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荒神の野心
序、混成型
また涼子が病欠した。勉強は全く問題ないが、ここ最近少し目立つようである。燐火は淡々と授業の準備をする。
それをこそこそ影で話している奴が何人かいるが。
仕掛けてきたらぶちのめす。
靴に画鋲とか入れる嫌がらせが、おかあさんの時代にはあったらしい。
今はそういうことはないが。
ショート動画に暴力を撮影して。
自己顕示欲のために動画サイトで配信する。
そういう輩が、いくらでもいるそうだ。
これでも昭和の時代よりマシらしい。
その頃はその程度のいじめは当たり前のように横行していて、それが発覚してもいじめられる方が悪いとかいう理屈になったし。
学校ではカツアゲとかいって、金を奪い取るような行為が横行していたとか。
おかあさんが先輩警官から聞いたが。
その手の行為をしていた輩が平然と会社などで役員をしているケースも多く。
そういう連中は平気で人を陥れるし。
殺してもばれなければいい。
そう考えてもいるそうだ。
その手の連中がビジネス誌などで成功したサラリーマンなどとして紹介されるケースがあるらしく。
燐火としても反吐が出る。
今は告発されれば裁かれるだけマシ。
燐火としては、そうとも思うのだった。
無言で授業を受ける。
さて、こっちを恨めしそうに見ている男子が一人いるな。
影でこの間、立場が弱い男子を痛めつけて遊んでいるのを。ぶちのめした。それを恨みに思っている。
しかもその様子は撮影して保管済みだ。
いざとなったらネットにながす。
そういう話もしているので、一切反撃も出来ない。
おかあさんから、こういうときの対応法については聞いている。
幸い今の学校は先生がしっかりしているから、話をすれば適切に対応してくれる。
ただあいつ、思慮が足りない。
また、衝動的に弱者に暴力を振るうかもしれない。
ケルベロスが嘆息する。
「この学舎はしっかりしているのに、ゴミカスはいるものだ」
「後でまたたたきのめそうかな」
「機会をしっかりうかがえ」
「わかってる」
授業終わり。
こっちを恨めしそうに見ているそいつが、何やらスマホで連絡を入れていた。そして、こっちを見てにたついていた。
ああ、何か仕掛けたな。
とりあえず、何を仕掛けたかはわからないが。
黙々と帰路を急ぐ。
そして半ばほどで。
いかにもな、高校生くらいの男が立ち塞がっていた。
多少空手の経験があるようだ。
それの取り巻きらしいのが数人、にやつきながら周囲にいる。そのうち戦えそうなのは二人か。
そしてその後ろの方で、あの男子がこちらを伺っていた。
なるほど、これは一線を越えたな。
「俺のいとこを随分とかわいがってくれたじゃねえか、クソガキが」
「随分と情けないですね。 小学生の女子を相手に、三人がかりですか? それも高校生が」
「……おまえ等、下がってろ。 ちょっと武道やらに心得があるらしいが、通用しないことを思い知らせてやるよ」
取り巻き達が下がる。
敢えて挑発した。
今、六年になった燐火は、更に毎日技を磨いている。
だから、わかる。
単純な空手では勝てない。
リーチが違いすぎるからだ。
パワーも違いすぎる。上背が三割増しの相手である。背が伸びてきたとはいえ、燐火が簡単に倒せる相手はない。
だから組み合わせて行く。
無造作に歩み寄る。
全く恐れないのを見て、そいつはステップを踏みながら、にやついている。
負けたことがない相手を、ぶちのめすのが楽しい。
そういう顔だ。
実際相応に出来るのだろう。
だから燐火が、そのまま歩いてくるのを隙だらけとみている。
だが。
不意に踏み込んで、つかみにかかってくる。その瞬間、燐火は鉄パイプを引き抜くと、その手に合わせていた。
ばきりと、骨が砕ける音。
更に、凄まじい痛みに身をひねったその男子高校生の股を、渾身で蹴り上げていた。
完全に白目をむいたそいつが、数歩下がって、それで倒れる。
泡を吹いている。
悶絶である。
それで、顔色を変えた取り巻き達。
そのうち二人が、血相を変えていた。
「よっちゃん!」
「こ、このガキ! 優しくしてやろうって思ってたら、調子に乗りやがって!」
一人がつかみかかってくる。
二人同時だったら対応できなかったのに。
こっちから間を詰めると、顔面に鉄パイプをたたき込む。鼻と歯が砕けた。剣道で鍛えこんだ剣筋での一撃だ。頭蓋骨骨折しなかっただけありがたく思ってほしいところである。悲鳴を上げて横転するそいつを蹴って飛び越えて、最後の一人の頭に飛びつくと、足を使って三角締めを仕掛ける。
燐火を振り落とそうとするが、その前に締め落とす。
白目をむいて倒れるそいつで終わり。
残り二人の片方が、中古らしいハンディカムのビデオカメラを取り落としていた。或いは誰かから奪い取った物かもしれない。
「ひっ!」
「お、おいこのガキおかしいよ! 逃げよう!」
「そのカメラ、おいていってください」
「……っ」
にらまれただけで、その高校生二人は即座に逃げ出した。カメラを拾うと、悶絶している三人を撮影しておく。
そして、隠れて震え上がっているクラスの男子に歩み寄る。
相手は小便を漏らしていた。
「一線を越えましたね。 こいつらは燐火に暴行を加えた後、犯すつもりだったでしょう」
「ま、まってくれよ! い、いじめられたって相談したら、よいちのあんちゃんが、そうしたいって」
「見ているときにやついていましたね。 この調子で何人か痛めつけたんじゃないんですか?」
「……」
なにがいじめられた、だ。
こいつの反吐が出る行為を許すつもりはない。ゴミを見る目で見ていたかもしれないが。此奴よりゴミの方が遙かに有用だ。
それから、おかあさんに連絡を入れる。
警察が来る。
倒れている三人に対して、自衛した旨を話す。
こいつらは半グレまでは行かないが、札付きで知られている連中だったらしく。カメラを引き渡すと、その中からは暴行を行っている動画がいくつも出てきたそうだ。
その翌日には。
その同級生男子は、学校からいなくなっていた。
なんとなくだが、そいつがどういう奴かは皆知っていたのだろう。
誰も、何も言わなかった。
うちの学校でもこういうのはいる。
六年になって、更に男子が凶暴になってきたのは事実だ。
これは女子も更に陰湿になるな。
そう燐火は思った。
家でおかあさんといくつか話す。
襲われた経緯については、丁寧に話した。自衛が認められた。実際ああしなければ、倉庫にでも連れ込まれて、輪姦でもされていただろう。
実際あいつらには前科があった。
カメラで、中学生の女子をそうして強姦している様子が映されていた。
後で悪質な業者に売りつけるつもりだったらしい。
その様子をにやついて見ている連中も、まとめて聴取の対象になるそうだ。
ただ、それはそれとして。
危ない事はできるだけ控えるようにとも言われた。
わかっている。
更に危ない奴が仕掛けてくるかもしれない。
だからそんなのが脅威にならないレベルになるまで、鍛えておかなければならないだろう。
実際今回の奴は、空手だけだったら勝負にならなかった。真正面からでは勝てなかった。
相手が油断しきっていたこと。
挑発に簡単に乗ったこと。
燐火が剣道もやっていることを知らなかったこと。
それらが勝因だ。
それにおそらくだが、あの与太者はちょっと空手を教わっていて、それなりに自分の身体能力に自信があったこと。
それらがあの暴虐につながったのだろう。
武道で精神修養が出来る人間は限られる。
それは燐火も知っている。
だからああいうカスがいることは。どうしようもないことだとして理解していた。
とりあえずあの三人はそろって刑事告訴されるそうだ。
わかっているだけで暴行傷害四件、さらには輪姦を二人している。カメラにその様子が映っていた。
あのカスの取り巻きと、その女も数人少年院行きだそうである。
まあ妥当なところだろう。
それはそれとして、怒られはした。
ただ、あの男子生徒については危険な相手だとおかあさんには先に説明していたこともある。
説明が足りなかった、という理由で怒られることはなかったが。
とりあえず、身は守れた。
風呂に入っていると、ケルベロスが言う。
「見事な立ち回りだったな。 ちなみにあの与太者の睾丸はどちらも破裂していたが、意図的にやったな?」
「そうしないとすぐにおきてきたのが確定だったし。 他だと合気で肝臓を潰すくらいしかなかったけど、それだと多分致命傷になったし」
「それもそうだ。 もう少し相手の空手の練度が高かったら危なかったな」
「体格は偉大だよ。 もうちょっと背が伸びればなあ。 あんなんでも今の燐火よりも強いんだから」
女子は男子ほど背が伸びない。
それは燐火もわかっている。
背が伸びても、あれほど筋肉もつかない。
どれだけ鍛えても、だ。
流石にオリンピックに出るような女子レスリングの選手とかだと、生半可な男なんて一ひねりにする場合があるが。
それはあくまで最上位層の話である。
まだ燐火は、それには遠い。
風呂から上がると、中学の勉強を先取りしてやる。
先生も燐火の周りでは問題が起きるし。なんなら燐火に喧嘩を売る人間もいるのを悟っているらしい。
燐火に落ち度がないことは理解していても。
それでも注意を払うようになっているようだ。
ただ燐火が、小便を漏らしていた同級生の男子に、鉄パイプを振り下ろさなかったことはおかあさんも褒めてくれた。
状況からしてそれをやってもおかしくないのに、よく自制した。
それは立派であったようだ。
黙々と勉強を終わらせて、少し休憩を入れる。
おとうさんが配信を終えて、疲れ切って出てきた。
燐火も少し料理をして良いと言われているので。少しずつ、簡単なものからやるようにしている。
武道の才能と料理の才能はある程度共通しているところがあるらしく。
それなりに筋が良いそうだ。
まだ本物の包丁は使わせてもらえないが。
黙々と簡単な料理を作り、おとうさんに出す。
味はまあまあだ。
まだ本格的なものを作れる技量ではない。
「おとうさん、配信はどうですか」
「今すごい新人が出てきていてね。 なかなか苦労しているよ」
「早速炎上していた人でしたっけ」
「そうだね。 だけれど、配信の才能は間違いなくあるんだ。 天狗にならなければ、きっと大成できる」
会社と相談して、どうにかして手綱を取ろうと苦労しているらしい。
ストレスがかなりたまっているようだが。
おとうさんもベテランの配信者だ。
なんとかやっていけると信じよう。
夕食を一緒に食べて、それからきちんと時間通りに寝る。
燐火は気配が鋭くなってきたので、たまに余裕があるときにおとうさんとおかあさんが男女の行為をしているのに気づくが。
別にそれで恥ずかしくなったり、体が熱くなることもない。
まあ、夫婦で幸せそうにしているのなら良いことだ。
今日もそうしているようである。
いずれにしても、気にせずさっさと寝る。
ケルベロスは、何か言いたそうだったが。
結局何も言わなかった。
翌朝。
涼子が学校に出てきたが。ちょっと疲れているようだった。
どうも話によると、父親が再婚を考えているらしい。ただこの再婚相手が、見るからにろくでもないそうだ。
父親は以前もろくでもない女に引っかかった前科がある。
しばらくは女嫌いで通していたようだが。
お金があると、どうしてもよくない奴がよってくる。
ただ、涼子の方でも、大人に対する不信感が強いというのもあるのだろう。それもあって、今は様子見だそうである。
男子が一人クラスから消えたことは、涼子はどうとも思っていないようだ。
それよりも。
なんだか違和感がある。
クラス移動中、ケルベロスと話をする。
「涼子ちゃんになんか憑いてる?」
「いや、俺は感じないな。 燐火は何か感じたのか」
「うん。 具体的にはわからないんだけれど、何かの残り香みたいなのを感じるんだよね」
「そうか。 日女辺りに相談しておけ。 俺がかなり幸運で緩和しているんだけれどもな。 それでも周囲の人間が災厄に見舞われる可能性はゼロではない。 より高位の神格が手を出す可能性もある。 油断はしない方が良いだろう。 特に涼子のような優れた子供には、唾をつけたがる神格がいても不思議ではない」
そもそもおかしなのが燐火の周りには集まる。
それをケルベロスは感じているらしい。
ケルベロスが幸運操作していても、なおも燐火の周りは災厄が集まりやすいのかもしれない。
そういう話もされたことがあった。
まあ確かに、これほど良い学校でも、燐火は今まで数人のいじめっ子を締めた。
女子生徒もいた。
そういう奴はめそめそ泣いて見せたりする悪辣な技を持っているので、たたきのめす前に証拠をスマホなどで撮影し。
その上で言い逃れが出来ないようにしてからぶちのめすようにしていた。
おかげで、燐火は完全に恐れられている。
いじめから救った生徒からもだ。
しかしながら、話し合いでいじめが解決するとか。馬鹿みたいな事を燐火は考えていない。
結局のところいじめなんかするような奴は、性根が生涯変わらない。
そうとも思っている。
それなら、早いうちにへし折った方が良いだろう。
それが燐火の結論だった。
いずれにしても、今気になるのは涼子だ。
次の授業。
化学室で、それなりに本格的な理科をやるようになってきた。昔はアルコールランプというのを使ったらしい。
ケルベロスは興味津々で化学室の機器を見ている。
科学の産物と神々は別に相性が悪いわけでもないらしく。
人間が作り出したものを、面白く眺めることが出来るらしい。
理科の先生は変わり者で知られているが、それでもきちんと話を聞いてくれる良い先生だ。
ぼさぼさの頭とだらしない白衣が知られているが。
結構いい人だと燐火は思っている。
ただ、女性教師にはあまりもてないらしいが。
それはまた残念なことだと燐火は思っていた。
先生が言うとおりに器具を動かして、実験をする。
既に予習をしている分野だが、実際に手を動かしてやってみると新しい発見があるものなのだ。
なるほど、これは面白いな。
淡々とやった実験についてまとめていく。
涼子も少し調子が悪そうだが、それでも特に問題がない。
「あ、あの、いいかな」
「なんですか」
気が弱そうな女子が声を掛けてくる。
明らかに腰が引けているが、燐火としては別に威圧なんかしていない。
なんでも機器がうまく動かないらしい。
もう使い方は覚えたので、ぱぱっと実演してみせる。
それで、どうすれば動くのかも説明すると、安心したようだった。
「ありがとう平坂さん。 助かった」
「別に問題はないですよ。 いつでも聞いてください」
「え、う、うん……」
やっぱり恐縮されている。
別に威圧なんてしていないんだがな。
そう、燐火は内心で少しだけ困った。
涼子は問題なくやれている。見た感じ、生理痛とかで不調でもなさそうだ。黙々と二人でまとめて。
授業が終わるまでに全て片付いていた。
授業が終わった後も、機器をテキパキと片付ける。
そういえば、こういうので先に動く人間を下に見る風潮もあるのだったか。
偉そうに何もしないでくっちゃべっている男子の方に燐火が行くと、さっとそいつらの顔色が変わっていた。
「な、なんだよ」
「さっさと片付けを」
「そんなの他の奴がやればいいだろ」
「片付けを」
声に威圧を込めると、真っ青になった男子達が動き出す。一番偉そうにしていた太った奴は、転んで、それから立ち上がっていた。
もたついた動きを見ていると、反吐が出る。
だが、こういうのに勘違いをさせないのは大事だろう。そう燐火は思った。
1、新しい影響を受けるべし
久しぶりに充子と会う。
前にあったときよりかなり背が伸びていた。
道場に遊びに行ったが、せっかくなので久しぶりに立ち会う。道具を貸してもらって、向かい合う。
実力差はあまり変わっていない。
いや、少し縮まったか。
背丈は燐火の方が伸びたようだ。伸びざかり、ということもある。技量の伸びは同じくらい。
身体能力の分、燐火の方が強くなった。
いや、違うな。
これはおそらく、実戦経験のぶんだ。
びりびりと来る威圧感。
実力的に相手が上だからこそ来る、この強烈な威圧を、燐火はいなせるようになってきていた。
そして負けが死に直結しないこういう場で。
しっかり格上とやりあって、経験を積んでおく。
それが大事だとも、燐火は考えていた。
だから貴重な機会だ。
試合開始。
鋭く打ち込みあう。
間合いを計る。動きは相変わらず極めて鋭い。
攻め込んできたところに、燐火もカウンターを入れる。一瞬だけ、今回は燐火が早かった。
一本。
鋭い声が上がった。
おおと、周囲の道場生が声を上げる。
燐火が前に通っていたときと少し面子が変わっているが。燐火を覚えている人間もいるのかもしれない。
だが、その後は、二本とられて負けた。
一本はかろうじて取れた。だが、剣道に関しては充子の方が遙かに格上である。それが再確認できた。
ただ、これならば。
二十回やれば、四から五回は一本を取れるとも、燐火は判断していた。
続いて、師範が出てくる。
相変わらず桁外れの実力だ。
燐火も胸を貸してもらう。
たちまちに三本をとられたが、それでも充分。多少動くことが出来たし、強烈な気当たりに腰が引けることもなかった。
これくらいの超格上とやりあっておく経験は無駄にならない。
それがわかったので、十分だ。
礼をして、試合を終える。
それから客間に通してもらった。
充子と軽く話をする。充子が行っているのはそれなりにいい私立校だそうだが、ろくでもない生徒が何人かいるそうだ。
剣道をやっていることを周囲に話してはいないらしい。
とにかく何か秀でていると即座に叩かれる。
そういうろくでもない場所であるらしい。
「燐火さんの学校は良いところだと聞きました。 私もそちらに移りたいです」
「愚痴なら聞きます。 ただうちの学校でも、先生が抑えているだけでろくでもない生徒はいます。 何回かトラブルもありました」
「そうですか……」
ちょっと悲しそうだ。
充子は温室栽培されているようなものだ。
剣道だけに特化した力。
勿論精神修養もがっつりやっているから、他にもそれは生かせる。勉強もかなり出来る方だというし。
体育に関しても同年代の男子程度は話にもならないらしい。
ただし出た杭を打つ学校だ。
それもあって、体育の時とかは目立たないように敢えて走る速度を落としたりとかしているそうだ。
「ろくでもないな。 この国は豊かで平和なのに、人心の荒廃は確実に進んでおる。 どうして人間はこうして自分が作り上げたものを、自分で崩してしまうのか」
ケルベロスが心底悲しそうにぼやく。
燐火としても気持ちは同じだ。
それからいくつか愚痴を聞かされる。
充子の学校では、理事長の娘が好き勝手をしているらしくて、ほぼ女王として振る舞っているそうだ。
教師も忖度してテストで点数をつけ。
体育などでも、その子供より成績が良いと、即座にいじめの対象にすらなるとか。
馬鹿馬鹿しくて呆れてしまうが。
それが現実なのだろう。
とにかく、連絡先を交換しておく。
それから、庭に出て、二人で素振りをした。素振りを見せてもらうが、本当に綺麗な剣筋だ。
心を研ぎきっているのと。
肉体を研磨しきっているのがわかる。
これだけ出来る子が、生意気だとか力をひけらかしているだとか思われるのか。出る杭を叩いて、何の意味があるのか。
しかも有力者の子供のくだらない自尊心を満たすためだけにだ。
燐火も怒りを感じ始めていた。
自分の剣筋が乱れても意味がない。
とにかく精神を集中して、素振りをする。
明確に身長差が目立ってきたが、それでも充子は臆さずに燐火の悪い癖とかを細かく指導してくれる。
実に助かる。
以前、不良高校生をぶちのめした時、燐火は余裕がなかった。
まあ身体能力に差があったから当然ではあるのだが。
それでももう少し余裕があったら、多少は楽に制圧できたかもしれない。あのときは、燐火もかなり危なかったのだ。
ともかく、少しでも腕は上げておきたい。
素振りをそれから、淡々とやる。
燐火も娯楽はほとんど興味を持てないのだが。
充子もそれは同じらしい。
剣を振るっている時が一番楽しい。それが伝わってくる。
燐火にとってはまだその一番楽しいが見つからない。
だが、ある程度敬意を払える人間の。
一番楽しいがわかるのは、有意義だった。
いつでも愚痴を聞かせてほしい。
そう言って、帰る。
連絡先は交換した。それで十分すぎるほどだ。
家に帰ると、おかあさんが帰ってきていた。テーブルに突っ伏しているのは、これはもう仕方がない。
ココアが出ているが。
多分おとうさんが出したのだろう。
燐火はテキパキと着替える。
おかあさんが、どこに行っていたのと聞いてくるので、剣道の道場にと素直に答えておく。
既にあそこの充子と友達になっていることは話してある。
少しだけ、おかあさんが嬉しそうだった。
「友達のところに積極的に行くのは良いことだよ。 そのまま、もっと遊んでいてもいいからね」
「ありがとうございます。 でもまだ足りないので」
「そうか……」
やって良いことは既に決められているので。
様子を見て、料理なども練習をしておく。
クッキーについては作り方は教わったが、驚くほど計量を重視しなければならない世界で。数学に近い。
そういう意味では、理論的にやらなければならない事もある。
むしろ覚えれば、燐火にはうまくやれそうだ。
今日も練習で少し作ってみる。
だけれども、まだまだである。
おとうさんが作る奴には遠く及ばない。これでも生焼けにはならないだけマシだが。
まだまだチョコチップクッキーとか、そういう高度なのは作れないだろう。身の丈に合った奴を作っていくだけだ。
「プレーンのクッキーとしては悪くないね。 まだ市販の奴のがおいしいけど」
「もっと練習しないとですね」
「まだ小六なんだから、だらだら遊んでいても良いんだけど」
「おかあさんも、この年くらいにはあちこち回って精神修養をしていたって聞いています」
苦笑いするおかあさん。
それについては、事実だ。
前におかあさんが世話になった人たちを回ったとき、そういう話をされた。
今の燐火みたいに死んだ目をしていた訳ではなかったそうだが。
当時のおかあさんは、とにかくとてもとがった目をしていたらしい。
鋭くて、触ると手が切れそうなほどだったそうだ。
燐火は。
将来はどうすればいいのだろう。
涼子は法曹に進みたいようだ。
燐火も、社会を動かす方法で行きたい。
だが、政治家ははっきりいって駄目だ。だとすると上級公務員だろうか。
それとも。
この間、カトリイヌさんに連れて行かれて、腐敗しきったカトリックの魔祓い達を見てきた。
あれは悪い例だが。
魔祓いとして力を極めれば、或いは。
この国だけではなく、この世界に。
普通の社会人なんかとは比べものにならないほど、大きな影響を与えられるかもしれなかった。
ともかく、おかあさんは疲れているようで。
コーヒーとまだあまりおいしくない燐火のクッキーを食べると、寝室に消えた。
おとうさんはしばらくは防音室。
それも、この様子だとおそらく今日燐火がおきている間は防音室からは出てこないとみていい。
さっとスマホでおとうさんの配信を見たが、やはり耐久だ。
ブロックを積んで世界を作るゲームで、巨大な建造物を作る配信をしているらしい。
十人くらいの配信者が合同でやっているが、別の箱の人も参加しているようであるし。かなり大事な案件だ。
おとうさんも気合いを入れて臨んでいるだろう。
黙々と勉強をしていると、ケルベロスが声を掛けてくる。
ダイモーンだ。
別に疲れはない。
着替えて、即座に出る。
ダイモーンはそれなりに手強そうな個体らしい。六年になって更に力はついてきたが、それでも油断は出来ない。
ともかく、燐火のところに誘引したのだ。
確実に片付けなければならないだろう。
現地へ走る。
足が少し伸びて、走る速度も更に上がった。
とにかくひたすらに走る。
森をつっきり、ブロック塀も跳び越える。
白仮面は既に噂になっていて。
たまにオカルトマニアだとかいう人が、動画を作っているのを見かける。
それくらい名前が知られ始めていると言うことは、そろそろもう少し、正体を隠す工夫が必要かもしれない。
跳躍。
坂を蹴って走り降り、地面をなんとか蹴って勢いを殺しながら着地。
それでほとんど音を立てない。
それが出来るようになってきていた。
ケルベロスの指導を受けて、練習を何度もしたのだ。木陰から、様子をうかがう。かなりでかいダイモーンだ。
前はケルベロスに言われないと気づけないことが多かったが。
今はケルベロスに言われなくても、ほぼ確実に気づけるようになってきている。
ばかでかいダイモーンは、三つ足の、不格好な塔みたいな姿をしていた。その最上部には、巨大な目がいくつもついている。
そして見下ろしている先にいるのは。
ちょっと前に、燐火が理科室で動くようにせかして。
それで動かした男子生徒達だった。
たむろして、何かくっちゃべっている。
「あの燐火とか言う奴、マジでうぜえ」
「五年生の時、六年の男子をなんどもボコったらしいよ。 怖いから近づかないようにしておこうよ」
「知るかよ。 どうせもやしみたいな奴だろ」
「けいちゃんもびびってたじゃん。 あいつマジでやばいって。 高校生を三人、半殺しにしたって聞いたよ」
ほう。
燐火の噂か。
それは別にどうでも良い。
あのガキども、手元にあるのは、まさかたばこか。
小学生で喫煙か。
最近犯罪者の低学年化が進んでいると聞くが、たばこ。
しかもたばこは年々値段が上がる一方だ。子供が普通は買うことも出来ないし、親から盗んだのか。それともカスみたいな親が与えたのか。それともゴミカスみたいな店員が売ったのか。
まさかあれは、自分が格好良いとでも思ってやっているのか。ここは山道で周囲に人がいないが。
いずれ人がいる繁華街とかで、それをやるようになっていくのだろう。
あきれ果てた話だが。
ともかく魔祓いだ。
字を書く。
聖印を切る、だが。
ケルベロスの話によると、これが唯一の正解といえるくらい強力な聖印であるらしく、これさえ極めていけば、ギリシャ系のダイモーンはあらかた祓えるそうだ。
つまりまだ燐火は練度が足りない。
ダイモーンの体に、大穴があく。
大量の体液が噴き出し、どばどばとあの男子生徒達にかかるが。
気づいていない。
悲鳴を上げるダイモーンに、更に二度、文字を書く。
それで、奴は爆ぜ割れていた。
ほとんど暴れる隙さえ与えなかった。
「見事。 また力が上がったな」
「ありがとう。 それよりも、あれは」
「悪運が切れたな。 さてどうなるか」
うだうだだらけている男子生徒達だが。
其処に、数人の中学生が来る。あれ、あいつ見覚えがあるな。そうだ、前に五年だった頃、ぶん投げた当時六年の、一学年上のデブだ。あいつ燐火を見るたびに顔色を変えて道まで変えていたっけ。
中学に入って更にデブに磨きがかかり、そして燐火がいなくなったことでまた暴君になったのか。
どうしようもないカスだな。
燐火としては軽蔑しかない。
そいつを見て、顔色を変えたけいちゃんとやら。
他の取り巻きも、露骨に青ざめていた。
「お、お久しぶりっす……」
「たばこなんて吸ってイキってるって聞いてな。 おい、金よこせよ。 たばこ買う金くらいあるんだろ? ちょっとソシャゲのガチャ回してえんだよ」
「そんなお金ないっすよ!」
「じゃあそれどこから買った! ああん!」
がなり立てるもと小学生。流れるようにカツアゲか。今でもやる奴がいるとは。
黙々と燐火は着替えると、様子を録画しておく。泣き出した同級生。それを、容赦なくデブは蹴りつけた。
他に二人いるが、どうやら中学で出来た手下らしい。二人とも止めるどころか、にやついているばかりだ。
いずれにしても、面倒なので連絡を入れておく。
財布をむしり取ろうとして、それで必死に抵抗するけいちゃんとやらに頭突きをするデブ。
なんかかんに障ったらしくて、それから暴行が始まった。
だが、警察が来る。
すっと止まったパトカー……覆面だが。数人が降りてきて、即座にクソガキどもを取り押さえる。
おかあさんに連絡先を教わっていたのだ。
それで、そっちへ連絡して、人を回してもらった。
大泣きする同級生どもも、散らばっているたばこを警察にとがめられて。それであの中学生がとかほざいていたが。
そもそも口がたばこ臭い事にすぐに気づかれたのだろう。
あれは連れて行かれて補導だな。
勿論暴行の現行犯を見つけられた中学生どもも連れて行かれる。暴れていたが、公務執行妨害も追加だなあれは。
前科もあるみたいだし、いずれにしても無事では済まないだろう。停学程度で済めば良い方。
最悪は少年院行きだ。
カスの末路としてはちょうど良い。
燐火は連中が行った後、警官に連絡。姿を見せる。
勿論着替えは終わっている。
そのまま、撮影しておいた映像を引き渡す。警官は燐火のことをしっているようで、またおまえかと顔に書いていた。
ちょっと説教される。
君が自衛力を持っているのは確かだが、それでも危ない事は避けなさい。そう言われた。確かにその通りだ。
この間高校生三人に絡まれたときは、確かに危なかったし。
その言葉はもっともなので、お叱りはきちんと受けておく。
それで終わりだ。
家に戻る。
途中でケルベロスが褒めてくれた。
「あのガキどもに顔を見せなかったのは良い判断だった。 後は警察が、引き渡した映像も使ってきちんと対応してくれるだろう」
「ケルベロスが信仰されていた時代は、警察みたいなのはあったの?」
「あったにはあったが、今みたいな厳格な法治主義もなければ、科学的捜査もしていなかったな。 この国の警察は色々言われているが、俺がいた時代の治安維持組織に比べれば雲泥で優秀だ」
「そっか」
まあ、おかあさんもそうでなければあそこまで頑張らないか。
家に戻る。
そして、空いた時間で勉強と修練をする。
素振りを更に増やしておく。
この間、手を砕いた高校生だが。後から聞くと、指二本が粉砕骨折、手の甲の方も深刻なダメージが入ったそうだ。右手はそれでもう二度と使い物にならないと聞いたが、何人も強姦してそれを撮影し。その映像をネタに揺すりまで働いていたような輩だ。手なんかない方が良いだろう。
高校生と言うこともあって刑事罰が下ったようで、十年くらいは牢屋から出てこられないらしい。
まあ適切な罰を受けたのだと思う。
ただ、燐火としては。
使い物にならないどころか、その気になったら切り落とさないと駄目くらいのダメージは与えたかった。
これがおそらく、道場の師範に凶剣と言われる所以なのだろうと言うことはわかるのだが。
それはそれとして。
精神修養としても剣道は使いたいが。
実戦で身を守るためにも使いたいのである。
だから、もっと鍛えておいた方が良い。
いくつも型を試していく。
打ち込む。
素振りだけでは物足りなくなってきている。素振りはあくまで体に動きをたたき込むやり方だ。
それでならして、剣を振るうのに最適な動きを覚えさせる。徹底的に。
達人と言われるような人は、これを生涯続けていく。
それは燐火もわかっている。
勿論天才と言われるような人もいて。それは十代くらいで達人と渡り合ったりするのだろうが。
それでも死ぬときは一瞬。
剣の道というのは、本当に色々と問題が多いのだなと感じてしまう。
竹刀で打つための人型も作った。これもおかあさんが作った正拳突きの的と同じく、不規則に揺れ、動くようにしてある。
バネなどを組み合わせて、ケルベロスにアドバイスを受けながら自作したのだ。
人間は動く。
それを大前提として、とにかく鍛錬する。
燐火は中二か中三の頃には背丈が伸びきるはずだ。男子は十八くらいまで背が伸びるらしいが、女子は十五くらいで成長が止まることが多い。
その頃には、大人が相手でもやり合えるくらいまでは仕上げておきたい。
燐火は虐げられて育ってきた。
だからこそ。
二度と、そういった相手に好きにはされない。
そのためには、あらゆる武道を徹底的に仕込んでおく必要がある。
その後は、或いは軍隊用の格闘術とか。
銃などを使った戦闘技術について覚えるのも良いかもしれない。
ただそこまで行くと。
もはや人間兵器だが。
「よし、ここまでだ。 筋肉に十分な負荷を与えた。 後は今日は勉強をすると良いだろう」
「うん。 結構気持ちが良いね」
「刺激を気持ちが良いと感じているのは、それは肉体が研がれている証拠だ。 ただ筋肉だけがある状態と、それを高い精度で制御できている状態は全く違う。 燐火はその後者になりつつある」
「良いことだね」
勿論勉強も手を抜かない。
中学の勉強を始めているが、英語はちょっと苦手だ。
時々涼子に話を聞いて、アドバイスを受けながら勉強を進める。
おとうさんの手があいている時にはおとうさんにも聞くが。
それだけでは、どうしても足りないと燐火も感じるのだ。
嘆息一つ。
そして、勉強を続ける。
甘いものも買い置いてあるが。それは脳の栄養のためと、割り切っていた。
2、その人の影
その日はちょっとダイモーンが多かった。
休日だったからよかったが。
あちこち走り回って、それで合計六体のダイモーンを浄化、回収した。昔だったら疲れ切っていただろう。
今は体力もついている。
着替えるのも面倒だったので、ひたすら一日中走り回ったが。
まだ余力はあった。
ただ、足の速さだけで言うと、既に足が速い男子の方が上になりつつある。こればかりは仕方がない。
身体能力については、どれだけ鍛えてもどうにもならないのだ。
百m走などでは、男子の世界チャンプは9秒台で走るが、女子は11秒台である。
それだけ差があるのだ。
だから技術で補うしかない。
今の時点では、身体能力はあっても鍛錬がなっていない雑魚としかかち合っていないからどうにでもなっているが。
ある程度武道をしているたちが悪い奴と出会った時の事を考えると。
対抗策は用意しておかなければならない。
それの一つが、体力だった。
無言で六体目のダイモーンを、文字を書いて消滅させた後、少し休憩する。着替えてから、である。
ケルベロスがナビが終わった後ずっと黙っている。
気になったので聞いてみた。
「ちょっとダイモーン多かったけど、何かあったのかな」
「この数は、俺が集めているとはいえ異常だ。 「何かあった」のは確実だろう。 ひょっとすると、近くにいるのかもしれない」
「例の探している人だね」
「ああ。 ただ俺はあくまで神格として燐火に憑いている。 鼻がいつもほど利くわけではないから、それは支援がいるな」
燐火は即座にスマホを出す。
ダイモーンが問題になっているのは事実だ。
手を借りれば、或いは見つけられるかもしれない。
日女さんに連絡を入れると、すぐに助けをよこしてくれるという話だった。
ありがたい。
しばし待っていると、ちっちゃい車に乗って、誰か来た。温厚そうな男の人と、燐火と同年代らしい女の子だ。
七五三みたいな格好をしている。
背丈は随分違うが、多分同じ六年生だなと、燐火は判断していた。
「平坂燐火です。 よろしくお願いします」
「え、ええと。 長倉院奏です。 よろしくお願いします」
「奏、失礼がないようにしなさい」
「は、はい」
これは結構なお嬢様らしい。
着物を普段着としている人なんて初めて見た。
咳払いすると、お父さんらしい人に挨拶されて、名刺ももらう。
長倉院健吾というらしい。
陰陽師だそうだ。
「ほう、貴殿が陰陽師か」
「おっと、すごい神霊を連れていますね。 僕はあくまで式神の支援を使って魔祓いをするので、神格の支援を受けてはいないんですよ。 奏もそれは同じです」
「ふむ、魔祓いと言っても色々なんだな」
「戦闘は僕が担当します。 奏はこの年で多数の式神を展開できる探索型です。 話は聞いています。 ここ数年、ダイモーンの発生に関わっているかも入れない神格がいるかもしれないとか」
ケルベロスも二人に好感を持ったようだ。
対応が丁寧で助かる。
燐火としても、自分がガキではあるのを自覚しているが。ガキとして侮ってくる相手よりも、同業者として接してくる相手の方が好感を持ちやすいのも確かである。
そのまま、いくつか説明をする。
「なるほど、探している存在も神格なのですね」
「そうだ。 かなり隠れるのが得意でな。 悪意は別にないが、悪神の類に見つかると、面倒なことになりかねない。 俺としても関係がある神格であるし、早めに連れて帰りたいのだ」
「わかりました。 ダイモーンを悪意を持って生み出している訳ではないと言うことは理解しています。 奏、探索を始めなさい」
「は、はい」
親子というよりは。
社長と新人社員だな。
そんな風に見えた。
おそらくだけれども、仕事の時はまんまそう接しているのだと思う。家と外での切り替えがしっかりしている訳だ。
奏という子は髪型もしっかり固めているが。
七五三みたいな服は、京友禅とかいう高級品らしい。
今和服の業界はとにかく色々と大変らしいのだが。それでも高級な和服は、都心に家が建つほどだとか。
魔祓いには支援金が出る。
燐火も、中学になったら日女さんと一緒に、魔祓いの登録をする予定だ。
問題は収入をおとうさんとおかあさんにどう説明するか、だが。
それについては、国の方でも家族で内緒の魔祓いをしている人間について対応をしてくれるらしいので。
実力がついてきたら、本職として活動するのもいいと思っていた。
奏という子が、多数の式神、だったかを飛ばす。
それは紙の人形みたいに見えたけれど。それぞれがすっと飛んでいって、あっという間に見えなくなった。
何か祝詞を唱えて、目を閉じてじっと集中する奏。
隣で健吾さんが、周囲を警戒。
何体かの恐ろしそうな神格が立っていて、周囲の死角全てを補うほどに警戒を補助していた。
燐火も物陰でさっと着替えてくる。
何かあったらまずい。
白仮面の格好で、鉄パイプを持って燐火が現れると。
奏が一瞬ぎょっとした顔になったが。
それはそれ。
すぐに集中を取り戻したのは、流石に既にプロとして活動していると言うだけのことはあるだろう。
しばしして、何かを見つけたらしい。
即座に移動を開始する。
幸いすぐ近くだ。車を使うまでもない。
さっさと走って行こうと思ったが、奏は見た感じ、同年代相応程度の体力しかないようだ。
山をずんずん行く燐火を見て、泣きそうな顔をするので。
見かねて燐火がひょいと背負うと、そのまま走る。
えっという顔をされた。
奏は服とかしっかりしているが、別にそこまで際だって綺麗な顔はしていない。
別に魔祓いは美男美女ばかりではないらしい。
ただ、雰囲気はしっかりしているから。
その辺りは、代々陰陽師をしていて、国から補助金をもらっている豊かな家の出身者らしいところなのかもしれない。
そういう家でしっかりしつけをしているとは限らないのは金木のカス一家で知っているが。
奏のところは、違うと言うことなのだろう。
「あ、あの、ごめんなさい。 重くありませんか」
「大丈夫ですよ。 それよりもナビを続けてください」
「は、はいっ!」
気弱な子だな。
そのまま山をひょいひょい行く。
健吾さんは平気でついてくるので、普通に鍛え方の問題だろう。或いは体を鍛える方はやっていないのかもしれない。
ただ、別にそれはそれで構わない。
燐火としては、それぞれが役割分担を出来ればそれでいいと思うからだ。
ちょっとした下り坂に出るので、速度をある程度落とす。
転んだりしたら。いや、そんなへまはしないが。
もしもしたら大惨事だ。
燐火は別にどうでも良いが、背負っている奏に怪我でもさせたら、後ろにいる健吾さんに合わせる顔がない。
慎重に行く。
いずれにしても、さっさと下り坂を下りて、谷川に出ていた。
さらさらと音がするような美しい谷川だ。
奏を下ろす。
虫がたくさんいるが、燐火は平気。
奏はちょっとこわごわと辺りをうかがっていた。
健吾さんもすぐ側に降り立つ。
こっちはしっかり鍛えているようである。
「奏、それでどの辺かい」
「え、えっと、あちらです」
「……どれ」
燐火が行く。
大きめの岩があるが、なんだろう。
違和感はあるが、敵意とかは感じない。神格の類が憑いているようなことはなさそうだ。
石とか岩とかが神格を宿すことはある。
それは別に珍しいことではないらしい。
ケルベロスの話によると、信仰が宿った先には、そういったことが幾らでもあるそうだ。他の人間から見てゴミ同然であろうとも。当人にとってどれだけ価値があるものなのかは話が別。
自分から見た価値だけで、全てを決めつける存在にはなってくれるなよ。
客観的に見て、そいつの価値を判断できるようになれ。
そうケルベロスはいつも言っている。
この岩は、どこかのご神体だったのかもしれない。
「いたな、ここに」
「どれほどの昔ですか」
「健吾とやらよ。 残念ながら、俺は相手の気配の新旧を確認することが出来ぬのだ」
「なるほど。 犬とその辺りは同じなんですね」
そういえば聞いたことがある。
犬は強力な嗅覚を持つが、臭いが古いか新しいかはわからないらしい。
これを知っている凶悪犯が、警察犬の追及をかわすケースがあるそうだ。
ケルベロスは冥界の番犬だが、どうしても犬という属性に縛られてしまう。それで、というわけか。
それはそれとして。
燐火は鉄パイプを構える。
健吾さんが、側に奏を抱き寄せていた。周囲に式神が複数現れる。うなり声を上げているあれらは、いわゆる鬼神だろうか。恐ろしい鎧を厳めしく着込んでいる。
ダイモーンだ。それも複数である。わらわら湧いてくる。
「一つずつ潰します。 押さえ込むことだけは出来ますか」
「問題ありません」
「行きます!」
文字を書く。
周囲に沸き立った多数のダイモーンは、幸い雑魚ばかりだ。今の燐火の書く力強い文字……聖印一発で、一体は消し飛ばせる。
悪運をこの山奥では、誰かに送ることも出来なかったらしい。
そのままうめき声を上げるだけで、緩慢に逃げようとするが。
それを健吾さんの式神が次々に押さえ込んでいた。
押さえ込むだけで、それ以上は出来ない。
だから、燐火が順番に聖印を切って、叩き潰していく。叩き潰した後は、ケルベロスが回収していく。
「アガトダイモーンでもカコダイモーンでもない、素のままのダイモーンに近いな。 ただし基本的にこの国ではカコダイモーンになりやすい。 さっさと全て片付けてしまえ、燐火!」
「わかった!」
そのまま立て続けに片付けていく。
十数体はいるが、今日は何体だって相手にしてやる。ダイモーンを回収すると、ケルベロスがそれから情報を得られることはわかっている。
つまり倒せば倒すほど。
目的にしている存在へ、近づけると言うことである。
そうすれば、ダイモーンだらけの状態をどうにでも出来るはずだ。それは燐火にとっても望むところである。
立て続けに三体を打ち払う。
全力疾走よりも更に消耗するが、別に構わない。
そのまま文字を虚空に書き続ける。
書くたびにダイモーンが消し飛ぶ。
後、どれくらいだ。
一体、大きいのが逃げようとしている。背中から文字を書いて攻撃をたたき込んでやる。いや、浄化と言うべきだろうか。
ともかく二度で爆ぜ飛んだので、それでよし。
おそらくあれが一番厄介な奴だっただろう。
それ以外は、後は消化試合になった。
それでも燐火はそれなりに消耗した。五十メートルを三十本、連続でやったよりも消耗したかもしれない。
軽く息を整える。
もう、周囲にダイモーンの気配はないようだった。
ただ、健吾さんが、奏に言う。
「急いで周囲を調べなさい」
「は、はいっ」
気弱な子だな。
これだとちょっとおとなしすぎて心配になってくる。どうしても魔祓いになると、鉄火場も経験するだろうに。
式神が辺りを探るが、やはり探している存在はいないようだ。
ケルベロスが、それでもいいと言ってくれたが。
「おそらくだが、探している者は割と近くに来ている。 ダイモーンを俺が引き寄せているのに合わせて、本人もつられてこちらに来たのかもしれん」
「なるほど、そうなるとこれからが正念場ですね」
「そうだな。 健吾よ、助かった。 燐火だけでは全てのダイモーンを浄化できなかっただろう」
「いえ、未然に悪運をばらまかれるのを防げたのであれば、それだけで充分ですよ」
とりあえず、後はゆっくり山道を行く。
奏は山を抜けた後、しゃべる気力もなくなっていたが。
まあ、それは仕方がない。
別に苦笑はしない。
燐火だって、体力がついたのはここ最近のことなのだから。
その後、送ってくれるというので、家まで送ってもらう。小さいかわいい車だが。それなりにいい車らしい。
運転も丁寧で、とにかく安心して乗っていられた。
「今日はありがとうございました」
「いえ、今日はアギアの力が見られて有意義でした」
そういえば、そういう存在だったな。
だとすると、燐火は変身しているときは白仮面とか言われているが、アギア。いや、アギア・ケルベロスと名乗るべきか。
いや名乗っては駄目だな。
基本的に魔祓いは、人の目につかないところで行うのが鉄則だ。
国などは、魔が存在するのは周知の事実としているらしいが。それはそれとして、魔祓いはあまり目につかない方が良い。
あまり魔の存在が周知されると。
それだけ魔が得る力が強くなる。
信仰を得ていない神が弱体化するのと同じように。
魔はそんなものは都市伝説、くらいの扱いにしておく方が、誰も苦労しなくて済むのだそうだ。
まあそれでもなお、これだけ面倒な魔がたくさんいるのだから。
やはり人に知られないように魔を祓う方針は、燐火から見ても正しいのだろうとは思うのだが。
名刺などを交換してから、それから家に。
ちょっと疲れた。
少し休憩をしていると、おとうさんが防音室から出てきた。燐火も疲れている様子を見て、お互い苦笑い。
燐火が勉強に武道に、全力で取り組んでいるのはおとうさんも知っている。
立派に育ってくれれば、それが一番だと燐火は言われているので。
そうするだけだ。
まだ疲れがマシな燐火が、紅茶を出す。
茶菓子も用意して、二人でしばらく食べていると、おとうさんが改めて話してくれる。
「そうだ、そろそろ燐火に話しておかないといけないことがあるんだ」
「はい」
「燐火に弟か妹が出来るよ」
「……」
実は、知っていた。
結婚してしばらく子供が出来なかったおかあさんらしいが、この間とうとう出来たらしい。
たまにつわりで苦しんでいるのは燐火も知っていたので。
いつ話してくれるかで、ちょっと興味はあったのだ。
「おかあさんはしばらく産休ですか?」
「驚かないのかい」
「実は知っていました。 ただ、話してくれたのはとても嬉しいです」
「そうか……」
年が離れているから、燐火は姉というよりも、半分親みたいに接しなければならないだろうなと思う。
少なくとも、悪い見本は見せられない。
ケルベロスが苦笑いしたようだった。
「大丈夫。 今の燐火であったら、きっと立派な姉になれるだろう」
「本人が望まない限りは、何も教えない方がいいかな」
「そうだな。 燐火がやっているのを見て、興味を持つようなら教えてやると良いだろうな」
そういうものか。
ちなみに産婦人科で妊娠がはっきりしたのは四日前の事らしい。
実は今までに一回、想像妊娠というのをしてしまっていたらしくて。それもあって、色々不安だったそうなのだ。
ちなみに産休はとらず、一旦警官をやめるそうだ。
子育てが一段落してから、別の仕事をするらしい。
おかあさんは結構なんでも出来るので、仕事には困らないそうである。
おとうさんは燐火とおかあさん、更に次に出来る子供くらい余裕で養えるし。なんならおかあさんは専業主婦をやっても良いくらいだそうだ。
まあそもそもとして、専業主婦を悪く言う風潮が出来たのは最近であるらしいので。
むしろ役割分担としては、それで良いのだろうと思うが。
それに、である。
燐火もボロボロになりながら働いているおかあさんが心配だった。
それもあって、寿退社をしてくれるのは、それでよかったと思う。
ちなみにまだ子供の性別はわからないそうだ。別にそれは不思議でもなんでもないので、どうでもいい。
「名前はどうするんですか? いわゆるDQNネームをつけたりしたら、かわいそうですよ」
「わかってる。 おとうさんも仕事では変わった名前をつけているけれど、それはあくまで実在の人とかぶらないようにするためだからね」
「そうなんですね」
「そうなんだよ。 漫画とかでも実在の人間とかぶる名前をつけて、それでいじめとかが起きないように工夫しているんだよ」
なるほどね。
創作に出てくる変な名前には、そういう配慮があったのか。
いずれにしても、燐火は納得したし。
別にそれでおとうさんとおかあさんが冷たくなったりするとは思ってはいない。それだけ今では信頼している。
それで、とおとうさんが咳払いした。
「それでね。 燐火」
「はい」
「少なくとも弟か妹には、敬語でしゃべらないでほしいんだ」
「……」
確か、どこかで聞いたことがある。
家で子供に敬語を使わせていたら。外でも敬語を使うようになり。それで周囲からいじめられるようなことがあったと。
勿論いじめを行うような奴は、何があってもいじめをする。
だからそれは理由の一つに過ぎないだろうが。
子供の頃から、敬語でしゃべるのはそれはそれで問題なのだろうと思う。
燐火についてもそれは同じだ。
苦労はしていたが。
そろそろ良い機会なのだと思う。
「わ、わかりました。 おとうさん、少しずつ、この機会に、直そうと努力して、してみます」
「ちょっと片言になっているよ?」
「どうして、も、難しく、しくて」
「少しずつ直してくれれば良いからね。 おとうさんとおかあさんとも、普通にしゃべれるようにしていこう」
頷く。
これについては、ケルベロスも賛成のようだった。
「燐火がどうしても親しくない人間と敬語でしゃべるのはわかっている。 だが、これについては俺も賛成だ。 この機会に、少なくとも家族や身内相手に敬語でしゃべるのはやめた方が良いだろう」
「そうだね。 わかった。 わかったけど、難しい」
「そうだろうな」
燐火にとって、敬語は壁だ。
人間に対する絶対的な不信感から出来てしまった壁。
それについては、よくわかっている。
おとうさんとおかあさんは、今までよく燐火のために色々やってくれた。
燐火が不良をぶちのめした時も、何があったのか全て正直に話すと、しかるべき処置をしっかりしてくれた。
この辺り、親として信頼できる。
おとうさんは素性が知れると色々とまずい存在であるのに、それでもきちんとやることはやってくれている。
それだけで、どれだけ立派だろうかわからない。
勿論それは、燐火がおとうさんが人気Vtuberだとか周りに言っていないのも大きいのだろう。
「お、おとう、さん。 クッキー、つく、つくって、つくってくれませ……つくって?」
「う、うん。 やっぱりまだ片言だね」
「す、すみません。 少なくともいつものようには、しゃべれ、ないと……思います」
「少しずつ、頑張っていこう」
おとうさんはそのまま。蜂蜜入りのクッキーを焼いてくれた。
ケルベロスは燐火と味覚を共有しているので大喜びである。
燐火としては辛いのが良いけれど、それは我慢する。
いずれにしても、これから少しずつ。
敬語でなく、しゃべれるようにしていかなければならない。
ケルベロスも、おとうさんとおかあさんの事は、信頼して良いだろうと言ってくれている。
燐火もそうだと、今は信じていた。
3、不穏の影
また涼子が学校を休んだ。
何か妙な気配を感じたこともある。
どうにも気になる。
それで見舞いがてらに涼子の家に行った。
パジャマのまま出迎えてくれた涼子は、まだちょっと熱があるようだった。風邪がうつるとまずいからと、マスクと手洗いをするように言われる。勿論燐火も、マスクはしっかり着けてきている。
手洗いをして、ついでにアルコール消毒もする。
これで大丈夫だろう。
宿題とかを渡す。
まあ燐火でも楽勝だし。涼子だったらそれこそ寝てても出来るレベルだが。既に中二の勉強まで終わっていて、中三の勉強をしているらしいから。
学校でも、テストで涼子に勝ったことは数回しかなく。
それも毎回、ケアレスミスを涼子がしたときだけだった。
ケアレスミスをしない人間なんていない。
それについては、精神修養をし始めてから、燐火はよく理解した。
どれだけ集中力を高めても、それでさえミスをするのだ。雑念だらけの普段なんて、それこそどれだけミスをしてもおかしくないだろう。
軽く話す。
時々体がおかしくなるというよりも、どうもなんだか体が妙なのだという。
小五の半ばくらいかららしい。
病院でこの間精密検査を受けたらしいのだけれども。それでも異常は見つからなかったそうだ。
涼子の家は、ろくでなしの母親が出て行ってから、色々とある。
資産家である父親のところには、ろくでもない女が寄ってくることもあって。涼子も苦労しているらしい。
ちなみにこの間婚約寸前まで行った女は。
涼子が心配だから興信所を使ってほしいと父親に頼み。
それで調べてみたところ、たちが悪いホストに入れ込んでいたことが発覚。それで婚約は解消したそうだ。
喫茶店でそれを告げた相手は鬼の形相で暴れ回り、立会人としてきていた弁護士と探偵がその場で取り押さえ。
店の備品などを破壊した器物破損の現行犯で逮捕されたそうである。
捕まってみると結婚詐欺の常習犯であったこともわかり、それで実刑はほぼ確定だそうだ。
そんなのばかりが寄ってきている状態だ。
涼子には激甚なストレスがずっとかかっているのではないかと、燐火は少し心配してしまった。
スポーツドリンクを出してきて、飲んでもらう。
こういうときは、ゆっくり寝て、スポーツドリンクでも飲んでいるのが一番だ。
しばらく雑談をしていると。
涼子は申し訳なさそうに言う。
「燐火ちゃん。 ちょっと話しにくいことなんだけど、燐火ちゃんがべらべら周りに言ったりしないって信じているから言うね」
「はい」
「最近、母親の血筋を感じるんだ」
正確には、面だけいい男とかに、強い興味を感じるようになってきているという。
あれほどろくでなしの母親を軽蔑していたのにだ。
カスみたいな事件を起こして芸能界を追放された俳優を見て、ぐっときたのが始まりであったらしい。
それからだ。
以前は鼻で笑っていたメロドラマとか見ていると、イケメンの俳優にぐっとくることが多いらしい。
それどころか、ムラムラする事もたまにあって。
それで凄まじい自己嫌悪を感じるそうだ。
生物としての生態としては当たり前なのではないか。
そう燐火は思ったが。
涼子は本当に苦悩しているのだ。茶化すことがあってはならない。燐火とはちょっと方向性も違う。
燐火の場合は、男性嫌悪症に足の指先を突っ込んでいる形だが。
涼子の場合は、ろくでなしの母親のせいで、女性としての自分に嫌悪を感じてしまっている。
その辺りは話していればわかるので、どうにも難しかった。
「心療内科か何かの先生と話した方が良いと思います。 燐火はあくまで友達ですので」
「そうだね。 専門家じゃないもんね」
「はい。 きちんとした病院で、先生にかかるべきです」
「……わかった」
心療内科とかには偏見を持つ人間もいるが。
それはそれだ。
いずれにしても、燐火はあまり無責任なことはいえない。
燐火は精神修養をしているので、本能を抑えることは可能だ。実は試してみたことがあるのだが、食欲だったら完全に押さえ込むことに成功している。
勿論食べないと動けなくなるから、きちんと食べるようにはしているが。
意外と精神修養を極めると、欲求は抑え込めてしまうのかもしれない。
だが、ケルベロスに前も言われたのだが。
人間として欲求が一番抑えられなくなる時期は、これかららしい。
十代半ばくらいからが特に性的欲求が顕著に表れるが。
これは人間が繁殖するのに最適な年齢がそれだから、らしい。
今では二十からが大人だが。
百年くらい前では、その位の年で、アメリカでも普通に結婚していたそうだ。
伝説的な女優であるマリリン・モンローも十六で最初の結婚をしたそうで。もっと古い時代になると、十二や十三で結婚することもあったという話である。
この辺りは昔の事をよく知っているケルベロスが話してくれるので、そういうものかと思っていたが。
本能と理性の間で友人が苦しんでいるのを聞くと、どうしても色々と思うところはある。
とりあえず、涼子と今日の話は秘密としておく。
ちなみに燐火は、涼子みたいに感じたことはない。
というか、いろいろあったので。
余程のことがない限り、結婚すらしないかもしれない。
今の時代は半分くらいが結婚しないという話である。
別に珍しいことでもなんでもないだろう。
とりあえず戻る。
帰路で、ケルベロスに聞かれる。
「子供のデリケートな問題について俺から言うつもりはない。 それで、魔の気配はあったか」
「あった」
「そうか、俺には感じ取れなかったな」
「……ひょっとして、文化圏が違うとか、それとも何か別の理由があるのかもしれない」
例えばだけれども。
神格相手に、気配を隠すのがうまい奴とか。
ケルベロスがうなる。
「上位の神格になるとそういうやつはいる。 しかし、如何に出来る奴だとはいえ、涼子に宿って何か得でもあるのか? あの子はそうだな、弁護士や裁判官くらいにはなれるかもしれないが。 国を動かすような英傑にはなれんぞ」
「それについては燐火も意見が同じかな」
「……ともかく、何か感じたというのなら、それは無碍にはできんな。 気をつけろ」
涼子に何か憑いているとしても。
少なくとも、この至近で何か感じる、程度だ。
ひょっとしたら雑魚かもしれないが。
どうも嫌な予感が消えないのだ。
ずっと続いている体調不良もある。
それまで涼子はそれほど体が弱くはなかったと思うのだが。いずれにしても、燐火は涼子のことを大事な友達だと思っている。
家に着くと、ちゃんと手洗いうがいをする。
これは家の中に病気を持ち込まないため。
涼子は少なくとも伝染病ではないとは思うが、体が弱っているときに風邪とかをもらっているかもしれない。
だから、当然の処置だ。
しっかり手洗いを済ませて、それからしばしぼんやりとする。
休憩の時間だ。
ただ、それも終わってから、体を動かす。
もっと精神修養をしておけば。
気づけるかもしれない。
一応念のために、日女さんにも話は振っておく。日女さんは、小首をかしげているようだった。
「何回かその涼子って子は俺も見たことがあるが、何か変な悪神が憑いているようには見えなかったがな」
「だとするとなんなんでしょうか」
「わからん。 ただ、今の燐火はこの国では珍しいギリシャ系の魔祓いだ。 ひょっとすると、文化的に近い魔なのかもしれない。 或いは神とか」
ギリシャ文化に近いとなるとローマ系。これについては調べた。
ギリシャ神話系統はそのままローマで神話として採用され、多少名前を変えながらも、とても行儀が良い神々に生まれ変わった。
名前などはローマ神話の方が有名な神も多い。
ビーナスなどはそうで、ギリシャ神話ではアフロディーテであるそうだ。
ただ、ケルベロス曰く、基本的にローマ系の魔だったら、燐火で対応できるし。ケルベロスが探知できない訳がないらしい。
他に近い文化圏と言うと、意外とエジプトなどが相当すると言う。
日女さんによると、有名なスフィンクスは、あくまでギリシャ側からの呼び名で。あれの正式な名前は現在でもわかっていないそうだ。諸説はあるらしいが。
そういう話を聞くとエジプト系かとも思うが。
エジプト系の魔は既に絶滅状態だという。
そもそもエジプトは古代王朝が滅んだ後は様々な文化圏に蹂躙され、神話などは解読を進めた結果わかってきた、というものだそうだ。
名前などが失われてしまった神なども多く。
それもあって、今更エジプト系の神々や魔が、日本で悪さをするとは考えにくいのだという。
ギリシャ神話系統はまだ名前が知られているが。
それより遙かにひどい文化の破壊を受けたのである。
だとすると、違うのか。
後は。
「ギリシャ神話の影響を受けているとすると、北欧か」
「!」
「あくまで古い北欧神話だけどな。 北欧神話の主神と言えばオーディンだが、実はオーディンは三番目に主神になった存在だ。 オーディンの前にはトールが、トールの前にはテュールが主神だった。 最初の北欧神話の主神テュールは、典型的な天空神で法の神だ。 これはローマ神話のユピテル、ギリシャ神話のゼウスの影響を受けた神。 そういう意味で、北欧神話はギリシャ神話の遠縁ともいえる」
「気になりませんかそれ」
オーディンがこの土地で何か企んでいるらしい。
それは、オーディンの馬であるスレイプニルが自分から言っていたことだ。
日女さんによると、近々ドルイド系の魔祓いを呼ぶそうだ。
ドルイドは古い欧州の魔祓いらしく、ケルト神話や北欧神話に対応できるらしいのだが。
何しろこれも文化破壊がひどいため、あまり人数がいないらしい。
日本には今オーディンの件で滞在している人がいるが、高齢であまり魔祓いとしての実力も高くはないそうだ。
北欧でも政府で支援金を出して人材育成をしているのだが。
北欧の魔はダイナミックで強い上。
何しろオーディンが極めて残忍な性質を持っていると言うこともあって、神々が悪さをすることもある。
更に既に信仰されていない神話とあって、ドルイドの魔祓いには失伝している技術も多いらしく。
色々と苦労しているそうだ。
それで年老いたドルイドの魔祓いが数人だけ来ていて。
それも出来れば日本には長くは滞在したくないとぼやいているとか。
単に国が恋しいそうである。
色々と頭が痛くなる話だ。
それではわからないかもしれない。
「専門知識がないとやっぱり魔祓いは難しいですよね」
「ああ、難しいな。 俺としても北欧系の魔とやりあえる気はしないし、ましてや神格が悪さをしていた場合はどうにもならない。 とりあえず、上に連絡して、ドルイドの魔祓いを派遣してもらうわ。 可能性としてはありそうだからな」
「お願いします」
通信終わり。
後は黙々と体を鍛える。
体を鍛える過程で、体を柔らかくもしている。柔軟に動かせる方が、戦闘では幅が出るからだ。
鍛えた後、勉強に移る。
今日は涼子に聞けないな。
そう思って、英語を黙々とやる。
わからない部分については、ネットで調べる。
最近だとAIがある程度は答えてくれるが、おとうさん曰く専門家には遠く及ばない程度の知識しかないらしい。
それもあって、決して簡単ではなかった。
四苦八苦しながら、勉強を終える。
おかあさんが帰ってきた。
お帰りなさいと言って、荷物を受け取る。
おかあさんは引き継ぎというのをやっているらしい。既に警官としては、一線を退いているそうだ。
元々警察はキャリアというのでなければ出世は出来ないらしく。
おかあさんも基本的にひらのままこのまま行くのが確定であったらしい。
結構手柄とか立てていると思うし。
これだけ武道出来れば、教官としても活躍できると思うのだが。
まあ色々とうまくいかないのだろう。
それで子供が出来たら、色々陰湿な嫌がらせを受けたらしく。それでさっさとやめることにしたらしい。
責任感がないとか色々言われていたらしいが。
子供を作るのは夫婦の義務でもあるだろうし。
少子化で色々問題になっている今、子供が出来たら祝福するのが当たり前だと思うのだけれども。
いずれにしても、警察の職場も色々らしいし。
おかあさんも落ち着いたら、或いは武道の指南役として、たまに出ることがあっても良いかもしれないという話をしているそうだ。
燐火としても、反吐が出る話だなあとは思う。
そのキャリア組にしても、どこの大学を出ただのという学閥だとか。もっと酷いところだと家柄がどうのこうのとかを気にするらしく。
いずれにしても、これでもうちの国はマシだとケルベロスが断言する位なのだから。他の国はどうなのだろうと、薄ら寒くすらなる。
燐火も少しずつ、心が育っているように思う。
だからこそ、あまり家族が良い思いをしていないのは、嬉しくはなかった。
とりあえずおかあさんのおなかはまだ目立つほどではないが、それでもたまにつわりで苦しそうにしている。
燐火が補助できるところは補助していきたい。
古くは三世代で人間は家族を構成していて。
祖父母がそういう補助をしていたらしいのだが。
今は個人の自由が家父長制がという寝言で、そういった長所を全て潰してしまったという。
色々とどうしてこう。
人間は、せっかく作った進歩を捨ててしまうのだろうと残念になるばかりだ。
おかあさんにも、今は既に違う食事を用意する。
栄養士がこういうのを食べろと指示を出してきたらしく。それにそって料理をする。ちょっと早いがと言われたけれど。
包丁を使わない料理を、燐火は学び始めている。
おとうさんは料理なら大体何でも出来る。
だから、さっさと学んで、いずれ包丁だけでなく、油を使う料理もマスターしたいところだが。
それには最低でも中学生くらいにはならないと駄目だろう。
料理を作って、お母さんに出す。
お母さんはあまり顔色はよくないが、それでも食べてくれる。
吐いてしまうともったいないが。
仕方がない投資だ。
ぐっと水で飲み下して、寝ると言って寝室に。
あれだけタフなおかあさんでも。
今は精神的に余裕がないようだ。
多分こういうときに生じたすれ違いがどうのが、離婚につながるんだろうなと燐火は思う。
おとうさんは今、必死に楽しい配信をして、お金を稼いでくれている。
これも立派な稼ぎ方の一つだ。
多分心苦しいだろう。
二回り年下のおかあさんと結婚するまでに、色々あったという話だって聞いているくらいである。
食事を作る手際を、ケルベロスが褒めてくれた。
少しは上達したのなら良いのだけれど。
いずれ、もっと色々出来るようになりたい。
そしてわかってきたが、燐火はどうにも興味を持てない分野にはまるで意識が向かない。ケルベロスに言ってもらえないと、そうかと気づけないことだって結構ある。
別に周りでキャッキャ言っているアイドルだのはぶっちゃけどうでもいいが。
今後買い物だとかでは、気をつけないと色々と危ないだろう。
おかあさんは今ちょっと駄目だ。
それについてはおなかの子供の事もあるから仕方がない。燐火で支えられるところは支えないと。
警官として燐火を助けてくれたおかあさんも。
これだけ弱ってしまうと、何も出来ないものなのだ。
それがわかっているから、別にどうこうと言うつもりはない。少なくとも、今は何も言うことはない。
勉強終わり。
次は外で素振りだ。
竹刀が軽くなってきたので、おもりを着ける。
今後は真剣でも良いかもしれないとケルベロスに言われた。
勿論西洋剣と日本刀はあらゆる意味で違うのだが、それでもある程度共通する部分は多いという。
それにだ。
燐火が使うのは日本刀ではなく鉄パイプである。
勿論武芸十八般が出来れば言うことはないのだろうが。
それでも、まずはメイン武器を極めるところから。そしてそれに関してすらも、燐火はまだまだずっと先があるのだから。
しばらく精神を極限まで研いで、それで素振りを続ける。
多少汗を掻いたか。
ケルベロスに、それまでと言われた。
残心して、礼。
それから、次は正拳突きに入る。
一日百発、的にたたき込む。どれだけ忙しい日でも、これは絶対にやる。
正拳突きはただパンチをするだけではなくて、全身を使って打撃をたたき込む技であって。
相手次第だが、体格が二回り上だろうが、内臓に直接ダメージを与えられる。
勿論燐火はそれをするつもりはないが。
これだけではなく、手札は幾らでもあった方が良い。
場合によっては相手を一瞬で沈められるように、正拳はしっかり身につけておくべきである。
ケルベロスは既に原理を理解しているらしく。
細かい体重のかけ方。
足の踏み込み方。
具体的に丁寧な指導をしてくれる。
おかあさんの指導を見て、それで学んだらしい。ただ、燐火の脳も借りているので。それも役に立ってはいるようだ。
一通りルーチンをこなす。
近所の人が見ていたので、視線を返すが。
視線をそらして、そそくさと行ってしまった。別にどうでも良い。片付けをテキパキと終えて。
それで、後は風呂に入る。
おかあさんは自室でうんうんとうなっているようだ。
仕方がない話である。
その間は、燐火が出来る事は支えないと。
それに燐火が迷惑を掛けないように、何事も整理しておかないと。
そう考えながら動くと。
あらゆる思考を、丁寧に整理できる。
それでよかった。
数日後。
ドルイドの魔祓いが来た。
とりあえず、日女さんと神社で会う。神社で会ったのは、とにかく頼りなさそうなおじいさんだった。
日女さんが視線で既に伝えているが。これは最低限の能力しかないな。
本気でおどおどしているのがわかる。
挨拶を交わす。
ドルイドのおじいさんには通訳がついていたが、耳が遠いらしい。
そもそも北欧のいくつかの国は福祉国家とか言いながら、実際には老人福祉なんてほとんどやっていないという話もある。
燐火はこのおじいさんの弱々しい様子を見ると、あながち嘘ではなさそうだなと思ってしまった。
「古くは強壮なるノルマンの民の国であったのにな」
「いうな。 それをいうならうちの国だってそうだ。 モンゴルを退けた数少ない国なんだぞ。 海を隔てていたとはいえな」
「いずれにしても、軽く様子を見てもらおう。 本職であれば、何か感じるところがあるかもしれん」
歩くのも怪しい様子のおじいさんを、介護同然に支えている通訳の人。通訳の人は屈強であり、ぶっちゃけこっちの方が百倍くらい強そうだ。
ただ、これでも一応魔祓いである。
北欧の魔には燐火は対応できない。
日女さんが、念のために菖蒲さんに連絡を入れてくれている。最悪の場合はヘルプに来てくれるという。
菖蒲さんはこの国でもかなり上位に入る魔祓いらしい。林西さんほどではないにしても、である。
林西さんは今日も忙しいらしい。
魔祓いといえど、僧職もしている。葬式だのなんだので、色々と忙しいのである。
まあ、最悪の場合は、カトリイヌさんにも連絡を入れるか。
あの人はともかく、護衛の二人はとても頼りになる。
ともかく、涼子の家に。
おじいさんが何度か休みたいと言い出したので、燐火が背負おうかと提案したが。流石に小学生に背負われるのはプライドが許さなかったのか。
ぶちぶち文句を言いながら歩き出す。
なんだかこっちの方がちょっとがっかりしてしまう。
ともかく、現地に。
魔祓いと言っても色々だ。
ただ、ギリシャ系の魔祓いなんて滅多にいないらしいし。
燐火を除くと、ギリシャ系の魔祓いも、ほぼこういう状態なのかもしれないが。
とりあえず現地に着いた。
今日は涼子は普通に学校に来て、帰宅した。
あの子くらいになると、塾なんて必要なく、地力で勉強を出来ている。家にいることは、それでもメールを入れて確認した。
家にいる。
さて、どうだ。
「アバルシアさん、どうですか」
「……こ、こ、これは……」
「……」
日女さんが、眉をしかめて続きを待つ。
まあ、気持ちは大いにわかる。
このおじいさんのドルイド、とても信用できないからだ。
燐火だって思わせぶりなことを言っているなあと感じているくらいである。
だが、その後。
皆が戦慄することになった。
「る、ルーンで強力な隠蔽術が施されておる! これは、何か高位の神によるものだ!」
「本当ですか?」
「ああ! 間違いない! だ、誰であろう! オーディン様であろうか、それともその側近か。 いずれにしても、ただならぬお方だ!」
悲鳴を上げて、ドルイドの老人が下がる。
逃げ出そうとして、転びかけるのを、日女さんが即座に支えていた。
見た感じ、嘘をついているとは思えない。
だとすると、ちょっとこれはまずいのではないか。
日女さんがじっとおびえきった老人を見ていたが、やがてスマホで連絡を入れる。おそらく専用の、国と専属契約をしている魔祓いの公用品だろう。しばらくして、連絡が取れたらしい。
だが、それと同時に。
おじいさんが苦しみ始めていた。
すぐにつれてその場を離れる。
大事になると大変だ。
おじいさんは脂汗を掻いて苦しんでいたが、やがて離れた地点で救急車を呼んで、病院に搬送してもらう。
おじいさんは恐怖で泣き出していた。
一体どういうことだ。
この手の魔祓いには、感受性が強くなりすぎて、ちょっとしたことで感情を乱す人もいるらしい。
何しろ精神が強く影響する分野なのだ。
それは決して不思議な話ではないだろう。
それにしてもあの恐れ方は異常だった。
救急車が行った後、日女さんと神社に戻って話す。いくつか、打ち合わせをした。ちなみに日女さんに憑いている八幡様も、相手を察知は出来なかったそうだ。
「あのおじいさん、信じて良いんでしょうか」
「今ではすっかりボケちまったが、それでも若い頃は相当に敏腕で鳴らしていたらしいからな。 ある程度は信じて良いと思うぞ」
「……」
だとすると。
ドルイドであるおじいさんが感知したと言うことは、北欧の神格。
それも高位の存在とみて良いのだろうか。
誰が隠れている。
それとも、やはりボケ老人が錯乱しただけか。
燐火はあまり実例を見たことがないからどうこうとはいえないけれど。
おとうさんが、若い頃とても聡明だった人が、年老いてから会ったら別人のように頭が衰えていて悲しくなったと言っていた。
その人はとても理性的だったのに、年老いてから感情的になり。理論的だったのが悪い意味で直感的になっていたと。
譫妄まで発症していたらしく。
おとうさんの事を殺し屋だと思い込んでいたそうだ。
それを見て、とても悲しくなったという話を聞いている。
だから、あのおじいさんの有様は、燐火としても他人事ではなかった。
実際に見たことがなくても、そういう風に年老いる人はいる。元がどうであったとしても関係ない。
だから、全て真に受ける訳にはいかない。
ただし、全部嘘と決めつけるのも早計だろう。
「それで日女よ。 国にはどう頼んだ」
「一応北欧で一番優れた北欧系の魔祓いがいるから、それを手配してくれるそうだ。 ダイモーン騒ぎで色々あるしな。 これ以上問題を抱えたくないんだろう。 ただでさえきな臭い国際情勢だしな」
「……」
「とにかく、今は様子見だ。 俺には特に影響はなかった。 燐火は大丈夫か」
大丈夫、と答えておく。
ただ、涼子が訴えている不調については話さない。
あれはデリケートな問題だ。
今話すべきではないだろう。
日女さんがどれだけ信頼できる人であってもだ。
涼子はおそらく、心療内科に行くはずだ。父親が付き添ってくれる筈だから、問題はないと信じたい。
とりあえず、解散する。
家に戻った後は、鍛錬を少し増やそうかと思ったが、ケルベロスに止められていた。
「焦って鍛錬を増やしても、体を壊すだけだ。 下手をすると年単位で動けなくなる事もある」
「そんな柔な鍛え方はしていないつもりだけど」
「それでもだ。 今はとにかく、基礎を積み上げろ。 そういうことは、基礎を完成させてから言っても遅くない」
「わかった」
とりあえず道着に着替えると、正拳突きをたたき込む。
竹刀を振るう。
夕方になってからダイモーンが出たので、さっさと変身(着替え)して、潰しに行く。ここのところ、たいしたダイモーンは出ていない。
良いことなのか、悪いことなのか。
色々なことが絡まって、全てが一点につながっていたりしなければいいのだが。
燐火の力は確実に上がっている。
二回文字を書いて打ち倒せたそのダイモーンは、雑魚ではあったが、それは今基準でだ。昔だったら、六か七。文字を書かなければ倒せなかっただろう。
家に帰ってから、勉強をしておく。
おかあさんが早めに帰ってきたので、勉強を中断して、夕食を作る。
そしておかあさんが食べているのを横目に、ささっと勉強を済ませていく。集中力が上がっている。
精神修養の結果だ。
それで、勉強の効率も、前の倍以上には上がっているように思う。
だが、まだまだだ。
高度な精神的な境地にたどり着いたと思い込んだ人間が、実際には魔道に落ちただけ。林西さんの話を思い出し、常に戒める。
もっと上があるのではないか。
そう自分に言い聞かせながら、集中を続けて。勉強を済ませる。
おかあさんが食事を終えたので、寝室に連れて行く。
やっぱりつわりがつらそうだ。
「ごめん燐火。 迷惑掛けるね」
「誰でもこうなるのは仕方がないことです。 元気な子供の顔を見せてくれれば、それで充分です」
「はは、ちょっと出来すぎてるかな」
「おとうさんは今、頑張って稼いでくれています。 だから、おとうさんの事も嫌いにならないでください」
おかあさんは、それを聞くと、苦笑い。
やはり色々と精神的に苦しいのだろう。
おかあさんも燐火くらい、精神修養は積んでいる筈だ。
それでもこうなる。
だったら、今から更に更に精神修養を積んでおくべきだろう。
おかあさんを休ませると、勉強でスパートを掛ける。
今日、おとうさんは深夜までの耐久配信だ。燐火は夕食を一人で食べると、後は電気も消して、さっさと寝ることにした。
色々と周囲に問題が多い。
それでも、体調はベストに保たなければならないのだ。
4、天罰は別の形で
ガルドヴィ神父は、舌打ちしていた。
燐火とかいう小娘に多少思い知らせてやるつもりであったのだが。予想以上に反撃が大きかったからだ。
既にガルドヴィが裏にいることは、捕まれたとみて良い。
それも動いているのはあのカトリイヌの実家だ。
あれだけは、まずい。
どちらかというと燐火とか言う小娘と、カトリイヌとか言う小娘はバチバチにやりあっていると聞いていたが。
どうしてか憤激しているらしく、ずっと本気での調査をしているようだ。
そしてバチカンからわざわざドミニオンを数体借りたこともばれている。
既に居場所が危ないと判断したガルドヴィは、発展途上国に逃げるべく、空港に。それもこの国最大の空港ではなく、敢えて辺鄙なところにある空港へ来ていた。
ここから一旦いくつかの国を経由して、最終的に現在極めて治安が悪い発展途上国に雲隠れする。
其処では唸るほど金を持っているガルドヴィが断然有利だ。
金さえあれば、人を殺しても無罪放免。
そういう場所である。
勿論異教徒に襲われることは警戒しなければならないが。ボディーガードを雇えば良いだけ。
近代兵器と魔祓いは相性が最悪である。
どんなに優れた魔祓いでも、アサルトライフルで武装した兵士にはとても勝ち目がない。神おろしが出来るような人間でも例外ではない。
それを紛争地域などで見知っているガルドヴィは、むしろリラックスしていた。
だが。
ぞくりとした。
顔をのぞき込んできたのは、上級三位ソロネ。
そしてそれを連れているのは。
空港の長椅子から飛び上がったガルドヴィは、見た。
既に囲まれている。
その中に、あのセバスティアンがいるのも見て取っていた。
こいつの恐ろしさは、同業者であれば知らないものなどいない。
昔は狂犬とまで言われていたほどの男だ。
同世代では最強のエクソシストであり、ガルドヴィはいつもその凄まじい手腕に戦慄させられていた。
バチカンでも上級天使を守護天使にしている魔祓いは多くないが。
それだけ神に認められているエクソシストということである。
そして周囲には、明らかに公安か何かの、国際犯罪に対応する警官が並んでいた。それも普通の公安ではなく、魔祓い対策をした者達だろう。
接近に気づけなかった。
「ガルドヴィ神父。 悪漢の処理に乗じて、ただの私怨で人を殺させようとした事、既に判明しています。 おとなしく同行していただきましょう。 私も手荒な真似はしたくありませんのでね」
「お、おのれ……!」
「逮捕してください」
「駄犬に成り下がったか、元狂犬!」
喚くガルドヴィを、即座に警官達が取り押さえた。慣れた様子で、さっとドミニオンの制御札も取り上げられてしまう。
既に衰え始めているガルドヴィは、なすすべなく制圧された。
守護天使が幸運を授けてくれるはずだが。
残念ながら、ガルドヴィの守護天使では、ソロネには勝てっこない。
それに、どうやら分が悪いと判断したのだろう。
守護天使が離れたようだった。
そのまま手錠を掛けられ、空港から連れ出される。強力な魔祓い対策をされた護送車に乗せられ、扉を閉められた。
おそらくこれは、バチカンにすら帰れない。
この国で、何かしらの罰を受けて、一生牢屋だろう。
北欧だと「犯罪者の人権」を重視して、まるでホテルのスイートルームのような牢屋があったりする。
金があればそこに入れたりもするが。
残念ながら、この国の刑務所はそういう「先進性」とは無意味と聞く。
金を積んでも、裁判所を買収するのは難しい。
くそっ。
悪態をついたガルドヴィが、最後に思考したのはそれだけだった。
次の瞬間。
ガルドヴィの肉体が破裂していた。
完全に破裂して飛び散った背教者の肉体から得られた怨念を受けて。舌なめずりするその存在は。
北欧の神の一角であった。
元々北欧の神は荒々しい者ばかりだが。
その中でも異質な存在。
今ではすっかり悪神と成り果てているそれは、みずみずしい怨念に歓喜していた。
家にしている小娘は、ちょっと体を刺激してやるだけで散々苦しむ。
あの燐火とか言う小娘も、ケルベロスが離れたらその時には次のすみかにしてやってもいい。
あれを堕とすのはさぞや面白いだろう。
聖人を今まで何人も堕落させてきたが。
どれだけ精神を強烈に修養したとしても、人間なんてちょっとしたことで簡単に壊れるのだ。
大騒ぎしている連中から、さっさと離れる。
オーディンの奴は、この国を征服しようと本気で考えているようだが。
今ではこざかしいだけの老神となったオーディンなどに興味はない。
すっかり牙を抜かれてただのいたずらの神と認識されているロキや。ヒーローか何かと勘違いされて、解釈が混乱しているトールもこの様子では姿を見せないだろう。
だったら、後は好きにさせてもらうだけだ。
今、この国だけではなく、世界中が混乱している。
その原因は全て人間にある。
魔は人間から生じる。
魔祓いというのは、人間の邪悪の尻拭いをしているのと同じだ。
今ダイモーンをばらまいている奴も、人間がまともだったら、災害の中心になどなっていない。
ダイモーンはみなアガトダイモーンとなって、人に福を与えている筈だ。
そうではないことが、人間が如何にくだらないかを証明しているといえる。
さて、食事を楽しんだので、戻るとする。
しばらくは楽しめそうだ。
舌なめずりしたその神格は、さっさと戻る。
どうせ今現存しているドルイド程度には、その神格を抑えることなど出来はしない。
それを知っているからこそ。
ただ、鼻で笑っていられるのだった。
(続)
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