河童奔走する

 

序、追い詰められて

 

河童、河城にとりはため息をついていた。前は狡猾に笑ってばかりいた気がしたのに。今は憂鬱でならなかった。

ブルーカラーの制服に身を包んだ女の子の様に見えるにとりだが。それはこの場所では、女の子の姿を取る事が妖怪のスタンダードになっているから。男性の姿をする妖怪もいるが、基本的に人間の前に姿を見せない者が多い。

此処は幻想郷。

外の世界では存在し得なくなったものが逃げ込んでくる最後の秘境。伝承が失われた神々や妖怪、或いは不思議な力を振るう人間。そういった存在が、当たり前のようにいられる場所。

決して狭くはないが広くもなく。

博麗大結界という壁にて、外の世界と区切られている、文字通り最後の楽園だ。

幻想郷の中央には巨大な山岳地帯がある。

その山岳地帯には古くも今も三つの勢力が存在しており。

古くは鬼が頂点だったが。

今はその鬼がいた場所に、守矢神社という、外から越してきた巨大勢力が居座っている。

後の二つは、天狗と河童。

どちらも日本ではとても有名な妖怪で、知らない方がおかしいだろう。

とはいっても、どちらももはや存在する訳がないともされている者であり。

幻想郷にいるのは妥当と言えた。

そして守矢神社は拡大傾向が強い勢力で。

鬼がどういう理由か地底に去った隙に妖怪の山に越してくると。

幻想郷を制圧するべく即座に動きだし。

一旦は制圧行動を停止はしたが。

今でもその隙を狙って、静かに勢力を蓄えている状況だ。

この過程で、天狗と河童は大打撃を受けた。

まず天狗は、組織の腐敗が表沙汰になった。

妖怪の山から鬼が去った後、妖怪の山を組織力で事実上掌握していた天狗達は、それこそ好き勝手をするようになった。

元々一体がやられたら全員で復讐に来るという妖怪だ。

しかも弱者にはとことん強く出て、強者にはこびへつらうという性質も持っている。

故に救いようが無いところまで腐敗は進行し。

守矢が手を下さなくても勝手に自滅した。

現在は一部の若手が組織の腐敗を嫌って天狗の集団から離脱。天狗の組織そのものも、幻想郷の管理者である最高位妖怪である賢者と。人間側の管理者である博麗の巫女の監視下に置かれている状況だ。

そして、河童も被害を受けた。

此方が被害を受けたのはごく最近なのだが。

いずれにしても。

今、河童は殆ど、毎日を恐怖に包まれながら過ごさなければならなかった。

河童の顔役である、若手で随一の実力者である河城にとりも例外では無い。

既に河童は完全に守矢神社に武力で組み伏せられ。

今も常時監視を受けている。

こんな事になったのには、幾つも理由があるが。

大筋としては天狗と同じである。

鬼がいなくなった権力の空白時にやりたい放題をして。

それが全てばれた。

ブチ切れた賢者は、河童を擁護してくれなかった。

守矢が山の妖怪達を動員して、河童を制圧した。

以上の流れである。

元々河童は昔から技術者であると同時にテキ屋集団として悪名高く。人間を殺さなくなった近年でも、祭がある度に悪辣な稼ぎ方をしていた。客がいなくなるような稼ぎ方はしなかったが、グレーゾーンの行為をずっとしていた。

経済にて、幻想郷に威を示す。

そういう行動と賢者が認識しているのを、河童は知っていた。だから、好き勝手をしていた。

金に関わる事ではとことん汚く出た。

この辺りは、幻想郷の数少ない中立勢力、永遠亭に住まう妖怪兎たちと同じだろう。

いずれにしてもその全てが暴かれて。

今河童は、殆どのシノギを取られてしまった。

弱い妖怪からはぼったくり、強い妖怪には下手に出る。

そういう経済行動をしていたことも。

今にとりの手の中にある新聞に全て数字として出てしまっている。

幻想郷に「定価」の概念が持ち込まれたことで。

以降、幻想郷では弱者妖怪からぼったくるという仕組みが通用しなくなった。もしもこれに逆らったら。

新聞の定価を設定したメンバーが揃って仕置きに来る。

その中には、河童が何よりも怖れている鬼の名前もある。それも頭領である元四天王伊吹萃香である。

要するに今までのインチキ商売をするという事は、伊吹萃香に向けて泥玉を投げつけるようなもので。

直後全身をグチャグチャに粉砕されるくらいの事は覚悟しなければならない。

しかも弱者妖怪の手にも今はこの新聞が行き渡っているため。

騙す事など出来ようも無かった。

ため息をつく。

息苦しい。

自業自得、という言葉がにとりの脳裏に浮かぶ。

確かに金は正義という考えの元、あらゆる汚い事をやってきた。殺しや誘拐はやっていないけれども。

金に関する勘定で、相手を騙す事は幾らでもやってきた。

その罰を受けていると思えば確かにその通りであり、ぐうの音も出ないのだが。

かといって、此処まで息苦しいと。

にとりとしても、何もかもやる気を無くしてしまうと言うのが事実である。

新しく機械を作っても、すぐ売る事は許されない。

賢者が査定して、それから値段を決めるからだ。

今までのように発明はする事が許されているけれども。

それも何だか不自由に感じる。

弱者から巻き上げてきた金も、殆ど取りあげられてしまい。素寒貧も良い所だし。

この状況では、河童には殆ど出来る事がない。

しかも、事実上の絶対者になった守矢に命じられるのは。

古い機械の修理だとか。

壊れた機械の修繕だとか。

元から性能を変えてはいけないとか。

そんなつまらない仕事ばかりである。その上仕事を断ったら、それだけ生活が苦しくなる。

しかも守矢は、過剰労働とかは一切課してこない。

出来る範囲内での仕事を完全に見きっていて、八割くらいの労働力で出来るように仕事を回してくる。

文句をいう隙も無く。

鬼よりも怖いと言うのが、にとりの本音だった。そして河童は怖い相手に逆らえない。逆らえない相手に逆らう事は一切考えられないし。

何より河童に無茶ぶりをしてくる訳でも無い。

むしろ、鬼の頃に比べると、待遇はまともでさえある。

鬼は時々発作的に暴力を振るって、ひたすら恐怖に打ち震えなければならない(ようににとりには見えた)事があった。

山を完全に暴力で支配していたのだ。

これに対して守矢は、法で山を支配している。

その法は誰にでも公平で。

河童に対しても例外では無い。

だからにとりは文句を言う隙も無い。

ただ、腐ることしか出来なかった。

「にとりどのー」

若手の河童が来る。

にとりだって若いのだが。それよりもっと下の世代だ。

ブルーカラーの制服に身を包んだ小柄な女の子ばかりなので、河童の世代は他の妖怪からは分かりづらいらしいが。

同じ河童なら当然分かる。

この若い河童は妖怪としての実力も技術者としての腕もまだまだだが。

河童としては珍しく真面目な奴で。

最近がっちりルールが作られてからは、むしろ生き生きしているようだった。

「お仕事の話です。 来て欲しいと言う事です」

「ああ、はいはい」

腰を上げる。

無邪気にへらへら笑いやがって。

内心では悪態をつきたくもなる。

にとりだって分かっている。

自分が爆薬庫の前で火遊びをしていた事は。

戦略的な視点で物を見ていなかったことは。

天狗に賢者と博麗の巫女の査察が入った時点で、次に守矢が潰しに来るのは自分達だと備えておくべきだったのだ。ましてや天狗以上に素行が悪い自分達は、賢者や博麗の巫女が擁護してくれる可能性も低いと言う事も分かっていたのに。

それなのにそのまま金稼ぎを続け。

金を持っている方が偉いと、弱者妖怪を泣かせ続けて来た。

多分、狡猾で強力な守矢の二柱は、ずっとそんな河童達を泳がせていたのだ。機が熟するまで。まるで農家のように。

そして適度な頃合いで一気に狩った。熟練の狩人がそうするように。

河童という概念がこの国に出現する前からいたような神々である。

しかも、河童などとはそもそも立っている次元が違う武神共だ。

それくらいのことは余裕なのだろう。

まんまと乗せられてしまったにとりは。

今際限のない憂鬱の中にいる。

客とやらの所に出向くと。

豊満な肉体を野性的な服装で包み。来客用のテーブルに、ぞっとするほど巨大な包丁を載せた女妖怪が。勧められた茶を啜っていた。

山姥。

坂田ネムノである。

山姥という妖怪は老婆を想起させやすいが、幻想郷ではネムノをはじめとして比較的若い女性の姿をしていることが多い。

山姥は山の妖怪ではかなり力がある方の妖怪だが。元々縄張りを隙あらば狙って来る天狗に色々思うところがあったらしく。

現在では完全に守矢の支配下に入って、その法を受け入れている妖怪だ。

守矢の方でもネムノに対して干渉する事は殆ど無く。

有事の際に動いてくれれば良い。領空などを侵犯される可能性がある場合は合図に沿ってスクランブルを掛けて欲しい等という軽い契約を結んでいるだけ。これはネムノが物騒な逸話に事欠かない山姥にしては非常に温厚な性格で。怖いのは見かけだけで、実際には人間を襲って食ったりする事もない静かな妖怪だからだろう。縄張りを侵そうとすればそれは怒るし(河童がこっそり縄張りを侵していたときには本気で怒った妖怪の一人である)、怒れば戦いにはなるが。

それでもねちねち戦後相手を虐めるようなこともない。

今日、来たのも。

単に仕事を頼みに来たのだろう。

当然のように、にとりは自然に揉み手をしていた。

「これはネムノさん。 何用でしょう……」

「うちの包丁を研いで貰おうと思ってね。 まああんたの所で問題ないべ」

「は、はい。 分かりました……」

ばかでかい包丁を、慎重に受け取る。

現在、研ぎ仕事をする妖怪はそれなりの数がいる。

技術者として、どちらかといえばテクノロジーを扱う河童も、研ぎの仕事はする。基本的な金属研磨は、河童としても技術として重要だからである。

それ以上に、理由はある。

もっと立派な研ぎ仕事をする妖怪がいる。

例えば、付喪神多々良小傘などである。

此奴の研ぎ仕事の腕は有名で、針だろうが包丁だろうが新品同様に研ぐと評判だ。元々鍛冶の神とかなり近い存在らしく、鍛冶仕事で非常に良い仕事をするとも聞いている。

だが、この間「定価」が設定された結果。

小傘の仕事は高級品に限られるようになった。

勿論今までも、小傘の仕事に対しては、敬意を払って相応の金を払う人間や妖怪が多かったのだが。

小傘自身が温厚で好戦的では無い妖怪と言う事もあって、ぼったくる者もいた。小傘はそれで特に文句を言わなかった。相手を仕事のすばらしさで驚かせる事が目的であったから、のようだ。

ただ、小傘が本格的に鍛冶をやり始めた頃には、命蓮寺がバックについた。ぼったくりはできなくなった。命蓮寺には海千山千のタヌキの大親分が食客としてついていて。小傘の鍛冶仕事についても、タヌキの大親分が管理している事が多かった。

其所に定価の設定である。

結果として、グレードが落ちる研ぎ仕事、鍛冶仕事をする者にもスポットライトが当たるようになった。

小傘自身は元々金に執着がないらしく。

命蓮寺の食客となっている今は、基本的に仕事にも困っていないらしい。実際あれだけの凄腕だったら、指定されている定価でも安いくらいだろうと、悔しいけれどにとりでも同意する。

つまるところ。

小傘に出して高い金を払い本格的に直すほどでも無い。

別にそれほど痛んでいるわけでもない安い包丁だから、河童で充分。

そうネムノは判断したというわけだ。

「じゃあよろしくな。 どれくらいかかるね」

「二週間いただければ」

「そうか。 じゃあ二週間後に受け取りに来るべ。 しっかり仕事をしてくんろ」

勿論ネムノも一つしか無い包丁を預けていくわけがない。

たくさん持っている包丁の一つを持って来ただけ、と言う話だろう。

ため息をつくと、まだ新入りの河童に仕事を回す。

金属研磨は技術の基礎。

新入りや若い世代は、此処でまず技を磨くのだ。

ただ、問題もある。

相手は温厚だが山姥である。

怒らせれば相応に怖い。

もしも怒らせた場合、開きにされるくらいは覚悟しなければならないだろう。それも仕事を受けたにとりが、である。

ぞっとして、背中に寒気が走ったが。

ぶるぶると首を横に振る。

昔だったら、適当に誤魔化す事を考えたりしただろうに。

今はそういった、悪い意味でのしたたかさが急速ににとりから抜けているような気がする。

年老いた河童達は更にその傾向が顕著で。

寝込んでしまっているようなものまでいた。

肉体が滅んでも妖怪は死なないが。

精神へのダメージは致命的になる。

河童という種族は、征服されたタイミングでかなりのダメージを種族単位で受けたのかも知れない。

もしそうだとすると。

今後、色々対応を考えなければならないのかも知れなかった。

にとりはまたため息をつくと。

自分の仕事場に戻る。

幾つかの設計図が放り出されている、防水仕様の仕事場。

河童の住処は玄武の沢と呼ばれる急流地帯なのだが。

場所が場所なので、防水仕様にしないと話にならないのである。

前は河童達がそれぞれ好き勝手なものをつくって競い合い。外から来たものを奪い合っていたものだが。

今はその時の活気が嘘のようである。

ぼんやりと、自分で書いた何だかよく分からない道具の設計図を順番に見ていく。

作る事なら出来る。

技術力は失われていないからだ。

だが、昔はまずやってみようという意欲が先に立って、考えるより先に体が動いていたというのに。

今はなんというか。

これを作って何か意味があるのだろうかと。

論理的に思考が動いてしまい。

それで手が止まってしまう。要するにどうしようもないのだった。

また大きくため息をつく。

守矢は征服後、苛烈な圧政を敷いているわけでは無い。

ただ、昔の鬼のように。

河童に対して、絶対者となっただけだ。

鬼と違って暴力も振るわない。

鬼にげんこを貰うときは、本当に怖かったものだ。頭の皿が砕けるかといつも思ったし。実際砕けた事もあった。

だけれども、守矢による支配は違う。

なんというか、河童に対してはこれ以上もないほど相性が悪い。

悪さが出来ないようにされるというのが。

これほど骨身に染みて効いてくると言うのは、気付けなかった。

もう寝ようかな。

そう思った。

前は徹夜で作業して、深夜テンションで更に訳が分からないものを大喜びで作ったものだが。

それも今は望めない。

寝床でぐったりとしていると。

ドアが叩かれた。

呼ばれもしない。

何があったのだろうと、除き窓から外を見ると。

青ざめた同格の河童だった。

一応若手最強の使い手として知られるにとりは、河童の代表とされている事が多いのだが。

実際の所は、河童という種族が幻想郷では最弱の妖怪集団であり。しかも気分次第で山童と河童に分裂したりもするので。単に一番強いだけのにとりが目立っているだけ。河童内での地位が一番高いのは長老達だし、にとりと同格の発言権を持つ河童もいる。組織が殆ど機能していないので、あんまり意味はないが。

ともかく、同期で技術力も似たような河童が大急ぎの用事を持って来た。

それだけは事実だ。

ドアを開けて顔を出すと。

青ざめた河童が、息を切らしながら、にとりの顔を見た。

ただ事じゃない。

それだけは、一目で分かった。

「にとり。 ちょっとまずいかも知れない」

「詳しく頼む」

「さっき守矢から使者が来た。 長老達とにとり、お前をご指名だ。 何かやるらしい」

「……っ!」

背筋が伸びる。

鬼に宴会に誘われるときは、毎回生きた心地がしなかった。

逆らえないし、断れないし。毎回へべれけになった鬼に殺され掛けたし。

鬼の飲む超強い酒を飲んでひっくり返るにとりを見て、鬼達はげらげら笑っていたし。そんな飲み会が苦痛でならなかったし。

だが、それとは違う恐怖だ。マジで開きにされて殺されるかも知れない。

足下から、震えが上がって来た。

「どうする、逃げるか」

「ば、ば、ばかやろう。 逃げる場所なんて、ある訳ないだろ! い、今まで、私達、私達が、どんなこと……どんな……」

はらはら涙が零れてくる。

そうだ。

散々詐欺を働いてきた。

格上の妖怪にも、経済的に優位に立ったと見るや、洒落臭い口を利いたことだって散々あった。

博麗の巫女にも目をつけられているし、もう少しで「物理的に大掃除」される所までいっていた事も何度かあったらしい。

にとりを命がけで庇ってくれる奴なんて。

幻想郷中探しても、どこにもいない。

弱者妖怪救済を掲げている命蓮寺ですら門前払いされるだろう。それはそうだ。彼処の縁日で、散々あくどいことをしてきたのだから。

それに逃げたりしたら、多分玄武の沢にいる仲間が見せしめに殺される。真っ青になりながら、にとりは仲間に告げた。

「行ってくる。 私が戻らなかったら、仕事は分散して継いでくれ」

「分かった……」

覚悟は、するしかない。にとりだって、自分がやってきた事はわかっているのだから。

 

1、恐怖の会議

 

妖怪の山は巨大な山岳地帯だ。

にとりも噂に聞いたくらいだが。何でも妖怪の山の正体は、富士山に頂点部分を蹴り崩される前の八ヶ岳らしい。

つまり神話に出てくる山岳地帯で。

幻想郷という存在そのものが、物理的な幻想によって出来ていると言う事だ。

その中腹から少し山頂に掛かった場所に。

巨大な湖と。

それにロープウェイで麓とつながった、守矢神社がある。

現在、妖怪の山に絶対的な法を敷き。

不公正を排除して。

絶大な支持を得ている場所だ。

守矢には二柱の神と。半神半人の巫女のような存在、風祝がいて。

昔はアホ面下げて幻想郷の生活を楽しんでいた風祝の東風谷早苗は。今やすっかり妖怪の山の顔役。

戦闘力でも精神面でも。

もはやにとりがつけいる隙など無くなっていた。

半分神だから、肉体的に成長するとは思えないのだが。

それにしても、短時間で多数の戦闘を経験し、政治に関わると。

「人間」はこうも成長するのか。

いや。里の人間共を見ている限り、そうとは思えない。

早苗の場合は、神話の時代から人間を見て来た二柱に英才教育を受けて、成長に成長を重ねている、と言う所だろう。

長老達とともに、守矢神社の境内を踏む。

生きては帰れない覚悟だ。

長老達も皆、青ざめている。

死んだふりで逃れられないかと真面目に話している者もいるが。

もし下手な事をしたら、日本最強の祟り神であるミジャグジさまが。そう、玄武の沢の彼方此方に既に潜んでいる蛇の邪神が。

文字通り食い殺しに来かねない。

呪いは文字通り最高位の精神攻撃で。

妖怪にとっては食らう事は致命的だ。

体を粉々にされるよりも、よっぽど死に近付く。

それほど恐ろしいものなのである。

境内に入ると、早苗が姿を見せる。

昔とは目つきからして何から何まで違う。背筋も伸びているし、口元もきっと引き結んでいる。

戦闘力だって、前は博麗の巫女とやりあったら絶対に勝てない程度だったのに。

今だったら、本気で殺し合ったらどうなるか分からないと言う噂がある。

単純に怖い。

「招集に応じてくれましたね。 全員揃っているようで何よりです」

「……っ」

にとりが前に押し出される。

長老達も怖いのは分かるが。

にとりだって怖いのだ。

震えながら、涙目のまま、にとりは聞く。

「そ、それで今回は何の御用でしょうか」

「此方へ」

早苗は答えない。

ひっと小さな悲鳴が漏れかけるが、耐える。

昔はそれなりに交渉については自信があったのに。絶対的なアドバンテージを握られたからだろうか。

今はすっかり気弱になってしまっている。

そういえば、昔だって。

鬼に対して交渉なんて出来たか。

出来た記憶なんてない。

そもそも妖怪の山全域を見回しても、鬼に対してある程度洒落臭い口を利いていたのは天狗の射命丸文くらいで。

彼奴は天狗の中でも一人だけ別次元に強かった。

守矢の二柱は、揃って鬼最強の伊吹萃香以上の怪物である。武神なのだからまあそれは当然だが。

震えるのは、仕方が無いのかも知れない。

そのまま、案内された居間に通される。

かなり広い居間だ。前来た時、こんなに広かっただろうか。

空間を弄っているのかも知れない。

あり得ない話では無かった。

姿を見せるのは、二柱の一方。洩矢諏訪子。ミジャグジ神の頭目である、この国の祟り神の総元締め。

天津の武神である八坂神奈子には戦闘力で劣るものの。

圧倒的な力を持つ古代神格である。

河童などとはそれこそ、立っている場所が違う存在だ。

ぶるぶる震えている河童達を見て、田舎の健康的な女児にしか見えない諏訪子はどっかとテーブルの向こうに座る。

今日ここに来た河童は八名だが。

八名掛かりで不意打ちを掛けても、秒で殺られるだろう。

早苗が茶を出してくる。

早苗がいつの間にいたのかさえ分からなかった。最近空間転移術を覚えたらしいが、それを使ったのかも知れない。

ひゅい、と声が漏れるが。

早苗も頬杖をついている諏訪子も、何も反応しなかった。

一礼すると、早苗は出ていく。

それで、やっと気付く。

これは守矢が総力で取り組んでいる話では無いと。

最近、守矢では重要な話には、二柱に加えて早苗が必ず参加している。これは早苗を守矢の三柱めの神として、経験を積ませる為らしい。

今回は神奈子もいないし早苗もいない。話に加わってきていない。

つまるところ、比較的どうでもいい案件だと言う事だ。

或いは、そう安心させた後。

がぶりと来るのかも知れないが。

震えながら茶に手を伸ばす。

がくがくぶるぶるしているにとりの前に。諏訪子が紙切れを出してきた。

新聞、ではない。

震えながら拾って手にしてみると。

どうやら外から流れ着いたものらしい。

確か、チラシと言ったか。

外の世界では、ものを売るとき。幻想郷では真似できない技術で作ったこういう紙に印刷して、とんでもない数ばらまくのだそうだ。

「今日呼んだのは他でも無い。 注文をしようと思ってね」

「注文、にございますか」

「忠実になって結構。 ダム工事の時には躾けるタイミングではなかったからねえ」

口元だけ笑う諏訪子。

冗談抜きに、獲物を目の前にした大蛇の笑いだ。

諏訪子はカエルを意識した麦わら帽子っぽいものを被っているが。

それは神奈子に負けたから。

実際には蛇の神格である。蛇を意識した姿の神奈子は勝者だから。敗者だからカエルの姿をしている。そういうことらしい。

諏訪子は眷属として様々な動物を従えているが。

その最大戦力がミジャグジさまであるように。諏訪子は現在は、人間の姿こそしているが。

本来の姿を見せると、或いは妖怪の山を何巻もするような巨大な蛇なのかも知れない。

「そ、それで、 これを作れと」

「そうだ。 チラシを再現する必要はない。 その道具を作れ」

「ハイ」

そう、これは注文である。依頼では無い。命令だ。

以前、河童に対して、守矢がダム工事を依頼してきたことがあった。

里に威を示すため。

後は電気をもっと安定して得るため、というのが理由だったと思う。

だが河童はその当時守矢の支配下ではなく。

工事はいい加減を極め。

それぞれの河童がやりたい放題にやった結果。一週間ほどで中止の指示が出て、工事は切り上げられた。

その時は、守矢と河童の関係は上下では無く、勢力同士で「対等」だったが。

今は違う。

今の河童は、守矢に組み込まれた妖怪の山の雑多な妖怪達と同じ。

配下なのである。

「作れないなら別にそれはかまわない。 ただし、自分で勝手に解釈して勝手なものを作り出したり、好き勝手に作業を始めたらうちの子らのエサにするからね?」

「ハイ、分かっております」

「よろしい。 では作業に取りかかるように。 なお、作業自体は任せるから、好きにやりな」

諏訪子は立ち上がると、部屋を出て行く。

またいつの間にか早苗がいて、茶をお盆に載せ回収していった。それも、湯飲みに触れずに。九つ全てを同時に空中に浮かせて、お盆に載せたのだ。

どんどん新しい術を覚えていると聞いているが。

本当に実用的な術を覚えているんだなと、戦慄する。

河童は長寿の存在だ。妖怪はみんなそうだが、人間よりずっとずっと永く生きる。

その分成長は遅い。

肉体的な意味でも、精神的な意味でも、である。

こんなに早く成長されたらたまったものではない。

誰も固まっていて動けないので、にとりは何度か目をつぶり、深呼吸すると。率先して立ち上がった。

「か、帰りましょう長老方」

「お、おう、そうだな」

「ちらしを忘れてはならないな」

「そ、そうだな」

完全にみんな呆けている。

悲しくてならないが。

これが現在の河童の現実である。

昔だったら、外の世界のチラシを見たらかぶりつきだっただろうに。今はチラシをみるよりも、まず恐怖が先に立っている。

ふらついて飛びながら、玄武の沢に戻る。

全員、帰路は何も口にしなかった。

周囲を、守矢配下の妖怪達が護衛しながら飛んでいる。

ロープウェイから見た人間達が、指さしているのが見えた。

人里での噂は聞く。

守矢が山の支配権をほぼ確立したらしいと、人里でも話題になっているそうだ。まあそれはそうだろう。完全に事実だし、賢者達も守矢が妖怪の山から動かなければそれで良いと思っているようだし。

人里では評判が良い。

妖怪が非常に秩序だっていると。

その代わり、守矢側も人間に対して妖怪の縄張りを無闇に侵さないように警告もしているようだ。

守矢は山そのものの信仰と一体化しつつあり。

人里でも妖怪をねじ伏せた実力は評価している事もある。更に、守矢のおかげで、恐ろしい妖怪の姿を間近で見られるようになった事もある。

あんな怖いのがいるなら、山には迂闊に入れない。

そう考える人間も増え。

結果として妖怪は「威」を得る事に成功しているし。

妖怪達は縄張りを侵されることもなく。守矢から課せられた幾つかの義務さえこなせば、安楽に暮らせる。

誰もが幸せな筈なのに。

どうしてにとりはこんなに怯えているのだろう。

玄武の沢に着くと、護衛と名目の監視達は帰っていった。

そこで、やっとチラシを見る事が出来る。

そこそこ難しい機械だが、チラシにだいたいの機能は載せられている。こんなに小型に作れるのかと驚くが。外の世界の技術が圧倒的なのは、守矢が持ち込んだ色々な機械類で分かっている。

そして外の世界では、それで全く満足せず、尻に火がついたような競争をしているらしい。

昔は人間を舐めきっていて、自分達の技術のが凄いと自負していたにとりだが。

今は認識を改めていた。

「ともかく、同じ機能のものを作ればいいのだな」

「今回は、試作でしょう。 作れるか作れないか、作れるならどれくらいの大きさで作れるのか……」

「まずはやってみるか……」

今回持ち込まれたのは、床を掃除する道具だ。

掃除機というものがあるらしいというのは聞いた事があるが、幻想郷に流れ着いた奴はどれもこれも大きかった。重くて。メンテナンスも大変だった。

だがこのチラシの奴は。そのまま人間一人で扱えるくらい小さい。

そういえば、これと似たのを早苗が使っているのを見たようなみていないような。

兎も角。

守矢としては、これをどれくらい再現出来るかが知りたいのだろう。現在の幻想郷の技術で。

手分けして動く。

そういえば、前は出来なかった事だ。

一人が倉庫から、似たようなものを持ってくる。河童が数人掛かりで持ち込むほどのものである。

大きくて重い。

人里は電気が最低限しか普及していない。

こんな機械が普及するのは、恐らくずっと先だろう。

今は電球がちょっと普及しているくらいで。

それでさえ、弱い妖怪からは不評だというのだから。人間を脅かせなくなったと。

「こんなに外では小型化しているのか……」

「いや、このチラシを見る限り、外ではこの型式はかなり古い可能性が高い。 こんなものは、誰もが持っているのだろう」

「恐ろしい話だ。 外の世界の人間が貧弱だなんて、誰が言ったのか」

「まずはやってみよう」

設計図を書き下ろす長老の一人。それの補助を開始。

ガワを作り始めるにとり。

長老はそれぞれ、必要な機構について分析して、それぞれ得意分野の技術を振るって、「掃除機」を作り始める。

成形などは危険が伴う。

人間に比べて肉体の破損リスクが小さい妖怪だが。それでも工場に幼子は入れない。危険すぎて入れられないのだ。

ただでさえ河童が独占できなくなり、値段も上がったプラスティックを慎重に成形しながら、作っていくが。

一段落した所で。

青ざめるような話が飛んできた。

ネムノの包丁を任せた河童からだ。

設計図通りガワを作り、部品の幾つかを仕上げて、帰宅途中。

ネムノの包丁を任せた河童が、完全に青ざめてすっ飛んできた。

「に、にとりどの!」

「どうした」

「……」

見せられて、にとりは卒倒しかけた。

ぼっきりと折れたネムノの包丁の、哀れな姿が其所にあったのだった。

 

河童は技術者集団だ。

金属成形についても知識がある。

だからこそ、分かる。

刃物というのは、基本的に折れたら簡単に直らない。

溶けた鉄を鋳型に入れて、それで刃物が出来ると思ったら大間違いだ。

例えば日本刀などは、硬度が違う鉄を何重にも折り返して叩き、信じられない複雑な行程を経てようやく完成する。これに関しては美術品としての日本刀も、いわゆる人斬り包丁も同じである。

改めて、真っ青になっている河童とともに、ネムノの包丁を見る。

さび付いていたのは確かだった。

だが、折れた断面を見ると、しっかりと鍛冶で作ったものだと一目で分かる。溶接して直るようなものじゃない。

口から魂が出かける。

温厚なネムノだが、相手は山姥だ。それも河童は今問題行動が祟って、賢者にさえ目をつけられている。

此処で問題を起こしたら。

考えるのも恐ろしい目にあわせられかねない。

例えば。あの諏訪子が飼っている巨大カエルのエサにされるとか。

あのカエル、腹の中を改造しているらしく。

飲み込んだ者に、精神的な恐怖を与える事だけに特化しているらしい。一種の神獣なので、別にエサを食わなくても大丈夫なのだろう。

仕置きとしてカエルのエサにされる事を想像して。

にとりは恐怖のあまり、笑っていることに気付いてしまう。

しかもだ。

自分でやればよかったものを。

仕事を未熟なこの河童に振ったのはにとりである。

責任はにとりにあるのだ。

吐き気がこみ上げてきたので、トイレに飛び込む。

一応水洗洋式である。人里ではまだ和式が主体らしいが。

吐き戻して、ついでに漏らしそうになっていた大小も処理する。

その後、トイレで一気に恐怖がこみ上げてきて。

泣いた。

涙がどうしても溢れてきて、どうにもならない。前はテキ屋で経済的に優位に立ったと思ったら、どんな格上の相手にも突っかかったのに。弱者妖怪に対して、どれだけ暴威を振るっても何の気にも掛からなかったのに。

今その報いが全身に来ている。

そう思うと、ますます涙が止まらなくなった。

落ち着くまでたっぷり一刻掛かり。

落ち着いても、精神がゴリゴリ削られて。トイレから出たにとりを見て、若い河童は完全に口をつぐんでいた。

「と、とにかくお前は帰っていいから」

「しかしにとりどの」

「これはお前には直せない」

事実を告げる。

というか、にとりにだって直せない。

一人だけ直せる相手に心当たりがあるが。新聞を取りだす。定価についての新聞だ。

絶句。

当然だが、価格が設定されている。

大赤字も良い所だ。

誤魔化すか。

似たような包丁を見繕って、それで。

だが、包丁全体を確認して、絶句。

ナタのような大型包丁の根元には、がっつりと銘が刻まれていた。なるほどこれは、大物を捌くために使っていて。

そして久々に使う機会が来て、引っ張り出したらさび付いていたという事か。

意外とおおざっぱなんだなあの山姥と思ったが。

極限状態なので、何の感情も浮かんでこない。

詰んだ。

ネムノの所に、土下座しにいくとして。

頭をかち割られるくらいは覚悟しなければならない。それも一度で済まされるかどうか。

或いは守矢に通報されるかも知れない。

そうなったら、カエルのエサか。

何度か目を擦る。

大泣きしたのに、まだ涙が出てくる。

深呼吸をして、必死に心を落ち着けてから。

自分の貯金を引っ張り出してきた。

殆ど全部が消し飛ぶ。

それでも、やるしかないか。

確かに研磨をミスって包丁を折ったのはあの若い河童だが。それでも、仕事を振ったのはにとりである。

責任を取るにはにとりでなければならない。

そして責任を取るとなると。

同格の包丁を持っていくか、直すかだが。

同格の包丁は作れない。銘入りの包丁だ。どうも人里に昔いた、それなりに腕が良い鍛冶屋によるものらしい。

要は一品モノなのである。

覚悟は決める。もう、自分でやってしまったことだ。やるしかない。

まず、長老達の所に顔を出す。

窶れきったにとりをみて、長老達は絶句した。ろくでもない事があったのは明らかだからだ。

「もし生きて帰らなかったら、後を頼みます……」

皆にそう告げた。

弱者に対して悪辣なテキ屋として振る舞い。己の技術力を鼻に掛け。ぼったくりを繰り返していた河童は。

もはや見る影もないほど弱り切っていた。

 

2、一つずつの重み

 

河城にとりは大雨の中飛んで、命蓮寺に向かっていた。

完全に窶れ果てた姿を隠すには、これは丁度良いかも知れない。

手元には全ての財産がある。

これから、包丁を命がけで直す。そのための生命線だ。

現在幻想郷で、もっともすぐれた鍛冶の腕を持つ妖怪は決まっている。

付喪神、多々良小傘である。いわゆるからかさお化けだが、元々からかさおばけというのは鍛冶の神に近いとかで。小傘はその関連で図抜けた鍛冶の技を持っている。

そも付喪神とはモノに命が宿った存在で、殆どの場合は元々の器物に目だの口だの手足だのがついた姿をしている。

だがそれなりに格が上がってくると人の姿を取るようになるし。

最高位の付喪神である面霊気、秦こころに至っては、上位妖怪に全く引けを取らない実力を持っている。

付喪神はその妖怪の性質から、人間の感情だけを食べる事が多く。

多々良小傘も例に漏れない。

何でも小傘は驚きしか食べられないらしく(多少の水や酒は飲めるようだが、栄養には一切ならないらしい)、その他人を驚かせる事に決定的に向いていない可愛らしい容姿から昔は非常に苦労していたらしいが。

今は命蓮寺の後ろ盾がつき。

ベビーシッターをしたり鍛冶仕事をしたりしている。

ベビーシッターでは良い意味で子供を驚かせる事が出来るし。

鍛冶仕事ではその技量で人を驚かせる事が出来る。

水色の髪の毛。赤青のオッドアイという容姿ではあるが、人間の女の子にしか見えない小傘も。

今は食いっぱぐれる事はなくなっている。

その小傘しか、包丁は直せないと見て良い。

だが、小傘に対して昔からにとりは親切ではなかった。雑魚付喪神と呼んで、虐げるようなことを何度もして来た。ぼったくる事もあった。

命蓮寺に対しても、テキ屋業で悪事を働いてきた。

小傘は仏教徒にはなっていないが、近年は安定した食事を得られるようになった事から力が増し。元々善良な性格からも本気で修行をしたら護法神の類になれると太鼓判をおされているらしく。

しかも食客として命蓮寺に住み着いているが。既にすっかり命蓮寺の面子と打ち解けているという。

人里の子供達にも評判が良い。にとりは仕事上色々な話が耳に入るが、子供を虐待しているような親を見抜くことも得意らしく。そういった家を見抜いては、子供を救ったことが一度や二度では無いとか。

そんな小傘だ。

今までのにとりの所業を思えば、良い感情を持つはずがない。

小傘がイヤと言ったら詰みだ。ネムノに殺される程度で済めば良い方だろう。

土下座をしてでも。何とかしてくださいと、頼むしかなかった。

それでも、小傘がイヤと言ったら終わりだ。

その可能性は高い。今になって、今までの行動の報いが、全てにとりに戻って来ていた。

因果応報なんて、今まで笑い飛ばしていた。

今はその笑い飛ばしていたものに、文字通り尻を蹴飛ばされている。

粗い呼吸を必死に落ち着ける。

河童は自力で飛ぶ者と、リュックに格納した飛行装置で飛ぶ者に別れるが。

にとりは自力で飛びつつ、飛行装置で補助をしている感じである。

要するに飛ぶ能力がそこまでは高くないのである。

命蓮寺近くにつく。

既に吐きそうなほど胃が締め付けられているが。

ともかく、必死にやりとりを考えなければならない。

一番最悪なのは、いきなり小傘が出てくる事だ。

絶対に良く想われていない。

だが、事実は。

その最悪を、軽く超えていたのだった。

ひょいと背中からつまみ上げられる。

気配に気付けなかった。

そして、顔を近づけてきたのは。

命蓮寺の構成員の一人。強力な妖怪見越し入道(見上げ入道とも言う)雲山を従えている妖尼僧。雲居一輪である。

命蓮寺の構成員は戦闘能力が高い妖怪が多い。人間に対して極めて友好的な点でも一致しているが。

この一輪は、一時期は妖怪の総大将とさえ言われた高位の妖怪と半ば一体化している元人間で。

当然にとりなんか束になっても勝てる相手じゃない。

ルールつきの遊びとかなら兎も角。

今、一輪の表情が無である事を考えると、余計な発言をした瞬間頭をかち割られるだろう。

もう泡を吹きそうなのだが。

ブルブル震えるにとりを見て、一輪は可能な限り抑えているっぽい声で言う。

「何をしに来た。 押し売りならお断りだ」

「ち、ちが……」

「迷子だったら自力で帰ることが出来るな」

「そ、そうじゃな……」

怖い。

前にテキ屋家業で命蓮寺には色々悪さをしたのだが。

その時、人々がいるからか。

命蓮寺の武闘派妖怪達は殆どにとりをはじめとする河童達に、暴力を振るうことはなかった。

だがここのボスである住職の聖白蓮をはじめとして、命蓮寺の戦力は幻想郷でも守矢に次ぐとさえ言われる充実ぶりであり。

更に強力なコネを持っているため、援軍まで期待出来る有様だ。

地面に落とされた。

冷たい目で見ている一輪。

何か言いたいことがあるなら言って見ろと、視線で告げている。

にとりは最悪だ、最悪だと内心で呟きながら。

必死に声を絞り出していた。

「た、助けて……」

「……」

「ほ、包丁が折れてしまって。 直してほしくて。 金なら払う、払うから、何とかしてほしいんだ!」

土下座する。

完全にカエルのように。

涙がダラダラ流れているのが自分でも分かる。

怖い。

河童という種族は基本的に、相手が強いと認識すると逆らえなくなる。

人間に対して盟友とかなれなれしく呼びかけたりするのも。

人間より強いと言う自負があるからだ。

一方鬼には絶対に服従。

そして、鬼と比べるとどうかは分からないが。そもそも見上げ入道と同等と判断して良い一輪の実力は、それこそ河童が束になってもかなわないし。

恐ろしい事に、一輪は命蓮寺でも中堅所程度の実力でしかない。

少しでも機嫌を損ねたら終わる。

「一輪ー。 どしたの?」

声が増えた。

ひゅい、と喉から声が出る。

河童特有の、恐怖が極限に達したときに出る声だ。

ぶるぶる震えているにとりは顔も上げられないが。兎も角、命蓮寺側は臨戦態勢に入ったと見て良い。

「水蜜、此奴」

「ああ、テキ屋の。 しばいて放り出す?」

「それがさ、包丁を直してほしいとか言ってきててさ」

「……となると、小傘に用事か」

水蜜。船幽霊か。

此処の住職に諭されて、人間を襲ったり殺すのを止めた妖怪の一体。元は凶悪な船幽霊だったのだが。それで改心して、今は仏門に入っている。

凄まじい豪腕の持ち主で、巨大な錨を軽々と振り回す他。

水中戦でも河童以上の戦闘力を誇る。元々水中がホームグラウンドの妖怪なのである。当然だろう。

此奴にも、当然勝てない。

必死に這いつくばっているにとりの上で、恐ろしい会話が続けられている。

「雨だし、ともかくもう寺に入ろうよ一輪。 私なんか血が騒ぐし」

「まだ修行中だもんな水蜜。 やっと人を溺れさせる欲求が消えかかってるんだっけ」

「そうそう。 此奴河童だから簡単に溺れないでしょ。 此奴溺れさせたら面白そうとか、つい……じゅるり」

「住職に殺されるぞ」

ひゅいと、また声が漏れる。

河童は確かに水中での行動に特化しているが、船幽霊はそもそも海の妖怪で、活動範囲が全然違う。

水中戦においても河童より間違いなく上だ。幻想郷は海に接してはいないが、海についての話は幻想郷が出来る前から生きていた妖怪に聞いている。海に住む妖怪の強大さについてもだ。

そして溺れないかと言えば、当然河童だって溺れる。

下手をすると殺されかねない。

それを悟って、にとりはもうこれで最後かも知れないと。震えながら頭を地面にすりつけるしかなかった。

「で、これどうするの?」

「仕方が無い、聖に判断を仰ごう」

「面倒だなあ。 どうせろくでもない事企んでるに決まってるし。 小傘良い奴だから此奴が悪い事企んでも見抜けないだろうし」

「見張れば良いんじゃない?」

口々に言いながら、またひょいとつまみ上げられる。

そして、命蓮寺に連れ込まれていた。

 

雨の中、命蓮寺は冷え込んでいた。

普段箒で掃除をしている山彦の幽谷響子の姿も見えない。一方。退屈そうに本堂の隅っこの方に座る、この寺に常駐する妖怪の中では戦闘力がナンバーツーに位置する封獣ぬえの姿がある。

此奴は平安の世を騒がせたぬえご本人で、しかも殆どの妖怪に不可能な博麗大結界の突破を自力で行える実力の持ち主だ。

戦闘は得意ではないと言っているらしいが、それはあくまで真面目に殴り合うような戦いの話。

文字通りの妖術を用いて相手を惑わすような精神戦に持ち込まれたら、まず勝ち目なんて無いだろう。

「ぬえー。 住職はいるかい?」

「いや、まだ帰ってきていない。 ほら、人里で」

「ああ。 なるほどな」

何だか分からない会話をしているが。

いずれにしても、それほど時間を掛けずに帰ってくる様子だ。

泥だらけの河童をいきなり居間に上げるわけにもいかないと思ったのだろう。

風呂場に放り込まれて、体を洗うように言われた。

一応換えの服も用意して貰ったが。

極めて無個性な、死人が着るような服だ。

ブルーカラーの制服を基本的にいつも着ているにとりは、落ち着かなくて仕方が無い。帽子を取りあげられなかったのだけが幸いか。

にとりは河童なので、頭には皿がある。

皿は、他人にはあまり見せたくない。

程なく、大きな気配が寺の中に現れる。

水浴びと着替えが終わって、やっと人心地ついたと思ったのに。

ひゅいと悲鳴を上げて、背を伸ばす。

この妖怪寺のボス。

住職、聖白蓮のお帰りだ。

パワーだけでも鬼と同等かそれ以上。スピードは天狗を超える。

幻想郷には魔法使いが二種類いて。

「単に魔法を使うだけの人間」と、「魔法によって寿命を超越した元人間」が存在しているが。

白蓮は後者で、それも間違いなく幻想郷最強の魔法使いだ。

この猛者だらけの寺のボスをするに相応しい実力者であり。

くせ者揃いの幻想郷で珍しい人格者である事もあって。

人里の信仰も篤く。

特に危険だった墓地周りを整備してくれたこともあって、人里では感謝の声が絶えないという。

そう言った感謝の念、畏敬の念は、そのまま力につながるのが幻想郷だ。

多分現在の白蓮は、幻想郷に幾つもある妖怪の勢力の長の中でも強い方に位置しているだろう。

居間に行くように促され。

にとりは人形のようにぎくしゃくと動きながら、居間に。

居間にはいつも穏やかな笑みを浮かべているが。

今日は静かに、いつもとは違う。

どちらかというと、静かに相手を見定める表情の白蓮がいた。

怖い。

判断次第では、河童の開きとか、河童の佃煮にされる。

そう思ったにとりは、必死に床に這いつくばるしかなかった。

白蓮に一輪が耳打ちしている。

しばしして頷くと、白蓮は言う。

「顔を上げなさい、にとりさん」

「は、はいっ」

青ざめて顔を上げるにとりだが。

白蓮はやはり、厳しい目で此方を見ていた。

自分より強い相手には逆らえないにとりにして見れば、文字通り蛇に睨まれたカエル状態である。

呼吸をするのさえ怖い。

こんな相手に、以前テキ屋業で調子に乗っていたのだと思うと。

昔の自分を、助走付きでぶん殴りたくなる。

「経緯がよく分かりません。 どうしてここに来たのか、何が目的なのか、正直に話しなさい。 内容次第では、手を貸しましょう」

「は、はい」

座布団を水蜜が用意してきて、白蓮が座る。にとりと向かい合うようにして。

白蓮の背後に、一輪と水蜜が立つ。

そして部屋の隅の方に、柱に背中を預けてぬえがいる。

一輪と水蜜は全力警戒状態。白蓮に至っては、あらゆる手を使って良いと言われても絶対に勝てないレベルの相手である。

この時点でもうにとりはいろんな意味で死を待つばかりだが。此処には姿を見せてはいないが、命蓮寺にはまだまだ戦力がいる。

此処の食客になっているタヌキの大親分である二ッ岩マミゾウもまた、自力で博麗大結界を突破出来る実力の持ち主だし。

地位的にはこの寺のナンバーツーであり、毘沙門天の代理扱いされている虎の妖怪寅丸星も、少なくとも一輪や水蜜と同レベルの実力者だ。

更に、である。

最悪は最悪を呼ぶ。

ひょいと顔を見せたのは、秦こころ。

何があったのだろうと、興味を持ったのだろう。

完全に無表情の人間の女の子に見えるが、周囲には多数の感情を司った面を浮かべていて。喋るときは自身の感情に合わせてその面を被る。

此奴は付喪神だが大妖怪に匹敵する実力者で。

しかもだ。命蓮寺の在家信者の一人である。

「あ、私にいじわるした河童さん……」

「こころ、どういうことですか」

「前に屋台で、私が面をなくして困っているときに、いじわるをされたの」

「ほう……」

言い訳不能。

事実だからである。

以前、秦こころは、自分の能力の要である面の一つを失い、困り果てて辺りを彷徨っていたことがある。

その時にとりは困り果てているこころの足下を見て暴言を吐き、痛めつけるような事までした。

恐怖で白蓮の顔を見られない。

こころは精神的に幼い所があり、関係者から可愛がられていると聞いている。本人も殆ど悪い事をしない。

故に、白蓮が今の話を聞き。

にとりをどう思ったか何て、想像する事は馬鹿でも出来る。

呼吸が苦しくなってきた。

怖くて顔も上げられない。

だが、白蓮は容赦のかけらも無い。

「顔を上げなさい」

「ひゅい! 許して、許して……!」

「まず話を聞かせなさいと言っています。 こころ、先の話は後ほど聞きましょう。 貴方はぬえと遊んでいらっしゃい」

「うん。 住職も気を付けて」

その言葉だけで、こころがどれだけにとりを警戒しているかが分かる。

静かになった。

多分ぬえと一緒に、こころがその場を後にしたのだろう。

顔を一ミリ上げるだけでも。

どれだけの苦労があるか分からない。

何とか、必死に白蓮の顔を見る。

表情は、無くなっていた。

相手はもう何も言わない。

にとりが、事情を話すのを待っているのだ。場合によっては、そのまま殺されるだろう。走馬燈が頭の中を流れ始めるが。

考えてみれば、自業自得かも知れない。

たっぷり、必死に時間を掛けて。

順番に話をしていく。

そして、丁寧に布に包んだネムノの包丁を取りだし、見せる。

銘入りの、一点物の包丁を、である。

金も差し出す。

あの忌々しい天狗。天狗の組織を抜け、独自の新聞を作りだした姫海棠はたてが持ってくる、定価が書かれた新聞の通りの金額である。

小傘は前は場合によっては格安で仕事を受けていたらしいのだが。

そもそもその値段では皆が恐縮するような仕事内容だったので。

今ではこの定価に沿って仕事をしている。

つまりかなり値上げしたのだが。

その値段分、いやそれ以上の仕事をしてくれるので。

誰も文句は言わないそうだ。

「も、もう頼める相手が此処にしかいないんだ。 お、お願いだから、仕事を、仕事を受けてほしい……」

「条件は二つあります」

「ひゅい……」

二つも。

一つが殴らせろとかだったら、にとりはもうお空のお星様になる事を覚悟しなければならない。

もっと金を寄越せとかは、流石にこの住職は言ってこないだろうが。

だが、だからこそ。

余計に怖い。

「一つはネムノさんにしっかり事情を告げること」

「……」

予想の外の条件だった。

ネムノは比較的温厚な方だが、この銘入りの包丁を大事にしていない筈が無い。殺されるかは分からないが、多分怒る。

だが、約束を守らなければ。

河童が仕事をしないという話につながる。

今、河童は妖怪の山で文字通り監視状態にある。

これ以上信用を落とすわけにはいかない。

だから、聞かなければならないだろう。

「もう一つは、テキ屋業で悪さをしないこと」

「は、はいっ! そ、それはもう!」

出来るわけが無い。

何しろあの定価の制定。鬼である伊吹萃香が関わっているのである。もしも今後ぼったくりや詐欺をやったら、伊吹萃香に喧嘩を売るようなものであり。

つまりそれは、伊吹萃香が。

絶対勝てない最強の鬼が。

玄武の沢に殴り込みを掛けてくる事を意味する。

そして河童を助けてくれる者なんて誰もいない。

それだけ色々今までやってきたのだから。

「今、小傘は寺子屋で、子供達に技術指導をしています。 手先が器用なあの子は、色々出来ますからね。 夕方には戻って来ますから、それまでにまずネムノさんに謝ってきなさい」

「は、はい……」

「こころ」

呼ばれて、ひょいと顔を出した秦こころ。

にとりを見る時、頭に警戒を示すらしい面が被さる。

それは根に持たれるだろう。

此奴は面のバランスが崩れると、色々と問題が起きるらしいのだ。生死の境をさまようほどの苦労をしている相手の、足下を見たのだから。

「今からこの河城にとりさんが、山姥の坂田ネムノさんの所に謝罪に行きます」

「何か悪戯したの?」

「雑なお仕事で、ネムノさんの包丁を駄目にしてしまったのです」

「ひどい」

面が怒りを示すものにすり替わる。

無表情だけれど、声そのものには感情があるので、にとりはぞっとするしかない。

だいたい此奴自身が、大妖怪とまともに張り合える実力者なのである。

怒らせたら、にとりなんかひとたまりもない。

あの時も。

以前、困り果てている此奴の足下を見たときだって。

もしもキレられていたら、刺身にされていた可能性が低くなかったのだ。

「雨も止んできました。 行ってきて、しっかり見届けてください。 これが書状になります。 スクランブルを掛けて来た山の妖怪にはこれを見せなさい」

「はい、住職」

ぺこりと頭を下げると、いつの間にか書かれていた書状をこころが受け取る。

守矢にとっての最大仮想敵は命蓮寺だと聞いているが。

まあ現時点では、双方警戒状態で、別に戦う理由は無い。

こころがいても、突っぱねられることは無いだろう。

山に、移動する。

あの住職は、言われた事を守らなければ、絶対に小傘に仕事をさせる事を許さないだろう。

仏教に入門はしていなくとも、小傘は食客として命蓮寺に馴染み。あの住職に感謝しているとも聞いている。

気が重い。

何より、警戒心丸出しで、にとりの背後をついてくるこころが怖い。

兎も角、山に飛ぶ。

これで、にとりの胃はしばらく駄目になるかも知れない。

覚悟はしておかなければならなかった。

 

山の上空で、案の定スクランブルを受ける。

ネムノの縄張りは天狗の縄張りに近い。それでいながら、鬼も守矢もいなかった頃の天狗による圧力を凌ぎきった妖怪の一人である。

要はそれだけ強いと言う事だ。

スクランブルを掛けて来た妖怪達に、こころが書状を見せる。

しばし待てと言うと、妖怪の一体が守矢に飛んで行き。すぐに戻って来た。

「許可が出た。 余計な事はしないように」

「うん。 見届けるだけ」

「大変だなお互い」

どうも山の妖怪達にも、秦こころの性格は知られているらしい。

多分だが、山にも影響を持つ大ダヌキの影響だろう。

付喪神に対する扱いのエキスパートらしいので、こころを山に連れて行っては、影響下にある妖怪と話させたりしているのかも知れない。

ともかく、移動し。

ネムノの家に。

屋内にぶら下げられた獣。血抜きをしているのだ。

燻製にされている干し肉多数。

そして、何だとばかりに出てきたのは、不機嫌そうな顔の。何より顔が怖い、坂田ネムノだった。

「何だ河童。 もううちの包丁が直った……訳ではなさそうだべな」

「違うよネムノさん」

「し、しーっ」

「ほう」

こころが嘘をつかないような性格であることは、此奴にも知れ渡っているのか。

ともかく、もうネムノは包丁を手でポンポンしている。

まずい。

下手をすると、彼処でぶら下げられている燻製肉の仲間にされる。

まだ少し柔らかい地面に土下座。

そして、状況を告げた。

「ほんっとうに、ほんとうにすみませんでしたあっ!」

「……」

「責任を持って直しますので、どうか以降も河童をごひいきに……!」

「顔をあげるべ」

顔を上げると。

ネムノは相変わらず。手で包丁をぽんぽんしていた。

恐怖でフリーズするにとりを無視して、ネムノはこころに言う。

「此奴が自分から謝りに来る筈がないべ。 命蓮寺の住職の采配だべな」

「うん。 住職が、このいじわるな河童さんにちゃんと筋を通しなさいって言ったの」

「いじわる。 お前、こんな子にまでなんかやってただべか」

「ひいっ! すみません!」

開きにするかとか、物騒な事を言い出すネムノ。

この場で吐きそうだが。

こころは相変わらずの調子で言う。

「でも、謝っているのだから許してあげて」

「はあ。 そんなんじゃまた此奴にだまされるべ。 でも前に騙されたお前さんがそういうんじゃ、しかたないべな」

ずんと、頭を踏まれる。

抵抗できない。

「折れちまったものは仕方が無いべ。 だけど直った場合も、最初の予定通りのお金しか払わないからそれはわかってるべな」

「は、はい、勿論にございます!」

「なおらなかったら、命蓮寺に行ってるなら丁度良い。 小傘に同じくらいの包丁を作ってもらって来るべよ。 その場合も、同じ料金しか払わんからな」

「はいっ! もちろんでございます!」

完全に土下座が固定されたままにとりが言うと。

漸く足をどけてくれた。

目を擦る。

怖くて漏らしそうだった。

妖怪にとって精神的なダメージは深刻だ。多分にとりは、この仕事が終わった後しばらく体調を崩すだろう。

それでも、なんとか。

仕事だけは終わらせなければならない。

それは河童として。

技術者として。

最低限、超えてはならない一線なのだから。

命蓮寺に戻る。途中、周囲を護衛して飛んでいる山の妖怪達は。こころには時々笑顔を向けて談笑までしていたが。

にとりに対しては、露骨に警戒していた。

これだけでも、今まで河童が周囲の妖怪にどう思われていたかが、明らかだった。

 

3、失ったもの

 

また風呂場に放り込まれて、着替えさせられる。

今度着せられたのは、いつものブルーカラーの制服だった。なんと、この短時間に洗濯から乾燥まで済ませたらしい。

あの住職の魔法によるものだろう。

聖白蓮、侮れない。

寺の雑事は弟子達にやらせている、若干ずぼらな部分もあるらしいのだが。

その気になるとすぐに自分一人で出来てしまうのだろう。

流石は幻想郷最強の大魔法使い。

毘沙門天とコネを持ち、魔界にもコネがあると言う強大な魔法使いだが。

その話は嘘でも何でも無く。

実力は伊達では無いという事だ。

やっとブルーカラーの、着慣れた服に戻って安心したにとり。しかも、洗濯の前にポケットに入っていた道具類は全部出してくれていたという。

受け取って確認するが、一つも欠けていない。

それに使い込んでいてくたくたになっていた制服が、何だか新品になったように良い香りがする。

ため息をつき。

そして、初めて感謝の言葉を口にしていた。

「すまねえ。 あんたの事、誤解していたかもしれねえ」

「……以降は、テキ屋で人を騙すようなことはしないように。 その一つの条件は覚えていますね」

「分かってる。 本当に今まですまなかった」

他人に心から頭を下げた事なんて、いつぶりだっただろう。

さっきだって、半ば脅されてネムノに土下座したようなものだ。

客のことは完全にいつもカモと見なしていたし。

舐め腐って対応していた。

それを思うと、それでもなお話を聞いてくれた白蓮は、器が大きいし。

頭も下げなければならない。

素直にそう思えるのだった。

既に小傘は戻っているらしい。鍛冶場に様子を見に行く。

鍛冶場は「危険だから立ち入り禁止」と立て札が立っているが。まあこれは当然だろう。河童が使っている工場も、子供は絶対に入れない。

小傘は、折れてしまったネムノの包丁を、じっくり目を細めて検分しているところだった。

此奴は可愛い容姿と他人を脅かすのに決定的に向いていない善良な性格から、妖怪の間でも舐められていたのだが。

鍛冶の時になると。

本職だからか、やっぱり目つきが代わる。

何度か軽く小さなハンマーで叩いたりして確認していた小傘だが。にとりがいる事には気付いているようだった。

あれ。

こいつ。こんなに妖力大きかったか。

そうか、命蓮寺の後ろ盾で食い物(驚き)に困らなくなって、力がどんどんついているのか。

噂に聞いていた、真面目に修行すれば護法神になれる云々の話は多分嘘じゃない。現時点では、もうにとりより強いかも知れない。

生唾を飲み込む。

もう此奴を舐めて掛かることは出来ないなと、にとりは思っていた。

「にとりさん、これ経験が浅い人が無理に力入れて研いだんだね」

「そ、そうなんだ。 その……直るかな」

「難しい」

じっと折れた断面を見ている小傘。

刃物は一度折れると、取り返しがつかない事が多い。日本刀なんかは殆どの場合打ち直しである。

だが、人間が作った銘品。

鍛冶の神の力の一部を持っている小傘の技術。

勝るのは、どちらか。

しばし目を細めている小傘。

鍛冶の神は一つ目になる事が多いと聞いた事がある。小傘がオッドアイなのも、それに遠因があるのかも知れない。

理由は鍛冶が強い光を長時間見る作業だから。

しばしして、小傘は腰を下ろすと、にとりに背中を見せたまま言う。

「集中して作業するから、鍛冶場には誰も近づけさせないで」

「す、すまねえ。 料金は払うから……」

「本当はこれ、直るものじゃないよ。 でも、この銘が……刃物自体から声がまだしているの。 だから、何とかしてみるよ」

頭を下げる。

本当に、今まで色々悪かった。

肩に手を置かれる。

さっきより若干表情が柔らかくなった水蜜だった。一輪もいる。

「後は私が見張りをするから、あんたは寝てな。 消耗が尋常じゃ無いだろう」

「で、でもいいのか」

「小傘といつも一緒にいるのは私達だからな。 鍛冶場を作る時にも立ち会ったし、以降もどのくらいまで近付いたらいけないのかも良く知ってる。 終わったら呼んでやるから、それまで休んでいるといい」

何だろう。

つきものが落ちた気がした。

ふっと、力が抜ける。

何とか転ばずには済んだが。そのまま、一輪に連れられて寝室に。

布団は用意されていたので、倒れ込んで。

以降は死んだように、睡眠を貪った。

 

いつからだっただろう。

河童は昔から、技術力を売りにしていた。これは河童の原型になる妖怪が大陸から入ってきたから、と言われている。

いうまでもなく大陸は、河童が入ってきた頃はこの島国より技術が遙か上だった。渡来人とか言ったっけ。そういう大陸からの移住者は、この国で重宝されたと聞いている。

そういった大陸からの妖怪に。

山の民、サンカと呼ばれる一種の不定住民の話が合わさって。更に色々な伝承や要素が組み合わさって。

外の世界で三百年くらい前に、今の河童のスタンダードな姿が誕生したと言われている、らしい。

この辺りは、幼い頃。

親の河童に聞かされた事だ。

幼い頃は純粋に技術が好きで。工場に入れて貰える前は手作業で、色々小物を弄ったり作ったりしていたし。

その頃は人が溺れることもあったから、尻子玉を抜いたりもしていた。

今では人を殺す妖怪は幻想郷には滅多にいないが。

昔は事故も多かった分。

河童も人を相応に殺していたのである。

ただ、それでも。

昔は今のように、性格が悪くは無かったように思う。

いつからだろう。

テキ屋業で、他人を騙すのが当たり前になったのは。生まれた時は、あんなに無邪気に技術に触れて。その楽しさを喜んでいたのに。

無縁塚に流れ着く道具類を見て目を輝かせ。

仕組みを知りたいと真摯に調べていたのに。

いつの間にか銭ゲバになり果て。

他人を騙す事を何とも思わなくなり。

弱い奴には束になってイジメを行い。挙げ句の果てに、相手が泣いていようが何とも思わなくなった。

昔、両親は。

にとりが泣いているとき。大事なものを壊してしまったり、上手く行かなかったりで泣いていた時には。

側にいてくれたではないか。

勿論両親が善良な河童だったかというとそれは違う。普通の河童だった。

だが。それでもだ。

今のように、どうしてなってしまったのか。

目が覚める。

全身がとにかく重いのが分かる。精神的なダメージを立て続けに受けたから、体が悲鳴を上げているのだ。

精神生命体である妖怪には、精神的なダメージの方が。肉体を壊されるよりも効くものなのである。

鬼に殴り潰されてミンチになっても。

そのうち直る。

だが、精神の方を痛めつけられると。

そう簡単には復帰出来ないのだ。

目を擦る。

ため息をついた。

布団を掛けて貰っていたので、丁寧に畳んでおく。外はすっかり雨が上がっている。むしろ雨の方が河童には過ごしやすいのだが。まあそれはいい。

鍛冶は、終わっただろうか。

いや、終わっていない。

まだ、規則正しい金属音が響いているのが分かる。

丁度鐘が鳴っている。時を知らせる命蓮寺の鐘だ。きわめて正確になるので、人里でも有効活用しているとか。

鐘の音からして、今はもう朝、それも遅い時間か。

つまり小傘は、殆ど徹夜で作業をしているという事になるのか。

鍛冶は特性上、その作業が徹夜になりやすい。

これは金属加工をしているにとりも知っているが。

今回の場合、仕事を持ち込んだ時間が悪かった。小傘も人里で子供達に技術を教えていた後だろうに。

特に嫌な顔一つせず。

散々嫌な事をしてきたにとりの仕事を受けてくれたという訳か。

溜息が出る。

組織はトップの影響を受けると言うが。

此処は本当にそうなんだなと実感する。

守矢は、とにかく秩序が敷かれている。早苗の変化を見ればそれが明らかだ。強力な法治主義を持って、山に新しい秩序を敷き。それが誰もが満足できるものに仕上がっている。

命蓮寺はどちらかというと、秩序は秩序でも武力よりも信頼関係によるものだ。

これはトップが駄目だと途端に瓦解してしまう脆いものだが。

千年を軽く経ている妖尼僧白蓮の力は、にとりが想像をするよりも遙かに上と言う事なのだろう。

弟子達もたまに戒律やぶりをしているらしいが。

それでも白蓮への絶対的な信頼が揺らいでいる様子は無い。

食事をこころが運んできた。

まだ警戒しているようだが。

ありがとうと礼を言って、寺の食事を貰う。

味がしない精進料理かと覚悟していたのだが、思っていたよりもずっと美味しい。血の味はしないが。

そういえば人工蛋白がどうのこうので、寺の料理では得られない栄養を補っているとか聞いている。

栄養だけではなく味の面でも。

戒律を破りたくなるようなまずい飯ではなくて、美味しいものを出す事によって。しっかり工夫をしているわけだ。

なるほど、今伸びている勢力だと言われる訳である。

閉鎖的な上に他の勢力を搾取対象だとしか思っていなかった河童とは全部違う。

技術については貪欲だが、それ以外は、河童は極めて利己的な組織だ。

冷静になってくると。

少しずつ、命蓮寺の強みが。

そして自分達のだめな所が分かってくる。

いずれにしても、命蓮寺を侮るのはやめだ。単純に強い妖怪が揃っているだけの集団じゃない。

確かにあの守矢が仮想敵と見なすだけの強大な勢力だ。

金属音が止まった。だが、それで作業が終わったかと判断するのは早計だ。金属加工はにとりも嫌と言うほどやっている。ただ熱した金属を叩いていれば終わるようなものではない。

まだ、待たなければならないだろう。

しばらくぼんやりしていると。

秦こころが茶を持って来た。

此奴が本当に困っているときに、自分達がよってたかってやった事を思い出す。それに対して、罪悪感とかは別にない。

だが、恨まれて当然だなとは思った。

すぐに人間は変わらないと聞いている。

妖怪はそれ以上に変わりにくい。

認識を改めることはあっても、すぐに善良な妖怪になる訳がない。にとりだって、乾いた笑いを浮かべた。

「はい、お茶どうぞ。 住職がもう少し休んで行きなさいって」

「申し訳ねえ」

「……」

秦こころは心を読むエキスパートだ。

にとりが心にもないことを言っていることぐらい、一瞬で看破したのだろう。

お茶を置くと、すぐに戻っていった。

茶は適温で、何度も丁寧に淹れて技術を上げていることが分かった。

秦こころが此処で修行している事は知っていたが。

多分手取足取りあの人が良さそうな。幻想郷では例外的な善人である白蓮が教えているのだろう。

まあ幼子のような精神の持ち主だし。

気持ちは分からないでもない。

茶は美味しい。

そして、昼過ぎだろうか。

小傘が戻って来た。

布に包んだ刃物らしきもの。

思わず身を乗り出す。直ったのか。

小傘は、秦こころと一緒にいる。多分小傘をにとりと二人っきりにしないようにと、白蓮が指示を出しているのだろう。

まあ今までの所業が所業だ。

それも当然とは言える。

正座するにとり。向かい合って座ると、小傘は布を丁寧に開いて、包丁を見せてくれた。

完璧だ。

にとりも技術屋だから、これがどれだけの高い技術によって直されたのかは一目で分かった。

銘もしっかり残っている。

生唾を飲み込む。

一体どうやってやったのか。

それを聞きたかったが、それ以上に驚かされたのは、包丁の輝きである。

包丁というのはデリケートな刃物で、高級品になると丁寧に扱わないとすぐにへそを曲げる。

ネムノもいつも使っている一番良い包丁に関しては、もの凄く丁寧に手入れをしているはずで。

この包丁は、銘入りとは言え予備として扱っていたはずだ。

だから錆びさせた。

だが今後は錆びさせるなよと包丁が主張しているかのように。

ものすごい刃の輝きを見せていた。

「直りました。 それと、これ説明書です」

「説明書!?」

「?」

小傘が小首をかしげる。

そうか、一級品の包丁に仕上がったから、説明書が必要なレベルの代物になったのか。これは明らかに元を超えた品だ。

触って見て良いかと聞くと、手袋を渡された。

まあ、それはそうだ。

ネムノの前に、素手でにとりが触るわけにもいかないか。清潔な手袋である。小傘の仕事道具だろうか。

持って見て、また息を呑んでいた。

なるほど、これは凄い。

里の料理人が、たまに小傘が売りに来る包丁を欲しがるのは知っていた。小傘は、前は料理の技術力を披露して貰って、一番上手な人に売っていたらしいが。今は定価が設定されたため、里では早い者勝ちになっているそうだ。しかも良くて一月に一本くらいしか出回らないため、料理人達は血眼になっているとも聞く。

何かを試し切りして見たいが、それも許されるのはオーナーだけだ。

震える手で、テーブルに置く。

にとりだって技術屋なのだ。

こんなもの触ったら、色々思うところはある。小傘はてきぱきと布に包丁を包むと、桐の箱に説明書と一緒に入れた。

「箱はサービスしておきます。 ええと、新聞……」

小傘が言うと、秦こころが最新の定価が載せられている新聞を出す。

秦こころも小傘が良い奴なのは知っているのだろう。

嫌そうには一切していなかった。

立ち会いをこころがして、指定の金額を払う。

この取引はそれなりに動く金額が大きいため、後で賢者側の耳に入る。もしもいい加減な取引をしたら、冗談抜きに開きにされる。

下手をすると、萃香の酒の肴にされるかも知れない。

それだけは、イヤだった。

「はい、お金受け取りました。 では、ネムノさんに返してきてください」

「ありがとう……本当に、本当にすまねえ」

「……」

何も言わない秦こころ。

感謝では無く。

恐怖と不安から頭を下げているのを、敏感に読み取っているのだろう。

命蓮寺を出る。

途中、睨むように一輪と水蜜が見張りについていたが。

こんな恐ろしい所で、悪さなんかもう考えない。

入り口で、頭を下げる。

以降、此処で祭が行われて。

テキ屋として声が掛かったとしても。

悪さは絶対に止めておこう。

そうにとりは、心の底から思っていた。

やっと寺から解放されて、静かな気分になる。

背負った桐の箱。中に入っているのは、別物のレベルにまで生まれ変わった包丁である。

銘がそのままだったと言う事は、どうにかして直しただろう事は想像がつくが、どうやったのだろう。

それに別物といっても、明らかに元の発展型だった。

歩きながら考える。

やはり技術屋だ。

技術が絡んでくると、そっちに思考が飛んでしまう。にとりはしばらく歩き続けて、それではっと我に返っていた。

いけないいけない。

すぐにネムノの所に頭を下げに行かないと。

今回の件は、新人に仕事を任せたにとりの責任だし。

頭を下げに行ったときに、ネムノもそれを知っている。

直接しっかり頭を下げないと、ネムノも納得はしてくれないだろう。

大赤字だが。

これは勉強料だと思って諦めるしかない。

悔しいし悲しいが。

それでも今回の分は、何かしらの利益で取り返したかった。それに高級とは言っても包丁一本である。

利益くらい、取り返しはつく。

山に入ると、すぐにスクランブルが掛かる。にとりはむしろ警戒されているので、説明をし、書類を幾つか書かなければならなかった。

冷たい目で見られる中、書類を渡す。

にとりに同情的な妖怪はほとんどいない。

みんな何かしらの理由で、騙されたり、ぼったくられた経験があるからだろう。

ほどなく、許可が出たので、ネムノの所まで飛んで行く。

文字通り生きた心地がしないが。

強力な秩序で統制されているこの妖怪達は、逆に暴力でにとりを人知れず葬るような事もしないだろう。

それが秩序と法というものだ。

ネムノの家が見えてきた。

降りると、ネムノが丁度干し肉を火に掛けているところだった。

外の世界ではケバブとかいうのが流行っているらしいと最近耳に入れたが。

多分そんな風に見えなくもない、豪快な焼き具合だ。

社交辞令の挨拶を交わした後、包丁を出す。

桐の箱がついていることにネムノは小首をかしげたが。

中を見て、一瞬フリーズしていた。

「はー。 あの子も凄いねえ。 確かにこれなら人里で人気になるべな」

「は、はい。 私も、その……驚きました」

「試し切りして見るべ」

早速良い具合に焼けた肉を、試し切りするネムノ。

まな板まで斬りかねない切れ味だ。

おおと、本当に嬉しそうな声。

説明書がありますのでと、説明すると。

上機嫌のまま、ネムノは包丁を拭っていた。

「これは最初から命蓮寺に行くべきだったね。 うちの包丁全部の手入れしてもらうかな」

「ははは……」

「河童、料金。 取ったらけえれ」

「はい、本当にこの度はご迷惑をお掛けしました」

鷹揚に頷きながら、早速「説明書」を読み始めるネムノ。

何度か頷いてから、包丁を目を細めて見ている。

何しろ刃物を扱う専門家だ。

良さは触っただけで分かるのだろう。

そういえば、刃物に五月蠅そうなあの紅魔館のメイドも小傘の包丁を気に入って、時々命蓮寺に足を運んでいると聞いている。

ブランドはこうやって出来るんだなと、にとりはまた一つ学習した。

そういう意味では、河童の作るものはブランドになっていない。

それぞれの個体で出来が全く違ってくる上。

性能の要求を満たしていない事だって珍しくもないし。

勝手な能力を付け加えていることだってある。

また厳しく見張られつつ玄武の沢に戻りながら。

にとりは考える。

反省なんてしない。

にとりは元々悪党だ。

今回は怖い目にはあった。それで酷い目にもあった。だが、これで善人になるような事は無い。

にとりはあくまで技術屋で。

いずれ好機があれば、何とか今の状況を打開して。好き勝手に前のように振る舞いたい。これは本音である。

ただ、力が強い相手には逆らえないという本能があるのも事実。

これは河童である以上仕方が無い。

玄武の沢ににとりが戻ると、山の妖怪達は哨戒に戻っていく。

長老達の所に行くと。

守矢に注文された掃除機とやらの作成が、佳境に入っていた。まあ、にとり一人がいなくても、河童の組織は回ると言う事だ。

長老の一人が声を掛けて来る。

「話は聞いたが、大変だったらしいな」

「少しばかり、話がありますので」

「ほう」

「後で皆を集めてください」

勿論反省したとか、善良になろうとか、そういう話では無い。

今後の戦略についてだ。

定価が設定されて、河童は今苦しい立場にある。

これを脱却するには、河童が必要な状況を作らなければならない。

今回の事件は、極めて示唆的だったとにとりは思う。

そもそも予備で誰でも研ぎ師は良かったから、ネムノは河童の所に包丁を持ち込んできたのである。

「河童でいい」というのがネムノの思考で。

「河童でないと困る」とは、今の時点では誰も考えない。

別に技術屋は他にもいる。

特に守矢は外の世界の最新の技術を持ち込む事が出来る様なので。最悪の場合河童はいらなくなる。

今までのように裏の経済で好き勝手出来ていた時代は終わった。

ならば、河童が「必要な」状況を作らなければならない。

小傘の鍛冶は、現状の河童が束になっても再現不可能だ。

それは恐らく神の力の一端を得ているからだろう、というのは想像がつく。

だがエンドユーザーにとっては、そんなものはどうでもいいのである。

ぶっちゃけそもそも河童であの折れた包丁を直せる技術があったのなら。

今回のような騒ぎにはならなかったのだから。

まずは長老に混じって、掃除機を完成させる。

命蓮寺で驚きの綺麗さに洗濯して貰ったにとりのブルーカラーの制服だが。

あっと言う間に油塗れに戻っていく。

それについては、別にかまうことは無い。

それがブルーカラー。

汚れを最初から想定している服というのは、そういうものなのだから。

程なくして、必要要件を全て詰め込んだものが出来上がる。

後は納品だけ。

そしてその後は。

周囲に、状況が決定的に変わってきていることを、納得させなければならなかった。

 

4、変わらねば死ぬ

 

守矢に注文された掃除機だとかを納品に行く。

手慣れた様子でそれを使いこなして見せる諏訪子。この様子だと、やはり外では型落ちの品か。

部屋に掃除機を掛けた後。

床を触って、埃などが取れているかを確認したりと、かなり細かい。

頷くと、諏訪子はぽんと、最初に指定した金を出してくれた。

「ご苦労さん。 帰っても良いよ。 同じものの量産を頼むかも知れないから、その時はよろしく」

「ははーっ」

長老達が心の底から良かったと声を出している。

勿論にとりもだ。

情けない話だが。

自分より決定的に強い相手には勝てない。

そういう存在なのだ。

河童という妖怪は。

天狗だって似たようなものだが、あっちは射命丸のように強くなる余地がある。河童はどうしてもそこまで強い妖怪では無い。

海の妖怪と違い。

どうしても川の妖怪には限界があるのだ。

玄武の沢に戻ると。

にとりは皆を集めて貰う。

そして、順番に説明をしていった。

「このままだと、河童は滅びる」

厳しい言葉に、技術者として動いている河童はみんな青ざめたようだった。

あり得ない話じゃない。

里の人間がどう考えるかで、幻想郷の妖怪は簡単に大きなダメージを受ける。

山彦に至っては、里で存在しないと噂が流れた時点で、種族が壊滅的なダメージを受けてしまった程である。

それに河童の戦闘力は束にしてもお世辞にも高い方では無く。

多分博麗の巫女を本気で怒らせたら、玄武の沢には生きた河童は一日でいなくなるだろう。

戦力で劣っている。

だから、前は経済力で威を示そうとしていた。

だがその経済力が潰された今。

技術でどうにかするしかない。

しかしながら、その技術でさえ。別に幻想郷のオンリーワンでは無い。

高い技術は持っているが。

この間は包丁一つ直せなかったし。

守矢に言われて作った掃除機は、守矢からして見れば恐らく河童の技術力を試すためだけに作ったものだろう。

外の世界では型落ちの品で。

この程度なら、河童なんていらないなと、守矢が考えた可能性は極めて高い。

それらを説明していくと、長老をはじめとして、皆が完全に青ざめていた。

「そ、それでにとりよ。 どうすればいい」

「我等にしか出来ない事を作るしかないでしょう」

「……我等にしか出来ない、か」

「それで威を示すしかありませぬ」

皆が黙り込む中。にとりはもう一度繰り返した。

出来なければ、河童は滅亡に向かうだけだと。

 

旋盤を使って加工を行う。火花が散る。少し手元が狂うと一瞬で指ぐらい吹っ飛ぶ。

工場は怖い場所だ。

この間の演説の後、河童の長老はにとりも交えて話し合いをした。

そして決めたのだ。

それぞれの技術の出し惜しみを止めようと。

まずは一旦技術を統合して、それを全て記録する。

今まで、年老いた河童が、技術を後継に残さず死んでしまうと言う事が時々あったらしい。

それを、今後は避ける。

河童という種族は協調性が0で。

長期的な仕事には決定的に向いていないし。

何よりも他の妖怪と上手にやっていく事が出来ない。これは同族の河童さえも含む。

だが、そもそも河童という妖怪自体が、幻想郷の勢力では最弱であり。

そのような事は言っていられなくなってしまったのである。

まずは技術を統合し。

それぞれの得意分野をあわせて、総合的な技術水準を上げる。

その後は、河童にしか出来ない事を増やしていき。

幻想郷の妖怪が、河童に対して「悔しいがこれは河童に金を払うしかない」と認識する事を増やす事で。

しぶとく生き残る。

それ以外に、路は無い。

天狗に至っては、今も博麗の巫女と賢者に厳重に監視され、下手に動いたら種族もろとも滅ぼされる状況にある。

姫海棠はたてをはじめとして、今の天狗の腐敗を嫌って山を下りた連中以外は。その場合は文字通りジェノサイドの憂き目に遭うだろう。

河童に至っては、そんな異端すら出ていない。

この間の会議の内容は、山童にも告げている。

山童も立場が極めて悪い状態になっているため、最近どんどん玄武の沢に戻ってきている。

山童も分かっているのだ。

今は、力を合わせないと。

極めて危険な状態である事は。

作業を終えて、完成品を持っていく。

皆が一番得意なものを持ち寄るようにと言う事で、声を掛けて。今、にとりが作ったものを持っていく。

旋盤による微細な加工をにとりは得意としていて。空を飛ぶための道具にもこれは使っている。

モーターなどにも応用できる技術であるため。

にとりは色々な面で重宝され。

戦闘力が河童の中では一番高い事もあって。

若手の中で代表扱いされている面もあるのだ。

皆が持ち寄った品を見ると。

結構隠し玉を持っていたのだなと驚かされる。

品質はどれも高い。

一番得意なものと指定をし。更に皆が必死だったから、持ち寄られたものだ。

中には張り切りすぎて肉体を破損してしまい、修復中の河童もいる。

河童も妖怪なので、手足が吹っ飛んだくらいなら治る。精神が壊れなければ大丈夫である。

「人里にあまり高い技術力を持ち込む事は禁止されている。 その上、高すぎる技術については賢者が噛んでいる。 さてにとりよ、どうする」

「人間も妖怪もそうですが、一番必要なのは「利便性」です」

「ふむ、そうだな」

長老の河童が頷く。

にとりは、順番に説明する。

「これらの技術を総動員して、まずは日用品の改善をしていきましょう。 外の世界に追いつくことは出来ないでしょうが、河童印の日用品が安くて使えると妖怪達に認識されるようになったら、流れが変わります」

「うむうむ、そうだな……」

「皆、リストを作るぞ。 それぞれ、得意なものを持ち寄ってくれ」

順番に、それぞれの得意なものを持ち寄り。

それぞれ記録していく。

こんな作業、以前だったら考えられなかったが。

それでも、やらなければならない。

守矢だって、露骨な探りを兼ねて、あんなどうでも良い型落ちの品を注文してきたのは目に見えている。河童にとっては総力で作ったものだが、諏訪子はあえてこんなもん外にはいくらでもあると態度で示していた。にとりにさえ分かるように、だ。

場合によっては潰す準備を、守矢は始めていると言うことだ。

とはいっても、守矢も外の物資を無尽蔵に持ち込めるわけではあるまい。

圧倒的な力を持つ古代神とは言え、それでも月や地獄の神々に比べれば劣るはずだ。

そして外を実質上支配しているのは、そういった連中である。

リストが出来るまで一日以上掛かった。

やっぱり河童は本当に協調性がない種族で、リストを作っている間に遊び始めたり、騒ぎ始めたり、喧嘩をし始めたりで。

なんというか、ダムを造っているときに守矢が河童に見切りをつけた理由がにとりにも分かった気がした。

勿論にとりもむずむずして、面倒な作業は放り出したくなったけれど。

それでも、なお。

やらなければならないのだ。

長所を生かすためには、面倒も我慢しなければならない。

やがて、全員分のリストが出来。

それを確認したときには、疲れ果てていた。

ふと気付く。

誰かに見られていたような気がする。

全身に冷や汗がどっと流れた。

守矢の二柱かも知れない。

勿論、守矢側も、河童がまとまって行動していたら目をつけない筈が無い。反乱を画策しているとでも思われたら、それこそ一時間も掛からずジェノサイドされる。この玄武の沢には、多数のミジャグジさまが潜んでいるのだ。ミジャグジさま一柱でさえ、河童には手に負えないだろうに。

必死に呼吸を整え。

そして首を横に振る。

全体の生活水準が向上することを、守矢だって喜ぶ筈。

弱者を虐げ、自分だけ儲けていたから袋だたきにされているのが今の状況だ。

だったら、平等に利害を調整して。

それでやっていく体勢をつくるしかない。

ぐっと唇を噛む。恐怖を押し殺す。

滅亡の運命なんて、辿る気はさらさら無かった。

 

(終)