赤い月の下で

 

序、見覚えある光景

 

つくづく、自分には縁がある場所らしい。

I国の片田舎で、事前に魔界であると判明しているフィールドに踏み込んだアーサーは、即座に外に対して通信を入れていた。

まだフィールドの入り口付近だから、無線で通信はできる。

たとえ、空に赤い月が出ているとしても。

地面が毒に浸されて、紫色の水が煮立っているとしてもだ。

プレートメイルを着込んだアーサーが無線を触っているというのもおかしな光景だが。現在に生きる者として、科学技術を無視することはできない。

「此方アーサー。 内部を確認した」

「魔界で間違いありませんか」

「ああ」

朽ち果てた村。

木々にはカラスがとまっているが、いずれもが野生個体より二割も三割も大きい。それだけではなく、全ての動物が凶暴な瘴気に身を包まれ、己を制御できずにいるのが分かった。

重異形化フィールドの中でも、特に王と呼ばれる特殊な存在に支配され、生態系と国家としての仕組みが作られている存在を、こう呼ぶ。

魔界。

パラレルワールド化するケースさえある、極めて強力なフィールドだ。今までアーサーは四度魔界を攻略して生還しているが、いずれも楽な戦いだとはいえなかった。歴戦の猛者でさえ尻込みする魔界に、アーサーは今、五度挑もうとしている。

無線を切ると、傍らで呼吸を整えているスペランカーに言う。

「スペランカー殿、大事ないかな」

「うん。 アーサーさんは、慣れっこ?」

「いいや、我が輩も、そう簡単には処理できぬさ」

からからと笑うアーサーだが。

既に心身ともに戦闘モードに切り替えている。

「魔王と異星の邪神が融合すると非常に面倒だ。 だが、魔界の特性上、あまり大人数を投入するのは得策では無くてな」

地面が、振動する。

違う。

周囲の土が下から掘り返され、手が伸びてくる。土まみれの手が、彼方此方の地面から、伸びる。

程なく、無数の生きた死体が姿を見せた。

ゾンビと呼ばれる怪物だ。冒涜された死者の末路。死人で有りながら死人で無く、生物でさえ無い存在。

魔界ではあまりにも一般的な障害である。

死体共は、生きた人間の匂いをかぎつけたか、一斉に此方に歩み寄ってくる。重心が定まっていない歩き方で、パワーはあっても何とも情けない。

剣を抜くと、アーサーは手慣れた動作で、まず手前に立ったゾンビを一刀両断に斬り伏せる。

手にしている剣は、かの聖剣エクスカリバーを再現したものだ。ゾンビなど、ひとたまりも無い。

まるで熱したナイフで溶けかけの氷を切ったかのようだ。殆ど手応え無く、ゾンビは崩れ落ちた。

二閃、三閃。

剣が閃く度に、ゾンビの体が両断され、内臓がはみ出し、腐った血がまき散らされる。

人間を殺すように切るのでは無い。

胴を二つにし、或いは唐竹割に左右に切り分ける。そうすることで、元が人間の悲しさ。身動きが取れなくなるのだ。

ゾンビは身動きが取れなくなると、しばらくもがいた末に消滅する。だが、出てくるゾンビは、後から後から、だ。

もう少し強力な能力は、まだ温存しておく。

強烈な腐臭が漂う中、アーサーは促した。

「さて、いくとするか」

「この奥に、ニャルラトホテプさんがいるのは、ほぼ間違いないんだね」

「間違いない、といいたいところだが。 可能性は、せいぜい四割という所だろう」

それに、今回の目的はそれではない。

もしも接触できたら幸運、くらいにアーサーは考えていた。もっとも、四元素神随一の策謀家という話であるし、それが「幸運」なのかはよく分からない。

うめき声を上げながら襲いかかってくるゾンビを、右に左に、足運びを工夫しながら斬り倒していく。

剣技は実力がついてくると、舞のようになる。

プレートメイルを着込んでいても、それは同じ。

左から襲ってきたゾンビに足を払っていなし、更に右から飛びついてきた一匹と一緒に切り上げた。

肩口からずるりと両断されたゾンビが地面に落ち、同時に灰になって消えていく。更にもう二体、薙ぐようにして切り捨てる。

体力を可能な限り温存しながら。なおかつ、相手にするのは一度に一匹まで。

相手の動きを良く見ながら、足運びを工夫。勿論そうしている間にも、足下からゾンビは出てくる。

足首を掴まれないように、細心の注意を払いながら戦う。

この死者達は、実際の死体が加工された存在では無い。

情報としての、かって生きていた人間を、歪めたものだ。魔術によるものだと、アーサーは判断した。

スペランカーは、アーサーの邪魔にならないように、良く動いてくれている。ゾンビの軍勢は、次から次へと現れるが、アーサーは黙々と処理しながら、無線で連絡を外に入れる。

「敵勢力との交戦開始。 通信はこれまでとする」

「了解。 グッドラック」

通信を切ると、アーサーは空を見上げる。

サヤが放った式神が、周囲を周回している。

今回も、厳しい戦いになりそうだった。

「サヤちゃんは無事みたいだけれど……」

「問題は、もう一人であるな」

スペランカーに躍りかかったゾンビの首を、通り抜けざまにはね飛ばす。しばらくもがいていたゾンビが、土に帰っていった。

今回、フィールドに入った人間は四人。

アーサーと、その頼れる盟友であるスペランカー。

もう一人は、最近支援系のフィールド探索者として名を上げつつある巫女のサヤ。それに、最後の一人は。

地響きがする。

ゾンビが現れるときとは、また別のものだ。

見ると、朽ちた家を押しのけるようにして、四メートル、いや五メートル以上はある巨人が、姿を見せた。

しかも目は一つだけ。

ギリシャ神話に登場するサイクロプスのようだ。しかも、額には、おぞましいねじくれた角を一本生やしている。

全身は非常に筋肉質で、手足には凶暴そうな容姿を更に引き立てるためか、プロテクターを付けていた。

「サイクロプスであるな」

サイクロプスが、突如跳躍して、後川に回り込んできた。

とんでも無い巨体とは思えないほどの、軽やかな動き。

だが、アーサーはそれを読んでいた。

 

1、黒い渦の中心

 

そもそもアーサーが、何故五度魔界に挑むことになったのかには、それなりに複雑な事情がある。

きっかけは、未来から来た戦士。そして、彼によって語られた、絶望の未来の物語であった。

アーサーも話を聞いて驚いたが、悩んだ末に、スペランカーがとんでも無い事を言い出したのである。

ニャルラトホテプと接触したい。

最初スペランカーがそう言い出したとき、アーサーは不安を感じた。

スペランカーの発想に対して、ではない。小柄な盟友が言うように、確かに異星の邪神とは何か、人類はあまりにも知らなさすぎる。

問題は、そこでは無い。

どうも嫌な予感がしてならないのだ。未来世界で、スペランカーは、諸悪の根源のように忌み嫌われていたと聞いている。

スペランカーの思考自体は、決して突飛なものではない。

異星の邪神と交流を持とう、という考えが驚きに値はする。だが、全体的な思考としては、矛盾しているわけでもないし、むしろ感心させられる。しかし、その思考は、この状況によって、導き出されたものだ。

それはつまり。

何かしらの奸計に乗せられている、という事は無いだろうか。

アーサーは未来から来た人間から話を聞き終えると、一度E国に戻った。そして、其処を中心に知り合いのフィールド探索者を呼び集め。なおかつ、所属しているC社と話もした。

N社とC社の関係は、今のところライバル企業ではあるが、明確な敵同士では無い。むしろC社としては、N社を敵に回したくない所だろう。だからか、C社は最初当然のように難色を示した。スペランカーの行動は、世界最強を誇るフィールド探索者、Mの行動に反発するも同然だったからである。

だが、悩んだ末、だろうか。

C社の社長は、一つ条件をと言って、フィールド攻略を依頼してきたのである。

それがI国の片田舎にある、フィールドの攻略話だった。

非常に危険な重異形化フィールドで、既に三年放置されている。放置されている理由は、E国と激しい対立をしているテロ組織が、その近辺に拠点を構えているからだ。手を出すと国際問題になりかねない状態であり、フィールドそのものも拡大の傾向が見られなかったため、放置されていた。

だがそれが逆用され、テロ組織がそのフィールドを、様々な形で悪用している、という噂があった。どうも後ろで手引きをしているのがかのKらしいと知り、C社としても放置はできなくなったのだろう。

何度か軽い打ち合わせをした後、A国にあるC社の本社ビルに呼び出された。

摩天楼に来るのは、久しぶりだ。

国際空港から、電車を乗り継いで、本社ビルに。電車の運行が、運行表通りでは無いが、まあそれは仕方が無い。

本社のビルは慎ましい規模で、社長室もさほど豪華では無い。アーサーが出向くと、社長は自ら出迎えてくれたほどだ。

そして、長いすに向かい合って座り、話をする。紅茶だけを出してもらったのは、E国で紅茶を飲む暇が無かったからだ。

話を進めて行くと、社長は状況が難しいと言い、紅茶をすすった。

「確かに、スペランカーくんが言うとおり、今は人類が異星の邪神どもに対して優位を築きつつある。 今が、交渉の機会であるという指摘は、もっともだと思うよ」

「だが、正しいことだけでは、物事は動かない。 そう言いたいのですかな」

「そうだ。 アーサー君、此方としても協力したいのは吝かでは無いのだが、どうもきな臭い噂があってね」

社長がはげ上がった頭の汗をハンカチで拭いながら言う。彼は元々、フィールド探索者として一流と言うよりも、営業畑で活動して社長に上り詰めた人間だ。武闘派揃いのフィールド探索者を、腰の低さと丁寧な対応で説得してきたという経緯があり、社長になっても腰は低い。

その社長が言うことによると。

どうも、国連軍の中に、フィールド探索者を排斥しようという大きな動きがあるらしいのだ。

「その話は、我が輩も聞いたことがありますな」

「そうか、聞いているか。 どうもその連中というか派閥というかが、近年資金源として何か大口のスポンサーを手に入れたらしくてね。 急激に発言権を大きくしだしているらしいんだ」

軍が今、秘密裏に感情が無いタイプの、純粋な戦闘ロボットを作ろうとしているらしいと言う噂は、アーサーも聞いていた。

そもそもニャームコがAIの研究を進めて、ロボットの一部に部分的な人権が与えられるようになる前は。フィールド探索者に代わって、ロボットをフィールド探索にかり出そうという話があった位なのである。

能力者と、非能力者の間に立ちはだかる壁は分厚い。

「確かに、今まで交渉の余地が無かった相手と、話ができるようになるというのは、とても大きい。 もしも恒久的な和平でも実現すれば、それは人類の歴史にとって、輝かしい一歩になるだろう。 しかしだな、そういった連中が、話を聞きつけると、まずい事になるように思えてならんのだ」

「なるほど、それでフィールドの攻略を材料にしようと」

「それだけじゃあない」

何でも、今回攻略が予定されているフィールドは、内部に何か得体が知れないものが住み着いたという噂があるという。

テロ組織は急激に武装化と思想の過激化が進んでおり、E国で激しい攻撃をするようになっている。

関係があるとは断言できない。

だが、もしも関係があった場合、非常に面倒な事になりかねない。

国連軍としても、E国としても、放置はできないと判断したのだろう。

つまり、此処での攻略は、国際問題を解決することにもつながり、なおかつ内部で邪神が糸を引いていたのなら、そちらとも接触できる。

なおかつ、恩を売ることもできる、というわけだ。

「既に我々に好意的な一派に、押さえ込みは依頼してある。 フィールド攻略に成功すれば、それは決定的なものとなるだろう」

「分かりました。 我が輩が必ずや、フィールドを叩いてきましょう」

「お願いだよ」

社長は最後まで腰が低いままだった。

本社を後にした後、アーサーは少し悩んだ後、喫茶店に入ることにした。良さそうな喫茶店を探して、街を歩く。鎧を着たアーサーに奇異の視線を向ける人々も多かったが。一応、アーサーはかなり知名度が高いフィールド探索者だ。子供にサインを二回ねだられて、気前よくそれに応じた。

E国風の、落ち着いた雰囲気の喫茶店を見つけた。

ハーブティーを注文すると、買ってきた新聞に軽く目を通しながら、携帯電話を同時に弄って、情報収集を行う。あまり操作が早い方では無いが、使ってみると便利なので、アーサーも愛用していた。

今回のフィールド攻略は、困難である。

魔界化しているほどのフィールドだ。スペランカーは今回の一件、絶対に同道してもらうとして。

問題は、他に誰を連れて行くかだ。

アーサーは魔界攻略のエキスパートなどと言われているが、今までの戦いでは運が良かった部分も大きいと思っている。実際問題、楽に攻略できた魔界など、一つも存在はしなかったのだから。可能な限り、手練れを連れて行って、損害を軽微に抑えたい所だ。

だが、魔界には、厄介な特質がある。

どうも内部で、一定人数以上の侵入を排除するような法則が働くようなのだ。

アーサーは、単独で勇猛果敢に魔界を潰したのでは無い。

そうしなければならなかったのである。魔界が高難易度のフィールドと呼ばれる所以の一つだ。

一度、スペランカーと連絡を取る。

試してみないと分からないが、連れて行けるのはスペランカーと、後精々一人か二人だろうと、アーサーは思っていた。

メールを出すと、丁度ハーブティーが来た。

だが残念ながら、味はあまり良くない。店主の腕に問題があると言うよりも、微妙な茶葉の質だなと、アーサーは判断。文句も言わずに、そのまま飲み干す。

同時に、返信があった。

電話を欲しいと言ってきたので、店を出ると、電話ボックスに移る。流石に国際回線で、携帯電話を使うのはもったいない。

スペランカーはすぐに電話に出た。話をすると、彼女は頷く。

「分かりました。 すぐにE国に向かうね」

「うむ。 ところで、川背殿を連れてこられるか。 おそらくは彼女が一番適任だと思うのだが」

「ごめんなさい、難しいかも」

川背は今、独自の動きを開始しているという。未来から来たシーザーの話を彼女なりに分析して、戦いに備えているそうだ。

できれば、川背が来てくれれば心強かったのだが。

代わりに、支援特化型の巫女、サヤを連れてきてくれるという。彼女が有能な支援タイプのフィールド探索者である事は、アーサーも知っている。来てくれれば、確かに心強いし、探索がスムーズになる。

ただ、問題もある。

「サヤ殿は確かに有能な支援系だが、武芸はさっぱりだと聞いてもいる。 誰か護衛が必要になるな」

「じゃあ、俺が……」

「嬉しいけど、シーザーさんはアトランティスでしばらく静かにしていて」

電話の向こうで、笑顔でスペランカーがシーザーの協力を拒絶したようだ。確かに飛行機乗りとして優秀なだけでは無く、今は未来から来た知識の持ち主という、非常に重要なポジションだ。

不得手なタイプの戦闘に投入して、失うわけにはいかない。

ましてや邪神の脅威が薄れた時代の人間だ。凄まじい力を目の当たりにして、普通のままでいられるか、アーサーも保証できない。

「何だよー。 サヤちゃんって、おしとやかな和風美人なんだろ? せっかくだからお目に掛かりたごばふ!」

誰かがシーザーを鉄拳で黙らせて連れて行ったようだ。電話の向こうでハガーとか呼ばれている声がしたから、あの筋肉市長かも知れない。

しばらく無言が続いたが、スペランカーが咳払いして、話に戻る。

「同じC社で、誰かに声を掛けられないの?」

「難しい所だ。 というのも、今回はC社に対して、貸しを作るタイプのミッションになるでな。 我が輩としても、可能な限り、C社の関係者以外から協力を募りたいのだ」

そう言う意味では、Rやジョーは対象外になる。ジョーは特にいてくれると心強かったのだが、今回は連れて行けない。

勿論N社の人間も対象外だ。

そうなると、アトランティスにいる、食客組の誰かか。

スペランカーの方で話をすると言うことになったので、一旦電話を切る。それから、一度E国に戻った。

隣国であるI国は、非常に様々な軋轢がある場所で、入国も面倒な手続きが必要になる。国連軍も動きづらいと聞いている。

つまり、国連軍としても、フィールド対応という名目で監視チームを置くことくらいしか出来ない、という事だ。

物資の補充くらいはしてくれるだろうが、人員のサポートなどは、とてもできないだろう。しかも今回は状況が状況だ。

軍に対して借りを作ることもできないし、そう言う意味では八方ふさがりとなる。

アーサーは恋人と婚約しているが、今だ結婚には至っていない。

色々と面倒な事情があるのである。アーサーの側にも、それに恋人の側にもだ。

恋人は三十までには結婚したいと言っているのだが、アーサーとしては、もう少し待ってくれとしか言えない。

辛抱強く彼女は待ってくれているが。

それも、いつまで待って貰えるか、分からなかった。会える時間も、さほど多くは無いのである。

帰宅。

かって貴族の邸宅であった家だ。フィールド探索者としての稼ぎで、没落した貴族から買い取った。

婚約者に配慮して、使用人には女性を使っていない。

この事が曲解されて、アーサーは男色家だとか言う陰口をたたく者までいるらしいが。アーサーは気にしていない。

額の汗を拭う。

書斎に入ると、確保したアドレスをチェック。その中から、連絡を順番に入れて行く。

人間関係を進めるのは、時に強大な敵よりも、ストレスを蓄積させる。スペランカーのように、話が分かる奴ばかりではないのだ。

フィールドの側に駐屯している国連軍の士官も、その手の輩だった。

ひょっとすると此奴、テロ組織に懐柔されているのかも知れない。そうアーサーは思ったが、口には出さなかった。

「こられても、支援は一切できませんが、よろしいですね」

「分かった、それならばそれでよい。 人員も此方で手配する」

電話を切る。

休憩所だけでも確保できれば良いのだが、それも難しいかも知れない。近くのビジネスホテルでも予約しておくかと、ネットに接続。ただ、E国の人間だというと、おそらく宿泊を拒否するホテルも出てくるはずだ。対立意識と言うよりも、テロ組織による攻撃の可能性が生じるからである。

I国とE国の対立の歴史は長い。アーサーも、I国ではあまり好まれていない。実名を出すと、色々面倒な事になりかねない。

悩んだ末に、少し安めの、古びたモーテルを借りた。丸ごと。

元々ちいさなモーテルだし、四部屋くらいは確保できるだろう。更に、アーサーが継続型の防御術式を掛ければいい。それくらいはたやすい。

モーテル一つくらいなら、爆弾テロから充分に守りきれる術式を掛けることが可能だ。さほど苦労せずに。更に、店長には借りている間、モーテルを離れてもらえば、被害は抑えきれる。

色々と手を打っている内に、スペランカーから連絡が来た。

どうやら支援をしてくれるらしい人物が決まったようなのだが。その名前を見て、アーサーは愕然とした。

だが、手練れには違いないのだし、確かに戦力としては計上できる。かなり変わった使い手だが、考えて見ればスペランカー自身がそうだ。

明後日、合流することにして、スケジュールを組む。

一日だけ空いたので。アーサーは久しぶりに、恋人の所に足を運ぼうと思った。

 

翌々日。

C社に連絡をしてから、E国の国際空港に移動。既に、スペランカーが待っていた。彼女は遅くなることが多いのだが、今日はアーサーの方が早い。

巫女のサヤは既に来ていたらしく、長身の金髪の男にナンパされて、困り果てていた。サヤとでは、頭一つ半違う大男である。サヤよりも更にちいさなスペランカーとでは、加えて頭半分違う。咳払いすると、アーサーを見てメンチを切ろうとした男は。だが、硬直して、ずり下がったサングラスを震える手で直す。サングラスに派手なシャツとは、なんとも古典的な。アーサーがいうのも、おかしな話だが。

「サー・ロードアーサー!?」

「うむ。 その女性は我が輩の連れだ。 何より困り果てている女性にしつこく迫るのは感心せぬな」

「し、失礼いたしましたっ!」

凄い勢いで頭を下げると、ナンパ男は脱兎のごとく逃げていった。

何だか知らないが、アーサーを怖れてくれているようで、何よりだ。この間、聞かされた来るべき未来を考えると、あまり普通の人間と接触し続けるのは、好ましくないかも知れない。

あと五年前後。

そうシーザーの話からは、推察できる。社会情勢が壊滅的に悪くなってくるのは、もっと近い未来だろう。

恋人だって、無事でいられるとは思えない。彼女は戦闘タイプでは無いが、非常に特殊な血筋の人間で、一般人でも無いからだ。

かといって、アトランティスに移住するのも、簡単にはいかない。アーサーにはE国でする事も多い。アトランティスはとても微妙な政治的立場にあり、味方は一人でも必要なのである。

アーサーが移住したりしたら、国際的な顔の一人を取られたと考えて、E国がへそを曲げる可能性も高い。それは避けなければならない。

ましてや、恋人は更に微妙な立場にある。安易に移住などと口にできない状況なのだ。

「助かりました。 有り難うございます」

サヤが完璧な角度で礼をするので、アーサーも鷹揚に頷く。

誓いを立てた女性以外には、必要以上に近しく接しないのが、騎士としてのマナーだ。もっとも、現在騎士と呼べる人間は、殆ど存在していないが。

「今一人は、どこにいるのかな」

「少し遅れてくると聞いています。 入国手続きに時間が掛かるとか」

「まあ、無理も無かろう」

スペランカーが、手を振って呼んでいるのが見えた。大きな声では無いのだが、不思議な存在感がある。

I国にいくには、一度F国にいって、其処から飛行機を乗り継ぐ方が良い。

というのも、国際的な情勢もあるし、何より目をつけられやすいからだ。様々な事情を、今回のフィールド攻略では考慮しなければならない。別にテロ組織に攻撃されても蹴散らすことは容易だが、自爆テロからサヤを守りきれるかは、少し自信が無い。式神を町中で出すのも、問題が多いだろう。

ところで、あのナンパ男だが。

少し距離を置いて、此方をうかがっている。サヤは気付いていない。

ただ、距離を置いて気付いたのだが、それなりの使い手だ。ひょっとすると、あれは。まあ、今は別に構わない。

最後の一人が、来た。

相変わらず、個性的な格好だ。周囲が度肝を抜かれているのが分かる。戦士として信頼出来ることは、以前の戦いでよく分かっているから、不安は無い。ただ、まさか来てくれるというのは、予想外だった。

「アーサー殿、お久しぶりであります」

「うむ、アトランティスで会議をして以来だな」

来てくれたのは、鼠のロボット警官、マッピー。青い警官服とがまぶしい。敬礼も、堂に入っていた。

今回彼に来てもらったのは、備えている特殊能力が大変便利だからである。ものの特性を強化するというその能力は非常に使いどころが面白い。

それだけではなく、マッピー自身の戦闘力もかなり高い。ニャームコの島で、延々と実験に明け暮れ、その間強化され続けたAIはとても研ぎ澄まされている。実際アトランティスで新人警官を指導している様子を見たが、投げ技も打撃技も、大変高い水準で身につけていて、多少の体格差などものともしていなかった。戦い慣れているはずの骸骨の戦士やミイラ男の戦士達が、舌を巻いていたほどである。

今回は実銃を渡そうかと思ったのだが、マッピーはアトランティスで使っている警棒とショックカノンで良いと言う。確かにマッピーの特性であれば、その気になればその辺りにある木でも石でも武器にできる。

合流した後、飛行機に。

此処からは、半日がかりだ。飛行機の本数もあるが、一本では無く、分乗して現地に向かうからである。

色々と煩わしいが、それ以上に面倒な事態を避けるために、打てる手は全て打たなければならなかった。

スペランカーと隣の席に座る。サヤはマッピーに任せて、別行動だ。

マッピーとは少し話したが、今回が難しい状況下にある事は、きちんと理解してくれていた。

そう言う意味で、彼にはまず護衛をして欲しいと考えている。今やアトランティスに無くてはならない警官であるマッピーは、警護のプロだ。しっかり支援特化のサヤを、守り抜いてくれるだろう。

さて、少し後ろの方に、金髪のナンパ男がいる。何か企むようなら、取り押さえなければならないだろう。

離陸して少しすると、機内も静かになった。疲れが出たか、スペランカーはすやすやと寝ている。

話すべき事は、既に話している。

だから、別に今更追加で話すことは無い。元からスペランカーに体力が無い事は承知の上だ。休めるときに、休んでもらった方がいい。

まず、F国に到着。

少し喫茶店に入って休む。次の飛行機が来るまで、時間もあるからだ。男同士と女同士で別れて座るが、席そのものは近くに取った。

金髪のチャラ男はまだ一定距離を保ってついてきている。アーサーの次に、気付いたのはマッピーだった。

金髪男は喫茶店のラウンジで、わざとらしくサンドイッチを食べている。此方は中でまとまっているので、どちらからも互いが丸見えだ。

「アーサー殿、あれはよいのでありますか。 なんなら、本官が取り押さえますが」

「放っておこう。 見たところ、スパイには思えないし、テロリストのようにも見えぬからな」

スペランカーは、うすうす視線には気付いているようだが、特定できてない。

サヤはちいさな式神と嬉しそうに何か話しているが、完全に気付いていないようだった。むしろ式神達が、既に男に警戒している様子がうかがえる。式神達も、サヤの戦闘力には期待出来ないことを知っているのだろう。

F国の紅茶は流石に美味しい。料理がまずいE国だが、紅茶だけには自信はあったのだが。それでも、文化と飽食の国だけあって、F国のはかなり洗練されている。

以前の世界大戦では同盟国として戦ったE国とF国だが、実際には強烈なライバル意識と抗争の歴史があり、E国人とみていい顔をしない人間もいる。勿論気持ちのいい人間もいるが、必ずしも多くは無い。

空港から、I国へ。

ここからが、面倒だ。

普段は国連軍がサポートをしてくれるのだが、今回は迎えも無い。タクシーを取るよりも、レンタカーの方が良いだろうと判断。アーサーは、事前に取っていたレンタカー(ライトバン)に乗り込み、全員で現地に向かう。

かって世界帝国とまで言われたE国の隣にあっても独立を維持しているだけあり、I国は戦闘的な国民性で、街も全体にぴりぴりしているように思えた。ただし治安自体は悪くないし、E国との関係に理解を示す民も少なくは無い。

ただ、アーサーはあまりこの国では人気が無いとも聞いている。だから鎧はパージして、あまり慣れないコート姿で、車を運転していた。

「アーサーさん、運転が達者ですね」

「流石にヘリや戦車は運転できぬが、いちおう免許は幾つか持っているでな。 酔わないように気をつけるが、気持ち悪くなったら言っていただきたい」

できるだけ表情を柔らかくして応えるが、今回の任務では、どうも背後にきな臭い空気がある。

国連軍も介入したがらないほどに、背後関係がこじれていると見てよい。確かにフィールドが消滅すれば、大きな貸しを作ることになるだろう。

国連軍の軍基地が見えてきたが、あまり大きくは無い。造りも開放的で、フィールドに備えているようにはとても見えなかった。

一度基地を通り過ぎて、拠点として確保したモーテルに。

モーテルの主は鍵だけ貸してくれると、すぐにその場を離れた。いざというときのために、そうして欲しいと、事前に話はしておいたのだ。ちなみに何かしらの災害にあった場合、災害保険金が出るように、アーサーが保険屋と交渉を済ませている。

モーテルの周囲を回り、防御系の術式を掛けていく。

比較的治安が良いI国だが、この辺りはどうも空気が悪い。さっきから、良くない視線を複数感じる。

この国のテロ組織は、非常に背後関係が複雑だ。

既にアーサーには気付いているとみて良いかも知れない。

町並み自体は、とても美しい。

このI国は、未だに妖精が多数生息していると言われ、妖精と関係が深いフィールド探索者も多い。

或いは、スペランカーが養子にしているコットンも、此処が本当の出身地では無いかと、アーサーはにらんでいたが。真相はよく分からない。

モーテルに荷物を置いて、少し休憩を取る。

今回は非常に厄介なことに、フィールドの内部情報が殆ど無い。軍がある程度調査してくれることで、探索は随分楽になるのだが。今回に関しては、それを期待するどころか、駐屯中の国連軍からのデータは、信用できない有様だ。

「今回のフィールドは、七年前から殆ど手つかずだ。 分かっているのは、内部が重異形化フィールドであり、いわゆる魔界になっている、ことくらいだろうか」

「魔界ですか」

「そうだ。 だから、必ずしも消滅させることができるかは分からない」

魔界化までしているフィールドは、内部が独自の世界になっている事が多い。一種のパラレルワールド化している事もあり、対処には念入りな判断が求められる。

そう言う意味で、今回は本来国連軍が相当な準備をし、手練れを集めて立ち向かうべき場所なのだが。

政治的な問題、背後の複雑な関係、それに外部への危険性の薄さなど。様々な要因が重なって、随分と長い間放置されてしまった。

考え込むスペランカー。

サヤが、先に挙手した。

「私が式神を送り込みましょうか。 少しでも内部のことが分かれば」

「おそらく式神を危険にさらすことになるだろうが、良いのかな」

「!」

「魔界の住人にとって、式神はおそらく全く別種の存在では無く、近しい者の筈で、他のフィールドのように偵察をして無事に帰ってこられる保証は無いぞ。 勿論危険を承知、というのであれば嬉しいが、少し対策を考えてから、話を進めるべきかと我が輩は思うのだが。 サヤ殿はどうかな」

異論ありませんと、サヤは黙る。

できるだけ押さえつけるようなものいいはしなかったつもりなのだが、ちょっと悲しそうにしているので、胸が痛む。

続いて、マッピーが挙手する。

「本官の任務は、サヤ殿の護衛でありますな」

「うむ。 敵の中枢は、我が輩とスペランカー殿にて叩く。 サヤ殿は支援。 貴官は、全面的な援護をお願いしたい」

魔界には、少人数しか入れない。

アーサーが単独での魔界攻略を複数回成功させたのは、そうせざるを得なかったからだ。アーサーは今でこそE国最強のフィールド探索者と言われているが、最初に魔界に挑んだときは。

古き血筋にのぼせ上がった、勘違いした若造に過ぎなかった。

元からの強力な能力が原因では無く、むしろ強運に味方され、かろうじて生きて帰ることは出来たが。手は血まみれで、心もずたずたに傷ついていた。悪魔だったら殺してもいいという理屈が、実際に殺してみて、どれほど傲慢なものか、よく分かったのである。愚かなプライドは、粉みじんに消し飛んでいた。

戦いが如何に悲惨なものか、身をもってアーサーは知ったのだ。年の割には分別があると言われていたアーサーだが、そんなものは何の役にも立たないと、その時理解した。

魔界には今まで何度か挑んだが、必ずしも魔王を毎度討ち取っている訳では無い。和解を勝ち取ったこともある。

いずれにしても、アーサーは最初からE国最強であったわけではない。

「アーサー殿は、勇ましい騎士というよりは、冷静な将という印象なのであります」

だからそうマッピーに言われたときは、嬉しかった。

「我が輩も、伝説に残る騎士を先祖に持つとされる男だ。 猪のように突入して、敵を斬るだけが能では無い。 スペランカー殿、作戦開始に何か異論はあるだろうか」

「ううん、大丈夫だと思う。 ただ……」

スペランカーは、言葉を切った後に言った。

「退路が、危ないかも知れないね」

「ふむ、それについては同意だ。 国連軍が信用できない今回、できるだけ迅速な攻略が必要になるだろう」

サヤに直接来てもらうのも、それが理由だ。

危険度が高いフィールドの場合は、外でむしろ支援をして欲しい。だが今回、自衛能力が無いサヤを外に置いておくのは危険すぎる。

ただ、それについては、以前ここに来る前の時点で話している。マッピーもいる。

何故、スペランカーがそんなことを言いだしたのか。聞き出すために、アーサーはあえて同意したのだが。

「ううん、そうじゃないんだ。 何だか、あまりにもうまく此処まで来すぎてるような気がして」

「つまり、フィールドに誘い込まれようとしていると」

「うん。 どうもおかしな話の気がするの。 何もかもが、此処に私とアーサーさんを引きずり込むために、張り巡らされた罠だったら、大変だよね」

確かにそれはその通りなのだが。

あのC社の社長は、性格は兎も角手腕は確かで、生き馬の目を抜くビジネスの世界を渡り歩いて来た人物だ。弱いながらも、フィールド探索者でもある。C社でもRに次ぐ実力を持つアーサーを、無駄死にさせるようなことをするだろうか。

不安そうにしているサヤを見て、マッピーが提案する。

「最悪の事態を想定してはどうでしょう」

「ふむ、たとえば」

「本官が考えるに、フィールドが罠だったとして。 内部の敵はみな我々に牙を剥き、攻撃してくる。 外にいる国連軍とテロ組織は共同して、我らに害を為そうとする。 それらのもっとも、敵にとって効率の良い方法はなんでありましょう」

「戦力の分断と、補給の遮断であろうな」

実際問題、スペランカーは支援戦力がいて、はじめて力を発揮できるタイプの能力者だ。スペランカーが一人にされて、牢に入れられるなどすると、完全に無力化されてしまうだろう。

サヤに関しても、それは近いものがある。

しかし、四人がまとまって行動すると、危険性が生じる可能性も高い。罠で一網打尽にされてしまう畏れがあるからだ。

一応、今回は自前で多めに物資を用意してきている。

だが、退路が完全に遮断された場合、あまり楽な状況にはなりそうにない。

幾つか、意見を交換する。

サヤの式神にも意見を聞いてみたが、彼らは力こそ優れているが、人が使うような下劣な戦術には詳しくないと、意見を供与してくれなかった。確かに、それはそうだ。

「やはり本官が、サヤ殿と外に残りましょうか。 少々の戦力であれば、本官がどうにかしてみせますが」

「いや、近代兵器の力を侮るのは危険だ。 貴官の力を信じぬ訳では無いが、多数のスナイパーライフルに狙われた場合、サヤ殿を守りきるのは難しかろう。 ましてやそれに爆発物も加わると、かなり厳しいことになる」

「なるほど、確かに一理あります」

「此処は、つけいる隙の無い速攻が吉とみた」

フィールドを、速攻で攻略する。

最深部まで最短時間で迫れば、入り口を塞がれようが、追撃があろうが、関係無い。問題はフィールドを攻略したとき、満身創痍の状態で、テロ組織や国連軍の反フィールド探索者思想の持ち主達に囲まれた場合だが。

しかしそれも、相手が交戦意思を向けてきた場合は、蹴散らすことができる。

如何に傷ついていても、アーサーがいれば、一個中隊の軍くらいはたやすく蹴散らすことができるだろう。また、スペランカーがいれば、相手に攻撃を躊躇させる事も難しくは無い。

此処に駐屯している国連軍は一個中隊。

テロ組織が全部それに荷担したとしても、その三倍には達しないだろう。それならば、充分に撃退の範囲内だ。

「よし、作戦行動を前倒ししよう」

「本官は構わないのですが」

「確かに、それが良さそうだね。 サヤちゃん、大丈夫?」

サヤは風呂に入りたさそうな顔をしていたが、我慢してもらうしか無い。

レディに快適な生活をして欲しいと思うのは紳士として当然のことだが、その一方で彼女は戦士だ。

戦士には、それ相応の覚悟と、行動が求められる。

「すまぬが、全てが終わって、せめてE国に戻るまで、風呂は我慢して貰えぬか」

「分かりました。 くすん」

サヤがとても残念そうな顔をする。

そのまま、明かりを付けてわざと裏口からでる。レンタカーもそのまま残す。

周囲に監視の気配は無し。

でる前に、アーサーが気配を遮断する術式を掛けた。時間が掛かる上に、人間相手くらいにしか使えないが、これで充分。

問題はスターライトスコープを装備した狙撃兵が監視していた場合だが、それも手を打ってある。

裏口の周囲に、幾つか強めの光源を仕掛けておいた。これで、スターライトスコープは攪乱可能だ。

「でる前に、全員ハンカチを口に。 我が輩は、着替えるか」

鎧に、着ているものを切り替える。

普通はパンツ1丁の上に鎧を出現させるのだが、今日は服の上に鎧だ。少し重くなるが、今更である。

「サヤ殿、小型の式神を展開して貰えるか」

「は、はい」

一瞬で鎧に切り替わるアーサーを見て、呆然としていたサヤが、印を切って呪文を唱える。

オリエンタルな呪文は異質だが、聞き惚れている暇は無い。

勿論、式神を展開する理由など、わかりきっている。そう思ったのだが、サヤがどうして式神を使うのかと聞いて来たので、ちょっと眉尻を下げた。

「周囲に、おそらく監視がいるであろう。 それを確認したいのだ」

スペランカーも、口には出さないが、苦笑いしている様子だ。

彼女は頭の働きが鈍いかも知れないが、判断力は確かで、それはつまり状況分析力が優れている、という事に他ならない。

わざわざ説明しなくてもスペランカーには通じるのだが。サヤはまだ経験が絶対的に足りなかった。

「います。 スナイパーライフルを構えた人が、この辺、それにこの辺……」

「やはり裏口を見張っているようですな」

「ふむ、この位置が面倒であるな。 裏口はフレアでごまかせるが。 この辺りに、光の球を飛ばせるか?」

「できます」

声を拾われている可能性もあるが、それに関してはジャミングを仕掛けてあるから、平気だ。

明かりは付けたまま、でた。

そして、そのまま、闇夜を走る。

国連軍の基地に正面から行く。歩哨の兵士には、ライセンスを見せた。流石に緊張の面持ちで、兵士が敬礼する。

「サー・ロードアーサー!」

「司令官には知らせるな。 我が輩はこのまま、フィールドを攻略する」

「困ります、そんな」

「いいのだ。 攻略は勝手にやれと言われているでな」

無造作に盾を出して、サヤを狙撃の死角に入れる。いきなり巨大な盾が空中に出現して、兵士は度肝を抜かれたようだった。

アーサーの能力、ウェポンクリエイト。

自分の体重以下の武器を、創造する能力である。鎧もこれで出現させている。魔術も使えるアーサーだが、此方が戦闘の基本となる能力だ。体力と引き替えに、武器を造り出すこの力は、それこそ魔界を攻略するためには運と並んで必須であった力だ。

そのまま、フィールドに飛び込む。最初はスペランカー。続いてアーサーが入り、サヤを守りながらマッピーが続いた。

無線に連絡がある。

「まだテロ組織は動いていません。 軍もまだ気付いていないようです。 今の時点では平気です。 罠は確認できません」

「その声は。 そうか、貴殿が」

「すみません、もう少し自然に近づきたかったんですけど」

実は事前に、国連軍の特務諜報部隊に、後方支援役を一人頼んでおいたのだ。

まあ、あのナンパ男がそうだったとは意外だったが。

周囲は、既に荒野の大地。

久々に来た此処こそ。魔界と呼ばれる、恐ろしき人外の大地であった。

 

2、真の意味での魔界

 

魔界に入った直後は、荒野で、何も敵性勢力はいなかった。

外にいる協力者と連絡を取りながら、進む。サヤとマッピーは、あえて少し遅れてついてくるように、事前に打ち合わせはしてあった。

だが、廃村に着いた辺りから、無数の魔物が、姿を見せ始めたのである。

ゾンビの大軍を退けた頃には、既にマッピーは完全に見失っていた。勿論、サヤの式神がいるから、向こうには此方の位置が分かっている。

赤い月は、全く動く気配が無い。

既に無線は、外とは通じない状態になっていた。

だが、想定の範囲内だ。魔界では良くある出来事だ。

スペランカーが、呼吸を整えながら、歩み寄ってくる。すぐ側には、巨大な槍を突き立てられ、倒れている一角の巨人。全身は傷だらけで、眼球は潰れて、顔中が血まみれになっていた。口の中は凄まじい牙が並んでいて、無念そうに舌をつきだしている。

今、アーサーが屠った敵だ。

「大事ないか」

「大丈夫です。 アーサーさんは」

「我が輩は、このくらいは何でも無い」

これから先に行けば、魔界の重鎮と呼ばれるような、桁外れの怪物達も姿を見せることだろう。

この程度の事を、恐れてはいられない。

崩れかけた風車が、からからと音を立てている。小川は紫色に濁り、骨だけになった魚の死体が浮いていた。

悲惨な光景だが、実際に存在した村が、このような状態になったのでは無い。

三つ目の魔界を攻略したとき、其処の王であるサマエルという存在に聞かされたのだ。魔界というフィールドが、そもそもいかなる存在かを。

不意に、けたけたと鋭い声が上がる。

筒状の怪物が姿を見せたのだ。筒の尖端には一対の目だけが見え、体の左右にはちいさな手と、後ろには申し訳程度の足。手にしているのは、緑色の槍。辺りを跳び回る怪物は、見る間に三十、五十、八十を超えた。旋回速度はさほど速くないが、中空から此方を狙っているのが分かる。

「ウッディピッグであるな」

魔界ではゾンビと同じく雑兵だが、それでも動きは速く、しかも限定条件でテレポートまでする。

本来なら相手にせず駆け抜けるべきなのだが。

今回は、瞬間的に全滅させるべきだ。魔界の最深部にいる王に、此方に対する迎撃態勢を整えさせる訳にはいかない。

印を切る。

膨大な数のトマホークが、空中に出現した。

唸りながら、回転する斧が、一斉にウッディピッグの大軍を襲う。詠唱さえ無しで出現させることができる数としては、限界に近い。

凄まじい悲鳴が響き渡り。肉と血がぶちまけられる音が轟いた。

地面に、血みどろのトマホークが突き刺さる。それも、無数に。

ゾンビ同様、ウッディピッグは、死体を残す事も無く、霧になって消えた。取りこぼしは、無し。

だが、消耗が早い。印も切らずに、これだけの数の斧を一瞬で出現させたのだから、当然だ。額の汗を我知らず拭う。スペランカーが、補給用のタブレットを無言で差し出してくる。

「すまぬな」

「急ごう、アーサーさん」

「うむ……」

最悪の場合、後続の二人に、敵の兵力を押しつける必要性まである。

今回は、そう言う戦いだ。マッピーの負担が増えるが、彼は以前共闘して、かなりの使い手である事が分かっている。

水筒を出して、歩きながらドリンクを口に含む。

村は、まだ続いている。もうこの辺りになると、煉瓦の家は見かけない。いずれもが押し潰されたようになっていて、周囲には巨大なカラスが旋回していた。此方を見て、早く死なないかと思っているのだろう。隙を見せたら、即座に襲ってくるのは間違いない。

遠くに、カラスでは無い影も、飛んでいるのが見える。

魔界の支配者階級である魔族だろう。

魔界によって姿は様々だが、共通しているのは、一般的にイメージされる天使を裏返したような姿をしている、という事だ。

翼は蝙蝠である事が多い。体色は大体黒か赤。

巨大な陰茎を股間から見せびらかすかのようにして生やし、不潔で不浄。そして、角を額から生やしている可能性が高い。

そして、多くの場合、強力な魔術を使いこなす。

当時、考えられたもっとも冒涜的な姿こそが、それ。ギリシャ神話などの影響も受けているが。

いずれにしても、魔族は凶暴で残虐な一面もあるが、正直なところ、普通の人間よりもむしろ話ができる場合も多い。

だから、本来は。こういう攻略作戦は、あまりアーサーの好むところでは無かった。ただ、先ほど一角獣と戦った時。アーサーは、悪い予感が的中したことを悟った。此処からは、躊躇は必要ないかも知れない。

見えてきたのは、ちいさな砦。

入ってこいとばかりに、入り口は、開け放たれていた。

そして内部からは、二メートル半はある、禿頭の巨大な戦士達が、此方をうかがっているのが見える。

いわゆるジャイアント。最下級の巨人族である。

かって、いにしえの時代。巨人と言えば、神の眷属だった。だが、魔界では、そういった存在こそが、邪悪に歪められ、多数出現する。

最悪の形で、だが。

「奴らの好物は人肉だ。 気をつけられよ」

「それなら、私が囮になるね」

「……無理は為されるな」

巨人はタフである事がわかりきっている。此処からの戦闘は、相当に血なまぐさいものとなるだろう。だが、此処を如何に早く突破できるかが、魔界攻略成功の鍵となっている。ただ、一つ、気になることがあった。

「以前戦った魔界では、敵の密度がこの比では無かった。 今回は、どうも敵が此方をうかがってから、攻撃を仕掛けてきているように思えるな」

スペランカーは応えない。

アーサーも、その理由は、うすうす分かっていた。

巨人が、唸り声を上げる。

小走りで、一気に砦の門へと行く。砦の門が降りはじめる。やはり、門が空いていた理由は。

ドラミングした巨人。

だが、警戒の雄叫びを、アーサーが上げさせなかった。

 

もう走れないとか言い出したらどうしようと、マッピーは思っていた。

親切な警官であろうと、マッピーは心がけている。アトランティスに移ってからは、Dr,ニャームコの島では知ることが出来なかった現実を、多数覚えなければならなかった。快く島に自分と愛する妻を迎え入れてくれたスペランカーのためにも、優秀な警官でなければならなかった。

勿論、警官の任務には、弱き者に手をさしのべることも含まれる。

しかし、此処は戦場。

マッピーの仕事は護衛であっても、弱者を甘やかすことでは無い。

サヤという娘は、支援系特化だという話を聞いていた。実際に、フィールドに突入するまでも、あまり武闘派とは思えない、おとなしい性格である所を見せていた。ひらたく言えば、内向きの性格だ。

辺りには、戦闘の痕。

それを見て、サヤは悲しそうに眉をひそめる。

「意図的に派手にアーサー殿が戦っているようなのであります。 道しるべになりますな」

「……はい」

式神で、居場所を把握しているだろうが。それでも、不慮の事故や罠を避けるための配慮だろう。

勿論、手加減をしている余裕が無い、という理由もあるだろうが。

振り向きざまに、ショックカノンを撃つ。

上半身が消し飛んだゾンビが、崩れ落ちた。本来は殺戮用の武器では無いのだが、マッピーの能力であるブースターを用いればこの通り。まだこの辺りは、ゾンビが無数にわき出してくる。

さっきも、サヤが足首を捕まれそうになり、抱えて跳んだのだ。

「急ぎましょう。 本官の側を離れないで」

自分よりもだいぶ大きな相手を護衛するのはおかしな気分だが、そもそもマッピーの心中には、いわゆる三原則がある。

ロボットは、いざというときには、人間の盾となって命を投げ出さなければならないのだ。

スペランカーやアーサーのためなら、それは全く構わない。

だが、マッピーは。

まだ、このサヤという娘を、信頼しきっていなかった。勿論、戦略上で重要な存在だと言うことは分かっている。

砦が見えてくる。

凄まじい戦闘の痕が残されていた。砦の門は吹き飛ばされ、内部には膨大な数の剣が突き刺さっている。

地面に倒れているのは、原型も無いほどに破壊された巨大な人間。巨人という奴だろうか。

血の臭いが濃い。

口を押さえたサヤを一瞥すると、ついてくるよう、マッピーは促す。

巨人の頭だけが転がっていた。無念の形相を浮かべている。他にも、ちいさな蝙蝠のような怪物や、訳の分からない怪物が、無数に屍となって散らばっている。

既に死の概念を理解しているマッピーは、彼らの状態を知っていた。

唸り声。

振り返ると、生き残りらしい巨人が、死体の山の中から立ち上がる所だった。あのアーサーが、討ち漏らしたのか。或いは。

巨人が、サヤめがけて突進してくる。

ショックカノンを撃つが、腕で払われた。巨人の左腕も吹き飛ぶが、意に介さず突入してくる。

サヤが、動けないでいる。

無言で飛び出したマッピーが、彼女を抱えて飛び退くのと、巨人が拳を振り下ろすのは、殆ど同時。

砦の床を砕いて、巨人の拳がめり込む。

サヤがようやく呼び出した、大型の人型をした式神。確か大入道という奴が、巨人に組み付くと、地面に押し倒した。

冷静に頭に狙いを絞り、ショックカノンを撃ち込む。

頭が粉々に吹っ飛び、脳漿がまき散らされるのを見て、マッピーはやっと一息ついた。

「無事でありますか」

サヤが胃の中身を戻している。

人間に近い姿をした生物が死ぬ所を、間近ではじめて見たのだろうか。戦場には何度か一緒に出向いていると、スペランカーから聞いていたのだが。

大入道に任せると、マッピーは辺りを見て廻る。

アーサーが、敵を薙ぎ払いながら進んでいるのが分かった。文字通り、情け容赦の無い殲滅ぶりである。

おそらく、戦いを早く終わらせるためなのだろう。

サヤが落ち着くのを、待っている暇は無い。

「大入道殿。 サヤ殿が落ち着くのを、待つ暇は無いのであります。 できれば、担いで来て欲しいのでありますが」

「もう少し待って欲しい。 主人は傷心だ」

「今は一刻を争うのであります」

冷たいものいいという奴かも知れないが、アーサーのがんばりを無駄にするわけにも行かない。

此処でスペランカーがいたら。どんな風に、サヤをなだめたのだろう。

サヤは流石に何度か戻した後、涙を拭いながら、自力で立ち上がった。

もしも彼女が被災に巻き込まれた一般人なら、此処で慰めもするのだが。生憎彼女は、戦うために来た戦闘要員だ。

護衛のために来ているが、精神のケアまでは、面倒を見切れない。

というよりも、人間の精神は複雑すぎて、同種にも理解しきれない部分が大きいということを、今のマッピーは知っている。

ましてや、AIのアップデートを繰り返しているとは言え、マッピーには分からない部分が大きすぎる。

「だ、大丈夫、いけます」

「ならば、来るのであります。 アーサー殿達がもしも動けなくなった場合、救助は本官達がしなければならないのであります」

サヤは口を押さえながらだが、何度か頷いた。

青い顔をしているが、どうにか歩き出す。大入道が心配そうにその少し後ろから、ついていく。

壁に、巨人が串刺しになっていた。頭部は綺麗に吹き飛んでいる。

床に、文字通り八つ裂きにされた巨人が転がっている。大きな広間なのだが、そのせいで文字通りの血の海になっていた。

砦の壁状構造になっている建物を幾つか越えて、突破。

その間に、巨人の死体は、三十体以上は見た。複層構造になっている砦は、一体何から魔界を守ろうとしていたのか。

式神を展開して、ひっきりなしに情報をやりとりしていたサヤが、マッピーを呼び止める。

彼女が着ている千早という白と赤の服も、かなり血の臭いが染みつきはじめていた。

「アーサーさん達は、この先の、山岳地帯で苦労している、ようです」

「分かりました。 可能な限り、急いで後を追うのであります」

「それが、後ろから、何者かが追跡を掛けてきていて」

一気に緊張が走る。

追撃を掛けてきているとなると、やはり魔界の戦士達の可能性が高い。だが、もう一つ、可能性がある。

「姿を確認したいのであります。 もしも魔界の怪物であれば、対処は比較的容易なのであります。 しかしそうで無い場合は……」

三原則が、邪魔になってくる。

そのために持ってきているショックカノンでもある。相手を無力化して捕獲するのに、これほど優れている武器は無い。

だが、それでも、限界がある。

大入道が、来るように促す。

砦の向こうに、吊り橋があった。これを落とせば、追撃は防げる。

だが、吊り橋の周囲には、青いちいさな影が飛び交っている。どうみても、友好的な勢力では無いだろう。

「一気に駆け抜けるしかないであります」

「大入道、戻って」

「大丈夫か、主」

「どうにかします」

といいつつ、吊り橋の下を見て、サヤが固まる。

砦の後ろには、それこそ千尋の谷というのも生やさしい亀裂があり、そこに吊り橋が架かっているのだ。しかも、吊り橋の長さは、どうみても百メートル程度ではすまない。風でも揺れている。

吊り橋の先には険しい山。それはもう、衝立のようと表現するのも甘すぎると言うべきか。

魔界は、必ずしも住んでいる存在だけが、化け物なのでは無い。

重異形化フィールドで、パラレルワールド化することさえある驚異的なフィールド。それが魔界。

恐ろしさを思い知ったのか。サヤがその場で立ちくらみを起こしているのが分かった。

「空を飛べる式神に運んでもらってはいかがでありますか」

「みんな、出払っています」

「それならば、走るしかありますまい」

促すと。サヤは、唇を噛んで、胸に手を当て、何度も深呼吸した。

マッピーは、吊り橋の強度計算を、既に終えていた。

もしも途中で吊り橋が切断された場合の、サヤの救助方法も、既にプランが幾つか練ってある。

吊り橋は、縄数本だけでは無く、芯が通してあるそこそこ強固な造りだ。

切断するにしても、簡単では無いだろう。つまり、渡りきった後も、それなりに時間を稼がなければならない。

もたついている暇は、無い。

サヤが、促さずとも、歩き始める。

最初の板を踏んで、真っ青になる。板が、想像以上に軋んだからだろう。そんな程度で恐怖を刺激されるのがよく分からない。子供や非戦闘員なら兎も角、フィールド探索社の研修で、それなりの訓練は積んでいるはずなのだが。

二歩、三歩、サヤが歩く。

式神が来る。文字通り、紙が人型をしているタイプだ。

「マッピーさんマッピーさん」

「何事でありますか」

「追撃の数は三十。 多分、みんな人間だよ」

「分かりました。 引き続き、監視を続けて欲しいのであります」

予想通りだ。

つまり、国連軍の反フィールド探索者思想の兵士達か、この国のテロ組織か、それともその双方か。アーサーの協力者が攪乱してくれているという話だったが、それにも限界があったのだろう。

サヤは集中して、吊り橋を進んでいる。

無言でマッピーは、ショックカノンを連射。此方に飛んでこようとしている青い怪物を、立て続けに叩き落とした。

更に三匹を叩き落とすと、相手が飛び方を変える。

サヤには、もっと急いで欲しい。吊り橋の上で隙が大きくなるのは当然の話で、もたつけばそれだけ危険度が上がるのだ。

膝から崩れそうになるのを必死にこらえて、サヤが進んでいるのは分かる。

だが、恐怖にまけていては、戦いでは勝てない。

半分ほどまで、来た時だろうか。

遙か後ろで、信号弾が揚がるのが見えた。

何かしらの方法で、三十人とやらの敵集団が、すぐ後ろまで追いついてきた、という事だろう。

「サヤ殿、急ぐのであります。 追撃部隊が、近くまで来ているのであります」

「ひゃっ!」

何か口答えしようとしたサヤが、足を踏み外しかけたので、マッピーが支える。床に蹲って震えているサヤを狙って、数匹の青い敵が降下しようとしてきたので、立て続けに叩き落とした。

まずい。

狙撃銃を持ち出されると、サヤを守りきれない。

「走るのであります。 一気に、向こうまで!」

「あ、足が、すくんで……」

「分かりました。 最後の手段なのであります」

ひょいとマッピーはサヤを抱え上げる。左手は使えないから、これはもう、賭だ。元々出力が違うから、人間の女性くらい抱えて走ることは難しくない。

そのまま、全力で橋の向こうへ。一カ所に掛かる重量が大きいからか、吊り橋からの反発が大きい。非常に揺れるからか、サヤが顔を覆って押し殺した悲鳴を上げた。

当然、青い敵が、殺到してくる。

時々振り返りながら、叩き落とす。だが、数が多すぎる。

後三十メートル。ついに、至近にまで迫ってくる。

菱形の顔を持っている、不思議な姿をした相手だ。全体的には人間に似ているが、身長はおそらく五十センチにも届いていないだろう。

口から、手裏剣のような刃を放ってくる。

射程距離に入ったという事か。

跳んで避けるが、縄が鋭く傷つけられた。立て続けに跳んでくる刃が、次々と吊り橋の縄を傷つけていく。

揺れがどんどん激しくなる中、間近にまで迫った相手に、対応が遅れる。

だが、そいつの顔に、サヤが投げた何かがぶつかる。

激しい爆発。

一気に煙に押されるようにして、マッピーは跳ぶ。

多分、式神を宿す紙に、何か魔術を掛けたのか。真っ青になって、焦点の合わない目で、サヤは何か呟いている。

橋の向こうに到達。

そのまま無造作に、ショックカノンで橋を撃ち落とした。

「相手がヘリでも持ち込んでいない限り、これで後は追えないのであります」

まるでブランコのように跳んでいった橋の残骸が、向こう側の崖にぶつかって、激しい音を立てる。

損壊して落ちていく木片が、がらがらと悲しい声を上げ続けていた。

魔界の事情は知らないが、行き来に役立っていた橋だったのだろう。空を飛ぶ魔物達が、抗議の声なのか、きいきいと小さな声で鳴き続けていた。

腰が抜けたか、サヤはまだ立ち上がれない。大入道が見かねたか、具現化すると肩に乗せた。

「行きますぞ、マッピー殿」

「分かりました。 大入道どのも、周囲には気を配ってください。 本官だけでは、守りきれるか、自信がありませぬゆえ」

もう少し、成長してもらわなければ困る。

大きく嘆息した大入道が、真っ青になって震えているサヤに、行く旨を告げていた。

 

おぞましい山だった。

彼方此方に、ゴンドラがあるのだが。それが巨大な目玉によって作られているのだ。踏むとめしゃりと、湿った音がする。大きさからいって人間のものとは思えないのだが。一体どういう素材なのだろう。

ゴンドラ自体は、さほど速度もない。

しかし凄まじいまでに複雑に経路が組まれていて、何度かそのまま来た経路を戻らなければならなかった。

勿論、発着場では、その度に戦闘になる。

スペランカーが目を覚ますと、ゴンドラに乗って下降している所だった。巨人に叩き潰された事までは覚えている。アーサーも疲れが見えてきていて、めっきり口数が減っていた。

「スペランカー殿、次でこのゴンドラ地帯を抜ける」

「ん……」

アーサーの攻撃が、荒っぽくなってきているのが分かる。

魔界攻略のエキスパートと呼ばれていたが、アーサーがそれに鬱屈した思いを抱えていることは、道中何となくスペランカーにも分かった。

アーサーの鎧は何度となく具現化し直したが、それでも血の臭いは未だにある。無言で栄養補給用のスナックを口に入れているアーサーの目は、何処か血走っていた。

苛立っている。あのアーサーが。

ゴンドラが、着地した。出口に、待ち構えている存在はいなかった。

遠くには、稲光を背負う巨大な城。とがった岩山のように見えるのだが、どうしてかそれが岩では無くて、城だと分かるのだ。

辺りには溶岩が煮立っており、巨大な橋が架かっている。その橋は幅が二十メートル以上もあり、どういう素材なのか、溶岩の上に掛かっているにもかかわらず、燃えるどころか、暑くも無かった。

もし落ちると、面倒な事になる。

「この先には、ドラゴンや高位の悪魔もいる事だろう。 戦術を指示している余裕は、我が輩にも無いかも知れん」

「アーサーさん」

「だが、必ずや貴殿を最奥まで送り届け……」

「アーサーさんっ!」

珍しく、大声を出してしまった。

我に返ったように、或いは途方に暮れたように、アーサーがスペランカーを見る。スペランカーはできるだけ柔らかい笑顔を作った。

「大丈夫、アーサーさんなら、問題ないはずだよ」

「そうか。 ……そうであったな」

わずかに、緊張しきっていた空気が、緩んだかも知れない。

アーサーは座り込むと、少し休むと言って、目を閉じた。

スペランカーも少し離れて、座る。

追撃があると、サヤから連絡があった。だがそれにしても、少しくらい休む余裕はあるだろう。

敵は、スペランカーが見張ればいい。

「何を、そんなに緊張しているの?」

「そっくりなのだ」

「え?」

「この魔界は、我が輩が最初に攻略した魔界によく似ている。 攻撃は、以前とは比較にならぬほど生やさしいが」

それ以上は、聞く気になれなかった。

おそらく、アーサーには、相当につらい過去があるのだろう。それは間違いの無い所であった。

三十分ほど、無言で休んだ後、アーサーは腰を上げる。

先に進むときが、来たようだった。

 

3、契約の代償

 

長大な胴を持つドラゴンが、中空に躍り上がる。青白い鱗に覆われた巨体が、虚空に魔神のごとく舞った。

西洋のドラゴンよりも、形状的には東洋の龍に近い。もっとも、口から炎を吐いてくる上に、動きも蛇に近いが。ドラゴンは、古代の蛇に対する信仰が形を変えたものだという説がある。それを考えると、正しい動きだ。それに、魔界の真実を考慮に入れると、なお正しい。

ジグザグに跳んで避けながら、対空用の武器を次々に投げつける。

いずれにも魔術が掛かっているから、ドラゴンの鱗さえも引き裂いて、肉に潜り込む。だが、ドラゴンは、体長三十メートルはある。

ささっても、血がしぶいても、埒があかない。

だが、ドラゴンには、種類を問わず、致命的な弱点がある。

ブレスを吐こうと、口を大きく開けたドラゴンが、動きを止める。

手を広げたスペランカーが、前に立ちふさがったからだ。何かおかしいと即座に判断したのか、ドラゴンがブレスを吐くのをやめて、一旦中空に逃れようとする。

だが、それが、致命的な隙につながった。

飛来した三メートル大のトマホークが、首の下辺りに突き刺さり、回転しながら五メートル以上、肌と肉を抉ったのである。

流石に悲鳴を上げて、体勢を崩すドラゴン。

其処に、アーサーが投擲した巨大ランスが、襲いかかる。

口の中を貫き、首の後ろにでるランス。

ドラゴンは白目を剥くと、飛行能力を喪失。溶岩の中に、落ちていった。

断末魔もあがらない。

死んだかは分からないが、少なくとも継戦はできないだろう。

滝のように流れ出る汗を拭いながら、アーサーはスペランカーを助け起こす。何度焼かれたか分からないスペランカーは、既に服を失っていた。ドラゴンに迫るまで、炎を纏った無数の怪物との戦いを経ていた。

バックパックから出したコートを、苦闘していた盟友に掛ける。

「すまなかった、スペランカー殿。 囮になってくれて、助かった」

「アーサーさん、大丈夫?」

「我が輩は、この程度、平気だ」

まだまだ、実際に余裕はある。

だが、あえて区切って言ったのは、それだけ疲弊が溜まっている証拠でもある。余裕とは、既に言いがたい状況になっていた。

ドラゴンにしても、これが最初では無い。

既に三匹目。激しい戦いの中で、鎧も二回パージしていた。栄養ドリンクを口に含むと、内心舌打ち。

周囲でざわめきが起こる。

既に、新手が押し寄せてきていた。

今度は骸骨のような怪物である。ゾンビの同類だが、動きがより軽快で、まるでマリオネットのようだ。

そのまま、冗談抜きに、操作している奴がいると言うことだろう。

此処は、既に魔王の城の二階。

何がこれから出てきても、不思議では無かった。

「囲まれる前に、突破する」

「アーサーさん、骨が新しいね」

「……そうであるな」

確かに、情報から作ったことが丸わかりだったゾンビや目玉のゴンドラと比べると、現れた骨の中には、妙に生々しいものが多数見受けられる。

このフィールドと、テロ組織の黒い関係については、入る前から分かっていた。

手元に出現させるナパームで、骸骨は片っ端から薙ぎ払う。ナパームには聖なる魔力を込めてあるから、普通の魔物だったら、文字通り溶けていく。

だが、骸骨は、動きこそ止めるが、やはり溶けない。

骨は原型をとどめたまま、焼き崩れるようにして、炭になっていった。

突破口を作ると、後は左右にナパームを投げ、壁を作る。そして、後方から追ってくる一団に関しては、敢えて無視。

至近まで迫らせておいて、そこで不意に仕掛けた。

手元に出現させた大斧を、旋回しながら放り投げる。

巨大な斧は文字通り、骸骨の群れを薙ぎ払いながら飛んでいった。遠くで、悲鳴が上がる。

同時に、骸骨達が、動かなくなった。

敵の位置を限定しておいたのは、このためだ。

流れ出てくる汗がとまらない。アーサーは年齢も年齢だ。体力という意味では、どうしても血気盛んだった頃に劣ってくる。だから、こういうやり方を、とらざるを得なくなってくる。

衰えを知らないMや、Rが、羨ましかった。

式神が飛んでくる。

既に、サヤ達も、城に入ったらしい。ただ、二つほど、良くない知らせがある。

まず第一に、追撃してきている敵勢力が、また姿を見せた、ということだ。

吊り橋を落としたという話だから、迂回路を使ったのだろう。この魔界は単純な構造だが、それくらいはあってもおかしくない。

もう一つの悪い知らせについては、アーサーに取って他人事では無い。

先行していた式神が、どうも敵の首魁の姿を捕らえたようなのだが。

容姿を聞く限り、やはり最初にアーサーが攻略した魔界の王と、酷似しているのだ。というよりも、同一の存在だと見た方が良いだろう。しかし、おかしな事に、その姿は揺らいでいて、実体が無いように見えたのだとか。

ならば、間違いないだろう。

人間が使うものよりも、ずっと大きい階段を、四苦八苦しながら登る。

上の階に出ると、また濃厚な敵の気配。

ただ、今までの戦況は、敵にも伝わっているのだろう。安易に仕掛けてくる事はなかった。

 

巨大な赤い魔族が、足下に横たわっている。

悪魔としか形容の方法が無い姿だ。人間の形をしているが、全身に鱗が生えていて、角もある。

四階にある巨大な扉の前で、待ち構えていた。

はじめて戦う相手ではない。

やはり、以前見た怪物だ。だから、対処方法も知っていた。

それでもなお、消耗が激しくて。アーサーは疲弊しきった体で、座り込む。扉を開けて、先に進む余力が無かった。

むっつりと不機嫌そうに黙り込んでいるように、普通の人間には見えたかも知れない。だが、スペランカーは、アーサーの状況を理解してくれていた。

「アーサーさん、もう無理だよ。 後方と合流しよう」

「悔しいが、それしか無さそうだ」

被弾回数も、跳ね上がっている。

短時間の戦闘で、五回。敵の攻撃が激しくなってきているのでは無い。アーサーの動きが、遅くなっているのだ。

鎧をパージしてダメージを殺しているが、一度などは、ドラゴンのブレスの直撃を浴びかけた。

もしも直撃をもらっていたら、鎧のパージだけで凌ぎきれただろうか。いや、難しかっただろう。

スペランカーが、心配そうに此方を見ている。

ここから先、確か罠はそれほど多くなかったはず。

だが、気になるのは、今までがアーサーの知っている魔界と、似すぎている、という事だ。

もしも罠があるとすれば、この先だろう。

スペランカーが、扉の前で、見張りをしてくれている。ぺたぺたと歩いているのは、罠を探すためだろう。

不意に。

床が、二枚せり上がって、スペランカーを左右から押し潰した。

抵抗する暇も、逃げる隙も無かった。

鮮血が飛び散る。

スペランカーを潰した床板が、音を立てて崩れる。再生したスペランカーが、頭を振り振り、瓦礫の中から立ち上がった。

「痛い。 酷いよ、もう」

脆弱な彼女が、このような危険地帯に入って、生還できる理由。海神の呪い。

不老不死を得る代わりに、能力に著しい下方修正が掛かる。それだけではない。死亡時に身体を欠損した場合、悪意ある攻撃によるものであれば攻撃者から、そうで無い場合は周囲から、欠損箇所を補填して再生する。

この力を利用して、スペランカーがどれだけアーサーの盾になってくれたことか。今も、文字通り体を張って、露払いをしてくれている。今の罠など、敵を倒したという心理を突いた、最悪のトラップだ。

そして、確信する。

あのような罠は、前回の魔界には無かった。この先は、全く別物と考えるべきかも知れない。

足音がする。二つ。

サヤとマッピーか。いや、足音の一つは、大入道という式神。サヤは、大入道に担がれていた。

サヤは真っ青だ。一度や二度、戻したのかも知れない。

困った話だが、こればかりは叱責したり怒鳴ったりして、どうにかなるものではない。戦士としての自覚など、得ようとして得られるものではない。何かを守ろうとして強くなれるのなら、苦労しない。

そうなれる者もいる。

だが、そうなれない者の方が多い。

それに、ただ戦いを楽しみ、殺しに忌避を覚えない人間が、戦場ではより多くの相手を殺しているという統計もある。高潔な戦士など、実際には戦場にはいらないのかも知れない。

いずれにしても、アーサーがどうこういう事では無い。

マッピーは不満なようで、敬礼しながらも、いつものキレが無い。動作の一つ一つにも苛立ちが見て取れた。

「合流したのであります」

「うむ。 早速だが、状況を整理しよう。 後方からの追撃は、いまどの辺りか」

「サヤ殿の式神探知によると、既にこの城にまで到着しているようなのであります。 急がないと危険だと、本官は愚考するのであります」

「待って」

スペランカーが制止する。

彼女の優れた判断力は侮りがたい。アーサーも発言を控えて、話を聞くことにした。

「この先は、罠だらけかも知れない。 きっとそのまま進むと、挟み撃ちにされちゃうんじゃないのかな」

「ならば、追撃部隊を、此処で足止めすると」

「ううん、無力化しよう」

皆殺しにすると言わないのが、スペランカーの良心か。そう思ったのだが、スペランカーは違うことを考えているようで、そもそもまず意見を求めてくる。

最初にどうするべきか聞かれたアーサーは、常識的な事を敢えて言った。

「確かにこの適切に広い空間であれば、近代兵器で武装した集団を迎え撃つには適切であるな。 しかも奇襲を受ける心配も無い」

「アーサー殿の大威力の魔法で、一網打尽にできるのでは」

「確かに」

サヤにも、スペランカーは意見を聞く。

蒼白になったままのサヤは、よほど酷い精神的なショックを受けているのか、まだろくに喋れない様子だ。

ここに来るまで、アーサーは相当な数の敵を倒してきた。

中には死体が原型をとどめていないものもいる。魔物の中には、人間に近い姿をした存在も少なくないから、慣れていなければ精神的にダメージも受けるだろう。ただ、戦う事が生業である以上、いつまでもそれでは困る。

「サヤちゃん、ごめん。 つらいと思うけれど、作戦会議をしよう?」

「……」

口を押さえたまま、サヤがゆっくり頷いた。

スペランカーが背中をさする。サヤはスペランカーよりは少し長身だから、何だか不思議な光景である。

「この先にいる、ええと何か怖い存在と、話をする事は、できないでしょうか」

「そういった話をするなら、相手と対等な状況にならないと、無理だよ」

実際に、その通りだ。

此処で言う話とは、相手との和平交渉や、休戦条約についてだが。そもそも、圧倒的に有利でその気になれば此方を鏖殺できる(と考えている)相手が、無条件降伏以外の話を聞くはずも無い。

勿論実情は違う。

これだけの戦力があれば、まけることはまず無い。

相手に対能力者のスキルを持つ魔術師がいれば話は別だが、事前に調べてみたところ、I国のテロリストに関係が深い魔術師はいないし、力を貸している魔術結社も存在しない様子だ。

或いは、Kの手の者か。

それならば激戦を覚悟しなければならないだろうが、追撃の手並みを見る限り、そうとも思えない。

もしそもそもこの魔界の者達と何かしらの契約をしているのなら、待ち伏せなり、抜け道を使った先回りなり、取るべき手はいくらでもある。してこないのは、単純にできないから、と見るのが正しいだろう。

「どうすれば、そうなりますか」

「最低でも武装解除はしないと駄目だろうね。 指揮官を人質に取る、位だと戦意を喪失しないかも」

「……もう、すぐ近くまで、来ています」

どうやら、休息は此処までか。

マッピーが、後方の扉に向けて、銃を構える。

床を爆弾か何かで吹き飛ばしてくる事を警戒する必要も本来はあるが、今の状況では無い。この城の床板の分厚さは尋常では無く、多少のプラスティック爆弾程度ではびくともしないからだ。素材も未知のものであるし、多分爆弾などでは効果を示さないだろう。

つまり、あの扉から来るしか無い。

「サヤちゃん、追撃してきている人達の、できるだけ詳しい情報をお願い」

「銃を持った人達が、十二……十七人。 みんな、とても厳重に武装しています。 一人、違う姿の人が。 女の人です。 私と同じ年くらいの、厳しい表情の。 学生服で、銃も持っていません」

「ほう……」

十中八九能力者だ。

問題は、どういう存在か、という事である。魔術師か、そうでないかを見極めるだけでも、随分違う。

大入道が、不意に動く。

アーサーが飛び退くのと、サヤが突き飛ばされるのは同時。

地面から噴き出してきた茨が、大入道を吹き飛ばし、天井に叩き付けた。くぐもった悲鳴を上げた大入道が、実体を失うのと、床に空いた穴から女が姿を見せるのは同時だった。しかも、最初巨大な球体状の植物が姿を見せ、それが花開くように開いて、其処に女が立っていたのである。

ブレザースタイルの制服を着ている、艶やかな黒髪をなびかせた女だ。顔立ちはかなり整っていて、異常に鋭い目つきさえどうにかすれば、モデルでもやっていけるかも知れない。かなり背も高い。

手配書で見覚えがある。

確かKの所の部下の一人。通称、パックンフラワー。

植物を操る能力を持っていると聞いていたが、今はどう見ても、最初植物が空間に穴を開けて現れたように見えた。

同時に、入り口から鋭い射撃音。音からして、突撃銃によるものだろう。最初はスタングレネードが来るかと思ったが、後方から来ていた集団と女は相当な癒着があるのか、或いは直接の部下なのか。そういうわけにはいかなかったのだろう。

盾を作って銃弾を防ぎつつ、アーサーは叫んだ。

「マッピー殿!」

「任せるのであります!」

スペランカーが走り、サヤを助け起こす。

パックンフラワーは、鼻を鳴らすと、冷酷な光を目に宿した。サヤと同年代だが、根本的に違う。

この女は、徹底的に訓練を受けた、本物の戦士だ。

それが本人にとって幸せかどうかは、今この場では関係が無い。手を抜けば、負けるとみて良いだろう。それも当然で、アーサーが知る限り、この女は世界的に手配されている超一流の能力犯罪者である。

「随分疲弊が激しいようね。 私みたいな子供に隙を突かれるようじゃあ、伝説の騎士様が聞いて呆れるわよ」

テロリストが手榴弾を使ったのか、盾が大きく揺動する。

向こうは、マッピーに任せるしか無い。アーサーは剣を抜くと、定距離を保ちつつ、サヤに何かささやいているスペランカーを横目に言った。

「名高いKの麾下四天王の一角が、このような田舎で何をしている?」

「あら、知っていてくれて光栄よ。 サー・ロードアーサー」

「パックンフラワーと言ったな。 先代は少し前に引退したと聞いているが」

「その名前で呼ばないでくれる?」

女の声が、一オクターブ低くなった。

この女の先代は、文字通り毒婦というに相応しい存在であったらしい。妖艶な色香を纏い、潜入しての暗殺、ハニートラップ、何でもありだったそうだ。特殊能力の使い手としても凄まじい技量であったが、あくまで楽をして簡単に仕事をこなす。それがモットーだったとか。

勿論、Kの愛人だったという説もあるという。

一方で、能力を引き継いでいることで娘かと思われるこの女は、表情さえ整えればモデルになれるかも知れないが、根本的に色香が足りない。髪は艶やかだし長身だが、胸は薄いし、下世話な言い方をすると体型も肉汁が足りない。

同じ戦い方は、しないと見て良い。

今の能力を見ても、この女は潜入しての暗殺に特化したタイプだ。それがどうして、不意打ちでは無く、真っ向勝負を挑んでくる。

何かしらの理由があるのか。

否、おそらくは。

母に対する反発だろう。

疲弊が酷いアーサーと、この女では、実力は五分。しかも、このままスペランカーを行かせるわけにはいかない。

しかも見たところ、この女の操る植物の蔓は、スペランカーと相性が最悪だ。サヤを、スペランカーに任せる。

スペランカーの判断力は信頼出来る。彼女には、彼女で動いてもらった方が良いだろう。アーサーは剣を抜く。

かの名高きエクスカリバーを模して作った彼の誇り。

「ふむ、通称が嫌だというのなら、なんと呼べば良いかな?」

「送子(おくりこ)よ」

「ふむ、では送子殿。 いざ尋常の勝負、受けてもらおう」

言葉が終わるか終わらないかの内に、送子の姿がかき消え、大上段からの一撃を叩き込んできた。

手には緑色の剣が出現している。

おそらくは、植物を操作して作ったものだろう。これほどの速度で、剣を作るほどに自由自在という訳だ。

軽く一撃をかわしながら、足を一歩引く。

胴を払う態勢だと、送子は気付いただろうか。アーサーはそのまま、無言で下から伸びてきた蔓を旋回するようにして切り払いつつ、着地して低い態勢から逆袈裟に切り上げてきた送子の剣を弾く。

まるで高硬度の金属同士がはじきあったような、澄んだ音が響く。

同時に、立ち位置をわずかにずらす。

送子が全力で飛び退き、天井に張り付いた。

粘性が強い植物を利用しているのか。

着地する送子。

今のが、アーサーに取って必殺の間合いだと気付いたのだろう。

再び、残像を複数残しながら、送子が仕掛けてくる。

一刀目の袈裟をかわし、無造作に空いている左手で送子の頭をつかみに行く。送子が、一瞬身を引いて、アーサーの手を切ろうと剣を振り上げた瞬間。

アーサーは体を反旋回させて、踏み込む。踏み込んだ位置は、送子の足の間。そのまま、体をバネのように弾かせて、送子に当て身を浴びせていた。

もろに吹っ飛んだ送子だが、地面からせり上がってきたマットのような植物の壁が、その体を受け止める。

今、直接触れて、送子の身体強度は大体分かった。

近接戦なら、百%勝てる。しかし、相手の土俵は、そこでは無い。

「……っ」

「最初の一太刀で、近接戦では勝ち目が無いと分かっただろうに。 なお挑んでくるのは、搦め手で戦う事を主戦術にしていた先代への反発かな」

「知った風なことを……っ!」

送子の顔が、まるで夜叉のように歪む。

そして、その体を、緑色の鎧が覆っていった。

 

サヤは、まるで戦いに介入できずにいた。

アーサーは丁々発止の名勝負を送子と繰り広げているが、スペランカーが見たところ、勝負は五分。

今はアーサーが圧倒しているように見える。

だがそれはあくまで近接戦闘での話。

スペランカーは、サヤの肩を撫でるようにして、言い聞かせる。

「サヤちゃん、聞いて。 今はアーサーさんが押しているように見えるけど、状況は互角だよ。 このままだと、きっと二人とも、共倒れになる」

「そんな」

スペランカーは、首を横に振る。

案の定、頭に血が上った送子は、地面から天井から、それどころか何も無い虚空から、無数の茨を出現させては、アーサーを襲わせている。

中距離戦に切り替えたのだ。

アーサーはそれらを無言で切り払いながら、送子へ間合いを詰める機会をはかっている。ただ、どちらも、まだ切り札には手を伸ばしていない。

だが、そうなったら。

アーサーが不利だ。

なぜなら、アーサーは疲弊が相当に溜まっている。パワーが必要な切り札を展開するとなると、年齢のこともあって、消耗が著しい今、若い送子との対決では不利になる。しかも中距離戦で送子は、確実に勝ちに行っている。戦術の介在する余地が無い場合、このまま押し切られる可能性がある。アーサーも中距離戦はどちらかと言えば得意の筈だが、弾幕を展開するには体力の余剰が無い。

しかも、最悪なことに、送子はそれを読んでいる。

その証拠に、全身を鎧のようなもので覆っている。あれは万一の事故死を避けるための行動だ。

あまり頭が良くないことを理解しているスペランカーは、それを自分にも噛み含めるように、ゆっくり説明していった。

何度か頷いていたサヤは、どうしてか羨望の目で、スペランカーを見る。

「それで、今必要なのは、サヤちゃんの手助けなの。 できる?」

「はい!」

スペランカーは、送子との能力相性が最悪だ。

勿論、いざというときに、盾になって割って入ることはできる。だが、拘束されたら、何もできないまま戦いが終わるだろう。

激しい銃撃の音が、近づいてきている。

マッピーが十人以上の武装テロリストを相手に、入り口近くで大立ち回りを演じているが、徐々に押されている、という事だ。

スペランカーが支援に行くなら、あっちである。

だが、今は。

アーサーのために、一瞬の隙を作らなければならない。

「サヤちゃん、どうやってアーサーさんを助ける?」

耳打ちされる。

最初の案は却下。そんなものでどうにかできるなら、Kの配下の四天王などと呼ばれる存在にはならないだろう。

次の案もだめ。

三つ目の案を聞いているときに、送子が一瞬だけ此方を見た。

アーサーが造り出した巨大トマホークを、無数のつるが絡め取る。続けてアーサーが投擲したナパームが、一気に辺りの植物を焼き払うが、にょきにょき生えてきたサボテンを焼くと、不意に灼熱が納まる。

指を鳴らす送子。

彼女の左右に、ステレオのようにそびえ立つ花。

弾のような種子が、機関銃のように撃ち出された。アーサーが盾を作って防ぎに掛かるが、乱射があまりにも凄まじい。

送子もアーサーも、何も言わず、黙々と戦っている。

お互い、数手先を読み合いながら、次に備えているのだ。

テロリストが一人、マッピーの防御を突破したようだ。スナイパーライフルを、此方に構えてくる。

だが、追いついてきたマッピーが、ショックカノンを背中から浴びせる。

万歳するような格好で、銃を投げ出して倒れたテロリストを踏みつけながら、マッピーが此方に、視線を送ってきた。

あまり長くは、戦線を維持できない、という所か。

マッピー自身も、自慢の青い警察服が、ボロボロになっていた。優れた再生能力を持つマッピーだが服までは再生できない。

「時間は、もう無いよ」

「はい。 これなら、どうですか」

耳打ちされる。

頷くと、スペランカーは、ダイナマイトを手に立ち上がった。今回渡されている装備の一つだ。

とはいっても、国連軍から供与された物資では無い。アーサーが用意してくれたものだが。

作る隙は、一瞬でいい。

ステレオのようにそびえ立っていた射撃壁が、アーサーが曲射した斧に、両方とも潰される。

だが、送子もアーサーを近づけさせない。アーサーが蹴り出した盾を、茨の壁で、柔らかく受け止めてみせる。

それだけではない。アーサーが投げた曲刀が、うなりを上げて襲ってきてもまるで怖れず、一つは手元の剣ではじき返し、もう一つはせり上がってきた植物の壁で防いでみせる。確実に、待ちの態勢だ。

アーサーの体力を可能な限り削り取り、それから仕掛ける。

ダイナマイトを、ズボンの背中に差すと、スペランカーは送子の真横から、彼女に向けて歩き出す。

一度だけ、此方を見た。

口車には、おそらく乗ってこない。

見た瞬間にアーサーが投擲した無数のナイフが、全て植物の壁に受け止められたのを見ると、もう二つ三つ目があるとしか思えない。

そのレベルの達人、という事だ。

「送子さん。 話を聞かせて欲しいの」

「此処は戦場よ」

手を軽く、送子が振る。

無数の茨が、スペランカーを囲むようにして、床から伸びてきた。予想通りの反応である。

スペランカーとしても、送子と話すことを、諦めているわけでは無い。

だが、今のタイミングでは無いと、知っていた。

アーサーが、とびきり巨大な斧を出現させ、投擲する。

それを、地面から生やした大量の蔦で、受け止めてみせる送子。だが、アーサーが指を弾くと、その斧が、不意に光を放って爆裂した。

飛び散る破片を、それでも送子は、全て受け止めきってみせる。

しかし、その瞬間、スペランカーが動いた。

ダイナマイトを取り出してみせると、流石に手を振って、スペランカーを茨で拘束しにくる。

しかし、その時。

真後ろに回り込んでいた鬼が。

拳を固めて、送子に叩き込んでいた。剣を振るって迎撃に掛かろうとした送子が、真横に吹っ飛ぶ。

サヤの、第二の式神。

炎を放ちながら回転する輪入道が、全力で体当たりを浴びせたのである。

横転しながら、それでも跳ね起きる送子。

だが、その時には、既に。

間合いをゼロにしたアーサーが、のど元に剣を突きつけていた。しかも剣は、スパークを放っている。

下手なことをすれば、魔術を発動し、ドカンというわけだ。

「く……」

茨が、引っ込む。

スペランカーが歩み寄ろうとするが、その時。

地面から生えてきた草が、送子を包むと、消えた。

アーサーが剣を納め、入り口の方を見る。まだ銃撃戦をしているが、マッピー一人でどうにかなりそうだった。

「貴様ら頼みのパックンフラワーは、負けを認めて撤退した! 貴様らも引け!」

怒号が轟く。

動揺したらしい彼らに歩み寄るアーサーが、中空に巨大な斧を出現させると、悲鳴を上げた一人が逃げ出す。

それが切っ掛けになり。

まだ意識がある敵は、転がるようにして逃げていった。

 

倒れていた敵は、縛って武装解除する。

アーサーが武装解除するのを横目で見ながら、スペランカーは目を覚ました一人を起こして、話を聞くことにした。

最初、つんけんした態度だった彼らだが。

隣にアーサーが立つと、態度が変わる。

それでも口ごもって何も話そうとしなかったが。しかし、根気強くゆっくり聞いていくと、少しずつ、話してくれた。

I国には世界的に有名なテロ組織が存在するが、彼らはそうでは無いらしい。

どちらかといえば新興の組織で、近年急成長を遂げたのだそうだ。

それを可能にしたのには、やはりこのフィールドの存在があった。

「予言者が、いるんだ」

「予言者……?」

「ああ。 生け贄を捧げると、もの凄い高精度で、危険を察知してくれる。 最初俺たちも、E国に漠然とした敵意を持ってる程度だったんだが」

その予言者は、捧げる生け贄の数と質によって、より高い精度の情報を公開してくれる、というのだ。

最初は動物だった。

鳩や犬、猫。

だが、予言の質を求めるほど、どんどん要求はエスカレートしていった。

それと同時に、出来る事も増えていった。

銀行強盗で完全に足がつかずに逃走できたのが、切っ掛けになった。以降は完全に、組織が暴走していくことになった。

E国に乗り込んで、テロを何度か成功させたときには、もう取り返しがつかない所まで、来ていた。

「へまをした仲間が生け贄にされたとき、お、俺は思ったんだ。 もう、ついていけねえって。 だ、だから、その、た、たた、助けてくれ! もう、嫌だと思ってたんだ!」

「お前達が行ったテロで、病院が一つ大きな被害を出したことは覚えているか」

「あ、あれは! それに、E国の奴らは! じょ、情報操作だ! 嘘の情報に決まってるだろ!」

「残念ながら真実だ。 それに、死んだ被害者の中には、生まれたばかりの乳幼児が二人いた。 乳幼児に、罪があるというような人間の言葉を、我が輩は聞く耳もたぬ。 サヤ殿」

頷くと、サヤは鬼に、見張りを命じる。

今の作戦で、確実にアーサーのアシストが出来た事を実感できたからだろう。サヤの表情は、以前とは確実に変わっていた。

扉を開けると、異常な光景が広がっていた。

ねじ曲がった床。

有機物のようなもので覆われた壁。

それだけではない。触手のようなものが天井からも壁からも生えていて、うごめき続けている。

気持ちが悪いが、躊躇している余裕は無い。

「アーサーさん」

「うむ。 おそらく、この先に、魔界の中心部がある」

「おそらく、とは?」

マッピーが、違和感を感じたのだろう。

アーサーは頷くと、説明してくれた。

「此処までの魔界は、以前攻略したものとそっくりだったのだがな。 この光景は、全く見覚えが無い。 おそらくこの先に潜んでいるのは……」

其処から先は、謂うまでも無かった。

予想は、適中したのだ。

 

4、這い寄る混沌

 

あの時、アーサーは若かった。

フィールド攻略に出向くとき、英雄の血を引く自分ならと、確信していた。

生まれ持った能力を、全力で行かせるときが来たと、思っていた。

そして、はじめて敵対勢力を見た時。

わざを、全力でぶつけた。

肉が割かれ、血が飛び散り、内臓がぶちまけられる。地面は血に染まり、殺戮の中で悲鳴と絶叫が醜悪な協奏曲を作り上げた。

鎧に大量の返り血を浴びながら、アーサーは悪魔共めと、何度も呟いた。目につく動くものは、全て斬り殺し、打ち抜き、焼き払いながら進んだ。

ウェポンクリエイトの潜在能力の高さは知っていた。

だから、力を振るうことに、何ら躊躇は無かった。

そして、城に乗り込んだ。

ドラゴンでも悪魔でも、アーサーの敵では無かった。手当たり次第に殺し、死体の山を積み重ねながら進んだ。

だが、最深部まで進んだときに。

気付いてしまったのだ。

此処がもう一つの世界に他ならず、むしろ侵略者は自分だと言うことに。

大魔王は、自ら一騎打ちを申し出てきた。自分が敗れたときには、もはや戦意を無くした者達には、攻撃を加えないように、とも。

彼が浚った女性には、そうせざるをえない理由があったことも、明かしてくれた。

その時、アーサーは悟ったのである。

人間が掲げる正義などと言うものは、独善に過ぎないのだと言うことを。

 

「我が輩の婚約者は、ある特殊な出身でな」

アーサーが、道行きながら話してくれる。

話してはくれるが、周囲に警戒はしている。サヤも、さっきまでとは別人のように鋭い表情で、周囲をしっかり見張っていた。

「出身が特殊なのでありますか」

「そうだ。 通称が姫とされているが、実際には何処かの国のプリンセスというような事は無い。 むしろ我々、フィールド探索者に近しい存在でな」

その能力は、存在の固定。

大威力の魔術にも相応する、強力なものだと、アーサーは言う。

聖なる力、と呼称するようなこともあるが。しかし、それは使い方の一旦。やりようによっては、不安定な世界を安定化させることもできる。

この種の、極めて特殊な能力者は、一世代に一人か二人、生まれる事がある、程度のレアな存在だという。

かって同種の能力者が、救世主と呼ばれたこともあったそうだ。

彼女の生まれについては、アーサーは話してくれなかった。だが、よほど悲惨な身の上であったのだろう事は、スペランカーにも見当がついた。何しろ、アーサーは彼女のことを、滅多に話してくれないのだ。愛していることは良く伝わるのだが、それほど情報が漏れると危険なのだろう。

やがて、彼女の存在が、アーサーが魔界攻略に出向く切っ掛けになった。

魔界との戦いに決着を付けて、戻ってきたアーサーは、二つのことを説明した。一つは、救出した女性と婚約すること。

そしてもう一つは。

彼が攻略した魔界はこれから人間界と相互不可侵の存在になること。魔界側からは、フィールド探索者に、人材を供給もする。

今、フィールド探索社で働いている営業の男には、こういった供給人材の一人が混じっている。アーサーと魔界で最も凄まじい戦いを繰り広げた存在だとか。

ともあれ、はっきりしていることがある。

「魔界は、不安定な存在を安定させるために、プリンセスを必要とした、のですか」

「そうだ、サヤ殿。 良く理解できたな」

「……何だか、少し頭が冴えてきているような気がします」

良いことだと、スペランカーは思う。

彼女のような若くて未来がある子は、鍛え方次第でいくらでも伸びる。彼女は今回で、大きな自信を付けることもできた。

きっと将来は、フィールド探索者として大成するだろう。

ただし、それには、まだクリアしなければならない問題が、いくらでもある。

纏わり付いてくる触手を切り払いながら、アーサーが言う。

「この魔界は、まだ未完成であるな。 更に完成が進むと、住んでいる悪魔達に明確な自我が生じ、独自の知性と文化が創られ、やがて自分たちは何か、どうすれば存在を保てるかと、考えるようになる」

「つまり、命ある幻影……」

「そうだ。 そして西洋圏に生じる魔界というものは、大体にして、人間が何か「悪魔」に押しつけたい、汚らしい精神的なものが収束した存在なのだ」

見て見ぬふりをしたい、だが確実に存在するそれらを、人々は魔界という闇の中に葬り去った。

つまり魔界とは、人々にとって、精神的な公衆便所に等しいわけだ。

悪魔達が、人間を恨むわけである。

話を聞く限り、それでもアーサーと戦った大魔王は、自分が全ての責任を受けて死ぬ事で、非戦闘員や部下達を守った。

一体どちらが立派なのか。

「アーサーさん。 やっぱり、苦しい?」

「そうさな」

スペランカーには、分かる。

この魔界は、アーサーが決戦の末に、ようやく和解を勝ち取った魔界のコピーだ。それも、極めて醜悪な。

つまり、コピーを作り出せ、しかもそれをもてあそび、周囲の人間をも巻き込んで遊んでいる奴がいる。

十中八九、その正体は分かっている。

人間のたくましいところは、Kのように、そうだとわかりきっていても、ビジネスに含めてくる存在がいる、ということだろうか。

パックンフラワーがテロリスト達に協力していたことで、大体その背後関係は分かる。Kはある程度、此処に何が潜んでいるか、知っていたのだろう。それにテロリスト達が魔界の住人に襲われなかったのも、此処に潜んでいる奴にとって、それが利益につながるから、だったのだろう。

ぬめりを帯びた階段が、延々と続いている。

通路の左右には、明かりが灯されたたいまつが。造りはしゃれこうべに似せてあって、悪趣味極まりない。

いけにえか。

このたいまつの中には、生け贄にされた人達のものも、存在しているかも知れない。

あの骸骨の戦士達も。

マッピーが、注意を促してくる。

「強い気配があるのです。 本官が最初に」

階段の上に、大きな扉がある。

多分、敵は逃げたりしないだろう。それどころか、ある種の確信がある。

何もかもの糸を引いて、スペランカーを招き寄せたのは。多分、この先にいる奴の筈だ。正直、今でも腹立ちはある。

だが、この存在との対話を成功させなければ。

何か、途方も無い災厄が起きる可能性が、極めて高いのだ。シーザーに聞いた悪夢の未来を、再現させるわけにはいかない。

スペランカーは、コートの端を掴む。

ここからが、正念場なのだ。

アーサーはしっかり、自分を送り届けてくれた。

やりとげなければならない。

扉の前は、踊り場になっていた。扉自体も、高さが十メートルほどもある巨大なもので、無数の文様が刻まれている。チャイムのようなものもついていたが、鳴らしても反応は無かった。

入り口の取っ手に触れてみて、分かる。

いる。

この向こうにいるのは、異星の邪神だ。

マッピーが扉を開けて、最初に駆け込む。アーサーとサヤが、そしてスペランカーも走り込んだ。

其処にあったのは、ただ永遠の、悠久たる闇だった。

「ようこそ。 私の領域に」

渦巻いている、黒い銀河。

中空に浮かぶそれは、蛸のようにも、烏賊のようにも。そして、星々の集まりのようにも見えた。

スペランカーは、やはりと呟いた。

この強力な気配、間違いない。

四元素神最後の一柱。土を司るニャルラトホテプとは、この者のことだ。

 

アーサーは内心穏やかでは無かったが、それでも敢えてスペランカーのことを思って、黙っていた。

この部屋は、闇に覆われてはいるが、分かる。忘れるはずも無い。かってアーサーが大魔王と戦った場所だ。

誇り高い大魔王は、アーサーとの一対一での戦いにこだわった。周囲には、まだ部下の上級魔族もいたというのに。

アーサーもその誇りを受けて、敢えて一対一での戦いをした。

大魔王はカリスマで魔界の頂点に立っていた存在らしく、決して武勇絶倫とはいかなかったが。

それでも、最後まで諦めず、勝敗が決しても泣き言一つ言わなかった。

あのニャルラトホテプは、此方の行動を誘導するために、様々な人々をもてあそんだだけでは無い。

現在、プリンセスが代表者をしている魔界のコピーを行ったあげく、その尊厳を汚したのだ。

「君なら、必ず来ると思っていたよ。 クトゥルフの呪いを受けしもの」

「貴方が呼び寄せたのに、そういうことを言うの?」

「おや、気付いていたのか。 思ったよりも頭は良いようだな」

けたけたと、不快な笑い声が響く。

流石に青ざめたマッピーがショックカノンに手を掛けようとするが、アーサーが手を伸ばして制止した。

マッピーが一言言おうとしたようだが。

アーサーの表情を見て、黙る。

一番彼奴を叩き殺したいのは、この場でアーサーだと言うことを、理解してくれたのだろう。

スペランカーの言葉には、万金の価値がある。

それに、おそらくアーサーでは、分かっていてもできないだろう。あの邪神の中の邪神と、和解するなどという事は。

「私が、何をしに来たのか、分かっているよね。 ニャルラトホテプさん」

「我々と和解の路でも探しに来たつもりなのだろう? ハハハハハ」

「笑っていられる? 今、貴方たちは、追い込まれていて、もう後が無いんだよ?」

「それがどうかした?」

やはり。

此奴は、死を怖れていないどころか、それを望んでいる。

今まで、アーサーはニャルラトホテプの膨大な資料を見てきた。

この異星の邪神は、今まで有形無形の様々な干渉で、人類に関わってきた。敵として戦ったことだけでは無い。希に、戯れに人間に文明の利器を与える手伝いをした形跡も見つかっている。

何のために行動しているのか。

資料の書き残し手は、いつもそれで悩んでいるのが見受けられた。

分からないのは当然だ。おそらく此奴は、本来の目的など、多分今ではどうでも良いのだろう。

「やっぱり。 貴方、死にたがっているんだね」

「だったらどうする?」

「何故、自分で死のうとしないの?」

「私達は自死を選ぶ事はできないのさ。 そう作られたからね」

これだけ分かれば、充分とも言える。

スペランカーは、ブラスターを抜かない。じっと、ニャルラトホテプの一部であろう闇に、視線を向けていた。

「もし私が生きていれば、際限なく人類に災厄を加え続けるよ。 君と私の間に、講和など成立しない。 平穏などあり得ないし、対話をする機会がそもそも無い。 私にとって、人間はオモチャだ。 私自身人間をいじくり回すのは面白くて仕方が無いし、何より私の上位者である眠れる白痴が、そう望んでいるからねえ」

「そうして貴方を斃すことで、この星にアザトースさんが降臨する」

「ほう……」

「そしてアザトースさんがもしも倒れることがあれば、この星、いや世界から、異能の全てが消滅する!」

スペランカーが、暴露した。

沈黙が、流れる。だが、アーサーには分かった。それが、肯定であるという事が。

「やっぱり。 そうだったんだね」

ニャルラトホテプは、怖れていない。

驚いてもいない。

ただ、おもしろがっている。だが、その表情が。表情は分からないが、雰囲気が一変した。

気付いたのだろう。

サヤが、術式を展開していることを。その術式が、外につながっている事を。

かってだったら。

サヤは、このとてつもない邪神を見た瞬間、恐怖で縮み上がってしまっただろう。身動きも取れなくなってしまったに違いない。それとも、部屋の隅っこで、頭を抱えてぶるぶる震えていたか。

だが、今の彼女は。

自分が何をするべきか、ちゃんと理解している。そして、行動している。

自信がつくことで、人はこうも変わるのか。

いや、変わる人間は限られている。サヤがそうだと、スペランカーは見抜いていたのか。中々に、やる。アーサーは、盟友の強さは知っていたが。今日、また一つ感心させられた。

「誰に……それを聞かせている!」

「あなたの戦略が、根本的に崩れる相手に、だよ」

「き、貴様っ!」

ニャルラトホテプの声に、本物の動揺が混じる。

気付いたのだろう。

このフィールドの外に誰が来て、今の会話を聞いているか。

そう。

スペランカーを此処に呼び寄せた、ニャルラトホテプの目的。それは、ニャルラトホテプとスペランカーが通じたとあの男に思わせることで、決定的な亀裂を生じさせる事。

ただでさえ致命的に仲が悪いあの男とスペランカーは、この一件以来完全な対立状態になり、太鼓持ちのマスコミがスペランカーを邪神の巫女などと喧伝しはじめる。

混乱の中、その男が。ニャルラトホテプを斃すことで。

世界の情勢は、決定的になる。

もはや、何もかもが。なし崩し的に破滅へと向かうはずだった。

その場に、野太い声が響く。

「ふん、そういう事だったか。 くだらん策を巡らせてくれたものだな」

空気がびりびりと振動するほどの威圧感。

術式を通じて、その男の声が響いてくるだけで、アーサーでさえ緊張を強いられる。

そう、世界最強のフィールド探索者。素手で神をも砕きうる最強の男。M。

「お、おのれ……! おのれええええええええっ!」

どっと、触手を広げて、ニャルラトホテプが躍りかかってくる。

スペランカーは、此方を一瞥だけすると、一人、完全に怒りに染まったニャルラトホテプに向け、歩き始めた。

此処からは、彼女だけの戦い。

そして、彼女だけにできる。痛みを乗り越えた先に、対話を作れるかもしれない、可能性の場所だ。

「私を脳筋だった他の邪神共と同じと思うな! 貴様が生まれてきたことを、後悔させてくれる!」

「そんなことだったら。 とっくにしているよ」

闇が、スペランカーを包む。

手出し無用と言われているから、アーサーは何もしない。マッピーにも、サヤにも、手出しはさせない。

触手が、うごめき続けているのが分かる。時々、肉片が、外へ飛び散ってくる。だが、アーサーは、何も手出しはしない。

信頼をしているからだ。

どれだけの時間が流れただろう。

ニャルラトホテプが、恐怖の悲鳴を上げる。おそらく、精神攻撃も含めた、ありとあらゆる責め苦を、スペランカーに加えたのだろう。ずっと長い間、彼が知り尽くしてきた人間に対する効果的な攻撃を、浴びせていたに違いない。

だが、屈しない。

「お、お前、な、何者、何者だ! 何者なんだ!」

倒れている裸のスペランカーから飛び離れたニャルラトホテプの全身が、闇にむしばまれはじめている。

以前、何度か見た光景だ。海神の呪いのフィードバックダメージが、ニャルラトホテプを侵し始めている。防御できる許容量を、越えているという事だ。

スペランカーが、体を起こそうとする。何度か失敗した上で、ようやく、半身を起こす。まだ、目には意思の力がはっきり見て取れる。それを見て、ニャルラトホテプは、金切り声を上げた。

「か、解析の必要がある! 何故貴様が、そのような化け物になっているか! 私は知らなければならない! はっきりいう! 貴様はもう、人間では無い! 人間では、あるはずが、ない!」

「人間かどうかなんて、どうだっていい。 私は、貴方をこそ、知りたいよ。 ニャルラトホテプさん」

「ひ、ひ、ひ……! ひぎゃあああああああっ! 来るな! 来るんじゃ無い! ありえない! ありえないありえないありえない! ありえて、たまるかあああああああっ!」

まるで、麺を吸い込むかのような音と共に。

空間の穴に、邪神が吸い込まれて消える。

アーサーは、最後に残った予備のコートを出すと、スペランカーに掛ける。

彼女が、自力で立ち上がるのを見て。アーサーも思う。

恐ろしいと。

だが、これが、未来への路を、わずかにつなげてもいるのだと。

プリンセスがこの場所を見たら、悲しむだろう。大魔王の尊厳を汚したあの邪神を憎むだろう。

だが、スペランカーは。己がどれだけの痛みを受けようとも、それでもなお、相手を理解しようと務めている。そして、その謀略を、ついに折った。

おそらくは、その心も。

あの邪神は、此処から戦略を変えてくるはずだ。Mに知られた以上、そうせざるを得ない。Mとスペランカーの不和をつく形で、破滅を招く事は、もはや不可能だからだ。

「帰ろうか、アーサーさん。 マッピーさん、サヤちゃんも」

「帰ったら、暖かいお風呂を沸かすのであります」

気を利かせて、マッピーが言ってくれたので、アーサーは嬉しかった。ロボットも成長するのだと、よく分かるのだから。

サヤは、ついに邪神を退けたスペランカーにやはり羨望の目を向けているようだった。

それでいい。

その先に行くのは、今で無くてもいい。

帰ったら、片付けることは、いくらでもある。

この魔界は、ほどなく消滅するだろう。アーサーは、汚されきった玉座の間をもう一度一瞥だけすると。

犠牲になり、もてあそばれた者達に。誰知らず、黙祷を捧げていた。

 

(終)