邪神悪神魔獣

 

序、ヘラクレスの伝言

 

燐火は朝起きてルーチンの鍛錬をしていると、ケルベロスに聞かされる。

昨晩ヘラクレスさんが来て。

それで伝えられた話を、だ。

今、ダイモーンの駆除はある程度軌道に乗っている。だが、それが妙な方向へ動いているといえる。

ダイモーンはどうにか出来る。

だが、どうもあらゆる意味で、周りがおかしいのだ。

日女さんも、色々と神々が騒いでいると話をしていた。

ヘラクレスさんが言っていた、悪神に成り果てた存在。淫魔に近い者。それが中心にいるのではないのか。

ヘラクレスさんが取り逃がしたほどの相手となると。

簡単にはいかないはずである。

「確かヘラクレスさんって、あのアトラスに代わって天を支えたことがあったよね」

「ああ、十二の難行の一つでな」

「だとすると神々でも上位の力持ちって話になるよね」

「……そうだな」

ヘラクレスさんの逸話については、燐火も調べた。

十二の難行では荒っぽいやり方で問題を解決しているが、その力強さが尋常ではない。

とにかく圧倒的に強いのだ。

世界の神話でも、最も有名な英雄の一人というのも頷ける。

本人は思ったより温厚そうな人だったけれども。

それも戦いになると容赦はしないだろう。

そういう意味で、今の日本にはほとんどいなくなった本物の戦士であるし。

燐火としても尊敬できる人だ。

だが、そんな人が取り逃がした。

やはり相手は、かなり高位の神様ではないのだろうか。

この間、名前が挙がったフレイヤ。

燐火も調べてみたが、北欧神話というのは設定が滅茶苦茶に混線していて、エピソードも混沌の極みである。

元々テュール信仰、トール信仰、オーディン信仰をそれぞれ強引にまとめたものなのだから仕方がないが。

いわゆる霜の巨人……ヨトゥンヘイムの住人達である巨人は、ヴァン神族と呼ばれる神と同一とも考えられることが多いようで。

フレイヤやその兄のフレイは、ヴァン神族出身とされている。つまり巨人族出身者であるとみて良いのかもしれない。

巨人は北欧神話では度々登場するが、必ずしも非理性的なモンスターではなく、むしろ知恵で世界でも屈指の有名な雷神であるトールを撃退した者もいたりと、決してただの悪ではない。

北欧神話で巨人とされる存在は。

恐らくは、古代の別の信仰であり。

それを無理に北欧神話に取り込んだ結果、神話が混線しているのだろう。

こういう神話の混線はよくあることらしいのだけれども。

フレイヤはつまり、最初の信仰から北欧神話に貶められ。

更に一神教にも貶められたのかもしれない。

だとすれば、性格がひねくれるのも仕方がないのかもしれないが。

それはそれとして。

多々迷惑を掛けている事。

おそらく人も多数殺しているだろう事を、看過は出来ないのも事実だった。

鍛錬をしつつ、話をケルベロスとする。

「まだフレイヤかどうかはわからないとしても、いずれにしても相手はヘラクレスさんの手を逃れるほどの強者だよね。 早く捕まえないとどうなるか……」

「そうだな。 俺が思っていたよりも手強い相手のようだ」

「ケルベロスだったら勝てる?」

「なんとも言えん。 ただ、奴は燐火には感じ取れても俺は感じ取れぬ。 不意を突かれると危ないかもしれないな」

そうか。

それほど危険な相手か。

無言で鍛錬を終える。

軽く汗を掻いたと言いたいところだが、軽く汗を掻く程度にケルベロスが管理してくれている。

それが朝やるにはちょうど良い程度の鍛錬だ。

今の体力で、それが出来るだけ動く。

そういう意味で、毎日内容は厳しくはなってはいるのだが。

燐火としては、鍛錬で出来ることが増えていくこと。

精神修養で集中力を上げられること。

それが少しずつ面白くなっているので、苦にはなっていない。

今日の授業に必要なものをそろえて、鞄に突っ込む。

もう少しで梅雨が来る。

移動中、連絡があった。

おかあさんからだった。

あの金木麗美が死んだらしい。

元々精神病院の隔離病棟で、ずっと凄まじい暴れ方をしていたそうで。連日理性も何もなく喚き散らし続けていたそうだ。

それで何か激しく興奮したらしく。

脳の血管を切ってそのまま死んでしまったらしい。

何でもそれまでに、死んだふりをして何度も看護師に襲いかかっていた前科もあったので、対応が遅れた。

それもあって、もう手遅れだったそうだが。

遺体を引き取りに来る人間など当然おらず。

無縁墓地に葬られたそうだ。

そう、とだけ思った。

今の燐火だったら、あいつの頭をかち割るまで瞬き一つ掛からない。取り巻きごと全部たたんでやれる。

それが絵空事ではなく可能になっている。

なんで皆があんなのの顔色を皆がうかがっていたのか。

そう思えるくらいには余裕は出来ていた。

それにケルベロスの話では、地獄は本当にあるらしい。

あれが地獄に落ちるのは確定だし、それでいい。

地獄で永遠に焼かれていろ屑。

それだけしか言葉はなかった。

燐火が黙々と通学路を歩いていると、男子生徒が顔を引きつらせて走って行った。相当恐れられているらしい。

どうでもいい。

周囲に、とことん興味がない。

ケルベロスが少し呆れた。

「情報を集めることに興味を持つのは良いが、ああいった相手には一切興味を持たないな」「興味が偏っていることはわかっているよ。 でも、ああいう輩の誤解を解いて何か意味があるのかなって思ってね。 へりくだってみせれば、自分より下だと錯覚する。 だからといって、あんなのを従えようとも思わないし。 対等って概念を理解できない相手に、何を話しても意味がないと思うし、それを教えるのは燐火の仕事じゃないし」

「気持ちはわからないでもないがな」

「いずれにしても、去るなら追わない。 それだけ」

ケルベロスは何か言いたそうだったが、何も言わなかった。

燐火は学校に着くと、丁寧にロッカーや机を調べる。異常なし。教科書などを出していく。

涼子がちょっと疲れた様子で登校してきた。

挨拶を交わす。

軽く話して、何か忘れ物がないかを確認。休みが増えていると言っても、二日に一回とかのペースではない。

ただ涼子は中学受験をするつもりだったようだが。

この登校日の少なさだと、ちょっと厳しいという話が出始めているそうだ。

だが、涼子の学力だったら、どこの私立でも行けるのも事実。

受験が必要ないような学校に行けば良いだけのことだろう。

いずれにしても良家のお嬢様なんてのが、実態はろくでもない場合も多いことは、金木のカスの例で燐火は知っている。

別に中学受験なんてしなくても良いだろうと思うが。

「そういえば涼子ちゃんは、大学は良いところを狙っているんですか」

「そうだね。 東大行きたいけど、今の学力だとまだ足りないかな……」

「東大ですか……」

確かに東大まで行けば、いける先は多くなる。

特に涼子は司法関係者を狙っているようだし、大いにありだろう。

ただ司法試験は、5000時間勉強してやっと勝負の土俵に乗れる世界だという話を聞いている。

それを考えると、東大に入ることだけが正解ではないようにも思う。

燐火はそこまでは望んでいないことを話す。

というか、魔祓いとしてはある程度順調だ。

この間国と正式に契約をしたこともある。

実際には、このまま平穏に過ごしていけば、生活できる資金程度だったら普通に貯まるだろう。

おとうさんとおかあさんはきちんと頼ってくれて良いと言ってくれている。

それはとてもありがたいのだが。

燐火としても、自立はしたいのだ。

今の時点ではやはりエリートコースの公務員を狙いたいところではあるのだが。

しかしそれも、学閥だとか家格とか馬鹿なことを言い出さないと良いのだが、とちょっと思っている。

それで国政に関与できるようになったら。

相応に、今の社会にはびこる不正に対して、鉄槌は下したかった。

まあそれは今言っても仕方がない。

いくつか話した後、ホームルームから、授業に入る。

今の時点での勉強は特に難しくもない。

軽く勉強をこなして、それでしっかり復習しておく。

授業の内容は完全に把握しているが、細かいところで忘れているような場所もある。だから復習は大事だ。

黙々と授業を終えて。

それで次の授業の準備をする。

新しいスマホを買ってもらったらしいクラスメイトが、動画とかがどうのと自慢していたが。

全く興味なし。

他の生徒の大半が興味を持っているようだったが、燐火と涼子が見向きもしないのを見て。

それで露骨に舌打ちしていた。

ただ、怖いのだろう。

今まで燐火に何人締められたかわからないという話もある。

それで、燐火に絡んでくることはなかった。

体育の授業が午後からあるが。

それで、六年の男子程度では、もう燐火にあらゆる科目で歯が立たなかった。唯一勝てる分野があるとしたら握力くらいだろうか。

話にならんな。

100m走でへばっている男子を見て、興味も持てない。

黙々と体を動かして次の体育の競技について備えていると、気弱そうな女子が話しかけてきた。

いつも隅っこで静かにしているおとなしそうな女子だが。

明らかに周囲と関わって何か落ち度が起きないか、恐れている様子だった。

スクールカーストが常態化した結果、こういう子はどうしても出てくるようになってきている。

クラスの中で位階が作られ。

それは絶対とされるのが当たり前の世界。

一軍女子なんて言葉があるような時代だ。

そいつらは何をするのも許される。

ただ、この学校では異質だ。燐火がいて、そういう連中に対して、好き勝手は一切させないし。

学校の側でも、スクールカーストなんて何の意味もないと、常々言い聞かせている。

ただそれでも、こういう子は出てくる。

燐火としても、別にこの手の子に冷たく当たるつもりはない。

「何か?」

「え、ご、ごめんなさい……」

「いや、要件があるのでしょう。 別に怒ってもうっとうしいとも思っていません。 何でも聞いてください」

「う、うん……」

ひ弱な子だな。

何度か視線をさまよわせた後、聞いてくる。

どうしたら、そんなに運動できるようになるの、と言われた。

燐火はケルベロスと相談する。

勿論、それはこの子には聞こえない。

「どう答えようか。 この子の体力、多分燐火の十分の一もないけど」

「運動はどうしても素質が影響する。 出来る奴は何もしなくても足が速い。 燐火も出来る側の人間だ。 この子はさっきまでの様子を見ていたが、おそらく運動は出来ない側だろうな」

「だとすると何やっても無駄って言うの?」

「いや、努力次第ではある程度は伸ばせる。 具体的に何の運動をしたいのか、聞いてみろ」

そういうものか。

とりあえず、何の運動をしたいのか。

どううまくなりたいのか、聞いてみる。

その子。市原日根見という名前だが。

恐る恐る言う。

早く走れるようになりたい、と。

とりあえずさっき走るのを見ていたが、決定的に体力が足りない。燐火もどちらかというと最近鍛え始めたが、周りに追いつくためにそれこそ一秒の無駄もないという感覚で努力をした。

ケルベロスにアドバイスを受けて、順番に説明をする。

一朝一夕で早くなるのは無理。

まず朝などに走って体力をつける。体力がないとどうにもならない。

後は歩くとき、走るときのフォーム。

見本を見せる。

こういう歩き方で日頃から癖を直しておく。

その歩き方だとどうしても速度は出ない。

だから、こうする。

そういって、いくつか指導をした。丁寧に指導をしたつもりだが、それで覚えられるだろうか。

確か市原さんは勉強はそれなりに出来るはず。

ただ、実践してもらうと、上手に出来ているとは言いがたい。

其処で、燐火のやる様子をスマホで撮影してもらい。

市原さんのやる様子も撮影して、比べて見せる。

それで、本人がある程度理解できたようで。少し上達した。それだけでは早くはならないが。

それでも役には立つはずだ。

「努力しろなんて言葉だけで片付けるのは論外ですが、とりあえず今見せたとおりに練習してください。 出来る範囲で大丈夫です。 練習すればそれなりに成果は出ますが、個人差があります」

「う、うん、ありがとう……」

「いいえ、問題ありません」

周囲の生徒が、なんだか異物でも見るような目を向けてきていたが。

燐火が見返すと、ひっと声を上げて散っていった。

涼子が来て、軽く話す。

「怯えられているね」

「どうでも良いですよ。 むしろ絡んでくるカスがいなくてそれで気が楽ですし」

「容赦ないなあ相変わらず」

「それより、今日は大丈夫ですか?」

燐火が見たところ、例の奴はいる。

いるのか、それとも何かしらの足がかりにしているのかはわからないが、明確に気配がある。

ニンフォマニアという涼子の状態の診断や。

なにか涼子に仕掛けている悪神が淫魔に近いという話を聞くと。

どうしても心配になる。

欲求の量なんて、人それぞれだ。食欲が多い、睡眠欲が多い、性欲が多い。別に過剰でなければそれでいいだろう。

燐火はそれについてどうこうというつもりはない。

ただ過剰なのは問題だ。

それは人を壊す。

金木のカスどもだって、度が外れた権力欲と金銭欲がなければ、あんな風にはならなかったのではないかとも。

涼子は今日は大丈夫と言うけれど。

あまり燐火には大丈夫そうにはみえない。

いずれにしても、どうにかしてやらないといけない。

燐火にとっては。

大事な学校での友達なのだから。

その日から、市原さんとは時々話すことが増えた。

一度喋ると、思ったよりずっと知的で、ものもよく知っている。話を聞く限りは、かなり面白い。

「常識」だとか「ブーム」しか知らないような人間より、話していてなんぼでも有益である。

少し古いゲームなどの知識にも詳しい。

燐火はそういうのは全然知らないので、色々と参考になる。

ただ、「周りと違う趣味を持つ」事は、スクールカーストでは邪悪とされるらしいので。市原さんには居場所がなかったし。

変なものを見る目で見られてからは。

周囲に一切関われなくなったという話だった。

三人で帰りながら、そういう話をして。

燐火はより強く怒りを覚えた。

この国は古い時代の悪しき面を今によみがえらせようとしている。

はっきりいって、これはただの抑圧だ。

しかも今でも、会社なんかは「何でも出来て何に対しても忠実な奴隷のように使い捨てられる新人」なんてものを求めていると聞く。

そんなものがいるわけがないだろうに。

スクールカーストとかいうゴミを受け入れてしまっている時点で駄目だ。

これをどうにかしないと、未来なんかないだろう。

二人と別れると、燐火はケルベロスと軽く話す。

「やっぱりスクールカーストとかいうのは、ぶっ潰す以外にない」

「この国は民主制を取り入れているのに、確かにそれと真逆の制度だ。 馬鹿馬鹿しくて話にもならんな」

「確かケルベロスが信仰されていた時代のギリシャで民主制って出来たんだよね」

「民主制とは名ばかりであったがな」

そうか。

いずれにしてもあまり良い気分はしない。

やはり、この国を変えられるくらいの立場が必要だろう。

総理大臣なんかは、実際には出来ることが限られている。この国の政治家は極めて無能だ。

それは国会中継の動物園ぶりを見ていれば理解できる。

だとしたら、この国を実際に動かしている上級公務員しかあるまい。

燐火は決める。

馬鹿げたスクールカーストを叩き潰すために。

この国の最上位に近い場所まで行く。

全て実力で、だ。

それには涼子と並ぶくらいの学力がないと駄目だろう。更に精進しないといけないと判断した。

それに、ダイモーンも片付けなければならない。

その背後で暗躍している悪神も。

やることが少しばかり多いが。

それでも、必要なことだった。

 

1、複合魔は再び

 

カトリイヌさんが、連絡を入れてくる。

家に帰ってすぐだ。

電話に直に連絡である。

はっきりいって、かなり心配だと言える。

「どうしました」

「すぐに来てくださいまし。 位置は送りましたわ」

ドゴンと、爆発する音。

これはちょっとただ事ではないな。

即座に電話を切って、位置を確認する。街の外れか。今の音も、燐火にだけ聞こえたのかもしれない。

おとうさんに、出かけてくると告げる。

今料理中だったから、手伝おうかと思ったのだが。

おとうさんも燐火の顔を見て、急用だと悟ったのだろう。行っておいでと、送り出してくれた。

カトリイヌさんは最初のような嫌悪感はない。

向こうが認めてくれたというのもあるのだろう。

それから態度がとても柔らかくなった。

こちらとしても、今は敵意は感じない。

とにかくこれは着替えている暇もないな。魔法のステッキ(鉄パイプ)を鞄に刺すと、現地に。

途中、日女さんからも連絡があった。

「今俺もそっちに向かっている。 先に現場に着きそうか」

「はい。 どうにかなりそうです」

「わかった。 とにかくやばい気配だ。 急いでくれ」

この有様だと。

いきなり総力戦か。

走る。

黙々とひたすらに。

すれ違った奴が、確か一個上の女子だったか。

去年いじめを行う男子をぶちのめした時。いじめられる側が泣く様子を見てにやついていた女だ。燐火が介入。容赦なくいじめを行っていた男子をたたき伏せたが。燐火にぶちのめされた男子を見て、それで真っ青になっていた。

燐火を見て、ひっと露骨に悲鳴を上げていた。

どうでもいい。

さっさと走る。

あいつを見ていても、いじめを普通の人間が好んでいて。だからなくならないのだとよくわかったっけ。

カスの生態への解像度が上がっただけでも、有意義だ。

それ以外に存在価値がないから、さっさとこの世から消えてくれると良いのだがと燐火は思った。

ともかく走り、現地に。

立て続けに爆発音が起きている。だが、周囲がそれに気づいている様子はない。

ダイモーンの気配だと、ケルベロスはいう。

ただし、である。

「今回は逆だ。 ダイモーンは極めて弱い。 これはおそらく、一神教の悪魔が主体だとみて良いだろう。 いや、それだけではないな。 この国の魔も混じり合っているようだ」

「そうなると、日女さんも連携しないと倒せないね」

「そうだな……」

それぞれの文化圏の魔には。

それぞれの文化圏の魔祓いが必要になる。

面倒だが、それが事実だ。

だからこそ、色々な魔祓いを抱えておかなければならない。複合型の魔は滅多に出てこないらしいのだが。

現地が見えてきた。

これは、カトリイヌさん達、押されているな。

それにしても戦っている相手。

なかなかにまがまがしい姿をしている。

頭が三つ、腕が六つ。背中からコウモリの翼。足下はムカデのようになっている。悪魔が主体のようだが、それにダイモーン。この国の魔。

「本当に色々混じってるね、あれ」

「ああ、ムカデのが日本の魔か? いずれにしても尋常な相手ではないぞ。 気をつけろ燐火」

「わかってる」

山の中で、斜面を滑り降りる。途中で何度か跳躍して、速度を落とす。

倒れているカトリイヌさんを見つける。

完全に伸びている。

息はあるな。

前に助けてもらった事が何度もあるから、今度は燐火が守る番だ。セバスティアンさんと、もう一人の若い護衛。それに、数あわせの一神教系の魔祓いが何人か。だが、セバスティアンさんでさえ防戦一方の相手だ。これでは確かに勝ち目はないだろう。

「平坂燐火、到着しました!」

「ありがたい! ダイモーンをお願いします!」

「わかりました!」

即時対応開始。

聖印を切って、ダイモーンを叩きに入る。

見るとセバスティアンさん達は、壁を展開して必死に複合魔の攻撃を防ぎながら、悪魔に対して天使の力で魔祓いを仕掛けているようだが。どうもダイモーンと日本の魔が総合的に力を与えているようで、受けたダメージを即座に回復されたり、魔祓いが防がれているようだ。

ダイモーンへのダメージも、聖印を使っても通りにくい。

これは、厄介な相手だ。

吠え猛る複合魔。

街に出すわけにはいかない。

こいつくらいになると、多分物理干渉能力も持っている。此奴とやりあうとなると、しゃれにならない被害が出る。

それこそ何十人も死ぬだろう。

そうはさせてたまるか。

走って側面に回り込む。

ムカデになっている下半身がしなるように動いて、燐火に襲いかかってくる。有効打を与える手段がないが、少なくとも気は逸らせる。

木を蹴って跳躍。

ムカデの巨大な顎を回避。

顎が木をかみ砕くのを横目に、走り続ける。

次は翼を上からたたき込んでくる。

まるで鎌のように鋭い翼だ。

走りながら回避。回避回避。立て続けに飛んでくるそれは、一発でももらったら即死だろう。

痛い痛いと呻いている魔祓い達は、防ぐことも出来ずにやられたというわけだ。

紙一重でよける。

ケルベロスが幸運を操作してくれているから出来ている面もある。だが、ケルベロスがまずいなとぼやく。

「ヘラクレスと連携するレベルの相手だ。 日女か菖蒲が来ないととてもではないが勝ち目はないぞ」

「時間稼ぐ」

「ああ、それしかない。 ともかく、隙を見て聖印をたたき込め」

わかっている。

立て続けに聖印を打ち込んで、それでダイモーンにダメージを入れる。

ケルベロスが、あいつはバランスが崩れると、後はもろいと言っていた。

三体の、或いはもっと多いかもしれないが。

それぞれの魔が絶妙に相互補完しているようで、面倒極まりない連携をしているようだ。

人為的に作られたものか。

燐火は一瞬思ったが。

これはちょっと、人為的に作るにしては殺傷力が高すぎる。

都会にでも逃げたら、対応できないだろう。

それこそ千人単位で人が死ぬはずだ。

横殴りに噛みついてくるムカデの頭を蹴って跳躍し、とんぼを切って着地。それで頭にきたのだろう。燐火に猛攻を仕掛けてくる複合魔。

三つある頭から、おそらく悪運だろうものを連続でたたき込んでくる。

まともに浴びたら、ケルベロスの幸運が相殺されかねない。

とにかく走る。

その間もセバスティアンさん達が連続して魔祓いを仕掛けているが、やはり決定打になっていない。

矢が、その時突き刺さっていた。

バイクに乗って、ここまで乗り込んできた人。

バイクを運転しているのは菖蒲さんだ。意外とワイルドなことをする。多分オフロード仕様のものだろう。

菖蒲さんが再度放った矢が、ムカデに突き刺さった。

悲鳴を上げて、ばたんばたんとムカデが暴れる。

更に、もっと鋭い矢が、ムカデに打ち込まれた。

高台にいる日女さんだ。

おそらく仏教系の魔祓いの言葉を、印を切りながら菖蒲さんが唱える。

今のは、おそらく日女さんのが致命傷だった筈だ。

ムカデが急速に弱っていく。

唸りながら、無数にある腕を振り回す複合魔。

その腕を、巨大な恐ろしい形相の神格が、押さえ込んでいた。

愛染明王。

そう菖蒲さんが呼んでいた。

なるほど、これが。

菖蒲さんを支援してくれている明王か。林西さんの不動明王ほど有名ではないが、かなり有名な明王であるらしい。

燐火はがっぷり四つに組んだその下をくぐり抜けながら、聖印を切る。

それが、ダイモーンに直撃したようだった。

悲鳴を上げながら、ダイモーンが爆ぜる。

まだ倒しきれないか。

愛染明王と魔の集合体は互角の押し合いをしている。

攻勢に出たセバスティアンさん達が、連続して唱える。

「Amen!」

二体のソロネを主力に、多数の天使が一斉に魔祓いの力をたたき込むが。それでも倒しきれない。

ムカデはぐったりしているが、それにとどめを刺す日女さん。

例の神おろしだろう。

それで一気に力を上げて、ムカデをつかんで、引きちぎっていた。

すごいワイルドさだ。

これで連携は崩れたはずだが、いやまだだ。

ムカデがちぎれたところから、蜘蛛の足が生えてくる。そして、形態が変わる。

蜘蛛が、糸をぶちまける。

むうと呻く愛染明王。

日女さんも、ムカデを放り出して、飛び退いていた。また、多数の足を得た魔。

まだ複合している存在がいたのか。

「こ、これは……!」

「一神教系ではないぞ!」

「日本系でもない!」

ダイモーンでもないようだ。更に複合しているのか。だが、先に比べて連携は弱くなっている筈。

糸をばらまきまくってくるので、とにかく動きづらい。

蜘蛛の糸は、実際には糸というよりも、空気に触れると固まる粘液だ。しかも複数種類ある。これをうまく使って蜘蛛は糸にする。

糸も複数の種類があり、獲物を絡め取る粘性が強いものと、足場にするための堅いもの。それらが存在している。元の粘液を混ぜ合わせることで、この糸の性質を変えるのだ。

こういうのは、勉強している合間に、気張らしで見た情報で覚えた。

今、あの蜘蛛は、糸をばらまきまくってこちらの動きを阻害しに掛かっている。

まずいな。

ますます危険度が上がった。

視界の隅。

必死に立ち上がるカトリイヌさんが見えた。ドミニオンが肩を貸している。カトリイヌさんが加わったところで、何も代わらない。

それでも、ドミニオンの加勢で、悪魔が悲鳴を上げる。

効いてきてはいる。

だが、ダイモーンが弱り、悪魔が押され始めている状況でも、まだ一体変なのが残っている。

聖印を切り、ダイモーンを爆ぜさせる。

悲鳴を上げるダイモーン。

燐火は走りながら、更にとどめといこうとしたが。

その時、何か、嫌な気配がした。

全力で飛び退く。

何かが、燐火のいた場所を、押しつぶしていた。

転がって、すぐに飛び起きる。

舌打ちが聞こえた。

今の気配、おそらく。

涼子に憑いている奴だ。

それも今の押しつぶし、物理的なものじゃない。戦闘中の隙を見て、何かしらの悪さをしようとしたと見ていい。

面倒なことを。

ケルベロスも気づけなかった巧妙な奇襲。

しかも、一撃を外した後は、既に逃れたようだ。本当に逃げ足が速い。

セバスティアンさんが、壁を砕かれた。

ソロネが蜘蛛の糸を浴びて、もろに吹っ飛ばされる。

その時である。

「やあやあ我こそはケルトのドルイド! 危機に呼ばれてはせ参じた!」

いきなり脳天気な名乗りである。

だが、それで戦況が一変する。

たたき込まれた何か。

おそらくルーン文字による魔祓い。

それで、蜘蛛が爆ぜ割れる。悲鳴を上げる蜘蛛。

どうやら、ドルイドを名乗った若い声。ちらっと視線を送ると、なんだかステレオタイプの魔女っぽい姿だが。

ともかくその女の子。

燐火よりだいぶちっさく見える子が、やったようだった。

一気に愛染明王が、魔を押し返す。

日女さんが魔祓いで身体強化した拳を、複合魔にたたき込む。時間さえ稼げれば良い。通らなくてもだ。

カトリイヌさんが、十字架をかざして、魔祓いの言葉を叫ぶ。

燐火も、聖印を切って、ダイモーンにとどめを刺していた。

爆ぜる。

三種、いや四種の魔が複合していた凶悪な魔は。

それで消し飛んでいた。

 

自衛隊が来て、応急手当を始める。それが終わってから、倒れている一神教系の魔祓いが、何人か連れて行かれた。

カトリイヌさんは燐火に連絡を入れた後、もろに吹っ飛ばされて気絶していたらしい。

とりあえず頭とか打っていないか確認するために、これから病院に行くらしい。まあ、ケルベロスが見たところ、致命打はないし、それほど心配はいらないだろうということだったが。

菖蒲さんの愛染明王が途中から複合魔を押さえ込んでくれていなければ、多分倒せなかっただろう。

燐火も流石に疲れた。

一応診察は受けるが、怪我はしていない。

ただ、診察に来た医師は、魔法のステッキ(鉄パイプ)を見て真顔になっていたが。

セバスティアンさんが、既に格好をしっかり整えていた。

プロだ。

山の中での話し合いもなんだということで、そのまま移動する。

菖蒲さんはバイクで来たが、かなり頑丈そうな奴で、特に山の中も問題なく来られたらしい。

見かけと色々とあっていない人だなと、燐火は思った。

近くの喫茶店に降りる。

あれほど激しい戦いの後だとは思えない。

カトリイヌさんの護衛の若い方は、病院に付き添いに行った。

それを見送ってから、セバスティアンさんが話をしてくれる。

「連絡が遅れまして申し訳ありませんでした」

「一体何があったんですか?」

菖蒲さんが小首をかしげるが。

明らかに口調は責めるものだ。

確かにこの事態、下手をするととんでもない被害が出ていただろう。街が壊滅していてもおかしくはなかった。

情けない話なのですがと、セバスティアンさんが言う。

あの複合魔が出た時、気配は確かに悪魔のものだった。

それで一神教系の魔祓いがたくさん常駐していたこともある。

すぐに出た。

問題は、この間クソ神父がトラブルを起こしたこと。

それもあって、汚名をそそぐために皆相当に焦っていたそうである。

セバスティアンさんが遅れて現場に到着したときには、ほとんど先発隊はぶちのめされて、地面に転がっていたそうだ。

悪魔が、複合魔になったタイミングについては、わからない。

だが、相手が明らかに複合魔であり。

一神教系の魔祓いだけでは倒せないのは明白だったのに。

魔祓い達は、支援を拒んだという。

カトリイヌさんより立場が上の魔祓いがいたのも問題だった。

「例の神父の件もあって、バチカンから枢機卿が来ていたのです」

「枢機卿?」

「最高位の聖職である教皇は選挙で決めるのですが、その選挙権を持つ高位の司教のことです。 この国にも何名かいるのですが、魔祓いの資格を持つ枢機卿は世界にも数名しかいません。 この国の枢機卿に該当者はおらず、バチカンから魔祓いの指揮官として枢機卿が来ました。 普段はバチカンに常駐しているその人物は、我々の中でも最高位の人物でして」

「ハ……」

ケルベロスが失笑する。

燐火としてもなんとなくわかってきた。

いわゆる政治的なあれこれだ。

魔祓いとしての実力があることと、政治的な権力があることは全く話が別だとみて良いだろう。

今回のスキャンダルで教皇が手下を派遣してきて。

そいつが魔祓いの力はそれほどではなくても、発言力だけ大きければ。

あんなやばい魔が出た場合には、それは現場は混乱する。

「「幸い」彼は戦闘開始程なくして、天使の守護の甲斐もなく吹き飛ばされて意識を失いました。 それでカトリイヌ様に指揮権限が移り、それで支援要請を出すことが出来たのです」

「事情はわかったが、現場を知らない奴をこんな修羅場に出すな。 今の教皇も、確か元魔祓いだったよな」

「お恥ずかしい話です。 教皇になられてからは魔祓いの現場から離れていますし、何より彼もどちらかというと政治的な手腕で教皇になった方でして」

日女さんの糾弾に、自分のことのようにセバスティアンさんが頭を下げる。

それを見て、燐火は大変だなと思った。

とりあえず、退治できたのはいい。

菖蒲さんが咳払いして、細かい戦闘の状況、気づいたことが何かないか。いずれも聞いていく。

それでわかってきたのは。

最初からかなり危険な悪魔だったこと。

それに対して、数だけいた一神教の魔祓い達は、役にも立たなかったことだ。

何がエクソシストか。

ため息が出る。

一神教はもっとも信仰されている信仰だ。三つの派閥あわせれば、その信仰人数は圧倒的。

それなのに、この有様。

燐火も、これでよく有名な悪魔はだいたい祓えたものだと、感心してしまう。別の意味で。

或いはだが。

祓ったと思っているだけで。

悪神が祓われてもいずれ復活するという話のように。

魔も復活しているのかもしれない。

「とりあえず、今回の件は、活躍為された方々には日本国に報告書を出しておきます。 ボーナスがはずまれると思います」

「金なんかどうでもいい。 あんたらの指揮系統を整理してくれ。 教皇が余計な事を言ってくるのではなくて、ちゃんと現場がわかる奴が指揮をしてくれ」

日女さんがずばり言う。

言い方は厳しいが。

燐火も悪いが同感である。

咳払いした菖蒲さんが、さっき手伝ってくれた魔女っぽい子が来たのを視線で知らせてくれる。

燐火と同年代に見えるが、とても幼く見える。

西洋の人は大人っぽい印象があったが。

あれはちょっと若すぎるような気がした。

カトリイヌさんが天才として知られていると言っていたし、それなりの年齢の筈なのだが。

「やあやあ我こそはケルトのドルイド! 名はエヴァンジェリンと申す! 一同、お見知りおきを!」

「すごいテンションだな……」

日女さんが呆れる。

菖蒲さんは微笑ましそうにその様子を見守っていた。

鎌倉武士みたいな名乗りを上げたエヴァンジェリンさんは、ない胸を張る。

「私は天才だ! 褒めろ! 褒めろー!」

「エヴァンジェリンさん、こちらの席にどうぞ」

「おお、これが日本のふぁみれすであるな!」

「カフェだよ」

しらけた日女さんの突っ込み。

カフェと言われて、小首をかしげていたエヴァンジェリンだが、翻訳機能が働いて、それで理解したようだった。

ともかく席に着くと、いきなりお子様ランチが食べてみたいと言い出すので、皆が視線を背ける。

日女さんが。

あの抜き身の刃みたいな日女さんが、口を押さえて視線をそらしていた。

まあ、燐火もわからないでもない。

とりあえず、紅茶を出す。

それで皆で名乗る。

咳払いして、燐火がまず切り出した。

「貴方は北欧系の魔や悪神対策の専門家で構いませんか?」

「うむ! 我こそは当代随一の天才ドルイド! 魔女でもあるエヴァンジェリンだ!」

「魔女……」

「魔女は一神教で悪魔に魂を売った災厄をもたらす悪女のように喧伝されたが、実際は欧州の雑多な信仰が悪魔化されて、それが貶められたものなのだ! ハッグと言われる地母神信仰が特にその母体の一つとなっている。 故に私は、天才故に、ドルイド信仰の魔祓いを研究しながら、魔女としてもやっているのだ!」

高笑いしようとして咳き込むエヴァンジェリン。

面白い人だな。

ケルベロスが呆然としていた。

こういうタイプは苦手なのかもしれない。

ともかく、やっと力のあるドルイドが来てくれた。これで、涼子にちょっかいを出している悪神を。

あぶり出せるかもしれなかった。

 

2、反転攻勢

 

とりあえずエヴァンジェリンさんと連絡先を交換したあと、一度戻る。

流石に上位の悪神が相手となると、専門家でも対策が必要らしい。

エヴァンジェリンさんに、後でメールでいくつか話を聞く。

一応、今までわかったことについては、エヴァンジェリンさんにも展開はされているようで。

話が早くて助かる。

それによると。

やはり北欧神話における大地神……豊穣を司る奔放な神は、フレイヤだけではないという。

そもそもその兄のフレイもそうだし。

フレイヤが複数の役割を持たされ、いくつもの別の神が派生しているそうだ。

例えばオーディンの妻はフリッグという神だそうだが。

これも元はフレイヤだったものが、オーディンの妻としての神格として、別の名と役割を与えられ。

そのうち別の神として独立したものであるらしい。

そもそもオーディンにもオズという原型となった神が存在しているらしく。

北欧神話というのは、多数の割拠した神話、それが変遷していく過程を強引にまとめた結果。

別文化圏の神々を巨人として獰猛な神々の敵としながら。

その巨人と婚姻するような話が幾らでもあったり。

フレイとフレイヤもその巨人族がおそらく元祖であろうに。

今ではアース神族の一員づらをしていたりと。

あらゆる意味で意味がわからない代物になっているのだそうだ。

だから神話としては完成度が極めて低い。

ドルイドでありながら、エヴァンジェリンさんはそうとまで言い切っていた。

ケルベロスも苦笑い。

「ギリシャの神々も、それは同じではあるな」

「そうなんだね」

「元々ギリシャの神々は、ギリシャに割拠した様々な民族の神を強引にまとめて、一つの物語にしたものだ。 だからゼウスの性格などは神話がまとめられた時期によってだいぶ異なっている。 冷厳で圧倒的な最強であった時代もあるし、女とみれば自分の血縁者であろうが見境なしの色情狂の駄目親父だった時期もある」

凄まじい酷評だ。

例えばギリシャ神話最強の怪物としてテューポーンという存在がいるという。

これは台風を神格化した存在で、この名前からタイフーンという言葉が出来。更にそれがそのまま台風になったので。

現在日本にも、そのまま名前が影響を与えている神格だと言える。

ゼウスを一度は打ち破った邪神として名高いテューポーンだが、それも神話が書かれた時期によって状況が異なり。

古い時代の神話では、ゼウスは圧倒的な戦闘力を有しており。テューポーンを一瞬で倒してしまうようなものまであるという。

そういうものだ。

ただ、ギリシャでは、荒々しい暴力だけではなく。それはそれとして優れた文化も存在していた。

口伝ではなく、書物として物語を伝えることが行われ。

信仰の祖となる神々の物語をまとめる行動が盛んだった。

だから現在のギリシャ神話の話の流れになるように、多くの人々が工夫して。それでまとまっていった。

だからこそ、現在でも誰にも愛される物語として。

ギリシャ神話は残っているそうだ。

信仰が弾圧され。

否定された今でも、である。

まあ、ギリシャの後継国家とも言えるローマにて。その神話が輸入され。お行儀よく改編されたのも理由ではあると、ケルベロスはちょっと苦笑いしながら言っていた。

風呂に入ったあと、涼子に連絡を入れる。

メールでの連絡は、少し返事が遅れた。

あまり調子はよくなさそうだ。

明日は来られるかと聞くが、大丈夫だそうである。

しかし、北欧の悪神と化した何者かが悪さをしているのであれば、それは決して楽ではないだろう。

ビッチオブビッチとまで言われるフレイヤがもしもそのまま悪さをしているのであれば。

きっと涼子はいずれ精神を病んでしまうだろう。

医師に診察されたとおり。

本当にニンフォマニアになってしまうかもしれない。

もしもそうなったら、治るのだろうか。

少し不安になってくる。

涼子のことだから大丈夫だとは思うが、カスみたいな男に引っかかって、身を持ち崩さないと良いのだが。

ともかく、今は。

自称天才のエヴァンジェリンさんが頼りだ。

 

翌日。

疲れ果てている様子の涼子はちゃんと学校に来ていた。

ほとんど学習塾などの習い事はしていないらしいが、それでも十分すぎる成績を上げている。

中学受験をするとしても。

先生の話によると、現時点の実力であれば問題はないという。

興味があるので、燐火もそういった中学受験の問題を見せてもらったが。

これは駄目だなと思った。

どれもこれも、「やり方を知っている」事が前提になるテストばかりだ。

頭を使って解く問題なんかほとんど存在しない。

特に数学が顕著で、これらを一から考えて解ける子供なんているのかと、燐火は何度も小首をかしげた。

要するに高い金を払って受ける学習塾でやり方を教え。

その前提で生徒を振り分ける。

それが中学受験、というわけだ。

最初から普通の学習をしている生徒は、IQが高かろうと門前払いと言うことであって。

色々な意味で、非常に悪辣な試験だなと燐火は思った。

それを見て、涼子は苦笑いする。

「それで涼子ちゃん。 これ、受けるんですか?」

「受けるにしても、いわゆるお嬢様学校とか、資産家が行くような学校にはしないつもりだよ」

「なるほど」

「ふざけた話で、学閥とかそういうのって、中学どころか下手をすると幼稚園の頃からそういう学歴を見るんだって。 それでさぞやすごく優秀な人が選抜されるのかっていうと。 そういうのを通ってきた政治家とか官僚とか見れば、違うことが一発でわかるでしょ?」

その通りだ。

この国でむしろ優秀なのは、アホな連中が「幾らでも代わりはいる」とかいって切り捨ててきた人たちである。

上層部はむしろゴミの山だ。

それを考えると、燐火は涼子の気持ちがわかる。

おそらく学閥だの家閥だの、そんなのに頼らず自活したいのだ。

これでも日本は民主主義国家の筈だ。

それは燐火も勉強していく過程で知った。

それなのに、昔の封建主義国家みたいな馬鹿げたものがこうして残っているし。

むしろ今のスクールカーストなんて代物に身を率先して委ねている者達は。

その愚行に加担しているとも言える。

馬鹿らしい話だな。

そう思って、燐火はげっそりした。

ともかく。一応問題は見せてもらう。

解き方なども聞くが。

やはり涼子は大分先を行っている。

話によると、普通の高校だったら、もう受験だって受かるそうだ。

すごい話ではあるな。

そう思う。

ともかく黙々と勉強をして、学校は終わり。

この間から仲良くなった市原さんと一緒に三人で帰る。

これは、見ていてわかったからだ。

市原さんは明らかにスクールカーストからはじかれている。

現在のこういった学校で、スクールカーストからはじかれるというのは。燐火みたいに孤独を苦にしないタイプではないと致命的だ。

スクールカーストでは、カースト上位の人間は何をやっても許される。これは殺人も同じである。

故に「いじめ」と称してしばしば殺人が行われるし。

やった奴は自分が悪いなんて事はみじんも思わない。

何しろスクールカーストの上位者様であるから、何をしてもいいと本気で思っているし。何よりも自分が悪いかもしれないと思考する知能を持っていないからだ。

明らかに市原さんはそのはじかれるタイプだとみたので、涼子をさそって一緒に帰るようにした。

何人かの女子が、それで恨めしそうにこちらを見ていた。

痛めつけるためのおもちゃだったのにとられた。

そういう目だった。

金木の一族の件で、あの手の連中は社会に幾らでもいる事は燐火も理解しているつもりであったが。

いずれにしても許されることではない。

燐火と涼子が一緒にいることで、ふざけた「いじめ」と称する犯罪から守れるのであれば。

そうするのが妥当だ。

既に知っていたが、、市原さんは趣味もちょっと変わっている。

雑学全般に詳しいが、特に生物が好きらしくて、色々細かい事を知っていた。

気持ち悪がられると思ったのか、最初はこわごわだったが。

今は燐火が知らない知識にどんどん興味を持つタイプだと理解したのか。いくつも話をしてくれる。

道にいるトカゲには、主にニホントカゲとニホンカナヘビがいる事などを教えてくれて。その見分け方も教えてくれた。

面白いな。

そう燐火は思ったし。

雄のニホントカゲの美しさは、なるほどと関心もさせられた。

そういうものだ。

は虫類だから気持ち悪い。

そんなカスみたいなレッテルを貼ることが、どれだけくだらないか。ある程度知っている人間と接することで。

燐火はまた知ることが出来て、有意義だった。

三人帰路で別れる。

さて、ここからだ。

まず一つ。

ケルベロスに言われている。

ダイモーンである。

それを片付けるのに、エヴァンジェリンさんが同行したいらしい。

ささっと物陰で変身(着替え)すると。

燐火は、現地にケルベロスが言うまま向かった。

 

幸い、ダイモーンはたいした相手ではなかった。最初の頃だったらそれなりに苦労したかもしれないが。

今だったら、さほど苦労もしない。

数度の聖印で叩き潰すことが出来たので、それでよし。見ていたエヴァンジェリンさんが、おーと感心していた。

「すごいな! 天才である私ほどではないが、基礎を極めて、それを磨き抜いていくスタイルか! 魔祓いとしてはいわゆる「すとろんぐすたいる」であるのだな!」

「ストロングスタイル? なんですかそれ」

「よくは知らん! だが天才たる私が、ネットの海から見つけた言葉だ!」

ふふんと胸を張るエヴァンジェリンさん。

やはり魔女っぽい格好をしているが、燐火より年下に見えることもあって、周囲の人が通りがかると物珍しげに見ている。

仮装かなとかいう声もあるが。

本人にとっては正装なのだ。

ちなみにこの人、カトリイヌさんと同年代らしい。

まあ、西洋でもとても発育が悪い人もいるので、それは仕方がない。それに、同年代では屈指の魔祓いだという話だし。

才覚があるだけ、それで十分だと言えるだろう。

「燐火殿の実力は見せてもらった! それでは天才たる私の力を見せる時だな!」

「お願いします」

「ふふふ、任せろ! そして天才である私を褒めろ! 褒めろー!」

「アホにしか見えん」

ケルベロスが呆れ気味にいうが。

それはできるだけ、聞こえないようにするべきだろう。

とりあえず、涼子の家の近くに行くことにする。

勿論着替えは済ませてあるが。問題はエヴァンジェリンさんだ。

こっちは滅茶苦茶目立つ。

それで、仕方がないので、一度日女さんの家に行って、服を貸してもらった。

兄弟姉妹従兄弟がそれなりにいるらしく、家がそれなりに大きいこともあって、お古の服は結構ある。

エヴァンジェリンさんは、多分男物だろう古い服をもらって、喜んでいた。

魔女っぽい帽子を脱ぐと、栗色のくせっ毛と、大きめの目が目立つ随分とかわいい子である。

これはちょっと危ない人に誘拐されるかもしれないなと思って、少し燐火は心配になった。

一応社会人だし、自衛手段は持っていると思いたいが。

そして普通のズボンとシャツに変えたエヴァンジェリンさんは。

発育の悪さが、露骨に出ていた。

色々と遠い目で見ている日女さん。

カトリイヌさんほどではないにしても、中二としては発育が早すぎることもある。

それもあって、複雑な気分なのだろう。

「俺も行こうか?」

「そうですね、万が一があると困るのでお願いします」

「おお、本職の巫女の力、見せてもらうぞ! 天才たる私が、是非見定めたい!」

「そうか、そうしてくれ」

日女さんは若干塩対応だが。

日女さんと燐火とエヴァンジェリンさんで歩くと、目つきが悪い日女さんと、目が死者の燐火と。

やたらまばゆく生を謳歌しているエヴァンジェリンさんで、ちょっと濃すぎるかもしれない。

まあそれはいい。

とりあえず涼子の家の近くに行き。

それから、すっとエヴァンジェリンさんが目を細めていた

トネリコで作ったという杖を取り出し、何やら唱えている。

ぶわりと、何かの力が吹き上がるのを感じた。

これは。

なんだか魔法少女っぽいなと、燐火は思う。

唱えている言葉も全くわからない。

ケルベロスも、黙ってさっきとはまるで様子が違うエヴァンジェリンさんを見守る。

日女さんは、周囲を警戒してくれる。

素で生半可な男を寄せ付けないくらい強い上、いざとなれば神おろしで超人的な力を発揮できる日女さんだ。

見張りをしてくれるだけで、大変に心強い。

何か、鋭い一喝をエヴァンジェリンさんが放つ。

それからしばししして。

何かの力は、収まっていた。

「これは、前のドルイドが恐れて逃げ出すのも当然だ。 天才である私でなければ、危険極まりない」

「それで何があったんですか」

「結論からいうと、涼子という娘は端末とされていたようである。 現在のPCがクラウドを利用しているように、一台のサーバや複合システムに多数の端末からアクセスできるように。 奴は多数の端末を作り、それらを介して移動し、悪事を働いているようであるな」

その端末を。

今断ち切ったらしい。

それは助かる。

涼子はずっと体調を崩していた。それが一気に回復してくれれば。

だが、首を横に振るエヴァンジェリンさん。

「残念だが、体と魂に大きな傷を涼子という娘はつけられてしまっているようだ。 回復はこれから、自分で、時間を掛けてやっていかなければならないだろう」

「影響を断ち切っても、簡単にはいかないんですね」

「そうだ。 手足を切り落とされたら元には戻らないようにだ。 ただ、本人の努力次第では、きっとある程度克服も出来るはずだ」

大きく嘆息するエヴァンジェリンさん。

大量に汗を掻いていた。

とにかく移動する。

近場のファミレスに移動する。

というのも、お子様ランチに興味津々らしいので、是非注文したかったそうなのだ。

カトリイヌさんと同年代と言うことは高校生の筈だが。

まあ。その辺は別に良いだろう。

このファミレスでは、お子様ランチは扱っている。

日女さんがお金を出すという体裁にしたのは、子供が金を出すのではまずいという体面があるからだ。

さっそくお子様ランチが出てくる。

何の疑問も店員は持たなかったようだが。

それについて、エヴァンジェリンさんも気づかなかったようだった。

「おお、これが! この国の子供らが愛するのも当然であるな! 実に楽しげな!」

「良いからさっさと食べろ。 声が大きい」

エヴァンジェリンさんの大げさな声と言葉に、苦笑と視線が集まっている。

日女さんもげんなりしているようだが。

それはそれとして、周囲を警戒してくれている。

おそらく悪神は涼子の体で遊んでいた。

それを打ち砕かれたのだ。

おそらく頭にきているはず。

しかもエヴァンジェリンさんの話によると、もう接続は出来ないようにしたらしい。

そうなると、なおさら怒りを募らせるだろう。

いつ仕掛けてくるかわからない。

そういうことだ。

満面の笑みでお子様ランチを食べるエヴァンジェリンさん。

燐火は蜂蜜入りの紅茶だけ頼んだ。

ケルベロスもそれで喜んでくれる。

「それでエヴァンジェリン。 悪神の正体はわかりそうか」

「今までのヒントからしておそらくヴァン神族だろうが、そもそもヴァン神族は霜の巨人と同一視されている。 女巨人も多く、それらは決して醜い存在ではない。 北欧神話でも人気があるフレイは女巨人の一人を手に入れるため、己の最強の武器である絶対に勝利できる剣を手放して、ラグナロクでそれが原因で敗れるくらいでな」

「それについては勉強しました。 あのスルト相手に、鹿の角で戦いを挑んで敗れるんですよね」

「そうだそうだ。 うむうむ、子供向けではあるが子供だましではないな! 実に美味!」

まあ、エヴァンジェリンさんが嬉しそうで何よりである。

それはともかくとして、話を聞いていく。

まずフレイヤかという点だが。

まだ確証は持てないという。

というかだが。多分違うのではないかとエヴァンジェリンさんは言うのだ。

「フレイヤは性欲の権化のような神格だが、それはそれとしてヴァルキリーの頭目として考えられることもある、戦神としての顔も持っている。 それにフレイヤの性欲は桁外れで、正直子供を痛めつけてもてあそぶだけで満足するとは思えない。 やり方がヴァルキリーの頭目としては手ぬるいし、何よりフレイヤとしてははっきりいって禁欲的であるな」

「ふむ、一理あるな」

「この天才である私が見る限り……」

意外としっかりした動作でハンカチで口を拭いて、ケチャップライスの汚れを取るエヴァンジェリンさん。

こういうところは、随分としっかりしているので。

色々とギャップが大きい。

カトリイヌさん達に天才として知られていたという事は、あるいは良いところの出なのか。

いや、違うな。

色々言動がちぐはぐだし、そういうことは別にないだろう。

「ええと、この天才である私が見る限り、北欧では珍しい戦闘神格ではない存在。 女神。 ヴァン神族。 それに……」

「それに?」

「おそらくだがそいつは、オーディンとは無関係に動いている。 先に顕現したスレイプニルと、連携している様子がない。 だとすると……」

何人か、名前を挙げるエヴァンジェリンさん。

おそらくだが、それほど強力な神格ではないか。

或いは強力であっても、人気がない神格か。

いずれにしても、オーディンとは距離をとっているとみて良さそうだ、という話だった。

とても参考になった。

ともかく、涼子はこれで一段落ついたはずだ。

ファミレスを出ると、満足げなエヴァンジェリンさんが、何かくれる。

小さな人形だった。

「菖蒲とカトリイヌには既に渡してある。 二人とも、念のために持っていてくれ」

「これはなんですか」

「アイドルだ。 この国では違う意味の言葉の使われ方をしているが、本来は騎士などが魔除けに身につけるものだった。 これも一神教起源のものではない。 ただ、一神教徒の騎士達が愛好していたこともあり、一神教とは相性も悪くはない。 悪神と化した相手は、逆恨みして二人、それにこの天才たる私を狙ってくるはずだ。 これがあれば簡単にはやられない筈だが、気をつけてほしい」

「わかりました。 ありがとうございます」

アイドルか。

現在だときらびやかな光の中で踊る人たちをそう言うが、元はこれが語源であったわけだな。

それで解散。

後は帰路についた。

アイドルを見ていると、ケルベロスが言う。

「なるほど、これは確かに力があるものだ。 俺がついている限り、燐火には好き勝手はさせないが。 それでも身につけておいた方が良いだろう」

「わかった。 それにしても、個性的な人だね」

「燐火も大概だがな。 ただ、魔祓いとしての実力は確かだ。 かなり消耗したとは言え、悪神の根を一つ断ち切った。 それで……今のうちに話しておくか」

「うん」

ケルベロスが言うには。

あの複合魔。

おそらくだが、涼子に悪さをしていた悪神の仕業だという。

気配が一致していたらしい。

あの魔は、各地の魔を無理矢理継ぎ合わせたようないびつさで、その中核に何かあった。

魔というのは、所詮は魔にすぎない。

人間の中では、闇が先にあって、そこから光が生まれる。これについては一つの例外もない。

だが神話では、基本的に光が先にあって、魔が後にある。

魔王などと言う存在がよく知られているが。

魔王は所詮は神にとってのかませにすぎず。

邪神であれば神に対応できる。

そういう存在なのだそうだ。

つまり、魔は所詮邪神の下にある存在。

北欧神話のように、神々を滅ぼしてしまう魔が存在する世界観を持つ神話もあるにはあるのだが。

それは例外中の例外。

むしろ北欧の悪神であれば、北欧の魔に極めて近い存在ともいえ。

各地の魔を束ねて、人間に向けるには適しているのかもしれないと。

「俺もテューポーンとエキドナの子として、最初は神々の敵として作り出された。 だがテューポーンにしても、ガイア神が作り出した魔……そういうものなのだ。 燐火、気をつけろ。 俺が探す迷子と、悪神が何かで関わっているとしたら、それは極めて面倒な問題につながるかもしれない」

ケルベロスの言葉は深刻だ。

燐火も、それを聞くと、頷くしかなかった。

 

3、ダイモーンは更に増え

 

早朝だが、走る。

かなり強力なダイモーンだ。

起き出して、即座に出た。朝食をとっていないが、それでもこちらが優先である。

幸い、即座に起きて、目を覚ます訓練は既に出来ている。起きるとなると、一瞬で目を覚ますことが可能だ。

まだ夜明け前だが、既に春も半ばを過ぎていることもあって、白仮面の格好でもそれほど寒くはない。

山の中を走る。

目の前に小さなカナヘビがいたので、勿論踏まずに飛び越える。

市原さんと話すようになってから、更に気をつけて生物と接するべきだと思った。

生きるために殺さなければならない命はどうしてもある。

だが、それだけではない。

だからこそ、むやみに殺してはいけない命もある。

そう考えるようにならないとならない。

逆に、何があっても始末しなければならない命もまたある。

金木一族のような、である。

燐火は走る。

やがて、悪い気配がある。

燐火にも、わかるようになってきていた。

混合型でないといいんだが。

悪神が暗躍していることがわかった。

それもあって、どうしても警戒してしまう。

山を抜けて、霧が薄く出ている中、道路に飛び出し、更にガードレールを越える。

そして、物陰から、それを見つけた。

長い長い首を持つ、髪を振り乱した女性……のように見えるけれど。顔にあたる部分は、まんま突起になっている。

それだけ。

人間に似ているが、なんというか極めていびつだ。

そしてかなり強力なカコダイモーンだ。

頭のような部分から、多数の髪を思わせる触手が伸びていて、蠢いている。

そいつは、誰かの家に張り付いていた。

すっと聖印を切る。

爆ぜる。

悲鳴を上げるカコダイモーン。

容赦をする理由はない。立て続けに印を切る。

こっちを見るカコダイモーン。顔みたいな部分が左右に分かれると、大量の悪運をぶちまけてきた。

さっと飛び退く。

数度飛び退いて、全弾回避。

あんな大きな予備動作の攻撃、もらうか。

そのまま、飛び退きながらも更に聖印を切る。

魔法のステッキ(鉄パイプ)は更にキレを増していて、それでカコダイモーンの全身が次々に破裂。

そして、最終的に砕けていた。

同時に、ものすごい大音量が聞こえ始める。

なんだあれ。この早朝に。

ケルベロスが不愉快そうに言う。

「確かハードロックだったか。 別にどんな音楽を楽しもうと勝手だが、この時間にこの音量でばらまくだと……」

「放っておこう。 どうせろくなやつじゃない」

「……そうだな」

カコダイモーンが消えたことで、悪運はなくなった。

それにこの様子では、やっている奴はカスだ。後は警察に任せておけばいいだろう。

家に着くと、さっさと朝ご飯を食べる。

おとうさんはそろそろ配信を終えて出てくる頃。

おかあさんの様子を見るが、ちょっとつらそうだな。おとうさんが起きてきたら、状態は引き継ぎしよう。

外で朝の鍛錬をする。

重りを更に増やした竹刀で、的を打つ。あらゆる角度から、的を撃ち抜く。

音が漏れると面倒なので、小屋の中で訓練できるようにした。

ここは都心ではないこともあって、それが出来るスペースがある。

淡々と百回的を打ち。

その後は正拳。

投げ。

合気。

それぞれの練習をこなす。

ちょっと物足りないか。ケルベロスが、丁寧に指導をしてくれる。

「更に体力に余裕が出てきたな。 リストバンドを買って、普段はリミッターを掛けておくか」

「片手に一sずつとかだっけ」

「今の燐火だと、両足にもそれをつけていいだろうな」

「そうだね」

ただ、いつでも外せるようにはした方が良いだろう。

燐火はいじめを行ったようなクソ生徒を散々締めてきた。この間は、下級生をぶん殴って黙らせた。

そいつは先生からも目をつけられていたらしく。

燐火がいじめの証拠も映像として提出すると、徹底的に絞られて。以降は厳重に監視されている。

やはりこの手の輩はどうしても自分が悪いという発想には至れないらしい。

反省の色は皆無のようだ。

それで、最近中学生くらいの奴が数人、こっちを伺っている。

燐火の噂は既に広まっているらしく、燐火には手を出せないと判断しているようだが。

涼子や市原が襲われたら、対応は出来ないだろう。

いずれぶっ潰すか。

その時には、流石にハンデつきはまずい。

家にはいると、ちょうどおとうさんがくたくたで防音室から出てきた。それで、おかあさんの状態を引き継ぐ。

おとうさんも長時間の配信で相当に疲弊しているが、頷いていた。

必死に稼いでくれているのだ。

それを燐火はわかっているから、おとうさんを責めるつもりはない。

世の中にはこうやって必死に働いている夫を尻目に浮気して、しかも夫が相手をしてくれないとか抜かすアホがいるらしいが。

そんなのの気が燐火には知れない。

ただ、心が弱るとそうなるのかもしれないし。燐火はまだ子供だ。いずれ考えが変わるのかもしれないが。

とりあえず、そろそろ産婦人科に入院だろうか。

自宅分娩というのもあるらしいが。

それは結構命が危なかったりするものであるらしい。

だったら、危険なんぞ犯さない方が良い。

ちゃんとした病院で、ちゃんと産むのが一番だろう。

黙々と学校の準備をしていると、充子から連絡が来た。

久々に道場に来ませんか。

そういう内容だった。

ふむと燐火は唸る。

充子はあまり同年代の友達がいないと聞いている。まあ、あの浮世離れした様子ではそうだろう。

それに、嫌な予感がする。

充子はいじめを受けたりするタイプではないとは思うが、同時に周囲に対等な友人がいないだろう。

学校なんかでは特にそうの筈だ。

燐火はたまたま涼子がいたからよかったが、同年齢の子と充子が何か話があうとはとても思えない。

精神年齢も違いすぎるだろう。

燐火も色々みてきたから、そういう風に思うようになっている。

それにだ。

何よりも、色々悲惨な事を経験したから、人間の悪意も知っている。

だが充子はどうなのだろう。

とりあえず、行くことにはする。

いずれにしても、連絡は入れておく。

どうせ、近いうちに少し剣を見てもらおうと思っていたのだから。

 

久々に道場に出向く。

道場ではまた人が大分入れ替わっていたけれど。それでもそれなりの人数がいて、それぞれ切磋琢磨しているようだった。

燐火が顔を出すと、充子は少しだけ表情が明るくなったようだった。

すぐに試合をする。

防具を着けるのは久しぶりだが。

動きについては、以前より鋭くなった自信がある。これも実戦を経験しているからだろうとは思う。

ただ、充子は。

更に技を磨いていたが。

瞬く間に一本とられる。

少し背が伸びた充子は、更に動きが鋭くなっていた。

これは、すごいな。

燐火も背が伸びて、筋力がついて。実戦も経験したし、毎日の修練だって欠かしていないのに。

充子は間違いなく天才に属する人間だろう。それが剣のことだけ考えて修練をすると、ここまで強くなるのか。

面白い。

ふっと息を吐いて集中する。

相手の方が格上なのはわかりきっている。だからこそ、試してみる。

二試合目。

同時に仕掛ける。

相手がスローに見えるくらいに集中する。

勿論こっちがその分早く動いているわけではない。

スローに見えるほど集中して、なおも凄まじい充子の動きだが、一瞬だけブレが生じた。

其処に生じる。

面、一本。

鋭い声が上がり、わずかに道場の空気が動いた気がする。動揺が走ったのかもしれない。

充子がここ最近、一本を師範以外に取られていない。

恐らくは、そういうことなのだろうと思う。

下がり、三試合目。

わずかな時間なのに、猛烈に消耗する。

間合いとかでは燐火が有利な筈だが、何しろ技量が相手の方が高い。何よりも、相手は天才。

今の隙を一瞬で潰してきた。

それで、瞬く間に一本を取られた。

ここまでだ。

礼をして、それで終わり。残心して、それで軽く感想戦をする。

やはり充子も、先の隙については反省点だと思っているようだ。燐火としても、あれを突けなければ勝ちなんぞ微塵も見えなかった。

他の選手が試合を開始するので、一度道場を出る。

そこで、軽く話をした。

「何かあったんですか?」

「学校でずっと一人です」

「……」

やはりか。

直接暴力などでいじめられることはないようだ。

充子は運動神経も優れていて、とにかく優等生である。

それがむかつくとかでいじめをする輩もいるようだが、充子には隙がない。それもあって、とにかく周りは無視することに決めたらしい。

どうしようもない連中だなと燐火は思ったが。

今までたまに話していたような子まで、充子に近づかなくなったらしい。

その原因が、にらまれるのが怖いから、だとか。

これは充子にではなく。

充子を空気扱いしている輩に、である。

やはり現時点での学校は、いじめと称する犯罪をする人間にとってとことん有利に出来ているんだな。

それをまた思い知らされて、燐火は慄然とする。

ともかく、師範に話した方が良い。

そう言うと、充子は口をつぐむ。

わかっている。

親に言うと、それが卑怯だという空気がある。だけれども、それはいじめを行う人間に有利なだけのものだ。

子供が犯罪をしていて、その犠牲になって。

それを親に言って何がいけないのか。

そのような空気を作ること自体が犯罪だ。そのような空気なんぞ読む必要はないだろう。

嘆息すると、燐火はいじめを行っている人間の名前を確認しておく。

写真も見せてもらう。

ああ、なるほど。

充子が行っている学校は、それなりに良いところのボンが通うところだという話を聞いているが。

そういうのがろくでもないケースが珍しくもないことは、燐火も金木一家の件で知っている。

これは同類だ。

あそこまで邪悪ではないかもしれないが、それは「やったか」「やれるか」の違いでしかない。

金木の一族は、「やれる」から「やった」だけ。

問題が起きて学校を放り出されたら、その時点で問題になるような金持ちだったら。それは「やれない」。だからやっていない。

代わりに陰湿ないじめをすると。

とりあえず頭を鉄パイプで全員砕いてこようかなと一瞬だけ思ったが。

ケルベロスにやめろといわれて、そうだなと思い直す。

流石にそれはやり過ぎか。

別に燐火はどうでもいいが、おとうさんとおかあさんに迷惑が掛かる。それだけは困るのだ。

とりあえず相手等の素性はわかった。

充子とは、その後道場で散々練習を一緒にやる。

充子には及ばないが、それでももう師範代達でも手に負えないようだから、良い刺激になるらしい。

実際高校生の男子でも、充子相手だと一本も取れないようだ。

それもあって、燐火との鍛錬は、刺激になるし。

気晴らしにもなるようだった。

道場を出て、さてと。

まずは調べた連中の家を見に行くか。

ケルベロスが呆れる。

「確かに充子に解決できる問題ではないだろうな。 だからといって、本気で殺すなよ」

「わかってる。 今度の連中は、「機会がないから殺っていない」からね。 殺っている連中だったら、躊躇なく殺すんだけど」

「はあ。 それでどうするつもりだ」

「そんな連中のところには、ひょっとしたらいるかもしれないでしょ」

ケルベロスが黙り込む。

この辺りには、豪邸もちらほらとある。

どうやって稼いだのか、それとも資産を引き継いだのか知らないが。

燐火の家もそれなりに敷地があるが、これについてはおとうさんが散々苦労して稼いだ結果だ。

資産管理とかのほぼ実際には何もしていない事で金を得たわけではない。

さて、一人目。

いた。

ダイモーンだ。それもかなり大きい。

近くに気配があったから、まさかとは思ったのだけれど。ただ、どうしてケルベロスが気づけなかった。

「あいつおかしくない?」

「……そうだな。 だが、混ざり物の気配はない。 さっさと片付けてしまってくれ、燐火」

「わかった」

あの家に、悪運を注いでいる。

充子にくだらん嫌がらせをしている輩の家に。

すっと、魔法のステッキ(鉄パイプ)を取り出す。聖印を切るのに、なんらためらいはない。

別に金持ち全員が悪党だとかいうつもりはない。

おとうさんだって金持ちだ。

お父さんは悪党じゃない。

家族のために必死に働いている立派な人だ。

だが、性根が腐った子供がいる家の親だったら、あまり性格は変わらないだろう。あんな大きなカコダイモーンに悪運を注がれているような輩は、なおさらである。

爆ぜる。

以前だったら勝てそうにない大きさのカコダイモーンだが、聖印を連続できると、全身が立て続けに破裂していた。

舌なめずりして、そのまま連続して聖印をたたき込む。

心をできるだけ無にする。

憎悪があると、それだけ聖印の効果が鈍る。ケルベロスに言われたことだ。燐火もなんとなく理屈はわかる。

ギリシャの神々はどう考えても「よき神々」などではなく、身勝手で悪い意味で人間くさい者達だが。

それでも光に属する存在だ。

憎悪はそれに起因する聖印の効果を鈍らせる。

立て続けに砕かれたカコダイモーンが、凄まじい雄叫びを上げる。辺り全てが崩落しそうな。

だが、燐火はひるまない。

カコダイモーンがぶちまける、とんでもない量の悪運。それらが、まるで吸い込まれるように、あの家に注がれていく。

充子をいじめている奴だ。

家からへらへら笑いながら出てきた。

どばどばすごい量の悪運を浴びている。それも気づけていない。

タクシーを呼んで、それに乗ってどこかに行くようだ。多分高級タクシーだろう。別に駅まで歩いて行けない距離でもないだろうに、馬鹿みたいな事に金を使っている。

カコダイモーンはヘドロの塊のように家に覆い被さっていたが、ダメージに耐えかねたのか。燐火の方を向く。

それは、多数の眼球が連なった、極めてグロテスクなものだった。

だが燐火は、もっとグロテスクな人間の心というものを幾らでも見てきた。そんなものにひるむか。

聖印を切る。

目玉が破裂する。大量の悪運をぶちまけながら、巨大なカコダイモーンが家に崩れ伏す。

飛び散った悪運が、辺りに飛んでくる。

本能的に避ける。

あれは出来れば浴びたくない。

最後の聖印を切ると、少し疲れていた。

この家は、いじめをやっている連中のリーダー格の家だ。此奴が怖くて、他は従っている可能性が高い。

それにしても。

悪運がコールタールのようになって、家を覆っている。

それがたちまちに消えていく。

菖蒲さんだった。

菖蒲さんが、愛染明王とともに、凄まじい速度で悪運を祓っていく。それが溶け消えていくのをみて。

燐火はちょっとだけ安心した。

 

菖蒲さんに事情を話しながら、帰路を行く。

ちなみに充子を無視させていた他の奴の家に、ダイモーンはいなかった。

ただ。

この住宅街のあちこちに、転々とダイモーンがいた。その全てを魔祓いして、随分と疲れたが。

菖蒲さんは、笑顔を浮かべながら言う。

「あの学校かー。 評判がよくないのよねえ」

「そうなんですね」

「先代の理事長は立派な人だったらしいんだけれどね。 今の理事長になってから、愚民を管理するのはエリートの仕事だ、などとか言い出して。 それで金持ち相手の馬鹿みたいな方針を出して、生徒をとるのに親の年収を条件にしていたりとか、ろくでもないみたい」

なるほどね。

なんでそんなところに充子を入れているのか、師範にちょっと問いただしたくなったが。菖蒲さんが心を読んだように教えてくれる。

なんでも剣道に関しては名門らしい。

その剣道も、最近ではさっぱりだそうだが。

「エリート意識をこじらせたアホばっかりだから、それは学校もおかしくなるよ」

「それにしても詳しいですね」

「んー、実はね。 理事長に今回のとは別件の悪神が憑いてた」

「!」

祓ったのは菖蒲さんらしい。

それで、理事長は近々クビだそうだ。

とにかく様々な悪事を働いていたらしく、袖の下をもらって成績を偽造したり、問題行動をもみ消したりしていたそうで。警察からも目をつけられていたとか。

海外でも裏口入学は問題になっているそうだが。

この理事長は裏口入学御用達とか言われていたらしく。

それもあって、政府でも目をつけていて。

それで林西さんが見に行ったら案の定。

元々性根が腐りきっていた理事長に、更に悪神が憑依した、という状態であったらしい。

林西さんとしては経験を積ませるつもりであったそうで、菖蒲さんが祓ったらしいが。

それなりに手強かったし。

悪神を引き剥がした影響で、理事長の寿命は多分十年以上縮んだのだとか。

「それにこの様子だと、ダイモーンもそいつと無関係とは思わない。 ひょっとして、色々と面倒なことになっているのかもね」

「他人事みたいな言い分ですね」

「いや、ケルベロスに言ってる」

「……そうだな。 俺が探している者は、或いはだが……何かに捕らえられ、利用されているのかもしれない。 先のダイモーンは、俺が感知できなかった。 しかし燐火の聖印は効いた。 ということは……俺が感知できない仕掛けをされていた可能性がないとは言えない」

いずれにしても厄介な話だ。

涼子に悪戯をしている悪神と、オーディンだけが問題かと思っていた。

だけれども、それだけでは話が済まないかもしれない。

だとすると、今後はどうすればいい。

悩む燐火に、菖蒲さんは笑いかける。

「今回の件はもう国が問題視して動いているからね。 それなりに出来る人がそれなりに動いているから。 ただ、ダイモーンは燐火ちゃんしか対応できないから、急に声が掛かるかもしれない。 それは覚えておいて」

「わかりました」

まあ、ヘラクレスさんも対応できるのだが。

それは今は、言わなくても良いだろう。

ともかくあちこちを回って、潜んでいたダイモーンはあらかた片付けてしまう。

それで家に戻る。

さて、これでどうなるか。

問題は、ここからだ。

 

翌夕方。

充子から連絡があった。

学校で全校集会が行われたそうだ。突然理事長が退任して、それで新しい理事長が来たらしい。

厳しそうな人で、その理事長が、名指しで複数の先生を即座に退職させた。

これらの先生は、テストの成績を改ざんするなどの行動をしており、学校の名誉を傷つけること甚だしい。

更に何人かは警察に捕まったという。

充子が行っている学校は小中高とエスカレーター式で行く学校なのだが。

逮捕された先生は、生徒に手を出したりとか色々やっていたことが判明したらしく。中には保護者の親と「不適切な関係」になる代わりに、成績をよくしていた者までいたらしい。

お金持ち学校の実態がこれか。

新しい理事長先生は、本当に今まで申し訳ないことをしたと謝り。

生徒全員に頭を下げたそうだ。

ちなみに充子をいないものとして扱っていた生徒もいなくなっていた。

なんでも会社がとんでもない事を起こしたそうだ。

なんだかしらないが、それで家宅捜索も会社への捜査もはいったらしく、学校どころではなくなったのだとか。

恐らくはもう学校に来ないだろう。

そう新しい、厳しそうな担任の先生は言ったそうだ。

それで、いきなり空気が軽くなった。

今までいじめ主犯格の手下になっていた「スクールカースト上位」の者達は、隅っこで小さくなって震えるばかり。

充子に怖くて話しかけられなかった生徒が、今までのことを謝ってきたという。

もしも充子に話しかけたらどうなるかわかっているのだろうな。

そういうことを言われていたらしく、泣きながら謝ってきたそうだ。

親も会社に色々と関係があったらしく、それもあってどうにもならなかったらしい。

充子はかなり困惑した。

ただ、別にどうでもよかった。

無視されるのは困ったが。

それに、反省しているという子らも、実際にそうかはかなり疑わしい。

充子は剣道を通して、精神修養をしているタイプだ。

だからわかる。

こいつらは、所詮巻き込まれたくないだけ。

今回新しい教師が来て、旧弊を一掃するべく来た。

それに対して、一番問題を起こしていたのがいなくなった。自分がそれに巻き込まれるかもしれない。

事実高校では、一クラス丸々解体されて、別のクラスに振り分けられたところまで出ているという。

四人が退学処分を受けた。

全員がテストで不正をしていて。それで好成績をとっている連中だった。

エスカレーター校だ。

そういう事件はすぐに伝わる。

それもあって、震え上がっているだけだと、充子は看破したようだった。

燐火は、其処までわかっているのなら、何も言うことはないように思ったが。ケルベロスは憮然としている。

こういうときは、背中を押してほしいのだ。

そう付け加えてきた。

「背中を押してほしい、ですか」

「そうだ。 充子はあの年で精神修養をして、子供らしからぬ精神を身につけている。 だが大人であろうがなんであろうが、どうしても最後の決断に手間取る者はいる。 師範には恐らくはもう話したのだろう。 それで何かしらの意見は貰っているはずだ。 充子からして、師範と同じように相談するに足る人間……それが燐火という事なのだろう」

「……わかった」

それならば、燐火がする事は決まっている。

一度風呂に入ってくる。

それで頭をすっきりさせて。それから、返信をする。

「決断をするのは充子さんがするべきです。 ただ燐火であったなら、次にやったら許さないし、反省していなくても許さないと、多少の脅しは掛けておきます。 精神的に動揺している今であれば、それがこれ以上もなく刺さるでしょう」

それで、充子は納得したようだった。

実は師範にも同じ事を言われたらしい。

何もしていないからいじめではない。

そういう極めて悪辣な行為を行い。

更には頭がいなくなった瞬間ころっと宗旨替えをして、ついでに泣き落とし。確かに許される行動ではない。

だから、それがどれだけの意味がある行為だったのかを思い知らせる。

そうしないと、悪しき成功体験を積んで、何度でも繰り返す。

それが、燐火の学びだ。

充子はこれで良いだろう。聡明な子だ。自分で判断できるはず。判断した後は、適切に行動だって出来るはず。

無言で燐火は勉強を進める。

既に中二の勉強までは進めた。中三の勉強は、英語がとにかく苦戦中だ。だけれども、これは出来るようにしておきたい。

今のうちにここまで進めておけば。

いずれ自分が、この社会を変える側に回れる。

ケルベロスがいなくなって、幸運が味方してくれなくなった時。

自分の力だけで、全てをひっくり返さなければならない時が来る。

その時燐火は。

自分の足で立っていたい。

恐らくは、充子もその側の筈だ。

なれる機会を得た。

ならばなりたい。ただそれだけ。

金を持っているだけの猿にはなりたくない。それも、ずっとここ最近、見ていて思っていることだ。

返事を見て、ケルベロスは納得したようだった。

「それでいい。 燐火、よく判断できたな」

「うん。 それはそれとして」

「うむ?」

「やっぱり判断に背中を押して貰うってのは、充子ちゃんくらいの子でも必要になるんだね。 燐火も時々ケルベロスに押して貰っているのかな」

ふっとケルベロスが笑った。

そうか、押して貰っていたのか。

まだ燐火は自分のことすら理解しきっていない子供。

それがわかればいい。

少し前にならったことがある。

今の中華ではすっかり廃れてしまった言葉だ。

彼を知り己を知れば百戦危うからずや。

孫子という昔の大軍略家が残した言葉。燐火はまだまだ、己を知らなければならないのだなと思った。

 

4、絡まる糸の先に

 

舌打ちして、そのものは涼子の家から離れた。というか、強力なルーンで封じられていて、近づけない。

駄目だ。

あの面白かったおもちゃであった涼子という子供とは、もう精神的な接続を確保できない。

ケルベロスが憑いている子供が連れてきたドルイドによって封じられてしまった。

面白かったのに。

苦しむ様子が楽しかったのに。

今まで堕とした人間の中でもかなり頑張っていたから、完全に壊したらさぞや愉しかっただろうに。

それを台無しにされた。

苛立ちとともに移動する。

まだ端末はあるが、どれもこれも壊れたのばかりだ。はっきり言って、これ以上壊しても面白くない。

ともかく、隠れ家に出向く。

其処には、そのものだけではない。

今、この日本で蠢いている問題の首魁が住み着いていた。

「なんだ、遁走してきたのか」

「端末の一つを潰されただけだ。 全くつまらん。 せっかくもう少しで堕として遊べるところだったのに」

「一瞬の快楽のために、子供の一番大事な時期をつまみ食いするか。 相変わらず悪辣なことだ」

「おまえにだけは言われたくないわ」

ケタケタと笑われて。

そのものはいらついていた。

此奴の悪辣さといえば、そのもの以上だ。

それもあって、流石に悪辣と言われれば。悪神に成り果てた自覚がある今としても、面白くはない。

奥で捕らえている奴には触れない。

ダイモーンを際限なく生み出し続けているので、その方が面白いからだ。

作り出したばかりのダイモーンを用いて、実験も出来る。

それで多数の混成型の魔を作った。

今、神々も魔も。

人間には勝てない。

人間は長い間掛けて、信仰が作り出す魔と神を調べ上げていった。それで対策を練ることが出来るようになった。

知られていないが、一神教の四文字の神は既に封じられている。

他ならぬ一神教徒の手によってだ。

それだけではない。

人間の上に立つ存在は、基本的にあらかた封じられている。

今途上国などで暴れている魔や悪神は、昔から見れば出がらしみたいな者に過ぎないのだ。

だが、今回。

此奴を捕らえたことによって、状況が変わるかもしれない。

結局日陰に追いやられた魔も。

道具に成り下がった神も。

人間の上に再び立つ時がやってくる。

そうなれば、「悪」神が。「正しい」神に切り替わる。

それこそが、そのものの狙いだ。

それはそれとして、聖人を壊すのは愉しいし。

高潔な精神を持つものを汚すのも愉しくて仕方がないのだが。

「この間ヘラクレスに捕まりかけただろう。 奴には流石に現時点では勝てん。 まだ準備が足りない」

「わかっている。 それにケルベロスの憑いた子供の成長が著しい。 社会的には孤立しているはずなのに、どうしてか奴の周りにスペシャリストが集まってきている。 あれはどういうことだ」

「運勢の操作だろう」

「だとしても限度がある。 何かからくりがあるはずだ」

話していると、第三者が入り込んでくる。

協力者だ。

それは人型をしていない。

獣の神だった。

「なんだ。 随分と悩んでいるようだな」

「……貴様か」

「ふん、当座の問題はヘラクレスであろう。 俺が打ち倒してやろうか」

「やめておけ。 あれは怪物という存在に対してはほとんど無敵だ。 おまえは世界の神話でも屈指の魔の獣ではあるが、それでも勝てるかは微妙だろう」

そうたしなめられても、獣は笑う。

奥に座り込んでいる男。

女の体のラインを隠してもいないそのもの。

そして獣。

三者三様に意図はあるが。

奥に捕まえているダイモーンを作り出している存在を利用して、この世界の仕組みをひっくり返したいという点で。

利害は一致しているのだ。

「今の時点では、三者の均衡が崩れることが一番まずい。 ましてやオーディンがちょっかいを出してきている」

「あんな老いぼれ、既に敵ではないわ」

「わかっている。 だが、トールはどうか。 簡単にはいかないであろう」

「……」

獣が黙り込む。

物語と成り果てているとは言え、世界でもっとも有名な雷神の一角だ。確実に勝てるとは言えないのだろう。

咳払いした奥の男。

「ともかく、人間どもをもう少し攪乱しておきたい。 複合型の魔が使えることも、ダイモーンが接着剤として機能することも存分にわかった。 ダイモーンは既に世界的にほとんど消失してしまっていたが、此奴を捕獲することによって実験が進む。 それだけでどれほどの希望があるかわからぬのだ。 この希望を失ったら、次の好機はいつになるかわからぬだろう」

「そうだな……」

そのものが同意し。

獣が舌打ちして、其処を出て行く。

三者の連携は決してとれていない。

だが。

それでも、いずれもが、それなりに強力な魔であり、悪神でもある。

悪の宴のさなか。

捕らえられている「迷子」は、静かに涙を流していた。

自分の行いが、どれだけの災厄をもたらしているか。

それを理解しているからだ。

わかっている。

絶望の中、この世に迷い出てしまった。

冥界にずっといればよかったのに。ついまたこの世に迷い出てしまった。

それがどれだけの影響をもたらすかわかっているのに。それでも。

心が弱い。

それを、「迷子」は悲しみ続けていた。

 

(続)