愛と狂気の円環
序、孤島の実験場
聞こえない。叫んでいるのが分かるのに、具体的に何を言っているのかは分からない。だから、聞き返す。
kldsfhiodhfaiofdhとは何だ。
返答は無い。
今日も、ワタシはそれを探して徘徊する。邪魔をする無数の影。振り切って、ひたすらに走る。
体にはもうがたが来ている。
だが、それでもやらなければならない。kldsfhiodhfaiofdhを満たすために、生まれてきたのだから。
見えてきた。
kldsfhiodhfaiofdhを捧げる対象が。
手を伸ばす。だが、愛を捧げるべきものは、ワタシに見向きもしなかった。
嗚呼。嘆きが漏れる。
いろいろな感情を理解してきた。言われるままに、様々な仕事もこなしてきた。その過程で、心については分かってきた気もする。
それなのに、どうしてだろう。
kldsfhiodhfaiofdhだけは、理解できない。
そのためだけに、作られたのに。
ふがいなくて、只ひたすらに悲しい。只ひたすらに、口惜しい。
だが、それでも。
理解できない。
その島は、大西洋のほぼ中央に存在している。ノーベル工学賞の受賞者である、とある博士の所有物である。
一応はE国の植民島だが、ほぼ独立国家に等しい。停泊している国連軍の巡洋艦の甲板からも、その不可解な有様が一瞥できた。
手をかざして、様子を見る。
孤島というと、森が覆っている印象があったのだが。甲板から見る限り、荒れ地ばかりである。それに、やたら古めかしい建物が多数建造されている。洋館だったり、教会だったり、それに蒸気機関車まであるようだ。
あの孤島こそが、今回スペランカーが派遣された攻略対象である。
「スペランカーどの」
近づいてきた足音に振り返る。
小柄なスペランカーから見れば、見上げるほどの大男である。何度となく、戦いを共にして来たE国最強のフィールド探索者、サー・ロードアーサー。古めかしい騎士鎧に身を包んだ、ひげ面の大男だ。恐ろしげな風貌だが、よく見ると愛嬌のある顔をしており、時代錯誤的な格好が代表しているようにひょうきんな部分もある。
何度も地獄の戦場を共にして来た戦友であり、もっとも信頼出来る戦士でもある男だ。
ただし、今回は本来、共に戦うべき存在では無い。
そもそも、戦わないために、ここに来たのだから。
「アーサーさん、状況はどうなっていますか」
「難しいな。 ドクター・Nはあの島での調査を拒否した。 これから我が輩達が直に説得しに向かわねばならん」
「……やはり、後ろめたい事があるんでしょうか」
「きな臭い噂は腐るほどある。 あの島が盗賊団の隠れ家になっているなどというものも含めてな。 だが我が輩は、あの男をそんな大悪党だとは思えぬのだ」
ドクター・N。
世界の裏側で暗躍する者達とも関わりがあるという、超大物工学博士である。アメリカのマサチューセッツ工科大学を主席で卒業し、ある研究でノーベル賞を受賞。特許料を得てこの島を購入し、今では引きこもりとも言われる生活を続けている。
島は元々無人島だったのだが、今ではN博士の護衛や家族を含め、百名弱が住んでいるという事だ。
しかししばらく前にフィールド認定されてから、中がどうなっているかは不明である。何しろ権利関係が複雑な上に、ドクター・Nの研究は、様々な分野に影響力を持つ貴重なものだ。
今まで黒い噂が絶えなかったのに放置されてきたのは、それが理由である。
「ただし、少人数での到来は歓迎すると言ってくれた」
「貴方の親友、ですものね」
「そうだな。 我が輩の古くからの友だ。 出来れば、穏便に事を済ませたいのだが」
アーサーの表情はほろ苦い。
変わり果てた友を知るが故に。その表情は、苦渋に満ちていた。
アーサーは大人だ。だからひょうきんなだけでは無く、世の苦難も矛盾もよく知っている。だからこそ、スペランカーは頼りにしているのだとも言える。婚約者の尻に敷かれているお茶目なところもあるが。
島の東側に砂浜がある。
かって、この島には小さな集落があったそうだが、大航海時代のおりに海賊に蹂躙され、住民は皆奴隷として拉致されてしまった。それ以来、ドクター・Nが来るまで民は一人も住んでいない。一つには、大陸から遠すぎるという事情もある。
数百年間無人だった故に、ドクター・Nが買い取った頃には、荒れ果てていたそうだが。今も、無人なのでは無いかと思えるほど、桟橋は朽ち果てていた。
家が点々としている。
だが、生気は無い。たまに来る船から物資を受け取り、島のわずかな住民達は生活している様子だ。
それは楽園とはほど遠い。閉ざされた空間の有様だった。
桟橋は、踏む度にぎしぎしと音がした。歩いていて、下にある海に落ちそうな気分に何度もなった。
遠くに停泊している巡洋艦は臨戦態勢である。この島が、フィールド認定されている事実に変わりは無いからだ。
砂浜には、大量のゴミが落ちている。
いずれもが生活廃棄物では無い。フラスコだったり硝子瓶だったり、研究資料だったり。触らない方が良いようなものばかりであった。硝子の残骸は踏むと危ないから、気をつけて歩く。
「大丈夫」とはいえ、痛い思いをするのは、やはり嫌なのだ。
今回、任務に出てきたのはスペランカーとアーサーだけ。
所属している会社も違う、戦闘スタイルにも差がある二人だ。こんな事になったのには、複雑な事情がある。
路は舗装されておらず、車も下ろせなかったので、延々と歩く。赤道近いこともあって、とにかく暑い。何度もハンカチを出して額をぬぐうが、汗は止まらなかった。途中、何度か意識が飛んだ。
そのたびに、死んだ。
スペランカーは、常人が入る事が出来ないフィールドと呼ばれる異境を専門に探索し潰す仕事をしている。いわゆるフィールド探索者である。体が弱く頭が良いわけでも無いスペランカーがこんな仕事を出来るのには、理由がある。
体を覆う、不死の呪い。
それが特殊能力となって、スペランカーを守り、そしてむしばんでいる。恐ろしいフィールドで必ず生還する事から、付けられたあだ名が絶対生還者。今回も、そのあだ名に相応しい行動をスペランカーは期待されている。
アーサに支えられて、再び歩き出す。正直、もうふらふらだった。
「ふえー。 しんどいです」
「相変わらず体が弱いのう」
「こればっかりは……」
「まあ、そうだな。 頑健な貴殿など、想像もできんわ」
げらげらとアーサーが遠慮無く笑う。その笑い声だけで、この陽気だと意識が飛びそうだった。
同じくフィールド探索者であるアーサーは、スペランカーと違って真っ正面から戦うタイプで、戦闘能力も極めて高い。
とても頼りになる盟友だが、豪快すぎて時々ちょっと困る。繊細な心配りが出来る後輩の川背の方が、内心頼りになると思っているスペランカーだった。
まもなく、目的地に着く。
生い茂る林。
陽光が遮られて、若干過ごしやすくなってきた。今日は半袖に半ズボンだが、汗が流れると時々マラリアよけの蚊取りスプレーを体にかけなければならない。林の中を歩くとなると、ヒルにも警戒する必要が生じてくる。
無駄かも知れないが、こういう小さな心配りは、捨てたくないのだ。どういう体質であったとしても。
林の中の路は、寂れた村に比べて、随分人が歩いて踏み固めた形跡があった。しかしその中には、どう見ても人のものではない足跡もかなりの数が残っている。
路の先には、古風な洋館があった。既に来ていたらしい国連軍の事務官が、敬礼してスペランカーとアーサーを出迎えてくれる。
「状況は」
「ドクターNは、アーサー様とスペランカー殿だけを受け入れると。 我々も即刻退去しなければ、攻撃すると言っています」
「分かった。 即座に撤退。 船まで戻って、合図まで待つように」
「イエッサ!」
そそくさと、国連軍の者達が引き上げていく。
眉をひそめたスペランカーは、小声でアーサーに言った。
「大丈夫ですか? アーサーさんの親友って言っても、もう十年も会っていないんでしょう?」
「我が輩とN……ニャームコは、若い頃から馬鹿をした仲だ。 今は落ち着いている我が輩も、学生の頃は随分無茶をしてなあ。 寮長に怒鳴られたり拳骨を貰ったりしたものなのだ」
「え?」
「どうした、何か変なことをいったかな?」
今は落ち着いているという言葉に非常に引っかかりを覚えたが、まあそれは良い。
アーサーが、E国での学生寮などについて教えてくれる。世界的に有名な児童文学などで知られてはいるし、スペランカーも義理の娘であるコットンに読み聞かせて覚えたが、実際に行っていた人に話を聞くととても興味深い。
寄宿舎がついている学校は、E国の縮図なのだという。寮ごとに対抗意識があり、やはり深刻な対立がついて回ることもあるそうだ。名門と呼ばれる学校の場合、子供が大人顔負けの政治闘争を繰り広げ、暗闘を日夜繰り返す場合もあるそうだ。
紳士の国と呼ばれるE国は、実際には暗闘の国というわけだ。
「ニャームコは、とにかく賢かったが、周囲に味方を作る努力をしない男でな。 我が輩はニャームコを常にかばったが、そうでなければ学校から追い出されていたかも知れないほど、周囲は敵だらけだったな」
「どこの国でも、そういうのってあるんですね」
「そうだな。 さて、久方の友との対面だ」
洋館らしい重厚な扉を開ける。
内部は獣の臭いがした。理由はすぐに分かる。
薄暗い屋敷の奥から、無数の目が此方をうかがっている。いずれもが、猫ばかりだ。毛並みは良く、かなり手入れされているようだが、目つきが著しく悪い。
「おお、猫共だ。 よーしよしよし、こいこい。 チチチチチ」
アーサーが手を叩いて猫を招こうとするが、気まぐれな動物らしく、さっと影に隠れてしまう。そうすると、ものすごく残念そうな顔をアーサーがしたので、思わずスペランカーは吹き出しそうになった。
階段を下りてくる人影。
エプロンドレスを身につけた、ゴシックスタイルのメイドだ。黒い髪の毛をセミロングにしており、顔立ちもとても愛らしい。だが、どうも動きが若干堅い。
表情を見て、納得した。おそらくはロボットだろう。
無理からぬ話である。ドクター・ニャームコと言えば、ロボット工学の権威。現在、世界にはかなり優れた技術で作られたロボットがいるが、それらの基礎、特に頭脳部分のベーシックスタイルを作った偉人こそ、ニャームコなのである。
あのC社最強のフィールド探索者、Rでさえ、その技術を受けついているとさえ言われているのだ。現在、感情を持つロボットは世界に複数存在しているが、そのいずれもが、ニャームコ博士の研究を何らかの形で流用しているのである。
それくらいは、頭が良いとはいえず、記憶力は更に絶望的なスペランカーでさえ知っている。
ロボットは綺麗なエスペラントでしゃべり出した。英語でしゃべるアーサーとは違っているので、慌てて翻訳機能がある電子手帳を操作する。今回も、これが会話の要となりそうだ。
「アーサー様、それにスペランカー様ですね」
「うむ。 我が盟友、ニャームコは」
「ご主人様は此方です。 他の方には、お帰り願えましたでしょうか」
「ああ。 それは心配せずともよい」
古めかしい洋館の階段を上がる。ゆっくり湾曲している階段は、何だか趣味の世界の構造物に思えた。
二階にはいると、長い廊下の左右に、無数の部屋がある。ちらっとだけ中を見たのだが、ロボットが無数に陳列されていて、とても洋館だとは思えない。此処が世界的ロボット学の権威の家なのだと、こういう所で悟らされる。
見ると、見たことの無い形状のパソコン類もあるようだ。多分設計に使っているスパコンだろう。周辺機器は、もうスペランカーの知識を逸脱した存在ばかりだった。薄暗いゴシックな洋館の廊下からつながっている空間の光景だとは、とても思えない。だが、これも事実だ。
廊下の突き当たりの部屋。
メイドがノックすると、中から重苦しい声がした。かなり年老いた男の声に聞こえる。アーサーはまだそれほど年老いていないはずだから、その同級生の声としては少し違和感が強い。
部屋に入る。
あまり広いとは言えない部屋の奥。机に向かって、猫背になっている大きな背中。白衣はすっかり染みだらけになっていて、部屋も異臭がした。床はフローリングだが、壁際はうずたかく本が積み上げられている。
「久しぶりだな、ニャームコ」
「おう、アーサー。 久しぶりだなあ。 サーなんてけったいな称号を付けて呼ばれているそうじゃないか」
電子辞書は国連軍から支給されている最新鋭で、エスペラントに設定しているため、音声を勝手に変換してくれる。その機能によると、なあ、の部分が独特の発音で、ニャアに聞こえた。
それだけではない。
椅子ごと振り返ったその男は、まるで不思議の国のアリスの物語に出てくるチェシャ猫だ。丸顔で、口が巨大。ほおひげは節操なく伸び、笑顔が大変下品である。目はとてつもなく大きくて、らんらんと眼光が輝いていた。
容姿もちょっと人間離れしている。
というより、写真で見たニャームコ博士と比べても、かなり太っている。
この、世界一安全とも言われるフィールド。ニャームコ島の支配者。それこそが、このニャームコ博士なのだ。
「そっちのは噂に聞くスペランカーかなあ」
「ああ。 今や我が輩に匹敵するフィールド探索者だ。 今ではアトランティスの顔役もしている」
「どうもよろしくお願いします。 スペランカーです」
「おうおう、そうかい。 それで、腕利きのフィールド探索者様が、二人も揃って此処に何用だ」
アーサーは咳払いすると、一度だけメイドに視線を送った。
当然あのメイドロボットは、侵入者を実力で排除するだけの機能を有していると見て良いだろう。当然の行動である。
スペランカーも、ちょっと緊張する。
今までロボット系の敵との交戦経験がないのかと言われたら、違う。何度かある。だが、あまり得意な相手とは言えなかった。
スペランカーが得意としているのは、別系統の敵なのだが。今回ばかりは、仕方が無いと言える。
「要件などわかりきっているだろうに。 前から手紙を出しているだろう。 お前は今、かなり危険な立場になっておるのだぞ。 どうして国連軍の招聘に応じない。 そればかりか、更に立場を悪化させるようなマネばかりしおって」
「ふん、馬鹿共が何を言おうと知ったことかなあ」
「子供の頃から変わらんな」
「そういうアーサー、お前こそその年にもなって未だに騎士なんぞを気取って、後ろ指をさされて恥ずかしくないのか」
恥ずかしくないと、アーサーは言い切る。
スペランカーも、それは同感だ。
たとえば、実が伴わない格好だけの「騎士」だったら、現在のドンキホーテも同じ事だろう。
だがアーサーは世界でもトップクラスのフィールド探索者として、魔界と呼ばれる超危険フィールドを一度ならず単独で潰し、魔王と呼ばれる強力な敵をそのたびに葬り去っているのである。そして心は婚約者だけに捧げて、別の異性には必ず一線を引いて対応しつつ、紳士としての態度を崩さない。
アーサーには、ひょうきんな部分はある。だがアーサーは、本物の、多分現在生きている中では数少ない騎士なのだ。
世界最強を謳われるあのMでさえ、アーサーの実力は認めている。E国でもアーサーは女王から爵位を貰っており、そういった意味でも正真正銘の騎士だ。だから周囲から敬意を込めて、サーの敬称を付けて呼ばれている。
実際、アーサーは現在には珍しい、騎士としての魂を持つ人物だと、スペランカーは思う。後ろ指をさす人間はいるようだが、そんなのはむしろ逆に現実が見えていない人たちだろうと、スペランカーは考える。実際アーサーと接してみて、まあ確かにたまに滑稽な事はあるし、豪快すぎて時々困ることもあるが。それでも、戦士としてこれほど頼りになる人は、そうそういないというのが素直な感想だ。
「お前のロボット工学と同じだ。 我が輩は、騎士としてのあり方で、現在で充分立脚できる実力と実績を磨き上げた。 それを恥じることなど、天地神明過去の先祖に誓っても、ありはせん!」
「相変わらずだなあ。 まあいい。 それで、此処まで来たという事は、腕ずくでも連れて行くということなのかなあ」
「お前が抵抗するならな。 我が輩はやりたくは無いが」
「ふん……」
しばらく、気まずい空気が流れる。ニャームコ博士は異相だけあり、顔をゆがめるとまるで化け物のような形相になった。
スペランカーはあまり頭が良くないから、折衝とかは苦手だ。だが、誠実に心を込めて話せば、相手がよほどの阿呆でも無い限り、痛い思いをいっぱいすることになっても、最後には分かってくれると信じている。
だが、それは最後の手段だ。
しばらくは、アーサーの行動を見守りたい。
「アーサー。 お前だから話すが、少し待ってくれないか」
「何をだ。 内容次第だな」
「今、わしは研究の大詰めに入っていてなあ。 それさえ終われば、お前が言うとおり、何だか知らんが査問会でも招聘でも応じてやる。 逮捕してもかまわんさ」
「何の研究だ。 別に釈明をしてからでもいいだろう」
釈明をする気は無いと、ニャームコは堂々と言った。腰を浮かせかけたが、ニャームコが言葉を続ける。
「この島が、盗賊団のアジトになってるって話な、あれは半分本当だ。 わしの進めた実験が暴走した結果なんだなあ」
「何……!」
「だが、この実験、どうしても最後まで進めたい。 そのためだったら、お前と戦う事だって厭わない。 それくらい重要な実験なんだよ」
「アーサーさん」
思わず一歩前に出ようとしたアーサーの腕を掴む。
アーサーの目が燃え上がっている。完全に義憤に我を見失っている。それを理解したから、スペランカーは止めた。
アーサーは無言のまま立ち尽くす。ぎりぎりと歯を噛んでいるのが分かった。
「見損なったぞ! お前を、信じていたのだがな、ニャームコ!」
「知っていたさ。 お前を裏切るのだって、散々苦悩した末だ! だが、それでもこの実験は、やらなければならなかったんだよ!」
「墜ちたか、ニャームコ! ならば友として、貴様を止めなければならん!」
「やらせはせん! 騎士だろうが何だろうが、このニャームコ、遅れをとりはせん! この島でならな!」
不意に、ニャームコ博士の姿が消える。
そして、椅子が床に飲み込まれ、ふさがったことに気付いた。
「逃げたか……」
アーサーはメイドロボットに手を伸ばしかけて、止めた。
彼は今時珍しい紳士的な思考の持ち主だ。ロボットとは言え、非戦闘員の女性に手を上げることは彼の紳士的倫理が許さなかったのだろう。スペランカーは頭を振ると、部屋の外に出た。
既に、其処は死地とかしているのが明白なことを、承知の上で。
此処はフィールド。
スペランカーにとって、仕事場であり。普通の人間が入れば、生きて帰ることは叶わない、死の土地である。
1、聖域と呼ばれる島
アトランティスで過ごしていたスペランカーに、仕事の依頼が来た。丁度仕事の依頼が来たとき、外で遊び疲れた被保護者であるコットンが布団で眠りについたところだったので、スペランカーはちょっとやきもきした。どうやら親心というのが、強くなり始めているらしい。ずっと一緒にいてあげたいくらいなのだが、子供の自立のためにもそれは良くないし、悩む日も多い。仕事でフィールドに出て、攻略して帰った後は、最初に見たいのはコットンの顔、という事も増えていた。
だが、コットンと一緒にいられるのも、アトランティスの人たちのために頑張って、更に言えばフィールド探索者として実績を上げているからだ。ましてや、コットンの周囲には、世話をしてくれるアトランティスの民も大勢いる。恵まれていると思って、これからも頑張らなければならない。
見かけは十代半ばでも、実際には結構年も行っているのだ。体を覆う呪いで不老不死になっているから若く見えるが。逆に言えば、だから母性も強くなるのかも知れなかった。
寝室から外に出ると、かって邪神に作られ、今ではアトランティスの民として暮らしている一人である骸骨の戦士が書状を捧げ持っていた。彼に悪意はないし、仕事をきちんとしただけである。彼らはスペランカーの言うとおり、ちゃんと一線を引いた対応をしてくれているのだから、これ以上の要求は酷だ。
手紙の封を解いて、中を見る。
国連軍からだった。
最近、スペランカーは所属しているフィールド探索社よりも、直接国連軍から仕事を受けることが増え始めた。これは邪神を数体倒した実績と、何より歴戦の猛者でも手こずっていた難関フィールド、クレイジーランドを潰したことが大きな理由となっている。一流どころとして認められ、それだけ仕事の難易度が上がってきたという事なのだ。
居間に出て、手紙を見る。
今度の仕事場は、N島。大西洋の孤島だという。何処かで聞き覚えがあると思って、地図を広げてみると、案の定である。
「ニャームコ島……」
知識が乏しいスペランカーでも聞いたことがある。世界にいくつかある極めて特殊なフィールドの一つ。それがこの島だ。
ロボット工学の権威であるニャームコ博士は、己の財産を使って、無人島を買った。そして其処に引きこもっているという。
ニャームコ島では、世界よりもずっと進んだロボットの技術が使われているとか、或いは犯罪組織に乗っ取られ、盗賊団のアジトになっているとか、様々な怪情報が飛び交っている。はっきりしているのは、軽度のフィールド扱いされている、という事だ。
しかも、そのフィールドの中にニャームコ博士が住んでいて、立ち入りやフィールドの撃破を拒否している。
世界には、こういった特殊な事情を抱えたフィールドがいくつかある。たとえば紛争地域の真ん中にあるフィールドなどがそうだ。対立する武装組織の中間地点に出来てしまったため、丁度良い緩衝地帯になっており、わざと放置されている、というようなものである。
ニャームコ島は持ち主が世界的なロボット工学の権威で、膨大な特許を有しており、リアルタイムで世界の最先端を行くAIを開発して発表している、という事情が大きい。そのニャームコ博士の私有地の上に立ち入りを拒否していて、しかも住んでいるのは博士の関係者だけという事情もあって、今まで立ち入りは出来なかったのだが。
しかし、手紙には、今回ニャームコ博士を説得し、どうしてもフィールドを潰す必要性が生じたのだと書かれている。
いずれにしても、詳しい事情は、実際に説明を聞かなければ分からないだろう。一緒に一流のフィールド探索者が探索を行うとあり、それからも今回は一線級(スペランカーに関しては気恥ずかしい話だが)を二人も投入する大形の案件だと言う事が見て取れる。それだけ危険性が高いのだろう。
そろそろ夜中で悪いのだが、神殿の奥に行く。この案件は、最速で片付けなければならないだろう。
スペランカーはアトランティスでは様々な理由から象徴的な存在とされており、長老達にも良くして貰っている。特に、原住民の長であった半魚人の長老は、何か重要な決定がある場合は必ずスペランカーに話を持ってくる。スペランカーが決済すれば、アトランティスの誰もが納得すると知っているからだ。したたかな行動にも見えるが、此処を統治した邪神がいなくなった今、誰かが精神的な支柱にならなければならないのである。
だからスペランカーも、逆に重要なことは、皆に話すようにしている。それが信頼に対する返礼だからだ。
恐らく国連軍から手紙が来たことは伝わっていたのか。長老格の住民達は、皆集まっていた。今到着したばかりの者もいるようだ。
「スペランカー様、国連軍からの仕事だと聞きましたが」
「はい。 今度はまたちょっと厄介そうな場所です。 ただ、危険性はいつもに比べれば、小さいかとも思います」
「我ら戦士一同、いつでもスペランカー様の為に命を捨てる所存にございます。 是非ご同行させていただきたい」
そう雄々しく言うのは、ミイラ男達のリーダーをしている人物だ。アトランティスでは、半魚人と彼ら、それに骸骨になった戦士達が主な住民となっている。ミイラ男と言う事で、既に死んでいる事もあってか、とても勇敢だ。フィールド探索者としても、通用する実力を持つ戦士も多い。
だが、スペランカーは首を横に振る。
「私は大丈夫です。 アトランティスはまだ発展していない場所も多いですから、そちらのために力を使ってください」
「スペランカー様がそう言われるのであれば。 しかし、お呼びいただければ、いつでもご同行させていただきます!」
血の気が多い戦士達の代表が座ると、半魚人の長老が咳払いした。そして、資料を出してくる。
彼なりにニャームコの事を調べてくれたのである。ロボット工学の権威と言う事だが、実際には駆動系ではなく、AIの構築について相当な実績がある人物らしい。詳しいことは知らなかったので、勉強になった。
若い頃の写真もあった。お世辞にも美男子とは言えない人物で、むしろ異相というのが正しいだろう。コットンが見たら、子供らしく、遠慮無く変な顔とか言うかも知れない。
「それにしても、今まで野放しにしていた相手を、どうして国連軍は不意に摘発する気になったのでしょうな」
「さあね。 何か無視し得ないものが見つかったか、それともとんでもない事の引き金になりかねないか。 此処で議論しても仕方が無いだろう」
長老の頭の上で、手のひら大の黒い蜘蛛が、足を二本上げてそう口をきいた。
彼女はアトラク=ナクア。少し前に南極近くの島で、スペランカーが激戦の末、フィールドを破壊した邪神である。妄執から解放された邪神は力を失ったが、今ではアトランティスの民達のアドバイザーとして、神殿に来る者に助言を与えているのだ。
いずれにしても、出るほかに無いと結論。翌朝には、アトランティスを発つ事となった。
翌朝には、準備をして空港に。コットンはぐずることも無く、手を振って見送ってくれる。
悲しいだろうに、よい子に育っている。本当に嬉しい。
少しだけ良い気分になったが、飛行機の中ですぐに気合いを入れ直した。
自分が死ぬ事は構わないが、油断していると同道者に迷惑を掛ける。
オーストラリアを経て、ジャンボジェットに乗り換え。丸一日以上飛行機を乗り継いで、S国に到着した。
かって海の覇者となり、陽が沈む事なき大国などと言われたこの地も、今ではヨーロッパの一小領に過ぎない。経済的にも発展しているとは言えず、独立運動をしている連中まで内部に抱えて、政情は決して安定しているとは評しがたい。
それらの情報は飛行機の中で見たが、実際ついてみると、空港ですぐに国連軍の人が出迎えに来ていて、車に乗せられた。車はロケットランチャーの直撃まで防ぐ仕様であり、危ない目に遭う以前の問題だった。
すぐに港に向かい、国連軍の巡洋艦アイランズに乗せられる。大量のトマホークミサイルを搭載している強力な最新鋭艦で、乗った時点で嫌な予感がした。そこで、ようやく今回の編制について聞かされた。
会議室で編制を見て、スペランカーは思わず素っ頓狂な声を上げていたくらいである。
「え? アーサーさんですか!?」
「そうです。 今回はかなり危険なミッションになる可能性が高いとお考えください」
度肝を抜かれた。
アーサーは超一流のフィールド探索者で、彼が出張ると言う事は、よほど危険な事態になっているという証拠である。一流と聞いていたが、実際は更に上だった、という事だ。
その割に、会議室で示された情報は極めて限定的で、アーサーも「かっての親友を説得するため」出てくる、というものだった。
やがて、アーサーが船に乗ってきた。
盟友とスペランカーを呼んでくれるアーサーは、騎士そのまんまの格好をした豪快な人物である。だが、今回はどうも様子がおかしいと分かっているらしく、スペランカーが見ていないところでは、むっつりと黙り込んでいた。
そして、ニャームコ島についた。
島に着くまで、殆ど表面的な情報しか出されなかった。ニャームコ博士が犯罪組織に荷担している可能性が高く、島は軽度のフィールドである事を良いことに、盗賊団のアジトになっている。だから、ニャームコ博士を確保して欲しい、というものだ。
それならアーサーだけで充分なはずである。魔界と呼ばれる超難易度のフィールドを今まで何度も潰してきているほどの手練れなのだ。
なのに、スペランカーが一緒に出る。
これだけで、何かあると言っているようなものである。何度目かの会議で、たまりかねてアーサーが発言した。
「そろそろ、本当のことを話して貰おうか」
「そう言われましても」
気が弱そうな国連軍の事務官は、アーサーの眼光を浴びて露骨に怯えた。アーサーは、地獄をかいくぐってきた戦士である。戦うときには、凄まじい殺気を放つし、その眼光は怪物達をひるませもする。
国連軍の事務官はまだ若い男で、多分エリートではあるのだろうが、この仕事を押しつけられたのが見え見えだった。内心同情もしたが、しかし此方としては命にも関わることなのである。
「ニャームコは確かに我が盟友だが、たかが盗賊団がいるかも知れない、というくらいで、スペランカーどのが一緒に呼ばれる理由などあるまい。 スペランカー殿の特性については、貴殿らも把握しているはず。 今回の一件、星の海から来た邪神が関わっているのでは無いのか」
「ご、ごめんなさい、分からないんです! 僕だって、今回の仕事で初めてで、それなのに貴方たちみたいな大物二人に説明しなくてはならなくて!」
泣きそうになるエリートどの。
スペランカーが、眉尻を下げて、アーサーの鎧の肘辺りを掴んだ。
「アーサーさん」
「分かっておる。 こやつは所詮小物。 一体今回の任務の裏には、何があるのやら」
半泣きになりながら、エリートは説明を進める。
島の見取り図を出す。フィールド化しているのは、その島の半分。上陸地点がある砂浜と、その周辺にある居住区、今の中央ほどにあるニャームコ博士の住戸を除く地点が、だいたい全てフィールドになっているという。
遠距離から撮影した写真を見せられる。
シックな教会や、何故か機関車、密林地帯などが見て取れる。明らかに手を入れられた環境だ。これらは全てフィールド化しており、動いている何かの影も確認できるという事だ。
「で、我が輩は、ニャームコを説得して、出頭させればよいのだな」
「お願いします。 スペランカー様は、サポートに徹してください」
「……」
アーサーはもう一度じろりと事務官をにらむ。
結局、島に到着するまで、それ以上の情報は出なかった。
そして、今である。
ニャームコ博士が逃げたことを、無線で連絡。既に島のフィールド化していない部分には国連軍の特殊部隊が待機しており、博士が出てきたら即座に逮捕できる態勢が整っている。また、海上には三隻のフリゲート艦が来ており、博士がモーターボートなどで脱出しないよう、見張りをしているそうだ。
しかも、海上を飛び回っているのは、対潜ヘリだ。潜水艦を使っても、逃げ切ることは無理という事である。
完全に臨戦態勢だ。ニャームコ博士は、一体何をしたのか。実験とは、それほど危険なものなのか。
一瞬、星の世界から来た邪神のことを思い浮かべる。だが、思い込みは解決を遅らせる。柔軟に考えなければならない。
部屋からのそりと出てきたアーサーは、床は追撃不可能な状態だったと嘆息した。そして一旦洋館を出るように、スペランカーに促す。頷くと、メイドロボットの案内も受けないまま、小走りで洋館を出た。ニャームコ博士は、十中八九、フィールドに逃げ込んだことは間違いない。
「スペランカー殿、ニャームコに何か感じたか」
「いいえ。 邪神の気配は何も」
「そうか」
以前の戦いで、スペランカーは体内に邪神ダゴンを取り込んだ。その結果、邪神の気配を感じ取れるようになった。
だが、それは人間の業を、更に深く目にする結果にもつながっている。
邪神に何かしらの形で関わると、碌な末路を迎えない。
ただし、スペランカーの父が既にそういう人物だったこともあり、衝撃は少ない。ただ、今は悲劇が出来るだけ拡散しないことを、祈るばかりだ。
しかし、人の業は邪神とは関係ない場所でも、その闇を広げる。今回は邪神が関わっていない可能性があるとは言え、悲劇が無いとは言い切れない。
アーサーが、ちょっとだけ安心したのを、スペランカーは見上げて分かった。なんだかんだで、まだ友達を助けることを、諦めていないのだ。
それでも、何かあったときのために、ブラスターを抜く。
林の脇道に入る。洋館の中から、メイドロボットが無表情で、此方を見ていた。もう彼女には用は無いし、邪魔をされても困る。幸い、彼女が攻撃をしてくる様子は無かった。
林の中に踏み込むと、落ち葉がうずたかく積もっていて、かなり歩きにくい。洋館の中以外、メイドロボットは一切手入れをしていないらしい。アーサーが腰に付けている剣を抜くと、ブッシュを払う。剣がひらめく度に、枝だが葉が鋭く切り落とされ、飛ばされ、路を作る。
そのまま、彼の後をついて歩き始める。
林は、外観よりもずっと広かった。内部は入り組んでいて、アーサーは目印も兼ねて、ブッシュを伐採している様子である。だが、意外にもあっさり、林を抜けることになった。
多分それは、島の外から見えていた機関車だろう。
黒光りする巨体が、まるで食事を終えた大蛇のごとく、ふてぶてしく横たわっている。近づいて見上げるが、非常に頑強そうで、レールさえあれば現役で走れそうだ。まるまるとしたデザインの機関車の上には、古風な煙突と、それに古めかしいが存在感のある大きなベルがついていた。
草を踏む気配。
振り返ると、其処にはとても面白い姿をした存在がいた。
鼠、だろうか。ただしブルーの制服をしっかり着込んで、警察らしい格好をしている。腰のホルスターには拳銃を提げていて、隙無くエンブレムがついた帽子を被っていた。顔はデフォルメされた雰囲気は無く鼠そのもので、長い前歯が見え、お尻には細い尻尾がついている。
背丈は百二十センチほどで、スペランカーよりもだいぶ小さい。体自体も丸っこく、機敏そうには見えなかった。
様々な異形を見てきたスペランカーには、これくらいは驚きに値しない。相手が綺麗なエスペラントで喋ったとしてもだ。
「アナタ方は? ワタシが知る人間ではないようですが」
「我が輩は騎士アーサー。 此方はスペランカーどの。 我らはある理由からニャームコ博士を捕らえに此処に来た。 貴殿と戦うつもりは無い」
「ニャームコ! 奴がまた何か盗んだのですか!」
アーサーが礼儀正しく名乗りを上げると、鼠警官は、尻尾を立てて怒りの表情を見せる。彼は何者だろうか。恐らく、彼であっているはずだ。それにしても、人間にサイズが近いからだろうか。歯を剥いて怒る姿は、愛らしいと言うよりも猛獣を思わせるものである。
しかし、何だろう。この違和感は。
どうも、さっきからこの鼠に、妙な齟齬を感じるのである。頭が悪いスペランカーには分からないが、アーサーは気付いているかも知れない。
アーサーは冷静に鼠警官を見ていた。やがて鼠警官は、非常に綺麗な敬礼をした。
「失礼しました、騎士どの、それにレディ。 ワタシ、いえ本官はマッピー。 この島の唯一の警官であります!」
「そうか。 ニャームコ博士とは、因縁の仲なのか」
「よく知っていると言えば知っている間柄であります。 ただ、奴が博士であったとは知りませんでした。 奴を捕らえるのであれば、協力させていただくのであります」
アーサーが目を細めた。その細め方には、スペランカーは見覚えがあった。
既にアーサーは若者とは言いがたい。戦場で自分を練り上げてきた、歴戦の武人と言える存在だ。だからこそ、独特の雰囲気がある。その戦士としての雰囲気が、わずかに漏れ出るのを、スペランカーは感じ取った。
やはり、怒りか、或いは。
警官は意外に身軽な動作で機関車の上にひょいひょいと飛び乗ると、手招きをする。案内をしてくれるというのだろう。
あの体で、あんな機敏な動きが出来るとは思えない。何かしらの特殊能力か。
「スペランカー殿、不審を感じたか」
「はい。 悪い子だとは思えないんですけど」
「我が輩は、むしろ悲しい運命を感じるな。 とにかく、今は後を追おう」
アーサーが、機関車の側面についているはしごを、手慣れた動作で登りはじめる。運動神経がとても鈍いスペランカーは、ちょっともたつきながら、ついていった。
機関車は何両編制なのかよく分からないが、とにかく遙か遠くまで続いている。客車の屋根が延々と連なっている様子は、やはり大蛇の背中を思わせた。黒光りする機関車と、茶色を基調としたシックな客車の組み合わせ自体は、とても美しい。
マッピーは周囲をしきりにうかがっている。拳銃に触らないという事は、あれは威圧用の飾りなのかも知れなかった。
「この辺りは、既にミューキーズの縄張りであります」
「ミューキーズとな。 それは何者か」
「え? ニャームコを追っているという事でしたが……」
「関係があることなのか」
不意に、周囲から無数の猫の鳴き声。
そして、機関車の前後左右に、大量の、対の光が現れる。それがピンク色をした、マッピーよりは若干小さい猫だと言う事に、すぐに気付く。というのも、マッピー同様の機動力を駆使して、機関車の背中に飛び上がってきたからである。
いずれもが、猫なのに四つ足では無く、二本足で立っていた。それでいながら、若干猫背で、手には剣のように鋭い刃が何本か見て取れる。
此処がフィールド認定されているのは、何度か調査官が行方不明になり、ニャームコ博士が追加調査を拒否したことが引き金となっている。調査官というのは、当然普通の警官では無い。戦闘経験がある国連軍の特殊部隊出身の憲兵だ。勿論、軽度のフィールドという扱いだが、しかしこの数は。
「こやつらが、ミューキーズか」
「そうであります。 おかしいですね、ミューキーズが外で散々悪さを働いていると聞いていたのですが」
「アーサーさん!」
一斉に、ピンク色の猫たちが、動物とはとても思えないほどの連携で飛びかかってきた。全方位からの一斉攻撃。
数十匹が同時に空に舞う姿は、ある意味美しくもあった。
鋭い一撃が、スペランカーを袈裟に切り裂く。どうやら、普通の爪では無い。手に何か爪状の強力な刃物を仕込んでいるらしかった。
意識が戻ったとき、スペランカーの血を浴びた猫の死骸があった。
いや、それは死骸では無い。
残骸、だった。
辺りは阿鼻叫喚の戦闘中である。アーサーが次々に出現させた斧や剣で猫たちを切り払っているのだが、音が異常だ。まるで鉄の塊でも斬ったかのような、ものすごい音がしている。それだけではない。
達人級の武人であるアーサーが斬っているのに、猫はひるまない。一度吹っ飛んだ後、またとんぼを切って立ち上がり、また何度でも何度でも飛びかかってくる。
今度は首を飛ばされたらしい。意識が途切れる。
蘇生したときには、まだ戦闘が続いていた。
少しずつ、辺りに残骸が増えていく。異常に頑丈な理由はよく分かった。だが、それにも限界があるらしかった。
頭を振り振り立ち上がる。二十回は殺されたか。
アーサーが、手にしていた投げ斧を消す。その目は、鋭く辺りを見据えていた。
「スペランカー殿、立てるか」
「何とか大丈夫です」
「驚きました。 本官は、そのようによみがえる方を見るのは、初めてであります」
マッピーの驚きの声を聞いて、スペランカーは確信を得た。
立ち上がる。辺りはそれこそ攻撃機の銃撃でも浴びたかのような、ものすごい有様だった。
だが、機関車の屋根が、見る間に傷を回復していくのを見て、スペランカーは度肝を抜かれた。
「えっ……!?」
「この島を作った神様の手による奇跡であります。 ミューキーズが壊そうが、本官が壊そうが、必ず何でも元に戻るのであります」
「……」
アーサーが、マッピーが見えない位置で、スペランカーに向けて頷いた。
少しずつ、異様さの正体が分かりはじめていた。
2、密林の死闘
歩いていると、ようやく機関車の先頭が見えてきた。正確には、最後尾という所だろうか。
何度かミューキーズの襲撃があった。だが、その全てを、とりあえずは退けることが出来た。猫なら夜からが本番だろうかと思い、日が暮れ始めたのを見て少し不安になったのだが。マッピーは、ミューキーズは子供だから夜にはおねむだとか言い出した。事実、日が暮れてから、あのピンクの猫たちは姿を見せなくなった。
ただ、スペランカーにも分かる。
一戦ごとに、猫たちの動きが速く、的確になってきている。
特に三回目の襲撃からは、スペランカーをは避けて動くようになっていた。ただし、アーサーの死角に必ずスペランカーは入って、攻撃を防ぐようにしていたが。しかも、アーサーの剣を避ける個体まで現れ始めていて、動き自体も早くなってきている。
一度、無数の魔界を通り抜けたアーサーの首筋に、猫の爪が届きかけたくらいである。その時はスペランカーが体当たりして、どうにかほんの一瞬だけ時間を稼ぐことが出来たが。
マッピーはというと、随分不思議な戦い方をしていた。ちょっと形容しがたく、スペランカー自身も、まだ見たものを整理し切れていなかった。
「それにしても、騎士どの。 スペランカーどののあの力は、何なのでありましょう」
「スペランカー殿は、ある邪神から不死の呪いを受けておる。 それの特性は不老不死でな。 死んでも自動的に欠損部分を周囲から補填して復活する」
「それは、不思議な話であります。 血を浴びたミューキーズが倒れたのも、スペランカーどのが蘇生したのも、それが理由でありますか」
スペランカーは、気付く。
アーサーが、重要な説明を省いたという事を。
邪神の祝福とも言える、スペランカーの体を覆っている呪いには、もう一つ大きな特性がある。
それは何かしらの悪意ある攻撃により死を迎えた場合、攻撃者から損失部分を補填する、というものだ。
だが、さっきの猫たちには、それが通用しなかった。直に血が掛かった場合のみ、相手は倒れていた様子だ。
無理も無い話である。
何しろ、倒れている猫たちは、いずれもが。
素人であるスペランカーでさえ、理由は分かった。
それに蘇生はノーリスクでは無い。復活時、電気ショックのような痛みが走る。着衣までは完全に再生しない。
だから激しい攻撃を受けると、全裸になってしまうこともあった。スペランカーは体型がとても貧弱なので、とても恥ずかしい話である。
「アーサーどのは、本官が見たところ、次々にどこからともなく武器を出していたようですが」
「あれは我が輩の能力、ウェポンクリエイトだ。 我が輩の体重以下の武器であれば、体力と引き替えにいくらでも作り出すことが出来る」
「なんと不思議な」
「いや、マッピー殿の能力も中々に面白い。 使い勝手がありそうではないか」
非常に身軽に機関車に乗った能力。あれが、やはりマッピーが持っている特殊な力であるらしい。
まだ正体についてはよく分からないが、それでも結構使い出がありそうだ。高々と飛び上がることが出来るだけでも、結構役に立つものなのである。ましてやマッピーは、あれだけ全方位からの攻撃を受けていながら、一度も被弾していないのである。
機関車の最後尾に到着。
積み木で作った駅のようになっていた。ホームはかなり長いが、路線は一つしか無い。はしごを下りると、其処には髭を蓄えた、奇妙な駅員がいた。その丸顔、何処かで見覚えがある。というよりも、ついさっき見たばかりの顔だ。
ニャームコ博士。
背丈は最初会ったときに比べて、若干小さい。それでも百四十センチくらいはあるだろうか。
蓄えている髭は時代錯誤的な武将髭で、着込んでいる黒を基調とした駅員の制服も、おなかがぱんぱんにはち切れそうである。
アーサーは剣を抜かない。武器も作り出さない。
改札で無表情に立っている猫に対して、マッピーは無言で近づいていき、切符を三枚出した。
「三人だ。 通して欲しい」
妙に堅い動作で、ニャームコ博士らしき者は後ろを向く。
マッピーが手招きしてきた。
「通ってください。 本官が此処は切符代を都合します」
「スペランカー殿、お言葉に甘えよう」
「はい。 ……そうですね」
この島は、一体何だ。
スペランカーの中で、ある嫌な予感が、加速度的に膨らみつつあった。
アーサーは、ニャームコらしい存在に見向きもしない。一瞬だけスペランカーは振り向いたが、その時にはニャームコ博士らしい者は、汽車に向き直っていた。そして、その顔には、表情どころか、感情の残滓さえ無かった。
駅の改札を抜けると、路どころか、草ぼうぼうの野原が続いている。
既に夜と言う事もあるが、明かりも無いので、どこに何があるか、全く分からない。野宿自体は慣れっこだが、ちょっと不安がよぎる。
この駅は、一体何の目的で作られた施設だ。
機関車の末尾に、ただぽつんとあるだけの駅。駅の改札を出てしまうと、街がある訳でも無く、無人の原野が広がっている。
リラックスしている様子のマッピーに聞くと、更に不可解な言葉が返ってきた。
「マッピーさん、この辺りは安全なの?」
「安全であります。 この辺りは中立地帯なので、時々海岸にいる方々も、果物を取りにきたりしているのでありますよ」
「あの猫さん達は盗賊団なんでしょ? 襲われないの?」
「中立地帯は絶対であります。 ミューキーズも、中立地帯で誰かを襲うことは無いのであります」
アーサーが咳払いした。
そのまま、キャンプの準備に取りかかる。手慣れた動作でアーサーがリュックを降ろし、天幕を張り始めた。
一度街に戻る余裕は無い。仮眠を取ったら、すぐに奥へ行かなければならない。歴戦のアーサーは、当然マッピーも信用はしていないだろう。和気藹々と応じてはいるが、いざとなれば交戦も辞さない覚悟に違いない。
交代で、仮眠を取ると言うと、マッピーは不思議そうに言った。
「本官は睡眠など必要ないであります」
「そうか、疲れたら言って欲しい」
「了解であります! ゆっくり休んでくださって構わないのであります」
マッピーは敬礼すると、側の木に寄り添い、空を見上げた。
スペランカーは何度か彼とアーサーを見比べた後、声を落としていった。
「アーサーさん」
「とうに気付いているだろうが、あのミューキーズと言うものども、戦闘用のロボットであるな」
「やっぱり、そうですよね」
アーサーが斬った後の切り口が、異常だった。
機械が露出していた、というのとは違う。だが内蔵がはみ出しているわけでは無く、白い液体が大量に流れ出ていた。斬られた跡も、肉が見えるのでは無く、皮と、白い液体にまみれたよく分からないものが見えるばかりだった。
アレは恐らく、人工血液という奴だ。
「我が輩は世界最強のロボットと言われるRと同じ会社にいるから色々聞かされているのだが、今のロボットというものは、全てを機械部品にするのではなく、生体部品を組み合わせて柔軟な運用をするのが主体だそうだ」
「マッピーさんも、そうなんでしょうか」
「此処は軽度のフィールドだ。 何があってもおかしくは無い。 それにあの不自然な言動、やはりプログラムを組み込まれたロボットの可能性があるな。 貴殿に言っても釈迦に説法かとも思うが、努々油断為されるな」
「……」
見張りをするから寝るようにと言われて、スペランカーは言葉に甘えることにした。
しばらくして、交代する。マッピーはまだ動かず空を見ていたので、後ろから歩み寄った。振り返ったマッピーは、鼠の顔をくしゃくしゃにして笑った。
「どうなさいましたか、スペランカー殿」
「マッピーさんは、ずっとおまわりさんをしているの?」
「そうであります。 本官はこの島で生まれてから、ずっと法と正義の味方なのでありますよ」
誇らしげに、マッピーは言う。
以前は、此処では無く、別の「屋敷」がミューキーズとの主戦場であったという。其処ではミューキーズが盗んだ様々なものを取り返しながら、その首領であるニャームコと何度も激しい戦いをしたのだそうだ。
「本官との長い戦いの末に、奴らは本拠を放置して撤退。 その後はしばらくは平和が続いたのであります」
「……」
この島が、盗賊団のアジトになっている可能性が高い。それが、今回島を覆うフィールドを潰すべく、スペランカーが呼ばれた理由だ。
だが、この子は雰囲気的にフィールド探索者に近い。
実力も充分だ。中堅どころ以上の力は、確実に持っている。それなのに、ずっと戦いは続いているというのか。
「今も、えっと、ミューキーズと戦っているの?」
「ええと、ちょっと恥ずかしいのでありますが」
頬を赤らめながら、マッピーは言う。
今は婚約者がいて、彼女に送るプレゼントを集めているのだそうだ。ミューキーズはその邪魔をするべく、毎度現れるのだという。
一警官の邪魔をするべく毎度ちょっかいを出してくる盗賊団かと、スペランカーは心中で呟いていた。
「婚約者も、鼠さんなの?」
「はい。 マピコというのですが、とても綺麗で、本官にはもったいない女性なのであります」
ただ理想がとても高く、きちんとしたプレゼントを持っていかないと、満足してくれないのだそうだ。
少し前までは、高級なチーズ類の詰め合わせを求めていた。今は結婚のために、指輪を得ようと必死なのだという。
「でも、本官の安月給だと、なかなか」
「……」
よほど強欲な女性ならともかく、本当に好きあっているのなら。婚約者が危険を冒し続けるよりも、側にいてくれる方が嬉しいのでは無いのか。
スペランカーも、若い頃に発育が止まってしまっているとは言え、女だからある程度は分かる。惚れた弱みという奴なのだろうか、それとも。
やはり、何かがおかしいのか。
アーサーが起き出してきた。
ニャームコのいる所に、心当たりがあると、マッピーはいう。
指さした先には。巨大な木々が生い茂る、密林があった。
密林の中は案外過ごしやすい。暑さの割には湿度が低いからだろう。
ただし、かなりの頻度でスコールが来るそうで、その時は木の下に逃げ込むしか無いそうだ。傘など差しても無駄だと、マッピーは言う。
「この辺りから、またミューキーズの縄張りになります」
「ミューキーズか。 奴らはどれくらいいるのだ」
「本官が知る限り、襲撃をかけてきているのでだいたい全部のはずでありますが」
「……」
そうなると、アーサーが斬った分だけ増えているのか、それとも再生しているのか。
機関車があっという間に再生するのを間近で見たのである。この島のフィールドによる特性かも知れない。いずれにしても、何が起きても不思議では無い。
巨大なシュロの木。椰子の木もある。
足下はそれほどブッシュもひどくなく、歩き回るにはそれほど苦労しなかった。ただし木の根が地面を這い回っていて、ちょっと油断すると転んでしまう。
転ぶ度に死ぬ事になるので、難儀な話だ。服も汚れてしまうし。消耗品とはいえ、服が汚くなるのは悲しいのだ。
「来たな」
アーサーが手元に大きな騎乗槍を出現させる。
同時に、四方八方から、ミューキーズが襲いかかってきた。猫の鳴き声がやかましい。この狭いところで槍かと思ったが、アーサーの武力を信頼しているので、何も言わない。
案の定アーサーは、揺るがない。
槍を次から次へと出現させては、木の間を縫うようにして投擲。そのたびに猫の体が串刺しにされ、吹っ飛ぶ。木々が林立しているからこそに、猫は避けられない。
マッピーが、高々と跳躍。
そして、木々の間を飛び回り、敵の頭上を取った。
墜ちてきた椰子が、猫の頭を直撃、木っ端みじんに粉砕する。椰子の実の破壊力では無い。
着地したマッピーに、四匹の猫が同時に躍りかかる。
マッピーが旋回しつつ、地面を撫でた。
飛び上がったように見えた何か。草か。草が猫たちの動きを止める。蔓が絡みついたのでは無く、猫が草に飛びつき、しがみついたのだ。
「猫じゃらしの効果はてきめんであります!」
動きを止めた猫。マッピーの背後に、大きな影。
ニャームコ博士。いや、腰蓑を巻いた原住民のような姿だが、やはり最初見た時と背丈が違う。
パワーは猫たちとは桁違いのようで、繰り出した蹴りがクレーターを穿った。猫じゃらしとやらにじゃれていたミューキーズもろとも、マッピーが吹き飛ばされるが、とんぼを切って着地。
その間スペランカーは、アーサーの死角に廻ろうとしていたミューキーズに飛びつく。小さい相手だから、それで動きは止められた。振り切られるが、アーサーに時間を作ることは充分に出来る。
立ち上がったマッピーが、仇敵に対して吠えた。
「ニャームコッ!」
返事は無い。
拳法家のような構えを取るニャームコに対し、マッピーが楕円形の何かを投げつける。露骨にそれを見るニャームコ。
掃討を終えていたアーサーが、即座に首をはね飛ばした。
墜ちていたのは、楕円形をした黄金の物体。どうやら、小判らしい。しかしどう見ても黄金では無く、細工物だろう。
マッピーが、嘆息する。
その背後から、生き残ったミューキーズが仕掛けてくる。鋭い爪が、対応しきれないマッピーに殺到。
だが、スペランカーがマッピーを突き飛ばして、間に入った。
全身が八つ裂きにされたのが分かった。
蘇生したときには、もう戦いは終わっていた。マッピーも手傷をかなり受けていたが。
警官の服は、緩慢に再生しつつある。体の傷も同様のようだ。
それに対して、死んだ猫たちやニャームコの亡骸は、溶けて地面にしみこんでいく。その有様はおぞましくもあり、どうしてか不思議に滑稽でもあった。
「助かりました、スペランカーどの。 アレを受けていたら、本官は耐えきれなかったでありましょう」
「うん。 みんな、溶けちゃったね」
「少し休むだけであります。 またすぐに出てくる事でありましょう」
「ええと、疑問があるんだけど」
スペランカーは、咳払いをして、ぼろぼろになりつつある服をつまんだり伸ばしたりして、出来るだけ肌色の露出が少ないように整えながら言った。
「マッピーさんは、悪い人たちを逮捕したりしないの? 攻撃にかなり躊躇が無かったようだけれど」
「貴方が言う逮捕とは、なんでありますか? ミューキーズはああやって戦って、いつも休ませているのであります。 ニャームコもそれは同じでありますが。 それが本官にとっての逮捕であります」
絶句する。
だが、アーサーは首を横に振る。
「やはりな。 マッピーどの、貴殿の警官としての定義は、我らの知るものとは大きく違うようだ」
「……え?」
「とりあえず、此処を抜けてから話そう。 此処は見晴らしも悪く、奇襲を受けると面白くない地形であるからな」
アーサーの表情は、既に戦士としてのものだった。
川にさしかかる。
小さな島とは思えないほど、幅が広い川だ。マッピーは蔦を渡っていけると言ったが、騎士鎧を着ているアーサーはそうも行かない。アーサーはしばらく思案した末に、木を何本か切り倒し、それで手際よく筏を作った。
川の中は巨大な魚がうようよしている。ピラニアとか、デンキウナギとか、そんなのがいてもおかしくない。
下手に踏み込めば、瞬く間に彼らの餌にされてしまうだろう。そんなリスクは、出来るだけ避けたい。
「本官は、先に向こう岸に渡るであります」
「うむ、渡河の直後には気をつけられよ」
「了解であります」
蔦を伝って、ひょいひょいと飛んでいくマッピー。
少し分かってきた。彼が触った蔦は、まるで生き物のようにたわんでいる。あれが恐らく、彼の能力だ。
スペランカーも不器用ながら、筏の作成を手伝う。リュックから縄を出して、それで木々を縛ったアーサーが強力を発揮して、丸太を成形していく。やがて、五本の丸太を連ねた筏が出来た。
川に手を入れて、流れの速さを測る。
川幅は広いが、流れ自体はさほど早くない。アーサーは川の様子を腰をかがめて見つめた。
「最悪の場合、我が輩は鎧を脱いで、切り札を使う。 スペランカー殿は、その場合どうする」
「浮き上がるのに時間が掛かるかも知れませんが、どうにかします」
「そうか。 武運を祈る」
筏を出す。
渡河は上陸直後が一番危ないと、アーサーは言う。向こうでマッピーが待っているが、あの様子からすると、大丈夫だろうかと思った直後。
とてつもなく嫌な気配を、スペランカーは感じた。
「邪魔をするな……」
どこからか、重苦しい声が聞こえてくる。
耳鳴りがした。川の中には、これといって危険な気配は無い。危ないのは、向こう岸の、もっとずっと向こうだ。
アーサーは気付いていない。無言で、ウェポンクリエイトで作り出した櫂を漕いでいる。何でそんなものを出せるのかと聞いたら、かって決闘で使われたから、らしい。J国の昔の話だと聞いて、ちょっと驚いたが。今はそれどころでは無い。
耳を押さえたスペランカーに、アーサーは目を細める。
川の半ばを超えた辺りで、嫌な気配は消えた。
「異星の邪神かな」
「はい。 おそらくは間違いないと思います。 あー、頭が痛いです……」
「それほど強力な反応だったのか」
「ちょっと、その辺りの邪神とは格が違うかも知れないです。 救援を呼んだ方が良いのかなと思いますけれど」
既に無線は使えない状態だ。やるとしたら、此処の開けた地形を利用するほか無い。
夜になったら、所定の閃光弾を打ち上げれば、増援を手配できる、かも知れない。だが、今回のフィールド探索には、色々ときな臭い部分が多いのだ。
これではっきりしたが、国連軍は此処に邪神の存在を察知したから、手練れを二人もぶつけるという行動に出てきた。スペランカーは自身が手練れだとは思っていないが、周囲はそう思っているのだから、此処ではそう前提して話を進める。
それなのに、どうして戦力を出し惜しみしているのか。
以前、異星の邪神としては小物であるアトラク=ナクアを討伐する際には、大人数のチームが組まれた。
今回は、支援のメンバーさえいない。ただ二人となると、手練れとはいえかなり心許ない部分がある。国連軍は別に腐敗した組織では無いが、やはりその裏には巨大な利権が動いているのも事実。
一体、この島の影には、何があるのか。
対岸に着いた。
そして、アーサーが上陸した途端に、周囲に無数の光が出現。そして、不意に筏が流れ出す。慌てて対岸に飛び移ったが、リュックがそのまま流されて行ってしまった。ブラスターだけは手にしているが、これはひどい。
さっき死んだはずのニャームコの姿もある。やはり、腰布だけを巻いた格好だ。そして、ミューキーズも、先の襲撃と、ほぼ同数。
「休んだ結果」という奴なのか。
半円状に包囲されているこの状況、あまり良いとは言いがたい。それに、敵の動きは、一回ごとに的確になってきている。
あまり時間は無いと思った方が良いかも知れない。
アーサーが、一気に勝負に出た。
鎧の周囲に、回転する無数の投げ斧が出現する。
「GO! FIRE!」
かけ声と共に、猫の群れに大量のトマホークが躍りかかった。それはうなりを上げながら、数匹の猫を巻き込み、白濁した液を周囲にぶちまける。
だが、スペランカーは気付いている。
毎回、アーサーが違う武器を出現させていることを。投げ斧にしても、この一斉砲撃は、もう次には通じないだろう。
半減した猫たちだが、意気は衰えていない。泥濘を踏み越え、跳躍。一斉に空に舞い、中空から躍りかかってきた。
アーサーが前に出る。マッピーもそれに続く。
マッピーが腰から引き抜いたのは、魚だ。ものすごく生きが良くて、ぴちぴちと跳ねている。
さっきまで死んでぐったりしていたのに、である。
「喰らうであります!」
放り投げた魚に、ミューキーズの何匹かが気を取られる。
一直線に、アーサーが駆け抜け、気をそらしたものから斬り伏せられた。だが、猫の動きが速い。対応も。
アーサーの鎧が、ついに猫の爪に掛かる。抉りあげるように切り上げたニャームコの一閃が、アーサーの鎧の肩当てを切り裂いた。
同時に、アーサーの鎧が吹っ飛んで、パンツ一丁になる。
前にも見たことがあるが、衝撃的な光景だ。筋肉質だが、胸毛がぼうぼうで、しかもパンツはイチゴ柄である。
ダメージを、鎧をパージすることで殺しているらしいのだが、この瞬間アーサーは完全に無防備になる。
だが。無防備になるとは言え、アーサーの攻撃能力が無くなるわけでは無い。
瞬時にアーサーが振り下ろした剣が、ニャームコらしきものの頭をたたき割った。だが、全くひるまず、数匹が躍りかかる。
泥を蹴って走ったスペランカーが、間に入る。
ぴたりと、猫が止まった。其処に、真横からマッピーが投げたらしい何かが直撃、猫が数匹まとめて木っ端みじんに消し飛ぶ。
見ると、砲丸のような球体だ。
怒りの猫の声。
不意に、猫たちが撤退に掛かった。ほんの数秒で、まとめて姿を消してしまう。
やはり倒されたミューキーズもニャームコ達も、溶けて泥濘の中に消え去っていった。思えば、汽車の上で倒した連中も、こうやって消えていったのだろうか。
「ふう、短い攻防だったが、かなり危なかったな。 絶妙なタイミングでの防御、助かった。 礼を言うぞスペランカーどの」
「アーサーさん、その」
「おおっと、淑女の前であったな。 すぐに鎧を再構成するから、待たれよ」
鎧が戻ってほっとする。
マッピーは状況が分かっていないらしく、ひたすら小首をかしげていた。
「騎士どの、先ほどから動きが悪くなってきていませんか」
「違うよ。 ミューキーズの動きが良くなってきているの」
「マッピー殿は感じないのか」
「ええと、本官には分かりません。 かれこれ十年は戦っていますが、そのような感覚を味わったことは一度もありませんし」
少し休憩したい。
川を見れば、既に筏は影も形も無い。リュックにあった食料や物資類は全部パアだ。決戦になればいつも無くしてしまうものだとはいえ、その途上で、となると痛い。
ヘルメットを被り直す。
少し歩くと、いきなりジャングルが消えた。森が開けて、草原に出たのだ。あまりにも急激過ぎる変化に、思わず振り返ってしまったほどである。
代わりに周囲は不意に夜になる。
時計を見ると、まだ昼の二時半である。もう滅茶苦茶だ。
「此処は中立地帯なのであります」
「……ならば、少し休もう。 それとマッピーどの、貴殿には色々と話を聞きたいのだが、良いか」
「本官でよろしければ」
アーサーに、任せた方が良いだろう。スペランカーでは、上手に話を聞き取る自信が無い。
不意に出てしまった常夜の世界で、マッピーはまず火を熾すと、たき火を囲んで座った。
「まずは聞かせて貰おう。 そもそも、何故マッピー殿は警官になったのだ」
「市民の正義と安全を守るためであります」
「市民とは、具体的に誰のことか」
「この島に住む全ての人々であります」
理想的な応えに思える。実際、これだけのことをしっかり考えている警官が、どれだけいるだろうか。
殆どの警官は、こう答えるのでは無いか。
お給金を貰うため。生活のため。
実際、それが劣った理由では無い。だが、志が伴っているとは言いがたい。
立派な志を持っている警官も当然存在している。スペランカーも見たことがあるし、話をした事だってある。もしもマッピーが心の底から今の言葉を言っているのであれば、素晴らしいことだ。
だが。妙なずれを、話していて感じるのだ。
「マッピー殿は、スペランカーどのが倒されたとき、さほど動揺していなかったな」
「動揺するも何も、休めば戻ると思いましたので」
「……それはこの島の、全ての住民に共通する事なのか」
「はい。 それがどうかしたのですか」
やはり、少しずつ、おかしな話が持ち上がりはじめる。
常識というものが、狭いコミュニティの中で生じた場合、大変いびつになる事を、スペランカーは知っている。
多分マッピーは、自分がおかしなことを言っているとは思っていない。
「では、マッピー殿。 貴殿が勤めている警察署は」
「警察署とは、何でありましょう。 本官は一人であるが故、常に島の何処かに存在しております。 島の全てが勤め先です」
「今まで、ミューキーズと交戦して回収した盗品はどうしたのか」
「全て、島の西にある倉庫に集めております」
持ち主に返すという発想は無いのかとアーサーが聞くと、島の主が手配をしてくれているはずだと、応えるマッピー。
大きくアーサーは嘆息した。
「その島の主の名を、知っているか」
「いえ、主様としか聞いたことがありません」
「島の主の名はニャームコ。 さっきまで交戦していた猫どもの親玉に似ているが、人間のニャームコ博士だ」
マッピーが、火に手をかざした態勢のまま、完全に停止した。
「スペランカー殿、少し寄り道になるが、良いだろうか」
「アーサーさん?」
「盗品について、調べてみたいのだ。 我が輩の予想が正しければ、とんでもない事がこの島では進行しているのかも知れぬ。 異星の邪神云々以前の話としてな」
3、島の姿
かって、天才と呼ばれた少年がいた。
E国でも上流階級、いわゆるジェントルと呼ばれる階層に生まれ、その少年はすくすくと成長した。
幼い頃から頭がとにかく良く、難解な数学や文学のテストをあっさりクリアして、親を喜ばせたことが一切では無かった。神童とさえ言われた。ただし、その造作は著しくまずく、化け物のような顔だと陰口をたたく者も少なくなかった。
やがて、少年は親から引き離され、上流階級の人間が通う寄宿制の学校に入学した。そして、少年は知ることになる。
この世で必要はのは、頭脳などでは無いと。
どれだけ学業で成果を出しても、学級では孤立するばかり。努力を重ねても、陰口はどんどんひどくなっていくばかりだった。
顔と要領が良い男ばかりが、もてはやされるのを、何度も見た。
格好だけでも良くしてみようと、ファッション雑誌なるものも見た。だが、どれだけ工夫しても、鼻で笑われるだけである。
孤独が続く。
アーサーという同級生と友達になったのは、それから数年の後。
その時、少年は。
ニャームコは、すっかりひねくれきっていた。
ニャームコは闇の中を、息を切らせて走っていた。まだ老人と呼ばれる年には至っていないにもかかわらず、少し走っただけで、太った体は息切れする。天井にぽつぽつとついている非常用電灯が周囲をオレンジ色に照らしていて、異様な光景を更に気味が悪いものにしていた。
此処は、島の地下。
トンネル状の秘密空間である。ニャームコは己の特許で潤い、家業を見る必要がなくなって、研究に没頭するために島を買った。そしてその自然に、あらゆる方向から手を入れていった。
この地下洞穴もその一つである。
やっと見えてきた小型のバギーにもたもたと乗り込むと、エンジンを掛ける。
此処から北に一キロほどトンネルを進むと、研究所に出る。其処には、長年の研究を完成させるのに、どうしても必要な存在がいるのだ。
邪神。クトゥグア。
この世界に時々現れる、異星の邪神と呼ばれる存在の一つ。少し前に北欧で分身体があのMによって潰されたそうだが、このクトゥグアはそもそも小規模の恒星ほどもあるエネルギー塊が意思を持っているような存在であり、ちょっとやそっとのダメージで消滅することは無い。それほどに強大な邪神なのだ。
異星の邪神の最上位には、いわゆる「属性」を司るほどの存在がいる。クトゥグアは熱、炎を司り、言うならば生きた恒星と言っても良い。その気になれば、大陸一つを短時間で焼き尽くすほどの力を持つのだ。もしも総力戦になったら、受肉した分身体などならともかく、あのMでも勝てるかどうか。
しかも、ここにいるクトゥグアは、その意思の中核部分。ニャームコが苦労の果てに得た、切り札中の切り札であった。
これを使ってアーサーを撃退することは、考えていない。
今するべきは、実験の成就。スペランカーが来ているという事は、国連軍はまだニャームコの狙いに気付いていない。クトゥグアは、あくまでニャームコにとっては実験の部品の一つに過ぎないのだ。
バギーが、目的地についた。
巨大なトンネルの最深部に作られた研究所。とはいっても、外見は何の飾り気も無いプレハブの二階建てである。トンネルの中にあると言う事もあって、屋根さえ無い。その駐車場に乱雑にバギーを止めると、鍵を引っこ抜き、降りる。緩慢な動作しか出来ない自分の肉体がのろわしい。
中に入る。
電源は常時確保している。UPS(無停電電源装置)を一瞥だけして、電力供給が問題ないことを確認すると、林立するスパコンと、その上にいるクトゥグアを見上げた。
クトゥグアは、ニャームコが設計した世界でも第六位の計算能力を持つスパコンと直結しており、常時演算をしている。ざっと演算の結果に目を通していくが、結果は芳しくない。
「邪神、障害による進捗の向上は」
「あまり芳しくは無い。 ただし、今までの実験とは違う精神的な負荷を与えることには成功しているようだ。 ただ、あのアーサーという男、邪魔だ。 一緒にいるスペランカーという奴は、危険すぎる」
「アーサーは賢い奴だったからなあ。 わしが知る中で、要領が良いだけのアホウどもの中で、あいつだけは唯一本当の意味で賢かったなあ」
「他人を褒めることを知らぬお前が、べた褒めだな。 これはとても興味深い話だ。 ヒヒヒヒヒヒ」
邪神が、深い闇の其処から這い上がってくるような声で、笑い混じりに言う。
此奴がどういう経緯で捕獲されたかは分からない。分かっているのは、スパコンの上に設置されている巨大な硝子の球体の中に閉じ込められている、まばゆい光の塊こそが、奴そのものだということだ。
小さな太陽とも言える強力なエネルギー体を、どうして閉じ込めておけているのかはわからない。この世界に存在する魔術結社による仕業らしいのだが、そんなことはどうでも良かった。理論にさえも興味が無い。
だが、邪神自体は重要だ。ニャームコにとってはギブアンドテイクの間柄である。この研究さえ成立するなら、ニャームコは悪魔にでも何にでも魂を売る。自分が焼き尽くされようが、野犬共の餌にされようが、構わないとさえ思っていた。
「余が何故お前に協力しているか、分かるか」
「仕事だからか」
「否。 お前には奢りが無い。 ひたすら貪欲で、ひたすら欲望に忠実。 それしか持たず、世界に対してただひたすら敵意を持ち、その強力な悪意を単独の行動にだけしか向けない。 そのひたむきさが、余を楽しませるからだ」
「そうか。 それはありがたい話だなあ」
スパコンを操作して、新しい負荷について検討する。
此処に、連中が来るかも知れない。それは別に構わない話だ。
それで、実験が成就するのなら。
「余らの好物は狂気。 余らでさえ倒す存在がいるこの危険きわまりない星にわざわざ来ているのも、あまりにもお前達の狂気が美味だからだ。 それを、努々忘れるな」
「分かっている。 わしも、目的さえ達成できればそれでいい。 狂気でも何でもくれてやるかなあ」
「上出来だ。 ヒヒヒヒヒヒヒヒ」
今回、アーサーを呼んだのさえ、実験の一環なのだ。
困ったことにアーサーは、昔から予想を遙か超える結果を出す男だった。寄宿舎では変わり者として知られてはいたが、しかし圧倒的な武力や、努力して結果を出す姿勢で、人望はあった。
ニャームコとは、其処が決定的に違っていた。
昔から、ニャームコは奴が唯一の親友であると同時に。どうしても、一度勝ちたい相手であった、のかも知れない。
頭脳を使って勝つことは考えていない。
勝てて当然だからだ。
ニャームコが組んだ実験を、どこまで奴が覆してくれるか。その結果、どれだけ目的に近づけるか。
それが知りたい。
ニャームコ個人の努力では、限界がある。この十年で、ついに断念せざるを得なくなった。勿論AIの発展分野では、大いに貢献した。だが、ニャームコがやりたかったことは、どうしても出来なかったのである。
さあ、愛しい我が子らよ。
異物の存在は、これ以上に無い障害になる。
だから、それを乗り越えて見せよ。
そして、掴むのだ。
ニャームコは呟きながら、スパコンに更にデータを入力していく。それが程なく結実すると、ニャームコは確信していた。
天才が人生を賭けた事業なのだから。
倉庫とやらは、中立地帯に存在していた。マッピーがいつも此処に取り返したものを置くと言ったのは、野ざらしの土の上。
側にある大きな倉庫には、入ったこともないという事だった。
「疑問は感じなかったのか」
「本官は、島の主様を信頼しておりました!」
「では、その信頼が、塵芥となる所を見るが良いだろう。 荒療治だが、仕方が無い事だ」
倉庫は分厚いシャッターが掛かっていたが、アーサーは躊躇無くバトルアックスを取り出すと、マッピーが制止する暇も無く打ち砕いた。
金属がたたき割られる凄い音がしたので、スペランカーは思わず耳を塞ぐ。マッピーが愕然と顎を落としたが、すぐに憤りの声を上げることとなった。
「アーサー殿! これは窃盗になりますぞ!」
「それは、そなたが信頼する主の事だ。 見よ」
手招きするアーサーと一緒に、倉庫の中に入る。そして見回して、スペランカーも驚いた。
其処には、無数の陳列棚があり、膨大な物資が積み上げられていたのである。トラックが三十台は入りそうな巨大な倉庫で、天井の高さはどうみても十メートルを超えている。陳列棚は数え切れないほどの数があり、しかもその殆どが、戦利品らしきもので埋まっていた。
しかし、金目のものばかりかというと、そうでも無い様子だ。
ざっとみて回るが、スペランカーに価値が分かるものは殆ど無かった。
「これはPC-98時代、それも初期のパソコンだな。 スペランカー殿は知らぬか」
「ごめんなさい、分かりません」
「そういわれるな。 見よ、これはフロッピーを入れる口だ。 この当時は3.5インチでは無い、もっと大きなフロッピーが使われていてな。 我が輩はこれくらいしか分からぬが、詳しい人間はもっと説明が出来るだろう」
「え、こんなに大きな。 そういえば、昔見たことがあったような……」
でんと置かれているのはラジカセだろうか。非常に古い形式のウォークマンもあった。此方にあるのは、なんとレコードだ。洋の東西を問わず、大物のレコードが無造作に多数並べられている。
それだけではない。
誰が描いたのか、一目で贋作と分かるモナリザがある。一応油絵ではあるようなのだが、できは著しくまずい。他にも、名画らしいものがたくさんあるが、どれもこれも一目で偽物と分かるものばかりだった。
奥の方は冷蔵庫になっていた。
入るとカチカチに凍った肉や魚、チーズ、それに見たことが無い動物の死体までが存在していた。
マッピーが、わなわなと震えている。
「こ、これは……。 本官が、「館」でミューキーズと交戦して、取り返した盗品ばかりであります! 持ち主に返されたと思っていたのに!」
「これが現実だ。 だが、どれもこれも骨董品ばかりで、とても金になるようなものではないな」
「このパソコンは、マニアには受けませんか?」
「残念ながら量産型で、どこにでも転がっておるよ。 スペランカーどのの国に行けば、秋葉原とやらで部品もいくらでも手に入るだろう。 ちと割高になるだろうが」
マッピーが持ち上げたのは、カマンベールチーズだ。カチカチに凍っている。円筒形をした美しい造形だが、これではすぐに食べることは出来ないだろう。
珍しい動植物は、いずれも凍り付いて、生きていないのが明白だ。これは気の毒な話だが、どうにもならない。
機械的な処置が行われたのだろう。腐るものは冷蔵庫に。腐らないものは、それ以外の場所に。
ミューキーズという猫たちが、ロボットであった現状を思うと。此処で何が行われていたのか、薄ら寒い事実が少しずつ表にせり上がってくるようだ。
アーサーは更に言う。
「マッピー殿。 貴殿の婚約者に会わせて貰えぬか」
「な、何故にでありますか」
「この現実を見てしまうと、そちらも確認しておきたくなる」
マッピーはしばらくうつむいていたが、顔を上げる。
この島を、十年も守ってきた警官としての自負は、まだ崩れていないようだった。少なくともこの鼠のお巡りさんは、嘘をついてはいないようだとスペランカーは思った。ただし、嘘をついていないことと、真実に辿り着いていることは、天地の開きがある。それを、スペランカーは、ずっと続けてきたこの仕事で、嫌と言うほど学ばされている。
「マピコは、本当に良い女性なのであります。 本官が守るべき愛しい者なのであります」
「それは分かっている」
「だから、酷いことはしないで欲しいのであります。 たとえ、現実が、どれほど酷いものであろうとも」
「騎士の名にかけて誓おう。 我が輩はE国の誇りある騎士アーサー。 この剣にかけて、マッピー殿の婚約者に敬意を払い、尊厳を守る」
アーサーが、此処までの誓いをするのを初めて見た。
マッピーもそれを見て感動したのだろう。倉庫を出ると、こっちだと言って、案内してくれた。
常夜の地帯を駆け抜けて、別の中立地帯に出る。息を整えながら、それをスペランカーは見上げた。
其処は、まるでお城のような作りだった。しかも、田舎の遊園地にあるような、古い遊具施設としてのお城である。城壁も無ければ、堀も無い。むしろ城と言うよりも、宮殿と言うべき代物だろう。
「いつも、マピコはこの中にいるのであります」
「アーサーさん」
「案ずるな。 いかなる事態であろうと、もう覚悟は出来ている」
城の正面には敵を防ぐ仕掛けは一切無く、そして中にも気配らしいものは全くなかった。アーサーも同じ印象を受けたらしい。
床は大理石で、踏む度にかつんかつんと大きな音が響く。顔が映るほど磨き抜かれているが、誰が掃除しているのだろう。
そう思ったら、掃除している者がいた。
昨日、ニャームコ博士の屋敷で見たメイドロボットである。無表情のまま、床にモップが回転するタイプの掃除機を掛けている彼女は、此方に見向きもしなかった。しかも同型機が何名か、掃除をずっと続けている様子である。
「あの者達を見て、どう思う」
「主様の家族だと聞いているであります」
「まさか、この島の住民は……」
「あり得る話だ」
アーサーが話してくれるのだが、ニャームコ博士の実家は、いわゆる実業家だという。E国では古くはジェントルと呼ばれた階層で、今でもビジネスで大きな力を持っているそうだ。
だが、その資産家としての実家は、ニャームコ博士とは完全に縁が切れていて、ビジネス的にもつながりが無いらしい。何でもニャームコ博士と他の兄弟は犬猿の仲どころか、互いを人間として認識していないほど嫌いあっていたそうだ。
しかも、今その実家は大変な落ち目で、その一方でニャームコ博士は特許の数々で、島を私物化できるほど儲かっている。
「あまりこういう話はしたくないが、今回はそのニャームコの家族が、裏で糸を引いているという線も考えられるのだ」
「……」
スペランカーは、良い母親たろうと思っている。
だが、家族のことは、あまり信頼していない。母にネグレクトされ、幼い頃飢餓地獄の中で何万回と餓死を経験したから、かも知れない。プラスチックまで飲み込んでいたと、後で医師に聞かされた。
父のことは、この体を覆う厄介な呪いのこともあって、複雑である。いずれにしても、無制限の愛を返せる相手かと言われれば、そうではない。
だから、ショックでは無かった。
「元々E国は、残虐なヴァイキングの子孫達が興した国だ。 大航海時代の蛮行と言い、紳士の国などと言うのは近年作られたお題目に過ぎぬ。 紳士である事を喧伝していたジェントル階級も、結局は同じと言う事だな」
「アーサーさん」
「すまなかった。 でも、E国にも良いところはたくさんあるのだ。 今度来てくれたら、我が輩が愛を捧げるプリンセスと共に、観光名所を案内しよう」
何度か階段を上がると、広い部屋に出た。
天井が硝子張りになっているのだろう。明かりがさんさんと降り注いでいる。それだけではない。開放的な空間は空気までもが澄んでいて、美しい光の中、神秘的なまでの世界を作り出していた。奥は数段だけの小さな階段があり、其処に狭い足場がある。
そして、其処に。
鼠の人形があった。
マネキンのように立ち尽くすそれは、足下に何かコンピューター制御の機械と、カメラがあるようだった。
マッピーが歩み寄ると、それが作動。
人形は、堅い動作で、マッピーから正面をそらした。マッピーが肩を落とす。
「マピコは、本官が満足できるものを持ってきていないから、振り向いてくれないのであります」
歩み寄ると、思ったよりずっと人形は精巧に出来ていた。
ガチン、ガチンと音がしている。足下の台座部分が音を立てているのだと分かった。コンピューター制御で、マッピーの全体を映し出しているのだろう。そして、持っているものを確認して、人形を反応させているのか。
別に、専門家では無いスペランカーでも、一目で分かる。そして、うすうす、分かってきた。
ニャームコ博士が、一体此処で何をしているのか。
否。
マッピーとミューキーズを使って、何をさせているのか。
涙がこぼれてきた。
これは、あんまりだ。
マッピーは、自分を市民の安全を守る警官だと、誇りを込めて言っていた。婚約者のために、薄給を削って、頑張っているとも言っていた。
「どうして、泣くのでありますか」
「外で話そう。 此処は狂気が濃すぎる」
まだ、マピコは音を立て続けている。
マッピーにそっぽを向いているのが、悲しくてたまらないとでも言うかのように。
外に出ると、アーサーは照明弾を打ち上げた。何発かだが、それは全てが暗号になっている様子だ。夜では無いが、緊急時には昼にも打ち上げるのだろう。まあ、その辺りは、スペランカーにはよく分からない。
返答が来る。それを読んだのか、アーサーは疲れ切ったため息を漏らした。
「やはりな。 この島に、生きた人間はニャームコ博士しかおらん。 残りは全て精巧に作られたアンドロイドだったそうだ」
「……悲しいです。 ニャームコ博士、どれだけの孤独の中にいたんだろう」
「学生時代も、友と言えるものは我が輩しかいなかった。 大人になってからも、ただ孤独に研究を続けていたのだろうな」
だから、ロボットのAIに関しては、世界のトップを行く技術を開発できた。その孤独が故に、天才は際限なく伸びたのだ。
だが、それが故に。
闇も深く強く、凝りとなって、博士の心に降り積もっていったのだろう。
意を決すると、スペランカーはマッピーに言う。
「マッピーさん」
「何でありましょうか」
「心を強く持って聞いて」
「もはや、覚悟は出来ているであります」
だが、マッピーは、鼠の顔に、悲しみをはっきり浮かべていた。
悟っているのだろう。マピコを見たスペランカーとアーサーの反応から、全ての真実を。
何度も、言葉を飲み込む。
人間を拒絶した孤独な博士が作り上げた理想郷。そこで繰り広げられていた、狂気の宴が、この島の全て。
それがまだ、何を目的としているのかは分からない。
「マッピーさん、貴方は、それにミューキーズ達も、貴方がニャームコと呼ぶ存在も、それに貴方の婚約者であるマピコさんも、みんな、みんな……」
言葉が続かない。
相手が生き物であろうがなかろうが、関係ない。
こんな残酷な現実を伝えなければならないのは、胸が痛む。
「みんな、ロボットです。 みんな、ニャームコ博士が作った舞台の上で、彼の作り出した筋書き通りに、ずっと踊り続けていたんです。 ミューキーズが盗賊団だというのも、貴方がお巡りさんだというのも、貴方のマピコさんへの思いも、全てが作り物だったんです」
マッピーの目が、やはりそうなのかと、絶望を湛えた。
しばらく空を見上げたマッピーは、鋭い悲鳴のような声を上げた。それが、絶望の嘆きだと、言われなくても、スペランカーも分かっていた。
空にほとばしる、この島の守護者の慟哭は。
スペランカーが、腰を落としてマッピーを抱きしめても、止まらなかった。
膝を抱えて座り込んでいるマッピー。かけるべき声が見つからなかった。
アーサーが辺りを調べてきた。マッピーが言う中立地帯をくまなく探した結果、興味深い事が分かってきたという。
地図を広げるアーサー。リュックは流されてしまったが、アーサーが肌身離さず一つだけ持っていてくれたのだ。どこに入れていたのかはあまり考えたくないが、まあ仕方が無いだろう。
ただ、触りたくは無い。
「スペランカー殿、これが中立地帯だ。 色を付けてみると、こんな形になる」
「なるほど」
「そして、此処がニャームコの屋敷。 先ほど聞かされたが、マッピー殿は最初、ニャームコの屋敷でミューキーズと戦っていたそうだ」
それは、何だか納得できる話だ。ニャームコ博士が何かしらの実験を行っていたのだとしたら、最初は目が届く場所で、つまりは自らの膝元で行わせたいだろうから、だ。
恐らく、マッピーはロボットとして、偽物の記憶を植え付けられたのだ。そして、何かしらの実験を行う贄として、この島でずっと戦い続けている。
アーサーが、地図上に、指を走らせた。
「このラインを、見て欲しい」
「はい」
「屋敷の側から、こう中立地帯の線が延びている。 意図的だとは思わないか」
「そうですね」
こういう話で、スペランカーは頷くしか無い。アーサーも、それは承知の上で、話を進めてくれる。
恐らくこれが、ニャームコが移動するための線だと、アーサーが言う。
そうなると、島の北端近く。
ひときわ大きな中立地帯があるが、それこそが。今、ニャームコが全ての舞台を観劇している場なのでは無いか。
不意に、マッピーの持つ無線に連絡が入る。
アーサーが頷くと、マッピーはそれに出た。何も無線からは声がしなかったが、マッピーは何度も頷いていた。
「ウェスタンランドにて、ミューキーズが暴れているという事です。 本官は、鎮圧に向かわなければなりません」
「待って、マッピーさん」
「お願いであります。 本官にとって、残っている最後の誇りは、警官として市民を守ること、なのであります」
マッピーは、顔をゆがめていた。
止めて欲しくない。そう顔に書いてある。悲壮だが、無理も無い。何もかも作り物なのだと言われて、平静でいられるだろうか。
認識や観念がおかしかったかも知れないが、接していてマッピーに悪印象は受けなかった。作り物だとしても、マッピーにはきちんとした心があって、優しくて紳士的な存在だとも思った。
だからこそに、ニャームコ博士には、問いただしたい。
自分の息子達も同様であろうロボット達に、何故こんな酷い戦いをさせ続けているのか。
「敵地で戦力を分散するのは愚の骨頂だ。 助太刀する」
「私も行きます。 すぐにやっつけて、ニャームコ博士の所に行きましょう」
「……騎士殿、スペランカー殿。 先ほどの報告からして、ミューキーズは全ての個体が、ウェスタンランドに集結しているようです。 この隙に、全ての元凶である主様、いやニャームコ博士を止めて欲しいのであります」
「駄目だ。 今の貴殿を一人にしたら、何をするか分からぬ。 敵を巻き添えにして自爆でもされたら、勝てる戦いにも勝てなくなる」
絶対に生き残ると、マッピーは血を吐くような叫びを上げた。
しばらくの沈黙の後、マッピーは立ち上がる。
「失礼しました。 本官の誇りに、敵と一緒に死ぬことは含まれないのであります。 それに、一度ミューキーズ達とも、話はしたかった。 この悲劇を、終わらせなければならないのであります」
「そうか。 ならば、騎士の誓いでは無く、一人のいくさびととして誓って欲しい。 無理な戦いをせず、必ずや此方の戦いに加勢すると。 そうすることで、この島の平穏は、真の意味で訪れるだろう」
「分かったのであります!」
「なら、握手して。 私とも、同じ誓いをしよう」
握手をするべく、スペランカーは手を伸ばす。
躊躇した後、マッピーは鼠らしい、毛だらけの手を伸ばして来た。握手してみると、マッピーの手はとても冷たかった。
最初から、彼がロボットであろう事は分かっていた。
だが心があっても、体は体。ロボットは、とても冷たいものなのだ。悲しい現実が、其処にあった。
アーサーが、握った手の上に、ガントレットを重ねてくる。
「この戦いを、今日、終わらせる!」
応、と。三つの声が、その場に響き渡った。
4、それぞれの結実
トンネルへの入り口は、意外にあっさり見つかった。やはりメンテナンス用のハッチがあったのだ。
その上、マッピーが教えてくれた。
中立地帯の中には、聖域という場所があると。其処には近づかないように、言われていたのだと。
かって、古代の遺跡を発見する場合、地元の住民が聖域と呼んでいる場所を探せという鉄則があったという。
何だか、それを思わせると、アーサーは言った。
ハッチは隠されてはいたが、スペランカーが見つけた。わずかだが、邪神の力が内部から漏れてきている。
どうやら此処の奥には、邪神がいる。それも、今まで戦ってきた中でも、最大級に強力な奴が、である。
しかし、邪神と必ずしも戦わなくて良いことは分かっている。アトラク=ナクアとは、最後にわかり合うことが出来た。他の邪神とだって、同じ事が出来ないとは、言い切れないでは無いか。
アーサーがハッチを強引にハンマーで打ち砕く。
現れた縦穴は、獣の口を思わせる禍々しい気配を放っていた。ただのはしごがついた、マンホールの穴だというのに。
「ゆくぞ。 決戦だ」
「増援の手配は」
「どうやら間に合いそうに無い。 先ほど信号弾で通信したが、一刻も早くという返事ばかりが来た。 どうやら国連軍では、何かを掴んでいるようだな」
アーサーも表情は険しい。
この戦いが終わった後、いくつも問いただしたいことがあるのは、彼も同じようだった。
マッピーが踏み入れた、乾いた土の街。かさかさと、丸い草の塊が、風に吹かれて飛んでいく。
周囲には木で作った粗末な家。
砂塵を吹き上げる風の中、無数のミューキーズが、マッピーを待ち受けていた。
その中に、ひときわ大きい影。
ガンマンの格好をしたニャームコ。
かっては此奴が、盗賊団の首領であると、マッピーは思っていた。
何度も殺し合った仲だ。相手の癖から、細かい仕草まで、よく知っている。それなのに、お互いに只の人形で、道化に過ぎないとは気付かなかった。
「ニャームコっ! 話がある!」
「お前が話しかけてくるとは珍しいにゃあ。 くそまじめなお巡りのお前が」
「一つ聞きたい!」
お前は何のために、盗みを繰り返す。
そう叫んだマッピーに、ニャームコは猫の耳を小指でほじりながら、嫌らしい笑みを浮かべてくる。
「欲しいからに決まっているにゃあ」
「では重ねて聞く! 島の外で、どうやって盗みをした!」
「どうやってって……」
ぴたりと、ニャームコが止まる。笑おうとして、失敗したのだ。
マッピーは、戦いの前に言われた。
「貴殿らはロボットだ。 恐らく思考についても矛盾が生じると、動きが止まることになるだろう。 其処について突いていけば、或いは相手の目を覚まさせることが出来るかも知れない」
「承知しました。 試してみるであります!」
今、試している。
ニャームコの顔から、既にいやらしい笑みは消えていた。それだけではない。ミューキーズ達も、顔を見合わせている。
「誰かいつも島の外から来て、お前達に盗品を渡していたのでは無いのか? それは、島の館で働いている、メイド達では無いのか?」
「そ、その通りだにゃあ。 だけど、それは……」
「そもそも、こうやって暴れるのもどうしてだ! この無線から連絡が来て、そうしているのでは無いのか!」
図星を指されたのだろう。
完全に、ニャームコが止まった。ピストルに掛けていた手が、かたかたと震えている。
そうだ。気付いて欲しい。
自分たちが盗賊などというものではないと。そういう設定を背負わされた、哀れな道具に過ぎないのだと。
「俺、俺様は……」
「もう止せ! 今こそ、長い長い戦いに、終止符を打つときだ! 本官とお前が戦う理由など、本当は無い!」
「AAAGYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAっ!」
絶叫。
ニャームコの腹から、手が生えていた。他のニャームコがいる。ミイラ男のような姿をしたもの、吸血鬼の格好をしたもの、海賊の格好をしたもの、それに腰布だけを巻いたもの。
全てが、同じ顔だ。
体を貫かれたニャームコは、泡を吹きながら、血涙を流していた。目から流れているのは多分オイルなのに、そう見えてしまう。
そして、貫いた方のニャームコの声には、感情が全くこもっていなかった。
「排除する。 バグが生じた個体は、排除する」
「マッピー、お前もだ。 これから全戦力を結集して、お前を滅ぼす」
「初期化した後、やり直しだ。 そうすれば、我々は、心を貰える」
倒れたニャームコを捨てると、他の連中が、鋭くミューキーズを叱咤。展開について行けないらしいミューキーズ達は、それでも体勢を低くして、今まで幾多の敵を切り裂いてきた爪を構える。
マッピーは、決める。
この哀れな子猫たちよりも。後ろにいる司令塔こそを、今こそ滅ぼすと。
「お前達は」
「我らは、途中廃棄されたニャームコだ。 AIにバグが生じたり、構造の途中で欠陥が見つかったりして、捨てられた」
「大量生産され、そのたびに知識を移植されてきた我らだが、心はある。 その痛み、悲しみ、ずっと同じ個体として存在し続けている貴様に分かるか。 お前を倒して、そして本当の心を、貰うのだ」
鋭い猫の雄叫びが、辺りに轟く。
どうやら此処が本当に決戦の場になるらしい。
ミューキーズ達が、一斉に跳躍。粗末な屋根や木の壁を蹴り、ジグザグに襲いかかってくる。
左右に魚をとりだしたマッピーは、己の力を、魚に込めた。
これぞマッピーの能力、パーソナルエンチャント。
あくまで瞬間的にだが、触った存在の潜在能力をフルに引き出す。魚だったらその活きを良くするし、猫から見て大変魅力的に映るようになる。武器や道具であれば、劣化速度が増す代わりに、そのパワーを数倍に引き出すことも可能だ。
ミューキーズ達の数体が、即座にそっちに意識を移す。
其処へ、地面を走りながら、手にしたボールを投げつける。パワーが数倍に増幅されたボールは、凶悪な軌道を描きながら飛び、ミューキーズの数体を瞬時に吹き飛ばした。
地面に落ち、建物の天井にぶつかり、動かなくなるピンクの猫たち。
だが、それ以外は、マッピーに殺到してくる。
地面に手を触れる。
そして、地面を強烈にバウンドするように切り替えた。これもパーソナルエンチャントの応用の一つ。地面が持つ弾力性を最大限に強化することで、トランポリンのようにしているのだ。
無数の爪が、マッピーの残像を切り裂く。
跳躍したマッピーは、空から魚をばらまきつつ、懐に手を入れる。今度は砲丸だ。狙うは、まっすぐ此方に飛んでくる、ミイラ男のニャームコ。
「甘いぞネズ公っ! こっちの方が早い!」
「それはどうかな!」
確かに、敵が爪を繰り出すモーションの方が早い。
だが、マッピーがホルスターから抜いたのは、懐中電灯。それにパーソナルエンチャントを掛け、ライトを点灯する。ものすごい光がミイラ男ニャームコの顔面に照射され、悲鳴を上げた哀れなロボットに、続いて砲丸が直撃した。
着地。
ミューキーズの遙か向こうで、吹っ飛んでいったニャームコが、数軒の家を貫いて、爆発した。
これで、まずは一匹。
影から、忍び寄ってきた手が、マッピーの足を掴む。
そして現れたのは、鋭い牙を持つ、吸血鬼のような姿をしたやつだ。こんな能力を持ち合わせていたのか。
「八つ裂きだ! ぶっ殺せ!」
冷静にマッピーは、空に向けて数枚の小判を投げ上げる。それに気を取られた吸血鬼ニャームコの顔面を蹴り上げた。
それは、はからずとも。
突撃してきたミューキーズの爪の前に、彼を放り出す結果につながった。
悲鳴を上げてずたずたに切り裂かれる吸血鬼ニャームコ。だが逆方向から来たミューキーズの爪が、マッピーの体を一度ならず切り裂く。
吹き出る血。
白い。
地面をトランポリンにして、飛び上がる。そして、魚を投げつける。残弾はもうあまり多くない。
だが、戦闘続行可能なミューキーズも、もう残り少ない。動きを止めた途端に蹴り上げ、当て身を浴びせ、掌底を叩き込む。そのたびにミューキーズは減っていく。
「ガアアアアアッ!」
腰布だけのニャームコが突入してくる。
目はらんらんと光り、牙は唾液に濡れ、禍々しい形相だった。殺す、殺す、殺す。殺気がダダ漏れになり、マッピーにたたきつけられてくる。
顔面に蹴りを叩き込む。
爪が空を切り、そしてマッピーの足も切り裂いた。長いとは言えない足から、鮮血が吹き出す。
着地。
ニャームコが、手にしている槍を繰り出してくる。腹をかすめる。だが槍を掴んで、引き寄せながら、そのまま顔面に掌底を叩き込む。刺突の勢いが、掌底のパワーと合わさり、ニャームコは自ら首を折ることになった。
後は、どいつが残っている。
振り返ったマッピーは、腹から鮮血が吹き出したのに気付いた。撃たれたのだ。
ピストルを構えているのは、海賊の格好をしたニャームコだ。目の焦点は、既にあっていない。狂気に揺れている。
「ヒヒヒヒヒヒ! どうだ、これでお前は終わりだ! ミューキーズ! その鼠を、ミンチにしてしまえ!」
猫たちは残数も少ないが、それでも逆らえないボスの言葉に、気合いを入れて向かってくる。
腹を押さえたマッピーは、気付く。
心の中に、マピコがいる事を。そうだ。たとえ人形だろうと何だろうと、マッピーは愛しているのだ。婚約者を。
それに嘘は無い。
心が作られたのだとしても。誇りはある。
偽物だとしても。
愛は、ある。
さっき吹っ飛んだ建物から、建材らしい棒が飛んできていた。それを拾い、刺突。ミューキーズの動きも鈍くなってきている。迷いが生じているのか。
一匹が吹き飛ぶ。二匹目。
三匹目、後ろから。爪が抉りあげてくる。肩を切り裂かれるが、棒を回転させながら顎を砕く。振り向きつつ、爪で刺突してきた一匹にフルスイングを叩き込み、死角から来たもう一匹にたたきつける。
まだ来る。
ざくりと、嫌な音。顔の右半分を爪に抉られたか。
大量の体液が漏れるのを感じながら、それでもマッピーは、棒を振り上げる。鋭い悲鳴を上げながら、ミューキーズが天に舞った。
これで、子猫は全滅か。
また、射撃音。足を打ち抜かれた。膝を屈するマッピーに、更に射撃を浴びせてくる。今度は棒を手にしている右手。棒を取り落とす。更にもう一撃。膝にだめ押し。
激痛の中、顔を上げる。
海賊の格好をしたニャームコは、狂気の笑みを浮かべていた。いつものニャームコでは浮かべない、小馬鹿にした笑みでは無く本当の殺意と悪意に充ち満ちた、殺し屋の表情だった。
嗚呼、そうか。
だから此奴は、廃棄されたのか。
「馬鹿共でも、おとりにはなったか。 これで俺は、本物のニャームコになれる! この島の盗賊団を率いて、支配者になる!」
「本官が、そんなことは、させないのであります……!」
「黙れ死に損ない! とっととくたばりやがれ!」
額に、銃の狙いを付けてくる。
だが。
引き金が、引かれることは無かった。さっき投げ上げた最後の小判が、至近に墜ちたからである。
あっと、そちらに視線が行く。此奴も不良品とはいえ、ニャームコだったという事か。
まだ動く左手で、棒を掴む。
そして、最後のパーソナルエンチャントの力を込めて、投擲した。
それはブーメランのように飛翔し、ニャームコが振り向いた瞬間、その顔面を横から張り倒す。
悲鳴を上げたニャームコは、首をあらぬ方向に曲げながら、空に向けて銃をぶっ放し、そして倒れたのだった。
全身のダメージは。
死ぬわけにはいかない。いくさびととして、アーサーはマッピーを認めてくれたのだ。スペランカーも。
誓いを、破るわけにはいかない。
不意に、手を伸ばされる。
顔を上げた先にいたのは、最初に腹を貫かれた、ガンマンのニャームコだった。
涙を流し、顔中をくしゃくしゃにしている。
「ゲホゴホっ。 た、立つんだにゃあ、マッピー」
「どうして、本官を」
「お前が言うとおりだった。 それにお前、子分どもを殺さないでくれた。 それだけでも、充分だ」
ミューキーズに手加減していたことに気付いていたのか。
ニャームコは、死ぬ。機能停止寸前だ。急所を貫かれたのだから、無理も無い話である。だが、最後の力で、マッピーに手を伸ばしてくれた。だから、此処は立たなければならないだろう。
「どこへ、行きたいんだにゃあ。 行きたいところが、あるんだろう」
「聖域へ。 そこで、本官を正気に戻してくれた人達が、戦っている」
「分かった。 出来るだけ、力を、温存しろ」
肩を貸してくれた瀕死の宿敵に。
マッピーは、十年来の友に対するような、不思議な感情を覚えていた。
トンネルの奥からは、どんどん邪神の気配が強くなってきている。
何かの車が通った跡がある。アーサーが見たところ、かなり最近だそうだ。急ぐ。あまり時間は、残っていないかも知れない。
やがて、プレハブが見えてきた。
屋根さえ無いプレハブの中。明確な、熱を帯びた強烈な邪神の気配がある。頷きあうと、スペランカーはまず自分が、プレハブの中に入った。
見えた。
猫背のニャームコ博士が、一心不乱に何かのデータと格闘している。スパコンの操作をしながら、ずっと博士はぶつぶつ何かを呟いているようだ。
そして、その上。
硝子らしい球体が設置され、中にはまばゆい光を放つ、小さな太陽。アーサーが、吠えた。
「ニャームコッ! クライゼン=ニャームコッ! 友として、それ以上に騎士として、貴様の非道、もはや見過ごすことかなわん!」
「来たか。 早かったな」
ニャームコ博士は、振り返りさえしなかった。けたけたと笑う声が、上から響いてくる。
声の威圧感だけで半端な代物では無い。スペランカーは、全身に冷や汗が流れるのを感じた。
これは、或いは。
身を覆う呪いの主と、同格の存在か。
「怒りはもっともだが、もうちょっと待ってやれ。 今、此奴はお前達と一緒にいた鼠警官のデータを調べている、最後の作業中だ」
「貴方は……」
「余の名前はクトゥグア。 熱と炎を司る、四大の神が一柱なり。 ほう、お前には、ダゴンとクトゥルフの気配を感じるな。 それだけではない。 有象無象の雑魚どもも、かなり接触していると見える」
ヒヒヒヒヒヒと、熱の塊が笑う。
アーサーは既に、全力で戦う際の武具である黄金の鎧を具現化させている。だが、全力のアーサーでも及ぶかどうか。
スペランカーは進み出る。
ニャームコ博士が、やっと手を止めた。
「これでは、不完全だ……」
「そうか、これだけの賭をしても、それなりの結果が出ても、まだ満足できんか、ニャームコよ」
「ニャームコ博士。 貴方が、マッピーさんや、ミューキーズを使って実験をしていたのは分かっています。 盗んできたものは、その実験のために使っていたんですね」
「そうだ。 わしは、完全なAIを作りたかった。 だから窃盗専門のロボットまで作って、この島の外で働かせた。 別に買い集めても良かったが、本物の盗品を使う方が、リアリティが増す。 だからそうさせた。 全てを完璧な次元で実行したかった。 もっとも、窃盗班はお前達が動き出した時点で、もう廃棄ずみだがな」
完全なAI。
どういう意味か。マッピーは人間と遜色ない心を持っていたように思える。世界の第一線で活躍しているRは、ニャームコ博士の作ったAIをベースにしていて、少年らしいみずみずしい心を持っていると聞いたことがある。
それなのに、満足できていないのか。
「何が、満足できない理由ですか!」
「一つ足りない。 AIとして必要なものは、全て満たしてきた。 感情もそうだし、欲求もそうだ。 人間が持っているもので、わしに再現できないものなど、何一つ存在しなかった。 一つを除いて、だ!」
振り返ったニャームコ博士の顔は。
既に鬼相と呼んで良い、純粋無垢なる狂気に充ち満ちていた。
「何故だ! どれだけ条件を整えても、どうして愛だけは再現できない!」
「えっ……!?」
「最初の一年は、警官としての自覚を育てさせるための予行演習だった。 だからマッピーとミューキーズは、何度も廃棄再生させながら、同じ仕事だけを延々とさせた。 盗品を巡っての殺し合いをな! やがてマッピーには、並みの人間には備わらないほど、強力なプロ意識と誇りが宿った。 後は、愛情を持たせるために、障害と対象を、用意すれば良かった」
だから警官が、邪魔を受けながら恋人へ愛を語るという構図が作られたのだ。
愛の構図は、単純なほど良い。
そして、愛の障害は、大きいほど良い。
マッピーは、このスパコンでAIを調整されながら、様々な要求物資を集めた。買ったといっているのは、ミューキーズの撃破数に応じて、報酬として渡していた物資のことなのだ。
マッピーは、ひたすらマピコが振り向くことを願って、物資を集め続けた。
警官としての自覚が、それを後押しした。
愚直で、真面目で、そして只ひたすらにひたむきなAI。それが、今までニャームコが作ってきた、戦闘目的のAIとは、根本的に違う存在を作り上げた。
だが。
「だが! どれだけ条件を整えても! マッピーは、愛を抱くことが無かった! あれが持っていると錯覚していた愛情は、単なるプログラムの域を超えなかった! 他の感情は、ことごとく再現できたのに!」
「……っ!」
スペランカーの心に、炎が点る。
この博士は、とても賢い人なのかも知れない。
だが、見えていない。一番大事なことが。
「マッピーはわしの最高傑作だ! それなのに、どうして! わしの期待に応えてくれないのだ! わしは期待にいつでも応えてきた! 運動神経以外は、どれもこれも親が求める要件を常に満たしてきた! だがそれでも、周囲はわしを、顔が気持ち悪いから、見かけが気持ち悪いからといって、利権が絡まない場合は絶対に認めなかった! その反動だというのか! わしは、作ったロボットにまで、わしが全ての愛情を注いで来たロボットにまで、馬鹿にされ続けるのか! 兄弟達がそうしたように! 親でさえ、そうしたようにだ!」
「この、大馬鹿博士っ!」
アーサーを待つまでも無い。
スペランカーは、あまり人に説教はしたくない。だが、それでも、今はいわなければならなかった。
親としての心が、芽生えはじめているからか。
親としての自覚を持てない母に苦しめ続けられたからか。その両方か。分からない。だが、突き上げてくるものを、止められなかった。
ニャームコが、完全に蒼白になっている中、呼吸を整える。
「マッピーさんは、愛情を宿しています! 真実を知った今でも、マピコさんを愛していると、しっかり言えるほどの心を持っています! 下手な人間より、ずっと人間らしいです! どうしてそれが、分からないんですか! 貴方のスパコンがどれだけ凄いかは知りません! でも、そんなものは、実際にみたものより、どれだけ勝っていると言うんですか! 貴方はマッピーさんを見ていません! それでは、貴方を迫害した、愚かな人たちと同じでは無いですか! 同じになってしまって良いんですか!」
「くくくくく、ひひひひゃはははははははははははははははは!」
狂気の笑いが、上から降ってきた。
熱の塊の中に、巨大な目が出現する。面白くて仕方が無いというように、目には愉悦が浮かんでいた。
「余の好物は狂気。 その阿呆がひたすら蓄えたコンプレックスと狂気こそ、余がこんな狭いケージに閉じ込められてなお我慢していた理由よ。 あまりにも美味であったが故になあ……」
「貴方は……」
「何も手は加えておらんよ。 余は野暮は嫌いでな。 その阿呆が結論をろくに見ずに、ただ自己完結して、破滅へと突き進む狂気、ただその場にいるだけでダダ漏れであったからなあ」
だからこそに。
そいつに手を上げることは、ゆるさん。
まれに見る逸材。美味なる食物。それは、余だけのものだ。
邪神がそう宣言すると同時に。辺りが、まるで大震度の地震に見舞われたかのように、揺れはじめた。
硝子の球体が爆ぜ割れる。
惚けている博士を、スペランカーは、それでも背後にかばった。アーサーも、歩み出る。
「ニャームコ! 後できっちり、我が輩がお前に愛とは何か教え込んでやる。 我が輩に相談すれば、即座に解決したものを。 何故友を頼ろうとしなかった! この大馬鹿者が!」
「……」
アーサーの婚約者への愛情は本物だ。だから、多分それは信頼して良いはずだ。
スペランカーはブラスターを構える。
「此処は派手にぶっ壊れる。 だが、お前には問題ないな」
「わしは……」
「返事は不要。 今から、お前をかばう暇さえも無くなる。 邪神クトゥグア! E国の騎士にて、数多の魔界を滅ぼしたこの我が輩アーサー、朋友スペランカーと共に決闘を申し込む! いざ堂々の勝負をせよ!」
「面白い。 余に啖呵を切るか。 ならば、その不遜、全ての滅びとともに悔いるが良いわ!」
辺りが、絶望的なまでの灼熱に覆い尽くされる。
スパコンが溶ける中、アーサーとスペランカーは、地上に転移したのを悟った。多分クトゥグアの処置だろう。
自分の大事な博士を殺さないため、というわけだ。
異星の邪神は、己にルールを課している場合が多い。今回もそれに例外は無かった。無言で感謝すると、スペランカーは覚悟を決める。
今回は何万回死ねば良いのか。だが、やり遂げる。
たとえ、どれほどの苦痛を味わうことになろうとも。
「さて、それでは見せて貰おうか、魔界を滅した騎士とやらの力を! そして、神を体内に取り込んだ呪いの巫女よ、貴様の力も堪能させてもらおうぞ! 余は生ける恒星クトゥグア! 我の力に刮目せよ! 人間共!」
周囲の草原が、瞬時に燃え上がる。
熱の権化が、その力を完全解放した。
その光景は、ニャームコ島から遙か海の彼方に浮かぶ、巡洋艦アイランズからも視認することが出来た。
島に、第二の太陽が出現したが如き光が、ほとばしっていた。
「エネルギー量極めて大! 核兵器の比ではありません!」
「計測を続けよ」
船に密かに乗り込んでいた特殊計測班は、歓喜に踊り出さんばかりであった。
まさか、此処まで予定通りに事が進むとは。
苦労して捕らえ、利害が一致したことで制御が可能になったクトゥグアで、最高の実験が出来る。
後はハスターかニャルラトホテプか、四大の残りを利用して、さらなる有意義な実験をこなすことも可能だろう。
精々派手に戦うがいい。
そう、計測班のリーダーを務める、フードを被った男は呟いていた。
5、結実の夕日
アーサーが出現させた無数の槍が、灼熱の大気を切り裂き、クトゥグアに襲いかかる。いずれもが、いぶし銀の輝きを持ち、当然破魔の力も秘めているだろう。だが、その全てが、中途で蒸発してしまう。
氷を熱したフライパンに乗せるより、遙かに激烈な反応だ。
スペランカーは灼熱の中、どうにか近づこうとするが、クトゥグアは的確に距離を取り、スペランカーにもしっかり対応している。そしてアーサーが投擲するありとあらゆる武器を、中途で溶かしてしまう。
「熱は力だ。 分子が如何に激しく運動しているかを示す指標である熱は、最強にしてもっともシンプルな力。 これを突破できる存在など、この世には無い」
「果たして、それはどうかな!」
アーサーが出現させたのは、等身大の巨大な十字架である。
それを地面に突き立てると、アーサーは鋭く印を切る。十字架から発せられる光が、クトゥグアの熱を押し返す。
だが、それも長くは続かない。
赤熱した十字架が、溶けて蒸発していく。流石に、アーサーもその凄まじさに、うめき声を上げた
地面が、彼方此方で燃えさかっている。
如何にとんでもない相手なのか、それだけでも充分に分かる。
「ならば、純粋なエネルギーであればどうか!」
アーサが出現させたのは、巨大な騎士剣である。振りかぶり、術式を発動。一気に光の塊として、クトゥグアに照射する。
その強烈な熱量は、大地を切り裂き、空気を吹き飛ばし、不遜なる熱の大王に迫る。だが、それさえも。
クトゥグアが展開した熱のバリアの前には、そよ風のように吹き散らされてしまう。
何度、倒れて、起き上がっただろう。
スペランカーは、止まらない汗をぬぐいながら、必死に敵との距離を詰めようとする。分かってはいたが、相性最悪の相手だ。勝手に放出している熱で、かってにスペランカーが死んでいるだけだから、悪意ある攻撃に該当しない。
つまり、体を覆う呪いが、カウンター攻撃手段として機能していないのだ。
せめて、己の命と相手の命を等価に消し去るスペランカーの切り札、ブラスターをたたき込めれば。
だがこれは、射程距離が十メートルほどしか無い。
乱暴にアーサーが汗をぬぐっているのが分かった。
クトゥグアは反撃に出る。
空に出現する、無数の炎の塊。それの全てが意思を持つ、強烈な熱量の塊であるらしかった。
「いけ、我が僕共!」
とっさに巨大な盾を出すアーサー。
だが、彼さえもが吹き飛ばされるのが、スペランカーには見えた。自身も何度となく吹き飛ばされ、焼き尽くされ、はじき飛ばされる。そのたびに死んで蘇生するが、そもそもクトゥグアは己の力を殆ど消費しているようにさえ見えなかった。
島が、燃えているのが分かる。
こんな化け物が、己の存在をフルに発動しているのだから当然だ。
立ち上がる。
全身が瞬時に焼けただれ、死ぬ。だが、それでも立つ。
「ほう……」
まばゆい光の塊を、見据える。
一歩、また一歩。だが、そのたびに、クトゥグアは中空を余裕を持って離れる。その横面に、飛来した巨大な槍が突き刺さる。クトゥグアを貫通する槍。だが、即座に溶けて消えてしまった。
アーサーだ。
肩で息をついている。金色の鎧も、そろそろ光が衰えはじめていた。
此奴は、とんでもない。今まで、スペランカーが見た異星の神で、間違いなく最強だ。アーサーの攻撃でもびくともしなかったアトランティスの支配者神ザヴィーラを、数段上回っている。
「やはり無敵では無いようだな」
「余に一撃を与えたか。 分身の雑魚どもならともかく、流石にこの星の強者は桁が違う、たいしたものだ。 お前でこれなら、Mとやらと戦えばさぞ面白そうだな」
「次は貴様を滅ぼすぞ、熱の神!」
「不遜ッ! 調子に乗るでないぞ、短き寿命の小さき者どもよ!」
動きを、止めて欲しい。
少しで良いから。
スペランカーは、残る力を振り絞り、また巨大な剣を作り出すアーサーを見た。
クトゥグアは、先の数百倍に達する数の火球を、頭上に出現させる。これは、原爆よりも火力が桁違いに高いのでは無いか。
「吹き飛べ、騎士とやら!」
「これを、待っていたっ!」
アーサーが、汗を飛ばし、詠唱の最後の一節を終える。
黄金の鎧が、今までに無いほど強い光を放った。それは、クトゥグアの熱さえ、一時的に押し返す。
まさに、聖なる剣の、神なる光だ。
「吠えろ、我が先祖の至宝、エクス、カリバーッ!」
アーサーが、巨大な剣を振り抜く。エクスカリバーというと、あの伝承の剣か。随分大きいが、以前持っていた剣とは別のものなのかも知れない。
咆哮する、剣そのものの形をした無数の光が、一斉に飛ぶ。空中に出現した数も知れない火球を、まとめて貫き、薙ぎ払い、爆発させる。爆圧に翻弄されて、地面にたたきつけられ、バウンドした。酷い巻き込まれようだが、しかし好機。近づけないか。
駄目だ。
クトゥグアは、一つ目を細めて、この凶悪な熱の爆風を、むしろ楽しんでいる。
シールドが、その配下を消し飛ばしたエネルギーの奔流を、全てはじき返したのを、スペランカーは何度も途切れる意識の中、見た。
完全な怪物だ。
震えが来る。
これほど暑いのに。
だが、それでも。負けるわけにはいかない。いかないのだ。
帰らなければ、またコットンが一人になってしまう。スペランカーを恐れ多くも慕ってくれるアトランティスの民は、どうすれば良いのか。
アーサーが、ペンダントらしいものを出現させる。
知っている、あれはアーサーの、真の切り札。だが、アレをぶつけても、勝てるとはとても思えない。
「だけど、これが最後の……!」
「ならば本官が!」
陽炎に揺らぐ中、見える。
アーサーに足を引きずりながら、近づく小さな影。
マッピーだ。
後ろの方に見えているのは、何故だろう。ニャームコ博士に似た、猫のロボット。やり遂げた表情で、果てているのが分かった。
立ち尽くすアーサーに、マッピーが手を伸ばす。そして、首飾りに触った。
「本官の最後の力、託させていただくのであります!」
「確かに! 戦士の魂、受け取った!」
二人が、光り輝く熱の塊を見上げる。
唇を噛むと、スペランカーは、もう一度立ち上がった。
二人なら。
やってくれる。
「おお……!」
クトゥグアは見た。
光が、ふくれあがっていくのを。
アーサーとか言う騎士が放った攻撃は、いずれもはじき返してやる程度の威力しか無かった。
だが、マッピーの力。
クトゥグアが戯れに、ニャームコ博士に概念を提供し、再現させたパーソナルエンチャントが合わさって、しかも今までに無いほどの稼働率を示して。
その結果の、この光だ。
スパコンは、筐体が溶けていたが、まだ稼働自体はしていた。しかし多分地下で熱暴走していることだろう。クトゥグアが熱を吸収するのを止めたからである。
まるで、優しく手のひらで包まれるように。巨大な光の奔流が、クトゥグアを押さえ込む。辺りの熱は消えないが、その光は、どうやっても打ち消せない。逃げることは、出来なくも無い。この体を切り離して、異次元にでも転移すれば良いのだ。
だが。
見た。
熱量によって足止めしていた、スペランカーとか言う邪神の巫女が、真下にまで来ている。
灼熱の中、どれだけ焼き尽くされても、歩き続けてきたか。再生を繰り返し、既に全裸だが、その威厳は全く衰えていない。
そしてその手にしているのは。オモチャの銃が如き道具は。
見覚えがある。そして気配も分かる。
クトゥルフが気配を断った時に、使われた異具。死の鏡。
そうか、あれが切り札か。それならば、有象無象ばかりとは言え、邪神達に打ち勝つことが出来たというわけだ。
あまりにも、興味深い。
数万の、それ以上の死に耐える精神は、恐らく幼い頃に培われたもの。それはもはや強靱を通り越して、人外の領域にまで到達している。
神に対する必殺の牙と、その精神力だけで。あまりにも脆弱な体を補い、勝ち上がってきた。それは、敬意を表すべき相手なのでは無いのか。
「クトゥグアさん。 ごめんなさい。 貴方を、討ちます」
「良い。 余を破るには、それなりの理由があると言う事よ。 それに余全てが滅ぶわけでも無い。 さあ! この余を破った人間として、それを未来永劫誇りにせよ! 偉大なる異星の戦士よ!」
撃ち放たれる光が、クトゥグアに突き刺さる。
そして、全てが漂白された。
肩を貸して、焼け果てた城まで歩いた。
全裸のまま意識を失っているスペランカーは、後から白々しく到着した救護班に任せた。体が熱で考えられないほどの数焼き尽くされたというのに、無言で歩き続け、そしてクトゥグアの至近下にまで到達。ブラスターを叩き込み、あの強大な神格を倒したのだ。
アーサーも力を使い果たした。
だが、まだやらなければならないことは、残っていた。
ニャームコ島は、クトゥグアが放った熱によって、全域が程度の差こそあれ焼き払われた。ニャームコはまだ地下のトンネルにいると救護班に教えて、みて回る。密林も城も街も、何もかもが山火事に遭ったように黒焦げだった。城も、例外では無かった。そればかりか、戦闘の余波を受けたのか、ばらばらに崩れていた。
マピコがいた辺りに、見当を付ける。そしてスコップを少しずつ回復しはじめた力を使って出現させ、瓦礫をどける。かなりの重労働だ。救護班の連中も周囲にいたが、手伝おうとはしなかった。機材もないし、邪魔だからそれで良い。
やがてアーサーは、城の残骸の中から、掘り出す。側で力なく蹲っていたマッピーが、顔を上げた。
「マピコ……」
もはやコンピュータが壊れ、それは本当に只の人形になっていた。しかもすすだらけで、手足も半ばちぎれていた。
だが、躊躇無く、己も崩壊寸前にまでダメージを受けているマッピーは、いとおしい婚約者を抱きしめた。
慟哭が聞こえる。
ずっと振り向いてくれない婚約者に愛を捧げ続けたマッピーは、機械なのに泣いていた。
ニャームコは、何が嫌だったのだろう。
これほどの愛、捧げられる人間は殆ど存在しない。奴が作ったAIは、並みの人間では届かないほどの心を、この誇り高い警官に与えていた。
それなのに。
「マッピー……」
当人が来た。手錠を填められて、左右をMPに押さえられている。ニャームコはマッピーに走り寄ろうとして、暴れた。取り押さえようとするMPを、アーサーは制止。
マッピーの側に、ニャームコはよたよたと走り寄り、崩れ落ちる。
「数値だけではわからんだろう。 だが、これが愛だ」
「……」
「主様。 一つ、お願いがあります」
マッピーが、顔を上げた。
顔の肉は半分削げ、手足は銃創だらけ。全身は切り裂かれた傷で覆われ、白い人工体液がまだこぼれ落ち続けている。
既に機能停止寸前の彼は、それでもニャームコに、恨み言を言わなかった。
ロボットだから、という部分はあるだろう。
だが、それ以上に、この鼠は誇り高かった。
「マピコに、今度こそ、本当の心を与えて欲しいのであります」
「……わしの作る心は、まがいものだ」
「まがい物では無いっ!」
まだ分かっていない友人に、言わなければならなかった。
この男は、自信をことごとく潰される環境に育った。周囲からは嫉妬とねたみから否定され続け、血がつながった家族にさえ認められなかった。利権だけは彼を評価したが、彼自身を愛したものは、幼い頃の両親だけだった。
だから、歪んだ。
しかし、今は。そのゆがみを、克服しなければならない。
「マッピー殿を見ろ、ニャームコ! お前がどれだけ周囲から否定されようと、胸を張って見ろっ! お前は、心を、紛れもない愛を作ったのだ。 いびつかも知れないが、確かな心を! 誰も保証してくれないなら、我が輩が保証する! 永遠にお前の友である、この我が輩が! それでは不満かっ!」
誰も認めないなら、アーサーが認める。アーサーは、それを此処で、誓ったのだ。
ニャームコが、涙を流しはじめる。
アーサーも、泣いていた。
夕日が、焼け落ちた島の向こうに、沈みゆこうとしていた。
アトランティスに戻って、しばらくした頃。
嬉しい出来事があった。
クトゥグアほどの神格を撃破した反動で、まる一週間寝ていたスペランカーは、体の不調が中々戻らず、その間大変な戦いをしていたらしい後輩の川背に加勢できなかった。というよりも、加勢する選択肢自体が与えられなかった。
申し訳ないことだと思って鬱々としていたので、それは逆に、大変に嬉しいことだった。
神殿を訪れたその者は、以前と全く変わらない姿をしていた。しかし、制服も、ホルスターに入れている相手を気絶させるショック銃も、新品の装備である。アトランティスで今後正式採用しようとしている装備類を、使う第一の存在となったのだ。
半魚人達に案内されて来たその人は、スペランカーに気付くと、ばっちり決まった敬礼をした。その少し後ろには、ドレスを着込んだ、同じように二足で立ち上がった鼠の女性がいる。
「本日付で、アトランティスに赴任しましたマッピーであります! スペランカーどの、お招きいただき、感謝しております! 以降はアトランティスの秩序と平和を守る所存であります!」
「ありがとう。 お願いします、マッピーさん」
「光栄であります!」
あの女性は、しっかり心を貰ったマピコだろう。
ロボットの恋人だから、何を出来るというわけでも無い。生物では無いのだから、当然だ。
だが、其処に愛は無いと、言い切れるのだろうか。
作り物ではある。反射行動ではある。だが、むしろそれが故に、人間の愛よりも気高く誇り高いのかも知れない。
柱の陰に隠れて、知らない人をじっと観察しているコットンを招く。
きっと、この誇り高く優しい警官は。
コットンの、大事な友達になってくれるはずだった。
(続)
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