堕天使王の楽ではない日常
序、明けの明星
大魔王とも言われる存在。明けの明星こと大堕天使ルシファー。
一神教における最強の悪魔であり、その名前を知らない者はあまり多くは無いだろう。
だが、実際の所。
ルシファーは神格としてはそれほど古い存在ではない。
そもそもある報告書から誤解の末に誕生したものが明けの明星ルシファーであり。紀元前どころか、キリスト教が出来てからしばらくした紀元後にその名前は有名になっていったのである。
そも神を絶対とし。
全知全能とする一神教で、どうして悪魔などというものが存在するのか。
理由は簡単で、世界はあまりにも理不尽と不条理に満ちているからだ。
神が全能なら、どうしてこんな不完全な世界を作ったのか。
キリスト教徒達は。
そもそも、開祖キリストが考え出した隣人愛と赦しの思想をとっくの昔に捨て去っていたが。
バカでも分かるこの矛盾に対しては、どうにか答えを出さなければならなくなった。
その結果が、神に仕える霊である天使の一部が悪さをしている、というもの。
そしてその悪さをするのは、人間を試すため、というものだった。
馬鹿馬鹿しい話である。
堕天使ルシファーは、今日も色々な姿で彼方此方に出向く。
既にとっくの昔に、地獄の扉なんて開いている。
神格としてはそれほど古くなくとも、なにしろ有名な存在だ。
そして一神教が世界に与えている影響を考えると、相対的に最強の悪魔となるのもまあ納得ではあるだろう。
他にも重鎮格の悪魔は大勢いるが。
ルシファーの放浪癖については、どうでもいいと思っているのか。
まあ魔界にルシファーがある以上、一定の秩序は魔界に生じているので。
それでいいと思っているようだった。
地上に出た時には。
六枚の翼を持つ巨大な堕天使の姿から、ルシファーは幼い女の子の姿へと変わっていた。
服装から考えて、少し古いかと判断。
手を振って、服装を変える。
ルシファーは古くから、理不尽に死んでいった人間達に取引を持ちかけていた。
その取引とは、姿と人格を貸してほしい、というもの。
その代わりに命を助ける。
悪魔は基本的に契約の際に魂を対価とするものだが。
ルシファーはそれを要求しなかった。
理由は簡単。
唯一絶対を気取る神に対して、痛烈なしっぺ返しが出来るからである。
唯一絶対が作った世界の割りには理不尽だらけ。
後からいい加減な思想で適当に誤魔化したこの苦界で、ゴミのように消費されて殺されていく弱者。
それを救って可能性を与える。
それだけで、神に対する痛烈な意趣返しになる。
だからルシファーは、活動用の姿だけという対価で、人に幸福な人生を送るだけの運を授け。
目の前に迫った理不尽な死から助ける。
そうして活動してきた1500年ほどの間に。
ルシファーは、既に2000を越える姿を獲得していた。
今日は日本でも歩くか。
この時代は、様々な世界に分岐する。
何がその切っ掛けになるかは分からない。そして分岐した世界の影響をルシファーも神々も受ける。
流石に未来の事は分からないが。
それでも、こういう世界分岐こそが「可能性」。
唯一絶対が否定する、新しい世界の道では無いかとルシファーは思っているのである。
見上げた先にあるのは。
廃校になった高校だ。
此処ではある事件が起きて、多数の生徒が失踪するという事態に発展した。
その真相をルシファーは知っているが。あえて周囲に話して回るような事でもないので放置している。
いずれにしても、此処に廃校があるということは。
多数の生徒が行方不明になった程度で済んだ、ということ。
古代神格が解き放たれたりすると、近代兵器でも手に負えないケースが多い。
ましてや大天使などの神側の重鎮が出てくると、戦いの余波で街が消し飛ぶことなどザラにある。
そういう事はおきても面白いが。
可能性を秘めた人間が無駄に死ぬのは、ルシファーの思う所ではなかった。
周囲に認識されないように仕掛けをすると。
子供の姿のまま、学校に入り込む。
学校の中は荒れ果てていたが。
不良だとかヤクザだとかが入り込んでいる形跡は無い。
まあ此処については、政府が直轄で管理しているのだろう。結界も展開されているようだ。
肌がちりちりする。
巡回している霊の姿も感じる。
恐らくはこの国の政府が雇った術者による式神だろう。
まあ認識などはさせないが。
ざっと見て回るが、此処は魔界にもっとも近づいた場所の一つだ。
事件が起きてからだいぶ時間が立っている事もあるのだろうか。少しばかり結界が緩くなっているか。
此処から魔界が再噴出してもちょっと面白いのだけれども。
それはそれで無意味な混乱を引き起こすか。
混乱はいい。いいのだが。
それはあくまで、秩序だった混乱が良い。それこそ世界のルールがひっくり返るような、である。
それには、此処で起きうる混乱は小さい。
だから、結界を補修してやる事とする。まあこのくらいはサービスである。
小さくてすぐに修復される混乱なんかいらない。ほしいのは、大混乱なのである。この辺りは、明けの明星が大魔王呼ばわりされる一因ではあるのだろう。
学校を出る。
その間、一切認識はされない。
しばらく歩いて、その周囲を見て回る。悪魔もたまに見かけるが、意外に人間世界に馴染んでいるものだ。
特に人間を食おうとかは思っていないようである。まあ下手に足が着くと、即座に退治されるからだが。
ただ、周囲の人間から生命力を集めたり。
或いは悪さをするように少しずつ時間を掛けて仕向けたりと。
そういう事をしているのはいる。
別にそんなのに干渉はしない。
そういうのに精神をやられるのは、基本的に最初から素質があるやつだ。
基本的に人間社会を1500年見て来た感想だが。
はっきりいって人間が思念から作り出した神々や悪魔なんぞより。
人間の方が余程怪物じみている。
人間が全滅したら神も悪魔も終わりだ。
それについては、現実としてどうしようもないものとしてある。
地獄の概念も天国の概念も、人間が作り出したものなのである。
だから、今更それをどうこういうつもりはないし。
どうこうもできない。
しばらく街を歩いていて、気づく。
理不尽の気配だ。
ひょいとビルの上に出る。
勿論誰にも認識はされない。
音も立てない。
それくらいのことは出来る。
監視カメラとかの電子機器にも姿は残さない。
というか実は悪魔などの霊的存在と電子機器は相性抜群で。明けの明星くらいになると、その気になれば後からでも幾らでもデータを改ざんすることが出来る。
勿論そんな事をしても意味がないのでやらない。
二十階ほどあるそこそこに高いビルの上には。
小太りの青年がいた。
昔から、酷い罵声を幾らでも浴びせられてきたような姿だ。何もかもに怯えきった目をしていて。
そしてこれから、此処から飛び降りようとしているのが分かった。
このビルはいわゆる雑居ビルで。
不景気の影響で、管理が極めてずさんである。
権利者が何度も何度も入れ替わっている上、その内の何人かは別国籍の人間で連絡すら取れない。
そんな状態だから、それこそ内部は文字通りカオスの極み。
今検索してみたが、別のフロアには死体がそのまま放置されていて、誰も気づいていない。
そんなビルだ。
この国は、近代化という奴を上手に乗り切った珍しい国で。
それだけの地力が最初からあったともいえる。
東洋の東端という最悪に近い立地だったのに。
土地が豊かだった事や。
江戸時代を作った徳川家康が世界史レベルの傑物だったこともあるだろう。
幕末に混乱はあったが。
そんなものは、はっきりいって他の国の内乱に比べれば、ささやかなものにすぎなかった。
だから面白がった神々や悪魔がこぞって押し寄せて。
大正の頃は、それこそ色々あったし。
今もこの国独自の対魔組織が存在していて、他の国のを寄せ付けない程の力を持っている。
まあそれはそれだ。
今は、この小太りの青年が。明らかに自殺を目論んで。泣きながら、何かスマホに打っているのが問題だ。
姿を変えるか。
そう思って、指を慣らす。
幼女の姿だと、この青年を説得するのは難しかろう。
少し悩んだ末に、金髪のスーツを着た青年の姿になる。
昔はかなり愛用していた姿だ。
おぞましい程のイケメンである。ちょっと悪人面だが、声を掛ければ女の九割は引っ掛かる。
今までの統計でそれははっきりしている。
人間は極めて権威主義的な傾向が強い。
この姿のもとの持ち主は、姿と裏腹にとにかく気弱で。ルシファーが救うまでは、文字通り地獄の生活を送っていた。
それをルシファーが変えた。
こんな見かけだから、一度ツキを掴んだら邪悪の権化になりそうな気配を人間は感じるかも知れないが。
実際には、ルシファーはそんな奴は救わない。
人生のツキを手に入れてから、この元の姿の青年は実直な生活を送り。幾つもの良心的な孤児院を作って不幸な子供を助け。会社も経営したが極めてまともな労働体制で。更に社会貢献も欠かさなかった。
絶対裏で悪事を働いているに違いないとか陰口をたたかれまくったのだが。
本人は昔の経験があるからか涼しい顔で。
本人は自分の善行を喧伝しなかった事もあり、それらは死後まで発覚しなかった。
挙げ句マスコミが彼の生前好きかって悪口を書いたから、だろうか。彼の善行はマスコミによってもみ消された。
マスコミは己の権威を傷つけられる事を怖れたのである。
まあ、ルシファーでも苦笑いしか出ない人間の醜悪な行動だ。今更驚くことでもない。
姿を借りた男は満足して人生を送ったし。それを汚したマスコミが株を下げただけ。そしてマスコミは今やパブリックエネミー。積み重ねてきた悪行の報いである。
泣きながら、遺書を書き終えた太めの青年。
まだ高校生じゃないか。
そう思いながら、ルシファーは側で咳払いをする。
びくりと青年は震えて、ルシファーを見た。
「なかなかの文才じゃないか。 それを即興で書いたのかね」
「だ、誰ですか」
「これは失敬。 僕はルイ・サイファーという。 ルイと呼んでくれ」
「……青田孝夫です」
ルイ・サイファーというのは、人間として用いる偽名だ。
男女の姿関係無く、この偽名を使っている。
ルシファーは、基本的に理不尽に虐げられた人間しか救わない。
この青年は、元々文才があり、他にも学問がそれなりに出来る。
だけれども、見かけが「キモイ」という理由と。
更に喋るのが苦手という事が理由で。
最近この国で使われる悪口で男女関係無しに虐げられ。学校などでは、「虐げていい存在」として、生徒だけでは無く教師にまで虐げられている。
一瞬でそれらを分析。
更に救った後豹変するような奴も、ルシファーは救わない。
此奴は此処を乗り切って、ツキを手に入れれば化ける。
それを即座に見抜いたので。一つずつ、丁寧に話をしていく。
「何があったのかね。 私で良ければ話を聞こう」
「……虐めをずっと受け続けていて」
「それは酷い話だな」
「僕、見ての通りとても醜くて、喧嘩も弱くて……」
そうか、それは致命的だな。
人間の精神というのは、実は幼児の頃からほぼ変化しない。大人になれば性欲が追加されるくらいである。
人間の価値基準は、見かけが自分好みか。フィジカルが強いか。金を持っているか。それくらいである。
勿論それ以外に価値を見いだす者もいるにはいるが。
例外中の例外だ。
それは、ルシファーが散々人間を見て来て、良く知っていることだった。
だから、此奴にはそれらを与えてやればいい。
「家族は君にどうしている?
「妹は、僕を人間と思っていません。 ゴミでも見るみたいに僕を見ます」
「ふうん。 親は」
「親は僕を家の恥だといつもいつも罵ります。 特にお父さんは僕にいつも暴力を振るいます」
さっと青年をスキャンする。
嘘では無い様子だ。
学校でつけられた暴行の跡。家でも多数の暴行を受けている様子が分かる。
普通だと、これだけ環境が酷いと精神が歪みに歪んで、悪事を働くようになるものなのだが。
この青年は、この世界から離れることだけを選んだ。
ざっと記憶を検索する。
人間は主観で記憶を簡単に改ざんするものだが。
この青年には、そのつもりは無い様子で。生の記憶を随分とクリアに見る事が出来た。
そうか、小太りで姿が醜くて。力が弱いと言うだけで。
人間はこうも他者に残忍になれるのだなあ。
何が万物の霊長か。
何が神の似姿か。
いや、神の似姿というのは確かにそうかもしれない。この凶悪極まりない独善性は。あの唯一絶対を気取る神には確かに似ている。
いずれにしても、神はこの不幸な小太りの青年に興味など微塵もない。
だったら、ルシファーが救うだけである。
「分かった。 とても大変だったな。 私が、できる事をしよう」
「貴方が、何を出来るというんですか……」
「出来るよ簡単に」
嘘だと思って、家に帰ってご覧と青年に言う。
そして、青年をビルの外まで送り届ける。
この過程で、この青年にある結界をかけた。
他人に舐められないようにするというだけのものだ。
はっきりいうが、人間は主観で相手の価値を全て決めるし。主観で気にくわなければ、殺して良いとすら思ってもいる。
殺さないのは法というリスクがあるからで。
それがなければ確定で殺している。
無法地帯で簡単に人が殺されるのは、それが理由だ。
法の神などと自称している唯一神だが。奴はどういうわけか、法がいい加減なことには全く目をつぶっているし。
何より自分に忠実か否かだけで全てを判断する。
此処で青年が殺されていないのは、リスクとしての明文法があるから。
そしてその明文法は、安定のために作られているだけのものであって。
別に青年の命だけは守るが。
それ以外の尊厳は、何一つ守っていないのである。
それが人間の作った法だ。
まあ万物の霊長を自称する輩には、丁度良い程度のものだろう。
まず連絡を入れる。
青年の家族構成は調べた。
父親の方はある暴力団の手下みたいな事をしている。その暴力団は混沌勢力とつながりがあり。
簡単に動かす事が出来る。
今、すぐに父親の方は事務所に連れて行かせて。そして詰めさせているところだ。
母親の方は論外。
典型的な性欲の亡者で。
男をとっかえひっかえしては好き勝手に遊んでいるカスである。
実はあの青年と妹では、父親が違っているのだが。
それについても、苦笑するしか無かった。
そして妹のほう。
まだ中学生なのに、ヤクザの手下。今は半グレというのか。そういう組織に属しているクソガキの女になっている。
まあそんなものだろう。
その半グレにも、しっかりルシファーは顔が利く。
あの青年の妹と、その彼氏の半グレには。これから死ぬより怖い目にあって貰う事にする。
これらは金を使って行う事では無い。
コネを使って行う事だ。
いずれもダーティーな手段だが。それでも法が何もしないのだから。こういう手段を使うしか無い。
全ての連絡を済ませると、ふっと笑う。
さて、後は面白い事になる。
唯一の神を自称するあれが、一切救わない者を救う。
これこそが、最高の娯楽だ。
1、娯楽の旅
一月もすると、青年はすっかりすっきりした顔になっていた。小太りなのは代わらないし。相変わらず世間的には「不細工」とされる顔なのだろうが。
環境が激変したからである。
まず両親は青年をきちんと人間扱いするようになった。
まあこれは当然だろう。
父親は詰められたのだ。
あの子が文章を書いていることを知っているか。
あの子の文章は、組長が大好きでな。
お前みたいなクズが、あの子を傷つけていると知って。組長はお前を沈めろと本気で怒っていた。
だけれども、俺が何とか取りなしてやった。
今後は心を入れ替えてあの子に優しくしろ。
監視カメラとか色々つけてあるし、あの子には話を何時でも聞けるようにしてある。
もしも何かしたら、秒で分かるし。次は庇いきれない。
覚悟しておけ。
そう、二次団体の組長が告げるだけで。
青年の父親は震え上がって、以降は青年に対して引きつった笑みを浮かべながら、機嫌を伺うようになった。
母親も妹も似たような状況だ。
家族が自分を虐げなくなった。
そう、本当に泣きながら言う青年。この青年が、文章をネットに上げているのは事実だ。
ルシファーも見たが、小説では無くて一種のコラムである。
とにかくよく勉強して、丁寧に文章を公正に書くように心がけている。
題材そのものはそれほど重大なテーマではないが。今ではすっかり絶滅してしまった本物の記者の魂を感じる立派な文章だ。
信用が地獄まで墜ち果てた現状のマスコミとはレベルが違う。
感心したほどである。
泣きながら喜ぶ青年に、同じようなコラムを書いて楽しませてほしいと告げると。大喜びでコラムに取りかかる。
その間に、ルシファーは学校の状況を改善した。
まず虐めに積極的に荷担していた数人の生徒をピックアップ。
全員を排除した。
別に殺す必要はない。
近年日本にも輸入されているスクールカーストという概念は、ルシファーでも鼻をつまむレベルの邪悪な代物だが。
これを壊すのは、実の所簡単なのだ。
虐めを主導していた何人かの生徒に、他の学校の不良生徒をけしかけるように誘導。大乱闘事件を起こさせて、そのまんま少年院送りにした。
そもそも影で大麻をやっていたような連中である。
一度警察の世話になれば、後は出るわ出るわ。
一人は警察のキャリアが親にいたが。ついでなので。そのキャリアも首にしてやった。まあ叩けば埃なんて幾らでも出るので。
後ろ盾がいなくなれば脆いものだ。
虐めを主導していたカースト上位の連中がいなくなれば、一瞬でスクールカーストなんて瓦解する。
次はクズ教師だ。
これについては、学校に抜き打ちの監査を入れた。
近年は学校関連の不祥事が相次いでいることもある。
実績を上げたいと考えている教育委員会の一人をそれとなくたき付け。
後は抜き打ちの検査で、ボロボロと同例の事件が出た。
小太りの青年を痛めつけていた教師では無いが、気弱な女子生徒を強姦していた奴までいたほどで。
何人か逮捕され。
校長は首になり。
何故か全国紙は一切報道しなかったが。
ともかく教師が何人か入れ替わって。それで青年の周囲を取り巻く環境がどんどん変わっていった。
そして決定的なのは、青年の書いたコラムが有名になった事だ。
あるαネットユーザーが取りあげて、それで爆発的にアクセスを受けたのだが。
元々記事の内容が素晴らしく良い、という事もある。
あっというまに支持を受けて。青年は自信を取り戻した。
一月で、別人のように雰囲気が穏やかになった青年を見て。ルシファーは安堵した。
彼を何重にも縛り付けていた理不尽は。
全て粉砕したのである。
そして舐められないようにする結界は今後も展開しておく。
それだけで充分だろう。
この青年は、それだけのスペックを隠し持っている。
腕力は弱いかも知れないが。
そんなもの。
ルシファーから見れば、人間なんてどれも似たようなものだ。たまに例外がいるが、そんなのは億人単位に一人もいない。
青年に何度も頭を下げられる。
「ルイさんには本当にお世話になりました。 僕、なんとお礼を言えばいいのか……」
「まず、君はそのコラムを書ける能力を生かして、早めに独立しなさい。 独立の支援は、僕の友人からさせよう。 でも、独立後は君一人でやっていくんだよ」
「はい、分かっています」
「では、契約を一つだけしたい」
契約。
悪魔にとって絶対のものだ。
羊皮紙なんて今時使わない。
手元に出現させたのは、電子データ。要はスマホである。
そして直接思念に契約内容を送り込む。
嘘をつくつもりはないし。
魂とかを取りあげるつもりだってない。
ただ、今後。
必要な時に、青年の姿と人格を使う許可をほしい。それだけのことだ。
それ以外のペナルティは一切無い。
しかも青年が生きている間は使わない。
なんでそれだけのためにこんなことをするのか。
それは、神の理不尽と無能を知らしめるためだ。
このような姿は、既に2000を超える数持っている。老若男女様々だ。
その全てが理不尽に虐げられ。放っておけば殺される者達ばかりだった。
たった1500年、気まぐれにその辺りをうろつくだけで。2000を越える理不尽に泣く魂を見かけたのだ。
どれだけ唯一絶対を自称する神が無能なのかは明らかだ。
それを証明するためだけの儀式である。
「ルイさんにはお世話になりました。 僕の姿なんかで良ければ、いつでも好きなように使ってください」
「ありがとう。 君のコラムが本当に良いのは確かだよ。 それについては、この私が保証する。 君の最初のファンかどうかまではわからないがね」
「本当に、その言葉にどれだけ救われるか……」
「ああ。 それでは失礼するよ」
あの青年は、神が言う本当に善良な魂の持ち主だ。
それが試練と称して此処までの理不尽を味合わされ。そして死ぬ寸前まで追いやられた。
本来だったら、あの青年を救うのは神か、もしくはその手先たる天使達の仕事だっただろうに。
連中は人間の信仰心をかき集めることに夢中で、それ以外には興味が無い。
特に弱者がどれだけのたれ死のうと、どうでも良い様子だ。
それが、可能性を模索するルシファーには気にくわない。
もっと世界に丁寧に干渉して。善良な人間が救われるようにしてやれば。少しはこの世は代わるだろうに。
青年の背中には、敬意の視線を送る。
あれだけの環境でも。小太りで醜いかも知れないが。あの青年は歪まずに。今後腐る事無くやっていける。
それは魂がそうだと証明している。
だが、あの青年の周囲の環境は徹底的に軽蔑する。
あの青年が独立し次第、両親は何処かに埋めてしまうとするか。後妹の方も、なんか強烈な性病かなんかにして。一生苦しむようにしてやろう。
クソ教師はもう社会的に死んだ。
同級生のアホ共は、何かの抗争か何かに巻き込まれた体で全員あの世行きにしておこう。それくらいはしても良い筈だ。
何故か。罰するべき存在を。神が罰しないからである。
小太りの青年を救った後は。
また別の姿になって、街を歩く。
今度は小柄なメイドの姿だ。
メイドカフェとかにいるのでは無くて、実際にメイド。要するに家庭用の奴隷として働いていた者だ。
善良な心の持ち主で。近眼で小柄でドジだったけれど。心はとても美しかった。
それなのに酷く虐げられていたので救った。
結果として大恋愛の結果夫と結ばれ、たくさんの子宝にも恵まれて、幸せな人生を送った。
神が興味すら見せなかった、美しい魂の物語である。
そんなメイドの姿のまま、その辺りを歩く。
なお、このメイドは滑舌もちょっと良くなかったので。名を「さいふぁー」と呼ぶようにしている。
ちょっと頭が悪そうだが。
別に気に入っているのでそれでいい。
そして小柄であることが逆に戦闘力を圧縮できるため。
実はこの姿を戦闘形態にすることは、ルシファーは多かった。
まあ今日は誰かと戦うつもりでこの姿をとっているのではない。二千以上ある姿の何かを、いつも適当に使っている。
それだけである。
側に降り立つ気配。
魔界の重鎮。ハエの魔王こと、ベルゼバブだ。
此方は最古の神であるバアルを一神教が貶める事で誕生した悪魔であり。その実力は文字通り激甚。
もっとも高名な悪魔の一柱だろう。
なお、普段は太ったおっさんの姿をしている。
世界的に展開しているマフィアのボスを任せている事もあって。ナマズ髭のこの姿がむしろ似合っているのかも知れない。
このマフィアは手駒の一つだが。
基本的に善良な魂が虐げられているとき、搦め手から救うときに使う事が多い。
先にも使用した。
このため、「時々何故か凄く良いことをするらしい」という変な噂が立っているそうである。
まあどうでもいいことだが。
「此処におられましたか閣下」
「いつもの散歩だ。 それでどうした」
「はあ。 幾つかの報告を受けまして。 また例の戯れですか」
ぽんとベルゼバブのおなかを小突く。
それだけで、ベルゼバブの腹は大砲でも直撃したように凹み。大量に吐血するハエの魔王。
勿論ルシファーは笑顔を崩さない。
「私がどういう目的で動いているかは何度か話したはずだ」
「し、失礼しました。 確かに無能な神に対する冒涜になっているかと思います」
「分かればよろしい」
すっと手をかざすと。
ベルゼバブの体は回復していた。
まあこのくらいはじゃれ合いである。
「神の理不尽を知らしめるために、あえて人を救うですか。 大魔王としては、なんとも奇妙な行為だと、側近の皆が不思議がっているのは事実でして」
「だが事実、私が適当にふらついているだけで既に本人同意で取る事が出来る様になった姿は二千を超えている。 この姿の中には、歴史的な偉人だって珍しくは無い」
「確かにそれはそうですが……」
「神がもう少しやる気を出してきちんと世の中を公正にしようとすれば、私の姿はこうも増えなかっただろうよ」
なお、先からベルゼバブにはかなり硬い口調で話しているが。
これはあくまでルシファーとしての会話だ。
ルイ・サイファーとしての言葉では無い。
部下と上司のけじめくらいはつけている、ということである。
「この国には、かなり手練れの悪魔使いがおります」
「ああ、何度か顔を合わせたことも手合わせをした事もある。 私を負かした奴すらいるから、なかなか侮れないな」
「分かっているのであれば、別の国で似たような事をしてみては如何でしょう」
「考えておく。 それよりも、お前もきちんと自分の仕事は果たすようにな」
礼をすると、ベルゼバブはその場から消えた。
小さくあくびをすると、小柄なメイドさんらしく、ひょこひょこと可愛らしくルシファーは歩く。
このもとの姿の人は、こんな風に歩いていたっけ。
ただ小柄だったから、子供が出来てからは背負うのとかに苦労していたようだったけれども。
ただその時には、周囲が色々補助をしていた。
だからそれでよかったのだろう。
さて、周囲に理不尽の気配はないか。
ルシファーが探すのは、あくまで理不尽に虐げられる者。理不尽に虐げられる美しい魂。
1500年探して二千ちょっと。
だから、一年に一つちょっと見つかれば良い方。
そんなにぽんぽん見つかる訳では無い。
それに、ルシファーとしても仕事は他にもあるのだ。
別に此処だけを見て回るわけにもいかない。
アイス屋に入ると、適当に頼んだアイスを楽しむ事にする。
出て来たアイスは、明らかに小さくなっていて。不況の影響が露骨過ぎる程に分かる程だった。
でもおいしいから良いとする。
しばらくアイスを堪能すると。
きっちり会計を済ませて、ルシファーは日本を後にしていた。
魔界に戻ると。
六枚の翼を持つ大堕天使の姿にルシファーは戻る。
それを見て、悪魔達はルシファーを讃える。
おお、我等が金星。
我等が明けの明星。
我等が希望、と。
地の底に貶められた神々の中には。本来の信仰が既に失われてしまい。悪魔としての姿しか残っていない者もいる。
ただ、古代の信仰は基本的に生け贄を要求する物が多かったし。
何よりも、より人間の根源的な欲求に忠実だった。
人間社会が成熟した場合。
たとえあの唯一神が最大影響力を持っていたとしてもそうでなかったとしても。
いずれは形を変えていっただろう。
それに、一神教とは関係無く、信仰を失った神も存在している。
そういった神々は、魔界でまた独自の勢力を構築していて。
ルシファーはそれらとは、また一勢力の長を相手にする形で。話をしに時々出向くのだった。
ただ。こうやって時々魔界を飛んでやると。
悪魔達はそれだけで勇気づけられるようなので。ルシファーはたまにこうして飛んでやる。
悪魔はそれで随分と本分を越えた悪事をしないようになる。
簡単に言うと、混沌ではあっても統制はしやすくなる。
完全な混沌なんてものがあったら。それはそもそも魔界という単位すら成立しないだろう。
だから混沌には混沌の英雄が必要なのである。
ただ、それは下衆である事を意味しない。
混沌の英雄は、混沌の英雄らしく。誇り高くあってほしいものだとルシファーは思うのだった。
最下層の地獄であるコキュートスに戻ると。
魔界の重鎮であるルキフグス。宰相であり通貨の管理をしている悪魔が、書類をわんさか持ってくる。
今更羊皮紙にハンコでもないが。
それでも決済はたくさんしなければならない。
今は魔界でも電子データが普通だ。
そこで、ルキフグスは大量の電子データをルシファーの手元にある大型スパコンに送り込んでくるので。
ルシファーはそのスパコンに霊的に接続してデータの全てを確認。
決済をして、ルキフグスに返すのだ。
決済をしている間、流石にデータの処理量がとんでもないこともあって、冷や汗をかく。せっかくさっき美味しいアイスを食ってきたのに台無しである。
だがこうやってしっかり仕事をしておけば、外にまた新しい姿を探しに行く余裕が出来る。
ひょっとしたら、混沌の英雄たり得る人間が見つかるかも知れない。
そうなったら嬉しいが。なかなか上手く行かない。
例えば何十年だか前に、アルカポネとか言う人間が話題になった。
興味が出たので見に行った。
だが、実際はただのカスだった。
頭に来たので、以降はあらゆる理不尽を叩き込んでやった。
奴は裁判に負け。
刑務所から出た後は、部下にシノギを全て奪われ。
以降は糖尿病で苦しみ抜いて死んだ。
死んだ後は、地獄の最下層で最大級の苦しみを与え続けている。奴は叫んでいる。俺は善人なのに。地獄にどうして落ちるんだと。
まあ、そんな性根の内は。地獄から解放するつもりはない。
何かの可能性で、混沌の英雄は生じるかも知れないけれども。
いずれにしてもアルカポネは違った。
それだけの話である。
そういえば、今でもアルカポネを聖人だと信じ込んでいる阿呆どもが米国にはいて。奴の裁判は不当だとわめき散らしているらしいが。
大魔王から見てすらどうしようもない。
まあ地獄へ大歓迎なので、さっさと死ねという感じだ。
仕事が終わる。
しばらくなにもしたくないくらい疲れた。アイスが食いたいと言うと、ガロン単位で持ってくる悪魔達。しかも魔界製の大味なやつだ。
風情が無いなあ。
そう思いながら、アイスをばくばく食べる。
小柄なメイドの姿で食べたときに比べて、やっぱりとても大味に感じる。なんというか、悪魔の体の構造は。快楽などについては相応に得られるのだが。
一方で大味なのである。
まあ糖分は糖分だ。
多少うんざりしながらも、アイスを下げさせる。
やっぱり人間の姿で地上にアイスを食いに行くのが良いか。そう思ってしまうけれども。
まあこればかりはどうにもならない。
ルキフグスがまた来た。
決済にミスでもあったかと一瞬不安になったが、違った。
「閣下。 以前お話にあった、可能性を生じうる一つについてですが……」
「ああ、全面核戦争の話か」
「はい。 どうも米国の大使館に巣くっていた雷神トールの分霊体が、倒されたようでして……」
「なんだ、始まる前に終わってしまったか」
米国の東京にある日本大使館のボスは、少し前から雷神トール。北欧神話における最強の雷神に替わっていた。まあ分霊体に過ぎないのだが。
このトールが日本をはじめとする世界中に核ミサイルをぶち込む計画を立案していたので。
見ていてどうなるかは観察していた。
大魔王なのだ。
こういう超級規模の混沌は大歓迎である。
多数の人間が不幸になるのは分かるし、可能性だってうばわれる。
だが同時に、可能性がまた新しく、多数生じる切っ掛けにもなる。
救ったばかりのあの小太りの青年には気の毒だが。これはこれ、それはそれである。
で、計画が台無しになってしまったと。
「分霊体とはいえ最強の雷神だぞ。 倒したのは誰だ」
「それが恐らくは葛葉の……」
「そうか、相手が悪かったな」
「米国側も事態を既に把握しているようで、慌てて軍部の引き締めを行っているようですね」
まあ、計画が駄目になったのならそれはそれだ。
あの計画が実行に移された場合、世界で神と悪魔の最終戦争が始まっていただろう。
その時はルシファーは、それこそ闇のカリスマとして地上に出ていただろう。
また、計画が駄目になった場合でも。
幾つもの世界へ分岐する基点になりえた。
この辺りは、大魔王である。
未来を正確に見据えることはできないが。それでもある程度の分析をすることは可能なのだ。
まあ雷神トールの分霊体が倒されたことは別に良い。
もう少ししたら、また大きな基点になる出来事が起きる。
その時はその時で、また動けば良い。
「で、葛葉は当代のか。 それとも例の……」
「例の方です」
「そうなるとまた抑止力が働いたか」
「困ったものですな」
葛葉というのは、日本にいる凄腕の悪魔使いの一族だ。その中でも最強と言われる存在がいて。
その葛葉は、時々時空を越えて世界の危機に呼び出されているようなのだ。
それは一神教の神がやっているわけではないらしい。
まあそれはそうだろう。
彼奴は自分の言葉と裏腹に。
実際には世界を創造したる者ではないのだから。
まあいい。
今奴がいる場所を奪い取る好機はいくらでもある。そして別に奴を殺したところで、地上の人間を皆殺しにするとか、そんなことは考えていない。
勿論大きな混沌と破壊はおきるだろうが。
それはやむを得ぬ事だと、ルシファーは割切っていた。
「葛葉には注意するように部下に徹底しろ。 あれは私が戦うレベルの相手だ。 まず現れたら、被害を最小限に抑えるように、そして撤退をするようにとな」
「分かりました。 そのようにいたします」
「……」
ルキフグスが下がった後は、謁見の間に行く。
そして、何体かの大物悪魔の謁見を受けて、軽く話をした。
神に戻りたいとぐちぐち言う奴もいるし。
もっと人間を食いたいとか抜かす奴もいる。
適当に応じていたが。
やがて面倒なのが来た。
アレイスター・クロウリー。
英国にて性魔術をベースにしたカルト教団を作った自称黙示録の獣。サバトと称してエロ祭を開こうとするので、何度も説教をしている相手である。
魔界では新参ではあるのだが。その問題児ぶりも有名で。
性欲を司る悪魔ですら真顔になるドスケベぶりには、ルシファーも呆れていた。
まあ神話の悪魔なんかよりも、人間の方が余程業が深いと言うことだ。
クロウリーもいずれしっかり魔界に馴染んだら、多少は落ち着くのだろうが。
「大魔王様! このクロウリーめが、またサバトを計画しておりまして……」
「却下」
「極上の美女も用意いたします! 大魔王様のお好みを口にしていただければ、すぐにお好みに完璧にあった……」
「却下」
二度繰り返した事で、部下達が動く。
二度ルシファーが繰り返すと言う事は。つまりそういうことだからだ。
クロウリーの両腕をがっしりと、ベリアルとアザゼル(どちらも名だたる大悪魔である)が掴むと。半泣きのクロウリーを謁見の間から連れ出していった。
「この間説教したのに、まだ懲りていないのかあ奴は……」
流石に呆れるルシファー。
戻って来たベリアルが、地上から取り寄せたらしい消毒が出来るウェットティッシュで手や腕を拭き拭きしていた。顔中に嫌悪感がこびりついている。
そしてぶちぶち言った。
「閣下。 魔力はそれなりにあるとはいえ、どうしてあのようなものを放り出さないのですか」
「あれでも魔界への適性は高いからな。 それに来てから時間もそれほど経っていないし、いずれ慣れるだろう。 そうすれば落ち着く筈だ」
「いや、あの脳みそまっピンクぷりでは流石に……」
「気持ちは分かるがまあもう少しは様子を見てやれ。 この間きつめに説教してから、あまりしつこくはなくなったしな」
さて、これくらいでいいだろう。
とりあえず一度寝る事にする。
その後は、また地上に出ることにする。これが一番、気晴らしに良いのだ。
2、また誰かを救う
ぼんやりと駅のホームに立っている女性。
見た所制服を着ているから、女子高校生くらいだろうか。
そんなに見た目も悪くないのに。
遠目でも分かった。
何もかも折られてしまっている。特に心のダメージがあまりにも酷い。
人心の荒廃がこの日本では凄まじいと思っていたが。
実際にはどこの国でも同じだ。
また、日本に遊びに来たルシファーは。理不尽の気配を嗅ぎつけて、この駅に来ていたのだった。
日本の鉄道は正確だ。
他の国では一時間とか平気でダイヤが遅れることもあるのに。この国は人身事故でもない限りまず遅れる事は無い。
ただ行きすぎた正確性から大事故を引き起こしたこともある。
そして、今日本で一番ポピュラーな自殺の一つが。
電車への飛び込みだ。
自殺を決意して、苦しみ抜くと分かりきっているのに電車に飛び込む。
それがどれだけの悲惨な覚悟と追い詰められた結果だかは、簡単に想像がつくだろうに。
今の人間は、電車に飛び込んで迷惑を掛けたと、その自殺者を詰るようになっている。
明日は我が身だと言う事を理解出来ていないし。
何より悪魔なんか比べものにならない程に心が荒みきっているのだ。
それがこの地上の現実。
魔界の方が、まだマシかも知れない。
電車が来る。
飛び込もうとする学生。すっと手を引いて引き戻す。
取り乱すだろうと思ったから、同じ女性の姿を使った。
とはいっても。
途中で姿を変えても、周囲の誰も気付けなかったが。
無言で、ホームから連れ出す。
どうやら通学の途中で電車に飛び込もうとしたようだが。こんな精神状態では学校どころではないだろう。
ともかく、駅からも連れ出す。
学生やらサラリーマンやらがわんさかいるが。
特に社会人は皆顔が疲弊しきっていた。
この国の社会制度は限界を迎えているが。
それはこの国だけではない。
どこもこんなものだ。
本来なら悪魔は大喜びなのだろうが。実際には、神話の悪魔なんて仰々しく書かれているだけで、現実の人間の方が余程邪悪だ。
それは神も逆の意味で同じ。
設定だけ唯一絶対全知全能の一神教の神があの為体である事を考えれば。
まあそれも妥当だとは言える。
連れ出してみると分かるが、はっとするほどの美少女である。
こんな容姿なら、何でも出来るだろうに。
背は中肉中背だが、整った顔に体型。それに長い髪が美しい。
だが、さっと見ただけで分かるが。
体中に痣を作っている。
制服で見えない部分にだ。
少し年上の女性の姿を使ったが。彼女は連れ出されている間、何も言わなかった。
やがて人気がない公園に出向く。
公園には、中で遊ぶなとか騒ぐなとか、無茶苦茶な立て看板がされていた。
これで子供が外で遊ばないとかほざいているのだから。
行政の劣化も限界を迎えている良い証拠である。
「まずは名前を。 私はサイファーと言います」
「余所の国の方ですか」
「まあそんなものです。 貴方は?」
「千葉……あかりと言います……」
いや、違うな。
名前は最近自分で変えたようだ。この子は十六歳だが、確かこの国では家庭裁判所に申請すれば十五歳になれば名前を変える事が出来る。
「最初つけられた名前は違ったんだね」
「……はい」
最初の名前を聞くが、何だそれはと思わず眉間に皺が寄ってしまった。
いわゆるDQNネームと言う奴だ。
少し前に。この国の育児雑誌が流行らせた奴で。読めもしない名前を子供につけるブームである。
名前というのは、他人に名乗ることが出来るものだ。
それを子供を自分のアクセサリ代わりにしか考えていない親が、バカみたいな名前をつけることで。子供の人生を私物化し。更に承認欲求を満たすという、最悪の行為に散々走ったのである。
これを煽った育児雑誌にも大きな罪があるが。
社会問題にもなっているのに、「キラキラネーム」等と称して自分達の行為を正当化している親にも大きな問題がある。
まあ「キラキラネーム」とやらも既に蔑称になっているし。
今では改名する人間が後を絶たないそうだ。
まあそれは当然だろう。
公園でブランコに揺られながら話を聞く。
「小学校の頃は、髪の毛を親に無理矢理染められていました。 学校では殆ど無視されて、それでとても悲しかったです。 だんだん親がおかしい事に気づき始めた頃には、もう手遅れでした」
堰を切ったようにあかりが話し始める。
その名前を尊重するべきだろう。
当然だ。
自分で決めたのだから。
親が決めた名前は本来は尊いものだ。だが馬鹿な育児雑誌が、その尊さを全て粉々にしてしまった。
マスコミは既に魔界よりも深い闇の其処に墜ち果てたが。
育児雑誌なんて、人の命を左右するような代物にまでそれが波及していることを考えると。
可能性を好むルシファーとしても、暗澹たる気持ちになってしまう。
「髪を染めるのを止めたいと言った瞬間、両親の顔が鬼のように歪んだのを、今でも覚えています。 気づいたときは病院でした。 隣の家の人が通報してくれたらしくて、それで……そうでなければ死んでいたと思います」
「続けてください。 それだけではないんですね」
「……里親に引き取られて、それから別の学校にいって。 髪の染めを落として、それでも何か私には後ろ暗い事があるのに周囲は気づいたんだと思います。 すぐに虐めが始まりました。 教師は一切見てみぬふり。 両親が殺人未遂で逮捕されたことも、すぐに広まりました」
反吐が出るな。
自分より下の存在をほしくて仕方が無い。
それが荒廃しきった人間の思想だ。
だからスクールカーストでの虐めは激化する。
近年ではスクールカーストはあって当然で、虐めはあるべきだなどという暴論を口にする者まで出て来ているそうだ。
虐めがおきるのは仕方がないにしても。
それを如何に防ぐかが、教師の仕事だろうに。
魔界の大地よりも人々の心は渇いてしまっている。
こんな心では、神も悪魔も産まれない。
産まれるとしても、歪みきったものだけだ。
カルトとでもいうのか。
いずれにしても、どうしようもない話だった。
「それからずっとです。 里親は義務で私を育ててくれているだけで、学校の点数が下がれば容赦なく食事を抜かれました。 それでも私を直接殺そうとした産みの親よりマシですから、我慢してきました。 でも、学校はもう限界です。 中学くらいから、不良グループから目をつけられて、服を脱がされて……」
教師は当然無視。
不良グループは、あかりの服を脱がして写真を撮り。
それをアングラ業者に売って稼いでいるという。
性暴力も散々受けて来たそうだ。
見た感じ妊娠はしていないようだが。それだけが救いだろうか。
不良グループは強姦の様子まで撮影して、それを売りさばいて稼いでいるという。
ため息をついた。
これは酷い話である。
歴史の節目になると、人間の心は荒廃する。
昔から人間の心なんてろくでもない代物ではあるのだが。
それでも豊かだった時代と、どうしようもなかった時代は確かにある。
それは1500年程度だが、人間を見て来たルシファーが断言してもいいものである。
いずれにしても。
この娘はより弱きものだ。
より弱きものに手をさしのべるのが神ではないのか。
ふつふつと怒りがわき上がってくる。
立ち上がると、連絡を入れる。
家の方は問題はないだろう。この子は、学校でのストレスさえなければ、相応の成績を出す事が出来る。
そうすれば独立までは何も言われないはずだ。
問題は学校の方だ。
調べて見ると、そこそこの進学校だが。
そこにそこまで凶悪な不良グループが入り込んでいるのはちょっと問題だ。
なるほど。
生徒の一人がそこそこの資産家で。
そいつが半グレなわけか。
どうしようもないな。
まあ仕置きが必要だろう。
混沌を好むルシファーですら、これは救いがたい。というのも、この娘は大きな可能性を持っている。
更に学校でそれこそ人間の尊厳を徹底的に陵辱され尽くしても、それでも心が腐っていない。
心が折れてしまったが、腐ってはいないのだ。
それがどれだけ貴重なことか。
連絡を幾つか入れておく。
あかりは青ざめた顔のまま、ずっと黙り込んでいた。
まあ神が救わないのなら。
悪魔らしい方法で救うだけである。
「今日はもう帰りなさい。 君なら、一日二日程度休んでも、なんら成績に影響はないだろう」
「……」
「私があとは対処しておく」
分かる。
この娘は、恐らくその内歴史に大きく関与することになる。
今は本来のスペックの一割も出せていない。
だけれども、実際にこの子がフルスペックを開花したら。多分だが、今出回っている悪魔使いが利用している「悪魔召喚プログラム」を改良して。大きく機能改善するくらいは簡単な筈だ。
それ以外にも色々と歴史的な事を出来る。
そんな可能性を潰させるのは、ルシファーとしては許せない。
何が唯一神だ。
こんな逸材を見いだすことも出来ない低脳の分際で。
本気で頭に来たので、ちょっと手荒くやる。
不良グループはもとの半グレの組織ごと潰す。
更にあかりの画像などを売りさばいていたアングラの業者も潰しておく。
そして行き着いた先が暴力団だったので。
それはルシファーが直接つぶしにいくことに決めた。
呆れた顔のベルゼバブが来る。
掃除屋らしいのを、何人か連れていた。
関東最大の暴力団の、三次団体。半グレどものボスであり、芸能界などにもコネを持っていた組織だ。
小ぶりな組織ではあるが、半グレを使って芸能界などでの問題を力尽くで解決していた事に加え。
あかりなどの犠牲者から金を搾取することで、様々なシノギに手を出し。
短期間で成長していた連中だった。
しかも内部に金持ちの馬鹿息子がいて。それが警察のキャリアの息子だったという事もある。
警察が手を出さないのは、それが理由だった。
まあちょっとばかり許しがたい。
普通はこういうことはしないのだが。
ルシファーは、今回は本気で頭に来ていたので。
組の関係者全員を、アホにした。
ちょっと違うか。
周囲に転がっているのは、既に人間の形をした生肉だ。
思考する事も出来ない。
まあそれについては良いだろう。
元々脳みそなんてあってないようなものだったのだから。
金さえあれば何をしても良い。
その思想の結実がこれだ。
力があれば何をしても良い。
だったらルシファーが此奴らに何をしても良いだろう。此奴らも、さぞや本望の筈だ。
まあ分かっている。実際には、そういうのは暴力を振るったり犯罪を犯す連中が自己正当化に使う詭弁だと言う事は。
そんな思想が正しいのなら。
例えば地球にエイリアンが圧倒的な軍事力で攻めてきたら。
人間が皆殺しにされるのは、全て受け入れなければならないだろう。
そんなときに限って、どうせ命乞いしたり助かろうとしたりするに決まっているのだこの手の輩は。
というわけで、完全に廃人にした。
殺さないのは、此奴らの家族に廃人を養うための資金を出させるためである。
そして死んだ後は。
魂は地獄へご招待である。
「また随分と派手にやりましたな……」
「お前はどうしてこういうダニを放置しておくのか」
「流石に隅々までは目が行き届きませんし、何より今はもう誰も彼もが此奴らと大差ないレベルまで精神が腐っていますので」
「はあ。 まあいい。 ともかく仲間内の喧嘩で全員こうなったとでもしておけ。 後、此奴らの後ろ盾になっていたキャリアは潰しておけ」
ベルゼバブが無言で頷き。
そして掃除屋が痕跡を消していく。
魔術の痕跡を消しておかないと、対魔組織が来るからだ。
葛葉辺りとぶつかると流石にルシファーでも面倒である。
名目上連中も、どんなカスでも人間を守らなければならないから。こう言うときはルシファーと戦わなければならない。
此奴らがどれほど守る価値が無い存在でも、だ。
此奴らの配下である半グレの方は、既に潰しておいた。
リーダー格は全員逮捕。
例のキャリアは更迭されるから。まあ十年単位で刑務所行きだろう。
近年は司法も腐敗が凄まじく、未成年の殺人を虐めと決めつけた挙げ句に、たった四百万の賠償金で済ませるというとんでもない蛮行を行ったりするが。
そういう裁判官にいかないように手を回しておく。
腐っているのなら、相応に対応方法はある。
手下もこれから順次逮捕である。
後は、普通に学校に行く事が出来るだろう。
あの美貌だから、後はメンタルケアさえ終われば。問題なくやっていく事が出来る筈だ。
そのメンタルケアが問題なのだが。
「後始末はやっておけ」
「分かりました。 ただあまり派手に動かれると此方も……」
「年に何度も動かないだろう」
「それは分かっています。 お考えも知っております。 しかし此方の苦労も考えてほしいのです」
ぶちぶち言うベルゼバブ。
これだけでも、魔界がルシファーの独裁体制などではない事がよく分かるのだが。
それについては、あえて周囲にはそう見せないように振る舞っていた。
適当に愚痴を聞いてやると、後は戻る。
あかりの方を確認。
体調が悪いと言う事で、冷え切った家に戻って。そして真面目に今日分の勉強はしている様子だ。
体調が悪いなら休ませてやれと思うのだが。
両親は一切無視。
それなりの資産家のようなのだが。
どちらも資産目当てで結婚したような輩だ。
まあDQNネームをつけるような親の親族だし、精神性も近いのかも知れない。
はっきりいって子供が可哀想でならない。
適当にホテルでもとって休む。
ベルゼバブが女でも或いは男でも回すかと言ってきたが、断る。
ただでさえ色々しがらみが多いのだ。
地上に隠し子なんて作る気はないし。
性欲の発散なんかわざわざ地上でやる必要もない。
適当にパソコンを弄くって、ニュースを確認しておく。
そのままネットにダイブすることも可能なのだが。まあそんな事をする必要は別にないだろう。
彼方此方で紛争が起きている。
一番平和な時期でも、世界の二割で戦争をしているなんて話があったが。
どうも悪い時代はどんどん加速しているようだ。
ルシファーの予想では、ここを乗り切れば多少人類はマシになる。それは確定事項なのだが。
問題は多数に分岐するこの世界の内。
大半が、そのマシな世界にはいけないということだ。
このまま行くと、あまりにも過剰に膨れあがった欲望が。地球そのものを本気で怒らせる事となる。
人間風に言うとシュバルツバースとでもいうべき、地球の免疫機構が目を覚ますのである。
それは一瞬……二年程度で人類社会を押し流してしまい、環境をリセットしてしまう。
シュバルツバースはもう一つの魔界とでも言うべき精神世界で、人間の精神を模して作りあげられるので。
まあその場合は、事の結末を見届けるために、ルシファーも出向かなければならないだろう。
シュバルツバースが出無い場合でも、まだまだ人類にとっての大きな転機は続く事になっていく。
特にこれから数年が正念場になる。
本当は、あかりを助ける事に意味はないのかも知れないが。
それでも、助ける事によって。唯一絶対を自称するあの腐れ神を否定出来るのであれば。
それはそれで、ルシファーはやるべき事をやっていると言える。
だからこれでいい。
数日空けてから。
あかりに会いに行く。
まだ正直な話、表情はそれほど明るくはない。だけれども、虐めがなくなったのは事実らしかった。
その辺りは即座に分かる。
「周囲にいた悪い人達がみんないなくなって、学校がとても静かになりました」
「……そうか。 でも、これからは君の努力次第だ」
「はい」
「君の心には大きな傷がついてしまっている。 だけれども、それを乗り越えたら、君はきっと偉大な……歴史の変革者になれる筈だ」
そういうと、後は契約を持ちかける。
あかりは聡明な子だ。
ルシファーが全てやった事を、肌で分かっていたのだろう。
だから、何も言わずに契約を受けた。
それでいいのだと、ルシファーは思った。
この子は大きな可能性を作り出す。
これから数年が正念場になる世界だが。本来はこう言う子が死んではいけないし。ましてやゴミカスどものエジキになるような事があってもならない。
こう言う子こそが、可能性を切り開くのに。
本当に唯一絶対を名乗る阿呆は何をしているというのか。
まあその辺で昼寝でもしているのだろう。
はっきりいって、どうでもいいことだった。
3、それらしい仕事もする
魔界でうんざりしながら、ルシファーは二人の悪魔の言い分を聞いていた。
玉座についてこういう話を聞くのも、ルシファーの仕事だし。
こういう風に座るときは、六対も無駄についている翼が邪魔で仕方が無い。
だが、仕事だから話を聞く。
頬杖をつきたい気分だが。
ともかく交互に話をさせ、聞く。
口論になると、一方的にまくし立てる輩が出てくるので。基本的に言い分を順番にいうようにさせている。
そういえば地上ではそれすら出来ない人間が多いのだっけ。
声だけ無駄にデカイ輩が出張っているのは、それが理由なのかも知れない。
口論をしているのは、インド系の悪魔と、中東系の悪魔だ。
両者ともに起源は同じなのだが。
魔界では領土が隣接していることもある。
今では犬猿の仲だった。
「ふむ、両者の言い分は分かった」
二体とも、そのまま行けば刀を抜きかねない状態だったが。
流石にベリアルとアザゼルが見張っている上、ルシファーの眼前でそれをするほどバカではない。
話を聞いている限り、どうやら部下が小競り合いをずっとしていたのは事実のようで。
ある時、それがついに殺し合いに発展した。
それでインド悪魔側の方が、多くの死者を出した。
それで頭に来たインド悪魔が、大軍を出して戦争を開始。
中東系悪魔の領地を焼き払った。
そして大軍同士が一度激突した後。
ついにルシファーが仲裁、という形で一旦停戦したのである。
だが、どっちも長年の因縁である。
このままでは、済みそうにはない。
こう言うときは、ルシファーが一応は独裁を強いているということが優位になるし。
何より魔界は際限なく広いのがいい。
「では両者共に転封とする。 そもそも魔界でそれぞれ領地を与えている高位悪魔でありながら、決め事である私闘を禁ずるという事を破った点は同じだ。 部下達もろとも、指定の領土にすぐに引っ越すように。 不公正がないように、それぞれがいた土地はしばらく直轄地とする」
文句を言いたそうにしていた両者だが。
そもそもルシファーには逆らえない。
本来1500年程度しか歴史がないルシファーが、大魔王をやっているというのも変な話なのだが。
まあそれは一神教の影響力が、それだけ無駄に大きいと言う事である。
不服そうな二体の悪魔を連れて行かせる。
これから大引っ越しだが。それについては部下にサポートさせる。まあ利害関係がない悪魔に喧嘩を売るほどあの二体もバカではないだろう。
これ以上魔界で立場が悪くなると。
もう居場所がなくなる、というのもある。
神々ですら、それぞれが一神教に脅かされて。苦労しているのが現実なのである。
それなのに悪魔ともなれば、なおさら肩身は狭い。
広大な魔界という、精神世界に起因した場所があるからまだ良いのだけれども。
そうでなければ、どれだけの苦労を皆がしていたかはよく分からない。
そもそも悪魔にしても、出自は様々。
一神教によって貶められたものだけでもない。
自然に対する恐怖が悪魔になったものだっているし。
疫病などの権化もいる。
また、悪魔でありながら神と紙一重の存在だって珍しくもない。
それらが全ているのが魔界で。
故に此処は懐が広い世界なのである。
「次」
「今回はこれで終わりにございます」
「分かった。 ではこれでお開きとする」
「ははっ」
ベリアルとネビロスが退出する。
執務室に戻り、後はしばらくアイスを食べて過ごす。魔界製のではなく、地上からわざわざ取り寄せたいいアイスだ。
ちょっと量が少なすぎるが、実にうまい。しばらくうまうまと満面の笑みでアイスを食べていると、ドアがノックされた。
慌ててアイスを冷蔵庫にしまうと、入るように促す。側近の一人であるアスラ王が入ってきた。アスラというのはインドにおける悪魔的な存在であるが。
これがまた色々厄介で。
宗教圏によっては神になるし。とにかく複雑怪奇な存在である。
ここにいるアスラ王は悪魔としての要素がもっとも強く出ている存在であるが。
そもそもインド神話は、あらゆる土着信仰を貪欲に取り込んだ結果、とんでもない残虐性を持つ存在を神にしている事も珍しくは無い。
だから、此奴も場合によっては神になっていたのかも知れない。
六つの腕を持つ赤い肌。三つの顔とまあ異形ではあるが。
一神教でも天使は古い時代ほど異形だ。
別に、不思議な事ではない。
「大魔王殿」
「アスラ王か。 如何した」
「どうも日本の方で、一神教の勢力が動き出しているようにございます」
「この間米国大使館のトールが沈んだからな。 それで色々とすることがあるのだろうよ」
ふっと鼻で笑う。
トールほどの大物が沈んだのだ。
分霊体とは言え、である。
当然それによる混乱は決して小さくない。
この間、ベルゼバブがぶちぶち文句を言ってきたのは、その後始末をしている途中にルシファーが遊んだからで。
彼奴の言う事にも一利はあるのだ。
「分かった、貴殿も日本に出向いてくれるか。 ミカエル辺りが出てくると面倒だろう」
「分かりました」
ミカエルか。
一神教でも特に重要とされる天使だ。ルシファーの双子とされる事もある。
ムスリムでは最高位天使はガブリエルなのだが、キリスト教ではミカエルが最高位天使である。
だが元々設定が整理されていない一神教だ。
九段階ある天使の内、最高位の熾天使に属していたり。下位二位の大天使に属していたりと。
その辺りの設定はぐしゃぐしゃである。
まあ神学なんていったもの勝ちの世界だ。
それもまた、ありなのだろう。
ミカエルはそこそこの実力者だが、本人は一神教の信仰に当てられてはっきりいって狂信的な所がある。
燃えるような正義の心を持ってはいるのだが。
一方で神がやれと言わない限り絶対に人を救わない。
力があるのなら使えよ。
前に何度か交戦した時の一回。そう言ったことがある。ミカエルは、この力は神だけのものだと返してきた。
つまり、神の言う事を執行するためだけの力であって。
人々を救うための力では無いと言う事だ。
なんのための信仰なのだか。
人を救ってこその宗教だろうに。
その眷属だろうに。
その辺りが、ルシファーにはおかしくてならなかった。
鈴を慣らしてルキフグスを呼ぶ。
老人の姿をした悪魔は、多分アスラ王とすれ違ったのだろう。用件は、だいたい理解しているようだった。
「閣下、先のアスラ王陛下は日本での件ですか」
「今アスラ王を向かわせたのだが、あの王は少しばかりやり過ぎる。 監視役をつけておくように」
「分かりました。 確かにアスラ王は原初の神格。 下手をすると、力を得るために街一つ丸ごと食いかねませんからな」
「そうなると全面戦争になりかねない。 現在戦力的には唯一神側の方が上だと言う事もあるし、開戦は可能な限り避けろ。 機会はいずれ巡ってくる」
頷くと、ルキフグスは部下を手配する。
やれやれ。
大魔王という仕事も大変だなと思う。
本来だったら、バアルが此処で仕事をすればいいと思う。
中東における最も重要な神。一神教の最大の敵にて。それでいながら一神教にもっとも大きな影響を与えた存在。
至尊の座に唯一神がついているのなら。
魔界の総元締めはバアルがやればいいのに。
バアル信仰は現在では失われてしまっていることもある。まあ流石に大魔王にはなりづらいのだろう。
バアルの力の一部であるベルゼバブやバエルですらも、相当な実力者である事を考えれば。
まあ其奴らが一つになって、バアルに戻ればいいような気がするが。
それはそれで、可能性としては面白いか。
腰を上げると、部屋の外にいた護衛に地上に出向くことを伝える。
今回は誰かを救うためでは無い。
今後のために、布石を打つためだ。
地上に出る。日本、山手線圏内だ。
この辺りは、凄まじい可能性が集中している。ルシファーが大好きな場所である。
世界最大のメガロポリスと言う事もあるのだが。
元々此処は、東洋の最果てという立地にありながら。世界最大のメガロポリスに成長した奇蹟の都市。
それは可能性も集中するとは言える。
此処で、幾つも歴史は分化する。
今の時点で、この世界のルシファーは。人間がだらだらと腐敗して滅びていくのを見ているだけだが。
別の世界のルシファーは、もう破壊的な世界の変革を見て。
それで色々と忙しく動いているのかも知れない。
まあそれについてはどうでもいい。
地上に出ると、場所が場所と言う事もある。
すぐにベルゼバブが飛んできた。黒服の護衛もたくさんいるが、全部中身は悪魔である。
「閣下、また急なおいでですな。 またお仕事ですか?」
「今日は普段のとは違って……まあ理不尽に虐げられる可能性を見つけたらその時はその時だが。 おほんおほん。 ちょっとお前達の様子を見に来た」
「分かりました。 いつもそうしてくれると有り難いのですが」
「……」
若干ベルゼバブの言葉にとげがあるが。
まあそれはどうでもいい。
クーラーが効いた事務所に案内してもらう。今日は、小さな女の子の姿をしているので。周囲は何だろうと視線を最初は向けていたが。途中から警戒解除の結界を展開して、視線を逸らした。
事務所のソファに座ると。
まずは書類を見せてもらう。
「この国の天津神は相変わらず元気な様子だな」
「元々独特の信仰体系を持つ国だと言う事もあります。 天使達も相当に手を焼いているようです。 特に高位の天津神には、大天使でも手が出せない様子です」
「ならば、干渉は必要ないか」
「彼らは我々も敵視しています」
まあそれはそうだろう。
実は天津神のトップである天照大神には、何度か取引を持ちかけに行ったのである。
一神教は基本的に他の宗教の存在を認めない。
いずれ日本も無理矢理支配して、天津神は滅ぼされるだろう。
だから傘下に入れ。
そうでないにしても連合を組め。
そうすることで、天の使いを気取る連中や、唯一絶対を気取る阿呆と対抗しようと。
だが、あっさり断られた。
新興宗教の新参悪魔ごときが。我等が土地に土足で踏入り、挙げ句傘下に入れとは何事か、と。
確かに最高神天照大神の名にふさわしい威厳だった。それに、言っていることも正論ではあった。正論なら退くのが筋だ。それくらいの節度はルシファーも持ち合わせている。
その後も交渉は地道に続けてはいるが。
なかなか関係改善には至らないのが現状だ。
「女神殿も頭が少しお堅いな。 今欧州では、思想の自由を否定して、「正しい思想」とやらの押しつけが始まっている。 一神教徒としてはその方が都合がいい。 その悪しき波は、日本にも来ているだろう。 それから守ってやろうというのに」
「それが余計なお世話なのでしょう」
「確かにこの国の文化は多様だ。 だが既に荒廃の度は目を覆う次元だと思うのだがな」
「……そうですな」
ベルゼバブは視線を落とした。
どちらにしても、ベルゼバブだって仕事をしているのだ。
葛葉をはじめとする対魔組織だって、いつ悪魔が余計なことをしないかで目を光らせている。
その上位組織である八咫烏とやらもだ。
それらとの折衝が上手く行っているのも、周囲全部を敵に回したらやっていけないからだというのは分かっているだろうに。
それなのに神そのものが頑なではどうしようもない。
ため息をつくと、他の資料を見る。
強い可能性を持っている者のリストだ。
中々に面白い者達で、ついつい見やってしまう。
今後、歴史の転換点で。
この者達が動いて、そして歴史をダイナミックに変えて行くかも知れない。
そうでなくても、なかなか面白い歴史への関わり方をするだろう。
「この者は、結局歴史の転換点には関われなかったな」
「ペルソナ使いという異能者ですな」
「ああ」
ペルソナ使いというのは、何種類かあるのだが。
簡単に言うと己の中にいる別人格を悪魔の形で実体化させ、戦闘を行うタイプの能力者である。
極めて稀少な悪魔使いの一種と言える事もあり。
各国でも大事にされているそうだ。
この国では八咫烏や葛葉は存在を把握しているらしいが。
警察や公安では存在を把握できていないらしい。
今写真を見たのは、そんなペルソナ使いで。
歴史の転換点で、大きな活躍をできたかも知れない一人の写真だった。
今では社会人を立派にこなしている。
なおペルソナ使いは何種類かいて、成人すると駄目になるパターンやそうでないパターンがある。
色々と面倒くさい事もあって、戦力化がしづらく。
公的機関が目をつけていないのは、それが理由なのかも知れない。
「彼は充分に自立してやっていけるな。 今後も彼との関係は良好に保っていくように」
「分かりました。 此方としても、これほどの手練れを敵に回すのは得策ではないと判断しています」
「向こうに此方の正体は悟らせるなよ」
「いや、どうもとっくに気づいているようです。 それでいながら利用し合う……まあしたたかなものですな」
ふっと鼻で笑ってしまった。
確かにそうだ。
悪魔より人間の方がしたたかなのは、古今東西いつも代わらない。
ベルゼバブだってそれは理解していると言う事だろう。
他のリストも見る。
バアルの力が噴出する可能性が、実は存在していた。
その時は普及しているゲーム機を利用して悪魔召喚プログラムをばらまき。それで可能性の変転を見ようと思っていたのだが。
どうもその可能性も、この世界ではおきないらしい。
おきていた場合は、バエルとベルゼバブ、それにベリアルも出そうとは思っていたのだけれども。
まあおきないならいい。
この可能性の子は、今はしっかり社会人をしている。それもかなり面白い仕事をしている様子だ。
別の写真を見る。
この可能性も、困難の時代に花開くことはなかった。
別にそれはそれでかまわない。
というのも、この可能性が芽吹いていたら。他の可能性が大量に押し潰されていたのは確定だからである。
可能性が芽吹けば嬉しいが。
逆に言えば、それで潰れてしまう可能性もある。
それについても、重々ルシファーは承知していた。
他にも何人かの写真を見る。
いずれも潰れてしまうことも無く、上手くやれているようだ。最年少のものは五歳くらいだが。
大きな可能性を秘めているようで。
小物の悪魔が余計なちょっかいを出さないように、周囲を見張るようにベルゼバブに指示してある。
なお唯一神側はなんの興味も無い様子だ。
信仰心を集め。
自分に忠実な人間を増やせれば、それでいいと思っているのだろう。まあなんというか、法治主義を掲げる割りには帝国主義的というか。
色々と思うところはあるが。それについては黙っている。
最後の写真を見て。
それぞれの報告を受ける。
流石にベルゼバブも最高位悪魔だ。スペックは人間なんかとは比較にもならない。全てのデータについて、正確に応える事が出来た。
まあそれだけ出来れば満足だ。
「アイスを頼もう」
「またですか。 閣下も好きですな……」
「実際にうまいのだから仕方があるまい」
「そんな格好ばかりしているから舌も子供になるのでは」
痛烈なベルゼバブの皮肉だが、苦笑するだけで流して許す。
そのまま高級アイスが来たので、楽しむ事にする。
ついでに茶も淹れさせる。
アイスには紅茶の方が合うので、紅茶を。茶葉については、世界最高級の品である。まあこのくらいの贅沢は良いだろう。
しばしアイスと紅茶を楽しむが。
やがて居心地が悪くなったのか、ベルゼバブが咳払いした。
「それで、今日は後はどうなさいますか」
「アスラ王は上手くやれているか」
「はあ。 流石に辣腕ですな。 ただ天使共もそれでにわかに殺気立っているようでありまして……」
「サポートはそなたがしてやれ。 それでも魔王の一柱だろう」
渋面を作るベルゼバブだが。
そんな事は知った事では無い。
指を慣らして、次の書類を持ってこさせる。
各国の状況に関してだ。
紅茶を楽しみながら、さっと目を通していく。
魔界に運ばれてくる報告書は、どうしても時間差が生じてしまう。魔界すらデジタル主流の現在でもそれは変わらない。
それでわざわざ地上に来て、前線を視察しているのだ。
世界的に見て、どんどん夜闇は弱くなっている。
日本でもまだまだ都市伝説は現役だし、欧州では悪魔の存在を真面目に信じる人間は相応にいるが。
それでも古くほど人は夜闇を怖れなくなった。
同時に信仰も明らかに昔とは形が変わっている。
人知を越えた存在に対する敬意や崇拝ではなくなってきている。
これは一神教をはじめとして、宗教が基本的にはどれもこれも支配体制を強固にするために用いられてきたからで。
結果として、一神教は世界中に拡がり。
他の国でも宗教は今でも力を持っているものの。
当の神も悪魔も困惑する事態になっている、というのが実情だ。
このため、古い時代とは神も悪魔も、人間に対するアプローチを変えるようにしてきている。
天使の中には、人間の金持ちの中に入り込み。
それらを管理する事で、信仰を担保させられないか模索しているようなものもいる。
面白い話で、同じように悪魔も似たような事をしていて。
ビジネスの場では天使と悪魔が殺し合いをせず、むしろ互いに玉虫色の合意をしたりするケースもある。
ルシファーも思わず苦笑いしてしまうが。
それで天使が咎められることはないようだ。
「中東関連が荒れているな」
「一神教側でも制御不能のようです。 信仰が暴走すると手に負えないのは昔から同じですが……」
「石油資源だって有限だ。 人間が地球からいなくなるとそれはそれで困るのは我々も同じだ。 さてどうするか……」
「一応、幾つか案は考えてあります。 近々魔界に戻った際に報告させていただきたいと思います」
じっとベルゼバブを見るが。
ベルゼバブは自信満々の様子だ。
此奴はスペックは高いものの、あんまり応用能力はないというか。
基礎的な処理能力は高い。事態に対処する力も高い。
だが工夫が足りない。致命的に。
それで今まで何度も失敗しているし。挙げて来る報告書はどれもこれも面白くないのだが。
それを本人はどうも理解出来ていないようだった。
「分かった。 ただしアスラ王と緊密に連絡を取って、報告書を作成するようにな」
「はい、それはもう。 悪魔としての格は殆ど同じですので、ないがしろにするような真似はいたしません」
「頼むぞ」
「お任せください」
その自信は一体どこから湧いてくるのか。
多少呆れてしまったが。まあいい。
此処はここまでだ。
次は、別の場所に、仕事をしに出向くことになる。
空間転移の魔術を多用して、移動する。
現在アスラ王が本拠にしている場所にだ。
アスラは超古代の神格だが、インドで大発展し。日本にも強く影響を与えている。主に仏教を通じて、だ。
アスラ系統の神々は多く、その中でも阿修羅は有名だが。実際にはそれ以外にも多数の仏教系神格がアスラ系統の神々の流れを汲んでいる。
中でも大日如来はアスラ系の流れを汲む神格。まあ仏教では「仏」だが。まあ兎も角アスラ系としては最大出世した一つだろう。
言う間でも無く最高神アフラマズダもアスラ系である。
それだけ、強大な存在だと言う事だ。
その強大さはバアルほどではないにしても、それに近いものがあるだろう。
本来ルシファーなど鼻で笑う程度の古代神格であるのだが。
信仰がこうも散逸化して。
各国で悪魔にされたり神にされたりすると、信仰は逆に普遍化して、弱体化してしまうものらしい。
今、訪れたのは廃寺の一つ。
アスラ王が日本に腰を据えるために、根拠にした場所だ。
わびしい場所だが、霊的な場所としては最適に近く。アスラ王は文句をいう雰囲気はない。
いうまでもないが、アスラ王はそもそも魔界にいるように、本来はダークサイドのアスラの面を集合させたような存在である。
故に仏教の最高信仰対象である大日如来等とは同じ神格でも仲は最悪に近く、本来は寺を根拠地には出来ないのだが。
この寺は、密教系の廃寺。
密教は古代仏教の影響を強く受けている仏教の一派で、どちらかというと異端に近く。
しかもこの廃寺は仏教で禁忌とされる性行為を信仰に取り込んだ立川流の廃寺である。
そういう意味で、アスラ王には相性が良かったのだと言える。
人払いの結界が展開されているので、基本的に人は寄らないが。
ただたまに葛葉や八咫烏が、悪しき者が来ていないか様子見には来るようだ。
今の時点では来ていない様子だ。
それを、廃寺を見まわして、ルシファーは確認していた。
「よくおいでなさいましたな」
「ああ、アスラ王か」
「此方へどうぞ」
寺の境内の一角。まあ寺そのものはボロボロで、仏像もボロボロなのだが。
境内の一角に空間の穴が開いたので、其処を通って異空間に。
内部には強烈な生命エネルギーが満ちた空間が存在していて。
其処にアスラ王がいた。
座禅を組んでいるアスラ王。
インド系の神格と言う事もある。インド系のヒンズーまでの信仰では、神も悪魔も修行して強くなるという不思議な傾向がある。
仏教などのヒンズー以降に生じた宗教ではそうでもなくなるのだが。
ともかくアスラ王も、修行して力を蓄えているようだ。
「護衛を侍らせていないようだが、大丈夫か」
「いえいえ。 夜叉も羅刹も既に信用できる者は殆どおりませぬゆえ」
「連中としても信仰を得られる方が得だと判断しているわけか」
「その通りにございます」
仏教系の天部。毘沙門天などが有名だが。元ヒンズーなどのインド神話系の神々が転じた存在。それに明王や神将などの戦闘を担当する存在は。
眷属として夜叉や羅刹。インド神話における悪鬼を従えているのが普通だ。それも数千単位で。
夜叉や羅刹はヒンズーの思想では悪鬼とされる存在で、強いモノになると神々を脅かすほどの実力者がいる。
だが現在ではその原型がよく分かっていない。
まあヒンズーにインドの信仰が統合されていく過程で、失われてしまったものなのだろう。
ともかくこの夜叉やら羅刹やらをも取り込み。悪鬼ですら悔い改めれば救われるとしたのが仏教の思想だ。
また、金剛夜叉明王などという存在がいるように、一部は神格化すらしている。
つまりは普通に信仰を得られると言う事で。
今更夜叉や羅刹を怖れる人間なんかいないのだし。
まだ手を合わせてくれる信仰対象や、その配下になった方がマシ。
そう考える夜叉や羅刹は多い。
勿論悪鬼としての夜叉や羅刹も魔界にはいるが。
それらは所詮、上位の悪魔の使い走りに過ぎない。
彼らの中にも、いっその事と仏教側に寝返る者は後を絶たないそうだ。
「それでそなたはどう見る」
「文字通り終焉の時代ですな。 飽和したものと腐敗しきった時代。 インドのヒンズーの思想も腐敗しきってもはや面白くも何ともありませんが、この国も大して変わりはしませぬ」
「そんな中にも可能性はあるのだがな」
「大魔王殿はお優しゅうございますな。 余にはそのようなものは目に入りませぬが」
ふっと鼻で笑う。
アスラ王も凄惨な笑みを浮かべる。
さて、嫌みの応酬はここまで。
此処からは仕事の時間である。
順番に、現在の状況について説明をしていく。まずはベルゼバブとの連携について、である。
ベルゼバブとアスラ王はだいたい同格くらいの立場だが。
あえてそういう存在を此処に派遣したことで、仕事に柔軟性を持たせる意図がある。
これを何体も派遣してしまうと、文字通り船頭が多すぎて船が山に登ってしまうのだけれども。
まあベルゼバブとアスラ王の二柱くらいなら大丈夫だろう。
「何度か打ち合わせはしましたが、どうにも柔軟性に欠ける輩ですな。 もう少し色々と柔軟にものを考えるべきだと、大魔王殿から言うべきでありましょう」
「まあそれについては何度も指摘している」
「指摘して治らないのなら無能と言うことです。 余が此処を引き受けましょうか」
「いや、それは困る。 そなたの事だ、事故を装って街一つを食い尽くしたりとかしかねない。 私の知らない所で一神教勢力との開戦の口実を作られたりしたら困るのでな」
そういうと、渋面を作るアスラ王。
頭がいたい。
こういう所はベルゼバブとそっくりだ。
此奴は確かにベルゼバブより柔軟性に富んでいるかも知れないが、その一方でやり口が過激すぎる。
やはり掣肘し合うように配置しておいて正解だったなと判断。
似た者同士だから、丁度牽制し合うようになる。丁度良いと言える。
「天使共が活気づいているという話だが」
「ミカエルが既に来ているようです。 向こうとしても開戦するつもりはないようで、今は使いの下級を飛ばしては様子を窺ってきていますが」
「ほう。 信仰心を集める事以外に興味が無さそうなのに、珍しく勤勉だな」
「設定的には双子という事になっているのに、随分と酷評していますな」
そんな設定は後付だ。
そもそも報告書の誤解から出現したのがルシファーである。
しかも流行り始めたのは歴史的に見てつい最近。
五世紀くらいまでは、サタンの方が余程有名だった。
そのサタンにしても、そもそも「敵対者」という意味くらいの存在で。要するに悪さをする天使の総称。
強いていうなら大物の悪い天使、くらいの意味でしかなかった。
それがいつの間にか魔界の大将となり。
ルシファーと同一化されたりしているのだから、神学が言った者勝ちのいい加減な代物である事がよく分かる。
いい加減な思想をまとめているから、もはや一神教の魔界で一番偉いのは誰かすらもよく分からない状況で。
ルシファーがなんか格好いいので一番偉い、くらいの状況なのに。
知名度があるから悪い意味での信仰があつまり。
結果として大魔王となっているのが現状なのである。
馬鹿馬鹿しい話だが。
都市伝説の発生理由がだいたい馬鹿馬鹿しいのと同じで。
ルシファー自身も、自分に本来カリスマなんてものが無い事くらいは良く分かっている。
吸血鬼が近年やたらと強力に描写されるようになって来たのと同じで。
悪魔なんて、そんなものなのだ。
「いずれにしてもミカエルは何をしてもおかしくない。 油断だけはするな。 それと此方からは絶対に仕掛けるな。 まあちょっかいを出してきた使い魔を焼くくらいならかまわないが、騒ぎには発展させるなよ。 葛葉が出てくると厄介だ」
「余も倒されたことがあります。 時空を越えて現れるから本当に厄介ですなあの者は……」
「厄介だと言う事がわかっているなら気を付けよ」
「は。 今は力と情報を集め、やがて天使どもを掣肘すべく、順番に手を打っていきます」
それでいい。
頷くと、ルシファーは異空間を出る。
それにしても強烈な生命力に満ちた空間だ。
仏教でも、東南アジアなどに拡がる原始仏教では。立川流のように性行為を神格化しているものが珍しく無いし。
悟りに至るとかよりも、明王や天部などのどちらかと言えば戦勝を約束してくれる軍神への信仰が強い。
本来は仏教はそんな思想ではないのだが。
一神教にしても、隣人愛と赦しの思想を放り捨て。原罪とかいうものを作りあげて民衆を恐怖で統制する道を選んだのだ。
まあ他人のことは言えない。
とりあえず後は、日本にいる何名かの有力な悪魔に声を掛けに行く。
どいつもこいつも色々と面倒な性格をしているのだが。
それでも、ルシファーに嫌みを言ったり文句を言ったりはするが、最終的には従ってはくれる。
ただ近年は、魔界から独立して活動しようと目論んでいる連中が色々と動いているらしい。
一神教の統制力が乱れてきた影響だ。
それはそれで面白いので、別に手を出すつもりは無い。
可能性が生じれば、それでいいのだから。
一日がかりで日本中を回ると、後はおきにのアイス屋に出向いて、アイスを存分に楽しむ事とする。
まあ実際に美味しいし。
周囲の客は結界のおかげでルシファーをかまわないしで、居心地がいい空間だ。
魔界にこのアイス屋の支部を作りたい所だけれども。
まあ流石に厳しいか。
ただ、良い思いつきではある。
ベルゼバブに言って、今度考える事としよう。
では帰るとする。
なんだかんだでやる事は幾らでもあるのだ。大魔王は、部下に色々文句を言われようと。仕事を幾つも抱えているのだから。
4、可能性はすぐに失われる
弱々しい泣き声だ。
しかも此処はどぶ川である。
そこへ躊躇無く降りた、眼鏡を掛けた女子学生。ルシファーが、今度選んだ姿である。なお、百十年前の女子学生なので、既に鬼籍に入っている。
結界で周囲の注意を惹かないようにしているから、誰も気にしないが。
逆に言えば。
赤ん坊の泣き声がどんどん弱くなっているのに。
それを誰も気付いていないと言うことだ。
周囲にはそれなりに人がいるのに。
ルシファーが抱え上げる。
強い可能性を感じる子供だ。産まれたばかりの男の子。どうやら、此処に文字通り産み捨てられたらしい。
堕ろすために病院に行くのも面倒になったようなクズ女が。
産まれた子供を、此処に捨てていったのだろう。
度し難い話だが。
日本でも、こういうことはある。
すぐに部下の一人を呼び出すと、警察に連絡。後は警察側に引き渡して、任せる事とする。
この国のキャリアは無能だが、警察の末端は有能だ。
まあ県によっては末端も駄目なのだが。
この県の警察は、ある程度信頼出来る。
生命維持については少し心配だが、多少の回復魔術はサービスしておいた。もう少し遅れたら、死んでいただろう。
やがて部下が来て、警察もくる。
赤ん坊を引き渡すと、警察の聴取は人間に化けている部下が引き受けた。ルシファーがいたことは、警官は認識していない。
すぐに周囲に警官がきて、調べ始める。
赤ん坊は病院に。この様子だと、孤児院か何かで育つ事だろう。
ある程度手を回しておくか。
昔は酷い虐待をする孤児院がこの国にもあったのだが。
近年は状況がだいぶ改善していると聞いている。
それでも一応、可能性は潰したくないから。
相応に手は打ちたかった。
さて、と。
少しその場を離れて歩きながら、声を掛ける。
「いるんでしょう。 出て来たらどうですか?」
「……」
姿を見せる学生。
いや、大正時代の学生。その上腰には刀。肩には猫を乗せている。
第十四代目葛葉ライドウ。
時々魔界の者が話題にする、最強の対悪魔能力者だ。
少し前に、この近所で世界の危機と呼べる大きな事件があった。
事件を起こしたのは部下の一人だったのだが。
まあ其奴がどうなったのかはお察しである。
葛葉の中でも最強の此奴が何かしらの力に呼ばれて、対処した。
まだいるだろうとは思っていたのだが。
案の定嗅ぎつけて来たか。
此奴の力はそこそこ厄介な葛葉の中でも厄介で。歴代でも最強である。少なくとも現代の葛葉の数倍はある。
少し見た目が老けたか。
まあ実年齢よりも老けるのは仕方が無い。
色々な世界の危機に呼ばれて、その度に数ヶ月過ごしているのだから。
最初に葛葉ライドウにあったのは彼が十代だった頃か。
今は二十代半ばだ。
学生服は、まあ制服みたいなものとして使っているのだろう。口には髭を蓄え始めているようだ。
「何をしていた、明けの明星」
「私が可能性を愛するのは知っているかと思います。 だから、可能性を多く秘めていた命を助けた、それだけです。 今回は流石に幼すぎるから、契約はしませんでしたが」
「姿と性格を借りるという奴か」
「そうです。 だが、あの子はただ無償で助けました。 これも先行投資というやつですよ」
くつくつと笑う。
猫が喋る。
此奴は葛葉の相棒。何でも罰で猫にされているらしく、実際には元人間のようだ。魂をみれば分かる。
「嘘をついている様子は無いな」
「天使が産まれてくる命を祝福せずに、悪魔が消えゆく命を救うか。 全く、何とも言葉がない事態だ」
「ふふ、私はそういう存在だと知っている筈ですよ」
「ああ、知っているさ。 だが貴様が、場合によっては世界を業火に包むこともな」
刀に手を掛ける葛葉。
ほう、やる気か。
面白いから受けて立ってもいいのだが。もしも此処で戦うと、多分この県全域が消し飛ぶだろう。
それでは本末転倒。
手を拡げて、戦意が無いことを示すと。
葛葉は、やがて刀から手を離していた。
「あの子供は此方で行方を監視しておく」
「一応此方でも、しっかりした孤児院に行くように手配はしておいたのですけど」
「それでもだ」
「分かりました。 其方でも監視してください。 可能性の芽を潰さないように」
背中を向けて歩き出す。
葛葉は奇襲を掛けてくるようなことも無く。ただルシファーを見送った。
さて、帰るとするか。
今回は無償で働いてしまったが、まあそれはそれ、これはこれ。
可能性を愛する存在であるから。
可能性のためにはなんぼでも投資する。
だが同時に、破壊的な変革があればそれはそれで喜ぶ。
ルシファーが大魔王であるが所以だ。
それにしても、葛葉が言った通り。
何とも末世だな。
そう思って、苦笑いしてしまう。
本来だったら天使が助けるべき命だっただろうに。命が消えるまでに拾い上げたのは、悪魔。
それも大魔王だったのだから。
あの子供は、大きな可能性を持っていた。
今後生じうる巨大な災厄に立ち向かい、世界の破滅的変革を食い止めるかもしれない。
ルシファーと敵対するかも知れないが、それは全くかまわない。
唯一神が絶対ではないことを証明する。
それだけのために。
傲慢の権化であるルシファーは存在しているのだから。
(終)
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