変わり果てた東京

 

プロローグ、逃避行

 

決死の作戦だった。

闇に包まれた東京。闇に包まれて既に25年以上。此処には悪魔と呼ばれる恐ろしい存在が跋扈し、まともな秩序も都市インフラも失われた。

破滅的な事態が起こりすぎて、何が起きたのか正確に知っている者など数えるほどしか存在していない。

分かっているのは。

空がいきなり失われたこと。

全面核戦争の話があったこと。

そして、空が失われてから、悪魔という存在が大挙して現れた事。

空と同時に東京から外に出る術も失われ。

1000万都民は、25年以上続いた地獄で既に10万を割り込むほどに減ってしまっている事。

それだけではない。

元々どうしようもない三下犯罪組織だった阿修羅会等という存在が、今では東京の最大戦力であり。

こうなる前に東京に集まっていた自衛隊がどういうわけか持っていた気化爆弾などの決戦兵器を有しており。

それどころか、悪魔もある程度味方につけている事だ。

阿修羅会が有能だったらまだマシだっただろう。

だが此奴らは保身しか考えていない屑だ。

所詮は元犯罪組織。

まっとうな経営だの組織運営だの出来るわけがない。

目先の利益しか理解出来ていないクズと、手当たり次第に人間を食い荒らす悪魔のせいで。

今後人間が増える見込みもなく。

それどころか、減る一方。

更には人間の心も荒みきっており。

いわゆる淫祠邪教の類が多数蔓延り。

人間を喰らう事が分かりきっている悪魔を崇拝するものまで存在する有様だった。

そんな中、この決死の作戦は決行された。

作戦を決行しているのは、自衛隊の生き残りの一部の部隊。今は人外ハンターと呼ばれる存在だ。

現在目指しているのは、混乱の中放棄された司令部の一部。

だがこれは強力な結界が張られている上に、阿修羅会の人間と手先の悪魔が守っており、近付く事ができなかった。

阿修羅会の方でも何度か結界を破ろうとしたが、出来ずにいる。

だが連中の手には、強力な切り札と言える悪魔が幾体も存在しており、これが破られるのも時間の問題だ。

だからやるしかない。

昔は若者でも、今は老人の手前。

参加している元自衛官は僅かな人数しかいない。

殆どは「戦後」世代で。

殺し合う事と、奪うことしか知らない者達ばかり。

皆心が荒みきっている。

それでも人外ハンターは、志を持つように。

いつかきっと道が開けるようにと後続に教え続けて来た。

だが、それでもこんな状況だ。

人間では勝ち目が薄すぎる悪魔の圧倒的強さ。

それに堕落すれば楽になれる現状。

生きる事に執着する意味が見いだせない全てが閉ざされた世界。

そんな中、灯りがぽつぽつと点っている、この暗い世界で。やっとかき集めた、士気が高い精鋭がこの作戦の参加者だ。

一見すると、ただのビルに見えるが。

阿修羅会のチンピラが数名屯している。側にはとんでもない巨大な人間のようなのがいる。

髪も髭も凄まじく、手にしている巨大な棒は一薙ぎで戦車すらひっくり返しそうだ。

あれが、悪魔である。

悪魔といっても神話における魔的存在というわけではない。

神話に登場する善悪含めた人外のもの全てを悪魔と呼ぶ。後年の都市伝説に出現したような存在もひっくるめて出現した場合は悪魔と呼んでいる。このため女神などの神々しい悪魔もいる。おかしな話だが、天使も悪魔に分類されるし。善良な悪魔も性格が悪い悪魔もいる。ただ善良な悪魔は少数派だ。どうしても恐ろしい側面を持っている場合が多い。

悪魔は物理法則が通じない相手も多い。

東京に集められていた自衛隊の10式戦車は対悪魔戦で初陣を飾ったが、雑魚悪魔相手に大いに活躍はしたものの、巨大な悪魔や高位の悪魔には手が出せず、修理も出来ず。やがて全てが失われていった。

人間くらいの大きさでも対戦車ライフルが通じない奴なんてザラにいる。

見かけが可愛らしくても、人間を頭から囓って食ってしまうような奴だっている。

班長をしている志村がハンドサインを出す。

志村は下の名前もあるが。この荒んだ時代では、殆どの人間は名前か名字だけで呼ばれるようになっている。

余裕がないのだ。

志村は自衛隊であの戦争の時新兵だった。

今ではすっかり歴戦の指揮官だ。

殺すのは人間だけじゃない。悪魔を多数倒して来た。

だが同時に、人知の及ばない悪魔の強さも幾らでも見て来た。目の前で、10式戦車を素手でひっくり返された時の衝撃は忘れない。

あの巨人は恐らく霜の巨人だ。種族は邪鬼である。

霜の巨人は北欧神話に登場する、ヨトゥンヘイムと呼ばれる地に存在しているとされる神々の敵……なのだが。

実際には北欧神話におけるヴァン神族と呼ばれる神々と同一ではないかとも言われ。

北欧神話でもっとも人気がある神の一柱であるフレイはこのヴァン神族であることから、実の所元々は神だったのではないのかという話もある。それに巨人と神々が子供を作る逸話も幾らでもあることから、「野蛮で残虐」と設定されてはいるが、その言葉を額面通りには受け取れないし。

何よりも北欧神話の神々の暴虐の数々を知っていると、ヨトゥンヘイムの巨人達が、お前等に言われたくはないと嘆きたくなるかも知れない、とも思う。

ただ、悪魔として今目の前にいるあの霜の巨人は、人間の意識が介在している。

その結果、邪悪で残忍な人食い巨人以外の何者でもない。

悪魔は人の影響を大きく受けるのだ。

最初見境なしに人を殺戮しまくっていた悪魔達が、最近はある程度手心を加えている様子が見受けられるのも。

或いはだが。

人を滅ぼすと、自分達も滅ぶことを知っているから、なのかも知れない。

東京は封じられ、そして今や外がどうなっているかも分からない。電波も一切届かないからだ。

だがこうなる寸前に、軍部隊は全世界に水爆が発射された連絡を受けていた。

どこの国にも見境なく、全人類を抹殺するのに充分な量の水爆が放たれたという報告だった。

明らかに各国が自己申告している量を十倍は凌駕しているという無線もあり。

その時から。

この狂った事態は始まっていたのかも知れない。

全員配置完了。

そしてそれぞれがスマホを操作。

仕掛ける。

スマホには「悪魔召喚プログラム」というものがインストールされている。というよりも、もはや今はそれ以外の用途では使われない。

これは自分より弱い悪魔を従える事が出来るもので、これを用いて人外ハンターは悪魔を従え、悪魔と戦う。

人間だけが相食むのではない。

悪魔もまた相食む。

それがこの世界の恐ろしい現実だった。

志村が呼び出した悪魔は、膝ほどもない小柄な子供である。幻魔一寸法師という。

伝承にある一寸法師その存在だ。

何体か用途にあわせた悪魔を従えている志村だが、相手は巨人である。故にこの一寸法師を呼び出した。

一寸法師はあまり強くない悪魔だが。この攻撃には適任である。

霜の巨人を示すと、一寸法師は残像を作りながら襲いかかる。

同時に全員で仕掛ける。

「GO!」

「効力射、制圧射撃!」

貴重なタバコを吸いながらゲラゲラ笑っていた阿修羅会のチンピラを瞬時にM16アサルトライフルで始末する。在日米軍も大混乱の中、一部は自衛隊に協力してくれて、そのお下がりだ。

空軍は天井が出来たときに何もできなくなってしまい、ヘリもドローンも飛行する悪魔の好餌にしかならなかった。

巨人が立ち上がり、吠えようとしたが。

その脛が一瞬で両断され。

更に喉がざっくりやられる。

不意打ちもあるが、巨人に対する圧倒的な強さの逸話。巨大な鬼を仕留めたという逸話のある一寸法師だ。

その起源は日本神話のスクナヒコナ神にあるとも言われ、巨人殺しの特攻持ちである。

霜の巨人が、無念そうに消えていく。

「撃ち方止め。 クリア」

「マグネタイトはどうしますか」

「放置。 今回は時間勝負だ」

「イエッサ」

マグネタイト。

色々噂を聞くが、悪魔が実体化するために用いる物質だ。実際はただの蛋白質とかアミノ酸という噂もあるのだが、志村もその辺りは詳しくは聞かされていない。

悪魔が死ぬと、そのマグネタイトになってしまう。今も霜の巨人がいた辺りに積もっていた。

また、悪魔はマッカという独自のエネルギーが結晶化した通貨を用いており、これは今や円に代わって東京で通貨として流通している。

悪魔の中にはマッカを差し出せば見逃してくれる者もいるためだ。

ビルの中に急ぐ。後方を任せ、志村は最前衛で警戒しながら行く。人間に比較的友好的な一寸法師だが、それでも呼び出しているとマグネタイトを食う。こういうのは基本的に先払いしておくものなのだが。それでも実体化させているだけでマグネタイトを消耗するため、普段は非実体化させていて、戦闘時だけ実体化させるのが基本だ。そうしないと悪魔によっては使役者を襲いかねないのである。

低級の悪魔の中には、死ぬと普通に肉になるものもいる。

こういう悪魔が、今や東京の人間の主食だったりする。

情けない話だ。

たくましいと言う事も出来るが。

実際には、文明をかなぐり捨て。人間の強みを全て捨てた生活をしているとしか思えなかった。

暗いビルの中には、僅かな灯りが点っている。

この電気が来ている仕組みもよく分からない。

東京で開発された何かがまだ生きていて、電気を供給してくれているという噂もあるのだが。

志村もその辺りは、上司であるツギハギに聞かされていなかった。

ツーマンセルで急いで地下通路を行く。

比較的早い段階で、扉に結界が張られていた。扉は淡く輝いていて、曼荼羅を思わせる図が浮かんでいる。何度も突破を試みたようだが、びくともしていないようである。

この結界は元々東京に存在していた風水の陣を利用したものとされているが。

どうせ後付だろう。

魔術なんて、それっぽければ意外と発動する。

今の時代、人間でも魔術を使う者は珍しく無いが、それは悪魔に教わるとあっさり出来るようになったりするし。

それどころか、魔術の使い方なんてそれぞれ違っている。

多分世界の法則が壊れてしまったのだろう。

この結界はどうやって張ったのかは分からないが。とにかく何かしら高位の悪魔か、それに力を借りた存在がやったのだと思う。

取りだす符。

敵意がない事を示すものだ。

それを扉に貼り付ける。

すると、嘘のように扉が開いていた。

そのままの陣形で、奧へ。

後列の若い者達は緊張しているようだ。

私語は禁止。

入る前にハンドサインは出してある。

此処は曰く付きの場所で、何かしらの事態を打開する実験をしていたが、結局上手く行かず。

最終的に放棄して、逃げ出すことになったという因縁の地。

呪われているなんて噂まで流れている。

志村は今の悪魔まみれの時代を思うと、それを笑い飛ばせなかったし。笑い飛ばせないことが悔しかった。

灯りが弱くなってきたので、悪魔を一体召喚する。

妖精ジャックランタン。

英国の伝承に登場する、日本で言う人魂だ。ジャックという男がランタンを持って彷徨っている亡霊だという伝承もあるが。今の時代呼び出せるジャックランタンは、カボチャ頭の可愛い妖精である。勿論従えられない場合は、焼き殺される事もある危険な相手であるが。

「ヒーホー! 志村、照らすだけでいいんだホ?」

「静かに。 今作戦中だ」

「分かったホ!」

愛くるしいものだが。

和むには状況が悪すぎる。

軍用装備でもライトは今や貴重品だし、何より誰かの手が塞がっている状態は避けなければならない。

それにジャックランタンはこう見えてそれなりの自衛力がある。

対巨人以外は殆ど役に立てない一寸法師よりは、だいぶ使い路もあるというのが実情である。

通路を事前に教わっている通りに行くと。

やがて、カプセルがいつつ並んでいる、複雑な機械が多数立ち並んだ施設に出ていた。

ナンバーがふられているが、2から5までは既にダメだと聞いている。

制御に失敗した。

そういう話だ。

床には巨大な魔法円が描かれている。

ハンドサインを出して、周囲警戒を指示。

預かっているメモを確認しながら、1と記載されている横倒しになっているカプセルを確認。

1のカプセルには電力も供給されている。

そして中には、銀髪のまだ幼い娘の姿が見えた。

以前は拒否された。

そういう話だ。

そして計画を聞きつけて来た阿修羅会の襲撃もあって、此処を放棄して逃げるしかなかった。

阿修羅会は身勝手なエゴそのもので動く集団だ。

自分達だけ良ければいいと考えて、自衛能力になりうる悪魔召喚プログラムが入ったスマホを、自分達だけ独占するような行動を取っている。人外ハンターの集団である「人外ハンター協会」にも堕落するような薬物だのをまき散らし、仲間内で殺し合ったり、堕落するように仕向けている程だ。

ここで行われたのは、この終わりを迎えつつある東京を救うための希望。

希望なんてものは、阿修羅会にとってはあっては邪魔なのである。

自分達だけが楽をして、残った時間だけ過ごせればいい。

そう考えているような連中には。

自衛官になってすぐに「大戦」に巻き込まれ。

全てを失った最後の世代である志村には、それは受け入れられない。

あの「大戦」前の時代は、確かにろくでもなかったが、それでも此処まで酷くはなかった。

今の若い世代は、希望なんて知らない。

上司であるツギハギは寡黙すぎて何も語らない。

阿修羅会が唯一怖れるとさえ言われている人外ハンターの長であり、天井を越えて先に進んだとも言われているフジワラは、今では半隠棲を決め込んでいる。

それでも時々若い人外ハンターに志を語る。

希望は自分達で掴まないといけないのだと。

志村はそれを若い世代にしめしたい。

もうそろそろ体だって満足に動かなくなるのだ。

「よし。 皆、警戒を続けろ。 もう一度……呼びかけてみる」

志村はカプセルを開ける。パスコードを入れるだけだ。

カプセルは自動で開いた。

内側に眠っている子供は、しばらくぼんやりしていたようだが。やがて強い意思の光が目に宿る。

口を閉じたままだが。

不意に、声が響いてきていた。

「まーたきよったか。 ちょっとまっとれ。 お前達にあわせて言葉を調整する」

「!」

「……よし調整した。 それで何か。 この娘を利用して御輿にしようてか。 ばからしい。 そんなだから、この娘は拒否した。 今度はこの娘を兵器にでもするつもりか。 悪魔だかなんだか知らんが、お前達が最初にやるのは、そのようなものを撃ち払う前に。 人間同士のばからしい争いの収束ではないのか」

娘は口を動かしていない。

ただ、じっと志村を見ている。

穏やかそうな表情だが、目には強い意思の力がある。

喋っているのは、娘ではない。

もしも何か言われた場合は、志を説け。そして敬意を忘れるな。そう指示されている。

相手は偉大なる存在だ。

大戦の時、この東京を核ミサイル多数の直撃から守り抜いてくれた、あの守護神に匹敵するほどの。

跪くと、志村は言う。

「自分は志村。 自衛官をしていました。 この地を守るため、貴方の力をお借りしたいのです」

「人間同士のばからしい争いをまず収めろ」

「仰せの通りにございます。 しかしながら、今はもはや強大すぎる悪魔の前に誰もが希望を失っているのです。 だから阿修羅会等というその場さえ良ければどうでもいい連中が幅を利かせ、東京は乗っ取られつつある! 残念ながら私達には、その絶望に身をゆだねる誘惑から、人々を救うほどの力がありません!」

「たわけがっ! そのような他人行儀であるから、カスに好き放題されるのだっ!」

一喝が飛んでくる。

凄まじい気迫に、思わず首をすくめていた。

これは、確かにとんでもない偉大な存在が側にいる。それがよく分かる。

「まあいい。 ともかく行くぞ。 こんな状態になっているとはいえ、わしが愛した世界よ。 それに、二度目も悪くはないでな。 どうにかしてやる」

「来てくれるのですか」

「実は自力で行くつもりであったがな、無理矢理この世界に呼び出されたらしいこの娘が、力の調整がまだ出来ていないらしいのだ。 お前等がいう悪魔召喚とやらとも違うらしいしな。 未知の技術であるのだろうからやむを得まい?」

「おお……感謝します」

志村は思わず、地面を頭にすりつけていた。

娘は多少もたつきながらも、冷凍睡眠カプセルから出る。

素足のままだが、瓦礫やガラスの破片もあるからと説明しても、首を横に振られた。なんでもある程度は魔術にちかいもので体を守られているらしくて、そんなものは苦にはしていないらしい。

帰路を急ぐ。

阿修羅会がいつ来てもおかしくない。

奴らは愚連隊そのもので、東京を乗っ取れたのもおかしいほどの連中だが。

それでも過剰な武力を手にしているというだけで、今では充分過ぎる程の脅威なのだった。

 

1、堕落の太陽神

 

人外ハンターの本部。純喫茶フロリダ。

そこで、フジワラとツギハギに、作戦の成功を告げると。フジワラは普段は滅多に見せない動揺と感激を一度に飲み込んでいたらしかった。

「まさか上手く行くとは。 アキラとともに天井に攻めこんだ時以来の感激を私は感じているよ」

「……」

ツギハギは頷くだけ。

本当に寡黙な人物である。

ちょこんと椅子を勧められると、娘は座る。名前も名乗ってくれない。

喋れないのかというとそうでもないようである。

また、喋っている存在はやたらと尊大で威厳もあるが。逆に娘は育ちがいいのか、とても行儀良く座っている。

神降ろしというのがあるらしい。

人間はあくまで体を貸すだけで、神の力をその場に呼び出す。

昔は世界中で巫女がそういうことをやっていたようだが、多くは薬を用いたトランス状態でそれっぽい言動をしていただけ。

これは明らかに違うと、志村にも分かる。

つまりあの娘には、何かとんでも無いものが憑いているということだ。

志村は皆に外を警戒するように指示。

フジワラの戦闘力は、実は凄まじい。阿修羅会ですら、ツギハギとフジワラが揃っている状態では、絶対に仕掛けてこないほどだ。

純喫茶フロリダが襲撃されたことは過去には何度かあったらしい。

そのたびに大量の悪魔の死体が積み上げられ、それ以降阿修羅会も此処には手出しはしないと決めたそうだった。

志村は昔ながらの内装が残り、合成とは言えコーヒーが出る店内を見て懐かしいと思う。

こういう店は、大戦の前にすら減りつつあった。

セピアの思い出の中にある、綺麗なもの。

それが此処には残っている。

「阿修羅会がまだ状況を把握していないうちに、作戦を進めたいと考えています」

「ほう。 唐変木どもにやりたい放題させていると思ったが、それなりに策は持っていたというわけか」

「はっ。 軍略の天才であった貴方にアドバイスをいただきたく」

「わし以上の軍略家なぞあの時代には幾らでもいたわ。 まあいい、聞かせてみよ」

志村はヘッドフォンをつける。

他の人外ハンターにも同じ事をするように指示。

これは作戦が漏洩するのを防ぐためだ。

しばし二人が話をした後、ヘッドフォンを外せとツギハギが指示をしてくる。頷いて、ヘッドフォンを外す。

「なるほど、いいだろう。 それが終わったら、他にも色々と聞かせて貰おうか」

「分かりました。 この状況下では、少しでも戦力が必要になります。 拠点としては、この純喫茶フロリダは我々がいるから難攻不落なだけ。 本来の情報集約拠点としては、国会議事堂側のシェルターこそ相応しいのです」

「そうよな。 見た感じ、この拠点は雰囲気はいいがそれだけだ」

娘が出された紅茶を口にして、ふーふーとしている。

動作はとても可愛らしいが、それと関係無く。喋っている言葉の主は段々分かってきたが、中年の男性のようだ。

着せられていたリネンの代わりに何か服をと思ったのだが。

不要と言われた。

靴もいらないらしい。

リネンが元々娘が着ていた服に似ているらしく、しばらくはこれでいいらしい。

まあ、そういうのなら。

元々この世界には、殆ど余裕は無い。

服の類も、廃墟化しているビルなどから漁ってくるのが普通。

もはや供給そのものが存在しないのだ。

野菜なども阿修羅会などが抑えている畑などから取るしかなく、それもあって阿修羅会に従う者が増えている要因となっている。

「馬はおらぬか」

「馬の悪魔はいますが、いずれも癖がつようございます」

「……そうか、では歩くとしようか」

「乗らないのですか」

頷くと、そのまま娘はいく。

とにかく尊大な憑いている存在と違って、歩き方にも育ちの良さが出ているようである。

これはひょっとすると、憑いている存在と同格の者なのではあるまいか。

志村達も、すぐに精鋭を集めてついていく。

向かう先は国会議事堂。

その側には幾つかシェルターがあり。

以前は自衛隊が人外ハンターの前身となる組織を作り、司令部をおいていた。今の司令部は封鎖され、阿修羅会に監視されている。

ただ司令部には幾つかの武器もあり、また隠されている最新兵器も温存されているという話もある。

此処を奪回する意味は大いにある。

娘は意外としっかり歩いているし、なんならひょいと人間の背丈以上に跳躍したりもしている。

純喫茶フロリダで少し食べただけだが。

それでも急速に勘を取り戻しているようである。

これは、生半可な人外ハンターより強いかも知れない。

「何か武器を持ちますか。 剣でも銃でもありますが」

「不要。 この娘はお前等ひよっこなんぞよりよっぽど修羅場を潜ってきているし、何度か戦っていた悪魔だのいう輩に負けるほど柔でもない。 武器はそなた等で持っておけ」

「はっ!」

「今は体を慣らしている所よ。 ちなみに体を慣らすのは娘の意思でやっておる。 わしも武芸は様々な師範についたがな、この娘は呼び出される前の世界で、相当な達人達に武芸を習っていたようだな。 この年でなかなかの達人よ」

まあ、心強いのは確かだ。

そのまま急ぐ。

阿修羅会は既に動き出しているようで、街に寄っている余裕は無い。連中はあまりにも非人道的な事をして悪魔と「共存」をしており、連中を放置していればいずれ東京は奴らが全て支配し、奴らにとっていらない人間は死に絶える。

そして悪魔共の狡猾さから考えて、阿修羅会なんぞでは悪魔に対応できない。

東京はそうなったら終わりだ。

阿修羅会も用が済んだら悪魔に食い尽くされるだろう。

不安そうな部下達を叱咤して急ぐ。

それでもお下がりばかりとはいえ、自衛隊の支給した軍用装備に身を固めているのだ。どれも古い品ばかりだが、この国の製品は長くもつことで知られていた。

志村だけだったらバイクで行きたい所なのだが。

この娘がどれくらいの身体能力を発揮できるかまだ分からないし、分隊規模でバイク移動は練度が必要になる。

残念ながら、最精鋭のこいつらでも、そこまでの練度は発揮できないのが現実なのである。

自衛隊が健在だった頃の先輩達が見たら嘆くだろう。

勇敢で責任感がある人から死んでいった。

悪魔から身を挺して皆誰かを守って斃れていった。

志村はただ生き残っただけだ。

だから、せめて志は継がなければならないのである。

数時間小走りで移動し、その道中で何度か悪魔を斃す。野良で彷徨いている悪魔は地域によって様々だが、今の東京は世界中の神話の神と悪魔が集まっている。それぞれに縄張りを持っている状態で、その地域によって悪魔の毛色が違う。

今一番酷い状態になっているのは池袋なのだが、彼処は危険すぎて近付く事ができない。

阿修羅会につぐ規模と実力を持つ危険組織、ガイア教団が攻略を目論んでいるという話もあるのだが。

彼処に最近住み着いた道教の神、西王母の凄まじい強さは次元違いで。恐らく東京に跋扈する悪魔の中でも最上位の一角。

生半可な方法では斃せないだろう。

そういった輩をどうにかするためにも、少しずつ反撃作戦の準備が必要なのだ。

国会議事堂が見えてくる。

砂漠化している場所も多く、道路なども整備されなくなって久しい。

転がっている廃車の中には死体がそのまま。

戦闘の跡であちこち穴だらけだ。

ひっくり返されている歩兵戦闘車を見ると、悲しくなる。

この辺りも、激しい戦闘があり。

自衛隊は、悪魔を排除できなかった。

そして多くの人々が貪り喰われた。

その後が、この有様だ。

シェルターまですぐ側。

阿修羅会は、ほぼ確定で罠を張っているとみて良い。

「総員小休止、 栄養補給」

「わしが見張っておく。 そなたらは休んでおけ」

「えっ。 よろしいのですか」

「今までの戦闘を見て、そなた等の実力は概ね理解出来た。 この娘はまだ力を発揮しきれておらんが、それでもまとめてもこの娘に及ばん。 良いから休んでおけ」

少し躊躇するが、休ませて貰う。

この東京では、生まれつき生体マグネタイトが多いと称される人間がいる。

まだ若い女でもとんでもない剛力を発揮したり。細い体をしているのに、巨人を殴り倒したりする子供もいる。

栄養も足りていないのに、そういう突然変異で異常に強いのが湧いてくるのが今の時代なのだ。

小休止を終えて、再度移動開始。

全員止まる。血の臭い。

阿修羅会が、いない。

銀髪の娘に憑いている何者かがぼやく。娘も憑いている何者かも歴戦の猛者だというのが反応だけで分かるが、それどころじゃない。

「……これはまずいな」

「総員戦闘配置!」

「悪魔を全部出せ!」

囲まれている。

しかも、阿修羅会じゃない。阿修羅会のチンピラがこの辺りに貼り付いていたようだが、それは全部もう食われて悪魔の腹の中だ。それもそれなりの人数がいた上に、相応に強い悪魔も展開していたらしいのに。

周りには、燃えさかる悪魔がわんさかいる。

どれもこれも、炎を司る悪魔ばかり。

それらが周りを、十重二十重と囲んでいるようだった。

すぐには仕掛けてこない。

志村も悪魔達を出すが、どの悪魔も怯えきっている。こんな規模の悪魔の群れ。率いている親玉が確実にいる。

そして、それはすぐに姿を見せていた。

それはロバの頭を持ち、背中に孔雀の羽を持つ、なんだかよく分からない美意識に身を固めた悪魔だった。

くちゃくちゃとロバの口を動かしているが、阿修羅会のチンピラだった肉を咀嚼しているのは明らかである。

大きさは人間大だが。

違う。プレッシャーが。

とんでもない悪魔だ。

「小腹が空いていたところに人間がたくさん群れているのを見て、ついデザートにしてしまいましたが。 何かに備えているようだったので、待ち伏せしていたら。 やはり本命が釣れたようですね」

「貴様は……!」

「アタシは偉大なる地獄の議長にて、サタン様の衣装係。 堕天使アドラメレク。 アタシとアタシの部下達の腹に収まるまでに短い間、どうぞお見知りおきを」

慇懃無礼に礼をして見せるアドラメレク。

聞いた事がある。高位の堕天使の一角。

堕天使とは神に反旗を翻し、天使から墜ちたものを指す。高位の堕天使はそもそもとして非常に強力な悪魔だが、特にアドラメレクは東京では災害のように認識されている。活動頻度が多く、範囲も広く。炎を扱う悪魔を連れ、出会った人間を片端から貪り喰うからだ。しかもどの陣営の人間だろうがお構いなし。こいつに目をつけられて、生き残ったものは殆どいないという。

巨大な双頭の獅子がいる。

オルトロス。ギリシャ神話最強の怪物テューポーンの子の一人。ギリシャ神話最強の英雄ヘラクレスに殺された存在でもあるが、伊達にテューポーンの子ではなく、非常に強力な魔獣。ある程度知性を持つ神話の荒々しい獣たちを魔獣に分類するが、その一角だ。それが多数。本来は個人名であり一体しかいないオルトロスだが、あれらは分霊体という奴だ。

大量に群れてキチキチ鳴いているのは火鼠。犬ほどもある燃え上がった鼠である。石綿……つまりアスベストはこれの皮だという説があった、中華の古い妖怪だ。かぐや姫の逸話に登場するから知っている者も日本にはいる。これも魔獣に分類される。

火鼠はそれこそ山のように群れている。

オルトロス一体だけでも手に負えないのに、火鼠の群れ。それにまだまだいる。巨大なスプーンを手にした、子供みたいな体格の悪魔。スプーンには燃えさかる石炭を乗せている。

あれは堕天使ウコバク。

地獄の火をくべる下級悪魔だ。

下級とは言え堕天使の一角。決して侮れる相手では無い。それが数十体はいるとみて良いだろう。

これは、まずい。

東京に残っていて、地獄の環境で揉まれている人外ハンターで最強の者でも、撤退を即時決断するほどの状況だ。しかも囲まれてしまっている。

部下達は怯えきってしまっているし、戦える状態じゃない。

ただ一人、冷静なのは、名前もまだ分からない銀髪の娘と、それに憑いている何かだけだ。

「わしがどうにか血路を開く。 志村、ひよっこ共を連れて脇目もふらずに逃げろ」

「えっ」

「ふふふ、貴方この世界の人間ではありませんね。 何処かの神ですか? いずれにしても私のデザアトになってもらいますが」

「あいにくだな孔雀ロバもどき。 半分外れで残りの半分も外れだ。 それにどうやらわしが命を張らなくても良くなったようだ」

今度はアドラメレクが驚く。

一瞬にして、凄まじい冷気が襲いかかり、炎の悪魔達を薙ぎ払っていた。それは文字通りの死の息吹。

魔術が使える人外ハンターは珍しくもないから、こんな光景は幾らでも見る。だが、それにしてもこの破壊力は。

しかも氷は、一瞬にして砕け散り、冷気が僅かに残るだけ。

とんでもない冷気の制御である。これは高位の悪魔でも難しいのではないか。

「いけっ! 今だ!」

銀髪の娘に憑いている者が叫ぶ。

凄まじい冷気に怯えきっている悪魔達の間を、志村がGOと急かして、部下達を先に行かせる。

漏らしてしまっている者もいるが、手を貸して走らせる。

今の冷気から逃れて、着地するアドラメレク。

虚脱している悪魔達を急かす。

「何者の奇襲か知りませんが、貴方たち追いなさい! 逃がしたら貴方たちをデザアトにしますよ!」

「ワカリマシタ!」

「オウゾ!」

オルトロスが音頭を取って、雑魚悪魔達がそれと同時に動き出す。

開けた道の中、一人の女が立っていた。

黒髪を肩辺りまで伸ばした、中肉中背の女だ。不思議なのは、いわゆる陣羽織を着ている事だろうか。

陣羽織は文字通り、陣などで古くに着ていた、戦闘用の羽織である。しかもその陣羽織には、葵の紋……徳川家の紋章が刻まれている。

普通兜も身につけるのが当たり前だが、兜は着けていない。

ただ、手足などは厳しく具足をつけていて。武装はしっかりしていた。

顎で行けとしゃくってくる。

今の冷気、この女か。いや、他に仲間がいるのかも知れない。

こんな女、人外ハンターとして見た事もないが。だが、凄まじい威圧感だ。悪魔達がびくりと女の視線を浴びて一瞬止まるが、後ろからアドラメレクに急かされる。

「何をしているのです! 腕利きであろうと相手は一体! 包み込んで斃し……」

「一人じゃないわよ?」

声は空から。

ノータイムで悪魔達に大量の針が降り注ぐ。

それは驟雨のように、オルトロスや火鼠を乱打し、瞬く間に屍に変えた。死んだ悪魔が、マグネタイトの塊になっていく。

混乱する悪魔の群れに、さっきの陣羽織の女が斬り込む。

長大な刀を振るって、たちまちに悪魔の群れを斬り伏せて行く手並みは、あまりにも凄まじい。

上空。

アドラメレクが跳ぶ。

回り込んでくるつもりか。

だが、空中でもう一人の声。

あれは巫女服か。それを着込んだ人間が飛んでいる。赤い大きなリボンが、非常に目立つ。

凄まじい音と共に、女がアドラメレクを弾き返す。高位の堕天使が、鞠のように弾き返された。着地したアドラメレクが。怒りの声を上げた。

アドラメレクの至近に着地する巫女服の女。自在に飛ぶのかあの女は。

かっと口を開け、並んだ臼歯でかぶりつこうとするアドラメレク。

だが、女は恐ろしく戦い慣れているようで、食いついてくる音速近いアドラメレクの突貫を余裕をもってかわし、肘鉄を叩き込んで地面にぶち込む。肘鉄を叩き込む時に、コンクリが砕けたような音がした。どんな筋力をしているのか。

更に巫女服女はアドラメレクを蹴り上げると、多数の札を放って、空中で爆破。

まともに受け身も取れず、墜ちてきて地面に叩き付けられるアドラメレク。それでも、必死に這い立ち上がるのは、高位堕天使の力故か。

「おのれええっ!」

辺りが灼熱に包まれる。

飛び退いたアドラメレクがキレた。元々此奴は劫火の悪魔。周囲が焼き尽くされるほどの熱量である。

上空に出現したのは、鏝か。

灼熱に燃え上がっているそれを、アドラメレクが、巫女服の女に向けて放つ。

「我が秘技、地獄の焼きごて! 肉の欠片も残さず焼き尽くしてくれるわ!」

「ふうん、アドラメレクね。 それも堕天使。 情けなくないのかしら貴方」

巫女服の女がくるりと舞い。一喝。

それと同時に、地獄の焼きごてとやらが、爆発四散。霧散する。

あれは炎魔術の制御を失った感じだ。

距離は充分に取った。逃げ遅れていた部下も背負って必死に安全圏まで離れる。銀髪の娘は平然と歩いて来ている。

地面から、ぷかりと浮いてきたのはマーメイドか。

鬼女とよばれる、女性の悪魔に分類される存在。

いわゆる女性の人魚だ。最近東京では、地面を泳いでいる姿が目撃される。水場でなくても問題なく移動出来るということだ。

美しい姿を持っている悪魔だが、そこは悪魔。船乗りを歌で誘惑し、船から落ちたところを食べたり、或いは船を沈める逸話を持つ。ロマンチックな人魚姫の物語と裏腹の、恐ろしい存在なのだ。

ちなみに今の東京では、陸を海のように泳いでいる姿を時々見かける。

比較的危険度は小さい悪魔だが、それでも性格は様々で、人間を殺す事を何とも思わない者もいる。

思わず警戒する志村に、マーメイドは穏やかに言う。

翠の髪と、下着のように胸と腰を覆う鱗。体は若干細身で腰から下は魚だが。はっと息を呑むほど美しい。

まさか、先の冷気魔術。使い手はこのマーメイドか。

「大丈夫。 私はあの人達の仲魔です。 危ないからさがっていて」

「わ、わかった」

素直に従ってしまうのは、分かるからだ。

このマーメイド、生半可な個体では無い。

たまに成長して凄まじい強さになる悪魔がいる。下級の悪魔の筈が、何かの間違いかのように上級悪魔をジャイアントキリングするような奴はいるのだ。

此奴はそれのように思う。

腕の立つ人外ハンターが、下級の悪魔を育て上げて、それでそういう存在にすることはあるが。

アドラメレクと対峙している巫女服女を見る。

地獄の焼きごてとやらを破られたアドラメレクは、鬼相を浮かべて、巫女服女に躍りかかる。

だが、攻撃は悉く回避され、それどころか強烈なカウンターの蹴りを腹に喰らって吹っ飛ばされていた。

アドラメレクが吹っ飛ばされる時に、マッハコーンが生じていた。これは、幾ら高位堕天使でも。志村は息を呑む。高位悪魔同士の戦いを見ているようだ。

半分消化された阿修羅会の構成員だった肉塊を吐き出すアドラメレク。

巫女服女の声は冷え切っている。

「情けないわね元バアル」

「な……何故それを知っている」

「中東近辺の雑多な古き神々のことをバアルという。 勿論主神としてのバアルも存在するけれど、それら全てを一神教ではまとめて一つの神格であるように扱い、しかも貶めようとしたから、バアル起源の堕天使が大量に出現する事になった。 おかしな話よねえ。 一神教の神もバアルに大きな影響を受けているというのに。 バアルから貶められた堕天使にはバエルやベルゼブブのように有名な存在も多いけれど。 あんたもその一角。 そうでしょ元太陽神? 元太陽神が、堕天使なんてね。 二重の意味で貶められて、今ではその地位を誇って見せている。 恥知らずにも程があるわ貴方。 雑魚を食い荒らしてイキリ散らしているのは、情けない事に自覚があるからかしら? 誇りも何もなくした駄馬風情が、どこまで恥を上塗りすれば気が済むのかしらね」

「お、おのれ、おのれえええええっ!」

喚きながら、更に全身から熱量を放つアドラメレク。

辺りの地面が融解し始めるほどだ。

銀髪の娘が前に出ると、光の壁を展開する。マーメイドも同じようにして、氷の壁を辺りに展開。

灼熱に当てられているのに、巫女服の女は平然としている。

先とは比較にならない巨大な焼きごてが出現する。

文字通り、辺りを消し飛ばすつもりだ。高位の悪魔になると、核攻撃に匹敵する火力の魔術を扱う事がある。高位の堕天使となると、なおさらだ。

思わず志村も尻込みする中、見る。

あれだけいた悪魔が。

既に全滅している。

この短時間に、あの陣羽織女が斬り伏せたのだ。

それにアドラメレクは気付くが、それでもどうでもいいようで、完全に激高してわめき散らす。

巫女服女は詠唱を始めていた。日本神道系の詠唱を。

「何もかも吹っ飛ばしてやるわ! このアタシに最大級の侮辱をしたことを、地獄で後悔なさい!」

「ふるべゆらゆら、ゆらゆらとふるべ。 我が舞いに呼応せよ……」

「防御魔術なんか貫いてくれるわ! さっきとは違う最大火力の地獄の焼きごてよ! これなら小技なんか通じないわ! まとめて全部死に……いや消し飛びなさい!」

炸裂。

プラズマ化するほどの超高熱と化した地獄の焼きごてが、そのまま其処で炸裂し、辺りを衝撃波で吹き飛ばしていた。

光の壁と氷の壁も、それと相殺して消し飛ばされ。

辺りは凄まじい蒸気で覆われる。

その中、ぐつぐつ煮えたぎるクレーターが。その中央に、呆然としているアドラメレク。その体には、多数の突き刺さった針。

陣羽織女は、今の直撃を避けるために、跳んで離れていたようだ。

巫女服女は。

あれはどういう仕組みだ。傷一つついていない。いや、流石に消耗したようだが。

血を吐くアドラメレク。針が急所を貫いているのは明白だ。

「ど、どういうこと! アタシは腐っても元太陽神! 熱の扱いで人間なんかに負ける筈が……」

「此処が中東だったらアンタの勝ちだったかもね。 あいにくだけれど、アンタはこの地の太陽神じゃない。 例え封印されていたとしても、あたしが遠隔で力を借りたこの地の太陽神に、太陽に関する影響力では及ばないわね。 アンタの熱魔術が残りカスとはいえ太陽の力由来である以上、これ以上は無駄よ」

「か、神降ろしか! そ、そうか、その異常な力も……! おのれ、おのれおのれおのれえええっ!」

渾身の一撃をかわされ、全身に致命打を入れられ、それでもまだ動くアドラメレク。巫女服女には勝てないと判断したのだろう。

こっちに、凄まじい勢いで跳躍して迫ってくる。

既に伊達男を気取っていた面影などない。孔雀の羽はもはやなく、全身の肉が抉れ内臓を腹からぶら下げ、全身に突き刺さった針は痛々しいまでの有様だ。

身構える銀髪の娘。マーメイドが庇うように前に出る。

歯茎までむき出しにして、迫るアドラメレクが吠え猛る。

「たかがマーメイド、どれだけ背伸びしてもアタシに勝てるものか! せめて貴様を喰らって、それで……」

「バカねアンタ」

「?」

「その娘、あたしらの中で最強なんだわ」

巫女服の娘がいった直後。

悪魔達を最初に蹂躙した冷気が、円筒形にアドラメレクを下から襲っていた。それは一瞬でアドラメレクそのものを粉砕して、首から上だけを残していた。転がるアドラメレクの首。

「こ、これは……太陽そのものを否定する……暗い……冷気の時代の理……!?」

「ごめんなさい。 でも貴方に食べられるわけにはいかないの。 それに、私が用があるのは、貴方じゃないの」

「わ、わけが分からない事を……。 か、からだが凍って……これでは再生も……転生すらも……あ、アタシはバアルにも……太陽神にも戻れず滅ぶ……のか」

残っていたアドラメレクの頭が凍り付き、そして砕けていた。

悲しそうにマーメイドがその有様を見つめる。

志村は生唾を飲み込んでいた。

志村の側で平然としていたのは銀髪の娘だけ。或いは、それに憑いている存在だけかも知れなかった。

 

2、隠された扉の奥に

 

壮絶な戦いの跡地。凄まじい熱気をマーメイドが鎮めると、それでようやく一息つくことが出来た。

志村は助けてくれた二人とマーメイドに礼を言う。

手だれたつもりだった。

だが、まだ若いこの二人の娘と、それが連れているのか。それもよく分からないが、この規格外のマーメイドには勝てる気がしない。

とにかく礼を言うと、自己紹介をする。

部下達にも名乗らせる。

銀髪の娘を一瞥だけすると、まとめ役らしい巫女服の女は名乗った。

「あたしは博麗霊夢。 事情あってある隠れ里からこの地に来ているわ」

「隠れ里?」

「この地は東京だった場所でしょう? 其処とはそれなりに離れた内陸の隠れ里。 外が此処まで酷い有様になっているとはね。 話には聞いていたけれど、凄惨な状況だわ」

「隠れ里……よく核ミサイルの直撃に生き延びたな。 あの大戦の後各地に色々な手段で電波などを送ったが、それで反応は一切なかった」

少し寂しそうに目を伏せる霊夢という女。

年齢は十七から十八くらいか。

神降ろしというのは、一部の悪魔ハンターが出来ると聞いているが。それにしてもアドラメレクを打ち破るほどの神を降ろして、消耗もこの程度で済むとは。

レーションを分ける事を提案したが、首を振られる。

マーメイドが魚を呼び出す。

新鮮な魚だ。

海もあるが、当然そこも悪魔の巣窟。今や釣りも命がけ。

魚も奇形だらけだ。

それに対し、マーメイドが呼び出した魚は見た感じ、とてもまっとうなものに見える。黙々と陣羽織の女がそれを焼き始め。そして無言で配り始めた。

ありがたくいただく。

焼きたての魚がこんなに美味しいとは。

志村も、ずっと忘れていて、涙が出そうになる。

ずっと下級の悪魔の肉やら、野菜屑やら、中身がおかしくなっている缶詰ばかり食べていたのだ。

人肉で餓えを凌いでいる者もいると聞く。

そんな中で、こんな贅沢が出来るのは、それだけで嬉しい。

「ええと、其方の陣羽織の方は」

そういえば、一切口を利かないなこの娘。

娘は黙々と焼き魚を頬張っていたが、話を振られると、小太刀を取りだす。

小太刀を少し開けてみせると、そこには「秀」と書かれていた。

流石に志村も小首を傾げるが。

霊夢が苦笑いする。

「その子びっくりするほど喋らないのよ。 ちょっと伝手があって、地獄の底にいたのをつれて来たんだけれどね」

「地獄の……底?」

「死人じゃないわよ。 どうにか苦労して少しずつ聞きだしたんだけれど、色々理由や償いを兼ねて、生きたまま地獄の深部で亡者と戦って、それでそれらの冥福を手伝っているのだそうよ。 閻魔公認でね」

「は、はあ……」

地獄があるのは、悪魔がいるのだから不思議ではないだろう。

ただ、其処に行ったり。

其処でずっと戦っていたり。

更には其処から誰かしらを連れてくるというのは、不可解極まりない事だ。

「そなた、その陣羽織は誰から貰った」

銀髪の娘に憑いている存在が言うと。

陣羽織女……秀の字と霊夢に言われているが。ともかく陣羽織女は無言でじっと銀髪の娘を見て。

そして、短刀で地面に文字を書く。

これ、ひょっとして昔の字か。

昔の日本語は、江戸時代の文献なんかを見ると分かるが、非常に崩されて書かれている事が多かった。

これなんかはまさにそれだ。

それを、銀髪の娘に憑いている存在は平然と読めているようである。

「なる程、恩人に一式貰ったというのだな。 盗んだわけではないと。 それも……おお、あ奴にか。 そうかそうか」

からからと笑い始める銀髪の娘に憑いている存在。

マーメイドは寂しそうに笑っているだけで、自己紹介もしない。

霊夢によると、このマーメイドも途中で合流したそうだ。

最初に陣羽織女と地獄で合流。

隠れ里から出るために、戦力が必要だと言う事で、閻魔に紹介してもらったらしい。その話だけで信じがたいが、アドラメレクを圧倒した技量だ。信じざるを得ないというのが志村としても本音だ。

そして東京に来た。

そもそもこの霊夢という女、空間を跳躍することが出来るらしく。

移動はまるで苦にしていないらしい。

「貴方たちの長と合流してから本格的な話とかはしましょう。 それで、此処に何か用事があるのではないのかしら。 行きがけの駄賃だから手伝うわよ」

「それはありがたい。 此処には本来、我々が本拠にするべき拠点があるが、ずっとこの東京を牛耳ろうとしていたチンピラの群れに抑えられてしまっていたのだ」

「へえ。 それを撃退も出来なかったと。 まああたしの隠れ里も似たような有様だったし、別にいいわ」

「そ、そうなのか」

まあ、ともかくシェルターに急ぐ。

戦場に戻ると、膨大なマグネタイトがある。

部下に命令して、回収しておく。これだけあれば、かなり戦力を増すことも出来るだろうし。

こわごわ様子を窺っている悪魔もいる。

どの悪魔も人間に対して敵対的なわけでもないし、好戦的な訳でもない。

中には独自のコミュニティを作って、他の悪魔から身を守っている者達さえいる。

高位の神が指導して、そういったコミュニティを作り。人間をある程度迎え入れたりもしているようだ。

志村も情けないと思う。

本来は人間がそれをやらなければならないのに。

人間は悪魔が指を指して笑う中、相争うばかりで、数を減らすばかりだ。

シェルター付近は幸い無事で、内部に侵入することも出来た。

エレベーターで降りて、通路に。

通路は幾つかあって、奥に部屋がある。これらの部屋の更に奧には、自動で食糧を生成する設備や、物資さえあれば武器弾薬を生成する設備もある。また中央管理コンソールも存在している他、一万人程度の人間だったら暮らす事ができる空間と、医療設備や物資もある。

詳しくは知らされていないが、奥には研究施設もあるという。

此処を放棄しなければならなかったのは痛恨の事態だった。

志村が酒につきあうとき、なんどもフジワラが愚痴を言っていたほどだ。

目立っていた悪魔は駆除。まあ、このくらいなら志村達で出来る。

其処でトラブルが起きる。

重要区画につながる扉の前で。

部下の一人が、あっと声を上げていた。

「ぶ、分隊長! 結界の解除用の符が……! 物資の入っていたリュックごと!」

「あの戦いの中でか」

「お、恐らく! も、申し訳ありません!」

「仕方がない。 あの戦いから生き残れただけで儲けものだ」

シェルターの奥の扉は、当然結界で封じられている。

だから阿修羅会に内部に侵入させずにいられたのだ。この封印はかなり特殊なもので、神でも簡単には破れない。

阿修羅会に抑えられている強力な神には、日本神話系の神格も存在している。だから、封印が破られていないのは幸運だった。

阿修羅会は保身のために基本的に動いている。

だから、攻めに転じる事は滅多にない。

故に封印を破るために、奴らの根拠地である地域から戦力を動かしたくなかったのだろう。

奴らの長はタヤマという男だが。

大物ぶっているが、それは見せかけだけ。小物丸出しの性格が、こういう所からも見えている。

「見せてみなさい」

「どうにか出来るのか霊夢とやら」

「結界はあたしの専門分野よ。 ふむ……ちょっと厄介ね。 少しその辺で暇を潰していて。 開けてみせるわ」

「……凄まじいな」

志村は感嘆する。

すぐに周囲を部下達と警戒に移る。

こんな状況だ。

鉛玉の一つだって貴重なのである。自衛隊の武器庫は阿修羅会どころか、野良の悪魔が巣くっている有様。

悪魔の中には自分の領域を巣としてしまうものがいて、そういう所は空間がねじ曲げられている。文字通りのエサ場であり、踏み込むとまず生きて出られない。しかもその手の場所では、悪魔の実力も上がるようなのである。自分に適した空間だから、なのかも知れない。

弾薬などを確保する作戦で、そういうエサ場に踏み込んで、何度も同僚を失った志村としては。

とにかく今後は厳しい事が嫌でも理解出来ていた。

シェルターの中にも雑魚悪魔はいる。

志村は悪魔を展開して、無害な内に雑魚を始末しておく。部下達は全員まとまって行動させる。

此処も、いずれ大人数を迎え入れて、それで。

復興のために用いるのだ。

元々は要人だけが逃げ込むために設計されていたという話も聞いている。

だが、そんなためだけにはもう使わせないし。

だいたいそんな要人なんて、大戦の時に死に果てた。

幻魔……様々な神話で英雄として知られるような悪魔をそう称するが。幻魔一寸法師は、彼方此方にあるダクトなどにも小さい体を利用して侵入し、内部を確認。悪魔などを退治してくれる。

鼠も駆除してくれる。

皮肉な話だ。

どれだけ悪魔が出ても、鼠は平気で繁殖している。同じようにゴキブリもである。

鼠もゴキブリも、人間なんかの比では無いタフさだ。

核戦争が起きても此奴らは滅びないだろうと言われていたが。

悪魔が滅ぼそうと思っても、滅ぼせないかも知れない。

「クリア。 お前達は」

「は、はい! 目につく小物はクリアしました!」

「動揺するな。 動揺した者から斃れる。 動揺したとしても、出来るだけ急いで心を落ち着かせろ」

「イ、イエッサ!」

部下達はまだまだだな。

ともかく、霊夢と、壁に背中を預けている陣羽織女。それと、霊夢の仕事を見ている銀髪の娘の所に戻る。

マーメイドは喉に手を当てて、声を抑えて歌っていた。

とても悲しい旋律だ。

マーメイドも性格が様々で。陽気な者から残忍な者まで色々いるが。このマーメイドは、とても辛気くさい雰囲気を受ける。

悲恋に破れたような。

あるいは、そうなのかも知れない。

心を壊してしまったり、哀しみでおかしくなってしまった者は志村もたくさん見てきた。大戦の前から、この国は……いやどの国もブラック企業なんてものが幅を利かせ、人間を使い潰して来た。

だから、志村が幼い頃から、そうやって心を壊してドロップアウトしてしまった大人はたくさん周囲にいた。

なんだか、そんな悲しい気分になる。

「開いた」

「ほ、本当か!」

「天津神と国津神の力を両方使っている厄介な結界ね。 何柱も降ろして結界を弄ったから、流石に疲れたわ。 後で少しでもマシな食べ物寄越しなさいよ」

「出来るだけいいものを用意する」

敬礼して、霊夢に返す。

此処からは、志村の仕事だ。

 

奥に入り、一つずつ調べて行く。

シェルターは流石にガチガチに結界で固められていたこともあって、悪魔に侵入されていない。

内部には少数の悪魔がいたが、それらは此処の設備を保全するために残されていた者達だ。

妖精シルキーが来る。家政婦……一時期記号化されていたメイドの格好そのものをしている。落ち着いたたたずまいの美しい女性だ。悪魔だが。

妖精というのは、西洋に存在する雑多な怪異……日本で言う妖怪のようなものだ。子供の背中に蝶の羽なんてのを想像する人もいるかも知れないが、そういう姿の者もいるというだけ。妖精の中には残忍に人を殺すものもいる。日本で言う妖怪と同じくらい多様性があり。性格もくせ者が多い。

シルキーは日本で言う座敷童に近い存在で、家について気に入った相手には福を為し、気にくわない相手には害を為す。同様の妖精はかなり種類がいる。有名なゴブリンの一部もそうだ。

此処のシルキーはフジワラの手持ちで、非常に忠誠心が高く、志村も何度も世話になっていた。

だから、シルキーが姿を見せたのを見て、志村は思わず敬礼していた。

「此処を守ってくれていて感謝する」

「戻って来たのですね志村さん。 フジワラ様は」

「無事です。 今回は頼りになる方々と運良く出会えて、ついに此処を……奪回する事ができました」

「外には何度も恐ろしい悪神が来ました。 破ろうと乱暴なことも。 怖がる子達を宥めるのが大変だったのです」

そうか、頭が下がる。

入口付近に、聖獣狛犬がいる。

聖獣というのは神の助けを得ている獣で、神話には多く存在している。狛犬もその一角である。

元は実在の動物である獅子の話が日本に伝わる過程でどんどん曲解され、最終的に守護者として神社などで祀られるようになったもので。

その変遷の過程に有名な沖縄のシーサーなどもいる。

シーサーも扱いやすい悪魔なので、駆け出しの人外ハンターなどに良く相棒として貸与され。

そして中には、とても強力に育つ個体もいるそうだ。

シーサーは神そのものの獣である神獣に分類されている。

霊格としては聖獣より上そうに見えるが、実際にはそんなこともない。

高位の神の使いとしての聖獣の方が、下位の神獣より力が上なんてザラにあることなのだから。

奥から、雑多な悪魔が出てくる。

邪鬼一本ダタラ。片目片足の、鍛冶師の格好をした恐ろしい姿の悪魔。

鍛冶の神が妖怪化したものだ。片目の鍛冶神は世界中に存在していて、あの有名なサイクロプスもその一角である。これは古くには、鍛冶師は片目を鍛冶の光で潰してしまう事が多かったから、だと言われている。また本邦では古くは無理な体勢で鍛冶をしなければならず、鍛冶師は片足を駄目にしてしまう事が多かったのだ。それがこの妖怪の姿の所以である。

一本ダタラは知恵すらなくただ暴れる邪鬼に分類されているが。

しかし鍛冶が好きな性格は変わっておらず、このシェルターではツギハギに管理を任されていた。

堕天使メルコム。

地獄の会計係と言われる、小柄な猿顔の堕天使だ。

これはいい性格をしている堕天使らしい悪魔だが。堕天使というのは契約に強く縛られる性質を持っている。

このため、フジワラが複雑な契約をして、此処の管理を任せた一体だ。

不服そうだが、それでも仕事はしていたようである。

これらの悪魔を、シルキーがまとめていた。

シルキーはフジワラが多くの戦いに伴った悪魔で、実力は生半可な悪神程度だったら凌いでいる程だ。

「内部を確認してくる。 皆、入口付近を守って欲しい。 安全と内部が荒らされていない事を確認できたら、人外ハンターの本部を此処に移す作戦に移行する」

「イエッサ!」

「あたし達はこの辺を見張ってるわよ」

「頼む」

霊夢にも敬礼を返しておく。

霊夢はため息をつくと、「秀」を連れて外に見回りに行くようだった。

敵対的な悪魔だったら、どれだけでも始末してくれれば有り難い。

下級でも人間を簡単に捻り殺す事が出来る悪魔は多いのだ。

それに、外には終末を象徴するように、死人が歩き回ってもいる。

あまりにもたくさん死にすぎたからではないか、等とも言われているが。

責任感がある自衛官や警官から先に死んでいった。

そういった死人が土に帰る事も許されず、死人となって歩き回って人を襲っているというのは、志村にはとても悲しい事だった。

志村は順番に確認をする。

武器庫、問題なし。おおと声が漏れるほど、状態がいい銃火器が残されている。黒い背戦闘用スーツもある。

スマホを弄って確認。

これだ。

自衛隊が米軍と共同で開発していたものらしい。フジワラが探していた。あったら是非報告してくれと言われている。

残念ながらプロトタイプが僅かだけしか存在していないらしく、精鋭を募って見つけたら渡そうという話をしていたのだが。

四着しか無事なものはないか。

少なくとも志村が着ることはないだろう。

プラントは無事だ。

これは有り難い。新鮮な野菜なんてまともにとれず、業務用だったライトを用いて痩せた土地で無理矢理野菜を育てているのだ。

此処にはみずみずしい野菜がたくさんある。

衣服などもあるし、水も豊富にあるようだ。設備は殆ど無事だ。

此処での決戦をフジワラが選ばず、温存する事を選択した。それは正しかったのだと、よく分かる。

コンソールも無事だが、こっちは電源から入れないといけないだろう。

志村は技術仕官ではない。

というか、パソコンなんてまともに扱える奴はいないだろうし。どうにか技師を探し出さないと。

「武器庫、水、食糧、いずれも手つかずだ。 機械類も古くはなっているが無事なものが多い。 シルキーがしっかり音頭を取って、此処を管理してくれていたんだ」

「し、志村分隊長、たた、食べてもいいッスか」

「調べた後でだ。 生のトマトなんて、俺もいつぶりに見るのかわからん。 果物なんて、大戦以降見た事もない。 ……フジワラから言われている。 完成品を我々の分だけなら食べて良いそうだ」

「やった……!」

部下達が目の色を変えているのも当然だ。

此処が阿修羅会に抑えられたらどうなったか。

分かっている。

焼き払われていただろう。

水産業は反社のシノギだった。これは古くからずっとそうだった。

反社は例えばウナギやチョウザメ(キャビアはチョウザメの卵である)などの金になる魚は、絶滅しようと関係無く狩りつくした。それは何故か。

希少価値が高いほど、金になるからだ。

それが自然にどんな悪影響を与えようとどうでもいい。

自分達だけ金が儲かれば、他の人間どころか、地球ごと死に絶えてもかなわない。それが反社の考え方である。

阿修羅会はその反社の思考方法を今の時代まで引き継いでしまっている。

だから東京は地獄のままだ。

奥へ。

地下には幾つかの設備がある。

地下の動力炉は、確か今東京に電力供給している何かとは別系統で動いているという話である。

それの無事を確認しなければならない。

ジャックランタンを呼び出し、階段を下りていく。

この辺りも確か悪魔が配置されている筈だが。

いた。

階段を塞ぐようにして座り込んでいる武人が一人。幻魔ゴエモン。

伝説の石川五右衛門が幻魔となったものだ。

史実の石川五右衛門は、豊臣秀吉に釜ゆでにされたことだけが分かっている凶賊に過ぎない。これについては複数の一次資料が残されており、当時の人々は石川五右衛門に同情などしておらず、高級品の油を使った贅沢な処刑だなどと言い残している程だ。つまり史実の石川五右衛門は、ただの悪辣な賊だったのである。

それが何故か死後に伝承で尾ひれがついて、散々暴走した挙げ句に、義賊だの元忍者だのと色々な設定が付け加えられて今に至る。

この幻魔ゴエモンは、そう言った伝承が神格化した結果出現したもの。

悪魔なんてそんなものだ。

事実都市伝説の妖怪なども、悪魔として出現している。どれもが大した実力ではないのだが。

「フジワラの部下か。 奥には誰も通しておらぬ。 少しかび臭いかも知れぬが、許せ」

「はっ。 奥を確認させていただきます」

「うむ、行け」

ゴエモンは若干性格が尊大で、敬意を払わないと怒る。

その代わり、フジワラの切り札として幾つもの戦いで武勲を上げて来た優れた悪魔である。

今もこうして、最重要地点を守っているのだ。

その信頼がよく分かる。

奥は確かに埃が積もっていたが、ともかく最深部へ。灯りはうっすらついているが、非常用電源で目には優しくない。

巨大なあれは、確か小型原子炉だ。それも核融合である。

大戦の原因となった幾つかの事件の中に、日本での新技術開発があったという噂を聞いたことがある。

核分裂炉は一度火を入れるととめる事が出来ず、ずっと核廃棄物を出すものだが。

核融合炉は強烈な放射線をどうにかクリア出来れば、凄まじい電力を産み出すことが出来る非常に有能な発電システムだ。

すぐに指定されているメモ通りに確認する。

問題なし。

どっと汗が流れた。

「よし、これでいけるぞ! 後は……」

突然、ドゴンと凄い音がして。

皆が一斉に銃を向けると、並んでいる装置の一つの扉が、内側から吹っ飛んでいた。

手が出て来て、そして続いて体が出てくる。

頭が真っ白な、豊富な髭を蓄えた老人だ。目つきが異常に鋭く、体つきも恐ろしく逞しかった。肌の色が人外じみているが、人間でいいのだろうか。あまり考えたくない。なんというか、悪魔より怖い。

「最後に冷凍睡眠装置に入って、誰かが戻ってきたら起きるように設定しておいたんだがな。 やっとか」

「だ、誰だっ!」

「若造、今は西暦何年だ」

「こ、答えろ、撃つぞ!」

老人は動じる様子もない。老人は、向けられているM16の銃口複数を、怖れてもいない。

そして、手慣れた様子で手元の時計を操作。

「閉じ込められてから25年か。 この様子だと西暦2050年前後だな」

「き、貴様は……」

「色々縁あって此処の設計を手伝ったものだ。 お前等は自衛隊の生き残りか。 ならば主に伝えろ。 「地獄」が戻って来たとな」

笑う老人。

志村は、背筋に冷たいものが流れるのを感じていた。

 

3、拠点奪回

 

フジワラがいる純喫茶フロリダに志村は戻る。拠点奪還を告げると、フジワラは歓喜。純喫茶フロリダをツギハギに任せ、すぐに向かうと行った。志村も一緒にシェルターに同行する。

阿修羅会と人外ハンターの抗争はしょっちゅうだ。だからこれが問題になることもないだろう。

阿修羅会は基本的に自己保身のためだけに行動しているが。

それに対して現在の人外ハンターは比較的緩やかな組織で、自己責任で行動している。

各地の街を悪魔から守ったりもしているが、それは給料が出る場合のみ。

阿修羅会に荷担する人外ハンターもいるし、悪魔に人間を突きだして安全を買うような人外ハンターすらもいる。

それくらい人の心が荒んでいるのだ。

それは、希望が存在しないから。

卓越した指導者が存在しないから。

悪魔達は人間の混乱が、自分達への恐怖を生むと知っている。だから一部の悪魔は、意図的に阿修羅会を支援したという噂がある。

阿修羅会がボンクラの集まりであり、最終的に自滅を招く事を承知で手を貸したのは。

数が減っている人間が、悪魔をより恐怖するようにし。

恐怖をエサにしている悪魔達の力を増すように仕向けるようにするため。

そういう話は志村も聞いていた。

フジワラは元新聞記者だが、今はすっかり人外ハンターの顔役。ただし、全員の面倒を見ている訳では無い。

混乱初期に英雄的な活躍をした一人であるフジワラは、阿修羅会の幹部にも慕う人間が多く。

フジワラが来たと聞くと阿修羅会のチンピラでさえ態度を改める。

阿修羅会のボスであるタヤマが怖れる所以だ。

悪魔にすら顔が利くフジワラは、タヤマのような臆病者には一番厄介な……得体が知れない相手なのである。

そうなるように動いている事を、志村は聞かされている。

勿論それでも時々フジワラに刺客が差し向けられるから。護衛はついているのだが。

今回は、純喫茶フロリダに戻る途中、同行を申し出て(筆談で)くれた、「秀」という名前の女がついてきていた。

秀は物珍しそうに色々見ていたが、興味があるかというとそうでもないらしい。

若いように見えるが、あの霊夢という女の言葉を信じるなら、地獄の深部で戦い続けていたような者だ。

普通の人間とはとても思えないし。

年齢も見た目通りだとはとても考えられなかった。

「それにしても、たった三人でアドラメレクを退けたのか」

「実質戦っていたのは霊夢という女だけです。 とどめは連れていたマーメイドが差しましたが」

「アドラメレクには大きな被害がずっと出ていた。 阿修羅会がいう悪魔が減っただの管理できているだのが大嘘だとよく分かる事例だった。 それでありながら、誰もが逆らう事を諦めてしまっていた」

「はい。 情けない事です」

志村は警戒しながら、歩く。

秀は自然体のまま歩いているが、時々目にも止まらぬ速度で、悪魔を斬り伏せている。手にしている刀は長大で、普通の刀とはとても思えなかった。

「銃が通じない」というような、特殊な特性を持っている悪魔は珍しく無い。このため人外ハンターは近接武器を銃と一緒に持つのが普通になっている。だからどうしても剣の力量は分かるのだが。

これは、多分剣限定なら今東京でこの女に勝てる人間はいないとみて良い。

ツギハギがかろうじてやり合えるか、というところで。それも勝ち目は薄いのでは無いかと志村は見ている。

勿論高位の悪魔には人間など歯牙にも掛けない剣技を持つ者もいる。そういうのが相手になるとどうなるかは分からないが。

「人外ハンターの本部からはどれくらいの人員を集めますか」

「まずは司令部の状況を整えてからだ。 阿修羅会に荷担する悪魔が攻勢を掛けてきた場合、アドラメレク以上の強さの悪魔が何体でも来るだろう。 人外ハンターの総力を挙げても勝ち目は無い。 まずは此方も戦力を整えなければならないが、人を束ねるということ自体が出来ようがない」

「……」

「まずはかの方に相談しよう」

かの方。

あの銀髪の子供の事だ。

正確にはそれに憑いている何者か。

あの銀髪の子供は、あれはあれでとても強い。アドラメレクと霊夢の戦闘の余波を。光の壁のようなものであっさり防いだのを見た。あれは全力攻撃でも防ぎきったかも知れない。

憑いている何かが、志村達なんかよりよっぽど修羅場を潜っているというような話をしていたが。

確かにアドラメレクのプレッシャーに臆している様子は一切見られなかった。

悪魔がまた数体現れる。

豚のような姿をしたカタキラウワと言われる悪魔だ。

魔獣に分類されるが、鹿児島の妖怪の一種で、片耳がない豚の姿をしている。

実際には豚は野生化した場合かなり危険な動物なのだが、このカタキラウワはそれ以上に危険だ。

人間に対する非常に危険な呪いの魔術を使う事ができ、これをまともに受けてしまうと即死するか、運が良くても生殖能力を一生失う。

ただし元が妖怪であり、しかも日本という地元の存在だからか「存在が濃く」、殺す事でマグネタイトではなくあまり質が良いとはいえないが肉になる。だから、危険を承知でこれを狩りに行く人外ハンターもいるし。悪魔召喚プログラムで使役して、独自の繁殖法を研究している人外ハンターもいる。

「銃弾は使うな。 貴重な蛋白源だ」

「分かっています」

志村が剣を抜くと、一斉に呪いの魔術の詠唱にカタキラウワが入る。勿論唱えさせるつもりはない。

お手並み拝見と、秀が見ているなか、二体を左右に斬り伏せ。更にもう一対の首を刺し貫く。

突貫してくる一体。

此奴らに股を潜られるのがかなり致命的で、即死の魔術をそれで発動させることが出来る。

そういう魔術の代用めいた事が出来る悪魔はたくさんいる。

これもその一種と言う事だ。

態勢を低くして、相手が突っ込んでくるのを引きつけながら、首を刎ね飛ばす。

最後の一体が、フジワラの方に向かうが。

フジワラは悪魔も呼び出さず、すっと身を引くと、一撃でカタキラウワを蹴り倒していた。

首が折れている。即死だ。

「よし、切り分けろ。 肉はすぐに燻製にする。 幾らでも腹を減らしている奴はいるからな」

「これらの豚は繁殖しているのか」

「!?」

誰の声かと思ったら、秀だ。

しゃべることができないのかとすら思っていたのだが、口は利けるらしい。

フジワラが咳払いすると、説明する。

「何しろ今の東京は大量の怨念や悪意で満ちていますからな。 こういった呪いの権化のような悪魔は、ちょっとした切っ掛けですぐに具現化します。 これらの肉の質が低いのは、恐らく下水やら死体やらのマグネタイトを元に実体化したからという理由もあるのでしょう」

「……」

こくりと頷くと、それだけでまた秀は喋らなくなった。

ずっと口をへの字に結んでいる事もあり、美人だがとにかく怖いと思っていたのだが。

声はかなり低めで、ちょっとドスが利いていた。

それもあって、喋らないのかも知れないと志村は思ったが。

まあ、それはいい。

他の人外ハンターと協力して、カタキラウワを捌く。肉など食べられる箇所を全て取った後は、焼いて処理してしまう。

焼き跡を砕いてそれでおしまい。

それで残りからまたカタキラウワが出現したりするので、その時はまた肉を取らせて貰う事になる。

国会議事堂の近くにいくまでそれなりに時間が掛かる。

今は車があってもガソリンがない。

自転車などは悪路過ぎて乗れたものではない。

文明は全ての利点を捨て去ってしまった。これで阿修羅会みたいな連中が東京を牛耳っていなければ。まだ少しは対応のしようがあったものだが。

途中で何度も悪魔に襲われたが、手強い相手は殆ど秀とフジワラが片付けてしまった。志村は護衛も出来ていないが、出来る事はするだけでいい。

かなり上空を、とんでもなく大きな竜が飛んでいる。

あれが何なのかは分からないが、関わらないのが賢明だ。

シェルターの前につく。

数度の戦闘の跡。

霊夢という女が、シェルター近くの壁に背中を預けて、腕組みしていた。

「ようやく到着ね。 客が何回か来たわよ。 全部追い返しておいたわ」

「ありがたい。 貴方が秀さんと強力なマーメイドとともに志村くん達を助けてくれた霊夢さんですね。 私はフジワラ。 昔は新聞記者をしていました」

「……新聞記者には正直いい印象がないのだけれど、其奴らと同じでない事を祈るわ」

「俺は此処で守りに入ります。 内部については、既に確認をしてありますので、ご安心を」

敬礼して、フジワラを送る。

敬礼を返すと、フジワラはシェルターに、秀と霊夢と一緒に入っていった。

ここから先は、東京に未来が関わる話だ。聞かない方が良い。

出来るだけ信頼度が高い人外ハンターを集めてはあるが、それでも此奴らの誰が裏切ってもおかしくない。

それくらい、今の東京では。

人の心が、荒んでしまっている。

志村は周りに言い聞かせる。これから下で行われる話は、恐らく東京に生きる人全ての未来に関わる事だ。

死守。断固。そういうと、人外ハンターは皆緊張した面持ちで頷く。

状況を阿修羅会が把握した場合、どんなとんでもない悪魔が送り込まれてくるか、わからないからである。

 

フジワラはコンソールルームに来て、懐かしいと思った。

自衛隊と在日米軍だけでは手が足りなくなって、混乱する東京で戦い続ける人外ハンターが募集された。当時は悪魔討伐隊だったが。ともかく、その中に混じって、フジワラも戦った。

冴えない新聞記者だったフジワラには、戦いの才能があったらしい。運動はそれほど得意ではなかったのに、戦えば戦うほど強くなり。

その頃には大量に流通していた悪魔召喚プログラムもあって。

やがてアキラとツギハギという同志を得て。

三人で、閉ざされた東京で無茶苦茶の限りを尽くす悪魔を片っ端から倒して行った。

やがてスカイツリーを登って、天井を目指した。その上にある存在がいると知ったからである。

スカイツリーは強力な悪魔の巣窟になっており。更にその上には巨大な岩盤があった。其処を確保して、必死に仲間と仲魔とともに掘り進め。ついに最上部にまで上がって。

そして。

アキラと別れた。

ツギハギと一緒に戻って来たフジワラは、その戦いの記憶を生かして。もう誰も代わりがいないから、人外ハンターの顔役になった。

阿修羅会と何度もやりあったが。それも物量に押され。悪魔の援護を奴らが受けている事もあり。

損耗を避ける為に、此処を放棄せざるをえなくなった。

此処が、これほど残っているなんて。

涙が溢れそうになる。

これで彼奴が。アキラがいてくれれば。

そう思い、嘆息する。

シルキーとゴエモンが来たので、頭を下げる。良く、留守を預かってくれたと。

他の悪魔達にも礼を言う。

勿論契約というものもあるが、それ以上にただ個人としての礼を言いたかった。

機械類を直しているのは、屈強な老人だ。

側であくせく働いているのが、銀髪のあの娘。憑いている例の存在は、文句を言っているようだが。

「わしを顎で使うとは、生意気な爺よな」

「別に使っておらんぞ。 その娘が自主的に手伝ってくれているだけよ。 元々働き者で心優しいのであろう。 あんたとは偉い違いだな」

「抜かせ。 わしほど働いた人間なんぞそうはおらんわ」

「確かにそうかもしれんが、それはあくまで過去の話だろう。 ……おお、そうだそうだ、それをそうつなぐ。 さて、これで概ねこの辺りの細々したものの復旧は出来たな。 後は核融合炉を起動させる必要があるが、それにはもう少し彼方此方直さなければならん」

あの老人は、数度見かけたことがある。

青ざめている閣僚達を、凄まじい勢いで罵倒していた。

わざわざわしを呼んでおきながら、なんだこの為体はとか。それで閣僚達は何も言い返せていなかった。

ドイツ出身らしいが、詳しくは素性を知らない。

ただ。前世紀初めの生まれだとかいうらしく。

もしそうだとすると、仮に25年冷凍睡眠で加齢しなかったとしても、現在の年齢はあまり考えたくない。

ともかく、此処の機能復旧は後で本腰を入れてやるとしても。まずは情報の展開が先になる。

咳払いして、皆に集まって貰う。

会議室は埃も積もっていない。

シルキーがずっと手入れをしてくれていたのだ。

本当に有り難い事である。

まずは自己紹介をする。

銀髪の娘は、首を横に振る。それに、憑いている存在が付け加えてくれた。

「名前がないらしくてな。 身内にはある名前で呼ばれていたそうだが、今はそう名乗りたくないそうだ」

「わかりました。 それで貴方はどう呼びましょうか」

「殿とでも呼んでおけ」

「それでは殿、今の東京の状態を説明させていただきます」

まあいいだろう。実際問題偉人だし、この人に頼らないと未来は無い。

いい年になったフジワラだが、そんなフジワラですら子供にすら思えるような過酷な人生経験を積んで来た存在である。一応、この人に関するプロジェクトについては聞かされている。

それが成功したという前提で今は話を進めていくしかない。

周囲にこの存在の正体を明かさないのには理由があるが、それはまた後でいい。

ともかく、順番に説明していく。

「私も細かい経緯は分からないのですが、およそ25年前、世界が終わりました」

「ほう」

「経緯がよく分からないのですが、ともかく世界中を破壊するのに充分な兵器が放たれました。 その前後から大混乱が起きていてよく分かっていないことも多いのですが、ともかくこの東京にもその兵器が降り注ごうとしました。 それを混乱の中勇敢に立ち回っていたある男が、命を守護者に捧げたのです」

「守護者だと」

黙って聞いている皆。「地獄」氏も例外ではない。

此処にいる面子の中では例外として「地獄」氏もその場にいたはずだが。確かずっと技術顧問として動いていたから、細かい経緯は分からないのかも知れない。

「結果、守護者は目を覚まし、東京をその恐ろしい兵器から守る天蓋を作りました。 それが今の、空を覆う天蓋なのです」

「その守護者とは何者ぞ」

「平将門公です」

「ふむ……将門公か。 確かに板東武者の祖とも言える御方ではある」

殿が考え込む。

この様子では殿が当の平将門公と言う事は無さそうだ。万が一それもあり得るかも知れないと、プロジェクトでは言っていた。

銀髪の娘と殿のプロジェクトは、それらの事件の後に行われた。

平将門公は多くの影武者を従えていたという伝承が残っており、或いは……という話もあったのだが。

この感じではそれはないだろう。

ともかくである。東京は核兵器の恐怖からは守られて、その場で消し飛ぶのは避けられた。

平将門公は、しかしそれで力尽きてしまった。

東京以外が守られたとも、とても思えなかった。

そして守られたとしても、その後から本当の地獄が始まったのだ。

「闇の中の世界で混乱が始まりました。 多くの悪魔が人々を襲い続け、それに抗う者は勇敢で責任感がある者から斃れていきました。 悪魔が支援していた阿修羅会のようなクズが東京の支配を成功させたのには、そういう理由もありました。 他にも色々ありましたが、その結果、25年ほどで1000万を超えていた人々は、わずか10万程度にまで減ってしまったのです」

「そうか。 無惨な話だ」

「いずれこの過程についてもお話しさせていただきます。 それでは、現在の状況について解説させていただきます」

プレゼンは既に頭の中で練ってある。

プロジェクトの成果をついに回収出来たと志村から聞いた時には、内心では跳び上がって喜びたいほどだったのだ。

此処への道中で、フジワラはずっとプレゼンを練っていたほどである。

まずは、現在の状況を打開する事が大事。

それは、殿に対して、情報の細かい把握をして貰う事から始まる。

「現在東京には幾つかの大きな勢力があります。 まずは我々人外ハンターですね。 この組織の前身は、自衛隊と在日米軍からなっていた特務部隊、「悪魔討伐隊」でした。 現在では人員を大きく減らし、特に「必殺の霊的国防兵器」と言われた強力な守護悪魔を全て手元から失っている事もあって……各地での最低限の治安維持しか出来ていない状態です」

「ふむ、最低限の治安維持か」

「後進を育てようとしてはいますが、何しろこのような情勢です。 力が全てと考える者も多く、事実必要となれば逃げ出すような者が生き残る状態であり、力があっても阿修羅会に与するような輩や、弱き者の盾になろうという気概のあるものは殆どおらず。 それどころか……阿修羅会が主催で行っている腕利き同士の力自慢などという愚かしい大会で、つぶし合っている始末です」

「分かった。 わしがある程度面倒を見て、一人前の兵に育てようぞ」

有難うございますと頭を下げる。

フジワラもツギハギも、これはと思った若者は何人も見てきたが。そういう若者から殺されていった。

心がすり減ってしまっている。

今の状態で、若者を育てること何て出来そうにもない。

ブラック企業が蔓延していた頃は、「最初から何でも完璧に出来る新人」なんてありもしないものを、大まじめに企業が求めていた。そんな事をするようなアホが、社会の上層に蔓延っていたのだ。

フジワラはその愚を繰り返すつもりはない。

だが、そもそもこの状態では、育てるという行為がとても厳しいのだ。

「何名か優秀な子らがいます。 面倒を見ていただけると助かります」

「うむ。 続けよ」

「はい。 次の組織は、銀座に本拠を置く組織、ガイア教団です」

「ガイア教団?」

殿が小首を傾げる。

意外にも、話に乗ってきたのは霊夢と「地獄」だった。

「聞いたことがあるわねそいつら。 うちの隠れ里に攻めこんできた天使やらが、その名を口にしていたわ。 ガイア教団か貴様等。 我等が秩序の光に逆らう愚か者に死を、ってね。 そんな奴ら知らないっての」

「まあ知らなくても無理はなかろう。 わしも存在を知ったのはナチが崩壊してからだからな。 各地を回って古代文明の遺跡を探しているときに接触してきたのがそやつらだったわ。 役に立ったり立たなかったり、或いは裏切られたり、色々あったわ。 ガハハハハ」

色々とんでも無い単語が地獄氏の口から出ていたが、それは気にしないことにする。

フジワラとしても、前世紀の初頭から生きているという怪人が、どこまで本当の事を口にしているかはちょっと計りかねるからだ。

咳払いして説明を続ける。

「ガイア教団は優性思想そのものを掲げた、力こそ全てという組織です。 力があれば誰でも抜擢する反面、弱者に対してはあまりにも冷徹で、ほとんど家畜のように扱う組織です。 一方戦闘部隊は鍛え抜かれていて、恐らく現在人外ハンターの精鋭を除くと、高位の悪魔とやりあえる可能性がある数少ない集団でしょう」

「フジワラよ。 教団というからには何かの信仰をしているのか」

「何かというよりも……彼等は悪魔が仕切っている組織です。 上層部には悪魔がいて、それを隠してさえいません」

「ふむ……」

殿が腕組みする。

現在ユリコと名乗る女がガイア教団を仕切っていることがわかっているが、此奴の正体はどうやらリリスであるらしいのだ。

リリスとは、一神教における最初の人間、アダムの最初の妻だった存在である。

リリスはアダムとの婚姻の際、男性優位の結婚を拒否。

そのまま神の下を離れ、悪魔の子を大量に産んだ淫婦として知られている。この子らがリリムと言われる存在だ。リリムは東京でも多数見かける。

リリスはユダヤ教の神秘主義などでも強大な悪魔として知られ、時にはアダムとその妻イヴに知恵の実を食べるようにそそのかした「蛇」サマエルの妻とされる事もあるのだが。

今は現実の脅威として、認識していなければならない。

「ガイア教団は欲望を全肯定する組織で、力がある者は金もあると考えています。 膨大なマッカを蓄えており、また家畜扱いでいいなら弱者も守るため、中には進んでガイア教団に保護を願うものまで出て来ています」

「ふむ、仮想敵としては阿修羅会とやらより格上のようだな」

「ただ、場合によっては共闘も出来ます。 ガイア教団は東京に存在している悪魔の集団全てと仲が良い訳でもなく、現在池袋で猛威を振るっている西王母とは対立していて、近々掃討作戦を実施するという噂もあります」

顔を霊夢が上げる。

知っている様子だ。恐らく西王母の方だろう。

まあ、それはいい。

咳払いして、次に行く。

「最後が阿修羅会です。 正確にはこの組織は八部連合阿修羅会という名前です。 東京に昔からあったいわゆる反社会的組織の一つで、元は広域暴力団の三次団体でした」

「三次団体?」

「早い話がチンピラと言う事です」

「それにこの東京を乗っ取られたのか」

嘆く殿。

フジワラも情けないのは同感だ。

現在この阿修羅会は、タヤマという男を頂点にして最大の勢力を誇っているのだが、問題が非常に多い。

まず各地のインフラを破壊して、人が行き来できる道をなくし、僅かに残った道を独占してしまっている。これにより人々は情報のやりとりもろくに出来ない有様だ。

人外ハンター達が悪魔召喚プログラムを使うのに用いるスマホも、阿修羅会が独占。それどころか、大量のスマホがあった秋葉原を、米軍が持ち込んでいた気化爆弾でまとめて消し飛ばす暴挙にさえ出ている。

食糧などに関しても暴利で売りつけているばかりか。

人間をさらって、あるおぞましい行動をしていることも既に掴んでいる。

その結果「赤玉」と呼ばれるものを作り出し。

これを用いて、悪魔の一部を懐柔。

「東京の治安を守ってやっている」などとうそぶいている連中だ。

いずれもが人類の首を絞める行動ばかりだが、これらは自分さえ良ければどうでもいいという、反社の行動原理である。

タヤマは大戦の時は若造のチンピラに過ぎず、のし上がった今もその性根はいっさい変わっていない。

フジワラも何度か対面したことがあるが、明確に此方を怖れているのが分かった。

やりあったら勝てないと一目で見抜いたらしい。

相手の力を見抜く術だけには長けているのだ。

「ふむ。 そしてそやつらが必殺の霊的国防兵器とやらを有しているのだな」

「はい。 これらはいずれも極めて強力な悪魔で、それぞれが東京に跋扈している高位の悪魔に対抗できる存在でした。 しかし今では、阿修羅会の縄張りを守る番犬として使われたり、或いは人々を苦しめる阿修羅会の走狗として使われてしまっています……」

「だいたい分かった。 ガイア教団とやらもそうだが、まずは阿修羅会とやらを潰さなければならぬな。 フジワラよ、 このシェルターとやらは相応の人数を集められるということだが」

頷く。

志村が確認してくれたが、食糧の生産プラント、生活用のスペース、全てが揃っている。

入口を守りきれば、内部には安全を確保できるだろう。

ただ、それでも物資は足りない。

現在、東京の各地に廃墟化したビルなどが大量にあり、電子機器を初めとする物資はそれらで眠っている。

ただ悪魔と言うのはアティルト界といわれる情報世界に普段は住んでおり、そこからマグネタイトを介してこの世界……アッシャー界と言われているのだが。そちらに具現化する方法で姿を見せる。

他にも姿を見せる方法はあるのだが、あくまで例外だ。マグネタイト方式がもっとも簡単で、負担も小さい。だからそれがよく使われる。

「まずは幼い子供や、老人や病に伏せる自分で身を守れぬものを集めよ。 人外ハンターもこの様子ではまともに戦う前に命を落とすものが大勢おろう。 半人前のものは全て集めよ。 それと人外ハンターと共同して、悪魔を可能な限り集めよ。 弱い者でもかまわぬ」

「悪魔をですか」

「此処にいる間にそこにいる爺から話は聞いている。 悪魔召喚プログラムとやらのな」

悪魔召喚プログラムは、この大戦前後から、「スティーブン」と呼ばれる謎の人物が大量に配布したことが分かっているプログラムだ。ちなみに大戦の直前には、なんとネットでオープンソースとして公開されていたらしい。しかも出来があまりにも良すぎて、誰も手を入れる事ができなかったとか。世界的なハッカーですらだ。

この悪魔召喚プログラムは交流を持ったガイア教団員などからの情報を総合する限り古くから存在し、少なくとも1990年代くらいには裏の世界では出回っていたらしい。なんと初期はbasicやfortranと呼ばれる現在では殆ど使われていないプログラム言語で組まれており。しかも容量も破格の小ささだったそうだ。スティーブンという人物がすべて組んだのかどうかは分からないが、ともかく天才が作ったのは間違いない。

このプログラムは後に様々な機能が追加されたが、基本の能力は、悪魔との契約をすること。

契約は基本的に複雑な手順を踏まなければならないのだが、悪魔召喚プログラムはその手順を代行してくれて、要求を呑めば、自分より力の弱い悪魔であれば契約で縛る事ができる。

更には悪魔召喚にも元々は複雑な手順が必要なのだが、これも改良が進められており、今では非常にスムーズに悪魔を召喚することが可能だ。

また悪魔同士を合体させることで、より強大な悪魔を作り出す事も出来る。

勿論悪魔より自分が強くなければ相手を従える事は出来ないのだが。それでも神話的に相性が良い存在などを用いれば、強力な神などを作り出し、使役する事が可能である。

場合によっては、伝承が一人歩きした結果誕生した伝説としての英雄も。

ツギハギが使役しているゴエモンもその一体だ。

「戦える人間を増やし、更には走狗として扱える悪魔も増やす。 現役引退に近い年齢の人外ハンターも積極的に保護しろ。 後進の育成に役立って貰う」

「各地の守りは如何なさいますか」

「自力で身を守れないような連中は、此方で全て引き取れ。 そうでない連中は、好き勝手にさせておけ。 人間というのは、ある程度年を取ると変わるのは非常に難しくなる。 今更力こそ全てなんて生き方をしてきた連中は変われぬ」

「分かりました。 すぐに手配を進めます」

他にも順番に行動の指針を示してくれる。

もの凄く具体的で、とにかく助かる。

このシェルターを奪還できたのも大きいが。

とにかく助かった。

「ただ手元の戦力がまだ心細いな。 霊夢とやら」

「何かしら殿様?」

「しばらくはこのシェルターの守りを秀とともに頼む。 今は行動しようにも、手札が少なすぎるでな」

「そうね、此方としてもこれでは動きようがないわ。 偶然アドラメレクに襲われている貴方を助けられなかったら、どうしていいか途方に暮れていた所よ」

他にも指針を示される。

機械いじりが得意な者はいるか、と。

フジワラにも何人か心当たりがある。

ただ、今の時代は戦える人間が基本的に求められる。機械いじりが得意な人間は、冷や飯を食っているのが現状だ。

助けると言えば、喜んで此方につくだろう。

「すぐに連れてこい。 その地獄爺だけでは手が足りぬだろう」

「分かりました、それもすぐに手配します」

「その人魚、そなたは独立して行動できるのか」

「ええ。 でも、あまり乱暴なことはしたくないわ。 それに、私には使命もあるの」

マーメイドが独自の使命を。

不思議なマーメイドだ。志村から報告を受けているが、アドラメレクを圧倒した霊夢との戦闘でダメージを受けていたとは言え。

アドラメレクを再生不能、転生不能のレベルで滅ぼしたのはこのマーメイドだ。あのアドラメレクをだ。

「話に聞く限り人魚は不吉の象徴と聞くが、そなたは随分と真面目で優しいのだな」

「ありがとう。 でも、私は……」

「それは分かった。 ただ利害が一致している間、フジワラの護衛を頼む。 当面忙しくなるし、今まで通りの守りでは、高位の悪魔に襲われて助からぬかも知れぬ」

「分かったわ。 ……私の使命にも、大きなうねりが必要なの。 それを引き起こせるなら」

そうか、心強い。

このマーメイドの実力は文字通りのレベル違いで、生半可な邪神程度では手も足も出せないだろう。

フジワラも切り札として強力な悪魔は従えているが、それでも頼りにさせて貰いたいところだ。

銀髪の娘と殿は、姿をシェルターに隠すという。

それが良いかも知れない。

このシェルターは霊的防御も強力にされていて、電子戦が得意な悪魔も簡単に入る事が出来ない。

事実今まで、阿修羅会も突破を試みて出来なかったのだ。

ただ、それでも大事な場面では出ると言う。

それだけ力が足りないことは、誰もがこの場で理解していた。

後幾つかの指針を示されて、それで解散となる。

フジワラは活力が満ちるのを感じた。

確かにこの年になると、簡単に変わる事なんて出来ない。それは分かっている。

だが、アキラとともに、天井を越えてその先に向かった時のような高揚が身に満ちていた。

マサカド公が東京の守護者だとしたら。

あの殿は、もう一人の東京の。

だから、任せて、フジワラは出来る事をする。それだけで良いと感じていた。

 

4、蠢動

 

タヤマは六本木に存在していた「タワマン」の一つを丸ごと奪い取って、自分のオフィスにしている。

実体はタヤマの個人的な家のようなものだ。

ただ電気はともかく、水がとにかく不足している。

水道局なんて今や動いていない。

其処で屋上にある貯水タンクに、水を作り出す事ができる悪魔と、それを使役する人間を配置し。

水を提供させ、自分と幹部。

その家族くらいにだけは使えるようにさせていた。

呆れた話である。

「誰よりも東京を悪魔から守りたい」なんて、時々幹部に零しているらしいが。実際はこれだ。

どこまでいっても反社は反社。

チンピラはチンピラだ。

タワマンを見上げていた帽子を被った青年は、タヤマとその部下の底の浅さを一瞬で把握。論ずるに足らないと判断していた。

その場を離れる。

誰も青年には気付かなかった。

この東京は、今や空白地だ。

元々領土にしていた神々は、半分以上封印され、残りは走狗にされている有様である。

だから力も弱まっていて、帽子の青年のような……イレギュラーが好きかって出来る状態にある。

しかも都合が良い事に、この地に攻め寄せた天使どもは敗北した。

あの忌々しい一神教の神の手下どもが撃ち払われたことで、極めて動きやすい状態が作られているのだ。

地下にある拠点に、空間を跳んで移動。

まだ賛同してくれている者は多くは無いが。

何名かの高位神格は既に動き始めている。

通称、多神教連合。

世界を好き勝手に動かしてきた一神教の支配をひっくり返すべく、各地の神話で同盟を組む。

そんな大それた事を考えられたのは、帽子の青年が神話における屈指の知恵者であり。

多くの悪魔を知恵ととんちで屠ってきた存在だからに他ならなかった。

地下空間深くへ降りて行く。

やがて物理的な地下ではなく、アティルト界へ移行。

其処は様々な情報だけが行き交う異界だ。

勘違いされているが、アティルト界は上位世界などではない。

むしろアッシャー界の下位世界だ。

情報だけがそこにあり。

アッシャー界のマグネタイトを介さなければ、アティルト界の生物は具現化することすら出来ない。

それどころかあり方すらアッシャー界の生物……今は最大存在である人間。これだけ痛めつけられてもなおも最大存在であるが。

その人間の思想や信仰に左右されるのが、アティルト界の生物。

神々や悪魔だ。

アティルト界で燻っている神々は多い。

何しろあの大戦で、東京を除く全ての地域にいた人間は皆殺しにされたのだ。

しかも東京の外では、以前から企画されていた「穢れのない人間だけを選抜する」とかいう巫山戯た一神教の計画の元、管理できる数の人間だけが愚民化され生かされている。

このような世界を許してはおけない。

勿論帽子の青年は人間の純粋な味方などでは無い。

必要があれば人間を間引くことも考えるし。

自分達に都合が良い存在に躾けることも考える。

それに、もしも神々の玉座にいるあの四文字たる存在に肉薄できるのであれば。

世界の人間全てを犠牲にして、それで道を開くのもありだとさえ思っていた。

その場合は、アッシャー界からの力の供給がなくなるから、一か八かの勝負になってしまうだろうが。

それもまた一興である。

だから、今は幾つもの手を練っていた。

アティルト界の深部。

其処には巨大な卵があった。

これを使わずに済ませられればいいのだが。

「クリシュナ様」

声が掛かる。

振り向くと、跪いているのはインド神話における龍王。コブラを神格化した存在ナーガの更に王。ナーガラージャの一柱。

仏陀を修行の際に守ったと言われる、ムチャリンダだった。

今は美しい聡明な娘の姿をしている。

仏陀はヒンズー教ではクリシュナの同類とされることがあり。

その縁もあって、今は仕えてくれている。

ただムチャリンダは基本的には人間寄りの存在だ。それにヒンズー教で歪曲され改悪されている仏陀の扱いを良く思っていない。

行動次第では、即座にクリシュナを裏切るだろう。

「仏教側の勢力の内弥勒菩薩様が……大乗仏教としての側面のみですが、協力をしてくださるそうです」

「まあそうであろうな。 出来れば如来級の仏の支援が欲しかったが、菩薩が限界か」

「クリシュナ様の計画はあまりにも多くの人柱を必要とします。 多くの如来は、それを快く思っておられません」

「犠牲なくして大義はならぬ。 西洋文明圏で仏教が邪教としてしか思われていないように、四文字の神が完全に思い通りに事を進めたら、人を救うことに特化したあの者達も、悪魔として貶められるだけであるのにな」

くつくつとクリシュナは笑う。

そして、ムチャリンダに続けて同志を集めるように依頼した。

目の前にある卵は、原初の龍王の一体。

此奴を使うときは、文字通り世界への反逆を行うときだ。

ただ、あの四文字たる神……法を司る一神教の首魁は、それすら見越しているかも知れないが。

ともかく、あらゆる手札を今のうちに準備しておかなければならなかった。

 

(続)