悪魔ですら鼻白む

 

序、相談した結果

 

二学期が始まった。

その少し前に、市原さんの家が終わっていることをおとうさんとおかあさんに話した。明らかに市原さんがネグレクトを受けている事についてもだ。

思うに体育について市原さんが燐火に聞いてきたとき。

最後の勇気を振り絞っての行動だったのだろう。

あのとき燐火が粗雑に扱っていたら、多分市原さんは、精神的に死んでいたとみて良い。危ないところだったのだ。

結論としては、おとうさんに相談して良かった。

おかあさんも、具体的にどうすれば良いかを丁寧に教えてくれた。

質にはかなりばらつきがあるが。

いずれにいても、今児相と言うところから来た人と、先生を交えて、市原さんと一緒に話をしている。

燐火が市原さんの家庭について、いくつか気づいたところを順番に説明していく。

市原さんは蒼白になっている。

それにしてもだ。

金木家に支配されていたあの街だったら、児相なんて何の役にも立たなかっただろうなと思う。

児相自体が機能していなかっただろうし。

市役所も警察も金木家の影響下にあったのだ。

あの金木家のカスどものせいで何人も自殺に追い込まれていても動かないくらいだ。児相なんか、何の役にも立たなかったのも当然だろう。

だから燐火としては、あまり信頼は出来ないという不信感があるのだが。

おかあさんは、児相には当たり外れがあると言う話をしてくれた。

やはり役に立たない児相はまるで役に立たないらしい。

警察に関しても、似たようなところはある。

だから、おかあさんが知り合いを手配してくれた。

非常に堅実そうな、厳しそうなおじさんが来た。

今、市原さんが一つずつ丁寧に話をしている。

それを聞いて、おじさんの眉間にしわがどんどん寄っていくのが分かった。

「なるほど、概ね状況は理解しました。 市原さん。 こちらでも調査します。 いずれにしても、肉体的な暴力などはないにしても、許せない話です」

「お、お母さんを呼んで話したりとかはしないんですか」

「今、市原さんは、ここでお母さんに話して、それで何か解決すると思いますか? しません。 逆恨みして、おそらく肉体的な暴力を伴う加害が始まるでしょう」

その通りだ。

詳しく話を聞いて驚いたのだが、夕食なんかも兄と完全に差別化されて、残りカスみたいなものしかもらえていないそうだ。

兄をベタベタにかわいがっているが。

その兄は母の溺愛を鼻で笑っているらしく、多めにもらっている小遣いをあからさまな悪事にばかり使っているようである。

夜遊びをしているところも目撃されているようで。

高校での素行も最悪だそうだ。

いずれにしても、崩壊家庭だな。

燐火はそう思う。

市原さんに、もう一度勇気を出そうと説得したのは燐火だ。

そしてお膳立てをした。

先生もぶち切れている。

これは、大事になるだろうな。

そう思ったが、口にはしない。

いずれにしても、市原家は終わりだ。

児相の人は、全く表情を変えずに市原さんにいう。

「まず、市原さんはこちらで預かります。 大丈夫、寂しくないように児相の職員が常に話し相手になります。 それとも、お母さんのところが良いですか?」

「いえ……」

これはもう。

市原さんも、あの母親には愛想が尽きているな。

燐火をゴミみたいな目で見てきたなあいつ。

視線を返したら、露骨に怯んでいたっけ。

市原さんは面白い子だ。

それをこんなに萎縮させて。

結局のところ、家庭にまでスクールカーストで醸成されたような価値観を持ち込んで。娘に対してそれを使っている。

ガキのままだ。

子供を二人も産んでも、人間は全く成長しない。

どうせあの様子だと、キモいだのなんだの主観的な理由で市原さんの事を否定していたのだろう。

子供を産んだら成長する。

それが都市伝説に過ぎない良い証拠だろう。

ともかく、いくつかの話を済ませる。

興信所も動き始めているようで、裏取りを開始するそうだ。ちなみに市原家には、これから児相のおじさんが警官と先生とともに出向いて、話をしに行くそうである。

まあそれもそうだろうな。

今回の事に踏み切ったのには理由がある。

燐火が手伝って終わらせた宿題が、明らかに人為的にビリビリに破かれていたのである。

市原さんは朝起きたらこうなっていてと悲しんでいたが。

学校で最近市原さんに手を出せる生徒はいない。燐火がにらんでいるだけで、誰もが近づかない。

それもあって、学校ではない。

気にくわない相手に、ガキ以下の行為をしているというわけだ。

更には、燐火が出向いた日には夕食も露骨に減らされる日も多かったのだと聞かされた。

運動神経が鈍いのは、無論それだけが理由ではないだろうが。

いずれにしても、充分に虐待に値すると。相談した燐火に、おかあさんは説明をしてくれた。

だから、対策を聞いた。

今、それが動いている。

とりあえず、今日から児相の保護施設で市原さんは過ごすことになるが。帰り道で、軽くそれは涼子に話しておく。

涼子は涼子で、市原さんに何かしら起きていることは悟っていたようで、やはりという顔をしたが。

それ以上は何も言わなかった。

まだ残暑が非常に厳しい。

そんな中、帰路を行く。

途中で児相の人が来ていたので、市原さんはそちらに行って貰う。優しそうな女性だ。今日、あのおじさんが市原家にいって、市原さんの荷物をあらかた持ち帰ってくるそうである。

ここからが修羅場だが。

いずれにしても、燐火はこれ以上手を出せる状態ではない。

ただ、ケルベロスがいる。

ケルベロスが、幸運をくれている。

今回はそれで、児相に関しても当たりを引いた。いじめと称する犯罪が、人を殺すまで発展しても警察すら動かない事すらある今。

これはとても大きな幸運だ。

とりあえず、三人別れて、一人で帰る。

ケルベロスが、吐き捨てていた

「あの見た目だけ繕った家、燐火が思った以上に腐り果てていたのだな」

「どうしようもないね」

「ああ、その通りだ。 今、貴族やら金持ちやらに夢を見ている人間がいるが、俺が信仰されていた時代から、実態はこんなものだった。 愚かしくて反吐が出るわ。 人間は歴史を積み重ねてきたのに、どうして過去に学ぼうとしない」

「耳が痛いかな」

燐火も人間だ。

どれだけ浮世離れしていたとしても。

いずれにしても、もっと早く大人にならないとな。

こんな理不尽、一つでも力尽くで解決できるようにならないといけないだろう。

そして、である。

ケルベロスに言われるまでも無く、脇道にそれる。

さっさと着替えると、魔法のステッキ(鉄パイプ)片手に走る。ダイモーンだ。それも結構強い。

走った先は、繁華街の裏手である。

あれは確かラブホテルだのいう場所だろう。

なんだか嫌な予感がする。

まあ燐火ももうあれがどういう場所かは知っているので、あのラブホテルだかにカコダイモーンが絡みついているのをみて。

市原家の父も母も浮気三昧であるのを知っているので。

まさかとは思ったが。

まあいい。

とにかく魔祓いだ。

聖印を切る。

以前はヘラクレスさんが対応しなければならないレベルのカコダイモーンだったが。もはや燐火でも対応できる。

ただし、簡単ではない。

七度聖印を切り、それでようやく全身が爆ぜ始める。

こちらを振り返るカコダイモーン。

唇が、異様に蠱惑的だが。その唇の中からのぞいているのは、蛇の舌だ。蛇が悪いイメージに俺を使うなと怒りそうであるが。

まあ神話的なイメージというのはそういうものだ。

更に聖印を切る。

胴の辺りが爆ぜ割れて、膨大な悪運が辺りに降り注ぐ。コールタールのように、ラブホテルが悪運に浸されていく。

悲鳴を上げながら、大量にある足……人間のようで、指先は幼児のようであるそれをせわしなく動かして、カコダイモーンが迫ってくる。

聖印を立て続けに切る。

逃げない理由は簡単。

倒しきれるからだ。

二十三回目の聖印で、ついに力尽きたカコダイモーンが竿立ちになり。

そして全身爆ぜ割れ、木っ端微塵に打ち砕かれていた。

辺りにコールタールみたいに悪運がぶちまけられる。

ケルベロスが言う。

「そろそろ悪運を燐火でも祓ってみるか」

「出来るんだね」

「これだけ力がついたならな。 俺の指示通り、別の聖印を切ってみろ。 ちょっとばかり消耗が大きいがな」

「分かった」

以前カトリイヌさんや日女さんに聞いたのだが。

魔祓いと、こういうぶちまけられた汚染の除去は得意分野が違うという。

魔祓いには凄まじい力を発揮できる人が、悪運などの魔による汚染の除去は大の苦手だったりする。

燐火は魔祓い特化型だが。

悪運の除去も出来るには出来る。

ただし、力が強くなってきた今だからだ。

消耗も、魔祓いに比べて大きい。

別の聖印を切る。

それで、確かに悪運をかなり排除できたが、消耗が凄いな。ただ先に連絡を入れていたこともある。

カトリイヌさんが到着。

汚染の除去をしてくれた。

さて、問題はここからだ。

着替えて軽く様子を見ていたら。ラブホテルから出てきた二人……いや四人か。それが修羅場になっていた。

凄まじい形相で怒鳴り合っている。

あれは……市原さんの父母だ。

どっちも同じラブホテルで不倫していたのか。燐火は思わず、流石に鉄面皮と言われる顔が引きつるのを感じていた。

こんなのが親では、市原さんが可哀想だ。

病気ではないか。

「悪魔だったら手を叩いて笑うのかな」

「いや、悪魔でも流石に鼻をつまんで視線を背けるだろうな」

「……屑が」

「まったくだ。 所詮悪魔など、人間が考えた悪に過ぎん。 真の邪悪、真の醜悪は人間であるのさ」

ケルベロスの言葉の通りだ。

つかみ合いの喧嘩になっている市原さんの両親。あんなのは、それぞれ破滅した方が良いだろう。

不倫相手のうち、市原さん父の相手の女は早々に逃走。

市原さん母の相手の方は、市原父に殴りかかり。顔面に拳をたたき込んで、歯が何本か折れたようだった。あからさまな反社だ。あんなのを相手に不倫か。いずれにしてもそれで警察が来て、三人を引きずって連れて行った。

悪運が消し飛んだのだ。

これは更にややこしいことになるだろうな。

そう思う。

それはそれとして、繁華街の汚染除去をやってくれているカトリイヌさん達に軽く話をしに行く。

カトリイヌさんは、ラブホテルの周りにぶちまけられている高濃度の悪運にうんざりしながら、天使と一緒に除去をしてくれていたが、

話を聞いて、はあと呆れた声を上げていた。

「ダブル不倫にネグレクト。 役満ですわ。 親失格というよりも、はっきり言って人間失格ですわね」

「父親の方は年収1500万とかで、ビジネス誌で特集されたとかいう人間らしいです。 正体見たりという奴ですね。 それともビジネス誌なんか真面目に読んでいるような人は、浮気は男の甲斐性とかほざくんでしょうか」

「そんなもの、今やわたくしの国でも真面目に読んでいる人はいませんわよ」

「ですよね」

多少、会話が柔らかくなったか。

カトリイヌさんは燐火を年の離れた友達と見てくれているし。

燐火もカトリイヌさんに対する初対面の悪い印象はもうなくなっている。

ポンではあるけれど立派に仕事をしてくれる人だ。

早めにカトリックの腐敗を見せてくれたのは嬉しかったし。今では信頼も感じる。燐火も信頼しているし。

この関係を、このまま続けていきたいものだ。

軽く打ち合わせをして、汚染除去を燐火も手伝ってから、帰る。

少し遅れたが、帰ってから鍛錬のルーチンをこなす。

それから、夕食の調理を手伝う。

自立のためだ。

いくつかの下ごしらえはしておく。

おとうさんはこれから耐久配信で、明日の朝までは動けない。もしおかあさんに何かしらあったら、燐火が対応する。

今日は久々に戻ってきているが、明日からまた入院だ。

一応、予定日近辺は、おとうさんも会社と相談して、仕事に空きを作ってくれているけれども。

流石にこれだけ予定日が近くなってくると。

何があっても不思議ではないのだ。

とりあえず横になって貰っているおかあさんの前で、鍛錬の成果をいくつか見せる。おかあさんは、少しだけ喜んでくれた。

「随分腕を上げたね」

「ありがとう……ご、ご……。 ありがとうおかあ、さ、ん」

「よし、良く耐えた。 もっと自然にしゃべれるようにしていこう」

「は……う、うん」

まだ敬語が出るのを抑えないと厳しいか。

おかあさんはおなかをなでている。

この家で生まれる子は幸せ者だ。

燐火もこの二人から生まれたかったな。

そう思うが。

年齢的にあわないか。

ただ、血はつながっていなくても、ちゃんとおとうさんとおかあさんは、燐火の両親だ。それは今や、揺るぎのない事実である。

いくつか話をする。

市原さんについても話す。ただ、ラブホテルで見た騒動については黙っておくことにする。

あれは修羅場になるだろう。

更に市原さん兄も、この様子ではおそらく警察の捜査の手が伸びる。悪さをしていたようだし、まあ無事では済まないだろうな。

悪徳の家。

潔癖症に片付けられていた家だったのに。

潔癖だったのは、それこそ表面だけだったのだ。

そう思うと、見かけを繕うことなんて、どれだけ意味があるのだろうと思えてくる。燐火には、最低限しかやはり興味が湧きそうにない。

メールが来た。

市原さんからだった。

居心地が驚くほど良いという。

夕ご飯もちゃんと出てきて、食べられないものとかも丁寧に聞いてくれたという。

他の子はいなかったが、それでもこれなら寂しくないと、市原さんは喜んでいるようだった。

しかも珍しい動物の高価な図鑑があって。

何時間でもそれで時間を潰せると、本気で喜んでいた。

今までどれだけの鬱屈をため込んでいたのだろう。

市原さんのスマホは、兄の型落ちだった。

それも徹底的にロックを掛けられて、使える機能は制限されていた上、あの母親に検閲までされ。

メールの内容なども全部見られていたとか。

動物の話題をメールで出した翌日、あざを作っていたときがあった。

あれはまさか。

動物に興味を持つことを、あの母親は単に気持ち悪いという理由だけから否定し、暴力まで振るっていたのか。

そう思うと、怒りが噴き上がってくる。

だが、先に怒ってくれたのはケルベロスだった。

「あの売女が。 許せん」

「同感だね。 ああいうのをまさか世間的には自立した強い女性とか言っているんじゃないだろうね。 だとしたら、そういう価値観自体が狂ってる」

「燐火の言うとおりだ。 俺もそんな思想がはびこるようなら、絶対に許せん。 この仕事が終わった後、地獄で問題提起をする」

それでいい。

それにだ。

そういう思想を蔓延らせている連中は、だいたい何らかのお金儲けとつながっているのが普通だ。

末端で騒いでいるのは猿の群れだが。

それを統率しているのは邪悪な詐欺師である。

それについてはおかあさんから聞かされているし。自分でも調べたし。

ケルベロスがバッカス信仰というもので、実例について示してもくれた。

ため息が出る。

とにかく、これから児相がきちんと動いてくれて。市原さんが幸せになれることを祈るしかない。

まずはあの毒親のくびきからの解放からだ。

燐火は大きくため息をつく。

物心ついた頃には、周りの大人に何もかも滅茶苦茶にされていて。それが故に、そいつらには期待なんぞ何もしていなかった燐火よりも。

まだ実の親の側にいたから。

それで色々と生物的な本能からすがってしまっている市原さんの方が重症なのかもしれない。

そうとさえ、思えた。

 

1、邪悪死すべし

 

数日して。

おかあさんが長期入院に入った。

今までは入退院を繰り返していたのだが、もうこれからは生まれるまでは出てこない状態だ。

おなかの子供の状態は悪くないらしく、異常はないようだ。

逆子とかでもないらしく、病院でしっかり処置をすれば問題なく生まれてくるだろう、ということだった。

ただおかあさんの消耗が激しい。

これほど頑健な人でも、子供を産むとなるとそれほど消耗してしまうのか。

大変だな。

燐火はそう思いながら、学校帰りにおかあさんのところに寄る。

それでいくつかの話をしておく。

おかあさんも、市原さんの事は心配しているようだった。

「市原日根見さんと言ったね。 その子は大丈夫そう?」

「児相で今手続きをしているみたいだけれど、そっちは本当に何の問題もないみたい……だ、よ」

「そう」

なんとか敬語を踏みとどまった。

色々難しいが、まだまだだ。

もっと自然に話せるようにならないと、生まれてくる妹に悪影響が出るだろう。

おかあさんは警官だったのだ。

詳しい話を、いくつもしてくれる。

「後は学校だね。 その子がいじめられないように、しっかりついていてあげて」

「分かっていま……るよ」

「うん。 もうちょっと自然にね」

こくりと頷く。

ともかくだ。

市原さんについては、燐火と涼子でしっかり見張る。

案の定、「エリートサラリーマン」であり、ルックスも優れているらしいため、世間的には「スパダリ」だとか言われていたらしい市原さんの父は逮捕された。粉飾決算だとかをして、会社のお金をごまかして懐に入れていた上、四股もしていたそうだ。

ビジネス誌で出来る男とか特集を組まれたらしく、その記事を見たが。

なんとも軽薄そうな上っ面だけの男だなと燐火は思い。

ケルベロスも、これは口だけ野郎だと断言していた。

ともかくそいつが詐欺師と、上役にこびを売る才能だけはあって。

それで会社の中で真面目に働いている人間を押しのけ。

重役のお気に入りと言うだけで出世し。

体育会系とか言う脳みそまで筋肉で出来ていて、まともに思考できないからビジネス書だとかいうトンチキ本やマナー講師とかいう詐欺師の言うことを鵜呑みにすることしかできない連中に上手に取り入り。

それだけで大量の給金と。

更には会社の金を横領するような真似までしていたのだから世も末である。

ダイモーンの悪運が解放されたことで、それも全て過去の話になったが。

後から聞かされたのだが、実は警察はとっくに目をつけていたらしく、逮捕は時間の問題であったらしい。

そういえばあのカコダイモーン、ラブホテルに張り付いていたが。市原さんのカス両親に張り付いていた様子はなかったし。

或いはだけれども。

あれは偶然、最悪のタイミングで全てが明らかになっただけであって。

あまりにも邪悪な輩には、カコダイモーンも寄りつかないのかもしれなかった。

市原さんの母親も母親で。

夫の給金を湯水のように使い込んだ挙げ句、ブランド品を買いあさっては即座に興味をなくし。

ホストやらにつぎ込んで、豪勢に遊んでいたようだ。

元々同じ会社に勤めていて結婚していたのを略奪婚されたらしいのだが。

それも、単に今の夫より稼いでいるからと言う理由で乗り換えた挙げ句。

「あまり構ってくれずに寂しい」とかいう理由を言い訳にして、男遊びで豪遊して、自分からみて気に入った長男だけをかわいがり。市原さんにはネグレクトをしていたのだから、カスもカス。

まあ似たもの同士と言う訳だ。

ちなみにこっちは目立った犯罪は……まあ重罪はしていないが。

一連の事もあって実家に完全に愛想を尽かされた挙げ句。

家に連れ戻されて、完全に軟禁されたそうである。

長男はというと、なんでもソシャゲのガチャに車を何台も買えるようなお金をつぎ込んでいた上に。

両親の金を盗んでは使っていたそうだ。

崩壊家庭だと思っていたが。

想像を絶するすさまじさだ。

他にも色々やっていたので、即座に捕まって、少年院行きは確定らしい。

そういうわけで、あの家は競売に掛けられ。

おそらく市原さん……いや日根見ちゃんと呼ぶべきだろう。

日根見ちゃんは、おそらく誰かの養子になるだろうと言うことだ。

いい両親が見つかると良いのだけれど。

おかあさんと話した後、先生が来たので帰ることにする。これから検診だの色々あるのだ。

昔は子供を産むのも、産んだ後も、命がけだったそうだ。

それを考えると、人間は生物的な構造として欠陥があるし。

何よりこれだけ手厚い介護も当然であるのだろう。

家に戻る。

それから、じっくりと鍛錬をする。

ケルベロスに、細かい修正点を指摘され。そのたびに修正する。

直るのが早くなってきていると、ケルベロスは喜んでいた。

「魔祓いとしても良い経験を積んでいる。 武道家としてもやっていけるだろう。 この様子だと、既に普通に武器なしで生半可な高校生くらいなら勝てるぞ」

「ありがとう」

「それでだがな。 先ほど市原を名前で呼ぶことに決めていたようだが、早めにそれを本人に通達してやれ。 あの腐れ家族から解放されたんだ。 少しずつ精神的にも落ち着いてくるだろうが、少しでも嬉しいことは前倒しで知った方が良いはずだ」

「そうだね。 分かった」

それはそれとして、正拳百回。

素振り百回。

合気の訓練。

投げの訓練。

全てを丁寧にこなしていく。

空手も競技用のものと実戦を意識したものがあるが、燐火は完全に実戦を意識したものに切り替えている。

全て終わらせて、残心。

すっと意識を切り替えて、それで家に入る。

メールを最初に打つのは、タスクを順番にこなしていくことで、ルーチンを効率よく回すためだ。

市原さん改め日根見ちゃんは、それで喜んでいた。

涼子もそれで賛成らしい。

「出来れば敬語で無く喋ってほしいな」

「それはちょっとすみません。 少しまだハードルが高いです」

両親にさえそれが出来ていないのだ。

ちょっとまだ厳しい。

それについては素直に謝っておく。

そして、そのメールのやりとりを終えてから。

後は淡々と宿題と、勉強の予習を進める。やはり英語が苦手だ。だが、それでも反復してやっていく。

確か最低限の大学の場合、英単語を1000くらい暗記すれば通るという話を聞いている。

その程度は今のうちに暗記してしまえば問題ない。

問題は喋ると聞くだ。

ケルベロスに何回か説明されたが。

読み書きというのには段階があるらしく。

喋ることは出来ても読めない人はたくさんいるし。読むことは出来ても、書くことが出来ない人はたくさんいるらしい。いわゆる識字率だ。これを国民がほぼ全てクリアできている日本は昔の様々な国から見ても驚異的なのだとか。

ただし見て聞いて理解できても、それを実際に文字として出力し、文章として組み立てるのは更にハードルが上がるらしく。

いわゆるコミュ障と言われる人の何割かは。

それが上手に出来ない場合があるのだとか。

ただ、それもあくまで才覚に依存してくるので。

才覚で足りない部分があるのなら、努力で補うしかない。

英語の教材なんて、今時ネットに幾らでも転がっている。それを使いながら、ケルベロスにアドバイスを貰う。

分からないならなんどでも繰り返して聞く。

順番に単語に起こして、違っていたら全部消して、また聞く。

そうやって、嫌でも頭にたたき込んでいく。

それら全てが終わったら、後は寝る。

宿題が終わっているのは確認済みだ。

明日から。

市原さん改め日根見ちゃんと、また新しい関係を構築しなければならない。

 

翌日。

燐火が最初に教室に入る。チェックをしていると、ケルベロスが促してくる。これは、何かされているな。

燐火にではない。

日根見ちゃんの机にだ。

とりあえず、日根見ちゃんに先にメールを送っておく。やったのは帰った後だろうな、これは。

急いで日根見ちゃんが来た。

息が切れている。

前だったら、走ってくることも出来なかっただろう。

「おはよう」

「おはようございます」

「そ、それで机に何かされてるって」

「昨日の帰りの時とちょっとずれています。 触らないでおきました。 確認をしておいてください」

頷くと、日根見ちゃんがチェックをする。

なんか紙が入っていた。

怖くて見れないというので、中身を確認する。

犯罪者の娘、とか書かれていた。

そっか。

筆跡からしてあいつだな。

即座に犯人を特定。

燐火も自衛のために、クラスの生徒の筆跡は覚えている。そして此奴、いわゆる悪辣なスクールカーストの上位グループ(自称)の中の下っ端だ。だとすると、命令させて他の奴がやらせたな。

これは一線を越えた。

良いだろう。

報復をさせて貰う。

「やり過ぎるなよ」

ケルベロスに釘を刺されるが、はっきり言って今まであいつには色々と我慢ならなくなっていた。

今回は徹底的に分からせる。

ささっと準備をしておく。

日根見ちゃんには、燐火が常に側につくとして。遅れてきた涼子にも、ちょっと話をしておく。

涼子も、それを聞いて眉をひそめていた。

「ああ、あの子。 自分自身が犯罪者だって自覚はないのかな。 これ、立派な犯罪なんだけど」

「子供だから守られると思っていると。 しかも手下を使ったから自分は何の関係もないと言う訳ですね」

ちなみにこのやり口。

悪名高いニューヨークマフィアや、犯罪組織と同じだ。

鉄砲玉を使って、それで悪逆の限りを尽くさせる。

だが、それはその鉄砲玉が勝手にやったことで、自分は関係ないと。

反吐が出る詭弁である。

小学生だろうと、そういう事は考える。その腐りきった性根は、へし折っておいた方が良いだろう。

先に作戦を練っておく。

それで、そいつらが来た。

ヘラヘラ笑いながら来たが、今は放っておく。

にやにや笑いながら日根見ちゃんを見ているが、燐火が問題はないと先に言っておく。

先生が来た。

ホームルームを開始する。

さて、授業中は問題はなく過ごす。

むしろ燐火が抑止力になっていて、奇声を上げて男子生徒が走り回るようなこともこのクラスではなくなっている。

怯えきった様子で燐火を見ている男子も多いが。

そんなのは知ったことじゃない。

さて、昼休みだ。

ささっと昼食を済ませた後。

なんかの動画を見ている馬鹿どものところに行く。

「これ、書いたの貴方ですね」

「……っ」

青ざめたのは、それを書いた本人だ。

ぱっとしない見た目で、「お情けでグループに入れて貰っている」人間である。何がお情けか。

たかが群れだろうに。

それにどれほどの権威があると思っているのか。

燐火の視線を受けて、そいつがひっと悲鳴を上げる。

男子どもがさっとクラスから逃げ出した。

今まで何人も、去年は上級生もシメていたのだ。

それもあって、男子生徒にとって、燐火は恐怖の対象となっている。

「こういうのは名誉毀損と言って、普通に犯罪です。 犯罪者は貴方ですよ」

「そ、そんなの、子供だし……」

「児童保護法はとっくに廃止されました。 だから犯罪者です。 それと……」

すっと視線を向けるのは。

グループのリーダーとして、クラスの女帝を気取っているアホだ。相山とかいう名前である。

この手のアホは、気にくわない教師を追い出したりとかまでするような奴がいる。小学生でこいつはこれだ。

今、徹底的に鼻をへし折る必要がある。

「この子にこんなことをする度胸はありません。 やらせたのは貴方ですね」

「しょ、証拠なんてどこにも」

「ありますよ。 このクラスにも、監視カメラがついています。 音声も最近は拾えるんです」

黙り込む馬鹿集団。

クラス以外でも普通に監視カメラはついている。

今までいろいろあったからだ。

この学校では、二度とそれらを繰り返さないように、力を入れている。

いじめなんてものは犯罪だ。

それをいじめとして矮小化していた方がおかしかったのだ。

ましてや犯罪者だったらともかく、全く関係がない、むしろ被害者である日根見ちゃんが罰せられる理由があるのか。

燐火の眼光と気迫を受けて、馬鹿集団は完全に蒼白になっていた。不良生徒のすごみなんかじゃない。燐火は実戦と殺しあいを経験してきているのだ。

「この件については全て先生に報告します」

「ま、待って! 中学受験するつもりなの! 頼むから! 悪かったから!」

「それは貴方がやらせたと言うことを認めるんですね」

「謝るから! だから!」

涼子が録音済みだ。

燐火は、ドガンと音を立てていた。

震脚を使って、床に直接打撃をたたき込んだのだ。

悲鳴を上げるクソども。

燐火がガチ切れしているのに今更気づいたか。今まで年上の男子もぶちのめしてきて、高校生三人を返り討ちにした燐火の武力が、自分たちに向く可能性に、今更気がついたのか。

こんな考えが浅いアホどもが。

なにがスクールカーストの頂点か。おつむは空っぽ。見かけだけ繕っているだけではないか。勉強だってその場で覚えているだけ。何かに活用しようとも思ってすらいない。無駄に色気づいているだけのガキ。

それを見ていると、ちゃんと自立して先を考えている日女さんや菖蒲さんと比較して、本気で苛立ってくる。

リーダー格が漏らしているのが分かった。

完全に震え上がっている。

だからといって手加減をするつもりはない。此奴には、今何を相手にしているか思い知らせる必要がある。

咳払い。

先生だった。

「燐火、やめておけ。 おまえが手を出したら、この四人は数分で挽肉になってしまう」

「……そうですね。 証拠品、提出しておきます。 このグループが今までやってきた事の証拠品も全てまとめて」

「分かっている。 相山。 おまえ、今までは多目に見てきたが、もう看過できないと先生は判断した。 おまえがやってきた気に入らない相手に対する陰湿な嫌がらせ、スクールカーストの構築による害。 全てもはや見逃せる段階にない。 中学受験の話はなくなる。 おまえが希望している中学は品行方正が絶対条件だが、おまえは極めて陰湿な嫌がらせを周囲に繰り返していたと内申には書く。 それだけではじかれる。 親にも今回の、更には今までの陰湿かつ悪辣な行動のことはしっかり話しておく。 おまえの親御さんは厳格だ。 学校でしていた事を知れば、本気で怒るだろうな」

相山が大泣きし始めるが、女なんて幾らでもその気になれば泣いたフリができる。泣き落としは通用しない。

先生も女だからだ。

それで、一転して凄まじい形相になったスクールカーストの自称女帝だが。燐火が咳払いすると、即座に真っ青になって、それで怖くて動けなくなってしまったようだった。それに、これから家で受ける事を悟ったのだろう。完全に顔から血の気が引いていた。漏らしていることすら忘れているように。

このグループは後でまとめて呼び出され。

親も交えて凄まじい説教を受けたらしく、更にはクラスを全員別々にされた。

相山だけはクラスに残ったが、燐火の席の前に移動。

それがどういう意味を持つか、相山も分かっているはずだ。

何かあったら、即座に燐火がぶっ潰す。

もう、当面。

此奴に出来ることはなかった。

 

それから、二学期は淡々と進んだ。

スクールカーストがクラスから消滅したことで、非常に過ごしやすくなったと感じる生徒は多いようだった。

燐火は相変わらず怖がられているが、今まで「カースト別」で会話することすら許されないような空気が消えたことで、むしろ生徒は活発に交流している。

相山がつくったカスみたいなスクールカーストが消え失せた事で、明らかに害がなくなったのだ。

グループは出来てきたが、それは上も下もない。

今まで日根見ちゃんに話しかけるのもためらっていたような生徒も話しかけていたし。色々と面白い話を聞いてそれで感心しているようだった。

それに対して、燐火に常ににらまれている相山は、連日死人のような顔をしていた。

スクールカーストの女帝とやらはメッキも剥がれた。成績も普通、別に運動だって際だって出来るわけではない。今まで化粧までしていたのだが、それも完全にすっぴんになって学校に出てくるようになり、今までの見栄と虚飾が完全に剥がれ墜ちたのである。

その結果。

男子からも完全に舐められ。

取り巻きも周囲にいなくなり。

文字通り何も出来なくなった。

親からも小遣いを大幅に制限されたらしく、最新式だと自慢していた高額スマホに至っては没収の末に解約されてしまったらしい。

身につけている衣服なども露骨にグレードが墜ちた。

今まで見栄で贅沢をさせすぎた。

そう親が反省したらしい。

そうしてメッキが完全になくなると、ただのガキだ。

燐火も、騒動が一段落したあと、他の生徒達の前で宣言していた。

相山が何かしたら、即座に言うように。

次はこんなものではすまさない、と。

相山が震え上がっている中、同時に咳払いして言っておく。

ただしそれが嘘だった場合は、腕の一本くらいへし折るから、それも覚悟しておくように、と。

本来だったら先生がやるべき事なのだろうが。

こうやって燐火が抑止力になっておけば、更にクラスは安全になる。

実際、とても過ごしやすくなった。

燐火は怖がられるかもしれないが。

別にそんなものは、なんとも感じなかった。

これでいい。

嘘と不正、陰湿な悪口が飛び交うクラスは、これで正常化した。燐火が恐れられるだけでそれが為されるのなら、それでいい。

燐火はそうではないクラスで何が起きるのかを、身をもって体験している。

だからこそ。

あんなものを、二度と許すわけには行かない。

幸い、相山はアホでカスだが、金木の屑娘ほどではない。

あいつは自業自得の死を遂げた事を既に聞いているが。まあ、相山は殺されなければならないほどではないだろう。

勉強を教えてくれと、気弱そうな男子に言われたので、涼子を紹介する。

まだまだ涼子の方が勉強できる。

燐火と話しているうちに、どうやら本気で司法試験を受けるつもりになったらしい。来年から、六法全書というものに直に触れるそうだ。

燐火も公務員になるつもりだが、その先はどうするかまでは決めていない。

やはり魔祓い関連の仕事が良いか。

魔祓いとしての腕がある人間が、公安だかの魔祓いに関連する部署にいれば、即応部隊として重宝されると聞く。

民間の魔祓いを、公安の一般人が監督するやり方が日本では当たり前であるらしいのだけれども。

ただその公安にも切り札的な凄腕の魔祓いが何人かいるらしく。

其処に食い込めば、ずっと色々と出来ることが増えるかもしれない。

帰り道で、涼子と日根見ちゃんと話しながら、公務員試験についてどうすれば良いのか聞いていると。

日根見ちゃんが遠くを見るような目をした。

「二人して高校生みたいな会話しているね……」

「そうだね。 ちょっと燐火ちゃんは私よりも更に生き急いでいるかも」

「そうですか? どうもピンときませんが」

それは司法試験を今から本気で考えている涼子もそうだろう。

涼子は途中で先に別れる。

今日は病院の日だ。

フリッグにやられた後遺症の治療だ。やはり軽度のニンフォマニアを発症しているらしく、お薬を入れて改善しているらしい。

それは病気だから、治療するのは当たり前だ。

フリッグをぶっ潰しても、それは簡単には治らない。だから奴らの一派は絶対に許せない。

日根見ちゃんとも別れて、それで家に帰る。ケルベロスが、少し呆れていた。

「もう少し、ゆっくり生きても良いんだぞ」

「大丈夫だよ」

惰眠はもう。むさぼるつもりはない。燐火はこれ以上、他人に人生を握られるつもりはないのだ。

 

2、お祝いと隙

 

おかあさんが入院している産婦人科に呼ばれる。どうやらもう生まれるようだった。

予定日より少し早いが、許容範囲内だ。

燐火は学校を出ると、まっすぐ産婦人科に向かう。黙々と病室の外で、おとうさんと一緒に待つ。

おとうさんの方が胃痛で死にそうな顔をしているが。

勿論一番大変なのはおかあさんだ。

燐火は座って待つ。

燐火の実の両親は、性欲のままに何も考えずに燐火を作り。ほぼ世話もせず自身の快楽を優先し。薬のやり過ぎで死んだ。

そんなのは血縁があるかもしれないが、親ではない。

今のおとうさんとおかあさんが、燐火の両親だ。

だから、血がつながっていなくても。

生まれてくる子は、燐火の大事な妹である。

しばらく待っている。

おとうさんはうろうろしたりしているが、それも仕方がないだろう。声を掛けることはしない。

燐火は背筋を伸ばして座り、精神を集中していた。

それを見て、おとうさんは言う。

「燐火は立派だな。 おとうさんは怖くて慌てるばかりだよ」

「家族のためにしっかり働いているおとうさんは、燐火の自慢のおとうさんです……だよ」

「もう少し自然に敬語が出るといいね」

「……うん」

少しずつ、燐火もならしている。

家ではもう、大分普通にしゃべれるようになった。

だが外ではまだ難しい。

ケルベロスが、ふうと嘆息する。

「昔は出産で命を落とすことも多かったが、この国の医療は優れている上に誰でも受けられる。 ただ医師の負担が大きいようだな」

「それも含めて、なんとかしないといけないんだろうね」

「古くには産後の肥立ちがうまくいかずに命を落とす者も多かった。 この病院に死の気配はほとんどない。 立派なことだ。 後はもっと多くの人間が子供を作れば、もっとマシになるのだろうが」

そういう話をされると。

燐火も少し苦笑いしてしまう。

それについては分かってはいる。

今の時代は、とにかく子供を誰も作らないことが問題になっている。それは明らかすぎるほどだ。

ただ経済的に色々厳しいのだ。

馬鹿な企業人事が、人材に何でもかんでも求めるからこうなった。

人材の代わりは幾らでもいると思い込んでいるからこうなっている。

とにかく、そういうのを全部改善しなければいけないのだろう。

総理大臣になれば。

いや、それも難しいか。

総理大臣を見ていても、自由に振る舞えるようには燐火にすらとても思えない。そう考えていると、やがてケルベロスが言う。

「生まれたぞ」

「!」

看護師が部屋から出てきた。

3194gの女の子だという話だった。

おとうさんと一緒に、部屋に入る。元気よく泣き声を上げている。

おかあさんが相当な豪傑であることもある。

燐火と将来は話が合う、武闘派になるのではないかと、ちょっと期待をしてしまったが。

勿論妹の人生は妹の人生だ。

だから、燐火がそういうことを決めるべきではない。

「名前は決めたんだよね」

「ああ、そうだよ。 杏美(あずみ)だ。 今日から燐火の妹だよ」

「よろしく、杏美」

気をつけるようにといわれて、おとうさんに続いて抱き上げる。

しばらく泣いていた杏美だが、それは赤ん坊の仕事だ。

泣かないような赤ん坊は、何かしらの虐待などを受けているケースがあるという話も聞いている。

或いはだが。

燐火もそうだったのかもしれない。

だから、泣いていい。

燐火は、疲弊しきった様子のおかあさんと、妹を見て、そう思った。

 

とりあえずおかあさんはしばらくまだ入院。

杏美もだ。

赤ん坊としては未熟児ではなく、ごく普通。大きすぎると言うこともない。後は適切に看護師が世話をすることになる。

昔はこういうので医療事故が起きることがあったらしいのだが。

今はそういうことも減っているようだ。

勿論ろくでもない病院はこの国にもあるので、そういう場所ではどうなるかは分からないけれども。

少なくとも燐火が見ている限り、この産婦人科は大丈夫そうである。

それで、だ。

今、燐火は着替えて、産婦人科の外。

既に秋の紅葉が始まった山の中で伏せて、ダイモーンを祓いに掛かっていた。

産婦人科の周辺で六度。

一週間で、である。

流石に偶然ではないだろう。

ヘラクレスさんの話も少し前に会って聞いたのだが、日本の端っこ……北海道や沖縄で超大物のダイモーンが出ていて、東奔西走の状態であるらしい。ヘラクレスさんの機動力でも、縦に長い日本列島を行き来するのは骨であるそうだ。

明らかに陽動。

それに、無視していい陽動ではない。

燐火が対応できないレベルのダイモーンは、ヘラクレスさんが対応するしかないのだ。

ケルベロスがダイモーンは引き寄せてくれている筈なのだが。

それすら無視していると言うことは。

やはり、この間から動いている、悪魔が何かしら影響を与えているのだろう。これはケルベロスに言われるまでも無く、分かることだ。

とりあえず、ダイモーンを片付ける。

いつでも産婦人科を狙っているぞ。

そういうような、脅迫にすらとることが出来る頻度だ。

燐火もダイモーンを祓い、そしてそれがばらまいた悪運を浄化すると、小さくため息をついていた。

「大丈夫か燐火」

「大丈夫。 それよりも、出所を突き止めないとどうにもならないねこれは」

「ああ」

ダイモーンを始末するたびに、ケルベロスはそこから記憶を取り込んでいるのだが。やはり肝心なところは読み取れないようで、そう簡単に「迷子」には行き着けないようである。

こればかりは仕方がない。

ましてや迷子がどこかに捕らえられているとなると。

なおさら厳しいだろう。

ダイモーンを倒して記憶をたどれるのなら。捕らえている連中が、それを対策していないとは思えない。

とにかく着替えて戻る。

汗も掻いていない。

燐火一人の家だ。今日はおとうさんは病院に泊まり込む。

あんまりこういうことは推奨されないらしいが、不安になる母親のために、ということだそうだ。

燐火は黙々と出来合を食べる。

昨日おとうさんと買い物に行って、それで買ってきた。

来年からはお買い物をするお金を預けて貰い、それで晩ご飯などを買うようにし始めるという。

燐火の独立志向を知って、おとうさんとおかあさんが先にそれを決めてくれていた。

おかあさんが最初はつきそうそうだが。

お金は、使うのに責任をともなう。

だから、それに異論はなかった。

黙々とルーチンをこなしていると、家に日女さんが来た。珍しい。上がって貰う。防音室などは見せないが。

居間で軽く話をするが。

ダイモーンだけじゃない。

日本系の魔も、活発化しているそうである。

「吉野からの帰りでやりあった悪魔の親玉が、何かしているとみて良いな。 ダイモーンだけではなくて、日本の魔もこれだけ出てきているとなると、ひょっとすると日本系の邪神も相手側にいるのかもな」

「それは厄介ですね」

「ただ、どうも敵側はそれぞれが単独で動いている節がある。 おそらく違う文化圏の悪神や魔がつるんでいるから、連携して動くことは難しいんだろうな」

「だとすれば各個撃破の好機ですね」

頷く日女さん。

ただ、戦闘の逸話があまりないフリッグがあの強さだった。

悪魔となると、今でも西欧では恐れが現役で、それを考えるともっと実力は格上かもしれない。

吉野からの帰りで打ち倒した悪魔は、はっきりいってたいした相手ではなかったが。

それでも大量の悪辣な妖精を従えていた。

有名な悪魔だったりしたら、それこそ大量の雑魚悪魔を、使役したりするのかもしれない。

ただカトリイヌさんが、有名な悪魔はあらかた魔祓い済みだという話もしていた。

だとすると、ある程度弱体化した状態と戦えるかもしれないが。

それはいわゆる希望的観測とみて良いだろう。

「俺はこれから菖蒲姉と一緒に対策を練ってくる。 ここ最近ずっと産婦人科の側でダイモーンが出ているんだろ。 色々大丈夫か?」

「問題ないですよ」

「いや、冷静さを保てるか」

「……はい」

少し自分でも怒りが鬱屈しているのは分かる。

相手が的確に燐火の弱点を突けることを暗に示すように動いているからだ。

西欧の悪魔は嘘つきであると聞く。

ケルベロスに聞く限り、古くはそんな存在ではなかったらしいのだが。時代が下るにつれてどんどん邪悪の権化とされていったらしい。

そういった人間の信仰の変遷。

悪魔はその影響を受ける。

だが、それですら人間の本物の悪意には及ばない。それは燐火も分かっているつもりだ。

本当の人間の悪意はこんなものではない。

以前、いじめと称する事件で自殺者が出た学校に、暴行の様子を映像として撮りネットに拡散する行為は犯罪であるなどと言うポスターを配った鬼畜外道がいた。言うまでもなくそれこそ犯罪の隠蔽であり、弱者が泣き寝入りどころか、殺されても闇に葬られる可能性が極めて高い悪辣な行為である。

そのような悪逆は、人間にしか思いつかない。

あれは人間ではない、というような言葉があるが、違う。

人間でなければ、其処までの底知れぬ悪意にはたどり着けないのだ。

ただ、それでも。

人間に比べればまだマシだとしても。

悪魔の悪意に、腹が立つのもまた、事実ではある。

日女さんは、それを冷静に指摘していると言えた。

「とりあえず、悪魔についてはカトリイヌと連携して当たるとしてだ。 今まで奴らの親玉が何者なのかが分かっていねえ。 カトリイヌが取りこぼした大物悪魔がいないか調べているようだが、俺の見立てでは、多分相手は一般的に知られている大悪魔じゃねえな」

「一般的に知られている、ですか」

「七つの大罪だとかに対応する悪魔とか、ソロモン王72柱とか、そういう悪魔は一般的に知られているだろ。 だがな、それ以外に設定だけ強大な悪魔ってのがいるんだよ。 設定しか存在していないが、強大だってされているような奴がな」

神話には、名前しか出てこないような神様も多い。

ケルベロスも、ギリシャ神話の神々にはそういうのがたくさんいるという話をしていた。

ケルベロスが以前教えてくれたギリシャ神話の地獄……タルタロスも、分類的には神になるという。

地獄……タルタロスという世界そのものが神になっていると言う訳だ。

似たような発想は一神教にもあり、アバドンという体内が地獄になっている悪魔が存在するのだとか。

このアバドンは蝗害を単一の悪魔としたものだとする説が強いらしく。

似たような発想は誰でもするのだろう。

ともかくだ。

神としてのタルタロスは、人格もなく。

タルタロスという場所としてほぼ扱われている。

名前が出てくるだけまだ良い方で。日本神話にもただ名前しか存在せず、最初にちょっとだけ出てくるだけ、という神はかなりいるのだそうだ。

一神教の悪魔も同じだそうである。

「そういう設定だけ強力な悪魔は、悪魔狩りを熱心にやった一神教の魔祓いでも、取りこぼしている可能性がある。 今、カトリイヌが洗ってるが、俺たちの方でも尻尾はつかまないとまずいだろうな」

「そうですね。 前に遭遇した悪魔、燐火単独で倒せるかは微妙でしたし」

奴単体ならどうにでも出来た自信はある。

ただ、奴は多数の取り巻きを展開していた。

それもあって、残念ながら勝てるとは断言しづらいのも事実である。

いずれにしても、フリッグの時も、名前がはっきりしたから打ち倒すことが出来たし。

奴の悪辣な仕掛けを解析したから、倒すことが出来たと言うこともある。

今度の奴も、何か仕掛けている可能性がある。

出来れば手下が仕掛けてきたとき、拷問でもして聞き出したいところだが。

まずは、相手を見つけなければならないだろう。

日女さんの方でも、色々調べてくれているらしい。

政府でも今回のダイモーン騒ぎの背後に、フリッグだけではなく悪神や魔が複数いることは把握しているようで。

それもあって、ある程度一緒に動いてくれているようだ。

この国の政府は腐っている部分もあるが。

それでも政治的な公正度は、世界的に見るとかなりマシな部類であるというのだから、おかしな話である。

ともかく、今はおかあさんと杏美、それにおとうさんに、指一本触れさせない。そのために動く。

家に戻る。

おとうさんは予定通り、以前に告知していた休暇を消化中だ。

おとうさんのファンが色々憶測をSNSで流しているようだが。おとうさんがまだ若い男性で、実年齢24くらいという予想が多いらしく。

実際にはそれより倍近く年齢があり。

しかも今回の休暇が産休の手伝いというのを知ったら、特に女性ファンは発狂するのではないかと思う。

ただ、一部ではおとうさんを妻帯者で、しかも中年男性だとずばり予想しているファンもいて。

そういうファンは肩身が狭いようだ。

燐火としては複雑である。

それで正しいよとは言えないのだから。

ちなみにおとうさんは、公式アカウントの方は時々更新していて。特に重篤な病気ではないし。

必ず復帰するとも言って、それでファンを安心させているようだ。

色々気苦労が絶えないだろうに。

それでもちゃんとファンサをしているだけ、おとうさんは立派な社会人である。

一昔前はVtuberはまっとうな職業ではないという考えまであったようだが。

あり得ない話だ。

これだけしっかり稼いで、仕事に真摯に向き合っているのだ。

サラリーマン以外は人間ではない、みたいな風潮の弊害なのだろうか。

燐火としても、ため息が出るばかりである。

ともかく、勉強をし、ルーチンをこなし。

そしてダイモーンを倒す。

時々産婦人科に杏美の様子を見に行く。

杏美は健康そのものだが、多分まだ何も分かっていない。愛想を振りまいてはいるが、それだけだ。

燐火はあまり杏美を本能的にかわいいとは思えない。

これはおそらく、燐火が子供自体を好きではないから、というのが理由であるのだと思う。

だからといって、好き嫌いで相手への接し方を変えるようでは。金木のカス一家や、スクールカーストの女帝を気取っていたアホと同じだ。

燐火はそうはならない。

そう決めているのだ。

だから、できるだけ苦労しながら、笑顔を作る。

それも、とても難しかった。

敬語を使わないだけでも難しいのに。

笑顔なんて、どうすれば良いのか。途方に暮れてしまう。

ケルベロスがだから表情筋を使う訓練をしておけと言っていただろうとぼやくのだけれども。

返す言葉もないというのが事実だ。

これでも練習はしてきたのだが。

こういう点だけは、奇声を上げて走り回るだけのアホな子供に劣っている。

それもまた、事実だった。

ともかく、それでしばし時が流れる。

十月が終わり。

十一月に入った頃。

変化が、生じていた。

 

連絡を入れてきたのは菖蒲さんだ。

悪魔の軍勢が確認されたという。

ソロモン王の従えていた72柱の悪魔については勉強した。

それぞれいい加減な階級が設定されており、そして地獄の軍団を何十個従えているとか、そういう設定もある。

ただその軍団数は適当に考えたとしか思えないいい加減さで。

ケルベロスも、奔放な想像力で生み出された適当な数字だと断言していた。

悪魔、特に一神教で高位とされる悪魔には、そういった軍団を従えているという設定が記されている事が多く。

つまりだ。

恐らくは、本命が動き出したとみていい。

それも何十体ではなく。

何軍団である。

古い時代の一軍団がどれくらいの数かは分からない。

近代……例えば第二次大戦の頃だと、一軍団は百万人にも達することがあったらしい。師団と呼ばれる万人単位の部隊の、更に上の単位。

それが軍団である。

だが、古代だと、そんな戦力であったかは疑問で。

例えばローマ帝国などでは、一軍団が一万人くらいの規模で。これが各地でそれぞれ独立軍単位で活動していたらしい。

一神教をモーセが作ったのはもう少し古い時代だが。

これがしっかりした形で「一神教」として成立していったのはだいたいローマ帝国が勃興した時期だそうである。それまでは、雑多でいい加減な代物だったのだ。

一神教はどちらかというと信仰としては新興宗教に当たると、ケルベロスは言う。

特にキリスト教の場合は、成立と発展は更に遅い。イスラム教に至っては更に後だ。

まあ、ケルベロスから見ればそうなのだろう。

燐火としても、それに異論はない。

「今、エクソシストの総力を挙げて対応に出る準備をしているの。 燐火ちゃんも、それを手伝ってほしくてね」

「分かりました。 ただ、陽動の可能性はありませんか。 悪魔はずっと燐火を狙っているように見えました」

「……それはちゃんと考慮済み。 燐火ちゃんの周囲の人物には、相応の手練れを貼り付けているから、安心して」

「了解です。 すぐに行きます」

着替える。

神器鉄パイプを持つ。

まだおかあさんは産後で体が上手に動かない状態だ。

おとうさんは今日は病院から帰ってくるようだが。それでも配信復帰は先になる。

杏美はまだまだ右も左も分からない。

そんな状態の家族だ。

守るのは、燐火しかいない。

すぐに出る。

全力で走る。

ケルベロスが、ナビをしてくれる。

相手の気配がどちらにあるかは分かる。

確かにぞっとするほど濃い魔の気配だ。燐火も五感を研いでいるから、そういうのは分かるようになってきている。

ケルベロスは道をどう行くか、障害物、転びそうなもの。

そういうものを対策してナビしてくれる。

それだけで充分。

それに幸運という観点でも支援してくれる。

バッドイベントが途中で起きて、現地到着が遅れることは、可能な限り防いでくれる筈である。

見えてきた。

戦場になりそうなのは、駅の近くの山か。

この辺りは、線路が間を縫っているようにして、あちこちに山が林立している。

山は人間の領域ではない。

森もしかり。

欧州では、森は魔女や狼男が住む場所だと長らく恐れられてきた。

それはドイツなどでは、森を通って南北の海から海へと行けると言われたほど森が濃かったからでもあり。

ある戦いでは、ローマ軍がこの特有の深い森に誘い込まれた挙げ句、全滅するという記録的な大敗を喫したことがある。

当時世界最強の軍隊だったローマ軍にとっては衝撃的な出来事であり。

それが恐れへとつながっていったのかもしれない。

ただ、それでも。

悪魔の大軍が、町中に入り込んで暴れるよりはマシだ。

現着。

既に自衛隊の部隊も出てきている。

ただ、表向きにはそう悟らせないようにしているが。

燐火は検問で、名前を言うと、即座に通してくれた。

向こうでドカンドカンと戦闘音がしている。

気配からしておそらく林西さんと菖蒲さんが、そろって暴れているな。

ただ相手の数が数だ。

それに悪魔は、ダメージを与えることが出来ても祓えない。一神教の魔祓いの、一線級の人がたくさん必要になる。

ただ、カトリイヌさんくらいの人では、悪魔の軍団を相手にするのはおそらく厳しい筈だ。

最低でもセバスティアンさんや、同格の人が十数人は必要だろう。

戦地に突入。

体が崩れている悪魔を早速発見。

魔法のステッキ(鉄パイプ)で問答無用で殴り倒す。

うちの家族に。

手を出させるか。

吠えると、燐火は乱戦に飛び込む。

そして阿修羅のごとく、暴れ始めていた。

 

3、大乱戦

 

太ったおじさんみたいな悪魔。ほとんど人間と姿は変わらず、下半身が山羊になっていて、尻尾の先がとがっているハートみたいになっている。

つまり逸話も何もなく。

ただ悪魔の軍勢として呼ばれただけの魔。

悪魔とすら言えないような存在。

それが、真正面から鉄パイプを振り下ろす燐火に、明らかに恐怖するが。容赦はしてやらない。

頭を真正面から叩き潰す。

ぐしゃっと頭蓋骨が潰れる手応え。

ただ、人間のそれよりずっと柔らかい。

数だけそろえるのを最優先した。

それが一発で分かる。

そのまま、左右から飛びかかってきた二体を、歩法を工夫してそれぞれさばく。右にすっと移動しつつ、飛びかかってきた腕を回避。腹を蹴り上げ。態勢を崩したところに一撃を入れる。

更に左から来た奴が上から飛びかかってくるが。

見たところ、飛行能力もない。

そんな奴がうかつに飛ぶのは自殺行為だ。

正確に飛行曲線を見切ると、すっと歩法を駆使して回避。

合気の得意分野だ。

ずっと地道に鍛錬をしてきたのだ。

そのまま、悪魔があれという顔をしているところに。後頭部を鉄パイプで粉砕してやる。

地面に二体が這いつくばった。

そこに聖印を打ち込んで、ダイモーンを消し飛ばす。

次。

地面の下から、蛇みたいな悪魔が襲いかかってくるが。

地面の震動でバレバレだ。

むしろ仲間をばくんと食ったその蛇悪魔が慌てたところを、横殴りにフルスイングで鉄パイプをたたき込んでやる。

それで、ぎゃっと悲鳴を上げる蛇悪魔。

頭に、人間の頭部がついている。

また蛇の体にも、小さな手足がついていた。

文字通りの蛇足だ。

蛇の体は計算され尽くされた形になっているのに、それを台無しにしてしまっている。

勿論、同情も容赦もしない。

こいつらが人々を害するつもりなのはわかりきっている。

人々の水準がカスに等しいことは、燐火も嫌になるほど思い知らされてきたが。

全うに生きている人だっている。

そういう人を、傷つけさせはしない。

だから、叩き潰す。

至近から聖印をたたき込んで、ダイモーンを祓う。

予想通りだが、こいつらとにかく数をそろえただけだ。ダイモーンは簡単に祓える。そして、数をそろえた弊害だろう。

とにかく一体一体が。

気の毒なほど弱かった。

接着剤として使われているダイモーンがとにかく脆弱だ。

ただし、数が数だし。

一発でも貰えば、変な能力を受ける可能性もある。

それにだ。

雑魚の中に、強いのを混ぜている可能性もある。

雑魚ばかりで油断しているところに、いきなり強いのにかち合ったらしゃれにならない。

油断せず、右左に悪魔の雑多な群れをなぎ倒す。

どれもこれもたいした相手じゃない。

木を蹴って跳躍すると、明らかに怯んでいる図体がでかいおっさんそのものの悪魔の頭を、正面からたたき割っていた。

「燐火!」

日女さんだ。

振り返りつつ、迫ってきていた悪魔の顔面を横殴りに粉砕しにいく。

だが、そいつは鉄パイプを腕を盾に防ぐと、飛び退いてにやっと笑ってみせる。

やはり強いのが混じっていたか。

日女さんが近くに降り立った。

「周囲の雑魚は任せろ」

「ありがとうございます。 カトリイヌさん達は」

「今ありったけのエクソシストを集めて向かっているそうだ。 悪魔の軍団を排除できれば、それだけの手柄になる。 そう呼びかけて、雑魚もまとめてかき集めているようだな」

「今必要なのは人数です」

ダイモーンを祓ってしまえば、接着剤をなくし、大幅に悪魔は弱体化する。

それも分かっている。

だから、燐火は思い切り暴れていい。

むしろ暴れるべきだ

突貫。

悪魔……見かけ若々しい青年だが、下半身を露出させ、更には毛深い。山羊のようだ。色は黒いが。

西洋の悪魔の原型には、ギリシャ神話のパン神が関わっているという。

この神自体は特に害もない陽気な存在であり、驚いて逃げ惑うことが知られていて。あの有名な「パニック」という言葉の語源になったほどの慌て者だ。

だが、このパン神がローマ時代に変なカルト信仰を受けた挙げ句。

その姿が、一神教の悪魔としてのスタンダードとして取り入れられた。

ヤギを思わせる姿の悪魔が多いのはそれが理由で。

今燐火の一撃を耐え抜いた悪魔も、目の瞳孔が横に長い。

にっと笑った口元は、牙だらけだった。

「ガキだと聞いていたが、思ったより育ってるじゃねえか。 強姦したら良い声で鳴きそうだな」

「そうですか。 貴方、その汚い股間のものを叩き潰したら、良い声で鳴いてくれそうですね」

「ギャハハハハ! おもしれえ! やってみろやぁ!」

飛びかかってくる悪魔。

速度が今までぶちのめしてきた雑魚どもとは段違いだ。

周囲では日女さんが、ちぎっては投げちぎっては投げしてくれているし。

おそらく林西さんが展開した結界が、この山を周囲から隔離してくれている。

悪魔を逃がすことはないし。

この山に一般人が入り込むこともない。

自衛隊がしっかりバリケードを展開してくれていて。一般人が近づくのを防いでくれている。

だから、燐火は。

遠慮なく戦える。

抜き手を悪魔が繰り出してくる。

爪は鋭くとがっていて、生半可な刃物より厄介だろう。

はじく。

連続して抜き手を繰り出してくる。蹴りなどの体術もそれに混ぜてくる。

ケタケタ笑いながら、猛攻を仕掛けては来ているが。

ぬるい。

そう燐火は判断すると、すっと身を沈めて、反撃に出た。

抜き手を今までになく鋭くはじく。

それで、流れが変わる。

明らかに態勢が崩れた悪魔が、まだ笑みを崩さないまま、それでも反撃に出ようとするが。

燐火は歩法を駆使して左に回り込むと、対応が遅れた。

「な、なんだっ! 空手か?」

そのまますっと脇腹に手を当て、合気をたたき込む。

踏み込んだのと同時の合気。

それで、体内に直接衝撃波をたたき込むのだ。

合気は充分に実用的な格闘技だ。

多数を相手にするのにも適しているが、攻撃に使う場合はこういうことも出来る。

漫画みたいに気を飛ばしてエネルギー弾みたいにすることは出来ないかもしれないが。

相手の体内に、理にそって衝撃を打ち込むことは、実のところこうやって出来るのである。

肋骨が粉砕され、悪魔が明らかに怯む。

それでも即座に回し蹴りに移行してくるが。

すっと見切って下がる。

ミリ単位で見切られて、悪魔が表情を引きつらせる。

本気になったようだが、もう遅い。

加減して遊んでいたときに、実力は見切らせて貰った。

無言で間合いを詰めると、今度は下がろうとしたところに、軸足を思いっきり払ってやる。

転びそうになったところを、背中に翼を出現させ、強引に浮き上がろうとする悪魔だが。

その顔面に、鉄パイプを思い切りたたき込む。

ぎゃっと、悲痛な声を上げ、横っ飛びに逃れようとする悪魔だが。その動きも既に見越していた。

悪魔が飛び起きようとした時には、至近に燐火が。

三角跳びを使って、降り立っていた。

引きつった顔の悪魔が何か言う前に。

燐火は宣言通り、悪魔の股間の一物を、全力で蹴り砕いていた。

以前不良高校生のを似たように粉砕したときとは、技量もパワーも段違いに上がっている。それだけ鍛錬したし、体を作ったし。

更には、修羅場をくぐったのだ。

それになにより此奴は悪魔と言っても、所詮はダイモーンを使って無理矢理具現化させられた雑魚。

破裂する手応え。

それと同時に、蒼白になった悪魔がたたらを踏んで下がり。

そして尻餅をつくと、絶叫を上げながら転がり始めた。

「随分汚い声で鳴きますね。 それとも貴方はこういう声で燐火を鳴かせたかったんですか?」

「ひっぎっ、ぎぎゃああああああっ! いでえいてえいぃでえぇえええええっ!」

「黙って貰いましょうか」

「ま、待て、助けてくれ、助けてくれっ! 俺が悪かった! い、いや、悪かったです! あなた様に従います! だから、消滅だけは」

聖印を切る。

ダイモーンを消し飛ばすと、更に力を失った悪魔は、泣きながら土下座をする。ブルブル震えているそれに、燐火は容赦なく鉄パイプを振り下ろして、完全に黙らせた。

後はエクソシストがどうにかするだろう。

次だ。

日女さんが、側に降り立つ。

千早を着込んでいる日女さんも、汗をかき始めていた。

「容赦ないな。 危ないようだったら加勢するつもりだったが、必要もなかったわ」

「次行きましょう」

「ああ、そうだな」

まだまだ悪魔はたくさんいる。

全部叩き潰してしまえば。

こいつらを行使している悪魔は、手札を一気に喪失することになる。

そうなれば。

今までのようなやりたい放題は出来なくなる。

ダイモーンはケルベロスが言うところの迷子が幾らでも作り出すのかもしれないが。

悪魔は設定上、麾下の軍団が決まっているはずだ。

それを吐き出しきったら、悪魔本人が出てこざるを得なくなるだろう。

すうと息を吐くと、また走る。

見かけ次第、悪魔は全部ぶちのめし、聖印を切ってダイモーンを祓う。

既に倒されている悪魔も、ダイモーンを祓っておく。

ケルベロスが警告してきた。

「燐火!」

「下がって!」

日女さんも即応。

真上から、ネットが飛んできた。

それも、これは切り刻むようなやばい奴だ。

音も無く墜ちてきていた。

かなり殺意が高い。

すっと降りてきたのは、蜘蛛のような悪魔だった。いや、まんま女郎蜘蛛だ。

巨大な巣を張る蜘蛛で、本州ではどこででも見かける。沖縄にいる近縁種は、鳥を食べることもあるくらい更に巨大な巣を張るそうだ。

ただ、蜘蛛の腹の部分に、人間の顔がついていたが。

随分とちぐはぐな造形だな。

蜘蛛は昆虫などが所属する節足動物の中でも完成度が高い生物で、其処に余計な手を入れる余地はほとんどない。

人間からすれば気持ち悪いかもしれない。

だけれども生態系の中で極めて大事な役割を果たしている、非常に有意義な生物だ。

人間みたいに一方的に食い荒らすだけの生物ではない。

生態系の監視者と言っても良く。

それだけ尊敬すべき存在である。

日根見ちゃんにその話は聞いた。

燐火も同意できる。

自分の目から見て気持ちが悪い。それは仕方がないだろう。

だが、それで相手の生死を決めて良いとか考えるのは傲慢の極みだ。

神にでもなったつもりか。

発想がまんま三文SF小説に出てくる侵略エイリアンである。

つまり侵略エイリアンというのは、人間の映し鏡と言えるだろう。

ちなみに蜘蛛には巣を張るタイプと、巣を張らずに徘徊して獲物を狙うタイプがいる。巣を張るタイプには投げ網のようにして糸を活用する種もいるのだが。

此奴がそれだとは、とても思えなかった。

極めていい加減な解釈から作り出された、蛇足の存在。

それは奔放な想像力というには、敬意が欠けていると燐火は思った。

「おや、今のをかわしたかえ。 バラバラにして食らってやろうかと思うたのにな」

「とりあえず叩き潰します」

「面白いガキよ。 出来るかな?」

「雑魚は任せろ」

日女さんが、周囲からわらわら現れる雑魚に残像を作りながら接近。

早速大暴れし始める。

ちなみに口から糸を飛ばす蜘蛛もいるにはいるのだが。

それはあくまで超少数派である。

既に此奴の戦闘パターンは分かっている。

だから、容赦なく行く。

左右にステップしながら、接近。

笑いながら、蜘蛛悪魔は腹にある口から糸を飛ばしてくる。

回避。

そのまま木を蹴って飛ぶ。蜘蛛は下がろうと……樹上に戻ろうとするが。気合いを入れて、そのぶら下がっている糸を、鉄パイプで一刀両断。

本来だったら、鉄パイプが一刀両断されていたかもしれないが。

燐火のは、あまたの魔を打ち砕き、あのフリッグも粉砕したもはや神器だ。

「な、何ッ!」

バランスを崩して落下した蜘蛛悪魔が、着地と同時に悲鳴を上げる。

さっき自分で落とした殺戮ネットで、体を傷つけたのだ。

更に木を蹴ってジグザグに迫ってくる燐火を見て、恐怖に顔を引きつらせる。

来るなと叫びながら、糸を連射してくる。全部回避。

だが、それが演技だと、燐火は見抜く。

敢えていきなり地面に着地。

数本の糸が、張り巡らされていた。

まっすぐ突っ込んでいたら、バラバラだっただろう。

舌打ちする蜘蛛悪魔。

張り巡らされていた糸を、鉄パイプで全て一刀両断する。両断すると、それだけで切れ味も失うようだ。

立ち上がる。

いや、そんな立ち方を蜘蛛はしないが。

燐火は相手の足下にある殺戮ネットが面倒だなと思いながら左右を確認。

周囲では殺人的な破壊音を立てながら、日女さんが雑魚をちぎっては投げている。それの一体が蜘蛛悪魔に飛んできた。

舌打ちして、蜘蛛悪魔がそれを払い飛ばした瞬間。

燐火が仕掛ける。

蜘蛛の強みは、低い態勢からの安定した重心だ。

それが分かっていない時点で、此奴の負けだ。

既に今の数秒で足下の殺戮ネットの位置はつかんでいた。

ジグザグに走り、殺戮ネットを切断しながら蜘蛛悪魔に迫る。必死に向きを変えようとする蜘蛛悪魔の足を……八本ある足の二本しか活用できていないが。そのうちの一本を打ち砕く。

思い切り倒れる蜘蛛の本来の頭部を、ホームラン。

関節が千切れて、中身が噴き出す。

それで、絶叫を蜘蛛悪魔が上げていた。

痛い痛い痛い。

喚いて転がり回る。

だが、こいつは不意打ちでこちらをバラバラにしようとしていたのだ。加減をする理由は一つもない。

大股で近づくと、ひっと声を上げる。既に殺戮ネットは全て無力化した。蜘蛛は命乞いはしなかった。

だが、怯える振りをして、それでもまだ殺意を隠していた。

さっきのよりはまだマシかな。

そう思ったが、ぶっ潰すのに変わりはない。

聖印を切って、ダイモーンを祓う。

その後、それで一瞬動きが止まった蜘蛛悪魔が、最後に残った糸を飛ばしてくる前に。

腹に着いている人面を打ち砕く。

更に何も言えなくなるまで鉄パイプで殴打して。

完全に動かなくなるまで、それを続けた。

 

日女さんと連携して、見上げるような大男の悪魔を、左右から蹴りをたたき込む。

日女さんの蹴りが首をたたき折り、燐火の蹴りは肋骨を打ち砕いていた。

粉砕された悪魔が、正面から倒れ伏す。

これで雑魚の中に混じっていたそれなりに強い奴は七体目か。

大盤振る舞いだ。

悪魔の軍団の中でも、指揮官クラスとみて良い。それなりに相手は消耗している筈だ。

麓にはどうやらやっとカトリイヌさん達が到着。

山自体を囲んで、魔祓いを豪快に始めたようだ。

まあ、それが正しくはあるが。

雑魚しか祓えないだろう。

実際、今ぶちのめした奴も、まだ呻いているので。ダイモーンを祓ってから、呻くことすら出来なくなるまで鉄パイプでボコしておいた。

「ちっ……」

「!」

舌打ち。

飛び退く。

違う。

明らかに今までのとは気配が。

フリッグと同等か、それ以上。

これはおそらくだが、燐火が消耗するのを待っていたのだろう。

更には、一番面倒な林西さんと菖蒲さんが、疲労と連戦でこちらに来られない状態も作った。

だが、そのもくろみがうまくいかなかった。

燐火も日女さんも、まだまだ存分にやれる。

それに、だ。

翼ある人。

それだけの単純な姿をしたそいつに、鋭い光がたたきつけられる。

「Amen!」

悪魔が飛び下がる。

不快感が、顔中に浮かんでいた。

来たのはカトリイヌさんだ。

セバスティアンさんも、もう一人の若い護衛もいる。

今までの「特徴的な」悪魔と違い、翼が生えている以外は普通の少し悪そうな男に見えるだけの悪魔は。

着地すると、燐火を射殺すようににらんでいた。

「戦略としては間違っていなかった筈なんだがな。 ダイモーンを祓えるおまえを倒せば、後は作戦はスムーズに進むはずだったんだが」

「貴方が悪魔達の首魁ですね。 平坂燐火です。 よろしく」

「はあ? あ、ああ、名乗りの文化だな。 ……人間に侮られるのも不愉快だ。 俺の名前はフルーレティ。 よろしくな」

「フルーレティ?」

日女さんが小首をかしげるが。

カトリイヌさんが咳払いする。

やはり名前だけが知られている悪魔だそうだ。

元々何かしらの信仰とかを元にしたわけでもなく、ベルゼバブ麾下の上級悪魔という設定でたまに登場するだけの存在。

雹を降らせる能力を持つとされ、仕事がとても早いとされるそうだが。

ともかく実態がないため、悪魔としての影はとても薄いという。

それどころか、後世に創作された悪魔であるという説まであるとか。

ケルベロスが呆れた。

「なるほどな。 それでは魔祓いされていない可能性も高いわけだ」

「そういうことだ。 俺は悪魔としては新参でな。 ベルゼバブ麾下ってご大層な設定だけは貰ったが、知られていないから実質はないも同じだ。 俺の配下の雑魚どももそれは同じ。 とはいえ……」

側に音も無く降り立つ菖蒲さん。

まだまだ余裕という雰囲気だ。

相手はおそらく悪神化フリッグより強いとみて良いだろう。

だが、燐火は前より腕を上げている。

それに、今回は特化型のカトリイヌさんと、セバスティアンさんと、もう一人の若い凄腕もいる

負けるとは、思わない。

「これは勝てないな。 退却させて貰う」

「逃がすと思いましたか?」

「逃げられないさ。 ただし……」

ぼんと破裂するフルーレティ。

けらけらと笑う声が虚空からする。

「いざという時のために、俺は分霊体をいくつも作っていてな! 本体はここにはいねえのよ! 力を送り込むことは出来るがな! 俺を倒したければ、本体を探し当てて見せるんだな!」

「……」

「平坂燐火、今回は俺の負けだ。 認めてやるよ。 おまえはただのガキじゃねえ。 今後、俺の脅威になる。 小細工もどうやら通じなさそうだ。 だが、俺が完全に負けた訳でもねえ。 俺は魔として、「本物」になる。 そのために、おまえを倒す。 そしてそれは、今度一対一でやろうや……」

声が消えた。

ケルベロスが呆れていた。

「まさかとは思うが、フリッグが属する一派の目的は、本質的にはオーディンと同じか?」

「……燐火ちゃん。 悪いけれど、のした悪魔がたくさんいるから、全てダイモーンの排除をよろしく」

「分かりました」

菖蒲さんに促されて、魔祓いに入る。

確かに菖蒲さんと林西さんがぶちのめした悪魔だけでも、相当な数がいるのだ。さっさとそれらと融合しているダイモーンを祓わないと、エクソシストにも対処できない。

フルーレティか。

名前だけ知られた、実態のない悪魔。

近年に創作された、地位だけ立派な張りぼて。

あちこちで呻いている雑魚悪魔のダイモーンを祓い、回る。

残党もまだいるが、エクソシスト達の強烈な山ごとの魔祓いに巻き込まれていて動きも鈍い。

対処に苦労はしなかった。

ほぼ一日掛けて、魔祓いを終える。泊まり込みになったので、家に林西さんが連絡を入れてくれた。助かる。おとうさんが帰ってくる日だから、心配はさせたくはないのだ。

この山の悪魔がもしも人里に降りていたら、大惨事だっただろう

それを食い止められたのは良かった。

だが、どうにもやりづらいなと思った。

「フルーレティ、燐火を認めたね」

「そうだな。 敵として認めてきた。 戦いづらくなったか?」

「相手がゲスなのは分かってる。 ただ、今までやり合ってきたゲスは、人間であろうと魔であろうと、燐火を絶対に認めようとはしなかった。 それが違うのは複雑だね」

「今は少し休め。 奴はおそらく、一騎打ちを挑んでくる。 その時のために、力を蓄えた方が良いだろう」

まだ体力に少し余裕がある。

前は魔祓いのたびに疲弊を覚えていた。

それを考えると、長足の進歩という奴だ。

こういう物言いをすると、子供らしくないと思われるらしいので、学校ではできるだけ使わないようにしている。

孤立しないためではない。

面倒な諍いをわざわざ起こさないためだ。

スクールカーストのくだらなさを思い知っている燐火は。

この間叩き潰しただけではない。

新しく火種を作りたいとも思わなかった。

 

家に戻る。

フルーレティについて、細かく調べてみる。

やはり実態がない。

それにだ。

元々は別の悪魔をベースにまでしているようだった。

「フラウロスか……」

「ケルベロスも知っている悪魔?」

「面識はないがな。 かなりの強者だ」

そうか。

強者で存在感がある悪魔だとすると。

それをベースに、創作する人が出てくるのは、不思議な話ではないのかもしれない。フラウロスからみると迷惑な話なのだろうか。

いや、それは分からない。

そもそもフリッグの時に、イシュタルから聞いた。

世界中にイシュタルの係累がいると。

ケルベロスが丁寧に説明してくれる。

「神話というのは各地に伝わり、其処でどんどん変化していくものなのだ。 元が同じ神であっても分裂したり、場合によっては敵味方になったりもする。 善神が悪神となったり、その逆も多い。 それどころか、起源が同じ神が合一したりすることすらある」

「やはり文化圏が原因なの?」

「そうだ。 人がそれぞれ国家を作り、文化圏を形成すると、別の文化圏とは対立することになる。 影響は受けるが、相手の信仰している存在を貶めるために悪神として解釈したり、相手が恐れている悪魔を信仰して善神に変えたりする。 他にも様々な理由があるが、そうして神々や魔というのは、世界中に分派して、それで形を変えていく。 フラウロスから変化したフルーレティは、その一例と言えるな。 ましてや一神教は、バアルに始まって他の信仰をことごとく悪魔としてきた過去がある」

「ケルベロスもそうだったね」

ああ、とケルベロスが不愉快そうにする。

ケルベロスの地雷。

地獄の番犬。

それがケルベロスを貶める意図であったことは明らかすぎるほどだ。神話を研究していれば、一発で分かることなのだから。

一神教は燐火から見ても問題だらけの信仰だが。

それも数が集まって信仰すれば権威になる。

そして、権威である以上、勝手な創作とかがそれぞれ悪魔を作り出し。

フルーレティのような存在も出てくる。

そういうことなのだろう。

延びをする。

今日はおとうさんはいない。

一人で大丈夫かいと、メッセージがスマホに来たので。大丈夫と返しておく。

おとうさんも自分一人でいっぱいいっぱいだろうに。

それでもこうして燐火のことを気に掛けてくれている。

それだけで充分。

自慢のお父さんだ。

おかあさんの容態が安定して、杏美も大丈夫になってくるのがもう少し先。そうなったら、家は忙しくなる。

今、ベビー用品をそろえてあり。

燐火がそれをチェックしている。

色々たくさん必要になるけれども。

特にあんパンを元にしたキャラクターは、子供のためにいてくれる、子育ての立派な味方だ。

昔はなんとも思わなかった。

だが、ケルベロスがこれは完璧なヒーローだと絶賛していて調べてみて。

確かに今好きかと言われればちょっとなんとも言えないけれど。

ただ、幼児に好かれるのも分かるし。

何よりそのあり方がヒーローオブヒーローというのにふさわしいこともよく分かるのだった。

まあ、燐火が好きかどうかは話が別だが。

ただ、杏美がしゃべれるようになり始めたときのために。

あんパンを元にしたヒーローについて、ある程度の知識を得ておくことも必要だろう。

今後は自分のことだけを考えてはいられない。

周りの友達を守ること。

カスみたいなスクールカーストを作らせないこと。

それにフルーレティが嘘を仮についていなかったとしても。

おそらく一対一の勝負では、まだ勝ち目が薄いこと。

それらを見越して、更に自分を鍛え上げなければならないだろう。

勉強を終えると、ケルベロスと相談する。

基礎的な鍛錬を増やせないだろうか、と。

ケルベロスは基礎はこれでいいと言う。

「燐火はまだ伸びるし、成長痛や疲労骨折も鍛錬をやり過ぎると枷になる。 戦闘時に成長痛で動けなくなったりしたら笑い話にもなるまい」

「そうだね。 だとすると応用の研磨かな」

「ああ。 充子の道場に行け。 あそこで更に、剣の技を磨いた方が良いだろう」

「……分かった」

充子はかなり頑張っている。

クラスでのくだらない無視が解消してから、学校も少しずつ楽しくなっているようだ。

また道場に行きます。

そうメッセージを送ると、嬉しそうにスタンプを返してきた。

スタンプは使ったことがないのでなんとも思わないが。

とにかく、これで良いだろうとは思った。

 

4、苦境はどちらも

 

フルーレティは舌打ちしていた。

燐火の脅威を皆に伝えた。そうしたら、そうかとだけ言われたのだ。

確かに片方は「魔獣」という概念ではおそらく世界の神話で最強の存在。

もう片方も、邪神としてはかなり強大な存在。

最近生まれたフルーレティとはモノが違う。

魔獣の方は特に顕著で、元が神話から物語に成り果ててしまった今であったとしても、その実力は凄まじい。

生半可な悪魔では、手も足も出ない。

そういう次元の存在だ。

フリッグのアホはともかくとして。

フルーレティも明らかに下に見ている。

だが、その言葉はしっかり受け取ってはいるようだ。

古豪であるが故だろうか。

ともかくだ。

多数の配下軍団を呼び出したが、想像以上に弱体化していたし。それらもほぼ失ってしまった。

この国の魔祓いの実力を正直見くびっていた。

特にトップ層は、魔境に等しいこの国の邪神や悪霊、魔とやりあってきただけの事はある。

あれは一神教で最強の魔祓いよりも下手すると格上かもしれない。

戦闘で冷静に相手の実力を見切ったフラウロスは。

燐火と一対一の対決をする決意を決めていた。

ただ、分霊体を使ったり、更には配下軍団を呼び出したこともある。

力は既に、相当に墜ちていた。

出来ればカスみたいな人間の悪意を吸収して、多少力を戻したいところではあるのだが。

今、フルーレティはどうしてか、武人としての心がたぎっていた。

まだ小六。しかも女子。

それであの凄まじい戦意と技量。

単純に燐火とやり合いたいという気持ちもあるのである。

技量だけの勝負であれば、フルーレティとしても、どうなるかちょっと分からない。単純な力で、今は押し切れる自信がある。

だが、それはそれだ。

やりあってみたい。

そういう、武人としての、戦士としての本能。

創作悪魔に過ぎないフルーレティだからこそ、それが滾っていたのかもしれない。

燐火は迷惑そうにするかもしれないが。

それはそれとして、滾るのも事実だった。

電柱の上に座り込んで、思索にふける。人間に興味を持ったのは何時以来だろう。都合良く自分を創作した愚図生物。そうとしか考えていなかったのに。

いや、人間に興味を持ったんじゃない。

あの地獄みたいな目をした、燐火という一個体に興味を持った。

生物としての雌としてではなく、戦士としてだ。

電柱の上で考え込む。だが、思索は長くは続けられなかった。

「おい」

「む……」

声が掛かる。

マルコキアスだった。

黒い犬の姿をした悪魔は、苛立ちを隠そうともしていない。

確かにあまり派手に騒ぐなと釘を刺されたのに。

それをフル無視したのと同じだ。

苛立つのも無理はなかった。

「随分と暴れてくれたな。 どう落とし前をつけるつもりだ」

「……少し待ってくれるか」

「ほう」

「この間の戦いを見ていたか」

マルコキアスが黙り込む。

見ていたのだと判断して良さそうだ。

「俺は戦士としての力を試したくなった。 あの燐火というギリシャ系魔祓いと、一対一で勝負するつもりだ」

「どういう風の吹き回しだ」

「言葉通りだ。 あの凄まじい技量、しかも短時間で身につけたと聞く。 俺は創作された設定だけの悪魔だ。 誰も俺を恐れていないし、俺の武勇の逸話も一つもない。 だからこそ、俺は本物の戦士として目覚めつつあるものと、やり合ってみたくなった」

「そうか。 そういうことであれば止めはしない。 ただ……」

マルコキアスが、苛立ち紛れに言う。

やはり、暴れすぎだと。

確かにフルーレティは配下軍団……実体も何もないから、どれもただの張りぼて悪魔だったが。

それを使って、これだけの騒ぎを起こした。

魔祓いが警戒態勢に入るのも当然で。

やっと魔祓いの手から逃れて、のんびりと隠遁生活をしているマルコキアスには面白くないだろう。

フルーレティだけではなく、他の同志も含めてだ。

「我も流石にそろそろ我慢の限界でな。 我と同じように考えている者も多い。 物語に堕した駄犬風情と、過去に無敗だった邪神であろうが、今この国の寛容な信仰で居心地良く過ごしている我と似たような立場の存在は他にもいる。 今までのように暴れ続けるなら、我も流石に看過できん」

「そうだな。 ……分かった。 肝に銘じておく」

「そうしろ。 では、一対一の勝負、武運を祈っているぞ。 同じ一神教系の悪魔としてな」

マルコキアスが消える。

元々格上の相手だ。

設定だけならフルーレティの方が強そうだが、そんなものは設定だけの話である。

悪魔としてずっと古く、ずっと格上。

それを考えると、マルコキアスの方が強いに決まっている。

フルーレティもあらがうつもりはない。

それに、そろそろ潮時かもしれなかった。

本物にはなりたい。

それはある。

だが、同志と違って、フルーレティは今は。

燐火との戦闘で、自分を証明したくなっていた。

それにだ。

あれほどの戦士と、最高の条件で戦って勝ったのであれば。

それは自分を証明したことにならないだろうか。

そういう気持ちもある。

悪魔として、正々堂々はおかしいという意見もあるかもしれないが。

古くには善良と明記される悪魔や。

真面目であったり、有益である悪魔は幾らでも記載がある。

一神教で邪悪の権化にされる前は、悪魔とは別に邪悪の権化ではない存在だったのだ。

だからフルーレティも。

そういった、必ずしも邪悪の権化などではない。

「霊」としての悪魔になりたいと、思っていた。

 

(続)