血の結晶

 

序、遠き地の底

 

政府お抱えの科学者、八萩幸久は、苛立ちながらつま先で地面を叩き続けていた。助手達も青ざめた顔で、辺りに並べられた計器類をのぞき込んでいる。複数セットされた計器の針が、また一つゼロに振り切れた。周囲から大きなため息が漏れた。

「教授、もう今日は引き上げましょう。 これ以上はロボットの無駄です。 例のものに任せるべきです」

「貴様はそれでも科学者か!」

「……」

助手達も、解明されていないものに頼ると言う事は避けたいと考えているのだ。しかし、投入しているロボットが尽く壊れている上に、例の殺人粒子が充ち満ちている遺跡の中に生身ではいるのは自殺行為だ。しばし躊躇しているうちに、もう貸し出されたロボットはこれで全てが壊れてしまった。幸久の白い髭が屈辱に震える。助手達が落ちようとする雷に首をすくめた。

雷は結局落ちなかった。外を警備している自衛官の一人が、小走りで駆け寄って来たからである。事態は明白であった。彼は敬礼すると、むっつりと黙り込む幸久教授に言った。

「例のものが届きました」

「ん……うむ」

何の関係もない自衛官に八つ当たりするほど、教授は落ちてはいなかった。だが、屈辱に青ざめる事までは避けられなかった。ほどなく、屈強な大男にせかされるようにして、頭からコートを被せられた小柄な人影が、教授の前に歩み寄ってきた。彼女は両手に手錠を填められ、教授以上に真っ青だった。はたはたと落涙さえしている。大男はその肩を後ろから掴みながら、全く表情を変えずに言う。四角い顔には、冷酷性も無ければ、愉悦もない。単に仕事を遂行するプロの顔があった。

「ご注文の品をお届けに上がりました」

「……ご苦労。 それが、例の、あれかね」

「そうです。 吸血型変異性人類、通称ヴァンパイアの末裔です」

「安全なのだろうね」

「元々肉体能力は人間と大差ない上に、これの妹に薬物投与を済ませてあります。 逃げる怖れも、抵抗する怖れもありません」

しばし品定めするように(ヴァンパイア)を見ていた教授は、ふんと鼻を鳴らすと、そっぽを向いた。

「とっとと取りかからせたまえ」

無言で頷くと、大男は、ヴァンパイアに遺跡の中へはいるよう促したのであった。

 

1,ヴァンパイアの現状

 

ヴァンパイア。最も有名な、人外なる存在の一つである。夜の貴族と称され、生き血を好んで夜な夜な徘徊する者達。その吐息を喉に受けた者は、これもまた死してヴァンパイアに生まれ変わり、新たな生贄を探すのだという。十字架を嫌う、ニンニクを嫌う、日光を苦手とする、その他様々な弱点を持つと言われ、その反面不老不死を始めとする数々のとても強大な特殊能力を持つ。知能も高く、様々な物語において、非常に魅力的なヒールとして活躍してきた存在でもある。その存在はルーマニアを起源とするかのように思われがちだが、実のところ血、もしくは生気を吸う怪物の話は世界中至る所にある。

さて、恐るべき強力さを誇る怪物ヴァンパイアであるが、彼らに比べて著しく貧弱である人間は、その牙を怖れるばかりなのだろうか。そもそも、それほどに強力で伝染性の強い存在が、表だって世界を支配していないのは何故だろうか。伝承に残るほどヴァンパイアが強力なら、今頃地上は彼らに支配され、人類は家畜奴隷化されていてもおかしくなさそうなものだ。何故そうなっていないのか、理由は簡単である。伝説はあくまで伝説であり、その存在は噂ほど強力ではないからだ。吸血鬼は悪魔同様、人間の敵として極めて都合がいいため、逆の意味で持ち上げられて来た存在なのである。同様の存在に鬼や狼男、魔女などがある。その中でずば抜けて吸血鬼が強力だと思われたのは、数々の魅力的な弱点のお陰なのだ。実際のヴァンパイアは、様々に個体差はあるものの、さほど強力な存在ではない。

人類はその発展の過程で、邪魔になる存在を次々と刈り取ってきた。ヴァンパイアの中でもロードと呼ばれる強力な連中などはその格好のターゲットとされ、最後のロードが千四百年代にロシアの片田舎で狩られて以降、人間の剣を怖れて社会の闇を這いずる哀れな被追跡者と成り下がってしまった。結果、どうなったか。ヴァンパイアの中には人間と混血可能な種類とそうでない者もいるが、前者はロード級並の迫害を受け、現在では殆ど生き残っていない。後者は世界各地で独自のコミュニティを作って暮らしていたが、現在までに殆どが全滅させられ、なおかつ近親弱交の弊害によって生物種としても弱体化、人間のハンターに抵抗する力を残していない。

そんな弱体化した吸血鬼一族の一人が、八坂高校の校舎裏に引きずり込まれ、舌なめずりする不良共に胸ぐらを掴まれている、明山真花(あかやまさなか)であった。震えているのは、演技でも何でもない。本当に何も抵抗する術がないため、怯えきっているのだ。少しだけ平均より整った顔立ちの真花は、運動音痴で、頭もそれほど良くない、綺麗な髪以外、特に取り柄のない娘であった。ヴァンパイアだと言う事を知っているため、今まで目立たないように必死に生きてきた存在でもある。従兄弟同士だった彼女の両親はどちらも体が弱く、既に他界しており、現在は妹と共に同じヴァンパイアの里親の元で暮らしている。時々飲みたくなる血は、催眠術が使える里親父の手で通行人を眠らせ、健康に支障がない程度にこっそり頂いている。慎ましく涙ぐましい生活である。様々に弱点を抱えているヴァンパイアだが、真花の最大の弱点は、人間と交配出来ないタイプのヴァンパイアであるため、人間の顔がどれも同じに見えてしまう事だ。そのため、モーションを掛けてきた不良グループの頭の顔が覚えられず、要領を得ない対応しか出来ず、危機に対処するのも遅かった。そのため、業を煮やした彼らに、校舎裏に引きずり込まれてしまったのである。不良グループの頭は、何度も袖にされたと思いこんでおり、額に血管を浮き上がらせて真花を睨み付けていた。真花はぶるぶると震えるばかりで、体をがっしり掴む不良共から逃れる術も無く、もう覚悟を決めていた。天国にいる父と母に、もうすぐ会えるからと心中で呟く。家で今日も臥せっている病弱な妹の森(りん)に、こっそりとお別れを言う。この弱気で貧弱な性格は、隠れ住む生活を続けた結果、培われてしまったものだ。

胸ぐらを掴んでいた大柄な不良が吠える。殆ど犬と変わらない知性の存在だ。彼らに言葉は意味を為さない。単に威嚇さえ出来ればいいのである。

「何とかいえよ、ああんっ!?」

「ひいいっ!」

「このメスガキが、ヘッドを散々コケにしておいて、謝る事も出来ねえのかあっ!」

手加減を知らない太い腕が、真花を校舎の壁に叩き付けた。背中を激しく打ち付けたため、咳き込んで息も出来なくなる。不良はまだ何かわめき散らしていたが、頭がガンガンして聞き取れない。わめき立てていた不良は、たばこを吹かしていた彼の上司が前に出てくると、頭を下げて横にずれる。へたり込み、咳き込む真花を見下ろしながら、ヘッドは舌なめずりした。

「おい、俺を散々なめくさっておいて、その態度はないだろ。 ああん?」

ドスが利いた声に、真花は顔を上げることしかできなかった。ただでさえ涙ぐんでいる上に、元々殆ど人間の顔など判別出来ない。周囲には雌もいるようだが、にやにやと笑いながら事態を見守っていて、助けてくれそうもない。これから何が行われるのか、大体見当が付いている真花は、体の芯から震えていた。顔の横の壁がいきなり蹴りつけられる。ひっと小さく叫ぶしか出来ない。やがて、ヘッドとやらは吐き捨てた。

「もういい。 壊れるまでやっちまえ。 壊しちまえば、どうせ誰の仕業かわからねえからな」

「へへっ、話が分かるぜ、ヘッド」

何人かの雄達が、舌なめずりして真花に迫ってくる。その後ろで、面白そうに雌共がはやし立てていた。その笑いが、一瞬にして消し飛ぶ。激しい殴打音と共に、ヘッドとやらが真横に吹っ飛び、顔面から地面に激突して動かなくなった。殴打音が左右に連続し、押し殺した悲鳴が、断末魔のように響く。今更のように雌共がぴいぴいと悲鳴を上げた。怖くて身動き出来ない真花は、頭を抱えて震えるばかりで、何が起こっているか把握するなどとても出来なかった。すぐに静かになる。顔を上げると、そこには小山のような巨体があった。

「全く、知性も品性もない。 これが俺の母校の生徒の今の姿だというのだから、泣けてくるな」

地底から響いてくるようなドス太い声が、真花の上から聞こえ来た。視線を向けられた事に気付いて、真花はひっと息を漏らす。決して好意的ではない様子で、視線の主は嘆息した。改めて顔を見ると、四角い顎の強面で、頑なに結ばれた唇は圧倒的な意志力を伺わせる。

「此奴らが一番悪いが、人間の顔を識別出来るように努力しないお前も悪い。 それに、事態が最悪の状況になる前に、周囲の大人に何故相談しなかった」

「だ、だって、だって……!」

何も抵抗しようがないではないか。そう抗議しかけて、真花の声が止まった。見てしまったのだ。大男の胸にさりげなく付けられたマークを。矢にとまった鷲をかたどった印。その瞬間、真花は全身の血が凍り、力が抜けるのを感じた。人生の終末もである。今までの恐怖の非ではない。

そのマークは、ハンターを示す物だ。かってはそれなりに力を持っていたヴァンパイアやその他人外を狩るために、特殊な訓練を受けた人間がいる。それをハンターと呼称する。世界中何処でも彼らの一族は存在していて、人外が弱体化しきった現在、彼らの狩りに抵抗できる者は存在しない。様々な術を使いこなすほか、身体能力も高く、しかも非情。国家の要請を受けてと言うよりも、むしろ人外を狩る事のみを生き甲斐としている連中であり、報酬よりも実際に人外を殺せる仕事のみを受けるのだという。つまり、である。真花を殺す事を何にも優先するわけであり、今此処で真花がするべき事は、下宿先のおじさんおばさん、それに森の事を喋らない事だけだった。目をつぶって、舌を噛む準備をする。拷問をされたら、きっとみんな喋ってしまうからだ。

「本来なら、我らのアジトに連れ帰って、拷問して周辺の情報を吐かせる所だが……」

恐怖から、ぎゅっと体を縮める真花に、大男は言う。

「お前には別の事をして貰う。 殺しもしないし拷問もしないから安心しろ」

嘘だ。油断させて、何かすごく酷い事をするつもりなんだ。震えながら、真花は自身にそう言い聞かせる。ハンターは同族を沢山殺した憎悪の対象と言うよりも、むしろ抵抗しようがない恐怖の具現化だ。恐怖の言う事を聞いてはいけない。死ぬよりも、もっと酷い事をされるに決まっているからだ。ハンターの非道は真花もいやという程聞かされている。人間の中には話せる奴も少なくない事は知っているが、ハンターにだけは好意を持てない。ふと視線が移ると、真花は震え上がった。辺りに散らばる不良共は、男女関係無しに人間のスクラップと化していた。血反吐をたれ流し、手足を有り得ぬ方向に曲げ、転がっている。今から自分を滅茶苦茶にしようとしていた奴らなのに、その無惨な有様は真花を戦慄させるに充分だった。かろうじて生きているようだが、もう元の姿を取り戻すのは不可能であろう。怖くて怖くて、真花はもう何も出来なかった。真花の有様に失望したか、胸ポケットから取りだしたタバコを一服すると、大男は静かに言った。

「場所を移そうか。 おい、連れて行け。 うるさいようならガムテープで口をふさげ」

「了承」

いつの間にか大男の左右に現れた人間達が、左右から真花の腕を掴んだ。屈強な男達で、腕力はまるで万力のようであった。

 

移送に使われたのは白いワゴン車であり、窓には黒いフィルムが張られていた。大男は助手席に座り、真花の左右はさっき両手を取った男達が座って固めた、運転席にも、同じような雰囲気の男が座っている。

後部座席まで、大男が吸うタバコの匂いが流れてくる。なのに、怖くて咳の一つも出ない。蒼白になって俯く真花に、振り向きざまに大男が球状に棒が付いた物を差し出す。三十分間持つという、密度の濃い飴だ。

「まだ暫くかかる。 喰うか?」

蒼白になったまま顔を上げた真花は、飴を見つめるだけで、それ以上何も出来なかった。飴の皮を剥くと、自分の口へ突っこみながら、大男は言う。

「仕事自体は難しいが、お前にはやって貰わないとならない。 仕事が終われば、お前にも、お前の家族にも、安全を保証してやる」

「……」

「お前の妹の森だったな、すでに我らで確保している。 逆らおうなどとは考えぬ事だ」

分かってはいたことなのに。真花だけ捕まえられるなんて、あり得ない事だって知っていたのに。それを聞いた途端、真花の両目からは涙がこぼれ落ちた。取り乱さないのは、恐怖が怒りと混乱に勝っていたからだ。放心したように、椅子に持たれてしまう。両隣にいる男達は、うんともすんとも言わない。

時間はすっ飛んでいくように流れゆき、すぐに何やら訳の分からない建物に着いた。ナントカ研究所と表札には書かれているが、周囲はコンクリの分厚い壁で覆われ、警備員が彼方此方に立ち、監視カメラの設置も厳しい。腕を取られ、引っ張られる。入り口で厳しい表情の女性職員にボディチェックをされ、そのまま個室の中へ放り込まれた。一緒について来た大男が、部屋の隅にあったテレビの電源を入れる。其処に映ったのは、白い部屋で、ベットに横たわっている、森の姿であった。幼い上に体が弱い森は、平均から見てもかなり小さく、しかし心優しい少女である。入院がちの彼女は、確か今日も学校を早退して病院に行く予定があったはずだが、しかし明らかに病院を撮影した物ではない。それを見た瞬間、ついに激情が恐怖を凌駕した。テレビに飛びつく真花。状況は一目瞭然。最愛の妹に、何かされたのは明白。

「森!」

「今は眠っているだけだ」

「酷い! あの子が、何をしたっていうんですかっ! 力だってほとんど無いし、凄く優しい子なんですっ! 虫だって殺せないような子なのに!」

「恒常的に人間に催眠を掛け、人血を吸い、潜在的な危険を秘めている。 それでは不足かな?」

「最低っ! 人でなし! 外道ッ! バカーっ!」

涙をこぼしながら、服を掴んで抗議する真花に、大男は全く動じない。そればかりか、新しいたばこに火を付けながら言う。タバコの臭いに顔をしかめる真花に、全く関係無しに煙を吹き付ける。

「反抗的な態度を取っても構わないが、その度にあの子の危険が増すぞ?」

「酷い……酷いっ……! 酷いよぉおおおおおおおっ!」

「落ち着いた頃に又来る。 その状態では、話を聞けんだろう」

「うっ、ううっ! うあああああああああああああっ! わああああああああああん!」

塵一つ落ちていない床に伏せて泣き始める真花。彼女を放って置いて、大男は部屋を出ていった。大きな音を立てて、戸が無惨に閉まった。タバコの残り香は、嫌みなまでにクリアで、ずっと残り続けていた。

 

2,遺跡へ

 

何度見ても、テレビの向こうの森はほとんど身動きしない。息をしているのを示すように、僅かに胸が上下するだけだ。非情に嫌な予感を喚起させるのは、右腕に差し込まれた点滴の針だ。まともな薬を注入されていると思えるほど、真花は楽天家ではなかった。唇を噛む。どうしてこうも自分は無力なのだろう。どうしてこうも弱いのだろう。

古代の吸血鬼の中には、人類を支配するとまではいかなくとも、抵抗できる者達はいたのだという。実際の吸血鬼は、非人間種族で中の上ほどの力を持っており、トップの連中には確かに並の人間では太刀打ちできない者も居た。寿命も長く、四百年以上を生きた者もいたのだという。今はどうか。早死にした真花の両親を上げるまでもなく、数を減らし近親交配で弱体化した吸血鬼一族は、哀れで悲惨な生活を世界の何処でも送っている。人間のクラスメイト達が愛だ恋だと言っているのを聞いて羨ましくなるのは、今の吸血鬼には殆どパートナーを選ぶ権利などないからだ。血の遠い相手ほど価値のある交配相手であり、結婚できるとなったら四の五の言っていられない。いち早く子孫を残して、後の世代に血をつなげなければならない。そして、妹や息子や、か弱い家族達は何を置いても守らなければならない。何しろ、十五歳までには半数が結婚するのが現状だ。パートナーが選べない場合は、叔父や叔母、酷い場合は兄妹と結婚しなければならない。そんな状況だから、家族に対する愛情と、交配相手の積極的な探索は、吸血鬼の一種の習性となった。そうしないと、権利以前に、生きる事自体が出来ないのだ。だからこそにコミュニティの決定はほぼ絶対で、自己の意志が入り込む隙間はない。それが分かっているから、吸血鬼達は家族により深い愛情を注ぐ。古代の吸血鬼や、他の人外種族のような力があれば、人間に勝てる、とまではいかなくとも、森をつれて逃げる事くらいは出来るかも知れないのに。非力な自分が悔しかった。無力な自分が悲しかった。

戸が開き、大男が入ってくる。睨み付けても虚しいだけだ。相手の機嫌を損ねれば、森を即座に捻り殺されかねない。森の細い首なんて、あの大男の手にかかれば、割り箸を折るように砕かれるだろう。悔しくて悔しくて、唇を噛みきっていた。睨み付ける事しかできない自分が呪わしい。

「此方に来い」

大男は、真花の視線などものともしない。罪悪どころか、哀れみすら感じていないのは確かだ。どっちが鬼なんだ。真花は心中で呟きながら、立ち上がる。唇から流れる血が、口の中に違和感を作る。武装した職員が、後ろから銃を構えたまま着いてくる。そんな事しなくたって、逃げられはしない。

「此処だ。 入れ」

逆らえない事を知っているくせに、わざわざ命令口調で言う大男を、真花は大嫌いだと思った。人間の事をそれほど嫌っているわけではないのだが、ハンターは嫌いだし、こういう奴も大嫌いだ。おまえら、何時か見てろ。何時か立場が逆転したら、徹底的に痛めつけて殺してやる。そんな風に、真花はこっそり思う。多分人間以外の存在は、みんなこっそり思っている事だ。真花だけ思って何が悪い。思った所でただだし、なにより実現しないのだし。

部屋の中には丸テーブルとプロジェクターがあり、プロジェクターの向かいに座るように促される。後ろ斜め左右には銃を持った武装職員が立ち、無言の威圧感を放つ。むすっと頬杖を着く真花に、大男は静かに言った。

「妹の命が惜しくないようだな」

「大人しくしていたって、私も森も殺すくせに」

「そうしてほしいのなら、いつでもそうしてやる。 その前に、一つ、教えておいてやろう」

大男は表情も変えない。此奴はサイボーグか何かではないかと、真花は一瞬だけ思った。

「お前達の前に追っ手が現れなかったのは何故だと思う?」

「そんなの、おじさん達が必死に頑張っていたからですっ」

「ふっ、我らの力をあまり侮るな。 貴様の両親が健在な頃から、お前達の監視など行われていた。 今日はたまたま、必用に応じてモルモットを回収しただけだ」

プロジェクターが起動、壁の白幕に映像が映し出される。真花が硬直した。幼い頃の真花が、無邪気に両親と公園で遊んでいる様子が映し出されていたからだ。

「お前の叔父達が、上手く我々から逃れていただと? 笑わせるな。 お前の叔父達は我らと取引をしたのだよ。 定期的に自分たちの体を実験体として差し出す変わりに、お前達を狩らないという取引をな。 それが故に、お前達はその年まで生き延びる事が出来てきたのだ。 我らに監視されるという条件付きでな。 今まで、我らに監視されていた事に、一度も気付かなかった盆暗が、あまり我々を侮るなッ!」

蒼白になった真花は、心がぽきんと音を立てて折れるのを感じた。今まで、ずっとハンターに見張られていた、ハンターに見張られていた。森も真花も、見張られていた。みはられていたみはられていたみはられていたいかされていたいかされていたいかされていただからつかまっただからこれからころされるだからだからだからだから。

意識がぷつんと落ち、すぐにたたき起こされる。

ぎゃあっ!

背中に入った物凄い痛みに、エビのように真花は跳ねた。涙目で振り返ると、武装職員の一人がスタンガンを手にしていた。動悸が乱れ、激しく肺が膨張伸縮し、涙が零れ流れ落ちる。さっきまでの怒りは何処かに逃げてしまった。体の奥から恐怖が再びせり上がり、指先まで充たしてしまった。涙が止まらない。震えがとまらない。怖い、怖い、怖い!失禁しなかったのは奇跡に等しい。大男は、今や冷徹な仮面を脱ぎ捨て、魔王に等しい本性をむき出しにしていた。吠え猛る奴は、太すぎる腕を机に叩き付ける。

「恐怖の味も知らない小娘が、我らを見下そうなどとは百年早い! いいか、これからプロジェクターに説明する事を忘れてくれるなよ。 そうだな、二回までは忘れても質問に答えてやる。 だがそれ以上俺を苛立たせたら、貴様の妹は八つ裂きにして犬の餌にしてやるからな!

「はい! 何でもします! だから、だから森は殺さないで! お願いします、お願いします! お願いしますっ!」

「……プロジェクターを付けろ」

大男の言葉に武装局員の一人が頷き、真花の子供の頃のビデオを取りだし、代わりにDVDを入れた。からからという軽妙な音と共に、映像装置が動き出した。

 

古代文明が残した、当時ではあり得ないオーバーテクノロジーの産物を、オーパーツと呼称するのは良く知られた事実である。しかしそのオーパーツのうち、実際に一般公開されているのは、(公開しても差し障りがない)ほんの一部に過ぎない事は、あまり知られていない。中には遺跡そのまま丸ごと一つがオーパーツという例もあり、そう言った存在は厳重に最高機密として秘匿され、一般人には影すら掴む事が出来ない。

一例を挙げる。秋芳洞の地下深くについ先日、巨大な古代遺跡が発見された。これなどは、その一般人に秘匿される、最大最高ランクのオーパーツと言いきって良い存在であった。何しろ外壁全体が研磨された紫水晶で作られ、戸は自動開閉式、内部の動力はまだ外から窺えるほどに生きていると言うのである。外壁部分の技術だけでも相当な代物で、早速政府の調査チームが向かい、探索を開始した。そしてたちまち壁にうち当たった。

こういった遺跡の場合、火災現場や災害救助現場でも使われる、リモコン式のロボットを先に入れて安全を確認するのが業界の常識となっている。四角い箱にカメラとロボットアームを取り付けた尖兵達は、当然恐怖など知らずに未知の遺跡内部に入り込み、無謀な行為に対する当然の報酬を受けた。その半数が帰ってこなかったのである。帰ってきたものも、いずれもが半壊しており、恐るべき情報を多数持ち帰ってきた。

まず第一に、遺跡の中にはふんだんな防御機構が生きている。その一つに、大変に厄介な代物があった。特殊な放射線を遺跡内に充満させる装置だ。それは対放射線スーツも透過し、人間の生体組織に致命的な打撃を与える物であった。以前にも幾つかの遺跡で存在が確認されている代物であり、最初に発見されたときなどは調査員数十人が命を落とすという大惨事になった。特に古代エジプト系のオーパーツ遺跡に多く装備されている事から、それはファラオ粒子と皮肉を込めて呼ばれている。なお、ツタンカーメン王の時代には技術が最劣化していたらしく、かの遺跡で調査者が浴びたのは最微弱なファラオ粒子だった。

結果、一次報告書にはロボット達が送ってきた遺跡内部の入り口付近図面と、中にファラオ粒子が満ちている事のみが記述され、研究班チームリーダーの矢萩久幸は大きくプライドを傷付けられた。屈辱に震える彼に、政府が出した提案が、ロボットよりも人間に近いフレキシビリティを持ち、なおかつ人間と見なされない存在の投入であった。

「それが、貴様だ。 元々我々が監視していた人外生物の中から、貴様が最適任と判断された」

つまり、換えが幾らでもきく鉄砲玉という訳だ。必死に覚えた状況の、結論がそれであった。真花が死ねば、他に監視されている吸血鬼や、何か人外の者が狩り出されるのだろう。下手をすれば森がそれに当たらされる。説明が終わり、口を閉じた大男。自らの肩をぎゅっと抱きしめながら、真花は妹の名を呟き、覚悟を決めた。

「任務開始は翌朝0700。 移動手段、装備については此方で用意する」

「……この仕事が終わったら、森はどうなるんですか?」

「勘違いするな。 貴様はモルモットとしてはかなり価値がある存在だ。 仕事が終わったら、遺跡の事を口外しないという条件付きで、解放してやる。 我々の監視下の範囲内なら、自由に行動する事も許す。 勿論、妹も助けてやる。 あれが患っている病気は、特殊なワクチンを数度投与すれば全快する。 お前の仕事の難度を考えれば、それくらいの報酬は当然の事だ」

どうしてか、大男の口調はさっきよりぐっと暖かいし柔らかい。それが何故なのか、真花には分からなかった。

「俺の名前は徳永豪。 以降はバックアップにも当たるから、名前を知らぬはやりづらかろう。 個室に案内してやるから、今のうちに休んでおけ」

 

一応ベットはあったし、布団は柔らかかったし、清潔だった。だが沈み込んだ気持ちが邪魔して、なかなか休む事など出来なかった。最後に一度森に会いたかったが、人質という存在の性質上、会わせてくれるはずもない。今は、この徳永の言う事に従うほかないのである。もし仕事が終わったら、機密保持の関係から自分はさっさと処分されてしまうかもしれない。その可能性は極めて高い。だが、森は無害な子だし、ひょっとしたら見逃してくれるかも知れない。実験動物扱いだとしても、生き残る可能性はある。自分はどうなってもいい。だから、森を守る可能性が少しでもある方を選ばざるを得ない。

おじさんとおばさんは、無事なのだろうか。保身のために自分たちを売ったのだとしても、真花は構わないと思っている。あのハンター達の怖い事。強い事。とてもではないが、弱体化したヴァンパイアがどうこうできる相手ではない。真花達を売る事で、おじさん達が生き残る事が出来たのなら、それでいい。真花だって同じ状況だったら、同じ決断をしたかも知れないのだから。

そして真花にもそれは決して例外ではない。一族の未来を考えるなら、森を見捨てて逃げるという選択肢もある。今までにも、そういう悲しい選択をして、生き残った同胞には何度か会った事がある。

ベットの上で身じろぎする。それも一つの生き方だが、真花はそうしない。年の離れた妹である森は、妹と言うよりも娘のようなものだ。おむつの頃から世話をしてきたし、遊びに行くのも勉強をするのもいつも一緒だった。体が弱い事であったから、目を離す事が出来なかったし、それ故に愛情を深く注ぐ事になった。森は姉である真花の目から見ても優しい良い子で、姉の愛情に良く応えてくれた。親を欲しがってぐずる事も少なかった。今だって、何か危険な薬を投与されているとしても、悪夢にうなされているとしても、ずっと真花の助けを待っているはずなのだ。だから、見捨てて逃げるなんて、考えられない事だ。森は絶対に真花が死なせない。死なせてたまるものか。

身震いが走る。あのハンター共は、ずっと真花と森を監視していたといった。あの映像は間違いなく本物であり、その言葉が真実である事を告げていた。もし解放されたとしても、森は一人で生きていかなければならない。そして、いつか今の真花のように、怖い怖い任務に狩り出されるかも知れない。家族を人質にされて。そんな事はさせられない。しかし、もし真花が奇跡的に解放されたとしても、あの恐ろしい徳永から逃げ切る自信など真花にはない。あんな奴から逃げられるヴァンパイアは、多分現在この世にはいない。ロード級の実力を再現しようとしている一派もいると聞いた事がある。だが、そんな計画は立てるだけ潰されているとも聞いている。多分、真花では森を護れない。森だって、優しいけど戦いには決定的に向いていない。ヴァンパイアの一族は、弱体化したとは言え護身術を教わる。長い寿命を持った過去の英傑達が編み出した護身術であるが、この手のものは才能が全てだ。当然教わったが、結果は無惨なもので、真花も森も常に落第点だった。事実、質の悪い三下のちんぴらにすら通用しなかったし、武術を使う前に恐怖で体が動かなくなってしまった。まともに戦えても、徳永には歯が立たなかったのは明白だが、それにしても自分の力の無さがやはり呪わしい。

夜はすぐに更けていった。何の音もない空間では、やはりいつのまにか意識が落ちるのを避けられず、気が付くと眠ってしまっていた。戸を叩く音に気付いて跳ね起きる。徳永の野太い声が、外からした。

「今、0500時だ。 三十分待ってやるから、準備しろ」

「……」

徳永の気配はすぐに消える。俯いてシーツを掴んでいた真花は、頭を振って弱気を追い払うと、出かける準備を始めた。

 

手錠を填められて、防弾硝子を填められたワゴン車で山口県へと向かう。秋芳洞は真花でも知っている日本最大の鍾乳洞で、まだまだ解明されていない部分が多い場所だ。その最深部に、真花が放り込まれる遺跡があるのだという。左右を固めている武装職員に油断はない。真花の力は、普通の人間の女の子と大差は無いというのに。再生能力だけは人間離れしているが、それも、切り落とされた腕が泡を吹きながら見る間に再生していく、というような非常識なレベルではない。人間なら回復に三日かかるような切り傷が、一日で治るという程度のレベルに過ぎない。

秋芳洞の入り口には誰もいなかったが、ワゴン車は其処を避けて、別の方角へ回り込む。近くの山林にとまり、其処へ踏み込むと、中に自衛隊のベースが設置されていて、徳永と詰めていた自衛官が敬礼を交わし会う。無言のまま、頭からコートを被せられた真花は、奥へ進むように促される。ベースの真ん中には、巨大な穴が開いていて、周囲を武装した自衛官が固めていた。見た瞬間、その異様さがよく分かる。その雰囲気自体が、弱気になっている真花の心を容赦なく締め付けた。涙がこぼれる。だが、周囲の人間達は皆容赦がなかった。

歩きにくい鍾乳洞の中へ入っていく。左右を固める男達に油断はないし、全く動きにも隙がない。むしろ真花の方がふらふらするばかりで、いちいち殺気だった彼らに銃で脅された。まあ、怪我や不健康を装って逃げる手もあるのだから、彼らの判断ももっともの事だが、しかし怖い。徳永は徳永で、まるで悪魔か何かのように、冷たい目で真花を見下ろし続けていた。

冷たそうで苛立ったお爺さんの教授と徳永が二言三言かわし、ようやく手錠が外された。幾つかの装備を渡されて、防弾ジャケットを着込み、カメラが着いたヘルメットをかぶる。実弾入りの銃ではなく、電気ショックを与えるスタンガン。それに小型のノートパソコンと、応急処置用の医療器具、その他微細な装備一式がリュックに入れてあった。

真花が見上げる先には、複数の投光器に照らされた、遺跡があった。なるほど、これは凄い。まるで紫水晶の固まりで、投光器の強烈なライトに照らされて、きらきらと闇の中輝きながら佇立している。真花は素直に凄い建物だと思った。中が殺人粒子と防御機構で充たされていなければ、びくびくしながら踏み込まずに、素直に素敵な遺跡だと思いながら中を歩けるだろうに。

入り口は長い長い階段になっていて、その先に両開き式の自動ドアがあった。この辺がオーパーツ遺跡であるが故の仕様だ。来る前に、入り口のマップは渡された。生唾を飲み込んで、左右を紫水晶に縁取られた、曲がりくねった階段を登る。この辺りから、もう胸の奥がむかむかする不快感を感じ始めていた。吸血鬼には致命傷にはならないと言う事だが、本能が危険を警告しているのだ。冷や汗が流れる。玉のような汗粒が、喉を首を伝って、頑丈な探索着に染みこんでいった。

階段を登り終えると、音もなく扉が左右に開く。中には明かりがある。天井も壁もきらきら光る紫水晶で覆われているのだが、その幾つかの中に明かりが仕込んであるのだ。薄紫の明かりが周囲に満ちる光景は、正に童話的な美しさであった。戸を抜けて、中にはいる。玄関部分は非常に広いホールになっていて、天井はどうみても十メートル以上の高さがあり、奥行きも四十メートルはある。ホールの中央にはモニュメントが設置されている。抽象的な形状をしていて、何を現しているのか真花には分からなかった。所在なげに左右を見回していた真花の耳元に、不意に徳永の声が響いた。

「入り口ホールの周辺は、解析が終了している」

「ひゃあっ!」

「素っ頓狂な声を出すな。 バックアップをすると言っただろう」

「だ、だってえ!」

びくびくしながら、左右を見回す。辺りの床には無数の瓦礫が散らばっているが、そういった物の影から何かが襲ってくるような事はない。恐怖によじれる心臓をなんとか落ち着かせて安堵する真花の耳に、容赦せず遠慮せず徳永の声が響いた。

「入り口ホールは見ての通り、瓦礫があるだけで、特に危険な場所ではない。 また、左右の小部屋については入らなくていい。 先行して送ったロボットが解析を終了、中にあった物品を持ち帰っている。 お前はまず正面に向かって進め」

「は、はい」

辺りに散らばっている瓦礫は、紫水晶の床の上に、無粋に散らばっている。中には人間大の物もあって、そういったものは床を潰して食い込んでいた。遺跡が可哀想だと、歩きながら真花は思った。

 

3,扉の向こうに

 

遺跡内部の動力は生きていたが、全部が全部生きているわけではない。自動ドアが生きていない箇所も多く、そう言った場所はドアの周辺を調べ、手動開閉装置を探さなければならなかった。幾つかはロボットが解除していたが、幾つかは真花が解除しなければならなかった。

幾つかの自動ドアを通って、たどり着いた扉。頑強そうで、埃が積もっていて、びりびりと恐怖が内側から伝わってくる。中に入っていけばどうなるのか、今から先が思いやられる。その上、更に嫌な予感を加速させるのが、周囲に散らばっている壊れたロボットの数々だ。

「今までの情報から総合して、自動開閉装置は、戸の右斜め下辺りにあると思われる」

「そ、それで、この壊れたロボットは……!?」

「正体不明の攻撃によって破壊された。 迂回路を探そうとして周囲に散ったロボットもみんな壊れた。 以上。 何か質問は?」

「いやあああああああああ……」

真っ青になった真花がへたり込む。もういやだ。でも、森のためにも頑張らなければならない。頭を抱えて、床に突っ伏す。零れる涙を拭きながら、自分に言い聞かせる。森がこのままじゃあ殺される。だったら頑張らないと。頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ!何とか顔を上げるが、鏡を見たくないと思う。きっと映画に出てくる作り物のドラキュラ伯爵みたいに真っ青なはずだから。まがりなりにも女の子である真花は、そんな自分を余所様に見せたくないと、自然に思うのである。

さっきから全身がちくちく痛い。ファラオ粒子の悪影響だ。即死するわけではないのだからまだましだが、滝のように流れる汗に血がうっすら混じっているのは心臓に悪い。人間の血は結構美味しそうな匂いがするのだが、自分の血は嫌悪感を及ぼすだけだ。何とか再生能力を超えるダメージにはなっていないのだが、怖くて怖くて、さっきから判断力の著しい低下が見て取れるのが悲しい。

「落ち着いたら作業にかかれ」

「あくま! おに!」

「吸血鬼に鬼と言われてもな。 周囲をカメラで照らしてくれ。 ロボットは何とか投光器を設置する事が出来たが、それ以上は何も出来なかったからな」

まだ会ってから二日だが、徳永の性格が真花には分かり始めていた。ハンターとしてのプライドに触れると非常に危険な存在だが、普通の不満や鬱憤はぶつけても何も動じない。多分体臭がどうのこうのといった発言をしても、森に危険はないだろう。もう一つ二つ危険な要素があるような気がするが、それはまだ分からない。ただし、スイッチが入らなければ、多分何を言われても怒らない、即ち殆どの人間よりむしろ理性的な相手だ。だったら、不満をぶつけさせてもらうだけだ。

涙を拭いながら、ぶつぶつ小言をいい、辺りをまさぐる。カメラの着いたヘルメットを彼方此方に向け、バックアップチームに辺りの状況を見せる。少し考え込んでいた徳永に変わり、お爺さんの声がした。

「少しカメラを戸の左に向けてくれ。 どうもその辺に何かありそうだ」

「……」

「ん、お、おお、おお。 なるほど、レーザーか」

ぶつんと音がしたのはその直後だった。真花の右手から煙が上がる。針でも刺したような痛みが走った。反射的に飛び退こうとして失敗し、尻餅をついてしまう。

「ひあっ!」

「下がれ!」

「いやああああ! やだああああああっ!」

ばたばたとゴキブリのように暴れて、必死に手足を動かし、地面を這い逃げる。ぶつん、ぶつんと連続して音がする。生きた心地がしない。尻にも痛みが走って、ひいっと悲鳴を上げてしまう。部屋の入り口にたどり着いて、慌てて逃げようとドアを開けようとするが、さっきは勝手に開いたのに開いてくれない。ドアを叩きながら、真花は叫ぶ。

「助けて! 助けてっ! いやあああああっ!」

「落ち着け。 もう攻撃は止んでいる」

「助けて、助けて、助けて、助けええっ!」

落ち着かんか、この田吾作がああああっ!

蒼白になった真花が停止する。今更のように、戸が開いて、前のめりに投げ出された。動悸が爆発する。這うようにして、最初の部屋に戻ると、壁により掛かって呼吸を整える。先ほどの、刺し殺すような雄叫びとは一転、穏やかな徳永の声がした。

「傷を確認しろ」

「いたいー」

「レーザーは対人兵器には向いていない。 今見た出力程度なら、大した怪我はしていないはずだ」

冷静な声と共に、徐々に落ち着きが戻ってくる。傷口を見ると、確かにちりちり痛いのだが、血はそれほど流れていないし、傷も小さい。こわごわ触ってみると、傷の付近が少し火傷しているだけで、穴が開いているとか、そういう惨状にはなっていなかった。尻も似たような状況で、急に安堵が満ちていく。撃たれた瞬間は死ぬかと思ったのだが。幽霊の正体見たり枯れ尾花とは良く言ったものである。

「大丈夫、何とか。 痛いし、怖いけど」

「ふむふむ、今の様子から見て、カメラを向けると攻撃してくるようだな。 なるほど、ロボットが皆壊れたのにも合点がいった。 悪いな、吸血鬼の。 ちょっとさっきカメラを向けた辺りを図面に書いてくれぬかな」

「……明山真花です」

「おお、そうか。 じゃあ真花嬢ちゃん、よろしく頼むぞ」

頭を振って恐怖心を振り払う。教授の口調にはさりげない以上に侮蔑が籠もっているのが不満だが、妹の命を握られている以上逆らえない。それに、傷は何時間か放っておけば治るし、大した損害ではない以上逆らう事は得策ではない。服の袖に着いているペンを取りだし、同じく装備の一つであるメモ帳を口にくわえる。怖いけど、我慢して二つ目の扉に近づく。側で見ると、辺りに転がっているロボットは、例外なくカメラを焼き切られていた。しばし考え込んだ後、ヘルメットを外してその辺に置いて、懐中電灯だけを外す。ヘッドホンから徳永の落ち着いた声がする。

「いい判断だ。 そのまま、慎重に行け」

余計なお世話だ。心中で真花はそう毒づく。相手の攻撃能力が分かってしまえば、そう怖くなくなる。既知で強くない相手に恐怖を感じないのは、人間にも吸血鬼にも共通した下劣な性質だ。人間がケダモノである良い証拠である。勿論吸血鬼も。

唯一真花が他人に誇れる特技が、絵だ。腰をかがめて、カメラを向けた途端にレーザーが飛んできた辺りを見ると、何やら複雑な文様が書き込まれている。暫くそのままでいて、レーザーが飛んでこない事を確認してから、文様を書き写す。エジプトのピラミットには無数の象形文字が書かれた壁があると言う事だが、それに似ているような似ていないような、微妙な絵柄だ。トリらしきものやら、ヘビらしきものやら、色々な絵が小さな枠の中で踊り狂っている。正確にそれを再現していくが、流石に細かいので、完璧には難しい。何度か絵に注釈を着け、書き直していく真花の耳に、再び徳永の声がする。

「傷は大丈夫か?」

「どういう風の吹き回しですか?」

「モルモットはモルモットなりに、大事に扱うだけの事だ」

「最低なご配慮、感謝します」

思わず床に落ちていた欠片を踏みつけながら、真花は言う。さっきの感謝が何処かに消えて無くなった。相変わらず遠慮のない物言いで、どうしてか無性にイライラする。そのためか、スケッチの最後の方は少し絵が乱暴になった。絵が間違っていない事を三回確認して、考え込んでから四カ所に注釈を追加して後、真花はヘルメットの所にまで戻った。

「メモしました。 どうすればいいんですか?」

「そうか、ならば一度戻ってこい。 その周辺の映像をクリアに取る事が出来ただけで、今日は大きな収穫だ。 スケッチの方も、此方で分析したい」

大きく息を吐いて、頭を抱える。頭はずっと慢性的に痛いし、肌はまだちりちりする。ファラオ粒子の満ちるこの危険な遺跡の中は、人外である真花にとっても、どうにも快適とは言い難い場所であった。

外は洞窟の中だというのに、随分広くて安全な場所のように思えた。事実外に出てから全身で感じていたチリチリが消えたのだから、あながち間違った認識というわけでもない。外に出ると、すぐに左右に帯銃した武装職員が付いた。急にぐったりした気がした。老教授が、こわごわと前に出てくる。その後ろには、厳しい顔の徳永もいる。

「どれ、スケッチを見せて貰おうか」

「はい。 これ」

「うむ」

すぐに机を広げて難しい話を始める教授達。一方で真花は近くのテントに放り込まれ、ココアを出された。意外であった。数時間休んだらすぐまた遺跡に放り込まれるかと思っていたからだ。

「体を温めた後は、ゆっくり休め。 馬鹿な事を考えなければ、我々は貴様に危害は加えない」

「分からない……」

「うん?」

「分からないです。 私を一体どうしたいんですか?」

「我々は遺跡探索を円滑に進める事が出来ればそれでいい。 無益な殺生は、我々としても望む所ではない」

さっきの一喝だって、真花を心配しての物だった。ハンターって一体なんだ。真花には分からなくなり始めていた。

ココアを飲むと、少しにがかった。甘党の真花は、クリームが欲しいなと思った。

 

翌朝と言うべきか、十時間後と言うべきか。昼夜の感覚がないこの秋芳洞の中では、数時間後という他無い。今が昼か夜かも分からないのだから、それは仕方がない事だ。行きがけにこっそり自衛隊員の腕時計を見ると、二十三時三十分となっていた。一応世間一般では、真夜中という事になるわけだ。

着替えてテントを出ると、仏頂面の武装職員と自衛官が帯銃して待っていた。地面の上に直に出した机の上で、徳永と老教授は向かい合って座っており、ああでもないこうでもないと談義していたが、真花が起きてきたのを見て咳払いして振り向いた。

「おお、真花嬢ちゃん。 此方へ座れ」

「……」

「どうやら何とかなりそうだ。 お嬢ちゃんがメモしてきたあれだがな、どうやら端末装置らしい。 文字自体はオーソドックスな物だから、操作も分かる。 多分これで、あの扉を開けるだろう」

「しかし、戸を開けるときに内部の防御機構が動くかも知れない。 その危険を今考慮していた所だ」

改めて思う。此奴らは分からない。お爺さんの方は、真花が情報を持ってきてから、態度が柔らかくなった。だから、研究第一で、それに役立つかどうかが全ての判断基準なのだろうという事は分かる。しかし徳永は、何が原因で怒るのか全く分からなくなってきていた。今も心配する言葉に嘘はなかった。俯き加減に唇を噛む真花に、血液パックを渡して徳永は言った。

「傷はもう回復したか? 今後のためにも、飲んでおけ。 AB型だ」

それは、吸血鬼が最も美味しいと感じるタイプの血液型であった。毒でも入っているのではないかと真花は疑ったが、しかし空腹は押さえがたい。

一般的に、吸血鬼は血を飲まずとも生きていける。生体維持のための栄養は血液ではなく普通の食物から摂取するのである。しかし血液の摂取は欲求の一部であり、それを押さえる事は精神的な拷問を意味する。事実、百年以上血液摂取を我慢した結果、廃人になってしまった同胞もいたという。血液パックに口を付ける。確かに新鮮なAB型だ。しかも丁度いい人肌に暖めてある。

体の中に力がみなぎる。ずっとだるかった体が、芯からぽかぽか暖まる。大きく息が漏れていた。咳払いして、老教授が言う。

「やはり嬢ちゃんは吸血鬼なのだな」

「……人間だったら、こんな仕事に無理矢理狩り出されてません」

流石にかちんと来たので、そう言い返す。流石に鼻白んだ教授に比べて、徳永は全然応えている様子もない。

「今のうちに体を温めておけ。 今日はあの戸を開けた後、可能なら更に奥まで行って貰う」

案の定、淡々と言う徳永の言葉に憐憫やら後ろめたさやらは一切感じられなかった。それも癪だったが、その言葉が正しい事が更に癪だった。むすっとしながらストレッチをするうちに、遺跡の中に入るように指示が飛んできた。

 

複雑なスケッチはコピーされ、様々な検証を加えられ、真花の手に戻ってきたときには正確な図面に変わっていた。複雑な模様の形状から、どうしても大きく成らざるを得なかった図面が、コンパクトかつ細密に纏められている。しかし、感心する暇はない。後ろでは、銃を構えた仏頂面の男達が、遺跡にはいるように促しているからだ。

遺跡にはいると、またあの違和感が襲ってくる。胃がむかむかする。昨日はなかった感覚だ。なんだか、さっき飲んだ美味しい血の様子がおかしい。ひょっとすると、このファラオ粒子は人血をどうにかして変質させる物なのかも知れないと、真花は思った。沢山落ちている瓦礫を避けたり乗り越えたりして、昨日酷い目にあった場所までたどり着く。この遺跡、構造的には非常に単純だと言う事だから、この後転がる岩に追いかけられて彼方此方走り回るとか、鉄砲水に流されかけるとか、そういう事態は避けられるかも知れない。避けられる、ではなく、かも知れないなのが悲しい所だ。最悪でも、またせいぜいレーザーで腕に穴を開けられるくらいだと、自分を慰め、全く慰めになっていない事に気付いて愕然とする。まるで一人コントだと思って、大きく嘆息した。そういえば、同じような顔に見える級友から、真花って大ボケだねと、時々言われていた事を今頃思い出す。

途中からカメラを外して、匍匐前進で進む。子供の頃、コミュニティ内で鍛えられたのだ。昔は何の邪気もなく子供の吸血鬼に混じってきゃあきゃあ匍匐前進をしていた物だが、その意味を知っている今では笑えない思い出だ。頭にレーザーを貰ったら流石に面白くない。出来るだけ危険は避けるべきだった。

たどり着くと、こわごわ模様が刻まれた壁に触れる。教授に指示されたとおり、何個かの模様に触れてみると、それらは妖しい光を放った。内側から滲み出してくるような光で、スケルトン式に内部の構造がうっすら見える。綺麗だが、感心している暇など無い。

「どうだ、反応は?」

「言われたとおりの反応が返ってきています」

「よろしい。 端末の動力は生きているようだな。 次はだな、言ったとおり、順番に模様に触れるのだ。 14.7.6.9.11……」

事前に対応表が渡されていたので、作業は問題なく進んだ。というよりも、間違えたらレーザーが飛んできかねないので、怖くて怖くて、迂闊に失敗できない。三十七個の模様を押し終えると、ポーンと木琴でも叩くような音がした。慌てて後ずさって、頭を抱えて地面に臥せる。やっぱりレーザーはいやだ。

「何だ、今の音は」

「し、し、知りません!」

あのレーザー発射音はしない。こわごわ顔を上げると、模様のあるあたりがぴかぴか輝いていた。どうやら成功したらしいと、技術面ではちんぷんかんぷんの真花にも分かった。戸が開かないか膝を抱えてぼーっと見ていた真花の前で、立て付けの悪い家のように、ギシギシいいながら戸が開いていった。

「戸が開いたのか?」

「……はい」

「よし。 ヘルメットを付けなおして、内部の偵察を続行しろ」

やっぱり分からない。安堵が徳永の声に混じっているのに気付いて、真花はそう思う。レーザーが出る辺りにカメラが向かないように念入りに注意しながら、空洞になった戸を通る。懐中電灯を、奥へ向けて、そして固まる。何があったか、脳が判断できない。思考停止状態は、十秒以上続いた。

「下がれ、下がれ!」

全身を冷や汗が流れていく。顎を伝った汗の粒が、水滴となって地面に落ちて、弾けた。奥には大きな何か固まりが見える。そして至近でライトに照らされたのは、ミイラだった。目を剥き、口をかあっと開けて、此方を睨み付けている乾涸らびた死体だった。腐敗臭はしない。ぺたんと尻餅をつく。全身を震えが覆っていく。ゆっくり見上げても、其処にはやはりミイラがあった。そして戸が不意に開いた影響からか、それは前のめりに倒れ、抱きつくように真花にもたれかかった。埃が舞う。ミイラの首が折れて、頭がボールのように転がった。ごとん。ころころころ……。

「い、い、い、い、い」

「早く下がれ! 危険があ……」

いやああああああああああああああああ! ぎゃあああああああああああああああああああああああっ!

どちらかと言えば小声で、あまり絶叫する事もなかったのに。自分でもこんな大きな声が出たのだと、真花は後で驚いた。そのままレーザーの時よりも早く這いずって、今度はすぐ開いた自動ドアをこじ開けて、遺跡の外まで飛び出すようにして逃げる。そのままテントに突っこみ、布団の中に飛び込んで、頭を抱えて震える。

森の事を考える余裕すらなかった。もともと臆病な真花は、あまりにもショッキングな代物を見せられて、一時的に脳が暴走状態に陥ったのである。臆病な子があまりにも大きな恐怖にさらされた結果、死にものぐるいの反撃に出たのと似たような状況だ。強烈な嘔吐感が胃からせり上がり、折角飲んだ血を布団に吐き戻してしまう。爆発した動悸は、落ち着く気配も見えない。

「もういやああああああ……」

涙が、酸っぱい匂いのする布団に染みこんでいく。嗚咽は後から後からこみ上げてきた。

 

4,紫水晶の墓場

 

目が覚める。まだ胃がむかむかする。どうしてか自分がまだ生きている事に気付いて、真花はぎゅっと布団を掴んだ。昨晩の失態からして、寝ている間に殺されてもおかしくない所だったのだ。感傷にふける余裕など無い。今だって、いつ殺されるかも分からない。

「起きろ」

背中に銃が突きつけられ、最後の時が来たのかと真花は思った。でも、最後の希望をかけて、布団の中からもそもそと起き出す。視線の先にいたのは、帯銃した武装職員だった。彼は視線をずらし、つられて真花も視線を移すと、着替えが置いてあった。

「着替えたら外に出ろ。 任務の続きに入って貰う」

「……人でなし」

「命令は伝えた。 もたもたするようなら、此方も処分を検討する」

どうやら処刑はないようだ。しかし、脱力は出来ない。それを言われると弱いからだ。自分に対する恐怖で錯乱したというのに、森の事を出されると、優先順位の差から動かざるを得ない。あの子には幸せになる権利があるはずなのだ。体が弱くて、同胞のやっている病院で過ごすばかりだった森。そんな境遇なのに心優しくて、思いやりがあって。あの子は真花の宝物だ。だから守らなければならない。

着替えてテントを出ると、再び机について教授と徳永が話しこんでいた。無言のまま徳永が血液パックを差し出すが、首を横に振る。代わりにカレーが食べたいというと、少し考え込んだ後、隊員達が食べているカレーを少し分けてくれた。吸血鬼だというのに、情けない話だが、今は栄養を付けるのが先だ。カレーは味気なかったが、野菜が多めに入っていて、栄養だけは立派だった。無言のまま、しゃくしゃくとカレーを口に運ぶ。体が貪欲に栄養を要求していて、今はそれに応えるのが何よりも先だった。血は一ヶ月に一回二百ミリリットルも飲めば、理性を維持できるのだ。

「昨日は災難だったな、真花嬢ちゃん」

形容しがたい口調で、老教授がいう。

「こういう商売をしていると、死体なんて見慣れておるからなあ。 わしにしても徳永にしても。 だが嬢ちゃんからすれば、あれはショックが強かったか」

「ごめんなさい。 思い出させないで」

「そうもいかん。 あれを今から回収してきて貰う」

そういって、老教授は皺だらけの後ろ手で、たたまれたシーツを指した。あれで包んでミイラを回収しろと言う意味なのは、真花にもすぐ分かった。

「本来は気密状態だった部屋を放ったらかしにしているだけでも心苦しいのだ。 それを、探索用のアームが機能不全に陥ったと言うから、スタッフ一同我慢して回復を待っていただけにすぎない。 まあ、幸いファラオ粒子が満ちている以上殺菌性は高いから、一日や二日で資料がパーになる事もないだろうが、それでもあまり長くは待てん。 カレーを食ったら、すぐに中へ赴け」

分からない。真花には分からない。信頼しかけていたのに、それを裏切られた気分だ。やはり老教授の言葉にも、何かとてつもない冷酷な響きが混じっている。徳永にしても、何か異様な冷気が言葉の節々に感じられる。交配が不可能だとは言え、血液を摂取すると言うだけで、人間はこうも冷酷に差別できるのだなと、真花は思った。基本的に、徳永は普段から冷たいが、根本的な所で道具に対する心配が入る。それに対して、教授は普段こそ優しいが、真花の命など何とも思っていない節がある。どっちがましだという話ではなく、どっちもいやだと真花は思う。

薄暗く、気持ち悪い遺跡の中に足を運ぶ事三度目。紫水晶に覆われた美しい遺跡だと思っていたのは、もう過去の話だ。レーザーは飛んでくるはミイラは転がってくるわ、二度とこんな遺跡入りたくない。人質が取られていなければ、誰がこんな遺跡に入るものか。老教授をギロチンにかける様子を想像しながら、真花は遺跡の奥へと歩を進める。そして、自動ドアの奥にはいると、いやなものが早速目に飛び込んできた。倒れて、首が千切れたままのミイラだ。血が引く。足下がふらつく。我慢だ、我慢だ。言い聞かせて、出来るだけミイラを見ないようにしながら、まずは頭をシーツに包もうとする。だが、上手くいくはずもなく、首は無惨に転がった。ひいっと悲鳴を上げるが、逃げるわけには行かない。おどおどしながら、再び首をシーツで包もうとする。その過程で、嫌でもミイラを見てしまう。

無惨な亡骸の頭髪は残っておらず、そして口元には特徴的な犬歯があった。はて。何か不思議な感触だ。吸血鬼の多くは、発達した犬歯を持っている。真花も例外ではなく、吸血の際にはそれで人間の肌を傷付け、流れ出た血を啜る。このため、幼いうちにコミュニティ内で、笑うときもあまり大きく口を開けるなと仕込まれるものだ。このミイラの口、ひょっとして……。吸血鬼、か?いや、人外種の中には、牙が生えているものは少なくないと聞くし、安易な判断は危険だ。頭部に入っている特徴的な亀裂も気になる。まるで陶器か何かを落として割ってしまったかのような、嫌に切れ味鋭い亀裂が入っているのだ。

「どうした、早く持ち帰れ」

「分かってます! 今包んでます!」

「レーザーが飛んできてもしらんぞ」

「いやなこと言わないでくださいっ!」

包んで持ち上げた頭は、どうしてかとても軽かった。頭を持ち帰ると、すぐに研究スタッフが慎重な防腐処理を施し、何処かへ持っていく。教授はうずうずしながら、少し休みたいなと視線で訴えかける真花に、口の周囲に零れた涎を拭きながら言い放った。

「うへへへへ、早く残りの部分も持ってきてくれ!」

おぞましすぎる。その顔を見ているのが嫌で、回れ右。結局バラバラになったミイラを三回に分けて持って帰り、その度に変態教授のおぞましい言動を目にする事になった。ミイラを持ち帰るときに、苦労して開けたあの扉が閉じたので、自動ドアみたいなものなのだと真花は思った。ロックが掛かっていただけで、原理は他の扉と同じなのであろう。再び休みたいなと視線で訴えかけるも、すぐにまた中の探査に戻るようにと言われ、肩を落として遺跡に戻る。慣れとは恐ろしいもので、あれほどレーザーが怖かったのに、何度か往復するうちに封印されていた扉も怖くなくなっていた。戸がスライドする。レーザーが出る事もあるし、動力は元気いっぱいだ。

「入れ。 中をライトで照らせ。 注意しろよ」

「……私をモノ扱いしているか、心配しているか、どっちなんですか」

「前にも応えたはずだがな。 無駄口叩いている暇があったら、早く入れ。 マスクを忘れないようにしろ」

確かに、中から漏れてくる空気は酷く埃っぽい。一歩、二歩、踏み出して、三歩目の事だ。じゃりっという音、ばきりと言う音。何かを踏み折った。こわごわライトで下を照らすと、嫌な予感は的中した。考えてみれば、ミイラが戸にもたれかかっていたのだし、中はこうなっていてもおかしくなかったのだ。

内部は死体の山だった。ミイラの原形を残しているもの、そうでないもの、無数の屍が散らばっている。紫水晶の床の上に、埃と、沢山の骨と。折り重なるようにして、或いは壁にもたれかかって。反射的に嘔吐しそうになるが、何とかこらえる。怖いのには何度も遭遇したし、ミイラをシーツで包んで持って帰ったほどだ。悪い意味での耐性が出来てきている。生唾を飲み込んで、もっと奥へと歩く。入り口ホールよりもぐっと広いホールだった。ライトを向けても、最深部はどうなっているか分からない。中央部は山のように盛り上がっていて、巨大な、人間よりも遙かに大きな紫水晶の結晶があった。紫水晶は、真花もジュエリーショップなどをウィンドウショッピングした時に見た事があるが、非常に特徴的な結晶を作る。四方八方に伸びた薄紫の結晶が、ライトを向けると高貴に輝いた。

「其処は居住区だな。 しかし、どういう事だ……?」

「何が、ですか?」

「死体をよく見ろ。 それらは人間ではない。 吸血鬼だ。 古代種の、ロード級も混じっているかも知れない」

流石徳永、気付いていたか。真花もわざと黙っていたわけではないが、それにしても恐ろしい観察力は流石だ。如何に弱体化したとはいっても、人外を相手に生きているだけの事はある。辺りの死体も、さっきのミイラと似たような状況であった。中には真っ二つに割れているものや、骨や体の構造と関係無しに砕けているものもある。

「とにかく、近くにファラオ粒子発生装置の作動装置があるはずだ。 探せ。 それが見付かれば、お前の仕事は終わりになる」

「探せって言われても……」

「今までのパターンからすると、最深部に設置されている事が多いそうだ」

まだ奥に入らなくてはならないとは。何だかさっきから頭痛がする。

「言い忘れていたが、濃度が上がってくると、人間以外にもファラオ粒子は有害だ」

「それを早く言ってください!」

「無駄口を叩いている暇があったら、さっさと奥へ行く。 妹が死ぬぞ」

ストレートな脅し文句にぐっと生唾を飲み込んだ真花は、辺りの死体にごめんなさいと呟くと、奥へと歩を進める。耳鳴りがし始め、喉が無意味に渇いてきた。目も乾く。マスクをしているのに、咳も出始めた。

負けるもんか。呟いて、顔を上げる。最深部がやっと見えてきたのだ。これで森を助けられるのだ。負けるもんか、負けるもんか、負けるもんか。一歩ごとに、自分にいい聞かせながら、骨の野を行く。吐き気が喉までこみ上げてくる。だけど、負けるわけには行かない。

吸血鬼は再生能力を持つ反面、体内の臓器はそれほど強くない。心臓を貫かれなくとも、肺でも肝臓でも貫かれれば死ぬ。灰に血を垂らして復活するような、ゲームや映画の常軌を逸したヴァンパイアとは構造が違う。あんな怪物と違って、人外ではあっても生き物なのだ。だから怖いし、逃げ帰ってまた布団の奥に潜り込みたい。同胞には悪いが、こんな地獄のような場所からは一刻も早く出てシャワーでも浴びたいのだ。でも、やらねばならない事がある。それがある以上、今逃げるわけには行かないのだ。

見上げるように大きなコンピューターが、最深部にはあった。古代の産物のはずなのに、コンピューターだと一目で分かる。周囲にはよく分からない機械やらコードやらがごっちゃになっていて、大量の埃をかぶっていた。レバーもたくさんあって、入っていたり入っていなかったり。いつの間にか戻ってきたらしく、耳元から変態教授の声がした。

「おお、おお。 もう少し奥を映してくれ」

「早くして。 さっきから、体中がおかしいです」

「まあ、真花お嬢ちゃんは例え死んでも、もう防御機構が死んでいるから、後はロボットでどうにでもなる。 それにお嬢ちゃんがしんだら、用が無くなった人質も処分するって話らしいし、手を抜くなら勝手にしたらいい」

「……! 悪魔……っ」

そんな悪魔に従わなければならないこの身が呪わしい。カメラでまんべんなく周囲を映していく。体の力が抜けていく。動悸が徐々に激しくなっていく。手に異物感を感じた真花は、軍手の上から触れてみて、息を止めた。手の一部が、かちかちに固まっている!?

悪魔に命乞いをしても、尻の毛一本まで引き抜かれた挙げ句に捨てられるだけだ。奇声を上げながらもっともっとと繰り返す教授の声が、耳にやかましい。死んでも森だけは守らないといけないから、言う事を聞かざるを得ない、この状況が呪わしい。ごめん、森。お姉ちゃん、生きて帰れないかも知れない。異物感が体中に広がっていく。冷や汗すら流れなくなっていく。

「おお、分かったぞ。 中段、一番右のレバーを下に倒せ」

顔を上げるのさえ、だるくて難しくなってきている中、真花は周囲に視線を動かし、該当するレバーを見つけた。咳き込む。喉が焼けるように痛い。これだけ体中おかしくなっていると、再生できるかも分からない。真花だってお洒落は好きだし、着飾るのも好きだから、それはとても悔しい。手を伸ばす。肘の辺りから凄く嫌な音がした。皿が割れるというか、硝子の瓶が砕けるというか、ともかく体からは絶対にしないような音だ。体が一体どうなっているのか、怖くて確認する勇気など無い。レバーを握る。軍手の上からも、重厚さが伝わってくる。肩より少し高い位置にあるレバーは重い。埃が詰まって作動不可能になっている可能性もある。どうか動きますようにと念じながら、全体重を掛けて、真花はレバーを引いた。

レバーが折れるような事はなかった。砕けもしなかった。素直にレバーは下がった。代わりに、力を掛けた腕から異音が響いた。体がおかしくなったのは間違いない。あのミイラ達の有様が、どうしてか脳裏をよぎる。

「お願い……止まって……! 森を助けて!」

変化はない。モニタに崩れ寄りかかる。吐き気が止まらない。目を閉じて、上下に振り回されるような浮遊感の中、真花は念じる。

『お願い……止まって! 森を助けたいの! だから、だから……!』

モニターの、手が触れた部分の埃が拭われ、代わりに血が塗りたくられる。それもすぐに泡立ち、ぱきぱきといいながら固まっていく。軍手の上にしみ出すほどに、血が出ていた事も驚いたが、それよりも生じた理解が真花を動揺させる。そうか、分かった。このファラオ粒子って代物は、血液を凝固させるんだ。だから死に至る。だからもう、助からない。それを悟った瞬間、不意に真花の思考がクリアになる。覚悟が決まったからだ。

『私はどうなっても構わない! だから、だから……!』

『それは……本当だな?』

『え……?』

『代償無き力などない。 それでも構わないのだな?』

「構わないっ! 私、命なんて惜しくありません!」

何万秒にも感じられる沈黙を過ぎて、真花は体が軽くなりつつあるのを感じた。少しだけ聞こえた声の正体は、分からないまま、床に崩れ落ちる。体中の彼方此方が、ばきばきと音を立てた。足にはもう感覚がない。

「ファラオ粒子、検出量ゼロ。 おお、止まったぞ!」

イヤホンの向こうから歓声が聞こえてくる。終わった。これでやっと終わった。頭を撃ち抜かれるのだろうか。それともホルマリン漬けにされるのだろうか。生きたまま切り刻まれて内臓を取り出されるのだろうか。それとも、このまま砕け落ちてしまうのだろうか。せめて一瞬で楽になれるといいなと、真花は薄れ行く意識の中で思った。

 

5,結晶

 

暖かい光に包まれた場所。柔らかい地面。体を起こした真花は、自分が雲の上のような場所にいる事に気付いた。と言う事は、死んだのだろうか。どうみても天国だから。もやがかかった周囲の様子はよく分からない。遠くは見えない。乳白色の霧が全てを覆っている。

大きなため息が漏れた。森は殺されずに済んだだろうか。森の穏やかな声が聞こえませんようにと、念じながら周囲を見回す。幸い、森は周囲にいない。それが安堵に代わると同時に、周囲の様子がおぼろげながらに分かってきた。

第一に、辺りは霧に包まれているのではない。真花の視界にもやがかかっているのだ。しかし、人間に比べて高い再生能力を持つ真花は、あまりモチベーションというものを感じない。普段から(大したレベルではないとしても)自動的にベストに近い状態が維持されるため、アップテンポやローテンポという感覚があまりない。だからこそに、視界がこんな風に霞むのも初めての経験だった。そしてそれが、自分が相当に大きなダメージを受けたからだと気付く。身じろぎする。幸い、体はあまり痛くない。砕けてもいない。レバーを降ろしたときにしたような、嫌な音はしない。

柔らかい地面に触れてみる。シーツだ。周りが見えない理由も、視力が回復するに連れて分かってきた。病院の、白い壁だからだ。それに靄がかかり、天国にでもいるような錯覚が生じたのである。

一族の中では珍しく健常な体を持つ真花は、いつも後ろめたいと思っていた。病院に通いがちな森や、いつも咳をしていた母さん、顔色が良くなかった父さん。おじさんおばさんもあまり体が頑丈な方ではなかった。だから、こういう経験は味わった事がなかった。後ろめたいと同時に、何処かでみんなと一緒になりたいと思っていたのも確かである。だから、ほんの少しだけ、嬉しかった。

自分が殺されていないと言う事は、森はまだ無事だろう。まだというのが不安要素だが、今は取り合えず喜ぶ事にしておく。視力が回復するにつれて、辺りもよく見えてくる。自分が白衣を着ている事、窓もない白壁に覆われた部屋にいる事、蛍光灯がさんさんと輝いている事。そして気付く。此処は病室ではない?

それに気付いて、ようやく焦燥感がこみ上げてくる。体を動かすと、あの嫌な音こそしなかったが、妙な違和感がある。これはどういう事なのだろうか。体中に鎖か何かが巻き付いていて、全身の力が制限されているような感触だ。蛍光灯がまぶしい。……妙だ。影の色からして、そんなに強烈な光でもないのに、これはどういう事だろうか。

更に、妙な感覚はあった。喉がやたらに渇くのだ。水が欲しいのとは違う。性的な欲求にも近い、異様な乾きだ。これはまさ、か、血が、ほ、し、いの、か?

おかしい、おかしいおかしいおかしい。私は一体どうしたのだ。ベットから身を起こして、辺りを見回す。扉がある。ほっと一息ついた真花は、扉を叩いて誰かを呼ぼうと思った。そして扉を叩いた瞬間。

扉が内側から吹っ飛んだ。

あれ?

あれあれ?

どうして?

壁に叩き付けられた扉が、ひしゃげ、床に投げ出される。転がる。唖然として立ちつくす。血がざらつく。そう、血管の中を流れている液体が、ざらついているのがよく分かるのだ。警報の音がして、走ってくる武装した人間。あれ?おかしい。どうしてか、銃を持っているのに全然怖そうではない。軽快な音と共に、機関銃が発射される。いきなり発砲?いや、そうじゃない。だって避けようとした自分は、天井に張り付いていたのだから。あれ?どうして?全速力でも百メートル二十秒かかる私が、何でこんな事出来る?それでも数発の弾丸を喰らうけど、あれ?全然痛くない?分からないけど、逃げよう。逃げよう、逃げよう……。どうして逃げる?こんなの、逃げるに値する、相手、じゃ、ない……?

理性が吹っ飛ぶ。

血が飛び散る。悲鳴がまき散らされる。内臓が吹っ飛ぶ。コマ送りのように、何もかもが流れていく。あれ?なにこのホラー映画。頭が砕けて、脳味噌がばらまかれて。ヒメイヲアゲながら下がる男の顔面に抜き手が突き刺さり、頭蓋骨を抜いて向こうへ抜ける。その過程で弾丸を四発貰うけど、心臓と肺に入っているの、に、あ、あれ?全然痛く、ない?感覚が吹っ飛ぶ。ひくひく痙攣している八十キロはありそうな男を片手でつり上げると、そのまま首筋にかぶりつき、血を飲み……いや違う。食べ始める。ばりばり、ばりばり、ばりばりばりばりばりぼりぼりぼり、ぐしゃり。あ、あれ?私、わたしナニヲイッタイシテイルノ?あは、えへええ、へははは、うふふははははは。ばりばりぼりぼりぼり。

あ、そうだ。思い出した。例えどうなっても……力が欲しいと、願ったんだっけ。はははははははは、あははははははははははは。ばりばりばりばり。森、今行くよ、今助けにいくからね。あはははははははははははははははははは。

 

モニターで全てを見ていた徳永は、戦慄を隠せなかった。凄まじい変化だ。まさか、古代のロード級がこれほどの実力を持っていたとは。確かに非常に強力だが、これはまずい。今なら手に負えるが、理性を取り戻して力を制御しその上で暴走したら、ハンターが十人単位で殉職する事になる。現在確認されている最強の人外種を、更に一桁上回る実力だ。古代のハンター達が、ロード級を本気で殲滅した理由がよく分かった。映画のような伝染能力こそないものの、これは幾ら何でも危険すぎる。

そもそも今回の探索に明山真花を投入した第一目的は、政府の要請で強力な軍事兵器を作る事であった。濃度の高いファラオ粒子が弱体化したヴァンパイアを極限まで強化し古代の力を引き出す事は、真花の叔父叔母を始めとする無数のモルモットで実験した結果判明していた事であった。体内の血液の一部を特殊な結晶に変化させ、それを血液の媒介者として、全身の力を極限まで引き出すのだ。元々吸血鬼にはこの能力が備わっており、それを強制的に発動すると考えれば間違いない。リミッターが内側から吹っ飛ぶ結果、多くの場合理性も消し飛ぶが、ある程度長い年を生きれば理性を取り戻せるという。実験を行った個体は、いずれも強さを固定する事は出来なかったが、政府の馬鹿共の食指を動かすには充分だった。そもそもファラオ粒子そのものが、人類に押されていたヴァンパイアが、組織的抵抗が出来る内に切り札として作り出したものなのである。古代、まだ優れた力を持っていたヴァンパイア共が、自分たちの間からハンターに対抗できる力を持つものを産み出すために、一種の修行場を何カ所かに作った。その中の完成型こそが、今回発見された遺跡だったのだ。まだ調査中だが、どうも古代文明の発電場か何かを乗っ取り改造したものらしい。立てこもったヴァンパイア達は人間の攻撃を防ぐのと、最後の希望を産み出すために、ファラオ粒子で遺跡を充たしたのだろう。しかしそれは皮肉な結果を生んだ。設置した装置が強力すぎたため、中に立てこもったヴァンパイア達は誰も進化できずに滅びてしまったのだ。あの結晶化したミイラがその証拠。体内の順次結晶化には最適な速度というものがあり、それを越えてしまっていたのである。結果、血液の一部どころか、再生能力を超えて全身が結晶化してしまったのだ。古代のハンター達は、結局ヴァンパイアをほぼ殲滅し、彼らの記憶の中からも修行場の存在は消えて無くなった。政府の要請で、最強の生物兵器を作るというプロジェクトに協力したハンター組織が、徳永に命令して今回の事件を起こさせた。そして劣化し、適正のある真花に丁度良いレベルになっていた粒子が、彼女をロード級に進化させた。遺跡調査はあくまで仮の仕事。誇り高いハンターである徳永が作業に参加した、それが真相であった。上手くいかなければ、適正のある監視下ヴァンパイアを連れてきては実験するつもりであった。

煌々と異様な光を目にともした真花が、口を拭きながら、歩き始める。異様に膨らんだ腹が、見る間に引っ込んでいく。摂取した食物を超高速で消化吸収しているのだ。あれはもう真花ではない。人間の天敵だ。わざわざ警備を手薄にした甲斐がある。政府の馬鹿共はあの子を監禁した扉をわずか厚さ五センチの鉄板にし、かんぬきも付けなかった。逃げてくれと言っているようなものだ。確かにそれまでの身体能力から考えれば、過剰すぎるほどの警備だが、古代の資料を見てロード級の実力を知る徳永にはそれが自殺行為だとよく分かっていた。政府の処理能力を超えた暴走を起こさせる。それが誇り高い徳永が、ハンターの一族が政府の兵器実験などに協力した、真の目的。この計画の第二の目的であった。

愛用の武装をロッカーから取り出す。先人達が作り出した様々な対人外装備の数々。徳永が愛用しているのは二メートル近い剛剣であり、刀身に様々な呪文が刻み込んでいる。他にも様々な装備を身につけた後、トランシーバーの電源を入れる。信頼する部下達へ、最終命令を出すためだ。

「大虎、赤熊、鬼蛇、ヤマアラシ。 被害人数が百人を超えてから、組織が政府の出動要請を受ける。 それより目標の殲滅に入る」

「了解」

「目標の戦闘能力は見ての通り。 ドラゴンを相手にすると思え。 一切容赦は不要、当初より力を完全解放して向かうぞ。 ……以上。 武運を祈る」

現在ハンターの間で怖れられる最強の生物を比較対照に上げた徳永は、それだけ言ってトランシーバーを切った。部下に配置されたのは、ハンターの中でも生え抜きの精鋭達だが、油断は禁物である。監視カメラの中で、ぶれるほどの高速で動き回りながら、怯えて逃げ腰になっている武装職員を、真花が虐殺していた。

あれを殺すなり捕獲するなりして無力化したら、計画の第三段階に入る。政府に大きな貸しを作っておいて、それを盾に二度と人外種を生物兵器にする計画など考えさせないようにするのだ。古代の文明は、驕った人類が人外種を生物兵器として活用した結果、それの暴走に巻き込まれて滅ぼされた。各地の神話に残る神と悪魔の戦いという形で現されたそれを、再現させるわけには行かないのだ。今度こそ止めなければならない。昔は止められず辛酸をなめた、ハンターの一族の末裔として。

だが、徳永は知っている。真花がどんなに強い心で、遺跡の中で妹の無事を祈ったか。結晶化して崩れ行く体をも考慮に入れず、妹の命を優先したか。皮肉な形だが、あれは真花の強い精神力の結果だ。徳永は人外種を殺す事を何とも思っていなかったが、それとは別に武人としての心も持っていた。だから、彼は呟いていた。

「……生き残れよ」

徳永は歩き出す。惨劇の場へ。この計画を終わらせるために。偽善だと分かっていても、その言葉を呟かざるを得ない自分の甘さを振り切るように。

 

病室で、明山森は目を開けた。何か不意に眠くなったような気がするのだが、何故そうなったのか覚えていない。病院にいる事自体は違和感がない。意識を失って、気が付いたら病院だったというような事には慣れている。体の節々が痛い。大きく欠伸をしながら、清潔なシーツの上身を起こす。そして、気付いた。

いつも病院食が置かれるサイドテーブルの上に、見慣れない物が置いてあるのだ。こぶし大のそれを手に取ってみると、凄く軽い。綺麗な紅い色をした、何かの結晶であった。形状は球で、殆ど凹凸はない。すべすべしていて、光を当てると虹色に輝く。触れると、凄く暖かかった。そして懐かしかった。

窓の外を見る。何事もないように雲が流れ、何事もないかのように人々が行き交っている。何故か不意に悲しくなって、涙が一筋頬を流れ落ちた。

その意味を、森は悟る事が出来なかった。

 

(終)