狂獣咆哮

 

序、早速の歓迎

 

燐火は部活に所属するように指示された。ただ、この学校の部活はそれほど酷い内容ではない。

学校によっては、授業に支障が出るレベルで部活を強制したり。

部活の活動内容が内申に大きく影響したりと。

本来は余暇を楽しむための部活を、完全にはき違えてしまっている場所も少なくない。特に平成くらいからこの傾向が顕著であったらしく。運動部や吹奏楽部などでは部活で三年間努力を続けてもレギュラーにすらさせてもらえず、永遠に下っ端だったり。法外な活動費が親に請求されたり。

親にまで大きな負担を強要したりと。

本末転倒の代物が続出していたそうだ。

これらが教師の負担を大きくしていただけではない。

生徒も大きな負担を強いられ、勉強をする暇もないという愚かしい事例が続出していた事もある。

運動部や吹奏楽部などの大会があるタイプの部活ではそれが特に顕著であり。

もはやカルト同然の部活も存在しており。

それに異を唱えたらいじめを受けるどころか。

内申で大きく減点されるなど、学校ぐるみでこういったカルト同然の行為をしていたらしい。

ただ、それもここ数年流れが変わり。

教師の負担が激甚になり、現場が限界を迎えていたこともある。

スクールカーストの害が学校をむしばんでいたという理由もある。

ともかく部活で生徒がボロボロになるような事は避けよう。

そういう流れが主流になり始めている。

燐火の通う中学も、その流れに従っているようで。

ざっと部活を見て回ったが。

昔のようなカルト同然の場所はないようだった。

ただ、それでも。

部活には出ろ。

そう言われている。

仕方がないので、いくつかの部活を見て回る。

運動部でも良いのだが。

燐火については、初日でボクシングで小学校時代悪逆の限りを尽くしていた亀野を粉砕した事もある。

それもあって、あちこちの運動部から、熱烈なアピールを受けて、困り果てる事となった。

一方で日根見ちゃんはあっさりと生物部に入部を決めて。

とても生き生きとやっているようだ。

小学校までは、生物に興味を持つ事自体が気色悪いみたいな風潮があったが、それも中学になるとまるで状況が変わったらしい。

非常に不愉快だと本人はこぼしていたが。

生物部の皆は、日根見ちゃんとは分野が違う生物についての知識があり、連日色々調べてくるので。

とても刺激になるそうである。

また、剣道を新しい家で習っている事もある。

師範が当て身や無手での身の守り方を仕込んでくれていること。

燐火と一緒に鍛えたこともある。

既に運動音痴ではなくなっている日根見ちゃんは、クラスでも走るのが速いほうになり始めていて。

もはや守られるばかりの存在ではなくなった。

これは、燐火もうかうかしていられないな。

そう思って、悩んだ末に。

結局スポーツではなくて、空手部に入ることにした。

女子空手部と言いたいが、人員が少ないので両方混成である。

先生は見たところ、いるだけ。

まあそれでいい。

部活なんかに人生をすり減らされるよりも、楽しんでなんぼだ。

生徒は三年も含めて燐火の相手になる者はおらず。ただ、部長は放任主義で、たまに組み手はするけれど、基本的に鍛錬をしてくれればそれでいいというので、燐火としてはありがたかった。

家でやるルーチンを、部活でこなしてしまうことにする。

黙々淡々と正拳を打ち込むが。

正拳を打ち込むための的が若干もろいか。

工夫して強度を上げる。

それを見て、男子の三年が、唖然としていた。

「平坂、おまえそれで物足りないのか」

「少し強度がもろいですね。 こう……弾性がないと」

「そ、そうか」

男子三年の空手部だが、見た感じあんまり強くはない。ただかじっただけだ。

燐火は合気や柔道のルーチンも、ここでこなしてしまうことにする。黙々淡々とルーチンをこなす燐火を見て、それで生徒達は唖然としているが。

ただ人数が少ないのだ。

それで刺激になるのなら、それでいいだろう。

合気は更に技量を上げてきている。

ゼロ距離から相手に致命打をたたき込む技も、更に磨きを掛けてきている。

的に打ち込む度に、ガンと心地よい衝撃が来る。

だが、それに酔っていては駄目だ。

「今のはわずかに遅かった。 もう少し踏み込みを深くしてみろ」

「うん」

ケルベロスも、妥協なく指導してくれる。

そのまま踏み込んで、再び合気を打ち込む。

そういえば0インチパンチとか、ブルースリーは言っていたのだったか。

いずれにしても、色々な武道で、似たような発想はする。

そういうことである。

無言で合気の鍛錬をした後は、正拳を打ち込み続ける。

燐火は足技を使うつもりはない。

というのも、足技は隙が大きいこともある。

勿論足払いやローは用いるが、回し蹴りやハイキックは向いていないと判断していた。

柔軟性は鍛えているから、その気になれば頭の上まで足は上がるが。

燐火は足を機動力確保に用いたいのである。

勿論機動力確保に用いるだけではなく、場合によってはフィニッシャーとする。

足のパワーは腕の三倍。

そういう事実があるからだ。

ただ、師範から教わったあの歩法。

あの奥義を更に磨くためには、足を打撃に用いるよりは、機動力確保に用いた方がいい。

空手と合気と柔道、それに剣道。

全部がそれぞれ相互に役立っている。

おかあさんもたまに指導してくれるが。

技のさえが凄まじく、燐火も見ていて何度も勉強になる。

本当に天才なんだな。

それが分かるから、刺激になるのだった。

ともかく。学校でルーチンを終える。

部活動も基本的に放課後は一時間だけと決められていて、これは全国標準になりつつある。

昔は野球部で高校野球のトップ選手はそのままプロ入りなんて事もあって、それもあって余計高校では非人道的な部活をやらせていた側面もあるようだが。

子供の頃の貴重な三年をそれでドブに捨てさせる意味が燐火には理解できない。

賄賂を取るのは個人の腐敗。賄賂を取ることを批判できないことが国家の致命的な腐敗。ある小説の言葉らしい。

それに近い。

恐らくだが、部活というのは一度致命的に腐敗してしまったのだ。

だから、今はそれを必死に切り崩している。

世界中の情勢がきな臭い今。

そうでもしないと、未来が作れない。

やっとこの国の政治家達も、そう判断して重い腰を上げたのだろう。遅すぎたのではないかと、燐火は思うこともあるが。

改善しないよりは良いだろう。

ルーチンを終えて、帰る。

途中で日根見ちゃんと合流して、帰路を行く。

つやつやしている。

本当に良い刺激を受けているらしい。

「先輩が原猿にとても詳しくて、刺激を受けっぱなしなの」

「確かロリスとかキツネザルでしたね」

「そうそう! 齧歯類と霊長類が分岐してから、まだまだ強く特徴が出ていなかった頃の! 私はまだまだ素人だよ! ああいう人ともっと会いたいな」

「良い刺激を受けているようで何よりですね」

帰り道、楽しく話している日根見ちゃんを見て安心する。

去年は本当につらそうだったし。

あのクソ毒親のせいで、人生を潰され掛けていたのだ。

あのクソ毒親と毒兄がそろって人生破滅したのは自業自得だし。

日根見ちゃんがそれであおりを食らわなかったのもいい。

勿論ケルベロスがある程度幸運を操作してくれているのも無関係じゃない。だから、燐火はケルベロスのためにも頑張らなければならないのだ。

帰路で別れる。

それにしても元気になった。

ケルベロスも、苦笑いしていた。

「あれは生物学者になると良いかもしれないな」

「確かケルベロスが信仰されていた時代は、まだろくな生物学がなかったんだよね」

「そうだな。 今は体系的で論理的な生物学が整備されていて何よりだ。 俺の時代にも、あれほどの知識があればとなと思ってしまう」

そうか。

黙々と燐火は脇道にそれると着替える。

ダイモーンだ。

わざわざ言われるまでもない。

今日も仕留めに行く。

森の中を走る。

いや、これは。

ちょっとまずいかもしれない。

「混成型だな」

「なんの混成型だろうね」

「ともかく現場に出ないと分からない」

「うん」

連絡を即座に入れる。

カトリイヌさんは即応してくれる。エヴァンジェリンさんはお昼寝をしていたらしく、ふにゃふにゃの返事が返ってきたが。すぐに行くとだけ言っていた。まあ、あの人はちゃんと来るだろう。

日女さんと菖蒲さんは、もう現場に急行中らしい。

とりあえず、押さえ込みは出来るか。

到着。

山の中にある、小さな店だ。この辺りは山の中が多いこともあって、小さめの集落とか、車道に沿ってインターのような役割を果たすお店やコンビニがあったりする。

そういうお店の一つの側に、それはいた。

真っ黒なダイモーン。

それの姿は、何かぐしゃぐしゃに混ざり合っているようだった。

じっと周囲を睥睨していたそれが、燐火に気づく。

即座に聖印を切る。

ばつんと音がしてダメージは入るが、それでも構造が崩れることはない。それどころか、猛然と襲いかかってくる。

大きさは四メートルほどはあるか。ヒグマ並みだ。四つ足のその獣は、犬か。ケルベロスが、まずいなとぼやく。

「あれは半端に顕現しているが、恐らくはガルムだ」

「確か北欧神話のヘルの番犬だよね」

「そうだ。 それにダイモーンが混ざっているようだ」

凄まじい勢いで突貫してくるガルムダイモーン。聖印を立て続けに切ってダメージを与えるがこれは簡単には倒せそうにない。

引きつけて、横っ飛び。

イノシシなどがそうだが、凄まじいブレーキを有していて、人間程度の反射能力に猛獣は余裕で追いついてくる。

100m走の世界記録保持者の選手だろうが、対応するのは不可能だ。

即座にブレーキで反転したガルムダイモーンは、猛然と燐火に襲いかかってくるが、その鼻っ面を魔法のステッキ(鉄パイプ)で一撃。

フリッグもフルーレティも屠った代物だ。

流石にガンと強烈な衝撃が入り。

ガルムが跳び下がって、首を振る。

その隙に、燐火は間をむしろ詰めると、大上段から一撃をたたき込み。怯んだところに更にもう一撃。

骨が砕ける音がしたが、半実体化している相手だ。

それで致命打にはならない。

うっとうしそうに、がっと食いついてくるガルムダイモーン。

はじきながら跳び下がる。

ガルムは決して弱い魔ではなく、北欧神話の終末戦争であるラグナロクでは、テュールと相打ちになるほどの強豪である。

フェンリルと同一視される事もあるほどの存在であり。

此奴が出てきていると言うことは。

飛びかかってくる。

体力の消耗が激しいが、気合いとともに鉄パイプでぶん殴ってはじき返す。だが、諦める様子もない。

まずい。

押し切られる。

単純なパワー勝負では、どうしても分が悪い。

汗が飛ぶ中、やっと援軍が来ていた。

ガルムダイモーンの脇に、流星のような蹴りがたたき込まれる。

日女さんだった。

吹っ飛んで、三度バウンドして岩にたたきつけられるガルムダイモーン。燐火は態勢を整えると、日女さんに言う。

「ガルムとの複合魔です」

「ちっ。 前より負担が小さいとは言え、それでも神おろしして押さえ込まないと駄目だなこれは」

「二人とも、来るぞ」

ケルベロスが警告。

同時に、ガルムダイモーンが、起き上がる。そして、凄まじい量の何かを飛ばしてきていた。

これは、悪運か。

即座に聖印を切って祓う。日女さんも祝詞で相殺するが、しかし膨大だ。どっと洪水のように押し寄せてくる。

物量戦に切り替えてきたか。

ダイモーンが弱体化しているとは言え、元が強い。

それに、この物量は。

ずり下がる。

冷や汗が飛ぶ。

ケルベロスが、撤退を検討しろと言ってくる。頷きながらも、必死に聖印を切る。ガルムダイモーンは余裕の様子で進んでくる。

撤退に転じた瞬間、喉を食い破るつもりだろう。

飛び道具がない。

それは弱点だと分かってはいたが、即座にどうこうできる話でもない。

更にずり下がる。

後ろが崖だ。

日女さんが前に出ると、全身から青白い光を放ちながら、猛烈な勢いで祝詞を唱え始める。

いざという時は、殿軍になるつもりだ。

菖蒲さん達は。

ぐっと歯を噛む。最悪の場合は、燐火だけで逃げなければならないのか。

だが、そうはならなかった。

頭上から、たたき落とされるようにして、一撃がガルムダイモーンにたたき込まれる。ギャンと、初めて明確な苦痛の声をガルムが上げていた。

愛染明王。

そして、その腕の一本に乗っているのは、菖蒲さんだ。

「ごめん、遅刻したわ」

「遅いぞ菖蒲姉!」

「エヴァンジェリン」

「わ、分かっている!」

ひょいと愛染明王がつまむのは、なんとパジャマ姿のエヴァンジェリンさんである。

どうやらもたもた着替えているところを、業を煮やしてそのまま外に連れ出したらしい。それはともかくとして、ルーンで印を切る。

それに併せて、燐火も聖印をたたき込んでいた。

悲鳴を上げたガルムダイモーン。

明確に効いている。

あれは恐らく分霊体だ。本来のガルムはテュールと相打ちになるほどの強大な魔であり、あんなもので有るはずがない。

それでも、あの強さ。

ひょっとしてだが。

少し前にヴィーザルを屠ったのは此奴か。

押さえ込んでいる愛染明王。

其処に燐火と日女さんで、連携してラッシュをたたき込む。

必死に拘束から外れようとするガルムダイモーンだが、逃すか。そのまま、頭を何度もたたき割る。

それでも動いて噛みつこうとしてくるのは、流石に最強の魔犬と言われるだけのことはある。

たいした相手だ。

エヴァンジェリンさんが印を切る。

渾身の印。

燐火も頷くと、祝詞を唱えている日女さん。読経をしている菖蒲さんとあわせる。そして、一気に聖印をたたき込んでいた。

ガルムダイモーンの全身が破裂する。

そして、巨大なダイモーンを倒したときと同じか、それ以上の凄まじいコールタールのような悪運が溢れてきた。

即座に浄化開始。

凄まじい量だが、まあどうにかなるか。

無言で浄化作業を続ける。

四人がかりでの浄化だ。

どうにか片付いていた。

これで分霊体か。

北欧神話における地獄の番犬。そしてラグナロクで大暴れする魔の一角。ケルベロスがぼやく。

「此奴は一神教徒によって俺と同一視された事があってな」

「……」

「それが地獄の番犬というレッテルにつながった。 此奴に責任はないが、色々と不愉快な相手よ」

「とりあえず、浄化する」

頷くケルベロス。

ともかく片はついたか。

今のは確定で分霊体だった。こういうのがまだ出てくるとみていい。

小学校の最後に、フルーレティとの一騎打ちで勝った。

だが、それも所詮は戦歴の一つ。

今までの魔祓い達が、もっと厄介な魔を封じ続けてきたことを考えると。決して燐火が最強なわけでも、異色の戦績をたたき出した訳でもない。

今は、無言のまま今後どうするかを考える。

恐らくフリッグ一派の次の相手は。

力で来るタイプだと、見て良かった。

 

1、変わる環境

 

おかあさんと一緒に買い物にいく。

子供に財布を持たせるような危ない真似をおかあさんはまだするつもりはないようである。

馬鹿な親になると、平気で子供に大金を持たせたりして、管理を丸投げしたりするようだが。

まだ子供のうちにろくでもない金の使い方を覚えたりすると、絶対良いことにはならない。

それをおかあさんは知っている。

燐火に対してもそれは同じだ。

杏美をベビーカーに乗せたまま、スーパーで買い物をする。

基本的に今回は夕食の買い物について。

杏美はまだ粉ミルクと母乳の状態なので、離乳食はいらない。まだまだ食べられる状態ではないのだ。

無駄遣いをしない買い方をおかあさんに習う。

これは実はおとうさんにおかあさんは教わったらしい。

おとうさんは就職氷河期とやらでとても苦労した人らしく、Vtuberになるまで七転八倒の人生を送ってきたとか。

やっと最近それの精算があちこちでされるようになり始めて。

更には就職氷河期を作り出した要因だったものがどんどん社会から取り除かれていった事もある。

おとうさんはどうにか家庭を作ることが出来たが。

それまでに数え切れないほどの苦労をしてきた。

燐火が色々起こしたとき、対策の手際がいやに良いなと思うことはあるけれど。

それはそれだけ、体で覚えることになった傷。

それに苦労から来るものだったのだろう。

買い物を終えると、結構なお値段になる。数日分の食事で、結構なお金が消える。

これでもかなり節約しているらしい。

最近は出来合いをやめて、料理をするようになったこともある。

料理は基本的におとうさんに教わるのだが。

一緒におかあさんと隣で教わる。

それもあって、燐火は一緒に勉強をしているようなものだ。

家に帰る。

帰りは車だけれども。

杏美の世話は、その間は燐火がする。

幸い杏美は車酔いはほとんどしない。

おかあさんも元警察官だからか、非常に安定した運転をするので、安心感もある。

家についてからは、テキパキと手分けして冷蔵庫に買ってきたものをしまう。これも、すっかり慣れてきた。

その間も杏美は交代で見張る。

まだまだ、目を離せる状態ではないからだ。

片付けが終わってから、燐火は外で鍛錬のルーチンをする。

黙々と、的確にこなす。

ケルベロスが、成長痛の時などは、色々とアドバイスをしてくれた。今が恐らく成長痛の本番か、山を越えた辺りだ。

無理をするとちょっと良くないかもしれないらしい。

まあ、それは側でアドバイスをしてくれる頼りになる冥界の番犬がいるから大丈夫である。

ひたすら、正拳をたたき込み。

合気の訓練を続ける。

素振りもする。

最近は普通の竹刀では物足りないので、重りをかなりつけている。そろそろ真剣でも良いかもしれない。

鍛錬を終えた後、家に入り、宿題をやる。

既に高校一年の勉強を終わらせようとしている燐火だが、宿題も勿論手を抜くつもりはない。

一つずつ丁寧に片付ける。

このくらいの年から、出来る子出来ない子ははっきり分かれてくる。

燐火はしっかり勉強をしていて良かったと思う。

九九が出来ない子が普通にいるのを見ると、それはどうしても感じてしまうのだ。

隣の席にいる女子が、一夜漬けについては凄いが、翌日は全て忘れてしまうタイプで、それで九九すら怪しい。

それである程度の点数は取っているけれど。

あれはいずれ成績が致命的に落ち始める。

燐火はそれを見ているが、別に何かするつもりはない。

実際問題、中一になると色気づき始める女子も多くて、その子もその類だ。燐火を怖がっているようだが。

同時に変に色気づいていて。

それで学業がおろそかになっているのなら、自業自得だろう。

知ったことではない。

宿題を片付けた後、勉強を進める。途中、二度杏美の世話を代わった。

まだ言葉を話せない杏美だが、あんパンのヒーローは大好きなようで、絵本を読むときゃっきゃっと嬉しそうにする。

これは燐火だけではなく、おかあさんもおとうさんも喜ばれる。

それもあって、燐火はせがまれると絵本を読む。

せがんでいるのはなんとなく分かるからである。

燐火も少しずつ、赤ん坊のことが分かり始めたのかもしれない。

夜泣きはするが、それは許容範囲。

燐火としても、耐えられないほどではなかった。

ただ時々、交代で世話をする。

おかあさんとしても、かなり疲れているようだ。これはしばらくは、仕事どころではないだろうなとも思う。

無言で宿題を終えると、風呂に入り。

そして、ケルベロスに声を掛けられた。

ダイモーンだ。

さっと出かけて、片付けてくる。こればかりは、先送りにするわけにもいかなかった。

 

翌日。

放課後。

学校で、亀野が上級生に囲まれて、何かされていた。明らかに泣いている亀野を、にやつきながら上級生が蹴りつけている。

あれは完全に立場が逆転したな。

助けてやるかと思ったが、その上級生達の肩を、笑顔で別の上級生が叩く。すごみながら振り返ったそいつらが、真っ青になっていた。

見覚えがあると思ったら、ボクシング部か。

「そいつがアホでどうしようもないのは事実だが、まさかカツアゲとかしていないだろうな」

「ち、違う!」

「此奴に昔、気にくわないって理由だけで弟を殴られたんだ! 弟はしばらく右目が使えなくなって、歯も折られた! それなのに此奴の親が反社だったせいで……」

「ああ、それについては先生が此奴と此奴の叔父さんと一緒に謝りに行っている筈だが、謝礼金とか足りなかったか? 弁護士と話して治療費も含めて払った筈だが。 もしも感情的な観点で気が済まないのだったら、おれが代わりに殴られる。 殴ってきな」

無言になった上級生達は、それでそそくさと行った。

両腕が一年は使いもにならない。

それだけじゃない。

今まで後ろ盾になっていた兄貴や馬鹿親の反社連中は、全て牢屋や少年院に放り込まれた後だ。

今の亀野は、厳しい真面目な叔父さんに、一から全部たたき込まれている状態であるらしく。

当然髪は黒く染め直しているし。

格好だってまともになっている。

泣いている亀野に、上級生はさっきまでのにこやかな笑顔はどこへやらという雰囲気で叱責していた。

「おまえが今までやってきた事が帰ってきている! 分かっているな」

「は、はいっ!」

「来い。 今日も徹底的に鍛える。 おまえが今までいた場所は、ただの温室だったって思い知らせるところからだ。 リハビリもかねて、徹底的にやるからな!」

亀野が引きずられていく。

どうやら燐火が手を出す必要もなさそうだ。

ふっと笑うと、そのまま部活に出る。

空手部では、淡々とルーチンをこなす。

たまに組み手をしてほしいと言われるので、頷いてやる。

相手が格下であっても、組み手は全然問題ない。むしろ素人の方が変な動きをするので、突発的な事態の対応を練りやすくなる。

これはケルベロスに聞いたことだ。

瞬殺するだけではなくて、そういう相手の普通ではない動きを見て、あらゆる局面での経験を積め。

言われたとおりに、そうする。

ケルベロスも、黙って見守っていた。

今の空手部はいわゆる競技型のだが、別にそれでどうこういうわけでもない。空手単体では、其処まで強くないし。

何より空手のタイプ関係なく反社の類とつるんでいるろくでもないジムだって幾らでもあるらしい。

この部活は非常にぬるいが。

ただ、カルト化しているような体育会系部活よりは、なんぼでもマシだろう。

ただ、設備があまりないので。

燐火は廃材を使って、訓練用の的を制作。

組み手を頼まれていない時は、それをひたすらルーチンの相手にしていた。

他の空手部員は、それを見て少しは何か触発されたのかもしれない。

今までサボっていたのが、ある程度鍛錬をするようになってきている。

どうして空手部にいるのかよく分からない、おとなしそうな子が声を掛けてくる。

「そ、その、平坂燐火さん」

「何か」

なんだか日根見ちゃんを思い出すな。

ただこの子は、見た目は模範的な優等生だ。

口を開くと駄目なタイプであり。

そのためクラスでは地蔵とか言われているらしい。

自分の弱点を知っているからか、全く口を開かないらしくて。ほとんど声を聞いた生徒がいないとかいう話だ。

燐火よりも更に背が高いが。

はっきりいって全く鍛えている様子が無く、でくの坊である。

背丈は無駄になっている。

無駄に色気ばっかりはあるので、もう一〜二年で男子にもてるかもしれないが。燐火の知ったことではない。

「正拳突きをちょっとやってみたのだけれど、どうにもうまくいかなくて」

「分かりました。 先生には聞いてみたんですか?」

「色々自分で試行錯誤してみなさいって」

「ああ……」

あの先生、空手の実力はあるが、指導者には向いていないタイプか。

ケルベロスも呆れる。

「こういうずぶの素人に、努力しろとか突き放すのは最悪の悪手だ。 具体的にどうするか、訓練をどうやって積み重ねるか。 それを丁寧に教えて、基礎を作ってからがそういう「努力を独自にする」段階になる。 努力というのは所詮目標に対して行動することであって、最初に筋道をきちんと設定しなければ、それは徒労に終わってしまうことがとても多い。 この程度のこと、これだけの教育の実績がある国の教師でも、分かっていない事があるのだな」

「情けない話だけれど、そうだね。 柔軟性に欠ける採点とかしている先生を見ると、それは返す言葉もないんだろうと思う」

「とりあえず基礎を教えてやれ」

「分かった」

とりあえず、姿勢から順番に教える。

燐火が丁寧に教えているのを見て、他の部員が目を見張っていた。

この生徒、鈴山巡というのだが。

ともかく、本当に力がない。

だが、力がなくても出来ることはいくらでもある。

燐火だって純粋なパワー勝負では勝てない相手を、幾らでも沈めてきたのであるのだから。

黙々とどうすればいいかを教えて、そして実演。

その後、本人にも丁寧に教え込んでいく。

飲み込みが良いな。

勉強の方は本当に出来るらしいと聞いていたが、これは単純に頭が良いのかもしれない。燐火としては羨ましい限りだ。側でつきっきりでケルベロスがついていて、それでも涼子に勝てなかった程度なのだ。

燐火の素の頭の回転なんてしれているのである。

「そうです。 重心をそうして、腕だけではなく、全身を連動させて打撃を相手に伝えます。 巡さんの体重を全て活用すれば、一回り大きい男性の内臓を正拳で破壊することも可能です。 練度が上がれば、ですが」

「燐火さん、発想が怖い……」

「武道ってのは基本的に相手を破壊するためのものです。 それが精神修養に使える場合もありますが、基礎は戦闘技術です。 人間は戦闘技術を極めて、やっと同サイズの動物とやり合える程度の力しか持っていません。 ほとんどの身体能力をドブに捨てている。 それを思うと、鍛錬は無駄ではないですよ」

理路整然と説明すると。

いかにもやる気がなさそうなギャルっぽい一年上の女子生徒も来る。

一応道着だけは来ているが、やる気がないのが目に見えていた。

「燐火っち」

「?? そんな呼ばれ方したの初めてですが」

「あたし小川苛斂。 ちょっと今の、あたしにも教えて。 努力だけしろってほっぽり出されてて、どうにも出来なくて困ってたんだ」

「はあ、構いませんが」

実は内心は警戒している。

ある程度人間の善悪は分かるようにはなってきたが。この人がまともな人かはちょっと分からないからだ。

ともかく、基礎の演舞を見るが。

ああ、なるほど。

半端に知っている人間から、適当に教わっただけの動きだ。中途半端な力量の先輩達から、雑に教わっただけだろう。

「全然うまくならなくてさ。 明らかにうまい燐火っちに教わりたいと思って」

「不思議な呼び方ですね。 ともかく、順番に説明します」

「良い機会だ。 人に教えるには三倍の知識がいる。 試される時だぞ燐火」

「分かってる」

ケルベロスは歓迎的なようだ。

このいかにもギャルな先輩は、中二だが、なんか男遊びとか派手にやっていそうな雰囲気で、ちょっと近寄りがたい。

だが、見た目でそんなの判断するのは良くないだろう。

教えていくと、丁寧に話を聞くし。

実演するとしっかり見ている。

そして実際にやって貰うと。

運動神経そのものはいいのか、燐火が作った的に対して、かなりいい正拳をたたき込んでいた。

どすんと音がする。

おおと、声が上がった。

「すっご! 今までこんな音出たことないよ!」

「まだまだこの十倍は威力が出るようになりますよ」

「十倍!?」

「大げさでは無く本当です」

見た感じ、小川先輩はガタイも燐火より良いし、体の力を引き出しきればそれくらいの力は出せるようになるだろう。

頷くと、燐火は自分のルーチンに戻る。

鈴山さんと小川先輩が大真面目にやり始めたのを見て、無駄ではなさそうだなと思う。

訓練でやるべきルーチンについても説明したから、燐火がこれ以上ああだこうだ口を出す必要もないだろう。

部活の終わりまで、みっちりルーチンをこなす。

終わった後解散するが、ものすごく距離を小川先輩がぐいぐい詰めてくる。

「燐火っちが一年の不良をもうあらかたシメて、二年生もだいたい制圧したって話本当っぽいね! 何をやったらそんなに強くなれるの!? あたしにも教えて!」

「は、はあ。 逆にどうして強くなりたいんですか」

「あー。 あたし運動神経は良いんだけど、今まで良い先生にあたったことがなくてさ。 なんでも半端だったんだよ。 見かけもこんなだから、遊んでるとか思われることも多くて。 これでも結構成績は悪くないんだよ?」

まあ、成績の善し悪しは主観にもよる。

もう司法試験の準備を始めている涼子が、上には上が幾らでもいると言っていたくらいである。

中学になってもやりとりをしているが、クラスで二人、涼子より出来る子がいるらしい。

すぐに追い越すと息巻いていたが。

いずれにしても、成績が良い悪いは主観だ。燐火だってそういう友達がいるから、自分の成績が良いなんて思っていない。

「燐火の場合は空手、柔道、合気、剣道をやっています」

「すご! 戦闘民族にでもなるつもり?」

「いや、燐火くらいの鍛錬はスパルタでは当たり前だったのだが」

「……ケルベロスも基準がおかしいような気がしてきた」

燐火もちょっと辟易するが、一緒に帰ると言い出したので、日根見ちゃんも紹介することにする。

明らかになんか雰囲気が違う小川先輩を見て日根見ちゃんは一瞬慌てたが、案の定ぐいぐい間を詰めていく。

距離感が独特だな。

そう思って、ちょっと面白いと思った。

この出会いも、ケルベロスが撒いてくれている幸運によるものかもしれない。いずれにしても、この先輩、話した限りでは悪人だとは思えなかった。

 

ギャルと言われると、どうしても派手に男遊びをしていると思われる。

小川苛斂はそれを知っていた。

小学校の頃から見かけが派手だった。

おしゃれは嫌いではなかったし、他人に言われて格好を変えるのも嫌だった。だから嫌われた。

女子からは浮いていると言われたし。

男子からも近寄りがたいと言われた。

パパ活をしているとかいう噂まで流されたっけ。

その噂をされたとき、苛斂は意味が分からなくて困惑したが。先生に呼び出されて、それで意味を知って。

大泣きしてしまった。

あまりにも酷い。

見た目が派手だというのは、そんなに問題となるのか。

結局人間、第一印象が大事とか言っておいて。

結局見ているのは見かけだけではないか。

苛斂がスクールカーストの上位にでもいれば、話は違ったのかもしれない。だがそのクラスでは、優等生ぶっている非常に邪悪な女がそういうのを締めていて。それで苛斂は目をつけられる事はあっても、そういうグループと見なされることはなかった。

不良扱いは、小学校時代ずっと変わらなかった。

だから勉強した。

上には上が幾らでもいる事は分かっていた。

だけれども、ハンデがたくさんあった。

先生は苛斂が本気でパパ活をやっていると思っている者もいて、そういう教師は「字が汚い」だの「線がまっすぐではない」だのの意味不明な理由でテストを減点した。そのせいで100点を取れなかったテストが何回もあった。酷いときには字が汚いという理由だけで、全問正解していたテストを50点にされたこともあった。

悔しいから勉強した。

それに、小六に上がった頃には、露骨にまずい中学生に声を掛けられるようにもなった。苛斂の「悪名」はそれだけスクールカースト「上位」の人間によってばらまかれていたのである。

自衛が必要だ。

そう判断した苛斂は、空手を始めた。

だけれども、最初に入った道場は、苛斂の見かけで判断して、ろくに教えてくれなかった。

そういう道場をなんこも回った。

五つ目の小さな道場で、やっと基礎をある程度教えてくれたが。その先生はあまり強くも教えるのもうまくもなかった。

だから、基礎は教えてくれたが。

強くなることは出来なかった。

ただ、防犯ブザーを常に持つようにしたのと、クラスの女子が三人がかりで絡んできたのをつたない空手で撃退したこともある。

それで、少しだけ自信がついた。

それから暴力女というレッテルも貼られ。

学校では苛斂が一方的に悪いことにされて、更に成績をことあるごとに下げられるようになったが。

それでもなお、スクールカーストの女王を気取っている生徒に勝つことが出来るようになった。

スクールカーストなんてゴミだ。

悟ったのは、その時であったかもしれない。

苛斂は頭が良いほうじゃない。

それは分かっている。

だが、周りは授業なんて真面目に聞いていないし、テストが終われば習ったこと全部忘れている。

そんな程度の輩だらけだ。

それを理解してしまうと、どれだけ先生から意地悪されようと、まずは理解していくのが大事だ。

そう思うようになった。

見た目の派手さはどうにもならない。

それにおしゃれだって好きだ。

幸い苛斂の両親は理解がある、とまではいわないが。少なくとも苛斂をできが良いとされている姉にくらべて差別するようなこともなかった。学校に呼び出された時は、先生の言いがかりを全て反論もしてくれた。

ただ、化粧だけはまだ早いから絶対にするなと釘は刺された。

見かけが派手だという理由で苛斂を叩いている教師が。

スクールカーストの女王気取りが化粧をしている事を見逃しているのを思うと、非常に不愉快だったけれど。

自分で勉強して、化粧品は決して体にいいものではないものもある事を理解すると、納得して化粧をするのはまだ早いと判断できた。

中学に上がると、対応は一変して。

見かけが派手な苛斂は普通に格好良いとか言われるようになり。

困惑しながら、ふざけるなと内心で何度も思った。

それから空手部に入ったのは、小学生時代の延長からだ。

一年の時は基礎しかやることがなかったし。

道場で教わっていることも含めて、何一つ新しい発見がなかった。

道場の先生はいい人だが、本当に弱い。

教えるのも下手。

それもあって、本当に最小限しか出来ない。

それで、自力で調べて色々やっていたが。ネットでの情報は玉石混淆。とてもではないが、強くなれそうにない。

それで困っていた。

二年になって、それは絶望に変わりつつあった。

だが、そんなとき。

燐火が現れたのだ。

あの子、化け物レベルだ。そう思った苛斂は、即座に接近。そして、一瞬で今までの謎とか、試行錯誤が氷解するのを悟った。基礎は決して無駄にはなっていなかった。燐火は本当にいい先生に当たり続けたんだと一発で分かった。

師匠を紹介してほしいと、今度頼むつもりだ。今の道場は、決して居心地は悪くないんだが。先生が弱すぎるのである。これで教えるのが下手でなければ、それでも良かったのに。

燐火の動き、一発で分かるほど洗練されている。同年代の男子どころか、高校生の半グレを単騎で複数潰したという話を聞いているが、それも嘘ではない事が一目で分かるほどだった。

灰色だった中学生活が。

彩りを帯び始めている。

そう、苛斂は思っていた。

派手なギャルとか言われている苛斂だが。実際には灰色の中にいた。だから、家に帰ってから、歓喜を爆発させて。

姉に気味悪がられたのだった。

 

2、性格は良くとも技量は足りず

 

最初小川先輩に悪い遊びに誘われるのではないかと不安だったのだが、そういうことは全くなかった。

小川先輩は日根見ちゃんの言うことをいちいち感心して聞く度量を持っていたし、嫌っている様子もなかった。

グループに入り込んで乗っ取るような奴はいるらしいのだが。

日根見ちゃんと別れたあと、即座に悪口を言い出すようなこともない。

それにだ。

本当に真面目だった。

鈴山さんに対しても、面倒見がとてもいい。

これは、見かけと中身が全く一致しないタイプだと、燐火は思った。

いちおうおかあさんにも聞いてみたが、小川先輩の悪い噂は聞いていないという。

燐火の方が派手に暴れていたくらいだと言われて、苦笑いしてしまう。

少しずつ表情が出せるようにはなってきたが。

自然に笑えるようには、まだならない。

それでだ。

空手の師匠を紹介してほしいと懇願された。

小川先輩の話によると、今通っている道場は、良い先生がいるらしい。だが、先生はいい人なのだが、指導が下手で、空手も弱いのだとか。

それもあって、まったく今まで手応えがなかったらしい。

ただそれでも、見かけが派手な小川先輩をまっとうに扱ってくれただけでもマシだと思って通い続けているが。

まるで技量が伸びないので、他の先生の意見も聞きたいところだったそうだ。

おかあさんに相談すると、杏美の世話をしながら、燐火に言う。

「分かった。 連れてきて。 今は杏美の世話があるからどうしても大変だけれども、それでも基礎くらいは体系的に教えられるよ」

「わ……わかった。 つれ、てくるね」

「よし、偉い」

敬語を使わないだけで偉い扱いされるのだから、困ってしまうのだろうか。

だが、燐火としても、勉強より敬語を使わずに接する方がどうしても難しいというのもある。

今まで生きてきた時間では、抑圧されて迫害されてきた年数の方が長いのである。

どうしてもそれを考えると、これは大変なのかもしれない。

杏美がぐっすり眠ったので、その間に勉強を進めておく。

そして外で鍛錬をする。

歩法の鍛錬も入れている。

フル−レティを倒したとき。

まだまだ無駄が多かった。

それについては、理解できている。だから、その無駄を徹底的に減らす。なくす。そうすることでさらなる高みに行く。

燐火は黙々と鍛錬し。

そして、ケルベロスが声を掛けたので、即座に飛び出していた。

ダイモーンだ。

雑魚の日もあるが。

勿論強力な日もある。

捕まっているのがほぼ確実の迷子は、毎日ダイモーンを生み出しては、こうやってばらまいて。

それが各地で害を為している。

今日のは幸いそれほど手強くはなかった。

魔祓いを終えると、隣に降り立ったのはヘラクレスさんだった。

「久しぶりだな燐火」

「お久しぶりです」

「この年頃の子は成長が早いな。 見違えたぞ」

「ふふふ、そうだろう。 フルーレティを単騎で倒したときより、更に力が上がっている」

ケルベロスが自慢げだ。

まあ燐火の師匠のようなものだ。

自慢げにしてくれるのは嬉しい。

森の中から、ダイモーンがばらまいた悪運を浄化しつつ、話す。

ヘラクレスさんは、腕組みしながら教えてくれる。

「桁外れの魔が動き始めた」

「桁外れですか」

「うむ。 獣という範疇では、魔の中でも最強に属する存在だろうな。 まだ正体の特定は出来ないが……あれはネメアの獅子よりも数段格上だとみていい」

「それほどですか」

ネメアの獅子は、ヘラクレスさんの纏う衣でありいかなる武器も通さない最強の皮の持ち主だった魔獣だ。十二の難行で絞め殺してヘラクレスさんが倒した相手である。

それを遙かにしのぐというと。

生半可な神格では倒せないのではないか。

そう話すと、頷かれる。

「私も聞いているが、ヴィーザルが倒されていたのだろう」

「はい。 残滓を確認はしました」

「そしてガルムも出たと。 ……どうにも嫌な予感がする。 気配からして、生半可な存在ではなかった。 この国の一線級の魔祓いが、必要になってくるだろうな。 それも複数だ。 あのドルイドの愉快な娘だけではとても手に負えまい」

というと、北欧系か。

北欧の魔は極めて強力だ。

ガルムにしたって、天空の神であり法の神でもあるテュールを打ち倒すほどの存在だったのだ。

燐火が交戦したガルムは恐らく分霊体だろうが、それでもあの強さ。

更に格上となると、警戒を厳にしないと危険だろう。

もう行くと言って、ヘラクレスさんはかき消える。

今のはちょっとだけ動きを見ることが出来たが、驚異的に早いな。そして、それでも敵は逃げ切っている。

なるほど、現状で満足なんてしていられない。

もっと上を目指さなければならないな。

そう燐火は思った。

既に悪運の処理は終わった。

帰りながら、軽く話す。

「やっぱりまだまだ基礎を鍛え上げなければ駄目だよね」

「当たり前だ。 燐火は出発点が遅い。 これからも、更に人一倍やらなければ、高校くらいでやっと普通の人間なら確定で勝てるくらいにまでしか育たないだろう」

「魔祓いとしてはそれではまずいか……」

普通の人間といっても、師範とか充子とか、ちょっと次元違いの人がたまに混じっているけれど。

あの人たちは普通とカウントしなくて良いだろう。

ともかく家に戻ると、鍛錬のルーチンを丁寧にこなす。

しかも、ケルベロスが丁寧に管理してくれる。

これ以上の回数をやると、過剰負担になる。

そういって、説明をしながら、どうして休まなければならないのかも説明してくれるのでありがたい。

燐火の精神は子供から大分離れてしまっているが。

それでも子供に必要なのは納得だ。

そうケルベロスは考えて、行動してくれているのだと思う。燐火としてはありがたい話である。

黙々淡々と鍛錬を終えて、それで風呂に入る。

杏美を一緒に風呂に入れる訓練を何回かしたが、おかあさんと最初のうちは練習を一緒にした。

赤ん坊は目を離してはいけないのだ。

燐火は恐らく放っておかれて、泣く度に殴られて。投げやりに最低限の栄養しか得られなかったのだろう。

実の両親のカスぶりを知った今では、そうとしか思えない。

だから、杏美は絶対に同じ目にあわせない。

とにかく湯の温度とかも気をつけながら、風呂で体を洗う。

おかあさんもじっと見ている。

首はもう据わったけれど、まだまだ安心できる状態ではない。

赤ん坊は一瞬で死ぬのだ。

ともかく、丁寧にお風呂に入れて。それで出る。

まだ喋ることは出来ないが、愛想を撒くことは出来ている。絵本を読むと喜ぶが、内容は恐らく理解できていない。

家族の声が聞きたいのだ。

それについては分かっているから、一切求めるつもりはない。

才覚が分かるようになるのはこれから。

それは別に、多少遅くても構わないのである。

ともかく、数日以内に小川先輩を家に連れてくるか。

ただあの手の人ははやりに敏感だ。

防音室とかに気づかれないように、色々気をつけなければならないが。

 

数日後。

小川先輩とともに家に。

ちなみになぜか、カトリイヌさんが来ている。道着は持っているようで、どうしてか自信満々である。

なんでいるのかよく分からないのだが。

文武両道が必須とかで、カトリイヌさんも空手はやっているらしい。

欧州ではシラットも人気らしいのだが。

それはそれとして、空手も根強い人気があるそうだ。

庭にある鍛錬用の的を見て、小川先輩が感心する。

「燐火っち、これずっと使い込んでるの? すっご。 家にサンドバックとかおいてる系?」

「あら、面白い方ですわね」

「いや、カトリイヌぱいせんも大概……」

「ぱいせん! 先輩の略語ですわね! そんな風に呼ばれたのは初めてなので、感動ですわ!」

この二人。

相性抜群か。

ともかくおかあさんが来たので、三人そろって礼。

どうして増えているんだとおかあさんは困惑していたが。杏美はおとうさんに預けてきて出てきたようだ。

おとうさんも配信が終わった直後で疲れているが、杏美の笑顔を見ていると疲れもとれると言っていた。

勿論比喩だ。

疲れは休まなければとれない。

時間は無駄に出来ない。

まずは、基礎的な動きや歩法を見る。

燐火が見たところ、カトリイヌさんは、これは思ったよりずっと出来る。

剣道でもかなり進歩が早かったが、空手は欧州では人気があるとも聞いている。相応の先生についていたのかもしれない。

暴力を振るう事が大前提になっている空手はあまり一神教徒の聖職者には好まれないのかと思ったのだが。

いや、自衛のためには必須なのだろう。

「そこまで。 カトリイヌさんは充分だね。 これ以上強くなるつもりだったら、基礎鍛錬を徹底的にやること。 あそこにいるおじいさんに教われば、充分すぎるかな」

「あら、見抜いておられましたか」

「当然。 あの人ものすごく強い。 現役時代の私でも勝てるか微妙だね」

「え……」

カトリイヌさんが逆に絶句。

おかあさん、そういえば状況が許せばオリンピックに出られるかどうかという話があったのだったか。

全国でも通用する実力だったらしいが。

恐らく燐火がそういう話を学校でしたりしないか見極めるためだったのだろう。

その話を聞かされたのは、最近だ。

続いて小川さんだが、指導が滅茶苦茶丁寧である。ケルベロスが、非常に勉強になるから聞いていろと言って。

燐火もカトリイヌさんも、ついでにカトリイヌさんに憑いているドミニオンまで頷いていた。

ドミニオンも思わず頷いてしまうくらいの説得力があるということだ。

基礎的な鍛錬はよく頑張っているらしい。

だが、いくつも小さな悪い癖があって、それが伸びない原因だという。

熱意はある。

しかしその熱意のため、基礎鍛錬にある穴を見逃して、強くなるのを妨げてしまっている。

そういう状況らしい。

「こう踏み込むッすね」

「そうそう、飲み込みが早い。 今までの歩法に、ここ……ここね。 ここを意識して、力を入れるように。 それを素直に出来るようになると、こういう風に動けるようになるからね」

「はいっ!」

あれ、小川先輩。

本気で真面目かこの人。

クラスで小川先輩についての噂を聞いたが、パパ活だとかいう売春をしているとか。小学校時代は最悪の不良のレッテルを貼られていたらしい。

実際都会では、小学校でパパ活をするようなカスがいるらしいので。

そういう観点では、悪い意味で小川先輩の見かけに沿った噂なのかもしれないと燐火は思ったが。

いずれにしても、この真面目な取り組みよう。

この人。

ひょっとして、本当に見かけとかしゃべり方が派手なだけで。

中身は極めてまともなのではないのか。

「よし、良く出来ているね。 今の歩法を駆使して、正拳をこの的に打ってみよう」

「オス!」

「いい気迫だ。 燐火、カトリイヌさんも一緒に」

大丈夫。的はある。

燐火がいくつも作ったのだ。

前に壊してから、用途に沿っていくつも作った。背が伸びてきているのもあって、余分を用意してある。

それで、今三人並んで出来る。

ズドンと、凄まじい音が少しずつずれてする。

おかあさんが、続いて見本を見せる。

ケルベロスが見事と言うほどの、あまりにも美しい正拳だ。美しいだけではなく、この破壊力だと、人間程度だったら筋肉の鎧をどれだけつけようが、骨も内臓も砕ける。勿論通れば、だが。

おかあさんは杏美を産んだばかりでまだ本調子ではない。

それでもこれか。

惚れ惚れするほどの一撃だ。燐火の自慢のおかあさんである。

「すっご……!」

「素晴らしいですわ」

「大丈夫。 しっかり鍛錬すればこれくらいは出来るようになる。 小川さん、貴方はとにかく、基礎をしっかり修正すること。 メモをしておいたから、気になったらそれを見て。 それと、回数は厳守。 やり過ぎると体壊すからね」

「オス!」

小川先輩、気合いが入ってるな。

それはそうだろう。

いくつも道場を巡って、それでやっとまともな先生に出会えたのだから。

おかあさんはこのほかにも合気も柔道も同レベルで取得しているわけで。

警察が手放したがらなかったのも、それはそれで納得である。

良いことではないとしてもだ。

「カトリイヌさんは、あの人に細かく見てもらいながら、基礎を続けて。 それでもっともっと強くなれる」

「分かりましたわマスター!」

「マスターは恥ずかしいな。 でもあの人は、今の私以上の使い手だからね。 多分立場的にはカトリイヌさんの方が上なのだろうけれど、絶対に敬意を忘れないようにして」

「はい!」

カトリイヌさんも気合いが入っているな。

武の高みを見たのだ。

空手を少しでもやっている人間だったら、それもまた自然なことなのだろう。

二人が帰る。

おかあさんが、寸評をした。

「第一印象が大事だとかいう話があるけれど、小川さんは本当に見かけで損をするタイプだね。 あの子は悪い子じゃない。 良縁を大事にするんだよ」

「うん」

「燐火の方は、私が今どうこういう欠点はないかな。 燐火が前に言っていた師匠と相談しながら、基礎を徹底的に極めて、少しずつ応用をやっていく。 それで充分だろうね」

「わかり……分かった。 そうするね」

頷くと、おかあさんは杏美の世話に戻る。

やっぱり凄いな。

ケルベロスが嘆息していた。

「幸運を操作しているとは言え、燐火の周囲には神々も驚嘆する使い手が集まるな。 古代ギリシャにも戦う女性はいたが、篠葉の力量は図抜けている。 あれは女神アルテミスも瞠目するレベルだ」

「そう言ってもらえると燐火が嬉しいな」

「そうか。 そうだな」

ケルベロスの言葉が優しい。

おかあさん、篠葉という名前だが。

ケルベロスがその名前を口にするときは、基本的に敬意に満ちている。これほどのあまたの人を見てきた存在が、敬意を払うのだ。

それだけの武道の極みにいると言うことだ。

ただ、それでも子供を産むとあれほどに消耗する。

燐火は、色々と思うところも多かった。

「杏美が生まれたとき、少しだけ俺は心配していた。 平坂家にとって燐火が邪魔になるのではないのかとな。 実際そういうトラブルは今に始まったことではない。 だが、あの二人なら大丈夫だ。 これからも、親孝行してやれ」

「分かってる。 世界で一番大事だよ」

「うむ……」

さて、鍛錬を続けるか。

細かい鍛錬の調整を、ケルベロスが指導してくれる。とにかく的確なので、燐火はそれに沿って鍛錬するだけだ。

それが終わったら学問もする。

今、高校二年の勉強をしているが、英語がとにかく苦手である。単語を多数覚えて、それで対応するしかない。

日本語も大概難しいのだが。

英語は元々フランスの宮廷言語と、イギリスの現地言語が混ざって出来たものだ。あらゆる点で未完成である。

これは涼子ちゃんとやりとりをしていると、時々愚痴られる。

それに涼子ちゃんが受けるようなテストだと、ネイティブでも分からないような問題や単語が出てくるらしく。

それをやって何の意味があるのかと、時々ぼやかれる。

燐火も問題を見せて貰うが、まだちょっと歯が立たない。

ともかく苦手でも、やっていくしかない。

歴史や科学はむしろ得意だ。

魔祓いをしている燐火がいうのも何だが、科学は誰から見ても同じ結果になるというのが素晴らしい。

個人依存がどうしても強い武術や魔祓いと違って、科学は本当にそういう点では優れている。

個人武勇の時代が終わり。

科学的な装備の時代がやがて来たのも、納得がいく話である。

勉強をして、宿題を終えて。

それで泣き出した杏美の面倒を見る。

これは小便だな。

おむつをテキパキと替えるのにも慣れてきた。おかあさんには、おむつを替えておいたことを話す。

昔は使い捨ての紙おむつが多かったが、おかあさんは布おむつを使っている。こっちの方が洗って済ませられるのでいいらしい。

今は燐火もある程度家事を担当しているので。

三人で分散すれば早い。

後は弁当だが。

まだ全部燐火は単独で作れない。

これをこなせるようになれば、もう言うことはないのだが。ダイモーンが早朝に出ることもあって。

まだまだ全部こなすのには、さらなる修練が必要だろう。

風呂に入って、そろそろ休むか。

そう思ったときに、メールが来る。

鈴山さんだった。

鈴山さんは小川先輩から話を聞いたらしく、時間があるなら自分も教えてほしいということだ。

まあ、良いだろう。

おかあさんの指導を間近で見るのは、今でも充分に勉強になる。

どんな天才でも、技をみる事は決して無駄にならない。

一発で全部習得できるような人でもだ。

燐火はそうではないし。

あの練り上げられた究極の武技を見る限り、無駄なんて一つもない。だから、鈴山さんを連れてくるのも悪くない。

交友関係が広がりつつある。

燐火は小学生時代よりも更にクラスでは恐れられるようになった。

今では三年の不良も燐火の名前を聞くと、こそこそと逃げ出すようになっている。明らかに学校の治安全体が良くなったという話もあるようだ。

燐火が抑止力になることで。

泣く人間が減るのなら、それはとても好ましいことだ。

燐火は淡々と鍛錬を続ける。

そして、少なくとも。

相手がカスでない限りは。

来る者は拒まないつもりだった。

 

3、走る獣

 

何か出たな。

帰路で悟る。

小川先輩と別れたあと、即座に着替える。連絡が来たのは、直後だった。今日は菖蒲さんである。

「燐火ちゃん、良いかしら」

「今気配に気づきました。 何が出ました」

「うーん、恐らくは前に出たスレイプニルと、あと何か一柱ね。 この間ヴィーザルが倒されたのもある。 オーディンが焦っているのかしら」

「すぐに向かいます。 エヴァンジェリンさんも必要ですね」

着替えを終える。

この服、随分と丈が伸びたな。

白仮面は既に都市伝説として定着していて。白仮面が各地で反社や犯罪組織を倒すヒーローになっているという噂まであるそうだ。

都市伝説として名前が知られるようになってきているので、格好を変えた方が良いかもしれないとケルベロスは言うが。

まあ、そのうち考える。

顔は隠しているし、まずばれないだろう。

山の中を疾走。

どうにも嫌な予感がする。

現地まで六qほどを、全力で駆け抜ける。

それほど消耗していないのは、ずっと鍛えているからである。折りたたみの自転車でもあればもっと早いかもしれないが。

ともかく現地に到着すると、雷がドカンと落ちていた。

あれは、なんだ。

トールではないだろう。

少なくとも、スレイプニルと何かが交戦しているようだ。スレイプニルは八本もある足を動かして、それと距離を取ろうとしているようだが。

それはスレイプニルを逃がそうとしない。

そのモヤモヤの何かは、やがてスレイプニルの首筋に食いつくと、がっと地面に押し倒していた。

巨体が地面にたたきつけられる。

周囲にいる何人かの魔祓いが、壁を展開する中。

燐火は、日女さんとエヴァンジェリンさん、菖蒲さんに混じる。

「あれは、神々同士の抗争ですか」

「そのはずなんだがな」

日女さんが不可解だとぼやく。

あのダメージからして、恐らくどちらも北欧系だというのだ。

ガルムの出現といい、ヴィーザルの死といい。

何かおかしな事が起きているのではないか。

そう日女さんが感じているのは、決して杞憂などではないだろう。燐火もおかしいと感じた。

やがて、首を引きちぎったもやもやの何かは、スレイプニルをズタズタにしてしまった。消えていくスレイプニル。

こちらを向くモヤモヤ。

「ふん、情けない叔父だ。 で、この国の魔祓いども、おまえ等は少しは手応えがあるのだろうな」

「スレイプニルの親族?」

「……貴様、天才たる私が見抜いてやろう。 さてはロキの係累だな」

「ご名答。 まあスレイプニルを叔父と呼んだ時点で明らかではあるがな」

けらけらと笑うモヤモヤが、少しずつオオカミの姿に変わっていく。それでも、だいぶモヤモヤだが。

菖蒲さんが指示して、即座に散開。

日女さんと菖蒲さん、それに燐火が押さえ込む。

他の魔祓いは雑多にいるが、壁を展開して機動力を封じる。

例のごとくダイモーンの気配がある。

それを祓う必要がある。

後はエヴァンジェリンさんの仕事だ。

間違いなく、此奴は北欧系の魔である。

「なるほど、オオカミの姿となると、貴様スコルかハティだな」

「くくくっ、その通り。 俺こそが日食の権化であるスコル。 この国の神々や魔は生き生きとしているな。 このような土地に降臨し、支配しようとオーディンのもうろく爺がもくろむのも納得できる。 魔祓いも粒がそろっているな。 北欧とは偉い違いよ」

スコル。

フェンリルの子で、日食の権化たる大魔獣である。

同じく月食の権化であるハティという存在もいるが、此奴はスコルという存在なのだろう。

実は中華での天狗も、同じように本来は彗星の権化であると同時に月食も司る大妖怪であったらしく。

日本に来て、鼻の長いものや、カラス天狗などの、元とはまるで似ても似つかない存在に変化したそうである。

ただ、スコルは少しだけ寂しそうな口調だった。

それに、目的は何だ。

菖蒲さんが前に出る。

スコルも実力を察したようで、少し下がった。

菖蒲さんと愛染明王の戦力は生半可なものじゃない。最近分かるようになってきたが、素の武術でも菖蒲さんは燐火より上だ。

恐らく何かしらの武術一本で鍛えているタイプだとみるが。

鍛え方が達人のそれである。

あらあらうふふと笑っていそうな雰囲気なのに。

一皮むけば超武闘派というわけだ。

「それでこれだけ剣呑な悪運をばらまいて、どのようなつもりですか偉大なる日食の獣。 用事次第では叩き潰しますが」

「……今日は顔見せだ。 ガルムの奴が分霊体だとしてもあっさりやられたと聞いてな。 俺も少しこの国の魔祓いの実力が見たくなった。 それと、オーディンのもうろく爺が出てくる前に、奴の戦力を少しでも削っておく必要があったのでな。 ついでだ」

「逃がすとでも?」

「逃げられるさ。 もっとも、その辺で人間を食い荒らすつもりはない。 俺はこの国の、八百万の神々という考えには好感を持てる。 この環境が壊されるのは困るのでな。 人を食い散らかしたりはせんよ」

ふつりと、いきなり気配が消えた。

どうやら光になってその場から消えたらしい、

エヴァンジェリンさんがルーンを展開して調べる。

「これは……」

「どうなったんですか」

「スレイプニルを倒したときに、既にこの場から去っていたのだ。 後のモヤモヤは立体映像のような遠隔通信用のルーンだった。 あの者、獣のように見せかけて、やりおる」

「厄介ですね」

エヴァンジェリンさんが咳払い。

次はどうにかする、という。

「今回は逃がしてしまったが、天才たる私に同じ手は二度通じない! あんな立派な手札を見せたことを公開させてくれるわ! わーっはっはっはっはっは!」

「楽しそうですね」

菖蒲さんがエヴァンジェリンさんの肩をつかむと、笑いがぴたっと止まる。

そして、連れて行かれた。

多分これはレポート係はエヴァンジェリンさんだな。

日女さんが、嘆息した。

「すまないな。 走らせるだけになったか」

「今のスコルというオオカミ、あまり邪悪には感じませんでした。 悪運をばらまく存在ではありましたが」

「うん? そうだったか」

「フルーレティと同じような気配でした。 ……恐らくあの者は、嘘をついていないと思います」

日女さんはしばし考え込むと、そうかとだけ言った。

とりあえず、その場で解散となる。

勿論その場にばらまかれた悪運は、皆で祓った。

それだけでも、ちょっとした小遣い稼ぎくらいには充分過ぎるくらいなのである。

それが終わってから、淡々と着替えて、走って帰る。

まあ六q程度だ。

今の燐火には、たいした距離ではない。

家に着くと、後は鍛錬をするが。

ケルベロスが補足してくれる。

「先のスコルというオオカミ、それにガルム。 恐らく次の相手は、フルーレティの言葉と状況証拠から見て……」

「フェンリル?」

「そうだな。 その可能性が高い」

フェンリル。

ラグナロクで、オーディンを食い殺す獣という分類の魔では最強の存在の一角である。

しかも問題がある。ラグナロクでフェンリルはオーディンを食い殺したその後、ヴィーザルに殺されるのだが。

そのヴィーザルが既に倒されている。

復活するにしてもかなり時間が掛かるだろうとエヴァンジェリンさんは言っていた。

もしもオーディン戦を見越して先にヴィーザルを倒したのであれば。

フェンリルは思ったよりも、ずっと頭が回るのかもしれない。

現時点で、北欧系の神に、フェンリルを倒せる存在はいない。

しかし、だ。

フェンリル自体は、どれくらいの実力を現在持っているのか。

フルーレティはフリッグなどとは比べものにならないと言っていたが、それについては燐火もそうだろうなとしか言えない。

それはそうである。

フリッグにはこれと言った戦いの逸話がない。

最高神を食い殺すという、魔の中では最強レベルの戦果を上げたフェンリルが相手だった場合。

それは比較にもならないというのは、妥当だろう。

もう一体の邪神が何者かは気になる。

だが、その前に連絡を入れるべきだ。

鍛錬を終えて、勉強をしつつエヴァンジェリンさんに連絡を入れる。エヴァンジェリンさんはちょっと連絡が遅れがちだが、これはスマホをまだうまく使いこなせないから、らしい。

天才と自任しているエヴァンジェリンさんだが。

今は日本製のスマホを使っているらしく。

設定だのなんだのを細かく設定するのに苦労しているそうで、それもあって連絡が遅れることがあるそうだ。

ともかく返事は来る。

「フェンリルの可能性があるのは本当か」

「はい。 フルーレティの発言、最近の一連の出来事。 最悪の相手を想定するならフェンリルがいると思います」

「……フェンリルは北欧でも最強の魔の一角として認識されていて、魔祓いを何度かされている」

まあ、そうだろうな。

北欧神話が物語になってしまった今でも、その戦闘力はある程度健在な筈だ。魔として辺りを荒らし回るようになったら、それこそしゃれにならない被害が出る。

北欧神話におけるフェンリルは、朝飯前に国の三つや四つを蹂躙し尽くすほどの魔である。

最近ではファンタジー作品で雑にオオカミの魔物か何かとして扱われることがあるようだが。

著名なルシファーなんかより魔としての実績は圧倒的なのだ。何しろ最高神を食い殺してしまうのだから。

勿論今ではそんな力はないだろうが。

それでも侮れる訳がない。

魔祓いをするのは当然だろう。

「毎回大きな被害を出したようだが、それでも力を確実にそいでいる。 今では全盛期の半分以下も力を出せないはずだ。 それも物語化した後の全盛期から見て、だ」

「うーん、それは具体的にはどのくらいの実力なんでしょうか」

「この天才たる私だけでは絶対に勝てない。 燐火と日女と菖蒲と、それと一線級の魔祓い数人が助力に来てほしい」

やはりそのレベルになるか。

ただ、秘密兵器もあるようだ。

「仮にフェンリルだった場合は、対抗策はあるにはある」

「詳しくお願いします」

「グレイプニルだ」

聞いたことがある。

確か神々が総力で作り上げた、ラグナロクの時までフェンリルを押さえ込むことに成功する鎖だ。

フェンリルをこれに縛り付けるために、テュールは片腕を失っている。

それでもラグナロクの時には、グレイプニルはフェンリルに打ち破られてしまうのだが。

「グレイプニルの現物があるんですか」

「ルーンで再現する。 ただ、再現する場合数ヶ月かかる」

「……数ヶ月」

「とにかく時間を稼いでほしい。 その間、私は天才といえど最低限の動きしか出来ないだろう。 それにしてもフェンリルとは……」

エヴァンジェリンさんの自信満々な言動とは裏腹に。

明らかにメールの文面に不安がにじんでいる。

しかも、燐火が見たところ、フェンリルがスコルらを動かしている場合。

見た目よりずっと頭が良い可能性が高い。

そもそもオオカミはほとんど犬と変わらない。

それどころかつがいは一生変えないし、子育ては手伝うし、欧州でのイメージと違って極めて優れた社会性を持つ生物だ。

人間は確か乱交型のチンパンジーとハーレム型のゴリラの中間くらいの生態らしいから、生態としてはオオカミの方がよっぽど紳士的と言うことになる。

フェンリルがそうかはなんとも言えないが。

メールは知り合いの魔祓い全員に展開しておく。

とりあえず最悪の場合、日女さんと燐火で連携して足止めし、菖蒲さんで動きを止めるくらいはしないと行けないだろうが。

はっきり言ってフルーレティより弱いとはとても思えない。

あのスコルの狡猾な行動といい。

行き当たりばったりで動いていたフリッグや。

とにかく乾いて自己目的に忠実だったフルーレティよりも。

数段上の相手だ。

仮にフェンリルではなかったとしても、である。

嘆息すると、頭を切り替えて勉強に戻る。

いくつか間違えたので、ケルベロスが指摘してくれる。間違えた分は、分かるまでなんどでもやる。

ずっとやってきた精神修養が、集中力を手助けしてくれる。

たまに杏美が泣いていることを、ケルベロスが指摘して気づくくらいだ。ケルベロスの方が、杏美を見てくれている。頭が三つあるので、三方面を同時に見られるのは強い。いや、尾の蛇も含めるとそれ以上か。

時々杏美の面倒を見ながら、勉強を進めていく。

やがておとうさんが防音室から出てきた。疲れ切っているので、甘いものを出す。おとうさんもかなりぐったりしていたが。

それでも杏美の泣き声に不快感を示すようなことはなかった。

「ありがとう燐火」

「どういたしまして」

「勉強は進んでいるかい」

「今高二の英語をやっています。 難しくて苦労していますけれど」

既に涼子は大学の分野の勉強をしているようだから、まだまだである。

おとうさんは苦笑いすると、やっている問題をチェックして、どこがまずいか丁寧に指導してくれた。

ケルベロスも感心する。

それから、燐火が杏美のミルクを用意する。

おかあさんは母乳がそれほど出るタイプではなく、どうしても粉ミルクに頼らざるをえない。

それもあって、粉ミルクの温め方などは嫌でも覚えた。

おとうさんも練習して、出来るようになっている。

人肌に温めるとか、色々難しいが。

今ではすっとこなせる。

ミルクを飲むだけ飲むと、寝てしまう。

それでいい。

寝る分成長する。

今のところ、燐火を嫌っている様子もない。おとうさんも、別に嫌がられてはいないようだった。

「とりあえず、今の時点ではおとうさんには頑張りなさいとしかいえない。 今日はちょっと限界だから休むよ」

「お疲れ様、……。 おやすみなさい」

「うん」

おとうさんが寝室に消える。

お疲れ様の後に「です」を言わずに踏みとどまったことは分かってくれたのだろう。

嘆息すると、燐火は無言で勉強の追い込みに入る。

スマホでショート動画見ている暇を、全部先送りで勉強しておく。

鍛える分も、他が遊んでいる時間にやっておく。

勿論娯楽は娯楽でこなしているつもりだ。

ただ時間が掛かりすぎるゲームをやるつもりはない。たまに涼子と通信対戦するパーティーゲームをするくらいだ。

だが、その技量も上がっている。

最近では、涼子に勝つことも増えてきていた。

さて、そろそろかな。

伸びをして、休むことにする。

ダイモーンの気配なし。

悪神もいない。

今日は、ゆっくり休めると思いたかった。

 

空手部に出ると、熱量が上がっていた。

基本的にこの学校では、部活の時間制限が厳しい。一時期馬鹿みたいに部活をやらせ、学業より優先するような本末転倒な学校もあったが。この学校ではそれは許されない。

特にコンクールだのでの入賞を絶対視するような風潮は根絶する方針で動いているようであり。

そういう方針を掲げてスパルタという名の虐待をしていた吹奏楽部は、四年前に解体され。顧問は放逐されたそうだ。

教師の負担が大きすぎる。

それにやっとこの国は気づいて。

部活は正常化を始めている。

それで、熱量を上げているのは鈴山さんと小川先輩だ。

覚えた正拳を、とにかく無心にたたき込み続けている。

燐火も遅れて部活に来たが、それに習う。

三年も流石に触発されたらしく、筋肉を温め始めていた。というか、小川先輩。少し雰囲気が変わったか。

「おっす、燐火っち。 どう、少しは向上した?」

「良いと思います。 まだまだ伸びると思いますよ」

「よっしゃ!」

相変わらず距離感が独特だ。

ともかく、並んで正拳を放つ。

重りをつけたままやっているが、それについては内緒だ。というか、学内の不良生徒程度だったら重りつけたままで余裕で対処できるようになってきた。

小川先輩が、ズドンといい音を立てて正拳をたたき込む。

なかなかの破壊力だ。

腕だけで打つのではなく、全身で打つのが正拳だ。

的がいい音を立てる。

燐火も無心でルーチンをこなしておく。どこでやろうとルーチンはルーチンである。

部長が来る。

空気のように今まで存在感がなかった部長だが、熱量が上がったからか。冬眠から起き出した熊のように、もそもそと動いていた。

「皆、良いだろうか」

「オス!」

「どうしましたか」

「あー、みんな小川のおかげでやる気が出てきたようだからな。 今までこの部活、担当はいても空手の専任指導講師がいなかっただろ。 だから職員室で掛け合ってきて、外部の講師を招くことにした」

小川先輩がすっと表情を変える。

それはそうだろうな。

何個も探してやっとまともに接してくれる道場に出会えたけれど。

そこでは先生が決定的な力量不足だったという事態に直面したのだ。それは、色々空手の講師には思うところもあるだろう。

「基本的に大会とかに出ることは考えず、皆楽しくやるのがうちの部活のモットーだ。 というか、うちの学校のだな。 熱量が高いボクシング部でさえ、大会とかに出ることは考えていないしな。 空手も格闘技ではあるが、あくまで楽しいものとして俺は考えている。 だから、先生もそういうエンジョイ勢を呼ぶことにした。 とりあえず、あんまり構えなくても大丈夫だ。 基礎をとかを教えてくれるだけだからな」

そうか。

とりあえず小川先輩のおかげで熱量が上がった、扱いな訳だ。

まだ中学の部活だし、それでいいのだろう。

この学校だと、高校受験とかやるような事はあっても、大学受験レベルでの追い込みはしないだろうし。

この部長としても、最後の仕事はしたし、それでいいという考えなのだと燐火は察した。

とりあえず、数日後に講師は来るそうだ。

エンジョイ勢という言い方がちょっと気になるが、まあそんなに変な人は来ないだろうと思う。

心配そうにしている小川先輩が、露骨に手元が狂っているので、指摘する。

すぐに頷いて、態勢を直す。

とにかく全身の体重、力を全て乗せきって、拳としてたたき込む。

それが正拳だ。

これは合気なんかでも同じ。

燐火の場合は合気も使うのだが。

これは拳を作るよりも、平手の方が打撃力が上がるからだ。

勿論、正拳に持ち込める場合はそっちを使う。

合気はかなりこつがいる上に、燐火の技量だとその場で最大火力を出しづらいというのが要因だ。

まだ立ち回りの経験が足りていない。

ただ、教わった歩法を利用して、経験不足を補っている。

そのうち、数十人くらいの相手だったら倒せるようになりたいが。まあ、まだまだ先の話になるだろう。

そして、数日後。

その先生が来た。

何というか、いかにもな人だ。一時期ウェイ系とかいったらしいが。よく分からない。サングラスなんか掛けていて。肌を焼いていて。

それでいて、体のラインを隠してもいない女性である。

髪もなんというか、ものすごく個性的なまとめ方をしていて、見てさすがの燐火も驚かされていた。

だが。

もっと驚いたのは。

この人、出来ると言うことだ。

歩くのを見ただけで分かったが、今の燐火より空手では確実に上。

全盛期のおかあさんほどではないだろうが、現状の産後で弱体化したおかあさんと比べると、ちょっと分からないと言うところである。

「ウェーイ! というとちょっと古いかな。 この部活の外部講師として、バイトで来ました。 英腹八子です。 よろしくぅ!」

「……」

「よろしくお願いします」

燐火がばしりと頭を下げると、一番唖然としていた小川先輩も頭を下げる。

それから、全員の演舞を見る。

先輩方はお察しだ。

元々エンジョイで部活をしているのだから、趣味の範囲。

ふむふむと言いながら、八子さんはそれに意外にも滅茶苦茶わかりやすいアドバイスをしていた。

先輩から順番にやっていくので、小川先輩の番が来る。

見た目は小川先輩の同類に見えるかもしれない。

それもあって、小川先輩はかなり警戒していたようだったが。

動きを見て、即座に八子さんは特定していた。

「おー、これは変な癖があるのを、必死に直しに行ってるところだね。 基礎が結構しっかりしてるから、その癖を直して基礎練を続ければ、すぐに強くなれるよ。 筋力は申し分ないから、変な癖を直せば、一気に伸びるね!」

「え、あ、ハイ。 ウス……」

正確に指摘されて困惑気味。

鈴山さんは、丁寧にどうすればいいかを細かく指導していて、燐火はこの人凄いなと思った。

エンジョイ勢らしいが。

楽しむことが強さのこつと言うところか。

侮れないな、エンジョイ勢。

部長はなんだかものすごく誇らしげである。

燐火の番が来たが、一目で言われる。

「おー、凄い完成度だ。 いつもこれ正拳150はやってるでしょ。 ついでに今、重りつけてる?」

「はい。 その通りです」

「いいね。 そのままの訓練でヨシ!」

ぱぱっと全員を見た後、組み手をするかと言われた。

とりあえず、男子からだが。

ここでの組み手は、いわゆるフルコンタクト型ではなくて、あたるかどうかを判断する型だ。

いわゆるフルコンタクト型は相手を打ち倒すタイプの対戦型格闘技に近い空手で、一部の流派などで取り入れられている激しいものだ。中には百人組み手などをやるものもあるという。

これに対して試合形式の空手は、相手にあたったかどうかを判断するもので。

基本的に寸止めで終わらせる。

それでもあたるときはあたるが。

ともかく空手としてもかなり極端である。

まずはそれぞれ適当に組むかと思ったが、燐火は部長と組むようにと言われた。今の瞬間で、実力を見抜いたらしい。

そうか。

ともかく、部長と向き合う。

これは、力量は相手の方が若干上かな。

空手限定だが。

それでも、競技空手だったら勝つ自信はある。

また、空手だけではないのであれば、もっと勝率は上がるが

ただ、油断は禁物だろう。

黙々と間合いを詰める。

部長も普段ののほほんとした様子から打って変わって、完全に気配が変わっていた。しばし間合いを取り合うが。

やがて、部長から仕掛けてきた。

ひゅんと、抉りこむような蹴り。

競技空手と言ってもいくつかあるが、蹴り許可か。

とにかく背が高いから、当然足も長い。凄まじい伸びを見せた蹴りが、音と裏腹に文字通り空気を切り裂く。

だが、軽い。

それはそうだ。競技なのだから。

燐火はそれをミリで見切る。

踏み込むと同時に、燐火の反応を見る部長だが。

その時には、燐火は既に歩法を駆使して部長の左側に回っていた。

守りに入ろうとする部長だが、今の歩法は見たことはなかったのかもしれない。一瞬遅れる。

すっと間合いを侵略した燐火が、脇腹に手をつく。

それで終わり、と八子さんが声を掛けてきていた。

「面白い歩法だね。 格闘技ってのは洗練すると基本的にどれも動きが似てくるものなのだけれども。 それはひょっとして、ガチンコで鍛えたのかな?」

「いえ、合気や柔道、剣道もやっていますので」

「おお、かなり高度なことやってるね。 部長くん、本気出しなさい。 この子、舐めてて勝てる相手じゃないよ」

「了解……」

更に気配が変わる。

これは、今まで完全に手を抜いていたんだなと分かる。

ただの怠惰な人に見えていたが。

それも演技だったと言うことだ。

少し年上でも、これだけの使い手がいる。

それに年下の充子には、剣道で勝てるビジョンが見えない。

同世代でさえ、燐火は無敵でもなんでもないということだ。それを思うと、驕る暇などない。

本気になった部長は、おおぶりの蹴り技を一切使わず、とにかく細かい動きを丁寧に駆使して、非常に攻めづらくなった。

まるで要塞だな。

そう思いながら、あらゆるフェイントを入れつつ何度も仕掛けるが。これはちょっと攻略できないか。

勿論愛用の神器魔法のステッキがあれば話は別だが。

これはあくまで無手での試合だ。

死合いではない。

苛烈な駆け引きで、汗が流れる。

部長も相当に消耗しているようだが。

其処まで、と声が掛かっていた。

「よーし、今日は終わり。 じゃ、帰るわ。 部長くん、これで色々出来ることが増えたかな」

「はい、ありがとうございます八子姉さん」

「叔母なんだから姉さんはやめな。 とりあえずみんな、今日指導したことを忘れずにね。 たまに様子見に来るから。 ウェーイ、なんつて」

けらけら笑うと、八子さんは戻っていった。

やはり、人間は見かけで判断するべきではないな。

それにだ。

「燐火、おまえ部長の実力を手合わせするまで見誤っていたな」

「うん」

ケルベロスの指摘は厳しい。

この様子だと、ケルベロスは見抜いていたのかもしれない。

反省点だ。

反省しているなら良いが、とケルベロスは少し不満げである。

「実戦では相手の実力を見誤ると、瞬きの間に死ぬ。 おまえはそれを逆に駆使して、今まで何度もジャイアントキリングを成し遂げた。 それを忘れるな」

「分かってる」

「うむ……」

ケルベロスの言葉は痛いほど分かる。

それで、時間も来たので切り上げる。

結構終わりの時間には厳しいのだ。さっさと着替えて帰るが。小川先輩は、ずっと狐につままれたような顔をしていた。

「人は見た目じゃないって分かっていたつもりだったのに。 なんだか、自分も分かっていなかったみたいでちょっと癪……」

「仕方がないですよ。 燐火も部長があんなに強かったなんて知りませんでしたし」

「うん……」

しゅんとしている小川先輩。

ともかく、今は反省点を見つけることが出来たのだ。

それと、である。

格下に擬態している相手を見抜くすべを今のうちに身につけた方が良いだろう。

燐火は今まで、格下と相手が侮って、それで勝てたことが何度もあった。

子供だからだ。

だが、背がどんどん伸びてきて、体もしっかりしてきている今。それは過去の話になりつつある。

家に着いてから、日女さんに今日のことをメールで話す。

そうすると、日女さんは八子さんの事を知っていた。

「ああ、あの名物空手マスターの」

「有名な人だったんですね」

「俺の世代だと有名人だよ。 若い頃はしっかりした格好をしていてな。 あちこちで道場破りをして回っていたどころか、海外の柔術道場とかにまで殴り込みに行っていたらしい。 それでゴリラみたいな大男をフルコンタクトで倒して回っていたって言うんだから、相当な使い手だよ」

道理で。

あの実力、ただものではないと思ったが。

ただ、競技空手の世界ではあまり有名ではなかったこともあって、化け物みたいに強いのがいると一部で知られているだけだそうだ。

世界は広いな。

そう燐火は、静かに思った。

 

4、実力は内に秘める

 

ダイモーンを祓う。

今日は休日だが、これで五体目だ。町中で出現している。それもあって、ずっと走り回っていた。

当然、日女さん達も出ている。

この数の、同時出現。

ちょっと尋常ではない。

悪運をばらまくダイモーンは、簡単に人間を堕落させる。本来はここまで邪悪な存在ではないし、アガトダイモーンとなればむしろ人に有益ですらあるのだが。

これらのダイモーン。明らかに様子がおかしかった。

ともかく、次に向かう。

カトリイヌさんも勿論抑えに出てくれている。

指揮を執っている菖蒲さんから連絡。

大きな気配だという。

「後十二カ所、ダイモーンを祓ったら来てくれる?」

「分かりました。 必ず」

「これはどこかしらの神格ね。 魔祓いがそろうまでは、私でどうにか抑えるわ。 こんな時に父さんがいてくれればね……」

確かに強烈な気配だ。

ケルベロスが、最短路を示してくれる。

面倒なことに、複合魔は一体もいない。

まだフリッグ一派には最低二柱の魔もしくは悪神がいる。

だとすると、複合魔を出してきてもおかしくないのだが。

いずれにしても、燐火にしか対応できない。

走り回る。流石に二十q以上走ると、疲れがたまってきた。とりあえず、十四体目。後三体だ。

抑えに回っていた魔祓いも、菖蒲さんの援護に続々向かっている。

気配がどんどん大きくなってきている。

これは、急がないとまずいな。

車が来る。

公安からの指示で、自衛隊が回してくれたようだった。

とりあえず乗せて貰い、魔祓いの体力を温存する。

ケルベロスが車かと言いながら、それでも最適路を指示してくれる。渋滞などを完全に回避するのを見て、自衛官が目を見張っていた。

車での移動中、消耗を少しでも回復するべく、スポーツドリンクを口に含む。

そして残り三体。

どれもたいした相手ではなかったが、即座に祓った。

流石に息が上がる。

ケルベロスが、次が本番だと気を引き締めるように促してくる。それは分かっている。だから、今必死に頑張っているのだ。

現地に向かう。

雷がドカンドカンと墜ちているが。

ともかく現地に到着すると、嫌な予感がした。

雨は降っていないのに、何度も雷が落ちている。現地の近くで。日女さんが負傷して、うずくまっていた。

「日女さん!」

「燐火か。 気をつけろ。 菖蒲姉でも苦戦する相手だ。 こんな時に一線級の魔祓いがあらかた出払っているなんてな」

「これは、生半可な神格ではないぞ。 燐火、飛ばしていけ」

「分かってる」

ケルベロスに言われるまでもない。

すっと息を吸い込むと、短期決戦のつもりで出る。

山の中。

自衛隊員が、倒れた魔祓いを運び出している。もう何人もやられているようだ。死んでいないならそれでいいが。

傷口が炭化している者もいる。

再起不能者も出ているかもしれない。

最前線にいくと、凄まじい斥力を感じた。

これはひょっとすると、体が進むなと警告してきているのか。

ともかく、それでも進む。

やがて、がっぷり四つに愛染明王と組む……なんだあれは。

ともかく、何か良くわからないものが見えてきた。

カトリイヌさんが目を回して転がっている。

セバスティアンさんだけ残っている。若い方の護衛の人がカトリイヌさんを担いで、離脱していった。

「ダイモーン、全て片付けました」

「お流石にございますな。 相手は北欧神話の上級神格。 ご油断召されぬように……!」

エヴァンジェリンさんが、必死にルーンを組んでいるのが見えた。

つまり押さえ込んでなお、菖蒲さんと互角以上にやりあって、横やりを片っ端から返り討ちにしているのかあのモヤモヤ。

何者だ。

トールだとしたら、しゃれにならないのだが。

燐火も無言で突貫。

そいつが、雷撃を放ってくるのを悟り、横っ飛び。

その瞬間、仕掛けたのはセバスティアンさんだ。ソロネから放たれた光がモヤモヤを直撃。

その体を貫いていた。

「む、ぐうっ!」

「面ッ!」

燐火が面をたたき込む。

鉄パイプの火力を最大限生かした一撃は、モヤモヤに明らかに痛打を入れていた。

がっぷり四つに組んでいた愛染明王が見るとボロボロだ。

どれだけの死闘だったのか、一目で分かる。

モヤモヤが形を為す。

まだ若い神か。

極めてマッシブで、一目で強いと分かる。

だが、此奴も消耗している。

菖蒲さんとの死闘、無駄ではなかったのだ。

エヴァンジェリンさんが正体を特定した。

「北欧系で雷神、そしてこの力量。 しかしトールではないとなると、天才たる私は見抜いたぞ。 貴様トールの息子のどちらかであるな」

「ふっ、その通りだ。 俺こそはマグニ。 ラグナロクを生き残……」

「死ね」

不意に割り込んだ第三者の声。

全員が備える暇もなく、マグニが一瞬で首をはねられ。更には、全身をズタズタに切り裂かれていた。

神だからそれでも滅びることはないだろうが、消滅レベルのダメージだ。

割り込んだ何者かは、忘れるはずもない。

スコルだった。

首だけになり、転がりながら。消滅しつつもマグニが恨み節を述べる。

「き、貴様……! フェンリルの……!」

「覚えておけ脳筋野郎。 戦略というのは、他に選択肢をそいでいき、確実に勝てるように手を打っていくことだ。 人間を利用しおまえを弱らせ、更にはダイモーンを活用して人間の消耗も加速させる。 そしておまえが倒れることで、面倒なオーディンは更に手駒を失った。 どうせヴィーザルが倒れた後は、大駒を切るのをオーディンが惜しむのは分かっていた。 オーディンに嫌われているおまえが次は来るだろうともな」

「ぐ……う……っ」

「次はトールをよこすんだな。 ま、親子そろって脳筋である以上、我らの敵ではないが」

即座に鉄パイプをたたき込む燐火。

思わぬ一撃に、痛打をぶち込まれたスコルが、即座に飛び退き。

更にエヴァンジェリンさんのルーンを受けたが。即座にルーンで縛られた左後ろ足を切断して離脱。

逃がしたか。

エヴァンジェリンさんは、倒されたマグニを浄化して封印する。

誰もが冷や汗を掻いていた。

ここになって存在感を出し始めたオーディン一派。

そして、躊躇なく足一本を捨てて逃走したスコル。

これは手強い相手だ。

フリッグともフルーレティとも違う。もしもスコルの後ろにフェンリルがいるとすると。

今までとは比較にならない、恐ろしい戦いになるかもしれなかった。

 

(続)