血に濡れた妖精

 

序、葬儀

 

ガラル地方の一角。とても栄えているエンジンシティと呼ばれる場所がある。

蒸気機関と最新鋭の動力であるダイマックスエネルギーが融合して発展し。ガラル地方の中心の一つとして栄える大きな都市である。

概ね人々の生活幸福度も高く。犯罪組織の類が跋扈することも殆ど無い。

実の所、昔はそうでもなかった。

だが、現在ガラル地方のポケモンリーグにて、カリスマ的なチャンピオンとなっているダンデが現れ。ダイマックスエネルギーの利用を一手に担うマクロコスモス社をローズが発展させる前後から状況は変わった。

一説には。他の地方にも現れる「英雄」のように。ダンデがガラル地方に存在していた犯罪組織や悪党を一掃してしまい。

ローズが安定で盤石な態勢を整えたのが原因だとも言われている。

だがそれらは噂に過ぎない。

事実他の地方では、ポケモンを悪用している邪悪な組織が存在していたり。村社会からはじき出された者達が反社会的行動をしていたり。

ポケモンと人がともに住まう世界は、決して平和なだけの場所では無い。

昔は当然のようにポケモンを用いての戦争も行われていたし。

国家という枠組みが存在しなくなり、地方と言う枠組みで世界が区分けされるようになった今でも。

世界の秩序を担う「国際警察」でも手に負えぬ悪の組織は存在し。

そしてその国際警察すらも、時に腐敗している事があるのが実情なのだ。

人と寄り添ってくれるポケモンと呼ばれる不思議な生物たちがいるこの世界においても。誰もが幸せな訳では無い。

それが現実である。

エンジンシティの一角。周囲から評判が良いケーキ屋がある。

フェアリータイプに分類されるポケモンの一種、マホイップが手伝いをしていて。その愛くるしい様子から、地元で愛されている店だが。

此処で働いているアルバイトも含め、この店のオーナーが誰かを誰も知らないし、見た事もない。

故にマホイップはこう呼ばれていた。

店長、と。

マホイップはホイップクリームを産み出す事が出来るポケモンで、人間に極めて友好的な存在である。

人間社会に馴染む事も多く。ケーキ屋などで良く慣れたマホイップを扱える者がいると、其所のケーキはとても美味しくなると評判だ。

草食で穏やかな性質のマホイップだが、ポケモンは超常的な力を扱えるのが常で。

三十センチほどの、クリームを身に纏った人型のような姿をしたマホイップも例外ではない。

獰猛な事で知られるドラゴンタイプに対して絶対的な力を発揮するフェアリータイプという事もあるが。

けっしてマホイップは愛玩用としてだけのポケモンではなく。

ポケモンを戦わせる世界中で行われる競技、ポケモンリーグにおいてもプロが使用する事がある強い能力の持ち主である。

そんな店長がいる美味しいケーキ屋は、穏やかな日々を過ごしていたが。

それがある日一転した。

開店時間。

バイトをしている女子高校生が店を訪れると。店長が血相を変えて何かを訴えかけてくるのである。足下を引っ張りさえした。

「なんすか店長。 これから開店でしょう」

首を必死に振る店長。

マホイップはかなり知能が高いポケモンで、人間の言葉を理解しているとも言われる。

そんな店長の様子に、バイトは何事かと鬱陶しがりながら応じる。

そもそも売り物のケーキは、いつも店長が奥からよちよち歩いて持ってくるのだ。

店長がケーキを出してこないと、商売にならないのである。

面倒くさがりながら、バイトが店長に引っ張られて店の奥に行くと。

其所には、世にも醜い何かが突っ伏していた。

顔は凄まじいあばたに覆われて、非常に大きな図体をしている。まっとうな仕事をしている輩だとは思えない。

ひっと小さく悲鳴を上げたバイトは。

すぐに警察に連絡を入れた。

恐らく物取りか何かだろうと判断したのだ。

だが、マホイップはその男に縋り付くと、必死に何かを訴えかけ続ける。マホイップには相手を回復させる能力を持つ者もいるが。多くは自分が作り出すクリームを食べさせることでそうする。マホイップは外敵と戦うときには催眠作用などがあるクリームを使用する。味方や自身の能力を底上げしたりも出来る。クリームと密接に関係があるポケモンなのである。

故に、クリームを食べさせようとして。それが出来ない事に、悲鳴に近い声を上げるマホイップ。

やがて警察が来て。

死体の身元が確認された。

バイトも聴取されるが。こんな相手は見た事がなかったので、知らない奴だと応えた。

程なく結果が出る。

その結果は。

この店の、本物の店長だった。

それを聞いて、バイトは開口一番に言った。

「えっ。 こんな気持ち悪い奴の所で、アタシ働いていたんすか?」

「雇われたときに顔を見なかったのかね」

「それがロトム越しだったので」

「……」

呆れた様子の警官達。ロトムというのはポケモンの一種で、機械に憑依して機能を様々に引き上げるため、世界中に普及している。

司法解剖のために死体を回収しようとする救急隊員は、マホイップが必死に死体に縋り付くので、困り果てていた。見かねた警官がマホイップを引きはがすと、悲鳴を上げてばたばたともがいた。

「この男のポケモンだったのか」

「ええー、幻滅っす。 此処のケーキ、バイトのアタシがいうのも何だけど、凄く美味かったんですよ。 てっきり店長が作ってると思ってたのに」

「店長が作っていたんだろう」

「いや、そのマホイップの渾名ッすよ。 店長が姿を見せなかったから、そのマホイップが店長って呼ばれていて」

そしてバイトが吐き捨てる。

趣味悪、と。

マホイップが悲鳴を止めて、バイトを見る。完全にゴミを見る目で、マホイップをバイトは見下していた。

「このツラで、マホイップみたいな愛玩ポケモン側に置いてたとか、気色悪いったらねーっつーの。 どーせセンズリこくのにでも使ってたんだろ」

「君、死者に対して……」

「死人に口無しでしょ。 マジで吐き気がするわ」

バイトが外に出ていく。

呆れた様子で、救急隊員達が、既に冷たくなっている店長を運び出し。そして病院で死亡が確認された。

店長の素性も確認された。

名前はカーネーション。

地方によって人の名前はそれぞれ違う傾向がある。場所によっては色だったりするが。ガラル地方では花を名前に使う事が普通だ。

このカーネーションという男、学校も殆ど行っておらず。ほぼ無学の状態で親から店を引き継いだこと。ポケモンの捕獲免許は持っているものの、マホイップが進化する前のマホミル以外のポケモンを捕まえた形跡が無いことが判明した。

マホミルは彼方此方にいるミルククラウンを思わせる姿をしたポケモンで、空中を浮遊して主に移動する。このマホミルに特殊な糖分を与える事でマホイップに進化する。こういう風に、ちょっとした刺激で大きく姿を変えるポケモンは珍しく無い。

カーネーションという男は、免許をこのマホミル捕獲のためだけに取った様子で。周辺の住民から、姿を見られた形跡が無いことなどが分かった。

カーネーションの側で、「店長」と渾名されていたマホイップは、ずっと泣いていた。こんなに悲しそうにマホイップが泣くのを初めて見るというスタッフもいたし。まるでバケモノのような容姿のカーネーションを見て、暴言を吐いた店のバイト同様気味悪がる者もいた。

「よっぽどこのマホイップを溺愛していたんでしょうね。 何に使っていたのやら」

「ケーキの評判は良かったようですが……」

「いずれにしても家族もいないんだろう。 無縁墓地行きだな」

「検死だけ済ませたら、後は行政機関に手数料だけ請求しておいてくれ。 まったく、死体が腐る前だったのが幸いだったな」

泣きながらカーネーションの死体に取りすがっているマホイップが、看護師達に引きはがされる。

三十センチほどとはいえ、マホイップはポケモンだ。

必死に縋り付くと。相応に引きはがすのは大変である。

舌打ちした看護師の一人が、鎮静剤をマホイップに打ち込んで、動きが弱った所で引きはがし。

そして病院の外に放り捨てた。

ぐったりしたマホイップを、不思議そうに住民達は見ていた。

それから二日後。

無縁墓地で泣いているマホイップがいると噂になったが。一週間もしないうちに噂は消えた。

エンジンシティの一角にあったケーキ屋は取りつぶされ。

そして、そこのケーキ屋では、いかがわしいやり方で作られたケーキが売られていたという噂が流された。

噂を流したのは、主に其所で働いていたバイトだったが。

人脈が相応にあったらしく。あっと言う間に噂は広がった。

曰くバケモノのようなツラをした店長が、マホイップを虐待してケーキを作らせていた。

それどころか、マホイップに口に出来ないような事を連日していた。

あのケーキには依存性の強い薬物も含まれていた。

ガラルには悪人が少ない。概ね気が良い連中が暮らしていて、幸福度も高い。

それは事実だ。

だが、それでもこういった噂は流れ飛び交う。

愛されたケーキ屋は一瞬にしてその信頼を失い。潰された後は、ただ中傷を受けるだけの店になった。

そして潰されており、店長だったカーネーションも、その親族も一人もいない今。

その噂を酷いものだと否定する者も、一人もおらず。

むしろ噂を広めるのに荷担するばかりだった。

いつの時代も、人間は他人を貶めるのが大好きだし。

自分より下の存在を作って見下すのが大好きなのである。

それから少しして。

ポケモンを扱う人間が通う総合施設、ポケモンセンターにて、愛くるしくお客にクリームを載せた木の実を振る舞ってくれるマホイップがいると噂になった。エンジンシティには何カ所かポケモンセンターがあるのだが、その全てでマホイップの目撃例があった。

元々マホイップはとても人間に友好的なポケモンである。

クリームを載せた木の実はとても美味しいという事で。一時的に名物ポケモンを見に来る客も増えた。

だが、ポケモンセンター側は困惑した。

人間に仕える事を主とする小型のエスパータイプポケモンであるイエッサンや、警備などを得意とする大型犬に似たウィンディなどのポケモンなら兎も角。マホイップがなんで自主的にポケモンセンターに来て、しかも客に愛くるしく振る舞うのか分からなかったからである。

更に、そのマホイップは。ポケモンセンターで放映される、チャンピオンリーグを必ず見に来ていた。

ポケモンを使い、特定の条件で行われる戦い。

その中でも上位に君臨し。

各地に存在する「ジム」のリーダー達がトップを競うポケモンリーグは、地方を問わず世界の名物だし。

当然ガラルでも人気がある。

ましてや今は、10歳でチャンピオンに就任して以降、負け知らずのチャンピオン。「英雄」ダンデが圧倒的な強さで人気を誇り。同じく10歳でジムリーダーに就任して以降、好成績を常に維持している「若きドラゴン」キバナも女性ファンに圧倒的な人気を獲得していた。

これに限らず。ポケモンの試合を、マホイップは必ず見に来ていた。

 

ポケモンには二十に近いタイプが存在し。それが複合しているケースも多い。

そんなタイプごとに各地方でジムが存在しており。

更にリーグにはメジャーリーグとマイナーリーグが存在するため、タイプの倍以上の数、ジムが存在している。

ガラルにおけるフェアリータイプのメジャージムリーダーは、18歳でジムリーダーに就任後、老人になるまで現役でジムリーダーに君臨しているポプラである。

腰が曲がり、鷲鼻の老婆であり。常に紫色の衣服を着込み、ピンクが大好きだと公言している怪人物であり。

その冷静かつ緻密な戦術展開から、魔術師の異名を取る高い力量を誇るトレーナーである。

基本的に成績が落ちるとマイナーリーグ落ちがある厳しいガラルのリーグ制度においても、数十年前からずっと第一線におり。一度もマイナー落ちを経験していない上。

ダンデの前。

少し空白期間が空くが、十八年にわたって無敵のチャンピオンとして降臨していた格闘タイプのトレーナーであるマスタードとは良きライバル関係であり。

そして、ガラルがもっとも悪かった時代をしる人物でもある。

所用でエンジンシティを訪れたポプラは、足を止めると。魔女のようだと言われる鋭い目を不意に光らせる。

お供のポケモンを側に歩かせているトレーナーは多い。

ポプラはポニータを連れ歩いていることが多い。

小柄な馬のような姿をしたポニータは、跳躍力が有名だが。それ以上に、人間の悪意を敏感に察知することで知られる。このため警察などでも採用例があり、犯人などを追い詰めるために、勇敢で忠実なウィンディと組む事が珍しくない。人にもっとも友好的な上に、愛されているポケモンの一種だ。

馬の姿をしたポケモンは、ポニータの進化形で更に大型のギャロップや。更には逞しい農耕馬を思わせるバンバドロなどが存在しているが。力仕事で活躍するバンバドロと比べると、ポニータは小柄で、むしろ速さや心理の洞察に向いている。

当然ポプラのポニータは良く仕込まれていて、いつでもギャロップに進化させることが可能である。

ポプラがリーグ戦で用いるエースのポケモンはマホイップなのだが、普段から彼女はポニータを連れている。それも何代にも渡って、ギャロップに進化する前の個体を、である。

これは、ポプラがガラル地方が腐敗していた時代を知っていたからと言う説があり。

年かさの人間が語りたがらない時代。

ダイマックスエネルギーをマクロコスモスが専売し、現在の豊かで平穏なガラルが出来る前の時代を知っていて。

用心のためにしているという話があった。

今でこそ、子供が平然と路地裏で遊べるくらい平和になったガラルだが。

ダンデが無敵のチャンピオンになる前には、暗黒の時代が存在したのである。誰もが語りたがらない、希望のない世代が。

そのポプラが、買い物を終え。

エンジンシティの顔役との会合も終えた後。

帰ろうとポニータを促して、そして足を止めたのだった。

「どうしたね」

ポニータが怯えている。

良く仕込んだポプラのポニータでなければ、間違いなく逃げ出していただろう。ポニータは悪意に敏感で、慣れていない個体の場合、すぐに逃げ出すのだ。周囲を見るポプラだが、物取りや与太者の類はいない。

念のため、スマホロトム(ロトムを憑依させた携帯デバイス)を取りだし、警察に連絡を入れるポプラ。

他の人間の通報なら兎も角、フェアリータイプのガラルにおける権威の通報である。すぐに警察も駆けつけた。

「ポニータが強烈な悪意を感じている?」

「尋常じゃ無いね。 調べた方が良いだろうよ」

「分かりました。 すぐに調査します」

ポプラがポニータを促すと、怯えきった様子で、ポケモンセンターの方を示す。

目を細めるポプラ。警官隊がすぐにポケモンセンターに向かうが、しばしして小首をかしげて戻って来た。

「特に物取りやスリ置き引き、強盗の類はいませんでした。 関係者に話も聞いてみましたが、トラブルは起きていないそうです」

「この子は特に良く仕込んでいるからね。 それがこんなに怯えるってのは、相当なことだよ。 チャンピオンの坊やがぶっ潰したならず者どもでも、此処までの狂気じみた悪意は放っていなかったものさ」

「一応巡回は入れますが、そこまで心配するほどでしょうか」

「アタシを疑うのかい」

鋭い目に、警官達は明らかにたじろぐ。

だが、ポプラはため息をつくと、スマホロトムを取りだす。

連絡先は、このエンジンシティに居を構える、炎タイプのジムリーダー、カブ。

壮年から老年になろうとしている人物であり。生涯現役を旨とするような人物である。

一度マイナーリーグ落ちも経験している波瀾万丈な経歴の持ち主だが。故にハングリー精神が強く、そして粘り強い戦い方をする。ポプラよりは若いが、高齢でも現役にいるだけの事はある実力者なのだ。

そもそも、どうしてジムが主要都市に必ず存在しているのか。

それは簡単な話で。

昔はポケモンによる犯罪が絶えず。また、強力なポケモンが人間に悪意を持って街などを襲撃する事が多かったからである。

カブは兎に角ストイックな男で、大まじめにトレーニングを行い、常にポケモンとともに自分を磨くことを怠らない。

今も丁度、巨大なムカデのような姿をしている相棒のポケモン、マルヤクデと共にランニングをしていたところのようだった。

「カブかい。 ちょっと伝えておこうと思ってね」

「ポプラさんが僕に連絡とは珍しいですね。 伺いましょう」

「このエンジンシティで、近々大きな問題が起きる可能性がある。 備えておいてくれるかい。 アタシも出来るだけ足を運ぶようにするよ」

「ポプラさんがそういうなら、注意をしておきます」

スマホロトムでの通話を切ると、ポプラは黙々と自宅に戻る。

アラベスクタウンにジムを抱えるポプラは、其所で手飼いのポケモンを多数有しているが。

調整を行うためだ。

ガラルでは、移動手段は主に二つ。一つは鉄道。もう一つは大型の鳥のポケモン、アーマーガアによる空輸タクシー。

そのタクシーでの空路にて、ポプラは連絡を行う。

現在ガラルを事実上支配しているマクロコスモスのリーダー、ローズにも、である。

……結果として、この早期対応が後に、悲劇を多少緩和することになる。

だが、それもあくまで多少。

血の雨が、ガラルに降ろうとしていた。

 

1、復讐者と三頭竜

 

サザンドラ。ドラゴンタイプのポケモンであり、その獰猛さから古くは村を潰す事も多かったとされている存在である。

三つ首を持ち、翼でそらを自由自在に舞う。何でも喰らうその悪食ぶり。更には凶暴な戦闘意欲から、手練れのポケモントレーナーにも怖れられている存在で。今も空に敵無しと、悠々と飛び回っていた。

そのサザンドラが、獲物を見つける。

マホイップだ。

ドラゴンタイプに対してフェアリータイプは優位を取る事が出来る。「剛」の代表であるドラゴンに対して、フェアリーは「柔」の代表。相性が最悪だからである。

しかしながら、巨体を誇るサザンドラに対して、相手は小さなマホイップ。

それも単独で動いていて。

更に相性差は、圧倒的な実力があればひっくり返す事も可能だ。

マホイップは喰らった事がある。

甘くて美味しい餌だ。

多少小さいが、悲鳴を上げて逃げようとする所をかみ砕いて飲み込むのも美味しいし。その時零れる肉汁もクリームもたまらない。

舌なめずりすると、猛然とサザンドラは中空からマホイップに襲いかかる。しかも、念入りに後方から。

何度か人間のトレーナーに叩きのめされた経験があるサザンドラは、慢心しないことを知っていた。

サザンドラは幼い頃から二度進化を経てこの形態になるポケモンで。

それは早い話が、進化の過程で修羅場をくぐっているという事でもある。

ドラゴンの強靭な力を持っているからと言って油断はしない。

獲物を狩るときには、常に全力で相手を叩き潰す。

そうしなければ、逆に食われる事もあるのだ。

ましてや人間が「ワイルドエリア」とか呼んでいるこの辺りには、凶悪なポケモンが幾らでもいる。

狩りは迅速に。

かつ一瞬で終わらせるべきなのである。

かっと口を開き、襲いかかるサザンドラ。

だが、次の瞬間。

恐怖に、全身を鷲づかみにされていた。

マホイップが。

振り向いたのである。

その目には、サザンドラが今まで見たこともない、まるで人間のもっとも深い部分のような。闇が凝縮されていた。

まずい。

本能が告げる。

人間が鍛えたポケモンの中には、たまにとんでもなく強いのがいる。あれは、そう言うのかも知れない。

だが、逃げるよりも、マホイップが動く方が早かった。

その手がすっと上げられると。

サザンドラの全身が、凄まじい圧力に晒され、地面に叩き付けられていた。一撃で、殆ど瀕死である。

もがき、悲鳴を上げるサザンドラに、ゆっくりマホイップが歩み寄ってくる。

その姿は、小さなフェアリータイプとは思えず。

まるで何かの山のような。凶悪極まりないものだった。

がちがちと歯が震えるのをサザンドラは感じる。

幼い頃、身を隠して超格上のポケモンをやり過ごしたときと同じ感覚だ。ポケモンの間では食物連鎖が存在しており、例えドラゴンポケモンでも幼い頃には大型のポケモンに苦も無く捕食されてしまうことが多い。

何度も死を間近に見て育ってきたからこそ。

サザンドラは、自分を一撃で叩き伏せた相手の恐ろしさを感じ取っていた。

殺される。

そう察した瞬間。マホイップが言う。サザンドラに分かる言葉で。

「降伏か死か」

「な、なんだよ」

「難しかったか。 従うか私に食われて死ぬか、好きな方を選べ」

「し、従います! 従いますっ!」

今も、圧迫感で全身が押し潰されそうなのである。小さなマホイップが放っている圧迫感は、歴戦の猛者の筈のサザンドラを圧倒するもので。そしてどう戦っても、とても勝てそうになかった。

不意に体が楽になる。マホイップが、多少回復してくれたのだと分かった。

「ついてこい。 大物が釣れて私も気分が良い」

「へ、へえ。 しかしどちらに」

「黙ってついてこい」

「わ、わかりました……」

まるで人間のような奴だ。

そう思いながら、サザンドラは浮き上がると、マホイップの後について歩く。

広大なワイルドエリアには複雑な地形があるが。その地形の影を縫うようにして行く。やがて、大きな洞窟がある。

知っている。

こういった洞窟は各地に点在しており。内部には凄まじい力が満ちている。

その力を吸ったポケモンは強大化する傾向があるのだ。

それでか。

此奴は巣穴から這い出た、こういった巣穴に住まう主のような輩だったのか。それならば、あの強さも納得だ。

そうサザンドラは降り立つと、狭い洞窟の中を歩く。

翼はあるが前足はないサザンドラは、浮いている方が楽で、歩くのは少し苦手だ。

そして、二度目の驚愕をする。

其所には、巨大な死体があったのである。

間違いない。この巣穴の主だ。

恐らくはストリンダーだろう。時々とてつもなく強大化するトカゲのような姿をするポケモンで、個体によっては下手なドラゴンタイプより強い。首をへし折られて死んでいた。しかも、かなり食い荒らした跡があった。まさか、このマホイップが喰らったのか。

隅っこに縮こまっているのは、このマホイップの手下だろうか。どいつもこいつもよわっちそうなポケモンばかりである。明らかにマホイップに怯えきっていた。

「其所の死体を喰らっておけ。 多少は強くなる」

「こ、これは……」

「私が殺した」

「……」

絶句。

マホイップの中には、人間に飼い慣らされて、非常に強くなる個体がいると聞いている。だが元々好戦的では無いマホイップは、好きこのんでこんな事をするポケモンだっただろうか。

此奴は色々おかしい。

そもそも、歴戦の猛者であるサザンドラが、恐怖で萎縮する事などあり得ないのだ。

見ると、よわっちそうなポケモンどもに、マホイップは手から何か出して与えている。あれは、何だ。

「どうした、とっととエサを食え」

「は、はい姐さん」

「姐さん?」

「へへ、そう呼んだ方が良いかなって」

しばし黙った後。

マホイップは言った。

「私の名前はクリームだ。 どう呼ぼうとかまわないが、それは覚えておけ」

 

サザンドラはそれから、クリームと名乗ったマホイップと一緒に活動した。まずはクリームと、他の多少の手練れと一緒に。手当たり次第に巣穴へと殴り込みに掛かる。

「ワイルドエリア」の各地には、不思議な力が噴き出す巣穴が存在しており、其所を独占している「主」がいる。

それを片っ端からクリームと共に襲撃し、叩き伏せていった。クリームの圧倒的な強さは身震いするほどで、一緒に何度か戦った後はまるで勝てる気も逆らう気も起きなくなった。

そしてクリームは勝つと、巣穴の主に降伏か死を選ばせた。

殆どは降伏しなかったので、むしろサザンドラには望むところだったが。

たまに屈服するものもいて。それはクリームが配下に組み込むのだった。

「ダイマックス」と言ったか。それとも「キョダイマックス」といったか。

人間が言っているのを聞いた事がある。

ポケモンは特定条件を満たし、このエネルギーを吸収すると、強大な姿に変化することが出来る。

クリームも当然それが出来るようで。変化すると、前にサザンドラがどこかで見たのとはまるで別物の、巨大で禍々しい姿へと変わる。それも、毎度変わる姿が違っていた。

そして巨大な姿になってからの戦闘力は凄まじく。圧倒的なパワーを誇り、サザンドラでさえ正面からやりたがらないような相手でさえ力尽くでねじ伏せていく。しかもフェアリータイプが苦手としている筈の相手を、むしろ優先的に狙っている様子だった。

更には、殺した場合には例外なく喰らっていた。

貪食なサザンドラでさえ息を呑む。

マホイップは確か草食だったはずだ。それが、ばりばりと音を立てて、殺したポケモンを喰らう。サザンドラでさえ、息を呑む凄まじい有様だ。食事を終えると、残りは連れてきたサザンドラや他のポケモンに喰わせる。そして骨だけが残る。

骨については、手から出した強烈な光で、そのまま分解してしまい。消滅させてしまう。ポケモンにはこういう不可思議な力を使う者は珍しく無い。だがそれにしても、あらゆる意味で徹底的である。

恐ろしい光景だ。獲物を食らった後のサザンドラでさえ、此処まではしない。

少しずつ、クリームが連れている群れが大きくなっていく。

何がしたいのか分からないが。ともかく、エサには困らなくなった。

元々サザンドラは非常に燃費が悪いポケモンで、常に食べる事を望む傾向にある。故に、クリームに屈服させられたことはあまり良い気分ではなかったものの。今の満足度は大きい。

周囲にいるよわっちいのも食べたかったが。クリームが許可してくれなかった。

そんな生活を続けたある日。

クリームが、人間が使っている「スマホロトム」を取りだす。かなり古い型式だ。或いは捨てられていたのを拾ったのかも知れない。当たり前のように使いこなしていた。

「お前達、来い」

声を掛けられたのは、明らかに弱いポケモン達だ。

クリームに何か食べさせられて、非常に力を増しているようだが。素が弱いのだ。それでも限界がある。

サザンドラは呼ばれなかったので見ていたが。どうやら複数の人間を映し出しているようである。また、見覚えがある場所も映し出されていた。

「朝方、この地点にお前達は貼り付け。 この人間が現れる。 そして高確率で生まれたばかりのポケモンを捨てていく。 それを回収してこい」

「わ、分かりました、クリーム様」

「すぐに向かえ」

弱くても機動力の高い鳥ポケモンを中心に、数体のポケモンが出向く。いずれもが、クリームが与えた何かによって、力を増しており。この辺りを徘徊するポケモン程度が相手なら、自衛は出来るくらいの実力にはなっていた。人間に襲われたらどうなるかは分からないが。

興味が湧いたので、聞いてみる。

「クリームの姐さん。 あれは何をさせているので?」

「お前は「廃人」というのを知っているか」

「はあ、ハイジン? 何ですかそれ」

「人間がポケモンを競技に使って戦わせているのは知っているだろう」

頷く。それについては、サザンドラも同族などと話して聞いた事があった。

クリームの話によると、ハイジンというのは、ポケモンをその競技用のためだけに育てている連中の事だという。

さっき映像に映し出されたのは、この近辺でも特に有名な廃人だそうだ。

「連中は「理想の性能を持つ」ポケモン以外には興味を示さない。 毎日無茶なやり方でポケモンに卵を産ませては、気に入らなければ捨てる。 その捨てられたポケモンが目的だ」

「へへっ、生まれたばかりのポケモン、美味そうですなあ」

「違う。 手駒として使う」

「ふえ?」

サザンドラにはぴんと来ない話だが。

クリームは丁寧に説明してくれる。この辺り、クリームを素直に慕える理由だ。

強く残虐だが、理不尽では無いのである。

「私が集めているのは、人間に強い恨みを抱くポケモンだ。 復讐の刻のために、戦力を整えるためにな」

「人間に、復讐? なにかされたんで」

「ああ。 私のもっとも大事な存在の尊厳を、徹底的に汚された。 絶対に許さない」

「……よく分かりませんが、クリームの姐さん、人間のような事をいうんですねえ」

多少茶化すが。その後のクリームの目を見て、サザンドラは絶句。

そして、冗談でさと、話を切り上げて少し離れた。

数日過ごして、クリームに従っているポケモンには二種類いる事が分かってきた。恐らくは、サザンドラと同じように力でねじ伏せられたもの。種類は雑多で、強いのも何体かいた。

そしてもう一種類は、何かしらの方法で助けてきたもの。

多分よわっちいのは後者だろう。

それにしても、そのよわっちいのも力を増している。如何なる事なのか。

「それにしても姉さん、あの食わせているものは何なんです?」

「……こういう巣穴に潜む主は、巣穴の力を取り込んでいる。 だが余剰の力は固体になり、あまい塊になる」

「ほうほう」

「人間は経験飴と呼んでいる。 他にも経験飴の製法はあるようだが、此処ではこうして巣穴を狙うのが早い。 この飴と手駒を集めるためにも私は巣穴を狙っている」

なるほど。エサの確保と同時に、手駒の強化も狙いとしてはあったのか。

これは面白いと、サザンドラは思う。

クリームはよく分からない奴だが、やっている事は刺激的だ。それに、何か大きな目標があるように思う。

復讐を口にしていたが。それが何なのかはよく分からない。

「サザンドラ。 お前は人間共を滅ぼしてやりたくはないか」

「え? 目障りで鬱陶しいとは思いますが、流石に其所まででは……」

「私は滅ぼすつもりだ。 今いる場所は人間にガラル地方と呼ばれているが、その中心地の一つがあれ……人間共にはエンジンシティと言われている」

息を呑む。

古い時代には、人間の大きな街を襲って叩き潰したポケモンがいたと聞いている。

だが、今は絵空事だ。

恐ろしい強さの人間がいて。そいつらに飼い慣らされた強力なポケモンが多数守護している。

とてもではないが無理だ。

サザンドラだろうがギャラドスだろうがバンギラスだろうが。

有名どころの強力なポケモンでも、手も足も出ないだろう。

滅多に存在しない超強力なポケモンなら話は分からないが。

いや、まて。

クリームの実力は、明らかにマホイップの領域を凌駕している。どういう理屈かは分からないが、その戦闘力は尋常ではない。

ひょっとしたら、出来るかもしれない。

にやりと口元が歪む。

人間共の食い物を奪い取り。そして人間共も全て喰らい尽くす。

腹が一杯になる。

後は逃げ惑う人間共を徹底的に襲い、貪り食い尽くす。

面白いじゃないか。

結局の所、人間がいないところを縄張りと称して、彷徨き回ることしか出来なかった。サザンドラも、何度も人間に追われて死にかけたり、酷い目にあった。人間にはかなわないという刷り込みがあった。

だがクリームはそれを壊してくれるかも知れない。

くつくつと笑う。

クリームは、それに気付いているだろうに。振り向くことさえしなかった。

 

それから、巣穴を移動しつつ、手駒を増やしていく。

クリームの戦闘力は増すばかり。更に、手駒が連れてきたポケモンに対して、クリームは丁寧に何か言い聞かせ。そして「けいけんあめ」とやらを与えていた。そうすると、嘘のようにポケモンが進化を開始する。

それも、どいつもこいつも強力なポケモンばかりだ。

それらのポケモンに対して、順番にクリームは話をしていく。

「お前達はこのグループで組め。 お前達は……」

見ると、タイプごとにまとめているわけでもない。

それぞれが苦手とする者を、確実に群れの中に混ぜ込んでいる。そういった群れを複数ずつ編成している。一つの群れは定数。これは必ずのようだ。

そして、訓練を開始していた。

自分が攻撃を受ける側になって、あらゆる技を試させる。

どんな技を食らってもけろっとしているので、サザンドラは絶句したが。しかしその圧倒的な強さに惚れ込みもした。

また、サザンドラ自身も「けいけんあめ」を貰って、力が増しているのも感じる。

クリームは見ていると、攻撃をわざと自分で受けることによって。その攻撃そのものに対しても、知識を増やしている様子だ。

貪欲というか、色々いかれている。だがそれが素晴らしい。

連日、「ハイジン」とやらが捨てたポケモンを、回収班が拾ってくる。やはりどれもこれも育てば強力なポケモンばかりである。

サザンドラも滅多に見ないドラゴンタイプも少なくない。

疑問ばかり湧いてくるので、クリームに聞いてみるが。

それに丁寧にクリームは答えてくれる。サザンドラだけではなく、他のポケモンにも、クリームは従いさえすれば丁寧に話をしてくれる。従わない場合は容赦しないが。

「姐さん、そもそもハイジンとやらは、なんであんなもったいないことを? いらないなら食べればいいものを」

「廃人と呼ばれるトレーナーは、基本的に決まった条件での戦いで勝てるポケモンを育成することにしか興味が無い。 人間共の中で本当に強い連中は「ジムリーダー」やら「チャンピオン」やらと呼ばれているが、廃人はそれとは別のルールでの戦いに快楽を見いだす連中でな。 その決まった条件下での戦いを行い勝つためだけに、ポケモンを育成している。 それ以外の事はどうでもいい。 場合によっては自分の寝食でさえな。 ましてや使えないと判断したポケモンなんて、ゴミとしか思っていない」

「はあ、まったく分からねー話ですね。 そもそも姐さんは、どうやってそれを知ったんですか」

「人間共を観察した。 復讐のためにな」

更に、廃人と呼ばれるトレーナーは。ジムリーダーやチャンピオンとやらを目指さずに、ひたすらに廃人としての行為に没頭するという。

自分好みに「育てた」ポケモンを、決まった条件で戦わせる。

それだけが、彼らの全てだそうだ。

そしてまず最初に相手になるのが、そういったポケモントレーナーだという。

「最初に間違いなく出てくる廃人どもをぶっ潰すために今手駒を増やしている」

「しかし姐さん。 姐さんが言う所の本当に強い連中も、すぐに出てくるんじゃないんすかね」

「それについても対策は考えてある」

そうですか。

そうとしかいえない。

だが、圧倒的な信頼感が生じ始めていて、サザンドラはくつくつと笑う。

このマホイップについていけば。今までの調子に乗って、縄張りの中で無敵を自慢していた惨めな生活とはおさらばだ。

負けるにしても、人間に一泡吹かせられるなら面白い。

人間と暮らしているポケモンを見た事はある。

中には平穏そうにしているものもいる。

自分の生活に満足しているものもいるようだ。

だが、サザンドラにははっきりいって、あれらは飼い慣らされているようにしか見えなかったし。

ああなりたいとも思わなかった。

サザンドラは命令を受ける。近場にデリバードの群れがいるから、捕獲してこいと。

理由は聞かない。

デリバードは非常に弱い鳥ポケモンである。尻尾を袋のように使って木の実などのエサを蓄え、雛に運ぶ。

性格は温厚で力も弱いのだが、基本的に他のポケモンや人間を助けることを厭わない性質のため、サザンドラもあまり手は出さない。

サザンドラにさえ、困っているときにはエサを分けるようなポケモンである。

エサは別に他に幾らでもいるし、困っているときに手助けになる相手を好きこのんで食うほどサザンドラもバカではない。

だが、面白いと思っているクリームの命令なら話は別だ。

すぐに捕獲に出向く。

草むらに群れていたデリバードが。みるみる近付いてくるサザンドラを見て逃げ散ろうとするが、元々動きは遅い。

即座に一匹を咥え、中空に。

旋回して、次を。

三つある首を利用してまたたくまに三匹を捕獲し。

更に足でもう二匹を捕獲すると、拠点に戻った。

もっとたくさん必要だ。

そう聞くと、すぐに再出撃し。五匹ずつ、捕まえていく。

何度目かの狩りの後に戻ってくると、半分ほどのデリバードは殺され、他のポケモン達が亡骸を貪り喰っていた。恐らくクリームへの服従を拒否した結果だろう。

しかし、半分ほどはクリームの言う事を聞くことに決めたらしく。

怯えきった様子で、一つずつ、命令に頷いていた。

面白い。さて、次はどうなるのだ。

サザンドラはデリバードを片っ端から捕獲しながら。クリームの繰り出す、今まで見たことも無い行動を。楽しみにし始めていた。

 

2、ワイルドエリア異変

 

ポケモンを取り扱う人間は免許を必要とする。ガラルだけではなく、どの地方でもそうである。

これはポケモンが非常に強力な力を持つのと同時に、扱いが難しいケースもあるからだ。

例えばゴーストタイプと呼ばれるポケモンの中には、人間に対する積極的な害意を持つ者が珍しく無いし。

何種類かのポケモンは非常に獰猛で、慣れたトレーナーでも手に負えないケースがある。

ガラルでは獰猛な亀のポケモンカジリガメや、凄まじいパワーを持つ上に手加減を知らない熊のポケモンキテルグマなどが有名である。

それらを扱うのは当然エキスパートであるべきだ。

しかしながら、10歳で大人と認められるのは、ガラルも同じで。

その年にチャンピオンになったダンデという英雄を抱えているガラルでは。

やはり、ポケモントレーナーとしての免許を欲しがる者は。後を絶たないのだった。

それらトレーナーの幾らかは、年一度の、チャンピオンに挑戦できるチャンピオンリーグに挑むが。途中厳しい振るいに掛けられ、毎年チャンピオンと対戦できる資格を得られるトレーナーは十人もいない。ガラルには一千万からの人間がくらしている事を考えると。ポケモンが生活に密着している世界としては少なすぎる程である。

というわけで、大半のトレーナーは夢破れる。

その後どうなるか。

免許だけを持って、普通の仕事に就くケースが大半。相棒のポケモンと一緒に、何かしらの仕事に就く。これがもっとも穏当なケースだ。

実力に自信があるなら警察に雇われたり。警察で実績を上げた場合は、地方を跨いで活躍する国際警察にスカウトされるケースもある。

他には、様々なポケモンの保護区となっているワイルドエリアの管理者であり、密猟を防ぐために監視を行っているレンジャーになったり。

或いはジムに弟子入りして、其所でジムリーダーを目指したりもする。

それらからも弾かれ。

なお生活に余裕があるものが。

世界中でネットワークがつながれ行われている、チャンピオンリーグとは別のポケモン対戦に人生を捧げるようになり。

それらは廃人と呼ばれたりもするが。

まあ、それらの者達は例外である。

ただ、廃人はまだいい。地方によっては、完全に人生設計に失敗し、社会に弾かれた者達が。ポケモンを扱う反社会的組織に所属したり。

場合によってはそれが際限なく強大化したりする。

他の地方では特に凶悪なものとして、ロケット団やフレア団などが有名で。特にフレア団は非常に強大な勢力を現在も保持しており、地域そのものを裏からほぼ支配してしまっているため、国際警察でも迂闊に手を出せないと聞いている。

現時点でガラルに邪悪が蔓延る兆候はない。

正確には、一度自浄作用が働いて、腐敗していたチャンピオンリーグや社会の上層が正常化されたため。今はとても公正で幸福度が高い社会が構築されている。社会の裏で蠢いていた悪党共も一掃された。

だが、人々は忘れてしまっている。

あの悪夢の時代を。

ダイマックスエネルギーが社会に浸透する前。

ガラルは、決して住みやすい場所ではなかったのだ。

わずか数年前の事だというのに。人々は惰眠を貪っているかのようである。

平和を見て安心すると同時に。

そんな懸念を、カブは抱いていた。

アーマーガアの空輸タクシーから降り。ワイルドエリアに降り立った、炎タイプのポケモンジムリーダー、カブは。周囲を油断無く見回す。

フェアリータイプのポケモンジムリーダー、ポプラに言われて調査を開始したのだが。

確かにワイルドエリアでおかしな事が起こり始めていると、管理者であるレンジャー達に聞かされていたのだ。

カブは年配のジムリーダーであるから、ガラルの暗黒時代を知っている。

カリスマであるチャンピオン、ダンデの登場と。その前後でマクロコスモス社が台頭するまで、ガラルは他の地方と大差ない場所だった。人々の幸福度は高くなく、ポケモンリーグでも不正が横行していた。カブはあまり激しくやり合わなかったが、明確な反社会組織も存在し、多くの犯罪に荷担していた。

その時代を再来させるわけには行かない。

ジムリーダーは、担当地区最強のポケモントレーナーとして。ポケモンがらみの問題に対処するエキスパートとしての顔も持っている。

何もポケモンリーグで戦うだけが仕事ではないのである。

レンジャーが来る。数人一組で活動する彼らは、ポケモン対策のエキスパートだ。保護区であるワイルドエリアで活動し、基本的に人間を襲おうとしたポケモンが出るか、極端に生態系が乱されない限りはポケモンの監視だけを行う。

ワイルドエリアはガラルの名物であり、此処を通る事はトレーナーの登竜門にもなるため、足を踏み入れる者も多いのだが。

一方で当然人を殺しうるポケモンも多いため。

レンジャーの責務は重要だった。

敬礼を受けると、歩きながら話を聞く。

「此方です」

「……これは」

ポケモンの巣だったらしい洞窟。中は神経質に掃除したかのように綺麗になり、引き払われている。

ワイルドエリアには、ダイマックスエネルギーが溢れている場所があり。そういった場所を巣穴にしたポケモンは強大化する傾向がある。

四人一組での戦闘が推奨されるほどの相手であり。中には歴戦のトレーナーでも返り討ちにする程の個体もいる。実を言うと、カブの相棒であるマルヤクデも、そういった巣穴から捕らえた個体であり。他のジムリーダーも、概ねワイルドエリアで捕獲した強力な個体を相棒として手元に置いているケースが多い。現チャンピオンであるダンデですらそうだ。

そんな強力なポケモンの住処が。

すっからかんだ。

目を細めて、周囲を見回す。

連れ歩いていたマルヤクデが、警戒の声をならす。レンジャー達が、連れ歩いているウィンディに警戒を促すが。

生き物の気配はない。

だが、この臭い。カブは知っていた。

「死臭ですね。 この巣穴の主は殺されたと見て良いでしょう。 それに、これを見てください」

「……これは?」

「こういった巣穴の主は、知らず知らずとダイマックスエネルギーから経験飴を生成するものです。 それが根こそぎ回収されている形跡がある」

地方によって製法は違うが、経験飴は手っ取り早くポケモンを強くする事が出来る強力な食糧だ。

この手の巣穴に専門でチームを組んでアタックを掛けるトレーナーもいるが。

それは手っ取り早く手持ちのポケモンを強化するため。

ただし危険も尋常では無いため、余程の物好きに限られる。

ただ、此処の巣穴は違う。臭いからして、多数のポケモンが住み着いていた感触があるし。

有用なものが何か分かっていて、根こそぎ持ち去った様子なのだ。

「これは悪質なトレーナーか、或いは何かしら非常に頭が良いポケモンが率いている群れか、どちらかの仕業でしょうね。 他にもこんな巣が」

「確認されているだけで二十箇所以上見つかっています」

「……」

考え込む。

ポプラは尋常では無い悪意が動いていると言っていた。

だとしたら、その悪意の主がこれをやったのかも知れない。

名前の通り、ワイルドエリアはポケモンが適者生存している土地だ。食う食われるの関係は存在するし。苛烈な環境に揉まれて、ポケモンはたくましく生きている。

逆に言うと、そんな環境で揉まれた強力なポケモンが、此処まであっさりやられて。痕跡も残さないほど綺麗に食い尽くされているとなると。

やはりポプラが言う通り、何かとんでも無い代物が動いているのかも知れない。

一度巣穴から出る。

別のレンジャーチームとも合流し、話を聞く。

そうすると、不可思議な話を聞かされた。

「大きなポケモンの群れが確認されています。 非常に用心深く、目撃例はたまたま通りがかったトレーナーによるものが数例だけですが。 数は二百を超えていたそうです」

「二百!」

他の地方でも、ポケモンが群れを成すことはある。

しかも、違う種類のポケモンが混ざることで、弱点を相互補完する場合もある。

中には、そもそもとして。群れを成すことを武器とするポケモンもいる。ヨワシと呼ばれる小さな魚のポケモンがそうで、個体は非常に脆弱だが群れを成すことで大型のポケモンを撃退するほどの連携を見せる。大型の群れになると、熟練のトレーナーですら苦戦するほどの相手になるケースもある。なおヨワシはほかの魚ポケモンと同様、空を飛ぶことが出来る。水に住んでいる理由はよく分かっていない。

「映像は何とか入手できませんか」

「やってみます」

「出来るだけ急いで。 それと、マクロコスモスに連絡。 警備の人員を増やすように通達してください」

カブは言葉遣いが目下の相手にも丁寧だが。

それは常に紳士たれと心がけているからだ。

一時期はジムリーダーから陥落し、マイナーリーグに落ちたこともあるカブは。手段を選ばないような戦い方に身を置いていたこともある。

だがそのむなしさは、今は良く知っている。

身を鍛え、心も鍛え。

堂々たる態度で戦い、勝っても負けても相手に敬意を払う。それが、現在のカブの信念である。

レンジャーを伝令に出すと、ワイルドエリアを調査して回る。

別の巣穴では、マルヤクデが露骨な威嚇をした。何も無い場所に対してである。

調べて見ると、大量の血が見つかる。

まだ新しい、と言う事だ。

だがその近場の巣穴は荒らされた形跡も無いし。そもそも多数の群れが移動したにしては、足跡も残っていない。

余程群れの主は狡猾な奴か。それとも、やはり悪辣なトレーナーが、組織だって何かしらの行動を目論んでいるか、と言う事だ。

血が新しいことを告げて、周囲の探索を強化する。

どうも時間がないように思えてならない。

ワイルドエリアのこの地点から近い街はエンジンシティ。それ以外は、鉄道で結ばれたかなり遠くの街になる。

報告があった様子がおかしい巣穴は、エンジンシティの近場に集中している。

或いはそれ自体が陽動かも知れないが。

群れの目撃例も、荒らされた巣穴の近くに集中しているのだ。無関係とは言い難いだろう。

程なく、報告例があった。

アーマーガアの空輸タクシーの運転手が、それらしいものを目撃した、というのだ。

すぐにスマホロトムごしに話を聞く。

それによると、状況は更に悪化しているようにしか思えなかった。

「何だか様子がおかしいとは思ったんですが。 群れにはあらゆるポケモンが交ざっているように見えましたね」

「あらゆるポケモンとは」

「目立つところではサザンドラがいて、それにバンギラスが二十体以上はいたように思います。 小型のポケモンもいましたが、大型のポケモンもかなりいました。 ざっと見ただけですが、数は二百どころではなかったように思いますねえ」

「分かりました。 有難うございます」

レンジャーに確認し、報告を受けた日時と照らし合わせる。

もし今のタクシーの運転手の証言が正しいとなると、群れは更に拡大していると言う事だ。

そして、である。

ポケモンを連れ歩くトレーナーは多いが。あまりにも多数の手持ちを出しているケースは多くない。

目を離した隙に、事故にあう可能性があるからだ。

ましてやこのワイルドエリアである。どんなポケモンが狙っているか分からない。

小型のポケモンも含め、大量展開するなんて自殺行為だ。

トレーナーの仕業では無い。

そうカブは結論していた。

何かしらの悪党が動いているとしても、そんな数のポケモンをわざわざモンスターボールから出している意味が分からない。

ポケモンをしまい、休ませておくための拳大のボール、モンスターボールはトレーナー必須の道具だが。

これは目につかない所で、ポケモンが事故にあうことを防ぐための意味もある。

それを使わず、放し飼いに等しい状態で。数匹ならともかく、数百匹を連れ歩くトレーナーなど尋常ではないし。

そもそもあり得る事では無かった。

タクシーを手配した後、カブはレンジャー達に指示。

「恐らく、とんでもない強大なポケモンがワイルドエリアに出現した可能性があります」

「いわゆる伝説級ですか」

「そこまでは分かりません。 ただ、増員を僕から手配しておきます。 貴方たちも、最大級の警戒をしてください」

「分かりました!」

伝説のポケモンか。

強大なポケモンになると、一地方を揺るがすようなものから、この星をそのまま作り替えてしまうようなものまでいる。

カブは見た事がないが。

遠くカントー地方では、以前そういったポケモンを創造しようとした試みがあり。

失敗に終わったのだとか。

ガラルにも伝説となっているポケモンの話はあるが。

これは諸説あり、正直よく分かっていない。

今回の騒動が、伝説のポケモンによるものなのか。それとも伝説のポケモンに近い実力の持ち主によるものなのか。それはよく分からないが。

あの巣の惨状からして、尋常では無く獰猛で残虐、しかも狡猾な相手であることは、間違いないだろう。

しかも話を聞く限り、多数の大型最終進化形を従えていることになる。

尋常で無い相手であることは確かだ。

タクシーが来たので、ジムに戻る。

ジムでトレーナーをしている、いわゆる門下生達に、カブは通達した。

「近々エンジンシティ近くで大きな問題が起きる可能性があります。 出せるポケモンは全て出せるように、調整を」

「はいっ! 分かりました、ジムリーダー!」

「僕はこれより、ジムリーダー達に連絡を入れ、厳戒態勢を取るべくミーティングを行います。 それぞれ準備に取りかかってください」

それにしても、ポプラの勘は適中した事になる。

カブは気付くことさえ出来なかった。

エンジンシティのコロシアムの情報制御室に出向くと、すぐにマクロコスモスの重役も交えて、テレビ会議を行う。

ワイルドエリアの調査結果を報告すると。

まだ若いチャンピオンのダンデが、興味を持ったようで身を乗り出した。

ダンデは浅黒い肌を持つ長身の青年で。チャンピオンになったばかりの頃はまだ年齢相応の少年だったが。今はすっかり手足も伸びきり、精悍な若者へと成長している。昔から落ち着いたところがあるトレーナーで。戦いの運びはいちいち丁寧で。またポケモンを大事にしていることが一目で分かることが、カブの好感の要因になっている。今はガラルのシンボルとしての自覚も持ち、ステージパフォーマンスも多少するようになっていた。

「カブさんの話を聞く限り、かなり危険な状態ですね。 俺も出向くことにします」

「チャンピオンが直接? それは尋常ではないわねえ」

小首をかしげたのはメロン。氷タイプのポケモンジムリーダーで、五人の子持ちの人妻である。

現在もバリバリ現役で、息子のマクワは今順調に名声を伸ばしており、将来のジムリーダーになる事を期待されている。

なお子供が出来てから、かなり体型は丸くなった。

カブは咳払いすると、他のジムリーダーにも注意喚起をした。

「もしも今も群れが拡大を続けているとなると、千を超えるポケモンが襲撃をしかけてくる可能性もあります。 その中には最終進化形の、しかも大型数十が含まれている可能性が高く、非常な脅威になるでしょう」

「カブのおっさん。 それ、情報は統制した方が良くないか」

手を上げて意見を述べたのはキバナ。

ダンデと同年代の若きエースであり、ドラゴンタイプのジムリーダーである。

チャンピオンの手持ちポケモンを最も倒したと言う事で有名な人物で。落ち着いたダンデに比べ、兎に角獰猛そうな雰囲気が目立つ。ただその野性的な風貌が、女性ファンにはくらっとくるようだ。

「キバナくん、それはどういうことだい」

「身の程知らずの連中が、ポケモンを狩り放題だとか考えて、ワイルドエリアに出るかもしれねえ。 そんなヤバイ奴だったら、安全な「試合」しか知らない連中の手に負える相手じゃないし、ヘタを打った連中の救助に人員を割く事にでもなったら、戦力が半減するぞ」

「その通りだね。 できる限り情報は統制するつもりだが……」

「後、避難訓練もしておいたほうがいいだろうね」

ずっと黙っていたポプラが発言する。

この長老とも言えるジムリーダーには、チャンピオンも一目置いている。

皆が押し黙る中、ポプラは更に言った。

「さっきからポニータがエンジンシティの方を見て怯えきっているんだよ。 何があっても不思議じゃあない」

「ちょっと俺出る準備するわ。 ダンデ、お前は」

「俺もそうする。 カブさん、もしも何かあった場合は……持ち堪えてください」

「分かっています」

通信を終えると、急いだ様子でジムトレーナーの一人が来る。

通信が終わるのを待っていたようだから、急では無い様子だが。

しかし、話を聞いて、カブは内心舌打ちしていた。

「エンジンシティの近くを、例の群れが通ったようです。 確認しましたが、やはりどう見ても数は数百に達しています。 それも、霧に隠れていたので全容は分かりません」

「恐らく陽動ですね。 街の住民に避難勧告を」

「それが、一部のトレーナーが騒いでいて。 大量のポケモンを手に入れる好機だと」

「……っ」

どうやらキバナの懸念が当たったらしい。

それにしても、もしもそのポケモンの群れが意図的にやったとしたら。

想像を絶する事態が起きるかも知れない。

 

「気付いたな」

クリームが言う。サザンドラは、小首をかしげていた。

今まで、群れがどんどん大きくなるのに、その痕跡まで消して移動していた。それなのに、不意にクリームは、痕跡を消すのを辞めさせ。そればかりか、人間の街の近くを、わざわざ見せつけるようにして通った。

クリームのやる事については信頼している。

実際問題、今クリームが従えているのは、サザンドラも見た事がない圧倒的な軍団である。

多数の最終進化形の大型ポケモン。これだけで数は百五十に達する。

小型も含めると千を超える。

こんな大軍団の中心にいるのは初めてで。これなら、人間の街くらいなら余裕で滅ぼせると確信していた。

クリームに付き従い始めてから一つの季節が流れたが。

逆に言うと、其所までの短期間で、群れは此処まで巨大化したことになる。

今日は霧が深い。

だが、良くクリームに躾けられた群れは、一糸乱れぬ統率で動き続け。時々影から此方を伺っている捕食者も。とてもではないが、手を出す隙が無かった。

ワイルドエリアの、丘になっている部分。霧を隔てて、人間の街から見えない場所に一旦移動すると。

クリームはどのポケモンにも聞こえるように演説を開始する。

「皆、復讐の時が来た」

にやにやしながらサザンドラは聞く。

復讐に興味は無い。

だが、これからクリームがやる事には興味しか無い。

何しろ、こんな圧倒的な軍団、見た事はないし。

サザンドラとしても、食った事がないものを食えるのは、嬉しくて仕方が無いからだ。

「敵は強大だ。 人間という生物はお前達を身勝手な理由で捨てたことからも分かるように身勝手極まりない生き物だが、同時に知恵は明らかに我々より上だ。 今まで準備をしてきたが、今日の戦いは一度きりだ。 次はない。 作戦は既に伝達している通りであるから、各自指示した通りに動くように」

恐怖で従えられたポケモンも多い。

だが、それらも今は、クリームによって絶対的に縛られ。逆らう事など、思いも寄らない様子だった。

群れにはそれぞれ役割ごとに指示が出されていて。どの状況で、どう動くか。全て緻密に計算されている。

とてもサザンドラに真似できることでは無かった。

「それでは翌日仕掛ける。 それぞれ、思い残すことがないように」

一旦、確保した巣穴に移動。

霧に隠れて、休憩を取る。

既にその巣穴の主はクリームに殺されている。

巨大に成長したカビゴンだった。

大量のエサを常に口にする、非常にタフなポケモンである。まるまるとした人間に近い姿をしたポケモンで、動きが鈍い代わりに力は非常に強い。頑強の見本のような巨大なカビゴンだったが、それもクリームの敵ではなかった。

カビゴンの死体を貪り喰って、翌日への備えにするポケモン達。

クリームは、大量の「けいけんあめ」を、まだ力が足りないと判断した小型達に配って回っている。

彼方此方の巣穴から略奪し。

更にはクリームが作り出した膨大な「けいけんあめ」は、この軍団の戦力を大幅に底上げしていた。

「へへっ、姐さん。 いよいよ明日ですな。 それにしても、どうしてさっきはあんな真似を?」

「ああすれば、欲に駆られた人間が出てくる」

「へえ?」

「本当に強い奴は、既に気付いて備えをしているはずだ。 だが、そうではない、安全な場所での戦いに慣れた奴が欲に突き動かされて出てくれば、そういった強い奴の足を確実に引っ張る」

そういうものなのか。戦う前に、既に戦いを始めているのだな。

サザンドラは感心する。ただ、気になる事がある。

「それにしても、皆に共通して出していた命令……俺にも出していたあれですが、本当にいいんですかい?」

「かまわない。 元々勝機は一度だけだ」

「どうにも信じられないですねえ。 この軍団ですよ? どんな相手が出てきても、勝てると思うんですが……」

「お前は人間の恐ろしさを理解していない。 私は人間が行う試合を観察していたが、基本的に何かしらの策が新しく登場しても、すぐに解析され対策されていた。 恐らく一度の戦い中に解析されることはないだろうが、それでも次に同じ手は通用しないと考えるべきだ」

そんなものなのか。だが、クリームが言う事だ。それが事実なのだろう。

最初にクリームにサザンドラが叩き伏せられたとき。クリームの体色は白とピンクの中間くらいだった。

だが今は真っ赤である。

それはそうだろう。多数のポケモンを殺して喰らったのだから。この朱は、全て血の色だ。

喰ってみたいなあ。そう思う事もあるが。今のクリームの実力は、サザンドラの及ぶところではない。サザンドラも「けいけんあめ」で極限まで力を増しているのだが、それでもとてもではないが、隙を突いたとしても勝つのは無理だろう。

「明日に備えて英気を養い休んでおけ。 まだ食い物は残っているだろう」

「へいへい、そうしますよ」

サザンドラも、カビゴンの死体にかぶりつく。

カビゴンは一人でいた頃は、サザンドラでも簡単には手出しできない強力な相手だったのだが。

今はその膨大な脂肪と美味い内臓を味わう事が出来る。

しばしがつがつとカビゴンの肉を味わうと。後は思う存分眠った。

サザンドラは燃費が悪く。食べてもすぐに腹が減る。

明日はいよいよ人間共の蓄えた食糧と、それに人間共を食うことが出来る。

そう思うと、眠りながらもよだれが零れるのを止められなかった。

 

3、血戦エンジンシティ

 

早朝から、カブはエンジンシティの手前に陣地を敷いて、状況の推移に備えていた。

元々此処はガラル地方の要地。交通とインフラの集約点だ。分厚い城壁に守られた要塞であり、入り口を守れば良いのだが。

しかしながら、相手はポケモン。どんな手に出てくるか分からない。

後ろを一瞥して、舌打ちする。

ポケモンストアのスタッフまで動員しているのだが。そのスタッフ達は、半ば暴徒と化している廃人勢が出ようとするのを抑えるのに、精一杯だった。

「出せって言ってんだろ!」

「危ないから下がっていてください!」

「危ないわけねーだろ! 極限まで努力値振った俺のポケモンが、雑魚の群れなんかに負ける訳がねー! てめーらジムの連中だけでポケモン独占するつもりなのは目に見えてるんだよ! 理想個体もいるかも知れないんだ! 色違いもいるかもしれねーだろ! とっとと出せオラ!」

「下がって!」

溜息が出る。

ポケモンも人間と同じように、修練を重ねれば強くなるが。才覚による限度がある。この伸び幅を努力値という。

この才能に起因する努力を如何にさせるかが、いわゆる廃人達にとって、決められた条件での戦いを制するキモであるのだが。

それはあくまで、トレーナーの安全が保証されている競技での話。

古い時代は、ポケモンを用いての戦争は当たり前のように行われていたし。

何より他地方では、ポケモンを用いた犯罪を行う組織だっている。

そういう連中は、勿論殺すつもりで、トレーナーも積極的に狙って来る。競技とは根本的に違う。

そして恐らくだが、今から来る可能性が高いポケモン達もそうだ。

さて、どうしかけてくるか。

メロンとキバナにポプラ。それに何より、無敵のチャンピオンであるダンデが来てくれる予定になっているが。

昨日から各地で霧が濃く、到着が遅れている。

レンジャーは総動員体制。またいざという時に備えて、ジムリーグ戦が行われるコロシアムにジムトレーナー達は待機させている。

警察には既に避難誘導を開始させているが、どうも人々には危機感が薄い。

これは想像以上に被害が出るかも知れないなと、カブは憂鬱になったが。少なくとも、それは周囲に見せない。

腕組みしたまま最前列にて仁王立ちし。手持ちの精鋭を既に戦闘態勢に入らせている。

ふと、気付くと。

マルヤクデが、警戒音をならしている。ウィンディ達も、気付いて吠え始めた。

霧の中から、膨大な数のポケモンが姿を見せる。

想像以上の数だった。

側にいるレンジャーが、双眼鏡を降ろした。唖然としたのだろう。そして、もう一度慌ててみると。ロトムの入った測定器も使い、数を調べ始める。

「バンギラスとドラパルトだけで50はいます……! 全体の総数は1200……いや1500以上!」

「総員、戦闘態勢!」

バンギラスは巨大な骨格を持つ恐竜を思わせるポケモンで、若干鈍重な代わりに、それを補って余りある強大な力を持つポケモンである。

圧倒的な戦闘力は図抜けていて、ドラゴンタイプのポケモンでも迂闊に手を出す事が出来ない。

ドラパルトは戦闘機のような形状の頭を持つドラゴンポケモンで、凄まじい素早さを誇る。火力も高く、扱いが難しい反面強力なポケモンだ。

悠々と歩み来るバンギラスらの前衛には、小型が多数。中には、珍しいポケモンが多数含まれているようだった。

レンジャー達が、一斉にソーナンスをモンスターボールから出す。

丸っこい体をしたソーナンスは、複数の性質に対応した反射シールドを張る事が出来るポケモンで、こう言うときに壁役として活躍する。

ワイルドエリアにも多数棲息しており。ポケモンに襲われた人間を救助するときに必須になる事から、レンジャー各自一体以上の携帯が義務化されている。なお非常に人間に懐きやすく、ぼーっとした普段の行動と裏腹に頭も悪くない。

一斉にシールドを張ろうとするソーナンスだったが。

大集団の前衛に、珍しいポケモンが多数いる事を見て取った廃人トレーナー達が、ついに抑えていたポケモンストアのスタッフ達を押し崩した。

まずい、と思った時には。暴徒達が、我先に殺到し始める。

彼らにとっては、ポケモンは「順位」を稼ぐための存在であって、ゲームの駒だ。

自分が殺される事なんて、最初から想定していない。想像も出来ない。

実際、野良のポケモンとは一切戦わせずに、試合のためだけにポケモンを育てるトレーナーも少なくない。

そういう連中は、自身を「ガチ勢」と称していることも多く。

真面目にチャンピオンを目指しているようなトレーナーを、馬鹿にしているケースも多かった。

一斉にそれぞれ自慢のポケモンが入ったモンスターボールを投げ始める廃人勢。

確かに試合用に調整されたポケモン達は、どれもこれも決まった条件下では強そうだ。だが、直後。何かが、敵の群れの中から投げ込まれた。

思わず立ち上がったカブが、叫んでいた。

「下がれ! 引火ガスだ!」

「何を言って……」

バカにしきった様子で、カブを嘲笑おうとしたトレーナー。

投げ込まれたのがマタドガスと呼ばれるガスを噴出するポケモンであり。

そして、群れの中心部から、遠隔でサイコパワーが働いた事に気付いたカブが手を伸ばすが、もう遅い。

瞬時に、爆炎が。

その場を蹂躙していた。

炎タイプのポケモン達が、カブを庇う。

爆炎が収まると、周囲は阿鼻叫喚。手足を失ったり、既に地面に伏して血だまりを作っているトレーナー達と。トレーナーが沈黙して困惑しているポケモンの群れ。同時に敵が突撃を開始。

厳選し抜かれたはずの、廃人勢のポケモンに。十体一組以上の群れで、一斉に襲いかかっていた。

ポケモンの世界基準の試合では、基本一対一、もしくは二体二。多くても三対三がルールとなる。

野生でのポケモンも、群れを作る事はあるが、精々五体程度までである。

それが、十体を超える数で、一斉に襲いかかられたらどうなるか。

試合用に調整されたポケモン達が、飛びついてきた野生のポケモンを振り払う。一対二体なら、振り払えるようだ。

だが三体目以降が凄まじい勢いで突撃し、同時に食いついてくるとどうしようもない。悲鳴を上げて、後は貪り喰われるばかりだった。

慌ててその場を這って逃げようとするトレーナーの側に、デリバードが降り立つ。

デリバードは弱いポケモンだ。人間にも本来敵対的では無い。何だデリバードかと、安心した様子のトレーナーの脳天に、躊躇無く嘴が降り下ろされる。

普通人間に対して攻撃態勢を取らないデリバードの行動に、逃げる事も出来ず、頭をかち割られるトレーナー。勿論助かる傷では無い。

更にデリバードの群れは、一斉にレンジャーの壁にも襲いかかっていた。

逃げ崩れる廃人勢が、壁を作って対応しようとしているレンジャー達ともみ合いになる。其所に、追い打ちのように、無数の火球や氷の槍、尖った枝、更にはサイコパワーによる攻撃が飛んでくる。

更にバンギラスが起こしたらしい地震が、周囲の混乱に拍車を掛ける。

カブは叫んだ。

「負傷者を庇いつつ、攻撃を仕掛けよ!」

「分かりました!」

カブ自身も前に出ると、突撃してきた多数のポケモンをいなす。カブの手持ち達がスクラムを組んで押し返すと。

その後方から、マルヤクデが全火力での火球を連続で敵に投擲する。

敵が崩れるが、霧の向こうから次々湧いてくる。レンジャーが、必死に負傷者を助けて回っているが、そう長くはもちそうにない。

ソーナンスの壁が一部崩れ始め。其所から重量級のポケモンが突貫してくる。レンジャー達が繰り出したウィンディや、気が利いた者はもっと強いポケモンを出すが。それでも穴は埋めきれない。

数が違いすぎる。

また、マタドガスが投擲されてきた。

即座に蹴り返そうと、バンバドロに指示を出すレンジャーだが。

蹴ろうとした瞬間、マタドガスが自爆する。勿論バンバドロも巻き添えである。

大量の血の雨が降る中、カブはそれでも敵を押しとどめつつ、勝つ道を探す。だが、敵は狡猾。

次の手に容赦なく打って出る。

上空。

巨大な影が、城壁の上を行く。

「あれは……ヨワシか!?」

「あんな巨大な群れ、見た事も無いぞ!」

「今は壁の構築を優先! 敵の浸透を防げ! 城門を破られたら皆殺しにされるぞ!」

コロシアムの方から光が瞬く。遠距離攻撃に特化したポケモンが、ヨワシの巨大極まりない群れに対して対空砲火を浴びせ始める。残しておいたジムトレーナー達が即応したのだ。

だが、ヨワシの群れは削られつつも、どうやらポケモンセンターにピンポイントで着弾したようだった。

通信が入る。

「東地区のポケモンセンター全壊! 更にヨワシが南地区のポケモンセンターに向かっています!」

「兵糧攻めか……」

周囲にマタドガスが、次々投下されてくる。

放置すればガスを噴き出し始め、引火してまとめて薙ぎ払われるか。下手に手を出せば自爆されるか。被害を覚悟で、どうにかするしかない。

気が利いた者はモンスターボールを放って捕獲を試みるが、想像以上に素の力が強いようで、モンスターボールを内側からぶち抜く個体も珍しく無い。当然直後に自爆される。

レンジャーの被害も増える中、カブは孤軍奮闘を続ける。

また、激しい揺れが来た。

「南地区のポケモンセンター、破壊されました! 西地区も守れそうにありません!」

「あんなばかでかいヨワシの群れ、どうすれば良いんだ!」

「警察隊を、いやジムトレーナー……」

混乱する周囲。いや待て。カブは自問自答する。

ポケモンセンターは、モンスターボールに入れたポケモンを管理する場所。確かに此方にとっては生命線だ。

だが、今までの様子を見る限り、敵は先手先手を打ってきている。

なら、次は。

はっと顔を上げる。敵の狙いは、恐らくだが。

「ジムトレーナーはコロシアムから離れるな! 全力でヨワシの群れを迎撃し続けろ!」

「し、しかし」

「敵の狙いは恐らくコロシアムだ!」

カブが叫ぶと同時に、その通りとでも言うように、ヨワシの群れがいきなり向きを変える。

警官隊が守りを固めようとしていた西地区のジムを避け、全力でコロシアムに殺到開始したのだ。

更には、敵の主力らしい重量級のポケモンの群れが、ソーナンスの構築した防衛線に到達。圧倒的な力を振るって、薙ぎ払い始める。

予備をどんどん投入するレンジャー達だが、手が足りない。

カブの手持ちも奮戦。スクラムを組んで敵の最前衛を押し返しつつ、マルヤクデが強烈な火球を叩き込んで防衛線の危ない場所を重点的に守っているが、これは。

一番大きな揺れが来た。

対空砲火をかいくぐったヨワシの群れが、コロシアムに直撃したのだ。そして、群れは四散したが。コロシアムも半壊したのは確実だった。

ダイマックスエネルギーが溢れ始める。

コロシアムはダイマックスエネルギーを活用したバトルを行う事も想定し。いわゆる「パワースポット」。つまりワイルドエリアに点在する巣穴より更に強力なダイマックスエネルギーを放出する地点の上に立てられている。

周囲に、満ち始めるダイマックスエネルギー。カブは、手につけたリストを操作する。

このリストにはいわゆる「願い星」というものが入っていて。これを操作する事により、ポケモンをダイマックス、場合によってはそれを超えるキョダイマックスをさせる事が出来る。

敵も同じ事をしてくるだろうが。先手を取らせてやるものか。

「マルヤクデ、全て焼き払えっ!」

見る間に、数十倍に巨大化するマルヤクデ。これぞキョダイマックス。選ばれたポケモンだけが行える超絶の技。その様子を見て、レンジャー達が歓声を上げる。

勝てる。そう判断したのだろう。

だが直後、悪寒が走る。

カブが横っ飛びに逃れるのと、それが飛んでくるのはほぼ同時。

激しい戦いで、疲弊しきっていたマルヤクデは、それを避けきれなかった。

直撃。

凄まじいエネルギーだ。フェアリータイプのポケモンによるものだろう。

マルヤクデはまだ何とか動いているが、傷だらけだ。モンスターボールに戻すべきか。そう思った瞬間、カブは顔を上げて、見てしまった。

霧が晴れてくる。

そして、其所には。とてもこの世のものとは思えない存在がいた。

ダイマックスしたポケモンと、キョダイマックスしたポケモンは元とは別物レベルで姿が変わる事が多い。まだ未知のキョダイマックスはあると言われている。別の地方ではメガシンカという形態変化もある。

だが、あれは。何かが根本的に違う。

そこにいたのは、どうやら巨大なマホイップらしいのだが。その背中からは禍々しい骨状の翼が生え。無数の触手が全身からうねりながら生えており。そして全身から、禍々しい、あからさまに多数の種類のエネルギーが迸っていた。何より全身が血でも浴びたかのように禍々しく赤い。

何より目がおかしい。人間に友好的なポケモンで、温厚で心優しいマホイップとは思えない。そいつの目は深淵よりも暗く、そして狂気に満ちていた。

マルヤクデが一歩引く。歴戦をこなしてきたカブでさえも息を呑んでいた。

痛みからではない。あの悪魔としか思えない、とんでもない怪物に気圧されたのである。一瞬ウルトラビーストを想像したカブ。別の地方に現れたという、異世界のポケモン。だが、あれはどう見てもマホイップか、その亜種だ。恐怖から導き出された考えを打ち払う。

レンジャー達も、モロにそいつを見てしまったらしく、恐怖に崩れかける。

それだけではない。無数の鳥ポケモンが、一斉に敵陣から飛び立つ。それらが城壁を越える。向かっているのは、明らかに避難している人々の方だ。

「殺される……」

誰かが呟く。

巨大なマホイップらしき何かが手を振る。恐らくフェアリータイプのポケモンが使う技、広域を不思議な力で薙ぎ払うマジカルシャインだろうが。その火力があまりにも桁外れ過ぎた。

文字通り、壁になっていたソーナンス達の群れがまとめて薙ぎ払われる。

反射してかろうじて生き延びた者もいたが。

今度は、地面に手を突いたマホイップが、鉄の塊を地面からつらら状に生やしつつ、此方に飛ばしてくる。

鉄タイプのポケモンがダイマックスしたときに使うダイスチルと呼ばれるものだが。

これも、威力が尋常では無く。生き残ったソーナンス達が文字通り吹っ飛ばされ。踏みとどまろうとしたものはその場で微塵に消し飛ばされた。

巣穴の主と呼べるポケモンは、立て続けに攻撃を仕掛けてくる事も多いが。それにしてもこの火力は異常だ。たった三発で、マルヤクデを追い込み、防衛線を半壊させてしまった。しかも本来フェアリータイプのポケモンは、鉄タイプの技を苦手としているはず。彼奴は一体何だ。

ともかく、キョダイマックスしたマルヤクデから、全力での火力を叩き込む。

だが、嘲笑うようにキョダイマックスしていると思われるマホイップが展開したシールドが、それを完全に防ぎ抜いてしまう。巣の主になっているポケモンが見せる事がある能力だが、問題なく使いこなして見せるという訳か。それも、シールドの厚さがただごとではない。

間違いない。

今回の騒動の原因は、あのマホイップだ。あれが、この巨大な群れを率いている長だ。

長の超絶的な力を見た敵の群れが更に勢いづき、レンジャー達に容赦なく牙を剥く。彼方此方で悲鳴があがる。断末魔も少なくない。戦いが一方的になりかけた。

その時。降り注いだ爆炎が、まとめて襲い来ていたポケモンの群れを吹き飛ばす。

今度は、悲鳴を上げたのは、調子に乗って攻勢に出ていたポケモン達の方だった。

どんと、重量感ある音と共に着地したのはジュラルドン。金属の体を持つ、四角い形状のドラゴンタイプのポケモンだ。既にキョダイマックスしている。その肩に乗っているのは、キバナである。

周囲には、数体の歴戦と思われるドラゴンポケモンが羽ばたいていた。このドラゴンポケモン達で、自身をエースのポケモンごと空輸してきたのだろう。中々に派手好きだが、戦闘における効果的な演出を知っているとも言える。

ダンデと共に旅をしていたらしいともいう話を聞くキバナだ。或いは、一緒に昔ガラルに蠢いていた悪の組織とやりあった事もあるのかも知れない。

「ハ、どうやら出番は残っていたようだな! こっからが俺様の見せ所だぜえっ!」

キバナがけしかけたドラゴンポケモン達は、個々の能力もそうだが、連携能力が極めて高い。

やはり実戦を経験し、それを想定している動きだ。

更に、避難民を襲おうとしていた鳥ポケモンの群れが、下から飛んできた氷の凄まじい息吹に、まとめて薙ぎ払われる。

彼方はメロンか。

エンジンシティから、どっと出てくる多数のレンジャー。それにマクロコスモスの戦闘部隊。

待ちに待った増援だ。

どうやら率いているのはポプラらしい。周辺の街から、レンジャーをかき集めて来てくれたようだ。ギャロップに跨がったポプラが、杖を振るう。老いたりといえども、その風格は衰えていない。流石に歴代最長期間ジムトレーナーに君臨していない。

「押し返しな」

「了解! 突撃! 負傷者を救助! まだ継戦意欲を残している敵はまとめて蹴散らせ!」

荒々しい叫びと共に、多数のウィンディが一斉に前線に突入する。それどころか、珍しい上に高い戦闘力を持つ狼男のようなポケモン、ルカリオもそれなりの数がいる。マクロコスモスが保有するポケモンだろう。今回の鎮圧に本気を出してきている、と言う事だ。

彼らは小山のようなバンギラスや、他の大型にもまるで怯んでいない。凄まじい戦意だ。

カブは何とか呼吸を整えると、体勢を立て直す。

舞い降りてきたサザンドラ。もの凄く大きい。極限まで育った個体とみた。此奴くらいは、カブでどうにかしなければならないだろう。

ジムリーダークラスが三人到着。更に無事なレンジャーの部隊が投入された事で、一気に形勢は互角にまで持ち越した。

だが、あのマホイップはどうする。

あれは明らかに規格外の個体だ。別の地方では「島の主」と呼ばれる超級のポケモンがいるらしいが、それをも超える存在だろう。

だが、カブの不安は杞憂に終わる。

敵後方が連続して爆裂する。

そして、振り返ったキョダイマックスマホイップが向けた視線の先には。

ガラルの誇り。ガラルの至宝。

チャンピオンダンデが、自慢のポケモンと共に、降り立っていたのだった。

 

3、チャンピオンの力

 

だいたい想定通りの展開だ。

クリームは降り立ったチャンピオンを見て、予定通りに雄叫びを上げる。

この雄叫びを聞き次第、それぞれはもっとも間近にいる人間と交戦。その後、不利を悟ったら逃げろ。

そういう指示を出してある。

別に温情からではない。

理由あっての事だ。

歩み寄ってくるチャンピオンは、浅黒い肌、長い髪を持つ、屈強な青年だ。まだ子供の時にチャンピオンになって、それ以降一度も敗北していない。その実力は、クリームも人間を調べているときに何度も確認した。

野良での勝負をたまに受ける事もあるようだが。

万全の状態ではないときも負け無し。

そして、だからこそ意味がある。

ガラル地方の象徴とも言える最強の人間。此奴をブッ殺せば、人間共の士気は完全に砕けるのだ。

完全に乱戦になった前線の状態は五分だが、後方ではダンデにつぐと噂の実力者であるキバナが暴れ始めている。彼奴の戦闘力も尋常では無く、他の地方でならチャンピオンになれると聞いた事がある。

要するに時間がない。

「禍々しい姿……憎悪に満ちた目だ。 一体何が君を其所までの憎悪の塊にした」

意外な事に話しかけてくるダンデ。

ふんと鼻で笑うと。

全力で、クリームは周囲全域に、マジカルシャインをぶっ放していた。

乱戦状態だろうが関係無い。

巻き込まれた手駒ごと皆殺しだ。

チャンピオン自身も叩き潰すつもりでいたが。フェアリータイプの放つ技特有の桃色の光が収まった後には。

ほぼ無傷のチャンピオンと、今の一撃を受けきった数体の鋼タイプのポケモンの姿があった。

どれも尋常では無く鍛えられている様子だった。

間髪入れず、空に向けて力を放つ。

ダンデの手持ちで最強なのは、空を舞うトカゲの姿をしているリザードンだ。ある意味ドラゴンタイプよりドラゴンらしい姿をしたこのポケモンは、文字通り無敵不敗の象徴として、常にダンデの側にある。

豪雨が降り注ぎはじめたのを見て、ダンデは目を細める。

それにかまわず、クリームは周囲全域に二度目の全力攻撃、雷撃を叩き込んでいた。

雨が降っている状態の雷撃は、回避手段がない。

だがダンデはまるで慌てる様子が無く、避雷針になるポケモンを数体展開して、周囲への被害を減らす。

更にリストバンドを操作。

リザードンが、見る間に巨大化した。

キョダイマックスのリザードン。チャンピオンダンデが滅多に見せない真の切り札である。

凄まじい雄叫びを上げるリザードン。

びりびりと大地が揺れる。

雨の中では不利の筈なのに。

ダンデを完全に信頼しているのだろう。怖れる様子も無い。

数体のポケモンが、クリームに襲いかかってくる。それぞれの得意技を、全力で叩き込んでくる。

シールドの負荷が見る間に増すが。

触手を振るって薙ぎ払い、接近戦を挑んできていたものを文字通り消し飛ばす。

息があるものはモンスターボールに回収しつつ、ダンデは眉一つ動かず指示を出し続ける。

その冷静さ。

此奴も、血の雨をくぐってきた口か。

面白い。だったら余計に、手段など選ばずに叩き潰してやる。

雄叫びを上げながら、触手を振るわせる。

周囲全域に展開するこの技は、滅びの歌。

歌い続けることで、周囲全ての生命活動を強制的に停止させる。

元々は、巣穴に住んでいたゲンガーと呼ばれるゴーストタイプのポケモンの技で。そいつは自分だけシールドを張って滅びの歌を防ぎつつ、周囲全てを薙ぎ払うようにこの技を使ってきた。

勿論喰らってやった。学習した後は、同じ戦術を使うだけだ。

だが、次の瞬間。

雨で弱まっているとは思えない火球が、クリームを守っていたシールドをぶち抜く。

リザードンによる全力での砲撃か。

此処までの火力が出るとは、侮りがたい。

数歩下がりながらも、触手を地面に突き刺す。滅びの歌は中断してしまったが、かまうものか。

周囲全てを打ち砕いてくれる。

地面に干渉。

辺り一帯に、強烈な地震を引き起こす。

エンジンシティごとブチ砕いてくれる。ダンデが眉をひそめると、更にポケモンを繰り出す。

二枚目のシールドを展開すると、その攻撃を防ぎつつ。

中空に雷を。更にはマジカルシャインを。とどめとばかりにダイスチルを叩き込んでやる。

ダンデが鍛え抜いたポケモンだろうが、この連続攻撃にはひとたまりもあるまい。

事実、ダンデのリザードンですら、無傷ではない。

だが、ダンデ自身が、キョダイマックスしたリザードンの肩に乗ったまま、平然としている。

雨に濡れ。

手塩に掛けたポケモンを多数失いながらも。

この冷静さこそが、ダンデの強さか。

吠える。

恐怖心を煽られて、後ろを採ろうとしていた数体のポケモンが、慌てて逃げ散る。どうやら前線が瓦解したらしい。どうでもいい。

はっきりいってクリームは。

自分の命ですらどうでもいいのだ。

触手を振るって、飛びかかってきていたオノノクスを地面に叩き付け、肉塊に変える。強力な力を持つドラゴンポケモンの一種だが、一体では今のクリームの敵ではない。だが、その隙に躍りかかってきたダンデのリザードンに、組み付かれ、格闘戦になる。

リザードンに触手を突き刺す。

触手の先端は鋭いかぎ爪になっており。其所から直接相手の力を吸い取る事が出来る。力だけではなく、血肉もである。

だが、苦痛にわずかに顔を歪めただけで、リザードンは至近から全力での火球を叩き込み。

シールドの負荷が高まったところに、連携してダンデのポケモンが総攻撃を仕掛けて来た。

二枚目のシールドが砕ける。

呼吸を整えながら。探す。

ダンデ。

リザードンの肩にいたのを見た。

彼奴をブッ殺せば。

だが、いない。

振り返ると、そこにいた。いつの間にか、リザードンの肩から降り、更に数体のポケモンを展開。

一斉に、複数種類の攻撃を繰り出させていた。

三枚目のシールドを展開。

流石に驚愕したようだ。クリームも散々巣の主であるポケモンを殺して喰らってきたが、どんなに強くても二枚目までしかシールドを展開出来なかった。三枚目のシールドを展開するポケモンは初めて見たのだろう。

しかし驚愕すれど動じる様子が無い。

触手を一本、大型に組み付かれ、引きちぎられる。

リザードンを振り払い、地面に叩き付けると、至近距離から。触手を丸めて巨大なこぶしにし、叩き込む。

周囲の地盤が砕ける。

更に雷撃を叩き込んでやる。雨が激しさを増す中、クリームにも強烈な雷撃が来るが、知った事か。

だが、その拳をリザードンが押し返してくる。

これほどまでか。流石にクリームの想定を超えていた。踏み込むと、顔面に頭突きを叩き込んでやる。

不意の一撃に、リザードンが蹈鞴を踏んで下がるが。

その瞬間、真後ろに回り込んでいた数体のダンデのポケモン達が、一斉に攻撃。

三枚目のシールドが、爆ぜ割れた。

「今だ、一斉に懸かれ!」

全身に食いつかれる。

流石に四枚目のシールドを張る力はない。キョダイマックスした状態だと、衝撃に強い構造に体を作り替えているが。それはむしろ遠距離からの攻撃であって、至近に組み付かれると意外に脆い。

全身に激痛が走る中、まだ立ち上がろうとするリザードンは無視。

触手がまた一本食い千切られ。

更には、捨て身で敵の一体が放った雷撃が直撃し、全身を蹂躙する中。

ダンデに手を向ける。

クリーム、お前の手は魔法の手だな。俺のケーキに合わせて最高のクリームを作ってくれる。醜いと家族にも廻りの誰にも馬鹿にされ続けた俺のケーキをみんなに届けて、俺には出来なかったみんなの笑顔を作る事をやってのけてくれる。クリーム、お前は俺の誇りだ。大好きだよクリーム。

不意に、主の声がよぎる。

ダンデは、怖れる事もなく此方を見ている。

どうしてか、クリームを哀れんでいるようだった。だが、知るか。今、ダンデの周囲にポケモンはいない。全力で、マジカルシャインをぶち込んでやる。そうなれば、人間である以上、助かるものか。

ぶっ放す。

だが、割り込んできたリザードンが、その直撃を受け止める。

おのれ。叫び、更に一撃を撃とうとするが、其所が限界だった。

反撃に放ってきたリザードンの火球が、体を直撃。同時に、ダンデのポケモン達が跳び離れる。

完璧な連携。

キョダイマックスが解ける。マホイップの小さな姿へと体が戻っていく。

豪雨の中。必死に立ち上がろうとして見る。

逃げ散る群れ。

それでいい。人間への憎悪を植え付けたポケモンが、このガラル中に散れば。このガラルは常にポケモンに怯え続ける事になる。それこそがクリームの真の狙い。自身の復讐。主が死んだとき、クリームの心も死んだ。命なんて、最初からどうでも良かった。

力尽き、泥だらけの地面に突っ伏す。

急速に、体から熱が失われていくのが分かった。

ダンデが見下ろしている。

「殺せ……」

言葉が伝わったかは分からない。

だが、そこでクリームは気絶していた。

 

「逃がすんじゃないよ。 一匹残さず捕らえな!」

逃げ始めたポケモンを見て、ポプラがギャロップの上で指示を飛ばす。攻勢に転じた新手のレンジャーとマクロコスモスの戦闘部隊が散り、追撃戦に移る。バラバラに逃げ散る事が却って徒となり、広域攻撃で容赦なく敵の残存戦力は仕留められていった。

ダンデの周囲はまるで地獄だ。

カブは呼吸を整えながら、今撃ち倒したサザンドラをモンスターボールに収める。そしてマルヤクデも。限界だ。これ以上戦わせたら死んでしまう。手持ちのポケモンは、殆ど全員が限界状態だった。

キバナは追撃部隊に加わり、主に大物を狩っている様子だ。メロンは敵の航空部隊を撃墜した後は、避難誘導を再開している。

勝った。後は、周囲の惨状。それに街の被害の回復。いずれも一年では終わらないだろう。

死闘を生き延びたレンジャーの長が来る。

「死者は百名を超えました。 レンジャーだけでも四十人以上。 最初に突出したトレーナー達は、殆ど全滅です」

「まさかトレーナーに直接攻撃を仕掛けてくるポケモンがいるとは、思っていなかったようだね。 競技だけしか経験していないポケモンも、血の臭いを直接嗅ぐとどうしても動きが鈍くなっていたようだったよ」

「……人員の補充をマクロコスモスに打診します。 トレーナーから有志を集って、レンジャーの人員規模を拡張しないとなりません。 同じような事件を起こさないためにも、もっとワイルドエリアの管理をしっかりしないと」

「そうしてください。 頼みますよ」

敬礼をかわす。戦闘が終わって、カブも口調が穏やかなものに戻っていた。

後は医療チームが、回復の技術を持つポケモンと協力し、助けられる者を助けていく。ポケモンが神秘の力で起こした雨は止み。辺りはぬかるみと、屍の山と。そして血の海へと変わっていった。

カブは思う。

これは、ワイルドエリアでの修行を今後必須科目として取り入れるべきでは無いか、と。

どんなトレーナーも、チャンピオンリーグに一度は参加する。廃人と呼ばれる者達も、である。

彼らも、ワイルドエリアで野生のポケモンの恐ろしさを学習する必要があるだろう。

そして、あの首領だったらしいマホイップ。

凄まじい人間への憎悪で、目を狂気に染めていた。

元々、人間は友好的なポケモンに優しく接してきたわけでは無い。困った相手を助けることで知られるデリバードは、弱いという理由で人間に散々痛めつけられてきた。大人しい鳥ポケモンであるカモネギは、美味しいという理由で絶滅寸前に追い込まれている地方もある。優しいポケモンとして知られるラッキーは、今では人間を見ると逃げ出す。

あのマホイップに何があったのかは分からない。トレーナーに虐待されたのだろうか。それとも。

頭を振ると、救助活動を続行する。

ポプラが来たので、損害について話をしていると。ダンデも来た。

気を失った例のマホイップに、特別製の手錠を掛けて、台車で運んでいた。ダンデのリザードンと言えば、カブも対戦したことがあるが、尋常では無い強さを持つガラル最強のポケモンの一角。そのリザードンが、手酷く傷ついていた。

「まだ生きているようだね」

「俺はポケモンを殺しませんよ。 ただ、モンスターボールに入れようとしましたが、どうしても出来ませんでした。 意識を失っている上、無力化してありますが。 対応はどうしましょうか」

ダンデは年上のトレーナーには対応が丁寧だ。

ポプラが鷹揚に顎をしゃくった。

「アタシが引き取るよ。 これでもガラル一のフェアリータイプの専門家だ。 とはいっても、その子をフェアリータイプと呼んで良いのかはもう分からないけれどね」

「お願いします」

ダンデはポプラに気を失ったマホイップを引き継ぐ。

ポプラは、鉄と毒を仕込んだ手錠と拘束具でマホイップを縛り上げると、護送するようにして引き揚げて行った。

帽子を下げるダンデ。

「俺が手塩に掛けたポケモンが十二人も殺されました。 中には俺と一緒に最初のチャンピオンリーグを戦い抜いたポケモンもいました」

「それでもあのマホイップを殺さなかったんだね」

「……あの目は、見た事があります。 大事な何かを奪われた目です。 そしてそれを奪ったのは人間でしょう。 あくまで推察ですが、あのポケモンは、きっと誰かのポケモンで、主に何かあったのでしょう。 それこそ、主が人間社会から迫害されるような、大きな出来事が」

「ガラルは平穏になったが、それは君やローズ委員長が台頭してからだ。 昔は、そんな出来事はいくらでもあったよ」

ダンデは帽子を下げたままだ。

きっと失ったポケモン達に哀悼の意を捧げているのだろう。

それでもダンデはあのマホイップを殺さなかった。

チャンピオンの行動には頭が下がる思いだ。だが、同時に、この惨状を引き起こしたあのマホイップを、許すわけにも行かなかった。

ヘリが来る。どうやらお出ましだ。

ガラルの現状のトップ。産業複合体マクロコスモスのトップ、ローズ。そしてその秘書であるオリーヴ。

腹が出た脳天気なおじさんといった風情のローズは、いつも笑顔を絶やさない好人物で。側にいる冷たい美貌の女性オリーヴとはあらゆる全てが正反対だ。だがそのローズさえ、この惨状には眉をひそめた。

「マクロコスモスからの応援部隊が間に合ったようで何よりです。 負傷者の手当と、それに被害者の葬儀費用など。 それにエンジンシティの復興に関しては、マクロコスモスが最大限の助力をしましょう」

「ありがとうございます」

「オリーヴくん、今の内容をすぐに告知して、手配を。 後は、ダンデ君。 直接戦った君から……桁外れの個体だったというマホイップについて、聞かせてほしい。 つらいと思うが頼むよ」

「分かりました」

てきぱきと手配をしていく。この辺り、鉱山労働者から成り上がったというたたき上げの事はある。

カブも、手持ちのポケモンを無事だったポケモンセンターに預けると、ジムに戻り、事後処理に入った。

何とかエンジンシティを守る事は出来た。

だが、犠牲が大きい。決して誇ることは出来ない勝利だった。

 

4、暗闇

 

意識が戻る。

どうやら壁に貼り付けにされ鉄製の枷を嵌められ。更には常時毒を投入されているようだ。

幾ら強靱になっても、これではどうにもならない。

殺されなかったか。そして人間共は、徹底的にクリームを辱めるつもりというわけだ。

薄く笑う。

別にそれでもかまわない。存分に殺してやった。殺した中には、主を徹底的に馬鹿にしたあのバイトの女もいた。どうやらバイトを辞めた後廃人勢になっていたらしく、見覚えがあった。

正直、仇は討てた。それだけで充分だ。

此処はどうも地下らしく、フェアリータイプにはとことん不利だ。更には見張りのカメラと、銃座が設置されている。仮に枷を外せても、即座に殺せると言う事だろう。もういい。好きなようにすると良い。クリームが許せなかったのは、主の尊厳が徹底的に陵辱され奪われたこと。

クリーム自身がどうなろうと、どうでも良かった。

誰かが来る。

通路の向こうから来たのは、見覚えがある。ポプラとか言うジムリーダーだ。側に数体の護衛らしいポケモンを連れている。いずれもがフェアリータイプだった。

怯えた声を上げたのはポニータか。悪意に敏感なポケモンだ。それは、クリームのことは怖くて仕方が無いだろう。

うっすらと笑ってみせると。ポプラはしらけた目で言う。

「戦闘の一部始終は見せてもらったが、凄まじい強さだね。 大したものだよ。 その強さ、トレーナーと築き上げたものかい? それともあんたが自力で身につけたのかい?」

「お前達と話す事なんてない」

「ふむ、どうやら関係修復は無理か。 多分これはダンデの坊やにも手に負えないね」

何となく言っている事は理解出来るのか、ポプラは此方を観察する。

此奴がフェアリータイプを専門としていることは知っているが。

飼い慣らせると思うな。

枷から解き放たれ次第、八つ裂きにしてやる。周囲にまた血の雨を降らせてやる。

クリームの主は後にも先にも、一人だけだ。

「その憎悪、何とかするには相当な時間が必要だろうね。 それに、扱うにしても、英雄と呼ばれるようなトレーナーでないとだめだ。 ダンデの坊やでも無理だとすると……その次の世代に賭けるしか無いかも知れないねえ」

「……」

「しばらくは其所で頭を冷やしな。 もしもあんたとやって行けそうな子が出てきたら、連れてくるよ。 そうだね、少なくともダンデの坊やの無敵伝説を破れるくらいのトレーナーが最低でも必要だろうけれども。 まあアタシが生きている間にはどうにか見つけるさ」

ポプラは言うだけ言うと去って行く。

そして沈黙だけが残った。

じっとそのいなくなった後をにらみつけた後。

力を抜く。

主の事を思い出す。

ケーキを作るのが大好きだった。だけれども、人間はその見かけが気持ち悪いと言う理由から迫害した。家族だってそうだ。誰一人主を愛さなかった。主の作るケーキは美味しかった。全て独学だったが、間違いなく一流のケーキだった。クリームにも分かる程、強い愛情が籠もっていた。

親が死んでから、主はケーキ屋を引き継いだけれど。主が気持ち悪いとかで、客が来なかった。

そこでクリームが、代わりにケーキを配膳することを提案。

そうしたら上手く行った。

そして主は、いつも楽しそうにしていた。自分が作ったケーキが、誰かを笑顔にするのが嬉しくて仕方が無いようだった。自分を迫害した相手なのに。それでも主は恨んでいなかった。

優しい主。

そんな主が大好きだった。だからこそ、絶対に許せなかった。

もう涙は涸れ果てた。体も満足に動かせない状態だ。だからどうにもならない。栄養は、どうやら毒と一緒に注入されているらしい。動けないまま、此処でじっと罰を受け続けろとでもいうのだろう。人間らしいやり方だ。一度も親にさえ人間扱いされなかった主とはやはり根本的に違う。

店長。

そう渾名を付けられたことも。

今思えば主への侮辱だった。

やっぱり人間を許すことは出来ない。

ポプラがどんな人間を連れてくるつもりかは知らないが、いずれにしてもその時が好機だ。

そいつをブッ殺して、今度こそガラルを終わらせてやる。

ダンデの戦力は把握した。今度戦う時には負けない。

勿論相手も力を増しているだろうが、此方は対策を練って行くだけのことだ。

目をつぶる。

同じ手は二度は通じない。それは分かっている。

だから、次は別の手で行く。

あの状況、逃げ延びられた「憎悪の種」は多くは無いだろう。だが、少しは根付いたはず。

好機を見て此処から脱した後は。

その種を育てて、今度こそ破滅を導いてやる。

薄暗い中。

静かにクリームという名前を主から貰ったマホイップは嗤う。

もう、マホイップでは無く悪魔かも知れないが。

その悪魔を育て上げたのは。

間違いなく人間なのだ。

 

(終)