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堕落女神との対決
序、もてあそばれた者達
エヴァンジェリンさんに同行して、その家屋に出向く。顔をしかめたのは、異臭が凄まじいからだ。
奥に転がっているのは、明らかにおかしい様子で痩せこけた女性だ。
少し前まではまともな労働をしていて、かなり稼いでいる人であったらしい。
それが突然会社に来なくなり。
住んでいる家にもいなくなった。
家がもぬけの殻になっているので、会社の人間が慌てて警察に連絡したが、行き先がつかめなかった。
それで声が掛かった魔祓いが調査に出た時に、空き家に何かしらの痕跡を確認。ただそれはその魔祓いの専門ではなかった。
そして日本に来ていたエヴァンジェリンさんにお鉢が回り。
その結果、例の涼子に憑いて悪戯をしていた奴らしいと言うことがわかった。
それで、痕跡を追跡。
発見したのだ。
警察が来て、すぐに調査を開始する。
魔祓いと連携しているのは普通の警察ではなくて公安のなんとかとかいう科らしいのだけれども。
それも表向きには存在していないらしい。
まだまだ魔の存在をおおっぴらにするわけにはいかないとかで。
世界にはこういう公式には存在しない部署が相応にあるそうだ。
ただこういった非公式部署は扱いが難しく。
腐敗の温床になってしまうことも多いので。
どの国も扱いに苦労しているそうだが。
ともかく、燐火も周囲を警戒。
この臭い。
非常に不愉快だ。
ケルベロスが嫌そうに言う。
「これはおそらく違法薬物だな」
「この国でも手に入るのだな」
「ああ」
エヴァンジェリンさんとケルベロスが話す。
燐火はエヴァンジェリンさんと一緒に一旦外に出る。
警察の捜査は極めて厳重で、特に科捜研の調査は徹底している。掃除機まで持ち込んでいるが、これは掃除のためではない。
残留物を探すためだ。
燐火とエヴァンジェリンさんの髪の毛なども提供した。
これは先に家に入ったためである。
更には触った場所などがないかとも徹底的に確認されたので、ちょっとうんざりしたが。そういうのを言っておかないと、後で手間が更に増えるらしい。
だから協力はする。
捜査能力において世界屈指。
この国の警察は、近年ではスキャンダルも多いが。
その点に間違いはないのだから。
場所を移してそういった聴取を受けた後、エヴァンジェリンさんと一緒に見つかった女の人のところに。
点滴を受けていて、意識もない。
体を壊されたのだ。
もう少しエヴァンジェリンさんが来るのが遅れていたら、涼子もこうなっていたのかもしれない。
エヴァンジェリンさんがルーンを切って、それで悪神の端末としての機能を停止させる。
だが、壊れたこの人は元には戻らない。
二度と端末として使えないようにもする。
それら一連の作業が終わると、エヴァンジェリンさんは相当に消耗していた。
燐火はその間、周囲の警戒である。
というのも、この一つ前で。ダイモーンが被害者に憑いていたのだ。
前に複合魔の時も悪神の気配があったが。
これで確定である。
悪神は何かしらの形でダイモーンを利用できる立場にあるし。
なんなら、ケルベロスが探している迷子を、捕らえているのかもしれなかった。
作業が終わったので、ぐったりしたエヴァンジェリンさんと、紅茶を飲む。日本でロイヤルミルクティーが気に入ったらしく(本場のものとは別物らしいが)、それを嬉しそうに飲むエヴァンジェリンさん。
燐火も蜂蜜入りの紅茶をいただく。
ケルベロスがそうするととても嬉しそうなので、それでいい。
しばし疲れをそうやってとると。
咳払いして、エヴァンジェリンさんが言う。
「天才である私が見る限り、これらの端末は二十前後はあるとみた」
「根拠は何かありますか」
「うむ。 ルーンを組み合わせてそれぞれの端末に役割を持たせているのが、今まで助けた被害者から分析できた。 それぞれがパズルのかけらのように端末になっている」
なるほどね。
そうなると、端末を悪神から切り離すことは。
かなり意味があると言うことだ。
「端末にされた被害者は使い潰されていたが、しかし端末を用意するのは悪神にとっても楽ではないようだ。 おそらくこのまま端末を切り離していけば、大幅に弱体化していくとみて良いだろう」
「!」
「つまり仕掛けてくる。 今の時点で、おそらく残り半分を切った」
ここ一月で、エヴァンジェリンさんと連携して、11人の被害者から、悪神の影響を断ち切った。
そのうち半数は廃人同然の有様。
残りは、かろうじて聴取が出来たが。
ネットなどで多幸剤の作り方を調べたり。
薬局などで悪用できる薬を買ってきたりで。
それで、主に性欲を増進させる薬を大量に飲んで、ずっと性欲を解消していたらしい。
被害者は女性ばかりであり、今まで真面目に働いていた人や、一番酷いケースでは涼子と同年代の子もいた。
そういった被害者が性欲に狂って、男と交わりそれでも満足できなくなったら薬で体を壊していく。
許しがたい。
ケルベロスも、それらの話を聞くと流石に怒りをあらわにしていた。
「俺が引き裂いてやる……」
「気持ちはわかるが、天才たる私の分析では、奴は今まで被害者から吸い上げた力で、簡単に祓えないほど強力な悪神になっている。 それにだ」
「まだ何かあるのか」
「おそらくだが、協力者がいる」
なるほどな。
そもそも複合魔なんてものを作り出せるのがおかしいのだ。
今まで一神教の魔。
それに北欧系の魔。
日本系の魔。
それぞれが合成された複合魔が出てきている。それらの文化圏の悪神が、活動しているのだろうか。
エヴァンジェリンさんによると、この間倒した四種混合の複合魔に混じっていた蜘蛛は、恐らくは今端末を切って回っている悪神の手下で間違いないらしい。強力な悪神になると、魔を作り出せるそうだ。
「少なくとも四体の悪神がいるとみていいでしょうか」
「いや、そうともいえない。 まず日本系の魔だが、ムカデだったと聞いている」
「はい。 そうでしたね」
「実は私は天才だから調べてあるのだが、ムカデは日本の魔としては極めて古い存在で、既に対策が確立されているのだ」
ふむ。
それで、エヴァンジェリンさんが話をしてくれる。
俵籐太とも言われる藤原秀郷が退治したオオムカデの逸話を。
これは龍神を苦しめ、山を七巻き半するほどの巨大なムカデの魔であったそうだが。藤原秀郷が唾をつけた矢で撃った瞬間に即死したらしい。
藤原秀郷だけではなく、他にも同様の手段で倒された逸話があるらしく。
酷い場合は漁師にすら倒されているそうだ。
これは古くは唾が魔除けとして考えられていたこともあり。
また南無八幡大菩薩と藤原秀郷が唱えて、その加護を得たからと言う話もあるらしいのだが。
いずれにしてもオオムカデはそれ以降、妖怪としても、魔としても、頂点の座から陥落した。
この国では最も恐れられたのは鬼でもなく強力な妖怪でもない。
怨霊だった。
そういう観点からも、色々珍しいらしいのだが。
エヴァンジェリンさんは、それらよりも。既にオオムカデは過去の存在であり、退治法が確立されて既に魔の世界では下等に成り下がっているという話をしてくれた。
「つまりオオムカデは、その辺りで調達した存在だとみて良いだろう」
「ふむ、続けてくれ」
「続いて一神教の魔だが、これは世界中にいる。 というのも悪魔というのは、今でも大人気のヒールだからだ。 西洋ではまだまだ悪魔に対する恐れが現役でな」
エヴァンジェリンさんの話によると。
それもあって、西欧では悪魔というのは、最大級の罵倒になるという。
日本ではそれほどたいした意味もなく使われているような気がするが、全く違うニュアンスになるそうだ。
「これもどこでも現地調達出来るとみて良いだろうな」
「そうなると、問題になるのは北欧系の魔とダイモーンですね」
「ああ。 協力者は最低でももう一人はいるだろうが……或いは北欧系の悪神が、複数いるのかもしれない。 北欧の魔と言えば巨人だが、どうもそういう雰囲気は感じ取れなかった。 そうなるとケルトの悪神かも」
「……」
ケルトか。
どちらかというとイギリス辺りから中欧辺りまでの雑多な古代信仰のようだけれども。
日本ではアーサー王などが知られている。
いずれにしても荒々しい古代の信仰だ。
それもあって、それらの悪神となってくると、極めて厄介だろう事は燐火にも容易にわかる。
一旦別れる。
最後に被害者の様子を見に行ったが、会社でバリバリに働いていた活力ある人の写真とは比べられないほどやつれていて。
しかも違法薬物にまで手を出していたようだから、仮に回復しても警察で世話になることになるし。
何よりも、今かなり体の状態がよくないらしく、助かるかも五分五分だそうである。
その話を聞くと、燐火は更に怒りが燃え上がるのを感じた。
涼子と同じくらいの子供を。
性欲を弄くって狂うのを見て遊んでいた。
そういうのは、悪神以外の何物でもない。
イシュタルの係累だとしても。
イシュタルが、そんなことは自分はさせないし、してもいないと言い切るほどの醜悪な行動だ。
ともかく、今はエヴァンジェリンさんに任せるしかない。
それに、である。
既に力の供給源が半減しているとなると、悪神は次を狙ってくる筈である。
その時を狙う。
ヘラクレスさんが、既に動いているそうだ。
燐火としても。
最悪の場合に備えて、色々と、できる限りの準備をしておかなければならないだろう。
更に四日後。
また被害者を見つけた。
緊急搬送されるその人は、司法試験に若くして一発で通った俊英だった。それが、ぼろアパートにて、全裸で転がっているのが発見された。
周りには90度以上もあるアルコールの瓶が林立していて。
かなり危険な状態であるらしい。
エヴァンジェリンさんが見つけなければ、多分このまま死んでいたし。
高濃度のアルコールを接種し続けたことで、脳も壊れてしまっているそうだ。
弁護士への復帰は不可能。
そういう話だった。
それに、である。
部屋中に散らばっている性的欲求を満たすための玩具。それが不衛生な液体にどれもまみれているのを見て、燐火は反吐が出るかと思った。
悪神が何をさせてもてあそんだかは一目でわかる。
この弁護士の人は、若くして司法試験に合格してこれからだったのに。
その人生を娯楽で滅茶苦茶にした。
いい弁護士になったかはわからない。
だが、なんとなく燐火にもわかってきている。
この悪神は、おそらく涼子みたいなしっかりした人間を壊して遊ぶことを愉しんでいるのだ。
まさに悪神。
醜悪の極みである。
エヴァンジェリンさんが端末との接続を切った後は、警察とお医者さんの仕事だ。もう燐火に出来ることはない。
ケルベロスが、怒りをそのまま吐き出していた。
「元を絶たねばならん」
「天才たる私が少しずつ追い詰めている。 だから、焦らないでほしい。 相手は悪神としてかなり育っているとみていい。 もしも仕掛けるにしても、総力を挙げて叩くべきだろう」
「ケルベロス、エヴァンジェリンさんの言うとおりだよ」
「……」
内心で語りかけると、ケルベロスは黙る。
ケルベロスは人情家だ。
それがわかってきている。
たまに色々な昔の小説を読むと、それで涙を流しているのを察することがある。
素が優しいから、色々と許せないのだろう。
猛々しい獣であると同時に。
ケルベロスは立派な冥界の守護の存在であるのだ。
「一応、奴の行動パターンは絞れてきた。 一週間以内に、残りの端末全てを切り離して見せる。 問題は、それを奴が阻止に来ることだ」
「新しい端末を見繕うのではなくて?」
「それはおそらくだが、ヘラクレスが監視しているとみて良いだろう。 天才たる私の読みは正しいはずだ!」
ふふんと胸を張るエヴァンジェリンさん。
話し合いを見ていた公安の人が呆れていたが。
燐火もちょっと呆れている。
自己肯定感が異様に高いのは、うらやましいとみるべきなのか。ちょっとなんとも言い様がない。
ともかく、続けて犠牲者を探し出す。
やはりパズルのピースのように、もてあそんだ人間を端末としているようで。それを端末から切り離すことで、悪神をどんどん弱体化……正確には力の供給を断つことが出来る。そうしないといざ悪神との戦闘になった場合、奴は残機を端末の数だけ持っていると同じになるらしい。
それは厄介極まりない。
既にいつ仕掛けてきてもおかしくない。
残り三つか四つ端末がある状態まで追い込めば、恐らくは出てくるだろう。
そういう話だった。
ヘラクレスさんは、悪神が新しい犠牲者を見繕うのを監視してくれているそうだ。
次の端末から、菖蒲さんが一緒に来てくれるらしい。
エヴァンジェリンさんの話によると、菖蒲さんの愛染明王の戦闘能力は、生半可な悪神では勝てないという。
この間の混合魔を押さえ込んでくれていたのも、愛染明王だったからで。
そもそも複合魔を完全に押さえ込むのは極めて難易度が高いらしく、分霊とはいえ愛染明王を使いこなせているという証左だとか。
悪神が出てきたら、まずは愛染明王に抑えて貰い。
その間に、エヴァンジェリンさんが残りの端末化された犠牲者を切り離す。
そういう打ち合わせを済ませておく。
問題は、悪神が複数いる可能性が高いと言うこと。
もしも、今追っている悪神と同等のが二体以上出てきた場合。
菖蒲さんの愛染明王でも、抑えきれないかもしれない。
そういう話だった。
「日女さんやカトリイヌさん達にも声を掛けておきます」
「そうだな。 それが無難であろうよ」
「天才たる私は、あくまで魔祓いに特化していて、対悪神の手札は限られているからな! 護衛は頼むぞ!」
なぜそれを自慢げに言う。
いずれにしても、燐火も役には立てる。
おそらく相手はダイモーンの力を悪用してくるはずだ。
それを排除するのであれば、十分である。
後は陽動も出来る。
この間の複合魔と対戦したとき、日本系のムカデが倒されても複合魔は破綻しなかったが。
ダイモーンが崩壊するのが、結合の解除につながったように思える。
そういう意味では。
ダイモーンが主軸であり。
燐火はそれをたたける切り札になり得ると言うことか。
ともかく、更に残りの悪神の被害者を助けて回る。
翌日以降も、エヴァンジェリンさんのナビで見て回る。
一件では、既に亡くなっていた。
酷い死に様で、最後まで性欲を満たし続けて。最優先でそれをやった結果、干からびてしまったのがわかった。
本当に人間をおもちゃとしか思っていないんだな。
この思想。
いじめを肯定する輩と同じだ。
そう考えて、燐火は反吐が出ると思った。
亡くなった人は、尊厳の全てを食い尽くされて。あまりにも無惨な姿で亡くなっていた。死者の臭いはずっと残ると聞いていたが。
エヴァンジェリンさんも、護衛についてきている菖蒲さんも、顔色一つ変えなかった。
魔祓いで危険なのを相手にすると、人が死ぬのは珍しくない。
そういうことなのかもしれなかった。
また一人、端末から解放する。
鏡を見せると、髪を振り乱したその子は、絶叫していた。
私こんなじゃない。
これだれだ。
そういって、半狂乱になったのを。その日ついてきていた日女さんが即座に締め落として、気絶させていた。
その子はまだ中学だったのに、悪神に憑かれてからいわゆる援助交際まではじめて、稼いだお金を全て覚醒剤につぎ込んでいたらしい。
親が焦燥しきっていて。
救急車で運ばれていく娘を見て、ずっと涙を流していた。
必ずしもまともな親だけではないことは燐火もよく知っているが。
これは少しばかりは許せない。
嘆息すると、次へ。
残り二。
そうエヴァンジェリンさんが言う。
だとすると、もう何時仕掛けてきてもおかしくはないだろう。
ずっとろくでもない悪事を続けてきた悪神との決戦が、近づいていると言えた。
1、悪神の名は
敢えて、山の中を行く。
仕掛けてくるのなら、其処だろうと判断したからだ。
エヴァンジェリンさんはかなりもたもたしていたので。ひょいと日女さんが担いでしまう。
日女さんはたくましくなる一方だ。
ともかく、辺りを確認しながら進む。
今回はカトリイヌさんも菖蒲さんも来てくれている状態で、総力戦が出来る態勢を整えている。
一応、最悪の場合は林西さんらがバックアップに出てきてくれる約束だが。
それはそれとして、現れたようだった。
巨人だ。
呻きながら、こちらに来る。
それは極めて凶暴な顔をしていて、口の中は乱ぐい歯だらけだった。
エヴァンジェリンさんを下ろす日女さんが言う。
「何度か俺がやりあった鬼のどれよりも危険な気配だな」
「あれはグレンデルだ」
「グレンデル……」
エヴァンジェリンさんが解説してくれる。
英国の英雄ベオウルフの伝承に出てくる悪しき巨人で、一神教の聖典に登場するカインの子孫という説もあると言う。
騎士達の抵抗をものともせず人間を食らい悪事を為す凶悪な巨人で、しかもグレンデルの母はその比ではない強さであるとか。
だがグレンデル親子はそのベオウルフに首をはねられ。倒されることとなる。
しかしながら凶悪極まりない伝承から未だに有名な怪物として残り続けていると言うことだ。
雄叫びを上げるグレンデル。
だが、気配はケルベロスより小さい。
日女さんが視線を送ってくる。
警戒を続けろ。
そういう意味だ。
燐火も頷くと、即座に壁を展開するカトリイヌさんの後ろに。
セバスティアンさん達も、壁を展開。グレンデルを囲む。
見るとそれほど実体化は出来ていないらしい。
名前は知られていても、具体的なエピソードは知られていない。そういう怪物は、どうしてもああいう曖昧な姿で実体化してしまう。
そうエヴァンジェリンさんが言う。
いずれにしても、魔祓いのためにルーンを切り始めるエヴァンジェリンさん。
巨人グレンデルが光の壁につかみかかるが、凄まじい雷光が走る。
カインの子孫という伝承があるなら。
一神教の天使は、決して相性が悪いわけではないのか。
はじかれて、唸るグレンデル。
だがダメージになっている様子はない。
燐火は警戒を続ける。
その時、反射的に飛び退いていた。
炎が辺りをなぎ払う。
腐葉土がぼっと燃え上がり。
燐火が着地して見たのは、以前図鑑で見たヒグマよりも更に巨大な巨体だった。
あれは、ドラゴンか。
「ファーフニールだ」
「それはどういうドラゴンですか」
「こちらはジークフリートの伝承に出てくるドラゴンだな。 元は人間だったという話もある。 ジークフリートは此奴を倒すとき、その血を浴びて、ほとんど無敵になったという伝承がある」
「……」
伝承通りで出現したのなら、大変な強敵なのだろうが。
見た感じ、ドラゴン以上でも以下でもない。
翼が生えている訳でもないし、空も飛べそうにない。
そもそも昔の絵に出てくるようなドラゴンは、騎士が充分に対応できそうなサイズであり。
騎乗した状態で、見下ろせる程度のサイズしかなかったりする。
これはドラゴンという存在が、蛇の神の系譜としてどんどん貶められていった結果であって。
いにしえの強大な伝承から、人間がどうにでも出来る程度の相手に落ち着いていった過程なのだろう。
更に、姿を見せる存在。
こいつが本命だな。
それは人型だったが、やがて豊満な肉体を持つ女へと変じていった。
悪神だ。
気配でわかった。
涼子に悪戯をしていたのは、間違いなく此奴だ。
殺意のボルテージが上がる中。
もう慈悲とか愛とかは全て失ってしまったそれは。歪みきった笑顔を、燐火に向けてくる。
「たかが番犬のそのまた犬風情が、随分と私の愉しみを邪魔してくれたな」
「涼子ちゃんに……他にもたくさんの人に悪さをしていたのは貴方ですね」
既にカトリイヌさんが連絡を入れている。
残りの端末の位置はわかっている。
此奴が釣れ次第、この間の頼りないおじいさん達も含めて、日本に来ているドルイド系魔祓いが対処する。
対処できるように、道具が渡されている。
いずれもが、エヴァンジェリンさんが作ったものだ。
即座に飛びかかって頭をたたき割りたい気持ちを抑える。まずは、正体を探るところからである。
「貴方の名前は。 私は平坂燐火といいます」
「ほう、名乗りか。 この国の古い戦闘文化であったな。 面白い、郷に入っては郷に従うの精神で応じてやろう。 我が名はフリッグ」
「!」
オーディンの妻か。
しかしだとすると、オーディンの妻はオーディンと袂を別ったというのか。
フリッグはフレイヤの係累だ。
性欲を神聖視する豊穣神信仰の流れをくむもの。
おそらく嘘はついていない。
神が人間……格下と見なしている相手に嘘をつくというのは、それだけ致命的なことである。
それは既に、色々な人から聞いた。
相手を嘘をつかないと対応できない相手と認めるようなものだからだ。
これに対して、存在そのものが闇である魔は、嘘を平気でつくらしい。これは嘘が彼らと親和性がとても高いから、だそうだ。
「旦那さんとは別行動ですか」
「あんな宿六は知らぬわ。 一神教に破れ、物語に墜ちた後も未練たらしくまだ己の王国を作ろうともくろんでいる。 力など残っておらず、この国で人気があるというそれだけを頼りにな。 何がアスガルドの王か。 今のオーディンなど、ただの哀れな負け犬にすぎぬ。 そのような者に、もはや魅力など感じぬわ」
「そうですか」
男として魅力を感じない。
だから別れた、か。
馬鹿馬鹿しい。
こういうのは、アホみたいな理屈で男を選べると思っているフェミニストだかと同類だ。
今この瞬間、燐火は何かどうしようもない理屈で動いているのかもしれないという考えを全て捨てた。
此奴は。
ただのゴミだ。
とりあえず、やることは決まっている
事前に既に打ち合わせは済んでいるのだ。
フリッグに対しては、燐火が時間稼ぎをする。その間に、作戦を進める。
それだけである。
魔法のステッキ(鉄パイプ)を構えると、フリッグはふっと笑う。それで何が出来るというのか、という表情だ。
「私は戦士の文化であがめられた神だ。 おまえが素人以下の実力しか持たないことなど、一目でわか……」
「かっ!」
踏み込むと同時に、長広舌を振るっているフリッグの面に、鉄パイプをたたき込む。
効かないことは分かっている。
今やったのは。
此奴に、今と昔は時代が違うと言うのを示す事だ。
確かにフリッグは、凶猛な北欧の戦士達が作り上げた神話の女神だ。フレイヤの系統であるのなら、それは当然戦神としての要素も残っているだろう。
恵まれた体格を持つ戦士達の世界。
最近では北欧では女性も戦士として活動していたことが分かっている。それもかなり地位が高い戦士の女性もいたらしい。
民族全てが戦士。
それがノルマンだったのだ。
だがそんなノルマンの民も、今では福祉を売りにして国家を飾って見せ。それも実態は上辺だけだったり。
ロシアの影に怯えて、欧州の国々と連携して必死に身を守っている有様だ。
昔は最強だったかもしれない。
筋肉の塊みたいな戦士達にあがめられていて、強かったかもしれない。
だが、今は、ただの物語の女神。
更にである。
欧州では武術なんてものは、今ではマニアしかやっていない。
剣もフェンシングが主流であるように。
銃やボウガンが作り出されてから、個の戦士の価値は落ちた。武勇というものの価値が下がった。
その結果、廃れたものは見向きもされなくなった。
勿論今でも必死に伝統を継いでいる者達はいる。
だが、剣道や、その前身となった様々な流派の剣術のように。
長い間磨き抜かれてきたものとでは、どうしても差が出てきてしまうものなのである。
面を入れられたフリッグは、飛び退いて。
困惑し。
そして、みるみる怒りに顔を紅潮させていった。
どんと、凄まじい音がする。
キレたな。
全身から凄まじい悪運を噴き出している。
それでいい。
燐火は、すっと青眼に鉄パイプを構えたまま、静かに言う。
「一神教が北欧の神々を事実上滅ぼしたとき。 貴方は確かに神々の女王と言える存在だったのでしょうね。 ですが今の貴方は、悪魔より下劣で、どんな悪人と並べても恥ずかしい、ただの屑です」
「き、き、貴様、わ、私の顔に……!」
「掛かってきなさい屑」
「お、おのれええええっ!」
涼子にしていた悪戯を断ち切られた後の行動で、こいつが沸点が低いことは分かっていた。
後は、必死にいなすだけでいい。
グレンデルとファフニールは皆がいなしてくれる。
ケルベロスが、静かに言った。
「相手は衰えたりとは言え油断できる相手ではない。 俺が幸運で支援するが、最後にものをいうのは技だ。 蓄えた技をたたき込んでやれ」
「うん!」
フリッグが手にしたのは、何かの剣だ。
両刃で、とても巨大だ。
これでかち割ってやろうというのだろう。
結構結構。
重量武器と言うのは、初速が遅いが、速度が載ると凄まじい。破壊力も重さに比例して跳ね上がる。
だが、二メートル以上あるトゥーハンデッドソードはほとんど実戦では使い物にならなかったという話もある。
あれも、見かけ倒しだ。
燐火は前に出る。
突きかかってくるフリッグの一撃を回避する。やはり物理干渉力を持っているな。だったら。
そのまま前に出て、刈り取りに掛かってくる一撃を跳躍して回避。
腐っても戦士達の女神。
だが、そのまま飛び膝をたたき込み。
顔をゆがめながら振り払おうとするフリッグに対して、着地。剣を凄まじい勢いで振り回してくるフリッグだが。
遅い。
充子の剣筋と比べたら、まるで素人だ。
何度もはじく。
既に多数のダイモーンを屠っている鉄パイプは、淡く光を帯びていて、それで充分にフリッグが持っている剣に対応できる。
火花が散る中、フリッグはこっちに完全集中している。
逆に燐火は、周囲に注意を払う余裕があった。
カトリイヌさんが連絡を受けているのを横目で見る。
暴れ狂っているグレンデルは菖蒲さんの愛染明王が押さえ込み、炎を吐き散らしているファーフニールは、日女さんが神おろしで袋だたきにしている。
だが、それでも倒れる様子がない。
分かっている。
あれらはこの国の魔じゃない。
多分複合魔だ。
まだ仕掛けるな。
そうエヴァンジェリンさんが、先に打ち合わせで言った。
手抜きできる相手ではないが、まだ魔祓いをしていい段階ではない。
「こ、このガキっ! このガキが! ケルベロスが力を貸し与えているとはいえ、この私と! 渡り合うというのか!」
「何か勘違いしているようですね屑」
「ふ、ふざけ……」
「燐火が知っている本物の達人だったら、貴方なんか既に五十回は斬られていますよ」
驚愕して動きを止めるフリッグの懐に入ると、合気で肝臓に一撃入れる。
下がったフリッグに、下段から近づいて、多段蹴りをたたき込む。
吹っ飛んで転がるフリッグだが。
燐火が跳躍してから首を折りに蹴りをたたき込んだのを、必死に回避する。実体化している以上、ダメージにはなるらしい。
勿論決定打にはならないのだろうが。
「ありえん! こんな平和ボケした国で、おまえ以上の達人がいるだと!」
「その人はおそらく貴方が知っている全盛期のノルマンの民相手でも全く苦労せず勝つでしょうね。 気迫は虎のごとしという奴で、燐火では何やっても勝てませんよ。 世界はどれだけでも広い。 海を渡りあちこちで海賊をしていたノルマンの民はそれを知っていたはずです。 それを忘れた貴方に、勝ち目なんてありません屑」
「屑屑と、おのれ……!」
よし。
更に挑発して、気を燐火に向けさせる。
今、ヘラクレスさんも動いてくれている
此奴はヘラクレスさんが出てきたら即時撤退を選ぶだろうから、この場には来て貰っていないのだが。
全て作戦通り。
程なくして、カトリイヌさんが叫んでいた。
「端末、全て排除完了ですわ!」
「よし! 大地の神ハッグよ、我に力を! この悪に落ち果てし不埒なる元神に、引導を渡す!」
たんと、鋭い音が響いた。
カトリイヌさんが地面に手を突いて、大きめの魔祓いの術を発動したのだ。
凄まじい悲鳴を上げるフリッグ。
根が、たたれた。
これで逃げることも、力の供給を得ることも出来ない。
ここからだ。
燐火は動揺しているフリッグに、渾身の正拳をたたき込む。
まだ此奴は全力を出し切っていないが、出す前に可能な限り頭に血を上らせて、冷静な判断力を奪う。
ふっとんだフリッグが、藪の中に突っ込む。
その間に、全員が攻勢に出ていた。
エヴァンジェリンさんがルーンをたたき込み、悲鳴を上げるグレンデル。カトリイヌさんが、祈りの言葉をたたき込む。
「Amen!」
ドミニオンの光を得て、もがき苦しむグレンデル。燐火も聖印を切る。それでグレンデルは、木っ端微塵に爆散していた。
やはり悪魔の力と、ダイモーンの力が混ざっていたのだ。
そのまま、次に仕掛ける。
ふるぼっこにたたきのめされていたファーフニールだが、動きが鈍ってはいるが、それでも日女さん相手にかなり戦えている。
炎を吐き、尻尾をたたきつけ、前足の鋭い爪を振り下ろす。
翼がないから立体的な動きは出来ないが、でかくて堅くて火を吐くだけでも、充分に強いのだ。
だが、ぱんと胸の前で手を合わせた日女さんが、ギアを一つあげる。
燐火も、まだフリッグが立ち上がってこないのを見て、そっちに。
聖印を切る。
エヴァンジェリンさんも、ルーンを。更にカトリイヌさん達も、また浄化の祈りをたたき込んでいた。
ファーフニールが崩れていく。
確か一神教はドラゴン退治の逸話がたくさんあるはず。
それもあって、対ドラゴンの魔祓い効果は大きいのだろう。相手が悪竜限定ではあるだろうが。
ファーフニールが崩れた。
皆がフリッグを囲む。
しかし分かっているはずだ。
フリッグといえばオーディンの妻である。
極限まで堕落して悪神と成り果てたとはいえ、こんな程度でどうにかなるような相手ではないだろう。
凄まじい力が吹き上がる。
どうやらキレたらしい。
藪を吹っ飛ばして、それが姿を見せる。既に物理的な衝撃を与えられるくらい、力が強くなっていると言うことだ。
自衛隊が既に展開して、避難誘導を開始してくれている。
暴走した悪神……日本では荒神というらしいが。
それになったと見て良いだろう。
「おのれおのれおのれ……いちいちかんに障る者どもだ……! あの現実が見えていない宿六といい、英雄気取りのトールといい、ただの悪戯の神に落ち果てたロキといい! どいつもこいつも、こんな連中に好き勝手に弄くられて! 結局神としての矜持を失った! フレイヤに至っては、もはやただの淫売でしかない! 私が! この私が! 神々の復権を為さねばならん!」
お怒りはごもっとも。
燐火は心中でつぶやく。
ケルベロスも似たような愚痴をつぶやいていたことがある。
すっかり物語の存在と成り果てたゼウスは、ただのスケベ爺と成り果てた。それはユーモラスであるかもしれないが、同時に神としての尊厳を全て失った姿でもあるのだと、ケルベロスは何度もぼやいていた。
ギリシャの神々は皆そういう末路をたどった。
ローマで名前を変えて信仰されて。
それで物語として残らなければ。
今ではすっかり、辺境の邪教として一神教に過去の存在とされていたかもしれない。南アメリカの神々がそうされてしまったように。
だが、物語の存在となることで。
ほとんどの神々は道化と成り果て。
それで神々の尊厳を失ってしまった。
それでもなんとか取り戻そうとあがいていたものもいたが。
長い年月の果てに、その存在は結局のところ道化である事を受け入れてしまった。
ゼウスは今では名前は知られているが。
信仰する人間など誰もいない。
そういうことだ。
ケルベロスに至っては、歪んだ形で一神教に解釈されたあげく、地獄の番犬にされてしまった。
だから地獄の番犬と言われるとキレる。
その怒りも悲しみも、燐火は側にいるからよく分かっている。
だが。
それでもなお、今フリッグがやっていることは、許される事ではないのだ。
ずるり。
そう、何かが這いずる音がした。
そして、姿を見せたのは、巨大な蛇の一部に、フリッグだった存在がこびりついている……それもバラバラになりながら、という異形だった。
歪んだ形での永劫輪廻。
豊穣の形。
それがこういう存在になり果てるというのか。
それはまた、狂っている。
そして許せない。許せないし、終わらせてやらなければならないだろう。
大きさは近年発見された史上最大の蛇であるヴァースキにも匹敵するか、それ以上とみていい。
ただの蛇ではなく、美しかった女性……それも全裸……の体の一部が、あちこちに蛇体に張り付いている。
そういう異形だ。
おそらくこれを見て、美しいと思える人はいないだろう。
しかも美の基準は今と昔で違う。フリッグの姿は、現在基準の美しいものだった。
ケルベロスに壁画などをネットで探して見るように言われて見たが。
ビーナス像やアフロディーテ像は、現在の基準で美しいとはとても言えないものだった。
現在基準で美しくなってくるのは、ローマ時代、それからずっと時代を下ってルネサンス期くらいからで。
古代の美の基準は、現在とは違った。
そしてそれは日本でも同じだ。
つまりあのフリッグの姿は、お察しと言うことである。
ふうと燐火はため息をつく。
歪んだ思想の先。思考の果て。その挙げ句に醜く成り果てる。
それはどうも人間も神も同じであるらしい。
いや、神なんて人間が作り出した神話に依存する。
ならば、なおさらなのだろう。
「何が魔祓いだ! 貴様等全員、食らってやる!」
「総力戦用意」
菖蒲さんが声を掛ける。
同時に、皆が一斉に空気が変わった。
ここにいるのは、皆歴戦の魔祓いだ。
いや、歴戦とはいかないにしても、それぞれが実戦経験を積んでいる魔祓いなのである。
特に穏やかそうなお嬢様であった菖蒲さんは、完全に正体を現したというか。根本的に雰囲気が変わっていた。
いつもの穏やかそうなお嬢様はどこかに行ってしまい。
鋭い目で蛇体の悪神をにらむ、戦士となっていた。
「ゆくぞ! 貴様等全てくらい果たしたあと、この国を私たちで新たな王道楽土の足がかりとしてやる!」
フリッグが吠え猛る。
もはや其処には。
豊穣の神だった存在の名残はなかった。
2、悪神退治
蛇は瞬発力に優れるが、持久力には劣る。
これは蛇の尾を持つケルベロスに聞かされたことだ。そういえばケルベロスだけではなくて、市原さんからも聞いた。
これは蛇の生物としての戦略に起因するらしい。
元々蛇は変温動物であり、十分な熱を取り込まないと動くのが難しいという問題がある。これは持久戦には不利だ。
常に熱が確保できる訳ではないのだから。
そこで蛇は、種としては、待ち伏せや、サイレントキリングを狙う生物に環境適応していった。
進化と聞いたら、市原さんは違うと言った。
厳密に人間が考えているような、より強くなるような種の変化なんてものは存在しないのだという。
実際にはその環境に生物は適応していく。
孤島などで飛ぶことが出来ない鳥がしばしば登場するのは、それは生物としての堕落ではない。
飛ぶという行為は、鳥としては体のほとんどをそれに適応させなければならないほど高いリスクを背負っているらしく。
もしも飛ばなくていい環境があるのだったら、飛ばない方向に適応するだけなのだという。
そうして飛ばない鳥は出現する。
それは外来種から見れば弱者なのかもしれないが。
その鳥がいる環境では、むしろ飛ぶというリスクをなくしたことで、存分に繁栄できる戦略なのだという。
蛇の先祖も、そうやって短期戦とサイレントキリングに特化した戦略を選択した。
そういうことであるらしかった。
巨大な口を開くフリッグ。
その口の中に多数の眼球が存在していて、それでうっとカトリイヌさんが呻く。
真っ先に仕掛けたのは、日女さんだ。
左右に残像が出来るほどの速度でステップを踏みながら、間合いを詰めると。神おろしで強化されている拳をラッシュでたたき込む。
がっと、体を揺らして。
それを最小限に防ごうとするフリッグ。
だが、側面に回り込んでいた菖蒲さんが、愛染明王で押さえ込みに掛かり。
更にはカトリイヌさん達が、天使を総動員して壁を作る。
押さえ込まれるフリッグだが。
即座に、その全てを弾き飛ばしていた。
ごうと、凄まじい悪運が吹き付けてくる。
「たぎる! たぎるぞ! 人間どもがフレイヤから派生させ、女神などと言う存在に押し込めた事によって封じ込まれていた力! 原初の神格となることで、こうもたぎるのか! 最初からこうしておけばよかったわ! あの宿六に愛想を尽かしてからも、人型などを保っていたのが馬鹿馬鹿しく思えてくる!」
「ただハイになっているだけだ。 冷静に動け」
「うん」
燐火はフリッグの右後ろに回り込む。
フリッグはそちらに視線を向けて追ってくるが、其処にルーンがたたき込まれた。
今のを木を盾にしてやり過ごしたエヴァンジェリンさんが、必殺の気合いで放ったのである。
フリッグはうるさそうに、丸太みたいな尻尾でルーンをはじき返す。
それでいい。
燐火は走りながら、フリッグの視線を誘導する。
勿論フリッグの蛇体の全身についている体のパーツも侮らない方が良いだろう。あっちにある顔も、視界を有しているかもしれない。
かっと、丸呑みに掛かってくるフリッグ。
それはそうだろう。
燐火に散々煮え湯を飲まされたのだ。
頭にきていない筈がない。
だが、燐火はその一撃を、全力で集中して、飛び退いて交わす。
蛇の攻撃は、そう長くは続けられない。
完全にハイになっているフリッグに、それを気づかせてはならない。
「ハッ! さっきまで私に吐いていた暴言はどこへやった! 所詮は巨大な神の畏怖に打たれて逃げ回るだけの小娘ではないか!」
「畏怖? それは違いますね」
「何だと」
「貴方は神としての尊厳も矜恃も捨て去った。 今の貴方に燐火が感じているのは、ただの侮蔑です。 貴方が宿六と呼んでいるオーディンでさえ、今の貴方よりはマシでしょうね」
ぶちりと音がした。
本当に血管が切れた。
フリッグの蛇体にくっついている、元の頭の一部から、出血している。
おそらくあっちは構造がもろくなっている。
それで、血管が切れたのだ。
木を蹴って飛ぶ。
木にフリッグが噛みついたのは、コンマ一秒前だ。
一瞬の差。
木をかみ砕きながら、尻尾をたたき込んでくるフリッグ。
菖蒲さんが割って入ると、愛染明王がその尻尾をつかんだ。そして、ガツンと凄まじい音を立てながら、防ぎきる。
ウィンクする菖蒲さん。
まだそんな余裕があるのがすごい。
ただ、汗をだらだら流しているのは、消耗が凄まじいからだろう。
フリッグが正確に、また後ろに回り込む動きをする燐火を視線で追ってくるが。
その蛇の頭部に、日女さんが上から肘を打ち下ろしていた。
巨大な蛇体が、地面にたたきつけられる。
衝撃波が生じていたように見えたが、凄まじい。
だが、日女さんも消耗が激しい。
即座に離れる。
フリッグが、腐葉土を吹っ飛ばしながら、上空に跳ね上がる。
そして、襲いかかってくる。
殺す殺す殺す。
そう喚いている。
完全に我を失っているが、はっきり言ってどうでもいい。怖いとなど、微塵も感じない。
燐火の感覚が麻痺しているのではない。
こいつは人間が作り出した都合が良い思想の果てに。
こうも歪み果ててしまった哀れ極まりない悪神。
更にそれが誇りも矜恃も捨て。
信仰を捨てた人間への憎悪をたぎらせた挙げ句、凶行の限りを尽くした唾棄すべきカス。
そんなものに。
感じる恐怖など、微塵もない。
またルーンがたたき込まれる。
距離をとったエヴァンジェリンさんが、連続してルーンを打ち込んだのだ。それらをうるさそうにはじき返そうとして。
フリッグが、不可解そうに首をかしげた。
ルーンははじき返した。
だが、確実に動きが鈍り始めている。
その隙に、燐火が間合いを詰めて。
蛇体についているフリッグの人間の顔の一部に、思い切り魔法のステッキ(鉄パイプ)をたたき込んでいた。
気合いは全力で投入した。
顔が、砕けた。
元々柔らかくなっているのだ。それで、おそらく激痛が走ったのだろう。凄まじい悲鳴を上げながら、フリッグがのたうち回る。
燐火はそのまま態勢を低くすると、それに巻き込まれないように飛び退く。
立ち上がったカトリイヌさんが、ドミニオンに指示して、壁をまた展開。うるさいと喚きながら、フリッグは壁をたたき割った。
頭にどんどん血を上らせろ。
日女さんと連携して、上から仕掛ける。
こっちを見るフリッグの横っ腹。
人間の形だった時の足がある辺りに、日女さんが思い切り蹴りをたたき込んでいた
体を突き抜けて、衝撃波が出る。
フリッグが、燐火を丸呑みにしようとしていた口を思わず閉じ。
燐火は、その口を蹴りながら、とんぼを切りつつフリッグの体。蛇体に憑いている、人間の形だった時の腕に、渾身の一撃を入れていた。
「お、おのれおのれっ! ふ、不敬であるぞ! 神々の女王に向かって!」
「それを捨てたはずなのに、何を言っているんですか」
「その通りだ。 今のおまえは神々の女王なんかじゃあない。 全ての神としてのあり方を捨てた、獣以下だ」
日女さんが冷静に指摘すると。
半狂乱になったフリッグは、真上から燐火を丸呑みにしようと大きく体をしならせる。
だが。其処にセバスティアンさんともう一人のカトリイヌさんの護衛が立ちはだかり、ソロネ二体ぶんの壁を張る。
がんと、巨大な蛇体が跳ね返されていた。
「もはやお嬢様とは呼べませんな。 貴方は醜い化け物です」
「同感」
セバスティアンさんに、もう一人の護衛が言う。
てか、あの人しゃべれたのか。
初めて声を聞いた。
さっと散開して、三人ともその猛攻から逃れる。
フリッグは尻尾を唸らせながら振るう。
だが、それを菖蒲さんの愛染明王が、完全に受け止めて。フリッグが何っと叫んでいた。更に、菖蒲さんが読経をする。
全身から、凄まじい力がほとばしっているのが分かる。
愛染明王の全身の筋肉が膨れ上がると、ついにフリッグを振り回して、そして投げ飛ばしていた。
地面にたたきつけられたフリッグが、哀れっぽい悲鳴を上げるが。
今更それで同情を誘えると思うか。
着地した日女さんが、燐火と並んで走る。
「ここからは、魔祓いだ」
「はい」
よし。
思考を切り替える。
フリッグが飛び起きて、襲いかかろうとするが、愛染明王に引っ張られ。更に地面にたたき込まれる。
もはや女神とは思えない悲鳴を上げながら、それでも愛染明王に巻き付こうとするフリッグだが。
それがとても最初に比べて弱々しいのを。
燐火は見逃さない。
やはりだ。
蛇の神としての形になった以上。
どうしても蛇の特性に引っ張られる。
これがドラゴンだったら話は違ったかもしれない。
だが、古い時代の人は、生物学なんてものは分かっていなくて、蛇が脱皮を繰り返してなんぼでも生きるなんて思い込んでいたとしても。それはそれとして、蛇の習性をよく見て知っていた。
だとすれば、その性質は現実の蛇にリンクする。
フリッグは豊穣神系統の神だから、蛇の姿にリンクすれば、どうしてもその影響を強く受ける。
そして本人が、それを自覚できていない。
敗因は、其処にある。
皆が全力で魔祓いの印を切り始める。
それを見て、フリッグが、必死に愛染明王の腕から逃れようとしながら喚く。
「な、なぜだ! 私は己の全てを力に変えた! それでなおも及ばないというのか!」
「その力の源泉はもはや信仰にあらず! 貴様がもてあそんだ人々の悲しみと苦しみであろうが!」
凄まじい一喝。
一喝を放ったのは、日女さんだ。
圧倒的な一喝に、フリッグがひっと明らかな悲鳴を上げていた。
菖蒲さんが、愛染明王をせかして、フリッグの頭を押さえ込む。
やはり持久力に欠けるフリッグは、それでもう動けず。哀れっぽく悲鳴を上げながら、もがくばかりだった。
聖印をたたき込む。
効く。
やはりダイモーンを取り込んでいるんだ。
ルーン文字。
日女さんの祝詞。
更には読経。
ついでに一神教の神を讃える言葉。
それら全てがたたき込まれて。確実にフリッグの全身が砕かれていく。悲鳴を上げて逃げようとするが。
もはやその力はない。
「ば、ばかな、ばかな、私がこの程度の人数の、戦士でもない者達に破れるなど! 私は、凶猛なるヴァイキングの民が信仰した神だぞ! それが、それが……!」
「そのヴァイキング達は好き勝手に己の凶暴性を肯定してくれる神として貴方を作った。 元の素材を粘土をこね回すみたいにして。 その結果が歪んだ自尊心を拗らせ何をやっても自己正当化する貴方みたいな屑だ。 貴方は負けるべくして負ける。 そして、それは今、ここでです」
燐火が冷静に指摘すると。
いやだ負けたくない死にたくないと、フリッグが泣きわめく。
エヴァンジェリンさんが、声を掛ける。
「悪神祓いの最強のルーンを天才たる私がたたき込む! 皆、総力で魔祓いを!」
応。
皆が答えた。
燐火も立て続けに悪神が取り込んでいるダイモーンに対して、聖印を打ち込む。どれほどの膨大なダイモーンを取り込んでいるのか分からないほどだ。
それだけじゃない。
フリッグの体から、何か逃げ出していく。
日女さんが後で教えてくれるだろう。多分日本の雑多な邪神や妖怪だろう。それも、日女さんの祝詞で、片っ端から消し去られていくようだ。
見る間に縮んでいくフリッグ。
その姿が、太ってむくんだ中年女性のものへと変わっていく。
きつそうな性格ではあったが、それなりに美しかった元の姿は結局のところ見栄から作り出したものか。
まあ、それは分かる。
そもそも若い女性や涼子みたいな子供まで相手に性欲を啜りとっていたような輩である。淫魔に近い。
確か女性が性欲が一番強くなるのは、十代半ばと三十代はじめだと聞く。
フリッグはそれらの性欲過剰の時期を乗り越えられずに、醜く年老いた姿になってしまったのだろう。
人は美しく老いることも出来る。
それは見たことがあるから知っている。
フリッグはそれが出来なかった。
本人の体質に関係する問題ではない。
本人の性根が腐りきっていたからだ。
神だったらなおさらだろう。精神的な存在なのだから。性根が腐りきっていなければ、そうはならなかったはずだ。
巨大なルーンがたたき込まれたとき。
フリッグはひときわ情けない悲鳴を上げ。
燐火が立て続けに皆と一緒に聖印をたたき込んでいく中。
オーディンの妻であった悪神は。
その姿を、宙に溶けさせていった。
何かの壺を取り出すと、厳重に封印をするエヴァンジェリンさん。あれにフリッグだったものを封じ込んでいるのだろう。
全員ヘトヘトだ。
燐火もかなり疲れた。
自衛隊の部隊が来て、即座に現場の検分と、皆に補給物資を配ってくれる。ぬれタオルがありがたい。
まだそれほど暑い時期ではないのだけれども。
ただ、まだ体は若いのだ。
それもあって、体の回復も早い。スポーツドリンクを飲んで、配られた栄養ゼリーを飲んでいると。
もう、ある程度は動けそうだった。
ケルベロスが言う。
「良くやってくれたな」
「うん。 どうにかなったね」
「神は最低まで堕落するとああなる。 そしてそれは、人間にとっても他人事ではない」
分かっている。
燐火もそういう例があることは分かっているし。
自分だってそうならないとは言えないのだ。
燐火はおぞましいものを嫌と言うほど見てきた。だから、ああはならないと心には決めている。
だが、人間は良い意味には滅多に変わらないが。
悪い意味では簡単に変わる。
スクールカーストに染まって、弱者をなぶり殺しにするのを満面の笑みでやるようになったような人間が。
本当に最初からそうだったのだろうかと。
最近、ちょっとだけ思うこともある。
いや、金木の屑一家のようなのはおそらく何をやってもああだっただろうとは思うのだが。
もしも違った場合。
人間は、それこそ自分で自分を壊し。
悪へと望んで身を捧げていることになる。
ましてや今の時代は、悪の方が生きやすい時代だ。犯罪者には際限なく甘く、犯罪被害者はろくに守られることもない。
そんな状況だ。
身を持ち崩す人は、決して少なくはないだろう。
悩みがもやもやと来る中。燐火は、へばって臨時でおかれた机で溶けているエヴァンジェリンさんに声を掛ける。
「大丈夫ですか」
「も、問題ない……。 天才たる私は、この程度の疲労はものともしにゃい……」
「重症ですね」
「ちょっと休ませて……」
なんだかとても情けない声が聞こえたが。
まあ、そのくらいは良いだろう。
とりあえず小休止と、応急手当を終えると。
自衛隊の現場復旧部隊が来て、戦闘の痕跡を消し始めるのを尻目に、一旦移動する。エヴァンジェリンさんはふにゃふにゃに溶けていたので。燐火が背負っていく。その途中で聞いたのだが、なんと菖蒲さんと同年齢だそうである。
まあ、色々な理由で発育が良くない人はいるので、それでどうこうというつもりはないが。
ただ、体が軽いな。
ちょっと心配になるくらい軽いので、燐火は背負っていて、壊さないか心配になってきた。
とりあえず、そのまま麓の寺に移動。
戦闘が行われている外側を、三十人ほどの魔祓いが囲って、いわゆる結界を展開していたらしい。
フリッグを逃がさないためだ。
もしもフリッグが燐火達を倒していた場合でも、林西さん達が出てきて、どのみち倒されていたのだろう。
王道楽土だかなんだか知らないが。
フリッグが望んだものなど、実現はしなかった。
周囲での分厚い守りを見る限り、それが分かる。
この国は腐っていたりあちこちガタが来てはいるが。それでも簡単に悪神に屈するほど脆弱ではないということだ。
そこで休憩をさせて貰う。
日女さんは体をマッサージしている。
八幡神を下ろしたこと、それも長時間最前衛で戦ったこともある。体への負担がとても大きいらしい。
普通のガタイがいい男子高校生くらいだったら、苦もなく制圧するらしい日女さんだが。それでも翌日は筋肉痛確定だそうで。
それを少しでも緩和するために、こうして頑張っているようだ。
菖蒲さんは既に正座をして、読経をしている。
今日の魔祓い……外道退治というらしいが。
それに対する愛染明王の活躍を仏様に報告し。その偉大な活躍を褒め称えるための読経であるそうだ。
カトリイヌさんはちょっと落ち着かない様子だったが。
日本の家屋や寺でのマナーを知っているらしいセバスティアンさん達が指導して、それでやっと落ち着いたらしい。
貫頭衣をとると、綺麗な髪がこぼれ出る。
ただし激しい戦いの後だ。
汗でぐっしゃぐしゃだったが。
髪の毛の手入れを無言で始めるカトリイヌさん。
タオルを被って微動だにしないエヴァンジェリンさんは、多分気絶するように死んでいる。いや、死んだように気絶しているだった。
住職がお茶を出してくれたので、ありがたくいただく。
トイレも借りるが、ちゃんと洋式だったので安心した。
この辺りにもまだわずかだけくみ取り式便槽が残っているという話を聞いたことがある。たまにバキュームカーが行くので、それは知っていたのだ。
トイレを済ませると、だいぶ楽になる。
そもそもとして、体内の老廃物を流し出すのが尿らしいので。
激しい戦闘の後だ。
それが色々と体内に残っていた老廃物を出せば、すっきりするのは、色々な意味で理にはかなっていると言えた。
とりあえず燐火がトイレから出てくると、日女さんが代わりに行く。
苦笑い。
女子は連れションが大好きだとおかあさんが言っていた。今の時代はそれもなくなったらしく、一昔前の習慣らしいが。
後は、しばらく休ませて貰う。
ケルベロスが、疲れがとれてきた燐火に言う。
「分かったことがある」
「うん」
「やはりフリッグには協力者がいる。 それも最低でも二体はいると見て良いだろうな」
「……」
一体は日本神話系の邪神だろう事はほぼ間違いない。
それはケルベロスが断言した。
それに、一神教系の堕天使も協力しているかもしれない。
フリッグには、皆での総力魔祓いが全部効いていた。コアになっていたのは北欧系のようだが。
ダイモーンは接着剤として機能していた。
最大出力でのエヴァンジェリンさんのルーンがぶち込めたのも、皆での魔祓いが同時に行われたから。
日本以外だったら、とても難しかっただろうなとケルベロスは言う。
八百万の神々が存在し。
あらゆる信仰が(他の信仰を攻撃しなければ)比較的に寛容に受け入れられてきたこの国だったから。
あれが出来た。
ただ、もしも中東とかであったら。
そもそもフリッグが好き勝手は出来なかっただろうとも、ケルベロスは言う。
確かに他の信仰は全部邪教と考えていて、女性には全身を覆う服を強制するような国では。フリッグのような神は、力を振るうことは厳しかっただろうが。
「迷子の人も、これは関係しているよね」
「間違いないだろうな。 協力しているとは性格的には考えにくい。 捕獲されているとみて良いだろう」
「……」
フリッグみたいな屑に捕まっていた……いや、おそらくだが、フリッグの場合は堕落した結果屑になったのだろうが。
それでも、心配だ。
「とにかく、少しでも早く助けてあげないと。 それに……」
「ああ。 カコダイモーンによる悪運のばらまきを、少しでも阻止しないといけないな」
ケルベロスの言うとおりだ。
燐火もそれに異存はない。
気合いを入れ直す。
そして、皆に帰ることを告げた。
手続きなんかは、菖蒲さんがまとめてやってくれるらしい。とてもありがたい話だ。
信頼もしていいだろう。
後は、ただ。家に帰って、しっかり休んでおくだけだった。
3、第二の刺客
洞窟の奥で、その邪神は舌打ちしていた。
フリッグが負けた。
それを理解していたからだ。
実は少し前から、配下を活用して、あちこちでこの国の一線級の魔祓いを陽動していた。それで、フリッグには二線級以下の魔祓いしか当たらないと判断していた。フリッグがいらだっているのも分かっていたし、今時珍しいドルイドの魔祓いに奴の基盤を潰されて行っていたのも分かっていた。
だが、まさか負けるとは。
考え込んでいると、影が入り込んでくる。
獣ではない。
翼持つ人影だ。
「おお、どうした。 あの淫乱は」
「今負けたようだ」
「そうかそうか、それは残念であったな。 ただまだ北欧の存在はここにいる。 だから気にしなくてもいいだろう。 それに……」
「奴は我らの中でも最も小物か? この国の最近の文化だな。 だが、それは負ける前に言われる言葉だとも聞く。 控えておけ」
へいへいと、軽薄な翼持つ人影は肩をすくめる。
此奴とは同志ではあるのだが、どうにも気にくわない。
ただそれは相手も同じだ。
だから、お互い様。
利害が一致しているから、それでいい。
そうやって動けるのが、組織の長というものだ。
ともかくだ。
一人が欠けた。いや、一柱が欠けた。
故に、価値観を反転させ、悪神を神へと変える計画が、少し後退したのは事実だ。
すぐに多数の配下を動かす。
普通の雑魚では駄目だ。
ダイモーンでコーティングしているので、そう簡単には見つからない。ただ、問題は、である。
燐火と言ったか。
ギリシャのケルベロスの力を受けている巫女。
そいつが加速度的に力を伸ばしていると言うことだ。
仕留めるのはそいつからが良いだろう。
これでも強者が多いこの国の魔祓いとやり合ってきたのだ。長い長い時間。
他の国から流れてきた悪神や魔と連携する事が出来るようになった今こそが好機である。
逆に言うと。
信仰が枯れ果てようとしている最果てのこの時代。
悪神が神と成り代わる最後の好機が、今だと言えるのかもしれない。
そういう意味では、アホだったが、フリッグがやられたのは痛い。
一瞥する。
捕らえてある、ダイモーンの発生源を。
少し考えて、あれを活用しないといけないな。
そう邪神は思った。
涼子と市原さんと一緒に帰宅する。
すっかり夏だ。
昔は学校の教室にクーラーなんてものはなかったらしい。
だが、今はないというのは殺人と同じだ。それくらい暑くなっている。昔の平均気温を見て、驚かされるばかりである。
蝉すらも暑すぎて鳴かない。
それが今の夏だ。
そろそろ夏休み。小学校としては最後の夏休みである。
夏休みに何をするか。
遊びに行ってもいいが、それはそれ。
先に宿題を片付けてしまうのが良いだろう。
市原さんは、最近ではすっかり燐火達に混じっていることもあって。スクールカーストの上位だかいう連中は、無視するようになっていた。
というか燐火が連中には好き勝手をさせない事もあって、そいつらの方が逆に無視されるようになってきている。
それで燐火を逆恨みしているようだが。
隙がないので何も出来ない。
学校の方でも、最近は監視カメラなどの設置で対策を更に進めている。
一部の保護者とかがこれを人権侵害呼ばわりするケースがあるようだが、うちの学校はしっかりしていて、そういうのは相手にもしない。
燐火としても、その辺はとてもありがたい。
蝉が鳴いている。
まだ暑さとしてはマシな方、ということだ。
クマゼミらしい。
元々はもっと南に生息している蝉なのだが、年々北上しているのだとか。まあ、それもそうだろうなとしか燐火は思えない。
それはそれとして。
前にこちらを見張っていた中学生数人が、やはりこっちを見ているな。
そろそろ潰すか。
そうおもった時、スマホにメッセージが入っていた。
確認すると、日女さんからだった。
「後ろで様子をうかがってるアホども、燐火の知り合いか?」
「いいえ。 ずっとつけてきている変な人たちです。 追跡してきている様子はスマホで撮影済みなので、そろそろ処理しようと思っていましたけど」
「ああ、それなら俺がやっておく。 こいつら、俺の学校の近くの学校の奴でな。 半グレの手下になっているらしくて、問題になっていた。 ちょうど良い機会だから、全員たたんで少年院に送っておく」
「ありがとうございます。 お願いします」
返事を返すと、そのまま無言で歩く。
市原さんが、鳴いている虫について細かく解説してくれるので、それを丁寧に聞いていく。
色々知っていて面白いな。
燐火も雑学は調べているが、それでも好きでないとどうしても知識は定着しないのである。
話を聞いている限り、市原さんは体系的にものを覚えるタイプではない。
だがそれでも、これだけ色々と覚えているのはなかなかに凄いことであると思う。
しかしながらだ。
自分が知らないことを知っている奴は生意気である。
そう考える人間の方が多いことを燐火は知っている。
特に相手を自分より下か上かでしか考えないような輩はこの傾向が顕著だ。
実際あの既に死んだ金木の屑娘はその手合いで、自分より勉強が出来てめがねを掛けていてかしこぶっているから生意気だとか言う理由で、同級生の頭をつかんで何度も岩にたたきつけて失明寸前の怪我をさせた。それでありながら何の処罰も受けなかった。
しかも金木の屑娘はどちらかというと平均的な感性の持ち主であることを燐火は知っている。
だから、時々市原さんには言うのだ。
自分たちにはそういう話をしても良いが。
他の奴には話すなと。
特にスクールカーストに毒されて上か下かでしかものを考えられなくなっている輩には、そういう話はしない方が良いとも。
市原さんは、分かったと言って。
それで納得してくれたようだった。
まあ、燐火もスクールカーストなんてものはぶっ潰す以外にないと考えているし。いずれ自分がそうしたいと考えているが。
残念ながら燐火は小学生だ。
後倍も年をとれば、それが出来るような職に就くための試験を受けられるかもしれないが。
それもまだまだ先。
さて、と。
ケルベロスに声を掛けられる前に気づく。
ダイモーンの気配だ。
ちょうど別れる地点なので、それぞれで別れる。燐火はさっさと着替えると、現地に向かう。
ケルベロスが、ちょっと呆れていた。
「もう俺より鼻が利くのではないか」
「そんなことはないよ」
「そうか。 いずれにしてもたいした相手ではないが……もしも迷子がとらわれているのだとしたら、意図的にダイモーンが撒かれている可能性がある」
「その場合は厄介だね」
その通りだなと、ケルベロスがぼやく。
いずれにしても、さっさと仕留める。現地に到着。
結構大きい奴だ。
またたちが悪そうなのが数人たむろして、一人はバイクをふかしている。
昔の不良はそれこそわかりやすい姿をしていたらしいが。今のは格好はほとんど一般人と変わらない。
ただ、自分が格好良いと思い込んだ姿をしているようだ。
まあどうでもいい。
自分で何を格好良いと思うかは、それぞれの個人の自由である。
燐火も他人に干渉するつもりはない。
今のこの仕事着も割と気に入っている。
ただ今年に入ってから一回、裾を直した。
また少し背が伸びたからだ。
ともかく、ダイモーンは不良だか半グレだかの数人を取り込むようにして、悪運を送り続けている。
あれはいるだけで迷惑だ。
そのまま聖印を切る。
この間、フリッグとの交戦で、更に死線をくぐった。それもあって、燐火はもっと上を目指したいと思っている。
休日には、時々道場に足を運ぶ。
最近は師範もかなり積極的に指導してくれて、細かい癖などを指摘して直すように指示してくれる。
それがとてもありがたい。
充子との技量の差は埋まる気がしないが、それでも体が大きくなっている分、少しずつ実力差は縮んできているように思う。
それだけで十分である。
そのまま聖印を連続して切り。
四度目で、ダイモーンが爆ぜ割れていた。
辺りに飛び散る大量の悪運。
それらが汚らしいヘドロかコールタールみたいに掛かっても、伊達男気取りの半グレだかは気づいていない。
ゲラゲラ笑っていた彼らは、直後。
爆発に巻き込まれていた。
おそらくだが、適当に整備していたバイクからガソリンが漏れていて。それがタバコだかに引火したのだろう。
火だるまになって転げ回っている半グレだかなんだか。
まあ、近くの人が通報している。
程なく警察が来た。
粋がっていたのに無様にチリチリの頭になって、あの様子だと指の一本も吹っ飛んだだろう。
燐火も爆発の瞬間、慌てて木の陰に逃げ込んだほどである。
とりあえず、これでいい。
帰る途中、日女さんが連絡を入れてきた。
「ストーカーしていた三人、全部締めておいたぞ」
「お疲れ様です。 少年院行きですか?」
「なんとも言えないが、半グレの手下になって色々やっていたみたいだからな。 少なくとも退学は確定だ。 その半グレがさっき吹っ飛んだらしいんだが、何かしらないか」
「燐火がダイモーンを祓ったら、悪運がなくなったのか爆発した与太者達がいましたけれど、それでしょうか」
日女さんが遠慮なく笑う。
まあ、メッセージでのやりとりだが。
「そっか。 自業自得の末路だし、いい気味ではあるな」
「何かしらの理由で逮捕されるんでしょうか」
「さあな。 其処までは分からないが、ダイモーンが憑いていた時点でろくな連中じゃあない。 叩けば埃なんか幾らでも出るだろうよ」
その通りだ。
いずれにしても、後は家に帰る。
吹っ飛んだ連中は死ななかったが、これから捜査されて。それで当面娑婆に出てくる事はないだろう。
それで十分だ。
自業自得の末路を遂げた連中に、燐火は興味はなかった。
翌日から、学校は小学校最後の夏休みに向けて、色々行うことになった。
荷物の持ち帰り、などもそれに含まれる。
計画的に持ち帰るように。
燐火はそう言われて、素直にそうする。
まあ重いものを優先的に持ち帰るようにするのは、いざというときに備えてのことである。
それも見越して、今日からはリストバンドなどは外して行動する。
久々に両手両足合計四キロを外してみると、随分体が軽く感じるのは嘘ではないだろう。いずれにしても、荷物を確認して、全て計画的に持ち帰る。勿論隙は見せない。
授業中にスマホをこっそり見ているような生徒は、だいたいいい加減で、最終日に泣きながら荷物を全部持っていくことになる。
燐火はそういう悪い真似はしない。
ただ、意外とこう言うので市原さんがだらしないので、それについては指摘して、スケジュールを作る。
そのスケジュールを聞いて、市原さんはちょっと困惑していた。
「平坂さんって、何日先まで予定があるの?」
「今の時点では三年くらいですね」
「えっ……」
「燐火はただでさえ色々遅れていたので、取り戻すのに計画的に行動するようになったんです。 それとそれ、それも持ち帰りましょう。 市原さんの体力と腕力を考えると、そうしないと最終日に大変ですよ」
隣でなんとも言えない顔で涼子が見ている。
ともかく荷造りを手伝う。
別に苦手分野なんて誰にでもある。
だから、それを手伝うことはなんとも思わない。ひそひそ陰口をたたいているのが何人か。
あの手のは、グループの人間が下校の途中で一人外れたら、その瞬間に悪口を言い出したりするような輩だ。
囀りに耳を貸す価値も意味もない。
黙々と準備を整えて、それで帰宅。
ちょっと重そうだが。まあそれくらいは大丈夫だろう。重いものをもって歩く訓練にもなる。
「重いものを持ち上げるときは、こういう風に動いてください」
「えっと、こう?」
「そうです。 人間の筋力には限界があるので、うまく骨と組み合わせて、重いものを持ち上げます。 見本としてはこうなります」
「……分かった。 やって見るね」
市原さんにコツを教えて、それでどうにかしてもらう。
燐火はそれで構わない。
ケルベロスがぼやく。
「意外と世話を焼くな」
「ケルベロスに助けて貰ったからね。 燐火にも出来ることがあったらやっていきたいし」
「そうか。 まあそろそろ燐火の母から子が生まれる頃だし、そちらもしっかりかわいがってやれ」
「……そうだね」
おかあさんは近々子供が生まれる。
多分夏休みが終わった頃だろうか。
いずれにしても、夏休みは、おかあさんは基本的に病院。燐火とおとうさんが、交代で様子を見に行くことになる。
一応予定日は十月前後だが。
早く生まれることもあるので、できるだけ早めに備えておいた方が良いだろう。
とりあえず、三人で帰宅する。
途中で話を涼子が振ってきた。
「燐火ちゃん、なんだか前につけていた中学生いなかった?」
「いました。 でもなんだか捕まったらしいですよ」
「あ、ふーん……」
「他の子にもストーキングをしていたとか」
それについては続報を受けた。
日女さんの話によると、捕まった連中は中学生の遊んでいそうな女を見繕って、兄貴分である半グレに提供していたらしい。
家などを突き止めて、人気がないところで囲んで連れて行き。兄貴分達のところに。それで金を貰っていたそうだ。
「合意の上の行動」とか抜かしていたようだが。
実際には被害者が十五人も出ていて、それで他にも色々罪が出てきたこともある。
中学校からは転校。
その後は当然少年院送りだそうだ。
その兄貴分達は爆発事故にもろに巻き込まれたが。治療が終わり次第即座に逮捕らしい。
広域暴力団の下部組織としてやりたい放題やっていたようなので、まあ妥当だろう。その半グレのグループ自体が摘発を受けるようだ。
まあ燐火にとってはどうでもいい。
その辺でイノシシが駆除された、くらいの感覚でしかない。
帰路で四苦八苦する市原さんに、適当な話題を振りながら、多少は苦労が減るように手伝う。
人を助けておいて、損はないはずだ。
人間の味を覚えた獣を駆除して、損がないように。
そして、二人と別れると。
燐火はまた気づいていた。
ダイモーンだ。
さっさと脇道に抜ける。ケルベロスがぼやいていた。
「かなり近いぞ。 どうして今まで気配を察知できなかった」
「分からないけれど、さっさと片付けよう。 それなりに気配も大きいし」
「そうだな……」
嫌な予感がすると、ケルベロスが言う。
エヴァンジェリンさんやケルベロスが指摘したように、確定で、フリッグには仲間がいたとみていい。そいつらが、既に燐火に目をつけているかもしれない。
ささっと着替えると、現地に向かう。
山の中に、ちょっとした集落がある。十軒くらいだろうか。
怪奇スポットになりそうだが、実際にはただの廃村である。意外と都会近くでも、こういうのはあるのだ。
影から伺う。
何か怒鳴りあいをしているのが見えた。
明らかに片方はスジ者だ。
もう片方は、一見するとサラリーマンっぽくスーツを着ているが、あれも同じ穴の狢だな。
額に青筋浮かべて、何か怒鳴り合っているが。
燐火には聞き取れなかった。
「何を言ってるんだろうあれ」
「日本語ではないぞ」
「!」
「おそらく海外の犯罪組織がらみだろう。 見たところ日本人と人種は似ているようだが、東南アジアか大陸関係者だろうな」
それはそれは。
近づくとちょっと面倒だ。
その手の犯罪組織は、アサルトライフルとかで武装しているケースもあるとか言う話であり。
しかも魔祓いは近代兵器との相性が最悪だ。
そしてダイモーンがいる。
今度のは傘みたいな姿をしているが、あのスジ者二人の上に覆い被さって、悪運を垂れ流し続けている。
どろどろと流れるコールタールみたいな悪運が、スジ者達にぶちまけられている様子は、ちょっと面白くはあった。
だが、片付けてしまった方が良い。
そのまま、聖印を切る。
今度のはそれほど強くはないと思ったのだが。三度聖印を切って爆発四散させたら。その内側から、まだまだダイモーンが出てきた。
舌なめずり。
嫌な予感がする。
とにかく、徹底的にダイモーンを駆除。十数体はいる。次々潰れて悲鳴を上げるが、更に更に湧いてくる。
ケルベロスがぼやく。
「できるだけ急いで片付けろ、燐火。 やはり変だ」
「分かってる」
さっと聖印を切り、まとめてダイモーンを爆散させる。
子供を抱えている魚みたいなダイモーンだった。
内部に大量のダイモーンを抱えていた。
ともかく、まとめて全部消し潰したが。
辺りに垂れ流されている悪運は凄まじい量である。
やがて、甲高い声を上げて、片方がキレた。もう片方も護衛を連れていたようで、廃屋からわらわら出てくる。
合計して十人くらいか。
そいつらがにらみ合っていたが。どうみても拳銃や、青竜刀だったか。そういうのを手にしている。
これは血を見るな。
距離をとるようにとケルベロスに言われたので、そうする。流れ弾とか当たったら、しゃれにならないからだ。
そのまま離れる。
発砲音。
そうか、拳銃ってこんなに大きな音がするんだ。断末魔の悲鳴。肉が断ち割られる音。凄まじい悲鳴。
殺しあいが始まった。
あの連中、おそらく何かしらの悪い商売をしていて。
ダイモーンの悪運でそれがうまくいっていたのだろう。今までは、それが致命的な対立にはつながらなかった。
だが。それもこれまでだ。
あのスジ者、二人ともそんなに格下のスジ者には見えなかった。それに両方とも無事では済まないだろう。
全部まとめて死んでくれていればいいのだがと燐火は思ったが。
ケルベロスが冷静に状況を告げてくれる。
「六人死んだ。 三人は生きているが、一人はもう死ぬ。 もう二人も、そのままあそこで死んで行くだろうな」
「……全滅か」
「ああ、そうなる。 発砲音もある。 そのうち通報されて、警察が来るだろう。 或いは事件は公表されないかもな」
「……」
まあ、人の味を覚えた獣は駆除するしかない。
あれはその手合いだったし、末路としては妥当だろう。
人が死んだとは思わなかったし。
同情もしない。
当然、何らかの人生があっただろう事は分かる。だがそれを言い訳にして、どれだけの害を周囲に為してきたのかを考えると。
同情になどは全く値しない。
法律は加害者ばかり守るために働いている傾向があるが。
ああいう連中を守るためだけの法律など必要ない。
「ねえ、ケルベロス。 自業自得って、本当にあるの?」
「……実際にはほとんど働いていないな。 古くには、神々がそれをやろうとしていた時期もあった。 だがいつしかそれは夢物語になっていった。 今は精々、魂を正確に裁いて、あの手のは地獄に落とすだけだ」
「その後は。 転生とかはあるの?」
「輪廻転生ならある。 あの者達は地獄で想像を絶する年数責め苦を受けた後、虫にでも転生するだろう。 それも蠅とかゴキブリとかにな」
そうか。
だが、それで今を真面目に生きていた人たちを、笑いながらあれらが踏みにじった事実は消えない。
改革するなら人間の社会全部。
それに弱体化しきった神々も、ではないか。
そう、燐火は思った。
ただ、問題はそれだけではない。
あのダイモーンといい、なんだか燐火を試しているかのようだ。
ふと、視線を感じた気がする。
ふっと振り返るが、何もいない。
嘆息すると、荷物を取りに行く。多少の鍛錬にはなる。
家に帰ってからは、黙々と勉強をする。
中学については、既に涼子と話はした。今後のことを考えて、ある程度まともな中学に行きたい。
これは学閥だのを見据えた学校という意味ではない。
まっとうな学校に行きたいと言うことだ。
それで、調査をしておく。
まだケルベロスはいてくれるが、幸運に頼ってばかりでは駄目だ。
おとうさんにもその話はしてあるのだが。それでも自力である程度は調べていかないといけないだろう。
頼れるところでは頼るべきだが。
それでも、頼れない場所では、自力自活をするしかないのだから。
黙々と調べ物をしていると、サイレンを鳴らしながらパトカーが数台行ったようだった。日女さんから連絡が来た。
やはり、あれは海外の犯罪組織どうしの抗争だった。
どっちもアジア系の犯罪組織で、この近くではなく都心で活動していた極めて悪辣な連中だったらしい。
どうにも違法薬物の販売を摘発されたのが、どちらかの組織からの情報漏洩が原因ではないかと言うことでもめ事になり。
大幹部同士が出てきて話をするつもりが、今までの冷静さが嘘のように殺し合いになった、ということだそうだ。
随分詳しいが。
日女さんが警察に同行して、八幡神から周囲の神霊に話を聞いたらしい。
そんなことも出来るのか。
凄いな。
それで、燐火が魔祓いをしたことも分かっているそうだ。
「魔祓いの中には、犯罪組織に加担するようなのもいる。 俺が今回は痕跡を全て消しておくが、今回の抗争をしていた組織はアサルトライフルを日本に持ち込んでいるような連中だ。 くれぐれも危ない橋を渡るなよ」
「分かりました。 日女さんも気をつけて」
「そうだな……」
メッセージのやりとりはそれで終える。
ケルベロスが、それを見ながら、ため息をついていた。
「やはりおかしいな。 今までのダイモーンよりも更に悪辣だ。 能力の観点ではたいした事はないが、明らかに危険な案件に燐火を誘導しようとしているように思える」
「悪神の仲間によるものかな」
「可能性は高いだろうな」
「そうか」
じゃあ、そいつも叩き潰さないといけないな。
そう考えながら、この近所の中学を調べておく。
いっそ、魔祓いが通う学園に来てはどうかと菖蒲さんに言われている。それも手なのではあるが。
その場合は、魔祓い以外の事が出来なくならないか。
そう思うのだ。
実際菖蒲さんにそう問い返したとき、少しの時間黙った。
あれは図星だったのだろう。
それに魔祓いの間でも、家柄がどうので人間は群れを作るらしい。
学問についても、魔祓いだからどうでもいいとほとんどやらないような輩が少なくないそうだ。
そういった連中に交わって、それで良い影響を受けるだろうか。
魔祓いとしては我流では限界がある。
それは分かっている。
だがそれはそれとして。
燐火は自立した人間として、何があっても生きていけるようになりたいのである。
いずれにしても、どの中学に入るかは非常に悩ましいところではある。
気分転換にゲームをする。
前に買って貰ったゲームだが。
やっていて楽しいと感じることはあまりない。
ゲームで他人に勝つことに興味を一切見いだせない事もあって、気分転換に手を動かし、脳を働かせるだけだ。
おかあさんが調子が悪そうなので、ゲームを一旦中断して、様子を見に行く。
白湯を用意して飲ませるが。
おなかがだいぶ目立っているおかあさんは、かなりしんどそうだった。
「大丈夫ですか? え、えっと。 大丈夫……?」
「うん、平気。 少しずつ普通にしゃべれるようになってきたね」
「はい。 いえ、う、うん。 も、もう少し頑張り……頑張りま……頑張る……ね」
「その調子」
苦笑いされる。
まだそれくらいの事をする精神的な余力はある、ということだ。
戻ると、ゲームをやって気分転換をする。
いくつかの中学を候補に入れているが。
今考えているのは、市原さんが行こうと考えている中学だ。
小学校で陰湿極まりないスクールカーストに嫌気がさしたらしく。
そういうのが一切ない学校を探しているらしい。
ちょうどそういう学校を試験的に作っているらしいので、燐火もそこに行かせて貰う事とする。
ただ、それもまだあくまで候補の一つとしての話だ。
燐火としての当面の最大の課題は。
もうすぐ生まれてくる妹(最近分かった)に対して。
敬語で喋らないことだった。
4、悪魔
翼持つ人影は奔放だった。
古くには、元々悪魔というものは、現在の一神教で言われるような邪悪の権化ではなかった。
一神教で聖人とされるソロモンが72柱の悪魔を従えていたと言われるように。
あくまで地獄の罪人を罰する存在であったし。
何よりも、そもそもとして規律に縛られるし、善良であるとされる悪魔だって存在していたのだ。
だが。
一神教が他の信仰を貶めていく過程で、悪魔はどんどん凶悪化していき。明確に邪悪とされ。
それどころか、邪悪の全てを押しつけられることとなった。
今では悪魔は、いや今でも。
西欧では、本当に恐れられているし。
悪魔呼ばわりは西欧では最大級の罵倒になる。
そういう状況で歪んだ翼持つ人影は。
だったらいっそ本当に邪悪の権化になってやろうと思った。
なんども魔祓いに倒された。
だが、西欧において悪魔に対する恐れが強くなれば強くなるほど、力もそれに従って上がっていった。
魔祓いを返り討ちにすることも増えた。
今では二桁の魔祓いを殺して、その顔を全て覚えている。
皮肉な話で。
脅かす者がいなくなった一神教の魔祓いは堕落するばかり。
力も衰えた。
特に今回のような複合魔を使える案件では、ほとんど脅威にならなかった。
多神教の魔祓いの方が手強いと感じるほどである。
さて、と。
燐火という子供。
あれの周囲で、危険な輩に憑依させたカコダイモーンを敢えて気配を強く出して、誘ってみた。
抗争にでも巻き込まれて流れ弾で死んでくれれば問題なかったのだが。
ケルベロスの加護は予想以上に強い。
それに、ケルベロスは一神教の全てを憎んでいる。
これは悪魔も例外じゃない。
そもそも魔から生まれながら、最終的に光側の守護存在となったケルベロスである。
それを考えると、確かに一神教の悪魔なんて、反吐が出る存在でしかありえないだろう。
ただ、悪魔の方でも言い分がある。
実際問題として。
今悪魔とされている翼ある人影は。
「おい」
「なんだ。 おお、貴様か」
声を掛けられた。
同胞だ。
今回、作戦行動をともにはしていない。
現状では悪魔に組織なんてものは存在していない。
流石にバチカンの辺りはリスクが高すぎることもあって、ほとんどは一神教徒があまり良く思われていない地域や。
一神教徒が堕落しきって、魔祓いが問題にもならなくなった地域で活動している。
この同胞もその一柱だ。
「久しぶりであるな」
「そうだな。 そちらは元気にやっているか」
「まあまあだ」
黒い犬の姿をした悪魔。
マルコキアス。
今はこの国で比較的おとなしくしている。この国の穏やかな環境、ある程度何でも受け入れる土壌。
何よりも、一神教の魔祓いがあまり来ない状況。
それが心地よいらしい。
「おまえ等の活動で、騒がしくてかなわん。 どっかよそでやれ」
「なんだ。 天使どもを蹴り落としてやりたいと思わないのか」
「そんなものは放っておいてもなされる」
マルコキアスは辛辣だ。
確かに、天使信仰が盛んになった結果、キリスト教では何体もの人気があった天使を堕天使扱いするという暴挙に出た。
元々ダークサイドの仕事をする天使はなんぼでもいたが。
そのあおりを食って、今ではほとんどが堕天使扱いされている有様だ。
マルコキアスが言うとおり、名のある天使はそのうち全部堕天使にされてしまうかもしれない。
今は若者すら教会に行かないとか一神教徒は嘆いていると聞く。
それは決して、絵空事ではないだろう。
「きな臭い世界情勢の中で、この国は心地が良い。 だからうるさいのはわざわざ破滅させて追い出しているくらいでな」
「なんだ、そんなことをしていたのか。 この間俺が実験に使った連中は」
「既に仕込みはしていてな。 あそこまでしなくても、全部まとめて破滅するように仕込んでいたんだよ」
「そうだったのか。 それは済まなかったな」
同胞に対しては謝れる。
ため息をつくマルコキアス。
「ともかくだ。 繰り返すが、あまり無茶をしてくれるなよ。 貴様が何体かの神格とつるんで悪さをしているのは分かっている。 俺もあまりにもやり過ぎるようなら動かざるをえん」
「分かった分かった。 ある程度は抑えよう。 同じ、貶められた者同士だ」
「悪魔は契約と言葉に縛られる。 言葉の抜け道を突くような不義理はしてくれるなよ」
「……」
マルコキアスが去る。
翼持つ人型は、少しばかりやり過ぎたかと思った。
くだらないスクールカーストなどというもので、人材をすりつぶしている今のこの国は。悪い意味での混沌にあって、翼持つ人影には心地よい。
だがこの国の良いところを、居心地が良いと思っている同胞もいる、か。
いずれにしても。
大望を諦める気はない。
燐火という奴には要注意だと分かった。
フリッグを倒したときの情報を得たが、本当に小学生かと思うほどの手練れだ。あれは化ける。
放っておけば、後々大きな脅威になるだろう。
出来れば今のうちに堕落させておきたい。
だが、一度どん底を見て、そこから這い上がった人間というのは強い。
もう一度堕落させるのは難しい。
あの年頃の、いやもう少し年をとれば、女は簡単に甘言を垂れ流す男に狂って破滅したりするのだが。
燐火というあの子供。
見た感じその手も使えないだろう。事実フリッグも色々やっていたが、隙がなかったようだし。ケルベロスも隙を見せまい。
さて、どこから崩すか。
翼持つ人影は、悪魔らしい方法で。
燐火をどう壊すか。それでいながらマルコキアスなどの同胞に同迷惑を掛けないかも。考え始めていた。
(続)
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