照る光

 

序、赤いマホイップ

 

ユウリは言われるまま、フェアリージムの地下に向かう。フェアリータイプポケモンの権威として名高いポプラさんは、今は引退こそしているが。それでも此処ガラル地方アラベスクタウンの名士であり、有力者でもある。

激戦の末、ユウリが無敵を貫いていたダンデさんを倒したのはしばし前。

ガラルの誇りとまで言われていた無敵のチャンプ。

10歳でチャンピオンになり、以降無敵だったダンデを倒したのは、その隣に住んでいる家の子ユウリだった。ユウリの師匠がそもそもダンデさんで。弟子が師匠を超えた事にもなる。そしてチャンピオンを倒したユウリは、もうすぐ11歳になる。これもまた、伝説の継承と言えるのかも知れない。まだ背が伸びきっていない銀髪碧眼の女の子が、無敵のチャンピオンを打倒した。

出来すぎている話だが。

ユウリ自身はそもそもダンデさんに憧れて育ち。そしてダンデさんがいるのが当たり前の生活だったので。あまり自覚はまだ無い。

ただ無敵のチャンピオンを破り。

今は自分がチャンピオンで。

来年には迎撃戦を行わなければならないし。更に言えば迎撃戦には同年代の手強いライバルがたくさん来る事を考えると、のんびりだらだらはしていられなかった。

ダンデお兄ちゃん、いや元チャンピオンに言われたのだ。

他の地方には悪い奴がたくさんいる。

何故かというと、ヒーローと呼べる存在がいなかったから。

シンボルになり得る英雄が存在しなかったから。

この地方にいた悪は俺が倒した。10歳の頃の話だ。

だが、それでも、油断すればいつでも悪はガラルに戻ってくる。だから、お前はヒーローとして皆の見本になるんだ。

そう言われたユウリは尊敬していたダンデさんの言葉に頷くと。

強くなるべく連日ワイルドエリアで、強力なポケモンとの戦いを続けて自らを鍛え抜いていた。

そして声を掛けられたのだ。

薄暗い地下に移動していく。ユウリは基本ポケモンを連れ歩かないが。ポプラさんは普段から子馬のような姿をしたポケモン、ポニータを連れ歩いている。

最初は足が悪くて補助なのかと思ったけれど、腰が曲がっていてもポプラさんは歩くのに苦労している様子が無い。

最近は、悪意を察知するためなのだと理解した。

「ここから先へは、ビートも入れていない」

「ビート君は跡継ぎでしたよね。 どうしてまた」

「前チャンピオンでも制御出来なかった怪物がいるんでね」

「……」

ダンデさんが制御出来なかった。にわかには信じられない。

ダンデさんと戦う直前だが、ガラルでは伝説のポケモンが復活した。古代に伝承が残る悪夢の夜、ブラックナイトを引き起こしたと言われる魔竜ムゲンダイナである。ダンデさんは一度はそのムゲンダイナを実力で降したのだ。地方全域を滅ぼしかけたと言われている伝承の魔竜をである。

伝説では、二人の英雄がこのムゲンダイナを倒したとされていて。

実際には、その二人の英雄と二匹の伝説のポケモンがムゲンダイナを倒した事が色々あって分かった。

そしてユウリの手元には「剣」を司る伝説のポケモンがいる。

ダンデさんの弟であり、お隣さんの幼なじみホップは。その時の経緯で「盾」を司る伝説のポケモンを持っている。

この「剣」と「盾」と連携して魔竜ムゲンダイナを倒したのだが。

逆に言えば、ユウリではそれが限界だった。

更に言えば、ダンデさんになんで勝てたのかも今でもあまりよく分からない。激戦の末に、気がつくと勝っていた、という印象だったのだ。

だから強くならなければならない。

伝説に頼らなくても、英雄になるために。

苛烈な訓練を続けていると聞いて、ポプラさんは何か思うところがあったのかも知れない。

長い通路に出た。

ふと見ると、露骨にポニータが怯えている。悪意に敏感なポニータがこんなに怯えているのを初めて見た。

ポプラさんが余程良く仕込んでいるのだろう。

だから逃げないのだろうけれども。

それにしてもこの恐れ方は異常だ。

「数年前、エンジンシティで起きた事件を知っているかい?」

「いいえ、何かあったんですか」

「1000体を超えるポケモンが、群れになってエンジンシティを襲撃したのさ。 死者は百人を超える大惨事になった」

「!」

そんな事件があったのか。

まだユウリはその時小さかった。だから分からなかったのだろう。

ポケモントレーナーになるためには勉強が必要だ。当然ポケモンの歴史については習う。

昔はポケモンで戦争をするのが当たり前だったと歴史でならったし。そもそも「地方」ではなく「国」が存在していた頃は、それぞれの「国」で多くのポケモンを殺し合いのために育てていたとも聞いている。

人間を遙かに超える力を持つポケモンもいる。

規格外の強さを持つ人間もいるこの世界だけれども。そもそも、天候を自由自在に操るようなポケモンも存在しているのだ。人間は過酷な世界に適応して強くなって行ったのでは無いかと言う話もある。

昔はガラルでも、村が一つサザンドラに潰されたり。戦争をしている軍隊がギャラドスに襲われて全滅したりという事件があったらしい。

今は保護区であるワイルドエリアにはたくさんのレンジャーがいて、不測の事態が起きないように見張りをしているし。

それぞれの街や村でも、ポケモンは生活の一部になるほど人々と溶け込んでいるが。

それでも習う。

悪意を持って人間を殺そうとするポケモンもいる。単純に獰猛なものも危険だが、ゴーストタイプのポケモンは可愛いものほど気を付けろというのは必須知識だ。事実、ユウリも何体かゴーストタイプを育てたが。いずれも癖が強く、一瞬も油断は出来ない相手ばかりだった。

本当にそうなのかは分からないが。ゴーストタイプは人間の悪霊がポケモンになったもので、隙あれば人間を仲間にしようとしている。その説明が本当では無いかと思えた事も、何度もあった。

それ以上の悪意を持っているポケモンがいても、何ら不思議ではないだろう。

「この奥にいるのは、その事件を起こしたポケモンだ。 元チャンピオンが手塩に掛けたポケモンを十二体も殺した怪物の中の怪物さ」

「……」

「どうだい、みてみるかい?」

「はい。 お願いします」

圧倒的な実力を誇るムゲンダイナを単独で鎮めた元チャンピオンだ。そんなダンデさんの手持ちを十二体も。

凄まじい戦いだったことは想像がつく。

そして、どうしてフェアリージムにそんな存在が幽閉されているのかも興味がある。恐らくフェアリータイプのポケモンだからなのだろうが。

長い通路。

監視カメラに、あれは銃座か。

所々に、ガスの発生装置らしいものまである。これは隔壁だろうか。

こんな映画に出てくるような場所があるなんて。

「ポプラさん、此処は、そのポケモンを幽閉するために作ったんですか?」

「いいや、此処は昔政治犯を幽閉するために使っていた場所さ。 もう現在には存在しない言葉だけれどね」

「セイジハン……」

「ともかく、昔は今では罪にならないことが罪になって、とても重い罰が降されることがあったのさ。 其所を利用した、それだけだよ」

まもなく、T字路が見えてきた。

道を右に曲がる。酷い臭いがして、周囲には汚水も流れていた。

鼠はいないけれど、これはゴキブリくらいはいそうだ。

ポニータが足を完全に止めた。気の毒なくらいに震え上がっている。

ポプラさんはため息をつくと、ポニータをモンスターボールに戻す。ポケモンを格納し休ませることが出来る掌大のモンスターボールは、トレーナーには必須の道具だ。もう現役のジムリーダーでは無いし、ポケモンの多くを後進であるビート君に譲ったポプラさんでも。

トレーナーとしては、まだまだ現役、と言う事だ。

やがて、異様な気配がユウリにも分かってきた。

此処は危ない、というのか。そういう事柄がワイルドエリアに入り始める頃から、体で分かるようになってきた。

相棒の、ウサギのような姿をした炎のポケモンエースバーンと。凶暴なことで知られる巨大な亀のポケモンカジリガメ。この二匹を主力に勝ち抜いてきたユウリだが。ワイルドエリアには場違いに強大なポケモンが多数住み着いていて。旅に出たばかりの頃は、とてもではないけれど手に負えない事も多かった。

ぼこぼこにされて敗走したことだってある。

ポケモンは人を殺すこともある。

それを身を以て知った。逃げなければ確実に殺されていた。

そして、そんなやばい気配の最上級が、通路の奥から漂ってきている。

ダンデさんと戦う前後くらいからは、気配を読むことも出来るようになって来ていた。相手の強さもだいたい分かるようになっていた。

これは、流石に全力状態のムゲンダイナほどではないにしても、桁外れにも程がある。

生唾を飲み込む。

ポニータが怯えきって動けなくなるのも当然だと言えた。

「やめておくかい?」

「いえ……行きます」

「警告はしておくよ。 とにかく、絶対に油断だけはするんじゃないよ」

「分かっています」

ユウリも、世の中は綺麗なことだけじゃないことは見た。

旅の間に仲良くなったマリィちゃんというライバルがいたが。彼女の故郷は開発から立ち後れ、ダイマックスエネルギーの恩恵も受けられず。とても貧しく荒んでいた。

ダイマックスエネルギーを管理しているマクロコスモス社がある程度支援はしていたが。

それでも、彼処に住んでいる人達が足を踏み外していたら。

余所の地方にいるような、ポケモンを使って反社会的な行動を行う、とても悪い人達に落ちてしまっていたのかも知れない。

シュートシティやエンジンシティはとても綺麗で発展していたけれど。

裏路地を覗くと、昼間からお酒を飲んでいるおじさんが、地面に寝転がっていたり。

何か分からない死んだポケモンを、ドブネズミが喰い漁ったりしていた。

生まれ育ったハロンタウンは田舎と言う事もあって、とても牧歌的で穏やかで。みんな知っている人ばかりで。こんな闇があるなんて、都会に出るまで知らなかった。

他の地方のトレーナーには、反社会的組織と渡り合うような、修羅場をくぐる人もいると後から聞いた。

幾つも有名な悪い組織は存在していて。

ロケット団やフレア団は。国際警察でさえ迂闊に手を出せないと聞いている。

ダンデさんだって、そういった悪の組織と戦ったという噂がある。

本人とはあまり話した事がないけれど。

話したくないような事を、何度も経験したのかも知れない。

今更、聞こうとは思わなかった。

踏み出す。

そして、一番奥。牢屋が並んでいる最深部に。

特に大きな銃が、幾つも牢屋に向けられている。監視用のカメラも。それだけではなく、何かの機械と一体化したロトムも待機していた。

起こした事件の規模を考えれば当然の警備なのだろう。

牢屋の中には、いた。

マホイップだ。

マホイップはミルククラウンのような姿をしたマホミルから進化するポケモンで、主に特殊な加工をした飴などの糖分を与える事でこの姿になる。人型をしたホイップクリームのような姿のマホイップはとても愛らしいことから、同年代の女の子の間では、とても人気があった事をユウリも覚えている。

飴細工によってマホイップは色々な姿になり、茶色だったり緑だったり白かったりするけれど。

このマホイップは。

全身が、血のような痛々しい赤だ。

死体から流れ出る、ドス黒い赤い血は何度も見た。

身を守るために、相手を殺さなければならない事もあった。ワイルドエリアに棲息する獰猛なポケモンが相手の場合は、特にだ。力がついてくればそうでなくなる事もあるけれど。

力が弱い内は、どうあっても無理だった。

俯いているマホイップの全身は、おぞましいまでの赤。

壁に貼り付けにされていて。手は鉄が嵌められている。鉄にはチューブがつけられていて。何種類かの薬品を点滴されている様子だ。

「おきな。 客だよ」

ポプラさんが声を掛けると。

鬱陶しそうに、唸り声がした。

マホイップは人間にとても友好的なポケモンで、ホイップクリームを産み出す能力もあって、ケーキ屋さんや喫茶店で働いている事も多い。殆どの場合は愛くるしい笑顔を浮かべていて、いるだけで空気が和むものだ。

だけれど、今此処に幽閉されているマホイップは。

正に殺意の塊だった。

ユウリは言葉を無くして、見ているしか無い。

やがて、顔を上げるマホイップ。

その目は、まるで深淵そのもの。

悪意はユウリも見た。

殺そうと襲いかかってくるポケモンもそうだし。たまに都会では、人を騙そうとする悪い人にも会った。

そういう相手は、目の奥にぎらついた悪意を隠していた。

だが、このマホイップは桁が違う。

一体何があったのか。

「元チャンピオンのポケモンを十二体も殺すようなバケモノだ。 フェアリータイプの苦手な鉄で拘束し、同じく苦手な毒を常時注入する。 それくらいじゃないと、とてもではないけれど安全は確保出来なくてね」

「……この子が、エンジンシティを襲った首謀者なんですね」

「ああ」

にやりと、マホイップが嗤う。

屈託無い笑顔を浮かべることで印象深い、今まで見てきたマホイップ達とはまるきり別物だ。

「戦闘の経緯をアタシも見たけれど、先手先手を取っていく教本のような戦い方をする狡猾極まりない頭脳も持ち合わせていてね。 生半可なトレーナーより賢いよこのマホイップは。 知能が高いポケモンはエスパータイプにもいるけれど、知恵比べをやらせたら結果は分からないね」

「ポプラさんに其所まで言わせるほどですか」

「……それでどうする新チャンピオン。 伝説のポケモンを二体も従えているあんただからこそ此処に呼んだんだがね。 恐らくあんたの時代は十数年は続くはずだ。 前チャンピオンがそうだったようにね。 そして恐らくガラル史上最強のトレーナーであるあんた以外に、この子を渡せる相手はいない」

「もし、私が断ったら、どうするつもりなんですか」

安楽死させると、ポプラさんは静かに言った。

そうだろう。

本来人だったら殺されている。地方によっては死刑という形で。別の地方だったら、死ぬまで牢屋から出ることは出来ないだろう。

ダンデさんはポケモンを殺さない。

だから、このマホイップも殺さなかった。

手持ちの、恐らくは一緒に旅をしてきただろうポケモン達を、十二体も殺されたというのに。

しばし考え込んでから。

ユウリは頷いていた。

「分かりました。 この子の身請けをさせていただきます」

「そうかい。 頼むよ」

「多分普通のモンスターボールでは駄目ですね」

ユウリが取りだしたのはマスターボールである。

モンスターボールには何種類もあるのだが、その中でも特に貴重で、非常に強力なことで知られるのがこのマスターボールだ。

野生のポケモンを捕獲する場合、ある程度弱らせてからモンスターボールに閉じ込める。それによって、モンスターボールにポケモンをヒモ付かせ。それを固定する事によって、ポケモンはトレーナーの持ち物になる。

くわしい原理についてはもう少し細かいのだが。

いずれにしても、マスターボールはその「ヒモ付かせる」能力において最強最大の代物であり。滅多に手に入らない貴重品である。

他にも貴重なモンスターボールは存在しているが。

「確実にポケモンを捕獲できる」という点においては。

このマスターボールが最高の品だろう。

「拘束を外してください」

「その前にあんたのエース級を展開しな。 弱っていてもこのマホイップの戦闘力は、伝説級に迫るよ」

「……分かりました」

では、その伝説のポケモン、ザシアンを展開する。

巨大な犬のような姿をした伝説の「剣」。もう一体のムゲンダイナは、此処では狭すぎて出せない。

犬と言っても、圧倒的な風格を持つザシアンは。常に剣を咥えており、左耳が何かに斬られたように欠けている。

ユウリに従ってくれていると言うよりも。ユウリを見張っている印象で。それはムゲンダイナも同じだった。

ザシアンは古き時代に、ムゲンダイナを倒した後、色々あったことがほぼ確実で。或いは人間を信用していないのかも知れない。今も、ユウリの言う事には黙々と従ってはくれるし、ポケモンとの戦闘では相手を問答無用で叩き伏せてはくれるが。ユウリ自身も、「従えている」とは思っていなかった。

更に、エースバーンとカジリガメを展開する。

どちらもユウリの両翼になって、数々の戦いを勝ち抜いてきた猛者だ。

ダンデさんに最初に貰ったヒバニーが、二段階の進化の末に変化したエースバーンは。今はウサギと精悍なサッカー少年を足したような姿になっている。カジリガメは獰猛な事で知られ、最初は隙さえあれば腕を食い千切ってやろうと構えていたが。歴戦を重ねる内に、やっと心を許してくれた。

その二体も、非常に危険な相手の前にいる事は即座に悟ったらしい。すぐに戦闘態勢に入る。

ポプラさんが、カメラに向かって言う。

「拘束解除。 ただしアタシらがやられたら、即座に致死ガスを流し込みな」

「わ、分かりました」

カメラの向こうのトレーナーが、少し上擦った声で言う。

そして、マホイップを拘束していた鉄枷が、鈍い音と共に外れた。注射針も引き抜かれた様子だ。

マホイップはしらけた様子で、その場に立ち尽くしている。

ユウリは、マホイップに、マスターボールを投げていた。

 

1、血塗られた妖精を辿る

 

正直な所、ユウリは行き詰まっていた。

一年弱の旅で、まさかダンデお兄ちゃんを倒せるとはとても思っていなかった。昔ダンデお兄ちゃんも、キバナさんやソニアさんと一緒に旅をして、一年弱でチャンピオンにまで上り詰めた。

ユウリもそれをなぞった訳だけれども。

チャンピオンと呼ばれても、気付かないことがたまにあるし。

ワイルドエリアで極限状態に自分を置いても、強くなる気がしないのである。

実際問題、チャンピオンになってから何度かダンデさんと伝説のポケモン抜きで模擬戦をやったのだけれど。

勝負は一進一退。

あの時より、腕を上げている筈なのに。

どうしてダンデさんにあの時勝てたのか、未だによく分からない。

今は色々なポケモンを手に入れて、力を増しながら、知識も増やす。

そう思っていたところに、ポプラさんに声を掛けられたのだ。

渡りに船、ではあったけれど。

しかし、貰ったものは想像以上の危険な存在だった。

マスターボールの中で、今の時点ではマホイップは大人しくしてくれている。現在持ち歩いているのは、魔竜ムゲンダイナと伝説の剣ザシアン、後はチャンピオンとの戦いで死闘をともに演じたエースバーンとカジリガメ、それに草タイプのポケモンであるラフレシアだが。

現在は転送機能により、手持ちのポケモンをスマホロトム経由でいつでも呼び出すことが出来る。

ただ取り回しが悪いので、六体だけを戦闘時には使う。

それだけだ。

エンジンシティを出て、ワイルドエリアに入る。比較的安全な場所を見繕うと、キャンプを展開する。

ワイルドエリアの中には、レンジャーが常駐していて、キャンプを開いても比較的安全な場所がある。

こういう拠点を経由して。

鍛えるトレーナーは多い。

格闘ジムのジムリーダー、サイトウさんとは時々ワイルドエリアで顔を合わせる。

サイトウさんはユウリより二回りくらい年上で、兎に角体を鍛えていることが一目で分かる女性だ。骨格からして違う。

まだ成長期なんだし、いずれ伸びるとサイトウさんには言われたけれど。

そんなサイトウさんも、ジムリーダーでありながら、ワイルドエリアでは何度も危ない目に会ったという。

そういえば、ポケモントレーナーには必修科目として、ワイルドエリアでの修練が何年か前から義務化されたと聞いている。

これを聞いて嫌がったトレーナーもいるらしいが。

ひょっとすると、ポプラさんに聞かされた事件が原因なのかも知れない。

エースバーンに手伝ってもらってテントを立てると。

他のポケモン達を呼び出す。

魔竜ムゲンダイナはとにかく寡黙で、周囲を我関せずと言う感じで浮いている。紫色の、骨で出来たドラゴンとでもいうべき禍々しい姿だが。実際暴走状態が収まってからは、穏やかなものである。

近所に住んでいるポケモン研究の大家、マグノリア博士に聞いたのだけれど。

ひょっとしたら異世界から来たポケモン、ウルトラビーストの一種かも知れないと言う話である。

いずれにしても、ムゲンダイナは暴走が収まった後はとても大人しく、戦闘でも過剰に暴れる事はしない。

カジリガメは殆どユウリの背丈と同じくらい甲羅の高さがある巨大な肉食性の亀で。ポケモンらしく強力な顎と、水を操る力を持っている。

力は極めて強く。幾つかの節目となる戦いでは、文字通りの要塞として活躍してくれた。

ラフレシアは大きな花がそのまま歩いているようなポケモンで、独特の臭いを常に放っているのだけれども。

性格は極めて温厚で、やんちゃなエースバーンや、獰猛なカジリガメに比べて、一番手が掛からなかった。

とはいっても、手が掛からないからと言って放置していてはいけないのも事実で。

基本的に寂しそうにしていないか、いつも目を配るようにしている。

ザシアンは他のポケモンと積極的になれ合うつもりは無い様子で、キャンプの隅っこに丸まってじっとしている。

しかし、ユウリの方は見ているので。

ユウリという人間を見極めようとしているのかも知れない。

エサはきちんと食べてくれるけれど。

それ以外では、基本的に馴染もうともしなかった。

そして、マホイップである。

呼び出した瞬間、周囲に緊張が走る。

ムゲンダイナはじっとマホイップを見つめ。普段は丸くなってじっとしているザシアンでさえ、顔を上げてマホイップの方を見つめた。

マホイップは枷から解放された手をしばらく触っていた。鉄も毒も苦手なフェアリータイプだ。さぞや辛かった事だろう。

だけれども、そうしないと制御出来ないほどの怪物。

どこでそんな力を手に入れたかは分からないが。

ポプラさんの話によると、エンジンシティの襲撃事件の少し前から、ワイルドエリアの巣穴が片っ端から襲われ。巣穴の主になっているポケモンが食い荒らされる事件が続出していたという。

このあからさますぎる血の色。

そして異常すぎる戦闘力。

犯人は十中八九このマホイップだろうという話だけれども。

伝説のポケモンですら注意を払った様子からして、それは間違いの無い事なのだろう。

手を叩いて、周囲を見回す。

「はい、これからこの子の面倒を見るからよろしくね。 この子の名前はどうしようかな」

「……」

マホイップが手をかざすと、恐らくサイコパワーだろう。その手に木の棒が収まっていた。小さな木の棒だ。気にするほどでもない。

そして、マホイップが地面に文字を書く。

文字を書けるのか。

エンジンシティの戦いについては、後からくわしくポプラさんに聞いた。迎撃の指揮をとったカブさんの先手先手を取り、人間の心理の裏をつくような戦術を矢継ぎ早に繰り出してきたという。

知能が高いことは知っていたけれど、文字を率先して書くとは。

伝説のポケモンの中には、人間の言葉を喋るものもいるらしいけれど。

文字を書いて意思疎通をしてくるポケモンはユウリも始めて見た。

「クリーム? それが貴方の名前」

うっすらと嗤うマホイップ。

狂気的な目の光と、その悪意に満ちた笑みは。愛くるしく人間と共存している他のマホイップと同じポケモンだとはとても思えなかったが。

身柄を引き受けると決めた以上、放置するつもりはない。

「分かった、貴方の事はこれからクリームと呼ぶね。 クリーム、これからカレーを作るけれど、何か好みの味はある?」

「……」

ついと視線を背けると、後は隅っこの方に行ってしまうクリーム。

これは時間が掛かるな。

だが、そもそもとてつもなく危険なポケモンなのだ。

それは、ユウリもよく分かっていた。

だから、気にするつもりはない。

人間に比較的身体構造が近いエースバーンに手伝って貰って、カレーを作る。別の地方から入ってきたこのからい料理は、ガラルではとても人気だ。他にもカントー地方などでも人気だと聞いている。

カレーだからからくするべき、というのは安易な考え。

生クリームを使って甘くしたり。或いは果実を入れてみたりと。

カレーは色々な活用方法がある。ナンと呼ばれるパンで食べる方法もあるらしいけれど。現在のガラルではお米で食べるのが主流だ。

ワイルドエリアでは、色々な食材が手に入るので。

それを使ったカレーのレシピも開発されている。

ポケモンにはポケモン用のカレーを作る。

基本は人間のものと同じだが、これについてはよく分かっていないらしい。

少なくとも犬や猫などには、人間と同じものを食べさせてはいけないというのは最低限の知識で。

人間が問題なく食べられても、毒になるものが存在している。

だがポケモンの場合、殆ど人間が食べられるものは口に出来る。

これもマグノリア博士によると、よく分かっていないことの一つなのだそうだ。

しばしカレーの調理に没頭する。

ただ、カジリガメとラフレシアに事前に告げてある。

あのマホイップ。クリームからは、目を離さないようにと。

勿論二体も分かっているだろう。ユウリと一緒に、散々修羅場をくぐってきたのだから。クリームが如何に危険か何て、一目で分かる。

程なくして、カレーが仕上がり、七皿に盛る。

クリームも呼ぶが。

しらけた目で此方を見た後、一応食べてはくれた。

言葉は恐らく通じているな。

そう思ったので、話しかけてみる。

「どう、クリーム。 結構美味しいと思うのだけれど」

じっと此方を見つめた後。

クリームは、棒を使って、地面に書いた。

「殺して食ったカビゴンの脂肪の方が美味しかった」

ぞくりと来たが。

巣穴を襲って他のポケモンを喰らい、力を増していたと事前に聞いていたから、それだけで済んだ。

そもそも、ワイルドエリアには厳然とした食物連鎖が存在している。

弱いポケモンが、強いポケモンに殺されて喰われるところをユウリは何度も見た。

マホイップはそこそこに強いポケモンだ。草食性だとは聞いていたけれど、その気になれば肉を食らう事も出来るのかも知れない。

飴細工によって体の色が変わるような不安定なポケモンだ。

たくさん殺して食べたのなら。体の色が血の赤に染まるのも、当然なのかも知れなかった。

食事が終わったので、一旦皆にモンスターボールに戻って貰う。

側にはエースバーンだけを残す。

エースバーンとは、軽く話しておきたかった。

「ねえエースバーン、クリームをどう思う?」

エースバーンは人間の言葉は喋れない。

だけれども、ユウリの意思をある程度察することは出来るし。ある程度意思を伝える事も出来る。

炎を自在に操るエースバーンと、そうして綿密に作戦を立て。

色々な戦いを勝ち抜いたのである。

エースバーンは身振り手振りで伝えてくる。

あいつは危険だ、と。

そんな事は分かっている。

少し寂しい思いがした。

「エースバーンはどうしたい?」

しばし黙った後。もう少し、彼奴の事を知りたいと、エースバーンは意思を伝えてくる。

頷く。多分、エースバーンもユウリの意図を察してくれたのだと思う。

では、少し様子を見ながら動くとするか。

それに実際、病み上がりとは言えクリームがどれだけやれるのかも知っておきたい。

流石に伝説級には及ばないにしても。

具体的に何が出来るのかは、トレーナーとして知っておきたかった。

 

翌日から、ワイルドエリアを回る。

危険地帯は幾つもあり、レンジャーが見張りをしている場所も珍しくもない。

湖に入るときは、フロートのついた専門の自転車を使うのだけれども。湖の中には獰猛な魚ポケモンどころか、ギャラドスまでいる事が珍しく無い。最低でもギャラドスから自衛できる実力がないトレーナーは、湖に入る事をレンジャーに制限される。

湖の中州にある島には、大量のキテルグマが棲息しているが。

このキテルグマ、別の地方では「最もトレーナーを殺したポケモン」として悪名高い。

二足で歩く熊のような姿をしたポケモンなのだが、その腕力は凄まじく。体格で上回る熊を一撃で殴り殺す程である。

特に人間に悪意を持って接してくる訳では無いが、とにかく加減というものを知らないため。トレーナーを鯖折りにして、背骨を折って殺してしまうケースが珍しくもないのである。

トレーナーに世話されているキテルグマですらそれである。

野生個体の危険性は言うまでも無く。

キテルグマの警戒サインである、両手を挙げて手を振るような動作をして来た場合。撃退出来る実力が無いなら即座に逃げろと、トレーナー免許取得の講習を受けたときには必ず徹底される。

殺されるからだ。

今回出向くのは、そんなキテルグマが多数棲息している湖中州の島。

常にレンジャーが常駐しているのだが。

チャンピオンとしての仕事だ。

キテルグマの数の調査。

それと、危険な個体がいないかどうか調べてほしい。

何でも、ダンデさんも危険地帯を回って、こういう仕事をしていたらしく。チャンピオンになった今は、ユウリがその仕事を引き継いだことになる。

なおダンデさんは今は後進を熱心に育成しており。

実戦経験を積むことは、ユウリとしても望むところだった。

そうしなければ、あっと言う間にチャンピオンの座を後進に奪い取られてしまうだろうから。

エースバーンとカジリガメを展開した後、少し考えた後、先にザシアンを呼び出す。

ザシアンはふんふんと周囲の臭いを嗅ぐと、目を細める。

此処は危ないぞ、というのだろう。

分かっていると頷くと、クリームも呼び出した。

あまり広くない島だが、かなりの数のキテルグマが棲息している危険な島だ。ワイルドエリアには、他にもキテルグマが棲息している場所があるのだが。それらの場所には、キテルグマ以上の戦闘力を持つポケモンがいたりする。人間にとって危険であることが、最強であることを意味はしない。

またこの島ですら、ドラゴンポケモンとして有名なオノノクスが棲息している事もあるので。

キテルグマは別に最強でもない。

現時点では、周囲に展開している面子の実力を考えると、余程油断しない限りは大丈夫である。

それにユウリ自身も、身体能力には自信がそれなりにある。

古い時代、人間はとても弱かったらしいのだけれど。

今の時代の人間は、場合によってはポケモンと互角以上に渡り合えるような身体能力の持ち主がいる。

ユウリ自身もそこそこ身体能力には自信がある。

キテルグマくらいが相手なら、もし勝てない場合でも、走って逃げる自信は充分にあった。

レンジャーの言っていた、島の西側に向かう。

盆地になっている其所を、一旦岩陰から確認。かなりの数のキテルグマがいる。繁殖地なのだろう。

立ち入り禁止の札が出ている場所がある。

ワイルドエリアといっても、トレーナーでも入ってはいけない場所が幾つかある。

危険すぎる場所もあるが。

多くの場合は、ポケモンの繁殖地だったり、寝床だったりする場所だ。

見える札は森の側にあるので。

多分彼処がキテルグマの繁殖地だ。

しらけた様子でキテルグマを見ているクリーム。いきなり皆殺しにしようとするようなら止めようと思ったが。

そこまで見境はなくないか。

少しだけ安心したが。

それはそうと、順番に彷徨いているキテルグマを見ていく。たまに極めて強大な個体が出現し、それが害を為す事があるのがポケモンだ。余所の地方では島の主、なんてのがいるらしい。

キテルグマが主だった場合、その危険度は想像を絶するし。

確認はしておくべきだろう。

エースバーンが、袖を引いてくる。

頷いて双眼鏡で確認。一体、確かにもの凄いのがいる。ふわふわのぬいぐるみみたいな見かけのキテルグマだが。そいつに限っては、全身が傷だらけで、歴戦の猛者である事が一目で分かった。

他のキテルグマも距離を置いている。

縄張りに五月蠅く。人間が近付くだけで警戒サインを出し、威嚇に応じなければ即座に襲いかかってくる。

そんな気性が荒いキテルグマでも、その個体からは距離を置いている。

結構危険な個体とみた。気配は読めるので、すぐに分かる。

念のため、スマホロトムをかざして、アプリを起動。大体の実力を測る。

細かい実力は分からないのだけれど。近年のスマホロトムは進歩していて。憑依しているロトムのサポートもあり。伝説級などの規格外でなければ、大まかな実力を測定できる。念のための二重チェックである。

「レベル65か……。 危険地帯だって事を考えると、別に放置でかまわないかなあ」

ぼやくユウリ。

はっと、誰かが嘲笑った気がした。

見ると、クリームだった。

「どうしたの?」

「人間に対する危険度が高い個体を調査しているんだろう? あれは危険度で言うと高い方だ。 殺さないのは何故だ」

棒で地面にそう書くクリーム。

多少たどたどしい字で、文法も意訳しなければならなかったけれど。少なくとも何か喋りながら文字を書いていて。その喋っている内容は、明らかにエースバーンやカジリガメには通じていた。

ポケモン同士が独自の方法で会話をしていることは前から知られていたが。

どうやらかなりクリームは流ちょうに喋れるらしい。

ただポケモンが人間と同じように言語で喋っているのかはまだよく分からないらしいのだが。

クリームは人間の言葉も書けるので、ある意味バイリンガルとも言える。

「そもそも此処はレンジャーが監視していて、実力がないトレーナーは入ってくる事も出来ない。 密猟に来たような人が襲われる事はあるかも知れないけれど、その場合はそもそもレンジャーが事前に見つけなければならないし、襲うのもあのキテルグマだとは限らないよ」

「彼奴は明らかに自分の戦闘力に自信を持っている。 恐らく警戒サインも出さずに突っ込んでくるぞ。 そういう意味では潜在的な危険性は高い。 試してみるか?」

「何をするつもりかは分からないけれどやめて」

止めると、クリームは明らかに嘲笑う。

ユウリは別に不快だとは思わない。

ポケモンというか、野生の生き物としてはごくまっとうな考えだと感じたし。意見としては間違ってもいないと思ったからだ。

エースバーンが警告の声を上げる。

どうやら、今のやりとりで。例の一回り強いのが此方に気付いた様子だ。

そして、クリームの言葉通り、警告のサインも出さず。まっすぐ突貫してきた。

さっと前に出るカジリガメ。

ザシアンは立ち上がったが、それだけ。

殺すつもりなら一瞬で出来る。

そういう判断なのだろう。

ユウリは指示を出す。

「カジリガメ、死なない程度に」

頷くと、カジリガメは前に出る。亀の甲羅など、真正面からたたき割ってやる。そう言わんばかりに突貫してくるキテルグマ。

カジリガメはそれを充分に引きつけると。

不意に首を伸ばして相手の胴にかじりつき、振り回して地面に叩き付けた。

ごわんと、凄まじい音がして。

地面が揺れる。

キテルグマ達が振り向くが。明らかに最強の個体が一瞬でねじ伏せられたのを見て、戦力差を悟ったのだろう。此方に近付いてはこない。

モンスターボールを放って、瀕死になっているキテルグマを捕獲。

少しモンスターボールの中で暴れたが、やがて静かになった。

後はじっとキテルグマ達を見つめる。

格上だった個体が、瞬時にねじ伏せられたのを見て、思うところがあったのだろう。キテルグマ達は、縄張りに入った訳でも無いユウリをじっと見つめていたが。やがて視線をそらした。

それでいい。

人間の恐ろしさを見せておくだけで良いのだ。

侮られることが、害につながる。

だから、人間を怖れさせ。近付かないようにしておくのが一番なのである。

ポケモンと友達として接することが出来る超級のトレーナーもいると聞いている。だけれども、残念ながらユウリはその次元にはまだ到達できていない。故に、資格を取るときに習った事。それに実戦で覚えた事。それらに忠実に動くだけである。

問題なしと判断。予定通りキテルグマの数を確認。一旦群生地を離れると、レンジャー達の詰め所に。何が起きたかをレンジャーに説明して、捕獲したキテルグマが入ったモンスターボールを引き渡す。報告書も提出した。

頷くと、専門のトレーナーに渡す事をレンジャーは約束してくれた。

まだ若いレンジャーは、モンスターボールを見つめながら言う。

「ダンデさんもポケモンは殺さない主義だったけれど、君もそれは継承しているんだね」

「その実力がついただけです。 殺すしかない場合は、そうせざるを得ませんでした」

「そうか……」

「それでは失礼します」

頭を下げると、島を離れる。途中、ギャラドスが此方を見ていたけれど。ユウリが一瞥しただけで、離れていった。

ユウリは殺さずで此処まで来られたわけではない。

ギリギリの勝負になって、どうしても相手を殺さなければ死ぬ状況になった事もあった。その時は、殺さざるを得なかった。

悲しかったが、何度もそれを乗り越える内に慣れた。

少なくともユウリはダンデお兄ちゃん、いやダンデさんのような無敵のチャンプではない。

まだ、迷いは晴れない。

 

2、仕事をしながら

 

街中で見かけるポケモンは、基本的にトレーナーに余程なついているか、もしくは仕事を直接手伝っているものに限られる。

献身的な仕事ぶりで知られるイエッサンは、多くの店で働いているし。

大きな馬のポケモンであるバンバドロは、大荷物を引いていることが珍しくもない。

空を見ればアーマーガアの空輸タクシーがいる。エンジンシティでは、名物になっている大きな岩で出来たような蛇のポケモンのイワークがいて。時々幼い子供を頭に乗せてあげたりもしていた。

ワイルドエリアでの仕事が終わったので、ユウリはそんなポケモン達を横目に、エンジンシティのホテルに向かう。

ここエンジンシティのジムリーダーはカブさんというのだが。カブさんは手強かった。

ジムリーダーに挑戦して、一定の課題をこなすとバッヂが貰える。このバッヂを揃えると、チャンピオンに挑戦する資格が得られる。この過程が厳しい。加減してくれるとはいえ、ジムリーダーとの模擬戦も含まれるからだ。

なおジムリーダーはそのまま無条件でチャンピオンに年一回挑戦できる。

このため、最初からジムリーダーを目指すトレーナーもいるようだ。

カブさんは挑戦者殺しのジムリーダーとして知られていて。

事実、チャンピオンを目指していると思われる同年代のトレーナー達が。エンジンシティでごっそり脱落した。懐かしいなと思う。周囲には泣いている人もいて、それは何も子供とは限らなかった。

ホテルでスマホロトムを使って、各所に連絡。

チャンピオンになってから、仕事をするようになったが。その中には、荒事が珍しくもない。

もうすぐ11歳で仕事をしていることについては問題はない。何処の地方でも、現在は10歳になったら大人として扱われる。昔は20歳から大人だったらしいけれど。

今は色々な仕組みが整備されて。子供でも社会の一線に立てるようになったそうだ。

ダンデさんが10歳でチャンピオンになれたのもこの仕組みのおかげだけれども。

あんまり気が早い人生を送って、後悔する人もいると聞いている。

今回のお仕事で入った収入の幾らかを家に送るけれど、それでもありあまっている。

今ダンデさんは、大きな事業に着手しているけれど。

荒事の難易度が段違いな分。

チャンピオンの収入は大きいのだ。

今のダンデさんが、チャンピオン時代より収入が大きいかは、はっきりいってよく分からない。

食事を終えて、シャワーを浴びた後。ザシアンとクリームを出す。ホテルの室内でポケモンを出す事は別に禁止されていない。クリームは周囲を見回して目を細める。ザシアンはすっと背を伸ばして、いつもの丸まっている状態とは別の警戒態勢に即座に入った。

「少しずつ話を聞きたいと思っているんだけれど、いいかな」

「……」

クリームに、紙とペンを渡す。使い方は分かっている様子だ。

ザシアンを出したのは、クリームが危険な事をユウリも良く理解しているから。流石に二人っきりになるほど命知らずでは無い。

無防備なことと相手に対して寛容なことは違う。

悪い大人を見て来て、ユウリもそれはよく分かっていた。それに、ポケモンを可愛いだけの存在だと思っていた頃には、色々痛い目にもあった。

ユウリの実家にはゴンベというポケモンと、スボミーというポケモンがいるが。

実家にいるくらい慣れた子達と、野生のポケモンは全く違う。

だから、きちんと備えをしておくのは、当たり前の事だった。

「貴方がどうしてエンジンシティを襲ったのか、理由を教えて」

「お断りだ」

「そっか。 ちょっとそれは急すぎたかな」

分かる。今でも、クリームはユウリを隙さえあらば殺そうとしている。

そしてこの子は野に放たれれば、またワイルドエリアで力を蓄え。前以上の戦力規模で人間に挑むだろう。

意見を誰かに求めたら、此処まで危険なポケモンは殺すしかないと高確率で言われるはずだ。

だが、どうもクリームを見ていると、何か理由があったとしか思えないのである。

最低でも、その理由はしっかり見極めたかった。

「誰かのポケモンだったの?」

「どうしてそう思う」

「んー、何となくかな。 私も野生のポケモン、トレーナーに鍛えられたポケモン、どちらとも戦って来たから。 何となく分かるんだよね」

うっすらと嗤うクリーム。

この笑みだけで、普通の子供は泣くかも知れない。

優しい屈託がない笑みを浮かべる事が多いマホイップが、どうして此処まで闇落ちしてしまったのか。

勿論個体によって性格差はあるだろう。

だけれども、それにしてもいくら何でもこの子は異質すぎる。

「トレーナーのせい、ではないね。 トレーナーに何かあった?」

「その推理の根拠は」

「んー。 私が貴方を見極めようとしているのと同じで、貴方も私を見極めようとしているのが分かるから、かな。 実際無理をすれば私を殺す事は今までに出来たはずだし」

始めて少しだけクリームが驚いたようだった。

気付いていないと思ったのか。

此方も備えはしていた。殺気の類があれば分かる。これでも修羅場を散々くぐっていないのだ。

「貴方はトレーナーとしての私を見極めようとしているようだけれども、具体的にどうしたいの?」

「殺すときの参考に」

「うーん、そうかあ。 でも、殺されてはあげないよ」

「だったら私を殺したらどうだ」

流石に眉根を下げる。

クリームは見ていて分かったのだが、自分の命も何とも思っていない。多分戦いに負けた後、殺される事を最初から想定していたのだろうし。そして今まで幽閉されている間も。殺される覚悟が決まっていたから、何とも思わなかったのだ。

分厚い壁がある。

それは、ユウリにも分かった。

「もう少し話し合いが必要だね。 じゃ、ボールに戻って」

「……」

マスターボールにクリームを戻すと、ため息をつく。

そして、ホテルマンが持って来たお仕事に目を通すと、サインをしたり。スマホロトムに予定を記載していった。

ダンデさんに多数のスポンサーがついていたのは有名な話だけれど(だからダンデさんが試合でしているマントには、たくさんのロゴがついていた)。ユウリだって、自由に好き勝手出来る立場では無い。

特にマクロコスモスは、少し前に大きな不祥事を起こして上層部が交代していることもあり。

「新しいカリスマ」ユウリに媚態を尽くして必死にイメージの低下を防ごうとしている節がある。

仕事はたくさんある。

手持ちのポケモンには、まだ育成が不十分な子はいるけれど。それでも、お仕事に出すには問題ない。お仕事をしている内に、ある程度経験を積んで、出来る事が増えるようになる子もいる。

勿論ユウリもトレーナーだ。管理下にあるポケモンは、全員を把握している。

全ての仕事の割り振り、自信のスケジュールを確認すると、後は眠る。クリームは、どんな気分でモンスターボールの中にいるのだろう。

こんなに豊かなガラル地方だから、競争に敗れても即座に死ぬわけじゃ無い。人間は特にそうだ。

だけれども、ポケモンはそうじゃない。

完全に諦めてしまっているクリームの事は、どうにかしたい。そう、ユウリはベッドの中で考えていた。

 

2、血の雨

 

夕方近くに、ワイルドエリアに出向く。レンジャーの部隊が出てきていた。

かなり獰猛なポケモンがいて、近くの村を伺っている。そういう報告があって、調査に出てきていたのだ。

人を襲うポケモンもいるし、その中には桁外れに力が強い者もいる。

流石に村丸ごと全滅なんて事は、今では起こらないけれども。それでも、被害が出るのは未然に防ぐ。

ダンデさんのお仕事を引き継いで分かったけれど。

きっとダンデさんも、こんな風な仕事を、けっこうしていたはずだ。いわゆる汚れ仕事という奴である。

華やかに大舞台で戦うだけがジムリーダーや、チャンピオンの仕事では無い。

ポケモンを使った犯罪や、人間をおびやかす獰猛なポケモンに対する最大戦力。それこそが、トレーナーのトップに立つ者達の責務。

レンジャーの部隊長と敬礼をかわすと、まずは話を聞く。

今日は仕事が仕事だし、ユウリも動きやすい格好で出てきていた。

「どうやらバンバドロの様子なのですが、作物を食い荒らしていて、被害がかなり深刻のようです。 村のトレーナーが挑んでみたのですが、とんでもない強さで歯が立たなかったとか」

「分かりました。 調べて見ます」

「お願いします。 我々は村の方で守りを固めます」

すぐに手分けして動く。

レンジャー達も下手な手練れのトレーナー以上のポケモンをそれぞれが持っているが。これは数年前の教訓を生かし、徹底的に質そのものを上げたのが理由であるらしい。

すぐに手持ちのポケモン達を展開する。

村の周囲は森だ。

森の中は、大型の馬のような姿をしたバンバドロにとっても敵が多い筈なのだが。敵を寄せ付けないほど強い、と言う事だろう。

更に言えば人間が作る農作物のおいしさを知っていると言うことでもある。

厄介な相手だなとユウリは思ったが。ともかく捕まえるか、追い払うか。出来れば捕まえなければならない。

クリームも出すが。

意外な事に、最初に動きを見せたのはクリームだった。なお、マホイップは例外なく雌で、増える仕組みについてはよく分かっていない。

触手を一本伸ばすと、地面の一角を指さすクリーム。

マホイップに本来ない能力だが。

ポプラさんの話を聞く限り、クリームはたくさんのポケモンを殺して喰らい、その能力を取り込んだ様子だ。

これは何かの草ポケモン辺りの能力かも知れない。

臭いを嗅ぐザシアン。

そして、此方に向いて、軽く顎をしゃくった。ユウリも近付くと、かなり大きな足跡だった。

スマホロトムで撮影して、周囲を調べる。

近くに電磁柵がある。農作物の食害を防ぐため、害獣を近づけないように展開されているのだが。

柵を跳び越えたのか。

体が大きい分、少し鈍重なイメージがあるバンバドロだが。これは相当に強い個体とみて良さそうだ。

普通、バンバドロはそこまでしない。大きな体とパワーそのものを武器にする。跳躍力もあるかも知れないが、多分電磁柵を力尽くで破る事を考えるはずだ。

他の足跡も探す。

ラフレシアが声を上げて、手を振る。

近付くと、足跡が続いている。森の中を移動する事で、出来るだけ移動経路を気付かれないようにしているのか。

ぬっと側に来たザシアンが、警戒を促す。

意外に近くにいる、と言う事か。

ユウリは、反射的に飛び退く。

木陰から飛び出してきたバンバドロが、凄まじい勢いで前足を踏み降ろしてきたのである。

これは、殺意ありという事だ。

暴れ馬という言葉があるが。

馬のポケモンは基本的に繊細で。可愛いからと言って考え無しに手持ちに加えたはいいものの、扱いきれずに不幸な結末を招く事が珍しく無いと聞いている。

このバンバドロは、躊躇無く不意打ちで殺しに掛かって来たという事は。人間に対する殺意で目が濁っていると言う事だ。

更に、突進してくるバンバドロ。

すっと前に出たカジリガメが、突貫を受け止める。

パワーなら負けていない。

凄まじいぶつかり合いの音がした。

体勢を立て直すと、ユウリは指示。エースバーンとラフレシアに退路を塞がせて、クリームを一瞥。

「殺さないで、無力化だけ出来る?」

低い声で唸りながら、竿立ちになったバンバドロ。

同じく二本足で立ち上がると。蹴りをがっつり受け止めるカジリガメ。

重量級のポケモン同士の戦いの余波を受けて、森の木々が何本か倒れた。このままだと、村にも被害が出るだろう。

もう一度、出来るかと聞いたら。

暗い笑みを浮かべたクリームが、手をバンバドロに向けていた。

文字通り、押し潰されるかのようだった。

上から力が掛かって、不自然に地面に叩き付けられたバンバドロが、グシャグシャになった。

即死はしていないが、完全に足が折れている。

カジリガメが流石に数歩下がり、唸りながらクリームを見た。

エスパータイプが主に使うサイコパワーか。多分サイコキネシスだろう。ポケモンの中にも、かなり高いレベルで使いこなすものがいる。マホイップが覚えるという話は聞いていないが、やはり喰らったポケモンから能力を吸収したのか。

虫の息のバンバドロを、モンスターボールに捕獲。

モンスターボールの中に入れればすぐには死なないだろうが、手当が必要だ。

他にもまだ、悪さをしているポケモンがいるかも知れない。

一旦レンジャーに、バンバドロを捕獲したことを連絡。

更に、広範囲にポケモンを展開して、周囲を調べる。

今日はムゲンダイナの代わりにアーマーガアを連れてきているので、上空から様子がおかしいポケモンがいないか確認して貰う。

ガラルの空の王と謳われるアーマーガアは、兎に角屈強で頑丈な鳥ポケモンで。空輸タクシーを運ぶ事が出来るくらい主に忠実で大人しい性格もさながら。ちょっとやそっとの攻撃ではびくともしないタフさを併せ持つ。

しばし上空を旋回するアーマーガアに任せて。

周囲を引き続き警戒。

不意に、ザシアンが動いた。

飛びかかってきた大型のポケモン。少し反応が遅れたが、かなり大きなエレザードだった。

電気を扱うトカゲのポケモンで。かなりの大型に成長し、扱う電撃の火力も高い。

瞬時に反応したザシアンが地面にねじ伏せたが、この個体も恐らくは村の周囲を伺っていたものだろう。

しばらくばたばたともがいていたが、ザシアンは容赦なく地面に押さえつけ。捕獲するように促してくる。

頷くと、モンスターボールにて捕獲。

ふうとため息をつき、額の汗を拭った。

レンジャーの長が来る。

モンスターボールを引き渡す。特にバンバドロは負傷がひどいことを告げると、専門家に診せると約束してくれた。

チャンピオンになってから、ワイルドエリアでの仕事は増えた。

だからレンジャーと仕事をすることも増えたのだが。

故に言われた。

「チャンピオンにしては仕事が粗いですね。 多少の相手なら、此処まで酷い負傷はさせないのに」

「そうですね、すみません」

「いえ、殺すつもりで襲いかかってきた重量級を、相手を生かしたまま捕らえただけでも充分です。 後はレンジャーにて対応します」

「お願いします」

頭を下げると、ユウリはさて、と思った。

今回も、敢えて隙を作ったのに、クリームはユウリの背中を刺さなかった。自分の命をクリームが何とも思っていない事は知っている。

そろそろ、しっかり話をした方が良いだろう。

念のため、もう少し周囲を調査する。少なくとも上空からの調査で、問題は確認できず。

また、ザシアンも、敵意があるポケモンはいないと、ユウリに視線で示してきていた。

それでももう少し調査をして。

夕方まで、辺りを丁寧に調べた。

これは、小さな村の人達を、安心させる意図もある。チャンピオンがわざわざ来ているなんて話をすると、村の人達を却って心配させるから。あくまでレンジャーが仕事をしている風に見せるが。

その後、村に入って、たまたま村に来た風を装う。

流石にダンデさんほどではないけれど、最近はユウリのファンも増えてきていた。ユウリのエースであるエースバーンは、使うトレーナーも増えてきている様子だ。一方カジリガメに関しては、扱いが難しい事もあって、出来るだけ人前には出さないようにと周囲から言われている。

カジリガメには話をして、納得して貰っているが。

ユウリ自身は、こういうのはあまり好きでは無かった。

村で歓迎を受けて。年下の子供達から質問とかされて、それに答える。

村一番の宿という小さな宿に泊まると。

翌日、朝一番に村を出た。

スケジュールに少し余裕を作っておいた。じっくり、主力の皆と話をしておきたかったからである。

任されたからには。

それに、何となく事情を察したからには。

放っておくわけにはいかない。

厳しいトレーナーだったら、殺処分しかないと口にするだろう。事実トレーナーを殺してしまったキテルグマなどは、殺処分される事が多い様子だ。

だけれども、ポプラさんは粘り強く、クリームをどうにか出来るかもしれないトレーナーの出現を待ち。

ユウリを選んでくれた。

だったら、その責任に応えたい。

まだまだダンデさんに到底及ばないチャンピオンの卵だからこそ。光の部分の仕事だけではなく。

こういった闇の部分の仕事も、きっちりこなしたいのだ。

重圧だが。それも仕方が無い。

ダンデさんは、ずっとこんな重圧に耐えていたのだ。今のユウリと同じくらいの年頃から。

それなら、ユウリだって耐えなければならない。

まずワイルドエリアの外れ。比較的安全な場所にキャンプを展開する。

手持ちを調整して、まずは主力を展開。

基本的に話に加わるつもりがないらしいムゲンダイナとクリームは除いて。他の主力を全員出す。

クリームの話をすると。最初に反応したのは、ラフレシアだった。

ラフレシアはあまり賢いポケモンでは無いが、ある程度の人間の言葉は理解する事が出来る。

身振り手振りで返してくるので、何となく言いたいことは分かる。

怖い、というのがラフレシアの素直な反応のようだった。

気持ちは大いに分かる。

バンバドロを一瞬で半殺しにしたあの力、まだあれでも加減していたことが分かる。ザシアン程ではないにしても、桁外れの力だ。

何より、目が怖い。

そう手振りで示すラフレシアに、頷いた。

エースバーンはと言うと、よく分からないと身振りで示す。

最初からの相棒であるエースバーンも、人間の言葉をある程度理解出来るし、感情表現も豊かだ。

手振りも、ラフレシアに比べると大げさだけれど、余計に複雑な感情を示してくれるし。もっと分かりやすくもある。

エースバーンも、クリームが殺意に満ちている事には気付いている様子で。危ないから、出来るだけ目を離さない方が良いと忠告してくれる。

それは分かっていると頷いて、次。

カジリガメ。

最初は、非常に此方を警戒していて。隙あらば腕ごと食い千切ろうとしていたカジリガメである。最初はカムカメというもっと小型の形態で。其所から進化させて、今の巨大なカジリガメになっている。

ようやく心を許してくれたのも、進化をした後くらいから。

だからかも知れないが。

カジリガメは、前の二人よりも同情的だった。

基本的に寡黙なカジリガメだが、一応の意思は示してくる。クリームの話だと分かってもいる様子である。

カジリガメは、エンジンシティの方を向いて、促す。

彼処で何があったのか、調べるべきだというのだろう。

アーマーガアにも聞く。

ザシアンやムゲンダイナが手持ちに入るようになってから、後進のポケモン達の面倒を任せるようになったアーマーガア。此方も雛に等しいココガラの時から育てている、ユウリの手持ちとしては最古参である。

昔はかなり好戦的だったのだけれど、今は性格も落ち着いていて。話を聞いてみると、やはりゆっくり知るべきだという答えだった。

アーマーガアには戻って貰い、代わりにフォクスライを出す。

此方もムゲンダイナとザシアンが加わってから、後進の面倒を見るようになったポケモン。狐のような姿をしたポケモンで、数の利を生かし、搦め手をつく戦法を得意としている。

一方、正攻法で真正面から戦うと分が悪い事もあって。今はむしろ頭を使う後進の育成を楽しんでいる様子だ。

多分手持ちのポケモンの中では、フォクスライは一番頭が良いが。その一方で、一番ずるがしこくもある。

隙を見せるとズルをする事が多い。後進のポケモンにはむしろ優しかったりするようなのだが。この辺りは、或いは自分の派閥を造ろうとしているのかも知れない。

フォクスライに話を聞くと、しばし考え込んだ後、危ない、とだけ示してきた。

フォクスライは悪戯もするが、なんだかんだでユウリを信頼してくれている。

だからこそ、ストレートに言うべきだろうと思ったのだろうか。

様子をじっと見ているだけのザシアンに意見は聞かない。

ポケモンであっても、ガラルを救った伝説の存在だ。あくまで後見人のようなものだとユウリは思っている。

チャンピオンになった以上、自分達で解決しなければならないだろう。

だが、ザシアンは、意外にも。自分から、キャンプの輪に加わってきた。

驚いた様子のフォクスライを無視して、唸る。

自分に任せろ、とでも言うのだろうか。

「いいの?」

聞いてみるが、その場で丸くなってしまう。ぐだぐだ話すつもりはない、と言う事なのだろう。

しかしながら、伝説のポケモンである。

無茶はしないはずだ。

ユウリは決断する。

「分かった。 いずれにしてもクリームについては私もどうしていいか分からない所だったし、皆も手詰まりだと言う事、知らなければならないと言う事については意見が一致していると思う」

たくさんの人が死ぬ事件を起こした。

それは事実だ。

本来なら償える話でもない。

だが、クリームは元々誰かの手持ちポケモンだった可能性が高い。それも極めて高いとユウリは思っている。

そもそもマホイップとマホミル自体が人間に対する依存度の高いポケモンで、それが彼処まで強固に人間を憎むようになったと言うのは相当な原因があったはずなのである。

今の時代、人間とポケモンはある程度仲良くやれている。

昔はポケモンを使って戦争をしていたし。

今でもガラル以外の地方では、ポケモンを使って悪い事をする人が後を絶たないとも聞いている。

それならば、ポケモンを理解し、ともに歩むことは絶対だ。

ただでさえ、ポケモンの中には、この世界そのものに影響を及ぼすほどの存在がいるのである。

人間にとって有害だから殺す。

それだけでは、今後も過ちが繰り返されるばかりだろう。

皆に一旦モンスターボールに戻って貰うと、ザシアンとクリームだけを残す。ユウリは敢えて距離を取り、カレーを作り始める。

何のつもりだと思ったのか、クリームはしらけた様子でユウリの背中を見ていたが。

やがて、ザシアンに促されて、キャンプの端と端に、それぞれ別れた。

 

此奴は強い。

そう、クリームは一目見たときから、ザシアンを判断していた。しかも恐らくだが、此奴は本気を出していない。

あのムゲンダイナという骨みたいなドラゴンタイプのポケモンもそうだが。

新しいチャンピオンを恐らく見極めるためなのだろう。

そして何となくだが分かる。

此奴は一度死んでいる。

ゴーストタイプのポケモンも、クリームは今まで何体も喰らってきた。だからこそ分かるのである。

此奴には同じ、一度死を体験した者の臭いがする。

隅っこの方で座ると。ザシアンは唸るように声を上げた。やはり、会話は成立するらしい。

それどころか多分この大きな犬のようなポケモン。その気になれば、人間の言葉だって話せるはずだ。だが、敢えてそうしていない。距離を取るためなのだろう。

力があるのに使わないのは、あまりクリームの好む行動では無い。少しいらだたしい。

「何のつもりだ」

「あのトレーナーは、お前が憎む人間とは違う」

「……人間は一人を除いて皆同じだ」

「愚かな人間が多い事については同意する。 少し昔の話をしてやろう」

ご老体の昔話か。

ザシアンは、ユウリとかいう新しいチャンピオンが、楽しそうにカレーを作っている背中を見つめる。

「古き時代、この土地にブラックナイトの災いが起きた。 星の世界から来たあの魔竜が意図せずに起こしたものだ」

「ムゲンダイナという彼奴か」

「そうだ。 ムゲンダイナに悪意はなかったが、伴った力が大きすぎたのだ。 私はその時に、剣たる存在としてこの土地にいた。 盾たる存在とともにな。 ダイマックスと今は呼んでいるようだが。 そのダイマックスの力になれていないポケモン達は暴れ始め、ポケモンも人も滅びの縁に立たされた。 その災いこそブラックナイト。 それを食い止める力が我々にはあり、故に動いた」

しらけて聞いているクリームに。

ザシアンはブラックナイトとやらの顛末を話す。

「この土地は、今は人間が流動的に治めているようだが、昔は王族がいた。 まあ今もその成れの果てはいるようだがな。 その王族と協力して、私は魔竜ムゲンダイナを撃ち倒し、封印した。 悪意はないとしても災厄の根元であれば撃ち倒さなければならなかったからな」

「悪意がある私は斬ると言う事か」

「……話はまだ続く。 激しい戦いで手傷を受けた私は、雪の地にある温泉で身を癒やす事にした。 だが其所でおかしな事が起きた。 「王族が」この地の災いを収めたことにするべきだという話を、人間共が始めたのだ。 更に言えば、二人の王族がこの地の災いを収めたのに。 それを一人でやった事にするべきだという話まで始まった」

人間らしいとクリームはせせら笑ったが。

ザシアンは悲しそうだった。

「私は盾たるザマゼンダと話をすると、一度は協力する事を決めた人間から、距離を取ることとした。 だが、人間の方が行動が早かった。 深手が癒えていなかった私達に、容赦なく追っ手が差し向けられた。 致命傷を受けた我々は、深い森に己の力を拡散させると、其所にて剣を媒介とし。 ザマゼンダは盾を媒介とし。 眠りにつくことにした」

それで此奴は、一度死んだ形跡があったのか。

それに此奴も、人間に裏切られているのではないか。

だが、意外な事をザシアンは言う。

「私は人間から距離を取ることにしたが、しばらく観察を続けもした。 ガラルと呼ばれるこの土地は、それから長い変転を経て今に至るが。 私が見守り続けている間も、人間は愚かな行為も良き行為も繰り返してきた。 ほどなくあの者が現れ。 そしてムゲンダイナの復活もまた発生した。 場合によっては、私は放置しておくつもりであったのだがな」

「何故助けた。 放っておけば、復讐はなせただろうに」

「復讐に益は無い。 そう私は判断したからだ」

「……」

何が、復讐に益がないだ。

クリームは、己の中の憎悪が沸騰するのを感じたが、敢えて黙っておく。ザシアンは恐らく、此方を見透かした上で言う。

「実の所、今の時点でもあの者を完全に信じたわけではない」

「そうであろうな。 貴様はあからさまに手を抜いている。 見れば分かる」

「そうだな。 お前と同じようにな」

「分かっているのなら、全力での力比べと行くか? 病み上がりはお互い同じ。 伝説殿と、手合わせは興味があるが」

ザシアンは鼻を鳴らす。

クリームは、静かに相手の対応を待つ。

場合によっては。

この場で殺し合っても別にかまわない。敗れた相手が伝説のポケモンなら悔いだってない。

元々捨てた命だ。

「もう少し、様子を見れば良いのではないか。 お前の様子を見ていると、何か大事なものを奪われたのだと分かる。 それは恐らく尊厳であろう」

「ほう……」

「しかもお前の尊厳ではないな。 お前が一番大事にしている存在の尊厳だ」

「流石は伝説殿だ。 その洞察力に敬意を表して叩き殺してやろうか」

周囲が、一気に殺気に満ちるが。相手は乗ってこない。

毒の注入が止まり。鉄の枷も外れた今。クリームの力はほぼ戻っている。

その気になれば、伝説相手とはいえ、簡単に敗れることはない。ただし、相手も本気を出していない。死闘になるだろう。勝てるかどうかは、やってみなければ分からない。

見透かされて相当腹が立った。

戦いに乗るつもりなら受けて立つのだが。どうも相手にその気が無いらしく、怒りの矛先が定まらない。

「お前から提案してみるといい。 お前が奪われたもののあった場所に行きたいとな」

「それで?」

「見極めろ」

後は、ザシアンは何も言わなかった。

何だか知らないが、完全に見透かされて苛立ちが募るが。しかしながら、どうしてか不思議と心に届く言葉でもあった。

クリームは奪われた尊厳を奪い返すため復讐を誓った。

だが、今、その尊厳を取り返す方法はない。

ゆっくり、ユウリの背中に歩み寄る。ザシアンは丸まったまま。その気になれば、背中から襲いかかって殺して逃げ切る事も可能だが。

ユウリが、背中を向けたまま言う。

「お話終わった? もうすぐカレー出来るからね」

「……」

「ザシアンって殆ど喋らないんだけれど、さっきは随分色々話していたみたいだね。 それで、何かしたいことでも出来た? 相談になら乗るよ」

カレーが仕上がったらしい。

ユウリが配膳を始める。三皿だけ。他はまだ火に掛けたまま。他の奴らのエサは出さないのか。

ゆっくりザシアンが此方に来る。

彼奴もあれで、カレーは好きなのか。また妙な伝説のポケモンだなと思ったが、まあどうでもいい。

彼奴なりに、現代の世界と。それにこのユウリというチャンピオンに、慣れようとしているのかも知れない。

こっちは、もう向こうに合わせるつもりはさらさら無いが。

カレーを一瞥する。

ホイップクリームを使っているのか。

「隠し味のホイップクリームがおいしいよ。 食べて見て」

無言で食べ始めるが、正直言ってまだまだだ。しらけた様子のクリームを見て、ユウリは言う。

感想を聞かせてくれないかと。

まずは食べ終えてから、順番に説明していく。

ホイップクリームの甘さとカレーの辛さが美味く噛み合っていない。これなら入れる木の実の配分を変えるべきだ。

主なら。

そう思いかけて、途中で字が止まった。

手が震えてくる。

主は、主だったら。きっと笑顔で、ユウリにホイップクリームの使い方を教えていただろう。クリームに、このカレーに合うホイップクリームを出すように、頼んでくれたかも知れない。

だが、どうせ此奴も、主を見たらあいつのように。

気持ち悪いとか言い出して、その尊厳の全てを否定し出すだろう。わなわなと震えるクリーム。

ばきりと、手の中で枝が折れた。

じっと、ユウリはその様子を見ていた。

「そうか。 きっと、食べ物の関係で何かあったんだね。 貴方の元の主は、カレー屋さん? それともケーキ屋さん?」

「……」

「明日、エンジンシティに行く用事があるんだけれど、少し時間が空いているの。 もしも行きたいところがあるのなら、指定してくれる?」

主のお店は。

知っている。偵察させた。

既に潰されて、空き地になっている。無縁墓地で、主は雑に葬られ。そしてどれが主の骨か灰かさえも分からない。

あんなに美味しかった主のケーキは、存在を全て否定されて。いかがわしいやり方で作られ、邪悪な薬物が入っていたから美味しかったからと。その情熱も技量も、そして愛情さえも悉く否定された。

握りこんだ拳から、血が流れ出てくる。

ユウリが冷静にポケモンを出す。回復の技術を持つポケモンだが、クリームはそのまま自分の傷を、自己再生能力で回復。万能では無いが、このくらいの傷ならすぐにでも治る。

マスターボールを蹴るようにして空け、中に戻る。

どろどろの殺意が渦巻き。

クリームの中で煮えたぎる。

あの戦いで前チャンピオンを殺していれば。此奴が台頭してくることだって無かっただろう。

一生の不覚。

何もかもを、徹底的に打ち砕けなかった自分が。

口惜しくてならなかった。

 

3、夢の跡の場所

 

眠っていた。

解放された直後からは。凄まじい怒りによりずっと覚醒状態を保っていたクリームだったけれど。それがどこかで、ふつりと切れてしまったのだろう。

怒りで全身が焼けるようだったけれど。

それでも、マスターボールの中で、いつの間にか眠ってしまっていた。

周囲は不思議な光景だ。

主と一緒にいたときは、殆どモンスターボールの外にいたけれど。たまにモンスターボールに入る事もあった。

中はポケモンにとって良い環境に最適化されていて。

本来だったら、疲れが取れ力の消耗も抑えられる。

だけれども、主が命を落として。

ユウリにマスターボールに入れられてからは。そんな風に感じたことは一度もなかった。普通のモンスターボールとは比較にならない好環境なのだろうが。そのような事は関係無い。

膝を抱える。

強烈な負の感情が、一線を越えてしまったのだろう。そして疲れが限界に達し、眠ってしまっていた。

何とも不覚だが。それもまた、仕方が無い事なのかも知れなかった。

マスターボールから出される。

エンジンシティだ。ただし、その外れだが。見覚えがある奴がいる。確かカブとか言うジムリーダー。まだ現役だったのか。

流石にクリームと戦った時に比べて、少し老けているようだが。そもそも殺し損ねた前の戦いの時も初老に片足を突っ込んでいたっけ。

いわゆる生涯現役という奴だろう。

「ユウリくん、このマホイップは、あの事件の主犯の……」

「クリームという名前だそうです。 直接本人から聞きました」

「そうか。 やはり誰かトレーナーがいたポケモンだったんだな」

「恐らくは、エンジンシティにいた誰かだと思います。 これからクリームと話してみますので、協力して貰えますか?」

頷くカブ。

まずユウリが住所を聞いてくる。完全に無視。知っているが、教えてやるものか。

ため息をつくと、ユウリは言う。

「カブさん、ケーキ屋さんについて調べてほしいんです。 後はカレー屋さん。 どちらかだと思います」

「エンジンシティの、ケーキ屋とカレー屋? どちらもたくさん存在するけれど」

「この子が起こした事件の直前になくなったお店です。 多分半年以内だと思います」

「!」

クリームが反応すると。

やはりという目でユウリが此方を見た。

此奴、ある程度当たりをつけておいてかまを掛けてきたか。結構鋭い奴だ。ダンデを試合とは言え倒したというのも、あながち嘘でも無いのかも知れない。

カブが行くと、その場にはユウリとクリーム、それにザシアンとエースバーンが残った。

ユウリが聞いてくる。

エースバーンも残したのは、恐らくクリームが精神的に不安定になっていると、見抜いたからだろう。

「ねえクリーム。 何があったのか、話して。 誰に何をされたの」

「……お前に話すことなど無い」

「ポケモンの言葉だと分からないよ。 でも、拒否しているのは分かった」

ザシアンもエースバーンも、此処が街の一角だからか、一切合切油断するつもりは無い様子だ。

暴れ出したら全力で制圧に来るだろう。

エースバーンなら倒せる自信があるが。それでもこのエースバーン、相当に強い。ザシアンが本気を出してきた場合、伝説級も含めての二対一の状況であるし、勝てる見込みはない。

程なくカブから連絡が入ったようだ。ユウリがスマホロトムでやりとりをしている。

「該当は七箇所。 ケーキ屋さんが四ヶ所、カレー屋さんが三箇所。 ……このケーキ屋さん、少し潰れた経緯がおかしいね」

すっと、スマホロトムの画面を突きつけられる。

主の店だ。

此奴、一発で特定しやがったか。多分天性の勘を持ち合わせているのだろう。あのダンデと同じか、それ以上の。

すぐに歩き出すユウリ。

促されて、歩き出すクリーム。口を引き結ぶ。後ろから、エースバーンが話しかけてきた。

「お前に何があったのかは分からないが、ユウリはすごく良い奴なんだ。 何かやらかしたらブッ殺してやるからな」

「嗤わせるな。 其所の犬なら兎も角、お前は私に勝てん」

「ああそうかもな。 お前は確かに強い。 だがな、ユウリの指示があれば結果はわからねーよ。 彼奴の指示で、何度も格上を倒して来たんだ。 ガラル最強のトレーナーを侮るなよ」

「ふん……」

ザシアンは相変わらず何も言わない。

まっすぐ現地に向かう。あまり外にで歩くことはなかったけれど。間違いなく主のケーキ屋に近付いているのが分かった。

そして、到着した。

空き地だ。草ぼうぼう。周囲の綺麗な家とは対照的な、何も無い場所。禁忌にさえ思える。

ユウリが周囲の家に対して、聞き込みを開始している。その間、クリームはじっと待っていた。

怒りに身が震えるようだ。

まだ覚えている。店長とこの辺りで呼ばれていた頃の事。主と話し合って、そうした方が良いと決めて。外に主が作るケーキを持ち出すときは、「人間から見て見栄えが良い」クリームが。

ケーキを作るのは、主が。

それぞれ担当したこと。

主はケーキを作ることと、作ったケーキが人を笑顔にするのが大好きだった。あんなに人に迫害されてきたのに。

だからクリームも笑顔でそれに協力した。

主は突然命を落とした。理由は分からない。病院では、心臓発作だとか言っていたが、確か理由不明の場合は心臓発作にするとか聞いた。

その後の事は思い出したくない。

確実に暴走状態になる。

主のケーキを美味い美味いと食べていた連中が、掌を返したあの経緯は。主はまともに葬られもしなかった事実は。

周囲の連中が。見かけだけで主を判断して。

そしてその尊厳の全てを奪い去り陵辱して踏みにじった事は。

呼吸を整える。

何件かめの家で、裕福そうな太った女が出てきた。ユウリが此方を一瞥だけする。殺気と怒気に気付いているのだろうか。

「あら、貴方は新しいチャンピオンさん」

「はい。 ユウリです。 少し今調べ物をしています。 ……このケーキ屋を覚えていますか?」

「……あらやだ、このケーキ屋。 覚えているわよ」

もう一度、ユウリが此方を見た。

いや、違う。

ザシアンとエースバーンを見た。場合によっては即座に取り押さえろというのだろう。面白い。

もし取り押さえるというのなら、最悪この女だけでもブッ殺してやる。

「具体的に聞かせてください」

「とても美味しいケーキ屋さんだったのよ。 何だか悪い噂が流れて、それで潰れてしまったけれど」

「経緯は逆じゃありませんか?」

「……どういうことかしら」

ユウリは言う。

ケーキ屋の主人を見た事があるかと。

太った裕福そうな女は、しばし考え込んだ後、そういえばバイトしか見た事がないと言う。

何人かのバイトが交代で勤務していたけれど。

店長らしい人物は見た事がなく。代わりに、愛くるしいマホイップがケーキを配膳していたという。

ユウリはその度にメモを取っている。

スマホロトムで、録音もしているようだったが。

「悪い噂の具体的な内容は知っていますか」

「何だか子供に言って良いのかしら。 いかがわしい作り方をしたケーキだったとか、それで警察が入ったとか。 何だか悪いお薬が入っていたとか、そんな事を聞いたわねえ」

「具体的に誰からですか」

「お隣さんからよ。 実はね、そのお店でケーキを買った直後だったから、心配で調べて貰ったの。 マホイップが本当に信頼している相手のために作ったホイップクリームが使われている事くらいしか分からなかったわ。 少なくとも、噂に出てくるような変なお薬の形跡は無かったそうよ」

もったいないことをしたわと女はいい。

一瞬だけクリームを見たが。多分そのマホイップがクリームだとは、気づけなかったのだろう。

ユウリにサインをねだり。ユウリも笑顔を崩さずに応じていた。

更に数件、聞き込みを行う。

年老いた夫婦が出てきた。ユウリが咳払いをすると、丁寧に話を聞いていく。少し耳が遠いようだが。

男の方が覚えていた。

「あのケーキ屋さんな、代々ケーキ屋を続けていた店だったな。 以前は昔気質の店長がいて、いつも気むずかしそうにしていたんだが……そういえば、ある時期から急に更に機嫌が悪くなったな」

「詳しくお願いします」

「ええと……結婚して……そうだ、子供が出来てからだ。 子供の姿を殆ど見なかったし、初等教育でも話は聞かなかったな。 それどころか、夫婦で怒鳴りあいをしているのを聞いたっけ」

「おじいさん、そのような事を……」

「チャンピオンが直接調査に来ているんだ。 何か大きな事件につながっているんだろう?」

ユウリは頷くと、続きをと言う。

少し考え込んでから、年老いた男は続ける。

「その頃から、ケーキが目立ってまずくなってな。 店が傾きかけた頃、夫婦が相次いでなくなった。 よく分からんが、夫の方は怒鳴りすぎて頭の血管を切ってしまったらしいな。 病院で噂を聞いた。 妻の方はストレスがたまりすぎて、夫が亡くなった直後に入院してそれっきりだったそうだ」

「……ケーキ屋さんは、それからも残っていたんですか?」

「ああ。 多分子供がついだんだろう。 だけれども、どうしてかその子供を誰も見た事がなくてな……」

「お爺さん、あの事件の時に」

口をつぐむ老人。

どうやらこの老婆の方が、よく分かっているのでは無いのだろうか。

「お願いします。 この事件、結構根が深いんです。 私が調査をするくらいに」

「……ケーキ屋が潰れる少し前だったか、ケーキ屋で人が死んでいるのが見つかったんだよ。 どうやらその死んだ先代夫婦の息子らしくてな、酷い顔だった。 顔が崩れているというのか、なんというのか。 それでいて図体がでかかったから、噂になった。 実を言うと、先代の時よりもケーキの味は断然上がっていたんだよ。 だから、逆にそのケーキを作っていたのがバケモノじみた男だったと言う事で、悪い意味での噂があっと言う間に広がってな。 更に、親戚も一人もいないのが徒になって、店は潰された。 男については、無縁墓地に葬られたと聞いている」

「……大体分かりました。 この事件、百人以上の死者が出ました。 でも、それも当然に思います」

「えっ……」

老夫婦に頭を下げると、ユウリは聞き込みを終えた。

そして、少し場所を移しながら、カブや警察と話をしているようだった。珍しく、相当に苛立っていた。

「ええと、名誉毀損か何かで……時間が経ちすぎている? 私がちょっと調べただけで、これだけ色々出てくるのに。 ガラル警察と言えば色々難事件を解決する事で有名でしょう? あれだけの事件が起きたのに、どうして何も調査していないんですか!?」

「ユウリ、珍しく本気で怒ってるな。 あんなに怒ってるのみたの、いつぶりだったか」

「温厚だとは思っていたが、怒るのだな」

「……俺も何回かしか見たこと無い。 少なくとも、ポケモンに対して怒りをぶつけるところは一度も見たことが無いな」

エースバーンとザシアンが話し合っている。クリームは爆発寸前だが、ユウリは何かを悟っていたのかも知れない。

しばしして、しぶしぶという感じで警察が来る。

資料が届けられた。

警官は少し困った様子で、事件性無しだったから、探し出すのが大変だったと写真などを渡していた。

ユウリは頷くと。

写真を受け取り、静かに見つめていたが。

やがて、クリームの所に持ってくる。

「この人、カーネーションさんっていうらしいけれど。 クリームの主で間違いないね」

「……」

「そっか、間違いないか。 分かった、有難う。 此処からは、私に任せて。 私の廻り、立派な大人が多いから。 此処と違って」

しらけたまま、話を聞く。

ユウリは何人かに連絡を入れていて。

そして、クリームには、一度ボールに戻ってと言ってきた。

薄笑いを浮かべて、棒で地面に書く。

「それで。 どうするつもりなんだ」

「名誉を回復する」

「そんな事より主を返せっ!」

ブチ切れる。

全身から抑えきれないサイコパワーが噴きだし、来ていた警官達が飛び退く。ウィンディを展開した警官もいた。

エースバーンは構えを取ったが、ザシアンは静かにこっちを見ている。

ユウリは、動じる様子も無い。

「クリーム。 いい、聞いて。 カーネーションさんは、検死の結果心臓発作で亡くなったことが分かっているの。 そして、カーネーションさんは、貴方といられてずっと幸せだったの」

「知るかっ! 主がどれだけ迫害されていたか知らないくせに! 主はいつも怒鳴られても殴られても笑顔だった! 親からゴミでも見るような目で見られながらも、それでもケーキについて勉強した! それで親を超えたんだ! 主の親父が死んだ理由を教えてやろうか! 主が作ったケーキが、自分のものを超えたからだよ! 錯乱したあの親父、頭の血管を切って死にやがった! 女の方は、それを見て主を悪魔と罵りながら病院で悲劇のヒロインぶって死にやがったんだ!」

ユウリは、静かにクリームを見ている。

警官隊が慌てた様子で周囲を取り囲んでいるが、すっと手を横に出して、手出し無用と指示。

エースバーンも、それで納得したように、少し下がった。

「カーネーションさんは迫害されていた。 それは今までの情報で私も理解出来た。 でもね、貴方の中でカーネーションはいつも貴方に笑顔を向けていたし、貴方の事を本当に大事にしていたし。 一緒にケーキを作ることを、喜んでいたんじゃないのかな」

「どうしてそんな事が分かる!」

「そうでなかったら、貴方が其所まで怒らないからだよ」

口をつぐむのは、クリームの方だった。

びりびりとした空気の中。

ユウリはなおも言う。

「カーネーションさんは、こんな場所に生まれて、酷い扱いを受け続けても、まだ笑って好きな事に打ち込める立派な人だったんだよ。 だから、今からするべきなのは、その名誉を回復すること。 カーネーションさんは、迫害をするような心が寂しい愚かな人達なんて、何とも思っていなかったはずだよ。 それならば、クリーム。 貴方がするべき事は、その名誉を回復して、それを見届ける事では無いのかな」

「……私は、主と一緒にケーキが作りたい」

「それは出来ないよ。 ゴーストポケモンにもでもなっていないかぎりね。 でも、そんな風になっていたら、クリームにも分かるでしょう?」

「……」

もう一度、多少柔らかい口調で、ボールに戻ってと言われる。

頷いて、ボールに戻る。

人間に怒気を叩き込んだのに。平然と受け流された。新しいチャンプというのも、伊達では無いという事か。

いずれにしても、何だか気が削がれた。

膝を抱えて、しばし待つ。

人間の美的基準など知らない。

あいつはああいったけれど。迫害されて主が寿命を縮めたのは確実だ。それはクリームが一番側で見ていたから、一番よく分かっている。

だが、どうしてだろう。

ユウリは怖れず、クリームに立ち向かってきた。

クリームとの苛烈な戦いで、眉一つ動かさなかったダンデと同じように。

 

しばしして。

ボールから出される。場所は、主の店のあった場所だった。

時間はどれくらい経過しただろう。モンスターボールの中では、どうも時間の経過がわかりにくい。

だからいつも主には、ボールから出しておいてくれと頼んでいたし。

必要がないとき以外には、ある時期から入らなくなった。

草ぼうぼうの空き地だった其所には。

既に、店が建てられていた。

綺麗になっているが、間違いない。主の店だ。側に立っているユウリが、笑顔を向けてくる。

「どう、再現完璧でしょ」

「お前がやったのか」

「……お前がやったのか、かな? そうだよ。 内装も再現完璧。 見てみる?」

目を細めた後、中に入る。確かに、主と暮らした場所だ。内部は、いつでもケーキが作れる状態だ。

厨房に入る。

今も主がそこにいそうだ。

主は成長するにつれ、体が大きくなるのが速かった。だから、途中からは、主の親父に殴られても、あまり痛そうにはしていなかった。それを見て、更に主の親父は暴力を激化させたが、途中から効果がないと判断して、暴言に切り替えた。

ケーキ造りの腕前は兎も角。最低の親だった。

そんな親に一切主は似なかった。独学でトレーナーの資格を取ると、クリームを捕まえて、マホイップに進化させてくれた。

ポケモンにニックネームをつけないトレーナーも多いけれど。主はクリームに、ホイップクリームの守護者という意味で、そのままクリームという名前をつけてくれた。

クリームは、主が。

今でも大好きだ。

目を拭う。

「サプライズ」

ユウリが言うと、奥から若い女が、ケーキを持ってくる。主が作ったものと同じケーキである。

ただし、まだデコレーションはしていない。

「レシピはね、幸い残ってたんだ。 この家が取り壊されるとき、ロトム達が外されたんだけれど。 そのロトム達を追跡して、そして回収したの。 ロトム達が全部証言してくれたし、記録されていたレシピも出してくれたよ。 後はプロに頼んだんだ」

勿論、薬物など入っていない。

主はいつも楽しそうにケーキを作った。

菓子作りは計量との勝負だ。レシピをまず再現する事。そして、レシピ造りは更にその先になる。

レシピを完全再現するところまで行けていなかった両親を主は超えて。

そして自分でレシピを改良。何処でも通用するケーキを作るところまで腕を上げた。

この辺りは、クリームが主と一緒に勉強したことだ。両親が「外に出すと恥ずかしい」という理由で主を外に出さなかったから。一緒に初等学校の内容から勉強したのである。

「デコレーション、してくれるかな」

「……」

「これは完全に再現したカーネーションさんのケーキだよ。 それに対して、クリームが酷い事なんてできないよね」

「卑怯なやり方だな……」

苦笑いするユウリ。

ため息をつくと。クリームは、ケーキにデコレーションを施す。体が血に染まった今も、ホイップクリームを産み出すことは出来る。

やがて、主のケーキが再現された。

すぐに試食が行われる。

皆が笑顔になるのが分かった。

ユウリは美味しい美味しいと食べているし。奴が呼んだらしい数人も、ケーキを絶賛していた。

中にはダンデやキバナ、カブやポプラもいる。

毒殺を怖れなかったのだろうか。

いや、ユウリは読んでいたのだ。クリームが、主のケーキにそんな事など出来るはずもないと。

「ユウリくん。 これは……これは実に素晴らしいケーキだね。 幾らでも食べられそうだ」

「俺は辛党なんだが、このケーキはむしろ食べやすいな」

「ちょっと年寄りにはたくさんは食べられないが、まあ充分な出来だろう。 紅茶を淹れておくれ」

「確かに素晴らしい。 だが素晴らしすぎてカロリーを取りすぎてしまいそうで困るね」

口々に言っている。

クリームは、静かにため息をつく。

いつの間にか、側にザシアンがいた。

「これからあのケーキを売るそうだ。 カーネーションブランドという名前でな。 更に、数年前のお前が起こした事件に関して、関連する情報も公開するという話だ。 両親および近隣住民によるカーネーション氏への虐待、その結末の大事件とな」

「……」

「彼奴はチャンピオンとしての財力と人脈を生かして、カーネーション氏の名誉を回復させた」

見ろと言われる。

取材が来ている。ガラルを代表するトレーナー達が掛け値無しに絶賛するケーキ。これ以上の宣伝効果は無いだろう。

主が此処にいたら。

笑顔を浮かべているだろう。ユウリは、それを全て計算した上で、やってのけたと言う事だ。

「次はお前の番だ」

「……何をしろというのだ」

「そうだな。 あの者を助けて、殺した以上に救え。 今のお前なら、それが出来る筈だ」

しばし、沈黙した後。

分かった、と応える。

確かに、主はこの光景を見れば喜ぶだろう。そして、それ以外に、クリームが望むものなんてない。

自分の命だってどうでもいいのだ。

あの日に見た絶望は、既にユウリがどうにかしてくれた。人間は揃ってクズだと思っているし、今だってそれに違いは無い。

だが彼奴は例外だ。主と同じように。

だったら、今度は此方が筋を通す番か。

程なく、ケーキの試食会が終わる。ユウリは取材のカメラに向けて、かなり険しい表情を作った。

「今、一連のケーキを見せました。 いずれもが薬など使われていない、清潔な行程で作られたとても美味しいケーキである事はガラルのチャンピオンである私ユウリが保証します。 でも、この素晴らしいケーキを作り出したカーネーション氏は、見かけが醜いという理由だけで迫害され続けました。 それでも笑顔を絶やさなかった人だと言うのにです」

声を、更に一段低くするユウリ。

もう、年齢とは別の風格を備えていた。

「ガラルは平和な地方です。 他の地方に比べて犯罪組織も少ないし、治安も良いし、貧富の格差も小さい。 だけれども、覚えておいてください。 こういう悲劇はどこにでもある。 私は、少しでもそんな悲劇を、減らしていきたいと思っています」

悪い事を目論んでいる奴がいるなら、躊躇無くぶっ潰す。

非道を働く奴は、容赦なく叩き潰す。

そうユウリは告げたに等しい。

カメラマンが青ざめていた。どうやら、クリームの完敗らしい。ならば、義理の分だけでも。この少しまだ危なっかしいチャンピオンに、協力してやるのもありだろう。

そう、クリームは思った。

 

4、剣と鎧

 

一回目の防衛戦を、圧倒的な実力で勝ち抜いたユウリ。新しいヒーローに、コロシアムは熱狂していた。

クリームは参戦しない。

ザシアンとムゲンダイナと一緒に留守番だ。

赤く染まった体はもう元には戻らない。だが、あれからユウリと一緒に、彼方此方を回った。

別の地方にも出向いた。

国際警察とやらに頼まれて、ポケモンを使う反社会的組織を叩き潰しにも向かった。クリームも手加減が出来るようになって来て、相手を殺さずに制圧する事が比較的容易に出来るようになっていた。

ザシアンやムゲンダイナが出るまでも無い。

アタッカーはカジリガメやエースバーンがやればいい。反社会組織が繰り出してくるポケモンなど、悉くねじ伏せておしまいである。クリームは防御を担当。常にユウリの側に控えて、敵の奇襲を防ぎ抜く。

銃弾だろうがロケットランチャーだろうが、或いは強力なポケモンによる狙撃だろうが。

クリームなら、反応して防ぎ抜くことは、難しく無かった。

ユウリが戻ってくる。

久しぶりのユニフォームだが、成長期だからもう寸が会わなくなって、試合前に調整したと笑っていた。

試合でもっとも活躍したエースバーンと。ユウリを守る要塞として動いたカジリガメ。どちらもが、既にマスコットキャラが作られるほどの人気になっている。

新チャンピオンユウリ、初防衛成功。圧倒的勝利。

そのニュースが、翌日には紙面を独占するという話だったが。クリームにはそれこそどうでも良かった。

「みんなお待たせ」

「我々を使わなくて良かったのか」

「ん、手伝いしなくて良かったかって? 良いんだよ。 みんなはちょっと力が大きすぎるからね。 私はあくまで対等の条件の試合で勝つ事で、チャンピオンである事を示したいの。 ダンデさんと同じようにね」

ユウリはこれから取材を受けて。

そしてすぐに出かける。

チャンピオンとしての仕事はいくらでもある。平和で穏やかとされるガラルだが。クリームの主であるカーネーションのように、迫害されているものはいる。

アイコンとしてのヒーロー。

チャンピオンになるべくしてチャンピオンとなっている。

それを示すために。

ユウリは動き続けるつもりのようだった。

「迷いが消えたな」

「ん、ザシアン、褒めてくれた?」

「……」

ザシアンが言う通り、ユウリは以前と比べて迷いが消えた。クリームが最初に見た時は、まだ不安定で。

チャンピオンとしての重責に押し潰されそうになっているのが、一目で分かった。

だから、隙を見てブッ殺し、逃走してやろうと思っていたのだが。

それも必要なくなった。

ザシアンに言われた通り。

受けた分の借りは返す。

主の名誉を完全に回復してくれた分くらいは働く。

その分守れというのなら守る。

相手がクズだろうが、別にどうでもいい。

ユウリがやった事に対して、此方も仕事をする。それだけのことだ。

スマホロトムが鳴る。

ユウリが受けると、頷く。すぐにブザーを鳴らしてシェフを呼び、食事を開始する。この様子だと、何か緊急の用事が入ったのだろう。

十中八九荒事だが。別にどうでもいい。

作業を前倒しで始めるユウリ。モンスターボールに、クリーム達を回収すると、すぐに取材を受けに出るという事だった。

さて、次は何をするのか。

別に何でもかまわない。

いずれにしても、当面はユウリにつきあってやるつもりだ。出来る事を、ちゃんとやって。主にかぶせられていた汚名を、きちんと払拭してくれたのだから。

主の事を思う。

自分のケーキが、今ガラル中で愛されている事を、きっと人間共が言う天国で喜んでいる筈だ。

クリームは人間共が言う地獄に落ちるだろうから、二度と会う事は出来ないだろうけれども。

そんな事はもういい。

絶体に無理だと思っていた、主の名誉回復が為されたのだ。

これ以上は、何も望まない。

ボールから出される。

ユウリの手持ちの主力が勢揃いしている。

どうやら、急いだだけあって、相当大きな仕事らしい。いずれにしても、相応に暴れるだけだ。

ユウリの指示に、クリームは頷く。

今の此奴は。

前にクリームを倒したあのダンデと同じ、いやそれ以上の。

チャンピオンと呼ぶに相応しい者だ。

 

(終)