楽しい夏合宿

 

序、合宿開始

 

少しおかあさんが心配だったが、そろそろ入院すると言うこともある。入院をしたら、の条件で。

燐火は二泊三日の合宿に行くことにした。

これは菖蒲さんが誘ってくれたもので。

魔祓いの若者を集めて。合同合宿して能力強化に励むものであるらしい。

燐火より若くして魔祓いになっている子もいるらしく、そういう子は英才教育を受けているとか。

そう考えてみると。

小四まで教育を受けていなかったに等しい燐火は、遅れに遅れている。

学業はどうにか取り返した。

身体能力だって。

だけれど、それ以外が足りなさすぎるのだ。

こういうことを全く考えずに生きている子もいるだろう。そういう子は、中学か高校くらいで気づければ良いが。

最悪それも一切気づけず、一生どうしてうまくいかないのだろうと嘆いて過ごすことになるのかもしれない。

他人に対して上に立つことだけ考えて生きている人間にとって。

学問はただそのための道具にしかなっていない。

そういう人間にも、教育は無意味だ。

精々上流階級での「教養」のために覚えておく程度のものに過ぎず。結局せっかくの学問を何ら役立てる事は出来ないのだろう。

燐火は違う。

そうはならない。

故に、合宿に出た。

おとうさんもおかあさんも許可してくれた。

まあ二泊三日くらいだったら大丈夫、という事だろう。

林西さんが先に来て、おとうさんと話をしてくれた。ちなみに素性がばれるとまずいので、近場のカフェで話をしたそうだが。

合宿には林西さんも来る。

それ以外にも、何名か日本でも有数の魔祓いが来るとかで。

万が一があるとまずいので、自衛隊の特殊部隊が警護に就くのだとか。

ただ、フリッグの仲間や。

あいつに近い魔や悪神が来た場合は、それでも被害がたくさん出るのは避けられないだろう。

燐火は夏休みの宿題は最初の数日で片付けてしまったので。

後は、合宿に集中することが出来た。

車に関しては、林西さんが運転してくれる。これに乗って移動する。

一緒に菖蒲さんと日女さん。

カトリイヌさんも来るらしい。

ちょっと林西さんが渋い顔をしたのは、過去に一神教の魔祓いが、合宿で問題を起こしたのが理由だそうだが。

まあ、カトリイヌさんはポンなところはあるけれど、最近どんどん大人になっているようだし。

この間のフリッグ戦でも、しっかり連携をとることが出来ていた。

多分大丈夫だと思う。

カトリイヌさん達は、専用のリムジンで来るらしい。

エヴァンジェリンさんもそれに乗ってくるそうだ。

リムジンなんか本当に乗っている人がいるんだなと燐火は思ったが。おとうさんも買おうと思えば買えるそうだ。

ただ、Vtuberという仕事はいつ体を壊すかも分からないし。

今あるお金だって、収入が途切れればそんなに長くはもたないのである。

だったら、できるだけ無駄遣いしないように貯めておく。

そういう考えらしかった。

燐火の方でも、魔祓いのたびに国からお金が振り込まれる。

それを今のうちに貯めておいて、将来何らかの形で使うつもりだ。

それで問題はないだろう。

とりあえず、割としっかりした車で、しっかりした運転で合宿地に向かう。林西さんは超がつくほどの安全運転で、車はほとんど揺れなかった。

ドライブレコーダーがついているのは、今時の車らしいとは言える。

以前は、悪意を持って飛び出してきた子供との接触とかの明らかに相手が100悪い場合でも、車の方に非があるみたいな判決が出たらしいが。

ドライブレコーダーの登場により、その状況が一変。

子供だろうが、車に非がない場合は非がないと判決が出るようになったようだ。

これもあって、ドライブレコーダーの導入は必須となった。

自衛のためである。

いずれにしても、燐火は四人乗りの軽で、現地に向かう。菖蒲さんはバイクで行こうかと言ったのだけれども。

林西さんが、ガソリン代がもったいないからと、菖蒲さんも乗せていくことに決めたようだった。

とりあえず行く先は吉野の山奥だ。

昔は南朝の本拠が置かれたこともある場所。

現在は峻険な山深い土地で、ほとんど人は住んでいないが。いわゆる霊地としては非常に好ましい場所であるらしい。

昔は山伏などがたくさん訪れて、修行に明け暮れていたという話を、行く途中で林西さんが話してくれる。

また、山の民と言われる人々にとっても、聖地の一つであったそうだ。

山の民については最近調べた。

日本では珍しい不定住民で、明治初期には二十万人くらいがいたそうだ。

低地で定住して暮らすのが普通の中、敢えて山の中で暮らしていた人々。忍者や修験道などとも関係があり。

日本の裏の歴史にも密接に関わっているという。

ただそれも明治時代に戸籍が定められて急速にいなくなり、今ではすっかり絶滅してしまったようだが。

高速道路などを移動して、昼過ぎには到着。

朝一に出たのに、かなり時間が掛かったが、まあこんなものなのだろう。

大きなお寺がある。

ここで合宿だ。

とにかく都会は凄まじい暑さだったが。

ここは大分涼しいように感じる。

或いはコンクリとかの照り返しがないから、かもしれない。

ちなみにケルベロス曰く、燐火の家の辺りはヘラクレスさんが張ってくれるらしい。狼藉者は通さないと約束してくれたそうだ。

涼子や市原さんが少し心配だが。

まあ、大丈夫だと思う。

二泊三日だ。

その程度の日数だったら、別に燐火がいてもいなくても同じ。

それに日女さんの一家もいる。

いずれも燐火より格上の魔祓いだし、そうそうどうにかなるようなこともないだろう。

ともかくお寺に入るときに、色々と林西さんから言われた。

日女さんや菖蒲さんは分かっているようなので、テキパキとこなしている。燐火は、何事もやはり勉強だなと思った。

ケルベロスが感心している。

「木造という違いはあるが、なかなかに荘厳な場所だ。 仏教は学問としてはなかなかに面白いと俺は思っているが、こういった建築物も興味深い」

「ギリシャだと石造りが基本だったから?」

「それはあくまで高価な住宅の話だ。 全てが石造りだったわけではないぞ。 それはそれとして、実に良く出来ているな。 それに俺を拒む気配もないようだ」

とりあえず、奥の間に。

十人くらい魔祓いが来ていて、更に増える予定らしい。

カトリイヌさんが遅れてきた。

エヴァンジェリンさんは体力がないからか、長時間の車でかなりへばっていたようだけれども。

それでも、相変わらずのテンションではあったが。

「はっはっは! 天才たる私が来たぞ! それで今日は教える側かな!?」

「悪いが今日は教わる側だ。 北欧のドルイドではおまえが最強かもしれないが、俺では及びもつかない魔祓いがこの国には何人もいる」

「それは凄まじいな……」

日女さんの冷静な言葉を、素直に受け入れているエヴァンジェリンさん。

なんか変な奴がいるという感じで、燐火と同年代か少し年上の人間達がそのやりとりを見守っていた。

まあこの中には既に現役の魔祓いもかなりいるらしいから。

今回の合宿は、学生が鍛錬するためというよりも。

いわゆる強化訓練なのだろう。

とりあえず席が用意されているのでそれにつく。燐火は前の方を用意して貰った。

林西さんが最初の講師として来る。

宗教的な話でもされるのかと思ったが、そうではなかった。

淡々と、精神修養についての話をされる。

今日はそれをやって、明日から捕らえてある荒神を祓う実戦訓練をやる、ということだ。

それを聞いて、一気に皆の顔に緊張が走る。

燐火としてはダイモーン専門だから役に立てるかは分からないが、それでもまあ陽動くらいにはなるだろう。

ただ、林西さんはいう。

「この場にいる面子に合わせて、様々な魔を捕獲してきた。 それらに的確に対応できるように、判断し訓練するのが合宿の目的だ。 文化圏ごとに魔祓いが必要なのは各自知っていると思う。 専門ではない魔と遭遇したときのことを常に考え、逃げる手段や、対策する方法を用意しておく。 今日の授業は、それについての実践をする」

なるほど。

魔祓いの効果に直結する精神修養といい、とことん実践スタイルでやるわけだ。実戦も混ぜながら。

それは上等である。

燐火としても、気合いを入れて。

林西さんが、丁寧に教えてくれる精神修養の細かい話を聞き。それについて、実践を開始していた。

全員に対して、細かいところでどうすれば良いか。林西さんは、丁寧かつ具体的に指導してくれる。

これは助かる。

努力しろとかいうだけのえせ教師とは全然違う。

必要なのは具体的にどうすれば良いかだ。

勿論試行錯誤しながら得なければならない分野もある。だが、創意工夫では限界がある。

それこそ一を聞いて十を知るような人間は確かに存在しているが。そんなのは一世代に一人いるかいないか。

そういう話はケルベロスにも聞かされている。

ほとんどのその類の輩は、分かったつもりになっているだけであるらしい。

だとすれば、こうやって丁寧に教わるのが一番だ。

夕方までみっちりしごかれる。

燐火は体力があるから平気だが、かなり参っている子もいるようだ。

これでも現役の魔祓いだろうに。

カトリイヌさんは青ざめているし。

あちらではエヴァンジェリンさんが机に突っ伏して魂が出ている。

体力が課題だな。

そう燐火は思った。

一方、偉そうにしていた何人かが、叱責されて帰路につかされていた。不満そうにしていたが、林西さんは容赦しないようだった。

あれらは何だろう。

そう思っていたら、日女さんが教えてくれる。

「魔祓いの学校で中堅どころの成績を出している生徒だよ。 ささやかな才能を鼻に掛けて前々からふざけた態度を取っていたらしいが、戦力外通告を出されたみたいだな」

「魔祓いは才能の学問ですよね」

「ああ、だが限界がある。 あれらは才能を鼻に掛けて努力を怠った。 だから基礎が全く出来ていないし、そもそも出来る側だと思い込んでいるから、他人の話を聞くって事が出来ない。 この合宿は結構界隈では有名でな。 あいつらにはおそらく相当に失点が大きくつくはずだ」

そうか。

だとすると、燐火としてもあまり笑ってはいられないな。

とりあえず夕食を食べる。

精進料理が出てくるかと思ったが、別にそんなこともなくて、ちゃんとした料理が出てくる。

ちなみにこの合宿。

おとうさんにはただと説明してあるが、実際には燐火の魔祓いの貯金から引き落とされている。

サラリーマンの年収くらいのお金が出ているらしくて。

まあそうなると、二泊三日でも徹底的に詰め込むし。

かなり厳しくふるいにも掛けるし。

才能を鼻に掛けていたようなアホは、さっさとご退場願うよなあと思ってしまう。

これから実践だ。

魔祓いとしては、命のやりとりもする事になる。

カトリイヌさんは護衛の二人がいないこともある。普段とはかなり戦い方も変えなければならないはずだ。

厳しい局面になるだろう。

夕食はとてもおいしかったが。

それ以上に、栄養を補給している、という点が大きかった。

多分味もいいのをつけてはいるが、其処に重点を置いているのだろう。

寝る前に、林西さんにこれからやるべき事一覧を渡された。

精神修養に関しての事もあるが。

それ以上に、燐火は闇に落ちかねない極めて危険な場所にいるのだという。

精神が苛烈すぎる。

過去に見た闇が深すぎる。

今はケルベロスがついてくれている。

だがケルベロスがいなくなったとき。燐火は場合によっては、簡単に極めて危険な闇に転ぶかもしれない。

それを、どうにかした方が良い。

そう言うようなことと。

対策として何をすれば良いかが、具体的に書かれていた。

なるほど。

一つずつ、実践していこう。

ただし、合宿から帰った後になるが。

エヴァンジェリンさんが、目をしばしばさせながら、もそもそと夕食を取っていた。夕食を取る元気もない、という雰囲気だ。

おいしいとか言っているが、とてもおいしく食べているようには見えない。おいしいと言い聞かせているようにさえ見える。

明日は結構厳しい実戦があるみたいだけれど。大丈夫だろうか。

ちょっと心配になった。

 

林西はこの合宿で、十五年間講師を続けている。それだけ歴戦の魔祓いとして尊敬され、多くの魔を祓ってきた。

皆が眠った後、見回り。

結界を確認して回る。

複数の仏教系神格が守っている寺なので、ネズミは入りようがない。これに関しては、文字通りの鉄壁。

だが。憑いている不動明王が言う。

「気づいているな林西」

「ええ。 どうやら見ているようですな」

「不埒な輩だ。 ひねりに行くとするか」

言葉を終えてから。

即座に不動明王を下ろす。

神おろしに近いが、不動明王を具現化させるのでは無く一体化する。

それによって、爆発的な力を作り出す。

跳躍。

上空百五十mに即座に到達すると、其処で気配を消してこちらを見ていたものは、愕然としたが。

次の瞬間には正拳を受けて、地面にたたき込まれていた。

即座に追撃を仕掛ける。

必死に逃れようとするそいつを踏み砕く。翼のある人型。大きさは林西と同じほどだが、戦闘力は象と蟻の差だ。

ぎゃっと鋭い悲鳴を上げて、それは抵抗の意思を捨てた。林西は、不動明王とともに、聞く。

素足のままだが、今の林西は50トントラックを蹴り一発で粉砕する事が可能だ。

「何やつだ」

「け、けちな悪魔でさ、へっへへへ。 俺の主人に、ここを見て来いって言われていて、それで」

「その主人の名は」

「ひっ! それだけは!」

一喝を入れる。

相手は西洋系の魔祓いだ。祓うことは出来ない。

だが、それでもだ。

今の林西から逃げることは不可能だし。

既に今の騒ぎで、エクソシストも来ていた。あのカトリイヌというお嬢さんの護衛兼お目付役の凄腕である。

これで、完全に詰んだ。

「もう一度聞く。 誰に言われて、ここを監視に来たか」

「ゆ、許してくれ、祓わないでくれ。 前に祓われて形を得るまで、百三十年も掛かったんだ!」

「言わないのだったら、完全に消滅させるだけだが」

「やめてくれ! やめてくれよう!」

悪魔が泣き始める。

だが、悪魔は嘘つきだ。

セバスティアンというエクソシストが祈りの言葉を唱え始める。そうすると、本当に余裕がなくなったようで、悪魔は悲鳴を上げてもがき苦しみ始めていた。

「わ、分かった! 分かった言う! 俺の主は!」

「!」

林西が飛び退く。

雷撃が悪魔を打ち、瞬時に黒焦げにしていた。

消えていく悪魔。

だがこれは口封じというよりも、人間より先に同胞が殺すことで、消滅や口を割られるのを避けたのだろう。

林西の視線の先には。

明らかにこの悪魔より、数段格上の悪魔がいた。

そして、すっと消える。

翼を持った人影。

わかりやすい悪魔らしい悪魔だった。

「逃がしたか。 だが、この結界には入れないこともはっきりしたな」

不動明王がぼやく。

林西は祈ると、戻ることをセバスティアンに告げる。

この合宿は平気だろう。

だが、燐火は既に目をつけられていると見ていい。

西欧の悪魔は人間ほど邪悪ではないが、それでも人間の悪を模倣する。どんな手を打ってくるか分からない。

先に連絡を入れておく。

燐火の関係者の周囲は、既に連絡を取ってあるヘラクレスが見張っているようだが、更に守りを厚くした方が良いだろう。

欲望のままに好き勝手に振る舞って自滅したフリッグと違って。

今度の奴は、狡猾に立ち回ると考えて良いだろう。

この合宿で、燐火が一皮むけると良いのだが。

そう林西は思った。

若い世代が成長するのを後押しするのは、林西のような高齢者の仕事。

老齢の者が行うのは、ノウハウの展開。

そうして本来人間の世界は回ってきた。

それを、林西は果たすだけだった。

 

1、大乱戦

 

案内されたのは、山深い森の中。

辺りには鹿だけではなく熊も出るらしい。流石にそれは危ないので、事前に熊に関しては駆除をしてあるそうだが。

今来ている二十人くらいのまだ若い魔祓いは、あくまで魔祓いである。

猛獣の相手は兵器で武装した専門のハンターが行えば良い。

燐火達とは専門分野が違う。

ただそれだけの話である。

周囲を見回す。

これは、たくさんいる。

ここも結界で覆われている。そして林西さん達が訓練のために捕まえてきた、色々な魔が放されている。

漫画とかだと、こういう訓練で人がたくさん死んだりするのだが。

流石にそれがないようにするため、腕利きの魔祓いが何人か内部で監督するということだった。

今の時代。

人材は宝だ。

まだ人材は幾らでも湧いてくるとか考えている馬鹿な人事がいる。

それについては、おとうさんにもおかあさんにも実例を聞いている。コストカットを言い訳に人材育成を怠る企業が増え、人材育成をしないのに人材がいないとかほざく阿呆が増える一方だそうだ。

おとうさんのいるVtuberの企業は人材育成に力を入れていて、社員もVtuberも大事に扱ってくれるらしいが。

それでもおとうさんの負担が大きいのは燐火も間近で見て知っている。

大変だろうなと思う。

魔祓いの世界は、人材育成は厳しいながらもしっかりやっているようだ。今回も、死者が出ないように、しっかり見張っている。

それはそれとして、魔祓いを悪用しそうな輩については、早々に合宿から追い出したりはしていたが。

魔祓いを悪用するような輩は、下手な反社よりも害を為すから、というのも理由としてあるのかもしれない。

ちなみに昨日寝る前に日女さんに聞いたのだけれど。

追い出された連中は、これから別コースの合宿でみっちりしごかれて。

それでも性根が変わらないようだったら、魔祓いの力も記憶も封印されてしまうらしい。

色々と徹底している。

ともかく、森の様子を観察する。

分かる範囲でも三十体くらいは魔がいる。

ケルベロスがうらやましいと言った。

「ギリシャの魔祓いは、既に人材が枯渇して等しい。 このような訓練をする余裕もなければ、そもそも訓練のために魔を集めてくるような使い手もいない。 燐火は俺が帰った後も、ギリシャ系の魔祓いとしていっそギリシャに来てほしいほどだ」

「そんなに人材が枯渇しているんだね」

「ああ。 林西の実力を見ていると、ああいう人材が後進育成に時間を割けるだけ、この国の魔祓いは充実していることが分かる。 とても羨ましくあり、同時に俺にとっては悲しい話だ」

ただ、ダイモーンが溢れている今の日本が異常なだけであり。

ギリシャにも、今はほとんどダイモーンはいないのだとか。

まあいい。

今回引率しているのは、修験道の人らしいが。

かなりの使い手だ。

山岳信仰の、独自の神格を身に下ろしているようで。首から数珠をぶら下げている。

天狗みたいだなと思ったし。

実際天狗は、修験道をしている修験者がモデルの一つになっているとも聞く。

ややこしいことに。

元の天狗は中華由来の妖怪で、空を駆けて時に月を食らうことすらある強大な妖怪であるそうだが。

日本の天狗は完全に別物で、名前だけ同じ違う妖怪であるそうだ。

まあその辺りはいい。

説明を聞いたあと、さっと散る。

連携して行動しろとは言われたけれども。基本的に色々な魔がいるので、対応できる相手だけ相手にするようにとも言われている。

そのため、魔を探し出して、声を掛ける。

まずは散開して、魔を探すところからだ。

開始。

声が掛かると同時に、皆が散る。

燐火も。

山の中は走り慣れている。

カトリイヌさんがもたもたと斜面を降りていた。あれは苦労しそうだ。

エヴァンジェリンさんも同じように山の斜面で四苦八苦している。

ドルイド系の魔祓いが必要な相手に遭遇したら、これは苦労しそうだなと思った。

一方で一神教系の魔祓いは他にもいるらしいので。

カトリイヌさんだけでなくても、どうにか出来る可能性が高い。

走る。

見つけた。

これは、仏教系の魔だな。

確か餓鬼だったか。

「魔を発見! 仏教系、お願いします!」

「仏教系、向かう!」

誰かが返してくる。菖蒲さんではないか。

燐火は腹だけ膨れた痩せこけた恐ろしい姿をしたそれから、飛び離れる。

餓鬼道と言われる場所に落ちた亡者。

たまに餓鬼道から這い出して人間世界で暴れることがあり。しかも餓鬼は極めて危険な妖怪で、祓うのも相応に苦労するのだそうだ。

だが、読経を受けて、餓鬼が苦しむ。

燐火がその腕から逃れると、餓鬼は程なくして、地面に吸い込まれるようにして消えていった。

恐らくは餓鬼道に引き戻されたのだろう。

上。

今、読経をしていた人の上から、何かの妖怪が襲いかかる。

燐火は無言で跳躍すると、横殴りに魔法のステッキ(鉄パイプ)をたたき込む。

ムササビみたいな姿をしていたそれは、思わぬ攻撃にひるみ。

更に慌てて飛び退いた頭を丸めている若い魔祓いのいた地点に落ちたところを、燐火は正拳をたたき込む。

手応えが薄いな。

流石に怪異相手に肉弾戦はあまり通用しないか。

「魔を発見! 日本系!」

「おう!」

誰かが答える。

そしておそらく式神だろう。以前式神を使う陰陽師の親子との連携魔祓いの時に、見たことがある。

式神が妖怪にまとわりつき、爆発四散させる。

ひゅうと、ケルベロスが口笛を吹く。

犬なのに器用である。

「やりおるな」

「次だね」

仏教系の魔祓いの人に手を貸して起こすと、燐火はそのまま走る。

ギリシャ系。

声が掛かったので、そっちに。

ダイモーンだ。

躊躇なく聖印を切る。ダイモーンとしてはそれほどたいした相手でもなかったので、連続して聖印をたたき込んで、即座に爆発四散させた。

これでいい。

後ろ。

回し蹴りをたたき込んで、つかみかかってきたそれを吹き飛ばす。

あれはなんだ。

黒い人影がたくさんいる。

日本系ではないのか。

「ワイルドハントだ! ドルイド系!」

別の魔祓いが叫んだ。

もたもたとこっちに来たエヴァンジェリンさんが、ルーンを展開。

たくさんいる黒い影を、まとめて拘束。爆発四散させていた。

まだまだ。

バテている魔祓いもいるなか、燐火は走る。

同じように走り回っている日女さんが視界の隅に入った。凄い身体能力だなと、舌を巻く。

本当に鍛え方が違う。

燐火はどちらかと言えば持っている側だとケルベロスには何回か言われた。

だが、燐火が体系的な訓練を受け始めたのは実質小四である。

日女さんは持っている側の人間が、それこそ物心つく頃から訓練を受けている方であり、地金が違う。

それでも、とにかく努力を重ねて、いずれは並び立ちたい。

菖蒲さんは別次元で、担当ではない魔を愛染明王がちぎっては投げちぎっては投げて。次々に追いついてきた魔祓いに任せている。

むしろ追いついてきた魔祓い達が、ヘトヘトになっているほどだ。

燐火は繰り出された何かの鈍器を、紙一重で買わす。

子供みたいなのが、スプーン……いやあれは違う。石炭みたいなのを乗せたスプーンみたいなのを繰り出してきた。

目がぎょろりと大きくて半裸だ。

ケタケタと笑うそれは、魔が次々にやられているのを悟って、やけくそになっているのだろう。

気配で察する。

「一神教系! 魔祓いをお願いします!」

「待っていましたわ! Amen!」

カトリイヌさんか。

ふらふらになりながらも、ドミニオンに指示して、祈りの言葉をたたき込む。

それで子供みたいなのが悲鳴を上げるが、倒しきれない。

燐火は子供みたいなのの背後に回り込むと、腕を取って地面にたたきつけた。巨大なスプーンみたいなのが離れる。

「お、俺は堕天使ウコバク様だぞ! 人間ごときが俺に肉弾戦を挑むというつもりか!」

「ウコバクと言うんですね。 ではさようなら」

そのまま、合気をたたき込んで、内臓を破壊する。

人間じゃないから、内臓を破壊しても死なない。

だが、弱る。

もう一度カトリイヌさんがAmenと叫び。

ウコバクは、悲鳴を上げながら消し飛んでいた。

呼吸を整えているカトリイヌさん。

燐火はありがとうございますと言うと、即座に魔法のステッキを構え直し、再び山の中を走る。

どおんと激しい音。

強いのがいるな。

躊躇なくそちらに行く。

悲鳴を上げながら吹っ飛ばされる魔祓いが見える。

大丈夫だろうか、あれ。

まあ下が柔らかい腐葉土だし、監督もいるわけだから。余程のことがない限り事故にはならないとは思うが。

ともかく全力で向かう。

見えてきたのは、なんだあれ。

全身が毛だらけで、あちこちに目がついている。体がとにかくちぐはぐで、生物として色々おかしい。

全体的には猿に似ているが。

とても巨大で、ゴリラよりも大きかった。

それが長大な腕を振り回して、暴れ狂っている。

他の魔祓いは、近づけないでいるようだ。

「なんだこいつ! どこの魔だ!」

「野生の類人猿は日本くらいが北限生息地だ! だから日本より南の地域の魔だと思う!」

「一体何だよ!」

パニックを起こしている魔祓いの間を駆け抜けつつ、魔法のステッキを交錯の瞬間躊躇なくたたき込む。

がっと音がした。

鉄でも殴ったような手応えだ。

それでも、打撃を浸透させた。

うるさそうに向き直る猿が、跳躍。真上から強襲を仕掛けてくる。素早い動きである。

「猿の妖怪は結構いる! 日本系!」

「いや、試してみたが違う!」

「みかけからしておそらくアジア系だ! 道教は!」

「今向かってる!」

良い感じでパニックだ。

燐火は襲いかかってきた巨大猿の魔の一撃を回避すると、つかんでいた石を投擲。顔面に直撃させた。

顔を真っ赤にして、凄まじい叫びを上げる猿の怪異。

口の中には鋭い犬歯が見える。

人間はすっかり弱体化しているが、類人猿の中には犬歯が発達した種族も多い。これは市原さんに聞いて知っている。

マントヒヒがサバンナで捕らえたインパラの子供を、そのまま食いちぎって食べ始める映像も見たことがある。

その映像ではマントヒヒが悲鳴を上げる子インパラを生きたまま食いちぎっていたが。

それくらい顎が強いと言うことだ。

人間の身体能力は、一回り小さいヒヒくらいしかない。

それも市原さんに聞いている。

だから、此奴が如何に危険な怪異かもよく分かる

鋭い攻撃をいなしながら、腐葉土に足を取られないように立ち回る。

腕を振るって何度もたたきつけてくるが、まともに食らったら一発で動けなくなるだろう。

ゴリラの握力は500sに達するが。

こいつは怪異で、ゴリラより大きい。

もっと握力が強くても不思議じゃない。

腕力や脚力だって人間とは次元違い。

そんな相手に立ち向かうには、時間稼ぎをして、とにかく生存に全神経を傾けるしかない。

飛びかかってきた猿が、壁に阻まれて、悲鳴を上げる。

カトリイヌさんがドミニオンに指示して張った壁だ。

更にルーンが炸裂して、猿の足を拘束。猿がそれを引きちぎろうとするが、凄まじい火力の蹴りが、猿の頭を直撃。

地面にたたきつけていた。

着地したのは日女さんだ。

「おまえで終わりだ」

「助かりました」

「いや、良く持ちこたえてくれた。 おい、道教系、急げ!」

「わ、分かってる!」

もたもた来たのは、おそらく最年長らしい青年だ。

それが何か知らない言葉を唱えて、カラフルな服を着た神様を具現化させる。

猿の怪異が、慌てて逃げようとするが。日女さんの一撃が相当に効いているらしく、満足に動けないようだ。

更にすっと燐火の側に降り立った菖蒲さんが、悪あがきするなといわんばかりに、愛染明王で押さえ込むと。

哀れっぽく猿の怪異は悲鳴を上げ。

そして、カラフルな服の神様の剣に貫かれ、倒れていた。

「そこまで。 午前はこれで終わりとする」

樹上から声。

飛び降りてきたのは、さっきの修験道の人だ。

やはりこの人、相当に強いな。

見ていて分かる。身体能力でも、神おろしをした日女さんをしのいでいるのかもしれないほどだ。

「堂に戻れ。 そこで採点をそれぞれに配る。 午後からは得点に応じて鍛錬の内容を変える」

「しんど……」

「とりあえず助かった。 ちょっとハード過ぎんかこれ」

「これからもっとやばい魔と出くわすかもしれないだろ。 こういうのを経験しておくと、後で助かるかもしれないぞ」

わいわいと話している魔祓い。

燐火は警戒しながら、堂に戻る。

安全になったと見せかけて、まだ何かあるかもしれない。そう思った瞬間、反射的に体が動いていた。

蛇が、凄まじい勢いで食いついてきたのだ。それもかなり大きい。

日本に生息する蛇で最大なのは、サキシマスジオだ。本土だったらアオダイショウなのだが。サキシマスジオには4mの記録があるが、アオダイショウは精々2m。どちらにしてもその程度のサイズでは人間に毒をもっていない限りは害をなせない。サキシマスジオはそれなりに気性が荒いが、そもそも希少種なので、遭遇することはまずない。しかも無毒。これについては、市原さんに聞いた。

襲いかかってきた蛇は、もっと大きい。

だが、更に更にでかいフリッグの荒神形態と交戦した事もある。

即座に回避しつつ、魔法のステッキではじき返す。

飛び離れたのは、明らかにギリシャ系の魔ではないからだ。

「オン!」

一喝とともに、日女さんが祓いに掛かる。

ということは、日本系か。

苦しみもだえる蛇を、愛染明王が踏み潰した。それでも死なないので、日本妖怪とみて良いだろう。

慌てて駆け寄ってきた何人かの日本系魔祓いが、一斉に魔祓いをして、それでどうにか祓う。

かなり疲弊している様子からして。

これは結構強力な奴だったとみていい。

「トウビョウだ」

「トウビョウ?」

「基本的には福の神なんだが、飼い主の指示に応じて相手を襲って不幸にしたりする事もある。 これはその厄神として放たれたトウビョウだな。 扱い方を間違えなければ、必ずしも邪悪ではない」

「見事」

さっきの監督役の人が声を掛けてくる。

この人が直に放ったわけではないが、いるのを分かった上で配置し。

今回活躍していた燐火に仕掛けるのを、ギリギリまで傍観していたという。

これも鍛錬の一つ。

そういうことらしい。

日女さんがいらついた様子だが、監督役の人は危険時の対応能力を見るのにちょうど良いからと、トウビョウは残していたらしい。

そう言われると、怒るには怒れないか。

「トウビョウを退治できないにしても、即応したのは見事だ。 更に加点する」

「ありがとうございます」

だが、周囲が同情するような目で見ている。

そうなると、加点には何かしら問題があるのか。

一度引き上げて、休憩を取る。

食事をしながら話をすると、日女さんが教えてくれた。

「ここでの研修は高得点の人間には更に難しくなる。 これから燐火はさっき活躍できなかった魔祓い達より更に危険な研修をすることになるな」

「ああ、それでさっきの視線が同情に満ちていたんですね」

「そうなるな。 かくいう俺も去年来たときは、散々加点されて散々絞られてな。 俺はシード選手みたいな形で、午後からは別枠だ。 菖蒲姉もそれは同じ。 燐火は多分……あの連中と同じだな」

あの連中と言われたのは、おそらく高校生くらいの魔祓い達である。

そういえば、以前一緒に戦った陰陽師の親子の娘さん。来ていないな。

恐らくはまだ力量不足で、ここには来られないという判断か。

まあ、確かに。

ここは最低でも自衛力のある魔祓いでないと、話にもならないだろう。

食後、振り分けが行われる。

それで燐火は日女さんの言ったとおり、高校生達に混じることになった。

魔祓いと言っても単独での自衛力も求められる。

それもあってか、入念に筋肉をほぐすようにと言われた。

言われたとおり、いつものストレッチで体を柔らかくしておく。周りの人たちには、手際が悪い人もいる。

一人、ものすごく華やかな見かけの人がいた。

「ね、目つきの悪い君」

「燐火のことですか」

「わ、目つきが悪いと言うよりも冷凍イカみたいな目だね。 怖がられない?」

「よく言われるのでなれています」

いきなりぐいぐい来るな。

華やかな見かけの人は、ジャージを着ているが、それこそ普通にアイドルグループに混じれそうなくらいルックスが優れている。

ていうか、この声聞いたことがあるな。

どこでだったか。

それで名乗られて、ちょっと驚く。

確か涼子に言われて動画を見た。確か今、生歌配信とかでかなりの人気を出している人だ。

「ええと、一応芸名で名乗るかな。 神楽坂輝だよ。 よろしくね」

「よろしくお願いします。 平坂燐火です」

「さっきの活躍見てたよ。 武道やってるね」

「まあそれなりに」

ストレッチを一緒にやるが。

確か踊ってみた動画とかもやっていて、明らかにダンスをやっている動きをしていただけあって。

かなり体は柔らかい。

この人、本職だ。

ただ、どうしてそれが魔祓いなんてやっているのか。

これは日陰も日陰の仕事なんだが。

それについて、聞かせてくれる。

なんでも魔祓いとしての輝の能力は、声による浄化であるらしいのだ。そこで国でお膳立てして、動画を多数流すことによって、弱めの魔はそれで祓ってしまおう。そういう考えであるらしい。

なるほどと、かなり感心した。

確かにこの人の動画は、日本中で見られている。

それだとあちこちで無作為に聞かれている訳で、そこら中で魔祓いが自動で行われる訳だ。

昔は似たような感じで、テレビアイドルでも同じような魔祓いが混じっていて。

政府が裏から手を回して、テレビ局に仕事をねじ込んで。魔祓いの効果がある歌を広域でばらまいていたらしい。

それで一定の成果は上がっていたのだが。

似たような歌で魔祓いをする人はあまり数が多くないらしく。

更には前に同じようなことをしていた人が、年齢で能力が衰えるタイプの魔祓いだった事もあり。

今回の輝さんは期待されているのだとか。

そしてテレビは既に終わりつつあるメディアであり。

だから動画配信に切り替えていると。

納得がいった。

確かにオートで魔祓いを出来るのであれば、対費用効果としても大きい。

それで倒せないような強めの魔祓いは、本職が現地に出向けば良いだけの話であるので。育成して損はない、というわけだ。

「んー、見たところ自衛力は燐火ちゃんの方が上かな。 午後は厳しそうだし、守ってね」

「はあ、まあ努力はします」

「よろしく」

ストレッチを終えて、それで別れる。他の高校生らしい魔祓いは、燐火をうさんくさそうに見たり、忌々しそうに見ていて。近寄ってくることはなかった。これは連携は期待できないな。

そうケルベロスがぼやいていた。

 

2、魔と妖の道

 

午後、合計六人のグループに入れられた燐火。どうもエヴァンジェリンさんは日女さんと菖蒲さんと同じグループに。カトリイヌさんも、通常より一つ上のグループに入れられたようだ。

これは魔祓いとしての力量からして仕方がないのだろう。

ただエヴァンジェリンさんはどう考えても運動音痴なので、周りが支援しないと危ないが。

燐火はとりあえず、しっかり体をほぐしておいた。

それで、現地に連れて行かれたが。

これはさっきとは大分趣が違うな。

薄暗い森の中だが、道があって、前後に続いている。左右には森があるが、ケルベロスが警告してくる。

「この森には入るなよ」

「うん。 ちょっとまずいね」

森の中には、危険な魔の気配がびりびりとする。

これは今の燐火もできるだけ入りたくない。

監督役の人は、お坊さんだ。

林西さんとは別の人だが、とてもごっつい。また違う明王の加護を得ているらしい。数珠を持った手で祈りのポーズを取りながら、お坊さんはいう。

「この訓練は、雑念を祓う目的で行う。 この道を、とにかく進んでいけ。 二人一組でな」

「……」

「この組み分けに入った以上、ここがどれだけ危険かは分かっているだろう。 ここは南朝と北朝の軍がぶつかり合った古戦場で、今でも恨みを重ねた霊達がさまよっている。 拙僧達が成仏させて回ってはいるが、何しろ長年の悪霊達の跋扈もあって、魔が大量に集まってしまっていてな。 毎年ここで拙僧達は大規模な魔祓いをして、やっとここまで安全にしたのだ」

そうか。

この人は林西さんと同格の監督役とみていい。

この国でも一線級の魔祓いだろう。

それがここまで言うほどだ。

確かにケルベロスが気をつけるように促してくるのも分かる。

「最近では外来種も混じっている。 拙僧がいざというときは対処するが、それでも絶対はない。 ここからは命の危険があり得る。 それを念頭に、指定通りに動くように」

「はい」

「良い返事だ」

返事をしたのは燐火と輝さんだけか。

他の四人は、不満そうな顔である。

どうしてこんなのと一緒なのか。そんな風に顔に書いている。

ともかく、道を行くように。

そう言われたので、素直に従うことにする。

所々に看板があって、矢印が書かれているが。

これすら、魔がおいたものかもしれない。

隣にいる輝さんは、案外平気な顔をしている。これくらいの修羅場は、慣れっこなのかもしれない。

他の四人は、まとまって前を歩いている。

ぶちぶち不満が聞こえる。

「俺たちは実績も上げてるのにな。 あんなガキとアイドルもどきと一緒かよ」

「まったくよねー」

「途中で事故を装って始末する?」

「……おい、今の誰だ」

いきなり物騒なことを言い出したと思ったら、前の集団が不意に戦闘態勢に入る。

側に生首が浮かんでいて、ケタケタと笑っていた。

髪からして、古い時代の結い方だ。

慌てて前の四人が魔祓いに入ろうとするが、首筋を狙って噛みつきに掛かる生首。一瞬早く、燐火が踏み込んで魔法のステッキ(鉄パイプ)で一撃。

地面にたたき落とし、其処を輝さんが、凄まじい声量で歌い始める。

生歌配信とは声量が違うな。

おとうさんも防音室で仕事した後は、常に薬用ののど飴を口に放り込んでいるが。肺とかの鍛え方が違うのだろう。

悲鳴を上げてもがく魔に、慌てた四人のうち一人が、魔祓いを入れる。

その間も、燐火は鉄パイプを振り下ろして、相手の動きを止めていた。

やがて、じゅっと生首が消える。

それで、四人は青ざめていた。

「ひ、飛頭蛮だ……」

「嘘だろ。 いきなり殺しに来やがったぞ……!」

「本当に魔祓い出来ているのかよ」

「急がないともっと襲ってくるのではないですか」

冷静に燐火がいうと、ぞっとした様子で前の四人は燐火を見る。

それで、そそくさと前を歩き始めていた。

今の飛頭蛮……確かろくろ首の事だ。

祓ったのは、多分輝さんだな。

一人混じっていた日本系の魔祓いは大慌てで、対応できていなかった。あの四人だけだったら、お坊さんが介入して、早速研修終わりだったかもしれない。

さて、次だ。

鉄パイプをハンカチで拭って、輝さんと合流する。

そのまま。周囲を警戒しながら歩く。

輝さんはのど飴を放り込んでしばらく舐めていたが、険しい山道でも音を上げてはいなかった。

「さっきの対応、早かったね。 実戦経験もあるんだ」

「はい。 この間何人かで連携して悪神を仕留めました」

「凄いねそれは」

「ただ連携した人たちが凄かっただけですよ」

これは本音だ。

燐火だけだったら、フリッグには絶対に勝てなかっただろう。それが現実というものである。

輝さんと一緒に歩きながら、いくつか話をする。

魔というのは、隙を突いて襲って来るものであるらしい。

心が弱っている人や、或いは油断している人。

それに元々邪悪な人。

最近は駆除が進んでいるが、こういう魔の住処になっている場所はまだまだ幾らでもあって。

そういう場所にアホが入り込むと、あっという間に心に滑り込むのだとか。

だから心霊スポットなどと言われるような場所のうち、本当に危険な場所は政府で封鎖してしまい。

魔祓いが何年も掛けて浄化するのだとか。

「さっき康応さんが言っていたけれど」

お坊さんのことだ。

康応さんの話は本当で、悪霊を祓っても、その悪霊が撒いた負の思念におびき寄せられる魔が本番だとか。

この魔をどうにかしないと、加速度的に魔が増えて。

最終的に魔界になる。

この森は魔界になっている場所だとか。

くわしいですねと聞くと。

ほろ苦そうな顔をされる。

何か昔、あったのかもしれなかった。

無言で歩いていると、不意に声がする。

康応さんのものと似ていた。

「全員止まれ! 修練は中止だ!」

「!」

「危険な魔が出た! すぐに道を戻れ!」

「ど、どうする?」

前の四人が、ひそひそと話し始めるが、燐火は全無視。輝さんも、それについては同じである。

今の声。

あのお坊さん、康応さんじゃない。

追いついたので、そのまま追い越そうとすると。

四人は慌てた。

「ちょ、ちょっと待て!」

「ここがやばいこと、知ってるでしょ! 慎重に動かないと!」

「早く行かないと本当に危ないと思いますよ」

「何でだよ!」

四人組に一人混じっている女性の魔祓いは腰砕け気味だ。

とにかく、こいつらも放ってはおけないか。高校生なのに情けない連中だな。そう思っていたら、後ろからぞわっと猛烈な気配が来た。

「今のは山彦。 後ろにも何かいるみたいだね」

「ひっ!」

「多分振り返ったりすると襲いかかっている魔だよ。 急がないと四人まとめてぱくりって行かれるんじゃないのかな」

涼しい顔で輝さんがいうと、泣きそうになった女子も併せて、四人が慌てて歩き始める。

止まれ止まれと喚いている声。

だんだん康応さんと似てこなくなってきた。

それで、すうと息を吸い込むと、輝さんが一喝。

どんと、周囲が揺れた。

それで、おそらく消し飛んでしまったのだろう。

山彦はたいしたことがない魔だと聞く。そもそもそれほど邪悪な存在でもないという話である。

だとすれば、ちょっと邪悪になった程度で。

後ろから迫ってきている魔と連携して、獲物を仕留めるつもりだったのかもしれない。

さて、問題は後ろにいるやつだが。

完全に無視して歩いている燐火と輝さんに対していらだったのだろう。さっと動く。ケルベロスが、苦笑していた。

「こらえ性がない輩だ。 俺と同じ犬系統とみたが、これは猟犬にはなれぬな」

「犬系統なんだね」

「ああ。 妖怪の勉強はしたな。 思い当たる存在はいるか」

「……特定した」

燐火も今後、ケルベロスの助けを借りられない時が来る事は分かっている。だから、自分で魔祓いの勉強もしている。

おそらく合致するのは。

それが、横から飛びかかってくる。

人間より二回りも大きい犬。

古くには、ニホンオオカミは神格化されることもあり、その性質は様々な妖怪にもされた。

その一つ。

送り狼。

迷子になった人間を案内して里に帰してくれるが、もしも振り返ってきたら即座に襲いかかる。

そういう習性から生じた怪異。

オオカミの習性を良く理解していた昔の人たちだから、そういうことがあることは知っていて。

送り狼が妖怪として成立したのだ。

燐火は即応。

真正面から、鉄パイプで直撃を入れる。

勿論本来の燐火の体格では、これを押し返す事など不可能だ。だが、この鉄パイプは、フリッグを倒したことで、更に聖なる魔法のステッキとしてパワーアップしているのである。

強烈な打撃を受けた送り狼が、吹っ飛んで森の中に。

絶対に追撃は入れない。

「背後を取る絶対の態勢が崩れた! 円陣を作って! どこから来るか分からない!」

「ひっ!」

「な、なんなんだよっ!」

駄目だなこの四人。

高校生の魔祓いというと菖蒲さんと比較してしまうけれど。どうしても見劣りしまくってしまう。

菖蒲さんは単騎で悪神を祓うほどの実力があるようなのに。

この四人は、多分燐火より実力が落ちる。

情けない。

輝さんがリーダーシップを見かねて取るのも、仕方がないことだと感じた。

即座に燐火も円陣に加わり、第二撃を待ち構える。

背後を取って狙いに来る必殺の態勢を崩した送り狼。その時点で、力は半減してしまっている。

それにだ。

輝さんが、凄まじい声量で魔祓いの歌を歌っている。

普段聞くのとは違って、かなり祝詞に近いものだ。

おそらく声自体に魔祓いの性質があって、それに更に祝詞による魔祓いの力を上乗せする。

そうなれば、どうなるか。

たまりかねたらしく、送り狼が襲いかかってくる。

だが、顔面には燐火が入れた一撃の跡が残っている。反応が遅れたもう一人の女性魔祓いの足下に襲いかかるが。

すり足で前に出た燐火が、今度はたたき伏せるように、上からの一撃。

それで地面にぶち込まれる送り狼。

燐火のパワーだけではこうはならない。

多数のダイモーンを打ち倒して、更にフリッグも倒した。それが鉄パイプに、神器としての力を与えてくれている。

「く、くそっ!」

「押さえ込んで!」

それで、やっと四人も動く。

一人がなんだか札みたいなのを大量に展開。それが逃れようとした送り狼に絡みつく。だが、それだけだと簡単に引き剥がされるだろう。

一人が針を投げつけ。

一人が読経を開始。

それで、動きが鈍った送り狼の腹を、燐火がしたから抉り上げる。

上空に浮き上がった送り狼に。

すっと息を吸い込んだ輝さんが、指向させた魔祓いの声をたたき込む。それで、送り狼がぼんと爆ぜ割れていた。

凄いな。

燐火より魔祓いとしては完全に格上だ。

ケルベロスも驚いたようで、褒めている。

「なるほど、これがあちこちで流されれば、魔祓いとして実に有効だろう。 この国の政府は必ずしも有能ではないようだが、こういうところはしっかりしているのだな」

「た、助かった! あ、ありがとうな」

「いえ……」

ようやく前の四人が態度を変えた。

輝さんが、のど飴をまた入れている。やはり相当に厳しいのだろうと思う。

まだ道は長そうだ。

情けない様子でうなだれている四人に、輝さんが咳払いすると。四人はびくりと恐怖で身を震わせていた。

「これから私が指揮を執ります」

「ア、ハイ」

「お願いします」

「皆より燐火ちゃんがよっぽど動けているのを見ていたよね。 小学生だよ相手は。 反省して」

そう言われて、四人がぺしょぺしょになる。

燐火はどう形容して良いのだろうと思ったが。

ともかく、今はこの危険な道を乗り切ることだ。

 

道の真ん中に、何か丸いのがいる。蛇のような体をしているが、明確に中央部分が丸い。

四人組の一人が言った。

「あ、あれは野槌だ……!」

「山奥にしかもういないって話だったのに!」

「山奥だからいるだけでしょ」

呆れ気味に輝さんが突っ込みを入れる。

あれから六回、魔に襲撃された。

一度は脇道に一人が引っ張り込まれかけた。何か伸びてきて、燐火がひょいと回避したら。もう一人に絡みついて、引っ張り込もうとしたので。鉄パイプで絡め取りながら一撃を入れた。

そうしたら、出てきたのは巨大なカエルだった。

どうにか祓ったが、日本系の魔ではなかったらしく。道教系の力を使っていた四人の中の一人が効きづらいお札をわんさか投げて、その間に燐火達が押さえ込んで、やっと倒した。

そんな調子で、燐火はずっと前衛として活躍して。

魔祓いもダイモーンがいないので出来ず。

とにかく歯がゆかった。

ただ。包丁を振りかざして襲いかかってきた山姥の顔面に蹴りをたたき込み。

倒れたところにチョークスリーパーを掛けて包丁を落とさせたのを見て、高校生達は明確に引いていたが。

まあ、どうでもいい。

全員無事で乗り切った。

野槌というのがいるが。

とにかくこれを退ければ、恐らくは最後だ。

「ええと、ツチノコと同一視される存在でしたね」

「それならかわいいんだけれどねー。 あれは見つかるだけで呪われて、転がっているところに当たると即死するっていう面倒な伝承があるの。 つまり立派なたたり神。 ツチノコの正体は今でも謎とされていて、どうして日本中に目撃例があるのかは不思議な話ではあるのだけれども。 あの野槌は、妖怪化した挙げ句、祟るようになった危険存在なんだよ」

「ならば、祓わなければならないですね」

前に出て、青眼に構える。

それを見て、生唾を飲み込む四人に、輝さんが叱咤する。

「小六の子に前衛を任せて、何をやってるの! 少しは気概を見せなさい! 魔祓いとして仕事をしているならなおさらでしょ!」

「わ、分かったよ!」

「声が大きくて怖い……」

情けない声を出す四人組の一人の女性。

今までの様子からして巫女のようだけれど、本当に頼りにならない。これで本職だというのだから、研修があるのも納得だ。

野槌は敵対行動とみたのだろう。

しばらく首を伸ばしてこちらを伺っていたが。

やがて丸くなると、転がってくる。

ケルベロスが警告した。

「先の話が本当だとすると、食い止めれなければ全滅だ。 気合いを入れろ。 余力はあるな」

「分かってる」

すっと集中。

充子や師範と比べれば、ゴミみたいな相手だ。

転がってくる相手は、死の権化。

だが、それでも。師範の凄まじい気迫を思い出せ。師範が真剣を持っていたら。その殺傷力は、今目の前にいる野槌なんて、問題にもならない筈だ。

あのくらいの剣術使いになると、魔にも有効打を入れられる。

そう日女さんから聞いた。

そういう意味では、ずっと格上の相手とやりあってきたのである。今更この程度の相手に臆するものか。

突っ込んで来る野槌。

タイミングを合わせて、燐火は面を入れていた。

 

道を抜けると、不意に空気が穏やかになった。

へとへとのぺしょぺしょになっている四人は、そこで膝から崩れ落ちてしまった。泣いているのもいる。

情けないなと思ったけれど。

燐火も結構疲れた。

輝さんは、名刺をくれる。

「ありがとう燐火ちゃん。 多分燐火ちゃんがいなかったら、私だけではどうにもできなくて、研修でもっとしごかれていたと思う。 何かあるようだったら、いつでも呼んで。 助けになるからね」

「分かりました。 頼りにさせていただきます。 後ファンになりますね」

「ありがとう。 あ、そうだ。 サインもあげるよ。 転売は絶対にしたら駄目だよ」

「絶対にしません」

おとうさんが、自分のグッズを出したとき。転売をする心ない人に怒っていたのを見た事がある。

ほしい人のところに届かない。

それがこんなに悲しいことなのだとは思わなかった。

そう嘆いていた。

それもあって、燐火も転売は絶対にやらないと決めている。あれは立派な犯罪である。

ともかく、色紙にぱぱっと輝さんがサインをくれたので、ありがたく鞄に入れさせて貰う。

ビニールで覆うようにしてくれたので、まあ汚れたりすることもないだろう。

ありがたい話だ。

とりあえず、夕方になって、皆と合流する。

エヴァンジェリンさんが、机で溶けていた。

午後も大変だったんだなと、同情する。体力がないのだったら、なおさら大変だっただろう。

日女さんが余裕で、菖蒲さんと何か雑談をしていたが。

カトリイヌさんは、トイレから戻ってくると、エヴァンジェリンさんの横で机に突っ伏して、微動だにしなくなった。

カトリイヌさんにも相当きつかったようだ。

燐火は日女さんと菖蒲さんに、どういう研修をしたのか話す。日女さんが、去年やったわと、懐かしそうに言う。

「あの研修、イキった半端者に魔の怖さをたたき込むために、出来る奴二人と半端者四人で組むらしくてな。 燐火は出来る方だと見なされたんだな。 今後、もっと大きな仕事が来ると思うぞ」

「そうだったんですね。 ただ、燐火はずっと魔祓いでいられるんでしょうか」

「俺が見たところ、燐火は加齢で魔祓いの力が消えるタイプではないな」

ケルベロスが付け加えてくれる。

だとすれば、何かしら負担が小さな仕事を表向きやりながら、魔祓いとして活躍すると言う手もある。

それとも。

或いはだけれども。公務員になった後。

魔祓いを統括する部署に入るのも良いかもしれない。それには、今から実績を上げておく方が良いだろう。

「燐火ちゃんは良く出来た子だし、今は其処まで考えなくていいと思うわよ」

菖蒲さんは笑顔でそういう。

疲れ果てているエヴァンジェリンさんと同じ研修をしてきたとは思えないくらい元気だが。

まあそれは鍛え方が違うからなのだろう。

それから、林西さんが来て。

夕食の前に色々と話をされる。

それぞれの得点が配られる。燐火も採点を貰ったが、細かいところで何カ所か減点されていた。

まあ燐火も魔祓いとしてはまだ未熟なのだ。

別にここで満点を取れるとは思っていない。

そして、明日の午前中で最後となる。午前中の研修について、説明を受けた。

「明日の午前は、それぞれ単独で、魔祓いをして貰う。 相手はそれぞれに合った実力の魔を用意した。 負けたら死ぬとまでは言わないが、勝てないようならば大きく減点が入る。 今日の研修で、実際の魔が如何に危険かは各自理解したと思う。 普段町中で対処するような雑魚ばかりと接しているとそうとは思えないかもしれないがな。 明日が本番だ。 いつ強力な魔と、この仕事をしていると相対するか分からない。 それを常に肝に銘じておくように」

林西さんの口調は厳しい。

そして、説明が終わると、夕食が運ばれてきた。

とてもおいしかった。

疲れがたまっていたから、だと思う。特にかなり高級な蜂蜜が掛かったアイスが出てきたので、ケルベロスも喜んでいた。

燐火としても、ケルベロスが喜んでくれるのは嬉しい。

それで充分だ。

 

3、影

 

最終日。

燐火が案内されたのは、寺の境内である。

他の皆も、それぞれ別々の場所に案内されたらしい。其処で一対一の魔祓いをして、最終的な採点を行い。

それぞれがアドバイスを受けて、帰路につくということだった。

燐火は昨日はしっかり眠れて、コンディションは問題ない状態だ。

境内で、しばし正座して待つ。

目を閉じて精神集中して、精神を練り上げる。

辺りの雑音を断ち。

危険な気配だけを察知する。

これは五感を研ぐことで出来るようになる。霊的な力云々はあまり関係がなかったりする。

ケルベロスがその辺りの話はしてくれた。

視線を感じるとか気配を感じるというのは、結局五感で察知していることであることがほとんどらしい。

つまり五感の錬磨が十分でないと、どうしてもそういうので誤検知をしてしまうということだ。

あらゆる五感に無駄はない。

だから、燐火はこうして五感をしっかり研いでおく。

やがて、時間が来た。

魔法のステッキ(鉄パイプ)を手に立ち上がる。

ストレッチは充分してある。ベストパフォーマンスで動ける。

境内に人影が現れる。

それは、おそらくだが。

燐火とある程度、似た姿をしていた。

「先に説明をする」

境内に声がする。

監督役の声だろう。燐火は頷いていた。

「ダイモーンとして強力な魔は確保できなかった。 そもそもダイモーンが希少な魔であるのでこれは仕方がない。 そこで、捕獲した弱めのダイモーンを、別の魔で覆った。 それはダイモーンを、物理的に包んだ存在だ。 まずは傷をつけて、それから魔祓いをすれば倒せる」

「ありがとうございます。 そんなに丁寧なアドバイスをいただいて良いんですか」

「構わない。 なぜならその肉は、私の式神が制御をしているからだ」

そうか、今度の監督役は陰陽師か。

いずれにしても、燐火が普通に倒せば良いだけのこと。

すっと青眼に構える。

相手は下段に構えた。

無言で向かい合った後。

音も無く、両者が接近する。

速い。

燐火はがっと、相手の剣を受け止める。なるほど、ここで監督役をする人の式神だ。弱いわけがないか。

そのまま、間合いを計りながら、鋭い一撃を応酬する。

かすめる。

それだけで、肌が裂ける。

別に痛みはどうでもいい。昔受け続けていた痛みに比べたら、こんなものはなんでもない。

ただ記号として処理する。

がっと、面狙いの一撃がぶつかり合う。

影が、にっと笑ったのが分かった。燐火に似た影は、どうやら戦いを楽しんでいるらしい。

ただ邪悪という雰囲気ではない。

ダイモーンを用いてこの形を構成しているとは言え、これそのものは式神であって、どちらかといえば善神の類なのだろう。

すり足で近づくと、三度、連続で面を入れる。

だが、その全てを的確に防いでくる。

火花が散る攻防。

汗が飛び散る。そのまま、燐火は鋭い声とともに、胴を払いに行くが、的確に食い止められる。

距離を取る。

体力的に厳しいか。

だが、相手にも少しずつ傷がついている。

すっと、大上段に構えてくる影。

なるほど、一撃必殺に来たか。大上段は非常にリスキーだが、火力はとてつもない。燐火も慎重に足運びを選びながら、相手との距離を伺う。

大上段に構えた影は、踏み込むと同時に、裂帛の気合いで一撃をたたき込んできた。

速い。

しかも重い。

だが。

師範のに比べれば、まだまだだ。

気合いとともに、はじき返す。手にびりびりと痛みが走る。これは、久々に明日は筋肉痛か。

しかし、それで体勢を崩す影。

踏み込むと同時に、再び面を入れる。これを、相手は防ぎきれなかった。

ガンと、鋼鉄でも叩いたような音がした。

数歩下がる間に、燐火は聖印を切る。

それで、わずかに露出したダイモーンが、はじけ飛んだのが分かった。影が崩れていく。

それまで。

声が掛かり、燐火は礼をして。残心して。正座していた。

手強い相手だった。

影が再び形を為す。

それは、厳つい……大鎧というのだろうか。燐火ではいつの時代のものかは判別できなかったが。

立派な鎧を着た武者だった。

口ひげを蓄えていて、いかにも武士という雰囲気の精悍な人物だった。

「見事。 その年でそこまでやれるのであれば、言うこともなし! わしが生前だったら是非ともと妻にしていたところよ」

「ありがとうございます」

「はっはっは。 まあ、わしも異国の悪霊を核にした状態では本気は出せなかったがな。 励め! そなたは更に先に行けるであろう!」

式神が消える。

嘆息すると、陰陽師の人が境内に来る。今まで見た監督役で一番若く、多分三十路になったかならないかの男性だ。

「まさか勝つとは思わなかったぞ」

「負けさせるつもりだったんですか」

「ちょっとこの研修で加点ばかりだったからな。 だから最後に負けを経験させておきたかったのだが。 まあ、これなら充分だ。 ただ、来年の研修ではもっと厳しくしごかせてもらうぞ」

「お願いします」

燐火としてもためになった。

それから、寺の客間に移る。

既に終わった人もちらほらいる。ただ勝った人ばかりではないようだった。

日女さんも菖蒲さんもいない。

二人とも相当手強いのをあてがわれたとみて良さそうだ。二人とも魔祓いとしては燐火より格上なのだ。

当然の処置だろうと思う。

ともかく、しばらく正座で待っていると。

やがて、採点が終わったらしく、最終的な指導するので来るようにと言われて。それで別室に移る。

そこで林西さんにずらっと細かい項目が並べられた用紙を渡された。これから、マンツーマンで最終評価と言う訳だ。

順番に採点の基準について説明される。

実戦での度胸などは高評価が与えられているが、まだ自分の勘に頼るところが大きく、それは減点されていた。

他にも最後の式神との戦いで、何発かもらった事も減点。

魔の中には、触れた相手に致命的な疾患などを与える存在もいるらしく。魔に触られる事は何があってもならないのだと採点にある。

なるほど。

確かに言われた通りかもしれない。

素直に話を聞く燐火に、林西さんは最後まで丁寧に説明をしてくれた。

その後で言う。

「現時点では出来すぎているほどだが、やはり魔祓いとして本格的な行動を始めたのが小四というのが痛い。 最初からまともな環境にいたのであれば、どれほど伸びたのかが惜しくてならん」

「そうですね。 そればかりはどうしても」

「ただ、短時間でここまで伸びたのは立派だ。 来年もこの研修に来なさい。 その時は更に厳しく鍛えてやろう」

「お願いします」

それで、終わりである。

昼少し前に、全員分が終わった。

研修が終わって、魂が抜けたようになっている人も結構いる。カトリイヌさんは普段の高笑いもなく、げっそりした様子でリムジンに乗り込んでいた。軽く挨拶はしたが、へろへろになっていて、あまりいつもの元気はなかった。

あれは帰りはずっと寝ているだろうな。

そう思って、無言で見送る。

燐火は林西さんの車で、菖蒲さんと日女さんと一緒に戻る。

エヴァンジェリンさんも、別ルートで帰るようだった。

電気は普通にあったし、wifiもあったので、スマホについては問題なく使えたが。メールなどのチェック以外には使わなかった。

軽く確認するが、追加で問題も起きていない。

おかあさんの予定日は再来月だし、多分まだ大丈夫ではあるだろうと思うけれども。一応合宿が終わった連絡をおとうさんに入れておく。

おとうさんも無事に帰っておいでと返してきたが、配信中に返事を受けるわけにはいかないのだろう。

連絡が来たのは、車で山奥を発ってから二時間後だった。

それも仕事だから仕方がない。

燐火は別にそれについては、なんとも思わない。

ただ、神楽坂輝さんにたまたま会って、サインを貰った事は告げておく。

流石におとうさんも驚いていたようだった。

同業者でも、現在屈指のチャンネル登録者数を稼いでいる有名人であるらしいので、それはそうだろう。

何かあったら困るから、その話は外では絶対にしないようにとも言われる。

涼子には話してもいいかなと思ったが、確かにやめた方が良いだろう。

涼子も今、心療内科で治療を受けているそうだし。

余計な負担は掛けたくはなかった。

帰路で、いくつか話をする。

日女さんは、高校に上がってからは、更に魔祓いとしての仕事を本格化させるつもりであるらしい。

菖蒲さんくらいは働きたいと言っていたので。

あらあらと菖蒲さんは上品に笑っていた。

林西さんはガールズトークとやらには興味がないようで、ひたすら安全運転を続けているが。

途中で、不意に空気が変わった。

「おるな」

「高速道路だってのに面倒だな。 林西さん、途中でインターに入った方がいいんじゃないのか」

「その通りだ。 悪いが帰る時間が少し遅れるぞ」

燐火も感じた。

後方から追跡してきている魔の気配。それもこれはダイモーンが混ざっている。結構手強い奴だ。

明らかに殺気をまき散らしながら迫ってきているから、下手をするとたくさん巻き込まれる。

それを避けるためにも、一旦インターに降りて、其処で迎撃するしかないだろう。最悪インターから外れて、人気のない場所に誘い出すしかない。

「気配からしてこれは西洋の悪魔じゃないのか」

「面倒ね」

「全くだ。 とりあえず菖蒲、一神教系の魔祓いに連絡を」

「今やっています」

流石だな。連携が完璧だ。

昨日のあの四人組はなんだったんだと思ってしまう。

とりあえず、インターに降りる。高速道路はちょっと渋滞が始まっていて。はっきりいってこれでは更に帰りが遅れそうだが、それどころではない。

インターに降りて、さっと散開する。

荷物は残していこうかと思ったが、持ち歩いた方が安全だと途中で思い直したので、背負ったままだ。

ついてきている奴が見える。

翼持つ人影。

わかりやすいほどに、西洋の悪魔だ。それが、かなり遠くではあるが。明らかに燐火と目が合っていた。

狙いは燐火か。

しかもダイモーンの気配がある。

そうなると、フリッグのお仲間だろう。

だけれども、気配がずっと小さい。

「あれは名前があるような大悪魔ではないだろうな。 だが油断はするでないぞ」

「全く、フリッグを倒したのに、それより格下を送り込んで来るなんてな」

「日女ちゃん、何かしらの陽動かもしれない。 今、各地に連絡を入れているから、油断はしないで」

「ああ。 菖蒲姉の冷静さが助かる」

燐火も既にインターから飛び出していた。

この辺りは山深く、インターを出ると山の中だ。敵を誘引するには、これ以上もないほど適している。

山の中に走り込むと、悪魔らしいのが速度を上げる。

林西さんもいるし、まあ負けることはないだろうとは思うが。

だが。

反射的に飛び退いていた。

噛みついてきたそれに、下手をすると腕を食いちぎられるところだった。

魔法のステッキ(鉄パイプ)を構える。

追いついてきた日女さんが、ぱんと胸の前で手を合わせて、神おろし開始。相手は、あれはなんだ。

「ギリシャ系の魔祓いとはまた珍しい。 久々に新鮮な人肉にありつけそうで有りがたい話だ」

「けけけ、呼ばれて集まって良かった良かった」

燐火の腕を食いちぎろうとしたのは、長い首を持つ女の魔だ。

それに、左右からぞろぞろと、人間と動物を適当につなぎ合わせたようなのがわらわら現れる。

菖蒲さんがたんと着地した。

辺りは腐葉土なのに、着地は澄んだ音がしたが。何かしらの特殊な体術を使っているのかもしれない。

「西洋系の魔か? どれも雑多な連中のようだが」

「これは妖精ねえ」

菖蒲さんがいう。

妖精、か。

元々西洋における妖精は、日本における妖怪くらい多種多様で、様々なのがいるとは聞いている。

虫の羽のある小さな子供、なんてのはいわゆるフェアリーという存在らしく、別に一般的でもなんでもない。

中には通り魔が元になったレッドキャップという残虐な奴や。

人を容赦なく殺すような妖精もたくさんいるらしい。

それらの多くは雑多な信仰の神々だった者が貶められたり、人々が奔放な想像力から作り出したものらしいが。

見た感じ、こいつらはどれも殺傷力が高い妖精ばかり集められたようである。

既に菖蒲さんは、こういう妖精特攻のエヴァンジェリンさんに声を掛けてくれているようだが。

あの疲れ切った様子で、更に仕事をさせるのはちょっと忍びないな。

それに、である。

本命が降りてきた。

翼持つ人は、全裸であり、男性器をこれ見よがしにぶら下げている。顔は山羊と人間を合わせたようで、角も勿論生やしていた。

「うまそうな雌がいるな。 あれは俺のだ。 他は適当に食い散らかしていいぞ」

「旦那ぁ、それはないっすよ。 あれが一番うまそうじゃないっすか」

「この国にわざわざ呼んでやったんだ。 それくらいは我慢しろ」

「へえーい」

ざっと見たところ、妖精は二十か三十程度か。

まあ、これなら勝てるな。

それに林西さんは、敢えて坂の上で見ている。

これは合宿の最終試験となりそうだ。燐火は鉄パイプを構えると、それを見て妖精達が笑った。

そんな非力な棒で、何が出来る。

そう思っただろう一体の頭を、即座にたたき割る。

勿論殺すことは出来ない。

これは欧州系、それも一神教系かドルイド系の魔祓いでないと倒せないだろう。だから、動けないようにダメージを与えるしか出来ない。

立て続けに、数体を殴り飛ばす。

既に魔法のステッキの破壊力は、合宿で更に強化されていることもある。一撃で燐火より頭二つ大きい妖精が白目をむいたのを見て、妖精達が慌てるが。

其処に躍り込んだ日女さんが、文字通りちぎっては投げ、ちぎっては投げ始める。本当に手足を引きちぎっているので、さっきのふざけた三下言動が本気で頭にきていたらしいのは見て分かる。

手足が千切れ飛ぶ中、舌なめずりした悪魔が、菖蒲さんに向かう。

あれは放っておいても大丈夫だな。

そう判断して、燐火は聖印を切る。

やはり妖精達がダイモーンと混じっている。ダイモーンを浄化すると、それだけ妖精が弱体化する。

既に空気が変わっていた。

なぶり殺しの焼き肉パーティーだと思っていたのに。

逆に殴り殺される虐殺現場に出くわしてしまったと悟った妖精達が、悲鳴を上げて逃げ散ろうとするが。

多分林西さんが張ったのだろう。

見えない壁に阻まれて、べしゃっと潰れていた。

奇声を上げながら飛びかかってきた四腕の妖精を、真正面から叩き潰す。後ろから飛びついてきた奴をかわして、後頭部に魔法のステッキを振り下ろす。頭蓋骨が砕けた手応え。人間だったら仕留められているのだが。妖精はこれでは倒しきれない。

倒し次第、聖印を切ってダイモーンを消し飛ばす。

それで、更に弱体化する。

妖精のリーダーらしいのが、話が違うとか喚いた瞬間、日女さんの飛び膝を顔面に食らって。

更には全身バラバラに引きちぎられて、悲鳴を上げていた。

容赦は微塵もないな。

まあそれはそうだろうなと思う。

牙だらけの顔の妖精が、破れかぶれに襲いかかってくるが、合気でそのまま受け流し。蹴りで宙に浮かせて。そのまま魔法のステッキでホームランする。透明な壁にぶち当たった妖精は、破裂した風船のような音を立てて爆ぜていた。

あれでも死なないのだから面倒だな。

燐火は鉄パイプをふるって、更に聖印を切る。

ダイモーンによる強化実体化を失った妖精達は、体が縮んだり、弱体化したりで、悲鳴を上げていた、

さて、悪魔の方は。

あれは相手が悪い。

菖蒲さんの愛染明王に、餅つきされている。

何がどうしてと顔に書いている悪魔は、愛染明王にバックブリーカーされた挙げ句、地面にたたきつけられ。

更には男性器を睾丸ごと握りつぶされて。悲痛な悲鳴を上げていた。

無言で聖印を切る。

数に頼った相手。

知らない地形。

悪い足場。

それを三人で始末する。

合宿の最終試験としては悪くない。ただ、この程度で終わるか。何かしら仕込んでいるのではあるまいか。

「お、おの、おのれ! こうなったらぁ!」

悪魔が周囲の妖精を吸い込み始める。全部まとめて吸収するつもりか。確かに全部一体化されると面倒だが。

その時、鋭い声が響き渡っていた。

「Amen!」

相手は悪魔だ。

文字通り効果てきめん。

全身が炸裂した悪魔は、悲鳴を上げながら浄化されていく。あまりにも情けない有様に、燐火はちょっとやりすぎかなと思った。

一緒に連れてこられたカス妖精どもも、全部浄化されていく。

視線をずらす。

どうやら、急いで駆けつけてきてくれたカトリイヌさんが、真っ青な顔のまま。胸を張っていた。

「おーっほっほ……ゲホゲホぉ! と、とにかく、ま、間に合ってよ、良かったですわ」

「お嬢様、息を整えなさいませ」

流石に呆れたか、セバスティアンさんがたしなめる。

もう一人の無口な護衛が、とどめの祈りをたたき込む。悪魔も妖精も、それで全部消し飛んでいた。

しかも林西さんの結界がある。

誰も逃げられはしなかった。

 

とりあえず、勝利は勝利。カトリイヌさんが一も二も無く来てくれたのはありがたい話だった。

いや、あれは。ヘリだ。それも自衛隊の。

菖蒲さんが、どうやら魔祓いの国の機関に連絡してくれたらしい。

まあ判断としては悪くないと思う。実際問題、あの妖精達は放っておけば人を大量に食い散らかしていた可能性すらあったのだ。

セバスティアンさんが後始末をする中、前にちらっとみたおじいさんのドルイド系の魔祓いが来た。

そして妖精の魔祓いの後始末をしてくれる。

一神教系だけだと祓いきれないらしい。

まあ、あの程度の妖精では、このおじいさんでも大丈夫だろう。

ただかなり不安そうな顔をしている。

「欧州でもこんなに仕事をしたことはないのう。 とにかく急がしくて、目が回りそうだよ」

「お給金は出ているでしょう」

「出てももうこの年では使い道もない。 娘はフェミニストだのになって絶縁状態だし、妻はとっくに旅だった。 わしは一体なんのためにこの年まで頑張ってきたのだろうな」

そういう話をされると、少し考えてしまう。

海外でもフェミニストだのを拗らせた人々が社会に強烈な実害を出しているのは分かっているが。

このおじいさんも例外ではなかった、ということだ。

ともかく、後始末は任せる。

状況を見ていた林西さんが、レポートは書いてくれると言うことだったので、助かる。それぞれの活躍についても、客観的に説明をしてくれるそうだ。

後は少し時間は取られてしまったが、帰り道でちょっとトラブルがあって遅れると家に連絡は入れておく。

それで、家についたのは、夜七時だった。

予想ではもっと遅れることも想定していたので、これならば充分だろう。

合宿であったのは間違いない。

ただ林西さんが、勉強の強化合宿だと説明していて。燐火もそれにあわせるようにしていたので。

遅れたことに関しては、素直に謝ったが。

ただ、本当のことを言えないのは少し心苦しい。

ともかく、家についてほっとした。

今では、やはりここが燐火の家なのだと思って、少しだけ安心する。

疲れは思ったほどたまっていない。

風呂に入って、それから少しだけ勉強しようかと思ったが、今日は休むようにとケルベロスに言われる。

「勉強は充分すぎるほど進んでいるし、夏休みの宿題だって終わっている。 だったら今日くらいは休め」

「良いのかな」

「構わん。 合宿中にもルーチンにしている鍛錬はこなしていた。 だったらそれで遅れが出ることもない」

「そっか。 分かった、そうするよ」

一応、疲れを取るためのいくつかの食べ物を重点的に食べておく。

魔祓いを連続でやったし。

本物の侍が入っていた式神と、ガチンコで接近戦もこなした。

それを考えると、良くやれた方だと思う。

布団に入ると、後はぐっすり眠れる。

昔の悪夢を思い出すことは、ほとんどなくなってきていた。

 

眠りについた燐火を見て、ケルベロスはため息をつく。

周りの子供らが奇声を上げて走り回っているのに、この子は生き急ぎすぎている。色々あったから仕方がないが。

もう精神的には大人になりかけだ。

これでもケルベロスは長い年月人間を見続けていた。

女の方が速く精神的に大人になる、なんてのは大嘘だ。

どっちもほとんど生涯ガキのままである。

体が成長すれば性欲が追加されるが、その程度の差しかない。

しいていうなら女は地位確認に必死になるし。

男は女あさりに必死になる。

どちらにも明確な欠点があり。そういう意味で人間が考えているような「立派な大人」なんてものはケルベロスもほとんど見たことがない。

冥界の番犬として仕事をしてきたから、冥界に来た人間の経歴も知っている。

聖人として周りから尊敬されていた人間が、実際はただのカスだった事も一度や二度ではないし。

大哲学者と言われていたような人間が。

実際は屁理屈をこねくり回しているだけの例も、嫌になるほど見てきているのだ。

燐火は、どうなのだろう。

大人っぽいというのとは、少し違うだろう。

燐火自身が自覚しているように、この子は壊れている。

心を作り損ねた。

だが、その心が、まっとうな人間に、まっとうに備わっているのか。

それは否だ。

昔から、スクールカーストに近いものはどこにでもあった。

しかし今の時代のスクールカーストの邪悪さはどうだ。

この国に来て、そのおぞましいまでの悪辣さに、ケルベロスはこれを持ち込み定着させた人間は、全部地獄送りで良いだろうとさえ考えている。

燐火のような犠牲者を見ると。

あのようなものはただの権力の担保に過ぎないし。

無法を正当化する悪だとしか断言できない。

無言で、側で寝ている燐火を見ている。この子は、いずれどうなるのだろう。

迷子を……いや、おそらく捕らえられてしまっているあのものを助け出した後。

ケルベロスは帰らなければならない。

ただでさえギリシャの神々は弱体化が著しいのだ。物語と成り果ててしまっているのだから。

ケルベロスが帰った後。

この孤独な子は、やっていけるのだろうか。

友達はいる。

大事にするようには言っている。

だが、燐火はどうしても、その性質が孤独だ。

だが、「社交的」とされる人間が実際にはただイエスマンを侍らせているだけだったり。

自分の感覚的に気が合うと思う者を侍らせているだけだったり。

そういうのを見ていると、どうしても燐火は孤独でも良いのでないかと思うし。

それならば、一人で生き抜く方法をたたき込んでいくので良いのではないかとも思うのだ。

それでも、ケルベロスは心配だ。

今の時代の人間がなくしてしまった心。

そういうものなのかもしれない。

さて、と。

外で伺っている悪魔が一体いる。

今日倒した悪魔といい、かなり数が多いな。

とりあえず、外に出ると、逃げる隙も与えず瞬時にかみつぶす。

そしてカトリイヌのところに飛んでいって、守護天使であるドミニオンに引き渡した。

カトリイヌはふらふらで戻り、ぐっすりのようだが。

ドミニオンは起きていて。ケルベロスが下級の悪魔を咥えてきたのを見て、驚いていた。

「それはどうしたのだ」

「どうやら次の奴は燐火の隙をうかがっているらしい。 俺には無力化までしか出来ない。 そちらで処分しておいてくれ」

「分かった」

「巡回を増やせ。 ちょっとばかり悪魔が多すぎるぞ」

ドミニオンはその通りだと思ったのか、すまないと素直に謝る。

ただ、若者ですら教会に行かなくなったのは一神教も同じだ。

天使も弱体化が避けられないのだろう。

今や誰も天使なんて信じてはいない。

そういう意味では、信仰が人間の文明の発展に寄与したなんて寝言は、大嘘であるとよく分かる。

燐火の元に戻る。

今回の相手は、燐火を狙ってきているだけ、フリッグよりはマシだが。

自分の欲求を満たすことに忠実だったフリッグよりも。

狡猾極まりなく。

より厄介な相手だなと、ケルベロスは思っていた。

 

4、夏休みは終わりて

 

朝からもう暑い中、ルーチンの鍛錬をこなす。

日焼けして仕方がない。

これでも連日ダイモーンを祓いに、燐火は走り回っていたのだから。

ただ、別にそれ自体は問題ではない。

肌を白く保つとか、そういうことに燐火はほとんど興味を持てなかった。身繕いについてはケルベロスの方がうるさいくらいである。

それもあって、燐火は最低限の舐められない身繕いはするが。

それ以上はしないとも決めていた。

黙々と体を動かして、それで宿題のチェックをしておく。

内容のチェックから、成果物まで丁寧にチェックしたあと、間違っていないか見直しておく。

ケルベロスと話し合いながら、漏れがないかを確認。

まあ、問題はないな。

夏休みが終わるまで、一週間を切った。

ずっと遊んでいた子は、これから地獄を見ることになるだろう。

良くしたもので、涼子はもう終わっている。

二度、市原さんの家にお邪魔して。宿題を手伝った。毎年宿題をギリギリで終わらせていたらしいので。

さっさと終わるように手伝いをして。

それで今年は、随分楽になりそうだと言ってはいたが。

一応念のために、もう終わったか声を掛けておく。

まだ少しあると言われたので、出かけることにした。終わらせる方が良いだろう。

燐火は理解したのだが、前倒しで終わらせられるものは、そうしてしまった方がいい。これは精神衛生的な問題でだ。

激甚なストレスにさらされ続けると、人間は簡単に壊れる。

燐火だってそうだ。

だから、他の人間をそんな目に遭わせてはいけない。

燐火はそれを知っている。

ケルベロスもそれは分かっているようなので、燐火がそういう話をすると、その通りだとだけ言う。

ともかく、さっさと市原さんの家に行くが。

途中でまたダイモーンが出る。

まるで燐火を挑発しているようだった。

それほど強くもないダイモーンなので、さっさと着替えて。さっさと聖印を切って消し飛ばす。

カコダイモーンとしてはそれほど成長していなかった。

しかし、だ。

「最初の頃なら十度は聖印を切らなければ倒せなかった相手だ。 今は一度で打ち倒せるな」

「成長したと考えて良いのかな」

「ああ、充分な成長だ」

「良かった」

ケルベロスが褒めてくれれば、それは嬉しい。

とりあえず着替え直して、市原さんの家に行く。

市原さんの家は、ごく普通の家だが。

若干潔癖症気味だなと感じる。

知っている。

親と子供は真逆になる。

潔癖症気味の親がいると、子供は雑な性格になりやすい、

市原さんは頭が悪い訳ではない。むしろ良い方だ。だが、とにかく全体的に散漫な印象がある。特にこの病的な清潔さ、恐らくは母親の方だろう。

そうなると、子供が不衛生なのはなぜか理解できないで。子供に対してつらく当たっているとみて良い。

そして要領よくやっている兄の方だけを溺愛しているようで。

市原さんは、時々それについて寂しいのだとこぼす。

そんな親に対しても、構ってほしいと思うのが、本来のこの年の子供だ。

そう考えると、燐火はちょっと異質なのだと、客観的に思い知らされるのである。

ともかく、一緒に勉強をする。

綺麗に見かけをまとめている母親が、燐火のことはあまり好んでいないのが分かる。一応菓子などは持ち込んでいるが、それを良く思っていないようである。

燐火自身の事が気にくわないのだろう。

市原さんが孤独で惨めでいればいい。

そういう心理が働いているのかもしれない。

勉強の方はそれなりに出来る方だし。

体育についても、訓練メニューをケルベロスと一緒に組んで、実践して見せて。それで少しずつ出来るようになっている。

だが、その努力を認めている様子すらない。

もしも魔祓いの才能がありそうなら勧誘するのだが。

ケルベロスは何も言わない。

ということは、ないのだろう。

だとすると、自立するまで針のむしろか。

どんなに頑張っても、今の時代は高校を出るくらいまでは自立なんて出来ない。今年の残りを考えると、後六年半以上。

市原さんもつらい状態だな。

これでクラスでスクールカーストにより虐げられるのまで加わっていたら。

或いは壊れてしまっていたかもしれない。

夏休みの宿題を、一緒に片付けると、市原さんはやっと終わったと疲れ切った様子でぼやく。

やっぱりまだ残っていた。

「燐火ちゃん、どこの中学にいくんだっけ」

「一応私立のに行く予定です」

「私も其処に行きたいな」

「……」

ちょっと厳しいかもしれない。

成績は充分だが、あの親が金を出すかどうか。

明らかに娘を虐待するのを楽しみ始めているし、不幸であることを喜んでいる節まである。

そういう親は実在している。

燐火もそれは、嫌になるほど知っていた。

それが、どんどん成績を伸ばして、運動も出来るようになってきた。

自分で馬鹿に出来る屑ではなくなりつつある。

その原因が燐火だと気づいているとなれば。

燐火の行っている学校に行くことなんか、同意なんてしないだろう。酷い話ではあるのだが。

ちなみに父親の方はほぼ家庭に無関心らしい。

それなりに給金を稼いでいる人間らしいのだが。燐火のおとうさんとは全く違う。立派さの欠片もない。

母親も父親もそろって屑。

はっきりいって典型的な崩壊家庭だ。

前に市原さんが、父親がどうやら水商売の女に入れ込んでいるらしい節があるとぼやいていたのだが。

それはおそらく勘だけではないだろう。

実際問題、この母親を見ていると、それは納得が出来る。

勿論浮気する方が悪いに決まっているが。

良くしたもので、母親の方も、「知らない男の人」と遊んでいるようだ。

市原さんですらそれを知っている。

この家が破綻するのも、そう遠くはないのかもしれない。

「ありがとう燐火ちゃん。 助かったよ。 中学一緒になると良いんだけどな」

「……そうですね」

ダメ元で、おとうさんとおかあさんに相談してみるか。

これは大人が介入しないと駄目な問題だ。

おかあさんはでも今はちょっと動けない。

早ければ来月には子供が生まれるのだから。

しかしおとうさんも表だっては動けない身だ。さて、どうするか。

何人かの大人に相談してみよう。

そう、燐火は思った。

幸いケルベロスのおかげで、平坂家に引き取られて以降、まともな大人に接することが増えたのだから。

 

(続)