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東のミカド国
序、豪腕娘
僕は木の枝の上で昼寝をする。今日もいい空だ。青くて雲が流れていて、風もいい感じ。とても心地がいい。
さっきまで鍛錬してた体を休めるには丁度いい気温なので、あくび混じりで、木の枝に寝そべる。
昔は良く墜ちたりもしたけれど。
それでも体をどこかおかしくすることもなかった。
近くで小鳥が鳴いている。
きらきらと輝いているのは低い地域にある湖だ。
平和、かは分からないけれど。
少なくとも僕の暮らしている辺りは平和だ。
昔は俺と一人称を使っていたのだけれど、これは兄ちゃんの影響。少しは女らしくしろと言われて、それで一人称を時間を掛けて改めた。ただあたしとかわたしとかいうのはどうにも慣れなくて、結局僕で落ち着いた。
ただ激高するとそれでも俺が出てくるが。
まあ、最近は両親も諦めている。
この国には言葉が二つあって、普通みんなは「魔法の言葉」と言われるものを使って喋っている。
普通の言葉もあるけれど、それは公用語というやつで、僕はそれを読めるくらい。書くのは難しい。
みんな魔法の言葉を使って話しているし、書き物だってそう。
もう一つあくびが出た。
誰もいないので、大きく口を開けて大あくび。そうしていると、名前を呼ぶ声が聞こえてきていた。
「フリン! フリン! どこいった」
この声は兄ちゃんか。
ちょっとだけ……数ヶ月しか年は変わらないのだけれど。昔は背が高いこともあって、随分と兄ちゃんと慕った相手だ。数ヶ月しか生まれが違わないから、数え年は同じ。
ただ、結局僕は背が伸びなかったし。
それと年を重ねるごとにやったらめったら力が強くなってきていて。最近では僕の方が明らかに力が強い。
兄ちゃんはそれを気に病んでいる。
気にしなくたって、兄ちゃんが良い奴なのは知っている。
昔は嫁にという話もあったらしいのだけれど。
今の僕にはその気はない。
むしろ、最近話に上がるサムライ衆になる成人の儀の方が興味がある。
一時期は僕も力に振り回されるばかりだったけれど、最近は武芸と心がそれに追いついてきた気がする。
昔は「心技体」なんて言葉は嘘っぱちだと思っていたけれど。
ずっと前に村に来たサムライ衆の長だという人に一度手合わせして貰って、それで考えを完全に改めた。
今では彼方此方の村に暇なら走っていって、達人の話を聞いては手合わせをしてもらっている。
それで良い所をどんどん取り入れて。
貪欲に強くなるのが楽しくなっていた。
「おい、フリン。 いい加減出てこい!」
「はいはい。 今行きますよ」
枝の上で、体のバネだけ生かして飛び起きると。そのまま枝を掴み、ひゅんとしなりを生かして飛ぶ。
動くのに邪魔だから、髪は散切りにしている。
昔は将来は美人になりそうと言われたけれど、結局子供みたいな顔のまま、成長できなかった。
胸なんぞまったいらだ。
スカートなんて歩きにくいから、男物のズボンで過ごしている。足が見えてはしたないとか昔は言われたが、今は僕なんぞの足に欲情するのは変態だけだから気にしない。
そんなだから、風の抵抗はほとんど受けないし、運動もとても軽やか。
そして、僕を探しに来ていた兄ちゃん。
イサカルの前に降り立っていた。
「うおっ! と、飛んできたっ!?」
「寝てるところを起こしに来るんだもんさ。 今日は腕立て2500に懸垂2500をこなした後だし、農作業もないじゃん。 ちょっとくらい寝かせてよもう」
「あ、相変わらず訳分からん事やってるな……」
「それでどうしたの?」
僕が住んでいるのはキチジョージ村。
此処はすぐ近くの森だ。
この森には人間を襲うような獣はいない、のだけれど。
たまにサムライ衆が血相を変えて集団で出かけていくのを見る。
サムライ集はそれぞれが腕が立つだけではなく、「悪魔」とかいう存在を使役する事ができるとかで。
人間に対して危害を加える存在を倒す事が出来るので、誰もが憧れている存在だ。
だけれども、サムライ衆になるには、成人の儀でガントレット様に選ばれなければならない。
ここ数年新人のサムライは出ていないとかで。
サムライの数が減るのでは無いかとか、不安の声も上がっているらしい。
「驚けよ。 今年は全土から成人の儀に参加する人間を募るんだそうだ」
「ほえ。 じゃあ、本当にガントレット様に会えるのかな」
「そうだよ! お前だけじゃない。 俺だって、サムライになれるかもしれないんだ!」
嬉しそうなイサカル。
イサカルは、昔っからサムライに憧れていた。
誰もを守る格好いい戦士。
だけれど、僕はいったのだ。
イサカルはずっと村のために頑張ってる。だからサムライになれなくたって、充分じゃないか。
村の人達は、みんな教えがどうのに縛られていて。ずっと同じ事をして生活している。
僕はそういうのが嫌で、いつも体を鍛えてばかり。
女らしくないとか説教されることもしょっちゅうだったけれど。子供みたいな背丈のまま、生半可な達人が手も足も出ない猿みたいな子に育ったと、両親は嘆いている。それでもう、誰かの嫁に行く事も諦めているようだ。
イサカルは昔は僕のことが好きだったみたいだけれど。
今はそういう感情も失せているのが分かる。
それどころか、僕に何とかして勝ちたいと思っているのが、何となく分かるのだ。
別に勝たなくてもいいと思うのに。
「お前の無茶苦茶な強さならサムライになれそうだが、俺だってサムライになったらすぐに魔法の力とか使って、追いついて見せるからな!」
「うん、まあそうだね」
「成人の儀は何日か続くが、初日から行くのか」
「そうするつもりだよ。 キチジョージ村みたいな辺境には声が掛からないかと思ったんだけれど。 本当にサムライのなり手がいなくなってるみたいだね」
馬を借りるのかと聞かれたが。
走っていくと言って、見上げる。
この国。
東のミカド国は、山そのものだ。
中央部が盛り上がった巨大な山で、裾に行く程貧しい平民である「カジュアリティーズ」が増えていく。
中央部にはきらびやかな街があって、貴族である「ラグジュアリーズ」が住んでいる他。
お城があって。
初代アキュラ王以来、1500年も続くこの国の歴史とともにあるのだ。
お城を見上げることは多いけれど、実は彼処まで走っていくのは初めてである。貴族街には普段は入れないし。
何より、ガントレット様に触れる成人の儀は、名目上18になった人間は身分関係無く受けられるという事になってはいるが。
実際にはカジュアリティーズが受けに行っても門前払いされたりする事も多く。
僕もその辺りは、あまりいい噂を聞いていなかった。
ガントレット様がどんな存在かも良く分かっていない。
両親は常に教えを大事にしなさいと口酸っぱく言っていたけれど。
サムライが減っている時期は、カジュアリティーズに対する締め出しが厳しくなった時期と一致している。
不正があるのではないか。
そう僕は思っている。
勿論、それを口に出したりしない。
イサカルはどちらかというと、アキュラ王の武勇伝に憧れているような節もあるので。
だから、絶対にそういう事は口に出来なかった。
悶々とさせられるが、まあそれはいい。
「イサカル兄は、馬を借りるの?」
「ああ、流石にお前みたいに体力無限にはないからな」
「無限じゃないってば。 とりあえず、家に一度戻るよ」
「ん。 お互い頑張ろうな!」
わざわざ呼びに来てくれたイサカルと別れる。
実家に戻ると、すぐにご飯を貰う。
この辺りは米がたくさんとれる。ラグジュアリーズに収めても、たらふく食べられるくらいに。
がつがつとご飯を食べる。
ご飯は力だ。
「そんなに食べるのに、全然大きくならなかったねえあんたは」
「18にもなるのに、12くらいに見えるからな……」
「前に10才かとか聞かれたし、もう背は諦めた。 お代わり」
「好きに食べなさい。 外では胡座なんか掻いて食べたら駄目よ」
両親の諦め気味な言葉。
両親は結婚が遅かった。こんなちいさな村では珍しい事だが、色々疫病とかあったらしいのだ。
それで子供は僕しか出来なかった。
ちなみに僕は農作業を他の奴の十倍くらい働いているので、誰も文句を言わない。農作業をした後米俵を四つ担いで走り回ったり、臼で全部精米しても平然としているのを見て、あれはなんか別の生き物だとか村の人達は噂しているらしい。
小さくて可愛いと言われた事はあるが。
明らかな変質者おじさんに言われたし。
わたしが笑顔で側にあった岩を素手で砕いてみせると、真っ青になって逃げていった。
可愛いんじゃなかったのかよ。変態おじさんよ。
ともかくお代わりをした後、両親に話す。
「僕、サムライになるよ」
「そう。 成人の儀に行くんだね」
「ここ数年新しいサムライが出ていないとかで、色々躍起になってるんでしょ。 今まではカジュアリティーズが出向くと袋だたきなんてこともあったらしいのに。 まあそんなことやってきたら、僕は許さないけど」
「し、死なない程度に手加減はしなさい」
ラグジュアリーズは特権階級だ。犯罪を犯しても相手がカジュアリティーズの場合、罪に問われない事すらある。それが殺しであってもだ。
ただそれにも限度がある。
時々ラグジュアリーズが逮捕されて、公開処刑されることがある。
公開処刑の時。天の主様のお言葉だとか、必ず悪は滅びるとか、白い衣に身を包んだ、冷酷そうな女の人がいっていた。
一度見た事があるけれど。
あのひとの目、冷え切っていて。同じ人間のものとは思えなかった。
また、悪徳ラグジュアリーズがカジュアリティーズに成敗される事もある。それが正義の行いだとして激賞される事もある。
必ずしもラグジュアリーズにばかり有利な訳ではないのだ。
だから僕も、そういうものだと思って、この国に対する不満は決定的な所までは行っていない。
実際問題、食べられなくなるくらいの税は取られないし。
飢饉や病の時にはきちんと施しもある。
ただし、自分の仕事だけしていろときつく言われてもいる。
農民は農民。
商人は商人。
決まった仕組みの中で動くように、と。
父さんと母さんはそれで満足してしまっているようだ。
サムライになれれば、少しはマシになると思うから。僕はそうなりたいと思っている。
サムライは色々話を聞くけれど、武勇を求められるし色々五月蠅いらしいけれど。その代わり、ラグジュアリーズでなくても給金はたくさん出るらしいし、身分関係無く武勇で評価されると聞く。
今のサムライ衆の長も出身はカジュアリティーズだという話だし。
僕には、それが希望だった。
おなかいっぱい食べると、数日分の食糧を頼む。干し肉とか、持って行ける食べ物だけでいい。駄目なときのことは考えない。まあ、どうしても駄目だったら、家まで走って帰るだけだ。
両親は、今から行くのかと聞く。
そうだと答えていた。
「確か思い立ったが吉日だったっけ。 だからすぐ行く。 走れば多分成人の儀開始に間に合うと思うし。 開始直後だったら混まないだろうし」
「城まで走るのかい」
「そうだよ。 まあ高低差はあるけれど、麓の村を彼方此方回っていたんだし、城くらいは余裕余裕。 じゃ、準備ができたら行くよ」
呆れ気味の両親。
僕は、必ずサムライになるよと告げる。
両親は寂しそう。
農民になって、それで平凡な人生を送って欲しかったのだと思う。
それでも両親は、僕に人生を押しつけなかった。
役割を果たして生きるのが、人間のありかた。
そんな事を、この国では誰もが言われている。
貴族は統治を担当する。だから偉いのは当たり前。
庶民は生産を担当する。
生産に私情は必要ない。余計な知識も必要ない。ただ考えずに働く事が、皆のためになる。
そんな事を言ってくるこの国には思うところもある。
特にこういう、考えるな言う通り動けみたいなやり方を押しつけてくるのは、色々と腹は立つ。
それでも両親は満足そうに暮らしているし。
イサカル兄ちゃんだってサムライにもしもなることができれば、自信を取り戻すかも知れない。戦いではもう僕の足下にも及ばないかも知れないけれど、良い奴なんだ。恋愛対象ではないかも知れないけれど、だからといって悪感情を抱いたことだってない。
それにそれに。
この何に使って良いか分からない武力と体力。
もしサムライで生かせるのであれば。
生かしてみたいのだ。
幾らでもいる普通の人。それがこの国の人のあり方。だけれど、僕はそうでないものになりたい。
準備をしているうちに、取りだしたのはお気に入りの棒。
昔ここに来て稽古をつけてくれたサムライの人に、最初に色々見てもらって。無手、剣、槍のどれかが良いだろうと言われた。
だからそれらを重点的に鍛えた。
その中で、気に入っているのが槍だけど。
うちは農家をやるように命じられているので、僕はこの棒で訓練している。
そんなぶっとい棒(僕基準)ではないけれど、サムライの人に教わった、しなりが良くてとても強い木を工夫しながら作った。
前に畑を荒らした猪を一撃で仕留めた、自慢の槍だ。棒だけど。猪は何回か仕留めたが、これですくい上げるように上空に放り上げて、落ちてきた所を蹴りで首をへし折った事もある。そんな大事な棒なので、名前もつけている。
ただそんなだけど僕の体に筋肉はあんまりついていないようだ。
こんなに力が無駄にあるのに、おかしな話である。
木は生きている。
こういう棒になった後だってそう。
だから手入れすれば腐らず長持ちする。
木で作った建物の中には、丁寧に手入れすれば何百年ももつものだってあるのだとか。
石造りのちんまりした僕の家の大黒柱だって、大きめの柱だ。
僕が結婚しそうにないから、両親はいずれ養子を迎えるらしい。
それでいい。
この家と畑が無駄にならなければそれでいいし。
何よりそういうのは、なんだかんだでこの国、東のミカド国はしっかり受けつけて、対応してくれるのだ。
ラグジュアリーズには鼻持ちならない奴も多いけれど。
それはそれで、しっかり対応はしてはくれるのである。
もう朝に体は動かし済なので、準備運動は必要ない。
お昼も今食べた。
夕ご飯用のにぎりめしを貰って、それと干し肉とか干物とか。明日の朝用の食べ物と、路銀も貰う。
「じゃ、行くよ。 父ちゃん、母ちゃん。 サムライになって、お金もいっぱい家に入れるし、いい養子が来るように手配もしてあげるからね」
「フリン、気を付けてね」
「幾らあんたが無茶苦茶に強いっていっても、サムライ衆にはすごい技を使う人がたくさんいるって話だよ。 炎を出したり氷を出したり。 だから、慢心しないで頑張りな」
「うん!」
そういう人に出会うのも、とても楽しみだ。
それに、両親は僕がサムライになれることを疑っていない。
だから、口うるさい事も、農家になって欲しかったことも分かっているけれど。
それでも好きだ。
手を振って、家を出る。
そして何度かぽんぽんと跳ねると、そのまま加速。
ぎゅんと一気に速度を上げて、走る。
キチジョージ村をあっと言う間に抜けて、村はずれの森を突っ切る。後から馬で来るだろうイサカル兄ちゃんは、多分明後日くらいの、成人の儀まっさかりの城に来るとみて良いだろう。
混むはずだけれど。
今回は王様から、直接カジュアリティーズに大々的に募集が来ているのだ。
サムライになるべく、多くのカジュアリティーズが来るだろうし、それに嫌がらせをするラグジュアリーズもいない筈。
走りながら確認はしておく。
身分証も大丈夫。
この国の民は、十字の形をした身分証を誰でも持っている。それは体から離すことも出来ない。
なんでも神様の力が宿っているとかで。それに触る事で、年齢や出身、名前とか、全て分かるのだとか。
僕は試したことはないが、いずれにしてもそれは首からぶら下がったままだ。
走る。
障害物なんて飛び越えてしまう。
途中でちょっとした川があるけれど、そんなもの橋なんてまどろっこしくて渡っていられない。
飛び越す。
「いやっほいっ!」
柔軟に着地。
さあ、走るぞ。
城まで走り続けてやる。休憩は、ご飯の時だけだ。
もの凄い跳躍をする子供を見た。いや、あれは子供なのだろうか。
「末の子」は、思わずそれに見とれてしまった。
生まれつき生体マグネタイトが多い人間が希にいる。そういう話は聞いている。そういう人間は、見かけと裏腹の凄まじい魔力を持っていたり、剛力を持っていたりするそうである。
声が掛けられる。
お姉様からだ。
「何をしているの。 早く行くわよ。 相変わらず鈍くさいんだからアンタ」
「あ、ごめんなさい」
「お母様も動いているけれど、私達も早くサバトを起こしてこの腑抜けきった愚民達を教育してあげなきゃ。 本も読んだことがないんだよ此処の人達。 命令だけされて、その通り動いて千五百年以上。 可哀想だよこんなの……」
「末の子」もそう思う。
でも、あのもの凄い跳躍してた……多分、女の子だろう。
凄く楽しそうに笑っていた。
未来を信じて希望に満ちていた。
機械みたいに動いている人達ばかりなのは分かっている。だけれど、あんな子もいる。
話してみたいな。
そう「末の子」は思った。
1、ガントレット様
東のミカド国は、王様を頂点とした国で。山の上にある城に王様は住んでいて。その周囲に王様を支える……という名目のラグジュアリーズが住んでいる。
街がまるでうねるように山を覆っているその様子は、なんだか上に行けば行くほど緑がなくなって、あんまり住みたい場所じゃなくなる。
それでも、今は其処が希望の地だ。
僕は夕方になると、ちいさな宿場に到着。
宿の取り方は知っている。
これでも彼方此方武者修行に回っていないのだ。
彼方此方の村には、引退した老サムライもいて。村の人達に自衛の仕方を教えたりしている。
そういう人達に武芸をつけてもらうために、彼方此方走り回っていたのだ。
だから、宿場の人も僕を知っていた。
「よう鬼っ子。 今日も訓練に来たのか」
「ううん、成人の儀に向かう途中だよ」
「なんだと。 お前もう18なのか」
「数え年でだけどね」
ふふんとない胸を張ってみせる。
カジュアリティーズに支給されている服は耐久性に問題がある麻が殆どなのだが。父ちゃん母ちゃんは、動きまくる僕のために頑丈に工夫して仕上げてくれている。なんだかんだで理解があるのだ。
周りの堅苦しい親には色々陰口をたたかれていたけれど。
それでも僕を庇ってくれていた。
それも知っている。
だから、僕も両親を馬鹿にする奴は許さない。
同世代の人間は、僕を昔はからかうこともあったけれど。
全員実力で分からせてからは何も言わなくなったし。
年下の子達は、僕の武芸を見ると大喜びして、それですぐに弟分妹分になった。
子供ってのは、相手の実力に敏感なのだ。
ただ流行病も多くて、簡単に死ぬ。
何度も墓の前で泣いたっけ。
「それにしても鬼ってなに?」
「良くは知らないが、なんでも凄く強いものらしい。 お前に稽古をつけていたサムライのじいさまが、お前の事を鬼っ子って呼んでいてな。 すっかりそれで定着してしまってな」
「そっか。 それで、ご飯を食べてトイレ行って、あと風呂だけ浴びて行くから短時間宿泊で」
「あいよ」
料金を払う。
これだって、父ちゃん母ちゃんが身を切って捻出したものだ。
だからいい養子が貰えるように、サムライになったら頑張らないと。
僕はどうせ良い親にはなれない。
だから、それでいい。
逆に、親を選べない子だっている。
そういう子が、優しい僕の自慢の父ちゃん母ちゃんの所に行ければ、僕はそれだけで満足だ。
がつがつとにぎりめしを食べて。
それでトイレに入る。
風呂は、水がどこでも豊富だから、基本的に入れる。ただやっぱり湯を沸かすのが大変なので、毎日は無理だ。
水場で水浴びをする事も多いけれど。
やっぱり川の中にはおっきな魚とかもいるし、川の水は案外獰猛だから流されたりして危なかったりもする。
覗かれたりもするし。
だから風呂でゆっくりできるのはそれはそれで助かる。
湯を贅沢に使った桶の風呂で、しばらく汗を流す。数日分の汚れも、それで取ってしまう。顔も髪の毛もあらって、それですっきりした。
料金を払うと、すぐに宿を出る。
「もう出るのか。 一眠りくらいしていったらどうだ」
「大丈夫大丈夫。 成人の儀一番乗りするくらいの気分で行きたいし、それに昂奮してどうせ眠れないし」
「そっか、相変わらずだな……」
「相変わらずだよ」
ふふんと笑うと、荷物をまとめて宿を出る。
明日も朝には宿場に泊まるが、その後はずっと走るつもりだ。
夜闇の中を走る。
途中、虫の鳴き声がした。
凄い合唱で、更には今日は雲も少ない。星明かりが降るようだ。その中を、棒を担いで疾走する。
いつの間にか朝になっていた。
疲れは全然平気。
それに、まったく眠くなかった。もうすぐ城に着く。
貴族街なんて言われる所の入口辺りにある村で、宿場に。
此処は何回か来ている。
というのも、まだ引退していないサムライが此処に住んでいて。それで、稽古を何度かつけて貰ったのだ。
最初はたのもうというと良いと言われていたので。
サムライの家にたのもうと全力で叫んで乗り込んだら、相手は肝を潰したようだったけど。
用事を告げると、苦笑いしながら稽古をつけてくれた。
いいサムライで、とても褒めながら、僕の技をどんどん伸ばしてくれた。
力だけではダメで。武器はこう握る。こう振るう。
体はこう使う。
姿勢を良くしなければならない。全てが武術につながっていて、破壊力に直結する。
そういった事は、全部教えてくれた。
ただ、そんないいサムライだったのだけれど、任務で命を落としたと聞いている。話を聞いた後、お墓参りをしに行って。
それで随分泣いたな。
サムライの奥さんはこの村の人で、サムライが亡くなってからも僕が会いに行くと、良くしてくれたっけ。
ただその人も去年なくなった。
子供はいないらしかった。
宿に泊まって、そんな事を思い出す。そして、ご飯にする。
とにかくお金は節約しなければならないので、仮眠だけ念の為少しとって、それですぐに出る。
貴族街に入ると、警備らしいのが声を掛けて来た。
身分証……ロザリオとかいうらしいけど、それを見せて年齢を告げると、ああと納得したらしい。
どこに行けば良いのか、丁寧に説明してくれた。
ただ、その速度で走るのは危ないから止めろと言われて、しぶしぶ早歩きにする。
馬車が通っている。
絹だかの色とりどりの作りも凝った服で着飾っているラグジュアリーズが行き交っていて、そいつらの中には僕をゴミみたいに見る奴も多い。
むかつくけど無視。
早歩きしていると、何だか服を着崩した、ガラが悪いのがラグジュアリーズ達を睨んでいた。着崩しているのは筋肉を敢えて見せつけて、男らしさをアピールしているのだろうか。まあ大胸筋とか腹筋とかなかなか凄いが。
見た感じ僕と同じカジュアリティーズだ。背は随分高い。
此処にいると言う事は、多分成人の儀に来ているのだろう。
「成人の儀に来たの?」
「ああ。 て、ガキ?」
「残念だけど成人の儀に来たんなら、僕と君は同い年だよ」
「マジか。 て、そのごっつい棒なんだよ。 そんなん持って平気なのか」
平気とにやりと笑うと、柄が悪い奴はちょっと態度を改めた。
子供みたいだな。
僕が愛用している棒「とんぼちゃん」を見て、それで実力が分かったらしい。実力がある奴には敬意を払う。
そういう奴だ。
早歩きしながら話す。
この柄が悪いのはワルター。キチジョージ村より、もっと麓の村から来たらしい。キチジョージ村から来たと聞くと、あっと声を上げる。
「お前まさか、キチジョージの鬼っ子か?」
「それ、定着してるんだ!」
「してるしてる! やったらめったら強いガキンチョみたいなちいさな女がいるってな! そっか、お前か! その棒、平気で振り回せるのか」
「僕の一部みたいなもんだよ。 これに蜻蛉が止まると、なんだかちょっと安心するんだよ。 だからとんぼちゃんって呼んでる」
ひくりと笑顔を引きつらせるワルター。
命名のセンスがおかしいというのだろうか。
まあ、それはいい。
そのまま歩いていると、今度はやたら身なりがいい男が、ラグジュアリーズと揉めているのを見る。
どうやら下働きの子供を殴ったラグジュアリーズに対して、一歩も引かずに文句を言っているようだ。
「君は貴族が平民を教育するなどと言っているが、些細な失敗など誰であろうとするものだ。 アキュラ王であってもな。 事実アキュラ王もそう手記に残している! 君の今の態度、貴族たるラグジュアリーズに相応しいものだとはとても思えないな」
「なんだとこの……!」
「ま、まて。 こいつ確か……」
「! くっ、此処は引き下がろう。 だ、だが私は悪くなどないからな!」
仲間らしいのにたしなめられて。捨て台詞を吐くと、ラグジュアリーズが行く。
やるもんだな。
言葉だけで傲慢な腐れラグジュアリーズから下働きのまだ幼い子供を守って見せた。
ラグジュアリーズの中には、カジュアリティーズに触るのさえ嫌がる輩が存在しているが。
平気で手を貸して立ち上がらせ、優しい言葉も掛けている。
此奴もラグジュアリーズらしいが、まあたまにはこんな奴もいる。
詳細はわからないけれど、まあ助けるべきだろう。だから支給されている傷薬を渡す。この傷薬、国からどの家にも支給されていて、緊急時は誰もが使った経験があるのだが、本当に良く効くのだ。何で出来ているのかは分からない。ただ、とても良く効くので誰もが使っている、そういうものだ。
薬草なんかに知識がある老人も、成分は分からないと断言していたっけ。ラグジュアリーズも同じように使っているらしいし、分かる筈だ。
「ほい傷薬。 使って」
「ありがとう。 助かるよ。 ……君はそのロザリオを見る限り、成人の儀を受けに来たのか。 その棒を見る限り相当な使い手のようだが、随分と小柄だな……」
「みんな同じ反応するね……」
「コホン、僕はヨナタン。 僕も同じように成人の儀を受けに来たんだ。 そうか、君達もか」
手当てまで丁寧にするヨナタンを見て、ワルターは露骨に顔をしかめている。
感じの良い笑みを浮かべているヨナタンと、なんかあわないという雰囲気である。
まあ、雰囲気も真逆だし、仕方がない。今の場面、ワルターはあからさまに放置して先に行こうとしていたし。
弱い奴は弱いのが悪い。そんな雰囲気である。
軽く話しながら歩く。
足の長さが随分違うけれど、歩く速度は殆ど同じだ。
門の前。
最初に来たと思ったのだけれども、そうでもないか。もう既に、かなりの人が集まってきていた。
「夜通し走ったのに、なんだかんだで近くに住んでいる人の方が有利だなあ」
「夜通し走った!? ほ、本当なのか。 しかもそんな棒を担いで?」
「多分本当だろうな。 此奴、結構な有名人なんだぜ。 俺等漁師町の人間ですら名前を聞くくらいにな。 キチジョージ村の鬼っ子って言ったら、彼方此方の引退サムライの所に押しかけてくるとんでもない強いガキだって俺の所まで噂が流れてきてたぜ」
「ガキいうな。 君らとおない年だってば」
ワルターの奴め。頭二つくらい僕より高いからって。肘とか僕の頭に乗せそうな雰囲気である。
ただ、距離の詰め方が上手なのも事実だ。
僕みたいな手合いに苦手意識がないのか、一度胸襟を開くと、ぐいぐい話してくるようである。
僕の場合色々周りが怖がったりするから、柄が悪いのに上手に距離を詰めてくるワルターのやり方はちょっと勉強したい。
そうこうしている内に、扉が開かれる。
城のなんだかいう広場でガントレット様にあって、成人の儀をやるそうだ。実際にはこれを受けないカジュアリティーズも多いのだけれど、今年はそれを防ぐためにわざわざ広域に話を広めたのだろう。
「貴方たち、並んで中に入りなさい」
後ろから声を掛けて来るのは、ものすごくしっかりした雰囲気の女だ。多分この女も成人の儀を受けに来たのか。多分ラグジュアリーズだろう。服なんかがとても上物である。それでいて動きづらそうなドレスでもないし、髪も短く綺麗に切りそろえている。女が黄色い声を上げそうな容姿だ。
その女はワルターを見て、背筋が曲がっていて服装もだらしないとぴしっという。柄が悪いワルターに臆していないのは育ちが良さそうなのになかなかの度胸だ。
一方僕に対しては、違う方向から攻めてきた。
「貴方は……その、殿方のような頭と服装はともかくとして、背筋はしっかり伸びていて立派ですわね。 ただ、その恐ろしい巨大な棍棒はなんですの?」
「僕の相棒のとんぼちゃんだよ」
「棍棒に名前をつけているんですの?」
「そういう面白い奴なんだよ。 キチジョージの鬼っ子って言われて、結構麓の方では有名人なんだぜ」
自分の事のように楽しそうなワルター。
お空に浮かんだ不思議なものを見た猫みたいな顔で絶句する女。数秒停止するが、立ち直ると咳払い。女はイザボーと名乗っていた。
古くはイザベルというのが正しかったらしいのだけれど。近年はこう崩すのが正式になっているらしい。或いはそういう風に崩す方がそれっぽいからかも知れない。正式な言葉は、特にラグジュアリーズは気取って使ったりして。魔法の言葉に無理に混ぜたりするものなのだ。
イザボーは指先までとにかく動きがしっかりしている。
僕みたいに武術を習う過程で身体制御を隅々までやるようになったタイプじゃない。生活の過程で、身体制御を学んだタイプだろう。
腰に帯びている細剣が、飾りとも思えない。
かなり剣の方も出来ると見て良さそうだった。
ともかく、指摘されたとおり並んで、順番を待つ。
最初に入った奴が、落胆して出てくるのが分かった。一人ずつ呼ばれて入っていく。ガントレット様の数はあまり多く無いと聞いているが。
それ故なのだろうか。
いずれにしても、合格している奴はいないようだ。みんなガッカリした様子で出ていく。ラグジュアリーズが、こんな筈は無い私は選ばれた人間だとか言いながら出ていくのを見ると、ちょっと胸がすく。
最初にワルターがいく。
扉の先はアキュラ王の像がある広場のようである。其処で前に見たことがある、現在のサムライ衆の長が、厳しい目を光らせていた。口ひげを少しだけ蓄えた、威厳のある男性だ。
一目で強いと分かる。
多分今の僕より二回りは強いはずだ。ざっと見ただけでも。
他にも数名のサムライ衆が控えているが、長はあからさまに実力が段違いだ。一応武芸をやっているので、立ち姿だけでそれが分かる。
呼ばれたワルターがアキュラ王の像の前でなにやらしていたが、やがておおっと声が上がっていた。
「合格。 今日からお前はサムライだ」
「やったぜっ!」
「色々と手続きと教育がある。 服も支給するから、彼方に向かえ。 説明は係の人間がする」
「おう。 これからよろしく頼むぜお頭」
ワルターが悪びれもなくサムライ衆の長にいうので。サムライ衆の長は、流石に苦笑いしたようだった。
まあ、ガラは悪いけれど根っからの悪人ではない事が分かる。
続けてヨナタンが行く。
ヨナタンも選ばれたようだ。
僕の所からは何が起きているかは見えないのだけれど、ちかっと光って。そして何か喋っているように見えた。
「続けて合格だ」
「有難うございます。 彼方で手続きを受ければよろしいのですね」
「そうだ。 行ってこい」
「はっ!」
びしっと敬礼を決めると、ヨナタンも行く。あの様子だと、サムライ以外の雑兵として、軍役を経験しているのかも知れない。ラグジュアリーズの一部は、ノブレスなんとかというので、軍役を経験するらしい。
その割りには、大した使い手を見た事がないが。
強い奴はだいたいサムライ衆だ。
そして、僕が出る。
ふとイサカル兄ちゃんが来ていないかと思ったのだけれども、来ているか分からない。いつのまにか、滅茶苦茶人がきていて、吃驚するほどだった。
後ろでは、整列させるべく苦労しているようだ。おかしな話で、カジュアリティーズが綺麗に列を作っているのに、ラグジュアリーズが列に割り込もうとしていたりして。サムライ衆が面罵したりしている。
何が貴族だか。
僕は歩きながら、アキュラ王の像の前に。
なんか碑文があって、其処で名前を名乗る。
長には前にあったことがあるのだが、視線を見る限り僕の事を覚えていた。
だが時間がないのだろう。
成人の儀のやり方を教えてくれる。
手甲かこれは。
ガントレット様は、これのことなのか。
「余り数がない品だ。 手に嵌めろ。 こういう風に」
「ええと、力を入れすぎないように気を付けて……。 あれ、思ったより頑丈だ」
「やりづらかろう。 その棒は預かっておこう」
「はい、ありがとさんです」
ひょいとサムライ衆にとんぼちゃんを渡すと、一人がすっころびそうになって。あわててもう二人が必死にとんぼちゃんを抱えた。
サムライ衆の長が、その有様を見て、一人でとんぼちゃんを掴んで支えて見せる。
鋭い視線を受けて、サムライ衆達が恐縮する。
やっぱりこの人強いな。
僕はガントレット様を手に嵌める。手甲だが、なんだろう。からくりみたいになっていて。たくさん色々とついている。そして、真っ黒な板みたいなのがある。それに触るように言われた。
出来るだけ優しく触る。
次の瞬間、ぴかっとガントレット様の黒い板が光り。僕の頭の中に、なんだかよく分からない光景が流れ込んできた。
僕の背が高い。馬に乗っているのかこれは。
手にしているのは、とても長い槍。
あれは、なんだろう。不思議な鎧を着た人がたくさんいる。矢が飛び交っている。殺し合っているのか。
馬を急かすと、僕が叫ぶ。
雷霆みたいな叫び声だった。
「多勢であるが怖れるな! 我等はあの〇〇さえからも国を守りきったもののふぞ! 数だけ集めた烏合の衆など怖れるに足りず! 懸かれっ!」
「応っ!」
「〇〇〇〇、参る! 命惜しくないものは、我の前に出よ!」
「エイエイオウ! エイエイオウ!」
凄まじいわめき声。やがて、巨大な槍を振り回しながら、僕はたくさんの人の中に突っ込んで、血しぶきを巻き上げ始めていた。
はっと目が覚める。
そして、いつの間にか、黒い画面は白くなっていた。
文字が凄い勢いで流れていて。
そしてOSがどうたらと知らない単語が出た後。
ふっと、立体映像で、半裸の女性の肩から上の姿が浮かび上がっていた。流石の僕もびっくりする。
目元は見えないが、綺麗な顔と声だ。
「始めましてマスター。 あら、随分と小さくて可愛い子ね。 私はバロウズ。 ハンドヘルドコンピューティングデバイスの、ナビゲーションシステムよ」
「えっと、よろしくねバロウズ様、でいいのかな。 僕はフリン」
「合格だ。 一度同じように触れて、スリープというんだ」
「ええと、スリープ」
バロウズが、軽い感じでバアイとか言って、そのまま消えてしまう。
驚いた。
そして、サムライにこれで僕はなった。
壊さないように気を付けろと言われて、頷く。ガントレット様が、僕に答えてくれた。
絶対にサムライになるんだと思っていたけれど、まさか本当に。
とんぼちゃんを返して貰う。サムライ衆の長の力は凄く強くて。返して貰う時にもそれがよく分かった。
「後は係に聞くように」
「はいっ!」
「次、つかえているから急げ!」
「分かりましたわ!」
後ろで返事したのはイザボーだ。
とんぼちゃんを握る手に、汗がにじんでいるのが分かった。そして、強い高揚感が浮かんで来ている。
バロウズ様と色々と話してみたいのもあるけれど。
夢が叶ったというのが、どうしても大きい。
僕の次にイザボーが試験を受けていたけれど、イザボーも合格したようだ。四人連続だと、サムライ達がどよめいていた。
だが、記録は其処までだ。
それからは、しばらく不合格が続いた。見ていると、不合格の人はガントレット様に触っても、何も起きないようである。
割烹着みたいなのを来た女性が来て、此方だと僕達四人を案内してくれる。
これから、サムライになるための研修を受ける。
そう思うと、とても嬉しかったし。
何よりも、希望が胸の中に溢れるのを感じた。
2、サムライになって
最初にサムライ衆の服が支給される。サムライ衆は基本的には、青い服を着ていて、戦闘用に動きやすいようになっている。
それも白い服の上から青い服を二重に羽織る仕組みで、服もこれは絹じゃない。素材はよく分からないが、いつも僕が着ていた木綿の服よりよっぽど頑丈だ。ちょっとした刃物くらいなら、武術経験者だったら受け流せるだろう。
服を着る前に湯浴みをして、眠っておくように言われる。
成人の儀は数日続くのだ。
それが終わって、志願者が全て成人の儀を受けてから、細かい研修をするということだった。
僕はお風呂に入ってそれで体を綺麗にして。
石鹸だの潤沢にあるもので髪も体も隅々まで洗って。
それでさっぱりしてから、サムライの制服に袖を通す。
ちなみに武器は自由だというのは、以前に引退サムライに聞いていた。
引退サムライはガントレットも返してしまうのだが、それでも経験を積んで身に付けた武術まで失うわけではない。
何処の村でも獣が出たりして荒事になると、現役のサムライ衆が来るまでに持ち堪えたり、カジュアリティーズを指揮して避難誘導させたりと、仕事は一杯ある。僕みたいなのが押しかけて、武術を教えるのは希らしいけれど。
それにしても、僕のにぴったりの丈の服があるのは驚きである。
着替えてから、四人で集合する。背がみんな順番に違っているので、これはこれで面白い。
一番高いのがワルターで、一番低いのが僕。
こうしてみると、イザボーも決して長身ではないのだと分かる。ワルターは普通の男衆よりも頭一つ背が高い。
「よくお前用のサムライ服あったな」
「隊服と言いましてよ」
「隊服か。 とりあえず覚えた」
「此処だけの話、サムライになる人間に貴賤はない。 だから育ちが余り良くなくて、背が高くないサムライは珍しく無いんだ。 フリンさんは背が少し低いけれど、今までに例がなかった訳じゃないんだよ」
ヨナタンがさん付けで呼んでくれるので、呼び捨てでいいよと答えておく。
いずれにしても、中庭に出て、少し動いてみる。それで服は破れる様子もないので、かなり頑丈だ。
僕が軽く動くのを見て、ヨナタンとイザボーは度肝を抜かれていたようだが。
ワルターは面白そうに口笛を吹いていた。
「やるなあお前。 噂以上だ」
「軽業師も真っ青ですわね……」
「ああ、想像以上だ」
そういえばヨナタンとイザボーは知り合いみたいに口を利いているな。
軽く演舞をして、その後残心する。
とんぼちゃんを振るうとちょっと危ないので、今は無手での演舞をしていたが。
遠く、アキュラ王の像がある広場を見ていると、喚声が上がっていた。
合格者が出たな。
「今年は凄いな。 もう五人目だ」
「去年まで衛士がカジュアリティーズが成人の儀を受けに来るのを嫌がらせで遠ざけたりしていたからですわ。 本来だったら合格者は毎年出ていたのに」
「噂によると、一部のサムライがラグジュアリーズだけでサムライを独占して、それで派閥を作って国政に関与しようとしていたらしい。 ギャビー様にそれを告発されて、まとめて更迭されたそうだ」
「サムライにまでなる奴にも、そんな反吐野郎がいるんだな」
ワルターがぼやく。
僕もちょっとそういう話を聞くと悲しい。
引退サムライは、基本的に出身地に戻るそうだ。僕が見てきた引退サムライは、みんなカジュアリティーズだったのだろうし。
それで、僕の気持ちがわかる人ばかりだったのかも知れない。
ちなみにギャビーというのは司祭の偉い人らしい。ひょっとして、前に見たあの冷たい目の人だろうか。そう、何となく思った。
五人目の合格者が来る。
イサカル兄ちゃんかなと思ったのだが、違った。
なんだかきざったらしく髪を整えた、ラグジュアリーズの男だ。僕らを見ると、ふんと鼻を鳴らす。
鼻持ちならない奴である。
「なんだ、猿がサムライ衆になったのか。 それも二匹も」
「口を慎みたまえ!」
「貴方がサムライ衆になるとはね、ナバール。 ガントレットの選別も、本当に人格など関係無いようだわ」
イザボーは此奴を知っているのか。
というか、ラグジュアリーズのようだが、どうもそんなに戦えそうには見えない。
ナバールと呼ばれた男は、イザボーの強烈な拒絶を受けて露骨に怯む。
気も小さいんだな此奴。
「き、君がサムライになるのは予想していたよ。 ヨナタンもな。 だが、平民をサムライに選ぶのこそ、ガントレットの選別がおかしいのではないのかな」
「お言葉ですけれど、さっき見せてもらったこのフリンの実力、貴方なんて足下にも及びません事よ」
「同感だ。 僕の父は剣術の達人だが、それでも勝つのは難しいだろうな。 凄腕だ。 サムライ衆の次世代の長になれるかも知れないほどの逸材だとみて良い」
イザボーもヨナタンも滅茶苦茶褒めてくれるので、ちょっとこそばゆい。
舌打ちすると、ナバールという男は居づらくなったのか、サムライの隊服を受け取りに行ってしまった。
その様子を心配そうに見ている小さい男の子。
僕の視線を受けると、首をすくめて、使用人らしいのに連れられて戻って行ってしまった。
「知り合いか、お前等」
「サムライの名門の出の男でナバールと言う。 一家から高名なサムライを何人も出しているのだがね」
「不本意ですけれども、わたくしの婚約者であったこともありましたわ。 幼い頃に性根が分かって、お断りさせていただきましたけれど」
「婚約者ねえ」
僕もそうだったが、キチジョージ村とかそういうちいさな集落だと、親が結婚相手を決めるのが当たり前で。
決まったら余程の事がない限り強制的に結婚だ。
僕の場合は鬼っ子なんて余所でいわれていた事もあるし、僕自身が米俵よっつ担いで走り回っている札付きのガキ大将だったこともあるだろう。相手側の親が嫌がっていたようだし。
同年代はイサカル兄ちゃん他少しいたけれど。
イサカル兄ちゃんは僕とある程度仲が良かったけれど、他の男は僕の事を女どころか、影で猿とか呼んでいた。
だから僕としてもお断りだし。
いつもお小言いっていた両親だって、僕を猿呼ばわりするような相手の所へ嫁にやるつもりもないようだった。
「僕は皆の想像の通りだけど、ワルターは?」
「皆の想像通りって……まあわりいが、だいたい想像はできちまうな。 俺は何しろ暴れ者で悪名高かったからな。 お前だけはお断りって感じで、それで婚約者なんて出来なかったよ」
「ワルターって漁師だよね。 荒くれが多いって聞くけど」
「まあな。 それでも限度があるんだよ。 何度か喧嘩で年上のチンピラをけちょんけちょんに伸してからは、とくに色々な。 ただそれでも、俺の村の引退サムライが面倒を見てくれて、それでサムライになれって言ってくれたのさ。 捻くれて漁師を続けるくらいだったら、サムライになって自分なりの自由を見つけろってな」
武術もそれで教わったんだと、自慢そうなワルター。
そっか。
ワルターにも尊敬できる師匠がいるんだ。
それはとても良い事だと思う。
ちょっと皆に断って、広場の方を見に行く。
ひょいひょいと跳躍して、石壁を登って、それで上に。なに、木登りに比べれば簡単だ。
使用人らしい女の子が度肝を抜かれていたが。
まあ度肝くらいは抜いても良いだろう。
石壁の上からだと、凄い人数が来ているのが分かる。
そして、たくさん来ている人もよく見えた。
イサカル兄ちゃんは。
まだ来ていないか。
僕はこれでも目が良いので、一目で大人数の中にいるイサカル兄ちゃんを見分けることも出来る。
しばらく見ていたが、合格者も出ないし、イサカル兄ちゃんもいない。
それで、この日は終わっていた。
隊舎というらしい。
サムライ衆は基本的に宿みたいなのの部屋を貰って、その部屋で一人暮らしする。
石造りだから、僕の家と同じだけれど。
ただとても広いし、壁なんかはしっかり出来ていて、物音もしない。とても静かな空間だ。
僕の家とは偉い違いだ。音なんて外からも入ってくるし外にも漏れる。隙間だらけだった。
幼い頃は分からなかったけれど、両親なんかはそんな状態だからまぐわうのは随分苦労していたようだし。
何しろどの家も音が漏れるから、家が近いと余所の夫婦のそういう声がどうしても聞こえてげんなりしたっけ。
ちなみに部屋に異性を連れ込むのは厳禁で、破った場合は一発で除隊……サムライを首だそうだ。
まあ僕としても別に男と同衾したいとも思わないので。
サムライを除隊したくもないし。
男なんぞ連れ込むつもりはない。
最初の任務は研修も兼ねるらしく、それまではまずはサムライとしての生活に慣れろと長に言われた。
そうすることにする。
まずは規則正しく寝起きする。
それだけである。
翌朝まであっと言う間だ。僕は農家の出なので、朝一に起きだす。
中庭に出ると、ちょうどいい木。昨日のうちに見つけておいたのだ。
まずは腕立てからだ。
とんぼちゃんを背負って、腕立て開始。
ひゅんと音がするほど、加速して腕立てをする。まだ鶏が鳴く前だけれど、もたつくとすぐに時間が立つ。
朝ご飯までに、やる事はやっておきたい。
100、200、300。
そう呟きながら、腕立てを続ける。
体が温まってきたので、速度を上げる。
サムライが何人か遠巻きに僕を見ているようだが、気にしない。
腕立て2500、終わり。
次はとんぼちゃんを地面に置くと。ひょいと木の枝に掴まる。良い感じのしなりと太さだ。
その後は、懸垂開始。
こっちも、木のしなりを利用して、ひゅんと音を立てながら、懸垂を開始。
木のしなりが加わるから、腕の筋肉の調整に丁度良い。
体の調整の重要さは、引退サムライの誰もが言っていた。
姿勢を良くするのにも、体を制御するのにも全て意味がある。それを何度も反芻しながら、ひゅんひゅん音を立てて、懸垂する。
木の枝が折れないように気を付けて、それで何度も何度も。
やがて、2500が終わったので、地面に着地。
ふう、いい汗掻いた。
貰っているハンカチを使って、綺麗に汗を拭っておく。とんぼちゃんも、近いうちに綺麗に洗っておこう。
鼻歌交じりに、教わっている食堂に行く。
どうやら僕の朝の日課を見ていたようで、昨日のナバールとかいう奴が。顎が外れたように僕を見ていた。
「お、昨日の。 君も僕と同じ鍛錬やる?」
「じょ、冗談だろう! お前は化け物か!」
「違うよフリンだよ」
「お、恐ろしい! 何者だ。 他のサムライもこんななのか!?」
何を今更。
サムライを何人も出している「名門」だろうに。サムライ衆の長は僕なんかよりずっと強いと言うと、更に青ざめるナバール。
小首を捻る。
ともかく、朝食に出る。
ナバールは明らかに隅っこで食べている。ワルターが僕の隣に座ってきて。ヨナタンとイザボーも向かいに。
わいわいとサムライ衆が食べている。
パンが多いが、僕はご飯を頼んだ。ちなみに、ご飯もちゃんと出てくれる。
肉は、これは牛か。キチジョージ村では、殆どお祝いの時くらいにしか食べられない。嬉しくてがつがつと頬張る。量も申し分ない。
「俺は魚の方が好きだな……」
「あらワルター、食事のマナーはしっかりしていてよ」
「ありがとよ。 俺の恩師のじいさまに、この辺りは躾けられたんだ。 サムライ衆になってからはこういうのも五月蠅く言われるってな」
「それに加えてフリンは、ちょっと教育が必要ですわね。 犬みたいに食べるのはおやめなさい」
あ、怒られた。
イザボーがいうには、食事も武術同様にしっかり背筋を伸ばして食べろというらしい。
分かった。ヨナタンの真似をして見る。
そうすると、イザボーが黙り込む。
「……ひょっとして、一度見た動作、すぐに真似できますの?」
「これくらいの動作だったら難しく無いよ。 ただ、慣れるまでちょっと疲れるかもしれないね」
「慣れてくださいまし。 わたくし達は、模範になる存在ですのよ」
「そうだね。 キチジョージ村のチビ達の見本にならなきゃいけないし。 両親にも恥はかかせられないし」
ちょっと疲れるけれど、食べ方は改めるか。
食事を終えた後、成人の儀を見に行く。
イサカル兄ちゃんが来ていた。
きっと受かる。
そう思っていたけれど。
ガントレットは、光らないようだった。
肩を落として戻っていくイサカル兄ちゃん。僕が様子を見に行くと、この世の終わりみたいな顔をしていた。
「イサカル兄……」
「笑えよ。 結局駄目だった。 その格好、お前は受かったんだな」
「キチジョージ村は僕が守るよ。 それに偉そうなカッコウしてるラグジュアリーズだって殆ど受かってない。 だから気負わないで」
「ありがとうな。 だが、今は優しい言葉が胸に刺さるんだ。 また、機会があったらあおうぜ」
そういうと、肩を落として去って行くイサカル兄ちゃん。
どうしてガントレット様は選ばなかったのだろう。
そう思うと、憤りが湧いてくるのだった。
誰も彼も、やることを決めて。それ以外の事をするな。それがこの国のあり方だ。
自由になれるのはサムライだけ。
だから僕はサムライを目指した。
イサカル兄ちゃんもそれは同じだったのだろう。
いや、まて。
イサカル兄ちゃんは、或いは。
僕に勝ちたくて、サムライになりたかったのが主体だったのか。それで選ばれなかったのか。
でも、それでも。
僕も納得出来なかった。
その日は、ずっと中庭でとんぼちゃんを素振りした。とにかく雑念を払いたかった。
恋愛対象ではないかもしれないけれど、ずっと僕の兄貴分で。ずっと親しかった相手だ。その挫折だ。悲しくないわけがない。
素振りの千や二千でマメが出来るほど柔な鍛え方はしていないし。
この程度の太刀筋が鈍るほど心だって弱くない。
だが、今日はひたすら素振りをして、心を落ち着かせたかった。
結局それから二日で成人の儀は終わり、僕はサムライ衆になった。合格者は結局五人だけ。
あれからは合格者は出なかったのだ。
ガントレット様は正式に支給されて。以降はサムライ衆を抜けるまでは肌身離さず持つこと。
身分証と同じように。
そう、厳しく言われた。
それから、幾つかの研修を受けた。
サムライ衆に求められるのは武芸だ。まずは師範が皆の腕前を見た。僕達四人は一発で通ったが、ナバールが大苦戦していた。
見ていると、一応剣術らしいのは出来るようだが、明確に鍛錬が足りていない。いわゆるお座敷剣法と言う奴で、いいのは見栄えだけだ。
サムライ衆の師範は引退前の老サムライだが。腹を空かせた熊みたいな気迫の屈強な人物で、ナバールを何度も容赦なく叩きのめしていた。
「ひいっ! 私にこんな事をして、私の家が黙っては……」
「お前の親を鍛えたのはオレだ。 今日ちょっと文句を言いに行ってくる。 早々に引退したと思ったら、息子をこんな腑抜けに育ておって、許せん! 立て! お前は素振りから鍛え直す!」
「のぎゃああああ!」
情けない悲鳴を上げるナバール。
僕は、ちょっとイザボーに同情した。
「あれと結婚させられるかも知れなかったってマジ?」
「確かそれ訛りでしたわね。 大マジですわ」
「良かったね早めに婚約破棄できて」
「うちの家も、相応にサムライを出している「名門」ですのよ。 ただナバールの家は政争目的でサムライになる事を目論んでいるような場所で……ナバールの父親もサムライだったのですけれど、武勲の話は聞きませんわ」
そんなのもサムライになるんだったら。
それこそイサカルをサムライにしてほしかった。
それから座学をやる。
ちょっと座学は苦手なのだが、ヨナタンとイザボーが教えてくれる。
基本的に本は「バイブル」とかいうのを「司祭様」ってのが読み聞かせてくれるのだけれど。
これがとにかく退屈なので、僕としては余り好きじゃなかった。
とりあえず文字を書けないけど読めるので、順番に本を読んで、サムライの仕事について学んでいく。
サムライの仕事は、民を守る事にある。
講師をしている老サムライが、細かく指導してくれる。
悪魔と言う言葉も時々出てくる。
悪魔はサムライが使役するだけではない。
時々、実際に出現するそうだ。
東のミカド国では、時々大きな災害が起きる。100年ほど前にも、大火事で一つ村が滅びた事があったらしい。
それも実際には伏せられているが、悪魔の仕業だったのだそうだ。
「悪魔の力は熊などの比では無い。 手練れのサムライ衆が束になってもかなわない事もある。 だからサムライ衆になる君達は、これから「奈落」で鍛錬をするのだ」
「奈落?」
「悪魔の巣だ」
「……」
悪魔の巣。
つまり村を一夜で焼き滅ぼすようなとんでもない存在が、わんさかいるということか。
しかも話によると、それはあのアキュラ王広場の地下から行く事が出来るという。
深い階層構造になっていて、浅層はサムライ衆が駆除を進めているから雑魚しか出ないが。
深くに潜ると、どんどんとんでもない悪魔が出てくるのだという。
そしてある層では、凄まじい強さの悪魔がいるらしく。
生還者はいないそうだ。
「その層は、特別なことがない限り立ち入り禁止だ。 サムライ衆は今回の大々的な募集でも新人が五人だけ。 それにガントレットの在庫にも限度がある。 サムライ衆の戦力は、ひらの兵士とは訳が違う。 だがその分精鋭の補充、訓練はとても大変なのだ。 君達も、とにかく命を粗末にしないようにな」
講義を終えて戻る。
それにしても悪魔。
話には聞いていたが、どんな奴らなんだろう。
ヨナタンとイザボーは知っているようである。
そういえばイザボーはサムライが家族にいるのか。ヨナタンも、この様子だとあるいはそうなのかも知れない。
「二人は悪魔を知ってるの?」
「実物を見た事はないが、話には聞いている。 子供の様に見えても凄まじい剛力の持ち主であったり、巨体で何もかも挽き潰すような奴もいるのだとか」
「空を自在に飛んだりもするようよ。 東のミカド国にも希に現れるらしいのだけれども、どこから出ているかは分からないのだとか」
「俺はそんな奴見た事もないけどな」
「いずれにしても猪なんかの比じゃ無さそうだね。 僕のとんぼちゃんが通用するといいんだけど」
講義についても、ナバールはやる気が無さそうで、講師に睨まれているようだ。
座学が得意なのかと思ったが、そうでもなさそうである。
どうしてあんなのが。
それとも、これから成長するのだろうか。
いずれにしても、彼奴の代わりにイサカル兄ちゃんを選んで欲しかった。
そう思うと、複雑だ。
城の中には、サムライの為の店もある。
此処では傷薬をはじめとしたお薬がたくさん売っているが、それだけ戦闘が苛烈だとみて良いだろう。
また、酒場もある。
とはいっても、酒を飲むのではなく、仕事を受ける場所だ。
サムライ衆は重要任務以外は意外と好きなように仕事を受けて良いらしく。ある程度経験を積むと、それぞれが単独や、少人数の気があう組で動くそうだ。
ちなみに恋愛は出来るだけするなと言われた。
女性のサムライも他にもいるのだが、特に女性は恋愛は止めておけと釘を刺される。
まあ、子供が出来たらサムライの任務に支障が出る。身重で動くのは厳しいし。
ただ、子供を何人も産みながら、サムライとして現役で戦い続けた者もいるらしい。サムライ衆の長にも、そういう豪傑もいたそうだ。
イザボーと僕だけ呼ばれて、そういうときのための講義も受ける。
子供は乳母に預けられて、ほぼ自分で育てることは許されないらしい。
産休も与えられるが、その代わり給金はその間半額になるとも言われた。
サムライ衆になった場合、特に女性は子孫を残すのを諦めた方が良いし。子孫を残す場合も、キャリアに傷がつくと判断しろとも。
また、恋愛対象が出来たときは、素直に申告するのは絶対条件。それもかなり厳しいらしく、申告しなかったら重大な減俸。とくに男とまぐわった場合は申告しなかったら即座に除隊だそうだ。恐らく肝心なときにつわりとかで戦力にならなくなるのを警戒してのことなのだろうと僕は冷静に分析する。田舎の村の出だ。つわりで苦労する妊婦なんて幾らでも見ている。男勝りの農作業をしているおばちゃんが、つわりで身動きできなくなるのをみて、子育てって大変だなとも思ったし。
産婆の手伝いをして、母子ともに亡くなるのをみて。それで子供を産むのが命がけなのだって知っている。
僕は背も伸びなかったし、子供なんて産もうと思ったらなおさら命がけだろう。まあ産むつもりはないけど。
イザボーは複雑そうな顔だ。
講義が終わった後、聞かれる。
「フリンは素敵な殿方と恋に落ちてみたくはありませんの?」
「うーん、あんまし興味ない」
「そう。 わたくしはどちらかというと大恋愛というのに憧れていましてよ。 でも最低でもわたくしより強い相手が良いですけれども」
「そうだねえ」
まあ、サムライ衆にはあの長もいるし、強いのがかなりいる筈だ。
これはひょっとすると、イザボーはかなり早い段階で誰かしらとくっついて、一緒に任務はできなくなるか。
いずれにしても、初期講習は終わる。
一月ほど掛かったが、僕達はかなり出来が良いらしい。ワルターもガラは悪いが座学で苦労している様子はなかった。
ナバールもあんなだったが、サムライ衆としては実はあの程度は普通らしい。
だとすると、サムライ衆は悪魔と戦う事で、加速度的に育つのかも知れない。
男子三日会わざれば刮目してみよだったっけ。
まあ男子だけとは限らないけれど。
あのナバールも、短時間で成長するのかもしれないし、僕も侮るのはほどほどにしておく事にする。
そして、応用の講習が始まる。
いよいよ、奈落とやらが舞台になるのだ。
3、悪魔
奈落の前。
アキュラ王の像の裏側で、先達のサムライ達が並ぶ中、サムライ衆の長。名前をやっと知ったのだが、ホープというらしい。
ホープは昔はもっと優しい雰囲気の男性だったらしいのだが、悪魔に婚約者を食い殺された過去があるとか。
そうか。
悪魔はそれほど危険なのだな。
そう僕は肝に命じる。
階段が長く下へ続いている奈落には、いつも手練れのサムライが貼り付いているそうだ。
というのも、希にかなり強力な悪魔が、上層まで上がってくるらしいのである。
それらが出る時は、ホープを初めとする最精鋭が対処に当たるのだとか。
数人のサムライが戻って来て、ホープに耳打ちする。
「よし。 ではお前達五人、実戦訓練だ。 現在三層まで問題なく活動できる状態になっている。 悪魔はいるが、少なくとも先達達が助けに入れば撃退出来る範囲の雑魚ばかりだ。 お前達五人は、みっつの課題をこなして貰う」
一つ。
ホープが声を張り上げる。
悪魔を倒せ。
まあ、これは予想していた通りだ。
二つ。
悪魔と交渉して仲魔にせよ。
これはちょっと想定外だ。だが、サムライは悪魔を従えるとか聞いている。交渉して従えるのか。
ガントレット様あらため、ガントレットでいいらしいので、様付けは外すが。とにかくガントレットの使い方は講習で習った。ガントレットの精バロウズと話す講習もあったのだけれども。
様をつけなくていい。むしろバロウズが僕に従う立場らしいので。その通りにさせて貰う。
このバロウズが色々な機能を持っているらしく。
悪魔と交渉するのも、代行でやってくれるそうだ。
マッカを渡される。
「講義で教えたとおり、悪魔は自分より弱い相手には絶対に従わないし、何よりも相手が格上でも隙さえあれば足下をすくおうとする。 悪魔を従えるには契約だ。 マッカと後は宝石などがいいのだが……たまに傷薬などでも満足してくれる。 生命力を吸い上げる奴もいる。 そういったものを上手に使って、悪魔を従えろ。 悪魔を従えた後は、幾つかの応用があるが、それはまた教える」
これについてはちょっと予想外だが、それでもやるしかない。
そして最後。
「三層の奥に、赤い目立つ石をおいておいた。 悪魔が持っていかないように見張りのサムライがいるからすぐに分かるはずだ。 そこまで従えた悪魔とともに辿りつけ。 人数分はあるから、問題は無い筈。 この初期任務をこなしたら、諸君はやっと一人前のサムライだ。 心してかかれ」
「はいっ!」
四人の声が揃う。
それに対して、ナバールはあからさまに腰が引けている。使用人を連れて行っても良いかとか言い出す有様。ホープが一喝して。それですくみ上がっていた。使用人を肉盾として使うと言う訳だ。まあホープ隊長が怒るのも当たり前である。弱きの盾になるサムライが、弱気を盾にするなんて言語道断だ。
僕が最初に出ると、おっと嬉しそうに声を上げて、ワルターが続く。
そのまま長い階段を下りていくと、露骨に空気が変わった。
いわゆる広場に出た。湾曲した石の階段が、下に続いている。これは、色々と違う。殺すつもりで突っ込んでくる猪を前にした時なんか比じゃないくらい肌がひりついている。
思わず口の端をつり上げる。
どうしてこの武力があるのか分からなかった。
だけれども、これが悪魔の気配で。
これが人々を苦しめる存在で。
此奴らから人々を守るためにこの武力があるのだとすれば、これほど嬉しい事はないだろう。
階段の上には数名のサムライが見張っている。恐らく死にそうになったら割って入るというわけだ。
皆かなりの手練れである。
僕は階段をゆっくり下りていく。
辺りにはかなり気配がある。サムライ衆が強い訳だ。此処にいる連中は、熊なんかおやつ代わりに食べてしまうような存在だろうから。それに対応できるのだとすれば、強いのも当然だ。
階段を下りきると、一段と肌が冷えた。
そして、周囲に早速現れる影。
剣が全身に突き刺さった男。どう見ても生きているとは思えない。
それが、うめき声を上げながら此方に迫ってくる。バロウズが説明を入れてくれる。
「邪鬼ラームジェルグ。 戦いで死んだ亡霊が悪魔化したものよ」
「随分と不思議な格好だね」
「来るわ、構えてマスター」
言われるまでもない。
躍りかかってくるラームジェルグより早く動くと、僕は踏み込みと同時に、全身を捻って後ろ回し蹴りを叩き込んでいた。
手応えが堅い。
とんぼちゃんを持ち込みたかったな。
がつんと音がして、ラームジェルグが吹っ飛ぶが、地面で耐えて見せる。顔を上げたラームジェルグが。雄叫びを上げて剣を構えようとするが、その時には着地した僕が地面を蹴り、その顔面に飛び膝を叩き込んでいた。
顔が砕ける手応えがあったが、それでもなお動く。
反動で跳びずさった僕に、剣を振り下ろしてくるラームジェルグ。剣筋は、見える。それほど大した使い手じゃない。
ただ、力が強い。
二度、剣撃を紙一重で見切ってかわすと、踏み込み。
双掌打を叩き込む。
それで尻餅をつくラームジェルグ。
態勢を立て直す前に、跳躍しつつ、全体重を乗せた蹴りを奴の顔面にもう一度叩き込んでいた。
小柄な僕でも、それでも全体重を乗せた一撃、それも加速して撃ちだしたものだ。
それを受ければ、普通だったらひとたまりもないのだが。
ラームジェルグは石壁に叩き付けられ。
それでまだ動こうとし。
そして、それで力尽きた。何か良く分からないものになって消えていく。
「対象のマグネタイト化を確認。 流石ねマスター。 マグネタイトは自動回収するわ」
「ええと、マグネタイトってのが悪魔のご飯なんだよね。 悪魔が死んでもマグネタイトになるんだね」
「正確には、この世界に悪魔が体を持って降り立つためにマグネタイトが必要なの。 人間の体はマグネタイトそのものだから、悪魔も好物にしているのよ」
「なるほどね……」
上を見上げる。
サムライの一人が、フリン、悪魔を撃破と叫ぶ。頷くと、僕は先に行く。
横ではワルターがラームジェルグと激しく戦っている。ワルターは渡されている短槍で剣での攻撃を捌きながら徐々に押し込んでいるようだ。
ヨナタンはなんだか二つの頭を持つ馬みたいなのとやりあっている。イザボーも同じ相手と、華麗な剣術で渡り合っているようだ。
僕は先に行かせて貰う。
広間みたいなのを抜けると、狭い通路に出た。
講習でやったのだが、奈落は敢えて複雑な通路にしているという。
講習の途中でアキュラ王の伝承について復習した。
アキュラ王は奈落を通って現れ、後から追いすがってきた悪魔の群れを、天の御使いとともに退けた。
そしてアキュラ王が初代となって、この東のミカド国を作りあげた。
アキュラ王はまた悪魔が東のミカド国を陥れる事を避ける為、奈落を複雑な迷宮にした。
そういう話だった。
確かにこの狭い通路だと、長物は不利だな。
そう思っていると、不意にカラフルな羽を持った女の子が飛び出してくる。どう見ても人間ではない。
構える僕に、その女の子は興味深そうな視線を向けた。
「新米のサムライ? え、素手なの?」
「槍を持ち込みたかったのだけれど、槍はこういう所では扱いにくいからね。 それで次に得意な無手で来た」
「流石に悪魔を相手に無手で……」
「既に一体倒したよ」
そういうと、うそと笑いかけて。そして笑うのを止める女の子。
どうやら信じてくれたか。
まあいい。
バロウズが解説してくれる。
「妖精ナパイアよ。 ニンフと呼ばれる最下級神の一種ね。 人に友好的でもあるし悪意を持って襲ってくる事もある。 気を付けて、マスター。 先のラームジェルグよりは上の悪魔よ」
「……話が通じるなら、交渉というのは出来るかな」
「マスターの実力であれば、出来ると答えるわ」
「よし、じゃあやってみるか」
お金を出そうとするが、ナパイアがひょいと至近距離から顔を覗いてくる。
飛び離れると、くすくすと笑う。
「いや、今の隙かと思ったら、油断してないね。 油断しているようだったら、首を刈り取ってやろうと思っていたんだけど」
「其処までバカじゃないよ。 で交渉は? 僕は殺し合いでも一向にかまわないけれど」
「いや、いらない。 貴方凄く面白いから、仲魔になってあげる。 大サービスよ、ウフフ」
それは、幸運だったと思うべきなのか。
ともかく、ナパイアが実体を失い、ガントレットに消える。バロウズが、かなり幸運な事だと説明してくれた。
「迷宮の地図はマッピングをしておくわ。 迷った場合はすぐに告げてねマスター」
「おっけい。 みんな無事かな」
「相互リンク機能を確認する限り、息絶えた者は近場にいないわね」
「……」
一番心配なのはナバールだ。
あの様子だと、ラームジェルグなんかとても斃せないだろう。
ともかく、迷宮の中を歩いて行く。
そうすると、酷い臭いとともに、死体が此方に来る。サムライの服を着ているが、既に息絶えているのが明白だ。それなのに歩いている。
「屍鬼ゾンビよ。 死体に悪魔が宿って、そのまま動かしているものだわ」
「……楽にしてあげよう」
「戦うのね。 見かけよりかなり強いわ。 気を付けて」
頷くと、僕はゾンビ化したサムライに襲いかかる。
こんな所で息絶えて無念だっただろう。
壁を蹴って立体的に相手に迫ると、対応する前に蹴りで腐った頭を胴体から切り離していた。
一度戻り、物資を補給する。
六渡の戦闘を経て、支給されていた傷薬が尽きたのだ。何度でも補給して挑めと言われているので、そうさせて貰う。
ナパイアの他に、フケイというおじさんの顔をした鳥も仲間になってくれた。ただフケイは、圧倒したら怖れてそのまま降参した感じだったが。
僕はこれでも危ないと思ったらすぐに引き返すタイプだ。帰路の分も含めて、傷薬の残量が気になった。
それにおなかもちょっと空いた。
それで戻って来て、今用意されていたおにぎりを黙々と食べている。
少し遅れて、ワルターが戻って来た。
かなり疲れたようで、座り込むと傷薬をくれと補給班に頼んでいた。補給班はサムライではなく、カジュアリティーズの人間が雇われているようである。この下で何をしているかは知らないようだ。
「ちょっとお前が戦ってるところを見たが、無手でもいけるんだな」
「なんとか通用するね。 それと悪魔とやり合ってると、その力が流れ込んでくるみたいな感触を受ける」
「俺もだ。 少し戦いは楽になったと思うが、まだまだ厳しいな。 補給したら、もう少し先まで行ってみる。 何日で奥までいけるかなあ」
「君達も無事だったか」
ヨナタンもボロボロで戻ってくる。
背負っているのはナバールか。案の場悪魔にこっぴどくやられたのだろう。死んでいないだけマシだな。
その元婚約者の醜態を白い目で見ているイザボー。
見苦しくない程度の化粧をしているが、やはりかなり手傷を受けている。華麗なだけの剣術では、多分通用しないのだ。かろうじて勝ったという感じがありありと伝わってくる。
「マスター。 悪魔の中には、打撃が通じにくい者もいるわ。 そういう相手と戦うために、悪魔から魔術を習うのも手よ」
「魔術? 魔法とかの事?」
「呼び方が違うだけで基本的には同じね。 目くじらを立ててどうこういうほどの違いはないわ。 悪魔が信頼してくれれば教えてくれる事も多いし、人でも使えるものよ。 後は、人知を越えた武術もそうね」
なる程ね。
ともかく、ご飯は食べたので、トイレに行って。
それですっきりしたので、すぐに再挑戦する。思ったより時間が掛かっていたので、今日はもう一回の挑戦で終わりだろう。
ナパイアとフケイを即座に展開する。
僕より戦力が落ちても、悪魔は悪魔だ。
奈落入口付近での戦いは、ぐっと楽になった。
だが、少し進むと、すぐに悪魔が次々姿を見せる。見た事がある奴は対処が難しくはない。
今度はドロドロの塊みたいなのが来る。こいつは初めて見る。
「外道スライムよ。 マグネタイトが足りなくて、実体化し損ねた悪魔の末路ね」
「うーん、殴ると溶けそうだ。 フケイ、風の魔術」
「よかろう!」
フケイが何か知らない言葉を唱えると、烈風がスライムに叩き付けられる。
一発では倒し切れないが、それでも二発、三発と叩き込むと体がえぐれていき、やがて消し飛んで跡形もなくなった。
マグネタイトはバロウズが自動で回収してくれる。
よし。余力充分。奥へ。
階段を見つけるが、其処にも悪魔が屯している。先輩のサムライが要所で見張ってくれているが。
これは油断したらすぐにやられるだろうな。
そう思いながら、僕は確実に進む。
羽の生えたでっかい獣が出てくる。魔獣グリフォンというらしい。
何だかよく分からない動物を掛け合わせた存在らしいが。それらの存在が此処ではもう知られていないので、とても弱体化してしまっているそうだ。
いずれにしても、勝てない相手ではないが。
此奴を撃ち倒したら、一度戻る。
今日は、ここまでだ。
体が軽くなっているが、辺りは悪魔がまき散らしたのか、見るからに有毒な液が散らばっている。
最初は連携して戦うな。一人一人での対応力を見る。
勿論一人前になってからは、複数人で任務に当たる事も増える。だがそれ以前に、一人のみで強敵と戦う力も必要なのだ。
ホープ隊長がそう言っていたので、僕も仲間を連れてただ戦うだけだ。
モコイというなんだか体が緑色の、木の枝を組み合わせたみたいな悪魔も仲間に加えて、更に奧に。
どうやら此処が三層で。
此処に石があるらしい。
バロウズがナビをしてくれている。三層はそれほど広くはないらしく、本番になるのはこの下くらいかららしい。
悪魔の力も段違いに上がるそうだ。
確かに、手練れらしいサムライが見張りについている。それに、全身がひりつくような気配がずっと消えていない。
この三層にも、強力な悪魔は出るのでは無いのか。
そう思えて来る。
ちょっと段差になっている所があるな。でも、普通じゃ届かないか。
バロウズのナビは的確で、迷路を確実に覚えて、それでアドバイスをくれる。僕としても、頼りになると思う。
そして、今までのアドバイスを見る限り、あの段差の先しか、もう行ける場所がない。
辺りの地形を見て把握。
これは恐らく、悪魔の力を使って高い所に行くのを想定しているのだろう。だが、それは必要ない。
確かに此処まで来るのに悪魔の力も使った。
だが、僕は。人間の力で、出来るだけのことはやってみたいのだ。
跳躍と同時に、壁を蹴る。壁を蹴り上がって、更に跳躍。幾つかある瓦礫を順番に蹴り上がって、最後には回転しつつ、その回転の遠心力まで利用して、高い所にまで上がっていた。
着地。
ちょっと着地は失敗したが、まあこれだけ出来れば充分だろう。
驚いた顔をしているのは、先に此処で待っていたらしいサムライだ。
「お、おい、身体能力だけで此処に上がったのか!」
「はい。 いけると判断したので」
「……ま、まあいいだろう。 本来は悪魔に力を借りて此処に上がるんだが、そんなやり方は指定されていない。 だが、くれぐれも無理をするなよ。 軽業を失敗して死んだりしたら、それこそ笑い事にすらならないからな」
「ありがとございますっ。 戻りますね」
さて、皆はどうだろう。
赤い石が一つ不意に浮き上がると、消えた。
僕はおっと思って、段差の下を覗きに行く。ワルターがそこにいて、側には椅子を持った子供みたいなのが浮かんでいた。
「ありがとなポルターガイスト」
「ワルター」
「見てたぜ。 流石はキチジョージの鬼っ子だ。 俺は其処まで行くのが面倒だから、ちょっと小ずるい手を使わせて貰ったぜ」
へっへっへと悪そうに笑うワルター。
でも、手に入れる手段なんて誰も決めていない。隣にいる見張りのサムライも、苦笑いをしていたが。駄目だとは言わなかった。
「ワルター、ちょっとどいてくれるかな。 大がかりな術を使うんだ」
「ヨナタン」
「お、何をするんだ」
「見ていれば分かるさ。 アーシーズ、頼めるか」
ヨナタンが呼び出したのは、茶色い人型だ。
それが辺りの石をかき集めて、やがて階段を作り出す。見張りの先輩サムライが、おおと驚いていた。
それを一歩ずつ堅実に上がってくるヨナタン。
そして僕の側にまで来ると。先輩サムライに敬礼をして、そして石を手にとっていた。
「短時間で悪魔を使いこなしているな。 流石に噂に聞く俊英だ」
「ありがとうございます。 ……彼方からも来ますね」
見えた。
三層の狭い天井を這うようにして、飛んでくるイザボー。
鳥の悪魔二体が、イザボーを抱えて飛んでいる。あれは、女性の顔した鳥の悪魔だ。
なんだかちょっと性格が悪そうな顔をしているが、大丈夫だろうか。
すっと優雅に着地するイザボー。
「おぞましい毒があまりにも酷い臭いでしたから、工夫しましてよ。 ありがとうオシチ。 帰りも頼みますわ」
イザボーも赤い石を手に取る。
そういえばもう一人。
ナバールはどうしたのだろう。手をかざして見ていると。半死半生でこっちに来るナバール。
ヨナタンに、ワルターが言う。
「その階段、崩しちまえよ」
「流石に其処まではしなくても良いだろう。 僕もこの階段で下りるつもりだ」
「登って来やがった」
ナバールを支えているのは、心底嫌そうな顔をした子供のような悪魔だ。
バロウズが地霊コボルトだと教えてくれる。
コボルトというのは伝承が色々ねじ曲がってはいるものの、結局はお城などに現れて、気に入った存在の手助けをしてくれる悪魔だそうだ。それがいつの間にか鉱山などに現れて、貴重な石をそうでないものに変えてしまうと言う伝承と混ざり合い。更には犬の顔をしているなどと言う伝承も混ざったのだとか。
その結果、ナバールを支えているコボルトは毛深くて、尻尾も犬みたいなのが生えている。
ナバールがへろへろになっていて、それで体重がかかっているからだろう。
半泣きになっているコボルトを見かねたヨナタンが手を貸そうとしたが、先輩が厳しい目で見ていたので。それで嘆息する。
階段を這い上がってきたナバールは、赤い石を手に取る。そして、何故か僕に自慢げな視線を向けていた。
ぷるぷる生まれたての子鹿みたいに震えているのに。
コボルトが軽蔑しきった目をナバールに向けている。なんでこんなのに捕まったんだろうという表情だ。
「は、はは、取ったぞ。 わ、私もこれで、やっと一人前だ」
「悪いけれど、皆実力でこの石を手に入れたのに、貴方はヨナタンが作った階段を利用して、しかもその為体。 生きて帰る自信はあって?」
イザボーが鋭い指摘をする。
ワルターはうんうんと頷くと、さっさと先に行く。イザボーもオシチという悪魔を呼び出すと、元婚約者を放ってさっさと行ってしまった。
流石に見かねたか、ヨナタンが提案する。
「石は手に入れました。 未来には優れたサムライになるかも知れません。 僕がついて行きましょうか」
「駄目だ。 入口まで自力で戻るまでが最初の任務だ。 君が未来の俊英である事は分かっているが、それでも此処で手を貸す事はこの者の為にはならない」
「分かりました。 ナバール、君も此処まで来たんだ。 帰りを歩いて来るくらいは出来るな」
「な、何を」
咳払いすると、ヨナタンは僕を見る。
そして、とても真面目でまっすぐなことを言う。
「フリン、手伝ってくれ。 帰路の悪魔を掃討しておこう」
「分かった。 いいよ」
「ありがとう」
「僕としても世界が広いことがよく分かったから。 帰り道も悪魔を掃討して、それで少しでも力の肥やしにするよ」
その答えを聞いて、先輩のサムライがちょっと呆れていた。
ナバールはその場でへたばっているが。まあ、帰路を一時的に安全にしてやるくらいだったら良いだろう。
それに、悪魔を従える事には成功しているのだ。
きっと、最初より強くなっている筈。
誰だって最初は弱いんだ。
それが成長できるのなら。
それに、その成長できるという点では僕だって同じだ。心が成長できるかは、また別の話ではあるのだが。
アキュラ王の像がある広場まで戻る。
先に戻ったワルターとイザボーは手当ても終えて、既に休んでいた。
大の字に横になっているワルターと、綺麗に横座りをして、ハンカチで汚れを拭っているイザボーが対照的だ。
僕達が広場に現れ、最後に半分気絶しているナバールが、コボルトに引っ張られて出てくると。失笑が上がり掛けたが。
ホープ隊長が咳払いする。
「この最初の訓練で、死者が出る事も昔はあった。 生きて帰っただけ皆立派だ。 みなサムライになれる訳では無い。 サムライになっても、悪魔に不意を打たれて歴戦の者が死ぬ事は幾らでもある。 皆は悪魔との戦いに慣れているかも知れないが、今のこの者の姿は過去の皆だ。 そしていずれは皆を超えていく可能性もある。 それを忘れるな」
「は、はいっ!」
「良く最初の任務を達成したな。 五人とも合格だ。 報告は既に受けている」
ホープ隊長の側に具現化したのは、立派な槍を持った雄々しい戦士だ。白い鎧を着ていて、威厳と力強さが共にある。
もの凄く強い悪魔なのは一目で分かった。
この悪魔が、他のサムライと一緒に、僕達を監視していたのだろう。そういえば具現化されてみると、この気配が時々あったように思う。
「幻魔クーフーリン、ご苦労だった」
「あれがクーフーリンか」
「流石だぜ……」
サムライ衆もひそひそと話している。
確かに凄まじい強さが肌で分かるし、それを従えているホープ隊長の実力にも納得がいく。
この人はカジュアリティーズ出身らしいし。
偉そうにしているラグジュアリーズの謎の自信なんて、なんの根拠もないのだなと僕にはよく分かる。
ホープ隊長が、皆を厳しい目で見て、それで次の指示を出した。
「まずナバール。 そなたはしばらくは奈落で基礎訓練だ。 戦力が足りない。 先輩と連携して、下級の悪魔を狩れ。 それで力がついてきたら、本格的なサムライの任務についてもらう」
「ええっ……」
「異論があるのか。 あれだけ苦戦していて。 サムライ衆が任務で戦う悪魔は、奈落上層に出る悪魔など比較にならない実力だぞ」
「ひっ!」
ナバールが青ざめる。
そして、こくこくと頷く。
まあ、それでいいのだろうと思う。正直、僕としてもこいつと一緒に任務なんてやれる気がしないし。
ただ、僕達にもホープ隊長は甘くなかった。
「フリンは個人武力が優れているが、それでも小技がほしい所だな。 これより悪魔合体を教える。 仲魔をガントレットの力で合体させ、強力な悪魔を作る秘技だ。 それらの悪魔とともにしばらく雑多な任務をこなし、悪魔からあらゆる状況に対応できるように魔術を学べ。 ヨナタンはとても満遍なく優れているが、搦め手をもう少し覚えろ。 敵が騎士道精神を持っていないことは学んだはずだ。 ワルター、そなたは逆に戦いの時以外は礼儀を学ぶように。 そのような言動では、いずれ周りの誰もついてこなくなるぞ。 お前にもいずれ後輩が出来る事を忘れるな。 イザボーは流麗だが、圧倒的な力で迫る悪魔にはそれでは少しばかり頼りない。 足りない力を補うような悪魔を集めて、対応力を上げるように」
「はいっ!」
皆にそれぞれ駄目出しが入った。
ただ、ワルターもクーフーリンをみて、ホープ隊長の実力は一目で分かったのだろう。此奴は相手が強ければ、素直に言う事を聞く。
だから、敬礼もしっかりしていた。
それから、僕達四人は「第十六分隊」という部隊名で、しばらくは活動する事になったのだが。
別に常にこの部隊で活動する訳でもなく、それぞれで仕事を自由に受けて良いらしい。
ただ緊急任務が入った場合は、それが優先になるそうだ。
「酒場にKという男がいる。 サムライ衆の実力を把握していて、それで適切な仕事を回してくれる。 それらをこなして、サムライとしての実績を積み、自身の力も高めろ。 では、以上だ」
これで僕も正式にサムライだ。
教わっていた郵便屋さんに出向く。
サムライ御用達の郵便屋さんだ。護衛にサムライもつく。悪魔でも出無い限り、荷物が奪われる事はない。
ラグジュアリーズですら、サムライには基本的には強く出られないのだ。
それはここしばらくで、ラグジュアリーズのいる貴族街に何度か出て、その時にサムライの隊服を着ている僕らを見て連中の態度がまるで違うのを見て実感できた。
郵便屋さんで、最初に貰ったマッカの余りと。
戦闘時に悪魔から巻き上げたマッカの幾らかを、実家に送っておく。悪魔を撃ち倒すと、時々マグネタイトだけではなくマッカや、換金できるものも落とすのだ。特にゾンビになってしまったサムライのしがいから回収したガントレットを持ち帰ると、それをホープは悲しそうな目で見て、相応の賞金をくれた。
念の為に傷薬も入れておく。
問題は字をあんまり書けないことだ。手紙は魔法の言葉ではなく、正式な言葉で書かなければならないのである。
イザボーが来て、何をしているのか聞いてくる。そして事情を聞くと、苦笑いしていた。
「無双の武芸を持つ貴方でも、そんな欠点はあるのですわね」
「正式な言葉の字を書くのも覚えないとね。 ごめん、今は代筆頼める?」
「分かりましてよ。 貴方とは仲良くやっていけそうですし」
「ありがと」
両親に、お金を送ること。
サムライとしてやっていけそうだということ。
それに少し悩んだが、イサカル兄ちゃんがおかしな方向に道を踏み外さないように気をかけて欲しい事も書く。
多分僕が何か言うのは逆効果だ。
心についた傷ってのは、治るのに何年だって懸かる。
だから、イザボーに代筆して貰う。
字を書いたのはイザボーっていう新しく出来た友達だとも書くと。イザボーはちょっと恥ずかしそうにした。
「ラグジュアリーズの世界は、権力闘争の縮図で、友達なんてのはまずいないんですのよ。 上下関係とその時の権力者に対する阿諛追従が全てですの。 友達というのには、昔から憧れていましたわ」
「そっか。 でも、カジュアリティーズに触るのもやだって雰囲気のラグジュアリーズと違って、ヨナタンやイザボーはそういう表情しないよね」
「そんな連中はただの外道でしてよ」
「そっか」
嘘はついていなそうだ。
手紙を出す。
そして、酒場に二人で行く。
サバトの調査、という任務があった。サバト。聞いたことがない言葉だが、それも幾つもあり。
先輩サムライの中でもベテランが受けているようだ。
店主はKという元サムライだが、このKというのは通常語の基礎文字となるアルファベットだ。
代々の店主がAから順番にアルファベットの名前を継承していて、今代はKであるらしい。
かなりの武勲を上げたサムライらしく、今でも優れた武勇を失っていないのが一目で分かる。
さて、今日からはまずは細かい仕事をこなして、実績作りだ。
お給金が上がったら、また父ちゃんと母ちゃんに仕送りをしないと。
そう思った。
4、知恵のリンゴ
「末の子」は、人間達に本を配って、読めない者には読み聞かせていた。
この東のミカド国では、日本語を魔法の言語と読んでいる。不思議な話だ。日本語を日常的に使っているのに。
英語を公用語にする前は、ヘブライ語を公用語にする案もあったらしいとお母様が言っていたのも聞いた。
あんな未完成な言語を公用語にするなんて。
それにだ。
本を読むと、みんな好奇心で目を輝かせている。
単純な本だけでもそうだ。
バイブルしか知らない。
そういう人ばかりだった。
本を読む集まりが少しずつ出来はじめている。それをサバトとお母様は名付けていた。
サバトというのは、元々はただの一神教とは違う信仰の祭りだった。
それを悪魔へ忠誠を捧げる邪悪なものとしてねじ曲げて。
サバトを行ったとかいう因縁をつけて、多くの人を殺すために用いられたのだとか。
今はサバトなんてものは存在そのものが忘れられている。
伝承のサバトは悪魔と性行為をしたりとみだらなものだったらしいが。
今のサバトは、提供された本をみんなで読んで。
それぞれ感想をいうだけのものだ。
簡単な内容の漫画でさえ、みな感動して涙を流していたり。
こんな面白いことがこの世にあったのかと、打ち震えていたりする。
本当に愚民化されているんだ。
それを知って、末の子は心が痛んだ。
「末の子。 次に行くわよ。 サムライ衆が来ているらしいわ。 お母様は問題にもしないでしょうけれど、私達は違う。 接触は避けるわよ」
「はい、お姉様」
「そろそろ仕上がりね」
「?」
今は、その言葉がわからなかった。
数日後。
遠くから、あれを見ていろとお姉様に言われる。
あれと言われたのは、熱心にギリシャ哲学の本を読んでいた、生真面目そうな農夫だ。素の頭は悪くなく、それですらすらと内容を頭に入れていった。
でも、ギリシャ哲学というのは、初期ならともかく、後期は詭弁の塊だった代物である。
大丈夫なのだろうかと末の子は感じていたのだが。
その農夫は、いきなり苦しみ出すと。
全身が膨れあがり、肉が木っ端みじんに吹き飛んでいた。
え。
思わず絶句する。
農夫を内側から吹き飛ばして現れたのは、悪魔だ。赤く燃え上がる犬。
地獄の番犬というとケルベロスが有名だが、あれも実は「冥界の番犬」であって、ギリシャ神話の地獄タルタロスを守るのは、ヘカトンケイレスという三兄弟の強力な神だ。
あの赤い燃え上がった犬は、地獄の番犬といっても北欧神話のそれ。
ガルムと言われている。
ガルムは悲鳴を上げる農民達に襲いかかると、熊より巨大な体で、見る間に襤褸ぞうきんのように引き裂き始めた。
お姉様がけらけら笑っている。
「ひ、酷い! どうしてこんな事に!」
「あーたそんなんだからおぼこなのよ。 此処にいるのはあの四文字の神に愚民化されて家畜化された人間よ。 ずっとずっと従順なように品種改良されて、知恵なんて一切入らないようにされていた「無垢」だと四文字の神の手下が考えているような、実際には空っぽの器。 其処に大量の知識を放り込んだら、それは悪魔にとって都合が良い器になるに決まってるじゃない。 お母様がアティルト界との通路も作った。 これから本を読んだ人間は、どんどんああなるわよ。 四文字の神の世界は、こうして根元から崩れ去るし、たかが本を読んだ程度であんなになるんだったら、それまでってことよ」
絶句する末の子の前で、ガルムになった農夫が、村の人間十数人を瞬く間に殺戮し、食い荒らした。
更に、引退後のサムライが出てくるが、それにも容赦なく襲いかかる。
だが、そこは腐っても元サムライだ。
ハンドヘルドコンピュータは返してしまっていても、それでも悪魔に教わった魔術と、蓄えた戦力は健在。
ガルム相手に一歩も引かず、最終的には相討ちになってともに果てていた。
燃える村。
泣いている子供。
弱者は死ね。それがお母様の考えだと言う事は分かっていた。だけれど、あんなちいさな子供とか、真面目に毎日を生きている人を弱者というのか。
それを見てケラケラ笑っているお姉様は本当に正しいのか。
お姉様達が、死んだ村人に集って、マグネタイトを喰い漁っている。他にもアティルト界から、雑多な悪魔が実体化し始めているようだ。
「おいしそう。 早く食べようよ」
「いらない……」
「そ、じゃあアンタの分も食べちゃうからね」
側にいたお姉様も飛んでいくと、悪魔リリムの正体を現して、人間の亡骸をそのまま貪り喰い始める。
マグネタイトを得るには、それが一番早いし。
たくさんマグネタイトを得ると強くなる。
泣き叫ぶ子供に襲いかかる悪魔。
辺りは地獄絵図。
だが、飛び込んできたサムライが、子供に襲いかかった悪魔を両断した。サムライは複数。怒りに燃える目をした青い隊服のサムライ達が、お姉様達も含めた悪魔を薙ぎ払い始める。
馬……いやあれは何かの悪魔か。
それに跨がって突入してきた口元に少しだけ髭を蓄えたサムライが、怒号を張り上げる。
「生存者の救出を優先しろ! おのれ悪魔どもめ、一匹もにがさん!」
お姉様が、そのサムライに瞬く間に殺された。凄まじい剣術だ。
だが、お姉様が殺された事よりも。
今起きた悲劇に末の子は大きな衝撃を受けて。その場を逃げ出してしまっていた。
どうして。
どうして本を読んだだけで。
何も知らない事が可哀想だと思ったのは本当だ。だけれども、本を読んだ人間を媒介に悪魔が召喚されるなんて、いくら何でもおかしい。
涙が出てきた。
お母様は弱者は死ねというけど、こんなやり方が本当に正しいのか。
末の子には、とてもそうだとは思えなかった。
(続)
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