欠片の物語

 

序、帰国

 

私、飯島桜花はアイドルプロデューサーである。

所属している事務所は765プロ。

私が所属した時点では13人。それも二線級のアイドルしかいなかった事務所だったが。

ここしばらくで躍進を遂げ。今では最初に面倒を見た十三人が業界トップのSランクと言われるアイドルに成長。

更に三十人を超える後発を迎えて、事務所としては脂が乗りに乗っている。

私は少し前のステラステージプロジェクトという大型プロジェクトが終わった後、米国に下見に行っていた。

70年ほど前に世界大戦の危機があった。

それを当時の政治家達が回避した結果。今は社会のリソースが有り余っており、それがアイドル業界につぎ込まれている。

米国もそれは同じ。

海外進出を考えている765プロとしては、米国の様子を視察したい。

そういう事もあって、現在765プロでトッププロデューサーと言われる私が選抜され。二ヶ月ほど様子を見てきたのだ。

結論としては、充分にいける。

現在765プロトップの13人は、いずれも日本では不動と呼べるレベルのSランクアイドルとして活動している。

インディーズも含めれば二十万からなるアイドルがいる今の時代。トップの五百人をSランクと言うが。

その五百人の中でも上位である。

短期間でこの偉業を成し遂げた私は怪物などと呼ばれているらしく。

色々な事務所にいるプロデューサーの中では特に着目されているらしいが。

別に嬉しくも何ともない。

私は東大を主席で卒業した経歴の持ち主だが。

それすらも嬉しくも何ともない。

元々はアイドル志望だった。

何でもできた。

だが、アイドルとしての素質だけがなかった。

故に私にとっては、アイドルになれる者達はとても羨ましい。

自分が唯一出来なかった事。

自分の夢を叶えられる者。

それをできる者達だからだ。

今は育成に回ること。

アイドル業界の熱量を上げて、更にこの業界を活性化させることが夢になっているが。

それはそれとして。

やはり、自分の中に何処か鬱屈しているものがあるのも、事実だった。

皮肉な話だ。

芸術やスポーツと同じ。

アイドルをやるには才能が必須。

勿論才能がある上で、努力が現在の業界では必須なのだが。

私には基本となる才能が皆無だったから。

その時点で、全てが無駄だったのである。

街を歩く。

765プロの事務所は何回か移設した。それはそうだ。13人しか入れない事務所では、もう手狭すぎる。

現在はプロデューサーも増えている。

私が育成したプロデューサーもいるが。業界の名物男である高木社長が見つけてきた人材も多い。

私の祖父みたいな年のプロデューサーもいる。

いずれも、担当アイドルとの関係は良好と言う事で。

まあ今回は、海外にまでエースがでる好機が出来たと言う事だ。

歩いていて、気付く。

テレビのモニタに、961プロの記者会見が映っていた。

三人のユニットのお披露目。

ユニット名は、ディアマントというらしい。

961プロは中堅の上位程度の実力を持つ事務所で、兎に角社長が業界の問題児として知られている。

古くは敏腕プロデューサーとして知られたらしいが。

現在はすっかり腐り果てて。手がけたアイドルに悉く逃げられていくことで有名だ。

ちなみに765プロのエース13人の内三人も、昔は961プロに短時間いたことがある。

その時の事は聞かないようにしている。

本人達も、話したくないようだから。

モニタに映っている三人は、見覚えがある。

一人は玲音。モデルばりの長身と、獅子の鬣を思わせる髪がとにかく印象的な、圧倒的なオーラの持ち主だ。

業界関係者で知らない者などいないだろう。

現在世界最高のアイドルだ。ランク制が敷かれているこの業界で、ランク外。オーバーランクの称号を唯一受けている規格外の存在。なお、以前のプロジェクトで関わった事があるが。私に色々と興味を持っている様子だ。

まあとにかく楽しく戦える相手がほしくて仕方が無い、生態系の王者だ。

最高のアイドルを育てうる私には、興味を持つのも当然なのだろう。

もう一人は詩花。

海外視察前に関わったステラステージプロジェクトで面識を持った、961プロの秘蔵っ子である。

姫などと言われる透明な美貌のアイドルで、あまり有名では無いが961プロ社長である黒井祟男の一人娘である。オーストリアからの帰国子女で、それをウリにもしている。実力は文句なくのSランクで、近年の961プロの稼ぎは玲音と詩花が殆どたたき出していた。

センターにいる小柄なツインテールの子は、確か亜夜といったか。

961プロ所属で、あるアイドルと組んでいてBランクまで上がったアイドルだ。

だがユニットを解散してしまったので、すぐに忘れられてしまった。

Bランク外に墜ちたので、興味を持っていなかったが。961プロの所属者と言う事で、顔と名前は覚えていた。

確か典型的な努力型のアイドルで、トレンドに強い事を売りにしていたか。

そんな人間が、一瞬でトレンドから消えるのだ。

如何に強烈な競争がされているか一発で分かる。

ただ比較的。かなり公正な競争の果てなので、私は特に問題には感じていない。

健全な業界の結果だし。

何よりも、余程タチが悪い事務所で潰されでもしなければ。

今の時代のアイドルは、幾らでもその後のつぶしが利くのだから。

いずれにしても、今度スターリットシーズンという大型プロジェクトが行われる。そこで、961プロが出してきたのだろう。

思い切ったことをしたな。

私は脳内のホワイトボードにメモしながら思う。

黒井社長は自分の信念を他人に押しつけるタイプで、今961プロに残っているのは死んだ目をして惰性で頑張っているアイドルか。娘であるため黒井社長も頭が上がらない詩花や。社内での力関係が黒井社長より上の玲音等の例外だけだ。

だとすると、この二人が何か目論んだのか。まあ、情報が足りないから何とも言えない。

いずれにしても亜夜というアイドル。

目にぎらついた光がある。

どうもそれは、少なくとも詩花や玲音には向いていないように思える。

だとすると、誰か一人だけを意識しているのか。

ふむ、興味深いな。

そう考えながら、会社に向かう。

私がいる間に、事務所が移転した、と言う事はない。

だから別に迷子になることもなく、普通に事務所にはたどり着ける。

私の所属する765プロの高木社長は温厚な人だが、一方で人を見る目に関しては卓越したモノがある。

連れてくるアイドルは皆原石としての輝きを持っているので。

私としても、対応に困る事はなかった。

どんな原石も、最初は綺麗だとは限らない。

原石というのは磨けば光るし。

磨かなければただの石だ。

磨くのは私の仕事。

そしてアイドルは人間である。

悪辣な事務所だと、このアイドルがデビューしてから引退するまでどれだけ稼がせるか、みたいな計算をしている場所もある。

だがうちは違う。

人間として、ともに働く。星としてアイドルが輝くのを助ける。

多くの事務所でもだいたい同じ事を考えているはずだ。

私はある理由で、これがとても奇跡的な事だと言う事を知っている。

もちろん、この世界にも悪徳事務所は存在しているが。

それは例外なのである。

ほどなくして、会社に到着。

事務所の戸を開けるが。

アイドル達は、皆出払っているようで。事務員の音無さんだけが、笑顔で出迎えてくれた。

「お帰りなさい、プロデューサーさん。 みんなプロデューサーさんを待つって聞かなくって、説得するのが大変でした」

「ただいま音無さん。 他にもプロデューサーはいるのに、何故その呼び方で?」

「まあまあ良いじゃないですか。 今、お茶を出しますね」

「ありがとうございます」

席に着くと、手慣れた様子で事務員。とはいっても元アイドルだが。音無小鳥が茶を淹れるのを見やる。

もう三十路前だが、充分に若々しい容姿である。

まあ昔はAランク手前まで行ったアイドルだ。

彼女の世代には、「時代」とまで言われたアイドル、日高舞がいたこともあって。それほど高みにいく事は出来なかったのだが。

それでも相応の実績を積んで。

自分の実力に見切りをつけて。

今は「時々歌えればそれでいい」と言って。

たまに、劇場では無いけれども。例えば高級バーとかで、時々歌う仕事を受けているようだ。

それ以外は芸能界にいた経験を生かして、ごく当たり前に事務員をしてくれている。

私としても、後方を任せるのに充分な人材だと思う。

まあちょっとおっちょこちょいで妄想癖があるけれども。

別にそれくらいは許容できる欠点だ。

「社長はもう例の場所に?」

「はい。 皆と一緒に下見に行っています。 プロデューサーさんは?」

「私は見てきました。 今回のプロジェクトでは三十人前後の人員がユニットを組むという話でしたが」

「はい。 既に社長がリストを作っています」

茶菓子を口に入れながら、ざっとメンバーを見る。

まず事務所としては現時点では、28人のアイドルを抜擢してユニット化するつもりのようだ。

ユニット名はルミナス。

光とか、輝くとか。

星に例えられるアイドルがつけるユニット名としては、多分もっともオーソドックスでありながら。

星として輝かなければ、名前負けするユニット名でもある。

確か私が知る限り、幾つかのユニットがこの名前を名乗ったはずだが。

しかしながら、大成した前例は無い。

くせ者の高木社長だ。

この名前をわざわざ選んだと言う事は、相当に今回のプロジェクトに気合いを入れているとみて良いだろう。

私に総指揮を任せるという話は既に聞いている。

だとすれば、まあ納得がいく話ではあった。

前のステラステージプロジェクトの成功で、765プロはずっと激しく火花を散らしていた961プロに一歩先んじるほど業績を上げ。現在は業界でも注目株だ。

以前とは抱えているアイドルの数が三倍以上なのも、それを示していると言える。

今回は三十人か。

まあなんとかなるだろう。

アイドルの面子をみていく。

ふむ、と鼻を鳴らしていた。

今回は三事務所による合同プロジェクトとなるようだ。

まず一つは、283プロ。

新進気鋭のアイドル事務所で、近年どんどん力を伸ばしている。確かSランクのアイドルはまだいない筈だが、私が米国に行った時点で3人だったAランクアイドルが。今の時点では10人にまで増えている。

それだけ躍進著しいという事だ。

此処から五人。

そして次が問題だ。

346プロ。

この業界にいたら、知らない人間はモグリである。

業界最大手の一つで、二十万からいるアイドルの中でも、トップ500人にだけ与えられるランクS。

そのランクSアイドルを、50人近く抱えているという化け物のような事務所だ。

勿論AやBランクのアイドルも多数抱えている。

規模は765プロや961プロとは文字通り一つ桁が違っている。

近年、一気に躍進してきたうちを警戒しているという話は聞いていたが。

社長も大胆なことをする。

送り込んできたのは、十中八九偵察要員も兼ねているだろう。

ざっとメンバーを見ているが、346プロの中でも精鋭と言えるメンバーだ。ただし、346プロの中でもトップの稼ぎ頭ではないのも中々に面白い。

これは社長が出向いて向こうと交渉してきたな。

そう思ったが、敢えて口には出さない。

続いてうちの事務所の面子だ。

エースとして活躍を続けている13人は全員が参加。

これだけで、765プロとしてどれだけの力を入れているプロジェクトなのかが一発で分かる。

これに加えて、後発の五人が出場する。

まだ皆Bランクだが、経歴は既に目を通している。

中々にできる子ばかりだ。

ただ、発展途上の子も多い。

実はAランクになっている子もいるのだが。その中で敢えてこの面子を出してきたと言う事は。

恐らくだが、今回のプロジェクトで一気に成長させようと思っているのだろう。

高木社長は温厚な人だが。

それでいて強かな人でもある。

中々に色々考えるものだなと、少し感心した。

「人員は把握しました。 更に追加予定はありますか?」

「その辺りは、プロデューサーさんに任せるそうです」

「分かりました。 後何人か、もしも良さそうな子がいたら見繕います」

「お願いします」

ひょいと音無さんが頭を下げる。

他のアイドルからはピヨちゃんなどと言われている音無さんだが。

やる事はきちんとやってくれるし、取引先相手にミスをするような事もない。

何より業界経験者というのが大きく。

765プロでは、事務員としてだが。

なくてはならない人員として機能していた。

茶を飲んで少し休憩し。

更に茶菓子で脳に糖分を入れ。

少し休憩したところで立ち上がる。

これから少し忙しくなる。

一週間以内に、全員と直に会い。更に顔合わせをしなければならない。

その合間に、良ければもう一人か二人、アイドルを追加したいところだ。

今回のスターリットシーズンプロジェクトは、巨大な新規ドームのこけら落としも兼ねた、国を挙げた大プロジェクトである。

参加するユニットだけで1000を越えるとか聞いている。

ソロのアイドルで参加するケースもあるそうだが。ふるい落としは容赦なくやるということで。

更には参加するユニットには、高名なユニットが幾つもある。

優勝候補はうちと、後は961プロが大規模発表をしていたあのユニット。ディアマントといったか。

他にはトップクラスの実力を持つ古豪ユニット魔王エンジェルや、346プロが出してくるだろう幾つかのユニット。

他にも幾つもの事務所や、インディーズのアイドルも参加するだろうが。

さて勝ち抜いてこられるのはどこか。

私としては、ざっと目を通して、めぼしいところは対策を考えておく。

基本的に今回のプロジェクトはどんどん振るいに掛けて参加ユニットを絞り込んでいく。

生き残る参加ユニットは。

規定の条件を期日内に満たす必要がある。

多くの場合はCDやグッズの売り上げ、テレビの視聴率がその条件となる。

最低条件を満たしたユニットが、更に特定日にライブを行い。

そこで投票を行って、更に振るいに掛けていく。

これで最終選考の際には二チームまで絞り込むという話だが。

いずれにしても、ふるい落としとしては比較的楽な方だ。

トーナメント制だったら、最初に強豪どうしが当たって潰れてしまうケースが出てくるかも知れないし。

それどころか強豪同士がぶつかって、つぶし合ってしまうかも知れない。

いずれにしても、まず妥当なシステムだと思う。

頷くと、相手になりうる強豪ユニットを頭には入れた。

うちと同じような大型ユニットを組んでくる事務所もあるようだが。

数だけ揃えても、精鋭には勝てない。

私も気合いを引き締め直す必要があるな。

そう、プロジェクトの規模を改めて考えて。

それで目を閉じていた。

集中して、色々と思考を練っておく。

今回のプロジェクトでの優勝ユニットは、時代になるだろう。

参加していた、というだけで生涯思い出になる筈だ。

最後のステージになる建築中のスタジアムは、人員を二十万人から収容できる(ただしこけら落としの時は安全性を考え満員にはしないそうだ)巨大スタジアムで。

確か世界でもトップクラスの規模になる。

これに最新技術を山ほど詰め込んでいるわけで、文字通りライブは世界に配信されるわけだ。

米国ほどでは無いが、日本のアイドル業界も着目されている世界である。

此処で失敗は許されない。

私は今回のために社長が借りた事務所に向かう。既に見て来ているので、これも迷う事はない

都心ではないが。都心近くにあるかなり巨大な事務所だ。

今頃うちの精鋭達も、皆其処に集まっているだろう。

二ヶ月ぶりに顔を見るのが楽しみだった。

 

1、白と黒

 

苦楽を共にして来た皆と久々にあった。

皆、二ヶ月で更に力を伸ばしていたし。私に会えたことが嬉しいようだった。

更に、短時間で346プロと283プロから派遣されてきたアイドル達とも顔合わせをする。

私はどうもそれぞれの事務所で色々吹聴されていたらしく。

露骨に怯えが見えるアイドルもいた。

一方で、つかみ所が無いように見えて、私を徹底的に観察しているアイドルもいた。

続けて、765プロの後発組のアイドル達とも会ってくる。

皆、一度以上は顔を合わせているのだが。

二ヶ月でかなり伸びていた。

今回のプロジェクトには文字通り社運が掛かっている。

そう考えているアイドルも多いようだった。

まあ最低でも出費を回収するだけの活躍はしてみせるさ。

私はそう思っているが。

そんな事は勿論口にはしない。

今、自信過剰に見せる訳にはいかないし。

自然体で振る舞うのが、一番皆を安心させる事が出来る。

更に、手の内も見せずに済む。

更に、今回のプロジェクトを一緒に回すプロデューサー達とも顔合わせをする。

765プロでは最初の13人がSランクになったとき、追加で四人のプロデューサーを入れた。

更に今では追加され。私を含めて八人のプロデューサーが所属している。

このうち私を含め五人がスターリットシーズンプロジェクトで活動する事になる。

残りの三人の負担は多少大きくなるが、これは仕方が無い。

その辺りについては、負担が大きいようなら社長にカバーに回って貰うことになるだろう。

あの人も、元は敏腕プロデューサーだったのだから。

更に事務員として、三人と顔合わせをする。

283プロと346プロから一人ずつ。

言う間でもないが、内部視察を兼ねている二人だ。

勿論警戒している様子を見せるつもりは無いが。

手の内を見せすぎるのは危険だろう。

見た感じは、皆仕事がきちんとできる事務員だ。

もう一人、765プロからも後発の事務員が今回のプロジェクトに参加してくれる。

事務員だけで四人体制。プロデューサー五人。社長もバックアップに当たると。

765プロとしては、今までに無い規模でのプロジェクトとなる。

いずれにしても、最初の内に躓きでもしない限り、更に会社の規模を上げる好機であるし。

同時に、参加するアイドル達にとっても星として更に輝く好機にもなる。

文字通り輝きの更に先。

更に向こう側に、というわけだ。

私としては一切手を抜くわけにはいかない。

気合いを入れて臨まなければならないだろう。

さて。私は全員との顔を合わせを終えたので、資料を見ながら街を歩いていた。

インディーズや個人活動しているアイドルで良い子はいないか。

条件が合う子はなかなかいないな。

勿論ながらスマホなんかしていない。

事前に脳内のホワイトボードに書き込んだ情報を引っ張り出して整理しながら、脳のリソースを三割ほど使いつつ歩いているのだ。勿論周囲に対して警戒はきちんとしている。

IQがそれなりにある私は、脳内にホワイトボードを擬似的に作り出す事が出来。

其処に書き込んだ事はいつでも思い出す事が出来るし。記憶を消す事だって出来る。

似たような事が出来る高IQの持ち主は他にもいる。

別に私だけの専売特許でも何でも無い。

ふと、気付く。

都内の有名ケーキ店だ。

その前で。

二人、にらみ合っている女の子がいる。

片方はこの間ディアマントのセンターに抜擢されて、街頭テレビに映っていた子だ。名前は亜夜。黒系の服はどうやらオフでも着ているらしい。

自分のキャラ作りのために、オフでもキャラを崩さないアイドルはいる。

恐らくはそのタイプか。

或いは単に黒系が好きなのだろう。

実際よく似合っている。

亜夜の視線は敵意剥き出しである。

一方、視線を向けられているのは亜夜と真逆の雰囲気の子だ。

真っ白な衣装と、砂糖菓子みたいな雰囲気の。これはアイドルとしてはサラブレットと称するしかないだろう。

見覚えがある。

奧空眞弓という大女優がいる。

業界でもかなり大きな影響力を持ち、今ではフリーの活動をしているが。圧倒的な演技力で、色々なドラマやら時代劇やらにいつも出演しているベテランだ。

その娘であり、一時期961プロに所属していたアイドル。

奧空心白だ。

確かこの二人が組んでいたはずだが。

ああ、なるほど。何となく分かった。

奧空心白が不意に芸能界から姿を消した後、亜夜も姿を消した。それから活動の軌跡が追えていなかったが。

見た瞬間、だいたい分かった。

私は相手を筋肉と骨格で見ている。

亜夜の体は、文字通り極限に近い所まで鍛え抜かれている。

コレは凄まじいトレーニングを繰り返したのだろう。

小柄な体だが、スタミナも体の動きも恐らく生半可な人間では到底及ばない筈である。

「良くも私の前に姿を見せられたわね……!」

「亜夜ちゃん……」

「あんたがいなくなってから、私は死ぬ思いで必死にトレーニングを続けたわ。 ディアマントのセンターも、実力でもぎ取ったのよ。 あんたには絶対に負けない!」

「……」

負けるもなにも。

確か今、奧空心白はアイドルとして活動していないはずだが。

いずれにしても、ケーキ屋の前でにらみ合っていたら、客の邪魔だ。

咳払いする。

私を見て、目を細める亜夜。

多分私の事は知っているのだろう。

「喧嘩をするなら場所を変えたらどうだ。 いずれにしても此処では客の迷惑になると思うのだが」

「何よ、知った風な……」

「下手に騒ぎを起こすと、ユニットが本格始動する前にパパラッチに嗅ぎつけられるぞ」

「! ……それもそうね」

凄まじい視線で心白をねめつけると、亜夜は大股でその場を後にした。

呆けたように立ち尽くしている心白の手を引くと、私はケーキ屋の前から離れる。

ほっとしたように、客が中に入っていくのが見えた。中から出られなくて、困っていた客もいたようだった。

「奧空心白さんだな」

「誰ですか?」

「ああ、私はこういうものだ」

名刺を出す。

都心の有名店の前とはいえ、いきなり面白い事になった。私としてはこの好機を逃すわけにはいかない。

私は学生時代、アイドル志望だった。

アイドルとしての才能がないことは分かっていたが。

それでも才能を努力でカバーしようと、己のリソースの大半をつぎ込んだ。

結果としては、才能がミリもないこと。

故に、どれだけ努力しても無駄だと言う事がわかっただけだった。

その頃に、私は悪運と接しすぎたのだと思う。

逆にアイドルとしての夢を諦め。

プロデューサーとしての、自分ができなかった夢を後発に託すことを考えたら。

むしろ幸運が寄ってくるようになった。

765プロでもそう。

私は実力で、今765プロを牽引している13人を育成したつもりだが。

勿論、運が良かった事は幾度もある。

今回も恐らくだが。

その一つだろうと思った。

「765プロの。 聞いた事があります。 短時間で13人をSランクアイドルまで育て上げた業界の有名人だとか」

「貴方は961プロに所属していたことがあったな。 黒井社長に散々私の悪口を吹き込まれたのではないのか?」

「いえ。 黒井社長は今はあまり前線に出てくることはなくて、私も本格的な活動をする前に事務所を離れてしまいました。 それに芸能活動には母が厳しく目を光らせていて、黒井社長も私には余計な事は言えないようでした」

なるほどな。

黒井社長が、自社のアイドルには当たりが非常に強い一方。取引先の相手には腰が低いことは私も知っている。

ましてや奧空眞弓と言ったら、大女優。

黒井社長でも、侮辱なんかしたらそれこそ即座に芸能雑誌が取りあげ。

スキャンダル確定である。

ましてやその娘さんだ。

黒井社長でも、好き勝手は出来なかったと言う事なのだろう。

それに確か、最近は黒井社長も年齢もあって、昔のようにアイドルのプロデュースを自分でするという事はしなくなっているとか聞いた。

そうなると、心白が黒井社長と殆ど接点がなかったのも頷ける。

いずれにしても、見た感じ。

相当なオーラの持ち主だ。

アイドルは才能がないとどうにもならない仕事だ。

私が自分自身でそれを思い知っている。

この子には才能がある。

うちの高木社長風にいうと、ティンと来ると言う奴だ。

更に体の方もかなり鍛えているとみた。

筋肉と骨格を見ている私に、心白は不安そうに言う。

「あ、あのどうしました?」

「バレエと日本舞踊……他にも色々やっていると見たが、間違いないだろうか」

「えっ。 どうして分かったんですか?」

「私は相手を肉と骨で見る事が出来る。 別にレントゲンを撮っているわけではなくて、単に技術としてそういう事が出来るだけだ。 肉の付き方や骨のできあがりがとてもしっかりしている上に、柔軟性も高い。 バレエは最低でもやっていると思ったのだが」

唖然としてた心白だが。

それでも、その通りですと答えてくれる。

この子はいけるな。

私はそう判断していた。

「芸能活動からは離れてしまったようだが、もう一度戻ってくる事は出来ないだろうか」

「えっ……」

「今度スターリットシーズンという大規模プロジェクトが行われる。 それにはさっき君と口論していたあの亜夜さんも出る」

「!」

口を押さえる心白。

これは余程の事があったのだとみて良い。

まあ何となくは分かってきたが、

まだ確信は持てない。

「もう一度、アイドルをやってみないか」

「……母が何というか」

「私が説得しよう」

「……」

心白の目は悲しそうに伏せられたままだ。

この鬱屈を晴らしたとき。

影があるこの白の権化みたいな、アイドルの強烈な原石は星になる事が出来るだろう。

私は高木社長から行動のグリーンライトを与えられている。

故に、今回のスカウトに関しては問題は無い。

それに今の反応でよく分かった。

この子は、亜夜に強い未練がある。

今の壊れた関係を、どうにかしたいと思っているのは確定だ。

「分かりました。 母がもし許可を出すのなら……」

「任せてほしい」

そのまま、連絡先を告げる。

心白は一礼。完璧な角度で礼をすると、その場を離れていった。

ケーキ屋で見つけた、文字通りの星の子。

あれが、恐らくルミナスの最後の一ピースだ。

現時点でのルミナスはかなり良いユニットだ。既にある程度下地がある上に、爆弾を抱えていない子達ばかり。

だがそれでは恐らく、これ以上の伸びしろがない。

ルミナスを完成させるには、リスキーでも更に強烈な個性がいる。

あの子は多分。

いや、まあそれについては実際に見て確認すればいい。

心白が行くのを見送ると、高木社長に連絡を入れる。

話をすると、社長も驚いていた。

「あの奧空さんの娘さんをスカウトした?」

「はい。 ルミナスの29人目として加わって貰いたいと考えています」

「だ、大胆なことをするね……」

「できるだけ急いだ方が良いでしょう。 奧空眞弓さんとこれから交渉をしようと思いますが」

しばし黙り込んだ後。

高木社長は言う。

「奧空さんとは面識があるからね。 私の方から連絡を入れておこう」

「それは有り難い話です。 できるだけ急いでください。 今回は三事務所の合同プロジェクトです。 最初が出遅れると、色々面倒な事になりかねません」

「ははは、相変わらず君は隙が無いなあ。 分かった、可能な限り急いでアポを取り付けておくよ」

「お願いします」

通話を切る。

それにしても、あの大女優ともコネがあったのか高木社長は。

本当に765プロを立ち上げる前は、相当に優秀なプロデューサーだったんだろうなと思う。

経歴についてはぼんやりとしか知らない。

黒井社長と若い頃には、プロデューサーとして組んで活動していたことは知っているが。

何しろ本人も。

更には高木社長が最後にプロデュースしたアイドルであるらしい音無さんも昔の事は話したがらないので。

私としては、断片的な情報で、全てを推察するしかなかった。

一旦事務所に戻る事にする。

今回のスターリットシーズンプロジェクト用に借りた事務所は、非常に広い。

内部に大きなレッスン場があり、30人程度なら余裕を持ってレッスンができるだけではない。

屋上はちょっとした公園のようになっていて、其処から大きな観覧車も見える。

芸能事務所としてはかなりしっかりしたもので。

いっそのこと、765プロの本社をこっちに切り替えても良いのではないかと私は思っている。

もうそれくらいの格がある芸能事務所になっているからである。

ただ、決定権は社長にある。

私がグリーンライトを渡されているのは、あくまでアイドル関係の活動に関してのみ。会社の経営方針は、実の所高木社長のワンマンに近い。

ただ、人望もあり温厚な高木社長は。

ワンマン体制で経営していても、嫌われる事がない不思議な人でもあった。

さて、もう事務所で待っている皆のために、初期レッスンを済ませておくか。

今回争う相手は錚々たる面子ばかりだ。

最後には世界最新鋭最大規模のステージでライブを披露することにだってなる。

それを考えれば。

今でも、無駄な時間は一秒だってないとも言えた。

 

奧空眞弓が事務所に来たのは四日後の事だった。

心白も一緒に連れている。

私は事務所でレッスン中のアイドル達には、そのままレッスンを続けるように指示。

全員に細かく何をすればいいかは、既に伝えてある。

283プロに至っては、社長自身が挨拶回りに来た。

会社としての規模は765プロの方が大きいから妥当な行動だとは言えるが。

いずれにしても、アイドルも人間であり。

その大事な経歴を預かっているのも事実だ。

アイドルは消耗品などでは無い。

少なくとも、この世界ではそうだ。

奧空眞弓は、四十を過ぎた今でも充分に美しく。色々なドラマなどで圧倒的な存在感を示すのもよく分かる。

この人くらいになると、稼ぎで裕福な生活をしているものだが。

その辺りは心白を見てもよく分かる。

着ている服はどれもこれも高級品ばかりだし。

習い事もどれも金が掛かるものばかりだ。

厳しいと同時に、大事にされている事が一発で分かる。

こういう家の子は、色々と実の所難しい事が多いのだけれども。

心白は961プロでの一件では問題は起こしたようだが。

見た感じ、奧空眞弓と心に壁があるようには見えなかった。

家族は絆で結ばれているなんてのは幻想だ。

だが、少なくとも。

奧空家には、これといった問題は無いようだった。

応接にて相対する。

流石に奧空眞弓レベルの人物となると緊張するようで。音無さんもガタガタ震えながら茶を淹れていた。

まあそれはそうだろう。

音無さんが全盛期だった頃、この人がどれだけ芸能界で存在感があったかを考えれば、当然である。今でも、必要な役柄で出ていても、他の役者を食いかねない存在感を見せているのだから。

「奧空眞弓です。 貴方が765プロの名物プロデューサーさんですね。 この度はうちの娘をスカウトしたいとか」

「飯島です。 よろしくお願いします」

名刺を渡す。

心白は、ずっと黙り込んでいた。

母親に圧迫されているという感じはしない。

なんというか、芸能界にトラウマでもあるような印象だ。

ただそれは、恐らくだが。

あの亜夜との口論が、大きな要因だろう。

それについては、あらゆる状況証拠が裏付けている。

「貴方については私の方でも聞いた事があります。 13人ものアイドルを短時間でSランクに引き上げ、幾つものプロジェクトで大成功を収め。 更に手がけたアイドルは一人も取りこぼしていないとか」

「恐縮です」

「そんな方に心白を認めて貰えるのはとても心強い。 しかしながら、この子には問題がありましてね」

「……その問題、心当たりがあります」

私は既に、亜夜と心白の昔の活動映像を洗い出している。

その結果、既に仮説は立てていた。

「ふむ、本当でしょうか」

「実際に見せましょう。 レッスン場に来ていただけますか?」

「良いでしょう。 心白」

「はい」

なるほど、かなり母の権力が強いのだな、と思った。

心白の年齢は15。年齢的には精神的にもう親からは色々な意味で自立している年だ。この年で過干渉をするような親は文字通りの毒親と言える。心白は過干渉されているタイプではないようだが。

ちょっと色々他にも問題があるのではないかと思う。

とりあえず、既にレッスン場の一つは、話をして開けて貰っている。

私は歩きながら、ネクタイを外して、上着のボタンを幾つか外す。

本気で動くつもりだからだ。

レッスン場に出ると、普段使っている靴からスポーツシューズに変える。

ひょいひょいと何度か跳躍して、更にストレッチをした後、私は言う。

「心白さん。 これから私のやることを真似して貰えるか?」

「あ、はい」

「行くぞ」

私はまず軽く、難易度が中くらいのダンスをして見せる。

心白はじっと見ていたが。

続けて、と指示すると。一発で再現して見せた。

やはりな。

この子は、いわゆるコピーキャットだ。

元々色々な役になりきるのが女優というものである。奧空眞弓は様々な役柄をやってきており。

それこそ役に入りきれば、どんな役でもこなせるだろう。

流石に年齢的に無理がある役などは駄目だろうが。その素質を引き継いだのが心白なのだ。

私は次、と言ってどんどんダンスの難易度を上げていく。

ブレイクダンスをやってみせるが、それも心白は一発で再現して見せた。

更に難易度を上げる。

ブレイクダンスの中でも難しい、片手逆立ちしたまま七連続で回転をする技を見せる。

心白は、それを見て青ざめたが。それでも初見で六連続まで回転をやってのけた。

要するに、自分の身体能力が追いつく所まではコピーできると言う事だ。

恐らくだが、他の事もだいたいそうだろう。

発声などもそう。

コピーしようと思った本人にはなれないが。

身体能力の許すところまでは、ほぼ再現ができるとみて良い。

目を細めて見ていた奧空眞弓。

私はボタンを留めなおし、ネクタイをしめると言う。

「こういうことでしょう。 心白さんはだいたいの事をコピーする事が出来る。 しかしコピーキャットの宿命だ。 自分なりの表現ができない」

「……流石ですね。 私の想像以上です」

「私に心白さんを預けて貰えますか? スターリットシーズンプロジェクトが終わるまでには、その問題を解決して見せましょう」

「……どう、心白」

奧空眞弓が視線を向ける。

流石に、自分が真似できないものがあると思っていなかったのか。

一瞬で全て見破られたことを驚いたのか。

心白は青ざめていたが。

やがて、顔を上げていた。

「……私は」

「実の所をいうと、私は心白さん。 貴方が羨ましいと思っている」

「え……」

「私にはアイドルとしての才能がない。 ダンスだろうが歌だろうが、他のどのアイドルよりもこなしてみせる自信はある。 だが、それでもできない事がアイドルだ。 私にはアイドルになるために必須な才能が欠けている。 貴方にはそれがある」

ぼんやりしている様子の心白。

奧空眞弓は、やがて娘の肩を叩いていた。

「この方なら大丈夫でしょう。 夏までに、成果を出せますか?」

「夏ですか。 ふむ……何とかして見せましょう」

「分かりました。 娘を、お願いします」

頭を下げられる。

此方も、頭を下げた。

後は事務所で軽く打ち合わせをした後、心白を引き取る。書類手続きとか色々あるからである。

その後は、既に合流していた28人に心白を改めて紹介する。

元961プロのアイドルは、765プロにも三人いる。別に別の事務所から移籍してくる者は珍しく無い。

だから、元961プロである事に難色を示す者はいなかった。

それを確認してから、次に行く。

「春香、いいか」

「はい、プロデューサーさん」

765プロの現トップエース。天海春香。現在Sランクの上位の中でも、更にその上を狙えるアイドルである。

今回の海外研修は、そもそも春香を海外進出させるために、下見をしてきたと言ってもいい。

既に春香は国内で必要なファンを充分に獲得できていると私は考えている。

それならば、海外で更に色々な刺激を受ければ、もっと伸びるはずである。

伸びれば海外でのファンも増えるだろう。

春香が海外進出を成功させたら、希望者にはどんどん後を追わせる。

私が現在、もっともアイドルとして信頼し。信頼に応えてくれる子だ。

勿論本人がこれ以上を望まないなら、そんな事はさせない。

あくまで本人の希望を聞いて、それで私は応える。

そうしないと、人は潰れてしまう。

私の立場は難しい。夢を他人に託すというのは、一歩間違えると思想の押しつけになってしまう。

それこそ黒井社長のように。

だから、気を付けなければならないのだ。

「心白はまだリハビリの段階だ。 人の心の機微に強い春香にサポートを頼みたい。 良いだろうか」

「分かりましたプロデューサーさん」

「うむ……」

さて、此処からだ。

当面はこの29人をまとめ上げていき。

最終的には最強のアイドルである玲音がいるディアマントに勝利する。

実の所、13人だけで勝負して良いのなら、勝つ自信はある。

だが、敢えて可能性を広げるために、今回は倍以上の規模のユニットで勝負してみたいのである。

私には個人栄達の野心は無い。

その代わり、この業界を更に過熱させたいという願いはある。

それにはライバルがどうしても必要で。

いずれは玲音クラスのアイドルを、複数乱立させたいと考えている。

競合他社にそれを求めるのは難しい。

だから、あくまで自分の手の内で。

それには、あらゆる個性と実際に触れて。そして知っていくことが大事だ。

人生は全てが勉強である。

心白を見る。

瞬間学習能力を持っているに等しいコピーキャット。でも、自分を持てないと思い込んでしまっている。

何となくだが、心白がユニットを解散して961プロを脱退した経緯は既に分かっている。心白にわざわざ聞くまでもないだろう。

だが、一応キーマン(キーガール?)になっている亜夜には話を聞いておくべきか。

レッスンを複数チームに分けて、傾向別に行わせながら。

私はそう考えていた。

 

2、想定の範囲内と範囲外

 

奧空眞弓に指定された期日は夏。

だが、はっきりいってそんなタイミングで仕上げていたら、他のユニットに遅れを取る可能性が高い。

私は皆のレッスンを見ながら、幾つかの事をマルチタスクでこなして行く。

まず懸念材料になっていた346プロから来ている五人だ。

若々しく見えるが、年齢をかなり誤魔化している安部菜々。メイド喫茶でずっとバイトしていたらしく。比較的芸歴は短いらしい。骨格と肉で見る限り年齢は一発で分かるが、それでも体力のなさを努力でカバーしている。

兎に角派手なルックスと何よりも圧倒的な長身がウリとなっている諸星きらり。平均身長に届いていない私と比べると、頭一つ以上大きい。

身につけている極めてポップでカラフルなアクセサリや、奇抜な言動が目立つが。意外に手先が器用で、小物類はほとんど自作しているようだ。

そのきらりの相方である双葉杏。

小学生のようなルックスだが、きらりと同じ高校生である。しかも同年齢だ。

小柄な私よりも更に小さく、きらりと体重差が丁度倍もある。良く力持ちなきらりに持ち運ばれているのが目撃されている。

小柄な一方スペックは高く、東大入試レベルの問題を暗算でこなしたりと、346プロから派遣されてきた五人の中ではずば抜けている。

目下の懸念材料だったのだが。実の所本人はハイスペックな一方で動く必要がないとき以外は一切動かないタイプだ。

その怠け者ぶりはうちのアイドルである美希に似ている。天才肌である事も共通している。

まあ美希とは、濃厚な色気のあるなしが全く真逆ではあるのだが。

ゴシック風の服装に身を包み、ファンから「熊本弁」と呼ばれる一種の厨二病的なしゃべり方をする神崎蘭子。

厨二病という言葉があるが、文字通りの中二なので、まあ年齢通りに病気を発症しているとも言える。

その一方で、ホラー趣味などはないようで、怖いものは大嫌いなようなので。

最初にプロデューサーを担当した人物は相当苦労したそうだ。

最後が城ヶ崎美嘉。ギャルという言葉そのまんまを具現化したような人物である。

若い子のファッションリーダーを念頭においた言動をしているのだが。

まあ本人自身は、一皮剥いてみるとごく良識的でまともな人物である。

この五人が、346プロから派遣されてきているアイドルで。

高木社長は大丈夫大丈夫とのんきに構えていたが。

私としては、動きを見張らなければならず。同時に皆との連携を崩さないように気を付けなければならない相手だった。

346プロは現在業界の最大手。

躍進著しいうちを警戒していない筈が無い。

単に勉強してこい、と言う程度だったら別にどうでもいいのだが。

ノウハウを盗んでこいとか、そういう事を指示されていたら此方としても対応に困る事になる。

勿論私としても信じたい所ではあるが。

心白の問題がある。

先に問題は片付けておきたいところだった。

既に全員とは交流を済ませ。下の名前で呼んで良いかと言うことは確認してある。

皆、それで良いそうである。

今回は複数人の765プロの後発プロデューサーに支援をして貰っているが。逆に言うと彼ら彼女らとも連携を取らなければならないことを意味する。

無能な人間だったら、ずっと会議だけが続いて、皆の育成どころではなかっただろう。

私は淡々と皆と接しながら。

淡々と問題を一つずつ片付けていた。

心白は、意外にすっきり他のメンバーに馴染んでいる。

今の時点では問題は無いが。

多分心の問題を解決するとしたら、本腰をいれなければならないだろう。

その前に、片付けておくべき問題がある。

最初は杏かなと思った。

オツムだけのスペックで言うと私にもそうそう劣らない。

体力は低めだが、少なくともライブで一ステージくらいはこなせるし、ダンスも普通に技量が高い。

これならさっと様子見をしてくるくらいはできるだろうと思ったのだが。

杏は致命的にやる気が不足している。

杏の相方で何もかもが真逆なきらりは、良く杏に飴を与えて動かしているが。そんな為体で346プロと連携しているとは思えないし。

私を観察して詳しい情報を346プロに流すとか、器用な真似はできないだろう。

そうなると怪しいのは菜々だ。

自称17歳でウサミン星から来たとかいうキャラづけをしているが、苦労人なのは言動の節々から一発で分かった。

メイド喫茶は客層などが色々問題も多く、バイトしていたとしたら問題客の捌き方も良く理解しているのだろう。

ましてや声優志望と口にしていて。確かオーディションにも出ている筈。

声優業界もまた修羅の世界だ。

特にアイドルから声優に転向、という人間は歓迎されにくい。

理由は簡単で、演技力に問題があるからである。

子役から声優になっているような人物は殆ど歓迎されるのは、演技のイロハを叩き込まれているからで。

その辺りの理由は、真面目に声優をやりたいなら知っている筈だ。

一週間ほど様子を見たが、少なくとも菜々は346プロから来た五人のリーダーシップを取っているようには見えない。

というよりも、五人のリーダーシップを取れる人材を回してこなかったな、というのが全員と一週間過ごしてみて分かった事だ。

流石に子供の領域を越えていない蘭子や美嘉は論外とみて良いだろう。

そうなってくると後はきらりだが。

彼女はアイドルを楽しくやっているという雰囲気で、嫌な事は出来るだけしたくもないしさせたくもないという地の性格の良さも分かる。

だとすると、消去法で菜々で良いだろう。

事務員については、それぞれ仕事の共有はさせているが。一応相互監視はしている状態になっている。

機密などには触れないように私の方で工夫しているので、それは問題はないとみて良いだろう。

というわけで、一週間が終わった後。

菜々を呼び出すことにした。

不安材料を潰しておくべきだと判断したからだ。

飲み会などという野暮な事はしない。

更に言うと、菜々自身はウサミン星などと言っているが、恐らく千葉近辺から来ているので、帰りが遅くなるのも難儀だろう。

レッスンが終わった後、一人呼び出すと。

皆がいないからか。

菜々はレッスン場で、不安そうにしていた。

「あ、あの、プロデューサーさん。 ナナ、何か問題起こしましたか?」

「……まあ実年齢の割りには随分と体を鍛えこんでいるし、歌唱力にも問題はない。 体力に不安が見えるが、これから伸ばしていけば良いだけの事だ。 もっと伸びるから、私が指導をする」

「じ、実年齢!? ナナは永遠の17……」

「それはいいとして、だ。 346プロに何か言われてここに来ているだろう」

分かりやすいレベルで動揺する菜々。

やはりこいつか。

とはいっても、それなりに修羅場はくぐってきているとはいっても、根が良いことは一目で分かる人間である。

346プロはエース級を出したくなかった。

それは分かる。

346プロは確か今回のスターリットシーズンで、本命と思われるユニットだけで五つ。ダメ元と判断しているだろうユニットだけでも七つ出してきている。

それだけの巨大事務所なのだ。

今回合同プロジェクトで出してきた人員は346プロが抱えているSランクアイドルの中でも中堅所の面子で、トップ勢はそれぞれ本命として投入されているユニットのリーダーをしているのが分かっている。

恐らく346プロも、菜々にはそれほど期待はしていないのだろう。

何となく、言動からその辺りは分かっていた。

「私としても、別に346プロに対して敵意がある訳でもないし、何か含められていたとしても貴方を追い出すつもりもない。 菜々としても、周りが良い子ばかりなのに隠し事があるのはつらいだろう」

「うっ……。 想像以上に此処居心地が良いので、実は苦しくて……」

「それで、当たり障りがないレベルで良いから何か言われているのなら、話してくれると助かるが」

左右を素早く見る菜々。

冷や汗だらだら流れているのが分かる。

根は憶病なんだな。

それが分かって、少し気の毒になった。

ひょっとすると、メイド喫茶を止めたのも加齢による恐怖と。害悪客に対する接待が辛くなってきたのが原因かも知れない。

面白がってメイド喫茶に行き、横暴の限りを尽くす客はいると聞いている。

後ろにスジ者がいてそういう客に対応できるようなメイド喫茶もあるが、全部がそうではない。

天下の346プロにスカウトされたとき、チャンスだと菜々は思ったのではあるまいか。

逆に言うと恐怖も感じているだろう。

もし追い出されたら、と。

しばらく指をつきあわせていた菜々だが。

やがて、顔を申し訳なさそうに上げた。

「プロデューサーさん。 貴方の事を、できるだけ観察して来いって言われてます……」

「……」

「それだけです……」

「そうか。 なるほどな」

そうか。

要するにわざわざエース級を送ってこなかった理由もそれで分かった。346プロとしてはスターリットシーズンで自分の事務所主導のチームで優勝を狙うことに本腰を入れていると言うことだ。

765プロにも警戒しているが。

それはあくまで本腰を入れているわけではなく。

今回のプロジェクトで、偵察くらいはしておきたいというくらいなのだろう。

それならば。別に問題は無い。

「気付いているかも知れないが、菜々は嘘をつくのが下手だな」

「そ、それは……」

「その逆もしかりだ。 今の菜々は嘘をついていない。 私の事を観察するなら好きなだけしてくれてかまわないし、本来の専属プロデューサーに報告もしてかまわないぞ」

「……ごめんなさい」

謝る必要はない、という。

そもそも複数事務所の合同プロジェクトだ。

何よりアイドルだって、同じ事務所にいる人間が仲が良いということだってない。

菜々だってこんなキャラづけをしているし、嫌っている者はいるだろう。

それにだ。逆に菜々の方でも、実年齢から考えて。「設定上」同年代のアイドルにため口を叩かれればイラッと来るかも知れない。

そういうものである。

「今までは警戒していたが、今後は他に注力できそうだ。 先にも言ったが、私の観察は好きにしてくれ。 今までレッスンをさぼることもなかったし、モチベも全く問題は無い様子だ。 手を抜いている感じもない。 ならば、このまま今の通り他の面子に会わせて頑張ってくれればそれでいい」

実際菜々は良くやってくれている方である。

ならば、私としてはこれ以上特に気にする必要もないだろう。

菜々に帰ってもらう。

後は、ため息をついていた。

これから、本命の方をどうにかしなければならない。

 

一応、先に社長に連絡をしておく。

社長の方でも、346プロからの派遣人員については、全く無警戒というわけではないようだった。

「そうか、菜々くんがね。 ただ競合他社とは言え、あくまで普段はシノギを削る相手だから、当然とも言えるかな」

「その通りです。 283プロの五人はそもそも研修に来ているようなものですからそれほど警戒はしていませんでしたが、これで背後の心配はなくなったかと思います」

「そうなると、奧空心白くんの問題に取りかかるのかね」

「はい。 できるだけ伸ばせるだけ全員を伸ばしたいと思いますので。 夏までとの約束でしたが、一週間で片付けます」

別に大言壮語では無い。

問題が分かっているのだから、解決をする方法だって分かる。

私が手がけてきたアイドル達は、幸い良い子ばかりだが。それでも良い子達が仲良くして問題が解決する程心の問題というのは簡単では無い。

そもそもアイドルとしての素質がある時点で。

強烈な個はある。

それを気付かせればいいだけの事である。

順番に、問題を解決していくとするか。

まずは詩花に連絡を入れる。

詩花は以前のステラステージで接点を持ってから、かなり親しくしている。たまに父の愚痴を聞かされるくらいには信頼されている。

裏表のない性格の詩花なので、やはりすっかり闇落ちしてしまっている黒井社長の事は良く想っていないのだろう。

丁度ディアマントを組んでいる詩花だ。亜夜についても知っている筈。

できれば亜夜とも話をしておけば、解決は更に早くなるだろう。

メールを入れると、すぐに返信が来た。

日本語完璧で色々感心する。

日本語は世界でも確か二番目だか三番目くらいの習得難易度の言葉であり。バイリンガルである詩花が習得するのは相当に大変だったはずだ。

目を細めてメールを見ながら、内容を確認していくと。

なるほど。

どうやら亜夜を連れ出すことは、それほど難しくはないようだった。

「それで、亜夜さんはどんな様子だ」

「元から鍛えている私に普通についてきています。 熱心にレッスンをしていたらしく、体力はかなりあるようですね。 休憩時はずっとスマホを見ていて、トレンドを追っているようです。 体は休めていても頭は休めていないのでは無いかと不安になります」

「……なるほどな」

「連れ出すのなら三日後にいけると思います。 ただそのままだと嫌がると思いますから、話に持ち込むのはプロデューサーさんがお願いします」

やはりかなり神経に来ているようである。

心白とのやりとりで、相当に亜夜の神経がやられている様子は分かっていた。

もしもこのままぶつかっていたら、多分亜夜は途中で潰れていただろうな、とも思う。

文字通り尻に火がついているような気分で自分を鍛え抜いているのだろう。

だが過剰なトレーニングを続ければ、体を壊して引退だ。

何事も限度というものがある。

私だってそれくらいはわきまえている。

自分の限界が分からない人間は潰れる。

残念ながら、それが現実というものだ。

幾つか事務員に連絡を入れ。更に他のプロデューサーにも連絡を入れておく。

今回、765プロのエース13人には、最初に指示を出してその通りレッスンをしてもらっている。

私がわざわざ細かく見なくても大丈夫なくらい育っているからである。サポートの四人には、13人を分担して担当して貰っている。

私は他の16人の面倒を見ている。

できあがりがそれぞれまちまちなので、細かく見る必要があるからだ。

ただし、私に万が一の事がある可能性もある。

だから、基本的に他のプロデューサーにも状況は共有している。

この辺りはオープンでかまわない。

別に困るような指示は一つもしていないのだから。

また、スターリットシーズンプロジェクトといっても。それだけに注力するわけにもいかない。

テレビ番組などでレギュラーを持っているアイドルは今回の参加メンバーにも十人以上いるので。

そういった仕事への引率も、サポートのプロデューサーに頼む。

その時のためにも。

それぞれに情報を共有するのは必須なのだ。

自宅に戻ると、風呂に入って、食事をかっ込む。

両親とは既に別居しているから、夕飯は自炊だが。手間暇掛けている時間がないので、家政婦を雇いたいと思っているほどだ。

黙々と食事を済ませた後、心白に連絡を入れる。

今のところ不安は無いか、と聞くと。

とても居心地が良いと返ってきた。

みんな優しいし。

とてもハイレベルで、努力も惜しんでいないと。

あらゆるパズルのピースが埋まっていくが。まあそれを直接本人に言うつもりは無い。

春香とも連絡を取っておく。

心白を見てどう思うかと聞いておくと。

もう長いつきあいだからか、色々と順番に気付いた事を隠さず述べてくる。

春香はとにかく良い奴だ。

だから、例え一期一会であっても。

一緒に仕事をしているアイドルの事は、大事に思いたいのだろう。

「プロデューサーさんが言っていた通り、心白ちゃんは殆ど何でもすぐにできるようになって凄いです。 でも、やっぱり筋力や体力が足りない場合は再現が無理のようですね」

「何が再現出来なかったか覚えているか?」

「ええと、私が見ていてプロデューサーさんが見ていなかった所だと。 確か響とやよいのダンスを完全再現はできていなかった気がします」

765プロのアイドル。私が手がけた13人。

沖縄育ちの響は、体力もダンスも近年では業界トップクラスにまで成長している。

更に成長著しいのがやよいだ。

昔は元気が取り柄の子だったのだが、伸び盛りである事もあるのだろう。めきめき近年は身体能力が上がっていて、最近だと響に匹敵するレベルでのダンスをこなすことが出来るようになっている。

このまま行けば、更に上を狙えるだろう。響もうかうかしていられないと気付いているようだ。

「他に気付いた事は?」

「そうですね……趣味がちょっと変わっていると思います。 何だか目がたくさんある人形が可愛く見えるようで、それをみんなちょっと引いていました」

「趣味は人それぞれだ。 もしもそれで浮くようだったらフォローをしてやってほしい」

「分かりました。 心白ちゃんはとても良い子だと思います。 何か無理がないように、お願いします」

分かっている。

私も冷徹冷血と思われることが多い。昔は手がけた13人にさえ、怖がられていた時期がある。

だけれども、私は私なりにアイドルとこの業界を愛している。

たまたまとても良い条件で、アイドルの楽園とも言える状態に仕上がったことを、私はある理由から知っている。

だから私はこの世界を駄目にはしたくないのだ。

他にも幾つかメールの処理をした後、後は電源を切ったようにして眠る。

起きだすのは早朝。

他のどのアイドルよりも早く出勤する。

電車で二駅の場所にアパートを借りたのも、このためだ。

事務所の掃除などは専門の業者を使っているが。

それとは別に、早朝に出てやることはいくらでもある。

高木社長が出てくるのは、だいたい私の少し後。事務員がそれに続いて、それからアイドル達が来る。

全員が揃う日はそこまで多くは用意できないが。

それでも私がスケジュールを調整して、一週間に一度は必ず全員を揃えるようにしている。

この辺りはスケジュールの調整が大変だが。

それでもやっておく価値はある。

幾つかの作業を終え。レッスンを見ている内に、あっと言う間に一日は終わる。

今後、どんどん体感時間は短くなっていくだろう。

育成面は問題ない。

まだ全然仕上がっていないと焦っている子もいるが。そういう子には、これからのスケジュールを説明して、最終的には仕上がると話をする。

まだ信頼関係が完全に構築されていない子もいるが。

そういう子には、実績を見せる事で納得させていく。

29人をまとめるのは大変だが。ともかく最初の一ヶ月で基礎を作ってしまうのが一番だ。

それに、である。

このスターリットシーズンプロジェクトが終わった後は。

この面子が、それぞれコネとして。一緒にプロジェクトを戦い抜いた事を生かせるようにしたい。

もしも他の事務所で上手く行かなくなったら、こっちにコネを使って引き抜くことも視野に入れられるし。

逆に何か問題があって765プロが瓦解するような事があったら。その時は他の事務所に斡旋することが出来るかもしれない。

常に先を見越しながら過ごす内に。

皆、少しずつだが。

確実に私を信頼してくれるようになりはじめていた。

 

3、白と黒の確執

 

喫茶店で待ち合わせる。

何とか言い含めて亜夜を連れ出してきてくれたらしい詩花と玲音。玲音と私はそこまで濃厚な面識はないのだが。

以前に何回か話をしたことがあり。

その時に興味を持たれた。以降、見かけたら玲音は私に必ず話しかけてくる。

今も恐らくスターリットシーズンの決勝で当たるだろうと向こうに思われている様子で。

亜夜が来る前に、軽く話をした。

「日本に戻ってきていたんだねプロデューサー。 ルミナスの仕上がりはどう?」

「貴方を退屈はさせないさ」

「ほう……アタシにそう言える程の仕上がりになると?」

「元々うちの13人だけで玲音を満足させるだけの実力はもうある。 今回はその上を行く」

玲音の目がぎらつく。

あからさまな歓喜である。

本当に戦うのが好きなんだなと、こういうのを見ていると思ってしまうが。まあ私は別にそれでかまわない。

業界最高どころか、文字通り世界最高のアイドルだ。

それに此処まで認められるところまで、すでにうちのアイドル達は実力を伸ばしている。

まだソロでは勝ち目がないが。

ソロでやり合えるようになって来たら。

その時は、業界の熱量が一段階上がるのは確定である。

「それで玲音から見て亜夜はどうだ」

「少しレッスンをセーブさせないと潰れるね。 素質はあるんだけれど、メンタルに問題がある。 特に今は余裕がまったくなくて、スターリットシーズンプロジェクトを完走できるかアタシは不安だ」

「ふっ、正直だな」

「今の亜夜はちょっと焦げすぎのステーキかな。 アタシはレアが好きなんだ」

獅子王とも海外で呼ばれている玲音。女性でありながらそんな風に言われるだけの事はある表現をする。

やがて詩花が手を振って合図してくる。

頷くと、喫茶店に入る。

とにかく何もかもを信頼していない目をした亜夜は。

案の定、私を見るとそれだけできびすを返しかけたが。

がっと詩花が肩を掴んで、笑顔のまま圧を掛けた。

今はディアマントのセンターをしているが、詩花と玲音とは比べものにならないほどアイドルとしての格が劣る事くらい実感しているのだろう。

ドラゴン二頭とチワワくらいの実力差が現時点ではある。

詩花が見かけよりずっと力が強いこともあるのだろう。

亜夜はしぶしぶ、私の向かいに座るのだった。

「765プロの名物プロデューサー様が何の用?」

「そう敵意を剥き出しにするな」

「当たり前でしょう! 仲良しごっこじゃないのよこの業界! 同じ会社の人間でさえ、油断出来ない場所なのに!」

「ほう、それはアタシも信用できないって事かな?」

玲音の声が冷気を帯びて。

それでびくりと亜夜は身を震わせる。

ああ、これはもうとっくに調教済か。

まあそれもそうだろうなと、私はちょっと亜夜に同情した。亜夜は首を必死に横に振っていて、生暖かい目で玲音はその様子を見ている。

「信頼関係の構築から行きたい所だが、私を認めるには何をして見せたらいい?」

「貴方の実力が桁外れなことは知っているわよ。 業界随一の豪腕、誰一人手がけたアイドルは零さずにSランクまで育てる。 今も29人同時に面倒を見ているって話ですものね」

「そうか。 では私の実力は信用してくれるという訳でいいんだな。 精神の方は?」

「……調べる限り醜聞は一切無いようね」

口惜しそうに亜夜は言う。

何か文句を言える所があるなら言いたいが。その隙が無いという感触だ。

亜夜がトレンドに強い事はとっくに知っている。

だったら私の事も知っていて当然と言う事だ。

765プロが中堅上位程度の実力の事務所にもかかわらず、短期間でそこまで上がった事からも。私に注目している事務所は多いのだ。

何度か引き抜きの話も来たが、全て断っている。

そういう意味でも、私は基本的に現在プロデューサーとしてはもっとも有名な一人、であるらしい。

「私の信念を話しておこう。 私は比較的健全なこの業界を維持したまま、熱量を上げていきたいと思っている」

「……どういう意味よ」

「今最強のアイドルは間違いなくそこにいる玲音だ。 だが最強が一人だけではどうしても熱量は上がりきらない。 ライバルがいる状態が最も好ましい。 私の願いは、そんな最強がしのぎを削り合う業界の構築だ」

「玲音さんに匹敵するアイドルを育てるつもり!? そんな……」

無理と言おうとして、亜夜は黙り込む。

実際それをやりかねない、と思ったのだろう。

玲音はにこにこしっぱなしである。

私と利害が一致しているからだろう。

実際、海外で玲音が全力でやっているライブを私も見たことがあるが、凄まじい迫力だった。

あのレベルのアイドルが他に複数いる状態が来たら。

更にこの業界の熱は上がる。

私の願いは、それだけだ。

「今回のプロジェクトでは、プロジェクトが終わったら皆またバラバラになる。 だがそれで私は一向にかまわない。 ライバルが多ければ多いほど、優れたアイドルが多ければ多いほど業界は良くなる。 不正が蔓延るような業界は、総じて低レベルだ。 年ばっかりとって利権に胡座を掻いているような人間がトップをずっと独占していたりとな」

「だいたい分かったわ。 貴方は確かに凄いわよ。 それで私に何の用」

「では単刀直入に聞く。 心白と何があった」

「……っ!」

亜夜の目の色が変わる。

目に鬼が宿っている。

そう表現するのが一番分かりやすいだろう。勿論私は気圧される筈も無い。私が、アイドルを目指していたとき。

もっと凄まじい絶望を味わったからである。

何をやっても完全に無駄。

それを悟った時の深淵は、怒りなんて軽く凌ぐ。

亜夜は努力型だが、それでも才能はきちんとある。才能がなければアイドルはやっていけない。

アイドルをやっていけているだけで。

私から言わせれば贅沢極まりない。

「亜夜ちゃん、落ち着いて」

「……大丈夫です詩花さん」

隣に座った詩花が諭す。玲音は多分彼女のスタッフらしい黒服とともに、周囲にずっと目を光らせていた。

大変に有り難い。

今は961プロの黒井社長を刺激したくはないからである。

玲音も詩花も黒井社長を気にくわない事は知っている。

だから、この話が黒井社長に伝わる事はない。

「私が知りたいくらいよ! 心白はある日突然いなくなったの! 一方的にユニットは解散! それから私がどんな惨めな思いをしたか分かる!?」

「惨めな思いだったら知っている」

「何を知ってるって言うのよ!」

「私はアイドル志望でな。 才能が皆無だったからどうにもならなかった。 多分この業界にいる誰よりも私は努力しただろうな。 それでも無理だと分かったときの絶望は、恐らく貴方にはわからんよ」

そういう私の言葉に。

流石に亜夜は黙り込み。そして気まずそうに口を閉じた。

いずれにしても、これで確定した。

「なるほどな。 だいたい状況は理解出来た」

「どういうことなの」

「恐らく心白は貴方を見捨てたわけではない。 心白がコピーキャットであることは知っているか?」

「コピーキャット? ええと模倣能力が図抜けているって事? ……」

恐らく気付いたな。

心白の再現能力は、身体能力が追いつく範囲内ならほぼ完璧だ。

サラブレッドとして幼い頃から鍛えている心白は、多分後発で体を鍛え始めた亜夜がどれだけ頑張っても。

努力を瞬時に越えたはずだ。

亜夜が勝つには、心白を越える身体能力を得るしかない。

勿論短期間で其処まで体を鍛えること何てできる訳がない。

亜夜も何となく、心白が自分ではどうにもできない相手だと言う事は悟ったはずである。

だとすれば、心白を止めさせたのは奧空眞弓。

そして奧空眞弓が心白を亜夜から引き離したのは。

そうしないと、文字通り亜夜が再起不能になったからである。

順番に説明していく。

何もかもが合点がいったようで、真っ青になっていく亜夜。

そもそもあの育ちが良い人間の、良い所が凝縮されているような心白が。不意に裏切りなんて働く訳がない。

ユニットを組んで活動していたなら、短期間で人となりは理解できる筈だ。

だからこそ、裏切られたと思った時の衝撃は大きかったのだろう。

それに黒井社長の事だ。

負け犬に用は無いとでも、それこそ亜夜に直接言い放った可能性もある。

あの人は人材発掘は優れているが、人材育成は壊滅的だ。時々信じられない暴言を吐きかける。厳しく育てるつもりでだ。

発破を掛けるつもりだったのかも知れないが。

それがこんな修羅を作り出してしまった。

このままだと、暴れ狂った末に修羅は自壊する。

育成が壊滅的な黒井社長は、或いは今の時点だけを見て、孤高を目指していて好ましいとか考えているのかも知れないが。

残念ながらこのままでは、亜夜はいずれ限界を迎えて潰れるだけだ。黒井社長は、育成については昔から駄目だが。今もそれは変わっていない。

此処まで説明をすると。

完全に亜夜の目は死んでいた。

まあショック療法という奴だ。

これで充分だろう。

「良ければ心白との話し合いをセッティングするが?」

「か、考えさせ……て」

「貴方は今、無茶な努力をひたすらに繰り返している。 このまま行けばどうなるか、正確に言い当てる。 その内玲音は勿論詩花にもついていけなくなって、更に仕上がったうちのユニットで生き生きやってる心白を見て完全に潰れる。 しかも多分本番のステージ上か、出待ちの袖でな。 本番でトラブルを起こして見ろ、後はどうなるか分かるな」

絶句し、真っ青になって震えている亜夜。

その様子が、ありありと思い浮かべられるのだろう。

亜夜は恐らく確率100パーでだが、心白と組んでいたときから既に実力差に気付いていて。コンプレックスを持っていたはずだ。

だから捨てられたと思った。

どうしていなくなったのか詮索せずに。

力が足りないから捨てられたと思い込んだのだ。

心に鬼が宿ったのはそういう理由。

更に961プロの体質が拍車を掛けた。

後は完全に破滅への坂を転がりはじめたというわけだ。

貧血を起こしたのか、くらっと行きかける亜夜。

詩花が慌てて支えるが、大丈夫と繰り返す。唇まで真っ青になっていた。

軽くバイタルを見るが、病院は必要ないだろう。少し休めば大丈夫な筈だ。

「三日後に、心白との話し合いをセッティングしたい。 実は貴方と離れたことを、心白も相当に気に病んでいるようでな」

「……」

「私としては最高の状態のディアマントと決勝で勝負したい。 故に敢えて塩を送る」

立ち上がる。

玲音が、実にぎらついた目で頷く。

ありがとう、よくやってくれたという目だ。

詩花は少し悲しそうだったが。

荒療治として必要だと判断したのだろう。

椅子になついて完全に目が死んでいる亜夜を揺すって、ゆっくり声を掛けていた。

まあこれならば、三日後には話くらいは出来るはずだ。

一週間で片をつけると高木社長に話はしたが。

どうやら宣言通りに事は進みそうである。

二人に礼をすると、その場を離れる。

心白には、リハビリも兼ねて軽くテレビ番組にも出て貰っている。ルミナスとしての活動はまだそこまで本格的ではないが。既に765プロのトップ13人の知名度は高く、固定ファンも大勢いる。

時間的にはそろそろか。

引率に行っているプロデューサーに連絡を入れ。

収録終了が確認できたので、その後心白を呼び出す。

そして、亜夜についての話をした。

がちゃんと音がした。

多分スマホを取り落としたな。

慌ててスマホを拾ったらしく、周囲ががやがや騒がしかったが。やがてまた心白の声が聞こえてくる。

「プロデューサーさん、その、心の準備、いいですか」

「ああ。 だから三日待つ。 この問題は時間を掛ければ掛ける程こじれることはもう分かっている筈だ。 だから、その間はテレビ関係の仕事も入れないでおこう。 レッスンで頭を空っぽにした方がやりやすいだろう」

「そ、その。 本当に亜夜ちゃんと仲直りできるんですか」

「……それは貴方次第だ」

息を呑む声が聞こえた。

これは、テレビ局にいる間にするべき話ではなかったなと、私は少し後悔した。

私は完璧超人などでは無い。

勿論何度も失敗をしてきている。

私がアイドルになれないと悟るまで随分と無駄に時間だって過ごした。

どこの面接でも、君の技術は文句なしに素晴らしいがと、面接官は口を濁した。

その度に技術で絶対に上り詰めてみせると、それこそ凄まじい修練を己に課したものである。

結局夢破れ。

自分にアイドルになる才能がないと認めたときには。

涙は涸れ果てていたっけ。

自分の事でさえその程度だ。

私だって、全能でもなければ何でも分かるわけでもない。

すぐに春香に代わる。

丁度その場にいるはずだ。サポートを頼む。

春香もすぐに心白の異変には気付いたようで、一緒に戻るときにサポートをしてくれると言ってくれた。

すまない、と謝る。

だけれど、春香は大丈夫と応えてくれた。

「だけれど、絶対に心白ちゃんを助けてください」

「ああ、任せろ。 戻ってから、幾つかの準備をしておく」

「プロデューサーさんの言葉は信頼出来ます。 でも今、心白ちゃんは……」

「分かっている」

多分顔面蒼白の筈だ。

亜夜との関係が破綻したことはトラウマになっている筈だからである。

勿論、理由だって分かっているだろう。

もう一つ二つ、手を打っておく必要があるか。

亜夜と直接会って、その骨格と肉の付き方は観察できた。

前にも極限まで鍛えていると思ったが、やはり間近で見るとトレーニングのやりすぎで、何カ所かに無理を生じていたのを確認できた。

このまま続けると確定で体を壊す。

だから、私の方からアドバイスをして、更に伸ばさせる。

まともに勝負をしたら、心白が勝つに決まっている。

コピーキャットが相手なのだ。

どんなパフォーマンスを繰り出しても、全部真似されておしまいである。

対策は一つ。

身体能力で上回ることだ。

あれだけ鍛えた肉体だ。

多分腹が筋肉で割れたりしないように、相当に気を付けているとは思うが。インナーマッスルは限界近くまで育っている。

だったら後は。

それ以上に伸ばすため、我流のレッスンを止め。科学的かつ論理的なレッスンが必要になるだろう。

色々考えながら、事務所に戻る。

レッスンをしている子が何人かいたので、仕上がりを確認。

765プロの後発組は必死だ。

まがりなりにも一線級で活動している283プロのアイドル達よりも、更に実績がないからである。

実力の方は兎も角。

必死になる気持ちは分かる。

特に一人無茶をしているのがいたので、指示をして伸びる方法を丁寧に指示していく。

努力しろ。

その言葉だけで済ますのは最低のやり方だ。

具体的に体の何処の筋肉がどう足りないか。体の動かし方の何処に無駄が出ているか。どういう栄養を取れば良いか。

順番に、指示を出していく。

最初顔合わせをしたときには不安そうにしている事もあった子だが。

一週間足らずでめきめき実力がついていることも理解出来たのか。

今では、素直に指示通りに動き。

メモも渡すと、食い入るように見ていた。

283プロの子らは、元々かなりアクが強い小規模事務所から来ていることもある。

素質は充分だし、既にプロとして皆活躍している事もある。

私の指導にはかなり貪欲に食いついてくる。

良い意味で野心的だ。

全員が更に自分を伸ばしたいと思っていて。将来の展望についてもかなり真面目に考えている。

私は夢を否定しない。

どうすれば、希望するアイドルの形になれるのかを指導していく。

それがとても心地よいらしくて。

短時間で、29人からの信頼は得られつつあった。

765プロの13人でさえ、最初は私に懐疑的で。結構辛辣な事を言うこともあったのだ。こんな大規模合同プロジェクト、困難があって当然である。

なお、私のサポートに着いている4人のプロデューサーの方が苦労しているようなので。

其方にも指示を出さなければならなかった。

程なくして、テレビ局で仕事していた組が戻ってくる。

そろそろ良い時間でもあった。

手を叩くと、皆にスケジュールを伝えておく。

毎日ここに来られるわけでもないのだ。それぞれの事務所で、仕事をしているアイドルだっている。

メモは必要ない。

私が作っておいているからだ。

なお電子データで欲しがる子もいるので、それについても対応している。

今はスマホの赤外線通信で簡単ポンなので極めて楽ちんで助かる。

一通り指示を追えると、皆戻っていく。

765プロの中でも屈指の天才肌である美希は、心白の様子がおかしいことに気付いていたようだが。

私を信頼してくれているからか。

何も言わず、あくびをしながら戻っていった。

最後に春香と心白だけが残る。

春香は、かなり険しい表情だった。

信頼はしてくれているけれど。

それでも心配だという表情である。気持ちは大いに分かる。

春香は優しすぎる。

この業界がこういう、公正な競争でやっていける状態でなければ。多分高確率で潰れてしまっただろう。

私はそういう世界をある理由で知っている。春香も、である。

だから、それについては口にしない。

黙り込んでいる心白に、私は丁寧に話をしていく。

亜夜が怒っている理由については。

心白も、分かってはいるようだった。

話の内容を聞いて、じっと黙っていた。

「三日後にアポを取ったから、顔を合わせることができる。 その時に何を言いたい?」

「誤解だって……」

「それについては既に相手も分かっている。 文字通り顔面蒼白になっていた」

「……」

少しだけ、私を責めるような目をする心白。

気持ちは分かる。

今でも、親友だと思っているのだろう。

いや、ちょっと違うか。

恐らくだが。心白には、自分にないとにかく努力して食いついていく飢えた目をした亜夜が、羨ましかったのかも知れない。

例えこのままでは潰れてしまうと分かっていても。

それでも側にいたかったのかも知れない。

961プロはワンマン企業だ。黒井社長の意向が隅々まで反映されている。

流石に奧空眞弓の娘である心白に暴言を吐き散らかすような真似は、業界の力関係に聡い黒井社長はしなかっただろうが。

それでも空気は良くなかったはずだ。

目の前で、亜夜が面罵される光景も見たかも知れない。

育ちがいい心白にとっては、つらかっただろう。

文字通り、今まで見たことも無い暗闇の世界が其処にあったのだろうから。

「もう一度聞く。 三日後、どう話をしたい」

「また、一緒にお仕事したいです……」

「そうだな。 勿論スターリットシーズンプロジェクトの後になるだろうが」

「はい」

少しずつ、動揺が収まってきた様子である。

顔を上げた心白に私は咳払いしていた。

「ならば、勝負をするといい」

「勝負、ですか」

「玲音ではないが、アイドルが勝負をするといったらステージの上で、と決まっているだろう」

これもこの世界ならではの話だ。

もしもこの世界の芸能界が腐っていたら。アイドルが勝負するのは、楽屋やスポンサーの持っている札束になっていただろう。

70年前に世界大戦を回避できなければ。

この世界も、そうなっていたかも知れない。

「ブランクがある心白と、レッスンのしすぎで壊れかけている亜夜。 勝負をするのだったら、二ヶ月くらい後が丁度良いだろうな。 もしもアイドルとしてのプライドがあって、本当にアイドルをするのが好きなのなら。 それで二人ともわかり合えるはずだ」

「でも、私は……」

「自己表現に問題がある、か。 そんなものは、すぐにでも私が解決してやる」

自己表現なんてものは、完全なオリジナルなんて存在しない。

心白の場合は、他人を簡単にコピーできることが余計にそれに拍車を掛けているが。

それでも皆、周囲に影響を受けながら自己表現を見つけていくものだ。

元々の性格も勿論ある。

だけれども、心白の場合は、コピー能力に対するコンプレックスが何もかもを阻害してしまっている。

黒が何もかも光を吸い込むものだとしたら。

今の心白の心は、光の白というよりも。

空っぽの白だろう。

だったら、其処に周囲にいる子らの影響を詰め込んで見ればいい。

「文豪ですら、最初は他人の模倣から始める。 模倣は恥じるべきものではない。 心配はいらないから、周囲の皆の模倣を徹底的にして見ろ。 そしてそれを混ぜろ。 後は何か印象的なものをベースにそれを組み立てろ。 それで恐らく、自分を見つけられる筈だ」

「……何となく、分かってきた気がします」

「とりあえずまずは最初の関門だ。 三日後に備えて、多少で良いから気持ちを整えておくように。 それと身体能力を可能な限り上げるぞ。 私がレッスンを直接見て、鍛え抜いてやる」

「はい。 ……はいっ!」

具体的な方法を聞いて、心白の目に、やっと光が入った気がする。

春香は頷いてくれた。

多分これで大丈夫だと思ったのだろう。

私もそれで少し安心する。

人の心を好き勝手に転がせるような事は私もしたくはない。

具体的な方法を提示して、相手がしたいと思っている事を手伝いたい。それだけである。

普通の人間には難しいそれが、私にはさほど難しくはない。

だからこそ、私は。

プロデューサーの道を選ぶことを決断できたのだ。

自分の絶対にかなわない夢を託せる。

その覚悟を決められたのだから。

全ての準備は整った。

春香と心白も帰らせる。

最後に社長室に行って、軽く話をしておく。

「予定通り一週間以内に問題の根本は片付きそうです。 夏に様子を見に来る奧空眞弓さんも、恐らくは満足してくれるでしょう」

「流石だね! 君ほどの辣腕がいて、本当に私も鼻が高いよ」

「ありがとうございます。 ただし、高木社長。 今回の問題では961プロと、あの面倒な黒井社長が知らない範囲内である程度連携する事になります。 玲音が協力してくれるでしょうから、恐らくは問題はないかと思いますが、厄介な事も想定してください」

「分かっているよ。 最悪の場合は私が出るから、心配はいらないとも」

そうか。

黒井社長と昔はバディを組んでプロデューサーをやっていた高木社長。

今は決裂してしまっているけれど。

きっと、扱い方も心得てはいるのだろう。

礼をすると、社長室を後にする。

落とし物などがないかを確認してから、自宅に。

自宅に戻ると、何件かメールが来ていた。

一つは美希からだった。

「プロデューサー。 ミキ気付いたんだけど、心白って何でも真似ができるみたいだね」

「ああ。 いわゆるコピーキャットと言う奴だ」

「それって無意味に思えるなあ」

「そうだな。 完璧に他人になっても、自分ができない。 だから心白は苦しんでいる」

なんだか悲しいね。

そう美希はいう。

元々天才肌の美希は、ダンスも二三回で覚えてしまうし。心白の悩みがある程度理解出来るのかも知れない。

かといって、美希は自分の強みを生かす方法を最大限に知っている。

私が男性プロデューサーだったら猛アタックを掛けてきていたかも知れないな。

そう苦笑してしまうこともある。

「それでどうするのプロデューサー? 心白とても良い子だから、できればルミナスから抜けたりとかはいやだよ」

「分かっている。 私が全て手を打っておいた」

「そういってプロデューサーがミスしたことないから、信じるね」

「ああ。 美希には嘘はつけないからな」

勘が鋭い美希が一番嫌うのは嘘だ。

それについては、以前嘘をついた番組のディレクターに対して、普段とは全く違うキレ方をしたことがあるので知っている。

私は美希に対してだけでなく、全員に誠実に接しているが。

それが美希としても気に入ってくれる理由らしい。

自宅に着くと、後は必要なメールに返信をして、それで眠る事にする。

大勝負は三日後だ。

心白はプロ経験者だし。

亜夜は今、デビューライブに向けて調整を行いつつ。961プロ関連の仕事をしている所だろう。

どっちもプロとして、自分の心身のコントロールくらいは出来る筈で。

三日後には、覚悟を決めることが出来る筈だ。

後は、二人を信じるだけでいい。

亜夜には玲音と詩花がついているし。

心白には私がついている。

どっちも、三日後までには仕上げられる筈である。

心配はいらないな。

私も、死ぬ気でオーディションを受けては毎回落ちていた時の頃には、毎日凄絶な顔をしていたらしいが。

最近は朝起きて鏡を見ると、疲れがたまに残っている以外では、特にそれほど問題は見えない。

文字通りの鬼相が昔は浮かんでいたが。

今はそれもない。

亜夜の中には昔の私のものとよく似た鬼相が宿ってしまっている。

だから、どうにかしてやりたい。

競合他社の人間であること、等は関係無い。

まあ多少は利害で動いている所もあるが。

私の目的は業界の熱量そのものを上げる事。

優秀なアイドルが育つのは、それじたいが大歓迎なのだ。

頭を整理すると、後は訓練した睡眠方で、すとんと落ちる。

以降は明日。

勝負も、三日後。

今日はもう、起きている理由も無かった。

 

4、激突の果てに

 

以前ケーキ屋の前で見かけたような口論(亜夜が一方的に心白に罵声を浴びせていただけだが)に発展することもなく。

心白を連れて行くと。

かなりげっそりしていたようだが。それでも亜夜は何とか持ち直したようだった。

恐らくだが、冷静にレッスンをしてみて気付いたのだろう。

自分の体が、過剰レッスンで色々壊れかけになっている事は。

トレンドを分析する事を売りにしている亜夜だ。

自己分析くらいできないでどうするのか、というのもある。

勿論、まだ気付けていないようだったら。私が体が壊れかけている場所を具体的に指摘するつもりだったが。

そこまでの必要は無さそうだった。

私と。

玲音と詩花が立ち会う中。

前に亜夜を連れ出してきた喫茶にて、心白と亜夜は向かいに座る。

寂しそうに心白は笑った。

「ちゃんと話すのっていつぶりかな」

「あんたがいきなり引退した時には話せなかったし、その三日前くらいだったかしらね」

「……」

「覚えていない? トレンドに上がったケーキの話をしたら、もう食べた事があるってあんたが言って。 実家が太いって羨ましいって私が話をした事よ」

なんだ。

それだけ緻密に思い出を把握しているのなら。

未練が強いと言う事だ。

強すぎる未練がコンプレックスになっているのは分かっていたが。余程に色々腹に据えかねていたらしい。

そういうものは、腹の中で腐って毒になる。

此処で発散してしまうべきだろう。

「亜夜ちゃん。 私、謝らないといけないね。 ごめんね、いきなりいなくなって」

「話はそこの恐ろしいプロデューサーから具体的に聞いたわ。 確かに考えてみれば、私潰れかけていたのかもね。 最近のレッスン内容を見直したら、何度も私小さな怪我をしていたの。 そのまま続けていたら、きっと私は」

「分かってる。 でもすっきりしないでしょう。 だから、二ヶ月後に、ステージ上で二人だけで勝負しよう」

「あんたが勝負を申し込んでくるなんてね……いいわ。 確かにああだこうだと揉めていてもしょうがないもの。 アイドルとして、一対一の勝負よ」

それでいい。

私は詩花と玲音に目配せすると、亜夜に声を掛ける。

「亜夜さん。 いや、もう亜夜と呼ぶか。 心白にも弱点がある。 それは分かっているか?」

「いや、分からないけれど」

「心白は今、自己表現ができなくて苦しんでいる。 それが弱点だ。 この点に関しては、私が克服させる」

まあ、一旦問題を把握してしまえば簡単だ。

最大の問題は予定通りもう片付いた。

自己表現なんて、自分で作るものだ。

他人の表現を真似できるのなら。

指摘した通り、全て混ぜて見て。更に昇華させてみせれば良い。

どんな創作家でもやっていることだ。

アイドルだって同じ事である。

「一方亜夜、コピーキャットや、更にそれを越えてきた相手に対抗する方法は分かるか」

「……それも分からない」

「簡単な事だ。 身体能力で上回って、真似できないようにしろ」

脳筋にも思えるが。

これは解決方法としては真理である。

あっという顔をした亜夜だったが。しかし、レッスンのしすぎで体に負荷が掛かりすぎている事を思い出したのだろう。

事実亜夜は現時点で、極限近くまで肉を鍛えている。

発展性がこれ以上は望めない。

ただし。

それは普通にトレーニングしていた場合だ。

私はさっと亜夜の周囲を回って、肉と骨を確認。

それから、メモを書き起こした。

「このメニューをこなせ。 それで更に伸びる」

「……どういうつもり」

「私も最高レベルの対決がみたいだけだ」

「……っ。 分かったわよ」

私の実績を知っている亜夜は、メモを奪い取るように受け取った。

だけれども、もう目に宿った羅刹は落ち始めているように思う。

これならば、二ヶ月後。

心白と全力でぶつかり合った時には、完全に憑き物がおちるだろう。

私だってバカじゃあない。

そのライブは楽屋内で、二人だけで勝負させるつもりだ。スターリットシーズンプロジェクトの脱退とかを賭けるつもりはない。

これで最高の状態に仕上がったディアマントと全力でやりあう事が出来る。

こっちの仕上がりは、スターリットシーズンプロジェクトの決勝の頃にはしっかりできている自信もある。

心白の自己表現の問題なんて、実際に実例を見せてやればすぐに解決もできる。

ましてや飲み込みが早い心白なら、コツを掴めばすぐだろう。

「765プロのプロデューサー。 名前教えて。 知っているけれど、ちゃんと教えて」

「飯島桜花だ」

「飯島プロデューサー。 今回の事は貸しにしておくわ。 何か一つ、もしあんたが困ったときに助けてあげる」

「そうか、それは助かる。 今後、問題が起きたら頼らせて貰う」

亜夜は適切な活動さえすれば伸びに伸びるアイドルだ。

今後Sランクの上位に食い込んでくる事も普通にありうるだろう。

961プロでは恐らく成長に限界があるだろうが。

スターリットシーズンプロジェクトが終わった後に、何かしらの手を使って引き抜いてしまうか。

それとも何処かに引き抜いて貰えば。

心白とユニットを再結成すれば更に良い結果を出せそうだ。

玲音と詩花に一礼すると、その場を離れる。

心白は、真っ青だった三日前と違い。

今は、良い意味での涙を何度も拭っていた。

「本当に大事な友達だと思っているのだな」

「はい。 もう、仲直りできないって、半ば諦めていました」

「大丈夫。 まずは、自己表現からだな。 一昨日昨日のレッスンを見たが、もう既につかみかけている。 この様子だと、来週には奧空眞弓さんを呼んで成果を見せることができるだろう」

勿論勝負は此処からだ。

まだまだ全員の実力がまるで足りていない。

私が育て上げた13人や、元々相当に鍛えられている346プロの5人はいい。

他の面子は、これから徹底的に鍛えて。

最終的には、全員での息があったパフォーマンスをやれるようにする。

それである程度本気を出した玲音がいるユニットとは、ようやく勝負になるだろう。

詩花も良いアイドルだ。

決勝戦では勿論勝つつもりだが。

此処からは、一日も恐らく油断をすることはできない日が続くはずだ。

事務所に戻る。

今日は全員が集まる日だ。

そこで、レッスンに関するスケジュールを全員に説明しておく。

かなり厳しいレッスン内容になるが、それでも。

既に私の事は、全員が認めてくれている。

後は信頼を勝ち取るだけである。

さて、スターリットシーズンプロジェクトを始めるのは、本当の意味で此処からだ。

来週には心白の心の問題だって解決させる。

後は、徹底的に基礎を磨き。

応用に転じて行くだけだ。

私は自分のキャリアなんぞに興味は一切無い。

だが、此処にいる子らのキャリアに傷をつけるわけにはいかない。

夢をかなえられなかった私の新しい夢は。

アイドル達が夢を叶えるのを、助ける事なのだから。

 

(終)