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人間の味方にして最大の敵
序、罠の下準備
緊密に連絡を入れながら、混合魔との対戦に備える。そもそも相手がスコルだけでも相当な強敵だ。
もしも想定している存在だとすると。
世界中にある獣の魔が、全て融合したような存在だと考えるべきなのかもしれない。
もしそうだとすると厄介極まりない。
その中心に狼がいるのは。
人間の味方として犬を産みだし。
それでありながら、もっとも憎まれた生物として、妥当なのかもしれなかった。
燐火は冬休み最後の日、あちこち走り回ってダイモーンを駆逐して回った。その過程で、日女さんに呼ばれて悪霊退治を見てきた。
悪霊は、いる。
だが地獄の入り口を見てきた燐火がいうのもなんだが。
想像しているものとはだいぶ違っていた。
そもそも人は死ぬと霊になる、というわけでもないらしい。
悪霊はいずれもが姿が歪んでいて、どれもが魔に比べるととても力が弱かった。
なるほど。
これを相手にしている魔祓いが、自分は凄いと勘違いして。
魔や悪神と出会った場合の絶望を考えると、容易に心が折れるのも納得である。
悪霊はあくまで残された思念の形。
だから見える人には、全て違って見えてしまう。
三大怨霊と言われる存在が、日本では悪神よりも恐れられてきたが。
実際は元になった三名は、いずれもが優れた武将だったり、優れた文化人だったり、心優しい皇族だったりした。
それらが三大怨霊と恐れられるまでになったのは。
それらの存在がとにかく人々の畏敬を集めたから。
故に本来の「霊」を飛び越えて、圧倒的な祟り神へと変じた。
その過程は、今まで様々な神話存在を見てきて理解できた。
ケルベロスも、悪霊に関しては哀れなものだと言っていたし。祓うのも、燐火でも簡単だった。
実際問題、悪霊がもし人間に害をなせるのなら。
文明の形は大きく変わっていただろう。
死者への畏敬は更に強く持たなければならなかっただろうし。
対策する魔祓いは、もっと公的に認められていたはずだ。
ともかく、である。
ダイモーンを始末して、家に戻る。
三学期は期間的にも短い。
途中、一回小川先輩が稽古に来た。巡さんも一緒に。
それで、鍛錬をして、調整をした。
楽しく鍛錬をするという小川先輩の発想には、なかなか燐火はたどり着けないが。いずれにしても、鍛錬の時に凄く進歩しているのを見て、おかあさんが驚いていた。これは小川先輩は、いずれオリンピッククラスの大会に出るかもしれない。
それくらい、伸びていると言うことだった。
ともかく、三学期の準備を終える。
勉強も進めていると。
涼子から連絡が来ていた。
大きな獣の目撃例、多数ありと。
あくまで人に害が報告されてはいないが、それでも熊のように大きかったというのである。
恐らくは仕掛けてきた。
コヨーテによる事前工作は、あくまで下準備。
こっちが本命の工作だ。
大量の分霊体を放ち。
それを目撃だけさせる。
警察も慌てて対応しなければならない。
近年自然のバランスが崩れて、熊による被害が大きくなっている事もある。それもあって、警察もどうしても動かなければならないのだ。
熊であることが確認された場合は、当然猟友会も動かなければいけないし。
それらを考えると、ただでさえ摩耗しているマンパワーが、どんどんとられていくのである。
そしてまた、別の場所に分霊体を出す。
それだけで、どんどん世相を混乱させ。
ついでに大きな獣がいるという噂を加速させることが出来る。
そんなものの痕跡が発見できなかったという話が出ても。今はそういった公的発表への信頼性が落ちている。
SNSなどでは、噂が加速する一方だろう。
日根見ちゃんもメールを送ってきた。
ただ、こっちは懐疑的だ。
「目撃報告は大げさに盛られる可能性が高いとは言っても、これはいくら何でもおかしすぎるよ。 動物園から大量に動物が逃げたりでもしていない限りは、この数はあり得ないだろうね」
「それはそうだと思います」
「ただ、万が一もあるかもしれないから、燐火ちゃんも気をつけて。 私もできるだけ外には出ないようにするから」
「分かっています」
残念だが。
燐火はそういう立場ではいられないのである。
そして、人々の恐怖を集めれば集めるほど。
あの狼の魔は、力を増していく。
もしも巨大な狼として街を闊歩でもされたら、大変なことになるだろう。
ともかく今は。
燐火は仕込みを待つしかない。
それがもどかしい。
翌日には、三学期が始まった。
一気に去年から今年にかけて背が伸びたが、それでも155を少し超えたくらいである。まだ伸びる余地がある。
今までが小さすぎたのだ。
それもあって、体がそれを取り返そうとしているように思える。
人によっては二十歳くらいまで伸びるらしいが。
燐火の場合はどうだろう。
170はほしいな。
そう思いながら、三学期の説明を受ける。
短い期間だが、それでも中一の締めくくりである。中一は色々と有意義な時間が多かった。
後は。
充子のところに行って。
師範に稽古をつけて貰うことにする。
日根見ちゃんの生活の様子も見てきたい。
うまくやれているようだが。
それでも不便があったら、助けたいからだ。
既に学校では、三年生が高校に向けて動いている。涼子の学校では、ほぼ進学先が決まっているそうだ。
とりあえず、次の土曜日だ。
その間も、着々と罠の準備が進んでいる。
学校によっては、大型動物の闊歩を警戒して、休校にしている場所もあるようだ。
だが、うちの近辺では目撃されていない事もある。
今の時点では、問題はなかった。
「さて、罠だがうまくいくかな」
「行かせるしかない。 今の時点で、着実に積み重ねが進んでいるからね」
「うむ……」
ケルベロスと話しつつ、日根見ちゃんと今日はそのまま道場に向かう。小川先輩も興味を示したが。剣道だというと、ちょっと違うかと言って。今度また普通に遊びに行くと言っていた。
まあ、それはいい。
道場に出ると、相変わらずの熱気だ。
師範代(四段)と、充子が向かい合っている。試合だが、師範代が既に完全に格下である。
段位を取れるのはもう少し先の年齢だが。
既に、充子の方が上だ。
天才というのはいる。
それを見ていて、理解できる。
攻め込んだ師範代が、鋭い面を決められる。立て続けに三本。それで、試合終わり。師範代が自信をなくしたように、ため息をついていた。
充子は丁寧な礼をしていて。
追い越した相手にも、礼を欠かしていない。
この子は、いずれ剣道という分野を背負って立つ人間になる。
現在の年齢制などの段位取得条件を取っ払ったり。
あるいは更に入りやすく、学ぶ効率を上げる方法を思いつくかもしれない。
元々剣はとても極めるのが難しい武芸だ。
それでも、これくらいの天賦の才能を持っていれば。
あるいはその常識を変えられるかもしれなかった。
燐火も防具を着けて、礼。
久々に充子と立ち会う。
やはりまだまだ差があるな。差がなかなか縮まらない。だが、リーチという明確な利点も出来た。
果敢に攻め込む。
パワーも既に燐火が明確に上。
問題は、反応速度と技の練度。明らかにそれらは、充子が段違いで上。
それも師範代は燐火以上のパワーとリーチがある。それをいなすレベルでの上だ。つまり、まだまだ全然勝ち目はない。
激しい試合を数度繰り返すが。
まだ三度に一回、一本を取れれば良い方だな。
それでも一本を時々取る燐火を見て、門下生がおおと声を上げる。
日根見ちゃんはまだまだ全然ビギナーだ。門下生に混じって練習している。かなり進歩しているようだが。
充子がいる地点に行くには、まあ大人になるまでは最低でも掛かるだろう。
数本試合をした後、師範のところに行く。
充子と一緒に、軽く見て貰う。
師範は充子に対して、細かい指導をして。調整をするようにと言っていた。充子も背が伸びている。
背が伸びると同時に、色々と調整をしなければならないのだ。
背が伸びれば、出来ることは増える。
だが、体が重くもなる。
フィギアスケートなどはこれが顕著で、女子選手は特に加齢とともに高難易度のジャンプが跳べなくなる傾向がある。
剣道も同じだ。
体が二次性徴を迎えると、様々な調整をしなければならなくなってくる。
それもあって、調整を細かく毎日しなければならないのだ。
燐火のも見てもらう。
師範は随分と厳しい視線を注いでいた。
咳払いして、充子を下がらせる。
そして、二人きりになると言う。
「実戦を何度も経験しておるな。 相手は人……ではないようだが」
「そんなことまで分かりますか」
「ああ。 私も色々と仕事でやっているのでな。 その歩法の練り込み、相応の達人か、それに近い相手で実戦を積んだ進歩をしている。 ただ、少し調整が必要だ。 言うとおりに」
「分かりました」
流石だな。
ケルベロスも凄いなと何度も相づちを打っていた。
いくつかの細かい指示の後。
ひときわ険しい目で言われた。
「剣筋に曇りはないが、曇りがないと同時に躊躇なく命を刈り取る剣筋でもある。 くれぐれも、人を殺してくれるなよ」
「分かっています。 師範の剣を穢すような真似はしません」
「うむ……。 相手が人ならぬ者、人と呼ぶに値しないものであればそれは致し方がない事もあろう。 だが、人に対しては気をつけよ。 既にそなたの力量は五段相当。 しかも剣道以外も修めている。 もし真剣を持てば、十人単位で切り捨てる事が可能な力量だ。 生半可な大人では止められまい」
それについても自覚している。
燐火も逆鱗があることは、この間コヨーテにそれを触れられて悟った。
精神修養の結果、瞬間沸騰でキレることはなくなった。
だが、それでも。
相手が非道な場合は、頭をかち割る方向で動く可能性はある。
ただその場合は、剣は駄目だ。
鉄パイプだと、今の力量だと頭蓋骨を容易に粉砕する事が出来る。それも初太刀で、である。
師範が懸念しているのはそれだ。
それが分かるから、燐火は素直に話を聞く。
「今、目撃されているというあやかしの獣か。 相手は」
「すみません。 答えられません」
「よい。 獣は全てがすべからく達人の動きをなせる。 それを理解した上で、更に歩法を磨け。 守る者が出来ることで、人は強くも弱くもなる。 だが力を振るうことに愉悦を覚えたとき、人は畜生以下になる。 私はその手の畜生以下を斬ってきた。 おまえをその一人にしたくはない」
やはりか。
師範も、人を斬っていたんだ。
だから、燐火の事は色々と分かっていたのだろう。
頭を下げる。
剣を穢さない。
それについては、絶対だ。
それから、細かい調整を受ける。ケルベロスの指示はほぼ完璧であったこともあって、本当に細かい指示をいくつか受けた。
それで終わりだ。
後は、自分で鍛え上げていくしかない。
その後は、日根見ちゃんも加えて、軽く菓子をつまむ。師範はこれで甘いものがすきなようだった。
充子は一生せんべいをかじっていて。
親子であまり嗜好は似なかったようだ。
一方で日根見ちゃんは、料理にどんどん挑戦しているらしい。クッキーを焼いてきたのを見て、ケルベロスが期待したようだ。
「最初は焦げたり生焼けだったり散々だったんだけど、最近はちゃんと食べられるのが出来るようになってきたんだ。 食べてみて」
「いただきます」
まあ、余程酷くなければ大丈夫。
食べてみると、まあ……お店に売っているクッキーが、如何に完成度が高いのか一発で分かるものだった。
それでも劇物ではないし。
生焼けでも焦げてもいない。
お菓子作りは軽量の世界だと聞くが。
色々細かく覚えるのが好きな日根見ちゃんが短時間でこれだけクッキー作りの腕を上げたのだとすると。
それはなかなか頑張ったのだと言えるだろう。
まあ、おいしくはないが食べられるので、燐火は文句なくいただく。充子も食べてくれている。
師範も無言。
日根見ちゃんは食べてみて、まだ満足は行っていないようだ。ただこの程度で満足されては困る。
ケルベロスがしゅんとしているのが分かる。
すくなくとも、ケルベロスは蜂蜜入りのが食べたかったようだ。
まあ、それは仕方がない。
最初から出来る奴なんていないのだから。
とりあえず、帰ることにする。
充子に日根見ちゃんの事を聞くと、こくりと頷く。
「私は剣以外はあまり出来ないので、頼りになるお姉さんです。 教えてくれる事も、とても興味深くて、いつも刺激になります」
「良かった。 自分が知らないことを知っている相手を気持ち悪いとか貶める輩がいるのですが、やはり充子ちゃんはそうではないですね」
「そんな連中がもしお姉さんをいじめた場合は、充子がたたきのめします」
「燐火も加勢します」
ぐっと、握手する。
とりあえず燐火の友人に何かする奴が出てきた場合は。
剣道六段相当の充子と、現時点で師範曰く五段相当の燐火が、全力で相手をさせて貰うことになる。
さて、家に戻る。
帰路で、エヴァンジェリンさんから連絡が来た。
準備完了。
後は、罠を使って。
奴を追い込んでいく。
了解と頷く。
中一での最後の戦いは、あの獣の王が相手になるだろう。そしてそれは、今まででももっとも厳しい戦いになる事が、疑いなかった。
罠を張っているな。
そう銀白の狼は判断していた。
それで構わない。
狼は高い知能を持つ存在だ。銀白の狼の中にいる狼たちも、それは共通している。
人間と共存することを唯一選んだ生物、犬を排出した種族。それが狼。
犬が出現したその後も、別に狼は人間に対して優先的に攻撃を仕掛けたりはしなかった。
ただ、人間の側に問題があった。
今でも昔でも、それは変わっていない。
最近動物の命を守る云々の思想を持った環境テロリストだとかいう連中が勃興してきているが。
それも結局は、イデオロギーに動物を利用しているだけである。
適切に食べ、適切に食べられる。
それが生態系だ。
バランスを崩す存在が出ると、凄まじいバランス崩壊が起きる。生態系の上位者ほど、その破綻で一瞬にして破滅する。
それを考えると、人間がそもそもその破綻者であり。
銀白の狼はそれを知っているが故に、人間を嫌っていた。
人間が作り出した存在であったとしてもである。
さて、どうするか。
善悪の逆転。
それが現在の思想だ。
そして、燐火の戦力の増大を見ると、今が好機だというのはあの邪神とも意見が一致している。
ここは敢えて罠に掛かってやるか。
恐らくだが、今回出てくる一線級の魔祓いは、この間対峙した連中に+α程度ですむだろう。
それだったら、燐火を仕留められる可能性が高い。
最大の懸念点であるヘラクレスは、陽動でどうにかするしかないだろう。
腰を上げると、邪神が声を掛けてくる。
「行くのか狼よ」
「ああ。 恐らくケルベロスは、偶然あの娘を見いだしたのだろう。 それが、あまりにもこちらに不利に働いた」
「社会のバランスを崩して、ろくでもない輩が得する社会に時間を掛けてしてきた。 それがどうにも崩れつつある。 確かにあの娘が起点になって、それが決定的に壊れると厄介だ。 私も出ようか」
「不要だ。 俺も久々に楽しい戦が出来そうなのでな。 せめてやらせてくれ」
邪神がふむとつぶやいた後。
武運をと言った。
頷くと、出る。
罠が仕込まれているのは承知の上。最後の狼王は、その罠を散々打ち砕いて。愛するものを奪われるまでは無敗を誇った。
今、銀白の狼は。
その再来となるのか。それとも罠を食い破るのか。勝負の時が、来ようとしていた。
1、狼王
燐火は日根見ちゃんに聞かされる。
食肉目は現在もっとも成功している哺乳類の一種である。犬猫熊などが含まれるこの種族は、高い戦闘力を持ち、武装した人間相手以外では文字通り無敵を誇っていると言える。陸生肉食獣限定では、だが。
なんといっても巨大な熊の恐ろしさが目立つが。
単体で最強なのはやはりシベリア虎。
体格差三倍くらいまでなら勝つ。
古くはサーカスなどで、虎とライオンを殺し合わせるような悪趣味なショーが行われていたことがある。
虎とライオンだと多くの場合互いに決着はつかなかったようだが。
それも虎と雄ライオンだったら、の話であるそうだ。
ライオンは雄雌の個体差戦闘力が大きく、オスの戦力はメスの三倍とさえ言われている。
虎は単独行動するハンターであるから。その戦闘力はどうしてもオスでもメスでも高くなければならないのである。
これに対して熊は、パワーに関しては確かに圧倒的だ。
一トン近くまで成長する熊にはコディアックベアと言われる羆の一種や、あるいはホッキョクグマがいるが。
これらですら、シベリア虎には及ばない。
パワーでは圧倒的だ。
だがそれ以上に凄まじい機動力を持つシベリア虎は、あまりも完成された猛獣なのである。
恐竜が生きていた時代には話にもならなかっただろうが。
現在では武装した人間相手以外には陸生肉食獣に敵なし。まあ陸生草食獣にはアフリカ象やサイ、カバといった虎ですらどうにもできない相手がいるようだが。
そういうものであるらしい。
ちなみにサーカスなどで殺し合わせた場合、閉所で戦えば熊が勝つことがあるようだ。一撃さえあたれば殺せる。
残念ながら、その一撃が現実にはまずあたらないし。
虎は熊の殺し方を本能的に知っているので、無駄な仮定に過ぎないのだが。
これらの事を、復習する。
そして、三学期が終わった今。
燐火は、動き出していた。
罠というのは、簡単だ。
菖蒲さんが護摩壇を炊いて、何柱かの明王を呼び出す。
明王はたくさんいる。
そもそも明王というのは、仏教で初期に生じた神々だ。他の信仰と戦うために必要とされた存在達。
不動明王がもっとも有名だが。
実は神格としては比較的新しい存在であり。
それだけ仏教やヒンドゥー教が生じたばかりの頃のインドでは、様々な信仰が苛烈にやりあっていたのである。
いずれにしても中央アジアや東南アジアを通って仏教が中華に渡った頃には、元のインド神話の神々である天部達と並んで明王は重要な仏教系神格となっており、すっかり定着していた。
救いを与える仏様よりも。
戦に勝利を与える軍神の方が人気があった。
それは、人間世界の業の深さを現しているのかもしれない。
ともかく、である。
かくして明王は信仰されるようになり。
今では多数が存在している。
それを更に下ろすことで、暗躍する邪神と魔獣への備えとする。この護摩壇での祈祷は、単騎でやらなければならない。
狙ってくれと言っているようなものである。
そして菖蒲さんは、次世代のこの国の魔祓いで、長になり得る実力者。
若手の中では最強と名高い。
しかももうすぐ高校を卒業する。
高校を出た後は即座に魔祓いに、という話もあるそうだが。
国の方で大学を斡旋されていて。
其処でいくつかの免許を取った後、後進の育成をする道も提示されているそうだ。
それくらいの重要人物なのである。
日女さんもかなり好待遇を受けているようだが。菖蒲さんにはとても待遇的な注目度でも及ばないのだとか。
まあ、それはそうだろう。
まだ高三で、あの不動明王の加護を得ている林西さんと肩を並べて戦うほどの超武闘派魔祓いだ。
燐火も力がついてきたから、菖蒲さんが素でどれくらい強いかは分かる。
それが更に明王を下ろすのだ。
文字通り鬼に金棒である。
今、その護摩壇がある山には、凄まじい霊気が集中しつつある。それに対して、燐火は見上げるだけ。
距離はとってある。
これは、菖蒲さんがあの魔狼の攻撃をどれだけ耐えられるか。
耐えている間に、皆がどれだけ間を詰められるか。
そういう勝負だ。
当たり前だが、魔狼は罠だと気づいているとみていいだろう。だが、あの魔狼は乗ってくると燐火は判断している。
理由は簡単である。
挑戦として判断するからだ。
狼王ロボの逸話でも、ロボはシートンの挑戦を受けて立った。精神を乱すまでは、圧倒的な知略で、シートンの仕掛けた罠をことごとく打ち破っていった。
それは恐らくだが、あの魔狼も同じ事をする。
好奇心云々もあるだろうが。
あれは王として自認している。
だとすれば、挑発をむしろ受けて立つはず。それも喜んで、である。
それら全てを計算の上で、陣を張る。
勿論、かなり菖蒲さんにとって危険な賭だ。せめて林西さんだけでも直衛にという意見もあったが。
これくらいでないと、あの魔狼をおびき寄せられない。
そう菖蒲さんは静かに笑っていた。
凄い人だと燐火も思う。
だから、死なせてはならないのだ。
精神集中のために、勉強を終わらせておく。
既に燐火も大学受験の範囲の勉強をやっている。英語などはそれでも苦手だが、現時点で六大学は射程に入れていた。
出来れば東大に入りたいが。
それはちょっと出来るかどうか分からない。
涼子にもきいているが。
「知っているか」を問われる試験が多数出る。
やはり学習塾での知識の詰め込みが主体になってくるのだ。
そうなってくると、どうしても独力では限界が出てくる。涼子がこういうのがあると展開してくれるが。
それでも厳しいのが実情だ。
その少し下であればどうにかする自信はあるのだが。
ともかく、集中していると、スマホが振動する。
嘆息して切り上げる。
狩りの時間だ。
ただし、狩られるのはこちらになる可能性も高い。おかあさんに声を掛ける。
少し、ジョギングしてくると。
おかあさんは、危ない子とはしないようにねと、杏美を背負って料理しながらいう。この様子だと、燐火がまだまだ色々暴れている事に、気づいているのかもしれなかった。
着替えて、外に出る。
今回は全力での戦いだ。
できるだけ最大限の力を発揮できるようにした方が良い。
白仮面の格好は、燐火にとって戦闘服である。
更に調整して、少しずつ見栄えを凝るようにしている。
マスクに関しても、顔が半分隠れればいいだけではない。視界を塞がないように、それで人相が分からないようにも工夫が必要になる。
それだけじゃない。
服についても、動きやすいようにする。
このため、ためておいたお給金で反物を買って、それでわざわざ自分で仕上げた。
裁縫の腕も上がるし。
何よりケルベロスに言われたのだ。
やはり魔祓いは精神が大きく影響するのだと。
だから、自分が最強だと思う格好を、常に意識するように、とも。
故にこの格好を、更にデコレーションしていく。
マントを翻して走る。
現地に向かう。
既に戦闘は始まっている筈だ。
日女さんが合流してくる。
並んで走りながら、軽く戦況を話す。どうやら各地で案の定大物ダイモーンが出ており、ヘラクレスさんを明らかに封じ込めに来ている。
それだけじゃない。
各地の一流どころの魔祓いのところに、かなり強力な魔が同時出現。
激戦が繰り広げられているようだ。
「罠には掛かってやるが、それもただでは掛かってやらないと言う訳だな。 時間稼ぎにも手を抜かないと言う訳だ」
「……どうやら、こっちにも来たみたいですね」
「ワイルドハントだな……」
ケルベロスが呻く。
ワイルドハント。
英国などで伝承に残る、極めて不吉な狩人の集団だ。死をもたらすものとさえ言われることもある。
いずれにしても、こちらに向かってくるそれらは、多数の獣と、骸骨の戦士で構成されていた。
悪いが、突っ切らせて貰う。
日女さんも、最初から神おろしを全力で行くようだ。
どんどん力がついているとはいえ、それでも最初から飛ばすのか。少し不安になったが。
幸い公安が手を回してくれているので、人払いは出来ている。
そのまま、戦闘開始。
襲いかかってくる獣の群れを、片っ端から蹴散らす。
エヴァンジェリンさんもカトリイヌさんも、別方面から戦地に向かっているはずだ。林西さんも、である。
更には、他にも何名かの魔祓いが、危険な戦いに志願してくれた。支援をしてくれる筈だ。
それを無駄にしないためにも。
奴を。
あの魔の獣を、トラバサミで捕らえる。
激烈な死闘の末に、護摩壇がある山の麓まで来た。
多少息が上がっているが、すぐにスポーツドリンクを飲んで、それで回復を入れておく。多少でもないよりまし。
トイレに行っておけ。
そう日女さんがいうので、用意されている仮設トイレを使わせて貰う。
勿論こうしている間にも菖蒲さんが激闘を繰り広げているのだが。
それでも、ベストコンディションで戦闘をするのが必須だ。
それほどに危険な相手なのである。
トイレを済ませてから、山を駆け上がる。既に他の場所では、時間稼ぎの魔がたたき伏せられているようだが。
時間稼ぎとしては有効に機能し。
一線級の魔祓い達は、皆足止めされたようである。
だがそれは計算通り。
山を駆け上がりながら、皆の様子を聞く。
「エヴァンジェリンさん、来られていますか」
「問題ない! カトリイヌが貸してくれたボディーガードの力もある!」
「カトリイヌさんは!」
「問題ありませんわ!」
問題はない、か。
魔の襲撃が確定であるから、いつものリムジンを使えないというのが最大の問題だ。カトリイヌさんは体力に問題があるので(エヴァンジェリンさんもだが)、どうしても現地ではフルスペックを発揮するのは厳しい。
そして山に入り込むと、おぞましい物量のダイモーンがあふれ出てきた。
祓う。
片っ端から。
それでいい。
あの魔の狼の中にいて力になっていたダイモーンである。片っ端から倒せば、それだけ弱体化させられるのだ。
だったら倒して進む。
次々に打ち倒しながら、先に先に。
聖印を何百でも何千でも切る。
短時間だが、それでも備えてきた。それに、これをやってきている相手と、今菖蒲さんが死闘を繰り広げている。
山頂付近ではまだ激しい稲妻が飛び交っている様子からして、戦闘が続いているのは確定だ。
急ぐ。
巨大なダイモーンが、ムカデのような奴だが、山崩れのような勢いで襲いかかってくる。
燐火は聖印を連続でたたき込み。
汗を飛ばしながら、日女さんがその巨体をつかんで振り回し、地面にたたきつける。ぐしゃり、ではない。
もう重機を動かしているような凄まじい音が響き渡る。
既にそういう規模の戦闘だ。
聖印を切り、かなり巨大なそのダイモーンを消し飛ばす。まだまだ来るが、今日の燐火は幾らでも相手になってやる。
体力は徹底的につけた。
去年に比べて、倍は増えているだろう。
それだけ、体力の重要性を実感したのだ。どうしても基礎体力が幼い頃に培えなかったから。
徹底的に鍛錬で補ったのだ。
まだまだ押し寄せるダイモーンは、燐火を消耗させるために来ているとみていい。罠なんぞ、力尽くで食い破ってやる。
そういう意思が透けて見える。
同時に、徹底的に罠を逆利用して、こちらを消耗させようとする狡猾さも感じる。やはり相手はフェンリルじゃない。
それは既に指摘されているが。
それもこの戦術を見ていると、納得がいく。
雄叫びとともに、人間大のダイモーンの頭をたたき割る。そして聖印を直にたたき込んで、消し飛ばした。
呼吸を整えつつ、山を行く。
そして、見えてきた。
片膝をついている菖蒲さん。傷だらけだ。
明王達を多数呼び出していたようだが、既に半分近くが消えている。実体化を維持できなくなったのだろう。
愛染明王もかなり疲弊しているようである。
問題は、菖蒲さんの前にいるそれの姿だった。
それは多数の狼の頭を持ち、極めて巨大な体と、蛇の尻尾。それに翼まで持っている存在だった。
まさに怪物。
少なくとも、それはフェンリルではなかった。
「それが貴方の正体……ではなさそうですね」
「む、もう来たのか。 計算より三分ほど速いな。 もう少しで餌を食い破り、万全の態勢で迎撃できたのだが。 それに餌の予想外の抵抗で、スコルとハティを倒されてしまったが……まあ良いだろう。 想定の範囲内だ」
「菖蒲姉!」
「大丈夫! 目の前の相手に集中して!」
菖蒲さんは、これはもうふらふらだ。
この人がここまでやられているのは初めて見た。
だが、相手はまだ第二形態を現したばかり。この様子だと、まだまだ余裕であるし。更に形態や奥の手を隠しているとみていいだろう。
それにだ。
この姿、恐らくは。
悪魔化したケルベロスだ。
「よりにもよって俺の姿を出すか……」
「おまえだけではないぞケルベロス。 これはキマイラの姿も出している」
「ケルベロスの兄弟で、キメラの語源となった魔物だね」
「ああ。 悪魔化されたキマイラまでも取り込んでいるとはな……」
ケルベロスが激高しているのが分かる。
燐火は汗を拭うと、日女さんと目配せ。
恐らくだが、林西さんもそろそろ来る。できるだけ、菖蒲さんを守りながら、戦力の合流を待つ。
それが当面の方針だ。
そもそも菖蒲さんほどの魔祓いであっても、複数の明王をおろし展開するのは相当に負担だった筈。
まずは守らなければならないが。
それをさせてくれるほど、相手は甘くもない。
即座に周囲に気配が生じる。
のそりと歩いてきたのは、巨大な猫である。
この国の怪異だというのは分かったが、感じる力が強すぎる。
「化け猫、戦力を削れ」
「承知」
「これが化け猫……!?」
「化け猫と言ってもそもそもかなり古い妖怪だ。 正確には山猫の妖怪が中華から伝わったのだがな」
日女さんが説明してくれる。
狸の妖怪が日本では有名だが。
あれは元は、実は山猫の妖怪が中華から伝わってきたものが、色々と変化の末狸に入れ替わったのだという。
狸の漢字と中華での山猫の漢字が似ている事も原因の一つ。
日本にはあまり大型の猫がいなかったというのも原因の一つだ。
だから狸と狐、たまに猫くらいの感覚で人間を化かす怪異として捉えられがちなのだが。実態はそう単純ではない。
古くには山猫の怪異が存在していて。
だから、山猫の怪異は高いポテンシャルを持っているという。
八百万の信仰がある日本だからこそ。
その全力を、やりようによっては発揮できると言う訳だ。
それだけじゃない。
周囲から、わらわらと犬が現れる。どれもかなり大きい。
「山犬達よ。 その娘を足止めしろ」
「了解。 足止めだけではなく、殺してしまっても問題はないのだな主よ」
「ふっ。 それは恐らく無理だろうが、精々励め」
数はざっと三十程度か。
これは日女さんと燐火だけで捌くのは少しばかり手強いか。それに、である。更に増援の気配。
いや、違うな。
これは恐らくだが、あの銀白の狼が、体内から分離させた存在達だ。
どれも食肉目の魔ばかりである。
犬猫、それに熊。
犬科の怪異が多いが、どちらかと言えば聖獣ではないのかと思えるような気配のものもいる。
じりじりと間合いを計る。
「俺をおびき寄せるための罠だったが、食い破るついでに俺も罠を準備させて貰ったと言う訳だ。 さて、どうするかな。 増援が来られるほどの余裕はないぞ。 増援が仮にたどり着けたとしても、俺を倒す余力はあるかな?」
「燐火。 その犬ども、一人で片付けられるか」
「やってみます」
「分かった。 俺も少しばかり、無理をする」
日女さんが更にギアを一つあげるようだ。
菖蒲さんが、肩を押さえながら立ち上がる。
愛染明王が、見る間に無傷の状態に戻っていく。
回復させたわけだ。
ただし、もう余力はほとんど残っていないとみて良いだろう。
頷かれる。
分かる。菖蒲さんが、あの銀白の狼を、一秒でも足止めすると言う訳だ。その間に、燐火と日女さんで、少しでも雑魚を削らなければならない。
相手はダイモーンとの混合魔ばかりだが。
それにしても数と質がやばすぎる。
いくら弱体化していたとはいえ、北欧神話の神々を一方的に蹂躙したほどの魔達であるのだから。
ある意味当然であるとは言えるか。
だが、やる。やらなければ、即座に全員殺される。それに林西さんや、カトリイヌさん達、エヴァンジェリンさんもこっちに向かっている。
絶対に、それぞれの仕事を果たす。
三者が、一斉にそれぞれ別方向に跳ぶ。
同時に、多数の魔の獣が。それを迎え撃つべく、躍りかかってきていた。
2、激戦死闘
山犬。狼と同一視されることもある、日本の怪異であり、山に住んでいた犬の総称でもあり。
時には神とあがめられることもあった存在だ。
正体はまんま山にて繁殖した野犬だったようだが、古くはこれらが害を為すことも多く。積極的に駆除された。そのため、ニホンオオカミが歴史から消えた頃には、野犬も政府が管理できるレベルにまで減ったようだった。
それでも狂犬病などを媒介する場合がある。
今でも野犬は群れになると危険なこともあって、駆除対象であることに変わりはないのだが。
それが、わっと襲いかかってくる。
だが、こいつらは半端に人間の要素が入り込んでいる、野生の獣とは違った存在である。そこが、隙になる。
すっと歩法を駆使して、まずは先頭の一体に間を詰め、横殴りに鉄パイプで一撃。頭を直撃された中型犬は、それだけで半ば消し飛ぶ。続けて右、左、下。斜め左後ろ。連続して、鉄パイプを振るう。
これはただの鉄パイプじゃない。
フリッグやフルーレティを倒してきた神具だ。
既にそれにふさわしいだけの力を手に入れている。倒したダイモーンの数に至っては、既に燐火も覚えていない。
ケルベロスは山犬どもにはそれほど注意を払っていない。
残った力を振り絞って、愛染明王を下ろした菖蒲さんの全力を迎え撃っている、ケルベロスとキマイラを取り込んだ銀白狼の動向に注意しているようだが。
不意に、殺気。
横殴りに跳んできたものすごい一撃を、燐火はかろうじて鉄パイプで防ぎつつ、ずり下がる。
山犬は雑魚ばかりだったが、なんか一体、おかしいのが入り込んでいる。
冷静に弾きながら、燐火は思い出す。
欧州では、正体不明の狼(とされる獣)によるとんでもない食害事件が起きたことがあるのだ。
15世紀のパリなどでも多数の狼が人々を襲った記録があり、これはシートン動物記などでもクルトーという狼として扱われている。誇り高いロボと違い、ひたすらに残虐で復讐に生きる殺戮魔としての描写がされていた。
またもっと下った時代には、ジェヴォーダンの獣と言われる存在が、記録的な数の人間を殺した話が残されている。
だが、これらは日根見ちゃんによると、かなり疑わしいという。
まず狼は襲うにしても家畜がほとんどで、わざわざ人間を襲うようなマネをしないという。
襲うとしたら。それは野犬だ。
野犬は基本的に人間を一切恐れていないこともあり、一度野生化すると人間に対して極めて危険な存在になる。
此奴は、恐らくそれが魔として扱われた存在だな。
そう判断すると、飛びかかってきた一体を受け流して、鉄パイプで一撃。立て続けに四体を打ち砕く。
後ろから飛びかかってきた奴をすっとよけて。そのまま中空にホームランしてやる。山犬はまあこんなものか。
まだまだ周囲は獣だらけ。
体力を使うわけにはいかない。
呼吸を整えると、ほうと面白そうに言いながら、間を詰めてくる魔。大型犬より更に大きい。
普通、大型犬が本気になったら人間なんて瞬殺である。
軍用犬のシェパードなどは、人間の腕など骨ごとかみ砕くパワーを持っている。それくらい凄まじい身体能力差があるのだ。
だが、相手は知恵を得た代わりに獣の力を減らした魔。
一瞥。
日女さんは、巨大な山猫と、熊の魔を同時に相手にして、押し気味に戦っている。
菖蒲さんも相当に戦っているが、あれは限界が近い。
此奴を下して、一気に戦況を変える。だが、そう思った瞬間、後ろから凄まじい勢いで何か襲いかかってきた。
全力で受け流しつつ、地面にたたき伏せる。
その瞬間。
間近にまで、もう一体が来ていた。
踏み込む。すっと立ち位置を変える。だが、相手が鉄パイプに食いついてくる。凄まじい駆け引きを秒の間にこなしつつ、六度のフェイントを流して、がっと弾き合う。
たたき伏せたもう一体は、更に大きいが。
立ち上がってくる。
そして二体が融合していた。
「クルトーよ。 こやつはどうやら私が食い荒らしてきた魔祓いどもとは比較にならんようだ。 連携するぞ」
「ジェヴォーダンの。 くれぐれも足を引っ張るな」
「くくくっ、魔になって、実際の肉を味わうことは出来なくなったが、代わりに恐怖と絶望がこれほどうまいとは思わなかった。 このすかした顔を恐怖に染め上げた時、どれほどうまかろうか」
「……くだらんな」
大きいのがジェヴォーダンか。
ジェヴォーダンの獣には、一説にはアフリカから持ち込まれたハイエナ説があるらしい。ハイエナは小さいと勘違いされているが、大型犬以上のサイズを持ち。生態系の激戦区であるアフリカで、ライオンらの猛獣としのぎを削っている優秀なハンターだ。死肉食いのイメージがあるが。
実際にはライオンなんかよりよっぽど高い狩りの成功率を誇る。
二体が融合すると、凄まじい気迫がほとばしる。
人間を殺す。それに特化だけしたイヌ科の伝説二体が融合。それは手を抜くわけにはいかないな。
ケルベロスが、アドバイスしてくる。
「初撃は必ず防げ」
「わかった」
「行くぞ! 極上の絶望を見せろっ!」
距離を取った、強いて言うなら「人食い狼王」。実体がないからこそ、それはもはや魔であると言える。
そもそも此奴、狼ではない。
分かっているから、日根見ちゃんから聞いた情報を元に、すっと態勢を低くする。
それで、相手が躍りかかってくる。
普通イヌ科は基本的に押し倒しに来る。人間を倒してしまえば、その戦力が半減することを知っているからだ。
足を狙ってきたりもするが。
いずれにしても、基本はまず倒すこと。それが最上であることを知っている。
だが、燐火は低い態勢まで伏せた。だから、敢えて上から飛びかかってくる。だが、これは。
伸び上がるようにして、上体を跳ね上がる。
文字通り、孤月を描くようにして、全力の一撃を振るい上げる。
剣道にはないが、剣術にはあるいくつかの技は、見て覚えた。どれも実戦で使うつもりはないが、使えるタイミングはあるかもしれないと思ったからだ。
そこで人食い狼王が、体重に任せて潰しに来るが。
それが狙い。
初撃が、振るい上げた体を捕らえ。そして伸びきった体を押さえ込むようにして、人食い狼王が傷を受けるのを気にせず来るが。
其処で不意に全力を引き、今度は下に抉りこむようにして、たたきつける。
切り上げて、切り下げる。
いわゆるツバメ返しだ。
しかもツバメ返しに使ったのは、あまたの魔を打ち砕いてきた神器鉄パイプ。地面を砕きながらめり込んだ人食い狼王は、あからさまに悲鳴を上げたが。
それでも倒しきれず、がっと鉄パイプを跳ね上げてくる。
だが、その時。
燐火は既に、移動していた。
一瞬燐火を見失った人食い狼王が首を上げた瞬間、その首を真横から鉄パイプでフルスイングする。
歩法によって、立ち位置をずらし。
燐火を探すために首を上げる事を想定した地点に立ち位置を変えていたのだ。
首が吹っ飛ぶ。
だが、即座に首が生えてくる。
恐らくジェヴォーダンが今ので戦闘不能になり、内部にいたクルトーに切り替わったのだ。
即座に凄まじい速度で、押し倒しに掛かってくる。
それが狼だったら。
本物の狼であったのだったら、対応できなかっただろう。
ぬるりと燐火は動く。
歩法は工夫次第でこういうことが出来る。
速度を任意に調整することで、相手の視覚を攪乱する技だ。これによって打撃点をずらし、相手に瞬時に接近してきたように、離れたように錯覚させる。
通称縮地。
極めて地味な技だが、それでもクルトーが、鋭い牙をむき出しに飛びかかってくるのを。直撃点を避け。
抉り上げるようにして、その体の真下から、一撃をたたき込む。
跳ね上がるクルトー。
だが手応えがぬるい。
しかし、落ちてきたところに、とどめの一撃を入れる。
横殴りの一撃を受けたクルトーが。にやっと笑った気がした。そして、その体が砕けていた。
即座にダイモーンを祓う。大量のダイモーンを祓った。「魔」そのものだった人食い狼王も、それに山犬も。燐火のやり方では殺しきれない。
今のは恐らくだが、動きを見るための捨て駒だ。
即座に動く。
熊の魔を、そのまま蹴り砕いた日女さん。全身が燃え上がるように凄まじい熱を放っている。
其処になめらかに襲いかかろうとする山猫だが、間に燐火が回り込むと、すっと離れていた。
ネコ科の方が犬科よりもこの辺りは上手だな。
そう思いながら、周りにまだまだ湧いてくる獣の魔を見る。
菖蒲さんはそろそろ攻勢限界だ。
「あの猫強いぞ。 熊の方はたいしたことがなかったんだがな」
「現実でも熊は人間がその気になれば絶滅させるのは難しくありません。 アフリカでも古くは存在していた熊も、生存競争に敗れて滅びた事実があります」
「……燐火、菖蒲姉の加勢を頼めるか」
「承知」
即座に飛び離れる。
日女さんに、多数の獣が群がるが、ドゴンと凄まじい音がして。まとめて吹き飛ばされていた。
あの魔猫の得意技は遅滞戦術とみる。
だとすれば、燐火が道を切り開くしかない。
突貫。
「行くぞ、俺の偽物!」
「神話で分裂や習合は日常茶飯事! これもまた、ケルベロスの姿よ!」
「黙れッ!」
ケルベロスが、怒号を張り上げながらも、右と叫ぶ。
ステップ。
間一髪でかわしたそれは、キマイラについている……いやケルベロスのぶんかもしれない。蛇による一撃だった。
しかも此奴は蛇が体の一部になっているから、恐らくスタミナ切れを気にしなくても良いはずだ。
菖蒲さんに変わって、燐火が前に出る。
凄まじい巨大な前足を振り下ろしに来るケルベロスキマイラ。
だが、燐火はその一撃を、紙一重で交わす。風圧が凄まじく、かすっただけで即死だと分かる。
しかしここからが本番だ。
抉り上げに来るケルベロスキマイラ。
だが、次の瞬間、飛び退いていた。
地面を何かが抉っていた。
凄まじい爆風に、ケルベロスキマイラまでも飛び下がる。だが食肉目らしいしなやかな動きで、丁寧に間合いを計り直す。この辺りは、巨大化しても神話の獣か。
降ってきたのは林西さんである。こきこきと肩をならす。菖蒲さんが、ふっとその場に倒れていた。
下が腐葉土だから大丈夫だろうが。
本当にギリギリまで、体を削って頑張ってくれたのだ。ここからは、燐火達が頑張らなければならない。
「わしの寺をよう好きかってしてくれたな犬っころ。 その上スキュラだのガルムだの分霊とはいえややこしいのを多数差し向けおって」
「思ったより三十秒ほど早いな。 ダメージも想定より大分少ないようだ。 思ったより出来るではないか」
「ふん……」
燐火を一瞥する林西さん。
この人と連携して、どうにか勝てるか、という相手だ。
しかも今の形態で、である。
菖蒲さんが力を使い切ってダウンした今、戦況は決して良くなっていない。
だが、其処に。
更に戦力が来る。
光が降り注ぎ、辺りで魔のいくらかが蒸発した。上空に強烈な光を放つそれがいて、降りてくる。
ソロネである。
ということは。
エヴァンジェリンさんが、ひいひいと息をつきながら、木の陰にいる。そして、カトリイヌさんも、同じくらいへばった様子で現れる。
本命は護衛の二人。
ただ、エヴァンジェリンさんにもカトリイヌさんにも、重要な役割がある。
ケルベロスキマイラがふっと鼻で笑う。
「これで役者がそろったな。 ヘラクレスはどれだけ頑張ってもここには来られん」
「……」
「俺の相方が相手をしているからな。 流石にヘラクレスの相手となると、命がけの陽動ではあるが」
「ならば貴様を倒せばそれでこのふざけた異変には終止符を打てそうではあるな」
林西さんが構えをとる。
燐火よりも数段格上の使い手だと一目で分かる。この年齢でも、徒手空拳だけで人はここまでやれるのか。
そう師範といいこの人といい、感心させられるばかりだ。
日女さんが、化け猫を追い込んでいるが、しかしあれは日女さんを消耗させるためだけの存在だ。
どこの化け猫かは分からないが、かなり強力な個体だろう。だが、それはつまり。
手札の多くを、この魔獣の王は既に失ったことを意味している。
だが、これまでは恐らく奴の手のひらの上だ。ここから、何かしらの想定外の手がなければ、恐らく負ける。
燐火は冷静にそれを悟っていた。
「さて、そろそろ名乗るとしようか。 失礼にあたると思っていたから、これでようやく俺も気が楽になる」
「……」
「俺の名は「狼」。 人間が悪魔化した狼そのものだ」
なるほど。
エヴァンジェリンさんの仮説がやはり的中したか。複合魔。それもかなりたちが悪い存在だったと言うことだ。
狼の魔は世界中にいる。
北欧神話の強大な狼の魔、フェンリル。
その子ら。
圧倒的な強さを誇るそれだけではない。狼は牧畜圏で嫌われ、多数の魔として貶められた。
それらに加え、食肉目の魔が大量にいたわけだ。
狼のようという表現が使われるほど、狼は人間に嫌われ。そして悪魔化された。
だから、それらの悪魔化された狼の混合体。
それが此奴というわけだ。
だが、それにしては力が弱すぎる。フェンリルがいるだけで、手に負えないと燐火は思ったが。
実際問題、世界中の食肉目の魔が全部融合した存在なんて。それこそ名高いルシファーが震え上がって即座に逃げ出すほどの相手だろう。あのフェンリルだけでもルシファーをしのぐ戦歴を上げているのだから。
なぜこれほど弱体化している。間合いを取りながら、「狼」の様子を探る。それぞれが仕掛ける機会を狙う。狼の眷属で、ソロネの一撃に耐え抜いた魔達も。
其処に、降り立ったのは。
鋭い剣を持った、彫りの深い顔立ちの男性だった。それを見て、ちょっとだけ狼は驚いたようだった。
イオラーオス。
ヘラクレスの甥であり、その力の一部である。
やはりな。ヘラクレスが力の一部だけでもよこしてくるのは想定外だったのだろう。
「……予想外の増援だな。 だが構わん。 いくぞ」
「来るぞ! 総力戦!」
林西さんが叫ぶ。
同時に、燐火の経験した戦いの中で、最も厳しく激しい戦いが始まろうとしていた。
ダイモーンを片っ端から倒していたヘラクレスの元に、日本神話系の邪神が姿を見せる。
その力は圧倒的。
ヘラクレスも、思わず足を止め。そして、纏っているネメアの獅子の毛皮をに手を掛けていた。
世界でもっとも高名な英雄の一角と。
この国で無敗を誇った邪神の中の邪神。
しばし対峙した後。
笑ったのは邪神だった。
「ヘラクレスよ。 人間などの味方をする意味はあるのか?」
「くだらん問答だな」
「そうか。 迷いがない事は良いことだ」
「……私は古くは狂気に苦しめられ、愚かしい人間の業を散々見てきた。 今更、という話でな」
くつくつと笑う邪神。
ヘラクレスも苦笑い。
両者の間が帯電し、雷が落ちそうであるが。
しかしどちらも仕掛けない。
仕掛けた瞬間、総力戦になるのがわかりきっているからである。
邪神は手を広げて言う。
「いっそこちらに加わらないかヘラクレスよ。 貴様にとっても都合が良い話はいくらでもあるが」
「……神話から物語に堕したことで、私には良かったことがいくつかある」
「ふむ?」
「私は神話の時代は獣も同然の存在だった。 ヘラのせいで狂気に苦しめられた? 違うな。 私は獣性の権化であり、それが狂気という形で現れただけだ。 英雄? それはあくまでネジが外れたただの凶猛な存在に過ぎない。 魔をただ殺すだけの装置に私はすぎなかったのさ。 だが、物語になって、私は行儀が良い存在だと思われるようになった。 奇しくも、私がなりたかった存在に、私はなることができたのさ」
それを聞いて。
邪神はぴくりと眉を動かしていた。
そして、高笑いを始める。
ヘラクレスも、同じように高笑いを始めていた。
「そうかそうか。 物語と堕す事で、むしろ望み通りの存在になれたか! それは希有な例であろうな!」
「あの冷厳なゼウスは剽軽なスケベ親父に、あの淫乱の権化であったアフロディーテは美の化身と生まれ変わった。 奴らはそれを納得していなかったようだが、私はそれを見て良かったとさえ感じたよ。 勿論奴らの神話は残っている。 だから奴らの実像、実際の信仰を知っている者達もいる。 だが既に少数派だ。 私は、今のあり方であれば、人間に与するのも悪くはないと思っているさ」
「未だに西欧圏では貴様等ギリシャ神格のことを邪神扱いしている場合もあるようだがな。 ゲームなどでも、マイナーな戦神に貴様が惨殺されたりするようなものもあるようだが?」
「ゲームで言うならば、私の栄光というゲームもあるらしいぞ。 私がそもそもヘラの栄光という意味の名だから、栄光と栄光が被ってしまっているがな」
双方、現在文化にはそれなりに知識がある。
だから、邪神はそれでぴたりと笑うのを止めた。
距離を取ると、それぞれがにらみ合いに入る。
会話は止まった。
ここからは千日手だ。
戦いになれば、最終的にはヘラクレスが勝つだろう。だが邪神は邪神で、手札をいくつも持っている。
この国の天津の神々が倒しきれなかったその実力は伊達ではない。
単純な力で言うと、ヘラクレスは圧倒的だが。
それでも邪神の実力は、それに決して劣るものではないのだ。
「さて、ケルベロスは燐火とともに戦えているかな。 私はこの邪神を押さえ込むだけでいい」
内心でヘラクレスはそうつぶやいていた。
ダイモーンは心配だが、各地に展開している魔祓いの実力は想像以上だ。
層が厚いこの国の魔祓いは、ヘラクレスを、もってしても。
侮りがたしと言えるほどの実力を有しているのだった。
3、狼王
真正面から、林西さんがケルベロスキマイラの猛攻を受けて立つ。まるで千手観音か何かが戦っているかのようだ。
その隙を燐火はうかがう。
冷静に立ち回れ。
ケルベロスはそう言う。至近距離で何度も致命的な攻撃が炸裂する。何度も蛇が食いついてくるが、林西さんが不動明王とともに捌く。
「ほう! 以前以上に腕を磨いているな!」
「この間は不意打ちであっただろうが!」
「そうかそうか、それはすまなかったな。 俺はあくまで獣の論理で動く。 おまえ達が「人間化」したとしてもだ」
「……」
抉り上げるような蹴りを林西さんがたたき込むも、ケルベロスキマイラは多数の蛇を盾に使い。しなやかな体を使って受け流す。
戦いはほとんど動かないケルベロスキマイラと、林西さんの横綱相撲に見えてきていたが。
実態は違う。
カトリイヌさんが、やっと菖蒲さんの側に到達。
エヴァンジェリンさんごと、ドミニオンが壁を作ってシェルターにする。エヴァンジェリンさんは、ルーンを詠唱開始。
印を複雑に組んでいた。
周囲はありとあらゆる獣の魔が、一斉に襲いかかってくる地獄絵図。日女さん、エヴァンジェリンさんの護衛二人が、絶倫の体術で捌いているが、それもあまりの凄まじい物量に飲み込まれそうだ。
その中で異彩を放っているのがイオラーオスさん。
剣を振るって、淡々と突っかかってくる獣を切り倒している。余裕綽々という感じだが、あれは違うなと燐火は判断。
ケルベロスキマイラも明らかに警戒している。
ヘラクレスの甥で、今は一種の分霊として活動しているイオラーオスさんだ。その戦闘経験や知識をある程度引き継いでいるのが想定される。
しかも想定外の不確定要素。
あの狡猾さだからこそ。
警戒を必ずする。
燐火は動く。
足下から食いついてきた蛇の魔。半透明なそれは、明らかに食いつかれるとまずい牙をむき出しに襲いかかってきたが。動きを冷静に見切って、鉄パイプではじき返す。ばちんとはじかれたそれに、至近距離から聖印を打ち込む。
ケルベロスキマイラから分離したそれは。いや、これ自体が何かしらの神格だとみていい。
「アペプよ。 その娘を押さえ込め」
「良いだろう」
「気をつけろ燐火! そいつはエジプト神話の大邪神だ!」
エヴァンジェリンさんが警告してくる。
そうか、そんな神格まで取り込んでいるのか。
だが。
感じる力が、あまりにもか細い。エジプト神話は既に信仰する存在さえおらず、物語とさえ親しまれていない。
アペプは名前を聞いたことがある。
太陽神を毎晩襲撃する魔で、倒されても即座に復活する。これは日中と夜の交代を神話化したものとされていて。世界の終わりにはアペプが太陽神を倒してしまうという話もある。
とはいっても太陽神はそもそも神話でセトに殺されている。不滅とはエジプト神話では設定されているが、毎回殺されてもいる。
つまり、その力は限定的だということだ。
立て続けの残像を作っての猛攻を防ぎつつ、フェイントからの一撃を鉄パイプで受けると、ひねって地面に放り投げる。弧を描いたアペプは、空中で鉄パイプを放すと、毒液を吐いてきた。
毒吐きコブラか。
強烈な毒を放ってくるコブラで、現実にも実在している。
その毒は正確に目を狙ってくる上に、目に入ったら失明確実。
ましてやアペプが放つ毒など、どれほどの危険性があるかしれたものではない。歩法を駆使して、回避する。
二歩、三歩、立て続けに下がって、それで滑るように回避。同時に残像を作って迫ってくるアペプ。
毒吐きは連続では出来ないはずだ。
そのまま躍りかかってくるが、速度に関しては悪いが見切った。
躍りかかってきたところに、すっと受け流し。首をつかむと、地面に躍り込むようにして、ねじ砕いていた。
しばし暴れていたアペプだが、それで動かなくなる。聖印をたたき込んで、そして祓う。
完全に滅ぼすのはエジプト系の魔祓いがいるだろうと思ったのだが、聖印が思った以上に効く。
アペプが消えていく。
「ギリシャ神話とエジプト神話はかなり近い。 それに……」
「どういうこと?」
「アペプはこんな程度の魔ではない。 恐らくだが、抜け殻に近い状態を、ダイモーンと融合させることで無理矢理に実体化させていたのだろうな」
そうか。
立ち上がると、アペプに黙祷。
そして、再び襲いかかってきた何かの犬の魔を、鉄パイプで無造作に粉砕していた。圧倒的な物量に、とにかく距離が開くばかりだ。林西さんとケルベロスキマイラの戦いには。ちょっと立ち入れそうにない。
だが、その時。
イオラーオスが弓矢を取り出す。
瞬間、ケルベロスが好機と叫んでいた。
燐火も即座に動く。
知っている。ヘラクレスの最大武器。それは、ヒドラの毒を塗った矢だ。本人自身が天空を支えるほどの剛力の持ち主だが、ヒドラの毒は不死者をもって不死を解除して殺してくれと懇願するほどの地獄をもたらす。
ギリシャ神話系の神格が、それを知らないはずがない。
明確に警戒したケルベロスキマイラが一瞬だけ注意をそらした瞬間、懐に潜り込んだ林西さんが、渾身の正拳をたたき込む。
それで、巨体が揺らぐ。
林西さんに、頭上から多数の蛇をたたき込むケルベロスキマイラだが、それを不動明王が燃える剣で一瞬で焼き払う。
崩れる均衡。
だが、燐火が射程圏内に入った瞬間。
悪魔化ケルベロスとキマイラが分離。キマイラは大ダメージで動けない様子だ。悪魔化ケルベロスに、燐火は即座に間合いを詰める。
キマイラに、矢が突き刺さる。
燐火が体勢を立て直そうとする三つ首の悪魔犬に、至近距離から聖印をたたき込みつつ走る。
炎を吐いて迎撃に来る悪魔化ケルベロスだが。
こいつの本命は雷の筈だ。
すっと息を吸い込むと。
かっと、全力で喝を放って炎を吹き飛ばす。目くらましを利用して、やはり三つ首の中央から、雷撃を放とうとしていた。
一瞬の均衡を。
燐火から崩す。
素早く左右に歩法を駆使して移動。悪魔化ケルベロスが白濁化している目でそれをにらみつつ、雷撃を放ってくるが。
割り込んできたのは、ドミニオンだ。
盾を展開。
雷撃を防ぎ抜く。
「なんだとっ!」
「雷は我々の専売特許。 一神教に取り込まれた以上、貴様は我らには勝てぬ!」
「お、おのれ! 勝手に悪魔化した上に、そのような……っ!」
その時。
燐火が間近に。
ケルベロスが、冷酷に吐き捨てていた。
「さらばだ偽りの俺」
「ち、ちくしょ……」
鉄パイプの一撃が、悪魔化ケルベロスの背骨を打ち砕いていた。そのまま、倒れ込んだケルベロスに、聖印を連続してたたき込む。
更に、カトリイヌさんが、突貫してきて。
何かの剣で、悪魔化ケルベロスを突き貫いていた。
凄まじい悲鳴を上げながら、悪魔化ケルベロスが消えていく。
やはり突き技が本命か。
呼吸を整えながら、カトリイヌさんが頷く。
さて、どうなった。
キマイラが、消えていく。
だが、ケルベロスキマイラの形態を解除した「狼」のプレッシャーは衰えていない。それどころか、林西さんを圧倒せんばかりに押し込んできている。
それは巨大な犬であり、炎を纏いながら突貫しては林西さんにぶつかっていた。不動明王が防ぐのが必死の一撃だ。
カハハハハと、笑う。
「さあて今度は何であろうな!」
「中華の天狗、それもその首領たる存在だな」
「ふっ、知っていたか! 月を食らい、流星の王たる存在の一撃、どこまで防げるかな!」
多芸な相手だ。
燐火は走る。
林西さんは、何か読経をしている。これは、狙いがある。
凄まじい速度で暴れ狂う天狗化「狼」は、四方八方を燃え上がらせながら、猛攻を仕掛けてくる。
キャラがどんどん変わるな。
早すぎて、イオラーオスさんも弓矢を下ろして、剣に切り替える。
多数の獣はまだまだいる。
日女さんもそろそろ危ないか。
だが、その時。
たんと、地面にエヴァンジェリンさんが手をついていた。
「大地の神々よ! 大地に縛られし獣たちに、ルーンの束縛を!」
「!」
見るからに凄まじい大技が炸裂する。
燐火は走りつつ、動きが止まった大物を、数体鉄パイプで殴り倒す。天狗がなんだととぼやくと、舌打ちして林西さんに突貫。
これは、最初から捨て石としての形態だな。
カトリイヌさんも数体の獣をなんだか凄い刺突剣で貫いていたが。
燐火の動きを見て走る。
そして、凄まじい流星となって林西さんに突貫してきた天狗に対して、ドミニオンが壁を展開。
そんな壁。
打ち砕いてくれるわ。
そう叫んだ天狗が、突貫するが。
その壁を撃ち抜いた瞬間。
完璧に呼吸を合わせた燐火が、天狗の顔面に、フルスイングで鉄パイプをたたき込んでいた。
態勢を完全に崩した天狗は、自分の速度もあって自爆。
其処を、不動明王に一刀両断されていた。
だが、天狗がかき消えると同時に、内部からまた何かが現れる。
流石に燐火もそろそろまずい。体力を冷静に分析できるようになってきている燐火は、それが判断できる。
着地したそれは、いや、あれはなんだ。
もやもやではない。
形がよく分からない魔ではないが、それはそれとして、形容しがたい姿をしていた。
それは四つ足ではあるのだけれど、不可解な動きで、こちらに迫ってくる。毛が抜け落ちていて、そして目がらんらんと輝いていた。
イヌ科か、あれは。
だけれども、どうも妙だ。
「……何かのイヌ科の怪異だな。 それも非常に新しいぞ」
「分かった。 とにかく対応……」
反応できたのは、奇跡に近い。
いきなり真後ろにそれが移動して、食いついてきたのだ。一瞬遅れれば、確定でやられていただろう。
鉄パイプで防ぐが、凄まじいパワーで押し倒しに来る。
それだけじゃない。
さっと離れると、また姿を消す。
右往左往しているカトリイヌさんに、今度は襲いかかるそれ。
ドミニオンが食いつかれる。
見る間にドミニオンがダメージを受けていくのが分かる。
「ぐっ……! き、貴様現代怪異だな……!」
「くくく、そうだ。 チュパカブラという」
「な、なんだそれは」
「UMAとして一時期騒がれた存在ですわ! 放しなさい!」
鋭い刺突を、空間転移で交わすチュパカブラ「狼」。
すっと地面に降りると、また空間転移する。
名前は聞いたことがある。
中南米に出現する不可解な生物として話題になった存在だ。一時期は宇宙人ではないかとか、どこかから逃げ出した生物兵器ではないのかとかも言われたようだが。
実際には病気で毛が抜け落ちたイヌ科の動物が、そう誤認されただけというのが真相であったらしい。
だが、その神出鬼没ぶりを、空間転移に応用したか。
更に、横殴りにドミニオンに食らいつくチュパカブラ。首筋をもろに抉られたドミニオンが消えていく。
断末魔も残せないが、カトリイヌさんが力を注げば復活はさせられるはず。
しかし後見人に等しいドミニオンを倒されたカトリイヌさんが、激高する。それを狙っていたはずだ。
鋭い一撃が、チュパカブラを抉る。
燐火はその間、冷静に周囲を確認。
日女さんは熊の魔を四体同時に相手取っている。
カトリイヌさんの護衛二人も、かなり強大な獣の魔の相手で手一杯。
エヴァンジェリンさんは全域への支援と壁の展開で限界。それに、恐らくは最後の切り札を今練り上げているはず。
そして、である。
まずいことに、林西さんはさっきの天狗との戦闘でのダメージで、かなり参っているようだ。
イオラーオスさんがカバーに入り、立て続けに襲いかかってくる魔をいなし続けているが。
まずい。
完全に相手のペースだ。
一人倒されれば、一気に崩される。
だからこそ、燐火は。
冷静さを失い、辺りにイタリア語らしい言葉で何か叫んでいるカトリイヌさんに歩み寄ると。
その首を横から食いちぎりに来たチュパカブラ「狼」に対して、回し蹴りをたたき込んでいた。
全員の立ち位置、更に対応できない地点。
その全てを読んだ上で行動だ。
蹴りが完璧に入り、チュパカブラ「狼」が一瞬だけ、動きを止める。其処に、振り返ったカトリイヌさんが、裂帛の気合いとともに刺突剣での一撃を入れていた。
にっと笑うと、チュパカブラ「狼」がかき消える。
そして、凄まじい威圧感が噴き出していた。
雷が落ちるようにして降臨するそれ。
銀白の狼。
間違いない。
あれがフェンリルだ。
恐らく「狼」の切り札。
そしてこれを出すまでに、林西さん、菖蒲さんを消耗させつくし。日女さんも押さえ込み。カトリイヌさんもドミニオンを失った。
更に言えば、燐火も消耗が激しい。
歩法をずっと使い続けていたのだ。
前にフルーレティ相手に実戦投入したときとは体力も練度も段違いに上がっているが、それでも全然足りない。
呼吸を整える。
訳が分からない能力持ちの相手ばかりだ。
一撃でも貰うわけにはいかない。
だからその代償として、猛烈に体力を消耗し続けた。そう長くは戦い続けられない。それが分かっているからこそ。
このタイミングで、満を持してフェンリルが出てきたことは非常にまずい。
「それでは仕上げと行こうか。 まずはこの、くだらんルーンからだ!」
うぉん、と。
凄まじい気迫を込めてフェンリルが吠える。
それだけで、エヴァンジェリンさんが用意していたルーンが消し飛んでいた。
獣たちが一斉に攻勢を強める。
世界でも最強の獣の魔の、雄叫びに答えるように。
エヴァンジェリンさんが壁を解除。
それも読んでいたようだった。
「前にスコルに使ったあれはグレイプニルだな。 だが、知っているはずだ」
「……ラグナロクの時、フェンリルはグレイプニルを引きちぎってしまう」
「その通り! スコルやハティならともかく、俺にあれは効かぬ!」
「それはどうだろうな! 天才たる私を」
エヴァンジェリンさんを、その時日女さんが一喝した。
熊の魔三体をたたき伏せ、残る一体から熊パンチの一撃を貰い。吹っ飛ばされ。それでも立ち上がりながら、だ。
「よせ! それが狙いだ!」
「っ……」
「ここで多少まだ頭に血が上っていない奴がいたか。 まあいい。 まとめてひねり潰すだけのことよ。 フェンリルの強さは知っておろう。 止める手立てが、あると思ってくれるなよ?」
歩き出すフェンリル。
まずいと判断したか、カトリイヌさんの護衛の若い方が前に出る。ソロネは獣を押さえ込むので手一杯。
だが、フェンリルがふっと息を掛けるだけで吹っ飛ばされていた。
冗談じゃない。
これほどまでか。
これで弱体化しているのか。
それにだ。「狼」が、化身を倒しても倒しても弱らない理由がようやく理解できた。フェンリルが電池になって、力を供給し続けていたのだ。それは雑多な魔なんか、どれだけ束になっても操れるわけだ。
これはまずいぞ。
そう燐火は悟る。
林西さんは襲いかかってきた獣との戦いで手一杯。
セバスティアンさんも、十体近い魔と戦闘し続けていて、こちらに手を出す余裕がない。
ふらふらの上に、まだ頭に血が上っているカトリイヌさんに、燐火は声を掛ける。
「あいつ、何かを狙っています。 恐らく決定的な損害を払わせるつもりだと思います」
「分かっていますわ! どうしてそんなに冷静でいられますの!」
「負けたら死ぬからです」
「……」
元々、一度は死んだ身だ。
燐火は生まれながらにして、人生に見放された存在だった。それが、ケルベロスのおかげでやっとまともな人生を送り始めることが出来た。
だから、だからこそだ。
ここで、ケルベロスが。おとうさんとおかあさんが。杏美が。
涼子をはじめとする友達が。
くれたものを台無しにするわけには行かない。
集中。
奥義に出る。
戻ってきたカトリイヌさんの若い方の護衛が、ソロネを側に呼び寄せる。一瞬だけ、時間を作る。
そういう意図が分かった。
フェンリルは平然と歩み寄ってくる。
其処に、カトリイヌさんの護衛が突貫。ソロネが、強烈な光をたたき込む。だが、フェンリルは悠然と歩いてくる。
それだけじゃない。
ただ一喝するだけで、ソロネが消し飛んでいた。
「それで?」
「Amen!」
鋭い一撃。
浄化の光が完全に入るが、フェンリルは涼しい顔である。
更には、絶倫の技量で、フェンリルにあらゆる体術がたたき込まれる。だが、まるで素手で熊に立ち向かうように。
フェンリルはうるさいといわんばかりに、カトリイヌさんの護衛を吹き飛ばしていた。
カトリイヌさんの護衛が弱いわけじゃない。むしろあの人、林西さんと並ぶくらいの使い手だ。
フェンリルがやばすぎるのだ。
分析を続ける。
というか、今ので、分析は出来た。
なるほど、そういうことか。これほど強いのだったら、最初から出してきてしかるべきだったのだ。
それをしなかったのには、理由があったのである。
燐火はついに看破する。
先に決めておいたハンドサインを出す。
エヴァンジェリンさんは、それを見て頷いていた。
カトリイヌさんに耳打ち。
いつの間にか、背丈の差も、だいぶ縮まっていた。まだカトリイヌさんの方が背が高いが。
同時に仕掛ける。
フェンリル「狼」が、そのまま進んでくる。
裂帛の気合いとともに、イオラーオスさんが後方から矢を放つが、尻尾を振るうだけでそれをたたき落とす。
更には時間差でイオラーオスさんが恐らくヒドラ毒を塗っている剣をたたき込むが、毛皮を貫通さえできなかった。
フェンリルは神々が総出でも殺せず。
ラグナロクの時まで、鎖でしばるしかなかったほどの魔だ。
圧倒的すぎるその強さは、ここで顕現されている。
ましてやラグナロクでフェンリルを倒したヴィーザルが既に倒れてしまっている今。
フェンリルは文字通り無人の野を行くだけなのである。
カトリイヌさんが、イオラーオスさんが吹っ飛ばされると同時に刺突を連続で仕掛ける。その全てが、目を狙っていたが。
銀白の毛皮どころか、眼球にさえ傷一つつけられなかった。
それだけじゃない。
ふっと息を吐くだけで、台風なみの風が起きる。
フェンリルの戦力は、近年粗製濫造されている小説に出てくるような「なんだか強い狼魔物」なんて次元じゃない。
文字通りの大魔王なみ。朝飯前に国複数を蹂躙し尽くすほどのものだ。
物語に堕してもこの強さ。
だが、この強さ、弱点がある。
爆風の中、燐火が迫る。
鉄パイプを、脳天にたたき込む。ふんと笑うフェンリル。それで、何か言おうとした瞬間だった。
エヴァンジェリンさんが、何かしらのルーンを発動する。
それを受けたのは。
カトリイヌさんだった。
「!」
何か言おうとしたフェンリルの口に、カトリイヌさんが手を突っ込む。その瞬間、しまったと顔に書いたフェンリルだったが。
次の瞬間、その口は、上下に鋭い音とともに、引き裂かれていた。
飛び離れる。
カトリイヌさんが、大きく肩で息をついている。
そして、へたり込んでしまう。
限界を超えたらしい。エヴァンジェリンさんも、無理をしていた中、これだけのルーンを放ったのだ。
力なく、ぱたんと倒れていた。
フェンリルが消えていく。
燐火は見切っていた。フェンリルは衰えきった力を、防御と攻撃、それぞれにその瞬間集中することで発揮していた。
だから達人の攻撃でさえいなしきり。
その後の反撃で吹き飛ばしていた。
ゆっくり歩いていたのは、余裕からじゃない。そうすることしか出来なかったのである。
達人がやるような、後の先、という奴だ。
獣はそれそのものが達人である。
師匠が言っていた。
それだけじゃない。狼は、様々な化身を使って、燐火達の動き、戦術、全てを学習していた。
それもあって、多少のイレギュラーはあれど、それでもどうにもならなかったのだ。
だが、その後の先を利用した。
エヴァンジェリンさんは、ルーンを用いて、ヴィーザルをカトリイヌさんに憑依させたのである。既に実体化状態で倒されていたヴィーザルに、エヴァンジェリンさんのルーンに対抗する力はなく、強制的な神おろしは成功したのだ。
フェンリルはそれで口を引き裂かれて倒れた。
だが、まだまだ周りにいる獣たちは元気だ。少なくとも、疲弊しきった日女さんと、セバスティアンさんを圧倒し。
林西さんもイオラーオスさんも動けなくする程度には。
降臨する。
奴の本体が。
それは、狼だった。若干黒ずんだ灰色。そして、その大きさは、大型犬の比ではない。
燐火は、そいつの正体を看破していた。
「狼王ロボ……!」
「そうだ。 俺は狼王ロボ。 人間に妻を殺され、復讐のためにこの地に来た」
「貴方はどちらかというと誇り高い狼王として伝承に残り、シートンの作った物語で知られているはず。 なにゆえにこのようなことを」
「それはあくまで人間の視点による敬意だ。 北米を好き勝手に荒らし、俺たちの生活を滅茶苦茶にした挙げ句、悪魔呼ばわりして追い回し。 そして俺の妻まで殺した。 俺はただ、狼の群れの長として、その場にいたかった。 その、ただの狼の長としての座を、俺は取り戻す。 俺はただ、それだけが願いだ」
そうか。
この狡猾すぎる知性。
スコル程度で再現できるわけがないのは、どうして看破できなかったのか。
専門家であるシートンですら翻弄した、最強の知性を持つ狼。人間のあらゆる罠を看破し、妻の死で動揺するまでは一切の攻撃を退け続けたまさに狼の中の狼。
フェンリルですら物語の存在に過ぎないのに対して。
ロボは実際に生きた狼であり。その写真も剥製も残されている。つまり、実在した本物の狼王。
人間が想像した凄い狼なんかよりも、数段格上の、文字通りの「本物」なのだ。それが貶められた。
フルーレティがなりたかった存在だと言ってもいい。
貶められた者だと言う点では、共通しているが。
人間が如何に敬意を払おうが。それはあくまで人間の視点。
ロボの怒りと悲しみが消えるわけがない。ロボを討ち取ったシートンは後悔しその誇り高さを物語に残したが、ロボはただ己を取り戻したかったのか。
「もう一柱、日本神話の邪神がいましたね。 あの方と手を組んだ理由は」
「このために手を打ってきた。 ダイモーンなんて代物も散々取り込んだし、横やりを入れてくるオーディン一派も始末した。 ここまでで、貴様には既に理解できているのではないのか」
「……善悪の反転、価値観の変遷ですか」
「そうだな。 その通りだ。 この国にダイモーンを大量展開し、更には世界中に広げることで。 今の善悪の基準を壊す。 それから、俺たちの本当の時代がやってくる。 残念ながらこの世界は人間の観測によってある程度決まっている部分がある。 だったらそれを現実的に利用してやるだけだ」
狼王ロボはそう言うと。
ふっと悲しげに笑った。
人間の価値観が今のままである以上。特に万物の霊長とかいうふざけた価値観が蔓延している以上。
人間にこの先はない。
狼王ロボは、最強の動物の怨霊と言える。
日本では怨霊が圧倒的な力を持つが。それもあって、この地では想像以上の力を発揮も出来るのだろう。
燐火は構える。
最後の奥義で相手をする。
狼王ロボは、それをするのにふさわしい相手だ。最強の手札であるフェンリルさえも、勝つために全て切り捨てた。そんなクレバーさすら持つ圧倒的な狼。全てを出し切らないと勝てない。
師範から授かった奥義は、まだ未完成だが。
それでも、ここでその最後まで、見せる必要がある。
フルーレティとの戦いでは、その一端を見せたに過ぎない。今までの戦闘で使っていたのは、余技に過ぎない。
今、動けるのは燐火だけ。
他の皆はもう限界だ。
ロボもロボで、使える手札を使い切り。
燐火を倒せる状態を作り出したと言える。だったら、ロボに見せていない奥義が勝負の決め手になる。
今までのスコルや他の魔の獣との戦いは。
全てロボに記憶されている。
そしてすべからく猛獣は達人と同じ動きが出来るという師範の言葉の通り。今目の前にいるロボは、本物の達人が命を賭ける価値がある相手だ。
燐火は息を吐き出す。
「平坂燐火。 貴様を必ず殺すための態勢を作り上げたのは、貴様がダイモーンに対する特攻兵器となりうるからだ。 ヘラクレスですら及ばぬ対ダイモーンの特攻存在にいずれなる。 だから俺が勝たなければならない。 この人間どもの観測で動いている世界で、せめて元の姿を取り戻すために!」
「……行きます」
「来い」
ロボは知っている。
既に燐火が入っている事に。
超集中状態。
そして、歩法の体力消耗が尋常ではなく、それほど長い時間戦うことが出来ないという事をだ。
勝負は一瞬になる。
持久戦を選択すれば、ロボは確定で勝てた。
だがイオラーオスさんの参戦もあり、そのもくろみが崩れた。だったら、ロボも一瞬での燐火の抹殺。
喉笛を食いちぎる手に出るはず。
勝負は一瞬だ。
動く。
先に仕掛けたのは燐火。緩急をつけつつ、歩法でロボに迫る。
ロボはその動きを冷静に見ながら、すっと下がろうとして、それで足を止める。気づいたか。
この辺り、フルーレティより格上だ。
だが、これは対達人用の歩法。
ロボは明らかにおかしいと悟ったのだろう。下がるのをやめて、それで。燐火に接近を許す。
のこり、三手。
ロボは燐火の動きをそれでも冷静に見る。
人間なんて問題にもならない猛獣が、凄まじい集中で燐火を見ている。そして、ここで生きてくる。
本来のロボだったら勝てない。
それは分かっている。
だが今のロボは、シートンの動物記の影響をどうしても受けている存在だ。狼王という、人間の思想が入り込んでいる。
だから本来以上に知恵は回るが。
野生動物としての力は落ちている。
だがそれでも、燐火の幻惑する歩法から、最善手で回避。
次の瞬間、分かっていたはずなのに、全身を地面にたたきつけていた。
のこり、二手。
跳ね起きながら、ロボはダメージに明らかに困惑する。だが、即座に立て直す。これはまずいと判断したのだろう。
困惑しつつも、それでも立て直すのが早い。
打撃を受けてももう構わない。
そう判断したロボが、歩法の幻惑から逃れようと動いた瞬間、また燐火が間合いを詰める。
間合いを詰め合った燐火とロボ。だが、こういうときに、頭が回りすぎる事が弱点になる。
ロボは明確に、無理に体をひねる。
あと、一手。
「おおおおおっ!」
多数の何かが、ロボから射出される。その中には、白い毛並みの狼がいた。恐らくは、ブランカ。
ロボの妻だったという、美しい狼だ。
ロボが敗れるきっかけになった存在でもある。
恐らく、ロボの群れの狼たち。その攻撃で、燐火の歩法を乱すつもりだ。燐火が全て紙一重で回避する。
これで、先手を取り戻したと判断しただろうロボ。
だが、その瞬間。
ロボは、また地面に激しく体をたたきつけていた。
「なっ……!」
踏み込むと同時。
渾身の、大上段からの一撃をたたき込む。
ロボの頭に吸い込まれる鉄パイプの一撃。二度の渾身での自爆が、それを回避する力を、ロボから奪っていた。
詰みだ。
直撃。
完全に入った一撃が、ロボの頭を砕く。
その瞬間。
ふっと、ロボが笑った気がした。
「理解したぞ今の技! 最後の俺の同志には、この技の詳細を伝えてやる! 俺は勝てなかったが、捨て石として機能した! 俺の願いは、あいつが必ず叶えてくれる! 人間どもよ呪われろ! 価値観の逆転に苦しみ世界を焼き尽くせ! それが、俺の……おれ……の……」
聖印を切る。
ダイモーンに依存していたロボの力が、一気に爆発し、四散していく。
同時に、辺りに無数にいた魔の獣が、制御を失う。
そして、ちりぢりにかき消えていった。
片膝をつく。
呼吸を整えるが、意識がこれは消し飛ぶな。
ロボが消えた場所に、そのまま倒れ伏す。
ケルベロスが、意識が消える前に。見事、とだけ褒めてくれた。
4、邪神は倒れず
ヘラクレスと凄まじい戦いを繰り広げていた邪神は、程なくして悟る。
そうか、敗れたか。
狼の王。
王の中の王にして、人間がもっとも憎んだ存在の代弁者だった者。
ロボ。
おまえはまさに、狼の王にふさわしい存在だったよ。
そう、すっかり邪悪に染まった邪神ですら、悲しみを覚えていた。
邪神はヘラクレスから離れ、ヘラクレスが放った無数の矢を全てはじき返す。戦闘はここまでだ。
ロボが命がけでつかんでくれた、平坂燐火の奥義の詳細。
それが分かった。
だとすれば、後はあいつを倒せば。
ダイモーンの大量展開で、いずれは勝てる。
あれほどの才覚の魔祓い、十年に一度出れば良い方だろう。今でさえあの実力だ。数年後にはこの国で一線級になり、十年後にはこの国最強どころか、世界でも最強レベルの魔祓いになる。
ヘラクレスを超える日もそう遠くないはずだ。
「ここまでだ。 俺の友が敗れた」
「そうか、おまえもその後を追うといい。 この国の金星の権化」
「ふっ、知っていたか。 まあ魔祓いどもも薄々気づいていたようだし、当然と言えば当然であるな」
からからと笑うと。
邪神は姿を消す。
ヘラクレスは舌打ちしたようだが、残念ながらこの国の魔祓いとずっとやり合ってきた実績は伊達ではないのだ。
そう簡単に捕まるほどとろい性格はしていない。
大量展開していたダイモーンは全て使い捨て。
これから人間どもはそれの対処に負われることになる。
ロボの使っていた魔の獣たちも、統制を失って各個撃破されるが、別に構わない。
今、問題なのは平坂燐火である。
拠点に戻ると、ロボの最後の残り香がいた。そして、平坂燐火が使った技について、説明をしてくる。
「あれは行動の先を完全に読んで、相手を自滅させる大技だ。 一見するとただの歩法に見えるが、違う。 相手の行動を完全に封じ、自傷ダメージを与えるように追い込んで、必殺の一撃を打ち込むことで仕留める。 そういう技だ。 歩法の完成度は極めて高く、達人であればあるほど引っかかるだろう。 分かっていても対応するのは極めて困難だ」
「……ありがとう。 貴様のおかげで、どうにか世界の価値観の変転を成し遂げられそうだ」
「ブランカが呼んでいる。 俺は行く。 しばらくは、再生することもないだろう」
「再生したときは、また会おう。 仮に私が敗れたとしても、私は何度でも繰り返す。 誇り高き狼王。 私はそなたの事を忘れぬぞ。 そなたは私の友だ」
ロボの残滓が消えた。
嘆息すると、邪神は黙祷し。それが終わったら、くつくつと笑った。
さて、仕上げだ。
ロボが倒れたのは想定外だが、邪神はこの国の質が低くない魔祓いと今までずっとやりあってきたのだ。
負けたことも何度も何度もあったが。そのたびに封印から逃れ、ずっと戦い続けてきた。
今回だって、追い込まれているが。
また同志を集めて、何度でも戦うだけだ。
そして今回も
負けるつもりはないし。
もし負けるとしても、次への布石は打つ。
馬鹿馬鹿しい国際化とかいう代物のせいで、色々布石は打てるのだ。邪神もスマホは持っている。
馬鹿な連中が犯罪に使うためのスマホを有している。
電子戦において、邪神の右になど出る者はいない。それらを幾らでも活用は出来るのである。
さて、最後の戦いの布石を打つか。
この国の一線級の魔祓い達を封じ込んだ上で、平坂燐火を殺す。
ケルベロスが憑いていると言っても、限度がある。
ケルベロスは確かに優れた冥界の番犬だが、必ず勝てる。
そう自身に言い聞かせる。
そうすることで邪神はこの国の魔祓いとやりあってきたし。負けたとしても多大な犠牲を強いてきた。
今回も。
最初から負けるつもりで、挑む気などない。
家に帰った燐火は、疲れ果てていた。
それでもルーチンはこなす。
宿題も終わらせる。
これで、中学一年は終わりか。
杏美は、もう寝ていた。珍しくおとうさんが待っていたので、今戻りましたと告げる。大変な戦いをしてきたのを理解したのかもしれない。おかえりなさい、とだけ言ってくれた。
それだけで、どれだけ救われるか分からない。
夕ご飯を終えてから、勉強を済ませる。
後は、体を動かして、ルーチンをこなす。
奥義は、恐らく解析された。
だが、師範が組んだ奥義を、まだ燐火は使いこなせていない。真の達人がくみ上げた奥義である。
その真価は。
今の燐火では、引き出しきれる程度のものではないのだ。
風呂に入ると、流石に即座に墜ちそうだ。
体力が限界である。
「ごめんなさい。 寝ま……寝る、ね」
「歯磨きとかはしたね」
「大丈夫」
「そうか、無理はしないようにね」
まだ時々敬語が出るな。
それでも、大分マシにはなってきたか。
自室に入ると、横になる。背が伸びた分、かなりベッドが狭くなってきたような気がする。
おかあさんもかなり長身の方なのだが、来年、再来年には並ぶかもしれないと言われている。
ちゃんと幼い頃から食べることが出来ていたら。
もっと背は伸びていたかもしれない。
ケルベロスが、寝物語をしてくれる。
「ロボというあの狼、敬意を払うに値する相手だった。 だがあの恨みと怒りも、本物だった」
「今の人間にはあり得ないくらい、愛があって、深かったんだろうね」
「愛の概念なんていい加減なものだ。 狼は一夫一妻を生涯貫く。 乱交型のチンパンジーとハーレム型のゴリラの中間の人間とは習性からして違う。 そういう観点で、ロボの絶望は悲しくなるほど分かる」
人間が妻を失ったのとは。
まるで意味が違う。
そうケルベロスは、話してくれた。
確かにそうだろう。
人間でも理想的な夫婦関係を構築できている夫婦はいるだろうが、それも恐らく年々減っている筈だ。
家父長制が女性の自立がとか言いながら、実際は男性を奴隷化しようとしている連中が「人権」を掲げている以上、そうなるのは当然だろう。
反吐が出る話である。
ロボのあり方は、燐火としても思うところが多かった。
「燐火もいずれ繁殖するときが来るかもしれない。 その時は、ロボのことを思い出してやってほしい」
「分かった。 恐らくは、当面はないと思うけど。 それとそれ、セクハラになるから気をつけてね」
「そういえばそうであったな。 色々と難しい話だ」
苦笑いすると、燐火は寝ることにする。
総力戦の夜は終わった。
そしてこれから始まるのは。
最後に残った、最強の邪神との戦い。
ヘラクレスさんが取り逃したという話は既に入ってきている。ヘラクレスさんともかなり良い勝負をしたという相手。
想定されている邪神はほぼ特定されているが。
それでも、簡単に勝てる相手ではない。
特に現時点の燐火では勝てない。
それがわかりきっているから、どうにかしなければならなかった。
(続)
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