求道者の小さな誇り

 

序、山道で

 

G県とN県の県境にある峠は難所で知られていて、冬場には車でも通ることは推奨されていない。夏場も山深い中を道路が僅かに通っているような状況で、迷うとかなり危険である。

それでも、フィールドと呼ばれる、国家に危険地帯認定されている地域に比べれば、何でもない。いきなり巨大な砲丸が飛び出してくることもないし、全長二十メートルを超える巨大なクリーチャーに襲われることもない。無論周囲を武装した兵隊が固めていることもないし、火山が噴火したりもしない。

しかし、それでも。面倒な場所に違いはなかった。

一見して、十代半ばの娘がいた。彼女は直射日光にぼやきながら、額の汗を拭う。目立たない容姿の彼女はスペランカーと呼ばれている。無論本名ではないが、本名よりも遙かにその名の方が知られていた。脆弱で、頭も悪く、要領も悪いのに。不思議とどんな危険な場所からも生還する存在として。

山道は険しく、日光も容赦ない。フィールド探索を仕事としているスペランカーは、空きっ腹を抱えて、その山道を歩いていた。手元には機嫌が悪そうに黙り込んでいるスクーターがある。移動のために入手したのに、今では足を引っ張っているスクーターは、うち捨てる訳にもいかず、貧弱なスペランカーの体力を日光と一緒になって奪い続けていた。

ある事情から、不死の、正確には死んでもすぐによみがえる能力を得たスペランカーは、その代償として様々なものを失った。体は極めて脆弱だし、記憶力も非常に悪い。本当にちょっとした衝撃で死んでしまうので、バイクなど周囲が危なくて乗られない。かといって、このスクーターでは、峠を越えるのにはあまりにも力不足。しかもガソリンが尽きてしまった。だからひいひい言いながら、今同伴で坂道を登っているのだ。この先にある、仕事場、最近発見されたフィールドに向かうために。

白々しい蝉の鳴き声が、辺り中から降ってくる。気持ちいいと言うには無茶がある日差しの中、何度か休みながら峠を登っては来たが、リュックの中に備蓄してある缶詰はかなり消費してしまった。この先にあるフィールドの探索が今回の仕事なのだが、出費を予想より多めに見繕わなければならないだろう。

急カーブに入った。丁度木陰になっている所があったので、スクーターを寄せて座り込む。水筒を出してみたが、中身は空だった。ぐったりしたスペランカーは、その隙に意識が飛んでしまい、一度死んだ。すぐに命が戻り、意識が戻ってくるが、空腹と喉の渇きは収まらない。

近くに、小川の潺があるらしく、水音が聞こえる。どうしようかなと迷っていたスペランカーは、視線を感じた。ゆっくり視線を返すと、其処には世にも珍しいものがあった。

どうやら、この峠を苦労して越えようとしていたのは、スペランカーだけではないらしい。

そう。

其処には。

今では発展途上国でしか見かけることがない車。三輪オート。通称三輪トラックが存在していた。

ブルーの丸っこい体を持つその車は、前輪が一つしか無い。しかもそれが幼児の載る三輪車さながらに、前面についているという、まこと奇妙な形態である。発展途上国に何度も足を運んだスペランカーは現役で走っている所を見たことがあるが、それにしてもこれは凄い。此処はJ国。かってと違い、もはや三輪トラックは居場所のない国なのだ。

当然のことながら、車体はぼろぼろ。未だに現役で走っていることが冗談だとしか思えない。しかも荷台にはこれまた年代物の屋台を積んでいる。その側には、スペランカーを不思議そうに見ている女の子がいた。

必要最小限の装備で旅をすることが趣味の、バックパッカーと呼ばれる人種がいることを、スペランカーは知っている。雰囲気的にそれかと思ったのだが、やはり違うと判断。三輪トラックの側にいるラフな格好の女の子は、多分同業者だろう。

同じように、常人が入り込むことが出来ない超危険地帯、フィールドに挑むことを仕事としているライセンス保持者という訳だ。

「こんにちは」

「あ、こんにちは」

控えめに挨拶を交わし合う。お互い、苦労しているのは目に見えていた。

スクーターを引っ張って、側にまで行く。近くで見ると、予想以上に凄い車だった。錆は彼方此方に浮いているし、屋台は年代物で、博物館に陳列できそうな代物である。若干茶色が掛かった髪をショートカットにしている娘は、スペランカーと同年代に見えた。背丈も殆ど同じである。顔立ちも素朴で、若干目が大きいが、特に目立つ美少女という訳でもない。活動しやすいようにスカートではなくパンツをはいているのも一緒。ただしフィールドを走り回ることを想定して足下まで覆うものを穿いているスペランカーに対して、彼女は動きやすいことを想定しているのかショートパンツだ。靴は同じようにスニーカーだが、スペランカーよりも相手の方が更に堅牢な作りをしている。バックパックを背負っているのも一緒だ。ただし、女の子のバックパックは、可愛らしいピンク色だった。

容姿で言うと、総合的にはあまり差がないが、唯一違うのは胸だ。やたらめったら大きい。何を食べたらこうなるのか、スペランカーには羨ましい限りであった。呆然と胸を見ていると、向こうから話し掛けてきた。

「ひょっとして、この先のフィールドに?」

「あ、はい。 私はあくまで支援要員ですけど」

今回のフィールドは非常に狭く、しかしながら大企業の開発予定地になっている。そのために、対策資金が潤沢で、フィールド探索のプロが三人も集まることになった。一人はスペランカーで、もう一人は名前を聞いていない。最後の一人は中堅どころのフィールド探索者で、今時珍しい現役の忍者だ。今回は彼が主に戦闘を担当し、スペランカーがそれを補助する形になる。もう一人の仕事については、まだ話を聞いていない。格好からすると、多分相当に戦闘なり活動なりに自信があるタイプに見えるが。

「良かった。 ちょっとこの子が言うことを聞かなくなってしまって、困っていた所なんですよ。 僕、料理は得意だけど、機械はどうも苦手で」

「屋台って言うことは、流しで料理人を?」

「はい。 家族の夢なんです。 僕にとっても」

素敵な笑顔である。水も分けてくれたので、スペランカーは好感を持った。それにしても、流しの料理人だというのに、フィールド探索もしているとは、やはりそれだけでは食べていけないのだろう。

金銭的に苦労しているというのは、この愛車を見ても分かる。もちろんスペランカーも機械は全く駄目なので、助けることは出来ない。フロントを開けて、もはや骨董品以外の何者でもないエンジンを弄っている女の子を横から覗き込みながら、スペランカーは言った。

「私はスペランカーと言われています。 貴方は?」

「僕は川背。 海腹川背です」

「ああ、貴方が!」

「僕も、貴方のことは聞いたことがあります。 絶対生還者のスペランカーさん、会えて光栄です」

笑顔を浮かべる川背と握手を交わす。こんなところで有名人に出会えるとは。

もちろん同業者だから、スペランカーは聞いたことがある。川背は伝説的な料理人一家の末娘だ。フィールド探索も、滅多に顔を出さないが、相当な腕前だと聞いている。何でも、非常に玄人好みな探索をするとかで、評判も高い。後輩ではあるが、少なくとも、スペランカーよりも数段上のフィールド探索者だ。

はて、しかしそうなると、妙なことが一つある。

確か、海腹川背は二年前には成人して、本格的にフィールド探索を始めたと聞いている。

「ええと、失礼かも知れませんけれど、貴方のお年は?」

「僕ですか? 今年で二十歳になりました。 えへへ、分かってます。 高校生以上には見えないって、良く言われてますから」

「はあー。 私みたいにタチが悪い呪いを受けなくても、こんな姿の人っているんですね」

「有難うございます。 でも、良いことばかりじゃありませんよ。 お巡りさんに補導されかけて、免許証を見せてやっと納得して貰うって事が日常茶飯事ですから」

フロントカバーを閉じた川背は歎息一つ。諦めたらしい。まあ、無理もない。玄人にだって、手に負えるか分からない代物だ。パーツだって、今時よほどマニアックな店にしか置いていないだろう。

「現地待機しているスタッフに、引っ張って貰いましょうか」

「あ、その手がありましたね。 僕、機動は得意ですから、ひとっ走り行ってきます」

「なら、私が見張ってますよ」

「有難うございます」

若くても苦労しているだけあって、受け答えもしっかりしている。川背が目をつぶって、手を天に掲げると。其処に光が集まり、一瞬後にルアーが出現していた。ルアーの先からは長いゴム紐が伸びていて、手袋をしてしっかり握り混む。

「僕の能力、空間転送なんです。 自分や生き物を転送するのには色々条件がいるんですけれど、特定の条件で作った他の物体であれば、この通りです」

川背がルアーつきのゴム紐を振り回して、少し手前の道路に引っかける。かぎ針が、陽光を反射して鋭く輝いていた。伸縮性ももの凄く、柔軟かつ強靱。このゴム紐が、単純な能力以上に、川背の仕事を支えてきた相棒だという訳だ。

ぐいぐいとゴム紐を引っ張って、緊迫させる。開いている左手を振って、川背はとても眩しい笑顔を一つくれた。

「それじゃあ、行ってきます!」

跳躍。凄まじい速さで前に飛び出す。どうやらゴムのパワーを利用して、自分を急激に加速したらしい。しかもそのまま川背は側にある木にゴムを投げ、幹にロープを引っかけると、自分を引き寄せる。

更に加速して、幹を回るように蹴って回転すると、今度はゴムの反発を利用して逆回転、空中に踊り出すようにして、十数メートルは飛んだ。猿もびっくりの空中機動を発揮して、或いは地面に、或いは木にゴム紐を飛ばし、その反発力を利して跳躍していく。

あれはもはや、空を飛んでいるよりも速い。己の道具と完全に一体となって、その力を全て引き出していると言っても過言ではない。

軽装で来るはずだ。あの機動、よほど身体能力と技に自信がないと出来ない事だ。針の穴を通す精密性と、歴戦の戦士並みの勇気、それに躊躇無く修羅場に飛び込む大胆さが備わって初めて成し遂げることが出来る。

あれなら、名前も売れる訳だ。

今回の任務で、彼女がどんな仕事をするのかは分からない。だが、あれを見せられると、流石に面倒くさがりのスペランカーにも思う所もある。今回ばかりは自分も頑張ろうと、スペランカーは思った。

 

1、挑戦者三人

 

人間は、森を食い荒らして生きている。

フィールドの前に張り巡らされたしめ縄と鉄条網。半放棄されたプレハブの事務所。壊され、横転しているブルドーザーにシャベルカー。そして、自衛隊のジープ数両と、帯銃している自衛官。

このJ国は安全な場所だが、フィールドの近辺は違う。今回出現したフィールドは半径二キロと小型だが、内部は既に一般人が入れば生きて帰れない魔境と化している。ぴりぴりした緊張感を感じて、川背は武者震いした。

フィールド近くの事務所には、座禅して印を組む青年の姿。あれが三人目だろう。忍者だという話だが、装束は派手な色で、とても見つけやすい。まあ、実力は確かなようだし、多少の事なら技で補えるのだろう。

それにしても、今回は気が進まない。

事前に展開していたスタッフがスクーターと三輪トラックを牽引して、現場に到着したのを確認しながら、川背はそう思った。

もとより、流しの料理人という難儀な仕事をしている一族の夢を託されている立場である。料理には誰よりも五月蠅いし、その素材に対する視線も厳しい川背だ。だからこそに、分かる。

此処は本来、人間が手を入れてはいけない場所。

そして、守り、慈しんでいかなければならない森なのだ。そうしてこそ、森は人間に素晴らしい食材を恵んでくれる。

それなのに、此処で発見されたというレアメタルを目当てに、国営の大企業が乗り込んできた。森を切り開き、土を掘り返して、利権目当てに森をズタズタにした。

その結果が、フィールドの出現だ。その尻ぬぐいをしなければならないのだから、気が進まないのも仕方がないことだった。

しかし、生きていくためには、仕事をこなさなければならない。

流しの料理人は、兎に角儲からない。父も姉も、大きな料亭からは目を着けられていて、随分苦労した。当然妹である川背も同じだ。どこかの料亭に雇い入れられれば楽な生活が出来るが、金儲けのために妥協したくないと考えた途端、それは選択肢から外すしか無くなる。かって拝金主義を毛嫌いし、様々な料亭に喧嘩を売って回った父と姉の事もあって、それは更に難しくなっている。

父と姉を恨んではいない。その意思を継ぐことだって嫌ではない。

だが現実問題、生きていけないのだ。だから、危険なフィールドに挑んで、お金を稼がなければならない。父からつい最近引き継いだ(それまで、母が保管していてくれたのだ)屋台つきの三輪トラックも、そろそろ限界だ。屋台の部分だけを他に移植するにしても、お金が掛かる。また、良い料理をするには、それなりの道具を維持しなくてもならない。それらも、結構な出費になってくる。

結局、こうやって、荒事で働くしかないのである。

自衛官が敬礼してきた。三佐という話だから、結構えらい人だ。

「準備整いました。 早速、二人には威力偵察任務を。 そして川背様には、例の作戦に移っていただきます」

「分かりました。 準備は整っていますか?」

「此方に」

今回の任務では、川背は切り札とも言える仕事をする必要がある。その内容が料理なのだから、まだましだとも言える。それに、相手は生半可な料理では満足してくれそうにもない。腕の振るいがいがある。

料理に命を賭けてきた一族の末裔としての名を汚さないためにも。川背は常に料理に対して、全力で立ち向かう。頬を叩いて気合いを入れ直すと、仕事場へ歩く。

三輪トラックの所に来ると、準備が整っていた。バケツに入れられているのは、新鮮な鮎、それに泥鰌。後はタニシがいくらかと、それに取れたての山菜が側に摘まれていた。屋台の荷台から下ろしたのは、母と別れる時に譲り受けた、父の形見の一つである銘着きの包丁。使う度に磨がなければならないほど繊細だが、文句の付けようがない業物である。

鮎を一匹捕りだして、すっと包丁を構えたまま観察する。そうすることで集中力を高める、川背なりのやりかただ。

脂ののりは充分。傷もついていない。大振りで健康的で、実に素晴らしい素材だ。ただし、鮮度を考えると、料理するまでにはそれほど時間を掛けない方が良いだろう。全部の鮎を水からあげて確認するが、いずれも問題はない。これほどの素材が手に入る場所を蹂躙するのは、本当に嘆かわしいことだと思う。

続けて泥鰌だが、此方は素材の質こそ素晴らしいのだが、残念ながら泥を充分に吐ききっていない。もう少し寝かせておく必要があるだろう。最後にタニシ。此方は一週間ほど泥を吐かせないと食べられないのだが、こっちに関しては既に作業が済んでいた。料理の方法はいろいろあるが、今回の食材で考えると、やはりうま煮か。

さっと頭の中で、メニューを考える。組み合わせを作り上げて、屋台を漁る。必要な調味料は揃えてきたが、この山の中で獲った素材が予想以上の格だった事を考慮すると、少し味が足りていないかも知れない。

自衛官に振り返る。遠くでは、国営企業のお偉いさんらしい責任者が、不安そうに川背を見ていた。

「すみません。 塩が足りません」

「手にしているのは、塩ではないんですか?」

「これでは、この素材に釣り合いません。 明石にJという店がありますから、其処から取り寄せていただけませんか? すぐにでも」

すぐに無線で三佐さんが連絡を取り、五分ほどで返事が来た。小売店で取り扱っている場所があるという。ただし、諸々の手続きやヘリの移動などもあり、此処に届けるまでに、七時間ほどかかってしまう。

スペランカーと忍者の人に声を掛けて、事情を説明。一旦探索を中止して貰う。慌てて飛んできたのは、責任者だった。

「ちょ、ちょっと! 君、困るよ! 勝手なことを!」

「勝手なことではありません。 状況に応じて、必要なことをしているだけです」

「ただでさえ工期が遅れに遅れているんだ! たかが塩なんか、君が持ってきているもので充分だろう!」

「今、たかが塩なんか、とおっしゃいましたか?」

川背は全身に殺意が漲るのを感じた。目に見えて責任者がたじろぐ。父が料理をけなされた時、或いは料理を知らない人間に出会った時、見せることがあったと聞いている表情と、母はそっくりだと言っていた。

川背は父ほどこだわりが五月蠅くない。別に料理を知らない相手を軽蔑はしないし、味が分かって無くても笑って流す。しかし、料理の過程に対してけちを付ける人間と、こだわりを否定する輩は許せない。料理そのものに対する誇りは、父にも負けていないつもりだ。だから二足の草鞋を履いている今も、料理に対する優先度だけは絶対に落とさない。

見かねてか、スペランカーが割って入ってくれた。

「川背ちゃん、やめて。 責任者さんも。 こういうのは何ですが、私も、川背ちゃんの意見には賛成です」

「き、君まで、そんな世迷い言をいうのか」

「専門家に任せるべきだって言っているんです。 彼女は中学に入るか入らないかという年の頃から、全国を渡り歩いて板前の本格的な修行をしている、フィールド探索者の世界でも有名な人物です。 彼女の言うことが信頼できないのなら、我々も信用されていないという事ですよね? それなら、我々も仕事を受けることは出来ません」

「同感だ。 俺も、専門家の意見は尊重すべきだと思う」

忍者の彼も、言葉少なく、だがはっきりと言ってくれた。

目頭が熱くなる。親の愛情を知らず、友達も殆どいない川背は、物心つく頃には料理に身を捧げると決めていた。だが、こういう場面では、やはり感じるものもある。

ついに、責任者は折れた。はげ上がった頭をハンカチでなで回しながら、好きなようにしてくれと吐き捨てる。三輪トラックを使うようになる前は、場末の料理屋で賄い仕事をしながら生計を立てていた川背には、ああいう人の苦悩もよく分かる。だが、今は譲れない所だった。だから、譲る訳には行かなかった。

彼処で譲っていたら、料理に殉じる人生を送った父の魂を汚すことになっていただろうから。

自衛官が、塩の手配をしてくれた。一旦バケツを側の潺へ運ぶ。二人も手伝ってくれた。即席のいけすを作り、鮎を放す。泥鰌はもう少し、バケツの中で泥を吐かせたいが、しかし水が新鮮であることに越したことはない。タニシもそれは同じだ。着いてきた自衛官に、そのタイミングを説明。まだ若い自衛官は、時々川背の胸に目をやっていたが、真剣に頷いて任務をやり遂げると言ってくれた。

「凄いなあ、川背ちゃん」

「え? どうしたんですか、スペランカーさん」

「いやね、私って、結局今でもフィールド探索は生きるためにいやいややってるし、死ぬのだって怖いのだって本当は嫌なんだ。 それなのに、ああいうこだわりのために一歩も引かないって言うのを年下の子がやっているのを見ると、凄いなあって思っちゃうよ」

「俺も、魂に起因する誇りを感じた」

何だか、良い先輩達と一緒に仕事をすることが出来たなと、川背は思った。

 

ヘリが爆音を立てながら降りてきた。自衛隊が使っている最新鋭の輸送ヘリだ。その巨体を見ると、積載量の凄まじさがよく分かる。

降りてきたヘリから、戦車が一台出てきた。多分噂の次世代戦車TK−Xだろう。それと同時に、ばらばらと自衛官が降りてくる。鋭い声とともに整列した彼らの中には、どうやら査察官が混じっている様子であった。多分、責任者様が、業を煮やして自衛隊を突っついたのだろう。此方が失敗した時に備えて、軍隊を呼んだという訳だ。

無謀な話である。フィールドの恐ろしさが根本的に分かっていない。最新鋭の装備で武装した軍隊でも手に負えないから、専門の能力者達に任されるのだ。

塩が届けられる。川背がそれをひとなめして、問題ないと頷いた。多分、吃驚するほどの高級品なのだろう。

「ようやくこれで戦いに赴くことが出来るな」

忍者の彼が言う。立ち上がってみてスペランカーにも分かったのだが、案外小兵だ。ただ、身体能力はかなり高い様子で、また精神もよく練られている雰囲気がある。頬を掻きながら、スペランカーは聞いてみる。

「ええと、お名前は何でしたっけ」

「じゃじゃ丸だ」

「ああ、貴方が」

「絶対生還のスペランカー、仕事を一緒に出来て光栄だ。 俺が道を開くから、残存兵力の掃討と発見を頼む」

じゃじゃ丸と言えば、現在フィールド探索者として名を知られる忍者の中でも、かなりの古株だ。兎に角確実な仕事をすることで有名で、妖物との戦闘経験も豊富だという。確かに今回の任務ではうってつけかも知れない。

スペランカーの能力についても、知っていると応えた。それならば話が早い。別のフィールド探索者と組んだ場合、スペランカーが死ぬのを見て吃驚する奴は多いのだ。そう言う相手を巻き添えにして死なないためにも、事前知識は必要である。

鉄条網が開けられる。

川背に仕事をして貰うのは最後だ。印を組んだじゃじゃ丸が、精神統一を始めた。

「りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん」

すっと、辺りの空気が変わる。

敵も、此方が臨戦態勢になった事に、気付いたのだろう。

スペランカーはバックパックをちらりと見た。ブラスターを敵の首魁に使うのは最後の手段だ。状況から考えても、存在まで滅ぼすような真似はしたくない。

自らの命と同時に相手の命も消し去るこの武器を、スペランカーは父の形見とはいえ、決して好いてはいなかった。

「先に行く」

「分かった」

言い終えた時には、もうじゃじゃ丸はいなかった。口笛を吹くと、スペランカーは闇の森へ、遅れて足を踏み入れた。

 

風を切って、夕闇の森をじゃじゃ丸が駆ける。

この名前は代々襲名しているものである。かって、戦国時代に存在した先祖は有名な兄弟忍者で、特に弟の有能さはずば抜けており、妖怪に囚われた姫君を単身見事救い出したという。江戸時代になってからも、J国のお庭番衆として、主に対妖怪用の特務部隊として「じゃじゃ丸」は活動し続けた。

そして、その能力も受け継ぎ続けている。現在のJ国でも、あまり表には出ないが、フィールド探索者としてじゃじゃ丸は駆け続けている。かっては、この名が格好悪いと思ったこともあった。しかし今では、誇りとともに胸にある。

さながら時雨のように、不意に周囲から沸き上がる気配。

かって、この国には八百万の神々がいた。その中には、闇へ身を落とし、人を喰らうことを何とも思わぬように落ち果てた者がいる。

それらが、じゃじゃ丸の敵。妖怪。

そして、討つことができる相手だ。

既に全身は、九字を組み、印を切ったことで、破邪の気に満ちあふれている。正確には、この気は邪と同じものだ。それの中に、己の闘気を混ぜ込むことで、必殺の技とする。それが、かって邪の名を二つ重ね合わせ、それを破ることを目的とした先祖が編み出した、必殺の工夫。

妖怪と交わり子をなした事で、その技を身につけた、先祖による呪われた遺伝する宿命だ。

飛び出してきたのは、無数の巨大な蛇。ただし頭部は鳥のようで、全身は大量の鱗に覆われている。いつまてんと呼ばれる妖怪で、本来は合戦場などに姿を見せることが多い存在である。現在では出現頻度が低いが、しかしこの森の特性が故に姿を見せると言うことなのだろう。

「イツマデ! イツマデ!」

しわがれた呻き声を上げながら、いつまてんが躍り掛かってくる。軽く腰を落とすと、、その顔面に拳を叩き込んだ。更に跳躍して、空中でとんぼを切り、もう一体の頭上から蹴りを叩き込む。

すっと取り出した手裏剣。妖怪達の全身を覆っていた堅牢な妖気が、じゃじゃ丸の打撃を浴びたことでかき消えていた。

これぞ、妖怪を屠る奥義。投げつけた手裏剣が、やすやすといつまてんの体に潜り込み、冗談のように、さながら破裂した風船がごとくに巨体を消し飛ばした。明らかにひるむ敵へ、間合いを詰める。彼らは落ちた神々。そして、その実は、怨念によって歪んだ土着の精霊神。

怨念によって変質した彼らは、一度無に帰すことによって、再生の路を歩むことが出来る。

数体のいつまてんを打ち砕くと、一旦敵の気配は消えた。後方では、まるで戦闘の気配がない。と思ったら、急に鋭い悲鳴が上がった。スペランカーのものではない。いつまてんのものだ。

ふらふらと空に舞い上がったいつまてんの腹には、大穴が開いていた。やがて、墜落していきながら、はじけ飛ぶいつまてん。

外で待っている待機スタッフに被害が及ばないように、スペランカーが保険になってくれている。その恐ろしい能力もじゃじゃ丸は聞かされていた。出来れば、戦いたくない相手である。面と向かっての戦闘能力は低いかも知れないが、延々と戦えば隙を見せずにはいられない。

そして、実績を上げていると言うことは、諦めずに幾らでも食いついていく性格だという事も示している。確かに並の人間以下の身体能力かも知れないが、ある意味最悪な厄介過ぎる能力の持ち主である。

さて、まだまだ敵将までの道は遠い。闇の中、気配を殺して走るじゃじゃ丸を阻む複数の影。

今度は、ゴリラよりも更に大きな人型。見かけも似ているが、より禍々しく、生物離れしている。毛は逆立ち、目は爛々と輝き、口から伸びた牙が恐ろしい。体重は四百、いや五百キロを超えているだろう。

彼らは猩々と呼ばれる猿の怪物だ。本来は穏やかな存在だが、すっかり凶暴化している。怒り狂うその牙は人間など易々と噛み砕き、爪は重機さえも引き裂く。野生のグリズリーなど問題にもならない凶暴すぎる相手だ。工事現場のブルドーザーを紙細工のように砕いたそのパワーは、報告を受けている。

しかし、妖怪である以上基本的な戦術は変わらない。打撃を叩き込んでから、神職が天津神の加護を練り込んだ手裏剣を打ち込むことで屠り去る。ドラミングをして、牙を剥いて威嚇してくる猩々に突貫。繰りだされた長い腕をかいくぐり、顔面を数度踏みつけるように蹴る。己の異変に気付いた猩々が、空をかきむしるような動作をする中、手裏剣を投げつける。

破裂した。これで、残りは三匹。

周囲を見回す。ふと、真横から殺気。跳躍。足のすぐ下を、太い丸太が通り過ぎる。

とっさに木を引き抜いた猩々が、それを使って殴りつけてきたのだ。

飛び退いたじゃじゃ丸は、もう一匹の猩々が、まるで鞠のように体を膨らませるのを見た。そのまま奴は、泥濘を水鉄砲がごとく吹き付けてくる。更に、縦横無尽に木を振り回して間合いを計ってくる猩々。一匹は、じゃじゃ丸の後ろに回ろうとしていた。

流石に猿の妖怪。知能が高い。かなり高度な連携戦闘を行ってくる。

まずは後ろに回ろうとしている奴からだ。じゃじゃ丸は懐から取り出した閃光弾を前方の一匹に投げつけつつ、木を蹴って高々と飛び上がり、丸太を掴んでいるもう一匹に手裏剣を放る。手裏剣で仲間が倒されているのを見ている猩々は、丸太を振るってそれをたたき落とすが、それは陽動だ。

後ろに回り込んでいた一匹が、ジグザグに頭上から迫ったじゃじゃ丸に気付いた時にはもう遅い。

顔面に、じゃじゃ丸が繰り出した致命的な蹴りが炸裂し、一瞬後には吹き飛んでいた。

 

2、食の狂気

 

既に夜だが、森は騒がしい。先ほどから延々と人ならぬものの叫び声がとどろき続けていた。

作業開始が遅れたと言うこともあり、自衛官達や、責任者はずっと起き通しである。特に責任者は目を血走らせ、TK−Xの側で怯えた目を森に向け続けていた。

闇の中から浮き上がるようにして、人影が現れる。それを察した川背は、仕込みの手を一度休めて、顔を上げた。スペランカーが戻ってきたのだ。彼女はその生還能力の高さを利用して、フィールドから忍者が討伐しそこねた残存勢力が逃げるのを阻止しつつ、内部の状況を伝達する役割を担っている。何しろ内部はもう電波も通じない状態なので、彼女くらいしか情報の伝達役が存在しないのである。

出に比べると、服装が随分ラフになっていた。服は右腕の片から先の袖が食いちぎられていたし、ズボンも左側が膝から先を失っていた。

「お疲れ様です」

「ただいまー」

鉄条網を閉じた自衛官達が、銃を向けていつ妖物が出てきても良いように備えるが、実際出てきたら川背かスペランカーでないと対処できない。もし近代兵器で対処しようとした場合、十人単位で死人を出し、それでも追い返すのが精一杯だろう。

また一つ、森から断末魔の悲鳴が上がった。流石に戦闘タイプのフィールド探索者。大したものである。

すぐに机が拡げられて、内部の状況が説明される。

「今、じゃじゃ丸君が、この辺で暴れてる」

「あ、忍者の人、そう言う名前なんですね」

「正確には襲名したものらしいよ。 当主に就任すると、その名前になるんだって。 何か意味がある名前らしいけど、其処までは教えてくれなかった」

すっと、スペランカーが指先を地図上で走らせる。

「この辺りにも、もう何騎か妖怪が逃げてきていたよ。 私を見つけて襲いかかってきて、見境無く腕とか足とか食いちぎったから、死んじゃったけど」

「痛く、無いですか?」

「痛いよ、凄く。 だから、止めておけばいいのに」

スペランカーの白い素肌が、自衛隊の焚いている夜間照明に照らされていて、奇妙にエロチックだ。ふわりと飛んでいた蚊が、いきなり爆発四散したので、びっくりした。

話は聞いている。彼女は身体能力が常人以下で頭脳も並み以下という風に、能力の代償として大きな呪いを受けている。その代わり、死なない。正確には、死んでも生き返る。その呪いによる周囲の侵食が強烈だとかいう話だ。

その恐るべき呪いは、死んだ時に、欠損分を周囲から強引に補うのだという。

もしも肉や何かを囓った場合は、それを行った生物が、体の一部をむしり取られることになる。腹やら口やらをえぐり取られて、生きている動物などいようか。妖怪でも、それは同じと言うことなのだろう。さっきの蚊の死に様は、それが故という訳だ。

自衛官に、いざというときに備える方法についてレクチャー。場合によっては此処に残っている川背が対応することになる。一通り打ち合わせが済むと、川背は仕込みに戻った。そろそろ泥鰌も泥を吐き終わった頃だ。

「スペランカー先輩、後、どれくらいで片がつきそうですか?」

「さっきは中間地点くらいだったから、相手の中枢に迫るまでもう少しかな。 じゃじゃ丸君に話を聞きにいくけど、何とかなるとは思うよ」

「それなら、僕はそろそろ料理の準備に入りますね」

「ん、頑張って」

ハイタッチをして、スペランカーがまた夜の闇に消えていくことを見届ける。技がないとか臆病だとか言っていたが、川背から言わせればとんでもない話だ。体が傷ついてもむしろ相手のことを心配している。何より能力がそうだとはいえ、口とは裏腹に本質的に死を恐れていないし、何より前向きだ。

身体能力は常人以下。頭脳も決して優れていない。

ただ、不死であるという事だけを武器に、この業界で長くフィールド探索者を続けている彼女は、決して脆弱なだけの存在ではない。

地味かも知れないが、この業界で長く名を売り続けているだけのことはある。敬うべき先輩の一人であることに間違いはない。

翻って、自分はどうだろう。

身体能力には恵まれているし、能力の扱いも徹底的に学んだ。たいていのフィールドには問題なく挑むことが出来るし、生還する自信もある。しかし、やはりどこかで、二足のわらじを履いている甘えがある。

料理の誇りは、誰にも譲れない。しかしながら、生きるためと称しながら、修行の時間を削ってフィールド探索を行っているのも事実。いずれこのまま行くと、探索の最中に手足を失うかも知れない。

事実、その危機は何度もあった。巨大な海産物のクリーチャーには、鋭い牙や鋏を持っている者も多い。フィールド探索者の同僚が、悲惨な死を遂げる所を目撃もした。無惨な亡骸は、とても二目と見られるものではなかった。

恐怖は、厳然としてある。体を動かすことに対しての恐怖は無いが、やはりそう言う意味で、川背は根本的に料理人なのかも知れない。

しかし、料理人としてだけでは、生きていけないのだ。

この年になると、結婚という事も考える。しかし、食に対するこだわりが此処まで進行していると、相手は余程限られてくる。父も、あれほど食に対するこだわりが強かった母とでさえ、上手く行かなかったのだ。

芸術と、家庭的な味。父の味と、母の味。

そのどちらの良さも知っている川背は、己の迷いを未だに断ちきることが出来ていない。

料理人としても半人前だと、川背が自嘲する所以は、其処にあった。

森の中で爆発音。自衛官達が銃を構えるが、川背は仕込みを続ける。気配が遠いし、何より同時に断末魔も聞こえていたからだ。ずっとびくびくしていた責任者は、ついに川背に大股に歩み寄ってきた。

「き、君!」

「川背です」

「川背君! ほ、本当に大丈夫なのかね!」

「この地域の郷土料理は、来る前にしっかり食べてきました。 資料としていただいた、古い時代の特産料理も全部食べてきています。 僕程度の板前でも味の再現は可能ですから、心配しないでください」

また一つ爆発音。じゃじゃ丸という人が、派手に暴れているのだろう。ひいっと悲鳴を上げて、蹲る責任者。元々この国は平和だし、フィールドと関係なく生きてきている人達には、こういう反応が出ても仕方がない。

「あ、あの恐ろしい音は、本当に大丈夫なのかね!」

「二人は、かなり腕が立つフィールド探索者です。 伝説になっているI国の元配管工ほどの腕前ではないですけれど、安心できます。 逆に言うと、彼らにどうにも出来ない相手が出てきたら、軍隊でも手に負えません」

「そ、そんな! その発言は、無責任ではないのかね!」

「すみません、仕込みがありますから。 仕込みが失敗したら、誰もが無事では済みませんよ」

見かねた若い自衛官が、責任者をなだめて連れて行った。敬礼をしていったので、一礼する。バケツに手を入れて、鮎の状態を確認。そろそろ捌いても良い頃だろうか。二人の実力を信頼するのなら、料理に移る時間なのかも知れない。

既に、料理の構成と、味の完成図は頭の中でできあがっている。後はタイミングを見計らって、調理を始めるだけだった。

すっと目を閉じたのは、魚への黙祷のためだ。

人間は、他の生き物を殺さなければ、生きていけない。だから、最低限の礼節を守らなければならない。そう川背は考えている。

目を開けると、もう既に、その顔は料理人のものとなっていた。

バケツから泥鰌を引き上げると、すっと包丁を走らせる。一瞬で命を落とした泥鰌だが、まだ体はぴくぴくと動いていた。鍋にするべく、さらさらと音を立てて捌く。そして作っておいた出汁につけ込み、鍋の火加減を確認。此処からは、全てが流れ作業で、しかも時間との勝負となる。

作業を次々にこなしていく。命を奪う場合は、出来るだけ苦しまないように、一瞬で。タニシも湯がいて、すぐに死ぬように配慮はしているが、素材によっては生かさず殺さずの状態を保たないと、美味しくならないものもある。

だから、敬意は忘れてはならないのだ。

素早く包丁を動かす。周囲の自衛官達が此方を見ているのが分かる。だが、集中は途切れない。料理は川背の全て。人生の形。

屋台には、あらゆる料理道具が揃っている。父が揃えたものを、母が保管してくれていたのだ。もちろん、時々は姉も使っていたという。

父にも、姉にも、もう会うことは出来ない。だが二人の足跡は、この料理道具に宿っている。

泥鰌と言えば柳川鍋が有名だが、この近辺には、さっと油であげたものが高級料理として伝わっている。今回の胆の一つになる料理だ。使う油には、この近辺で取れるごまから絞るものを厳選した。父ほどではないが、それでもあらゆる食材の特性を頭に入れ、また触れたことがある川背は、この油の適性温度もしっかり頭に入れている。

さて、そろそろあげる。

だが、揚げ物は、寿命が短い。あげた直後はさながら天上の美味だが、時間が経てば経つほど味が落ちる。高級なものほどその傾向が顕著であり、最初の何尾かは諦めなければならないかとも川背は覚悟していた。

衣を付けた泥鰌を、すっと軟らかく脂に潜らせる。細いからだが一気に揚げられて、柔らかさが失われないうちに引き上げた。一匹目は試食を兼ねる。付けるのは塩だけ。この近辺では、塩は高級品だった。だから、敢えて最上の塩で、相手をもてなすのだ。

からりと黄金色に揚がった泥鰌を、三つに分ける。

「すみません。 試食、お願いします」

様子を見ていた自衛官の中で、最初からいた三佐が最初に歩み出た。羨ましそうに見ている他の自衛官の中で、軽く一礼してから泥鰌の揚げ物を口に入れる。川背もそれに遅れて、口に運んだ。

厳選しきった脂で、泥鰌の味を極限まで引き出した自信はある。塩が魚の旨味を、魚の旨味が塩の上品さを引き立てあって、更に味を奥深いものに仕上げた。三佐はごくりと喉を鳴らすと、残った泥鰌をちょっと危険な目で見た。

「凄い! 魚の肉とは、泥鰌とは、こんなにうまいものだったのか! 何処の料亭の高級料理よりもうまいぞ!」

「有難うございます。 でも、僕の腕よりも、此処の自然がそれだけ素晴らしいと言うことです。 何処の泥鰌でも此処までの味を出せる訳ではありません」

「う、うまい」

少し恨めしそうに、残りの三分の一を食べた責任者が言った。

残りは仕込んだまま、様子を見る。次は、山菜を使った煮物だ。既にこれは火を入れ始めていて、くつくつといい音がしていた。魚料理以外は若干苦手な川背だが、これは母の店で食べて研究したことがあるから、専門分野に僅かに引っかかる。

此方も椀にとって、一口味見。少し味に深みが足りない。腕組みしたところで、さっき集めてきた山菜を慎重に足す。どの山菜も、東京の料亭で出せば目玉が飛び出すような値段に化けるものばかりだ。ただし、味は高級志向では無い。

続いて、タニシのうま煮だ。此方は、タニシをくつくつと煮て味を最大限まで引きずり出す。庶民的な料理だが、今回は使う素材が庶民的ではない。温度も念入りに調整して、丹念に長時間を掛けて仕上げる。そして最後に、今回のために熟成しておいた垂れを掛けて完成だ。

父は、芸術的な高級料理を好んだ。そして、何処の誰よりも、腕前は上だった。

川背も、究めるならこういう料理を究めたいと思ってもいる。ただし、やはり誰もが笑顔で食べられる家庭料理にも捨てがたい魅力を感じている。

悩みは、まだ捨てられない。

だから、味は、究極には到達できない。

極みは狂気に通じている。時々、料理をしている父を見て、川背は狂気を感じた。最近、客が料理中の川背に狂気を見ることがあると、食後にぼやくことがある。だが、それは必要な狂気だ。

もしも正気を失うことでしか料理を究められないのなら。川背は、そのようなもの、躊躇無く溝に捨てるだろう。

続いて、鮎を焼く。これは極めてシンプルに塩焼きだ。ただし、事前に入念に調味料を使って味付けはしてある。火が通ることも想定して付けた味で、かって父が作ったレシピを参考にしている。さっと鮎を仕留めてから、串をくねるようにしてその体に突き刺す。屋台の隅にある炭焼き炉を使って、まず一匹を焼く。仕入れてきた塩を、これにも大胆に使った。

鮎の全身を覆う見事な脂が、炭に照らされててらてらと輝く。落ちる脂がじゅっと炭に当たって音を立てる度に、香ばしい香りが辺りに広がった。香りが見えるかのように、あまりにも濃厚だ。これほど脂がのった見事な鮎、そうそう見られるものではない。大都市の高級料亭で出した時の値段は、それこそ目が飛び出すような代物になるだろう。

自衛官達の視線は既に川背の屋台に釘付けだ。中には涎を拭っている者までいる。狂気の果てに作られる料理は、魔性の魅力を湛えるという。凄まじい工夫の末に作られるものも多いし、それが鬼気迫る存在となるのも無理がない話だ。

この鮎も、焼き加減を間違えると、たちまち炭の塊と化してしまう。炭を何度も動かして、慎重に火の通りを見ながら、川背は額の汗を拭う。汗の臭いが移らないように、慎重に鮎の位置をずらす。一歩間違えると火傷をしてしまうし、他の料理にも気を配らなければならない。

焼き鮎を仕上げた。

串に刺さった鮎を皿に載せると、自衛官達は獣のような目で見た。試食をどうぞとかいったら、同士討ちを始めかねない。三佐はごくりと唾を飲み込むと、回りの自衛官達を見回した。

「此処は公平にじゃんけんといこう!」

「おおおっ!」

「全員でやっても勝負はつかん! 分隊単位で別れろ! それから勝ち残り戦だ!」

絶叫が迸る。彼らは自分たちが死地の側にいると言うことを、すっかり忘れてしまったらしい。

料理が魔性を湛えるようになったら、完成まで今一歩だ。

父はそんな事を言っていた。

だが、今回の魔性には、やはり素材の完成度が大きくものを言っている。それでは駄目だ。川背の腕前で、素材の味を十倍にも二十倍にも引き出せるようにならなければ、真の料理とは言えない。

「じゃああん、けええん! ぽいっ!」

「うおおおおおっ! 勝った奴集まれ! じゃああんけええん!」

後ろで気合いが入りまくったじゃんけんが繰り広げられている。川背は神経を集中し治すと、再び鍋に向かった。

 

まるで魔境だ。周囲の全てが、妖怪と化したかのようだと、じゃじゃ丸は思った。

あらゆる角度から現れる殺気。一瞬後には飛び出してくる、常識外に大きい獣や、人の姿をした妖怪達。繰り出される爪や牙。

それだけではない。妖怪は様々な特殊能力を備えている事が、珍しくもないのである。

炎を吹き散らす猪が、灼熱の蹄で地面を蹴散らしながら突進してくる。至近まで引きつけたじゃじゃ丸は、額を蹴るようにして跳躍、頭上から手裏剣の雨を降らせた。だが猪は、恐るべき機動力を持つ生物であり、妖怪化しても変わらない。驟雨のごとく降り注ぐ手裏剣をかいくぐり、牙を振り立てて、じゃじゃ丸の落下点に迫ってくる。

指を鳴らす。

炸裂する閃光。仕込んでおいた雷管が、時限炸裂したのだ。流石に竿立ちになる猪に、手裏剣を叩きつけた。三本が体に食い込み、風船のように破裂する猪。持ってきた手裏剣も、かなり少なくなってきている。

着地と同時に、足首を掴まれた。気味の悪い声を挙げながら、地面から這いだしてくるのは、老婆の妖怪だった。剥き出しになった歯茎には、数本しか歯が残っていない。目玉が飛び出していて、兎に角醜怪であった。腕も、まるで蟷螂か何かのように長い。

山姥だ。いわゆる、土着の地母神信仰が、極限まで落ちた結果産まれた妖怪である。西洋の魔女と誕生の経緯は似ていて、醜怪で残虐な所など、性質もよく似ている。金切り声を上げながら、鋭い爪を伸ばしてくる山姥の足を蹴る。まるで鉄のような固さだ。

しのび装束の上から、爪が掠った。ギリギリと足首を掴む力を強くしてくる。万力のような力とは、これのことだろう。呻くと、じゃじゃ丸は印を切り、繰り出してきた手を払うようにして、人差し指と中指を立て手首に打ち込んだ。

ぎゃっと呻いて、手を離す山姥。その眉間に手裏剣が突き立ち、煙のように消えてしまう。

ようやく、周囲から気配が消える。これで、迎撃の戦力はあらかた片付いたか。

装束をたくし上げると、足首には山姥の手の跡がくっきり残っていた。周囲を触って確認するが、折れてはいない。ただし、肉離れはしていたので、テーピングをした。しのびに伝わる秘薬を塗り込んで、ようやく一息つく。また気配を消して、闇を駆けた。

そろそろ七割と言う所か。外から確認できる範囲は、既に衛星写真なども駆使して調べ上げてある。問題は鬱蒼とした森が茂る山の中で、入り組んだ複雑な地形は実際に足を運ぶまで分からないカ所が多い。時々後続のスペランカー用にアンカーを打ち込みながら、じゃじゃ丸は闇を駆けた。倒木を飛び越え、大きな石に身を隠す。

一見派手なしのび装束だが、これは夜間には却って存在を隠す工夫が為されている。発光塗料と逆の技術で、まるで闇にとけ込むような機動が可能だ。ただし、妖怪相手には気休めにもならないが。

不意に、高い崖が現れる。まるで森がすっとそれを避けたかのようだった。剥き出しの地肌が、荒々しさと同時に恐ろしさを呼び起こす。夜の星明かりに照らされた崖は、無慈悲な暴君の拳を思わせた。

崖に沿って、しばし歩く。不意に自分の影が大きくなる。横っ飛びに逃れると、至近に凄まじい音を立てて着地する何者か。車輪だ。

直径は三メートルほどもあろうか。車輪の中央には、禿頭で髭を蓄え、巨大な牙を上下に向き出し目を飛び出した見るも恐ろしい顔が着いていて、車輪そのものが燃えさかっていた。これは、輪入道か。関西に広く伝わる強力な祟り神で、かなり恐れられている存在である。

こんな輩が出てくるという事は、報告にあるフィールドの主は相当に強力な輩だろう。足にはまだ痛みが残っているが、もたついてはいられない。切り札はまだ投入するには早いし、どうにか地力で仕留めなければならない。

輪入道が回転を速め始める。その車輪を覆う炎は恐ろしく激しいのに、不思議と周囲の森が燃えることもない。きっと、命を燃やすような、特殊な炎なのだろう。

鋭いホイール音とともに、輪入道が突進してきた。

既に残った装備は確認済みである。時速六十キロを超え、更に加速する輪入道を、さっと横っ飛びにかわす。かわしながら顔に手裏剣を投げつけるが、乾いた音とともに弾かれてしまった。

軌跡を闇夜に残しながら、炎の車が急カーブして迫ってくる。殆ど地面すれすれの態勢でも、倒れる気配もない。うなり声を上げているのは、車輪中央の顔。巨大な顔は、子供なら丸呑みにしそうな程に口が大きい。

「ぎゃ、ぎが、げげげ、ごぎゃあああああっ!」

喚き散らす輪入道。

至近を掠め、しのび装束が焼かれる。とんでもない火力だ。掠めただけで、肌が燃えるかと思った。再び掠めた。呻き声が漏れる。全身が内側から灼けるかのようである。

対応が遅れた一瞬の隙。ついに、輪入道が至近に迫っていた。

避けようとするが、間に合わない。しまったと、呻いた瞬間、輪入道の顔面に石が当たる。スペランカーだ。ヘルメットを目深に被った彼女は、唸りを上げた輪入道に流石にひるんだか、背中を向けて逃げ出す。だが、元々貧弱な身体能力である。その場ですっころんで、輪入道に轢かれた。

無惨な轢殺音が響き渡る。

「ごげ、ぎゃ、ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!」

歓喜の声をあげる輪入道に無言で突進したじゃじゃ丸は、車体に煙玉を投げつける。巻き起こる煙を蹴散らしながら反転、備えようとした輪入道が、急ブレーキを掛けた。じゃじゃ丸を見失ったからだ。

その時、じゃじゃ丸は直上にいた。

顔が横に着いている以上、どうしても車輪の直線上は死角になる。その上、である。

車体の一部が、突如吹っ飛ぶ。

悲鳴を上げて、スピンする輪入道。直接見たのは初めてだが、スペランカーを殺して、血やら肉やらを浴びていると、こうなる訳だ。下手な細菌兵器より厄介な女である。

もがいている輪入道に、落下しつつ、忍者刀を抜く。

そして、稲妻が落ちるように、一刀両断に斬り伏せていた。

かき消えていく輪入道。スペランカーの呪いは予想以上に強烈で、奴を守る妖気の障壁が打ち砕かれていた。さっと茂みに引っ込むと、怪我の手当をする。まだ敵の増援があるかも知れない。もしそうなら非常に厄介だ。

「あいたたた、酷い目にあったよー」

挽肉にされたはずのスペランカーが、暢気なことを言いながら立ち上がる。奴の血の臭いはしない。

「じゃじゃ丸君、どこー?」

じゃじゃ丸が伏せていた茂みの側に、スペランカーが来た。此方の気配が分かっていないようなので、口を押さえて引っ張り込む。見るとさっきの死の影響か、服の彼方此方が破れていて、目の毒だった。

「静かにしろ。 気付かれる」

「ぷはっ! 酷いなあ。 助けて上げたのに」

「……」

ついと顔を背けたのは、至近から女の顔を見た経験があまり無いからだ。高校を出ると同時に忍者の修行を本格的に行い、以降は仕事一筋に生きてきた。子孫は弟や妹たちがいるし、仮に結婚したり本格的に交際したりするとしたら引退後になるだろう。女とつきあった経験がない訳ではないが、結局一緒にいられる時間は捻出できず、交際は破綻した。そんな複雑な経緯があるから、下手に女に近付くと、意識が乱れる。闇夜といえども、それは同じ。今集中を乱すと、命に関わる。話によると、初代も女性関係で苦労したとかいう。同じ徹を踏んではならない。

崖を迂回したことが、却って幸いした。フィールドの中心地に、じゃじゃ丸は来ていた。其処には不可解な屋敷が出現していた。作りは室町時代のものだろう。姉小路家の紋が、屋敷には飾られている。

此処が、このフィールドの根幹。混沌の原因だ。

スペランカーはもぞもぞ動いて少しじゃじゃ丸から離れると、手帳を取り出す。バックパックは無事だったらしい。

「ええと、あねがこうじ、だったよね」

「そうだ。 あまり高名ではないが、この土地に覇を唱えた大名だ」

このフィールドが出来た時、調査専門の探索者が調べ上げた。敵の素性は、潜入前に目を通している。生き残るためには、当然必要なことだ。

かって、この地には、姉小路と呼ばれる戦国大名がいた。J国の戦国時代ではとてもマイナーな存在だが、確かに生きて、この土地の覇を競った存在であったのだ。ただし、その生活は、血で血を洗う争いの末に成り立っていた。

そもそも戦国大名姉小路は、元々三木という姓だった。これ自体が古くからの歴史を持つ名族なのだが、戦国時代を生きて行くにはさらなる高貴な血が必要だった。其処で彼らが目を付けたのが、この土地にあった公家、姉小路の血脈である。

時代が時代であったし、姉小路も内紛を起こし、混乱の極みにあった。三木家は姉小路家を内紛に乗じて乗っ取り、近隣に覇を唱えた。しかし、時代は既に、巨大な戦国大名達が、暴力的なまでの強さで覇を競い合う時代に突入していた。

東には武田、西には織田、北には上杉。いずれも歴史を代表する最強の大名達であり、田舎の小大名ではとても手に負える存在ではなかった。日本史でも五本の指に入る戦上手の武田信玄と上杉謙信、戦略的な革新性を持つ織田信長。どちらにしても、姉小路が単独で手に負える相手ではなく、彼方にも此方にもあたまを下げ、顔色をうかがうことでしか、生き残れなかった。

それでも、どうにか滅亡を免れていた姉小路だが、それも終わりの時がやってくる。

やがて時代は移り変わり、羽柴と徳川の争いの時代が来た。織田政権の生き残りである佐々家に荷担したことが、姉小路の滅亡を招いた。勝者を読み違えた代償は、あまりにも大きかった。羽柴政権の強大な軍事力によって、姉小路はひとたまりもなく踏みにじられ、瞬時に滅亡。その多くが滅び去り、子孫も征服者の軍門に下ることとなったのである。

見たところ、この屋敷は、予想通り姉小路家のものだろう。

つまり、権力闘争に巻き込まれ、家を乗っ取られた者達の怨念か、或いは権謀術数をつくしはしたが、報われず滅びた者達の無念が、忘れ去られた神々と結びつくことによって、邪悪なる姿を顕現したのだ。

一番厄介なタイプのフィールドである。この形式は、余程の実力がなければ力づくで払うことが出来ない。だから今回、調査の末に、川背が呼ばれたのだ。

「あの屋敷に、いるんだね」

「ああ。 報告ではそうなっている」

「問題は、川背ちゃんの所までどうやって引っ張っていくか、だけど」

此処で倒せるようならば、倒してしまえばいい。

だが、相手は古き神々と怨念の融合体。現在形になっている邪悪なるフィールドの主を屠り去った所で、何ら解決はしないことが予想されている。さっきの輪入道の戦闘能力から考えても、簡単に倒せるはずがない。

以外と知られていないことだが、怨念の類を調伏するには、相手を満足させることが一番効率的である。読経や儀式の類で封印することも出来るのだが、それらは力で押さえつけるに等しいため、いずれ時が経てば災害をまた呼び起こしやすい。だから、彼らの好物が調べられた。

結果判明したことなのだが、公家でもあった姉小路の歴代当主は、相当な食道楽だったという。途中で三木一族に乗っ取られてからも、その文化は残っていたそうだ。其処で、フィールド探索者としてもかなりの腕前を持ち、なおかつすぐれた板前である川背が呼ばれたのだ。

今回のメイン探索者は、そう言う意味では川背である。もしも予算が足りなかったら、彼女だけが呼ばれたことだろう。ただし、今回は予算があり、なおかつ突破にも人材が必要であったから、じゃじゃ丸とスペランカーが呼び出された。また調査にも金が掛かっていて、この地で好まれた料理の類についても、念入りに調べ上げられている。

ただ、実際にフィールドに入ってみて分かったが、この森の妖怪達は存在密度が異常だ。如何に熟練のフィールド探索者といえども、単独での突破は難しいだろう。そう言う意味で、今回は予算が余っていて幸運だったと言える。

さて、問題は、何時仕掛けるか、だ。

「ね、じゃじゃ丸君。 そろそろ夜中の二時半になるけど、大丈夫?」

「それがねらい目の時間だ」

「そうなの?」

「妖怪は、いわゆる丑三つ時、午前二時半にもっとも強い実体を持つ。 逆に言えば、その時間帯で調伏すれば、以降は復活することもなくなる。 まして今回は、妖怪の核として人間が存在している型の者だ。 確実に倒すには、この時間をおいて他にない」

ただし、これだけのフィールドを生成するほどの妖気だ。生半可な苦労では仕留めることが出来ないだろう。

スペランカーは、ちらりとリュックに視線をやった。

何かしらの使いたくない切り札を収めているのだろう。そうじゃじゃ丸は判断したが、敢えて指摘はしなかった。

「分かった。 川背ちゃんももう仕込み充分みたいだし、仕掛けよう」

「承知した」

リュックからスペランカーが取り出したのは閃光弾だった。雰囲気的に、これは切り札ではないだろう。妖怪は光に弱い。スペランカーがサングラスを掛けると同時に、屋敷に放り込む。

殆ど間をおかずに鋭い音が炸裂して、目映い光が周囲を覆った。

 

森の方で、爆音が巻き起こると、じゃんけんに勝利して鮎を貪り食っていた若い自衛官を始めとする、その場の全員が顔を上げた。

どうやら、始まったらしい。敵の中核に、二人が攻撃を仕掛けたのだ。

同時に、渡されていた無線がけたたましく鳴った。川背は機械が苦手だ。苦労しながら受信すると、酷いノイズに混じって、スペランカーの声がした。一応届いていると言うことは、中心部ではない所から、連絡しているのだろう。フィールドといえど、外側に行けば、無線もそれなりに通じるのだ。

「川背ちゃん、料理の方は大丈夫!?」

「はい。 僕の方は、いつでも行けます。 試食も終わりましたが、問題ない出来に仕上がりました」

「そう! こっちは、ちょっと苦戦中っ! そっちまで引っ張っていけるか、わか、ふぎゃっ!?」

鋭いノイズとともに通信が途切れる。この様子だと、無線機ごと潰されたか。スペランカーの特性を考えても、少し心配である。

手元にルアー着きのゴム紐を出現させる。川背は自分よりも大きい敵を屠るのを得意としていて、全長十メートルを超える敵を倒したこともある。だから臆することはないが、やはり緊張はする。

料理は一段落した。既に仕込みも充分である。煮物とうま煮は火力を維持するだけで良いし、泥鰌は揚げるだけ。塩焼きは直前に焼くことになる。だから、今は手が空いている。二人を信じるべきか、加勢に向かうべきか。

僅かな時間の躊躇。だが、劇的に事態は動く。

森の木が、数本吹っ飛んだ。サーチライトに照らされるそれは、あまりにも非常識な光景であった。

闇より浮き上がったのは、巨大なムカデであった。いや、ムカデでありながら、蜘蛛のようでもあり、無数の触手を生やした海棲生物のヒドラにも見える。中央に円形の体があり、其処には無数の眼球が浮き上がっていて、その前後にムカデの体が伸び、また八対の長大な毛だらけの足が生えているではないか。

ムカデの強固な装甲はサーチライトに照らされて、青黒い威圧感を周囲にばらまいている。TK−Xがキャタピラを動かして砲塔を向けたので、川背は叫んでいた。

「駄目です! 刺激しないで!」

此方に引きつけるにしても、戦車砲は刺激が強すぎる。破壊力はともかく、音が凄まじすぎる。あれの中核になっているのは、姉小路の殿様か、その一族だという。ならば、種子島の進化した先にある大砲の音を聞けば、どんな反応を示すか分からない。

「ひいいっ!」

情けない悲鳴を上げたのは責任者だった。TK−Xの隣で、完全に腰を抜かしている。自衛官達も、サーチライトに照らされるあまりにも圧倒的な、言うならば怪獣的な巨体を見て、腰が引けている者達が大多数だった。

もしあのまま此処に乱入されたら、文字通り彼らは全滅する。

サーチライトを鬱陶しがったか、ムカデがぐっと体を弓なりにした。ムカデの体がふくれあがり、何かが腹から頭に向けて通ってくる。その頭上に、小さな影。傷ついているが、今だ健在なじゃじゃ丸だった。

口から何かを吐き出そうとする瞬間に、こぶしを叩き込むのが見えた。閃光。飛び退くじゃじゃ丸。爆発するムカデの頭部。激しい異臭が、さながら津波のように吹き付けてくる。

完全に吹っ飛んだムカデの頭部だが、しかし。二つに切り分けられても再生するプラナリアがごとく、見る間に肉が盛り上がり、装甲が色づき、元の形に戻ってしまう。フィールドの主だけあり、とんでもない再生能力だ。この土地の怨念を全て味方にしているとすれば、無理もない事だが。

再び、無線が入る。先に語りかけたのは、川背だった。

「先輩、無事でしたか?」

「うん。 何とか。 でも、じゃじゃ丸くんがやばい」

「今、救援に向かいます」

しばしの沈黙。爆発音。

彼女の身体能力で無事だと言うことは。いやな予感がする。ひょっとしてムカデは、既に二人の特性を見抜いて、それに応じた戦略の元戦っているのではないか。

元が人間であるのなら、ありうる事だ。

「分かった。 もう少しそっちにひっぱるから、ちょっと待って」

「耐えられますか?」

「それは大丈夫。 私達を信じて」

無線が切れる。完全に腰が引けてしまっている自衛官達を見回して、出来るだけ一字一句を選びながら言った。

「見ての通り、敵の戦闘能力は、怪獣並です。 僕達三人がかりで、対処できるかさえも分かりません」

「……」

不安そうに顔を見合わせる自衛官達。責任者は失禁して、腰が抜けてしまっている様子だ。

ざっと見た所、敵の全長は40メートルをオーバーしている。縦に伸ばせば、あの光の国の巨人に匹敵するサイズである。しかも人間並みの知能を残している可能性が高く、そうなるととてもではないが戦車の一両や二両でどうにか出来る相手ではない。

まず、避難の準備を。刺激する可能性があるサーチライトも消す。しかし、屋台は生命線だと説明。不満そうな顔をする三佐に、説明した。

「事前に話しましたけれど、あの怪獣の中核になっているのは人間で、しかも元は食道楽です。 それを調伏しない限り、何度でも怨念は強大な妖怪を呼び寄せて、一体化するでしょう。 倒すには、怨念の中核を満足させる他ありません」

「し、しかしだな」

「戦車や輸送機は引き上げてください。 屋台も、近くの水場にでも隠して。 後は、私達で命に代えても対処しますから」

この言葉は本音だ。フィールド探索を生業にした時から、最悪の事態に備えて覚悟くらいはしている。

それに、そもそもほぼ天涯孤独と言って良い身だ。生きている親族は母しかいない。悲しむ者は殆どいないし、そうなっても悔いはない。

「……分かった。 専門家である君を信じる。 しかし我らにも意地がある。 如何に専門家とはいえ、未来ある若者だけに戦わせて、自分は安全な場所にいるなどと言うことを、軍人である以上看過は出来ん」

我らは、戦うために此処に来ている。そう三佐が吠えると、何かに気付かされたように、他の自衛官達がはっと顔を上げた。

この国の軍隊である自衛隊は、とても微妙な立場にある。絶対平和を謳う国であるが、国家を維持する以上軍隊はどうしても必要だ。世間からの風当たりは強く、かといって油断するとたちまち他国に侵攻されてしまう微妙な立場でもある。命を賭けてこの国を守ろうというのに報われないという彼らの辛い立場は、川背にも分からないでもない。

フィールド探索者である以上、余所の国にも川背は出向いたことがある。食材を探す楽しみもあったが、それらの国を見て回るのも仕事の一環だった。

このJ国は、世界でも屈指の平和な場所だ。余所の国では、賄賂次第で警察が捜査をしたりしなかったり、軍隊が一つの国家を為して民を虐げていたりと言うことが珍しくもなかった。絶望は悪を呼び、悪は破滅を連鎖させた。川背も、何度も危ない目に会ったことがある。フィールド探索者だと知ると、それ以上何かしようとする悪党はいなかったが。

此処は、とても平和な、安定した国。それでも、歪みや矛盾はある。特に、自衛官達に掛かる重圧は大きいだろう。皆が苦しんでいたのは間違いない。だが彼らは、三佐の咆吼で、矛盾や圧力に押しつぶされていた信念を取り戻したらしい。

心をどうこうというのではない。覚悟を決めて、対処する能力がある。そして対処したいと願っている。それならば、川背にも止める権利はなかった。

「分かりました。 一旦僕は、戦闘態勢に入って、先輩達と連携を取ります。 作戦が決まったら、みなさんにも手伝って貰います。 それでよろしいでしょうか」

「分かった。 前線はよろしく頼む」

頷くと、川背はルアー着きのゴム紐を振り回し、近くの木に引っかけた。引き寄せて、力を掛けながら、頷く。

「行ってきます。 武運を」

返ってきたのは敬礼。

出来るだけ死の無い形で、この戦いを終わらせる。川背はそう誓うと、闇の森に、身を躍らせた。

 

3、百足の王

 

物心ついた時には、其処は血で血を洗う修羅場だった。

この山奥の静かな国でも、それは同じ事だった。

産まれた時代が悪かったのだとも思った。しかし、一族の長であった以上、部下達も、領民も、皆養っていかなければならなかった。

卑怯だの、正義だのと、言ってはいられない時代であったのだ。

だから、武力を持とうとした。

一族を纏めようとした。

しかし。

力が、あまりにも不足していた。

努力は混乱を呼び、却って多くの血が流れた。悔し涙に濡れて、拳を木に打ち付けた日もあった。だが、どうにもならなかった。

内紛に乗じて、名族姉小路を乗っ取った時。全てが始まると思った。事実、根回しによって、途中までは上手く行った。だが、実際には全てが終わった時だった。この国は、強者によってもてあそばれ、そして支配される事が決まったのだ。

あまりにも、回りの者達が強かった。経済力も弱く、軍事力も脆弱な飛騨では、どうすることも出来なかった。

後はせめて、この国そのものを守ろうと思った。だから、どんな手でも使ってきた。面従腹背、裏切りに謀略。それしか、打つ手がなかった。忸怩たるものはあった。華々しい戦いもしたかった。しかし、いつのまにか心は荒みきり、手は汚れきっていた。

だから、命が終わる前に。知人である神職の元へ訪れて、儀式をして貰ったのだ。

せめて無能な自分であっても、この国を守れるようになりたかったから。

死ぬ時まで、この国のことだけを考えていた。だが、一つだけ未練が無かったと言えば、嘘になる。

唯一の趣味である、食道楽を究めてみたかった。

この土地の豊かで優れた食材を、もっと活かせる料理人に、腕を振るわせてみたかった。

当主になってからは、一度さえも、趣味に時間を掛けた事など無い。食事は常に政だった。裏切るかも知れない部下の心を見たり、客をもてなしたりするための儀式だった。能や和歌、乗馬、子供の手習いの時でさえ、心は安まらなかった。

知識はついた。だが、食事を楽しんだのは、何時が最後であったのだろう。

一度で良い。本当に心から、温かい飯を食べてみたかった。

そう、もはや自分の名前も忘れてしまった男は、思っていた。

 

鋭い咆吼と共に、百足の巨大な尾が振り回される。まるで千切れたレールから飛び出してきたジェットコースターのごとき勢いで、闇夜を巨大な死の手が飛び来る。

地面を直撃、派手に土を噴き上げた。間一髪かわしたじゃじゃ丸だが、飛んできたつぶてに体を何カ所も打ち据えられる。今度は上から、大口を開けた百足が迫ってくる。飛び退いた一瞬、死に神の振るう鎌が、確かに見えていた。

触手が蠢く。それぞれが口になっている触手の中を、何か楕円形の物体が通って出てくるのが分かる。スペランカーが、手を振り回して、自分に注意を引きつけようとしている。しかし百足は、見向きもしなかった。長大な蜘蛛の足を動かして、スペランカーとは一定距離を取りつつ、触手からそれを吐き出した。

それは、巨大な目玉の着いた卵であった。しかも、後半部から炎を噴射し、高速で迫ってくる。生体ミサイルと言う訳だ。迫る生体ミサイル、数はおよそ五十。しかも此奴らは、ホーミング機能まで備えている。闇夜を走り、回避に掛かるじゃじゃ丸を、ミサイルは正確に追尾してきた。

十ほどはスペランカーの至近に着弾、彼女は爆炎の中に消えた。じゃじゃ丸は手裏剣を投擲して、その半ばまでをたたき落とすが、間髪入れずに百足が口から吐き出した大量の酸をかわして飛び退いた隙に、処理仕切れなかった残りが殺到してくる。

万事休すか。

目を見開いた瞬間。唸りを上げて飛んできた丸太が、生体ミサイルの一つを直撃、残りは連鎖的に誘爆に巻き込まれた。

爆発に吹き飛ばされて、何度か地面に叩きつけられ、それでも受け身を取って立ち上がる。

呼吸を整え、枯れ木が飛んできた方を見る。鍛え抜いたしのびの体でも、既に全身が悲鳴を上げている。筋肉は乳酸まみれで、もう長時間の戦闘は出来ないだろう。だが、それでも体は動く。鍛え抜いた、戦士の本能が故に。

丸太が飛んできたのとは別の角度から飛来したのは川背だった。かなりの速さだったのに、随分軟らかい着地である。ざっと地面を蹴って止まると、川背は額の汗を拭った。幼い顔立ちに、緊張が湛えられている。

「遅れました!」

「今のは、そのゴム紐か」

「はい」

さながらメジャーを巻き戻すような鋭い音とともに、彼女の手に戻るゴム紐と、先端のルアー。ざっと見た感じでは、あれを巧く使って、てこと滑車の原理で、枯れ木を放り投げたのだろう。それならあんな明後日の方向から跳び来たのも頷ける。それにしても、何という精密な技か。玄人嗜好の探索をすると聞いていたが、今の技を見ている限り、その噂は事実であろう。

「仕込みは終わってます。 後は、どうにかして、大人しくさせないといけないですが」

「難しいな。 一旦倒すしかないかも知れん」

中央の球体部分から生えている蜘蛛の足を蠢かせ、百足が迫り来る。首をくねらせて迫るその様子は、まるで悪夢だ。

「ごめん、じゃじゃ丸君、ちょっと時間稼いで! 川背ちゃん! こっち来て!」

向こうから、スペランカーの声。かなりボロボロだが、もう意識を取り戻したらしい。簡単に言ってくれると呟きながらも、じゃじゃ丸は身を低くする。

自分に匹敵するほどの古くから、フィールド探索者としての技を磨いている女だ。こんな時に時間を稼げと言うことは、何か策があると言うことなのだろう。

「三分だ。 それ以上はもたん」

「すぐ戻ります!」

また、生体ミサイルが飛んできた。ゴム紐をなぎ払うように振るい、川背が手近の数機を誘爆させる。更に鋭い手さばきで後ろの地面にゴム紐を引っかけると、その伸縮で不意に加速、得物を見失ったミサイルが数機地面に突き刺さって連鎖爆発した。残りを、斜めに走りながらじゃじゃ丸が手裏剣を投擲してたたき落とす。

百足が、その長い首を振るう。かちかちと鳴る顎。煙を突き破って飛び、複眼に突き刺さる手裏剣。首をうねらせ、悲鳴を上げる百足に、最後の精気を絞り出しながらじゃじゃ丸は吠えた。

「貴様の相手は此方だ、百足の妖怪! 邪を払う一族の末裔、この十四代目じゃじゃ丸が相手になる!」

 

先ほどのミサイルは強烈だった。からだが殆ど粉々に吹き飛んでしまい、再生に時間が掛かった。スペランカーの場合、ある程度着衣も再生するのだが、それも条件があって、ずっと身につけて馴染んでいるものや、或いは何かしらの切っ掛けでお気に入りになったものに限られる。かといって、これが再生してくれればいいなと思うようなよそ行きの服に限って、鉤裂きを作ってもさっぱり元に戻らない。この呪いを掛けてくれた海底の神の性格が、如何に悪いかを示しているだろう。

とにかく、遠くからじゃじゃ丸と川背に声を掛けたのは、殆どフルヌードになっていたからだ。今は「みすぼらしい格好」くらいまで回復しているが、それも何処まで元に戻るか。体と違って、服の再生は完璧にはいかないのである。

川背が見事なゴム紐捌きで、至近に着地。素晴らしい速さだ。

そして彼女は、スペランカーの格好を見て、大体の事情を悟ったようだった。

「あ、その、お気の毒です」

「良いから。 時間がないから、一度だけ言うよ」

無事だったバックパックから、既にスペランカーは唯一必殺の武器を取り出している。対外的にブラスターと呼んでいるそれは、一見すると玩具の銃に見える。だが、違う。

これは、己の命を引き替えに、相手の命を奪う、ある意味究極の武器。霊的存在も屠り去ることが出来る。父の形見であり、複雑な感情を抱いてもいる武具だ。

軽く、武器について説明。チャンスは一回しかないことも。

どんな相手の命も等価に奪うこの武器は、射程距離が十メートル程度と非常に短い上に、スペランカーでさえ復活に時間が掛かるほどに大きな負荷が掛かる。一度外せば、百足は遠くに逃げ去って、二度とスペランカーを近づけさせないだろう。

幸い、恐ろしくこの武器は頑丈なので、ちょっとやそっとでは壊れない。

「私はこれから彼奴に近付いて、これを打ち込む。 打ち込めれば、一発でどうにか出来ると思う。 でも、二つそれには条件があるんだ」

「一つは、スペランカー先輩が無事に百足の近くまでたどり着けること、ですよね」

「そう。 さっきから彼奴、私を見るとあのミサイル容赦なく撃ち込んでくるから」

忌々しいので、そうスペランカーは呟いた。

近接戦闘に関しては別の意味で最強とも言えるスペランカーだが、しかし遠距離攻撃には極めて耐性がない。その上相手は生体ミサイルで、スペランカーを吹き飛ばした時には既に死んでいるというたちの悪さだ。最悪の相性を備えていると言っても良い。

敵はかなり賢い。スペランカーの特性を、恐らく何らかの形で見ていたのだろう。だから、攻撃はあくまでじゃじゃ丸に集中して、スペランカーはミサイルで距離を取ることに終始している。

それに、もう一つ。重要な条件がある。

「もう一つは、さっきじゃじゃ丸くんとも話したんだけれど、相手の妖怪としてのコアを剥き出しにすること」

「妖怪としてのコア、ですか?」

「そう。 あれは単純な妖怪じゃない。 妖怪としての百足を、姉小路の怨念が呼び寄せて、形を作っている、いわばこの地域そのものが妖怪化したものなんだ。 だから、姉小路の怨念そのものの人格は希薄で、多分これを撃ち込んでも消えない。 妖怪の方は、一気に倒せる自信があるんだけれど」

多分それは、じゃじゃ丸に任せるしかないだろう。

川背にして貰いたいのは、妖怪の攻撃を出来るだけ引きつけ、凌ぐこと。かなり難しい仕事になる。敵の体躯は四十メートルを超えており、彼女が今まで戦ってきたフィールドの主の中でもずば抜けた存在だろう。それに対して、二つも条件を揃えて、戦わなければならないのだ。

その上、川背には生き残るという任務もある。如何に美味しい料理として仕込みが出来ているとはいえ、彼女でなければ、食道楽が満足するような完成はあり得ないだろうから、だ。

「分かりました。 じゃじゃ丸先輩と相談して、僕の方でどうにかしてみます」

「ごめんね。 本当は私達二人だけでどうにかしなけりゃいけなかったのに」

「大丈夫です。 それに自衛官の人達も、手伝ってくれるみたいですから」

「それはギリギリまで温存してね。 彼奴の攻撃を受けたら、一個中隊くらい、瞬時に消し飛んじゃうよ」

川背は頷くと、またゴム紐を振るって、さっと闇に消えていった。

スペランカーは頷くと、岩の影に身を寄せて、状況を見極めるべく目を凝らす。まだ、近付くには早い。二人が道を開くまでは、どんなに状況が厳しく見えても、我慢だ。

これがかなりきつい。攻撃手段が少ないスペランカーは、場合によっては為す術無く死ぬ味方を指をくわえてみていなければならないのだ。かといって、今、あの妖怪退治の専門家であるじゃじゃ丸でさえ手に負えない相手を、屠れる可能性があるのは、スペランカーの手にある武器しかない。

再び百足が、四方八方に生体ミサイルを撃ちはなった。

川背が闇に舞う。振るうゴム紐が、闇夜に美しい軌跡を描いた。

 

川背は飛んだ。

文字通りの意味だ。倒木にルアーを引っかけ、ゴム紐の反発力を最大限に駆使して、跳躍を超えた勢いで飛んだのだ。

彼女が挑んだフィールドは難所が多かった。まともに足が着くような場所がない所だって、多々存在した。そのいずれをも攻略してきた川背は、経路を見極め、己の武器をフル活用することに、ささやかな自信を持っていた。

空中で、ゴム紐を振るう。ミサイルを迎撃して、ルアーを引っかけ、別のミサイルにぶつけて、或いはルアー自体の威力を利してたたき落とす。傷だらけながらも、じゃじゃ丸もそれに応じて反撃を開始、手裏剣を投げてミサイルをたたき落とした。

煙をかいくぐり、躍り出た川背は、敵の体にルアーを投擲、引っかけた。百足の装甲は鎧のようだが、その関節の隙間に見事潜り込んだルアーの針が、星明かりを反射して輝く。

一気にルアーをたぐり寄せ、跳躍の軌道を調整しながら、敵の頭よりの背中上に着地。とたんに、スニーカーの裏から、ぞっとするような悪意を感じた。百足が全身から、とんでもない強烈な殺気を放っているのだ。

ルアーを外すと、川背を振り落とそうと全身をくねらせる百足の上を走る。焙烙を投げつけ、百足の左横を尻尾から頭に向けて走っているじゃじゃ丸と、一瞬だけ視線があった。交差するように互いに走り抜ける。

触手が一瞬躊躇したのは、体の上に乗っている川背にミサイルを撃ち込めば、自分も傷つくからだろう。ルアーを投擲、相手の目の一つに引っかける。球体の本体の各所から飛び出している目玉は、まぶたもなく露出していて、グロテスクでだが引っかけ易い。そして百足が体を捻った勢いを利用して跳び、ゴム紐の反発力を駆使して、一気に目玉を引っこ抜いた。

百足が、全身を振るわせて咆吼した。

落ちてきた巨大な眼球は、多分直径が二メートル近くあるだろう。リュックを開けて、落下点で待ち伏せる。そうすると、冗談のように、目玉がリュックの中に消えた。川背の固有技である、空間転送。生体を転送するには条件が幾つかあるのだが、今目玉に対してはそれをクリアした。だからサイズ関係無しに、転送することが出来たのだ。

球体状の敵本体は、再生速度が遅い。その上、今川背が引っこ抜いた目玉は、再生する気配がない。

ざっと、土を蹴立てて、じゃじゃ丸が隣に。首をくねらせ、触手を蠢かせる百足を二人で見上げた。

「鋭い技だ」

「有難うございます。 早速で申し訳ないのですが、スペランカー先輩からです」

素早く伝える。じゃじゃ丸は難しいなと呟いたが、一つ思いついたらしい。小声で言い、川背もそれを把握した。二人、呼吸を合わせて左右に飛び離れる。触手から生体ミサイルを放とうとした百足は、一瞬躊躇したが、それが致命傷となる。

蜘蛛足の一つにルアーを引っかけた川背が、百足の体を跳び越すようにして跳躍、それと同時にじゃじゃ丸が、焙烙を敵本体に向けて投擲したのだ。

爆発の中、川背は一気に、体重を掛けてゴム紐を引っ張る。それはさながら、光の糸が百足の体を横断するような光景だった。

負荷に耐えかね、蜘蛛足が千切れ飛ぶ。川背は走りながら、それをリュックに吸い込んだ。敵を転送しているのは、川背も知らない異空間だ。いずれにしろ、其処から生きて帰った敵はいない。

背中に殺気。振り向いている暇も余裕もない。

爆圧で吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。思わず小さな悲鳴が漏れる。ひゅるひゅると、飛んで来るミサイルの音。立ち上がり、振り向き様にゴム紐を振るって、数機をたたき落とす。だが、数が多すぎる。

百足は、川背を強敵と認識し、弱っているじゃじゃ丸よりも、此方を優先する気になったらしかった。

だが、それが狙いだ。

ふらつく足下を立て直しながら、後ろにゴム紐を投擲。反発力を駆使して、飛ぶようにして後退。数機が地面に激突して消し飛ぶが、全てではない。ミサイルもその機動には慣れ始めている。それだけではない。百足の体が、酸を吐き出す体勢に入っている。細かくルアーを投げ、体を引っ張って位置を調節。

百足が、ふと動きを止める。だが、その時にはもう遅い。

背中にとりついたじゃじゃ丸が、忍者刀を抜く。一閃、触手を片っ端から切り払った。

そして川背も、倒木にルアーを投擲。岩を巡って走ると、跳躍して体重を掛けながら、一気にゴム紐を引いた。

てこと滑車の原理で、吹っ飛んだ倒木が、ミサイルに直撃、残りを誘爆させる。だが、一機が、その爆発をくぐり抜けて迫る。

楕円形の体に着いている眼球と、目が会う。ルアーを投げつけるが、わずかに、間に合わない。

炸裂する生体ミサイル。閃光だけが見えた。

 

今まで、百足に様々な攻撃を浴びせてきたが、効いたものは基本的に本体に対するものに限られていた。百足の頭部と尻尾は、どれだけ攻撃を浴びせても再生してきた。

妖気の流れも、戦いの中でじっくり読んだ。その結果、じゃじゃ丸は一つの結論に達していた。

忍者刀を、敵の本体、球体に突き立てる。両手を重ねるようにして、刀の柄を握り混む。印を切る。

「奥義! ヒノカグツチ!」

それは、奥義と言うにはあまりにも単純な技。残っている気を、殆ど全て敵の体内に叩き込むだけのもの。だが、先祖より妖怪と交わりし呪われた血を受け継いだじゃじゃ丸がそれを放つと、破壊力は想像を絶する。

一瞬の空白。そして、百足の全身を駆け抜ける青黒い光。弾けとぶ装甲、根本から吹っ飛ぶ触手。本体から飛び出し、破裂する眼球。

内側から爆破され、絶叫する百足。その全身から大量の鮮血が噴き出す。青黒い血はとても生臭く、流石のじゃじゃ丸も眉をひそめた。

同時に、光が走った。

百足に、力を供給している大本に向け、光の線が疾走する。

そう、それは本体の下から伸びて、奴の屋敷側、崖の中に吸い込まれていた。正確には、崖から露出している、大きな木の根がそれだった。

暴れ、もがく百足。だがその長大な首が、ぐっと降り曲がる。気付いたのだろう。疾駆するスペランカーに。今じゃじゃ丸が示した光の先、木の根に、彼女が辿り着けば勝ちだ。だが、百足は本能からか、その危険を敏感に察知したらしい。

ズタズタに傷つきながらも、それでも百足が、大量の酸を吐き出す態勢にはいる。触手は全て潰したから生体ミサイルの恐れはないが、しかしこれが直撃すれば、もう勝ち目はなくなるだろう。

万事休すか。

そう呟いた時。

百足の頭部を、音速を超えて飛来した戦車砲弾が、打ち砕いていた。

 

濛々と煙が上がる百足の頭を背に、スペランカーは走る。途中、木の根に足を取られてすっころび、顔から地面に激突。一回死んだが、この程度ならすぐに復帰できる。十秒ほどで息を吹き返して、起き上がり、また走り出す。

後ろでは、最後の力を振り絞って、じゃじゃ丸が百足を抑えてくれている。戦車砲による援護射撃があったと言うことは、川背も無事だったのだろう。後は、スペランカーが、敵のコアを叩くだけだ。

手には、既にブラスターを握りしめている。普通の相手には効きが悪いが、霊的存在にはまさに必殺の武具。

最悪の可能性として予想していた、百足の体内に敵の本体があるという事態は、幸いにも避けられた。だが、百足もこの地の怨念を集めた強力なあやかしだ。かなり傷ついているが、それでも余力を残している可能性は高く、これ以上暴れられたら如何にじゃじゃ丸といえども、もう保たないだろう。

息が切れてきた。

やっと、半壊した屋敷の側に。せり出している木は禍々しく、強大な邪気を夜空に噴き上げていた。この大きさから言って、神木だったのだろう。それが何かしらの切っ掛けによって、落ちた。

恐らく切っ掛けは、国営企業によるレアメタル採掘事業で、森が伐採されたことだったのだろう。数少ない自然が残るこの地は、今だ豊かな恵みを産出し、妖怪の伝説も数多く残っている。それに、この地を守ろうとした姉小路一族の想いがこもっていた土地だと言うことも禍した。

フィールドが発生した経緯については、国営企業側に責任があるが、一方的に責める気には、スペランカーもなれなかった。彼らにも生活があるし、生きて行くには金を稼がなければならないのだ。ましてや国営企業ともなると、経営に税金が投入されていることも多いのである。

ブラスターを構える。

後ろから、絶叫が聞こえた。この距離なら、もう外さない。

「ごめんね。 私も、一緒に痛い思いするから、許して」

撃ち放つ。

同時に、スペランカーの意識は、闇へと吹っ飛んだ。

 

がらがらと、瓦礫を押しのけて川背が立ち上がる。手には、さっき自衛隊に援護を頼むために使った無線があった。今の状態では、ろくに電波は通じない。だから会話は出来ないが、しかし合図だけは出来るように、特別にチューンして貰ったものだ。これを使って、川背は砲撃の瞬間を指示したのである。

直撃の瞬間、近くの岩陰に逃げ込んで、助かった。全身は傷だらけで、服もぼろぼろだが。膝からは血が出ていた。肩はもっと酷くて、生体ミサイルの破片が突き刺さっていた。無造作に破片を引き抜くと、手で押さえて出血を止めながら、川背は見た。

まるで水を掛けられた砂糖細工のように、百足の体が崩れていく。長い蜘蛛の足が折れ、砕けて地面に突き刺さる。怨念の声を挙げながら、肉団子のような本体が溶け地面に流れていく。そして百足の頭と尾も、煙を上げながら地面に突き刺さり、見る間に形を無くしていった。

勝ったのだ。

だが、川背の戦いは、ここからが本番だ。

徐々に収まっていく妖気の中枢に、人影が見える。古めかしい鎧兜を着込んだ、小柄な中年男性だ。

川背は手を振って血を出来るだけ落とすと、呼吸を整える。相手はお客様だと思い、接客するべく歩む。

人影が、川背を見た。亡霊には違いないが、実体を持つほどの強力な存在だ。礼を失してはならない。ぺこりと、45度の角度で一礼した。側では、万一がないようにと、じゃじゃ丸が見張っている。

自衛隊は、依り代になる巫女も用意してくれていた。だが、この様子だと、別に憑依させなくても大丈夫だろう。

「何者か」

「初めまして、姉小路のお殿様。 板前の、海腹川背と言います」

「板前?」

「料理人と、思っていただければ間違いありません」

口元に髭を蓄えた幽霊は、うさんくさそうに川背を見ていた。多分彼が知っている料理人と、あまりにも格好が違うからだろう。

痩せていて、額が広い男性だ。痩せてはいるが、筋肉質であることが鎧の上からも見て取れる。流石に戦国に生きた男だ。現代人に比べて小柄であっても、体の鍛え方や修羅場のくぐり方は根本的に違うという訳だ。

しばしの沈黙の後、彼は小さな拒絶を、言葉に載せて吐き出した。

「帰れ……」

「そう言わずに。 おもてなしの席を用意いたしましたから」

「儂は敗軍の将だ。 飛騨をまたしても守れず、託された力も使いこなせず、そして今、ただ形を保っているだけの愚か者だ。 儂に、いかなるもてなしを受ける資格があろうか」

「僕は、一人の料理人として、単純に貴方をもてなそうと思いました。 それでは不足ですか? それに、資格が必要ですか?」

技術では父に全ての尊敬を。しかしもてなしの心は、母に大きな影響を受けた。

川背は、もう一度、もてなしの席があると告げる。

姉小路の亡霊は、しばしためらった後。

川背について、歩き出した。

 

4,安らぎの味

 

目を覚ましたスペランカーは、周囲に誰もいないことを気付いて、呻きながら上体を起こす。既に森に満ちていた強大な邪気は、ことごとくが消えて無くなっていた。

これから、その邪気を、根本から打ち消さなければならない。

何度か失敗しながら立ち上がる。吐き気が強く、足下の脱力感も酷い。

森が平穏になったことに気付いたか、梟が鳴いていた。既に空は白み始めていて、明星も見える。金色の名を持つ星の下、よろよろと服の汚れを払ったスペランカーは、バックパックを探って、無線を取り出した。

普通に、会話が出来るようになっていた。フィールドが払われた証拠だ。

「こちらスペランカーです。 どうぞ」

「此方特務177小隊」

「今、目を覚ましました。 其方は」

「川背氏により、状況が開始されています」

どうやら、上手く行ったらしい。一つ例を言うと、スペランカーは巨木を見上げた。生物としての木そのものは、今だ衰えずに立っている。ただし、この木を依り代にしていた妖怪は、既に消え去っていた。

歩き出しながら、作戦開始前に聞かされた話を反芻する。

古代、この国にはまつろわぬ民と呼ばれる者達がいた。

この国の古代政府に従わなかった彼らは、ツチグモやムカデという、禍々しい生物の名を借りて、現在に存在を伝えている。彼らの怨念が、また強大な妖怪となって、フィールドを形成することもある。

今回スペランカーが滅ぼしたのは、そんな遙か古き時代の、被征服者達の怨念だったのだろうか。だとしたら、悲しい話だ。あれほどの異形となるまでの恨み、どれほど激しい戦いの中で醸成されたのか、見当もつかない。

戦闘の痕跡と、コンパスを頼りに歩く。ほどなく、歩みが加速し始めた。

空きっ腹に、とても良い香りを感じたからだ。

もとより、フィールド認定されているこの森は、さほど巨大でもない。しばらく歩くと、鉄条網に当たった。コンパスと地図を見比べて、鉄条網にそって歩く。やがて、自衛官を見かけたので、軽く手を振って、鉄条網を開けて貰う。

じゃじゃ丸も其処にいた。

「遅かったな」

「ごめん、遅れた」

置いていったことに関して、恨み言は言わない。じゃじゃ丸には、川背がもてなしをする際に、相手が攻撃を加えてきた時備えてもらう必要があるからだ。事前に打ち合わせをしておいた事である。

既に自衛官達は距離を置いて、場所を空けている。

白み始めている空の下、鎧兜の男性が、敷かれた茣蓙の上に置かれた椅子に腰掛け、クロスが掛けられた机の前で腕組みしている。場合によっては巫女を使って憑依させるという話だったのだが、それも必要ないくらい、強力に実体化した霊だったと言うことなのだろう。小柄だが、厳しそうな雰囲気の男性だ。権謀術数の限りを尽くして、飛騨を守った姉小路の殿様。もっと陰険そうな雰囲気をスペランカーは想像していたのだが、なかなかどうして、戦国大名という言葉通りの堂々たる存在であった。

あの霊を滅ぼすことは、出来る。しかし、それでは意味がないのだと、事前に調査していたフィールド探索者が言った。

というのも、今回の一件は、土地そのものによる霊的反発が切っ掛けになっているという。そのコアになっているのがあの殿様で、それが巨大な蜘蛛と百足の融合妖怪を呼び出したらしい。

あの殿様の霊が納得すれば、土地の反発も静まる。しかし無理に殿様の霊を滅ぼしたりすれば、今度は土地は別の強い存在を引っ張り出して、己を守るための結界、すなわちフィールドを形成するだろう。そうなれば、先以上の戦力を投入しなければ、手には負えない。

それが、専門家の意見だった。

全ては川背の料理に掛かっている。じゃじゃ丸と一緒に木陰から覗くと、己の仕事場である屋台に向かって、川背がちまちまと準備をしている所だった。

「川背ちゃん、頑張れっ!」

静かに密かにエールを送る。

川背は誰も入れない雰囲気を作りながら、さっさっと動いていた。

 

さながらフィールドの中にいるような緊張感が、川背の全身を包んでいた。

高貴なお客様をおもてなししたことはある。T国でフィールドを潰した時には、王宮に招かれて、料理を作った。その時には王様に、抱えの料理人にならないかと誘われる名誉も味わったが、丁重にお断りした。

まだ、修行中というのが、その理由である。

ただ、王様とはまだ交流が続いていて、T国には時々招かれる。いずれも王宮に足を運ばなくてはならないので、緊張する。

その時のように、心をプレッシャーが締め付けていた。

殿様の前には、姉小路家から移り変わった大身旗本三木家に代々伝わっているというお皿を並べている。江戸時代に入手したものだそうで、特に殿様は反応しなかった。青磁の、上品なお皿だ。

料理の際に、能書きを延々並べる料理人もいるが、川背はそのようなことをしない。最低限の説明だけで済ます。お客様が好きなように食べて貰うのが良いと考えているためである。だから、黙々と料理を作る。ただし、お客様に圧迫感を与えないように、いつも気を使う。これがなかなか上手く行かなくて、料理を作っている際の川背が怖いと言われたことが何度かある。

まず最初は、泥鰌の天ぷらから。

この殿様の時代、まだ飛騨にポルトガルから天ぷらは伝わっていないはずだ。かなり珍しい料理として、楽しんでもらえるだろう。殿様がどのような料理を望んでいるのか、これで見極めなければならない。

泥鰌を開いて、内臓を取り除く。骨をそのまま食べるため、小振りなものを使う事も多いが、川背は敢えて大きなものをそのまま揚げる。品質が良いので、骨ごと食べることが出来るからだ。

ただし、泥鰌には川魚特有の、強力な寄生虫がいる。そのため、生食には向かない。出来るだけ面積を広く取って、火が通りやすいようにするのも、味を高めるのと同時に、安全対策を兼ねているのである。

衣を適度に付けて、残りを払い落とす。卵も、生み立ての地鶏卵を使っている。もちろん一つずつ品質はチェックした。黄味が盛り上がり、そのまま口に運んでも美味しくいただけるほど、品質がいい卵だ。

するりと、泥鰌を油に潜らせる。

少し苦みの強い泥鰌の持ち味を生かすために、衣はかなり工夫している。甘みのある山菜を細かく刻んで入れている他、隠し味も二つほど入っている。それらの事情から、揚げるのも、あまり時間を掛けてはならない。風味が飛んでしまう。

さっきの試食も、川背にとっては満足しきれる出来ではなかった。あのリハーサルで微調整した時間を、己の脈で計る。さん、にい、いち。口中でつぶやくと、優しく泥鰌を油から引き上げた。

四匹揚げた所で、まず最初のメニューとして殿様に出す。

調味料は、塩だけ。醤油は付けない。新鮮なので、骨まで丸ごと平らげることが出来ることを説明。川背の目から客観的に見ても、良く脂がのっている、とてもおいしい泥鰌だ。

「この土地で取れた泥鰌の天ぷらです」

「天ぷら? ふむ、油で揚げているのか。 香しきことよ。 妖怪達に聞いていたが、今は民草も豊かな生活をしているのだな」

「戦国の世で、苦労された殿様達のおかげです。 それよりも、お口に合うかどうか」

「うむ、いただこうか」

興味をそそられたらしい殿様は、見事な箸使いで、口に入れる。香草を入れているため、表面に緑のつぶつぶが浮いているようにみえる天ぷらを、殿様はさくさくと音を立てて噛んだ。川背の所まで、衣と泥鰌の香りが漂ってくる。全てを食べ終えた時に、川背は既に殿様の表情を読み終えていた。

姉小路の殿様は、満足していない。

「ふむ、実に美味なことよ。 この衣の歯ごたえが良く、味も泥鰌の旨味を見事に引き出しておる。 香りも高く、実に素晴らしい。 若いのに、そなたは充分に一流で通る料理人だ」

「有難うございます。 次の品に移ります」

殿様は、高級料理をあまり好んでいない。そう川背は結論していた。

殿様が口で褒めているのは、料理の作成スキルについてだ。味についても褒めているが、しかし殿様自身は満足していない。当時は山海の珍味という言葉があるように、もてなしには珍しい料理が使われた。全く口にしたことのない珍しい料理を食べたから褒めているだけで、殿様自身が満足するにはほど遠いというのが現状だろう。

ならば、用意していた料理を切り替える。

さっと頭の中でレシピを組み直し、味付けを微調整する。同時並行で、鮎を焼き始めた。二品目は鮎の塩焼きだ。此方に関しては、素朴な傾向で味付けを調整し直す。味は非常に良いので、それを生かしつつ、素朴に味を閉じこめる。油も出来るだけ落ちないように、炭の上でこまめに動かしながら、焼き方を調整し続けた。

一匹目が焼き上がる。

油が滴るような鮎の塩焼きを、皿に載せた。三匹まで仕上げた所で、殿様に出す。

殿様は腕組みしたまま待っていた。世間的に姉小路の殿様は、強い者について生き残ってきたと言われているようだが、なかなかどうして。落ち着いて風格のある。貫禄に満ちた人物だ。現在のJ国には、滅多にいないタイプである。

「次は、鮎の塩焼きです。 此方は大きな骨以外は食べることが出来ます」

「これも、この地の鮎か」

「はい。 鮎は素材がとても良いので、塩だけで仕上げてあります」

「ふむ、ただ焼いただけの鮎、か。 先ほどの珍味と比べると、何とも素朴で単純な料理であるな」

いぶかしげに見つめていた殿様だが、香りには心を動かされたのだろう。すぐに手を伸ばして、豪快にかぶりついた。

すぐに、殿様は無口になった。手袋の上から指を舐めつつ、見る間に鮎を平らげていく。本当に美味しいものにぶつかった時、人は無口になる。例え人を止めていても、心が残っているのなら、それは同じ事だ。

一匹目がすぐに骨だけになり、二匹目も。三匹目を平らげると、しばし殿様は口をもぐもぐと動かしていたが。頷く。

「美味。 実に美味よ。 訂正しよう。 そなたは儂が出会った中でも、三本の指に入る料理人だ。 鮎を焼くにしても、此処まで火の通りを完璧に調整する手際、並の技ではないわ。 この塩もまた素晴らしい。 これほどこの鮎に合う塩、簡単に見抜ける料理人はそうそうおらぬ」

「有難うございます」

「うむ、素晴らしいもてなしであるな。 だが……」

「もう一品、用意してございます。 しばしお待ちいただけますか?」

分かる。

今回も、殿様は絶賛はしていたが、満足はしていなかった。しかしさっきの泥鰌よりも、かなり手応えがあった。

やはりこの殿様、高級な料理は食べ飽きている。珍しいものに関してもだ。しかも、味の問題ではない。ならば、最後は奥の手で行くしかない。

結局、父と母は最後までわかり合うことがなかった。

芸術としての食を追求し続けた父と、家庭的な料理の頂点を目指した母。若き頃に恋に燃え、川背と姉を授かった。しかし、結局意見の相違から二人は別れて、川背は父に、姉は母に引き取られた。

実はそれからも、川背は時々母と連絡を取ってはいた。

滅多に会うことはなかったが、手紙のやりとりはしていた。父に見つからないようにするのが大変だったが、母から送ってもらった小さな髪飾りは、ずっと宝物だった。物心がつくと、料理の楽しさが身繕いを上回り、結果として全ての力を注ぐようになったが、それでも母との思い出を忘れたことはない。

最近になって、ようやく直接会うことが出来た母。短い間しか会えていないが、それでもたくさんのものを貰った。

父からは技術を受け継ぎ。母からはもてなしの心を受け継いだのだ。

今までは、父の力を使って勝負してきた。だが、此処からは切り替える。

殿様が求めているものが、分かったからだ。

「ふむ、そなたが最後に出してくる料理、味わいたくもある。 今しばし、待つとしよう」

殿様は再び腰を落ち着けると、待ってくれた。

最後の逸品には、全力を掛ける。

今、煮立っている鍋を開けると、川背は既に炊きあがっているお米に視線を移した。

すっと、しゃもじを米びつに突っ込む。

本来は味が落ちてしまう行為だが、仕方がない。風味的には充分合格点のものになるし、何よりお客様が求めているものは、違うからだ。

あの人は、精緻を尽くした料理など求めてはいない。

求めているのは。

手を振ったのは、スペランカーと、じゃじゃ丸に対してだ。それに、自衛官達の方にも手を振る。

まだ椅子は余っている。

ぱたぱたと、可愛らしい走り方でスペランカーが来る。あれでは、何もない所で転びそうだ。じゃじゃ丸は疲れ切っている様子だが、特に気にしている雰囲気はない。

「ちょっと、川背ちゃん。 いいの?」

「俺は別に構わないが、よいのか」

「ちょっと、君、これは大丈夫なのかね」

三佐と責任者にも来て貰う。四人、増えた。だが、姉小路の殿様は、特に気にしている様子もない。そればかりか、薄笑いを浮かべてみせる余裕さえ見せる。流石に戦国を生きてきた武将だ。

「儂と戦った者達を集めるとは、これも趣向の一つかな」

「はい。 最後の料理は、みなで何も考えずに、わいわい食べるものです」

「ほう、それは」

一瞬だけ、殿様の目に違う光が浮かぶのを、川背は見逃さなかった。

雑炊になった鍋を運ぶ。山菜を贅沢にふんだんに使った、とても美味しいものだ。鍋は基本的に手が掛からない料理だと考えられており、事実その通りなのだが、しかし最大級に美味しいものとなると話が違ってくる。

まず素材の選び方が重要になり、火の通し方、鍋の選び方が大事になる。これらをクリアして、いくつもの微細な調整の末に、鍋は完成する。

今回、雑炊にしてしまったことで、その味を何割か落とすことになる。これは賭けだ。だが、既に勝ちを、川背は確信していた。

五人で机を囲むようにして、座る。最初はぎすぎすした空気があったが、殿様が最初に喋り掛けた。

「そなたはしのびか。 先ほどは見事な戦ぶりであった。 あのような怪しの技を使いこなすとは、さぞ苦労したのであろう」

「光栄です。 姉小路の殿様」

「そちらの娘も、しのびの者には劣る戦ぶりではあったが、機を見るに素晴らしく敏であった。 しかし不可解な戦い方であったな。 そなたは妖なのか?」

「あ、違います。 昔父さんが、ちょっと悪い神様と取引して、こうなりました。 でも、私のことを考えてしてくれた事でしたから、恨んではいません」

「そうか。 今の世でも、全てが平穏という訳でもないのだな」

戦いのことから、徐々に話が弾んでいく。二人は妖物に接し慣れているようだし、殿様も喋りやすいようであった。喋っているのを見ると、気さくな所もある殿様だ。戦いを通じて分かり合ったと言うこともあるからだろう。

「あ、あの、その」

「そなたはもののふであろう。 それならば背筋を伸ばせ」

「は、はい」

「今の世は平和であるのだな。 将であるそなたらを見ているとよく分かる。 だが、平和だからこそ、将であるそなたらが心身を鍛えよ。 さすれば万事に、民を救う戦人となることが出来よう」

いい年をした三佐と責任者に、蕩々と述べ立てる姉小路の殿様。人は食事時には饒舌になる。この殿様も、政を考慮せず、普通に話せる相手と言葉を交わすのは久し振りだからか、少し楽しそうだった。

鍋を運ぶ。

暖かい空気に、水を差さないように。

さっと、皿に盛りつける。皆の分の皿も準備は終えている。

「特に食べ方に工夫はいりません。 そのまま召し上がってください」

「うむ。 いただこう」

「地酒も用意してあります。 是非、此方もどうぞ」

酌をして回る。全員が成年だから問題はない。殿様はくっと酒を飲み干すと、眼を細めた。

「この味だけは、変わっておらぬな」

そして、雑炊に箸を付ける。

皆も、それに習った。

わいわいと、食事が続く。川背は使った器具を片付けながら、万一に備える。器用にタニシを剥く殿様が、皆にやり方を指南している。お偉いさんと食べ慣れているだろう責任者も、新人研修の学生のように緊張して、話を聞いていた。また、じゃじゃ丸はとても箸使いが下手で、何度もご飯を容器に零していた。

しばしして。

あっと、三佐が声を挙げたのは、殿様が兜を脱いだからだ。同時に、陽光が、その場に差し込み始めていた。

「見事なるぞ。 儂は、これほど食を楽しんだことが、元服してより一度もない」

今まで眉根を止せ、ずっと厳しい表情だった殿様が、涙を流していた。陽の光が、徐々に強くなっていく。丁寧に剃られた月代に、陽光が当たり始めた。

「儂が物心ついた頃には、既に戦国の世が来ていた。 戦と、はかりごとが、世の全てであった。 食も遊びも政で、儂も幼い頃から、何も楽しむことが出来なかった」

立ち上る陽の光に、徐々に殿様が溶けていく。思わず立ち上がった三佐が敬礼をしていた。

「一つ、頼みがある。 この土地を、荒らさないで欲しい。 ある程度手を入れるつもりなのは分かっている。 だが、儂がどのような手を使ってでも守りたいと思ったこの土地だけは」

「出来るだけ、配慮します」

そもそも、無理のある工事計画だったと聞いている。

最近の工事では、基本的に環境配慮が為されることも多い。国営の企業であるならなおさらだ。今回の一件では、裏に何か大きな目的があったのかも知れない。だが、これだけの大きなスキャンダルだ。フィールドの再発生の可能性も示唆すれば、ある程度抑えも効いてくるだろう。

「殿様。 最後に、此方を」

「良頼じゃ」

「良頼様、此方を。 食後の一杯にございます」

それは、ただの冷たい水。

清流からくみ上げ、濾過をしただけの、この土地の水だった。

姉小路良頼は、それを飲み干すと、静かに消えていった。後には何も残らず。

ぺこりと、川背はあたまを下げていた。

今までで一番厄介なお客様の一人で。でも、忘れられそうにない相手だった。

 

5、料理人の魂

 

スクーターを引いて、手を振って去っていくスペランカー。店を開いたら呼んで欲しいと言ってくれたじゃじゃ丸。二人とはアドレスを交換して、別れた。三輪トラックも、自衛隊の詳しい人に直して貰って、しばらくは走ることが出来そうである。

ただし、先に向かう所があった。

責任者の人に頼まれたのだ。あの難しそうな、姉小路の殿様を納得させた料理の腕を、是非会社の上役達に振る舞って欲しいと。

しがらみ、利権、その他諸々でがんじがらめになっている彼らは、言葉では説得できない。またフィールドが発生すると言っても、聞く耳を持たない可能性が高い。

だから、川背の力を借りたいというのだ。

あの殿様に約束したこともある。川背は一も二もなく引き受けた。問題は、飛騨の山奥から、如何に鮮度を保ったまま、素材を運ぶかである。結局、方法は一つしかなかった。

三輪トラックを走らせる。免許は去年取ったが、このアクセルの重さや、ブレーキの危なっかしさは、今でも冷や汗が出る。スピードが出ないので、煽られて抜かれる事もしょっちゅうだ。だが、料理の時以外は努めて淑女でいようと思っている川背は、気にしない。山道を、のんびり三輪トラックで行く。

向かう先は、飛騨市の料亭。

放蕩息子のために経営が立ちゆかず、客も離れてしまったが、設備だけは整っている。そんな店があったので、一日借りることにしたのだ。不安になる話だが、これはあくまでチェーンの話で、料亭の本邸は料理人自身が運営していて無事だ。放蕩息子は一週間に一回店に顔を出せばいい方で、後は何処をふらついているのかさえ分からないのだという。

父が昔喧嘩を売った相手だったので、心配はしていた。実際とても腕が良い料理人で、川背も名前を聞いていたことがあるほどの人だ。怒っているのではないかと思ったが、案外すんなり店を貸してくれたので、安心した。

既に責任者は、店で店主と一緒に待っていた。あの後役職を聞いたのだが、どういう仕事をするかさっぱり分からない横文字だったので、十秒で忘れてしまった。ただ、彼はあの時以来、川背の料理のファンになってくれたので、何とかして覚えなければならないだろう。

お客様を大事にしない店は潰れる。如何に味が良くても、だ。

店主は川背が若いので随分不安そうな顔をしたが、泥鰌の天ぷらを試食させると、すぐに納得してくれた。

「なるほど、あの海腹さんの娘さんだけはある。 たかが泥鰌の天ぷらを、此処までの品にするとは」

「その節は、父が失礼をしました」

「いや、良いんだ。 あの時は私も若くて、色々と調子に乗っていた。 海腹さんが徹底的に叩きのめしてくれたから、逆に再出発できたのさ。 後は馬鹿息子が更正してくれれば、もう言うことはないんだがね」

あの馬鹿は、未だに魚を三枚に下ろすことも出来ないんだと、忌々しそうに、だが目には悲しみを湛えて料理人は言った。確かにそれは、素質の問題ではない。余程放蕩が酷いのだろうと、川背はちょっと料理人として怒りと悲しみを同時に覚えていた。

すぐに、十人ほどの客を迎える準備を整える。上品な座敷を丁寧に掃除して、備品を確認する。いずれも政府の中枢にコネを持ち、高級料理など食べ飽きている連中だ。生半可な料理で納得させるのは不可能に等しい。

「最初の応対は私がするから、川背さんは料理に集中して欲しい」

「分かりました。 最高の品を用意できるように頑張ります」

「頼む」

額の汗を拭いながら、責任者が何人か連れてきている部下に指示を出す。

川背は奥で割烹着を着けて、三角巾を縛って、頬を叩いた。気合いを入れる。あの殿様、姉小路良頼さんと約束したのだ。川背がもてなしたお客さんは、それによって信頼をくれた。それを裏切る訳には行かない。

料理は戦いだ。

魚料理なら、魚と。野菜料理なら、野菜と。肉料理なら、動物と。

そして、同時に客とも戦わなければならない。

準備が整う。流石に良い設備が揃っていて、三輪トラックの備品よりもかなり効率よく料理が出来そうだ。ただし、包丁などの道具は持ち込む。特に包丁に関しては、これがなければ何も始まらないのだ。

丁寧に砥石で包丁を研いだ後、黙祷。まだ生きている食材に敬意を表してから、川背は包丁を縦横に走らせ、下ごしらえを始めた。

 

夕刻、客が集まり始めた。いずれもあまり機嫌は良くない様子で、責任者は平身低頭している雰囲気だ。

あれも、彼なりの戦いなのだ。馬鹿にしてはならない。

料亭の主人も、補助を的確にこなしてくれた。幾つかのスキルは明らかに川背より上である。特に野菜関係の味付けの勘は、抜群のものがあった。だから、そちらは任せてしまう。

すっと、油に魚の身を潜らせる。包丁をリズミカルに動かして、肉を馴染ませる。いずれも、飛騨の産物を、大胆に料理したものだ。

「しかしね、君!」

「食べていただければ分かります。 今の工期では、残念ながら環境への配慮を十分に出来ません。 その結果失われるものがどれほど大きいか、分かっていただけると思います」

「別に此処だけが、珍味の郷という訳ではないだろう」

揶揄の声がする。かちんと来たが、その鼻っ柱は料理でへし折ることにする。

父さん、母さん。僕に力を貸して。

そう念じると、川背は最後の仕上げに掛かった。

やがて、第一陣が仕上がる。何人かで手分けして運ぶ。料理長として、客の前に出た川背は、一礼した。

二十の目が、川背を見据える。責任者が連れてきた老人達は、いずれも老獪な妖怪どもばかりである。だが、あの姉小路良頼の、十分の一も修羅場を潜ってはいないだろう。かならず、力でねじ伏せてみせる。誓いを守るためにも。

「料理人の、海腹川背です。 このたびは、わざわざお集まりいただき、有難うございます」

反応は無し。だが、それも予想の内。

今、戦いの幕は、切って落とされた。

 

(終)