヨナタンがぼやく。

咳払いして、最後の一人についても教えてくれる。

「最後の一は崇徳上皇と言われている人だ。 この人は色々あって反乱を起こして負けて島流しにされた人なんだが、その後に非常に恐ろしい噂ばかりが流れた。 この人自身はとても温厚で、心優しい人であったそうだよ」

「先から聞いていると、三大怨霊の方々は、皆被害者ばかりのように思えますわ」

「僕も同感だよ」

「この国には、判官贔屓という言葉があってね。 悲劇の死を遂げた人のことを悲しんだり、祀ったりする風習があるんだ。 三大怨霊と言われた人達は皆善人だったり立派な武人だったのに悲劇的な最後を遂げたりした人達だ。 日本的な空気もあって、復讐を皆で代行したのかも知れないね」

そういうものか。

でも、そういった風潮は、東のミカド国ではなかったな。

成立がよく分からない東のミカド国だ。

文化が共通しているのも言葉だけ。

そういった細かい文化は、伝わらなかったのかも知れない。

街の中で、人外ハンター協会に出向く。此処はかなり大きくて、明らかにガイア教団の者も出入りしていた。

大柄な筋骨たくましい男性が、失礼と行って戸から出ていった。

マスターが、またかとぼやいている。

ニッカリが僕達を紹介すると、マスターは噂には聞いているよと疲れた様子で言うのだった。

「何か問題か」

「ああ。 最近インド系と他の系統の神々や悪魔が揉めているそうでな。 ガイア教団でも鎮圧はしているらしいんだが、手が足りていないらしい。 それで人外ハンター協会に話を持ち込んでくるが、そもそも原因もわからねえからな。 どっちに荷担していいものやら」

「いずれにしても、後で調べるべきでしょうね」

「それは同感。 ああ、マスター。 ターミナルの噂は聞かない?」

ターミナルか。そういうと、苦々しい顔で教えてくれる。

血の気の多いガイア教徒が挑んでは、手やら足やら失って出てくるらしく。怪我人の手当てで毎回迷惑しているらしい。

また番人がいて、それで荒っぽく歓迎しているわけだ。

僕としては、なんで蠅の王とやらがそんな事をしているのかよく分からないが。まあ、此処にも一発で移動出来るようにしておいた方が良いだろう。

まず先に、それを片付ける。

それから、ガイア教団の本部に足を運んで。あのユリコと色々話をしなければならないだろう。

勿論その時には、交戦も覚悟しなければならない。

ただ今回は、殿がきてくれている。

この人の手腕には安心しかない。僕だと口八丁くらいしか回らないのである。

「さっきの仕事、受けてくれないか」

「こっちも仕事で来ていてね。 そうでなければこんな欲望まみれの街、御免被る。 特にうちは難しい年頃の子らがいるから、悪影響は与えたくなくてね」

「その子か?」

「いや、この子は普通の子供じゃない。 うちに来てくれている英雄の一人だ。 とにかく桁外れにつよいぞ」

冗談かと思ったのか、銀髪の子を見てマスターが笑おうとしたが。ニッカリの表情を見て、本当だと悟ったのだろう。

いずれにしても、支部を出る。

まずはターミナルだ。ニッカリは手にしている長物の銃を整備して、頷いていた。すぐ側にターミナルはある。入ってみると、案の場領域になっていた。

「あらー。 また来たのですわねー」

「今度は女の子か……」

「あらあら。 とにかく退屈を紛らわせるのは大事ですのよ」

さいですか。

僕が呆れていると、幼い女の子の姿をしている番人が、スカートを摘んで案内する。こいつが蠅の王ベルゼバブだと思うと、それに対してあまり良い感情は抱けない。

ワルターが前に出る。

前にイザボーが色々指導した事もある。妙な腐れ縁が生じていて、それで逆に遠慮がなくなっている。

まあ僕も、しらけた目で見ているし。ヨナタンもどう反応して良いか分からないようである。

「いいからさっさと悪魔だしな。 俺たちも仕事で、それなりに忙しいんでね」

「もう、ちょっとくらい話につきあってくれてもいいじゃないですの」

「……」

ぱちんと指を鳴らす番人。

姿を見せたのは、なんだこれ。ちょっと僕には、なんと言って良いのか分からない姿の悪魔だった。

それは巨人、なのだろうか。

全身に大量の目がついていて、人型なのに露骨な異形だ。特徴的な相手だからか、すぐにバロウズが解説してくれる。

「鬼神アルゴスよ。 ああ見えてギリシャ神話の神々の忠実な下僕で、各地で神に仇なす怪物を狩って廻っていた存在よ。 特に大きな手柄は、神々の最大の敵の一人、蛇神エキドナを倒した事でしょうね」

「なるほど、神に対してとても強く出られると」

「しかも全身の目を交互に使って眠るため眠る事がなく、全身に死角がないわ。 一説には孔雀から生じた悪魔ともされている存在よ」

「あらあら、説明どうもですわー。 今回は死角のない対悪魔に特化した悪魔。 さあどう攻略します?」

番人も楽しそう。

まあ、こういう相手なら、やる事は決まっている。

僕がハイピクシーを呼び出し、ハンドサインを出す。そうすると、ニッカリさんはなんだか丸いのを取りだした。

あれが何かしらの武器である事は分かる。

アルゴスが唸りながら立ち上がる。全身に充溢する気迫は凄まじく、流石に言われるだけの事はある。

だが。

「てえっ!」

僕が声を掛けると同時に、イザボー、魔術戦部隊の悪魔達、一部の天使が、一斉に雷撃の魔術を放つ。銀髪の娘も、恐らく魔術だろう。何かの閃光を炸裂させた。

それだけじゃない。

ニッカリさんが投擲したものが炸裂。

皆が顔を庇う中、それが凄まじい光を放っていた。

アルゴスが悲鳴を上げる。全身の目を閉じてしまう。

色々な悪魔と交戦して僕は知らされたことがある。

古い時代、目というのは力の源泉とされていた事がある。目が妙に多い悪魔や神々がちらほら見かけるのはそれが理由だ。

アルゴスという巨人は、まさにそういった思想の権化。

悲鳴を上げてもがいているアルゴスに、僕とワルターが突貫。そのまま、ワルターが大剣を頭に叩き込み、僕は両足の腱をオテギネで払い、一撃で切り裂く事に成功していた。勿論本来だったら通らなかっただろう。

全身の目を閉じてしまったから、その力の大半が失われ。

それで何もできなくなってしまったのだ。

アルゴスが尻餅をつく。

目を開ける前に、更に後から来ていたヨナタンが、グラムで心臓を貫いていた。ぎゃっと悲鳴を上げると、それでも最後の抵抗と、アルゴスが目を開けようとするが。しかし、往生際が悪いとワルターが首を刎ね飛ばす。

僕は其処までする気にはなれなかったが。

いずれにしても、それで勝負があったのだった。

アルゴスが消えていく。

マグネタイトの量も多い。

まともにやりあったら、かなり手強かっただろう事は分かる。だが、真面目にやりあう必要はない。

バロウズがガントレットに表示したのだが。アルゴスを倒したのは、ヘルメスという神。フジワラが従えている神の一体だが、これが殆どとんちに近い形で倒している。

要するに、そういった相手だったのだ。

まともに戦って怪我をしても、馬鹿馬鹿しいだけ。

武勲を競うような相手でもない。

「見事。 特定条件で強くなるタイプの悪魔は、君達が相手だとちょっと分が悪いようだな。 我等が主には、その辺りも伝えておこう。 いや、伝えておきますわー」

「もう子供のふりはいいよ蠅の王。 貴方の事は調べた。 バアル信仰が貶められた極北の存在。 それもあって、色々思うところがあるのは分かるけれど、僕達以外の人間に手強い悪魔をけしかけるのはやめて。 人が入れなくするようにするだけでも良い筈だよ」

「そう言われても、主はこの末世を打開する人材を望んでいるのだ。 私だっていちいち空間を跳んでターミナルの守りをするのは億劫だし、もっと色々と仕事をしたいのだがな、中間管理職の悲しさよ。 適当に放たれている堕天使どもとは立場も違うから、その分不自由も増えるのさ」

なるほど、ホープ隊長みたいな地位と言う訳だ。

同情が視線に篭もったからだろうか。

番人は苦笑する。

「悪いが、私は今の主君を気に入っていてね。 悪魔としては私より若い存在ではあるんだし、その存在に神話的な裏付けだってないんだが。 それでも魔のカリスマとして人気が出て、それが故に力を持ったというその事自体が、さながら人間の信仰に対するアンチテーゼではないか。 だからこそあの御方を私は好きなんだ。 君達は、私の仕事を減らしたいなら、各地でターミナルを自力で開放してくれ。 そうすれば無駄な事をしなくてもすむからね」

「……分かった。 そうするよ」

「すまないが、他には話はできん。 それではな」

すっと番人が消え、ターミナルが残る。

ニッカリが大きく嘆息していた。

「話には聞いていたがあいつは本当に魔王ベルゼバブのようだな。 それとあれだけ気軽に話せるとは、とんでもない度胸だな君は」

「まあ、性分です。 それよりも、引率お願いします。 これからが本番ですから」

「分かっている」

「ニッカリさん、僕達は一度東のミカド国に此処から戻って休憩を入れてきます。 彼女と少し休んでいてください」

ヨナタンが銀髪の子を視線で指していうので、分かったとニッカリが受けてくれる。

まあ、銀髪の子には殿もついているし、問題が起きることはないだろう。

何より銀髪の子はもの凄く行動が落ち着いていて、色々苦労した事が一目で分かってしまう。

子供みたいに遊び回ってさらわれるみたいなことは起きないだろう。

東のミカド国に戻り、休憩を入れる。

さて、此処からだ。

黒いサムライが何を目論んでいるかは知らないが、いずれにしても次で最悪、今まででもっとも悪い条件での戦いをしなければならないかも知れない。

バロウズが教えてくれる。

ハイピクシーが転化出来るようだと。

僕は頷く。

厳しい状況の中、これで少しはまた、希望が見えてくるかも知れなかった。

 

1、ガイア教団聖堂

 

しっかり休憩を取ってから、ガイア教団の本部に向かう。驚くほど開放的な造りになっていたが。

周りにはとんでもない気配だらけだ。

下手に近付くなと霊夢が警告してきていたのは知っていたが。

これはちょっとばかり、洒落にならないだろう。

それだけじゃない。

雑多な悪魔が彷徨いていて、隙さえあれば人間を食おうとしている。僕達にも何度か襲いかかってくる。

夜叉というらしい。

逞しい男性型の悪魔が襲いかかってきたのを、銀髪の子が不可視の斬撃で切り裂き、足を止めたところにまた不可視の攻撃で穴だらけにしていた。中空に何かいるらしい。それを見て、他の夜叉は見かけ通りの相手ではないと判断したのだろう。距離を取って、ぐっと歯を噛んでいた。

他のガイア教徒はどうしているのだろうと思ったが。

恐らく、隙を見せれば襲われるのだろう。

それも、襲われたら自己責任と言う訳だ。

無茶苦茶だなと、僕は思うが。

ともかく、今は進むしかない。

聖堂に入ると、流石に荘厳な場所になっていた。ただ荘厳な雰囲気の一方。彼方此方に絵が描いてあるが、いずれも暴力を振るう絵だったり、或いは原色で男女がまぐわう絵が描かれていたりと、ちょっとげんなりしてしまう。

なるほど、そういう場所なんだな。

カガに少し話は聞いていたが、確かにこれは。

まあこう言う場所があう存在もいるかも知れないが。これを他人に押しつけるのはあってはならない。

僕に言わせれば、それは東のミカド国で天使達がやっているのとほぼ変わらない。

流石に聖堂に入ると案内が現れる。

ガイア教団のそれなりに偉い存在らしい。

以前双子の老婆がいるのを見かけた。その双子の老婆ではなかった。

逞しい長身の男性で、筋肉ムキムキで。数体の悪魔を従えている。

逞しくて、つよい。それは結構。

だが年を取って衰えたら、この人は悪魔のエサになる事を甘んじて受け入れるのだろうか。

そんな疑問しか湧かなかった。

「ユリコ様から聞いている。 人外ハンターとサムライが来るから通すようにとな。 あの西王母を討ち取った猛者達だろう。 此方に来るが良い。 我等は強き者を歓迎する」

「そのユリコに害を及ぼす可能性とかは考慮しないの?」

「面白い事をいうな。 ユリコ様の戦闘力は、聖堂を守っている方々と大差ない。 それに仮に倒されるとしたらそれまでということだ。 我等としては、また強い存在の麾下に入るだけだ」

「……」

これはあかんな。

多分その強い奴に腹が減ったからエサになれと言われたら、喜んで身を捧げるのだろう。天使共とは逆の意味での狂信者だ。

カガがこれらの中ではまともだった事を僕は間近で見て思い知らされた。

話している分には、即座に襲いかかってくる事はないだろう。

だが、一緒に住めるかというと話は別である。

体を鍛えて強くなるというのは止めないが。

こんな思想を世界中に拡げられたら困る。

人間を止めて動物になれというようなものだ。

動物ですら、互いに相手を思いやるようなことはあるというのに。

「武装解除すらしないのかしら」

「必要ない。 仮に襲われて倒されるなら、私もそれまでだったということなのでな」

「徹底していやがるな……」

「ガイア教団では時々序列を争って戦いが起きるが、それがそもそもガイア教団のあり方だ。 それだけなのだ」

うん。もうちょっと動物でも理性的だぞ。

そう言いたくなるが、我慢する。

ともかく複雑な回廊の中を案内されるが、バロウズに言われる。

何度か空間を跳んでいると。

この聖堂の中は空間が歪んでいるらしく、それで見かけよりも内部がずっと複雑な迷路になっているようだ。

堂々と案内しているように見えるが、特定の手段を経ないと奧に行けない可能性が高いし。

それも或いは、可変性があるのかも知れない。

一応、バロウズに道については覚えていて貰う。

そうしないと、いつ迷子になってもおかしくなかった。

途中で、背の高い赤い肌の大きな悪魔が姿を見せていた。手には三つ叉の槍を持っている。

ぞっとするくらい強い悪魔だ。

戦ったら、無事に切り抜けられる自信は無い。

「ベリアル様。 この方々が例のサムライ衆と、西王母を倒すのに活躍してくれた娘、それと人外ハンターの代理人にございます」

「まだ若いな。 二十歳前か」

「18です」

「そうか。 無駄に命を散らさぬようにな」

ベリアルという悪魔は、それだけ言うと見張りに戻っていった。銀髪の娘を見て複雑な顔をしていた。

案内のガイア教徒が教えてくれる。

「ベリアル様には娘がおられてな。 最近は姿をお見せにならないが、もう一方ネビロス様という方とともに、擬似的な家族を構成しておられる。 二人ともその娘をとても可愛がっておいでで、他の娘にもああした優しい目を時々向けておられるのだ」

「そう。 ちいさな女の子だけではなくて、誰にでもその視線を向けて欲しいものだけれどね」

「この荒れ果てた東京で面白い事をいうものだ。 そういう事をいう余裕があること自体が、強さの証なのかも知れぬな」

ガイア教徒はそういうが、僕にはあまり感心できない。

優しい目を向けるなら、子供が殺される状況を止めろよとも思う。ガイア教団で体が弱い子供が殺されているのは周知の事実だ。それを止める力もある筈だろうに。

広い部屋に出る。

四方に柱があって、なんだか歪んで見えている。

此方だと言われて、柱の間を複雑に歩く。道を外れると、戻ってくるまで一苦労であるらしい。

広間をぐるぐる歩き回って抜けると、また通路に出る。

其処で案内は止まっていた。

「大事な話だと言う事で、私はここまでだ。 先へはそなた達だけで行くようにせよ」

「立ち会いはいいのか」

「かまわない。 私は案内を任されただけの者だ。 お偉いさんの話を聞く地位にはない。 力が全てを決める組織では、それが全てだ」

戻る時は、そのまま広間に入れば入口に出られる。

そういって、男は通路を出ていった。

僕は嘆息していた。

「徹底した自己鍛錬の結果があれだとすると、ちょっと考えてしまうね。 ある意味狂信の極みだ」

「人としての強みを捨てているという糾弾は私も聞いたことがある。 それには納得が行くな」

ニッカリもぼやく。

ニッカリは本来なら引退している年齢の戦士だ。それでもこの東京では引退を許される状態にはない。

いずれにしても、この先でユリコが待ち受けている。

皆に、準備を整えるように指示。

全員、頷く。

皆悪魔の調整も終えている。

僕も昨日のうちにハイピクシーの転化をすませていた。それでハイピクシーは、ラハムほどではないが、魔術戦をやらせたらかなりの使い手にまで成長していた。まだ上があるかも知れない。

準備万端。

それを確認すると、通路を進む。

奧には、床に大きな模様が描かれた部屋があった。

バロウズが曼荼羅というものだと教えてくれる。

本来は、仏教思想を絵にして表すものであるらしい。此処に書かれているのは、それを呪術的に文字で表したものだそうだ。

もう気配は感じている。

奧には上座があって、其処には黒いもやみたいな影が座っていた。

間違いない。

奴だ。

「ようこそ。 これでようやく話が出来るわね」

「……内容次第だね。 それで?」

「現在、阿修羅会に対して貴方たちは決め手を欠いている。 此方で隙を作ってあげましょう」

くつくつと影みたいになったユリコは笑う。

殿が前に出る。

それを見て、別にユリコは驚かない。

「わしの事に気付いているようだな、原初の人間の最初の妻」

「ええ。 その子はその子で凄い英雄のようだけれども、武力という観点とは違う意味での強さを感じていたもの。 貴方は武力よりもその知恵と手腕で実績を為した英傑。 そういう意味では、たぶらかし甲斐がありそうだと思ってね」

「アホらしい。 わしが興味を持つ女はしっかり子供を育てた実績を持つ者だ。 お前はどうだ。 子供を大量に産み散らかすだけで、育てられた試しがなかろう。 子供は全て道具扱いであろうが」

「あら、耳が痛い。 しかし貴方は、それをいうだけの資格がありそうなのも困った話だわ」

毒のある応酬だな。

それにしても、ちょっと驚く価値観だ。

子供を育てた経験のある女性がいいというのか。

東のミカド国では、夫を亡くして再嫁する場合、色々と言われる事が多い。いわゆる処女信仰というのがあって、それで許嫁以外と関係を持つのは論外と言われる事も多いのである。

ラグジュアリーズはそうでもないようだが、カジュアリティーズは少なくともそうだ。

僕もそういう価値観が周囲で当たり前の環境で生きてきたから。

殿の言葉と価値観はちょっと不思議だった。

「それはそうと、その隙とは何か。 何を求める」

「私が求めているのは阿修羅会の討滅よ。 奴らは少しばかりやり過ぎているし、無能なタヤマと、それ以上に無能な部下達に、大きな力をこれ以上握らせておくのはまずい。 貴方と同時期に姿を見せた英傑の中に、戦う力はないものがいるでしょう。 知っている筈よ。 やりようによっては、大アバドンを東京に出現させる事が出来る厄物があることを」

「大アバドン……?」

「アバドンとは、地獄そのものと言われる大悪魔よ」

バロウズが解説してくれるが。

ちょっとそれがどういう意味かはわからない。

殿は無言で考え込んだが。

やがて、顔を上げていた。

「その隙とはなんだ」

「阿修羅会に唯一アベというまともな奴がいる。 その者の動きを封じましょう。 此方が仕込んだ罠でね」

「!」

「六本木ヒルズは、其方の総力を挙げれば落とせるはず。 赤玉の製造拠点となっている其処を落とし、守りについている必殺の霊的国防兵器を従えれば、市ヶ谷も落とす事が可能になるでしょうね」

具体的な日時などを、詳しくユリコが説明してくれる。

それを殿は、じっと聞いていた。

「なんなら、もう二三度殺されてあげましょうか?」

「ふん、どうでもいいわ。 戻るぞ皆。 状況を整理する」

「おっと、良いんですかい」

「ワルター、どの道此奴が呼びつけてきたのは、わしの存在を確認する事。 それに現状の皆の戦力を見る事が目的だろうよ。 わしの存在は既に此奴らには知られていたし、いずれガイア教団とは激突する可能性も高かった。 別に不満はないわ」

僕は挙手。

殿は、言ってみろと言う。

頷くと、僕はユリコに前から許せなかったことについて確認しておく。

「ガイア教団では男女でまぐわう事を推奨する癖に、生まれてきた子供を殆ど殺してしまうって聞いているけれど、それは本当?」

「本当よ。 弱い人間は必要ないのでね」

「だったらこっちで引き取るよ。 後、戦えなくなった老人や、体を壊した人についても希望者をね。 それを今回の話を受ける条件とする。 悪魔のエサなんて、信仰心と恐れで充分な筈だけれど?」

「そうだな、それも良いだろう。 其方の話などどの道信用できん。 此処とシェルターは近い位置にあるから、引き渡しも難しくは無いはずだが?」

殿も聞いてくれるか。

それは有り難い話だ。

しばし考え込んだ後、ユリコはふっと笑っていた。

「赤玉に加工されると面倒だったから処分していた面もあったのだけれど、良いでしょう。 ただし金をそれなりに用意して貰うわ。 ガイア教団というのはそういう組織よ」

「かまわんよ。 マッカ程度で未来を買えるのなら幾らでも買ってやるわ」

「あら、貴方伝承ではケチだという話なのに」

「金というのはな、必要な時に使えば良いのであって、そうでないときには使わずに貯めておくものだ。 そうしなかった奴は滅びた。 その教訓をわしは間近で見ていた。 それだけの話だ」

ユリコの奴、殿の正体も完璧に見抜いているらしい。

それについてはちょっと興味もあるが、いずれにしても無為に殺される子供達がいなくなるのは良い事だ。

即座に戻る事にする。

僕としてはユリコをブッ殺しておきたい所ではあるのだけれども。

ずっと殿が仕掛けるな、と合図を出していた。

今はやるべきときではない。

そういう事だったのだろう。

確かに僕もサムライ衆だけでガイア教団と事を構えるのは気が進まない。ベリアルと同等の悪魔が複数ついているということだったし。

それに、ユリコと対面してみて分かった。

危惧していた通り、奴の周囲には強い悪魔の気配が多数あった。もしもユリコと殺し合いになる場合、ユリコだけを相手にするわけにはいかず。この聖堂を攻城戦で攻め落とすくらいの覚悟がいるだろう。

あの場で戦うのは、殿が憑いている銀髪の娘が相当な強者である事を考慮しても無謀。そう判断出来るくらいの頭は、僕にもある。

最悪でもこの場にいる面子に加えて霊夢と秀と規格外マーメイド、それに人外ハンターの精鋭での総力戦を仕掛けたかったし。

残念だが今はその力がないのだ。

聖堂を出ると、あっさり入口についていた。本当に空間が歪んでいるらしい。

僕は嘆息する。

阿修羅会のさっきの信徒が、もう話はついたのかと聞いてくる。僕は頷く。この人も、まっとうな生き方が出来ていれば、こんな組織にいなくても良かっただろうに。

帰り道を護衛してくれる。

外では、悪魔同士が争っているようだった。

勿論誰も止めない。

死んだ方が悪いという理屈では、それは正しい行為になるのだろう。

やがて断末魔が上がった。

誰も驚いている様子もない。

ここではいつものこと、というわけだ。

「銀座に寄っていくといい。 大戦前の自衛隊の装備なども、金さえ出せば手に入る。 それに早くから阿修羅会が銀座は制圧していたこともあって、街も比較的無事だ。 時々戦闘が発生するが、それでも動いている店も少なくない」

「時々戦闘が発生するって……」

「俺もどちらかといえば荒くれだがな、ちょっとやり過ぎだな……」

イザボーが呆れて。ワルターもそれに同調していた。

これもこの街のあり方だとガイア教徒は言うのだが。

僕はそうか、としか答えられなかった。

ターミナルは開放してあるので、其処から戻る。銀座にはこれでいつでも来られる。

あの聖堂を制圧するために来る可能性も生じてきた。それについては、今度考えるとして。

シェルターに戻り、そこでヨナタンに提案された。

「そろそろ塔についての話をギャビーにされるかも知れない」

「そういえば彼奴が救出しろと言っていたな。 だがもしも東のミカド国につれて行きでもしたら……」

「そうだ。 東京に地獄がもたらされる。 さっきユリコが言っていたが、下手をすると大アバドンが生じる危険なものすらあるという。 もしも阿修羅会ではなく、大天使達がそれを抑えでもしたら……」

「そうだね、地獄になる」

ニッカリも交えて、軽く話をしておく。

ニッカリも幹部だ。

殿の正体については知っているようだが、ただユリコと違って、まだ憶測の段階のようである。

ニッカリが提案する。

「しばらくは東のミカド国に戻らないのも手では」

「……それだとギャビーが怪しんでくる可能性もある。 他にもサムライ衆は出ていて、中にはギャビーの息が掛かっている者もいるかも知れない」

「此方の数日で向こうでは一年が過ぎてしまいますし、サムライ衆の拡充を急いでいる以上、此方に来るサムライ衆が増えるのは避けられないでしょうね」

「それならこうしておけ。 塔は制圧したが、封じられている三人の救出に手間取っているとな。 非常に衰弱していて下手に動かすと死にそうだし、匿っているといっておけば問題ないだろう」

ヨナタンは少し考え込んでから、分かりましたと殿に答える。

殿には僕も安心感がある。

実際ユリコに対して全く隙を見せていなかったし、軽口まで応酬していた。政治的な話は全部任せてしまいたいくらいだが。

それでは駄目だろう事も分かる。

難しい話である。

一度フジワラも交えて、話をしておくことにする。

フジワラを呼んで殿も交えて軽く話をすると、すぐに会議を招集してくれた。霊夢は寝起きの後色々と神田明神で作業をしていたらしいが。

やっとお酒が生産ラインに載ったらしく。

それで元気を取り戻している。

本当にお酒が好きなんだなと思って、ちょっと呆れたが。

まあ、それはいい。

六本木ヒルズの話が出ると、人外ハンター達に緊張が走った。

「いよいよ仕掛けるんですね」

「ああ。 やっと、赤玉を生産している悪の工場を滅ぼせるときが来た。 人質交換で彼処に送られた人々を二度助けたが、まだ彼処では赤玉が生産されている。 阿修羅会が決定的な隙を見せるというのなら、その時に仕掛けるしかない」

「問題は入口を守る必殺の霊的国防兵器、南光坊天海ですが」

「それなら対応がある」

殿が憑いている銀髪の子がこくりと頷く。

霊夢はじっとその様子を見ていたが。

特に異議は無いようだった。

「閉所での戦闘になる。 秀さん、ヒルズでの戦闘には貴方に出てほしい。 大威力の魔術は使うと捕らわれている人を巻き込む可能性がある。 装甲バスを横付けして、医療班で救出した人間をピストン輸送する必要もある」

「外の護衛が必要ね。 私がするわ」

「頼む」

マーメイドがそう言ってくれたので、フジワラがそれを許可。

今回は霊夢が此処を守るらしい。

ただ、日本神話系の神々と話して、残りの封じられている神々の場所について割り出す作業と。

例のミカエルウリエルラファエルの対処についてもかかりっきりになる。

ヒルズには一線級の人外ハンターをあらかた招集するらしいが。

純喫茶フロリダにはツギハギを配置し。

此処はフジワラが守る。

つまり、今回の戦闘では。僕達が最前衛で、かなり手強い相手とやりあわなければならないと言う事だ。

ただそれは上等である。

僕としても、東のミカド国のガンは一刻でも早く除きたい。

あのユリコもそうだし。

ギャビーもそう。

神話での正義と悪に別れる存在なのかも知れないが。僕からすれば、どっちも敵である。どっちも滅ぼさなければならない。

それには、出来るだけ急ぐ必要がある。

ニッカリはこのまま六本木に出て、阿修羅会の動向を監視するという。

志村は腕が悪いハンター達の最終訓練と、若い者の中から有望な者を選抜して戦闘訓練を仕込むらしい。

アサヒとナナシは関聖帝君に修練をつけて貰い、座学もするとか。

次は総力戦になる。

恐らく塔での戦い以来の規模になる筈だ。

それは嫌になる程分かった。

解散とフジワラが言うと、さっと皆が散る。僕達は東のミカド国に戻って、一旦休憩を入れる。

どうせユリコが言っていた阿修羅会の隙にしたって、今すぐ出来るものでもないだろう。

東のミカド国でしっかり休憩を取って、体を休めておくべきである。

ヨナタンに報告書を任せなければならないが。

それについては、ヨナタンがしっかりやってくれると信じる。

僕は久しぶりに戻った気がする隊舎で休むが。もの凄く寒くなっていて驚いた。此方では、驚くほどの速度で時間が経過している。

新人のサムライ達が目に見えて増えている。

二度の成人の儀で採用されたサムライ達が、奈落での訓練を終えて一人前として扱われているのだろう。

後で、訓練を頼まれるかも知れない。

僕としては別にどうでもいい。

今は、六本木ヒルズでの戦闘で。

この世の悪の果てに晒されている人々を、少しでも助け出さなければならなかった。

 

2、良心はふみにじられる

 

アベはハレルヤを連れて、六本木の街を警邏していた。既に阿修羅会の威信は墜ちるところまで墜ちており、六本木からは目だって人間が減ってきている。阿修羅会に協力的な人外ハンターもいて、阿修羅会の依頼を受けるものもいたのだが。それも既に姿が見えなくなっていた。

沈没する船からは鼠が逃げ出す。

有名な話だ。

阿修羅会の面子は、そもそも今までやってきたことがことだ。他で受け入れられる可能性もない。

だからこそに、阿修羅会の人間は逃げてはいないが。

それも時間の問題なのだろうなとアベは思う。

それにだ。

タヤマが衰えてきているのは、アベも分かっている。

元々大した人間ではなかった。

こういう混沌の中では、強い者が生き残るなどと言う迷信があるが、それは大嘘である。

例えば、ネズミザメ科のサメ……ホオジロザメなどが有名だが。あれは母親の腹の中で子供が食い合って、生き残った一尾なり二尾が最終的に生まれてくるという生態を持っている。こういうのを卵胎生という。

凄惨な生態だが。それで強い子供が生まれてくるかというと、答えはノーだ。

実際には最初に生まれた子供が他の卵や後から生まれた子供を片っ端から食い荒らしていくだけである。

どんなに育てば強力になる子供だろうが、生まれるのが遅れるという時点でチャンスすらない。

それに、それだけ過酷な生態を持っているネズミザメ科は最強だったかというと、それですらない。

シャチを初めとするもっと強力な捕食者にはおやつ同然に食い荒らされ。

それどころか人間が映画の影響で面白半分に殺戮して回った事もあって、絶滅寸前まであっと言う間に追い込まれた有様だ。

つまり混沌と淘汰は強力な存在が生き残る状態など作らない。

それをタヤマはいつか勘違いしていたし。

周囲もまたそう。

アベは何度も諌めた。

だが、自分がどうやら取り返しがつかない所に来てしまったとタヤマが悟った時には。既にもう遅かったのである。

「兄貴……」

ハレルヤが悲しそうにいう。

連絡がまた取れなくなった阿修羅会の者がいるという。通信がきれたと言うよりも、通信が遮断された様子だそうだ。

恐らく足抜けだな。

そして後を追う余裕も無い。

阿修羅会の内情を売れば、今勢いを増している人外ハンターに加われるかも知れない。そう判断しているのだろう。

バカな連中だ。

そんな甘い相手ではない。

戦闘の最前線に配置されて、今まで以上に過酷な事をさせられるのは分かっている。それは何度も皆に説明した。

阿修羅会は東京の人間が悪魔に対して決定的に劣勢になる直接原因となった集団だ。

東京の民が、阿修羅会を恨んでいない筈がないのに。

六本木の街を離れて、タワマンに戻る事にする。

タヤマは酒に逃避している。

糖尿が悪化する可能性が高いから出来るだけ控えた方が良い。そう警告しているのだが。タヤマは泣きながら酒に縋り付いていて。酒がなければ心が壊れてしまいそうな有様で。無理にとめる事もアベには出来なかった。

そして、悩みが。

一瞬の決定的な破綻につながっていた。

兄貴。

ハレルヤがそう叫んだときには、とんでもない衝撃が、真横から叩き付けられていたのである。

吹っ飛んだアベは、瓦礫の中に突っ込んでいた。

瓦礫に突っ込んだことよりも、恐らく巨大な質量体に殴られた事の方がダメージが大きい。

ただの質量体じゃない。

今のは、感覚的に覚えがある。

「ハレルヤ、逃げろ!」

「逃がすかよ!」

数人はいる。

瓦礫を押しのけて立ち上がると、にやついた阿修羅会の誰かが、ハレルヤを抑え込んでいる。

いや、それはどうでもいい。

ハレルヤは元々悪魔と人間の合いの子であり、ちょっとやそっとでは死なない。問題は、にやついているそいつらのリーダー格。

アベの部下の一人。

トウゴウだった。

トウゴウが従えているのは、白い巨大な人型。顔のある場所に、巨大な口があり、一目で貪欲な存在だと分かる。

あれは、知っている。

嫌になる程だ。

ネフィリム。

悪魔としてのアベに、縁のある存在だった。

「若頭。 悪いがタマ取らせていただきやす」

「其奴がどんな存在だか分かっているのか」

「分かっていやす。 悪魔召喚プログラムによると、エグリゴリと言われる堕天使の集団と人間の間に生まれた子だとか。 凄まじい食欲で世界を食い尽くしてしまうとかいう連中でしょう。 此奴らが土の中に埋まっているのを見つけて、ガイア教団と連絡を取って。 阿修羅会のシノギの一部を譲る代わりに、自由に使いこなせるようにしてもらったんですよ」

丁寧に話しているトウゴウだが、顔はずっとにやついている。

アベの正体を話した事はない。

というか、悪魔としてのアベの正体は、タヤマにも話していない。だとすると、これは偶然だろう。

偶然だが、あまりにもタチが悪い偶然だ。

側で抑え込まれているハレルヤにも、あまりにも悲しい事だ。

「そいつはお前が扱えるような存在じゃない。 生半可な天使では歯が立たず、神がノアの大洪水を引き起こして全て洗い流した伝承もある程の強大な巨人だ。 巨人信仰を嫌った一神教徒が、巨人を無理矢理悪役として聖書に取り込んだという説もある! 事実はともかくとして、其奴は制御など受けつけない! お前が扱える相手ではないぞ!」

「そんな逸話のある悪魔など幾らでもいるではないですか。 それでもこっちのレベルが足りているか、或いは制御のための装置があればどうにかなるのは知っています。 必殺の霊的国防兵器のようにね」

駄目だ、完全に勘違いしている。

そもそも必殺の霊的国防兵器は、あれは制御出来るようにしたものではない。

長い時間を掛けて相手と対話をして、その結果相手が制御のための装置を託してくれたものなのだ。

それを悪用していることを、必殺の霊的国防兵器は皆恨んでいるし。

どうにか自力で外そうと、毎日努力している。

いずれ破られる。

タヤマが生きている間にそれが起きるかは分からない。

分からないが、どちらにしても阿修羅会の命運なんて詰んでいるのだ。

もう少し若い頃、タヤマは地獄に落ちるのも本望だなどと言っていたが。地獄が本当に存在すると知った時には、明らかに恐怖に顔を引きつらせていた。

アルカポネを代表とするような、自分は聖人だと考える完全に人間としての一線を越えてしまっているタイプの悪党と違い。

タヤマはある程度人間としての心があり。

それが故に、自分が地獄以外に行き先がないことも。地獄の最深部にしか席がないことも分かってしまっていた。

立ち上がる。

ともかく、ネフィリムは止めなければならない。

「流石はアベさん。 でも、ガイア教団から、此奴はアベさんと決定的に相性が悪いと聞いています。 勝たせて貰いますよ。 そして阿修羅会は俺が貰います」

「そうか……」

ガイア教団は、或いは悪魔を通じてアベの正体を知ったのかも知れない。一神教関係者の悪魔で、高位の堕天使だったら、アベの正体を看破できる可能性はある。

だが、いずれにしても。

トウゴウと子分達は救えない。

やれと言おうとしたトウゴウの上半身が消える。

分かっていた。

ネフィリムは最終的に共食いまでした逸話が残っている暴の権化である。それが、こんな半端な力の人間や、制御具でどうにかできるものか。

トウゴウの上半身を当然のように一瞬で喰らったネフィリムは。右手を振るって、トウゴウの下半身と、子分達をまとめて掴み。

そして何が起きているかも分からない様子の子分達を、まとめて口に放り込んでいた。

悲鳴を上げる暇すらなく、巨大な口が閉じられる。

むしゃりむしゃり。

そう咀嚼の音。

そして、バカな連中を飲みこんだネフィリムは、巨大な舌で口の周りをなめ回すと、ハレルヤを見る。

やるしかなかった。

アベは己の姿を解放する。

そう、アベの正体は、先に話に上がっていたエグリゴリの一角。

人間の女達の美しさに魅せられ、恋をした天使の一人。

シェムハザだ。

神話の時代、天使シェムハザは人間に恋をして、子をもうけた。だがその子はネフィリムとなり、際限のない災厄をまき散らした挙げ句に、天使達に殺され。シェムハザも堕天使にされた。

アベは全力で、ネフィリムに立ち向かう。

あれが同胞の誰の子のなれの果てかは分からない。

それでも、愛の末に生まれた子があれなのだとすれば。絶対に倒さなければならない。これ以上、破壊をまき散らさせないために。

何よりも、ハレルヤに。

素性は教えていないが。自分の子に。

あれと戦わせたり。あれと同じ存在にさせるわけにはいかなかった。

雄叫びとともにアベは跳躍し、蹴りを叩き込み。空間ごと抉り取る勢いで、ネフィリムを吹き飛ばす。だが、巨体で踏みとどまると、ネフィリムは腕を振るってくる。原始的な動作だが、とんでもないパワーだ。回避。しかし、二発目。今度は振り下ろしてくる。擦る。それだけで、吹っ飛ばされる。

これは恐らくだが。

制御用の道具ではなく、増幅用の道具を使われたな。

空中で翼を拡げて立て直すと、頭を抱えて震えているハレルヤを視認。潰される前に、どうにかしなければならない。

突貫。

ネフィリムはかっと口を開くと、笛のような音を立てる。あれが詠唱だということは分かっている。

そして詠唱を止めようと突っ込んで来させようとしていることも。

させるか。

中空から、多数の攻撃魔術を叩き込み、ネフィリムの全身を爆裂させる。だが、傷ついてもネフィリムは即座に修復し、詠唱も止まらない。

歯を噛むと、上空に出て、逆落としを掛ける。ネフィリムはそれを見て、跳躍。両手を拡げる。

蚊でも叩くようにして。

アベを叩き潰しに来ていた。

ばんと、手が打ち合わされる。

だがその時には、アベは更に加速して、ネフェリムの顔面至近に。そして、口に向けて、最大火力の魔術を叩き込む。

それはあらゆる全てを超越する、破壊にだけ特化した魔術。

炸裂したそれが、ネフィリムの体内から爆裂して、巨大な花火を其処に作り出していた。

着地。

粉々に砕けたネフィリムが墜ちてくる。

呼吸を整えていたアベだが。背中から叩き込まれた一撃に吹っ飛ばされ、瓦礫に突っ込んでいた。

呻きながら立ち上がる。

体内から爆破されたネフィリムが、まだ動いている。バラバラになった手足を遠隔で操作して、背後から奇襲してきたのだ。

頭は今ので完全に消し飛んだはずなのに。

立ち上がろうとして、それで気付く。

ネフィリムの体が溶けながら、再構築されていく。

それはヒトの形をしていて。

背中に不格好な翼を持っていた。

あれは多分だが、母親としての要素。人間としての姿。

巨人と蔑視されたネフィリムだが、母親は人間だし。育って巨人になったのであって、最初から巨大だったのでは無い。

分かっている。分かっているから、余計に手も鈍るが。

人間体となったネフィリムは残像を作りながら間合いを詰めてきて。アベの顔面に拳を叩き込んできた。

いつもだったら対応できるが、アベもダメージが大きい。回避しつつ、手に力を集中。首を刎ね飛ばそうとするが、かき消えるネフィリム。

背後に回られた。

なんとか回避しようとするが。

その瞬間、翼を掴まれていた。

天使の時は白かった翼も、堕天使になってからは蝙蝠のものとなっている。

だが、ユダヤ教の天使は、古くは翼にも多くの目をつけていたものだ。

天使の美しいイメージは、後の一神教で醸成されたもの。美しい女を天使の様だとかいうが。

本来の天使は男性的で、女性的な面が目立つガブリエルのような存在が例外なのである。

対応する暇もない。

翼を、引きちぎられる。

回し蹴りを叩き込んで、ネフィリムを吹き飛ばす。

翼を一つ失ったが、どうでもいい。

瓦礫の中から立ち上がったネフィリムが、もぎ取ったアベの翼を喰らっている。栄養にさせると、回復させるだけだ。

突貫。

まだ手に力を溜めてある。

ネフィリムが投擲してきたのは、アベの翼の残骸。それを視界妨害に使って、至近距離まで間合いをジグザグに詰めてきた。

ぐっと歯を噛みながら、真上に飛ぶ。

それに追いついてくるが、敢えて無駄に旋回。翼を掴むネフィリム。

此奴はどうしても食欲が優先する。

それが分かっているから、翼をくれてやったのだ。

翼を引きちぎられた瞬間。

アベは手刀で、ネフィリムを上下に断ち割り。更には左右にも切り裂いていた。

これにはひとたまりもなく、ネフィリムは粒子になって消えていく。

マグネタイトを吸収するが、とても回復には足りない。

地面に着地。

いや墜落。

それでも立ち上がるのは。ハレルヤを探すためだ。

ハレルヤは倒れていて、ぐったりしている。

ハレルヤも。

ある意味、ネフィリムだと言える。

人間の姿に戻るのさえ、アベは苦労した。呼吸を整えながら、ハレルヤを背負い、そしてタワマンに向かう。

これは、阿修羅会は終わったな。

そう考えながら。

タヤマの不調は、トウゴウのような雑魚にも知れ渡るようになって来ているということだ。

決定的だったのは、あのフリンというサムライに、面罵されたことだったのだろう。

それを見ていた子分達が、周りにあの事件を伝えた。

ヤクザというのは舐められたら終わりだ。

タヤマは完全に権威を失墜したのだ。あの時に。

タワマンにつくと、見張りが絶句する。

「あ、悪魔にやられたんですか!?」

「そうだ。 トウゴウが操った、な」

「トウゴウの兄貴が……」

「ハレルヤは無事だ。 奧で手当てしてやれ。 俺は休んでいれば大丈夫だ。 しばらく時間は掛かるがな……」

これで、更に阿修羅会の威信は墜ちるな。

そしてこれが意図的に仕組まれた事だとすると。

人外ハンターがやったとは考えにくい。

やはりトウゴウが言った通り、ガイア教団が手を回したのだろう。

市ヶ谷で抑えている例のものを、精神の均衡を崩しつつあるタヤマが好き勝手にするのを防ぐため。

そうだとみていい。

分からないでもない。

アベの愛した訳ありも訳ありの女を匿ってくれた恩があるとはいえ、タヤマを冷静にも分析は出来ている。昔は不器用な侠気がちょっとだけあったタヤマだが。市ヶ谷の地下にあるあれを手に入れてからは決定的におかしくなった。それは客観的な事実なのである。

そしてあれを。

無限炉ヤマトを手にするのは、今のタヤマでは不的確だ。

それもまた分かっている。

自室で休んでいると、タヤマが来る。

「ど、どうしたんだ、お前ほどの奴が!」

「トウゴウの裏切りです。 トウゴウはよりにもよってネフィリムを使って俺にけしかけてきました。 それどころか、ガイア教団につながってさえいました」

「トウゴウが! あいつは十年も面倒を見てきたんだぞ!」

タヤマはヒステリックに喚くが。

そのタヤマ自身が、二十年以上面倒を見てくれた兄貴分達をゴミでも捨てるように裏切ったことをアベは知っている。

勿論バカな連中がいうような、ヤクザは身内に優しいだのの話は大嘘だ。タヤマに酷薄だった兄貴分達とはいえ。裏切りは裏切り。

何よりタヤマはトウゴウに対しても……タヤマの兄貴分達が、タヤマにしたような接し方をしていたのだ。

巡り巡って、自業自得の運命が来た。

それだけのことだった。

「と、トウゴウまで裏切るなんて! お、俺は、どうすればいい! アベ、お前も裏切るのか!?」

「タヤマさん、俺は裏切るつもりなら戻って来ていません。 ただ、トウゴウが放ったネフィリムとの戦いで大きく消耗してしまいました。 しばらくは休まなければなりません」

「ち、畜生! あのユリコめ! 殺してやる!」

錯乱気味に叫ぶタヤマだが、無理だ。

必殺の霊的国防兵器は既に甲賀三郎を失っている。

今手元にあるぶん全てを叩き付けても、ガイア教団を守護するセトやベリアルに勝てるか分からないのに。

この錯乱しきったタヤマでは、ユリコの掌で踊らされて終わりだろう。

「タヤマさん、まずは落ち着いて。 こう言うときには眠るのが一番です。 その様子だと、酒をずっと飲んでいて、殆ど寝てもいないんでしょう」

「わ、分かってる! 子供みたいに扱うな!」

「眠ってください。 俺に言えるのはそれだけです」

ぶつぶつ言いながら、酒瓶を掴んだままタヤマは戻っていく。

あの酒だって、大戦前はコンビニで売っていた安酒だ。それが今では高級品で、タヤマにとってのステータスになってしまっている。

何もかもが薄っぺらだ。

アベが恩義から忠誠を誓った相手は。

そんな存在だった。

 

スコープで戦闘の様子を確認した小沢は、即座に連絡を入れる。この無線も、悪魔召喚プログラムによるプロテクトを施したものだ。元はこの手の無線は悪魔にことごとく筒抜けになっていて、大戦時には大きな被害を出したのだった。

「アベがネフィリムと交戦。 大きな負傷をした模様です」

「ネフィリムだと……!」

「悪魔召喚プログラムの情報によるとそうです。 そしてアベ自身の正体も分かりました。 あれは堕天使シェムハザ。 エグリゴリの頭目の一角ですね」

「そうか……」

フジワラが言う。

小沢も話は聞いている。

フジワラは大戦の時、アキラとツギハギと一緒に、多数の悪魔と戦い、撃ち倒してきた。

その中には、混沌側の勢力の一つであるファントムソサエティという集団を束ねていた大堕天使。アザゼルとサタナエルがいたそうだ。

その二体を倒したときに言っていたとか。

シェムハザが離脱さえしなければ、負けなどしなかったのだ、と。

その離脱したシェムハザが、まさか阿修羅会のアベだったとは。どういう理由で阿修羅会に入ったのかは分からない。

それに戦闘の経過を見ている限り、あれは側にいた子供を庇っていた。

まさか。

シェムハザは愛慕によって堕天したエグリゴリの一角だ。

また人間を愛して、それでか。

だとすると、なんとも愚かしく悲しい話だ。

神話の時代の過ちをまた繰り返したのだとすると、救われない話である。

ともかく戻る。

連絡はしたし、フジワラがこれから大攻勢の号令を掛けるだろう。それに小沢も参加するつもりである。

六本木ヒルズは現在大戦の影響で逆さになってしまっており、阿修羅会の間では逆さヒルズなどと言われているらしい。

入口にはあの南光坊天海がいるのも分かっている。

簡単に攻略できる場所では無いが。

此処を落とせば、阿修羅会の手駒を更に削り取ることが出来るだろう。必殺の霊的国防兵器を阿修羅会が握っているという最悪の事態は、少しでも緩和しなければならない。そのためには、あらゆる手段を尽くさなければならないのだ。

そして二体の必殺の霊的国防兵器を阿修羅会の軛から解放したら。

残りは四体。

そのうち一つはタヤマが護衛に身に付けているという話がある。

あまり楽観的に話を進めるべきではないが。

甲賀三郎、南光坊天海をそれぞれ抑えた先には。

二対三での勝負を挑める可能性が高い。そして日本神話系の存在だとすれば、霊夢がどうにか出来る可能性も高いのだ。

希望が見えてきた。

今、阿修羅会は絶望を見ているだろうが、それには全く同情できない。連中は東京の人々の絶望と引き替えに、自身の安楽を得ていたのだ。

小沢はターミナルから、シェルターに戻る。

既に、皆。

出撃の準備を、整えているようだった。

 

3、殿と僧

 

事前の打ち合わせ通り、出撃が始まる。アベが倒れた。それを聞くと、僕はそうか、としか言えなかった。

クズの集まりである阿修羅会の良心だと思った。

その正体はシェムハザという堕天使だと知って、複雑な気分にもなった。

シェムハザという堕天使の逸話も知った。

それを聞く限り、どうしても一神教の神は好きになれなかった。

人を好きになった存在を堕天使にするのか。

それは傲慢を通り越して暴君ではないのか。

そう感じたからである。

勿論愛の形には色々あるだろう。それが一方的な押しつけの可能性だってあるだろうし。

だが、アベという男と接してみて分かったのは、下手な神より理性的だったということである。

あれが一神教の神によって悪魔扱いされるなら。

一神教の神も、いずれは悪魔扱いされても文句は言えないのかも知れない。

そうとすら思った。

僕の苛立ちを感じ取ってか、ヨナタンが声を掛けて来る。

「アベについては僕も思うところが多い。 彼は悪魔ではあったが、阿修羅会という外道の群れの中ではまっとうな存在に思えた。 それを悪魔呼ばわりするのは正しいのだろうかと思う。 だが、これから出向くのは今まででも特に厳しい戦場だ。 急がないとまずい」

「分かってる。 一瞬の躊躇が負けにつながりかねないからね」

頬を叩く。

それで、ある程度冷静を取り戻す。

此方に来る霊夢。

咳払いすると、霊夢は言う。

「殿の正体があたしの考え通りだとすると、南光坊天海はある程度無力化出来ると思うわ。 問題は他の必殺の霊的国防兵器が移動されてきた場合ね。 今の貴方たちとマーメイド、秀に殿が揃えば……それでもギリギリだと思うわ」

「分かった。 油断はしないで戦うよ」

「今貴方たちを失う事は、未来を失うのと同義よ。 あたしの故郷も此処が潰えたらなし崩しに潰されるでしょうね。 此処は任せて。 何が来ようと守り抜いて見せるわ」

頷く。

そして、ターミナルから六本木に移動する。

今回はかなりの人数が参加するが、ターミナルにいるのは秀と志村さん、それにナナシとアサヒだけだ。

他の面子は、マーメイドと一緒に装甲バス数両とともに陸路で来るらしい。遅れて殿が来た。

既に作戦会議は終わっている。

六本木ヒルズの入口には、南光坊天海がいる。これは小沢さんが既に確認済みだ。

これには僕達と殿で当たる。

勿論南光坊天海は非常に手強いだろう。足を止めたとしても、あの甲賀三郎が非常に手強かったように。

甲賀三郎と戦った時よりも力は上がっている。

手持ちも強くなっている。

それでも、油断など出来はしない。

時計を合わせろと志村さんがいう。

こういう作戦は秒刻みで行うのだとか。なるほど、頷いてバロウズに周囲との連動を指示。

ワルターがぼやいた。

「そんな細かい作戦、俺に出来るかねえ」

「やるのよワルター。 昔ならともかく、今はできるはずだわ」

「……そうだな。 やってやる」

大丈夫だ。

皆のガントレットにいるバロウズが、それぞれ同期してくれる。連絡。マーメイドの別働隊が、所定の位置についた。

僕達も移動して、ヒルズというビルが見える地点まで来ている。

この辺りは大戦での地形変化が凄まじかったらしく、文字通り滅茶苦茶だ。元がなんだったのか分からないような地形になってしまっている。

「この辺りは、何があったの?」

「大戦時に、大物の悪魔同士が戦ったんだ。 最高位の攻撃魔術が炸裂して、文字通り天地がひっくり返ってしまったそうだよ」

「よそでやれよ……」

「同感ですわね。 魔界だか天界だか知りませんが、そういう場所でやってほしいものですわ」

その破壊でどれだけの被害が出たか容易に分かる。巻き込まれた人は文字通りひとたまりもなかっただろう。

酷い話だと思いながら、バロウズの案内通りに移動。

この辺りの地図は、小沢さんや志村さんが既に仕上げてくれているのだ。

所定地点に着く。ナナシとアサヒは、此処で一緒に来ていた他のハンターとともに一旦入口の安全確保として離れる。

他班と連絡を何回か取る。

マーメイドのいる部隊は、あの鹿目と野田が加わっている。どっちもそれなりの腕の持ち主だ。

ニッカリさんもいるし、塔の時のように先走って倒されるハンターが出ないとは思いたい。

ヒルズというのはあれか。

本当にひっくり返って地下に埋まっている。それがなんとなく、東京の建築にはあまりくわしくない僕でも分かった。

酷い状態だが。

あそこに閉じ込められている人達は、もっと酷い目に今も会い続けている。今、助けに行く。

僕はそう、もう一度心中で誓っていた。

配置を確認。

ヒルズの周囲に強い悪魔はいないようだ。問題は阿修羅会の増援だが、それも彼方はアベがやられて大混乱。

問題はそれでタヤマが血迷う可能性があるということ。

その場合に備えなければならない。

「A班、クリアリング完了」

「B班同じく」

「C班、悪魔と交戦中。 C班のみで対処可能」

「了解。 念の為にB班支援せよ」

幾つか無線が飛び交う中、もう一度確認をする。

銀髪の子をまず守り抜いて、南光坊天海という元坊主という人の所につれて行く。今では人ではないのか。

坊主というのは仏教という思想の司祭に近い存在であるというのは僕も聞いている。それがあの甲賀三郎と同格というのもちょっと面白いが。この国では三大怨霊と言われる死者の霊が下手な悪魔よりも強く怖れられたという話は既に聞いているので、それについては驚かない。

色々な信仰があって、それぞれが違う。

それで何か問題があるとは、今の僕には思えないのだ。

「最初は支援とクリアリング。 殿が相手と接触したら、それからは殿を主体に相手に仕掛ける。 多分一番重い一撃は秀さんが撃てるよね」

「重いかどうかはともかく、屋内戦では私に一日の長があるだろうな」

「任せるぞ。 その葵の紋の陣羽織に恥じぬ戦いを今回も見せてくれ」

「ああ」

秀さんは銀髪の子に頷く。

この人も、銀髪の子に何が憑いているのか理解していそうだが。僕達だけが蚊帳の外か。

僕も時々この子に接した後に変な夢を見る。

それが関係しているのかも知れないが。

ともかく、今はそれどころではないか。ともかく、作戦開始と同時に、全力で敵陣を突破する。

「C班、敵制圧。 クリアリング完了」

「よし、突入班、突撃! ABC班、いずれもヒルズの周辺を固めろ! 何があっても守り抜け!」

「了解!」

「堕天使だろうが魔王だろうが通すものかよ!」

勇ましいが、勇ましいだけでは駄目だ。ただ今回はマーメイドもいるし大丈夫だと思いたい。僕は瓦礫を乗り越えて飛び出すと、指定されている入口へと走る。彼方此方融解していて、この辺りで起きた戦闘の凄まじさがよく分かる。

銀髪の子が空中でもう一度跳躍して、瓦礫を容易に超える。それだけではなく、壁に垂直に貼り付いて、そこから跳ぶような立体的な動きも見せている。

凄いな。

鳥でも彼処まで出来るかどうか。

僕は跳ぶのは出来ても飛ぶのは無理なので、瓦礫の状態を見ながら走る。皆も問題なくついてきている。

入口。

硝子が溶けて散らばっていて、内部も傾いているようだ。

内部に飛び込むと、広い床が拡がっていて。

其処には筋骨たくましい、何かフードのようなものを被った男性がいた。数珠を手にして、手を合わせている。

これは、以前小沢さんが即時撤退を決意したというのはよく分かる。

僕も全身がひりつく。凄まじい強さが、相対するだけで分かった。甲賀三郎はまだ足を封じられたが。

今は甲賀三郎が自由に動き回れる状態に等しい。瞬きする暇に、一瞬で全滅しかねない状況だ。

さっと展開する中、床に降り立った銀髪の娘がまっすぐ歩いて行く。

南光坊天海というお坊さんがじっと娘を見るが、はっと驚いたようだった。

「殿……!」

「久しぶりだな。 このような場所で、鬼畜外道に顎で使われるというのは屈辱でしかあるまい」

「まったくにございます! 戦国の世を経て地獄を見慣れたとは思ってはおりました。 しかしまさか、これほどに悪辣な事の門番にされ、しかもそれをとめる事すら出来ぬとは。 情けのうございます」

「今はそなたを黙らせなければならぬ。 必殺の霊的国防兵器とやらにされ、制御を他で握られているのであろう」

僅かに気配が弱まる。

この二人、生前の知り合いか。

或いは。僕も。

時々見る夢が気になるのだ。いや、それはいい。今の僕はフリン。此処では一つの槍となり、敵を撃ち抜く事だけを考えればいいのだ。

「見ると殿は素晴らしいますらお達を連れ、その憑依させていただいている体の主も優れたますらおであるご様子。 それならば、今の拙僧をとめる事もかなうやも知れません。 是非、止めてくだされ」

「分かった。 少しだけ己を押さえ込めるか」

「可能な限り!」

「皆、手加減は不要! 一度実体化を解除した後、霊夢に作ってもらった札を用いて再度封印する! 以降は阿修羅会の制御を外れる筈! 行くぞ!」

頷くと、仕掛ける。

踏み込むと同時に、南光坊天海はオン、と叫び。周囲が一気に重くなっていた。

これは、支援魔術。

それも、相手を弱体化させるものか。こんなに強力に、これほどの広範囲に展開して来るとは。

まずい。

支援魔術を一瞬で相殺された。

動きが鈍ったワルターに瞬時に間合いを詰めると、手をそっと添える南光坊天海。ワルターが吹っ飛ばされる。ドカンと壁をブチ抜いて、ヒルズの外にまで。

ワルター。

叫びながら、天使達に続いて、僕が仕掛ける。

仕掛けたパワーの前衛が、瞬時に蹴り砕かれる。徒手空拳が、全て必殺の凶器となっているレベルか。

イザボーの至近、祈るような手を、振り下ろしに懸かる南光坊天海。イザボーは反応しきれない。

突っ込んだナタタイシを横殴りに一撃で吹き飛ばす南光坊天海。あいつ、あんなに強いのに。

更に飛びかかった悪魔をまとめて薙ぎ払うと、オンと再び叫ぶ。それだけで、重ね掛けした支援魔術が全部消し飛ばされる。

振り下ろされる手刀。

銀髪の子が、イザボーとの間に割って入る。そして、光の壁で、一撃を相殺していた。

「これでも加減しておる! 急げ皆!」

「くっ!」

ヨナタンと僕が同時に斬りかかるが、残像を作ってかき消える南光坊天海。手刀。背中に叩き込まれて、地面に僕もヨナタンもぶち込まれていた。全身が砕けるかと思う程の破壊力だ。

すっ飛んできた秀が、悪魔化した手で掴みに懸かるが、それを振り返りもせずに弾き返し、逆に正拳を叩き込んで吹き飛ばす。秀がそれを全力で相殺するが、かなり飛ばされていた。

凄まじい。

これが必殺の霊的国防兵器。

如何に甲賀三郎が霊夢の力で弱体化されていたか、思い知らされる。強いなんてものじゃない。

立ち上がると、オテギネで抉りあげる。

喝と叫ぶだけで、僕は衝撃波で天井に叩き付けられていた。ぐっと歯を噛むと、外から突っ込んできたワルターが。なまはげと一緒に体当たりを仕掛けるが、なんとそのまま踏み込んだだけで南光坊天海は微動だにしない。

「何ッ!」

「ワルター、どきなさい!」

必死にどくワルターとなまはげ。天使達が、逆に粉砕されるのもかまわず突っ込んで、南光坊天海に組み付く。

イザボーの最大火力魔術が炸裂し、全身を焼き尽くすが。

その炎の中から、南光坊天海は殆ど無傷で現れる。

僕はその間に支援魔術を掛け、銀髪の子が距離を取っているのを一瞥。着地すると、チャージを掛ける。

イザボーに蹴りを叩き込んだ南光坊天海だが、その間に割って入ったラハムが、髪の毛全部盾にして防ぐ。だけれども、それでも防ぎきれずに二人まとめて吹っ飛ばされる。もう少し。

呼吸を整え、意識を集中。

分かってきたが、多分南光坊天海は、自分で動きに制限を掛けている。動きというよりも、移動にだ。

本来はあれが足を止めずに縦横無尽に暴れ回るわけで、はっきり言って手に負えない。

だが。

突撃。

僕の方に振り返った南光坊天海は、手刀を振り下ろしてくる。渾身の貫を叩き込むが、手刀でそれを弾き。

更に返す刀で、僕を吹っ飛ばす。

吹っ飛ばされつつも、僕は見る。

銀髪の子が、全身に蓄えた光を炸裂させる様子を。

しかも、その瞬間。

巨大な蛇の悪魔……頭に角が生えている……が、南光坊天海に襲いかかっていた。あれは秀の手持ちか。

がっと、それを受け止めて見せる南光坊天海。

だが、それで動きが完全に封じられる。

僕は着地しつつ、血を吐き捨てる。全身がぶっ壊れそうなほどいたいけれど、ヨナタンが必死に天使部隊で回復魔術を使ってくれているから、まだ動ける。

そして、銀髪の子が。

サリエルを倒した極太の光の一撃を、撃ち放っていた。

巨大な蛇を投げ飛ばした南光坊天海が、それに対する。だが、その時、ぶすりと音がした。

ヨナタンが、南光坊天海の左脇に剣を突き刺していた。

それが決定打になり、光が直撃する。南光坊天海がそれでもさがりつつ、雄叫びを上げて光を抑え込もうとする。

僕はその間にもう一度チャージ。

そして、アナーヒターとムスペルを呼び出し。

アナーヒターの水魔術と、ムスペルの熱魔術を組み合わせて爆発を引き起こしつつ、突貫する。

その僕を、雷撃が包む。

もう一枚の切り札によるものだ。叫びながら、僕は突貫。光の柱がもう一本、南光坊天海に突き刺さっていた。

一瞬の均衡の後、凄まじい雄叫びが響き渡る。

「喝!」

二つの光が、それで弾き飛ばされていた。

だが、通った。

僕は、吹っ飛ばされつつ、焦げた臭いを嗅いだ。僕自体が焦げてるなこれ。あわてて飛んできたラハム。ラハムもボロボロだ。

僕とラハムを回復の魔術が包む。

側に浮かんでいるのは、妖精の女王。

ハイピクシーが転化した、妖精女王ティターニアである。

前は幼児サイズだったが、今は大人の女性くらいの背丈になっている。緑の服を着込んだ、落ち着いた雰囲気の美しい女性だ。背中には透明な二対の翼がある。本来は嫉妬深く浮気性の性格に難がある存在だそうだが。此処にいるティターニアは僕に忠義を誓ってくれている。

他にもメイヴと呼ばれる妖精女王が存在するし、ハイピクシーから其方に転化する選択肢もあるらしいが。ハイピクシーは此方を選んだということらしい。

いずれにしても、回復が続かないと、もう動くのも無理だ。

煙の中、南光坊天海が見えてくる。

嘘だろと、ワルターが呻く。

まだ形がある。

だが、僕は見抜いていた。

「通ってる! あと少しで斃せる!」

「そうか、信じるぜ!」

突貫するワルター。まだ余力が残っているのはワルターだけだ。唸りながら、ワルターに相対する南光坊天海。其処に、秀も同じように突撃する。

振るわれる大剣を、手刀であっさり捌く南光坊天海だが、そこに秀が弓矢で射撃を立て続けに叩き込む。

矢とは思えない破壊力だ。南光坊天海は其方にも注意を向けなければならない。

回復を続けてもらい、とにかく最後の一撃に備える。

彼奴には今までの貫は通らなかった。というよりも、彼奴は恐らく直線攻撃に決定的に強いんだ。

だとすると、薙で行くか。

いや、ワルターに対して激しい応酬をしているところから見て、恐らく。

銀髪の子は肩で息をついていて、纏っている光も弱くなっている。あっちも無理は出来ないだろう。

それに悪い事に、外で戦闘音がしている。見る余裕は無いが、何かが仕掛けて来ていると判断して良い。

急がないとまずい。

回復が更に強くなる。

イザボーがいつの間にか側にいて、コノハナサクヤビメを召喚してくれていた。一緒に回復を掛けて貰う。

「わたくしはちょっともう余力がありませんわ。 ヨナタンも。 秀さんもワルターもそう長くはもちませんわよ」

「分かってる。 最後の一撃、オテギネと、上がって来ている僕の技を信じるしか無い」

必死に立ち上がる。膝が笑っているが、それでもやる。

なまはげが蹴り砕かれる。

ナーガラージャが地面に叩き付けられて粉砕される。

なんとか戻って来たナタタイシが、横殴りの蹴りを食らって、吹っ飛んで消し飛ぶ。

他の悪魔達も飽和攻撃を加えているが、かかればかかるだけやられるだけだ。これでも抑えているというのだから、笑いしか出てこない。だが、今とは規模が桁外れの国を守るための最終兵器だったのだとしたら。

確かにこの強さくらいはないと、話にもならないのかも知れなかった。

「くそっ! 攻め切れねえ!」

「代われ」

秀がワルターの代わりに前に出ると、徒手空拳でラッシュを叩き込む。

凄まじい応酬だが、秀さんは体力に問題があると聞いている。ワルターが飛びさがって、残っているヨナタンの天使達の回復を受けるが、それもどこまでやれるか。

銀髪の子が頷く。

よし、いくしかない。

勝負は一瞬。

そして、南光坊天海は、突きというものに対して決定的な優位をもっている。それは理解できた。

銀髪の子がまず仕掛ける。

秀が飛び離れた瞬間、突貫した銀髪の子が、質量体を真上から叩き込む。透明だから姿は分からないが、凄まじい破壊力に、床が、全域で粉砕される。

「おおおおおおっ!」

南光坊天海も、ダメージを受けていると言う事だ。今までとは違う、明らかすぎる苦悶の声。

殿と面識があるのだったら、多分嘘ではないはず。

そして、だ。

追い込まれると、恐らく封印も外れる。だから、力を出し切る前に、倒すしかない。

踏み込みつつ、南光坊天海が、叫ぼうとする。

「オン」にしても「喝」にしても、もう一度やられたら終わりだ。その瞬間、秀が巨大な猫の悪魔を呼び出すと、辺りを火の海に。

更にイザボーも、恐らく残っていた最後の魔力で、火魔術で南光坊天海を包んでいた。

これで、叫べない。

そして、僕は弾き飛ばされた殿と入れ替わりに。

天井を抉り抜き、更に加速を加えながら。

槍技の奥義を叩き込む。

突き、払い、叩く。

これが槍の基本だ。

突きの奥義、貫。払いの奥義、薙。

そして、叩くの奥義は。

「奥義……!」

「やれっ!」

飛びついたワルターが、南光坊天海の動きを一瞬止めてくれる。凄まじい熱の中、良くやってくれた。

僕は、そのまま叩き落としていた。

「割!」

オテギネの刃が。

南光坊天海の肩口から腹辺りまで、叩き割っていた。

 

総力戦を終えて、札を回収。外に出る。まだふらついているが、外でも戦闘が行われている。

銃撃。

どうやらこれは、阿修羅会によるものか。

まあ想定の範囲内だ。

此方は既に地形を味方につけて、相手をあしらっている状態だが。それでもかなりの数の悪魔が投入されている。

油断すると死者が出る。

「彼処を落とされるともう赤玉は出ないぞ! 欲しかったら敵を追い払うんだ!」

「巫山戯るなよ外道共! 此処でどれだけ人間をすり潰したら気が済むんだ!」

「生き残るために何やってもいいのが東京だ!」

「その理屈はおかしいわ」

冷えた声。

辺りが、瞬時に冷える。この冷気、僕もぞっとするほどだった。

一瞬で大量の悪魔が氷漬けになる。そして、阿修羅会の者達も、足が凍らされて、悲鳴を上げていた。

マーメイドが怒っている。内気で穏やかな性格の彼女が、今確実に怒っていた。

悪魔達が、我先に逃げ始める。

あまり強い悪魔はいない。数で押している状態で、その数ですら負けている状況である。

雑魚悪魔が、あんな力を見たら引くに決まっている。

悪魔使いの阿修羅会の者達も、悪魔使いだからこそ相手の恐ろしさを即座に理解したのだろう。

禿頭の大男が吠え喚く。

「逃げるんじゃねえ! 根性みせんかい我ェ! 極道のプライドみせたれぇ!」

「で、でも、兄貴……!」

「あんなアマ、ぶっこ……」

禿頭の大男が、間近に迫る氷の大杭に気付いたのだろう。それで、固まる。わめき散らしていた大男の顔に、あ、死んだと書かれていた。

杭がはじけて、辺りに飛び散る。

死なない程度に加減して、なおかつ脅かしたのだろう。それでもかなりの手傷を受けて、阿修羅会の者達はパニックになった。

後は逃げ散るだけだ。

撃ち方やめ。志村さんがそう叫ぶ。

僕は見ているだけで良かった。状況が悪いようなら、無理を押して参戦するつもりだったのだが。

腰を下ろすと、視線が志村さんとあったので苦笑い。

手を出す必要もなかった。

「勝ちました」

「おおっ!」

「必殺の霊的国防兵器をまた倒したぞ! これで二体目だ!」

「喜ぶのはまだ早い!」

喚声を挙げる人外ハンター達に、ニッカリさんが鋭く叱責。咳払いすると、作戦指示を出す。

恐らく気配からして、この地下にはもう必殺の霊的国防兵器やそれに類する力の持ち主はいない。

だがその同類が来る可能性はある。

一つずつ、やる事を処理していく必要がある。

「内部の地図の一部は既に作ってある。 地上部分にA班は侵入して、完全制圧を目指す。 その間にB班は陣地を構築、C班は補給と回復を急げ!」

「軍隊らしくなってきたな」

「ああ、懐かしい」

志村さんが、小沢さんの指示をみて。そうニッカリさんと話している。

僕は今の時点でやる事はないかと思ったのだが。

程なくバスが来る。

そして、バスから降りて来たのは、ドクターヘルだった。

アサヒが僕達に悪魔を出して回復魔術を掛けてきている。既にアサヒは下級の女神も従える事が出来ているようで、回復は確実に効いている。

ドクターヘルは壮健な様子で瓦礫をひょいひょいと超えて来る。

悪魔を素手で殴り倒せる程ではないようだが、それでも見た目の人間離れっぷりと同様に。

なかなかの人間離れした動きである。

僕が言うことじゃないのかも知れないが。

「無線を聞いていたが、A班が地上部分を制圧するのだったな」

「はい。 これより自分も支援に向かいますが」

「わしがセキュリティを黙らせる」

「ありがたい。 恐らく対悪魔のプロテクトがかかっているので、悪魔による制圧は厳しく。 人間によるハッキングが必須だと思っていました。 そうしていただけるのは助かります」

ドクターヘルは頷くと、淡々と制圧チームに混じってヒルズに入る。

制圧チームには鹿目と野田、それにナナシも加わるようだ。アサヒも加わりたかったようだが、今回は回復に専念するという。

確かに僕らの消耗は激しいし。

此処の地下で苦しめられている人達の事を考えると、のんびり休んでいる暇はない。

また、事前の作戦会議の時に聞かされたのだが。

こういった場所の内部では、機械で警備がされているらしい。

僕のいた東のミカド国では考えられない話だが、そういう事も出来るくらいの文明だと言う事だ。

そして悪魔が大暴れした結果、今は悪魔召喚プログラムの対悪魔防御が施されていて。人間がその警備の親玉を色々して黙らせなければならないらしく。

ドクターヘルがそれをするそうだ。

僕は座り込んだまま、傷の回復と体力の回復を確認する。スポーツドリンクもいただき、仮設トイレも使わせて貰う。

陣地にはおっきい銃も据え付けられている。

重機関銃というらしく、生半可な悪魔なんか寄せ付けないそうだ。生半可では無い悪魔が来る可能性も高いのだが、だがそれ以外では充分に対応できる。各地での「自衛隊の駐屯地」から回収してきた装備であるらしく。人外ハンター達を動かして、フジワラが戦力を集めているらしい。

医師が来たので、手当てを受ける。

回復魔術と医療では得意分野が違うと言う事で、色々確認された。

僕は大変に健康であると太鼓判を押して貰った。

それは嬉しいような嬉しくないような。まあ、健康である事は分かっていたつもりではあったのだが。

「他のサムライ衆の健康診断をしたのだけれども、寄生虫の類がどうしても体内にはいたのだが、君はそれもいない。 衛生観念の観点からはいるのが普通なのだが、免疫云々でどうにかなる問題ではないのだが……」

「僕にそんなことを言われても」

「いや、とにかく健康だ。 体力を戻してから、作戦行動に戻って欲しい。 次、ワルターだったね。 君を診よう」

「うっす。 頼むぜ医者先生」

皆が診察をしている間、天使達を三分の一ほど復活させたヨナタンが、偵察を開始している。

南光坊天海に全滅状態に追い込まれた天使達だが、既にめげずに復活して、偵察をしてくれているのは。

まあなんというか、いつも通りとても献身的だ。

ヨナタンが此処で指揮を取っている小沢さんに色々説明をしている。一部の天使は、地上部分の制圧チームに加勢させているようだ。

「やはり地下部分には悪魔が守りについているようだね。 君達には悪いが、制圧に加わって貰いたい」

「問題ありません。 この地下でまだ苦しんでいる人がいるのだと思うと、今すぐでも行きたい程です」

「心強い。 だが、どんな罠があるかも分からないし、下手をすると捕まっている人達も危ない。 少しだけ、堪えてくれ」

ヨナタンは頷くと、回復をまた受けながら、天使達を更に復活させる。

ドミニオンに転化する天使がまた一体でたらしく、これで四体。それに、雑多な下級天使達を、悪魔合体で増やしているようだ。

単騎では弱くても。

絶対の忠誠を誓ってくれる相手だ。

大天使がこの東京を滅ぼしたのだとしても。

ヨナタンとしては、色々思うところがあるのだろう。

無言で回復に努める。

銀髪の子が来る。

体を覆う光はほぼ回復したようだった。横になって眠っていたようだが。それだけ体が若いのかも知れない。

秀はまだ正座して目を閉じている。

仮眠を取っているというよりは、まだ回復が途上なのだろう。

耳打ちされた。

「今のうちに平静を保つべく心の準備をしておけ」

「……はい」

分かっている。

地下には凄まじい悪徳の宴の跡があるはず。捕まっている人も、どれだけ助け出せるかわからない。

それにだ。

ドクターヘルが、だいたい赤玉の正体を分析し終えたらしい。

それを地下で、これから確定させるといっているそうだ。

今後、同じ事をさせないためにも。

その過程で、僕は人間が際限なく恥知らずになったら何をするか、嫌になるほど見せつけられる事になる。

銀髪の子は以外と平気そうだ。

いや、この子の場合。

同じくらい悲惨な光景を、ずっと見てきた雰囲気だ。だから、平静を保てるのだろうが。

それでも、何となく分かる。

この子もこの先に何があるのかはだいたい分かっていて、今の時点で相当に腹を立てている事が。

アサヒが汗を拭いながら、悪魔達を戻す。支給されたスポーツドリンクをごくごく飲んでいる。

限界らしい。

代わりに別の人外ハンター数人が、回復を出来る悪魔を出してくれる。

僕は彼等の好意に甘え。

何より焦りを抑えるためにも。

しばし正座して、目を閉じて。精神を落ち着かせるべく。昔師匠達。引退サムライ達に教わった精神修養の事を思い出しながら、ひたすら精神を練り上げる。

上の方では何度か戦闘が起きているようだが、元々このヒルズは上下ひっくり返ってしまったのだ。

ヒルズの本来の入口が此処にあったらしく、地下部分はそこまで広大ではなかったそうなので。

確かにそれほど前に見たタワマンだとかと比べると背丈はない。

制圧は順調だという無線を聞きながら。

僕は回復に努め続ける。

 

4、地獄へ

 

ドクターヘルが戻ってくる。

疲れている様子もないし、なんなら雑魚悪魔は肉弾戦で制圧したらしかった。本当に肌の色といいこの人は。

とんでもない老齢とはとても思えない。

そのまま、幾つかの事を言われる。

地下には支援チームも同行すること。

これは、捕まっている人々を救援する知識を持つ人間が必要だと言う事があるらしい。また、上の階で調べた情報によると、地下部分はまだテクノロジーが生きている。

このヒルズの地下には元々の病院の設備が運び込まれたらしい。

そんなものがあるのなら、解放していればどれだけの人が助かったか分からないと言うのに。

それを悪用したというわけだ。

マーメイドは阿修羅会を皆殺しにしなかった。

だが、償わせる。

僕はそう思いながら話の続きを聞く。

「セキュリティに関しては完全に黙らせた。 わしの方でロックされている扉などを開放するキーは作った。 後は、地下にいる連中は……以前人質交換で助けた者達のように、完全に頭が真っ白にされているだろうし、高確率で頭に穴を開けられているだろうな。 それを迅速に助ける必要がある」

「人数はどれくらいか分かりますか」

「危険な状態の者は二十人ほどだな」

以前人質交換で、三十人ほどを救助したことは聞いている。それが二回行われたそうだ。

六本木で人間の仕入れだのの依頼が入っているのはみたし。何より阿修羅会が高値で子供を買っているという話も聞いていた。

それらによって売られた人間はいたのだろう。

それも貞操や尊厳やそういうものじゃない。

文字通りいのちを、だ。

僕は出来るだけ平静を保つ。

今でも怒りが爆発しそうだが、殿に言われてそれでも冷静さは保っている。

僕だけではなく、秀も銀髪の子もまだ全開ではないが、地下にいる悪魔はそれほど大した相手ではないそうで。今の状態でも制圧は容易だという。

「どうしてそんなことが分かるんだ爺さん」

「監視カメラと言ってな。 遠隔で様子を見る事が出来る道具があるのよ。 わしがそれで確認した」

「な、なるほどな……」

「相変わらず凄まじいテクノロジーだ」

ヨナタンがぼやく。

ちなみに上の方の階にも数名の阿修羅会が残っていたようだが。

全て制圧して、外に縛ってつれて来ているらしい。悪魔に囲まれて逃げる事も出来ず、殺気だった人外ハンターに囲まれて、震えているのがそれだ。

まあ同情できる要素はミリもないが。

咳払いしたドクターヘルに言われる。

「地下は硝子張りになっていて、出来るだけ素早い制圧作戦が必要になってくる。 血迷った悪魔が人質を取る可能性もあるし、人質に憑依して媒体にする可能性もある。 可能な限り迅速に、地下の制圧をしたい。 疲れていると思うが、頼むぞお前等」

「お任せください、ですわ。 このような悪徳の宴、これ以上続けさせるわけにはいきませんことよ」

「それにしても、悪魔よりよっぽど悪辣なんじゃねえのか」

ぼそりとナナシが言う。

ナナシもこの作戦に加わる。

というか上階の制圧には普通に加わっていたので、監視カメラとやらを経由して、何か見たのかも知れない。

ドクターヘルは言う。

こういうのを見たのは、二回目だと。

ドクターヘルが最初に所属したナチスという組織でも、こういうことを平気でやっていた過去があったらしい。

それだけじゃない。

他の国でも、同じような事はやっていた歴史がどこでもあるというのだ。

悪意という観点では、人間は悪魔なんかよりも遙かに上だとドクターヘルは断言する。

邪神やら魔王やらと会話したらしいが。

まあ、この東京ではなんぼでもできるだろうし。

それで結論したらしい。

悪魔は所詮アマチュアだ。

力は強いかも知れないが、所詮悪意に関しては人間の足下には及ばないと。

この地下では、人間の悪意と、悪魔の力が合わさってしまった。だから、地獄絵図が展開された。

そういうことであるらしかった。

「皆、揃っているな」

「はい」

フジワラからの通信だ。

咳払いすると、フジワラはいう。

既に医療班は待機させており、人質を救出し次第、治療を。できる限りの事を出来るようにしてくれているそうだ。

助からない人もいるかも知れないが、特に子供に関しては助けられる可能性も高い。

出来るだけ助け出して欲しい。

未来を担うのだ子供は。

子供のいない世界に未来は無い。

そう念押しされた。

フジワラがいた時代には、子供がいなくて、未来がなかったのだろうか。そんなことを考えてしまう。

いずれにしても、これから出向く。

地下に残るのは雑魚ばかりとはいえ、迅速な制圧をするには、この面子でもまだたりないくらいだ。

僕はオテギネではなくて、徒手空拳を振るうべきかもしれない。

そう考えて、ずっと身に付けている支給品の小刀に意識をやる。

これも便利なのは便利だが。

戦闘で使えるものではなかった。

ただ、今の身体能力とあわせれば、小型の悪魔を迅速に制圧する事は出来るかもしれない。使う事は意識に入れておくべきだろう。

「セキュリティの解除は済んでいる。 地下のマップも既に転送した。 地下の人質がいる部屋についても、AIがナビをしてくれるはずだ」

「バロウズ、頼める?」

「任せて。 可能な限り効率的に助けられるように、皆をサポートするわ」

「よろしくね。 いつも助かるよ」

顔を上げる。

皆、考えはそれぞれ違うかも知れない。

だが、今やろうとしていることは同じだ。

この悪徳の宴を終わらせる。

そしてそれが終わった時。

東京での阿修羅会の覇権は終わり。後は、奴らがもっとも戦力を集中して守っている……極めて危険らしい何かを残すだけ。

「では、頼む!」

フジワラに頷くと。

僕は声を掛けて、先頭を行く。

ヨナタン、ワルター、イザボー。銀髪の子、秀。それにドクターヘルとナナシ、志村さん、後は数名の人外ハンターがそれに続いていた。

 

(続)