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同業者現る
序、少しずつやることを増やす
燐火がケルベロスに聞く限り、ダイモーンは必ずしもたくさんはいないし、それほど熱心に活動はしていないらしい。
ほとんどのダイモーンは普通に回収してしまえばいい。
悪しき心を持つものにとりついて、悪運を操作するようになると厄介だが。それも即座にとりつくようなこともなく。
見定めると、時間をかけて状態を悪化させていく。
結果として、取り返しがつかないほど悪化させることもあるが。
そういった状態のダイモーンを対処するのは燐火の仕事ではないそうだ。
ケルベロスはダイモーンを集めてくれている。
元々燐火の機動力では、あちこちに出かけることはできない。
今は体力をつけるためにも、街を走り回って地形を覚えてはいるけれど。それでわかるのは、体力があっても所詮は子供の足。
いける範囲は限られている。
都心から少し外れたこの辺りだと、バスや電車だって必ずしも通っているわけではない。それについては、燐火は元々縁がなかったので、最近知ったのだけれども。
いずれにしても、遊園地とかに出かけるのもおとうさんとおかあさんの自動車で行くことになっていたし。
あまり電車は使ったことがなかった。
バスはもっと使ったことがない。
バス停の間隔を見ると、これくらいなら走った方が早いと考えるようになってきている。あまり同じように考える子はいないらしいが。
少なくとも本音ではそう思う。
ただ、燐火は基本的に本音は口にしない。
周囲からは寡黙と思われている方が有利。
そう感じ始めたからだ。
今日は棒を背負って軽くランニングしている。棒なら何でも良いと言うことで、おとうさんが持っていたなんだかいうアニメのグッズの棒をもらったのだ。
なんでも3D配信の大会でもらったものらしく。
おとうさんはその作品のファンらしくて、嬉しいと言うことだけれども。
燐火はその作品を見たことがないから、なんともいえない。
ただ複数持っているそうなので、それで一つくれたのだ。壊さないように大事にしてほしいと言われた。それで、ものを壊さない訓練として、背負って走っている。
何が大事かなんて、人によって違う。他の人から見てゴミにしか見えなくても、その人にとっては命の次に大事なものなんていくらでもある。
それを知っている燐火は、おとうさんの大事を否定するつもりはない。
それと、そのまま露出しているとまずいので。
おかあさんからもらった何かの袋。竹刀をいれるものだったか。それに入れて、背負って走っている。
いずれにしても、これは重しを背負って走るのではなくて。
壊さないように気をつけながら走る訓練だ。
おとうさんは何本も持っているとはいえ、それでも壊したら悲しいだろう。
なんでもものを壊したり捨てたりしてゲラゲラ笑っている同級生を見るけれど。
苦しい生活を経験してきた燐火は、軽蔑こそすれ一緒になろうとは絶対に思うことはできなかった。
ただそれを止めるつもりもない。
迷惑にならないのなら、勝手にやっていろ。
それだけである。
とりあえず、坂道を走り上がって、ちょっと小高いところに出た。
見晴らしは良いのだけれど、犬の散歩コースになっていて、マナーが悪い飼い主が放置させた犬の糞が点々としている。
ケルベロスがぼやく。
「この辺りは人間が少ないとは言え、犬を飼う資格がない輩がのうのうと通るのは許しがたいな」
「犬はやっぱり親近感がわくの?」
「ああ、まあそうだな。 俺も犬の神格だ。 嫌いではない」
「そっか……」
最近知った。
人間は犬を飼うことで、文明を進歩させたそうだ。
色々な生き物の中で、唯一犬だけが人間と一緒に生きることを選んでくれた。犬は人間に足りないものを補って、その文明を発展させる手助けをしてくれた。
軽く汗を拭う。
まあ、息が乱れるほど疲れてはいない。
燐火は元々基礎体力があったのだろう。
こういうときにそれがわかる。
こういった基礎体力は体質の一種らしく、ない者はどれだけ頑張っても無駄になりやすいらしい。
燐火はその辺りは、運がよかったのだ。
そのまま、走って知らない方向へ。
一応方角の見方などは教わっているけれど、この高さから道を見て、ある程度わかった。
まずは大通りがどうなっているかを調べて。
その大通りから、どう道が分岐しているかを調べる。
危ないところは、ケルベロスが警告してくれるし、勘も働く。
これは散々危ない目に遭ってきたが故だ。
黙々と色々な道を通って、どうなっているかを覚える。適当に忘れてしまって良いことなんて、あるにはあるが。
全てではないし。
住んでいる環境の付近は、忘れてはならないものなのだ。
それでも知らない道を行くときは、気をつける。
よく後ろにも目をつけるなんてことをいうが。
後ろに目をつけることはできないけれど、周囲の足音とかを敏感に察知して。対応を早くすることはできる。
黙々と走って、やがて大通りに出る。
後はそのまま走って家に戻る。
自転車で追い越していったのは、どこかの中学生らしい。二人乗りだ。危ない乗り方をしている。
注意してもどうせやめないだろう。
痛い目に早めにあって、気づけば良いのだけれど。
そんな風に思った。
黙々と走っているうちに、ケルベロスに言われた。
「ダイモーンだ。 いけるか」
「すぐ近く?」
「そうだ。 案内する」
「格好変えておきたかったな」
別に口に出さない。
ただケルベロスと心中で会話するだけだ。
ただ、ケルベロスは家にいるとき、短時間で着替えて出る燐火に、色々言いたいらしい。一度も現地に間に合わなかったことはないし。
着替えの練習にもなるから、良いことだと思うのだが。
別に急ぐことはない。
ダイモーンはそれほど急いで移動することもなく、縄張りを張っているようなこともない。
ケルベロスの話によると、この国の霊とはそもそも相互に干渉することがないらしくて。この国の霊に対策している人たちも、関知できないらしい。
いずれにしてもカコダイモーンとなると色々な意味でまずいので、さっさと回収に出る。
少し山の中に入る。
今はそれを恐れることもない。
さっさと走って、山の中を急ぐ。
それなりの斜面だけれども、別に苦労することはない。訓練して、体力はどんどんついてきている。
ただ、握力はあまりない。
握力は特に鍛える方法がない分野であるらしく。
こればかりは、どうしようもないと言われてはいた。
だから握力に頼るような動きはしない。
握力がなくても何かしらの敵意から身を守る方法はある。移動するときも、迅速に行動はできる。
この辺りだ。
ケルベロスに言われて、さっと身を潜める。
物陰から伺うと、いる。
「思ったより厄介だな。 カコダイモーンとしてもかなり悪辣化している」
「悪辣化?」
「人間をそれだけ悪運でねじ曲げたということだ。 更に悪辣になると、直接人間にとりつくようになる。 ……原因はあれだろう」
ケルベロスに言われて、視線を向けると。
たくさんの何かが捨てられていた。
野ざらしになっているそれらは、雨を浴びて、もう使えそうにもない。
「人間の言葉で不法投棄というのだったな。 あれに何かしらの関係をしている人間がいて、それに悪運をあのダイモーンが送っている。 気配が出たと言うことは、おそらくその問題の人間がそろそろ姿を見せるだろうな」
「危なくないの?」
「戦闘はさせない」
「わかった」
棒を取り出す。
なんだかファンシーな名前がついているけれど、竹刀袋に入っているので、あまり関係はない。
程なく、人が姿を見せる。
いかにもな与太者達だ。
悪いことを散々してきて。如何に悪いことをしたか自慢し合っているような人たち。
おとうさんと大して年は変わらないだろう。
あんな年になっても、悪いことを自慢しているのか。
それしか自慢することがないのだとしたら、なんて情けなくて、悲しいことなのだろうと燐火は思う。
その人たちが、トラックを山の中に強引に入れて、何か運んできていた。
「さっさと捨てろ」
「わかりました」
「しかし大丈夫なんですか。 地主とはいえ、これ確か条例違反になるって聞いたんですけれど」
「いいんだよ。 せっかく稼げるんだからよ。 こんなどうでもいい森、金にもなりゃしねえんだから」
そうか、地主か。
一応ケルベロスに言われて、録音機能をオンにしておく。
そして、既にダイモーンは動いていた。
虚空に文字を書く。
それと同時に、ダイモーンが苦しみ始める。今までは一瞬でかき消えていたのに。
「悪運を人間に与えることで、カコダイモーンは強くなる。 あれはあの与太者どもに相当な悪運をくれてやって、悪行を稼いでいたとみて良いだろう。 だが、それも終わりだ」
伏せていろ。
文字を書いた後、頷いて茂みに伏せていると。
トラックがぐらりと傾いて、凄まじい音を立てながら滑落し始めた。山の中に無理矢理突っ込んで止めていたのだ。
それにあのトラック、見た感じ相当長いこと酷使してきたのだろう。
如何に頑丈で知られる国産トラックでも、限界が来たと言うことだ。
そのまま滑り落ちていくトラック。
「おい、止めろ!」
「無理です!」
そのまま、数本の木にぶつかり、激しい音を立てて大事故になる。
あれは、木がかわいそうだな。
そう燐火は思い。
ダイモーンが消えていったのを確認。
ケルベロスが回収したのだと思う。
そのまま、その場を離れる。これは多分、明日はニュース沙汰だろう。おかあさんが忙しくなるかもしれない。
そう思った。
翌朝。
朝のストレッチをしていると、おかあさんが徹夜明けから帰ってきた。おかえりなさいと声をかけると、無言でこくりと頷いて、寝室に消える。
やっぱりこうなったか。
ケルベロスが、残念そうに言う。
「篠葉も苦労しているな」
篠葉というのはおかあさんの名前だ。結婚前は篠木という名字だったらしく、かなり変わった名字だったらしい。
いずれにしても、あの騒ぎで無事に済むわけがない。
場合によっては音声情報を提供する必要もあるかもしれないと思ったのだけれども、必要なさそうだ。
おとうさんが話してくれる。
「近くの山の地主が、不法投棄で捕まったそうだよ。 余罪が大量に出てきた上に、かなり危ないものまで捨てていたらしいね。 下手をすると地下水が汚染されているかもしれないって話で、とんでもない賠償金が出るかもしれないって話だ。 少なくともあの山は国有地になるだろうね」
「そうなんですね」
「ここ最近で一番大きな事件だね。 この町は比較的静かだけれども、それでも悪いことをする人間はいる。 一緒になってはいけないね」
「はい」
一緒に朝ご飯を食べる。
やはり出来合が多いので、自分で作れるようになりたい。
おとうさんも料理はできるのだけれども。
できるのと、できる体力があるのは別問題なのだ。
個人的には、あの山がかわいそうだと燐火は思う。
住んでいる動物も、なぎ倒された木もそうだ。
無言で食事をしていると、ケルベロスが話す。
「回収したダイモーンから情報を得たが、少なくとも十年以上あの地主とやらは悪さをしていたらしい。 だからダイモーンに目をつけられやすかったし、短時間で悪さを加速させていったようだな」
「どうしようもない人だったんだね」
「ああ。 カコダイモーンはそういった人間を特に好む。 そしてカコダイモーンに見込まれると、加速度的に足を踏み外す。 悪運が味方するが、それはいずれ破滅につながる。 そして死ねば地獄行きだ」
そうか。
あのおじさんと手下達は、ちゃんと捕まったようだし、それはいいか。ただ、それで更生するかは話が別。
ずっと悪さをしていたような人が、更生なんてするとはとても思えなかった。
食事を終えたので、学校に出るまでに宿題とかを確認しておく。大丈夫、全部忘れていない。
この辺りはケルベロスが注意してくれる。
それもあって、ちゃんとやれるようになっている。
ただ、燐火が優等生扱いされることは今までない。
先生はよくしてくれるけれど、まだまだ腫れ物扱いされているのがわかる。とにかく燐火も、色々頑張るしかない。
そういう状態だから。
宿題とかは忘れるわけにはいかないのだ。
ドリルについても、渡されていた分はほとんど片付いた。ただ、まだ一部のドリルは終わっていない。
優先度をつけて順番にやっているのだけれども。
とにかくやることが多すぎるのだ。
学校に出る。
途中で涼子と会うことは滅多にない。色々事情があって、あちらは家を出る時間が一定ではないのだ。
ただ帰り道は一緒に帰ることが多い。少しずつ、涼子がそばにいても違和感がなくなってきていた。
学校に着くと、すぐに準備について確認する。
比較的近くに学校があるので、最悪何か忘れていたら即座に家に取りに戻ることができるのである。
それを確認してから、机の中なども調べておく。
これは忘れ物などもあるが、身の安全のためだ。
今まで自衛のために何回か、軽く別の生徒をひねったことがある。勿論けがはさせない程度だが。
隣のクラスで王様を気取っていた太った男子生徒をひねった後は、完全にその生徒は自称王様から陥落。
今ではすっかり周囲をおびえながら見ていて。
燐火を見るとそそくさと姿を消すほどだ。
ただ、それだと恨まれている可能性もある。一応、机の中などは無事だ。後は、授業の準備をしていく。
ぽつぽつと生徒が来始める。
いつも最初にきていると、陰口をたたかれるが。
ここは良い学校だと思うのに、それでも陰口はあるんだなと思って少しいやな気分になる。
ただ、別に口には出さない。
現在は一クラス二十人が普通だが。
昔は四十人クラスが普通で。
それどころか、中学高校に至っては三学年で千人を超える学校がざらだったという。
今は小学校ですら、そんな人数はいないことが多い。
ただ、雑多な人間を見るのはあまり燐火は好きではないので、これくらいの人数に囲まれているくらいがちょうど良いが。
涼子が来たので、軽く話をしておく。
いくつかのニュースについて話をしていると、離れた席の女子が何か陰口をたたいているのが聞こえた。
無視。
そうすると、顔をゆがめている。
お気持ちを害したのかどうか知らないが、どうでもいい。
そんなお気持ちにどうしておもねらなければならないのか。
あの女子達、去年も同じクラスだったのだが。
勉強が全然できなかった燐火が、短時間で追い越したことを相当に恨んでいるらしい。
それはいつもスマホをいじって遊んでいるわ、やった勉強は翌日には忘れているわだから。
そうなるのは当然だろう。
真面目に勉強をしている子に暴力を振るい、めがねをかけているのは生意気だとか言って頭をつかんで石にたたきつけ。一生ものの視力低下の傷を与えた金木の馬鹿娘と根は同じだ。
あれは決して怪物だったのではなく。
どの人間も、あれに近いのだと、最近はわかってきた。
「午後の授業の社会がちょっと苦手です」
「あの先生教えるの下手だもんね」
「そうなんですか。 私は記憶するのが苦手で」
「いや、そうなんだとこっちは驚かされるだけだけど」
涼子まで呆れ気味だが。
実際興味を持てない学科は今でも苦労している。社会はその一つで、とにかく覚えるのが苦手だった。
歴史は色々な裏話をおとうさんから聞いているので、覚えるのが楽しくて仕方がないのだけれど。
どうしても社会は、きれい事ばかり並べているようで。
テストでいい点数をとるというのをするのに、どうしても興味が持てないのである。
「午前中の体育で、少しは気分転換になるんじゃない?」
「……よくわかりませんが、ある程度はできるようにはなってきました」
「六年の女子どころか、六年の男子のほとんどより足が速いでしょ。 一体何になろうとしてるの燐火ちゃん」
「自分で自分の身を守れるようになりたいだけです」
少しまた呆れられた。
先生が来る。
陰口をたたいていた女子が、先生に叱責されて、慌てて席に戻る。
今日も学校が始まる。
1、巫女さん登場
今日は時間があったので、家で着替える。
着替えるのもテキパキできるようになってきていた。
顔を隠すために、最初は袋でもかぶろうかと思っていたのだけれど。それだと不審者だとケルベロスに苦々しげに言われて。
今ではおもちゃのサングラスみたいなので、顔の上半分を隠している。
昔のアニメのキャラクターグッズらしい。
昔はこういうのがはやっていたそうだ。
それと、マントを着ける。
これは鍛錬の時に使っていたのだ。
これが風になびくように走り続ける。そうすることで、どんどん足を速くすることができる、らしい。
ケルベロスに言われて、素直にやっていたら。
自主的に鍛錬をするようになった今も、ちょっとお気に入りになった。
ちなみにマントと言っても、実際には元はカーテンだったかの何かの布だ。
それと、赤で基本的に統一した服を着る。
これは自分で選んだのだけれど、真っ赤っかなので、ケルベロスはその配色を見て黙っていた。
青系が好きだから。
ばれないように、赤くしよう。
そう思ってこれにしたのだけれど。
あまりケルベロスはコメントしてくれない。
ズボンは半ズボンだが、その代わりちょっと分厚めの靴下をはく。これは、藪なんかも走るので。
けがをしないためだ。
服も丈夫なのにしているけれど。
同じ理由からである。
下手な走り方をすると足が傷だらけになるけれど、そういうのは何度も練習してこつを覚えた。
ケルベロスは戦士としてのあり方とか振る舞い方とかを色々教えてくれて。
藪の中をどう走るとか。
そういうのも、いちいち仕込んでくれたのだ。
一つも無駄になることなんかない。
燐火はそう思っているから、教わったこと全てを貪欲に取り込んだのである。
「変身完了」
「そうか、よかったな。 まあ時間はあるから、行くぞ」
「うん」
家から出ると、物陰をさっと急ぐ。
家の周囲の人に見られないように。
ある程度家から離れたら、それはもうどうでもいいので、単純に一直線で目的地に向かうことにする。
ケルベロスがいつものようにナビをしてくれるけれど。
それはそれとして、この辺りはすっかり覚えた。
だから走り回っても迷子になることはない。
それに基礎体力もついてきたから、多少走り回ってもそれでどうこうなるようなこともない。
とにかく現地に急ぐ。
今まで11体のダイモーンを回収した。
ケルベロスの話によるとまだまだ全然回収できていないらしいし。
探している人が、どんどんばらまいているらしいので。全然これから、なのだけれども。
それが大変だと思うことはない。
人間がどうしようもないというのは。
まともな環境で一年ちょっと過ごして。燐火ですらわかった。
あの狂った学校と金木の一族に支配されていた街は、異常だったけれど。それは人間の性質の延長線上であって。
どこでも、条件が整えばああなる。
今の学校では、いじめに先生が即座に対応するけれど。
それでも隙さえあればいじめをしたいとうずうずしている生徒はいくらでもいる。
それは燐火も見ていて理解できた。
だから、それを更に後押ししようとするダイモーンは、さっさと片付けてしまうに限るのだ。
路地裏に入る。
国によっては、路地裏に女の子なんか入ったら生きて帰れないような場所も結構あるらしいのだけれども。
この町は流石に大丈夫だ。
たまに不良がたむろしていることがあるけれど。
だからなんだ、としか思わない。
前に、不良がたむろしている上を、壁を蹴って三角飛びの要領でとびこしていったら。ケルベロスが、呆然としているぞと言っていたっけ。
どうでもいい。
そろそろ目的地に着く。
寂れた商店の裏。
うつろな目をしたおじさんが、ぶつぶつ何かつぶやいている。
ああいう、心が壊れてしまった人を馬鹿にするつもりはない。燐火だって、似たようなものだからだ。
ダイモーンは。
いる。
電柱の上から、おじさんを伺っている。
取り出す棒は、おとうさんからもらった例のグッズを、竹刀袋で包んだ奴だ。別にこれでなぐる訳ではないので、強度なんてどうでもいいのである。
文字を書いていく。
既にダイモーンは、おじさんに悪影響を与えている。
おじさんはあのままだと、首をくくってしまうかもしれない。
何があったのかまでは燐火にはわからない。
だけれども、悪い方向に背中を押すことだけは、やってはいけない。それは燐火がおとうさんとおかあさんにしてもらったようなこととは真逆だ。
実の両親なんかどうでもいい。
今のおとうさんとおかあさんには感謝してもしきれない。
だから、顔向けできないことはしたくなかった。
文字を書く。
これも、すっかり慣れた。
やがて、ダイモーンが苦しみ始め、ふっとかき消える。
ケルベロスが言う。
「片付いたな」
「うん。 帰ろう」
「いや、そうとも言っていられないようだ」
「……」
振り返る。
其処には、随分と野性的な女の子がいた。見た目男の子みたいだけれど、女の子だというのはわかった。
目つきが鋭くて、肌もよく焼けている。
体のあちこちに絆創膏を貼っていて。なんというか、今時見かけないほどに、野性的である。髪の毛も整えている気配がない。
無言で戻ろうとすると。
声をかけられる。
「おい」
「何かご用ですか」
「燐火、この国の対魔を行う者だ。 この国の神格が憑いている」
「……」
相手は短くかりそろえた髪をばりばりと掻く。
別に敵意がないことは理解したのだろう。
年齢は燐火より少し上だろうか。だけれども、その年にしてはちょっと男の子過ぎる格好だが。
ただホットパンツから伸びている足はすらっとしているし、お胸もそれなりに出始めている。女の人であることは一発でわかる。表情には愛嬌のかけらもないが。
「最近俺には関知できないなんか得体が知れないのを祓ってたのお前だろ。 一体何をやっていた」
「日女(ひめ)、失礼がないようにせよ。 相応に高位の神格が憑いているようだ」
その声はこちらにも聞こえた。
燐火が無言でいると、咳払いする男の子みたいな子。
「場所を移すぞ。 話を聞かせろ。 俺の縄張りで何がおきているのかは知っておきたいんだ」
「縄張り?」
「この辺りは俺の一族がずっと対魔をやってきたんだよ。 だから縄張り」
よくわからないが、まあ時間はある。
スマホを出して、時間を確認。一時間半だけなら、と言う。
それとリュックを持ってきているので、物陰でさっさと着替えてしまう。これはあくまで仕事用の服だからだ。
服も普段着を持ってきている。
さっさと着替えを終えると、相手はあっと声を上げていた。
「お前、確か去年小学校に転入してきた!」
「貴方は上級生ですか?」
「ああ、今俺は小学校は出て中学一年だ。 去年なんか憑いているのがいるなとは思ったんだが、邪悪なのではないと思ったから放置していたんだが……」
それにしても、姿と名前がすごいギャップだ。
多分中学一年になったばかりだとは思うけれど、これで制服を普段は着ているのだろうか。
ただ、大概なのは燐火も同じだ。
そのまま移動する。
一緒に歩くが、相手の方がかなり背が高い。背が高い涼子よりも、もっと高いかもしれない。
「怪人赤マントの正体、お前だったのか」
「赤マントですか?」
「噂になってるんだよ。 なんか事件がある前に見かけるってな。 さっきの姿、目立ちすぎだぞ。 顔とかだけ隠した方が良いんじゃないのか」
「そうでしたか。 わかりました。 ちょっと考えてみます」
しばらく歩いて、神社に。
あまり大きな神社ではなくて、誰かが住んでいる様子もない。
手を合わせて、それから境内の一角で話をする。
この国の霊は燐火には見えない。
ただし、日女というこの人にも、ダイモーンは見えない。
そういうものであるらしい。
一応、ケルベロスの声は日女という人には聞こえるようだが。
「先に自己紹介からだな。 俺は黄桜日女。 この町で、代々魔払いをしている。 俺の親父が先代で神職として魔払いだったが、今は俺が巫女として仕事をしている。 俺に憑いているのは、八幡様だ」
「八幡様?」
「この国ではもっとも信仰された神様の一柱だよ。 ただ、俺に憑いているのはただの分霊だけれどな」
「分霊であっても相応の力は発揮できる。 そちらについても頼めるか」
燐火も挨拶をする。
ケルベロスが名乗ると、日女という人は驚いていた。
「すごい大物が憑いてるな。 冥界の番犬じゃねえか」
「地獄の番犬と言ったら怒ろうかと思っていたが、ちゃんと知っていたか。 勉強しているようでなによりだ」
「まあ、本職だからな。 この国の霊にしか対応は基本的にはしないが、昔は異国の悪神が入り込んできて対魔を生業とするものと激しくやり合うことが珍しくもなかったらしいんだ。 それでどうしてもな」
そういうものなのか。
咳払いすると、いくつか話をする。
まずはダイモーンについて。
ダイモーンをばらまいている存在がいるが、それは必ずしも人間を直接襲ったり、食ったりするようなものではないとケルベロスは言う。
どちらかというと非常に困った迷子の類で。
ダイモーンを作り出してばらまいているのもおそらく無意識。
ただ、ダイモーンに対処しなければ、それに悪い意味で背中を押される人間がどんどん増えていく。
それもあって対処している。
そう、ケルベロスが淡々と説明。
腕組みして聞いていた日女は。そうかとだけ言っていた。
「ダイモーンというとギリシャで霊を差す言葉で、デーモンの語源となったものだったよな。 確かにそれだと俺に見えないのも仕方がないか。 ただ問題としては、今お前の隣に座っているのも見えていないよな」
「誰か隣に座っているんですか」
「ああ」
血だらけの老人が座っているらしい。
それを聞いて、そうかとは思った。ケルベロスは何かしらの気配はあるようだとだけ教えてくれる。
「それはこの神社に救いを求めてきた死霊でな。 あちこちを転々としてここに来たようだな。 ちょっと待ってろ」
大艸というらしい紙がついた棒を取り出すと、日女はものすごく難しい言葉をとうとうと口にする。
祝詞だなと、ケルベロスは言う。
程なくして、ばつんと音がした。
これに関しては、ダイモーンを片付けるときと同じか。
「終わった。 これであの死霊も、あの世にいけるだろう。 あの世に行った後、どうなるかは俺の知ったことじゃねえがな」
「それで日女という巫女よ。 互いに仕事はかぶってはいないようだが、どうする」
「俺の仕事を邪魔するものではないってことはわかった。 俺はダイモーンを感知できないが、俺に憑いている八幡様はある程度違和感を察知できる。 おそらくケルベロス、あんたもそうじゃないのか」
「まあそうだな」
情報交換と行こうと、提案される。
そのままスマホで連絡先を交換。
ものすごく野性的な雰囲気だが、見かけと違って対応はとても理性的だ。それはそれとして、この人が中学の制服を着ているのが想像できないが。
「よし。 とりあえずダイモーンではないのが近くに出たら一応知らせてくれるか。 俺もダイモーンらしいのを八幡様が察知したら、そっちに知らせる」
「わかりました」
「……それと、守護霊の類が見当たらないが」
「この子は訳ありでな」
ケルベロスが、よくわからない言葉に、そう返していた。
とりあえず、一礼して神社を後にする。
日女という人とは、争いになることはなさそうだ。
「野性的な雰囲気のおなごであったな。 アマゾネスのようだ」
「アマゾネス?」
「女性だけの部族……という噂があっただけの存在だ。 神話には登場するが、実在したかは話が別だがな。 実際にはただの母系信仰をしていた集団を、誇張して表現しただけの者だった」
「そうなんだね」
とりあえず帰路を急ぐ。
専門は違っても、似たようなことをしている人がいるというのは頼りになる。
それと、そばで見てわかったけれど。
あの人、滅茶苦茶に強い。
おかあさんから武道を習っている今の燐火程度では問題外。同年代の男子程度だったら問題にもしないだろう。
家に着くと、連絡が入っていた。
涼子からだった。
「また怪人赤マントが出たらしいよ。 そちらは何か変なことはおきていない?」
「問題ありません」
というか。
今、自分が怪人赤マントと言われていることを知ったばかりだ。
結構目立っていたのだと今更知らされて、ちょっと困っている。
まあ服装を少し変えたりするか。
ただ、普段愛好している青系は避けたい。
ばれやすくなるからだ。
「赤マントってのは有名なんですか」
「都市伝説にはあるよ。 興味があったら見てみて」
動画が送られてくる。
それによると、夜の学校で出るとされる怪異の一つで。背中の皮を剥がして血だらけにしたり。
全身の血を抜いて真っ青にして殺したり。
とにかく物騒な怪異だそうである。
ケルベロスが動画を見ながらぼやく。
「こういった怪異の噂は、言霊から実物を作り出すことがある。 言葉というのは、それだけ力があるものでな」
「それは大変だね」
「ただ日本語によるものだから、怪異としてはさっきの日女という巫女が対応することになるだろうな。 都市伝説にある存在と似通っているのなら、ちょっと違う格好にした方が良いだろう。 赤マントの噂が広がると、本当に赤マントが出現しかねない」
見た感じ、かなり物騒な怪異のようだ。
だとすると、それを出現させてしまうとちょっとよくないだろう。
それに、だ。
燐火がやっているのは、あくまで社会奉仕に近い。
社会の勉強で覚えた、それが似ている。
この制度を悪用している人たちもいるらしいけれど、燐火はあくまで自分の意思でやっているし、見返りも求めていない。
強いて言うなら恩返しのための行動だ。
それが怪異や、それによる被害者を出しては本末転倒。
確かに少し格好を変えるべきだろう。
マントはそのままにしたい。
なんというか、これは気に入っているのである。
顔は隠したい。
後、両親に格好は相談できない。
特におかあさんは警官だ。
最近の事件で仕事で忙しいのを見ている。燐火が関わっていると知ったら、絶対にいい顔をしないだろうし。
下手をすると警察を辞めさせられる可能性だってある。
燐火は今の関係を壊したくない。
今まで、弱みというものを持ったことはなかったけれど。これが弱みなんだなと、燐火は思った。
今の家はとても心地がいいのだ。
あの孤児院とは偉い違いだった。
「何かのまねごとだと、その版権のキャラクターに迷惑がかかるよね」
「俺にはよくわからないが、そうだろうな。 コスプレというのか。 そういうのは、あくまでそのコスプレの元となったキャラクターに敬意を表して行うのであって、自己顕示欲でその格好になるのは下の下だと聞く」
「詳しいね?」
「俺も冥界の番犬だからな。 この国の霊の話していることはある程度理解できる。 それに燐火が流し見している動画などでも、そういった話がされていることが時々あるのでな」
そうか。
ケルベロスは、そういうのに詳しいんだ。
燐火は別に特にそれがいいとも悪いとも思わない。
昔は何かが好きだと表明すると、首をつるまで追い詰められるようなこともざらにあったとお父さんから聞いた。
なんだか言う殺人犯の同類と見なされて。
今では見向きもされなくなったテレビとかが、散々悪いイメージを拡散していたのだとか。
それからだいぶたって、やっとその悪いイメージが薄れてはきたけれど。
あくまで薄れただけだ。
そういう話も聞く。
「そうだな、既存のそういったコンテンツのキャラクターではない格好だったらアドバイスはできる」
「わかった。 どういうの?」
「まずは白い布を用意する」
「うん」
家にはそれなりに服があって、もう着なくなったものもある。
燐火のためにもいくらか用意してもらっているが。
背が伸びてきているので、最初の頃の服については、着られなくなってきているものも多かった。
その中で白いものを選んで、上下そろえる。
「ギリシャの芸術だと全裸だったりする人間が描かれているが、実際はこういった白い服をゆったりと着ていた。 今やっているオリンピックの元になったような大会では、全裸で行うこともあったが」
「全裸でスポーツを?」
「不正がないように、という意味でな」
「あまり想像したくない」
というか、大人の男の人にはやっぱりどうしても距離を置いてしまう。
おとうさんに慣れるのだって、少し時間がかかった。
昔はそういうのは男性だけのものだったと聞いているし。
多分だけれども、全裸のおじさん達がたくさんスポーツをしていただろうことは、燐火にもわかるのだ。
ちょっと関わり合いになりたくない。
それがおかしいというのではなくて、単純に苦手なだけだ。全裸でオリンピックをしていた人たちを、軽蔑するつもりはない。
「裁縫はできるようになっていたな」
「うん」
「これは処理しても大丈夫な服だな」
「大丈夫。 そのうち雑巾にするって言ってた」
それから、言われたとおりにはさみを通す。
裁縫については家庭科で習っている。
まだ簡単なものだけれども、ソーイングセットくらいは持っているし、ボタンをつけるのは得意だ。
ケルベロスの指示は的確で、黙々と古い服を切っていく。
ポリエチレンの服ではなくて綿だけれど。
これは燐火の肌のことを考えて、わざわざ綿のをおかあさんが選んでくれたらしい。
雑巾にするのだったら。
燐火はしっかり最後まで活用したかった。
「学校の授業でも見ていたが、手際が良いな」
「ありがとう。 大人になって一人で暮らしていくためには、どんな勉強も知識も無駄にならない、だからね」
「その考えだ。 立派だぞ」
多少は子供らしく振る舞っても良いと言われることもあるけれど。
燐火は子供らしいと言うのが、クラスで奇声を上げながら走り回って、気分次第で暴力を振るってゲラゲラ笑うことだと思っている。
だとしたら、はっきりいってそうなるのは絶対にいやだ。
そしてそれの同類が大人にもたくさんいるのは見てきている。
気取っているとか言われても。
あれらとは絶対に同じになりたくない。
だからなんでも全力でやって身につける。ただ、それだけの話である。
「よし、そうやった後は、其処を縫い付けろ。 ゆったりとした服にはするが、スカート状にすると走りにくいだろう」
「スカートでも良いんだけれど」
「いや、下着とか見えるだろう。 少しは恥じらいを持つようにな」
「わかった」
おとうさんがよく見ている女の子が何人かで一緒に戦うアニメだと、スカートは絶対にめくれないし、下着だって露出しないけれど、現実は無情だ。
古くは男性でもスカート状の服は着ることがあったらしいけれど。
燐火はそれと同じことは別にしなくてもいい。
ケルベロスは昔の価値観ではなく、今の価値観で燐火を指導してくれている。それだけで、随分とありがたかった。
やがて、服ができる。
着てみると、随分とゆったりとしていた。でも、動きやすい。
「白い服は汚れやすい。 洗濯をどうするかが問題だな」
頷く。ただ。それだったら。
汚さなければ良いだけの話だった。
2、赤マントから白仮面へ
新しい仕事服は、ワンピースに似ている。ワンピースはいくつかよそ行きの服として買ってもらったけれど。
あんまり買っても成長期だから着れなくなると言って、燐火から張り切っているお父さんを止めたりもした。
ワンピースの上から、更に白い布を重ね着する。
これが古代ギリシャ風であるらしい。
後は本来だったらサンダルにちかい履き物なのだけれど。
今はスポーツシューズが良いだろうとケルベロスに言われて、そうした。確かに野山も走り回るのだ。
指先とかはしっかりガードしないといけないし。
買ってもらったスポーツシューズはとてもいいもので、軽やかに走り回ることができる。
クラスの一番速い男子をしのぐようになってから、明確に走ることに関して燐火は貪欲になってきた。
興味を持ったのだ。
それもあって、どうすれば更に速く、効率よく動けるかは研究を進めている。
とりあえず、着て走り回ってみて、問題がないかは確認をしておく。
赤マントの噂はなくなったが。
白い服を着た子供が時々走り回っている。
そういう噂があると、涼子に言われた。
すぐに噂は広まるのだなと思ったし。それに、意外とみられているものだなと思った。そう考えると、やはり格好を変えていて正解だったかもしれない。
青いアクセントを入れたかったけれど。
青系を好む燐火と気づかれるとまずい。
だから、当面はこれでいい。
今日も走り回って、アリバイを作っておく。それに体力作りにもちょうど良いのが事実だった。
さっさと着替えてから、家に戻る。
鍛錬をかねて走り回っているので、時間は無駄にならない。
現在まだ少し遅れている社会の勉強をする。
黙々と机に向かうことができるようになってきていて。
ケルベロスはそれをとても褒めてくれていた。
駄目な子はそれもできないらしい。
ただ、燐火の場合は、そもそもとして子供らしさとか言うのが欠落しているらしいから。
決して良いことではないのかもしれないが。
勉強をしていると、おかあさんがぐったりした様子で戻ってくる。
確か昨日は夜勤だったはずだ。
冷蔵庫から牛乳を出してくる。
おかあさんが椅子に座ると、黙々と飲む。
牛乳を嫌う人もいるけれど。
栄養としては申し分ない。
牛乳を飲み終えると、おかあさんは机にしばし突っ伏していた。燐火は淡々とドリルに戻る。
国語がしっかりできるようになってから、ドリルの効率はぐっと上がった。
今は遅れているのは社会と道徳くらいだ。
どっちもあまり興味が持てない分野だったけれど。
ケルベロスによると、世の中には善人面をしているあの孤児院の院長だとか金木の一家みたいなのがわんさかいて。
隙を見せるとだまされるという。
そういうのに引っかからないためにも、如何に無駄に思える勉強でもやっておく必要はあるし。
何よりも、こうやって勉強を常にする習慣をつけておくことで。
後々役に立つという。
「燐火ちゃん、もう勉強については見なくても大丈夫かしら?」
「大丈夫です。 おかあさんは疲れているのなら、すぐにでも休んでください」
「そうしたいのだけれど、ちょっと限界気味。 風呂入ってから休むわ」
「お風呂の中で寝ないように気をつけてください」
頷くと、ふらふらとお母さんはお風呂に向かう。
まだ若いのに。
「ああいう昼夜関係ない仕事は、恐ろしく体力を消耗する。 篠葉は体力がかなりある方だが、それでもこのままだと寿命を縮めるぞ」
ケルベロスが言う。
ちょっと燐火も心配になった。
とにかく、このままではあまりよくはなさそうだ。
でも、燐火にできることはあるだろうか。
「迷惑をかけるのが子供の仕事だっていうけれど、今のおかあさんにそれを受ける余裕はなさそうだね」
「そうだな。 だが、燐火に解決できない問題があったら、遠慮なく言うんだ。 二人とも、少し心配している。 あまりにも子供らしくない、とな」
「子供らしいっていうのが、猿になることだったら、燐火はそうはなりたくない」
「……そうだな」
事情を知っているケルベロスがそう寂しそうに言う。
ともかく、勉強だ。
おかあさんはちゃんとお風呂から出てくると、ふらふらと寝室に消えた。そのまま寝室で下手すると一日くらい寝ているのだろう。
この国のお巡りさんは、時々問題も起こすし、県によっては役立たずと悪名高いらしいけれど。
他の国に比べると随分とましだそうだ。
ドリルはできた。
おとうさんがちょうど配信が終わったので、採点してもらう。おとうさんは大体こういうのを採点できるからすごい。
今はこういう高い能力を持っている人が、率先してVtuberをやっているそうだ。
「こことここがちがうね」
「ここはわかりました。 こちらはどうして違うのかわかりません」
「こういうのは、問題を作った人が何を書いてほしいか、の問題なんだ。 燐火ちゃんがおかしいと思うのは、むしろ自然なことなんだよ。 だけれど、相手が何を考えているのか、ある程度洞察する。 そういうことが必要になるんだ」
なるほど。
ケルベロスと違って、燐火は相手が何を考えているかなんてわからない。
世の中には、全部自分の基準で考える人がいるらしいけれど。
燐火はそこまでのお馬鹿になるつもりはない。
ただ、こういう問題レベルだと、何を望んでいるか洞察することは不可能ではないのだとおとうさんは言う。
後にやるような受験だと、そういう洞察力が求められるものがでてくるのだそうだ。
国語なんかでも、とてもアバウトな問題があるなと燐火は思っていたけれど。
それも、相手の思想次第で、望んでいることを書いてあげなければいけないのか。それは難しい。
答えを聞いて、それについても詳しく説明を受ける。
頷いて、黙々とそれを把握する。
相手の言いたいことを洞察するのは有用だ。
ただそれを、自分の主観で決めつけるのは危なくて仕方がない。
実際それがどういう結果をもたらすか。
金木のあのカス一家を見ていて、燐火は理解している。
相手のお気持ちにあわせてなんでも周りがやらなければならない。
そういう思想の行き着く先は。
手当たり次第に暴力を振るう化け物の登場だ。あれはそういったゆがみが、形を為した存在そのものだ。
ドリルが終わったが、まだちょっと余力がある。
外にでて、柔道と合気の練習をしておく。
おとうさんはこういうのはからっきしなので、軽く動いて型をしっかり確認しておく。
ケルベロスがいくつかアドバイスをしてくれるので。
体重をかける位置や、どう体重を制御するか、重心はどうするかを細かく自分で調整していく。
集中してやっているので、周囲の声はあまりきこえない。
無意識でひょいとよけた。
鳥の糞が、今までいた地点に着弾していた。
「今のはよくよけたな」
「うん。 なんとなくよけられた」
「切り上げたら、着替えてくれ」
「わかった」
仕事だ。
おとうさんは防音室に戻っている。リュックに服を詰め込んで、ささっと新しい仕事着に着替える。
顔半分を覆うサングラスみたいなマスクもあって、どうせ素性はばれない。
そもそも怪人赤マントの噂の時から、二メートルもある巨人だなんてものがあったくらいである。
変な噂が拡散しすぎると、本当に日女さんの手を煩わせることになるかもしれないけれど。
いずれにしても、燐火が正体だとばれることはないだろう。
着替え終わる。
それから、さっと家を飛び出していた。
今日は商店街を通ることなく、裏道を疾走する。
野良猫が集まっていたが、それをひょいと飛び越える。逃げ散る暇すらなく、野良猫が呆然と見送っていた。
燐火は犬も猫も別に好きでも嫌いでもない。
そのまま走って、できるだけ人目を避ける。
即座に道を変えたのは、前の方に人が来る気配があったからだ。
五感というのは練習すれば研ぐことができるらしく。
燐火はその辺り、他の子供よりだいぶ鋭くなっている。
ケルベロスがいることも関係しているのかもしれないけれども。ともかく、人とぶつかるとか、そういうのは避ける。
「まだ小さいが、アギアと言われるといいのかもな」
「アギア?」
「聖人とでもいうような言葉だ。 今風に言えば聖女だな。 女性の宗教的な偉い人、くらいの意味になる。 本来だったら一神教で業績を残した人間を、そうギリシャでは呼んだのだが。 別に一神教でなくても、我らギリシャの神々のために働いたというのでも問題はあるまい」
「まだそんなこと言われるような活躍なんてしていないよ」
いずれの話だ。
そうケルベロスに言われた。
確かに、ケルベロスの役には立ちたい。随分と助けてもらっているから、である。
淡々と指示通り走り、薄暗い裏道に出た。
この辺りは知っているけれど、いつもとちょっと雰囲気が違う。近づかない方が良い。そう感じた。
「ちょっと悪辣化が進行しすぎているな。 これはよそで相当に悪運をばらまいてきている」
「どこにいる?」
「右斜め上だ」
見上げる。
いた。
電線に、コウモリのようにぶら下がっているそれは、今までよりも明らかに形がしっかりしていた。
この辺りの異様な気配。
あれから出ているとみて間違いないだろう。
即座に竹刀袋に包んだ棒を手に取る。
狙っているのは。ぼろぼろの服を着たおじさんだ。お酒を飲みながら、ふらふらと歩いている。
ひどい匂いを放っているが。
ああなるまでに、きっとたくさん悲しいことがあったのだろうと思う。
ホームレスというやつだ。
ああいう人を、子供は馬鹿にして笑ったりするけれど。
燐火はそれらと一緒になる気はない。
悲しみがわかるからだ。
燐火だって、孤児院にいたときはそうだった。周りの孤児院の子供を見る余裕はなかったけれど。
もう少し年上の女の子は、あの院長に乱暴に手を引かれて、部屋に連れて行かれたりもしていた。
あれが何をされていたのか、いまならわかるし。
あの院長が逮捕されて、もう生きている間は刑務所から出てこないと聞いて。それで心底安心もした。
もう少し年をとったら、燐火だって触られるだけではなく、ああいう目に遭わされていた可能性が高いし。
ひどい境遇にいる悲しみは、理解できるのだ。
それを、コウモリみたいなカコダイモーンはじっと見ている。
燐火がさっと文字を書く。
もう、ケルベロスに言われるまでもなかった。
苦しみ始めたカコダイモーン。
一発で霧散しない。
ケルベロスが、舌打ちしていた。
「もう一度だ」
「わかった」
カコダイモーンが、明らかにこちらを見る。目も何もない不定形。霊という存在のうち、悪辣な方。
だから、その視線があると思ったとき、ちょっとぞくりとした。
感覚が戻るのは良いことだと思う。
いずれにしても、もう一度、字を空中に書く。
それで、ねじ切れるようにして。
カコダイモーンは消し飛んでいた。
ケルベロスが、回収したという。
同時に、周囲の空気が、明らかに穏やかになっていった。
ホームレスのおじさんが、地べたに座り込んで、しくしくと泣いている。男が泣くのはどうのこうのと言うけれど。
あの人があれだけ追い詰められた過程を思うと、燐火にはそういう話にはとても同意できない。
着替えて、戻る。
その途中で交番によって、ホームレスのおじさんがいて、つらそうだから保護してあげてほしいと連絡をする。
若いお巡りさんは迷惑そうにしていたが。
年配のお巡りさんが、鋭くにらむと。いやいやながら、一緒に出て行った。一応確認するが、どこかに連れて行くらしい。
国によっては、ホームレスはとてもひどい待遇を受けると聞くが。
きっと悪いようにはされないはずだ。
ともかく、辺りの空気は既に完全に変わっている。それで十分すぎるのではないかと燐火は思う。
とりあえず、戻る。
家に戻ると、連絡が来ていた。
スマホで確認すると涼子からだった。
「白仮面見たよ」
「そうですか。 どんな様子でしたか」
「マントを翻して走っていたけれど、すごく足が速かった。 多分中学生くらいだと思ったけれど、もっと年上かもしれない」
「危ないかもしれないから、近づかない方が良いかもしれないですね」
そう会話をしてから、嘆息。
見られたか。
ただ、高校生と誤認されるようだったら大丈夫だ。
少なくとも燐火とばれることはないだろう。
「口元も覆った方が良いかもしれないな」
「そうすると本格的に不審者じゃないの」
「いや、今の時点で大概だ。 特にマントはどうにかならないか」
「でも格好良いし」
ちょっと呆れられた。
マントは仕事着として外したくない。
今までわがままを一切言わなかった燐火だから、そういうことを言われると勝手が違うのかもしれない。
ケルベロスは、それについては触れなかった。
いくつか話をして、反省会をしておく。
「カコダイモーンは、強力になると文字一回ではやっつけられないんだね」
「あれは神の名において浄化を促す強力なものでな。 あれで倒れないというのは、この国の民がそれだけ鬱屈をため込んでいると言うことだろう。 ただ、問題なのは……」
「?」
「他の国は、この国の比ではないということだ」
それはなんとなくわかる。
今、世界中の状況がとても悪いという話だ。
既に世界大戦というのが実際には始まっているという話もあるくらいに。
この国だって、あまりいい方向に動いていない。
実際問題、燐火が受けてきた所業を思うと。
この国の人たちが善良だとか、モラルが優れているとか。冗談でもはいとはいえないのが事実だ。
ただ、ケルベロスが言うように。
他の国は、もっとひどい有様だというのもわかっている。
銃を子供が乱射して、何十人も死んだり。
本来人々を守る警察や軍隊が、人々を苦しめたり。
国が法律を悪く使って、人々をいじめたり。
世界中でそういうのがおきている。
そう思うと、燐火はケルベロスのいう不安がよくわかる。いずれにしても、できることを、できる範囲でやっていくしかない。
「あのカコダイモーンは、もっともっと強くなるの?」
「ああ。 ただし、そういう奴に対処するのは俺と燐火ではない。 それについては安心していい」
「でも、その人は大丈夫なの?」
「問題ない。 世界でも最強の英雄の一人だ。 どれだけ背伸びしても、カコダイモーン程度は問題にもならん」
ケルベロスがそこまで言うほどの人なんだ。
どれくらいすごいのだろうと思ったけれど。
まあ、そういうなら安心して良いか。
とりあえず、服の洗濯は自分でやる。服については、ドラム式の洗濯機で、自分でやるようにしている。
最初はお父さんが見て教えてくれたのだけれども。
今ではすっかり地力でできるようになっていた。
こういうのも、自立した後では必要なことだ。
この家から大人になって出て行くかはわからない。今の時代結婚しない人だって多いし、燐火だってそれは例外ではない可能性だってある。
だけれども、それはそれとして、これくらいは一人でやらなければならないのだ。
洗濯も乾燥も終わったので、アイロンをかけてしまっておく。
自分用のタンスは用意してもらってあるので、そこに。
鍵もかけておく。
これも自分でプライベートは管理するように、という両親の方針だ。一人の人間として扱ってくれていると言うことだ。
まだ子供だとしても、尊重してくれる。
そういう親はあまり多くないのだと、ケルベロスは教えてくれた。
片付けも終わったので、休みながらぼんやりと動画を見る。
最近は一分もかからないショート動画というのがはやりらしいけれど。本当に一瞬だけの快楽を楽しむだけのものとなっている。
これがはやりと言われても。
燐火にはよくわからない。
時間が時間なので、お風呂に入っておく。
最初はおかあさんと一緒に入って、体の細かい洗い方とか指導してもらったけれども。今では自分でできる。
考えてみれば、孤児院では短時間だけしかシャワーを浴びることしかできなかった。湯船は院長と一部の職員だけで使っていた。
湯船に入ってみて、随分とリラックスできるので驚いたものだ。
今は湯船に肩までつかって、一分数えるとかやっているけれど。
これすら許されない子供もたくさんいる。
それについては、燐火は忘れない。
忘れてはならないのだ。
お風呂から上がって、それで寝る前にも少し勉強はしておく。疲れは残さないようにとケルベロスには時々言われる。
だから、アラームをつけておいて。
そのアラームの時間までにこなす。
こなせない分は、翌日に持ち越しだ。ドリルはできた分から先生に提出する。もう、残りはわずかだ。
できるたびに先生は褒めてくれる。
ただ、燐火の反応を見て、少し寂しそうにする。
周囲曰くの、死んだ目。
それは一切、直っていないらしかった。
3、災厄
カコダイモーンを片付ける。
普通のサラリーマンらしい人を伺っていたのだけれど。よく見ると、その人は明らかに悪い人の気配があった。
詐欺師か何かだったのかもしれない。
悪運を植え付けるカコダイモーンには、いくつかのパターンがあることが、燐火にはわかってきていた。
一つは、困っている人をたぶらかすタイプ。
この間のホームレスのおじさんとか。
そういう人に悪運を植え付けて、自殺に追い込んだりとか。取り返しがつかない悪事をさせたりとか。
もう一つは、ああいう悪い人を更に後押しして、もっと悪いことをさせるタイプ。
今まで回収してきたカコダイモーンや、カコダイモーンになりかけのダイモーンは。いずれもが、どちらかだったし。
どちらかというと、後者の方が圧倒的に多かった
サラリーマンっぽい人が、スマホをとる。
見かけとは裏腹の、ドスが利いた声でしゃべっていた。
「事務所にガサが入った!? このタイミングでか! 良いからさっさと例のものは隠せ! 絶対に見……もう見つかった!? く、くそっ!」
スマホを切って、左右を見回すサラリーマンっぽい人。
いや、わかった。
あれは多分、反社だかの人だ。
そして、走ろうとしたところに、パトカーが来る。さっと左右を囲まれて、警官が出てきていた。
何々組の誰だな。
違法薬物の組織的売買の疑いで逮捕する。
そう、手帳を見せながら言っていた。
燐火は隠れて着替えながら、様子を見る。
カコダイモーンが消えたことで、あの反社の人に憑いていた悪運が消し飛んだ。その結果の末路だ。
警官に両手をとられて、わめいて暴れようとした反社の人だが。
即座に取り押さえられて、手錠をかけられていた。
迅速に捕まって、連れて行かれる。
ケルベロスが吐き捨てていた。
「屑が」
「使ったら体を壊して最悪死んでしまう薬だよね。 そんなの売ったら、人が死ぬってわからないのかな」
「わかっていてあの手の輩は売っている。 俺の時代だったら打ち首が妥当なところなのだがな」
「……」
また、二回文字を書かなければならなかった。
それだけ強いカコダイモーンだったと言うことだ。
それに、である。
今回のは、ずっとサラリーマンっぽい見かけの反社の人に、後ろからのそりのそりとついて歩いていた。
おそらくだけれども、ずっとあの反社の人に悪運を送っていたのだ。
それが突然切れた。
着替えが終わったので、その場をさっと離れる。
歩きながら、ケルベロスに聞く。まあ、小走りだが。今回は、家からちょっと距離があったので。
もたもた歩いていると。勉強とか鍛錬する時間がなくなるのである。
「悪運が消えると、何もかも一気にうまくいかなくなるの?」
「いや、あれは揺り戻しだ」
「揺り戻し」
「そうだ。 本来人間は幸運も不幸も得る。 だがカコダイモーンのような存在が悪運をああやって与え続けると、ゆがみが生じる。 強力なカコダイモーンは相性が良い屑を見繕ってああやって好き勝手をさせるか、或いはたくさんの人間に悪運をばらまく。 さっきのは前者だな。 そしてカコダイモーンは最終的に人間を破滅させ、更に強大になっていく」
そうか。
あの反社の人は破滅はしたが、カコダイモーンの望む形ではなかったのだろうなと燐火は理解した。
小走りで家に戻る途中で、自転車に乗っていた涼子とばったり。
行く先が同じらしいので、並んで走りながら話す。
「ずっと走ってるの?」
「家に戻ったら、遅れている勉強をしてしまうつもりです。 まだ社会がちょっと、道徳がまだまだありますので」
「そう。 もう少し遊んだら?」
「そうですね。 時間を見繕って遊びに行かせてもらいます」
少し前、涼子の家に遊びに行った。
普段興味がないゲームを一緒にやったのだが、なるほどこういうものかと思って色々ためになった。
それを見て涼子は呆れていた。
こういうのは、楽しむものだと。
楽しそうではないように見えていたのだろうか。
燐火としては充分に面白かったのだけれども。興味は少なくとも持った。
ただ、それを遊ぶためのゲーム機のお値段を聞くと、とても悪くて、両親に買ってなどいえないが。
おとうさんはかなり稼いでいるし、いくつかゲーム機は持っているけれど、それらは全部仕事用だ。
軽く遊びに行く日の打ち合わせをして、それで家に帰る。
家に帰った後、黙々とドリルに取りかかる。
そろそろ社会が追いつきそうだ。
道徳がどうしても難しい。悪い大人を散々見てきている燐火には、どうにも納得できないものもおおいのだ。
こういった道徳を金木一家は鼻で笑っていて。
それで街の王様を気取っていた。
多分悪い独裁者なんかも、それに関しては同じ筈。
それどころか、大人の中にはこういう道徳を完全に馬鹿にすることが格好良いと思い込んでいる人がわんさかいる。
それは肌で知っているから。
どうしても勉強の時は、手が止まってしまう、
効率がよくない。
ケルベロスに言われて、一度休憩を入れる。
しばしヨーグルト飲料を口にしていると、おかあさんが珍しく時間通りに戻ってきた。
あの反社の人が捕まっていた件で忙しくなるのではないのかと思ったのだけれど。管轄が違うらしい。
夕食を買ってきてくれたので、チンして一緒に食べる。
おとうさんは「耐久配信」とかで、難しいゲームを十二時間くらい続けてやる企画の最中だ。
Vtuberというのは色々大変らしく、異性の声が配信に入ると大変なことになる場合もあるとか。
それもあって、配信の時は気が立っている。
どれだけフレンドリーに話していても、気が張っているものなのだ。
「おとうさん大変そうですね」
「人気Vだからね」
「女性ファンにはうるさい人もいると聞きます」
「女性Vの方がその辺は大変よ。 私が好きなVなんて、男がいる疑惑が何回かでて、大荒れしていたんだから」
この少子化の時代だ。
好きな人が結婚したら、お祝いすればいいのに。
そう思う。
ともかく、食事を終えて、軽く話をする。
学校はうまくやれている。
何度かいじめっ子がこっちに目をつけようとしたけれど。全部実力で制圧したら、怖がって近寄ってこなくなった。
それ以降、特に問題は起きていない。
燐火が隙を見せないこと。
学校で先生がやる気があって、いじめの類いは許さないこともある。
かなり良い学校だ。
「再来年には中学だけれど、何か希望はある?」
「今と同じくらい穏やかなところが良いです」
「穏やか、ね。 先生からは、燐火ちゃんは時々何をするかわからなくて、ハラハラすると言われているのだけれど」
「そうでしたか」
おかあさんもそういうことを言われていたんだ。
大変だなと思う。
まあ、何回かいじめをやっている男子をぶちのめしたことがあって。そのたびに色々あったから、かもしれない。
スマホで、一緒におとうさんの配信を見る。
普段とは裏腹の若くて情けない声で、ひたすら強そうな敵ボスにぼっこぼこにされている。
確かおとうさん、このボス敵は結構練習していて、燐火の前で完封していたと思ったのだけれど。
「お父さんは下手くそを売りにしているの。 このボスについても研究して、どこで危ない攻撃をしてきて、どうしたら引っかかるかを事前に調べていたのよ。 それで、誰もが引っかかるところで、こうして引っかかって、苦戦して見せて「撮れ高」を作っているのね」
「それって気づかれているんじゃないですか」
「実はファンの中では、「ファッション下手」で暗黙の了解になっているらしいの。 下手なふりをしている上級者って変なキャラづけができていて、それを楽しんでいるみたいね」
「そうなんですか」
回りくどいというか。
よくわからない話である。
とにかく、おかあさんとは他にいくつか話をして、今日は終わりにする。
問題は、その次の日におきた。
学校が終わって帰る途中。
ケルベロスが珍しく急げと言う。
色々とまずいらしい。できれば家に寄りたいのだけれども、それすらも時間が惜しいようだった。
ダイモーンは少しずつ強力になっている。
これはケルベロスが呼び集めている個体が、少しずつ遠くからも来ているから、らしい。
ケルベロスが探しているダイモーンを撒いている人は、ケルベロスや一緒に戦っているらしい人よりも前に日本に迷子としてやってきた。
その結果、日本をふらふらする過程でかなりの広範囲にダイモーンをまき散らしたようなのだ。
そんなことができる人となると、すごいのだろうけれど。
迷子になっているのをどう見て良いのか。
ちょっと燐火にはわからない。
とりあえず、小走りで案内された方へ急ぐ。
途中の道ばたでおそらく誰かが捨てていったさびた鉄パイプを見つけたので、それを拾って走る。鉄パイプの先にL字のなんだかがついている、殴ったら実戦でとても効果がありそうな奴だ。さび付いているので、結構前から放置されていたものだと思うし、拾っても泥棒にはならないだろう。
それをケルベロスが呆れる。
「平然と鉄パイプを拾うな」
「棒がほしいし」
「棒なら何でもいいのは確かではあるのだが、もう少し拾うものを考えてほしいのだが」
「そういえばケルベロス、鉄パイプは覚えたんだね」
そうだなと、ケルベロスが呆れ気味に言う。
ちなみに燐火が拾ったのは正確には配水管というものであって、鉄パイプではあるが内部には水の腐食を防ぐための工夫がされているのだとか。
細かい話をどうしてしったのかと思ったら。
燐火がおとうさんに借りて国語の勉強のために読んでいる本に書いてあったらしい。難しくてもまずは漢字の勉強を、と思ったのだけれども。
ケルベロスは短時間でこの国の言葉を学習したそうだ。
ただそれは、燐火の脳を間借りしてのことであるらしく。
そう聞くと、ちょっと複雑な気分になる。
とにかく鉄パイプを持ったまま、態勢を低くして走る。
途中で野良猫が、燐火を見てギャッと悲鳴を上げて逃げていった。死んだ目の燐火が鉄パイプを片手に猛然と走ってきたから、怖かったのかもしれない。
それくらいでよく野良をやれるなあと思うが。
ブロック塀を乗り越える。
そして、さっと身を隠した。近いとケルベロスは言う。
其処には、異界があった。
勿論言葉通りの意味じゃない。
そこの気配は、明らかに周囲とは違っていた。
口を押さえる。
これは、まずい。
ダイモーン絡みなのは確定だけれども、ちょっとばかり破壊力が今までとは違うように思う。
これは、燐火が対応していい相手なのだろうか。
そうとすら思ってしまう。
ケルベロスが言う。
「カコダイモーンとしてはかなり悪辣だ。 この間の反社の屑に粘着していた奴よりも更に格が高い」
「大丈夫そんなのに近づいて」
「カコダイモーンといえど所詮はダイモーンに過ぎん。 神格である俺の相手ではない。 ただ……」
下手をすると、死人が出る。
そうケルベロスは言った。
「とにかく、何を狙っているかだな。 あれだ」
「……」
それは、なんというのだろう。
まがまがしいものだった。
不定形なのだが、多数の触手を伸ばしていて、虚空でうごめいている。それでいながら、うめき声みたいなのを上げ続けていた。
ケルベロスは言う。
カコダイモーンは、大量の人間の負の思念を取り込むと、その影響を受ける。
人を殺すような存在にまで成長する奴の中には、人の形をとるものまで現れる。
それらは人間に見えないだけで人間と同じように振る舞い。
人間ほどではないが、悪意で世界をもてあそぶ、というのだ。
そうか。
いずれにしても、もはやあれはこの世の生き物の形ではない。
ケルベロスに聞いて、地獄の門番であるヘカトンケイレスという存在について調べた。
顔が五十、腕が百ある巨人。
それがどれほど恐ろしいものなのかは、そばで見てみないとわからないだろう。
だけれども、もしもあのカコダイモーンが人の形をとるとき。
燐火が知っているどんな屑とも、引けをとらないものになるような気がした。
辺りがびりびりと震えている気がする。
燐火はあまり怖いとは感じない。
そういう感覚が麻痺しているからだ。
今もそれは戻っていない。
それはあまり良いことではないとおかあさんには言われた。
恐怖というのは、危険を避けるために必要な感情であるらしい。
だから必ず取り戻すようにしろ、と。
恐怖を知らない人間は勇者ではない。
ただ危険に突っ込んでいって犬死にするだけの存在であるらしかった。
「狙いは……なるほどな」
燐火も見つけた。
狙っているのは、たむろしている集団だ。あれは多分、反社の人間だろう。威圧的な黒塗りの車。
はっきりいってろくでもない。
おそらくだけれども、わかった。
あのカコダイモーン。
経験則で、ああいうのにたくさん悪運を植え付けて、それで大きくなってきた成功例から行動しているんだ。
ここは反社の事務所の近く。
たむろしていてもおかしくない。
若い人間が多いが。
ああいうのは、半グレというらしい。
おかあさんの話によると、今は反社への締め付けが厳しくなってきていると言うこともある。
それもあって、反社と不良の中間くらいの人間が稼いで幅を利かせている実態があるらしい。
あれらにまとめて悪運を授けたら。
どんなことをしでかすか。
一刻の猶予もない。
すぐに文字を書く。
一発では駄目だろうな。
もう二十体以上はカコダイモーンをやっつけた。だから、よどみなく文字は書くことができる。
ケルベロスによると、神をたたえ、魔を祓う文字であるらしい。
文字そのものに神様の力が宿る反面。
だからこそ、ダイモーンにしか通用しないのだとか。
一撃で、不定形のダイモーンは悲鳴を上げた。その悲鳴が凄まじくて、燐火は左手で片耳を塞いだ。
右手は使うしかない。
立て続けに、二度目の文字。
全身がはぜるダイモーン。
大量の真っ黒い何かがほとばしって、辺りに散らばっていく。
ケルベロスが言う。
「まずいな。 魔界化する」
「魔界?」
「後で説明する。 急いで連続して文字を書け」
「わかった」
三度目。
カコダイモーンが、こちらを見る。
おっきな一つ目があって、明らかに目が合った。だけれども、ぐっと見返す。
相手の目は完全に人間と同じ構造。
まぶたがあって、瞳があって。
でもその瞳が何重にも重なっていて、それが人間と似ていながら似ていない。不気味と見る人が見たら言うかもしれない。
だけれども、その程度で引くことはしない。
それよりも、悲鳴が凄まじい。
それに、辺りの空気が更に重々しくなってくる。カコダイモーンがうねっている真下では、黒塗りの車にまとわりついた反社の人間達が、たばこを吹かしながら何やら談笑している。
サングラスをして格好をつけているのかもしれないが。
カコダイモーンにまとわりつかれている様子が見えている側からしてみれば。象が足を踏み下ろそうとしている下で、何も知らずに馬鹿騒ぎをしているネズミの群れにしか見えなかった。
「急げ!」
「わかってる」
四度目。
文字は間違いなく書けている。
また触手がはぜて、真っ黒な体液がぶちまけられる。それ以上に、これは何だろう。おぞましい……においだろうか。
いや、違う。
でも、ものすごい違和感だ。
悲鳴がすごすぎて、耳がきんきんする。
それもガラスでもひっかいたかのような、聞くだけでいやになってしまう音だ。こんなの聞き続けていたら、耳がおかしくなる。
だけれども、立て続けに文字を書く。
日本の祝詞も同じらしいけれど。
同じ文字を繰り返して書くことで、こういう効果を重ねがけして、強化することができるらしい。
目玉がはぜ割れた。
それと同時に、ものすごい量の黒い液体、だろうか。
それが吹き出して、辺りに飛び散る。
黒塗りの車にも、反社の人間にも、ドバドバかかる。見えていないだろうから、全く反応していない。
カコダイモーンが祓われたが、まだケルベロスは言う。
「続けて文字を!」
「わかった」
これは尋常じゃない。
だから、燐火も続ける。
体力を消耗している雰囲気はない。
だけれど、マントといつもの棒の方が心強いなとは思った。でも、この鉄パイプは鉄パイプで、なんだかかっこいい。
ただこれを持ち歩いていたら、ちょっとおかあさんを心配させるか。
八度目の文字を書き終えた瞬間。
ぎゅっと音がして。
黒い全てが、かき消えた気がした。
呼吸を整える。
ちょっとまずいかもしれない。今になってやっとわかった。ものすごく危ない場所にいたのだ。
すぐに離れるように。
ケルベロスにせかされたので、さっさとその場を離れる。
あの反社は良いのだろうかと思ったけれど。
あれは悪いことをしまくっている連中だ。
悪運が離れたのだったら、多分ろくなことにはならないだろうな、と思う。
しばらく走って、その場を離れる。
手にはぎゅっと鉄パイプを握ったまま。
握力はあんまりないけれど、腕力はついてきたので。別に持ち運ぶのには特に問題はない。
反社の人たちはどうでもいいけれど。
さっきのは、大丈夫だろうか。
そう思った瞬間。
ドン、と激しい音とともに、爆発が起きていた。
「災厄が起きたな」
「……」
消防車が来る。
煙がもうもうと上がっている。
多分、方向からしてあの黒塗りの車が大爆発したのだと思う。だとすると、周りでたむろしていた反社の人らは、吹っ飛んだだろう。生きているかどうかは知らない。今まで痛めつけてきた周りの人たちが味わった苦痛を、まとめて受けた。
そういうところか。
無言で歩く。
帰り道で、クラスの男子に出会った。
燐火が顔を上げると、ひっと声を漏らしていた。
「ひ、平坂? なんだよそれ……」
「拾いました」
「お前こええよ!」
男子数人が腰が引けている。情けないな。女子一人が鉄パイプ持ってるだけで、何をおびえているのか。
無言で通り過ぎる。
男子達は青ざめて歯がガチガチ言っているのがわかった。
こいつら、多分さっきの爆発に興味を持って、見に行こうとしているのだろう。それが思い切り燐火にあって水を差された、というところか。
面白がって爆発を見に行くような奴らだ。
それくらいの目にも遭っても良いだろう。
「やはりその鉄パイプは問題ではないか」
「うーん、粗大ゴミに出そうか」
「……そうだな。 引き取ってもらうには色々と手続きが必要だと思うが」
「それよりさっきの話を聞かせて。 魔界とか災厄とか」
家までもう少しだ。
遠くでたくさん、サイレンの音が重なっていた。
家でドリルを解きながら、ケルベロスの話を聞く。
悪運をあまりにも吸い上げすぎたカコダイモーンは、巣を作るのだという。それが、魔界と言われるものだ。
「悪魔の住む世界、みたいに考えられがちだが、実際の魔界は文字通り魔の世界だ。 それはああいう、魔が住むだけの場所を意味する」
「カコダイモーンは魔になってしまったんだね」
「そうだな。 回収しなければ、あの巣を中心に多くの人を苦しめただろう。 基本的に魔界は魔の巣であって、そういう別の世界があるわけではないのだ」
ドリルを解きながら、他の話をしてもらう。
圧縮された悪運をああやって放出する行動を、災厄と呼ぶそうだ。
実際にも大洪水とか大地震とかを災厄というらしいのだけれども。
災厄は、魔界ができる現象。
この国でも、似たようなことがおきることがあるらしいけれど。
発生させるのが何かによって、対策を別々にしなければならないらしい。
面倒な話だなと思うけれど。
そもそも信仰が違う。
信仰が違えば、出現する霊も神も異なる。
そういうことだそうだ。
それらは波長が違うから、対応できる人間もまた変わるのだとか。
「言葉の違いのようなものでな。 あらゆる神話の魔に対応できる魔祓いなんぞ、少なくともこの世界にはいないのだ。 他の世界はどうだか知らぬがな」
「そうなんだね」
「相変わらず燐火は落ち着いているな」
「いや、色々壊れているだけだよ」
淡々と事実を告げる。
実際問題、燐火は自分が壊れていることは自覚しているので、それについてどうこうというつもりもない。
ドリル終わり。
座って勉強をすることは苦にはならない。
休憩時間で、軽くニュースを見る。
あの爆発事件。
ニュースになっていた。
なんでもあの黒塗りの車の何かのバッテリーが爆発したらしい。
元から問題があることが知られているもので。
あの反社が資金提供を受けている国からコネで入手したものだったらしいのだけれども。
その国でも問題になっているバッテリーが突然大爆発。
そばにいた反社の人間八人は負傷。
それ以外には何も奇跡的に被害は出なかったそうだ。
問題はその後である。
消防車が来ても簡単に火災は収まらず、周辺の人たちが非難する中、特別な消防車が出てきてやっと鎮火に成功したのだけれども。
車の中から何かまずいものが見つかったらしい。
反社の人間の事務所に即時警察が入ったらしくて。大騒ぎになっているようだ。
悪運が祓われた結果なのだろう。
燐火には関係がない。
ああいう周りの人を踏みにじってお金を稼いでいるような人は、全員逮捕されればいいし。
そのまま地獄に行けば良いとも思うから、どうでもよかった。
ともかく。今後はどんどんダイモーンが厄介になるとみていい。
だとすると、何かしらの対策が必要だろう。
「ケルベロス、燐火は何か修行みたいなのが必要?」
「そうだな。 俺が憑いているから基本的な祓いの能力は身についている。 今更特別な修行をしなくても、十分だといいたいが」
「歯切れが悪いね」
「そうだな。 実際問題、このままではまずいのは確かだ。 これほどカコダイモーンが成長しているとは思わなかった。 もう一人活動している奴が危険なのは片っ端から潰しているが、それでも追いつかないだろう。 これから、もっと強力なカコダイモーンに対応できるようにしていかなければなるまい」
どうすればいい、と聞くと。
ケルベロスはちょっと考えてから、言う。
まずはイメージだという。
あの文字は精神的な力から発生するもので、魔祓いに対する強い意志が問題になってくると言う。
しばし黙った後。
ケルベロスは言った。
「日女というあの日本系の巫女が、大艸を使っていただろう」
「紙がついた棒だね」
「そうだ。 あれは特別な力がこもっているというよりも、特別な力がこもっているとされているものだ。 古くギリシャでも、あのように神聖視されるものはあって、魔祓いに効果を示していた。 ただその信仰は失われて久しく、燐火が使っても効果は薄いだろう」
ダイモーンという存在はあっても。
それはあくまで、いにしえから存在するものの残滓。
今になって増殖しているのが問題なのであって。
本来は、ギリシャの地ですら今は暴れることが珍しいのだそうだ。
「どうすればいいの?」
「これなら魔を祓えるというイメージを持った棒を使う。 本来だったら棒をイメージしろと言ったのはそういう意味でな」
「そうだったんだね」
「何か思い当たらないか」
おとうさんからもらったあの棒。
あれは、あくまで借り物だ。
アニメのキャラがあれでフィニッシュムーブを決めるけれど、燐火はアニメはアニメだと思っている。
嫌いではないが、それが本当に効くとは思えにくい。
だとすると、一旦はあれは駄目か。
鉄パイプはどうだろう。
とても強そうで、ダイモーンをぶん殴れたら良いのだけれども。
あの凄まじい声を周囲が聞こえていないように、ダイモーンは基本的に触ることができないだろう。
それは燐火だって同じの筈だ。
鉄パイプで殴っても、倒せるイメージがあまりない。
それにだ。
今回は何度も魔祓いの文字を書いて、やっと倒せた。
一回文字を書くだけだとあまり感じなかったのだけれど。今になって、少し疲れているのがわかる。
ケルベロスが補足してくれる。
「無駄が多いからだな」
「やっぱりそうなんだね」
「ああ。 必殺の気合いとまでは言わないが、そういった感じで文字を書けば、ダイモーンへのダメージも増すはずだ」
「……」
ちょっと考えてみると言って。
それからドリルに戻った。しばらく集中して問題を解く。
多分今月中には周りに完全に追いつけると思う。
普段の授業はまったく苦にならなくなっているので、一旦追いついてしまえば後は楽ではあるが。
それでも、まずは追いつくことからだ。
鉄パイプはいい線を行っていると燐火は思う。
だけれども、まだ一つ二つ足りない。
ドリルが終わったから、道着に替えて、外で鍛錬をする。
おかあさんから基礎鍛錬については教わっているから、そのメニューを庭で順番にこなしていく。
もう少し都会になると庭なんて存在しない家の方が多いらしいのだけれど。
この辺りは庭があるのが普通だ。
黙々と庭で鍛錬をしていると、日が暮れる。
一気に暗くなってきたので、残心してから、家に戻った。
鍛錬を淡々としていて、それで身につくことも増える。もう、身体能力の点で、他の子供に後れをとっているとは思えない。
だが、これからは。
格上の相手からも身を守れるように、鍛えておいた方が良いだろう。
後はお風呂に入る。
おとうさんがぐったりした様子で防音室から出てきた。配信が終わったらしい。冷蔵庫から出してきた出来合を温めて、二人で食べる。
おかあさんからは連絡があって、夜遅くになるらしい。
夕食は先に食べておいてほしい、ということだった。
「おかあさん、大丈夫でしょうか」
「元々はおかあさんは柔道で全国に出て、オリンピック候補だったくらいの人なんだよ」
「そうなんですね」
「それでもあれだけ消耗しているからね。 警察の方でも、あまりおかあさんを手放したくないらしくて、子供を作らないようにと釘まで刺されるそうだ」
それはひどい話だと思う。
それで燐火が養子になったのかもしれない。燐火としては大歓迎だが、二人は色々複雑かもしれないと、燐火は思った。
4、もう一人から見た魔祓い
巫女服に袖を通した日女は、大艸を持って現場に出向く。
実のところ、日本系の魔祓い能力者は警察に認知されている。それもあって、日女の家は警察からある程度便宜を図ってもらっているし。
何よりも、犯罪抑止になるのならと。
補助金まで出ている。
あまり知られていない話だが。
少子化で困っているこの国で。
日女みたいな存在が、食っていけているし。将来も安泰である理由である。ただし、このことは魔祓い以外にはあまり知られていないのだが。
「こちらです」
「ああ、なるほどな……」
多分あのギリシャ系の魔祓いの仕事の後だな。
燃え落ちた車の残骸が、アスファルトを激しく傷つけた跡地で、日女は進み出る。まだ火災の激しさを示すように、辺りが焦げた跡で、暑くなる錯覚すら覚えるほどだ。
淡々と大艸を取り出す。
実際問題、邪悪な妖怪の類が集まってきている。
ダイモーンは倒れたが、人間の悪意そのものは変わらない。
この場所にて、悪意が炸裂した。
おそらくため込まれていた悪運が祓われた結果。
ここで吹っ飛ばされて再起不能になったらしい反社のクソどもがため込んでいた悪意が、辺りにぶちまけられたのだ。
それに関しては、まだ未熟だろうあの燐火という魔祓いに文句をいうつもりはない。
だいたい専門違いだ。
この辺り日女は中一でも既に仕事をしている大人の感覚を持ち合わせている。
専門分野に対しては対応する。
だが犯人を霊視してくれとか言われても断るし。
余程やばい悪霊でも、まずは現地に魔祓いがいるなら連絡して、対応について話す。
そういうものだ。
そうしないと、色々と面倒なのである。
日本だと神道系と仏教系の魔祓いがいるが。
どちらかというと、今は仏教系の方が多少は勢いがある。
ただ、燐火もこうやって仕事着で出てきているときは。
現役で働いている魔祓いとして、恥ずかしくない仕事をしているつもりだ。
そのまま祝詞を唱え、大艸をふるって。ぶちまけられた悪意を全て浄化していく。取りこぼしの排除みたいだが。
ここは日本だ。
日本だからこそ、日本で通用する魔祓いで、後始末をする。
それだけのこと。
特に燐火に思うところはない。
しばしして、魔祓いが終わった。警察に終わったことを告げて、後は家に帰る。巫女服で帰るから、注目は集める。
好奇の視線で見てくる奴もいるが。
周囲曰く人殺しの目で見返すと、大体はさっと視線をそらし、それで逃げていく。
神社に戻ると着替えて。
あぐらを掻いて、嘆息した。
憑いている八幡様が大きくため息をつく。
「そんな猿みたいな振る舞いをして。 嫁に行けなくなるぞ」
「考えが古いんだよ。 それに俺より弱い男に興味ないし。 肉体的な意味じゃなくて、魔祓いの意味でな」
「お前は確かに強いが、それでもそういうことを言っていると行き遅れて後悔するぞ。 今その手の輩が、婚活とやらで醜態をさらしているだろう」
「わーったよ……」
うぜえと思うが。
相手のことは尊敬はしている。
尊敬はしているが、それはそれでうぜえと思うだけだ。
男に生まれたらよかったのにな。
周囲はみんなそういう。
だが。日女の家系は、女の方が強力な魔祓いになる傾向がある。その分結婚にも苦労するらしく。
日女の祖母は、四十近くで結婚して、やっと子供を産んだらしい。
日女の母は魔祓いを知らない一般人なので。
祖母がどうして結婚で苦労したかは知らないようだが。
巫女服を洗濯機に放り込んだ後は、横になってスマホを触る。一応燐火とも連絡を取っておく。
燐火曰く、魔界になりかけていたらしい。
こっちでは異界と言うこともあるが。
それが発生すると厄介だ。
日本では今はほとんど異界というものは排除されてしまったが。昔は入るだけで人がばたばた死ぬような場所がいくつもあった。
長年かけて、魔祓いが沈静化させていったのだ。
それくらい、誰もが苦労したのである。
よその国では、政情不安で魔祓いが活動できなくなったり。
或いはそもそも魔祓いが堕落して、力が出せなくなったりするケースもあり。
そういう国では、異界や魔界の類いは健在らしい。
人の業は、変わることなく。
果てることもないということだ。
「とりあえず、そういう大事の時は俺に連絡をよこせ。 今回はいいが、後始末が必要になるときがある。 互いに苦手分野があって、それぞれ補った方が便利だからな」
「わかりました」
「……それと、今回の稼ぎについてお前にも分配するよ。 ただ、ギリシャ系の魔祓いとなると、政府が関与していないよなあ」
「お金はいらないので、できるだけ秘密にしていてくれますか。 燐火としても、色々と周りに知られたくはありませんので」
そうか、と思った。
ただ、あれだけ目立つのに、周りに知られたくないとはこれ如何に。
あの死んだ目と、周囲に放っている威圧的な雰囲気。
小学校で見たとき、周囲の生徒にはおびえきっている奴もいた。
本人は目立っていないつもりなのか。
それにあの動き、多分空手とかやってる中学生男子くらいの実力は普通にある。目立っていないと思っているのは本人だけだ。
「それと相談があります」
「なんだ」
「わかりやすくて使いやすい、燐火でも魔祓いに使えると思うようなものってありますか」
「日本の魔祓いようの道具だったら倉にはあるが、お前はギリシャ系だろ。 そうなると、ちょっとわからん」
前に、一神教系の魔祓いと仕事を一緒にしたことがある。
いけ好かないお嬢様だったが、実力は確かだった。
ただし、奴の他の信仰に対する思想とかは反吐が出ると思ったので、二度と仕事はしたくない。
ただ、今の日本人だと。
そっちの方が、むしろイメージはしやすいかもしれない。
軽くリストアップして、画像を送っておく。
何か参考になればいいのだけれども。
とりあえず、今日は疲れたので寝ることにする。
この町に魔祓いが増えた。
それで手間が減るかというとそうではない。
連携して、やれることはやっていく。
それを主導するのは、経験でも力量でも上の日女がやるべきで。
面倒だと思いながらも、日女は仕方がないと、既に覚悟を決めていた。
(続)
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