相容れぬ者

 

序、遭遇

 

朝練をしていたら、ケルベロスに言われる。即座に出る。学校に遅れるかもしれないが。緊急だとケルベロスが声を掛けてくるというのは、相当なことだ。

一応、そういうのに備えて、燐火は基本的に学校にいつでも出られるようにしてから朝練をしている。

精神修養をするようになってから、朝起きたりするのは全く問題なく地力で出来るようになっている。

前はケルベロスに声を掛けられたりしておきることもあったが。

今ではぴたりと同じ時間に目が覚める。

そういうものだ。

鞄を担いで、さっと飛び出す。これはおそらくだけれども、変身(着替え)している余裕はないな。

そのまま全速力で行く。

ケルベロスが、珍しく焦っているようだ。

「ヘラクレスさんは?」

「今、かなり厄介なカコダイモーンとやりあっているようだ。 負けることはないだろうが、な」

「燐火がどうにかしなければいけないということだね」

「そういうことだ」

別に、それ自体はどうでもいい。

ともかく山道を突っ切って。飛び出す。

そのまま路地裏を駆け抜ける。朝の散歩をしていたらしい老人が、燐火を見て天狗かなとつぶやいていた。

そのまま走り込んだのは、駅近くの裏路地だ。

なるほど、これはまずい。

ケルベロスの影響で見えるようになっているとはいえ、地獄絵図だ。

朝だからそれなりの人がここを通っているが、ビルみたいなサイズのカコダイモーンが、触手を伸ばしてえり好みをしている。

膨大な悪運をばらまき。

たくさん人を破滅させてきた。

それが一目でわかる。

即座に鉄パイプを振るう。

文字を書く。

裂帛の気合いを込める。叫ぶようなことはしないが。それでも、それほどダメージが入っていない。

連続で書く。

腕が折れるまでやる覚悟だ。

三度目で、触手がはぜ割れた。

うるさそうにこちらを見るカコダイモーン。以前ヘラクレスさんが叩き潰した奴ほどじゃないが。

それでもとんでもない大物だ。

更に連続で字を書く。

体がはぜ割れ、それでもまだまだ平気な様子のカコダイモーン。

ケルベロスが、まずいなと呻く。

奴が見ている。

巨大な体には目がついていて。それがにゅっと伸びている。

あれは電車だ。

朝の電車が来ようとしている。

あれに悪運なんか注がれたら。

それこそ電車事故にでもなりかねない。

勿論、このサイズのカコダイモーンが、それほど破滅的な災害を引き起こせるかはわからないが。

最悪の事態に、常に備えなければならないのだ。

集中。

心を研げ。

そして、字を描く。

今までにないほど、周囲の音が聞こえない。

力強く字を書くことによって、効果が明らかに出た。爆ぜ割れるカコダイモーンの複数の触手。

それで、ようやく面倒くさそうに、カコダイモーンが全身でこちらに向き直っていた。

全身が破裂し始めている。

それでも余裕という風情だが。

おそらくだが、ばらまいている悪運の問題だろう。

連続して文字を書く。

それでも、奴は大量のコールタールみたいな悪運をぶちまけながら、こちらに迫ってくる。

まるで濁流のように溢れている悪運は。

辺りにどれだけの災厄をまき散らしてもおかしくないだろう。

その時だった。

すっと、隣に立った。

カトリイヌさんだった。

十字架を掲げると、叫ぶ。

「Amen!」

それと同時に、漏れ出ていた悪運が、まとめて浄化される。なるほど、魔祓いとしての力は燐火よりずっと上とは聞いていたが。

ダイモーンそのものには通じなくても、悪運そのものはこうして祓えるのか。

立て続けに字を書く。

更にカコダイモーンが爆ぜる。明確に悲鳴を上げ始めた。冷や汗が流れる。電車がこちらに迫っている。

カトリイヌさんが、更に光を放ち、悪運を浄化する。

光りすぎてまぶしいくらいだ。

ただ、燐火もカトリイヌさんも、誰も認識していないようだが。

体中から大量の体液を垂れ流しながら、こちらに迫ってくるカコダイモーン。

こいつ自体は、殺傷力はない。

人間に悪運を植え付け。

それで人が破滅するのを餌とする。

たちが悪い霊。

それがカコダイモーンであり。そしてそいつを倒すのには、こうやってケルベロスの力を借りるしかない。

もう一度。

裂帛の気合いとともに、字を書き。

力をたたき込む。

それで、ついにカコダイモーンは爆ぜ割れ、辺りに凄まじい悪運がばらまかれていた。

それを、カトリイヌさんが浄化してしまう。

横を見ると、典型的なシスターの格好だ。

一応、見たことはある。

髪の毛も全て隠しているようだった。

「カコダイモーンは退治できたようですわね」

「どうにかなりました」

流石に疲れた。

腕がしびれるくらい。

それに、精神の消耗も凄まじい。ちょっと休憩したいが、今から学校に行くとなると、休んでもいられないか。

電車が駅に入っていく。

あまりここで乗り降りする人が多くないが、それでも無事でよかった。

一時期は、都会で毎日のように電車に飛び込んで命を絶つ人がいたそうだ。

それを考えると、それがなくなっただけでよしとするべきなのだろう。燐火は呼吸を整えると、カトリイヌさんに礼を言う。

「ありがとうございます。 浄化そのものは苦手なので、助かりました」

「本当ならあのような邪悪な異神などわたくしのドミニオンが倒してしまうのですけれどね!」

「いや、あれは私では少し相性が悪かったでしょうね。 燐火嬢の礼は素直に受け取っておきなさい。 ダイモーンは燐火嬢が倒し、不浄なる悪運の浄化は貴方がやった、それだけの話です」

カトリイヌさんがはしごを外されて、真顔になるが。

まあ、ドミニオンがそういうならばそうなのだろう。

とにかく、頭を下げると、すぐに学校に向かう。

できれば遅刻はしたくはなかった。

軽く走りながら、体調を調整する。

まあ、この程度の速度で走るのなら、それほど体力は消費しないし。むしろ体調も整えられる。

学校に着いた頃には、既に息も整っていた。

すぐに机とかロッカーを確認。

鞄の中身も確認して、問題ないことを確認し、嘆息する。

今日は急ぎも急ぎだった。

だから、忘れ物がないか不安だったのだ。

「よかった。 大丈夫そうだ」

「俺も少し肝を冷やしたぞ。 以前だったら勝てない相手だった。 ただ、あの一神教徒の魔祓いに力を借りたのは不本意だったが」

「道場で燐火のことを認めてくれたんだと思う」

「そうだといいのだがな。 強引に勧誘してきたら断れ」

ケルベロスはまあ、色々あったのだし、警戒するのは仕方がないのだろうと思う。

とりあえず涼子は。

あれ、いない。

ホームルームで、先生が今日はお休みだと言っていた。

まあ、風邪くらいは引くだろう。

それを思うと、別に不思議でもない。

淡々と授業をこなす。

それだけだ。

 

学校が終わって、メールを入れる。

大丈夫そうかと聞いてみるが、あまり大丈夫ではないそうだ。今病院にいるとかいう話であり。

ちょっと心配になった。

少なくとも事故に遭ったわけではないらしい。

ケルベロスも、悪運の気配はなかったというし、少なくとも専門の外ではあるのだろうと思う。

とりあえず、家に戻る。

そうすると、日女さんから連絡が来た。

「今いいか」

「はい、ちょうど家に着いたところです」

「悪いが、すぐに地図を送るから、其処へ向かってほしい。 八幡様が、異国の神の気配がするって話だ。 俺は今ちょっと和歌山まで出ていてな。 一応菖蒲姉には声は掛けておいたが、念のため足を運んでほしい」

「わかりました。 すぐに向かいます」

異国の神か。

この国の神はとても懐が深い。

神仏混淆なんて事をやっているのは、ほとんど例がないという話を聞く。

そういう国で、異国の神というならば。

それはちょっと調べないとまずいかもしれない。

ケルベロスが先に言った。

「俺が探している存在かもしれないな」

「例の迷子だね。 どういう人なの?」

「あまり良い生い立ちではない存在だな。 今はそれよりも、先に現場に急ごう。 ひょっとして、もある」

「わかった」

宿題は特に問題はない。

後で帰ってきてからやるだけだ。

剣道の道場通いが終わってから、自分の時間が増えた。それはできるだけ、有効活用しなければならない。

即座に服とか準備して、外に。

目的地は三qくらい先か。それだったら走ってたどり着ける。そのまま走る。今日は朝から走ってばかりだが、別に体力的に問題は感じない。

ともかく現地に急ぐ。

十二分ほどで現地に。

全力疾走ではないし、こんなものか。

とりあえず現地に行くと、山の中で魔祓いらしい人が数人いた。その中には、法衣を着込んだ菖蒲さんがいた。

目配せされる。

男だったらころっといきそうなウィンクである。多分僧であることを、菖蒲さんのお父さんは強制していないのだろう。

「異国の神様がいると聞いてきました」

「ええ。 あれ」

視線を向けた先に。

確かに、それはいた。

なんというか、人型ではない。非常にまがまがしいというか、何か得体が知れないよくない雰囲気がある。

ケルベロスが言う。

「違うな。 探している者ではない」

「欧州系みたいだけれど、違うのかしら」

「ああ。 あれはどちらかというと悪神の類だ。 俺が探しているのは、あの手の輩ではない」

そういえばただ迷子なだけだと言っていた。

悪神なのだったら、ただぶちのめして終わりとなるだろうが。

そうもいかないのだろう。

まがまがしいそれは、呻きながらゆっくり徘徊していた。

周囲の土や木々が、変色しているのが見える。

「姿、容姿などに該当なし。 欧州系のようではあるが」

「妖精にしては強力すぎるな。 一神教の魔祓いはいるか。 対応できるなら……」

「いや、あれは悪魔の類ではありませんな」

既にいるらしい。

というか、あれはカトリイヌさんのボディガードの人だ。あの人も魔祓いであるらしいのはわかっていたが。

あの人は燐火やカトリイヌさんとは段違いの実力者である。

だとすると、対応できないのは少しまずいのではないか。

「ドルイド系の魔祓いの当ては!」

「到着まで六時間はかかると!」

「くそっ! なんだよあの神! 誰かわからないか!」

「……」

見ると、自衛隊の人も来ていて、必死に検索をしているようだ。

確かにもやもやとしているだけ。

ケルベロスとか、他の人に憑いている神もだんだん見えるようにはなってきた。だからそれぞれの文化圏における霊とかではなく、神格なのだろうというのは燐火にも判断がつくが。

あのもやもや、人型ではない。神格で、まがまがしい気配。

それだけでは、正直言って正体を図るのは厳しいのではないかと思う。

燐火もスマホで検索してみるが、ちょっとわからない。

すっとそれが立ち上がる。

なんとなく、それでわかってきたことがある。

あれは馬だ。

しばらくは無作為に辺りの草を食んでいたようだが、やがてそいつは周囲をねめつけて、何か思念を送ってきた。

ケルベロスはわかるようである。

「ラテン語だな。 燐火にわかるように翻訳してやろう」

「お願い」

「ええと、何々。 この土地に住まう脆弱な神々よ。 我が主がこの土地に降臨したいと願っている。 征服され殺されることだけがおまえ達に出来ることだ。 ひれ伏していれば楽に殺してやる」

「ずいぶんだね……」

馬にしては極めて好戦的だ。

訳した人がいる。

それもあって、即座に臨戦態勢がとられた。

「やむをえん! 異神と交戦できる魔祓いは前に!」

「ちょっと行ってくるわ」

「気をつけてください」

菖蒲さんが前に出る。燐火は異教の神様とやりあえる力はない。他にも腕利きが数名前に出たようだ。

次の瞬間、光が辺りを蹂躙していた。

伏せるので精一杯。

身を起こすと、辺りの森はなぎ払われ。自衛隊の車がひっくり返っていた。

うめき声。

倒れている人が転々としている。

菖蒲さんと、以前カトリイヌさんのボディーガードをしている人だけが立っていた。

「愛染明王、しつけをしてあげましょう」

「いや、その必要はないようだ」

馬が、不意に膝を突く。

燐火は立ち上がると、口に入った土をハンカチに出しながら、馬の神様を見る。足が、増えている。

ちょっと多すぎるくらいだ。

それで、ケルベロスが正体を察したようだった。

「ラテン語を使えるとは、なかなか勉強したようだな。 ロキの子、スレイプニルよ」

「!」

「スレイプニルと言うことは」

「……この国では我が主の知名度が高い。 しかも平和に腑抜け切っている。 ただ、予想以上に我が力も出ないようだな。 今日は引き上げてやる。 だが、この国の神々など、主や主の麾下にある武神達の足下にも及ばぬとしれ!」

ふっとスレイプニルが消える。

大人達が、あちこちに連絡を始める。

菖蒲さんが、けが人の手当に移る。

燐火も倒れているお坊さんを抱えて、トリアージをしている場所へ運んだ。

大人でも工夫次第で担げる。

これについては、おかあさんにこつを教えてもらっている。

「まだあちらに一人倒れているので、運んできます」

「助かる!」

周囲は修羅場だ。

自衛隊の人が、車をひっくり返して、元に戻していた。数人がかりとはいえ、出来るものなのだな。

トリアージをしているが、みんな助かると良いのだけれど。

菖蒲さんが、いくつか周りに指示を出している。

ケルベロスが嘆息した。

「面倒なのが絡んでくるとみて良さそうだ」

「スレイプニルって?」

「今で言う北欧の神の馬だ。 あいつが言っていたのは、恐らくはオーディンであろうな」

名前だけは聞いたことがある。

確か投げれば絶対に当たる槍を持っている神様だったか。

だが、その性質は想像を絶していた。

「オーディンは戦争にいかなる手段を用いても勝つ神で、性質は残虐極まりない。 それどころか、自分の配下を増やすために、意図的に戦争を起こすことまでするような神だ。 異国に顕現でもしたら、面倒なことになる。 それに……」

「それに?」

「この国では名前が格好良いからか、北欧の神々は人気がある。 それが下手な形で力を与えるかもしれん。 オーディンは至高神としては異例なほどに残忍でエゴにまみれた神だ。 うちのゼウスがかわいく見えるほどのな。 北欧のノルマンの民がそれだけ残忍で戦を好み、それでそういった神が好かれたという訳ではあるのだが」

北欧というとなんだか良いイメージが多かったが。

そんな荒れた文化圏だったのか。

とりあえず、けが人は順番に救急車で運ばれていく。普通のと違う救急車が来ていたが。これは魔祓い案件だからだろう。

一応燐火もお医者さんに見てもらったが、怪我はない。

死者もいないようだった。

迷子を捜している状態で、オーディンが現れようとしている。

どうやら、事態は混迷を深めていくらしい。そう燐火は悟っていた。

 

1、参考にして力にして

 

おかあさんに教わった人に、会いに行く。

何人か紹介してもらった人にそれぞれ会いに行くのだが。禅宗のお坊さんだったりと、いずれも魔祓いとはあまり関係がなかった。

ただ、それでも会ってみて意味がないとは思わない。

実際に会ってみると、なるほどと思わされることも多い。

話についても、相互で矛盾はしていない。

燐火は実際に話してみて、いずれもメモをとり、それぞれが有益だと思った。

最後にあったのは、様々な古流武術を研究している人だ。

燐火と軽く立ち会った上で、いくつかの細かい悪い癖を指摘してくれる。この人は精神修養はともかくとして、今後体をどう鍛えれば良いのかの、指針を示してくれた。

何人かにあってみて、どの人と話しても参考になった。

それにおかあさんの名前を出すと、いずれの人も懐かしそうにしていた。

きっと昔はおかあさんも。

こんな風にして、色々な人から色々教わったのだろう。

それを思うと、それを力に出来るのは誇りですらある。

そうの筈なのだが。

まだどうしても、その辺りは体で理解できるとは思えなかった。

とりあえず、これで参考に出来そうな人のところは一通り回ったか。

後は、実践するだけだ。

オーディンについては、今の時点では気にしなくていいとケルベロスが言う。燐火とは基本的に縁がない相手だし。

この国の神を弱いとスレイプニルは言っていたが。

実際にはそんなことはないとケルベロスは言う。

「神話が物語になってしまったのは北欧も同じだ。 それどころか、もっと実際はひどいことになっている」

「そうなの?」

「ああ、そうだ。 北欧では、現地の人間ですら神話を知らないことが多い。 それはギリシャよりもひどい状態で、所詮はオーディンが名前だけ格好良い神、くらいの認識でしかないことを示している。 一瞬でスレイプニルが腰砕けになっただろう。 あれは単純に、力が足りていないからだ」

なるほど、そういうものなのか。

この国では漠然とした信仰が各地の神社にあり。

決して侮れない力を神々に与えているという。

少なくともスレイプニルが言ったような平和ボケした惰弱な神、なんてことは全くないそうだ。

鍛錬をしながら、そんな話をする。

次は正拳突きだ。

最近は腰を落として、力を伝えるのを、無駄なくやれるようになってきた。

立て続けに拳をたたき込むが。

おかあさんが頑丈にした的は、前とはまるで別物の手応えだ。しかも、ぐんとしなる。

たちが悪い不良……空手とかを教わっている奴が相手だと、こういう感じになるのだろうと思う。

痛打が入っていない。

それがよくわかる。

まだ、体の使い方が不完全なのだ。

そう自己分析していると、ケルベロスがいくつもアドバイスをしてくれる。いずれもが的確なアドバイスだ。

ケルベロスのいうギリシャ時代にも、パンクラチオンという武術があったらしく。

レスリングなどと同じ系統で。

更に荒々しいものであったそうだ。

骨とかが折れるのも当たり前の武術であり。

それを考えると、近代的に整備された武術とも、実践で使うという観点では引けをとらないものだとか。

その知識があるから、ケルベロスはアドバイスを出来る。

燐火も素直にアドバイスを聞いて、そのまま練習を続ける。

百本正拳突きをした後は、素振りに移る。

これについても、頭の中で充子を作り出して、それを相手に試合をする。まず全然勝てないが。

それは勝てないと言うことを自覚して。

更に腕を磨くために必要だ。

素振りをしながら、体をとにかく磨き上げる。

肉も骨も無駄には一切しない。

しっかり動いた後は、食事にする。

出来合だけれど、これは仕方がない。たまにおとうさんが焼いてくれるクッキーを楽しみにするくらいでいい。

そういえば、そろそろ誕生日か。

実は誕生日を祝う習慣なんてものは存在しなかった。

おかあさんが孤児院で回収した戸籍謄本だとかで誕生日がわかったらしいのだけれども。実際の両親については知らない方がいいと言われている。

知るつもりはない。

孤児院時代でもヤク中で二人そろって死んだと言っていた。

それがどういう意味なのか燐火にはあまりよくわからなかったけれど。

今はわかる。

どっちもカスであり。

世間一般で尊ぶような愛とは無縁で、性欲のまま子供を作ったあげく。

燐火を放置して、そして死んだろくでなしだ。

更におかあさんが知らない方が良いと言うことは、ろくでもない事情が色々とあるのだと思う。

だから知らないでいい。

ともかく、誕生日にはおとうさんがケーキを焼いてくれるらしい。

ちなみに西洋料理だと思っていたのだが。

特にイチゴがのったショートケーキというものは、あまり西洋でにたものは見られないそうだ。

ケルベロスも見たとき、なんだこれはとぼやいていた。

甘みに関しても悪くはないが、蜂蜜の方が好きだなとぼやいていたので。蜂蜜についてはおとうさんに相談しておく。

ケルベロスもなんとなく燐火が辛党であることには気づき始めているようだが。

いつも世話になっているケルベロスのためだ。

それくらいは我慢しなければならないと、燐火は思っていた。

体を鍛えるの、人通り終わり。

それが終わったら、次は勉強だ。

遅れている勉強はないが、とりあえず出来れば小学生分は五年生のうちにしっかり終わらせておきたい。

今後燐火は、ケルベロスの幸運の支援が得られなくなる。

それはわかっている。

最悪、高校くらいで自立できるくらいの事を考えておきたい。

ケルベロスも、迷子を見つけたら、いつまでも燐火と一緒にはいられない。

そして今までの極めて都合が良い、孤児院を出てからの人生展開。ケルベロスの支援だと言うことは燐火もわかっている。

だからそれがつきたときのために。

燐火は今のうちから、自身を自立できるようにしておかなければならないのだ。

それには無駄など一つもない。

かりかりと集中して勉強する。

精神修養は非常に役立っている。

凄まじい集中力で、今までとは比較にならない精度で勉強が出来ている。

涼子は何でも有名な中学に進学するらしい。

母親とあらゆる意味で縁を切りたいと、前にぼそりとこぼしたことがある。

愛がどうのこうので何の落ち度もない父親を裏切ったような腐れ売女にならないためにも。

あらゆる意味で自立した人間になりたいそうだ。

現時点では弁護士か医者になることを考えているそうである。

それには現時点での学力でもまだ心許ない、ということだった。

燐火もそれくらいの事を目指しても良いかもしれない。

司法試験は過酷だが、通ってしまえば裁く側だ。

弁護士には悪徳な奴も多いと聞く。

勝てる裁判しかやらないようなゲスも結構いるそうだ。

そういうのを片っ端からぶちのめして、経歴に泥をたたきつけてやるのも痛快かもしれないが。

いずれにしても、今はまだその段階にはない。

勉強終わり。

出来た時間で効率よく休憩をし。

正座して、精神を集中する。

無駄にショート動画なんてものはみない。

あれはいくつか見てみたが、刹那の快楽を指摘するだけの堕落ツールだ。そう燐火は評価している。

精神をひたすら錬磨する。

その後、ケルベロスがいくつかピックアップしてくれた動画を見る。

ゲロ甘のラブロマンスとかだ。

そういうのを見て、恋愛脳の人間が憧れるような愛がどういうものかを、知っておくのも良いだろう。

そういう話だ。

林西さんが言ったように、堕落について知っておくべき。

そういう意図もある。

己の中に、こういうありもしないものに憧れる部分があったとしたら、それは明確に堕落である。

こんなものを喜んでいるから、金のためだけに体を売ったり、甘い言葉をささやくホストだかに入れ込んだりする。

刹那の快楽のために、平気でクスリに手を出したりもする。

休憩がてらに見ていくが。

馬鹿馬鹿しい代物だと燐火はそうとしか思えなかった。

「くだらないね」

「おまえの年で其処まで一刀両断する奴は初めて見たぞ。 白馬の王子様とかにどうしても憧れるものなのだが」

「そんな自分に都合が良い異性なんかいるわけないでしょ。 甘い言葉をささやいて近づいてくるような奴なんか、どうせだまそうとしているに決まっているんだし」

「手厳しいな。 まあ、相手をだますことに特化した人間がもてるのは事実だ。 実際昔の話に出てくるような「ヒロイン」は、いずれもがどちらかというと傾国の類であるしな」

傾国とは。

王様とかをたぶらかして、国を傾けるような輩であるらしい。

それを聞いていると、なるほどと思う。

誰もが褒められるのには弱いんだな。

性欲にも。

燐火ももう少し大人になったら、性欲は当然生じるだろう。それをどう制御するかを、今から考えておかないといけないだろう。

それを、「メロドラマ」とやらを見ていて思う。

少なくともこういうものに出てくるような、脳みそに砂糖だけが詰まっているような女と燐火は一緒になるつもりはない。

ただ、林西さんがいうように、もう少し楽しみを覚えても良いだろう。

だが、燐火は何が楽しいのだろうか。

それは、今でもよくわかっていなかった。

 

そろそろ五年生が終わる。

今日もダイモーンを始末する。かなり強力に育ったダイモーンだが、燐火の力も上がってきている。

文字を書く。

力強く。

それで、一発で爆ぜる。

まだだ。

爆ぜて悲鳴を上げても、ビルくらいあるダイモーンは、その程度で倒れることはない。こちらを見るが、その時には二つ目の文字。

それで、破裂していた。

悲鳴が消えていく。

息も乱れていない。

前だったら五回くらいは文字を書かないと倒せなかった。ケルベロスの話だと、聖印というらしいが。

「見事。 倒せる相手の幅も広がっているな」

「もっとペースを上げても良いよ」

「……そうだな」

ケルベロスはダイモーンを集めてくれている。

それは倒しやすいようにするためもある。

ヘラクレスさんが本当に危険なカコダイモーンは倒して回ってくれているようだが。それらのうち、弱めのだったら燐火が対応できるようにしたい。

そうなれば、奴らが不幸にする人だって減る。

ダイモーンを撒いている人だって、悪意があってやっているわけではないらしいのだ。

だったら、できるだけ、不幸なんかない方がいいに決まっている。

燐火の正義感は、前より強くなっている。

周囲では如何に人をだますか、サボるか、そんなことばっかり考えている人間の方が多いことがわかってきた。

燐火は今の学校でも、教師陣がしっかりしていなかったらいじめられていたかもしれない。

ただ、いじめを受けても、全て反撃していただろうが。

しかしながら今においても、いじめは加害者側に異常に有利な仕組みが続けられている。いじめを行ってきた奴をぶちのめしたら、燐火の方が退学させられるかもしれない。反吐が出る話だ。

いじめは楽しいという理屈がある。いじめをする連中にとってはそれが真理なのである。

事実、いじめをしている奴はこれ以上もないほど嬉しそうに笑っている。それを前のあの金木が支配していた学校で燐火はずっと見ていた。

何より自分が正しいと思っている。実際、武道を習い始めて、いじめをしている男子をぶちのめしたとき。なんでこんな理不尽なことをと顔に書いていた。

そして、いじめを楽しいと思う人間の方が多数派だ。

だから子供はいじめをする側でなんぼ、みたいな恥知らずな思考をする大人も出てくるし。

屑教師の中には、いじめに加担するような輩すらいる。

大人の会社でもいじめは行われる。

そういった「普通」を、燐火は徹底的に軽蔑する。

軽蔑しても生きていけるように、今から更に更に鍛えておく必要がある。普通などに潰されないように。

自宅に戻る。

退院したばかりだが、涼子が連絡をしてきていた。

明日あたり、遊ばないかと言うことだ

涼子のお父さんは、涼子が最近明るくなったと言っているらしい。燐火の影響だとするとそれは嬉しい話だ。

燐火としても、涼子が喜んでくれるのなら嬉しい。

ただ。まだ林西さんがいうような、楽しいは見つけられていないが。

涼子に遊びに行く旨を伝えると、

今度は意外な相手から連絡が来ていた。

カトリイヌさんである。

「元気にしていますか。 少し用事があって連絡をいれました」

「!?」

ケルベロスが驚いている。

実はメールで連絡をするとき、カトリイヌさんはやたら丁寧な日本語を使うのである。普段は見るのもいや、という感じで目にも入れないのだが。

今日はたまたまみてしまったらしく、ケルベロスが唖然としていた。

まあ、気持ちはわかる。

普段のカトリイヌさんを見ていると、冗談にしか思えないだろう。

「オーディンの件について、教会で少し会合があります。 異教の存在であるとはいえ、燐火さんにも同席していただきたく。 勿論主の信仰に誘ったりはしませんので、ご安心ください」

「……どうする燐火」

「一度カトリイヌさんのご同輩には会ってみてもいいと思う」

堕落について知るには。

色々知識を得ておく必要がある。あらゆる方向について、だ。

カルトに対して漠然とした嫌悪感は誰でも持っている。

だが、どうして危険なのかは、ほとんど誰も知らない。それを燐火は、既にわかっていた。

ケルベロスも教えてくれたが。

自分でも調べてみて、驚くほどカルトへの批判が漠然としているのである。

二十年だかもっと前だったか。

とんでもないカルトが、地下鉄などに毒ガスを撒いたりして多数の人の命を奪い。あげくに国の転覆まで謀っていた事件があった。

そのカルトの背後には外国の陰までちらついていて。

極めて危険な存在だった。

問題は、そのカルトにこの国最高の学府の人間が何人も幹部として所属していた事。

この国では、賢い人は偏った思想を持つのが正しいと考えるような、変な風潮があるらしい。

それもあって、ころっと賢いはずの人たちが、凶悪カルト集団にはまってしまったのだそうだ。

そういう事件もある。

しかもいい年をした大人が、この凶悪事件を、「体制への反抗」などと褒め称えているケースまで見ている。

人は簡単にカルトに転ぶ。

現在だとワクチンを否定したり、実際にはなんの論拠もない本とかを根拠にした「えせ科学」というカルトがはやっているようだが。

こういうので裏で糸を引いているのは邪悪でろくでもない人間であるが。

引っかかるのは知識がない人間だ。

更に言えば、詐欺師は知識がある人間でもだます方法を心得ている。これはケルベロスに、何度も教えてもらった事だった。

だから、色々な思想を見ておいて。

本物の悪意についても、知るべきだと考えている。

燐火は時間を見て様々な凶悪犯罪について調べているが、燐火が身で味わったあの金木家からみの街の私物化も、今では凶悪事件にカウントされているそうだ。

それらで耐性をつけておく

当然、カルトに転ばないようにしておく必要もある。

カトリイヌさんがそういう事を仕掛けてくる可能性は低いと判断しているが。

そのご同輩についてはわからない。

というわけで、行ってみることにする。

そう説明すると、ケルベロスは呆れていた。

「色々と子供らしくないな。 将来設計がしっかりしすぎている」

「おかげさまで」

「だが、今のうちからしっかり足下を固めておいて損はないだろう。 とりあえず、下手なことを言われたりされそうになったら強行突破して逃げろ。 俺がサポートする」

「わかった」

カトリイヌさんがそういうことを考えているとは思えないが。

それでも油断はするべきではない。

燐火はとりあえず、出かけてくることにする。

ケルベロスが嫌悪している一神教についても。

知っておくべきだと考えたからだ。

 

カトリイヌは青ざめていた。

カトリイヌは顔役の娘だ。

一族の権威は長年にわたって蓄積されてきたもので、カトリイヌも英才教育を受けてきた。

大学を飛び級で出て。

それで今では立派に現役の魔祓いである。

だが、だ。

実際に現役の魔祓いになってみて悟らされたのは、上には上がいるということばかり。

実際年下の日女は明らかにカトリイヌよりも才覚でも実力でも上。

多分頭のできもあっちの方が上だ。

勉学ではカトリイヌの方が出来る自信があるのだが。

日女はあれは、戦闘に頭のリソースを全部割り振っている。実際問題、魔祓いの時の手際の良さを見て、思わず瞠目してしまったほどだ。

それに、燐火。

あの子はまだ小五。

本来だったら馬鹿みたいなアイドルだのを見て、キャッキャと喜んでいるような年である。

実際にはカトリイヌだって世間一般的にはそれと大差ないのだが。

ただ既に自立している年齢だ。

そうあってはならないと、自戒を常に欠かさなかった。

それでも色々と見てしまう。

現在教会で会合しているが。

ここに集まっている魔祓いは、文字通り魑魅魍魎だ。日本に来て覚えた言葉だが、それ以外にない。

魔祓いとしての力は、どいつもこいつもたいしたことがない。

一番出来る奴でもカトリイヌとどっこい。

来年には確定で追い越す。

こいつらが優れているのは政治工作で。

くだらない根回しだので権力を得てきた、ろくでもないオオカミ……この国では狸というのだったか。

そういう連中だ。

カトリイヌは、ここに燐火を連れてくることに不安を感じている。

こいつらが勝手に接触するよりも、燐火を先にここに連れてきて、それで現実を見てほしいというのがあった。

だから連れてくることに決めたのだ。

日本では、一神教の神父や牧師は、ほとんどがまともだ。

これはカトリイヌの母国であるバチカンや、欧州のほとんどの国と違う。

毎年子供に手を出す聖職が山ほど出る欧州と違って、真面目と言われる日本人の聖職は、一部を除くとカスではない。

ましてや欧州では、聖職が完全に聖域となっている。

これは中東も同じであるが。

聖域は簡単に人間を腐敗させる。

そして魔祓いもそれは同じ。

魔祓いの能力よりも、悪辣さが出世につながる。こういうよくない世界があることを、知っておくべきである。

「それにしてもその燐火という子供、使えそうですな」

「悪魔の犬を祓えば、誰かしらの天使を降臨させて、それでこちら側に引き込むことも出来ましょう」

「良いのですかな。 そうすると味見が出来なくなりますが」

「はっはっは、それもそうだ。 洗脳していいように……」

咳払い。

カトリイヌの護衛の一人。

カトリイヌの実家にずっと仕えている魔祓いの一族。

セバスティアンの咳払いだった。

それを聞いて、皆が黙り込む。クソじじいどもを一発で黙らせるのに十分な威圧感があった。

「その辺にしていただこう。 カトリイヌ様に憑いておられるドミニオンがずっと貴殿等を見ているのを忘れたか」

「は、ははは。 そうでしたな」

「それに貴方の……」

「私のは別にどうでもよろしい。 燐火様はカトリイヌ様のご友人でおられる。 侮辱を働くことは、ユグヌス家への宣戦布告と知られる方が良いでしょうな」

それで黙り込む狸ども。

こんなのが聖職だ。

神が絶対で公平なら、こんな連中をどうして野放しにしているのか。時々カトリイヌは疑問を感じてしまう。

ドミニオンは何も言わない。悲しんでくれていると思いたい。

ともかく、こいつらを一度見せておくべきだ。

そう、カトリイヌは、もう一度思うのだった。

 

2、大人など本当にいるのか

 

教会での会合に足を運んで。

その時、会釈したカトリイヌさんの表情を見て、燐火は悟る。

予想通りだ。

おそらくだが、腐敗しきっているとみていい。

魔祓いの世界も色々だと日女さんに聞いている。国によっては権力と癒着したあげく、腐敗しきってろくに魔祓いも出来ない奴が「権威」になってしまうことがある。

そうなると最悪で、魔は野放し。

国中に不幸がまき散らされる。

それがどうしておきるのか。

燐火は今、こうして見ていることになる。

教会の中は雰囲気だけ荘厳だが。

ケルベロスは、ふんと鼻を鳴らしていた。

「あのポンお嬢についているドミニオンと、その執事についている奴がここでは最強のようだな。 後は中級以下のカス天使しかおらん。 いざとなったら俺が全部消し飛ばす。 ただ、どんな搦め手を使ってくるかわからん。 気をつけろ燐火」

「わかった」

進められた席につく。

ここはカトリックの教会らしい。

一神教は主にユダヤ、キリスト、イスラムの三派に別れるが。そもそも経典宗教というい言葉があり、他にもいくつか存在しているという。これはいわゆるバイブルを聖典とする信仰の総称だそうだ。

これに加えて三大派閥の中にも分派がいくつもあり。

近年でキリスト教の中では、カトリックとプロテスタントが強力なのだという。

他にもいくつか派閥があるそうだが。

ここはカトリックであるそうだ。

いずれにしても、燐火は一神教に傾倒するつもりはない。

会合ではあんまり意味がないことを適当に話していたが。

それが終わると、集まって軽く話をする。

魔祓いについて。

それぞれの成果について話をする。

ダイモーンがこの近辺に集まって悪運をばらまいている事については、こいつらも把握しているようだ。

カトリイヌさんが説明をしているのかもしれない。

護衛は二人ついてきているが。

年配の方は、とてもとても強い。

若い方より多分強いことを、今の燐火は見るだけでわかるようになってきていた。これも、おかあさんに教わった柔道、合気、空手に加え。

剣道をしっかりやって、戦うための技術を真面目に身につけている、というのが要因であるだろう。

いずれにしても、ともかく会合の本番が始まる。

見かけだけは老紳士の雰囲気を出している「神父」(カトリックの神職をこう呼ぶらしい)が、笑顔を向けてくるが。

明らかに目が燐火を品定めしていた。

「今日は会合に足を運んでいただきありがとうございます。 君のことはとても優秀で未来有望だと聞いています」

「はあ、ありがとうございます」

「それでどうですか。 神の御心に触れて、一神教の魔祓いとして活躍してみませんか。 今の燐火さんの実力であれば、すぐにでも本職として活動する事が出来ますが」

「ありがたい申し出ですが、お断りします。 燐火はケルベロスの役に立ちたいので」

これは、心底からの本音だ。

死の淵から救ってくれた、というだけではない。

今までケルベロスがどれだけ幸運で守ってくれたかわからない。

それに最初のあのとき。

孤児院の院長が逮捕されるきっかけ。

金木のカス一家が逮捕されるきっかけ。

どっちを作ったのもケルベロスだと言うことは、燐火もわかりすぎるほど理解している状況だ。

今更ケルベロスを裏切ることなど考えていない。

それに、ケルベロスと話していて、甘党の人情家であることはよくよく理解できた。

それを地獄の番犬などと曲解して。

ダンテという人が書いた神曲という小説に出てくるような恐ろしいだけの存在と解釈したのは。

燐火としても思うところがいくつもある。

それらをいちいち口にしてもいいが。

今はともかく、情報を交換だけしたい。

「魔祓いとしてダイモーンをどうするか。 今はその話をしたいです。 燐火も力がついては来ましたが、それでもまだまだ。 情報を得られるのであれば、動きやすくなりますので」

「これは随分としっかりしておられる。 しかし貴方に憑いているのは」

「ケルベロスは立派な神格です」

「しかし悪魔の犬でしょう。 それは地獄の番犬……」

ケルベロスがキレた。

魔祓いのほとんどは、ケルベロスが見えていなかったようだが。

燐火の力が上がってきたこともある。

燐火の背後で、多少は魔祓いが出来る人間を威圧できる程度に、姿を見せることは出来るようになったようだった。

「俺は地獄の番犬ではない! 勝手に俺に変な設定を付け加えおって!」

「ひっ!」

「お、おのれ悪魔め!」

「落ち着いてください。 ケルベロスに害がないことは今までわたくしが近くで見て確認しておりますわ。 それに今は、燐火さんのおっしゃる通り、共闘を考えるべき時でありましょう」

カトリイヌさんが助け船を出してくれる。

いずれにしても、ケルベロスの地雷を簡単に踏むものだ。

ケルベロスは冥界の番犬である。

それも一神教徒は、基本的に自分らの信仰が全正義だと考えているから。間違いを認めない。

燐火も、ちょっと話すだけで、それがわかってきた。

「建設的な話をしたいのですけれど」

「し、しかしそのような悪魔の犬は、貴方に決してよくない影響を及ぼすことは間違いないでしょう。 洗礼を受けなさい。 そうすれば我らが父たる神は貴方をお許しになり、それどころかそれほどの力があれば或いは上級天使の加護を得られるやも」

「建設的な話をしたいと言っています。 それが出来ないのであれば帰りますが」

「皆さん。 ダイモーンに対処できないのは、既に身にしみてわかっているのではありませんか?」

ずっと黙っていた、カトリイヌさんの若い方の護衛が口を開く。

思っていたよりも渋い声だったので、燐火もちょっと驚いた。

ともかく。咳払いをすると。

燐火はじっと見つめる。

老人達は、それで明らかにひるんだようだった。

「最後にもう一度言います。 ここには建設的に、ダイモーン対策に関連する話をしにきました。 あなたたちの信仰に興味はありません。 否定するつもりはありませんが、燐火が受け入れることもありません。 ですが、互いに脅威を前にして共闘することは出来るのではありませんか。 それが出来ないのであれば、燐火は帰るだけです」

「……悪魔の犬め。 どうやって子供をたらし込んだ!」

「話になりませんね。 帰ります」

側を見ると、カトリイヌさんが頷いていた。

なるほどな。

やはり、この有様を見せるためだったのか。

燐火としても、この実態がわかったのだったら大いに意味があったと感じた。

これは、人間がいる場所ではない。

文字通りのパンデモニウムだ。

本来はもっとも聖なる場所である筈の地が。

一神教徒が憎んで止まない筈の退廃と腐敗の地になってしまっているではないか。

それに燐火のことを、あの孤児院の院長と同じ目で見ていた奴も何人かいたのを確認している。

反吐が出る話だった。

既に調べてあるが、欧州では年に千件以上もああいう人が、子供を強姦したりしてスキャンダルになる。

そういうことを知っていると。

燐火はそれも仕方がないかと、思ってしまうのだった。

教会を出る。誰も追ってこない。

家に帰る途中、カトリイヌさんが連絡をよこした。

「気づいているようですけれども、今日はあの有様を見てもらうために来てもらいました。 ひどい状態でありましょう。 バチカンでも、あのような光景は日常茶飯事。 うちの家は、必死に魔祓いの質を保つために努力をしてきた家系ですのよ」

「苦労しているのはわかりました。 でも、信仰を捨てる気はないんですね」

「そ、それはとんでもない話ですわ!」

「まあいいです。 ともかく、燐火は二度とあの人たちには近寄りません。 全知全能の神様とやらは、あの人たちにどうして天罰を下さないのですか?」

痛烈な一撃を入れるが。

カトリイヌは恥ずかしいことですとだけ答えてきた。

ちょっとかわいそうになった。

だが、それはそれとして。

林西さんが言っていた魔道に落ちた求道者というのは、どういう存在なのか、よくわかった。

一神教徒であれだ。

雑多なカルトはあれより更にひどいだろう。

それがわかっただけで十分だ。

家に着くと、ちょっと疲れた。

ただ、休憩をしてから、鍛錬はしっかりする。

心にたくさん泥がついた気がする。

だから、その泥を吹き飛ばす意味でも、気合いを入れて鍛錬をする。

筋肉は確実についてきている。

腹筋は割れて久しいし。

正拳突きをして、的にかなり効率よく打撃を入れられるようになってきた。

周囲の家の人は、胴着を着て正拳突きをしている燐火を見て、ぎょっとする事もあるようだが。

無視。

とにかく全身を使って。

一撃を的に入れる。

あの老醜の老人ども。

ああなってはいけない。

人は簡単に堕落する。

ケルベロスに何度も言われた。そして燐火だって、それは例外ではない。

堕落のきっかけはわからない。

たちが悪い男に引っかかったり。

或いは友達から悪いことを教わったり。

自分自身で決定的に挫折したり。色々と理由はあるのだろう。

だが、燐火はそうならないためにも。

今のうちから、土台をしっかり積み重ねておく。それでいい。燐火は続いて、竹刀を握ると。

アラームがなるまで。

集中して、ひたすら振るい続けた。

鍛錬もやり過ぎると毒だ。

しっかり指定通りの鍛錬をする。ケルベロスがアドバイスしてくれるので、体への負担もわかっている。

それで適切な回数の鍛錬をやった後は、風呂で汗を流す。

体の洗い方から最初はおかあさんに習ったな。

そう思うと、懐かしい。

丁寧に汗を流して、そして後は宿題と予習だ。無駄な時間なんぞ少しもない。他の小学生がショート動画とやらで盛り上がっているが。

燐火は一切興味がなかった。

わからないことがあったので、涼子に聞いてみる。

即答で帰ってきたので、頼もしい。

言われたとおりにやってみると、解ける。

燐火以上に、ケルベロスの方が感心していた。

「やはりあの娘やりおるわ。 友になっておいてよかったな、燐火よ」

「そうだね。 本当に頼りになる」

「小学校を卒業しても、友で居続けた方が良いだろう。 連絡は欠かさぬように取るようにしておけ」

「わかってる」

涼子は頭の出来そのものは多分燐火より上だ。

それもあって、同じ勉強をしていてもおそらく追いつくことは出来ないだろう。

淡々と勉強をしていく。

ただ、別に勉学で涼子に追いつくつもりはない。

出来る範囲のことを、必要なだけ知っておけば良い。

知識はいくらでも必要だが。

今人気のアイドルだとか。

一過性の情報はどうでもいい。

それについては、涼子も同じのようだ。

涼子曰く、一過性の人気なんて、数年もすれば廃れる。今の時代は、廃れる速度は更に上がっている。

それだったらブームが落ちついて、成熟した趣味を持つべきだというのだ。

確かに一理ある。

周りの女子からは、涼子があまりよく思われていないようだが。

年長の男子を放り投げたり一瞬で制圧している燐火が側にいることもある。

それに燐火の目が怖いというのは、周囲の人間が皆共有している認識であるようなので。

それもあって、その事は活用していくべきだと思ってはいる。

勉強終わり。

おとうさんがぐでんぐでんに疲れて防音室から出てきた。

ただでさえ昨日まで、「3D配信」とやらで出張して、疲れ切って帰ってきたのだ。

少し休んでも良いのではないかと燐火は思うのだが。

こればかりはどうにもならないらしい。

ケルベロスが心配する。

「相変わらずだな」

「うん」

とりあえず、ご飯を温めて、出来合も出す。

それで二人で食べる。

おかあさんは夜遅くなる。

こっちも大変だ。

燐火はできるだけ二人に負担を掛けないようにする。

一応、学校で何があったかは伝えてはいる。

これに関しては、子供らの中である謎ルール。親に報告するのは反則、とかいういじめを行う人間にだけ有利な反吐が出る代物を守るつもりはないからだ。

学校で何がおきているかは、しっかり話をしておく。

それだけで別に問題はない。

「最近、学校でトラブルは起きていないようだね」

「はい、ただ……」

「どうかしたのかい」

「キリスト教徒の友達と一緒に、今日ちょっと教会に行ってきました。 カトリックの神父さんたちは、ちょっとあまり感じがよくなかったですね」

これについては、素直に告げておく。

魔祓い云々については、口にするつもりはない。

おとうさんはそれを聞いて、そうかとだけ言った。

夕食が終わると、おとうさんが早々に寝室に消える。

元々体力がある方ではない。

それも考えて、出来合も消化にいいものを選んでいるようだ。

中学になるまでは、帰りのスーパーで買い物をしないようにとおとうさんとおかあさん両方に言われている。

それだけ、大事にしてもらっていると言うことだ。

それを破るつもりはない。

小遣いはもらっているが。

基本的に何を買ったのかは、全て申告している。

食事を終えた後、軽くストレッチをしておく。ケルベロスがいくつか説明をしてくれる。

「寝る前にストレッチやホットミルクで安眠というのはよく聞く話だが、それが効果を示すのは健康体だけだ。 体を壊した場合は、何の意味もない。 それは覚えておくようにな」

「うん。 おとうさんはどうにか大丈夫そう。 おかあさんだね問題は」

「ああ……」

おかあさんもそろそろ年齢が年齢だ。

おとうさんより大分年下とは言っても、やはりあんな働き方では体をどうしても壊してしまうのだ。

そう考えると、やっぱりなんとかするべきなのだと思う。

しかも警察みたいな仕事は、どうしても夜間でも人を常駐させなければならないのである。

なかなか、改革は難しいだろう。

戸締まりを確認。

明日の学校の準備を終えると、燐火も寝る。

部屋はたくさんある。

そのうちの一つを、燐火はもらった。いわゆる子供部屋という奴だ。きちんと中に入るときは、おとうさんもおかあさんもノックする。

「今日は悪い見本を見ることが出来て有意義だったな。 世界中どこでも聖域を作ると、人間はああやって堕落する」

「うん。 それが理解できたのは有意義だった。 ギリシャの神々が信仰されていたときもああいうのはあったんだね」

「ああ」

「……」

そうか。

だったら、それ以上は聞かない方が良いだろう。

寝ることにする。

ただのポンでギャグ漫画のキャラクターみたいだと思っていたカトリイヌさんが。

思っているよりもずっと苦労していることを今日は知った。

それだけで有意義だ。

金木の一家とかあの孤児院のみたいなカス野郎どもはどうでもいい。過去に何があろうと知ったことか。

だが、カトリイヌさんみたいな人は、結構色々なものを背負っている。

そういうことがわかったことでも、大いに意味があると燐火は感じていた。

 

精神病院。隔離病棟の一角に、神父の一人が訪れていた。

護衛の警官もついているが、いずれもが一神教系魔祓いの息がかかっている存在である。

隔離病棟の奥には。鉄格子がはめられていて。

その中に、うつろな目の痩せこけた青年がいた。

金木高野。

金木家の子の一人。

この間、此奴の兄弟が少年院から脱走したあげく、熊に食われて死んだ。此奴の妹は、更に奥の隔離病棟で、今も暴れ狂っているそうだ。

此奴は最初の方こそ少年院にいたが、精神の病気を主張し始め。

明らかに異常行動を開始したので、こちらに移された。

精神病院なら脱出する機会があるかもしれない。

そうとでも考えたのだろうか。

だが、甘い。

こういう犯罪者を隔離するための隔離病棟は、危険な患者が入れられることもあって、基本的には刑務所以上に監視が厳重だ。

労働がない分、刑務所より厳しいかもしれない。

娯楽なんてものはない。

それで頭がおかしいふりをしていた此奴は、本当におかしくなった。

今では騒ぐこともなく、恨めしそうに周囲を見るばかり。

まあ、味が薄いここの病院食に、娯楽皆無で牢屋の中。それではおかしくなるのも致し方ないだろう。

完全に自業自得ではあるが。

「それで神父様、これをどうするので」

「ああ、こうします。 政府の許可を得ているので大丈夫ですよ。 どうせ更生の見込みもありませんからね」

神父は燐火とかいうガキに散々顔に泥を塗られ。

復讐するつもりだった。

だからここに来た。

取り出したのは、三十年前に、たちが悪い悪魔を封じ込んだ壺。魔祓い三人が犠牲になった、危険な奴だ。

その壺に、なんとか苦労して捕獲したダイモーンを詰め込む。

倒すのは無理でも、どうにか苦労して追い込んで、捕まえることには成功したのである。

更にいえば。

一神教での悪魔を指す言葉の一つデーモンは、ダイモーンが語源になっている。

つまりそれは、デーモンとダイモーンは神話的に相性が近いと言うこと。

それもあって、ダイモーンを倒すことは出来なくても、なんとか捕獲することは出来たのだ。

魔祓いは出来ていないし。

なんら解決はしていないのだが。

そして、壺を金木のカスに向ける。それで、ダイモーンと融合した悪魔が、歓喜の声を上げてとりついていた。

悲鳴を上げた金木の馬鹿息子が、見る間に変色していく。

物理干渉力を持つに至った悪魔だ。

それにダイモーンも混ぜた。

のたうち回っている金木の馬鹿息子は、関節などの可動域を無視して動き回っていた。牢屋の中を、壁も天井も、蜘蛛のように逆に曲がった関節で走り回るのを見て。警官が絶句。

やがて、ごきりと首が折れた。

口から膨大な血を流し始めるそれは、それでもまだ動いていた。

「捕獲しなさい」

「承知」

連れてきたドミニオンが四体がかりで悪魔憑きを捕獲する。

このドミニオンは、魔祓いの本部から借りてきたドミニオンであり。神父の指示をなんでも聞く。

一神教の暗部では、天使ですら手駒にする研究があり。

それでこうやって走狗と化した天使が存在するのだ。

流石に上級天使は無理だと聞くが。

ドミニオンであれば、十数体が手駒として活用されている。

ただし一体辺りの貸し出しに億円単位の金を払わなければならないが。

それでも、あれだけこけにされた仕返しを出来るのなら安いものだし。

色々と悪辣な商売で稼いできた神父には、そのくらいは安かった。

捕獲した悪魔憑きの死体を袋に詰めて、外に運び出す。

退院したと病院では手続きをさせておく。

ただ、これは処理だ。この国も、具体的にどう処理したかは問わない。ただ、あの燐火とかいうクソ生意気なガキを破滅させられればそれでいい。

袋に詰め込んだ悪魔憑きに、ささやく。

おまえを破滅させた平坂燐火は、今は温かい布団でぬくぬくと寝ている。

それどころか、優しい両親とともに暮らしている。

何も悪いことなどしていないおまえが、こんな理不尽な目に遭っているのに、許しがたいだろう。

そうささやくと、袋の中から殺す、犯すと帰ってきた。

まあそうだろうな。

この手の輩は、神父と同レベルの存在だ。だから、考えていることはよくわかる。

適当な地点で、袋から悪魔憑きを出してやる。

その姿は、もはや人間ではなく。胴体も手足も頭も滅茶苦茶になった肉塊であり。燐火はあちらにいると教えてやると、奇声を上げながら走り去っていった。

くつくつと神父は笑った。

いずれ一神教系の魔祓いの敵となるのなら。

こうやって先に始末しておくだけ。ただ、それだけのことだ。その過程でどれだけ犠牲が出ようと知ったことではない。

このおぞましい思想は。

一神教徒にとっては、ある意味普遍的。

一神教以外の思想は全て邪教。唯一絶対の神以外は全部悪魔。

一神教徒の中には、邪教の徒は殺してやるのが慈悲だと考えて、中東で南米で大量虐殺までやった奴らがいる。

それと、この神父は同じ穴の狢であった。

 

3、複合魔迫る

 

土曜朝。

おきて食事を終えて、鍛錬をしようと外に出た瞬間だった。

ケルベロスが言うまでもなく、びりびりと何か感じた。最近は精神修養をしているからか、わかるようになってきたのだ。

「燐火、すぐに準備を」

「わかった」

「これはダイモーンだけではないな。 日女とあのポン女にも声を掛けておいた方が良いだろう」

「うん」

ダイモーンだけではない。

それもなんとなくわかる。

ダイモーンだけではなくて、何か混じっている。それも、とてつもなくよくないものが、だ。

着替えて、それで鉄パイプを取り出す。

そしてスマホで、即座に二人に連絡。

日女さんがすぐに出てくれるらしい。カトリイヌさんは寝ぼけていたようだが。どうも悪魔の気配もあるっぽいと追加すると、眠気がぶっ飛んでしまったようだった。

よし、では行く。

ケルベロスは言う。

「ダイモーンとしてははっきりいってたいしたことはない。 だが、なんだこの異様な殺気は。 悪運をばらまくダイモーンと違い、これは明確に殺意を持っている。 気をつけろ」

「わかってる」

さっと飛び出す。

白仮面だ。そういう声が聞こえた。すぐに脇道にそれて、森の中に。相手も接近してきている。

できるだけ人がいない場所でやり合うべきだ。

そう燐火は判断。

走りながら、おそらく会敵地点となる場所を二人に連絡。出来れば菖蒲さんにも来てほしいところだけれど。

菖蒲さんは、あまり連絡しても出ない。

腐葉土を蹴散らして走る。

そろそろ五年生が終わる時期だ。

冬の山だが、だからこそ腐葉土はたんまり蓄えられている。

この辺りは熊は出ないが、鹿が出ることはたまにある。まあ鹿に出くわしても、あまり大きな事故にはならないだろう。

日本の鹿はそこまで獰猛ではない。

アメリカには体重一トン近くまで成長するヘラジカという種類がいるが。日本のはそこまで大きくならないのだ。

ざっと、腐葉土を蹴散らしながら、足を止める。

鉄パイプをふるって、それを見た。

迫ってくるのは、人間が無茶苦茶になったような、おぞましい姿の化け物だ。あれはなんだ。

ケルベロスが呻く。

「一神教の悪魔の気配が強い。 それも人を何人も殺したような力の持ち主だ。 ダイモーンも混じっているようだが」

「り、りんか、だな! クソガキ、クソガキが……! 俺の、家を、潰した、あばずれ……!」

「ほう、言葉からして金木のものか」

「確か金木の三兄弟の一人だね。 顔に面影がある」

その顔も。

ひねられた上に、胴体の真ん中下くらいについている。

完全に人間としては死んでいるとみて良いだろう。

「こ、ころして、おかして、食ってやる! お、おれの、おれのしょうら、いを、めちゃくちゃに、しやがって! おれは、なにもわるいことをしていない! おれは、ただしい!」

「だそうだが?」

「此奴はクラスの同級生の耳を切り落とすのを趣味にしていた。 自殺に追い込んだ人数も四人。 更生の見込みなしだね」

「う、うるせえええっ!」

どうもケルベロスと燐火の声が聞こえているらしい。

喚き散らした金木……確か高野だったか。

そいつが、飛びかかってくる。

即座にすっと青眼に鉄パイプを構える燐火だが。横合いから、凄まじい浴びせ蹴りを、元金木のカス息子にたたき込んだ人がいる。

日女さんだった。

ふっとんだ悪魔憑きが、腐葉土を蹴散らしながら、木にたたきつけられる。腕も足もなく、それでも起き上がってくる。

おのれえとか叫ぶ。

日女さんが、歩きながらこっちに来る。

千早というのだったか。

巫女さんの正装をしているが。雰囲気は、まるで研ぎ澄まされた日本刀だ。

「遅れたな。 あれはなんだ」

「金木の屑息子のなれの果てのようですね」

「そいつらの所業は聞いている。 まあ似合いの末路だな。 ただ、あれから身を守らなければならないが」

「同感です」

鉄パイプを構える。

日女さんは大艸を構えると、指先で挑発。視線を送ってくる。

燐火は魔祓いに集中しろ。

そういう意味だ。

頷くと、跳び下がる。

凄まじいうめき声を上げながら、元金木の息子が飛びかかってくるが、

木を蹴って三角蹴りした日女さんが、中空で迎撃。それどころか二段蹴りをたたき込んで、地面にたたき落としていた。

すごい。

だけれど、人間の動きじゃない。

多分八幡様の力を借りているんだ。

「神おろしだな」

「頼りになるね」

ケルベロスに答えながら、文字を書く。ばちんと、ダメージが入ったのがわかった。だが、あいつは混ざりものだ。

多分カトリイヌさんなどの、一神教系の魔祓いの力がいる。

立て続けに文字を書く。

金木の馬鹿息子だったものは、また飛びかかってくるが、日女さんがあっさり受け止めると、地面にたたきつける。

地面が吹っ飛ぶ。

凄まじい剛力。

ヘラクレスには流石に及ばないが、この程度の相手を物理的に制圧するのは、難しくないわけだ。

ただ、それも万能ではない。

「再生していやがる……!」

「お、おれは正しい! 俺は間違っていない! おれはそいつを殺して、おかして、家族のかたきをとる! おれの一家は、何一つ間違っていない! おれは正義だ!」

日女さんが舌打ち。

確かに滅茶苦茶に潰れた金木のカス息子の体が、再生している。それも、非常に不自然に、だ。

元が人間だとは思えない。

折れ曲がった手足が、ばきばきと音を立てて、いびつにつながっていく。

その間も文字を虚空に書き続けるが、効いているのかこれは。

不安になるが、やめてはまずい。

そのまま続ける。

「あのポン女は!」

「まだしばらくかかると思います」

「仕方がない!」

日女さんが前に出ると、もはや虫か何かにしか見えない動きで襲いかかってくる金木のカス息子の顔面を蹴り砕き、さらには振り返りながらの回し蹴りで吹っ飛ばす。とにかくその間にも文字を書いてダメージを与え続けるが、ダメージが薄い。

西洋の悪魔の力が混ざっているとなると、効き目が薄いのも仕方がないだろう。

日女さんがぼやく。

「この手の奴を軍事利用する事は誰もが考えるんだがな。 こうやって制御できなくなるから誰もやらねえんだよ。 俺が知っているだけでも、数件街が滅びるレベルの事故が起きてる。 それでもやる馬鹿はいるんだな」

「やはり効き目が薄いです。 燐火も一旦前線に加わります」

「いや、燐火は聖印切っていてくれ。 これでもダメージは入っている。 少しずつ再生が遅れている。 後は俺がどうにか此奴を押さえ込む」

すっと態勢を低くする日女さん。

それに対して、喚きながら金木のが近くの木の枝をばきばきと引きちぎった。鋭くとがった木の枝を振り回しながら、喚く。

その猛攻をかいくぐると、日女さんが立て続けにラッシュをたたき込んでいた。

吹き飛ぶ手足。

鮮血が飛び散る。

更にまた顔面を蹴り砕かれ、金木のが吹っ飛ぶ。

それでも再生してくる。

あれはもう。

悪魔の意思が、金木のを完全に乗っ取っている。それに暴走状態の精神が上乗せされているということか。

とにかく悪魔がベースである以上、一神教系の魔祓いが必須だ。

取り落とした木の枝をつかもうとした金木のカス。その木の枝を逆に日女さんが奪い取り、串刺しにする。悲鳴を上げる金木のだが、そこを回し蹴りで蹴り飛ばす。

近くの岩にたたきつけられてぐしゃりと潰れる金木のだが。

それも再生する。

ただ、日女さんの息が上がり始めている。

神おろし。

話には聞いているが、長く続く訳がない。

神は媒体となる人間がいなければ力を発揮できない。しかしながら、媒体となる人間は神をおろすことで体力を猛烈に消耗する。

昔は、薬物などで酩酊状態になり、それを神おろしと言っていたこともあったらしい。

今の時代の魔祓いは、実際に神おろしをすることで、色々活用する。

燐火も出来るのだろうか。

いや、ケルベロスが燐火には戦わせないと言っていた。それもあって、きっとそれはやらせないのだろう。

もはや人間の言葉ではないわめき声を上げて、飛びかかってくる金木の。

しつこいと、日女さんが抉りこむような拳をたたき込み。

動きが止まった瞬間に、蹴り上げていた。

数秒して、地面に落ちる。

腐葉土だらけの地面とはいえ、それでもかなりのダメージになるはずだ。それでも肉が再生していく。

元々拘束衣みたいなのを着ていたが、その服までも既に肉体に取り込まれ始めている。それに、だ。

全身が崩れて、金木のの体のあちこちに眼球が浮かび上がり始めている。

もはや完全に怪物だ。

文字を書く。何度目か。やはり悪魔の力にはじかれて、効果が薄い。

日女さんが、汗を拭う。

金木のが、もう完全に人間をやめた動きで、かさかさと迫る。顔も左右に裂けていて、裂けた部分が牙の並ぶ口になっていた。

何か日女さんが詠唱を開始する。祝詞か。

ぱんと手を合わせると、金木のだったのが動きを一瞬止める。そして、日女さんが、残像を作りながら、凄まじいラッシュをたたき込み始める。

全身が破裂し崩れていく金木の。

更にとどめの一撃を蹴り込んだことで、吹っ飛んだ化け物は何度もバウンドして、岩にたたきつけられ。

べしゃりと潰れる。

完全に肉体構造は崩壊しているのに。

それでも立ち上がってくる。

日女さんが、まずいとぼやく。燐火にもわかる。そろそろ限界が近い。

「ふ、ふく、復讐、ふくしゅう、こ、殺す、こるして、犯す、お、おかす」

「まあお下品なことですわね凶悪犯」

割って入った言葉。

同時に、裂帛の気合いとともに。

魔祓いの言葉が放たれていた。

「Amen!」

爆ぜる。

今までどれだけ痛めつけても再生を重ねていた元金木の肉体が、爆ぜ割れる。それでも再生を開始する。

だが。

歩きにくそうに山を歩いてきたカトリイヌさん。貫頭衣を急いできてきたらしく、髪の毛が一部はみ出しているが、まあそれは仕方がない。

それに、二人。

護衛の人たちもいる。

その人たちの背後には、なんだか異形の。巨大な目玉に、たくさん翼が生えている天使が浮かび上がっていた。

「ほう。 上級三位ソロネか」

「あれが上級天使なの?」

「前にも説明したとおり、天使は元々ゾロアスター教の産物。 それを一神教が取り入れたものだ。 本来はあのように怪物然とした姿をしているものなのだ」

「既にダイモーンの部分はかなり弱っていますわね。 総力で魔祓いですわ!」

カトリイヌさんが先陣を切っているが。

明らかに護衛の二人の方が格上である。

ちょっと苦笑いしたくなるが。

いずれにしても、金木だったものは暴れ狂いながら、全身が溶けていく。これは、好機とみた。

そのまま、燐火も文字を書く。

一度。

激しく爆ぜる。悪魔対策の魔祓いと、一緒になったからだろう。ダイモーンとデーモンが混ざり合ったものだ。

本来だったら一神教徒の魔祓いが、他の信仰の魔祓いと連携することは滅多にないという話だから。

これは奇跡的な瞬間である。

だが、まだ金木だったものは諦めていない。

全身から骨をばきばきと伸ばす。

それを槍のようにして、明らかに力が一段落ちるカトリイヌさんに躍りかかる。必死に浄化の言葉をたたき込む三人だが、あれは到達が確実に早い。

カトリイヌさんが、ひっと悲鳴を上げて顔をかばった瞬間。

どすんと、鈍い音とともに。

金木だったものを横から、日女さんが殴り、動きを止めていた。

「いまだ! 総力でぶっ潰せ!」

「癪ですけれど、しかたがありませんわ!」

「とどめ、行きます」

燐火も文字を書く。

更に強烈な光の中、金木だったものが溶け崩れていく。暴れ、もがくが。

それに宿った悪魔とダイモーンもろとも。

その姿は地面に溶け、しみこんでいく。

凄まじい悲鳴。

明らかに苦しんでいる。

そして、金木だったものから飛び出してきたのは、得体が知れない黒い影。翼が生えているが、ねじくれていて。とてもではないが、美しいとはいえない存在だ。

だがそれも、地面に吸い込まれるようにして消えていく。

悲鳴も小さくなっていき。

やがて、何も聞こえなくなる。

最後に、地面から無数の黒い手が生えてきた。それが、金木の馬鹿息子らしい霊をつかむのを、燐火は確かに見た。

恐怖の顔でもがく金木の馬鹿息子らしい霊が、地面に引きずり込まれていく。

それが消える。

あれは、地獄に落ちたんだな。

そう思って、燐火はちょっとだけすっきりした。

 

完全に参っている日女さんが、スポーツドリンクをがぶ飲みしている。座っている様子を見て、カトリイヌさんが呆れていた。

「もう少し淑女らしく座れませんの?」

「淑女はどうでもいい。 燐火から連絡があったんだろ。 おせーんだよ」

「これでも全力で駆けつけてきたのですわ! ああ、髪の毛がはみ出してしまっていましてよ!」

「どうでもいいわ!」

日女さんが激高するが。

座り込んでいる岩……何度も金木だったものがたたきつけられて、形が変わってしまったものから動けないでいる。

なるほど、この二人が犬猿の仲だというのはよくわかった。

これは性格があわない。

年上の方のカトリイヌさんのボディガードの人が。どこかへ連絡をしていたようである。そして、ふうと嘆息していた。

「燐火様」

「はい」

「金木高野ですが、少し前に非公式に処理された、と連絡を受けました」

「非公式に処理」

この国では死刑を滅多にやらないが。

更生の余地もなく、死刑にするのも当面先になるような人間は、たまに何かしらの実験に消費するそうである。

今回はそのケース。

この国の暗部に噛んでいる人間が、あれを処理したと言うことだ。

「誰がやったかまではわかりませんが、いずれにしても燐火様にけしかけるつもりだったのは確定でしょう」

「金木家の人間ではないですね。 この間の神父の誰かではないですか」

別に燐火でも誰でもわかる。

燐火に憎悪を抱いている人間は何人か思いつくが、学校の男子なんかにこんなことが出来るわけがない。

だとすると金木の人間。いや、それも違う。

だったら金木家の人間をこんな風に使い捨てにはしないだろう。

金木のカス息子が死んだことはどうでもいいが。

そう思わない人間が使い捨てにした。そう判断していいと燐火も思う。

だとすると、残るは。

カトリイヌさんが、敢えて見せておこうと思ったらしい、腐敗している一神教の魔祓い達。

燐火が完全に袖にしたこと。

たかが小学五年生が、あれくらい強烈な拒否の意思を示したこと。

それで恥を掻かされたこと。

それが許せなかったのだろう。

カトリイヌさんがそれを軽く説明すると、ふむと鼻を鳴らしていた。

「セバスティアン、本家に連絡を。 これはちょっとばかり面倒なことになるかもしれませんわ」

「わかりました」

「燐火さん。 身内の腐敗は早いうちに見せておこうと思いました。 でも、貴方を勧誘したい気持ちは本当ですわ。 ああいう腐敗した魔祓いの中に、新しい精鋭を入れたい。 そういう願いでしてよ」

「また勝手な話を。 昔から一神教の内部ですら争っている状態を続けておいて」

ケルベロスが嫌悪感を示す。

ただ、前のように。

カトリイヌさんを、燐火は嫌えなくなってきていた。

まあ今も色々ポンではあるけれども。

それでも真面目にやろうと頑張ってはくれているし。それに、今回も身だしなみよりもたどり着くことを優先してくれた。

「そっちの内ゲバはそっちで解決しろよ。 俺たちはしらねえからな」

「ま、つれないこと」

「今回は貸しておくぞ。 燐火を守るために、切り札を二枚も使ったからな。 神おろしすると、翌日全身筋肉痛なんだよ。 今だって結構動くのしんどいくらいでな」

「カトリイヌさん、燐火は日女さんを送っていきます。 後はお任せしても良いですか?」

まずは、日女さんを休ませるべきだろう。

日女さんは、山道を歩くのもつらそうだ。

それを見て、カトリイヌさんは嘆息すると。人払いなどを、護衛の二人に指示していた。

 

とりあえず、日女さんを神社に連れて行く。

八幡様は何も言わない。

神おろしすると、一日くらいは何も声が聞こえなくなるらしい。

そういうものかと、燐火は思った。

ともかく神社で休む。

日女さんは八幡神の巫女だ。

休んでいれば少しは回復するだろう。

冬の神社は少し寂しいが、それでも空気が涼しくて、激しく動いた後の日女さんには心地よいようだった。

「あれだけの激しい戦闘の中、冷静に聖印を切り続けられたのは立派だ。 それに、ポンが来るまでにダメージがあったから、迅速にあいつは倒せたんだ」

「あのダイモーンと融合していた悪魔、強かったんですか」

「いや、本来よりだいぶ弱体化していたはずだ。 ダイモーンと融合させたのは、燐火、おまえを狙わせるためだ。 それでも、ダイモーンと悪魔のミックスで十分だと考えたんだろうな」

なるほど。

それにしても、実質上の暗殺だ。

そこまでするものなのか。

燐火はちょっと心配になった。燐火自身よりも、おとうさんやおかあさんが危ないかもしれないと思った。

だが、日女さんは笑う。

「これはおそらくちょっとした嫌がらせくらいの感覚だろうな。 やった奴は成功したらそれでいい、くらいだった筈だ」

「そんなに簡単に人を殺すんですか」

「殺すんだよ。 金をうなるほど持ってる奴は、倫理観が狂ってる。 金木の一家のことを思い出してみろ」

「ああ、なるほど。 理解できました」

同類は。世界中どこにでもいる。

そういうわけだ。

とりあえず、ため息が出る。

燐火に対して、日女さんはいう。

「今回の件、俺からも報告は入れておく。 式神を使う陰陽師系の魔祓いがいるから、一応念のために回してもらうわ」

「陰陽師か。 話だけは聞いたことがあるが、まだいるのだな」

「いる。 ただ、数はだいぶ少ないがな」

休んで、力も戻ってきたようだ。

それで、一応家まではつきそう。

日女さんを家まで送って、それから帰る。激戦だった。もう気がつくと、昼の少し手前だ。

殺そうとして襲ってきた相手がいた。

それについては、別にどうとも思わない。

今まで散々そういう目には遭ってきた。巨大なダイモーンを近くで祓ったときだって、命は危なかったはずだ。

それよりも、大事なものが出来ると。

こんなに選択肢が狭まるのか。

それの方が、燐火としては、衝撃が大きい。

今まで、大事なものなんてなかった。それが少しずつ増えてきた。それが明らかに重荷になる。

今のおとうさんとおかあさんは大事だ。

それについては、いつの間にか当たり前になっていた。

甘えたいとは思わない。

ただ、いなくなってほしくない。それだけなのに。それがこうも重荷になるのか。

守るために強くなるなんて大嘘だ。

守る者が出来れば、こうも足かせが増える。

それを燐火は今日、初めて知ったかもしれない。

それに価値がある。

家に戻りながら、ケルベロスと話す。

ケルベロスは、それをよいことだと言ってくれた。

「知識を得ることは大事だ。 林西が言っていたことは、そういうことだろう」

「うん。 身にしみてわかった。 本当に大事なものができない限り、人間は変わらないんだね」

「そういうことだ。 この国でも、子供に変な名前をつけてアクセサリー代わりにする馬鹿親や、一人暮らしをすれば精神的に成長するなんて寝言がはやっているようだが、そういうことだ。 子供のことを大事になんて思っていないから、馬鹿みたいな名前をつける。 一人暮らししたって、別に大事なものが増えたわけでもないから何も変わらない。 人間は所詮その程度の存在だ。 だが、それに早々に気づくことが出来たのは良いことだと思う。 ただ、林西が言うとおり、まだ知るべき事は多い」

「……」

そうだな。

金木の一家みたいなカスは世界中で当たり前にいることがわかった。

あれが死んだことについてはどうでもいい。

ただ、あの同類がどうやって生じて。

どうやって安易に相手を殺す思想に至るかは、理解しておいた方が良いのかもしれない。

探偵ものの登場人物でもあるまいし、人間は他人が考えていることなんてわからない。どうしてそう考えるのかを理解すれば。

そう考えないようにする事は、燐火にも出来るはずだ。

家に戻ると、軽く体を動かす。

多少は疲れているが、無心になるにはこれがちょうど良い。

思考を無意味にぐるぐる回すくらいだったら、こうやって思考を整理するのが一番である。

そして燐火は大きく息を吐くと。

ひたすら、竹刀を振るい。

正拳を的にたたき込んだ。

燐火にとって武道は身を守るためのもの。

感覚を研ぐためのもの。

精神修養のためのもの。

何かの大会だとかに出るためのものじゃない。そういう事に武道を使う人は、それはそれでまるで構わない。

燐火とは違う。

ただそれだけだ。

ケルベロスが細かくアドバイスをしてくれる。それにそって、丁寧に細かい部分を直していく。

まだ若いので、調整が早くできていいとケルベロスは褒めてくれる。

燐火としては嬉しいかはともかくとして、早々に修正が出来るのは喜ばしい。

体を動かして、それで心を研ぎ直した後は、勉強に移る。

集中して勉強をしていると、おとうさんが防音室から出てきた。疲れているようなので、様子だけ見ておく。

ソファで寝始めたので、何もしないでいいだろう。

今の家はエアコンも効いていて、風邪を引くようなこともない。

かなりの長時間配信の後のようだし、疲れているのであれば、燐火は声を掛けるべきではない。

黙々と問題をこなす。

これで苦手科目も、六年の分が終わる。

内容を理解しているか、独学だと不安な部分もあるけれど。短時間でケルベロスが学習して、細かいところのミスを教えてくれるし。

時間があるときにはおとうさんに聞く。

時間がないときには、学校で先生に聞く。

それだけだ。

そろそろ五年生が終わる。

燐火にとっての五年生は、色々と濃い年だった。

背丈も少しずつ確実に伸びている。そろそろ体も大人になり始める頃だろう。まだ少し早いか。

いずれにしても、今までとは少しずつ何もかも違ってくる。

ただ、図体がでかくなっても思考回路は変わらない。

それについては、色々な大人の醜態を見ていればよくわかる。

特に金木の一族なんかは、あれは幼稚園児の頃から脳みその中身が変わっていないだろう。性欲が増えたくらいか。

反吐が出る話だ。

勉強を終わらせて、軽く教養に触れる。

ショート動画なんか見ない。

基本的にいくつかの資料を見ておく。

今後役に立つかもしれないので、ギリシャ神話について今調べている。とにかくただれた人間関係が強烈だが。

ケルベロスが細かい部分を、時々苦笑いしながら教えてくれる。

またこの頃は全裸が一番美しいと考えられていたらしく。

立像はほとんどが全裸で、陰部ももろに作られていたり描かれているので、燐火としても顔をしかめてしまう。

燐火としては特に男性のには良い思い出がない。

実際に見せられた云々ではなく、あの孤児院のあいつが、これを喜ばせるために何をしていたか。

今ならよくわかるからだ。

このまま男嫌いになるのも問題だろうが。

それはそれとして、苦手意識はどうしてもあるのだ。

「流石に少し刺激が強いか」

「時にアトラスってこの人」

「ああ、ティターン神族の一人だな。 空を支えている」

「地球を抱えているように見えるんだけれど」

ああ、それはなとケルベロスが教えてくれる。アトラスが抱えているのは天球、つまり星座らしい。

前にもケルベロスが言っていたが、ギリシャ神話が信じられていた時代は、星座は永遠不変と考えられていたそうだ。

だからそれを担ぐことが、天、つまり空を支えることに相当したらしい。

そう言われると、なるほどと理解できる。

きちんと知識がある人に話を聞くのは良いことだ。ケルベロスは人ではないけれど、それはまあいい。

黙々と勉強を進める。

そろそろ性教育にも触れる時期だろうなとケルベロスが言うので、更に燐火はうんざりした。

今は情報が入ってくるからそれがどういうものかはわかっているが。

それでも、どうしても今は嫌悪感が消えないのだ。

 

4、裏でうごめくもの

 

ヘラクレスが休憩していると、式神が飛んでくる。

この国の魔祓いの一つである陰陽師が飛ばしてきたものだ。式神は文字通りの使い走りだが。それでも便利である。

似たようなものは西洋に使い魔として存在している。

ヘラクレスも、この国の神にも民にも迷惑を掛けるつもりはない。

連携は最初からしている。

今後のためにも、更に連携をしておくべきだと考えていた。

「オーディンがこの国にちょっかいを掛けようとしている、だと」

「ほぼ間違いない。 スレイプニルが威力偵察に出てきたことで、それは確定とみて良いだろう」

「厄介だな。 俺の親父も大概狸だが、オーディンは邪悪に片足を突っ込んでいる輩だ」

「その通りだが、この国では名前の格好良さもあって、その邪悪さが知られていない」

ヘラクレスはうなる。

そして、いくつか対策について話して、式神を見送った。

燐火が育っている。

ケルベロスの話によると、もう少し強いダイモーンを回しても大丈夫だそうだ。更に言うと、もっと早いペースでダイモーンを始末させても良いだろう、ということである。

いずれヘラクレスと肩を並べて魔祓いが出来るかもしれない。

そうなれば心強いが。

まあ、あの子はまだ幼い。

無理をさせるわけにはいかないというのは、ケルベロスと同意見だ。

それにしても、である。

ヘラクレスも、一神教は好きではない。

ケルベロスは地獄の番犬にされて頭にきているようだが、ヘラクレス達は矮小化されて、物語としてその「野蛮さ」「滑稽さ」を楽しむものとしておとしめられた。

だがヘラクレスはそれでも有名すぎて、おとしめることが出来なかった。

だから今も活躍できている。

しかしながら、一神教の腐敗はどうか。

既に内偵が進んではいるようだが、不愉快という理由だけで、たちが悪いデーモンとダイモーンの融合体を送りつけるなんて。

どれだけ肥大化したプライドを抱えて、他人の命をなんとも思っていないのか。

ヘラクレスも荒くれだ。

たくさん殺してきた。

だから、命については価値観が現在の人間とは違っている。

だが、それでも正義と悪の区別くらいはつくつもりだ。

一神教にしても、聖職はどうしても聖域を作り、其処に巨悪を抱え込んでしまう。それだけは今後、あらゆる分野で人間がどうにかしなければならない。

聖域がある限り、邪悪が其処に住み着く。

それは宗教だろうとシステムだろうと、人間という生物が抱えてしまった欠陥だ。ヘラクレスは、そう思っていた。

立ち上がる。

強力なカコダイモーンの気配だ。

ギリシャ神話でも下級の神や妖精は存在しているのだが、それらは流石にこの国では活動できない。

ケルベロスが冥界の番犬という特性を生かしてダイモーンを集める。

それのうち厄介なのをヘラクレスが始末する。

これでしばらくはやっていくしかない。

跳躍。

山をいくつも飛び越えて。

降り立った先には、うごめきながら、次の獲物を狙っているダイモーンがいた。拳をならすと、ヘラクレスはふっと笑う。

ダイモーンが気づく。

だが気づいたときには、ヘラクレスの拳がダイモーンを貫き、巨体を一瞬にして粉砕していた。

まあ、この程度の相手なら問題にもならない。

次。

ダイモーン。特に悪辣化しているカコダイモーンは気配が大きくはなるが、それでも獲物を狙っている時以外は隠れている者もいる。

強い者ほどそれが巧みになる。

だからこの国の魔祓いとは連携しなければならない。

神々ともだ。

走りながら、次の気配の元へ向かう。

老婆が二人、ひたすら誰かの悪口を言っていた。

醜い姿だが。

その様子をうかがっている、体全部が口だけになったカコダイモーンが、悪運をひたすら送り込んでいる。

あの老婆は、どっちも資産家だ。

どうやら詐欺まがいのことをして、それで稼いでいるらしい。

こういうカモを見つけて破滅させることで、カコダイモーンは更に凶悪化する。だが、見つけた以上は滅ぼすだけだ。

口に手を突っ込む。

カコダイモーンが気づいたときには、ヘラクレスがその巨大な口を、左右に引き裂き滅ぼしていた。

悪運が消えた。

いきなり老婆の家が爆発した。

恐らくはガス爆発か何かだろう。

慌てて転ぶ老婆。

此奴がやっていたことはカコダイモーンを倒したことでわかった。それこそ人をなんとも思わぬ鬼畜外道だ。

だから、せいぜいひどい目にあうといい。

詐欺で蓄えた金は、あれで全て燃えてしまうだろう。そして警察も入る。この老婆はおしまいだ。

もう一人の方が、慌てた様子で自宅に逃げ帰るが。

此奴も同じ穴の狢である。

悪運が切れた以上、どのような末路を迎えても当然だ。

自業自得。

世の中、自業自得はなかなかない。

だが、ある意味それが執行されるのだ。ヘラクレスが、こいつらを助ける理由はないし。それがむしろ正しいあり方だろう。

次へ行く。

また式神が来た。

どうやら、北欧系の魔が活動を開始しているらしい。

ちょっと厄介かもしれない。

人間が魔を組み合わせて、一種の兵器として使うことは昔からよくあった。

神々はそれをやらない。

うまくいかないのだ。

しかしながら、偶然に両者が連携することはある。

ケルベロスから聞いたデーモンとダイモーンの混成が極めて厄介だったように。

もしもダイモーンと北欧系の魔……巨人などが連携した場合、面倒なことになるかもしれなかった。

今できることは。少しでも厄介なカコダイモーンを潰すことだけ。

ヘラクレスは、夜の街を駆ける。

文字通り、飛ぶようにして。

 

(続)