根の国が動き出す

 

序、最古参の最暗部

 

中学二年に燐火はなった。日女さんは高校生になったようだが、外では相変わらず男の子みたいな格好をしているか、巫女装束かの両極端のようである。菖蒲さんは大学に行かずに、そのまま尼になったそうだ。

正確にはあいている寺が一つあったので、其処の住職になったらしい。

仏教系の大学もあるらしいのだが。

わざわざ其処に通わなくても充分なくらい知識があるので、住職を任されているそうだ。

一神教ですらミサに若者が来ない時代だ。

専門知識があって。

住職をしてくれる人間は、今は歓迎されるのである。

そういう観点では、菖蒲さんは既に社会人と言う訳だ。

まあその寺の前の住職がろくでもない輩だったこともあって、逮捕された後は早々にまっとうな人が来てほしいという事だったのもあるそうだが。

エヴァンジェリンさんとカトリイヌさんは元々社会人として暮らしている。ただ二人とも、もう背は伸びないようである。

燐火としては、黙々と中二の生活に慣れるだけ。

ちなみに一年で入ってきた不良は、最初の一週間で全部黙らせた。

既に燐火の事は、周辺では破壊神として定着しているらしい。はっきりいってどうでもいい事である。

最近では反社に対する不審事件ばかり起きると言うことで、燐火の住んでいる街からは反社も半グレもどんどん撤退しているようだ。

カスがいなくなるのはとても良いことである。

それはそれとして。

帰りに、ダイモーンが出現。

皆と別れてから、さっさと着替えて、現場に急ぐ。

中一の頃からそうだったが、どうしても二次性徴もあって胸も大きくなってきたということもある。

白仮面は女だ。

そう言われるようになってきているようだ。

都市伝説の伝播は割と侮れない。

それもあって、SNSなどでは白仮面という都市伝説が、一部でおもちゃにされ始めているらしい。

ファンアートまで出始めていて。

それには妄想と欲望を隠していない品も結構有るのだ。

燐火もそれを見て、思わず無言になるしかなかった。

鎧でも着るかな。

そう思いながら走る。

「雑念は捨てろ、燐火」

「うん。 昨日見た色々アレなイラストを思い出すとちょっとイラッとしただけ。 もう雑念捨てた」

「そうだな。 切り替えが大事だ」

ケルベロスのナビに沿って走り。

現地に到着。

最近では、情報通の小川先輩の事もあって、周囲の事を理解し始めている。ダイモーンが絡みついている場所がどういう場所なのかも、知識を増やしていた。

ダイモーンはそれなりの大物だ。

だがこの間、狼王ロボを倒してから、更に一回り地力が上がった。

もうヘラクレスさんに頼る相手じゃない。

即座に聖印をたたき込む。

繁華街のパチンコ屋に絡みついていたダイモーンは、まるで毛虫かなにかのようだった。それをまとめて聖印で消し飛ばす。

たくさんいるように見えるが。

あれは実際には全部が一つのダイモーンだ。

聖印を切って爆破していくと、大量の悪運がコールタールのようにあふれだし。苦痛に、ダイモーンが凄まじい悲鳴を上げる。

それらがまとまっていく。

そして、巨大な蛾になって、羽ばたこうとした。

だが、燐火が聖印を切り、破壊していく方が早い。それもあって、翼を砕かれた蛾が、パチンコ屋に墜落。高く飛び立てずに、激しく地面にたたきつけられていた。

ダイモーンが破裂する。

それにしても、随分と悪運をばらまいているものだな。

パチンコ屋はろくな評判を聞かないが、まあこの様子だとはっきりいってあまり良い店ではないのだろう。

まあ小川先輩いわく、この辺りろくでもないパチンコ屋がいくつもあるらしいので。その一つというわけだ。

これは多分潰れるな。

そう思って、悪運を祓う。

浄化についても、ささっと終わらせることが出来た。

後はレポートだ。一応日女さんと菖蒲さんもいる、グループには連絡を入れておいた。

ダイモーン駆除完了。

レポートはこちらで書くと。

了解のスタンプが帰ってくる。

頷くと、燐火はさっさと着替えて家に戻る。

家に戻ると、杏美の世話、買い物などを確認。それからルーチンに入る。

空手のルーチンを学校でこなせるのは楽でいい。剣道、合気、柔道のルーチンを淡々とこなし。

更には学問の方もやっていく。

大学受験を想定した勉強をやっていくが、やはり記憶ばかりだ。

知っている方が有利。

それは本当に能力を測れる基準となるのだろうか。

口ばっかり達者な輩ばかりを集めても、どうせ何も出来ない。それについては、実行してきている燐火がよく知っている。

知識があるのはそれはそれでいい。

無駄になる学問なんか一つだってない。

だが、円の中に複雑な三角形の図形だのを書いて、面積を求める方法とかを執拗にやらせたり。

積分や微分ならともかく、実際に使う可能性がない微分方程式だのの、しかも解き方が複雑なだけのものをこねくり回してテストに出して。それを解けることに何の意味があるというのか。

涼子は軽く解けるようになってきているようだ。

この間、自分の上にいた奴をついに抜き去ったらしい。

ただし、三年にはまだ更に出来る奴がいるので、それを超えることが現時点での目標だとか。

涼子が司法試験を突破したら。

少しでもこの国は良くなる。

そう考えて、燐火も公務員試験に備える。

ちなみに大学に行きたいことは、おとうさんとおかあさんに話してある。それについて、おとうさんは少しだけ苦笑いをしていた。

燐火の年頃は。

イケメンのアイドルだのにキャーキャー騒いだりとか。

友達と一日中馬鹿話をしていたりとか。

同級生と恋愛ごっこをしたりだとか。

イキった挙げ句に馬鹿みたいな寝言を言っていても良いのだと。

燐火は、あまりそういうのには興味を持てない。

だから、生き急いでいると言われても。

苦笑いしか出来ない。

表情筋がどうしても訓練できないが。

それでも、苦笑いは浮かんでしまうのはどうしてなのだろうとも思う。

おかあさんは、公務員試験について、いくつか教えてくれるが。キャリア警官はやめておけとだけ言っていた。

まあ、燐火もそうだろうなと思う。

キャリアと言われる警官は警部補から開始され、普通の警官は出世しても警部補止まりであるのが、いきなりそこから開始される。

学閥閨閥色々なろくでもない派閥、腐敗、その他様々。日本の優秀な末端の警官の足を引っ張るカスどもだと。

真面目に頑張れば頑張るほど馬鹿馬鹿しくなる。

出世のための試験とコネ作りにだけうつつを抜かし、犯罪を解決するよりも出世を優先するようになる。

それがキャリア警官であるらしい。

まあ、燐火もそれには興味はない。

公安の魔祓い部署に入るつもりだと言うことは、日女さんにも菖蒲さんにも伝えてある。林西さんも知っている。

これについては、燐火の現状の学力と魔祓いの実力から考えて、三つ指ついて迎えてくれるだろうと言う話だが。

それはそれとして、燐火は実力でしっかり入るつもりである。

誰にもああだこうだ言わせるつもりはない。

実力で全てを切り開く。

おとうさんとおかあさんは随分燐火を支援してくれている。それに答えたいという気持ちも、勿論ある。

ともかく勉学を終わらせると。

杏美を預かって、遊び相手になる。

家の中を歩き回れるようになってきた杏美は、色々しゃべれるようになってきたが、まだまだ片言だ。

ねーねと言われると悪い気分はしないが。

おかあさんが最初に何回か敢えて失敗させる事を提案して。

自分が失敗したときは、自分のせいだと理解させるようにも教え込むようにしている。

このくらいの年から、泣けば許されるとか勘違いする子供もいるし。

親に甘えてそれで何でもしてくれると悪い成功体験を積む子供もいる。

そういうのはさせない。

そろそろ公園デビューというのをする時期かもしれないが。

まあ燐火はそれを判断はしない。

おとうさんとおかあさんがあいている時間で相談しているので、それを時々聞くだけである。

今の時点では。

燐火は二人の意思決定に逆らうつもりはない。

それに、燐火の未来を好き勝手にさせてくれているのだ。

これ以上、ああだこうだいうつもりもなかった。

燐火は色々この年になって分かってきたが、それほど強欲ではないのだ。別に自分に対して、こうしたいという強烈な欲求はないし。何かをほしいと熱望することもない。

多分、そういう観点では。

純粋戦士としてはむいているが、学者にはむいていないだろう。

勉学も終わったので、宿題もやっておく。

こちらは復習として大事だ。

中二の勉強なんてもう通った道だが、だからこそできるだけ丁寧にやっておく。英語のリスニングヒアリングは得意ではないが。

これはカトリイヌさんが前に色々アドバイスしてくれた。

カトリイヌさんは複数言語をしゃべれるタイプだが、時々自国語を忘れてしまったりするらしい。

これはどうしてもあるそうで。

外国語を専門に扱う大学の教授クラスでも、七カ国語をしゃべることが出来る人間はそう多くはないそうだ。

杏美を風呂に入れさせるのは、燐火がやる。

これについては、そろそろ任せてもらえるようになった。

杏美はまだまだ当然風呂に沈むと死んでしまうので、とにかく気をつけてみていかないといけない。

ちなみに活発に動き回ってはいるが、ケルベロスが見たところ正直運動ではあまり期待できないそうだ。

ただ今のうちから基礎体力をつけておけば、色々と状況も変わるだろう。

燐火はそれが出来なかったから、凄く苦労した。

杏美は少しでも苦労は減らしてあげたいと思っている。

風呂から上がって、後は食事をして。それで寝る。

その日は、それで終わった。

 

翌日。

学校に向かう最中にダイモーンが出現。即座に対処に向かう。

まあ学校と言っても部活の朝練とかはないし、ダイモーンが出ても間に合う時間に出るようにしている。

転ばぬ先の杖と言う奴であるが。

こういうことわざを使うことは滅多にない。

学校でも基本的に必要なことしか喋らないが。このためクラスの空気がいつも張り詰めている。

ちなみに二年から鈴山さんと一緒のクラスなのだが。

鈴山さんは、燐火がいて助かると言っていた。前はやはり変な男子に絡まれることが多かったようだし。

現在では燐火と話していると、その手の輩が即座に逃げていくそうである。

「破壊神とつるんでいる」とか言われるそうで。

それだけで、男子も、見かけで判断して変な嫌がらせをしてきた女子も近づきさえしなくなったそうで。

大変快適だそうだ。

ともかく、学校に出る前にダイモーンを片付ける。

ただ、ダイモーンはさっと始末したのだが。

その場に、即座に知らない奴が追加で現れていた。

なんだ此奴は。

老婆、のようだが。

とにかく姿がおぞましい。手足がひたすらに細く長く、爪も伸びている。それに感じる気配。

これは、相当な凶悪な魔だ。

「この国の冥界関係者か? 仏教系ではないようだが……」

「……死ね」

いきなり、間を詰めてきた老婆が、爪をたたき込んでくる。

即座にはじき返しながら、間合いを計る。

鋭い雄叫びとともに、連撃を仕掛けてくるが。燐火は冷静に間合いを計りながら、一撃を回避。

既に日女さんに連絡は入れてある。

程なく来るはずだ。

数合やりあったが、強いな此奴。

かなり古い悪神か。見た目、ただの細い老婆にしか見えないのだが。顔も、よく見えない。いや、顔がないのか。

違う。

顔を上げたときに、理由が分かった。

目も鼻も口もなく、顔にはただ空白があった。

また叫ぶと、躍りかかってくる。

もっとおぞましい姿の魔とは散々やりあった。激しく火花を散らしてやりあうが、程なく日女さんが来る。

そして、躊躇なく、祝詞を唱え始める。

それを聞いた老婆が、悲鳴を上げて苦しみ始めたので、胴に一発入れる。吹っ飛んだ老婆は転がると、地面に沈むように消えていった。

「怪我はないか」

「問題ありません。 あれは」

「……とんでもない奴が出やがった。 あれは予母都志許売(ヨモツシコメ)だ」

「!」

聞いたことがある。

これでも神話については調べているのだ。

伊弉冉尊と伊弉諾尊の逸話に登場する冥界の存在。

死んでしまった妻である伊弉冉尊を黄泉に迎えにいった伊弉諾尊だが。黄泉の神々に帰って良いかの伺いを立てるから待っていてくれという妻の言葉を待ちきれなくなり、つい妻がいる場所をのぞいてしまう。

其処にあったのは。蛆が湧き、八つの雷の神にまとわりつかれた変わり果てた妻の姿だった。

伊弉諾尊は大慌てで逃げ出すが、それを追跡したのが予母都志許売である。日本神話において、天照大神、月読尊、素戔嗚尊の三貴神の親である伊弉諾尊を追い回すほどの、強力な冥界の走狗。

それがあの予母都志許売だというのだ。

伊弉諾尊は身につけていたものを投げつけて、それらから生じた果物などを予母都志許売が食べている間に逃げ出したという話があり。

それは黄泉であるという地理的不利があったとしても、伊弉諾尊が勝てなかったほどの相手と言うことを意味している。

はっきりいって、地獄の獄卒の鬼なんかよりも余程邪悪な存在で。神々でも安易に逆らえないほどの強力な存在。それが予母都志許売なのだ。そもそも仏教の地獄の鬼はただの公務員に過ぎない。怖いように見えるのは、罪人に侮れられないためなのだから。予母都志許売は鬼とは完全に立っている位置が違う存在だ。

「俺も相手の黒幕の顔は見ているから、日本神話系だというのは分かっている。 だが、日本においてあれが出てくるというのは相当に危険な事態だ。 日本での黄泉は基本的に仏教系が普及して、伊弉冉尊が支配している根の国は既に日本人にとってなじみではなくなっている。 だからこそ、その住人には対処が難しい」

最悪なのは伊弉冉尊自身が這い出してきた場合で。

下手をすると、一線級の魔祓い達全員でも対処できないかもしれない、という話を日女さんがする。

燐火もそれはまずいと思った。

「今までにそういう事態はあったんですか」

「江戸時代に一度あったらしい。 俺が聞く限りだと、何かの大飢饉の時だそうだ。 その時は、当時日本にいた魔祓いの六割が戦死したとか」

「……!」

「その上大飢饉まで起きた。 それくらい、危険な事態だと言うことだ」

なるほど、日女さんの言葉には頷くしかない。

これは少しばかりまずいと言える。

ともかく、レポートを提示するしかない。

これが今暗躍している邪神の手の一つなのかは分からないが。

もしも予母都志許売を自在に操り、根の国の者達を好き放題に扱えるとなってくると。

追い詰めたどころか、相手は余裕綽々ということになる。

ただ、それだとおかしいという結論も出る。

狼王ロボと連携していれば、それこそ簡単にこの国くらい、いや世界レベルでの大破壊を引き起こすことが可能だったはずだ。

どうしてそれをしようとしなかった。

狼王ロボは言った。

価値観の変遷を引き起こすことが目的だと。

狼王ロボは人間の思想でゆがめられた。

ただ、狼の長として、静かに生きたかったのだと。そう悲しい心情を吐露していた。

邪神がまったく同じ事を考えているかは分からない。

しかしながらあれだけの知略戦を使いこなした狼王ロボが、全く違う事を考えていた相手と組んだとはとても思えない。

少なくとも見透かしていたはずで。

狼王ロボが背中を預けたと言うことは。

最悪でも、利害で邪神と狼王ロボは一致していた、ということを示す。

これくらいの思考は出来る。

ふうとため息をつくと。一度戻ることにする。

レポートは日女さんが書いてくれるそうだ。

確かに日本神話系の魔祓いから書いた方が良いはず。燐火はギリシャ系だ。予母都志許売の対処方法なんて分からない。

それに神話において予母都志許売は複数が出現しており、あれ一体で終わるわけがない。

家に戻る途中、ケルベロスが言う。

「北欧神話ではラグナロクの時に備えて、オーディンが積極的に戦争を起こさせて、英雄の死者を収穫する。 だが、ギリシャ神話ではその逆でな」

「そうなんだね」

「ああ。 死者が増えるのは、冥界の勢力増大につながるため、冥界の王ハデス様を警戒しているゼウスはあまり戦争が起きないようにしている。 そういう意味では、理詰めで戦争を防いでいるわけだな」

「……」

善人ではないとしても。

それで戦争が起きないのであれば、まだ北欧神話よりは発想がまともか。

ともかく、ギリシャ神話においても、冥界があふれ出すことは好ましいことではないのだとケルベロスはいい。

燐火も、先の予母都志許売の強さを見て。それはそうだろうなと、実感するのだった。

 

1、次の段階

 

流石に予母都志許売が出現したことにより、魔祓いの界隈は騒然となったようだが。それ以降は野良のダイモーンを片付けていくだけで、特に大きな事件は起きなかった。

かなり積極的に仕掛けてくる方だった狼王ロボと違って、邪神はそれほど手数を増やさず、一気に攻め込んでくるつもりらしい。

ともかく今は戦力の整備。

それが急務だという意見で落ち着いたらしく。日本神話系の魔祓いだけで、合宿をしているそうだ。

予母都志許売をはじめとする、根の国の存在への対策。

以前の伊弉冉の出現時に残された様々な教訓を使って、その対策を練る。

もしも伊弉冉が出現した場合には、下手をすると日本だけで一千万、世界で言うと十億単位の死者が出るパンデミックが発生する可能性すらあるようだ。

各国の魔祓いの機関もまずいと判断したのだろう。

それもあって、日本に精鋭を送り込んできているようだが。

まずは邪神の出方を見るしかない。

燐火は淡々とダイモーンを片付けていく。

そうして一月が経った頃、ヘラクレスさんが会いに来た。

魔祓いを終えた直後、側に降り立つ。

相変わらず見上げるような(五メートルもあるのだから当然だが)巨体である。燐火を見て、それでもヘラクレスさんは静かに笑うのだった。

「大きくなったな」

「ありがとうございます。 背がちょっとやそっと伸びても、ヘラクレスさんには届く気がしませんが」

「ハハハ、そうだな。 あの邪神はこのような事態をもくろんでいたのか。 狼王が倒れても、平然としていた訳だ」

「しかし、それには不可解な点も残ります」

二柱そろって動いていたら。

恐らく手に負える相手ではなかった。

それに、である。

考えてみれば、あの実力である。北欧神話の神々を全滅させたとき、狼王ロボと邪神が一緒に出てくる必要さえなかっただろう。

どちらかだけで充分だったはずだ。

楽観は戦場ではもっとももってはいけないものだ。

それについては燐火は教わっている。

必要なのは客観である。

つまりいけないのは主観であって。ましてや主観で相手を侮ることなどは、あってはならないのだ。

しかしながら、それが客観の場合は話が違ってくる。

孫子の言葉通り、敵も味方も客観的に分析して。それで戦えば、勝機は見えてくるのである。

「私が戦った感触では、あの邪神はとにかく守りに長けていた」

「守り、ですか」

「ああ。 私の攻撃でも倒しきれなかったほどだ。 いずれにしても、今後も少なくとも簡単に表に出てくることはないだろう。 この国の古い冥界を使って混乱を引き起こすつもりなのかは分からないが、もしも守勢に徹せられると厄介だぞ。 いつの間にか邪神の戦略的目標が達成されている、なんてことになりかねない」

「分かりました。 皆と相談します」

頷くと。

ヘラクレスはすっと消える。

無言で燐火は着替えて、家に戻る。その途中、ケルベロスが言う。

「ヘラクレスが押し切れなかったという話は聞いているが、守りに長けている、か。 あるいはオーディンのグングニルを防いだのも、その逸話によるものだったのかもしれないな」

「オーディンのグングニルは、北欧神話で巨人の体なんて一度だって貫いていないんでしょ」

「ああ、それはそうだ。 だとしても、必中必殺という逸話は神話ではそれなりのアドバンテージになる。 それがはじかれた挙げ句に、林西の不動明王に流れ弾となった。 それを思うと、手の内を調べない限りは、戦うのは得策ではないだろうな」

ケルベロスのアドバイスは的確だ。

燐火は家に戻ると、活発に動き回るようになっている杏美に迎えられた。もう歩くのは、ほぼ問題なく出来る。

ただまだ外を走り回らせる訳にはいかないか。

ベビーカーに関しては、おとうさんの親族に譲ったようだ。そちらで子供ができるらしいので。

それでいいと思う。

ただ、ベビーベッドはまだ杏美が恋しいらしくて、時々自分で上ってその中で寝ているので。

ベビーカーのあと、ベビーベッドはその親族に渡す予定らしい。

まあそれはいい。

顔がパンのヒーローのアニメがみたいというので、一緒に見る。今日はルーチンもこなしているので、そうしてあげる。

杏美は正義感が強いようで、顔がパンのヒーローが好きなようだ。

このくらいの年から性格はかなり別れてくるのだが。

この作品にしても、悪役だったりトリックスターだったりが存在していて。それらのキャラクターが好きな幼児もいるらしい。

話をまだ良く理解できていないのだろうが。

この顔がパンのヒーローは、わかりやすいデザインと、わかりやすいストーリーがとにかく大きい。

しばらくきゃっきゃと喜んでみていた杏美だが、一日一話だけと決めている。

これはたくさんみると飽きるからだ。

コンテンツが飽和している今の時代。

コンテンツにすぐ飽きる癖をつけると、ろくなことにならない。それもあって、おかあさんやおとうさん、それに燐火と一緒に杏美が顔がパンのヒーローを大事に楽しむ。そういう方針で、うちは決まっていた。

見終わると、色々とまだまだたどたどしい口調で、感想を言う。

話はまだよく分かっていないようだが、別にそれでいい。

幼児なんてそんなものだし。

大人だってコンテンツのストーリーなんて理解していない人間が幾らでもいる。

おかあさんが面倒を交代。

燐火は勉強に移る。

勉強に集中しているのを見ると、杏美はごほんと言い出した。それで、おかあさんが絵本を読んであげる。

まあ分からないでもない。

一緒のことをしたいのだろう。

子供の声は集中力で完全遮断できるし、おかあさんは杏美のことをとても丁寧に面倒をみている。

正直羨ましいが。

杏美に対して嫉妬するほど墜ちてもいない。

淡々と勉強をこなし。

その間にメールできた、日女さんからの情報展開に目を通しておく。

飛騨で予母都志許売が出現。

現地で魔祓いが対処にあたった。

一線級の魔祓いが出たので、対処は可能だったようだが。それでもかなり手強い相手だったようだ。

倒すまでにその土地がかなり汚染され。

浄化に一苦労だったらしい。

出現するだけでかなりの損害を起こす。

ろくでもない災害だ。

ケルベロスがはあと嘆息していた。

「冥界と言っても色々だ。 この国の古い冥界である根の国については調べたが、死者に対して救いの類いは全くないというか、そもそも設定されていないな。 これは古い時代の冥界特有の設定で、死んだら死者の国の住人になって終わり。 ギリシャ神話でもそれは同じだ」

「そうだね。 だから後の時代の信仰における冥界や地獄は、詳細に設定されたんだろうね」

「俺も冥界の番犬であるから、冥界を悪く言うつもりはない。 ただ、冥界がこれ以上恐れられるのは困るがな。 俺にも悪影響が出る」

「……」

ケルベロスが勉強中の問題について、其処が間違っていると指摘してくれたので、チェック。確かに間違っていた。

頭を掻く。

とにかく大学受験を想定している勉強をすると、本当にケアレスミスが響いてくる。問題なのはケアレスミスは絶対になくならないと言うことだ。

どんな人間でも、一定量の文章を書けば必ず誤字脱字が出る。

これに関しては絶対で、どんな天才でも例外はない。勿論人によって誤字脱字の量に変化はあるが。

それもあくまで個人差の範疇だ。

そう考えると、如何にケアレスミスを減らすかの技術が必要になる。

どれだけ精神修養を生かして集中しても。

こればかりはどうにもならないのが現実だ。

涼子にアドバイスを受ける。

涼子は既に六法全書を暗記する段階に入っているようだ。極めて分厚い代物だが、それでも暗記は必須だそうである。

それでいて学業もおろそかにしていない。

この子が最初に友達になってくれたのは、ケルベロスがお膳立てしてくれたとはいえ。凄く幸運だったのだと思う。

「私もケアレスミスはするよ。 だからできる限り素早く問題を解いて、それを二度チェックで対応するしかないかな。 それでも減らしきれないけど」

「なるほど、それしかないですか」

「それといい加減私にも敬語ではなくて普通に喋ってほしいなー」

メールでそんな言葉が飛んできて、うっと言葉が詰まる。

ケルベロスはふっと笑っていた。

「表情筋をもう少し動かせるようにする事に加えて、課題が増えたな」

「困った。 おとうさんとおかあさん相手でも、まだまだ気を抜くと敬語が出るのに」

「まあ、少しずつやっていこう。 武術や学問に関しては、燐火は明確に持っている側だ。 ただ、勘違いしている人間がいるが、持っている人間は何でも出来るわけではない。 むしろ持っている人間は、持っている分以上に欠落しているのが普通だ」

それは、なんとなく分かる。

世界史なんかを調べていると、偉人の異常な私生活とか性格とかがどうしても分かってくる。

突出した才能を持っている人ほど、それ以上にどこかが壊れているのが普通だ。

天才は何でも出来ると思っている馬鹿は。

例えばその天才が、ライフルで頭を撃ち抜かれても生きていると本気で思っているのだろうか。

そういうことだ。

天才でも出来ないことは出来ないし。才能が偏った者が天才と言われるのであって、それは必ずしも幸福なことではない。

ふうとため息をつくと、ともかく勉強を進める。

呼ばれが掛かったのは。

翌日だった。

 

やっと修理が終わった林西さんの寺に集まる。独立した菖蒲さんは別の寺から来ていた。ちなみに普段着だが。

高校を卒業してから、また一段と大人っぽくなったように見える。

日女さんも高校の制服で来た。

あまり似合っていないというか、髪とか整える気がないらしい。目つきも燐火以上に鋭いので、周囲の魔祓いが明らかに萎縮していた。

呼ばれたのは十人ほど。

燐火が見たところ、ほとんどは連絡要員だ。一人だけ、以前夏合宿で見た一線級の魔祓いがいる。

恐らくは、情報の横展開だろう。

予母都志許売の出現と対策について、説明がされる。

仏教系の魔祓いで対応は出来ないらしいが、仏の加護を使うことによって足止めは出来るらしい。

それを聞いて、ほっとする何人かの仏教系魔祓い。

ただし問題なのは、魔祓いにはどうしても日本神話系の魔祓いがいるということだ。

日女さんの他にもこの場に何人かいるが。

その中の一人が、挙手していた。

燐火と同年代らしい巫女さんだ。

燐火よりだいぶ背が低くて、実力も劣るようだが。

背が伸び続けている燐火は、既に同級生の女子の大半より背が高くなってきている。高校の頃には170を超えるだろうと言われていた。

「予母都志許売を祓うとなると、普通だったら数人がかりが必須です。 飛騨で現れた時も、熊を一ひねりで殺したという話が入ってきていますが……」

「泣き言をいうな」

「ひっ! すみません」

林西さんに言われて、首をすくめる巫女さん。

魔祓いとしての実績はあるようだが、流石にここ最近のダイモーン騒ぎから派生する、悪神や邪神の類との交戦は、色々と苦労しているようだ。

特に精神的な負担が大きいのだろう。

実際燐火達が狼王ロボとやりあった時も、他で魔祓い達が総力戦をしていたのだ。この人も、かなり厄介な獣の魔を相手に苦戦していたのかもしれない。

ただ魔祓いの待遇の良さ。

代わりの利かなさを考えると。

負担はやはり小さくないのだろう。

「公安と連携した自衛隊が、それぞれの魔祓いの連携をしやすいように調整をしてくれている。 それ以上は、各自で修練をして、魔祓いとしての実力を高めてほしい」

「分かりました……」

「一つよろしいですか」

「うむ」

挙手したのは、以前夏合宿で見かけた魔祓いだ。日本神話系の魔祓いだが、神主さんとはちょっとまた感じが違う。

なんというか、少し野性的な雰囲気だ。

修験道系かもしれなかった。

「元を絶つ必要があると思います。 邪神の正体と本丸を探り当てる必要があるでしょうね」

「邪神の正体は概ね見当がついているが、まだ話さない方が良いだろう。 もしも違った場合は、固定観念が邪魔になる」

「それは確かにそうではありますが。 どうせまがつ星でしょう」

「……そうだな。 その可能性が高い」

この人くらいの魔祓いだと。

まあそれくらいは分かると言う訳だ。

問題は次だ。

ケルベロスが探している迷子を、ほぼ……もう確定だろうけれど。その邪神が抑えている。

それをどうにかしない限り、ダイモーンはどれだけでも現れる。

ギリシャ神話系の魔祓いで、まともに戦えるのが燐火しかいない。ダイモーンを祓うのには、燐火が必須。

それが人間側の決定的な弱点だ。

「まがつ星が相手になるとしても、あの神格はあちこち居場所を変えています。 また、居場所を突き止めたところで、下手なことをすれば即座に返り討ちでしょう。 極めて厄介な相手ですよ」

「それは分かっている。 だが、この間の狼王は、フェンリルと連携していた。 それを考慮すれば、危ない橋を渡っているのは今更だ」

「……最悪の場合、この国の一線級の魔祓い全てが倒れる事態だけは避けなければなりませんが」

「分かっている」

菖蒲さんがデリバリーしたお菓子を出してくれる。

それを皆でつまみながら、軽く情報交換をする。

とにかく予母都志許売は食い意地が張っている。

日本神話では果物に釣られたが、この間飛騨で出現したときは、体重100sを超える熊を襲い、短時間で食い尽くしたという。

この食欲が人間に向けられた場合は、ひとたまりもない。

仏教における餓鬼もそうだが。

冥界の存在のダークサイドは、地上に出ると極めて危険な場合が多いのだ。

そもそも一神教の悪魔も、本来はこういった冥界、地獄のダークサイドの仕事をする天使と、異教の神を無理矢理合わせたものだったという話もある。

冥界のダークサイドは、本来の意味がどうであっても、悪人ですら恐れるような存在でなければ意味がない。

だから、どの神話でも恐ろしさを強調されるのだ。

ケルベロスが悪魔化されたことを考えると、燐火もそれはどうしても分かるので、複雑な気持ちになる。

しかもそれだけではない。

予母都志許売は最初燐火の前に現れた時。死ねと喋った。

ある程度の知能も働くとみていい。

ただの悪辣で、食い意地だけ張った狂獣ではない。

狙った相手を追い詰める知性もある程度はある。

そういう意味で、よくホラーゲームなどに出てくるような生物兵器くらいの性能はありそうだ。

「今の時点では人間を食い荒らそうとするような姿は見せていませんが、対策がいりますね。 限界集落にでも現れたら、文字通り対処が出来ませんよ。 最悪数十人単位で犠牲が出ます」

「それについては考えてある」

日女さんが挙手。

そして、いくつかの地点。

よもつひらさかであると伝承がある地点に、それぞれ仕掛けをすることを説明していた。

日本の各地に、冥界への道であるよもつひらさかであるとされる場所がある。飛騨にもそれがあった。

それらの近くに、予母都志許売が喜びそうな餌を配置しておく。

掛かったら、魔祓いが仕留める。

そうするしかない。

燐火の周囲は、基本的に連絡を緊密にして備えるしかない。

問題は、それで被害を減らせる、というだけだ。

あの邪神は、かなり狡猾な存在だとみた。

狼王ロボと綺麗に連携できていたと言うことは、要するに互いに認め合っていたということである。

互いに優れた知性を持っていたから、利害が一致していただけだったとしても、綺麗に連携がとれたのだ。

逆にフリッグはまったく連携がとれている様子がなかった。

フルーレティは知性はともかく、単純に独立行動をしていたように思う。

いずれにしても、あの狼王ロボと同格。

そう考えなければならないだろう。

咳払いすると、いくつかの手を考えておく。

そういえば、だ。

エヴァンジェリンさんと話をしておくか。

依然貰ったアイドル(お守り)だが、あれは結局燐火は使わなかった。

北欧系の神族とやりあうことになった魔祓い達は、あれのおかげでかなり命を拾ったらしい。

菖蒲さんや日女さんもそうで。

戦いの中であれが代わりになって、助かったそうだ。

燐火はまだ温存している。

北欧系の魔や神が相手ではないとしても。

それでも、使い道があるかもしれなかった。

とりあえず話し合いを終えて、解散する。

燐火は家に戻るが、色々厄介なことが起きている、としか言えない。二年になって、そろそろ中間試験だ。

カスみたいなスクールカーストは最初から存在しない。

スクールカーストがないというのがどれだけ快適かを理解した生徒達が、もう作るのはやめようと自分たちでも動いているようだ。

クラスのリーダー気取りの輩もいるが。

誰も相手にしていない。

ただ滑稽なだけの存在だと笑われている。

暴力を振るうタイプの輩は、燐火が事前にたたきのめしているので。怖くて下手に動けない。

それでいいのだ。

家に戻ると、ルーチンと勉学をこなしておく。

杏美もどんどん歩けるようになり、背も伸びてきている。階段にも興味津々だが、まだ上り下りは危ないだろう。

目を配っておく必要がある。

ケルベロスがある程度見てくれているが。

それでも、最近は顔がパンのヒーローを見終わると、すぐに寝ると言うこともなくなってきている。

おかあさんが昨日公園デビューさせたが、かなり活発に動き回っていたようである。

いずれにしても、これから杏美とどんどん遊んであげなければならない。

時間は、今のうちに有効活用しないといけない。

勉強のルーチンを終える。

とがった筆記用具などは、杏美の手が届かない場所に必ず置くようにする。

とりあえず杏美には過干渉はしないが。

目を離してもいけない。

両立が難しい。

過干渉は過干渉で毒親になる。

燐火も、それだけは絶対に嫌だった。

ケルベロスが時々細かいアドバイスをしてくれるので助かる。冥界で子守をすることがかなり多かったらしくて、とても詳しかった。

ケルベロスも眷属がかなりたくさんいたようだが、手が回らないこともあったらしく。そういうときは幼児をたくさん背中に乗せて辺りを闊歩したりしたという。

背中で漏らされたこともあって困ったと言われたときは、燐火もどう反応して良いか分からなくて困った。

ともかく、アドバイスは仕方がない。

赤ん坊はかわいいだけのものではない。

汚いことも世話をしていれば必要だし。

甘やかしていればあっという間に屑にスポイルされる。

それを何度もケルベロスは念押しした。

実際そうやって、駄目にされていった子供を、嫌になるほど見てきたからなのだろう。燐火もケルベロスのおかげで立ち直れたのだ。

だから、その意見には素直に従う。

おかあさんが戻ってきたので、杏美の子守を代わる。

おとうさんは、これは今日は耐久配信か。新しく出たサンドボックス系のゲームで、色々とやっているらしい。

サンドボックス系のゲームははまると色々なことが出来るそうで、極めた人はとても凄い事をするそうだが。

おとうさんは其処までではなくて、時間を掛けて丁寧に見せ場を作って、視聴者を楽しませていくタイプだ。

その配信のために勉強も下調べもしている。

もう年齢的に新しいことを覚えるのに、若い頃の何倍も労力が必要な頃なのに。

それでも全く妥協していない姿勢は好感が持てる。

最初の頃、おとうさんみたいな配信者は相当な偏見にさらされていたらしいが。燐火は実際に頑張っているおとうさんの姿を見て、尊敬している。

昔偏見をもって配信を見ていた連中を、故に軽蔑していた。見る目がない連中だ、と思うだけだ。

さて、後はルーチンをこなして、風呂に入って、寝るか。

身長は160を超えた。まだまだ伸びる。最低でも170までは伸ばす。

女性は背が高すぎると不利だとか言われるが。燐火は、戦闘を前提として、ある程度のタッパは確保しておきたいと考えていた。

 

2、古き冥界のものたち

 

恐れていたことが起きた。

三体目の予母都志許売が現れたのである。いや、同一個体でないという補償はないから、三回目、というべきか。

悪いことに中間試験の最中の帰路だったが、関係ない。中学の勉強は最後まで終わらせているし、テストの期間中にやっているのは基本的に最終確認だけだ。その程度は、人死にが出かねない相手との交戦に優先できない。

テスト期間中なので、一人で帰っていたし。

着替えて出るのも即座にやる。

現地に急ぐ。

スマホで連絡が来る。どうもカトリイヌさんらの教会が襲われたらしい。文化圏が違う魔なので、防戦一方だそうだ。

しかもダイモーンの気配もあるという。

まあそうだろうな。

この件、燐火を狙ってきたこともある。

邪神が絡んでいるに決まっている。

現地に急ぐ。

既に自衛隊が公安と連携して人払いをしていた。ドンと音が響く。何かの事件かと、騒ぎになっている裏から、燐火は教会の敷地に入っていた。

教会の壁が、完全にぶっ壊されている。

カトリイヌさんと、セバスティアンさんが必死の防戦をしているが。予母都志許売は紙のようにソロネとドミニオンが展開した壁を引き裂き、他の神父達は恐怖で震え上がっていた。

「か、神よ! あの恐ろしい悪魔を退けたまえ!」

「そんな神の力など、この地には届かぬ。 まったく、魔祓いだけを食えとか言われたが、他の人間どもも食らいたいのだがなあ。 子供の肉汁を久々に味わいたいものよ」

「子供だったらこちらにいますが」

「……標的捕捉」

振り返った予母都志許売が、不意に口調を変える。

以前とは少し姿が違う。

前の顔がない恐ろしい姿ではなく、顔はある。顔はあるが、痩せこけた老婆で手足が長く、顔中が口になっていた。その口の中に乱ぐいの歯が並んでおり、凄まじい雄叫びを上げる。

「気をつけろ、かなり手強いぞ。 ダイモーンを払いながら、日女や菖蒲の救援を待て」

「分かってる」

ケルベロスのアドバイスを受けて、横っ飛びに跳ぶ。

当たり前のように伸びた手が、燐火のいた地点をえぐり取っていた。コンクリの床が、バターみたいに抉られる。

立て続けに手が襲ってくる。

それをことごとく回避しながら、燐火は走る。

教会の椅子が次々と破壊され、後ろからのカトリイヌさん達の援護が、ほとんど抑えになっていない。

これはちょっとおかしい。

日本神話系の神々と接点がないとはいえ、高位天使が作り出す壁の性能は、燐火も今まで見てきた。

これがこうもあっさり。

恐らくだが、何かしら仕掛けがあるな。

椅子を蹴って跳躍。

壁で三角跳びをしつつ、聖印を切る。

ダイモーンを砕く。

舌打ちした予母都志許売は、腕を短くすると。足下について、四足歩行になる。そして、獲物を狙う四足獣そのものの勢いで、突っ込んできた。

回避は無理だ。

そのまま、鉄パイプで突貫を受け流す。

震脚で衝撃を逃がすが、それでも凄まじい音がした。パワーにしてもスピードにしても桁外れだ。

これは雑魚とカウントしていい相手じゃない。

邪神が繰り出してきているとすると、一体一体がそれぞれ戦略的な目標を持って動いているカスタム個体だ。

古い時代の神話は、どうしても物語と堕している。

これは日本神話の中で、ほとんど存在に触れられなくなった冥界の者達も同じであるはずだ。

日本の神々は神社で現役信仰を受けているが。

仏教のあの世が有名になっている日本では、日本神話の冥界の者達は、あくまで物語の者達となって力を落としているはず。

これはからくりをあばかないと、極めて危険だ。

下がりながら、猛烈な食いつきが鉄パイプをがつんがつんとかみ砕こうとするのを、必死に防ぐ。

この鉄パイプはあまたの魔を祓ってきた神器だが。

それでも、激しい衝撃が何度も来る。

押し込んでくる予母都志許売。

だが、その脇腹に、セバスティアンさんが猛烈な蹴りをたたき込み。予母都志許売が一瞬動きを止めた瞬間。

イタリア語らしい気合いの叫びとともに。

カトリイヌさんが、刺突剣で予母都志許売の首を横から貫いていた。

しかし、にっと笑う予母都志許売。

両腕をふるって、二人を追い払う。カトリイヌさんは逃げ切れずにかすり、それだけで吹っ飛んで壁にたたきつけられていた。

「ふん、所詮は愚民を制御するために特化した信仰のやつばらよ。 相手にならぬな」

「貴方の力、少し強すぎますね。 からくりを暴かせて貰います」

「面白い、やって……」

鉄パイプを引くと、顎を蹴り上げる。

口だけになっている予母都志許売の顔が、ごきりと折れながら真上を向いた。

そのまま鉄パイプで連続して打撃をたたき込む。面倒小手、立て続けに。小手は両腕に計四回の打撃を入れた。

ぐう、と呻く予母都志許売。

これは、ひょっとしてだが。

懐に入ると、合気を入れる。吹っ飛んだ予母都志許売だが、態勢を立て直すと飛びかかってくる。

腕が長いが、まあどうにか出来る範囲内だ。

また懐に入ると、そのまま投げて顔から床にたたき込む。勿論柔道の技だ。激しい一撃に、予母都志許売の乱ぐい歯が何本か砕けた音がした。

やはりな。

こいつ攻撃特化で、防御に関してはそれほど考えていないんだ。

破壊力は圧倒的だが。

防御面は極めて脆弱だとみていい。

勿論、これだけでは殺せない。

魔は、物理攻撃だけで始末できるようなたやすい相手ではないのだから。

即座に起き上がってきた予母都志許売に、横殴りの一撃。

日女さんと菖蒲さんが来るまで、徹底的に攻める。

予母都志許売が、凄まじい怒りの咆哮を上げるが、両腕を立て続けにへし折り。人体急所に立て続けに合気をたたき込む。

人間だったら即死する地点にも入れるが。

流石は魔だ。

即時回復して、なんどでも襲いかかってくる。

「攻撃に全集中を! この個体は防御を捨てています!」

「わ、分かりましたわ……! ドミニオン!」

「分かりました」

カトリイヌさんのドミニオンが、頭上から槍をたたき込みに行く。それを回避する予母都志許売だが、セバスティアンさんのソロネから放たれた光の槍が本命だった。

全身を串刺しにされて、ぐうっと呻く予母都志許売。

蹈鞴を踏むが、それでもまだまだ動こうとする。

だが、その時。

燐火が渾身の大上段からの一撃をたたき込み。

乱ぐい歯だらけの顔面を、文字通り打ち砕いていた。

数秒の停止。

そして、床に倒れる。

辺りには、泡を吹いて気絶している神父や、壁でぶるぶる震えている神父。役に立たない連中だ。

拘束は難しい。

そのまま、徹底的に手足をへし折り続ける。

そのたびにぎゃっと声を上げる予母都志許売だが。八分後、日女さんが到着。今度は逃がさず、祓っていた。

予母都志許売も日本神話系の存在。

そして冥界にいないで地上に出ている。

伊弉諾が逃げ惑うしかなかったような力は流石に地上では発揮できない。完全に浄化され、消えていった。

呼吸を整える。

日女さんが、遅れてすまんと謝る。

限界が来て倒れたカトリイヌさんを、燐火が受け止める。

頭は打っていないようだが、病院に行かないとまずいだろう。

すぐにセバスティアンさんが手配してくれる。

日女さんも、既に本職として魔祓いをしているのだ。簡単にはいかないだろう。

「レポートはこちらで出しておきます。 今回は支援、ありがとうございました。 遅れていれば、何人か食われてしまったでしょう」

「いえ、問題ありません」

「それにしても、あんたと燐火が、カトリイヌもいたのに、こんなに大苦戦したのか」

「強かったですよ予母都志許売。 ただ……」

日女さんに展開しておく。

攻撃特化型の予母都志許売が出てきたのだと。

それを聞いて、日女さんは考え込む。

「予母都志許売は必ずしも伝承が多く残っている存在じゃねえ。 そう考えると、カスタマイズも容易なのかもな」

「だとすると、防御特化型とか、耐久特化型とかが出てくる可能性もありますね」

「ああ、だが共通しているのは、日本神話系の魔祓いなら対応できると言うことだ。 問題はダイモーンが融合している混合魔として出てきたと言うこと。 そして予母都志許売を使役していると言うことは……」

邪神が。

日本神話の古い冥界である、根の国と何らかの形で同盟を組んだのかもしれない。

そう説明されて。ケルベロスが嘆息した。

「古い時代、冥界はあくまで別の世界として解釈されていた。 地獄というものが作られるようになったのは後の時代でな」

「それは、そうなのかもしれないね」

「いずれにしても、別の世界である冥界そのものが敵となったのなら厄介だ。 北欧神話でも、冥界はラグナロクの際にまるごと裏切ることになる。 この国の神々の中で、ただ冥界だけの影が薄いとなると……」

狼王ロボは、最後に言っていた。

目的は、善悪の観念の逆転だと。

ひょっとすると、貶められた存在が、まるごと今の主流の信仰に入れ替わることを狙っているのかもしれない。

それが必ずしも悪いことだとは言い切れないが。

ただ途方もない混乱が起きる。

そして混乱の中で踏みにじられるのは。

決まって弱い人間なのだ。

杏美のことを思う。

杏美を、踏みにじらせるわけには、絶対にいかない。

 

中間試験が終わる。

多少の雑念があったからか、いくつかのケアレスミスをしてしまった。こればかりは仕方がない。

涼子もケアレスミスはする。

これについては、今でも同じだそうだ。

試験結果が帰ってきたが、予想通りの点数だった。全教科満点とはいかないか。

とりあえず家に戻ると、間違った地点の見直しと、ケアレスミスを減らすべく、チェック回数を増やせるようにする工夫をいくつかしておく。

淡々と勉強を進めていると。

小川先輩から、連絡が来ていた。小川先輩は空手部の部長になったが、冬の地方大会でなんと準優勝をもぎ取った。今ではすっかり空手部で認められる使い手だ。最近では燐火の家に、時々修練に来る。パパ活女とか陰口をたたいている輩はまだいるようだが、実績を出してそれをねじ伏せた。それもあって、今はとても毎日楽しそうである。次は全国に出る。そう気迫も充溢させていた。

「燐火っち、中間はどうだった」

「平均98点でした」

「おお、それは凄い。 とりあえず、中間も終わったし、どこかに遊びに行かない? 小川っちも誘うつもりなんだけど」

「近場であれば、時間次第でなら」

それだけ答えておく。

今のこの状況だ。

行けるとは、いえなかった。

外でルーチンをこなす。

柔道の動きも、丁寧にやっておく。

三回目の予母都志許売は攻撃特化型だったが、速度、防御、技術など。色々な特化型が出てきてもおかしくない。

ちなみに家の周りには、予母都志許売が喜びそうな果物がいくつか植えてある。

それもあって、全て無視していきなり家族を襲ってくるということはないし。結界も展開してあるので、まあ大丈夫だろう。

ただ絶対は、ないが。

剣道のルーチンも終えた後、しばし黙々と瞑想して精神を研ぐ。

それから、今度は菖蒲さんから連絡を受けた。

エヴァンジェリンさんの滞在しているホテルが、襲撃を受けたと言うことだった。

 

ハイペースだな。

そうぼやきながら、現地に出向く。

それほど豪華なホテルではないが、ガス爆発ということにして人を遠ざけてある。便利な言葉である。

なんでも公安も自衛隊も、人を遠ざけるときにガス爆発という言い訳をよく使うらしく。

ガス爆発でだいたいの事はもみ消せるらしい。

このため、ガス爆発は隠語の一つになっているのだとか。

勿論本当のガス爆発事件もあるのだが。

まあ今回は、それとは違うと言うことだ。

急いで中に入り、四階まで上がる。

目を回しているエヴァンジェリンさんが、階段近くで転がっていた。元々戦闘能力はそれほど高くない人だ。

これは仕方がないだろう。

菖蒲さんが、明王を展開して凄まじい攻撃を受け止めている。

雷撃か、これ。

現地に飛び込むと、菖蒲さんが冷や汗を流して、じりじりと押されているのが分かった。ちょっとこの火力、しゃれにならない。

「燐火ちゃん、相手は遠距離特化型よ。 でも速射性能が高すぎる。 動きを見切るまで接近は控えて」

「分かりました」

いや、あれは。

予母都志許売じゃない。

ばちばちと激しい雷を放っているそれは、明確に何かの蛇神だ。

思い出す。

伊弉冉と伊弉諾の逸話の際。変わり果てた伊弉冉の体には蛆が湧き、八柱の雷神がまとわりついていたそうだ。

その雷神は、予母都志許売から逃げ切った伊弉諾を代わりに追跡。

あわやのところまで追い込んだ。

つまり、予母都志許売より更に格上の存在か。

舌なめずり。

これは流石にまずい。

ルーンを駆使して必死に防いだのだろうエヴァンジェリンさんを一瞥。菖蒲さんが来るまで耐え抜いただけで凄い。

ともかくだ。

これ以上の狼藉、許すわけには行かなかった。

聖印を切る。恐らくダイモーンがいるはず。連続して、聖印をたたき込む。ばちばちと輝いている蛇神は、それをうっとうしそうにはねのける。効いてはいる。だが、一発二発で倒せるでもないか。

だが、連続する。

恐ろしいほどの低音で、蛇神が喋る。

口を動かしている様子はない。

恐らく、精神に直接話しかけてきているとみて良いだろう。

「侵略者の神の下僕が……」

「そういう貴方も、ダイモーンを受け入れているではないですか」

「うん? 貴様のことではない」

「……そういうことですか」

古代、聖徳太子の時代。

仏教と神道が争った時代があった。

蘇我氏と物部氏の戦いだ。

仏教と神道は、今でこそ神仏習合などをして、ともに仲良く歩めているが。信仰が二つあれば、どうしてもぶつかり合う。

それは仕方がないことなのだろう。

だから、恐らくだが、菖蒲さんを古い日本神話の神は、敵と見なしているとみて良いだろう。

それについては理解できる。

だが、負けてやるわけにはいかないが。

菖蒲さんが冷や汗を拭いながら、雷を纏う蛇神に言う。

「今ではともに歩む存在ですよ」

「大半の神々はな。 我ら根の国の関係者だけは違う。 仏教の地獄と六道輪廻の仕組みに全てを奪われ、今や物語の住人だ。 罪人だろうがなんだろうが、問題なく受け入れる根の国があっても良かろう」

「根の国に行った後、その人はどうなるんですか? 永久に根の国で暮らすと?」

ずばり燐火が言う。

そういうと、ぴたりと蛇神は黙っていた。

古い時代の神話の冥界は、これが問題である。

基本的に冥界という別世界の住人になったあと、後の神話では当たり前になった輪廻転生や生まれ変わりが存在しない。

ギリシャ神話では、冥界の勢力を増大させないためにゼウスが世を平穏にさせようとするし。

北欧神話では、冥界に墜ちた者は、ずっと冥界の住人である。

それでは、救いがない。

信仰の基本は救いが必要である。まあ罰を優先した一神教などの例もあるが、それでも救いを用意している。

救いが存在しないというか。

救いという発想が存在しなかった時代の冥界は、存在が膨れ上がり続けるばかりなのである。

「……貴様、それはおまえの年で自分で考えたのか」

「調べればそれくらいは分かります。 今の時代、色々と便利なので」

「そこにいる冥界の犬の入れ知恵であろう」

「残念だが燐火は一人でそれにたどり着いた。 この子はまだまだ教えなければならないこともあるが、おまえが考えているよりもずっと賢いぞ」

笑い混じりに返すケルベロス。

蛇神はしばし黙っていたが。日女さんの気配を感じ取ったのだろう。

すっと下がっていた。

「まあいい。 目標は達した。 我らは所詮手助けに来ているに過ぎぬ。 やれと言われたことはやったし、これ以上は我の私怨だ。 私怨を果たすのに失敗して実体化できぬようになっても面白くはない」

「伊弉冉尊によろしく」

「……」

消え失せる蛇神。

その圧倒的な偉容が消えた後は、不意に辺りが空洞になったようだった。

スプリンクラーが不意に作動して、水がばらまかれる。

あんな雷が何度も放たれていたのである。

あちこちちろちろと燃えている。

それが、一気に消火されていった。

ただ、それでもビル火災になると手に負えなくなるケースもある。とにかく、撤退である。

エヴァンジェリンさんを担いで降りる。

逃げ遅れた客についても、最後まで責任を持って残っていたホテルの経営者が、いないことを確認していた。

立派な人だな。

それだけに、この事件は残念だ。

ガス爆発ということにするらしいが、客が持ち込んだ違法なガス器具が原因という事にするようで。

この人の面子が保たれてくれるといいのだけれどと、燐火は思ってしまう。

ともかく、日女さんと合流。

襲い来た蛇神の事を話しておく。

やはり、燐火の予想通り。伊弉冉の体にまとわりついていた雷神で間違いないようだった。

「遠くからの気配でそれは分かっていた。 だとすると、厄介だぞ」

「そいつらは豊穣の神と一体化した自然現象そのものだ。 つまり、豊穣の神である伊弉冉の側近だと言うことだよ」

「主神の配偶神の側近……」

「かなりの高位の神格ですね」

日本神話では、いわゆる三貴神。天照大神、月読尊、素戔嗚尊の前の主神である伊弉諾と伊弉冉の夫婦は、追い立てられて主神の座を失ったのではない。天照大神が世襲する形で主神となっている。

このため、そもそもとしてオーディンを主神とするときに配偶神としてフレイヤから作り上げられたフリッグと伊弉冉では主神の妻としても格が違うし。

伊弉冉の側近で、豊穣神のそれぞれの役割の一端を担う神となってくると。

少なくとも、極限まで堕落したあの悪神化フリッグよりも手強いとみて良いだろう。

それも、そいつらが八柱いる。

そう考えると、確かに日女さんが厄介だというのもよく分かる。

エヴァンジェリンさんが目を覚ます。

とりあえず、軽く診察は受けてもらうが、入院は必要ないだろうという話だった。雷に吹っ飛ばされて気絶はしたが。雷はルーンで防ぎきったし、頭も打っていないからだ。むしろ音にびっくりして気絶したようなので。

診察が終わったエヴァンジェリンさんを交えて、カフェで話す。

「すまない。 年長者の天才たる私が、菖蒲と一緒にいたのに」

「あれは仕方がねえ。 物語に墜ちた存在ではトールと同じだが、ここは本場だ。 下手をするとトールより強いかもしれないしな」

「それほどか。 確かに私が気配を察して迎撃に出てから、攻撃も容赦がなかったし。 ルーンで一撃目を防いでから、立て続けの二撃目の破壊力と圧は尋常ではなかった」

むうと考え込むエヴァンジェリンさん。

とりあえず、今回のレポートは菖蒲さんが書いてくれるらしい。

そして、そもそもの問題だが。

恐らくだが、邪神は。

今回の二度の攻撃で、根の国の神々と連携していること。何よりも、この国に来ている異郷の魔祓いを狙っていること。

そして対処が難しい事。

これを示してきたのだ。

カトリイヌさんが連絡をよこす。案の定だった。

日本に来ているカトリックの魔祓いが、あらかた引き上げるらしい。日本在住の人員以外は、である。

ここのところの凄まじい戦いもあった。だが、予母都志許売の凄まじい戦闘力に、明確にあの教会に来ていた神父達が恐れをなしたのだ。

カトリイヌさん達は残ると言ってくれた。

だが、恐らくこれは、カトリックの魔祓いだけではすまないだろうな。そう、燐火は敵の狡猾さに舌を巻いていた。

 

3、将棋ではないが先の先を読む

 

邪神の周囲に、数体の蛇神がとぐろを巻いている。

既に同盟を組んでいた、伊弉冉の側近達。通称「八雷神」である。

根の国の重鎮でもある彼らは、神話的には大きな意味を持つ存在ではあるものの、それはそれとして日本ではほとんど知られていない。

日本神話の神格であるのにだ。

こいつらの存在もある。

流石にあの狼王ほどではないにしても、戦力に不足は感じていない。それほど、この神々は強いのである。

「それで次はいかがする。 道教系か、それとも新しい方の一神教か。 他の雑多な魔祓いか」

「いや、これだけでかまわん。 次の手に取りかかる」

「貴様は既に大駒をあらかた失っていると聞く。 天津の忌々しい神々を引きずり下ろすのは我ら根の国の悲願だ。 天岩戸の時には、あと一歩でそれをなせたのだが」

「……ただ、燐火とやらに言われたのだろう。 それはどう解決する?」

皮肉交じりに邪神が言うと。

雷神達は黙り込む。

まあ、そういうものだ。

所詮は古い時代の冥界。設定が練り込まれきっていない。

死んだ人間は皆根の国に行く。

その設定よりも、善行を積めば極楽浄土に行ける。死後は公正な裁判の末に、その後の所業が決まる。

その思想の方が、支持されるに決まっているのだから。

人間は死んだら終わり。

現時点では、科学的にはそうだろう。

だが、故にいまだに信仰は健在だ。

悪人は何をやっても法で裁かれない限りはやり得。

弱者はどれだけ虐げられても誰も見ていない。

そういった現実に対して、人間は素直に受け入れられるほど心など強くは出来ていないのである。

死ねばみんな冥界行きで、陰鬱な世界で暮らす。

そんな設定を、人間が支持するわけがない。

価値観の逆転を達成したとしても。

少なくとも、今のままでは根の国が復権することはない。

所詮は人間の信仰に依存しているのが神々であり神話なのだから。神話の存在も、それは同じだ。

「伊弉冉尊のお方どのにお伺いをかけてきてはどうかな? 今では素戔嗚尊も根の国との交渉はしてくれるだろう?」

「分かっている。 既に我らの一柱がどうするか、相談に向かった後だ」

「ならばそう慌てることはあるまい」

「ちっ……」

誰かが舌打ちする。

まあ、それもそうだろう。

こいつらにとって、天津と対立したというだけの邪神は、所詮利害が一致しているだけの存在に過ぎない。

根の国から出られない伊弉冉の指示で従ってはいるものの。

伊弉冉の側近である自負がある以上。

このような事は、屈辱でしかないのかもしれない。

まあ、どうでもいい。

散々神話の時代から魔祓いとやり合ってきた邪神だ。屈辱なんて、なんどでも舐めてきた。

それでも立ち上がってきたのは。

このままでいてなるものかと思い続けてきたからだ。

そして、今度こそ、それに手を掛けている。

ダイモーンという便利極まりない霊的接着剤を手に入れた今こそが。世界に対しても、価値観の逆転を引き起こす好機だった。

 

杏美が道路に飛び出そうとしたので、即座に止める。

子供は視野が狭く、こういうことを平気でする。

中には車の前に意図的に飛び出し、それを度胸試しと称する阿呆もいるが。そうならないようにしなければならない。

杏美に対して怒るのはおかあさんの仕事だ。

今のはなぜいけないのか。

言い聞かせる。

保育園は使わない予定だ。おかあさんはもう専業主婦でやっていくつもりのようだし。それで面倒を見させるのもおかしいというのだろう。

杏美の手が掛からなくなったら、また仕事に出るつもりではあるようで。

燐火の鍛錬を細かく時々見てくれる。

杏美も燐火と一緒におかあさんが鍛錬する様子を見ていて、よく分からないようだが手を叩いて喜んでいる。

やってみたいようだが。

まだ早いというとむくれる。

まあ、これは仕方がないだろう。

黙々と燐火は鍛錬と勉学をしながら、毎日を過ごす。やはり日本を離れる魔祓いが増えている。

黄泉軍(よもついくさ)といわれる、予母都志許売とならぶ黄泉の先兵が現れ始めたのだ。

これも伊弉諾を追い回した根の国の兵隊だが。

予母都志許売と違って、数を売りにしている。

このため、単独での戦力はあまり高くない。高くない、そのはずなのだが。

古めかしい骸骨が鎧を纏った姿に油断した魔祓いが、再起不能レベルの重症を負うケースが続出。

雑魚と言っても、ここは地元だ。

それだけ手強いと言うことである。

これはまずいと、泡を食った海外の魔祓いが離れている。

日本神話系の魔祓いが来るまで、時間を稼ぐのも立派な仕事だし、それでお給金も出るのだが。

それでも、これは流石に対応できないと、逃げ出すものが増えていた。

カトリックもプロテスタントも、神父と牧師が次々日本を離れている。

どれも戦力としては二線級の魔祓いばかりだったが。

それでも数が集まれば壁をしっかり展開できるし。守護天使がいれば、その防御能力は更に高くなる。

いなくなられるのは、単純に損失だ。

一神教だけではなく、雑多なマイナー信仰の魔祓いも似たような状況になっているらしく。

これも損害だ。

同じ文化圏の魔祓いでなければ、その魔には対応できない。

燐火がギリシャ系のダイモーン対策で重宝されているのと同じである。

マイナーな文化圏の魔祓いほど、むしろ重宝されるのだ。

それが逃げ出されると、マイナーな文化圏の魔が出た場合に、対応が難しくなる。力が弱くても、祓えないとなると。

途端に無力化のハードルが上がるのだから。

かくして、各地で一線級の魔祓い達の負担が増えている。

良くない傾向だ。

相手は狼王ロボと同等の知恵者とみて良いだろう。更には、恐らくだが。

あの狼王は、最後は負けることも前提に動いていた。

燐火が会得途中の奥義についても、既に解析された可能性が高い。そうなると、最悪邪神が使ってくる可能性すらある。

狼王ロボは、最後まで諦めなかったし。

倒れてもただでは転ばなかったのだ。

しかしながら、新しい技を身につけるというのはあまりにも安直だ。それで通じる相手でもないだろう。

今は、この奥義を。

極めるしかない。

師範のところでも、調子は見て貰う。

充子も中一になったこともある。そろそろ段位を取れる年だ。ちなみに燐火はこの間取ってきた。

試験官はこれで初段かと目を見張っていたが。

まあ五段相当と言われているので。今後も年を取ったら、着々と段位を進めていくだけである。

燐火の動きを見ると、師範は考え込んでから、細かく調整を入れてくれた。

短期間で背が大分伸びている。

160を超えてからもまだ伸びているから、それもあって調整が必要だということだろう。

本当に、幼い頃伸びることが出来なかった鬱憤を晴らすように背が伸びてくれていて。

その分体も重くなっている。

重さの大半は筋肉と骨によるものだが。

それでもそもそも動物は、小さい方が筋肉の対費用効果が高いのだ。

筋肉は断面積が強さに直結することもあり、三次元体ではどんどん強力な力を発揮できなくなっていく。

昆虫が凄まじい力を持っていると誤解されているのは有名な話だが。

昆虫以外にも、ノミなども凄まじい跳躍力を誇り、同じ大きさならばと思われるかもしれないが。

実際には同じ大きさになっても、其処までの力は発揮できないのである。

ともかく、調整を済ませる。

パワーはついてきているが、今までと違って軽さを生かした速度が出なくなるから気をつけるようにとは言われた。

分かっている。

それについては、パワーで補うしかない。

勿論重くなるから、その分転んだときとかのダメージも大きくなる。

それを考えると、動きなども全て変えていかなければならない。

フルーレティが奥義で致命傷を受けたときの事を思い出す。

あのとき、フルーレティは長身の青年の姿で、しかも全身に氷の鎧を纏っていた。それが致命傷を誘発した。

燐火も、それは他人事ではなくなる。

良くしたもので、ボディビルダーは筋肉を維持しているが、それが強さにはまったくつながらず。

むしろ体は弱くなってしまうそうである。

調整が終わった後、日根見ちゃんと充子を交えて話す。

ちなみに日根見ちゃんはどんどん成績が上がっているようだ。毒親から解放されて、本当に全てがうまく進んでいる。

充子もお姉ちゃんが出来て、色々と変わったようである。

姉妹仲は良好なのが見ていて分かる。

「剣道は本気でやってみるつもりはありますか?」

「うーん、一応二段まではとるつもり」

「簡単ではないですよ」

「身を守るにはそれくらいはほしいから。 でも、二段あればちゃんと剣道をやっている襲撃者以外には負けないでしょ」

そういう簡単な話ではないのだが。

ただ、剣道の経験者が、そうでない人間に対してアドバンテージがあるのは事実だ。特にナイフを持った相手に対しては、かなり強く出ることが出来る。

日根見ちゃんの力量だと、来年初段をとれるかとれないか、くらいだろう。

ちなみに燐火は県大会に出ないかと学校で言われたが、断った。空手部でも出ないことにしていると言った。

これは変なところで目立たないためだ。

それに時間を取られるのも困る。

毎日のルーチンをこなすのは得意だが。それ以上を求められると、魔祓いに支障が出てくるのだ。

「充子ちゃんは勉強についてはどうですか」

「問題ありません。 出来れば学校は燐火さんやお姉ちゃんのところに行きたかったですが……」

「学校では問題はない?」

「ありません。 同級生にあまり品がない子はいないのが理由です」

そうか。

小学時代は充子もいろいろあったのだが。

とりあえず、話は終わったので帰る。

多少リフレッシュできた。それだけでよしとする。

問題は、帰路で。

ついに黄泉軍が現れたことだが。

 

すぐに着替えて現地に向かう。

小さな廃ビルが閉鎖されていた。なんでも不良がたまり場にしていたらしいのだが。そいつらが大けがをして逃げ出してきたのだそうだ。高校生の不良の中には、指を何本か失った者もいた。

中で色々悪さをしていたらしいので自業自得ではあるが、内部に一人取り残されているという。

しかもそれは不良どもが連れ込んだ近くの中学の女子生徒であるらしく、これは仕方がない。

燐火は制服に着替えると、内部に。

一応記憶操作の能力を持つ魔祓いがいるので、不良達には中で見た化け物は全て忘れて貰う事になる。

内部に連れ込まれていた女子生徒も、である。

それにしても凄まじい気配だな。

公安の人が、内部の状況を軽く説明してくれる。

「平坂さんだね。 内部には現在、最低でも十体の黄泉軍がいるそうだ。 今日女さんが向かっている。 しかし、内部に取り残された人員をできるだけ……助けたい」

「そのつもりです。 というか、恐らく撒き餌でしょう。 うまく立ち回れば救出は可能です」

「……気をつけて。 魔を相手に我々に出来ることはないからね」

「大丈夫です。 専門家にお任せを」

エヴァンジェリンさんが来ていた。燐火と頷きあう。

この間のリベンジだと息巻いている。

相手がこの間は雷神だった。それもこの土地の、である。

流石に相手が悪かった。

だが、今度はそうはいかない。

この間、借りていたアイドルにちょっとした工夫をした。それもあって、役に立てる筈だ。

二人で内部に。

ルーンを展開するエヴァンジェリンさんが、即座に相手の位置を特定した。

「一階に四体、二階に三体、三階に五体、四階に二体、屋上に三体」

「かなり多めですね」

「いや、ここは天才たる私が見る限り、既に魔界になっている。 このまま放置しておくと、更に増える」

「要救助者は」

四階で、生きているらしい。

既に地図は確認した。まず仕掛けてくるならば。

鉄パイプを振るい上げる。

物陰から、さびた槍を突き込んできた骸骨。身に纏っているのは、和鎧より明らかに古い代物だ。

がっとはじき返しつつ、返す刀で頭を粉砕する。更に蹴り飛ばして、突っ込んでこようとしたもう一体にぶつける。

二体まとめて、がしゃがしゃと嫌な音を立てた。

更に背後から一体。

恐らく古い時代の……枝分かれした剣を振るい下ろしてくる。だが、エヴァンジェリンさんがルーンを展開、壁を作り出してがちんとはじき返していた。

すっと相手の間合いに入り込むと、胴を入れて粉砕する。

古い鎧がひしゃげて、骸骨が吹っ飛ぶ。

楽に倒しているわけじゃない。

いずれの動きも、剣道有段者くらいの鋭さはある。しかも、この武器の火力。生半可な魔祓いの壁くらいは簡単に貫くはずだ。

その辺の悪霊だのを相手にしている魔祓いが、大けがをする訳である。

そのまま二歩下がりつつ、上から襲いかかってきたもう一体に、フルスイングをたたき込む。

奇襲としては悪くなかった。

実際、燐火も一瞬早く気づいただけだ。

二年前だったら、貰っていただろうな。

そう思いながら、倒れている骸骨……黄泉軍を片っ端から叩き潰して、行動不能なまで粉々にしておく。

これで後方からの奇襲は防げるはずだ。

更にエヴァンジェリンさんが拘束のルーンをかけていた。魔祓いはできなくても、動きは封じられるはずである。

「見たか! 私は天才だ! 褒めろ褒めろ!」

「上の階の敵に変動はありますか」

「……二階に増援。 六体になっている。 三階、四階は据え置き」

「まずいですね」

一体ずつだったらこうしてどうにかなるが、槍を主兵装にしている敵を複数同時に相手取るのは不可能だ。

剣豪ですら、剣で槍と戦うなと言い残しているレベルで、槍と剣では力に差がある。

ましてや槍は集団戦を最も得意とする武器であり、囲まれたら対処のしようがないのである。

階段を上がる。

コレは凄いな。

どんどん魔の気配が強くなる。

ケルベロスが呻いていた。

「タルタロスに気配が近くなっている。 面倒だぞ。 できるだけ迅速に人質を救出しないと、取り返しがつかなくなる」

「分かってる」

「来たぞ。 三体だ」

槍持ちが三体か。

頷くと、エヴァンジェリンさんにハンドサイン。頷いたエヴァンジェリンさんがルーンを組むのを見ながら、躍り出る。

廊下で三体が、槍をそろえて待っている。普通だったら真っ正面からの特攻は自殺行為だが。

この狭い廊下だ。

槍の動きが限られる。

それでもリーチの差が面倒だが。

ばちんと、激しい斥力が、黄泉軍の中で生じて。陣列が乱れていた。エヴァンジェリンさんが、ルーンで援護射撃をしてくれたのだ。倒すことは出来なくても、これくらいなら出来る。

其処に潜り込むと、燐火は立て続けに二体を粉砕。三体目は槍を向けてくるが、廊下では槍のリーチを生かし切れない。

懐に入ると、合気をたたき込む。

吹っ飛んだ骸骨は壁にぶつかると、力なく倒れていた。

予母都志許売にくらべるとぐっと戦力が落ちるな。やはりこれは数を主体にしている訳だ。

すうと息を吸い込むと、燐火は喝を入れて、不意打ちを仕掛けようと忍び寄っていた一体を牽制。

動きが止まった瞬間に、面を打ち込んで粉砕。

後二体。

背後、上、同時。

下がりつつ、槍をいなし、肘打ちをたたき込む。更には動きが止まったところで跳び下がりつつ、立て続けに前に出る。

体勢を崩している一体を踏み砕きながら、上から来た最後の一体に真正面から突貫。そのまま、槍を跳ね上げ、一刀を胴に打ち込んでいた。

だが。更に一体。

追加入ったわけだ。

背後からの鋭い一撃。回避しきれない。

しかし一瞬だけ、アイドルが力を発揮して、ルーンの壁が出来る。北欧系の魔だったらもっと効果てきめんだっただろうが。それでも黄泉軍は槍をわずかにそらされる。燐火は踏み込むと、立て続けに頭を砕いていた。

拘束のルーンだけエヴァンジェリンさんが打ち込んで、三階に。

三階にいる黄泉軍は、雰囲気が違う。

二体とも、大きな剣を手にしていた。鎧も心なしか豪華なようだ。

同時に相手にするのは厳しいか。

しかも三階は五体最低でもいる筈。

ここを短時間で突破するのは難しい。だが、やるしかない。

狭いビルの通路を利用する。

エヴァンジェリンさんがルーンを組む。

踏み込んできた黄泉軍が、かっと鋭い叫びとともに、大きな剣を振り下ろしてくる。それを鉄パイプではじき返す。

重い。

がっと火花が散った。

踏み込みつつ面を入れるが、それを的確に防ぎつつ、返しの刃を入れてこようとする。すっと下がりつつ、胴を入れに行くが、今度は自分から飛んで下がる。

打撃は入る。だが浅い。

威力を殺しつつ、骸骨の戦士は笑ったようだった。

「ほう。 我らが呼ばれたわけだ。 今の時代にもなかなかのますらおがいるではないか」

「……名前のある方ですか」

「俺は亜眼。 そちらは弟の威眼。 漢字は当て字だ。 人質を取ればおまえが来ると言われていてな。 どれほどの近接戦能力を持つか確かめてこいと言われていたが、これだけ出来れば充分だろう」

「平坂燐火です。 よろしく」

くはははと、亜眼は笑う。

骸骨だが、明確に感情はある。

そして、撤退だと弟に言った。弟は不服そうだったが、もう一度撤退というと、しぶしぶ従い、先に消えた。

「すまんな。 根の国で雑魚どもを鍛えるくらいしかする仕事がなかったからな。 俺も弟も戦に飢えているのだ」

「燐火であればいつでも相手になります」

「頼もしい言葉だ。 貴様のような若者が更に増えてくれれば、腑抜けたこの国の未来も少しは安心できるのだがな。 ここに連れ込まれた娘を強姦しようとしていた連中は適度に痛めつけたが、娘の方には何もしていない。 それは安心せよ」

そして、兄の方も消えた。

エヴァンジェリンさんが、冷や汗を拭っていた。

「燐火、今のに勝てたか」

「一対一であればどうにか。 ただ魔祓いは厳しかったでしょうね」

「だろうな。 あの気配、前に故郷で実際に見たヴァイキングのベルセルクの悪霊のものに近かった。 純粋戦士そのものだった」

「……」

元々この国は戦士の国だった。

あのモンゴルを撃退した数少ない国である。

それもあって、ああいう古代の者が、今を憂うのも分かるのかもしれない。

無言で燐火は先へ行く。

明らかに気配が薄れている。

幸い、倒れている人質は意識がないが、これはちょっと様子がおかしいな。狭い部屋の中で、人質が転がされているが。服も何カ所か破られ下着も脱がされているというか剥がされているようだし、むしろ危ないところだったのかもしれない。黄泉軍がこなければ、この程度ではすまなかっただろう。

エヴァンジェリンさんがコートを脱ぐと、酷い姿の意識を失っている人質にかぶせる。そして、まだまだだ。

屋上から降りてきたのは、大きな骸骨の塊だ。四つ足の獣の態勢を取っているが、体を構成しているのは古めかしい鎧と人間の骸骨だ。

あの兄弟の指揮官らしい黄泉軍が残していったのだろう。これくらい、倒して見せろと言う訳だ。

ルーンを切るエヴァンジェリンさん。

燐火は無言のまま、すり足で相手に間合いを詰める。

うなり声を上げながら、巨大な腕を振るい下ろしてくる

下がれば人質は助からない。

一喝とともに、燐火は武芸の全てを巨大な黄泉軍にたたき込んでいた。

 

日女さんが来る。頭から血を流している。これは、日女さんも襲われたのか。

燐火もかなり最後の奴を相手にするのと、悪運を祓うので疲れた。

魔界になっていたビルを浄化するのは。

浄化が出来るようになってきた今でも、かなり骨だった。

エヴァンジェリンさんもかなり参ったようで、ハンカチを被って横になっている。

日女さんが来ると、苦笑いしていた。

側に散らばっている巨大な骸骨の獣の残骸は、エヴァンジェリンさんのルーンで封じ込んではいるが。

日女さんが魔祓いをして、消し飛ばす。

日女さんが、改めてそれで話してくれる。

三十体近い黄泉軍に襲われたらしい。

神おろしを全力で展開して倒したものの、消耗が激しく、こちらに来るまで時間が掛かってしまったそうだ。

すまないと言われたので、問題ありませんと答えておく。

相性が良いはずの日女さんでこれだ。

燐火達が、相手を撃退できただけでもよしとすべきである。しかも人質は助かったのだから。

人質を救急隊員が運び出していく。

警察もつきそう。

あの不良どもは県外から来た連中らしく。無差別にあちこちで悪さをしていたそうだ。

今回も「ナンパをしたらついてきた」とかほざいているらしいが。

明らかに強姦寸前だった事。

強烈な睡眠薬を嗅がせて、それで眠らせた形跡があった事。

ついでに手慣れていたこともあって、常習犯であることは確定らしい。

高校生から中学生のグループのようだが、全員逮捕、良くても少年院行き。悪ければそのまま実刑判決は確定だろうと言うことだ。

この街ではダイモーンを片っ端から祓って悪運を浄化している事もある。

反社の類はほとんどいなくなったのだが。

いなくなっても、よそから流入はしてくる。

それを思い知らされる。

やっぱり機動力が必要だな。

この街の事だけではなく、世界を救うなんて事は流石に燐火も考えてはいない。ただ、出来る範囲で出来ることはしたい。

とりあえず免許を取れるようになったら早めに取るべきだな。

そう考えながら、公安の人と軽く話をして。

レポートを書く事にする。

家に戻った後は、かなり疲れていた。

黄泉軍には、ダイモーンが入っていなかった。入っている場合もあったが、入っていなくてもあれだけ強い。

そして敵の傾向からして。

恐らくこれから、予母都志許売や黄泉軍との混合魔が出てくるとみて良い。

ダイモーンを接着剤代わりにして、複数の魔を混合させるタイプだ。

予母都志許売だけであの強さである。

黄泉軍も決して侮れない相手だ。

レポートを書いていると、体力の限界を感じる。さっさと仕上げて、それで今日は休むことにする。

体力を使い切ると色々とまずい。

風呂に入って疲れを流すが。

それが出来るのは、今だけだとケルベロスに言われた。

「肉体的に若い時期にしか、風呂に入って疲れを流すようなことは出来ない。 年を取ると疲れはどんどん蓄積するようになる。 それは、今のうちから意識しておいた方が良いだろうな」

「そうだね。 それにしても……」

「うん?」

「価値観の変遷が起こった世界って、一体どうなるんだろうね」

ケルベロスはしばらく黙ってから。

実例をいくつか話してくれる。

多神教が当たり前だった世界に、一神教が現れた時。

最初は決してそれは強い勢力ではなかった。

だが、とにかく馬鹿を支配するにはとても都合が良い思想だというのが、悪い連中には魅力的だった。

ローマ帝国が一神教に乗っ取られたのが転換点だった、とケルベロスは言う。

以降は一神教の偏狭な思想が、他の思想を全て排除していく事になり。

その偏狭極まりない思想は、世界中の文明の進展に、明らかな害を及ぼすことになっていった。

近年だとイデオロギーによる世界の変遷があるが。

それも決して良い方向にばかり進んだわけではない。

どのような論理的に優れているイデオロギーであろうと、いきなり持ち込めば大きな害を及ぼすことが多い。

残念ながら人間はそんなに優れている生物ではないのだ。

今後も価値観の変遷で文明にブレークスルーが起きる可能性はある。

だがそれは必ずしも良い方向に歴史が動くとは限らないだろう。

そうケルベロスは淡々と話してくれた。

分からないでもない。

燐火もテロリストが自爆テロをしたり。自爆テロを子供なんかにさせたり。人間を奴隷として売り飛ばしたり。

そういった事例は実際にごく近年起きている事を知っている。

先進国と言われるような国でも。

多様性を口にしながら、敢えて醜い造形を作って、これがスタンダードだと喚き散らしたり。

そういった連中がわんさかいる事も知っている。

多様性が良いのであれば、様々な要素の中に美しさを作り出していけばいいものを。

そうしないのは、ただの逆張りである。

それがもしもブレークスルーを引き起こしたりしたら。

差別が世界を苦しめている現実よりも。

更に良くない時代が来るのは、想像に難くない。

それにだ。

そういう馬鹿げた活動をしている連中は。

あるいは、そんな風なろくでもない世界が来る事こそを、望んでいたり。

背後に政治的な思惑があって、色々な利害の末にそうしているのかもしれないが。

ただ、何かしらの良い価値観の変遷が起きることだって、当然あるだろう。

それは止めてはいけない。

しかしながら、だ。

ダイモーンを用いて悪運をばらまき。

やりたい放題を尽くしている邪神たちの行動が、世界をよくするとはとても思えないし。

そういうことをする存在が、もしも世界のスタンダードになったりしたら。

それこそ世界は今以上の地獄になるのではないのだろうか、と燐火は思ってしまうのである。

とりあえず、さっさと寝て疲れを取る。

既に梅雨に入っていることもある。

翌日は雨だった。

雨でも、外でルーチンの鍛錬はこなせる。

ちなみに杏美は雨が大好きなようで、雨が降っているときゃっきゃっと喜ぶ。

まだ幼稚園は早いが。

おかあさんが世話をしながら、色々確実に教えている。

燐火もそのうち、簡単なことを教えるように頼まれるかもしれないが。

基本的に頼まれるまではしないつもりだ。

鍛錬をして、迷いを払う。

今は、迷いを捨てるべきだ。

敵にも本物になりたかったフルーレティや、ただ愛する者といられる世界がほしかった狼王ロボがいたが。

それはそれとして、あの悪神化フリッグの邪悪さは、看過できないものだった。

最後に恐らく残っただろう大物である、日本神話の邪神らしき存在は。

その正体が想定されるものだったとしたら、とてつもない災厄を起こしかねない。

今はただ、少しでも技を磨く。

そうして、対処するしか手はなかった。

 

4、黄泉はすぐ側に

 

邪神は拠点にて、連絡を受けていた。

同盟を組んだ相手。

伊弉冉とである。

伊弉冉は、表向きの姿は多少顔色が悪いが、美しい女性ではある。

現在の美の基準は過去とは大分違っているが。

神々の容姿は、時代的な価値観の影響を受ける。

典型的な中東の人間であったイエスキリストが、いつの間にか白人男性にされていたように、である。

イエスキリストは実際には酒飲みでかなり太ってもいたのだが。

今では痩せたイメージが一般的だ。

これもまた、後から認識が変わった結果だ。

神話なんてものは。

どれもこれもこういうものなのである。

「それで貸し与えた黄泉の軍勢は予定通りに活躍できているのであろうな」

「問題ない」

「そうか。 いずれにしてもあまり腑抜けた失敗はしてくれるなよ。 わらわも今の根の国のあり方には色々思うところがある。貴様にはそれゆえに期待しておるのだからな」

「そうだろうな。 聖徳太子の頃には仏教が既に優位を占めていた。 残念ながらあの世の思想と完成度では圧倒的に仏教が優位だった。 神道と仏教は共存が出来たが、唯一それがなせなかったのがあの世の考えだ。 結局あの世は、仏教式が優先されることになった。 様々な信仰を皆が持つこの国で、唯一神道が後れを取ったのが其処だ」

黙り込む伊弉冉。

邪神はくつくつと笑った。

「案ずるな。 お方様の思うとおりにはするさ。 ただ、それだけではないがな」

「精々期待しているぞ」

「……」

通信を切る。

そして、振り返った。

既に朽ち果てた黄泉軍の者達。

朽ち果ててなお、彼らは戦士だ。

この間仕掛けて、それなりの数を失ったが。古代に既に根の国は覇権を失ったとは言え、この程度の数、失ってもなんでもない。

また他の神格と同じで。

倒されても結局は実体化できなくなるだけ。

魔祓いは、結局のところ。

実体化までして悪さを為す魔や邪神を、この世界から追い出す技術に過ぎない。

神々の戦いもそれは同じなのだが。

いずれにしても、どこぞの妖怪漫画の歌ではないが。

妖怪は死なないし。

その上位互換に等しい魔も神も死なないのである。厳密には。

故に予母都志許売も黄泉軍も死を恐れない。

「次の作戦に出る」

「一つよろしいか」

「なんだ。 さっさと飯を食わせろ」

挙手した亜眼。

それに対して、文句を言うのは予母都志許売達だ。

戦力で言うと予母都志許売の方が黄泉軍の雑兵よりも遙かに格上なのだが。亜眼と威眼の兄弟だけは例外である。

この二人は黄泉軍の将軍で。

古代に物部氏の軍指揮官として、蘇我氏の軍勢と戦って倒れた優秀な武人だった。

個人武勇が戦況をひっくり返しうる最後の時代だったその頃に。

蘇我氏の軍勢を相手に勇敢に戦い。

そして倒れた後は、仏教のあの世に行くことを拒否し。根の国にて、将軍となった者達である。

戦士として優れているだけではない。

プライドも高い。

それ故、邪神としては面白いと思っている。

忠実なだけの部下なんて、なんら面白みもない。

邪神自身が反逆者の見本みたいな存在である、ということもある。

故に、好感度も高かった。

「今は待て。 準備を一つずつ整えていく。 まず第一段階で、雑多な雑魚魔祓いどもを国外に追い払う」

「それはここしばらくの戦いでなせたな」

「うむ。 これから次の段階に入る」

「なんでもいい。 飯を食わせろ」

側には、食い散らかされた熊やイノシシの残骸が散らばっている。

予母都志許売の食欲は凄まじい。

流石に標的とした魔祓い以外の人間を襲うことは許していない。

今後、人間が生きていなければ、価値観の変遷もないからだ。

あの悪神化フリッグは軽率に人間を大量に処分していたが、あれは悪しき見本である。ああいうことは、やるべきではない。

魔に恐怖を抱かせるために、ある程度殺すべきだ。

そう主張する者達は。

魔祓いによって徹底的に封じられていった。

昔は邪神も似たように考えていた。

今は、そうは考えていない。

そのやり方では、雑な恐怖と同時に敵意を買う。敵意を買うと、最終的には衰退する。

それを他の文化圏の魔や。

あるいは過去から現在までの国際情勢を見て、邪神は知っていた。

結局のところ、人間に左右される存在が神であり魔だ。

一神教がこれほど発展したのも、人間という生物が馬鹿を都合良く支配するためのルールを求めたから。

その一神教で悪魔が際限なく邪悪な存在にされていったのも。

同じように、その偏狭なルールに説得力を持たせるため。

それをどうにもできない。

力では、だ。

あっさり倒したオーディン一派だって、連中が全盛期だったら、ああ簡単にはいかなかっただろう。

そういうものなのだ。

指を鳴らすと、入ってきたのは。

数体の異郷の者達だ。

剣に手を掛ける亜眼威眼兄弟。

うなりを上げる予母都志許売達。

だが、落ち着くようにと邪神がいうと、矛を収めていた。

「ここからが本番だ。 この国の一線級の魔祓いは、何度もこの私を打ち破ってきた強敵達だ。 だが、混合魔が非常に強力な戦力になる事は、今までの戦いで分かった」

実際問題、狼王ロボは、リソース全てを使い果たしたが。

その過程でこの国の魔祓いほぼ全てを拘束するくらいの事はしていた。

ヘラクレスだけは邪神が対応しなければならなかったが。

混合魔は。

文化圏が違う魔は祓えない魔祓いにとって、天敵になる。

「俺は混合とやらは拒否する。 弟もだ。 あの燐火という有望な娘と、一対一で戦いたい。 正々堂々とだ。 あれほど戦いがいがあるますらおとは、早々出会えるものではないからだ」

「その願いは叶えよう。 だが貴殿の配下はどうかな」

「……そうだな。 ただし希望者だけだ」

「よろしい」

予母都志許売達は、全然どうでもいいようだ。

その強烈な食への渇望……。

生ある存在の欲求の一つ、食欲の権化である存在であるから。それを満たせれば後はどうでもいいのだろう。

次は、この国の一線級の魔祓いを、何人か間引く。

そうすることで。

邪神が出た時に。対応できないようにしていくのだ。

手は一つずつ、確実に打っていく。

今まで「同志」が積み重ねたことを。

特に友であった狼王が持ち帰ってくれた情報を。

無駄にするつもりはなかった。

 

(続)